2024/5/10
火曜日に学振を提出し、日を跨ぐ頃に、採用されれば今年の9月から支給される助成金を書いていた。各項目ごとにとりあえず書けることだけ書いて、目途が立ったので寝た。翌日、学振でお願いした人たちにこのシビアなスケジュールのなかで推薦書はお願いできないし、どうしたものかなと悩み、以前3日くらいもらえれば推薦書でも書くのでと言ってくれた人に下書きとともに送り、ありがたいことに仕事が早く、その日の夕方には返してくれた。学振にかかりきりで、土日に彼女に会えなかったので、人に頼んでる傍ら会いに行った。悪は存在しないを見るならば、ちゃんと履修しろと寝ても覚めてもを半分くらい見ながら、夕飯を食べた。天気がひっちゃかめっちゃかで、雨が明けたあとの翌日の天気は冬から春への導入をやり直しているようで、この反復、何回目なんだと思う。
昨日帰ってから今日にかけて、また助成金の申請書を書き、完成させる。あまり見直すこともなく出したので、通ればラッキーというくらいの気持ち。最近お金が気がかりであまり本を買えていないので、助成金でどんと本を買いたい。
今年から、ほとんど年金対策のつもりで放送大学に入学し、フランス語だけ履修しているが、テキストを開いてもいなければ、日程も確認しておらず、なんなら学生証もまだ受け取っていない。そんななかで、該当するのかはわからないが、提出物の締め切りが今月末までですよ、とメールが送られてきた。とりあえずは来月頭くらいまで他に出すべきものとして公募書類くらいしかないので、フランス語をやりつつ、そろそろ新しい研究に取り掛かりたい。新しいことをやろうとするたびに、私ってどうやって書き始めていたのかを忘れている。
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ウッドベリーズ 生フローズンヨーグルト 山梨 山果屋 大石(プラム)
ウッドベリーズさんの「7月のスペシャルパッケージ」ラスト!
レビュー掲載が8月に跨ってしまった💦
8月はどんな詰め合わせが出るのか、新たなワクワクが💓
スペック
八ヶ岳産の牛乳を主原料に、自社工房で作られるフローズンヨーグルト。
果物は全国の契約農家さんから直送されるものを、生のまま冷凍。
フローズンヨーグルトと一緒に機械で絞り出して完成!
山果屋
読み方は「さんかや」。
山梨県で2023年に設立された合同会社さん。
多品目栽培で季節ごとに実りがあるほか、遊休農地や空き家の課題解決にも取り組んでいらっしゃるそう。
「大石」はプラムの品種「大石早生(おおいしわせ)」のことかな??
日本で一番メジャーな品種で、生産量は山梨県が一番多いみたい。
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開封
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優しいピンク色に、濃ゆいピンク色が点々と入ってる。
おそらくこの点々は皮の色かな。
少し室温に戻してからスプーンを入れるとさっくりいい手応え。
おっ、今回のは下半分ぐらいが白!
色むら多めのに出会った😊
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頂きます🙏
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うわぁ、プラム🩷
もう何年も前のことやけど、デンマークに滞在中にプラムにハマって食べまくってた時の思い出が蘇ってくる。
白い部分はこっくりヨーグルト。
ピンクの濃ゆい部分は口溶けと共にプラムの香りや甘み、渋みが一気に溢れ出す😍
まるでギュッと圧縮されてたのかなって思うぐらいに、溶けた瞬間の広がり方がすごい!
目を瞑って食べてもあの紫色がパァァァっと視界に込み上げてくるような味。
プラムの味が奥歯にジュッと来る瞬間って、色彩を感じるよなぁ。
たまに皮らしきものが口の中に残ってシャキシャキと噛めるのがリアル。
今回色むらが激しいから、食べる箇所によってミルキーに感じたりフルーティに感じたり、抑揚がすごい😋
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無脂乳固形分 7.1%
乳脂肪分 4.9%
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栄養成分
記載なし
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内容量
120ml
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原材料名
乳製品(国内製造)、果物、砂糖、蜂蜜
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購入価格
7月のスペシャルパッケージ 12個入り
6,200円(税込)+送料
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製造者
有限会社 ウッドベリーズ
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1000 Days ❤︎
さてさて、遂にやって来ました。出逢って1000日!なーんで出逢った日なんて覚えてるの!?って感じですよね、でぐちゃんのスクショ癖の賜物です。そしてお待たせしました、地味に待ってたでしょ?この私からのラブレター。ねぇ、そうでしょ?そうなんでしょ?知ってる知ってる!って事で、ご堪能ください。
やっぱりまずは普段あんまり言えてない 「ありがとう」 から伝えちゃう?正直、貴女が隣に居ること、当たり前になってます。当たり前って臆病な私には少し怖いものだけど、ある意味この当たり前が幸せだったりもしてる今日この頃です。何か話したい事がある訳でもないのに毎日何かしら話してる私達。そして毎度私の爆笑をかっさらって行くでぐちゃん。天才です。とか言って、私もこの子を笑顔にさせることに関しては自信満々だったりします。何かの歌詞みたいだけど、本当に私より私の事知ってる所もあるよね。いつから親友になったのかは分からないし、私達親友だよね?なんて話した事もないけど、所謂、「 親友 」 っていうのはこういうものなんだろうな、と。いつも出し惜しみなくいろんな表情を見せてくれてありがとうだよ。その姿を見る度に、この子にとってそういう居場所になれてる事が堪らなく嬉しいです。勿論それは私もで、多少のモヤモヤだったら、この子と電話するとなんだかどうでも良く感じてちゃうっていう魔法にかけてられちゃいます。不思議です。それでもどうにもこうにもならない時は開口一番、 「 ねぇ、聞いてよー。」 から始まる電話。いつも最後まで私の話を折らずに聞いてくれてありがとう。似てる様で似てないから、自分にはない思考回路になるほど。って新しい発見もあったりしてます。付かず離れず、適度な距離感を保ち続けられてる事が出逢った頃と変わらない今日に繋がってるんだろうな。最近はというと、半年後の予定を立て始めました。(でもその前に来週会えちゃうんです、うきうき。) 一丁前に毎回、日程の確保だけは早いし、計画は立てるんです。それがまぁ、1回も完璧にこなせたことがあません。一応言っとくね?今度こそ、ノリと勢いやめて計画性持と?(笑)はい、話戻します。最近は平和そうなでぐちゃんを見て、安心してます。どちらかと言うと私の方が破天荒で船だったら沈没してるんじゃない?くらいまでいったのでお騒がせしました。あの時の対応は今考えると2人ともお互いの事を分かり過ぎてた上での対応だったね。今だからくるじわじわ(笑) なにかあったらいつでも駆け込んでおいでね?なんて言わなくてももう駆け込んできてくれてるから何も言うことはありません。これからも何かあっても何もなくても、いろんな話して、あーだこーだ、あーじゃないこうじゃないって言葉交わそうね。最後に好きなとこでも言っとく?そうだなー、貴女の笑い声が好きです。貴女の素直な所が好きです。貴女の目の前の事に一生懸命な所が好きです。私の事なのに、自分の事かの様に喜怒哀楽してくれる所も、私に沢山食べ物与えてくれる所も、会った時いっぱいカメラマンしてくれる所も、その写真の中から変な顔してる私見つけてお気に入りに入れちゃう所も、私の話に笑ってくれる所も、最近笑い方が似てきた所も好きです。私の日常で起こった嬉しい事、変な事、好きな事、嫌いな事、ぜんぶぜんぶ話したいし、自分と違う部分を理解したいな、と思うくらいには好きです。そんな感じです。多分お互い、ここまで一緒に居られてるとは1000日前の私達は思ってなかったはず。いろいろもみくちゃにされてこの世界を離れてた数年間があって、あの時期あのタイミングで戻ってきて貴女に出逢えた事、あの頃の私、よくやった!だよね?出戻ってよかったなぁ。って思える理由は貴女だよ。まぁ、懲りずに相変わらず?定期的にプチ爆発は起こしてるけど、今日もここに居られてるのはでぐちゃんの存在があるからだと思ってます。(でも本当にそろそろ平和に心穏やかには...なりたいね?) 怒る時は怒るし、良くないと思ったらそれは違うんじゃない?っていうから、どんな時も一番の味方だよー。とは言えないけど、貴女の事は今までもこれからも大切に思ってます。少しキツいこと言って、なんだコイツ!むむっ!って感じたとしてもそれだけは頭の片隅に残しといて?そんなこんなで安定に日にち跨いでしました、これもまた私らしいって事で?許してくれるよね?うんうん。
私の大好きな親友ちゃん。今日までありがとう。そしてこれからも宜しくね。抱えきれないくらいのらぶ届けー!
ふと思い出したんだけど、寝れないからって2人で焚き火の音聞いてたの懐かしくない?どう?久しぶりにやってない?って思ったけど、最近の貴女はそんなの無くても眠り姫ですね、ハイ。
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アドリブ任せで悪いかよ
『アドリブばっか上手くなる笑』のおまけです。
翔太が寝落ちしたあとの冬馬視点。
気持ちよさそうに眠る翔太を放置して、カメラスタッフと一緒にホテルのフィットネスルームに向かう。聞けば北斗はまだそこに居るらしい。
自動ドアに手をかざして中に入れば、設置したマシンの色味に合わせたのか床も壁も黒を基調としたシックな空間が広がっていた。その傍らでトレーナーに手ほどきを受ける北斗を見つける。
「よう北斗。調子どうだ?」
「あれっ、冬馬。今は翔太とディナータイムじゃなかったの?」
「食ってる間に寝落ちしたんだよあいつ」
「翔太らしいね……っと」
黒いTシャツの胸元が汗でさらに色濃くなっている。少しだけ乱れた前髪を指先で払いのけた北斗はマットレスの上で姿勢を整えるとトレーナーに渡されたボトルに口づけた。
「はは、満身創痍だっつーのにいちいち絵になる男だよな、おまえ」
「ありがとう。……やっぱりツアー終盤になるとボロが出てくるね。首も肩も膝も騙し騙し動かしてる」
「職業病ってやつだぜ、俺たちのこれは」
「だね。せっかく来たんだし冬馬もテーピング巻き直してもらえば?」
「そうする」
少し離れた場所にあった革張りソファに腰を下ろして、スウェットのパンツを足首から膝の上まで捲り上げる。すかさずトレーナーが骨の形を確認するように膝に触れた。痛みはないと伝えたが、パフォーマンス中に行うジャンプは膝への負荷が大きいため控えるよう言われてしまう。今日も飛んだもんだから釘を刺してるんだなこの人。
「ジュピターは揃いも揃ってセーブするのが苦手な子たちの集まりだよね。僕は気が気じゃないよ」
「すんません……」
「トレーナーを信頼してのことですよ」
「だったら取り返しがつかなくなる前に、ほんのちょっとでもいいから手の抜き方を覚えてね」
「いや、それはちょっと……」
最もなアドバイスだったが笑って誤魔化す。ある程度のクオリティを保つためにはそれも必要なことなんだろうが、北斗にも言った通り、筋肉や関節の痛みは職業病の一つだと俺は思っている。どんなに気をつけていても痛みが出てくるなら、上手く付き合っていくしかねえ。
俺たちは何十、何百回も繰り返したパフォーマンスでも、ライブに来てくれるファンにとっては特別な一回だからな。身体が悲鳴を上げるギリギリまで全力を見せつけてやりてえって思うのは当然だろ。
「そうだ、湿布一枚もらってもいいっすか。翔太の分なんすけど」
「もちろん。……はい。さっきより強く巻いたけどどうかな」
巻き直してもらったテーピングの感覚を確かめるように軽く膝を曲げる。問題はなさそうだ。
トレーナーに礼を言って立ち上がり、その場でグッと伸びをする。試しに軽くジャンプをしたら「こら!」と叱られてしまった。やっぱ課題は着地の瞬間だな。
「あーそうだ北斗、終わったら俺の部屋に飯食いに来いよ」
ステーキもカルボナーラもサラダだってまだ残ってる。翔太も珍しく食わねえで寝ちまったし、北斗と食えるならそれが一番いい。理由を伝えても時間が時間だからと渋られてしまったが、俺たちの話を聞いていたトレーナーが、身体のためにも肉は食べたほうがいいと力説してくれたおかげで頷いてくれた。
「そういうことならお邪魔しようかな。待ってて、シャワー浴びて来る」
「おう。俺も温め直してもらえるか聞いてみるぜ」
「はは……『僕の分のごはんがない!』って起きた翔太に怒られそうだけど」
「大丈夫だろ、今日はもう起きねえよ」
食ってるときにソッコー寝たからな。ああいう翔太はマジでレアだ。いつもは食って食って食いまくって腹が膨れてから寝るやつなのに。あいつも疲れてたのかもしれねえ。
それからも北斗と飯を食い終わるまでずっとカメラのレンズは向けられていて、北斗が自分の部屋に戻ると同時に撮影は終了した。スタッフに翔太を部屋に運ぼうかと聞かれたが、一秒でも早く仕事から解放されたくて断ってしまった。どうせもう寝てるんだ。ダブルベッドだしな、居ても居なくても変わらねえよ。
一人きり(厳密には二人きりだ)になった部屋には空調の音と翔太の寝息しか聞こえない。ずっと撮影されっぱなしってのは想像以上に気を張る。常にファンサービスしてるっつーか……ファン向けの言動をしがちな自覚はある。
素に見えるけど完全な素じゃねえって状態のバランスが難しくて、俺自身との境目が曖昧になる。天ヶ瀬冬馬っつーアイドルとしての正解がこれなのかもわからねえし、いつかスタッフやカメラの前でやらかしそうで不安だ。せめてツアーが終わるまでは気を抜かねえようにしねえと。
ベッドの上にあぐらをかいて、翔太の身体からベルトを外すついでに着ていたパーカーを脱がしてしまう。スーツケースの中から洗濯済みのスウェットを引っ張り出して、どれだけ動かしても一向に起きる気配がない翔太の首に通した。そこで一旦手を止めて、もらった湿布を翔太の右肩に貼りつけてやる。
本人は太ったと言っていたが元々これくらいの肉つきじゃなかったか? 薄っすらと割れた腹の肉をつまんで、どうせならとうつ伏せる翔太の身体を跨いで膝立ちになり両手で腰を掴んでみた。
……やっぱり変わらなくねえか?
翔太的にはリバウンドした状態なんだろうが、俺からすれば何も変わらない。もう少し肉があってもいいくらいだ。
「んー……」
寝言にもなっていない翔太の声が耳に届いて、自分が今どんな体勢なのか意識してしまった。
「っ、風呂、風呂入るか!」
むき出しの腰を隠すようスウェットの裾を思いきり引っ張ってベッドから飛び退いた。膝がじんと痛んだが自業自得だ。逃げるように洗面所に駆け込んで服を脱ぎ、浴室で熱いシャワーを頭からかぶる。
最悪だ。最悪すぎる。こんなことになるなら素直に運び出してもらえばよかった。あんなの、どうしたって似たような状況が頭に浮かぶだろ。と、俺の脳みそが鮮明な記憶を掘り返そうとしたところでブンブンと頭を左右に振る。
「バカやろう……!」
そこからは無心で頭と身体を洗った。カメラがあればあんな真似は絶対にしなかったのに、なんて後悔しても遅い。気を抜かねえようにって思ったばかりなのによ。
俺の職業はアイドルだ。恋人が居ようが居まいが仕事とプライベートの線引きはきちっとする。それは応援してくれるファンや一緒に仕事をこなすスタッフへの最低限の礼儀だろ。ジュピターがもっと成功するためにも個人的な失態は許されない。
もうこれ以上、恋愛脳なんかには振り回されねえぜ!
「うし!」
覚悟を新たに浴室から出る。ホテル特有のふわふわなバスタオルに身を包み、きれいサッパリ汚れも煩悩も落とした全身を拭き上げていく。自前の歯ブラシに歯磨き粉を乗せて口に咥え、アイロンがかかったパジャマに腕を通した。
またあのベッドに行かなきゃならねえが、翔太は壁際にでも転がして距離をとっておけば問題ないだろ。俺は髪を乾かそうとドライヤーを手にして電源を入れた。
***
翔太が勝手にアップした投稿を消そうかどうか、膨れ上がっていくいいねの数を睨みつけていたら北斗から通知が来た。
『さっき翔太が上げた写真について話があります』
怖すぎだろ。しかも翔太がやったってわかってるのにグループのほうじゃなくて俺に飛ばしてきやがって。これ、見なかったことにして寝ていいか?
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4/1
日記の間隔が空くようになってきた。いい兆しな気がするよ。
ここに来るまで、決まったドラマやバラエティー番組はほぼ毎日逃さず観ていたのに、配信日を忘れて週に一回まとめて観るようになったし、YouTubeもあまり観なくなった。外のことに気が向いているようで、なんだか気持ちがいい。
契約を更新してこの生活を6月末まで延ばすことにした。GWみっちり働いて、そのあと森道にお手伝いとして参加するのだけど、それが5月末。そのままドタバタと関東圏に戻るのはなんか違うなあと思ったのと、やっぱりこの生活が楽しいなと思えるようになったから。
作ったお弁当を持って決まった時間に出勤し、決まった時間に帰ってきてご飯を作る。Fちゃんと話しながら、ご飯を食べてコーヒーを飲んで、仕事がある時はぼちぼち進める。自然に眠くなって、日を跨ぐくらいかその前には寝てしまう。そしてまた決まった時間に起きる。
毎日自分のために、何を作ろう?と考えることの楽しさを知れたのは、ここに来ないとまだまだ先、もはや一生なかったかもしれない。そういう小さな革命がいろんなところで起きているような気がして、うれしくてたまらないんだと思う。
生活に自然と向き合うことができて、うれしい。人に心を打ち明けられることが、うれしい。人を通じて自分を知れて、うれしい。気持ちよく働くことができて、うれしい。
たくさんのうれしいがある、でも完璧ではない、今の生活がとても好きです。
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「ソース」が一体なんなのかがよく分かりません。中濃ソース、とんかつソース、ウスターソースなどありますが、ただ揚げ物やとんかつにかけてればいいのでしょうか。成分をみると想像以上にフルーツや野菜がたくさん入っていて、不健康なイメージを持っていたので少し驚きました。オタフクソースはまた全然別ジャンルのような気もしますし、案外似たものなのでしょうか。日本のソースはイギリスのウスターソース由来と聞いたこともありますが、どのように使うのが正解でしょうか。イナダさんのお考えをお教えください。オプションを開くイナダシュンスケフォローエリックサウスとかの中の人/料理人/文筆家/ナチュラルボーン食いしん坊/近著『ミニマル料理』(柴田書店)・『スパイス完全ガイド(西東社)・『キッチンが呼んでる!』(小学館)これはまた哲学的な質問ですね。ウスターソース、中濃ソース、とんかつソース、お好みソースなどなどは、総称して「ウスターソース類」と呼びます。長いし一般的な呼称ではないので、ここでは単にソースと書きますね。トマトソースやソース・ヴァン・ブランなどそれ以外の一般名詞としてのソースはいったん省きます。ソースの源流を辿るとウスターソースに行きつきます。イギリス生まれの食品です。僕はウスターソースの本質は「酢」だと考えています。酢になんやかんや加えておいしくしたものがウスターソースということです。イギリス料理は、あまり味付けをしない料理に食卓で各自が塩や辛子や酢で調味を行うのですが、ウスターソースもそのひとつです。それらのオール・イン・ワン的な物とも言えるかもしれません。玉村豊男っぽく言うと、ウスターソースは「三杯酢」と同じ位相を持っています。三杯酢は酢に醤油や甘み(みりん)を加わえておいしくしたものです。醤油というのはそれ自体が複雑な旨味と香りを持つわけですが、ウスターソースの場合は香味野菜等を複雑に用いることでそれを演出しているという構造です。ウスターソースにはそれに加えてスパイス類が加わるのが三杯酢との大きな違いです。スパイスは、いわゆるキャトルエピス的な、つまりヨーロッパで一般的な(古典的な)スパイスの混合に、チリが加わったもので、中でもクローブが重要です。そのウスターソースの源流は、マッシュルームケチャップなのではないかと僕は考えています。ケチャップと言ってもトマトケチャップのことはいったん忘れてください。ケチャップは元々、東・東南アジアの穀醤・魚醤つまり醤油やナンプラーの総称であり、マッシュルームケチャップはその系譜です。ただしこれはアジアの穀醤・魚醤からは大きく味が変化し、酢と塩のベースに(マッシュルーム由来の)ほのかなうま味やクローブの香り、カラメルの漆黒色が加わった、まさに原初のウスターソース的な見た目と味わいになっています。ちなみにイギリスのウスターソースには、魚醤とほぼ同種の調味料であるアンチョビが入っているだけでなく、かつては原材料の一部に中国や日本の醤油も使われていました。ウスターソースはその後日本に伝わり「洋醤油」と呼ばれます。アジア生まれの醤油・魚醤が、ぐるっとヨーロッパを回って日本に帰ってきたということにもなります。日本では輸入のウスターソースは高価だったので、「酢と醤油と一味唐辛子など」でその代用品が作られていたりもしたようです。世界を巡る魔改造大紀行。興奮しますね。さて日本に伝わったウスターソースは、さらなる魔改造が進みます。醬油に近付けるかのごとく塩分濃度が上げられ、そのバランスを取るためもあってか糖分も増えました。最初に「ソースの主体は酢」と書きましたが、この変化により酢の存在感は相対的に低下します。そしてここからやおろずのソース神話が始まります。 日本式ウスターソースはとんかつソースを生み落としました。甘さととろみを増すことでより「おかず味」に特化したソースです。しかしそれは少々やりすぎというところもあったのか、ウスターソースととんかつソースはその中間的な中濃ソースを生みました。中濃ソースはその後東京を拠点にウスターソースの覇権を奪うことになる魔の子です。お株を奪われたかに見えたとんかつソースですが、そこからオタフクを長兄にお好みソースたちが生まれます。広島の地では、元々ぺたんこのおやつだったお好み焼きがひたすら縦にボリュームを増す3D超進化を遂げたのに伴い、ソースは極限まで甘さと粘度が増し、酸味はアクセント程度にまで大幅に削られました。彼らや彼らの子孫は、なんとあの大阪まで含めてお好み焼き界を席巻し、ついには全国にその繁栄の種を撒きました。またその傍で、ウスターソースととんかつソースは焼きそばソースやたこ焼きソースなど多くの子を成し、彼らもまた国中に散らばりました。そんな中、ウスターソースの嫡子であるコーミソースは、味噌の国の城壁内に特区を構えています。愛馬エビフリャー(と、諸国には伝わっているが正しくはエビフライ)に跨るその姿は、味噌国及び周辺の民衆に熱く信仰されています。これほどまでに深く愛されている神もそうそういないかもしれません。とんかつソースや中濃ソースが味噌ダレの砦に侵入を阻まれたことも、コーミソース教がその純粋さを保ち続けられる理由のひとつかもしれません。そんなソース多神教の中、僕はあくまでウスターソース信者です。しかもその中でも最も原理主義的なリーペリンソース派です。なぜならばソースの本質は酢なのであり、決して酸味を削いではいけないと考えるからです。また、うま味もアンチョビ由来のあの程度のほのかさで充分と考えます。そういう意味ではリーペリンソース派より更に少数派であるA1ソース派とは部分的な共闘が可能とも言えますし、ついでに言うとコーミソース神という嫡子の嫡子に対しても、ある種の愛情を感���ています。また、ここだけの話ですが、どろソース教というカルト宗教とも密かに通じています。つまり現在覇権を握る中濃ソースとオタフク系ソースに対して包囲網を築こうとしているのです。レジスタンス勢力は今のところ劣勢としか言えませんが、時が来れば蜂起する、その時にはコーミ王子を神輿に担ぐしかないでしょう。これはおそらく民衆受けする貴種流離譚です。 卓上に中濃ソースを置く全国の飲食店には、そろそろ悔い改めて欲しいと心中願っています。リーペリンソースとまでは言わないまでも、せめて(国産)ウスターソースにしてはもらえぬか。そしてそういう贔屓目抜きで、卓上ソースがウスターの店は名店が多いと感じています。質問者さんは好きにしたらいいと思います。かけたいものにかけたいソースをかけるのみ。信教の自由は侵されてはなりません。しかし願わくば我が派閥に加わって欲しい。May the sauce be with you ソースと共にあらんことを!2023/11/25投稿
「ソース」が一体なんなのかがよく分かりません。中濃ソース、とんかつソース、ウスターソースなどありますが、ただ揚げ物やとんかつにかけてればいいのでしょうか。成分をみると想像以上にフルーツや野菜がたくさん入っていて、不健康なイメージを持っていたので少し驚きました。オタフクソースはま… | Mond - 知の交流コミュニティ
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宮本佳林 3rdシングル『バンビーナ・バンビーノ/Lonely Bus』発売記念 ミニライブ&お見送り会 ::★★★★(4.0)
2023年11月4日(土) モリタウン MOVIX前ガーデンステージ
第1部11:30~ (集合時間 11:10)
第2部14:00~ (集合時間 13:45)
第3部16:00~ (集合時間 15:45)
モリタウンまではバイクで45分。前日夜にグーグルマップを見た時は確かにそう表示されていた。長めの二度寝から起きグーグルマップを開くと、モリタウンまでは1時間30分と表示されている。こりゃまずいと飛び起きて3倍速で洗顔と歯磨きだけしてバイクに跨った。
一部の客入りは優先50〜60、無銭は100弱で予想していたぐらいであった。センター下手辺りでみる。今日の衣装は青のショートジャケットとスカートのロンリーバス衣装。お腹が終始出ているのポイントで、お顔より真っ白で薄いお腹ばかり見ていた気がする。ソリストダンスが良いとの評判だったが、どのように良いのか期待していたのだが、コール盛り盛りのアイドルソングであった。今日はとにかく季節外れの暑さで長袖衣装の佳林ちゃんも暑いと言っている。衣装のチョイスは完全にMGさん任せらしい。
駅の反対側のカレー屋でカツカレーを食べる。味はまずまずだが普通盛り950円は私にはエクスペンシブ過ぎた。
2部は1部より若干だが客入りが良くなったようにみえる。上手から双眼鏡で見るつもりだったが、双眼鏡使用者がおじいちゃん一人だけしかいなく、ちょっと場違いかなと自粛した。声の調子が良くなく封印していたロンリーバスを試しにやってみるということに。ピッチも表現も良かったと私は思ったが本人的には「ピッチが甘い」とのこと。今回のシングルではこの曲が1番のお気に入り。可愛さと美しさが同居したMVも素晴らしい。1部より更に暑くなりジャケットをひらひらさせると会場から「Fuuu」の歓声。「フーじゃないでしょ。脱がないよっ!」といたずらっぽく佳林ちゃん。
イトーヨーカドーの入口にセブンのコーヒーマシンが設置されていたのでアイスコーヒーを購入していつものベンチで休憩。
3部はかなり入っている。優先100。無銭も100以上。最下手の電柱あたりで見るが、子連れ優先席がステージとの間にあるので足先から頭まで全身が見えるし、ここが一番近く感じる。そしてこのあたりは天井もないので音響の抜けも良い気がする。気付くと2部で見かけた双眼鏡おじいちゃんも直ぐ側にいるではないか。似た者同士なのだろう、もはや親近感しか感じない。「小生もご一緒しますよ、グヒュフフ」と1部2部では自粛していた双眼鏡の使用に踏み切った。おそらく場内で使っていたのは私を含めて3人程度だろう。ただ双眼鏡を使用したことでブーツの紫のラメがキラキラと綺麗なことに気がつけた。
トークも果林ちゃんのカラーが全面に出ている。まぁ本当によく喋るのだが、ほとんど記憶に残らないは逆にすごい。といってもつまらないわけではなく、耳触りはとても良いのだ。以前MSMWでりなぷーが、まるちゃんとおぜこが佳林ちゃんのトークをラジオを聞き流すかのように聞いているといっていたが、なるほどなぁと今更ながらに頷いた。捌ける際に優先エリアの客にはひとりひとりと目を合わせるかのようにたっぷり時間をかけて手を振っていた。
<セットリスト>
第1部
1.バンビーナ・バンビーノ
MC
2.少女K
3.パラレルハート
MC
4.Beautiful Song
5.ソリスト・ダンス
第2部
1.バンビーナ・バンビーノ
MC
2.Lonely Bus
3.Beautiful Song
MC
4.パラレルハート
5.ソリスト・ダンス
第3部
1 バンビーナ・バンビーノ
MC
2 Happy Days
3 パラレルハート
MC
4 Beautiful Song
5 ソリスト・ダンス
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「...ただいま〜、」
ドアを開け家に入れば『おかえり、蓮。』と愛しい恋人の姿。連日続いた久々の出張と毎日の早起きで疲れきった俺を見るや否や心配そうな顔で『先週と今週忙しかったもんね、よく頑張ったね。』と労ってくれる。「...有難う、忙しくてあまり時間作れてなくてごめん。先週のデートも遠出する予定だったのに家になったのもごめん。」仕事に呑まれる毎日で上手くプライベートの時間を作れない自分に嫌気が刺す。『何言ってんの、仕事忙しくてもいつも俺の事優先してくれてんじゃん。俺は蓮と過ごせたらなんだって幸せだよ。疲れて先に寝てる蓮の寝顔見れんのもいつも完璧にこなしてる蓮の弱ってる姿見れんのも俺の特権だもん。俺の前くらい格好付けなくて良いよ。ほら、早くご飯食べよ。食欲ある?』俺が弱ってる時に欲しい言葉をくれて、俺のダメなところを曝け出しても好きと言ってくれる恋人が堪らなく愛おしくて心底俺の恋人で良かったと思った。「...有難う。飯食う。」俺の目の前にテキパキと夜飯を準備しながら『今日は鍋焼きうどんにしてみた。蓮好きでしょ?』「好き。御前が作ってくれんのが1番美味い。」『そ?良かった。はい、召し上がれ。』「いただきます。..うまい。」『おー、良かった。元気出た?』「元気出た。今日も飯、さんきゅーね。」『いーえ、どういたしまして。風呂、どうする?湯船浸かるなら溜めてくるよ。』「んーん、浸かったら寝ちゃうからシャワーだけで大丈夫。有難う。先入ってきて良いよ。」『俺、蓮帰ってくる前に入ったから蓮ゆっくり入っといで。』「そっか、分かった。ご馳走様。」『洗わなくて良いよ、シャワー浴びといで。』「有難う、入ってくるね。」『行ってらっしゃい。』
少し温めに設定したシャワーを浴び、恋人の元へ戻る。『おかえり。』とソファで寛ぐ恋人に声を掛けられる。後ろからぎゅうっと抱きしめ「ただいま。」と言えば『うわ、髪の毛冷たい!風邪引くから乾かそ?』「ん、んー。」『あ、面倒臭いんだ?』「...違う。」『嘘つけ、俺がしてあげるからココ座んな。』「ごめん。」『いーのいーの、こういう時くらい甘えなよ。』「有難う。」ソファの下に三角座りで座れば恋人の温かい手が俺の髪に触れ、そのまま優しく撫でられるうちにウトウトと意識が遠のく。『...ん、れーん、蓮、乾いたよ。起きて。』「..ぁ、..ごめん。寝てた、」『ふは、マジで今日の蓮赤ちゃん。』「..うるさい。」『ごめんごめん、今日は早く寝ようね。』「いやでも、明日休みだから。」『俺も明日休みだから一緒に1日ゆっくりできるから。ね?』「ん、分かった。御前も一緒寝る?」『ん?俺まだ眠くないなー、まだ21時だし。』洗面所にドライヤーを仕舞いに行く後ろを追いかけ後ろからぎゅうっと抱きしめる。「ヤダ、一緒寝よ。」『はは、今日は蓮くん5歳?いや、大型犬か?』「5歳でも犬でもなんでも良いからもうちょい一緒居たい。」『うわ、今日素直。そんだけ疲れてんだね。ヨシヨシ。』恋人の肩に顔を埋める俺の頭を撫でてくれる。
〝ほら、行こ。〟と後ろに俺をくっつけたまま寝室に向かう。〝重いなー。〟とか〝くっつき虫だなー。〟とか言いながらも俺に歩幅を合わせて付き合ってくれる。『着いたよ、ベッド。』「うん。」抱きしめたままベッドの淵に座る俺の上に座る形になる恋人。『そろそろ離してくんない?』首元に顔を埋めたまま「...もうちょい。」と答えれば『絶対このまま寝そうだから一旦離して。』と制される。渋々離せば俺の膝から降り俺の顔を覗き込む。『..熱出てない?』「..出てない。気の所為。」『身体熱かったし疲れてるし毎度恒例の熱だよ。一応熱測っとく?』「やだ。測らない。寝たら治るから良い。」『まあ蓮のこれ、知恵熱みたいなもんだもんね。大人しく布団に横になってください。』言われるがままにベッドに背中を付ける。『よし、良い子。寝れそう?』無言で首を横に振り自分の腹をトントンと叩く。『疲れてんだから今日は寝なよ、熱もあんだから。ね?』「ちょっとだけ、ダメ?」『..仕方ないなあ、』なんだかんだで俺に絆され俺の腹の上に跨り見詰めてくる。俺も身体を軽く起こしぎゅうっと抱きしめる。同じように俺の背中に腕を回し抱きしめ、軽くトントンと背中を叩いてくれる。「...ずっとこうしたかった、やっと充電出来る。」首筋をカプリと軽く甘噛みをし舌を這わせれば、『..ぁ、コラ。..ちょっとだけでしょ?』と制された。目を見詰めながら太ももから撫でる様に手を這わせ、「..ココ、こんなだけど止めていいの?」『..っ、それは、』「..、暫くシて無かったもんね。」恋人の後頭部に手を添えちゅうっと唇を重ね、ゆっくりと恋人の唇を味わう。息継ぎのタイミングを見計らって舌を侵入させれば、俺の舌を味わうように自分から舌を絡めてくる。そっと唇を離せばツーっと銀の糸が引く。「..シよ。もっと御前が欲しい。」とろんとした顔の恋人が頷いたのを確認し、ベッドに背中を付ければ拍子抜けした顔に変わる。『..スるんじゃないの?続き、』「スるよ?今日は御前が主導権握って良いよ。」『..え?なんで、急に、』「俺5歳児だからさ、お兄さんがシてよ。」ニヤリと微笑みながら告げれば途端に困った顔を見せながらも恐る恐る顔を近付け俺の首筋にちゅっちゅっとキスを落とし甘噛みをする。「..ん、ぁ」俺の反応を伺いながらパジャマのボタンを外し露わになった突起に舌を這わせ、上目遣いで『れん、きもちい?』と不安そうに問いかけてくる。「..っ、んっ、きもちいよ、」頭を撫でながらそう返せば嬉しそうに微笑む。俺の唇に自分から唇を合わせて舌を絡めながらズボンの中に手を忍ばせてくる。言わずもがな俺のソレはカタチを変え主張をし始めていて、『蓮、先っぽ濡れてるよ、』なんて嬉しそうな顔をしながら指摘をされる。「..御前が気持ち良くしてくれるからこんななった。」片手で俺のモノを握りながら首筋を甘噛みしたり脇腹に吸い付き舌を這わせてくる。「..っ、ぁ」『..蓮、付けていい?』「..ん、見えないとこなら良いよ、」そう告げれば鎖骨の下のほうにぢゅうっ、っと吸い付き紅い跡を咲かせる。次から次に胸元やら脇腹にも紅い跡を咲かせていく。『..蓮は、俺のだから、』「..んっ、御前のだよ、」頭を撫でてやれば安心したような表情を見せる。ズボンと下着を下ろし俺の足元に身体を寄せれば顔を近付け俺のモノを口に含む。先っぽをチロチロと舐めながら『..蓮の、凄いことなってる。..興奮してくれた?』と嬉しそうに問いかけてくる。「..っ、んぁ、かなりやばい、めちゃくちゃ興奮してる、」俺のモノを咥え込みながら根元まで扱いてあっという間に俺を絶頂まで追い込んでくる。「っ、ちょっとストップ、今日やばいから、」〝蓮が余裕無いの珍しいね〟なんて言いながらも手は止めてくれなくて肩を押して無理矢理口の中からモノを取り出した。「..ばか、やり過ぎ。」『..、ごめん、蓮がかわいくて。』くるっと俺の下に組み敷きうつ伏せに寝かせれば上から覆いかぶさり後ろから抱きしめる。耳を甘噛みし、背中に舌を這わせ、身体のラインを手でなぞればびく、びくっと身体を反応させる。恋人のモノを軽く握り扱きながら俺も背中に紅い跡を咲かせる。軽く足を開かせながら四つん這いにさせ後ろの穴を確かめれば暫くしてない割には少し簡単に指が入るソコに違和感を覚える。「..、シてない割にもう指1本入ったんだけど、」『...、っ、シた、ひとりで、』枕に顔を埋めながら消え入りそうな声で報告を受ける。「...ひとりでシたの?」ゆっくりと指で慣らしながら問えば、『...ぁ、我慢、出来なくてっ、』「っ、かわいい、」ある程度慣らし終えればくるっと向きを変え仰向けにする。顔を真っ赤にし両手で必死に隠そうとする手を避けてちゅっと唇にキスを落とす。「今日は一緒に気持ちよくなろうね、」顔を隠されないようにちゅっちゅっ、っと唇を味わいながら痛くないようにゆっくりと腰を進める。奥まで腰を進め終えればキスをしながら馴染むのを待つ。『...もう大丈夫だから、動いて、っ..』「..ぁ、煽んなって、我慢出来なくなる、」『...っ、我慢しなくて良いから、きもちいとこほしい、』「..んっ、痛かったらちゃんと言って、」我慢出来ずにぎゅうっと抱き締めたまま無我夢中で腰を奥に当てながら振る。時折、浅い所まで抜けば一気に奥まで突き刺す。耳元で聞こえる吐息と喘ぎ声が一気に俺の余裕を無くしていく。「..んぁ、ごめん、今日やばい。」ぎゅうっとしがみつきながら『..っぁ、あ、良いよ、一緒イこ?』と言われればもう我慢なんてできる訳も無く。抱き締めたまま腰を振り絶頂まで上り詰める。『ぁ、っ、ん、蓮、すき、大好き。』なんて俺にしがみつきながらうわ言のように呟く。「..っ、俺も好き。大好きだよ、」お互いに求め合いながら最後まで欲を出し切った。
枕元のティッシュに手を伸ばし恋人の腹の上を綺麗に拭けばゴロンと隣に転がる。『..蓮、無理しすぎ。』「..ちょっと疲れちゃった、限界かも、」充電切れの如く途端にウトウトし出す俺の頭を撫でれば俺の胸元に収まる。愛しい恋人をぎゅうっと抱き締めながら意識を飛ばす手前で『..愛してるよ。おやすみ。』の言葉が聞こえたような気がした。
ーー 「俺も愛してる。」
ギリギリ口に出せたのかはたまた夢の中で発したのかは定かじゃない。まあいい。起きたらまた伝えよう、何度でも。
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きっかけはじめてアプリを使った。田舎の片隅で20ちょいの年数を生きてきて、彼氏欲しいな〜って思ったこともあったけど、嫌な思いもしたのである時から興味を持つことをやめた。私の好きなものは推しと推しカプとBLで、お金も仕事も自信ないし、いずれ適当に死のうと思ってその日その日が過ぎるのを淡々と待っていたから。些細なきっかけでした。それはTwitterのフォロワーがマッチングアプリで男漁り(言い方)をしてるのを上げていたから。そのとき私は気付いた。(私もマッチングアプリが使える年齢じゃん)と。そう思ったら俄然興味が湧いてきた。話のネタになればなーって思って動いた。とりあえず顔面登録しなくても使えて、漫画とアニメと、もうオタク感満載のプロフィールを適当に。地方都市で人口が少ないからか色んな人とマッチングした。歳上、歳下、みんな趣味は似てたけど、タメ口だった。なんならヤリモク(性行為目的)っぽいひともちらほらいて、適当に2、3通やりあったら逃げてた。どうやらアプリを使う人は女性が少ないらしく、蹴ってもそれなりにアポが来た。登録して2、3日が経ち、歳上歳下問わずに初回でタメ口っていうのがどうも苦手で、そろそろ退会しようかなと思ってた矢先に「はじめまして!」と来たのが彼だった。「あっ!敬語だ!!!!」恥ずかしながらタメ口の男どもに疲れていた私はすぐにやり取りをした。チョロい同い年、同じ市内、なんなら読書の趣味までそれなりに合った。今まで話した人の中で一番嫌な気持ちにならなかった。初会編それは彼も同じだったようで、すぐに「会わないか」と言う話になった。場所は県内で一番大きな書店。私は行きたい想いと、知らない男に会うっていう怖さで迷った。アプリ使っておいて何を言うかって話なのだけれど。正直私は女としてはガタイがいい方で、可愛くもない、美人じゃないし、昔付き合った男には「痩せたら可愛い」と言われたくらいだ。今でも思い出すだけで泣きそうになる程度にはトラウマだ。悪かっ���なデカくて。振るいにかけるつもりで「私可愛くないので期待しないでください」って送った。「容姿気にしないので大丈夫です!」(おもしれえ奴)私の中で何とかの王子様が笑った。私は覚悟を決めた。殺されたりしたらやばいから友人に連絡して、次の日までLINEがなかったらという条件付きで警察に通報を頼んだ。男の車には乗るなって念を押された。彼には車で迎えに行こうかって聞かれたが、流石に怖かったので辞退した。その日の天気と彼の服装はよく覚えてる。春先にしては冷たい雨が降ってて、彼はしま〇らっぽいパーカーを着てた。めっちゃ田舎の男の子だった。本当に、彼には悪いけど中学生の男の子だった。「今日はどこから乗ってきたんですか」「A駅からです」最初はそんなやり取りからだろうなーって思ったけどつい最寄り駅を答えるなど阿呆をやらかす私。すると彼「A駅ってことはB中学でした?」「どうして?」「いや、俺もそこなので」「…………」マッチングアプリを使ったら同級生が来た 確かに田舎だからありえないことでは無いが、まさかそんな事あるとは思わなかった。私の通っていた中学はそれなりのマンモス校で、更に私は2年生から不登校になっていたので、たとえ同じクラスだったとしても知るはずはないのだ。さらに言うと前述した元彼と同じ部活だったという。同じ出身校という事であっという間に緊張は解けて、そのまま書店を三時間散策した。休憩無しだったので流石に疲れた。そろそろ帰ろうかなと思って切り出そうとしたところ、彼から「お寿司、好きですか?この辺に食べログ1位の美味しい��店があって」と切り出された。私は迷った。なぜなら私はお寿司が大好きなのだそして迷う私に彼が追加する「俺の奢りで」気が付いたら友人の忠告も忘れて車に乗ってた。寿司って怖い。食べログ1位のお寿司って行ったことないもん。行きたいじゃん。加えてこの男、笑顔がチワワのように可愛いのであるこのあと持ち帰られたらどうしようと思った。もう持ち帰られても私が悪いんだけど。全身しま〇らの男に持ち帰られたらネタになるなとか思いながら寿司食べてた。彼にもしま〇らに悪いな。異性に会うのにあまりにラフだったから私はびっくりしたのだ。お寿司はめちゃくちゃ美味しかった。食べログ1位だった。ちょっといいお店だし、初めてだし、少しは気を使った。食べる方なので。彼は気にせずニコニコ食べてた。チワワスマイル全開だった。そのあと、心配してたことは起こらなかった。自宅の最寄り駅で下ろしてもらって、次の予定を取り付けた。後日聞いたら彼は、「そんなこと考えてなかった」そうで、素直な人間代表の私はそうなんだ……と助手席で思ったのだった。帰宅後、今までは開きたいと思わなかった中学のアルバムを開いた。確かにそこには聞かされた名前と同じ名前の彼がチワワスマイルで載っていた。少しだけ楽しみが増えたなとこの時は思った。2回目週を跨いで二回目。彼の車で水族館に行くことになった。(2度目にして既に彼に対する警戒感は多少薄れていた。)致命的なまでに人の顔を覚えるのが苦手な私は、1週間で先週会った男の顔を完全に忘れていた。覚えているのは名前と、強めの車の芳香剤の匂い。あとはやたら笑顔が可愛かったという印象だけだった。以前降ろしてもらった駅で拾ってもらうことになっていたのだが、はて、車も覚えてないのだ。どうしようかと思っていた。でも、そんなのは杞憂に終わった。向こうが車から降りてきたからだ。顔覚えの悪い私でも、こちらに向かって歩いてくる男が居れば流石にわかった。当日の彼はジャケットを着ていた。彼を見た時に私は息が止まった。大変だ。オフィスカジュアルだ。そしてこの私、三度の飯と同じくらいに男のジャケットが好きなオタクだ。推しカプがデートでジャケット着てたら丸一日元気で居られるくらいには好きだ。ジャケットを着た男がいるシチュエーションが好きなのだ。目の前にはオフィスカジュアルな男がいる。例えるなら相棒の神戸尊である。しかも前回はしま〇らチワワだった訳で……。そんなギャップにテンションが上がらないわけがなかった。悲しいくらいに私はオタクだった……。一方の私、前回の彼に合わせてラフ目にしてきたため、互いに格好が入れ替わった形になった。格好を例えるなら相棒の亀山薫みたいな格好をしていた。さて、無事顔を忘れた私だったが、話してるうちに(あー、こんな感じだったな。この人だ)と思い出し始めた。向こうは覚えてたのにこっちは覚えてないとは失礼な話だが、体質だからしょうがないのだ。なお、このチワワの顔をふんわり思い浮かべられるようになるのは付き合って3ヶ月経つくらいになってからだ。車の顔の方が先に覚えられた。ごめんチワワ。2度目は正直あまり覚えていない。泳いでた魚は美味しそうだとか、アジは沖と港とで種類が違うとか、港でブリも釣れるとか、話していた気がする。 「今度天気が良ければ釣りに行きますか」って言われた気がする。それは付き合って早々に実現するのだけれど、そこで私は魚を素手で掴んだまま帰宅するのだった。彼は何故か感動していた。話が脱線した。あらかた水族館を見終わって、天気がいいから浜に行こうって言われた。めちゃくちゃ天気が良かった。カップルが山のようにいた。あまりにも居すぎて見てるこっちが恥ずかしくなった。それは向こうも同じだったようで、「なんかこう、(カップルの距離が)近いですね」「わかる」互いに免疫がなかったのである。夕食は誘われたけど、今回は辞退した。理由は忘れたけど。つぎはご飯を食べようって話になって、知人の店に行きましょうって私が提案した。 拾ってくれた場所で下ろしてもらって、「また来週」って挨拶した。久しぶりに楽しかったので、友人に洗いざらい報告して、その夜は珍しくよく眠れたと思う。3回目ここまででかかった日数は僅か二週間。二週間で知らないチワワ男と毎日やり取りする仲になったのだ。面白い話である。ここまでくると次のイベントはそう「告白」永遠に私と縁がなかったイベントである。なんなら告白された事はなく、男を見る目もない。可愛くないと家族にも男にも言われ続けて自尊心なんてほとんど残っていない二十代前半で既に出涸らしのような女である。告白されたら死ぬな〜と思いながら電車に乗った。この頃の私の検索履歴は「付き合ってない 3回目 デート」でいっぱいだった。頭の中はなんでだらけだった。今回は飲む予定だったので互いに最寄り駅で合流する手筈になっていた。当たり前のようにチワワの顔は忘れていた。「夜はまだ寒いから暖かい格好してきてくださいねー」出かける前にそう彼から連絡が来ていた。田舎だから駅で降りる人達なんてほとんど学生で、だからなんとなく彼を見つけられた。その日の彼は残念ながらしま〇らboyに戻っていた。その時私はなんとなく気付いた。暖かい格好=パーカーか!!話が逸れるが、私の実弟はものすごくオシャレが好きな男だ。私なんかよりずっと靴を持ってる。そんな訳で、イマドキの若い男ってここぞと言う時にはめちゃくちゃかっこいい服着てくるイメージしかなくて、色んな意味でびっくりした。おすそ分けのタケノコを持っていた私が言えることではないけれど。初めての異性とのサシ飲みは、本当に友人達とのものと代わり映えもなく、互いに「酒は飲めるがあまり飲む必要はない」というスタンス通りに2、3杯飲んで終わった。「少し散歩してから帰りませんか」電車の時間まで40分くらい。最後に頼んだ梅酒ロックが効いてふわふわになりながら、「おさんぽすき!!(本当に好き)」とハイテンションで了承した。散歩と言っても田舎の9時は真っ暗で、ぽつぽつとある街頭の下を酔っ払いのテンションで学生時代の話なんかしながら歩いていく。気がつけば電車の時間まで20分を切ってて、次の電車がいつあるのか把握していない私は心配になった。「そろそろ戻らないと電車間に合いませんよ」「あ、公園がある!もう少しだけいいですか」そう言ってブランコに駆け寄るチワワ。(なんで草ボーボーの公園に入っちゃうかな〜)と当時は思ったのだけど、今思えばタイミングを探してたのかなと思ってる。でも草ボーボーの春先の公園はしんどいです。足が痒かった。結局ブランコに座ったまま雑談に突入。もう電車は間に合わない時間帯だった。「俺、もうこのアプリ辞めようと思ってて。」「私もそろっと辞める予定です。変な人と沢山会ったし!勉強になりました」これは本当。彼と会って最後は辞めるつもりだったし、身の丈に合わないと思ったから。彼はそのまま隣でスマホを開いて退会処理を始めた。気が早いな〜と思って見てたら「あの、アプリ消したし、よかったら付き合って貰えませんか」「はい」なんか流れるように告白されて、私も脳みそが認識する前に反射で答えてた。ついでにどうしたらいいか分からなくて握手した。電車の踏切の音が聞こえて、乗る予定だった電車が華麗に通り過ぎてった。なんかもっとこう、告白って、少女漫画みたいなキラキラシチュエーションで、もっとゆっくり時間が過ぎるのを感じるものだと思ってた。現実は草ボーボーの公園だし、足は寒いし、目の前にいたのは嬉しそうなしま〇らチワワだった。帰宅後、LI〇Eで「これからよろしくお願いします」と送ったら「うん!こちらこそよろしく😁」ときて、2週間の間全く外れなかったチャットツールでの敬語が外れたので、距離感の詰め方に驚きながらもようやく彼氏が出来たことを実感した。そんな子と半年も付き合ってる。
マッチングアプリを使ったら同級生が来た話
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晶くんより後に来た現代日本人賢者が賢者の書を書く話。
前の賢者とその前の賢者が日本人であること、近い時代を生きていたことに喜びを覚えつつ読み進めるとあまりにも自分と人としてのあり方と精神性が違いすぎて引け目を感じる。
「てか前の賢者さんまとめるの上手くない!?フォーマット完璧か?センスもある〜!」
2つ前の賢者が日記形式だったので自分もそれに倣おうと思っていたが、その後に読んだ1つ前の賢者の書は賢者の魔法使い一人一人に紹介ページを設けておりとても分かりやすくまとまっていた。
「二人の仲で魔法使いの印象に差があるのが気になるな……。怖い人なのか面白い人なのか分からない。」
特に北の魔法使いの記述。2つ前の賢者様はとても恐ろしいと書いているが、1つ前の賢者様からはもう少��親しみやすい雰囲気がある。これは賢者個人に対する変化なのか、それとも彼らになにか心境の変化があったのか。
「まずはみんなの名前を覚えなきゃな〜」
人となりを知るより前に個人を認識しなくてはならない。性格の変化はこの際置いておいておこう。
*
「すごいな〜。個人の特徴の他にも他の人からの印象、後ろには軽い日記もある。」
1つ前の賢者様はとてもマメな人だったに違いない。日記形式もいいが、わかりやすさはこっちだった。事実、名前と所属の国を覚えるにはとても役立った。
「真似してみよう!」
もし自分以降に来た日本人の賢者が少しでも安心できるように1つ前の賢者様とは違う視点でまとめてみようと決めた。
(まずは名前と見た目の特徴、あと性格……?)
「えーと、最初は中央の国のオズ様。とても綺麗な長髪で赤い目の大きい人。でっかい杖を持ってる……。性格は、寡黙?」
書きながら知らないことばかりだなと感じるが、来たばかりなのだからと先に進むことにした。
「次はアーサーさん。オズ様と同じ中央の国の魔法使いで、王子様らしい。様付けしたら断られたのでさん付けしてます。銀髪のかっこいい人。しかもめっちゃ良い人!明るいし気さくだしすごく良い人!!」
(それはもうこちらが申し訳ないくらいに)
と書こうとして止まる。何書こうとしてるんだ。読んだらどう思う。誇張表現としてもあまり良くないだろ、、、。
「でも自分の気持ち書き止めておきたいんだよな。どうしよ」
ひとまずアーサーの項目を書き終え、少し悩んだあと感情の吐露用にもう1冊書くことを決めた。見せる用と自分用。不甲斐ないところを見せないようにするための言わば自己防衛のための1冊だった。
*
初めはおずおずと書いていたもう1冊の賢者の書はいつしか日記のようになって行った。
「オズ様は口下手なだけでとても優しい人みたい。今まで少し怖いと思ってました。ごめんなさい。」
「今日もアーサーさんの輝きに耐えられなくて1人で病んだ。こういうのが良くないんだろうな。」
「もうすぐパレードをするって言われた。笑っててを振ればいいって。嫌だな。みんなは楽しみみたいだから水は差せない。頑張らないと」
それは周りには言えない言葉。短い間でも共に生活してわかったみんなの優しさとそれに甘えることの出来ない不甲斐なさ。それらを日記として書くことで消化しているのに気づいたのはすぐだった。
「オーエンさんに賢者だからチヤホヤされるんだって言われた。前の賢者様も言われたらしい。書かれていた。その言葉にすごく安心してしまってた。今まで抱えていた漠然とした不安の正体な気がしたから。」
「オーエンさんは思考を魔力にできるらしい。読まれてるってことかな。やだな。この日記に書かれているようなこと考えてるってバレたくないな。」
「今日南の国の人達に心配された。どうしよう。バレたのかな。今度お茶を飲みながらゆっくり話すことになった。」
「最近キッチンをよく使うようになった!ネロさんとお話するの楽しい。一緒に来ていたミチルくんが今度お菓子作ろうって誘ってくれた!」
「お茶会の日が来てしまった。バレてはなかったけど悩みがあるなら相談して欲しいと言われた。難しいな。それが出来たら悩んでないのに。」
「食事の時以外外に出ずに部屋で過ごしてるのがいけないみたい。最近色々な人が声をかけてくれる。申し訳ないので明日からはもっと出よう」
「カインさんに無視されたと思った。厄災の傷らしい。前の賢者様の書に書いてあったの忘れてた。勘違いしてるところ誰にも見られてなくて良かった。」
「今日街に行かないかと誘われた。楽しそうだけど勇気が出なかった。また誘ってなんて言ったけどどうせもうないんだろうな」
「外に出ても散歩しかやることが無い。前の賢者様みたいに交流したいな。声掛けづらいな。」
「今日はみんな出払ってるみたいだった。人のいない魔法舎は新鮮だった。少し落ち着く。」
*
朝昼晩の食事と散歩以外部屋の外に出ることの無い賢者を魔法使い達は心配していた。
異世界から来て混乱しているのだろうからと始めのうちはそっとしておいたがパレードや戴冠式が終わった後も変わらない様子だったからだ。
そういう人なのかもと考えるが賢者が日課にしているであろう散歩の際、出会う魔法使いみなに対してどこか脅えた様子だったのが気になると誰かが言い出した。
北の魔法使いが意地悪しただの、東の魔法使いの態度が素っ気なかったからだの、口論になりかけた。その時ふらりと現れたオーエンが言った。
「賢者様は僕たちに嘘をついている」
オーエンは語った。賢者から感じた恐怖と不安、そして憧れ。意地悪しようと酷い言葉をかけたのに現れたのは安心と諦めだった。
「賢者は何を怖がっているんだ。それを無くせばいいだろう」
強気な魔法使いの少年が口を開く。その言葉に賛同するように賢者が安心できる環境にするにはどうすれば良いのかを語り合う魔法使い達。
オーエンはいつの間にか消えていた。
*
「あ、オーエンさん!お久しぶりですね。何かありましたか?」
こちらに顔をほころばせながら近づき上目遣いで尋ねる少女をオーエンは見下ろしていた。
少女から感じるのは期待。
突然部屋の中に侵入してきた事への怒りや戸惑いなどはないようだ。
「愚かで可哀想な賢者。この部屋に誰も訪ね���こないのはみんな賢者様には興味無いからだよ。」
オーエンからの棘のある言葉を聞いて少女は困ったように笑う。そこから感じるのはやはり安堵だった。
「わかっています。私は賢者だからここにいさせてもらっている。忘れてません。」
「本当に愚かだね」
苦虫を噛み潰したような顔をして放たれた暴言。いつもよりも更に毒づくオーエンに賢者はきょとりとし瞬きを数回する。
途端に瞳にたまる涙を見たオーエンは再び笑顔を作った。感じる悲しみと恐怖に心が踊った。
その時戸を叩く音が聞こえた。オーエンはサッと姿を消す。賢者は状況を理解できないながらも涙を拭き戸を開けた。
「……え!?賢者様なんで泣いてるんですか?」
そこに居たのは美貌を持つ青年――ヒースクリフだった。彼が驚いて声を上げる。
「目にゴミが入ってしまいました。それでなにか……」
苦しい言い訳をして要件を聞こうと口を開く。
「本当に?誰かになにかされたんじゃないのか。」
青年の後ろからすっと姿を現した男性――ファウスト。
「オーエンの魔力の気配がある。居たのか」
責められているような心地で居たと返答した声は震えていた。心配しているような声色のままファウストは続ける。
「無理には聞かない。でも話せることがあるなら教えて欲しい」
「……。図星を突かれてしまって。」
話すべきでは無い、見せるべきでは無いと思っていた己の弱い部分を何故かこの時は話すことが出来た。
ヒースクリフもファウストも賢者の言葉を繰り返しゆっくりと聞いてくれた。
賢者としてでないとみなと上手く関われないこと、オーエンの言葉に甘え期待していたこと、そして突き放されたと思い涙を流したこと。
全て自分勝手な行いで自業自得だと分かっているから「愚かだ」と言われた時にどうしようもないと思い泣いてしまった。
「……賢者様のやりたいことはなんですか」
ヒースクリフの問に首を傾げる。
「賢者としてみなの役に立ちたいです。ここに置いて貰えている間だけでも、居ていいと認めてもらえるように役に立ちたい」
真っ先に出る言葉は本心だった。過去の賢者のように魔法使い達と行動し問題を解決したい。賢者としての能力はまだ分からないが少しでも助けになるなら力になりたい。
そんな思いからヒースクリフの不安げに揺れる美しい瞳を見つめ返した。
「……賢者。空は飛びたくないか」
突然投げかけられた言葉の意味を理解する前に首を縦に振っていた。
*
「すごいです!魔法みたい!」
「魔法だからな」
ファウストに体を預けながら箒に跨り空を飛ぶ。初めて体験する魔法。魔法舎の中で見ることはあっても自分にかけられることは無かったため歓喜の声が止まらない。
すごいすごいと喜ぶ賢者を横目にファウストは言った。
「他の魔法使いにも聞いてみるといい。みな快く乗せてくれるよ」
花が咲いたような笑顔を作った賢者はすぐさま顔を曇らせた。
「……それはなんだか申し訳ないですね」
「どうして?空を飛ぶ事が好きな魔法使いも多い。」
少しづつ地面へ近づきながら投げかける。軽い着地音と共に箒をしまい賢者へと体を向けた。賢者は礼の言葉とお辞儀をしてから答える。
「そんなわがまま言えないですよ」
乾いた笑い。
「今回はご好意に甘える形になってしまいましたが、何も無いのに空を飛んでなんて言えないです。」
視線は地面に注がれる。賢者の言葉を聞いたファウストはため息をつく。そしてそれにも肩をふるわせる目の前の少女に言った。
「何かあればいいんだな」
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2022.9.1-9.15
↑これはロンドンで現像した赤羽の写真。
以下ほぼ写真日記。備忘録。
2022.9.1
Darhamの宿を出発。朝のパブ。
スーツケースで朝ごはん。
なんかヨーグルトに入れるオーツみたいなのの中にスプーン雑に入ってた。日本だったら絶対にスプーンでもう1包装あると思う。私は雑に入ってるのが好き。
今度こそ窓側取れた。
雲が低くて空がものすごく青い。丘が綺麗。
だけどやっぱり後ろ向きに進む。
座席の方向転換が出来ない仕様なのであれば、日本ならきっと上りの方向が前になると思う。しかしこちらはいずれもロンドン方面(進行方向)が背面だった。不思議だけど、まあそういうもんか、と順応し始める。
途中で原子力発電所���たいなのが見えたけどどこかはわからなかった。
シンプソンズで見たことある形。
ロンドンついたけど人多いのとスーツケース重くて疲れすぎてスーパーの寿司の写真しかない。
ゲストハウスに宿泊。
同室に日本人の名前を見つけたけど帰ってくる前に寝落ちした。
英語版『日常』5巻を読み始めた。
2022.9.2
エジンバラで撮ったフィルムが終わったので写真屋さんで現像に出す。
Googleマップを見ると近くに大英博物館があるようだったので、散策しながら向かった。
日本で絶滅したAeroを途中で見つけたのだけど、散策してる最中に全部溶けた。
めちゃいいつま先
モアイの体 cute
日本ブース(?)に三島由紀夫いた。
広すぎてまたしても諦めた。
朝から来れる日にまた来ます。
スーパーで夜ご飯を買って帰る。
生ハムが食べたかったけど、どれが生で食べられるのかわからなくてやめた。前日に見た寿司を買ってみた。Mini Tokyo salmon Set
部屋に戻ろうと思ったらベッドに鍵置きっぱなしだった。
「鍵を部屋に忘れました」の英語を覚えた。
明日、ロンドンに住んでる大学院の頃の同期の卒業公演を見に行くことになった。
2022.9.3
本当に家にする才能がある。
同期の卒業公演のプレビューを見せてもらった。
観客と俳優が交流をするタイプの上演形態で、ああ日本でしばらく見てない光景だ、とおそらく私1人だけ違うベクトルで胸がいっぱいになっていた。
上演作品自体もすごくよかった。”私たちにしか出来ない演劇”というものに立ち会うために非常に有効な劇場と人数だったと思う。
入り口のセキュリティーにビビりながら入ったお店で食べたアーリオオーリオ。パスタの種類わからなすぎて普通の頼んだつもりがきしめんだった。これがロンドンの普通麺なのか?
おいしかったけど脂っこすぎておしまいになった。
帰宅してから共同スペースで作業してたらパーティが始まって困惑した。
金曜日の夜。
完全に残り体力が減っている。
2022.9.4
パッキングがクソ大変だった。朝から汗だく。
もう既にキャリーに入りきらなかったんだけどまじでなんでなの?エジンバラでバグパイプ買ったから?
チェックアウトして TATE Britain に向かう。宿から徒歩圏内だということに前日に気がついた。
Cornelia Parkerの展示が良すぎて、朝のパッキングで既に溢れてたのに作品集を買ってしまった。
常設展示の方は一本道ではなく一部屋に4つ通路があって、ゼルダの伝説 時オカ版の迷いの森かと思った。サリアの歌が大きくなる通路がなかったので迷いました。
私が唯一自信を持ってできるモノマネ、ジャコメッティの彫刻があった。
めちゃいい。
ずっと実物を見たかった”Hope”。
想像以上に大きかった。
とてもいい場所に堂々と展示されていた。
描いた絵が展示になる部屋。迫り来る猫を描いた。
またマフィン食べた。
いよいよホームステイ先に移動。
緊張しながらバスに乗ろうとしたら、乗りたかったのがバス停に止まらない。イギリスでは手を上げないとバスは止まらないらしい。学んだ。
荷物も重すぎるしこれは楽しろということだな、と思い近くの駅からタクシーで向かう。
ホストファミリーがものすごく暖かく迎え入れてくれた。
大きい黒のラブラドールレトリバーもフガフガ私の匂いを嗅いでいた。
人生で good boy をリアルに言う日が来るとは思わなかった。
私の部屋は屋根裏部屋だった。憧れの天窓!
夕ご飯をホストファミリーとルームメイトと一緒に食べる。
ルームメイトのNarrimanはブラジル出身で、私の一つ下だった。「明日一緒に学校に行くから安心してね」「困ったことあったらなんでも聞いてね」とにこにこ優しくしてくれた。ありがたすぎる。
まじで不安だ…と思いながらみりんの安否を確認して就寝。
2022.9.5
初日。
ガイダンスを受けて午後から授業に参加。
チャイム鳴っても誰も来ない。何のチャイム?
学校終わり、ルームメイトがpubに誘ってくれた。
イギリス初飲酒はguinnessでした。
2022.9.6
Good boy の Billy
どうして階段のすぐ下にベッドがあるんだ…?これは土足で跨いでいいのか…?と思いながら毎回通ってる。
キットカットがめちゃくちゃでかいし、チョコの味が全然違う。
果物が安い。
相変わらずチャイム鳴っても誰もこない。何のチャイムなの本当に誰か教えて。
放課後、Narriと近所のpubへ。
夕飯前にでかいハンバーガー食べながら2時間恋バナした。
あとリアルのBless youを初めて聞いた。
2022.9.7
クラスメートがジャム挟んだクラッカーくれた。
ドイツ語とスペイン語の「さようなら」を覚えた。
放課後はMAMMA MIA!を見にロンドン市街地へ。
時間までNariとBig Ben周辺を散策。
ピーターパンだーーーー
ロンドンの空、ターナーが描く空に本当にそっくりでいちいち感動する。
彼はこの空を描いてたのか。
城?
城じゃん。
石造の建物はいいな。
歴史ある建築でここに来ること自体でテンションが上がる。
MAMMA MIA! は最高すぎて一場から爆泣きした。
カーテンコールでも爆泣きしてたらクラスメート達に抱きしめられた。
お芝居がよかったのは当然だけど、お客さんの観劇姿勢に感無量だった。客席の反応がすごく大きくて、舞台上と客席との交歓を感じて胸がいっぱいになってしまった。演劇を見ている!という感じがしたし、演劇のこういうところが好きだった、と思い出した。
2022.9.8
疲れすぎて何も写真がない。
普通に授業を受けて速攻帰宅して夕ご飯まで寝た。
夜中に現像した写真のデータが届いた。
色味が途中から変だった。
おそらく、日本から持ってきたので、空港のX線の影響だと思う。すごく綺麗だったエジンバラの空がうまく残せなかったのは残念だけど、これもその時を残してるのは一緒か、と思うことにした。
エリザベス女王が亡くなった。
「黒い服を着た方がいいですか?」と英語で聞くことになると思わなかった。これから10日間イギリスは喪に服すらしい。
2022.9.9
観劇しに市街地へ。
地下鉄や街中のモニター、お店の看板など、変えられるところはみなエリザベス女王に代わっていた。
けれど、それ以外は普通だった。喪に服すって、交通が止まったりお店が閉まったりするのかなと想像していたけれど、そうかあ、社会はそのまま回し続けるしかないよな、と思った。
観劇前に以前から気になっていたUZUMAKIというラーメン屋に寄ってみた。
どちらかというと全体的にAKATSUKIだった。
ラーメンは普通に美味しかった。
著作権どうなってる?と思う箇所が多々あったけど、これって著作権どうなってる?
見たのは”The Seagull” in ハロルドピンター劇場
客席の反応が日本と違いすぎて(再び)びっくりした。かなり終盤までみんな笑っていて、まじで…⁉︎という感じだった。私としては、マーシャとか可哀想すぎて全然笑えないのだけど、喜劇と悲劇は紙一重を真に感じた観劇体験だった。
ラストシーンが邪悪すぎて最高に素晴らしかった。
一体私は人生であと何回『かもめ』を見るんだろうか…。
2022.9.10
この日も観劇しに市街地へ。
バイオハザードの地下鉄?
この日は”FROZEN”
めっちゃ真横の席だったし見切れてたけどとてもよかった。
小さいエルサがたくさんいて可愛かった。心なしか客席も全体的に水色だった気がするし、私も水色のニットを着てた。
古そうな天井に穴開けて吊ってる
ピンスポ
オケピ
こういうとこばかり見てしまう…。
休憩中、客席でアイスを売っていた。
飛ぶように売れていたしすぐ隣で売っていたので思わず買ってしまった写真。ブレすぎ。
ロンドンの大きな劇場の多くにBARが入っていて、お客さんはワイン瓶とグラスを片手に鑑賞している。歌舞伎スタイル。
観劇体験としてはめちゃくちゃ最高なのだけど、終演後の客席は映画館でも見たことないくらい食べ飲みのゴミが散らばっていてかなりの衝撃を受けている。この掃除だけでどのくらい手間と時間がかかるのか…と想像して怯える。
ドバイ→エジンバラの飛行機を降りる時も田舎のお祭りかと思うくらい荒れてて笑ったのを思い出した。
観劇後、ネガを受け取りにカメラ屋さんへ。
新しいフィルムを買いたかったのだけど、「今品薄で売ってなくて、来る前に電話してもらった方がいいかも。」と言われた。電話のハードルよ…。
夜は大学院の同期とご飯。
久々に対面で日本語を喋った。
タイ料理屋さんと日本食屋さんに行った。
2022.9.11
月曜日。
2人ともギリギリに起きてパンを食べながら登校。
放課後は、今週のお弁当の具材を買うために、普段行かない大きなスーパーに行った。
白いままのフィギュアがついていて、自分で着色するタイプの付録。
行ってみたスーパーに写真屋さんが入っていて、普通にフィルムを売っていた。
2022.9.12
何の写真もなかった。
サラミとほうれん草みたいな草とチーズをオリーブオイルと塩だけで食べるお弁当を編み出した。うまい。
2022.9.13
何の写真もなかった。2
Narriのカバンから無限に物が出てきたので、ドラえもんの「あれでもないこれでもない…」を見せた。私だー!と言っていた。
DORAEMONっていうのは未来から来た猫型ロボットで…という説明で既に面白そうなのすごすぎる。
2022.9.14
「劇場で出来ないことは何ですか?」と聞かれたのだけど、劇場で出来ないことなんてないのでは…?と宇宙猫になった末に出した苦肉の答え→「ペットの販売」
もしかしたら何かの基準をクリアしたら出来るのかもしれない。わからない。
フランス語ネイティブのChocolatを聞いてテンション上がる。
日本の夜ご飯タコス(?)とイギリスの昼ごはんin庭
放課後はライオンキングを見に行く予定だったので、再びNariと市街地の観光。
ロンドン塔を見て、Five guys へ。
新しい街と300年前の建物が共存している。
石造の建物と地震がない国、本当に素晴らしいな。
ロンドン市街地は、エリザベス女王の棺が到着したようで、物々しい警戒体制だった。大きい銃を持っている警官、やっぱりびっくりする。韓国の空港で見た時もカルチャーショックだった。
飛行機雲がいつもよりたくさん出ていた気がするけど、中継などで多く飛んでたのだろうか。
ライオンキングの最寄りの地下鉄、ホームまで階段で降りたら200段くらい永遠に螺旋階段で目が回った。
写真は疲れてる私を尻目に元気よく降りていくNariman
家に帰ったら、シーツを変えてくれたホストファミリーの手によって身代わり人形が堂々としてた。
2022.9.15
フランス語ネイティブのChamps-Élyséesを聞いてテンション上がる。
サラミとほうれん草みたいな草とチーズで作ったサラダ、毎日液漏れしてる。
タッパーとジッパーをくぐり抜けて必ず液漏れしてくる。
液体強すぎる。
ガムを捨てるために破ったノートの余りをファイルに入れたらONE PIECEのビブルカードみたいになった。
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おわり
また気が向いたら書く
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【小説】氷解 -another- (上)
誰かを傷つけた後は、自分も傷を負う。
殴った後にその手が痛むように、それは代償として、必ず負うことになる。一方的に相手を痛めつけるなんて芸当はできない。そんな勝手は許されないのだ。傷つけた分は、傷つかなくてはいけない。たとえその痛みが、平等ではないにしても。
傷つけるとわかっていて手を下した時は、なおさら性質の悪い傷が残る。その音が聞こえてきそうなほどに心が軋んだのを感じたり、予想通り、耐え切れなくなった涙が溢れ落ちていくのを見たりするのは、そんな風に誰かを傷つけるのは、堪える。
いつだってそうだ。特に、怒りに任せて部下を怒鳴りつけてしまった後は。
「やっぱり、ここにいたのか」
窓辺に腰かけ、眼下に広がる灰色の街を見下ろしていると、そんな声と共に、缶コーヒーが現れた。手に取ったそれは温かく、俺は咥えていた煙草を口元から離す。
「貝塚……」
目線を上げて顔を見やると、その男は自分の煙草に火を点けるところだった。
「お疲れさん。さっきはすげぇカミナリ落としてたなぁ。聞こえてたぞ、こっちのブースにまで」
貝塚はそう言って、わざとらしく笑って見せる。俺は思わず、大きな溜め息をついた。
「……一週間前に、会議の資料を作るように頼んだんだよ。今日の、重要な会議に使うやつを。それが昨日になっても出来上がってこなくて、ギリギリになってやっと持って来たと思ったら、印刷はめちゃくちゃで、おまけに、数字は一年前のデータだった」
「高倉さんかぁ。可愛いし愛想もいいんだけど、仕事がいまいちなんだよねぇ」
「資料を全部作り直すには時間がなかった。そのまま使うしかないと断念したが、数字が間違ってるんじゃ、先方だってこちらを信用できないだろう。だから耐え切れず、高倉を責めちまった。『重要な会議だって言ってあったのに、どうしてこんな』ってな」
重要な会議の資料なんて、部下に任せず自分ひとりで作成すればよかった。もっとこまめに資料作りの進捗を確認しておけばよかった。前日のうちに残業させてでも資料を完成させて、修正する時間を今日に残しておくべきだった。
そんな後悔が、喫煙室に紫煙となって立ち込める。
「……そしたら、あいつ、なんて返事をしたと思う?」
貝塚は煙草を咥えたままで返事をしなかった。俺は続けて言う。
「『だって、私にとっては重要なことじゃないですし』、だとよ」
「……それで、高倉さんのことを思いっきり怒鳴りつけちゃったってことか」
そう言う貝塚の口元は笑っていたが、その目は少しも俺のことを馬鹿にしてなどいなかった。
「あんな怒鳴られたら、高倉さん、泣いちゃったんじゃない?」
「……泣いてたよ」
俺は力なくそう答える。
さっき見た光景が、まぶたの裏から焼き付いて離れない。高倉はまるで子供のように、大粒の涙を零して泣いていた。私は悪くない、とでも言うように、俺のことを睨んでいた。ぽろぽろ、ぽろぽろと泣きながら、本当は文句を言いたいのであろう唇から、絞り出すように「すみませんでした」とだけ言って、それでも眼光は鋭かった。俺を非難する目だった。
「可愛い女の子を泣かせちゃったら、そりゃあ、後味悪いよねぇ」
貝塚の苦笑に、同情の色を感じ取る。
所属する部署も役職も異なるが同い年の貝塚は、社内で気兼ねなく話せる同僚のひとりだ。ライターを貸してやったのがきっかけで、喫煙室で言葉を交わす仲になった。
「まぁ、そんなに落ち込まないで。縞本だけが悪い訳じゃないだろ」
「……そうだな」
どうやら、俺を励ましに来たつもりらしい。それをありがたいと感じる反面、隣の部署のやつに気を遣わせるほど部下を怒鳴りつけるなんて、と、また後悔が生まれる。放って置くとどこまでも、俺の内側から後悔ばかりが滲み出てくるような気がする。
「高倉さんの方には、井荻さんが行ってくれたから、大丈夫だと思うよ」
缶コーヒーのプルタブを開け、一口飲もうとしたところだった。俺は思わず、動きを止めていた。
「井荻が……?」
「ちょうど定時だったから。更衣室で高倉さんと一緒になるだろうと思って、残業しないでもう帰るように伝えたんだ。あのふたり、大学時代の先輩と後輩なんだろう?」
「ああ…………」
井荻。
井荻沙織。
俺は、あの澄んだ瞳に見つめられると、なんて呼べばいいのかわからない、複雑な感情を抱かずにはいられない。
だが貝塚からその話を聞いて、多少、安堵できた。あいつが高倉の面倒を見てくれるなら、安心だ。
「そういえば高倉さん、春までに辞めちゃうんだって?」
コーヒーを飲んでひと息ついていると、貝塚が思い出したようにそう言った。
「そうらしい。俺も次長からそう聞いた」
「高倉さん、辞めるってことを直接次長に伝えたのか。直属の上司は縞本なのに、それを飛び越して」
「『もうあんな人の下で働きたくないです』だとさ」
「ははは、そりゃあ確かに、縞本に直接は言えないよなぁ」
貝塚は煙を吐き出しながら、朗らかに笑った。それから妙に意地の悪い笑みを浮かべると、声を落としてささやくように言う。
「高倉さんが辞めるんだったら、うちの課の井荻さん、そっちに異動させちゃおうか?」
「余計なことしなくていいぞ」
コーヒーをあおる。缶コーヒーは、飲めないほど不味くもなければ、また飲みたいと思わせるような美味さもない。
「ああ、そうか。縞本も、春で異動なんだっけ」
「九州にな」
「大出世じゃないか」
「正直、あまり嬉しくはないな」
「寂しくなるね」
「……そうだな」
貝塚が灰皿に煙草をこすりつけ、口から最後の紫煙を吐いた。俺はすっかり短くなった煙草を灰皿の中へと落とす。
吹きつける風に、ガラスが小さく揺れる音がした。窓の外は曇天で、今にも雪がちらつきそうな、重たい雲で埋め尽くされている。風が強いのだろう、雲の流れが速い。
すっかり暗くなった街を行く人々は、皆黒っぽい装いに見えた。春の訪れなど、微塵も感じさせない景色。
だが、春は必ずやって来る。そしてその時、俺はもうここにはいない。
「コーヒー、ありがとな」
礼を言うと、貝塚は目を伏せたまま片手を挙げて俺に応えた。もう一本吸ってから仕事に戻るつもりらしい、次の煙草を咥えていた。俺は喫煙室を出て、三階の営業部フロアに戻るため、階段に向かって歩き出す。
「――正直、もうあんな人の下で働くことに耐えられないっていうか」
廊下を歩いていたら、そんな声が聞こえた。ちょうど、女子更衣室の前だった。
「縞本さんって、正直、人の心がわからないんだと思うんですよね。……あ、」
更衣室の扉が開くと同時に、声の主は口をつぐむ。見れば、高倉志保だった。制服から着替え、今から帰社するところのようだ。まだ泣いていたのか、その目は赤く、潤んでいる。
高倉は俺の顔を見て咄嗟に、もうひとりいた女子社員の後ろへと隠れた。そのもうひとりは、井荻沙織だった。
ふたりは、今日俺が叱責したことについて、話をしていたのだろう。俺は思わず、足を止めていた。高倉は井荻の陰で動かないまま、こちらを見ようとしない。何か言葉を発しようともしない。
俺は彼女にとって、顔も見たくない相手なのかもしれない。口にした言葉が俺を非難する内容であっても、それを即座に謝罪する気にもならないのかもしれない。上司の陰口を叩くのは良くないことかもしれないが、それは恐らく、高倉の本心であるに違いない。
こんな人間の下で働きたくないと、そう言って泣く彼女を否定するのは、間違っている。退職を決め、次長にそう告げた彼女の感情は、本物だ。それをあれこれ言うのは間違いだ。少なくとも俺に、そんな権限はない。
だがこの苛立ちは、どこへ向かわせればいいのだろうか。
俺は小さく息を吸い、波立つ自分の感情を抑制する。
「井荻、」
「あ、はい」
呼ばれた井荻は一瞬、きょとんとした表情をしたが、すぐに返事をした。
「今日、行くのか?」
「はい。行きます」
どこに、と言わなくても、井荻はそう返事をした。ちゃんと通じたようだ。
「あっそ」
高倉のいる前で、それ以上の長話をする気にはなれなかった。俺は再び歩き始める。階段を登り、定時を過ぎたがまだ半数近い社員が残っている営業部フロアへと足を踏み入れる。
俺の机の上には、まだやらなければいけない仕事が積んであった。目の前の書類に集中しろ。自分にそう言い聞かせる。とりあえずは、今日の会議の大失態の後処理だ。どうやって先方の信頼を回復するか。まずは、それから考えよう。
「……人の心がわからない、か」
仕事に取りかかろうと思っているにも関わらず、先程の高倉の言葉をつい反芻してしまう。誰かからそう言われたのは、これが初めてという訳ではなかった。思い出す。土下座して、額を畳にこすりつけて頭を下げていても、罵声を浴びせられ続けたあの日のこと。
――あなたは自分のことが、図々しいとは思わないんですか。私たちの心なんて、あなたにはわからないんでしょうね。
そんな風に言ったあの人の言葉を、今でもときどき、夢に見る。その言葉は後悔となって、感情を掻き乱し、俺のことを痛めつける。
俺は誰の心もわからない。わかりようがない。たとえばそれは、上司に叱責された部下の、責任を逃れたいという甘い言い訳であり、あるいは、息子の自殺を止めることができないでいた、ふがいない親である自分たちへの怒りであり、もしくは、素直に感情を口にすることができなかった、恋人に対しての猜疑心だ。
俺はそういった誰かの感情を、わからないままでいる。わからないから他者を傷つけ、そうして、俺自身も傷を負ってきた。傷つけたのと同じ数だけ、痛みを感じた。
そしてそんな俺の心も、誰にも理解などされない。
だが、わかってなんてくれなくていい。共感も同情も、必要とは感じない。ありふれた安易な言葉で癒されたいと思うほど、俺はまだ堕ちてはいない。
「……わからなくって、結構だ」
そう、独り言をつぶやいたら、やっと仕事に取りかかる気になった。
今の俺にはすべきことがあり、それは誰かの傷を癒すことではない。
たとえそれが、自分自身の傷なのだとしても。
人間が自殺するきっかけなんて、ほんの些細なことにすぎないということを、俺は知っているはずだった。
ある年の、気が滅入るような雨と湿度の高い日々が終わらないでいた七月の初め、前職の会社で働いていた俺は、この春に入社した新入社員のひとりが自殺をしたという報告を部長から受けた。自殺した井荻公介は、俺が初めて受け持った部下のひとりだった。
その報告を受けた時、「一体、どうして」という疑��が湧き、そして同時に、その疑問を掻き消すかのように、「人が死ぬ理由は、大層なものとは限らないよな」と思う自分がいた。
井荻公介が自殺した理由を、俺は知らなかった。だが、彼が時折、暗い顔をして机に座っているのを見たことはあった。かと言って、死を覚悟して思い詰めているという風にも見えなかった。俺と話をする時はいつだって朗らかであったし、冗談を言って周囲を笑わせることだってあった。時間の空いた時や飲み会の席では世間話をすることもあったが、プライベートなことを深く聞いたことはなく、たとえばまだ独身だった彼に恋人がいるのかとか、両親や家族と上手くやっているのか、そういったことは知らなかった。
だから部長から、「縞本、最近、井荻くんに何か異変とかなかったか?」と尋ねられた時、正直に、「少し沈んだ様子の時もありましたが、深刻そうな様子ではありませんでした」と答えた。
その時、部長が妙に神妙な顔つきになり、「そうか……」と、独り言のようにつぶやいて深く頷いていたことに、俺は違和感を覚えたが、部長の様子が何を危惧しているのかはわからなかった。後になってから思い返してみると、恐らく部長は、この時すでに、この先に起こり得るであろう未来を予想していたに違いなかった。
井荻公介が自ら命を絶ったということはショックではあったが、それはどこか、俺の手が及ばない、遠くの出来事であるようにも感じられた。実際、その後の俺にできたことは、彼が受け持っていた仕事を整理し、他の部下たちに割り振ることだけだった。
仕事を片付けているうちは、彼がすでにこの世にいないという事実は実感できなかった。それは葬儀に参列している時だけは別であったが、結局、社内の自分の机に座っている間は、井荻公介は病欠で長期休養しているのと変わらない気持ちでいた。彼が突然の不在となって混乱したのは最初の一週間程度で、それを過ぎてしまえばいつも通り、机に積まれていく書類を右から左へと処理していくだけだった。
その状況が一変したのは、彼の両親が、彼の遺書を手に会社を訪ねて来た時で、そしてその時初めて、井荻公介が「上司からパワーハラスメントを受けていることが苦痛でたまらない」ということを理由に、自らの手で命を絶つと、そう書き残していたことを知った。
俺を含め、井荻公介と同じ課に所属する社員たちは、常務と役員が待つ会議室にひとりずつ呼び出され、面談を受けた。二週間にも及んだ聞き取り調査の結果、井荻公介に嫌がらせをしていたのは課長であったということが判明し、これには多くの社員がそう証言したことによって、ほぼ確定だと判断された。
確かに、入社直後から、課長と井荻公介は折り合いが悪かった。それは恐らく、ふたりの性格が真っ向から正反対であったということと、自身の学歴を鼻にかけている節があった課長より、さらに有名な大学を井荻公介が卒業していたということが、そもそもの原因であるように思われた。
俺は何度か、課長が井荻公介を指導しているところに居合わせ、時に過剰なのではないかと思うほど叱責をされている時、間に入ってそれを止めたことがあった。仲裁に入ると、課長はそれ以上彼を叱ることはしなかったが、「そもそも、井荻がこんな体たらくなのは、直属の上司であるお前がしっかりしないからだ」と、怒りの矛先を俺へと向けた。
「井荻には、俺からよく言って聞かせますので」と頭を下げても、俺に対する課長の文句はすぐには止まなかった。十五分以上にわたる説教から解放され、自分の席へと戻った時、隣の席の井荻は少しほっとしたような顔をしていた。課長にはわからないように、声を出さないまま「ありがとうございます」と井荻の口元が動いた時、俺は小さく苦笑して、「別に、気にすんなよ」と声をかけたものだ。
そうやって気にかけてはいたが、結局のところ、井荻公介は俺の目が届かないところで課長から嫌味を言われ、嫌がらせをされ、日々少しずつその心に傷を負っていっていたのだった。
同じ課の社員たちは、自らの上司を糾弾することを恐れ、「これは同じ課の人から聞いた話なんですが……」などという前置きを挟み、あたかもそれが、直接自分が見たり聞いたりしたのではないとしながらも、課長がどんな回りくどい手を使って優秀な新入社員をいたぶっていたのかを話した。それは、まるでクラスの悪ガキが考えつきそうないかにも幼稚なものから、思わず耳を疑いたくなるようなものまであったが、結局のところ、課長からパワーハラスメントが行われていたことには違いないと、役員たちには判断された。
そこで、ひとつの問題が持ち上がった。いけ好かないこの課長は、社長の遠い親戚筋に当たる人物だった。そういった後ろ盾があるにも関わらず、いつまでも課長のまま昇進しないのは、それだけこの課長が無能であるということの何よりの証明であったのだが、役員たちはこの課長を庇うことを決断したらしかった。課長が新入社員にパワーハラスメントをして自殺にまで追い込んだという事実は、会社の信頼の大きな損失に繋がり、ただでさえ低迷している直近の売上額がさらに低下するのは避けられない。そう考えた役員たちは、俺に貧乏くじを引かせた。
井荻公介に対するパワーハラスメントは存在しなかった。だが、直属の上司である俺には、監督不行き届きなところがあった。
結局、社内では「そういうこと」として処理がされた。
俺はその責任を負い、退職勧告の処分を受けた。それはつまり、俺が井荻を死に追いやったのだと、そういう解釈になってもおかしくはない結果だった。
その話を部長から告げられた時、いつも頼れる上司であったはずの部長が、なんとも悲痛な面持ちでうつむいていたことを、まるで昨日のことのように思い出せる。
「役員たちには抗議したんだが……。すまんな、縞本。俺の力不足だ」
「いえ……。井荻のことをもっとちゃんと見てやれなかった、俺にも責任がありますから……」
「すまんな……本当に、すまん」
「部長、もういいですよ」
「すまん…………」
部長はこのことがよっぽど後ろめたかったのだろう、「知人に会社を経営している人がいて、その人にお前のことを雇ってもらえないか、なんとか頼み込んでやるから」と、次の就職口の世話までしてくれた。俺の処分も、懲戒解雇にならずに勧告で済んだのは、この人の尽力があったからだった。
途端に、俺の両肩に、井荻公介の死は重くのしかかってきた。不思議な話だが、その重量を知って初めて俺は、井荻の死を実感として受け止めることができたのだった。つまりそれは、取り返しのつかない、拭い去ることのできない現実で、それは過去のものではなく、未来にまで影響を及ぼす絶対的な事実だった。
井荻公介の両親のもとへ、謝罪のために訪ねた頃、長かった梅雨はようやく明け、代わりに俺は、容赦のない日射しに焼かれ続けていた。
週末の昼下がりに訪れた井荻家は、外の熱気などまるで嘘のように、空気は重く凍てついていて、それは最愛の息子を突然失った両親の、怒りと悲しみが入り混じって吐き出される冷気だった。
異様とも思えるほどの存在感を放つ真新しい仏壇が置かれた和室で、俺は井荻公介の遺影と並んで座ったその両親の前、自分が彼の直属の上司であることと、社内にパワーハラスメントの事実はなかったということを伝えた。
その途端、ふたりは激昂し、俺のことを非難した。
「そんな言葉は嘘だ、公介は上司からのパワーハラスメントを苦に自殺したのだ」、と。
「公介は、私たちの最愛の息子は、あなたのせいで死んだのだ」、と。
「あなたが、殺したのだ」、と。
そうだ。俺の言葉は、真っ赤な嘘だ。井荻公介を苦しめていたパワーハラスメントは実際にあった。だが苦しめていたのは俺じゃない。課長だ。俺は以前から、あの課長が気に食わなかった。俺だけじゃない。社内で課長を好いている人間なんて、恐らくいない。皆、表立って声や顔に出さないだけで、あの人のことを嫌っている。なのに、誰も口出しできなかった。だから井荻公介は死んだ。俺が、俺たちが殺したのも同然だ。見ていたのに。聞いていたのに。誰も止めなかった。誰も助けなかった。だから、井荻公介は。自らの手で、命を――。
「沙織、そこで何をしているの」
井荻公介の母親がそう言った声で、俺は思わず、下げ続けていた頭を上げそうになった。目線だけ動かして仰ぎ見る。
和室の入り口に、ひとりの少女が立っていた。黙ったまま、こちらをじっと見ている。高校の制服を着て、エナメルのスポーツバッグを肩から提げていた。日焼けした額に、汗で前髪が張り付いている。今日は土曜日だから、学校は休みなんじゃないのか。部活動の練習でもあって、その帰りなのだろうか。
「帰ってきたら、ただいまって言いなさいって、いつも言ってるでしょう」
少女は俺と目が合っても、挨拶の言葉を発しないどころか、会釈のひとつもしなかった。ただ、何かを探ろうとしているような深い瞳で、俺のことを見つめていた。その仕草は、死んだ井荻公介に似ていた。それからやっと、井荻には妹がひとりいるらしいことを思い出し、この少女こそが、その妹なのだとわかった。
「もういい、二階へ行っていなさい」
父親がそう言うと、少女は返事もしないまま、俺からふっと目線を逸らして、廊下の向こうへと歩いて行った。やがて、階段を登って行く音が聞こえてくる。
「……すみません。今のが、娘の沙織です」
どこか落胆したような声音で、父親がそう言った。
「以前から、あまりおしゃべりな子ではなかったのですが、公介が亡くなってからは、口数がほとんど……」
肩を落として言う父親の姿は憔悴しきっていた。ついさっき、「出て行ってくれ。もう二度と、この家の敷居を跨がないでくれ」と、菓子折りの箱を投げつけてきたのが嘘のようだ。
だがそれは、そのひと時だけだった。父親はそう口にしたことで、息子が死んだのは、今目の前にいるこの男のせいだということを思い出したようだ。ぷつぷつと汗が噴き出していくかのように、俺への非難が始まっていく。
俺はふたりの前で頭を下げ続けた。何を言われても、会社から言われた通りのことを、言われたように繰り返した。パワーハラスメントはありませんでした。そういった事実は確認できませんでした。
井荻の両親はそれを否定し続けた。嘘つき、嘘つき。人殺し人殺し人殺し。息子を返して。私たちの息子を返して。
「あなたは自分のことが、図々しいとは思わないんですか。私たちの心なんて、あなたにはわからないんでしょうね」
母親が吐き捨てるようにそう言って、それから、わっと泣き出した。今日何度目かになる嗚咽を漏らしながら、不明瞭な声で息子の名を呼ぶ。
呼ばれた息子は遺影の中で、穏やかな笑みを浮かべている。その笑みは、もうこの先、絶えることがない。彼はずっと微笑んだままだ。実際の井荻公介は、もう二度と笑うことも、母親に返事をすることもできないのに。
「もう、お引き取りください」
父親が、耐えかねたようにそう告げた。
「あなたが来ることは、公介の供養にはなりませんから。もう、結構です」
窓の向こうから、蝉の鳴き声がする。母親はおいおいと泣き崩れている。俺が持参した菓子折りの箱が、ひしゃげて畳に落ちている。蛍光灯の点いていない、昼間でも薄暗い部屋で、仏壇の蝋燭の火がゆらゆらと揺れる。
ああ。
俺はこんな光景を、以前にも見たことがあった。
真奈が死んだのも、こんな暑い日のことだったっけ。
あんな風に遺影の中で、ただ静かに笑っていたっけか。
※『氷解 -another-』(下) (https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/634221127908098048/) へと続く
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G 7/27
ドイツ編。
ドイツには計3日?でした。
朝、8時くらいに目が覚める。こっちにいる間は、朝起きて母にラインすると日本は寝る時間なので、私がおはよう、と言い、母はお休みと返してくれる。また何時間か後にね!と、時差が歯がゆい。
前の日に結局シャワー入りそびれたので、朝日が差し込む中、お湯が出るの遅すぎて発狂しそうになったのと、シャンプーかリンスか全くわからんドイツ語表記のボトルに発狂。無事シャワータイム終わりました。
朝ご飯は、ご両親と友達と四人でダイニングを囲む。いつも食べてる朝ごはん作ってあげる!と友達作のオートミール・アーモンドかソイミルク(なんかとにかく健康なやつ)たっぷりかけてオーブンでチン・もったりふやふやボウルが完成。一口大に切ったバナナやら梨(だったっけな)とヨーグルトがトッピングだったのですが、いつもオートミール自体食べ慣れてなかった為かなかなか完食できず...遠くにある大量のパンに手を伸ばしたかった。とっても落ち着いている親御さんで何だか背筋がピンっとする食卓。新鮮で楽しかったです。
先に親は出かけるから〜と言われて、二人で暫くの間コーヒータイム。キッチンでブラックコーヒーをケトルいっぱいに作っていたのにいつの間にか飲み干しまた作り。二人とも本当にcoffee person...
この日はベルリンの街へ繰り出す予定だったので、着るお洋服にも気合いが入る。なんせベルリンはファッショニスタのイメージ。みんな色使いや古着使いが上手くストリートにミックスしてるなあと憧れていたので、わたしも少しパンクめに。チェーンアクセサリーや肌見せが好きなので、シルバーチェーンネックレスに、ZARAの黒トップス(パリ初日着てた)、確か東京の古着屋で買った色とりどりチェックのスカート。アイラインも跳ねさせて気分上々だったのに汗でいつの間にか落ちた。
駅まで歩けるけど、自転車が当たり前!と言うことで、はたまたどでかい自転車をお願いだから座高を低いやつない?とお願いし、まさか乗れないの...?と年下の友達に笑われながらサドルを跨ぐ。アヌシーで私は長時間漕いだんだぞ!もうマスターしている!そんな自信はありました。
比べ物にならない石畳。もうやばかったです。変な話、股が割れたかと思いました表現下品ですみません。超デコボコ石畳を走り続け、サドルからお尻が浮き続け、一瞬平らな道になった瞬間爆走、また石畳で死にそうになる、一刻も早く駅に着きたかった!!!既に若干疲れた私とは裏腹に笑顔の友達に癒される。いざ電車に乗りベルリンへ。メトロに乗り換えるまでは外の風景が見れたので、自然の広がる窓を堪能。
車窓から。先進国ーーーー!!!!
まずは、その広さと安さで街でも有名な古着屋、HUMANAに到着。一番最初に安いのから見たかった!Frankfurter Tor駅からすぐ。
この建物全部古着。全部。日本でいうセカンドストリート感がありました。1ユーロの棚とかあった。
年代別や色別、形別に分けられていたので見やすかったです。ちょっとしたシャツとかスウェットも本当に安い。試したいものをとりあえず何着も持って二人同時に試着室にイン、裸足のまま鏡の前で見せあいっこ、そのうちランウェイごっこが開始。可愛いのたくさんあったけれど、この値段で買う意味あるかな?どの服に合うかな?など真剣に相談しながらのショッピング。ベルトやヒールも種類豊富で珍しかった記憶。
と、ここで、この年の7/27にはとても有名なイベントが。その名も、CDS。Christopher Street Day。ベルリンプライドセレブーレション、LGBTQパレードです。
人生で一回は参加したかった自由のお祭りの日に、私は巡り合えたのです、そしてなんと言ってもベルリンのパレードは毎年大勢の人が集まる、世界でも大きいパレード!ドイツ来るの、CSDの日じゃない?と言われた時の血が煮えたぎる高揚感、忘れません。この日はもう朝電車に乗った瞬間から、顔にレインボーのペイントやメイクアップをしている人、全身スパンコール、派手めのお洋服を着てる人で溢れていて、あとで参加しようね!と言っていたら降りた駅でこのCSD参加者の大群に遭遇したのです。この人の数!!
本当にびっくりしたーー!!見渡す限りカラフル。みんな好きな音楽を流して踊り、コーラがこの日限定のレインボーパッケージを道の人にフリーで配っていて、もちろん私も貰ってグビグビ。この中にいると自分がとんでもなく地味に思えてきます。パレードまでは時間があったので、ここで待っているのかな?と思いました。晴れた空の下で、笑顔で談笑する人たち。活気と自由に溢れている。忘れられない空気でした。誰がなんと言おうと、間違いなく、Love is gender freeです。
突如空腹に襲われた私、道の途中で人が並んでいるケバブ屋さんを発見。ドイツのケバブは美味しいよ!と友達がお勧めを注文してくれました。ドイツ語は一切、一ミリも分かりません。ダンケシェーン、だけ言おうと試みましたが全然発音できず。
まず最初に驚いたのが、ケバブってパンで挟むの!?です。だからボリュームも凄いのですが、何よりこのパンの重量感。一度噛み付いてみると、パンの丁度いい硬さとソース濃いめのチキン。野菜もシャキシャキでたまりません。友達はベジダリアンなので黙って私が食べるのを見守ってくれました。そういえば少し脱線すると、この間小学校の幼馴染と遊んでいる時、唐突にサブウェイが食べたくなって騒いでたら道にサブウェイが出て来て、脳内がえびアボガトでいっぱいになって衝動的にお買い上げしたんです。その時も友達は私が買うのを待っていてくれたので、待たせてごめんね、と謝ると、いいよ好きなんだよ!と言われる。な、何が好きなんだと思いきや、その子は、自分が食べないって言うと友達がじゃあ買うのやめよーって言うことが多くて気を使うから、普通に私が食べなくても構わず食べちゃう想が有難い、と言われて、確かに...と気づく。私も勝手に食べて欲しい。というよりも、え、私食べないのに食べんの、なんて思う人にはなりたくない。私食べてんのに食べないの、もない。食べたい時に食べたいもん美味しく食べよう。一生友達でいて。
ここでやっとご登場、友達ことAdrian、激盛れショットです。言ってしまえばどこから撮ってもキューティーなんですけれど、見てこれめっちゃ良くない?と写真見せると、えーー光がいい!盛れた!!と素直にチャーミング。人混みに疲れて、またもなスタバでコーヒーアゲイン。流石に私はラテにしたのですが、Adrianはホットコーヒーグランデ。カフェインに乗っ取られてる。
スタバでのフォトタイム。自撮りは永遠に難しい。この時は髪色を、濃いめのブラウンにちょっとパープルを混ぜて見えるようにしてもらったので、抜け感あって好きでした。また明るい色にしたいな〜と思う今日この頃。
休憩後は観光。ベルリンの名所、ホロコースト記念碑です。側から撮ってみると、段差が視覚的にアートのように見えます。ただこれは立派な記念碑のモニュメント、総数2711基。中は緩やかな坂みたいな道や、細い道もあり、歩いている人は皆静かに歴史を感じているような静寂。まるで本当に迷路の中を探検している錯覚に陥ります。
ブランデンブルク門。丁度太陽の位置が神々しい!平和と統一の象徴。ベルリン、ポツダムもだけど、街全体が歴史を重んじている印象を受けました。過去の壮絶な歴史を大切に、心に留めて、未来に進んでるように。
ドイツ連邦議会議事堂。とっっても広大な広場(?)に隣接してそびえ立つ、圧巻のオーラ。中には入らずでしたが、Adrianがベルリンの歴史を説明してくれながら建物を案内してくれるので有難い。
噴水を横切り、広い道、公園の中を通って、駅へ向かいました。
フランスとは全然違う景色に感嘆の声ばかり上げていました。川沿いの特設テラスなるところでみんなゆったりとハイネケンを飲んで気持ち良さそうだったり、とにかく建物と敷地が大きいな、と感じました。ビルもたくさんあるし、欧州っぽさと、また違うテイストを感じる。
そうしてベルリン中央駅に到着。夕方くらいにポツダムへと早めの帰宅です。
流石の中央駅、駅構内がショッピングセンターのよう!
お家について夕飯を食べたら、って何食べたか写真もなくてすっかり忘れました。この日買った服と持ち物で簡易的ファッションショーの開催です。Adrianの持ってるニットが〜ぎゃぎゃ可愛く〜て〜!ついでに半パンを借りてボーイッシュコーデで遊んでみたり。この青のTシャツはHUMANAで購入したのですが、鮮やかな発色と不思議なデザインで即決。ベルトも黒以外が欲しかったので購入。穴が足りない、と悩んでると、ベースメントに工具室あるから!と嘘みたいなことを言われ、あっという間に穴をトンカチやらで作ってくれました。計り知れない家の広さ。
次の日はポツダムでツーリング、気合を入れねば。
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[翻訳] コロナ禍と印中対立のなかのインド華人
中国系インド人の愛と憧憬
2020年7月25日
アスミター・バクシー
ガルワーン渓谷事件後の印中関係緊迫化、コロナウイルス・パンデミックによる反中感情の高まりとともに、インド系中国人コミュニティは集中砲火を受けている
3月17日、41歳のミュージシャン、フランシス・イー・レプチャは、急遽切り上げたプリー〔※オリッサ州の都市〕旅行からコルカタに戻る列車の中にいた。新型コロナウイルスは全国でその存在感を示しつつあり、ナレーンドラ・モーディー首相が厳重な全国ロックダウンを発表する日も近かった。レプチャが家族と一緒にまだプリーにいた間も、彼がチェックインしようとするとホテルの宿泊客は反対の声を上げ、路上では「コロナウイルス」と呼ばれ揶揄された。
フランシスは中国系インド人で、母方と父方の祖父は1930年代に他の多くの人と同様に日本の侵略から逃れてインドに来た。彼らはダージリンで大工として働き、地元のレプチャ族の女性と結婚した。のちに彼の両親はコルカタに移り住み、そこで彼は生まれ育った。
このミュージシャンは1980年代に幼少期を過ごし、ドゥールダルシャン〔※インド国営TV局〕で『ミッキー・マウス』や『チトラハール』を見たり、マドンナに憧れたり、クリフ・リチャードの「ダンシング・シューズ」に合わせて頭を振ったりと、これらを6歳で楽しんでいたわけだが、童歌「ジャック・アンド・ジル」に関係があるという理由が大半だった。彼は流暢なベンガル語と「荒削りなヒンディー語」を話し、そして、彼によれば「ほとんどお向かいのチャタルジー一家に育てられた」という。
列車がガタンゴトンと進むなか、冷房寝台車の他の乗客たちは、彼には自分たちが何を言っているのかわからないと思い込んで、「中国人」について疑いの声を上げはじめた。フランシスはすぐさま口を挟んだ。「私は流暢なベンガル語で、自分がコルカタ出身で、中国に行ったことはなく、彼らに感染させることはないと説明した」のだという。「彼らの顔を見せてあげたかった」。
コルカタに戻ると、フランシスはプリントTシャツを注文した。彼はコルカタ・メトロのセントラル駅の真上に住んでいるのだが、それが明るい否定のメッセージとなり、かつ人種差別に対して有効なツールとなるだろうと考えた。フランシスのさっぱりとした白いTシャツの上の端正なベンガル語のレタリングには「私はコロナウイルスじゃない。コルカタ生まれで中国には行ったこともない」とある。
6月15日、国土の反対側では、俳優兼歌手のメイヤン・チャンが、過去13年にわたって本拠地と思ってきた都市ムンバイで、夕食をともにするために友人宅を訪れていた。彼らはテレビのニュースを見ていたが、その放送は特に憂慮すべきものだった。2つの核保有国が数十年間争ってきた境界である実効支配線に沿ったラダックのガルワーン渓谷でインド兵20人が中国軍に殺害されたのだ。
「衝突の後、ダウン・トゥ・アース誌のインタビューに答えた時、私の最初の反応は怒りでした。『どうして私が自分の愛国心を証明しないといけないのか。どうして私がインドを愛し、中国を憎んでいると言わなければならないのか』。私はその国のことを知りもしません。中国というレンズを通して自分が引き継いでいるものは理解していますが、それだけです。私にはインド以外の故郷はありません」と彼は言う。しかし、彼の経験上、怒りは何の役にも立たない。「その代わりに、私は異文化交流の美しさについて話しました。それはインド全土に存在するものです。私たちの外見だけを理由に自分たちの仲間ではないと考える人々には驚かされます」。
チャンもまた中国系である。彼はジャールカンド州ダンバードに生まれ、ウッタラーカンド州で学校教育を受けた。彼の父親は歯科医で、チャンもベンガルールで歯学の学位を取得している。彼は自分の家系を詳細に遡ることはできていないが、先祖が湖北省の出身であることはわかっており、そこは1月以来、ニュースを席捲している。新型コロナウイルスが最初に報告された武漢とは、同省の首都である。
37歳の彼は、主流エンタテインメント産業で名声を得たおそらく唯一の中国系インド人コミュニティ出身者である。2007年にTV番組『インディアン・アイドル』の第3シーズンで5位になり、2011年にはダンス・リアリティ番組『ジャラク・ディクラー・ジャー』で優勝し、さまざまなTV番組やクリケットのインディアン・プレミアリーグなどのスポーツイベントの司会を務め、『バドマーシュ・カンパニー』『探偵ビョー���ケーシュ・バクシー!』『スルターン』『バーラト』という4本の大作ヒンディー語映画に出演してきた。
しかし、この数ヶ月の間、彼もまたCOVID-19についての世間の興奮と、そして目下の印中対決についてのそれを感じている。パンデミックのせいで人々が人種差別的発言を黙認しているため、彼はオンラインや路上で野次られてきた。実効支配線での印中対峙後は、これに無言の圧力、あるいは彼が言うところの飽くなき 「愛国欲」が続いた。「医療、経済、そしてある程度の人道的危機の最中に国境での小競り合いや恐ろしい話が出てきて、どう考えていいのかわからなかった」と彼は言う。
中国系インド人3世として、チャンとフランシスは共通点が多いように見える。二人ともインドで生まれ、家系は中国に遡り、家業を継ぐという中国的伝統から逸脱し、ディーワーリー、イード、クリスマス、旧正月をまぜこぜに祝って育ち、フランシスが的確にもこの国の「微小マイノリティ」と呼ぶものに属している。
この二人はまた、パンデミックが世界中で反中国の波を引き起こし、米国のドナルド・トランプ大統領が新型コロナウイルスを繰り返し「中国ウイルス」と表現している時にあって、中国系インド人が味わっている苦難を象徴している。インドでは中国との国境問題が状況をさらに悪化させている。怒りの高まりにより、政府は59の中国製アプリを禁止し、大臣たちは中華食品やレストラン(大半はインド人によって経営されている)のボイコットを求め、中国の習近平国家主席の肖像が燃やされ、COVID-19と紛争は危険なまでに一体視された。
この敵意の副作用はチャンやフランシスのような市民や北東部インド人が被ることになり、路上で暴言を吐かれたり、家から追い出されたりした。デリー在住の中国系ジャーナリスト、リウ・チュエン・チェン(27歳)は、地元のスーパーで人種差別的な悪罵を浴びせられた。「私の母はいつもならウイルスから身を守るためにマスクをするように電話で言ってきたはずですが、国境紛争の後は顔を隠すためにマスクをするよう言われました」と彼女は言う。
印中関係が緊迫するなか、世代を越えて広がりつづけているトラウマである1962年の中印戦争の記憶が前面に出てきた。では、こんな時代にあって中国系インド人であることは何を意味するのだろうか。
中国人の到来
インドにおける中国系インド人コミュニティの起源は、1778年に海路でインドに上陸した商人、トン・アチュー〔塘園伯公〕、またの名を楊大釗に遡る。伝承によれば、アチューは当時のイギリス総督ウォーレン・ヘイスティングスより、日の出から日没まで馬に乗るよう、そしてその間に彼が通過した土地は彼のものになると言われたと、あるいは(より公式なヴァージョンでは)彼のホストとなったイギリス人に茶を一箱プレゼントしたおかげで土地を与えられたとされている。
フーグリー川沿いにあったアチューの土地は、現在はアチプルとして知られている。彼を讃えて記念碑が建てられ、中国系インド人の巡礼地となっている。アチューの後を追って何千人もの中国系移民が続いた。彼らの上陸港はコルカタであり、長年にわたっていろいろな職業の多様な集団が植民地インドの当時の首都にやってきた。
「1901年の国勢調査はカルカッタに1640 人の中国人がいたと記録している。中国人移民の数は20世紀最初の40年間、特に内戦と日本の中国侵略のために増加しつづけた」と、デバルチャナ・ビスワスは2017年8月に『国際科学研究機構人文社会科学雑誌』に掲載された論文「コルカタの中国人コミュニティ:社会地理学によるケーススタディ」1の中で書いている。
ダナ・ロイの祖父母も、日本による侵略の時期にインドにやってきた。コルカタの学校で演劇を教えている36歳の彼女は、『亡命』と題した作劇のプロジェクトに取り組んでいるときに、母方の中国人家系を辿った。「中国の家庭は一夫多妻制だったので、私の祖父は三度結婚しました。そのうち一人は中国で亡くなり、二人目は第二次世界大戦中に日本の侵略から4人の子供を連れて逃れました」と彼女は説明する。彼らの家は、広東省の小さな村唯一の二階建ての建物で、日本軍はそれを司令部としたのだという。
ロイの祖父は、その頃には既にインドで輸出入業を営んでおり、インドにはヒンディー語と広東語の両方を話す中国系の妻がいた。彼の職業柄、家族を船で渡らせるのは容易だった。「叔父の一人には眩暈症があり、大きな音を怖がっていたのですが、(道々)聞いたところでは、村から逃げる際に日本の戦闘機に追われたからだとのことでした」と彼女は言う。
長い間、彼らは均質的集団として見られてきたが、インドに来た中国人は実際には相異なるコミュニティの出身だった。その中でも最大のものは客家人で、まず皮なめしに、最終的には靴作りに従事した。彼らはコルカタのタングラ地区に住み着いた(市内に2つあるチャイナタウンのうちの1つであり、もう1つはティレッタ・バザール)。このコミュニティは他のいくつかのグループのように一つの技術に特化してはいなかったが、ヒンドゥー教のカースト制度が皮革を扱う仕事をダリトのコミュニティに委ねていて、客家人にはそのような階層的制約がなかったため、彼らはコルカタで皮なめし工場の経営に成功することができた。
チャンが属する湖北人コミュニティは歯医者と紙花の製造に従事していた。「ラージ・カプールやスニール・ダット主演の古いヒンディー語映画に出てくる花は全部私たちが作りました。俳優がピアノを弾き、メフフィル〔舞台〕の上に花々が吊り下がっていたなら、それは全部我が家の女たちが作った物です」とコルカタ湖北同郷会会長、65歳のマオ・チー・ウェイは言う。
広東人は大半が大工で、造船所や鉄道に雇われたり、茶を入れる木製コンテナづくりに雇われたりしていた。1838年、イギリス当局はアッサムの茶園で働かせるため、多くが広東人の職工や茶栽培農夫からなる中国人熟練・非熟練労働者を導入している。
1949年に毛沢東率いる共産党が政権を握ると、中国への帰国は問題外であることが明らかになった。そのため、女性たちはインド在住の家族と合流しはじめ、すぐに東部諸州の中国人居住区にはヘアサロンやレストラン、ドライクリーニング店などが点在するようになった。
寺院が建てられ、コルカタのタングラとティレッタ・バザール、アッサム州のティンスキアには中国人学校ができた。賭博場や中国語新聞、同郷会館などもでき、春節や中秋節を祝うほか、中国の儀礼に従って結婚式や葬儀を行うようになった。
「彼らがコルカタに定住し始めた18世紀後半から、1960年代初めまで、中国人移民は、とりわけ同じ方言グループでの内婚や、文化実践、独特の教育システム、住居の排他的なあり方を通じて『中国人アイデンティティ』を維持することに成功した」と、張幸は彼の論文「中国系インド人とは誰か?:コルカタ、四会、トロント在住中国系インド人の文化的アイデンティティ調査」の中で述べている2。
このコミュニティと祝い事の時代は、1962年の印中紛争で突然終わった。戦前には5万人と推定されていた中国系インド人の人口は約5,000人にまで減少した。彼らの多くはその後、海外に移住した。
融合する文化
「アイデンティティとは、単に『私は中国人か、それともベンガル人か』というよりも複雑なものです」とロイは言う。「アイデンティティを主張したり断言したりする必要性を本当に感じるのは、それが奪われつつあると感じたときだけです。アイデンティティについて聞かれたとき、特にこのような時世には、『他のインドのパスポート保持者はこんなことを聞かれるだろうか』と疑問に思うのです」。
ロイは中国系移民と地元民との不可避的な混ざり合いの象徴である。彼の母親は中国系で、ベンガル人と結婚しており、一家はタングラやティレッタ・バザールから離れたコルカタ南部に住んでいる。ロイがこれらの地区を訪れるのは、たいてい中国式ソーセージを買うためか、たまに友人と中華の朝食を食べたりするためだ。
今日の中国系インド人は、中国的伝統が失われていく一方、国籍と文化遺産の間の摩擦が増えていくという二重の現実に直面している。例えば、かつてコルカタのチャイナタウンで行われていた旧正月の祝賀会は、ほとんどがプライベートなものになっている。チャンはただ友人を家に招待することが多い。ロイは親戚とご馳走で盛大に祝ったり、「みんなが忙しければ」ただオレンジを食べて祝ったりしている。
若い世代が広東語や北京語ではなくヒンディー語や英語を学びながら成長し、儒教のような中国の伝統的な宗教的習慣から遠ざかるにつれ、彼らのアイデンティティの中国的側面はますます衰えつつある。以前はそのアイデンティティの別称として機能していたタングラも、今や混合文化に道を譲った。また、環境問題により1996年には皮なめし工場が閉鎖された。
それでもフランシスのように、自分たちの文化を守るためにできることをしている人もいる。彼は友人と毎年の旧正月にはコルカタで龍の踊りを披露する。「私たちは衣装と太鼓を身につけ、旧チャイナタウン、新チャイナタウンその他、コミュニティが散在しているコルカタの各地で4日間にわたって上演するのです」とのことだ。彼らは彼が子供の頃に喜んで受け取っていた赤い封筒入りのお金を配る。
しかし、帰属と受容という、より大きな問題は残ったままである。チャンによれば、自身がエンタテインメント産業に加わっていることと「ヒンディー語とウルドゥー語に堪能」であること(彼はボリウッド作品を観て育ち、父親はマフディー・ハサンのガザル歌謡が大好きだった)は、人々が常に彼を「インド人」として受け入れてきたことを意味する。彼のファンは年齢層やエスニック・グループを跨いで存在する――『インディアン・アイドル』に参加していたときには中国人コミュニティが彼を支持し、より若いファンは彼が「K-POPスターやアニメ・キャラクターを彷彿とさせる」ゆえに彼を愛している。しかし、ソーシャルメディアで意見を表明することは、特に最近では危険であり、時に大騒ぎになる。
「CAA(修正市民権法)のような問題については、間接的に言及して自分の意見を伝えるようにしています。これは大事なことだからです」、彼は言う。ガルワーン渓谷での衝突の後、陸軍大尉を名乗る匿名アカウントが、彼のYouTube動画の一つにコメントして、国家に忠誠を誓い、インド人兵士への支持を公に表明するよう彼に求めた。「私はそれを大したことではないと思い、〔陸軍大尉という〕彼の名乗りに引っかけて『敵との戦いに集中してください、あなたの仲間の国民とではなく』と言いました」。
ジャーナリストのリウ・チュエン・チェンは、アイデンティティとインド政治の両方についての自身の率直な物言いは、コミュニティ内では異例であり、しばしばオンラインやオフラインで嫌がらせの標的になることにつながっていると述べる。「一度、エアインディアの飛行機に乗るとき、係員たちが私に有権者証ではなくパスポートを見せろと言い張ったことがありました。彼らは私がインド出身でないと信じていたからです」、彼女は言う。「私はパスポートを取ってすらいなかったのに」。
年長世代の政治との関わり方はやや異なっている。彼らは今でも中国政治を追いかけてはいるが、距離を置いている。「調査中、国民党シンパと共産党シンパの間にあるコミュニティ内の分断を感じました」とジャーナリストのディリープ・ディースーザは言う。彼は1962年の印中戦争の歴史を、当時強制収容されていたジョイ・マーの口頭の語りとともに記録した『ザ・デオリワーラーズ』3の共著者である。
「しかし、それだけです。彼らは台湾とPRC(中華人民共和国)の対立を私と同じように見ています。そこに親戚はいるかもしれませんが、台湾市民になりたいとか、PRCに忠誠を誓いたいというようなものではありません」。
このような関わりの多くは目に見えない。このコミュニティに共通する話として、彼らは頭を低くして注目されずにいることを好む。これは1962年に中国系コミュニティと関係者が強制収容された結果という部分が大きい。
消えない恐怖
1962年の戦争後、中国軍が国境東部のNEFA〔北東辺境管区〕、国境西部のアクサイチンに進出したとき、インド世論は怒りと疑念に満ちていた。インド人は当時のジャワーハルラール・ネルー首相の保証に憤慨し、中国に裏切られたと感じていた。今回もまた、この敵意の矛先はインドの中国系コミュニティに向けられていた。
作家クワイユン・リー氏が学位論文『デーウリー収容所:1962~1966年の中国系インド人オーラル・ヒストリー』4で書いているように、「国民的な熱狂に駆り立てられ、主流派インド人は中国人住民を追放し、時に暴力を振るい、また、彼らの家や事業を攻撃したり破壊したりした」。
リーは付け加える。インド当局は「毛沢東支持に傾いた中国語学校や新聞、中国系団体を閉鎖した。蒋介石(台湾)を支持する学校、クラブ、新聞は活動を許された。これらの学校やクラブは、マハートマー・ガーンディーの肖像とインド国旗を孫逸仙〔の肖像〕と十二芒星の〔ママ〕国民党旗の横に加えた」。
これらの状況は、当局に「敵国出身者」を逮捕する権限を与えるインド国防法が1962年に成立し、1946年外国人法と外国人(制限区域)令の改正が行われたことと相まって、ラージャスターン州のデーウリー収容所で中国系インド人を抑留するための「法的なイチジクの葉〔方便〕」になった、とディースーザは言う。
3000人近くの中国国民または中国系の親族をもつインド国民がスパイ容疑で逮捕され、最長で5年間拘束された。
「ガルワーン渓谷の小競り合いが起こったとき、私はそれについて思いもしませんでした。祖母が最初にそれを口にしました。『もし雲行きが悪くなったら、私たちは逮捕されるかもしれない』」、チャンは言う。「たとえ私達も同じことを考えていようがいまいが、そんなことは起こらないと彼女を説得するのが私のおじと私の役目でした」。
フランシスは1962年に当時10代前半だった母親がダージリンの祖母を訪ねており、二人とも収容されたという思い出話を語る。イン・マーシュも同様であり、1962年11月に13歳でダージリンのチャウラスタ地区から父、祖母、8歳の弟と一緒に収容所に連行された5。
マーシュのように、このコミュニティの多数の人がインドを離れカナダ、米国、オーストラリアに向かった。しかし、歴代の政府がこの歴史の一章を認めたり、謝罪したりしていないことを考えると、圧倒的なトラウマと裏切られたという感情は今日に至るまで残っている。
中国系インド人はなおも傷を癒やす途上にある。アッサム州の同コミュニティ出身の48歳の女性(匿名希望)は、ガルワーン渓谷事件の後、89歳の父方のおばから電話を受けた。彼女はまたも強制収容されるのではないかと心配していた。「私はそれを笑い飛ばし、心配させまいとしました。私はね、もしまたそんなことになったら、皆一緒に行ってダルバートを食べましょうって言ったんです」と彼女は言う。
大昔の法改正はまた、1950年以前にインドに来た、あるいはインドで生まれた中国人移民のほとんどは決してインド市民権を与えられないということを確実にした。例えば、彼女のおばは今や87年間インドに住んでいる。「彼女は今でも毎年外国人登録事務所に行って滞在許可証の更新をしなければいけません。ここは彼女が知っている唯一の故郷ですが、法的には決して帰属することはなく、常に部外者のままです」と彼女は言う。
以上のような要因が、生まれた国への忠誠心を公にするようインドのこのコミュニティをせっついている。例えば、ガルワーン渓谷の衝突の後、コルカタでは中国系インド人が「我々はインド軍を支持する」と書かれた横断幕を掲げてデモ行進をした。
「人々には中国共産党(CCP)が中国系インド人のことを大して気にかけていないことに気づいてほしい。彼らはおそらく我々が存在していることすら知らない。もし私が完全ボリウッド風でやりたいと思ったら、『マェーンネー・イス・デーシュ・カー・ナマク・カーヤー・ハェー〔※私はこの国の塩を食べてきた、の意〕』と言う〔=愛国心を歌い上げる〕ところまでやります」とフランシスは言う。「私の優先順位は単純です。私はインド市民であり、インド憲法に従って暮らしており、私の支持は常にこの国にあります」。
印中間の緊張がすぐには緩和されそうにないなか、アイデンティティと帰属意識の問題が頻繁に前景化されるかもしれない。チャンの不安もまた、このような思慮をめぐるものだ。「エンタテインメント産業の誰もが仕事はいつ再開できるのかと心配していたとき、敵のような見た目の顔をしているから自分には誰も仕事をやりたくないのではないかなどと、余計な不安を私が感じていたのはどうしてでしょうか」と彼は問いかける。
http://www.iosrjournals.org/iosr-jhss/papers/Vol.%2022%20Issue8/Version-15/J2208154854.pdf ↩︎
張幸(北京大学外国語学院南亜学系副教授)は女性。引用論文は2015年刊行の論集に掲載されたもの。これを補訂したと思われる2017年の雑誌論文あり。 ↩︎
http://panmacmillan.co.in/bookdetail/9789389109382/The-Deoliwallahs/3305/37 デオリワーラー(デーウリーワーラー)はデーウリー収容所帰りの意。 ↩︎
1950年カルカッタに生まれ、強制収容は免れたが1970年代にカナダに移民した著者が、トロント在住の客家人元収容者4人の聞き取りをもとに2011年にトロント大学オンタリオ教育研究所に提出した修士論文。 ↩︎
元デーウリー収容者で、収容経験を述べた『ネルーと同じ獄中で』(初版2012年、シカゴ大学出版会より2016年再刊)の著者。 ↩︎
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2020.08 戸隠山
2日目より
夜は雨が降ってきたけど朝は気持ちの良い晴れ。心配なのは岩場が濡れて滑らないかどうか。0700朝食、朝ご飯も美味しいなあ!出発の準備を整え、車で登山口まで送ってもらう。
【コースタイム】奥社入口(0740)→戸隠奥社 (0805)→百間長屋 (0850)→胸突岩 (0915)→蟻の塔渡り (0920)→八方睨 (0935)→戸隠山頂 (0950)→九頭竜山(1020)→避難小屋 (1055)→滑滝 (1120)→戸隠キャンプ場 (1155)
まだ8時前ということもあり、奥社入口にはほとんど人気がない。静かな参道を真っすぐ進んでいく。
途中にある随神門という赤い門を通過すると、
樹齢700年と言われる巨大な杉並木となる。
約30分進むと奥社に到着し、ここから登山道へと分岐する。
登山口からは早速急登、もうここら辺の山は全部そうなのか?一昨日、昨日、そして今日と驚かなくなった。かなりの斜度で、平坦な道は皆無。
途中景色が開け戸隠山が見えるはずなのだが、完��に雲の中。今日は景色ではなく、山頂までの道が重要なので気にしない。
岩壁にぶつかる少し手前くらいから鎖場が出てくる。
百間長屋という平坦な道に出る。岩壁が登山道に沿ってえぐられているのだが、ここから先は再びひどい急登(というか崖)になる。
高くて垂直に近い岩壁をいくつも乗り越えていく。印象的なのは写真の鎖場。60-70度の斜面を登り(手前)、5mほどトラバースして(中央)、再び60-70度の斜面を登る(奥)長い鎖場。写真ではあまり伝わらないだろうが・・・
登りきったところから見下ろすと、ビル3-4階分くらいの高度感。浮石はほとんど無いので落石の心配はないが、鎖が長すぎるため遊びが発生してしまい結構ブラブラ揺れる。むしろ鎖使わないほうが安全なんじゃ?と思うが、全く鎖に頼らないのもこの高度では万が一のことを考えると不安があるのでどっちつかず。とにかく遊びを発生させないように適切な長さで鎖を掴みながら慎重に。鎖を両手で掴むのは危険(片方の手は岩)。
ちゃんと数えなかったが、鎖場は5箇所くらいあったか。そのラスボスが胸突岩というこの長い岩壁。斜度はやはり60-70度くらいか。ただ岩がゴロゴロしているので鎖は使わなくても登りやすい。
胸突岩をクリアするといよいよ蟻の塔渡りなのだが、その前にこんな表札が・・・不謹慎だが、これから最も危険な登山道に挑むというのに縁起でもなさすぎて笑いがこみ上げてきてしまう。
蟻の塔渡り(ありのとわたり)は幅50cmくらいの非常に痩せた20mの尾根で、しかも両側はすっぱり切れ落ちた断崖絶壁。年々崩落が進んでおり、また年に何人も命を落としているんだとか。落ちたら滑落ではなく”墜落”して死ぬんだと。また蟻の塔渡りの先は連続して剣の刃渡り(5m)が続く。撤退する勇気も必要。
見えている大部分は蟻の塔渡りだが、ご覧の通り非常に薄い岩の尾根である。両側は90度の絶壁、滑る余地はまったくなく「墜落」するのは容易に想像できる。
いざ進んで見るとさすがに立って進む勇気は無く、四つん這いになったり跨ったりして進んだ。一部幅に余裕が出てきたので立って進んでみようと立ち上がったのだが、どうしても最初の一歩が出なかった。本能的に危険を察知して体が動かない。
片側からガスが湧いてくる。怖さ半減で残念!ガスってゴールが見えない。ちなみに右側に写っているのは鎖で、蟻の塔渡りを巻く鎖場ルートが存在する。けど道を見る限りあっちのほうが怖いと思うんだが。
蟻の塔渡りの中間くらいから進行方向を。
剣の刃渡りに入り、ゴールは目前。(最後は鎖で登っていく)
剣の刃渡りの一部は幅30センチくらいに減少する箇所も。下に黒くちょこんと出ているのが靴の爪先。
その後垂直に近い鎖場があり・・・
ピークの八方睨みに到着する。
周囲はそこそこ晴れている。ようやくまともな休憩ができる場所かな。ここからは晴れていれば蟻の戸渡りも見えたと思う、ガスの中でその方角から後続者の声してたし。��方睨みまでは登山口から1時間半。過ぎてしまえば体感的にはあっという間であっけなく終了した感じである(たぶん、集中してたからだろう)
八方睨みから高妻山方面への稜線を進み、戸隠山の山頂へ向かう。基本下り坂だし平坦なのでラクなのだが、何回かはピークを超えなければならないため、その都度急登となる。
八方睨みから戸隠山頂までは15分の平行移動で到着。とくに休憩せずさっさと通過する。
ちょっと驚いたのは、危険箇所はさっきまでかと思いきや、ここも半分蟻の塔渡りみたいに右側が断崖絶壁となっており、歩ける幅も結構狭い(とはいえさっきとは違い立って歩くことは問題ない)。
同じような箇所が結構あり、ぼーっと歩いて踏み外しでもしたら命はない。右側は常に牧場とキャンプ場が見えていたのではないかと思われる。
途中の谷間も迫力がある。
しかしすごい絶壁だ。もしかしたらキャンプ場から双眼鏡など使えば、戸隠の岸壁の上をずっと歩いてる登山者(自分たち)が見えるのかもしれない。景色良かったらもっと怖いだろうな、けどその分凄そう
戸隠山頂から30分で九頭龍山(くずりゅうざん)に到着。キャンプ場から見ると、双耳峰の左が戸隠山で右が九頭龍山(2日目の写真参照)
昨日高妻山へ向かうのに通った、避難所付近の道。右上まで進むと六弥勒に着き、そこから左折して高妻山へ向かうルート(ガスってる)
戸隠山から約1時間で昨日も通った避難小屋に到着。昨日は沢の道をここまで登ってきたけど、本日はここから牧場へ下る。
帯岩。
前日から未明にかけて雨が降っていたが特に増水はなかった。
滑滝。
避難小屋から下降を開始して30分で登山道入り口に到着。本日出会った登山者は10人くらいで、かなり静かな山行だった。
ちょうどお昼時であり、またバスの出発まで1時間以上はあったので、キャンプ場内にある蕎麦屋さんとカフェで食事を摂ることにした。戸隠に来たら戸隠蕎麦しかないでしょう!・・・まぁ昨夜も食べたが。蕎麦屋さんはその名も「岳」。ガスって日差しはほとんどなかったとはいえやはり夏場の登山であり、注文するとまず冷たいそば茶とお通しが出てくるのがとても嬉しい。
「戸隠季節の天ぷらそば」。蕎麦湯は普通に出てくるのだが、最後に超濃厚な蕎麦湯がおちょこ一杯だけ追加で出てきて、これは初めてだった。塩を少し加えて飲むのだが、すごいドロッとしてた。信州そばもそうだけど、長野県のそばはめっちゃ美味い!!
昼食が終わったらカフェにハシゴして、昨日に引き続きやはり牧場の牛乳と、ブルーベリーのケーキを注文(計800円)。優雅だ。
バスに乗り長野駅に戻ると駅前は35℃あるらしい笑。長野ってもっと涼しいイメージなんだけどなぁ。
戸隠山総括:八方睨みまで登ればあっけないのだが、それまで鎖場の連続ほぼ垂直、かなりの高度感、ひとつの鎖場でビル3-4階は登ったりする。 剱岳のほうがまだしっかり鎖が固定されてる��に対し、ここのは遊びがあって鎖だけを頼りには危険なときもあった。いくつもの鎖の先に蟻の塔渡りと剣の刃渡りが控えるが、こちらはとても立って渡る勇気はおきない。
3日間総括:普通の登山がしたくなってきた・・・普通の道、普通の傾斜。今回の山は全部色んな意味で尖っていた。最近の暑さが異常なのかこんなもんなのか、戸隠山以外は夏に登るのは避けた方が良い。(紅葉の時期は人気らしいね)
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穴
山に行って穴を掘ろう。でも何を埋めるかはまだ決めていない。そもそも何故穴になにかを埋めることにしたのか、それすら覚束無い。この前巧にふられたからだろうか。しかしそれはきっかけにしても、全てではないような気がした。
世界は私の内側に拡がっている。私にはそんな感覚が小さいときからある。私が失くしたもの、得たもの、知らないもの、これから知るもの、それら全てが私の内側の向こうでひとつとなり微かに揺れている。それはまるで、水面を漂うとりとめのないひかりのよう。そういった認識へのひとつの解が、穴になにかを埋める行為であると私は何故だか直感していた。
その日は朝からずっと静かな雨が降っていた。山は霧深く、道中誰ともすれ違うことはなかった。私はローカル線の山の麓の駅から暫く歩いて出た山沿いのひっそりとした国道のガードレールを跨ぎ、さらに少し歩いたところに広がる草むらを見つけ、その中心部で、リュックから取り出したむき出しのシャベルを振るった。かん、と硬く鋭い音が雨に包まれてくぐもる。レインコートのフードから大きな水滴がしたたる。湿った土の匂いが鼻をつく。私は恍惚に浸りながら汗をかき、無心でシャベルを何度も、何度も、何度も、振るう。やがて私は雨に溶ける。私が私でなくなる。私は風になる。私は山のものになる。掘り続けた底から這い上がった私の足元には、直径1メートルほどの薄暗い虚が穿たれていた。 「穴」 それは、ちょうど私がすっぽり入るほどの深さだった。私は穴の周りをゆっくりと一周歩いてみた。衝動に身を委ね大地にシャベルを突き立て自分の痕跡を直接残すということは、今まで得たことのない充足を私に与えた。
帰りの電車に揺られる46分間、私の心は穏やかだった。なにかを成したという暖かい満足感があった。家に帰ってシャワーを浴びありあわせの料理を作って食べ、日本酒を少し飲んで寝た。
さて、何を埋めようか。朝起きて私は考える。
半年前に買ったきり放置しているゲーム機?中学生の頃、私を虐めていたグループの中心人物の有坂優子の卒業写真とかも良いかもしれない。いやいや、巧が私の誕生日にくれた、趣味じゃないけど無理をしてつけていた香水か。それとも私の知り合いと浮気をしたのちに私を捨てた当の巧自身か。
もう10月なのに何故か道端に転がっているセミの死骸とか、子犬などを貰ってきて埋めるのも儀式じみていていいかもしれない。
しかしそんな呪いみたいなネガティブな行為ではなく、あえて自分が今大事にしているものを埋めるのが建設的かもしれないな、とも思う。
私の大事なもの。
口座の預金全額、唯一付き合いのある大学の同級生であり貴重な飲み友達のエリ、巧が私の部屋に忘れていった3本残っているマルボロの箱とライター、一昨々日酔っ払ってガチャガチャで引いたシモダイロウミウシのフィギュア、母の遺品のアメジストリング、部屋で飼育しているミシシッピアカミミガメのぼくたく、など。
考え出したらきりがないが、決めているルールはある。それは、埋められるものは1つということと、それを写真に撮って毎日1回は見る、ということ。それ以外は未定だ。
今はただ私と穴だけがある。そしてそのことは私の心を穏やかにした。あの穴が在る限り、私はどこまでも拡がっていけるのだ。
穴。私の穴、毎日は私と穴の間に過ぎていく。ひんやりとした痕をわずかに残しながら。
穴を掘ってから2週間後、巧から会わないかと連絡が来た。私は二つ返事で承知した。
久しぶりに会った巧は少し痩せていた。
「俺、振られちゃったんだ」
巧はお通しの小鉢の中の小芋の煮付けを箸で弄びながらまるでなんでもないようにそう呟いた。
私は黙ってビールを一口飲んだ。ビールは、苦手だ。
「それで」
私は一応聞いてみた。
「いやべつに、それだけ」
「ふうん」
私たちは黙々と杯を重ねていった。酒に弱い巧は最初のビールを空けてすでに赤ら顔になって眠たげな表情をしていたけど、私に続いて飲み続けた。
「そういえばここ、久しぶりに来たね」
「そうだな」
「巧は瑞木さんにふられてつらい?」
「どうかな」
巧は終始伏し目がちで、その様子はテーブルの上の半分骨になったほっけと話しているといった感じだった。
「私にこうやって会うことについて恥ずかしいとか、思わないの」
私はいつの間にかテーブルに手を付いて前のめりになっていた。
「それは、少しあるけど」
巧はそう言ってほっけをひっくり返す。それから遠慮がちに、ほっけに醤油をぽたたと垂らした。
それから、私たちはまた無言になり飲み続けた。巧は今にも寝そうな様子でついに船を漕ぎ出した。
「ねえ巧」
「うん?」
「私ね、穴を掘ったの」
「穴?」
「そう、穴。私の穴があるの」
「うん」
「私ね、その中に何を埋めるかずっと迷っていて」
「うん」
「それでね、一度巧を埋めてみたいと思うの。しっくりくるか確認したくて」
「そうなんだ」
巧は身のなくなったほっけの骨を箸でずっと突いていた。
「いいよ、その穴まで連れてってよ」
居酒屋を後にした私は巧を穴まで連れてきた。夜の山は暗く、2人のスマホのライトだけが頼りだった。穴にたどり着くと、私はリュックに入れていた折り畳みショベルを取り出して、巧に穴に入るよう指示した。
巧はすんなりと、あまりに呆気なく穴に収まった。巧がいいよと合図をしたので私は巧の入った穴にせっせと土をシャベルで放り込む。穴が、満たされていく。しかし私の心は特段変化がないように思われた。神に生贄を捧げるのってこんな感じなのかな、だとか漠然と考えながら手を動かしているうちに、気付くと巧は完全に埋まっていた。このまま帰ってしまってもいいかなと思ったけれどなんだかそれもつまらないし、一人で置いていくのは巧も寂しそうで不便だったから掘り出してあげた。掘り出された巧は相変わらず眠たげだった。
「どうだった」
私は巧に聞いてみた。
「地面のなかは、暖かかったよ」
「それだけ?」
「あとなんだか懐かしかった。胎内に回帰したような心地」
「ふうん」
「こんどエリも埋めてあげようか」
「気が向いたらね」
「エリは俺を埋めているときどうだった」
「特になにも」
「そうなんだ」
「でもその特になにも感じなかったということが、巧と私の関係に由来するものなのか、それとも人間を埋めること自体がつまらないものなのか、ということは穴のことを知る上で一考の余地があるよ」
「なんだそれ」
巧は笑いながらそう言った。このとき、私は巧の笑顔が好きだったことを肉体的に思い出した。
「もう終電だし今日はうちでシャワー浴びて泊まりなよ」
私は無性に巧を家に連れて帰りたくなった。
「そうする」
無人駅発の終電は私と巧以外誰も乗っていなかった。
アパートに着き、私は巧の土まみれの服を脱がして全てゴミ袋に入れた。そして巧にシャワーを浴びせ、優しく身体についた泥を手で落としていった。巧のはかない輪郭に添ってこびりついた泥を中指と人差し指で拭う。巧の汚れが落ち、蘇る。自然と指先に籠る慈しみを、私は無視できなかった。それはなんだか不思議な心地だった。祈りに似ているかもしれない。不意にひとすじの涙が頬を伝う。気づいてほしくなかったけれど、巧がそれに無言で答えているのがその表情からうっすらとわかった。私もいつか巧に同じようにしてほしいと思った。
それから私たちは朝までセックスした。巧は激しく私を抱き、私もそれに応えた。
いつのまにか寝ていた私たちは昼に目が覚めそれからまた日が暮れるまでセックスをした。私たちはまるで付き合い出してからから少し経った頃のように激しくお互いを貪り尽くした。
そしてその日の晩も巧は私のスウェットを着て泊まった。
巧は仕事があるから、と言って朝早くに私のスウェットを着たまま出て行った。私はそれを見送りだらだらと出勤の支度をした。
こんど私を巧に埋めてもらおう。私は自然とそう考えていた。
「ねえ巧、私を穴に埋めてみてよ」
「いいよ」
ベッドに寝転び裸で私を背後から抱きしめながら巧が卑猥な甘い声で囁く。それに伴いさっき果てた巧の性器がまた復活してむくむくと膨んでいく。それは、とても熱い。
身を捩り振り向くと薄闇の中で巧の豊かな睫毛に散りばめられた雫がきらきらと輝いていた。巧の睫毛はいつも私に魔術的な砂漠の夜を連想させる。
その夜私は、巧と2人で穴に入り、さなぎの中身のように溶けそし���混ざり合い、ひとつの新しい生き物として産まれ変わる夢を見た。深く安らかな夢だった。
それからまた1週間後、私と巧は手を繋いで穴まで歩いた。あたりは薄暗くて、ほのかに土の香りが立ち昇っている。とても落ち着く香りだ。
私は穴にすっぽりと入り巧に「いいよ」と促した。巧は返事をせず、シャベルを上手に使って私を穴に埋め始めた。あまりにもその動作がスムーズなので、シャベルはまるで巧の身体の一部のように思われた。土が足元から腰のあたりにかけてどんどん積もっていく。ついに私が穴と1つになるときがくる。私と穴との距離が物理的にも精神的にもゼロになるのだ。そしてそれはすなわち私自身がゼロになるということ。
気がつくと私はすっかり地中に埋まっていた。きっちり埋まっているので指先すら1ミリも動かすことができない。巧の言った通り、穴の中は心地よく、身体に触れる暖かく湿った土は、私の身体の一部のような気がした。
そう、そうだったのだ。還るべくして還った胎内。それは私が掘るべくして掘ったこの穴だったのだ。
耳を澄ますと「とっとっと」と一定の振動が聴こえることに気が付いた。地中を伝わり私を震わす律動。それは私の心音が土に響き帰ってくる音なのかもしれない、いや、よくわからない。もしかしたらそれは、巧が走り去る音かもしれなかった。けれど、それもいいかもしれないな。と私は思い、それからゆっくりと目を閉じた。
深い微睡が私の内にひろがる。
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