Tumgik
#小学生以下のレベル、いや、4歳の子供以下かな
adelalovesmadara · 2 years
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原作のサスケはこの顔作れそうと思う?まあ、ナルトの前では余裕でこの顔を作れると思う、多分。
前々から思ったことだけど、サスケの興奮する顔っていいよね〜ん、嫌、そっち方じゃないけど……。サスケは一応末っ子で甘えん坊な所があったよね、特にうちは一族虐殺事件が起こった『前』のちびっこサスケちゃんがね。可愛かったな。でもあのサスケはもう、亡くなった。7歳の時に。
NARUTOの世界って残酷過ぎる。でもそれを、多くの人たちはそう認めない。忍者がカッコイイから(¯―¯٥)
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kennak · 11 months
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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smi********さん
2016/1/25 18:18
なかよし・・・1990年代末まではりぼんと並ぶ名門で、メディアミックスでは紛れも無くNo.1だった雑誌。しかし1990年代に大ヒットした美少女戦士セーラームーンとカードキャプターさくらの影響が悪い方に作用し、編集部がオタクの嗜好と女児の嗜好を取り違えて、いつしか美少女戦士やら魔法少女ばっかり重視するようになり、それが描ける作家はCLAMPとか征海未亜とか外部作家やフリー作家を連れてきたりして優遇する代わりに、描けない作家は大ベテランのあさぎり夕であろうが高瀬綾であろうが川村美香であろうが引退を突き付けて『粛清』し、「アニメ」ではなく「少女漫画」を求めていた読者から見放されて自爆した雑誌。 現在では「美少女戦士・魔法少女=アニメオリジナル・園児向けのプリキュア」(一応なかよしで連載しているけどね)という図式が定着した影響で少女漫画での魔法少女漫画の需要がなくなったせいで、遠山えまや鳥海ペドロらを『調教』してちゃおを"卒業"した子やその路線になじめない子狙いでコミックス売上狙いでエロ路線に走っている(とはいえ、エロのレベルは一時の少女コミック・Cheese!と比べりゃ微々たるもの)けれど、一部を除く女児には不評。ちゃおほどメディアミックスに熱心できる状況ではなく、りぼんほどコミックスが売れる作家が多いわけでもなく、コミックスのスペースもかつてのちゃおが味わった苦汁のごとく年々削減されて、セーラームーンとCCさくらの貯金を取り崩しながら破滅に近づいている状況。 りぼん・・・2000年代までは少女漫画売上No.1で、マーガレットの妹分。恋愛漫画も充実。メディアミックスはヒット作に全く恵まれずに消極的なおかげでなかよしと比べると少女漫画の品位は保たれているし、ちゃおよりも���女漫画らしい誌面。ただし1990年代から2000年代前半はメディアミックスではなかよしを追い抜こうとした時期があり、姫ちゃんのリボンをテレビ東京系でもいいからアニメ化したり、秋元康に頼んでナースエンジェルりりかSOSを立ち上げたり、赤ずきんチャチャを魔法少女モノに改変したり、どちらかと言うと原作は鬱要素が強いこどものおもちゃを子供向け路線に改変してアニメ化された影響で、誌面はタイアップバリバリだった。そのおかげで姫ちゃん~こどちゃがアニメ化されていた頃は低年齢層を掴んで1994年には少女漫画最高記録の255万部/月を達成するが、こどちゃ以降はアニメ化に恵まれず、新人を猛プッシュした種村有菜のアニメ化作品が神風怪盗ジャンヌ・満月をさがしてとともに不振だったり、Cookieの分離創刊を機に吉住渉、矢沢あい、小花美穂ら古参作家を放出させ、春田なな、酒井まゆ、槇ようこら絵柄重視で新人作家を猛プッシュしたりした影響でやっぱり古参読者が離れて部数が激減、一時は3誌で最下位になるものの、その後のなかよしの大自爆により2位に浮上。 現在では春田なな・槙ようこが看板格に育ち、雪丸もえのひよ恋がスマッシュヒットしたが、最盛期には遠く及ばず、また夢色パティシエールの大爆死以降はちびまる子ちゃんを除くメディアミックスも一切なく、中高生向け少女漫画と同じくコミックスで生き残りをかける格好。 ちゃお・・・1990年代中盤までは売上・人気面でボロボロで10万部台の頃もあり。起死回生を図るために1993年に(当時キャンディキャンディの版権問題で水木杏子・講談社と揉めていた)いがらしゆみこを招聘してムカムカパラダイスをアニメ化して以来、漫画よりもアニメとのタイアップを中心に捉えてきた。2000年代初頭まではタイアップ先(特にバンダイがメインスポンサーの女児アニメ)がちゃおを敬遠していたこともあり、ポケモン、少女漫画ウテナ、デ・ジ・キャラットにょ、電脳コイルといったオタク層や男性(男児)向けの作品が比較的多く、その漫画版が載っていた1997~2003年頃のちゃおはカオスな雰囲気を醸し出していた。しかし2002年のわがままフェアリーミルモでポン!のヒットで少女漫画売上No.1になるとオタク向け路線は徐々に一掃され、ChuChuの分離創刊(現在は廃刊)であらいきよこ・おおばやしみゆきらベテランが放出されるが、ミルモ・恋プリ・ちびデビ・ちいちゃんと児童向け路線で4作続けてヒットを出す篠塚ひろむと、男ショタキャラの魅力でちゃおを卒業した読者もコミックスに安定して取り込む八神千歳の存在は頼もしく、3誌の中で唯一世代交代に成功したといえる。2000年代後半からはアイドル物に力を注ぎ、きらりん☆レボリューションで中原杏を猛プッシュ。関連商品の売上は上がるが、デッサン力・画力は決して高いとはいえない彼女を起用したおかげで、高学年を中心に読者離れが起きて本誌の売上は下がる。 現在では売上は下落の一途だけど前述のアイドル路線を引き継いだアイカツ・プリパラと、妖怪ウォッチのタイアップで華はある印象。そのおかげでスーパーやコンビニ・書店では月末には真っ先に売り切れる。それらのタイアップ作品に流されやすい女児には堅調で、それに流されにくい女児は早々と逃げられ、女児の間で評価が分かれる(後者は早めに少女コミック・マーガレット・花とゆめなど中高生向け雑誌に移行することが多い)。あと女装ショタや性教育エロ路線では鉄板で、1991年の水色時代でのレギュラー化から現在のドーリィ♪カノンまで25年間もちゃお・学年誌に居座り続けているやぶうち優はいろいろな意味で化け物。 マーガレット・・・当たり前だが、りなちゃ3誌よりは少女漫画らしい雑誌。少女コミックス・花とゆめを含めた3大隔週誌の中では王道路線であり、アタックNo.1、ベルサイユのばら、エースをねらえ!、花より男子のヒットを築く。しかし、花より男子が終了した2000年代後半には部数が激減し、10万部を割り込む。近年はメイちゃんの執事がヒットするが、部数減に歯止めがかからず5万部台で推移、りぼん・なかよしと同じく主戦場は完全にコミックスに移行。
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takahashicleaning · 1 year
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TEDにて
テイラー•ウィルソン:僕のラジカルな計画 ― 小型核分裂炉で世界を変える!
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
テイラー・ウィルソンが、自宅ガレージで核融合炉を作ったのは14歳のとき。そして、19歳となった今、彼は、再びTEDのステージに立ち、既存技術である「核分裂反応」の新たな活用法を提示します。
ウィルソンは、支援を取り付けて起業し、彼のビジョン実現に向けて最新の原子力発電の実現に動いています。なぜ?小型のモジュール式核分裂炉を製作する革新的な計画に燃えているのか?
そして、なぜ?それが世界のエネルギー危機を救う大きな一歩となりうるのか、語ります。
もう一度言います!
これは、現在、最新式である第4世代原子力発電の仕組みです。
核分裂反応は、適切なレベルで制御、維持されています。核分裂反応によって、水が熱され水が蒸気に変わり、蒸気がタービンを回すことで電気を得られるのです。
100年も前から、この方法。蒸気タービン発電で電力を作ってきました。
原子力は、水を熱する方法を大きく進化させはしましたが、水を熱して蒸気に変え、それでタービンを回すところは同じです。
そこで思ったのです。これが一番いいやり方なのか?
核分裂は、枯れた技術になったのか?それとも、まだ何か革新できることが残っているのか?そこで、僕は世界を変える大きな可能性があることを思いつきました。
これです。小型モジュール式原子炉です。
あちらの図に示したような原子炉ほど大きくありません。でも、50~100メガワットという大きな電力を作れます。これは、そう平均的な家庭で2万5千から10万世帯分の電力です。
この原子炉が、魅力的なのは工場で作れることです。これら、モジュール式原子炉は、基本的に組立ラインで作れ、世界中。どこへでも運べ、設置さえすれば発電ができます。
ちょうど、この部分が原子炉でここが重要なのですが、地下に埋められています。
テロ対策に通じている人なら地下に埋めることが、どれだけ核拡散防止や警備の上で素晴らしいことか言うまでもないでしょう。
さて、さきほど電力は全て。まあ、太陽光発電を除けば、蒸気を熱してタービンを回すことで作られると言いました。
実は、これはそれほど効率はよくないんです。図のような原子力発電でも大体30~35%の効率なんです。
この数字は、炉が出力する熱エネルギーと実際に発電できる電力の割合で熱効率が悪いのは、これらの炉が低温で稼働しているからです。炉の温度は、せいぜい摂氏200~300度くらいなんです。
でも、新しい炉は、摂氏600~700度で稼働します。温度を高くすれば、より高い熱効率を得られます。
そして、この炉は水を使わず、超臨界のCO2やヘリウムといった気体を使いそれでタービンを回すのです。
これは、ブレイトンサイクルと言います。
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率になります。素晴らしいと思うのは炉心がかなりコンパクトなことです。
融解塩炉は、もともと小さなものですが、さらにすごいのは、核分裂させたウランからより多くの電気を生み出せることです。
おまけに燃焼してなくなるこの燃焼度はかなり高いです。同じ量の燃料でもこの炉ならより多くの割合が使えるのです。
新しい原子炉は、燃料補給なしで30年も稼働できる。これは、僕は本当に素晴らしいことだと思うんです。密封されたシステムということですから。
燃料を補給しなくて良いので密封できます。
核拡散の危険もなく、炉心から核物質や放射性物質が、外に漏れることもないのです。
安全の問題に戻りましょう。東日本大震災原子炉事故のあと、誰もが原子力の安全性見直しを迫られました。
僕が、原子炉を設計するときに考えたことの一つは、そのままでも本質的に安全であることでしたから。
僕が、この原子炉に大いに期待しているのは、主に二つの理由からです。
まず、高圧下で稼働しないこと。加圧水型炉。沸騰水型原子炉といったこれまでの原子炉は、非常に高温の水を高圧下で使います。
すなわち、事故が起こったとき。もし、ステンレス鋼圧力容器が破損したら、冷却剤が炉心から流れ出すのです。
新しい原子炉は、ほぼ大気圧で稼働しますから、事故のときにも核分裂の生成物が炉の外に出ることはありません。
さらに、高温で稼働し、燃料も融解されているのでメルト・ダウンも起こりません。
原子炉が許容範囲を超えたり、東日本大震災原子炉事故のように電力供給が断たれたりしたときは排出タンクがあります。
燃料は液体で冷却剤と一緒になっているので、炉心を流し出して臨界以下の条件に落とせます。基本的には反応炉の下にある中性子吸収剤の入ったタンクに落とすのです。
これは本当に重要なことです。核反応を止められるのですから古いタイプの原子炉ではそれができないのです。
さっき言った通り、燃料はジルコニウム燃料棒内のセラミックでこの原子炉で事故が起こったとき、その前のスリー・マイル島の事故では解明するまでに時間がかかりましたが
燃料棒のジルコニウム被覆は、高圧の水や蒸気に酸化環境でさらされたとき水素を発生します。水素は爆発する可能性があり、核分裂の生成物を放出することになります。
新しい原子炉の炉心には、圧力は加わっていないので化学的な反応は起こらず、中の核分裂の生成物が炉の外に出ることもないのです。事故が起こったとしてもまあ原子炉はダメになるかもしれない。
それは、電力会社には気の毒だけど、でも、多くの土地を汚染することはないんです!
また、安全性を確立した後、この小型原子炉をロケットに積めば、50~100メガワットの電力を供給できるわけですから。
これは、ロケット設計者の夢。他の異星への移住も夢じゃない。
50~100メガワットの電力で行きたいところに行けるだけでなく、着いてからも 電力があるのです。ロケット、人工衛星の設計にソーラーパネルや燃料電池を使えば、数ワット、数キロワットが出せます。
それは、たくさんの電力です。でも、ここで話しているのは100メガワット。すごい電力ですよ。火星の街に電力供給できるし、高いレベルの安全性が必要ですが、そこのロケット、人工衛星にも供給できます。
原子力を使って、他の星に飛んでいくのは、これは、とても詩的なところがあると思うんです。銀河の星々は、巨大な融合炉として燃焼している結果、地球に光が届くのですから。つまり、空に浮かぶ巨大な原子炉です。
今日、お話ししている僕のエネルギー源も元々は核反応から由来して、食物の化学エネルギーに変換されたもの。ですから、核分裂の技術を極め、将来の革新的エネルギー源とすることはやっぱり詩的なんだと思います。
参考までに、平和利用のために考案された原子力発電は以下の種類に分けられます。
他にもあるけど省略します。
1)沸騰水型軽水炉 (Boiling Water Reactorで略してBWRとも呼ばれる)
核燃料の液体が入った圧力容器内で水を沸騰させ、核燃料の液体とともに直接!外部の!タービンに送って発電機を回す原子炉。
なお、福島第一原発もこのタイプです。そして、第1世代 ( GEN-I ) -1950年代から1960年代前半に運転を開始した初期の原型炉。危険性が確率的に高いタイプ。第2世代 (GEN-II)もここらへん。
2)加圧水型軽水炉 (Pressurized Water Reactorで略してPWRとも呼ばれる)
圧力容器内で加熱される核燃料の液体が内部で循環して、タービンに送られる水と完全分離している原子炉。
こちらは、第3世代 ( GEN-III ) - 1990年代後半から2010年代頃に運転開始した原子炉で、第2世代の改良型として開発された原子炉。西日本で主に使用されているタイプ。
これを小型化したタイプが第4世代 (GEN-IV)といわれるもので過去の障害を克服している天然ガス火力発電とも競合できる高い熱効率、高度な安全性、放射性廃棄物の負担の最小化及び高度な核拡散抵抗性などの特徴をもつ革新的原子炉です。
東日本の原子力発電は、ほとんどが第1世代 ( GEN-I )、第2世代 (GEN-II)というタイプです。(北海道以外)
(個人的なアイデア)
本当は、震災が起きる前に設備を小型化した第4世代へ大胆に更新すればよかったけど、もう、後始末、廃炉の時間の関係上、手遅れかもしれません。
実は、高度経済成長後のバブル経済への成長の達成は、当時は、最先端のイノベーションである原子力発電の建造も重要なターニングポイントの一つでした。
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が���われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
<おすすめサイト>
ジョン・フランソワ・バスタン:地球に1兆本多く木があったら?
アラン・セイボリー:砂漠を緑地化させ気候変動を逆転させる方法
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
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スチュワート・ブランドとマーク・Z・ヤコブソンが討論:原子力発電は必要か?
ジョー・ラシター:気候変動の解消に向けた原子力発電の必要性?
「フロート式原子力発電所」について
劣化ウランゼロへのイノベーション:ビル=ゲイツ、エネルギーについて語る
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レイ・カーツワイル:今後現れるシンギュラリティ(技術的特異点)を学ぶ大学
Solar Roadways(道路としても敷き詰めて活用できる太陽光発電パネル)
「考えるクルマ」が世界を変える―アーバン・モビリティの革命
Powerwall 2 & Solar Roof Launch - Teala Motors
デイビッド・マッケイ: 再生可能エネルギーの現実
ベティーナ・ウォーバーグ: ブロックチェーンが経済にもたらす劇的な変化
量子コンピューターの基本素子である超電導磁束量子ビットについて2019
<提供>
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japanpromos · 1 year
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子供向けの英語学習サイトのおすすめ5選!英語学習の理由及び選び方も解説~
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子供の頃から英語を学ぶことは、将来の成長において貴重な経験となります。最近では、子供向けの英語学習・英会話オンラインスクールが幅広く提供されており、楽しいゲームや歌のレッスン・教材を通じて、たとえ3歳の初心者でも英語を楽しみながら学ぶことができます。
今回、JapanPromosでは、おすすめの子供向け英語学習サイトをまとめました。さらに、選び方のポイントも解説していきます。
子供たちが英語を学ぶための最適なサイトを見つけるお手伝いができれば幸いです。
英語学習サイトのメリット
語学能力の向上
英語学習サイトを利用すると、子供は英語の聞く、話す、読む、書くの4技能をバランスよく鍛えることができます。英語に慣れることで、他の言語への興味や適応力も高まります。また、多言語を学ぶことは、脳の機能や思考力を活性化させます。
文化的な理解と開放性
英語学習サイトでは、英語圏の文化や生活に触れることができます。子供は様々な国や地域の人々や風習について知り、異文化への理解や尊重が深まります。また、世界の最新情報や話題にもアクセスでき、視野が広がります。
コミュニケーション能力の向上
英語は世界中で使われる共通言語です。子供が英語学習サイトで英語を学ぶことで、自分の意見や感情を英語で表現する能力が身につきます。これは、自信やコミュニケーションスキルを高めるだけでなく、将来の社会生活にも役立ちます。
就職やキャリアの選択肢の拡大
グローバル化の進展に伴い、英語のスキルは重要な資格となっています。子供が英語学習サイトで英語を学ぶことで、将来的に多様な職業やキャリアに挑戦する可能性が広がります。
国際的な交流と友人づくり
英語を話せるようになると、国際的な場面での交流や友人づくりがしやすくなります。子供たちは英語学習サイトで出会った異文化の友人と仲良くなり、お互いに刺激や励ましを与え合うことができます
英語学習サイトの選び方
英語学習サイトを選ぶ際には、いくつかのポイントを考慮することが重要です。以下に、英語学習サイトを選ぶ際のポイントをご紹介します。
カリキュラムの内容
そのサイトが提供するカリキュラムが適切であることを確認しましょう。子供向けにデザインされた楽しいレッスンや対話型のコンテンツがあると良いです。
レッスンの形式
そのサイトが提供するレッスンの形式も重要です。ビデオレッスン、ゲーム、歌、クイズなど、多様な方法で子供たちが楽しみながら学べる環境があると良いでしょう。
教材の質
そのサイトが提供する教材の質も確認しましょう。正確な発音や文法、豊富な語彙を学ぶための教材が充実しているかどうかをチェックしましょう。
レビューや評価
レビューや評価を確認することもおすすめです。他の親や利用者の意見や体験談を参考にすることで、信頼性や効果の高さを判断することができます。
子供向けの英語学習サイトのおすすめ5選
子供が英語を学ぶには、楽しく学習に取り組むことが大切です。今回は、子供向けの英語学習サイトの中から、おすすめの5つをご紹介します。
これらのサイトは、オンライン上でネイティブと英会話を楽しめたり、ゲームやアニメを通じて英語に触れたり、自分のペースで学習できる特徴があります。
Cambly
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Camblyは、世界中のネイティブスピーカーと24時間いつでも英会話ができるサイトです。子供専用のプランもあり、絵本や歌を使った楽しいレッスンが受けられます。
世界中のネイティブスピーカー講師で、4歳~15歳のお子様が初心者向けのA1からC1レベルまで受講することができます。15分間の無料体験も用意されているので、まずは試してみましょう。
Camblyクーポン・キャンペーン情報はこちらへ
Novakid
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Novakidは、4歳から12歳までの子供に特化したオンライン英会話サイトです。ネイティブの先生とのマンツーマンレッスンで、ゲームや動画を通じて楽しく英語を学びます。
1アカウントでお子様の兄弟・姉妹と一緒に登録すると、コース料金がお得になります。まずは25分間の無料体験レッスンでお試しください。
Novakidクーポン・キャンペーン情報はこちらへ
Global Step Academy(GSA)
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Global Step Academy(GSA)は、小学生から高校生までの子供向けのオンライン英語教育プログラムです。英語力がゼロからでも外国から帰国後でも最適なレベルが提供しています。
GSAではプライベートコースはもちろん、ネイティブ教師とのグループレッスンが受けられ、日本語でのサポートもあります。初めての方なら2週間の無料体験期間が用意されています。
Global Step Academyクーポン・キャンペーン情報はこちらへ
kimini
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日本人の子供に合わせたオンライン英会話サイトです。日本人とネイティブの先生がペアでレッスンを行い、日本語で質問や相談もできます。月額料金が1,100円(税込)から安い、君にでは英会話というスピーキングテストが最新AIシステムによって24時間採点で英語力が総合的に評価します。
今なら5月15日までキャンペーン期間中に30日間の無料体験レッスン(通常は10日間)も受けることができます。
kiminiクーポン・キャンペーン情報はこちらへ
スピークバディ
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スピークバディは、AI(人工知能)との英会話ができるアプリです。AIが子供の興味に合わせた話題を提供し、正しい発音や文法を教えてくれます。無料で利用できるので、気軽に始めることができます。
また、英語を話すことに向上したいならスピークバディパーソナルコーチングがおすすめします。12週間コースでは毎日1時間に優秀な日本人コーチが伴走し、受講生のレベルに合わせたカリキュラムを提供しています。
スピークバディクーポン・キャンペーン情報はこちらへ
まとめ
最近では子供向けの英語学習サイトは、子供たちが英語を学ぶことを楽しくサポートしてくれる優れたツールです。
英語は、子供の将来にとって必要なスキルの一つです。早期から英語に慣れることで、コミュニケーション力や国際感覚を育むことができます。また、英語を楽しむことは、自信ややる気を引き出す効果もあります。
選ぶ際には、お子さんの好みや学習方法に合わせてサイトを選んでください。無料で試せるサイトや、口コミや評判が良いサイトを探してみると良いでしょう。
お��さんが自分のペースで快適に学べる環境を作ってあげることで、英語学習への興味を持続させることができます。ぜひ、これらのサイトを利用して、お子さんの英語学習のパートナーになってください。
子供たちが英語の魅力に触れて学ぶことができることを願っています。一緒に頑張りましょう!
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netbad · 3 months
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0245 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 7e81-JQJS) 2020/10/24(土) 01:58:49.23
結婚して出産して仕事を辞めてたら、周りに対して感謝のない人生だったかも…かぁ。
結局スーは、未婚の味方なんだよな。
1
ID:5dJ+RdLL0(1/2)
0246 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 7e73-W1Kw) 2020/10/24(土) 06:52:34.22
複数子持ちのパートナーアナにたいしてべったりしていて時には上からなの気になるわ
蓮見は教育しようと躍起だし
小倉は内心うんざりしてそう
正直、子育てにスーの意見は要らないんだよね
ID:JLM7u2Ci0
0247 ラジオネーム名無しさん (オッペケ Sr11-RmNF) 2020/10/24(土) 06:58:51.43
放送が無い日にそんな意見要らない
ID:cs/bpMR3r
0248 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ c25c-y5oF) 2020/10/24(土) 08:02:11.09
澤田記者の国会特集、噛んで含めるような構成でいいと思ったけど、
5chでは褒められないんだろうな。
もっとも、これはテレホン人生相談の裏で、
勝てない前提で組まれた企画のようでもあるが。
ID:2rVjSEDZ0
0249 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 39b1-WbFs) 2020/10/24(土) 15:04:03.77
とりあえず堀井は早く歯医者行け
ID:ba6+6iYr0
0250 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 7e81-JQJS) 2020/10/24(土) 15:12:31.78
>>245
ホーリィは忙しくてなかなか子供の帰宅時にいられない場合、商店街の八百屋さんが
危なくないように子供をかくまっていてくれたとか、近隣には感謝してもしきれないとか
コラムによく書いていたから、なんだか未婚が偉いような、未婚だから感謝できる、
それが幸せだ、みたいに思える発言は、本意がわからないけど寂しくなるんだよな。
ID:5dJ+RdLL0(2/2)
0251 ラジオネーム名無しさん (アウアウウー Sa45-X3wM) 2020/10/24(土) 18:32:12.94
>>235
私白百合だし
1
ID:wTvFADpKa(1/2)
0252 ラジオネーム名無しさん (アウアウウー Sa45-X3wM) 2020/10/24(土) 18:32:43.45
>>240
お前明の星の偏差値知ってんの?
ID:wTvFADpKa(2/2)
0253 ラジオネーム名無しさん (オッペケ Sr11-RmNF) 2020/10/24(土) 20:05:09.80
スーに対抗心おばさん
ID:izL9QXStr
0254 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 0274-rTi+) 2020/10/24(土) 20:37:27.52
埼玉民的には浦和一女の滑り止めとだけ言うにはもったいない名門私立なんだけど都内からわざわざ武蔵野線で東浦和に通う人がなんでそうなっちゃうのかは全く想像できないね
2
ID:uV0bdbuj0
0255 ラジオネーム名無しさん (アウアウウー Sa45-W1Kw) 2020/10/24(土) 23:49:19.65
都民からすれば明の星は桜蔭受ける子の1月のお試し受験校
竹早行ってたなら当然学府持ち上がり狙いだろうけど半分ぐらいしか上がれないから外部受験なんだろうけど、文京区住んでた子がわざわざ埼玉のお受験校行ってあげく神奈川のフェリスっていったいどう拗らせればそうなるのか
1
ID:13VmC4qEa
0256 ラジオネーム名無しさん (オッペケ Sr11-RmNF) 2020/10/25(日) 06:35:39.17
Twitterで訊けば
ID:+CsyQ7VTr
0257 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 6911-X3wM) 2020/10/25(日) 06:52:17.20
>>254
お前すごいジジイだろ
明の星を田舎学校の滑り止めって思ってんのは50代以上
ID:q5EU4T520(1/4)
0258 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 6911-X3wM) 2020/10/25(日) 06:54:13.72
>>255
本来のレベルになったってことでしょ
このスレの常駐がどういう人間かよくわかったwww
ID:q5EU4T520(2/4)
0259 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 6911-X3wM) 2020/10/25(日) 06:55:37.01
>>254
とっくに中高一貫で高校からは受験なんかできなくなってる
お前はジジイの上に、高校受験の事情も知らない子なしか、低偏差値の子持ちなんだな
1
ID:q5EU4T520(3/4)
0260 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 6959-G1wW) 2020/10/25(日) 14:14:21.81
お昼をしっかり食べ過ぎのブーさん
ID:BZQb+/L30
0261 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 0274-rTi+) 2020/10/25(日) 18:50:56.12
>>259
ああ、わしの姉貴の頃はそうだったんだけど今違うのねえ
すーさんよりちょい下の子なしおっさんなのでお察しはほぼ当たりおめでとう
今大宮高校のが浦高より偏差値上ってきいてぶったまげたわ
1
ID:DOy66fcC0(1/2)
0262 ラジオネーム名無しさん (アウアウウー Sa45-X3wM) 2020/10/25(日) 19:55:03.44
>>261
そういうあんたは偏差値50くらいの二流校なんでしょw
1
ID:5zgOwvAxa
0263 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 0274-rTi+) 2020/10/25(日) 20:16:56.13
>>262
62くらいだったかな都内に行きましたよ
そこはハズレ残念でした
1
ID:DOy66fcC0(2/2)
0264 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 6d10-qL0w) 2020/10/25(日) 21:35:07.05
澤田記者てスーのお気に入りぽい
いや異性としてとかじゃなくw
今後もちょくちょくスー指名で出演しそう
にしても木曜日の相談
世の中専業主婦になりたくてたまらない
働きなくない家にいたい女性も多々おるのに
上手くいかないもんだなあ
ID:qwpPkz7O0
0265 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 6911-X3wM) 2020/10/25(日) 22:49:44.77
>>263
旺文社で62なら駿台なら50でしょ
ID:q5EU4T520(4/4)
0266 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ c25c-y5oF) 2020/10/26(月) 01:06:58.83
バービーと、澤田記者の取り合いだなw
でも、平日は国会が始まるから中継以外の出演は減りそう。
ID:11+NmBqL0
0267 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 7e81-68Id) 2020/10/26(月) 06:32:20.20
今週は堀井さんウィークだ
楽しみでしかない
ID:umSjZL+b0
0268 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 6911-X3wM) 2020/10/27(火) 09:52:46.71
ここ偏差値50おじさんしか書き込んでないの?
ID:WyQEbsPI0(1/2)
0269 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ d182-z1pq) 2020/10/27(火) 10:03:35.85
偏差値なんて昔のことは忘れたけど体重はスーより10kg以上軽いよ
1
ID:qvCtT2I50
0270 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 39b1-LA9s) 2020/10/27(火) 15:17:10.80
5週目が5日もある月はさすがにつらい
ID:dft3/PmQ0
0271 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 6911-X3wM) 2020/10/27(火) 15:35:43.06
>>269
忘れるわけないじゃん
強がりばっかりだな
ID:WyQEbsPI0(2/2)
0272 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ eebf-E6nE) 2020/10/27(火) 17:31:14.89
ジェーン・スーさんがリツイート
マエダマキコ
@sodapop_pop
母親が幸せだったかって考えるね〜…
#overthesun
ID:Ax2zGY2j0(1/4)
0273 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ eebf-E6nE) 2020/10/27(火) 17:41:43.15
ジェーン・スーさんがリツイート
janatcat
@janatcat
「お母さんはね、幸せだったと思うのよ」
73歳の母にそう言われて、何も言えなかった。まるで自分に言い聞かせているようで。
父は働くことを厭わない人で、その代わり10回以上の転勤があった。私は子供だったから引っ越しが当たり前になったけど、母は大変だっただろうな。#overthesun
ID:Ax2zGY2j0(2/4)
0274 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 7e81-JQJS) 2020/10/27(火) 17:42:26.29
子供産んで専業主婦になった親を不幸だと言いたいのかな?
そりゃそれまでバリバリ仕事していたとしても、当時だって保育園に預けて
働く主婦だっていたんじゃないのかね。ピエール瀧の母親の話なんか聞くと。
ID:bmGHheSf0
0275 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ eebf-E6nE) 2020/10/27(火) 21:41:41.89
ジェーン・スーさんがリツイート
lll
@mgmg312
母は私達を産んで味方が出来たと嬉しそうに話してた。それでも、幸せ?とは訊けないなぁ #overthesun
ID:Ax2zGY2j0(3/4)
0276 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ eebf-E6nE) 2020/10/27(火) 22:16:06.45
ジェーン・スー
@janesu112
母親が選ばなかった方の人生を生き直してる(ことに気づいた)話はいつかまとめてなんかに書きたいなー 母親という役割がついてからの人生は本当に幸せだったのか?とかさ。
ID:Ax2zGY2j0(4/4)
0277 ラジオネーム名無しさん (ワントンキン MMd2-/uo0) 2020/10/27(火) 22:21:40.18
俺の体重は0.8スーだよ
ID:TIIS2OMFM
0278 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 21b1-LA9s) 2020/10/27(火) 22:27:44.61
podcastやめてラジオクラウドにしたのに、なんでまたpodcastにしたんだろう
誰も使ってくれないからかな
いつの間にかweb版は使えなくなってるし
ID:D2mglQlt0
0279 ラジオネーム名無しさん (アウアウウー Sa45-W1Kw) 2020/10/27(火) 23:28:48.54
独身の人生は自分の責任だよね
それが母親の人生の別な世界と思うのは勝手だけど自分への甘やかし
パートナーのアナが優しいから私もガチればあなた方とおなじよと思い込んでるのかもしれないが、
今日の写真は酷いよ
ID:2GGOasApa
0280 ラジオネーム名無しさん (ワッチョイ 21cf-DGZp) 2020/10/27(火) 23:31:36.54
みんな被害妄想強すぎではw
スーはスーなりに自分の選んだ人生を正解にしていってるんでしょ
ID:3SIl4m5z0
0 notes
peyotebutton · 8 months
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俺は京大卒のスギモト(仮)だ
【こちらは児童への暴力や無駄な体罰を是正するものではありません(登場人物名は仮名)】
今では考えられないが、私が中学受験で通っていた進学塾では体罰が日常茶飯事だった。
正確に言うと、講師4名の内体罰を行うのは1人だけで、他の3人の先生は体罰なし(黙認)。
「体罰凶師」はスギモト先生。中学生数学(名門高校受験)と小学生算数(中学受験)担当。京大卒で塾講師の前は某航空会社に勤務していた。
スギモト先生の体罰ラインナップは以下の通り。
【1】「しばきの刑」(竹刀でお尻を叩く)
【2】「バンドエイドの刑」(竹定規で剥き出しの手首を叩く)
【3】「バンドエイドの刑指バージョン」(人差し指と中指の腹で剥き出しの手首を叩く)(※1)
【4】「電気椅子の刑」(教室の壁でエアチェアー)(※2)
【おまけアトラクション】「正解するまで帰れま10」(間違い直しの提出はすべて正解するまで帰宅不可)(※3)
授業時間内で解かされる各校の過去入試問題の点数が基準点以下の者には【1】、宿題忘れ、忘れ物や遅刻などは【2】〜【4】の��れかを先生が気分に応じてチョイス。
【おまけアトラクション】は全員。
算数が苦手な子は授業で毎回叩かれるハメになる。
算数は暗記科目と違い、頑張ってもすぐに点数があがる科目ではないからだ。
「常連組」はパンツを二重履き(女子はパンツとブルマ、パンツと毛糸のパンツなど)にして中にタオルを詰めたりしていた。
竹刀で叩くとタオルあり/なしで音が違うので、先生にはタオルを入れているのはバレバレだったが、そこはスルーだった(公開処刑に意義を見出していた模様)。とはいえ痛いもんは痛い。
うちの親も仕方ない我慢しなさいと、とりあえずタオルを用意してくれた。
タオルを用意…つまり当時の保護者たちも反対どころか黙認状態、体罰は誤差レベルの許容範囲。ひどい。
私は算数が苦手で体罰常連組だった。算数の偏差値がそれ以外の科目より20ポイント以上低かった。算数のある土日は一週間で一番嫌いだった。苦手な算数に限って土曜1コマ日曜2コマもあり(※4)、金曜日の夜から日曜夜までストレスで毎週末便秘だった。
ところで、体罰はともかく、スギモト先生の「教え方そのもの」は良かった。
先生の指導通りにしていたら、算数の偏差値は10ポイント以上アップし、志望校も新小6年の春時点よりランクアップした。
解き方の解説はわかりやすく無駄がなく、復習のしやすいノートの使い方なども指導された。さすが京大卒!と思っていた。
しかし、水・土・日の通塾と大量の宿題と通学(入試以外で休んでいないw)で毎日睡眠不足で心身ともに疲労、たかだか12歳で燃え尽き症候群まっしぐらだった。
しかも下のクラス(※5)では成績1位なので何かにつけていじめられたり、弁当を食べられたりもしていた。勉強くらい黙ってさせてくれ。
キツい通塾は1年間だけで志望校に無事合格。しかし、その1年間で受けたダメージから回復できず、進学校なのに自主勉強の習慣もつかず、気付いたら中学3年で数学は「深海魚」になっていた。
ちなみに、スギモト先生、名前的には某日露戦争帰還兵っぽいが、まったくイケメンでもイケボでもなかったw。引退して数年経ったプロレスラーみたいな体型、ヘビースモーカーで常にたばこ臭がし、白髪混じりの茶髪で声がでかくてひたすら怖かった。
私が卒業して数年後にスギモト先生は解雇された。
数々の暴力行為について、本部に保護者からのタレコミがあったのだ。
解雇の表向きの理由は「学歴詐称(×京大卒→○高卒)」。某航空会社勤務経験もあやしいところw。
塾はまだあるが自分の通っていた教室はなくなっていた。
元々当該地域の教育レベルが低いので(※6)進学実績が他教室に比べて振るわなかったり、近隣の「馬」や「ペン先」、「砂浜」といった人気校に優秀な生徒を取られたのだろう。
中学受験が子供にとってプラスになるか否かは本人の資質・学校の特色や両親や資金を含めた環境によるが、長い人生において必須/有利だとは一概に言えない。話が長くなるのでここではこれ以上記載しない。
ただ、中学受験は心身ともにボロボロになってまで経験することではない、とは言っておきたい。
(※1)「ゴールデンカムイ」10巻にて、鶴見中尉が部下の二階堂一等卒に出すダメ出しサインに手つきが似ている。ただし、こちらの元ネタはマイケル・ジャクソンが愛猿バブルス君に出す「お座りしてね」のハンドサインで、ダメ出しの意味ではない。ちなみに漫画はオススメですw。
(※2)壁を背もたれに見立てる。
なお、銃剣で突く、グーで殴る、背負い投げなどの柔道の技をかける、フワフワのはたきでなでる、などのプレイはなかったです(やだよ)。
(※3)正解するまで帰れま10な間違い直しは確実に実力は上がる。しかし、中学受験の算数はイミフレベルで難しく、間違い直しもすぐに終われない。夜21時22時になるのもザラ、辛すぎて提出せずブッチする「猛者」もいた。
(※4)土曜の1コマ目の算数は、別の先生(メイン担当:社会)が担当、こちらは体罰なしの普通の授業。
(※5)成績別の2つのクラス「特進(超難関校向け)」「進学(やや難関校〜下位校向け)」に分かれていた。シーズン途中で特進から落ちる者もいた。
(※6)塾の所在地の市自体はまあまあマシだが、隣の府県の市(当時の私の在住地w)が府県ワースト1地域のため何かしら影響を受けていた。
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kai958531911 · 9 months
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HiP-CT は Covid-19 によって損傷した肺血管を示します
UCLと欧州シンクロトロン放射線施設(ESRF)は、階層型位相コントラスト断層撮影法(HiP-CT)と呼ばれる技術を使用して、新型コロナウイルス感染症による肺血管損傷を示した。
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新しいイメージング技術、階層的位相コントラスト断層撮影法(HiP-CT)を用いて、COVID-19で損傷した肺の内部を観察。
グルノーブルのESRF-EBS第4世代シンクロトロンで実施。 HiP-CTは、無傷の人間の臓器全体を階層的に画像化できる新しい技術である。まず、人間の髪の毛1本分の解像度(25μm/ボクセル)で臓器全体をスキャンし、次に、髪の毛の10分の1(6μm/ボクセル)の解像度で任意の領域を拡大し、最後に、単一細胞を見ることができる解像度(1.5μm/ボクセル)まで再び拡大する。 ヒト臓器アトラス用ESRF-EBSの新機能を使用した、COVID-19による損傷を示す54歳男性ドナーの左肺葉全体のHiP-CTイメージング。肺は深刻な損傷を受けており、3Dで見ると、通気された空洞がシアン色で表示され、気道が閉塞している部分があり、肺胞の束の形が健康な肺とは大きく異なっている。閉塞した血管も黄色で見え、開いた血管は赤で示されている。ビデオ制作:Paul Tafforeau。UCL led ESRF Beamtime MD1252/1290で作成されたデータ。PD Lee, CL Walsh, P Tafforeau et al.のデータはhuman-organ-atlas.esrf.euで入手可能。
結果は科学的、医学的研究および教育目的でのみ使用可能。HiP-CTとヒト臓器アトラスは、COVID-19が私たちの臓器をどのように傷つけるかを理解しようとするグループから生まれた。このグループは現在HiP-CTを開発し、臓器全体を臓器システム全体から細胞レベルまで、より深く理解するために、健康と病気における私たちの臓器をマッピングしている。
ESRFでの実験中のUCLの科学者クレア・ウォルシュ(左)とESRFのポール・タフォロー(右)(Credit S.Candé/ESRF) UCL機械工学科のピーター・リー教授は、このアトラスは「人体解剖学の理解において、これまで十分に解明されていなかった」スケールにまたがるものであると述べた。臨床CTスキャンやMRIスキャンでは、1ミリメートル以下の分解能しか得られないが、組織学(顕微鏡下で細胞や生検スライスを研究する)や電子顕微鏡(電子ビームを使用して画像を生成する)、その他の同様の技術では、サブミクロンの精度で構造を解明できるが、それは臓器から採取した組織の小さな生検に限られる。
研究者たちは、このスケールブリッジイメージング技術によって、がんやアルツハイマー病などの多くの疾患に対する新たな洞察が得られると信じている。
著者らは、ヒト臓器アトラスが最終的に、さまざまなスケールの臓器に影響を及ぼす疾患のライブラリを含むことを期待している。また、機械学習とAIを使用して臨床CTスキャンやMRIスキャンを較正し、臨床画像の理解を深め、より迅速で正確な診断を可能にすることを計画している。
HiP-CTでCovid-19による肺血管の損傷を確認
UCLとEuropean Synchrotron Radiation Facility(ESRF)は、Hierarchical Phase-Contrast Tomography(HiP-CT)と呼ばれる技術を用いて、Covid-19による肺血管の損傷を明らかにした。
肺の最も細い血管の損傷は、特殊な粒子加速器から放出される高エネルギーX線を用いてとらえられた。このX線は、Covid-19ドナーの肺を含む、さまざまな提供された人間の臓器をスキャンした。
HiP-CTは、様々なスケールの3Dマッピングを可能にし、臨床医は臓器全体を画像化し、細胞レベルまでズームダウンすることができる。
この技術は、フランスのグルノーブルにある欧州シンクロトロン粒子加速器から供給されるX線を使用する。ESRF-EBSは、最近のエクストリーム・ブリリアント・ソース(ESRF-EBS)のアップグレードにより、世界で最も明るいX線源となった。
これにより、研究者は無傷の人間の肺の直径5ミクロン(髪の毛の直径の10分の1)の血管を見ることができる。臨床用CTスキャンでは、100倍ほど大きい直径1ミリの血管しか見ることができない。
UCL機械工学科のクレア・ウォルシュ博士は、この技術は医療画像にとって革命的であると述べ、次のようにコメントした:「我々のHiP-CT画像をAI技術によって臨床画像とリンクさせ始めると、臨床画像のあいまいな所見を初めて高精度で検証できるようになります。
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「人体解剖学を理解するためにも、これは非常にエキサイティングな技術です。小さな臓器の構造を正しい空間的文脈で3Dで見ることができることは、私たちの体がどのように構造化され、どのように機能しているかを理解するための鍵となります。
HiP-CTは、ドイツとフランスの臨床医を含む研究チームに、重度のCovid-19感染症が、血液を酸素化する毛細血管と肺組織そのものを養う毛細血管という2つの別々のシステム間で、血液をどのように『シャント』しているかを示した。このような架橋は、患者の血液が適切に酸素化されるのを止める。
ESRFの主任科学者であるポール・タフォロー博士は、HiP-CT技術のアイデアは、パンデミックが始まった後、ESRFで大きな化石の画像化に使われていた技術を組み合わせ、ESRF-EBSの高感度を利用したものであると語った。
「これにより、人間の臓器内の非常に小さな血管を3Dで見ることができるようになり、血管を周囲の組織と3Dで区別したり、特定の細胞を観察したりすることさえ可能になりました。「人間の臓器はコントラストが低いため、現在利用可能な技術では細部まで画像化することは非常に困難である。
チャン・ザッカーバーグ・イニシアチブからの支援を受けて、UCL主導のチームはHiP-CTを使ってヒト臓器アトラスを作製している。このアトラスには、提供された6つの対照臓器(脳、肺、心臓、2つの腎臓と脾臓、およびコヴィッド19で死亡した患者の肺)が表示される。
また、対照の肺生検とCovid-19肺生検もある。このアトラスは、外科医、臨床医、関心のある一般市民向けにオンラインで公開される予定である。
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xf-2 · 3 years
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新型コロナウイルスの重症患者が急増している。特に40代・50代の重症化が目立つのが第5波の特徴で、東京都では重症患者の6割を占める。だが、この年代へのワクチン接種の進み具合は、自治体によってばらつきが大きく、かなり遅れている所も多い。そんな中、東京都墨田区では、今月7日時点で1回の接種を終えた40代は区民の6割を超え、50代は7割近くに達している。
今月13日付日経新聞電子版によると、同紙が緊急事態宣言下にある6都道府県の主要都市の1回目接種率を調べたところ、墨田区は50歳代で71.9%、40歳代で60.6%とダントツに高かった。40代については、さいたま市(6.7%)、那覇市(16.4%)、大阪市(17.7%)、世田谷区や品川区(17.8%)などと接種率が伸び悩む自治体が少なくない中、墨田区の進捗状況は際立っている。その効果か、陽性者数の推移を示すグラフからは、陽性者が下降の兆しも見てとれる。
 なぜそれができたのか。同区のコロナ対策の陣頭指揮をとる西塚至・同区保健所長に話を聞いた。
困難なスタートからの巻き返し
なぜ墨田区は、こんなに速いんでしょう?
「いえ、決して順調に行ったわけではありません。出足が遅れ、想定外のこともいろいろ起きました。大学病院があるわけでも、集団接種に向いた広い施設があるわけでもなく、大きい施設は五輪で抑えられて、条件は決して恵まれていません。それでもなんとか巻き返し、いろんなことを積み重ねて、結果的に今がある、というのが実情です」(西塚さん、以下囲み内は同様)
 どのようなことを積み重ねてきたのか。西塚さんへのインタビューや資料から、主要な事柄を確認していきたい。
高齢者枠を使ってでも、まずは医療従事者に接種、という判断
 同区では昨年7月頃から、地元医師会とコロナ対策について協議を行う中で、ワクチンについても話し合いを重ねてきた。12月に区役所内に予防接種調整担当課を立ち上げ、ワクチン接種の準備を進めた。
 しかし国のワクチン調達は遅れ、当初は輸入量が少なかった。高齢者への接種が開始される4月12日時点で、東京都に割り当てられたワクチンは4箱(3900回分)のみ。高齢者人口の多い地域から配分が始まり、初回は世田谷区と八王子市が2箱ずつ配分を受けた。墨田区としてはいささか出鼻をくじかれるスタートとなった。
 墨田区は接種初日の4月17日、集団接種の予行演習をかねて、区内の医療従事者に接種を行った。国の計画では、医療従事者の接種は都道府県が行い、市区町村は住民接種を担当する、ことになっていた。それをあえて、医療従事者からスタートさせたのだ。
「区は住民のことだけ考えていればよいはずでした。しかし、予約システムがダウンするなど、都の医療従事者接種は遅れ、(高齢者への接種を行う)医師がワクチンを打てずにいました。それで、うちは住民接種の枠を使ってでも、まずは医療従事者の集団接種を先に行おう、と」 
 これは、その後のワクチン接種について、医療従事者の士気を高める効果も生んだ、という。その後、全国各地で、自身は未接種のまま高齢者施設で接種を行う医師たちから不安の声があがったが、墨田区ではそうした事態はなかった。ちなみに、同区では救急車で患者を搬送する消防署員にも、5月には接種を行った、という。
”災害時の頭”で考える
接種券を早い時期に配ったわけ
 墨田区の特徴の1つは、ワクチン接種券の配布が早かったことだ。高齢者施設の接種に目処がつき、一般の高齢者の接種が始まったのは5月10日だった。だが65歳以上の区民の接種券は、2か月近く早い4月1日には発送していた。そして6月1日には、都内で最も早く、16~64歳の全ての区民に発送を行った。
「定期接種など”平常モード”では、事業開始の直前に接種券をお送りするのが普通です。しかし、今は”危機”。”災害時の頭”で考えると、大事なのは1人でも多くの人が、ワクチンを打つことです。一足早く接種が始まった世田谷区の高齢者施設に、墨田区民が暮らしているかもしれない。他区の施設で働いている区民もいるでしょう。そういう方々が、接種券がないために打ちそびれる、という事態が起きないよう、とにかく接種券だけは早くお配りしよう、と。1人でも2人でも、今居る場所で打って下さい、という思いでした」
 この”危機モード”対応は、後に想定外の恩恵を区民にもたらすことになった。
対象者の5%が自衛隊のセンターへ
 65歳以上に限定して行われていた自衛隊の大規模接種センターが突然、6月16日からの年齢制限撤廃を発表。遠方の東京・大手町の会場まで出向くよりも地元で打ちたい、という高齢者が多かったようで、希望者が想定を大きく下回ったためだ。
 若い年齢層の接種が可能となったが、予約には接種券が必要。しかし、この時点で多くの自治体は64歳以下には配布していなかった。そんな中、墨田区の人々はすでに接種券を手にしており、区民は次々に自衛隊のセンターに赴いて接種を受けた。
「これは大きかったです。1万2000人、対象者の5%が自衛隊に行って打って下さった」
災害時の助け合い
 住民の協力もあった。
 自衛隊のセンターでは、モデルナ社製のワクチンを使用。当初、厚労省はモデルナを接種可能な年齢を18歳以上としていた(その後12歳以上に変更)。また、モデルナは副反応が出やすいという話が出回り、1回目と2回目をファイザーより長く4週間空けなければならないこともあって、敬遠する人も少なくなかった。
「ところが、区内の大人たちから、『自分たちは自衛隊に行って、モデルナを打とう』という声があがったんです。ファイザーが足りなくなる、という時期でもあり、『ファイザーは子どもたちに回そう』という草の根の運動になって、自衛隊での接種が増えました。災害時は、地域の助け合いがあってこそ、です」
区直営の集団接種をメインに
危機には「割り切り」も必要
 墨田区の”危機モード”対応は、ほかにもある。
「”平常モード”であれば、日頃診てもらっている身近なかかりつけ医に打ってもらうのが一番です。ただ、今は災害時。危機にあっては、割り切るところは割り切って、最大限効率化を図り、数を多く打つのが大事。それに、このワクチンは1瓶から6人分とらなきゃいけないので、個別の診療所でやっていると余ってしまうことも。冷凍庫で保存する必要があるなどの使いにくさもあります。
 やはり、こういうものは集団接種がいい。これは2009年の新型インフルエンザの時の経験でもあります。国がいくら練馬方式(診療所での個別接種をメインに、集団接種で残りをカバーする)を推奨しても、うちはブレずに”危機モード”で対応し、集団接種メインで行くことにしました」
”小分け隊”の活用でムダなく数を稼ぐ
 当初は4つの区施設を使い、そのほか7病院でも個別接種を実施した。このうち墨田中央病院の接種では、千葉大学墨田サテライトキャンパスが会場を提供した。運営は民間に業務委託せず、区が直営し、ワクチンの在庫管理や配送は、職員による”小分け隊”が行った。
 キャンセルが出た場合は、区の危機管理Twitterやメールで区民に告知して希望者を区役所に集め、”小分け隊”が余ったワクチンを回収、西塚さんら保健所の医師が接種した。こうして、ムダを出さずに接種回数を稼いだ。地元医師会も”危機モード”を共有。集団接種の打ち手は、すべて区内の医師たちでまかなった。
「大きい施設はオリンピックに抑えられて使えないなど、条件は厳しく、地域にある資源を最適化して使うしかなかった。でも、それをやってみたら、いろんないいことがあった。特に地元医師会は自分たちが責任をもってやろうと士気が高く、おかげで事故なく、質が高く、長続きしている」
等身大の形作り
 接種券の発送や会場の設営は、選挙の際の入場整理券や会場作りと同じ、ということで、選挙管理委員会の職員が担当した。ワクチンに関する情報を掲載した区の広報紙は全戸配布することとし、これにも選挙公報配布のスキルが生きた。
「形を作って丸投げするのではなく、自分たちにできる等身大の形を作り、そこにちゃんと血が流れるように、職員が町内を回って苦情聞きなどもやって、形をさらに整えていきました」
 住民の声を聞く中で、若い世代の接種を進めるには、夜間、駅の近くで行う必要があると分かった。そこで、6月末から東京スカイツリーに隣接するビル、JR錦糸町駅と両国駅近くのホテルにも接種会場を設置。平日は午後8時まで、さらに土日祝日にも接種を行えるようにした。スカイツリー会場には託児所も設けた。
二転三転する国の方針にも柔軟に対応
当初から複数のワクチン使用を計画
 国のワクチン供給が不安定な中、墨田区は接種が始まる前の段階から、モデルナ社製ワクチンの使用を計画に組み込んでいたことが奏功した。
 接種が始まった時点で、厚労省が承認していたのはファイザー社製ワクチンのみだった。モデルナ社とアストラゼネカ社のワクチンが特例承認されたのは5月21日。しかし墨田区では、3月に公表した「実施計画」で、7月にはアストラゼネカとモデルナのワクチンを導入して、接種を加速させる計画を明らかにしていた。両社のワクチンは、ファイザー社製とは接種の間隔が違い、在庫管理も異なるので、複雑なオペレーションが必要になる。しかし、同区では接種の加速には、ファイザー以外のワクチンも必要になると考え、事前準備をしていた。それが、以下のように役立つことになる。
事前準備でモデルナ確保
 6月11日、ワクチン担当の河野太郎規制改革担当相が、市町村の集団接種でもモデルナの使用を認める方向を示した。あらかじめ計画済みの墨田区は、すぐに手を挙げた。この素早い反応で、同区はモデルナの配送を受けることができた。
 国が自治体でのモデルナ使用を認めたのは、7月からはファイザーの輸入量が減る分を補うためだった。ところが国は、同月22日には再度の方針変更をした。モデルナを使用する職域接種の申し込みが多く、「1日の可能配送量はもう上限に達している。このままいくと、供給できる総量を超えてしまう」として、自治体のモデルナを使った集団接種と職域接種の申請を中止したのだ。準備が間に合わず、配分を受けられなかった自治体もある。
在庫を出し惜しまない
 ワクチン供給不足への対策として、河野行革担当相が一時、在庫が多い自治体には配分を減らす、という新方針を示し、全国の自治体が混乱したことがあった。この時も、墨田区は影響を最小限に済ませた。扱いが面倒なワクチン接種記録システム(VRS)は、区職員が残業してこまめに入力。2回分を確保しないと1回目の予約をとれない、という自治体が予約を停止している中、墨田区では西塚保健所長が「在庫は出し惜しみせず、ペースを落とさずに予約や接種を進めて下さい」と、現場に檄を飛ばした。
「平常であれば2回確保してから予約をとる、となりますが、これも”危機モード”で対応しました。モデルナがありますし、国の輸入予定量は公表されていましたから、そういう情報を常にチェックしながら、大丈夫だろう、と。カラ元気でもありましたが、在庫ゼロのおかげで、”ボーナス(追加)”も来ました。この時期に加速するはずが、それはできなかったけれど、(ファイザー供給減の)前と同じ水準は保てた」
 このように、ワクチンを巡ってしばしば二転三転する国の対応にも、早い時期からの準備と、”危機モード”による柔軟で大胆な反応で、切り抜けてきたのが墨田区だった。
通年議会が補正予算に迅速対応
 加えて、区議会も”危機モード”を共有。ワクチン接種会場の増設など、様々な変化に伴う予算の確保に素早く対応した。
「昨年の11月から通年議会となっていたこともあり、毎月のように補正予算を通してくれるので、次々に変化する状況に迅速に対応できたんです」
 毎月の議会で、議員が住民の要望を披露したのも、情報として役立った、という。
”危機モード”共有の背景
 このように区、地元医師会、住民、議会などが”危機モード”を共有できた背景には、墨田区特有の事情もありそうだ。
 隅田川沿いにある同区は、水害の危機と常に向き合っている。最悪の事態では、ほぼ全域が水没することもありうる、と予測されているからだ。大雨の予報が出るたびに、同区は水害の発生を警戒する。常に最悪の事態を想定して考える”危機モード”の思考が鍛えられ、コロナ対応でも生きたのではないか。
 同区では昨年1月末の段階から、新型コロナウイルスを新たな「災害」、それも警戒レベル5の最大級の災害ととらえて対応してきた、という。国や東京都では、第5波で重症患者数が過去最高を日々更新する事態になって、ようやく「災害級」という言葉が出てきたのに比べると、危機への向き合い方が異なるように見える。
 この”危機モード”を区、医師会、住民、議会が共有し、連携することで、次々に生じるいろんな問題をうまく飲み込み、ペースを落とさずに接種を続けることができた、と言えるだろう。
ワクチン以外でも素早い対応
 墨田区が速いのはワクチン接種だけではない。医療提供体制についても、際だった対応が見られた。2つの例を挙げる。1つは、地域完結型の医療体制「墨田区モデル」の構築。もう1つは、抗体カクテル療法のすみやかな導入だ。
回復期の患者を中小病院が引き受ける
 コロナ禍の日本で、医療が逼迫する原因の1つに、回復した重症者の転院が困難、という問題がある。患者は人工呼吸器から離脱できても、すぐに日常生活には戻れるわけではない。その後の治療やリハビリが必要だが、そのための転院先がなかなかみつからないのだ。
 これに対応するため、墨田区は今年1月25日、地域の病院が連携して、転院を進める仕組みを作った。同区では第一種感染症指定医療機関である都立墨東病院が重症患者を、同病院と重点医療機関の病院が中等症患者を引き受けている。そして回復期に入った患者は、他の中小私立病院が次々に受け入れ、重症者や中等症患者のためのベッドを空けるようにした。
 この体制を導入して3日後には、入院待機者が0になった。今も、医療崩壊を食い止めている。
 速やかな体制作りが可能になったのも、災害時を想定した、常日頃からの地元医師会と保健所の関係があったからだ。
「危機を想定し、墨東病院には『断らない医療』をやってもらい、そこがいっぱいになったら地域の医療機関が後方支援で引き受ける、という意識が、地元の病院経営者には以前からある。今回は、墨東をパンクさせないために、自分たちが支えていかなければならないという危機感が、地元医師会の中でより一層強い」
抗体カクテル療法にもいち早く対応
 抗体カクテル療法は、2種類の抗体を点滴投与する治療法で、軽症者の重症化を防ぐ効果がある。アメリカのトランプ前大統領が感染した際、この治療を受け、早期に回復したことで知られる。日本では、7月19日に重症化リスクの高い軽症・中等症患者の治療薬として特例承認された。墨田区では、同愛記念病院に区民優先の病床を20床確保していたが、ここで同月27日から必要な患者にこの療法を行うことにした。8月13日までに20人の患者に実施し、いずれも経過は良好、という。
 東京都がこの療法のための病床20床を確保したことを発表したのは同月12日だったことを考えると、墨田区の手際の良さが光る。これも、”危機モード”による早い準備が生んだ。
「4月に、近いうちに特例承認されるという情報があったので、区内の病院で実施しようと、5月頃から病院と勉強をしてきました。当初は4つの病院で実施しようと考えていたのですが、入院が必要とのことなので、区民のための病床を確保していた同愛記念病院で行うことにしました」
 準備を急いだのは、第4波の大阪の状況を見て、危機感を募らせたからだ。地元医師会と共に、神戸市民病院の医師を招いたweb上の研修会を行い、関西でどのようなことが起きたのか、詳細を学び、対策を検討した。
「酸素が足りない、中等症のベッドは一杯になり、感染者が減らない。このような大阪の第4波が東京でも起きる、という前提で準備をしたのが、今生きている」
十分な検査態勢を整える
 このほか、コロナ対応としては、検査態勢を区独自で充実させてきたことも大きい。それは、昨年4月に墨東病院でクラスターが発生し、新たな入院や救命救急センターでの患者受け入れを停止した時の教訓からだという。
「国立感染症研究所が入って、症状のない人も含めて全員の検査をやった。そのやり方から学ぶことが多かった。ウイルスは目に見えない敵なので、徹底した検査しかない」
 しかし当時、東京都としてできる検査は1日に200-300件ほど。そのため、医師が必要と判断しても、検査を受けられない発熱患者がいた。墨田区は、独自にPCRセンターを設置。6月に検査会社を区内に誘致し、通常の3割程度の金額で1日240件の検査を行えるようにした。
 さらに、保健所自身が唾液によるPCR検査を開始した。検体を唾液にしたのは、医師がいちいち咽頭を綿棒でぬぐう作業をしなくてすむので、大量の検査に適していると考えたからだ。
 最初に大規模な検査を行ったのは昨年6月下旬。地元のオーケストラ、新日本フィルハーモニー交響楽団の楽団員ら74人のPCR検査で、全員の陰性を確認した。それまで演奏活動を自粛していたオーケストラは、7月初めに演奏会を再開した。
「自前の検査なので午前中に検体を出せば、2時間後には結果が分かります。費用も1人1000円くらいで済みます。どこかの施設で1人陽性者が出れば、すぐに全員の検査をやる」
 陽性者の第一報を知ると、西塚所長自身も防護服を着込み、検査のために現場に向かった。高校受験の時期は受験生の検査を行い、小学校の移動教室など人数が多い時にはプール方式で検査した。夜の街が危ないという話が広がった時期には、向島の花街の芸者たちの検査を実施。「向島は安全だと示したいので、ぜひやってください」という芸者衆の要望に応えた。
「人は大事」
 こうした対応が可能になったのは、1人の保健所職員がいたからだ。ベテラン検査技師の大橋菜穂子さん。西塚所長が独自の検査実施の方法について頭を悩ませていたところ、大橋さんが「私はPCR検査ができます」と申し出た。
 2014年に代々木公園でデング熱が発生して以来、大橋さんは毎月のように、区内の公園で蚊を採取してはすりつぶし、PCR検査でウイルス感染の有無を調査し続けていた。結果はいつも陰性だが、それを確かめるために、大橋さんは黙々と検査を重ねた。PCR検査の技術を磨き、機械もメンテナンスを欠かさなかった。
 それが、このコロナ禍で生きた。大橋さんは、感染症研でコロナウイルスの検査の手法を学び、今では変異株の検査も担っている。
「昔は、検便も結核の検査も、水道の検査も、すべて保健所でやっていた。それが次々に民間委託となり、保健所から検査機能が失われ、保健所そのものも減らされてきた。そんな中、商売にはならない蚊の検査を続けてきた検査技師が1人いたおかげで、コロナにも対応できた。本当に、人は大事です。金にならないことをやって、危機に備える。これこそ公衆衛生です」
適切な情報の公開
 住民への適切な情報発信も心がけた。象徴的な事例が、早期にコロナ対応をする医療機関名の公表に踏み切ったことだ。
 新型コロナの感染が疑われる患者に対応する医療機関は、都道府県が「診療・検査医療機関」を指定した。ただ、多くの自治体は「風評被害」を恐れて機関名を公表しなかった。東京都も同様。そのため、患者が受診するには、かかりつけ医か都の発熱相談センターに相談し、紹介を受けなければならない。同センターに電話がつながらないことも多く、煩雑さから、症状があっても軽症の場合、医療機関にかからずに済ませる人も少なくなかった。
 そうした人が感染を広げる懸念から、墨田区は昨年11月、区内の「診療・検査医療機関」の名称公表に踏み切った。それによって受診がしやすくなる利便性と、感染拡大の抑制が狙いだった。区の広報紙では、年末年始の発熱外来を行っている医療機関名と診療日や連絡先などを詳しく伝えた。
 さらに、西塚所長がTwitterなどのSNSを使って、区の対応を丁寧に説明。西塚所長のアカウントには、「家族が熱を出した。どうしたらいい?」「熱がある。日曜日だけど、どうしたらいい?」といった相談も頻繁に飛び込む。そのたび、「○○なら、予約なしで受診できます」などといった情報を伝えている。
「自分が必要な時に必要な情報が得られずに困っている人がいる。そういう人をとりこぼさないようにしたい。災害時は、区としては大きく構えて対策をしなければならないが、こういう細かい情報を補強するにはSNSは有益です」
 このような対応をするため、自宅にいても、スマートフォンは手放さない。
 ちなみに、施設で患者が確認された時、噂や風評被害を防ぐため、同区では施設名も公表している。
保健所の役割とは
 保健所の仕事について、西塚所長はこう語る。
「いろんな資料を分析しながら、地域の弱みを常にウォッチして、必要な資源を作って供給していく。インテリジェンスとロジスティクスです。墨田区は一貫して、これが公衆衛生を担う保健所の役割と認識してやってきました。私たちは、尾身先生たち専門家が言うことを忠実にやってきただけです。その(提言を実現する)ために必要な資源は用意する。現場の医師たちが『検査をしたい』『患者を入院させたい』と言う時に、ちゃんとできるようにする。これが保健所の仕事です。
 資源が足りなければ、作る。たとえば、東京都の検査能力が限られているからと、検査数を絞るのではなく、検査がより多くできるようにしてきました。国や都の対応を言い訳にせず、資源にニーズを合わせるのではなく、ニーズに資源を合わせるんです」
 そのための工夫をし、早めに準備を整えて、あらゆる立場の人たちを結びつけていくのが、西塚流の真骨頂と言えるだろう。
 平成元(1989)年度には、全国に848あった保健所は、合理化の波に洗われて、現在は470まで減らされた。その保健所が今、新型コロナウイルスとの闘いで要の役割を担っている。
「だいぶ減らされたとはいえ、うちに検査技師がいたように、今もまだ保健所には様々なスキルが残っています。その力を、今発揮しないで、いつ発揮するのだ。そんな思いでやっています」
 各地でも今、それぞれの地域の事情を踏まえた保健所の奮闘がある。その保健所の機能を存分に生かすためにも、また、各地でワクチン接種を加速化するためにも、国や各自治体が西塚所長の話から学ぶところは多いのではないか。
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monqu1y · 3 years
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持続可能な開発目標
 提唱者[国連]の正体を見抜けば、盲従の危険さが分かる。  17項目は、有機的に関連しあってるのに、個別にチェックしても無意味。互いの影響をシステム的に分析・解明しなければ…  また、17項目に拘れば、少子高齢化対策が後回しになる。  民���的道徳観の違いも重要な要素だが、タブー視することで、悲劇が起きる。  市営住宅集会所のコミュニティカフェに行った。 A:2000年9月、国連は、開発目標(MDGs: Millenium Development Goals)を掲げ、15年間で達成すべき旨決めた。
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B:開発目標は、8項目です。 1. 極度の貧困と飢餓の撲滅 2. 普遍的初等教育の達成 3. ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上 4. 幼児死亡率の削減 5. 妊産婦の健康の改善 6. HIV/エイズ、マラリアその他疾病の蔓延防止 7. 環境の持続可能性の確保 8. 開発のためのグローバル・パートナーシップの推進 C:15年経過したとき、国連は、開発目標を持続可能なもの(SDGs: Sustainable Development Goal)に替え、17項目と具体的指標169個を示して、次の15年間で達成すべき旨決めた。
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私:17項目の内容を並べてみますね。 1. 貧困をなくそう 2. 飢餓をゼロに 3. すべての人に健康と福祉を 4. 質の高い教育をみんなに 5. ジェンダー平等を実現しよう 6. 安全な水とトイレを世界中に 7. エネルギーをみんなにそしてクリーンに 8. 働きがいも経済成長も 9. 産業と技術革新の基盤をつくろう 10. 人や国の不平等をなくそう 11. 住み続けられるまちづくりを 12. つくる責任つかう責任 13. 気候変動に具体的な対策を 14. 海の豊かさを守ろう 15. 陸の豊かさを守ろう 16. 平和と公正をすべての人に 17. パートナーシップで目標を達成しよう A:[持続可能な社会]を実現するための17項目は、有機的に関連しあっているので、互いの影響をシステム的に分析・解明しなければ、目標達成できない。各項目を個別チェック・リストとして使うと、見当違いの結論に到達しかねない。   また、17項目を掲げることで、他の重要な課題を見落とし易くなる。   例えば、[少子高齢化]が喫緊な地域は少なくないが、17項目で事足れりとすれば、地域の衰退に拍車をかけることにもなる。   民族的道徳観の違いも重要な要素だが、タブー視することで、民族的道徳観の違いを理解しないことに基づく悲劇が起きてしまう。 B:提唱者の[国連]も胡散臭い組織ですね。
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C:[目標]を理解した心算で軽率な[行動計画]を立案し、それを国民に強要して社会を悪くしていることに気付かない指導者らが居る。 D:森林を守る目的を掲げた[割りばし]不使用運動は、間伐コスパを悪くして森林守るのを妨げた。 A:[レジ袋有料化]は、環境保護効果が殆ど無いのに、万引きを増加させ、全国の店主・店長を苦しめている。 B:プラスティック・スプーンの有料化強制も、業者を困惑させてるんですょ。 私:非科学的な思い込みで政治をやられたら堪りませんねぇ。
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〔参考:169ターゲット〕 01.貧困をなくそう:あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ 01.1_2030年までに、現在1日1.25ドル未満で生活する人々と定義されている極度の貧困をあらゆる場所で終わらせる 01.2_2030年までに、各国定義によるあらゆる次元の貧困状態にある、全ての年齢の男性、女性、子供の割合を半減させる 01.3_各国において最低限の基準を含む適切な社会保護制度及び対策を実施し、2030年までに貧困層及び脆弱層に対し十分な保護を達成する 01.4_2030年までに、貧困層及び脆弱層をはじめ、全ての男性及び女性が、基礎的サービスへのアクセス、土地及びその他の形態の財産に対する所有権と管理権限、相続財産、天然資源、適切な新技術、マイクロファイナンスを含む金融サービスに加え、経済的資源についても平等な権利を持つことができるように確保する 01.5_2030年までに、貧困層や脆弱な状況にある人々の強靱性(レジリエンス)を構築し、気候変動に関連する極端な気象現象やその他の経済、社会、環境的ショックや災害に暴露や脆弱性を軽減する 01.a_あらゆる次元での貧困を終わらせるための計画や政策を実施するべく、後発開発途上国をはじめとする開発途上国に対して適切かつ予測可能な手段を講じるため、開発協力の強化などを通じて、さまざまな供給源からの相当量の資源の動員を確保する 01.b_貧困撲滅のための行動への投資拡大を支援するため、国、地域及び国際レベルで、貧困層やジェンダーに配慮した開発戦略に基づいた適正な政策的枠組みを構築する 02.飢餓をゼロ:飢餓に終止符を打ち、食料の安定確保と栄養状態の改善を達成するとともに、持続可能な農業を推進する 02.1_2030年までに、飢餓を撲滅し、全ての人々、特に貧困層及び幼児を含む脆弱な立場にある人々が一年中安全かつ栄養のある食料を十分得られるようにする 02.2_5歳未満の子供の発育阻害や消耗性疾患について国際的に合意されたターゲットを2025年までに達成するなど、2030年までにあらゆる形態の栄養不良を解消し、若年女子、妊婦・授乳婦及び高齢者の栄養ニーズへの対処を行う 02.3_2030年までに、土地、その他の生産資源や、投入財、知識、金融サービス、市場及び高付加価値化や非農業雇用の機会への確実かつ平等なアクセスの確保などを通じて、女性、先住民、家族農家、牧畜民及び漁業者をはじめとする小規模食料生産者の農業生産性及び所得を倍増させる 02.4_2030年までに、生産性を向上させ、生産量を増やし、生態系を維持し、気候変動や極端な気象現象、干ばつ、洪水及びその他の災害に対する適応能力を向上させ、漸進的に土地と土壌の質を改善させるような、持続可能な食料生産システムを確保し、強靭(レジリエント)な農業を実践する 02.5_2020年までに、国、地域及び国際レベルで適正に管理及び多様化された種子・植物バンクなども通じて、種子、栽培植物、飼育・家畜化された動物及びこれらの近縁野生種の遺伝的多様性を維持し、国際的合意に基づき、遺伝資源及びこれに関連する伝統的な知識へのアクセス及びその利用から生じる利益の公正かつ衡平な配分を促進する 02.a_開発途上国、特に後発開発途上国における農業生産能力向上のために、国際協力の強化などを通じて、農村インフラ、農業研究・普及サービス、技術開発及び植物・家畜のジーン・バンクへの投資の拡大を図る 02.b_ドーハ開発ラウンドのマンデートに従い、全ての農産物輸出補助金及び同等の効果を持つ全ての輸出措置の同時撤廃などを通じて、世界の市場における貿易制限や歪みを是正及び防止する 02.c_食料価格の極端な変動に歯止めをかけるため、食料市場及びデリバティブ市場の適正な機能を確保するための措置を講じ、食料備蓄などの市場情報への適時のアクセスを容易にする 03.すべての人に健康と福祉を:あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を推進する 03.1_2030年までに、世界の妊産婦の死亡率を出生10万人当たり70人未満に削減する 03.2_全ての国が新生児死亡率を少なくとも出生1,000件中12件以下まで減らし、5歳以下死亡率を少なくとも出生1,000件中25件以下まで減らすことを目指し、 2030年までに、新生児及び5歳未満児の予防可能な死亡を根絶する 03.3_2030年までに、エイズ、結核、マラリア及び顧みられない熱帯病といった伝染病を根絶するとともに肝炎、水系感染症及びその他の感染症に対処する 03.4_2030年までに、非感染性疾患による若年死亡率を、予防や治療を通じて3分の1減少させ、精神保健及び福祉を促進する 03.5_薬物乱用やアルコールの有害な摂取を含む、物質乱用の防止・治療を強化する 03.6_2020年までに、世界の道路交通事故による死傷者を半減させる 03.7_2030年までに、家族計画、情報・教育及び性と生殖に関する健康の国家戦略・計画への組み入れを含む、性と生殖に関する保健サービスを全ての人々が利用できるようにする 03.8_全ての人々に対する財政リスクからの保護、質の高い基礎的な保健サービスへのアクセス及び安全で効果的かつ質が高く安価な必須医薬品とワクチンへのアクセスを含む、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)を達成する 03.9_2030年までに、有害化学物質、並びに大気、水質及び土壌の汚染による死亡及び疾病の件数を大幅に減少させる 03.a_全ての国々において、たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約の実施を適宜強化する 03.b_主に開発途上国に影響を及ぼす感染性及び非感染性疾患のワクチン及び医薬品の研究開発を支援する。また、知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)及び公衆の健康に関するドーハ宣言に従い、安価な必須医薬品及びワクチンへのアクセスを提供する。同宣言は公衆衛生保護及び、特に全ての人々への医薬品のアクセス提供にかかわる「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)」の柔軟性に関する規定を最大限に行使する開発途上国の権利を確約したものである 03.c_開発途上国、特に後発開発途上国及び小島嶼開発途上国において保健財政及び保健人材の採用、能力開発・訓練及び定着を大幅に拡大させる 03.d_全ての国々、特に開発途上国の国家・世界規模な健康危険因子の早期警告、危険因子緩和及び危険因子管理のための能力を強化する 04.質の高い教育をみんなに:すべての人々に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する 04.1_2030年までに、全ての子供が男女の区別なく、適切かつ効果的な学習成果をもたらす、無償かつ公正で質の高い初等教育及び中等教育を修了できるようにする 04.2_2030年までに、全ての子供が男女の区別なく、質の高い乳幼児の発達・ケア及び就学前教育にアクセスすることにより、初等教育を受ける準備が整うようにする 04.3_2030年までに、全ての人々が男女の区別なく、手の届く質の高い技術教育・職業教育及び大学を含む高等教育への平等なアクセスを得られるようにする 04.4_2030年までに、技術的・職業的スキルなど、雇用、働きがいのある人間らしい仕事及び起業に必要な技能を備えた若者と成人の割合を大幅に増加させる 04.5_2030年までに、教育におけるジェンダー格差を無くし、障害者、先住民及び脆弱な立場にある子供など、脆弱層があらゆるレベルの教育や職業訓練に平等にアクセスできるようにする 04.6_2030年までに、全ての若者及び大多数(男女ともに)の成人が、読み書き能力及び基本的計算能力を身に付けられるようにする 04.7_2030年までに、持続可能な開発のための教育及び持続可能なライフスタイル、人権、男女の平等、平和及び非暴力的文化の推進、グローバル・シチズンシップ、文化多様性と文化の持続可能な開発への貢献の理解の教育を通して、全ての学習者が、持続可能な開発を促進するために必要な知識及び技能を習得できるようにする 04.a_子供、障害及びジェンダーに配慮した教育施設を構築・改良し、全ての人々に安全で非暴力的、包摂的、効果的な学習環境を提供できるようにする 04.b_2020年までに、開発途上国、特に後発開発途上国及び小島嶼開発途上国、並びにアフリカ諸国を対象とした、職業訓練、情報通信技術(ICT)、技術・工学・科学プログラムなど、先進国及びその他の開発途上国における高等教育の奨学金の件数を全世界で大幅に増加させる 04.c_2030年までに、開発途上国、特に後発開発途上国及び小島嶼開発途上国における教員研修のための国際協力などを通じて、質の高い教員の数を大幅に増加させる 05.ジェンダー平等を実現しよう:ジェンダーの平等を達成し、すべての女性と女児のエンパワーメントを図る 05.1_あらゆる場所における全ての女性及び女児に対するあらゆる形態の差別を撤廃する 05.2_人身売買や性的、その他の種類の搾取など、全ての女性及び女児に対する、公共・私的空間におけるあらゆる形態の暴力を排除する 05.3_未成年者の結婚、早期結婚、強制結婚及び女性器切除など、あらゆる有害な慣行を撤廃する 05.4_公共のサービス、インフラ及び社会保障政策の提供、並びに各国の状況に応じた世帯・家族内における責任分担を通じて、無報酬の育児・介護や家事労働を認識・評価する 05.5_政治、経済、公共分野でのあらゆるレベルの意思決定において、完全かつ効果的な女性の参画及び平等なリーダーシップの機会を確保する 05.6_国際人口・開発会議(ICPD)の行動計画及び北京行動綱領、並びにこれらの検証会議の成果文書に従い、性と生殖に関する健康及び権利への普遍的アクセスを確保する 05.a_女性に対し、経済的資源に対する同等の権利、並びに各国法に従い、オーナーシップ及び土地その他の財産、金融サービス、相続財産、天然資源に対するアクセスを与えるための改革に着手する 05.b_女性の能力強化促進のため、ICTをはじめとする実現技術の活用を強化する 05.c_ジェンダー平等の促進、並びに全ての女性及び女子のあらゆるレベルでの能力強化のための適正な政策及び拘束力のある法規を導入・強化する 06.安全な水とトイレを世界中に:すべての人に水と衛生へのアクセスと持続可能な管理を確保する 06.1_2030年までに、全ての人々の、安全で安価な飲料水の普遍的かつ衡平なアクセスを達成する 06.2_2030年までに、全ての人々の、適切かつ平等な下水施設・衛生施設へのアクセスを達成し、野外での排泄をなくす。女性及び女児、並びに脆弱な立場にある人々のニーズに特に注意を払う 06.3_2030年までに、汚染の減少、投棄の廃絶と有害な化学物・物質の放出の最小化、未処理の排水の割合半減及び再生利用と安全な再利用の世界的規模で大幅に増加させることにより、水質を改善する 06.4_2030年までに、全セクターにおいて水利用の効率を大幅に改善し、淡水の持続可能な採取及び供給を確保し水不足に対処するとともに、水不足に悩む人々の数を大幅に減少させる 06.5_2030年までに、国境を越えた適切な協力を含む、あらゆるレベルでの統合水資源管理を実施する 06.6_2020年までに、山地、森林、湿地、河川、帯水層、湖沼を含む水に関連する生態系の保護・回復を行う 06.a_2030年までに、集水、海水淡水化、水の効率的利用、排水処理、リサイクル・再利用技術を含む開発途上国における水と衛生分野での活動と計画を対象とした国際協力と能力構築支援を拡大する 06.b_水と衛生に関わる分野の管理向上における地域コミュニティの参加を支援・強化する 07.エネルギーをみんなに そしてクリーンに:すべての人々に手ごろで信頼でき、持続可能かつ近代的なエネ ルギーへのアクセスを確保する 07.1_2030年までに、安価かつ信頼できる現代的エネルギーサービスへの普遍的アクセスを確保する 07.2_2030年までに、世界のエネルギーミックスにおける再生可能エネルギーの割合を大幅に拡大させる 07.3_2030年までに、世界全体のエネルギー効率の改善率を倍増させる 07.a_2030年までに、再生可能エネルギー、エネルギー効率及び先進的かつ環境負荷の低い化石燃料技術などのクリーンエネルギーの研究及び技術へのアクセスを促進するための国際協力を強化し、エネルギー関連インフラとクリーンエネルギー技術への投資を促進する 07.b_2030年までに、各々の支援プログラムに沿って開発途上国、特に後発開発途上国及び小島嶼開発途上国、内陸開発途上国の全ての人々に現代的で持続可能なエネルギーサービスを供給できるよう、インフラ拡大と技術向上を行う 08.働きがいも経済成長も:すべての人のための持続的、包摂的かつ持続可能な経済成長、生産的な完全雇用およびディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)を推進する 08.1_各国の状況に応じて、一人当たり経済成長率を持続させる。特に後発開発途上国は少なくとも年率7%の成長率を保つ 08.2_高付加価値セクターや労働集約型セクターに重点を置くことなどにより、多様化、技術向上及びイノベーションを通じた高いレベルの経済生産性を達成する 08.3_生産活動や適切な雇用創出、起業、創造性及びイノベーションを支援する開発重視型の政策を促進するとともに、金融サービスへのアクセス改善などを通じて中小零細企業の設立や成長を奨励する 08.4_2030年までに、世界の消費と生産における資源効率を漸進的に改善させ、先進国主導の下、持続可能な消費と生産に関する10年計画枠組みに従い、経済成長と環境悪化の分断を図る 08.5_2030年までに、若者や障害者を含む全ての男性及び女性の、完全かつ生産的な雇用及び働きがいのある人間らしい仕事、並びに同一労働同一賃金を達成する 08.6_2020年までに、就労、就学及び職業訓練のいずれも行っていない若者の割合を大幅に減らす 08.7_強制労働を根絶し、現代の奴隷制、人身売買を終らせるための緊急かつ効果的な措置の実施、最悪な形態の児童労働の禁止及び撲滅を確保する。2025年までに児童兵士の募集と使用を含むあらゆる形態の児童労働を撲滅する 08.8_移住労働者、特に女性の移住労働者や不安定な雇用状態にある労働者など、全ての労働者の権利を保護し、安全・安心な労働環境を促進する 08.9_2030年までに、雇用創出、地方の文化振興・産品販促につながる持続可能な観光業を促進するための政策を立案し実施する 08.10_国内の金融機関の能力を強化し、全ての人々の銀行取引、保険及び金融サービスへのアクセスを促進・拡大する 08.a_後発開発途上国への貿易関連技術支援のための拡大統合フレームワーク(EIF)などを通じた支援を含む、開発途上国、特に後発開発途上国に対する貿易のための援助を拡大する 08.b_2020年までに、若年雇用のための世界的戦略及び国際労働機関(ILO)の仕事に関する世界協定の実施を展開・運用化する 09.産業と技術革新の基盤をつくろう:強靭なインフラを整備し、包摂的で持続可能な産業化を推進するとともに、技術革新の拡大を図る 09.1_全ての人々に安価で公平なアクセスに重点を置いた経済発展と人間の福祉を支援するために、地域・越境インフラを含む質の高い、信頼でき、持続可能かつ強靱(レジリエント)なインフラを開発する 09.2_包摂的かつ持続可能な産業化を促進し、2030年までに各国の状況に応じて雇用及びGDPに占める産業セクターの割合を大幅に増加させる。後発開発途上国については同割合を倍増させる 09.3_特に開発途上国における小規模の製造業その他の企業の、安価な資金貸付などの金融サービスやバリューチェーン及び市場への統合へのアクセスを拡大する 09.4_2030年までに、資源利用効率の向上とクリーン技術及び環境に配慮した技術・産業プロセスの導入拡大を通じたインフラ改良や産業改善により、持続可能性を向上させる。全ての国々は各国の能力に応じた取組を行う 09.5_2030年までにイノベーションを促進させることや100万人当たりの研究開発従事者数を大幅に増加させ、また官民研究開発の支出を拡大させるなど、開発途上国をはじめとする全ての国々の産業セクターにおける科学研究を促進し、技術能力を向上させる 09.a_アフリカ諸国、後発開発途上国、内陸開発途上国及び小島嶼開発途上国への金融・テクノロジー・技術の支援強化を通じて、開発途上国における持続可能かつ強靱(レジリエント)なインフラ開発を促進する 09.b_産業の多様化や商品への付加価値創造などに資する政策環境の確保などを通じて、開発途上国の国内における技術開発、研究及びイノベーションを支援する 09.c_後発開発途上国において情報通信技術へのアクセスを大幅に向上させ、2020年までに普遍的かつ安価なインターネットアクセスを提供できるよう図る 10.人や国の不平等をなくそう:国内および国家間の格差を是正する 10.1_2030年までに、各国の所得下位40%の所得成長率について、国内平均を上回る数値を漸進的に達成し、持続させる 10.2_2030年までに、年齢、性別、障害、人種、民族、出自、宗教、あるいは経済的地位その他の状況に関わりなく、全ての人々の能力強化及び社会的、経済的及び政治的な包含を促進する 10.3_差別的な法律、政策及び慣行の撤廃、並びに適切な関連法規、政策、行動の促進などを通じて、機会均等を確保し、成果の不平等を是正する 10.4_税制、賃金、社会保障政策をはじめとする政策を導入し、平等の拡大を漸進的に達成する 10.5_世界金融市場と金融機関に対する規制とモニタリングを改善し、こうした規制の実施を強化する 10.6_地球規模の国際経済・金融制度の意思決定における開発途上国の参加や発言力を拡大させることにより、より効果的で信用力があり、説明責任のある正当な制度を実現する 10.7_計画に基づき良く管理された移民政策の実施などを通じて、秩序のとれた、安全で規則的かつ責任ある移住や流動性を促進する 10.a_世界貿易機関(WTO)協定に従い、開発途上国、特に後発開発途上国に対する特別かつ異なる待遇の原則を実施する 10.b_各国の国家計画やプログラムに従って、後発開発途上国、アフリカ諸国、小島嶼開発途上国及び内陸開発途上国を始めとする、ニーズが最も大きい国々への、政府開発援助(ODA)及び海外直接投資を含む資金の流入を促進する 10.c_2030年までに、移住労働者による送金コストを3%未満に引き下げ、コストが5%を越える送金経路を撤廃する 11.住み続けられるまちづくりを:都市と人間の居住地を包摂的、安全、強靭かつ持続可能にする 11.1_2030年までに、全ての人々の、適切、安全かつ安価な住宅及び基本的サービスへのアクセスを確保し、スラムを改善する 11.2_2030年までに、脆弱な立場にある人々、女性、子供、障害者及び高齢者のニーズに特に配慮し、公共交通機関の拡大などを通じた交通の安全性改善により、全ての人々に、安全かつ安価で容易に利用できる、持続可能な輸送システムへのアクセスを提供する 11.3_2030年までに、包摂的かつ持続可能な都市化を促進し、全ての国々の参加型、包摂的かつ持続可能な人間居住計画・管理の能力を強化する 11.4_世界の文化遺産及び自然遺産の保護・保全の努力を強化する 11.5_2030年までに、貧困層及び脆弱な立場にある人々の保護に焦点をあてながら、水関連災害などの災害による死者や被災者数を大幅に削減し、世界の国内総生産比で直接的経済損失を大幅に減らす 11.6_2030年までに、大気の質及び一般並びにその他の廃棄物の管理に特別な注意を払うことによるものを含め、都市の一人当たりの環境上の悪影響を軽減する 11.7_2030年までに、女性、子供、高齢者及び障害者を含め、人々に安全で包摂的かつ利用が容易な緑地や公共スペースへの普遍的アクセスを提供する 11.a_各国・地域規模の開発計画の強化を通じて、経済、社会、環境面における都市部、都市周辺部及び農村部間の良好なつながりを支援する 11.b_2020年までに、包含、資源効率、気候変動の緩和と適応、災害に対する強靱さ(レジリエンス)を目指す総合的政策及び計画を導入・実施した都市及び人間居住地の件数を大幅に増加させ、仙台防災枠組2015-2030に沿って、あらゆるレベルでの総合的な災害リスク管理の策定と実施を行う 11.c_財政的及び技術的な支援などを通じて、後発開発途上国における現地の資材を用いた、持続可能かつ強靱(レジリエント)な建造物の整備を支援する 12.つくる責任 つかう責任:持続可能な消費と生産のパターンを確保する 12.1_開発途上国の開発状況や能力を勘案しつつ、持続可能な消費と生産に関する10年計画枠組み(10YFP)を実施し、先進国主導の下、全ての国々が対策を講じる 12.2_2030年までに天然資源の持続可能な管理及び効率的な利用を達成する 12.3_2030年までに小売・消費レベルにおける世界全体の一人当たりの食料の廃棄を半減させ、収穫後損失などの生産・サプライチェーンにおける食品ロスを減少させる 12.4_2020年までに、合意された国際的な枠組みに従い、製品ライフサイクルを通じ、環境上適正な化学物質や全ての廃棄物の管理を実現し、人の健康や環境への悪影響を最小化するため、化学物質や廃棄物の大気、水、土壌への放出を大幅に削減する 12.5_2030年までに、廃棄物の発生防止、削減、再生利用及び再利用により、廃棄物の発生を大幅に削減する 12.6_特に大企業や多国籍企業などの企業に対し、持続可能な取り組みを導入し、持続可能性に関する情報を定期報告に盛り込むよう奨励する 12.7_国内の政策や優先事項に従って持続可能な公共調達の慣行を促進する 12.8_2030年までに、人々があらゆる場所において、持続可能な開発及び自然と調和したライフスタイルに関する情報と意識を持つようにする 12.a_開発途上国に対し、より持続可能な消費・生産形態の促進のための科学的・技術的能力の強化を支援する 12.b_雇用創出、地方の文化振興・産品販促につながる持続可能な観光業に対して持続可能な開発がもたらす影響を測定する手法を開発・導入する 12.c_開発途上国の特別なニーズや状況を十分考慮し、貧困層やコミュニティを保護する形で開発に関する悪影響を最小限に留めつつ、税制改正や、有害な補助金が存在する場合はその環境への影響を考慮してその段階的廃止などを通じ、各国の状況に応じて、市場のひずみを除去することで、浪費的な消費を奨励する、化石燃料に対する非効率な補助金を合理化する 13.気候変動に具体的な対策を:気候変動とその影響に立ち向かうため、緊急対策を取る 13.1_全ての国々において、気候関連災害や自然災害に対する強靱性(レジリエンス)及び適応の能力を強化する 13.2_気候変動対策を国別の政策、戦略及び計画に盛り込む 13.3_気候変動の緩和、適応、影響軽減及び早期警戒に関する教育、啓発、人的能力及び制度機能を改善する 13.a_重要な緩和行動の実施とその実施における透明性確保に関する開発途上国のニーズに対応するため、2020年までにあらゆる供給源から年間1,000億ドルを共同で動員するという、UNFCCCの先進締約国によるコミットメントを実施するとともに、可能な限り速やかに資本を投入して緑の気候基金を本格始動させる 13.b:後発開発途上国及び小島嶼開発途上国において、女性や青年、地方及び社会的に疎外されたコミュニティに焦点を当てることを含め、気候変動関連の効果的な計画策定と管理のための能力を向上するメカニズムを推進する。:※国連気候変動枠組条約(UNFCCC)が、気候変動への世界的対応について交渉を行う一義的な国際的、政府間対話の場であると認識している 14.海の豊かさを守ろう:海洋と海洋資源を持続可能な開発に向けて保全し、持続可能な形で利用する 14.1_2025年までに、海洋ごみや富栄養化を含む、特に陸上活動による汚染など、あらゆる種類の海洋汚染を防止し、大幅に削減する 14.2_2020年までに、海洋及び沿岸の生態系に関する重大な悪影響を回避するため、強靱性(レジリエンス)の強化などによる持続的な管理と保護を行い、健全で生産的な海洋を実現するため、海洋及び沿岸の生態系の回復のための取組を行う 14.3_あらゆるレベルでの科学的協力の促進などを通じて、海洋酸性化の影響を最小限化し、対処する 14.4_水産資源を、実現可能な最短期間で少なくとも各資源の生物学的特性によって定められる最大持続生産量のレベルまで回復させるため、2020年までに、漁獲を効果的に規制し、過剰漁業や違法・無報告・無規制(IUU)漁業及び破壊的な漁業慣行を終了し、科学的な管理計画を実施する 14.5_2020年までに、国内法及び国際法に則り、最大限入手可能な科学情報に基づいて、少なくとも沿岸域及び海域の10パーセントを保全する 14.6_開発途上国及び後発開発途上国に対する適切かつ効果的な、特別かつ異なる待遇が、世界貿易機関(WTO)漁業補助金交渉の不可分の要素であるべきことを認識した上で、2020年までに、過剰漁獲能力や過剰漁獲につながる漁業補助金を禁止し、違法・無報告・無規制(IUU)漁業につながる補助金を撤廃し、同様の新たな補助金の導入を抑制する 14.7_2030年までに、漁業、水産養殖及び観光の持続可能な管理などを通じ、小島嶼開発途上国及び後発開発途上国の海洋資源の持続的な利用による経済的便益を増大させる 14.a_海洋の健全性の改善と、開発途上国、特に小島嶼開発途上国および後発開発途上国の開発における海洋生物多様性の寄与向上のために、海洋技術の移転に関するユネスコ政府間海洋学委員会の基準・ガイドラインを勘案しつつ、科学的知識の増進、研究能力の向上、及び海洋技術の移転を行う 14.b_小規模・沿岸零細漁業者に対し、海洋資源及び市場へのアクセスを提供する 14.c_「我々の求める未来」のパラ158において想起されるとおり、海洋及び海洋資源の保全及び持続可能な利用のための法的枠組みを規定する海洋法に関する国際連合条約(UNCLOS)に反映されている国際法を実施することにより、海洋及び海洋資源の保全及び持続可能な利用を強化する 15.陸の豊かさも守ろう:陸上生態系の保護、回復および持続可能な利用の推進、森林の持続可能な管理、砂漠化への対処、土地劣化の阻止および逆転、ならびに生物多様性損失の阻止を図る 15.1_2020年までに、国際協定の下での義務に則って、森林、湿地、山地及び乾燥地をはじめとする陸域生態系と内陸淡水生態系及びそれらのサービスの保全、回復及び持続可能な利用を確保する 15.2_2020年までに、あらゆる種類の森林の持続可能な経営の実施を促進し、森林減少を阻止し、劣化した森林を回復し、世界全体で新規植林及び再植林を大幅に増加させる 15.3_2030年までに、砂漠化に対処し、砂漠化、干ばつ及び洪水の影響を受けた土地などの劣化した土地と土壌を回復し、土地劣化に荷担しない世界の達成に尽力する 15.4_2030年までに持続可能な開発に不可欠な便益をもたらす山地生態系の能力を強化するため、生物多様性を含む山地生態系の保全を確実に行う 15.5_自然生息地の劣化を抑制し、生物多様性の損失を阻止し、2020年までに絶滅危惧種を保護し、また絶滅防止するための緊急かつ意味のある対策を講じる 15.6_国際合意に基づき、遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分を推進するとともに、遺伝資源への適切なアクセスを推進する 15.7_保護の対象となっている動植物種の密猟及び違法取引を撲滅するための緊急対策を講じるとともに、違法な野生生物製品の需要と供給の両面に対処する 15.8_2020年までに、外来種の侵入を防止するとともに、これらの種による陸域・海洋生態系への影響を大幅に減少させるための対策を導入し、さらに優先種の駆除または根絶を行う 15.9_2020年までに、生態系と生物多様性の価値を、国や地方の計画策定、開発プロセス及び貧困削減のための戦略及び会計に組み込む 15.a_生物多様性と生態系の保全と持続的な利用のために、あらゆる資金源からの資金の動員及び大幅な増額を行う 15.b_保全や再植林を含む持続可能な森林経営を推進するため、あらゆるレベルのあらゆる供給源から、持続可能な森林経営のための資金の調達と開発途上国への十分なインセンティブ付与のための相当量の資源を動員する 15.c_持続的な生計機会を追求するために地域コミュニティの能力向上を図る等、保護種の密猟及び違法な取引に対処するための努力に対する世界的な支援を強化する 16.平和と公正をすべての人に:持続可能な開発に向けて平和で包摂的な社会を推進し、すべての人に司法へのアクセスを提供するとともに、あらゆるレベルにおいて効果的で責任ある包摂的な制度を構築する 16.1_あらゆる場所において、全ての形態の暴力及び暴力に関連する死亡率を大幅に減少させる 16.2_子供に対する虐待、搾取、取引及びあらゆる形態の暴力及び拷問を撲滅する 16.3_国家及び国際的なレベルでの法の支配を促進し、全ての人々に司法への平等なアクセスを提供する 16.4_2030年までに、違法な資金及び武器の取引を大幅に減少させ、奪われた財産の回復及び返還を強化し、あらゆる形態の組織犯罪を根絶する 16.5_あらゆる形態の汚職や贈賄を大幅に減少させる 16.6_あらゆるレベルにおいて、有効で説明責任のある透明性の高い公共機関を発展させる 16.7_あらゆるレベルにおいて、対応的、包摂的、参加型及び代表的な意思決定を確保する 16.8_グローバル・ガバナンス機関への開発途上国の参加を拡大・強化する 16.9_2030年までに、全ての人々に出生登録を含む法的な身分証明を提供する 16.10_国内法規及び国際協定に従い、情報への公共アクセスを確保し、基本的自由を保障する 16.a_特に開発途上国において、暴力の防止とテロリズム・犯罪の撲滅に関するあらゆるレベルでの能力構築のため、国際協力などを通じて関連国家機関を強化する 16.b_持続可能な開発のための非差別的な法規及び政策を推進し、実施する 17.パートナーシップで目標を達成しよう:持続可能な開発に向けて実施手段を強化し、グローバル・パートナーシップを活性化する 資金 17.1_課税及び徴税能力の向上のため、開発途上国への国際的な支援なども通じて、国内資源の動員を強化する 17.2_先進国は、開発途上国に対するODAをGNI比0.7%に、後発開発途上国に対するODAをGNI比0.15~0.20%にするという目標を達成するとの多くの国によるコミットメントを含むODAに係るコミットメントを完全に実施する。ODA供与国が、少なくともGNI比0.20%のODAを後発開発途上国に供与するという目標の設定を検討することを奨励する 17.3_複数の財源から、開発途上国のための追加的資金源を動員する 17.4_必要に応じた負債による資金調達、債務救済及び債務再編の促進を目的とした協調的な政策により、開発途上国の長期的な債務の持続可能性の実現を支援し、重債務貧困国(HIPC)の対外債務への対応により債務リスクを軽減する 17.5_後発開発途上国のための投資促進枠組みを導入及び実施する 技術 17.6_科学技術イノベーション(STI)及びこれらへのアクセスに関する南北協力、南南協力及び地域的・国際的な三角協力を向上させる。また、国連レベルをはじめとする既存のメカニズム間の調整改善や、全世界的な技術促進メカニズムなどを通じて、相互に合意した条件において知識共有を進める 17.7_開発途上国に対し、譲許的・特恵的条件などの相互に合意した有利な条件の下で、環境に配慮した技術の開発、移転、普及及び拡散を促進する 17.8_2017年までに、後発開発途上国のための技術バンク及び科学技術イノベーション能力構築メカニズムを完全運用させ、情報通信技術(ICT)をはじめとする実現技術の利用を強化する。:キャパシティ・ビルディング 17.9_全ての持続可能な開発目標を実施するための国家計画を支援するべく、南北協力、南南協力及び三角協力などを通じて、開発途上国における効果的かつ的をしぼった能力構築の実施に対する国際的な支援を強化する 貿易 17.10_ドーハ・ラウンド(DDA)交渉の受諾を含むWTOの下での普遍的でルールに基づいた、差別的でない、公平な多角的貿易体制を促進する 17.11_開発途上国による輸出を大幅に増加させ、特に2020年までに世界の輸出に占める後発開発途上国のシェアを倍増させる 17.12_後発開発途上国からの輸入に対する特恵的な原産地規則が透明で簡略的かつ市場アクセスの円滑化に寄与するものとなるようにすることを含む世界貿易機関(WTO)の決定に矛盾しない形で、全ての後発開発途上国に対し、永続的な無税・無枠の市場アクセスを適時実施する。:体制面:政策・制度的整合性 17.13_政策協調や政策の首尾一貫性などを通じて、世界的なマクロ経済の安定を促進する 17.14_持続可能な開発のための政策の一貫性を強化する 17.15_貧困撲滅と持続可能な開発のための政策の確立・実施にあたっては、各国の政策空間及びリーダーシッ��を尊重する。:マルチステークホルダー・パートナーシップ 17.16_全ての国々、特に開発途上国での持続可能な開発目標の達成を支援すべく、知識、専門的知見、技術及び資金源を動員、共有するマルチステークホルダー・パートナーシップによって補完しつつ、持続可能な開発のためのグローバル・パートナーシップを強化する 17.17_さまざまなパートナーシップの経験や資源戦略を基にした、効果的な公的、官民、市民社会のパートナーシップを奨励・推進する。:データ、モニタリング、説明責任 17.18_2020年までに、後発開発途上国及び小島嶼開発途上国を含む開発途上国に対する能力構築支援を強化し、所得、性別、年齢、人種、民族、居住資格、障害、地理的位置及びその他各国事情に関連する特性別の質が高く、タイムリーかつ信頼性のある非集計型データの入手可能性を向上させる 17.19_2030年までに、持続可能な開発の進捗状況を測るGDP以外の尺度を開発する既存の取組を更に前進させ、開発途上国における統計に関する能力構築を支援する
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kennak · 1 year
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https://anond.hatelabo.jp/20230503204955この増田も言及しているが、富山から若い女性が流出しているというニュースで地元が炎上している。ネット上で憶測が憶測を呼びとんでもないことになってやがるので、当事者として事実を書こうと思う。以下、大変不名誉なことに例の記事で「問題のある層」として紹介されてしまった「富山から出た20代女」として書きます。とりあえず、自分の実体験を踏まえて誤解は誤解、合っている部分は合っていると説明する。0歳から18歳になるまで富山の中心地富山市で見聞きしたことですが、地域によって違いはあると思う。富山を出た理由はい、まずこれですね。ご期待に沿った回答でなくて申し訳ないが、私の場合は「都会の企業より待遇・条件のいい企業がないから」です。私は大学進学で富山を出て、そこから新卒で就職した。国内外でそれなりに知名度のある大企業の専門職で働いており、ハッキリ言って内定が出た都会の企業以上の待遇が期待できる会社は富山にはなかった。海外赴任したいし。仮に私が男性でも、それは変わらなかったと思う。「女はお洒落でキラキラした都会に憧れるから」とか「いい男を捕まえるために都会で遊びたいんだろ」とか的外れな女性蔑視考察をしていた方々!超地味〜な理由で申し訳ない!と私の場合はそうなんですが、実際に皆様が指摘されている「若い女性の扱いが酷いから」「陰湿な県民性だから」というのも正直富山を出る理由の一つにはなると思います。それについてこれから書きますね。男尊女卑についてこれは間違いなくある。あちこちで言われている「富山は共働き率が高いが家事・育児は全て女負担」「専業主婦は遊んでいると言われる」は残念ながら私の周りでは事実です。冬は雪かきもあるけど、それも女の仕事。【捕捉】私の周りでは女が雪かきしていたが、冒頭にも書いたように地域によって違いはあると思う。あと、富山市の場合は、余程狭い道じゃない限り除雪車がまとめて雪をどけて道を作っていた。うちの家庭の話をする。私の母は富山では珍しく管理職で社会的地位が高い。収入も父より上だ。しかし家庭内での家事や育児は、ほぼ全て母か私が負担していた。私は小学生の頃から事あるごとに父から家事労働や弟の面倒を見ること、祖母(父の母)の介護をすることを求められてきた。理由を聞くと毎回「女の子なんだから」「長女として」という言葉が出てきた。今問題視されている「ヤングケアラー」扱いされてきた。そして母より稼ぎが少なく家事・育児をしない父は、仕事以外では家でゴロゴロしているか遊び歩くかしていた。それでも一族の扱いは「一家の大黒柱」。このように、女性であることを理由に理不尽に家庭内労働を押し付けられる文化は今でも根強くある。でも男性は男性で、一人立ち後や結婚後も仕送りして親や兄弟を養って当然という空気もあるため、問題は「男尊女卑」というより「性差別的な価値観」「性的役割の押し付け」な気もする。県民性について県民性をまとめるなら下記の3つだと思う。年齢や性別、職業に関係なく、富山では下記が「普通の人」として扱われていた。無論まともな富山県民もいるが、あくまでも富山のマジョリティは下記なのだと思う。⚫︎差別意識が強い⚫︎集団で束になり個人を虐げる⚫︎嘘をつく⚫︎差別意識が強い地方だから…と一括りにするつもりはないが、全体的に差別意識が強い。また、息をするように人権侵害レベルのことをする人がかなり多い。陰湿な村社会のようなコミュニティがあちこちにある感じ。これは性差別だけでない。県外から来た人や外国人等、周りとは違う人に対する差別が本当にひどい。実際、国外や県外から来た人が口を揃えてそれを指摘し「富山にはもう2度と住みたくない」「陰湿な人が多すぎて暮らせない」と言っている。⚫︎集団で束になり個人を虐げる学校や会社で束になり村ぐるみで追い込んで組織から追い出した、という話は頻繁に聞く。また驚くことに、ほとんどの人がそれを酷い事、恥ずかしい事だと思っていないため、加害者側の人たちが笑いながら話しているのをよく見る。「集団とは違う存在を皆で一致団結して追い出す。」彼らはそれこそが「正義」だと疑ってない空気すらある。法律や倫理観なんぞより、自分たちの村の平穏を維持することが大事なのだ。⚫︎嘘をつく「嘘も方便」のような嘘ではなく、自分の利益のため息をするように人を騙す詐欺師タイプの人が当たり前にいた。というより、富山ではそういう人が「普通の大人」だった。医者・歯科医が患者に「ここを治す必要がある」と嘘をつき多額の金を巻き上げる。営業や店員が商品の説明の際に「こんな機能がある(実際にはない)」と客を騙して買わせる。中学や高校の教職員が生徒に「個人スマホからのネットの閲覧履歴や書き込み履歴は全て学校側が把握しているから余計なことをすれば分かる」等の嘘を教え従わせる。全て身近で目にしたことだ。富山市の進学校付近でこれなので、自分の周りが特別治安が悪かったわけではないと思う。都会に出てみると、自分にメリットがあろうがなかろうが関係なく嘘をつかず誠実に対応するのが当たり前という人ばかりで本当に驚いた。個人的には一番富山とのギャップがあり驚いたことである。【余談】「少子化対策のため未婚化を阻止」のグロさスルーしてる人が多いのだが、個人的にこのニュースで一番問題だと思ったのはここ。つい最近、国連が下記の提言をしたにもかかわらず、真逆のことを当然のように行っていて頭を抱えた。富山県民はあまりにも人権意識が低すぎると言われても、私は反論できない。「出生率押し上げより男女平等を」 国連人口基金が提言国連人口基金(UNFPA)は19日、2023年の世界人口白書を公表した。人口が減少に転じる国もあるなか、出生率を政策で操作しようとする国が増えており、女性に悪影響が及ぶと懸念を示した。出生率にこだわらず、男女平等で社会や経済の発展を目指すべきだと提言した。(2023年4月19日 日本経済新聞の記事より)●少子化対策まず、富山県民に限らずこれを言う人は「健康で生活保護等を受ける事なく働いて納税し社会を支える人がほしい」という意味で言ってるんだと思う。逆に言えば、その「増やすべき人間」に中に納税奴隷にならない人や障害者年金を得て暮らす障害者、生活保護を受けなければ生きられない人は入っていない。また、病気や性的指向等で子供を作れない、またはなから作る気のない人たちもその中には入らない。つまるところ、「少子化対策」とは優生思想に基づいて、人間を生産性だけで見ているからこそ出る言葉だと思う。そもそも、妊娠・出産は女性の体や脳にとんでもない負荷をかけ、最悪後遺症が残ったり死ぬこともある重大事項だ。それをやる・やらないを決める権利は本人にしかない。「妊娠から出産後に至るまで死ぬほど苦しむし、マミーブレインで頭悪くなるし、結構な確率で後遺症残ったり死ぬけど子供産んでくれない?」と他人が推奨できる類のものではない。子作りを推奨する側は、男女問わず子供さえ作ってくれれば相手の体なんぞどうでも良いと言わんばかりにそのマイナスな医学的事実を伏せたまま妊娠・出産は「幸福なこと」だと喧伝する。また、Twitterで散々言われていたように子供を本人の同意をなくこの世に生み出し、義務だからと強制的に労働させるのは倫理的に考えても利己的でグロテスクだと反出生主義的な指摘をされても仕方ないだろう。●未婚化を阻止はい、言うまでもなく人権侵害の極みですね。男女を結婚させ出生率を上げるという発想自体、女性を産む機械、男性を産ませる機械として見ている。人間には結婚する・しない、子供を作る・作らないを決める権利がある。また、結婚するにしてもその性別は当然異性である必要はない。長々と批判ばかりしてないで富山のいいところも言え・魚が美味い!・米が美味い!・家賃が安い!以上、今絶賛問題児扱いされてる富山を出た20代女でした!
富山を出た20代女だけど、地元の炎上について言いたいことがある
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cookingarden · 4 years
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ジェニファー・グラウスマン監督、サム・カルマン監督『美術館を手玉にとった男』 原題:Art and Craft 制作:アメリカ, 2014年. これは新しいタイプの映画だ。主人公マーク・ランディスのセラピーがリアルタイムで記録されている。その意味でドキュメンタリー映画だが、映像表現や音楽が実にカッコいい。 それだけではない。この映画自体が主人公の「手玉にとられて」いるように見える。そして終いには、精神疾患を抱えるのは主人公ではなくわたしたち自身ではないかと思えてくる。『美術館を手玉にとった男』は、観る者を逆説の境地に誘う新しいタイプのドキュメンタリー・・・ではないかと思う^^; なお、本作の登場人物はいずれも実在する。本来であれば名前に敬称が必要だが、映画の登場人物として省略した。          CONTENTS ・寄贈された名画は贋作だった ・ランディスが行った贋作の技法 ・ランディス、お前は何がしたいのだ? ・精神疾患を持つランディス ・ランディスに転機をもたらした贋作の展示会 ・ランディスは統合失調症なのか? ・母との統合を果たしたランディス ・ランディスの統合とわたしたちの不統合
寄贈された名画は贋作だった 「全米各地の美術館に贋作が寄贈されている」ーーこの事実を最初に知ったのは、シンシナティ美術館で主任レジストラーを務めていたマシュー・レイニンガーだった。彼はオクラホマシティ美術館に努めていた2008年、有名絵画を寄贈したいというマーク・ランディスと出会う。しかし、彼が持ち込んだポール・シャニックの絵は、ある大学が所蔵していることに気づく。調べると、ランディスが持ち込む作品はどれも、全米各地の美術館などに現存するものだった。 レイニンガーは、ランディスの贋作を受け入れた施設は、30年間で全米20州の46美術館にもおよぶという。映画には、「これは犯罪行為だ。入院するか刑務所に入る必要がある。」とランディスを責める博物館関係者も登場する。しかし、彼は金目当てに贋作を行ってはいない。それでは、贋作を寄贈することの何が問題なのだろうか。 美術品を購入する際、美術館は作品を精査する。だが、寄贈となると名品でもあまり調べようとしない。多くの美術館はそこを突かれたようだ。贋作を買わされてはいないので、ランディスの行為は詐欺罪には当たらない。これは映画に登場するFBIの捜査官がそう述べている。 しかし、贋作を展示すれば、美術館全体が贋作を展示していると思われかねない。これは美術館にとって迷惑な話だろう。 ランディスが行った贋作の技法 それにしても、彼は一体どのようにして、30年間にわたって100作もの贋作を作り上げたのだろうか。映像が伝えるその方法は、それほど特殊なものとは思えない。彼は町のホームセンターで手に入る、ごく普通の色鉛筆や絵具を使っている。画材の古さを表現するために、作品をコーヒーで汚したりもする。 しかし当然ながら、ごくありふれた道具でプロを欺くには優れた技量が必要だ。ランディスは用紙の下に元絵を敷き「めくる」「描く」を繰り返す。かつて銀行で目にした、印鑑の残影照合と同じ手法だ。ランディスはこれを「記憶術」と呼んでいる。 デジタルプリントも使われる。プリントを下絵に絵具を重ね、見る見るうちに本物のように仕上がっていく様子は圧巻だ。見た目にはリアルだが、それでも鑑定されれば簡単に見破られるだろう。ランディスが寄贈した作品の真贋を疑わなかった美術館も無防備だったと思わせる。 ランディスは、両親との生活が贋作の原点になったと述べている。海軍将校だった父と美人の母に連れられ、訪問先のホテルの部屋で留守番することが多かった8歳のころ、退屈しのぎに美術館から持ち帰ったカタログを模写するようになった。これが贋作のはじまりだったという。後に美術館を欺くほどになる彼の技量は、幼少から数十年におよぶ修行から生み出されたものだ。 ランディス、お前は何がしたいのだ? ランディスの贋作を見た多くの関係者が、作品の出来を高く評価している。贋作を見破ったレイニンガーも、本物に見える出来栄えだと述べている。だが、金目当ての贋作ではない。「いったい、この男は何がしたいのだ?」レイニンガーは捜査にのめり込む。しかし、調査に没頭するあまり彼は、仕事中は控えてくれという美術館の忠告を聞き入れず、とうとうレジストラーの仕事をクビになる。 レイニンガーは、「自分は執着しすぎる傾向がある」と告白している。かつて、強迫性障害や注意欠陥・多動性障害と診断されたことがあるという。そして、自宅で主夫を過ごすなか子どもに「ランディスが憎いの?」と聞かれ、「いや、そうではない」と答えている。最初は彼に腹が立ったが、調べが進むうちに憎む感情はなくなったようだ。 彼の懸命の捜査は4年間におよんでいる。ランディスは何度も名前を変え、各地の美術館を渡り歩いていたことが明らかになる。移動の手段は、かつて母が乗っていた赤のキャデラックだ。レイニンガーが集めた情報はやがてFBIの耳に入り、フィナンシャル・タイムズの記事で取り上げられたことでランディスの行為は全米に知れ渡ることになる。 精神疾患を持つランディス 追う側のこうした姿と並行して、映画はランディスが地元ミシシッピ州ローレルにあるメンタル・ヘルスケア(Pine Belt Mental Healthcare Resources)に通う姿を映し出す。ケースワーカーが尋ねる。 「気分はどう?」 「自殺願望は?」 「他害衝動は?」 「幻聴や幻覚は?」 小さな声で「ない」と答えるランディス。彼は精神疾患を抱えている。17歳のとき「妄想型統合失調症と精神障害」「パーソナリティ障害」と診断され、現在は統合失調症治療薬ジプラシドンの処方を受けている。 ランディスの行動の原点に母の存在がある。ランディスは「父にとって自分は残念な存在だった」という一方で、母には強い情愛を示している。母を回顧して彼は次のように語っている。
亡くなった父を忍ぶことをして、母を喜ばせたかった。母は自分が贋作を寄贈しに各地を歩いていることを知っていた。それでも母は、自分のことを少しは誇りに思っていた。というか気にしなかった。
ランディスの心にはいつも母の存在があった。彼は母の美しい肖像画を描いている。彼の精神疾患が診断された17歳の時、同じ17歳当時の母の写真を模写したものだ。母が亡くなったのは2年前と述べていることから、贋作を寄贈して歩いたほとんどの期間を、母とともに過ごしていたことになる。 ランディスに転機をもたらした贋作の展示会 ランディスの贋作が発覚したあと、彼に興味を持つ者が現れる。シンシナティ大学でレイニンガーの同僚だったアーロン・コーワンである。彼は「ランディスの行為自体がアートのようだ。動機が気になった」という。そして彼は、ランディスの贋作を一堂に集めた展覧会を企画する。過去の贋作作家との違いを示すのが彼のねらいだ。計画を聞いたレイニンガーは「面白いじゃないか」と述べている。ランディス自身も電話で展示会への感謝を示している。 だが、コーワンはランディスの行為を良しとしているわけではない。発覚したあとも贋作の寄贈を続けるランディスに「悪意がないのはわかっているが、ともかくやめてほしい」と諭している。関係者にとって、贋作の寄贈は歓迎できるものではない。 緊張のうちに展示会場を訪れたランディスは、人々から口々に「贋作じゃなくて、自分の作品を作ってほしい」と声を掛けられる。それに対しランディスは母の肖像画を指し「作っているよ」と答えてる。 展示会場ではじめて、ランディスはレイニンガーと面会する。5年振りの再会だ。互いが手を差し伸べ握手をする。ランディスは、
私は長い間、君と話せなかった。ほんの数分も。とにかく、会えて嬉しい。ほんとうに申し訳ない。できることがあったら、言って欲しい。
と話しかける。帰り際にもランディスはレイニンガーに感謝の言葉を述べ、二人は、硬い握手をして別れている。 このあと映画はランディスの独白を捉えながら、エンディングを迎える。最後の場面で彼はおよそ次のように語っている。
(贋作の寄贈は)やめた方がいいんだと思う。思い付いたことがある。紛失や盗難にあった芸術作品を持ち主に返すというアイデアだ。私にできることは、小さな絵を描くことだ。なくなった1ページを、もとの本に戻せたら素敵だろ。
このときカメラは、ホテルの部屋で神父の服装に着替えるランディスの姿を捉えている。鞄を下げ、赤のキャデラックに乗り込むランディス。「アイデア」を実行に移す姿を示唆して映画は終わる。 ランディスは統合失調症なのか? エンドロールをながめながら統合失調症とは何かが気になった。映画のランディスは確かに風変わりで病弱な印象の人物だが、とりわけ重い精神疾患があるとは思えなかったからだ。統合失調症について厚生労働省の関連ページには次のように書かれている。
統合失調症は、幻覚や妄想という症状が特徴的な精神疾患です。それに伴って、人々と交流しながら家庭や社会で生活を営む機能が障害を受け(生活の障害)、「感覚・思考・行動が病気のために歪んでいる」ことを自分で振り返って考えることが難しくなりやすい(病識の障害)、という特徴を併せもっています。(…)慢性の経過をたどりやすく、その間に幻覚や妄想が強くなる急性期が出現します。 厚生労働省「みんなのメンタルヘルスケア総合サイト」より引用
はたしてランディスは、この記述に当てはまるだろうか。わたしには、どうもそうとは思えない。映画の中で彼は二人のケースワーカーの問診を受けているが、いずれのときも「幻覚や妄想はない」と答えている。また、多少ぎこちなさはあるものの生活に大きな支障があるようにも見えない。普通にクルマを運転し買い物にも行く。電話による会話もできている。そもそも、人との交流ができなければ、全米20州46ヵ所もの美術館を訪れ贋作を寄贈して回ることなどできなかっただったろう。 母との統合を果たしたランディス 彼は17歳のとき精神障害があると診断されている。その頃の様子を知る手がかりが、映画のなかにひとつだけある。ランディスはこのとき、写真をもとに母の肖像画を描いている。その肖像画は、映画のなかで彼が「オリジナル」だと表明する唯一の作品でもある。
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ランディスの心にはいつも母がいた。その原点は、夜遊びを繰り返す両親と過ごした旅先で形成されたものだろう。両親が外交的だったことは映画でも描かれている。留守番の退屈しのぎに行ったカタログの模写は、ホテルに帰った母から対話を引き出す切っ掛けになったはずだ。学童期の子供を部屋に残して遊びに出た親が、留守中に描いた子供の絵に言及しないとは考えにくい。ランディスは母からできるだけ多くの称賛を集めようと模写を繰り返し、腕を上げていったのだろう。 象徴的な言い方をするなら、ランディスにとって模写は、自我を形成する上で不可欠の媒体だった。ランディスにとってその仕組みは強すぎたのだろう。なぜ強すぎたのか、その理由を知る手がかりは描かれていないが、ランディスは8歳から10年近くも装置の虜になった。そして17歳のとき、その集大成のように母の肖像画を描き上げ、母への思いを自身のなかに定着させた。しかしそれは同時に、彼の精神疾患が定義されたときでもあった。ランディスは精神疾患と引き換えに、自分のなかに母を埋め込んだのである。 こうして模写は、心の母からの称賛を自身へと注ぎ込む装置として機能するようになった。17歳以降のランディスは統合失調症を抱えた患者だったが、彼自身にしてみれば模写を媒介に母との統合を果たしながら生きたことになる。母が亡くなった後も贋作の寄贈が続いたのは、心の母が生き続けていたからだろう。その意味でランディスは、統合失調症とは裏腹に心の統合を果たしていた。しかし、その統合は一枚の肖像画に象徴される、極めて閉塞的な世界だった。 言い換えれば、幻想の母による承認のもとで作品を描き精神障害を乗り越えてきたランディスは、母が認めたことがないオリジナルの作品を描くことができないのである。これは、「写真を学んだが撮るものがなかった」という彼自身の言葉によって裏付けられている。ランディスは、母の承認なしに外の世界を美の基準で捉えることができないのだろう。 このように考えていくと、「贋作じゃなくて、自分の作品を作ってほしい」という人々の要望は、簡単にはかなわないことになる。一方で、映画の結末で彼がアイデアとして示した「なくなった1ページを、もとの本に戻す」仕事は、心の装置の仕向け先を贋作から修復へと移行させるすぐれた着想に思えてくる。この点から見ても、ランディスの精神はまともというしかない。 ランディスの統合とわたしたちの不統合 結局のところ、ランディスは絵画を模写することによって自我を形成した。しかし、母を起点としたその自我は極めて社会性の乏しい、彼の心に閉ざされたものとなった。この閉塞を超えて彼を社会につなぎ止めたのが、贋作を美術館に寄贈するという行為だった。彼はこれを「慈善行為」と呼んでいる。 ランディスは美術館であれば贋作となる模写の能力を、今後は修復の世界へと広げることを示唆しているが、この映画もそのひとつと見ることができる。彼は本作を通じて主役を務め、多くの登場人物や観客と繋がる切っ掛けを得た。『美術館を手玉にとった男』を通じてランディスは社会との新たな統合を果たしている。手玉にとられたのは美術館だけではない。「手玉にとる」はタイトルに掛けたものだが、もちろんランディスの意図ではない。ランディスの行為に周囲が参加しているという意味だ。 ランディスが歩んできた人生は、わたしたちにある種の反省をもたらす。いったいわたしたちは、誰からのどのような承認のもとで自己を確立し社会と繋がっているのだろうと。これは大多数の人々にとって難しい問いではない。多くの人は学校に通い、職を得て伴侶をもうける。そこには試験、資格、容姿、家柄、人種、金銭といった様々な種類の承認がある。こうした承認の組み合わせによって作られる生活や人生の多くは、社会的に構成されたものだ。この仕組みと交われない個人の状態が、統合失調症と呼ばれるのだろう。 わたしたちはそうした疾患と無縁であることを良しとしている。そこで経験する承認は、ランディスの世界に比べ複雑で多様なものだ。しかしその分、承認のレベルは低く一貫性に欠けがちだ。わたしたちは褒められる対象を、もっと厳選するべきではないのだろうか。 ランディスの人生を羨むわけではない。しかし、『美術館を手玉にとった男』を観てわたしには、ランディスが行ったような承認への集中なしに、外界や対象を深く知ることは難しいのではないかと思うようになった。ランディスの修行は極端なものだが、そのことが逆にわたしたちが抱える症状を思わせる。わたしたちはランディスと反対に、真に模写すべき対象を見失っているのではないか、と。 ジェニファー・グラウスマン監督とサム・カルマン監督は、マーク・ランディスというひとりの精神病者の特異な才能を通じて、観る者に、修復が必要なのは観ているあなたかもしれないと問い掛けている。やはり『美術館を手玉にとった男』は、新しいタイプのドキュメンタリーなのだろう。
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heyheyattamriel · 4 years
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エドワード王 十一巻
昔日の王の一代記 十一巻
ロスガー山脈のふもと、レイヴン・スプリングと呼ばれる小さな村の、狭いけれど快適な宿屋で、コンパニオンたちは、一晩を過ごしました。翌朝彼らは東に向かう旅を再開しました。スカイリムとハマーフェルの国境に向かううねる丘を越え、次の2晩は澄んだ初夏の晴れた空の下でキャンプを張りました。彼らが旅を再開した3日めの朝、モラーリンは道の北側の斜面を見て、皆に南西に面している高い牧草地に通じる切り込みがあるのを見るように言いました。一団が突き出した岩の周りを曲がった時、ほぼ同時に全員がそれに気づきました。
シルクとビーチが適切なルートの偵察と、今夜のキャンプ地を探すために先行しました。黄昏までには、彼らは草地までの半分近くの道のりを終えていましたが、翌朝まだいくつかの崖を登らなければなりませんでした。もう一度キャンプを張る頃合いだと意見が一致しましたが、幸いにも翌日のお昼時にはピクニックができそうでした。
翌日の正午、それは年央の月5日の土曜日でしたが、アカトシュともう一匹のドラゴンが加わった仲間たちは、ドラゴンの村の草が生い茂る斜面で腹ばいになっていました。この二匹目のドラゴンはアカトシュよりも小さく、雌のように見えました。性格上、アカトシュはただそのドラゴンをデビュジェンと紹介しただけで、それ以上の説明はありませんでした。二匹のドラゴンは、人類たちと礼儀正しくおしゃべりをしながら自分たちの過去を懐かしんでいましたが、少し経つとデビュジェンは飛び去り、優雅に空を弧を描いて飛び、少し離れた草の茂った野原にいる雄の子牛に飛びかかりました。
アカトシュはこれに対するエドワードの反応を観察していて、そしてたずねました。「なぜしり込みをしたのだね、エドワード?このところデビュジェンは食べていなかったし、ただお前たちが今しがたしていたのと同じ振る舞いをしていたのに」
エドワードは少し微笑んで答えました「僕たちの食事はあんな風に野蛮じゃないと思うんです」
アカトシュは笑顔を返しましたが、やがて返答しました。「それはいい警告だ。我らは、同じというより似ているだけだという」
エドワードは口を閉じて真昼の太陽に目を細めました。それからドラゴンに向き直りました。「アカトシュ―どうしてあなたの村にこの場所を選んだのですか?」
「さて、山の中にあり、高さも十分で、我らにふさわしい。その上、家畜を育てるのに充分に平坦だ…鹿のための木もある…そして、我らすべてにとって、非常に防衛的だ。ここには人間が牧場と農場を作る場所もあるし、エルフたちは断崖の端の厚く茂った木々の中なら極めて快適だ。崖の表面を囲む坑道は、内部の鉱山にある我らのねぐらへの通路になる。全体として、多くの生き物の種族を含んだこのような実験を行うには、理想的な場所だ。その上、南西に面していることで、小さな生物たちを気温の低い月の間の要素から保護するのに合理的な暖かさも供給される」
エドワードが答えました。「真ん中に建物が集まっていない村って言う概念に慣れるのは難しいけど―多分、将来は発展するでしょうね。少なくとも、会議や社交のためのいくつかの建物は。それに、ここはきれいな夕陽が見られると思うな」
ドラゴンはまた笑って、そして答えました。「まったくそうだ。だが、ドラゴン族の中でそんなことに興味を持つのは我だけだ。そして、それは我らがこの場所を選んだ時には正当な考慮のうちに入っていなかった」それからもの思わしげに、「そのうちのいくつかを表す言葉を組み合わせられればいいのだが。数え切れないほどやってみようとしたが、結果はあまり…立派なものではなかった」と言うと、元気な調子に変わりました。「話は変わるが、人類のために会議場を建てるつもりにしている。取引と物々交換のための店を何軒かも」
モラーリンがぶらぶらとやって来て、腰を下ろして尋ねました。通常人類がドラゴンたちに見せる敬意の欠落は特筆すべきものでした。「こんなおかしな実験をしようなんて、何に憑りつかれたんだね、アカトシュ?」
ドラゴンは思慮深そうに間を置いてから答えました。「我が常に分析してきたように、この場合、ドラゴンの行動の歴史と言えるかもしれぬ。新しいオーレリアンの神々に対する抵抗の長い闘争は明らかに無駄なものであったが、我らがそのことを理解し、受け止めるには何世代もの時間を要した。そして、我らの次の様式は、互い同士からさえ孤立することであった。また、他のあらゆる存在からの侵入に対する抵抗でもあった。例外は、夫婦となり我らの種を再生産することだった。然りながら、その一つの活動を別にして、我らは我らの貴重な私生活を守るために戦ったのであるし、我らが特に頑固な種族であること以外には、何の正当性もなかった」
エドワードが言いました。「なら、理由がなくなってしまったずっと後も、その様式を維持してきたんですか?」
アカトシュは少し恥ずかしそうに見えました。彼は鼻をすするように言いました。「我はその通りのことを言ったと思う。我らだけがその餌食になる感傷的な生き物ではないのだ」
「アーチマジスターが多くの行動は生まれつきだって言ってました」エドワードが言いました。
モラーリンが彼に笑いかけました。「そして生まれつきの行動様式は、状態が変わるとゆっくりと変化する長命の種に顕著な問題なのだよ。お前たち短命種の人間以上に、我々エルフたちはそのせいで苦しんでいる。命は変化し、それに抵抗することになるにもかかわらず、我々がものごとをそのままにしておくのが好きな理由だ。ドラゴンはさらに長く生きる。エルフよりも長くだ。そして、結果として繁殖も遅い。しかし、社会的環境に生まれた変化が、良かれ悪しかれドラゴンの行動にどんな影響を与えるかは、誰にもわからないのだよ」
この時にはアリエラも会話に加わって、そして観察していました。「デイドラはドラゴンの行動に長らく喜んでいるに違いありませんわね」
アカトシュが答えました。「おそらくそうだろうが、我はこの提案のようなものとともに我らの…女王に接触を試みた。なぜなら、我らが種族として停滞状態に陥っていることは明らかのようであるし、我ら自身に活力を与えるために、この殻を破らねばならぬゆえに」
この時には、仲間たちは皆、声が聞こえる場所に座っていました。そしてマッツが尋ねました。「女王の許可が必要だったんですか?それと、いろんな種族との間にたくさんの困難を抱えてた?」
「許可はこの場合、極めて正確ではないな、マッツ。我らが存在している、それはなおさら、彼女が情報を手にできるように、我には彼女に伝える義務があったのだ。例を挙げるなら、他のドラゴンは軍事的な知識を求めて我を訪れる。従うことは準備を整えておくことと同一の哲学だ」
マッツはにやりと笑って言いました。「つまり、『念のため』ってことですか?だけど、エルフと人間については?」
「ああ、我が人類の王と淑女は、異なる姿かたちと習わしに対する敬意と忍耐の非凡な例となっておる。彼らはわが年若きブレトンの友エドワードと我とともに、寛大にも知識と技術を分け合ってくれる、ああ、私がここでの定住を試みるよう説得した鍛冶職人と鉱夫たちを貸し出してくれたモラーリンに感謝しているよ。ブレトンは、そうだな、多くのブレトンは、それが利益をもたらす限りは、長い間何事も徳を持って行ってきた。そして、そこから知識と技術を得ている。ノルドは個人の栄誉を渇望し、栄光がここで生産されたミスリルの鎧と武器をすばらしく利益のあるものにする―貴族以外には売らないことを主張するようになったアリエラは、まったくの天才であったよ―探索が新しいトンネルを開き、経路を提供してくれた―我らドラゴンが必要とするものに」アカトシュは少しずる賢そうに微笑みました。ドラゴンが何を必要としているかについて、彼はとても寡黙でした。「ビーチとウィローが、彼らの民にウッドエルフがここで歓迎されることを広めてくれている。ゆえに、長らく古来のハイロックのふるさとを追われた者たちが、この丘に戻ってきている」
「幸い俺は今公爵だから、ミスリルを着ることと持つことを保証されてる。あと二つばかり手に入れられたらなあ!だけど値段のせいで諦めなきゃいけないかも―」マッツが言いました
「諦めたらミスリルを手に入れられないぞ」モラーリンが指摘しました。
「俺の息子と娘はどうなんだ?その子たちのために、お前に土下座でもするか?」マッツが憤然として言いました。「俺の膝と呼吸がひと頃ほどじゃないのは認めるよ。どういうわけかここに残りたい誘惑に駆られてるのは事実で、俺は今ここにいる。だが、俺はまだ何にだって自分の斧を振るえるぜ!」
ミスが楽しそうに歯を見せて笑いました。「ノルドは勘定できないもんな。だからあいつらは利益でなく名誉と栄光を求めるんだ。名誉と栄光ってやつはあんまり多すぎて、人が指で数え上げるには向いてないからな。マッツ、もしお前が39歳だったら、俺が会ったか会ってみたいと思ってる人類の中で一番でかい10歳の人間だよ!」
「だけど、それなら探検も鍛冶もしないやつには何の利益があるんだ?」マッツが旧友を無視してこだわりました。「俺はこんな…別格の存在のすぐそばに住むのを怖がるやつがいっぱいいると思ったもんだ」最初の部分を言う時に、マッツは狡猾そうに笑いました。
「そうだな、一方ではその『別格の存在』の姿は、確実に手厚く守られていることを意味する。それに、この一帯は驚くほど肥沃で、作物がよく育つ…そして、彼らは我らのための肉を供給してくれるが、我らの食糧が占める割合は、彼ら自身が消費する分の五分の一だ。我らはまた、我が長らく疑念を持っていたことを発見してもいる―3組の種が組み合わさった場合、それぞれが孤立していると考える時よりも、より効果的に戦う―それは、それぞれの種が他の弱点を補強あるいは打ち消すからだ。少なくとも、ごく短期間でこの辺りのゴブリンが劇的に数を減らしていることは確かな事実だよ」
「その通りだ」エドワードが返事をしました。「モラーリンがモロウィンドでそう証明したよね」
「少しばかり友の助けを借りてね」モラーリンが認めました。「賞賛は享受するし、彼らが設定した基準よりも私が少々上のレベルにいるのは事実だが―時にそれは基準以上に標的のような気がするよ!」
彼の発言に笑いの波が応えました。エドワードはこだわります。「アカトシュ、あなたと他の仲間がここにいて、僕は自分の国の国境の守りが厚くなったと感じるけど、スカイリムは国境を西に動かす必要性に駆られる気がするはずだと思うの」
アリエラが尋ねました。「他のドラゴンたちにここに移ってくるよう説得するのは簡単でしたの?」
「実際に最も困難だったのは、我らの宝を新しいねぐらに運ぶことだった」アカトシュは怠惰な微笑を見せながら答えました。「蓄積した金属と、宝石や貴金属が役に立たないとわかると、すべてがうまく運んだ」でも、次にもっと深刻そうに言いました。「本質的に、我は他のドラゴンに個人的に近づかねばならなかったし、この考えには利益があると、彼らを…説得せねばならなかった。ここでもまた、我らのうちでも特に孤立した2、3の同類を説得してしまえば、ことを運ぶのか楽になった。しかし、この辺りに住んでいるのはたったの9体なのだ…そしてここには実際にあと2、3体分の場所しかない。今後の展開を見ずばなるまい」
アリエラが気が付いたように言いました。「今のドラゴンの行動を、神々と女神たちがとても好意的に捉えているのではないかと思いますわ」
「そうかもしれないな、アリエラ。だが、再び言うが、これはそのためではないのだ。しかも、彼らはまだ我らの長い敵対を覚えているかもしれぬ」
ビーチが恭しく尋ねました。「それより、この村の名前は何なのですか?」
アカトシュは嘆息して、やがて返答しました。「結論が出ることがないのではと恐れている。それぞれの種がそれについて意見を決めたゆえ。おそらく、最初の建設期間が完了すれば、そのような問題に関してさらに熟考できるだろう」
ビーチが応えました。「それは正しいことには思えません―どこにでも名前があるべきでは?」
ウィローがくすくす笑って言いました。「私たちにはそうだろうけど、ドラゴンがどう思うかなんて誰にもわからないわ。それに、人間とエルフは名前のスタイルだけじゃなくて、その詳細でも口論になるのは確実よ」
モラーリンがひどく劇的な調子で割り込みました。「エルフがとんでもなく頑固だと言っているのではないだろうね!?」そして議論は、彼らの中でひとしきりの笑いと揶揄の中に溶けてゆきました。
やがて、アカトシュが言いました。「我は『セクション22』という名が好ましい」
ビーチが彼を見つめました。「アカトシュ、詩作の難しさはよく知っていますよ。率直な意見を申し上げてもよろしいですか?それは私がこれまで聞いた中で最悪の村の名前です」
アカトシュは突発的にため息をついて、急いでビーチに詫びました―人類は、ドラゴンのため息は非常に不快で、時に本当に危険であることを発見しました。「ならば、我の意図がどう違うかわかっているのだな。我にとってはこれは大変意味があり、最も適切なのだ。『セクション16』ならもっといいのかね?違う?それなら、『セクション』という言葉が引っかかっているのかね?それは『砦』や『リーチ』や『峡谷』や『支配地』と比べてどう劣っているのかね?」
エドワードが言いました。「でもね、アカトシュ。名前は意味があるべきだと思うんです。少なくとも、人間はそう考えているよ。この場所を『22』にするなら、その前の21個のセクションがないと」
「本当?」アカトシュが言いました。「なぜだね?すべての数字は等価ではないのかね?一つの場所と他を区別するのに役に立つ。例えば、『グリーンヴェールズ』という村がいくつもあるかもしれん。そのような村を4つ知っている。『22』という数字は、魅力的だ…審美的にも。同様に、何らかの『意味』がある―少なくとも我には」
モラーリンが言いました。「アカトシュ卿は、我々が言うところの『内輪ネタ』を楽しんでいるんだと思う。私はドラゴンにそんなに無分別に教えたのだろうか―」
「モラーリンが分別がないなんて糾弾した人間がいるかしら?」シルクが言いました。
少しして、エドワードがアカトシュに尋ねました。「ちょっとだけ一緒に戦いのゲームをしてくれる?僕、ゲームの盤と駒を持ってきたんだ���
モラーリンが遮りました。「残念だが、アカトシュと私は今晩いくつかの件で話し合わねばならない―それに、お前はどうしたってまた負けるよ」彼は好ましい笑顔で付け加えました。
エドワードが返答しました。「だけど、僕は誰にだって勝てるんだよ…アカトシュ、僕があなたに勝つことがあるかしら?」
「ないね、エドワード、我に勝つことはないだろう」そしてアカトシュはエドワードの驚いた表情に少し混乱しました。そして、急いで心のこもった笑顔を見せました。
「あまり如才ない答えじゃなかったですね、アカトシュ。だけど、どうして僕は絶対に勝てないの?」
「我がお前よりずっと長い間やってきたからだ、エドワード。そして我が続ける限り、お前が追いつけることはないだろう。その上、このゲームは我が『有限の問題』と考え始めているもので、この類のものは最も簡単に解決できるものだ」
「その『有限の問題』ってのはどういうことです、アカトシュ?」マッツが尋ねました。
「起こりうる行動と結果を数えることができる問題ということだ、マッツ。このゲーム盤には81マスしかない、そして両軍は正確に27駒、それぞれの駒が特定の動きをする、そういうことだよ」
「だけど、そのゲームは本当の戦闘に似てるんじゃ?」スサースが尋ねました。
「いや、学習するにも、どのように戦闘を終わらせるかを考えるにも非常に良い練習になる―だが、我がエルフの射手は決して疲れることがないし、我がマスターメイジは常に私の求めることをする。現実の戦闘でそんなことはまず起こらぬ」
モラーリンが同意するように頷き、からかうようなずる賢さで尋ねました。「では、無限の問題の例は?」
「まさに現実の戦闘…だがまた、私にとっては詩が無限の問題だ」
「でも、すべての詩は分析できますわ、アカトシュ」アリエラがたしなめるように言いました。
「無論だ―だがそれは書かれたあとのこと。我はそれを書くという行いを決定し、あるいは固定することができぬ。だが…それは、創造する行いだ。もし我が詩を書き始めたら…可能性は数多くある」そして苦々しげに、「我は最初の1行を越えたことがない。なぜなら、1行目に書き込めるすべてのものを想像し始めるからだ…」と言いました。
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nemosynth · 4 years
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<デジタルシンセ戦国記 VI : KAWAI K5000W>
「国産デジタルシンセ最後の聖戦」
●メーカー名
河合楽器製作所
KAWAI は、大戦前に YAMAHA からスピンナウトしてできた楽器メーカー。
明治時代 1886 年、静岡県は浜松に生まれた河合小市(かわい・こいち)。 幼いころから天才技術者ぶりを発揮していたらしく、尋常小学校四年を卒業したあとの 10 歳のとき、客馬車が走るのを見て、木切れを集めて小さな客馬車を自作してしまい、犬にひかせ自分が乗り回し大人どもを仰天させていたという。 そんな神童の彼は、知人の紹介で、山葉寅楠(やまは・とらくす)というエンジニアが興した楽器メーカーへ丁稚入りすることになった。これがのちの日本楽器となり、現在のヤマハとなる。
そこで河合小市は、国産初のピアノをつくるプロジェクトに参加し、独学でその打弦機構を開発してしまうという天才ピアノ職人ぶりを発揮。
昭和になってすぐの 1927 年、105日におよぶストライキなど大規模な労働争議がこじれたあげく、新社長が来たのが気に入らなかったらしく、河合小市は日本楽器から独立して会社を設立、これが今の河合楽器製作所となる。
戦後の 1950 年代、河合小市の次女の婿、二代目社長となった河合滋により多角化が始まり、その一環として Teisco(テスコ)株式会社を傘下におさめた。テスコは、もともとカワイの取引先であった小さな楽器メーカーであり、このテスコがカワイの電子楽器事業の始まりとなる。同社はカワイのもと、しばらくの間はテスコ・ブランドでシンセを開発しつづけていたが、やがてカワイ・ブランドでもシンセを出すこととなった。それが大々的にはじまったのは、1986 年に発売された K3 から。
その KAWAI ブランドKシリーズは、やがて ’80 年代の後半に大きく育ち、一時期はシンセ業界の中で国産御三家こと YAMAHA、KORG、Roland に続く第4の勢力として、CASIO とならんで大輪を咲かせることとなった。
なお、CASIO は ’84 年発売の CZ-101 以来、急速にZシリーズのラインナップを展開し新興勢力となったものの、’88 年の VZ-1 が DX とならんで変調ヲタすぎて難解すぎ、’89 年に VZ-8M を発売したあと鳴かず飛ばずで失速しており、このときカシオではなくカワイに追い風が吹いていることは明らかであった。
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●機種名
K5000W Advanced Additive Workstation
1996 年発売 61 鍵ベロシティ・アフタータッチ対応 定価 218,000 円 2年後 17,8000 円に価格改定
フルデジタルシンセであり、ワークステーションシンセである。
カワイ・シンセの本流Kシリーズでは、前の機種 K4 から7年が経過したひさびさのプロ価格帯の機種。’80 年代に新興勢力として存在感を出した老舗カワイが、その復権をかけて ’90 年代後半に殴り込んできた最終兵器。それが K5000 シリーズ。
その中でも、本稿でとりあげる K5000W は; すさまじい怒涛の音源方式に、 すさまじい怒涛の変態シーケンサーとをカップリングさせた、ド変態ワークステーションシンセ。
K5000 シリーズには3機種あり;
 ・K5000S 16 万8千円;シーケンサーを持たない、素のシンセ  ・K5000W 21 万8千円;本稿でとりあげる、ワークステーションシンセ  ・K5000R 12 万5千円;ほぼ K5000S の2Uラックマウント音源モジュール版
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これが発売された 1996 年とは、誰も気づかなかった史上初の今日的ワークステーションシンセ ensoniq ESQ1 が発売されてから、じつに 10 年、コルグ M1 からも8年が経過した年。 この当時のシンセといえば、ヤマハ W5 から2年、ローランド XP-50 とコルグ TRINITY、prophecy が、発売されて1年。すでに M1 以来、各社ともに2、3世代が経過しており、世の中はすっかりワークステーションシンセ全盛期であった。事実、K5000S / W と同じ年に、ローランドのフラッグシップ機種 XP-80 が発売されている。
当時のワークステーションシンセには、16 トラックの MIDI シーケンサーが搭載されていたが、K5000W のそれは 40 トラックもあり、編集コマンドも充実していた。それでいて K5000W は、競合他社より価格が安い、恐ろしい機種だったのである。
だが、2年ほどたった ’98 年には、最後の Ver.4へのアップグレードとともに、価格改定が実施され;
 ・K5000S 14 万8千円  ・K5000W 17 万8千円  ・K5000R 11 万5千円
と、さらにお求めやすくなった。 それはそのまま、カワイ最後のシンセとなった。
●音源方式
Advanced Additive 音源(ここでは「AA 音源」と略す)
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サイン波 128 倍音加算合成に、PCM 波形と、さらに減算方式を組み合わせたものである。
非常にパラメーターが多く、千以上ある。 ただでさえ本格的なサイン波倍音加算合成なのに、さらにそれを最大6系統もレイヤーして1音色をつくるという、途方もない音源方式。
そもそもサイン波倍音加算合成とは「すべての音色は、サイン波による基音と倍音の組み合わせで決まる」という、フーリエ級数に基づく。
これは古くから伝わるパイプオルガンの原理であり、パイプ1つ1つが正弦波を発振するオシレーターであった。そのパイプの組み合わせをおびただしい数のストップでもって可変させ音色を変えるため、パイプオルガンはシンセサイザーの祖でもあった。
それが電気化されハモンドオルガンになると、トーンホイールひとつが正弦波オシレーターとなり、ドローバーで音色を変えられるようになった。それでもそんなオシレーターを何十個もそろえるのはコストがかかりすぎて非現実的だったが、やがて電子時代になるとサイン波オシレーターをたくさん集めて音色をつくる倍音加算合成が、より安価に実現できるようになった。
FFT(Fast Fourie Transform)によって既存の音色の倍音構成がわかるようになると、逆 FFT でもって主に整数次倍音群から加算合成して音色を作り出すことも可能となった。
ありものから倍音を削る減算方式と違い、無から有を生み出す加算合成は、シンセサイズの原理主義的な手法とも言える。それだけに愚直に膨大なオシレーターをあつめてつくる倍音加算合成は、おのずとパラメーターが多くなる傾向にあった。 そこへくると、たった2つのオシレーターだけで多彩な倍音表現を実現したのが FM 合成なわけで、それを発見したチョウニング博士の偉大さがわかる。 それでもテクノロジーが進展するにつれ、コストダウンにともない、各社から工夫を凝らしたサイン波倍音加算合成によるシンセサイズが、でてくるようになった。
K5000 では、単一のシンセシス系統を「ソース(Source)」と呼ぶ。ヤマハで言うエレメント、ローランドで言うパーシャル。そして最大6ソース、つまり6エレメント、ないし6パーシャルで1プログラムを形成する。1プログラムを「パッチ(Patch)」と呼ぶところは、当時のローランドと同じ。
各ソースは、サイン波加算合成音と PCM 音と、どちらを出力するか選択でき、それらを自由に組み合わせることから、言わばローランド D-50 の LA 音源を換骨奪胎、かつストラクチャーから解放し自由に使えるよう拡大解釈したような、すぐれた構成と言えた。
サイン波加算合成では、1ソースにつき 64 倍音まで出力できるが、2ソースであれば、高低ふたつの周波帯を分担してシンセサイズすることで、合計 128 倍音も出力可能。これだけで相当に精緻にうがった音源波形を自作できる。
PCM 波形は、トランジェントなどサイン波加算合成では出せない倍音を提供するための音素片であり、この点でも D-50 的な音源方式を取り入れている。
ソース間では、AM 変調機能もはさみこめる。
こうしてオシレーターで音源波形を自作したあとは、デジタルのレゾナントフィルターやアンプなどを使って、フルデジタルの減算方式シンセとして加工可能。最後にはマルチエフェクトを搭載したソース・ミキサーを通し、出力される。
サイン波倍音加算合成して創った音色の特徴として、和音でも音が濁らないということが挙げられる。FM 変調方式にも通じる独特のデジタルな音色をつくることができ、しかも狙った位置にダイレクトに倍音を増減できるという、きわめて直接的なメリットもある。
そのぶん、まともな音をつくるのには、最低でも 20 ~ 30 は倍音が必要で、できれば 64 倍音、そして本機のように 128 倍音はほしくなる。このため K5000 では本体だけでもエディットできるよう、当時としてはかなり操作性に工夫がほどこされていた。
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K5000 シリーズには、倍音加算合成と PCM 音素片波形とを組み合わせた AA 音源が搭載されていたわけだが、K5000W だけ、それに加えて純然たる PCM 音源もあわせて搭載されていた。そして、それを使った GM 音色バンクもある。GM は Level 1 。
なお、音源方式ではないが、シーケンサーも概略を解説しておく。
K5000W は、ワークステーションシンセなので、通常のパフォーマンスモードの他に、シーケンサーを使って作曲するためのコンポーズモード(Compose Mode)があった。
パフォーマンス・モードでは、単一のパッチを鳴らすほか、4パッチを組み合わせて1コンビ(Combi)として鳴らせるが、このときはあくまで単一ティンバーであって、決してマルチティンバーではない。コンビでは、4パッチをレイヤー、キースプリット、ベロシティスプリットなどで組み合わせることができた。 また、1パッチごとに4基のマルチエフェクトが使える。
コンポーズ・モードでは、AA 音源が 16 パートマルチティンバーとなり、加えて PCM による GM 音源が 16 パートあり、合計 32 パート音源として鳴らせる。 そして、このときに内蔵の 40 トラック・シーケンサーで駆動できる。シーケンサーは MIDI トラックのみだが、この当時はまだ皆そうだったんだから仕方がない。本体音源 32 パートにあわせて、MIDI Out も2つあったから、40 トラックの意味もあろうというもの。DAW みたくオーディオトラックも持つワークステーションシンセは、21 世紀まで待たねばならなかった。だから 40 トラックもあるだけでも、群を抜いて御の字。
なお、MIDI で GM System On メッセージを受信すると、自動的にコンポーズモードになってくれる。
K5000W ならではの、秀逸なシーケンサー機能として APG(Auto Phrase Generator)という作曲支援機能があった。ある MIDI トラックを原始的な AI みたいなやつに分析させると、その分析結果に基づき、さらに人間が指定したジャンルなどを勘案し、その楽曲にふさわしい伴奏シーケンスデータを K5000W が提案してくれるのである! しかも音色込みで、マルチパートにて提案してくれる!
AI が支援する作曲 AI powered composition なんて、2010 年代の後半になってようやく言われてきたのに、それの始原みたいなものを垣間見せてくれる、技術史的にも興味深い機能。
●同時発音数
32 音ポリ+32 音ポリ
すなわち ・32 音ポリの AA 音源 ・32 音ポリの GM 音源 このカップリング。
前述の通り GM / PCM 音源まで内蔵しているのは、ワークステーションシンセ K5000W のみであり、K5000S や K5000R では AA 音源のみ搭載。
32 音ポリとは当時としては標準的だが、6ソースも動員すると5音ポリになり、プロフェット5状態に。 そのかわりに、加算合成であることもあって、想像を絶する緻密な音創りができた。
●内蔵エフェクトの性能と傾向
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パッチ全体にかかるリバーブと EQ、そして4基のマルチエフェクトがある。
6ソースに対し、各エフェクトへの送りバスはステレオ4本あり、ソースミキサーにてルーティングがグラフィカルに設定できるのがいい。
パッチあたり4基あるマルチエフェクトは、おのおのが 36 アルゴリズムを搭載。空間系、変調系、歪み系と、ひとしきり多彩にアルゴリズムがあり、なかなかよく効く。ワウや3相コーラス、バンドパスフィルターや、エキサイターまであるので、バリエーションは充分。
パッチ全体にかかるリバーブは 11 タイプ、同 EQ は7バンドのグライコ。
さらにエフェクト専用のモジュレーションマトリクスがあり、14 ソース、10 デスティネーションで構成されるという、この時代にしては充分すぎる内容。
●内蔵波形、プリセットの傾向
AA 音源の加算合成機能では、音源波形すら自作する。 それに加えて、音素片となる 123 種類の PCM 波形も、あわせて装備。
さらに��記にプラスして、K5000W にのみ提供されている PCM 音源は、341 の PCM 音源波形と、325 ものドラム音源波形であった。これらの PCM 音源波形は、AA  音源にある PCM 音素片とは、まるで違い、単体でも使える完成度が高いマルチサンプルである。
Ver. 3以降、プリロードされている音色メモリーバンクが増大。その内訳は;
・A、E、F、Gバンク  AA 音源による音色  60 パッチがプリロード  すべてユーザー上書き可能  おそらく発売当初はAバンクしかなかったのが、あとからEバンク以降が足されたものと思われる。  また、バリアブルメモリーのため、パッチごとに使用されているソースの数などによって、保存可能音色数が可変する。
・B バンク  K5000W のみの PCM 音源パッチ専用バンク  128 パッチがプリロード  すべてユーザー上書き可能
・GM バンク  GM Level 1 の 128 プリセット音色が搭載されているバンク
なぜかC、Dバンクは欠番で存在しない。 画面をスクロールすると、GM → B → A → E → F → Gバンク、というふうに切り替わる。
また、ドラムキットが別途存在し、ユーザーキット1つ、プリセットキット 10、1キットは最大 64 インストで構成され、253 のプリセット・インスト、32 のユーザー・インストがある。
プリロードされている音色は、AA 音源においては、当初からのものははっきり言ってサイン波っぽくてイマイチ。だが、Eバンク以降の、あとから追加された音色はさすがに作り込まれていて、FM 音源だとばかり信じ込んでしまうできばえのエレピや金属音、サンプラーではありえない斬新な音色変化に富むものばかり。これが生産完了になったのが、きわめて惜しい!
Bバンクの PCM 音源も高品位なものであり、90 年代のサンプルプレイバックとしては、おそらく一番すなおで高音質なものではないかと思われる。このせいなのか、GM バンクの音も「えー? GM 音源って、こない音良かったっけー?」と思うことうけあい。箱庭宇宙にありがちなチープさとか、うすっぺらさが無い、ふくよかで豊かな音がする。
アコピにいったっては、貴重なカワイのアコピの音。あたりまえかもしれないが、これは大事なことで、カワイのアコピは、重厚でダークでプログレッシヴな音がするので、それがシンセで弾けるのはありがたい。正直に、個人の感想で書くと;
「コン」ファツィオリ 「カン」スタインウェイ 「ガン」カワイ 「ガン‼」ベーゼンドルファー 「ぽん」この、なんとも FM 音源みたいなうすっぺらい音が、ヤ○ハ
●エディットの自由度と可能性
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どのバンクの音色をエディットするかによって、AA 音源か PCM 音源かが決まり、アクセスできるパラメーターも変わる!
・A、E、F、Gバンク → AA 音源をエディット ・B バンク → K5000W のみの PCM 音源をエディット
AA 音源における1ソースの概要は、以下のとおり;
「倍音加算ジェネレーター」サイン波 64 倍音加算合成:上記の DHL、DHE   ↓ 「フォルマントフィルター」;上記の DFL、DFE   ↓ DCO こと、ピッチや波形の概要パラメーター   ↓ 通常の DCF ことマルチモード・デジタルフィルター   ↓ 通常の DCA
「かぎかっこ」でくくっているのは、そのような表記がどこにもないので、私が勝手にわかりやすく解説すべく編み出した用語だからである 笑。おおむね、’80 年代の K5 に搭載されていたサイン波加算合成エンジンを、さらに拡大したものと考えて良い。K5000 では、これを最大6ソース重ねて、1パッチとなす。
以下、各ブロックごとに解説する。
▲倍音加算ジェネレーター
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かつての K5 にて、DHG(Digital Harmonic Generator)と呼ばれていた部分。要は、サイン波倍音加算合成によって音源波形をつくるオシレーターである。
64 倍音加算するのだが、2つのソースを使うとき、片方を Lo(1~ 64 次倍音)、もう片方を Hi(65 ~ 128 次倍音)に設定すれば、128 倍音加算合成ができる。
マクロエディットができるので、最大 128 もの倍音を、必ずしもいちいち個別にエディットしなくてよい。マクロには
・高次倍音のみ ・低次倍音のみ ・奇数次 ・偶数次 ・オクターヴ;1, 2, 4, 8, - 64 (Lo) ないし 128 (Hi) ・5度;3, 6, 12, 24, 48 (Lo) ないし 96 (Hi) ・全部一括
とあり、実践してみると、聴覚上の変化ともマッチするので、かなり予測しやすい。
なんと、各倍音ごとに音量 EG を設定できてしまう。EG は ADDR で構成され、つまりセカンドディケイができる。EG をループ再生させることも可能。ただ、さらに少々びっくりするのは、各ポイントのパラメーターが、レベル・レート制なこと。レベル・タイム制では無いので、ちょっと感覚的ではない。
各倍音ごとに EG を個別エディットできる他、全倍音の EG をまとめて一括編集したり、倍音から倍音へ EG をコピーすることも可能。
つまり、この倍音加算ジェネレーターだけで、音源波形をつくるだけでなく、すでに音色変化をつくることができてしまう! 言わば自作可能なウェーヴテーブル! よって、これが倍音加算合成シンセというのは、間違いではないが、むしろウェーヴテーブルを自作可能なシンセと考えたほうがいいかもしれない!
しかも、この次のブロックでまた複雑な音色変化をつくりだすことができてしまうという、鬼の仕様。それが次に紹介するフォルマントフィルターである。
▲フォルマントフィルター
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K5000 に搭載されているフォルマントフィルターとは、128 バンド(128 倍音ではない)のグライコに例えられることが多い。ただ、音色全体まるごとイコライジングするのではなく、各ボイスごとに処理するので、128 バンドのフィクスト・フィルターバンクがボイスごとにあると思えばいい。
バンド1からバンド 128 までは、10 オクターヴ以上も開きがある。
・バンド1; C -1=8Hz ・バンド 70 ; A4 = 440 Hz (ヤマハ / Logic 方式なら A3) ・バンド 128 ; G9 = 12,544 Hz = 12.544 kHz
見てのとおり、バンド1は可聴域を余裕で下回る! また各バンドは、各倍音とはなんら関係なく、固定された周波数でレベルを増減するだけである。
エディットマクロもちゃんとあり;
・8バンドにまとめた上で、各バンドの中心周波数ごとにQの幅を編集 ・バンドX~X+20 までのバンドを一括してレベル増減 ・バンドX~X+15 までのバンドを一括してレベル増減 ・バンドX~X+10 までのバンドを一括してレベル増減 ・バンドX~X+5 までのバンドを一括してレベル増減 ・全バンド一括編集 ・各バンド個別編集
レベルコピー機能や、バイアスというパラメーターもあるが、このバイアスがくせもので、プラスにすると低周波域、マイナスにすると高周波域へとシフトするのでややこしい。
専用 EG もあり、やはり ADDR で構成され、ループ再生も可能。そしてやはりレベル・レート制。 専用 LFO もあり、三角波、鋸歯状波、ランダム波とある。
最も特徴的なのは、ノンリアルタイム演算によるモーフィング機能があること。 4つまでの時間軸上のフェーズに、任意のパッチ、任意のソースから倍音設定をコピってきてあてはめ、フェーズごとの遷移時間、ループ再生などを設定し、なんと最後に実行キーを押すことでノンリアルタイム演算でもって、波形を算出しているらしい。
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これらと EG や LFO などとあわせ、複雑かつ周期的な音色変化をもたらす。なんせフィルターの周波数特性を、ユーザーが好き勝手に決められるため、相当に摩訶不思議なことになる。
▲ DCO / DCF / DCA
K5000 に、DCO という表記があるので仕方ないのだが、これは先述の倍音加算ジェネレーターとフォルマントフィルターを経た結果の信号ことを指すのであって、決して別途 DCO が存在するわけではない。ましてや K5000 はフルデジタルシンセなので、DCO というピッチだけデジタル制御されたアナログオシレーターがあるわけではない。’80 年代からの、残念な誤解の結果である。
しかもそこまで解説させておいて、やっていることは単にピッチ LFO など、1ソース全体にわたる音程関連のパラメーターと、PCM 音素片を出すときの波形選択くらい。そりゃ AA 音源波形は、すでに倍音加算ジェネレーターなどで生成しているのだから、ここでは扱わないわけで。
なお、倍音加算ジェネレーターの代わりに、音素片 PCM 波形を出力した場合は、ここからあとの DCF などの処理のみが適用される。
DCF はマルチモードフィルターであり、HPF / LPF 切替式。レゾナンスもあるが、90 年代なかばのデジタルフィルターなので、ゼロから7までの8段階でしかない。ただ、それでも -24dB / Oct なのは、さすがカワイのこだわりであろう。
「DCO」、DCF、DCA には個別に EG があり、ピッチ EG はアタックとディケイ、フィルターとアンプ EG は ADDSR でありセカンドディケイがあるだけでなく、この3つの EG ともにレベル・タイム制なので、感覚的につかみやすい。ここでそれができるなら、なんで倍音加算ジェネレーターとかフォルマントフィルターでは、レベル・レート制なのかと。
パッチごとに1基のグローバルな LFO があり、デプスがピッチ、フィルター、アンプ個別にある。波形は;
・サイン波 ・三角波 ・鋸歯状波 ・矩形波 ・ランダム波
▲その他のパッチ・パラメーター
そろそろモジュレーションマトリクスが注目されはじめたころであり、K5000 でも 14 ソース、20 デスティネーション、しかも1ソースあたり2デスティネーション設定できる。20 あるデスティネーションには、フォルマントフィルターのバイアス、EG、LFO や、倍音加算ジェネレーターの高次、低次、偶数次、奇数次の倍音などがあり、かなり普通とは違う結果がでておもしろい。たとえば、弾きながらモジュレーションホイールでもって奇数次倍音を上げると、案の定、矩形波っぽくなるがブライトにもなるという、ちょっと他にはない音色変化をする。
前述のとおり、内蔵エフェクト専用のモジュレーションマトリクスもあり、こちらは 14 ソース、10 デスティネーション。
こうしてつくったパーシャル音は、最大6系統が内蔵ミキサーに通され、4基のマルチエフェクトや各1基の EQ とリバーブとで処理され出力される。
なお、ソース1とソース2の音で AM 変調させる大ワザもあり、おそらく K1 にあった機能をまるごと持ってきたのではないかと思われる。
▲ドラムキット
ドラムキットが別途存在するのだが、1キットは 64 インストで成立し、1インストは、オシレーター、フィルター、アンプで構成されている。インストごとにパンなどを設定可能。EG は、やはり ADDR 仕様なので、細かく表現できる。まぁ ’90 年代のデーハーなりにちょっと大人になったような音だ。
▲イージーエディット
さすがに広大すぎるパラメーターの太平洋なので、そこは考えたらしく、演奏中でもかんたんに操作できるイージーエディットが用意された。一時的にパラメーターにオフセットを加えるものであり、以下が存在;
・高次倍音レベル ・低次倍音レベル ・奇数 / 偶数次倍音レベル ・フォルマントフィルターのバイアス ・フォルマントフィルターの EG や LFO の速さ ・フォルマントフィルターの EG や LFO のデプス ・カットオフ ・レゾナンス ・EG ・エフェクト
ここでの画面といい機能といい、コルグのTシリーズや 01/W にも似ているが、偶数次倍音を増やそうとしてバリューダイアルをひたすらぐるぐるギーギー回すのは、ちょっとパフォーマンス用には非現実的かも。 K5000Sでは、このあたりがノブとして、物理的に出ているために音をひねりやすいはず。
▲内蔵シーケンサー
当時としては破格に大規模な 40 トラック、4万ノートの MIDI シーケンサーが内蔵されていた。 コード・トラックがあり、テンポ・トラックもあった。DAW そこのけの編集コマンドも多々あり、グラフィカルではないが範囲指定もサポートされており、他の一部にはグラフィック表示もサポートされていた。 SMF も読み書きでき、3.5 inch / 2HD のフロッピーディスクでもって外部との SMF 送受も可能。
きわめて興味深いのは、やはり APG(Auto Phrase Generator)なる作曲支援機能。
これは、録音されたシーケンスデータを K5000 が解析し、ユーザーが指定した音楽ジャンルなどに沿って、マルチパートの伴奏用シーケンスデータを勝手に生成してくれるもので、他��機種では見たことがない。
具体的には;
1.コード進行のアイディアを、任意の MIDI トラックに録音 2.そのトラックを「シードトラック(Seed Track)」に指定 3.任意のジャンル(スタイル)などを、指定 4.シードトラックを、K5000W に分析させる 5.分析結果をもとに、K5000W が最大8トラックのシーケンスデータを自動生成 6.気に入らなければ何度でも再生成 7.気に入ったら、それをシーケンサーに移植し、さらに細かくエディット可能
これでもって、約 8,000 ものシーケンスフレーズデータを、自動生成できるという。
スタイルと呼ばれるジャンルは 107 あり、プリセットが 105、ユーザーが SMF インポートして作成できるものが2つ。計 107 スタイルの内訳としては;
・ロック ・ポップ ・ジャズ ・フュージョン ・アシッド ・ハウス ・ランバダ(!) ・ワールド
さらに「ワールド」の内訳をみると;
・ヨーロッパのフォーク ・アメリカのフォーク ・ラテン
となっており、中東もアフリカもアジアも無い。なのにランバダがあるところといい、’90 年代のアレンジャーキーボード文化の産物そのもの。 あとからテクノも追加されたらしい。
また、以下の各種のアレンジャーキーボード用スタイルデータから2タイトルをインポートし、APG 用スタイルにコンバートして保存し利用できる;
・Technics Kシリーズ ・Roland Eシリーズ ・KORG iシリーズ ・GEM WX / WS シリーズ ・Solton MS シリーズ ・Wersi 社
さらに、APG はシードトラックからコード進行も分析しているのだが、このとき APG に、コード進行を実際に音で鳴らしながらアドバイスしてもらうことすら可能!
さっそくたった4小節の短いトラックをテキトーにでっちあげ、APG さんに解析してもらい伴奏データを自動生成してもらったが、なるほど、それ相応のものが、しれっとできる。スタイルを次々と変えて実行してみるとおもしろい。音色まで、スタイルによって変えてくるのには、恐れ入る。
ただ、適用されるスタイル、すなわちジャンルや自動生成の結果が、どうしても欧米偏重であり、それも時おりだっさい方向へかたよってしまう。 これは、K5000 が開発された時代もさることながら、おそらくカワイが、ドリマトーンなどといった「まじめな」電子オルガンを開発製造していたこと、そのためラウンジでのエンタメ用、あるいは音楽教室での教材用に、膨大なスタイルデータやシーケンスデータを制作していたことと、無関係ではあるまい。
▲その他の機能
ものすごい数のパラメーターがあるため、さすがにグラフィック LCD を搭載。倍音加算ジェネレーターや、フォルマントフィルターまわりなどは、分かりやすい表示で助かる。 画面の周囲を取り囲むように配置されたファンクションキーも、かなり便利。下手にカーソルキーで動かすのではないため、かえって操作が速くて良いかもしれない。
K5000 には、MIDI マスターキーボードとしての役割も期待されていたようで、Quick MIDI という機能が装備されている。その場で設定したプログラム・チェンジと、コントロール・チェンジを一気に送信する。音源モジュールがたくさんある MIDI システムの中で、都度ユーザーが好むデフォルト設定するような場合に使えるのかも。
内蔵フロッピーディスクドライヴは、3.5 inch 2HD 1.44MB ないし 2DD 720MB ディスクが読み込める。SMF などを読み書きする都合上、MS-DOS コンパチであり、なつかしい Mac の Acess PC にも対応。あったねぇそんな機能が Mac にーぃ笑。
さらには、ディスク上の SMF ソングをロードせずに直接に読みながら再生するという時短ファンクションこと Direct Disk Play というのもあった。これは当時のワークステーションシンセではけっこう流行した機能で、お手軽 SMF プレイヤーとしての働きもあった。
MIDI 端子もAとBの2セットもあり、おのおの MIDI In / Out / Thru がついてるので、計6つも端子がある。ここでも MIDI マスターキーボード的。ただし、MIDI B 群の端子は、MIDI Clock や Sys-Ex バルクダンプなどには非対応。
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鍵盤タッチも当時としては破格に良く、おもりつきで上質かつ長さも長くて弾きやすい。黒鍵の表面にざらつき加工してあるのは、ひょっとしてかつての黒檀でできた贅沢な鍵盤になぞらえたのか?
なお、これも当時としては革新的な 32bit RISC チップを搭載することで、フォルマントフィルターや - 24dB / Oct の DCF を実現、とドヤ顔でカタログに書いてある。
▲K5000S と K5000R
先述したとおり、K5000 シリーズには、残り2機種、素のシンセたる K5000S、そして2Uラックサイズの音源モジュール K5000R とがあった。
この2機種には、ともに K5000W とは以下の相違点があった;
・PCM 音源がない ・PCM 音色バンクもない(AA 音源用の PCM 音素片波形はある) ・GM バンクもない ・シーケンサーもない、APG もない ・アルペジエイターを装備 ・コンビがない代わりに、マルチモードがあり、これは4パートマルチ音源になる
●拡張性
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FDD 経由だが、SMF 送受できる。
のちのバージョンアップによって、音色バンクが増えた。Eバンク以降の音色は、そこで追加されたものらしい。発売当初の音色は、どうしてもサイン波っぽく聴こえて、なんだかなぁ、であったが、追加されたE以降のバンクにある音色は、かなり作り込まれており、良くできた音色が多い。
さらに Ver.3 から、当時の Win / Mac 用エディターソフト SoundDiver for K5000 が、emagic 社とタイアップして一緒にくっついてくるようになった。これで、特にパラメーターが多い倍音加算ジェネレーターやフォルマントフィルターなどの編集作業は、飛躍的に向上したはずである。 そして、ひとたびエディターでグラフィカルに操作できるようになれば、もはや K5000 シリーズは、倍音加算合成というより、ウェーヴテーブルを自作可能なシンセとして威力を発揮したであろう。
おまけに最終バージョンでは、なんと短い音声ファイルを wav 形式で外部から読み込み、それを逆フーリエ変換で解析、さらにフーリエ変換でもって整数次倍音のみで再合成するという、なかなかにニッチでわくわくする機能までついてきた! 記憶でしかないが、wav ファイルをサンプルデータスタンダードに準拠した形で用意し、5ピンの MIDI 経由で本体へダウンロードさせたような気がする。
●あなたにとっての長所
他の音源方式では得られない、独自のデジタル音色。
なんといっても、狙った位置に倍音を発生させられるのは、あたりまえだが直接に音を操作できて良い。 これが FM 音源とかだと、いっしょうけんめい変調させることで、遠隔操作で倍音を発生させているようなものなので、なかなか狙った位置に倍音を生じさせるのが、じつはむずかしい。つまり FM 音源なら周波数レシオやモジュレーター出力レベルなどを駆使してあたりをつけるところを、AA 音源ならダイレクトに倍音そのものを制御できる。 AA 音源万歳である。
結果、FM ではないのに、時として FM っぽくもなり、DX エレピなども再現できる! あるいは、PPG のウェーヴテーブルみたいな音もつくれる。モーフィングを使えば、事実上のウェーヴテーブルを自作していることになる! フィルターに依存しない自由な音色変化は、やはりうれしい。
しかも、どんどん刺激されるアイディアが湧く音色ばかりできる!! これは俺のセンスが 90 年代のまま止まっている勘違い平行棒野郎なせいなのか? 倍音加算合成というのは間違いではないが、むしろウェーヴテーブルを自作可能なシンセと言ったほうが正しいような音源方式。 しかも動きのある音色アニメーションを得意とする、個性派な音源方式。 パラメーターが多いとはいえ、同じものの繰り返しなので、理解はしやすい。
とにかく、もうこの変態音源に尽きる 笑
でもせっかくだから、APG によるみょーな演算結果も楽しませてくれるし、カワイだけのことあって鍵盤タッチも良い、ヘッドフォン端子が手前の左側についてて気が利いている、という点も挙げておく。
●あなたにとっての短所
ユニゾンモードが無い! これは残念。なので手動でレイヤーしまくって束ねるしかない。
やはり古いデジタルシンセなので、往々にしてエディット中、鍵盤を押さえっぱなしでは音が変わらないため、ぽんぽん連打せんとあかん。DX7の不便さを思い出す。
整数次倍音のみ出るので、非整数次倍音を出すためには、かなりピッチを変えて音を重ねるなど、工夫が相当いる。これが実現できないと、クロス変調によるディストーション波形とかメタリック波形などは難しいのだが、まぁ、AM 変調もあることだし、冨田さんみたいに倍音加算でベルもつくれるし、考えて使いこなせばいいんです。
アタックトランジェント成分だけは、どうしても PCM 音素片にたよることが多い。これは、サイン波倍音加算合成そのものの限界であり、あそこまで不規則な波形を合成しようとすると、もはや K5000 すらをも遥かに上回るパラメーター数となってしまい、非現実的だからである。 これを加算合成ではなく、減算方式で実現するには、それも現実から離れた創造性ゆたかな音色制御をしようとすると、もはや TR-808 のベードラに採用された Down Chirp Oscillator や、Metallic Oscillator のようなものを考案する必要がある。
●その他特記事項
一世風靡したカワイのKシリーズ・シンセ。だがカワイも今ではすっかりピアノメーカーに戻ってしまい、シンセというシンセが無くなってしまった。
かつてKシリーズがめざしたものは、なんだったのか。
私が知るかぎり、88 年ごろに見た K4 には、リアパネルにて、製造元は「テスコ株式会社」だと書いてあった。 そして 96 年製の K5000W には、製造元は「メルヘン楽器」と書いてある。
テスコとは何か? メルヘン楽器とは?
以下、年を追ってクロニクルをひもといてみよう。
1.起
1946 テスコ社の前身となるアヲイ音波研究所、設立 1948 テスコ(Teisco)というブランドで、ハワイアンギターやアンプが登場 1952 テスコ・ギターが、ビザールギターとして欧米にて知られるように 1958 テスコ・スーパーエレガン(Teisco Super Elegan)登場
「テスコ」とは、Teisco と書き、Tokyo Electric Instrument and Sound Company の略だという。 すでに敗戦の翌年に、その萌芽は生まれ、はやくもビザールな楽器をつくっていたようである。
1958 年に出た「テスコ・スーパーエレガン(Teisco Super Elegan)」とは、モノフォニックの真空管オルガンである。日本初の電子オルガンは、じつはここに始まる。そしてこれは、のちにカワイの電子オルガン「ドリマトーン」へと発展し、ヤマハのエレクトーンや、テクニクスのテクニトーン、ヴィクターのヴィクトロンなどと並んで、家庭用の電子オルガンとして家々のリビングルームに浸透していく。
1964 テスコ株式会社、設立 1966 テスコ株式会社、カワイの傘下に入る
当時のギターブームに乗ったテスコは、ギターメーカーとして知られるようになる。のちに復刻したりしているのも、このころの人気から。
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1970 年代に入り、海外のギターブームが収束すると、テスコブランドのギターも終わり、代わりにギブソンやフェンダーのイミテーションをつくるようになる。 そこで次なるターゲットとして浮上してきたのが、徐々に盛り上がってきたシンセ業界であった。
1976 Teisco / KAWAI 100F
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テスコとカワイとの2つのブランドで発売された、同社初のシンセ。機種名も不定で
・Synthesizer 100F ・S-100F ・100F
などと表記される。
37 鍵、ヴィンテのアナログモノシンセ、1 VCO / VCF / VCA / HPF という構成で、最後にハイパス・フィルターが来るのが、ちょっとおもしろい。 お値段は 95,000 円と、当時としては少し安めか。
その 100F は、こんな音がしたらしい? 「銀のさら CM」
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1979 Teisco 100P 1980 Teisco S-110F 1980 Teisco S-60F 
クラフトワークがアルバム「人間解体」を発表したのが、1978 年。同じ年に、YMO も人知れずデビュー。 その翌年から、テスコシンセが徐々に頭角を現してくるのである。
Teisco 100P
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100P は、ローランド SH-2000 にヒントを得たようなプリセットモデルだったらしい。鍵盤の下にならぶ、カラフルなタブレット式のスイッチまで似ている。
Teisco S-110F
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100F を継いだ S-110F は、テクノポップの台頭にあわせてデザインを一新。LED で信号フローを示す科学的なところが、テクノ時代を象徴。 仕様においても、従来と同じ 37 鍵でありながら、2VCO / VCF / VCA / HPF に拡張、しかも���音パラフォニックとなり、さらに8バンドのフィクスド・フィルターバンクまで搭載した。各バンドの中心周波数は、250 / 350 / 500 / 700 / 1k / 1.4k / 2k / 2.8kHz。 鍵盤の左、他社ならモジュレーションホイールなどがあるはずのところには、代わりに3基の感圧式コントローラーパッドがあり、これらでヴィブラート、ワウ、カットオフ、ピッチベンドをかける��とができたところは、ARP Odyssey の後期型みたいだが、未来的でもあった。 当時の定価は、127,000 円。同価格帯ベストセラーだったヤマハ CS-15、ローランド SH-2 と比べても、仕様も奢り、デザインにも 80 年代らしいカリスマがあって、じつは隠れた名機。
Teisco S-60F
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S-60F は下位機種として発売され、32 鍵、1 VCO / VCF / VCA / HPF、左手用の感圧式コントローラーはピッチベンダーのみ。 お値段 74,000 円。入門機だったヤマハ CS-10 やローランド SH-09 やなんかと喧嘩するための価格なことは明白。
1981 Teisco SX-400
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4オクターヴ 49 鍵、なんと4音ポリで、Quad, Dual, Mono, Solo の発音モードがあり、最後のソロはユニゾンモード、あとば読んで字の如く。 1 VCO / VCF / VCA / HPF という構成だが、さらにサブオシとノイズ・ジェネレーターとを搭載。 アフタータッチもあり、ヴィブラート、ピッチベンド、カットオフに対応。 コーラスまで内蔵し、とどめの音色メモリーでは、プリセット8音色、ユーザー8音色が記憶できた。
1983 YAMAHA DX7 1984 Teisco SX-210 1984 Teisco SX-240
テスコからも、MIDI シンセの登場である。 1年遅れたのは、MIDI 制定メンバーに関わってなかったからかもしれないが、カワイは関わっていたので、そこは距離感があったのであろうか?
Teisco SX-240
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SX-240 は、61 鍵、8音ポリ、2DCO / 1サブオシ / VCF / HPF / VCA という構成。フィルターは SSM2044 を採用し、これは Polysix、PPG Wave 2、初代 Emulator などに使われた名のある石。 スプリットやレイヤーも可能となり、コーラスも内蔵、48 音色メモリー、1,500 ノート8メモリーのシーケンサーも搭載、そして何よりも MIDI 対応。 高度に発展したポリシンセとなったため、フロントパネルから物理操作子はほとんど消え、代わりにデジタルなボタンと汎用バリューダイアルのみによる UI となった。7セグの LED が並んで文字表示もできたところも、デジタル時計っぽい未来感覚。
同じ年の年末には、コルグ DW-6000、翌年 1985 年9月には DW-8000 が発売されている。そしてそのさらに翌年…
2.承
1984 KORG DW-6000 1985 KORG DW-8000 1986 KAWAI K3 1986 KAWAI K3m
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カワイKシリーズ初号機、K3 が発売されることになった。これ以降、テスコブランドでの新機種は出なくなったのだが、カワイKシリーズのリアパネルには、製造元とし��テスコ株式会社の名が、しばらく残ることになる。
Digital Wave Memory Synthesizer と銘打たれただけのことあり、コルグの DW-8000 を非常に参考にしたと思われる機種で、音源方式をはじめスペックもよく似ている。 61 鍵、ベロシティ・アフタータッチ対応、6音ポリ。2デジタルオシレーター / VCF / VCA というハイブリッド構成。ポリ数が2音少ないほかは DW-8000 と同じ。DW-6000 を見て開発したのかな? 7セグの LED で、プログラム番号、パラメーター番号、そしてバリューを数値表示するレイアウトや、定価 19 万8千円というのも DW-8000 と同じで、DX7より下をいくことで値ごろ感を出そうとしたのだろう。
音源方式も、コルグの DWGS 音源と酷似しており、メーカーがあらかじめアコースティック楽器などの音色を、FFT で分析、逆 FFT こと整数次のサイン波倍音加算合成で近似的に再現し、その結果できた1波のみ波形 ROM に保存。それをループさせたものを、音源波形として使う。
コルグよりもすぐれていた点は、音源波形の数や、ベロシティでオシレーターバランスまで制御できた点など。VCF が、SSM 2240 だったり、LFO に S/H 波があったのも、さりげなく名機。 実際、DW-8000 では 16 あった音源波形が、K3 では、32 と倍になっており、さらに 33 番目の波形として、ユーザーが自作して保存できる波形が1つだけあった。
このユーザーが自作可能な音源波形とは、128 ある倍音から任意の 32 個の倍音を選び、それらをノンリアルタイム演算にて加算合成し、演算結果の波形を保存し、1波ループさせて使うのである。
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たった1つとはいえ、ユーザーが自作可能な音源波形。しかも加算合成。
ここに、のちのちの K5000 にまでいたる、Kシリーズの始原をかいまみれる。すなわちコルグ DWGS 音源を拡張するところから始めることで、カワイは森羅万象を再現するサイン波倍音加算合成の可能性を見出したのだ。
さらにそれは、うがって見れば、いにしえのテスコギター Spectrum5 にあったレインボーカラーのスイッチ群でもって、おびただしい数のピックアップを操作して音創りするという発想が、そのままテスコだましいとなってシンセに搭載されたとも解釈できる。倍音加算合成ならぬ、ピックアップ加算合成!
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こののちのコルグが、DSS-1 で 128 倍音加算合成まで実現しておきながら、そのあとの M1 以降にてシンセサイズをやめ、事実上のプリセットサンプラーとなって、音色ライブラリーを膨大に出すことで、音創りよりも音選びの道を爆走することになることを思えば、K3 で実現したたった1つの自作可能音源波形とは、テスコの頑固で堅気な DNA の発露、発現であったのかもしれない。
ただ、カワイというお上品な坊ちゃん嬢ちゃんなブランドのせいなのか、妙にセンスがいけてないところも。 例えばホイールがピッチベンド用に一個しかないのは、いくらアフタータッチが使えるとはいえ、さすがにコストダウンするにもほどがある。EG も、コルグが一足先に ADSSR というセカンドディケイが可能なものを搭載していたのに対し、カワイは相変わらず ADSR のまま。そしてデザインがなんだかいなたい家具っぽいような気がするのは、気のせいか。
だが翌年、カワイのシンセは大変貌を遂げる。
1987 Roland D-50 1987 KAWAI K5 1987 KAWAI K5m
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ローランドから風雲児 D-50 が出たのと同時に、カワイから出てきたモンスターシンセ。 怒濤のサイン波倍音加算合成シンセシス、しかもいきなりのフラッグシップ機種、フルデジタル 16 音ポリ。 23 万5千円というのは、ほぼ D-50 同じ。 61 鍵か、2Uラックサイズの音源モジュールかが、選べた。
型番からもうかがえるように、K5 は K5000 の原型となったモデル。K5000 が最大6ソース構成だったのに対し、K5 は2ソース。それでも各々 63 倍音、2つ合わせれば 127 倍音まで加算できた。K5000 では、全倍音が各々個別の音量 EG を持っていたが、K5 では4基の音量 EG に集約されるも、それでも EG は6ステージあった。 そのあとは、デジタルのレゾナント・ローパスフィルターと、デジタルアンプとを通るのだが、ここでもフィルター EG は6ステージ、アンプ EG は7ステージもあり、ダブルピークはもちろん、リリース後にピークを持つことも可能。
この音源方式は、最初 ARTS:Additive Real Time Synthesis 音源と呼ばれたが、商標にでも引っかかったのか、のちに ADD:Additive Digital Dynamics 音源と名を変えてきた。
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時代に先駆けて 16 パートマルチ音源であり、同じくシンセとしてはほぼ初めてグラフィック LCD を搭載しており、じつは名機なのだが、早くもパラメーターの海に溺れてしまってエディットがたいへんなこともあり、あまり知られていない。
なによりもタイミングが良くなかった。話題はすべて D-50 がかっさらっていったのであり、誰もがその史上初 PCM ベースのサウンドに魅了されていたのである。
だが、この PCM にいち早くカワイは気づいたらしく、即座に行動を起こしたところが、FM 変調にこだわりすぎたヤマハよりも柔軟でえらいところ。その結果は一年後にあらわれる。
1988 KORG M1 1988 Roland D-10 1988 Roland D-20 1988 Roland D-110 1988 KAWAI K1 1988 KAWAI K1m 1988 KAWAI K1r
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カワイが真に業界で旋風を巻き起こすのは、ここからである。
誰もがコルグの起死回生満塁ホームラン M1 に目を奪われていた時、その足元をすくったのが、カワイ K1 であった。M1 の 24 万8千円というプライスタグが高すぎて嘆く少年少���たちにとって、12 万8千円でローランド D-10 が救いの神になるはずが、どうやらカワイもいいらしい、となったのである。 それもそのはず、なんせ、9万9千8百円で、61 鍵ベロシティ・アフタータッチ対応、16 音ポリのフルデジタルシンセが手に入るなんて、コスパ良すぎて前代未聞だったのだ。
K1 では、あらかじめ倍音加算合成によって生成し波形 ROM にたくわえたデジタル波形を VM :Variable Memory 波と呼び、これと PCM 波形とを最大4ソースまで重ね、さらにソース間 AM 変調まで可能とすることで、1パッチをつくる。これは VM:Variable Memory 音源と銘打たれ、シンセ波形と PCM 波形とを組み合わせて部分音合成する D-50 すなわち LA 音源のエッセンスを凝縮したテクノロジーであった。
倍音合成は、素で取り組むにはパラメーターが膨大で音創りも大変。ならば、倍音合成によって生成されたおいしい波形を満載し、PCM 波形と組みあわせれば、リアルな音色からシンセならではの表現まで、簡単かつ自在にできる。 しかもフィルターを使わず、ひたすら加算合成するだけでできる。
これは目からうろこで、逆にフィルターを持たないことからレゾナンス・スィープなどを再現するのも難しいなどあったものの、見切りが早く、多彩な音を簡単につくることができた。 おまけに K1 の鍵盤は、この安価な価格帯では初めてのおもりつきであり、タッチもよく、さすがピアノメーカーという貫禄もあった。
K5 という、なんだかよくわからないけど凄そうなステータスシンボルみたいなプロ仕様シンセがでたあと、こんなにフレンドリーでコスパ最高なシンセが出てきたら、気にならないはずがない。多くのキミやボクたちが、あのジョイスティックをうにょうにょさせ、どんな音色変化をもたらすのか興味津々で取りついたのである。
同じ年、シンセではないが KAWAI から単体シーケンサーの名機となる Q-80 も出ている。
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Q-80 は、ヤマハ QX5を研究したと思われる機種で、モチーフと呼ばれる仮想トラックを 100 まで記憶できた点が、QX5のマクロトラックと同じである。しかし QX5より凌駕する点が多々あり、32 トラック構成、グルーヴを残すアクティヴクォンタイズ、ジョグダイアルとメニューマトリクスによる操作性、そして 3.5inch 2DD 対応の FDD などなど追加されつつも、ろっきゅっぱしかしなかった。
ヤマハも同じ思いでいたようで、QX5FD という後継機種を後追いで出しているが、やや値段が上がってしまっている。
1989 KAWAI K4 1989 KAWAI K4r 1989 KAWAI XD-5 1989 KAWAI K1II 1989 KAWAI K1rII 1989 YAMAHA SY77 1989 CASIO VZ-8M
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カワイシンセの黄金時代。
K4 は、K1 にデジタルのレゾナント・ローパスフィルターと、マルチエフェクトとをつけたような中堅価格帯機種で、懸案だったスィープ音もばっちし。16bit で音も良く、D-50 のみならず M1 のおいしいとこどりまでをも実現し、なおかつ M1 にはなかったレゾナンスも実現、プロの仕様と音色とを安価で魅せてくれるような、楽しいデジタルシンセであった。 倍音合成による音源波形は、DC:Digital-Cyclic 波と名を変え、4ソースの各々にフィルターもついたことで、音源方式も Digital Multi Spectrum 音源という名になった。 お値段 14 万9千円。同価格帯のどの競合他社よりもすぐれたシンセが、カワイから登場したのである。
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聖飢魔II  のライヴでは、サポートメンバーのキーボーディストがウルトラ警備隊の格好をして、K4 を弾いていた。アルバム「Outer Mission」のころであり、バブル期だったこともあって、世の中、多彩なデジタルシンセ音がもてはやされた時代。K4 もプロにも認められ、実際、音が良かったのである。
K1 もリバ���ブとディレイがつき、ドラムキットも搭載することで K1II となり、K4 / K1 のラインナップは、すっかり新興勢力として人気であった。
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XD-5 とは、K4r を応用した高音質のパーカッション音源モジュールで、AM 変調などもできることから、かなり変態なリズム音色も出せる異色の音源。カワイアメリカが企画したという。
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さらに K5 のころから、カワイは他にもさまざまな MIDI 機器を出しており、そのラインナップが完成するのが、この 80 年代の終りごろである。 そこには、がっちりしたタッチのアコピ鍵盤ノウハウをがっつり組み込んできた MIDI マスターキーボード M-8000、前述の単体シーケンサーの名機 Q-80、腕っぷしの強いドラマーが叩いたような音がしたリズムマシン R-100、R-50 シリーズ、単体エフェクト RV-4、ミキサー、なんと MIDI ミキサー MM-16、などなど、すぐれた周辺機器がさまざまに出ており、しかもどれも比較的良心的なお値段。 そんな、お求めやすいカワイだけでなんでもできてしまうという、シンセヲタや宅録ヲタ、バンドマンにとって夢のような時代になったのであった。
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同じ年、ヤマハは V80FD を水面下でやめて SY77 に慌てて切り替えており、カシオからは VZ-8M を最後にシンセがぱったり出なくなった。V80FD は基本的には FM 変調のみ可能、SY77 は PCM もカップリングさせた複合音源、VZ-8M も位相変調である iPD 音源。 これら落日の変調方式シンセを尻目に、カワイ、コルグ、ローランドから PCM 音源が勃興してきたのである。 その勝ち組たる新興勢力の勢いでもって、このころ、カワイは K4 をそのまま 88 鍵シンセにした K4000 という頂上機種を、フェアなどで参考出品している。名高い MIDI マスターキーボード M-8000 の鍵盤を流用したのかもしれない。
さて、私の記憶では、K4 のリアパネルには、製造元としてテスコ株式会社の名が明記されていた。だが、どうやらこのころに、テスコは、同じくカワイ傘下のデジピメーカー、メルヘン楽器に吸収されたらしい。
そこから、徐々に雲行きが変わってくる。
3.転
1990 KAWAI Spectra KC10 1990 KAWAI XS-1
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Spectra は、ライヴ向けにフットワークを軽くすべく軽量スリムにしたキーボードであり、XS-1 はハーフラックサイズの DTM 音源モジュールであった。いずれも K4 の音源部をカットダウンして内蔵しており、16bit による音の良さをアピールしていた。 Spectra そのままに内蔵音源を省き、白く塗装しなおした MIDI キーボードコントローラー MIDI Key というのもあった。下の DTM セットにあるとおり。
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ローランドが DTP になぞらえ DTM という言葉を発明し、その第1号としてパッケージ製品「ミュージくん」を発売したのは、すでにこの2年前の 88 年のこと。
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このあと「ミュージくん」は「ミュージ郎」と名を変え、急速に DTM 業界の雄となって台頭してゆく。
そして 90 年代に入って、カワイもまた後を追って、DTM 業界へと舵を切ったのであった。
1991 YAMAHA SY99 1991 KORG 01/W 1991 Roland JD-800 1991 Roland SC-55 “Sound Canvas” GS 音源モジュール 1991 Roland SB-55 “Sound Brush” SMF Player
ワークステーションシンセが大流行となり、シーケンサーを持たないのに30万円もした JD-800 は、評価こそ高かったものの実際にはまるで売れなかった。以来 XP-80 が出るまでのしばらくの間、ローランドには高額機種を出すのにためらいがあったという。
同時に PC ベースのワークステーションともいうべき DTM 業界に、新風 SC-55 “Sound Canvas” が登場。音色配列を統一させる GS フォーマットを提唱し、GM 規格の制定につながった。
この当時、ローランドの高価格帯のシンセが好評だったにもかかわらず売れず、一方、同社が DTM の盟主となって成功したことは、その後のカワイの方向性を考える上で、きわめて暗示的である。
そしてこの年、カワイからは新機種が出なかった。 出なかっただけなのか、出せなかったのか、お蔵入りしたまぼろしの機種でもあったのか。 メルヘン楽器への移行で、ばたばたしたのか、ドタバタあったのか。
とにかく、メルヘン楽器が開発製造するようになって、同社がそれまで手がけてきた家庭用デジピ市場を意識するようになったのか、教育市場とも親和性が高いと思われる DTM へと、カワイも全面的にシフトチェンジしたのである。
1992 KAWAI XS-2 GMega 1993 KAWAI GMega をもとにした DTM パッケージ Sound Palette 1993 KAWAI K11 1993 KAWAI Spectra KC20
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GMega(ジーメガ)は、ハーフラックサイズの GM 音源モジュールで、定価 69,000 円。ちょうど SC-55 の好敵手ながら、GMega は 32 パートも使えて有利であった。また、GM というと、とかく箱庭的で音はチープという先入観がはびこっているが、GMega は音が良い。はっきり言って当時のサウンドキャンバスよりも、音が良かった。GM に引っかけたネーミングも、今なら GGiga と言っていいくらいの、パフォーマンスだったのではないか。
これを中核に、カワイは独自の DTM パッケージ「Sound Palette 」を繰り出した。
K11 は、K1II を GM 音源にしたもの。音源方式は K4 から持ってきた上でフィルターをシリパラ可変できるようにしている。 KC20 Spectra も、KC10 を GM 音源化したものである。 どちらも DTM 向けキーボードというキャラが前面に出ていた。
かくしてカワイは、加速度的に GM と DTM へと傾斜してゆくかに見えた。
1993 Roland JV-1000 1994 YAMHA W5
この ’94 年からしばらく、カワイからはなんら新製品が出なくなる。
カワイだけでなく、このころ、押し寄せる GM 音源化と SMF の普及により、各社ともに DTM 以外では方向性を見失っていた。唯一成功していたのは、ワークステーションシンセの本家を称するコルグだけであった。 その一方、どんどん隆盛する DTM 業界では、ヤマハとローランドによる熾烈な一騎打ちが続いていたのである。
時代はパソコンであり、単体シンセはもう未来がないのか。音源方式も PCM まで来て出尽くした感があり、あとはひたすら大容量高精細になるばかり。そんなふうに見えた。インターネットが大々的に普及するのは、この翌年の Windows 95 からだが、すでにその片鱗も見えており、まさにパソコンの時代になりつつあった。
ローランドが、GS フォーマット音源のみ積んだワークステーションシンセ JW-50 を出して失敗したのも、売れ筋のワークステーションシンセ市場に GS / GM を広め、売れ筋の GM 音源 DTM とを掛け算したかったあまり、そんな時代を読み違えたからであろう。
KAWAI というブランドは楽器メーカーとしては正統派だが、アコースティックのイメージが強く、電子楽器と言ってもドリマトーンなどホームユースのものばかりであり、シリアスな電子楽器メーカーとしては異色なイメージもある。 とはいえ、そもそも 80 年代にシーケンシャルのデイヴおじさんとともに MIDI 規格を制定したとき、カワイもメンバーの一員だったのであり、その点ではカシオとは違う。
その歴史ある保守と革新の混沌ゆえに、ホームユースや教育市場を考えて、真面目に GM 音源へ傾斜したのであろうか?
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GMega  は、GM 音源の中では音が良かった、と書いた。 GM 規格の趣旨を考えれば、機種ごとに差異があるのは、いかんのであり、失敗である。原理主義的に厳密たらんとするならば、いつどこでだれがどんな機種を使おうと同じ再現性が担保されなければならない。共通規格とは、没個性化である。
しかし、そこまで規定しないルーズな規格だったからこそ、各社は自由に個性やキャラある GM 機種を出せた。この機種で鳴らすと元気な迫力ある音楽になる、あの機種で鳴らすとやさしい音色で再生されてなごむ、などなど。 その使い分けを極めるのも、楽しかったはず。
つまり GM には、解釈の違いという、音創りとは違った表現があるのだった。意図したのか、はからずもできたのかはさておき、それは GM 世界における方言であり、方言による豊かな多様性ある表現、と言ってもいい。
もっと言えば、GM も MIDI も、規格というよりプラットフォームであった。それらの根底には「このルールで縛る」ではなく「この上でみんな好き勝手に遊びなはれ」というスタンスがあり、誰にも独占されない規格という、およそたぐいまれな規格であり、成り立ちからしてフリーダムであった。 MIDI 規格制定に尽力したことでグラミー賞をもらったデイヴおじさんと梯氏は「まぁパテントにしてたら大儲けできたかもしれないが、そんなことしたらむしろ誰にも使ってもらえず、MIDI は広まらなかっただろう」というような主旨で述懐している。
GM や、そもそも MIDI は、知的財産権とは無縁、誰にも独占されないオープンな規格であり、それはこんにちのシェア文化のはしりでもあった。だからこそ GM も MIDI も、規格というよりプラットフォームに徹した存在なのであった。
MIDI はシェア文化!
だが、音は良かったカワイの GM 音源だが、DTM では先行するローランドが強く、先手必勝の市場原理によって店頭を Sound Canvas シリーズが埋め尽くし、コルグなどは DTM  業界では無名すぎて相手にされず、カワイも苦戦することになる。 なんせローランドは、この十年くらい前から、それこそ MIDI 以前のヴィンテアナログの時代から、コンピューターミュージックに特化したマルチ音源を、CV / Gate で駆動しながらでも営々と出し続けていたのである。
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ましてや MIDI 時代になってからのローランドは、MIDI の可能性をいちばん知っていたわけで;
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結果、DTM という言葉の生みの親になるくらい、もはやド定番なのであった。
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これに対抗できた後追い機種は、楽器メーカーとして押しも押されぬ知名度のヤマハが送り出した「Hello Music」だけであった。
その一方で、GM 音源の鍵盤機種を、ごりごりな音創りシンセとして売ろうにも、GM 自体がよくもあしくもオールラウンドな箱庭宇宙な音色世界だったので、パラメーターも少なく、ごりごりの一芸に秀でたような音創りシンセには向かなかった。
互換性を重視すればするほど、個性が消える。それがプラットフォームというもの。
やがて、そのプラットフォーム上で、ふたたびの個性派を送り出そうという動きが始まる。
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1995 KORG TRINITY 1995 KORG prophecy 1995 Roland XP-50 1995 Roland XP-10 1996 Roland XP-80 1996 KAWAI K5000S  16 万8千円;素のシンセ 1996 KAWAI K5000W  21 万8千円;ワークステーションシンセ 1997 KAWAI K5000R 12 万5千円;ほぼ K5000S の2Uラックマウント音源モジュール版
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本稿で取りあげた K5000W とは、カワイ初のワークステーションシンセである。しかも K5000 シリーズの中で唯一の GM 対応機でもあった。そして、かの K5 以来のフラッグシップでもある。 これらが指し示す意味は、何か?
サイン波倍音加算合成の特徴として、和音を弾いても音があまり濁らないというのがある。さらにカワイは 「写実派 PCM 音源の時代に終止符を打つ、  印象派『アドバンスト・アディティブ』音源搭載。」 というキャッチコピーでもって、売り込んでいる。
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この言葉は、もともとはローランドが TR-808、そして D-50 をはじめとする LA 音源、これらを開発するときに考え出したコンセプト。
すなわち、リアルよりもアイディアル、real よりも ideal、写実ではなく理想の音、自由度が限られているサンプラーよりも、自由自在に音をエディットできるシンセサイザーに期待を込めた、その故事そのものである。
ロジャー・リンがすでにサンプリングによるドラムマシン LM-1 を出したのにもかかわらず、ローランドが後出しジャンケンにフルアナログの TR-808 を開発したのは、当時のサンプル波形メモリーが高価であったためだけではなく、そもそもサンプリングして終わりというのではダメで、自由に音創りできるドラムシンセをつくりたかったからだという。 ドラムマシンではなく、ドラムシンセ。 808 ベードラのディケイ・ノブは、コストダウンの名のもとに消えそうになったシンセたるアイデンティティの最後の砦であった。ちいさな、ひよわな砦だったそのディケイ・ノブを、よもや後世のアーティストたちが、まさにベースシンセとして使い、かくしてベースミュージックというジャンルまでをも創出することになろうとは。
LA 音源も同じで、PCM 波形を使うわりにストラクチャーなど複雑な仕組みになっているのは、やはり自由度を高くもつことで、柔軟な音創りを可能にするためであった。 よって、のちの D-70 や JV-80 以降の単純な PCM 音源だと、リアルな音は作りやすいが、シンセならではの音色はなかなか生み出しにくい。リアルな音への需要は大きいので、PCM 音源が主流になるのは時代の必然ではあるが、いやしくもシンセメーカーを名乗るなら、傍系でもいいから LA 音源も残しておいてほしかった。
無論、せっかくがんばって冒険した JD-800 が売れなかったがゆえの、恐怖心があったこととは思う。よって JV シリーズという安全パイな中堅機種シリーズへ傾斜したであろうことは、想像にかたくない。 だがそれでも競合のコルグは、PCM サンプルプレイバッカーの代名詞ともなる M1 で圧倒的勝利をおさめながらも、WaveStation という、売れなかったが音創りにこだわったシンセも出した。それも初代無印、A/D、EX、SR と代を重ね、しばし間を開けてから prophecy、Z1 へと、ストイックに音創りの夢を追い続けている。ワークステーションシンセで当てまくっていたという安心感があったからこそとはいえ、かりそめにもシンセメーカー、やはり技術的にシンボルはたいせつ。 だからこそ、ローランドが LA を捨てて PCM のみに走ってしまったのは、売れたであろうが残念である。
シンセは、リアルな音を出すものではなく、理想の音をつくり出すためのもの。 そのために、写実派のサンプリングではなく、印象派のごとく本質を捕まえつつ自由度が高いシンセサイズの道を選ぶ。それがシンセメーカーとしての矜持のはずであった
そして、カワイ K5000 シリーズもまた、そのために原点に立ち返り、倍音加算合成によって森羅万象を、写実派 PCM ではなく印象派の AA 音源で実現しようとしたのであろう。
最初はコルグ DWGS 音源のまねをするところから始まった音源方式も、やがてコルグやローランドの正統派な後継者を、もくろむようになり、しかも LA 音源よりは単純化されたカタチで、その代わり壮絶に愚直なパラメーター暴風雨で。 そのための、シンセ独立宣言、リアルさばかりを求める旧弊と束縛からのシンセ自由共和国独立宣言、それが前述のキャッチなのだ。
残念だが、これを、たましいをこめて説明できる営業は、未だ、いないであろう。
そして、内蔵シーケンサーにあった APG 機能。
ドリマトーンなどの電子オルガンのリソースでもって、ワークステーションシンセに新機軸をもたらそうとしたのであろう。それはまるで、自動運転するクルマのプロトタイプのようでもあり、このあと実に5年後に出てきたコルグ KARMA と、アプローチは違うも、目指すところはかなり近い。
そして、ユーザー独自のスタイルデータを読み込めば、永遠にあたらしいジャンルの楽曲を、しかも効率的に量産できる。 かつて K3 が、アコースティック楽器に由来する多くの音源波形の中で、1つだけユーザーに開放し、自由に自作できるようにしたように、K5000W では、おびただしい数の既存ジャンルに由来するスタイルの中で、2つだけユーザーに開放し、ユーザーが自作・入手したスタイルデータを読み込めるようにした。 あたらしいジャンルを切り拓き、それに永遠に対応しつづけ、永遠にあたらしい楽曲を、しかも機械に補助してもらいながら生み出し続ける、原始的な AI 作曲支援ツールすら将来への展望にいれた存在、次世代ワークステーションシンセ、それが K5000W のはずだった。
K5000 シリーズは、Ver.3.0 からエディターソフト emagic SoundDiver を一緒にくっつけて出荷されるようになった。なだれをうって攻め込んでくるかのような膨大なパラメーターを制するには、やはりエディターは便利。
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だがそれがアダになって、本体だけではエディットできないシンセであるかのごとく、誤解された向きもあるやもしれない。
この当時、ローランドの XP-80 / 60 / 50 / 30 / 10 は非常によく売れていた。業界で唯一 64 音ポリもあり、しかもエクスパンション・ボードによるライブラリービジネスが成功したためである。コルグにいたっては、渾身の自信作 TRINITY が海外で XP シリーズに敗北したためショックを受けたという。
カワイ K5000 系は、最高のコスパながら 32 音ポリ。APG など意欲的かつ GM のような互換性も重視しながら、スタイルデータを必要としたり、コード認識機能があったりするため、欧米ではアレンジャーキーボードと混同される向きもあったらしい。そこはのちの KARMA と似ている。
孤高のシンセ、孤高のワークステーション。
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だが、最大の敗因は、そもそも営業がもはや売る気がなかったためなのかもしれない。この当時のカワイは経営不振が続いており、株価も百円くらいにまで落ち込み、まるでモチベーションがあがらなかったという。日経新聞をひらくと、株価のページにてローランド、ヤマハ、カワイが並んでいて、いっつも公開処刑であった。 もはやいいものをつくるだけでは、売れる時代ではない。商品力は必須だが、最後はやはり、人ですよ。
1998 KAWAI MP9000 1998 KAWAI K5000S  16 万8千円 → 14 万8千円 1998 KAWAI K5000W  21 万8千円 → 17 万8千円 1998 KAWAI K5000R 12 万5千円 → 11 万5千円
K5000 シリーズ用に、Ver. 4.0 Power Sounds がリリース。
K5000 の売れ残った在庫一掃のためなのか?
新しい音色を追加に追加を重ね、最後は値下げまで行い、キーマガに「こんなにワークステーションが安くていいんですか? いいんです!」と、当時の人気テレビ報道番組ニュースステーションでのセリフまで借りた広告を打ち、安売りキャンペーンでもって、K5000 シリーズは華々しく終わった。翌年の夏までには、在庫がなくなっていたらしい。
MP9000 は、デジタルのステージピアノである。 K5000 Ver. 4.0 と安売りが始まった年の十月、アコピと同じ、長ーいハンマーアクション鍵盤を採用したデジタル・ステージピアノとして発売。非常にピアノライクな鍵���タッチで、評判となった機種。
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そして、やっぱこっちのほうが売れる!となったのかもしれない。その後、MP シリーズは脈々と続き、今も MP11SE、MP7SE、超贅沢なソフトピアノ音源用 USB コントローラー VPC1 に引き継がれている。
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1999 Shigeru Kawai Piano
グランドピアノである。それもアコースティックの。最高峰の。 当時の河合滋社長が「期は熟した」と言って開発させたという。 これ以降、同社はピアノに専念。アコースティックもデジタルも、ともにピアノにフォーカスしている。
写実から印象派へ、という河合シンセの実験は、ここに終わる。 印象派から写実へ、という河合デジピへと回帰するのである。
いかに既存楽器の束縛から自由たりえるか、という河合シンセの実験はここに終わる。そして、いかに既存のアコピに似ているか、という逆のベクトルへ向かうことになる。電子テクノロジーを、既存楽器の模倣へと使う。たしかにユーザー層はシンセよりも遥かに多いであろう。 つまりそれは、発散から収斂へという、180 度の方向転換であった。
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真面目すぎたかスピンナウトした因縁の意地の張り合いか ’90 年代までの一時期ヤマハと訴訟合戦し、株価百円どん底だったが、訴訟合戦は双方が取りやめて妥協、今や中国でヤノピ売上うはうは、株価は 4,000 円近く、ショパコンのファイナルで使われるグランドもカワイである。
4.結
ゼロ年代、Virsyn というソフトウェア・メーカーからサイン波倍音加算合成によるソフトシンセ「CUBE」が出たが、そのとき欧米人のスタッフが、でっかいパソコン画面での精緻なグラフィック表示を操作してみせつつ、 「これで加算合成もやりたい放題さ。カワイの、ケイ・ファイヴサウザンドなんて、ナイトメアだったろう?」 と、にたーっと笑っていた。
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たしかに、倍音加算合成というものは、パラメーターが多すぎて、ソフトシンセでグラフィカルに表示させたほうが音創りしやすい。K5000 にも、途中からエディターソフトがついてくるようになったし。
それでもなお、K5000 がめざしたもの。
K3 にて、コルグ DW-8000 から倍音加算合成を学んだ上で、ユーザー自作波形も実現。 K1 にて、ローランド D-50 から PCM とシンセ音とを組み合わせた部分音合成を学んだ上で、画期的なコストダウンを実現。 K4 にて、コルグ M1 から PCM 波形をデジタルフィルターを通すことを学んだ上で、レゾナンスも実現。 K5000 にて、再びのローランド D-50 から、写実を捨て印象派による奔放なシンセサイズを学んだ上で、格段に大きな自由度を実現。
モノマネだけではない、そこには他社が一歩およばず捨ててしまった道を、さらに突き進む求導師の姿があった。
K5000 がめざしたもの、それはリアルさばかり求める既存の楽器に囚われた偏狭なる楽器業界への、カウンターであった。ヤマハもコルグもローランドも、けっきょくは PCM 音源のみに走ってしまった中、シンセはそんなことでいいのか、今一度、写実派ではなく印象派こそが、シンセの本分、本質、本懐、リアルよりも理想の音色、それこそがシンセがめざすものであり、そもそもシンセが生まれた理由ではなかったか、そう異議申し立てしたのが、カワイであり、その反撃こそが K5000 であった。
その問いは、永遠にあたらしい!
さらに、K5000「W」
APG という、自動作曲の曙光を見せた内蔵シーケンサー。それは DAW に比肩する多トラックと編集機能とを装備し、なおかつさらにその先を、進化の先には AI がいることを見据えた設計思想であった。ユーザースタイルでもって、永遠にあたらしいジャンルの曲が制作できることは、すなわち、微小規模ながら機械学習のあけぼのとも言えなくはない。
K3 では、あたらしい音源波形を自作できた。そこから、ちょうど十年。 K5000W では、あたらしい楽曲を量産できるようになった。歴史は繰り返すとは、言わば時間軸上のフラクタル。時間軸上の構造。
そして楽曲もまた構造であり、構造を具現化するのが K5000W 内蔵シーケンサーであり、APG であり、それを側面支援するのが、河合楽器ならではの高精細な GM 音色であった。GM は音作りのためではなく、曲作りのために生まれたプラットフォームなのだから、音楽制作には、うってつけ。
印象派の音源方式と、逆にリアルな GM バンク、そしてそれらを演出してオリジナルな楽曲を量産する原始的な AI みたいな機能、それを搭載した大規模シーケンサー。そこから生まれたであろう、あまたの曲。
写実よりも印象派をめざしたのが K5000 なら、K5000W は、それに立脚して機械化作曲をめざした孤高のワークステーションシンセであった。 とらわれない独創的な音楽制作を夢見たエンジニアが、K5000W を生み出したことであろう。音楽とは何か。構造とは何か。制作とは何か。
その問いもまた、永遠にあたらしい!
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今ひとつブレイクしきれず、本流にはなれなかったものの、根強いファンがいるカワイのKシリーズは、その点でもテスコのビザールなギターと、ちょっと立ち位置が似ているのかもしれない。 テスコのたましい、いつまでも。個性的な音色をもとめたピックアップ加算合成が、個性的なシンセシスの源流なのだろうか、と、夢想することは楽しいものである。そして先進的な、AI 的な楽曲制作機能は、メルヘン楽器ならではの底力だったのかもしれない。
なお、76 鍵の K5000X という、まぼろしの機種もあったという。
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謝辞; 「カワイKシリーズ、特に K5000 について書いてください」と、ご要望してくださった「お座敷テクノ @ozashikitechno」さん。 氏は、私に初めて「この機種について書いてほしい」という、リクエストをくださった人。在野の学者ライター冥利に尽きます。
GM 音源に関する知見をもたらしてくださった「みんみさん @Shion_Type」さん。氏の含蓄がなければ、GM 音源は私にとって音創りしてもつまらん音源で終わってたころでしょう。
そもそも K5000W を貸してくださった地球を眺望する親愛なる同僚 KN。 なお、私が撮影した以外の写真は、すべて引用です。
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kuroda-kanbee · 4 years
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https://note.com/chihok/n/n5e579c12bc05
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バカが許せない病気
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chiho.komoriya
2019/01/26 02:26
県職員がパワハラ後に自殺 上司から「日本語書けない」と暴言吐かれていた
このニュースを読んで真っ先に私が思ったのが「パワハラ認定された上司もかわいそう」でした。確かにこの上司の部下に対する発言はパワハラに該当するでしょう。しかしそれなりの立場を経験した社会人なら誰だって理解できるはずです。この世には
ケタ外れのバカがいる
ということを。この上司の発言のとおり、ちゃんと学校を卒業しているにもかかわらず、いい歳になっているにも関わらず日本語の読み書きがおぼつかない、一般常識や教養が身についていない大人は確実に存在します。運悪くそんな人間が自分の部下になってしまったら、果たして「自分だけは絶対にパワハラをしない。常にやさしく接する」と断言できる自信はありますか?私には全くありません。むしろ「その歳でこの程度なんてバカなの?死ぬの?っつーか学校で何やってたの?なんで今まで生きてこれたの?」と、この上司の10倍のスピードで���い詰める自信なら100%あります。
私にはある持病があります。それは「バカが許せない病気」で、おそらくこれは今後も治りそうにありません。それを自覚したのは、高校を卒業して東京の専門学校へ進学した時でした。
私の実家は秋田県横手市の農家ですが、私と弟が高校を卒業するまでは運悪く家が始まって以来の大底値の大貧乏でした。そのため、一応地域ではそこそこ知られた進学校に通ってはいたのですが、大学進学どころか高校に通う金すらままならず、高校一年の頃からずっと奨学金を申請・受領していました。今でも忘れられないのは、ある数学教師のジジイに言われた「なして高校の学費も払えねんた家のわらしがこさ来た?(なぜ高校の学費も払えないような家の子供がここに来た?)」という言葉です。つまり、大学に行く金のない貧乏人は最初から進学校には来るなということ。私は今でもこのジジイが前立腺肥大症・五十肩・円形脱毛症・椎間板ヘルニアの「父チャン音頭」4連コンボをキメてのたうち回って苦しめばいいと仙台から呪いを送っています。
とはいえ、大学進学を選択しないからといって勉強を疎かにするのは時間と金が勿体ないし、そもそも奨学金も本末転倒になってしまいます。ということで「大学進学を希望する人間よりも大学進学しない人間の方が高得点・高偏差値になったら気分が良い」と考え、それなりに成績上位を目指し勉強に精を出しました。その傍ら美術部を事実上腐女子部にして学校内で薄い本を作ったりとしょーもないこともしましたが。
なお、この高校は地元では「小役人養成所」と揶揄されるクソブラック進学校で、「進学しなけりゃ(できなけりゃ)公務員になれ!それ以外の進路は許さねえ!」という生徒の希望をまるで鑑みない進路指導をしていました。尤も私自身最終学歴を高卒で終える気はなかったため、当時既に二次元の創作活動に飽きて三次元(彫刻やフィギュア、模型製作等)に傾倒していたこともあり、特殊メイクと特殊造型を教える科のある専門学校へ進学しました。在学期間は2年。それが当時の実家が捻出できるギリギリの学費ラインで「短大なんて中途半端な大学に行くくらいなら専門学校で手に職を付けた方がメシのタネになるだろう」という判断でした。ちなみにこの時、農協は専門学校だからと金を貸してくれませんでした。農家を助けるのが農協の仕事だろ!さっさと解体されろバーカ!
まあこの専門学校も一癖も二癖もある相当にヤバい専門学校で、これはいずれ別記事でネタにしようと思っているのですが、最初のカウンターパンチは「格安の寮完備!」と謳っていながら、その実情は「普通のアパートを一棟まるごと借り上げ六畳のワンルームに2人の生徒を押し込める。どこの誰と相部屋になるかは入寮2週間前まで通知せず」という、統一教会の合同結婚式と見紛うシステムでした。今時ルームシェアだって事前情報もっとあるだろ!
そこで私は同い年・同じ学科の生徒と相部屋になるのですが、こいつがもう控えめに言ってケタ外れのバカ。私がこれまでの人生の中で出合った人間の中で一、二を争うバカでした。まずちょっとおかしいな?と思ったのが、入寮直前に相手の実家に電話した時、そいつもそいつの母親も敬語を使わなかったこと。いくら高校卒業直後の歳とはいえ、尊敬語・丁寧語・謙譲語の使い分けくらいはできるでしょう。ましてや見も知らぬ赤の他人と初めて話す時に、そいつ本人どころか母親すら敬語を使わないなんてことがあるでしょうか。これには私の母もちょっと訝しみ「なんだがやだらどくだげでらっけども、あだりめあるべが?(なんだかやたらと砕けていたが、常識はあるのだろうか?)」と心配していました。やがてその心配は的中することとなります。
それから慌ただしく統一教会システムの寮に転居しそいつとの共同生活が始まったのですが、次にあれ?と思ったのが漢字の筆順がムチャクチャだったこと。それも高校の現国で習うレベルの漢字ではなく、上下左右など小学校低学年で習うレベルの漢字の筆順がムチャクチャ。そして中学・高校で習うレベルの漢字の読み書きができません。だから特殊メイクの「殊」をソラで書くことができない。自分が勉強する学科名をソラで書けないってどういうことだよ!
それからも次々と驚愕の事実が明らかになっていきました。特殊メイクや特殊造型は何気に数学、理科、英語の知識が必要な分野です。情報や資料は日本国内よりも圧倒的に英語圏の方が多いため英文読解力が必要だし、使用する材料は化学薬品や劇物も多く、それらを適切に使用するには分量を正確に計算しなければなりません。作品によっては電子工作が必要なこともあるし、彫刻には骨格や筋肉の仕組みなど解剖学的知識が必要。例えば、内蔵をぶちまけるスプラッターな作品を作るには、各臓器の形や位置を知る必要があります。私は入学早々「クソの役にも立たないと思っていた大学受験用の勉強も役に立つもんだな」と実感したものですが、ルームメイトはこれらが全くできないときた。英語以前に日本語が怪しい、理科の知識も一切なし、数学は一次方程式どころか四則計算すら満足にできないという有様。そして驚愕の発言と質問を次々と投げかけてくるのです。
「シリコンって石と同じものなの?こんなにドロドロなのに?」 「数の計算って左から右にやるだけじゃダメなんだっけ?」 「体積って何?重さと違うの?」 「これなんて読むの?→膵臓」 「そんなに字がたくさん書いてあるのを読めるなんて凄いね」
シリコンは有機ケイ素化合物全般を指す名称で元素記号はSi!四則計算はカッコ最優先!体積は嵩のこと!お前は自分の体の中に入っているものも知らんのか!字がたくさん書いてあるものが書類や本!読めて凄いんじゃなくて読めなかったらヤベえんだよ!…と、いくら突っ込んでも追いつきません。ところが悪いことに、授業は原則「寮のルームメイトとペアになる」というシステムでした。するとどうなるか…
面倒なことは全て私がやることになる
参考になりそうな洋書や法医学所を漁って(当時はインターネット黎明期でまだWeb上に満足な特殊メイク・特殊造型の情報がなかった)情報を得ることも、それを翻訳してまとめることも、あらかじめ必要な材料の分量を計算して手順を頭に叩き込むことも、大半が実習で構成される授業の予習・復習は全てルームメイトの分も含め私がやりました。一方、ルームメイトは毎日の予習・復習どころか自分に足りない知識を補う素振りも見せず、飲み会やコンパに出かけ、週末は新宿、渋谷、原宿へと遊びに行き、クローゼットに入りきらないくらい服やアクセサリーや雑貨を買って帰ってくる。学費も生活費も全部実家からの仕送りであるにも関わらず。 そんな生活が続くうち、遂に私は授業中「これ中学校で習うことだよ。どうしてできないの?」と言ってしまいました。それで返ってきた答えが「だって学校の授業では寝てたもん。教科書は開いたことない」。
私はこの生活で、
言葉が通じる≠話が通じる
であることを悟りました。日本語を喋っているからといって「話」が通じるわけではない。どんなに言葉を重ねても、何をどうやっても溝が埋まらない、並行線が交わることがない、レイヤーが重ならない、そんな断絶が確実に存在することを知りました。加えて、偏差値で輪切りされる世界は実は「やさしい世界」であったのだということにも気付きました。子供を成績だけで振り分ける事の如何には様々な意見があるでしょう。その一方、偏差値による振り分けは「話の通じるクラスタ」ごとにまとめるシステムであり、まとめられる側にとっては精神的に楽なのです。私が高校生だった頃は、皆が毎日何時間も勉強するのが当たり前で、そうした価値観を持つ人間だけの世界で過ごせました。その中にもし「授業は寝て過ごす」「教科書は開かない」なんて奴が混ざっていたら?きっとお互いがお互いの存在をストレスに感じ、反発し合うでしょう。偏差値で輪切りするということは、緩く住み分けることで衝突を未然に防ぐ方法ではないかと思います。
なお、日々のレベルの低い会話・問答と、「バカなこいつには金があり、なぜ私にはないのか」という金銭的嫉妬ですっかりドス黒い気持ちでいっぱいになった私は、次第に「学校の勉強もロクすっぽ身につけていないクソバカが!」という空気を隠すことなく大っぴらに出すようになり、それに気付いたのかルームメイトも次第に寮に帰ってこなくなり(一方私が寮にいない時に男を連れ込む)、授業にも姿を見せなくなり、遂には新興宗教にはまって家財道具一式を残して行方不明になりました。もちろん、そいつが残していった大量の家財道具を全部梱包してそいつの実家に着払いで送付したのも私。そんな状況下でさえ、そいつの実家の親は何も言ってこず、心配して様子を見に来ることもなく、私の方から「そちらに着払いでお子さんが残していった荷物をお送りしました」と連絡の電話を入れても「あらどうも!」とあっけらかんとした様子。それを母に話したら「普通だば手間かげさせで申し訳ねえって謝るもんだべ!子供がバガなら親もバガだ!親のツラが見でみでえってのはこのごどだ!(普通なら手間をかけさせて申し訳ないと謝るもんだ!子供がバカなら親もバカだ!親の顔が見てみたいとはこのことだ!)」と私以上に憤慨していました。本当に「親の顔が見てみたい」とはこういう時のためにある言葉だなあ、と実感したのも思えばこの時が初めてでした。
ルームメイトが新興宗教にはまったのは私のせいか?と振り返ると、おそらくそうでしょう。でも考えてみて下さい。19歳で、話が全く通じず、レベルの低い会話・問答をせざるを得ない相手と学校でも家でも一緒の生活がいかに地獄か。皆さんは耐えられますか?
学校を卒業して以降も、私のこうした「バカが許せない」、正確には「何不自由なく勉強できる金と機会があるにも関わらず勉強しないバカが許せない」病気が度々顔を出してきます。さすがに今はいい歳なので、学校の勉強だけではない在野の英知があることも知っているし、たまたま学校という場所に縁がなかっただけで地頭が猛烈に良い人がいることも知っています。しかしそれでも、どうしても「学校の勉強で身に着けられる知識と教養は身につけておくのが当然」という考えが頭から離れないのです。
パワハラ認定された静岡県職員の上司は、もしかしたらうっかり口を滑らせてしまった私かもしれない、私も彼と同じ立場と環境に置かれたら同じことをするかもしれない、というか絶対する、と想像すると、私はこの事件がとても他人事とは思えず、どうしてもシンパシーを感じてしまうのです。 社会は決して偏差値で輪切りしてくれるやさしい世界ではなく、「なんでこんなのが?」というのを何の前触れもなく自分の世界にぶっ込んできます。パワハラ上司への処分が甘いという声も多数ありますが、敢えて私はこの上司にこそ再起のチャンスがあって欲しいと願っています。
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chiho.komoriya
Tech系ブログメディア「vsmedia」の運営、記事執筆、ソーシャルメディア運用コンサル、特殊メイク、特殊造型、仮面製作、フィギュア製作、アクセサリー製作をやっているメタラーです。英字新聞The Japan Timesで日本のガジェットやアプリの紹介コラムを月一で書いています。
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buriedbornes · 5 years
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第33話 『旧き世に禍いあれ(1) - "菌の森"』 Catastrophe in the past chapter 1 - “Fungus forest”
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 森、と呼ぶべきだろうか。
 遠くから見れば、その青さは豊かな植生を想像させ、様々な生命をはぐくむ豊かな森に見えるが、その実、その森は『森』以外の命を拒絶している。
 木々の代わりに、複雑に組み合って伸びた菌糸が、樹木のように空に向かう。梢である部分も、まるで寄せ木細工よろしく噛み合い、その様から想像するよりも酷く凍てついている。
 光の射さない森を、人は畏れ、近づく者はない。
 かつて、近づいたふたり組がモンスターに襲われた。からがら逃げた片���れが言うには、馬ほどの大きさのカマキリに襲われて、仲間は頭から食べられたという。その男自身も背中に大きく斬りかかられた痕があり、傷こそ浅かったがその日のうちに死んでしまった。近づけは呪われる、魅入られる、毒にやられる、様々な噂が立った。
 近隣に住む人々に場所を尋ねても、露骨に嫌がられる。森への案内人は見つかることない。
 菌類は、世界で一番初めに繁殖し、世界を覆い尽くした生命であるとされる。その生命力の強さは人間の想像をはるかに上回る。彼らは何らかに寄生し、共存すること、または乗っ取って成長することで繁殖を遂げた。「菌類が森を形成している」と聞いた時、フィリップは当然のように、実際の木に寄生した菌が、木の表面を覆い尽くしているのだろうとだけ考えていた。
 しかし、実際には、木々などを必要とせず、菌だけが独立し、成長しているという異常な環境だった。
 足元も完全に苔むし、通常の森の数倍の高さまで伸びた梢までを見上げる。
 完全に光を遮った空間には、ところどころに白いふわふわとした胞子が舞っていた。
 胞子を防ぐためにつけた顔を覆むマスクを通した、不気味で低く掠れた呼吸音は、そして規則正しく響く。菌糸が絡まり一本の巨木となる、それが真っ直ぐと空へ伸びる柱の間を、ゆっくりとふたつの影が歩いていく。彷徨っているわけではない。その歩みからは向かうべき先へと向かう意思が見受けられるが、広大な森と道を遮るほどの菌の巨木に翻弄され、緩やかに歩く軌道は大きく蛇行していた。
 この森の来歴は、古い神代にまで遡るとされていた。
「……仮説通り、本当に神が眠っていると考えてよさそうですね」
「ああ、そうだろうな」
 自死を選びこの森に入る者もいるという。それほどに深く、広大だった。
 屍術師のフィリップとグレーテルは、無表情で淡々と歩き続けていた。
 グレーテルが時折、歩みを止めては自身の側頭部に手をやり、目を細めて集中した後、遠くを指差す。精霊の濃い方角を探って向かうべき先を先導し、フィリップがそれに続く。
「何百年、いいや、何千年の時がここの中では流れたんだろう」
 数十メートルもの高さまで伸びた菌で出来た木をグローブ越しに触れてみたが、しっかりと堅い。強く押してもしなることもなく、力強く根付いた感触が返ってくる。
 フィリップは傍らのグレーテルを見た。彼女も顔を覆うゴーグルと、分厚い防護服や手袋、安全靴など、肌を一切露出せず、まるで奇妙な人形のように立っている。ゴーグルの奥にある瞳だけは、以前と何ら変わらず、知的な光を宿してこちらを見つめ返してくる。
 着ぶくれして奇妙な人形のような姿をしているのは、フィリップ自身も同じだ。
 何も身に着けずにここで呼吸をすれば、1分と待たずに肺から蝕まれて死ぬだろう。装備を揃えるために訪れた集落の古道具屋で出会った古老は、皺がれた声でそう告げた。そして、全ての装備を見繕い直す2人を尻目に、白く濁り始めた目で「あの森は捨てておくしかない」とはき捨てるように言って、店を去った。
 どれだけ歩いただろう。古老がいた集落から二日歩いて、菌の森の入り口にたどり着いた。森の入り口には当然、柵も、看板も、遊歩道のようなものさえない。獣道と思しき菌木と菌木の間隙を縫うように進み、ようやく分け入った。
 不意に、菌糸の枝と枝が擦れるような不自然な音が聞こえた。
 フィリップが斜め後ろを振り向くと、グレーテルの背後に、蔓が垂れ落ちている。粘膜で奇妙にてらてらと光る蔓が、ゆっくりと猫の尻尾のように先を揺らす。
 フィリップの背中が一瞬で粟立つ。
「グレーテル!」
 フィリップの叫びに、グレーテルも弾かれたように振り向き、その手を翳した。一瞬の間の後に青い炎が見え、フィリップは舌打ちをした。
「駄目だ!」
 叫びながら、フィリップは手を横に一閃した。
 蔓を焼き尽くさんとグレーテルの手から放たれた炎と、その先でグレーテルを襲おうと先端を食虫花の花弁のように広げた蔓が、澄んだ音を立てて凍り付く。
 ――これが、噂に聞いていた菌の森の怪物か……。
 見上げて注視すれば、そこここに蔓が伸びている。全ての蔓が同個体なのか、異なる個体同士が無力化された仲間の様を感じ取ったのか、するすると蜘蛛の子を散らし、逃げていくように去って行った。
 あれらは強酸性の粘液を持ち、骨をも溶かすと言われている。
「ここでは炎は使うな。分かるだろう」
 フィリップの声に、グレーテルは少しの間立ち尽くしていたが、ふいと顔を背けると、露骨に不機嫌そうな足取りで、フィリップを置いて歩き始めた。
 その背中を追いながら、フィリップは深い溜め息をついた。
 ここは『森』だ。ましてや梢に当たる部分は組み合わさっている。一旦火が付けば、どこまで延焼するかも分からない。
 この先に待ち受けるものが、その炎に焼かれてしまうようなことがあっては、元も子もない。
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 しばらく進むと、菌糸の種類が増えてきた。相変わらず空を覆う巨木たちは変わらないものの、下から葦のように生えた背の高い草状のものも増え始めた。
 はじめは魔物かと警戒していたが、ただの草に似た形状に進化した菌の一種のようだった。
 フィリップが大人になってすぐ、世界は一日にして全てを失い、崩壊した。屍者が溢れ、瓦礫に満ちた街を必死で逃げ回るしかなかった。グレーテルと再会したのはそのさなかだった。混乱の中、ふたりでどうにか郊外へと落ち延びた。
 覇王の侵攻によって、人々は絶望に追いやられ、細々と終焉に向かって隠れるように生きていた。社会や国など、あってないようなものだ。今までは動いていた陸路や海路も断たれ、物資の運搬もままならなず、世界的であらゆる資源の流通が絶えた。手元にあるもの、そこで作れるものだけが全てとなり、手近に残されたものを奪い合った。人の行き来が絶えた街道で誰かと会うことがあれば、例外なく襲い掛かってきた。
 そうして、社会が荒廃していくさまを、指をくわえて見ていることがふたりには出来なかった。
 屍術に手を染めたのも、仕様のないことだ。生き延びるため、何よりすべてを取り戻すため、戦うにはそれしか術がなかった。
 元々、フィリップとグレーテルは同じような境遇で育っていた。家庭の経済環境も近く、受けた教育もほぼ同じだ。ふたりは幼年から時間を共にし、大学で同期だった。専攻こそ、フィリップは時空間魔術、グレーテルは精霊術と異なったものの、在学中はお互い知己の仲であった。
 それでもただお互いに見知っていたというだけで、卒業後は疎遠だった。たまたま、覇王侵攻を契機に2人は再び引き合わせられた。それ以降、ふたりで屍者を用い、戦い抜いてきた。
 けれども、それももはや限界を迎えようとしていた。
 使役するための屍体が明らかに不足し始めた。これまで騙し騙し活動を続けてきてはいたが、そう長くは保たないだろう。
 フィリップの専攻は時間遡行――過去へ戻る術だった。彼の前の代にはその基礎理論はすでに出来上がっていた。ただ、そのために必要な魔力は想像を絶するものだった。そして、その消費量は遡行する時間が遠ければ遠いほど、つまり過去を目指すほどに指数関数的に増えると知られていた。
 覇王侵攻後、フィリップはずっと考えていた。今まで研究してきた延長線上で過去に干渉して現在の問題が解決する方法があるのではないか、と。数秒程度の過去遡行は実例が既にあった。ただそれも、必要魔力が少ないから出来た最小規模の実験だった。
 グレーテルと落ち合ってすぐに、彼女はフィリップの専攻を覚えていたため、「過去に戻って世界を変えることは可能だろうか」と真剣な表情で尋ねたことがあった。
 ――どうしてそんなことを?
 ――過去を変えるためです。現状を打破するには、今の努力でカバーできる領域を超えている。
 ――そうか。……現実的には無理だろうな。魔力が圧倒的に足りない。
 フィリップの返答に、グレーテルは怯まず詰める。
 ――魔石を集めたら? 大量の魔石があれば可能ではありませんか?
 ――街作りになるぞ。単に魔石を集めるだけでは意味がない、石から魔力を引き出し、一点に集中する構造にすることを考えたら、ふたりじゃ一生かかりでも無理だ。とても現実味がない。
 グレーテルは少しだけ、考え込む様子を��せた。
 ――神の力を借りるのは? それならば可能では?
 ――そんな量を借りた前例はない、全部寄越せなんて聞き入れられるものか。
 ――なら、死んだ神から奪うのは?
 ――死んだ神の力は死んだその場で霧散する。受肉して顕現した個体なら可能かもしれんが、そんな都合のいいものどこにも残っていないぞ。
 ――でも、仮に受肉して死んだ神の遺骸が現存すれば、できるという事ですか?
 ――まぁ、そうなるが……
 グレーテルと親しい関係であったわけではない。顔見知り程度だ。そんな彼女がはっきりとものを言い、貪欲に食らいついてくる姿は新鮮だったが、同時に恐ろしくもあった。
 ――あなたの言う受肉した神の遺骸は、歴史上、様々な伝承が残っていますよね。
 ――それでも、伝承だろう?
 ――ええ……。ですが、英雄が屠った神を食べ、国を築いた神話もありますし……時間がある時に調べてみます。
 この会話で終わったのだとフィリップは思い込んでいたが、グレーテルはそうではなかった。
 ある日、彼女はいつもは首から下げている眼鏡をかけ、古びて朽ちかけた郊外の図書館で、一冊の本を読んでいた。よもや殺されたのではないかと探し回っていたフィリップは、安心したと同時に隠しようもない苛立ちに襲われた。
 それでも、大きな張り出し窓に腰かけて本を読む姿は、痩せこけた頬さえ見なければ、まるで平和な時代の学生時代のように穏やかだった。
 ――屍者になっていたらと思ったら、読書か。
 ――なんのことですか?
 よっぽど夢中になって読んでいたのか、彼女は驚いたように顔を上げた。
 ――いや、僕が屍者を操っている間に、まさかいなくなっているとは思わなかった。僕の体に戻ってみたら、君がいなかった。どこか行くなら、一言くれないと困る。
 ――ああ、そうですね……すみません。突然思いついて……、あなたの様子も安定していたので、つい抜け出してしまいました。
 ――何を思い出したのかな?
 グレーテルは力強く頷いた。
 ――菌の森を。
 ――菌の森……? って、あの谷間にあるって言う?
 フィリップの問いに、彼女は大きく頷いた。
 ――あの森は古代の神の眠る場所。まさかこんなところに、こんな貴書が紛れていたなんて……結末知れずの闘争記録が数多く残されていました。記されているものも古語です。
 フィリップも書架をあるけば、複数の関連した図書が見つかった。
 ――古語で書かれている歴史書でした。ここにあるものは恐らく本当でしょう。
 ――古き神が眠る……か。
 ――魔力が残されている前提となる、肉の体に宿した後倒された神が幾つか……けれど、あくまで少数でした。
 ――ああ、そうだろうな。古い記録の中でも、特に古いものにしか出てこないヤツだ。
 ――神の顕現には本来肉体は不要で、なにか特別な理由がなければそうされる事もなかった。肉体を持たずに討たれた神は、その内に秘めた魔力ごと消散し何も残らない。仮説ですが、最も古い時代には、神々も顕現する姿を試行錯誤した時期があったのかもしれません。肉体を持って顕現し、そして討たれた後捨て置かれた神など、そのものの記録はなかったのですが……
 これを見て下さい、とグレーテルは古地図を示した。
 ――神を鎮めに旅立った英雄の行方を知る者はいない……、こういう地に、恐らく討たれて倒れた神の遺骸が現存する可能性があります……その場所さえ分かれば……
 ――ん、これは……
 フィリップはすぐさま、いつも持ち歩いている汚れた地図を広げた。古地図を交互に指さす。
 ――ここが、同じく城塞……高地……少し違いがあるが、同じところじゃないか……?
 ――そうです。そして、ここに菌の森。神の遺骸が、ここに……?
 グレーテルの声は興奮して上ずっていた。まだ確定していないものの、どうしても期待が膨らむ。フィリップは大きく頷いた。
 ――行こう。試す価値はある。
 決意は固まった。装備を整えて、ふたりは早速菌の森を目指した。
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 ふたつのガスマスクを通した呼吸音。梢から垂れた菌糸は、まるですだれのように行く手を次々と塞いでいた。それを押しのけた途端、突然視界が開ける。
 フィリップは、はっと息を飲んで足を止めた。
「――……ここだ」
 ふたりで作った地図とほとんど同じ場所に、それはあった。
 死した神の寝床。
 何千年も前に英雄と戦い没したとされる神が横たわっている。
 鯨に似ている。がらんとした空間の中に大きな赤黒い鯨の遺骸が打ち捨てられているように見えた。
 遺骸の周囲にはまるで丁寧に森をえぐったかのように円形の湿った地面が都市の広場ほどの範囲で広がっており、草一本、菌木一本も生えていない。まるでその遺骸が、あらゆるものが近づくことを拒んでいるかのように。
「……うっ……」
 グレーテルは口を抑えてうずくまった。
「大丈夫か?」
「……精霊の気配が……こ、濃すぎる……すみません、少し時間をください……」
 弱々しい声で告げたグレーテルが、額につけていたサークレットを外して、座り込んでしまう。
 やむをえず、フィリップは少し時間を置くことにした。すぐそばに腰かけて、フィリップも死骸を見つめた。生身で、感覚を増強する道具も身につけていないフィリップは、その遺骸から放たれる魔力の迸りを直に感じずに済んだ。
「あれが神の遺骸か? 鯨のように見えるんだが……」
 フィリップは神の遺骸を見ながら首を捻った。
 グレーテルはまだ肩で生きをしていたが、答える余裕は出てきていた。
「あなたは鯨を見たことが?」
「祖父は漁師で、幼い頃に鯨を見たことがある」
 グレーテルは雑談には反応せず、死した神の遺骸に歩み寄っていった。
 肉の大部分が朽ち落ち、元の形は分からない。骨の先から先までの距離から、巨鯨ほどの大きさの存在だったと察することが出来るだけだ。
 フィリップも近づいて見れば、それは明らかに鯨とは異なる特徴を有していた。抱え込まれた両の腕と太ももと思しき4本の節が見て取れる。
「……人か?」
「当然人ではありません。ただ、極めて人に近い形をした、大型の何か……でしょうね。人を象って顕現したのでしょうか」
 グレーテルは微かに首を傾げていた。
 よくよく見ると、手足や頭部の形は残っている。ひとつひとつの大きさが人間と比べ物にならないくらい巨大だ。横向きに膝を抱えるような形で倒れていたため、残った部分がひとかたまりにまとまって丸々とした肉塊に見え、遠目から横たわった鯨に見えたのだ。
 グレーテルは躊躇いなく、その肉片に触れた。
「お、おい! 触れて大丈夫なのか?」
「触れないと確認できないでしょう。いまさら躊躇しても仕方ないじゃないですか。」
「それは、そうだが……」
 彼女は表情を変えることなく、手袋をしたまま肉片をつまみ上げ、背負った鞄から留め金を外して手にとったモノクルを通してまじまじと観察した。流石にフィリップはまねる気にはなれず、顔を背け代わりに周囲の森を見渡していた。
 屍術師として屍体を扱うことには慣れたが、それを当然望んでいるわけもない。ましてや、死した神の肉片なぞ、触れて何が起きるとも知れぬものを、掴む気も起きなかった。
「……やはり。山羊と、おそらくは牛の混合……生贄を触媒に受肉されたものですね」
「数千年も前のものが?それだけ経っててわかるものなのか?」
「受肉した神の記録は数は少ないですが、それを食したものが不滅を得たという伝説は幾つか聞きます。残された肉そのものが不滅だとしても、不思議はないでしょうね」
「まぁ、山羊と牛のミンチなら、味は良さそうだな」
「その冗談は面白くありません」
「はは、誰が食べるものか。触るのもお断りだ」
 フィリップは肩を竦める。
 ガスマスクをしているから、臭いは分からない。
 蠅もたかりもせず、数千年を経ても微生物に分解されている様子もなかった。
「ここで朽ちていっていたということは、この神はひとりで死んだのか?」
「いえ、この辺りの骨が折れています。きっと英雄と戦い、敗れたのでしょう」
 グレーテルが示すあたりをしかめ面しながら片目で見やる。左脛と思しき位置の骨が、粉々に粉砕していた。これほどの打撃を神に与える英雄とは…。想像が出来ない。あるいは、Buriedbornesの術を介するならば、可能だろうか。ふと、古の時代からBuriedbornesの術は扱われていたのではないか、という妄想にも似た想像が浮かんだ。
「英雄や魔物は神から力を奪う……けれど、この肉体だけが残ったということは、この谷間には元々、遺骸を喰らえるような肉食の魔物や獣がいなかったのでしょう。当の英雄は、恐らく相討ちに」
「その英雄はどこだ?」
 グレーテルが指をさす。その先を見れば、遺骸を中心とした空間の縁に、ボロボロに朽ちた剣の柄らしきものだけが落ちていた。刃は完全に失われて、金の装飾部分だけが、堆積物をかぶりながらも劣化せず残っているようだ。
 受肉した神の肉体が持つ不滅性が証明されたと言える。あまりにも長い時間を経て、相対した英雄の遺体がほとんど朽ちて消え去った後も、まだこうして肉体を残していたことになる。
 木々や草花は育たず、陽の当たらない崖の下で、菌糸類だけがその溢れ出す力の恩恵を受けて菌だけの森を成した。もとより人が住めるような場所ではなかったのだから、手を付けられることもなく歳月が過ぎた事に、疑問の余地はない。
「ここに人間が来たのは、どれくらいぶりなのか」
「……はじめてかもしれませんね。このふたりの他では、はじめての訪問者なのでは? 英雄自身も、はたして人間だったかどうか……」
「好都合だな。予定通りいけそうだ」
「ええ、準備は大丈夫ですか?」
「ああ」
「魔力の計測もそろそろ終わりそうです。正式な数値はまだですが、現時点で必要な魔力を越えています」
 グレーテルは研究者らしく、目を輝かせて頷いた。��ィリップも頷き返す。
「ここまで近づけば、肌で分かるレベルだな。この魔力量なら、想定通り飛べそうだ」
「ええ、そうですね」
 人生でも目にしたことがないほどの、内包された計り知れないほどの魔力量。これほどの力を使うことができれば、確実に過去へ戻ることが可能だろう。
「あーあ。どうせなら、覇王が生まれた頃まで戻って子供のうちに縊り殺せたら、もっと楽なんじゃないかな?」
「…この遺骸と同じものを数万体ご用意する気力がおありなら、どうぞ。一緒に試算したでしょうに…」
 時間は巻き戻せる。
 有限でも確実でもないが、方法論は確立している。フィリップはそれを扱える。ただ、この世には魔力が絶対的に足りない。
「この遺骸があってこそ、可能になった、それでも、たったの50年か……。だが、その時期であれば屍体も多く集まるだろう。今ではもうお目にかかれないような、名だたる英雄の屍体も手に入るかもしれない。その力で覇王を討ち、人間が人間として生きる時間が取り戻せるはずだ」
「ええ。失敗は許されません」
「もし失敗したら、どうする?」
「……そうですね、残された戦力で、覇王相手にはもう勝ち目はないでしょう。手詰まりです。未来に可能性を残すために、あなたと子でも為しましょうか」
「その冗談は面白いよ」
 フィリップが笑うと、グレーテルは不満そうに眉を寄せた。
「人間らしい生活を、社会を……取り戻さねば。国や都市が機能し、人々は安全に暮らす、学府にも人がいて、積み重ねられたものが未来に残されていくような……そういったものが、この世界には必要です」
「ああ、その通りだ」
「もし私達に覇王を打破できなければ、より可能性の乏しい後世にすべてを託すしかない。可能性は狭まるばかり。それだけは避けなければ」
「そうならないように、今、やれるだけの事はやろう」
 フィリップは杖を荷物から引き抜いた。
「さ、そろそろ行こうか」
 戻る場所はたった50年。それでも十分だ。
 人類の未来のため、有意義に使わなければ。
 フィリップは杖を握る手に力を込めた。思い切り、遺骸に杖の先を突き立てた。肉を���く感触は、遺骸というのに生々しくぶにぶにと柔らかかった。
 杖を差した部分から、光がふわりと零れたと思えば、光の筋が一気に杖を通過し、瞬く間に杖全体が発光する。両手で握っているのに、杖のもたらす衝撃に体が吹き飛ばされそうになる。
 杖を中心に、魔力の奔流が竜巻のように徐々に渦を巻き、菌の梢も揺れ、森を包んでいたすべての音が遠ざかって行く。凄まじい轟音が響き、杖自身が悲鳴を上げる。悪路の馬車に乗せたように大きく揺れ振動し、弾け飛ぼうとする。必死でフィリップは縋りついた。
 グレーテルは風の中、近くの木にしがみついてフィリップを見守っていた。その表情は落ち着いている。彼女ならば、過去から送り込まれた屍体もきちんと回収し管理してくれるだろう。彼女のような人間に背中を任せられる自分は、こんな時代において、幸せ者ではなかろうかと時々思うが、今はその気持ちが特に強い。
「世界を、救わなくては……!」
 遂に杖は、内側からの力に負けるようにたわんだ。咄嗟に手で押さえたが、その瞬間、ガラスのように砕けて、真っ二つに折れた。
 そして、世界が揺らいだ。
「フィリップ、お気をつけて」
 何も見えない光の中で、グレーテルの最後の言葉は、しっかりと聞こえていた。
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~つづく~
原作: ohNussy
著作: 森きいこ
※今回のショートストーリーはohNussyが作成したプロットを元に代筆していただく形を取っております。ご了承ください。
旧き世に禍いあれ(2) - "ブラストフォート城塞" 
「ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸いです。
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