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2023.12.4 ~ 筑前町の巨大わらかかし
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常陸國二宮 静神社 織物の祖神の建葉槌命を祀り倭文(しとり)が訛り静(しず)神社と呼ばれるようになったと云われます 常陸では建葉槌命を祀る神社が比較的見られます 鹿島神宮とともに常陸国の名神大社であり近世には水戸藩の祈願所として崇敬されました 現在の社殿は水戸藩9代藩主斉昭による造営の神明造です 神明造というには違和感がある意匠ですが社の案内では神明造なのだそう 拝殿を見るとあー水戸だなぁと思いますがしめ縄が、、、 #静神社 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ 静神社(しずじんじゃ) 鎮座地:茨城県那珂市静455 主祭神:建葉槌命 社格:式内名神大社 県社 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ #神社 #神社巡り #神社好きな人と繋がりたい #recotrip #御朱印 #御朱印巡り #神社建築#神社仏閣 #パワースポット #那珂市 #延喜式内社 #名神大社 #織物の神様 #神社巡拝家 (静神社) https://www.instagram.com/p/CmJxBZ8v5cJ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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父方のじーちゃんが書いたらしき仏間額
読める方教えて下さい🙏
掛軸や額が収納してある箱の中を漁ってたら
木彫りの仏像が埋もれてて、 最初観音様かな?と思ったけど、なんか蓮に乗ってるし立ってるし様子が違う...検索したら、なんと!阿弥陀如来様でした🙏
東阿弥陀如来は真宗大谷派(東本願寺)のご本尊
こんなとこにガラクタと一緒に紛れてたから、息苦しい思いされてたのでしょうか?
だから我が家に災難が起きてたのだろうか?
東本願寺は、西に向かってお祈りするらしいので、すぐに埃を払って、東向きに飾って線香を🌺
しかし手が無い👌✋のよね
こんなcuteな立雛の掛軸も🎎😍
松ノ木から藤の花が垂れ下がってるみたいな感じの着物ですね👘☁️
男雛も女雛も愛嬌のある笑顔で🎎
今年のひな祭りはこれでいい😁💗
#東阿弥陀如来#阿弥陀如来#南無阿弥陀仏#真宗大谷派#浄土真宗#東本願寺#立身出世#西方浄土#仏様#仏間額#弥助#渓川#書道師範#壁掛けインテリア#仏像#彫刻#木彫り#ひな祭り#立雛#節句#節句掛け#掛軸#掛け軸#桃の節句#お雛様🎎
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お釈迦様、地蔵菩薩様、奈良の大仏様のメッセージ
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神社に学ぶ!すもうの歴史と真実…角力に込められた禍々しい意思を探る
【神社に学ぶ!すもうの歴史と真実…角力に込められた禍々しい意思を探る】 東京都江東区富岡に鎮座する富岡八幡宮の境内にある横綱力士碑に因んで角力(すもう:相撲と読みます)の話をします。 相撲の歴史は古事記・出雲国譲りでの建御名方神と建御雷之男神の勝負にはじ��り、後には当麻蹴速と野見宿禰との勝負が伝えられています。 これらの歴史の共通点から角力の根っこが見えてきます。 何故、すもうを角力と書くのかも理解できるお話をしていきます。
こんにちは! 怨霊大博士 づか です(*^▽^*) 先日、神社ブランチで訪れた東京都江東区富岡に鎮座する富岡八幡宮の境内にある横綱力士碑に因んで角力(すもう:相撲と読みます)の話をします。 2/1…
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さっきラジオで言っていた、『自分は無宗教で神様も仏様も信じてない、だけどお地蔵さんを蹴れるかっていうと無理だし賞味期限切れのおにぎりを踏めるかっていうと無理』という話、とても大事な気がする。 そういうのが根っこにあるものとして暮らすけど、たまにそれが無い人に出会うと怖いと感じる。
ずーぽこさんのツイート (via over-sleep)
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今から74年前、1950年の10月7日、中共軍が突然チベットに侵略をはじめました。軍隊も同盟国もなく、ただただ仏教を信じ平和を愛する国であったチベットは、あっという間に全土を占領されました。それから74年間、チベット人は信じるものを奪われ奴隷のように虐げられており、その事実を世界に向けて訴えるために僧侶が焼身自殺をするくらい追い詰められていますが、世界平和を標榜するUN(いわゆる国連)を、はじめとする国際社会は彼らに救いの手を差し伸べようとしません。それをいいことに、他にもウイグル、モンゴルなどで民族抹殺政策を現在進行形で行い、南シナ海や東シナ海においても傍若無人な振る舞いをしています 日頃は自由だ平等だ人権だと建前を金科玉条のごとく唱えている西欧諸国も然り、残念ながら国際社会の現実は力こそ正義であり、大義名分は後からついてくるものであり、口先だけで世界平和を唱えても何も変わりません 斯様な厳しい現実が存在しているにもかかわらず、我が国はいまだに米軍に頼り切った国��体制で、自衛隊を憲法に明記するか否かで揉めています。それどころか政官財の中共シンパは、過去、我が国の資金と技術が、中共を経済大国に育て上げ、チベットをはじめとするその周りの国に多大な迷惑をかけてきたことに対して反省のかけらもなく、日中友好という美名のもと、これからも中共と経済協力するべきだと声を上げています はっきりと言えば、我が国で「ヘイワ」だ「ユウコウ」だと、ひたすら中共を礼賛しながら資金や技術を援助する一方で自らの私腹を肥やしてきた人たちは中共がウイグル、チベット、モンゴルなどの人々に対して行っている犯罪行為の共犯者です。 我々日本人は、あらぬ過去の罪に謝罪するよりも、自分たちが蒔いた種により、今こうしている間にも行われている人類に対する犯罪行為を阻止すべき義務があるのではないでしょうか。今、ウイグルチベット、南モンゴル、香港で起こっている出来事は他人事ではありません 頼りにするアメリカが弱体化しているにもかかわらず、いまだに敵の基地は攻撃できないなどというレベルを議論する国会、国防を蔑ろにしている我が国はこのままでは74年前のチベットと同じ道を歩んでもおかしくはない。
Xユーザーの一色正春さん / X
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'24.8.4 東大寺大仏殿外郭、猫段にて
開いてるのを見たことがない大仏殿北側の小門に夏の日差しが差し込み始めた朝。外郭に沿って東へ進み、裏参道通って二月堂方面へ・・と思ったのですが、そちらを望むとカッとしたお日様がギラギラと照り付けていて見るからに暑そう。写真撮ってもフレア出てくるし・・。
なのでスタコラと方向転換して、大きな木々の日陰ある外郭沿いを猫段方面へ。
これだけ暑いと、どうしても日向避けて移動しちゃいます・・。
#奈良#nara#奈良公園#nara park#日本#japan#東大寺#todaiji temple#夏#summer#朝#morning#酷暑#too hot#photographers on tumblr#natgeoyourshot
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[Image above: D. T. Suzuki (11 November 1870 - 12 July 1966) was a Japanese Buddhist scholar and doctor of literature. ]
A message from 23 nights temple Q&A: Part 2 [Part 1]
Next question was, want to know more about Tendai Buddhism and how to do face-to-face learning outside of Japan:
More than 1,400 years after its introduction, Buddhism in Japan was born from the founders of sects in Japanese history and culture. Today, about 13 major sects exist, including the Tendai sect. Of these, three are Zen sects: the Soto, Rinzai and Obaku.
Among them the most representative are, Saicho, founder of the Tendai sect, whose head temple is Enryaku-ji on Mt. Hiei; Kukai, founder of the Shingon sect, who brought esoteric Buddhism to Japan, whose head temple is Kongobu-ji on Mt. Koya; and Dogen, author of the Shobogenzo, a philosophy book said to be a manual for Zen meditation practice and originator of mindfulness. Founder of the Soto sect, whose main temple is Eiheiji Temple.
Buddhism means 'Buddha's teachings'. In the beginning, everything was transmitted orally and it was only after Buddha's death that documents and scriptures were created. All of the Buddhist scriptures that remain today were described by the memory of Buddha's disciples. In the meantime, it underwent various transformations through the views of translators and other factors, and representative gurus from different countries established and divided into sects. The Tendai sect is one of these sects, founded by Master Saicho. Incidentally, my trusted teacher is a Zen monk of the Soto sect, and he says that one should not be confined to a sect. It is because Dogen, the founder of the Soto sect, taught that the Buddha's teaching is one and that we should not be obsessed with sects.
Those wishing to study face-to-face or Buddhist thought outside Japan should visit your local Buddhist temple or Zen centre. You can easily find one by hitting the usual keywords. However, not all are good teachers. It is recommended to search patiently for a teacher or centre that suits you. For international learners, books by Japanese Buddhist scholar D.T. Suzuki are relatively accessible. He wrote on Zen in English and introduced Japanese Zen culture to the rest of the world. He was also a prolific translator of Chinese, Korean, Japanese, Vietnamese and Sanskrit literature.
In fact, the teachings of Zen that we are learning are not like there is a holy scripture that says this is the absolute truth, nor is there a founder who says that this is the absolute truth.
And it is best not to decide on a teacher based on sect or culture, but to knock on the door of a person you can identify with. More importantly, he or she may not only be in the temple.
二十三夜堂からのメッセージ Q&A: その2 [その1]
次の質問は、天台宗についてもっと知りたい、日本国外で対面で学ぶ方法を知りたいというものでした:
伝来から1400年余りの年月を経て、日本の歴史文化のなかで、宗派の開祖たちから生まれたのが「日本の仏教。 現在、大きな宗派として存在しているのは、天台宗を含め約13宗��。その中で禅宗は、曹洞宗、臨済宗と黄檗宗の3宗。
中でも代表的なのは、天台宗の開祖の最澄、総本山は比叡山延暦寺、日本に密教をもたらした、真言宗の開祖の空海、総本山は高野山金剛峯寺、そして、坐禅修行のマニュアルとも言われている哲学書「正法眼蔵 (しょうぼうげんぞう)」の著者でマインドフルネスの元祖、曹洞宗の開祖の道元、大本山は永平寺など、が挙げられる。
仏教とは「ブッダの教え」という意味である。当初、全ては口頭で伝えられており文書·経典ができたのはブッダ没後のことだ。今日残っている仏教経典はすべて、ブッダの弟子たちの記憶によって記述されたもの。その間訳者の見解などを通して様々な変形を繰り返し、各国の代表的な教祖が宗派を立ち上げ分かれていった。天台宗はその一つで、最澄が立ち上げた宗派である。因みに私の信頼できる先生は曹洞宗の禅僧だが、彼は宗派に囚われるべきではないと言っている。というのも曹洞宗の開祖である道元禅師が「ブッダの教えは一つであり、宗派に執われるな」と教えていたからだ。
国外で対面学習や仏教思想を学びたいとご希望の方々は、ローカルの仏教寺院、または禅センターを訪ねてみると良いと思います。お決まりのキーワードを叩けば、すぐに見つかります。但し、全てが良い先生とは限りません。自分に合った先生やセンターを根気よく探すことをお勧めします。海外の方々は、日本の仏教学者、鈴木大拙氏の本が比較的手に入りやすいと思います。彼は英語で禅に関する著作を発表し、日本の禅文化を世界に紹介し、また中国語、韓国語、日本語、ベトナム語、サンスクリット語などの多���な翻訳者でした。
実際、私たちが学んでいる「禅」の教えは、これが絶対の真理だという聖典があるわけでも、これが絶対の真理だという教祖がいるわけでもありません。
宗派や文化で師を決めるのではなく、ご自分が共感できる門を叩くのが最良かと思います。もっと言えば、その人はお寺にのみいらっしゃるとも限りません。
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あるとき、往復で十万円ほどの交通費がかかる遠方に住む親類が亡くなった。駆けつけてお焼香をあげるほど親しく付き合ったわけでもなく、といってスルーするわけにもいかない。どうしたもんかと悩んでいたとき、年上の女性に知恵付けられた。「貝柱さん、電報よ。電報って案外効くわよ。それからご仏前に備える銘菓でも送ればOKよ」。なるほどと思って、とはいえ電報だけではあまりに寂しいので、電報、スタンド花、それからご仏前のお菓子の三点セットをお送りした。すると相手はめちゃめちゃ感激し、貝柱ちゃんにはすごくよくしてもらったというのである。聞くと寂しい葬式だったそうで、 列席者もまばらだったけど、電報やスタンド花もかなり手薄だったらしいんだよね。後々まで感謝された。そう、この三点セットはやってみたらば「記憶に三度焼き付ける」という技だったのである。味をしめたので、「交通費をかけたくないなあ」というときは、以降、これで済ませている。おかげ様で「礼儀をわきまえた貝柱」のように誤解されてるんだけど、本当はそうじゃない。それにしても今から気が重いのは、来週、知人の仏前に手を合わせにいくのにストッキングをはくことだ。夏はワンピース大好き人間になるのだが、喪は素足というわけにはいかない。礼儀って暑苦しい。鬱だ。
十万円ほどの交通費がかかる遠方に住む親類が亡くなった。「電報よ。電報って案外効くわよ。それから、ご仏前に備える銘菓でも送ればOKよ」 - Togetter
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2023.12.4 ~ 筑前町の巨大わらかかし
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タイ国チュラロンコン大王像
当山開基タイ国ラーマ5世チュラロンコン大王像
本堂西側に日タイ修好100周年記念として1987年(昭和62年)建立
タイの大王様が開いたお寺ってこと🐘?
毎月21日(縁日)は歩行者天国になるので参道から日泰寺境内まで駐車禁止だそうで、次回は縁日に行ってみたいと思ってたけど、臨時駐車場🅿️てどこになるんだろう?
山門の仁王像も撮るの忘れた😵💦
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20240814 お盆
夜勤明け、実家に寄って仏壇に手を合わせる。ご先祖様というか、私のじーちゃんばーちゃんと早くに亡くなった妹が今年も帰ってきているはずだ。
お盆はパートさん達が休む加減で、どうしても休みづらいし連勤になってしまう。毎年のことだけど仕事ばかりしている。まだ両親がメインであれこれやってくれているので、そこに顔を出す程度とはいえ、今年は迎え火も不参加。送り火の日は夜勤明けだから見送れるかな。
妹がいなくなってからずっと一人っ子として生きてきた。いい大人になった今、妹がいてくれたらなと思うことがたくさんある。姉妹であちこち出かけたかったし色んな話をしたかった。想像するだけで楽し��うだ。母は今でも自分を責めているだろうか。後悔や悲しみを忘れられずにいるだろうか。誰も悪くない。運命とはきっとそういうものだ。
じゃあ私は?私は、妹の分まで両親の子どもとしてちゃんと生きているだろうか。振り返っても決して親孝行な人生とは言えないのが少々申し訳ない。でもこれが私だから仕方ない。とりあえずいい加減に生きているわけでは無いことだけは伝わっているようだけれど。
夜勤明けの日は、あれこれ片付けてひと眠りするともう夕暮れだ。外に出て空の変化をひと通り楽しみながらぽくぽくと歩く。日が暮れてしまっても今日は蒸し暑さが随分と残っていてすぐにじっとりと汗ばんでくる。
昨夜は賑やかに町内の盆踊りが行われていたであろう小学校のグランド。今日はしんとして誰もいない。
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汚辱の日々 さぶ
1.無残
日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教���をうけよ。」
きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚���しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
私は勅諭の奉唱を仏教��読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
つらかった。肩身が狭かった。
もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
2.玩弄
部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に��特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
低いドスのきいた返事があった。
扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を揉め」
傲然と私に命じた。
私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラ��だった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺりした顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないので���る。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
3.烈情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
有無を言わせぬ強引さであった。
あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、��ばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
思わず息をのんだ。
徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」 言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。
班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。 瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
(了)
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ミルグラム4周年のビジュアルについて
日本語で書くけどなにかが誰かに伝わればいいな
まず服装は普通に葬式に行くときのルール、黒い服を着ようっていう
その中でもエスは恐らくお坊さんの役割を持ってる。葬式にはお経を読みにお坊さんを呼ぶことがあるけど、衣装がそんな感じ。
Twitterでみたけど、多分花の持ち方は囚人から被害者への思いの表現。
001はルールがわかってないから適当
002は母が赤子を抱くように
003は乱雑に、かつ後ろに(後ろめたい)
004は隠したいから自分から見えないように
005と006は相手を大切にしているからちゃんと持っていて
007は少し目を逸らすように
008は多分教え的に葬式が合わない、もしくは相手は教えを破ったから弔うべき相手ですらないからそもそも花を持ってない
009も誰の葬式か理解してないからとりあえず持っていて
010は弔いの心がないから雑に持っている
後ろの花、百合と菊、カーネーション(?)だと思う。
どの宗教でも基本的に百合と菊のはず、仏教も百合と菊、カーネーション。
で、これは多分棺桶。棺桶に亡くなられた方と花をつめて、最後の別れをしてから火葬場に行くっていう。
一応花言葉とか、葬式にまつわる意味は
白百合:純血、無垢、死者に捧げる(これはキリスト教?マリア様への献花とかなんとか)
白菊:慕う、誠実な。個人を慕う、葬式を誠実に執り行うということから使われる。
カーネーション(?):尊敬。亡き母を偲ぶ。葬式に使われる際は母親に使われやすいらしい
そんな感じ。あとはしらない
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桂文楽が大仏餅で登場人物の名前を忘れ絶句し、勉強し直して参りますと高座を下りて二度と落語を演じなかったエピソードと人の名前などどうでも良く忘れたら忘れたで噺を続けた古今亭志ん生の話を聞くと、文楽を尊敬しながらも志ん生に肩入れしてしまう自分がいる。無様でいいじゃないか。
Xユーザーの相島一之さん
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