Tumgik
#永遠の哲学
esoterics-posts · 6 months
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kennak · 20 days
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1987年5月3日午後8時15分ごろ、朝日新聞阪神支局に、全身黒ずくめの男が散弾銃を構えて押し入った。  男は小尻知博記者(享年29)と犬飼兵衛(ひょうえ)記者(当時42)に対し、散弾銃を発射。小尻記者が殺害され、犬飼記者は重傷を負った。  ここから露見した一連の事件は、犯行声明に「赤報隊一同」と記されていたことから「赤報隊事件」と呼ばれ、世間を震撼させた。しかも、事件は未解決のまま、2002年に時効を迎えている。 「赤報隊事件には、統一教会の関連団体『国際勝共連合(以下、勝共連合)』を含め、信者が関係している可能性があると思っています。末端の信者の暴発がなかった、とは言い切れません」  そう証言するのは、大江益夫氏だ。現在75歳の大江氏は、1992年に統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の広報担当になり、翌年から1999年までの7年間、広報部長の要職を務めてきた人物だ。  その間に、桜田淳子氏の合同結婚式参加などがあり、大江氏は教団の “激動期” を目撃してきた。60年近く旧統一教会員として過ごし、教団の深部を知り尽くしている。  そんな大江氏を朝日新聞元記者で「襲撃事件取材班キャップ」だったジャーナリストの樋田毅氏は熱心に取材してきた。そこで、旧統一教会による事件への関与の可能性をめぐるさまざまな情報を得たという。2018年に『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)も出版している樋田氏が、こう話す。 「事件前に、勝共連合の名前で『アカサタンを殺すことだけが生きがい』と書かれた脅迫状が、朝日新聞社に届いていました。信者たちにとって、“サタン” は排除すべき存在。 “サタン” が文鮮明教祖(当時)の身に危害を加えるかもしれないと考えれば、朝日は抹殺すべき存在になっていたかもしれません」  2023年2月の衆議院予算委員会で、日本共産党の宮本岳志議員も「朝日ジャーナル」編集長だった筑紫哲也氏のコラムを引用する形で、この脅迫状の存在を取り上げ、当時の谷公一国家公安委員長に対して、赤報隊事件の再捜査を求めていた。事件後も兵庫県警が統一教会、勝共連合を捜査していた。  そして、大江氏もこう話す。 「統一教会には、かつてのオウム真理教のような敵対者を『ポア(殺害)する』という発想はありません。しかし、共産勢力と戦う勝共連合の “武闘派” となると、話は別です。侵略者に対しては武器を持って戦うという軍人精神的な発想があったと思います」  樋田氏はこれらの取材をまとめ、『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』(光文社新書)を8月20日に上梓する。  そこであらためて、本誌は大江氏を取材した――。  事件当時、すでに教団の幹部として、日韓トンネルの建設を推進する関連団体「国際ハイウェイ建設事業団(当時)」の事務局長だった大江氏は、「赤報隊事件」の犯人像について、こう話す。 「単独犯ではなく、グループだったと思います。ヒットマン以外に逃走を助ける人物、声明文を書く人物、依頼者などがいたはず。犯行を指揮した人物は、教団関係者だった可能性が高いかもしれません。  いずれにしても、犯行に関わった人物は、全員が共同正犯。罪はみな同じだと私は思っています」(以下、断わりのない発言は大江氏のもの)  朝日新聞阪神支局に押し入ったのは、全身黒ずくめのヒットマン1人だった。大江氏は “実行犯” についてふたつの可能性を感じているという。 「赤報隊事件は用意周到に準備され、犯人が見せた腰だめの撃ち方、銃身を短く切った散弾銃の使用など、プロの犯行とみられていました。  ひとつは “ヤクザ組織” が絡んでいる可能性です。当時の教団側の関係者に “闇社会” との関わりがまったくなかったとは言い切れません。また、あの残虐な事件は、そういった人間でないとできないと、思うところもあるからです。  しかし、勝共連合のなかにも “武闘派” は存在していました。これが、もうひとつの可能性です。もともとは、旧ソ連が日本に攻めてきた場合、先頭に立つのは自衛隊ですが、その後方支援という位置づけで生まれました。勝共連合が民間防衛を担うという発想でした。  この組織に属する信者たちは、実際に軍事訓練をおこなっていたのです。私自身も、何度も陸上自衛隊に体験入隊しました。ふだんから、山中で散弾銃の訓練もやっていました。こうした信者が400人ほどおり、元自衛官や元警察官もいたのです。そうした “武闘派” の信者が実行犯だったのではないかという推測も可能だと思います」  じつは今回、大江氏が『懺悔録』を世に出すという情報が、旧統一教会内に事前に広がった。教団は出版を踏みとどまらせようと、大江氏に対して執拗に圧力をかけてきた。 「京都の山里にある私の自宅に、教団の人間が突然来るのです。これまでに十数人来ました。彼らが何を危惧しているのかといえば、やはり『赤報隊』に関する記述でした。  安倍(晋三)元首相の銃撃事件があり、2023年には宗教法人法に基づき、政府が教団に対する解散命令を裁判所に請求する事態になっています。ここにきて『赤報隊事件と統一教会が関係がある』と言われたら、教団は潰れてしまうということでしょう。  でも、私は『断定的な言い方はしていない』と言って追い返しました。自宅に押しかけてきたなかには、かつての私の部下たちもいました」  そんななか、なぜ大江氏はあえて赤報隊について語る決意をしたのか。『懺悔録』でも記したように、こういう思いがあるという。 「信者の可能性がある犯人がこの世、あるいはあの世で、のうのうと生きていることが許せないのです。犯人が口をつぐんでいるのであれば、私が犯人の代わりに、小尻さんとご遺族に謝罪しなければならない。そう考えたのです。絶対に謝罪が必要です。そうでなければ、私はあの世で亡くなった小尻さんの霊と会うことができない」  だが、大江氏は赤報隊事件について語るためだけに、樋田氏の取材に応じたわけではなかった。長年、旧統一教会内部で抱いていた教団運営への違和感があったのだ。  そして、それをすべて樋田氏に打ち明けようと思ったきっかけがある。 「樋田さんと “川口君” の五十回忌の法要でばったり会ったんです。そこで、私は『これは腹を割って話さないといけないな』と思いました」  大江氏が口にする “川口君” とは、1972年、革マル派のリンチを受けて殺害された早稲田大学生・川口大三郎さん(享年20)だ。当時、早大で旧統一教会系の���生団体「原理研究会」に所属していた大江氏は、革マル派と対峙していた。  そのため、大江氏は川口さんの死を悼み、2021年秋におこなわれた五十回忌まで供養を続けてきた。  そして、五十回忌法要には、川口さんの事件に関するノンフィクション『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)を出版した樋田氏も出席していた。  その後の交流を通じて、「最後の懺悔」を受け止めてくれるのは樋田氏しかいないと思うようになったという。  大江氏は「かつての統一教会は、こんな教団ではありませんでした。私たちは、なぜ韓国の教団本部に巨額の送金をするようになり、霊感商法といわれるような悪質な行為をおこなうようになったのか」と、次のように話す。 「私は1966年、17歳のときに統一教会に入信しました。教団には『開拓伝道���という布教活動があります。学生時代には、自分で廃品回収をしてお金を作り、屋根裏部屋のような部屋を借りる。そこを足場にし、廃品回収をしながら伝道活動をおこないました。非常に清貧な暮らしでした。自分が行く教会の教会長さんを中心にして、統一教会は家庭的な教団でした」  その教団の性質が大きく変わったのは、今から49年前の1975年のことだったという。 「それまでは伝道活動が中心でしたが、1975年から経済活動が始まります。統一教会は韓国でできた教団です。伊藤博文が初代韓国統監に就任した1905年から、日本による韓国の植民地支配が始まったと統一教会はとらえています。  それが終わる1945年までの40年間について “贖罪” しなければならない。統一教会には『40年の蕩減(とうげん)復帰』という教えがあります。なので、日本の信者は韓国の本部に40年にわたって送金を続けるとして、経済活動に励むことになった。そのスタートが、1975年だったんです。  そうすると、経済活動が強化されるなかで、霊感商法が始まりました。『先祖の霊や祟りを取り除くには、霊力のある高額な壺などが必要だ』という考え方は、キリスト教にはありません。『先祖の怨(おん)を解くための献金』についても同様です。しかも、韓国への送金は40年間を過ぎた現在も続いていて、日本の信者を苦しめています。  これは『40年の蕩減復帰』の教えから外れていて、約束違反ではないか。やりすぎなんですよ。全財産を捧げるような献金をさせてはいけません。教団も受け取るべきじゃないんです」  韓国の教団本部への高額の送金が、日本の教団の性格を歪め、さまざまな問題を引き起こしてきた。 「今、教団には解散命令が出されようとしています。それを回避するには過去に遡って、高額献金を反省し、被害者に補償する必要があります。自分の家族が路頭に迷うような献金を求めるのは、公序良俗に反しています。日本の教団は、多額の送金を求め続けてきた韓国の本部から独立する必要があります。それが、解散命令を免れる唯一の道です。  なぜ、こんな単純なことがわからないのでしょうか。私は、これまでもこうした問題提起を教団内でしてきましたが、“危険分子” とみなされ、意見は通らなかった。でも、教団は間違っていたのだから、反省しなければいけないのです。力不足かもしれませんが、私自身も霊感商法を後押しする側にいた問題を含めて、懺悔したいと思います」  現在、旧統一教会への解散命令請求が東京地裁で審理されているが、大江氏は末端の “純粋な信者” たちに向けて、こう提言する。 「統一教会は全国に300の教会があります。しかし、解散命令が実施されると教会施設のほとんどはなくなり、礼拝をする場所がなくなる。これは信者にとっては大変なことです。私は、家庭が教会になればいいと思っているのです。  建物がなくても、毎日礼拝する場を家庭に作ろうということです。このままだと、絶望する信者が増えていくだけです。私は、2024年6月で教団を退会しました。それでも、家に礼拝の場があります。私は退会後も、礼拝を欠かしていません」  本誌に対する大江氏の告白は2時間に及んだ。彼が長く過ごしてきた教団が、この言葉を聞いて、悔い改めることはあるのか。
「赤報隊事件」旧統一教会・元広報部長が明かす “散弾銃訓練”と “武闘派”…教団からは「懺悔本」出版への圧力も(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
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kozuemori · 1 month
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薔薇の鉢を一時避難させて目覚めたら、台風一過で鮮やかな青空が広がっていました。上陸しないでなによりでしたが、私が住む地域では最高気温が37度になる予報が出ています。皆さまも十分に気をつけてお過ごしください。
私の『死ぬまでに読みたい本リスト』に入っていたガブリエル・ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を一週間かけてやっと読み終わりました。毎晩、自分を寝かしつけるように少しずつ楽しみ、まだその余韻にどっぷりと浸っています。先月文庫化されたばかりなので誰かがテレビやネットで紹介したのか、それとも例の都市伝説のせいなのか、Amazonで一時在庫切れになったほどバズっていましたが、隣駅の本屋には高く平積みになって普通に売っていました。
この神話的な物語の最大の特徴は、『マジックリアリズム』の影響を強く受けていることです。Wikipediaでは、『マジックリアリズム』とは日常にあるものが日常にないものと融合した作品に対して使われる芸術表現技法、と説明されています。主に小説や美術に見られるジャンルでシュルレアリスムと似ていますが、少し異なります。
『百年の孤独』の中では、奇妙で幻想的な出来事が疑問や矛盾を感じさせることなく描かれています。何世代にも渡る登場人物たちや未開の土地である架空の村を舞台に、叙事詩のような壮大な物語がほぼリニアに綴られてゆきます。その中で霊的なシンボルが幾度も現れたり、遠隔ヒーリングや死者との対話のシーン、古い羊皮紙に書かれた“針金に吊るした洗濯物のように見える”サンスクリット語の予言書などのマジカルなエピソードが宝石のように散りばめられていますし、目に見えるものと見えないもの、陰と陽を現す2人の主要な登場人物、雨季と乾季を繰り返す天候という、相反するエネルギーが互いに交錯しながら融け合い、新たなるエネルギーを生み出すという錬金術のような世界観にワクワクさせられました。そしてまた、いつか読みたいと思っていた非日常の『マジックリアリズム』が、いつの間にか私にとって日常になっていることに気づかされたのも予期せぬ展開でした。
100年前の人々から見たら、現在の私たちの生活や環境も『マジックリアリズム』満載の非日常な世界でしょう。この物語の中でジプシーの老人メルキアデスが吹聴している、「科学のおかげで距離なんてものは消えた。人間がわが家から一歩も外に出ないで、地上のすべての出来事を知る日も、そんなに遠くない。」ことを可能にしたインターネットの出現を筆頭に、あらゆる事が凄まじいスピードで起こり、変化し続けています。
以下のリンクは、『百年の孤独』に興味のあるヒト向けの動画と、本を読みながら登場人物やその複雑な関係、膨大なエピソードをその都度確認するために便利な読み解きキットです。
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マルケスはこの作品に関して、こう言い残しています。
私は権力の性質についてずっと問いかけていくことになるでしょう。けれども、こうしたことを本当に自覚しはじめたのは、『百年の孤独」を書いている時だったと思います。
あの時、私の背中を押したのは、おそらく法と秩序の勝利をうたっている公式の歴史に逆らってでも、悲劇的なあの事件の犠牲になった人たちを歴史の闇から救い出せるかもしれないという思いでした。
※ 『ぼくはスピーチをするために来たのではありません』ガブリエル・ガルシア・マルケス著(新潮社)より抜粋
思えば、『百年の孤独』は不自然なほどに食に関連する具体的な表現が少ない小説です。調理の風景や食器、食卓の場面は登場しても、お皿の上に盛り付けられているはずの料理の視覚、味覚、嗅覚的描写はほどんどありません。フードファイトのシーンがありますが、これも肯定的に描いていません。唯一、おいしそうに描かれている食べ物が、物語の舞台であるコロンビアの村、マコンドを訪れたアメリカ人の商人ミスター・ハーバートが生まれて初めて食べたバナナです。
この物語に出てくるバナナ農園のエピソードは、1924年コロンビアのシエネガという町で実際に起こった『バナナ労働者虐殺事件』を元に描かれています。私たちが店頭で見かけるバナナの99.9%はキャベンディッシュという品種ですが、このバナナがどのようにして生産され、流通し、市場を独占しているのかはアップルTVのドキュメンタリー『雑食するヒト』のシーズン1エピソード4の中で説明されています。ちなみに、私はこのエピソードの中に出てくるアップルバナナや、あまり流通していないバランゴンバナナ、ホムトンバナナを生協で注文していますが、キャベンディッシュとはまた違う独特の美味しさがあります。
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100年前の人が想像しなかったものに、多様性が重要視されている点も挙げられるでしょう。以前は多様性=ダイバーシティという言葉は消極的な意味で使われていましたが、それも今は変わりました。“より早く、より便利に、より確実に”を求めているうちに、私たちがいつの間にか失ったものがあることを『百年の孤独』は思い出させてくれます。この物語が今また人々の関心や共感を集めているのは、私たちの潜在意識の中にある回帰への要求が呼び覚まされているからかもしれません。『百年の孤独』は何世代にも渡る回帰、輪廻転生の物語でもあるのです。
Netflixによる『百年の孤独』のドラマ化が決定し、全16話で配信予定(時期は未定)となっています。
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私がアウェアネスクラスの生徒だった頃、夏休みの宿題として以下のことをしていました。ご興味のある方は、残りの期間にやってみてくださいね。
・積読している本を読む
・アウェアネステキストを読み返す
・展覧会などで美術やアートに触れる
・映画を観る
・絵を描く
・運動をする
・オグ・マンディーノ著『この世で一番の奇跡』の100日行
・ワークショップに参加する
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Spirit of Wonder 〜シックスセンスと六大要素〜
8月24日(土)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
8月26日(月)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
料金:1回 8,000円(アイイス会員・税込)・10,000円(非会員・税込)
どなたでもご参加いただけます
最少催行人数:3名
私たちの周りにある五大要素ともう一つの元素、そしてそれらと自分自身の中にある五感と直感との関連について学びます。あなたの外側と内側にあるエネルギーについて理解を深め、その学びを日常生活において実践し、継続しながら、さらなる霊性開花を目指す6時間ワークショップです。レクチャーやゲーム感覚で楽しめる実習やカルマの法や輪廻思想などの哲学を通した内観を通して、ご自身の中にある光をさらに見出していただきたいと思います。
あなたの中に潜在する能力を探り、知り、育み、五感や直感の中で特化した感覚をさらに伸ばして磨き上げましょう。そして同時に自分の苦手分野を知り、それを伸ばす方法も試してみましょう。
私たち全員が生まれついた時点で履修する、人生においてずっと学び続けることのできる共通のカリキュラムが霊性開花です。それは私たちが永遠の可能性を秘めていること、大いなる存在に近づき、さらに明るい光になること教えてくれます。けれど、霊性開花は1人だけでは学べません。あなたの霊性を導いているスピリットの介在、その指導や協力があってこそ、あなたの魂は磨かれ、輝くことができます。スピリットとのコミュニケーションに欠かせないのが自分の感覚を伸ばし、育むことです。このワークショップでは五感や直感、インスピレーションやアイデアのアンテナをさらに伸ばしながら、霊であり光である本来の自分に出会っていただくお手伝いをしたいと思います。
レクチャー内容
 ・五大要素と最初の元素
 ・シックスセンスと直感
 ・大宇宙と小宇宙
 ・チャクラとオーラ
 ・聖なるマトリックス
 ・ミディアムシップにおける六大要素 
実習
 ・シッティング・イン・ザ・パワー 
 ・六大要素を感じ、活かす
 ・マトリックス内観
 ・直感と指導霊により深く繋がるための各実習
 このワークショップは以下のような方に向いています
 ・六大要素への理解を深めたい
 ・直感の練習、経験をしてみたい
 ・人体とオーラ、チャクラ、元素、世界との関連を知りたい
 ・指導霊との繋がりを深めたい
 ・本当の自分の人生の目的を探りたい
 ・自分自身の可能性や能力を探りたい
 ・霊性開花を通して人の役に立ちたい、社会に貢献したい
このワークショップは、2019年夏イベントで開催した同タイトルのワークショップを一部変更し、内容を加えたりアレンジしてアップデートしています。
詳細・お申し込みはこちらからどうぞ。
ショップからも直接お申し込みいただけます。
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秋学期クラスへのお申し込みを受付中です。クラスの詳細とラインナップはサイトとショップからご覧いただけます。(アイイスのサイトでも告知されています)
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もうすぐ秋学期が始まります。今年1年間のアウェアネス、霊性開花の総まとめです。私も講師として参加してはいますが、クラスの中で皆さまの目標、夢や憧れを共有させてもらいながら、更なる気づきや学びと癒しのエネルギーを受け取っていきたいと思います。3ヶ月間、一緒に今年1年を振り返りながら更なる光の道を進み、来年への道筋へと繋げてゆきましょう!
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アウェアネス・ベーシック前期 Zoomクラス 
土曜日:19:00~21:00 (後期も土曜日・同じ時間に開催) 日程:9/7、9/21、10/5、10/19、11/2
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アウェアネス・ベーシック後期 Zoomクラス   
火曜日:10:00~12:00 日程:9/3、9/17、10/1、10/15、10/29
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アウェアネス・ベーシック通信クラス
開催日程:全6回 お申し込み締め切り:9/15
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アウェアネス・オールレベルZoomクラス
火曜日:19:00~21:00  日程:9/10、9/24、10/8、10/22、11/5
木曜日:10:00〜12:00 日程:9/5、9/19、10/3、10/17、10/31
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アウェアネス・マスターZoom クラス
火曜日:19:00〜21:00 日程:9/3、9/17、10/1、10/15、10/29
金曜日:19:00〜21:00 日程:9/13、9/27、10/11、10/25、11/8
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サイキックアートZoomクラス
日曜日:17:00~19:00  日程:9/8、9/22、10/6、10/20、11/3 水曜日:16:00~18:00  日程:9/11、9/25、10/9、10/23、11/6
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インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 Zoomクラス  
月曜日:16:00~17:00   日程:9/16、9/30、10/14、10/28、11/11
土曜日:10:00~11:00 日程:9/7、9/21、10/5、10/19、11/2
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マントラ入門 Zoomクラス  
土曜日:13:00~15:00 日程:9/14、9/28、10/12、10/26、11/9
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トランスZoomクラス
水曜日:10:00~12:00  日程:9/11、9/25、10/9、10/23、11/6
土曜日:19:00~21:00  日程:9/14、9/28、10/12、10/26、11/9
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サンスクリット・般若心経 Zoomクラス 
月曜日:13:00~15:00   日程:9/16、9/30、10/14、10/28、11/11
水曜日:19:00~21:00    日程:9/11、9/25、10/9、10/23、11/6
クラスの詳細はサイトのこちらのページをご覧ください。
継続受講の方は直接ショップからお申し込みください。
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サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
9月29日  担当ミディアム:惠子・森
11月17日 担当ミディアム:松山:森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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ドロップイン・ナイト 
10月17日(木)19:00〜20:00 会員限定・参加費2,500円
指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
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モーニングワーシップ&コミュニオン(目覚めと祈りと瞑想)
10/27(日)9:00〜10:30  担当ミディアム:開堂・森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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self-confirming · 5 months
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浜辺美波という女優の写真を選ぼうと思ってネットで検索をはじめる。すると、どれを選んでも可愛いことにおどろく。「どれを選んでも」というところに彼女の特異性がある。
映画の宣材写真や企業の広告写真や雑誌の特集記事だけではない。映画製作や写真撮影の現場のプロの照明から離れたスナップやオフショットや壇上の取材会見などでも、いつもと変わらぬ可愛さで写真に写ってしまう。不思議だ。この現象を仮に〈妖精仕草〉と表現しておこうと思う。
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それから唐突に私たちは、「どの写真を選んでも可愛いのに敢えてその中から数枚の写真を選ぶことに何の意味があるのか?」という哲学的な問いに直面する。しかし、やめることはどきない。永遠の苦行を背負ったギリシア神話のシーシュポスのように、徒労感と戦いながら彼女の写真を選ぶ作業をつづけることになる。
どれを選んでも可愛いのにどれかを選ばなければならないという行為の不条理。浜辺美波という女優の写真の検索のはてに、いったい誰がこのような末路を想像しただろうか。そして、写真を選ぶということの「意思決定の無意味さ」に「宙吊り」にされたあとに残されたものは、「自己の限界を超えて世界が欲望するものを発見しなさい」という天啓、浜辺美波が扮する緑川ルリ子の声の残響音だけであった。
“浜辺美波の妖精仕草についての覚書”
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ari0921 · 10 months
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我が国の未来を見通す(94)
『強靭な国家』を造る(31)
 総括「『強靭な国家』を造る」(前段)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに──「『強靭な国家』を造る」を総括す
るにあたって
 「『強靭な国家』をいかに造るか」というテーマ
で20回にわたり延々と書いてしまいました。すべ
てが「強靭な国家」を造るという“「大目的」のた
め”ということから、あえて、毎回のテーマを変え
ないまま書き綴った結果でした。
改めて読み直してみますと、あくまで私の“独りよ
がり”ではあるのですが、“「強靭な国家」を造る
ことがいかに大変なことか”について再び考え込ん
でしまいます。
卑近な例をとりあげますと、現在ハマスと戦争の最
中にあるイスラエルは、日本などと比較して、20
00年にも及ぶ長い間、国を挙げてあらゆる分野で
「強靭な国家」造りを最優先して実行し続けてきた
国家であり、(すでに触れたような)その“強さ”
は、昨日今日に出来あがったものではありません。
しかし、そのようなイスラエルであっても、今回の
ような事態を招く結果になってしまいました。ハマ
ス側からすれば、10月8日の奇襲攻撃に対する報
復が、現時点において1万5千人以上の犠牲者を含
むガザ地区の壊滅に至ったわけですから、人質交換
のための一時的な停戦合意は継続していても、その
後の展開が不明であることを考えると、“割に合わ
ない、とんでもないことをしでかしたものだ”と思
ってしまいます。
イスラエルの“非情”ともいえる作戦は、単に報復
に留まらず、“この機会にハマスを壊滅する、少な
くとも、未来永劫にハマスに手出しをさせない”と、
本来の戦略に立ち返ってこれまで以上に“強い決
意”をもって作戦を遂行した結果でしょう。それこ
そが、これまでもそうであったように、将来のため
に「強靭な国造り」をめざすイスラエルという国の
“生き様”であり、「国の形」であると私は考えて
います。
我が国にあっては、明治維新に「富国強兵」「殖産
興業」という「国家目標」を打ち立て、迫りくる西
欧諸国の脅威に立ち向かうことを主目的に、まさに
“強靭な「近代国家」”を造ることを目指してきま
したが、幾多の戦争や大震災、世界恐慌の影響など
を経て、ついには「大東亜戦争」を招く結果となっ
てしまいました。
「歴史は物語である」「歴史は検証できない」とは
東洋史学者・岡田英弘氏の名言ですが、“仮に日本
が明治初期に「富国強兵」などを唱えず、「近代国
家」を目指さなかったら、その後の歴史はどうなっ
たであろうか”については検証できないのです。
しかし、18世紀後半、地球の85%を支配した西
欧諸国の植民地主義の拡大、その中でイギリスをは
じめとする西欧諸国に割譲されるという形で独立を
失った「清」の例などを見れば、明治以降の我が国
の「国の形」が相当違っていただろうということは
容易に想像できます。
現在から先の「未来」についても同様のことが言え
るでしょう。“歴史の大きな転換点にある現時点”
において、私たちが、後世のために未来起点のアプ
ローチに基づき、さまざまな手段を行使して“「強
靭な国家」造り”を目指そうとする場合と、逆にそ
のような努力を怠る場合とでは、我が国の「未来図」
を大きく変わることは疑いようがないのです。
昭和16年、日米開戦に至る一連の交渉のなか、9
月6日の御前会議で、海軍軍令部総長・永野修身が
「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬと
すれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族
永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するな
らば、たとえ戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、
われらの子孫はかならず再起三起するであろう」と
発言されたとの記録が残っています(フィクション
だったという説もありますが)。
残念ながら、そのような精神は戦後、無情にもGH
Qによって打ち砕かれたかのように見えますが、こ
れまで縷々述べてきましたような、日本人の根底に
ある“強さ”、 まさに中西輝政氏が指摘する「日本
人の『荒魂(あらみたま)』」は、戦前の歴史を否
定した大方の日本人には忘れられていても、各為政
者の時々の発言などから、周辺国にはその記録や記
憶が依然として“残っている”と想像できるのです。
「強靭な国家」造りの中で、「国家戦略」の目標と
して掲げた「安全」については、我が国は、今回の
イスラエルのように、ハマスによる攻撃の後、つま
り“有事”が起きてしまった後に「手を出すのでは
なかった」と思わせるのではなく、手を出す前から、
「日本に手を出すと“大損”をする」と相手に“躊
躇”させること、つまり「抑止」を目指さなければ
なりません。
これは容易なことではありませんが、その根底に永
野軍令部総長のいう「祖国護持の精神」がなければ
ならないことは明白でしょうし、周辺国に記録と記
憶が“残っている”間に、「抑止」のための「強い
意志」と「能力」を明示しておかねばならないと考
えます。
本メルマガでは、あえて軍事とか安全保障には詳し
く触れませんでした。しかし、終戦後、法律家や歴
史学者など有識者たちがこぞって「再軍備」に反対
していたことをはじめ、最近でも高名な経済学者が
「日本経済の復興が最優先で、防衛力増強などやっ
ている場合ではない」旨を自著に書き記していた事
実を知って、「それぞれの専門家にまかせておいて
は、この国はダメになる」と思う危機意識がますま
す膨らみました。
前置きが長くなりました。我が国の未来に降りかか
るであろう、ほかの「暗雲」でも同じことが言える
と思います。それぞれの分野で“致命的な事象”が
発生してから慌てても遅いのです。我が国が“苦
手”としている「抑止」とか「未然防止」とか「回
避」などをキーワードにして、「下降期」の中で
“どんでん返し”を狙って“「強靭な国家」造り”
を目指さなければならないとの認識が、私には一層
強まっています。
▼「国家」を再生する
“強くて、しなやか”な「国家」をいかに造るかに
ついて、これまで、“強靭性”を主に取り上げてき
ました。
実は、本メルマガの総括にあたる第4編を「『強靭
な国家』を造る」とした訳には、“強靭性”のみな
らず、“「国家」の再生”の方にもかなりのウエイ
トがありました。今回はその「国家」について取り
まとめておきたいと考えます。
ウクライナ戦争やコロナ禍の状況から、「自分の国
を自分たちで守れない国は生き残れない」と気づい
た元朝日新聞主筆の船橋洋一氏の言葉を紹介し、同
氏の「日本には『国家安全保障』という『国の形』
がない。そして、その『国の形』をつくるのを阻ん
できた『戦後の形』がある」との言葉も紹介しまし
た。
私は、この発言を船橋氏の“自責の念”と解釈して
いますが、氏の書籍の中にも「国」という言葉が何
度も出て来ます。一方、その「国の形」をつくるこ
とを拒んできた「戦後の形」にはとても“根深いも
のがある”とも考えてしまいます。
しかし、その要因は明らかでしょう。まずは、戦前、
特に満州事変以降、軍部主導のもとの「挙国一致」
が強調され、教育面でも「国粋讃美」とか「尽忠報
国」などを強要されたことに対する“揺り戻し”、
つまり「反動」があるのでしょう。
そして、終戦後、GHQの巧妙な対日政策もあって、
その“揺り戻し”は、日教組など唯物史観に染まっ
ている人たちにとっては自分たちの思想拡大の絶好
のチャンスとなって、その“揺り戻しが度を越し
た”格好になりました。
なかでも、彼らが好むトロツキーの言葉である「す
べての国家は暴力の上に基礎づけられている」が発
展し、「国家は悪」として、「国」とか「国家」を
全否定する考え方にまで拡大しました。
私は「国家論」について社会学的に深く解説できる
能力はありませんが、少しだけ踏み込んでみましょ
う。まず「国家」の起源ですが、これもまた社会学
的には解釈が分かれるようですが、門外漢の私が理
解した言葉で要約してみます。
欧州諸国が「主権国家」として独立したのは、「3
0年戦争」(1618年~48年)の結果、疲弊し
た諸国が結んだ「ウェストファリア条約」(164
8年)でした。その直後から「国家」の意義づけに
ついて社会学的な論争があったようです。
まず、「ウェストファリア条約」によって、「王が
持つ主権はキリスト教ではなく神から直に授けられ
たもの」(「王権神授説」)とする考えが普及し、
王政国家が欧州各地に出来上がりましたが、その考
えに反発するような格好で、3年後の1651年、
有名な『リバイアサン』が出版され、著者のトマス
・ホッブス(イングランドの哲学者)は、「自然状
態では、人々は絶え間なく恐怖と暴力による死の危
険さえある悲惨な状態にあり、そこを脱して、安全
と平和を手にするために“社会契約”を結び、その
結果、『国家』が出来上がった」と意義付けました。
これからしばらく過ぎた1690年、同じく英国の
哲学者ジョン・ロックは『統治二論』を世に出し、
「自然状態にある人間はすでに理性を持っている」
としながら、「自分の自然権を守るために、その一
部を放棄し、『1つの集合体』に委ねる、その集合
体が『コモンウエルス』と呼ばれる『国家』の起源
である」と説きました。
つまり、ホッブスが、「場合によっては生きるか死
ぬかの岐路に立たされかねない自然状態にあって国
家が不可欠である」としたのに対して、ロックは
「国家は、自然権を破った者に対して有無を言わさ
ず、強制的な手段をもって『処罰』するために作ら
れた」として、「保険に加入するように『より大き
な防御』のためにあり、必ずしも国家は不可欠なも
のではない」とも解釈したようです。
このように、“社会契約説”としての「国家」の起
源が発展し、やがて「市民革命」に至って近代国家
が出来上がるのですが、それからしばらく後、マル
クスによる共産主義思想が普及し、「国家」の性質
を「暴力の独占」とするトロツキー的な国家論が興
隆することになります。
一方、同じ時代に生まれたドイツ社会学者のマック
ス・ヴェーバー(ウェーバー)は、名著『職業とし
ての政治』(脇圭平訳)の中で、「国家とは、ある
一定の領域の内部で、正当な物理的暴力行使の独占
を要求する人間共同体である」と定義しました。
本書は、1917年、ドイツが第1次世界大戦で敗
戦した後、ミュンヘンにある学生団体のために行な
った公開演説をまとめたもので、それまでのドイツ
社会が、「ドイツ帝国」は存在しても、多種多様な
団体が物理的暴力をノーマルな手段として認めてい
た事実とは違った意義が「国家」にあると解説した
のです。
しかも、トロツキーとは違い、国家の「“合法的
な”暴力の独占」を定義し、「許容した範囲の中で
物理的な暴力行使が求められている」として、「警
察や軍隊はその主な道具・装置である」と解釈した
のでした。
このように考えると、安全保障を米国に丸投げした
まま、あくまで「警察予備隊」として発足し、しば
らく“再軍備”を否定し続けた「吉田ドクトリン」
は、その後長い間、唯物史観の人たちに巧妙に利用
されてしまいました。彼らは、マックス・ヴェーバ
ーの「“合法的な”暴力を独占するのが『国家』で
ある」との考えに至らないまま、(単なる暴力装置
としての)「国家」自体を否定している間に時が流
れ、我が国の「戦後の形」として定着してしまった
と解釈できるのではないでしょうか。
余談ですが、マックス・ヴェーバーによって「国家
論」を叩きこまれたドイツに、やがてヒトラー率い
るナチスが合法的に誕生するのですから、歴史とは
皮肉なものです。
さて、我が国の「国家」には、さらに長い歴史があ
ります。我が国の建国は、まだ「国家」という呼称
はなかったものの、「神武天皇の即位」(紀元前6
60年1月1日〔旧暦〕、2月11日〔新暦〕)とされて
いますし、近代国家の建設が始まった「明治維新」
も「国家の起源」として考えられる場合もあります。
戦前の歴史家の巨匠・坂本太郎氏の『日本の歴史の
特性』によれば、我が国の歴史の中で「国家」とい
う文字が初めて出てくるのは、正倉院宝物の中の
「国家珍宝帳」(756年頃に献上された献物帳
(宝物の目録))だそうですが、この場合の「国家」
は、現在の「国家」とは違う意味をもっており、国
家はミカド、つまり天皇と同義に用いられていたよ
うです。同様の表現は、当時の“現行法”であった
「律」の中にもあり、同じく国家=ミカドを意味し
ていたのだそうです。
つまり、トロツキーの「国家の性質を暴力の独占」
のような概念を我が国の「国家」論に当てはめよう
としたのは最初から無理があったのですが、結果と
して一人歩きしまったのでした。
今なお、公の場で「国」「国家」「国益」「国力」
「国体」などの使用が何となく憚(はばか)られ、
挙句の果てには「愛国心」のようなものまで否定さ
れ、放置されたまま今日に至っていることもすでに
取り上げました。一日も早く、真の意味での「国家」
の再生が望まれると考えます。
改めて、「国家」の現代的な理解をまとめてみます
と、「国家」とは、「その領土と人口を通じて、特
定の地域における社会的、政治的、経済的な活動を
組織し、調整する役割を果たし、個々の国民が自由
で平等な生活を送ることができるように、公正で公
平な社会を維持するための枠組み」のようです。
つまり「社会的、政治的、経済的な活動を組織」を
手段として、「個々の市民(国民)が自由で平等な
生活を送ることができる」ことを目的とした「公正
で公平な社会を維持するための枠組み」を指すとい
うことでしょう。
「国家」の起源にさかのぼるまでもなく、手段も目
的もそれぞれが複雑で、幅広く、奥も深く、しかも
現時点のみならず、未来においても、“自由で平等
な生活”を担保する必要があるわけですから、その
ためにも「国家」に「強靭性」を備える必要性がま
すます増大していると考えます。
▼国際社会に“リバイアサン”が復活した
さて、国際社会においても、冷戦後しばらくの間は、
「国対国」の争いから「国対テロ集団」のような争
いがクローズアップされてきました。しかし、この
たびのウクライナ戦争を境にして、再び「国対国」
の争いがクローズアップされ、それが発展して“新
冷戦”のような「分裂の時代」が現実のものになっ
てきました。
現下の情勢下、国際連合の無力さも露呈したことも
あって、ホッブスの言葉を借りれば、国際社会は
“リバイアサン”(つまり“怪獣”)が大暴れし、
それを制御するのが困難な時代になりました。この
厳しい国際社会の中で生き残るため、つまり、暴れ
まくる(可能性がある)“リバイアサン”から生命
や財産や平穏な生活を守るためには、船橋氏の言葉
を借りるまでもなく、個々の「国」あるいは「国家」
を主体に物事を考え、同じ認識を共有する「国」ど
うしの“社会契約説”ともいえる「同盟」とか「連
携」の必要性が“より増してきた”といえるでしょ
う。
“リバイアサン”を制御するためには、「外交力」
とともに「軍事力」が必要なことは明白ですので、
国家の“暴力装置”の重要性がより増して来たとも
いえるでしょう。しかし、その意味は、「世界同時
革命」に立ちはだかった時点の国家の“暴力装置”
と全く意味が違います。
総括しますと、厳しい国際情勢の中で、我が国が生
き残るために、依然として存在している唯物史観、
あるいは自虐史観の持ち主たち(ちょっとでもその
ような考え方に同調する人たちを含め)が自分たち
の信条とか先入観と決別する時が来たのではないで
しょうか。つまり、マックス・ヴェーバーの「国家
は“合法的な暴力”を独占する人間共同体」の考え
を理解し、容認することが求められているのです。
そのステップを踏んで、時計の針を戻して再出発し
てこそ、大多数の国民がこぞって「国家」を取り戻
し、後世のために“「強靭な国家」造り”に邁進で
きるものと考えます。
くどいようですが、戦前のように、あるいは中国や
北朝鮮などのように、我が国にあっては、国家の
「強制力」を行使できないのは明白です。「国を挙
げて」、つまり「挙国一致」と唱えても、大多数の
国民一人一人が“その気になる”ことがなければ、
いかなる政策も「国家戦略」も絵に描いた餅にしか
なりません。
すなわち、「『国家』を再生する」ことは「国民が
その気になる(覚醒する)」とイコールでもありま
す。そのようなことを狙いつつ、「国家意思」を分
析したつもりですが、天変地異や外圧に寄らず、い
かにして“国民が自発的に覚醒するか”を考えると、
そこにまた難題が待っていることもすでに述べたと
おりです。
今回はここまでにしておきます。次回、我が国の
「国家」論から派生する「統治のありかた」や「政
治」についても取りまとめて、第4編の総括を終了
したいと考えています。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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gupaooooon · 1 year
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NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきていることもあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
 1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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runpenparis · 2 months
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
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【自己紹介 2024年7月14日追記 3538文字】
三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明
伊賀市で有名なのが 伊賀流忍者 伊賀牛 松尾芭蕉 俳句 上野城 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ
最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった
小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ
小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森
中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ その時が一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 スレスレ生活
1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい
2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める
るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた
1973年8月1日生まれ(もうすぐ51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画
松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた
二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で
令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を��開
SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める
2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい
◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」
【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」
【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」
【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」
【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」
◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」
【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」
【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」
【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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7ni · 4 months
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深夜高速
なんもうまく行かない
手に入れたのは小細工だけ
華やかなを服で着飾って
いつかの自分を失った
言葉はもう無く
これからどこへ行けば良い?
当てにしていた啓示もデタラメのよう
さっきから
音楽のせいで
スローモーションみたいな景色なんだ
ワンフレーズだけの歌なのに
馬鹿みたいに胸を刺す
踊るようなステップで
深夜高速を流すようなスピードで
なんて目まぐるしい
この世界には私達以外誰もいないかのように
傲慢に振る舞いたい
孤独なんて嘘かのように
笑い合って他愛のない哲学を聞きたい
どこでもないところへ行こう
一生夜な訳無いけれど
この夜だけは永遠でいてくれたらいいのに
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reportsofawartime · 5 months
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「我々の国、地域では、偉大な哲学者とその教えの記憶が永遠に刻まれるために誰も何もしていません。イマヌエル・カントは逝去した時にロシア帝国の臣民であったことをお忘れなく。ドイツ人政治家らが何をどう言おうとも、この事実にこそ偉大な哲学者のロシアに対する態度が現れていると私は思います」
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straycatboogie · 6 months
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2024/04/01
BGM: The Stone Roses - Fools Gold
今日から4月が始まる。今朝、スコット・ハーショヴィッツ『父が息子に語る 壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書』を読み返し始めた。このすばらしい著作の中で、著者のスコットは「復讐(リベンジ)」という言葉に大事な、興味深い意味を付け加えんとしている。たしかにあらゆる「復讐」は悲しいものだし、できれば禁じられるべきかもしれない。だが、「復讐」には大事な役割もある。犠牲者・被害者の側の怒りをあらわにする、という意思表示だ。実にすぐれた意見と唸った。
毎度ながらぼくの話になるが、20代・30代をビールの海に浸かったような生き方をして呑んだくれていた頃、クラスメイトや教師たちにそれこそ「復讐」を誓ったりもしたのだった。実はいまでも心のどこかでそんな「あいつらを見返すのだ」という思いは、石にこびりつく苔のように残っている。子どもじみたこんな強迫観念はいつ消えるのか。永遠に消えることはないのかもしれない。
言い換えれば、ある意味ではぼくは自分で自分の檻の中に閉じこもって悲劇的に生きていたという、実に「情けない」事実があったとも言える。強迫観念に取り憑かれ……そして復讐まで思い余る、というように。このことで、どんなきれいな嘘もつきたくない。希望や夢も語れないし、ポジティブなストーリーなんて描けるわけがない(成功者としてウハウハな人生を歩んではいないのだから)。ここまで書いたものを読まれたら察せると思うけれど、ぼくはただの凡人。才能だってそんなにあるわけがない(このことに関して、繰り返すが「嘘はつかない」)。ただ、運が良かった日本の発達障害者だという話だ――いまだにストーン・ローゼズを聞いて悦に入る中年。
そう、ぼくは運が良かった。それだけだろう。40歳で出会いがあり、そこから交友関係を始められコネクションを広げられた。いまのジョブコーチやその他大勢の友だちと出会い、いまの発達障害の自助グループの始まりに立ち会った。ぼくが引き起こした出会いではない。奇跡だった――がゆえに、どんなキャッチーなライフハックやレッスンもぼくには書けない。ただ、こういう人生がありうるということを示すのみだ。
思い出す――あの頃、ぼくは社会的な勝者・勝ち組、もしくは革命家になるという(文字通り「日本を変える」というはた迷惑な)夢を持っていたのだった。ただ、自分が無力・未熟だという事実は認められなかった。直視できていなかったのだ。いま、そんな身のほど知らずな野望は捨てられたかなと思う。関心に惹かれるままに、英語を学び本を読む(時にはこんな哲学書を読んだりもする)。
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ku-neru-kotoba · 1 year
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被害者であり加害者である
36人もの死者が出た京都アニメーション放課事件の記事。ここに書かれていることについて、ずっと考えている。
===== 被害者参加の代理人弁護士が「放火殺人で人が死ぬと分かっている中で被害者のことは考えなかったのか」と尋ねると、被告が少しムッとした声で「逆に聞���が、京アニが(自身の)作品をパクったときには何か考えたのか」と反論する場面があった。
裁判官が「あなたが質問する場ではありません」と注意したが、被告は「パクりや『レイプ魔』と(被告自身が)言われたことに京アニは良心の呵責(かしゃく)はなく何も感じず、被害者としての立場だけ述べてどう思うのか」などとまくしたてた。 =====
この記事に関するコメントには、「何も反省してないな」「周りがどれだけ説得しようと、パクられたというのは絶対に覆らない事実化している」という内容のものがあった。
まずこの事件に関して、放火は明らかな犯罪であり適切に裁かれるべきだと思っている。けれど、この被告の反論は、どうしても他人事としては見れない何かを感じた。
仮に、客観的に見て100%自分が悪いことをしてしまったとしたら、自分は一生懸命謝罪するだろう。けれど、もし99%ぐらいだったら、どうだろうか。果たして何も反論せずにただただ反省の様子を見せることができるだろうか。
「悪いと思わなかったの?」「悪いとわかっててやったの?」そうやって責められるたびに、心のどこかで「うるせえな」という気持ちが膨らんでくる。「本当に俺だけが悪いのかよ」「お前にだって少なからず原因あるだろ」そういう怒りが、ふつふつと湧いてくるだろう。
そしてもし、そんな怒りをうっかり表出してしまった時には「全然反省してないじゃん」「ありえない」「責任感じてるの?」という、まさに被告に向けられた言葉が、当然のように飛んでくるだろう。
逆のパターンもある。自分の過失に永遠に無自覚のまま、相手が100%悪いと思い込んで反省を求め、反省の色が見えない場合は「ありえない」といった感じてさらに責め立てる。「反省して当然」という意識から抜け出せない。「反省」という言葉の曖昧さを逆手に、反省の“色”があるかどうかの審査員になりたがる。
会社の研修で『哲学ゼミ』というものを受講している。その中で哲学者である先生が「特権的なバルコニーに立ってダンスフロアを見下ろすことなど誰にもできない」と繰り返し語っていた。
これは元々「ダンスフロアとバルコニー」という比喩の話で、ここで言うダンスフロアは、何かに集中している状態のことを指す。対してバルコニーは、その様子が眺められる高い場所を意味する。要は「バルコニーに立つように、俯瞰した視点を持ちましょう」という話だ。
けれど先生は「そんなこと無理」と言う。(だからこそ哲学を学んで他者の思考・視点をインストールしましょう、と言った)
自分を客観視することは、世間で大事そうに語られている割に、想像以上にとんでもなく難しい。常に自分の加害性には盲目で、常に自分は被害者として生きようとしてしまう。
誰かから「加害者だよ」と指摘をもらった時に、ああそうだったんですねと素直に受け止められるなら全然いい。けれど実際にはとてつもない反発の意識が発動してしまう。むしろそういうあなたも加害者だ!と攻めはじめることだってある。自分がどんなに大犯罪を犯していたとしても。
この問題に、どう対処すべきなのかは自分でもまだわからない。自責思考を強めれば万事解決というわけでもないと思うし、適切な反論も時には必要だったりするだろう。
ただ、なんとなく思っているのは「どちらがより“悪い”か」という部分に意識が大きく向かってしまうところを考える必要がある気がしている。どっちが悪いかというのは、実はそこまで本質ではなく、誤って解消されるならそうすればいいだけのはずなのである。謝罪と反省、その先の和解が目的なら、どちらが悪いかを決めるのは単なるひとつの手段にすぎない。自分が悪くなくたって、謝ったっていいはずなのだ。
それでも謝れず、「どちらがより“悪い”か」論争を繰り広げ、相手に“反省の色”を強要してしまうのは、きっと自分の中の何かを守っているからなんだろう。その「何か」を知ることが、今の自分には必要なんだと思う。
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purplekittennight · 9 months
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聖なる者とし、輝かせようと
(自分を誘惑した、主人ポティファルの妻への ヨセフの言葉)
「いったいどうして そのように大それた悪事を働き、 神に罪を犯すことができましょう。」
            創世記39:9
神は私たちを汚れた生き方ではなく、 聖なる生き方へと招かれました。
            Ⅰテサロニケ4:7
 イザヤ書63:7~14
 イザヤ書55:1~5(通読箇所)
    (ローズンゲン日々の聖句12//30;土)
   ―――― α&ω  ――――
 父ヤコブの偏愛を受け、 10人の兄たちから憎まれていたヨセフ。 兄たちが自分を拝む夢を見、それを兄たちに話したことで、 いよいよ憎まれ、ついに、兄たちから殺されそうになり、 たまたまそこに通りかかった ミデアンに住んでいるイシュマエル人の隊商に 売り飛ばされることになりました。
彼らはヨセフをエジプトに連れて行き、 エジプト王ファラオの侍従長ポティファルに売りました。
それで、ヨセフは奴隷として ポティファルに仕えることになりました。
天の神、【主】がヨセフとともにおられ、 ヨセフのすることをすべて成功させられたので、 主人ポティファルは、 その家と全財産を管理させるようになりました。
ところが、ヨセフが体格もよく、顔だちも美しかったので、 主人の妻はヨセフに目をつけ、 「一緒に寝ましょう」と毎日言い寄ったのですが、 ヨセフはこのように 「いったいどうしてそのように大それた悪事を働き、 神に罪を犯すことができましょう」と答えて、 聞き入れなかったのだそうです。
 使徒パウロが書き送っているように、 神は私たちを汚(けが)れた生き方ではなく、 聖なる生き方へと招いていてくださるのですから。
 それでイザヤはこの方について言っています。
私は【主】の恵みを語り告げる。
【主】の奇しいみわざの数々を。
【主】が与えてくださったすべてのことを。
そのあわれみと豊かな恵みにしがって
与えてくださった、イスラエルの家への
豊かな恵みを。
主は言われた。
「まことに、彼らはわたしの民。
偽りのない子たちだ」と。
こうして主は彼らの救い主になられた。
彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、
主の臨在の御使いが彼らを救った。
その愛とあわれみによって、主は彼らを贖(あなが)い、
昔からずっと彼らを背負い、担(にな)ってくださった。
しかし彼らは逆らって、
主の聖なる御霊を悲しませたので、
主は彼らの敵となり、自ら彼らと戦われた。
そのとき、主の民は
いにしえのモーセの日を思い出した。
彼らを、ご自分の群れの牧者たちとともに
海から導き上った方は、どこにおられるのか。
その中に主の聖なる御霊を置いた方は、
どこにおられるのか。
その輝かしい御腕をモーセの右に進ませ、
彼らの前で水を分けて、永遠の名を成し、
彼らに深みの底を
歩ませた方は、どこにおられるのか。
荒野の中を行く馬のように、
彼らはつまずくことがなかった。
谷に下る家畜のように
【主】の御霊が彼らを憩わせた。
このようにして、あなたはご自分の民を導き、
ご自分のために輝かしい名を成されました。             (イザヤ63:7~14)
 この方、天の神【主】は、言われます。
「ああ、渇いている者はみな、
水を求めて出て来るがよい。金もない者も。
さあ、穀物を買って食べよ。
さあ、金を払わないで、穀物を買え。
代価を払わないで、ぶどう酒と乳を。
なぜ、あなたがたは、
食糧にもならないもののために金を払い、
腹を満たさないもののために労するのか。
わたしによく聞き従い、良いものを食べよ。
そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づく。
耳を傾け、私のところに出て来い。
聞け。そうすれば、あなた方は生きる。
わたしはあなたがたと永遠の契約を結ぶ。
それは、ダビデへの確かで真実な約束である。
見よ。わたしは彼を諸国の民への証人とし、
諸国の民の君主とし、司令官とした。
見よ。あなたが、
あなたの知らない国民を呼び寄せると、
あなたを知らない国民が、
あなたのところへ走って来る。
これは、あなたの神、【主】、
イスラエルの聖なる者のゆえである。
主があなたを輝かせたからだ。」(イザヤ55:1~5)
 この方、天の神、【主】、 「『わたしはある(I am)』という者」と 名乗られる方(出エジプト3:14)は、 自分の贖(あがな)い代(買い戻しの代金)を 払うことのできない私たちに代わって、 【御子である神】、イエスのいのちを支払ってくださって、 呼びかけていてくださるのですね。 私たちに。
もう、金を払わず、ただで、 そのままで、帰って来るように、と。
 【父である神】は、 イエスの受けられた十字架刑での処刑を 私たちすべての人間の処刑と見なしてくださって、 創造の目的から「的外れ」になっている 私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を 処刑が済んでいるもの、死んだものと 手続きしてくださっているのだそうですから。
そのうえで、受け入れる者に 【聖である霊】���呼ばれる方をお遣わしくださり、 この方によってご自身の私たちへの御思いを 私たちの心に置いてくださり、 私たちのうちに 【父である神】の御思いがあるようにしてくださり、 受け入れる者がご自身と思いを一つにして 生きるようにしていてくださるのですから。
諸国の民の中に私たちを輝かせようと。
今日も。
      ~~~~~~~~~~~~~~
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kennak · 3 months
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この規模の解雇は直感に反するように感じられる。 非常に多くの開発者が職を追われると、頭脳流出により長年の経験が業界から永久に去ってしまう可能性が高く、企業は新入社員がゼロから学習することを強いられる社内のワークフローやツールに関する何世代にもわたるノウハウへのアクセスを失うことになる。 成長は鈍化しているかもしれませ んが、依然として成長しており 、この業界は映画、テレビ、音楽を合わせたよりも大きいままです。 圧倒的な現実は、すべての失業を防ぐことはできないとしても、多くの解雇は回避可能だということです。 しかし、従業員は なければなりま��んよね? 、年末の株主配当に数ドルを追加するために、単純に打撃を受ける トト氏が説明するように、日本の代替アプローチには、企業が業界の活性化に対応するために必要な人材を確実に確保できるという長期的なメリットがある。 「ビデオゲーム業界に新たな好況があれば、それは起こると思うが、そのとき、日本企業はより良い立場に立つと思う。彼らは才能を維持しており、それが信頼を築いている。私は西洋のゲーム会社がやりすぎているのではないかと懸念している」そして、1 ~ 2 年でゲーム業界が活性化した場合、これらの決定が戻ってきてゲーム業界に影響を与える可能性がある危険性があります。 「日本と西洋の間には大きな哲学的な違いがあると思います。日本のゲーム会社は本当に長期的であり、アメリカのゲーム会社よりもずっと長期的なことを考えています。多くのアメリカ企業にとって、彼らは基本的にアメリカ資本主義の特徴を持っています。すべてが利益、利益、利益、利益であり、線が下降すると誰もがパニックになり始めます。」 終わりのないレイオフの流れが最終的に静まるとき、多くの開発者は業界を永久に去ることになるだろう。 その経験を取り戻すには何年もかかるでしょう。そして、これまでの進歩をすべて脇に置き、再び雇用が失われるのを防ぐにはどうすればよいでしょうか? 業界全体が崩壊する前に、業界はどれだけの負担に耐えることができるでしょうか? そして、たとえ状況が回復したとしても、考え方を変えなければ、10年後に再び雇用崩壊が起こる可能性があるだけでなく、避けられないのだろうか? 「アクティビジョンやエレクトロニック・アーツのCEOたちの頭からアメリカ資本主義の考えを取り除くことができるだろうか?おそらく無理だろう」とトトは会話を終えながら考え込んだ。 「常にアメリカのシステムと日本のシステムの間の戦いだと思います。アメリカのシステムは収益性と短期的な考え方に重点を置き、すべてを可能な限り効率化するのに対し、日本では考え方が異なります。」 Microsoft の収入で企業としてピザを共有する最後の機会を経て、Tango Gameworks は最後に閉店しました。 おそらく、何千マイルも離れたスプレッドシート上で、自宅から遠く離れたゲーム会社が新しいゲームをリリースして数年後に考えたことは、ラインを少しでも上げるための最も効率的な方法です。 価値のあるものすべてをグラフ上で定量化できるわけではありませんし、短期的な利益のために 1 四半期の成長をマッサージしても、その決定が将来の別の四半期に悪影響を及ぼさないことを意味するわけでもありません。 「アメリカのシステムと日本のシステムの間では常に戦いがあると思います。アメリカのシステムは収益性を非常に重視しています。」 しかし、誰がそんなことを気にするでしょうか? ラインは上昇する必要があり、無限の成長という概念は不可能ではなく、どんな犠牲を払ってでも達成しなければならない合理的な目標とみなされます。 そして人々は苦しみます。 日本企業がアメリカの企業と大きく異なるというわけでもない。 多くは上場されており、民間であろうと公的であろうと、彼らは皆、依然としてお金を愛していることは間違いありません。 ある意味、雇用保護が違っていたら状況は違っていたのではないか、あるいは言語の壁によって従業員がその努力を他の地域に移すことがより困難になっていることで恩恵を受けられなかったら、状況は違っていたのではないかと考えずにはいられません。 しかし、それがどちらであれ、彼らのアプローチの違いは、1週間後に仕事がなくなることをそれほど心配していないという事実だけでも、この国で貿易を営む人々にとっては芝生をはるかに青くしている。 おそらく今のところは、終わりが見えない解雇の世界の中で、少なくとも何人かの人々がまだ職に就いているという事実をただ慰めとすべきかもしれない。
なぜ日本の開発者は大量解雇を受けないのでしょうか? | GamesIndustry.biz
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ko-mochi · 1 year
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このような意味での「死」を知っているのは人間だけです。永遠には生きられない、人生一回きりだ、いずれ必ず終わりを迎える……。このようなことを、動物は知りません。動物は死の観念をもっていないのです。 「え、ほんとうにそうなの?」と思う人もいるかもしれません。たしかに動物はライオンに追いかけられれば逃げるでしょう。しかしそれは死ぬのが嫌だからではなく噛まれるのが嫌だからです。つまり「いま・ここ」での危害を恐れているのです。
西研『しあわせの哲学』(loc. 30/114)(honto)
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headlesshost · 1 year
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Whatever you proclaim, that is but a single truth of many.
You will live forever among the stars— and people will write of you, of things you have never done.
If you believe your feats to be everlasting, that is but a delusion, a dream to only offer you comfort.
Lyrics: (and translation source)
Count the stars— Corpses of lost desires
それが込める遺志の数だけ そしてまた 星が昇るのなら
sore ga komeru ishi no kazu dake soshite mata hoshi ga noboru no nara
If for every last will placed upon them Those stars will rise once again into the sky…
真実の話をしよう お前のその手が為すこと そのすべて
shin’jitsu no hanashi wo shiyou omae no sono te ga nasu koto sono subete
Let us talk of truth: For all you have ever accomplished…
求める虚飾と架空 その手に握る歪な物語を
motomeru kyoshoku to kakuu sono te ni nigiru ibitsu na monogatari wo
Pursuing fabrication and ostentatiousness In those twisted tales you grasp in your hands…
ひとつの謎を掲げて ひとつの答えを与える その無意味
hitosu no nazo wo kakagete hitosu no kotae wo ataeru sono muimi
Know, whenever you raise a single mystery, The meaningless of attaching a single answer
伝える欺瞞と迷妄 その手が為した罪を知るならば
tsutaeru giman’ to meimou sono te ga nashita tsumi wo shiru naraba
For all the deception and delusions you have told If you wish now to understand the sins you have wrought…
その身体が冷え切るまで 息絶えるまで その意味をただ 考えるがいいと
sono karada ga hiekiru made ikitaeru made sono imi wo tada kan’gaeru ga ii to
Until you take your last breath and your body loses all warmth, May you dwell upon the meaning of these words…
遠く高く星空に消えれば 何を追って何を求めるか、彼方
tooku takaku hoshizora ni kiereba nani wo otte nani wo motomeru ka, kanata
When you vanish far and away up into the starlit sky What will you chase and what will you seek, into eternity?
全ては星霞の向こう側
subete wa hoshigasumi no mukougawa
Everything lies beyond a veil of star-mist…
それは一つだけの真実にすぎない
sore wa hitotsu dake no shin’jitsu ni suginai
«that is but one truth among many»
さあ 見上げ 心眩ませ さあ 刻め 願いを溢せ
saa miage kokoro kuramase saa kizame negai wo kobose
Now, look skyward and blind your heart Now, etch and spill out your desires
汝 その哲学を以て 数多の星を 手にかけるなら 汝 その哲学さえも 数多の星の 一つと知れよ
nan’ji sono tetsugaku wo motte amata no hoshi wo te ni kakeru nara nan’ji sono tetsugaku sae mo amata no hoshi no hitotsu to shire yo
If you, with your philosphies deign to Lay your hands on the countless stars above Know you, philosophies, sophistries and all Are naught but one among countless yourself
運命の話をしよう 誰もが生まれたそのとき 背負うなら
un’mei no hanashi wo shiyou dare mo ga umareta sono toki seou nara
Let us talk of fate: If all must shoulder their fate upon birth…
どうして選ばれたのか それこそまた一つの謎となろう
doushite erabareta no ka sore koso mata hitotsu no nazo to narou
“Why was I chosen?” one might ask. Surely that is a mystery, equal to any other…
誰が殺し 誰が放る 皆が見ている それであって尚 誰の仕業でもない
dare ga koroshi dare ga houru mina ga miteiru sore de atte nao dare no shiwaza demo nai
Whomever kills, whomever buries the evidence, all will bear witness Yet even so, above all, no act is the sole responsibility of one
遠く高く星空を臨んで ああ美しき願いの墓標は 彼方
tooku takaku hoshizora wo nozon’de aa utsukushiki negai no bohyou wa kanata
Gaze far and away, up into the starlight sky Into that distant, beautiful graveyard of desires
全ては星霞の向こう側
subete wa hoshigasumi no mukougawa
Everything lies beyond a veil of star-mist…
それは一つだけの真実にすぎない
sore wa hitotsu dake no shin’jitsu ni suginai
«that is but one truth among many»
さあ 見上げ 心眩ませ さあ 刻め 願いを遺せ
saa miage kokoro kuramase saa kizame negai wo nokose
Now, look skyward and blind your heart Now, etch and lay down your final testament
お前は 永遠となる 夢幻の 星空のもと
omae wa eien’ to naru mugen no hoshizora no moto
You will become eternal, placed forever among those dreamlike stars
誰かがいつか 星の下 お前を探し求めては
dare ka ga itsuka hoshi no shita omae wo sagashi motomete wa
One day someone, under those same stars in seeking and searching for you…
ありもしなかった 物語を綴るだろう
ari mo shinakatta monogatari wo tsudzuru darou
Will write of you, of things you have never done…
兆すが 星火の幻想 その魂は灼かれ けして消えぬ灯火が昇るだろう
kizasu ga seika no “rêverie” sono tamashii wa yakare keshite kienu akari ga noboru darou
In the future lies: Not your feats, but a star-fire dream Your soul will burn, while another Unvanishing light takes your place in the sky
そうして
soushite
Thus…
満たすは 光彩の幻想 この夜空の何処までも けして消えぬ灯火が燈るだろう
mitasu wa kousai no “rêverie” kono yozora no doko made mo keshite kienu akari ga noboru darou
Fulfilling your absence: Not your mark, but an illustrious dream As far as the night sky can reach, another Unvanishing light will rise to take your place
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sskyt · 1 year
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『「呪術」の呪縛』下巻の読書ノート
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江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(下)リトン、2017年。
第一部 呪術概念の再検討
鶴岡賀雄「「呪術」の魅力:「永遠のオルタナティブ」の来歴と可能性についての試論」
 「マギア」を人類学的・宗教学的分析概念としてではなく西欧精神史の構成要素として見て、古代ギリシアから、中世神学、ルネサンス、近世キリスト教、現代芸術に至るまで、マギアの位置づけを跡づける。  そこでは、マギアがつねに、公共宗教や哲学といった正統的な知や生き方に対して、劣位に置かれた人々による代替行為として位置づけられる。しかし、この民衆の低級知は正統知でないがゆえに、かえってそれを批判的に超える超高級知ともなりうるものであった。  近世神秘神学における神的/悪魔的/自然的という三分法が、人類学・宗教学における宗教/呪術/科学の三区分に改鋳されていったのではないか、という指摘はなるほどなあと感じ。また���世間的・民衆的な低級知たるマギアがつねに物を介するというのも、フェティッシュとの関係で興味深い。  「神秘主義」概念の検討については別稿に譲るとされているが、その「別稿」とはこれですね。→ 鶴岡賀雄「「神秘主義」概念の歴史と現状」『東京大学宗教学年報』vol. 34、東京大学文学部宗教学研究室、2017年、pp. 1–24。 https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/47687#  なお、本論文の中で、サラマンカ大学の学士アマドール・デ・ベラスコが持っていたグリモワール(魔術の指南書)をめぐる事件の話が出てくるが、最近、魔術のことを考えすぎて、先日、江川さんから「grimoireとは魔術書のことなんですよ」と教えてもらう夢を見た。 山崎亮「社会学年報学派の呪術論素描」
 ユベールとモースの「呪術論」は混乱に満ちた論文であり、その一因として呪術のアポリア(呪術は私的なものであるが、社会的な性格ももつ)が挙げられる。この混乱を理論的に整理したのがデュルケームの聖理論であるが、ユベールとモースは納得していなかった。 江川純一「「magia」とは何か:デ・マルティーノと、呪術の認識論」
 イタリア宗教史学におけるマジーア概念を、特にエルネスト・デ・マルティーノの『呪術的世界』とその後の転回にしたがって明らかにする。宗教学において一般的に、「呪術」は「宗教」のネガとして語られがちだが、宗教史学はこの対比・対立を認めない。  デ・マルティーノは『呪術的世界』において、呪術的世界は「自分の魂の喪失の危機とそこからの解放」という実存のドラマによって根拠づけられるとして肯定的に評価したが、この世界を歴史的時代であるとしたがゆえに、進化主義的宗教論と見分けがつかなくなってしまった。  「呪術的心性と原始的心性を混同している」という師ペッタッツォーニらの批判を受け、デ・マルティーノは後年、「呪術的世界」という想定を取り下げ、神話ー儀礼の結合物としての「呪術ー宗教現象」を探究するようになる。  注にある、「今後、20世紀の宗教学思想を振り返るときには、ペッタッツォーニ、デ・マルティーノ、エリアーデのトライアングルによる、神話ー儀礼的技術としての「呪術ー宗教」の考察が軸となるであろう」という指摘が興味深い。
 なお、A. C. ハッドンが報告したボルネオのトゥリク族の男の話(ある男は鉤形の石を頑なに手放そうとしなかった、その石は魂が自分の身体を去るのを引き留めているのだという)がラトゥールのファクティッシュのようで面白い。
第二部 事例研究:古代~中世
渡辺和子「メソポタミアにおける「祈祷呪術」と誓約:「宗教」と「呪術」と「法」」
 なかなか論争的ですごい論文であった。一言ではまとめづらいが、アッシリアの『エサルハドン王位継承誓約文書』(ESOD)の構成や文法を分析することで、誓約と儀礼、「言うこと」と「すること」の宗教的な結びつきを考察する。  アッシリア学者の重鎮オッペンハイムは、西洋人として祈りと儀礼が結びつくことに耐えられず、「メソポタミア宗教」は書かれるべきではない、とまで言う。また、ESODの誓約と儀礼という形式こそが、契約(誓約)宗教としての一神教の成立と後のキリスト教の成立にも影響を与えたという。
高井啓介「その声はどこから来るのか:腹話術の魔術性についての考察」
 叙述がトリッキーで面白い。腹話術が古代の神学者たちによって魔術として扱われ、近代に脱魔術化していった過程が示される。旧約聖書サムエル記上の「降霊術」がギリシア語に翻訳される際にἐγγαστρίμυθος(腹話術)と訳されたために腹話術の魔術化が始まった。  降霊術が腹話術と見なされることで、腹話術師は腹の中に悪霊をもつことになり、霊媒は魔女扱いされるようになる。しかし、腹話術の魔術性を否定し、単なるトリックだとしたのが、『百科全書』で数学に関する項目を多く書いているジャンバプティスト・ドゥ・ラ・シャペルの『腹話術』であった。
山本伸一「カバラーにおける神名の技法と魔術の境界」
 ユダヤ教のカバラーにおいて、正当な呪術と禁じられた魔術の境界は不分明である。このことを15世紀のカバラー文学、ルネサンスの自然魔術の影響下のカバラー、18世紀のエムデン=アイベシュッツ論争という3つの事例に即して考える。  15世紀スペインのカバラー文学の共通点は、主人公であるカバリストが終末とメシア来臨を促すために悪魔を追放しようと立ち上がるも、悪魔に騙されて取り逃がしてしまい、逆に魔術に手を染めた悪人として非難される、という物語。中2っぽいというか、『進撃の巨人』(デビルマン)フォーマットだなと。 青木健「ゾロアスター教神官マゴスの呪術師イメージ:バビロニア文化の影響と呪術師イメージの由来」
 マゴスには「呪術師」「神秘主義の達人」「放蕩」といったイメージが付与されるが、ゾロアスター教の神官の職能を検討してみると、実態は王朝に仕える官僚であり、吉凶暦や蛇占いといった副業の方がイメージの形成要因となったと考えられる。  青木健『古代オリエントの宗教』は、渡辺論文の注で、紀元前2世紀から13世紀までのオリエントの宗教史を扱うものなので、「書名と内容が一致していない」と批判されていた。 毛利晶「古代ローマにおける凱旋の儀式:トリウンプスに関する最近の研究動向を中心に」
 ローマで戦争で勝利を収めた将軍が行う凱旋の儀式トリウンプス(triumphus)。そこでユピテルの扮装をする凱旋将軍の役割は神か王か。近年の論争を踏まえて、著者は元々ユピテルの儀式であったものが後に将軍自身を讃える儀式へと変化していったと推測する。  凱旋式挙行の要件が、①命令権(imperium)、②鳥占権(auspicium)、③軍隊指揮(ductus)、④幸運(felicitas)の4つだったというのが、統治(王)・呪術(宗教)・軍事の三権が一人に集中しているようで興味深い。 野口孝之「近代ドイツ・オカルティズムの「学問」における「魔術」」
 19世紀後半から20世紀初頭に展開されたオカルティズムにおける「魔術」の位置づけを、キーゼヴェッター、エスターライヒ、シュティルナーという3人の思想を中心に検討する。  ドイツの代表的なスピリチュアリスト、カール・ドゥ・プレルの概念das transzendentale Subjektを「超越的主体」と訳しているけど、「超越論的主観」では。このドゥ・プレルの理論を援用するキーゼヴェッターはオカルティズムをGeheimwissenschaftと呼び、先人としてスウェーデンボルグを挙げている。  ちなみに、スウェーデンボルクを批判したカントの『視霊者の夢』の第一部第二章のタイトルはgeheime Philosophie(オカルト哲学)である。
寺戸淳子「「呪術ではない」祭儀:「秘義」としての聖体拝領」
 大変勉強になった。キリスト教の「聖体拝領(聖餐)」「実体変化」「神秘的肢体」といったややこしい話を基本的なところから丁寧に教えてくれるので、これらの神学的議論に関心がある人におすすめの入門的論文。  12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。  12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。  逆に、教会はCorpus mysticumと呼ばれるようになった。つまり、聖体と教会の呼び方が入れ替わったのである。この教会を指す「神秘的肢体」がやがて法人のような擬制的人格一般を指すようになっていった。カントーロヴィチぽいなと思ったら、カントーロヴィチが参照されていた。 佐藤清子「19世紀合衆国における回心と「呪術」:チャールズ・G・フィニーの新手法擁護論とその批判を中心として」
 きわめて明晰な論文。19世紀アメリカの第二次大覚醒の時代を代表する牧師フィニーは「新手法」と呼ばれる礼拝方式を導入して革新をもたらしたが、それは回心を意図的・合理的に促す手法であり、限りなく呪術に接近していく。  フィニーはスコットランド啓蒙思想の影響の下、自然法則の学習・応用という方法論を採用し、自らの回心の方法を「科学」あるいは「哲学」であると称した。他方で、呪術・宗教・科学の三区分で知られるフレイザーもまた、同じくスコットランド啓蒙の思潮に影響を受けていることは興味深い。  フレイザーは呪術を稚拙な科学であるとしたが、もし仮に「回心」を心理学的な技術によって達成できるようになったとしたら、それは科学なのか呪術なのか。実は科学と呪術の区別は、その知識や技術の程度の差異によるのではないのではないか。  フィニーの「祈り」についての議論も面白い。回心は聖霊の働きによるが、人間は聖霊をコントロールできないがゆえに、回心も究極的には神に委ねられている。しかし、フィニーは回心と聖霊の間に「祈り」という人間の行為を介入させる。とはいえ、人間は祈りによって神を操作できるわけではない。  フィニーによれば、祈りはそもそも聖霊の働きによって可能になるのだから、祈ることができること自体がそれが叶えられる可能性があることの証拠となる、という。ここには、祈りのアポリア(祈りは効果があるならば、祈りにはならず、効果がないならば、祈る必要がない)を解く鍵があるように思われる。 久保田浩「近代ドイツにおける「奇術=魔術」:奇術とスピリチュアリズムの関係に見る〈秘められてあるもの〉の意味論」
 19世紀ドイツで機械仕掛けの奇術を行う奇術師は、トリックを説明(klaeren)可能なものとしながら、それを驚嘆すべきものとして提示する者であり、スピリチュアリストの種明かし(erklaeren)をして詐欺を暴く啓蒙(Aufklaerung)の意義も担っていた。  奇術師がスピリチュアリストを科学的に暴いたり、宮廷からお墨付きを得た「宮廷奇術師」が登場したりと、『鋼の錬金術師』が好きな人にお薦めしたい論文。スピリチュアリストが、奇術師は本人も気づいていないけれど実は霊媒であり、本人が奇術だと思っているのも霊媒現象なのだと主張する話が面白い。
井上まどか「ロシアにおける呪術概念の検討」
 前半が現代ロシアの事典や概説書における「呪術」概念の分析、後半が16世紀に編纂された『百章』における「呪術」の用法について。「準備的覚え書き以上のものではなく」という著者の言葉通りの文章であった。  『金枝篇』の著者名が「D. D. フレイザー」となっていて、目を疑った(ロシアだとJもGもDなんですか)。それ以外にも本書は誤植が非常に多い印象。上巻目次のタイトルからして既に間違っている。
西村明「呪術としてのキリスト教受容:ミクロネシア・ポンペイ島を中心に」
 最終章でいよいよ真打ち「マナ」登場。ミクロネシアのポンペイ島における宣教でキーワードとなった「マナマン」から、マジックワードとしての「マナ」概念の歴史的形成の議論へ。  まず、宣教師は植民地主義的視点で現地の宗教的・呪術的実践を裁断するが、しかし、その視線は一方向的なものではなく、現地民もまた、自分たちの価値体系の中にキリスト教を位置づけて理解する。ポンペイ島で、二つの異なる価値体系を通訳した概念��「マナマン」であった、という話が面白い。  さらに後半、この「マナマン」(ミクロネシア)と同族語である「マナ」(メラネシア・ポリネシア)という概念が辿った数奇な運命が論じられるが、これも面白い。  「マナ」とはそもそも、コドリントンが『メラネシア人』(1891)において初めて学術的議論に導入した語で、その後、超自然的力を指す普遍的な概念として人類学・宗教学で多用されていった。しかし、コドリントンが現地調査したモタ島とバンクス諸島は、当時、ポリネシア人と宣教師の影響を受けていた。  メラネシアの「マナ」が形容詞や動詞としての含意があったのに、ポリネシアでは名詞として用いられた。メラネシアの宣教師たちは先にポリネシア語に通じていたために、「マナ」を名詞的に理解してしまった。こうして、コドリントンがやってきた頃には、既にバイアスのかった「マナ」となっていたのだ。  このように、「マナ」とは、ポリネシアとメラネシア、現地民と宣教師、そして世界各地の多様な宗教間といった、異質な価値体系を通訳=通約する概念として強力な力をもつようになっていったのである。異質な体系の間の界面に生じる通約的概念という意味では、「フェティッシュ」にも似ているように思う。
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