Tumgik
#c.g.ユング
noctazure · 3 months
Text
あれはわたしの愛読書でもあるC.G.ユングの赤の書だ。手垢がつきボロボロなところが持ち主の精神的生活の豊かさを物語っている。
2 notes · View notes
8tak4 · 8 months
Text
読書メモ: MBTIへの招待
MBTIについて表面的には知っているものの、その詳細は知らなかったので、調べてみました。ちなみに、16personalitiesとMBTIは異なります。
現在は「MBTIへのいざない」という第2版が出ているので、そちらを読んだ方がよいかもしれません。
ユングのタイプ論とMBTI
ユングは心の習慣のタイプを3指標によって分類できると提唱しました(タイプ論)。
エネルギーの注ぎ方としての「外向 (Extraversion)」と「内向 (Introversion)」
情報の知覚の仕方や惹きつけられ方(認知機能)の一つとしての「感覚機能 (Sensing)」と「直観機能 (Intuition)」
もう一つの認知機能としての「思考機能 (Thinking)」と「感情機能」
マイヤーズとブリッグスは上記に加え、外の世界に対する接し方としての「判断的態度 (Judgement)」と「知覚的態度 (Perception)」の4軸を用いて心理学的タイプを説明できるとしています (MBTI)。これらは矯正したり批判するものではなく、人類学的な多様性を明らかにし、相互に理解するものである点に注意してください。
外向・内向指向は社交性や積極性ではなく、外界の出来事や変動との関わりを求めるか、自身で内省したりすることで外界の意識を内面化するかどうかの違いとなります。ただし、たとえば外向を指向したからといって必ずしも内向的にならないわけではなく、場面に応じて逆の指向になることもあります。このあたりはマーティ・O・レイニーの「内向型を強みにする」でも触れられているので、読んでみると理解が深まります。
感覚・直観指向は具体的・実際的な事象や事実に関心が向くか、洞察・想像することで事象に向き合うかの方向性の差があります。感覚・直観のどちらの知覚も、外界の知覚をどのように理解するのかでなくそのまま受け入れる「非合理機能」とユングは言及しています。
思考・感情指向は分析や因果関係から判断するか、個人の価値観や人間関係の調和を重視して判断するかの方向性が異なります。米国においては、この指向は性差が見られ、男性は思考機能を指向している人が多く、女性は感情機能を指向している人が多いと著者らはいいます。
判断的・知覚的指向は、ざっくり外界への接し方について、ものごとを体系立てて対応する傾向があるか、臨機応変に対応する傾向があるかの差があります。
それぞれどちらの指向が強いかを自認し、2^4 = 16通りの心的機能のうちの一つに当てはめることができます。
主機能・補助機能・劣等機能
MBTIにおいては、タイプダイナミクス(指向の相互作用)が存在するとし、つまり心的機能は一つに限定されず、優先順位がついた状態で複数の機能を持っているといいます。もっとも優先される心的機能が「主機能」、2番目に優先されるのが「補助機能」(3番目は第三機能というが、省略)、もっとも優先順位の低い機能が「劣等機能」となります。主機能以外は自身で自覚することはなく、無意識に現れています。
具体的な例でいうと、
MBTIの自己評定がINTJであった場合
外界の接し方から決定できる、外界で働く心理機能は思考Tが優位となる。なぜなら判断的Jであれば判断の指向である思考・感情指向の機能が優位となり、知覚的Pであれば物の見方である感覚・直観指向の機能が優位となるため
一方で、内界で働く心理機能は直観Nとなる。これは主機能が思考・感情指向で決定されれば、補助機能は感覚・直観機能で決定されるため(その逆も然り)
これらの組み合わせは書籍p.33を参照
このとき、
主機能は内的指向Iであるから、内界で働く心理機能Nとなる
補助機能は外向Tとなる
劣等機能は主機能の内的・外的指向の逆で、かつ逆の心理機能であり、外向Sとなる
もちろん主機能・補助機能だけで心のバランスをとっていたり表現特徴が定まるわけではなく、さまざまな要因が含まれることがあります。表現特徴はpp.50-53に書かれているので、大いに参考になります。
劣等機能(書籍では「内なる教師」とも呼んでいる)をどのように扱うかは、意識的に使うか・状況によって順応的に使うか・補償的に使うかの3パターンがあるといいます。意識的な使い方は不慣れな状況において自分の意志で劣等機能を呼び出すこと、順応的な使い方は意志とは無関係に呼び出すこと、補償的な使い方もまた意志とは無関係ではあるがストレスや主機能によって満たされない場合などに生じます。意識的・順応的な使い方はp.88を参照。また、補償的な働きについてもそれぞれ説明がなされています。
MBTIの応用
後半ではコミュニケーションとプロジェクションについて書かれており、タイプ論を理解することは誤解を生まずに建設的な議論を可能にするきっかけを得られるとしています。各指向の差によるコミュニケーションの違いも注目です。
所感
MBTIをどのように検査して知るか?という点には触れられないですが、
心的機能特性や傾向を知り、自身はどの心的機能に近いか
ほかの心的機能の指向の人とどう向き合うべきか
自身の心的機能にどのように向き合うべきか
を詳細に知りたいときにオススメです。
0 notes
keistidbits · 8 years
Text
グルジェフ
グルジェフ周りの情報収集をしていますが、グルジェフの主著の一つである『注目すべき人々との出会い』日本語訳をされた黒川氏のあとがきが、取り組みを始めるに当たってとてもよい手ほどきとなったので要約してみます。 G.I.グルジェフの名は、「日本でもオカルト研究者や神秘学にかかわる人々の間ではかなり古くから知られ、近年精神療法や瞑想ブームの台頭とともに、しばしば耳にするようになった。にもかかわらず、彼の人となり、その教えや技法に関しては、一部の同好的グループを除いて、本格的な紹介がされないまま今日にいたっている。(中略)従来日本でのグルジェフの取り上げ方は、必要以上に秘教的、魔術的で、ある種の偏向なしには接近しがたかったのではなかろうか。」とありますが、1981年当時と、現在(2017年)の状況は変わっていないように思います。
グルジェフの名は、80年代後半、カウンセリングの勉強をはじめと当初から聞き知っていました。日本でも当時、トランスパーソナル心理学が流行し、その背景に、「アメリカを中心とする、人間性心理学、潜在能力開発通動など、新しい精神変革の流れに、グルジェフがいかに寄与し(中略)、フロイト、ユング、アサジオリといった近代心理学の開拓者たち、そして東の禅、ヨーガ、ヴェーダーンタ、道(タオ)、西の神秘キリスト教、カバラ、錬金術といった古来の知識、実践体系と並んで、グルジェフは、人間の変成と進化を追求する現代の「意識の革命家」たちに多大な影響を与えてい」たことで、私の耳にもはいってきたのでしょうが、あまりにも正直、その真価はまったく分からずじまいでした。当時出会ったもう一つの難読書、道元の『正法眼蔵』にはその後長らく、挑戦しては挫折しつつ取り組んできましたが、ここへ来てグルジェフの世界観と合い通じるものを感じ、心機一転取り組むことにしました。
グルジェフは「1877年12月28日(異説あり)、現在はソビエト連邦に含まれるコーカサスのアレキサンドロポルに生まれ(中略)、多様な文化環境のもとに育つ。この地域はトルコとの国境を間近にひかえ、古くから無数の民族と文化が混淆していた。自然、宗教的にも錯綜をきわめ、キリスト教(ギリシア正教)、イスラム教、ゾロアスター教、仏教、土俗シャーマニズムなどが、入り混じって、独特の宗教的風土をかもしだしていた。生来感性の豊かな、好奇心の旺盛な少年が、そうした中で超自然的なもの、さらには超越的なものへ目覚めてゆく。」
十九世紀末から今世紀前半にかけたこの時期は「世界的な精神の危機状況で(中略)、科学技術の発達と新しい領土、資源の開発にともなって、既成の均衡が破れ、西欧文明は大きく揺れた。グルジェフの後半生は、第一次世界大戦とそれに引き続くロシア革命、ナチスの台頭、そして第二次世界大戦と近代の大動乱をすべて目のあたりにしている。グルジェフが「人類の周期的精神病」と呼ぶこれらの破局に対して、人間の内なる可能性、神性を発見し開発しようとする動きが、時期を同じくして興隆する。狂気と正気のバランスを保とうとする、集合意識の働きと見ていいかもしれない。H・P・ブラヴァツキーの神智学、ルドルフ・シュタイナーの人智学をはじめヨーロッパは近代まれにみる精神運動の高まりを迎えた。グルジェフと「人間の調和的発展協会」も、そうしたコンテクストの中でとらえる」。
グルジェフの著作では「登場するいくつかの特殊な単語や概念は、彼の教理体系を支えるコスモロジーを多少とも知らなければ、非常にわかりにく」く、「グルジェフ自身、直接の弟子たちに対しては、まず著作の第一集である大著『一切何もかも―孫に与えるベルゼバブの物語』を三度読み通してから、第二集の本第にはいるよう指示していた。(中略)第一集が、彼いわく「読者の心になじみのない思考の流れを起こすことにより、何世紀にもわたって人間の頭脳と感覚に根をおろしてきた信条や見解を無情に破壊する」とともに、より雄大かつ精緻な宇宙観に親しませる機能を持っているからである。そのうえで『注目すべき人々との出会い』が、「新しい世界の感覚を生み出すのに必要な素材」を提供することになっていた。第一集、第二集、そして「人間の思考と感覚の中に、現在知覚している架空の世界ではなく、本物の世界の真の発現が起こるのを助長する」第三集、『人生は私が在ってはじめて本物(リアル)である』という読書序列は、いまでも正統的なグルジェフ・グルーブの中では遵守されている。」
グルジェフ自身の著作については、現在日本語訳で出版されている、『ベルゼバブの孫への話―人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判』『注目すべき人々との出会い』『生は「私が存在し」て初めて真実となる』を読めば全体像を勉強できるのかなと思います。 「グルジェフは、一度もはっきりとしたかたちで彼の宇宙論をまとめたことがな」いようで、体系だった理論がないようですが、このあとがきには、以下のようなポイントが上げてあります。
宇宙には絶対神から降下する生物学的展開(involution)の流れと、それに逆行して造物主へ還る真の進化(evolution)の上昇とがあり、後者には、ある意味で神の裏をかく狡猾さと超努力が必要であること。
宇宙は、受動、能動、中和(和解)の「三の法則」と、オクターブの「七の法則」という二つの根本法則によって支配されているということ。
人間に生まれながらの魂はなく、一生のうちに適切な努力によって魂を発達させ、永遠の生に到達しなければ、死後肉体は塵芥に帰し、精神エネルギーは法則に従って宇宙的環境に吸収されてしまうこと。
現代においてこの努力を実践するには、伝統的な行者の道、ヨーガの道よりも、世間にいながらにして世間を超越する、怜悧な「第四の道」がふさわしいこと。
人間の身体には知性、感情、運動―本能―性をはじめとするいくつかの低次センターがあり、本来それぞれ異なった機能を担っているが、現代人においてはエネルギーの配分と流れに混乱があること。そして、この混乱は学習や自覚によって正すことができ、それが、さらなる発達につながる仕事(ワーク)の第一目標であること。
通常の人間は、地上に存在することの真の意味である、右に上げたような可能性に対して完全に眠りこけていること。
訳者、黒川氏の理解は、「グルジェフ自身(とくに晩年)の教えの骨子は、持続的な「自己留意(self-remembrance)」と外的内的な対象に対する「非同化」を通したエネルギーの昇華にあり、さまざまな奇説は、理性や幼年期からの社会的、文化的条件づけの呪縛を解く、一種の方便であったように思われる。オカルト的色彩が付与されがちなのは、それらの方便を呑みにすることから来るもので、本質的には、彼の言う「自己にかかわる仕事」とは、⑴自覚的な動き(conscious labor)、つまり自己留意を伴った行為と、(2)自主的な苦しみ(voluntary suffering)、すなわち、自ら進んで困難や摩擦を選ぶこと、の二つにもとづいた、古今東西変わらぬシンプルな修行体系なのではなかろうか。グルジェフの役目は、その種を欧米の処女地に播くことにあったのである。」
特に、第四の道の系譜について、「ゲシュタルト療法をはじめとする人間性心理学、超個(transpersonal)心理学、またE・S・Tやアリカなどの新しい成長運動の触媒ともなっ」ており、もっと注目されるべきかと思っています。
「グルジェフ・システムの中ではグループ作業が重要視される。それは、個々人ではとうてい達成できないような難事(真理の探求や身心の錬金術的変成はその好例である)も、共同で力を合わせれば逹成できる望みがあるという考えにもとづく。目的を同じくする小グループ内の切磋琢磨の意義は、古くから認められてきたものである。(中略)〈仕事=ワーク〉 はまず、経験を積んだ教師のもとで、グループに参加することから始まるのだ。」のあたり、今日のグループワークへ通じるものです。
0 notes
Text
20200608
御坂黒岳登拝(黒岳・破風山・中藤山・不逢山・大石峠)
Tumblr media
地元の黒岳に登った。
御坂峠、黒岳、すずらん峠、破風山(はふさん)、新道峠、中藤山(なかっとうさん)、不逢山(あわずやま)、大石峠という河口湖北岸の山々を東から西へぐるっと巡るコース。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
センチコガネの鮮やかな色は色素ではなく構造色という微細構造と光による発色現象である。宝石のように美しい虫だが動物の糞や腐肉を食べて生きている。
古代エジプトにおいては同じ糞虫の仲間であるスカラベ(フンコロガシ)が糞を丸めて作った球体は太陽に見立てられ、それを転がすスカラベは太陽の運行を司る神、太陽神ケプリと同一視され神聖な昆虫とされた。太陽と同じく復活と再生の象徴である。
このスカラベにはユングのシンクロニシティーの逸話がある。
心理学者のC.G.ユングはある女性患者を診察していた。その女性の心は合理主義に凝り固まっており対話による治療は困難を極めた。ある日の診察で女性は昨晩見知らぬ男性から黄金のスカラベを象った宝飾品を渡される夢を見たと話した。
すると突然暗い部屋の窓をコツコツと叩く音が聞こえユングが窓を開けると一匹の甲虫が飛び込んできた。ユングはその虫を空中で捕まえると彼女に見せた。それはスカラバエイデという彼女が夢で見たスカラベによく似た緑色に輝くコガネムシだった。ユングは「これはあなたのスカラベですよ」と言いコガネムシを女性に手渡した。この出来事により女性の頑な合理主義的態度に穴が開き治療は満足すべき結果をもたらしたという。スカラベは復活・再生という象徴の意味通りの役目を果たしたのだ。
意味のある偶然の一致、いわゆるシンクロニシティーによって夢(内界)と現実(外界)が同期する、言わば内外が統合されることで状況が改善へと導かれるという話。ユングは夢を記述し夢の領域を知覚することでシンクロニシティが起るとも言っている(確か言ってた)。
私は割にシンクロニシティーや妙な偶然に遭遇する方だと思うのだが特に状況が変わるでもないしそこに意味も答えも、何らかの法則性も見い出せないので起きた出来事にただ目を回すばかりである。
以前横尾忠則氏の本を読んでる最中に切らした煙草を買いに近所のコンビニ行ったら横尾忠則氏と糸井重里氏にバッタリ遭遇した話をこのブログでも書いた気がするが、他にもアナログフィッシュというバンドの「最近のぼくら」というアルバムにはまって聞き込んでる時期(2014年頃)に、車でいつものように曲を聞きながらホームセンターに行き、直前まで聞いていた曲の余韻のままに鼻歌まじりで駐車場を歩いていると目の前を横切った軽自動車が妙に気になってというか確信に近い予感があり、その車が止まるまで目で追い運転席に目をやるとアナログフィッシュのボーカルの下岡氏だったことがある。
あれは一体なんだったんだろう?つうかこんなもんほぼ虚言だろう。でも本当のことなのである。現実の嘘臭さとあの予感や直感把握の感覚の気味の悪さ。この頃から目の前の現実に対して若干乖離気味というか現実感がどこか希薄で、それゆえ登山のようなフィジカルな行為を求めていった気がする。
死ぬまでに何か謎が解けるのかな?その神秘をただ味わうしかないのか。
というか何でこんな話を書いてんだっけ?
コガネムシか。
話が随分と長くなりました。
Tumblr media
ブナ
Tumblr media
黒岳山頂南側の露岩からの不二。黄砂が飛来しているのかもやもや。
今年は富士山を閉山するらしいが、思えば去年辺りから台風で石垣が崩れ山開きが遅れたりニコ生主の滑落死や落石で外国人が亡くなったりと、人と場の気のズレというような微妙な感覚はあったから後から考えてもやっぱりなあという感じはする。
Tumblr media Tumblr media
フデリンドウ
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
2020年になって初登山だったが、去年は12月に甥と金峰山や三つ峠に登ったりして山納めが遅かったからか久しぶりという感じも体力的な問題も感じなかった。稜線歩きで体力を使わなかったというのもあるのだろう。
途中五人程の登山者とすれ違う。時節柄か皆一様にどこから来たかなど深くを聞かないし言わない。頂上で朗らかな老夫婦と昼食を共にしたが、仲睦まじくて微笑ましかった。私にもあんな可愛い人生の可能性もあったのかしらと噛み締めながら独り山道を歩く。
山に登ってやっと寝てた身体が起きた感じだ。登山した次の日から一日の体感時間が妙に長い。
2 notes · View notes
xf-2 · 5 years
Photo
Tumblr media
ペルソナ4の主人公スレの最近のスレ読んだら、コミック版がとっくに3月27日に完結版の13巻が発売されていて4月18日に京都BALの丸善で買ってきた。
参考文献としてC.G.ユングのタイプ論も買ってきた。
大学時代MOON.という美��女ゲームの影響で一度京都の中央図書館でかりて読んだことあるけれど、買うのにはかなり高かったので買わずじまいだったので。最後のアニメ版P4Aの悠の無限ループがMOON.の無限ループと似ていて鳥肌立った。内容は多少違ってても自分との対峙など似たような部分もある。
普段は保守番長兼エロ番長やっているけれど、実際に心理学用語の専門書を主に読んでいます。
ペルソナ4の影響で再び考察などで読んでてそれまとめるのに今時間かかっていた。
1 note · View note
anamon-book · 8 years
Photo
Tumblr media
心理療法論 C.G.ユング 林道義【編訳】 みすず書房
5 notes · View notes
zuizi · 10 years
Quote
作者の作品に対する個人的な因果関係は、大地とそこに生長する植物の間のそれと同じで、それ以上でもなければ、それ以下でもありません。確かに、植物の育つ場所の性情を知れば、その植物の特性のなにがしかは理解できるでありましょう。植物学者にとっては、これはその知識の重要な構成要素の一つでもありません。けれどそれでもってその植物の本質の一切を知ることができたなどとは、誰も言い張りはしないでしょう。個人的な因果関係を問うことによってもたらされる、個人的な特性に着目する視点は、芸術作品に対してはまったく妥当性を欠いたもので、それというのも芸術作品は人間ではなく、個人を超えたものであるからです。それは個人的性格を持たないあるものであって、だからそれに対して個人的な物差しを当てても何にもなりません。それどころか、真の芸術作品に特別な意味があるのは、個人という存在の狭さと袋小路を脱け出して、ただ個人的でしかないものの無常と息苦しさを尻目にかけて、天日遙か天翔けるところにあるのです。
C.G.ユング「分析心理学と文芸作品の関係」『創造する無意識』
2 notes · View notes
keistidbits · 7 years
Text
四住期とユング
博学なユングのことだから、きっと「四住期」の事は知っていたのであろう。「人生の転換期」の最後には下記のような記載がある。
「最後にもう一度少しばかり太陽の比喩に触れてこの講演を終りにしよう。人生という百八十度のアーチは、四つの部分に分けられる。東に上る最前の四半期は、少年期である。これは、問題のない状態である。そこでは、他人にとって問題であるにすぎない。自分自身の問題性はまだ意識していないのである。問題性の意識は、第二・四半期と第三・四半期にわたるものであり、最後の四半期である老年期には、われわれは、自分の意識情況には無頓着になり、またしてもむしろ他の人々にとっての問題となる状態に再び沈みこんで行く。少年期と老年期は、たしかにきわめて異なっている。しかし、一点において共通である。すなわち、無意識な心的なものの中に浸っていることである。子供の心は無意識の中から出て発展を始める。そこで子供の心理は、多少のむりはあってもやはり、無意識の中に再び沈み行き、次第にその中で消滅する老人の心理と同様に考えることができるのではなかろうか。」
(C.G.Jung; Die Lebenswende in Seelenprobleme der Gegenwart, 1946.「人生の転換期」 
人生の正午よりもこの記述の方が意味がある。2/4期(家住期)、3/4期(林住期)とはまさに働き盛り(26歳頃から70歳頃)の問題にほかならない。
Tumblr media
0 notes
keistidbits · 4 years
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
Enjoy Home その⑤ ー今日は本棚の整理—
本棚の整理をした。乱読、速読は苦手で、本はしっかりと自分で持っておきたいタイプ。少しずつ何回も読み直してきた。なので本が溜まってしまったので4年ほど前に本棚2つ分まで処分した。捨てがたかった本を整理せずランダムに立てかけていたのでグループごとにまとめて並べ直した。 どれも愛着がある本ばかり...
若い頃はC.G.ユングはハマっていた。ハードカバーしかなかったユングの著作を集めた。当時はまだユング自身の著作の訳本は多くなく、すべてを読破してやろうという思いだった。(ほとんど理解はできなかったんだけどね。) 数年するとユング自身の著作よりも、その論評が面白かった。支持するものも批判するものも。
ユングを読み耽る一方、カウンセリングを友田不二男氏の日本カウンセリングセンターでたたき込まれた。センターではほとんど(いや、まったく)教科書のようなものは使わず、ひたすら実践経験の積み上げだったので、案外と本が残っていないけれど、初期のロージャズ全集(友田氏等カウンセリング創世期のそうそうたる先生方が訳されたもの)はとても希少なもの。その中で重要なものを何冊か持っている。特に第9巻はハーバート・ブライアンの症例と呼ばれるもの。現在において徹底的に分析されるべき重要なことが書かれている。
一方、会社の仕事もぎらぎら期(!?)だったので、プロジェクト推進のためシックスシグマを徹底的に独習した。今振り返るとコンサルテーションや人を取りまとめてプロジェクトを進める力はこんな本で力をつけることが出来たと思う。組織論や、人間関係論、EAP etc は絶対に必要 !!
そして、2000年あたりからずっと私淑しているのがケン・ウィルバー氏。インテグラル理論にはとても共感している。ただ、ウィルバーの本はボリュームがあって結構お高い。しかもすぐに絶版になってしまうので(売れないからなのかなぁ?)、意外と手にはいっていない。最近、門林君ががんばって翻訳してくれているのでしっかりと手に入れたいと思っている。インテグラル理論(ティール組織やロバート・キーガン氏の成人発達理論等)は最近時々耳にするようになったけれど、決して新しい理論ではない。
駆け出しが、ユングだったこともあって、文化人類学や哲学も何となく親近感を感じる中で、友田氏の東洋思想やインテグラル理論の影響もあって、本棚の最後のブロックは日本文化や仏教の本とインテグラル理論の本が一番取り出しやすい位置に収まっている。
0 notes
Text
・要領の良い奴は情報の「必要なとこだけ切り出す」タイプの構造になってるんだわ ・要領の悪い奴は情報を「全部まとめてボンヤリと受け止める」タイプの構造なんだけどね
でも要領の良い奴は雑多な情報を切り捨てるから「ひらめき」とか「感じる」機能が弱いのね
必要な部分の情報だけ切り抜く練習をすれば要領が良い奴に「近づける」可能性はあるけど、 それは本来の才能かもしれない「ひらめき」や「感覚」を犠牲にしていく課程でもある
” - タイプ論 / C.G. ユング (via neopoci)
1 note · View note
Text
20181203
雑記(新江ノ島水族館)。
Tumblr media
「外に目を向ける者は夢を見る、内面を見る者は目覚める」C.G.ユング
12月である。
先日海が見たくなり江ノ島まで行くついでに新江ノ島水族館へ行った。毎度時間をかけて行く割にはさっと帰るので、結局海を見に行くという名目でチンタラ行く車中での思索が好きなのだと思う。
そんでもって水族館をまるで自分の体内や心の中に足を踏み入れるように見立てるのが好きだ。
イルカショーが始まってすぐ、まだアシカの出てくる段階で飼育員のキンキン声に耐えられなくなって席を立った。イルカショーの場所は暗い館内を抜けた一番奥にあるというのも何か象徴的で、妙な居心地の悪さがあり、騒がしさは一つの理由でしかないような感じがした。
この何気ない自分の行為を夢診断のように象徴的に捉えるならば何かを示唆しているように思えてくるが一体何だったのだろう?とぼんやり考えている。そのうちじんわりと分かりそうな気もするが、恐らくここには何らかのコンプレックスが隠れている。
今年は「統合」を意識して日々を生きてみた。ユング心理学入門を読んだことで理解が進み意図的に(と言っても日常の小さなことからだが)今の人格の外側へ飛び込む様なことをした。
その大袈裟なものとして金峰山の五丈石の岩穴での一夜があったが、心の中に自分の記憶から作られる町のようなものがあるとすればあの体験や場所の記憶は私の中で聖地の様なものになっている。アルノルト・ベックリンの「死の島」という絵がいつの頃からか好きな理由がやっとわかった。20世紀にヨーロッパであの絵が流行したのは人々の心の中心でおいわずの森として機能したのだ。
自分にとっての心の統合とは映画の「マトリックス」でネオが無敵になるようなイメージで物事の見え方や在り方が一気に変わるということではなく、積まれた石を一つずつ別の場所に移し積み直すようなものなのだなと今は感じている。新しく積まれた石はまた新しい場所に影を作る。積む度に形は変わる。そうして陰陽は循環して行く。
統合された完璧な自分や他者など存在せず、人は不完全であるということを肯定して行くことなのかもしれない。
なんだかベックリンの自画像が自分に似ているように思ったが、ロシア人の様な顔立ちをしていた母方の祖父に似ている。
0 notes
anamon-book · 8 years
Photo
Tumblr media
ヨブへの答え C.G.ユング 野村美紀子【訳】 秋山さと子【解説】 ヨルダン社
30 notes · View notes