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#ボードレール
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#国立西洋美術館 リニューアルオープン記念「#自然と人のダイアローグ」展より。 #ボードレール や #ユイスマンス、#モンテスキュー を魅了したエピソードも残る #ロドルフ・ブレダン の代表作、「善きサマリア人」(1867年 #リトグラフ,チャイナ紙) From the #exhibition “In Dialogue with Nature”, commemorating the reopening of the National Museum of Western Art, in Ueno Park, #Tokyo, #Japan. The Good Samaritan (1867, #lithograph on chinese paper), a #masterpiece by #RodolpheBresdin, whose episodes have fascinated #Baudelaire, #Huysmans and #Montesquiou. (国立西洋美術館 National Museum of Western Art, Tokyo) https://www.instagram.com/p/CgoddlIPFIA/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 11 months
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文学を志す青年が友人の梶井基次郎に「ボードレールのこの詩が凄いんだよ!」と詩を紹介され、実際に自分でも読んでみたら彼に聞いてた詩よりいまいちで、無意識に脚色した梶井基次郎の才能に驚いた話を思い出した。
[B! オタク] 私は変なAVを観た!!Vol.5「欲情列島宅配便 私の処女を破りに来てっ!!」|後藤羽矢子
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akutagawafanclub · 1 year
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intro 〜 春の心臓
「UNKNOWN DEVIL'S CALLING」セルフライナーノーツ10, 11曲目、ようやく終盤である、絶対に最後までやる、俺は無駄に諦めが悪い、そうじゃなきゃこの歳までバンドやってない,皆好きだろ春の心臓
「春の心臓」
曲が出来たのは10年ほど前、まだ前ドラマーと2ピースだった頃だ、10年前の曲なんか未だに演奏すると思わなかった
曲が出来て人前で演奏することになってから評判が良く、前体制で音源にしてからも評判が良く、現体制になってからもライブでやってないのに評判がいいくらいには評判がいい曲である、何なら藤井雨宮からも好評だったので今回再録した、どう考えてもベースがあった方が良くなると思っていた
春という季節に感じるある種のどうしようもなさを詰め込んだ曲である、芽吹く花々、宴に興じる人々、新たなステージに向かう若者たち、それに混ざらない孤独感、そしてその孤独から垣間見えるスカシ感、どうしようもない、形容し難い気分になる季節だ、ボードレールや朔太郎が群衆の中でこそ孤独を感じると言っていた気がする、まったくその通りだなと10年前の俺は思った
そういったある種の諦念や虚無感を春という季節に感じる根拠は間違いなく豊田監督の「青い春」による影響であると思う、青い春という作品の話になると収拾がつかなくなるので控えるが、そういった敗北者のどうしようもなさと焦燥みたいなものがあの映画には詰まっている気がする、あとミッシェルガンエレファントの曲が流れていて超カッコいい、観たことない人は観るべきだ、少なくとも3回は観た方がいい
控えると言ったくせに書くが、劇中でミッシェルガンエレファントのブギーという曲が流れるシーンがある、俺はそのシーンが死ぬほど好きで、このシーンに流れるべき曲を作りたかった、それがこの曲の始まりであった気がする
人生を棒に振るどうしようもなさ、やるせなさ、流れに身を任せるだけの潔さ、みたいなものを感じるシーンだ、止まらないので青い春の話はもうやめる
俺はマイブラッディバレンタインの大ファンで、彼らのサウンドには浮世を捨てたような厭世感、そしてまさしく春に感じるような諦念、虚無感を感じていた、それをやろうと思った、すなわちミッシェルガンエレファントのブギーという曲をマイブラのサウンドで再現してやろうと思ったのだ、すなわちって言われても知らんがなっつう話かもしれんが、そうなのだ
曲が出来た当時はまだ2ピースで、エフェクターなぞ多少出来のいい弁当箱くらいにしか思っておらず、アンプのリバーブを全開にしてトレモロアームを使って何とかそれっぽい音にして録音した、あれはあれでいい仕上がりだが、やはりベースなしでは良さが出ないと感じていた
3ピースになってからThe Keeleyとかsassya-と2マンでライブをやる機会がちょくちょくあり、そのタイミングで今の編成でもう一度この曲をやろうと思った、何せ曲の尺が長い、持ち時間30分のセットだと何とも組み込みづらく、長尺のライブでないとなかなか演奏しにくいのだ
藤井・雨宮両名ともこの曲は気に入ってくれており、3人でのアレンジもかなり良い感じだった、未だにこの曲が好きだという声も聞くので、今回レコーディングしようという運びになった
自分でも10年前に作った曲を演奏するなんて思わなかったし、今となっては作れない曲だと思うので思い入れはある、我々の曲の中ではかなりとっつきやすい曲かとも思うので気に入ってくれる人が多いのはとても嬉しい、この曲のおかげで「もうちょいちゃんと歌ってみるか」と意識し始めた気がする、10年前の当時は曲の聴かせ方などろくに考えずやみくもにデカい音を撒き散らして騒ぎ立てるようなやり方しかできなかった、ボーカルなど漬物程度にしか考えていなかった
そういう意味でもバンドにとってかなり価値のある曲であると思う、この曲を入り口に他の曲も聴いてもらえたら嬉しいし、この曲より良い曲も作りたい
音の仕上がりもとても良い、レコーディング前にマイブラを聴き込み、何とかあんな感じのギターサウンドにしようと思っていたが、やはりなかなか難しく別物になった、だが気に入っている、���ん中で鳴っているリバースリバーブの音がもう少し聴こえたらもっとそれっぽいのかもしれないが、そうするとボーカルが聴こえづらくなりそうな気もする
余談だが俺はかつてはレコーディング音源に関してもボーカルは漬物程度にしか考えていなかった節があり、ミックス時よく雨宮に指摘されていた、こういう音楽性のバンドあるあるかもしれないが、ボーカルが聴こえすぎると何だか気恥ずかしく、かつボーカルもあくまで曲の構成要素の一つだと思っているので、ボーカルが一番聴こえてくるようなバランスは不自然に感じていたのだ
そういった感覚を全く持ち合わせない雨宮はよく「え、ボーカルちっさくないですか…?」と俺に指摘をしてくる、俺としてはいや、わかるけどそういうことじゃねえのよみたいな話をしたり、仕方なく少しボーカルを上げたり、その後知らないところでこっそりボーカルを下げたりしていたのだが、今回のアルバムは全編通してボーカルがちゃんと聴こえるようにしたつもりだ、やはり人の声は求心力が強く、聴こえているべきだなと考え直したからだ
余談が多い、やはり10年も前の曲だと色々言及したいことがある、本当に収拾がつかないので詳しく聞きたかったらDMとかしてほしい
3人になって特に気に入っているのは「海が見えてた」の後の間奏とアウトロだ、前者はとにかくベースが素晴らしく、後者はギターがすばらしい、そして曲終わりの騒音はいわゆるノイズビット、俺は結構マイブラフリークなのだ
書くことが多すぎてかなり放置してしまった、花見の時期公開したかったがとっくに花は散ってしまった
とりあえずみんな大好き「春の心臓」、是非聴いてほしい、ついでに青い春も観た方がいい
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Cloud (poetry)
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"I love clouds... over there... over there...
Passing clouds... wonderful clouds! ”
Certainly clouds are ever-changing,
Clouds that make you forget time when you look at them.
But today the thundercloud shines black,
Intimidating sky pattern.
Because I'm not as lonely as Baudelaire
I don't tend to see clouds as my friends...
雲(詩)
「私は雲を愛する・・・ほら、あそこを・・・あそこを・・・
過ぎてゆく雲・・・素晴らしい雲を!」
確かに雲は変幻自在、
見つめていると、時間を忘れるような雲。
ただ今日は雷雲が黒く輝く、
威圧的な空模様。
私はボードレールほどは孤独でないので
雲を友達と見なす傾向はないのだが・・・
(2017.07.22)
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nakanohajime · 2 years
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十九世紀半ばにおけるマッチの発明とともに、一連の革新が登場する。それらの共通点は、多数の要素からなる過程を、手のすばやい操作ひとつで始動させることである。この発展は多くの領域で進行する。なかでも電話の例がわかりやすい。以前の器械ではハンドルをたえず回していなければならなかったのが、いまや受話器をとるだけになった。スイッチを入れたり切ったりする、なにかを投入する、なにかを押す、などの無数のしぐさのなかで、パチリと写真をとるしぐさは、とりわけ大きな影響をもたらすことになった。ひとつの出来事を永久に定着させるのに、指のひと押しでこと足りるようになったのである。写真機は瞬間というものに、いわば死後のショックを付与した。この種の触覚的(パプティシュ)経験と並んで、新聞の広告欄によって、あるいはまた大都市の交通によってもたらされるような、視覚的経験が登場した。大都市の交通のなかを動いてゆくことは、個々人にとって一連のショックと軋轢を生みだす。危険な交差点で、神経刺激の伝達がバッテリーからの衝撃のように、次々と体をつらぬく。[…]このように技術は、人間の感覚器官に複雑な訓練を課した。刺激への新たな、切実な欲求に応じるものとして、映画が登場する日が到来した。映画においては、ショックのかたちをとる知覚が、形式原理として有効になる。ベルトコンベアーにおいて生産のリズムを規定するものが、映画においては受容のリズムの基盤になる。
「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」(ヴァルター・ベンヤミン)
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practiceposts2 · 14 days
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20240502
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趣味(goûts)とは、何よりもまず嫌悪(dégoûts)なのだ。(ピエール・ブルデュー)
エレガンスは絶対的なシンプリシティにある。(ボードレール)
わたしは豪華な布地を抹殺した。ギリシアのリュク���ゴスのようにばっさりと。(ココ・シャネル)
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akrskzw · 4 months
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そもそも不良の種類が真逆だよね。 バダサイは、ボードレール、ジャンコクトー、ウィリアムバロウズなど、ドラッグカルチャーのアーティストに近い。根暗なタイプ。 ワイザーは気持ちの良い不良。 主人公キャラで言えば前田太尊が1番近いかと。 水と油、正義の意味が反対で交わらない。
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774 · 6 months
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彼はどちらかというと寡黙で内に秘めるタイプ。音楽について積極的に語るタイプではありませんでしたが、『BUCK-TICK』のコンセプトには、作詞を担当する櫻井の志向が大きく働いていたものと思われます。彼は読書家で、ボードレールの詩集『悪の華』を楽曲のタイトルに使うなど、文学から大きな影響を受けていた
「もう会えないなんてウソだろ?」BUCK-TICKボーカル櫻井敦司57歳で急死「息子は芥川賞作家、最期までステージに立ち…」 | 文春オンライン
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highants · 8 months
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昨日観た今週のアストリッドとラファエルが、妙にアレゴリカルなエピソードだったので、チャンネルを切り替えて受信しながら、あちこちに散らばったとりとめのない考えの裏を取ったり、まとめるのに時間がかかってしまった。劇中にボードレールの詩の引用が出てきたけれど、そういえば今回の副題は悪の華だった。
昏睡状態で眠り続けているデルフィーヌという女性の名前はデルフォイが語源ではないかと直感したので調べてみると、やはりそうだった。人間の情動の変化を敏感に察知するオジギソウと、ポリグラフを通して交信しながら隠された真実を暴き出していたのが、どこか託宣のようである。
不可能や、存在しないことを象徴していた青いバラも、何年か前にサントリーの遺伝子組み換え技術によって現実に生み出されたことから、現在では夢叶うや、奇跡、神の祝福といった花言葉が新たに与えられている。長い時間をかけてようやく見つけ出された、美しくて尊い宝物が、決して自分の物にならないことに気づいてしまったアルコーンは、嫉妬に駆られて雷のごとく激昂し、憎しみと怒りの果てにすべてを無碍にして、破壊し尽くす後の祭りがこの世の無情である。
物語がパリを舞台にしてるということもあって、植物園の温室から物語が始まったところで、思わずブレッソンのポートレートを思い出し(残念ながらそれはパリの植物園で撮影されたものではなかったが)、本棚に眠っていた写真集を引っ張り出してページを捲っていたら、この写真に思わず目が止まってしまった。こんな写真が収録されていたことすら記憶にないので、これまでは気にも留まらなかった一枚なのだろう。
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かくしてメデューサの首に封印されていた扉が開かれたのである。開けてはならぬ、見てはならぬという戒禁が解かれ、向こうから招き入れてくれるのであれば、慎んでその招待に預かり、秘密の扉の奥へと足を踏み入れようではないか。青いバラの花咲く庭に。 
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straycatboogie · 9 months
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2023/08/11
BGM: たま - マリンバ
今日は遅番だった。朝、いつものことではあるのだけれど鬱な気持ちになる。どうしてなのかわからず、したがって対処のしようもない。思い当たるところと言えば昨日高橋源一郎の小説を読み「この世界とは何だろう」「ぼくとは何だろう」と考えてしまったからというのがある。そのことを詩にしてしまう。空を見て、ぼんやり「あの空はほんとうに青いのだろうか」と考える(「青い」からもう一歩進んで、具体的な青さを描写する言葉を探し「紺碧」という言葉を学んだ。詩の中には結局使わなかったのだけれど)。イオンのフードコートで詩を書き、その後弁当を買って食べる。実にぜいたくな悩み・問題ということになると思うのだけれど、なんだかいろんなことが虚しく感じられる。それを突き詰めていくと「詩を書くこと」や「仕事をすること」、もっと言えば「生きていること」が虚しい……X(元Twitter)を開くと他人の意見をボロクソに言っている人がたくさんいる。ぼくもかつてはそうした罵倒を繰り広げたことを思い出す。ある目標に向かって何かを行う時に、ぼくは生きていることそれ自体にまつわる索漠とした不安を忘れられる……と書いていくとなんだか哲学じみてきた。結局サルトル『嘔吐』を読むのも頓挫したままであることを思い出した。
今日はフィリップ・フォレストというフランスの文芸評論家が書いたエッセイ的小説『さりながら』を少し読んだ。この作品では日本の偉大な俳人である小林一茶について触れられている。そこから一茶が生きた激動の時代について語られ、一茶の句にある鋭利な観察眼について分析されているのが目を引いた。実にメランコリックで美しい散文が澤田直の達意の翻訳によって綴られているのにやられる。この本��折に触れて愛読してきたつもりだったけれど、今日生まれて初めて読んだかのような実に新鮮な気持ちで読むことができた。そして、一茶の句を読みたいと思ったのだった。池澤夏樹が編んだ『日本文学全集』の中に芭蕉などと一緒に収められているはずなので読みたい、���……そして、今はたぶんぼくは「そういう気持ち」なのだと思った。生きる意味について、生きることの価値についてあれこれ(答えなんて、逆立ちしたって出ないというのに)考え込まざるをえない。もちろんこんなこと考えたって腹が膨れるわけではない。イヤミでもなんでもなく、「考えない練習」というか「持ちこたえること」が大事なのだと思うけれどそれがぼくの性分なのだとしか言いようがないのだった。
今日はふと、仕事をしながら「たま」の曲のことを考えてしまった。「さよなら人類」や「らんちう」で一世を風靡したあのバンドのことだ。休憩時間に詩をノートに清書して、『犬の約束』の中から「夏の前日」を聴く。それで、今月末くらいにぼくが木曜日のミーティングでプレゼンテーションをする際は「ぼくの好きな詩」について語れたらと思った。ぼくは実に文学や音楽に関しては野蛮極まりない育ち方をしてきたので、詩といえば萩原朔太郎や中原中也ではなく――ましてやランボーやボードレールでもなく――佐野元春のようなミュージシャンが書いた詩が思い浮かぶ。そこからビート・ジェネレーションの詩人を知り、あるいはルー・リードやボブ・ディランの詩を知っていったのだった。「たま」の曲から言えばぼくは4人の書く詩はどれも好きなのだけれど、強いて言えば滝本晃司が書いた詩が好きだ。メロディの上で自在に広がっていく詩。そしてイメージ。それについて語りたくなってきた。高村光太郎や宮澤賢治について、あるいはルイーズ・グリュックやヴィスワヴァ・シンボルスカといった詩人について。いや、問題は「ニーズがあるか」「退屈しないかどうか」なのだけれど。
そんなわけですっかり、「詩人気取り」も板についてしまった。今日も終わってみれば金子光晴の新刊の文庫本『詩人/人間の悲劇』を買おうかどうか考えてしまい、ボーナスを実際に手に取るまで待ったほうがいいのかなと思い……過去に(親が尻拭いをしてくれていると気づかず)ポンポンと酒を買い込んでいた日々から比べるとずいぶん堅実なお金の使い方をし始めたものだなと思う。いや、広い目(?)で見ればこうして「買わない」「使わない」のは「経済を回さない」ということでもあるけれど……買えるもの・読めるものならブレイディみかこの新刊だって買って読みたいけど、「それにつけても金の欲しさよ」という懐事情もあってなかなか手が伸びない。部屋の本の片付けもして思い切って「断捨離」で本を捨てないといけないとも思った。夜、仕事が終わり帰宅後詩をブログにアップロードする。すぐにアメリカの友だちが詩を褒めてくれたのでうれしくなる。そして「ぼく自身は謎だ」とあらためて思ったのである。だって、朝うんうん唸って「憂鬱だ」「ぼくって何だろう」と考え込んでいたのだから。自分の「今の気持ち」に引きずられず、「いとしのエリー」でも歌いながらノリで生きるのも1つの「人生の達人」の生き方なのかもしれない。
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maru852 · 11 months
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結婚は人生の墓場だが、ここから抜け出す7STEP(その1)
結婚は人生の墓場とはフランスの有名な詩人「シャルル・ボードレール」が作った詩で、本当の意味は、「生きていたいならば、不特定多数との婚外交渉を避けること。そして真に愛した人とのみ墓のある教会で結婚するべき」という、むしろ、結婚を勧めていたという話だったんですが、文字のインパクトから真逆に捉えられてしまっています
1.コミュニケーションの本質を理解して、正しいコミュニケーションを取る必要
とても当たり前の話をします。たとえ墓場に埋葬されてしまっても、舞い戻るためには、パートナーとのコミュニケーションが必要です。これがなくて復帰することはありません。たとえ、どんなにお金があっても無理です
お金持ちなのに、このパートナーが破綻している代表例ともいえる人が、斉藤一人とかホリエモンとかですかね
たとえ大金持ちであったとしても、コミュニケーションを家族に使わないと維持できないのが、夫婦仲なんです。彼らはその能力をビジネスに使っていて、家族は使わなかったから、あんなにも成功したんでしょうけど
では
結婚は人生の墓場だが、ここから抜け出す7STEPについて説明していきます
STEP1:墓場には深さがある
あなたが入っている墓場ですが、人それぞれ、困ったくらい違った深さにいるので、まず、自分の置かれている階層を意識して始めないといけません。この階層を間違えて対応すると逆効果になりかねませんので、注意が必要です。
レベル1:相手との違いが見え始めるが、様子見しています。一緒にいるのも居心地悪くないので、気づかいとかできる状態です
レベル2:相手との違いが気になり始め、違いを指摘して変えようとする。居心地が悪くなっているので、一緒にいる時間が減っていきます。自分だけ頑張っていて、自分は間違っていないと考えているという状態です
レベル3:相手との違いに嫌悪感・拒否感、でも気づかれないようにと思って、相手に関心を寄せなくなり、安心も感じないので、2人の時間は皆無
レベル4:相手のやることなすことすべて嫌、相手の配慮も受け入れない、相手は敵であるので、とにかく拒絶、離婚したくてしょうがない
レベル1の対処法は簡単で情報伝達しましょうということです
何か問題が発生したときに、どうしてこんな判断をしたのかという情報を共有してお互い納得するということが大事になります
相手に期待している状態なので、期待通りの結果が出なかった理由はなにか、理性的な判断がされていきます
情報がないと、思い込みで指摘し始めて、だんだんと相手との距離が広がっていきますので、ちゃんと言い訳しましょう
レベル2の対処法がコミュニケーションをとることです
コミュニケーションを取るとは一体なんなのか?ここを間違えているから墓場への進行が大きく進んでしまうんです
一般に、会社でコミュニケーションを取ろうというときは、ほとんどが会話をしようという話に落ち着くと思うんですが、これが大きな間違いなんです
会社では、情報伝達のことをコミュニケーションと呼んでいるんです。でも、家庭において、コミュニケーションとは言葉ではありません。情報伝達など、本当はなんの意味もなしてはいないんです
家庭内でのコミュニケーションはボディランゲージ一択です
あなたがなにを話したか、会話したか、は無意味です。その時にどんなボディランゲージをしていたか。これだけが重要です
例えば、夕食を外で済ませてきて、家に帰って、何か言われたとします「早く言ってよ」とか、その時のあなたの対応は、相手に背を向けたり、上を見たり、相手に全く向き合わず「ごめん」とか「次は連絡するよ」と言ったことを言っていませんか?
ちゃんと約束する人が後ろ向いていたりしますか?しませんよね。こういったボディランゲージが会話の内容よりもパートナーにインプットされて、どんどんと墓場に埋葬されていくんです
レベル3の対処法はとにかく、興味関心を持たせること
コミュニケーションとは何か、調べたことはありますか?
コミュニケーションとは、相手に対して、「興味」「関心」「期待」があることが前提なんです
「興味」「関心」「期待」がなくなっていては、コミュニケーションしている場合ではないんです、まず、コミュニケーションできる土台作りから始めましょう
「興味」「関心」「期待」がなくなる大きな原因は自分自身が孤独だと、自分に矢印が向いて、内向的になってしまっているから
肉体的なダメージなら休息、精神的なダメージなら旅行など、何か計画して実行しましょう
レベル4の対処法は、まず、敵ではないことを示すこと、具体的には
敵ではないことを示すとは、相手のことをとにかく先に理解することです
相手の言うことをすべて受け入れましょう。どんなに理不尽でも、そこからじゃないと何も始まりません
ちゃんとインタビューアーのような気持ちで相手の気持ちを引き出すように聞いて、リアクションして、心の緊張をほぐしていくことが必要です
あなたとあなたのパートナーとの状態は、どのレベルだったでしょうか?
夫婦仲はどうしても変化が少なくなるので、どんどんと階層が下がっていくことが普通です。
どうして、どんどんと下がっていくのかについては、また、説明していきます。
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karakusaginga · 1 year
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Albatross and Night Heron(poetry)
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gracefully rest its wings and rest
Night heron
once you take off
call the clouds and fly
but his wings were torn off
The Night Heron is
fall to the ground
Can only be eaten by dogs and cats
Baudelaire sang
The majestic Albatross
he fell on the ship
A simple idiot.
アルバトロスと五位鷺(詩)
優雅に翼を休めて憩う
五位鷺(ごいさぎ)
ひとたび飛び立つと
雲を呼んで飛翔する
ところが翼をもがれた
五位鷺は
地上に落ちて
犬や猫の餌食となるのみ
ボードレールは詠んだ
雄大なるアルバトロスも
船の上に落ちては
ただのでくの坊のアホウドリ。
Baudelaire is thought to have written about the sorrow of a poet who is tossed about by worldly threats.
(2016.07.19)
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lioninpassage · 1 year
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2023-01-18
今日読んだところ:
「パリ――一九世紀の首都」〔ドイツ語草稿〕 V ボードレールあるいはパリの街路
今日読んだところ(特に前半)、ほとんどわかってない……ボードレールも弁証法もわかってないから……
後半のほうがまだ何の話をしているかわかった気がする。
遊歩者の最後の旅、それは死出の旅である。その目標、それは新しいものである。〔中略〕新しいものは、商品の使用価値から独立した質をもつ。それは、集団の無意識が生み出すさまざまな形象(ビルト)には譲り渡すことのできない仮象の輝きの源であり、モードが飽くことなくその代弁に当たる虚偽意識の精髄である。〔中略〕こうした仮象の生み出したものこそ、ブルジョワジーがその虚偽意識を満喫している「文化の歴史」の幻像(ファンタスマゴリー)なのである。芸術は、自らの使命を疑い始めていて、「有用性から離れえない」(ボードレール)ことをやめて、新しいものを最高の価値にしなければならない。( p. 22 )
歴史(進歩史観?)=より新しいものがより価値あるもの、ということ?
非画一主義者たちは、芸術が市場の思いのままになることに反抗し、「芸術のための芸術」の旗印のもとに結集する。この合い言葉から、芸術を技術の発展から守る総合芸術作品という構想が生じる。総合芸術が自らを讃えて執り行う聖別式は、商品を美化する気晴らしと対をなすものである。両者とも人間の社会的生活を無視している。 ( p. 22 )
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puyomary · 2 years
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ボードレールの旬は10代後半から20代前半だろうか。もう終わってしまった。
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peelposition · 2 years
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ベルナノス : 生涯と作品 / アルベール・ベガン著 ; 石川宏訳
ボードレール / クレマン・ボルガル著 ; 窪田般弥訳
田村 尚子ソローニュの森 (シリーズ ケアをひらく)
三尾公三
椎野修
山内頴吾
ヨーロッパで連詩を巻く
ヴァンゼー連詩
安岡 章太郎 言葉のなかの旅
大原富枝 巣立ち
大木惇夫
石原八束
野上弥生子
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