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#雲外憧憬
patsatshit · 11 months
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いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそうなんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレーの咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈夫」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集者の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコミを入れたくもなる。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上の読者を想定していないし、それより多くの読者に対する責任は負いかねるというような趣旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。逆に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言って消極的に引きこもっているつもりもなく、寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読者を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ積年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を飾ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。
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ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然ながら、ジャーナリストにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型小説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディプス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある、親族に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マーケティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)
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僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめから読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇���に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)
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tanghao1 · 2 months
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蓮花雨(共30集全集)-全集在線觀看電視劇
蓮花雨(共30集全集)-全集在線觀看電視劇【谷歌搜索:香蕉影視即可觀看此片,或者在此頁面簡介找到我們的鏈接也可以進入免費觀看】
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 該劇是一部反映當代澳門青年們爲理想、事業、愛情奮鬥的故事。澳門迴歸後的第四年,在內地大學畢業的童真和澳門籍同學路小瑤懷着對未來的憧憬,相約到澳門發展。在創業的同時,童真和校友喬子良暗生情愫。但童真的好友小瑤也愛上了子良,童真得知後忍痛割愛離開了澳門。隨着澳門經濟的發展,子良創辦的公司蒸蒸日上。童真和子良重聚後,子良因女友身爲豪門之女,心裏有了落差,開始疏遠童真。當子良終於向童真傾情告白時,卻遭到子良母親和童真父親的堅決反對,原來童真父親懷疑這對情侶竟是“親兄妹”。經歷了情感波折和誤會,在金蓮花廣場慶祝澳門迴歸十年燦爛的禮花中,子良與童真終於喜結良緣。
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voyagealiledeserte · 10 months
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リンダ・レ『キャリバンのコンプレックス』――翻訳で読めないフランス小説4.
 読書家は誰だって、想像上の書物について思いを馳せたことがあるはずだ。子供の頃、まだ読んだこともないし、読むこともできない本の背表紙を前にして、未知の物語が込められた魔法の壺が並んでいるかのように考えていた。そうした思いは、後年、外国語を学習する際に再び現れる。読めない文字列を前にして、神秘的なものを前にしたかのようなめまいに襲われる。そう、書物にも外国語にも、理解の有無を越えたフェティシズムが存在する。
 こんな誰もが一度は考えたことがあるであろう考えに寄り添ってつづられた1冊の書評集が存在する。その作者の名前はリンダ・レ。惜しくも2022年に亡くなった、ベトナム生まれのフランス語作家の女性だ。
 1963年にダラットに生まれた彼女は、驚くほどの読書家だった。その事実は、この『キャリバンのコンプレックス』の頁を繰ればすぐにわかる。そんな彼女の書物へのフェティシズムは、子供時代に既に始まっていた。「印刷物」と題された魅力的な一篇では、小遣い稼ぎのため、魚屋に古新聞の束を売っていた頃のことが語られるが、そこには既に書物を神聖視していることがうかがわれる記述がある。
《魚を包むのに使おうとしていたケチ野郎たちに古新聞を売りつけた時、一時的でちっぽけなもうけのために聖なるものを売ったシモン・マグスのように、私は罪悪感を感じたのだ。なぜなら、言葉はたとえそれが使い古されたものであれ、聖なるものにみえたからだ。》
 リンダ・レは、子供時代からずっと書物と文字を聖なるものと考えていた。そして、多くの読書家たちと同じように、彼女にとって読書は現実逃避の一手段でもあり、自らの創造の出発点だった。次々と世界の書物を読破して、理想の書物を待ち焦がれていた彼女が、自ら書物をつくるようになるのは必然的なことだったのだろう。
《読者家なら誰だって、自分の書棚に理想の書物、行間を読む書物を持っている。読書は、自由が最も保たれる想像の空間であるにちがいない。なぜなら、作家たちは読者にある種の共同の創造を要請する一方で、たとえペンを取らないとしても、ページの間に入り込み、書かれた書物の背後に、自分が書きたいと思う書物を読みとる可能性も残しているからだ。》
 まるで〈バベルの図書館〉への滞在体験のように語られる読書体験。彼女の読書観には単なる誤読を越えた、来たるべき創作への意志、創造的な行為への肯定に溢れている。子供時代の読書は「空想の口実だ」とまで書く彼女の書評には非常に私的な体験のパッセージが多く散らばっている。書評を読んでいるはずなのに、私小説を読んでいるかのような気分にさせられるのも、彼女の書評の魅力のひとつである。
 しかし、彼女がこれほどまでに読書に渇望し、書物にフェティシズムを感じるのは、単に美化されたノスタルジックな想いゆえではない。彼女がフランス語で書くことになったのは、ベトナム戦争の惨禍から逃げるために、思春期にフランスへ移住したからだ。
 あるエッセイでは、悲惨な子供時代の思い出が語られている。サイゴン陥落後、外国文化を禁じるお達しが出ると、妹は『Oui-Oui』(フランスの有名な絵本)を捨てることになる。詩を愛し、自らも詩を書いていた姉は『金雲翹』を手放し、リンダ・レ自身は『レ・ミゼラブル』を手放した。母はエヴィルスやビリー・ホリデイのレコードを捨てて、父は聖書以外の書籍を持たなくなったという。共産主義により、書物と外国文化を家族で手放した体験があるからこそ、彼女には書物への神聖視があり、「ここにはない書物」への愛があるのだろう。
 彼女は常に根無し草の感覚を抱いていた。フランスにもベトナムにも故郷を見出せず、自らを『テンペスト』のキャリバンにたとえている。自分はフランス語作家なのか、ベトナム出身のフランス語作家なのか、フランス語を用いるベトナムの作家なのか。こうした問いは、彼女から終生離れることがなかったようだ。
《育ったのとは別の言語で書くことを選んだ作家は、キャリバンがプロスペローに服従したように、この別の言語との関係を経験する。師匠の道具に誘惑され、プロスペローが到達した芸術の頂点に達したキャリバンみたいになりたいと願っている。しかし、この後天的な言語と文化への自らの憧憬は、政治的な意図を帯びている。フランス語で書くことを選んだ亡命作家は、キャリバンのコンプレックスに苦しんでいる。自らの言語への献身は、異端さと混ざり合っているのだ。》
 フランス現代思想の隆盛以来、移動(ノマド)や多言語使用は肯定的なものとして捉えられてきた。だが、そうした行為の背後には、常に政治的・社会的な背景が潜んでいる。だから、リンダ・レの文章には、ノマド/多言語使用への単純な讃美は存在しない。そして、彼女が好む作家たちは、どこか憂鬱さを抱えている――マリオ・デ・サ=カルネイロ、ウィルキー・コリンズ、ベンヤミン、カフカ、レオニ・ド・アンドレーエフ、シオラン。
 もしかすると、そんな作家たちに彼女は自らを重ねていたのかもしれないと思う。とりわけ、これらの作家たちに亡命を経験した作家が多い場合には……。しかし、それでも、リンダ・レが2022年まで生きてくれたことを嬉しく思う。まだほとんど知られていないこの女性作家が残してくれた文庫たちは、〈図書館〉で私たちが未来の読者となることを待ちわびているのだから。
【今回の書籍】:Linda Lê, Le complexe de Caliban, Christian Bourgois, 2005.
【注】:今回の書籍は書評集なので小説ではないのだが、作者の私的な思い出が多く語られているため取り上げた。
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yuncangwinery · 1 year
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這座葡萄牙���港口城市,紅酒也令人留連
確切地說,南希和大熊的退休生活早在真正退休之前已經開始了。為什麼這麼說呢?因為在人生最為忙碌,並且事業小有成就的時候,我們就已經在憧憬著這樣閒適的生活。這種憧憬與嚮往,正是我們當時的“疲勞恢復劑”。當孩子出國,我們更加嚮往起無限的自由,南希愛瑜珈,大熊愛高爾夫,高品質的退休生活才是真正的“退休”,不是嗎? 有一款非常適合女性飲用的紅酒,波特酒,是南希和大熊在一次去葡萄牙旅行的時候發現的。南希淺飲之下就被深深地傾倒,紅撲撲的臉上滿溢著幸福的笑容。 波特酒是葡萄牙杜羅河谷特產的加強型葡萄酒,一般在20度左右,其中甜型紅酒占了大部分,另外也有一些白葡萄酒。吸引南希的,就是紅葡萄酒的波特酒。據說最早的時候,只有從葡萄牙港口城市波爾圖出去的波特酒,才被認證為是真正的波特酒。在到處都是酒廊的波爾圖,幾乎人人都是波特酒的粉絲,連南希和大熊也不可免俗地“淪陷”在了它的魅力裏。 雷盛紅酒的經銷商雲倉酒莊,擁有品類齊全的葡萄酒可供選擇。作為酒類批發平臺,一件代發,實在是太方便了。不能出國遠遊的日子,雷盛紅酒也能滿足我們的浪漫之思。 南希和大熊在多本時尚雜誌上看到過雷盛紅酒的推廣,甚至在國際航班的讀物上也有雷盛紅酒的身影。它以多樣性、品質度征服了與我們同樣享受著高品質退休生活的朋友,掀起了飲用雷盛紅酒的熱潮! 如果你也喜歡紅酒,對世界上未知的紅酒與風景懷有著憧憬與期待,不妨留言分享酒和人生的感悟。
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captainjajajthings · 2 years
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官方回應2000元帳篷房像45元招待所
官方回應2000元帳篷房像45元招待所
2023-01-17 20:08來源: 未知
“今年跨年住在牛背山上,真的要被氣暈過去,選了兩千塊錢的帳篷,像45塊的招待所。”
日前,一線民在麻辣社區“群眾呼聲-四川網路問政平臺”發帖,吐槽自己在牛背山景區的經歷,稱晚上人都凍麻了。
隨後,雅安市滎經縣委宣傳部貼出滎經縣文化體育和旅遊局回復稱,經核實網友描述的情況屬實,在致歉的同時,將第一時間積極整改維護,進一步提升景區服務品質,加強日常監管工作。 
1月16日,紅星新聞記者證實,該回復確系滎經官方所回復。
↑牛背山景區 圖據牛背山景區
網友發帖:
兩千元的帳篷像45元的招待所?
1月3日,網友“wendy2016”在網上發帖介紹自己的牛背山跨年夜囧途:帶著看雲海日出、星空雪山的美好憧憬,驅車整整8個小時,入住星辰營地單價2000元的球型帳篷,體驗的卻是招待所待遇。
“今年跨年住在牛背山上的星辰營地,真的要被氣暈過去,選了兩千塊的球形帳篷,實物像45塊的招待所。只有它帶獨立衛生間,但這個獨立衛生間馬桶不能沖水,下水道一直瘋狂反臭味。水管在每一個匪夷所思的地方漏水,在該出水的地方沒有水。廁所地面結冰,走路很辛苦。球形帳篷一進門,裏面的地面上竟然有經久不化的雪!帳篷的牆面上甚至有黴菌,電熱毯和一個奄奄一息的踢腳線聊勝於無。晚上根本睡不著,人是凍麻了的狀態。”
讓網友“wendy2016”覺得險象環生的是:從成都自駕到牛背山200多公里花了8個小時,山上的路是我此生見過最爛的路,甚至盤山公路上還留著一個護欄缺口,危險!
最後,這名網友建議:“這麼好的景區,麻煩用心打造一下嘛。”
1月16日,紅星新聞記者試圖聯繫該發帖網友,但未果。
↑網友發帖
官方回復:
屬實,致歉 第一時間積極整改維護日本藤素  日本藤素屈臣氏
日本藤素正品   japan tengsu
日本藤素進口   日本藤 素 價錢
日本藤素官網   日本藤素哪裡買
日本藤素評價   日本藤素ptt
日本藤素副作用   日本藤素吃法
日本藤素官網總代理   日本藤素香港屈臣氏
日本藤素臺灣官網入口
牛背山,位於四川省雅安市滎經縣境內與甘孜州瀘定縣交界,是四川盆地和川西高原的天然地理分界線。因其四面環山,中間突起的獨特地理位置,它獲得了“中國最大的360°觀景平臺”和“絕佳攝影聖地”的美譽。過去因道路和住宿條件受限,遊客以背包客和攝影界人士為主。
公開資料顯示,2015年起,牛背山封山6年打造開發,2022年5月1日發佈對外開放公告。隨著景區硬體設施提升,遊客從背包客擴散到普通大眾,但消費也一路飆漲,成為線民口中的“牛貴山”。
↑牛背山景區 圖據牛背山景區
對於牛背山路險、住宿貴等情況,紅星新聞記者注意到,還有不少網友發表過類似的感慨。
針對此事,公開報導稱,營地運營方表示,已主動聯繫發帖人道歉,並達成補償協議,獲得了對方的諒解。此外,其還向廣大消費者致歉,表示酒店將儘快徹底整改。
滎經縣文化體育和旅遊局回復稱,1月10日,滎經縣文化市場綜合執法大隊成立調查處置小組,對反映的問題進行調查並處理,經核實網友描述的情況屬實,通過和相關企業溝通後,對於提出的問題,已及時聯繫維護公司對於帳篷內部的冷、發黴等問題積極做出相對應的整改方案,並在第一時間開展整改維護工作。
滎經縣文化體育和旅遊局表示,“下一步我局將進一步指導和督促牛背山景區在今後的工作中做到以下幾點:一是做好景區服務品質提升,努力提高員工綜合素質,提升景區管理服務品質和水準,為各位遊客到滎經遊玩提供更舒適的旅行服務;二是加強日常監督管理工作,提升景區工作人員管理能力,對景區發現的問題及時處理解決。”
最後,滎經縣文化體育和旅遊局表示,感謝您對牛背山景區提出的寶貴意見,給您本次旅行帶來不好體驗,我們深表歉意,敬請您的諒解。誠摯邀請您及您的家人再次到滎經“森”呼吸。
↑滎經官方回復
紅星新聞記者 蔣麟 圖據牛背山景區
責編 鄧旆光 編輯 彭疆
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desulong · 3 years
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I like World Trigger ending song <3
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jpopstreaming · 3 years
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🆕 「 雲外憧憬」 by FantasticYouth Now available for streaming overseas! ➡ Added to our weekly playlist: https://spoti.fi/3lgjH73
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neishimori · 2 years
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cctrain0722 · 3 years
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憧れの山、『ニペソツ山』に挑む!(過去の旅を振り返る)
これまで何度もその姿を下界から見て、いつか必ずや挑戦しようと思っていた東大雪の未踏の山『ニペソツ山』。そこにはナキウサギも生息しているとのこと。しかし行程は長くピーク日帰りではちょいと大変…
という事で、大好きなレンズ600mmF4を担ぎ、ニペソツをドーン!と見渡せる場所、通称「ニペドン」までの日帰り登山へ行ってきました。
紅葉がピークを迎えており、樹海が雲海に飲み込まれて金色に輝きます。これは幸先いいぜ!と思ったのもつかの間、長い登山道に悪戦苦闘。ところによってはブッシュが濃く、熊におびえながら淡々と登る(泣)
ほぼ直登やないか!という場所もあり担いだレンズが体力をゴリゴリ削っていきます。
登り始めて約4時間。くたくたな私の眼前にずっと憧れていたニペソツの姿… 言葉を失うほどの美しさ!!この気持ちは初めて白雲岳からの雪渓ゼブラを見たとき以来。自然と涙があふれ、ただ見惚れてしまいました。
一息つき、写真をしこたま撮り終えるとすでに正午すぎ。ずっとこの景色を見ていたい気持ちをグッッと堪え、下山開始。 私以外人間が誰もいない場所でのナキウサギとの邂逅。目つきや風格がこれまで見てきた彼らとは一味も二味も違っていたような…そんな気がしました。
往復17km、行動時間約9時間の憧憬山行。次の目標が生まれました。 頂上からの景色はどうなんだろう、ここで見る星空はどうだろう、お花のシーズンはどんな景色が広がっているのだろう… 次回の登山が楽しみでたまりません!最高の登山となりました。
一枚目【焦点距離】20mm【ISO】64【SS】1/200【F値】/8 二枚目【焦点距離】600mm【ISO】64【SS】1/320【F値】/8 三段目左【焦点距離】52mm【ISO】320【SS】1/60【F値】/8 三段目右【焦点距離】600mm【ISO】125【SS】1/640【F値】/8 五枚目【焦点距離】85mm【ISO】64【SS】1/800【F値】/5.6 五段目左【焦点距離】600mm【ISO】280【SS】1/640【F値】/4 五段目右【焦点距離】600mm【ISO】1000【SS】1/640【F値】/5.6 八枚目【焦点距離】900mm【ISO】450【SS】1/1000【F値】/4 九枚目【焦点距離】20mm【ISO】64【SS】1/160【F値】/8 十枚目【焦点距離】85mm【ISO】64【SS】1/640【F値】/8
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haro-hawayu · 3 years
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World Trigger S3 ED1 - Ungai Shoukei (雲外憧憬) by FantasticYouth
Just Yuma free-falling :3
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lucestern · 4 years
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2020コンテンツメモ
すべてのコンテンツと、となりで享受してくれる素敵なひとたちに感謝を込めて!
【生ステージもの】
⇒苦しい時間を耐えた先には、飾り気のない純粋なエンタメが手を広げてた。「不要不急」の暗闇から立ち上がったその姿はさらに逞しく、結果として私たちの絆は強まってしまった‥!
・オペラ「トスカ」@スカラ座
・声優落語天狗連@紀伊國屋劇場
★仕事を刺激したで賞 落語の入り口イベントを絶対自分で作ってやると誓いました
・RAGE(ラップバトル)
知らないジャンルもとりあえず本場を見てみようと行動できてよかった
・志の輔らくご2020@PARCO
・宙組 イスパニアのサムライ・アクアヴィーテ!!
・ミュージカル「CHESS」
・KERA「グッドバイ」
★好みな演出だったで賞 ケラさんやっぱりいいなあと思った作品
・オールメールキャスト「泣くロミオと怒るジュリエット」
・玉川太福「男はつらいよ」浪曲版
・ルポールドラァグレースツアー Werq the World
これ以降しばらくコロナで生もの封印
・劇団☆新幹線「偽義経冥界歌」
・三谷幸喜「大地」
★心に残ったで賞 あまりに世相に重なりぼろ泣きした、けっこう長い間忘れられないと思う
・ヒプステ Track.2 Rule the Stage
★オタ活やっぱりタノシィィで賞 初期から推せる作品ってイイな~ヒプはひさびさに追えてる流行りです
・三谷文楽「其成心中」
古典芸能を復活させるお手本のような作品だった、覚えておきたい
・鈴本演芸場 禁演落語会(初日)
・野田秀樹脚本「真夏の夜の夢」
・月組公演「ピガール狂想曲」
・声優朗読劇「マクベス」
プライベートではいかないものを勉強のために新たに見るのもうれしい
・ミュージカル「プロデューサーズ」
・三谷幸喜「23階の笑い」
・WAREプロデュース「いきなり本読み!」@国際フォーラム
★ベスト企画賞 よくよく振り返るとかなりニッチなコンセプトだけど、あれは生で見れてよかった
【スクリーン/画面】
⇒通勤中に眺めていた画面は通話中の自宅PCへと移ろい、新たなつながりの形が生まれた。魅力的なものもたくさんあったけれど、こうして振り返ると、身体的な場面の記憶を伴わない思い出の弱さを感じてしまう…
・男はつらいよ おかえり寅さん(映画)
・刀剣乱舞歌合(ライブビューイング)
★ベスト画面拝み 今年は刀剣乱舞にものめりこんだ年だった!導きのオタクの重要性よ…
・廓文章吉田屋(シネマ歌舞伎)
・NTL配信「フランケンシュタイン」
良質コンテンツホルダーが苦境でなお身銭を切る流れ、有難くも辛かった
・文春落語配信 柳家喬太郎独演会
・配信落語 橘家文蔵独演会(立川談春ゲスト)
よみらくご配信を実現するために狂ったように落語配信を見続けてた
・若草物語(映画)
友人と語らった感想が印象的。
・音楽(映画)
・ジョジョ・ラビット(映画)
・スーパー歌舞伎「風の谷のナウシカ」前後編(シネマ歌舞伎)
・NTL「リーマン・トリロジー」
・劇場版SHIROBAKO(映画)
このためにアニメを一気見したけど1番自分の仕事に近くていまだに励み
・パラサイト(映画)
・The Breakfast Club(映画)
・NETFLIX「Black Mirror:Bander Snatch」
・ジュマンジ(新・映画)
・ほぼ日の学校オンラインクラス
・NETFLIX「ブルックリン ナイン-ナイン」全シーズン
・NETFLIX「Schitts Creek」全シーズン
★令和を信じられるコンテンツありがとう 99ロスの私をシットコム信仰にさせ新時代のドラマの解をくれた偉大作品
・限定公開「オペラ座の怪人25周年記念公演」
・ディズニー+配信「ハミルトン」
・配信 チコちゃんと課外授業 びじゅチューンライブMOA美術館
・配信 チコちゃんと課外授業 福岡恐竜博物館
正直今年はほんとうにクイズノックに時間を貢いだ、大好きよ
・TENET(映画)
・NTL「プレゼント・ラフター」
・配信 チコちゃんと課外授業 びじゅチューンライブ大塚国際美術館
・配信 初音ミクライブ(大阪)
知らない曲が多いと配信はしんどいなと限界も感じた
・配信 ぼくたちのあそびばクリスマスパーティー
・NTL「シラノ・ド・ベルジュラック」
ナショナル・シアター・ライブの良作をたくさん見れてよかった、このコンテンツはすばらしいのひとこと
・コードギアス 反逆のルルーシュ一気見
同居している人とこういうことするの、あこがれていたのよね
・アーカイブ配信 スピッツ「猫ちぐらの夕べ」
Youtubeチャンネル
⇒おそらく1年で見なかった日はないであろう、もはや飲み水のようなサービス。なかでも元気をもらえて心から尊敬できる20代――「好き」を仕事にして進化し続けるこの人たちの動画は、日々ちいさな積み重ねとして心を支えてくれた!それぞれの良さ、言い表せないほど大好き。
・kemio
・クイズノック(メイン/サブ)
・オモコロ
・ジャック・オ・蘭たん
【展示】
⇒ファインアートの展示を職業病的に見てしまう自分に若干嫌気がさしたのか、現代美術館と東博が心地よく感じた年だった。世情で海外が遠くなってからは、海を渡った作品への憧憬が鮮やかになり、むしろそんな心境になれたことは貴重だとも思った。
・ジブリ美術館
・ダムタイプ展@現美
・ミナペルホネンつづく展@現美
正直今のYAの差は数年埋まらないと覚悟した展示
・ミイラ展 永遠の命を求めて@科博
・出雲と大和@東博
・マニアフェスタ2020@アーツ千代田3331
・日本の美@ポーラ美術館
・古典×現代2020@新国美
展覧会がひとつの新たな作品となるものってなんていいんでしょう
・きもの展@東博
・ロンドン・ナショナル・ギャラリー展
・サン美リニューアル第1弾 Art in Life, Life in Beauty
・オラファー・エリアソン展@現美
★ベスト行ってよかった 今思い出しても心洗われる素敵な体験
・おさなごころを、きみに展@現美
・岡村芳樹個展 don't leave me
人生で初めてお金を出してオーダーメイドのアート作品を買った思い出!
・ピーター・ドイグ展@近美
・サン美リニューアル第2弾 日本美術の裏の裏
「2次創作」の企画展をいつかしたいと思った
・琳派と印象派展@アーティゾン
・桃山展@東博
とにかく豪華さに圧倒された
・なりきり日本美術館
・生命の庭@庭園美術館
実際に作品を見て淺井さんがものすごく好きになった
・STARS展@森美
【謎解き】
⇒ハマりそうでハマっていなかったジャンルに見事ハマった。青天井のコンテンツの可能性は誘惑…
・配信参加「泊まれる演劇 MIDNIGHT HOTEL」
★謎解きにハマらせた犯人 コロナ禍の新たなコンテンツの可能性に度肝を抜かれた
・配信参加「泊まれる演劇 HOTEL ANEMONE」
・配信参加 ソクたび×安楽椅子探偵(e-pin企画)
・リアル脱出ゲーム Escape from the Red ROOM
・Quiz Knock主催「丸の内謎解きガイドブック」
・TICK TOCK A Tale For Twoプレイ
【裏側がんばった】
⇒初めて認めてもらえた気がして嬉しいイヤー。前に進めたい気持ちはアツいことが分かった。環境(とくに上司)に感謝‥。
・芸歴50周年記念 桂文珍 国立劇場20日間独演会
・よみらくご第18回公演「わるいヤツら」無観客配信
・よみらくご第19回公演「神田伯山スペシャル」
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cuttercourier · 4 years
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[翻訳] コロナ禍と印中対立のなかのインド華人
中国系インド人の愛と憧憬
2020年7月25日 アスミター・バクシー
ガルワーン渓谷事件後の印中関係緊迫化、コロナウイルス・パンデミックによる反中感情の高まりとともに、インド系中国人コミュニティは集中砲火を受けている
3月17日、41歳のミュージシャン、フランシス・イー・レプチャは、急遽切り上げたプリー〔※オリッサ州の都市〕旅行からコルカタに戻る列車の中にいた。新型コロナウイルスは全国でその存在感を示しつつあり、ナレーンドラ・モーディー首相が厳重な全国ロックダウンを発表する日も近かった。レプチャが家族と一緒にまだプリーにいた間も、彼がチェックインしようとするとホテルの宿泊客は反対の声を上げ、路上では「コロナウイルス」と呼ばれ揶揄された。
フランシスは中国系インド人で、母方と父方の祖父は1930年代に他の多くの人と同様に日本の侵略から逃れてインドに来た。彼らはダージリンで大工として働き、地元のレプチャ族の女性と結婚した。のちに彼の両親はコルカタに移り住み、そこで彼は生まれ育った。
このミュージシャンは1980年代に幼少期を過ごし、ドゥールダルシャン〔※インド国営TV局〕で『ミッキー・マウス』や『チトラハール』を見たり、マドンナに憧れたり、クリフ・リチャードの「ダンシング・シューズ」に合わせて頭を振ったりと、これらを6歳で楽しんでいたわけだが、童歌「ジャック・アンド・ジル」に関係があるという理由が大半だった。彼は流暢なベンガル語と「荒削りなヒンディー語」を話し、そして、彼によれば「ほとんどお向かいのチャタルジー一家に育てられた」という。
列車がガタンゴトンと進むなか、冷房寝台車の他の乗客たちは、彼には自分たちが何を言っているのかわからないと思い込んで、「中国人」について疑いの声を上げはじめた。フランシスはすぐさま口を挟んだ。「私は流暢なベンガル語で、自分がコルカタ出身で、中国に行ったことはなく、彼らに感染させることはないと説明した」のだという。「彼らの顔を見せてあげたかった」。
コルカタに戻ると、フランシスはプリントTシャツを注文した。彼はコルカタ・メトロのセントラル駅の真上に住んでいるのだが、それが明るい否定のメッセージとなり、かつ人種差別に対して有効なツールとなるだろうと考えた。フランシスのさっぱりとした白いTシャツの上の端正なベンガル語のレタリングには「私はコロナウイルスじゃない。コルカタ生まれで中国には行ったこともない」とある。
6月15日、国土の反対側では、俳優兼歌手のメイヤン・チャンが、過去13年にわたって本拠地と思ってきた都市ムンバイで、夕食をともにするために友人宅を訪れていた。彼らはテレビのニュースを見ていたが、その放送は特に憂慮すべきものだった。2つの核保有国が数十年間争ってきた境界である実効支配線に沿ったラダックのガルワーン渓谷でインド兵20人が中国軍に殺害されたのだ。
「衝突の後、ダウン・トゥ・アース誌のインタビューに答えた時、私の最初の反応は怒りでした。『どうして私が自分の愛国心を証明しないといけないのか。どうして私がインドを愛し、中国を憎んでいると言わなければならないのか』。私はその国のことを知りもしません。中国というレンズを通して自分が引き継いでいるものは理解していますが、それだけです。私にはインド以外の故郷はありません」と彼は言う。しかし、彼の経験上、怒りは何の役にも立たない。「その代わりに、私は異文化交流の美しさについて話しました。それはインド全土に存在するものです。私たちの外見だけを理由に自分たちの仲間ではないと考える人々には驚かされます」。
チャンもまた中国系である。彼はジャールカンド州ダンバードに生まれ、ウッタラーカンド州で学校教育を受けた。彼の父親は歯科医で、チャンもベンガルールで歯学の学位を取得している。彼は自分の家系を詳細に遡ることはできていないが、先祖が湖北省の出身であることはわかっており、そこは1月以来、ニュースを席捲している。新型コロナウイルスが最初に報告された武漢とは、同省の首都である。
37歳の彼は、主流エンタテインメント産業で名声を得たおそらく唯一の中国系インド人コミュニティ出身者である。2007年にTV番組『インディアン・アイドル』の第3シーズンで5位になり、2011年にはダンス・リアリティ番組『ジャラク・ディクラー・ジャー』で優勝し、さまざまなTV番組やクリケットのインディアン・プレミアリーグなどのスポーツイベントの司会を務め、『バドマーシュ・カンパニー』『探偵ビョームケーシュ・バクシー!』『スルターン』『バーラト』という4本の大作ヒンディー語映画に出演してきた。
しかし、この数ヶ月の間、彼もまたCOVID-19についての世間の興奮と、そして目下の印中対決についてのそれを感じている。パンデミックのせいで人々が人種差別的発言を黙認しているため、彼はオンラインや路上で野次られてきた。実効支配線での印中対峙後は、これに無言の圧力、あるいは彼が言うところの飽くなき 「愛国欲」が続いた。「医療、経済、そしてある程度の人道的危機の最中に国境での小競り合いや恐ろしい話が出てきて、どう考えていいのかわからなかった」と彼は言う。
中国系インド人3世として、チャンとフランシスは共通点が多いように見える。二人ともインドで生まれ、家系は中国に遡り、家業を継ぐという中国的伝統から逸脱し、ディーワーリー、イード、クリスマス、旧正月をまぜこぜに祝って育ち、フランシスが的確にもこの国の「微小マイノリティ」と呼ぶものに属している。
この二人はまた、パンデミックが世界中で反中国の波を引き起こし、米国のドナルド・トランプ大統領が新型コロナウイルスを繰り返し「中国ウイルス」と表現している時にあって、中国系インド人が味わっている苦難を象徴している。インドでは中国との国境問題が状況をさらに悪化させている。怒りの高まりにより、政府は59の中国製アプリを禁止し、大臣たちは中華食品やレストラン(大半はインド人によって経営されている)のボイコットを求め、中国の習近平国家主席の肖像が燃やされ、COVID-19と紛争は危険なまでに一体視された。
この敵意の副作用はチャンやフランシスのような市民や北東部インド人が被ることになり、路上で暴言を吐かれたり、家から追い出されたりした。デリー在住の中国系ジャーナリスト、リウ・チュエン・チェン(27歳)は、地元のスーパーで人種差別的な悪罵を浴びせられた。「私の母はいつもならウイルスから身を守るためにマスクをするように電話で言ってきた��ずですが、国境紛争の後は顔を隠すためにマスクをするよう言われました」と彼女は言う。
印中関係が緊迫するなか、世代を越えて広がりつづけているトラウマである1962年の中印戦争の記憶が前面に出てきた。では、こんな時代にあって中国系インド人であることは何を意味するのだろうか。
中国人の到来
インドにおける中国系インド人コミュニティの起源は、1778年に海路でインドに上陸した商人、トン・アチュー〔塘園伯公〕、またの名を楊大釗に遡る。伝承によれば、アチューは当時のイギリス総督ウォーレン・ヘイスティングスより、日の出から日没まで馬に乗るよう、そしてその間に彼が通過した土地は彼のものになると言われたと、あるいは(より公式なヴァージョンでは)彼のホストとなったイギリス人に茶を一箱プレゼントしたおかげで土地を与えられたとされている。
フーグリー川沿いにあったアチューの土地は、現在はアチプルとして知られている。彼を讃えて記念碑が建てられ、中国系インド人の巡礼地となっている。アチューの後を追って何千人もの中国系移民が続いた。彼らの上陸港はコルカタであり、長年にわたっていろいろな職業の多様な集団が植民地インドの当時の首都にやってきた。
「1901年の国勢調査はカルカッタに1640 人の中国人がいたと記録している。中国人移民の数は20世紀最初の40年間、特に内戦と日本の中国侵略のために増加しつづけた」と、デバルチャナ・ビスワスは2017年8月に『国際科学研究機構人文社会科学雑誌』に掲載された論文「コルカタの中国人コミュニティ:社会地理学によるケーススタディ」1の中で書いている。
ダナ・ロイの祖父母も、日本による侵略の時期にインドにやってきた。コルカタの学校で���劇を教えている36歳の彼女は、『亡命』と題した作劇のプロジェクトに取り組んでいるときに、母方の中国人家系を辿った。「中国の家庭は一夫多妻制だったので、私の祖父は三度結婚しました。そのうち一人は中国で亡くなり、二人目は第二次世界大戦中に日本の侵略から4人の子供を連れて逃れました」と彼女は説明する。彼らの家は、広東省の小さな村唯一の二階建ての建物で、日本軍はそれを司令部としたのだという。
ロイの祖父は、その頃には既にインドで輸出入業を営んでおり、インドにはヒンディー語と広東語の両方を話す中国系の妻がいた。彼の職業柄、家族を船で渡らせるのは容易だった。「叔父の一人には眩暈症があり、大きな音を怖がっていたのですが、(道々)聞いたところでは、村から逃げる際に日本の戦闘機に追われたからだとのことでした」と彼女は言う。
長い間、彼らは均質的集団として見られてきたが、インドに来た中国人は実際には相異なるコミュニティの出身だった。その中でも最大のものは客家人で、まず皮なめしに、最終的には靴作りに従事した。彼らはコルカタのタングラ地区に住み着いた(市内に2つあるチャイナタウンのうちの1つであり、もう1つはティレッタ・バザール)。このコミュニティは他のいくつかのグループのように一つの技術に特化してはいなかったが、ヒンドゥー教のカースト制度が皮革を扱う仕事をダリトのコミュニティに委ねていて、客家人にはそのような階層的制約がなかったため、彼らはコルカタで皮なめし工場の経営に成功することができた。
チャンが属する湖北人コミュニティは歯医者と紙花の製造に従事していた。「ラージ・カプールやスニール・ダット主演の古いヒンディー語映画に出てくる花は全部私たちが作りました。俳優がピアノを弾き、メフフィル〔舞台〕の上に花々が吊り下がっていたなら、それは全部我が家の女たちが作った物です」とコルカタ湖北同郷会会長、65歳のマオ・チー・ウェイは言う。
広東人は大半が大工で、造船所や鉄道に雇われたり、茶を入れる木製コンテナづくりに雇われたりしていた。1838年、イギリス当局はアッサムの茶園で働かせるため、多くが広東人の職工や茶栽培農夫からなる中国人熟練・非熟練労働者を導入している。
1949年に毛沢東率いる共産党が政権を握ると、中国への帰国は問題外であることが明らかになった。そのため、女性たちはインド在住の家族と合流しはじめ、すぐに東部諸州の中国人居住区にはヘアサロンやレストラン、ドライクリーニング店などが点在するようになった。
寺院が建てられ、コルカタのタングラとティレッタ・バザール、アッサム州のティンスキアには中国人学校ができた。賭博場や中国語新聞、同郷会館などもでき、春節や中秋節を祝うほか、中国の儀礼に従って結婚式や葬儀を行うようになった。
「彼らがコルカタに定住し始めた18世紀後半から、1960年代初めまで、中国人移民は、とりわけ同じ方言グループでの内婚や、文化実践、独特の教育システム、住居の排他的なあり方を通じて『中国人アイデンティティ』を維持することに成功した」と、張幸は彼の論文「中国系インド人とは誰か?:コルカタ、四会、トロント在住中国系インド人の文化的アイデンティティ調査」の中で述べている2。
このコミュニティと祝い事の時代は、1962年の印中紛争で突然終わった。戦前には5万人と推定されていた中国系インド人の人口は約5,000人にまで減少した。彼らの多くはその後、海外に移住した。
融合する文化
「アイデンティティとは、単に『私は中国人か、それともベンガル人か』というよりも複雑なものです」とロイは言う。「アイデンティティを主張したり断言したりする必要性を本当に感じるのは、それが奪われつつあると感じたときだけです。アイデンティティについて聞かれたとき、特にこのような時世には、『他のインドのパスポート保持者はこんなことを聞かれるだろうか』と疑問に思うのです」。
ロイは中国系移民と地元民との不可避的な混ざり合いの象徴である。彼の母親は中国系で、ベンガル人と結婚しており、一家はタングラやティレッタ・バザールから離れたコルカタ南部に住んでいる。ロイがこれらの地区を訪れるのは、たいてい中国式ソーセージを買うためか、たまに友人と中華の朝食を食べたりするためだ。
今日の中国系インド人は、中国的伝統が失われていく一方、国籍と文化遺産の間の摩擦が増えていくという二重の現実に直面している。例えば、かつてコルカタのチャイナタウンで行われていた旧正月の祝賀会は、ほとんどがプライベートなものになっている。チャンはただ友人を家に招待することが多い。ロイは親戚とご馳走で盛大に祝ったり、「みんなが忙しければ」ただオレンジを食べて祝ったりしている。
若い世代が広東語や北京語ではなくヒンディー語や英語を学びながら成長し、儒教のような中国の伝統的な宗教的習慣から遠ざかるにつれ、彼らのアイデンティティの中国的側面はますます衰えつつある。以前はそのアイデンティティの別称として機能していたタングラも、今や混合文化に道を譲った。また、環境問題により1996年には皮なめし工場が閉鎖された。
それでもフランシスのように、自分たちの文化を守るためにできることをしている人もいる。彼は友人と毎年の旧正月にはコルカタで龍の踊りを披露する。「私たちは衣装と太鼓を身につけ、旧チャイナタウン、新チャイナタウンその他、コミュニティが散在しているコルカタの各地で4日間にわたって上演するのです」とのことだ。彼らは彼が子供の頃に喜んで受け取っていた赤い封筒入りのお金を配る。
しかし、帰属と受容という、より大きな問題は残ったままである。チャンによれば、自身がエンタテインメント産業に加わっていることと「ヒンディー語とウルドゥー語に堪能」であること(彼はボリウッド作品を観て育ち、父親はマフディー・ハサンのガザル歌謡が大好きだった)は、人々が常に彼を「インド人」として受け入れてきたことを意味する。彼のファンは年齢層やエスニック・グループを跨いで存在する――『インディアン・アイドル』に参加していたときには中国人コミュニティが彼を支持し、より若いファンは彼が「K-POPスターやアニメ・キャラクターを彷彿とさせる」ゆえに彼を愛している。しかし、ソーシャルメディアで意見を表明することは、特に最近では危険であり、時に大騒ぎになる。
「CAA(修正市民権法)のような問題については、間接的に言及して自分の意見を伝えるようにしています。これは大事なことだからです」、彼は言う。ガルワーン渓谷での衝突の後、陸軍大尉を名乗る匿名アカウントが、彼のYouTube動画の一つにコメントして、国家に忠誠を誓い、インド人兵士への支持を公に表明するよう彼に求めた。「私はそれを大したことではないと思い、〔陸軍大尉という〕彼の名乗りに引っかけて『敵との戦いに集中してください、あなたの仲間の国民とではなく』と言いました」。
ジャーナリストのリウ・チュエン・チェンは、アイデンティティとインド政治の両方についての自身の率直な物言いは、コミュニティ内では異例であり、しばしばオンラインやオフラインで嫌がらせの標的になることにつながっていると述べる。「一度、エアインディアの飛行機に乗るとき、係員たちが私に有権者証ではなくパスポートを見せろと言い張ったことがありました。彼らは私がインド出身でないと信じていたからです」、彼女は言う。「私はパスポートを取ってすらいなかったのに」。
年長世代の政治との関わり方はやや異なっている。彼らは今でも中国政治を追いかけてはいるが、距離を置いている。「調査中、国民党シンパと共産党シンパの間にあるコミュニティ内の分断を感じました」とジャーナリストのディリープ・ディースーザは言う。彼は1962年の印中戦争の歴史を、当時強制収容されていたジョイ・マーの口頭の語りとともに記録した『ザ・デオリワーラーズ』3の共著者である。
「しかし、それだけです。彼らは台湾とPRC(中華人民共和国)の対立を私と同じように見ています。そこに親戚はいるかもしれませんが、台湾市民になりたいとか、PRCに忠誠を誓いたいというようなものではありません」。
このような関わりの多くは目に見えない。このコミュニティに共通する話として、彼らは頭を低くして注目されずにいることを好む。これは1962年に中国系コミュニティと関係者が強制収容された結果という部分が大きい。
消えない恐怖
1962年の戦争後、中国軍が国境東部のNEFA〔北東辺境管区〕、国境西部のアクサイチンに進出したとき、インド世論は怒りと疑念に満ちていた。インド人は当時のジャワーハルラール・ネルー首相の保証に憤慨し、中国に裏切られたと感じていた。今回もまた、この敵意の矛先はインドの中国系コミュニティに向けられていた。
作家クワイユン・リー氏が学位論文『デーウリー収容所:1962~1966年の中国系インド人オーラル・ヒストリー』4で書いているように、「国民的な熱狂に駆り立てられ、主流派インド人は中国人住民を追放し、時に暴力を振るい、また、彼らの家や事業を攻撃したり破壊したりした」。
リーは付け加える。インド当局は「毛沢東支持に傾いた中国語学校や新聞、中国系団体を閉鎖した。蒋介石(台湾)を支持する学校、クラブ、新聞は活動を許された。これらの学校やクラブは、マハートマー・ガーンディーの肖像とインド国旗を孫逸仙〔の肖像〕と十二芒星の〔ママ〕国民党旗の横に加えた」。
これらの状況は、当局に「敵国出身者」を逮捕する権限を与えるインド国防法が1962年に成立し、1946年外国人法と外国人(制限区域)令の改正が行われたことと相まって、ラージャスターン州のデーウリー収容所で中国系インド人を抑留するための「法的なイチジクの葉〔方便〕」になった、とディースーザは言う。
3000人近くの中国国民または中国系の親族をもつインド国民がスパイ容疑で逮捕され、最長で5年間拘束された。
「ガルワーン渓谷の小競り合いが起こったとき、私はそれについて思いもしませんでした。祖母が最初にそれを口にしました。『もし雲行きが悪くなったら、私たちは逮捕されるかもしれない』」、チャンは言う。「たとえ私達も同じことを考えていようがいまいが、そんなことは起こらないと彼女を説得するのが私のおじと私の役目でした」。
フランシスは1962年に当時10代前半だった母親がダージリンの祖母を訪ねており、二人とも収容されたという思い出話を語る。イン・マーシュも同様であり、1962年11月に13歳でダージリンのチャウラスタ地区から父、祖母、8歳の弟と一緒に収容所に連行された5。
マーシュのように、このコミュニティの多数の人がインドを離れカナダ、米国、オーストラリアに向かった。しかし、歴代の政府がこの歴史の一章を認めたり、謝罪したりしていないことを考えると、圧倒的なトラウマと裏切られたという感情は今日に至るまで残っている。
中国系インド人はなおも傷を癒やす途上にある。アッサム州の同コミュニティ出身の48歳の女性(匿名希望)は、ガルワーン渓谷事件の後、89歳の父方のおばから電話を受けた。彼女はまたも強制収容されるのではないかと心配していた。「私はそれを笑い飛ばし、心配させまいとしました。私はね、もしまたそんなことになったら、皆一緒に行ってダルバートを食べましょうって言ったんです」と彼女は言う。
大昔の法改正はまた、1950年以前にインドに来た、あるいはインドで生まれた中国人移民のほとんどは決してインド市民権を与えられないということを確実にした。例えば、彼女のおばは今や87年間インドに住んでいる。「彼女は今でも毎年外国人登録事務所に行って滞在許可証の更新をしなければいけません。ここは彼女が知っている唯一の故郷ですが、法的には決して帰属することはなく、常に部外者のままです」と彼女は言う。
以上のような要因が、生まれた国への忠誠心を公にするようインドのこのコミュニティをせっついている。例えば、ガルワーン渓谷の衝突の後、コルカタでは中国系インド人が「我々はインド軍を支持する」と書かれた横断幕を掲げてデモ行進をした。
「人々には中国共産党(CCP)が中国系インド人のことを大して気にかけていないことに気づいてほしい。彼らはおそらく我々が存在していることすら知らない。もし私が完全ボリウッド風でやりたいと思ったら、『マェーンネー・イス・デーシュ・カー・ナマク・カーヤー・ハェー〔※私はこの国の塩を食べてきた、の意〕』と言う〔=愛国心を歌い上げる〕ところまでやります」とフランシスは言う。「私の優先順位は単純です。私はインド市民であり、インド憲法に従って暮らしており���私の支持は常にこの国にあります」。
印中間の緊張がすぐには緩和されそうにないなか、アイデンティティと帰属意識の問題が頻繁に前景化されるかもしれない。チャンの不安もまた、このような思慮をめぐるものだ。「エンタテインメント産業の誰もが仕事はいつ再開できるのかと心配していたとき、敵のような見た目の顔をしているから自分には誰も仕事をやりたくないのではないかなどと、余計な不安を私が感じていたのはどうしてでしょうか」と彼は問いかける。
http://www.iosrjournals.org/iosr-jhss/papers/Vol.%2022%20Issue8/Version-15/J2208154854.pdf ↩︎
張幸(北京大学外国語学院南亜学系副教授)は女性。引用論文は2015年刊行の論集に掲載されたもの。これを補訂したと思われる2017年の雑誌論文あり。 ↩︎
http://panmacmillan.co.in/bookdetail/9789389109382/The-Deoliwallahs/3305/37 デオリワーラー(デーウリーワーラー)はデーウリー収容所帰りの意。 ↩︎
1950年カルカッタに生まれ、強制収容は免れたが1970年代にカナダに移民した著者が、トロント在住の客家人元収容者4人の聞き取りをもとに2011年にトロント大学オンタリオ教育研究所に提出した修士論文。 ↩︎
元デーウリー収容者で、収容経験を述べた『ネルーと同じ獄中で』(初版2012年、シカゴ大学出版会より2016年再刊)の著者。 ↩︎
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jinbaolin32-blog · 4 years
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誰傻誰聰明
  多年前,馬雲在美國講述他的宏圖大略時,有人嘲笑阿裏巴巴的商業模式就像要把萬噸輪船擡到喜馬拉雅山上。
   接下來的很多年,這樣的質疑聲壹直都未停息。而在阿裏巴巴成立十周年的慶典上,馬雲說,在別人的嘲笑中,口服持久藥他是憑著“又傻又天真”的堅持,才走了過來,並帶動了中國電子商務行業的發展。
   馬雲的傻,是對自己所做事情的樂觀和堅定。印度雙效威爾鋼他沒有因別人的否定而動搖,而是發自內心地相信自己壹定會成功。
   再說另外壹件事情。在壹次電影發布會上,陳凱歌給葛優鞠了壹躬,說:“妳是個真演員,我從妳身上學到了許多,謝謝。”這對於壹貫挑剔的陳凱歌是極罕見的。他後來解釋,說葛優是真演員,是因為他很天真,天真的甚至有點傻雙效威爾鋼。拍《趙氏孤兒》時,他跟葛優說戲,說到感人的情節,葛優居然哭了。陳凱歌覺得好奇怪,這是戲啊,妳怎麽壹聽就哭呢?而且葛優在圈裏混了這麽久,拍了那麽多戲,居然還能有這種傻勁,實屬不易,也確實令人贊賞。
   這個世界很奇怪,我們今天能看到的,卻不是本來這個樣子。綠p必利吉對妳掏心掏肺的同事,都可能黑過妳很多次……其實看透還不如看不透,不如傻壹點兒,相信表面的美好,日子就會風平浪靜。
   在成功的路上,壹個人有點傻,確是好事。很難想象,壹個自以為聰明的人,他能幹出只有“傻子”才會幹的事。印度雙效威而鋼這就像演壹出戲,妳總是壹邊演壹邊想,這是假的,演對手戲的演員是裝模作樣,導演私底下給誰加了片酬。如此這般,這戲就沒法演了。
   人太聰明,凡事就會看得太清楚,而看得太清楚, 雙效威而鋼就很難走得遠。
   所以,真沒必要為自己不夠聰明而難過,在人生事業的路上,我們不妨在身上保留壹點傻勁,對理想信念有所秉持,印度威而鋼有所憧憬,帶著壹點點傻勁做該做的事,這樣的人生不但有意義、有價值,而且說不定真的應了壹句話:誰傻誰聰明。
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2ttf · 12 years
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wangweiping12-blog · 5 years
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最美的風景,在路上
壯陽藥人生的長卷在向遠方鋪開,無論妳是傷春悲秋,還是留戀不舍,都阻擋不了它前行的腳步。獨自走在路上,看沿途的風景,經歷讓我們學會了欣賞,學會了感恩,學會了現實和自持,也學會了刪繁就簡,安然生活。感謝所有的相遇和別離,就像時光刻在心底的紋路,也曾傷感過,惆悵過,但留下更多是溫暖。
  季節的轉角處,覓壹處靜好,將心停靠,指上的光陰,靜默不語,心上的陽光,與愛同在。流年,安之若素;記憶,溫暖而綿長。若人生是壹場旅行,那麽無論繁華與落寂,都是過眼煙雲,留下的是看風景的心情,有時候,讓我們念念不忘的,也僅僅只是路過的風景。男性壯陽藥
  盈壹份灑脫,看人間冷暖,用素心素筆,寫下暖意的詩行,眉間心上,是過盡千帆的安然。樸素相依的日子,牽起壹雙不離不棄的手,把如影隨形的牽掛,寫進歲月的素箋,心在懂得處,愛在回眸的距離,笑容的明媚,便是這壹季最幸福的點綴。
  人生其實有很多種從容別致的活法,只是我們太過計較,誰能數載春風長在?誰能將春花秋月盡覽?若生命是壹幅畫,最重要的不是濃墨重彩,而是那壹筆留白。有些故事的結���,或悲或喜,早有定數,經脈中那曾經的繁華,終會成為過往。過盡千帆,浮沈無我,簡單才是人生的真味道。壯陽藥推薦
  簡單是壹種人生境界,是壹種自然的流露,是繁華過後的領悟,是刪繁就簡的壹種人生態度。人生在世,總會染上人情世故,沾上人間煙火,簡單可以遠離塵汙,凈化心靈,沈澱浮華,回歸生命本真,還心靈壹片平靜,給生活壹份從容。人本塵埃,多欲生煩憂,執著會負累,無憂便是凈土。壯陽藥專賣店
  用簡單的心境,對待復雜的人生,方能淡看得失,從容入世,瀟灑自如,撥開迷霧,擁抱晴天。心變得簡單了,世界也就簡單了,快樂便會生成。學會簡單可以擺脫世事喧囂,任潮起潮落,世事煩擾,我自安然。簡單兩個字,滲著智慧,透著靜好,是清水滌心的純凈;是心素如簡的恬淡;是隨遇而安的人生態度,不以物喜,不以己悲,簡單似禪。
  生活,就是在日復壹日的奔波中平淡;在粗茶淡飯中生香;在坎坷挫折中歷練;在百味雜陳中安暖。若生命是壹場旅途,有既定的路線,也有特定的美麗,重要的是看風景的心情,最美的不在終點,而在沿途的芬芳,無論順境或逆境,都是歲月的壹種恩賜,壯陽藥屈臣氏
  所有的傷痛,都是通往幸福的必經之路;曾經的悲喜,都會隨著時間的流逝,學會和過往溫柔擁抱,體味歲月的靜好,品嘗壹杯茶的清香;壹只曲子的優美,用微笑去接納生活中的不如意,用感恩的心為自己儲存幸福,讓日子在快樂中流淌,最美的便是歷經風霜雪雨後的微笑。
  人生的路,可以是筆直的大路,也會有縱橫交錯的小路;會經歷風霜雪雨,也會有艷陽高照;會邂逅壹朵花的燦爛,也會有滿眼枯黃的雕零;會有細水長流的陪伴,也會有物是人非的薄涼;會有不期而遇的驚喜,也會有不得不告別的風景;會有曲曲折折的阻撓,也會有峰回路轉的轉機;會有世事紛擾的困惑,也會有對未來的憧憬與展望。
  穿越世俗繁華的彼岸,尋壹個擱淺遺憾的沙灘,所有的經歷,都是歲月釀成的壹壇酒,何必傷感於壹朵花的雕零,何必悲憫於落紅的無情,只要珍惜過,就該對著陽光微笑,經歷了繁華與落寂,走過聚散依依的旅途,到最後能夠支撐起內心的,只有自己,只要有隨遇而安的心境,再遙遠的路,也會走的安定從容。
  站在季節之外,心於明媚處,擁壹米陽光,攬壹份暖意,讓思緒靜靜的在時光中倘佯,聆聽歲月溫柔的囈語,感知靜謐的純凈與通透。壹份清淺,飛舞於指尖;淡淡的花香,在心中縈繞,盡情享受生命所賦予我們的美好。
  人生有很多驛站,只要內心是安靜的,無論是站在紅塵外,靜賞繁華,還是在塵世煙火中,百味嘗盡,都會多了壹份淡定與從容。塵世間的壹切,來了開懷擁抱,走了揮手作別,只要心中有愛,看壹場煙花的絢爛,或守壹段細水長流的平淡,皆是美好。壹直相信,有多少愛,就會有多少溫暖,只要懂得,便是慈悲,愛是壹盞燈,照亮別人,溫暖自己。心懷感恩,讓人生多壹些暖色,每壹個有愛的日子都是幸福。
  生命的點滴,在細碎的流年光影中,被不動聲色的記錄。生活,在相遇與別離中繼續,所有的平平仄仄,都會隨著歲月的流逝而淡定從容。鋪紙壹素箋,寫下溫情的字眼,讓思緒伴著陽光翩飛,讓溫暖牽住指尖的明媚,以壹顆平常心,在簡單的平淡中,演繹著稍縱即逝的美。
  光與影交錯的瞬間,總有些欣喜,如手指輕輕拈起蝴蝶的羽翼,觸手可及。盈壹份感悟,在屬於自己的世界裏,把握住自己的人生軌跡,以人淡如菊的方式,微笑著和過往說別離,做時光最從容的過客,因為最美的風景,壹直在路上。口服壯陽藥
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hanly · 2 years
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《弗蘭肯斯坦》中文話劇版 上海首演場卡司:人造人鄭雲龍 x 科學家閆楠 昨天看完《弗》中文話劇版後我充滿困惑,不理解為什麼科學家違背契約打死女人造人後馬上回家結婚,也不明白男人造人在掐死科學家老婆之後為什麼要與科學家一起去北極。我花了一天時間補完了原著,終於找到答案併發現了劇版的優點與弊端,簡述之有三點:劇版節選的片段取捨不當,結局轉BE為HE很有新意但似乎淡化了警示意味、鄭雲龍過於美麗有些缺少說服力(這不算缺點)。 《弗》是一個主線清晰的故事,也是一個非常適合被風格化和影像化再次創造的文本:科學家賦予了已死之物生命,由於他的狂妄與怯懦,導致他的親友死於他的造物之手。故事的內核是「最醜惡的就是人類本身」,同時也有一個非常感性而經久不衰的陰翳美學,「既創神,又讓神為你而毀滅」,科學家和人造人一體兩面,而在劇中兩位演員會輪流扮演兩個角色,角色之間的特質會互相影響,更凸顯了角色之間的相似性,是非常難得和獨特的觀劇體驗。這也意味著,每個演員對角色的理解不同,就會呈現完全不一樣的效果。 小說是以科學家為視角呈現,有著大量非常細膩的內心描述;而劇以人造人視角為主,開場就是人造人學習如何直立行走的肢體表演藝術,而科學家對實驗的狂熱、憧憬與恐懼完全沒有被提及。這就有兩個問題,一是觀眾無法明白科學家的立場,二是容易根據對人造人的第一印象奠定整個劇的底色。而鄭雲龍演繹的人造人似乎更像是混沌間誕生於人世的懵懂孩童,軀體赤裸,腰肢修長,在疤痕妝容下依然無法掩飾的清秀面容,像貓一樣四處探索的好奇心,被科學家遺棄後在急風驟雨中野蠻生長,驚人的自學能力和純真良善之心,任何觀眾只要看一眼,心中便會被憐憫與同情填滿。尤其是他與科學家傾述心聲之時,雙眼清澈哀傷,泫然欲泣,聲音顫抖,「我的內心深處有你無法想象的愛及你難以置信的憤怒,若我不能獲得滿足其中之一,便會縱容另一個。」濕漉漉,惶惶然,帶著哭聲,吮吸著我墮落的想象。一旦有了這樣的初印象,就很難再進行客觀的價值判斷,也很難將與原著中被形容「醜陋不堪的怪物」對應起來。如果你仍有懷疑的話請看看以下觀眾返圖,反正我是沒辦法騙過自己的直覺與感官對號入座。 而劇版編劇是怎樣企圖扭轉觀眾們的印象呢?原著里的人造人自學了《少年維特之煩惱》《帝國的廢墟》《失樂園》等書籍,涉獵生死、歷史、宗教,習得了人類文明與社會規則,他有著優秀的洞察力、共情能力和知恩圖報的樸素情感,甚至在與人類的接觸與社交上,他也有自己的策略:他先接近和藹的眼盲老人,暗中幫助老人所在的家庭劈柴打獵,企圖獲得認可與接納,再請求老人將自己引薦給家中的年輕人。而在因為外貌被年輕人所厭惡、毆打和驅逐之後,他返回了自己的牛棚,還對自己的魯莽感到愧疚,並對自己的行為進行了反思,打算第二天再次造訪老人道歉並使之循序漸進接受自己,但由於老人搬家離開,他們再無交集。他是謹慎的,懂規則的,情感細膩的,具有感恩之心的,甚至可以清楚意識到社會偏見的存在並進行歸因的,更像是一個無法控制肢體但是智力健全的殘疾人。(這也是我不願意跟隨劇版稱他為「人形生物」,而要以「人造人」將他劃分在人類範疇的原因。) 但劇中的人造人被扭曲為一個不會說話的智障,被善良的老人接濟才得以生存,由老人傳授他「善有善報 惡有惡報」和「人之初性中立,全靠後天的經歷和教育」等價值觀;在遭到年輕人排斥之後,他直接將老人、年輕人全部燒死。這樣的安排有意將人造人塑造成「恩將仇報」的形象,讓他變成偏激的,情緒化的,行動詭異的,這就大大消減了對觀念可塑性的哲思探索,也使得人物動機顯得單薄甚至匪夷所思。 原著中科學家的妻子與科學家是青梅竹馬且熱愛文學通情達理,主動提出如果科學家對其他人心有所屬,那就不要勉強與她結婚;父親是寬容而慈愛的,科學家推遲婚禮去英國做實驗的想法也輕易得到了首肯。而劇中科學家的父親專橫跋扈,對死去的小兒子沒什麼感情;妻子沒接受過高等教育,滿腦子都是與科學家生孩子。真的不理解這樣的編排有什麼必要,在我看來這並不能引起觀眾對科學家的同情,反而感到有些厭女。劇中甚至還安排了科學家妻子向人造人施予善意卻被強姦的劇情。編劇似乎在自己認定的判斷上附加了太多不著邊際的價值。相信這絕不可能是作為著名女權運動家與作家的雪萊女士的本意。 在讀完原著之後,我對劇版的疑惑也得到瞭解答,這也是劇版的局限性所在。面對科學家」愛是通過靈魂感受的,不是能夠教和學的東西「的質疑,人造人無助又真情地嘶喊著,所有他能學到的形容愛的字詞:」愛讓我的身體時刻被泡沫溢滿!愛讓我的肺部炙烤如火!愛讓我的心堅若鐵錘!愛讓我無所不能,想要去做世界上的任何事!任何事!讓她活過來吧,我將永遠珍惜她!「科學家在這一瞬間被憤怒與妒火點燃,他砸死了剛剛製成的女人造人,並咆哮道:」你懂什麼是愛?這是一灘無理之池!無政府!動蕩!令人生厭又令人瘋狂!最重要的是無法控制!地球上已經有數以萬計的你們,她永遠不會醒!「人造人憤怒萬分,發誓要在科學家結婚當日報復他。 在此之後,科學家處理掉實驗器材放任自流,在航海中迷路,誤登蘇格蘭島,失去了同行的男性朋友,患上雙向情感障礙,接受審判遭受了牢獄之災。劇中為了節省篇幅,直接演成他打死女人造人後馬上回家結婚了。 (字數限制,下文見評論) #弗蘭肯斯坦 #弗兰肯斯坦 #frankenstein (在 Shanghai, China) https://www.instagram.com/p/Cipd8SMPn-n/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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