#鰻の成瀬
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【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
難波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之助、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、大抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害に遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ランク順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前��)、米屋喜兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋の商家は軒並み焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸めざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(コメント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及ん��こと、そして住友の親類の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また飢えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸・京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩平八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内昌之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見六竹の筆記)には、この話は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域を出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケ��ション誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野太郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
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チカラめしは肉ともかく飯が不味かったのが印象的 いきなりステーキも肉質が下がっていった 多分はじめはよかったけど拡大期に守れる品質基準作れないことが課題で、飲食って均一化がすごく難しいんだろうな
[B! SNS] メニューたった3種類で急成長「鰻の成瀬」 東京チカラめし、いきなり!ステーキを反面教師にできるか
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2024年8月5日(月)

月曜日はツレアイ(訪問看護師)が午後から出勤、そのために私は夏休みの間は電車通勤だ。阪急電車が京都線に導入した<PRIVACE(座席指定サービス)>、今日も往復利用した。ところが、阪急西院(or桂)〜北千里間が410円、指定席が500円、片道910円ということになる。車で高速道路を利用すれば、京都南〜茨木までが940円と大して変わらない。所要時間は車がⅠ時間で電車だと2時間、これなら車通勤でいいのでは・・・。

4時50分起床。
日誌書く。
5時30分シャワー、体重は200g減。

朝食。
珈琲。
洗濯。
弁当*2。
<びーんず亭>に珈琲発注。
<萌えぽっ>に登録したので、電車通勤時には市バスで西大路四条まで行って西院駅を利用することにして8時過ぎに出勤。

電車に乗る前にローソンで爽健美茶を購入、はじめて<セルフレジ>というものを体験した。私などは操作自体を楽しめるが、途惑う方もいることだろう。
10時過ぎに到着、ちょうど2時間かかった。
換気、ラジオ体操第一、お茶を頂く。

午前中は未読本、昼にはラジオ体操第二とお茶、午後は<新治本>の原稿執筆が夏休みの課題である。今日は頭を落語に向けるために、広瀬和生の著��を再読、小三治自身が気に入って参考にしていたというもの。<あとがき>は何度読んでも泣けてしまう。
15時に退出、淡路から座席指定をとって西院へ、西大路七条の<ライフ>で買物。当初は鰻のつもりだったが、17時前の時点で完売、値引の手羽中と鱧を買って帰宅する。
酢タマネギ、キュウリのしょうゆ漬けを仕込む。
ここ二日間、ココが食事出来ていないので彼女が18時15分の予約を取ってクリニックへ、私は夕飯を準備する。

クリニックが混んでいるので先に夕飯をとの連絡、息子たちは先に始める。
ココは血液検査の結果は変わりなく、熱中症による脱水とのことで注射をして貰う。帰宅してしばらくすると、カルカンを少し食べてくれた。
体操の種目別演技を観ながら晩酌、冷やした土佐鶴が美味しい。
朝が早いので、今夜も早めにダウン。

歩数は少し届かなかったが、なんとか3つのリング完成。
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2024/12/15 11:00:15現在のニュース
高校生と当事者��交流「認知症カフェ」 クリスマス楽しむ 秋田(毎日新聞, 2024/12/15 10:54:57) うんち食べる動物、鳥も魚も 栄養や腸内細菌のメリット ナショナル ジオグラフィック - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/15 10:54:27) 「微力だけど無力じゃない」 オスロで手応え 高校生平和大使が会見(朝日新聞, 2024/12/15 10:51:33) 相馬野馬追 女性騎馬武者の「未婚の二十歳未満」条件、緩和検討(朝日新聞, 2024/12/15 10:51:33) 創設20年の「防災士」 全国最多の愛媛で見えた課題は“質” | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/12/15 10:48:19) 小型ロケット「カイロス」、2日連続打ち上げ中止 日程を変更(毎日新聞, 2024/12/15 10:47:50) 「精神的な傷、治療を受けている」母国に身寄りがないのに強制送還 行くあてもなく空港のベンチで3日間…:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2024/12/15 10:33:50) 有田焼の街を彩る「マシュマロツリー」 ライトアップに歓声 佐賀(毎日新聞, 2024/12/15 10:33:42) 英国のTPP加盟が発効 初の新規加盟 12カ国体制で自由貿易推進(毎日新聞, 2024/12/15 10:33:42) アジアの民主活動家、避難支援 日本ハブに大学受け入れ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/15 10:30:33) 鰻の成瀬、韓国に初出店 海外出店加速へ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/15 10:30:33) マカオカジノ大手の銀河娯楽、創業者長男がトップ就任 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/15 10:30:33) 「南京事件」87年で追悼式典、日本人学校半数超が休校に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/15 10:30:33) 小林製薬、臨時総会の議決権基準日を12月末に 開催未定 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/15 10:30:33)
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[今日めっちゃ満月じゃね]

9月に希望していた実家のリフォーム、やっと日にちが決まって10月になった。 リフォーム業者の対応が悪かったり、遅かったりで、後悔ばかり。 思えば、正式に発注する前に考え直して断る機会は、何度もあったのだ。 ここんところストレスが睡眠障害や胃に出ている(工事だけが原因じゃないけど)。 工事までまだ1ヶ月近くあるけど大丈夫か?
この日の帰省は横浜駅からQシートだった、ラグジュアリーでラ~クラク。 平日は有料の車両らしい。

母と駅で待ち合わせ、徒歩10分ほどの鰻の成瀬で昼食をとった。 白内障の術後経過が悪く、最近とんと歩いていない母には良い運動だ。 食後、向かいのスーパーに入ったら、高さ硬さ共に理想的な枕が、セールで980円になっていた。 実家の枕は、高過ぎたり低過ぎたりで調整が面倒だった。 この日は珍しく良く眠れた。


夕飯は、冷凍餃子を私が2種類調理した。 実家のIHコンロは超絶使いづらいが、まぁまぁの出来だ。 しかし恐るべきことに、ラー油が無かった。 実家に���普通の調味料類が無いからびっくりする。 さっきスーパー行ったのに。
この日は、ドリフの特番を3時間半も見てしまった。

翌日はリフォームの為の片付け。 紙が多い!写真なんかも結構処分した。 この際ついでに粗大ごみも出したかったが、時間的に無理だった。 来月の工事前日にまた帰省して、食器棚の中身や、押入れのリネン類など、移動しなければならない物が大量に残っている。
昼食、近くのガストへ行った。 母は普段、パスタやピザはほとんど食べ��いので、珍しがっていた。
夕方実家を出ると、まだ明るい空にどデカい満月がもう目の前、目の高さほどに低い位置にあった。 そばを自転車に乗った2人の男子高校生が「今日めっちゃ満月じゃね」と話ながら走っていった。 残念ながら、写真撮るの忘れた。
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またまた鰻を喰うよ
鰻の成瀬である。ヨソよりずいぶん安いとはいえ、一食分の価格の絶対値は決して低くないんだけど、やっぱ好きなもんでたまにゃー行っちゃうわけだ。まったく困った店がご近所にできちゃったなあ。(^^;;
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鰻の成瀬に行ってきた
こんばんは
結局鰻の成瀬が何者なのかわからなかった。急に店舗数を増やしてる店は、どこにそのお金があるのか気になる。要は親会社がわからない。「ガストの系列だよ」とか言われると安心するタイプ
これでも学生の時にバイトで鰻を焼いてたこともあるし、中学1年のときの英語の自己紹介でも「私はうなぎが好きです」と言うぐらいには食通なのだ。
▲昨日食べた鰻の成瀬の竹2200えん
▼いま食べてきたのはゼンショーグループのすき家さん
すき家の特盛おしんこセット1760えん
以下、この二者を比較していく
ただすき家さんは何店舗も知ってるけど、鰻の成瀬は昨日行った札幌伏古店しか知らないのでご容赦ください
一番大きな違いは待ち時間 成瀬20分 すき家5分
あとは誤差の範囲です!!!
成瀬はちゃんとウナギマシーンで焼いてる(表面がサクサク)だが、すき家は冷凍を湯煎してると思われる(ふにゃふにゃ)
うなぎ好きの僕からみても品質に優劣はないです
値段も高級感も似たようなものです(どちらも店舗に高級感はないし、職人さんもいない)
個人の感想として
待ち時間(20分)に��話ができる点が大きく違うので、親族や友人とちょっと喋りたいなら成瀬、一人で食べるならすき家、ということになると思います。
一人成瀬で、20分待つほどの評価はしてないです
(当方、早く食べたいタイプのデブ)
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私が問題視しているのが、提供する料理のクオリティの低さです。確かにボタンひとつでウナギの蒲焼きが出来るわけですが、素人が扱う以上どうしても、焼きムラがあったり、ご飯の炊き方がイマイチだったり、店ごとにバラツキが出てしまっている ... 山本社長自身、かつて『1ミリも飲食には興味がない』と口にしていたように、あくまでフランチャイズビジネスとしての成功が第一のようで、美味しさを向上させることは二の次なのでしょう。非常に完成されたビジネスモデルだけに、クオリティの低さが勿体ない
「ウナギ、なぜ安い?」いきなり急増「鰻の成瀬」に専門家が警告…安さの《カラクリ》と味の《落とし穴》
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城山台にできた鰻の成瀬でウナってきた。一尾のった松 2600円。ふわっとして脂たっぷり大きめ、竹で充分かも。ごちそうさまでした。
牛丼屋、回転寿司と違ってお店で鰻を焼いてるとのこと、それでこの値段とは。最近、勢いがあるのも分かる。
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喜怒哀(eel)楽
去年の7月にパートさんと鰻屋に訪れた事について綴ろうかと。何故今年の2月に入ってから振り返るのか。その事にも触れて綴り殴っていく。
仕事の休憩中に会社のパートさんと飯屋についての雑談をしていた。この人は各地方の鰻屋を巡るのが趣味らしく、休みの日には1人で地方の鰻屋に足を運んでいた。長野や岐阜、滋賀など...と鰻を食べる為なら地方まで出向くのは苦じゃないという人だ。
そんな美食家のパートさんがどうしても行きたい鰻屋があるという。だが1人では行けないとの事。会社の中で色んな地方の鰻屋の事を骨の髄まで知り尽くした漢が行けない鰻屋とはどんな鰻屋だろうか。気にならない訳が無い。話を聞くと愛知県内にあり会社からの距離だとやや遠いらしい。やや遠くとも愛知県内なら何時でも行けるはずでは?と思ったがここの鰻屋はかなり特殊であった。
まずそこの鰻屋を食べるに当たって朝から並ばなければいけない。
僕「???鰻屋って朝から並ぶん???パチンコの抽選なんか???」
パチンコの抽選だったらまだ良かったと思った。パチンコの抽選よりも朝早くから並ぶ事になる。大将が朝早く店にやって来るのだが、そのタイミングで名前を書いて予約するというやり方である。大将がやって来るタイミングも日によって違い、早い時間帯だと朝の4時頃。遅い時間帯だと朝の6時頃(当社調べ)にやって来る。しかもその予約方法と鰻の美味さを口コミで聞いた美食家達がこぞりにこぞって1列に並んでいるという。多い日だと早朝から鰻屋に20組近く並ぶという異常な光景が見られる。中には東京や大阪、地方からわざわざ車や夜行バスで来て並ぶ美食家達も存在するという。
そんなん気になってまうやん。
パートさん曰く、予約したいのは山々だが朝っぱらから鰻屋まで足を運ぶ事が面倒で食べに行けていないという。そこで僕の出番という訳だ。会社で鍛え抜かれた忍耐強さを活かして予約を取ろうと試みた。僕はパートさんに朝並んで予約する事を条件に僕の分の鰻代を奢って貰うという割とwin-win(なのか?)交渉を持ちかけた。話半分で聞いてたパートさんは
「並ぶなら全然いいよ笑 並ぶんならね笑」と。
交渉成立(一方的に交渉成立にさせた)
任せろ。今日は火曜日の遅番。あと5日待てば天国が待っている。こうなった僕はもう誰にも止められない。まさにバーサーカー。
「今週の日曜日に予約取りますね。」と告げその日を終えた。次の日の休憩中に「マジで予約取ってきてくれるんだったら俺全然出すわ笑」と言ってくれたので一方的では無くしっかりと交渉が成立したので心置き無く予約しに行く事が出来る。
迎えた土曜日の夜。僕は愛知県の北の方に在住しており、車が必須と言われる地域に住んでいながらも恥ずかしながら車を所持していない。(早く買え)実家から最終の電車に乗って鰻屋の最寄り駅の尾張瀬戸駅へと到着した。
日付が変わって時刻は00:20_____。ここから勝負が始まるのか。この予約を取る為に頑張っt...いや待って、早すぎる。何でこんな早い時間に来とるん?夏の割には肌寒くね?眠くね?暗くね?全然街灯無いしお化け出そうじゃね?いろんな感情が交錯しながらも15分後には呆気なくその地に着いた。

うなぎ 田代
ここが聖地メッカか_____。
いややっぱ暗すぎるやろ。流石に1番乗りだった。そこら辺の猫と戯れつつ寝ないようにテンションをガンガンに上げていくプレイリストの楽曲達を聴きながら待った。3時間ほど待つとチョロチョロ人が並び始めた。到着するのが早すぎてどこで並ぶのかが分からなかった僕は並び始めの2組の後ろに並んだ。すると前に並んでいた老夫婦が話し掛けて来て如何にも常連ですよ、と言わんばかりの口振りで「どっから来たの?」と声を掛けてきた。僕が返答すると「全然近いね遠いとこだと大阪や東京からやってくるから」と言っていた。やはりあのパートさんが言っていた事は本当だったのか、と思っていたのも束の間。4時頃には僕含め約10組程の美食家達が綺麗に列を揃えていた。完全にパチ屋で見たそれだった。朝の5時頃。漸く大将が到着。体感それほど待った感じはしなかった。会社で8時間近く立ち作業をしている僕にとってはお易い御用だった。予約を朝の11時に取りその後去った。朝の8時頃にはもう既に予約は終了していたとの事。早すぎやろ。

その間する事が無くお腹も空いていたので近くのファミマでコンビニ弁当とビールを��メた。もうこの達成感だけで非常に気持ちが良いのに何だこの背徳感。いつもよりビールが美味く感じた。その後歩いて1時間半かけてコメダに行った。コメダで時間を浪費しながらまた歩いて1時間半かけて田代近くまで戻った。パートさんがレンタカーで来ていたみたいなのでやや早めに合流し、田代の店内へと向かった。


鰻屋独特のええかほりがプンプンする。
入店すると大将が鰻を素手で焼いていた。その腕捌きは完全に職人の手さばきだった。店内はかなり年季が入っており、長くから続けられてきたんだと言わんばかりの内観だった。まさに老舗。カウンターに3人程座れてテーブル席2組座れる感じ。
もちろん頼むのは鰻丼(上)
ここまで頑張って来たんだ。しかも奢ってもらえる。今日くらいがめつくたっていい。そして思った以上に早いスピード感でうなぎ達は姿を現した���


ありがとう。非常に感謝した。富士山を頑張って登った時に見える絶景と空気の美味しさ。この為に頑張って来たんだ、と。そう感じざるを得なかった。四捨五入したら田代のうなぎは富士山なのかもしれない。そう言わんばかりの面構えをして我々の前に現れた。見た目はかなりシンプル。鰻丼とお吸いものと漬物。薬味等は一切無し。余計な物は要らない。このシンプルな鰻丼だけで勝負してきたとうなぎ達が我々に語りかけている。鰻は1尾と半尾。かなり贅沢。焼いた表面から見える鈍い光がより一層我々の食欲を掻き立てた。そんな御託はどうでもいい。口の中いっぱいになるまで頬張る。
口の中で天変地異が起こった。なんだこれ。美味すぎる。外はパリと言うよりかはサク。中がフワフワでは無くフヮフヮ。この表現をする為にこのヮは生まれて来たのかもしれない。うなぎ特有の後味の臭みも全く無く、やや濃ゆめタレと相性が抜群過ぎる。かなり食べ応えのある鰻。圧倒的ナンバーワンな蒲焼だと思った。長年受け継がれてきた焼き方でないとこの焼き方は出来ないのだろうな、と。5時間近く並んだという付加価値も含めてより美味しさが増している事も事実。しかしそれを抜きにしたとしても手が止まらなかった。割と量あるのかなと思っていたがペロリと食らいつくし、パートさんも余裕で完食していた。後日談で2019年のミシュランガイドに掲載されていたらしい。そんなん絶対掲載なるやん。美味しさ故に暫く余韻に浸り続けていた。長年各地の鰻屋を渡り歩いたパートさんも「田代は越えれんな今の所ナンバーワン」と言っていた。
時が経ち、今年の2月にまた鰻の話題が出た。冬の方が鰻は脂が乗ってて美味いのでまた行こうと言っていたので「またもや奢られチャンスか!?」と思っていたが店側が予約方法を変更したらしい。どうやら大将が大病を患ったらしく、今まで田代を支えてきてくれた常連さんのみに提供する事になったらしい。悔しいが大将には身体を大事にして欲しい。もう少し早ければと自分を責めた。またあの味を求めたかったがもう求める事は出来ないのだと。もう少し早ければ。
いつかまた5代目がこの伝統とも言える田代を引き継いでお店を前のように再開してくれる事を心から祈っております。
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確かに、以前高級食パン屋だったところがこれになってた。なるほどそういう系なのか。密漁密輸を疑ってしまうなぁ
[B! SNS] メニューたった3種類で急成長「鰻の成瀬」 東京チカラめし、いきなり!ステーキを反面教師にできるか
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🎼 0087 「Merry X'mas Everybody」。
わたしのだいすきな 成瀬巳喜男さんの映画を観ています。東京で暮らす とある家族の日々を それなりに描いた 「夫婦」 という東宝映画です。上原謙さんが ぶつぶつ文句ばかり言っている旦那さん役の映画は ほかに 「めし」 などがありますけれど(成瀬巳喜男監督作品)、少し空気が重く、息苦しささえ感じられる 「めし」 よりも わいわいがやがやとした 「夫婦」 のほうが やさしい感じがします。物語は 今は無き銀座の松坂屋の屋上からはじまります(ロゴマークが ちらりと写ります)。銀座松坂屋は 1924年(大正13年) 12月1日に開店しました (乙羽信子さんは 1924年10月1日生まれです。ほんの少しだけお姉さんです)。わたしは 銀座松坂屋の上のほうにある食堂が好きでした。キンタロウで おもちゃを見て 三越に寄ったりしてから 松坂屋の混雑した大きな食堂でランチを食べるというのが わたしの充実したホリデーの過ごし方でした。銀座6丁目には 不二家レストランもありましたから、ほんと 夢で溢れていました (不二家銀座6丁目店は 松坂屋よりも少し早い、1923年(大正12年) 8月に開店しました)。不二家の並び、8丁目方面に 大きな大きなマクドナルドがあったことも忘れてはいけません。映画帰り (東劇や松竹セントラル、銀座文化劇場からの帰り) に寄ったりしました。このマクドナルドは いつ無くなったのか分からないのですけれど、音羽信子さんは 1994年12月22日に この世界からいなくなってしまいました。ナカハラ夫妻が 鰻屋な実家から 三國連太郎さん扮する タケムラの家に 借りぐらしのアリエッティをしてから少しして、クリスマスの夜がやってきます。日本語歌詞の "ジングルベル" で踊ったり、タケムラとナカハラ(妻)が 洋食店のやうなお店で 日本酒を御猪口で頂く場面や 繁華街の街並みは セットふうでしたけれど ふしぎな感じがします。ここから アウター・リミッツのやうな展開になるのかもしれないと思うと 少しどきどきしますけれど、それからの ナカハラ夫妻の日々は それなりに ふっと過ぎていきました。銀座の都電の風景や 4丁目の和光がちらっと映ったり、どこかの道路沿いの空き地で 電線に凧揚げの凧を引っ掛けてしまったり (いまはそんな光景は ほとんど見なくなりました)、わたしのすきな 三好栄子さんが ちらりほらりと映ったりしながら 物語は終わります。
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虚構推理 19 を読んだ。
今回は短編集。連続ものの合間の箸休めという感じで以前の鰻屋での話にちょっと似た「みだりに扉を開けるなかれ」は怪異たちが密室殺人の密室を解除してしまって楽しむというべらぼうな話だし、九郎先輩がメインで活躍する「鉄板前の眠り姫」や六花さんがメカ琴子を作るというほぼギャグ回の「MK計画」、落語家の幽霊のために怪異向けの落語という態の「怪談・血まみれパイロン」などちょっと捻りのきいた小品が並びどれもピリっとおもしろい。冒頭の「みだりに扉を開けるなかれ」は密室を解除したら犯人がびっくりするのを怪異たちが楽しむという前半の話と、そんなことをしてたらなぜか「計画通り」って言ってる犯人がいて怪異たちが不思議がるという最後の次巻に続く続きものの「かくてあらかじめ失われ……」に繋がっていく。ここで琴子に一目惚れするかわいい少年も登場して、どう話が展開するのかたのしみである。しかしどうも密室を解除する怪異とか都会でアパート住まいの若者を化かす狸とか最近怪異たちの節度が緩んでね?
しかしこういう短編の巻が一番好きかも。鋼人七瀬と雪女関連は良かったけどその後の長編はやや重たいというかサクっと謎解きのほうが虚構の推理をするという構成には向いているような気がする。
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平野屋 香魚
平野屋 香魚
瀨戶內 寂聽 修策 說晚餐來吃 香魚 差不多就黃昏慢慢從 小倉山 背後降下來
的時分。
「香魚還太小吧。」
「去街上太麻煩,用散步的走到寺那邊吧。」
修策 是美食家,來京都,就為了想吃 大市 的鱉、平野屋 的香魚
已經成了口頭禪。
[Kyoto Shinko Dango] Hiranoya, a shop that has been entertaining customers for 400 years - YouTube 「和我相會,只是 吃鱉和香魚的順道嗎 ���」
伶子 笑了一下不承認。因此所以,修策 的算計是,多勻出時間讓
伶子 在廚房,可以完整的享受偶而的幽會。伶子 漸漸的也悟出了
心得。
自己下廚的料理,只在一日二餐主義的 修策 的早餐,晚餐則一向
都是去街上的小料理店,或 嵯峨 一帶的料亭解決。
過了念佛寺,愛岩山的大鳥居下方,歷史悠久的 平野屋香魚旅宿,
竹村志乃女將(旅館・料理屋・居酒屋等の女主人)的好意,伶子
不知什麼時候和這位女將熟捻了起來,東京來了旅客親自接待的
狀況也多了起來。
打通了電話之後馬上換 女將 接聽
「是兩位嗎,感謝,敬候光臨。」
一直就高雅的聲音,伶子 聽了感覺溫暖。生於嵯峨長於嵯峨,對
嵯峨的份,對嵯峨街巷就有多熟悉,也學到了各種染料草木生長的
地方。
「有房間了。」
伶子 向人在院子的 修策 喚了一聲,馬上換衣服。
江戶時代街道上的旅宿,原樣完整的留存在那邊 ;屋外舖著紅色
毛氈的床几,屋簷下掛著“香魚”的大燈籠。進門處擺著祖上
傳下來的木柵欄,牆壁邊的素甕隨意的插著幾支當季的野草與
木花似乎是唯一的裝飾。
今天插著山桐的花。
從進門處可以一眼看到最裡面的房間。這個季節有沒有拉門已經
不重要,走道都打開著,可以看到裡面的客人。房間的對面,
迎面就是山,山與房的中間有水池,在現在的季節,山上的楓樹
有了青翠的新綠,池底蘊染著綠色。
還不到 10公分 的香魚令人心疼的稚嫩美麗,交叉的放在綠葉上面,
是要顯得大些嗎。
頭部柔軟,鰓有點苦,稍帶焦味的稚魚在齒間散落。
How to Grill Ayu and Eat It Neatly【English subtitles】 - YouTube
「好像有點可憐。」
伶子 一面好吃的賞味著舌尖的苦味,一面嘟噥著。
香魚很下酒,修策 又追加了酒和香魚。
「冬天吃什麼 ?」
一面等著香魚,修策 幫 伶子的杯子倒了酒。
「冬天吃牡丹鍋啊。」
[Botan nabe place Myogetsuan] Button pot wild boar meat in Tamba-Sasayama City, Hyogo Prefecture - YouTube
喜歡手酌酒的 修策,對 伶子 的倒酒覺得礙手。
手酌の酒 唄・篠原としゆき 作詞・みかみきくえ 作曲・島かずお - YouTube
「真正喝酒的人一般都自己倒吔。不照自己的步調酒就不好喝。」
伶子 自從與 修策 開始交往,就懂得了酒的味道,不過還不到自飲的
程度。
走出 平野屋 時,女將(Okami)點了 鮎手提燈籠。每年一到季節就
郵寄宣傳用的燈籠給熟客。一點上蠟燭,如同玩具的燈籠就浮現
水色,相當實用。
「燈火應該可以維持到家吧。」
外面已經昏暗了,大燈籠的燈火在昏暗的夜色中滲透著菜種一般的
顏色。
斜坡的道路,回程輕鬆。那一個家都關了雨棚,從門的隙縫露出了
溫暖的燈光顏色。
高空掛上了檸檬色的月亮。
「今天的 伶子 真是美麗。」
修策 靠上了提著燈籠的 伶子,攬著肩膀。街道除了兩人之外沒有
人影。
兩人彼此相依偎著,伶子 柔軟如同花芯,身體彎繞靠上了 修策。
抬頭承受了 修策 落下的面容,一手伸出手提的燈籠,伶子 身軀不
太穩定,就由 修策 扶上了。
雙脣分離時,有了香魚的美味。 (愛 の 時代 ) 京都自由行 https://asiayo.com/event/kyoto_jpfit.html
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