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#伊部おあづけ徳利
bizenwakakusa · 7 months
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濃厚な伊部手の発色と自然釉の表情が愉しめる、おあづけ徳利・片口酒器・酒盃・小壺
伊部おあづけ徳利(多久守) 伊部片口注器(多久守) 伊部酒盃(多久守) 伊部小壺(多久守)
  連日の曇り空から一転、今日は朝から快晴の岡山です。
やっぱり天気が良いと気分も上がりますね。
  さて、毎週土曜日は新着商品のアップ日になります。
  多久守作 伊部おあづけ徳利 1点
多久守作 伊部片口注器 1点
多久守作 伊部酒盃 1点
多久守作 伊部小壺 1点
  多久さんの伊部手作品4点のご紹介になります。
  濃厚な胡麻の景色に墨色に発色した伊部手がとても美しい仕上がり。
  非常に見ごたえのある作品ですよ。
  自然釉の複雑な表情は見ていて飽きませんね。
  造形も美しく、伊部手を存分に楽しんでいただけるアイテムです。
  この機会にいかがでしょうか。
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ari0921 · 1 year
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我が国の未来を見通す(63)
「気候変動・エネルギー問題」(28)
「気候変動・エネルギー問題」(総括)〔後段〕
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
先週、連休を利用して島根県を訪問し、出雲大社を
特別参拝させていただきました。私などが詳しく解
説する必要はないと考えますが、ご案内いただいた
禰宜(ねぎ)が神話に基づき解説してくれた大社の
歴史は、地上界を支配すべきは天照大神(とその子
孫)とし、地上を治めていた大国主命から話し合い
によって(戦争することなく)国を譲り受けました。
天照大神は、感謝の気持ちを込めて大国主命を祭神
とする出雲大社を建設されたとのことでした。
私自身は、『逆説の日本史』(井沢元彦著)などで
語られているような出雲大社の“いわれ”を知らな
いわけではありませんが、江戸時代の中ごろに再建
されたとされる国宝の現本殿や神話時代から語り継
がれている、東大寺の大仏殿を超える日本一の高さ
48m、階段の長さが109mに及んだとされる初
代本殿の威容などを知ると、禰宜の解説の方により
納得がいきました。
大国主命は、今では広く「えんむすび」の神として
人々に慕われていますが、この“縁”は男女の縁だ
けではなく、生きとし生けるものが共に豊かに栄え
ていくための貴い結びつきを指すそうで、我が国の
悠久の歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守ら
れ、目に見えないご縁を結んでおられるのだそうで
す。
このように、(正確にはわからないそうですが)3
000年に近い歴史が有する出雲大社の歩みをお聞
きすると、その歴史はけっして“神話の世界”では
なく、我が国の「国づくり」の歴史、そしてこの間
に出来あがった「国柄」、特に神話の時代から「和」
を重んじる国であることなどが改めて理解できまし
た。この精神がやがて聖徳太子の「十七条憲法」第
1条「和を持って貴しとなす」として具現化される
のでした。
私自身はこれまで全国各地、数多くの神社仏閣を参
拝させて頂く機会がありましたが、特に、淡路島の
伊弉諾(いざなぎ)神宮、高千穂神社、伊勢神宮、
宗像大社などにはそれぞれの神話があり、そのつど
納得し、このような歴史を持つ日本に生まれたこと
に誇りと感じ、言いようもない幸せ感を味わった経
験がありますが、今回はこれまでの経験に勝るもの
がありました。
終戦後、GHQの占領政策によって、我が国は、神
話を教育することを含めて戦前の歴史を全否定され
ました。しかし、世界を見渡せば、神話を含めて国
の生い立ちを教えない国はありません。ポツダム宣
言には「日本が世界征服を企てた」となっており、
我が国はこのような“汚名”を受け入れることを余
儀なくされましたが、500年の長きにわたり、世
界征服を企てたのは欧米列国であり、この流れに
「待った」をかけた国こそが我が国でした。
その上、本来、「和」を尊ぶ我が国の国柄が語り継
がれていた神話の中にも存在することをGHQのス
タッフは身抜けなかったのでしょう。もしこのよう
な我が国の本性を熟知していたら、あるいは日米開
戦などは起こらなかったのでは、と想像してしまい
ます。
島根県には、国宝・松江城や日本一の庭園美術館
「足立美術館」などもあって、あらためてこの地域
の歴史や豊かさを堪能しましたが、島根県のみなら
ず全国各地にその地域ならではの歴史や文化があり
ます。天変地異など様々な混乱を経験しても、それ
らを残していただいた先人たちにあらためて感謝申
し上げますと共に、今に生きる私たち世代もまた後
世に残し、伝える責任があることに思いが至りまし
た。
▼我が国のエネルギー政策の“落とし穴”
 
さて、最近の我が国は、気候変動・エネルギー問題
のみならず、「国益」を一顧だにせず、というか
「国益」という言葉自体も忘れ、国際社会、特に西
欧列国に追随するとか、周辺諸国と謝罪することな
どをもって“国是”としているような風潮があるよ
うな気がしてなりません。かつてのグローバル・ス
タンダードなどもその部類だったと考えます。
もちろん、戦前のように、「国際秩序への挑戦者」
となることは許されないですが、戦前の“贖罪意
識”が強過ぎるのか、様々な状況を冷静・沈着に判
断して我が国が歩む道として最適の選択肢は何か、
というプロセスそのものをスキップしているように
思えてならないのです。そのようなことを何度も繰
り返すと、「進むべき進路を誤った」とされる戦前
と同じ結果になり、後々に禍根を残す可能性がある
ことを危惧します。
これまでも「木を見て森を見ず」という言葉を使用
しましたが、現在の我が国は、あらゆる分野で「専
門家」と称される人たちが発言力を持ち、それゆえ
に、専門とする極めて狭い世界の事象に拘泥し、結
果としてその考えに翻弄されているような気がして
なりません。各界に“森が見えない人たちがなんと
多いことか“とつい思ってしまいます。
特に、気候変動問題においては、菅義偉内閣になっ
て、突然「脱炭素」を宣言し、まさに「国益」やそ
の実行の可能性より、国際社会追随の政策に転換し
たことはすでに紹介しました。当時から「エネルギ
ーは安全保障最優先にすべき」との声もありました
が、様々な事情もあったのでしょうが、“見切り発
車”しました。いったん舵を切ると、トランプ前大
統領のような強いリーダーが出現しにくい我が国に
あっては、軌道修正がますます困難になることは明
白なのです。
また、「ブレーキをかけることを忘れた高齢者の運
転のように」と表現しましたが、アクセルばかりを
踏み込み、ついには「一石三鳥」のような勇ましい
キャッチコピーまで飛び出しました。国を挙げた勇
ましい政策には必ずその“副作用”があることを我
が国は長い歴史の中で何度も経験しましたが、その
ような歴史を学び、あるいは各方面からの警鐘を鳴
らす発言に耳をそばだてるような感性は、首相をは
じめ、政治家や官僚の皆様にはなさそうです。
政府が唱える政策に協力するのは当然としても、様
々な思惑をもって「脱炭素」政策に便乗する人たち
は、いったい全体、地球にとってCO2とは何なの
か、本当に異常気象なのか、地球温暖化は進んでい
るのか、それらの原因が人為的CO2の排出にある
のか、さらには、「脱炭素」は可能なのか、そのコ
ストはどれほどかかるのか、CO2を削減すること
が地球にとって本当によいことなのか、その上で、
自分たちのやろうとしていることは本当に日本のた
め、地球のためになるのか・・・などを考えたこと
があるのでしょうか。
おそらくそのような思考は停止したまま、「政府が
奨励しているから」「国連(あるいはIPCC)が
言っていることだから」「皆、やっているから(や
らないと取り残されるから)」と自らを納得させる
・・・私の周りにもそのような人がたくさんおりま
す。なかでも、金儲けの絶好の機会と野心的な思惑
を持つ企業関係者にあっては、その真実の解明より
「お金になるならなんでもよい」くらいの感覚なで
しょう。
民主主義とは���誤解を顧みず話せば、主権者たる国
民の大多数の支持があれば何でもできるし、何をや
ってもよい政治形態です。バラマキと言われようが
刹那的と言われようが、支持率さえ確保できればよ
いと考える政治家が政策を断行し、その結果、主権
者が喜べば、世の中は丸くおさまり、波風は立たな
いのです。
地球温暖化とは裏腹に、「100万年にわたる地球
の気温推移の歴史をみると、人間の出すCO2など
とは全く無関係に一定のリズムを刻んでいる」とし
て、「実際の地球は寒冷化に向かっている」との考
えを持つ人たちも少なくないですが、その寒冷化を
防止するためは、温室効果ガスが必要不可欠であり、
その主体はCO2になることでしょう。
何も考えずに「脱炭素」に協力していている人は、
かつての氷河期のように地球上の生命体そのものを
脅かすことに加担しているという考え方もできるの
です。
▼実行の可能性とコスト意識
さて我が国は、中国などの発展途上国と比較して、
先進国としてエネルギーを消費した歴史が古いこと
は間違いないですが、それでも1970年代に2度
体験した石油ショックから立ち直るために、並々な
らぬ“省エネ”努力を積み重ねてきました。その結
果、実質GDP当たりのエネルギー消費は世界平均
を大きく下回る水準を維持しており、インドや中国
の5分の1から4分の1程度の少なさであり、最近、
省エネが進んでいる欧州の主要国と比較しても遜色
ない水準となっていることも紹介しました。
つまり、すでに省エネに取り組み、それをもって過
度にCO2排出を排出しないという長い歴史があり
ます。そして、生活空間からしても“ウサギ小屋”
と揶揄されるようなつつましやかさも現存し、今と
なっては他国に誇るべきことですが、だからこそ、
これから先、さらに省エネを推進し、CO2排出を
削減することは至難の業だということもいえるでし
ょう。
これもすでに紹介したように、環境省の発表では、
これまで国と地方自治体合わせて30兆円の経費を
投入し、今後は税金で20兆円を投入して150兆
円の投資を呼び込むと皮算用していますが、すでに
省エネを推進し、CO2排出は地球全体の3%ほど
に留まっている我が国にあっては、仮に2050年
に「脱炭素」を実現したとしても、その効果は測定
できないレベル(試算では0.0008℃度程度)
にしかなりません。
最近、このような日本にあって、依然として現実的
な“良心”を有している機関を発見しました。経済
産業省系の研究機関といわれる「公益社団法人地球
環境産業技術研究機構」(RITE)です。RIT
Eはまず、「2030年にCO2を46%削減する
ためにGDP損失が30兆円発生する」として、2
0兆円の実質増税を含み、政府が考えるカーボンプ
ライシングは「経済への足かせになる」と警鐘を鳴
らします。
RITEはまた、「2050年に『脱炭素』を実現
するためには、技術面やコスト、自然制約・社会的
制約などの様々な面で課題や制約を乗り越えること
が必要であるが、技術革新などの進展には大きな不
確実性が存在するため、30年後の姿を具体的に見
通すことは困難である」とし、さらに、電力分野の
みならず非電力分野の技術を実装しない限り、「2
050年の『脱炭素』は極めて困難である」と結論
づけています。
この結言を導くために、RITEは電力構成につい
て5つのシナリオを取り上げて検証していますが、
なかでも再エネ100%のケースでは、電気料金が
2倍になることも試算しています。
東京都は、情緒的な判断だけでその効果もろくに検
証しないまま、都内の新築戸建住宅に太陽光パネル
の設置を義務化し、そのための支援制度を新設する
ということが話題になりました。この支援のための
経費は都民税から流用されることは間違いないでし
ょう。気候変動対策とか「脱炭素」を目的にすると、
コスト意識が頭から離れてしまいがちですが、その
コストは最近話題の電気料金の値上げだけではなく、
石油やガソリンなどの燃料代、そして所得税や地方
税などにも含まれることも再認識する必要があるの
です。
▼「脱炭素」と安全保障
さて、太陽光発電は国内の広大な土地を中国など外
国資本が買いあさる格好の材料になっていることも
指摘しました。最近、中国がアメリカ国内の農地を
購入し、アメリカが警戒していることが話題になっ
ていることも付け加えておきましょう。その面積は、
現時点では1554haほどで、1位のカナダや2
位のオランダなどには及ばず第18位、農地全体の
0.9%に留まっているようですが、高い伸び率で
農地が増えていることに加え、日本を含め、世界規
模で農地を買いあさっていることもあって、アメリ
カ国内では余計に警戒感を増大させているようです。
再エネを推進しようとするとコストがかかる。コス
トを削減しようとすると中国製の太陽パネルを使用
する必要がある、あるいは、太陽光発電のために中
国資本を招へいする必要がある、招へいすればする
ほど、中国資本の森林や農地が増える、増えれば増
えるほど安全保障上の問題に懸念が残る・・・。
上記のサイクルで何を優先すべきかは明らかなので
すが、「脱炭素」以外に盲目になっている人たちに
は、国内の森林や農地が外国資本に買収されること
に危機意識を持たないことが問題なのだと考えます。
前回、地球温暖化の提唱者たちの当初のシナリオが
狂っているのではないか、と指摘しましたが、我が
国にあっては、補助金付きで、中国資本を招き入れ、
国内はおろか、中国の世界戦略に加担するようなこ
とになるのだけは何としても避けたいものです。政
府の早急な英断が求められると考えます。
私は、「脱炭素」などのような“絵空事”(あえて
こう表現します)を根本から見直し、エネルギーの
安定確保(しかもなるべく安価で)を最優先するこ
とを提言したいと考えますが、読者の皆様はどう考
えるでしょうか。
▼まとめ
 
さて、本メルマガで取り上げました我が国の「少子
高齢化問題」「農業・食料問題」「気候変動・エネ
ルギー問題」には共通の要因があり、これらの問題
を抜本的に解決するためには、それぞれ小手先では
なく、国家レベルの根本からの「改造」が必要と考
えます。それらは、国防とか防災なども共通してい
ることでしょう。
本メルマガ「我が国の未来を見通す」は、「我が国
の歴史を振り返る」の後継として発信しているもの
ですが、この後、本メルマガの総括として、我が国
の歴史から学ぶ「知恵」を活かしながら、我が国の
将来に立ちはだかるであろう“暗雲”にいかに立ち
向かうか、について読者の皆様と一緒に考えていき
たいと思います。
しばらく整理と充電の時間を頂いたのち、第4編
「『強靭な国家』をつくる」(仮称)を題して、日
本を守り抜き、日本の未来を創造するための様々な
「知恵」について発信していきたいと計画していま
す。請うご期待!
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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nakatani-seminar · 21 days
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【〈千年村〉研究ゼミ】 前期活動報告⑸〜小調査篇
こんにちは。千年村研究ゼミM2の呉です。
今回は7月に実施した<千年村>小調査 in 日光について報告します。
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ヒアリングの様子 in 芦沼集落(2024年7月M1若佐撮影)
・はじめに:小調査とは
千年村研究ゼミでは、毎年3~5日間の大調査を行うことがルーティーンとなりつつあります。大調査では、様々なことを学べるだけでなく、ゼミ員同士の仲も深まる大事なイベントです。しかし、「もっと気軽に調査をしたい」という要望もあり、今年度からゼミ長碓井を中心に「小調査」なるものをはじめることにしました。その基本的な方針は次の通りです。
1. 調査は2日以内で終わるようにする。
2. 準備は少人数で行い、ゼミ員の負担を軽減する。
3. できるだけゼミ員の研究(修論・卒論)に役立つようにする。
また、千年村研究の活動は今後、韓国など海外にも展開される可能性をもつため、国内の千年村を調査することで、相対的にみる視座を養うことも重要な点です。
先日ご紹介したプレ疾走調査もその一環です。今回は、日光を中心とした栃木県の集落の調査について、概要を簡単にご紹介します。
・調査概要
以下が簡単な調査概要です。
日程:2024年7月23日(火)
参加人数:8名(M2:3名、M1:1名、B4:4名)
調査目的:
1)プレ疾走でみた石の多目的な利用を伊豆以外の地域で確認する。
2)東山道や古代国府に関連する集落から古代の痕跡が今にどのように残っているか探索する。
3)B4北澤の卒業研究の対象である「日光東照宮」の調査を兼ね、そこに至るまでの街道の様子なども確認する。
4)美味しい餃子を食べに行く
上記を踏まえ、B4北澤、M2碓井、呉を中心に調査を企画・実行しました。B4の北澤君は、プレ疾走を機にゼミに参加をしたにも関わらず、調査地の選定などに積極的に協力してくれました!
・当日の流れ
下図は当日の我々の動きのGPSログです。(栃木県中部より記録。白線は県境。筆者作成。)
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詳細なタイムスケジュールは以下の通りです。
8:00 高田馬場駅集合
10:30 国府跡地を通過
11:00 国分寺付近琵琶塚古墳を調査
13:00 昼食(小代行川庵にて)
15:00 日光東照宮・日光二荒山神社見学
17:20 芦沼集落調査(地元住民にヒアリング)
19:00 夕食(宇都宮市内にて)
20:30 宇都宮二荒山神社周辺散策
23:00 高田馬場駅解散
調査期間が短い中、無事に全員が帰ってくることができました。以下に各調査地でみたものや感じたことを簡単に紹介します。
〇琵琶塚古墳
国府(古代の地方行政府)跡地が残念ながら休みということで通過し、その付近にある琵琶塚古墳を訪れました。姿川と思川の間に挟まれながらも水害リスクの低い微高地にあり、権威をしめすものとして、田畑が周辺に広がり、人々が視認できる場所にあることを古墳に登ったり、その周りを歩くことで確認しました。また円部分にある祠は禁足地として崇拝されていましたが、博物館を伴うなど周辺住民ではなく、公共的に整備されているようでした。
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白地図に洪水浸水想定区域(想定最大規模)を重ねたもの(出典:「地図からみつける-千年村プロジェクト」http://mille-vill.org/%E5%9C%B0%E5%9B%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%BF%E3%81%A4%E3%81%91%E3%82%8B
最終閲覧日:2024/9/4)
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古墳上部からみた周辺地域(2024年7月B4安藤撮影)
〇日光東照宮・日光二荒山神社
昼食場所との関係で、日光街道ではなくその脇街道の壬生街道を通って日光東照宮へ向かいました。
北澤くんに日光東照宮の装飾を解説してもらいながら、その職人の技を体感しました。彼曰く、
「唐獅子、龍馬、息といった、大きめの彫物の目線が参拝者に向けられており、迫力があった。これは実際に訪れなければ気づけない特徴だと思う。」
とのことです。
他にも式内社の一つと考えられている日光二荒山神社を見学しました。
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一本だけ装飾が逆になっている陽明門の柱(2024年7月B4碓氷撮影)
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陽明門を中心に多くの観光客でにぎわっていた(2024年7月B4小谷撮影)
〇芦沼集落をはじめとした栃木の石蔵
夕食前に大谷石の蔵が多く残存しているとされる芦沼集落を調査しました。住民の方にヒアリングを行い、石蔵の内部の構造を見させていただいたほか、現在の暮らしや��域の現状についても教えていただきました。
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日光街道徳次郎町付近に突然現れる石の蔵(両側にあるが、庇の出等の違いが確認できる。2024年7月M2呉撮影)
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上田集落付近の大谷石の建築(横に長く、近代的なガラス窓がついている。2024年7月B4小谷撮影)
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上田集落の大谷石の倉庫(妻側に庇があり、シャッターがある。2024年7月B4碓氷撮影・車窓より)
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上田集落付近の並列する大谷石の蔵(右側の蔵は大谷石をタイルのように張っているのではないか 2024年7月M2呉撮影)
・終わりに
簡単ではありますが、第一回小調査の報告をさせていただきました。
当初の予定通りスケジュールを実行できなかった点は反省点ですが、集落の現状から古代の痕跡まで現存する栃木の歴史を体感できました。
次回は8月末に行った韓国<千年村>調査について報告予定です。お楽しみに!
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kuribayashisachi · 1 year
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勉強メモ
野口良平『幕末的思考』
第3部「公私」 第1章 再び見いだされた感覚──第三��ミッシングリンク1~4 ③
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勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第3部「公私」 第1章 再び見いだされた感覚──第三のミッシングリンク1~4 ③
(あくまでわたくしのメモですので、読み間違っているところも大アリとおもいます)
■前回までのおさらい
① 明治の三傑の後を継いだ伊藤博文は、「今の国民には憲法を考えるような頭はない」と判断。ブレーンと共に秘密裏に憲法を草案し、これを天皇から国民に下すことに。 それと同時に、国民たちに天皇への信仰を浸透させることで「国民意識」をもたせようと、「教育勅語」を発布。全国の小学校に「教育勅語ください」と言わないといけないような雰囲気を演出する。
この政府のやり方に対して、思想家たちはどう対抗したか、
②と③で中江兆民と、福沢諭吉の思想的格闘が紹介される。
②中江兆民は『三酔人経綸問答』を書いて、「理想主義の洋楽紳士」、「侵略主義の豪傑くん」、飲んだくれの思想家「南海先生」の3人が、これから近代日本がどうなるべきか意見を戦わさせてみた。けっきょく正解は出ないのだが、簡単ではない民主主義の難題を、絶えず語り合わねばならないことを提示した。
で、今回は、
③福沢諭吉が最晩年に書いて、友人と、自らが批判した勝海舟、榎本武揚にだけ送った(死語に新聞に掲載)「瘠我慢の説」です。
■ 「天保の老人」福沢諭吉
国会と憲法が準備されつつあったこの明治20年代初頭、「幕末を知らない」若い世代の論客が登場し始めていた。
20代の徳富蘇峰(徳富蘇峰というと、弟の蘆花と違ってごりごりの国粋主義ジジイという印象がありますが、最初は自由とか民権をまじめに考える人だったみたい)などがぶいぶいいわすようになる。 「天保の老人はひっこめー」みたいな論調も。
だけど、 伊藤博文たちによる「上からの憲法」の危なさを鋭くかぎとり、問題点を書き記したのは、若い徳富蘇峰たちではなくて、「天保の老人」である福沢諭吉だった、そうです。
『痩我慢の説』を紹介する前に、
私が個人的にちょっと思ったのは、これはどっちかというと社会的に強い立場の人、エリートの人たちに向けた提言だろうな、ということです。
人生ですっと虐められたり踏みつけられ通しで、もう我慢も限界!!(現代日本人にはこの状態の人が多いと思う)の者からみたら、「は? 痩せ我慢? それどこじゃねえ!」 「寝ぼけてんのかこの1万円おやじ!」と思うかもしれません。
なので、そう思うのはちょっと脇へ置いて、いまはひとまず福沢の鋭さのポイントを聞きましょう。
やっぱり福沢は、凡百の“上から目線おじさん”ではないのです。
■公は私情
人間は自由だ。
でも、強い人も弱い人も、誰もが住みよい世の中をつくるのには、法(ルール)が必要だ。 なのだけど、「ルールが必要。強い人たちも弱い者イジメをする自由を手放し、従いなさい!」という理屈の根本は何か。それは自由の侵害にならないのか。
ルソーと中江兆民は、それは強者だけが自由を謳歌する、力づくの「自然状態」がまずいからだ。と位置づけた。 だが、それだけだろうか。 (ここ、じつは未消化です)
福沢は「痩我慢の説」でこういっているそうだ。
「公をつくるのは私情だ」と。
え? なになに?
私情とは、何かというと……
「そんなのおかしいよ、そういうのってよくないと思う」という、状況に対する個人の気持ち。
これを 「感情的になるな」とか 「現状はこうなんだから仕方ない、この方が便利だしうまくいく、変なことにこだわるな」 「うるさい」「意地を張るな」 といって退けてしまっていいのか。
損得利害、大義名分からだけつくられた法は、「悔しい思いをする人たち」からのチェックが働かなければやがて一人歩きするだろう。 (そんなこと著者はいってないかもしれません) 気がついたら誰にも便利じゃなくて悲惨な状態に追い込まれているかもしれない。
ここへきて、戊辰戦争の時、江戸の街を戦火から守った勝海舟を、著者があまり評価していないようだった理由がわかってくる。
勝海舟は、戦争を止めたのは偉かったし、そのおかげで、日本列島は欧米列強の食い物にならないですんだのかもしれない(内乱が泥沼になったら、フランスが幕府に、イギリスが薩長について内乱を助長し、その結果、日本列島を植民地に分割(山分け)……なんてことになってたかもしれない)
けれど「そんなの理不尽だ!」と勝てる見込みがないのを承知で抵抗せざるを得なかった幕臣方の思い(私情)を、無価値にしてしまったことには、勝海舟は責任がある、と。
戦争は極力避けるべきだが、かれらを「益のない戦争をした時代遅れの人」とくくってしまうなら、それは何か大事なものを見失うことになるだろう、と。
福沢の言う「痩我慢」とは、「おかしいだろ」と思うときに、「その方がトクだから、ま、いいか」という方をあえてとらず、損をこうむっても「いやだ、そんなのおかしい」という姿勢を大事にすること。
福沢は、消されようとしている「幕末の経験」を次世代に伝えなければと思ったに違いない、という。
黒船に迫られ、古い身分制度の社会に限界を感じ、行動し考えた幕末の人々は、《「私」意外に何一つ支えがない場所》にいた。
そのことを忘れないでほしい。と。
上から「与えられた」憲法に「おい、ちょっと待てよ」と疑問を感じ、口にすることを忘れないでほしい、と。 このあぶない顕密システムを見はるには、この姿勢こそが大事なのだ、と。
■これはあれだ!
「そんなのおかしいだろ!」 という私情から始まってこそ、理のある「公」が育つのではないか。という、哲学者ならではの省察。
それでハッとしたのですが、
この「私情」ってやつ、あれじゃないですか!
福沢の死後、70年。 「三食昼寝つき」 「家電は揃ってるし、インスタント食品は出てるし、女は極楽だろ、何の不満がある?」 「永久就職、いいねえ」 といわれ、それでも 「おかしい、なんかいやだ」 と言い合ったウーマンリブたちの合い言葉。
「個人的なことは社会的なこと」
もちろん、ウーマンリブの考えは、苦しみ、必然から生まれたもので、おそらく福沢諭吉の影響なぞは受けていないだろう。
むしろ、福沢がすごいのはそこかもしれない。 70年も前の“上から目線おじさん”(デフォルトマン)でありながら、この真実を見いだせたってこと。
福沢は「日本の女は売春婦になって海外へ繰り出せ」(?)とか言って、心ある女性たちに嫌われてるし、私も全然興味がなかったのですが、決して一面からだけで判断できる人ではないし、書き残した者もたくさん校訂つきで残っているのに、それをまるで読まないなど、下からの“上から目線”といわれてもしかたない、と反省しました。
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marukan4900 · 3 years
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【まるかんのお店 長坂商店より耳寄りな情報】 (宇野隊まるかん本部提供) 龍神の誓い ☆われわれ龍神隊は 太陽の如ごとく闇を照らし 人々を幸せにみちびく 火の鳥になることを 誓います 一同かちどき エイ、エイ、オー、 エイ、エイ、オー、 エイ、エイ、オー、以上 ☆本日、出陣にあたり、 全国各地から、たくさんの援軍がかけつけてくれましたー。 龍神隊は、一歩もひくことはありません。 左足、一歩まえ 左手、腰 右手、かまえ! やるぞ、やるぞ、やるぞ、×3回 どとう、岩をくだけ! いなづま、闇をきりさけ! 龍神隊、出陣!! 以上! 龍神隊、出陣にあたり、 全国各地より、援軍がかけつけてくれました。 北海道隊、出陣! 霊峰、大雪山に守られて、蝦夷の国より援軍。 青森隊、出陣! 霊峰、八甲田山に守られて、陸奥の国より援軍。 岩手隊、出陣! 平泉より、猛将、源義経、南部の国より援軍。 秋田隊、出陣! 霊峰、鳥海山に守られて、猛将、佐竹義宣、羽後の国より援軍。 山形隊、出陣! 霊峰、出羽三山に守られて、猛将、直江兼続、羽前の国より援軍。 宮城隊、出陣! 東北の覇者、猛将、伊達政宗、陸前の国より援軍。 新潟隊、出陣! 猛将、上杉謙信、越後の国より援軍。 福島隊、出陣! 霊峰、磐梯山に送られて、白虎隊、磐城の国より援軍。 栃木隊、出陣! 猛将、足利尊氏、下野の国より援軍。 群馬隊、出陣! 霊峰、赤城山に送られて、上野の国より援軍。 茨城隊、出陣! 無敵の騎馬軍団。猛将、平将門、常陸の国より援軍。 埼玉隊、出陣! 軍神、日本武尊、武蔵の国より援軍。 長野隊、出陣! 三途の川の渡し賃。六文��を押し立てて、猛将、真田幸村、信濃の国より援軍。 千葉隊、出陣! 猛将、本多平八郎忠勝、上総の国より援軍。 東京隊、出陣! 旗本八万騎を先頭に、猛将、徳川家康、江戸表より援軍。 山梨隊、出陣! 風林火山を押し立てて、猛将、武田信玄、甲斐の国より援軍。 神奈川隊、出陣! 関東の覇者、北条早雲、相模の国より援軍。 富山隊、出陣! 霊峰、立山を押し頂き、猛将、佐々成政、越中の国より援軍。 岐阜隊、出陣! 金華山に送られて、猛将、斎藤道山、美濃の国より援軍。 静岡隊、出陣! 日の本一、霊峰、富士に守られて、駿河の国より援軍。 石川隊、出陣! 加賀百万石、猛将、前田利家、加賀の国より援軍。 福井隊、出陣! 猛将、柴田勝家、越前の国より援軍。 愛知隊、出陣! 猛将、織田信長、尾張の国より援軍。 滋賀隊、出陣! 比叡嵐に波すさぶ、琵琶湖の風に送られて、近江の国より援軍。 奈良隊、出陣! 日の本一、大仏殿に守られて、大和の国より援軍。 三重隊、出陣! 朝焼けの、伊勢神宮に守られて、伊勢の国より援軍。 和歌山隊、出陣! 熊野古道をひた走り、那智権現に守られて、紀伊の国より援軍。 京都隊、出陣! 千年の古都より、猛将、平清盛、山城の国より援軍。 大阪隊、出陣! 朝日に輝く、千成瓢箪、太閤秀吉、浪速の国より援軍。 兵庫隊、出陣! 播磨灘、六甲山に守られて、猛将、楠木正成、千早城より援軍。 鳥取隊、出陣! やけつく砂丘をひた走り、因幡の国より援軍。 岡山隊、出陣! 猛将、宇喜多直家、備前の国より援軍。 広島隊、出陣! 宮島の赤い鳥居に送られて、猛将、毛利元就、安芸の国より援軍。 島根隊、出陣! 八百万の神、出雲大社に守られて、出雲の国より援軍。 山口隊、出陣! 騎兵隊を先頭に高杉晋作、長門の国より援軍。 愛媛隊、出陣! 千機の船を押し立てて、海の王者、村上水軍、伊予の国より援軍。 香川隊、出陣! 金毘羅大権現に守られて、讃岐の国より援軍。 徳島隊、出陣! 鳴門の渦を押しわたり、猛将、蜂須賀小六、阿波の国より援軍。 高知隊、出陣! 海援隊を先陣に、坂本龍馬、土佐の国より援軍。 福岡隊、出陣! 豪傑、後藤又兵衛を先陣に、猛将、黒田官兵衛、筑前の国より援軍。 大分隊、出陣! 佐賀関、豊後水道、押しわたり、豊前の国より援軍。 佐賀隊、出陣! 荒れ狂う、玄海灘を押しわたり、肥前の国より援軍。 長崎隊、出陣! 大地より、赤い火を噴く普賢岳。肥前の国より援軍。 熊本隊、出陣! 熊本城に送られて、猛将、加藤清正、肥後の国より援軍。 宮崎隊、出陣! 蹄の音を響かせて、怒涛の快進撃。日向の国より援軍。 鹿児島隊、出陣! 真っ赤に燃える桜島、猛将、西郷隆盛、薩摩の国より援軍。 沖縄隊、出陣! 波濤万里、守礼の門に送られて、琉球王国より援軍。 以 上 おかげさまで七周年 まるかんのお店 長坂商店 0532-52-0774 (まるかんのお店 長坂商店 豊橋市・chicago) https://www.instagram.com/p/CT6f7mtPxL4/?utm_medium=tumblr
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xf-2 · 4 years
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1989年(平成元年)7月、韓国当局に対して、 韓国の民主化運動で逮捕された在日韓国人政治犯29名の釈放を求めるという趣旨の要望書が、 当時の日本社会党、公明党、社会民主連合、無所属の議員有志133名の署名とともに韓国政府へ提出された。 日本社会党 衆議院 阿部未喜男、五十嵐広三、池端清一、石橋大吉、石橋政嗣、伊藤茂、伊藤忠治、稲葉誠一、井上泉、井上一成、井上普方、岩垂寿喜男、上田哲、上田利正、上原康助、大原亨、大出俊、緒方克陽、岡田利春、小川国彦、奥野一雄、小澤克介、加藤万吉、角田堅次郎、河上民雄、河野正、川崎寛治、川俣健二郎、木間章、上坂昇、小林恒人、左近正男、佐藤観樹、佐藤敬治、佐藤徳雄、沢田広、沢藤礼次郎、渋沢利久、嶋崎譲、清水勇、城地豊司、新村勝雄、新盛辰雄、関山信之、高沢寅男、田口健二、竹内猛、田中恒利、田邊誠、田並胤明、辻一彦、土井たか子、戸田菊雄、永井孝信、中沢健次、中西績介、中村茂、中村正男、野口幸一、野坂浩賢、馬場昇、早川勝、広瀬秀吉、細谷治通、堀昌雄、前島秀行、松前仰、水田稔、三野優美、武藤山治、村山喜一、村山富市、安田雄三、山口鶴男、山下八洲夫、山花貞夫、吉原栄治、渡部行雄 参議院 青木薪次、赤桐操、穐山篤、秋山長造、一井淳治、糸久八重子、稲村稔夫、及川一夫、大木正吾、大森昭、小川仁一、小野明、梶原敬義、粕谷照美、久保亘、久保田早苗、小山一平、佐藤三吾、志苫裕、菅野久光、鈴木和美、高杉延恵、千葉景子、対馬孝且、中村哲、野田哲、浜本万三、福間知之、渕上貞雄、松前達郎、松本英一、丸谷金保、村沢牧、本岡昭次、八百板正、安恒良一、安永英雄、矢田部理、山口哲夫、山本正和、渡辺四郎 公明党 衆議院 小川新一郎、鳥居一雄、西中清 参議院 猪熊重二、塩出啓典、和田教美 社会民主連合 衆議院 江田五月、菅直人 参議院 田英夫 無所属 衆議院 安井吉典(社会党系) 参議院 青島幸男、宇都宮徳馬、喜屋武真栄、山田耕三郎 要望書の内容 私どもは貴国における最近の民主化の発展、とりわけ相当数の政治犯が自由を享受できるようになりつつあることを多とし、さらに残された政治犯の釈放のために貴下が一層の主導権を発揮されることを期待しています。 在日関係のすべての「政治犯」とその家族が希望に満ちた報せを受け、彼らが韓国での社会生活におけるすぐれた人材として、また日韓両国民の友好のきづなとして働くことができる機会を与えて下さるよう、ここに心からお願いするものであります。 1989年 大韓民国盧泰愚大統領貴下 日本国国会議員一同 北朝鮮工作員・辛光洙について、 原敕晁さん拉致容疑の主犯として、また横田めぐみさん等の拉致の実行犯。現在は北朝鮮で英雄としての待遇。 辛容疑者、関与4人目 めぐみさんも拉致 曽我さん証言 昭和五十二年の横田めぐみさん当時(13)拉致事件について、 帰国した拉致被害者の曽我ひとみさん(46)が、実行犯の一人は北朝鮮元工作員、 辛光洙(シン・グァンス)容疑者(76)警察庁が国際手配だと 関係者に証言していたことが五日、分かった。 辛容疑者が関与、もしくは関与の疑いが浮上した被害者は四人目。 これまでの捜査や被害者の証言などから一連の拉致事件の構図がより鮮明になってきた。 政府は改めて北朝鮮側に辛容疑者らの身柄引き渡しを求める方針。 めぐ���さんの翌年に拉致された曽我さんは、めぐみさんと同じ招待所で暮らし始めた。 関係者によると、招待所で二人の朝鮮語や思想教育を担当したのが辛容疑者で、 曽我さんはその際、辛容疑者から直接、「横田めぐみを連れてきたのは私だ」と聞かされたという。 警察当局もこの情報を把握している。 辛容疑者は五十五年六月、大阪市の中華料理店員、原敕晁(ただあき)さん同(43)を拉致。 原さんに成りすまし、旅券を取得したとして、平成十四年七月に警視庁が旅券法違反容疑などで 逮捕状を取り、警察庁が国際手配した。 また、地村保志さん(50)、富貴恵さん(50)夫妻が帰国後の福井県警の事情聴取に 「実行犯の一人は辛容疑者だった」と証言したことから 警察当局は国外移送目的略取容疑を視野に捜査している。 蓮池薫さん(48)、祐木子さん(49)夫妻は、警視庁が六十年三月に旅券法違反などの容疑で指名手配した 「朴」と名乗る極東地区工作員の写真を見て、実行犯の一人であることを指摘。 五十二年九月の久米裕さん同(52)拉致を指揮したのは 朝鮮労働党元幹部で工作員の金世鎬容疑者(76)だったことが判明している。 欧州で拉致された有本恵子さん同(23)ら三人の拉致には 「キム・ユーチョル」と名乗る工作員とよど号犯や妻の関与が指摘されている。 (産経新聞) - 2006年1月6日2時35分 日本の警察は2006年2月23日、国外移送目的略取と国外移送の疑いで再度逮捕状を取得、 同3月3日、重ねて辛光洙を国際指名手配し、北朝鮮に身柄の引き渡しを求めている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E5%85%89%E6%B4%99 http://nyt.trycomp.com/hokan/0025.html
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774 · 5 years
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和議条件の内、城の破却と堀の埋め立ては二の丸が豊臣家、三の丸と外堀は徳川家の持ち分と決められていた。 城割(城の破却)は古来行われているが、大抵は堀の一部を埋めたり土塁の角を崩すだけ、城郭の一部の破壊については外周の外堀だけを埋めるという儀礼的なものだった。しかし徳川側は松平忠明、本多忠政、本多康紀を普請奉行とし、家康の名代である本多正純、成瀬正成、安藤直次の下、攻囲軍や地元の住民を動員して突貫工事で外堀を全て埋めた後、一月より二の丸も埋め立て始めた。二の丸の埋め立てについては相当手間取ったらしく、周辺の家・屋敷を破壊してまで埋め立てを強行した。講和後、駿府に帰る道中家康は埋め立ての進展について何度も尋ねている。工事は23日には完了し、諸大名は帰国の途に就いた。この際、門や櫓も破壊されている。 幕府方は「惣」の文字を「すべて」の意味に曲解し、強硬的に内堀まで埋め立てる卑劣な手段を使ったとされてきたが、この話は後代に記された書物にしか記載されておらず、当時の第一次��料の中には確認できない。さらに、この工事に関係した伊達政宗・細川忠利ら諸大名の往復書状などを見ても、埋め立て工事を巡り大坂方との間で揉め事が発生しているような形跡が見つからず「惣構の周囲をめぐる外堀のみならず、二の丸と三の丸を埋め立て、これらの地を壊平するというのは、大坂方も納得していた、幕府と大坂方との当初からの合意に基づくものであった」といえる[31]。
大坂の陣 - Wikipedia
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lvdbbooks · 5 years
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2019年9月19日
【新入荷・新本】
『STUDIO VOICE スタジオボイス vol.415』(INFASパブリケーションズ、2019年)
価格:537円(+税)
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特集 We all have Art. 次代のアジアへ——明滅する芸術(アーツ) 過去も未来も、伝統も革新も、都市も田舎も、富裕も貧困も、外部も内部も。 アーティストたちはぐらぐら揺れうごく時代に、社会に、生活に、自己に翻弄されながら、 しかしそのさきに新たな実践を見出し、未来を切りひらこうと試行錯誤する。 動きつづけることでしか創造は生まれない。 創造することでしか可能性は生まれない。 光っては消え、消えては光る。 ちらつく視界の向こうには、私たちの知らない世界がぼんやりと浮かびあがっている。 この号で「アジア三部作」は最終章を迎える。 これで「終わり」ではない。 この明滅する松明を手にし、次代のアジアへと進んでいくのだ。
【CONTENTS】 ■特別抄録:ル・クレジオ『ビトナ、ソウルの空の下』 翻訳_中地義和 ・鳩に託された夢 文_中地義和 ■「集まること(コレクティブ)」の技法──インドネシアのアートコレクティブが照射するコミュニティの未来 ・「集まること」の、そのさきへ | 文_リアル・リザルディ ・つくりつづけるために「集まる」 | インタビュー●ruangrupa ・「エコシステム」を支えるものたち | インタビュー●GHH/Serrum ・ジョグジャカルタには何も見るものがない | 文_シャフィアトゥディナ ■「科学」と「幻想」のあいだで──中国SFはどこから来て、どこへ向かうのか ・わたしたちは、宇宙を目指さなければならない。 | インタビュー●劉慈欣(リウ・ツーシン) | 取材・文_樋口恭介 ・SF都市成都・『科幻世界』編集部をたずねて ・SFスタートアップ 八光分文化は、中国SFに新たな火を灯すのか? ■台湾パフォーミングアーツ、教育とプラットフォームをめぐるふたつの対話 ──日本と台湾をつなぐプロデューサー・新田幸生が尋ねた台湾舞台芸術の震源地 ■失い、ゆえに創造する──チョッケツする東南アジアの映画人(フィルムメーカー)たち | 企画_空族[富田克也+相澤虎之助] [カンボジア編] ・それぞれの再起動(リブート) | インタビュー●802Films/Tiny Toones/Anti-Archive ・記憶を記録する | インタビュー●ボパナ視聴覚リソースセンター [ラオス編] ・新たなラオス映画史はここからはじまる | インタビュー●Lao Art Media ・闘わないやり方で | インタビュー●Lao New Wave Cinema ■なぜ「新しく生まれる」のか?──「新生空間」が韓国若手アーティストにもたらしたもの | 文_紺野優希 ■硝煙のヴェール──タイ深南部の紛争地帯・パタニーに勃興したアートシーンを訪ねて | 文_小鷹拓郎 ■書かれる声──あるいは韓国文学が対峙しつづけるマグマ ・相克と鬱憤 | 対談●キム・ヨンス × チェ・ウニョン ・韓国文学探訪記 | インタビュー●韓国文学翻訳院/文芸誌『Littor』/書店コヨソサ | 取材・文_吉川浩満 ・詩は民のあいだに | キム・ヘスン/イ・ジャンウク/チョン・ハナ | 選出・訳・解説_吉川凪 ・空と風と星と詩 | 文_多胡吉郎 ・茨木のり子と韓国詩 | 文_斎藤真理子 ■パララックス・ビュー──マニラ、生活、天候、15年 ・8月のマニラ、ふたつのパン、少しさきの未来からきたお粥 | インタビュー●Goto Lechon Know/Load na Dito/Tessa Maria Guazon/SILVERLENS | 文_長谷川新 ・アーバン・プア・フィリピーノの戦略 | インタビュー●リーロイ・ニュー ・死なないで生きていくための | インタビュー●ターニャ・ヴィリャヌエヴァ ■香港──濡れた路面に咲く菜の花の、海 ・月歩の果て、銀幕(スクリーン)の映しゆくもの | インタビュー●オリヴァー・チャン・シゥクン/ウォン・ジョン/ジュン・リー | 取材・文_藤本徹 ■中国、写真をめぐるいくつかの実践──2010年代以降の表現・批評・出版・催事 | 写真_No.223 ・小さな生活を観察し、大きな環境と対話する | インタビュー●No.223 | 文_松本知己 ・写真から映像へ | 文_王歓 ・〈Jiazazhi Press〉主宰・言由(ヤンヨー)が見た中国インディペンデント出版の10年 | 文_言由 ・中国アートブックシーンの2大レーベル〈Same Paper〉と〈Bananafish Books〉の方法論 ■ベトナム大都市のビジュアルカルチャー | 企画・編集・デザイン_Rhetorica[太田知也+瀬下翔太] ・視線の脅威と路上の撮影 | インタビュー●トゥアン・アンドリュー・グエン ・蒸発するベトナム、アーカイブへの意志 | インタビュー●Art Labor Collective ・閉じた檻から抜けだして | インタビュー●GM creative/the yellow pot ・インディペンデントの矜持 | インタビュー●ダン・タン・ロン ・“対比"の街、ホーチミン | インタビュー●ヘニング・ヒルベルト ■コラム Alternative Art Practice from Asia 10の事例 1 「声」の文化とチベット文学 | 文_星泉 2 失われた「漫画」を取りもどすための20年 | 文_Mangasick 3 「閉ざされた国」に映画を、再び | 文_清恵子 4 ヤスミン・アフマドがマレーシア映画に残したもの | 文_エドモンド・ヨウ 5 4つの変化が示すベトナム映画の現在形 | 文_坂川直也 6 中国初の外資系出版社ができるまで | インタビュー●石川郁子 7 ミクロな文字が生む物語 | 文_福冨渉 8 リソグラフは、「コミュニケーション」する | インタビュー:O.OO/Corners 9 『攝影之聲』と台湾写真にまつわる2、3の事柄 | 文_李威儀 10 「デザイン」が必要とされるようになった10年 | インタビュー●A Black Cover Design ■Introduction: RUNUP4 ・インドシナのこと | 写真・文_園健 ・Relatives Voice | インタビュー_徳利 写真_伊丹豪 ■in fragments CONVERSATION●森永泰弘×井口寛×大石始/村山悟郎×シンスンベク・キムヨンフン COLUMN●ロバート・ミリス/大島托/土居伸彰 EVENT●エリック・クー×ブリランテ・メンドーサ×ガリン・ヌグロホ ILLUSTRATION●グ・ヒョンソン/沖真秀
http://www.studiovoice.jp/
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valiantlydarktiger · 5 years
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「国宝 東寺−空海と仏像曼荼羅」に行ってきました
2019/04/04
国宝 東寺−空海と仏像曼荼羅に行ってきました。東京国立博物館
京都で東寺は2回参拝、桜ライトアップの時にお背中も見たぜ余裕だぜ東京にいらっしゃいませー、とトーハク行ったのですが余裕じゃありませんでした。
東寺に初めて行った記事はこちら。
「アイドルのサイン色紙(出どころ不明)を崇めて記念館を作り、サイン色紙自体は劣化崩落してもう読めないがもはやその建物を愛する人の気持ちが尊い」と一周半してわけわからない尊さを大事にしていたら、突然「全員アイドル水泳大会、ファンのみんなと今日はいっぱいふれあいたい!」イベントに紛れ込んでしまって気絶するような場所だったのです、東寺。
外国留学した空海が、帰ってきたら政府主導のお寺の全面リニューアル任され、誰も見たことも体験したこともない、説得力ある空間をプロデュースしちゃったのが東寺です。
考えるまでもなく大金と技術者と人手と時間が必要なのに、まだ実現してない例のない計画を語ってスポンサーを納得させる空海の企画力政治力。
何より実現させて現代まで生きた寺として維持し続ける努力、人気。
いろんな圧でふらふらになったの思い出しました。
その圧がない。
トーハクで明るい場所に並んだ仏像の数々は、何も東寺と変わらないのだけど集団の圧迫感がなくて落ち着いて見られるのです。
舞台でパフォーマンス中のアイドルには見ているだけでとても近寄れないけど、握手タイムは対面で会話できる等身大の存在になるような(なぜ例えがアイドルばかり)(偶像(idol)だから)
一番等身大アイドルだったのは、この展示で完全にセンター扱いの帝釈天騎象像でした。
撮影可なのでみんなぱしゃぱしゃ…
言い方変えると、写的として囮として他の仏の盾になってくれてました。さすが武神。頼りになります。
第一部は仏画や空海の書、再現。
「墨強い」
絵が退色してなんとなくしか見えず、当時の彩色を想像するしかないのに、墨の字はくっきり。恐れ入りました。
十二天図と五大明王図並べた後七日御修法の道場再現。人払いしてもらって、この中に一人座ってみたくなります。
画軸、現役で利用しているものでもあるので期間限定で入れ替え制なのですが、いま上野にない軸は写真パネルで代用です。
この写真再現もまた素晴らしかったです。
…出張はみんな写真に任せてもいいんじゃないかと思うくらい。生��迫力感じたいけど劣化が進むなら無理に動かしたくない時に。
個人的にたぎるポイントは、説明の札。
日本語以外にも色々書いてありますが、「Indra」「Agni」とか書いてあってな…
さらっと通り過ぎてしまったのですが、もし数分静かに一人で過ごせるイベントがあるなら有償で参加したいです。そしてプレッシャーでぷちっと潰れるのだ。
第二部行きまして。
虚空蔵菩薩五体並んでお出ましでした。
菩薩自体はほぼ同じ顔同じお姿で正直見分けがつかないのですが、それぞれの乗騎が素晴らしいのです。ぶっちゃけ可愛い!
宝光虚空蔵菩薩が象。
業用虚空象菩薩が孔雀。
法界虚空蔵菩薩が馬。
金剛虚空蔵菩薩が獅子。
蓮華虚空蔵菩薩が金翅鳥。
…馬は普通にリアル。獅子はもう架空の生物でなかなかかっこいい。
スレンダーな孔雀と炎のように逆立ち渦巻く金翅鳥は対にしたい。
そして私は「象見たことない昔の日本人頑張った」像が大好きなのですが、こちらの象さんがまさにそれで、なんかもうほんとに頑張った!!!!
孔雀も羽根開いた豪華な姿ではなくしゅっとした姿だったので、羽根閉じた図しか見たことなかったのかそれともど派手で目立つのはこの場にふさわしくないと思われたのか…動物見てるだけで楽しいです(ということで菩薩をほとんど見ていない)(本末転倒)
部屋を移ったら、立体曼荼羅。
とりあえず撮影可の帝釈天騎象像行きますよね。
こちらの象さんも想像の象ですが、架空の象として洗練されてます。
背中側は壁だったので象さんのお尻は写真撮れず。
どうせみんな正面からかっこいい写真撮るので、変な角度で何枚か撮ってきました。
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帝釈天は今回の展示のセンター扱い、撮影可なのでお一方だけ離れた場所にあったのですが、写真は撮れるけれど立体曼荼羅に参加できない感じでちょっとさみしいです。
さみしいと言いつつ写真取り終わって、他の立体曼荼羅見に行きます。
東寺に比べたら狭い展示室ですが、祭壇がなく仏像だけ、360度みるスペースが確保してあるのでみっちり詰まってる感がありません。
東寺行ったとき、入り口に穏やか優しげ菩薩、中央に悟りを開いて超然とした如来、そして奥で穏やかでも超然でもわからない者は力尽くでとおっかない顔してる明王、四方で睨み効かせてる四天王、というありがたいやら恐ろしいやらのプレッシャーを感じず、好奇心むき出し興味本位でよくよく拝見できます。
軍荼利明王はアクセサリーと蛇さんの重ね付け、お一方だけ虎皮ファッション。大威徳明王は腕全部臨戦態勢なんだけど、跨がってる水牛は完全リラックスお座り、何ならしっぽで蠅追っ払っていそうなリアル(そして帝釈天の象さんより座ってても大きい)。降三世明王はどれだけ大自在天夫妻がいやそうな顔してるかを見てしまい明王を見るのを忘れ、金剛夜叉明王シンプル、だけど絵画の所にはたくさんあったなーと思い出したりしながらぐるぐる回ってました。
うん、圧は少なくて落ち着いてみられるのだけど、見るものたくさんありすぎて情報量多すぎて個々の印象など覚えていられぬ。再訪しないと足りないので、展示替えした頃にもう一度挑みます。
特設ミュージアムショップのおみや。
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虚空蔵菩薩と帝釈天の乗騎フレークシール!大小入ってて大変可愛らしいです。
十二天屏風の絵はがき。
…屏風型色紙もあったけど絵はがきでやってくれるとはありがたやありがたや。他にも曼荼羅グッズが充実してます。ジグソーパズルはなかった。
行きにキッチンカーでトーハクに来ていたバインミー。
パンのバリバリ具合が、口を痛めつける鋭さじゃないけどこぼれたパン屑がほぼコーンフレークの固さという奇跡のフランスパンにおいしい物をぎっちり挟んでもらいました。うまい!
トーハクの展示はとてもよかったのだけど香りが足りないので、とりあえずスパイス補充。
帰りにアメ横の摩利支天お参りしてお線香の香りを浴びてきました。ふー。
さて次はいつ行こう、というか、今出張中がらがらの東寺に行きたい気分が高まっております。展示でまだ来ていない図は写真パネルが代理を務めていましたが、仏像はどうなんだろう!
「王様撮影会おつかれー」
 撮影会じゃない、と、帝釈天インドラは韋駄天スカンダをたしなめるが、永遠の武神にして子神のスカンダは気にした様子もない。
「来たなら手伝え」
「尊敬する王様もおとさんも出張ってるところでお手伝いしたいのは山々閻魔様なんだけど!親の遺言で密教勢に近づいちゃならねえのです勘弁してください」
 破壊神シヴァの子であり火天アグニの子であるスカンダである。
 どっちの方見ても元気なのに縁起でもない、と、言い掛けてインドラはため息をもらす。
 降三世明王に恨めしく踏みつけられているのは大自在天と烏摩妃、インドでの名をシヴァとパールヴァティー。
 異教の神をも力尽くで仏門に引き入れる象徴として足蹴にされて数百年。
 そしてこの展示には来ていないが、同じくシヴァ家の息子ガネーシャも軍荼利明王や大威徳明王に成敗されているのだ。
「まだ踏まれてない俺だけでも逃げ延びろと、父母に言いつけられて中国に渡った俺は孔雀と離れて名を伏せて大陸をさまよい」
関さんと親しくして布袋さんと出会い、と、話が終わらないスカンダを、インドラは適当に遮る。
「手伝いに来たんじゃなければさっさと帰れ」
「手伝わないけど京都勢にお供え持ってきた。関東の飯は醤油味しかしないって文句言ってるだろうから」
 武神なのだが庫裏の守護神、ご馳走用意させたら誰より早くて正確な韋駄天である。
「せっかく来たから王様の撮影会キメ顔撮りまくってやる」
「撮られてやるから、人間達のフラッシュいじって止めてきなさい」
「もう止めた」
 えい、と、2ショット写真を撮って、一応確認してからスカンダはインドラを見上げる。
「王様いない間京都は任された」
「京都全体で見れば、数体が留守にするくらいだ、心配していない」
 ううん、と、スカンダは首を振って、最高にいい顔でにっこり。
「京都駅前ハンサム帝王不在の今!宇治の超絶美少年韋駄天様が京都一のイケメン!今年はいだてんyearだから日本は俺の物!」
 ごつ、と、インドラの金剛杵がスカンダの頭を小突く。
「いい子にしてろ!」
「大昔から今まですげーいい子だよ俺!」
「もう帰れ」
「お父さんとお母さんとおとさんにご挨拶してからー」
 曼荼羅の中から全部探すのめんどくさいよう、と、スカンダは文句を言いながら人混みの中に消えた。
 お父さんは大自在天、伊舎那天、大黒天。お母さんは烏摩妃。おとさんは火天で、曼荼羅にも独自画軸にもあるので、チェック大変です。
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ari0921 · 4 years
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和二年(2020)4月21日(火曜日)
 米国の失業率、4月初旬の2200万人は既に1931年レベル
  四月末には1933年レベルの懼れ、事実上の「大恐慌」だ
******************************
 リュック・モンタニエ(フランスの生物医学ノーベル賞受賞者)は、HIVの発見で有名。そのモンタニエ博士が、武漢ウィルスを「人工ウィルス」と断定するに至って、中国の武漢の生物化学兵器研究所から漏れたことは確実となった。
 欧米列強は、ほぼこの見解で足並みを揃えた。日本も「新型肺炎」とかの曖昧な表現をやめて、中国元凶説を主張しつづけよ。
 英首相も独首相もコロナに感染し、メルケルは独国民の60%が感染するだろうと不気味な予告、死亡が世界一となった米国は戦略変更を余儀なくされる。
一帯一路を経済梃子入れと期待したのが、スペイン、伊太利亜、仏蘭西、英国、ドイツだった。いま中国は「健康のシルクロート」などと獅子吼して医療チームを派遣し、マスクを寄付する欺瞞外交を展開しているが、欧米ばかりか、世界ではチャイナ・バッシング。
「健康シルクロート」は「病原菌シルクロート」となった。
 中国の野望だった一帯一路プロジェクトは大音響と共に、各地で崩壊したか、崩壊中である。同時に中国の負債が9900兆円から、まもなく1京円を突破するだろう。これは同時にアジア各国に激甚なる経済破綻の波となる。
 しかし、一等重視すべきは、このコロナ災禍で、国際政治の大変革が起こり、地政学的には、パックス・アメリカの大後退が予想されることである。
ならばその分を、中国の軍事力が進出して代替するかと言えば、それもNOだ。中国自身が、世界にいかに孤立しているかを知っている。バッシングの風当たりが強烈なことも知覚している。
 極東に限って言えば、北朝鮮がICBMを保有しない限り、トランプは北朝鮮を攻撃する可能性はないし、台湾を守ると言っても、本気かどうかは疑わしい。
というのもトランプ大統領のみかわ、だれがなろうともアメリカは軍事的な世界関与への関心をなくしつつあり、戦略爆撃機基地をグアムから米国本土中西部に引き揚げる。
虎の子の空母は四隻の乗組員がコロナに感染し、物理的な作戦行使が難しくなった。米海軍の戦略展開が機能不全に陥っているのだ。
 ▼未知なる不確実性、霧はまったく晴れない
 「コロナ以後」の世界は変革(もしくは改悪)に遭遇し、未知の不確実性に蔽われたまま、霧の中での新しい試みが始まるだろう。
 NBR座長のニコラス・エバースタットは、中国基軸のサプライチェーンは編成し直しとなって、現在世界のGDPの60%を占めるAPECにインドを加える巨大経済圏が次を指導するのではないかと予測している(NBRレポート、4月18日)。
イースター(4月12日)までに解決するとトランプは極めて楽天的だったし、被害の想定を四月初旬まで楽観的にみていたウォール街も経済学者らも、米国を筆頭に欧米で死者が戦争並みの犠牲を越えていることに愕然とした。それまでに被害想定を低く、小さく、楽天的に数字を想定していた。
被害はとうに香港風邪の規模を越えており、チェルノブイリを越え、死者はヒロシマの犠牲者を越えた。
 現在は「クリスマスまでに」という標語だが、これも危ないのではないだろうか。
 現実は感染者の急拡大、死者の鰻登りの悲惨な数字が並び、柩も足りず、死体置き場もない。外出が禁止され、ビルは封鎖され、スーパーへ買い物に行けば行列は2メートル間隔。
 米国の失業率、4月初旬の2200万人は1931年レベル(15%)。四月末には1935年レベル(20%)、そして五月には1933年の最悪レベル(25%)となるだろうが、これは事実上の「大恐慌」だ
 キンドルバーガー教授に代表されるように1929-1933年の「大恐慌」の反省はなされ、研究は進んでいたため、何が失敗の原因であり、何をしなければならないかを事前学習している。
大恐慌の研究で知���れたベン・バーナンキは、先々代FRB議長だが「ヘリコプター・ベン」の異名ととったほどに財政をばらまき、通貨供給の流動性を高めた金融通貨政策を採用した。
したがって今回の米国政府の対応は大胆な財政出動だった。欧米、日本、豪も追随しての国際協調は西側の連帯を金融関係では強めた。
だから非常事態宣言から三週間でウォール街の株価は38%下落したが、すぐに32%反騰した。不思議というより、FRBの即応ぶりに対しての投資家の反応である。
 
しかしコロナ災禍の「長期化」は確実だから、再々の金融財政出動にいずれ資金が枯渇すれば、通貨の破綻、債権の紙くず化、そして「徳政令」の出現があるかも知れないではないか。いや、現在の給付金や企業への貸しだしは、見方を変えれば徳政令に似ている。
 しかも、コロナ災禍大恐慌は、世界同時多発的であり、特効薬の発明があっても途中で数回の感染揺れ戻しが繰り返されるだろうから、収束には弐年以上の時間を要することは確実である。
 幸いなことに世界の列強はテレビ会議で意思の疎通が図れるような時代であり、また情報伝達は瞬時にして世界同時、情報の遅れで対応が決定的に遅延するという政策ミスは少なくなった。
 ▼現実に社会生活はパニックに襲われている。
 
まもなくアフリカ諸国、アジア、中東の最貧国の被害は、凄まじい災禍となるだろうが、先進国が支援するような余裕がない。医師団の派遣も医薬品の寄贈もままならず、当該国家に対策を任せることになる。アフリカで一斉に中国批判の声が広まっている。
 消費の落ち込みは確実にGDPを押し下げる。
 IMFはまだ楽観的に世界経済はマイナス3・3%、日本がマイナス5・9%、アメリカがマイナス5・7%などと楽観的予測を出しているが、日米でマイナス15%-20%、中国はいきなりのマイナス50%となっても不思議ではない。
 げんに2019年度第四四半期の日本のGDPはマイナス7・1%だったし、中国は初めて2020年第一四半期のGDPをマイナス6・8%と公表した。
 これらの数字は率直に言って信用できない。とくに中国の数字は五倍か十倍にしなければ実態にそぐわない。
 
 豪ヴァージン航空が破産申請した。米国高給デパート「ニューマン&マーカス」が経営破綻に至り、すでに中国、香港から旗艦店を撤退させているプラダ、フェルガモなどの有名ブランドも、経営危機に陥る可能性がある。
 なぜならパラダイムシフトが起こると、日常生活では食糧買いだめ、備蓄と医療出費が家計の優先課題となり不要不急のものには見向きもしなくなるからだ。
バブル時代に紳士淑女は高いカルチェやダンヒル、デュポンのライターを持っていた。いま、誰が使っているのか。百円ライターが主流となり國際機場の免税店で目玉のコーナーから、いまや何処にも売っていない。
同様にグッチ、ディオールなど、あるいは自動車にしても、実用車、SUVは売れ続けても、高級車は敬遠されるだろう。
 パラダイムシフトの行き着く先はまだ濃霧の中である。
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元早大総長が集団結婚を徹底批判 – 週刊文春     1992.7.16
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元早大総長が集団結婚を徹底批判   統一教会
桜田淳子 山崎浩子に ダマされるな
週刊文春     July 16, 1992       村井資長
小誌がスクープした山崎浩子の結婚を逆手にとって、統一教会が巧みなPR作戦を展開している。夕レン卜桜田淳子、バドミントンの徳田敦子の相次ぐ〝集団結婚志願〟に浮き足立つマスコミに、八十三歳の硬骨漢が待ったをかけた。〝客寄せパンダ〟に踊らされるな!
長年、統一協会を糾弾してきた者として、最近の統一協会ブームを大いに憂えています。
ブー厶の発端は、山崎浩子、桜田淳子、徳田敦子の三人が、あいついで集団結婚するとマスコミに発表したことにある。
八月二十五日に予定されている統一協会の「合同結婚式」とは、結婚する相手は教祖の文鮮明が決め、結婚式が始まるまで配偶者が誰なのかさえわからないといぅもの。こんな〝結婚〟は、誰が考えても正常とは言えない。
それなのに、マスコミ特にテレビ番組の多くは、有名女性の結婚をもてはやし、統一協会側から意図的に流される結婚相手に関する情報に乗せられ、結果的にこの協会を美化している。
聞くところによれば、テレビ局は、高視聴率が取れる「合同結婚式」を中継したいがために、あえて統一協会に批判的な報道は避けるのだといぅ。なんと嗅がわしいことか!
このままでは、ブー厶に乗せられた若い未婚の男女が入信し、新たな被害者を作ることになってしまぅ。実際、三人が結婚すると伝えられてから、入信の問い合わせが増えたと伝えられています。
入信した信者のほとんどは、印鑑、壺、多宝塔、朝鮮人参、珍味などの訪問販売をしているのが実情です。
「手相を見ます」「悩みはありませんか」「聖書に興味はありませんか」などと言葉巧みに近づき、「先祖のたたりがある」「印相を変える必要がある」などと因縁話で脅かして数万円から数十万円もする印鑑や、安い大理石の壺を何百万円で売りつける。
たった大サジ一杯の塩を〝聖なる塩〟と統一協会員が言って、老人にニ千万円で売りつけた例もありました。
また、信者になると莫大な献金を要求される。たとえば、息子に嫁が来ないことを悩んだ農家の母親が、「文鮮明教祖が嫁を決めてくれる」と誘われて、五千八百万円の大金を献金して財産を失ったこともある。この母親は現在、統一協会に返金を要求しています。
韓国や欧米諸国では、この手の霊感商法は行われていません。唯一日本で集められた金が、世界の統一協会の資金となっている。そのことは、小切手密輸事件に関して神戸地裁でも、米下院のフレーザー委員ム衣でも明らかにされています。
それは、「日本人は罪人の子孫だから、韓国人にどんな犠牲を払っても償わなけ���ばならない」といぅ統一協会の教えによっている。この協会では、大部分の日本人は韓国人のための金集めの奴隸としてしか見られていないのです。
マスコミに反省を促したい
今や、統一協会の信者による霊感商法にダマされた被害者から、多くの損害賠償訴訟が起こされています。
昨年五月には、絵画、毛皮、羽毛布団などを買わされたうえに、土地を売ってまで献金した二人の女性が提訴し、初めて統一協会が八千三百万円を支払って和解したことがあった。
信者もまた被害者なのかもしれない。元信者の一人は、「結婚に必要な資金を集めるために、三、四時間の睡眠時間で印鑑や壺、珍味などを売り歩いたが、月に五千円から一万円の小遺いしかもらえなかった」と後悔している。「合同結婚式」に参加するためには、最低百万円から百四十万円の費用がかかるのです。
わずかな小遣いでは、とうてい結婚費用は稼げない。すると、信者は親からもらってくる。それを信者は「親から祝福された」と誇る。しかし、私の知る限りでは、家族から反対されたケースの方が圧倒的に多い。
そうやって結婚しても、相手が好きなタイプとは限らない。国籍が違うこともある。
今度、合同結婚式が行われる韓国では、「日本女性と結婚できる」とか、「農村の嫁不足解消のため」とかの口実で信者を募っていると伝えられます。
もし、嫌いな夕イプと結婚させられても、「愛せない相手を愛することが勝利」と教えられ、つらい結婚生活を強いられることになる。相手が好きな夕イプだったとしても、夫婦はしばしば別々の任地で活動し、家庭生活を営むこともできない。
それでも信者が納得して結婚するのは、最初に文鮮明と信者の新婦が〝結婚〟するといぅ不思議な形態を取るからです。この〝結婚〟によって清められた新婦が、今度は新しい男と〝結婚〟することによって清められる――そのよぅに〝洗脳〟されているよぅです。
結婚生活に耐えきれなくなった元信者の中には、離婚訴訟を起こした人もいます。
私が代表世話人をつとめている「原理運動を愛慮する会」が七月三日に記者ム衣見したのは、統一協会の実態を一般の人に知ってほしいと同時に、マスコミに反省を促すためもあった。
ちなみに「原理運動」とは、統一協会の活動の総称です。統一協会は、大学や高校では原理研究会を作り、政治的には勝共連合を組織している。
統一協会は、正式には世界基督教統一神霊協会といぅ。「基督」の看板を掲げてはいるが、キリスト教とは似て非なるもの。文鮮明がクリスチャンでもなければ、キリスト教的なところはまったくありません。だから私は、「統一教会」ではなく「統一協会」と書きます。
私が、原理運動と出会ったのは、昭和四十七年十一月に早大で起きた革マル派による川口大三郎君リンチ殺人事件がきっかけでした。当時、私は早大総長だった。
その年の暮れに、川口君の母親が「セミナ―ハウス建設要望書」を持って来ました。後で聞くと、原理研の学生が母親を説得して書かせたものだといぅ。
年が明けてからは、原理研の学生が毎週のように自宅にやって来て、家内に原理運動を講義するようになった。
当時の私たち夫婦は、原理研のことをよく知らず、世間で言われていた「子供が突然いなくなる親泣かせの団体」くらいに思っていたのです。
私は、「川口君を記念し、暴力の否定、青年の友愛と協力の場になれば」と、伊豆にあった私名義の別莊地を提供してしまった。建設費用は、大学から母親に支払った六百万円の見舞金と、原理研系の「早稲田学生新聞会」が街頭カンパした募金が当てられたと思います。
桜田ら有名人は特別扱い
「川口記念伊豆セミナーハウス」は、五十一年四月に完成。ところが、それから一年ほど経ってからセミナ―ハウスの謄本を取ってみると、なんと統一協会の「修練場」となっていた。母親が館長になるという約束も守られなかった。母親は信者になることを拒否したからです。
私たち夫婦も原理研にダマされた。その原理研と縁を切るために、止むを得ず別莊地を安く売るしかなかったのです。
そしてその直後に、新たな問題が生じました。彼らはセミナーハゥス建設委員会の連名で、建物と土地を統一協会に寄進する旨の「お願い書」を捏造していたのです。
建設委員だった家内が署名、捺印した事実はまったくないし、川口君の母親も同様で、「お願い書」は明らかに私文書偽造です。しかも、家内と川口君の母親を除いた残りの建設委員四人は、原理研の幹部だった。
私は、このことを週刊誌で明らかにした。すると統一協会は、逆にその記事を「名誉毀損」だとして、私と出版社を東京地裁に告訴した。裁判は八年かかったが、全面勝訴しました。
その間の五十三年十一月、世間に原理研の危険性を知ってもらうために、「原理運動を憂慮する会」を作って代表世話人に就任しました。五十六年には、「大学・高校関係者に訴える」という文書を全国五千力所以上の学校に送付しています。
その頃から、原理研は大学や高校では鳴りをひそめている。しかし、原理運動は「アジア平和婦人連合」や「天地正教」などと名を変え、いま流行の「自己啓発セミナー」に形を変えて生き残っているようです。
親韓派の自民党代議士や民社党代議士に取り入ったり、統一協会員が次々に議員秘書になっているのも問題です。
入管法五条には〈日本又は日本国外の国の法令に違反して、一年以上の懲役刑に処せられた者〉という入国禁止条項がある。それにもかかわらず、アメリカで脱税容疑によって収監された文鮮明が、例外として今年三月に来日できたことは、なぜ糾明されないのでしようか。
こんなに問題の多い統一協会なのに、有名女性三人が〝客寄せパンダ〟のごとくにマスコミに登場した。
彼女たちのよぅな有名人は、統一協会では「あなた方は神から選ばれた人」と崇められている。彼女たちの虚栄心をくすぐって、特別扱いしているのです。彼女たちは「睡眠時間三、四時間で印鑑や壺を売る」よぅな苦労をすることはない。一般信者とは違って、最初から一種の〝幹部〟なのです。
私は山崎、桜田、徳田の三人が、個人的に誰にも迷惑をかけずに信仰しているのなら、何も言いません。
しかし、彼女たちは現実に統一協会の宣伝をして、被害者を作る手助けをしている。私は彼女たちに、今回の記事を通して警告したいのです。
山崎浩子 vs 林真理子   独占対談
桜田淳子氏のタレント活動復帰に反対
「合同結婚式、6500人の行方を捜して」被害者家族が訴え
これが『統一教会』の秘部だ
統一教会の日本人花嫁数千人が韓国農民に宛われた 韓国農民にあてがわれた統一教会·合同結婚式日本人妻の「SEX地獄」
統一教会合同結婚式 日本人妻たちの「肉声」
統一教会問題と私、及びその未来 – 西川 勝氏
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alexswak · 6 years
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Hikawa Ryusuke’s Akira Article(jp)
Hikawa Ryusuke is probably the most famous Japanese anime critic. He wrote an extensive article on the anime industry before and after Akira, articulating what lead to Akira and how Akira influenced the industry thereafter. This article was published in "Akira Animation Archives” which is rather hard to find in good condition, so I thought I might copy the article somewhere. It’s in Japanese nonetheless, as I’m not capable of translating such a sophisticated text, but I hope me publishing this article would lead to someone being interested in translating it. I believe it contains some pretty useful and valuable information. 
‘80時代----「Akira」が”ANIME”にもたらしたもの
本書では、アーカイヴよしてアニメーション映画「AKIRA」の現存する制作資料を句能な限り良好な状態で収録した。完成フィルムとは異なるプロセス上熱気や思いが、そこに見えたことと思う。では、こういった成果物を生んでいった周囲の状況はどうだったのだろうか。あるいは歴史の中で「AKIRA」という作品はどう位置ずけられるのだろうか。あとがきにかえて、ここにその俯瞰図をまとめてみた。
アニメ史から見た’80年代
アニメーションは今や会社にとって、子供のための娯楽映像という存在のみの状態から完全に脱皮し、広く青年、大人へ、あるいは世界へと観客層の拡がりを見せている。
そのきっかけは、1977年、「宇宙戦艦ヤマト(映画版)」の巻き起こした”アニメブーム”である。ところが「AKIRA」の上映された1988年。。。それかれあ約10年が過ぎたころには、原初の���ニメブームが持ってータ熱は冷め、明らかに大きな陰りと断層が見えていた。富野由悠季監督作「機動戦士ガンダム」(1979年作品)を産み、アニメブームを牽引した巨人ロボットアニメ作品がTVから一時撤退しているのがそれを象徴しており、オリジナリティや作家性に期待されたビデオアニメもぱっとせず、時代の節目となる兆候がいたるところに見られた時期である。
ブームを陰らせた原因は、大きく以下のつではないかと推定される。
1つ目は学生時代に「ヤマト」や「ガンダム」でアニメに目覚めたいわゆる第1世代(1960年生まれ中心)が、だいたい1982年ごろから「卒業」し始めて会社人になり、’80年代中盤ごろにはほど全員の「卒業」が完了したこと。2つ目は、娯楽性を持った新メディアとして家庭用ゲーム機(ファミコン)が五すぐ急成長したこと。これによって「ドラゴンクエスト」(’86)など高い物語性を有るし、観客が参加する句能なRPGという、アニメよりもおもしろいものを購買層が見つけてしまう。3つ目は、この時期にレンタルビデオが300~500円という価格で全国配備完了したこと。これ以後アニメはハリウッド娯楽大作と同額という、激しいコンペティションに常時さらされていくようになる。
こういった状況下では、アニメ企画も変化さざるを得ない。作品企画をたくさん回して何本か当たるものがあれば良いという風潮よりは、いわゆる”選択と集中”が行われ、セグメンテーションがシフトしていく。ひとつの例がビデオアニメの変化だ。1987年ごろまで、オリジナルビデオアニメ(OVA)の主流は「プチ劇場アニメ」であった。つまり興業規模や尺の観点からすると映画館にかけられるほどではないが、スター性のあるスタッフやキャストを前面に押し出してセールスする方向性だった。これが輝きを失った対抗策として、1988年の「機動警察パトレイバー」が30分6本シリーズの新フォーマットとブロックバスター価格(4,800円)を提示し、逆転ヒットを果たす。結果、OVAは「プチ劇場」から「デラックスなTVアニメ」へとセグメンテーションをシフトさせていった。「AKIRA」が登場した1988年は、日本のアニメーション界自体が、こういった大きなパラダイム・シフトにされされていた時期であった。この周囲状況の変化を念頭におくと、なぜ「AKIRA」がこのような作風となったか考えるとき、理解の一助となるだろう。
’80年代前半、劇場アニメの新時代到来
ビデオアニメという、”TVアニメ以上劇場アニメ以下”というジャンルが新設されたことは、逆に劇場アニメに要求される価値レベルを上げた。それと呼応するように、劇場用アニメーションは’80年代前半に新時代を迎えている。
1983年末に、成人向け以外で初のOVA「ダロス」がバンダイビジュアルから発進する。同年春には角川書店がアニメ制作に進出、マッドハウス制作「幻魔大戦」を公開する。それがキャラクターデザインに大友克洋を起用した初の作品であるのも因縁めいている。1984年には、それを迎撃するような動きがある。講談社が夏に同じマッドハウスで「SF新世紀レンズマン」を制作。だがこれは慘敗に終わる。一方、徳間書店は春にアニメージュ誌に連載されていた「風の谷のナウシカ」を原作者・宮崎駿目身が監督という形で劇場アニメ化、大ヒットとなる。
結果、東映長編漫画映画の血脈を持つ宮崎駿監督と盟友・高畑勲監督の作品をつくる目的で徳間書店の出資によるスタジオジブリが結成され、1986年の「天空の城ラピュタ」を経て1988年には「となりのトトロ」が「火垂るの墓」と2本立て興行で公開、”ジブリ” ”宮崎アニメ” というブランドこの時期に完成した。
玩具や出版に携わる会社は、アニメブームの当初は著作権のニ次使用者であった。ところがその利用側だった会社が発信側に回って一次著作者となるとともに、コンテンツを多彩な展開に使うことを開始、勝者を生み始めていった時期と見ることができる。
「ナウシカ」と同じ1984年春には、押井守監督の名を一躍有名にした「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」が公開、その作家性を世に知らしめた。同年春には「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」が劇場公開。河森正治が弱冠24歳で監督し、それまで版権イラストでしか描かれなかったような細密な描き込みを行ったことで、大きな話題を呼んだ。
こういった”作家性” ”緻密さ” ”リアリティ重視” ”若手” ”新規参入会社” という流れの頂点に立つのが、1987年の「王立宇宙軍 オネアミスの翼」である。この映画はバンダイ制作による劇場アニメの第1作で、のちに「新世紀エヴァンゲリオン」(’95)を制作するガイナックス初の作品でもある。山賀博之監督以下、中核スタッフは大阪でSF大会用映像をつくっていたアマチュア集団ダイコンフィルムの出身で、いわゆるオタク第一世代にあたる若手だ。
彼らの劇場映画「王立宇宙軍」は、そういうパロディ色の強いフィルムになるというおおかたの予想を裏切り、市井の若者が持つ等身大の挫折と野心を当時としては画期的なリアリティをこめて描ききった野心作として公開された。
リアル系作品を貫く人の流れ
このように、’80年代の動きを追っていくと、やがて’90年代になって世界に日本発の”ANIME"の名をとどろかせるべき、ほとんどの役者(アニメクリエイターと会社)が出そろいつつある様が見えてくる。
この流れに、’80年代後半の2つの出来事を追加したい。一つはビデオアニメの覇者「機動警察パトレイバー」が1989年に映画化され、その制作現劇が後に「攻殻機動隊」(’95)をつくるプロダクションI.Gになって、ビデオシリーズから格段にアップグレードした映像を見せたこと。そしてもう一つが本書で取り上げた作品「AKIRA」---そのもたらしたアニメ映像への考え方と、人の流れである。
’90年代につながる流れを見ておこう。「AKIRA」制作末期には、スタジオジブリで「となりのトトロ」を終えたばかりの原画マン(高坂希太郎、 二木真希子、金田伊功)が参加。その”お返し”という意味か、ジブリの次回作「魔女の宅急便」(’89)には森本晃司、井上俊之らが原画で参加している。ここで森本晃司と当時ジブリの制作デスクを担当していた田中栄子が出会い、片渕須直や佐藤好春らとともにスタジオ4Cを結成。大友克洋原作・監督「MEMORIES」(’95)や大友克洋XX成・総監修の「スプリガン」(’98)生む母体となっていく。
また、「AKIRA」における出会いが北久保弘之監督作品「老人Z」(’91)を生み、大友克洋は原作・脚本・メカニックデザインを担当している(キャラクターデザインは江口寿史)。この作品には緻密な絵を描く漫画家として知られていた今敏(こん・さとし)が美術設定でアニメ初参加。今敏は大友克洋のアシスタント経験もあり、実写映画「ワールド・アパートメント・ホラー」(’91)を漫画化した作家だ。「MEMORIES彼女の想いで。。。」の脚本を経て、マッドハウスで「パーフェクトブルー」(’98)、「千年女優」(’02)を監督する今敏は、「老人Z」で北久保弘之、沖浦啓之と机を並べていたという。
インタビューページにもあるように、沖浦啓之は「人狼 JIN-ROH」(’00)、北久保弘之は「BLOOD THE LAST VAMPIRE」(’00)と、90年代未にプロダクションI.Gの成表作を監督することになる。
ここでこういった流れを全部追うことはできないが、「AKIRA」を振り出しにした連鎖反応は多い。人と人に展する技術は流れ、人の進団たる会社を媒介として継承されていくという認識は重要だ。そのように見ていくことで、作品と作品の間に血が通い、ときに遺伝子のように形質を移し替えながら進化をうながす、そういった有機的な結合が見えてくるからだ。この認識を持った上で、アニメーション映画「AKIRA」の位置ずけと、この作品がもたらしたものへの考察をもう少し進めていこう。
アニメーション界に到来した二度の”黒船”
こういう説はどうだろうか。日本のアニメーションは、”黒船”の到来を二度受けているというのは?
非常の失礼な考え方かもしれないが、鎖国をしていた日本が欧米から開国させられ、欧米文化を取り入れて”近代日本”になったように、”アニメーションの国”に”漫画の国”から黒船がやってきて、大変革があったーーーそういうイメージが、どうしても脳裏に浮かぶのである。
一度目の”黒船”とは、手塚治虫のTVアニメ「鉄腕アトム」である。手塚漫画の功績は、乱暴にまとめると、描き割りじみた平面的な日本の戦前漫画に、映画的・映像的なカット割りと構図を連想させるコマ割りを導入し、エポックをもたらしたということになる。
しかし、手塚がアニメ版「アトム」で導入したのは、逆に電気紙芝居と揶揄されたほど非映画的で、止め絵のズームや強引なカットバックでフィルムをつないだものだった。これは、漫画のコマ割りの間にある断層をそのまま持ち入んだような作法である。TVシリーズ予算の問題に対する解決案として、よく槍玉にあげられる3コマ打ち(★1)の導入よりも、このカット割りの方が後世に対する影響は強いのではないか。よく動かそう、アニメ―トしようと見せ場をつくるよい、1枚絵の密度を上げ、少ない枚数、場合によっては止めの積み重ねで見せていくという”アニメ”(呼称も省略形が似合う)の手法は、これは現在でもTV作品の主流になっている。
こう考えて来ると、二度目の”黒船”が大友克洋の本作「AKIRA」という考え方も、何となく成立するように思えてる。”アニメ”は、ここで”ANIME"(★2)への第一歩を踏み出した。。。というと、作り手側は違和感を覚えるかもしれないが、観客サイドからのこういう整理もアリと思って大目に見て欲しい。
1980年前後、大友克洋が漫画界へもたらしたショックは、かつての手塚治虫に匹敵するものがった。日本人の”日本人らしさ”を骨格、骨相とも正確にとらえた人物造形、メカニズムやビル群といったものを緻密に描き込んで厚みを加えられた世界観、映画的な構図とコマ割りなど、漫画に新しい潮流をもたらした。実際、大友克洋以前と以後では、漫画全体に密度感やリアル感という要素は、もし定量化できるとすれば明らかに増大しているであろう。
「AKIRA」以前以後の変化とその要因
問題は、アニメーション「AKIRA」の場合に何が起きたか、「AKIRA」以前以後で何がどう変化したかということに紋られていく。
まず、「AKIRA」の公開時によく言われた「2コマ打ち、リップシンクロ」については、新規技術でも何でもないフルアニメーションの本来的な定義である「画面内にあって動くべきものはすべて��然に滑らかに動かす」という観点からす��ば、対費用効果を無視すれば当然の手法である。クイックアクションレコーダー(★3)も制作プロセス上の省力の問題であり、表現には影響しない。黎明期のCG導入(スペシャルパターンの回転)も、光学合成の代用的な使われ方しかしておらず、見せ場となったわけでもない。
こういった宣伝向けに言われてきたことではなく、もっと表現の根幹部分に、むしろ本質的な変革があったように思われる。
キーワードとしては、大友が漫画に与えた影響の劇合と同じく、密度感とリアル感(リアリティ)が中心に来るのでないか。
「AKIRA」で新しい試みのように言われていることは、実はディズニーを代表とするフルアニメーションの作法であった。では、それを導入して「AKIRA」がディズニーのようなアニメーションになったかというと、それとはまた違うところがおもしろい。ここで密度感とリアル感の問題が浮上してくる。ディズニー的なアニメーション作法は、教科書の1ページ目に「スクオッシュ&ストレッチ(漬しと伸び)」と書いてある。つまり、実際の自然現象を省略と誇張することによって、人間の動体に対する感覚をブーストしてある種のトリップ感を引を出すということが、彼らのアニメーション哲学というか、大前提の考え方として存在しているわけである。
ところが、これがわれわれの目からすると、このゴムのような動きはリアリティを損なうものと映る場合が多い。これはディズニー的なものを貶めているわけではなく、文化・作法の差の問題だ。では、「ゴムのようにグニャグニャしないフルアニメーション」があるかというと、それはある。太平洋戦争中のフライシャーによる短編アニメ「スーパーマン」がまさしくそうだ。ここに登場するメカニカル・モンスターは、重心を移動させながら足を出して歩くと、一瞬遅れて手がぶらつくといった、破綻なくもっともらしいアニメートを見せることで確保されたクオリティが、リアリティの震源地である。
だが、それと比較しても「AKIRA」は異なっている。「AKIRA」の場合、ショット全体が抱える重みと、それがフィルムの流れの中で生み出していくリズムが、密度感とリアリティを発生させているように思えるのである。その重みの大半は、作画(原画)段階のモーション部分もあるが、大半はそれ以前の画面の設計図であるレイアウトの段階で盛り込まれている。
ここで大きく要求されるのは、情報量の盛り込み方と取捨選択、すなわちコントロールである。
仮想映画的な考え方
アニメーションの構図は、実はアニメート優先で考えられてきた歴史がある。連続的に絵を積み重ね、軌跡を追って描くときに有利なアニメ的画面構成というものが存在する。歪みのないやや広角気味のレンズ、ピントはパンフォーカス、ライティング位置下明(平行光線の屋外)、そして足が地面につかないようややアオリ気味にして背景が楽になる空、室内なら天井が大きく映り、人物の傾きはシチサン(7:3)でという、ひどくスタンダード臭の漂う画面である。
「AKIRA」原作者の大友克洋は、自主映画で監督をつとめるほど実写映画のフィルムメイキングの演出に詳しく、漫画にもそれを仮想映画的なものとして反映してきた作家である。対して当時のアニメの水準では、そのような”仮想映画的に撮る”という考え方は、まだ主流ではなかった。レンズを意織した構図をとり、フレームを決め、ショット内に重みをもたらす飾りつけを行い、観客のエモーションを巻き込む求心力となる役者やメカの芝居といったものを細かく指定し、極力雑多な情報を少しでも多く取り込み。。。という、実写的な姿勢、考え方は、「AKIRA」の絵コンテからレイアウトいたる段階まで通底している。
そして集ったアニメーターは、その考え方に基づくレイアウトが次にアニメーション段階で求めるもの。。。当時としてはまだ夢のようであった”仮想的リアリティ”という要求条件に対して苦闘し、スタジオが解散した後も見果てぬ夢のようにそれを望み続け、各々の作品で各人なりの咀嚼で追求することを始めていったにちがいない。もちろん、そこから離れる場合もあったろうか、しかし何かを意識して離れるということは、実はその何かを求めることと、そんなに遠い行為ではないはずである。
ここで言う要求条件とは、作品に臨場感をもたらすためのものである。なぜ臨場感が必要かとさらに突っ込めば、”絵で描いた世界”に没頭して物語を世界ごと”そこにいる感覚で”楽しむためである。
ごく当たり前のことだ。だが、その一番当たり前のことも、すべて
が作り物のアニメーションのフィルム中では、実は非常にいろんなことを意識的に考え、実行しないと違成できないということなのかもしれない。
15年目の 「AKIRA」
こういった考え方がスタッフにじわじわと浸透しながら完成したフィルムが、「AKIRA」なのだろう。クリエイターたちがそこで夢見ながら違成できなかったことを追求し、続く作品でどんどnアニメーション表現を深化させ、リアリティ追求をエスカレートさせていったのが、その後15年の”ANIME”の歩みと総括できるかもしれない。
もちろん「AKIRA」だけが単独でこういう考え方をとっていたわけではない。恐らくそれは時代の要求だったのだろう。「王立宇宙軍」が代表するように、同時代的にいくつもの作品、何人ものスタッフが挑戦していった果てのことだ。だとしても、世界的知名度やセールスの成功事例として、「AKIRA」がきっかけであり分水嶺であったとは確実に言えるだろう。
結果的に作画や背景の描き込みは年を追うごとに幾何級数的に増え、人間のアクションは細かい関節部まできちんと追われ、レイアウトはパースに狂いがなく、光源は常に意識され、特殊な仕上げや撮影効果は常時ふんだんい。。。と、青天井のようにアニメーション作品の密度は濃くなる一方だ。初公開時にはあれほどリアルに思えた「AKIRA」が、今観ると非常に漫画的にも見えるのが、何よりの証拠だろう。
臨場感のせいで「リアルな作品」呼ばれるようになったがゆえに、レアリティ追求のため、底なし沼のようにアニメ作品は情報量を飲み込むようになっていた。情報量とはアニメの場合は人手そのものであり、金であり時間である。そして、スキルやノウハウは人に溜まるから、「リアル作品」とは非常に属人性の強いものとなる。その状況は、この種の作品リストから原画マンやレイアウトマンの名前を横に並べたりすれば、すぐに理解できることだろう。
15年を経過して、「AKIRA」に匹敵する新たら分水嶺は、はたしてどのような形で来るのだろうか。それには大友自身の新作「スチームボーイ」がある回答を提示してくれるのだろうか。非常に楽しみである。
次の15年を考えるために、15年前のブレイクスルーがヒントになるかもしれない。
そのためにも、本書が役立てば幸いである。
★1「3コマ打ち」---同じ絵を3コマずつ撮影して動きを設計するアニメーション技法。「打つ」というのはアニメーターがタイムシートに番号を書き込む行為を感常的に表したもの。それまでのアニメーションは、2コマ打ちが標準で速い動きのみ1コマ打ちだった(フルアニメーション=1コマ打ちは誤った定義)。3コマ打ちだと滑らかさは喪失するが、当初TVはブラウン管自体に残像があるので良い等とされたという。ところがこれはコスト削減にも直結するため、やがて劇場作品も経営者によって3コマをスタンダートとするようになっていく。
★2「ANIME」---マスコミで使われる”ジャパニメーション”という単語は、X称(ジャップのアニメーション)という説がある。事実、米国の雑誌や店頭ではほとんど目にしないため、ここでは”SAMURAI”のように日本語がそのまま英語化した”ANIME”を用いた。
★3「クイックアクシオンレコーダー」---’80年代から導入きれるようになった機械。アニメーターは何枚かの原画・動画が完成するごとに、指でパラパめくって動きに狂いがないかをチェックする。通称、「指パラ」と呼ばれる作業で、これは動きをチェックする第一段階だ。当然「指パラ」だけでは確認しきれない、複雑な動きも出てくる。米国でのフルアニメーション制作にはライン・テスト(ペンシル・テスト)という工程があり、ペイントする前に動画にブレ等の破綻がないかチェックする。フィルム撮影を使用するため、コストの関係で国内ではほとんど省略されていた(間に合わせのダミーとして線画を撮影することはあるが、目的が違う)。それを擬似的に行う装置がこれで、ビデオによってタイムシート通りに動画をビデオに取り込み、完成フィルムではどう見えるか、ペイント前にチェックする機械である。「AKIRA」のクイックアクションレコーダーによる画像が、「AKIRA DVD SPECIAL EDITION」(バンダイビジュアル)に特典映像として収録されている。
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tomo2411 · 2 years
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☆夏休み2022☆ 熱田神宮 @atsutajingu.official 熱田神宮には三種の神器の1つ 「草薙の剣」(くさなぎのつるぎ)が祀られている 伊勢神宮には「八咫鏡」(やたのかがみ) 皇居の「剣璽の間」に「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま) 直接見ることはないけど 時を越えて受け継がれていく神話と 神宝が存在するのは すごいことだと思う 熱田神宮へ参拝した日は 小雨の降る日 傘は持って歩いたけど 大きな木々が傘のように 雨を防いでくれるから 思ったより濡れず 傘もささずそのまま歩いた 鳥居をくぐると軍鶏に迎えられる 以前来た時にはいたかな? コレは名古屋コーチンとか? なぜ神宮に軍鶏? 頭の中ははてなマーク 天岩戸に閉じこもった天照大御神が 鶏の鳴き声「コケコッコー」を聞いて 朝が来るはずがないのに?と 岩戸から外を覗き見た 長鳴鶏の鳴き声で天岩戸が開いた というこの功績により 鶏は神の使いになったらしく 「神鶏」と呼ばれる 軍鶏じゃなくて「神鶏」 なかなか会えないらしいが 数羽見かけたよ 会えるとラッキーらしいね しっとりと雨に濡れた 伊勢神宮の遷宮の古材が 使われてる 熱田神宮は荘厳な感じがして 素敵だった 大きな楠を見上げ その枝振りに時の流れの 壮大さを垣間見た 前日の歩き疲れ みなもカフェで抹茶ときよめ餅で一服 みなもカフェは「みなも神殿挙式」の ウエイティングルームを利用したカフェ 窓から見える庭園が とても素敵でした きしめんを食べれる くさなぎ広場苑もあって ちょっと不思議な感じ 熱田神宮 @atsutajingu.official 名古屋市熱田区神宮1丁目1−1 052-671-4151 主祭神:熱田大神 相殿神:天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命 #熱田神宮 #名古屋観光 #愛知観光 #名古屋観光スポット #愛知観光スポット #名古屋パワースポット #熱田神宮パワースポット #みなもカフェ #抹茶 #きよめ餅 #軍鶏 #神鶏 #神社めぐり #御朱印 #御朱印巡り #ともの夏休み2022 · · · 天叢雲剣とも言われる草薙剣 高天原(たかまがはら)を追放された スサノオノミコトが出雲国に降り そこで人々を襲う「八岐大蛇」の話を耳にする 生贄となる予定のクシナダヒメを 嫁にもらうことを条件に 8つの頭8つの尾を持つ八岐大蛇を 退治することになる 八岐大蛇の大好物の酒を用意し泥酔させて眠らせ 「十拳剣」(とつかのつるぎ)と呼ばれる剣で 頭と尾を斬り退治に成功 このとき1振りの剣が八岐大蛇の尾から出てくる これが後に草薙剣と呼ばれる天叢雲剣で スサノオノミコトから アマテラスオオミカミへ献上される ニニギノミコトの天孫降臨の際に 高天原から日本へ降ろされた天叢雲剣は 第11代垂仁天皇の時代に 八咫鏡と共に伊勢神宮に遷座していた 「日本武尊」(ヤマトタケルノミコト)が東方平定へ向かう時に 日本武尊の叔母であり 伊勢神宮に天照大神を祀った初代斎宮の 「倭姫命」(ヤマトヒメノミコト)から 天叢雲剣が託される 同時に倭姫命は「火打石」が入った袋も渡し 日本武尊は東方遠���へ 順調に進んでいた日本武尊だったが 相模国(現在の神奈川県)で おびき出され周囲の野に火を放たれてしまう 進退窮まった日本武尊ではあったが 剣で周囲一帯の草を薙ぎ 倭姫命の火打石で 向かい火を放つことで 炎を逆方向に燃え広がらせ 日本武尊は無事に相模国を下し生還 この戦いで燃えた野の地名が 現在静岡県の中部に存在する 「焼津」(やいづ) 草を薙いだ剣を「草薙の剣」と称するように そのあと、日本武尊は尾張国(現在の愛知県西部)にたどり着き 「宮簀媛」(みやづひめ)と婚姻 宮簀媛のもとで休息を取ったのち 「伊吹山」(岐阜県と滋賀県の境にある山)の神を 征伐しに向かうことになったが 日本武尊は草薙の剣を 宮簀媛のもとに置いたまま旅立つ 草薙の剣を帯びていなかったからか 日本武尊は敗北する 三重県の鈴鹿山脈付近で死亡 その後、草薙の剣は宮簀媛によって 尾張国に祀られ 草薙の剣を主座に配した熱田神宮が 建立され現在まで続いている 時は流れ源平合戦で平家は都落ちをした際 平家一門に擁立された 幼い「安徳天皇」(あんとくてんのう)と共に 三種の神器を携えて逃亡 西国で態勢を立て直し 新しく朝廷を開こうとしていたが 「壇ノ浦の戦い」は源氏の勝利で幕を下ろす このとき幼い安徳天皇を 母「二位尼」(にいのあま)が胸に抱き 草薙の剣を伴って入水 朝廷で祀られていた形代の草薙の剣は 平家滅亡と共に海の底に沈んでいる (熱田神宮/Atsuta Jingu) https://www.instagram.com/p/Ci7U0Bzvif5/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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herbiemikeadamski · 2 years
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 7月30日(土) #先負(甲戌) 旧暦 6/10 月齢 9.4 年始から211日目(閏年では212日目)にあたり、年末まであと154日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 昨日は熊本に行ってスケールのデカさに 驚いた山に囲まれた青々とした大地 が素晴らしく綺麗なんだが、何処行 くにも車で30分〜40分かかる酷い のは流石に車社会なので数が多くて 通勤時間帯は大渋滞らしい、なので 余裕見るには一、ニ時間は前に行動 しないと目的の時間に間に合わない そうである🤚これは、こっちから 行った方の談なので地元の方は別な 要領を心得てるのかも知れない😅💦 何にせよ熊本と云っても市街地では なく郊外の方なので何をづるんでも 移動が難点である🤚折角なので熊本 の市街地を見学しに行き熊本城を見 て来たけど立派でした🤣😆🤣熊本 は美女も多いと口を揃えて私に云う のだが、私に何を求めてるんデショ🤣 それより食い気なので馬刺しが旨い のが感動でした🤚空港で折角なので 馬刺しで一杯の独り「おつかれさん」 して帰ってきました😅💦ところで 今朝も贅沢でジョナサンでモーニング鉄火丼。 「#本まぐろの鉄火丼モーニング」w 発見なんだけど、納豆をトッピングする とヤバイです🤣😆🤣ズラ旨過ぎる💡 . 今日一日どなた様も💁‍お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #インディアナポリス撃沈. 大東亜戦争も末期の1945(昭和20)年7月30日(月)先負.午前0時15分、北緯12度02分 東経134度48分の地点で日本海軍の潜水艦「伊号第五八」が  広島と長崎へ投下されることとなる原子爆弾用の部品と核材料をテニアン島へ輸送後、単独でレイテ島へ向けて航海中の巡洋艦インディアナポリスを撃沈した。  九五式魚雷を 初回発射3本、数秒おいて2回目発射3本の計6本を全門発射したうちの3本が右舷に命中、船体を鋭く貫いた魚雷が大爆発した。  時差発射した2回目の魚雷が、1発目が船体に開けた穴に入り込み奥���爆発、艦内第二砲塔下部弾薬庫の主砲弾を命中と同時に誘爆させ、同艦は  夜空に大きく火柱を吹き上げ艦前半部を海に突っ込み、しばし浮いていたが、12分後に転覆、沈没した。  乗員1,199名のうち約300名が攻撃で死亡し、残り約900名は救命ボートなしで海に浮かんでいたが、水、食料の欠乏、海上での体温の低下、気力の  消耗により乗組員達が意気消沈してる中、鮫の襲撃に遭うのも併せて多数の死者を出した。5日後に哨戒機に発見され救助が来るまでに最終的に  生存者は僅かの316名であった。一方、日本軍の伊号第五八側は無線情報で重要艦船の遭難とアメリカ側が大騒ぎしているのに気づいてたが救助が  出来る程の救命ボートも無い事で救助が出来ないと手出しが出来なかったのだと思われるが、日本本土の攻撃の為の原子爆弾部品の輸送船だとは  後に知る事になるだろうが、もし、これが輸送前で荷があったら万々歳であったが惜しい話しであるが、この件でアメリカに更に逆恨みをかった様。  輸送後と輸送中では、もしや歴史も大きく変わったのではないでしょうか?いずれにしても日本軍はアメリカ軍の対軍人同士の戦争事であり合法デス。 . #友引(トモビキ). . #大明日(ダイミョウニチ). . #神吉日(カミヨシニチ). . #月徳日(ゲツトクビ). . #お母さんが夢に乾杯する日. . #消費生活協同組合の日(#生協の日). . #十方暮入り(ジッポウグレイリ). . #生サーモンの日. . #梅干の日. . #モスラ上映公開. . #プロレス記念日. . #ターザンの日. . #東北自動車道全通記念日. . #明治最後の日. . #EPAの日(毎月30日). . #みその日(毎月30日). . #サワーの日(毎月30日). . #キャッシュレスの日(毎月0の付く日). . #ドッグデー期間(7/23~8/23犬の日)#ドッグデイズ. . #バヌアツ独立記念日. . . ■今日のつぶやき■. #先んずれば人を制す(サキンズレバヒトヲセイス). 【意味】 人よりも先にものごとを行えば、有利な立場に立つことができる、という教え。 . . 1979(昭和54)年7月30日(月)赤口. #岡部玲子 (#おかべれいこ) 【元アイドル、タレント、レポーター、モデル、競馬キャスター】 〔東京都〕 . . (ジョナサン 上石神井店) https://www.instagram.com/p/CgnY_0Lv4NQXhFoSA3PQoJqgIpBCr2Tl7EhYdg0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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shintani22 · 2 years
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2022年4月29日
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2022 明治安田生命J1リーグ 第10節 清水エスパルス 2-2 サンフレッチェ広島@IAIスタジアム日本平 9765人/20分 チアゴサンタナ、68分 森島司、70分 チアゴサンタナ、80分 柏好文
J1第8節 広島 1-0 福岡@Eスタの試合当日(4月10日)試合前に欠場が決まった塩谷司と野津田岳人がベンチ復帰・後半開始から出場
雨中激戦はドロー決着! 清水は2度のリードも“4月無敗”広島を振り切れず(ゲキサカ)
J1リーグは29日、各地で第10節を開催した。清水エスパルスのホームで行われたサンフレッチェ広島との試合は、2-2のドロー決着。清水は4試合連続の引き分け。広島は今月無敗を継続している。
今季ホーム初勝利を目指す清水と4月を負けなしで締めくくりたい広島の一戦は、雨脚が強くなる中、GK権田修一とGK大迫敬介の両守護神の好判断が光る。
前半16分にピンチを迎えた大迫は、ミドルレンジから放たれた清水MFホナウドの強烈なシュートをあえて弾き、構えを整えてセカンドシュートに対応。FWチアゴ・サンタナのボレーシュートは枠を外れて難を逃れた。権田もキャッチング、パンチングを使い分けてゴールを死守。攻撃陣の奮起を待つ。
すると、ホームの清水が先にスコアを動かした。前半20分、敵陣左サイドでボールを受けたDF山原怜音が右足に持ち替えてゴール前にクロスを送ると、サンタナがヘディング弾。サンタナの今季初ゴールで先制に成功した。
清水の1点リードで前半を折り返すと、反撃に出たい広島は、後半開始からMF松本泰志、MF東俊希、FWジュニオール・サントスに替えてDF塩谷司、MF野津田岳人、FWナッシム・ベン・カリファの3人を投入。今月25日に加入発表があったベン・カリファはJリーグ初出場となった。
広島はそのベン・カリファをターゲットに攻撃を展開。後半23分には右サイドでボールを受けたFW森島司のクロスにベン・カリファがダイビングヘッド。しかし、枠を捉えることはできなかった。それでも、清水ディフェンスがベン・カリファに警戒を強めると、周りの選手がフリーに。同点弾が生まれた。
広島は後半23分、左サイドでボールを受けたMF柏好文が右足でゴール前にクロス。清水のセンターバック2枚がベン・カリファを挟む形でポジションを取ると、ファーサイドの森島がフリーとなり、そのままダイレクトでゴールに突き刺した。
同点を許した清水だが、すぐさまリードを奪う。後半25分、ボックス内右からMF中山克広がクロスを送ると、ファーサイドから走り込んで来たMF宮本航汰がヘディングシュート。広島ディフェンスがブロックしたこぼれ球をサンタナが押し込み、ゴールネットを揺らした。
再び1点を追うこととなった広島は後半35分、左サイドのコーナーキックを野津田が蹴り込むと、DF佐々木翔が頭で合わせたボールを権田がファンブル。そのボールに反応した柏が詰めて試合を振り出しに戻した。
試合はその後互いにゴールに迫るもスコアは動かず、2-2の引き分け。勝ち点1を分け合った。
【広島】柏好文が日本人年長3位のJ1通算30得点目「クロスからは練習通りの形」(日刊スポーツ)
サンフレッチェ広島MF柏好文(34)が1得点1アシストと活躍した。0-1の後半23分に左からのクロスでMF森島のゴールをアシスト。すぐに勝ち越しを許したが、同35分には左CKからのこぼれ球に素早く反応して右足で押し込んだ。
これでチームはリーグ戦5戦負けなし。試合後のインタビューでは「クロスからは練習通りの形。セットプレーも時間を割いてやっているので練習の成果が2得点に表れた。これから連戦が続くけど、チームとして自信を持ってやっていければいい」と話した。
貴重な同点ゴールは今季リーグ戦初、J1通算30点目。34歳9カ月での通算30得点到達は、日本選手ではDF中沢佑二(横浜)の36歳2カ月、MF伊東輝悦(清水)の35歳6カ月に次ぐ歴代3位の年長記録となった。23日のルヴァン杯徳島戦(4-0)に続くゴールで、ベテランサイドアタッカーが健在ぶりを示した。
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2021-22 Yogibo WEリーグ 第19節 INAC神戸レオネッサ 3-2 サンフレッチェ広島レジーナ@ノエビアスタジアム神戸 2301人/8分 オウンゴール、12分 田中美南、26分 田中美南、41分 川島はるな、48分 上野真実
[WEリーグ]初代王者決定お預けも…INAC神戸は開幕から16戦不敗継続、次戦は自力Vへ(ゲキサカ)
歓喜の瞬間はお預けとなった。
WEリーグ初代王者が目前に迫るINAC神戸レオネッサがホームでサンフレッチェ広島レジーナを3-2で下し、6連勝で開幕からの16戦不敗を継続させた。
しかし1時間遅れで試合を行っている試合で、2位・三菱重工浦和レッズレディースがアルビレックス新潟レディースに2-0で勝利した。浦和Lが引き分け以下に終われば、I神戸の優勝が決まることになっていたが、神戸での今季最終戦で優勝を決めることは出来なかった。
I神戸が序盤から得点を重ねた。まずは前半8分にFW田中美南のシュートをGKが弾いた跳ね返りを、MF中島依美が狙う。これがDFがかき出したボールがGKの後部に当たって跳ね返るラッキーなオウンゴールになり、先制に成功する。
さらにI神戸は前半11分にFW高瀬愛実のスルーパスから田中が右足で豪快に蹴り込みリードを広げると、同26分にはMF水野蕗奈の左クロスをワントラップで収めた田中が左足でゴール右隅に蹴り込む。昨日28日に28歳の誕生日を迎えた代表FWが、今季初の複数得点を決めて、点差を3点に広げる。
しかし広島も前半41分にFW川島はるなのコントロールショットで反撃を開始。さらに後半に入ってすぐの3分にはFW谷口木乃実のクロスから川島がヘッド。これはクロスバーに当たって跳ね返ったが、こぼれ球をMF上野真実が粘って押し込む。I神戸は今季初の複数失点で、楽勝ムードが一変してしまう。
その後も一進一退の緊張感のある展開は続く。後半18分にI神戸はGKからのロングボールで裏に抜け出した田中がGKと1対1のビッグチャンスを迎えるが、シュートは枠上に外れていく。広島も同23分、上野がゴール中央から右足で強烈なシュートを放つが、枠左に外れていった。
試合が何とかI神戸が逃げ切った。浦和Lが勝利したことで優勝決定はお預けとなったが、残り4試合で勝ち点差は12。5月4日に今度は敵地で対戦する広島戦に勝利すれば、自力で優勝を決めることになる。
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神戸市長、ツイッターやめます マスク氏買収「さらに状況悪くなる」(朝日新聞)
神戸市の久元喜造市長は27日、自身のツイッターにアカウントを近日中に削除すると投稿した。「事実無根、歪曲(わいきょく)された書き込みに悩んできた」とし、「この辺が潮時かもしれません」とつづった。
投稿は27日午後10時ごろ。「市政や神戸の情報発信のつもりでやってきましたが、もう限界」と書き込んだ。
米電気自動車大手テスラのイーロン・マスク最高経営責任者が米ツイッターを買収することにも言及。マスク氏が表現の自由を強調して投稿の削除などに慎重な姿勢を示していることを念頭にしてか、「マスク氏の買収で状況は更に悪くなるでしょう」と記した。
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【本日 (4/29)の広島県内の感染状況】(広島県)
3年ぶり行動制限なしのGW 広島駅は帰省客らで混雑(広島テレビ)
ゴールデンウィーク初日、県内では30ミリから40ミリ余りの雨が降った。それでもJR広島駅では、足早に移動する旅行や帰省の人が目立った。
新幹線の下りが、早くもピークとなった。JR西日本によると、新大阪発午前8時21分広島着の「さくら」などの自由席乗車率が、90パーセントとなった。
■大阪から帰省した女の子 Qどんなことをしたい? 「公園に行ったり、ご飯モリモリ食べてお姉ちゃんになりたい」
■兵庫から広島へ旅行の男の子 「おばあちゃんと一緒にずっと過ごしたい。宮島とか行ってみたかったから」
新幹線の「上り」のピークは、来月5日の見込みだ。
鞆の浦の「観光鯛網」が3年振りに復活した。2隻の漁船の間に網を張り、鯛の群れを追い込む江戸時代からの伝統漁法を再現…。福山市の「無形民俗文化財」に登録されている。雨にもかかわらず約100人が訪れた。
■男の子 「楽しかった」
■父親 「感染対策しながらイベントを増やしてもらえたら子どもたちも喜ぶので、いいのかなと思う」
今年はゴールデンウィーク期間中の5日間のみの開催で、予約はすでに埋まっているという。
こちらも3年振りの開催となった「呉みなと祭」。例年約30万人が訪れていたが、今年は規模を大幅に縮小。会場を2か所の屋内ホールに限定して、海上自衛隊の音楽隊による演奏や子どもたちのダンスなどが披露された。
■親子 「コロナ禍でこういうイベントがなかったので見れて嬉しかったし楽しかったし感動した」
■古江正彦記者リポート 「こちらはリニューアルオープンしたばかりのアルパークの西棟です。連休が始まったということもあって多くの人で賑わっています」
2年振りにオープンした広島市西区の大型商業施設「アルパーク西棟」…。世界最大の販売面積を誇る「無印良品」は、約7500種類の自社商品すべての品揃えを謳うだけあって、多くの買い物客が訪れていた。
■父親 「新しくなってさっそく見に来ようと思って。きれいになってショッピングも楽しくできると思う」
■女の子 「すごいと思った」 Qどんなところがすごい? 「いろんなものが売ってるところ」
そしてこんな動物も…。30種類以上の動物を間近で見ることが出来るカフェでは、家族連れらが触れ合いを楽しんでいた。
3年振りに始まった行動制限なしのゴールデンウィーク…。今後1週間は高気圧に覆われ、晴れる日が多いという。
大型連休 使うお金は?旅行増で去年の1.4倍に 大手生保調査(NHKニュース 4月30日)
ことしの大型連休中に使うお金は、旅行に出かける人が増えることなどから、2万9500円余りと去年の1.4倍になるという調査結果がまとまりました。
大手生命保険会社の明治安田生命が先月下旬に全国の20代から70代を対象にインターネットで実施し、1620人から回答を得た調査によりますと、大型連休の過ごし方は、▼「自宅で過ごす」が56%で、最も多くなりましたが、去年と比べて8ポイント減りました。
その一方で、▼「国内旅行」は11.2%と、去年より6ポイント増えたほか▼「帰省」や「アウトドア」も増えました。
また、大型連休中に使う金額をたずねたところ、平均で2万9544円となり、去年と比べて9000円余り、率にして44%増えました。
国内旅行や帰省などに出かける人が増加し、連休中に使うお金も増えた形ですが、感染拡大前の2019年の4万7200円は大きく下回っています。
明治安田総合研究所の小玉祐一 フェローチーフエコノミストは、「これまでの反動で旅行需要が高まっているが、今後の消費の回復に、物価上昇の影響がどのように出てくるか注意する必要がある」と話しています。
東京都 新型コロナ 3893人感染確認 先週金曜日より1500人余減(NHKニュース)
新型コロナ感染者数 人口多い地域中心に減少も21道府県で増加(NHKニュース)
新型コロナウイルスの新規感染者数を1週間平均で比較すると、東京都や大阪府など人口の多い地域を中心に全国では減少が続いている一方、北海道や九州などの21道府県で増加していて、感染状況に差が出ています。
NHKは各地の自治体で発表された感染者数をもとに、1週間平均での新規感染者数の傾向について前の週と比較してまとめました。
全国では▽先月31日までの1週間では、前の週に比べて1.17倍、▽今月7日は1.04倍、▽今月14日は1.06倍と3週連続で前の週より増えていましたが、▽今月21日は0.85倍、▽28日まででは0.94倍と2週連続で緩やかな減少となっていて、一日当たりの平均の新規感染者数はおよそ3万9776人となって���ます。
感染者数は東京都や大阪府など人口の多い地域を含む26都府県で横ばいから減少になっている一方、九州や東北の一部、北海道、北陸など21道府県で増加しています。
沖縄県 人口10万当たりの感染者数が全国最多
沖縄県は▽今月14日までの1週間は前の週の1.17倍、▽今月21日は1.04倍と5週連続で増加していましたが、▽28日まででは1.00倍と横ばいになっています。
一日当たりの新規感染者数はおよそ1372人で、直近1週間の人口10万当たりの感染者数は654.39人と、全国で最も多くなっています。
関東1都3県の状況
東京都は▽今月14日までの1週間は前の週の1.01倍でしたが、▽今月21日は0.79倍、▽28日まででは0.86倍と2週連続で減少していて、一日当たりの新規感染者数はおよそ5051人となっています。
神奈川県は▽今月14日までの1週間は前の週の1.03倍、▽今月21日は0.80倍、▽28日まででは0.86倍で、一日当たりの新規感染者数はおよそ2726人となっています。
埼玉県は▽今月14日までの1週間は前の週の1.01倍、▽今月21日は0.73倍、▽28日まででは0.87倍で、一日当たりの新規感染者数はおよそ2157人となっています。
千葉県は▽今月14日までの1週間は前の週の0.96倍、▽今月21日は0.72倍、▽28日まででは0.90倍で、一日当たりの新規感染者数はおよそ1678人となっています。
大阪府・京都府・兵庫県では
大阪府は▽今月14日までの1週間は前の週の1.05倍、▽今月21日は0.81倍、▽28日まででは0.91倍で、一日当たりの新規感染者数はおよそ2908人となっています。
京都府は▽今月14日までの1週間は前の週の1.00倍、▽今月21日は0.89倍、▽28日まででは1.05倍となっていて、一日当たりの新規感染者数はおよそ859人となっています。
兵庫県は▽今月14日までの1週間は前の週の1.06倍、▽今月21日は0.88倍、▽28日まででは0.87倍で、一日当たりの新規感染者数は1479人となっています。
東海3県の状況
愛知県は▽今月14日までの1週間は前の週の1.07倍、▽今月21日は0.81倍、▽28日まででは1.02倍となっていて、一日当たりの新規感染者数はおよそ2220人となっています。
岐阜県は▽今月14日までの1週間は前の週の1.10倍、▽今月21日は0.89倍、▽28日まででは1.04倍となっていて、一日当たりの新規感染者数は569人となっています。
三重県は▽今月14日までの1週間は前の週の1.04倍、▽今月21日は0.85倍、▽28日まででは0.87倍で、一日当たりの新規感染者数はおよそ447人となっています。
感染者が増加傾向の地域など
北海道は▽今月14日までの1週間は前の週の1.13倍、▽今月21日は1.10倍、▽28日まででは1.08倍となっています。
一日当たりの新規感染者数はおよそ2654人で、直近1週間の人口10万当たりの感染者数は355.62人と、全国で3番目に多くなっています。
広島県は▽今月14日までの1週間は前の週の1.12倍、▽今月21日は0.91倍、▽28日まででは0.94倍で、一日当たりの新規感染者数はおよそ939人となっています。
福岡県は▽今月14日までの1週間は前の週の1.11倍、▽今月21日は0.87倍、▽28日まででは1.03倍となっていて、一日当たりの新規感染者数はおよそ2259人となっています。
佐賀県は▽今月14日までの1週間は前の週の1.28倍、▽今月21日は1.09倍、▽28日まででは0.89倍となっています。一日当たりの新規感染者数はおよそ431人で、直近1週間の人口10万当たりの感染者数は372.18人と、沖縄県に次いで全国で2番目に多くなっています。
このほか、▽石川県は28日までの1週間は前の週の1.22倍、▽島根県は1.21倍、▽長崎県は1.23倍、▽大分県は1.21倍などと増加の幅が比較的大きくなっています。
東京医大 濱田特任教授「感染者数が再び増える可能性高い」
感染症に詳しい東京医科大学の濱田篤郎特任教授は、現在の感染状況について「ここ1、2週間、全国的には減少はしているが、増加に転じているところが少し多くなっている。大型連休になると、人と人との接触が増え、旅行などで移動の機会も多くなるため、感染者数が再び増えていく可能性は高いと考えられる」と話しています。
新型コロナの感染が始まってから初めて、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が出されていない状態で大型連休を迎えたことについて、濱田特任教授は「久しぶりの会食や旅行をしてもかまわないが、感染の第6波の中で大型連休を迎えていることを忘れずに、予防対策をとりながら楽しんでほしい。感染状況には地域差があるので自分が連休中に行動する地域の感染状況を確認することや検査で自分が感染していないことを確かめたうえで行動することが大事だ。そして、マスクや手洗い、密を避けるなどの対策は日頃よりもある程度強めにやっていただきたい。旅行から帰ってきて体調が悪い場合は早めに医療機関などで検査を受け、診察を受けてほしい」と話しています。
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清華大学の法学者、許章潤氏が7月6日、当局に拘束された。(12日に釈放されたが、その件についてはのちに述べる。7月8日公開「習近平政権が改革派言論人を逮捕してまで封殺したかった『批判の中身』」参照、以下、許先生と表記する)。
許先生が捕まったという知らせが入ったのが、7月6日の昼過ぎ、友人の大学教授、Tさんからのメッセージだった。
許先生と親交のあり、共通の友人である北京のKさんから「許先生の自宅の周囲に20台ほどの車が停まり、許先生が連行された」と涙ながらに電話があり、筆者にも伝えてほしいとことづてがあったという。早速Kさんに電話を掛け、同様の内容を直接聞いた。
以前も少し書いたと思うが、許先生とは3年前、来日した中国の自由派知識人グループから案内役を頼まれた旅行で知り合った。
箱根で、許章潤・清華大学教授(筆者撮影)
箱根と伊豆を2日半で回る旅で、筆者は宿や食事の手配からレンタカーの運転、観光地でのガイド役と、彼らの短い旅を満足してもらえるよう、できる限りの「おもてなし」をした。夜、箱根の静かな温泉街を、許先生と2人で歩いたのを覚えている。
ただ正直なところ、その時は許先生について多くを知らず、ましてやその後彼がこのような運命をたどるとは、全く予想していなかったので、あまり深い話はできなかったが、大変物静かな印象だった。
翌日、元箱根から箱根湯本に戻るバスが観光客で満員となり、かろうじて1人分の座席が取れたので許先生に勧めたところ、「クーティエンジュン(古畑君、彼は私のことをこう呼ぶ)は私たちのために大変な思いをし、疲れているのだから座ってください」と固辞され、1時間近く運転席の横で静かに立っていた。全く偉ぶったところがなく、しかも辛抱強い人だと感心した。許先生とは帰国後、メールのやり取りを続け、何本か論文を送ってもらった。
許先生はその約半年後、東大の訪問学者として再び来日、約半年間を東京で過ごしたが、その間の2018年7月、習近平政権を厳しく批判する「我々の現在の恐れと期待」をネットで発表した。帰国が迫っている先生にできればお会いしたいとダメ元でメールを送ったところ、すぐに返事があり、T教授とともにお会いした。
「自分は帰らなければならない」
その時の経緯は以前も書いたが、帰国すれば危険が待っているのではとたずねたところ、「自分は帰らなければならない。国外で声を上げても仕方がない。国内にもこういう声があるということを示さなければならない」と決心を語られたのだった。
ただ正直なところ、先生はその時、清華大学を辞めさせられ、地方の大学に左遷されるのではないかと話しており、学術会議などで再び国外に出られるかどうか、それが大学や当局が自分をどう見ているかの判断基準となるだろうと語ったが、その後の運命は彼の予想を上回る苛烈なものだった。
許先生とは、帰国後も微信などで連絡を取り合っていた。しばしばアカウントが停止されるため、友人から新しいアカウントを教えてもらっては、連絡を取り、無事を確認した。最後に連絡をとったのは5月。「また連絡が取れましたね」「いつか会える日を心待ちにしています」とのメッセージを送り合った。
だが、処分が厳しくなり、教育や研究の機会を奪われると、許先生が書く内容は以前にもまして厳しくなり、当局の逆鱗に触れるのではないかと心配していた。
だから今回のニュースを知っても、「とうとう来るべきものが来たか」というのが正直な印象だった。先生自身も、今年初めに出した「激怒する人民はもはや恐れていない」の中で、「自分がこの文章を発表することで処罰されることも覚悟しており、これが最後の執筆になるかもしれないが、責任逃れはしない」と覚悟を述べていた。
香港問題が引き金か
とはいえ、今回の「買春」という容疑は先生の上述のような人柄を考えたら、全くもって理解できず、許しがたい。
米コロンビア大学のアンドリュー・ネイサン教授はVOAのインタビューで次のように批判した。「(拘束に)驚きはしなかったが、ショックだったのは、中国政府がこの憲法の下でいかなる違法行為をしていない、非常に傑出した教授をこれほど厳しく弾圧したことだ。言論の自由を行使した許氏に対し、当局は『買春』という罪を着せた。このことで恥をかくのは許氏ではなく、中国政府の方だ。今回の事件は、中国の体制がいかに全体主義化したかを示している」
だが、「香港国家安全維持法(国安法)」を香港基本法の原則に反して導入し、言論統制を一気に進めた香港への対応や、攻撃的な「戦狼」外交を見ても、体制維持のためには外国から何を言われようがなりふり構わず突き進む「振っ切れ感」が今回の許先生への対応につながったとの指摘もされている。ある中国人学者の知人はこう語っている。
「習近平は許章潤氏を憎んでいたが、ずっと我慢していた。おそらくは世論への配慮だろう。だが香��問題で、共産党は赤膊上陣(上半身裸で戦いに加わる、何も気にすることなく物事を行う)し、横暴にも香港の自由を奪った。覆っていた布をすべて取り去ったのだから、何のためらいもなく以前から捕まえたかった許氏を捕まえたのだろう」
「香港問題と今回の事件は関係があるだろう。どのみち恥知らずのことをしたのだから、もう1つそれを重ねるのを恐れることはなくなったのだ」
さらに「習近平は決して自分に対する批判を許さない。共産党を厳しく批判しても、彼は許すかもしれないが、自分に対するたとえ温和な批判でも、決して許さず、必ず報復する。ある友人が警察に呼び出された時、警察からは『政府を罵ってもいいが、習主席を絶対に罵ってはいけない』と言われたという」と語った。
最近でも習近平を「権力を渇望する道化役者」などと批判した著名企業家、任志強氏や、新型コロナウイルスへの対応を批判、習の引退を求める文書を発表した法律家、許志永氏らが当局に拘束されている。
それでも許先生を知る知識人の中には、自分たちの思いを許先生は1人で代弁してくれたという声がある。友人で作家のY氏は、筆者に次のように述べている。
ちなみにY氏によると、許先生は1989年の天安門事件当時、中国政法大学の教員で、自らデモやハンガーストに参加したのだという。
「誰かが真実を語らねばならない」
「許章潤先生はここ2年の間、共産党が自分の権利を奪ったことを厳しく批判、特に習近平本人の行為について厳しい批判をしていた。これが逮捕された真の理由だ」
「ある会合で、彼は『どんな時でも、誰かが立ち上がって本当のことを言わなければならない』と語っている。彼はこのことを自分の責任だと感じていた。彼の一連の文章が発表されると、中国の知識人の間に大きなセンセーションを生み、多くの人は彼の勇敢さをほめたたえたが、一方で政府から報復されるのではないかと心配する人もいた」
「ここ数年中国の言論の自由はますます悪化している。体制に異を唱える人々の立場はますます厳しくなっている。許先生の言論は時代の問題を鋭く突き、最も危険な話題から逃げることがなかった。彼はだがこれにより自分にどのような結果が及ぶかは分かっており、すでにそのための準備をしていた」
「彼が警察により連行されたという情報はソーシャルメディアで大きな関心を呼んだ。多くの人が彼の待遇が不公平だと感じ、共産党政権による残酷な管理強化の現れだと受け止めた」
このように語るY氏に「許先生の思想には自分も賛同するが、現在の厳しい言論統制の下で、やり方がやや急進的ではなかったか。他の表現の方法もあったのではないか」と聞いてみた。これに対し彼はこう語った。
危険を知りつつも…
「彼の言論は『急進的』ではなく『危険』と言うべきだ。確かに、最も危険な言論であり、間違いなく報復されるであろう言論だった。だが、許先生の文章が広く尊重されるのは、彼の道徳的勇気のためだ。彼は国民全体に向かって、多くの人々が言いたいが言う勇気がないことを敢えて語ってくれた。現在の中国では、(直截的ではない)よりましな表現方法など私も思いつかない。隠喩式の、指桑罵槐(しそうばかい、遠回しに批判する)の言論すら削除され、処罰される。許先生はこの点を見抜き、思い切って立ち上がり、正々堂々と自分の主張を明確に述べたのだ」
そして、最後にこう語った「ある会合で、彼は次のようなことを言っている。つまり、勇敢とは、危険を知りつつも、それでもやらねばならぬことをやることだと」
つまり、彼は為政者に決しておもねることなく、言うべきことを正々堂々と言う、危険な道を自ら選んだ。このことが彼に対する共感を生んだのだ。
香港の著名な作家、顔純鈎氏もフェイスブックへの投稿で、次のように許先生を評価している。
「許章潤先生は今日最も勇敢な読書人(知識人)である。彼は民間の正気(正しさを貫く気概)を代表し、埋没することない民族精神を代表している。共産党は彼を捕まえたが、彼の声を消し去ることはできないばかりか、人々により深い影響を与え、彼の歴史的な地位はより崇高なものとなるだろう」
許先生が拘束される直前、彼のこの間の主要な論文をまとめた著書が米国から出版された。許先生はこの「戊戌六章」という著書の序文で、次のように書いている。
「立憲民主、人民共和の国家を」
「この書の目的は、人々の思考を刺激し、精神を凝集し、心を合わせて『中国の問題』を解決し、『立憲民主、人民共和』の公共の邦家(国家)を作るためにある。このような大きな転換をしなければ、中国は現代世界の体系に生き残ることはできず、人々の平安や文化の発展など論外だからだ。この公共の邦家がなければ、祖国は党の全体主義の植民地であり、人々はみな搾取される人質にすぎない。この世の中の正しい道に逆らい、赤い帝国へと突き進むのならば、行き止まりが待っているだけだ」
そして「中国が100年の紆余曲折を経て、再びスタートラインに戻るには、世界文明の体制に順応し、その正しい道をひたすら進み、新たな中国の文明を建設し、新しい中国を作ることにかかっている。さもなければ、ここ数年の中国のように再び世界の主流から孤立するのであり、その危機がすでに現れている。大きな転換が実現しなければ、天地は荊棘(いばら)のようであり、人々は安住することができない。人々が恐れおののき、国全体が不安に満ちたなら、この国土と人々はどうして平安を保つことができるだろうか」
つまりは中国が憲政による民主主義を実践し、国や社会の大転換を図ることが、新たな社会参加の力を得て、世界の中で再び輝くことにつながる正しい道だと指摘しており、全くそのとおりである。だが現在の体制はこれに背き、国家主席終身制に代表される権力集中と憲政民主の否定、毛沢東時代への思想的回帰、そして国際的な協調路線からの離脱による危険な道を歩んでいる、つまりある著名な民主活動家が指摘したように、「改革」も「開放」も否定したのだ。
なおこの本は、許先生がこれまでに発表した論文をまとめたもので、香港での出版を予定していたが、香港の出版業者が難色を示したため、米国で出版されることになったという。グーグルで電子版の購入が可能なので、許先生の思想に興味のある方はぜひ先生を応援する意味でもクリックしてほしい。
さて、前述のように、今回の拘束は、香港問題と関係があるとのある知り合いの中国人が指摘している。
以前本欄でも書いたのだが、許先生と並ぶ著名な自由派知識人の張千帆・北京大学教授は、「英中共同声明」や「香港基本法」の精神に則り、一国両制度を完全に実施すれば、香港社会は安定すると述べていた。(「反発と羨望が入りまじる「香港デモ」中国社会の複雑な受け止め方」参照)
だが習近平政権はこれとは正反対の対応を取った。高度な自治という約束を破って、中国本土並みの厳しい言論統制を敷き、香港から自由と民主を奪おうとしており、すでに「物言えば唇寒し」という雰囲気が生まれており、フェイスブックでも中国に批判的な投稿がほぼ消えてしまった。
中国のネットでは、「港独(香港独立派)の害虫を退治する殺虫剤」などと「国安法」を称賛する文章もあるが、筆者の知る多くの中国人は、微信などのSNSで、この問題について沈黙を保っている。
それについて、友人のJ氏が許先生の問題と合わせて、次のように語ってくれた。少々長いが引用する。(前述のY氏を含めいずれも安全性が高いとされる通信アプリを使った。)
人々は分かっている
「西側国家は国安法について、中国が(人の意見に耳を貸さず)ひたすら独断専行していると批判している。だが中国は耳を貸そうとせず、2つの世界の分裂はますます深刻になっている」
「この問題は体制内外の両面から見る必要がある。体制内の人間は恐らく、5割くらいの人は(香港問題を含め)どういうことか分かっている。だが妄議中央(中央をデタラメに論ずる、共産党の方針を批判すること)が許されない規定に加え、18回党大会以降、(国家主席)任期を撤廃し、監視機関を強化し、国家機関を私物化し、無数のアプリによって公務員に対し(習近平に対する)個人崇拝の雰囲気を生み、人々を疲弊させ、(国や社会の)問題について考える時間を与えないようにするなど、体制内の人々の思想を統制し、自ら知り得た政府の内幕を外部に知らせないようにしている。同時に千万もの五毛党(お抱えネットユーザー)らを使ってネットを一掃し、虚偽の“民意”を作り出して権力者に奉仕している」
「一方、体制外の人々の2割は(真相を)分かっているだろう。だが高圧的な統治の下、ネットや現実社会の中で“真相”を語ったら、間違いなく当局による厳しい監視体制により、どんなに軽くても当局の呼び出しを受ける。(ましてや)許教授に降りかかる結果はすでに目に見えている」
「中国本土の人々が国安法をどうみているか?私の周辺の体制内の人間は決してこの問題に触れようとしない。人々は『立派に死ぬより見苦しく生きる方がいい』という処世術を持っている。だから何も語ろうとしないということが、彼らはどういうことか理解しており、つまりは(暗に)反対の態度を表明しているのだ。心から賛成しているのなら、口に出して言うだろう」
「香港はかつて最も人気のある留学先だった。学生は香港の大学の学歴を得ることは名誉だった。だが今彼らの夢を壊そうとしている人がいる。この国安法がどうして大衆の支持を得るだろう?だが(暴政の下で)人々は恐れて口に出せず、道で人とあっても目で合図するしかない。このことが民衆の態度をよく表している」
「外国の反対を権力者は全く意に介さない。それは、(1)防火長城(GFW、ネット規制)により真相を覆い隠している。(2)14億人の韭菜(ニラ、いくら刈っても生えてくることから、いくら搾取してもすぐに代わりがきくこと)を抑えておけば、必要な金はすぐに手に入り、外国の金など大したことではない。(3)彼らは中国を70年統治し、人々の生殺与奪の権利を握っている。人々は跪いて運命を受け入れるしかない―からだ。彼らはさらに14億人を従わせるのに満足するだけでなく、中国モデルを世界に拡散しようとし、その第1歩に香港を選んだのだ」
「彼らにとって、香港は(民主化運動を武力で弾圧した)1989年の北京のようだ。当時彼らは(西側からの制裁を受けたが、)幸運にも西側政府や資本から許しを得て、騙すようなやり方で世界貿易機関(WTO) に入り、山河を汚染し腐敗によって得た金で表面的な経済の繁栄を手に入れた。そして今彼らは香港で賭けに出た。だが彼らは勝てるだろうか?」
「実際には中国は彼らが吹聴するほど富強ではなく、各方面は崩壊に瀕し、骨まで腐っていると言える。でなければなぜあれだけ多くの官僚や金持ちが子女や財産を海外に移すだろうか。彼らはこの国がどのようであるか当然最も理解している。彼らはこのボロ船がいつかは沈むと分かっている。彼らはこの政権の巻き添えを食いたくないのだ。彼らこそ最もお見通しなのだ」
「中国人の中の中国人」
「許章潤さんは、権力者にとっては1匹のアリにすぎず、踏み潰すのに何の力もいらないだろう。だが中国の歴史の中では、彼は時事の良し悪しを論じ、権力者に向かって敢えて『ノー』と言う勇士であり、正々堂々とした中国人の中の中国人だ。彼は将来の中国の歴史の中で、その名前を刻むだろう」
彼やYさんのように、香港問題を含めて一定以上の知識と外国の情報にアクセスできる人々は事の本質を理解しており、許先生を支持している。問題は彼らが声を上げられないということだ。
許先生はこうした言論環境の中で、敢えて自分が声を上げたのだ。先生が書かれた「この世の中、いつも誰かが出てきて語らなければならない」という文章に、先生のこうした思いが述べられている。詳しくは紙幅の関係で紹介できないが、彼は最後にこう述べている。
「この世の中、いつも誰かが出てきて理を説かなければならないのだ。そうすることで人々が住むのにふさわしい世の中となる。誰が最初に声を上げるか、それは法律の天賦の才を持つ法律家が言うべきだ。社会には弁護士という職業がある。人々は弁護士を育てたのは、彼らに理を説いてほしいからだ。理にかなった、安寧な日々を人々が送るために、法律家、そして億万の同胞よ立ち上がれ!」
本稿を編集部に提稿後の12日、許先��が釈放され、自宅に戻ったというニュースが飛び込んできた。この件について、北京にいる友人、Kさんは筆者に次のように語った。
「許先生が釈放されたが、これで終わったわけではない。恐らく当局は、許先生を拘束し、国内外のメディアや社会、学者がどのような反応をするか、試してみたのではないか。それを踏まえて、次の手を打ってくる恐れがある。いずれにせよ、許先生は当局が最も警戒する知識人であり、我々もまだ安心できない」
我々としても、引き続き許先生の動向に関心を持ち、不当な処遇を許さないというメッセージを送り続けることが必要だろう。許先生には、ぜひ再び学者として活躍の場が与えられてほしい。そして日本を再び訪問し、前回の旅の続きをともにしたいと心から願っている。
(本稿は筆者の個人的見解であり、所属組織を代表するものではない。)
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