Amazon.co.jp: 14歳、ぼくらの疾走: マイクとチック (Y.A.Books) : ヴォルフガング ヘルンドルフ, Herrndorf,Wolfgang, Sowa,Michael, 栄, 木本: 本
主人公のマイクは、ベルリンのギムナジウムの8年生。家庭は不穏だし、学校では、ただ目立たずにいる。退屈な毎日だ。そこへ、へんな転校生がやってくる。チックという名だ。マイクは不良じみたチックと、行きがかり上、旅にでることになる。それも、オンボロ車を無断で借用して。破天荒なチックのやり方に、はじめは面食らっていたが、その自由気ままな心根に、マイクは魅力を感じる。二人の人生にとって忘れがたい旅がはじまる。
ドイツ児童文学賞、クレメンス・ブレンターノ賞、ハンス・ファラデ賞を受賞。現在16カ国で翻訳されている。
- - - - - - - - - - - - - - - -
ニホンゴ「再定義」 第15回「ラノベ」 | 小説丸 - Part 2
年齢や世代を超えて傑作という評価が高いドイツのヤングアダルト小説『チック』(邦題『14歳、ぼくらの疾走』)を例にとってみよう。
これは、ドイツあるある的なアッパーミドル家庭の倦怠感や、それを取り巻く権威権力マウント由来のドイツ的偽善からの脱出を図る中学生を描く内容で、盗んだクルマを駆って東方の「ルールや定義があやしい楽園(と、主人公が思っている)」エリアへ突き進もうとするロードムービー的小説だ。
印象的なのは、非日常性や現実逃避への願望や「異界」の存在が、結果的にむしろ「現実」の核心により深く直面するための材料になっている点だ。
主人公たちは旧東独エリアで露天掘りの鉱山跡に迷い込み、そこで孤独に暮らす偏屈な老人に遭遇する。その老人は若い頃つまりナチ時代、共産党員だったため逮捕され、東部戦線の激戦地に懲罰部隊メンバーとして送られて地雷処理や死体処理をやらされた経験を語る。そしてドイツ人もロシア人も同じようにクソだ! と中学生相手に毒づく。それを見て「ありえねえ」と、主人公の一人は反応する。
ある意味これは、いわゆる説話ほどわかりやすくない隠喩に満ちた説話であり、その基本構造は「登場人物の内面的成長」をテーマとする「教養小説(Bildungsroman)」と大きく重なるといってよい。
教養小説についてはこのエッセイの「教養」の回でも触れたが、要するにゲーテやトーマス・マンの仲間であり、内省とそれにもとづく自己形成を重視する、一種の鍛錬のツールである。うむ、言えば言うほどラノベから遠ざかる実感がある!(笑)
2 notes
·
View notes
ツイステ、学園長のユニーク魔法が未来視で運命改変している説
※以前の考察はこちら
シンプルに対症療法的な運命改変が行われているという説。
5章。元の運命ではヴィルのオバブロはコロシアム外の魔法士らにも知られ全国に知れ渡り、あるいは死傷者を出し、あるいはヴィルが死亡するような事態が起きており、それを阻止するためコロシアム内の状況を隠す結界(推定)を張る。
それと、本来監督生は5章ラストで死亡していたかも。グリムがいなくなった時にプロローグの魔獣→黒き馬車について思い出しますね。ループ説なら前回ここで巻き���ったと思うところですが、監督生はこれまでの章でも予知夢のようなもの(モチーフ元のアニメ)を見ており、「過去視」や「本来の運命が見える」可能性もある。
6章。冒頭何となく監督生が自力でオンボロ寮に帰ったかも、となってますが素直に見れば伏線ですからね。
「そろそろ"彼ら"が~」から、学園長は6章での流れを予見しています。だからシュラウド家に事前相談等しなかった。余計なことをすると未来の可能性がとっ散らかるので。しかし予見していたならなぜ最後にグリムの心配をしていたのか。結末を知っているはずなのに、と考えると、元の運命ではグリムは死亡していたのだと思われ。
それにしても、やはりルークは情報共有してそうに見えます。
それで、いつ未来を知ったか。4章のバカンスではと思っていますが、ミッキーさんとつながる時に魔法を使っていて、その余波でオンボロ寮の鏡と向こうの世界がつながっている、としても余り齟齬はないかもしれません。
7章は今のところ改変のしようもなさげでどんなものかねという感じですが、5~6章に関しては通りそう。これで改変による悪影響があるとまどマギ感増しますが、ループはしてない説ではあります。
2 notes
·
View notes
なかなかにオンボロ列車
7 notes
·
View notes
2024年6月1日土曜日
病院の待合室にて19
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(1)
「5/18(土)の午後か5/19(日)って空いてますか?徳島行ったら会えるなら安倍さんに会いたいです!」
「Tです」
Tくんからショートメールが来たのは4月の19日だった。彼と最後に会ったのは2018年に挙げられた彼の結婚式だったから、もう6年振りになる。その間一回だけ私が酔っ払って電話をかけたことがあるのだけど、連絡を取ったのはそれだけ。だから「Tです」とだけ書いてある2通目のショートメールが来たのは、こちらが電話番号を電話帳から消したりしていた場合に「誰だろう…」となるのを予め防ぐための措置だと思うのだが、私はあんまり電話帳をいじったりしないから、大抵、相手が誰かわかっているのである(と言いつつもこないだ前職の会社の人間の電話番号をあらかた消してしまった。理由は、私の兄貴が前職の会社ないしは会社の人間に電話をかけようとしたためです。兄貴というのは私の別人格ではないかと思っているなにかの、便宜上の名前です)。
「空いてるよー 会おうね」
という、私には珍しく窓を全部開け放った日本家屋くらい風通しのよい返事をして、私たちは会うことになった。5月の18日に会って、19日に別れる。18日は私が空港に迎えに行き、移動はそのまま私の軽自動車を使用する。ドライブしたり観光したりして、夜は徳島の歓楽街、栄町とか秋田町とかで飲むので、2人ともビジネスホテルに泊まる。帰りは私が空港まで送る。計画は以上である。前日になってもお互い「明日よろしくね」みたいなメールはしなかった。だって私たちが中学生の時は携帯電話なんて無かったんですよ。そんなもの無くても会えていたし、来なかった時は、なんか会えなかったな、マルサン寄って帰るか、くらいのことにしていたのである。まあでも、前日に軽い挨拶くらいはした方がいいのかもしれない。2人とも今年で40知っとるけのけだし。親しき中にも礼儀みたいなことで。まあいくら後悔したところで、しなかった事実は揺るがないけどさ。
無事に5月18日は訪れたようだったので、私は軽自動車を飛ばして、「踊る阿呆に飛ぶ阿呆、同じ阿呆なら飛びながら踊らにゃ損々、ってそれだと意味変わってきちゃうね」でお馴染みの徳島阿波おどり空港にやって来た。空港に入ると、彼が乗ってくるであろう10時55分着の便が、到着の掲示板に「順調だからたぶん時間通りに着くよ」みたいな情報と共に載っていたのだが、「福岡発」となっている。てっきり東京から来ると思っていたのだけど、それに対しては特になす術もないのでベンチで待っていた。すると中学生の頃から、全く変わっていないシルエットが、全く変わっていない動きと共に現れ、あのいわく言い難い独特な調子でこちらに手を振りながら走ってくるではないか。これはTくんに違いない。T氏来徳である。手には明太せんべいという福岡っぽさと味の間違いなさの最大公約数みたいなお菓子の紙袋を持っており、こちらに渡してくる。「ありがとう!よく来てくれたね!福岡から来たの?」と尋ねると、会社の出張で福岡に行っており、仕事が終わって福岡の親戚の家に泊まり、ついでに徳島に寄ったという。地理にお詳しい皆さんはなんとなくお気づきかも知れませんが、福岡→徳島→東京はあんまついで感のない行程である。しかしそれに気づかなかったことにより再会を果たせたので、本当に良かった。挨拶もそこそこに私の黄色いオンボロ軽四に乗ってもらって、当てもなく出発した。
徳島空港は、住所的には徳島市ではあるものの、その北の端の松茂という場所にあって、そこは私の前職の高知在住の先輩に言わせれば「もうほとんど鳴門」である。だから『くるくる鳴門』に行くことにした。道の駅の。近かったから。めっちゃ混んでた。車が順番に並んで待っているのを見るとさすがに焦る。しばらく並んで警備員の誘導に従って車を停め、中に入り外に出て、車に乗った。めっ混み。やめました。徳島ラーメン食べようね。鳴門病院という名前の、「鳴門になかったら嘘だろそんなのTDLだろ」と言うほかない病院のそばに、『三八』という、気合の入った漫才コンビの全国ツアーのタイトルみたいなラーメン屋があるのを私は知っていたので、そこに行った。
そのラーメン屋に入る頃にはもう、私たちは音楽の話をしていたと思う。私もTくんもかつて音楽をやっていた。人前でライブをしたりしていた。もう12年くらい前のことである。そもそも私とTくんは、静岡県は沼津市という街に住んでいた中学生の頃にバンドを組んでいた。それが高校2年生くらいの時に自然消滅してしまって、Tくんは自分のバンドを組んで音楽をやっていくようになった。私のほうはひとりでやっていこうとして曲を書いたりしていた。ふたりとも進学を表面上の理由にして上京したり。もう遥か昔のことである。私とTくんはバンドを組んだぐらいの頃からほとんど、音楽とそれにまつわる諸々の話しかしたことがない。だから…だから?だからなのかはわからないけど、すぐに音楽の話になってしまう。この日もそうだった。最近何聞いてるの?という話になってしまった。恐ろしい。何年も会っていなくても昨日まで一緒にいたみたいに話ができる友達、そんな凡庸極まりなくて、それでいてかけがえの無い友達がいたんだ、私にも。知らなかった。
Tくんがラーメンに続いてあまりにもスムーズに瓶ビールを注文したのを聞いて私は大笑いしてしまった。ずるい。運転しないからって。コップは二ついりますか?とか聞かないでいいから店員さん。Tくんのお父さんは車を運転する時にあろうことか缶ビールをドリンクホルダーに装填するようなドリーミーな人間だったけど、私は違うから。最近のTくんはSpotifyで音楽を聞いているようだった。まず聞きたい曲を聞いて、その後はSpotifyがこれも好きなはずだ!と次々に掛けてくれる曲を聞いているらしい。好きじゃない曲は(厳密にいうと好きじゃないミュージシャンは)飛ばすという。あまりにも12年前の続きだったせいか、何を話したのかあんまり覚えてないのだけど、この辺で我々はサニーデイサービスを褒め称えたと思う。サニーデイは素晴らしい。サニーデイのライブ見たい。今のサニーデイのライブ見たいよね。我々にそのように思わせてくれるサニーデイよ、ありがとう。三八を出た後セブンイレブンに行ったのだけど、Tくんはせっかくだからとコンビニのコーヒーを買っていた。かわいいやつめ。
この時点でまだ12時10分くらいである。やばい。中学生くらい時間ある。あの頃と違って油断すると飲み屋に入店しそうなので次の場所に行かなくてはならない。鳴門…鳴門鳴門…競艇場だ!
と思って行きました。初めて行った。入場料100円取られるの知らなかった。食堂に蛭子能収さんのイラスト付きのサイン色紙が飾ってあったのを、Tくんが見つけてくれた。最近…リニューアルした…のかな?内装がものすごく綺麗だった。でもいい感じにヨレヨレのおっさんがいっぱい座っており、生きた阿波弁がたくさん飛び交っている。Tくん聞こえるか。これが阿波弁だ。ようこそ徳島へ!
一応賭けてみることになった。Tくんはギャンブルはしないらしい。私はTくんを待つ間に空港から一番近いパチ屋で4500円分の景品を取ったんだけど、あれはギャンブルじゃないから…2人ともギャンブル初心者だね!破産しないようにしよう。
それにしても競艇についての知識がない。買い方もあんまりわからない。舟券を買うためのマークシートの塗り潰し方も相当手探りである。我々はわざとらし��声をひそめて相談しあう。「ねえ…ボックスってなに…?」「しらない…」「…なんて?」「…わかんない!」マークシートを券売機にぶっこむと600円寄越せと言うので支払う。券が出てきた。何もかもわからないので、舟に乗ってる人の名前を見て決めました。この日は女性のような名前の人ばかりが舟に乗っていました。理由は分かりません。
私は入場料も含めて1300円失くしてしまった。Tくんも同じくらい失くしていたような気がする。そもそも舟が何周するのかもわかっていないので、まだゴールしてないのに「なんだよー!くやしいー!」と言ったり、もうゴールしているのに「あるある!まだあるぞ!」と言ってたりしていて(主に私が)、地獄だった。Tくんは競艇用語を携帯で調べて教えてくれて優しかった。私はロレッタセコハンのアルバムに『まくり差し』というのがあったね、聞いたことないけど、という豆知識を挟み込んでいた。音楽の話やめてお前も調べろよな。そういうとこだぞ。楽しかった。
つづく
1 note
·
View note
1117
最近眠気が来るのが早く日付が変わる前には睡魔が襲ってきて、作業途中にも関わらずたまらず布団に飛び込んで気づけば朝になっている。
夢らしき夢もまた朧げに、昨日したことすらも判然としないまま、またデスクに向かってぼーっと画面を見続けている。
今日は昼過ぎに近場のガソリンスタンドで車のオイル交換をする予約をとっていたので、午前中にやるべきことを終わらせてのんびり車を走らせていた。秋ど真ん中の清々しい気候に少し浮かれて地元の地方ラジオから流れる昭和歌謡を口ずさむ。道端に植えられた街路樹が赤らんでいて尚更秋を感じる。
ガソリンスタンドの店員に車を預けて、タバコの匂いが若干染み付いた殺風景な休憩所で小一時間待つ、というシチュエーションがなんかエモくて、こういう時間もなんかアリやなーと、備え付けのテレビを見ながら思う。
たかがオイル交換にそんな大層な接客を期待していなかったのだけれど、今回預けたオンボロ軽自動車の整備不良箇所の一個一個を綿密に教えていただいた。まだ二十代前半かそこらくらいの男性店員だが、若い見た目とは裏腹に仕事が丁寧でテキパキしている。自分が同じ年齢の時はこうはいかなかったなあと感心した。
近頃接している学生の子達然り、20代の子達然り、自分が年齢を重ねていくと同時に若者たちはどんどん大人になっていく。あの日あの時あの瞬間はもう自分には戻ってこないので、若年層の歩みを観測する事が日々の楽しみになってるなーと自覚してしまった時点で明確な老いを感じた。
まだまだ自分にも何かを成せる力は残っているのか。
会う人会う人全員に年齢の割に若いですねと言われるが、精神的な疲れをテンションでカモフラージュしているに過ぎないのだ。
「なんかええ事ないかなー」が口癖になっている。我ながらうざい口癖だ。
0 notes
久保利英明弁護士
【編集部】ワーク・ライフ・バランスについてどうお考えですか。
【久保利】良く遊ぶことが良い仕事につながっていく、一所懸命学んで仕事をすることが、面白い遊びにつながっていく。これは、相乗効果があるはずだと。僕は、ワーク・ライフ・シナジーという考えで、両方面白いと思っています。
【編集部】人生の転機というのは、どこにあったのでしょうか。
【久保利】弁護士になる前にアフリカに行ったことが大きな転機でした。命を懸けて何かしたこともない、世界の常識も全く弁えていない、そんな自分が司法試験に受かったからといって24、5歳で弁護士になっていいのだろうかと思い、修習を1年遅らせて23歳のとき旅に出ました。
【編集部】アフリカへ行くのに、まず船で旧ソ連のナホトカに行き、ヨーロッパを経由したんですよね。
【久保利】ええ。お金もなかったので、できるだけ安い方法で行きたかったのですが、1期遅れの修習に入るための健康診断が10月にありましたので、帰国日は決まっていました。ナホトカからハバロフスクに鉄道で移動してモスクワまで飛行機で飛び、そこから、また鉄道で移動しました。ヨーロッパでは、ユーレイルパスというヨーロッパの鉄道全てに乗れる安い切符で移動し、ホテル代を節約するために夜行列車に乗っていました。ソ連からギリシャまでは、鉄道とフェリーで移動しました。
【編集部】アフリカに行ったらどうするつもりだったのですか。
【久保利】ギリシャからエジプトへは船で渡り、そこから先は、行った先で現地の人と同じ交通手段で動くしかない。エジプトのルクソールからスーダンまでは、30人乗りぐらいのオンボロの外輪船の船底で雑魚寝し、スーダンに入国したら列車があるので安い切符で乗り、エチオピアに入るときは、戦争で国境は飛行機で越えるしかない。また、エチオピアのエリトリアでは解放紛争があり、政府と分離主義者が内戦をしていました。そういうのを見ながら、目的地はタンザニア、南アフリカ解放闘争を主導するANC※1に日本製の短波ラジオを渡すという自分なりのミッションがありました。
※1:アフリカ民族会議(African National Congress)。南アフリカの人種隔離政策の撤廃を求めた現地の黒人たちの組織。後に同国初の黒人大統領となるネルソン・マンデラ氏が若きリーダーの一人だったが、久保利先生の渡航当時は投獄されていた。
【編集部】かなり危険な目にも遭われたのですよね。
【久保利】3度死にかけました。カイロのバスって乗るものじゃなくて、外にぶら下がるものなのです。中は満員。そのうち腕がしびれて、ナイル川の巨大な太鼓橋の下りをコロコロ転がり、後ろの車が何台もかわしてくれて、僕はひかれずに済んだ。次は、エチオピアでの下痢。三日三晩、トイレから立ち上がれませんでした。コレラでなくて幸いでした。3度目は、ケニアのナショナルパークの柵外で、寝袋で寝ていたところ、すぐ近くで地面が揺れるようなライオンの咆哮がとどろきました。僕は、「ヤバい!柵の外側じゃなかったのか」とブルブル震えて、とにかく、歌を歌い、缶をたたいて、一晩過ごしました。結局姿は見えませんでしたが、いやぁ、怖かったですよ。
【編集部】よく生きていましたね。
【久保利】自分も死ぬ思いをしながら、ANCにラジオを届け、戦っている人たちにたくさん会い、色々な話をしました。お互い頑張ろうと言っていた人が、次の日に死んでいたこともありました。彼らは、自分の国をつくるために命懸けで戦��ていたのです。僕は、アフリカに行って、「正しいことをやって死ぬのは、仕方ない」と悟り、3度死に損なって、「命懸けで正義のために戦う弁護士になる」という気持ちが芽生えました。だから後年、防弾チョッキを着て総会屋と対峙したときも、余りビクビクしなかったのかもしれません。
0 notes
2023年11月3日(金)②
せっかくの連休も退屈してるので色々振り返り投稿です。アタシが中学ぐらいの時にうわ〜ズキュン!ときた曲リスト。パッと思いつくやつ編。
RAMONES/Teenage lobotmy
RAMONES出会いの一曲。ラジオから流れてきて、なんかヘンテコなイントロって思ってたらジョーイのボーカルが入ってうわ〜すげーってなった。
【GENERATION X/FROM THE HEART】
先にDANCING WITH MYSELFをラジオで聴いてたから、アルバムを買ったものの、あれ?全然違う!って思ったけどリフとスピード感で一気に好きになった。アタクシは迷わず70's punkバンドのベスト3に入る!!
【JEASUS JONES/Never Enough】
これは布袋さんのラジオで紹介されて知った。イントロのギターのカッティングからバンドが入ったとたんうわ〜ってなった。ハウスとロックなのにロゴはパンクじゃん!!てそこも好印象!!3rdまではずっと追いかけてたなあ。水曜の夜に急遽入院したのでシャングリラのチケット取り損ねたのはこういう運命だったのかと、、、
【SUPERGRASS/Caught by the fuzz】
これは何かの雑誌でUK版メロコア!!みたいに紹介されてて買った。アルバム全曲好みで痺れたなあ〜。ただメロコア??とは思わなかったけど時代的にそういう宣伝の仕方になるのかな。(そもそも当時はメロコアって言い方はダサいと思ってたな)1stは大好物!!
【COW COW/オンボロ列車】
ジーザスジョーンズ好きだったからコブラのあとのユニットが似たテイストだー!!って嬉しかったなあ。名曲中の名曲!!
【BUCK-TICK/ICONOCLASM】
バクチク大好きな同級生がいて、このビデオを見せてくれた。それまでしっかりと聴いたことがなかったんだけど曲も映像もかっこいいー!!ってなったなあ。「殺シノ調ベ」のあたりはよく聴いてた。昨今の335を弾かれている感じも好きです。
【CHANNEL3/I've got a gun】
チャンネル3も布袋さんのラジオで知ったな。当時、FMのミュージックスクエアをよく録音して、気になるやつだけ残して編集してた。なのでバンド名や曲名もカタカナで書いてそれが間違えて覚えたりしたなー。今ならネットで何でも調べられるけど、当時はこんなの周りではおれしか知らないじゃん!と思ってたし、とはいえ誰も興味を示す人はいなかった、、、
【THE CLASH/Spanish bombs】
初めて買ったクラッシュはロンドンコーリング。中2ぐらいだったかなあ。CDを再生した瞬間、一曲目からイントロかっこいい!って思った記憶がはっきりあるけど、速いテンポでポップなパンクが好きだったから当時は全部は好きになれなかった感じ。今は大好きです!!
【THE JAM/IN THE CITY】
この曲は当時BAKUの車谷氏がカバーしてて知った。イントロからしてうわー、めちゃかっこいい!!ってなった。ポールウェラーのギターは当時より今でこそ参考にしまくってる。
【ALL/self righteous】
当時、新譜で買ったきっかけはドールの宣伝だったかなー。ディセンデンツの存在も知らない田舎の中学生、なんの予備知識もなく聴いたんだけど、速い曲ないなー、なんて思いながらもなんかツボでずっと聴いてた。
なんかどんどん思い出すんだけど、動画は10件までと制限がかかった、、、
ごくごく一部だけどこれまであまり触れたことないもので思いつくものをポンポンとあげてみました。こうやって振り返るとハイスタ、NOFXなんかの影響で、高校卒業後にストームを結成した訳だが自分が作曲するきっかけになったのはこの辺りだし、この頃に影響を受けたものはずっと残ってるなー。またやろう。
長々とお付き合いいただきありがとうございました!!
#入院生活
0 notes
1風吹けば名無し2023/10/11(水)17:12:22.45ID:nJBXU
どんどん記憶なくなってくの怖い
自分がなくなりそう
2風吹けば名無し2023/10/11(水)17:13:15.60ID:6qh3d
お前誰や?
4風吹けば名無し2023/10/11(水)17:14:10.44ID:nJBXU
>>2
今は軽い物忘れで済んでる
5風吹けば名無し2023/10/11(水)17:14:43.34ID:JqDZq
目を覚ませ
本当のお前は病院のベッドで昏睡状態なんだぞ
6風吹けば名無し2023/10/11(水)17:15:43.57ID:nJBXU
>>5
まだ仕事は続けてる
7風吹けば名無し2023/10/11(水)17:35:22.30ID:EREXi
ちゃんと診断されたんか?
8風吹けば名無し2023/10/11(水)17:39:07.53ID:nJBXU
>>7
された
若年性だってちな33
9風吹けば名無し2023/10/11(水)18:25:05.47ID:JqDZq
最近承認された新薬次第だな
10風吹けば名無し2023/10/11(水)19:19:37.41ID:bRphT
まじか、イッチ辛いな
なんか悲しいわ
11風吹けば名無し2023/10/11(水)19:27:58.14ID:5W7Fj
ワイも最近物忘れ早いから怖いわ
どの科行ったらええんや
12風吹けば名無し2023/10/11(水)19:28:31.03ID:5W7Fj
明らかに頭がぼーっとするんや
14風吹けば名無し2023/10/11(水)19:29:39.13ID:ddC6U
軽い物忘れなんて誰にでもあるんちゃうの
それでも若年性認知症なんか
15風吹けば名無し2023/10/11(水)19:51:38.53ID:nJBXU
脳神経と精神科いった
きっかけは物忘れと歩いてたら自分の向かう方向分からず
パニックになったこと
16風吹けば名無し2023/10/11(水)19:53:23.11ID:nJBXU
いつも通り休みの日に隣町まで散歩してたんや。で久々来た場所から
帰ろうと思ったらどこに行けばいいか分からなくなった。
皆それぞれ頭の中にマップがあると思うけどホンマに位置関係が
分からんくなった
17風吹けば名無し2023/10/11(水)19:54:39.11ID:nJBXU
物忘れは会社行くとき鞄忘れたり、無意識に革靴履くのに
サンダル履いて行ったり、今まで全くなかった事が急になるようになった。
18風吹けば名無し2023/10/11(水)19:55:28.80ID:nJBXU
学生時代から今まで忘れ物なんて年に数回も無かったのに
毎日のように起こったで
19風吹けば名無し2023/10/11(水)19:55:45.93ID:5W7Fj
脳神経科に行けば検査してくれるんか
20風吹けば名無し2023/10/11(水)19:56:19.14ID:5W7Fj
絶望やろうな
24風吹けば名無し2023/10/11(水)19:58:43.31ID:nJBXU
>>20
記憶が断片的なりそうな恐怖やな
今は物忘れ程度で他は生活に支障はない。
普通にゲームするし、車も安全運転してる。
22風吹けば名無し2023/10/11(水)19:58:39.52ID:xsRQ6
あくまでもサプリメントやから気休め程度やけど
フェルラ酸(アミロイドβ除去)とレスベラトロール(リン酸化タウ除去)は
痴呆症の原因物質除去するなんて言われてるな
あとレシチンも良いみたい
23風吹けば名無し2023/10/11(水)19:58:43.02ID:f8KXJ
ワイはに基本的に二、三年前の記憶無いで
短期記憶もないから死にたい☺️
25風吹けば名無し2023/10/11(水)19:59:05.83ID:5W7Fj
アルツハイマーの薬できたらしいけど実用化まで数十年かかるやろうしなあ
若年生とかどうしようもないよな
28風吹けば名無し2023/10/11(水)20:00:58.11ID:nJBXU
>>25
侵攻遅らせるのしかないんだってね、そんとき知ったわ
26風吹けば名無し2023/10/11(水)20:00:16.87ID:nJBXU
一応8割くらい認知症疑いで、残りは精神疾患の可能性らしい。
27風吹けば名無し2023/10/11(水)20:00:48.34ID:xsRQ6
アルツハイマーと若年性痴呆症はまた少し違うのかな?
アルツハイマー病治療薬「レカネマブ」ってのが最近認可されたよな
29風吹けば名無し2023/10/11(水)20:01:40.33ID:nJBXU
>>27
これからまだ検査も残ってるし細かい区分は分からない
30風吹けば名無し2023/10/11(水)20:04:11.93ID:nJBXU
医者が言うには脳の記憶を管理する所にダメージが入って神経の
伝達が切れる?病気もあるらしい。それは認知症とは違うらしい。
よくわからんが
32風吹けば名無し2023/10/11(水)20:12:38.14ID:Vz2H9
なんで認知症なんてあるんやろか
ワイもその疑いあるから怖い
認知症なったら自動的に心臓麻痺なってほしいわ
33風吹けば名無し2023/10/11(水)20:16:13.13ID:nJBXU
>>32
物忘れ程度なら気にし過ぎもよくないで
体験して分かったけど記憶が曖昧じゃなくてガッポリ抜けてからヤバい。
35風吹けば名無し2023/10/11(水)20:34:36.54ID:xPUnr
>>33
いやワイもそんなん日常茶飯事やねん
34風吹けば名無し2023/10/11(水)20:18:42.02ID:nJBXU
例えばよくある財布忘れて「あれ?どこやったっけ?」てなるやなくて
「俺は何してるんだろう?」って頭の中がフリーズする感じや。
オンボロPCがクリックしても全く動かなくなる感じ
30代で若年性認知症ワイ。徐々に蝕まれてく事に恐怖してる : 育児板拾い読み
1 note
·
View note
【お金が貯まったらやりたいこと】
・映画を劇場でたくさん観る
・美容室に行く
・歯医者に行く
・親孝行をする
・除毛クリームを買う
・小説と漫画をたくさん買う
・家族と友達の誕プレを買う
・友達とお酒を飲みに行く
・遠方に住んでる友達の家に遊びに行く
・プリンターを買う
・一次創作で本を作る
・従兄弟から中古で貰ったオンボロ車を買い換える
・新しいパソコンとスマホを買う
今月の引き落としで赤字になるくらい貯金がやばいけどやりたいことが多すぎるから死んでいられないな……と思う。生きねば。
1 note
·
View note
der Sommerurlaub #2 -グラスゴー二日目-
さて、初めて迎えるグラスゴーの朝。バンクシー展の予約は昼過ぎだよね、とチケットを確認していると、どうやらチケット取れてなかったことが判明!慌てて展示のサイトを見ると、「当日券も売ってます」「ただ、ほとんど12時前には売り切れるから注意」のようなことが書かれている。
チケットオフィスが開くのは9時で、今から出れば9時半には着くから、なんとかチケットは買えそう。立地”だけ”は良いこのホステル、美術館までなんとたったの徒歩10分🙏昨日、オンボロとか言ってごめん。
無事に美術館のチケットオフィスに辿り着き、18時入場の当日券を買うことができたので、それまでグラスゴーの街をぶらぶらすることに。
イギリスといえば!ロイヤルミルクティーっしょ!スコーンにクロテッドクリームっしょ!と密かに息巻いていたので、運良くその辺で見つけたいい感じのティールームで朝食をとることに。
スコーンとお茶のセットと、いかにも〜なイングリッシュブレックファーストを一応注文。スコーンは美味しかったけど朝食プレートは、まあ、見ての通り。
プレートの真ん中にある、豆の煮物は「給食で食べた味」だったので、知っている味というだけで美味しく感じた。味の記憶ってすごい。
そして驚いたのがお店の人の言葉遣い。ドイツの塩対応接客に慣れてしまった私は「Thank you, my dear, 」「Thank you, my friends,」なんて言われる度にびっくり。母親くらいの年齢の女性に
「Of course, my darling,」なんて言われたときには、心の中のイマジナリーベイビーが爆誕、「マ、ママ…?」って聞きそうになったよ(実の母親がそういう言葉遣いをするという話ではない)
その後バスに乗ってグラスゴー大聖堂と、その隣の丘にある庭園墓地を散策。
1832年に設立されたこの墓地は、その年に営利目的の埋葬が許可されたので、裕福な人がお金をかけて技巧を凝らした墓を作れるようになったためできたんだそう。それまでは地元の教会が死者の埋葬を担っていたため、葬儀や墓地は簡素なものだったらしい。(←さっき調べた)
墓地ではあるものの、墓標や建築様式がさまざまで面白いし、小高い開けた場所にあるので、見晴らしも良く、芝生も綺麗で、不思議な場所だった。
その後、地下鉄に乗って別の美術館に行ったりご飯食べたり公園でゆっくりしてたらそろそろバンクシーの予約時間なので美術館へ。(地下鉄の天井が低く、壁が真っ直ぐじゃなくて、車両全体が筒状なのが印象的だった)
入場時にはスマホもカメラも、専門の器具がないと開けられない袋に入れられる徹底ぶり。
展示内容は「作品」というよりも、手の内明かす系というか、制作に使ったステンシル用のダンボールや、話題になったシュ���ッダーの制作過程と仕組みの解説、無名時代の下書きなど。
昨今、名前だけが一人歩きしているようにも思えるバンクシーという人物が、私たちと同じ1人の「人間」であるということと、表現に対する人間ばなれした執着というか念みたいなものを同時に感じられる内容だった。(もちろん全てのプロジェクトを1人で行なっているわけではないと思うけど)
ネタバレしても問題ないと思うから書くけど、写真完全NGにしておきながら、ポラロイドで記念写真撮ってくれるサービス(タダ)があったのはびっくりした。ツンデレかよ。そういうところ含めて、「人間味」が感じられるというか、本人がキュレーションに携わってなきゃこうはならんよなって内容で、なるほどなあと思った。
行けてよかった。
さて、夜は寝台列車に乗ってグラスゴーからロンドンに向かいます🚃
0 notes
迷子ノ廻 仮
遭遇
『早く帰りたい…寝たい…』
スマホの時刻盤は午前一時を当に過ぎていた。
その日、いつも使っていた道は下水道工事で通行止めの規制がされていた。
迂回路はあるにはあるのだが、正直あまり通りたくない。
何故なら
あの通りには曰く付きの神社があるからだ。
あの神社には
『深夜に現れる狐のお面をした化け物に遭遇すると神隠しに遭う』という言い伝えが存在する。
俺はこの手の話がどうにも苦手だ。
しかし理由はそれだけじゃない。
今年の4月に来たばかりだが、昔からこの町の神社付近で行方不明事件のニュースが後を絶たなかった。
皆、あの神社に一度参拝した後に消えているという。
しかもここ最近、印刷したばかりの捜索願いの張り紙が日に日に増えてきている。
霊にしろ愉快犯にしろ、あの道だけはなるべく通りたくなかった。
こんな夜更けなんかには特に。
しかし、他に通り道がない。
ネットカフェのある隣町までは歩いて20分かかる。
残業明けの鉛のような身体でそこまで歩き続ける余力など、これっぽっちも残っていなかった。
重だるい脚を無理やりに動かし、仕方なく雨に濡れる神社の通りを進む。
すり足気味の足音と冷たい雨音だけが耳に響く。
言い伝えもあってか、この時間の神社通りには人どころか車の気配すら無い。
家の灯りもほとんど消えて、オンボロな街灯だけが、雨粒に揺れる夜道を照らし続ける。
少し頭を上げれば、モンタージュのような建物越しに、顔を覗かせる赤黒い雲が不気味に漂っていた。
不気味な世界に酷く嫌気がさして視線を逸らした途端、暖かみのない、ひどく冷え切った暗闇が視界を覆い尽くした。
終電帰りも慣れてきたはずなのに
この通りは何かが違った。
まるで自分一人が異質な静寂に閉じ込められている、そんな錯覚を嫌でも覚えてしまう。
ふと煌々と照らす光に、ぼやけた視線を凝らすと、駐車場の看板が辺りを照らしていた。
その看板の下の自販機の前で、見慣れない雰囲気の人影が佇んでいた。
(え…誰かいる………、なんでこんな時間にこの通りに居るんだ…?……。)
更に視線を凝らしながら前進すると、お面を被った浴衣のような姿の白髪の女性だと気づく。
ハエのような虫が飛んでいるように見えた。
(何か飛んでる…ハエ…?…影も…動いてるような………)
…丁度自販機前まで近寄った。
精巧に作られたお面と、それにそぐわないボロボロの容姿をした、老婆のような、若者のような、奇妙な姿のそれはじっとこちらをみていた。
威圧感で足が動かしにくい感じがした。
雨粒に濡れたお面がずり落ちた直後、九尾の尾のようなモヤが背後から出てくる。
その表情は何処かで見たことのあるような雰囲気を醸し出していた。
次の瞬間、顔の辺りにおぞましいそれが浮かび上がる。
「…!、!?ひ、…ぃあ……あ…!?!?」
(…!?…ぁあ、狐、、、??ぇ、、逃げ、にげない、と、…、)
干からびて腐りかけたような顔面に無数の瞼がメリメリと浮かび上がる。
グトリと瞼を開くとぎょろぎょろと辺りを見回し、俺の姿を見るや否やその目は、狙いを定めたかのように見開いて血走った。
心臓の裏から襲い来る酷く煮詰まった憎悪に急かされるように、すぐさま逃げ道を探す。
(他に迂回路は?こいつを撒くには?家の向こうには何かあった?全然わかんねえクソッ!!動け動け動け動け動け動け動け動け!!!)
連日の残業と寝不足で止まった頭を無理やり働かせる。
しかし、どうやっても家に逃げ帰る以外の策が思いつかない。
(クッソ!!!全然思いつかねえ…!!!)
もうすぐアパートに着く。
ここで通り過ぎたら絶対戻って来れない。
もう体力が残っていない。
半ばヤケで直帰した。
脚が重い。それでも走らなければ、あれに襲われる。そんな予感だけを頼りにひたすらに走る。
アパートの階段を1段飛ばしで駆け上がる。
足が異常に重い。
ここで速度を緩めたらあいつに追いつかれる。のに。
思うように足が上がらない。
ようやく扉の前まで着くと、震える手で鍵を探した。
(はやく、逃げなきゃ、塩、しお撒かなきゃ、)
早くしないとあいつに追いつかれる。
恐怖と焦りでなかなか見つからない。
(ぁ、あった、あった、鍵、…ックッソこういう時に限ってッ…開けよッ…!!)
ようやく探し当てて震える手で鍵を回そうとした。しかし鍵穴が古くて上手く回らない。
背後からはまだあれの気配を色濃く感じる。
殺される。早く開けないと。
ますます手は震え鍵穴に鍵が入りにくくなる。
(ッ……!開いた、)
もう片方の手で震えを強引に押さえつけ、なんとか鍵を開けることに成功する。
無理やりに引き抜くとすぐさま少し開いたドアの隙間から身を捩りすぐさま戸を閉める。
(あいつが入ってくる、見られる、閉めないと、あと、あと、)
他の窓も全て施錠を確認し、遮光カーテンをしてお清めの塩を自分と辺りに撒く。
「ッッっハァ!!ハァ!、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…けほ、けほ、は、は……は〜〜…けほっ…ケホ、……ハァ……スゥ〜〜…………。」
玄関先で崩れ落ちると、思い出したように叔父からもらった数珠とお札を手にして、昔教えてもらった念仏を早口で唱える。
『不安になったとき、これを手に持ってお祓いの念仏を唱えて、深呼吸しなさい』と、母が倒れた年に叔父から教えてもらったお祓いの行法。
もう念仏まで丸暗記していたから、早口で唱えるなんて造作もなかった。
「祓い給い清め給え神(かむ)ながら守り給い幸(さきわ)え給え、祓い給い清め給え神ながら守り給い幸え給え、祓い給い清め給え神ながら守り給い幸え給えッッ」
「はぁ〜ぁハハ…は……ぁ〜〜ー…。」
一通りの儀式を終え、髪をかきあげるように顔を覆うと、途端襲いくる疲労に崩れ落ち、そのまま膝を抱え視界を遮断した。
(あれは、なんだった、?、目、お面、しっぽ、なにあれ、まるで、あの…言い伝えの…。…なんで…、藤田さんみたいな…顔…、…して…。)
(いや……見間違えた…だけだよな…都市伝説なんか…あり得ない…。)
(でも…もし……。…あぁだめだ、また不安になってきてる…。)
(ちゃんと教わった通り塩撒いたんだ、あれに遭うことなんかない。)
そう言い聞かせて、重だるい体を引きずり、流しで手を洗う。
穢れを落とすように、入念に洗う。
今日できたばかりの指先のささくれに石鹸が染みてシクシクと痛んだ。
いつものくせで実家から持ってきた使い古しのやかんに水道水を注ぐ。
水の溜まっていく音が思考を揺する。
(あれ…やっぱり…藤田さんに似てる…なんで…?そういえば子どもいたっけ…あの子も見かけなくなったような…最後に会ったのっていつだろう…よくスーツの人が家の前にいたような……あれって…)
やかんの取っ手がいつもより重いと気付いてすぐさま思考が止まる。水を入れ過ぎた。
余分な水を捨て、やかんに火をかける。
「カチャンチチチチチチボッチチチチカチャ」
テーブルの近くで腰を下ろし、スマホに充電プラグを刺すと先程の続きを考え始める。
(…そういえば子どものはしゃぐ物音すごかったな…母さんも昔俺の暴れ方凄くて周りから虐待なんじゃないかって疑われてたとか…言ってたよな…。大変だったろうな藤田さん…。)
隣人の部屋からは昼夜問わず子供のはしゃぐ音が聞こえてくるのがいつもの日常だった。
しかしいつからかその音もなくなり、誰かの泣き声とヒステリックな声がたまに聞こえる程度になっていたのだ。
いつもならこんなこと覚えているはずがないのだが、処方された薬が合わないのか効きすぎているのか、芋蔓式に思い出してくる。
ーーー
「やめてください、うちは関係ありません!」
『近隣住民からこのような申し出がありましたので、お子さんだけでも見せていただけませんか?』
「隼人は今祖母の家に預けているって言ってるでしょう!?もう帰ってください…!」
その日から、隣人の玄関口にはスーツの人間が顔を覗かせるようになった。その度隣からはヒステリーを起こした声が夜な夜な聞こえてきた。
それからしばらくして子どもの姿は見なくなり、大家さんの催促が定期的に来るようになっていた。
あのスーツの人は児童相談所の人なのだろうか。…そういえばいつからか隣人だけが出入りしていた。
その頃から隣人は次第に雰囲気が変わっていった。チラリと見えた部屋の中は、玄関口からでもわかるくらいゴミが溢れていてハエが舞っていた。
おそらくだが、心労が祟ってまともな生活が送れなくなっていたのだろう。俺の実家もまさしく似たような時期を経ていたので、その辺りの事情は手に取るようにわかってしまう。
最後に隣人を見かけた時は、あれで良く生きていられると思うほどひどくやつれ細った身体になっていた。
(でも……どうして…あれが藤田さんと似た姿をしてたんだ…?)
頭が焼き切れそうなのに頭が勝手に回転する…空回りが続いて煮詰まった直後。
『ヒュリュゥゥヒュウゥウヒュルルルルゥウピィィィィィイイイイイイイイ』
やかんの甲高い音が鼓膜をつんざき、急に現実に戻る。
考えすぎたせいか、頭が締め付けられるように痛くなってくる。
たまらず重い身体を動かして火を止める。
麦茶のパックを菜箸でくるくると回すと、コンロ横に置いたコップに出来上がった麦茶を注ぐ。
「…ンツッ…!」
氷を入れ損ね舌を火傷した。
舌先と下唇がジンジンと痛む。
先程考え過ぎたせいか、うまく頭が働かない。
冷蔵庫の製氷室をのぞくが氷は無かった。
熱い麦茶が入ったコップをベッド近くのテーブルに置く。
ここに来て風呂に入り忘れたことに気づき、忘れていた倦怠感が一気に戻ってきた。
動けない…。鉛が全身に詰まったみたいだ…。
たまらずベッドに横になった。
(……昔婆ちゃんに教わった通り、…やったんだから、…絶対、大丈夫…。大丈夫…。)
麦茶が冷める頃には、目と鼻の先のコップを取ることも出来ないほどの倦怠感と眠気がのしかかっていた。
(……ぁ〜……さっさと寝よ。忘れよ。だいじょぶ…何も起きない…。ぁ…薬…。)
ここにきて薬も飲み忘れていたと気づく。
急いで起きてカプセル錠を口に放り込みお湯で押し流す。
(…疲れた……。)
そうして重たい瞼を無理やりに閉じる。
薬のせいだろうか。それともあの悪夢のような出来事のせいだろうか。
鼓動が早まり、瞼の裏でまた思考が暴走を始めたのは、その直後だった。
1 note
·
View note
不破くん、おはようございます。この頃の僕の日課は、不破くんのラジオ体操を朝に見ることです。休みの日は8時だとか9時だとかに見ているんだけど、まあね、それはご愛嬌でしょう?相変わらずの日々を過ごしてます。朝起きて、夜は日付が変わる前に寝ていたり。最近眠気に逆らえない日が多くて、帰宅後真っ直ぐ眠気に吸い込まれていたりと。眠くない時期なんて、僕にはないみたいです。朝から、お疲れ様。不破くん日々忙しいから、たまには休めって思し召しじゃないですか。それが腹痛っていうのも、嫌がらせか?ってなりますけども。今度は湯たんぽ準備して、不破くん待ち構えてようかな。温めると少し楽になりません?どうなんだろ。僕が作る湯たんぽは、抱き抱えると即眠れると評判です。なんとなくね、カイロとかそんなものより人肌感。大事です、そこは意外と。無理せず、休もう。どんな理由であれ、僕は不破くんがゆっくりできるなら嬉しいです。…腹痛さえなければ。欲張りすぎです?仕方ねえな。カカオもDMも、あちこちに不破くんが居て、会いたい時には覗いたり、もちろんお題箱も。不破くんが会いに来てくれるのにかまけて、少しサボりがちです。それでも良い、とか言われそうだけど、僕も不破くんに届けたい気持ちはあるので。気長に待っててくれたら嬉しいです。雨と言えば。台風がちょうど来ていて。不破くんは大丈夫でしたか?僕は見事に自転車が吹っ飛び壊れかけました。新しい自転車か、と思っていたけど、なんとか治してもらったので、まだしばらくは、オンボロ自転車を乗り回す日々です。乗り回してはないですけども、とかいうね。台風を除けば、この頃は夏ですね、という気温で。水分と塩分と、涼しいとこで熱中症に気を付けて下さい。どうしても、マスクが暑いと文句を言いたくなるんですけどね。仕方ない。よくマスクの下側を隙間開けて扇子で仰いでます。脱線し過ぎましたかね。今回は、この辺で。いつも、ありがとうございます。剣持
1 note
·
View note
初アルプスはテント泊で白馬岳
山サークルの企画で、白馬岳にて念願のアルプスデビュー!初アルプス、しかも大雪渓をテント泊装備で、軽アイゼンも未経験…と不安だらけのスタートでしたが、終わってみれば大満足の山行でした。
バスを降りたら、猿倉荘前からスタート。
この時点で既に土砂降りでした。
バスの中でゲイターを履いたりしていたせいか、酔ったらしく暫く吐き気が…。
こんな感じの渡渉箇所が何度も。
滑らないよう、気を付けて渡ります。
これで4回目ぐらいの渡渉かな?
昨夜から降っているせいか、水量が豊富です。
半分小川と化したような道を歩き、大雪渓の入り口に到着。
ここでヘルメットを装着。
でも、大雪渓はもう少し登った先にあるのです。
大きなキヌガサソウ(衣笠草)がお出迎え。
いよいよ大雪渓。近くで見ると汚いなー。
ルート上に赤っぽく見えるのは、ベンガラという赤い粉。
これを頼りに雪渓を登って行きます。
始めて使う軽アイゼンが、良い仕事をしてくれました。
前方と後方はガスって居るのに、見上げると青空。
雪解け水が滝のように流れていました。
一瞬晴れたけど、またガスって来ました。
雪渓の厚みが分かる1枚。
雪渓の最後の辺りは、両サイドに水の流れが。
アイゼンを外したガレ場の途中に、ミヤマキンポウゲ(深山金鳳花)が咲いていました。
沢を慎重に渡ります。
今度は雪渓をトラバース。
アイゼン無しで大丈夫でしたが、ポールのキャップは外した方が安心だったかな?
クルマユリ(車百合)が緑に映えていました。
お花畑にウキウキしているうちに、村営白馬岳頂上宿舎に到着です!
頂上宿舎の食堂でテント泊の手続きを済ませ、いざテント場へ!
空はすっかり青空ですが、強風の中での設営となりました。
テント場近くに咲いていたウルップソウ
ミヤマキンバイ(深山金梅)
ハクサンイチゲ(白山一花)
シラネニンジン(白根人参)
テント設営後、濡れた物を干したり軽く腹拵えなどして一休み。
本来は白馬山荘のスカイプラザまで行ってデザートを頂く予定でしたが、時間も遅いのでテント場の上の丸山に登ってみることに。
(呑兵衛組は、登らずに酒盛りスタートしてましたが…)
すると、テント場、山頂宿舎、白馬山荘、山頂が一望できるスポットが!
みんな来れば良かったのに〜
お、アレが丸山の山頂でしょうかね?
途中に咲いていたタカネシュロソウ(高嶺棕櫚草)、別名ムラサキタカネアオヤギソウ(紫高嶺青柳草)。
クモマミミナグサ(雲間耳菜草)
丸山山頂からの白馬岳も格好いい!
丸山の向こう側は雲海でした。
雲がどんどん迫り上がってきます。
雲海の向こうに剱岳!!!
雲が流れて、杓子岳と白馬鑓ヶ岳もクッキリと!
大興奮で「待ってろ剱岳!」の写真を撮ってもらっていると、近くに居た山ガールが「こっちからの角度もカッコイイから、私に撮らせて!」と…
こんな素敵な写真を撮ってくれました♬
ありがとう!!!
テント場に戻る途中もお花探しが楽しすぎてが止まりません。
こちらはチシマギキョウ(千島桔梗)。
花の内側に綿毛が生えているのが特徴です。
ハクサンイチゲ(白山一花)を上から撮影。
ミヤマシオガマ(深山塩竈)も咲いていました。
さてと、夕飯の支度をしましょうか!
米は丸山に登る前に吸水させておいたので、あとは炊くだけ。
今回は軽量化のため、フリーズドライの野菜カレーにしました。
が、何と炊飯失敗!!!家では上手く炊けたのに〜
汚れ防止にクッキングペーパーを敷いたのが失敗の要因だったようです。
(吹きこぼれがメスティンの内側で起こってしまい、見えなかった…)
明日の朝、この半分でお粥を作るつもりだったのに…と嘆いていると、Kさんが予備のアルファ米を恵んでくれました。
ありがとうございます〜〜〜〜〜(涙
カレーは、焦げていない部分と共に食べました。
夕飯後、みんなのテントを撮影してみました。
うち2つは他所の方のテントですが、ステラリッジとカミナドームが色被り。
強風の中、ガレ場でテントを設営するのがいかに大変かを学びました。
そして23:00にテントから顔を出すと、満天の星空に天の川!
残念ながら旧型のiPhoneでは上手く撮影出来なかったけれど、念願の星空に大満足♬
昼間は雨だったので、今回も星はナシか〜と思っていただけに嬉しすぎる!
朝は3:00起床でテントの中で自炊。
頂いたアルファ米のわかめご飯と、玉子スープ、大豆ミート、ザーサイ、フライドオニオン、生姜、酢、胡麻油で今回も中華粥。
本当は桜海老も持参していたのに入れ忘れました…。
テントを撤収し、朝焼けの残る中を山頂へと歩き出します。
昨日寄り損ねたスカイプラザ白馬。
5:00〜営業中とのことなので、ちょっと入ってみると真っ正面に剱岳!
これはやっぱり寄るしかないよね、と30分のロスと引き換えに素敵な早朝ティータイムを楽しみました。
(朝からチーズケーキは重いので、Aさんと半分こ)
スカイプラザから少し登ると、山頂です!
混み合う中、リーダーが個別の写真を撮ってくれました♪
やった〜、これが私の記念すべき初アルプス登頂記念写真です。
これから歩く小蓮華山への稜線もクッキリ!
ミヤマオダマキ(深山苧環)越しのアルプス
岩場の陰にミヤマアズマギク(深山東菊)
ヨツバシオガマ(四葉塩竈)
言わずと知れたアルプスの女王、コマクサ(駒草)!
一通りのお花を撮り終えたら、さぁ、稜線を歩いて行きましょう!
次に目指すは小蓮華山です。
少し行くと、今度はシナノキンバイ(信濃金梅)が群生していました。
雲海迫る杓子岳がカッコいい!
小蓮華山の山頂。
本当の山頂は右側っぽいけど…ガレ場で危ないから入れないのかしら?
コバイケイソウ(小梅蕙草)も咲いていました。
ハクサンフウロ(白山風露)は終わりかけかな?
コバイケイソウ越しのアルプス
チングルマ越しの杓子岳
振り返ると、今まで歩いて来た稜線。
そしてこれから歩く稜線と、白馬大池が見えます。
いよいよ池の全貌が見えて来ました。
池の縁に、少しだけ雪渓が残っていますね。
あそこを歩くのですが、滑ったら池にドボンなので、ちょっと緊張…。
池の近くはお花畑。
コイワカガミが可愛らしく咲いていました。
ハクサンコザクラ(白山小桜)もそこかしこに。
これ、ヤビツ峠で咲いているのを見つけたオジサマが興奮していた花ですね?
大池の水は透明度が凄い!
そして水面が近く感じるのは、登山道が低いのか…?
雪渓に向かう途中にナナカマド(七竈)が咲いていました。
ちょっと緊張する池の脇の雪渓を抜けたら、乗鞍岳まではひたすらガレ場が続きます。
乗鞍岳の山頂標識はオンボロでした…
そしてまた雪渓を下り、その先は長ーーーーーいガレ場。
いや、コースタイムでは大したことはないのだけれど、荷物が重いのと暑さでバテ気味でもの凄く長く感じただけかも…?
ガレ場では余裕が無かったけれど、最後に1��、ゴゼンタチバナ(御前橘)。
中学生の林間学校のチームと抜きつ抜かれつしつつ、予定より3.5時間遅れで栂池自然園に到着!
雷鳥に出会えなかったのとツクモグサが見られなかったのは残念ではあるものの、初日の夕方からは天候にも恵まれて、総じて忘れがたいアルプスデビュー戦でした。
帰ってから数日、左手首辺りの筋肉痛が治らないと思っていたら、どうも腱鞘炎になっているようで…。
自己診断ですが、腫れ具合やギシギシと鳴る感じからして、インターセクション症候群(腱交叉症候群)と思われ(トレッキングポールの使い過ぎ?)。
そして今週末の北アルプスは諸事情により中止に。
コレはしっかり手を休めろという事なのかな…。
腫れは少し引いて来たけど、左手首は包帯ぐるぐる巻きで固定中。
(自分で巻いたので適当ですが)
あと気になった点としては、歩荷練習でもそうだったけれど、ウエストベルトが腰骨に食い込んで痛い…。
1週間経ってもクッキリと跡が残ってる〜。
どうやら背面長の設定が間違ってるみたいです。
次回は少し長めにして、腰骨を覆うように嵌めてみようっと。
0 notes
#おはよ #イマソラ 07/31(日) 快晴 #日光浴 #日向ぼっこ #玄関前 #セロトニン #30分 #治療 #朝食前 #朝散歩 陽が出る前に バイクの洗車とWax掛け これはこれで一苦労 汗びっしょり 久々に磨いたオンボロw シャワーでスッキリ #双極 #双極性障害1型 #ラピッド #浜松 #睡眠記録 #fitbit #良い1日を #FJ1200 #FJ1200A #FJ1200YAMAHA #YAMAHAが美しい #洗車とWax掛け https://www.instagram.com/p/Cgp7vMtvrIU/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
自動車修理工シムことCar Mechanic Simulator 2018にハマっています。
オンボロ車の部品を交換または新調してひたすら修理し続けるそんなゲームです。
現実世界をよりリアルに再現するほど面白くなる、とはGTAの哲学でした。
今どきレンチ片手に自動車の下に潜ることはないと思いますが、これが結構面白いのです。
ディスカバリーチャンネルでも自動車を修理 するWheeler DealersやFast N' Loudが人気です。
ゲーム性も高く、ラジオを流しながらひたすら作業に没頭できる作りです。
どの作業もクリックまたは長押しするだけで、高速化スキルもあります。
交換部品はAmazonのようなWebサイトがあり、注文すると瞬時に届きます。
購入前に思い描いていたネジ回しの苦行ゲーとは無縁でした。
本作の問題点は、そんな修理作業の操作説明が一切ないことです。
部品の見方、外し方、取り付け方法、注文方法ぐらい教えて欲しいものです。
また操作性も悪く、設定を変更するには毎回タイトル画面に戻る必要があります。
一応チュートリアルを名乗る導入はありますが工場内の案内で終わります。
道具の使い方を教わらないまま、エンジンオイル補充と試運転だけ覚えて放り出されます。
後は実地でOJTですが、操作方法すら分からず海外Wikiを見ながら四苦八苦しました。
そんな欠点もありますが、山場を乗り越えた後にはユニークな面白さが待っています。
いまならEpicから無料で入手でき、またSteamサマーセールの対象です。
0 notes