『弱くてもいい』みたいなエンパワメントというやつは、
基本的に弱音を吐いても受け入れてもらえることを想定されたある程度の真人間のみなさんに向けられたものであり、
凹凸をありのまま晒したら社会から排斥される不���合者たちの話はしてないから我々は真に受けちゃいけない
Xユーザーのああああ太郎さん
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その辺が苦手な方、聞く方が早いと思ってるが相手のリソースをバカ喰いすることには頓着がない方ってのは、AIがこの先パーソナルエージェント化したとてエンパワメントされない懸念がある。
Xユーザーのym404さん
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ずっと大好きなムーラン・ルージュ!の映画のミュージカル版、ようやく観劇しました!ずーーーっと楽しみにしてました😂✨
おともは、ぽこちゃん🦊♡
感染対策がずさんな日本なのでかなり完全装備してますが、それでも不安です。でもチケットいっぱい買ってるので健康第一で気をつけて通います。
映画にもモブにクィア表象がチラッとあったけど、ミュージカル版は「えっっっ!?クリスチャン以外全員何かしらのクィアじゃないの!?」とクィアリーディングしてます。
ブロードウェイに観に行った人達のブログなどから現代版にアレンジされてるとは聞いてましたが、かなり確かに2020年前後に向けたアレンジだなと感じました。
より力強くシスターフッドであり連帯がありフェミニズムもあり、友愛や親愛やツンデレloveやクィアloveもあり、とにかくfemdomだなぁ!!!!
とにかくサティーンが自分の人生を生きるという美しくも強さが際立ち、ダンサーたちの連帯や血縁が関係ないファミリーの話だったなぁ。
クリスチャンはなんかより不安定で「必要なのはアブサンじゃなくて精神医療だろ!!」と思いつつ、あの時代にはそれが今よりかなりリテラシーも治療方法も悪かっただろうからアブサンが流行ってたのよな〜という、妙なリアル感がありましたね…
バズ・ラーマン、バチイケシス男性のヘテロラブをぶち壊していい泣き顔を見たいんだろうなと思ってたので、このミュージカルはさらにそのあたりを強調してて良かったんじゃないかな(日本版に一番感動したみたいだし)
私としてはニニが推しなので、素晴らしくて最高で大喜びでした。カエディーさん最高です!!!
そしてドラァグクイーンというベイビー・ドールが超可愛かった!!しかしながらトランスパーソンでも良かったのではと思うこともあり。「大丈夫よ、ゴージャスなレディ!」と言われてたし、あの時代にはトランスパーソンの言葉はあったのか無かったのかちょっとわからないな…脚本やスタッフやキャストたちがどういうつもりで演じてるのか探りきれなかったけど、あんまり現状(日本も世界中もトランス差別→LGBTQ+差別は酷くなってる😭)はわかってないんじゃないか?ここまでやるならトランスフラッグ🏳️⚧️やレインボーフラッグ🏳🌈くらい掲げたりしてもいいんじゃないの??と思わざるを得なかったです。PRIDE月間だったしね…
それでも妹のように皆と仲良しなのが嬉しかったです!!!!世界よマジでこうであれ!!!!PRIDE月間の終わりに観たことでエンパワメントされたことは事実です。嬉しかった…!!
あとねーーー本当にサントラが最高です。映画の小ネタもバッチリあり、長年のムーラン・ルージュのオタクとしては感激でした。
6/26と6/30に観ました。思いがけずウィンドミルチームのプレ公演初日と本公演初日でした😂✨千秋楽もほぼこのメンバーなので楽しみ〜!
2023/07/01
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ゼンタイパパ?
ポップソング×ボーイズラブアンソロジーをやりたいなーと思っていたんだけどゼンタイパパアンソロもいいなと思っている。攻めすぎかな。
ぜひともあなたさまのゼンタイパパを読んでみたいんです…って依頼するのわたしはすごい楽しいだろうけど依頼された人はゼンタイパパis何って感じなのかな。パパ・父親・お父さんの役割で生活している人がピチピチ全身タイツを着る話を集めたアンソロだよ。
レギュレーションなどお伝えする際、「わたしの個人的な好みではありますが、ゼンタイを途中で破っちゃうのは悲しいのでできれば最後まで破かずにプレイしてほしいです…」みたいなのも伝えることになると思うんだけどほんと何って感じだよね(メガネキャラが途中でメガネはずすのもったいないみたいなアレだよ)(エッチなビデオとかだと破っちゃうこと多いんだけどそれはすごく悲しいのよ)。
ゼンタイプレイって基本的には静かに行うものなので(いやわかんない、そうじゃない人もいるかもだけど)、あんまりこう言葉責めとかハート喘ぎとかオホ声とかにはなりにくいからRはつかない本にできると思うんだよね。だから扱いやすい…ということはないな…ゼンタイフェチってけっこう極まってるな…。
プレイって言っちゃうけど、いわゆるプレイじゃないのもあるかな。SFだったりファンタジーだったりで。わたしは直球ストレートにゼンタイプレイを書くと思うけど、うっかりゼンタイとか事実上ゼンタイとかそれってゼンタイじゃんみたいなのもあるかも。わかんないけど。
ほんと急にどうしたのって感じなんだけど、なんていうのかな…、およそ悪ふざけとしか思えないようなテーマでしっかりがっつりはっちゃけて、それでいてセーファーな本を作りたいんだよね。
いちおう自分としては、よわよわおちんぽちゃんとかもそういうつもりでやってるの。貞操具とかとてもマニアックなエロなんだけど本自体はセーファーでエンパワメントなことをやってるつもりなの。
これはあれだ、愚痴みたいになっちゃうけど、ほのぼのとか心なごむとかハートフルとかの言葉で言い表される、いかにも無害っぽく差し出された作品に思いっきり踏まれてしまうことがたびたびあるので、そこへのカウンター的な気持ちがあるんだと思う。
優しそうで爽やかなお話が作者の偏見や差別感情によって作られてるなーっていう。優しいお話にも偏見が隠れているというよりは、この作品を成り立たせている価値観が自分には相容れないものですねっていう。まあそりゃそうなのかも。優しくて波風立てないってことは体制寄り、権力を維持するものになりやすいのはあるかもだし。ほんと申し訳ないんだけど「ほのぼの」とか「ほっこり」にめちゃめちゃ警戒してしまう。
だからまあそういうのもあって…ゼンタイパパを…いやでもそれがゼンタイパパでなくてもいい気はするんだけど…。わかんないな…。たんにゼンタイにした方が広がるかな…でも広げたいわけじゃないしな…。これすごく小さくやるか大騒ぎしてやるかどっちがいいんだろうな〜。やると決まったわけじゃないけど。
というようなことを連ツイしそうになって何やってんだと我に返った。でも頭の中にとどめておくとずっと考えてしまうので外に出しておく(いま小説をガンガン書いている期なので頭の中に余計なアイデアがあると気が散る)。
もしもわたしが『ゼンタイパパアンソロジー 第二の皮膚』(仮)とかやり始めたらこいつほんとにやるんだ〜と笑ってください。。。いやたんに「第二の皮膚」だとパパ感ないからタイトルもうちょいどうにかしたほうがいいけど。そしてこれにせよポップソング〜にせよ、今回は指名でやりたいアンソロで、いやまあ公募にするかもしんない、決めてないんだけど、どっちにしてもそっと見守ってくださると助かります(募集を始める前や計画の段階からガンガン手を挙げられるとちょっと困ってしまう。。。。
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同じく大量解雇が発表されたアメリカでは、該当する社員が即日解雇に遭った。
グーグルCEOは、全社員のうち1万2千人を人員削減の対象とすると、1月20日付のメールで社員に通知。報道によれば、アメリカで対象となった社員の中には病気療養中や出産分娩中の社員もいたが、彼らにも容赦なく退職勧奨のメールが届いたという。
ただ、労働者代表や組合との協議がない中での一方的な解雇が事実上不可能である、フランスやドイツなどのEU諸国では、希望退職を募ったり労働委員会で協議したりするなど、即日解雇にはいたっていない。
こうした他国での状況を見守りつつ、フランクさんは、まさか日本でも会社が解雇に踏み切るとは思っていなかったと話す。
「シンガポールやアメリカにいたら、会社に言われるがままに失職していた。自分は少なくとも反撃することができているし、それこそがエンパワメントになっている。もちろん、自分の手が及ばないことには無力感もある。失職したら多くの人がこう感じるのは当然だ。たった一晩で、仕事へのアクセスも仕事自体も失ったら、信じられないほど無力感に陥る。少なくとも組合員とともに闘い続けられている自分は、恵まれていると思う」
(3ページ目)離職同意書に合意しなければ「嫌がらせを受ける」退職勧奨を受けたグーグル社員が明かす「日本のよさ」 | FRIDAYデジタル
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【ブリアナ・ギガンテ×ファッションコーデ】自分をエンパワメントするブリアナ流・ファッションの極意を深堀り|HOW TO BE HAPPY NO...
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「大地の芸術祭」日記
ちょうど1ヶ月ほど前、友達に誘ってもらって、生まれてはじめて新潟の越後妻有で行われていた「大地の芸術祭」を巡るバスツアーに参加したのだけど、それがしみじみと心に残る体験だったので、忘れないうちに書き残しておこうと思う。
昔から西洋絵画や写真やファッション関連の展示を見たりするのは好きで、国内外の美術館にはたびたび足を運んでいたけれど、決してアートに詳しいわけでもなく、車も運転できない私にとって、泊まりがけで行く「芸術祭」はなんとなくハードルが高くて、これまでずっと興味はあってもなかなか行けずじまいだった。
でも、ついに巡ってきた機会に今回はじめて訪れてみると、大地の芸術祭のアート作品や展示作品は、越後妻有という場所に生きてきた/生きている人たちの歴史や日々の生活と深く関わり、その営みの痕跡や手ざわりが五感を通じて豊かに伝わってくるようなものが多くて、今まで私が美術館で観てきた「アート作品」とは、まったく印象が違っていた。
少し湿った土の香りがするしんと澄んだ空気に、色とりどりの紅葉が広がる山々。太陽の光にきらきらと照らされる、あちこちに背高く群生するススキの穂。古民家や廃校になった小学校がそのまま展示会場になった場所の、足裏や肌で感じる床板の冷たさや軋みと懐かしい風景や匂い。地元で取れた米や野菜や肉などの素材の味や食感と、作り手の方の温もりがそのまま感じられるような素朴で豊かな食事。
そういう、その土地の自然やそこでの営みの中に少しだけ身を置いて、自分の五感で直接感じながらアート作品を見る体験は、自分自身が内側から満たされ回復していくようでもあったし、「アート」というものが決して「美しくて高尚で市井の人々やその生活から切り���されたところにあるもの」ではなく、「その土地に生きる普通の人々の生活や営みをまなざし、共にあろうとするもの」でありうると知れたことが、とてもうれしくもあった。
私が去年までラグジュアリーファッションの世界で働いていた中で、文化や社会の動きとも連動しながら築かれてきた豊かな歴史や背景の蓄積や、社会の価値観を変えたり人々をエンパワメントしたりすることのできる影響力の大きさ、惜しみなくデザインや技術を高め、美しさや芸術性を追求することのできる豊かさに、大きな魅力も感じていた。
でもそれ以上に、グローバル化や商業主義化が進んだラグジュアリーブランドが提示する世界観やものとその値段が、あまりにも一般的な市民の生活や価値観と大きく乖離していて、結局は世の中で富や権力を持つ人たちにしか手に入れられない、そこにアクセスできる人の方しか向いていないように感じられる部分も数多くあったことに、ずっと葛藤や違和感も抱いていた。
だからそういう意味でも、今回「大地の芸術祭」を体験して、アート作品にもいろんな種類や在り方や力があることを改めて知ることができたのは、とてもよかったと思う。
「大地の芸術祭」で見た作品はどれもそれぞれに印象深かったけれど、2日間かけて回った中で特に私の心に残ったのは、いくつもの場所で見た、旧ソ連(現ウクライナ)出身のアーティスト、イリヤ&エミリア・カバコフの作品たちだった。(その時は迷って買わなかったけど、やっぱり忘れられずに後から展示の図録をオンラインで買って手に入れた)
旧ソ連の文化統制下で、公的には絵本作家として働きながら、公には発表できない「自分のため」の作品を長年作り続けていたというカバコフの作品たちは、「前の私だったら見過ごしていたかもしれない」と思うくらいに、一見慎ましくてさりげないものが多い。
でも、目を凝らして一つ一つの説明を読みながらじっくり作品を見ていくと、「表現や行動が制限された場所や時間の中で、どうやって少しでも幸せに、よりよく生きていくことができるのか」ということを切実さや苦悩や閉塞感の中で考え、生み出されたものでありながら、そこにはどこかふっと肩の力が抜けたり、凝り固まった視点や思考に抜け道を作ってくれるような、ひたむきな前向きさやウィットや”信じようとする力”があって、強く惹きつけられた。
たとえば、天使の翼を作り、毎日それを一定時間背負って過ごすことでよりよい人間になろうとする「自分をより良くする方法」や、板で囲ったブースの内側に豊かな自然や心休まる風景などの前向きな写真や絵を貼り、その中で椅子に座って30-40分過ごすことで元気になろうとする「前向きな姿勢と楽天主義に照らされる」といった作品は、自分の日々や人生や世の中が行き詰ったとき、そういう試みや考え方をヒントにしてみたい、と思わされるものがある。たとえ実際にはやらなかったとしても、そういう発想が頭の片隅にあるだけで、きっと少し心や視界が開けていくような気持ちになる。
コロナや戦争や圧政、未来に不安を感じるような政治や社会のあり方に人々の生や生活が脅かされる中で、できるだけ日々に光を見出そうとし、少しでも幸せに、よりよく生きようとする個人的な実践の可能性や力はとても素晴らしいし、大切にしたい。
でもその一方で、人々が抱える苦しさや不安や閉塞感の原因が、「個人の努力」や「個人の感じ方」の問題に絶対に(本当に絶対に!)回収されてほしくないということも、改めて思った。
個人が抱えるさまざまな問題や苦しみの多くが、本当は社会の構造や不平等からきていること、本当に変わらなければいけないのは社会やマジョリティ(権力や特権を持つ側)であるということを忘れたくないし、そのことにもっといろんな人が気づいてほしいなと、最近学んだり考えたりしていることに思いを巡らせながら考えた。
そして、いろいろ見たカバコフの作品の中で特に好きだと思ったのが、越後妻有里山現代美術館に展示された「16本のロープ」だった。(頭上に張り巡らされたロープに、紙切れや壊れた日用品の欠片などとともに、旧ソ連の圧政下で暮らす人々の会話のメモがぶら下げられているという作品)
まだまだ声の大きい人の声ばかりが聞かれる社会のなかで、こういうふうに、社会に生きる”普通”の人々や”少数派”の人々の声や感情や生活や置かれた状況に丁寧に目を向け、大切に思う人や視点があること、それが芸術や文学やカルチャーを通して表現されることに私はいつもすごく勇気づけられるし、救われる気持ちになる。
(2019年に、市原湖畔美術館で『更級日記考 女性たちの、想像の部屋』という展示を見た時もそんなことを思ったな、と思い出した。私が韓国のアーティスト、イ・ランさんの書くエッセイや歌詞の内容にずっと惹かれ続けているのも、同じ気持ちから)
とにかく、ここ数年で見てきた大小さまざまな展示の中で、こんなにもいろんなことを考えたり感じたりしたのははじめてかもしれないと思うくらい、「大地の芸術祭」は自分の中に行き交うものがとても多い、実りある体験だった。コロナや、今も続いているロシアとウクライナの戦争、今個人的に感じている行き詰まりと、カバコフの作品たちが作られた背景や想いが、呼応する部分も大きかったのかもしれない。
2022.12.03
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私は「推し」という行為をどこまでも疑っている。そうすることで誰かの人生が華やいだり、エンパワメントしたり、抵抗になったりするというのを見聞きするし真実だろう。しかし、どこまでも「推し」という文化が嫌いだ。道徳的非難などではなく、私の美的な非難として、私はこの文化を嫌う。
Xユーザーの難波優輝さん
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2024/5/30
XGのファンっぽい人がSIMONのPDとしての立場について意見を表明している人に対してXGとフェミニズムの関連性を否定するような投稿をしていて、さすがに見当違いな意見すぎて白目剥いた。
女性をエンパワメントしたいって本人たち言ってるし、実際に歌詞もそのテーマに基づいている曲もあるわけで、そういったテーマを選んで活動しているわけなんだから、関連性がないなんて言えないし、そもそもフェミニズムに関連しない人なんていなくないか?
男性がPDに立って活動しているから尚更自分たちの見せ方次第で、自分たちのコンセプトの評価が大きく変わっていくことを認識できているのか疑問に思う。
インタビューやドキュメンタリーでも文化や歴史についてXGに勉強する機会を設けているようなことが書かれていたと思うけど、それも多分そこまでではないんだなと思った。
あんだけダンス・ラップ・歌を練習しているわけだから、勉強時間を確保するのも大変だとは思うけど、PD・メンバー・XGALX全体でこの問題に対して今後どうアプローチするのか考えるべき。
あと、こういう発言をするファンに対して、じゃあファンやめろとか言ってくる人は自分の無知さをさらけ出しているだけだし、そして、こういう風に言うと、偉そうにいいやがってとか多分言ってくるんだろうけど、偉そうとかじゃなくてただ人権を守りたいだけ。
女性をエンパワメントするというコンセプトを掲げて活動したいという気持ちをもって、死ぬほどたくさん努力して世界に羽ばたくXGを応援したいし成功してほしいから、矛盾に感じる見せ方や行動に対してはただ賛同するだけでなく、批判的な意見を述べて一緒にアクションを起こしたい。
本当WOKE UPいうなら本気でWOKE UPしようよ。
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「哀れなるものたち」原作小説を読みました。
映画面白かったけど、セックスが大きなテーマなのに避妊・病気・暴力への接近に言及がないことがとても不満だったのですが、小説では全編にわたりリプロダクティブ・ヘルス/ライツの話をしており、勢いがあり、ミステリ小説のようにグイグイ読めるページターナーだった。しかもエンパワメント、楽しかった〜!
というか、映画、セックスシーン一個削って避妊や病気の話をしてくれても良くない!?!?という気持ち。
原作では女性への医療・差別・抑圧、社会階級の不均衡がもたらす不健康、社会運動、サフラジェットへの接続までを読みやすくて楽しい叙述トリックで仕掛けてくれて最高!
読みやすいのに重層的なテーマにわたるガッチリしたフェミニズムを楽しく仕上げてくれていて読書の喜びを強く感じる素晴らしい小説…
仕掛けが多くて紙の本の楽しさもありました。
分厚くて読みやすい本だったので家でゴロゴロしながら読んでたんだけど、同じ家に暮らしている小学生がぬいぐるみを持って私のお腹をつついたり本の前を横切らせたりして、
「ああ〜、邪魔だなぁ、でもこの可愛い邪魔もいつかかけがえのない時間だったと気づくんだろうなぁ、可愛いけど邪魔だけど可愛いな〜」と言ったら同じ家に暮らしている小学生はニコニコしながら更にぬいぐるみで視界の邪魔をするなどしたので、「可愛いから記念に写真を撮っておこう」とニコニコして本をぬいぐるみで隠す小学生と哀れなるものたちの文庫の写真を撮った。
可愛い、でも邪魔、でも可愛らしく、もうすぐこんなことなくなるんだろうなと思う。
文庫本の「哀れなるものたち」、気に入ったのでずっと家に置いておくと思うんだけど、ぬいぐるみで邪魔されたこととか、虎に翼をみんなで楽しく見ていることとか、全部の思い出も一緒に置いておけたらいいなと思う。
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話す──イスラエル・パレスチナ「敵」との対話
互いのナラティブを語り合う場を提供する非営利法人の取り組みも近年、広がりを見せている。先駆けとなったのは1994年に米カリフォルニア州で創設された「デジタル・ストーリーテリング・センター」(「ストーリー・センター」に改称)(STORYCENTER. n.d.)だ。「誰にでも語るべき物語がある」という視点から、「深く聴く、物語る」をモットーに少数派のエンパワメントなどを目指す(北出 ct al., 2021.p.128)。アイルランドで誕生し、全世界に広がる「Narrative4」も教育者や学生らがナラティブ交換をするためのノウハウを提供している(Narrative4. n.d.)。「ストーリー・テリングは究極の民主主義」と提唱するこの組織は、国境や境界、性別や民族、貧富の差を超えた語りの交換を目指す。その合い言葉は「今日のストーリーをシェアすれば、明日のストーリーを変えられる」だ。
2000年にデンマークの若者らが立ち上げた「ヒューマンライブラリー」は語り手を「本」、聞き手を「読者」と呼び、欧米諸国を中心に広がった。性的マイノリティや難民など主に少数派の人々が自らを「本」としてオルタナティブなナラティブを語る。「日本ヒューマンライブラリー学会」のホームページにはこのほか日本各地の大学や教育機関、市民団体やどでの同様の取り組みが紹介されている(北出 et al., 2021.p.144; 日本ヒューマンライブラリー学会. n.d.)。
イスラエルとパレスチナ間の紛争は75年間も続くが、1995年に創設された非政府組織(NGO)「和平へのイスラエル・パレスチナ遺族の会」(The Parents Cirele-Pamilies Forum = PCFF)は、互いのナラティブの交換を続けている(PCFF.n.d.)。
この会の代表メンバーたちは2003年6月に来日し、フォーラム「和平へ 憎しみを超えて」に参加した(朝日新聞社. 2003)。当時、現地は第2次インティファーダ(対イスラエル民衆蜂起)のまっただ中で、パレスチナのイスラム主義組織ハマスによる自爆テロやイスラエル軍による掃討作戦が続いていた。代表を務めるイツハク・フランケンタールさん(51)は冒頭のあいさつで、組織を立ち上げた経緯をこう語った。
「あれは1994年7月7日のことでした。長男のアリクがハマスによって誘拐され、殺されました。息子を失ってからと、その前とでは、私の人生というのは、全く違ったものになりました。イスラエルとパレスチナとの和解・和平を達成するために自分ができることはすべてやろうと決意しました。息子の死で7日間の喪に服しました。その時、訪ねてきた友人たちに私はこう言いました。パレスチナとの和平は絶対あるはずだ、と。友はこう言いました。パレスチナ人は人間ではない。敵だ。おまえの息子を殺したじゃないか、と。私は言い返しました。『我々とパレスチナの間に平和がないために息子は殺されたのだ。私はイスラエルとパレスチナの間に和解と平和を達成するために最善を尽くす』」
フランケンタールさんは図書館に通い、新聞情報などからイスラエル人の遺族422家族の名前や住所を調べ、手紙を書いた。44家族が彼の考えに賛同し、やがてその数は数百に膨らんだ。パレスチナ側にも数百人の遺族らを訪ね、活動の趣旨に賛同した210家族が参加した。2023年冬までに開かれた会合は500回以上を数える。
フォーラムのパレスチナ側代表はパレスチナ自治政府社会福祉省に勤務するリハブ・エサウィさんが務めた。イスラエル軍による攻撃で弟、婚約者、母、甥を失い、自身も4回投獄されて復讐を誓ったこともあった。だがその後、フランケンタールさんと出会った。
「彼らの活動を見て自分の居場所はここだ、自分も何か貢献できるのではないかと思いました。以来、和解と平和を目指して自分がすべてをなげうって会の活動を支えてきました。我々の力はささやかなものでしょうが、いつしかこの状況を変えられるかもしれません」
過去の「遺族の会」ではハプニングも起きた。
兵役を終えたある大学生が参加し、その場で告白した。「ガザ地区で任務に当たっていた時に、ひとりのパレスチナ人を殺してしまいました。4、5年前です。それ以来、眠れなくなりました。」するとパレスチナ人の母親が立ち上がり「この人殺し。私の息子を殺したんだろう」と叫んだ。フランケンタールさんは駆け寄り、「あなたの息子さんを殺した人を私がここに連れてくると思いますか」と語りかけた。互いのナラティブに耳を傾ける2日間のプログラムが終了すると、この母親は学生にこう話したという。「私は、あなたを私の息子にしたい」。フランケンタールさんはフォーラムで当時を振り返った。
「これなんです。我々がやっていることは。たやすいことではありません。実に難しい。それぞれが国を愛するがゆえにやっているのです。私は息子を失いましたが、恐怖感も、憎しみもなく、和解を実現したいだけです。双方のすべての人がそんな境地になれるはずだし、そうなってほしいのです」
フォーラムでは、防衛大学校教授(当時)の立山良司さんが基調講演者をした。立山さんは長年、イスラエル・パレスチナ間の紛争解決にさまざまな場面で尽力してきた。フォーラムの開催から20年を経たいま、イスラエルではかつてないほと極右の政権が誕生し、和平への道はかたく閉ざされたままだ。それでも双方の遺族がナラティブ交換の場を持ち続ける意味はあるのだろうか。私の質問に立山さんは、「相手も普通の人間なのだということが分かる。それだけでも意義があると思います」と答えた。
市民と市民がひざを交えて語り合う。それはいわば、ボトムアップの和平への取り組みだが、国際社会では政治的な「トップダウン」の和平��渉にばかり重心が置かれやすい。
だがそれだけでは本当に持続可能な和平は実現しない。
1995年11月にイスラエルで起きた暗殺事件はそれを裏付けるものだった。パレスチナ国家樹立を目指す「オスロ合意」が締結された2年後、イスラエルのラビン首相がユダヤ教過激派の青年に暗殺された。当時のイスラエル国内には、「パレスチナ国家の建設なんでとんでもない」といった反感や憎悪が漂っていた。
事件を機に和平への機運は一気にしぼみ、四半世紀以上経った今も回復していない。ボトムアップのアプローチを軽視したトップダウンの1本打法では、和平は1ミリたりとも前進しないのではないか。私の問いに、立山さんはこう語った。
「ハマスのナラティブにしろ、ユダヤ教過激派のナラティブにしろ、相手を悪魔化するというか、そういう扇動、洗脳といったものが、互いに相手を知らないと、市民の間で受け入れられたり拡大したりしてしまう。そういう言説、ナラティブは政治的な和平の進歩があってもそれを内側から掘り崩してしまう。ラビン首相を暗殺したのは非常に過激な宗教的なナラティブだった。ああいう過激なナラティブを生まない、生まれても社会がある程度コントロール下に置けるような状況ができていないと和平交渉は進まない。相手の考えることが分かるようになっていれば、和解はより可能になる」
東京学芸大学名誉教授の野口裕二さんは「対立」とナラティブの関係性についてこう述べている(野口. 2009b.p.275)。
「われわれは、『対立』や『問題』に出会うとどうしたら『解決』できるかをすぐに考えてしまう。そして、そのためには、問題の構造と原因を客観的に分析することが何よりも重要と考え、事態を『三人称の主語』で記述しようとする。このとき、『一人称の主語』の物語は周辺へと追いやられ、語られないままに終わるか、語られても聴かれないままに終わる。しかし、『対立』や『問題』は客観的な原因だけでできあがっているわけではない。そこにはさまざまな『物語』が絡まりあっている。したがって、われわれはまず、それぞれの『物語』を互いに『理解』しあうことから始める必要がある。ひとつの『正解』を発見することを目標にするのではなく、差異や多様性を『理解』すること、そこから『和解の物語』や『希望の物語』へとつながる道が見えてくる」
『人を動かすナラティブ──なぜ、あの「語り」に惑わされるのか』 大治朋子 著 毎日新聞出版 2023年6月30日発行
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3月に入りました🌷いつもShangrilaを利用くださり、ありがとうございます✨🙏✨ 集中セッションや事業者様へとご利用頂けるセッションメニューが増えました。
🌝Shangrila個人セッションメニュー🌝
Shangrilaリーディングセッション ヒーリング&リーディングセッションはクライアント様のハイヤーセルフ•ガイドと繋がるリーディングと各種エネルギーワークを融合した個人セッションをさせて頂いています。
⭐︎リーディングのみのセッション又は
⭐︎ヒーリング+リーディングのセッションです☺︎⭐︎
★対面/遠隔★
スピリチュアルリーディング・カウンセリング クライアント様のハイヤーセルフ・ガイドと繋がり必要なメッセージをお伝えします。
60分まで 10000円
90分まで15000円
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★対面/遠隔★
スピリチュアルリーディング+ヒーリング
クライアント様のハイヤーセルフ・ガイドと繋がるリーディングと各種エネルギーワークを融合した個人セッションです。
90分 まで15000円
120分 まで20000円
ブロックの解除
グラウンディング
センタリング、
オーラやチャクラの修復や調整、
不必要なコードのカット、
豊かさやパートナーシップ、
依存•執着
または過去世からの持ち越してきたこと
根強い信念体系の固定観念やトラウマの解放
家族間の出来事
やめたいのに繰り返してしまう癖、
天体から受ける影響の改善
人との境界線など
エネルギーヒーリング•ワークを行っています。
私たちの身体の細胞、オーラ、DNAレベルにある、古く低い周波数の記憶や思考や感情を取り除いたり、傷やオーラの修復、癒しや浄化などの調整と活性化をおこない、強力にエネルギーをアップグレードさせていきます☺︎
エネルギーヒーリング•ワークの前に
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「これがしたい‼︎」「こうしたい‼︎」とご希望の方はセッション前にお知らせください😊💐
定期的にエネルギーメンテナンスをしたい方にもおすすめです。
★対面★
自分自身の感性・感覚を取り戻す集中セッション
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取り戻していきたい方の集中セッションです
150分〜180分まで×6回 150000円
★対面★
自分軸を取り戻し望む人生を創造する集中セッション
他人軸から自分軸へ
どう思われるかより、どうしたいか
主体性、自分軸を取り戻して望む人生を創造していきたい方の集中セッションです。
150分〜180分まで×6回 150000円
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屋号・事業者名・活動名などのネーミング
(赤ちゃんのお名前は不可)
・ネーミング案や候補が既にある場合
ネーミング1つにつき20000円/120分まで
・ネーミング案がなく1からのご相談の場合
ネーミング1つにつき50000円/120分まで
(120分を超えてしまう場合は別日に追加料金なしで再度セッション致します)
○ネーミングにつきましては、姓名判断などではなく、降りてきた波動・バイブレーション・音・光・色をもとにつけさせて頂きます。
見えないところを丁寧に観ながら癒し、お掃除して
滞りを解消し、活性化して循環させながら
いまは精神的にも肉体的にもバランスを取って
本来の自分に繋がっていくことが不可欠な時代へと突入しています🌎
心身共に健やかに☺︎
自分の心身のメンテナンス、自分を整えて
自分をどんどん癒し解放していきましょう。
Shangrilaリーディング・ヒーリングセッションは、
あなたを導くハイヤーセルフ・ガイドと繋がり
あなたへのアドバイスやメッセージをお伝えしながら、あなたがあなたらしく生きるために、あなたの望む現実・未来の創造をナビゲートしていきます。
本当のご自身に触れる・ご自身の心の奥深くや本質、魂に働きかけることにより、
気づきやヒーリングが起こることによって変容・変化を促します。
★変容・変化・受容にはプロセスが必要になります。
感じ方、変容の仕方、プロセスやスピードには個人差があり、お一人お一人違います。
また、アクティベーションの体感や効果等を保証するものではありません。
★セッションのテーマ・ご相談はクライアントさまお一人お一人により様々です。
★すべてのセッションやヒーリングは深い内面の気づきや、受容のプロセスを要します。
精神科に通院されていたり、投薬中の方はご遠慮ください。
★ヒーリング•エネルギーワークは魔法ではく
ご自身の本来のPowerを引き出すエンパワメント、力添えです。
★セッション後に風邪症状のような好転反応が起こる場合もあります。
★お申込みは自己責任のもとでお願いいたします。
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メールまたは、お電話にて詳細をお知らせ
いたしますので、メールには必ずお名前とご連絡先を忘れずに記入してください。
日中は電話に出れないことがあります、順番に折り返しますのでお待ちください。
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🌷セッション日🌷
月•水•金•土曜•日曜日
午前10時〜12時
午後1時30分〜7時
ぜひお気軽にお問い合わせください☺︎♪
お問い合わせ・ご予約✉︎
℡090-2617-8527(21時まで)
ヒーラー
松本 じゅんこ
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TwitterやInstagramではお知らせをしていたのですが、
Tumblrでも遅くなってしまいましたが、
改めてお知らせさせていただきます。
以下の文章は私のTwitterアカウントより。
『doughnut様のご依頼で、「私の体は私のもの」缶バッジの作画・デザインをさせていただきました。トランスジェンダー含む全ての女の子、女性たちをエンパワメントしたい気持ちを絵に込めました。あなたの体はあなただけのものです。国や他人に決定権は決してありません。』
『差別、不平等、性暴力と隣り合わせの毎日を今すぐに終わらせたい。何の不安も感じることのない安心と穏やかさのある日々を必ず来させるために、やれることをやっていきます。この缶バッジを見て、少しでも安心できたら、と思います。』
お読みいただきありがとうございます。
doughnut様は毎日をエンパワメントしてくれる素敵な雑貨をたくさん販売しておられます。応援していきたいと思っております。
doughnut様のサイトはこちらです、缶バッジも
ここから購入出来ます。
https://doughnut.thebase.in
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エンパワメントを目的にするものは学問ではない。
@masayachiba
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一方プリキュアは「男の子もおじさんもプリキュアになれる」とエンパワメントした。
XユーザーのYANAMi🦊M1921さん
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