Tumgik
#和田山旅行
sarukotraveljapan · 1 year
Text
1万株の紫陽花が咲き誇るあじさい曼荼羅園 救馬渓観音 | Hydrangea mandala garden with 10,000 hydrangeas Salmakei Kannon Wakayama Japan
和歌山県上富田町にある救馬渓観音には6月を迎えると敷地面積約2000坪の園内に約120種約1万株のあじさいが咲き誇ります。 開園期間は6月1日~7月10日。 開園時間は10:00~15:00(最終入園) 救馬渓観音 https://www.sukuma.jp/ajisaimandara/index.html  
Tumblr media
View On WordPress
1 note · View note
kamigata · 2 years
Photo
Tumblr media
#酒田市 #日和山公園 #展望デッキ から見る #六角灯台 と #酒田港 #travel #旅行 #view #viewpoint #展望 #風景 #灯台 #公園 #park (日和山公園) https://www.instagram.com/p/Ckj4VJvBVtD/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
elle-p · 4 months
Text
Scan and transcription of the Persona 3 part of Newtype Magazine February 2016
Tumblr media Tumblr media
春、夏、秋を経て冬、理が出す答えを見届けて
監督 田口智久
死を見つめる季節のフィナーレに
第1章でコンテ、第2章で監督を務めてこられた劇場版「ペルソナ3」ですが、ファイナル・シーズンである第4章は、どのような気持ちで臨んだのでしょう?
田口 第3章で自分が監督としてかかわっていない劇場版「ペルソナ3」を見ることができたのが、刺激になりました。自分とはまったく違う方法論で構築されていて、僕がやったら確実にこうならないですし、なんというかジェラシーのようなものを感じまして。ああ、ペルソナって、こういうふうにつくることもできるんだ、と。それを受け止めることができたからこそ、第4章では、自分のやり方を突き詰めたフィルムにしなくてはと思いました。あとは、やっぱりフィナーレということでのプレッシャーが大きかったです。
第4章の物語の関となるのは?
田口 理と綾時の関係性ですね。そこヘシャドウの母体であるニュクスが襲来したり、それに伴ってみんなの心がダウナーになって⋯⋯という展開で、ずいぶん重いものになっています。でも、みんなが悩んでいる部分にしっかり尺を取って描いているので、映画ならではの見せ方ができているのでは、と思います。
理にスポットが当たっていきますが、どのように描きましたか?
田口 第3章に、理が旅館の池に落ちて笑うシーンがありますけど、あの理を経ての理をしっかり追っていこうと考えていました。今作では、抱えきれないほどの絶望を前に、悩み、立ち止まってしまうというところまで、みんなが落ちてしまうんですけど、そのなかで理が見つけ出す答えというのが、全4章通してのテーマでもあり、象徴的なセリフになっています。そして、それは、第3章で笑った理がいなければ、たどり着けなかった答えなんじゃないかな、と。
それから、綾時とアイギスも、重要な存在ですね。
田口 すごく極端な⋯⋯本当に超極端な言い方ですけど「綾時と理は両想い。アイギスは理に片想い」っていうのを、こっそり頭の片角に置いてました(笑)。もちろん僕独自の解釈なので、いろんなとらえ方をしてほしくもあるのですが。ただ、そうやって、アイギスがヒロイン然としているわけではないからこそ、ペルソナならではの仲間感が出る、というのもあるんですよね。
理と綾時に重点が置かれていくとなると、その二役を演じられている石田彰さんのアフレコもすさまじいものになったのでは。
田口 石田さんだけ別の週に理以外の綾時を中心とした声を録らせていただいてから、全体アフレコの週に理としてみんなといっしょに録らせていただいた感じなんですけれど、本当にすばらしかったです。演技に対するストイックさが本当にプロフェッショナルで、ご自身で「今のは少し綾時が出てしまったから」とリテイクを申し出てくださったり。
全体的にも、とてもスムーズなアフレコになったそうですね。
田口 圧倒的にスムーズでした。特に今回は静かなシーンが多くて、感情的にセリフを吐くような場面はほとんどないんですけど、その淡々とした空気感を成立させるのは難しいはずなのに、自然にスッとやってしまえるのがこのチームの方々の成せる技。こんなに研ぎ澄まされた現場は、なかなかないのではないかと。
細かな心情描写という意味では?画づくりにもこだわられたのでは?田口監督の描き出すダウナーな情景描写が楽しみです。
田口 カッティングが終わった後に、編集さんに言われたひと言が「暗っ!」でしたからね(笑)。刺されて死ぬとか大惨事が起こって死ぬとかのサスペンス的な死ではなくて、非常に観念的な死についての物語なので、精神的にどうやられていくかというのを、どう表現するかが課題で。光や色味の演出であったり、降ってくる雪の量で表現していきました。アニメで雪が降りつづけている作品もあまりないんじゃないかと思うんですけど、心情とマッチさせたいなあというところで、力を入れています。作画もすごいアニメーターさんたちが集まってくださっていて、誇張された動きというよりはリアル寄りの芝居をていねいに描いてくださっています。全然動いているように見えないところにも実は枚数が割かれていて、作画枚数もこれまででいちばん使っているんですよ。
最後に、今作を描くうえでの最大のポイントだったと考えるシーンを教えてください。
田口 ラストですね。それは第4章を担当すると決まったときから、見据えていたビジョンでもあります。第1章の春からともに季節を経てきた理と仲間たちが迎える、そのラストを見届けてほしいです。
#1 Spring of Birth
1日と1日のはざまに隠された影時間。そこにはびこる怪物・シャドウに襲われて、無気力症となってしまう者が町に続出していた。対抗できるのは、ペルソナという特殊な能力をもつ者だけ。春、私立月光館学園に転校してきた結城理は、ペルソナの力に覚醒し、同じくぺルソナの力をもつ者たちが集う特別課外活動部へと引き入れられる
#2 Midsummer Knight's Dream
夏休みに屋久島旅行に向かった特別課外活動部。そこでアイギスという女の子に出会う。彼女は対シャドウ特別制圧兵装のラストナンバーであり、なぜか理のそばにいることを望むのだった。理たちは影時間の謎を追いながら、さらに新たな仲間と出会い、きずなを深めていく。だがそこにストレガと名のる者たちが現われ⋯⋯
#3 Falling Down
季節は秋。特別課外活動部は、影時間を終わらせるため、シャドウや滅びを望むストレガとの死闘を重ねていた。ある者は仲間や家族の死と向き合い、ある者は護るべき者に気づき、ある者はこれまでの戦いの意味に葛藤する。そんなとき、理の前に謎の転校生、望月綾時が現われる。その出会いの先にあるものは⋯⋯
「PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth」
●1月23日土全国ロードショー
●第3章Blu-ray&DVD 1月20日水発売
WEB▶http://www.p3m.jp/
Twitter▶@P3movie
illustrated by YUKIO HASEGAWA, finished by SAORI GODA
background by BIHOU, text by HITOMI WADA
©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
STAFF 原作=「ペルソナ3」(アトラス) 脚本=熊谷純 スーパーバイザー=岸誠二 キャラクターデザイン=渡部圭祐 ペルソナデザイン=秋恭摩 プロップデザイン=常木志伸 色彩設計=合田沙織 美術監督=谷岡善王(美峰) 美術設定=青木薫(美峰) コンポジット&ビジュアルディレクター=高津純平 編集=櫻井崇 音楽=目黒将司、小林哲也 音響監督=飯田里樹 第4章監督=田口智久 制作=A-1 Pictures
CAST 結城理=石田彰 岳羽ゆかり=豊口めぐみ 伊織順平=鳥海浩輔 桐条美鶴=田中理恵 真田明彦=緑川光 山岸風花=能登麻美子 アイギス=坂本真綾 天田乾=緒方恵美 荒垣真次郎=中井和哉 イゴ ール=田の中勇(特別出演) エリザベス=沢城みゆき
75 notes · View notes
ryotarox · 2 months
Text
みんなが好きな「『百年の孤独』みたいな大河小説」ベスト10|秋永真琴
『楡家の人びと』北杜夫
『チボー家の人々』ロジェ・マルタン・デュ・ガール
『ブッデンブローク家の人びと』トーマス・マン
『大地』パール・バック
『千年の愉楽』中上健次
『べっぴんぢごく』岩井志麻子
『笛吹川』深沢七郎
『ルーツ』アレックス・ヘイリー
『アブサロム、アブサロム!』ウィリアム・フォークナー
『永遠の都』加賀乙彦
『警官の血』佐々木譲
『天冥の標』小川一水
『紀ノ川』有吉佐和子
- - - - - - - - - - - - - - - - 「響け!ユーフォニアム」も部活の年代記なのかも。
(順不同)
『ときめきトゥナイト』池野恋
『精霊たちの家』イザベル・アシェンデ
『嵐が丘』エミリー・ブロンテ
『炸裂志』エン・レンカ
『大聖堂』ケン・フォレット
『警察署長』スチュアート・ウッズ
『枯木灘』中上健次
『奇蹟』中上健次
『ワイルド・スワン』ユン・チアン
『邯鄲の島遥かなり』貫井徳郎
『平家物語』古川日出男/訳
『血脈』佐藤愛子
『源氏物語』紫式部
『奏で手のヌフレツン』酉島伝法
『俺の屍を越えてゆけ』桝田省治(ゲームデザイン)
『助左衛門四代記』有吉佐和子
『指輪物語』J・R・R・トールキン
『チグリスとユーフラテス』新井素子
『星へ行く船(他、コバルト文庫のシリーズ)』新井素子
『彼方なる歌に耳を澄ませよ』アリステア・マクラウド
『火星夜想曲』イアン・マクドナルド
『黎明の王 白昼の女王』イアン・マクドナルド
『灯台へ』ヴァージニア・ウルフ
『ジョイ・ラック・クラブ』エィミ・タン
『ウォーリアーズ』エリン・ハンター
『異形の愛』キャサリン・ダン
『王朝四代記』ククリット・プラモート
『ベルリン三部作(1919・1933・1945)』クラウス・コルドン
『六道ヶ辻シリーズ』栗本薫
『鳥の歌いまは絶え』ケイト・ウィルヘルム
『地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド
『征途』佐藤大輔
『あすなろ坂』里中満智子
『ケインとアベル』ジェフリー・アーチャー
『ゲームの達人』シドニィ・シェルダン
『氷と炎の歌』ジョージ・R・R・マーティン
『エデンの東』ジョン・スタインベック
『グリークス』ジョン・バートン/ケネス・カヴァンダー(編)
『リーマン・トリロジー』ステファノ・マッシーニ
『雪の練習生』多和田葉子
『鯨』チョン・ミョングァン
『火の山-山猿記』津島佑子
『レオポルトシュタット』トム・ストッパード
『地の果て至上の時』中上健次
『岬』中上健次
『彼女はマリウポリからやってきた』ナターシャ・ヴォーディン
『九時半の玉突き』ハインリヒ・ベル
『土地』パク・キョンニ
『レ・ミゼラブル』ビクトル・ユゴー
『棺のない埋葬』 ファン・ファン
『楊家将演義』作者不明
『デューン砂の惑星』フランク・ハーバート
『ゴッドファーザー』フランシス・フォード・コッポラ監督
『北京から来た男』ヘニング・マンケル
『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』堀井雄二(ゲームデザイン)
『舟を編む』三浦しをん
『櫂』宮尾登美子
『孟夏の太陽』宮城谷昌光
『血族』山口瞳
『華麗なる一族』山崎豊子
『大奥』よしながふみ
『血脈 西武王国・堤兄弟の真実』レズリー・ダウナー
『シンセミア』阿部和重
『流離譚』安岡章太郎
『雲の都』加賀乙彦
『ロマンシングサ・ガ2』河津秋敏(ゲームデザイン)
『サガフロンティア2』河津秋敏(プロデューサー)
『颶風の王』河﨑秋子
『リア家の人々』橋本治
『アラビアの夜の種族』古川日出男
『聖家族』古川日出男
『白夜を旅する人々』三浦哲郎
『導きの星』小川一水
『地図と拳』小川哲
『機動戦士ガンダムAGE(小説版)』小太刀右京
『われ逝くもののごとく』森敦
『本格小説』水村美苗
『始まりの魔法使い』石之宮カント
『夜明け前』島崎藤村
『カムカム・エヴリバディ』藤本有紀(脚本)
『男樹』本宮ひろ志
15 notes · View notes
kyoto4 · 2 months
Photo
Tumblr media
『 貨物列車で行こう!』長田 昭二 緒 (文藝春秋)
わたしも乗りたい。
第一章 ついに貨物列車に乗る! 貨物線を歩く/乗れないから乗りたい――そこにロマンがある/人知れず日本の物流を支える駅/極限までのスリム化/「拳一つ分」の隙間/動力車の拠点「機関区」/ついに貨物列車に乗る!/突然の鉄道無線/いよいよ「貨物専用線」に進入/東京で貨物列車を見ない理由 第二章 ルポ・東京貨物ターミナル 鉄道貨物の全容を見るべく「東京タ」へ/貨物列車に乗って貨物駅に向かう/「新鶴見信号場」とは/梯子段を上る「垂直乗車」/「ブレーキ、ゆるめーゆるめー!」/心躍る〝短絡線〟/「いよいよ来たか……」貨物列車は地下へ/羽田空港の下を通る点線=東京港トンネルへの憧れ/昭和で見た夢が令和に実現/添乗区間が延長した!/「東京タ」の構内をほぼ二往復/輸送量は毎年約一〇三%の伸び/高まる大型コンテナのニーズ/変わりゆく物流の仕組み/日本最大の貨物駅にある「中央研修センター」に潜入/異常生時の対応を学ぶシミュレーター/ここに座った以上は定時運行遂行の義務がある/「輸送指令」は〝二度呼び〟が基本/懐中電灯一つで長大な列車を点検 第三章 経営再建と未来の貨物輸送――JR貨物トップインタビュー 「変えるをよし」の企業風土が自信をもたらした/さらなる被害が予想される南海トラフ地震への対策/経営が厳しいJR旅客会社が増えた現状/貨物輸送の新提案・新幹線による鉄道輸送は?/総合的な輸送体系「モーダルコンビネーション」という概念/「安全」のための人材確保と労働環境の整備が不可欠/あらゆる物流の集積地点「東京レールゲートWEST」/銀行員、ハウステンボス……様々な経験から生まれた経営軸/「企業として安全はすべての基盤である」/原風景は「貨物列車のある情景」/「ベテランから若手へ」鉄道を支える、技術を受け継ぐ仕組み/運転士によるリレー方式――確立された輸送体系が強み/鉄道貨物が抱える問題をテクノロジーで解決できるか/従来の設備を有効活用「積替ステーション」/「空荷」を解消した「ビール列車」 第四章 広島車両所探訪記 重要拠点・広島/迂回運転を実現した「匠の技」/歴史を刻む広島車両所/「日本一」の車両所/全般検査と重要部検査奈々枝歴史ゆえの「使いにくさ」/「走って磨かれて輝く」車輪/時に親子、時に兄弟/機関車にはトイレがない/憧れの〝車掌車〟の現実/ベテランから若手へ「技の伝承」/車両所は「大きな家族」 第五章 「セノハチ」貨物列車添乗ルポ――広島貨物ターミナル駅‐西条駅 フィーダー輸送の拠点/数字に出てこない忙しさ/日本一のフォークリフトドライバー/営業面の司令塔/もし列車が遅れたら……信号扱い所の修羅場/〝途中下車〟できない貨物は……/鉄道マンにとっての〝難所〟はマニアにとっての〝名所〟/九州と首都圏を結ぶ物流の大動脈/居住性に優れた運転室/無線の通信に沸き上がる感動/普段乗れない貨物線を走行/本格的な上り坂へ――補機本来の業務開始/上り線には架線が二本/「ノッチオフお願いします。どうぞ」/登りきって連結を外す/「ポウッ!」遠ざかる本務機/待ち時間も切らさない集中力/「発車!」「進行!」一人ぽっちで走り始める/視界も広く、軽快に走る/帰りのほうが忙しい/シカ、イノシシ……夜に遭遇する動物たち/登りと同じ十三分で「瀬野八」を下り終える/列車は貨物専用線へ。時速八十キロで快走/廃車を待つ〝もみじ色〟の機関車/物流を支えるプロの技と知恵 第六章 「文藝春秋」を北に追え!――青函トンネル貨物列車添乗ルポ 大きなミッションを持って貨物列車に乗り込む/「文藝春秋」十月号の積み込みを見学/貨物の積み下ろしや旅客の乗降は行わない「青森信号所」へ/貨物列車でなければ通れない区間に感じるロマン/中村さんが席を譲ってくれた理由が判明/トンボが乱舞する田園地帯を疾走/青函トンネル五十三キロを貨物列車はひた走る/世界第四位、長大トンネルの入口/しばらくすると飽きてくる……運転士の眠気対策は/地上に出たと思ったら次々とトンネルが……/津軽海峡と函館山を望む〝絶景路線〟/急に無数の線路と並走するようになり……/三〇五九列車は定刻より二分遅れで到着/「北斗9号」で三〇五九列車を追跡/コンテナ貨物取扱量全国二位の「札幌タ」/十七時間五十分の鉄路の旅/「盛りだくさん」にもほどがある一日の終わり/一日半ぶりの対面/「イクラ丼」か「混載丼」か/「あとがき」に代えて
18 notes · View notes
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
Sean bienvenidos, japonistasarqueologicos, al segundo capítulo del japón prehistórico y seguir recorriendo sus lugares mitológicos y mágicos una vez dicho esto póngase comandos que empezamos. - Para continuar nuestro viaje, más vale tarde que nunca pero despacio y con buena letra. Nos trasladamos a Kuromatayama una montaña con forma de pirámide, que se localiza en la meseta de Nakadori en el distrito Towada Oyu de la ciudad de Kazuno , prefectura de Akita. - En la década de 1992,se realizó una encuesta académica y como resultado, aunque esta montaña actualmente está cubierta de tierra, se descubrió que era una estructura artificial de unos 7 a 10 niveles que llegaban desde la base hasta la cima. Además, se halló una cavidad a 10 metros por debajo de la cumbre, y es muy probable que alguien esté enterrado allí. - Espero que os haya gustado y nos vemos en próximas publicaciones mis amantes del mundo japonés, que pasen una buena semana. - 考古学者の日本主義者の皆さん、先史時代の日本の第 2 章へようこそ。神話と魔法の場所を旅し続けてください。そう言われたら、コマンドを入力して始めましょう。 - 旅を続けるには、遅刻しないよりはマシですが、ゆっくりと良い字で書きましょう。 秋田県鹿角市十和田大湯地区の中通高原にあるピラミッド型の山「黒俣山」へ移動します。 - 1992年代に学術調査が行われた結果、この山は現在は土で覆われているものの、麓から頂上まで7~10層程度の人工構造物であることが判明した。 また、山頂から10メートルほど下には空洞が発見されており、人が埋葬されている可能性が高い。 - 日本の世界を愛する皆さん、良い一週間をお過ごしください。 - Welcome, archaeological Japanists, to the second chapter of prehistoric Japan and continue touring its mythological and magical places. Once that has been said, put in commands and let's begin. - To continue our journey, better late than never but slowly and with good handwriting. We move to Kuromatayama, a pyramid-shaped mountain, located on the Nakadori Plateau in the Towada Oyu district of the city of Kazuno, Akita Prefecture. - In the 1992s, an academic survey was conducted and as a result, although this mountain is currently covered with earth, it was found to be an artificial structure of about 7 to 10 levels reaching from the base to the top. Additionally, a cavity was found 10 meters below the summit, and it is very likely that someone is buried there. - I hope you liked it and see you in future posts my lovers of the Japanese world, have a good week.
27 notes · View notes
kennak · 1 year
Quote
ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が��かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対��る世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違っ��ジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
85 notes · View notes
shunya-wisteria · 1 year
Text
Tumblr media
初夏に旅する上越・北信濃 - 長野・松代
初夏の長野 善光寺と松代を散策してみた。
上越妙高で一泊した翌日は、えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン、しなの鉄道 北しなの線を乗り継ぎ長野へ。
Tumblr media Tumblr media
長野に来たら善光寺、と言いつつ今回 初めての参拝。観光客でにぎわう参道を抜けて本堂へ。東日本最大級の国宝木造建築の壮大さに感服。本堂脇には昨年の御開帳の際にも話題となった回向柱と年月を重ね朽ち始めた歴代の回向柱を見学。巨大な本堂前に設置されている映像のイメージしかなかったもので、実際にそのものを見ると想像以上に大きいものなのだなと認識しました。
Tumblr media
長野駅に戻り、バスを乗り換え目指すは松代。真田氏の治めた松代の城下には、松代城址をはじめ藩校 文武学校、真田邸等が雰囲気のよく集まるエリア。 まずは松代城址。真田昌幸の長男であり、信繁(幸村)の兄として知られる初代 藩主 真田信之が大坂の陣ののちに移封、明治維新まで居城とした城の跡。 二の丸から本丸にかかる太鼓門前橋が有名なのですが。。。現在 橋の架け替え工事中でした。相変わらずタイミングのよくない私でした。お天気だけには恵まれ、快晴のもと北信濃の山々に囲まれた城郭を写真に収めてみる。
Tumblr media Tumblr media
お城の脇を抜け、松代藩の藩校 文武学校へ。比較的 江戸時代末期に建築された藩校、明治維新後も学校として利用されていたということで、当時の建築物がそのまま残っている貴重な遺構。広い敷地内、歴史を刻んだ木の床を踏みしめながら歩を進める。隣接する真田邸と合わせて趣のある建物と庭園に心和ます。既に夏日でしたが、昔ながらの風通りの良い作りの室内は心地の良い温度感。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
長野駅と松代の間は大体30分に1本程度のバスが運行。ちょっと時間が空くので、竹風堂の店舗に併設されたお茶屋さんでクリーム栗あんみつをいただきながら小休止。火照ったからだに冷たいあんみつで冷まし、温かいお茶とあわせてほっと一息、美味でした。
52 notes · View notes
lgbtqromance · 1 year
Text
夺取体育老师的第一次
我们的体育老师完全是个超级种马,他是山东人,身高182左右,皮肤黝黑发亮,身型魁梧,很像李学庆,他浓黑的眉毛,眼睛很亮很有神,像两弘幽深的泉水。有棱有角的嘴唇,整齐而洁白的牙齿,一切都是那么完美。他高高的鼻梁显得是如此的挺拔。听人说鼻梁高的男人鸡巴一定奇大无比。每次上体育课是我最期待的时候,看到他两条健壮多毛的大腿和翘翘屁股和前面一大陀鼓起的运动短裤和白色的运动服,完全是最完美的男人的标本,经常上课时不时幻想他和女人们在床上肉搏的香艳场景。在我们这个南方城市里,很少有高大健壮的男人,从小学初中都是些老头或者小矮个的体育老师相比,这个男人成为我上学的动力之一,而我们这个号称大都市的城市,身处南方男人们自然都矮小阴柔,倒是女人们一个个相当水灵,老师是体育大学毕业后就分配到学校的,听说以前他是练田径和篮球的,最后受伤才转去学体育教育的,要是他真继续当运动员,那我想这个男人肯定在赛场上不知道要迷死多少人!
由于一个人在我们这个城市,不过这批来自青岛的种马也不辜负自己作为体育男的本钱,听说找他干的女人很多,他特别喜欢少妇,结果有次他搞了一个比较有势力的男人的老婆,那人闹到了学校,闹到了教委,整的学校一片哗然,学校尴尬的只有让他暂时停课,最近他才开始收敛不少,作为学生只有默默地暗恋这个直男爷们,不敢越雷池一步。不过老师喜欢喝酒,平时也喜欢些电脑游戏这些,所以我也就投其所好,经常拿些最新的游戏假装和他「切磋」,没办法,只要靠近他就足够了,他身上逼人的男人香令人陶醉,不停讨好这个种马当然是想挨他操,要是能被这个种马爷们干一次,那将是多么幸福的事情啊!
机会终于来了,最近老师精神状态看上去不那么好,整个人感觉没什么精神,留在宿舍打电脑游戏的时间越来越多,经常是蓄着胡子叼一根烟就玩一宿的游戏,后来才知道,就在他被学校停课的时候他又被一个喜欢的女人甩了,令这个「万人迷」开始质疑自己的魅力了。直男在这种时候是最需要安慰的,你把他侍侯的好好的,那么他就有可能在精神脆弱的时候把你当成他的依靠,类似小说已经看过太多了,周日陪着他在宿舍玩了一天最新的游戏,他总是没办法集中精神,最后败在我的手下,看着往日的猛男今天像个受伤的狮子一样,真是令人很心疼。这时,他手机响了,原本失望的以为又是哪个骚女人约他,原来是他青岛老家的父母打来的,原来今天是他28岁的生日!他还是强?欢笑,告诉父母在这边一切都好,正和朋友庆祝生日呢,而且工作也很顺利,过几天就回去看二老。
打完电话,我马上提出一定要为他庆祝,开始老师并不愿意,说没啥意思,不愿意上街,最后还是我提议去买酒和菜回来就在宿舍陪他喝吧,他终于同意了,我那时候高兴坏了!我知道有戏了!马上冲出宿舍直奔学校对面的超市!
在超市买了三瓶红星二锅头和半打啤酒一些熟食,回到老师的宿舍便一直灌老师,可能他情绪也没那么好吧,一直喝酒也不吃菜,看到他大口大口喝酒的样子,一直抖动的喉结真是相当的性感,老师却不愿意自己一个人喝,非拉着我陪他喝,他说「现在只有你陪我了!喝吧!要是兄弟今天就不醉不休!」我说「我一会还要回去!」他半醉半醒地说「别回去啦,今天就住我这里吧!」虽然这对于两个男人来说是这句话是再平常不过,但对于我来说,却是听者有心,这时候老师把手机关了,脱掉了身上的跨栏背心,一身肌肉在混暗的灯光下恰好剪影似地勾勒出了这个性感猛男的躯体,引人犯罪,他太男人了,我甚至觉得天下所有的男人和女人都应该被他干,被他玩弄,做他的性奴。我不太敢正视,但感觉下体已经开始涌动,他这时却说「来,是朋友就陪我好好的喝,咱们不醉不归!」一时间不知道是感动还是觉得自己的欲望太有罪了,面对这个毫无防备的猛男自己似乎「下��」也太过残忍,在这种情况下欲望和理智不停地交战,这时老师好像尿急了,他似乎已经有点恍惚了,进门的时候厕所门也没关,我只听到一大股又强又持久的射向冲水马桶的声音,酒精在我身体内已经烧燃我的激情,我幻想着老师那粗大肉棒的强大和魅力,自己的鸡吧已经有点流水了,多渴望现在跑到卫生间里跪在老师面前含着他那大鸡吧啊!但仅仅还有的理智告诉我这样只会鸡飞蛋打,而且趁人之危是不道德的,老师出来了,边喝边往短裤摸去,不知道是不是鸡吧痒了,还是刚才的尿没撒干净,老师靠近我,把粗壮肌肉的手搂住了我,我心跳的好快,「喝!陪我喝」慢慢的,老师英俊的样子在我面前越来越模糊,意识已经不清醒了………
不知道睡了多久,突然感觉膀胱很涨,一阵尿意,窗外一阵风冷醒了自己,迷迷糊糊中才发现老师就睡在我旁边,灯也没有关,这是我和他最近的距离,他在暗淡的灯光下发出了均匀的打呼声,我从厕所出来已经无法入睡,虽然头还是很疼,不过我的眼睛已经被老师的身体吸引住了,这是我第一次可以那么放肆地看到老师的身体,他浑身上下的肌肉匀称而有力量,他的胸肌,还有那对称的腹肌,无不显示出他的运动本色。他有着光滑的大腿,还有修长结实的小腿,紧绷的皮肤闪着健美的光泽。使人看了有一种吸引人地男性粗犷魅力的感觉,我从他的胸肌,到乳头,再到腹肌,简直太好了。往下看,是那条运动裤,里面挺着根还没勃起但依然硕大的鸡巴,我试图摇了摇他,老师似乎没有知觉,睡的很死,看到他的身体我忍不住吞口水了,他那宽厚的胸部微微长着胸毛,一直延伸到小腹之下的一堆黑森森的阳毛,好发达的胸肌,两颗硬硬的乳头,我忍不住轻轻用手捏了捏,见他没有反应又揉了揉,听见他嗯了一声,就急忙停住了手。我的手继续往下走,经过他的小腹,完全能感受到他的几块腹肌,然后隔着他的运动裤,我靠,原来他没穿内裤!终于探索到了他男性神秘的地带~~那根长而有力的阳刚之物。
我的欲火在此刻燃烧到了极点,我真想不顾一切马上把他的运动裤拔开,俯身上去,与我心爱的帅哥一对一痛快的做爱,哪怕让他的大鸡巴进入我的身体!
不行,时机还没到,我还是继续我的探索之旅吧。
我的手不由自主似的有些颤抖,我从运动裤的一个裤管中似接非接的握住了他的阴茎!那种感觉何其美妙!我渐渐的��了用力,开始轻轻的揉捏,或者上下套弄着,感受着他的反应。
青年男子的欲望是无穷和易燃的,没过多久,他的那里就开始变硬了,慢慢开始充血了,渐渐的散发出青年男性的荷尔蒙的芳香。鸡巴头从运动裤旁边露了出来,如同鸡蛋般大小。这时,我见他的运动裤实在无法抑制住这只大鸡巴了,于是我便把他的运动裤脱了下来但只给他拉到了大腿上就已经被他太过健壮的身体给卡住了,但一股很性感的味道扑鼻而来。此时,我都快哭出来。因为眼前的大鸡巴简直让我太兴奋。我不顾一切地舔了起来,有一味咸味,估计是刚才撒尿的味道,但鸡巴头上的肉很嫩,黑黑的,像一颗巨大的香菇头,在灯光的映照下,发出很亮的光泽,这可能就是传说中的「玉杵」吧!他的长度真的惊人,我想应该在22CM左右,他还那么粗壮,简直骇人听闻啊。很好吃。不一会儿,他的大鸡巴呈饨角出现在我面前了。鸡巴上也露出来了一根青筋。我卖力地吃着这美味。可是老师的鸡巴实在太了,光是鸡巴头上的肉,就占满了我的嘴。大鸡巴有3/4都吞不进去,于是我便用舌头舔,我又捧起和舔起他的蛋蛋,他的蛋蛋真大真沉啊,我根本一个都难以含下,只好像小狗似的舔啊舔啊!我轻轻动了动,跟帅哥做爱是一种享受,谁都知道;可跟一个优秀的种马做爱更是一种滋润。
贴在这年轻、健美的帅哥身上,双手肆意的在他身上的肌肉间纵横,那种结实感、流畅感,绝不是女人的那种腻腻的、粉粉的感觉,这是一种充满男性阳刚之美的感觉,一种蕴含着能量和力量的吸引,一种旱逢甘露的爆发,我的全身禁不住都动起来了,……老师的鸡巴足足被我吃了40多分钟,可依然没有射精的欲望,可我却有些累了。我便脱掉了自己的上衣,紧紧地和他抱在一起,感觉实在是太好了,我感觉是世界上最温暖的人。可我仍然不放弃他的鸡巴。我疯狂地吃着,我见他的脚趾向上翘了翘。就在这时我突然鼓起了勇气,硬把他的那根大鸡巴全塞到了我的嘴里,差一点顶破我的喉隆。可我不在意,我一定要把这只大鸡巴进行到底,当老师的整个鸡巴都在我的口中时,我满足了。
这是一根让女人着迷爱的要死的大鸡巴!何况还有那么强壮的身体和英俊酷似李学庆的面容!这是一根同志们向往和梦想的大鸡巴!而且平时那么强悍的男人现在居然被另一个男人肆意抚摩和玩弄,那种满足感真的让人激动的颤抖!
光用嘴巴吃了这根让无数女人要死要活的鸡巴似乎并不足够,这时我又轻轻返回卫生间,用水洗了肛门,涂了些口水。躺在他的旁边,为了方便我脱光了睡,可能是上床时不小心吵到了他,这转过身来,抱着我睡了,我假装睡觉,不敢动,他已经被我拉了一半的运动裤中傲然挺立的大鸡巴贴在我的屁股上,我好激动!
他那根大鸡巴直顶着我的肛门,搞得我好痒好舒服,我这时慢慢调整,他一动不动的睡着,我把肛门对准他的大鸡巴,慢慢摩擦,我受不了了,我用手直接把他的大鸡巴放进肛门,这时又痛又痒,我不得不承认一点,在为这么一个又帅又酷的主人服务时,我已经动情了,带着一种被征服的心甘情愿侍侯他。他好像被我吵醒了,突然他一下紧紧抱着我,他突然用力,他的大鸡巴一下进入了我的肛门,突然有肛裂的感觉,那一刻感觉自己下到了地狱一样!我忍不住啊的叫了一声,这时他抱得更紧了,两个大大的胸肌贴住我的后背,那种感觉很厚实很刺激,这时老师的动作更大更快了,就像拨浪鼓一样,但他没有和我说话,喘着粗气,我就一直幸福的承受着,似乎像幻觉一样,他的大手突然又捏起我的胸,我听到他很低沉的呻吟,渐渐我不怕了,拿屁股不停地回应他,久违被插入的爽感令我们汗流浃背,融为一体,大概10分钟后突然他啊叫了一声「我操你大爷」,一股热流钻进了我的身体,一股、两股,感觉得到在我身体内的那根大棒子正在不停的喷发,不停的颤抖,好多,都流出来了,我使劲夹住自己的屁眼,想把这种马的精液留住,但太多了,似乎真的不可以,我的鸡巴突然一阵快感,喷射了出来,好多都射在床单上,还有不少流在自己身上,身体上的满足那么强烈的感觉却突然在射后又了一阵罪恶感,面对那根刚刚从我屁眼抽出依然坚挺的大鸡巴,面对我最爱的男人,面对我的老师,我该怎么办?……
29 notes · View notes
ari0921 · 8 months
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
   通巻第8118号
 孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
  吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
*************************
 自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
 孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
 高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
 
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
 
 吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
 ▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
 孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
 孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
 戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
 「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
 吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
 つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
 江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
 「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
 つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
 ▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
 孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
 上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
 議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
 中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
 下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
 中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
 ▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
  『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
 「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
 いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
 アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
 (十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
14 notes · View notes
hachikenyakaiwai · 1 year
Text
Tumblr media
【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は元禄6年(1693)に亡くなったが、その墓は長い間不明であった。明治20年を前後するころ誓願寺境内で発見され再興されたという。発見者についてはいくつか説があり、幸田露伴であるとも、朝日新聞記者の木崎好尚であるともいう。
(1693年)下山鶴平・北條団水、西鶴の墓を建立 墓石は位牌型の砂岩製のもので、「仙皓西鶴 元禄六癸酉年 八月十日 下山鶴平 北條団水 建」と刻まれている。この墓碑を建立した下山鶴平については、西鶴の版元ではないかといわれている。北條団水は京都生まれの文人で、橘堂、滑稽堂と号した。西鶴を慕って来阪し、西鶴の死後7年の間、鑓屋町の庵を守ったことで知られている(大阪市指定文化財)。
(1801年)太田南畝(蜀山人)、書肆山口屋の案内で西鶴の墓に参る 寺町をすぎ 誓願寺に入る、甃庵中井先生の墓あり《略》 此寺に西鶴か墓ありと書肆山口屋かいへるによりて墓はらふ下部にとふに志らず、つらつら墟墓の間を見るに一ツの石あり、仙皓西鶴とゑれり。右のかたに元禄六癸酉年八月十日としるし左の方に下山鶴平北条団水建と有り。也有翁の鶉衣にも、作文に名を得し難波の西鶴は、五十二にして世を去給ひ「秋風を見過ごしにけり末二年」といふ句を残せりとかけり。げに八月に終りぬるには折からの句成へし(太田南畝)。『葦の若葉』四月廿一日条より。句読点後付け。ママ。
(1802年)滝沢馬琴、太田南畝に紹介された田宮盧橘の案内で西鶴の墓に参る 西鶴が墓は、大坂八町目寺町誓願寺本堂西のうら手南向にあり。〈三側目中程〉七月晦日蘆橘と同道にて古墓をたづぬ。はからず西鶴が墓に謁す。寺僧もこれをしらざりし様子なり。花筒に花あり。寺の男に何ものが手向たると問ふに、無縁の墓へは寺より折/\花をたつるといふ。
棹石高サ二尺余ヨコ一尺 台石高七八寸 大字 総高サ二尺八九寸
元禄六 癸酉年八月十日 仙皓西鶴 右ノワキ 下山鶴平 北条団水 建
團水は西鶴が信友なり。西鶴没して後、團水京より來り、七年その舊廬を守れり。そのこと西鶴名殘の友といふ草紙の序に見へたり。追考 難波鶴に云。西鶴は井原氏、庵は鑓屋町にあり(滝沢馬琴)。『羇旅漫録』より。句読点後付け。(写真参照)
(1889年1月)幸田露伴、誓願寺無縁墓にある西鶴の墓を探し当て、卒塔婆を立てる 露伴は住職に供物を出して、 お墓をちゃんとしてほしいと言い、香を焚き、水を手向け、卒塔婆を立てて去るわけです。それが、明治22(1889)年の1月のこと。その卒塔婆には、「元禄の奇才子を弔ふて 九天の霞を洩れてつるの聲」と書いた(肥田晧三)。「上町台地から本をめぐる時空の旅へ」『上町台地フォーラムvol.9』2018より。
(1889年8月)尾崎紅葉、西鶴の墓を訪れ、卒塔婆を残す 紅葉も、同じ明治22年の8月に西鶴の墓を訪れ、「為松寿軒井原西鶴先生追善」と書いた卒塔婆を残した(肥田晧三)。
それではなぜ、この二人は西鶴を知ることになったのか。露伴は帝国図書館、今の国会図書館にあった西鶴の本を随分と勉強したんです。また当時、東京に淡島寒月という人がいましたが、彼は時代に先駆けて西鶴を評価し、自身でも作品を手元に持っておりました。その寒月と仲が良かったのが露伴で、彼の西鶴作品を借りて徹底して読んだわけです。紅葉も、露伴に遅れてですが、やはり淡島寒月から西鶴の作品を教えられたんです(肥田晧三)。
(1889年11月)木﨑好尚、読売新聞に「西鶴の墓」を寄稿 大阪朝日新聞の青年記者だった木﨑好尚は、後に頼山陽や田能村竹田の研究で知られるようになる人です。この人が、明治 22 年にやはり誓願寺に行くわけです。すると新しい卒塔婆が二つ西鶴の墓に立てかけてある。一つは幸田露伴、一つは尾崎紅葉。それで、大阪の青年がびっくりするんです。東京の輝かしい新進の作家二人がここに来ている!大阪の自分たちはちっともお参りせんのに、あの二人が西鶴の墓にお参りしていると。そして 明治22年11月に、東京の読売新聞に「西鶴の墓」という題で書く んです(肥田晧三)。ママ。木崎が朝日新聞に入社したのは明治26年(1893)。
(1889年11月)幸田露伴、「井原西鶴を弔ふ文」を雑誌『小文学』に発表 露伴もまた、「井原西鶴を弔ふ文」という題で、明治22年11月に雑誌『小文学』に発表します。「今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、 翁は笑ふや、唯我一���の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴」(肥田晧三)。
(1890年5月)尾崎紅葉、「元禄狂」を「国民新聞」に寄稿 西鶴に心酔しているということを書き、その中で、「明治二十二年八月、大阪八丁目寺町誓願寺に、 西鶴翁の墓に詣でゝ」と記し、「ででむしの石に縋りて涙かな」という句も詠んだ(肥田晧三)。
木﨑好尚を除き、全員、江戸っ子です。
(写真)「仙皓西鶴」『壬戌羇旅漫録 2巻 [3]』1802-1812(東京大学学術資産等アーカイブズポータル)より。 注記:写本 注記:目首の書名: 著作堂羇旅漫録 注記:題簽の書名: 羇旅漫録 注記:本文末に「享和二壬戌年八月廾四日筆同十一月朔日挍合畢 曲亭瀧澤觧戯記」とあり 注記:[跋]末に「享和二壬戌年冬十一月二日 著作堂馬琴再識」, 「壬申春日 曲亭主人書」とあり
16 notes · View notes
oniwastagram · 2 years
Photo
Tumblr media
📸粟田山荘庭園“石翠”(京都市東山区) Awata Sanso Garden, Kyoto ——2021年惜しまれながら閉店した名料亭が2023年に9日間限りの復活! 西陣織の別荘だった数寄屋建築と #小川治兵衛 作庭の庭園“石翠”を舞台に、3月26日(日)まで『野村重存先生の作品を旧粟田山荘で楽しむ会』が開催中。 ———————— 「粟田山荘」は昭和時代初期に西陣織の織元の別荘として造営され、その後1976年〜2021年までの45年間は「京都ホテルオークラ」グループで営業された高級料亭旅館。その庭園“石翠”は近代の京都を代表する庭師の系譜を継ぐ小川治兵衛(植治)の作庭。 2021年6月に惜しまれながら営業終了された粟田山荘。一度も訪れることができていなかったのがとても心残りだったのだけれど、2023年3月18日(土)〜26日(日)の期間で『野村重存先生の作品を旧粟田山荘で楽しむ会』が開催! テレビ番組「プレバト!!」でお馴染みの #野村重存 さんの作品と喫茶を楽しみつつ、念願だったその庭園も堪能させていただきました。 ▼他の写真や解説のつづきは @oniwastagram のプロフURLかこのURLから。 For more photos and commentary, please visit @oniwastagram 's profile URL or this URL. https://oniwa.garden/awata-sanso-kyoto/ 京都・粟田山荘庭園“石翠”の紹介は☟ https://oniwa.garden/awata-sanso-kyoto/ ———————— #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #landscapedesign #beautifuljapan #beautifulkyoto #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #kyototrip #kyototravel #庭院 #庭园 #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #京都旅行 #京都観光 #枯山水 #枯山水庭園 #karesansui #ogawajihei #おにわさん (粟田山荘) https://www.instagram.com/p/CqPNUfJPPXo/?igshid=NGJjMDIxMWI=
44 notes · View notes
bearbench-3bun4 · 2 months
Text
「虚無への供物」中井英夫 0041
序章
4蛇神伝説
バア「アラビク」で、 久生と亜利夫、そして藍ちゃんの会話のつづきです。
この東京で、アイヌを見かけたという藍ちゃんに 久生と亜利夫は、それぞれ、サンドイッチマンや花やしきでの出し物を疑います。
日本堤を藍紋様の晴着をきたアイヌが闊歩しているのは、想像できないのでしょう。 たしかに滑稽な感じはしますね。
ところで、戦前あった日本堤が、戦後、台東区に含まれたそうで、 まさに、バア「アラビク」は、日本堤にあるということのようです。
藍紋様の晴着とは、あの独特のアイヌ紋様を指しているのでしょうが、 晴着という表現がピンときません。 一般的に、ふだんとは違うハレの日に切る服を言うのだと思いますが、 それを着ているということは、例のアイヌ人にとって、 まさにハレの日だと言うことを言いたいのでしょうか?
単にそう表現したとも考えられますが、 やはり、何か、ハレの日にふさわしい出来事でもやったという意味にも取れますね。
しかし、藍ちゃんは、見かけたのは2度めだというし、ホヤウカムイの使いだといいます。 久生は多少興味があるようにホヤウカムイについて訪ねます。 ホヤウカムイは、洞爺湖の蛇神で、それは現実の恐怖から生まれたものでアイヌの伝説の一つだそうです。
アイヌ語でシャック・ショモ・アエップ(“夏、口にだしてはいけない”)が“怖い蛇の神様”と同じ意味に使われるくらい、 蛇を恐れているそうです。
ちょっと調べたところアイヌ語では、 シャックは“夏” ショモは“~しない” アエップは“食べ物や餌(エ)”なんかだそうです。 間違っているかもしれませんが、 大雑把に訳せば、「夏、食べない」「夏、口にしない」というところでしょうか? “夏、口にだしてはいけない”とは、少しニュアンスが違う気がしますが、そういう言い回しもあるのだと言われればそうかもしれません。
蛇の出てくるユーカラは、夏場に頼んでも、決して歌ってくれない。 ユーカラは、アイヌ語では叙事詩を指すそうですが、単に歌を指す言葉でも使われるみたいです。 蛇の出てくる歌(そ��な歌があるんですね)は、決して歌わないということでしょう。
久生も興味が湧いてきたのか、北海道旅行に言ったときの友人に聞いた話をします。
夏になると、洞爺湖の饅頭(まんじゅう)島から中島へ蛇が群れになって泳いで渡る。 調べてみると、饅頭島はヘビ島と呼ばれるほどに蛇が多い島だそうです。 実際に、中島へ蛇が渡るのかどうかは知りませんが、想像すると確かに怖い光景かもしれません。
純粋なアイヌが残っているとしても、 ホヤウカムイという蛇神は、 五弦琴(トンコリ)をならし、氓び(ほろび)の歌の中にでてくる話なのだろうといいます。
アイヌと氷沼家に 因縁があると思わせてますね。
ところで、 五弦琴(トンコリ)は、樺太アイヌ起源の楽器だそうです。 ハープ等と同じく基本的には弦の数(つまり五音)しか音が出ない。 かなりシンプルな音なんでしょうね。
氓び(ほろび)の歌はアイヌの歌にあるのでしょうが、 この氓びの意味がよくわかりません。
滅びるや亡びると同じような意味だと見て取れますが、 実際に、検索してみると民としての意味合いが強いようです。
つまり、民が亡びるというような解釈すればいいのでしょうか? それは、すなわちアイヌが消滅するということに繋がつのかもしれません。
アイヌを恐れているのは、 藍ちゃんの従兄弟同士であり、 亜利夫の学校の先輩後輩に当たる氷沼蒼司の弟、紅司(こうじ)であると。
それを引き取って、久生は、氷沼家とアイヌの因縁を探ろうとします。
アイちゃんの曽お祖父ちゃんの誠太郎(せいたろう)が、開拓使の役人で、クラーク博士の通訳をしていた。 氷沼家は曾お祖母さんの実家だとのこと。
なんと、 ここでw.s.クラーク博士の名前が出てきます。 そうです。あの“ボーイズ・ビー・アンビシャス”の人です。
明治三年(1870年)以降、アーマスト州立農業学校時代に、クラーク博士と誠太郎が知り合ったことになっています。 アーマスト州立農業学校は、厳密には、マサチューセッツ大学アマースト校のようですね。
で、同行帰朝したと『クラーク先生とその弟子たち』(大島正健著)にあるが、 これは間違いで、明治七年(1874年)に誠太郎が先に帰国し、 北海道・サハリン(樺太)の開拓のために設けられた開拓使に、出仕しています。 青山試験場勤務から、明治九年の博士の来日とともに、札幌勤務となっています。
『クラーク先生とその弟子たち』の中身までわかりませんが、同行帰朝ということは、 国命によって外国に使者として出かけたものが帰国するということなので、誠太郎は、国の仕事をしていたことになります。
そのクラーク博士が翌年明治十年(1877年)帰米したあとも、内村鑑三(うちむらかんぞう)や新渡戸稲造(にとべいなぞう)を北海道に送り込んだりと勢力的に働いていたはずなのに、 誠太郎によるアイヌ狩りともういうべき残虐な行為が、黒田清隆(くろだきよたか)の耳に届き、 長崎出張申シ付ケ候事と明治六年(1873年)に官営となった高島炭鉱へ追いやられてしまいます。
その後、誠太郎は、失踪。最後は、狂死したと言う連絡が、函館の実家に入ります。
と、 ここまで、実在の人物名を挙げて詳細に述べられると、現実の話のような気にさせられます。 うまく現実と絡めて盛り上げていますね。
その後、藍ちゃんのお祖父ちゃんの光太郎が昭和9年3月21日の函館大火でなくなったり、 長女の朱美(あけみ)が広島の原爆で、 洞爺丸の事件で長男の紫司郎と三男の薫三郎が亡くなったりと、 氷沼家では、ろくな死に方をしないと言われるようになります。
結局、目白にいるには、蒼司とその弟の紅司それに藍ちゃん それから同居人の叔父橙次郎(とうじろう)夫妻ということになります。
ここまでで、アイヌとの因縁が匂わされると、 ミスリードさせようとしてる感じがプンプンです。
あとは、主な登場人物が出てきましたね。
氷沼蒼司(ひぬまそうじ) 氷沼紅司(ひぬまこうじ) 氷沼藍司(ひぬまあいじ) 橙次郎(とうじろう)夫妻
光田亜利夫(みつだありお) 奈々村久生(ななむらひさお)
つづく。
2 notes · View notes
tutai-k · 1 year
Text
文学フリマ東京参加します
2023年5月21日(日)、東京・流通センターにて開催される文学フリマ東京36にサークル・ヨモツヘグイニナで参加します。 お品書き↓
Tumblr media
新刊は『けものと船乗り』、『ヤールルカ』の二種類です。
★けものと船乗り 船をことごとく沈めてしまうという「魔の水道」を挟んで、島とむきあう街……その街の灯台には、もう一匹のけものが棲みついていた。 街のひとびとには「けもの」と思われているアーシアは、ある日磯で船乗りと出会う。けものに焦がれて水道を渡りたがる船乗りは、それでも、星の読み方も、鳥のことも、航海についての知識をすべて、忘れてしまっていたのだった……。 B6サイズ/42ページの小さな幻想小説です。 ★ヤールルカ 動物写真家とハンター、ふたりの女が出会い撮ることと撮られることについて考えるファンタジー小説。B6サイズよりちょっと大きい、12ページのコピー本です。
通販で予約していただいてるかたは本日発送いたしましたので、週の半ばころには到着するんじゃないかなと思います。
他に持ち込む本ピックアップ ★山梔の處女たち(準新刊) アルファの少女ふたりの物語『首輪とロマンス』、魔法学院に通う少女たちと教師・使い魔の物語『魔女の選択』、人生の岐路にまどう少女たちの恋をすること・しないこと、そして未来についての物語です。 ★浜辺の村でだれかと暮らせば(おすすめ) 田舎で漁師をいとなむ日和。父が死に、自分の収入だけでは生活が心許ない…そんなとき「だれかと暮らす気、ない?」と声をかけられて……。やってきたのは都会の男。人付き合いは得意じゃないし、村に役立つような特技も持ってない。それでも、「この土地」で生きていくことを、ともに選ぶ「ひとびと」の物語。
委託本 ★『征服されざる千年』(鹿紙路さん) 東アフリカ×三つの時代×百合、歴史と物語りの剣呑な関係、歴史実践という切実な営みについての長編小説 5~6世紀 魂の救済を求め沙漠を旅する修道女と元娼婦(シリア~エチオピア) 15~16世紀 漁師の娘に恋い焦がれるムスリマの少女(マダガスカル~エチオピア) 21世紀 共に逃避行する歴史人類学者と考古学者(日本、マレーシア、シンガポール、マダガスカル、ロンドン、タンザニア、エチオピア) ほかに、鹿紙さんのお手製の素敵なブックカバーも委託します! ★『日々詩編集室アンソロジーvol.1 わかち合い』 31名の寄稿者とHIBIUTA AND COMPANYのスタッフによるエッセイや旅行記を集めた本です。全部リソグラフ! ★『存在している 編集室篇』 HIBIUTA AND COMPANYに集うひとびとが、どこへ行こうと出発し、どんな道のりを歩いて「ここ」へたどり着いたかをそれぞれの言葉で語るエッセイ集。第一弾は編集室篇。編集室にいる「ひと」のことを知らなくても、「ひとりの人間がどんな軌跡を歩いてきたか」、言語化に長けたひと・出版という選別に勝ち抜いたひとだけでなく「だれもが」語りたいときに語る試みをする本です。
他に↑の日々詩編集室から9月に『ゆけ、この広い広い大通りを』というタイトルの三人の女たちの物語が出るので、試し読みの冊子(ちょっとだけ)とかも持って行きます。よかったらどうぞ。
文フリ東京、お隣は八束さん。
新刊の「アフター・ヘブン」、その書物について書かれた八束さんのブログを読んで、このような目を持つ稀有な作家の書物に手が届く世界は幸福である、と言う思いを強くしました。 『光や風にさえ』もそうなんだけど、権威や能力主義からは取りこぼされてしまう個人(これはフィクションの登場人物であっても、というかフィクションの登場人物であるからこそ、ストーリーラインに載せられず、すくいあげられなかったりする)の物語を、丁寧に、(逃げずに)、決してあきらめずに「描く」姿勢に敬服する。
東京、行くのは実は三年ぶり。鹿紙さんに委託をお願いしていたので、初頒布の本ばかりではないけれど、それでも、わたしがこの本たちを携えて東京へ行く、と言うことは「初」で、どきどきしている。
新幹線の切符、予約を間違えて、東京→名古屋というのを買っちゃった。
今週中に、もう一個くらいお知らせしたいことがあると思うので、そしたらまた、ブログを書きます。
18 notes · View notes
kennak · 8 days
Quote
〈《紀州のドン・ファン殺人公判》「バレずに殺せば正義 復讐代行」「覚醒剤 死亡」55歳年下妻・須藤早貴(28)が事件前後に検索していた“驚愕ワード”の数々〉  から続く  和歌山地裁で始まった「紀州のドン・ファン」こと野崎幸助氏(享年77)殺人事件の公判。9月12日の初公判では、殺人と覚醒剤取締法違反の罪に問われた55歳年下妻・須藤早貴被告(28)が、野崎氏と出会うまでの無軌道な生活にも焦点が当てられた。小誌の取材結果も交えながら、振り返っていきたい。  北海道札幌市で生まれた須藤は、地元の公立小中高を卒業。同級生らによれば、地味な印象だった須藤がガラリと印象を変えたのは、市内の美容専門学校に入学してからのことだったという。ブランド品で全身を固め、夜にサングラスをかけて闊歩する須藤の姿が目撃されるようになった。  当時、キャバクラで働いていた須藤は、店で知り合った男性から計約3000万円を騙し取っている。ドンファン殺人裁判が始まる前、須藤はこの男性に対する詐欺罪に問われ、懲役3年6カ月の実刑判決を受けた。  美容専門学校を卒業した須藤は2016年に上京。札幌時代から開設していた早貴のInstagramには、高級フレンチなどの食事、ライトアップされたナイトプール、ドバイをはじめ、海外旅行先の写真など、華やかな生活が次々とアップされていく。  初公判では、当時の“収入源”の実態が、こう明かされている。 「被告人は遅くとも平成28年(2016年)11月頃から、複数の高級デートクラブに登録し、活動していた。また、同年12月頃から、無店舗型性風俗特殊営業店派遣型、いわゆるデリバリーヘルスで接客していた」(検察の読み上げ内容) 「アダルトビデオに出演すればまとまった収入が得られる」  事情を知る風俗関係者は、かつて小誌にこう証言していた。 「須藤は、16年の冬頃から1年ほど都内のデートクラブに登録していた。源氏名は『愛音』。最上級クラスの分類で、男性会員が支払う紹介料は10万円だった。須藤は、客に外見や性格ではなくお金を求めた。典型的な“プロ愛人”でした。同時期に働き始めた高級デリヘルでは『ミキ』の源氏名で、客単価4万円を取っていた。店の取り分を引いても、1日6万円から8万円は稼いでいた計算になります」  だが、須藤はそれでもお金が足りなかったようだ。初公判で検察側はこう続ける。 「被告人は平成29年(2017年)3月31日、デリバリーヘルスで接客中、利用者に同店での収入が少ないと不満を漏らしたところ、利用者がアダルトビデオ関係者であったことから、アダルトビデオに出演すればまとまった収入が得られると言われた」  須藤は仕事内容や報酬について尋ね、後日、AVプロダクションの面接を受ける。そして4月12日付でAV女優としてのマネジメント契約に至ったのである。  AV撮影が行われたのは、同年の8月4日、8月22日、9月4日、9月10日。須藤は計4本のアダルトビデオに出演し、出演料は同年9月に20万6517円、10月に17万9580円が須藤の口座に振り込まれた。こうして計38万6097円を手にしたのだった。  一方で、須藤はこのAVプロダクションの系列のデリバリーヘルスでも働き始めていた。デリヘルの勤務期間は、同年5月1日から12月7日まで。辞めた時期は、知人を介して野崎氏と邂逅する時期と一致していた。  須藤は翌年2018年2月、野崎氏と「月100万円」の契約で“愛人婚”に至るが、入籍後も高額な手当をもらいながら東京で別居生活を続け、野崎氏が暮らす和歌山県田辺市の自宅には寄り付こうとしなかった。せっかちな野崎氏は業を煮やし、同年3月には離婚届を用意した。離婚の意思を知った須藤は、同年3月末からようやく田辺市で同居生活を始めたものの、野崎氏は周囲にこう愚痴を漏らしている。 「あの女はダメや。家のことを何もせん。やっぱり離婚や」 「AV出演の過去がバレてますます立場が悪くなると思ったのでは」  野崎氏は須藤を見限り、「ミス・ワールド・ジャパン」のファイナリストの一人に入れ上げ始めた。須藤の過去のAV出演歴が発覚したのは、そんな折、同年5月上旬のことだ。野崎氏の会社の元従業員が明かす。 「早貴が出演しているAV作品を、会社の若い社員がネットで見つけたんです。彼女はファッションモデルという触れ込みでしたから、経歴を欺いて社長(野崎氏)と結婚したことになります。AV出演の過去がバレて、ますます立場が悪くなると思ったのではないでしょうか」  事件を振り返る上で、この出来事が持つ意味は、決して小さくない。初公判では、須藤が55歳差の野崎氏と結婚したのち、友人らに「(夫である野崎氏の)自然死で遺産を得る」と話していたことが明かされた。だが、離婚が不可避な状況に追い込まれ、過去のAV出演も発覚した。思い描いていた身勝手な未来図は一変したのだ。 「早貴は『離婚するなら慰謝料をもらって東京に帰る、2億円くらい欲しい』と話していましたが、社長は『あの女には慰謝料30万円も払えば十分やろ』と言っていたので、それぞれの認識には大きな差があったことになります」(同前)  もとより、愛情ではなく金で野崎氏と婚姻関係を結んだ須藤。実は、野崎氏に離婚を切り出された前後から、「完全犯罪」「覚醒剤 死亡」など、のちの事件に繋がるような不穏なワードを何度も検索していたことが明らかになっている (#1) 。そして、AV出演歴が発覚して間もない5月24日、野崎氏は急性覚醒剤中毒死でこの世を去るのである。結婚からわずか105日後のことだった。  須藤の弁護人は、初公判の冒頭陳述で、裁判員席に向かってこう語りかけた。 「怪しいからやっているに違いない――、もしそう思って結論が決まってしまうなら、この裁判をやる意味はない。そもそも本当に事件なのか。本当に被告人が人を殺す量の覚醒剤を飲ませることができるのか。検察側がこの法廷で立証できたのか考えて欲しい」  検察側は、長い公判を通して、これが殺人事件であり、犯人が須藤であることを立証していくことになる。
「セクシービデオ4本に出演し約38万のギャラを…」“紀州のドン・ファン殺人公判”明かされた55歳年下妻・須藤早貴(28)の「出演の経緯」と「過去がバレた瞬間」(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
3 notes · View notes
ichinichi-okure · 1 year
Text
Tumblr media
2023.9.8fri_tokyo
8時半起床、夜中に流れてきた岡田索雲さんの「追燈」というネットcomicを読み始めて、読み終えた後眠れなくなって3時に寝たので眠いです。漫画は関東大震災が起きた100年前の東京を舞台に、朝鮮半島出身者の男の子が目の当たりにした出来事のお話。受け止めなきゃと思いながら、人間の狂気が怖くて眠れなかった。 ※リンクから無料で読めます
ちょうど昨日、俳優のカトウシンスケくんに偶然あって、彼が出演している現在上映中の”福田村事件”の話をしたところ。これも関東大震災直後の実話に基づくお話で、映画の予告を見ると「十五円五十銭」と言わされるシーンがあり、胸が痛すぎる。漫画にも出てくる狂気の言葉。映画、絶対見なければいけない。
そういえば5時半に寒くて一回起きてしまったのだった。暑すぎた夏だったけど、もう寒くてかけ布団を探すなんて。寂しい気持ちになりながら、台風が近づいている雨の音に耳をすます。静かにしとしと、地面や草花に雨が当たる音、きれい。
7月から、下北沢のボーナストラックという施設を運営している会社で、週に2回くらい働き始めていて、10時半からはその金曜定例会議。雨が強すぎるので、オンラインで参加することにして準備。こないだ鎌倉で買ったパラダイスアレイのパンを食べながら(酸味がうま〜)、報告内容をまとめる。余った時間で、個人活動として動いている案件を進める。秋に開催のいくつかのイベントの更新や、各所にメールの返信をするも、永遠にタスクが溜まっていくのだ。告知もめっちゃ溜まっている。自分のキャパせま、おそ、つら。うそ、順番にやるしかないだけなので、シンプル。やる。
新しい仕事が始まってからは、インプットが多い毎日で、リズムがうまく生み出せなくて、この2ヶ月は、飲み会もライブも遠ざけてきた。人と話すのも、音楽聴くのも、ちょっとキャパオーバーで断りまくり。(みなさんごめんなさい)特に音は聞けない泣 だけど9月に入ってから、これだ!っていう感じで、うまく気持ちを抜けるようになってきたので、心も暮らしも復活してきた。それでも、コロナが落ち着いてきたここ半年くらいの世の中の急な全力疾走にはついていけなくて。けど、ついては行かずに、でも、止まらずに歩いて行き先を決めていくことをしながら、バランス取って休む。みたいなことができるようになった。あと、毎日歳もとっているので。
10時半。会議は毎度面白いなーと思う。毎回約10人が参加していて、それぞれ発言の時間があるのだが、発表の仕方も話の聞き方にも個性があって、勉強になる。自分が今進めていることも信じてくれることとか、すぐに自由にやらせてもらえることとか、とても嬉しいし気力になるし応えたい。
12時に終了して、今日は朝からずっと卵焼き食べたいと思ってたので、白米を食べようと、ささっと茄子の味噌汁も作る。家に必ず常備している鳥取の”陶山商店”さんの乾物のうるめ(ワカメみたいだけど強い食感がおいしい)と奥出雲の干し椎茸で出汁をとる。うまい〜 この乾物シリーズには太田夏来さんのレシピがついていてそれも最高なのだ。納豆と、山クラゲの和物、キューリ塩揉み、茗荷の梅酢漬、質素で簡単なご飯だけど、こういうのが一番贅沢。10分で準備して、15分間で食べる。テレビも音楽も聞かずに携帯も遠くに投げて、食べるだけをする時間をする。食べるを意識することだけの時間、だいじ。
Tumblr media
14時から打ち合わせがあるので、カッパを着て駅まで向かい電車で3分の下北沢へ。施設で毎月開催している本のマルシェの担当になるので、施設内の本屋さんとも、もっと連動できないか相談と、これからの進め方について。やるからには、自分が一番楽しいと思えることがやりたいし、諦めるをしたくないので、伝える。いい話ができた1時間だった。無理なく、だけど熱量を持ってやっていきたい。
この後の会議の前に、施設内ギャラリーでやってる新潟のツバメコーヒーさんの10周年を記念した、”工芸と工業のあわいにあるもの”という展示会へ。今展示会で初お披露目のオリジナルドリッパーを試しながら自分でコーヒーを淹れることができるので、久々にコーヒーを淹れる。「丁寧に淹れますね」と言われるが、自分にとっては心地よいリズムなのと、どんなに癖のある豆を使っても、コクとかを飛ばして、スッキリシンプルな味わいになっちゃうのが悩みだったので、相談すると、「スッキリって何事にも良くないですか」と返してくれた。ツバメの田中さん、すごくおもしろそうな方だった。もっと喋ってみたかった。
16時からのイベント反省会は、みんなが正直ですごく良い会議だった。ここが好きだよ!ここむかついたよ!気づかなくてごめんね!みたいな、正直な大人たちの優しいぶつかり合い、大好き。会社のみんなは本当に個性強くて、それぞれのやり方や、得意・不得意があるけど(自分も然り)人の話をちゃんと聞いてくれる優しい人たち。頭の回転が早く、柔軟で、おもしろい。ちゃんと愛があるし。
そんなブレストは2時間を超えて、飲み会へと移行されていき、それぞれの人生における大事な音楽を発表→みんなに聴いてもらう→それについてみんなで語る。という、胸熱な時間になっていきました。久々に聞いたラポン・シュポンのライブ映像、めちゃくちゃよかった。
Tumblr media Tumblr media
最初はカラオケの順番みたいに、ルールを守ってたけど、最後はみんなかけたいタイミングで音楽を流していく始末(とてもいい始末)。時間は流れていき、舞台を見るために途中抜けしたはずのあやかたんも(まだやってるの?笑 と)戻ってきてくれて、酒を飲みながら、スナック菓子をひたすら食べまくる永久時間は終電ゴングで終了。雨が降っていなければ、半分はチャリメンだから、永遠に終わらない飲み会だったので、終電様感謝。雨も小雨になってきた。
その後、降りる駅が一緒のミヤジと歩いて帰りながら「この信号が変わったらもういくからね!」を繰り返して30分後、無事帰宅。 今日のタスク全然終わってない、やばいな…………みんなごめん…って思いながら、顔だけ洗って寝転んで、さらに超眠いのに、どうしても「ハヤブサ消防団」が見たくて、パソコン開いてTverつけたままご臨終。
日記で振り返りながら、今年は特に、1日が終わっていくのが、1週間が、1年が早すぎる。仕事も友達と遊ぶのも大好きで大事だけど、それより何より、誰かとデートがしたいです。旅行いって、ダラダラする感じ、やらないと。改めて感じたのであります。赤裸々日記終わりでございます!
-プロフィール- 鷹取愛 40 山ト波 @opantoc
8 notes · View notes