#ニューヨーク写真
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今日仕事帰りに二重の虹見たー!!🌈🌈🌈
めっちゃ綺麗で疲れが浄化された気分になれた。☺️
Saw a double rainbows on my way home from work today!!! It was super beautiful and made my day for sure!! 🥰
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ニューヨーク、2023年11月
#ニューヨーク#写真#カメラ#photography#art#artists on tumblr#photographers on tumblr#street photography#sony#urban#urban photography#夜#nyc#new york#new york city#moody#moody aesthetic#dark and moody#moodygrams#moody nature#fog#night#smoke#broadway#photographer#photo#vintage#grain#grunge#city
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左の写真は、数千年前の通りの様子をほぼそのまま写しています。馬車が溢れ、モーター車はたった1台(赤丸で囲った部分)だけです。右の写真は、13年後の同じ日に同じ通りが撮影されたもので、モーター車が溢れ、馬車はたった1台(赤丸で囲んだ部分)だけです。
フォードは1908年にモデルTを発表しました。もし顧客に何が欲しいか尋ねていたら、もっと速い馬を求めただろう、と彼は冗談めかして言いました。わずか5年後、ニューヨーク市の馬離れはほぼ完了しました。モデルTは馬よりも速く、安価で、路上に糞を撒き散らすこともありませんでした。
1919年の国勢調査では、馬車・貨車・資材業界全体にわたる2,544の事業所が1億1,820万ドルの「製品価値」を生み出したことが示されました。同年、フォードはモデルTを1台360ドルで90万台以上販売し、3億2,400万ドルの売上を上げました。これは、フォードが置き換えた業界の総製品価値の2倍以上に相当する額です。
(すべてはテクノロジー - 退屈ではない - パッキー・マコーミック著から)
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#たべもの #ひみ番屋街
ニューヨーク・タイムズ紙で2025年に行くべき場所に富山市が選ばれたそうで。
良い機会なので、富山市内ではないですが、去年の春に富山に遊びに行った時の写真を上げてみます。
確かに富山は何度か訪れていますが毎回満足度が高くてとても良いところで、それを以前から知っていた民からすると「とうとう見つかってしまったか……」感はあります。今までそんなに観光客でごった返しているわけでもなく(※氷見海岸を除く)、のんびり落ち着いて観光できるのも良いところの一つだったのですが。
観光客でも、現地の暮らしや環境だったりを尊重できる人なら全然問題ないのですが、ただ自分たちが楽しければ良いという考えで好き放題暴れまわる人たちが増えてほしくはないな……と願うばかりです。
去年私たちが訪れたのは3月。段々春っぽい日差しになってくる時期だったので、海の見えるカフェとかでランチできたら良いなぁ、と無計画に富山に向かったのですが、着いてみるとお目当てのカフェは満席。景色の良さそうなところだったし、予約もなしでは無謀だわな……とすごすご退散し、昼ご飯難民となったのでした。
慌ててグーグルマップで近隣の飲食店を探してみるも、平日の変な時間だと軒並み開いていなくて、最終的にひみ番屋街に辿り着きました。
観光地じゃないところに行こうと言っていたのに、初っ端からめちゃくちゃ観光客っぽくなったな……と言いながら氷見牛を食べていました。

中のテレビで流れていた春の高校野球を観ながら遅い昼ごはん。長閑だ。
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(3) Xユーザーの青野 尚子さん: 「お、こんなところにモリサワが。と思わず写真を撮ってしまった。ニューヨーク、ブルックリン美術館、ジョン・マエダの作品。 https://t.co/xkyjHiRNds」 / X
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東へ
日本は Far East
その昔、中高生の頃から聴いていた Far East Network Tokyo (通称 FEN)。
以前日記ネタにしたっけな・・同じ事を何度も語る年寄りという事で・・・
日本は極東(Far East)と言われますけど、それ���ヨーロッパから見た時の事で(如何にも彼らが中心)北米からは地理的に日本は西側となり、写真の道路標識を東へ向かえば日本とは逆。まあ、マゼランさんのようにそのまま突き進めば、地球を一周して日本へ到着しますけど(笑)
今日は仕事関係で東海岸のニューヨークから電話が来たけどさ、昔人間のオヤジにはN.Yからの電話ってちょっとワクワクだ。まあ日本の方々がイメージするニューヨークシティ(マンハッタンとか)からでなくてNY州内のとある町からなんだけど。
ニューヨークと言っても広いよ
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またマスゴミはイエメンでケガした幼児の写真を出してアメリカを批判するのだろう
だが、偏狭な差別意識から勝手に丸腰の民間船ばかり狙って攻撃するイカレたテロリスト達がこの攻撃を招いたことを忘れてはならない
日本は貿易で生きており、マラッカ海峡を越えて北上する日本向けの船を中国沿岸で攻撃されて海運が止まったら、日本は終わる マジで餓死者がでる事態になる それを避けるためには航路を攻撃する勢力を日本、あるいはアメリカが攻撃するしか手はない それと同じことだ
アメリカは軍をもち、それを行使する判断をする政府がある 日本には軍も、軍事力を国益のために行使する判断をできる政府もない この致命的欠陥を一刻も早く治癒しないと、大変な地獄を見かねない
トランプは嫌いだが、この軍事力行使には納得できる理由はある、と考える
また、アメリカ軍のこの軍事力行使は、当然隣のサウジアラビアなどアラブ諸国と合意済みのことだろう アラブ諸国はイランの勢力が治安を搔���乱していることを腹に据えかねているからだ
宿敵であるはずのイスラエルとアラブ諸国は、共通の敵イランに関しては同じ利益を共有する このバランス関係を背景にこの攻撃は成り立っている 軍事力行使には強力な情報収集能力と、それを生かす外交能力が前提となる 日本は軍事力以上に情報力と外交力が致命的に欠けている ここも戦後80年の天下泰平の夢から覚めて大急ぎで強化しないと、国がもたない
今の石破政権、岩屋外相を思い出して、こんなことを思った
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ニューヨークにいたけどそんなことないと思う。都会は多民族に合わせて多様な選択肢がある。写真の店はど田舎の店だろ。ただアメリカってほとんどが田舎
[B! アメリカ] 欧米から来た人がドンキとかヨドバシに歓声を上げるのは、あちらの国々では資本主義と言いながら商品の多様性が失われているから説「選択肢がなさすぎる」
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2024年9月18日
【新入荷・新本】
Richard Kern SUPER HIGH, Friend Editions, 2024
56 page, 7x9" perfect bound softcover book, printed on silk stock. Packed with grey board for sturdiness. First edition of 500.
価格:4,510円(税込)
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アメリカの映像作家・写真家であるリ��ャード・カーン(Richard Kern)による、何らかの煙を摂取する女性ポートレート「HIGH」シリーズの3作目がニューヨークのFriend Editionsより刊行。
3rd in the series of HIGH books features New York and Miami Girls smoking. Shot between 2016 and 2024.
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2025/05/18
サルバドール・ダリ展へ行って来ました。
来月まで開催されてるけど、時間取れるのは
今日しか無い!と、前々から予定入れてましたが
昨夜がまさかの朝6時だったので、予定より
2時間遅れで出発。
国立新美術館で行われた
シュルレアリスム展を観に行ったのは2011年。
その時はルネ・マグリットがメインだったけど
やはりダリの扱いは特別で、その時に展示されてた
好きな絵画『不可視のライオン 馬 眠る女』を
観れたのは凄く印象に残ってる。
今回のダリ展は、生誕120周年という事もあり
早熟ダリの10代の頃の作品やスケッチや絵画、
油絵や彫刻、版画まで展示されてたのは凄かった
流石に、前に見たシュルレアリスム展や
大塚美術館でも、ここ迄のダリコレクションは無い!
今回、『不可視のライオン 馬 眠る女』は
展示されて無かったが、彫刻や彫金作品を観れたのは
特別だったし、何より今回のスペシャルは
1939年のニューヨーク万国博覧会で
ダリが手掛けたパビリオン『ヴィーナスの夢』の内壁に
描かれた絵画の展示。そして、これのみ写真撮影OK!
当時の、パビリオンの内壁に描かれた作品だけあって
かなりの大きさ!
それに有名である彼の作品の特徴的であるアイコン
柔らかい時計や、ロブスター、燃えるキリンなと、
『記憶の固執』の構図そのままに壁一面に描かれてるのは
圧巻だった。
そもそもシュルレアリスムとは何ぞや?と言われるが
当時のパリのシュルレアリスム宣言が基であり
20世紀最大の芸術運動の総称とワイは捉えてる
なので、作風を表すものでは無いし
有るとすれば、現実と非現実。意識と無意識。
という様な、日常的な現実を超えた
新しい��と真実の発見であるし、
そう言った変革期にリアルを追求、
実現を試みた思想だと思う。
現にフロイトの心理学や夢占いからも
影響受けてるし、写実の分野で試行錯誤しながら
実験的表現は、個人的に昔から興味かあるんだよね
94年頃、ワイがSECOND BRIDGEってバンドで
活動してた時、ライブの告知やポスターなどは
ダリの作風をかなり用いてたしね(笑)
ダリの作風からは、自身への強烈なコンプレックスを
作品昇華させてるのがビンビン伝わるし
ほぼみんなのイメージである彼の作風には
必ず、地平線があり主として遠近法を用いた絵画が
多く残されてる。
柔らかい時計にも象徴されてる融解は
有機的、固形からの変化を表現したいのだと思う。
つまり、地平線や遠近法を使った
点と線、奥行きといった、手法で
絵画という平面の2次元で、この3次元を表現し
さらに融解などの変化を表現してるこは
時間軸をプラスした4次元の世界なのだと
ワイは思ってる。
絵画は視覚的芸術であり、音楽は聴覚上の芸術。
今!って言う現実を時間軸で基準にするなら
過去や未来の概念が生まれる
ココには永遠って言う人類が憧れるモノは
無いのだけど、4次元の世界では立体的3次元界に
時間軸が加わる事によって、過去も未来も
行き来することが可能なのだ。
人間の心理や、心の中は、無限であり
リアルとアンリアル。現実と非現実。
意識と無意識…
双方に生きる事が自由でリアルでは無いか?って
事なのだと思う。
ま、これを21.歳のKaz.くんが、バンド組んで
あ〜だ、こ〜だ!と力説しても周りからは理解されず
笑われてたけどね(苦笑)
サルバドール・ダリさんの生誕120年を機に
訪れたダリ展。
彼の21歳の作品やスケッチを見て
あ…コイツ、同じ事考えてる!と思った(笑)
恐れ多いとは、全然思わないよ。
後の彼の作品観れば、絵画で時間を有する
音楽的表現をしたかったのが解るから。
あの頃、ワイが感じてた事や、模索してた表現を
彼の作品からちゃんと汲み取れる
そんな視覚的刺激を受け、当時の気持ちに戻れるのは
正にタイムマシン。
やっぱりダリは4次元に居るんだよ(^^)
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大統領選で真っ二つに分断したアメリカが、こと医療保険地獄については珍しくひとつになっていますもんね…。ネットはどこを見ても「入院中に保険が打ち切られた」とか「保険会社と争うのに疲れて開業医やめた」といったホラーストーリーのオンパレード。こうした状況を踏まえて英紙The Guardianなどは ・犯人を神格化する輩を諫めるのは保守系ニュースFOXぐらいで、TikTok、インスタ、Xには右派も左派もなく犯人をイタリア系の兄貴と慕うミームで溢れ返っている。 ・TV司会者が逮捕の報を伝えるとスタジオでブーイングが湧き起こっていた。 ・これだけの一体感はビン・ラディン暗殺以来のことではないか。 Advertisement とまとめています。 ネットから「CEO」の3文字が消えていく… 事件後、現場にはルイジ・マンジョーネ(マンジョー二とも)を救世主に見立てたポスターが現れ、ニューヨークの街には「次の標的」を匂わせるビラが保険会社CEOたちの実名と顔写真入りであちこちに貼り出されて、当局は剥がすのに大わらわでした。 不穏な空気を警戒し、大手医療保険会社のセンティーンはニューヨーク株式市場で予定された株主総会をバーチャルに切り替えましたし、ほかの保険各社も公式サイトから役員の写真を削除しまくっています。 ゴミが見える新境地のロボット掃除機「DEEBOT N20 MAX PLUS」 ゴミが見える新境地のロボット掃除機「DEEBOT N20 MAX PLUS」 Sponsored by エコバックスジャパン 店員からの通報で逮捕となった舞台のマクドナルドの店舗には1つ星レビューが殺到。フライからラット(英語でチクリ屋の意)が出てくる加工写真が投稿され、「厨房がネズミだらけ」といった酷評の嵐となり、Google(グーグル)が全部削除したって話(実際は店からの通報を待つまでもなく、行方不明者に酷似しているとサンフランシスコ市警が親族に連絡しFBIがもう動いていたようですが…)。 ネットには被告のファンクラブができて、Amazonはルイジ推し活グ��ズを規約違反で削除。無規制で放置のeBayには「Free Luigi(ルイジを釈放せよ)」のシールやシャツ、マグが所狭しと並んでいて、本当に異様な空気です。 事件とその後のリアクションの衝撃はあらゆる業種に波及中で、世の社長さんたちはLinkedInのプロフィールから「CEO」の肩書きを大慌てで削除しているって噂ですし、NYなどでは身の危険を感じるエグゼクティブのために「CEO暗殺対策ホットライン」を設けることも真剣に話し合われています。 類似の事件が続くことだけは避けたいところなのですが…。 Source: MSN
保険会社トップ射殺事件の被疑者は現代アメリカの“悪夢”なのか | ギズモード・ジャパン
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ストリートピアノ
2025.02.15
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今日はとある場所でストリートピアノを発見し、娘が弾きたいというので1曲弾いていたら、ニューヨークから来たというおばちゃんたちが話しかけてきてくれて、もう一曲弾いてとお願いされ、最後に記念に一緒に写真を撮らせていただきました😆
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今日は疲れて早めに寝ていきました。
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明日も神さまがともにいて守られますように😌
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【かいわいの時】嘉祥三年(850)九月八日:八十島祭を行う(八十島祭の初見)
難波宮と摂津職が廃止された後にも、難波津において繰り返される宮廷祭祀があった。それは八十島祭と、伊勢斎王の解斎の禊である。いずれも前代からの伝統を引く古い行事であって、 平��時代に入って始められたものではない。 八十島祭は、即位儀礼の一環として挙行される神事で、大嘗祭の翌年に後宮の内侍司の女官が祭使として難波津に下向して生島足島神(大八洲之霊)を祭るものであった。
この神事は五世紀以来の古い即位儀礼の名残で、本来は全国土の国魂を新しい天皇の身体に付着させる呪儀であったらしく、奈良時代には、天皇自身が難波津に赴いて行っていたと推測される(第一巻第四章第四節1参照)。
しかし、史料に残る明らかなものはほとんど平安時代のものである。その初見は『日本文徳天皇実録』にみえる文徳天皇の即位に伴う嘉祥三年(八五〇) 九月のものである。鎌倉時代初めの後堀河天皇の元仁元年 (一二二四)まで行われ、以後廃絶した。この間約四〇〇年近くの間に、史料にみえるものは、二二回を数える。この祭儀は六国史には記載しないのが原則だったようで、その後も『日本三代実録』には記載がない。光孝天皇の場合も、『帝王編年記』に記載されるものである。恐らく記録に残らぬものが多かったに違いない(『新修大阪市史 2』)。
(写真)METで展示されている俵屋宗達「源氏物語関屋澪標図屏風」(ニューヨークビス03/09/2019)=ニューヨーク(撮影・吉田)
御社立ちたまて、所々に逍遥を尽くしたまふ 難波の御祓へ、七瀬によそほしう仕まつる 堀江のわたりを御覧じて 今はた同じ難波なると 御心にもあらで うち誦じたまへるを
御社をご出発になって、あちこちの名所に遊覧なさる。難波のお祓い、七瀬に立派にお勤めになる。堀江のあたりを御覧になって、「今はた同じ難波なる」と、無意識のうちに、ふと朗誦なさったのを(渋谷栄一訳)
住吉詣で偶然に元カノ(明石の上)とニアミスし動揺する源氏(当時29歳)。「今はた同じ難波なる」とは、百人一首にもみえる元良親王(890-943)の歌で、上の句の「わびぬれば今はた同じ難波なる」からとられています。源氏の心中にはもちろん「身をつくしても逢はんとぞ思ふ」という下の句が隠されていることでしょう。さて、かいわいに関係のある箇所といえば、もちろん、「堀江のわたり」。屏風では明石の上の乘る舟が描かれています。
源氏物語の注釈書の一つ『��鳥余情』(一条兼良1472)に「代始に八十嶋祭難波にてあり、典侍の人御衣をもちて参向して解除する事あり これみな難波のはらへの例也」とあり、「七瀬」と「八十島祭」は同じようなものとして扱われています。紫式部の時代の八十島祭は、三条天皇の長和二年(1013)十月、後一条天皇の寛仁元年(1017)十二月が記録に残っています。
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2024年10月11日(金)

本日締切の仕事を昨日提出したので自分にご褒美、<アップリンク京都>で映画を観て、<銀座ライオン四条烏丸店>でランチを頂く。映画は小津安二郎120周年特集から<彼岸花>、テレビでは何度も見ているがスクリーンで鑑賞するのは初めてのこと。ランチは今年初めてのカキフライとビール。ところで、この女性3人を見てすぐに名前を言える方・・・、60代以上に間違いない(知らんけど)!

4時45分起床。
日誌書く。
ツレアイが起きてから洗濯開始。

朝食はいつもの奥川ファームの蕎麦。
珈琲を淹れる。
洗濯物を干す。
弁当*2。
可燃ゴミ、30L*2。
彼女は日勤、自転車で出勤する。
自宅からバスで京都駅、地下鉄で御池、目指すはアップリンク京都@新風館だ。

今月は<小津安二郎生誕120年>ということで、毎日2本ずつ上映中、今日の朝の部は<彼岸花>だ。
自分に相談もせず、結婚相手を決めた娘のふるまいに動揺する父親の姿を描く。初のカラー作品で、監督が好んだドイツのアグファカラーの落ち着いた発色は、以後“小津の色”として定着した。 出演:佐分利信、田中絹代、有馬稲子、佐田啓二、���本富士子 ほか
写真の3人の女性は本当にきれいだが、田中絹代の可愛らしさと浪花千栄子の達者な演技が印象的だ。

新風館は下に降りれば地下鉄御池駅、四条まで移動して銀座ライオンでランチを頂く。溜まっていたポイントは635ポイント、支払にすべて利用して今回のポイントは70ポイント、毎日<ガチャ>で少しずつ溜めて来月また来よう。
帰路は西大路花屋町でバスを降りてセントラルスクエアで買物、ココの猫砂と療養食。

<天満大阪昆布>から、注文して置いた松茸昆布セットが届く、古米が2合分残っているから今夜は炊き込みご飯にしよう。
もう一度セントラルスクエアへ、ステーキ用のスパイスが切れていたので買い足す。南側のセブンイレブンでクーポン使用してハーゲンダッツを購入、普段は高くて買わないが<40円引き>は嬉しい。
ツレアイは仕事終わりでいったん帰宅、今度はココを連れて予約済の<秋山恵蔵どうぶつクリニック>へ、やはり腎臓の具合がよくないので注射を3本していただいたとのこと。

みんなで夕飯、息子たちはスパークリングワイン、我々は🍶+🍷。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第43話「秒読みの殺人」/ Make Me a Perfect Murderシーズン 1, エピソード 43 TV局CNCの辣腕プロデューサー、ケイ・フリーストーンは、支局長マークのチーフアシスタントでもあり、彼の恋人でもあった。ある日、マークにニューヨーク本社への栄転が決定する。ケイも自分のことのように喜ぶが、マークはケイを後任に推薦する気もなく、関係も終わらせようとしていることに気づく。
片付け、入浴、体重は850g増、今日は仕方なし。

今日は仕方なし。
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<Hemingway’s Fly Bottle (*1)/Another Heart (*2)>
7/21/2024 (The 125th Anniversary of Hemingway’s Birth)
by Masahide Kobayashi 6.6 (φ) × 35.5 (H.) cm 364 g Mixed Media
Slightly Iridescent Clear Bottle with Octagonal Lower Half and Round Upper Half (Glass)
Folded/Woven-blade Silver-grass-hopper (Plant Fiber)
Pine Stick (Plant Fiber)
Chocolate-colored Thong (Leather)
(*1) [https://www.mutualart.com/Artwork/Flies-in-a-Bottle/1A3B028FC320BED32F4E681CC2D0615F]
(*2) [https://reslater.blogspot.com/2011/07/big-two-hearted-river.html]
<ヘミングウェイのフライ・ボトル (*1)/もう一つの心臓 (*2)>
7/21/2024 (ヘミングウェイ生誕125周年記念日)
小林正秀 作 6.6 (φ) × 35.5 (H.) cm 364 g 混合材
下半分が八角面取りされ、上半分が丸い、僅かに銀化した透明瓶 (ガラス)
バッタの形に折った/編んだススキの “折り葉”/草編み玩具 (*3) (植物繊維)
松の木の小枝 (植物繊維)
チョコレート色の紐 (革)
(*1) この言葉は、デヴィッド・ハモンズの (何本かある “ボトル・アート” の中の) 少なくとも6本は数えられる “フライ・ボトル” の連作の一つ、<ボトルの中のフライ (瓶の中の蝿)>の題名に負っている ([https://www.mutualart.com/Artwork/Flies-in-a-Bottle/1A3B028FC320BED32F4E681CC2D0615F])。

この連作では、透明な瓶の内側に接着剤で貼り付けたジッパーの引手を、止まった「蝿=“fly”」に見立てているわけだが、“fly” は「ズボンのボタンやジッパーを隠す覆い布」の意味もあって、恐らくこの縁語から、この見立てが思い付かれたのではないだろうか。
この作品のボトルは連作中唯一「ペット=“PET”」だが、上述の「6本」の中には拙作同様ガラスのボトルもあり––––

([https://newyorkarttours.com/blog/art,artist,contemporary,critic,exhibition,gallery,newyork,photography,sculpture,tour,visualart/bottles/]-右から四本目のワインの瓶)––––また、上述「6本」の内の残る4本は、ガラスはガラスだが、「ボトル (細首/細口瓶)」ではなくて「ジャー (“jar”=広口瓶)」である

([https://www.mutualart.com/Artwork/Fly-Jar/624F86C99BE1B1E9]/

[https://www.mutualart.com/Artwork/Fly-Jar/01A3D05CA4FFA6D7]/

[https://lesoeuvres.pinaultcollection.com/en/artwork/one-stone-head]-1994/

[https://greg.org/archive/2024/03/02/shoo-fly-shoo.html]-1994-蝿が黒人で瓶がニューヨーク市ハーレムの「ゲットー (“ghetto”)」を表しているとのことだが、今は瓶がガザで蝿はパレスチナの子どもたちに見えてならない)。
拙作の「フライ (“fly”)」 は、蝿ではなくて「釣りの擬似餌=ルアー (“lure”) の一種である毛鉤 (“fly”)」––––飛ぶ (“fly”) 虫であるバッタ (「飛蝗」) の形に折った (折り紙ならぬ) “折り葉”/バッタの形に編んだ「草編み玩具」(*3) ––––である。
(*2) この言葉は、ヘミングウェイの最初の本格的な短編集である《我らの時代に = In Our Time》(1925 刊) に収められた〈大きな、二つの心臓のある川 = Big Two-Hearted River〉(1924-5 執筆) の題名に負っている。
この小説の第二部に、革紐で首から下げたバッタを入れたガラス瓶––––拙作の題名で言えば “フライ・ボトル”/原文では “グラスホッパー・ボトル” ––––が胸にぶつかって揺れたとあり、そこから、この瓶を、胸中の心臓の近くで揺れる胸外の “もう一つの/(二つある内の) 二つ目の心臓” に喩えた。
「かれは空の瓶を手にすると…草地に行った。……餌にするバッタを捕まえたかった。おあつらえむきのバッタが一杯…草の…根もとにいた。……中ぐらいのサイズの茶色いバッタを五〇匹くらい瓶に入れ…/…栓がわりに松の枝を押し込んだ。それで、バッタたちが逃げ出せないくらい瓶の口はふさがったし、通気にも問題なかった。/////// かれは…バッタの入った瓶の口を革紐で片結びにして、首から下げて、流れの方へと降り…た。…/… バッタの入った瓶が胸にぶつかり揺れた」––––アーネスト・ヘミングウェイ著, ニック・ライアンズ編, 倉本護訳『ヘミングウェイ釣り文学傑作集』木本書店, 2003, pp.46-8。
“he took an empty bottle and went…to the meadow. …Nick wanted to catch grasshoppers for bait…. He found plenty of good grasshoppers…at the base of the grass…. ……Nick put about fifty of the medium browns into the bottle. …/……Nick put in a pine stick as a cork. It plugged the mouth of the bottle…, so the hoppers could not get out and left plenty of air passage. /////// He started down to the stream, …the bottle of grasshoppers hung from his neck by a thong tied in half hitches around the neck of the bottle. …/…The grasshopper bottle swung against his chest.” –––– “Hemingway on Fishing” : Ernest Hemingway; edited by Nick Lyons, Lyons Press, 2000 ([https://www.amazon.com/Hemingway-Fishing-Ernest/dp/1585741442/ref=sr_1_1?crid=3ILB53P3QFMOI&dib=eyJ2IjoiMSJ9.JjbqJHremWZ5h_HnJQ9i8Q.bYOfxz8ItEOecHZymhUdroQz23LL5duJsEuP2ywH-Bw&dib_tag=se&keywords=hemingway+on+fishing%2C+lyons+press&qid=1718868802&s=books&sprefix=hemingway+on+fishing%2C+lyons+press%2Cstripbooks-intl-ship%2C251&sr=1-1]), pp.13~6.
この本の写真頁 (上掲ハードカヴァー版原書には有るがスクリブナーズ社刊のペーパーバック版には無い) の7枚目に––––「1916年頃、釣行でのE・ヘミングウェイ。『大きな、二つの心臓のある川』で描かれるバッタを詰めた瓶を首にかけている」(“EH on a fishing trip, c. 1916. Note the grasshopper-holding bottle around his neck that would find its way into ‘Big Two-Hearted River.’”) ––––とのキャプションが付された写真が収録されている。

つまり彼がまだ高校卒業前の––––(卒業を目前に兵役志願するも左眼弱視で叶わず、代わりに) 1918年の春、赤十字野戦病院輸送車の運転手に志願して北イタリア戦線に配属され、2週間後には19歳の誕生日を迎えるという7月8日の深夜にヴェネツィアの30キロ北東を流れるピアーヴェ川西岸のフォッサルタ・ディ・ピアーヴェで (一説によるとイタリア兵にチョコレートを配っていた時に) オーストリア軍の迫撃砲弾と機銃掃射を浴びて重傷を負う前の––––この写真は、上で引用はしなかった瓶以外の装備……竿や手網や、肩から吊るして膝下まで長く垂らした (釣った魚を水中で生かしておく生簀としての) 布袋や、(これは中が見えないので作中の記述に従っての推測だが)「ランチや毛鉤入れ帳でふくれ上がっ…た」「シャツの胸ポケット」(同上 p.48) 等……も含めて、作中の描写にそっくりである。
この小説は、(3ヶ月の入院と10数回にわたる237個の砲弾破片・銃弾摘出手術を経て帰国後の) 1919年9月に、昔のように友人らと釣りに出掛けた体験を基に、(しかし作中では彼らを消して主人公のニック唯一人が) 大自然との遣り取りを通して、戦場だった “彼の川” での心身の傷を、平和な “此の川” で癒し回復して行く過程を表した作品だが、このバッタ=“grasshopper” は––––彼自身も含めた––––戦火に追われ傷つけられる犠牲の草の根の民=“grassroots” を表しているように思う。
例えば第三短編集収録の〈人こそ知らね = A Way You’ll Never Be〉(1932執筆, ‘33刊) の中でも––––「この軍服を着た…数万の兵隊が、バッタ (ローカスト) の大群の如くやって來るよ」(谷口陸男訳, 三笠書房版全集1, 1955, p.156, 但し (ローカスト) は元文では行間に振られたルビである:“you will see…millions wearing this uniform swarming like locusts”-[https://gutenberg.ca/ebooks/hemingwaye-winnertakenothing/hemingwaye-winnertakenothing-00-h.html#story06awayyoullneverbe]-par.100)––––という風に、(確かに揃いの軍服を着て揃いの行動をする軍団を、「相変異」を起こし「群生相」となって飛来襲撃するバッタの群団になぞらえるのは極く常識的で常套的な連想とは言え) 徴集された民衆兵がバッタになぞらえられ、また “此の川” の岸で瓶に入れられたバッタも元は「草の…根もとにいた」(“They were at the base of the grass”) のであり、更には、小説の第一部で主人公は (戦火の換言に他ならぬ) 火事で焼き尽くされた町シーニー (Seney) を通り過ぎて行くわけだが、そこで見たバッタは––––「どれも煤けて黒い色をしていた。……焼け野原で暮らしているのでみな黒く変色してしまったのだ…。火災は一年前だった…が、バッタは今もみな黒く変色している…。いつまでこんなふうに変色したままの姿なのだろう、とかれは思った。…/『さあ、行くんだ、…どこかへ飛んでゆけ』/ かれはバッタを空中に投げ上げ、道の向こう…へと飛んでゆくのを眺めた」(同 p.36)––––のである。
この末尾は犠牲からの治癒と回復への希望・願望だが、バッタの犠牲面に絞ってここで更に付言すると––––これは拙作の瓶の銀化とも結果的に照応してくるのだが––––この黒いバッタの「ほこりをかぶった背中や頭…は虹色だった」(同上, “it was … iridescent where the back and head were dusty”-ibid.)––––という。そしてこの虹色=“iridescence” は、実は、上で触れた第三短編集収録の別の短編〈死体の自然誌 = A natural History of the Dead〉(1929-21執筆, ‘32+’33刊) の中の、兵士の死体を自然誌的に描写した箇所にも出てくるのである。––––「暑いところに…放って置かれると肉はコールタールに似てくる。特に損傷した箇所には、タールの表面に見られるような虹色の光彩が現れる」(“If left long … in the heat the flesh comes to resemble coal-tar, especially where it has been broken or torn, and it has quite a visible tarlike iridescence”-[https://gutenberg.ca/ebooks/hemingwaye-winnertakenothing/hemingwaye-winnertakenothing-00-h.html#story11anaturalhistoryofthedead]-par.8-l.4)。……つまりこのバッタたちは “生きている死体 (the living dead)” なのである。
そして終いには、この「道の向こう」の……第二部の瑞々しい緑の渓谷に生きる健康なバッタたちもまた、瓶の中に囚われた後は生きたまま魚の餌として犠牲になる運命にあるわけで、その心臓は––––一寸のバッタにも五分の心臓がある––––主人公の胸の前で同じ鼓動を打つ同じ犠牲の草の根の民であることを証しているのである。……この瓶は、彼のもう一つの––––川ならば湧き/噴き出る水源としての––––心臓に他ならない。
周知のようにシーニーの町の側を流れる川は、実際はたったの3文字から成る単純な1音節名詞1語のフォックス川=Fox River なのだが、彼はそれを、その遥か北東に在る––––3文字+7文字の2語3音節から成る長く複雑な形容の––––川の名と取り替えている (これに Big も加えた形容全体の構造/型式は……あの倭建命の「{倭は国の眞秀ろば} 畳なづく青垣 山籠れる 倭 {し麗し}」にも似た……第三短編集収録の〈清潔な、明るい光の差し込むところ = Clean, Well-Lighted Place〉という題名と同じである)。
(via [https://reslater.blogspot.com/2011/07/big-two-hearted-river.html])
この “grasshopper” への “grassroots” の仮託は、旧約の『イザヤ書』(Is. 40–22~24) の昔から––––「主は地球のはるか上に座して、地に住む者をいなごのように見られ……また、…無きものとせられ、…むなしくされる。彼らは…植えられ、…まかれ、…地に根をおろしたとき、神がその上を吹かれると…枯れて、わらのように…風にまき去られる」(日本聖書協会『旧約聖書』1955年改訳 p.998) ––––と有るように、極めて馴染み深いもので、例えば現代の絵画でも––––Web 上では今はこの<赤バッタ、青バッタ>しか画像が見出せない

([https://www.nihonbijyutukai.com/anpan/archives/archives57])––––長谷川匠のバッタ連作が思い出される (「なお,伝統的に日本では,聖書…や欧米の文学書など…,飛蝗…を〈イナゴ〉と訳してきたが,これは〈バッタ〉と訳すべきものである」-[コトバンク-バッタ-改訂新版 世界大百科事典]=[https://kotobank.jp/word/バッタ-115128#goog_rewarded]-山崎柄根執筆部分より)。
この、聖書からの引用という繋がりで––––否、この短編集が刊行された百年前と今が何一つ変わらぬ戦火/戦禍の拡大/継起の時代だからという繋がりで––––最後に一言付け加えるが、この短編集の題名《我らの時代に》は……ヘミングウェイの作品 (と、併記するのは気が引けるが拙作) の題名が多くそうであるように……ある出典からの引用で、それは、英国国教会 (“Church of England”) の『祈祷書』(“The Book of Common Prayer”) の「晩祷」(“The Order for Daily Evening Prayer”) の中の––––「おゝ主よ、我らの時代に平和を与えたまえ」(“Give peace in our time, O Lord”-[http://justus.anglican.org/resources/bcp/1928/BCP1928.pdf]-p.31-l.9)––––だという。
(日本聖公会の1895年版『祈祷書』-[https://dl.ndl.go.jp/pid/824979/1/1] では、この言葉は「晩祷」ばかりでなく「早祷」にもあって、どちらも會師の先唱 :「主よ。我らの生涯泰平をあたへ給へ」で、また、これに対する會衆からの応/答唱は「地のはてまで戦争をやめしめ給へ」([ibid.-1/34],[ibid.-1/45]) であり、戦後の1959年版では、司式者先唱 :「主よ、この世を安らかに治めたまえ」と、会衆応/答唱 :「地のはてまで戦いをやめしめたまえ」である-p.73, p.84)。
……いずれにせよ、この、記されず/発せられず/海面下に沈んで隠された氷山の言葉を––––それをヘミングウェイの非情と反語がどう捉えていたかは別にして––––私たちは私たちの「我らの時代に」、今一度新たに/改めて思い発 (おこ) す必要があるのではないだろうか。
(*3) 新崎宏『手遊び 草編み玩具 第1巻』琉球新報社, 2011, pp.62~3 (沖縄型)/ 65~7 (普及型)/ 69~74 (中国型)。
[https://www.youtube.com/watch?v=mxb3Z399GNM]。
[https://www.youtube.com/watch?v=I_opJ2xl_Fk]。
追記
1989年の3月13日から4月8日にかけてパリの【Galerie 1900 ▾ 2000】で開催されたジョゼフ・コーネル展のカタログ–––– Edouard Jaguer, “Joseph Cornell”, ©1989 The Joseph and Robert Cornell Memorial Foundation [https://nostos.jp/archives/363284] ––––には、 いずれも1933年頃の作とされるコーネルの4本の “ボトル・アート” ––––色々な物品が中に入れられた沢山の小瓶を一つの箱に収めた広義の “ボックス・アート” とは異なる “一本瓶もの” の作品––––の写真図版5枚が収載されている。
その内<無題 (中国の瓶)>(p.20) と<無題 (月の瓶)>(p.21) の2枚=2作品はカラーで、


3枚の白黒は、<無題>と、<無題 (バッタの瓶)>の全図 (p.22) とその部分拡大図 (p.11) である。



<…中国の瓶…>に入れられた活版印刷本の頁らしき巻かれた紙の右端一行は、漢字に [平仮名のルビ] を振った漢字+平仮名交りの日本語の文章で––––「食物 [しょくもつ] を與 [あた] へて汝 [なんぢ] ‥ 今 [いま] より我子 [わがこ] ‥ 做 [な] れよと云 [い] は」––––と読め、従ってこれは、<…日本の瓶…>と改めた方が良いのではなかろうか。
それはともかくとして、コーネルにも<…バッタの瓶…>が有ったということだが、このバッタは、(解説も無く拡大図でも判別し難いのだが) ひょっとすると腹の下にゴムの吸盤が付いていて、何かに押し付けて初めのうちは平らに伏せて耐えているが、そのうちに吸盤の効力が失われて針金の脚のバネの反発力で突然跳び/跳ね上がるブリキの玩具の「跳ねバッタ」––––(例えば[https://www.ebay.com.au/itm/181510296673] 、[https://www.jataff.or.jp/konchu/obj/obj30.htm] 、[https://www.amazon.co.jp/ノーブランド品-q1145510112-ブリキのおもちゃグラスホッパー雑貨ブリキ玩具品駄菓子屋懐かしコレクション絶版品バッタレトロ品珍品/dp/B0D9WKKWX4] のような) ––––かもしれない (但し写真を見る限りでは吸盤は……初めからなのか、後で取れたのか、は兎も角として……付いていない)。
なお、1980年のニュー・ヨークMoMa でのジョゼフ・コーネル展の図録 ([https://nostos.jp/archives/49182]) には、反対側から異なる角度で撮られたと思われる内容物品の配置が違うこの瓶の白黒写真図版 (Pl. 12)

が掲載されている。
(10/14/2024)
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