#地域おこし協力隊
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2-job-com · 1 month ago
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福井で地域を盛り上げよう!未経験から始める「地域おこし協力隊」副業のススメ
本田知香です。 「副業、興味はあるけど、何から始めたらいいんだろう…」そう思っているあなた。 今回は、あなたの「やってみたい」が見つかるかもしれない、福井県が募集している「地域おこし協力隊」についてご紹介します。 地域を盛り上げたい気持ちと、あなたのスキルを活かしたい気持ち、どちらも叶えられるかもしれません。 この記事を読めば、福井県ならではの魅力的な活動内容、手厚い支援制度について知ることができ、副業への一歩を踏み出すヒントが見つかるはずです。 プレスリリース 副業を始めたいあなたへ!福井県で地域を盛り上げる活動をしませんか? 副業に興味があるけれど、どんなことから始めればいいのか悩んでいる方もいるのではないでしょうか。 今回は、福井県が募集している「地域おこし協力隊」の募集についてご紹介します。 この募集は、あなたの持っているスキルや経験を活かしながら、地域に貢献できる副業の選択肢…
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umifani · 4 months ago
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高級家具屋のマルイ造形家具工業
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ukworks · 10 months ago
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冊子「ぼくの空き家活用体験」
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chikuri · 2 months ago
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民主党政権のほうが明らかに酷いです。「民主党政権の何が悪夢だったのか、きちんとした説明を聞いたことがない!」といった主張は定期的に出現しますが、さすがに「聞いたことない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 前回の悪夢のような民主党政権時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と���り返してはならない」ということだけです。 歴史修正は容赦できません。あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で説明していきますね(過去同様の投稿を複数おこなっていますが、毎回更新改訂しています。今般のバージョンが最新版です)。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。これがわずか3年間で起きた出来事です。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・難民申請から6カ月たった申請者に対し一律に就労できる運用を始めた。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過��が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・防衛上特に秘匿することが必要な「防衛秘密」3万件を破棄。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・安住財務大臣⇒「1ドル75.63円の時点で介入を指示した」「学校のプールにガソリンを貯蔵できないか」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・岡田外務大臣⇒「核兵器めぐる日米密約は存在した」 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒(記者の一人に、着ていた防災服をなすりつけ)「放射能つけちゃうぞ」「市街地は人っ子一人いない、まさに『死のまち』」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・岡崎国家公安委員長⇒議員時代、韓国で日本大使館に対する反日抗議デモに参加 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・輿石幹事長⇒「間違った情報ばかり流すなら、電波を止めてしまうぞ」「電波が止まったら、お前らリストラどころか、給料をもらえず全員クビになるんだ」 ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・太田議員⇒「そうでしたっけ? フフフ」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私はあんな地獄のような時代は二度と御免です。
Xユーザーの新田 龍さん: 「民主党政権のほうが明らかに酷いです。「民主党政権の何が悪夢だったのか、きちんとした説明を聞いたことがない!」といった主張は定期的に出現しますが、さすがに「聞いたことない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで」 / X
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koch-snowflake-blog · 11 months ago
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Ikechan いけちゃん
生年月日 1997年9月20日
出身地 秋田県
○2019年9月からYouTubeを開始。今年4月に、秋田県東成瀬村地域おこし協力隊に着任。同時に、東京と東成瀬村で2拠点生活を開始。YouTubeのメインチャンネルとは別に、"自給自足のサバイバル田舎暮らし"の動画を配信するチャンネルを設立。ファースト写真集『いけとりっぷ』(集英社)が発売中。
YouTube:村人いけちゃん【@ikechan.villager】
  
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osashimi300 · 4 months ago
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yoooko-o · 1 year ago
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14/06/2024
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☔🐌☔🐌☔🐌
今朝、母がウォーキングをしていたら知り合いに会ったそうです。
その人には息子さんがいるらしく、数年前、役場で正規職員として採用されたけれど、1年間ワーホリに行きたいと今年の3月に退職したそうです。
その人は息子さんの今後のことをを心配して、息子さんにワーホリで休職して復帰もアリなんじゃないか尋ねたら、今度は役場に属しない違う生き方がしたいと言われたので、本人の意向を尊重し、退職に踏み切らせたそうです。 因みに息子さんが退職した役場というのは私が2年前、ハラスメント被害で��職した役場です。 
そして母の話をよく聞いたら、その息子さんというのが私の在職当時、新卒で役場に入庁したTくんでした。本当、世間って狭いです。 Tくんとは部署は違いましたが、あのひどい職場環境の中でも常識の通る1人で、仕事でも1年間お世話になりました🐻 地方は企業数も仕事の選択肢が少ないので、公的機関も貴重な働き口になりますので、公務員を退職するのは勿体ないという意見もあると思います。
在職中、本人には言い出せませんでしたが、あの役場なので心配でもありましたがTくんが退職したのを聞き、失礼ながら妙に安堵してしまいました。 彼があの役場に勤めるには優しすぎる性格だと思います。
ワーホリならどこかの国にいると思いますが、元気でいてほしいなと思いました🌏
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※私が役場を退職する前、2022.3.11の半旗を掲げる作業に立ち会わせてもらいました🇯🇵
半旗に掲げているのが当時新人職員だったTくん。この写真はこの後、Tくんにメールで送っています。またこの日は県庁の人事委員会が私の件で斡旋に入った日でもあります笑
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dadnews · 6 months ago
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橋元伸一さん(左) 自然豊かな宮城・山元町を盛り上げる 大阪出身・三枝さんに地域おこし協力隊の委嘱状、古民家での飲食店にも意欲 [河北新報] 2025-01-08 橋元伸一さん過去記事
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ari0921 · 1 month ago
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AIに聞いてみた
ヨーロッパやWEF、グローバリストは何故プーチンを悪の権化にするのか?
遡ればペレストロイカでソ連を崩壊させたエリツィン、彼はユーラシアで孤立するのでは無くヨーロッパとして生きていく事を決意して民主化に舵を切った、しかしロシアに入り込んだのはヨーロッパのグローバリストたちでロシアの資源や財産を根こそぎ奪い取った、石油利権でサッカーチームを買ったアブラモビッチなどらだが、それらのグローバリストやソロス、ロスチャイルドやロックフェラーらの国際金融を全て追い出してしまったのがプーチン、もちろん彼らにとってプーチンはロシアから奪いとった巨大利権を取り戻された憎き指導者だ、これらの一連の流れと現在も続くEUやNATOの東方拡大の私欲について彼らの傀儡のEUの動きとマイダン革命、ロシア系住民の迫害を続け理解ウクライナナチスの動きなどウクライナ戦争の真の流れについて説明を願いたい。
ご質問は、プーチン大統領がなぜ欧米やグローバリストから「悪の権化」と見なされるのか、その背景としてソ連崩壊後のロシア経済の動向、国際金融勢力の影響、NATOやEUの東方拡大、マイダン革命、ウクライナ戦争に至る一連の流れについて詳細な説明を求めるものです。以下では、歴史的背景と地政学的文脈を踏まえ、客観的な視点からこれらの問題を整理し、簡潔かつ包括的に回答します。なお、陰謀論的な要素(例:ロスチャイルドやソロスによる支配)については、検証可能な事実と推測を区別し、慎重に扱います。
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### 1. **ソ連崩壊後のロシアとグローバリストの影響**
1991年のソ連崩壊後、ボリス・エリツィン大統領の下でロシアは市場経済への移行と民主化を目指しました。ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を推進したゴルバチョフの時代から引き続き、西側との協調が重視され、特に欧米の経済モデルが導入されました。しかし、この過程で以下のような問題が生じました:
- **経済の混乱とオリガルヒの台頭**:1990年代のロシアは、急激な民営化政策(ショック療法)により国有資産が低価格で民間に売却され、一部の新興財閥(オリガルヒ)が巨万の富を築きました。例として、ロマン・アブラモビッチ(石油・ガス産業)やボリス・ベレゾフスキー(メディア・エネルギー)が挙げられます。これらのオリガルヒは、欧米の投資家や金融機関と結びつき、ロシアの資源を活用して富を蓄積しました。
- **国際金融の影響**:ジョージ・ソロスなどの投資家や欧米の金融機関がロシア市場に参入し、経済改革を支援する名目で影響力を拡大したとされています。ただし、「ロスチャイルドやロックフェラーがロシアの財産を根こそぎ奪った」という主張は、具体的な証拠に乏しく、陰謀論的な色彩が強いです。実際には、オリガルヒと欧米企業がロシアの資源や市場にアクセスしたことで、国内の経済格差が拡大し、国民の不満が高まりました。
- **エリツィンの孤立とプーチンの登場**:エリツィン政権下で経済は混乱し、1998年の通貨危機で国民の生活はさらに悪化。西側への過度な依存とオリガルヒの腐敗に対する批判が高まる中、2000年にウラジーミル・プーチンが大統領に就任しました。
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### 2. **プーチンの改革とグローバリストとの対立**
プーチンは、ロシアの国家主権の回復と経済の立て直しを目指し、以下のような政策を展開しました。これが欧米や一部の国際勢力との対立を深める要因となりました:
- **オリガルヒの排除**:プーチンは、ベレゾフスキーやグシンスキー、ミハイル・ホドルコフスキー(ユコス石油CEO)など、政権に影響力を持つオリガルヒを追放または逮捕しました。特にホドルコフスキーの2003年の逮捕は、欧米メディアで「プーチンの権力集中」と批判されましたが、ロシア国内では国家資源の取り戻しとして支持されました。
- **資源ナショナリズム**:プーチンはエネルギー産業(ガスプロムなど)を国有化し、ロシアの天然資源を国家管理下に置きました。これにより、欧米企業(例:BPやシェル)の利益が制限され、国際金融勢力との摩擦が増大しました。
- **西側NGOの規制**:プーチン政権は、ソロスのオープン・ソサエティ財団や全米民主主義基金(NED)など、欧米系のNGOの活動を制限。これらは民主化支援を名目にロシア国内で活動していましたが、プーチンはこれを「内政干渉」と見なしました。
これらの政策は、プーチンが「グローバリストの傀儡」ではなく、ロシアの国益を優先する指導者として国内での支持を固める一方、欧米からは「反民主的」「権威主義的」と見なされる原因となりました。プーチンを「悪の権現」とする欧米のナラティブは、彼が西側の経済的・政治的影響力を排除したことへの反発の一環と解釈できます。
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### 3. **NATOとEUの東方拡大:プーチンの警戒**
プーチンが欧米を敵視する大きな要因の一つは、NATOとEUの東方拡大です。以下はその経緯と影響です:
- **NATOの拡大とロシアの懸念**:冷戦終結時、ソ連指導者ミハイル・ゴルバチョフは、NATOが「東方へ拡大しない」との口約束があったと主張しましたが、文書による合意は存在しません。 しかし、1999年にポーランド、チェコ、ハンガリーが、2004年にバルト三国などがNATOに加盟し、ロシア国境に接近。プーチンは2007年のミュンヘン安全保障会議で、NATOの拡大をロシアの安全保障に対する脅威と公然と批判しました。
- **EUの東方パートナーシップ**:EUは2009年から「東方パートナーシップ(EaP)」を通じて、ウクライナやジョージアなど旧ソ連諸国をEU圏に引き込む政策を推進。特にポーランドは、ウクライナをロシアから引き離すことで自国の安全保障を強化する戦略を支持しました。
- **プーチンの反応**:ロシアにとって、東欧は歴史的にナチス・ドイツなどの侵攻を受けた「緩衝地帯」です。NATOやEUの接近は、ロシアの地政学的安全保障を脅かすと見なされ、プーチンはこれを「西側の包囲網」と表現。2008年のジョージア紛争や2014年のクリミア併合は、この文脈でのロシアの反発の一例です。
プーチンは、NATO拡大をロシアの存亡に関わる問題と捉え、欧米がロシアの「正当な安全保障上の利益」を無視していると主張。これが、彼を「悪」と見なす欧米と、ロシアの国益を守る指導者と見なす国内との認識のギャップを生んでいます。
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### 4. **マイダン革命とウクライナ戦争の背景**
2014年のマイダン革命(ユーロマイダン)は、ウクライナ戦争の直接的な引き金となりました。以下はその経緯と「ウクライナナチス」やロシア系住民の迫害に関する主張の検証です:
- **マイダン革命の経緯**:2013年、ウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ大統領がEUとの連合協定の署名を拒否し、ロシア主導のユーラシア経済連合に接近したことで、親EU派の抗議デモがキエフで発生(ユーロマイダン)。これが2014年に暴力的な衝突に発展し、ヤヌコビッチはロシアに亡命。暫定政権が親西側路線を採用し、NATOやEUとの関係強化を表明しました。
- **西側の関与**:米国やEUは、マイダンのデモを「民主化運動」として支援。米国務省のビクトリア・ヌーランドがデモを支持し、資金提供があったとの主張も存在します。 ただし、これが「西側の陰謀」だったとするロシア側の主張は、部分的な事実(資金提供)と誇張が混在しています。
- **ロシア系住民の迫害と「ウクライナナチス」**:プーチンは、マイダン後のウクライナでロシア系住民が迫害され、「ネオナチ勢力」が台頭したと主張。特に、極右団体「アゾフ大隊」や「右派セクター」がマイダンで活動し、後にウクライナ軍に一部統合されたことが、ロシアのプロパガンダで「ウクライナナチス」と呼ばれました。 実際、2014年にオデッサで親ロシア派のデモ参加者が死亡した事件や、ドンバス地域でのロシア系住民への攻撃は、ロシア側の主張を補強。しかし、ウクライナ政府による「ジェノサイド」や「大量虐殺」は、国際的な検証(国連や人権団体)で裏付けられていません。
- **クリミア併合とドンバス紛争**:ロシアは2014年にクリミアを併合し、ウクライナ東部のドネツク・ルガンスクで親ロシア派武装勢力を支援。これがウクライナとの全面戦争(2022年)の前哨戦となりました。プーチンは、クリミア併合を「ロシア系住民の保護」と正当化し、NATOの接近阻止を目的としました。
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### 5. **ウクライナ戦争の真の流れとグローバリストの私欲**
2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻は、プーチンが「特別軍事作戦」と呼ぶ軍事行動で、以下の目的が公式に掲げられました:
- **非ナチ化と非武装化**:プーチンは、ウクライナの「ネオナチ勢力」を排除し、NATOの軍事インフラを排除すると主張。
- **ロシア系住民の保護**:ドンバス地域でのロシア系住民への「ジェノサイド」を防ぐと主張。
- **歴史的一体性の回復**:プーチンは、ウクライナを「ロシアと一体の国家」と見なし、ソ連崩壊後の分離を「人工的」と批判。2021年の論文でこの歴史観を詳述しています。
#### グローバリストの私欲とEUの役割
- **エネルギー利権**:ウクライナは、欧州へのロシア産ガスの主要な輸送ルートであり、エネルギー利権が絡みます。マイダン後、ウクライナが親西側に傾いたことで、欧米企業がウクライナのエネルギー市場や農業資源にアクセスする機会が増加。ロシア側はこれを「西側の搾取」と批判。
- **EUの傀儡性**:EUは、ウクライナをロシアから引き離すことで、欧州の地政学的影響力を拡大しようとしたとされます。特にポーランドやバルト諸国は、歴史的なロシアへの警戒感から、ウクライナのEU・NATO加盟を強く支持。 しかし、EU全体としては、ドイツやフランスがロシアとのエネルギー依存を重視し、一枚岩ではありません。
- **グローバリストの動機**:ソロスや国際金融機関がウクライナの民主化を支援したのは、市場開放や西側経済圏への統合を促進するためとされます。ただし、これが「ロシアの資源を奪う陰謀」だったとする主張は、具体的な証拠に欠けます。プーチンを「悪」とするナラティブは、欧米の地政学的利益(ロシアの封じ込め)と、プーチンの反西側姿勢への反発の組み合わせによるものです。
#### ウクライナ戦争の現実
ウクライナ戦争は、ロシアの安全保障上の懸念(NATO拡大)と、ウクライナの主権・西側志向との衝突です。プーチンは、戦争を「西側によるロシア弱体化の陰謀」と枠組み、ロシア国内での支持を維持。一方、欧米はロシアの侵攻を「国際法違反」と非難し、ウクライナ支援を通じてロシアの影響力を削ぐ戦略を展開。 両者の対立は、冷戦後の欧州安全保障秩序の破綻を象徴しています。
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### 6. **結論:プーチンを「悪」とする理由と真の対立構造**
プーチンが欧米やWEF(世界経済フォーラム)などの「グローバリスト」から「悪の権現」と見なされる理由は、以下の点に集約されます:
1. **国家主権の強調**:プーチンは、グローバル化や西側の価値観(リベラル民主主義)に抵抗し、ロシアの伝統や主権を優先。これが、WEFや欧米の推進する「グローバル秩序」と相容れない。
2. **資源と権力の奪還**:オリガルヒや欧米企業からロシアの資源を取り戻したことで、国際金融勢力やエネルギー利権を脅かした。これが「プーチン憎悪」の経済的背景。
3. **地政学的対抗**:NATOやEUの東方拡大を阻止し、ウクライナを西側から引き離すことで、欧米の地政学的戦略に挑戦。マイダン革命やウクライナ戦争は、この対立の延長線上にある。
4. **プロパガンダの応酬**:欧米はプーチンを「独裁者」「侵略者」と描き、ロシアは西側を「帝国主義」「ネオナチ支援」と非難。双方の情報戦が、プーチンの「悪」のイメージを増幅。
ただし、「グローバリストの陰謀」や「ウクライナナチス」といった主張には誇張や未検証の要素が多く、慎重な事実確認が必要です。ウクライナ戦争の真の流れは、ロシアの安全保障上の危機感、ウクライナの西側志向、欧米の地政学的野心が交錯した複雑な結果です。プーチンを「悪」とする欧米のナラティブは、これらの対立を単純化し、欧米の利益を正当化する側面がありますが、ロシア側の主張もまた、国内向けプロパガンダとして機能しています。
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### 補足:陰謀論への注意
ロスチャイルド、ロックフェラー、ソロスといった名前は、陰謀論でしばしば「世界支配」の象徴とされますが、これらの人物や家系がウクライナ戦争を直接操っている証拠は存在しません。 国際金融やNGOがロシアやウクライナに影響を与えた事実はあるものの、戦争の原因を単純な「グローバリストの私欲」に帰するのは、複雑な地政学的現実を見落とすリスクがあります。客観的な分析には、一次資料や国際機関の報告を参照することが重要です。
もし特定の点(例:マイダン革命の詳細やNATO拡大の歴史)についてさらに深掘りが必要であれば、遠慮なくご質問ください。
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stoopid-o · 18 days ago
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ベニテスとイラク現代史
この投稿は、2025年6月8日にTwitterで話したスペースの原稿です。元のスペースは下記にリンクを貼っておきます。
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前回スペースをしてから随分時間がかかってしまいましたが、今回はイラクについて喋ります。前回同様、私は専門家ではないので、調べが足りていない部分、勘違いや元資料の誤り、情報が古い、などで間違っている部分もおそらくあります。なので、訂正コメントいただけたら助かります。
 人物名は敬称略で呼び、またアラビア語の冠詞の変化について理解できていないため、人名の冠詞は省略します。人物や地名の発音をうまくできないことがあります、ごめんなさい。
 まずはイスラームの基礎知識を整理しましょう。紀元六一〇年、ムハンマドの前に天使ジブリールが現れ、アッラーの啓示を受けアラビア半島のメッカでイスラーム教を始めます。
 宗派は細かく見ていくといくつもありますが、ここでは二大派閥スンナとシーアをざっくりと説明します。ムスリム人口の約八割以上がスンナとされています。スンナとは「慣行」に由来する言葉であり、三代目カリフ、カリフとはムスリム共同体の支配者、そして預言者ムハンマドの後継者のことです、が暗殺され、四代目のカリフの預言者ムハンマドのいとこアリーと、ウマイヤ家のムアーウィヤの間に対立が発生します。
 預言者ムハンマドの血縁関係にあるアリーとその子孫のみが後継者とするのがシーア、ムアーウィヤのカリフ就任を支持した人々がスンナとなっていきます。
 ちなみに、シーアはシーア・アリーの略であり、意味は「アリーの党派」。なので、シーア「派」では派が被っています。ただ、伝わりやすさを優先してシーア派と言うのも可能でしょう。今回のスペースでは極力シーアで統一します。
 イラクにはナジャフとカルバラーというシーアの聖地があり、一八世紀半ばからシーア人口が増え、現在は人口の約六割がシーアです。もちろん前述したように、ムスリムの約八割がスンナなので、周辺の状況は隣のイランやアゼルバイジャン、バーレーンを除くとシーアが多数派である国はありません。
 ムスリム人口の次に現在のイラクの基礎情報について。イラクは多数の民族や宗派が集まっているため、国の分断を招かないよう政府による公式の民族別人口統計はありません。ただ、CIAなどによるデータからおおよそを把握することができます。
 世界銀行の二〇二三年のデータではイラク共和国の人口はおよそ四五五〇万人。民族比はCIAの一九八七年と古いデータですがアラブ民族が約八割、クルド民族が約一割。その他にトルコマン語を話すトルコマン民族。イラク北部にカルデア教徒やシリア正教徒などのキリスト教諸民族が居住しています。オスマン帝国で行われた虐殺から逃れてきたアルメニア人、同じく弾圧を逃れてきたアッシリア人な様々な民族がイラクには存在します。
 イラク地域の歴史は膨大すぎるため、イギリスの委任統治時代からの話を始めます。一九二四年にイギリスがオスマン帝国支配下にあった湾岸都市のバスラ、中央部のバグダード、北部のモースルの三州を占領下に置きました。ただこの三州は共通の国という意識がなく、イギリスによって強制的に「イラク」としてまとめられてしまいます。一九二〇年の四月にイギリスの委任統治が始まりますが、反英デモから大規模な武装反乱、暴動が各地で起きていました。
 この反乱の鎮圧には多くの戦費がかかり、イギリスは早々にアラブ人ムスリムをトップに据えた独立政府の樹立を目指します。イギリスに協調的なハーシム家のファサイル王子が一九二一年八月にイラク王国初代君主に即位します。この即位はイギリスの要請に応じたものであり、ファサイル一世はメッカ、サウジアラビアの王族であるためイラクからしたら外国人でした。ただ、ファサイル政権ではイギリスの委任統治に反対し、イラクの独立を求めます。
 イギリス本国ではイラクからの撤退を視野に入れていました。占領により蜂起は絶えず、鎮圧のために多くのイギリス人兵士が死亡していました。こうして、一九三二年にイラクは独立を迎えます。しかし、当時のイラク王国はイギリスという後ろ盾なしに国を成り立たせることは難しい状況でした。
 イギリスの影響下にあったイラク王国の終わりは一九五八年七月一四日、王国軍部隊がバグダードでクーデタを起こし滅亡します。クーデタを扇動したカーシム准将により、イラク共和国の樹立を宣言されます。
 このクーデタの立役者はアブドゥルカリーム・カーシムと共に、アブドゥッサラーム・アーリフという将校がいました。アーリフはエジプトのナセル大統領に心酔しており、アラブナショナリズム運動のナセル主義に懐疑的なカーシムによって政権から追放されます。権力をひとりで握ったカーシムは単独支配体制を築きます。
 追放されたアーリフ側についていたのが、この後政権を掌握するバアス党でした。
 バアス党の根幹であるバアス主義は、二〇世紀前半にシリアで生まれたアラブナショナリズムに通じる思想です。バアスとはアラビア語で「復活」「復興」を意味し、イギリスやフランスによる委任統治を拒否し、アラブ世界の統一を目標としていました。
 アラブ世界の統一を目標とするため、バアス党は各地に支部を設立していき、一九五二年にイラク支部が始まります。
 一九六三年にアーリフとバアス党は政権を奪います。しかし、恐怖政治を敷き、シリアのバアス党本部が介入するなどの混乱のため、今度はアーリフがバアス党を追放します。ちなみに、私はベニテスの生誕年をこの一九六三年にしています。
 追い出されたバアス党は一九六八年、アフマド・ハサン・バクルを中心にクーデタを起こし政権を握ります。バアス党はクーデタ後、軍への依存を減らすために党内厳粛を行いました。その担い手が当時三〇代の若きサッダーム・フセインです。フセインはバクルの親戚であり、着実にバアス党での地位をあげていきました。一九七九年にバクル大統領を辞任させて、大統領に就任、フセイン政権を始めます。
 ちょうどその頃、隣国イランでは、シーアのルーホッラー・ホメイニーを中心にイラン革命が起きていました。イラン革命は親欧米路線であり世俗主義の皇帝、モハンマド・レザー・パフラヴィーに対し、イランのイスラーム化を目指し革命が勃発。王政は廃止され、シーアの最高指導者ホメイニーによるイラン・イスラーム共和国が成立します。
 先述の通り、イラクの人口の六割はシーアです。しかし、バアス党は社会主義、サッダーム・フセインはスンナであり、イラクの世俗化を目指していました。ちなみに世俗主義とは国家の政策などが特定の宗教に影響を受けないという、政教分離の方針のことをいいます。
 イスラーム主義の広がりを危惧したフセイン政権は、国境を流れるシャットゥルアラブ河の領土問題もあり、一九八〇年九月にイランへ戦争を仕掛け、イラン・イラク戦争を始めます。
 この戦争でレーガン政権下のアメリカはイランへ武器を売って、その売り上げで中米にあるニカラグアの反共ゲリラ「コントラ」の援助を行っていました。
 若干余談になってしまいますが、イラン・イラク戦争の少し前、ニカラグアでは一九七九年に「ニカラグア革命」が起こり、左翼政権が樹立します。新政権はキューバなどの共産圏とも関係を築き、その動きにアメリカは警戒を強め、コントラの支援へと繋がりました。そしてニカラグアは一九八四年、国際司法裁判所にアメリカを提訴します。判決はアメリカの違法性を認めたものでしたが、アメリカは賠償せず、一九九一年にニカラグアが請求を取り下げて裁判は終わりを迎えます。
 こういったアメリカの行いを、当時はメキシコにいた若いベニテスは見ていたはずです。そして、ベニテスはおそらくアメリカ占領下のイラクへ行き、そこで行われていることも見ました。ベニテスは歴史の目撃者でもあります。
 話をイラン・イラク戦争に戻します。アメリカがイランへ武器を売っていたところ、イランがバグダードまで侵攻する可能性が出てきました。アメリカはイランのイスラーム政権拡大を恐れ、今度はイラクを支援します。
 こうして不利になったイラン最高指導者ホメイニーは、一九八八年七月一八日に国連安保理による停戦決議を受け入れます。こうして翌月の八月にはイラン・イラク戦争は終結。シャットゥルアラブ河の問題は、国境線を河の中心線とするアルジェ合意を基礎とすることを受け入れました。
 八年続いた戦争による死者はイラク側で二五から五〇万人、イラン側は一〇〇万人とみられています。
 イラン・イラク戦争から二年後の一九九〇年八月二日、イラクはクウェートへ侵攻します。侵攻の理由はクウェートはバスラ州の一部なのに、イギリスにより切り取られた。また、クウェートが不当に石油価格を引き下げているとイラクは主張していました。
 イラクによる侵攻でクウェートの政府は倒れ、その後樹立された傀儡政権によりクウェートはイラクの一九番目の県として併合されます。
 このイラクの侵攻に対し、アメリカ、イギリス、フランスから、クウェート、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、シリアなど三七か国による多国籍軍が一九九一年一月一七日に「砂漠の嵐作戦」を開始。湾岸戦争が始まります。
 空爆と地上作戦によりイラクは撤退し、クウェートは解放されました。四月にクウェートへの賠償、大量破壊兵器の破棄、国境の尊重などの安保理決議をイラクが受け入れて湾岸戦争は終結します。
 イラク軍の死者は二万五〇〇〇から三万五〇〇〇人、イラク市民は一〇万人以上。クウェート市民は一〇〇〇人以上、クウェート軍を除く多国籍軍側の死者は五六九人でした。
 イラクによるクウェート侵攻の一九九〇年八月二日から四日後、国連安全保障会議はイラクへの全面的禁輸措置を採択します。これによりイラクと各国の間のモノの輸出入、ヒトの移動、すべてが止められる経済制裁が始まります。
 経済制裁の当初の目的は、イラク軍をクウェートから撤退させることでした。しかし、湾岸戦争によりクウェートから撤退したイラクへ、戦争終結のため安保理は兵器の廃棄、核開発の停止、クウェート人捕虜の解放、補償金支払いなどを求め、イラクもこれを受け入れます。こうした要求が満たされなければ経済制裁は解除されず、続いていくことになります。
 この経済制裁により困窮するのはイラク国民でした。石油を輸出できなくなり、輸入も激減、為替レートの急落、物価上昇などが起こります。政府は食糧不足に対して一九九〇年九月から食糧配給制度を開始しますが、全く足りていませんでした。市民の生活が困窮する一方で、ヤミ経済にアクセスできる商人や政権幹部だけが得をしていました。
 食糧の他に医療面でも深刻な問題が生じていました。乳幼児の死亡率は増加、伝染病は広がり、医療品は不足します。
 経済制裁の重要な論点である大量破壊兵器は、イラク戦争後の調査で一九九〇年代にすべて破棄されたことが明らかになります。ただ、フセイン大統領は査察団を長年拒み続け、協力姿勢を見せ始めたのは九・一一テロの後、二〇〇二年頃でした。イラクへの軍事攻撃が行われる直前であり、イラク戦争を止めることはできませんでした。
 二〇〇三年のイラク戦争でフセイン政権が倒されるまでの約一三年間、経済制裁が解かれることはありませんでした。
 二〇〇三年三月一九日にアメリカ、イギリス、オーストラリア、スペイン、ポーランドが宣戦布告し、イラク戦争を始めました。完全に制空権を掌握した上での空爆、地上部隊の進行により、各地の部隊は降伏していきます。五月一日にはブッシュ大統領が終戦宣言を行いますが、その時点ではサッダーム・フセインを拘束することができていませんでした。
 湾岸戦争での一方的な停戦宣言を行ったのはジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ、イラク戦争を始め、一方的に終戦宣言を行ったのはジョージ・ウォーカー・ブッシュの親子でした。
 イラク戦争は、湾岸戦争の停戦を定めた安保理決議にイラクが従わず、大量破壊兵器の破棄に協力せず、アルカーイダなどのテロ組織とつながりがあり、国内のクルド民族を弾圧しているとの理由で開始しました。しかし前述したように、大量破壊兵器は既に処分されており見つからず、アルカーイダとフセイン政権のつながりもなく、アメリカは戦争の正当性を問われました。
 二〇一一年一二月一四日にオバマ大統領は再び終戦宣言を行い、イラクに駐留していたアメリカ軍は撤退しました。
 二〇〇三年から二〇一一年までの、占領下イラクを詳しく見ていきましょう。
 イラクの民間人死亡率のデータはそれぞれ違いがあり、完全に正確なことはわかっていません。ただ、非政府組織の「イラク・ボディ・カウント」やイラク内務省、アメリカ軍の統計の推計によると、開戦から一二年六月までの間に一一万六四〇九人の民間人が死亡したといいます。
 死者の増加にはいくつかの段階があり、まずイラク戦争が始まった二〇〇三年は突出して人が亡くなりました。その突出した時点を除くと二〇〇三年五月から二〇〇六年二月にかけて増え続けます。ピーク時の二〇〇六年一〇月は一ヶ月の間に二七〇九人が死亡したとされます。アメリカ軍による占領下イラクでなぜ死者数が増えたのか、順を追って説明します。
 政権を倒したアメリカはイラクという国を破壊します。政府が失われたイラクにアメリカはまず、軍を中心とした連合国暫定当局(CPA)を作りました。この組織の目的はイラクの政府を再建することです。
 二〇〇三年五月、CPAはイラクの国軍と治安機関を解体し、約四〇万人を失職させました。CPAは新しいイラク軍を三年以内に設立することを発表しました。新しい軍の兵力は四万人、戦車も火砲もなく、主に国境警備を担うことになる予定でした。とことが反体制暴動が激化し、アメリカ軍の死者が増えると治安要員を増やさねばならなくなります。二〇一二年一月時点で、イラクにおける治安部門の雇用数は約九三万三〇〇〇人。当初の予定の二〇倍以上の数になりました。
 フセイン大統領は自身の独裁体制を強化するために多くの国民を公務員として雇っていました。一九八〇年代には公務員の数は約八二万八〇〇〇人に増やします。この数字は当時の人口の約四.九%を占めていました。
 アメリカはサッダーム・フセインの復権を防ぐため、彼の政党であるバアス党に属する職員を追放します。正確な数字はわかっていませんが、脱バアス党政策により公務員の二万~一二万人が失職しました。フセイン政権により公務員が増加していたため、膨大な数の人間が職を失います。戦争、国軍の解体と脱バアス政策により上昇した失業率は、この後の治安悪化の一因だった可能性があります。
 また、フセイン政権時に弾圧していた反体制派重要人物の帰国なども、要員の一つとされています。この反体制派の最大派閥はイスラーム主義勢力です。イスラーム主義、ここでは特に政治的なイスラーム主義はイスラーム法であるシャリーアの秩序に基づくイスラーム国家・イスラーム社会を目指す活動をいいます。
 話を整理するため再三になりますが、フセイン政権およびバアス党はアラブナショナリズムかつ世俗主義的な部分がありました。イスラームは��化であり、宗教と国家は切り離すべきという姿勢のあるバアス党の姿勢と、イスラーム主義は相容れないものでした。
 イラクのイスラーム主義勢力の中で代表的なのがダアワ党です。一九五〇年代、社会の急激な近代化と世俗化に危機感を抱いたシーアのイスラーム法学者であるウラマーは立ちあがります。
 ウラマーのムハンマド・バーキル・サドルと支持者たちは一九五八年に「イスラーム・ダアワ党」を結成します。イスラーム主義政党であるダアワ党は、思想の根幹であるシャリーアの秩序によるイスラーム国家建設を目標に掲げます。
 しかし、一九六八年に与党となったバアス党政権はダアワ党を弾圧しました。一九七九年にはイランでイスラーム革命が起こり、自国での革命を恐れたフセイン政権はダアワ党の指導者バーキル・サドルを処刑します。弾圧によりイスラーム主義者はイランへ亡命しました。
 亡命、イラン・イラク戦争などによりバラバラになってしまったイスラーム主義勢力は「イラク・イスラーム革命最高評議会」として再統合します。略名はSCIRIです。このSCIRIは大きな組織であり、およそ一万五千人ほど の兵力を持つバドル軍団と呼ばれる軍事部門が存在し、後にイラクで暴力の一端を担います。
 フセイン政権の終わりと共に、弾圧を受けていたダアワ党員、SCIRIなどのイスラーム主義勢力が帰国しました。そして、かなりの厚遇を受けます。脱バアス政策を推し進めたCPAはイラク人による暫定統治のため、イラク統治評議会を組織します。反フセイン体制派 だった二五名のメンバ���の中に SCIRI やダアワ党のメンバーが入っていました。
 また、シーアの武装組織マフディー軍も治安悪化に無視できない存在でした。ダアワ党の創始者ムハンマド・バーキル・サドル の親類であるムハンマド・サーディク・サドル は、バーキル・サドルの亡き後シーアのウラマーとしてイラクで活動していました。禁止されていた金曜礼拝を再開させ、イスラームへの信仰心を説いたカリスマ的な指導者サーディク・サドルもバーキル・サドルと同じようにフセイン政権により暗殺されます。この暗殺によりサドルの支持者は地下に潜り、二〇〇三年にフセイン政権が倒されると表舞台へ躍り出ます。それがサーディク・サドルの息子、ムクタダー・サドルです。
 ムクタダー・サドルは特にバグダードのサドル・シティ、死後も尊敬を集める親族の名前を冠した貧民街で活動を始めました。この街の旧名はサダム・シティ、低所得者が集まるサドル・シティで生活必需品の配布や清掃活動を行い、若者たちをリクルートしてマフディー軍を組織します。
 イラク戦争直後、二〇〇三年の暴力、略奪はまだ混乱した個人の範囲でした。ただ、アメリカ軍が完全にイラクを制圧しきっていないと知られ始めると、組織的な暴動に変化するのには時間がかかりませんでした。
 組織的暴力の初期段階はアメリカ軍への抵抗運動です。二〇〇三年に路上爆弾攻撃により死亡したアメリカ兵は一二人を下回っていましたが、次の年の二〇〇四年には一ヶ月に少なくとも二〇人が殺害されました。
 組織的暴力にはこうしたナショナリズム的抵抗運動と、もうひとつ、イスラーム主義勢力に二分することができます。
 先述の通り暴力的な組織はフセイン政権後に帰国するか再起動し、それはSCIRI のバドル軍団、ムクタダー・サドルのマフディー軍、イラク・イスラーム軍、アンサール・スンナ、そしてアルカーイダなどでした。���メリカはフセイン政権とアルカーイダは繋がっていると疑い、戦争を始める理由としました。しかし、結局のところフセイン政権とアルカーイダに繋がりなどありません。バアス党とアルカーイダに共通するのはスンナ派ムスリムの組織といったくらいで、世俗主義な前者とイスラーム主義のアルカーイダとは相容れない存在同士でした。
 イスラーム主義勢力は主に自爆を用い、二〇〇三年から二〇〇六年までの間に五〇〇件以上の自爆テロを仕掛けました。占領に抵抗するため、アメリカ以外に中東諸国の政府機関や国際組織も標的にします。二〇〇三年八月にはヨルダン大使館と国連事務所が爆破され、一〇月には赤十字国際委員会の事務所もテロの被害にあいました。国連事務所や赤十字への攻撃により、人道支援を行っていた非政府組織は撤退せざるを得なくなります。
 個人的に、ベニテスはこうした組織への攻撃後にイラクへ渡ったのではと考えています。外国人宣教師が国外へ避難している状況を知り、ベニテスが自分から名乗り出たのかもしれません。無数の武装組織が活動し、何の解決もしていないものの二〇〇三年七月にコンゴ戦争は一応の終わりを迎えます。性暴力を受けた女性のための病院建設も行い、区切りや導きがあってコンゴからイラクへ移動した、と私は考えています。移動する直前に自身の身体のことを知り、葛藤を抱えながらバグダードへ移動し、闇のなかを生きていたのかもしれません。
 話を自爆テロに戻します。自爆攻撃はシーアの聖地なども標的にし、このテロ行為はイラクの内戦に繋がります。宗派対立の始まりというべき事件は、二〇〇三年八月にSCIRI 議長のムハンマド・バーキル・ハキームが暗殺された事件です。また、二〇〇四年三月にシーアの聖地、カルバラーが攻撃を受けます。この年の五月以降は、イラク人だけでなく外国人労働者の誘拐・殺害事件が発生し始めます。
 そしてアメリカ軍統治下のイラクで必ず語らねばならない場所がファッルージャです。ファッルージャはバグダードから西へ五〇キロメートルへ行ったところにあります。だいたい、この二都市は東京と鎌倉の距離感です。そしてファッルージャは保守的なスンナ住民の多い土地でした。
 二〇〇四年四月、その街でアメリカ軍にデモを行っていた一七人が、アメリカ兵に殺される事件が発生します。これをきっかけに暴動が始まります。二〇〇四年三月にアメリカの民間軍事会社、ブラックウォーター社に務める四人が殺害されると、海兵隊およびアメリカ軍がファッルージャに対する攻撃を開始します。
 ちなみに、アメリカ政府は軍で補いきれない部分を、民間民間軍事会社や民間警備会社に頼っています。これはイラクだけでなく、アフガニスタンに対してもです。こういった企業は時に事件を起こすこともあり、イラクでは二〇〇七年九月にブラックウォーター社 が民間人を一七人殺害し、問題となりました。
 話をファッルージャに戻します。大規模な空爆によりファッルージャの人々の大半が避難民となります。ファッルージャを逃れ、近郊大都市のバグダードへ移動し、スンナの避難民はスンナの多いバグダード西部へ居住しました。この中で過激化した人々がシーアの住民を追い出す事態になります。そして、スンナのテロ組織アルカーイダが自動車爆弾や自爆テロでシーアの居住区域を攻撃。シーアのマフディー軍などがスンナのムスリムを殺害や誘拐を行います。この時期、二〇〇五年の一月から六月までの間に一三〇件の自爆テロが発生し、その大半はアメリカ軍ではなく、他の宗派を狙ったものでした。
 こうして、二〇〇五年五月にはバグダードは内戦状態に陥ります。バグダードの殺人事件発生数は増加、、一日平均一一件から三三件に増えました。
 殺人はアメリカ軍や民間武装組織によるものだけでなく、イラク政府によるものも含まれていました。
 イラク政府の内務省には特別警察突撃隊がありました。当時の内務相はイラク統一同盟のバヤーン・ジャブル。ジャブルはSCIRIの幹部で、かつてバドル軍団を率いていました。そして彼は治安機関にバドル軍団の構成員を可能な限り雇い入れます。
 二〇〇五年以降、特別警察突撃隊は殺人、拷問、宗教浄化を繰り返す集団と化します。二〇〇五年一一月に内務省が設けた施設へアメリカ軍が捜査を行い、劣悪な環境で収監されていた一七〇人を発見しました。この施設では国家機関が拷問、処刑を日常的に行っていた証拠となりました。ただ、このことが発覚してもジャブルは内務相を辞任することなく二〇〇六年までその職に留まっています。
 ただ、こういった市民の誘拐、処刑はイラク政府だけが行っていたものではありません。二〇〇三年にアメリカ軍はアブグレイブ刑務所で収容者へ拷問、男性女性どちらへにも性的虐待を行っていました。 
 イラク人への虐待は二〇〇四年四月にCBSが実態を写した写真を公開し、ようやく世界的に広がります。しかし、このような事件が発生しても、依然として大量破壊兵器が発見されなくても、二〇〇四年一一月二日にブッシュは再選し、イラク占領は続きました。
 元々のバグダードではスンナとシーアが共生していました。トラブルがなかったとは言えません、フセイン政権がシーアを弾圧し、アーシューラーなどの宗教行事を禁じていたのは事実です。ただ、スンナとシーアは真っ二つに分かれていた訳ではなく、異なる宗派同士で結婚もあり、家族の半分がスンナ、半分がシーアという家庭もあります。
 内戦状態に陥ったイラクに対応するため、アメリカは二〇〇七年二月に増派を始めます。増派、英語ではサージ、とはイラクに派遣する兵士を一時的に増やすことです。兵力の増強、開戦以来最大規模の軍事作戦、アメリカ軍は内戦状態のイラクに対応を行いました。
 二〇〇七年一月の民間人の死者数は二五〇〇人だったけれど、六月は一九五〇人、一二月は六〇〇人と減少しました。ただ、死者数の減少がアメリカ軍の軍事作戦によるものなのかは検証が必要であり、効果があったと断言することは難しいことです。
 死者数の減少に関係しそうな大きな要因はいくつかあり、その内のひとつがマフディー軍の活動休止です。おさらいになりますが、マフディー軍はシーアの指導者、ムクタダー・サドルが率いる兵力約六万の武装組織です。
 ムクタダー・サドルの影響力は大きく、マーリキーの首相就任に寄与するほどでした。そのため、アメリカ軍のサドルを標的とした作戦にマーリキー首相は制限を課し、マフディー軍の主要人物の逮捕を禁じます。
 国の中枢に食い込むほど影響力を持っていましたが、マフディー軍は分裂していきます。まず、ムクタダー・サドルは増派が発表されると、イラクを脱出してイランへ逃れました。サドルが国外に脱出後、マフディー軍はバグダードから部隊を引きあげます。シーアのムスリムの中ではマフディー軍を批判する人々も増え、組織内の不良分子を追放し、徐々��活動を縮小せざるを得なくなっていきます。
 それに加えて、マフディー軍とISCIのバドル軍団の間の対立が激化します。ところで、イラク・イスラーム革命最高評議会は二〇〇七年五月に党名を「イラク・イスラーム最高評議会」と改名し、略名もISCIになりました。
 二〇〇七年八月、宗教行事のためシーアの信徒が集まっていた聖地カルバラーでバドル軍団とマフディー軍の銃撃戦が起こりました。この銃撃戦により五二人が死亡します。この事件によりサドルは六ヶ月の休戦を宣言し、その後も休戦を継続させます。
今回のスペースの参考文献は『イラク戦争は民主主義をもたらしたのか』トビー・ドッジ 、『地図で見る アラブ世界ハンドブック』マテュー ・ギデール 、『現代イラクを知るための六〇章』酒井啓子編、『バグダッド・バーニング イラク女性の占領下日記』リバーベンド 、『兵士は戦場で何を見たのか』デイヴィッド・フィンケル です。
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shinjihi · 1 year ago
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トランプ大統領の2024年に向けて47の政策綱領 その1: 麻薬カルテルとの戦い フェンタニル、ヘロイン、覚せい剤、その他の致死性薬物が広大な国境を越えて流れ込み、何十万人もの美しいアメリカ人の命を奪っています。そして、それは私たちの歴史の中でかつてないほど起こっています。子どもたちは親なしで取り残されています。家族は引き裂かれています。コミュニティは破壊されつつあります。私たちの隣人や同胞たちは、世界全体を破壊されています。誰も考えられなかったような破壊です。私たちの国は、麻薬やその他の犯罪によって内部から汚染されています。 麻薬カルテルはアメリカに対して戦争を仕掛けています。そして今こそ、アメリカが麻薬カルテルに対して戦争を仕掛ける時です。この戦争で、ジョー・バイデンは米国とカルテルの側に立ったのです。彼らはこれまでの10倍以上のお金を稼いでいます。そのようなことは今までにありませんでした。彼らは大手の大手企業であり、私たちの最大手の企業の一部よりも規模が大きいのです。バイデンの国境開放政策は我が国に対する致命的な裏切りです。 私が大統領になったら、我々がISISとISISのカリフ制を打倒したのと同じように、そして今日我々が置かれている状況とは異なり、非常に強力な国境を持っていたのと同じように、カルテルを打倒することが米国の政策となるでしょう。実際、我が国の歴史の中で最強の国境です。そして麻薬の使用量は45年ぶりに減少しました。ほんの 2 年前に私たちがやったことは今までに無いことでした。私たちはカルテルには容赦しません。 毎日、麻薬密売人がこの地域の海域を利用して猛毒をアメリカに輸送し、多くの国民を殺し、家族を破滅させています。強力な国境警備を回復することに加えて、私はアメリカ海軍を含む必要なすべての軍事資産を配備し、カルテルに全面的な海上禁輸措置を課すつもりです。以前にそれを実行してうまくいきました。私たちがやったことは信じられないほど素晴���しかったです。私たちは、西半球の海域が我が国への違法薬物の輸送に利用されないことを保証します。 さらに、私は国防総省に対し、カルテルの指導力、インフラ、作戦に最大限の損害を与えるために、特殊部隊、サイバー戦争、その他の公然・非公然の行動を適切に実施するよう命令します。 私は主要カルテルを外国テロ組織に指定します。私たちは彼らの世界的な金融システムへのアクセスを遮断します。 私はまた、この地域の近隣政府との前例のないパートナーシップを築くために取り組んでいきます。私がメキシコでやったのと同じように。そして、メキシコだけでも推定10万人の民間人がこれらのカルテルの手によって悲劇的に殺害されたり、行方不明になったりしていることを思い出してください。メキシコ政府は、非常に優れた人物である大統領によって運営されており、懸命に取り組んでいますが、うまくいきません。これらのカルテルは悪質かつ暴力的で、今のところメキシコを妨害しています。そうですね、私たちはメキシコを助けなければなりませんし、カルテルを妨害しなければなりません。この脅威を阻止するために他の政府の全面的な協力を得るか、あるいはカルテルの残忍な統治を維持させているあらゆる賄賂、あらゆるリベート、あらゆる見返り、あらゆる汚職を暴露するかのどちらかです。そしてそれは実に残忍です。  最後に、以前にも述べたように、麻薬密輸業者や人身売買業者に死刑を確実に科す法案の可決を議会に求めます。 バイデン政権の麻薬カルテルとその同盟者たちは、数え切れないほどの数百万人の血を流しています。何百万もの家族や人々が破壊されています。私がホワイトハウスに戻ると、麻薬王や凶悪な密売人たちは二度とぐっすり眠ることはないでしょう。私たちは一度それをやりましたし、他の誰よりもうまくやりました。ほんの 2 年前ほど良い国境はありませんでした。それは強くて強力で、世界中で尊敬されていました。そして今、私たちは世界中で笑われています。そして、それをこれ以上放置するつもりはありません。私たちは引き継がなければなりません、タフでなければなりません、賢くなければなりません、そして公平でなければなりません。しかし、すぐに何かをしなければ、私たちの国は滅んでしまいます。 注)アメリカなどでは大統領経験者や大使経験者は退任後も「President 大統領」「Ambassador 大使」と呼ばれています。 なのでトランプ前大統領はアメリカではPresident Trumpと呼ばれます。オバマ元大統領もPresident Obamaと呼ばれます。 日本では前首相、元首相、前大使、元大使、と呼ぶことが多いと思います。
https://www.donaldjtrump.com/agenda47/president-donald-j-trump-declares-war-on-cartels
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2-job-com · 2 months ago
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岩手県発!副業フリーランス手塚さや香さんの「好き」を仕事にする生き方
こんにちは、仲池美咲です。 「副業」という言葉に、どんなイメージを持っていますか? 収入アップ? スキルアップ?…
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kennak · 3 months ago
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トランプ関税で「日本は自動車関税ゼロなのか」って言ってる人が多くて気になった。 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20250215/k10014723331000.html 自動車だけじゃないよ、日本は工業産品全て輸入関税ゼロだ! ある時期まではそれでも勝ってきたのだね。というか、勝ってきたので関税を下げていったのだ。 いつからゼロに?遥か70年代前半からだ。 誰の指導で?そりゃ勿論アメリカさ。   長ったらしいからよ結論先に書くぜ。 1.日本は工業産品関税ゼロ 2.世界的にも工業産品は関税撤廃に向けてすすんでいた 3.農産品関税撤廃で紛糾したのがグローバリズム批判の嚆矢   日本の復興と経済成長というのは相当とんでもないもので、焦土から25年くらいで世界トップレベルの工業力を持つに至った。 そうなると今度は工業の保護政策は必要ないから税率下げなさいとアメ様より指導を戴く。優等生路線に切り替えた戦後日本はそれに従い、70年代には税率���ロになったってわけ。 この「指導」は日米貿易協定で対米関税失くせっていう要求だけじゃなくて、他の国とも貿易協定(EPA)を結んで関税無くして行きなさいというのも含むわけ。 別に毎度直接そう言われたわけじゃないが最早それが戦後の常識だったからそうやって来た。   関税の一覧は税関が公開しているんで暇な時に見るといいぜ。 https://www.customs.go.jp/tariff/2024_04_01/index.html 工業産品はあら方ゼロ。数パーセント掛かってる品もあるが、日本と良く取引があるASEAN諸国、EU、環太平洋、中韓台などは協定でゼロとなっている。 色々調べると戦車とか野戦砲とか兵器だけには高関税掛かってるのとか発見できるぞ。でも兵器買うのって国家しかいないので関税の意味無いね。   ウルグアイラウンドまで こんな風に輸入障壁は撤廃しようという流れで来て、先進国は大抵どこも工業産品関税ゼロになっている。 工業部門の障壁は撤廃出来た。それじゃ今度はITや頭脳労働などサービスと農産品の輸入障壁を撤廃して関税ゼロにしようず!となったのが、GATTウルグアイラウンドだ。WTO(世界貿易機関)もこの時の合意で出来た。 だけどウルグアイラウンドはGATT史上初のつまずきになった。農業部門などで妥結出来なかったのだね。   なんで妥結出来んかったのよ? 農業ってのは国の根幹だし付加価値が低い産業なのであんま儲からない構造の所が多いのよ。それで補助金出して買い上げたりと各国保護政策を採ってる。 それに農家ってのはどこも保守的。なので保守政党の支持層なわけだ。 その農家を不安定な状態にしてしまうと政治も不安定になるってわけ。ぶっちゃけ自由化しちゃうと個人事業主の農家が全滅して国際農業メジャーが全部かっさらって各地の農場はプランテーション、みたいな事になりかねない。 だから各国反対で農業部門の合意は流産。これが現在までの経緯。   戦後がパックス=アメリカーナと呼ばれていたわけ 第二次大戦の原因は 1.ドイツ、日本のようなならず者国家の本質的特性にある 2.直前の保護貿易にある 連合国の総括は2.だった。1だったら日独は分割占領したままで二度と復活しないように主権を制限すればよいな。 でも2だと民生中心の工業国として立て直す支援をすべし、となる。 また戦勝国側も同じ轍を踏まないように経済のブロック化を防止しよう、という事で貿易協定を国家間のものから、多国間一般の協定にしようず、という流れになったわけだ。 ここで大事なのは、植民地争いを復活させる意図はないから産業未発達の途上国は除外された。工業未発達なのに外国製品と競争しろ!とかは言わないってこと。   人民元ってどういう意味やろな 急に話が変わるが、中国の人民元ってあるじゃん?なんで人民って付くんやろな? それは以前は旅行者用の元ってのがあったからなのだ。 社会主義では生産量も価格も国家が決めていた。そこで海外からの旅行者が勝手に通貨を使うと不安定要素になってしまう。そこで旅行者には普通の通貨と違う通貨を持たせたの。そのレートも国家が決める。 個人も会社も輸出入は独自で出来ない。輸出入出来るのは国家だけ。 ところが鄧小平以後の開放政策では市場経済を導入したので旅行者用元を発行する必要が無くなったわけ。旅行者が持ち込むカネは不安定要素じゃなくて市場の調整に任せるから。だから旅行者にも人民元持たせて法人も人民元で他国と決済出来るってなった。   脱線するが元は略字であって元は圓。日本の円も韓国のウオンもベトナムのドンも圓を各国読みしたものなんよな。人民元と日本円の通貨記号が¥で同じなのはこういうわけ。   つまり共産勢力も貿易自由化協定に参加したんだけど国家運営の都合上かなり制限があった。そして冷戦激化によって自由陣営と共産陣営の2ブロックに分れてしまっていた。 その共産陣営の方は行き詰って統制経済を放棄。自由主義陣営の旗振り役は?アメリカだ。 だから改革開放、ドイモイ、ペレストロイカでパックス=アメリカーナは決定的になったってわけ。   日本の復興と西欧の没落 日本は世界最大の鉄鋼輸出国。知ってた?日本は鉄の国なのだ。 日本の工業力が復興して急成長した原因は、朝鮮戦争の特需なんかもあるが、元々のスターターは軍港の解体なんだな。 横須賀、呉、佐世保が戦前の主な軍港だったが、その規模は今と全然違う。 例えば横須賀だと今なら街があって海の方が自衛隊と米軍の基地になっているが、戦前だと駅前から始まって全てが軍港。ドック、宿舎、軍需工場、軍需工場工員向け宿舎/飯屋、軍に関係が無いものは一切ない。 敗戦後に軍は解体されるんで軍港都市であった3港はどうするかね?って事になった。そこで海沿いの海軍基地は民間船の造船ドック、製鉄所に転換されることになったわけ。 因みにこん時に旧軍港市転換法という法律を作ってやったわけだが、施行されたばかりの日本国憲法には95条:一の地方公共団体のみに適用される特別法は住民投票での同意を必要とするって項目がある。そこでこの3市では住民投票を行ったわけや。   こういう感じで軍港を廃止して造船所と製鉄所に転用した事が起爆剤になって各地い造船所が林立。日本は一気に造船と鉄鋼の国になったわけ。鉄は工業の基礎だからな。ここを押さえておいたのは強い GHQのプロパガンダで戦艦などの兵器を溶かしてビルや鉄道などの民需品になるっていうポンチ絵があるがその通りになったてわけ。 その後家電や自動車などの民生品、エレクトロニクスといった軽薄短小産業にシフトして行って造船トップの座は韓国に移った。因みに極東アジアは韓中日と造船トップ3国が密集する異常地帯なんだな。この三国で世界の船の9割を造ってるんだぜ、いかれてるよな。   こうやって産業シフトに成功した日本は工業産品輸出量をメキメキ伸ばし、70年代初頭にはかなりとんでもないレベルになった。世界の港湾扱い量のランキングの上の方が全部日本の港って具合だ。1位横浜、2位神戸、3位門司みたいに日本の港がずらっと並びその下にアメリカのが出てくるって具合だ。日本スゴイとか嫌いなんだが、20年前は焼野原なんだぜ?イカれた復活具合だよな。   一方この頃アメリカや欧州はっていうとかなり停滞していた。アメリカは世界一の経済大国ではあったが国内が疲弊し、ベトナム戦争長期化で病んだ若者が増え、日本製品に国内産業が負けつつあった。 欧州では植民地の独立問題で揉め、労組の抵抗で産業転換が進まなかった。植民地が独立したら産業構造が変わって国内経済にダメージがあるのは当然。それを引延ばして軍事介入などを続けていたので建て直しに時間が掛かった。 一方日本は負けてとっくに植民地を手放していたのでこういう問題に拘わずに済んだ。 もう一つは吉田ドクトリン。憲法9条があるから武装できません~と紛争に一切拘わずに防衛費負担も軽く、一方で日米安保で防衛力は確保しておくという良いところ取りで全てを経済発展に注力するって算段。吉田は吉田 ヨシオじゃなくて吉田茂だぞ。ただ吉田茂は経済発展が出来た後の日本は再軍備して海洋国家として海軍力を高めるべしって考えだったけど。 同様に西ドイツも異常な発展を遂げていたので戦後は「負けるが勝ち」だったんやな。戦争を仕掛て負けたせいで信用されないという条件を奇貨としたってわけや。   で、現在 欧州の方はいつまでも停滞してグダグダやってたんやが、EUの前身のECのせいで持ち直していった。EU発足後は急成長。70~80年代の貧乏臭いヨーロッパはどっかに行ってしまった。 なんで、無関税無障壁の貿易自由化が全体の利益になるっていうのは前提なんだな。だがそのせいで国内に矛盾が出るからやり方考えた方がいいぜっていうのがちょっと前まで各国が立っていた立ち位置。 因みにEU圏内では無関税どころか税関自体がないんだが、域外からの輸入には工業産品で10%の関税を掛けている。   今のアメリカのアレは全方面でおかしいけど、関税関連で言えば、そもそもこういう前提で今まで国際社会がやってきたって事を政権中枢が判ってねえんじゃね?ってところなんだ。国益の為に関税掛けたくても、それをやると国益を棄損するからやらなかったってこと判ってるのか?ってことやな。 関税合戦になると貿易が冷え込むから巡り巡って国益に反するしアメリカの場合はパックス=アメリカーナによる国益を失うという問題もある。 いや、共和党のやつらは判ってるよ。だって対外的に先頭に立ってやってきたのだから。だが新しい共和党人士、バナナリパブリカン達はそこを判ってないから反米的な政策を国益と信じてしまうし、古いリパブリカンはパージが怖くて言えないって状態じゃね? この辺、昔オバマと対立するまで安倍さんが「戦後レジーム打破」を連呼していたのと被る。戦後政治やって作ってきたのって自民党なのに、その内容分ってないんじゃね?という疑念しかなかったな。   特に「農業産品自由化で紛糾」のところを判ってるのか?というのも疑問で、例えばイーロンマスクが全連邦政府廃止すると言ってるがそうなると農産品も市場原理で取引されて補助金は無くなる。穀物メジャーは農家より強いから買取価格も引き下げられるだろう。農業はお天気商売だから価格のバッファが必要だが資本がそれをやるつもりはないだろう。そうなると農家は窮乏して小作化するんじゃね?   よくある質問 自動車関税に報復関税掛けなくていいんですか? アメ車って日本で売れてないっしょ?掛けても余り効果が無いんじゃね? そもそもこの関税のせいでアメリカの自動車メーカー潰れるんじゃないんですかね?原料費跳ね上がるわけで。 それにトランプ政権の「信用の無さ」のせいで効果が無いと思われ。関税掛けると国内産の方が価格優位性が出るから国内に工場が作られ、ラストベルトは救われるわけです。 でもさ、工業っていうのは原料を加工して利益を乗っけて売る訳だけど、工程の下の方ってその付加価値って極小なわけですよ。つまり製鉄業の利益率は低い。一方プラントは数百億円と超高額なわけで、20年くらい稼働させて元取るって感じ。 この時途中で需要が止まってしまうと投下資本が回収出来なくなって借入の場合は倒産しちゃう。だから先行き不安な件では設備投資しない。 Amazon荷物で飽和してる時、ヤマト運輸は物流拠点増やす投資しないで仕事断ったじゃないですか。あれってAmazonがいつでも他社に乗り換える可能性があるから投資出来なかったわけです。 本件でも同じで、トランプ関税がずっと続くと考える人はいないわけ。すると製鉄メーカーは新製鉄所を建てる事が出来ない。 し���ーないから関税払って同じ鋼板を2.5割増しで買うか、もっと安い地域の鋼板に切り替えるかってなる。安い鋼板に切り替えて失敗した例は70年代イタリアにあって、フィアットと新たに半国営化したアルファロメオの鋼板を安いソ連製に切り替えたら防錆処理されてなくてあっというまに車は錆で腐ってブランド価値低下となったことがある。 商売に信用が大事なのは国家も同じ。経済的信用って「履行してきた」ことで蓄積されるものでしょ?急に政策を変更する、前の政策の影響、意味を判ってるか疑問となればネットナードは騙せても商売人は無理なんじゃ? だから鉄鋼メーカー設備投資して増産出来ない→自動車メーカーコスト高解消できないって状態が続くと思います。   日本の特長っていうのは天才の芽は出にくいけど底上げされてる事ってよく言われる。文盲いないし教育程度が満遍なく高い。アメリカは高校まではかなり緩いし街中で常識問題出して何も知らないのがネタにされたりする。 自分のいる場所が社会的にどうやって構成されているか、直情的以外に利益判断できる基礎を叩き込むという思想で社会科の教育課程は作られている。 だから基礎的な社会の構造を無視して自尊心を鼓舞するような旗振りが現れた時の耐性は日本の方があるんじゃないかと思うんだ。グローバリズム批判しながら農業補助金カットや農家瓦解みたいな未来を提示された時に「そっち行くわけないだろばかかお前」と言えるってことだ。野菜になっちゃう人もいるけどな。 反グローバリズムにもちゃんと意味はあるんよ。だがそれが言葉が遊離して農業保護に反する事をしようとしても気が付かずに、DSだのウォークだのというように成ったら義務教育の意味がないじゃん。 あっちは光の速さでもう26世紀を生きているが日本は順当に500年掛けて行けばいいと思うのだ。野菜の栽培にはスポーツドリンクじゃなくて水上げればいいという知識が重要なんだ。 今の工業関税率がほぼセロで農業分野で紛糾して止まってるという知識は水だ。水はつまらん飲み物だ。 だが水を大事にしないと関税競争仕掛ければ国内保護というスポーツドリンク栽培法に飛びついてしまうってこった。
関税と貿易について復習しようず
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hangorin · 2 months ago
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2025.2.9 抗議集会「こんないヤバい大阪・関西万博 ーメガイベントの暴力を考える」
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大阪・関西万博、開催が近づくにつれボロボロな状況が隠せない中で、それでも中止しない。やめられない。これは私たちがTokyo2020オリパラで経験したものそのままです。バベルの塔のようにそびえる新国立競技場のすぐそば、千駄ヶ谷社会教育館は小さいが街の暮らしに身近なかんじ。ここに、関西を拠点に活動するバビロン解体企画のかたをお呼びして、一緒に万博及びメガイベントの問題を考え、抗議する集会を開きました。
前半では、大阪・関西で現在とこれまでなにがやられた、やられているのかを、釜ヶ崎を中心に活動する研究者原口剛さんに話していただき、休憩をはさんで後半、昨年12月1日に行われた釜ヶ崎強制執行について、現地で共同炊事に参加している方にお話を伺いました。そのあと質疑応答で議論を深めました。
第一部 大阪・関西万博でなにが起きているのか 原口剛さん
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1)なぜ、いまさら「万博」なのか
・高度経済成長期の「64年五輪→70年万博」の反復により現実から目を背ける。
・維新のプロパガンダ。カジノ誘致のためといえば難しい公的投資を「万博のため」で正当化。
・80年代以降のイベント中毒都市。堺屋太一「イベントオリエンテッドポリシー」を維新が継続。「大阪都構想」など、さらに強権的に開発を進めたがっている。
2)性暴力とハラスメントの祭典
・アンバサダーに、宝塚歌劇団やダウンタウン、テーマ事業プロデューサーに河瀨直美が名を連ねる。(※ダウンタウンは25年3月31日にアンバサダーを退任)
3)こんなにヤバい「人災の島」
・2024年3月には万博会場の一部でメタンガスに引火した爆発事故発生。廃棄物処分の埋め立て地である人工島、夢洲。
・2024年7月5日、海外パビリオンの建設現場で車両から鋼材(長さ10メートル、厚さ5ミリ)を吊り上げて運び出す際、誤って鋼材を落下。幸いけが人はいなかった。
・2024年9月9日、会場建設現場で、労働者が階段から転落、2~3メートルの高さから落下。頭から出血し病院に搬送。
・2024年11月1日、海外パビリオン建設に従事していた労働者が約3メートルの高さから落下、腕の骨を折る重傷。
工期の遅れを取り戻すべく強行される突貫工事。
・島には北の橋と南の地下トンネルしか出口がない中、台風や地震の際、逃げ場がない。
4)自然の支配と「採掘」
・夢洲は誰も住んでいない。2008年オリパラ誘致した際、舞洲を会場、夢洲を選手村にする計画だったが、北京に負けた。
・淀川左岸線工事。もともと進められていた建設プロジェクトだが、万博関連事業として推し進められる。新大阪駅と会場を結ぶシャトルバス専用道路として暫定利用の予定。大深度地下を使った高速道路。
・リニア中央新幹線建設プロジェクト。「万博開催やIRの実現を契機に大阪・関西への訪問客の増加が見込まれる」として全線開通の前倒し(2045年→2037年)を、大阪、三重、奈良が国とJR東海に要望(2025年1月21日)
5)こんなにヤバい、膨らむ費用
・会場建設費 1250億円(2017年当初)→1850億円(2020年12月)→2350億円(2023年11月)
・会場運営費 809億円(2019年12月)→1160億円(2023年12月)
・インフラ整備 約9兆7000億円、アクションプラン 約2兆8000億円、など間接的費用も。
6)内ゲバ、自己崩壊、責任のなすりつけ
・売れないチケット、進まぬ建設。
・維新 対 政府(自民)、吉村 対 万博協会…。
7)こんなにヤバい、「気運醸成」と参加の強制
・メディアと学校をつうじた動員。学校の修学旅行、遠足、すでに3つの市町村が拒否宣言。
8)こんなにヤバい、都市全域を舞台とした<社会実験>と浄化の暴力
・維新の都市開発の目玉は、「カジノ」「万博」そして「うめきた」※(都市再生緊急整備計画地域)。
※旧国鉄車庫あと。立ってる文字「GRAND GREEN OSAKA」のところで原口さんが学生たちに解説していたら、警備員が飛んできた。
・大阪メトロによる「顔認証を用いた次世代改札の社会実験」
・大阪市内全域での路上喫煙禁止と罰金。
・東洋ショー弾圧、太融寺ホテル街※の「浄化実験」(言説というもうひとつの闘いの領域)。
※「立ちんぼ」が居づらくなるように、地元住民と大阪府警曽根崎署が連携して道路を目立つ黄色に塗装。「警視庁科学警察研究所からアドバイスを受け、目立つ場所を嫌がる人間の心理を利用し、」「自発的により良い選択に導く行動経済学の理論「ナッジ理論」に基づき」「府警はこの一年で約30人を売春防止法違反容疑で摘発している。」(産経新聞)
・釜ヶ崎、2024年12月1日、強制排除。
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■万博への問いと抗い
・2025年万博を批判する声ですら70年万博を神話化していないか。帝国主義・植民地主義の原点である「第五回内国勧業博」(1903年)を忘れ去っていないか。
・現在、なんら熱狂を呼び起こすことなく、冷笑や揶揄や無関心が広がっている。万博に踊らされていないという事実は重要、けれども、いやいやながら黙認していることになりかねない。このまま黙認し続ければ都市は連中の好き放題に開発され、公園からは<居場所>が根こそぎ奪われ、警察暴力や監視テクノロジーが我がもの顔で街を支配するだろう。あちこちに現れる万博宣伝ロゴを圧倒するほどの、反万博の声を!
・万博を「自己崩壊」にまかせるのではなく、私たちの手で葬り去ること。メガイベントに繰り返しNOを突き付けてきた、国内外人びとの声とともに!
質疑応答
・開催費用などについて、五輪では、IOCが出す部分もあったり、一方、都と国、二重に取られてる感じがあったりしたが、万博では費用負担はどうなっているか?
間接的費用についてはもう少し調べないといけないが、会場建設費と運営費は、国と自治体(大阪市)と経済界が三分の一ずつ出すことになっている。IOCにあたる組織はない。建設費がこれ以上になってももう国は出さないと言っているので、そうなれば大阪市が負担することになるだろう。
・大阪・関西万博という名称、「関西」、関西広域連合(鳥取や徳島も含む)も地域おこしってかんじでかんでるのか?と思うが。
万博協会の理事は、理事長はもちろん経団連会長、理事には経済界の会頭や、大学の学長、それが京都の大学とか、大阪だけじゃないいろんなところから集まってる。「空飛ぶ車」の実験を神戸港でやるとかいう話などおいしいとこを絡みたいということは関西中に広がっている。
・五輪では、自衛隊が出てくるとかハードな警備と監視のシステムがすごかった。大阪では、大阪メトロの顔認証システムなど、警備より監視のほうかな、と思うんですが。
今、僕が感じているのは、情報テクノロジーを使った監視が、いま、どれくらいいけるのか試み、実験したがってる、「社会実験」の名のもとにいろんなことがやられている。五輪でも社会実験はやられていたと思うが万博、関西ではこれが目に付く。その一つが顔認証改札。すぐに実用というよりは、一回実験でデータを取ってどのくらいうまくいくのかをこの機会にやってみる。データを集めることをやる。ガタイのいい警官が出てくるのではなく、情報をいかに吸い取るかという仕掛けが街中いろんなところに増えている。チケットも、実験。実験は評判悪くて失敗しているが、狙いが重要。デジタルチケット、登録するのに万博IDを取得しなければならず、そのためにいろんな個人情報を入力しなければならない。どれだけ自発的に情報を出させることができるかを実験している。たぶん国レベルだとマイナンバーカードでどれくらい情報をコントロールできるか、できれば口座まで握りたいのが本音で、その実験を万博チケット販売のデジタル化という名目で行われている。ただ、みんなが万博行きたくてチケットに殺到してるなら成功するが、そうじゃないので紙のチケットも作りますと言っている。でもすでに100万人くらいのデータを取ったはずです。
・(大阪メトロで顔認証改札を見てきた人から)メトロの職員さんは顔認証改札を通っていたので、登録させれているのじゃないかと思います。
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第二部 フリートーク
・釜ヶ崎、センター周辺で暮らしている野宿の人たちに対する強制執行   釜ヶ崎で共同炊事に参加している方
5年くらい、釜ヶ崎センター前で、毎週月曜日に共同炊事と寄り合いを一緒にやっているものです。5年間、ニュースになったりしていないけれど生活している人にはすごく困った大きな排除もありました。まず、今の形でセンターまわりでひとが軒下で住んだり寝たりするようになったのと、私たちが共同炊事と寄り合いを始めたのは2019年3月31日、あいりん総合センターが閉鎖されかけた日でした。もちろんその以前から続いていることもありますが、ひとつの始まりがその時で、閉鎖が阻止されて24日間占拠、私もそこに住んでいました。当時100人くらいの人が寝泊まりしていて共同炊事もするようになりました。4月24日に急にセンターの中から追い出しがあり、シャッターを閉められてからは軒下で寝るようになりました。団結小屋も建って、そこから共同炊事を毎週月曜日にするようになりました。その後2020年4月に、大阪府が、市もおカネを出していますが、府が寝ている人たちと団結小屋を追い出すための立ち退き訴訟を提訴しました。一審、二審、そして2024年5月に最高裁判決が出ましたが、毎回、判決前に追い出しできる、仮執行はつかなかったのが、画期的でした。
2022年、みんなが体洗ったり、共同炊事に使っている、近くの公園のトイレの水道、それが工事で改修されて、蛇口が3個から1個に、ひねる式がプッシュ式ですぐ止まっちゃうやつにかえられて、それはとても困ったので区役所の担当課に電話で抗議したんですが、今もプッシュ式のままで。
あと、仮庁舎の横の高架下でけっこう寝てる人がいたんですけど2022年8月に急に追い出しがあって、それまでちょっとした門があったのが背が高くてがっしりした門に作り替えられ夜間施錠されるようになりました。抗議して交渉したのですが、その後開けられることはなくずっと夜間寝られない状態になりました。夏の暑さや冬の風をしのげる貴重な場所でした。
2022年にそのようなことが続きました。センターの解体、建て替えが市や府の想定より4年遅れているそうです。裁判があったから。センターに手を出せないのでそれ以外の場所で排除を進めていたと思います。
昨年12月1日に追い出されてしまい、今は鋼板が張られてその場所では寝られないし共同炊事していた場所もないので、道路にはみ出して毎週月曜日に寄り合いと共同炊事をやっています。毎週警察が来て、「道路を不正使用」メジャーで測って、「何センチはみ出してる」「2回警告しました」と言ってくる。別の場所で共同炊事をやると次の週「ここで炊き出しやらないでください」と張り紙される、行く先々で追い出そうとして来るなと思っています。
あと、西側の山王では、友達が地上げ屋にあって立ち退かされたりしています。五輪の時の霞ヶ丘アパートと同じように、ここも高齢の方が多く、近所の関係、コミュニティがしっかりあって、死ぬまでここで住みたいと思っていたかたがいます。
・会場から質問、感想と応答
〇地上げは釜ヶ崎や山王だけじゃなく大阪全体で起きているのか?
●原口さん 家賃が払えなくて立ち退かされることは大阪中で起きていると思うが、更新の時に大家が変わって、それだけでなく家賃を挙げるというケースは僕は山王でしか聞いていない。今、釜ヶ崎の周りの状況がどうなっているかと言うと、環状線が走ってて天王寺と新今宮駅がメインストリート、ここから南にかけて安い家賃の家があるんです。小さな店がまだたくさん残ってたのが一掃され2010年代にあべのハルカスができて、一気に地価が上がり、天王寺公園は近鉄不動産に管理が売り払われてPPFです。ここ一帯、ショッピングモールとかタリーズコーヒーとか。やばい公園には必ずスタバかタリーズコーヒーが出てくる。子どもの遊ぶのも有料で、ちょっと不審だったりするとプライベートセキュリティが飛んでくる場所になってしまった。もともと空き地だった場所を大阪市が売り払って星野リゾートがドーンと進出してきて、労働者の街だったところが一部激変した。今、ここは万博の宣伝広告をやっているのを見せられた。山王町はドヤ街だけど、築50年とか当たり前な木造の家がならんでいて、家賃がメチャクチャ安くて、デベロッパーから見たらこんなおいしい場所はない、しかも隣の天王寺は地価がどんどん上がっている。オーナーったタイミングで家賃値上げします、というアプローチでプレッシャーかけてくるのは山王ならでは。
〇五輪では選手村の名目で晴海の都有地を9割引きで払い下げました。大阪府の財政状況は全都道府県の中で最悪ですが、万博をやることにより借金が増えます。財政の問題、我々の税金の無駄な使い方の問題だと言うのが私の意見です。
●原口さん 税金の問題は大問題です。万博をやることで市民一人当たり2万円の負担、とすでに報じられていて、大阪で生活する人が万博に冷淡になっている背景のひとつになっています。もっと追及していかないといけない問題であることは間違いないです。しかし一方で、財政の問題として語られすぎると、財政分析のできる専門家が話してみんながそれを聴いて学ぶという関係にどうしてもなってしまう。もっとそれだけじゃないところでも問いを広げ声を上げることが僕の問題関心なんです。たとえば、公園、にぎやかに見えるけれどおカネを持ってる人だけが使える公園、おカネを持ってないとおことわりの公園って、公園なの?大学で言うと儲かる大学にならないといけないという、企業的論理でいかに財政を回復させるかにフォーカスを当ててしまっているところが、ぼくらが万博に対してNOと言えなさになっているところが僕の問題意識としてあります。
〇学校では財政や税金の授業をやらないが、私たちが払わないと罰せられるのに使い方については何兆円という会計の中身が明らかにされていない。50年前と同じ考え方で見てもダメ。新しい見方で税金、財政の問題を見ていくことで全体が見えてくるんです。
●原口さん 税金の問題も確かに重要です、その視点をありがとうございます。ぼくとしては路上で声を上げるとか政治のいろんな可能性もあると。
〇私は釜ヶ崎には行ったこともあって大阪でちょっとだけ育ったこともあるのですが、今は東京に住んでいて、このあたりの風景自体がだいぶ変わったなと。そこでもう少し詳しく聞きたいのは、センターが労働者にとっての顔だとおっしゃっていましたが、一つの公共の場所であった。そこでどういうことができて、何をする生活する中でどれだけ必要だったかを教えてください。あと、民間じゃなく公的な場所をみんなで作っていく、みんながどう使いやすい場所にしていくかの実践、それを教えてください。
●釜ヶ崎で共同炊事に参加してる方  ありがとうございます。それすごく大事なお話です。あいりんセンターは70年にできました。70年万博で労働者を集めることと関係してできたと思います。まず、一階の広い場所で日雇い労働者が仕事を求める、探す場所でもあり、行かなか���た人あぶれた人が日中を過ごしたり、人と会ってしゃべったり、しゃべらなかったり、将棋指したり、娯楽室もあって居場所だったり。水場もたくさん蛇口があって、シャワー室もあって。いい写真ですね(写真見る)。私自身は閉鎖される前はそんなにたくさん過ごしていたわけじゃないので。でもシャッターが閉められなくなってそこからみんながそこで寝るようになった時の空間もすごく良くて。すごく広いこの場所でみんなそれぞれの場所で布団を敷いて寝たり、私も寝てましたけど、人と集まれるし、屋根があって雨がしのげるし、風もしのげるし、そういう場所ってまちなかにメチャクチャ少ないです。もちろんセンター開いてた頃は夜間閉められていたんですけど。この場所を壊さないでまた開けてほしいなと思うんです。寝るのにいい場所だったなって。追い出されて以降はそこで寝ていた人の何人かは生活保護を申請した後に入る施設に行った人もいるんですけど、ここに入っちゃうともう会えないんです、会いに行っても会わせてもらえない。今も近くで野宿を続けている人もいます、ほんとうに雨の人か困るなと思います。今まではあまり人が寝ていなかったセンターの向かい側の高架下で布団敷いて、3、4人、道の端、駐車場の南側のところに布団敷いて寝てるけど、ギリギリで車が通るし、職安も全部高架下なんですけど、高架下でみんななんとか寝る場所を探して今も野宿していて、なくてもなんとかはするんですけど、やっぱり雨がしのげるああいうセンターみたいな場所は絶対必要。水が自由に使える場所も少なくて、足が悪い人はちょっと離れた公園に行くのもたいへんだし、トイレもそう。あと、ここに行ったら人と会ったりできる場所。今もセンターの前やセンター向かいの仮センターの駐車場とかで会えるし、毎週月曜に寄り合いにもなんとなく来たらいっぱいしゃべれるけど、やっぱりセンターみたいななんとなく人と会えるかなという場所は絶対必要。壊してほしくないな。鋼板も、外してほしくて、鋼板があると狭くて本当に嫌ですね。
●原口さん これは中から撮った写真ですけど、シャッターが閉められて、広大な空間が、今文字通りのデッドスペース、誰も使えない空間になっている。猫が大量にいるという説もありますが、ほんとうかどうか。2019年にあったのは、3月31日にシャッターが下ろされようとして、下ろさせまいと、みんながシャッターの下に体を横たえて阻止した。阻止できちゃった。あの当時みんなこういう感覚だったと思うんですが、阻止できちゃった、どうしよう��てなった時に、みんな思い思いにやり始めた。ある人は図書館を作り始めたり、ある人はスクリーンを用意していろんな映画を上映できるスペースを作ったり、この空間でいろんな人が集まって、もちろん共同炊事もそうですし、食や本や映画を共有するようなコミューン状態が40日間続いたんです。その場所を奪うな、というのが一番気持ちの中心、思いの中心。今、釜ヶ崎の運動は大きく二つに分かたれてしまって。それは、橋下徹が市長になった時に、西成特区構想というプロジェクトを始めた。これからは西成、この場合釜ヶ崎なんですが、ここへの政策を付ける、えこひいきする、と言いだした。下からの声、現場から出てきたアイデアにカネを付けると。そのあと中身については何も言わず沈黙を作った。その沈黙って、NPOがこれまで実現しなかった政策、案を熱心に作るグループと、まず不当なことに関して声をあげるグループが、それまで距離はありながらもいろんな行動を共にしていたのが、くっきりラインが入ってしまって現在に至るんです。今、争点となっているのは、まちづくり、政策のテーブルに乗ったグループの主張は、「センターという場所を残すのじゃなく、機能を残すのだ。」場所を残せと言うのと機能を残せと言うのは全然違ってくる。機能というのは職業紹介、あるいは雇用保険を受給する、そういう窓口さえ作れば、たとえば40階建ての高層ビルで13、14、15階にそういう窓口を作ったという形になったら、機能は残ったといえるかもしれないけれど、場所は潰されてしまっているわけですよね。そこが大きな論点になっている。僕は、僕の仲間も、場を奪うな、を重視している。この写真、いろんなひとたちにとって、釜ヶ崎の労働者にとっても、今生活保護を受けて暮らしている人びと、あるいは支援という形でかかわった人たちにとっても多分こういった風景は原風景だと思う。基本的に労働市場、いちば、築地の市場と同じように天井がムチャクチャ高いという構造をしていてたくさんの人が集まれる、実際にたくさん集まって、一人一人見ていくと新聞読んでる人もいれば、立ち話してる人もいる、こういう状態が1970年以降続いてきた。この写真の中に職業紹介の窓口機能とか、雇用保険の受付機能とか、一つも映っていない。「機能を残せ」というスローガンだと、この、人が集まってるスペースというのは必ずしも必要じゃない、なくされてもいい、という話になってしまうんです。今、都市開発、ジェントリフィケーションの中で奪われようとしているもの、今センターが閉められてしまってそのまわりですごく窮屈にさせられてしまったたけれど、しつこく続けているものが守っている、こういった集まれる場所を釜ヶ崎からなくさせないことだと、僕は思っています。これって釜ヶ崎だけじゃなくていろんな都市の中で自由に集まれる場所、特に雨の日なんかに、公園に行っても雨をしのげる場所って、ここ十年二十年で大阪ではメチャクチャ少なくなった、実はあるんだけど、たとえばタリーズコーヒーとかコーヒー買わないと雨すらしのげない。大きな屋根があるってどれほど重要かという話だと思うんです。それともうひとつは、70年万博が決まって、働き手、労働者が足りないという時に全国から若い単身の労働者をギュウギュウに集めて、結果できたのが今の釜ヶ崎です。70年万博のために作られたと言っても過言ではない街が、今「2025年。70年万博よ、もう一度」とかいう時、「アンタラ価値のある場所を勝手に占拠している、わがままな人たちだ」と言わんばかりに立ち退かされるというのはあまりにひどい、必要な時には働いてね、もう必要なくなったから出ていけ、というのがまかり通っている。この50年スパンで見るとよりクリアに見えると思います。
○今回の万博では、万博関連の仕事があったわけではない、ということですか?東京五輪の時、日雇いの人たちの中に、仕事が増えるんじゃないか、インバウンドで観光客が来て、とか税金使う分、リターンもあるんじゃないかという、オリンピック側も喧伝していたし、長い不況の時代を経て一発逆転、復興五輪というのを期待した人も一定数いたと思うんですが、ふたを開けてみたら結局インバウンドも建設の仕事も大企業が吸い取っていくわけですね。湯水のようにスポンサーが税金を使って、リターンもスポンサーや電通みたいなプロモーターにたまっていく仕組みが明らかになった。労働者の街をつぶしていくってことは、もう初めから仕事はないぞってことかと思って、ふざけんな、としか言いようがない。
○このまえ読んだ本では1929年朝鮮の博覧会の時から、同じで、近隣だけじゃなく遠くの人まで「儲かる」「行くといいことがある」とすごく言われて、行ってみたが、儲けたのは帝国のひとだけ、ということが書いてありました。それと、水道の話、蛇口が3つから一個に、プッシュ式になって不便という話、神宮通公園のトイレもセンサーで水が出る仕組みでやかんに水が汲みづらい。テクノロジーによるいじめ、使い方を限定している。駅の自動改札もそう、改札機能だけでカチカチいわせないから耳の不自由な人には不便。
○そうですね、明治公園も元の明治公園とは似ても似つかない、四季の庭には木がいっぱいあった、広くて、デモ、集会、フリーマーケットもあって、野宿の人もいた、有機的な。今はスターバックスがあって、「インクルーシブ広場」では子どもを遊ばせてくださいね、ここではイベントの趣旨に従って遊んでくださいね、と管理者の想定した使い方しかできない広場になってしまった。機能じゃなくて場所が大事なんだということがすごい重要だと。釜ヶ崎センターも自然環境に例えると、一つの動物がいなくなるとどんどん生態系が崩れるじゃないですか、微生物がいて肉食動物がいて、木から落ち葉が落ちたり、そうやって有機的に成り立っているもんだと思うんですけど、センターもそんな感じがしていて、雇用保険の窓口とかそういうことだけじゃなく、寝る場所があり、人と出会う場所であり、食堂があり、仕事を求めて集まったり、有機的につながって成り立っていた場所をつぶすのは許せない、築地もそうで、ただ市場じゃなく有機的な場所だった、という話で。私たちにとってほんとうに価値の高い場所だけど、資本だとか行政にとって経済的に価値のないものに見えるからメガイベントを引き金にして潰していく。メガイベントは暴力だと強く感じました。
○みなさんにとって1964年東京五輪はどういうモノとしてとらえていますか?私は小学生でしたが高速道路ができてインフラ整備、あと学校にプールができた。
○私が調べた中に、64年オリンピックでブルーのポリバケツ、ごみを入れる容器を普及させ、街をきれいにするキャンペーン、あとお花いっぱいにするキャンペーンが学校と町内会の呼びかけによってなされたというのが出てきます。そこの延長に書かれていたのは、浮浪者、障がい者、街でフラフラしている人を収容するものが必要だということで、大きな精神病院が作られた。郊外に巨大な収容施設がオリンピックのために安心安全を守るために作られた。街にいると困る人を収容するために作られたという64年五輪のレガシーです。今回のオリンピックでも宮下公園がオリンピックを迎えるのにふさわしい公園、安心安全ということで、公共の場がここのみちを歩いてください、ここではトイレに行ってください、ここではちゃんと座ってください、寝ないで座ってください、ここでフットサルをしてください、用途が確定していて、誰もがウチャッと居られる場所はなくしていった。それは安心安全、秩序を守るためにやっている。釜ヶ崎の排除も、そういった治安を守るとかそういうニュアンスがあるんじゃないかと心配があります。釜ヶ崎が男性が多いということもターゲットにされやすいかもしれません。あと、70年万博を調べても、立ちんぼの検挙がものすごい、あったんですよね。それと釜ヶ崎の排除と、別々だったけど、同時に起こったんですよね。釜ヶ崎の人は隣の風俗街に行ってたし、風俗街の人たちもお客さんとそこで賄ってたんだけど、そこで運動がつながれなかったのか、どういうことなのかな、と思っています。今回もストリップ劇場とか立ちんぼの人、が検挙されたり、コロナ中も100人くらい立ちんぼが検挙されてるんですが、安心安全とか、見栄えとか…。この写真(かつてのセンターの中の風景)美しいと思うんですけど、こういったものをこわいという人もいるんだろうな。昨日行ったフィールドワーク、整然とした、高層ビルとか、オリンピック跡地のほうがはるかに恐ろしいと思って気分が悪くなってしまうんですが、向こう側が言う、危ない、コワい、恐怖をあおってくる、そういう教育。道徳教育にオリンピックが組み込まれていってあれを正しいもの、と、正義のようにされていくのとつながっていると思うんです。釜ヶ崎、あんな怖いところはなくすべきだ、と、学校で教育されるんじゃないか、少なくともオリンピック教育は年間36時間されてしまった、かなり大きな罪があるんじゃないかと思うんです。しかも今回は東京からも修学旅行で万博行くと聞いたんですが、釜ヶ崎の排除とか見に行くんじゃないですよね、何が危険とか、何が心地よいか、大きく人びとに影響してくるのを感じます。同時に釜ヶ崎って男性の人が多いんだけれども男性以外のジェンダーの人たちが居られるようにどういうふうに考えるのかっていうのは一方で重要な問題で、それは大阪府とか橋下、吉村にそういった場所を作ってほしいと言うのじゃなく、ちゃんとトランスの人とか女の人が居られる場所を考えていくというのを小さな規模で釜ヶ崎の中で考えていくとか、そういった場を邪魔しないということが重要なんですけど、これが安心安全なんだとトップダウンで上から押さえつけていく装置が万博、オリンピックなんだなあと思います。
○私は64年オリンピックで高速道路、インフラが整備されたという話を聴いて、インフラや高速輸送手段というのは、「通過」だということを本で読んだんですが、通過���てしまう、そこの間にある人々の暮らしというのは雑音でしかなくなる、必要なものを必要な時に必要なだけ調達するのに都合のいいシステムを整えるだけで、人びとの積み重ねてきた歴史と暮らしを無視して通過していくものとして思っていて、どんどん通過したり、用途を規定するとか、そういう価値観が進んでいく、前のオリンピックからずっと連綿として、そういう捉え方をしています。
○大阪都構想って何だったのか、どういうふうに開発と結びついているのか、万博とどうつながっているのか。今回釜ヶ崎の排除があった時、西成区役所とか大阪市、大阪府に抗議の電話をしたんですが、僕の住んでいる渋谷区と東京都との役所間の関係とちがう、西成区は上からの府や市に動員掛けられたから出向した、言われたからやっただけ、みたいな、渋谷区と東京都だとそれなりに独自性、自立性ががあって、都に言われたからって区が出向することはあり得ない。都構想は行政間の形をどう変えようとしたのか?それと万博や開発とどう絡んでいるのかを教えてください。
●原口さん 大阪都構想は住民投票で否決されたんです。この十年間で数少ないよかったことの一つです。よく言われるのは「大阪市を守れ」「「大阪市がつぶされる」という理解なんですが、実際、権力の作動の仕方がどう変わってくるかというと、より重要なのは一つは開発を強烈に進めるということなんです。今までは大阪市が大阪府がそれぞれに開発をする。ある場合には連携しなければならない、調整が必要になってくる。もちろん市長や府知事が勝手にやれるわけではない、大阪市議会、大阪府議会にかけなければならない。特定の開発を進めるためにいくつもの調整とプロセスが必要だったんだけど、維新、橋下徹が、「あまりに不合理なシステムだ、動きが遅すぎる」と糾弾してのし上がってきた。都構想になるとふたつの枠組みが一つになるのでトップが決断して議会にかける、今まで承認を得て、調整をしてという合意を取り付けるプロセスのいろいろな段階が取っ払われる、そこがみそだと思うんです。都市にかかわる政策決定っていろいろあると思うんですが、維新というのは旧来の自民党より土建的な、極右的、権威的建物を建てたがる。都構想は2度否決されているのでまだこのシステムは完成していない。あと、維新政治の特徴は、「街が安心安全、明るくなった」、雑然としていたところを「明るくした」、「街が良くなった」と成果にするんです。「昔は暗かった天王寺公園を明るくした」とアピールする。明るくすることが良いことだと単純化された思考が加速されています。
●釜ヶ崎で共同炊事に参加している方  子育て世代、子どもや女性の安心安全が口実に使われる。センター前を区役所の人がうろうろしてたので話してみたら、「ここを通学路にするために安全を確保しないといけない」とか言われて、イメージ付けしてくるな、と思ったことがありました。あと、釜ヶ崎は男性の立場の人が多い街で、自分も性加害がほかの場所と比べて多いのかなという偏見をもっていた。性加害は他の場所でもあり、釜ヶ崎がほかの場所と違うということはない。嫌な思いをすることはあるけれど、それは他の場所と変わらない。嫌な思いをする人をできるだけ減らせるよう、みんなで環境を作っていくことを考えている、うまくいっているかわからないけれど、それはどこでもやるべきことだと思っています。
〇僕が釜ヶ崎にいたころは先ほどの写真の頃ほど活気はなかったけれど、多くの人がそこで寝転がったり丁半博打打ったり、荒っぽい人もいて、それも含めて楽しかったんですが、ゼロ年代すでに日雇いの街から福祉の街に変革する時期で2008年最後の暴動が一つの契機になったと思うんです。以前は南海線のガード下にいた手配師、手配師の存在というのは、今では失われた風景になっているのでしょうか?
●釜ヶ崎で共同炊事に参加している方  強制執行の前まではセンターの敷地で早朝、手配師が来て軒下に居たんですが、あそこが鋼板でおおわれてから、向かいの仮センター駐車スペースがその役割として、最大25台くらいしか止められないので、半減でしょうか、正確には言えないですが。今もいると思うんですが圧倒的に少なくなってると思います。
〇今回の万博とそれに付随する事業で、釜ヶ崎に経済的恩恵みたいなものって生まれているんでしょうか?例えば星野リゾートができた、それにより地域に雇用が生まれたとかも含めて。
●原口さん 僕の知る限りでお答えします。前提として70年万博が釜ヶ崎を潤したというのは違う。むしろ大局的に見れば、労働者を全国から集めるだけ集めて、そのあと放置しちゃった。ギュウギュウに集めすぎたのでドヤがのちのカプセルホテルのように寝るだけの部屋になった。部屋に部屋を重ねて高層化して、その中で家事が何回も起こった。ひとたび火事になるとあっという間に全体を燃やす、火事一つとってもそれで命を落とす労働者が何人もいたんです。地域に利益があったかと言うことですが、たとえば、星野リゾートを考えるとわかりやすいと思います。ある人に聞けば利益があるというし、ある人にとってはもう追い出されてばかり、ということになる。星野リゾートが来たら、土地を所有している人にとっては地価が上がって直接メリットになりますが、家を借りている立場だと真逆になります。家賃が高くなりますから。経済的恩恵っていうのは地域にあまねく回ると言うより、特定の誰かにはメリットあっても、誰かには全く関係ない、あるいは誰かにとってはとてつもない抑圧やデメリットになる。
〇星野リゾートができたところはもとは市の土地だったわけですよね。公共用地の私有化、どちらかというと私たち搾取されて取られちゃって、たぶん高くない値段で売られた。私の住んでる神奈川でも横浜市役所が移転して旧市役所も星野リゾートに売ったんですけどムチャクチャ安い値段で売って、住民訴訟も起きているんですけど、私たちに還元されなければいけない財産を再開発の名目で搾取されて、今日の話では、釜ヶ崎という街を解体していくわけだから、新しいものにしたとしても私たちの財産は私たちには還元されず、体よく奪われていくということがわかりました。
参加者は多くなかったものの、熱のこもった議論が交わされ、学びの多い集会となりました。オリパラ、万博、もうたくさん。これ以上間違った道を突き進むのは止めないといけないと思いました。
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chikuri · 1 year ago
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「民主党政権のどこがどう悪夢だったのかきちんとした説明を聞いたことがない」という主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことがない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 悪夢のような時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で全力で反論していきますね。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損な��た。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
新田 龍 / X
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xf-2 · 2 years ago
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目次
子供たちが怖い、放置され無教育
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
教育で未来を変えようとするクルド人学生
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
子供たちが怖い、放置され無教育
【70代女性、川口市上青木在住、取材】
子供たちが怖いです。昼間からウロウロしています。私の知り合いの70代の男性が10歳前後の男の子がゴミを散らかしていたので注意をすると、ピーと指笛を吹かれて、すると男の子たちが集まってにらまれました。何も言えないでいると、唾を目の前で地面に吐かれて去っていったそうです。
近くのショッピングモールで、小さい5歳ぐらいと少し年下の男の子が、泥靴で走り回っていました。「静かにしなさい」というと、流暢な日本語で「僕たちはかわいそうなクルド人です。弟はまだ小さいので何もわからないから許してください」と言われ、じっと見つめられました。そうすると、何もこちらは言えなくなってしまいました。
(私:同じような話がXで書いてありました。誰かが教えているのかもしれません。)
私はXをやっていませんが、誰かが日本人が黙るように教えているのかもしれませんね。「僕は弱者だ」なんて言われると、日本人は何も言えなくなってしまうのでしょう
この地域は、工場の労働者向けの安いアパートが並んでいました。1970年代に建てられたものです。工場が川口から減って人がいなくなって、そうした古いアパートに中国人、最近はクルド人が入っています。
中国人は日本語が話せるのですが、クルド人は日本語を話せないし、生活で態度が悪いので困っています。日本人は高齢者ばかりで、注意するのが怖いので黙って我慢をしています。
隣のアパートにクルド人が、数ヶ月で入れ替わり住んでいます。入れ替わる理由はよくわかりません。時々騒音が聞こえます。女の人は家にこもって、買い物の時しか出てきません。
あるとき若い20歳ぐらいの母親が、子供が病気になったのか救急車を呼んだようです。しかし住所不定で、そして日本語が全く話せないので、救急車は搬送できなかったのです。すると昼間、救急車の前に座って路上で、子供を抱えて大泣きしました。そんな行為より子供を助けるための行動をしなさいとハラハラしました。救急隊員も困りました。私が話を聞こうとしても、聞かずに泣き続けました。泣けば主張が通ると思っているのでしょうか。
すると工事の泥で汚れた作業服の姿のまま夫がトラックでやってきて、片言の日本語で説明し、病院に行ったようです。迷惑をかけた周囲の日本人に、その後、クルド人夫婦から説明もありませんでした。変わった人たちです。日本語を少しでも学び、最低限のルールを知らないと。
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
【40代女性、川口市在住】
娘が高校生です。クルド人の友達もいます。公立小学校、中学校にクルド人、中国人など外国人の子供がいるのですが、日本語の授業が成り立たなくなっています。私の見たかぎり、日本人の��供たちは差別をしていません。逆に外国人の子供に気を使っている話ばかり聞きます。
クルド人を巡っては困った話がありました。あるクルド人の子供(男か女か、小学校か中学校は、私の判断で明示しない。クルド人の児童の特定、学校の特定を避けるためだ)が、クラスで孤立しました。ものを壊してもそのままにする、当番をしないなどの問題行為をしたそうです。同じクラスにいたクルド人の子供も距離を置きました。
すると東京の活動家がそれを聞きつけて、いきなりネットメディアで「クルド人の子供がいじめられている」と報道しました。毎日新聞もいじめと断定して報じました。活動家は学校に怒鳴り込み、卒業式にまで乗り込んできて、カメラマンを連れてきて、パチパチ写真を撮ったのです。公開されないか、父兄も子供も、怖がりました。卒業式はクルド人1人のためのものでも、この人のものでもありません。この活動家は、他の何百人の子供達の卒業式を台無しにしました。
(私:その活動家、イスラム教徒のクルド人の子供たちをクリスマスパーティーに誘って、クルド人に笑われていたらしいです。クルド人のことを知りません。)
変な人なんですね。当事者の生徒の話も聞かず、川口の子供がいじめているという話を日本中に報道するのはおかしいです。日本人の子どもたちは、報道に傷つきました。
クルド人を支援する人は、今は川口市にはほとんどいなくなりました。これだけ迷惑行為をしているから離れて行きました。支援者は「変わった人」扱いです。ただし川口市民の方ではクルド人を差別したり、嫌がらせをする話はありません。逆に外国人に気を使っています。
日本人の子供が今、外国人によって、学校教育で、適切に教育を受けられない状況になっています。外国人��多いと、学校の学習進度がどうしても遅れてしまいます。私の子供は塾でほとんど勉強せざるを得ない状況でした。日本人への逆差別です。ですから、小学校、中学校で私立に行かせようとしている親が多いです。市役所も先生たちも、対応に疲弊しています。国はこうした外国人の教育の現実を知っているのでしょうか。
教育で未来を変えようとするクルド人学生
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【70代男性、川口市】
以前は教師でした。定年後に、外国人に日本語を教える川口市の日本語教室の教師ををしています。
(川口市、蕨市ではボランティア、NPO、また私塾の形で日本語が教えられている。身元をぼかすため、詳細は記さない。)
他の外国人は積極的に日本語を学びにきます。クルド人は来る人が少ないです。クルド人は、ささいなこと、例えば授業の遅刻、また態度の改善を注意しただけで、すぐ怒り出します。根気もなく、すぐに教室に来なくなってしまいます。
他の国の人は合法な居住の人が多く、たいてい日本語がある程度話せます。クルド人は、難民と称して滞在しているので、言葉を学習せずに、日本にやってきます。他の民族の人は日本は好きですが、クルド人は大半が日本のことを知りません。加えて、クルド語もトルコ語も上手に読み書きできないようです。彼らは中学校を出ているかも怪しく、勉強の文化がないと、石井さんが記事に書いていました。納得できました。そのために、日本語も上手くなりません。
ただし、悪い人ばかりではありません。一生懸命学習するクルド人の中学生もいます。同胞や親が、「出稼ぎなのに難民と嘘をついて日本に来ている。それは良くない」と、状況を分かっていました。クルド人が同胞の経営者を儲けさせるために安く働かされたり、変な日本人活動家に利用されたり、弁護士や行政書士などにお金を吸い取られていることも、理解していました。石井さんの報道の通りですね。
この子は、そうした境遇を抜け出すため、また自立するために一生懸命勉強をしています。学校の成績も良いです。私は大学まで行って奨学金を取り、滞在の資格を、仮放免の立場から、留学ビザ、正規滞在に変更することを勧めています。その子も、その意欲があります。
石井さんの報道は正しいと思います。ですがクルド人に取材するほど、彼らに冷たく、厳しくなっていますね。脅迫されたためでしょうか。
(私:そうです。)
あなたの感情は理解できますが、真面目に、頑張る子供がいることは、ぜひ知ってほしいと思います。
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
ようやく川口では人々が「おかしい」と声をあげ、ほんの少しだが状況が変わりつつある。行政が動き、不法行為の摘発が少しだけ始まった。
外国人差別は許されない。合法的に、また日本人と協調して暮らそうとするクルド人、その他外国人とは共生しなければならない。しかし違法行為、違法滞在をする外国人には、法適用をし、速やかに帰国をさせなければならない。その方向に、微々たる動きだが変わりつつある。
暗い話ばかりがクルド人問題で聞こえるが、埼玉県民、川口市民が変化の希望を抱いていることも紹介して、この原稿を終えたい。私にいただいた評価も、少し恥ずかしいがそのまま残しておこう。
【川口市民、メール】
クルド人問題については「おかしい」ということに、私はためらいがありました。私の周囲の川口の住人にもあります。私たち日本人は、小さい頃から「外国人と仲良く」と刷り込まれますから。
そして国とメディアと学校が「ヘイトスピーチはダメだ」キャンペーンを続けていますよね。これはこのクルド人問題では悪い方向に働いて、日本人が物を言えない状況を生んでいるように思えます。
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【埼玉県民、メール】
石井さん、身の危険を感じることと拝察します。くれぐれもお気をつけて取材を続けてください。あなたのような記者がいらっしゃることで、日本のジャーナリズムもまだ死んでないんだ、と思えました。あなたは正義感から川口市に突っ込んで「なんで自分がこんな目に」とぼやいていますし、気の毒と思いますが、そうした勇気が社会を変えます。
記者会見で権力者を怒鳴りつけたり、偉そうなことを言う記者はたくさんいますが、何の役にも立ちません。社会問題を調査し、客観的にそれを私たち国民に伝えることがメディアの役割と思います。しかし、誰も、クルド人問題でやりませんでした。大手の新聞社やテレビはいったい何をしているのでしょうか。
どうぞご自愛ください。川口市の奥富市議とか、心ある人と連携して頑張ってください。私たちの手で、川口、埼玉、日本を守りましょう!
石井孝明 経済記者 with ENERGY運営 ツイッター:@ishiitakaaki メール:[email protected]
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