Tumgik
#鳥越苦労
longgoodbye1992 · 8 months
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Dear M
今から三ヶ月前に同時に仕事や恋人を失った時に支えてくれたのは、Tumblrで知り合ってかれこれ五年話していた愛奈だった。
その愛奈に先日会うことが出来た。
ここに書こうとは思ってなかったけれど、愛奈が望んだので綴っておく。
降りるはずのインターを一つ過ぎて愛奈に連絡した。
アパート近くの変な名前のラーメン屋が待ち合わせ場所だった。
カーナビの到着予定時刻は約束より五分過ぎた時間。
愛奈の顔を見たのは今から五年前くらいか。まだ十代だった。そのイメージだけが頭にあってどんな女性なっているのか見当もつかなかった。
長閑な農道の中にあるセブンイレブンで気を落ち着けるために緑茶を買った。
マウスウォッシュで口をすすぎ、お気に入りのナイルの庭を首筋や足首につけた。
約束の場所に到着してすぐにLINEを送った。すぐに今から向かうと連絡があった。
間もなく道路の向こう側からスラリとした女性が歩いてきた。白いニットに黒のスカート。肩まで伸びた黒い髪。すぐに愛奈とわかった。
運転席に座ったまま、どうしていいかわからなくなった。どんな言葉をかけたらいいのか、どんな表情をしたらいいのか。
とりあえず降りることにして運転席のドアを開けたタイミングで愛奈が助手席のドアを開けてあららとなった。
愛奈と向き合い顔を見た。昔見た写真とは随分と変わり、大人の女性になっている。例えるなら吉高由里子や和久井映見、笑うとYUIや橋本愛に似た雰囲気で和服が似合いそうだという印象を受けた。
この辺りは何を話したのか記憶にないが、地元の名産や実家で作った米、お守りなんかを渡した。そのお土産があまりにも多かったからアパートの近くで待ち合わせていた。
荷物を置きに一度部屋へ戻る愛奈の後ろ姿を見ながら素敵な人になったなとしみじみした。
車で繁華街へ向かう。夜市があってそこに行こうと約束していた。
車内では昨日の飲み会の話を聞いて青春だななんて羨ましくなった。愛奈は大学生だ。
「電話で聞くのと声若干違う」
「確かに」
助手席側の窓から西陽が射し込む。
「いい時間ですね」
「そうだね、着いたらちょうど薄暮でお酒が美味しいんじゃないかな」
緊張していた。助手席に座る愛奈の横顔をほとんど見れなかったのを今では後悔している。それとカーオーディオから流れる曲がたまたまTaylorSwiftの「DearJohn」とかバラードばかりだったのがちょっと恥ずかしかった。
俺が泊まるホテルにチェックインしてから夜市へ向かった。川沿いの道を愛奈と歩く。
「この街を歩くのは初めてですか?」
「そうだな、中学生の時に歩いて以来だから十五年くらいぶり」
「そっか研修で来たって言ってましたね」
「いい街だね。住みたいくらい」
「私ももっと住んでてもいいかなって思う」
マンションの間をすり抜けていくと目の前に夜市の旗が掲げられていて、大勢の人で賑わっていた。
「まずは食べたい物に目星つけて端まで歩こうか」
「途中でビール買いましょ」
「いいね」
焼鳥、海鮮焼き、日本酒、スイーツなど様々な店が並んでいる。人は多いが決して歩けないわけじゃない。
「彼に夜市行くって言ったらいいなって言ってました」
「今度連れてきたらいいよ」
「でも彼人混み苦手なんですよね」
「それじゃあダメか」
「そういう私も苦手なんですけどね」
「俺も得意ではないな」
ビールを売ってる店を見つけて並ぶ。
ふんわりした泡が美味しそうな生ビールだ。
生憎座る場所が空いてなかったので立って乾杯した。
「はじめまして」
「はじめまして」
二口で半分くらいまで飲んだ俺を見て愛奈は笑っていた。好きな銘柄ではなかったけれどここ何年かで一番美味しい生ビールだった。
色々と歩いて海鮮焼きを買って食べることにした。
何となく愛奈の前を歩いたのは横に並んで歩くのが照れくさかったのと、俺が横にいることで愛奈の価値が落ちてしまうじゃないかと思ったからだ。それくらい愛奈の姿は美しさとミステリアスさがあって、もし知らない間柄でどこか別の街ですれ違っていたらきっと振り返ってその後ろ姿を目で追ってしまっただろう。
親子連れの横の席がちょうど空いており、了承を得て座った。
Tumblrの人の話なんかをして海鮮焼きを食べる。
イカ焼きに苦戦してタレを服にこぼしそうになる愛奈を心配なようなちょっと可笑しいような気持ちで見ていた。
「ビールもう一杯飲んだら帰ります」
「えっ?」
虚をつかれたような気持ちになった。
「そう言わずにどこかお店行こうよ」
「週報書かなきゃいけなくて…」
「まあな、今朝まで友達と飲んでたんだもんね」
無理矢理そう納得させる。
何か嫌なことでもしていたのだろうか。もしくは俺のルックスやらファッションが想像と違っていたから早く帰りたいのかとも考え、次のビールを買いに行った愛奈の背中を見ながら天を仰いだ。
ビールを飲みながら残っていたホタテを食べた。手がタレだらけになっているのを見て愛奈がハンカチを渡してきた。
「いいよ、せっかくのハンカチが汚れる」
「裏側ならいいですよ。見えないし」
「なんかごめんな」
お言葉に甘えて手を拭いた。十一匹のねこの刺繍があった。
「かわいいね」
「お気に入りです。書店で買ったんですよ」
ハンカチを返す。
「口にもついてます」
そう言うとそのハンカチで俺の口の横を拭った。
ほんの数秒の出来事なのにその瞬間は鮮明に残っている。
「なんか子供みたいだな。かっこ悪いね」
「男の人はいつまでも子供ですから」
愛奈の底知れぬ母性は本当に罪だ。年甲斐無く甘えてしまいたくなる。かれこれ五年も話しているからどんなバイトをしてどんな男と交際しているのかほとんど知っている。だから同い年の女の子達とは一線を画すくらい魅力的な人になったんだな。
夜市を後にする。空は確実に夜に近づいているがまだ青が見えている。
駅の方向に向かいながら二人してトイレに行きたくなり場所を探した。
「この街のトイレなら任せてください」
そう言う愛奈の後ろをついて行った。
二人とも限界に近づいていたから小走りでテナントが多数入る建物に入った。
終わるとお土産コーナーを見ながらコンビニに入った。
玄米茶と愛奈が吸ってる赤いマルボロを買った。
「そこの角で吸いましょう」
「そうしよか」
玄米茶を一口飲んでアメリカンスピリットに火を点ける。愛奈はライターを持っていなかったのでその後に俺が点けた。
「今日はありがとう」
「こちらこそたくさん貰ってしまって」
「いいんだよ。命の恩人なんだから」
「いやいや」
「これで思い残す事はない。いつ死んでもいい」
「そんな事言わないで。悲しい」
「最近思うんだ。生きてる価値あるのかなってさ」
「じゃあ飲みながら人生語りましょ」
愛奈の言葉に驚く。
「帰らなくていいの?」
「いいです。お話しましょ」
なんか泣き落とししたみたいでかっこ悪いなと思った。愛奈の時間を奪っていくみたいで罪悪感も湧いた。でもそれを超えるくらい愛奈ともっと飲みたい話したいというエゴがあった。
「そうか。ありがとう。愛奈ちゃんと一緒に行きたい店があるんだ」
「どこですか?」
「バーなんだけどさ」
「バーあまり行ったことないから行きましょ」
煙草を吸いながらバーを目指す。
途中で車に轢かれそうになると腕を引っ張ってくれた。
「いいんだよ、俺なんか轢かれたって」
「ダメですよ。死んだら悲しいですから死なないで」
「でもさ、よく思うんだよね。交通事故なら賠償金とかでお金残せるしさ」
「それは私も思うときあります」
そんな話をしていたら店についた。
俺が持っていた玄米茶を愛奈が自分の鞄に入れてくれた。
明るめな店内のカウンターに横並びで座る。
愛奈はモヒート、俺はモスコミュールをオーダーして乾杯。
「私、親の老後見たくないんです」
「そうなんだ」
「前に言いましたっけ?産まなきゃよかったって言われた事」 
「うん、覚えているよ。それならそう思うのも不思議じゃない」
「計画性ないんですうちの親。お金無いのに産んで。三人も。それでたくさん奨学金背負わせるなんて親としてどうかなって思うんです」 
「そう思うのは自然だな」
「だから私、子供産みたくない。苦労させたり嫌な気持ちにさせたくないから」
「でも愛奈ちゃんはそうさせないと思うけどな」
「育てられる自信ないです」
「そっか。でもそう思うのは愛奈ちゃんの人生を振り返ってみたら自然だよ。それでいいと思うし、理解してくれる人はたくさんいるよ」
「結婚しないと思いますよ」
「それはわからないよ。これからさ、その気持ちを超える人が出てくるかもしれないし」
モスコミュールを飲み干した。
もし自分が同じことを親から言われたとしたらと思う怖くなった。そんな中で愛奈は自分の力でそれを乗り越えて立派に生きている。愛奈を抱きしめたくなった。ただただ抱きしめてもう大丈夫だって言いたかった。
愛奈からマルボロを一本もらう。久々に吸った赤マルは苦みが程々で後味が美味かった。そこで知ったのは赤マルは二種類あって、俺が渡したのはタールが高い方で、愛奈は普段低い方を吸っているらしい。
「あの棚の右から二番目のお酒知ってます?」
「知らないな」
「友達が好きで美味しいらしい」
「読んでみよか」
スコッチだった。
ソーダ割りで飲むと中々美味しかったけれど、元々カクテル用のウイスキーとして作られただけあって、もうワンパンチ欲しい味だった。
三杯目は俺はヨコハマというカクテル、愛奈は和梨のダイキリをオーダーした。
「俺もさ、親を看取らなきゃいけないプレッシャーがあって辛いんだ」 
「一人っ子ですもんね」
「出来た親でさ。ほとんどのことを叶えてくれた」
「すごいですね」
「ほんとすごい人だよ。だから期待に応えなきゃって思うとさ。色々しんどくなるんだ」
ヨコハマを一口飲���。ウオッカとジンの二つを混ぜるカクテルだからぐっとくる。愛奈に一口飲ませると「酒って感じです」と感想を述べた。茹で落花生がメニューにあったのでオーダーする。愛奈は食感が苦手だったようだ。愛奈はダイキリについてきた梨を一口食べ俺にくれた。甘くて美味い梨だった。次にオーダーしたのは愛奈はシャインマスカットを使ったウオッカマティーニ。俺はサイドカー。
「ゴリラいるじゃないですか」
「実習先の人ね」
「ほんといいなって思う。優しいし人のこと良く見てるしたくさん食べるし」 
「既婚者じゃ無きゃね」
「そうなの。でも奥さん可愛かった」
「たぶん可愛いだろうな」
「一緒にいれはいるほどいいなって気持ち強くなる」
「叶うとか叶わないとかそんな事はどうでもいいから今の時間楽しめたらいいね」
「頑張ります。お局怖いけど。でも最近機嫌いいからいいや」
シャインマスカット一粒を俺に寄越す。繊維質の食べ物があまり好きではないらしい。サイドカーを飲ませると美味しいと言った。
「サイドカーに犬って映画知ってる?」
「知らないです」
「すごくいい映画だよ。小説原作なんだけれど」
愛奈がスマホをいじる。
「Huluで見れるんだ」
「そうなんだ。便利やな」
「今度見よう」
その後は愛奈の好きな小説の話をした。加藤千恵って読んだことなかったなと思いながら話を聞いていた。
「次なんだけどさ」
「はい」
「ピアノがあるバーに行きたいんだ」
「行きましょ。その後ラーメン食べて帰るんだ」
「いいね、そうしよう」
店を出てると少しだけ肌寒くなっていた。
ピアノのあるバーに向かって歩いていく。
「バーに入るの初めてでした」
「そうなんだ。前の彼とは来なかったの?」
「入るのに緊張するとこには行かなかったんです」
「最初は緊張するもんな。慣れればいいんだけど」
「あっちの方にあるビストロにもやっと入ったくらいだから」
「そうなんだ。でもいいもんでしょ」
「すごくよかったです」
「そうだ」
「どうしました?」
財布から千円札を数枚出して愛奈に渡した。
「タクシー代、忘れないうちに渡しておくよ」
「えっ、いらないですよ」
「遅くまで付き合わせてしまったし」
「いいですって」
「いや、受け取って。今日は本当にありがとうね」
愛奈のポケットに押し込んだ。
「すみません。ありがとうございます」
「ほんと愛奈ちゃんには救われっぱなしだよ。だからこれくらいはさせてよ」
そうこうしてるとピアノバーの前についた。
少しだけ緊張したが意を決して入る。
店内は混雑していたが運良くピアノが横にある席に座れた。さっきまでは横に座っていた愛奈と向かい合わせで座った。目を合わせるのが照れくさくなるなと思った。
「リクエストしてもいいみたいだよ」
「えー、いいな。弾いてもらいたい」
「何かあるの?」
「一時期、月光にハマってて」
「いいね」
「でも何楽章か忘れちゃった。ちょっと聞いてもいいですか?」
「いいよ」
愛奈がイヤホンを繋げて聞いている。
その間に俺は「Desperado」をリクエストした。
「一でした」
「そっか、次に言っておくよ」
Desperadoが流れる。
愛奈も知っていたみたいで俺が勧めたピニャコラーダを飲みながら聞いている。柔らかくて優しい表情が美しく貴かった。
「これはさ恋愛の曲っぽいけどポーカーで負けた曲なんだ」
「えー」
愛奈が笑う。
次にピアニストの方に愛奈のリクエストを伝えた。
始まると今にも泣きそうなくらいに感動している愛奈がそこにいた。スマホを向けてその時間を記録している。その時の顔は少女のよう、昔見た愛奈の写真に少し似ていた。
お酒が進んでいく。
カウンター席のおじさまがビリー・ジョエルをリクエストしている。ストレンジャーやHONESTYが流れている。
会話は愛奈の男友達の瀬名くんの話題に。
「今度ドライブに連れてってくれるんですよ」
「ロードスターに乗ってるみたい」
「オープンカーか。この時期はまだ気持ちいいね」
「天気の良い日見ておくねって」
「いい子やね。その子と付き合っちゃえば?」
「でもね、絶対彼女いるんですよ。いつも濁してくるけど」
「そっか」
「沼っちゃう男子ですよね」
「じゃあさ、俺と付き合って」
「仮にも彼氏いるんですよ」
「冗談だよ。俺は君に似合わない」
もっと若くて横浜流星みたいなルックスで何か才能があって自分に自信があったらもっとアピールしたかもしれない。そう、愛奈に合うのはそれくらい優れている人で、愛奈を大切に包み込むことが出来る余裕がある人に違いないからだ。
「あの曲聴きたい」
「なに?」
「秒速の曲」
「One More Time?」
「それ!」
「じゃあ頼んでおくよ」
ピアニストの方にお願いするとすぐに弾いてくれた。愛奈は感激してこのときは本当にその強い眼差しが少し濡れていたように見えた。
タバコに火を点ける。愛奈をちらちらと見ながら吸うタバコはいつもより目に染みる。
ダービーフィズを一口飲む。久々に飲んだがやはり美味しい。
「すごく嬉しかった」
「よかったよ」
最後の酒に選んだのは愛奈はシシリアンキス、俺はXYG。
そのオーダーを聞いていたピアニストの方はGet Wildを弾いてくれて俺は笑った。
「これさ、シティハンターで出てくるんだよ」
愛奈はもちろん知らなかった。男の子の映画だからね。
「ボズ・スキャッグス弾いてほしいんですけど」
近くの席の女性が弾いているピアニストに声をかけたがちょっと待ってと制止された。女性がトイレに入った間に俺はこの隙にと一曲リクエストした。
愛の讃歌。
愛奈も知っていた。
タバコも吸わず、氷だけになった酒で口を濡らし、聞いていた。少しだけ目頭が熱くなった。
曲が終わるとお酒が届く。
「渋いお酒飲まれますね。さっきのダービーフィズとか」
マスターから声をかけられた。ダービーフィズの泡がいいよねと話した。
ピアニストにさっきの女性が話しかけている。
「ボズ・スキャッグスをお願いします」
「曲はなにがいいですか?」
「曲名がわからなくて…」
「それならウィー・アー・オール・アローンを聞きたいです」
俺が言った。すると二人ともそれがいいとなって弾いてくれた。
訳詞には二つの解釈がある。
僕ら二人だけ。なのか、僕らはみな一人なのか。
今だけは前者でいさせてほしいと思った。
「ピアニストの人が弾いてて気持ちいい曲ってなんなんだろう」
愛奈が言う。
「確かに気になるね。聞いてみるよ」
ピアニストの方に聞く。
「その時で変わります。上手くできたなって思えば気持ちいいですから」
なるほどなと二人で頷いた。
最後のリクエストに「ザ・ローズ」をお願いした。
ピアニストの方も好きな曲らしい。
「気持ちよく弾けるように頑張りますよ」
この曲は愛奈も知っていた。
オールディーズの有名な曲だ。
気持ちよさそうに弾くピアニストと聴き惚れる愛奈を見ながら最後の一口を飲み干した。
後半はあまり愛奈と話をした記憶がない。二人ともピアノの音色に癒やされながら静かに酒を飲み、少しだけぽつりぽつりと会話をする。そんな落ち着いたやり取りが出来る関係っていいなと思った。
会計をする。
お釣りを全て、といっても少額だがピアニストの方に渡してもらった。
財布の中身が増えている気がした。
愛奈に聞くと何もしてないらしい。
「きっと財布の中でお金が生まれたんですよ」 
そういうことにしてピアノバーを出た。出る直前に流れていた曲はドライフラワーでちょっとだけ不釣り合いで笑えた。
愛奈がラーメン屋を案内してくれるが場所が少し分かりにくくて何とかたどり着いた。
ビールを少し飲みながら餃子を食べているとラーメンが届いた。
二人して黙々と食べた。美味かった。
「大盛りにしてもよかった」
「私もう食べられないからあげますよ」
愛奈が麺をくれた。それを全て食べてビールを飲み干す。
二人で一頻り飲んだあとに餃子をつまみながらビールを飲み、ラーメンを一緒に食べてくれる女性は出会った事なかったかもしれない。
会計前にトイレに行きたくなって財布とカードを愛奈に渡して払っておいてほしいとお願いした。
戻るとテーブルに忘れていた眼鏡を俺に渡しながら
「使い方わからなくて自分で払っちゃいました」
「えっ、ああ、ごめん。現金渡すよ」
「いらないですよ。たくさんご馳走になったんでこれくらいはさせてください」
何度かやり取りしたが甘えることにした。
愛奈には甘えてばっかりだ。
店を出て大通りに向かう。
タクシーをつかまえようと。すぐにつかまった。
「このタクシー割引使えるんですよ」 
「ありがとうね、また会おう」
「はい!」
タクシーを見送った。夜の大通りをすーっと去っていった。
ホテルへの帰り道。コンビニでお茶と赤マルを買った。久々に吸って美味しかったからだ。お茶は愛奈の鞄に預けたまま忘れていた。
赤マルに火を点ける。
やたらと煙が目にしみる。夜空を見上げたら明るい繁華街にも関わらずいくつか星が見えた。
生きていてよかった。
それくらい楽しくて美しい夜だった。
また愛奈に会いたいと思った。次はいつ会えるだろう。そんな事を考えながらホテルのベッドに倒れ込む。
「死んだら悲しいですから死なないで」
今日何度か言われた愛奈の言葉がリフレインしている。
本当に素敵な人だ。あんなに幼くてどうしようもない人と恋に落ちてたのに上手に成長した。
あんなに気遣いできて疲れないのかなって思う。
少し心配だ。
愛奈を写した写真を見返す。ブレてる写真ばかりで下手さが目立つが二枚ほどいい写真があった。
大切にしなきゃならない人がこの世にはいる。
間違いなくそれは彼女である。
これは一夜の記録と愛奈への恋文だ。
なんてね
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tutai-k · 1 year
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表現するという暴力、記録するという誠実
4月22~24日のあいだ、水俣へ旅をした。 水俣という土地のことを、わたしは石牟礼道子の『苦海浄土』『椿の海の記』『魂の秘境から』、この三冊の本でしか知らない。石牟礼道子を読もうと思ったのも「水俣」という地に興味があってではなかった。ネイチャーライティングやエコクリティシズムに興味があり、それらの本を読むと必ずと言っていいほど、石牟礼道子の名を目にした。だから読んだ。それはソローの『森の生活』を読むようなもので(『森の生活』は、あまりにおじさんの愚痴がひどくて耐えられなくて上巻を読んで挫折した。なんなんだ、最近の若い者はイリアスも読んでないとかいいだすの……わたしは中学生の時に読んだけど意味がわかんなかったよ)『椿の海の記』を読んだとき、そこに特別な感情はなかった。次に、と手を伸ばした『苦海浄土』、ここで、「水俣」という土地が、わたしの前に肉感をともなって立ち現れた。いや、わたしの足下に地盤がせり上がってきた、とでも言うべきかも知れない。 そこが足をつけて歩くことのできる土地であり、人が生きる土地であり、――文明に引き裂かれた土地である、という「足下」に気づいたのである。
水俣という土地を旅して経験したことは、無数にある。そしてそれは、旅を終えて一週間で言語化できるような体験ではなく――水俣という土地に「水俣病」という人間による厄災が降りかかった知識を得て、それを糧にわたしに何らかの変化があった、と理由付けすることもできるのだが、その知識を通り越したところに、この旅での経験や得たものはあったと思う――それをこの日記というかたちに落とし込むのか(ここに書き記すというのはわたしとしては難しいと思っている)、創作物としてなにかひとつ作品をつくるのか、それはまだ未知数だ。 友人に連れて行ってもらったヘドロで汚染されてしまった海を埋め立てて作られたエコパークで、不知火海を望んでいくつもたたずむ魂石、その魂石の話が印象的だった。 曰く、 「みんな最初は、何かを作ろうという形や目的があって石を掘り始めるんだけど、硬くて削るのは大変で、削っているあいだに何も考えられなくなって無心で彫り続けることになる」 ここにたたずむ魂石は、祈りや追悼のため、に作られ佇立してるものだろう。祈りや追悼、自分自身の葛藤に折り合いをつけるため……さまざまな意図や目的、目標とするかたちがあって彫り始める。それでも、彫っているとき、祈りや追悼・葛藤すら忘れてしまって彫ることになる……。わたしはそう解釈をした。 わたしは小説という表現技法を持つ人間だ。自分自身の感情や知識、経験を、小説という形状にこね上げる仕事をしている。この水俣の旅でも、得たものを「還す」には、言語による表現で輪郭を描くしかないのだが、「ものを作る」という行動には目的が伴ってしまう。わたしはまだ利己的で、この経験を自分の創作の糧にしたいという欲がある、石を彫るような無心さを未だ持たず、「わたし」にこだわっている。 それはなにも水俣を旅した、という経験だけではない。いままで行った多くの旅先、これまでした貴重な体験、読書、美術品の鑑賞、果ては野鳥の観察まで、わたしは「わたし」の糧として、それらを見ている、そしてそこから創作をしている。 湧き上がってくる創作意欲というのは利己的なもので、「無心さ」をわたしはいまだ持ち得ていない。フィードバックは必要だ。だけど、わたしはまだ、「わたし」のためにしか、この経験を書けない。 丸い、勾玉のような魂石に触れた。それは一見すると、どんなかたちにも見えたし、どんなかたちにも見えなかった。この魂石を彫ったひとは無心だった。そのことを、あの手のひらに感じたやわらかい丸みとともに思う。
「表現すること」を多く感じた旅だった。 友人は最初、水俣に行ったとき、「道に落ちたミカンの写真しか撮れなかった」と言っていた。 水俣市立水俣病資料館では、膨大な数の写真を見た。壁一面に貼られた遺影が印象的だった。水俣と言う土地や水俣病の歴史をわたしに丁寧に話してくれた友人は、何度も何度も「写真」について語った。 写真に撮られる患者、水俣病の象徴として撮影される橋、ドキュメンタリー映像で演出される手。そして、水俣の住人でチッソの労働者でもあった鬼塚巌さんの「写真」。鬼塚さんは、写真が趣味で、最初はそんなつもりもなくただ水俣の風景や生き物の写真を撮っていたそうだ。それが、労働争議や水俣病の写真を撮るように……。 鬼塚さんについての話はとても印象的だった。そして、水俣と「写真(カメラ)」の関係の、言葉を選んでも選びきれない葛藤。簡単には言葉にはできないが、写真は「撮ること」が主体になってしまう表現物だ。いや、表現物というのは表現を「する側」に主体性があるのは当たり前のことなのだが、写真という表現形式において、表現を「される側」……被写体、というのは、実はかなり置いてけぼりになっているんじゃないのかと思う。 「撮られる」という暴力、「記録される」という暴力、それは一方的にやってきて、一瞬を切り取って「見せたいもの」「を」「しか」「見せない」。そして鑑賞する側も、その「見せたいものをしか見せられていない」状態の中で、「見たいもの」「を」「見る」。多重の選択がある、撮影者・鑑賞者のまえで、被写体は無防備だ。 水俣市立水俣病資料館では、写真撮影は禁じられていない。だが、その撮影した写真は、私的な使用にのみ許可されている。SNSなどに投稿したりすることは禁じられている。「撮る」こと、その写真を「保持」すること、その良心・誠実にまなざしがむけられていた。
水俣の旅について、書きたいことは多々ある。 そのなかで、わたしは多分「撮ること・撮られること」という部分に、自分自身が表現する人間だからとてもつよく関心を持つのだと思う。 何度も言うが、旅で得たものについて、言語化はまだ先のことになりそうだ。ただ、「表現すること」について考えたこと、考え・苦しんだことだけは、いま、このやわらかい感覚のときに、綴ってしまいたいと思った。
緒方正人さんの『常世の舟を漕ぎて』を、相思社で購入した。今日読了した。日月丸の航海を語る友人の声を、何度も何度も思い出す。 緒方正人さんも、書中の語りで幾度も「表現」という言葉を使っていた。
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nemosynth · 1 year
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Season 2, episode 4 - PPG/waldorf
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「世界三大発明」
左から、盆栽、ハンバーガー、そして2Uラックマウント型音源モジュール。その音源モジュールの色は当時めずらしかったネイビーブルー、真ん中近くにモノアイの如き大きく丸く赤いダイアル、その下に長円形の赤いボタンが、しかも斜めにあしらってあって「O.K.」と書いてある。 「おっけーボタン!」 シンセ界のガッツ石松と見まごうそのセンス。それはコアでヲタな音源モジュールに似つかわしくない不思議にポップなセンス。のちにシンセ・デザイナーの神となった若きAxel Hartmann駆け出しのころの作とは誰も気づくまい。
これは当時の雑誌宣伝広告、そのコピーをNemo版超々訳すると「世界三大発明」。 広告の主旨は、当時の先進工業国3ヶ国がおのおのみずから誇る文化的な発明品を出展しているという風情。
そう、最も右にあった音源モジュールとは何を隠そうWaldorf社のデビュー作、microWave初号機。
時に1989年、KORG M1が出た翌年、奇跡の大ヒットで息を吹き返したKORGはT1, T2, T3という巨大PCMワークステーションシンセ三連星を繰り出し、YAMAHAはDXシリーズの次をめざしてV80FDもといSY77でもって仕切り直し、RolandはDシリーズの末っ子D-5をプリプリの今野登茂子ちゃんのマスコット・キーボード的に新発売しLA音源シンセD-50, D-20, D-10, D-5, D-550, D-110鉄板ラインナップ完成、KAWAIなんてK1 IIのみならず中堅かつ16bit PCMシンセの名機K4ローンチ! 怒涛のPCMサウンドに全世界が押し流されていたそのとき、底抜けにあさっての方向を向いた削ぎ落としの音源モジュール、リアルな音なんて出るはずもなく、ファンシーな内蔵エフェクトにも目もくれず、すでに32音ポリまで具現化していた時代に渋い8音ポリ、廃業したPPGから受け継いだ独創的なウェーヴテーブル音源だけを搭載し、あとはなん〜にもないただの箱。 それこそが技術大国ドイツが誇る切れ味さわやかゾーリンゲンの如き鋭利な音ばっかする尖ったシンセmicroWave。電子レンジにかこつけたその名こそは、だが、いくたびの谷を乗り越えて何度でも不死鳥のように蘇りつづけるメーカーの誉れWaveシリーズ末裔たるあかし。
今回はその創世と輪廻転生を見ていきたい。
♬    ♬    ♬
「選ばれし者」
ヴォルフガング・パーム(Wolfgang Palm)。1950年、当時の西ドイツ北部の港街ハンブルグ生まれ、今なお同市に在住。 ビートルズやストーンズ大好き電子工作少年ヴォルフガング坊やは、ギターを自前でこしらえた挙句、父にファルフィッサのトランジスターオルガンを買ってもらう。だがどうにもその音色が気に入らない。憧れのハモンドみたいな音がどうしても出ない! 思いをつのらせた彼はバンド仲間が勤める楽器屋でつぶさにハモンドを検証、そのトーンホイールから出る音がサイン波なのに対し彼のオルガンの音はもっとブライトな鋸歯状波みたいな音であると見抜いた。なるほど! 早速彼は一種のローパスフィルターみたいな回路をつくりあげ、それを自分のオルガンにくっつけた。
ここですでにヴォルフガング君が尋常ならざる非凡ぶりを発揮するに、そのトランジスターオルガンに搭載されし70基もの鋸歯状波オシレーター1個ずつに対し、フィルター回路も1個1個つくってくっつけたのである。計70個にもおおよぶ自作フィルター回路がおのおの音を丸めてくれたおかげで、それなりに彼は満足したらしい。
ドイツ人が時として自嘲気味に言うドイツ完璧主義:ドイッチェ・パーフェクツィオーン。 ドイツの技術は世界一ィィィィーーーーー! 天才とは恐ろしいもので早くもここに将来彼がこだわりまくって会社をつぶすことになる片鱗がうかがえてしまうのだ。すでにフォースが強かった少年にとって運命の邂逅とはシンセではなく、彼にしてみればツッコミどころ満載だったファルフィッサのトランジスターオルガンなのであった。それに自作のフィルター回路を70個もくっつけてしまった運命の少年ヴォルフガングは、オルガンをSFポッドレースの車両のようにチューニングし、壮大なサウンド・キャニオンの中を疑似正弦波駆動エンジンにてかっ飛ばそうとしていたのかもしれない。
1960年代に入って物理学を学んでいるとき、moogシンセを知りELPも聞いたヴォルフガング・パーム。斬新でつややかな音色もさることながら、とりわけ彼を魅了したのはポルタメント。すなわちオルガンを始めとする既存の楽器ではなかなかありえないねちっこくも滑らかに自由なピッチ。
シンセは自由! クロマティックに微分化されえないめくるめく自由なピッチ!
こういう音がバンドにもほしい! また思いをつのらせた彼は、自分のオルガンから演奏できるシンプルなモノフォニックVCOを制作。すなわちpitch to CV変換器を内蔵することで、オルガンを弾けばVCOが鳴るシカケ。それもmoog式Oct/Vではなく、作りやすさとピッチの安定性からHz/Vで制作。このピッチ安定性へのこだわりが、のちに彼をして時代に先駆けデジタルへ傾倒させる伏線となる。ポルタメントにしてもピッチが安定するからこそ意味がある。いや、ここでも正確無比なドイッチェ・パーフェクツィオーン!
1974年、minimoogを手本につくってみた小さなシンセDer Kleine(デア・クライネ、ドイツ語で「ザ・ちび」という意味)。2基VCO、1基VCF、1基VCAという仕様。それを3台制作。 次に作ったCompact Synthesizerなる機種は、なんとminimoogを凌駕するアドバンテージとしてパッチケーブルを「内蔵」。すなわち掃除機の電源コードよろしく使わないときは本体内部にしゅるしゅる内蔵、使う時にびよ〜んとひっぱってパッチング。さしずめスプリング式リトラクタブル・パッチケーブル・システム! 新開発エルゴノミック・準モジュラーシンセ! おまけにフロントパネルの文字が光るというヤンキーまがいの自照式! 暗いステージやスタジオにもいいね!
翌1975年、PPGことPalm Products GmbH社またの名をPalm Products Germany社とも言うちっちゃい工房を設立したヴォルフガング・パーム。タンジェリン・ドリームのメンバーたちとも懇意になり、モジュラーシンセを初めどんどん大型機種を開発。クラウス・シュルツェやジャン=ミシェル・ジャールなどイケメン・シンセ貴公子たちもお買い上げ。特にタンジェリン・ドリームのエドガー・フローゼに言われるままにモジュレーションホイールが8基もあるヤマタノオロチみたいな怪物キーボード・コントローラーを制作。これはもう8つのパラメーターを同時にあやつるヤマタのハイドラ! あのよくタンジェリンの写真で見る特注キーボードはヴォルフガング・パームの手になるものなのですよ。
そんな彼は、しかしアナログシンセのピッチがどうがんばっても安定しないため、ついにデジタル・オシレーターを開発。 それは誰よりも早く1976年にデジアナハイブリッド・モノシンセPPG 1020となって結実。デジタルだから波形も自由。音源波形6つ。 DCOどころではない。DCOとはピッチだけをデジタル制御したアナログオシレーターであり、その波形生成はアナログ回路で行っている。だがそんなものすっとばして一気にピュアなデジタルオシレーターを搭載せしめたシンセ爆誕。当時まだマイコンだなんだというのは彼の界隈には存在せず、やたら苦労して回りくどくつくったのだという。だがテクノロジーが未熟だろうが彼は言い訳しない、着想した夢は必ず具現化せずにはおれない気骨の人、それがヴォルフガングなのだ。
デジタルオシレーターに続き、翌1977年にはデジタル音色メモリーを実現。かくしてフルアナログ・モノシンセに音色メモリーをカップリングさせた世界初フルプログラマブルシンセPPG 1003 Sonic Carrierまで開発。 レゾナンス8ステップ、カットオフ64ステップにするという量子化への苦労があったものの、全パラメーターを記憶できる50音色メモリーを搭載。Prophet-5よりも早く、OB-1よりも早く、デイヴ・スミスよりも早く、デイヴ・ロッサムより早く、トム・オーバーハイムよりも早い、まぎれもなく史上初のフル・プログラマブルシンセの誕生を人類は目撃!したはずなのだが、15台ほどハンドメイドしただけなので目撃した人類といえば作った本人の他は、クラウス・シュルツェ、エドガー・フローゼ、あとほんの若干名だけ。それでもタンジェリン・ドリームの面々に納品した個体は、鍵盤をはずしてPPGモジュラーシンセの中に組み込み可能など、相変わらず独創性の強いキャラが光る。しかもパラメーターを数値化したおかげでノブもなにも無い、のっぺりひらべったい顔した数値入力シンセ、え、それってつまりDX7やPoly-61が躍り出る5、6年前にすでにのっぺりシンセ! なんかそれってもはや人類初のジェット戦闘機メッサーシュミットMe262みたいなもんですか!? ちなみに機種名「1003 Sonic Carrier」にあるキャリアというのは、もちキャリア波、変調における搬送波に由来。
とどまらないデジタル快進撃。 デジタルオシレーター、 デジタル音色メモリーに続く3つめは デジタルシーケンサーPPG 350 Computer Sequencer。これを開発。
ところがフランクフルト・ムジークメッセのデモで電圧が足りずシーケンスデータ吹っ飛ぶ。Roland MC-8が出たのと同年であり、やはり同じ問題にぶちあたっているところは「テクノは忍耐」と松武秀樹をして言わしめた初ものデジタル・シーケンサーならでは。 だが、それでもなおヴォルフガング・パームがぶっちぎっているのは、このシーケンサーに4オクターヴ49鍵のキーボードを装着し鍵盤入力も可能としたことで、つまりすでに擬似ワークステーションシンセ状態であったこと。またRolandはインテル8080を使ったが、PPGはモトローラ 6800 を中核に据えた点でも興味深い。
・デジタルオシレーター ・デジタル音色メモリー ・デジタルシーケンサー
こんだけ一気に立て板に水のごとくデジタル三羽ガラスを作った彼は、1977年にしてすでに誰よりも先に今日的デジタル・ドメインで音色や音楽をつくることに着手していたわけ。DAWなんて二十年くらいあとの話なのに。
だが、デジタルまっしぐらの彼を待ち受けていたのは、その足元をすくうやつらであった。 すなわちKORG MS-10 / MS-20など日本製の安価なアナログシンセが人気を博し、高価格帯にとどまるデジタルPPGのビジネスは窮地におちいった。 そうこうしてるうちに、その高価格帯ではOberheim 4Voice / 8Voice、Sequential Circuits prophet-5などアナログ音源ながらに革新的なシンセという競合が出てきてますます厳しい。誰でもCPUとSSM音源ICとデジタルスキャニングキーボードとを手に入れることができる今、スキルとカネさえあれば参入障壁はかつてなく低くなったのだ。 ヴォルフガング・パームは、すみやかに次の一手を打つ必要に迫られていた。
にもかかわらず彼はもっと別な方向の未来をじっと凝視していた。彼が孔があくほど見つめていた明日へのヴィジョン、それが彼をしてますます遠く遠く未知のデジタル深宇宙へと跳躍させ、まるで重力レンズのごとく虚空の彼方へといざなうのである。
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「波形パラパラ漫画への道」
彼のこころを鷲掴みにして離さなかった魅惑のシンセシス、その挑戦とは、いかにしてアコースティック楽器や自然界のような豊かな倍音を出すか、であった。 しかも彼に言わせれば、アナログシンセの音なんて変化が無くて凡庸であった。彼にしてみれば同じ波形ばっか繰り返すのではなく、1周期1周期が違う波形であり違う音色であってほしかった。これはモーグが発見した音色の経時変化そのものであり、その追認であり、その次世代への模索でもあった。いみじくも元ローランド社長の菊本氏が見抜いたように、音とは時間軸上に展開するアートであり、つまり菊本氏の言葉を借りるなら音色とは本質的にtime variantであった。そんな音の本質にヴォルフガング・パームも気づいていたばかりか、本人曰く「僕はモーフィングするサウンドの大ファン!」なのであった。
考え抜いた彼は、もはやお家芸のデジタルテクノロジーを応用。 当時PPGの他にはアナログシンセしかなく、まだデジタルサンプリングが一般的ではなかった時代、彼は現実音をサンプリングして波形データを作成。さらにアナログシンセのフィルター・スウィープをデジタルで再現すべく、鋸歯状波をデジタルで生成し、そこから徐々に高次倍音から削っていってサイン波へと近づけていき、その変化を1波ずつデジタルでキャプチャー。それら1波1波をずらっと時間軸上に並べてスキャンすれば、パラパラ漫画そこのけに鋸歯状波から正弦波へとなめらかにスウィープするを再現できる、しかも安定したデジタルで。
史上初、ウェーヴテーブル音源が産声を上げた瞬間!!!
これでもう実世界の音色変化をいくらでも再現できる! 単に1つサンプリングしただけでは静止画と同じでおもんない。いろんなサンプルから1周期だけ波形を抽出し、パラパラ漫画の如く時間軸上にたくさん並べ、あたかもコマ送りで動画にするようにスキャンすれば、しかも自分の好きなタイミングや好きなテンポや好きな順番でスキャンすれば、単なるスタティックなサンプリングではなく動的に音色を生き生きと経時変化させられる。各フレームに入る1波1波が異なる波形でありさえすればいいのでメモリーも食わない。人工音テーブルや波形遷移順序を入れ替えたテーブルを作成すれば、非現実的な音色変化すらをも実現できる。フィルターにとらわれない自由奔放な音色変化! デジタルだからこそ可能な自由! しかもデジタルだから常に結果は安定して同じ! お���けにデジタルだからコストも安い!
ヴォルフガング・パームにとってデジタルとは、高くて不安定きわまりないアナログを安価かつ安定した結果に置き換えられる未来テクノロジーであった。
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かくして1979年、史上初のウェーヴテーブル音源シンセPPG 360 Wave Computer 爆誕!
しかもフィルターが無い! ただひたすらウェーヴテーブル・オシレーターで音創りをする原理主義的なまでにストイックなデジタルシンセ。アナログなんていらねーと言わんばかりに割り切ったぶん、コンセプトから仕組みからシンプルかつ明快。音のキャラもはっきり分かった。搭載されしウェーヴテーブルは8種類。当時これでも最先端だった 8bit につき正直音が粗かったのだが、フィルターに依存しないぶん自在に音色が変化するフリーダムな PPG 360 は話題となり、そのぶん仕様への要望もたくさん出た。お客様のご要望に応えるべくLEDをLCDに変え、シーケンサーも搭載、2オシレーター化、そしてなんだ結局はアナログVCFもSSMチップでもって追加搭載してしまったのが2年後1981年の後継機種、でたWave 2!!! 「だって営業が『みんなアナログフィルターが無い無いってよ』なんてうるさく言うもんだからさぁ」 とは本人の心の声(?)。
その1981年、フランクフルト・ムジークメッセ話題No.1 は Fairlight CMI、そしてNo.2がなんと発表デビュー初陣を飾ったPPG Wave 2であった。デジタル楽器ワンツーフィニッシュ! あまりのWave 2人気殺到ぶりにFairlight社のピーター・ヴォーゲルがわざわざPPGブースまで陣中見舞いにやってきて「うちら1位だけど君らが2位だね」とリスペクトを表しにきた。
して発売してみれば月産20台という、じつはたった5人しかいない個人商店 PPG 史上最大の大量生産しないと追いつけないほど受注してしまい、逆にたいへんなことになってしまったのであった。初採用の青いフロントパネルはPPGを象徴するアイコン的存在となって一人歩きしだす、人気っぷり。タンジェリン・ドリームに至ってはWave 2がひらいた新しいサウンド銀河にみちびかれるままにアルバム「Exit」を制作。ちなみにこの1曲目の名前はなんと「Kiev Mission」、彼らにしては珍しく声入り、しかもスラヴ系の言語、そして暗示的に平和を希求するメッセージが行間から読み取れる、その冷戦時代センスが今また予見的。
ちなみにWave 2デビューと同じ1981年、prophetやOBといったアナログポリシンセは頂点を極め、フォロワーとしてRoland Jupiter-8、同JUNO-6、KORG Polysixも誕生。日本のシンセもまた欧米への追いつけ追い越せという駆け出しのフェーズを脱し、海外大型ポリシンセたちと互角に肩を並べるところまで来た歴史的転換期でもあった。Jupiter-8がRoland1社という枠を超え、もはや日本のシンセ全体の象徴となったのは、歴史の峠に屹立したからかもしれない。そしてそんなポリシンセの波頭にCMIやPPGといったまだ天文学的にお高い次世代デジタル楽器が、とんがった先鋒となって風を切っていたのである。
このあとPPGはウェーヴテーブルを30種類にまで拡大させた改良機種Wave 2.2や、eltec社パソコンeurocom IIをカスタマイズした専用サンプラー波形編集コンピューターシステムWaveterm、ピアノタッチ鍵盤コントローラーPRKことProcessor Keyboard、そしてサンプリングしたオーディオをデータ転送できるよう8bit8パラレル独自インターフェイス規格PPG Busを開発する怪力ぶり。しかし身の丈を超えた無理が祟ったのかWave 2シリーズで不良を量産してしまい、逆にprophetが売れてしまうPPGオウンゴールな事態もあったという。 そしてご多分に漏れず自分たちのネットワークシステムに未来を託すあまりMIDIを軽んじてしまい出遅れることトム・オーバーハイムの如し。ようやく1984年にMIDI対応したPPG Wave 2.3は、Oberheim 初のMIDI対応シンセXpanderと同窓生。
そのPPGは不良率が高いだけでなく、デジタル化を過激に推し進めたために基板回路が緻密すぎて部品単位で修理できず、さりとて基板まるごと交換修理するにしてもそれを安価に行うだけのテクノロジーが存在せず、しかも故障品には対価が支払われないことから採算がシビアになり開発部隊と販売部隊とで軋轢が生じるようになった。この火種が元になってのちに販売部隊がwaldorf社へと、半ば喧嘩別れするがごとくに変貌する。事実、開発拠点があったのはヴォルフガング・パームが住んでいた北ドイツのハンブルグであり、一方、販売拠点があった小さな町はまさにヴァルドルフことWaldorfだったのである。
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「倒産ではない、清算」
すっかりMIDI時代になった1985年ムジークメッセ、そこにロバート・モーグがふらっとやってきた。 「あんたらデジタル・ガイってさぁ、なんでデジタル・フィルターつくらんのさ?」 そうだ、そのとおりだ、そしてそのころヴォルフガング・パームが構想していたのはシンセもエフェクトもミキシングもレコーディングもみ〜んなコンピューター1台の中で実現し、モニターひとつで快適に操作できることであったSteinbergがCubaseにVSTプラグイン規格を搭載する10年も前、それどころかまだCubaseはオーディオを扱えないMIDIシーケンスソフトでしかなく、名前もまだPro-24だった時代、さらなる高みを求める彼はついに究極のデジタルドメイン仮想スタジオを実現せんとしたのである。
モトローラ68000をCPUに迎え、DSPを複数投入することで夢の2機種を並行開発。それは:
・HDU(Hard Disk Unit): DSP 2個使ったハードディスク・レコーディングシステム ・Realizer(リアライザー): DSP 8個使ってminimoog、FM音源、サンプリング / ウェーヴテーブル音源、モジュレーションマトリクスを実現したヴァーチャル音源専用機、しかもHDUを8基制御可能
もはやこれは規模的にも価格的にも真っ向SynclavierやFairlight CMIと対決するぶっちぎり最先端デジタルスタジオ・システムであった。なんでもかんでも全て網羅したがるあまり理想すぎる重厚長大トータルソリューションをめざしてドイツ完璧主義ドイッチェ・パーフェクツィオーン最終進化。あの久石譲さんも、一時期PPGに賭けようかと思ったことがあったとか。
しかし、時すでにDX7が台頭して数年、もはやデジタルはPPGの特権ではなかった。PPGと同じ高価格帯にてSynclavier、Fairlightの牙城は崩せず、PRKには Kurzweilというすぐれた相手が出現。しかもここでもダークホースとして姿を表したるは、あのE-muをも唸らせた信じがたいローファイ価格破壊サンプラーensoniq Mirageという道場破り。1986年にHDUやRealizerのプロトタイプができたもののバグの暴風雨。HDUに搭載されし40MBという当時の「大容量」ハードディスクに笑うことなかれ、バグを笑う者はバグに泣く、失敗したやつだけが語る資格がある。ついに1987年、かさむ開発コストにPPGは経営崩壊、会社を清算することになった。Realizerはrealize(実現)しなかったなどと切ないことを北米キーマガに言われたゆえんである。
ちなみによくPPGは倒産したと言われるがそれは違う、きれいさっぱり清算したのである。すっきり飛ぶ鳥あとを濁さず。ヴォルフガング・パームさん、そういうところもきっちり完璧主義パーフェクツィオーンしているのね。流石だわ。
自分一人に戻って身軽になったヴォルフガング・パーム、同じドイツ企業Steinbergへ出向きHDUとRealizerに関する情報を渡してきた。さぁ、もうお気づきですね聡明なる読者の皆さん! はたしてその後Steinbergはハードディスク・レコーディングを確立、それでもってCubaseはMIDIシーケンスソフトからオーディオトラックも兼ね備えたDAWへと脱皮、さらに約十年後にはCubase VSTプラグインシステムを引っさげてメジャー・アップデート登場。前述の「シンセもエフェクトもミキシングもレコーディングもみ〜んなコンピューター1台の中で実現し、モニターひとつで快適に操作できる」というHDU + Realizerが描いた理想のデジタルスタジオとなりしSteinberg Cubaseは、DAW 業界に覇を唱えてしまったわけですよ。
そしてだからこそこれを10年早く80年代半ばに具現化せんとしていたおそるべしヴォルフガング・パームに震撼せん!!!
一方、旧PPGの販売部隊はwaldorf社となり、 PPGの遺産ことウェーヴテーブル音源を引き取ることになった。彼らに 「Wave 2.3 を安ぅでけへんもんやろか?」 とwaldorfから依頼されたヴォルフガング・パームは、開発外注として新しい音源部分を設計。これが1989年に「世界三大発明」というキャッチコピーとともにデビューしたmicroWave。ウェーヴテーブルは360 Wave Computerの8種類、Wave 2.3の30種類をすべて内包した64種類となり、渋くストイックながら実は多彩な音の小宇宙となった。
独創的なウェーヴテーブル音源を引き継いだwaldorf社はPCMシンセへのアンチテーゼを唱え、その盟主となって黄金期を迎える。 彼らはThe Waveという究極のフラッグシップを看板にしつつ、うまくその後、ヲタな仕様をポップにまとめてツウをうならせる軽妙洒脱なラインナップを展開。
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microWave XTに至ってはドイツの貨物列車みたいなくすんだオレンジのスウェード調にあたたかい太陽系のようなフロントパネルをレイアウト、見た目も音色もシックに尖って個性的。
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ヴァーチャルアナログの名機Qなんかクエン酸を連想するくらいイエローまぶしく、挙句その名もGekkoというヤモリをモチーフにあしらった勾玉デザインのかわいい柑橘系MIDIデバイス(?)も販売。そしてD-Pole、PPG Wave 2.V、Attackといったソフトウェアシンセも積極展開。
かくして90年代はPCMワークステーションシンセへのアンチテーゼがひとつの大きな主張となり、音色銀河の辺境宙域はwaldorfを筆頭にnord lead、access Virus、Quasimidi、Roland JP-8000、同JP-8080、YAMAHA AN1x、KORG prophecy、同Z1といった、ちょっとあやしげなくらい個性派なデジタルシンセたちが跳梁跋扈する領域となった。同じ空間でRoland MC-303のようなグルボが登場したのもこのとき。時代はまさしくへんてこなシンセたちが牽引したのである。 2003年にはプラグイン版リアルアナログ・フィルターことAFB-16を開発。これは2Uラックマウント型アナログフィルターモジュールをパソコンとUSB接続、DAWにモノホンのアナログフィルターを挿すというアクロバティックな機種であった。その制御ソフトにはカットオフを変調できるステップシーケンサーまで搭載。でもこれ、あんまし見かけませんよね。またしても開発コストかさんだのかなぁ?
案の定、その第2の黄金時代のあとふたたびの業績悪化でwaldorfは沈没。だがもうここまで来たら世間さまがウェーヴテーブル音源を見逃すはずもなく、圧倒的な呼び声に応じ2007年blofeldを皮切りに3度めの復活! 完全独立4系統で音創りできる充実のソフトシンセlargo、iOS版から始まった軽快なアプリシンセnave、コンパクトな卓上音源 rocketにstreichfett、モジュラー宇宙へのいざないnw1、そのモジュラー宇宙を楽器に変えてしまうkb37、Studio Logic社sledgeへの音源供給、Axel Hartmann自身のデザインオフィス20周年2万ユーロ・シンセ「20」への音源提供、そして3度目のフラッグシップしかも新音源方式もたくさん重層的に搭載したQuantum、iridium、Mなどなど重厚な頂点機種はじめ多彩な機種が今をいろどる。
すべからくwaldorf機種は中身は濃いぃのに、それでも打ち出しは妙にあかるくポップでハイセンス。彼らが不死鳥のように何度でも舞い上がれるのは、このポップさ、軽さゆえであろう。ヲタなちからこぶを消化するオサレ感覚。それはAxel Hartmannのなせるわざであり、軸足が定まったディレクションの勝利なのであろうか。
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「創世神話、楽器進化論、そして輪廻転生」
独創的かつ求道師のようにストイックすぎて窒息しそうに生真面目だった PPG。それを継承したwaldorfがヲタながらに軽快に消化。
そしてensoniqをはじめ多くのメーカーが自分なりのウェーヴテーブル音源を開発するようになり、ついにソフトシンセXFR RECORDS SERUMにてウェーヴテーブル音源はブレイク、アナログに回帰したもののフィルターに飽きてきた業界にウェーヴテーブルのサウンドはかつてなく流行することになった。
その一方、ひっそりと未来シンセシスを探求する究道士。ヴォルフガング・パームその人は、2002年にSteinbergからソフトシンセPLEXを発表。これは音をコンポーネント化しておきユーザーがモンタージュのように組み合わせる、言わばオブジェクト指向のシンセ。じつは音創りする上では画期的なアプローチであり、フィルターだエンベロープだロー・フリケンシー・オシレーターだなどと分かりにくい理屈を知らなくとも、音を既存の楽器や物体の部品に分解して組合せを変えて違うものへと換骨奪胎、今までとは全く違う方法で音色を再合成できる革新的なシンセなのであった。 そしてそれは彼が構想したHDU + RealizerというDAWコンセプトの上で、彼がつくったプラグインシンセが踊るという感慨深いものなのだが、彼自身はどう思ったことであろう。
やがて彼はiPad版 Animoogを見てマルチタッチスクリーン操作にあらたな可能性を見出し、「ひとり PPG」としてPPG WaveGenerator for iPad、同Wave Mapper 2 for Mac、そして同infiniteへと進化するようにシンセアプリを開発。それらにてオブジェクト指向の音創りUIを進化させる一方、次世代ウェーヴテーブル・テクノロジーことTCS - Time Corrected Sampleを開発。サンプリングした音において時間軸上を正再生逆再生するだけでなく、音量も正規化つまりノーマライズすることで原音が持つ音量変化からも解放され、ユーザーがほんとうの意味での音量エンベロープを自在に設定できる、ユーザー音量エンベロープを鋳型にしてサンプルを流し込むことができる、時間軸上でも振幅軸上でも原音の束縛からかつてなく自由で画期的な表現をもたらした。
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それは、オリジネイターだからこそ次へ進化できるという実例であり、TR-80を進化させたドラムソフトシンセRC-808を作りあげた菊本忠男氏と同じであった。凡百の808エミュが808に到達することばかりをめざすのに対し、"Re-Create 808" を標榜するRC-808は元祖808のモノマネはもちろん、そこからさらに進化して聴いたこともないあたらしい808の音色表現が可能なところにポイントがあった。聴いたこともない808の音なのに、まぎれもなく808の音がするRC-808。基本的には減算方式であるにもかかわらず、あらゆる音色を再現できる8パーシャル分析型合成。その一例として、ドラム音色にサスティンがあってもいいじゃないか、ドラム・シーケンスにゲートタイムがあってもいいじゃないか、ドラム・シーケンサーにピアノロールがあってもいいじゃないか、そんな自由奔放な問いに、先をゆく表現を聴く。
菊本氏もパーム氏も、常に前を向く人たち。ファンから熱望されて過去をリバイバルするではなく、あくまで今後未来の音源はどうなるか、これから何にプライオリティをおくのか、その答はまだ彼ら生みの親たちからしか提示されていない。わたしたち後輩は、彼ら時代のパイロットが操縦する飛翔体の乗客であった。そしてわたしたちはそのバトンを受け取れるようになり、操縦桿を握り、そしていずれ後世へ渡す。 その具現化において制作のためのプラグインならいざ知らず、演奏のためには音源だけでなくUIを組合せてこそであり、両者を両立しうるは音源に最適化されたハードを身にまといし未来のハードウェア楽器なのであろう。
音源やシンセシスに最大の関心があるがゆえなのか、ヴォルフガング・パームはソフトウェア・シンセを作りたいのであってアナログやハードウェアに戻るつもりは無いときっぱり言う。 菊本氏は、アナログシンセに戻ることは無いがソフト・ハードは手段として都度最適なものを選択するまでであって等価に扱いつつ今なお開発を続けている。 デイヴ・スミスはあくまでハードウェアにこだわり、OSアプデ無限地獄なんかについていくのは無理、画面の奥に引っ込んで触れないソフト楽器なんてありえないと言いきっていた。 アナログもデジタルもハードもソフトも全てを経験し、今なお単純復刻ではなくつねに新しいものを追い求めたこの三人、それでもなお三者三様にアプローチが違うのが面白い。
PPGがついえさったあとも一人PPGを名乗り、孤高の開発をつづけたヴォルフガング・パーム。全てを見渡した彼は70歳になったのを期に引退を宣言。ファンとしても年齢からしてもちょっとまだ早すぎるようにも思えるも、無論ひとさまのことを外野席からとやかく言えるわけもなく。そこはヴォルフガング・パームらしく、みずからに対しても完璧主義であったがゆえ、なみなみならぬ決意なのかと推察するばかり。時に西暦2020年3月18日。ドイツ完璧主義ドイッチェ・パーフェクツィオーンをあくまで貫き通した老将の旅路、その終着駅、彼の個人サイトに掲載されし最後の文章、その老境あふれる思いが行間にそこはかとなくにじみ出るを、不肖Nemo版超々々訳を添えてリスペクトを込めつつ引用しておく。
Dear Customer,
after 50 years of creative work in the field of sound synthesis I decided to stop doing business. I’ve been thinking about this step for some time now, especially since I’ve turned 70 this year. Therefore, I am very happy to have found a competent company in Brainworx Audio GmbH that will take over and continue my products and ideas.
I would like to thank you for the support I’ve received over the last six years. PPG VST plug-ins and iOS apps are no longer available for purchase. We will continue to provide downloads of your previous plugin purchases until end of 2020.
However, we do not recommend updating the hosts or the operating systems, as we cannot guarantee that our products will still run perfectly.
Customers of PPG plugins will receive a mail from SendOwl, which gives more infos on how to connect to Brainworx.
The future of the iOS apps has not been decided yet.
Thank you again for your support. March 2020, Wolfgang Palm
親愛なる顧客各位
これまで音色合成なる分野において50年にわたり様々なものをつくり続けて参りましたが、このたび仕事から身を引くを決意致しました。特に今年は古希を迎えたということもあり、ここしばらくは身の振り方についてずっと思いをめぐらせておりました。それ故、私の商品やアイディアをBrainworx Audio GmbHという優秀な会社が引き継いでくださると分かり、たいへんに嬉しい気持ちでいっぱいでございます。
過去6年にわたり皆様からご支援いただけたこと、感謝いたします。すでにPPG VSTプラグインとiOSアプリとは新規購入はできませんが、これまでにご購入いただいたお客様に限り、2020年の終わりまでは再度ダウンロードいただけるよう手配いたしております。
ただし、ホストマシンやオペレーティングシステムをアップデート致しますともはや私どもの商品が完全に動作するとは保証できなくなるため、これら環境の更新は推奨いたしかねることご理解たまわりますようお願い申し上げます。 またPPGプラグインをご使用のお客様には、SendOwlからメールが届くことになっております。そこにBrainworxへの詳細な案内が書いてございますのでご参照くださいませ。 なお、iOSアプリの今後についてはまだ決まっておりません。あわせてご理解たまわりますよう、よろしくお願い致します。
皆様からのご支援に重ねて感謝致します。 2020年3月、ヴォルフガング・パーム
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「time variant time」
ヴォルフガング・パームが去った今、わたしたちにはいかなるバトンが手渡されたのであろう。
「シンセはアメリカで始まったのではない。その前にフランスでミュージック・コンクレートがあったのであり、ドイツでは西ドイツ放送ケルン局の電子音楽スタジオがあったのだ。」 そう冷静に見つめるは、ヴォルフガング・パームが作りあげたシンセのご贔屓さまジャン=ミシェル・ジャール。 「シーケンサーはレコーダーではない。シーケンサーはグルーヴをもたらすものである。」 もはやプラットフォームと化すまでに肥大化したDAWに対し、その上でなお存在しつづける楽器とは何かを問う、示唆に富んだジャールの見識。
もともとヨーロッパには長大なインストゥルメンタルとも言うべきクラシック音楽という長い背景があり、その新しいうねりとして現代音楽にシンセをはぐくむ源流があったのであり、戦前からレフ・テルミンら先駆者による幻影と伝説がこだまする中、自宅スタジオにシュトックハウゼンを招いたEMS共同創業者ズィノヴィエフ然り、テクノの開祖クラフト・ヴェアク(クラフトワーク)然り、ヴォルフガング・パーム然り、ストイックな究道士のごとく理想を希求する彼ら皆、その同じ空気を吸って育ったことであろう。
そこから欧州大陸を飛び出し、大西洋を渡って新大陸を発見したドイツ系エンジニアことハラルト・ボーデ。その新大陸アメリカへ彼が持ち込んだるは欧州から長大なストライドでもってやってきた振動の巨人、電子楽器。すなわち1960年アメリカAESショーで彼が出展した史上初の電圧制御式シンセ。それはオシレーターの代わりにオープンリールの磁気テープを使い、あらかじめそこに録音されていた音を電子回路で加工する、それでもなお電圧制御式たるところがこんにち的。そのミュージック・コンクレートっぷりとケルン電子音楽スタジオっぷりとの武骨なアウフヘーベン、そこからいづるサウンド。そしてその聴衆の中にいたのはボーデのシンセに未来からの衝撃を聴きそのヴァイブを全身でびりびりしながら受け止めた若き日のボブ・モーグ。 新世界にてシンセ界が指し示す未来へのヴィジョンを見てしまい、見てはいけないものを見てしまったその禁断のショックに打ち震えたボブ・モーグが後遺症のように感慨をこめて作ったのが彼のテルミンでありmoog modularでありminimoog。みずみずしい感性と機動力がヴォンヴォンみなぎる新種の楽器minimoogは、あたかも反射波のように大西洋を逆向きに渡り、イギリスのズィノヴィエフや、ドイツのヴォルフガング・パームや、旧ソ連の軍需産業エンジニアことセルゲイ・マリチェフらをインスパイア。同じ空の下、コール・アンド・レスポンスのようにこだましあい、それぞれ独自の楽器をつくって響かせあい、さらにそれら波濤は遠く極東の島国にまで到達。
その波濤が全地球をくるんだ後に残したもの、そこにはトム・オーバーハイムが夢想したネットワークとそのノードにたゆたう数々の名機シンセという、おしゃべりしあう楽器たちがあったであろう。あるいは派手派手しいスターの如きシンセがデビューを飾る影に隠れてデイヴ・ロッサムがピースサインする基礎研究という、どっしりと盤石なるテクノロジカル土台への深きリスペクトもあったであろう。センセがほしがる答を生徒の口から言わせるという紋切り型教育には思いもつかないensoniqというあまりにも惜しまれる異議申し立てもあった。そしてヲタな本質を見抜くもポップに分かりやすく提示せんとするサービス精神旺盛なwaldorfと、最後の一人になってでも己に正直な究道士たらんとしたヴォルフガング・パーム。 かくして音のフロンティアに生まれたおびただしい数のへんてこなシンセたちこそが、クラシックな楽器とはおのずと違う異端児として、時代の音色をつむぎ出し時代のエンベロープ・カーヴを描きつつ時計の針を推し進めたのだ。そしてその時計の名は菊本氏が看破するtime variant、つまり時間すらもが自由な時計という異次元の楽器であろうか。タイムドメインの牢獄から解放されたとき、果たしてあなたには時間が見える?聴こえる?
まのあたりにするは人類進化の最先端。外宇宙がしみでるように青黒い虚空の中、いつわりの影ばかりを漆黒の闇の銀河へと落とす虚の惑星にて、目にしみる絶海の碧の中、しずしずと見えてきた小さく黒く尖った島がその引き締まった存在感を物語りはじめるとき、忘れ去られた楽園のようにしたたる緑の群落に、傾きゆくあったかいオレンジ色の陽射し、火焰山のように燃えあがる岩肌の陰影ふかく、上に飛鳥なし、下に走獣なし、故郷のものとは異なるおごそかに小さく引き絞られた陽のもとで、そこにたったひとつ持参できるとしたらその音は何?
すべてシンセには存在意義があるのであり、どんな「ぷー」な音しかせずともその音には使いみちが、存在意義がある。 こんにちの電子楽器が実現しえたものはまだ着想の2割くらいでしかないであろう。MIDI 2.0だなんだと解像度だけを追い求めるのではなく、まだまだ根本的に異なるパラダイムからの表現が埋もれているを、たとえば菊本氏のラボに垣間見る。技術そのものに夢があった時代は遠く去ったように思えても、それでもなお次なる技術、次なる応用、次なるひねりが新しい事象の地平面を切り拓くであろう。 どこまでも限りなく拡大し続ける知の地平。宇宙の挑戦を受けて立ち、まだ聴いたこともない音の銀河をめざして遠く飛翔するシンセの試み。その旅路の航宙図をもとめてシンセのミッシングリンクを解き明かし、なおかつ未来への触媒となす旅。いずれまたそれら切っ先の最先鋒について、機会あれば描いてみたい。
皆さん、ここまでお付き合いくださり感謝の極みです。くれぐれもお健やかに。Stay healthy.
(2022年8月13日、同人誌にて初出)
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keredomo · 1 year
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2022
 2022年は本当に苦しいことがたくさん起こって、笑うこともできないほど厄年然としていた。豊かな幸福と引き換えにおそろしい出来事が絶え間なく降り注ぎ、命の残機が尽き果ててさすがに死んでしまうかと思ったが、なんとか生��延びて年を越そうとしている。  朝からビールで乾杯して、「本当にお疲れ様」と、苦しい出来事のすべてに付き合ってくれた親友の女が労ってくれた。昼には、「あなたは人生の苦しみをすべてやりきったよ」と馴染みの蕎麦屋で親しい人が慈しんでくれた。
 何が起こったか、もはや掘り返して書き並べることすら心を壊しかねないので控えるが、へとへとに疲弊して自らを生かすことすらできなくなってしまった時に「生きて」と言って手を差し伸べてくれる人がいるのだと知れたことは大きな恵みであった。言葉をあつかう友人たちが「僕たちがあなたが生きることを引き受けるから」と、地に倒れ込んだ私を引き上げて、匿ってくれた。自分の力でみずからを生かすことができなくなったことを理解して彼らを頼ったとき、私はようやく大人になったのかもしれなかった。
 しみじみと思う。死ぬよりも生きるほうが遥かにたやすいのだと。人間は、生きているうちは、どうしたって生きることを選んでしまうのだと。  「私たちは、どうしたってあと50年は生きなければならないんだよ。その人生を明るいほうに向けることを考えなきゃだめだよ」と、私の生を明るい方に導こうとする美しい女に言われた。年の瀬によくあるふしぎと晴れやかな真昼の、陽光が燦々と注ぐ八丁堀のベトナム料理店でのことだった。  どうしたって、あと50年は生きなければならない。その前の週にも、昼下がりの自室で同じことを言われた。「80歳まで、一緒に生きてくださいよ」。80歳まであと50年ある。そんな途方もない年月を、「私と共に」と語り、傍にいると誓う人がいる。信じていいのだろうか、その言葉を。
 何度も何度も刻み直されて骨まで達した深い心の傷と、それがもたらした鬱、正気を保っていたくないという一心でアルコールに縋って暮らしたことで依存症状態となった日々は、社会生活が崩れる寸前にまで至っていた。  2022年、何度「死にたい」と願ったか、何度、一人の夜に包丁を持ち出して茫然と部屋を彷徨ったかわからない。それほどの思いをしても、なお、私は新しい年を生きようとしている。生に絶望し、死にたいと一心不乱に思い詰めている瞬間の自分がこの様を見たら、きっとそのぬるさに落胆するのだろう。それでも生きている。どんなに滑稽で、惨めで、醜くとも、私は生きようとしている。その事実を、もう何十年も惰性で抱えている「死にたい」という感情とのあいだで折り合わせなければならないと思った。どうしたって、あと50年は生きなければならないから。あと50年は生き延びなければならない生に、私自身がしてしまった。死ねない生に。
 死ぬことばかり考えている状態からは、人の助けを借りて抜け出した。抜け出した遠い目で、遠く虚な目で、あの傷が何によってもたらされた傷であったかを回想する。それは「言葉の裏切り」によるものだったようだ。  私は言葉を信じている。私は言葉を信じていた。「あなたを愛している」という言葉を信じた。「一生大事にする」という言葉を信じた。「君を幸せにする」という言葉を信じた。そこに身を委ねて自分を溶かした。けっして嘘ではなかった、この上なく真摯だったそれらの言葉たちは、しかし、結果的に現実と私の実存とを裏切った。夢見た永遠は叶わなかった。溶けてしまった私だけが、不毛の砂地に捨て置かれた。言葉を信じて、溶けてしまった私だけが。  溶けてしまった私の体に刻まれた無数の傷に、砂地の砂が傷口に入り込み、肉の奥をえぐって痛む。永遠を反故にされた恨みを、それとは矛盾する果てしない愛を、訴えようとするが形を取り戻して起き上がる気力がない。諦めばかりが体中を這い、気力を地に打ちつける。もういい。もう求めたくないし、与えたくない。やがて鳥が、砂地に横たわったこの屍体をついばみにくるだろうと、そうして消えて失くなることもできるだろうと待っていたが、乾いた砂地で、私をついばむ鳥はついぞ飛来しなかった。  どれほどの時間がたっただろう。百年はもうたっただろうか。日が昇り日が沈む空の色と、そこに舞い立つ砂埃だけを眺めているうちに、次第に溶けた体が形を取り戻した。砂によって膿みきって腐食していた傷は、形を取り戻してもまだ残った。二度ときれいなからだにならないことが一瞥するだけでわかった。私の体は澱んで醜かった。砂まみれの臓器が肋骨の下であらわになっていた。
 即時と永遠。人間が身体を生きている以上、その二律背反は「真」を傷つける。私は「真」しか求めておらず、しかしそれは、現実においてはおよそ可能ならざるものだと、いいかげん思い知った。ずっと信じていたのだ、愛と知と力を尽くせば「真」を生きることができるはずだと。その信念が私を輝かせていた。今は二択に立たされている。このまま信念を貫いて孤独に耐えるか、挫けて安寧に抱かれるか。
 言葉は人を縛る。言葉の本質的な役割は「呪縛」であると、周囲の誰もそれに気づいていない若かりし頃から、私だけはその恐ろしさをよくよく理解していた。それゆえ私は言葉を使役し言葉で人を縛った。言葉で人を傷つけて破壊した。言葉で人を癒し、守ってきた。私は言葉を信じていた。それしか信じるものがなかった。信じては裏切られ、また信じては裏切られ、それでもまだ言葉に縋っている。  言葉は神とは違う。わかっているはずだったが、結局は、私は言葉以外に神を持てなかった。神なる言葉は、人の力では到底届かないような一方的なものではない。私と言葉とのあいだには相互性がある。言葉も私を信じていることが感触としてわかる。だから信じるに値した。信じられているがゆえに傷つくことすら受け入れられる。私の、唯一の、神。
 実存における愚かな私が悶え苦しみながら生き抜いた2022年、理性をきちんと維持していながら情念の上ではもうほとんど気が狂ってしまっている私の結論はこうだ。  信じてよいのは、他者の言葉ではなかった。私は「言葉」の範囲を拡げすぎたのだった。言葉を信じるのは間違いではない。ただし、「私の」言葉だけが信じるに値するのだった。あるいは、私の水準で、つまり神に捧げるものとして言葉を扱っている人間の水準で言葉を営んでいる者、言葉と自己を最も深いところで接続している者の言葉だけが「真実」を示すのだと、人生を言葉に捧げている者の言葉だけが信じるに値する言葉なのだと、そう判断するべきである。それが私の2022年の反省だった。
 なんとも狭量な結論ではないか。こんな難解な札を掲げて、誰が私を愛そうとするだろう。自分がなぜ愛されるのか、誰に愛されたいのか、そして誰を愛しているのかさえも、今年の傷がゆえにとっくにわからなくなってしまった。しかし、私がわからなくなってしまっていようとも、そこに愛があることだけは確信できる。わからなくとも、愛している。愛する人が健やかな生を送ってくれさえすればそれでいい。何もわからなくなってしまった私のことはもういい。愛しい人たちが健やかに生きている、それだけでこの世は素晴らしいはずだ。
 徐々に回復している。少しずつまた、わかるようになるだろう。理知を取り戻した時、私にはもっと、もっともっともっといいものが書けるはずだ。そう信じて神との対話に日々を費やす2023年にします。正座。
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poddyshobbies · 2 years
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梶原山 豊前坊・21番札所 ~ 那珂川市上梶原(1)
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九州で豊前坊と言えば英彦山(ひこさん)が有名ですが、こちらは那珂川市です。
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前を通る県道601号線は那珂川市から、普通車じゃ通りたくない山道で峠を越え筑紫野市平等寺(地名)までの道です。(離合するのも一苦労ですがですが、対向車が来ること多々ありです。)~ ↑ 写真は那珂川市内方向。反対方向の山側に行くときれいな道は終わります。
↓ 庚申尊天 ~ もっと奥にあった「米冠(しりかんげ)」と言う地域から移設されたそうです。(平成21年)
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手水盤
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鳥居を潜った左手 ~ 牛の石像
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道真公とは無関係?
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社殿
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中央は囲炉裏(?)
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那珂川八十八ヶ所霊場第21番札所 ~ 社殿の道路側を後ろへ
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chibiutsubo · 2 years
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#おでかけ #めい想の森
天気も気候も良いし、外でピクニック気分でおやつが食べたい、と母親が言い出したので、適当に公園を検索して、やってきましためい想の森。
駐車場に辿り着くまでの山道が、車が擦れ違えないぐらいの細い山道だったので、対向車来るなよ…!絶対に来るなよ……!とビクビクしながらの運転でした。
幸い平日のお昼過ぎだったのでほとんど人もおらず、すれ違いに苦労することはなかったのですが。
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特に何の前情報もなく来てしまったので、そもそもどんな公園なのかも分かっていない状態。駐車場脇にあった案内板を見ながら、どうする??と作戦会議です。
いくつか道はあるようだけど、気になるのは「旅足(たびそこ)渓谷展望台」でしょうか。展望台があるということは良い景色が見える?という期待を胸に、小鳥の小径というルートを選びました。
家から持ってきたおやつと、途中コンビニで買ったコーヒーを手提げに入れて散策開始!
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途中、2010年に開通したという新旅足橋の姿が見えました。ここの橋の上から飛び降りるというバンジージャンプの施設があるので、母親と「誰か飛び降りる瞬間見えないかなー?」などと暫し見物していましたが、誰も見れず。
でも、バンジーを飛びに来た若者グループの姿は平日にも関わらず何組か見かけたので、結構飛びに来るひとは多いんでしょうか…?
私も連れがいるのなら一度やってみたいけど、一人で飛びにくるほどスリルに飢えてもおらず……で、実際やったことはありません。飛び降りる瞬間はやっぱり足が竦むもんなんでしょうかね?橋の高さ100メートル、眼下の旅足川からの高さは200メートルを越えるんだそうです。ヒィ。
そしてどうやらこの橋、紐を着けずに飛び降りる人の名所でもあったらしく(お察しください)、現在はかなり高い柵が設置されている模様。バンジー以外では絶対に飛び降りをさせないという八百津町の強い意志……?
まあ実際飛び降りようとしても、今の柵の高さだとかなりアクロバティックなことをしないと柵は越えられないと思うので、何の準備もなくふらりとやってきても柵越えは不可能。計画と筋力が要りそうなので、柵を越える前にまずは体力づくりからでしょうか。
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oisiihito · 1 month
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いい加減に 東京へ出てくるとうんざりするのをやめたい 新宿や渋谷ならまだしも 上野などでうんざりしているようでは 情けがないから やめたいのだけど やっぱりどうしてもああやって人が大きな塊になるような状況をみると 誰でもいいじゃないかという気になってくるので苦手だ そこにいるのは誰でもいい かけがけのないことのないただの記号という形をとった肉の塊にしか思えない だからそのような有象無象に気を配る気にもならない 中高生のような 人を殺す目で あれくらいの時期はみんな特に意味もなくあるいは大きな意志の元で人を殺したいと思っているものでは? うつむきながら 足早に肉塊を通り過ぎるしかない フードエッセイストである平野紗季子さんの (NO)RAISIN SANDWICH が クッキー・モンスター (青色のけむくじゃら) とコラボするということで 銀座のソニーパークへ 遊びに行く 銀座はよくわからない 近いようで遠い街だと思う 京橋や日本橋なんかは完全に他人事なんだけど 銀座に関してはどうしても割り切れない部分が個人的にあったりするわけで 上野から銀座線に乗り ライクアタイトル回収 銀座駅で降りる まずまずの人 ソニーパークは駐車場の傍らにある 以下HP引用 "銀座四丁目交差点改札より、そのまま地下コンコースを歩いてお越しください。B7とC3出口の間にある「西銀座駐車場」の入口を入ってすぐ左がSony Park Miniです" なんとも簡潔でいて分かりのいい文ではないの 無駄のないうえにそこまで事務的でもないのが良い 変な場所にある施設が 結構好きです 新橋の ニュー新橋ビル な 熱海の 第一ビル商店街 な 感じの施設 施設群? この日のために PACS の Round Corner Pocket shirts を卸した 真剣な青色で 名前の通り ザッツリテラリー ポケットがまあるくなっている 生地もスーピマコットンなので 肌触りも良い かつ光沢もあり品の良いシャツに仕上がっている かわいいねお気に入りです 大きめに着る 靴下もファミリーマートのアクアブルーだったので 話しかけられた店員さんに 「格好もクッキー・モンスターを意識されてるんですね!」 などと言われ 恥ずかしそうに頭をかきながらうんとかすんとか ヘラヘラするしかなかったよ 23にもなるのに 恥ずかしそうにヘラヘラするしかない場面がいまだにある ステッカーや缶バッジ なんとなく目当てにしていたクッキー・モンスターのTシャツはソールドだった まあそうだねと思いながら"PREMIUM COOKIE SANDWICH for COOKIE MONSTERS"を抱えて後にした この時点で汗が止まらなくて病気かと思う 汗をかきはじめると 周りの視線が過度に拡張されていく感覚になる 批評よりも批判よりの視線にさらされているような感覚 さすがに耐え難いので 鳥越の方に逃げた 昔に といっても2年前までは鳥越に居をかまえていたので 今でもマイメンな東京のスポットなのだ そんな場所は本当に貴重だ 鳥越神社という大きな公園のわきにあるアパートの一階部分には Torigoe T という小さなフランス料理のお店があったのだが それも1年前に閉店して今はアメリカ雑貨のお店になっているのを目撃した 6月は鳥越神社の例大祭があり 裸の男たちが蔵前橋通りを神輿担ぎ闊歩する 言語というよりむしろ発声に近い掛け声に混ざるぶつかり合う肌と肌の音は 何かしら象徴的に聞こえるものです 例大祭のチラシがあちこちに貼られているのに沿って鳥越の街を歩く もうこの街は 自室から浅草にあるアルバイト先まで 日陰から一歩も出ることなく歩いて行けるまでに 知っている 知っているのにすでに住んでいないというのはどうして不思議だ 1時間くらい歩き続けて観念したように浅草橋から総武線で新宿まで出張る 小田急線の急行で下北沢に着く頃にはもうだいぶ風が出て涼しくなったような気がして またシャツを羽織った だいぶ変わってしまったねこの街も 高校教師 (1993) には当時の京王井の頭線沿いも出てくるのだが 1993年時点での下北沢駅周辺はとても文化的ではなかったように見える ホームも薄暗くなんとなく湿り気のあるそんなイメージだった むろんあくまでイメージ 妄想ではある産まれてないしそもそも しかしな 今やサブカルチャーにとどまらず演劇や映画のベースメントとして 機能しているので 大したもんだと思う 人間が本気になれば 何もない場所に都市を計画し造ることなんぞは きっと造作もないのだろう 東京も元々大きな湿地帯であったことを考えると 人間のその豪胆さと労力の惜しげのなさには驚かされるばかりである 茶沢通りを北沢タウンホールに抜ける路地の左手に アンダーニース という楽器屋があり ビルの3Fで品揃えもいいしなによりオーナーの人当たりの良さ! この楽器屋でその感じなのありがたい 友人にお土産として Danelectro Black Coffee を買った DODのFX25B Envelope Filter とも悩んだが ゲインがフルテンで固定というオーナーの説明にクラッときたので そっちにした 朝からまともなものを食べていないことに気づいて 渋谷駅から渋谷川に沿って並木橋の方へ降りると恵比寿の手前にフレッシュネスバーガーがあるため そこでフレッシュネスバーガーとジンジャエールを食べる ジンジャエールがとにかく濃く作られており 自家製なのもあって 飲みごたえがすごいことになってんの 正直ハンバーガーには合わせない方がいい 完全に負けているので 狭い店内の後ろの席には 学芸会終わりの親子が感想戦などをしていた ジメっている恵比寿 リキッドルームに家主がやってくるということで 友人を誘った 昨年の12月に出したアルバムのツアー 恵比寿リキッドルーム ワンマン フルセット 整理番号はなぜか800以降のカスだが 久しぶりのライブも 友人に会えるのも嬉しい チケット代の代わりに 何かモノをくださいという暴力に 友人は旅館の灰皿とぶっとい葉巻で応えた 吸わなかったら灰皿で人を殺してもいいらしい とにかく喫煙が足りないと言われた 喫煙が足りない 喫煙が足りない? アウトレイジ 最近バイトや大学の合間を縫って アルバムのレコーディングなどしているらしく 小職よりも忙しそうにしているので頭が上がらない ライブはもちろん完璧だった 正直言ってここまでのめりこめるライブも少ない 撮影が可能らしく ちらほら撮影している観客もいたが 昔気質だからだろうか どうしてもライブという場において撮影という行為がイマイチしっくりこない いまそこにある景色を損なう可能性を 考えてしまって スマホへ手が伸びなかった 撮影などしなくてもライブはサイコーであるのであれば 無理して撮影する必要はない そうだよね ウン 途中マジで酸欠になって フロアが最高潮だからね クラクラしながら ぜんまいじかけ のリフが宙に浮いて見えたりしたが 無事 終演 熱冷めないまままた歩いて渋谷駅まで戻ることになり 家主の話よりむしろバックナンバーやクリープハイプの話になりなぜ? 家主の話をしないということによってむしろ家主の存在が際立っているような 哲学や文学の文脈でよく使われる論文の手法のような雰囲気で 道玄坂のロイヤルホストに滑り込んでひといきをつく 柴田聡子の新譜は ある種 脱構築的に音楽よりも言語 あるいは歌詞や詩の動きにフォーカスしたアルバムだと論じる 前作 ぼちぼち銀河 においてもその様子はたしかにうかがえたが 今回で完全に音と歌詞 (詩) は同時に存在するように作られはじめた それぞれで見てもイマイチパッとこない 納得できない そのふたつは 同時に鳴ることで私たちの前になにかしらの意味を持って突如立ち現れることになる そこが柴田聡子の独自性ではないかという話で盛り上がって 過ぎる時間 こんな話がしたかったと思っていることに気づいたのは分かれてから銀座線で上野御徒町へ戻る最中だった 山形行きの高速バスで 友人がSound Cloudにあげていると教えてくれた レコーディング中のアルバム そのリード曲になるというデモをこっそり聴く 疲れた身体でも 十分に良いと思える曲だった コンスタントな振動に揺れ カーテンをこっそり開けて 高速道路のナトリウムランプが玉になって流れていくのを眺め 耳を澄ませて友人の曲を何度も 繰り返し聴く はじめて聴くのが夜行バスの中で良かったと思った 眼をつむるまでにそんなに時間がかかることもないだろうなと 考える間もなく 眠った 朝の4時に福島にほおりだされて 始発で郡山へ戻り 8時には職場にいるのだから 頭がおかしいとしか思えない 一緒に住んでいる人には 花屋の娘 が入ったフジファブリックのCDをお土産に買った ディスクユニオンの袋に包まれたのを 満足そうに机の上から机の上へ置き直して ニコニコしている 郡山は肌寒く しまったはずの毛布を取り出した
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room-n-blog · 3 months
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音聞山
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※画像引用元 中日新聞公式Web Site <あいちの民話を訪ねて> (103)きよの坂(名古屋市天白区) https://www.chunichi.co.jp/article/677305?rct=aichi
ルーム南からほど近い八事地区。地下鉄鶴舞線と名城線の八事駅があり、中京大学、八事山興正寺などがある界隈ですが、ここに、「きよの坂」と呼ばれる古来の坂があります。
この、きよの坂を下っていくと、音聞山(おとききやま)というエリアにたどり着くのですが、これは、その昔その名のとおり、音聞山という山があった場所です。現在は住宅地になっていて想像しにくいのですが、下の画像が示唆するとおり、江戸時代の音聞山は大変見晴らしのよい山だったようです。
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※画像引用元 中日新聞公式Web Site <あいちの民話を訪ねて> (103)きよの坂(名古屋市天白区) https://www.chunichi.co.jp/article/677305?rct=aichi
この音聞山に関して、室町時代中期の禅僧、正徹(しょうてつ)が編纂したとされる和歌集「草根集(そうこんしゅう)」に、次のような歌があります。
音に聞く 音聞山の峰高み ひびく鳴海の沖つ白浪
また、それより更に遡り平安時代前期、当時の歌人であり官人であった凡河内 躬恒(おおしこうち の みつね)の歌枕とされる、次のような歌もあります。
いつくなる 山にかあらむ 雁かねの おときき高く聞こゆるかな
前者の歌は、海(後述する「鳴海潟」)から届く潮騒の音が響く山が詠われています。一方で後者の歌は、雁(かり/がん)という水鳥の鳴き声が高らかに響く山が詠われています。そして、どちらも広く水辺を臨む情景が浮かんでくる歌となっていることがわかると思います。
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現代では、天白区は海とは接していないのですが、平安時代には、現在の天白区島田の辺りまで海が達していたとされています。ルーム南の近くの天白警察署前に、名古屋市営バスのバス停「西浦」がありますが、そもそもこの西浦という名称は、年魚市潟(あゆちがた)という干潟の入り江につけられた名称なのだそうです。
西浦 年魚市潟(あゆちがた)の入り江につけられた名称で、八事村の西にあたる。大字植田にも西浦がある。 ※引用元 名古屋市公式 Web Site 過去から学ぶ防災マップ(天白区) 旧地名付き 天白区標高データマップ https://www.city.nagoya.jp/bosaikikikanri/cmsfiles/contents/0000093/93310/65-72_16tenpaku.pdf
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年魚市潟(あゆちがた)とは、現在の鳴海から熱田の領域に広がっていたとされる海や干潟の名称です。南区の白毫寺(びゃくごうじ)境内には、「年魚市潟勝景」という石碑が建てられており、古くからの景勝地だったことがうかがえます。年魚市潟は、縄文海進という約7000年前の温暖化に伴う海面上昇により形成されたとされます。この干潟には、越冬のためであろう鶴も数多く訪れていたと推測されており、この情景は万葉集に歌として収録されると共に、現代においては「鶴里」という地名の由来にもなっているとされます
万葉集に「年魚市潟 潮干にけらし 知多の浦に 朝漕ぐ舟も 沖に寄る見ゆ」とある(7巻-1163の歌)。他にも、高市連黒人(たけちのむらじくろひと)の「桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る」という歌があり、現在の南区桜本町あたりの年魚市潟で詠んだとされる。近辺には『鶴里駅』という名古屋市営地下鉄桜通線の駅名にも残る。 ※引用元 年魚市潟 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E9%AD%9A%E5%B8%82%E6%BD%9F
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※引用元 更級日記紀行 平安時代東海道、走って渡る鳴海潟(尾張国) https://sarasina.jp/products/detail/109
上の画像は、平安時代の東海道と推測されるルートを示した図になるのですが、図の上側に、音聞山という表記があります。島田橋の近くには、現代にも残る神社「島田神社」がありますが、神社の建立時期は、現在残されている資料や記録からは、室町時代前期とされており、平安時代に存在していたのかは不明です。しかし、平安時代の島田に存在していたであろう集落を守る拠り所として、神社の前身となる何かがあった可能性も・・・と想像してしまいます。
なお、上の画像で示されている干潟は「鳴海潟」と表記されていますが、これは、潮騒が聞こえる(海が”鳴る”)が転じたものと推測されています。また、そもそも年魚市潟が広範囲に渡るため、鳴海潟など地域ごとに呼び名があるともされています。
それはともかく、こうしてみると、現代の天白区島田の辺りまで海だったと考えられていることがわかります。もし音聞山の頂上に立ったならば、南の方向へ向かって広がる広大な年魚市潟を見渡すことが出来たと推測されます。当時の東海道を行く旅行者は、熱田神宮との行き来を最短で繋ごうとするなら、年魚市潟を歩いて渡るのが最速ルートになります。しかしそれが可能なのは干潮時で、満潮時には年魚市潟沿いを歩き、島田橋と音聞山を経由して迂回するしかなかったことでしょう。
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※画像引用元 一般社団法人 日本電気協会 中部支部 プロジェクト紀行 なごやの鎌倉古道をさがす 【8】鳴海潟を渡る(上)・・・広い河原を行く https://www.chubudenkikyokai.com/archive/syswp/wp-content/uploads/2015/09/ca75d3549ec97cf7c68fcc48e7d4e9d0.pdf
一方で、年魚市潟に関わる東海道のルートに関して、平安時代から時が下った鎌倉の中頃から南北朝の時代においては、干潟を渡る複数のルートの存在を示唆する歌が詠まれています。
天白川は、精進川より後の時代まで海が入り込んでいたようです。そこは鳴海浦とか鳴海潟という名前で呼ばれ、古くは街道の難所とされたところでした。 ここは多くの紀行文に登場します。有名なのは、中世より前、菅原孝標の娘が書いた『更級日記』です。その旅日記の中では、 「尾張の国、鳴海の浦を過ぐるに、夕汐ただ満ちに満ちて、今宵宿らむも、中間に汐満ち来なば、ここをも過ぎじと、あるかぎり走りまどひ過ぎぬ」 と、苦労して渡ったことが記されています。鳴海は中世には有名な歌枕になっており、残されただけでも百数十首にのぼると言われます。その中で、街道の情景を歌っているものとして、次のような歌があります。 「なるみ潟 潮干に浦やなりぬらん上野の道を行く人もなし」 藤原景綱 「なるみ潟 汐満ち時になりぬれば野並の里に人伝うなり」 藤原景綱 「なるみ潟 汐の満ち干のたびごとに道ふみかうる浦の旅人」 宗良親王 これらが詠われた時代は鎌倉の中頃から南北朝の時代になりますが、潮の状況によって道を選びつつ渡っていたことが分かります。この鳴海潟を渡る道は、上・中・下の3つのルートに分けて考えることができそうです(図1)。 ※引用元 一般社団法人 日本電気協会 中部支部 プロジェクト紀行 なごやの鎌倉古道をさがす 【8】鳴海潟を渡る(上)・・・広い河原を行く https://www.chubudenkikyokai.com/archive/syswp/wp-content/uploads/2015/09/ca75d3549ec97cf7c68fcc48e7d4e9d0.pdf
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上の画像は、現代の音聞山付近から南南西寄りの方面を臨むグーグルマップの画像です。画像の真ん中の下あたりが音聞山になります。ちなみにルーム南は、画像の左側に位置しています。平安時代にこのアングルから眺めたとするならば、広大な年魚市潟(鳴海潟)を見渡すことができたはずで、歌に詠まれるのも頷ける風光明媚な眺めだったのかもしれません。普段住んでいて身近なエリアですが、掘り下げてみると興味深い歴史がある、と改めて感じた次第でした。
(野村)
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gonotoki · 7 months
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155年前
 明治元年は、西暦1868年10月23日になります。今からちょうど155年前のことです。この年は、薩摩・長州・土佐を中心とした新政府軍と旧幕府・奥羽越列藩同盟等が戦った戊辰戦争(西暦1868年1月27日~1869年6月27日)の最中にありました。この内戦は、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに、会津若松城(鶴ヶ城)の攻防戦などを経て、箱館戦争で終結しました。
 福島県石川町は、戊辰戦争の激戦地であった福島県南部の白河に近い地にあります。今から5年前は、戊辰戦争から150年の節目の年でした。福島県内でも様々な関連行事があり、石川町でも2017年に歴史民俗資料館の倉庫から、『慶應四戊申日記』というこの貴重な資料が見つかったということです。
 一昨日の10月21日、福島県歴史資料館友の会講座が福島県文化センターでありました。石川町立歴史民俗資料館の佐原崇彦氏(元教師)が、『慶應四戊申日記』~”わが家に薩摩兵が来た!”遭遇した庄屋の体験記~ と題して講演されました。友の会員でなくても参加自由ということで聴講してきました。この講演は、3年前に開催されることになってましたが、新型コロナの影響で延び延びになっていたものです。
 この『慶應四戊申日記』を書きとめていたのは、松浦孝右衛門(1818年~1890年)。文政元年に釜子村(旧東村、現白河市)に生まれ、天保10年頃に山白石村(現浅川村)の庄屋である松浦家に婿入りした人物です。なお、慶應4年は、明治になる前の西暦1868年にあたります。
 松浦孝右衛門は、毎日、行書体の筆字で日常の様子を和紙に綴っていました。筆まめな方です。慶應4年6月26日(旧暦)、「松浦家に薩摩藩有川金之進、古川玄輔という武士が二人、その家来三人、その他駆り出されたであろう近隣村からの人足が四、五人やってきました。・・・」
 佐原崇彦氏は、同僚の方とともに、癖のある行書体で書かれたこの『慶應四戊申日記』を苦労して現代語意訳され、『慶應四戊申日記』~”わが家に薩摩兵が来た!”遭遇した庄屋の体験記~ として出版されています。ご興味のある方は、石川町立歴史民俗資料館にお問い合わせください。
 この講演を聴いて、私の高祖父と同年代の人物が、日常や非日常の出来事をこのような日記として残していることに驚きを禁じえませんでした。155年の時間などないように、今、目の前にいる人のように感じることができます。佐原氏が準備してくれた貴重な配布資料をこれからじっくり拝読させていただきます。この講演会を企画された福島県歴史資料館友の会のみなさまに感謝申し上げます。
 
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tutai-k · 1 year
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ただそこを歩いていたいだけ、ただそこに立ち止まっていたいだけ
新しい仕事が始まって、二度目の週末が来た。日・月が休み。土曜日に出勤するというのが、じつは結構久しぶりの(十年ぶりくらい?)ことで、少し新鮮。一緒に出かけたい友人も数える程度しかいないので、休みがあわなくて……という悩みはそんなに頻繁に起こらないだろう。 いまのところ、驚いているのは、あんなに起きられなかった朝がスムーズに起きられて、支度を調えてもまだぼんやりする時間があると言うことだった。前の労働、前の前の労働ではそんなことがまったくできなかったので、一ヶ月間、療養したことは意味があったんだなと思った。 通勤は電車になった。ラッシュを過ぎた時間に乗るので、座席を確保できるから本が読める。 今週は『夜明けまえ、山の影で エベレストに挑んだシスターフッドの物語』(シルヴィア・ヴァスケス=ラヴァド著 多賀谷正子訳 双葉社)を読んだ。 サバイバーの女性たちとともにエベレストの麓へ向かうこと、父の暴力・家事を手伝いに来ていた男性からの性暴力、そこから逃げ出してアメリカへゆきレズビアンとしての自分を母に受け入れられずに苦しんだ遍歴……。 女性たちとのシスターフッドを構築するトレッキングから、エベレストのサミット・プッシュへ向かうチームに切り替わると、そこはもう男性しかいない世界になる。 男性のために規格された登山用品をなんとか使い、男性のために整備された登山道をゆく……頂上付近では、人体は心肺機能を維持するために身体のほとんどの機能を停止させるのに、それでも子宮だけは動きつづけるままならなさに歯がみする。 男たちが「征服」を試みる路を、筆者は傷つけられた尊厳を修復する路として歩んでいく。傷つき、苦悩した日々と、刻々と高度を上げて行く登山記録が交互に収録された構成は、人間は「前に進み続けるだけ」「乗り越えつづけるだけ」という行いはできず、つねに現在と過去を行きつ戻りつし、大きな傷の寛解を探る、「立ち戻る」作業が必要だというメッセージのように読めた。
電車内での読書は、とても順調にはかどっている。気づいたら降りる駅を乗り過ごしそうになってしまったり。次は「女の子と公的機関」「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」を取り寄せているので、これを読もうかな、と思っている。読みかけのカズオ・イシグロにも手を伸ばさなければ……。
今日は友人が遠方から来てくれた。地元の浜を歩いてみたい、というリクエストだったので、十代の頃、友人たちとなにかにつけて歩き回ったプライベートビーチや、灯台の麓の浜辺、わたしがいつも鳥を撮りにいく砂浜を案内した。 貝や鳥を見つけたり、おしゃべりをずっとしていた。欧州ではひとびとは「ビーチをただ波打ち際と平行に横に歩く(おしゃべりしながら)」と言う話を聞いたあと、わたしたちも砂浜をゆっくりゆっくり横に歩いた。 「ときどきフグやウミガメが落ちてるよ」と話をしていたら、ウミガメが打ち上げられていた。浜辺で死ぬ大きな生き物というのは、食物連鎖がすぐ処理をする。甲羅の中は空洞だった。
Tumblr media
友人を駅に送り届けて、家に帰るまでの間、「そういえば、何の目的もなく浜を歩くのって、久しぶりじゃないか」と思った。 わたしにとって浜へ行くのは、貝を拾いに行くとか、鳥の写真を撮りに行くとか、目的がある。今日だって貝を拾ったりもしたけれど、その貝をどうにかしよう(わたしは無職だったとき浜で拾った貝をインターネットでキロいくらで売りさばいてなんとか生きていた)と必死だったし、いまだって、シギやチドリ、時にクロサギはいないかと探し回っている……ということはなくてただ波の音を聞き、砂浜に靴底が沈んでゆき、そこでとりとめのないおしゃべりを交わしながらあるいている。そんな時間は、実はもう、何十年と持っていなかった。 ただ歩いているだけの時間がこんなにも、こんなにも豊かだということを、取り戻したような気がした。
前に進むこと、何か目的を持って「そこへゆき」、何かを獲得したり、劇的な(自己への)変化があったり……そんなことはなにひとつなくていい、ただ歩いているだけ、どこにもたどり着かなくても、ただ歩いて、……そして、ただ立ち止まって、見慣れた景色を眺めながら、どこへも行けなくても、なにかを成し遂げられなくても、得られなくても、人間はまず「ここにいる」、ここにいて、語る言葉を持ち、物語を持ち、存在しているのだと思った。
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thyele · 1 year
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2023年4月20日
小美玉たかしさん「タケノコ掘りの魔術師小美玉たかし動画⑮ #タケノコ掘り #ヴィジュアル系演歌歌手 #小美玉たかし https://t.co/0BqCAO1nfH」https://twitter.com/TAKASHI_OMITAMA/status/1648700947504467969
魚住 英里奈(独唱)さん「5/25 名古屋の皆さん張り切って予定を開けておいてはいただけやせんでしょうか… https://t.co/ypK1HgsN7i」https://twitter.com/erina_chas/status/1648702756549697536
小美玉たかしさん「タケノコ掘りの魔術師小美玉たかし動画⑯完 #タケノコ掘り #ヴィジュアル系演歌歌手 #小美玉たかし https://t.co/fOYneEP39K」https://twitter.com/TAKASHI_OMITAMA/status/1648705002826010625
KINGRYOさん「水曜日の歌キャス ご視聴ありがとうございました😊✨ とっても幸せでした♪ この何年間か歌い続けてきて今、何の為に歌っているのかちゃんと意味があります!! 俺の歌はみんなと共に。 https://t.co/A3LonRwrA6」https://twitter.com/kingryoworld/status/1648710872771215362
Köziさん「今夜もとつても酔い夜! お越し下さった皆様、 有難う御座いました サイコォなラブを😻🙏🏻😻 https://t.co/LdSVPaLSPf」https://twitter.com/Kzi_official/status/1648711354357018625
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「とうとう明後日ワンマンやで グリム20周年の歴史の振り返りも本日、魔界を出るまで 2009年から使ってたオリジナルSEの映像どうぞ お気に入りの「Trick orTreat」��らの映像です (°_°) https://t.co/joRtvvU9U1」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1648752838435274752
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「とうとう明後日ワンマンやで グリム20周年の歴史の振り返りも本日、魔界を出るまで 2010年1月10日のワンマンで配布した「幻鏡」のMV バタバタ作った割には今観るとうまいこと出来ておる MV撮影ってドラマーのモニターとか苦労すると思うんやけど(生音でかい人は特に)今はワイヤレスイヤホン(文字数 https://t.co/kFhNrCtEfj」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1648767939926167552
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「とうとう明後日ワンマンやで グリム20周年の歴史の振り返りも本日、魔界を出るまで 2011年には宣教師S在籍時の最後の作品「seven」 グリム最高傑作 次の作品はこれを超えるぞー!! こちらも通販してるよ https://t.co/kwt2QybPpR (°_°) https://t.co/Vxa0Jl1DEL」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1648804650047660033
Ryuichi Kawamura officialさん「rehearsal today✨ https://t.co/xTp9ld95Aa」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1648825023929647104
詩那(NOi'X-ノア-)さん「【NOi'X-ノア-次回公演†】 ★5月17日(水)池袋手刀ドーム 『ハルカマニア2023』 開場17:31/開演18:00 前売¥3,500/¥4,500(D代込) <出演>(BIG6) ●NOi'X ●川越 髏血吐死舞 ●死んだパンダ噛んだズ ●MAZOHYSTERIA ●Ghost ●スーパーハイテンションセッション ■チケット† https://t.co/XzEQOeZl3v https://t.co/72zPxPkLNl」https://twitter.com/shina1147/status/1645956482989699072
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「とうとう明後日ワンマンやで グリム20周年の歴史の振り返りも本日、魔界を出るまで 「seven」から魔力もさらに増して大幅に変身 なんか「教団」っぽくなってきたね (°_°) https://t.co/CT9oDrIQeu」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1648846649421332480
千歳@アマミツゝキ/ヘルブロス/マクラカ壊死さん「本日生まれました。 皆さんと一緒に最高の1日を作り上げて行きたいと思います。 チトフェシュ参加される方も参加出来ない方も一つの思い出になるような1日にしていきたいと思います。 これからも毎日全力投球! 1日よろしくお願いします。 https://t.co/XZVoZwSl20」https://twitter.com/chitose_chitoru/status/1648703025220026368
向日 葵さん「【168トーク番組配信決定!】 僕のファンクラブ"向日 葵は尊き私の推し" 発足日に168のトーク番組の配信が決定しました!! 04月26日(水)19:00〜20:00 「Faniconに軍団襲来!4」 Fanicon会員メンバーのみご視聴可能です。 https://t.co/HtWZmjmAkt Fanicon限定の赤裸々トーク! 是非ご参加ください! https://t.co/XBth0s6w9m」https://twitter.com/aoi_official/status/1648646093696299009
☕️ふなもと健祐🥁さん「僕が居るバンド『鳥を見た』の次回ライブはコチラです。 今年は精力的にライブやるし、自主企画も開催予定。 ぜひ観に来てください! 5/16 出演​: ◎鳥を見た (なかおちさと(G/Vo.) / 山崎怠雅(B.) / ふなもと健祐(Dr.)) ◎アベシー ◎即興詩人 / 他 開場18:30 / 開演19:00 前売 / 当日¥2,400 https://t.co/jxiEcSru0U」https://twitter.com/funamoch1/status/1648865163225997312
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「魔界から出る前に洗車しとる (洗車機が) (°_°)」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1648878148669558784
キリ(luin)🥁さん「初夏のluin予定です◎🍈」https://twitter.com/kiri_drums/status/1648885638102671360
aieさん「遂に今夜・・・。 俺達の偏った音楽嗜好を大きな声で発表する真剣40代しゃべり場・・・。 「回想シリーズ vol.21」 新宿ROCK CAFE LOFT 19時開幕・・・。 https://t.co/3cxUKFZwVb 最新メルカリ購入報告有り・・・。 https://t.co/xFOxXP3RqL」https://twitter.com/THEGOD_aie/status/1648885943166980096
大嵩 潤さん「rowtheの時にジュリィーと対バンをしたのが出会ったきっかけ。 長くバンドをやっていれば出会いも別れもあるけど、昨日みたいな「再会」もある。 初めて一緒に演奏も出来て楽しい夜だった。 ゴッドホタルまたいつか。 https://t.co/BQQcqLpTMT」https://twitter.com/otakajun/status/1648886168862486528
邪悪四弦LINAさん「NEiN 2023.4/23 吉祥寺CRESCENDO NEiNやるよー! 前日にLINA川淳2がグリムのワンマンに乱入しますのでそちら共々宜しくどーぞ! あ、淳2は東京やなく大阪ね(°_°) https://t.co/vnKgkXGyrE」https://twitter.com/L_ch_vazm/status/1648889614852317184
leaya(бвб)さん「ひと仕事終わってコイツをキメる そして夜は木曜日なのでゴールデン街カンガルー🦘 20時オープン(°_°) https://t.co/cMHPAJN700」https://twitter.com/leaya_bass/status/1648889651749593090
【Phobia】 KISUIさん「Phobia/abyssの集い https://t.co/VjwXLoj61P」https://twitter.com/KISUIxxx/status/1648889891097554944
邪悪四弦LINAさん「めちゃくちゃ久しぶりにTwitter開きました。風邪引いて治ってぶり返しての繰り返しを絶賛開催中です(°_°) とりあえずね、今日でTwitter使うて丁度9年ですゆう通知が来たので久しぶりに開いたんですよね。飽き性の俺様らしくないなぁと。 もうちょい頑張りますね(°_°)」https://twitter.com/L_ch_vazm/status/1648891162709876738
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「は?(°_°) https://t.co/gobGHEtbwW」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1648892679412158464
KING OFFICIALさん「【本日チケ発】 ■22:00〜 2023.5.20(土) 大塚Welcome back KING RYO ONEMAN LIVE 〝キミに会いにいく〟 OPEN18:00 START18:30 受付 https://t.co/fVrWiN5YHk ※ミリ秒判定 https://t.co/xYQvy7FzoI」https://twitter.com/KINGOFFICIAL114/status/1648893480473870336
KING OFFICIALさん「【締切1】 2023.5.15 入場チケットをご予約完了の皆様へ アーティスト毎予約をいたします KING予約に変更の方は、4月20日21:00までに[email protected]に予約時のお名前とメアドをお知らせください 上記期間にご連絡くださった皆様はキャンセル対応をいたします KING予約は後日告知します https://t.co/sZqZh7qcxx」https://twitter.com/KINGOFFICIAL114/status/1648893534106451968
KING OFFICIALさん「【締切2】 不織布入りDVD(受注+販売)受付中 受注受付期間→即時~4月20日(木)21:00 ※入金は最大5月20日までお待ちします。 【対象商品】 ■1/25 KING🎁 ■2/5 KINGワンマン🎁 ■2/19 SOLO ■3/19 KING ■3/24 KING 🎁おまけあり ご注文 https://t.co/aF9xt8ADUo https://t.co/xfVDBhOJxl」https://twitter.com/KINGOFFICIAL114/status/1648893598145073152
KING OFFICIALさん「【SPECIAL GUEST】 2023.5.4(木) 柏Thumb Up hide tribute 2023 【SPECIAL GUEST】 SEXX GEORGE &KOJIRO ■入場 ①TIGET販売中 https://t.co/RJVV3OOe5F ②出演者予約 KING RYO https://t.co/fVrWiN5YHk 入場順:①→②→③当日券 ■配信 https://t.co/0FxngPO6iI… ※お目当て必要 https://t.co/XRE3HmtMZL」https://twitter.com/KINGOFFICIAL114/status/1648893673978093568
KING OFFICIALさん「【NEW LIVE】 2023.6.3(土)柏ThumbUp 「歌詞輪の音會」 開場16:30/開演17:00 出演 Hyaku/KING RYO/イケダツカサ/高木フトシ/頼田陵介(UNCLOCK LOVER) ■入場 A TIGET販売中 https://t.co/a9KjzDatiQ Bアーティスト予約 KING予約:https://t.co/fVrWiN5YHk ■配信 https://t.co/z9EvGkIAWX https://t.co/MTJCRjO0qO」https://twitter.com/KINGOFFICIAL114/status/1648893731570085889
Ivy darknessさん「今日なんのイベントが忘れたけど高田馬場でマクラカアマミワンダーの3本です 衝動的に来たって良いんだぜ」https://twitter.com/IVY_DOPE_SHOW/status/1648893783311007744
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「は?(°_°) https://t.co/1oZYWaWNYk」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1648894553183907843
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「これワンマンじゃなかったら確実にライブ前に撮影会行ってたな… 覇叉羅のライブの前に握手会行ったなー(遠い目) (°_°)」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1648899559790379009
首振りDollsさん「📣遂に明日より…! 『Rock'n'Doll Syndrome Tour』 🔜東京2DAYS!!! ⚫︎渋谷編 4/21(金) 渋谷近未来会館 https://t.co/9qgNrvRsae ⚫︎新宿編 4/22(土) 新宿MARZ https://t.co/qh0lsU2Jic 🚨渋谷編前売り本日迄、新宿は明日迄🚨 https://t.co/EnzkI7xcmY」https://twitter.com/KubihuriDolls/status/1648899797901008896
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「知らん曲ばっかりや… 俺、脱退してた時あったっけ? (°_°) https://t.co/h947w6lcfv」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1648907820010733568
首振りDollsさん「😈お知らせ😈 明日より #渋谷愛ビジョン にて 『サボテン』のMV(Full)が放映されることになりました! 4/21(金)~27(木)まで 毎日18時15分に放送されます! お近くの方は是非ご覧ください! ビジョンのライブ配信もあります👇 https://t.co/miFrFQsGOb」https://twitter.com/KubihuriDolls/status/1648912381379248129
横山企画室さん「ブロビリハ3 https://t.co/91BjEP9cNh #TheBrowBeat #ブロビ」https://twitter.com/yokodile01/status/1648913684469809152
Drum 篤人さん「【��日は】 https://t.co/akM0SyJMuO」https://twitter.com/atsuto0107/status/1648931768152764418
nao 首振りDollsさん「放映時間に生配信のコメント欄が盛り上がったり、反響が大きかったりしたら放映期間延長もあり得るとか。 ジャックしちゃいたい気持ち!」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1648935139421069313
nao 首振りDollsさん「明日からじゃ」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1648935275081654272
忍者ハチ@渋谷愛8さん「2023年4月20日/12時00~20分 #渋谷愛メッセージTIME 忍法ピックアップの術だわん🍀 首振りDOLLS 見逃し厳禁! 最強ロックバンド 渋谷近未来会館☆ DOLLS集合♡ #首振りdolls #渋谷愛ビジョン #渋谷愛メッセージ @KubihuriDolls https://t.co/dhIRttRfGb」https://twitter.com/NinjaHachi_/status/1648893936168210432
あっこちゃん 🥁さん「𓈒𓂂⋆͛📢⋆遂に明日!! 首振りDollsワンマンライブ🔥🔥 『Rock'n'Doll Syndrome Tour』 https://t.co/jnGbNlI0HD #首振りDolls #渋谷近未来会館 #新宿MARZ #東京2Days」https://twitter.com/nao_DOLLSkubi/status/1648901770679312384
タカツキさん「2Daysマンキンでかかって来やがれくださいトーキョー🖐️」https://twitter.com/attsu_of_death/status/1648905778148040705
nao 首振りDollsさん「これはどっちが襲われてる?笑」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1648936018693996545
咲さん「「LIVE to LIVE」開催まであと28日‼︎ 昨日はKiNGONSのBeeBeeさん、THE BOHEMIANSの平田ぱんださん、首振りDollsのnaoさんにお越しいただきお話しを伺いました✨ 素敵なお話からあっと驚くエピソードまで🫣掲載をお楽しみに! 5/18は是非遊びに来てね🙋‍♀️ #KiNGONS #THEBOHEMIANS #首振りDolls」https://twitter.com/saki2023_05_18/status/1648935945671147521
UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「お裾分け✌️ 4/18赤坂naveyfloor 配信アーカイブチケット2500円(赤坂navey floorのツイキャスチャンネルで配信します) 配信チケットURL:https://t.co/S3VjB6eLBz https://t.co/EToJYDb5qU」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1648940346800488448
nao 首振りDollsさん「んあ〜、今更やけどチープトリック観たかったなぁ。」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1648944975659536386
ryoさん「レコーディングで気合い入れ過ぎて喉を痛めたのか、急な寒暖差にやられたのか風邪っぽくて咳が止まらないから せっせと咳止め飲んでたつもりが 鼻炎カプセルだったぜ💊 https://t.co/VqrkSrbbIg」https://twitter.com/ryo_dalli/status/1648945605404917761
ベースオントップ 中野サンプラザ店さん「6/22(水) 櫻澤泰徳 × 風弥〜Kazami〜 Special Drum Workshop🔥 @ベースオントップ中野サンプラザ 現地&配信のチケット発売中💫 ■現地チケットはこちら(TIGET) https://t.co/pGGRmmdu11 現地チケット残り7枚🙇 ■配信チケットはこちら(ツイキャス) https://t.co/EDBelbTl0p… https://t.co/tavt0SgeMT」https://twitter.com/BASSONTOPnakano/status/1648870329413165057
ベースオントップ 中野サンプラザ店さん「6/22(水) 櫻澤泰徳 × 風弥〜Kazami〜 Special Drums Workshop🔥 @ベースオントップ中野サンプラザ店 開催を記念しオリジナルグッズの販売を作りました🎊 ・Tシャツ(XLサイズのみ) ・クリアファイル(A4、ルーディメンツ譜面、ステッカー付) 受注生産の為5/28 24時〆切⚠️ https://t.co/2z5cxfHJXN https://t.co/PZKTV6t6lj」https://twitter.com/BASSONTOPnakano/status/1648870922487750656
魚住 英里奈(official)さん「🟦熊本公演1日目 23/5/12(FRI)@熊本NAVARO "アドバルーンに向かって" LIVE: 魚住英里奈 桂トリオ+魚住英里奈 セリグマンの猫 My Lucky Day OPEN20:00 START20:30 FEE ¥2000(+1DRINK ORDER) ※student ¥500 off ご予約は[email protected]又は各出演者まで https://t.co/fy27ShIX2S」https://twitter.com/uozumi_chas/status/1648947059670814721
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kuroiookami · 1 year
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コード88
ソーラーコード88「鋭く尖った嘴で、老齢の神木を連打するキツツキ」
コードの現象化形態:一般的生活。ネガティヴさのある現状を改善するための努力。落ち着ける住環境を手に入れるための努力。(ときに)体調の悪化。(まれに)動物やペットの魂との、チャネリングを通じた会話。
ルナーコード88「田舎の小さな商店の経営者が不運に見舞われてひっそりと店を畳んだある日、都心の大企業の株主総会が開かれている会場では、厳しい表情をした男たちが、その総会の間中、株主の質問や動向を監視するために鋭い目を光らせて立っている」
コードの現象化形態:不運に見舞われる。何かを綿密にチェックする状況。ハラハラしながら状況(懸案問題の行方)を注視する状況。(ときに)精神的逆境。状況からの拘束。閉塞的状況。試練の体験。最悪の逆境を乗り越えようと必死に苦闘する状況。(ときに)閉店(ときに)倒産。(ときに)破産。監査。査察。金融庁や国税庁や税務署や厚生省や厚生労働省や労働基準監督署や警察や証券取引等監視委員会、その他の公的な諸監督省庁や所轄監督機関による調査や勧告指導や命令など。(ときに)客や株主や被害者に対する説明や謝罪。(ときに)心理的不調や体調不良。(ときに)入院。(格式が非常に良ければ、ときに)金銭面での幸運。魔が心に忍び込まないようによくよく注意すること。
ソーラーコード88「鋭く尖った嘴で、老齢の神木を連打するキツツキ」
【代表的現象化形態】 ・刃物による無差別切り付け、刃物によるメッタ刺し事件 ・銃撃や銃乱射事件 ・突き刺し事件 ・殴打事件、ボコボコ事件・鳥の体調不良、病気、死、落鳥、集団死、家畜鳥や野鳥の鳥インフルエンザ、その他の不運 ・心臓の病気、心臓の病気による死 ・頭部の病気、頭部の病気による死
コード88は、特に「心臓に関する不運凶事(不調や病)」や「刃物による心臓の刺傷」や「心臓に向けての発砲・銃撃」、それらによる「搬送・入院・死傷」を予言警告しています。
【コード88】 ■対向コード:268 ■統合コード:272 ■直角コード:178
コード88『ウッドペッカー』とコード255『ウッドチャック』は同期作動(または近接作動)コード。
大型台風コード88『ウッドペッカー(連打するキツツキ)』は、窓、ガラスを打ち割り、看板、屋根を引きはがし、柱、木をなぎ倒します。
コード88『台風暴風鳥ウッドペッカー』
エピグラム(予言警告内容/注意対象):台風・暴風・突風・竜巻・豪雨による被害、負傷、死亡。流されたり、溺死したりする。土砂災害による被害。車や家や建造物や施設の被害、破損、倒壊。物などが強風で飛ばされる。飛んだり倒れたもので被害が生じる。
地上最強の「二つのウッド」 コード101−コード255のウッドチャックとコード11−コード88のウッドペッカー 可愛い名前が付いてはいるが、何百、何千万、ついには何億人と殺す力を持つ。 黒魔術の王セト麾下、直属の精鋭部隊。
コード5「無数の人や家がウッドチャック(コード101、コード255)になぎ倒され、ウッドペッカー(コード88)が吹き飛ばした塵芥や流木の如く流れ、人魚(セイレーン、フレイヤ)が喜び歌い踊るマイムラビーム(大洪水)の上に輝くアイ・イン・ザ・トライアングル(セトの目、ホルスの帝都の紋章)」
コード298「超巨大地震誘発・大中地震連続多発」コード298『マハットマハルクタ』=コード88=コード281=コード101
コード88「太陽神ラーの船」(クフ王の大型木造船「太陽の船」)
コード88とコード108とコード274は同期作動イコールコード。 ホロゾフィストの皆様は、これらのコードが来た時に、太陽神ラー=ホルスによって、そのマイナス面を抑え、プラス面を増強して頂く守護を受け取ることができます。
コード88 ピンク
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toridaikanbun · 1 year
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今日の漢文(2023/4/3)
今日紹介する漢文は、曹操の『短歌行』です。
曹操は、後漢末期から三国時代にかけて活躍した政治家です。三国志の中でも有名な人物なので、知っている人も多いかもしれません。『三国志演義』では、劉備や孫権のライバルとして登場しています。曹操は20歳の時に孝廉(郡・国から学問や人格に優れた人物を中央に推挙する制度)で推挙され、その後、黄巾の乱鎮圧や反董卓連合軍において活躍しました。196年には当時の皇帝であった献帝を自らの本拠地である許昌に迎え入れ、「帝の守護者」という大義名分を得ました。また、200年の官途の戦いでは、最大勢力であった袁紹を破り、華北を平定します。曹操率いる大軍が劉備・孫権連合軍に敗れた「赤壁の戦い」は有名です。
屯田制の施行や税収制度の改革といった政治的な技量に加えて、詩文の分野でも曹操は高く評価されています。今日紹介する『短歌行』も、曹操の名文の一つです。
原文
對酒當歌,人生幾何?
譬如朝露,去日苦多。
慨當以慷,憂思難忘。
何以解憂?唯有杜康。
青青子衿,悠悠我心。
但為君故,沉吟至今。
呦呦��鳴,食野之苹。
我有嘉賓,鼓瑟吹笙。
明明如月,何時可掇?
憂從中來,不可斷絕。
越陌度阡,枉用相存。
契闊談讌,心念舊恩。
月明星稀,烏鵲南飛。
繞樹三匝,何枝可依?
山不厭高,海不厭深。
周公吐哺,天下歸心。
引用元:ウィキソース『 短歌行 (曹操) 』(https://zh.wikisource.org/wiki/%E7%9F%AD%E6%AD%8C%E8%A1%8C_(%E6%9B%B9%E6%93%8D))
書き下し文
酒に対しては当(まさ)に歌うべし
人生 幾何(いくばく)ぞ
譬(たと)えば朝露(ちょうろ)の如(ごと)し
去日(きょじつ) 苦(はなは)だ多し
慨(がい)して当に以て慷(こう)すべし
憂思(ゆうし) 忘れ難し
何を以てか憂いを解かん
唯(た)だ杜康(とこう)有るのみ
青青(せいせい)たる子(きみ)が衿(えり)
悠悠(ゆうゆう)たる我が心
但(た)だ君が為の故に
沈吟(ちんぎん)して今に至る
呦呦(ゆうゆう)として鹿鳴き
野の苹(よもぎ)を食(くら)う
我に嘉賓(かひん)有り
瑟(しつ)を鼓(こ)し 笙(しょう)を吹かん
明明(めいめい)として月の如し
何(いず)れの時にか掇(と)る可(べ)けん
憂いは中(うち)より来たりて
断絶(だんぜつ)す可(べ)からず
陌(はく)を越え 阡(せん)を度(わた)り
枉(ま)げて用(もっ)て相存(あいそん)す
契闊(けっかつ) 談讌(だんえん)して
心に旧恩(きゅうおん)を念(おも)う
月明らかに星稀にして
烏鵲(うじゃく) 南に飛ぶ
樹(き)を繞(めぐ)ること三匝(さんそう)
何(いず)れの枝にか依(よ)る可(べ)き
山は高きを厭(いと)わず
海は深きを厭(いと)わず
周公(しゅうこう) 哺(ほ)を吐(は)きて
天下 心を帰(き)す
引用元:Web漢文大系「 短歌行(曹操)」(https://kanbun.info/syubu/tankako_soso.html)
単語の意味
幾何:疑問・反語。いくつ、どれほど。
朝露:あさつゆ。はかないもののたとえ。
去日:過ぎ去った日。
慷慨:いきどおりなげく。
憂思:心配する気持ち。
杜康:初めて酒をつくったといわれる人の名。転じて、酒のこと。
青青子衿:青々としたあなたの着物のえり。学生、または青年をさす。
悠悠:遠い対象を求めて思いがずっと続く。
沈吟:考え込む。思い悩む。
呦呦:鹿の泣く声。
嘉賓:よい客。気の合ったよい客。
瑟:琴に似た二十五弦の大きな楽器。おおごと。
笙:管楽器の名。しょうのふえ。十九または十三の管を立て、横からふくもの。
明明:非常に明らかなさま。
何:いつ。
掇:ひろい取る。
中:心。内心。
断絶:たち切る。とぎれる。続くものがなくなること。
陌:東西に通る道。
阡:南北に走る道
枉:わざわざ。相手の行為に敬意を表して用いる。
相存:自分のもとを訪れる。「存」は問う、尋ねる。
契闊:苦労する。
談讌:楽しく話しあう。
旧恩:昔、受けた恩。
稀:まばら。めったにない。
烏鵲:鳥の名。かささぎ。客の来訪の予兆とされる。
三匝:みめぐり。三周。
山不厭高、 海不厭深:人の上に立つ者は誰でも受け入れるから大きな存在となる。『管子』形勢篇に「海は水を辞せず、故に能く其の大を成す。山は土石を辞せず、故に能く其の高きを成す。」とある。
周公:周公旦。周の武王の弟。武王の子成王を補佐して周の政治・文化を築くのに貢献した。
吐哺:口のなかの食べ物を吐き出す。 周公旦は来客があれば洗髪も食事も中断して人材を得ることに努めた。『史記』魯周公世家の周公のことばに「 一沐に三たび髪を捉り、一飯に三たび哺を吐き、起ちて以て士に待するも、猶お天下の賢人を失わんことを恐る」とある。
帰心:心から帰順する。『論語』堯曰篇に「滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民、心を帰せん」とある。
出典:小学館「新選漢和辞典 Web版」、川合康三編訳「曹操・曹丕・曹植詩文選」岩波文庫
現代語訳
酒を前にさあ歌わん。人の命はいかほどであろう。
それは例えば朝の露。過ぎし日ばかりが積み重なる。
胸に迫って心はたかぶり、憂いは消しがたい。
いかにして憂いを払わん。ただ酒あるのみ。
青い衿の若者よ。はるか遠くに続く我が思い。
ただ君を求めて、今に至るまで秘かに吟じつづける。
ユウユウと鳴く鹿が、野原の草を食んでいる。
私の元にはめでたきまろうど。 瑟を奏で笙を吹いてもてなそう。
明るく輝く月の光に似て、この思いはいつになったら手につかめよう。
心のなかから生じる憂い、断ち切るすべもない。
野越え山越え遠くから、わざわざ訪ねてくれる人がいる。
苦しい時にも楽しい集いにも、昔のなじみは大切に。
月は明るく星はわずか。カササギが南に翔る。
木の周りを三たび回り、身を寄せる枝を探す。
山はどんな高いものも拒まず、海はどんな深いものも拒まない。
周公は口中の食べさしを吐いて賢人を求め、天下のこらず信服したのだった。
引用元: 川合康三編訳「曹操・曹丕・曹植詩文選」岩波文庫
参考文献:集英社「デジタル版 集英社世界文学大事典 」、世界史の窓「曹操」(https://www.y-history.net/appendix/wh0301-011.html)
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nakiselu · 1 year
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おとなりアイニー2nd EP「Life kit」リリース 人鳥月歩-冬の陣-ツアー!!
ハロー、僕は元気じゃないまま、まだ生きてます。
イネムリだるま(大阪) 観るの初めてなのにバンド名に見覚えがあるのは日程が出て対バンを確認した時に目にした時の印象は別に強烈ではなかったけど、無意識(潜在的)に印象深かったのだろうか・・・ 紛れもなく大阪の言葉ではありながら苦手なコテコテ系ではなくてマイルドめな語り口。 出順に偏りがあって男性が序盤に寄ってた為、 「男性バンドのトリです」 って言ったのは凄くよくて好印象で観続ける事が出来た。 何か深い理由があってこの会場に出演したかったようだがその理由は明かされなかったのがちと残念。 歌ってる事は全然違うけど 「歌詞を大切にしてる」 っていうのはスリマに通���るのかも(近年はスリマはあまりそういう発言してな��けど)
ウマシカて 新曲始まりって凄く緊張する。 微塵も好みじゃなかったらどうしようって。 まあそうだとしてもどうしようもないんだけど。 大抵は取り越し苦労で、今回も無事にそうだった。 全体的には直前に迫ってたサーキットに向けての最終調整的な感じだったのか 定番の勢い系でまとめられてような。 MCで客席に投げてかけたこのバンドに足りないものというお題?に対して 「明るさ」 っていう声が飛んでたけど、 有った方がより良いとも限らない様な・・・ ポジティブとは限らない歌詞が軽快な曲調で歌われるのが良いのであって、その上で時に加わる憂い的な要素がもう極上って感じてるだけにピンと来なかったな。 「トーク力」 ってのもあったけど、コミカルさには定評がある気がするし 個人的にはトークよりは曲数が増えた方が良いからこちらも共感出来ずで。 相変わらず何をしてても所謂仲間的な感覚の人がいなくて孤独だなーって。 群れるのは嫌だけど孤独じゃなくて孤高でいたけど全くもってそれは難しい。
思ったよりは早く着けたけど、 それでもトップは無理で、それが今回はThe Docciだった。 観れない時に限っていつも以上に野球モードが強かったのかもで なんと!ドラムの衣装が最後の近鉄戦士坂口智隆のスワローズユニで是非とも演奏してる所を観たかったなと思いはしたけどその為に有給取ってまで開演に間に合せるって気概い無かったわけで・・・ でもまた着てほしいな。
そして転換の退屈感がいつも以上に耐え難かったくて、結局僅か2組の観覧で出てしまった。近年、対バンライブで目当ての一組しか観ない人の気持がわかるよう気がしてきてしまってる・・・。基本的にはなるべく長く、多くの組を観ていたいんだけど・・・
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herbiemikeadamski · 1 year
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 1月18日(水) #友引(丙子) 旧暦 12/27 月齢 25.7 年始から18日目に当たり、年末まであと347日(閏年では348日)です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . イヨイヨ終盤😅💦ってな訳じゃないが 後ひと月で熊本から「サヨナラ(@^^)/」 が、昨晩に告知ありました🤣😆🤣 嬉しい悲鳴をと云うよりも何だか 淋しい気がしますよ。。。_| ̄|○... 「出会いは別れの瞬間」とも申す。 . 今日一日どなた様も💁‍お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #愛するチンチラの日.  一般社団法人日本チンチラ協会が制定。  チンチラとはネズミの仲間のげっ歯目で、ふわふわの毛が特徴の愛らしく賢い動物。  同協会はチンチラを健全に飼う上での必要な知識をわかりやすく発信している。  記念日を通して、チンチラの飼育環境について広く知ってもらうことが目的。  日付は一生歯が伸び続けるチンチラは、歯の健康がそのまま身体の健康と直結して いることから、1と18の118を「いい(11)歯(8)」と読んで1月18日としたもの。  118を「イチイチハチ」と読むとチンチラの「チ」が3つも入っていることもその理由のひとつ。 . . #友引(トモビキ). 六曜の名称の1つで、相打ち勝負なしの日のこと。  つまり良いことはないが悪いこともない日のことである。  ちなみに六曜は仏教とは関係なく葬式を避けるという話は迷信である。  「友人を引き込む」とされている日とされている。  友引の日には、結婚式、入籍、七五三、お宮参り、引越し、建築、契約、納車、宝くじ購入、は問題ない日です。  験担ぎで拘るなら、凶となる11時~13時の間を避けると良いでしょう。  六曜は、先勝(センショウ)、友引、先負(センプ)、仏滅(ブツメツ)、大安(タイアン)、赤口(シャッコウ)の6つである。 . #一粒万倍日(イチリュウマンバイビ).  何事を始めるにも良い日とされ、特に仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに吉であるとされる。  但し、借金をしたり人から物を借りたりすることは苦労の種が万倍になるので凶とされる。 . #帰忌日(キシニチ/キコジツ/キシニチ/キコニチ・キイミビ). 陰陽道では、凶星の精が人家の門戸をふさぐ日で、旅行・帰宅などを忌(イ)む日としている。  遠出・帰宅・転居・結婚・入国なども忌む日であります。 . #血忌日(ケコニチ、チコニチ、チイミビ).  何事をするにも血を見る日、または血を見ることが凶とされ、鍼灸、刑戮、狩猟などが凶とされる。  血に関係したことを忌む日で、鳥獣の殺生や手術なども凶の日。 . #大犯土(オオツチ).  庚午から丙子までの7日間を大犯土、戊寅から甲申までの7日間を小犯土という。  土に休養を与えるべき日とされ、土に関することは慎むべきとされています。   . . #大坂冬の陣. #いい部屋の日. #東大安田講堂事件. #カップスターの日. (#CupStarDay) #118番の日. #都バス記念日. #ひらくいい鼻の日. #振袖火事の日. . . #防犯の日(毎月18日). . . #タイ王国軍の日. . . ■本日の成句■. #流れを汲みて源を知る(ナガレヲクミテミナモトヲシル). 【解説】 水源の様子を知るという意で、結末を見てその原因を察することを云う。 行動を見ることによって、心の善悪を判断するときなどに用いられる。 . . 1948(昭和23)年1月18日(日)先勝. #二代目笑福鶴光 (#にだいめしょうふくていつるこ / #つるこう) 【上方落語家、ラジオパーソナリティ】 〔大阪府 大阪市〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/Cnh59Q8BaTZylLtSeEfnnZ_iDI7zR3yN061K580/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kachofuraku · 1 year
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雪景色
2022・12・20
連日、大雪による事故や渋滞のニュースが流れる中、あと一日遅かったら大変だったと安堵したり、道中の雪景色に歓声をあげていた自分に今は捻挫と言う代償が・・本当に雪国の方々の苦労は並大抵なものでは無い。毎年毎年同じ様な光景が繰り広げられる。何とかならないものでしょうか?雪国の人々には申し訳ないけど、今回出会った雪景色を時系列で紹介します
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東北道から磐越道へ入り、何度かトンネルを抜けるとその度に雪景色が本格的になって来る
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これは磐梯熱海あたりだったか、もう真っ白な世界で樹々の積雪が何とも幻想的で美しい。この時点でもしチェーン規制が出ていたら引き返す覚悟だったけれどこの時はまだ冬タイヤ規制だったのでこのまま走る
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高速を降りて向かった猪苗代湖も真っ白!駐車場に車を停めた途端に寄って来るカモたちに「ゴメン餌は無いのよ、アナタたち寒くないの?」と声をかけながら一目散に白鳥を撮りに。車を出す時もカモを追い払うのが大変でした
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市街地の道路。除雪車のお陰でこの辺の道路は安全でした
と、呑気に雪を楽しんだツケが捻挫!今日で3日目だけど未だ痛い!いつもの散歩道のカモ達にも逢いに行けない!
捻挫して 知った歩ける 有り難さ
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