Tumgik
#恐怖は底無しに深化する
kennak · 3 months
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公益通報した和歌山市職員が自殺 処分受けた職員と同フロアに配置(https://nordot.app/1163040077475562418)では市役所への批判一色だ、当然だと思う。 (同記事はてブより) ◯これは徹底的に叩かなアカンよ。さもなくば正直者は馬鹿を見る事例として引用され続ける。不正は見たが通報しませんでした、報復人事で自殺まで追い込まれても社会は助けてくれないからと言われれば誰も反論出来ない ◯すぐに思い出すのが赤木俊夫さん。もう、こんなことが起きてはならないのに。職場にこの職員を守る人がいなかったのか。そういう人になれるよう、私たち一人ひとりの強さが求められる。 などなど、これらのブコメは本件の背景を理解していないと思われる。大っぴらに報じられていないのでそれは当然だ。 ただ、本件について市役所を叩いても全く解決しないどころかかえって悪化する可能性が極めて高いと思われるので、その解説と感想を残しておく。 これまでの報道 確認できたのはしんぶん赤旗、わかやま新報、示現舎のみで、現在webで確認できる限りでは、大手マスコミからの報道は皆無だったようだ。 https://jcp-wakayama.com/2020/02/18/ 和歌山市は2月18日、旧同和子ども会への支援交付金を不適正使用したとして市職員15人の処分を発表。同市公共事業をめぐり旧同和地区連合自治会長が昨年、詐欺事件で逮捕・起訴されたことに続き、同市の同和行政をめぐる不正が再び明らかになりました。  事態は公益通報による内部告発で発覚。 (2020年2月18日) さすが部落解放同盟と対立を続けてきた共産党だ。しっかり同和行政に問題があることまで触れた記事になっている。 https://www.wakayamashimpo.co.jp/2020/02/20200220_92245.html 和歌山市は18日、子ども会活動を支援する交付金約1000万円の不適正使用と、市内の2児童館で実態のない人権教室などに講師謝金計約930万円が支払われていたことが発覚したとして、市民環境局のセンター長(57)を停職6カ月とするなど、職員15人(いずれも男性)を処分した。 (略) 同館職員が18年8月に公益通報したことで発覚し、市が調査していた。 (略) 同子ども会の副会長を務める市民環境局の副課長(56)は、センター長の不適正使用を知りながら支出に合意していたとして、減給10分の1、1カ月の処分を受け、同交付金を担当する青少年課の当時の課長2人は訓告となった。 (2020年2月18日) 地元わかやま新報は更に詳報だ。 関西出身者なら「人権教室」、「環境局」でピンとくるかもしれない。 https://jigensha.info/2020/02/19/wakayama-dowa/ 議会においても追及してきたのは共産党和歌山市議団のみだから完全にブラックボックス化してしまった。 ところが子ども会補助金を情報公開した矢先にこんな事態が起きた。18日、和歌山市は市内2か所の児童館で総額約1900万円の不正支出があったと発表。市民環境局環境部センター長、同局市民部副課長ら15人の職員が処分された。同日の共同通信によるとセンター長は子ども会の事務局長を務めていた2013~2017年、児童館職員に架空の領収書などを渡し、市の交付金1017万円を目的外に流用していた。子ども会の活動に使用したように装い、指導者養成の活動費などに充てていたという。 (略) この児童館、あるいは不公平な子ども会事業もその受け皿的な団体と言えるのが先述した「和歌山市子ども会連絡協議会」だ。 「子ども」を冠しているから分からないが実は同和の団体交渉。 この団体自体、もともと和歌山県議の差別発言がきっかけで発足したという。 (2020年2月19日) 同和事業の不正を追っている示現舎では更に詳報だ。 差別発言(とされるもの)をきっかけに行政が食い込まれてきたことがわかる。 感想 ◯市の上層部も不正を半ば知っていた人は多いのではないだろうか。ただ、これを不正と断じてしまうと誇張抜きに自身と家族の命が危ないので見て見ぬふりをせざるを得なかったと想像できる。 ◯公益通報をした職員についても、「あいつなんとかせん(イジメないと)とわかってるやろーな」などと圧力のあったことは想像に難くない。 ◯本件の場合、公益通報者を保護できなかったからと関係者を処分した場合、それら職員は完全な板挟み状態で動きが取れなくなる。 ◯逆に団体側はまさに自分の実力を誇示した形になる(役所の幹部を処分させることができたというのは実績で、今後の交渉材料になる「言うこと聞かなきゃ処分/更迭されるぞ」) ◯オマエの妄想だろと言われてしまうかもし根拠も何も無いが、過去の各種の事件から職員が恐怖を感じるのは理解できるし、関西の方なら感覚的にも共感できるのでは。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E8%90%BD%E8%A7%A3%E6%94%BE%E5%90%8C%E7%9B%9F、https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E3%83%BB%E7%B3%BE%E5%BC%BEなど。もちろん記載されているのはごく一部。立憲民主党の辻元清美議員と懇意な関西生コンも関係が深い(例 https://www.kannama.com/news/news2017/2017.06.16/2017.06.15.html)) ◯京都でも同様の問題があり、一貫して同和利権・部落解放同盟を批判してきたのが日本共産党。だから、特に高齢者層での共産支持が根強い。(同和行政がほぼ終焉した世代の若年層では共産党支持は低い) ◯また、大阪でも同様の問題があり、完全にでは無いが批判し、是正したのが維新の会。当然に支持は高い。京都における過去の共産党が、大阪における現在の維新と被る。 ◯示現舎記事のとおり、相手方の差別(不適切)発言を針小棒大に騒いで行政に侵食していくやり方は差別利権の得意技。最近は同和以外、特に女性問題などでも見られる(女性団体が騒いで行政が介入してこなくなった、など、女性団体側の証言あり)。 ◯共産党やその関係者はこういったやり方を批判していた(「同和利権の真相」シリーズなど)はずなのに、女性問題などでこのやり方を踏襲してるのが悲しい限り。 ◯もちろん差別発言など騒ぎに乗じて行政叩きする割に利権を報じないマスコミも同罪だ。 ◯解決策としては、行政によるこういった特別扱いの一掃と、世論・マスコミの後押しだ。そのためには「あの団体は可哀想だから助けてあげなきゃ」などの論調を排し、杓子定規の対応が必須だ。(交渉次第でカネが引き出せるとなったらいくらでも付け込まれる) ◯示現舎は差別的だとはてブではやたらと評判が悪いがこういったことを追ってくれるのが事実上示現舎くらいしかないのが現状だ。 ◯自民の話をしてこなかったがもちろん野中広務や二階俊博など関係者は多い。
和歌山市役所の公益通報の件、担当者にも上司にも市役所にも同情する
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onishihitsuji84 · 4 months
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『ガラスの街』
 五月は読書の月だ。僕は本を読んだ。数多の本を。  最初、それは次の小説のアイデアを得るためだった。頭上の樹々からワインのための葡萄をもぎ取るような、循環を続けるにあたっての摂取だった。いきおい堕落しつつある現実から少しでも意識を逸らすためでもあった。  普段の僕は、本を読んで時間を過ごすことは少ない。長い時間ひとつの文章に集中することができないのだ。  それに読むことよりは書くことのほうがずっと大切だと僕は思っている。読む行為は、現実という制限された枠組みのなかではせいぜい膝丈ほどの優先度しかなかった。  しかし五月ではあらゆるものが落下した。熟れ過ぎた果実が枝との繋がり終え、足元に開いた坩堝に呑み込まれていった。読む行為もそうだ。落ち、煮え滾る器の中で混合した。  いまでは僕の「読む」は混沌としている。それはいまでは長身の僕、その僕以上にのっそりとそびえる一本の巨大な柱となっている。物言わぬ花崗岩の柱。五月、僕はそんな柱を中心にぐるぐると回り続けている。手は文庫本に添えられ、目は9.25ポイントの文字に注がれている。足は僕の意識から離れて交互に動いている。ひたすら歩き、ひたすら読んでいる。柱から少し離れた誰彼にどう見られているかどう言われているかなんてことお構いなしに。
 いや。そんな話自体がどうでもいい。関係ない。  きょう、僕は自分自身が”うすのろ”だということを語りにきたのだ。
***
 五月。  僕はどんなものを読んだのだろうか。   金ができて僕がまずやったことは大学生協の本屋に行くことだった。カウンターで二枚つづりの注文用紙を手に取り、もう何年も使い続けている青のボールペンで書いた。 "9784002012759"  週明け、僕は地下の生協で注文の品を受け取った。『失われた時を求めて』全十四冊。いまは第一巻を読んでいる。僕がふと目をあげると、あの遠い窓の奥で、大叔母が目を爛々と輝かせているというイメージが浮かぶ。泳ぐような精神の移ろいもまた。
 シェイクスピアの『夏の夜の夢』も読んだ。 『MONKEY』のvol.31の三篇、ケン・リュウ「夏の読書」、イーディス・ウォートン「ジングー」、ボルヘス「バベルの図書館」も読んだ。  仕方なく後回しにされていた本を買って読んだのだ。  金銭の自由は、精神という鈍い壁に茂っていた蔓植物のような不足を一太刀で解決した。
『春の庭』も読んだ。『九年前の祈り』も。  ウルフの『波』も読み始めている。  僕の貪欲は、過去に読んだことがあるかどうかなんてものでは選ばなかった。カーヴァーの『象』、春樹の「タイ・ランド」、マンローの「イラクサ」、ヴォネガットの『スローターハウス5』。マラマッドの「悼む人」も読んだ。
 一度の時に、僕はこれらの本を読んだのだった。  こんなに大量のフィクションを仕入れて、いったい何をしようとしているのか?  紛争でも起こそうとしているのか?
 何のためか。それは僕自身にもわからなかった。  僕は特定の目的をもって読んだわけではなかったようだった。五月の読書は「文章の上達」や、「ストーリーテリングの技法」といったそれまでの興味とは別物だった。振り返ればそうだとわかる。
 五月の読書は、それまでの自分を抑制しようとする、極めて機械的な態度とは違っていたのだ。  言えば���それは無垢に機械的な読書だった。  これまでの僕は断じて読書好きではなかった。どんな傑作でも一時間もしないうちに音を上げて投げ出した。ドストエフスキーやメルヴィルと出会ったときでさえ、メインストリームは”書くこと”、そして”生きること”で変わらなかった。この五月に僕は初めてむさぼるように読んだのだ。頭を空っぽにして。堆い小説の亡骸の山に坐すかのようにして。
 それで、僕は何かしら成長したか。  いや。成長なんて一つもなかった。  そこには変化さえなかった。二週間前と、すべては同じだった。僕が着るのは依然深いグレーのブルゾンだった。コミュニケーションもぎこちないままだった。  だからそこで起きたことはシンプルだ。つまり、僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み、ある一つの事実に行き当たった。 「僕はなんという低能なのだ」という事実に。
***
 一昨日から僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み始める。  『MONKEY』でオースターのエッセイを読んで彼のことを思い出し、その夜に丸善に立ち寄った僕は彼の本を久々に手に取った。  三日で読んだ。 「三日で読む」というのは僕にとってほとんどあり得ないことだった。僕のリュックサックには必ず四、五冊の本があった。読むときにはまずそのとき一番惹かれる本を手に取った。そして十数ページが過ぎ、抱いていた軽度の好奇心が満たされてしまうと、浮気性の蜜蜂のようにまた別の小説の甘いのを求めるのだった。  だから、一日目、二日目と時を経るごとに加速度的にその好奇心が勢いを増し、三日目には150ページを一つの瞬間に通貫して読んでしまったのだ。僕の読書体験において、異例中の異例だった。
『ガラスの街』を読んで、僕はうちのめされた。徹底的に。 ”面白さ”、そして”新鮮さ”の二つが、やはり事の中心だった。読書においておきまりのその二つが今回も僕を虐め抜いたというわけだ。 『ガラスの街』を読み終えた瞬間、僕の生きる世界のどこかが確実に変化した。
「祈っている。」  僕がこの最後の一文を読んだとき、曇り空の下にいた。その一節がこちらに流れ込んできたあと、僕は立ち上がった。テーブルがごとりと揺れるほどぶっきらぼうに立った。取り乱していたのだった。僕はそのままであてもなく歩き始めた。 「これ以上座っていることはできない」 「このまま座っていると、僕は頭の先から崩れ落ちてしまう不可逆的に」  そうした、僕という精神を一切合切覆してしまうほどの強烈な予感のために。  僕は予感に乗っ取られないよう、何も考えないと努めていた。何も感じまい、何も見まい、と。  リラックスを意識し、肩から力を抜く。腕をぐんと伸ばし、指をぽきぽきと鳴らした。イヤホンを耳にした。『ベリーエイク』を再生する。いつか足元をくすぐった波のように心地よい、ビリーアイリッシュの声に心をしっとり傾けた。  もちろん、そんなことは無駄だった。とりあえずの形など、何の助けにもならなかった。以前との比較から始まる違和感たちは強権的に僕の感情の戸をこじ開けた。  歩く中、透明の空気が奇妙に凪いでいた。風景からは特定の色が抜け落ちていた。向こうで笑う声、衣擦れの音、靴底の摩擦。音という音がワンテンポずれて聞こえた。  変化は女王だった。彼女は支配的だった。  僕は小説による変化を受け入れ、恭順のように認めたわけではなかった。むしろ、変化は僕にどうしようもなく訪れていた。言わば、言い渡しのようにして。  女王を僕は素晴らしい小説を読んだ後の”ゆらぎ”の中に閉じ込めたのだった。何もかもが、僕に合わない形に作り替えられていた。建物を構成する直線はいまやでたらめで恐怖がつのった。頭上の青はこのように汚い灰色では絶対なかった。
――そして、当然、この点についての文章はかたちだけに過ぎない。これらは省略した文章。書く必要がないということ。  なぜなら、あなたたちもかつて同じ経験を経ているからだ。小説を読み終えたあとに来る世界の変質を。  加えて、忘れるなんてことを女王が許すわけもない。これについても言わずもがなだろう。
 そして、重要なのは変化のよろめきではない。   そうなんだ。きょうしたいのは女王の話とは実は違うのだ。ここであなたに伝える言葉は破壊だ。  破壊。  それは”面白さ”と”新鮮さ”のコンビがやったわけではなかった。変化の体験に曝されたゆえのサイコ・ショックでもない。  木々を打ち砕く手斧となり、人体を壊す剣となり、バベルの塔をゼロにする雷となったのは、オースターの書きっぷりだった。
 オースターは、考え抜いていた。  そこで”感じ”は排除されていた。  感覚による言い表しがまるで無かったのだ。僅かにイメージに依拠するものがあっても、それは必ず共感の姿勢だった。テーブルに身を乗り出し、相手の声に耳を澄ませる態度。
『ガラスの街』では、本当に一切妥協はなかった。僕はとても信じられず、街を隅から隅までしつこく歩き回った。しかし、本当に妥協はどこにも無かった。
 オースターは僕とコミュニケートすることを選んでいた。そのへんの宙に感覚という水彩画を描いて「ほらご覧」とする、ごく個人的で他者には見せつけるだけという表現は徹底的にしなかった。チャンドラーを始め、私立探偵ものに由来する例の論理的な高慢さはあった。しかし、確実にオースターは読者と対峙していた。彼は殴る、殴られる痛みを完全に了解した上でリングに立っていた。  彼の据わった眼が僕を揺るがしたのだった。彼は完全の脆弱性を知りながら、完全に書いていた。  それだから、彼を読んだとき、僕は……
 向こうから厚底ブーツの女が歩いてくる。  女は痩せている。薄い、流線形の黒一枚に身を包んでいる。背が高く、ありったけに若い。二十歳前後に見える。二つの瞳はキャップに隠れている。すれ違いざまに見える耳にさえ、カナル型のイヤホンで黒が差されている。マニキュアはあまりにも美しい銀色に染まっており、高まりを誘う。  センスがいい。綺麗だ。  彼女はなんて豊かなんだ。  僕はそう思う。  ほとんど同時に、ガラス一枚を隔てた向こうで本を読む人を見つける。  また女だったが、今回性別は重要ではなかった。その読む人は区切られたブースで、文庫に目を落としていた。化粧や唯一のファッションなどもなく、やはり装飾は重要でなかった。というのも、いまにも涎が垂れてきそうなほどに口をあんぐりと開けて読んでいた間抜けなその放心が、僕の記憶に楔として打ち込まれていたからだ。
 これらのスケッチが、何かを直截に意味することはない。二つの風景は隠喩ではない。  正直に、上記は僕が受けた印象の再放送だ。  この日記は『不思議の国のアリス』ではない。二つは作為的な意味を持たない。  書いたのは「意味を持たない」ということを明らかにするためだ。  その内容でなく、外側、僕のスタイルという基本的な骨組みを露わにするためだ。
 そう。だから、つまり……僕は痛みから逃げている。オースターとは違って。  きょう、読んで、事実は突きつけられる。
***
”言葉”はもう一度響く。
「大西さんの小説は、けっきょく古典から表現を引用しているだけ」
「僕は彼にもう興味がないんだ。かつて、彼は賢い人だと思っていた。書くものに何かしらの意味があると思っていた。でも、そうじゃないと知った」
「あなたの課題は、独自の世界観を提示できるかということです。海外の小説、そして村上春樹でなく」
***
 そして、このように敗北してもなお、僕は決定的な何かについて述べることはなかった。張りつめた表情で、まやかし、それ自体に必死に祈る。もうそのような生き方しかできないと信じ込んでいるのだ。
「この大地にあるものはすべて、消え去るのだ。そして、今の実体のない見世物が消えたように、あとには雲ひとつ残らない。私たちは、夢を織り成す糸のようなものだ。そのささやかな人生は、眠りによって締めくくられる」
 祈りの文句を何度も何度も口にした。  僕の声はいつも通りにすごく軽くで響いた。  そして一度響いてしまったものは泡沫のようにたちまち消え去った。
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poetohno · 7 months
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混沌の洪水 6 おまけトーク(仕事についての考察)
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「濁流」
濁流 飲み込まれ 溺れ 左右 上下が反転し
圧倒的に迫り来る 求めても藻掻くだけ 出口は閉ざされている 決して触れられはしない 失望
何もできない ただ呼吸を求めるだけ
孤独と混沌の中で手を伸ばす
奔流から抜け出ようと 手を伸ばし求めるだけで 痛みが奔る 広げた手は何も掴めはしない
手を伸ばすことを諦めることは 死ぬことと同じだった 絶望し 死を待つことと等しかった
できるはずがないと 恐怖で狂いそうになりながら 深淵の底で叫ぶ
―こんな人生を求めてはいない―
理由さえも分からないというのに
人生は何だったのか 広げ続けた手を虚しみが覆っていく
何も掴めないよりはまし―
簡単に押しつぶされて 手の中で黒い塊となる
手に宿すのではなく 心に巣くう魔物
憎しみ 胸を掻きむしりながら溺れていく
耐えきれずに開いてしまった口に 容赦なく水が注ぎ込まれる
……… 沈んで 飲み込まれて
苦しみに吐き出そうとも体内に入り続ける 己を食らい尽くすように
内なる混沌と衝突し業火となる 幻想は黒い炎によって灼かれ
力尽きた手が下がる 身体は底へと目指すかのように沈んでいく
出ることは叶わない 望むことを諦めたのだから
気づけば彷徨っている 永遠の雨の下を
降り注ぐのは雨という名の記憶 感情
今まで手にして抱いてきた数々のものが 無惨に捨てられていく
雨を終わらせることはできない 自分の世界であるというのに
たまらなくなって笑い始める
顔を押さえて笑い声は留まらなくなる ついに狂ってしまった
この人生は 滑稽で あまりに無意味であり
なぜ生きてきた 何を求めて全てを手にしてきた
まるで道化師 手品は終わり劇の幕は閉じたのか
雨の下で目的もなく彷徨い歩く がらくたとなった残骸を踏みつぶしながら
どこへ行こうとどこにも行き着くことはない 雨はやがて世界を沈ませる
無価値なものに埋められて死ぬなら 実に自分らしい
歩くことさえも意味がない 静かに立ち止まり朽ちていけばいい
足を止めた足下に 何かが舞い降りた
感情と思い出はなぜ今まで生きてきたのかを問いかけた
しかし問いには答えられない
一体何のために生きていたのか
過去の全てが終着するなら
答えも落ちるのではないのか
―探さねばならない
生きた意味など今更求めはしない
死ぬ場所はここではない気がする
見つけた場所が終わりの時
世界が閉じる前に出会わなければならない
命の結末を
大地は彩りを失い 空は崩れ落ちそう 世界を探し歩く 過去を拾うためではない
未来に何を残すのかを 知らなければならない 無意味な人生が 終焉し何が始まるのかを…
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0nce1nabluemoon · 2 years
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泉に戻ることを望む者は、流れに抗して泳がなくてはならない
[東ドイツ ある家族の物語] P.265
しかし日本は、国を失ったことはないでしょう
[また、桜の国で]P.115
今、僕の国では、未だかつてないほどに、武士道や大和魂という言葉が使われているよ。でもね、覚えておくと良い。濫用される時は必ず、言葉は正しい使い方をされていない。
[また、桜の国で]P.482
誤解せんで欲しいが、資本主義が勝利するわけではないぞ。敵を見失った資本主義は、これまた果てしなくモラルを失っていく。どんな形で崩壊するのか、それとも再生できるのか。
[プラハの春 下]P.366
犠牲者を追悼する際、たとえ何百万単位で数えられたとしても、彼らは個人であり、集団ではないと覚えておかねばならない。どのような形であれ、殺された人々を集団として記憶しようとするのは死者を否定し、還元し、再び消滅させてしまう行為である。まさに犠牲者を殺害した人たちの思うつぼなのだ。さもなくば記念碑は忘却と否定の文化に取り込まれてしまう。私たちが忘れてしまうのは単純に忘れた方が楽だからであるが、不安や恐怖の時代にそれをしてしまっては無責任である。忘却は無知に自由な支配を許すことになる。つまるところ、心に留めておきたい歴史が何であるのか、あるいは過去を意図的に消そうとする理由は一体何か内省してみれば、私たち自身が何者であるのかが見えてこよう。
[ポスト・ヨーロッパ 共産主義後をどう生き抜くか]PP.214-215
あたしはずっと歴史を教えてきたけど、歴史上の出来事のどれひとつをとってもわたしたちが最後まで知っていることってありません。経験したどれをとっても。真実のすべてを......
[戦争は女の顔をしていない]P.46
僅か十日のあいだに、日本の国民はこれだけの大きな自由を奪い去られたのだ。
[風にそよぐ葦(上)]P.199
そしてこの動乱の時代には、すべての愛情が悲劇の原因になるのだ。裏切られなかった愛情がどこにあるだろう。悲劇をもたらさなかった愛情がどこにあるだろう。人間と人間のつながりが、兵役法だの徴用令だの動員規定だの、その他無数の法令によってばらばらに切りはなされ、愛情の幸福はその根底を失ってしまった。
[風にそよぐ葦(下)]PP.76-77
榕子は日の丸の旗が嫌いであった。それは残忍きわまる国家権力の象徴であった。ここ数年来、国家とは国民の不幸の象徴ではなかったかろうか。良人を奪い子を奪い富を奪い食を奪い、あらゆる生活の根底を破壊し去ったものはこの日の丸の旗であった。
[風にそよぐ葦(下)]P.93
道徳も義理も人情も、そういう美しいものはすべて生きるための邪魔ものであった。
[風にそよぐ葦(下)]P.198
国家が国民に要求する犠牲がその極限に達し、その極限を過ぎて、血をすすり肉を啖い尽してから、戦争指導者と重臣たちとはようやく降伏を決意した、それまでは決断がつかなかったのだ。
[風にそよぐ葦(下)]P.271
古今の歴史は、為政者たちの暴政や侵略者たちの暴虐による人間の悲劇を、幾つとなく記録しているが、どれほど凶暴な力に打ちたおされても、それが人間の本質的な姿を変えることはできなかった。ヒトラーやムッソリーニや東条が、あのなさけ容赦ない強制と圧迫とを加えてみても、ついに蹂躙することのできなかった(人間の最後の自由)というものがあるのだ。ソヴィエトの圧制者たちがあれほどの秘密警察と懲罰主義とをもって、幾度か血の粛清を行なって見ても、どうしても奪い去ることのできなかったスラヴ人の自由というものがあるのだ。全体主義者たちが最後につきあたるものは、この、人間が人間であるという真実であるに違いない。自分の思考をもち、自分の欲望をもち、自分の理想をいだき自分の幸福を求める、人間としてのその本質的な希望は、国際関係が緊迫してきた現代の社会ではほとんど許されなくなってしまった。しかし、最後に残るただ一つの自由は、拒否するという意志に於いて表現されるのではあるまいか。
[風にそよぐ葦(下)]PP.464-465
しかし、どんな時代が来ても、人間の心の奥底にある、孤独感というか、一人きりでは生きて行けない、誰かを愛し、誰かを信じないでは居られない、そういう本質的な弱さ、・・・弱さと言ってもいいだろうね。・・・そういうものの美しさを信じることはできるんだよ。
[風にそよぐ葦(下)]P.536
私は罰を受けている・・・でもどうして?もしかして、人を殺したから?時々そんなふうに思います。年をとると、昔より時間がたくさんあって・・・あれこれ考えてしまう。自分の十字架を背負って行くんです。毎朝、ひざまずいて、窓の外を眺める。みんなのことをお願いするの。すべてを。夫を恨んではいないわ。許しました。彼のために祈ります。責めません。私が女の子を産んだ時、彼はしげしげと眺めて、すこし一緒にいたんだけど、非難の言葉を残して出て行ったんです。「まともな女なら戦争なんか行かないさ。銃撃を覚えるだって?だからまともな赤ん坊を産めないんだ」私は彼のために祈るの。もしかして彼の言うとおりかもしれない。そう思うことにする......これは私の罪なんだって......私はこの世で何よりも祖国を愛していた。私は愛していたんです。誰にこんなことをいま話せます?自分の娘......あの子にだけ......私が戦争の思い出話をすると、あの子はおとぎ話を聞いているんだと思ってるんです。子供用のおとぎ話を。子供のおそろしいおとぎ話を。
[戦争は女の顔をしていない]P.369
スターリンは結局民衆を信じなかった。祖国は私たちにそういうお礼をしてくれたの。私たちが注いだ愛情と流した血に対して。
[戦争は女の顔をしていない]PP.430-431
だって、人間の命って、天の恵みなんだよ。偉大な恵さ。人間がどうにかできるようなものじゃないんだから......。
[戦争は女の顔をしていない]PP.480-481
「本当の親か、本当の子かなんてことはね、誰にもわかりゃしないんだよ」良太郎は仕事に戻りながら、いかにもやわらかに云った、「お互いにこれが自分のとうちゃんだ、これはおれの子だって、しんから底から思えばそれが本当の親子なのさ、もしもこんどまたそんなことを云う者がいたら、おまえたちのほうからきき返してごらんーーおまえはどうなんだって」
[季節のない街]P.276
「おてんとさまばっかり追いかけるなよ」
何のことなのか理解出来ず、私は父を見た。七十年生きてきて、ようやく判ったのだと父はつづけた。自分は、日の当たっているところを見て、いつも慌ててそこへ移った。けれども、辿り着くと、そこに日は当たっていず、暗い影になっている。また焦って走る。行き着いて、やれやれと思ったら、たちまち影に包まれる。振り返ったら、さっきまで自分のいた場所に日が当たっている。しまったとあと戻りしても同じことだ。
[血の騒ぎを聴け]P.23
私は深夜、寝つけなくて、無数の映像と無数の音楽について考えた。どのような映像の彼方にも見えないものがあり、いかなる音楽からも聴こえないものがある。それを立ちあがらせるのが言語ではないか。文学は、終わるどころか、これから真の力を発揮する時代に入る。そう確信して、夜明け近くまで起きていた。文学が負けるのではない。虚無や時代への迎合というらくな階段を昇り降りし、訳知り顔に民衆をなめる作家や編集者が負けるのだ。
[血の騒ぎを聴け]P.47
文学が、結局は、死と恋に集約されざるを得ないのは、その哀しみと、そこから得るものが、数学の試験のように、一プラス一イコールニとはならないからであり、いかなる言葉を尽くしても、自分の心を表現することができないからであり、「別れ」が、なぜか個々人の人間のグラスを、ほんの少し大きくしてくれるからである。
[血の騒ぎを聴け]PP.287-288
われわれが実際に建設しているのは、投機を行うための都市であって、人々が住むための都市ではない。
[反資本主義]P.107
人が受け取ることのできる他人のあり方などほんの断片であり、一個人の持つ複雑な内面の全てを推し量ることなど決してできない。
[歌われなかった海賊へ]PP.362-363
王や神は書く必要がない。その存在は自己自身のうちで絶対的に充実しており、他者との関係を必要としない。王は書くことなく語る主体であって、自分の声をただ書きとらせるだけなのだ。
[デリダ]P.73
「一者」への結集は、「他の他者たち」に対してのみならず、「自己における他者たち」に対しても「暴力」となる。
[デリダ]P.293
そういう生まれつきの能を持ってる人間でも、自分ひとりだけじゃあなんにもできやしない、能のある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が、眼に見えない力をかしているんだよ。
 [さぶ]P.291
この世から背徳や罪悪を無くすことはできないかもしれない。しかし、それらの大部分が貧困と無智からきているとすれば、少なくとも貧困と無智を克服するような努力がはらわれなければならない筈だ。(略)「世の中は絶えず動いている、農、工、商、学問、すべてが休みなく、前へ前へと進んでいる、それについてゆけない者のことなど構ってはいられない、ーだが、ついてゆけない者はいるのだし、かれらも人間なのだ、いま富栄えている者よりも、貧困な無智のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれは却って人間のもっともらしさを感じ、未来に希望が持てるように思えるのだ」
  「赤ひげ診療所」 P.178
見た眼に効果のあらわれることより、徒労とみられることを重ねてゆくところに、人間の希望が実るのではないか。
「赤ひげ診療所」P.298
「……そういう人たちと別れ、戦地から戻って日銀に復職したら、なんだか妙にシャクにさわってむかむかしてきたんだな。わが身が大事のエリートが威張りくさって、トラックでわたしが一緒に働いたような、学歴のない人たちが、ここでもやっぱり下っ端として馬鹿にされて理不尽な目にあっている。こりゃなんだ、戦争は終わったのに、何も変わっていないじゃないか、と」「わたしはトラック島で部下だった工員たちに救われていた部分がずいぶんあった。そんなかれらが価値のないものとして否定されて、軍人より先に死んでいかなきゃいけないのが戦争だった。同じことが、まさにわが職場で行われているとわたしの目には映った。こりゃあ黙って見過ごしちゃいかん、と思ったんだな。大げさに聞こえるかもしれないが、それはわたしなりの、死者への責任でもあったんだ」
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]PP.60-61
彼らにとっての祈りとは、死者を自分の裡に住まわせてこの世を生きる、その生き方そのものではないかと思った。→デリダの幽霊
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]P.121
われわれの歴史だって、いつか、誰かによって演じられたものなのかもしれない。そしてわれわれは、その時と同じような敗北に向かって、同じような手で、コマを進めているのかもしれない。このベラミとそっくりのきちんとしておとなしい男が、かつては、象牙海岸で黒人狩りをおこない、ハイチやルイジアナへ船で運び、その途中、船倉でくたばるものはくたばるにまかせていたこともあり得る。そのベラミには、当時なんの悪気もなかったのである。いつの時代でも、ベラミには悪気はなかった。だから、始末にこまるのである。
「山椒魚戦争」 PP.242-243
市民であることとは、市民をケアすることでもあり、民主主義そのものをケアすることである。
「ケアリング・デモクラシー」 P.ⅻ
「巡礼だ、巡礼だ」暗い土堤を家のほうへ歩きながら、私は昂奮をしずめるために、声にだして呟いた、「苦しみつつはたらけ」それはそのころ私の絶望や失意を救ってくれた唯一の本、ストリンドベリイの「青巻」に書かれている章句の一であった、「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」
  「青べか物語」 -留さんと女 P.317
私は若くて阿保だったから女の絶望や不幸が情事と悦楽にひりひりした辛味をそえてくれる気配だけをむさぼっていた。甘さは苦みと手を携えて進んでいかなければ完成されないが、そうと知るにはおびただしい自身を殺さねばなるまい。当時の私は自身を殺さないでおいて、貪慾だけに没頭していたのだ。
「夏の闇」 P.58
私は自身すら愛していないのかもしれない。女のいうとおりだ。自己愛をとおして女を愛することもできないのだ。私は自身におびえ、ひしがれていて、何かを構築するよりは捨てることで自身に憑かれている。
 「夏の闇」 P.207
東は暗くて広く、西は明るくて広かった。けれど、止まったり、かけぬけたり、おりていく背も見ず、乗ってくる顔も見ず、暗いのが明るくなり、明るいのが暗くなるのを、固い板にもたれて凝視していると、東も、西も、けじめがつかなくなった。あちらも、こちらも、わからなくなった。走っているのか、止まっているのかも、わからなくなった。明日の朝、十時だ。
 「夏の闇」 P.
一〇〇メートルか一五〇メートルくらいのものである。たったそれだけ離れるともう人は夜店の空気銃におとされる人形と同じに見えてくる。渇望がびくぴくうごいた。面白半分で私は人を殺し、そのあと銃をおいて、何のやましさもおぼえずに昼寝ができそうだった。たった一〇〇メートル離れただけでビールの缶でもあけるように私は引金がひけそうだ。それは人殺しではない。それはぜったい罪ではなく、罰ももうけない。とつぜん確信があっあ。かなたの人物もまた私に向かっておなじ心をうごかしているにちがいない。この道具は虚弱だ。殺人罪すら犯せぬ。
  「輝ける闇」 P.50
使命は時間がたつと解釈が変わってしまう。だけど匂いは変わりませんよ。汗の匂いは汗の匂いだし、パパイヤの匂いはパパイヤの匂いだ。あれはあまり匂いませんけどね。匂いは消えないし、変わらない。そういう匂いがある。消えないような匂いを書きたいんです。使命も匂いをたてますからね。
 「輝ける闇」 PP.108-109
南でも北でも人びとは政治された。或る哲学者の悲痛な饒舌に私は従いたい。人びとは資格も知識も徳もない輩によって、きびしく監視され、検査され、スパイされ、指揮され、法律をつくられ、規制され、枠にはめられ、教育され、説教され、吟味され、評価され、判定され、難詰され、断罪された。
  「輝ける闇」 PP.140〜141
青年はやせこけて、首が細く、とまどったようにうなだれて口をとがらしていた。シャツがよごれたズボンのうえにはみだし、はだしの足が土によごれていた。誰かが叫んだ。一〇人の憲兵の一〇挺のカービン銃が、一人の子供を射った。子供は膝を崩した。胸、腹、腿、にいくつもの小さな、黒い穴があいた。それぞれの穴からゆっくりと鮮血が流れだし、細い糸のような川となって腿を浸し、舗石へしたたった。少年はうなだれたまま声なく首を右に、左に、ゆっくりとふった。将校が近づいて回転式拳銃をぬき、こめかみに一発射ちこんだ。血が右のこめかみからほとばしった。少年は崩れおち、柱から縄で吊され、うごかなくなった。頬と���が真紅の血に浸り、血は長い糸をひいて鼻から頭から錘のように舗石へ堕ちていった。記者やカメラ・マンたちが靴音をたてて走り、棺のまわりに群れて閃光をとばしあった。
  「輝ける闇」 P.181
わしらはキリスト教国の人間なのに汝の敵を愛せよという言葉を忘れてしもうた。それもはずかしいのじゃ。国の連中も毎日の生活にいそがしゅうてな。税金が上がったり、物価が上がったり、徴兵カードが来たときだけ本気になる。自分に関係ないことは誰も、何も、気にしよらんのだ、いまはそういう時代じゃ。恥を知らん時代じゃ
  「輝ける闇」 P.216
飛行場には飛行機が一台もなくて滑走路に芋畑をつくり、その芋からアルコールをとって飛行機をとばすのだと将校たちは中学生に真摯、激烈な演説をした。私は仲間といっしょに腹をかかえて笑いころげたが、その愚劣と一日も早く玉砕したいという憧れとは矛盾しなかった。むしろ愚劣を知れば知るだけそれは昂進していくようですらあった。
  「輝ける闇」 P.231
けれどわかったのは殺されたくなければ殺せということだけだった。 → 戦争の論理(フーコー)
  「輝ける闇」 P.281
人と人のあいだの最も人間らしい関係は静けさなのだということも知った。
 「わたしは英国王に給仕した」 P.190
この意味で、他者に対する暴力とは自分自身に対する暴力であって、このことが明らかになるのは、暴力とは私たちの社会的世界である、あるいはそうであるべき生者の相互依存を攻撃するものだ、と私たちが認識するときなのである。
 「非暴力の力」(ジュディス・バトラー)P.33
他方で、哀悼可能性の基準は、移民の諸人口はそもそも哀悼可能ではない、という仕方でこれらの決定へと組み込まれている。私たちは、哀悼され得ない人々を失うことはできない。彼らは喪失を超えたもの、既に失われたもの、決して生きたことのないもの、決して生きる資格を与えられたことのないものとして扱われているのだ。
 「非暴力の力」 P.128
世界は分断されている。「知らない」とか、「関係ない」とか、「敵だから」とか、いろんな認識での壁で分断されている。この関係の断絶は、ぼくらの倫理性を麻痺させる。人を殺すことだって、人が殺されているのを無視することだって、できてしまう。だからこそ、他者に向き合い、その姿にみすがらを映しながら、いろんな「つながり」を回復する必要がある。
 「うしろめたさの人類学」 P.20
ぼくらの手で変えられる社会のありさまに目を向ける。世の中を動かす「権力」や「構造」、「制度」といったものは、とても強大で強力だけれども、まずはそのすべてをその「せい」にすることをやめてみる。(中略)社会の現実は、ぼくらが日々、いろんな人と関わり合うなかでつくりだしている。あなたが、いまどのように目の前の人と向き合い、なにを投げかけ、受けとめるのか。そこに「わたし」をつくりだし、「あなた」という存在をつくりだす社会という「運動」の鍵がある。
  「うしろめたさの人類学」 PP.77,83-84
社会の格差を是正したり、公平さを回復したりすることは国の仕事だとされる。個人や企業は市場で稼ぎ、国はそこから税金を集めて再分配を行う。世の中はこうしてできあがっている。だから自分には直接関係ない、と。この「あたりまえ」の市場と国家の境界の線の引き方が、公平さをつくりだす「わたし」の役割をみえなくしている。
「うしろめたさの人類学」 P.178
ファシズムをうけ入れたものはすべての人の心の襞にひそむ感情である。中心的な持続的な人格が崩壊して瞬間だけがあり、本能の親和力を蔑んで、不浸透性への野望だけに窒息する衝動である。自己を他者から切り離し、省察と内面凝視に赴いて帰らず、その不毛を知ってついに自分を他者から見られるままの存在としてしか機能を意識できなくなる。(中略)この人間の原子化の時代にある私たちの不断の日常の感覚である。(中略)この時期の世界ほど、人間が過去に対するときほど、現在と未来に対して賢くなり得ない原則をさらけだしたものはほかにない。日本についてはいうまでもないことだ。
  「過去と未来の国々」 PP.228-229
心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にないことから生じて、そのことを僕達に知らせてくれるものだ。そして、僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来どういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕えることが出来る。
  「君たちはどう生きるか」 P.252
満員列車がやがて平野の夏のかなたからやってきた。車内の人ひどはみんな日本の無条件降伏を知っているようであったが、怒号する人もなく、嗚咽にむせぶ人もなかった。疎外荷物や、魚の罐や、イモの風呂敷包みや、バケツ、七輪、ふとん、リックサックなどのなかで人びとはおしひしがれ、体を折ったり、曲げたりして、ときどき吐息をついたりしながら窓から射しこむはげしい日光に煮られておとなしく苦しんでいるだけであった。        
ただ人びとは汗ばんで苦しんでいた。ただ"夏"だけがあった。                 
ナンナン、ナンナン               南京さん                   南京さんの言葉は                南京言葉                     
かけっぱなしにしてあったラジオがとつぜんうたいはじめた。明るく、朗らかで、清潔な、少女たちの合唱であった。                 
ふと母が怪訝そうに顔をあげた。         「ええのんかいな、こんな歌うとて」 彼女は困惑したようにつぶやいた。        「戦争に負けたのに支那人のことかろこうて、こんな歌うとて、ええのんかいな。南京さんやなんて…」
ラジオは明るく、朗らかに、清潔に中国を侮辱しつづけた。
 「青い月曜日」 PP.174-177
ーわしにとっては、心のある道を歩くことだけだ。どんな道にせよ、心のある道をな。そういう道をわしは旅する。その道のりのすべてを歩みつくすことだけが、ただひとつの価値のある証しなのだよ。その道を息もつかずに、目を見ひらいてわしは旅する。(中略)知者は行動を考えることによって生きるのでもなく、行動をおえた時考えるのだろうことを考えることによって生きるものでもなく、行動そのものによって生きるのだ
 「気流の鳴る音」 P.34
日本社会にはどうやら大きな変化があったらしかった。怜悧で、確実で、逸脱を知らない、時計のように平安で冷酷なものが主役として登場したのだ。まだ焼跡はいたるところにあった。しかしいたるところに家やビルが建ちはじめていた。商人たちは戸外で叫ばなくなった。闇市は市場となった。物や食品はいくらでもあふれ、人びとははそれを並べることよりは飾ることに心を砕いていた。新聞や雑誌に登場する知識人たちの声はたちあがるまえにすわることを考える姿勢を匂わせた。
「青い月曜日」 P.412
〈外の世界〉から来たものや帰ってきたものが、その内面の世界を共有することなしにたんに外面からながめられるとき、それはこの世界の秩序へのたんなるスキャンダルとして、すなわち欠如や違和として存在する。いいかえれば痴者、あるいは狂者として対他存在する。
  「気流の鳴る音」 P.77
今日の世界状況のなかでは知識人に残された選択の道は、三通りあるように思われます。それは共犯か臆病か拷問です。               もしかしたら、第四の道が残っているかもしれません。自分の精神的規範を裏切らないこと。いかなる状況の下でも、いかなる抑圧にも自分のなかにある絶対的な明確な視野をもった精神を否定しないこと。このなかに、唯一、精神のかけがえのない自由と高貴さがあります。
「カレル・チャペックの警告」 PP.67-68
私たちに代わって行動し決定する全権をその一枚の投票権で与えるというのは、そう些細なことではありません。もし人物によって決定しようとするのだったら、単に言葉によってではなく、誰が何をしたかによってもその人物を考えてもらいたい。政治を耳だけで判断しないこと。
 「カレル・チャペックの警告」 PP.101-102
行動の「意味」がその行動の結果へと外化してたてられるとき、それは行動そのものを意味深いものとするための媒介として把握され、意味がふたたび行動に内化するのでないかぎり、行動それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。生きることの「意味」がその何らかの「成果」へと外化してたてられるとき、この生活の「目標」は生そのものを豊饒化するための媒介として把握され、意味がふたたび生きることに内在化するのでないかぎり、生それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。
 「気流の鳴る音」 P.151
いっさいの価値が空しくなったとき、かえって鮮烈によみがえってくる価値というものがある。
「気流の鳴る音」P.210
恐ろしいのは、このような集団的残虐行為を見てもほとんど苦痛も軽蔑も感じなくなる、それどころか、そのうち今日の全世界の状況をみても恐怖も反感も感じなくなくなるのではないかということである。(中略)犯罪は犯罪であり、常に犯罪として宣告され、また未来においても宣告されるだろうことが、執拗に繰り返されなければならない。(中略)無関心な沈黙は悪しき行為である。それは悪逆非道な行為にたいする共犯である。だから、私たちは人類社会の大きな連帯から離反せずに、せめてこの共犯だけは犯さないように、精一杯、心を引き締めていよう。
 「カレル・チャペックの警告」PP.140-141(1938)
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manganjiiji · 1 year
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よくもさわれもしない物事共を
自分用のメモと鍵垢の友人にリプライする用のアカウント(鍵がかかっている)がさんさんたる有様である。というか、具合がいい時はあまりここに書き込むことはないので、畢竟最悪な精神状態の記録がここに残るわけだが、それにしてもこんなメモを残してるやつと友達やりたくね〜〜と思うやばい思考のられつというかもうお祭りだ。全部盛り。大体の友人はミュートしてくれていると思うが(願うが)、これを見てもまだ友達でいてくれる人達ってほんとうにすごいと思う。どこまで人間の善性を信じているんだ。別にうつ状態じゃないとか言いながらずっと死ぬことについて書いていたりするし、自分の人間関係における価値観がいかにやばいかをかなり具体的に書いている。正直見るだけで吐き気がする。なぜこんなことを投稿してしまっているのだろうと思うが、これも体調記録になるので消さない。精神疾患というものはかなり「きつい」。障害者でも、身体障害者、知的障害者は世間の中である程度システムが出来上がっており、もちろんまだ差別は残っている面は多々あるが、それでも話題に上がる。精神障害者はかなり、この点、苦しい。という話を今日友人(後輩)とした。いくら人柄や能力がよくても、週何回出勤できるのかが不安定な精神障害者よりも、週5日必ず出勤できる安定性のある身体障害者や知的障害者のほうが、採用されやすい。それは当然そうだと思う。精神障害者の多くには自殺のリスク、また多くはないが加害のリスクがあるため、雇用側としてはその見極めが難しいと思う。賃貸物件も、精神障害者であることは基本的に大家さんに伝えない。身体や知的障害ならまだいいが、精神障害者には貸せない、という大家さんは多い(不動産屋さんから聞いた感じ、��の辺りではそう)。これもやはり物件内で自殺未遂や自殺をされては困るからだ。家賃滞納にもリスクがあるのかもしれないが、一番は自殺されるリスクだと思う。精神障害者(正式には精神障害者という単語はないが)の多くはそれを公にはせず、社会的な関係を築く。精神疾患により障害者手帳を持っていたり、障害年金をもらっていることは、親しい友人(というか、自分の人となりを知ってくれている人)にしか話すことはできない。もしくはかなり障害者に理解のある企業の人事部など、採用関連の方。就労支援施設を利用してスタッフの方に面接に同席していただく場合を除けば、基本的には精神障害者であることは隠して(クローズドにして)おかなければ、採用されることは難しいと思う。そういうわけで、次の面接では病気のことをなんと言おうかなあと少し考えている。持病で、ということと、病名と症状までは聞かれたら言うようにしているが、障害者であることまでは言明しない。でも、アルバイトでも入社してから結局障害者であることを私は明かしてしまう場合が多い。結局嘘をついていることに耐えきれなくなる(※嘘をついているわけではない)気持ちになるし、税控除や、障害者雇用枠になるかどうかの問題もある。一度採用してしまうと解雇するのは難しいので、騙し討ちのような感じだ。それでも私が問題なく勤務すればいいのだが、問題があると(欠勤が続くなど)本当に雇用側が可哀想だなと思う。その場合結局私は退職するのだが、採用に関わる予算や手間・人員・時間がまたかかる。そういう社会の損失を生み出しつつ、私は生きているのだなと実感しています。働かないほうが人に迷惑をかけることは少ないのではないかと思うが、残念ながら私は働いていないと生きている気がせず、容易に��望に陥ってしまうので、どんな時も就労を目指している。
なぜか仕事の話になってしまったが、私の精神状態の不安定さがやばいという話である。人間関係(友人関係)のトラブルも、そこから始まるうつ状態による希死念慮も絶えない。これは別に私が精神疾患者だからではなく、私の人との付き合い方に問題があるからである。人との距離の取り方の異常性や、人にもとめる愛情の無限さ、飢餓感、孤独感、そういったものが常に私を取り囲んでおり、普段はそういうものを閉じ込めて蓋をして見えないようにして体面良く振舞っているのだが、調子が悪いとこの面の皮が剥がれ、あっという間に攻撃性と被害者意識の塊と化すのである。これはなんらかのパーソナリティ障害に当たるのかもしれない。そういうことを考えると絶望も深くなる。愛着障害にかかわる困難を抱えていることは確かだが、おのれの客観視をもってしても調教できない部分が自分にあることは単純な恐怖だ。なぜかというと、そういう人間にさんざん痛めつけられてきたからで、さらにそういう人間は人に嫌われることをよくわかっているから。人に嫌われるというか、「こいつはもう駄目だ。手の施しようがない」と周囲に諦められることは本当に恐ろしいと思う。怪物として世界の辺境をただむなしく這いずり回って死んでいくだけ。とても悲しいことだと思う。どうすればそうならずに済むのかは、よくわからない。なんとなくこうしておいたほうがいいかな、という勘に従って、なんとなくで進んでいる。気づいたら周りには友達が一人もいなくなっていた、という事もありうる。その恐怖はいつでも目の前にある。あまりにも怖いので、自分はできるだけ邪悪な存在ではないですよ、ということを、嘘をついてでもアピールしている、つねに。この嘘は、私にとっても相手にとっても必要なものだと思うので、罪悪感は無い。
素のままの自分を出せ、と昔、友人にすごく怒られたというか要請されたことがある。それは、素のままの自分を出しても、否定されなかった人だけができる芸当で、たぶん私のような邪悪な人間が素のままを出したら、かなり、かなり危険だし、友達はいなくなると思う。友達を失いたくない一心で頑張ってできるだけ常識のある人の振りをしているので、素のままで行動しろ、と言われると、「できません」となって固まってしまう。程度の差こそあれ、誰でもそうなのかもしれないが。生まれた時から今まで、演技をすることだけで切り抜けてきた。素のままの自分では、あまりにも邪悪すぎて人間社会からはみ出してしまうから。死ぬまで演技をする。これがかなり私の「ストレス」の多くを占めているのかもしれない。
「親にも愛されなかったのに」という、私もどこか血縁神話を信じているふしがあるのだと思う。別に親に好かれなかったからといって、他の人にも好かれないという道理はない。親は私を好きにならなかったが、親以外の人で私を好きになってくれた人は数多く居た。それでも私は親が好きで、しかし親は私をあまり好きではなかった。この片思いの感情が、私の歪みの根幹にある。好きな人に好きになってもらえないことは本当に悲しいことだが、仕方のないことで、この世の中では実に多くあることだ。
私はこの人のこと大好きだけど、この人は私のことそこまで好きじゃないんだなあと思うことはよくある。その度にずたずたになる。面白いくらいだ。でも、その人と関係を続けたいなら、私はあなたのことをそこまで大好きってわけではないですよ、とダイヤルを調節して、相手に気まずさを与えないようにする。気まずさを感じるタイプの人ではない場合はラッキーで、変わらずあなたが大好きですという態度を取り続けても許される、あまり多いことではないが。一番ラッキー大儲けなのは、自分の好きと相手からの好きが同じくらいの大きさの時である。相手からの好きのほうが大きく、私の好きが小さい場合は申し訳なく思うが、その場合は関係を消滅させたり、それ以上仲良くしたりしないようにする。変に仲良くなってから、実はあなたのことそこまで好きじゃない、となると、ダメージが深刻なのは相手のほうだ。私はこれをやられるのがいちばん食らう。すごく仲良くなったと思った相手から「いや、今はもうそんなに好きじゃない」「最初からそこまで好きじゃない」という態度を取られると、また、「やっぱり私は好きな人に好きになってもらうことはないんだ」が発動してしまい、最悪なうつ状態に陥るからである。言うまでもなく、この状態の発動の最初の相手は、母親である。でも繰り返すが、親だからといって、子供を好きになってくれる人ばかりではない。当然、私を好きになれない人間も世の中には一定数いて、母親がそこに当たってしまった。というか、母親は子供全般が好きではなかったので、私より悲惨なのは兄だった。それでも母親は私たち兄妹をよく守ってくれたと思う。好きでもないのに世話をさせられて、本当にかわいそうだったと思う。私は子供全般が好きなので、母親の気持ちは想像が難しいが、そういう人もいるのだ、というのは身をもって知っている。ただ単に興味が持てない。ただ単に味方する気になれない。人間として好きになれない。母には、残念ながら私たちを好きになる才能が生まれつきなかっただけで、母は悪くない。それはそれとして、父親には同情の余地がない。父親はわかりやすく邪悪な人間だった。私の中の邪悪は、完全に父親の遺伝子のせいであり、ということは、父親の邪悪も遺伝子のせいであるので、個人を恨むのもまた違うのかもしれない。私は運良く自分の邪悪に気づき(父親の振る舞いを見て)、それをどうにか飼い慣らすことが出来るときもある。しかし父親は、善良な父母や妹(私にとっての祖父母と叔母)に囲まれ、自分の邪悪さに気づくことができなかった。その邪悪さは40代でピークを迎え、兄や私の心を完膚無きまでに叩き潰した。子供というのは面白いほど無力だなと思った。ただ本当に、自分の根底には父親と同じ思想、同じ思考があると感じるので、父親のようにならないように、ならないようにと念じながら生きている。その試みは30年を越した今、一応の成果を見せている。と、自分では思っている。
正直こんなおもしろくない日記を書いてどうするんだ、という感じだが、まあ思ったことを全部、思った順番で喋っているのがこの日記なので、仕方がない。このように目が滑る日記を読んでくれる人はそんなにいないと思うのだが、全くいないという訳でもないようなので、今日も無駄なことを書いてしまった。私は自分の情報を開陳しすぎるきらいがある、と自分でも思うのだが、一応人に言える範囲のことしか言っていない。ので、安心して読んでください。この日記はフリー素材ですし、いつどこで話題にしていただいても構いません。本当に喋ってはいけないことというのは一応心得ていて、それらは誰にも喋っていません。これからも喋らない。だから「そんなにパーソナルな情報をお出しされても…」と戸惑われてしまう方にはこの日記は向いていないし、正直この程度のことは私にとって全然パブリックの範囲である。こんなふうにきちんと加工して、見映えよく盛り付け、冷蔵および冷凍して保存可能な形にしたもの、これは誰が読んでも大丈夫な文です。これは私が全世界に公開している私の情報です。どのように受け止めてどのように使われても全く問題ない。この程度のことはいくらでも他人に喋れる。ただし、だからと言って「あなたも情報を開陳しろ」と言っているわけではありません、決して。ここまでのことを言う私はまあまあ変わっているというか少数派だという自覚がありますし、ここまでのことを他人に知ってほしいと願うのは、幼児性の発露に他なりません。そのため、普通の人、多くの人は、自分の内情についてここまで公開しない。ただ、私は公開する、それだけの違いです。
自分のことを知ってほしいというよりは、自分の中身を整理する手立てがこれ(他人に語る形式)しかなく、また自分の中身を他人に知られても全くどうでもいいと思っている。自分で加工して見せびらかしている自分の内情などというものは、自分の外見といってもいいくらい、装飾や自己演出に過ぎない。
自分の中の邪悪を排除しようとするあまり、他人の欺瞞やごまかしや甘えの部分、偽りの部分、他人ももちろん演技をしていると知っているが、そういうものが時折許せなくなる。自分を許せるようになれば変わるのだろうか。でも、悪辣な人間にはなりたくない。
2023.10.6
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alaephoenicis · 2 years
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死後に何が起こるのか?🕯️
前世の記憶があるロビン・カイザーさんの話
Tumblr media
オリジナル動画:https://youtu.be/dQARYL3BdCc
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
死が訪れた後、何が起こるのでしょうか。
誕生と死は、あなたの魂の旅において最も本質的な2つの転機であり、この境界を越えるときに起こる変容のプロセスは、通常、あなたが生涯で経験したどんなことよりも深淵で変容的なものです。
地上での身体的実体から離れたとき、転生した意識が何を経験することになるのか、その全体像を知るための旅に皆さんをお連れしたいと思います。
以下のシナリオはすべて違った形で表現され、体験されることもあるでしょう。なぜなら、死後に体験しうることの範囲は、根本的に地上世界での体験の範囲をはるかに超えているからです。
かつて地上には、死ねばどうなるのか問うことなど全くしない時代がありました。それは、自分の人生がそれらの世界からの延長線上で続いていることを当然のように洞察していたからです。
この問いが、多くの思想や思索、宗教的概念の出発点となったのは、人間が徐々に自己を忘れ去っていったからに他なりません。
多くの宗教は、人が魂の旅を続ける世界について洞察を欠き、それに応じて地上での生涯を枠にはめてしまうことに基づいています。
現代人が落ち着きや人生の方向性を完全に失ったのは、自らの転生の仕組みがわからなくなってしまったからです。
こうして、方向性が失われた状況の中で、少数の者たちには利益がありました。
地球上の人生なんて80年経てば終わるし、今まで生きてきたこと、経験してきたことはすべて無に帰する、と思っている人は、当然、自分の存在に不安を抱くでしょう。
また、自分がしてきた本質的な経験の層から、その意識というものを切り離すことが出来ていないと、輪廻転生についての疑問を投げかけたりは出来ません。
転生に関する知識には科学的な証拠がありますが、これらの議論は、自ら創り出した経験世界の眠りから意識を目覚めさせるには、ほとんど役に立ちません。
というのも、地球上であなたを導く転生ゲームの魅力の一つは、まさにゲームのボード上の限界を見極めることができないことにあるからです。
あなたは、ボード上で転生へと導いてくれる道を心得ているし、また、あなたが亡くなった後に開かれる道も、すでに何千何万回と歩んできた道なので、熟知しています。
同じスーパーにもう1000回も行っていれば、次に買い物に行くとき、いったいどうやって行くんだろう、買い物から帰ってきたらどうなっているんだろう、と思うことはないでしょう。
たとえ道中の経験が変わりやすく、他の存在に出会うなどして、毎回異なる自分を経験したとしても、道は常に同じです。
大袈裟な言い方をすれば、すべての魂は、人間として生まれるために、同じ宇宙の針の穴をくぐらなければならないのです。
そして、その入り口と地上の経験によって、出口となる門がどこなのか、その門からどのような道が展開されるのか、が決まります。
一生の間に経験したことはすべて、その人の退場の仕方に反映されます。このようにして、閾値の移行期に多くの人が表現する「人生の映画」現象が発生するのです。
意識は早送りで人生の主要な出来事に導かれ、個々の場面を健全な距離で再び観察するチャンスを与えられます。
人生映画は線状に構成されているわけではなく、人生の場面をその感情のエネルギーの連鎖の中で見せてくれるので、観察している意識にとっては、なぜある事柄がその人生の中で別の事柄につながったのかが明確になるのです。
ほとんどの場合、この段階にはすでにソウルグループからのガイドがいて、一緒に人生の連鎖を振り返ることができます。
この世の世界とあの世の間には、いわゆるバルド*と呼ばれる中間世界があり、意識は、それに応じて転生の用意をしたり、振り返って反省するために、そこを通過しなければなりません。
*Bardo :和訳は『中陰(ちゅういん)あるいは中有(ちゅうう)』:チベット仏教の教えで、現世と来世の間で起こりうる意識の状態を指す言葉。
生前に精神的、感情的な硬直状態に陥った人は、この中間領域に長い間留まり、魂が旅を続けられなくなることがあります。
例えば、肉体生活におけるある側面への強い執着が死後も意識の中にある場合、意識はそのレベルの経験に縛られたままになります。奇妙な話ですが、このように意識を肉体世界に閉じ込めている、非常に地上色の強い人の中には、肉体の死を全く意識せず、自分の死を否定することで生前のように暮らし続けている人もいます。
幽界からは物理的なものを動かせなくなったこと、そして他人に見られたり聞かれたりすることがなくなったことは、自らの死を受け入れることがあまりにも耐え難いため、単に無視されることになります。
もし、肉体がなくなるとすべてが終わると強く信じている上で、自分の死を否定してはいないなら、その考え方が原因となって、何も存在せず何も起こらないバルドに移動し、その魂は旅の途中でこのバルドから非常に長い間、抜け出せないままでいることがあります。
人為的に無にされているバルドに魂が逃げ込んでいる時、それは一種の遊休駅のようなもので、高次元の存在と混同してはならないものです。そこでは特別なものは存在しないし、特別な何かが起こることもありません。
経験を積もうと転生した魂の向上願望は、遊休駅に長く滞在することによって低迷し、自己否定の度合いを高めてしまうこともあります。
基本として、地上でその存在が具現化されている最中なのか、それとも他の状態にあるときなのかにかかわらず、存在自身に起こることは常に本人の信念によるものなのです。
そして、地獄行きを硬く信じてい生きている人ならば、そこで煉獄観を修正するのに大抵はそれほど長くはかからないとしても、自分が抱いた観念がすぐに結果として現れることを経験するので、死後に何が起こるかは明白なはずです。
つまり、永遠の煉獄というものは存在しないのです。
また、人間が生前に意識的・無意識的に魂を売ったり、ある契約を結んだとしても、その契約が有効であると信じなければ、その契約は超次元的な効力を持つことはありません。
物理的な次元を離れた存在が再び入ることのできる経験世界は無数にありますが、それでも大抵の場合、自分の内なる意識の状態に最も近い世界へと自動的に導かれます。
むしろ、前の地上界と同じような構造をしている近くの幽界に入る可能性の方が高いのです。
それは、地上での記憶がこの経験世界を作り出しているからであり、宇宙的カルチャーショックを引き起こすような経験世界に直面しないように、世界はとても慈悲深いものになっているからです。
ほとんどの世界では、突然その中に身を置いてしまうと、人間は深く揺さぶられ、怯えることになり、高次の天界にさえ恐怖心を抱いて反応し、自らのエネルギーシステムを閉じてしまうのです。
地上での活動を終えたばかりの存在のエネルギーシステムがある程度オープンであるためには、慣れ親しんだ環境が必要であり、ソウルガイドは、超自然的な美しさと慣れ親しんだ環境を兼ね備えた世界に新しく亡くなった人を招き入れ、そこでさらなる旅路の可能性を伝えることに熟練しています。
死後、海辺のビーチで美しい夕日を眺めるという体験的な空間に移動する人もいます。
また、山の高いところなど、生きている間に同じような体験をした自然の中にいる人もいます。
また、多くの愛する人々が登場する場合も多く、最初はただ地上の状況について語るだけだったのが、徐々に全く異なるレベルの経験が広がっていることが分かってくるようになります。
幽体を通して得られる官能体験は、少なくとも肉体を通して得られる体験と同じ鮮明さ、鋭さのあるリアリティを持っています。
初期の順応段階を経ると、終わったばかりの人生のフラッシュバックが何度も起こるもう一つの現実があり、すべての経験を魂レベルで統合するために、精神と情緒のレベルで人生を徹底的に解明することが目的となります。
死後、地上での経験は、意識作業によって、魂が吸収できる情報形式に変換されます。
経験豊かな魂であればあるほど、この統合と転換のプロセスはスムーズに行われ、人は高い意識からもう一度、地上での経験を歩むことができるのです。
人生の場面はどこでも何度でも再生できますし、そのとき、自分の目からではなく、その場面にいる他人の目から眺めるという体験ができる特別な機能もあるのです。
地上での経験を統合することの一端は、自分が自分の振る舞いについて帰結を導き出すために、相手の経験的な観点から自分が経験したすべてを追体験することです。
ある程度の自覚と洞察力があるならば、どの強姦魔も自分の行いを被強姦者の皮膚から体験することを自由意志で選択するでしょう。
そして、この視点の転換によって、それに伴う学習プロセスが始まり、カルマの均衡がもたらされるのです。
生きている間に、自分の言動をすべて相手の目から認識する者は、二元的な経験における片寄りから脱却することができるでしょう。
これ以上カルマを積み重ねることことなく、統合意識へより深く到達することができます。
自分本位で多面的に捉えることができない者は、転生後、人生のすべての場面をまさにその同時多面的に経験する意識に導かれます。
その意味で、死後、審判や評価の権威が存在することはなく、あなた自身が、拡張された知覚、すべてを包括する視点に基づいて自分の行動を評価し、あなたの価値観に従って、新たな人生設計を記すことになります。
もしかすると、転生後に自分が社会的、感情的な面で悲惨な失敗をしたことに気づき、特にその経験を克服することを含む来世の人生設計をすることになるかもしれないのです。
人生と人生が直列に擦り合わされるのではなく、自分自身でいくつもの人生をデザインし、いくつもの体験レベルに同時に浸り、それに応じて死んだ後で自分自身に出会うということもあり得るのです。
死後、他の世界で体験した自分自身と、何とも言えない深いつながりを感じる分身に出会う可能性が非常に高いのです。
魂の旅には、転生後に定期的に集まり、それぞれの世界での体験を伝え合う俯瞰的な場があるのです。
だから、あなたには死後、地上での経験を変換する任務があるだけでなく、それを共有し、あなたの多次元的存在の別の側面に地上での経験を伝える、という名誉も与えられているのです。
そして、これだけはすでに言えることです。地球学校を卒業した存在は、その完成度の高さから、宇宙の他の場所でも尊敬され、評価されます。
なぜなら、地上での体験は他のレベルの創造物にとって超然たる高い価値を持っているからです。
ある意味で、そしてある種の世界では、あなたが戻ってきたとき、祝福されることでしょう。
死の後、あなたの魂はずっと前からあなたの帰還の祝宴の用意をしているかもしれません。
この饗宴で、あなたは転生の旅の苦しみから完全に立ち直ることができますが、野心的で成長を望む魂の存在の中には、非常に早く別の具現化を決心する者もいます。
あの世の暦はまるっきり違うので、この世の暦で死んだ人が何日か後にまた転生してくるということもあり得ます。
しかし、魂が転生するのは平均して一世紀に一度程度です。
地球での生活が過酷なものであればあるほど、あの世での回復と再生の期間も長くなり、2世紀、3世紀を平気で飛び越えてしまう人もいるかも知れません。
ここで、もう一度強調しておきたいのは、異世界の多くは時間をも超越しており、昇天した者はどの時代に新しい人生を送るかを自由に選択できることです。
つまり、「いつ」「どこで」というのは、常にその人生設計に対応したものになるわけです。
人生設計とは、人がその可能性を現実するために、そして自らの潜在能力を実現するために、自己を滑り込ませることができる経験としての可能な枠組みのようなものです。
しかし、人生設計で重要なポイントが満たされなければ、次の人生設計に持ち越されます。 転生に高度なカルマを持ち込んだ人の多くは、長い人生設計に過去の転生でおろそかにしたポイントを抱えています。
人生設計のあるポイントを達成するために、魂からある種の圧力がかかることがありますが、その尺度は常に対処可能な範囲にとどまり、該当者が壊れてしまうほど高度なものになることはありません。
もし、人生における重圧が過度に耐えがたいものに思えるなら、その重圧はあなたの魂から来るものではなく、あなた自身が作り出したものであると断定してよいでしょう。
魂は、地上での経験をまったく別の目で見ています。なぜなら魂にとって、すべての経験は経験に過ぎず、あなたがどう評価しようとも、すべての経験はそれ自体で価値があるものだからです。
そして、肉体がなくなった後に再び利用できるようになるのは、まさにこの魂の景色なのです。
もしあなたが生きている間に、魂のレベルで観察することになるなら、とりわけあの世であなたに寄り添ってくれるような体験シーンが見えてくるはずです。
魂レベルとの結合は、この世とあの世の間の分離のベールを剥がし、特に肉体の逝去によって、私があなたに明かすすべてのことが、身体的存在としてのあなたに開示されるようにしてくれます。
もし生前のあなたが、魂的なレベルで物事を眺めていれば、あなたには、特にあの世に行ってから身近にもたらされるような経験の側面が見せられることでしょう。
魂レベルでの結合は、この世とあの世を隔てるベールを取り払い、特に身体的存在の逝去に伴って明らかになるすべてのことを、あなたに開示するようにしてくれます。
このため、魂との神秘的な結合は、常に死のプロセスのように描写されます。
死後はどうなるのかという問いに対する答えは、魂との結合という「錬金術の結婚*」にあるのです。
*『クリスティアン・ローゼンクロイツの化学の結婚』:参考🔗
また、肉体の中で魂の生活を営む者は、肉体から離れても死ぬことはありません。
身体的な死のプロセスが始まると、人間という存在は自分をクラウン・チャクラを通して身体からリズミカルに押し出そうとします。
肉体に入ろうとするときも、肉体から最終的に離れようとするときも、人は針の穴のようなところを通らねばなりません。
そして、そこを通り抜けるには、それなりに労力が要るものなのです。
あなたをこの世の具現的姿へと生み出したエネルギー的ポータルである産道を、あなたは逆方向へ通って去っていきます。
そして、死は終わりに小さな光がある長い暗いトンネルである、と表現する人はすべて、このエネルギー的な誕生経路のことを指しているのです。
さて、皆さんの中には、死ぬ間際にこの光に焦点を合わせ、その中に入っていくべきだという説があります。
また、そこには輪廻転生の罠のようなものが隠されているから、光の中には一切入ってはいけないという説もあります。
幽界には、死者を地球の近くに留めておくために作られた、一種の捕獲網、あるいはエネルギーグリッドが確かに存在しています。
そして、特に地上のしがらみや 執着が残っていると、亡くなった人はそのグリッドにはまり込んでしまい、高次の領域が閉ざされたままになってしまうのです。
肉体が亡くなれば、魂レベルとのつながりが即座に完璧な形で実現されるわけではなく、人間は死後、やはり自分が生前に築き上げていた魂レベルに、ほぼ相当するつながりの深さを許容するしかないのです。
つまり、エネルギー的なアストラルグリッドや低い波動の存在圏から抜け出せるのかという基盤は、生きている間にすでに築かれています。なぜなら、具現化された状態からしか変えられないものが、確実にあるからなのです。
サッカーの得点も、休憩時間ではなく、試合中にしか変えられません。
あの世での休止期間中に、自分の人生のインサイダープレーを根本的に反省し、新しい戦略や計画を考案することはできても、人生をマスターするためには、具現化された土俵の上でしかそれらを実践できないのです。
ワンハーフが終わって光の方へ行くか行かないか、あるいは休憩中に何をするのか、それは次のハーフに間接的な影響を与えるだけです。
トンネルの先にある光は、幽界のグリッドが仕掛ける誘惑の罠ではありません。
そして、自分自身が純粋で、心がもつれていない人は、これらの層を問題なく突き進むことができるのです。
しかし、それは暗いトンネルでもありません。なぜなら、この世とあの世のあらゆる内的な感覚的現象は、意識から生み出されるからです。
あなたの生と死に寄り添う最も確かな道しるべは、あなたの心の声なのです。
そして、その心の声と深く結びついている者は、来世においても、あらゆる心のもつれや罠を乗り越えて、それに導かれていきます。
しかし、もしあなたが生きている間に、何度も何度も盲目的な自己忘却の罠に陥り、自分自身から自分を切り離していたのなら、自分自身と再結合することを学ぶ道に、あなたは死後、捕えられるのかもしれません。
あの世ではある程度の内なる分離が許されますが、その量が多すぎると、あなたは引っ捕まって地上の土俵に直に投げ出されてしまうことになるかもしれません。
人によっては、回想と再統合のための時間を比較的短く済ませることができる者もいます。
一方、輪廻転生を繰り返しながら、自己統合の道をミリメートル単位で進んでいる人もいます。
魂の旅は、8000メートル級の山々を上った道と同じ程度の距離であり、一度転生するたびに、その一歩を踏み進めたことになります。
したがって、海辺の砂粒の数は、あなたが具現化した魂の数よりも少ないのです。
それでもなお、自分の内なる魂と神秘的に結ばれることで、この旅を完成させる義務が。あなたにはあるのです。
そして、あなたが自らを忘れて生きる、ということは、もともと想定されていたことではありません。
元々、すべての経験は、一つの身体から次の身体へと引き継がれていくものでした。
そして、あなた方は自分の具現化したものが相互に関連し、どのように成り立っているのかを意識できていたのです。
それなのに、輪廻転生を介した学習と記憶の糸が極めて規則的に遮断されることで、あなたの具現化体験は全く異なったものとなってしまうのです。
具現化状態に入るとき、あなたの意識を覆ってしまう忘却のベールは、前述したエネルギーグリッドと関係があり、これはあなたの地球の周りに人工的な磁場を張り巡らせています。
Tumblr media
この磁場を中を魂がさまようことは、ある種の削除ボタンのようなもので、そのボタンがあるレベルで過去のすべての経験を記憶から抹消し、より高い波動のレベルへと移行させるのです。
冒頭でお話したバルドは、地球を取り巻く磁界層に存在する意識を抹消する空間です。
こうした消去空間において、存在は真に自分に属さないものはすべて失うことになります。
そして、自分自身の内なる意識の深いところに生き、自分自身と一体になった存在だけが、消去空間で自分を見失うことなく通過することができるのです。
異空間では、生前に自分と繋がれていたのかどうかが試され、繋がっていない場合は、再び具現化へと戻されることになります。
あなた方の大半は、自分の輪廻転生の記憶の糸についてほとんど認識していないにもかかわらず、あなた方の今生は、この糸とドッキングしている、あるいはそれを引き継いでいるのです。
そして、記憶の糸全体があなたの意識の中に再び現れる時は来るでしょう。
人生は常に途切れている形態では限られた意味しかなしません。あなたの記憶の糸が放つ光を、すべての人生の原点まで遡れば、あなたの存在の意味は疑いなく開かれていくことでしょう。
あなたの地球上での遊び場の境界が、磁気消去領域とともにどんどん溶けてくることで、あの世の記憶があなたの元へやってくるようになります。
閾値を越える際の遷移が、よりスムーズになりつつあり、かつては大きな一歩だったものが、現時点ではほとんど負荷がなくなっています。
この世とあの世、地上のものと霊的なものが今、あなたの中で統合されようとしています。
そして皆さんは、具現化した後に自分を待ち受けているものが何なのかも、無言のうちに深く洞察することができるようになるでしょう。
皆さんの中に生じる「死後はどうなるのだろう」という疑問が静かな内なる確信へと変わり、その疑問がまったく生じなくなるような感覚になれるよう、私たちの言葉をもって寄り添うことができたことを、心から願っています。
あなたという存在が、この確信に深く満たされますように
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31.無鳴クモ「花夜の便箋」
「初めまして。私は担当医の××です。貴方のお名前をお伺いしてもよろしいですか」
「……は、初めまして」
「はい」
「……わ、私は、絶望と、申します」
「絶望さん、ですね」
「……地球創世記に生まれて以来、神様からの命令により、人間の心で、息をしています」
「絶望、さんですね。それでは絶望さん、本日はどうされましたか?完璧でなくても構いません。貴方の言葉が流れるままに、心の内をお話してみてください」
「……はい」
「ご緊張されていますか」
「……す、少し。このような場所に来るのも、”希望”に言われて、初めてでして」
「それは緊張されても当然です、無理もございません。ゆっくりで構いませんから、時間の許す限りお話しましょう」
「…………」
「三日月の紅茶をお出ししましょうか」
「……い、いえ、お構いなく。……これは私が生まれた頃から抱いていた苦悩なのですが、最近ようやく気付いたことがあって……どうも私は、『彼ら』の生命活動にとって障害なのではないか、と思うようになりまして」
「彼ら、とは?」
「人間……です」
「それは大変ですね。誰かにとって自分が不必要であると感じることほど不幸なことはありません」
「私は、彼らを、人間たちを愛しています。けれど、愛すれば愛するほど、私のこの苦しみは募ります。彼らも私と同じように悲愴な顔をして、笑顔を見せなくなっていくのです」
「貴方が愛すれば、愛するほど?」
「私が愛すれば、愛するほど」
「……絶望さん、生き物は誰しも感情を持ち、また常に何らかの外部要因、内部要因の影響を受けて過ごしています。その影響というのは、地球には数えきれないほど存在します。現在という時間軸だけではありません。過去の記憶も、未来の軌跡も、全ての影響を受けて生きているのです。恋人、友人、仕草、学校。貴方がそのように思っていても、彼らが苦しむのは単に生物の基本機能であると考えることはできませんか?この考えは浅薄でしょうか?」
「い、いえ、いえ、それは、絶対に違うと思うのです。私は長年生きてきました、おそらく貴方よりも長く生きてきました。神様から『人間を助けなさい』と仰せを受けたあの暗い暗い夜から、一日たりとも眠ることなく。それだけのあいだ彼らのことを見ていれば、私が原因で体調や心を崩したりしているのは明白なのです」
「……なるほど。自分のせいではない、とはあくまで考えないのですね。貴方のことはよく分かりました。では、これからゆっくり時間をかけて治療していきましょうね」
「ま、待ってください!私のことがよく分かった、とは?まだ私と貴方は出会って数分の──何もお互いのことを知らない霧のような関係ではありませんか!そんな薄っぺらさで私のことを理解したとでも!?」
「浅い関係ではありません。言葉をよく考えてみましょうか。例えば樹海を覆いつくす霧の中で、彷徨うことなく歩くことのできる人間などいないでしょう?霧の中を歩くには、その霧のことを知り尽くしていなければなりません」
「それは、」
「いいですか、絶望さん。私は精神科医です。そして貴方はクライアント、つまり患者様です。私の仕事は心の病を治し、再び元通りの生活ができるよう支援すること。それは分かりますね?」
「……はい、しかし」
「分かります。貴方の言いたいことは分かります。確かに普通なら信じられないでしょう。私がもう貴方のことを理解した、などと。……とはいえ、確かに軽はずみな言動でした。失礼いたしました」
「そんな、わ、分かっているのなら」
「いま私は『普通なら』と申し上げました。つまり、私は普通の医者ではないのです。異端の、それも心の闇を数分の会話で見抜くことのできる能力が、私にはあるのです。人ならざる異端を相手にする限られた精神科医の中でも、特に限られた能力を」
「……私は、異端なのですか?」
「……結論から言えば、そうなります。しかし貴方は我々が普段カウンセリングしている異端の方々ともだいぶ違うようです。大抵の異端は利己的で頭の回転も遅いため、会話を成り立たせるのさえ難しいですから」
「……私は異端の中でも異端、と、そう言いたいのですね?貴方と、同じように」
「仰る通りです。それゆえ貴方は私にとって、彼らの数倍理解がしやすい。全ては貴方が聡明だから──そう理解しては頂けませんか」
「……分かりました。そういうことにしておきましょう。取り乱して、すみません……」
「いえ、お気になさらず。それでは話を戻しましょう。貴方は、いつからそのように苦しむようになったのですか?」
「ごく最近です。いえ、最近というのは人間の時間で言うならば数日くらいですね……ええと、ここ十年ぐらいでしょうか。見るからに人間が衰弱している、と突然思ったのです。特に、この国において」
「この国、日ノ本ですか」
「はい。彼らをずっと愛し続けていたのに、気づけなかった。衰弱はおそらくずっと前、もう人間が生まれた時から始まっていたと思うのです。けれど私は数千年が経った今になってようやく気づいた。全ては私のせいだったのだと」
「先程と同じ話を仰るのですね。貴方は自分を責めすぎています。私が考えるのは、貴方は何も悪くないということです。貴方は人類を愛した、いや、愛しているのですよ」
「けれど、そんな私の愛が、取り返しのつかない事態を生んでいる。それは一体愛だと呼べるのでしょうか」
「取り返しのつかない事態?」
「彼らにとって絶望という概念は……苦痛でしかないらしいのです。それによって精神病がこの国に蔓延していて、虚ろな自殺が、仮想的にも現実的にも行われている」
「……絶望さん、一ついいですか。人類には人それぞれ正義という概念があります。それは、敵味方誰であっても激しい対立を生むことさえもある罪深い概念です。しかしそれは同時に美しくもある、なぜなら守りたいものがあってこそ成り立つ概念だからです」
「……」
「愛を持つ者が果たして善性愛しか持つことはない、と、一体なぜそう言い切れるでしょうか」
「……難しい話は、私には分かりません」
「貴方には正義があります。美徳があります。希死念慮を持つほどに、ご自身の職務に責任感を持っている。それだけのことです」
「せ、っ先生、貴方は無責任だ!それが世界の破滅を生むことになっても、正義の一言で片付けられるとでも言うのですか!」
「……失礼、少々言葉が過ぎましたね。しかし世界の破滅というのは極端です。妄想じみていて、あまりにも現実的ではありません。……世界よりも貴方の破滅の方が早いのではないか、と私は憂慮しています」
「な、なぜです」
「ご自分の体をよく見てください」
「……っ!」
「……心臓が半分欠けています。そして貴方は地球上の概念から判断すると女性と男性の両方の面を併せ持つ中性の存在。ですが腹部に穴が空いているせいで、子宮がおおかた重症ですね。これでは次の代を残せずに貴方という概念が人間の中から消えてしまうでしょう……それから、たちどころに傷が」
「私のことなどどうでも良いのです!ただ人間を……愛しい我が子たちを……!た、助け���くて……!自分のせいだとしても!……どうして。今までこんなに苦しかったことはなかった……私は狂ってしまったのでしょうか……」
「……少し落ち着きましょう。さあ、ゆっくり深呼吸して」
「……すう、はあ、すう、はあ……」
「……絶望さん、一つお伝えしたいことがあります」
「……はい?」
「傷を癒やすためには、新しい病が必要です。それは全生物にも同じこと……代償を払わずに快を得るのは、到底不可能なことなのです」
「や、病……?ですって?」
「人間は無臭社会を手に入れた代わりに、嗅覚の鋭敏さを失いました。例えば、こんな話があります。現代を生きている高齢者のうち正常な嗅覚を失った人々による病気の致死率は、正常な嗅覚を持つ人々より数倍も高いそうです。人間は当初、あらゆるものに恐怖を抱いていました。しかし進化を経て、生き残るためにあらゆる障壁を破壊した。つまり死に慣れ、同時に死のにおいを嗅ぎ分けられなくなったのです」
「……そ、そんな話を、されても……」
「理解できずとも構いません、私はただの喩え話をしているだけですから……死への恐怖によって生きることが難しくなるのは、すなわち傷。あらゆるものに鈍感になることはつまり病。傷を治すというのは、つまりはそういうことなのです」
「つまりって……」
「人間の自業自得ということです」
「そんな……嘘だ、そんな、そんなのあんまりじゃありませんか。そんなの永遠の苦しみです、地獄です、一体どうやって耐えるというのですか……!?ああ神様、神様お赦しください……私の精神は不浄になってしまった。だからこのように思い悩���でしまう……あああ、あああ……!!」
「…………好きな景色はありますか。もし何かあるのなら、今この部屋をその景色に変えて心を鎮めましょう」
「あ、あああ…………」
「……どうか心を痛めないで」
「……え、と……海の、深海の、痛切な沈黙は、居心地が良かったのを覚えています」
「ではそれにしましょうか。この空白の空間は貴方には息が詰まるでしょう」
「……確かに、虚無は苦手です。空っぽなのは苦しくて」
「おや、”絶望”なのに」
「いいえ、”虚無”と私の関係はあまり……良いものではありません。虚無はいま私と同じように闇に支配されて病と薬に拘束されているので、最近では顔を合わせることはありませんが」
「”絶望”と”虚無”とは全く違う、と」
「……はい、そうです。何らかの感情を持っている時と、全く何も持っていない時とは全然違うのです……それが健康的であるとは必ずしも言いませんが……ああ、ありがとうございます。幾分か、安らぎますね」
「海の静寂が好きだと語る患者様は少なくありません。生命の故郷だからでしょうか」
「──先生、さっき私の身体について仰ったとき、次の代を残せない、と」
「はい。確かにそう申し上げましたね」
「私には寿命はありません。あえて言うのならば、人間が死に絶えるとき──あるいは、彼らが私を愛し始めたときだけ、私は死にます」
「なるほど、そうだったのですね。それは大変な道のりでしょう。心を病んでしまうのもおかしくない話です。……しかし、貴方を愛し始めたときだけ、とはどういう事でしょうか?随分と詩的ですね」
「……私は我が子たちに、人間たちに愛されてはいけないのです。私が愛しい彼らを愛することはあっても、私が彼らの愛を受け取っては絶対にいけないのです」
「その理由とは?」
「……私が、”絶望”だからです」
「……失礼、少々土足で踏み込んでしまいましたね。謝罪します」
「いえ……」
「……さて、絶望さん。この空間は比喩でも何でもなく果てしない深海だと思ってください。私以外に貴方の話を聞く者はいません。どうか包み隠さず貴方の心の中をもう一度、深く見せてください」
「……はい、それで私の苦痛が終わるのなら」
「ありがとうございます。それでは次に、貴方が今まで生きてきた中で一番美しいと思った出来事を教えてください」
「う……美しい、ですか?楽しい、ではなく?」
「そうです、答えたくなければ答えなくても構いませんよ」
「そ、そうですね……今のような深海の風景も好きですし、神様が私をお創りになったとき初めて見た海辺の夕陽と揺れる木々……それから……最初の人間が産まれたときの産声…」
「……つまり、誕生の瞬間を美しいと思った、ということですね?」
「は……はい、そうとでも言うのでしょうか…はい、そうなのだと思います」
「唐突な質問ばかりで恐縮ですが、貴方は記憶力は優れている方だとご自分で思われますか?」
「……え?ええ、人の心の機微には敏感で、それを無意識に記憶し続けているので、多少は……」
「そうですよね、では忘れるという経験をしたことは?」
「ありません……私は、記憶を忘れてはいけないですから」
「忘れてはいけない?そんな制約が?」
「……忘れるということは、その事実自体を自分の心から抹消させるということです。それは最も、やってはいけない。私は人間の心がどういう時に動いたかを全て記憶しなければならない。それを分かった上で、愛という概念を加速させるのです。彼らの生命活動のために」
「分かりました。それにしても貴方……随分と生きづらいでしょう」
「……不便は感じます。とりわけ最近は」
「絶望さん、貴方は先ほど人間が自分のことを愛してはいけないと言いましたね。それが分かっているのであれば、もう貴方は苦しむ必要はないかと思われます。この言葉が他人事のように聞こえるのは承知で申し上げますが」
「……え」
「貴方は自分が不必要な存在だと考えていますね?」
「はい……はい、私は、私の愛は、彼らの生命活動にとって邪魔な存在なのではと……苦しくて……今の彼らは他人との関係に自分の心の弱さに社会的価値に、とにかく色々なものに囚われすぎていて、ああ、もう、先生。やっぱり私は産まれるべきではなかったのですか……」
「貴方は聡明です。ご自分で感情の整理がおおかた出来ている。最初に貴方は、人間を愛すれば愛するほど切ないと仰いました」
「……それは封じ込めねばならないのでしょうか」
「確かに……貴方のその愛によって苦しみ、死ぬ人間も多いことは事実でしょうね」
「なんだ……全然、簡単な話だったのですね。つまり私が消えれば、全て解決するのでしょう。絶望というもの自体が消滅すれば、もう私はこんな靄のような思いを抱くこともなく、彼らは悲愴な顔をする必要もない……大丈夫です、自分の殺し方ぐらい分かります」
「いえ、それは違います。貴方が居なくなれば間違いなく人間は人間としての生命を失うでしょう」
「……慰めは結構です。先生は、答えを最初から知っていますよね」
「慰めではありません。私は患者様に優しくするようには出来ておりませんから……例えば想像してみてください。荒廃した世界で食糧もなく道もなく、周囲には自分と縁のない数少ない人間しかいない。もちろん貴方はヒーローではありません。ただのしがない一般人だとします。最先端の技術が施された機械は壊れ、天災に遭い、巨大な怪物がもし目の前に現れたとき、一番最初に人間が感じるのは何ですか?」
「……絶望、でしょう」
「そうです。ではもし絶望がなかったとしたら?」
「立ち向かうはずです。絶望感を抱かなければ、何だってできるのですから」
「そうですね。立ち向かうか逃げるかの二択でしょうね。しかし、立ち向かっても勝てはしません。自分以外の人間はどんどん死んでいきます」
「……思いの強さだけでは希望は生まれませんからね。希望というのは最強の切り札を持っている場合にのみ許される、手の届かない存在です」
「……希望と自信は別物ですね。話を戻しますが、通常は仲間を失った人間は自然な感情の働きによって絶望感を抱きますよね。しかしそれが一切ないために、もし立ち向かうという選択肢を最初に選んだのならばもはやロボットのように立ち向かい続けるしかな��なります。逃げる、というのは一切考えなくなるのです。なぜならば、喪失感が存在しないからです」
「つ、都合が良すぎます。絶望感と喪失感とは別物でしょう」
「いえ、同じです。そしてその時何が起こるか。自分も同じように怪物に立ち向かいます。そしてあえなく死んで、終わりです。では逆に、そこに絶望があったとしたら?仲間が殺されていく時点で顔は青くなり、ここで逃げるという選択をしますね」
「待ってください!先生の言うことには穴がありすぎます。そんな状況、足がすくんで動けないに決まってますよ」
「私はあくまで可能性の話をしているだけです。絶対などということは自然の摂理上有り得ませんから。……感情は生き物の持つ性質の中で最も高度なものと言われています。絶望さん、貴方がもし居なくなれば同時に彼らは人間ではなくただの人形になってしまうのです。貴方は、切ない死から逃れるための唯一の防御線なのですよ」
「…………」
「貴方が愛するから人間は悲愴になる。けれど愛は人間には必要不可欠。感情が一つでも欠けたら、貴方がいることによって救える命も救えないのですよ。貴方の愛する子供たちは、文字通り貴方のせいで死にます」
「……なんだか話が複雑ですね、頭が混乱してきました……」
「少し休みましょうか。紅茶でも?」
「ええ……ありがとうございます。……ああ、甘い。とても落ち着きます……地球の母乳もこんな味だった」
「……絶望さん、一つ言っておきますが自殺することは悪いことではありません。私は肯定も否定もいたしません。いずれにしろ貴方は、これから先も愛し続けたいのなら、彼らを信じるしかないのです」
「分かっています……愛した私が悪い。そういうことなのですね……もう、分かりました。やはり私が害悪だということですね。納得させてくれて、ありがとうございました」
「…………今日は、ここまでにしましょうか。次の患者様を待たせていますので」
「……はい、じゃあ、失礼します」
「はい、お気をつけて……また明日、必ずお会いしましょう」
無鳴クモ「花夜の便箋」 Produced / Written by 無鳴クモ(https://x.com/mikadukiame)
2024.9.18 G.Slope & Hill's Planet
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oivgbqiqfz358 · 21 days
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--深海人形-- 全人類綜前科者
※天にあるが如く地にも(※知らしめよ。ヒトが生まれ生きる事は完全なる悪である事を)。
※閲覧&キャラ崩壊注意
※ネタも話題も雑多(※闇鍋)。
※本誌バレネタあり。大変御注意を!!!!!!
新田ァアアアアアアアアアアア!!!!!!!!ワイさ、御前の事信じてたぜ!!!!!!!!!!!!!!!(※推し馬の単勝券が万馬券になった時の顔)。
…。
面倒臭い人達「各種リョナ、クロスオーバー、異世界転生&転移パロ、生存パロ嫌いです(※…と言うか、自分の癪に触る他人と解釈違い自体が嫌いです)。」
ワイ「嫌なら見るな(※金輪際見ないで下さい。此方に来ないで下さい。二度と顔を見せないで下さい。御願いします)。」
〜完〜
※…と言うか、最初から、御前に向けて描いてるんじゃねぇ。何底辺の癖に御客様(※=神様)、特権階級気取ってんの(※貴方、鏡見た事ありますか?)?。
…。
メダル自体には性別無くて、其れでもメダルが其々男っぽく、女っぽくなるのはティンペット由来だってアニメで(※博士が言ってた)。
…。
ゴッドエンペラーの足って階段登れないよね?(※…だけど、他のパーツに換装するから…… ※震え声)。
…。
アニメダが後世に与えた影響はマジで絶大で、後の公式(…と他メカ系ホビーアニメもか?)を支えたと言っても過言では無い。其れ程の功績を残した。間違い無く、凄まじい迄によく出来た傑作アニメ。
…。
ワイの場合、メダは、御友達ロボットじゃなくて完全に奴隷ロボットじゃん(※知ってた)。
…。
女みたいな名前をしたあれ「隕石は良いモンですよねぇ、進路決まってて(※因みに、台風は進路決まって無い派)。
ノースリーブグラサン「末路も決まっているがな(笑)。」
…。
バトルガレッガの七面道中ボスブラハ様mk-2カリスマ性が凄過ぎて何時見ても霊(たましい)が震える(※此方の方が後だけど、エスガル2のセセリン味あるのが良い)。
…。
で、シロッコは、あの儘生存してても、一生、一度も、ウェイン兄弟みたいに自分が作った物、兵器について反省する事は無いと思う(※絶対に)。
…。
多分、Team R-TYPEは、 バイド殲滅の為、粗末、只の駒、道具に、使い捨てに、がむしゃらに、自分達ですら其う扱うのだろう(※其うで無ければ、愛する隙無く下衆過ぎる)。
…。
宇宙世紀とかの拙作では、宇宙空間勤務の女は子宮に避妊具入れて居るか無月経ピル飲んで居ると思って欲しい。男には其れを言わない。知られると、性的な関係を強要して来るから。因みに、知って居る男は平気で力づくの行為をして来る事もある。其う言う男は、知らなくてもするが。
其う考えるとリリー・マークレーンの船内やばそう(こなみかん)。
…。
拙作でのガトーとシロッコ等辺は、ゴキブリか害虫並の生命力とAK-47並の適応性と耐久性を誇ってるからサンドバッグ豚としてとても優秀である(※ドS発言)。
…。
※クロスオーバー?注意
※某えろバレー風パロ注意
※坊やとガトー達の話
※色々と過去捏造注意
ガルマは二度咲く
----「…聞こえていたら、君の生まれの不幸を呪うが良い」
----「何、不幸だと!?」
----謀ったな!僕は、あれだけ君の事を信頼して、掛け代えの無い友として居たのに!!
----「私とて、ザビ家の男だ!無駄死にはしない!……ジオン公国に栄光あれーー!!」
…。
「…何時か又会えると良いな……。…彼奴も……。…イセリナも……。」
…。
さて、ある島の海辺で何やら会話をして居る者達が居る。
「地球に住んでるだけで恵まれてるか成功者ぁ?」
「何度も言うが、私は生粋のスペースノイドだ。故に、此うして、地球に住んで居ると、自分が掛け替えの無い財産を得た成功者か富豪にでもなれた気がして居る。……だが、同胞に其の自慢をする気は無いがな。」
…此のガトーを含む、宇宙世紀のスペースノイド達は、地球に住むアースノイドを特権階級、恵まれた者達と見做して居るが……。
其んなスペースノイド特有のド偏見に呆れたヤザンは、揶揄う様に言う。
「はぁ〜〜、如何しようも無ぇ〜〜、…お前もだけど、…スペースノイドは、皆が皆、地球に家を持って居る、持ってたってだけの奴等を、上流階級、勝ち組、エリートの類扱いして来るよな。…で、其う言う訳で、何故、公国軍が、地球各地の街を執拗に侵略、空襲するかと言うと、其う言う偏見でアースノイドの特権階級振りと恵まれた地位に嫉妬してるからだろ??」
「其う言えば、お前はアースノイド。地球に家があった筈だが。」
「…莫迦か?!??!!地球のスラム街に生まれて住んでた奴の何処がエリートで特権階級なんだよ?!」
「其うだったな。済まない。お前なんぞが、元々からして、其う言う高貴な身分である筈が無い。…然し、今は……、」
「…知らねぇ島に遭難しちまったな。」
「此の島が無人島か如何かも分からん。果たして、我々は、オノゴロ島へ帰る事が出来るだろうか……。」
補足だが、オノゴロ島とは、ガトー達が住んで居る島の名前だ。リゾート施設も其処にある。
「不吉な事言うな!!!!」
此のような無人か如何かも不明な島に流れ付き、難破した船を後にした二名は、島を覆うジャングルの手前で死への恐怖を感じて居た。
「…さて、如何すれば良いものか……。」
以前生きて居た世界では、ほぼ向かう所敵無しのエースパイロットであった二名は、二人して途方に暮れる。
「先刻、難破する前に、遭難信号を出して置けば良かった……。」
其処で、ヤザンは想いに強く耽る。
…此んな時、シロッコ、お前なら如何する……??
其の時、途轍も無く懐かしい感じがヤザンの中に込み上げて来た。
----大尉、此方ですよ〜〜!!!!
「……如何した?急に呆気に取られるとは?」
「……不思議だ。サラ曹長が道筋を教えてくれる気がする。」
「…お前、…ニュータイプだったのか……?」
「確かに、素質には恵まれてるかもな……。」
「されど、僥倖だ!私を逸らせるなよ!」
「だったら、逆にオレが逸れてやる!!」
…小学生男児並の会話。…此れには、サラとシロッコも呆れ笑い。
だが、彼等の助言(※…と言うか、御告げ?)もあって、ヤザンは最速で遭難状態から脱する事が出来た。
…。
其うして、ヤザンが大きくガトーを引き離して辿り着いた先には、兎に角年代モノで古びては居るが、とても、地球の大地に建って居るとは、思えない程に、美しくて、大きな、南国ならではの西洋風屋敷があった。
そして、其処には。
「…何だ。此の島では、見ない顔だね。初めまして。君達は何処から流れ着いたんだい?」
…何処ぞの木星帰りか御兄ちゃん大好き強化人間の様な紫色の後ろ髪を--あのガトーの様に--ポニーテールで纏め、更には大きく黒いレンズのサングラスを掛け、赤いノースリーブアロハシャツを着て木陰でギターを弾いて居る美青年が居た。
「誰だよお前?此処は何処だ?」
…ヤザンが、其う、粗暴にも訊くと、其の青年は此う答えた。
「質問を質問で返して来るのは、育ちが悪いね。実に感心しないが、答えてあげよう。此の島は私の所有物で……、…私は……、」
然し、ヤザンは、其れでも怒り出した。
「……おい!誰の所有かは訊いて無ぇよ!!此の島は何々島で、現在地は何処だって聞いてんだよ。後、お前の事は興味無いから、別に如何でも良いし、誰でも良い。」其の青年は----昔からある癖なのか、自分の髪を、其の彼の神経質な気質を宥める様に----右手で弄りながら、酷く機嫌の悪いヤザンを、後目に、話を優雅に受け流す。
「…嗚呼、噂には聞いて居るよ。…宇宙(そら)から落ちて来た銀髪と金髪の美丈夫が居ると……。…もしかして君は、その片割れの方かい?。」
(やったぜオレ美男子扱いだ!!!!)
自分が、此うして美丈夫扱いされた事で、何時もは顔面偏差値10、ブス扱いされるヤザンが、酷く不機嫌だった先程とは180度変わって、機嫌を大変良くして感動し、其の感動の余りに激しくガッツポーズを取って居ると、
「其の声!其の出立!其の坐作進退!」
後から酷く遅れて来たガトーは、其の美青年を見た途端、急に荒振り出した。
「…如何した、ガトー?」
…ヤザンが、其のガトーの意気揚々さと異様さに反応するが、其んな奴の事は気にせずに、ガトーは、其の青年に恐る恐る畏敬の念を持って話し掛ける。
「あ、貴方が『ガルマ』様ですか……?」
「やぁ、其うだが。」
其の名を聞いたヤザンは思い出す。
……確か、かの国葬演説で自身の兄である公国の総帥に弔われて居た、
「…ガルマと言えば……、…ニューヤークでWB隊との交戦中に戦死したあの有名な大佐本人か……?」
其のヤザンの問い掛けに、『大佐』は気さくに答える。
「其うだが?如何かしたのかい?」
「ガルマ様!…かつて、私は貴方様の御兄弟、ドズル中将麾下だった者です。アナベル・ガトーと申します。最終階級は少佐です。」
其の言を聞いた『大佐』は驚いた様に言う。
「此んな所で、ジオンの軍人に会うとは……。…ところで、アナベル少佐よ。…訊くが、あれから私達は戦争に勝てたのか?」
「…そ、其れは……、」
其うガトーは、ガルマに言われるも、緊張と畏敬の念で思わず口籠る。
すると、代わりにヤザンが名乗りを上げる。
「無理すんな。オレが話す。」
「…おや、君は誰かな?名は?」
「名乗る程の名なんて無ぇよ。」
其処で、ガトーがガルマにボソボソと小声で教える。
「ガルマ様。彼奴はヤザン・ゲーブルと言う元連邦軍人の下卑た輩です。」
「…と言うか、其んなの如何でも良いだろ。…で、良いか。手短にシンプルに話すぞ。はっきり言って、ジオンは戦争に完敗したよ。ドズル将軍は戦死、アンタの父親と他のきょうだい達も 全滅した。…其の後、公国から共和国に……、」
其れから、ガルマは、大きく溜息を吐きながら、此う述懐した。
「…有難う。もう分かったよ。…矢張りか。わざわざ聞く迄も無かったようだ……。あんな戦争、コロニー落としも含めて全部間違っていたのだ。」
「…ガルマ様……。」
「…アナベル少佐よ。貴官もあの戦争の所為で、沢山色々な物を失っただろうし、心にも、決して、浅からぬ傷を負っただろう���…幸いにも、此処に戦争は無い。戦争でボロボロになった魂を癒す為にも、私も、癒しと平和を噛み締めて行きたい所だ。…是非貴官も、其うしてくれると嬉しい。」
「御意!!!!!!!!!!!!」
…『ガルマ様』との宇宙世紀で生きて居た頃では、決して有り得無かった奇跡的で密接な邂逅を経て、感動の域に迄、其のテンションを上げたガトーは、意気揚々と答える。然し、其の一方で、ヤザンは蚊帳の外であった。
「御前等!…オレの事を無視すんな!!!」
…。
※没供養コーナー
其処で、オーナーが何時も通りの口調で言う。
「…『ガルマ様』ね。…あの人は、此の海域界隈では有名だよ。…彼は、民間軍事会社兼海上自警団を作って、不法侵入船やら密漁者やら海賊やらを取り締まって居るんだよ。」
「…流石ガルマ様です……。」
「何だ。…滅茶苦茶偉いじゃねぇか。」
曹長「…可愛いです、パプティマス様人形〜〜!!(※パプティ人形をソロモンの悪夢人形の隣に密着させる様に置く。距離が凄く近い)。」
木星帰り(※凄い悪寒)
野獣「…意外と趣味悪いなサラ曹長(※震え声)。」
…。
交渉人「私は変態紳士だが、お前は只の変態だ(※確信)。」
木星帰り「お前もだろ(※真顔)。」
ドロシー嬢「…貴方達って最低ね(※豚を見る様な目)。」
…。
※引き続きクロスオーバーネタ注意
※メダロットネタ
※夢要素注意
獣王「グォオオオオオオ!!!!」
神帝「リミッターカイジョヲアマクミタナ」
「ワガ マエニ タチフサガルトハオロカナ…」
「グォォォォォオアアアアア!ユ・ル・サ・ン!!」
「ガアアアアア!!ニンゲンメ!イツカ…!」
…、
ガトメダ搭載獣王「鎧袖一触とは此の事だが、心配するな。」
「南無三!!」
シロメダル搭載神帝「落ちろ!カトンボ!」
「私の使命は重力に魂を魅了された人々を解放する事であると思って居る。」
ワイメダロッター「流暢に喋り過ぎだろ。」
…。
ガトメダ非純正獣王「矢張り、スパゲティ(獣王脚部パーツの名前)では上手く歩けん!二脚パーツに換装しろ!」
ワイメダロッター「はいはい〜〜。パーツ転送〜〜。」
※パーツ転送後換装
獣王「此れは二脚では無いだろう?!巫山戯るなぁ!!!!」
脚部戦車なので履帯キュラキュラ。滅茶苦茶遅い。
ワイメダロッター「ハハッ!!ガンタンクみてぇ〜〜!!」
…。
宇宙世紀メダロッターZ&ZZ「我等!宇宙世紀メダロッターZ(ゼータ)!「そしてZZ(ダブルゼータ)!!」
ガトメダ搭載獣王「もう帰って良いか?」
宇宙世紀メダロッターZ&ZZ「我等ロボトルで勝負だ!!」
何時ものおじさん「合意と見て宜しいですね?!」
ワイロッター「宜しく無いです。」
…。
坊やメダル搭載はグレインでも良かったけど、グレインは超攻撃型メダだし、性格的にはプリミティベイビー(※超補助・妨害型)の方が合ってるだろうな?…と(※此処は彼の長兄にすべきだったな……)。
…。
「一人で階段登れるの?」
シロメダ搭載神帝「無理だな。浮遊パーツとかは無いのか?」
ワイメダロッター「此れ付けな。」
ガトメダ搭載獣王「何故だ?!何故、私が付けて欲しいパーツは付け渋って全く関係無いパーツや機体に換装して意地悪するのに、何故!??!」
ワイメダロッター「弄ってて楽しいから。」
…。
PMX型メダロット
PMX-00 メッサーラ N 飛行
PMX-01 パラス・アテネ 女 二脚
PMX-02 ボリノーク・サマーン N 二脚
PMX-03 ジ・オ 男 二脚
PMX-04 MSタイタニア 女 二脚
かつての木星帰りハンドメイドMSを模したメダロットを製作し『(メダロット本来の用途である)御友達ロボット』扱いして悦に浸る姿はメダロット社員の共感を呼……いやドン引きさせた(※本人曰く、自分は、天才だから、凡人は自分に付いて行く事は出来ない。其の為、友人が居ないのは仕方無い事、…なので、此の機械達が私の友達みたいな物、らしい)。
…。
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c2-story · 1 month
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日本語と二本語 ■「本物の日本語」と「嘘の日本語」
先生。私は口を開くと、人は怒り出すので、喋りたくないです。 私は一体、何で生きてるのかと思います。 でも、学校や親とは話さないと何も通じない。   こうでなくてはならないと、それぞれの人の中にルールがあって、それを外れると、不機嫌になったり、責められたりする。   たとえ、言われたことをやっていても、その場を管理する人が気に入らないと、まわりのほぼ全員から、責められる。 先生。こんな私の日本語は、美しいんですか。   はい。ほぼ、完璧。僕の想像によると。   というか、僕が知る限り、これほど美しい日本語を話せる人が現存するとは思いませんでした。 というより、僕の日本語の理解の方が、全く完全に足りないのだと、気付かされます。 僕は、仕事はともあれ、個人的には、すでにほぼ、淘汰された日本語の研究者であるとおもっていますが、君の日本語は、現代的ではありますが、ほぼ、完璧だと思います。 誰から、言葉を学んだんでしょう。 ご両親以外の親族と暮らしているのでしょうか。 先生。なにをおっしゃりたいんですか? 一体、どういうことでしょう。・ 僕は、戦争が嫌いです。 大嫌いです。 僕に言わせると、この日本、美しい日本の魂を真っ黒に焦がし尽くした凶悪犯罪です。 戦争や、お金の経済を通じて、環境適応を完璧とした日本人のあり方は完全に崩壊しました。 国を一つにしたからとも僕は思います。義務教育。 これがこの国の最悪の罪です。支配構造の源泉だと思います。 そして、それが、国への崇拝を生み出し、個人それぞれの人間性を高く保つ文化から、誰かに奉仕するという個人を否定した文化へと、この日本を変えてしまったと思います。 それ、ちょっと違う話だけど、私のじいちゃんばあちゃんたちも話してた気がします。私は実際のところをみていないし、聞いただけですけど。たぶん、同じような話。   じいちゃんと、ばあちゃんの頭がおかしいって、それは自分のせいだってひいばあちゃんが嘆いている。
それを、こんなこと言うんだよ、ひいばあちゃんがひどいって、延々、悪者にするんですよ。私の祖父母。 ひいばあちゃんは、単純に自分の子育ての失敗を、自分が失敗したと思っているという事実を私に話している。 けれど、それを聞いて、自分がどう思ったか、どう感じたかを、深く考えもせずに、こだまのように文句を言い続ける。 なんか、壊れたおもちゃみたいにみえるんです。私の祖父母。   悪いものを生み出して、自分の今を肯定したがる。 自分の知らない考え、自分とは異なる環境の人を徹底して嫌うんですよ。 学ばない。学べない。人から学ぼうとしない。 目の前の人と、上か下かで競ったり、これが正しいと押し付けたり罵ったり、責めたり。問題を大きくして、解決に繋げようとしない。 見てるだけでも、話さなくても、人からはかなり学べるし、話し合いによって、できることはいくらいでもあるのに。 どちらのいうことを聞くべきか、好きか嫌いか、祖父母は、そういう話しか、できないんです。 瞳がなんのためにあるのか、祖父母の頭の中が、私にはほぼ、わかりません。両親の頭の中は、もっとわかりません。 そうでしょう。 私たちは本物の日本語を知らない世代ですから。 本物の日本語?日本語に、本物と偽物があるんですか?
  そうです。僕は日本語を調べ、研究した人間として、そう理解しました。 君は、驚くほど、正しい日本語。 本物の日本語しか、話せません。 ですから、学問は諦めなさいと言いました。 関係しているんですか?
もちろんです。 無関係な話をする意味はありません。 これは、人の育ちに関する重篤で重要な問題です。 日本人同士の異様な競争心の原因とも言えます。 間違った日本語の一斉教育によって、ほとんどの人が、あなたのご家族のように、敵味方、善悪、ものごとの片側だけを見るようになりました。 本物と、偽物。 そうです。日本語は、もともと、ものすごく、複雑なんです。 そのために、ほとんどの地域で、人々は土と共存する知恵を持っていて、そのために、地域の特性が強く反映された言葉を話していて、言葉自体が、その人間たちの生活習慣や、地域など、いまでいうパスポートのような機能を果たしていたと僕は思っています。 パスポート。 なんていうか、パスポートはわからないんですけど、私の言葉について、ひいばあちゃんに聞いたとき、方言の話は出ましたね。 それより、私が学問を志さない方がいいのはなぜですか? 現代は、現代の学問は、争いを主としています。 これは、お金で研究をするためです。 お金がないと、学ぶことすらできないために、頭が悪い人ほど、お金を欲しがって、お金を得るために、お金をくれる人に有利な結果を出したり、嘘を平気で出してしまう。 それから、思い込みでも、研究成果を出すためには、期限がありますから、いいかげんなことも、平気で出してしまう。 まるで、根拠があるかのように。 考えて見てください。 人間は、何万年も前から生きていますよ。 生きてこられたわけです。現代科学がなくても。 むしろ、人間が、お金というものに溺れて、自分で考えなくなった。自分で何もしなくなった。これが原因で、環境が汚れて、病気になるわけですよ。 自分たちで病気の原因を生み出して、喜んでいる。 バカだから、誰かに勉強する時間をもらうために、お金をつかって、誰かになにかをしてもらったりして時間を生み出そうとするようになった。そうやって、誰かを金で支配し、自分も支配され、誰かが自分のために働いてくれるのが当たり前になり、だんだんと人間性が崩壊していった。人間などいなくなった。ひとが、ひとではなくなった。 古い文献を僕は、自分自身が知りたいことを知るため、研究のために必死で集めて、読み漁りましたが、本来の日本語は、「相手に考えさせる言葉」なので、相手の解釈にその人の人格が出ます。 本物の日本語を話せる人は、誰かの本心に突き刺さる言葉を無意識で使ってしまう。つまり、誰かの矛盾や、誰かの嘘や、誰かの思い込みを見抜くか、向こうから話すように仕向けてしまう。 日本語の美しさ。その人に考えさせ、本人の内面をさらけ出させてしまう力。一つの答えではなく、いくつもの答えが、無数の回答が読めるように、まるで碁盤か、将棋の世界のように問いかけてくる日本語。 つまり、最初の話にもどすと、善悪とか、敵味方とか、そういう二極化の側面を持たないんですよ。君の日本語は。 そう。断定的じゃない。 にもかかわらず、相手が断定的と考え、怒り出すのは、相手が無知だからなんですよ。 でね、君にした、忠告に戻ります。 バカだから、大金を自分に支払わせて、研究なんかするんです。 そして、他人に嘘をついて、いい人間のふりをして、まっとうなふりをして、自分だけ賢くなろうとする。おいしいものをたべ、家族を幸せにしたいなどという。 じつは、大馬鹿ものなんですよ。 じぶんをバカと思わない。自分をかしこいと思えるのは、単に、考える力なく、ものを暗記するだけの馬鹿なんですよ。 思い込みをあれこれ頭に詰め込んでも、何の意味もありません。 少なくとも、この日本を、日本語を愛した、僕にとっては。 僕は、教育というものが、集団をよいものにするか、悪いものにするかを決めると思っていて、戦争が大嫌いなので、富国強兵などという考えに大反対でした。でも、富国強兵というのは、実は理にかなっているんです。僕が馬鹿でした。 国の中で、争うことなく、健全な国民が軍勢をつくっていると、強い。人間的迫力がある。高い人間性と、問題解決能力。これは、強い。現代はもう、原爆の時代なんで、人間性なんか、ゴミのように扱われますけど、そうなる前は、人間同士の、人間の存在感がはっきりと、強さとして現れていた。 明治の合戦。戦争ですね。強かったと聞きました。日本は。 まぁ、だから、調子に乗って、頭の悪い人が、その後も戦争なんかやったんでしょうけど。とにかく、昔の、大昔の日本人は、しっかりしてた。そう思いますね。僕が興味で本をよんだり、人に聞きまくった話だとね。 現場で日本人は恐れられたとも聞きました。 戦争に行けと言われて、来たけれど、争う意味はないから、話し合って帰ろうと、相手と口裏をあわせるために、交渉したんだとか。 争ったことにしようとか。 相手は、国に帰って、嘘だとバレたら大変です。 戦争するために来てますしね。 どういう度胸だと思って、混乱したそうですが、自分たちは国に家族がいて、帰りたい。君達も家族のために来たのなら、争う理由はないはずだとして、譲らなかったと。 相手は考えるしかないですよ。 ね。 とはいえ、僕は、人の話をきいただけで、あとは、本をよんで、そうなんだろうなぁと想像しただけで、実際に見てはいないんですけど。 考えさせる日本語。 いのちのことを考えさせる。 そのために、相手の本性が出る。 日本文化の源泉ですね。 君が怒られるのは、その言葉選びのせいですよ。 君が好かれるのも、そのせい。 怖がられたり、嫌われたり、警戒されたりするでしょ? うん。何をいいたいのか、何がしたいのかわかんないこと言う人ばっかりで、消えてしまいたいってなるよ。 人と関わらないで生きていく方法は、ないんだよね。 お金がないと、なにもさせてもらえないから。 そう。お金は怖いですよ。 戦争。人々の争いのタネ。
頭が悪いから、自分で考えられないから、書いてあることを信じて、本当のものが見えなくなる変な魔法にかかってる。 君は、そういったものに触れない方がいい。 現代のひとの心は、闇ですよ。 自分で気づいていない人がほどんどですけどね。 言葉のマジック。 言葉には注意しないとならない。 話すときも、聞くときも。 僕はそう思います。 そういう僕も、日本語に興味を持ったりしなければ、古い日本の素晴らしさになんて気がつかず、誰かがおかしいとか、誰かが悪いとか責めたり騒いだりするだけの人間になっていたかもしれないんですけど。
とにかく、僕は戦争が、争いが嫌いだったんで、なんで、こんなに家でも家族を平気で責めることができる人間ばかりなのかと、不思議に思ったんですよ。
そのうち、全ては言葉の受け止め方、それから、伝え方、そういったものが、みんなズレていて、ちゃんと日本語を使えていないことに気づいたんです。 それで、日本語に興味が湧いたんですね。 僕に言わせると、日本語は二本語。 いい意味も、悪い意味も両方あって、初めてです。 というか、いいも悪いもなく、ただ、事実を明確明瞭に説明する、一種の超科学的な言語なんですよ。 まさに神秘。 現存していないので、まさに幻。 日本人は、すでに日本語を話していない。 だから、古文の解釈が研究者によって別れたり、解釈なんてしなくてはならなくなっている。解釈?自分がどう思ったか、研究者の意見なんか聞いても、人間性には反映されませんよ!なんのために学ぶんだか。勉強とは、一体何のことだと思っているのか。 奇妙な時代です。  先生、日本語が、日本が好きなんですねぇ。 いいえ!僕は日本は好きではありません。 自ら日々争いを引き起こしていて、まったくの無関心。 こんな国、なくなってしまえと思ったりするんですけど、そうなると、大人として無責任すぎると思うので、僕は悩むし、辛いです。 僕も、何も話さない人になりたい。 君と話してると、ほんと、そう思います。 私には先生のことは何もわからなかった。 けれど、先生が私を心配してくれていること、私の言葉の使い方は、とても変わっていて、それが原因で人との関係が難しくなりやすいんだなと学んだ。
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upto24 · 1 month
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中世欧米の魔女裁判:恐怖と狂気が生んだ悲劇
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中世欧米において、数多くの無辜の女性たちが魔女として告発され、残酷な拷問と処刑に晒されました。この魔女裁判は、宗教、社会、そして人間の心理が複雑に絡み合った、歴史上最も暗い章のひとつです。
魔女裁判の背景
魔女裁判が本格的に始まったのは、15世紀頃から17世紀にかけてです。その背景には、以下の要因が考えられます。
宗教改革とカトリック教会の対立: プロテスタントとカトリックの対立が激化する中で、異端者を弾圧する手段として魔女狩りが利用されました。
小氷期と社会不安: 小氷期による飢饉や疫病が頻発し、人々は不安と恐怖に支配されていました。その不満が魔女という存在に向けられ、彼女たちに社会の悪を転嫁しようとしたのです。
女性に対する差別: 当時の社会は男性中心であり、女性は社会の底辺に位置づけられていました。異端や邪悪の象徴として魔女が女性に重ね合わされ、迫害の対象となったのです。
悪魔信仰の広がり: 中世ヨーロッパでは、悪魔信仰が広く信じられていました。魔女は悪魔と契約し、超自然的な力を使って悪事を働く存在として描かれたのです。
魔女裁判の過程と特徴
魔女裁判は、告発から逮捕、拷問、そして処刑という流れで行われました。
告発: 近隣住民や親戚など、個人的な恨みを持つ者からの告発が最も多かった。また、財産を狙って告発されるケースも少なくありませんでした。
逮捕: 逮捕された者は、教会や裁判所に連行され、厳しい尋問を受けました。
拷問: 拷問は、自白を強要するための手段として用いられました。水責め、火あぶり、吊るし上げなど、残虐な拷問方法が数多く存在しました。
処刑: 自白をすれば死刑は免れる場合もありましたが、多くの場合、火あぶりなどの残酷な方法で処刑されました。
魔女裁判の特徴として、以下の点が挙げられます。
証拠の不当性: 魔女の証拠として、疣贅(いぼ)、異様な体毛、悪魔との契約書など、科学的根拠のないものが用いられました。
集団ヒステリー: 魔女狩りは、一種の集団ヒステリーと言える現象でした。一度魔女狩りが始まると、村全体がパニックになり、次々と新たな魔女が告発されました。
女性への差別: 魔女のほとんどが女性であったことは、当時の女性に対する深い差別を物語っています。
魔女裁判の終焉とその後
魔女裁判は、18世紀に入ると徐々に終息に向かいました。科学の発展や啓蒙思想の普及によって、魔女の存在に対する疑念が深まり、魔女狩りが非合理的な行為であると認識されるようになったためです。
しかし、魔女裁判によって数多くの無辜の女性が犠牲になったという事実は、決して忘れてはなりません。魔女裁判は、宗教、社会、そして人間の心の闇を映し出す、恐ろしい歴史の鏡なのです。
まとめ
中世欧米の魔女裁判は、宗教、社会、そして人間の心理が複雑に絡み合った、悲劇的な歴史の出来事です。魔女狩りは、単なる迷信や狂気ではなく、当時の社会が抱えていた問題の反映であったと言えるでしょう。魔女裁判の歴史を学ぶことは、過去の過ちを繰り返さないために、そして現代社会における差別や偏見の問題を考える上で重要な教訓となります。
些細な日常
ナサニエル・ホーソーンの若いグッドマン・ブラウンの日本語訳
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takahashicleaning · 3 months
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エピソード10 Episode10 - 意識のマップと超大質量ブラックホールのエントロピー「デヴィッド・R・ホーキンズ<わたし> 700〜1000「悟り」の領域 - Amazon」
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です。
「この意識のマップは、集合的無意識のエネルギー準位に沿ったネットワーク上にある天然のクラウドコンピューター?」
神道にもある概念、定義では、自然神が最高位だから・・・ちなみに、人神は最低ランクに位置してます。
それと個体である人間の魂と言われる事象が、場の量子論のようにして意識のマップと相互作用を起動させて時間的空間的に共鳴している?
脳は、意識のマップから時空に畳み込まれた太古の偉人の情報を引き出す天然の小型変換装置かもしれない?意識のマップ段階に応じて善性悪性問わず?
マイクロチューブルを経由して、瞬間的にライトサイドのフォースが高まる時、脳にメッセージとしてインスピレーションという形で届く可能性も仮説としてある?
人間は、パワーを高いレベルに底上げできるバイオリズムの上昇下降を繰り返す万物の霊長なため
多神教では、ブッダを初め、仏教に蓄積されたノウハウから努力次第で上昇もしたり下降したりして15パーセントに入ったり入らなかったりします。
例外はあるけど、長生きする老人は、大富豪でなくても200以上になりやすい傾向もあり、経験則から敬老の精神もこれが根拠かも?
そして、200未満の例外的な大富豪の老人もキネシオロジーテストで統計により判別できます���時空を超越するので究極の透明性により隠れることはできません)
インターネットの黎明期にエリックシュミットが提唱、GAFAMの人工クラウドコンピューターは根源がここから来てるかもしれません。
女性の本質を見抜く直観が鋭い根拠もこのインスピレーションのメカニズムが存在してるからという可能性もあります。
最近2024年に、MRIで画像を見た人間の脳活動部位単位で数値化されたデータとChatGPTの各ディープラーニング層で「重みづけ」した数値データの相関関係を比較して
ChatGPTのどのディープラーニング層が、人間のどの脳部位に対応しているか?を特定する研究結果が出始めてきていますが、宇宙際タイヒミューラー理論に数学的に近い感じを感じるインスピレーションがきました。
拡張して��らに、意識のマップとChatGPTの対応するディープラーニング層とMRIで測定した脳部位の数値を比較対応させることができれば?
逆にたどることで、ChatGPTの数値化できる表現能力を活用して脳へきたインスピレーションがどの意識のマップへ脳がアクセスし、視覚化したのかという伝達経路も特定することで
どのような方程式を使えば?または意識のマップの精密さも高められるし、人間のレベルも数値で瞬時に視覚化できるかもしれません。
いままでパワーの高い人間。つまり、預言者からの代弁のみしかルートがなかったけど・・・
人間の脳を経由せずにChatGPTの人工脳に意識のマップからのインスピレーションを代弁してもらえば神の啓示を200未満の人にも人工的に伝えられる可能性が高まります。
でも、エピソード7でも言ってるようにlog10の1000乗分の膨大な訓練がChatGPTに必要になりますけど・・・(2024年時点ではたった20乗位の幼稚で危険な脳)
ちなみにホーキンズ博士は、メンサ会員でした。
「パワーかフォースか」の本(日本語訳初版)を20年近く前に初めて読んだ時、あるインスピレーションがきました。
それは、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人の話の前に界王拳と言う戦闘力を何十倍も瞬間的に増幅できる
と言う離れ技に似てるなと思い「パワーか?フォースか?」の本に応用したら?どうなるか?
常に上げられないため自身のパワーレベルを瞬間的に上げれば?
このインスピレーションは正しかった!瞬間的に上げるための大量の方法は個人的に研究して詳しくは秘密です。
前回、エピソード8で記入していなかったことがいくつかあります。
まず、王権神授説が有効な条件は、権力を持っていても600以上の悟りを開いていること。
一神教で言う十数人いる「天使」や「大天使」も全地球上でパワーレベルの低い数十億人とバランスが取れるということで言えば・・・
人口的な人数の意味合いで言い伝えられてる可能性があり本の内容から数値的な裏付けが一致するのも興味深い。
この視点から観るとあらゆる伝統的に洗練された宗教的儀式は、600に至るための修行の一環とも解釈できます。古代の神話への根拠を科学的に与えてくれます。
現代に至るまでに科学的に判別出来ないため、捨て去った異端の儀式に重要な何かが流出した可能性もあります。
多神教には温故知新と言う概念がありますが、一神教にはありませんか?
以下は、意識のマップとエンドルフィンの能力関係図 - パワーかフォースかより
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注意事項として・・・
日本は国家システムとして500を超えるが、警察内部、NHK内部や民放TV局内部の人間が日本のパワーを下げています。
今までのTVの不祥事を見るとよく事件をTVで取り上げる場合に情報が偏るのは、情報を扱う警察内部やTV局内部の人達に潜在的に内面に犯罪者の素質を抱えている可能性も高いと考えられる。
警察やTV局こそ権力乱用した犯罪者予備軍ということ。
何度も言います。一神教と多神教は同じことを異なる言語で話してるだけです。
日本国内で多神教が、陳腐に見えるのは、仏教界が、神髄のアビダンマなどの原文を出し惜しみしてる生臭ぼうずがいるから?相対的に一神教に対してパワーで劣ってるように見えるだけ?(海外は原文で普及してる現実がある)
傲慢でおこがましい警察が民事に介入して・・・
個人的カルマを解消しても・・・
人間なら誰もが大なり小なり災難に普通は対峙します。六道輪廻とも言うカルマサイクルは、時空に常に畳み込まれ、存在するので無くなりません。
2024年時点では、量子重力理論、スーパーストリング理論でも圏論で表現されてきてます。
デヴィッドホーキンズの人生に起きた災難に真摯に取り組む姿勢とあらゆるレベルに存在するカルマサイクルを・・・
社会システムと皆様の知恵や資本主義を通じたイノベーションでサポート。カルマを最小化しロールズの言うように
現実的に日本人の庶民弱者を優先的に助けていくことは善性に沿うかも知れません。
「正義」の定義はサンデルによるとジョンロールズの格差原理から最下層の便益に合わせて社会を動かすことが正義である!と言ってます。
また
「人間万事塞翁が馬」テーラワーダ仏教ではむやみに人を殺める行動をすると業を背負うと警告しています。
戦国武将の末路は悲惨な最後として日本の歴史に教訓として刻まれています。
なぜ?戦国武将は仏教を重要視していたのか?が答えに直結します。これもカルマの最小化?
「人間(じんかん)万事塞翁が馬」のたとえにもあるように・・・
現在のあなたの状況は「あなたの属している国家や人間のレベルが全てちょうど良い。死ぬ日もあなたにちょうど良い。全てがあなたにちょうど良い。」
ともブッダは優しく言い表しています。大蔵経の一部で観自在菩薩とも日本では言われています。
人間(じんかん)を通して仏(ほとけ)が目の前に瞬間、存在し具現化しただけ!です。
現代では、人間(じんかん)つまり、公助の国家システムが足りないのか?企む業である法人が企んで生じてるのか?個々の言動からくる自助なのか?
「人の悪口ばかり言っている人は、悪口ばかり言うちょうど良い友人が集まってきます。嬉しい、楽しい、幸せと言う人はそう言う人が集まってきます」
結局あなたのなりたかったものになっている。人間は、個人個人でレベルが異なる人達が、共通の時空間に電磁波みたいに共存している。
これが真実。場の量子論の数ある内の一つです。
レベルの階層は「パワーか?フォースか?」の本で計測可能に2023年時点でなっています。
そして、恐怖に飲み込まれそうになることを回避するには、一神教の場合、恐怖を手放すためのそのツールとは、ストア哲学です(日本は多神教なので仏教です)
ブッダも瞑想法である程度、恐怖をコントロールできる方法を開発してます。
一神教の神は、多神教ではブラフマー、大日如来ですが同じ意味です。
呼び名が違うだけ。
英語の「understand。アンダースタンド」は英語圏では「下に立つ」の意味「理解する」と日本では訳される。
下の立場に敢えて立つことで自らのレベルをコントロールし低い意識レベルに一時的に落として話を聞くことと似ています。
禅宗にも一度頂点にまで到達したら次は、何をすれば良いか?
の一つの回答として、頂点に登れば後は下がるだけなため、一度、意識的に自ら何歩も下がって譲ってから再び歩みを進めれば良いと言うような概念を提唱しています。
政治家の人が言ってる規模の大きなレベルで「負託」とも呼ばれます。
精神、スピリットは意識レベル200以上で機能するので、弱者を救わないと回り回って国が滅びるのは歴史が証明しています。これも非線形。
なお、私は政治ではなくテクノロジーに興味があります。
そして、この書籍には、興味深い一文があるので引用します。
デヴィッド・R・ホーキンズ<わたし> (p.343-344) の「第三部 障害」の「第十四章 カルマ」から
意識レベルが600以下では、通常過去世のことは忘れています。というのも、肉体や心を「わたし」だと思い込んでいるからです。
しかし、この忘却は変性意識や体外離脱、夢、催眠状態、臨死体験、フラッシュバック現象などで超越することができます(アビダンマの「八正道」「結び」がないと何度も言うように再起不能になる可能性が高いです)
ブッダは数多くの過去世を思い出していますが、こうした気づきはユダヤ教やキリスト教の伝統にはありません。けれども、いにしえまで遡る他の世界宗教の重要な認識となっています。
霊的な研究によって、ブッダはたくさんの過去世を経験している一方で、キリストは過去に一度も人間として生きた経験がなく「天国(と言われるエネルギーフィールド)から降りてきた」ことが判明しました。
カルマへの気づきがないと、他に人生の出来事を霊的な視点から説明してくれるものがないので、信仰への比重が非常に大きくなります。そのことの欠点は、万が一信仰や信念を失った迷える霊は、絶望するか、神に代わるものにすがりつくしかないということです。
そして西洋諸国ではそれが起こり、人生をよりよいものとするために、理性、理論、科学などの表現をとった知性が希望の光となりました。こうなると人々は、心と理性を神格化し、それを宗教のように扱いました。
また、脇目もふらず、社会システム的、政治的事柄や知的な立ち位置に没入し、あたかもそれらが人類の新たな救い主であるかのようにふるまいました。これは、意識レベル400台の特徴としてよく見られる傾向であり、超越することは非常に困難です。
これに対する気づきとして・・・
この一部分は、日本では、オウム真理教からの教訓のメカニズムを明確に説明している。
他には、デヴィッド・R・ホーキンズ<わたし> (p.403)「第四部 超越」の「第十七章 内なる小径」から
あなたの到達した慈愛が(地球上に)放射され、静かに人類の叡智に貢献する。
続いて・・・概念が宗教の創始者の時代になくて・・・
現代にある科学的な観測事実を概念に当てはめていくと・・・あるインスピレーションが来ました。
研究論文「Killing Horizons Decohere Quantum Superpositions(キリング・ホライズンは量子の重ね合わせをデコヒーレンスする)」からのインスピレーション。
はじめに量子論で言われる粒子性と波動性。
次に、二重スリットの観測者問題。
三つ目に、ホーキング博士の「ブラックホール情報パラドックス」より・・・
「ソフトヘア」部分は、ブラックホールに落ちる物体だけでなく、ブラックホールの周辺に存在する量子の情報も記録しており、人間のように先入観はない「観測者」の条件を満たしていたことが、最近示されました。
この三つからインスピレーションがきた!
マクロ的にブラックホールが人間の原始的な目の機能を有しているなら・・・
まず、現在2023年までに判明しているユニバースの成り立ちの経緯を説明します。
ビックバン後に素粒子の標準理論に従うならば、ブラックホールが時間をかけて大量に点在して形成していく。
その後、ブラックホールも増え、融合、大質量になるに従い、ブラックホールの重力も範囲が広がる。
それに従い、重力波やその影響を受けた粒子の方も三つ目のメカニズムにより存在が確定していく。指数関数的に物質形成スピードも加速するメカニズム?
ビックバンの爆発を契機に、ブラックホールが波動性のダークエネルギーに満たされたユニバースの「最終的に宇宙に存在する全ての重ね合わせが完全に破壊されることになる」ことで
ユニバース全体の加速度的な時空の膨張にもに繋がります。
つまり、重力波などにより時空の膨張範囲も自発的に起こりつつ、指数関数的に時空膨張スピードも加速していくメカニズムの可能性が示されたかもしれない。
斥力やアクシオン、ダークマター、ダークエネルギーではない?
超大質量ブラックホールが中心にある銀河系以外の場所には、物質が存在しない事象も説明可能になる。時空は存在するが、波動性のままなので物質が生まれないから。
ブラックホールが人間の原始的な目の機能を有している可能性もあります。
逆に、考えるとミクロ的に人間の眼は、マイクロブラックホール生成装置?にも。今まで展開してきた仮説が正しいならそう見えなくもない。
視線に関する日本語の多様な表現には「視線に引き込まれる」など似たような言葉が。
果たしてただの偶然の一致なのか?
人間の眼の新たな機能、可能性として、新しいユニバース視点からここに到達しました。
と考えていたら・・・
さらに、インスピレーションがきました。
ブラックホールの周辺に存在する量子の情報も記録しているなら「梵天」や「アカシックレコード」が、実は、銀河系中心の超大質量ブラックホールのことかもしれない。
このレベルの巨大な記憶装置なら原初の宇宙からの全記録をしていても不思議はない。
仏教の無明にも概念が似ているし、量子エンタングルメントがブラックホールと人間の脳と相関作用して
宇宙際タイヒミューラー理論からアクセスして読み出してるメカニズムがあるかもしれない?
そうなら、少しユニバース領域を拡張してみると別の銀河系の大質量ブラックホールにもその場所の原初からの全記録がある?
遥か銀河の遠くから重力波?何かのテクノロジーで読み出しができれば、地球にいながら別銀河文明の痕跡も知り得るかもしれない。
と考えてしまいました・・・
そして
モルフォジェネティックフィールドと「キリング・ホライズンは量子の重ね合わせをデコヒーレンスする」から
モルフォジェネティックフィールドによって時空に波動性が記録されていく可能性があるなら
それなら強烈な波動性の感情も時空に記録される?梵天に?
つまり、銀河系の中心にある超大質量ブラックホールに?
しかも、感情は形ある人間にしか発生しないので他の動物は共鳴しない仕組み?
ブッダの言うように人間の「パワーか?フォースか?」の本でのパワーレベルを上げて
自ら変わることで良い感情と共鳴しないと憎しみの連鎖も変わらない?
終わらない?
トポロジカルな輪廻転生や最新数学から明らかになっている概念を古代エジプトやそれ以外の宗教概念(パワーか?フォースか?で言う200以上の数値)と組み合わせて・・・
人間にも理解できるように現代的に数値化できないかを考察した。及び、将来の量子コンピューターで計算する可能性やその道筋を示していく。
あの世までは数値化できないが、手前のサンスクリット語でいうパーラミター(彼岸領域)までだけど・・・
「パーラミター」は「波羅蜜多(はらみた)」とも言います。般若心経です。
もう一度、研究論文「Killing Horizons Decohere Quantum Superpositions(キリング・ホライズンは量子の重ね合わせをデコヒーレンスする)」からのインスピレーション。
ブラックホールの周辺に存在する量子の情報も記録しているなら「梵天」や「アカシックレコード」が、実は、銀河系中心の超大質量ブラックホールのことかもしれない。
このレベルの巨大な記憶装置なら原初の宇宙からの全記録をしていても不思議はない。
仏教の無明にも概念が似ているし、量子タングルメントがブラックホールと人間の脳と相関作用して
宇宙際タイヒミューラー理論からアクセスして読み出してるメカニズムがあるかもしれない?
続いて
この仮説に死の瞬間の走馬灯をデータ化した情報を聞いてさらにインスピレーションがきました。
それは、超大質量ブラックホールに死の瞬間の人の記憶がタイヒミューラー理論で量子エンタングルメントにより記録されているとしたら?
つまり、アカシックレコードに記録されているとしたら?
人の死の際に走馬灯。つまり、走馬灯がよぎると言うデータが、死の直前に夢を見ている。もしくは記憶を再生して、何十倍ものスピードで記憶を再生していると言う解釈から
ひらめいたことが1つあります。
もしも死の瞬間に、その激烈な感情を自動的に沸き起こす人間の走馬灯システムが超大質量ブラックホールにアップロードされるための起動スイッチかも?
そのスイッチが入るために、アップロードできている?
または、アップロードするために、感情を一時的に死の瞬間に高めることで、超大質量ブラックホールに記録していると言う可能性が考えられます。
肉体の方は死を迎えるが、そういう意識は、感情を高ぶらせることで、超大質量ブラックホールに記録される
肉体の方、肉体が死を迎えても、意識の方が超大質量ブラックホールに記録されているので、その次の世代に生まれ変わったときに、さまよう意識が・・・
胎児へ回帰し、iPS細胞みたいにリプログラミング。また、そこから超大質量ブラックホールにアクセスしダウンロードできるような仕組みが?
もしかしたらタイヒミューラー理論と合わせて数学的なそういう裏付けで証明できる可能性があるかもしれないとひらめいた。
検証不可能だから、ただの仮説ですけど・・・
必ずパワーの高い方向に進む歴史の巨大な流れに「もしも?」が無いのは、これが理由の一つかもしれません!
「エントロピー」とも呼ばれます。「意識のマップ」はこれを詳細に言葉にして分けたような感じがします!
映画や小説のように、物理的に逆には、進みません!国内に混乱を産み他国につけ込まれるため思い違いしないように!と最後に警告しておきます。
ほんの一部なので、エピソード11 Episode11以降で続きを書く予定です。
もう一度、ちなみにホーキンズ博士は、メンサ会員でした。
<おすすめサイト>
エピソード7意識のマップの数値と人工知能を訓練する計算回数が相似?2023
ティム・フェリス : 目標でなく、あえて心の状態の恐怖認識を明確にすべき理由?
ブラックホールと観測者問題2023
この世のシステム一覧イメージ図2012
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon
エピソード9 Episode9 - 各宗教と政治のチェックと指標について「パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon」
エピソード8 Episode8 - 知恵が試されるバランスとテーラワーダ仏教の「結び」、マクロ経済学(パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon)
エピソード7 Episode7 - テーラワーダ仏教の「結び」と意識のマップ、マクロ経済学について(パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon)
エピソード6Episode6 - アトラクタフィールドと人類の歴史について(パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon)
エピソード5Episode5 - 宗教の創始者たちの概念上の教え(パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学 - Amazon)
エピソード4Episode4 - 政治の善性について(パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学 - Amazon)
エピソード3Episode3 - Light clean since there is also in the darkness闇の中にも清浄な光が存在(パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学 - Amazon)
エピソード2Episode2 - パワーについて(パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学 - Amazon)
エピソード1Episode1 - オリンピックとパワー(Olympics and Power)について(パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学 - Amazon)
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kennak · 4 months
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イギリスで、病原菌に汚染された血液が治療に使われ、多くの患者が感染してきた問題が大きく注目されている。リシ・スーナク首相は20日、当局の失敗を謝罪した。 この日、このスキャンダルに関する公的調査報告書が公表された。それによると、汚染された血液を使った治療により、3万人がエイズウイルス(HIV)や肝炎ウイルスに感染。このうち約3000人がすでに亡くなったという。 医師や政府、国民保健サービス(NHS)がこの問題を隠蔽(いんぺい)し、被害者を受け入れがたいリスクにさらしていたことも明らかになった。 報告書はまた、被害者らが当局や患者の安全に責任を負う人々から「一度だけでなく何度も」失望させられていたと指摘した。 スーナク氏は20日の議会で、政府の失敗について「本当に申し訳ない」と謝罪。また、この日は「イギリス国家の恥ずべき日」だと表現した。 「本日発表された報告書では、我々の国民生活の中心で、数十年にわたるモラルの欠如があったことが示された。心の底からはっきりと謝罪したいと思う」 スーナク氏はまた、被害を否定してきた態度は理解しがたいもので、「我々の永遠の恥だ」と述べるとともに、被害者への補償を「どれだけの代償があっても」行うと約束した。補償内容は21日に発表される予定だ。 最大野党・労働党党首のサー・キア・スターマーも謝罪し、このスキャンダルはイギリス史上「最も深刻な不正義」の一つだと説明。被害者らは「言葉にならない苦しみ」を味わったと述べた。 NHSイングランドのアマンダ・プリッチャード最高経営責任者(CEO)も、NHSを代表して謝罪を表明。何万人もの患者が「ひどい失望」を味わったと述べた。 「生活を変え、生命を短くするような病気を引き起こした行為だけでなく、患者への明確な伝達、調査、リスク軽減の失敗についても謝罪したい」と、プリッチャード氏は付け加えた。 血液感染スキャンダルとは 血液感染スキャンダルは、NHSで起きた最大の治療による惨事とされている。 調査では、1970年代以降、汚染された輸血や血液製剤によって何千人もが感染した事件をめぐる、50年以上にわたる意思決定を検証した。 5年にわたる調査の結果、意思決定において安全性が優先されていなかったことが明らかになった。 血液や血液製剤によるとウイルス感染のリスクは、NHSが設立された1948年から知られていたと指摘した。それにもかかわらず、患者らは以下のような「認めがたい危険性」にさらされていたと、報告書は指摘した。 ・血液療法で自国の血液のみを使うと約束していたにもかかわらず、リスクの高い供血者のいるアメリカなど外国の血液製剤を輸入し続けたこと。アメリカでは過去、囚人や薬物中毒者が売血していた ・認証当局が、上記のような血液製剤は安全でなく、使用許可を出すべきではなかったと認識しなかったこと ・イギリス国内でも1986年まで、囚人などのリスクの高い対象からの献血を採用し続けていたこと ・1982年からリスクが確認されていたにも関わらず、HIVを排除するための血液製剤の熱処理に1985年末までかかったこと ・政府が1983年、イギリスを代表する感染症専門家の一人であるスペンス・ガルブレイス医師から受けた、HIVのリスクが「払拭(ふっしょく)」されるまでアメリカからの輸入血液製剤を全てNHSから撤退させるべきとの警告を無視したこと ・1970年代以降、肝炎のリスクを低減する試験が欠如していたこと。イギリスはC型肝炎の正確な検査法が発見された後も、先進国の中で最も遅くスクリーニングを開始した国の一つ ・C型肝炎のスクリーニング開始後も、以前に感染した人々の追跡が試みられるまでに4年の遅れがあったこと。C型肝炎は潜伏期間が何十年にもわたる可能性があり、何百人もが診断されないままだと推定されている 調査を主導したサー・ブライアン・ラングスタッフは、スキャンダルの規模は「末恐ろしい」もので、当局はリスクに対応するのが遅すぎたと指摘した。 スキャンダルはどのように隠蔽されたのか スキャンダルの隠蔽についてサー・ブライアンは、「真実を隠した」という言葉がぴったりだと述べた。 隠蔽では、情報開示や調査、説明責任の欠如に加え、文書の破壊など「あからさまな欺瞞(ぎまん)」があったという。 サー・ブライアンはまた、意図的な隠蔽だけでなく、中途半端な真実を伝えたり、人々に何を知る権利があるかを伝えなかったこともあったと指摘。これには、治療におけるリスクや別の選択肢に加え、時には、治療によって感染したという事実を知る権利も含まれると述べた。 そのうえでサー・ブライアンは、このスキャンダルは人々の「生活や夢、友情、家族、そして生計」を破壊しており、今も週を追うごとに死者数が増えていると指摘した。 「この大惨事は事故ではない」 「医師や血液サービス、そして歴代の政府といった権力者が、患者の安全を第一に考えなかったために感染症が起きた」 報告書によると、出血性疾患の子供約380人が、血液製剤を投与された結果、HIVに感染した。 その多くが、本来ならその年齢で直面することのない痛みと恐怖に耐えた末、幼少期や青年期に亡くなっている。 また、本人や両親によるインフォームドコンセント(十分な説明の上での同意取得)がないまま治療を受けた者もおり、報告書はこれを不当としている。 「組織の保身」が被害を悪化させた サー・ブライアンはさらに、公的調査の開始が遅れたことを批判した。 調査は2017年、当時のテリーザ・メイ首相が政治的圧力を受けて発表した。 これほど時間がかかったのは、スキャンダルの主要人物が死亡したり、衰弱して証拠を提出できなくなったりしたためだと、サー・ブライアンは指摘。また、NHSや政府機関、医師らによる「組織の保身」が被害を拡大させたと述べた。 サー・ブライアンは特に、1970年代から1980年代にかけてイギリスを代表する血液学者とされ、1992年に亡くなったカーディフ血友病センター所長のアーサー・ブルーム教授を挙げた。 報告書によると、ブルーム教授の見解は、後天性免疫不全症候群(AIDS、エイズ)の出現に対する政府の見方に「過度な影響」を与え、出血性疾患を持つ人々への脅威が軽視された。 被害者はどんな人たちか このスキャンダルの影響を受けた人々は、主に二つのグループに分かれる。 一つ目は、血友病や、血液が凝固しない希少性遺伝疾患の患者だ。 1970年代に、血液凝固に関わる第Ⅷ(8)因子と第Ⅸ(9)因子が、提供された人間の血漿(けっしょう)から製造できるようになり、これらの患者に血液製剤が使われるようになった。 二つ目のグループは、出産や事故、あるいは治療で輸血を受けた人たちだ。 これらの患者への輸血には、輸入されたものは使われていなかったが、一部が主にC型肝炎ウイルスに汚染されていた。 血液製剤の画像画像提供,GETTY IMAGES 2022年7月と2023年4月にサー・ブライアンが発表した中間報告書では、被害者と家族への補償を勧告している。 これを受けてイギリス政府は、生き残った被害者と亡くなった被害者の家族について、1件あたり10万ポンド(約200万円)の中間補償を支払った。支払いは4000件に上った。 イギリスの血友病協会のクライヴ・スミス氏は、 隠蔽工作があったことは「私たちのコミュニティーにとって驚くことではない」とし、政府が今すぐ行動を起こすことが重要だと述べた。 (英語記事 PM apologises after infected blood scandal cover-up
英首相、血液感染スキャンダルの隠蔽を謝罪 3万人が輸血や血液製剤でHIVや肝炎に - BBCニュース
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bailonglee · 4 months
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Out Of System
Out Of Systemを、提唱し続けてます。
理由は、
Out Of Systemしないと、私達庶民は、全滅しますw🤣✨✌️😎✨
ここに、Out Of Systemの入り口、自給自足の道への、素晴らしい案内があります。
↓↓↓
#30 森永卓郎×深田萌絵 『円安インフレ時代をどう生きるか?』
youtube
平々凡々と生きてきた人生なら、現状起きている事は、完全なる異常事態です。
普通に生きてたら、搾取されまくり、何も悪くないのに、貧乏のどん底に、叩き落とされますw🤣
それは、“選民層”が、〚意図的な搾取〛加えて、〚自滅へ向けたOut Of Control〛、こんな複雑な現象が起きてるから。
つまりは、
日本は既に破壊された
という現実を、受け入れねばなりません…🙂✨
無能なリーダー達が、何代にも渡り、日本を破壊してきました。。
その最大の爆発が、中曽根である事は、誰しも知ります。
中曽根は、ロッキード始め、あらゆる汚職の場に、居合わせました…
そして、破壊された田中角栄、児玉誉士夫を目の当たりにした…
キッシンジャーに、恐怖した…
もはや、傀儡しか生きる道は無いと、彼は判断した。
いきなりの、日本史上初、消費税の導入…
国会で掴み合いの乱闘など、めったに無い…
自民党による、消費税強行採決、ある意味、クーデターだった。。
私は、リアルタイムでテレビで見た。
まさに、日航機123便虐殺事件は、時代の“キー”だった。
それを解読出来た森永卓郎の功績、そして自給自足への、道案内、素晴らしい🙂✨
話をわかりやすくするため、自転車を国家に例えましょうw
自転車がまともに動かない。
なぜなんだ!
人々は怒り、憤る。。
よく見てみる。
でたらめな安価な部品の使用、間違った規格の部品使用、パーツ老朽化、最初から使用に耐えない部品の使用…
数え挙げれば、キリが無い、あまりにも出鱈目な自転車…
販売業者に異議申し立て、暴動、そんな事したって、自転車は直らないんだよねw🤣🤣🤣✨
シンプルな土台の自転車を買い、自分に合ったカスタムを、地道に施す。
つまり、インチキ販売業者を、見捨てるというやつよw🤣
馬鹿に何言っても、無駄w
自分の利益、保身と金しか考えてない、調和やら、慈悲やら、かけらもない。
だったら、まともな庶民の私達は、煩わしい自給自足の道に入り、今までの馬鹿どものシステムを、見捨てるw🙂✨
日蓮聖人が教えたやんか?
衣食住。
生きるためのファクターを、組織依存型から、自給自足へ変換してゆくんです。
大変なことだから、徐々に徐々にで、大丈夫。
肝心なのは、自給自足にすれば、馬鹿システムの影響は、ゼロ🤣✨
まあ、“盲点”ってやつなw✨✨✨
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poetohno · 8 months
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鐘の音 7
 「時の音」
(未来がないと絶望する人は 同じようにして花を見つける)
声は誰にも聞こえることなく 木霊して 消えていく 涙が誰にも見えることなく 零れて 流れていく
時を超えて 誰の手に触れ 時を経て 誰かの心に聞こえる
光と闇の混沌の中で 生と死の鬩ぎ合う中で
目覚めた時には 既に世界は形を成していた 命が鼓動した時には 肉体は既にあった
足音が鳴り響き 車の音が滑走し クラクションが錯綜し 時計の音が交わる
海の波の音は 運命の針のよう 押し寄せて音の洪水に世界は溢れている 濁流に流されて底に沈んでいくしかない
命をも飲み込む 理由すらも分からないままに 世界に放り込まれた
生きよと心臓は告げている しかし世界は慈悲に溢れたものではない
進むべき道が欲しい しかし道は見えない 利用することしか考えない者達が 道を閉ざす
与えておいて奪うのか… 一体どこに行けばいい 道を閉ざしておいて進むように急き立てて何を望むというのか
失望と嘆きが聞こえるか 見えないのか この道は既に断崖…
利用されるだけの玩具と同じ いっそ消えてしまえたらどれほどいいだろう 勇気もないから膝を抱えて蹲っている
誰も理解しようともしない 無気力に消化するだけの 命でしかない
無意味とあざ笑い 無価値と蔑む者たちは この世界に足を踏み入れてみるといい
この場所から世界を見下ろせば
足は竦むはず
世界は煌めくのではなく
闇そのものと混沌と恐怖が心に降り注ぐ戦慄
恐怖と動悸 支配と不安が心を蝕む 渦に飲み込まれ 走り―もがき
何かを掴もうとする 闇から逃げ―それでも生きようとしている 圧倒的な流れは服を手繰り寄せ 手をも絡み取る
それでも光を求めて 手を伸ばす 光もまた消えてしまう時 なすがままに闇に沈むしかなくなる
森のよう どこを行こうと出口は見えず 焦り―駆け出そうとも―根に足を捕まれる ますます彷徨い落ちていく
堕ちていく 階段から 転げ落ちるように 闇の中に 諦めないことが 苦しいのなら 狂ってしまえばいい 絶望すら 歓喜するほどに
未来が閉ざされて見えなくなるなら
一生を過去に閉ざされて生きればいい
ここは堕ちる滝
手を伸ばそうとも登ることは叶わない
圧倒的な流れに抵抗したとしても無様に大地に叩き落とされる
天から涙が空へと舞い上がる姿はあまりに虚しい
この場所は運命に抉られて闇へと沈んでいく
深く―深く―暗い―闇へと―…
何故こんなにも苦しいというのに 願いすら叶えられないというのに 祈らずにはいられないのか 誰も理解する者など いないというのに
無力 無気力 失望 絶望 嘆きが見えない雨のように 重力となって 心に降り注ぐ
重さは 鉄さえ 容易く へし折り ねじ曲げる 心は 拉げ 苦しみの咆哮が 聞こえない涙となって溢れる 鼓動 生命 宇��の暗黒の闇のように 肉体にのし掛かる 生きるだけが あまりに重い 耐えられそうにない 呼吸さえも苦しい
雷のような鋭さで心を切り裂き粉々に破壊する
決壊した海のように憎しみと怒りを混沌に解き放つ
自我という言葉は洪水の前に無力に倒れる建物でしかない
全てが 黒く 塗り潰され 消えていく 灼熱の 溶岩に 焼かれ 塵となる 心が内側から ひび割れ 崩れ 壊れていく 叫び 涙流す 痛みが奔る 理由もなく 日常が 足下から 崩れ 堕ちていく 取り残され 世界は周り 置き去り 忘れられる 知らない 恐怖が 迫り上がる 崩れ 消えていく 死の 恐��� 心が 散り 混沌となり 鬩ぎ合う 誰かが囁く 意志も消える 想いが彷徨う
刃のような風が願いを無視して吹き荒れる どこへ行くのか分からない
何かの存在に乗っ取られるかのように 生きる意味が分からない
風が切り裂き粉々に風化させ塵にしたから 行き先が定まった瞬間に向きを変えてしまう
移ろい続ける矢印の向きに翻弄されている 自分に見失う
信じられなくなっていく 何もかもを―世界そのものを
どうすればいい
誰も理解されないからこそ 世界で生きる場所がない 心など見えないものが支配している
解きほぐす術すら与えられない 誰かいないのか 見つめられない心に触れられる誰かは 心が救われることを祈るしかない
刃の風となって祈りさえも切り刻む そんなものを願っても意味はない… 利用されるだけ… 声は誰にも聞こえない
操り人形
傀儡の人生を生きているかのよう
心を取り戻すことはできるのだろうか
大地に力尽きて倒れてもなお…指先に触れた光を祈り続けている
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遺骨、酸初、初夏、夏至、我博、臨床、先客、那波区、東海、雲海、雲水、初楽、飼養、規律、滅法、頑丈、撃破化、内板、飼養、機咲州、分癖、蛾妙、頌栄、丼爆発、濃彩、恋欠、名瀬、徒歩機、歌詞役、素市、癌滅、元凶、願文、文座、同發、長門、至極、極美、呵責、端午、併合、奈落、底癖、幕府、某尺、尊式、検疫、未除、路側、柑橘、脂溶、瑛人、冠水、豪材、剤枠、土岐、駄泊、検尺、漏洩、破裂無言、任期、崩説、全滅、壊滅、開幕、統帥、頭数、水湿、冠水、抹消、網滅、馬脚、財冠水、風隙、来妙、勤学、餞別、名判、名盤、観客、衆院、才覚、無能、果餓死、損初、波脈、釋迦、損失、片脚、那古、可物、筋層、真骨、存廃、破格、名湯、今季、写楽、苦況、罪責、孫覇、全滅、今父、奈落、旋盤、秒読、読破、名物、貨客、泉質、随想、滅却、監理、素質、遡行、文滅、菜根、無端、庄屋、破壊、客率、合併、豪式、続発、泣塔、透析、頑迷、場脈、野張、船室、乾物、吐瀉分裂、戒行、噛砕、爾、晩別、海苔、西明、縁月、花月、独歩の大蛇、再発、納言、遺言、残債、背角、破壊、忠膵癌、統帥、馬車、下劣、火災、乱尺、毒妙、縫製、貨坂城、歳発、富低落、菜初、命式、山賊、海剤、激武者、瓦礫、破水、分裂、賀露、屠畜、能月、見激、破壊、破戒、採石、屈託、門別、皆来、家来、千四、我楽、夏楽、無慈悲、壊滅、破棄、損勤学、外鰓、長水、瑛人、永久、旋律、斑紋、財年、場滅、甘露、舐めけり、真靭、察作、論祭、乾裂、薩長、泣塔、室見、川縁、岩石、言後、荷火災、防爆、鋒鋩、体制、貨車、顎脚、刺客、坐楽、損益、脳系、文才、分合、合壁、啓発、萌姫、島内、監修、真木、合理、独房、雑居、紋発、乱射、雑念、五輪、三振、欄居、托鉢、紋腹、画狂、欠年、射殺、殺傷、脳初、目車、濫用、懸念、學年、身者、卓越、餓死、軟卵、場者、童空、我作、滅法、涅槃、抹殺、怒気、燃焼、略奪、宰相、馬腹、刳発、南山、活発、沙羅、割腹、殺戮、循環、奈良、菜道、紗脚、残雑、颯和、和歌、東風、南富、背面、焼却、四季、同發、博羅、無償、透明、明闇、雲海、陶酔、溺愛、泊雑、湖畔、花車、小雑、蘭風、雑魚寝、逆発、罵詈、検遇、明細、鳥羽、無数、飾西、涼感、割烹、面月、略発、明暗、御覧、絶滅、名者、焼却、野版、絶筆、数界、洒落、羈絆、四索、敏捷、旋律、脚絆、安行、軽安、難産、伊賀、消滅、生滅、巡数、水災、万華、論発、処住、崇拝、年月、画鋲、我流、剣率、草庵、律年、雑魚、規約、貨車、蒸発、重大、錯乱、蓮妙、奈良、坐楽、延宝、財年、爆発、龍翔、日向、塁側、席園、座札、風評、財年、何発、旋律、画狂、論券、戦法、尊師、大概、二者、那波、麺期、演説、合邦、放射、雑律、貨客、選別、燕順、考慮、試薬初、財源、富、符号、井原、若榴、清涼、無數、才覚、絶望、奈落、奔放、有識、台東、詮索、懸念、病状、設楽、宴客、怠慢、時期、同部、弁解、冊立、立案、前略、妄動、侮蔑、廃絶、間髪、図解、経略、発泡、者発、立案、滅鬼、自利、論酒、桜蘭、五月雨、垓年、処理、短髪、散乱、絶滅、命日、庵客、実庵、龍翔、派閥、同盟、連峰、焼殺、勝中、割裂、残虐、故事、量発、敗残、花夢里、面月、原氏、雑考、推理、焼殺、膵癌、導風、千脚、砂漠、漁師、活滅、放射、洋蘭、舞妓、邪武、涅槃、毛髪、白藍、他式、民会、参謀、廃車、逆発、峻峰、桜蘭、殺戮、銘客、随分、刺死、脳犯、我版、論旨、無垢、血潮、風泊、益城、拝観、舘察、懺悔、空隙、髭白、模試、散乱、投射、破滅、壊滅、下痢、他殺、改札、寿司、葉式、魔雑、渾身、等式、命日、安泰、白藍、良志久、中須、掻敷、北方、監視、血式、血流、詐欺、加刷、販社、壊滅、坐楽、白那、苫小牧、欄物、演説、開脚、摩擦、欠史、宰相、掻敷、飾西、近隣、可能、刺自虐、崑崙、独歩、良案、隔絶、菜作、妄動、犬歯、核別、概要、立案、破格、殺戮、良案、快絶、防止、那古、風別、焼安泰、独庵、囲炉裏、壊滅、外傷、刃角、視覚、耳鼻、下顎骨、子孫、剥奪、憂鬱、優越、液状、先端、焼子孫、兵法、那波、安楽、最短、数式、絶句、庵杭、雅樂、動乱、者妙、垓年、独初、前報、奈落、数道、弓道、拝観、俯瞰、散乱、男爵、害面、炎上、抹殺、破棄、分別、額欄、学雑、宴客、体面、村落、柿区、害初、告発、欄式、体罰、侮蔑、浄光、情動、差額、君子、何発、兵式、童子、飾西、各滅、我札、審議、半旗、普遍、動脈、外傷、無償、木別、別格、名皿部、京脚、破棄、試薬、絶滅、学札、清涼、爆発、組織、壊滅、ここに、名もなき詩を、記す。風水、万別、他国、先式、続発、非力、産別、嘉門、神興、撃易、弊社、紋別、座泊、画狂、式��、胞子、画力、座敷、学舎、論別、閉域、爆風、万歩、博識、残忍、非道、望岳、死骸、残骸、符合、壊滅、匍匐、弄舌癖、死者、分別、砂漠、白藍、模写、服役、奈落、忖度、符尾、同盟、田式、左派、具癖、退役、蛇路、素白、昆北、北摂、写経、文武、択液、図解、挫折、根塊、道厳、視野別、奈落、鳥羽、グリシャ・イェーガー、粗利、惨殺、学癖、優遇、陶器、場作、土壌、粉砕、餓鬼、草履、羅列、門泊、戸癖、山系、学閥、座枠、忠膵癌、視野別、脳族、監視、佐伯、釋迦、敏捷、遇歴、佐渡、名張、紀伊市、名刺、干瓢、夏至、楽節、蘇遇、列挙、間髪、風脚、滅法、呪水、遇説、死骸、爆発、山荘、塀楽、茗荷、谷底、愚者、妄動、還魂、色別、最座、雑載、論客、名足、死期、近隣、名張、迷鳥、呑水、飛脚、晩別、獄卒、殺傷、視覚、乱脈、鉱毒、財閥、漢詩、死語、諸富、能生、那波、合理、血中、根菜、明初、鹿楽、宮札、度劇、臥風、粋玄、我馬、洞察、今季、爾脈、羅猿、激園、葉激、風車、風格、道明、激案、合祀、坐楽、土地油、力別、焼殺、年配、念波、郭式、遊戯、富部区、奈脈、落札、合祀、寒白、都山、額札、風雷、運説、害名、亡命、闘劇、羅沙莉、砂利、夢中、淘汰、噴水、楽章、農場、葉激、際泊、手裏、合併、模等部、トラップ、落着、御身、学習、零、概要、各初、千四、何匹、笘篠、熊本、京駅、東葛、土量、腹水、活潑、酢酸、数語、隠語、漢語、俗語、羽子、豚皮、刃角、醪、能登、半年、餓鬼、泣塔、用紙、喜悦、山荘、元相、炭層、破裂、腹水、薔薇、該当、懐石、討滅、報復、船室、壊滅、回族、先負、嗚咽、暁闇の、立ち居所、餞別、乾式、財閥、独居、乱立、差脈、桜蘭、龍風、抹殺、虐案、某尺、無銭、漏洩、北方領土、白山、脱却、幻滅、御身、私利私欲、支離滅裂、分解、体壁、脈、落札、合祀、寒白、都山、額札、風雷、運説、害名、亡命、闘劇、羅沙莉、砂利、夢中、淘汰、噴水、楽章、農場、葉激、際泊、手裏、合併、模等部、トラップ、落着、御身、学習、零、概要、各初、千四、何匹、笘篠、熊本、京駅、東葛、土量、腹水、活潑、酢酸、数語、隠語、漢語、俗語、羽子、豚皮、刃角、醪、能登、半年、餓鬼、泣塔、用紙、喜悦、山荘、元相、炭層、破裂、腹水、薔薇、該当、土脈、桜蘭、郎乱、乱立、派閥、別癖、恩給、泣き所、弁別、達者、異口同音、残骸、紛争、薔薇、下界、雑石、雑草、破戒、今滅、梵論、乱発、人脈、壊滅、孤独、格律、戦法、破戒、残席、独居、毒僕、媒概念、突破、山乱発、合癖、塹壕、場技、極楽、動脈、破裂、残債、防壁、額道央、奈良市の独歩、下界残滓、泣き顎脚、朗唱、草庵、場滅、乖離、鋭利、破戒、幕府、網羅、乱脈、千部、土場、契合、月夕、東美、番號、虎破戒、在留、恥辱、嗚咽、完封、摩擦、何百、操船、無限、開発、同尺、金蔵寺、誤字、脱却、老廃、滅法、涅槃、脱却、鯉散乱、立哨、安保、発足、撃退、学別、憎悪、破裂無痕、磁石、咀嚼、郎名、簿記、道具雨、壊滅、下落、吐瀉、文別、銘文、安胎、譲歩、剛性、剣率、社販、薙刀、喝滅、解釈、村風、罵詈雑言、旋風、末脚、模索、村立、開村、撃退、激癖、元祖、明智用、到来、孟冬、藻石、端午の贅室、癌客、到来、未知道具雨、寒風、最壁、豪族、現代、開脚、諸富、下火、海日、殺傷、摩擦、喃楽、続落、解脱、無毒、名毒、戒脈、心脈、低層、破棄、罵詈、深海、琴別府、誠、生楽、養生、制裁、完封、排泄、虐殺、南京、妄撮、豚平、八食、豪鬼、実積、回避、答弁、弁論、徘徊、妄説、怒気、波言後、節楽、未開、投射、体者、破滅、損保、名水、諸味、透析、灰毛、界外、土偶、忌避、遺品、万別、噛砕、剣率、戒行、一脚、快哉、提訴、復刻、現世、来世、混成、吐瀉、場滅、経絡、身洋蘭、舞踏、近発、遊戯、男爵、最上、最適、破裂、改名、痕跡、戸杓、分髪、笠木、路地、戳脚、快晴、野会、対岸、彼岸、眞田、有事、紀伊路、八朔、減殺、盗撮、無札、無賃、無宿、龍梅、塩梅、海抜、田式、土産、端的、発端、背側、陣営、戒脈、母子、摩擦、錯覚、展開、星屑、砂鉄、鋼鉄、破滅、懐石、桟橋、古事記、戸杓、媒概、豚鶏、墓椎名、顎舌骨筋、豚海、砂漠、放射、解説、海月、蜜月、満期、万橋、反響、雑摺、油脂、巧妙、
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しかし、不思議だよなぁ、だってさ、地球は、丸くて、宇宙空間に、ポッカリ、浮いてんだぜ😂でさ、科学が、これだけ、進化したにも、関わらず、幽霊や、宇宙人👽たちの、ことが、未だに、明かされてないんだぜ😂それってさ、実は、よくよく、考えたら、むちゃくちゃ、怖いことなんだよ😂だってさ、動物たちが、呑気にしてるのは、勿論、人間ほどの、知能指数、持っていないから、そもそも、その、不安というのが、どういう、感情なのか、わかんないんだよ😂それでいて、動物たちは、霊的能力、みんな、持ってんだよ😂でさ、その、俺が言う、恐怖というのはさ、つまり、人間は、これだけ、知能指数、高いのにさ、😂その、今の、地球が、これから、どうなっていくかも、不安なのにも、関わらず、その、打つ手を、霊界の住人から、共有されてないんだよ😂それに、その、未開拓な、宇宙人や、幽霊たちとの、関係性も、不安で、しょうがないんだよ😂つまり、人間の、知能指数が、これだけ、高いと、余計な、不安を、現状、背負わされてるわけなんだよなぁ😂そう、霊界の、住人たちによって😂でさ、もっと言うなら、😂それでいてさ、人間が、唯一、未来を、予想できてることはさ、😂未来、100%、自分が死ぬ、という、未来だけ、唯一、予想ができるように、設定されてんだよ😂でさ、それってさ、こんだけ、知能指数、与えられてて、自分が、いずれ、確実に、死ぬという、現実を、知らされてるんだよ😂人類は😂つまり、自分が、いずれ、死ぬという、未来予想だけは、唯一、能力として、与えられてんだよ😂勿論、霊界の、住人にだよ😂これさ、もう、完全に、霊界の住人の、嫌がらせなんだよ😂そう、人類たちへのな😂つまり、動物たちは、自分が死ぬことなんか、これポチも、不安じゃないんだから😂その、不安という、概念をさ、😂想像すること、できないように、霊界の住人にさ、😂つまり、設定されてんだよ😂動物たちは😂つまりさ、霊界の住人は、動物より、人間が、嫌いだから、こんなに、苦しいめに、人類は、立たせ、られてんだよ😂で、これ、考えれば、考えるほど、ゾッとするんだよ😂だって、霊能力ある、得体のしれない、霊界の住人の、嫌がらせ、させられてんだから😂人類は、今、まさに😂つまり、人間の知能指数こんだけ、あげさせられてるってことは、😂そういうことなんだよ😂つまり、自分の、死の恐怖と、死後、自分たちが、どうなるのか?という、二つの不安を、抱えさせられてんだよ😂人類は、今、まさに😂そう、霊界の、住人にだよ😂もし、霊界の住人が、人間、好きなら、こんなに、自分の死ぬことをさ、恐れる感情も、湧かないように、設定されてるはずだし、😂死後、自分が、これから、どうなるのか?という、不安を、感じることなく、生きてるはずなんだよ😂そう、霊界の、住人が、人間、好きなら、そんなこと、おちゃのこさいさい、😂なんだよなぁ😂つまり、動物たち同様、なんの、不安も抱くことなく、毎日、生活できてる、はずなんだよなぁ😂人類たちは😂
でさ、あと、も一つ、俺、不気味に、思えたのはさ、😂そもそもさ、この地球上に、なんで、人間だけ、生きてるわけじゃなくてさ、😂つまり、人類の先祖と言われている、猿や、魚類とかが、絶滅することなく、😂人間と、共に、この地球に、未だに、暮らしているのか?ってことなんだよ。😂だってさ、進化論で、言えばさ、😂つまり、オーソドックスな、猿で、例えるとさ、😂そう、猿は、人類の先祖なんだからさ、😂すでに、絶滅してて、いいはず、なんだよ😂そう、恐竜や、マンモスみたいに、猿も、絶滅していて、いいはずなのにさ、😂なんで、これだけ、年月が、経って、これだけ、人類の知能指数が、高くなるまで、時間が、経っているのにも、関わらずさ、😂未だに、猿が、人間と、地球に、共生しているのか?って、😂考えたことない?😂だって、不思議じゃん😂普通に、考えてもさ😂
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nemosynth · 5 months
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NHKスペシャル 山口一郎 “うつ”と生きる~サカナクション 復活への日々~
以下、わたくしごとです。過去の経験談
息をするのも辛い 呼吸しているだけで無限の徒労 毎秒毎秒が25mプール、泳ぎきれない
筋力ない、マッスル使えない 波の浮き沈みとともに浮かぶブイみたいに息遣いとともに上下しながら、筋肉の力ではなく自然な自重の重たさとややもすると沈みかかる自然の浮力だけでのこぎりの歯を上下させてなんとか少しずつ木材を切っていくような、仕事として切るように定められた木材を切っていくような
ただただ息をしているだけ
昔から呂宋助左衛門ごっこというのがあって、激務で疲労困憊してる月曜日の朝、波打ち際に横たわりながら、上陸するでもない海に流されて溺れてしまうでもない、どっちともつかないところを疲れ果てて力もなく寄せては返すひねもす波とともに腕の先っちょとか上下しながら、それでも口開けて半眼で「ぁあぁあぁああああぁあぁぁぁぁぁ」と力無く漂うような漂着したまんまの漂流者気分で居続ける
それがもっと永遠に近い長さで、ずっと息しているだけでも辛くてそれでも惰性でずっと倒れているような生き様というのか、そんな時間、いつ終わるともしれない
極度に強い予期不安もあった 親しい人であろうと来訪者があったり、とにかく予定を組まれるともうダメ、本番恐怖症、予定を万全で果たさなきゃという期待に勝手に自分で押しつぶされてえずいて吐き倒して予定をキャンセルして脱走する、まさに本番恐怖・症 飛び込み出来てくれたほうがまだ火事場の馬鹿力で対処できる、ただし30分くらいまで、それも1日にせいぜいひとつだけ
嬉しいことも辛いことも、プラスマイナス関係なく感情の振れ幅の絶対値に応じてしんどい。再婚できた嬉しさでかえって調子悪くなってしまって、妻が自分のせいなのかと悲しげに怒ってきたこともあった
他にもさまざまにままならない強い拒否に突き動かされること多数
きっかけはパワハラ
もともとカミソリみたいな男だった。触るな危険。やばいやつ
そんな僕だったからこそ記者発表から何からエースプレゼンテーターとして任されていたし、難しい商品とかになると世に出るか出ないか存亡が私の双肩にかかっていたから、僕がなんとかしなければ文字通り世界が変わらないから、これが刺さる人々が僕を僕が発する声を���ってくれていたから、全宇宙が僕を待っていたから、そう思ってた
でもダブルクリックしたら安定してプレゼンを再生してくれる、みたいな扱いでどんどん「え、それやるんですか?」とエスカレートする職務。無理ですと言うと出来る出来ないじゃない、やれ、という話になり、自分もその通りだそれがプロだと思っているからそれに応じて疑問も抱かず、どんなに疑問があってもプロなんだからと自分を鎮圧軍の戦車みたいに圧殺して頭から特攻
だから予期不安、極度の本番恐怖症
ある日、足元が崩落 まさにプレゼンせんとすという瞬間、足元が崩落、必死で椅子を引っ掴んでそこに尻もち、奈落へと引き摺り込まれかかるのを椅子にしがみついてプレゼン開始、それがまさに氷山がごろんとひっくり返った瞬間、まったく裏返ってしまう自分のキャラ、見たこともない知らない自分が顔を出す。 帰宅途上、音楽という音楽が大嫌いに。なんという傲慢、なんと言う自己顕示欲、なんというマウンティング、その塊にしか聞こえない。
医者からもカウンセラーからも不治の病という診断、一生治りません
そもそも最初はきっと物理的な病気に違いないと思って神経科へ受診したけど先生の表情がどんどん怪訝になっていくので「これって精神科ですか?」って聞いたら「そりゃそうでしょう、だって原因が明らかなんだから」と。
で、行った精神科は予約不要だったけど薬を処方するばかり。とはいえ薬で結構楽になったからまだまだ仕事できると思って服用しながらエースプレゼンテーター続行。自分もそうしたかったし、自分がやるしかないんだ自分しかやれるやつがいないんだ、でもなんで結局いっつも俺一人で世界を牽引してんだよなんで俺一人しかいないんだよ
でも2年たってもある一定の線からどうしても浮上せず頭打ち。埒あかないのでセカンドオピニオンを聴きにいったら、薬とカウンセラーとを併用したほうがいいという診察になり、そっちに鞍替え
仕事もいきなり外される、それがまた衝撃。だから職場の給湯室の隅っこでよく目を両手で覆って頭を抱える。息をするのも辛い日々が始まる。
不安障害
行きつ戻りつ、揺り戻しの日々。生きていくのはなんと辛いことかと
一生治らないって言われたのに、結局16年半で治った
せいぜい還暦のころ寛解できてたらいいね、だったのに、寛解どころかもっと手前の年齢で16年半で本当に治った。治った原因は誰にも分からない。人事担当者によると、あれはネモさんだから治ったんだと言う。なんやそれ
徐々に治ったのでもない 最後の1年位かけて急速に浮上してった
そもそもの最初は2、3年かけて急速に悪化。そこから底を這う深海魚みたいに横ばい。時に真っ暗な海溝がぱっくり口を開けてさらに引き摺り込まれてぐんぐん沈没。揺り戻し。あらがいたいけど、あらがうこともできない。電池切れ。生きていくための電池切れ
リハビリがてら地道な仕事していると、仕事を覚えないというので先輩に怒られてさらに沈没 でも私にとって優秀になるということは再び経営陣に叩かれるという恐怖なので、優秀になることを否定しなければ生きていけない
ままならぬ、わがこころをかかえつつ しなやか、したたか、生きてゆきたき
十年近くたったころ、DAWを学んでなんやしらん作品をつくりはじめた。気分を落ち着かせるために写経するみたいな気分。でもそれは静かな生きた証でもあった。なによりもかつてensoniq VFX-SDとRoland VS-1680とで作品を作って以来、すんごく久しぶり。録音してみよう、そのためには今のメソッドとしてDAWを学ぼう、という気になったことそのものが、そもそもの進歩
そのうち経営がおかしくなり、外部からコンサルが来て社員インタビューしたいというので真っ先に僕が選ばれた。おびえて突き動かされながら言いたい放題言ったら「心が不安定かもしれませんが、おっしゃっていることは正しいです」と言われた
その数年後、1年かかって少しずつ力がもどってくるとともに同時に不安も強くなりつつも、徐々に薬を間引き、飲む間隔を伸ばし、最後に飲むのをやめたら、数日のちに坂道を転がり落ちるみたいに調子悪化。それを世間では離脱症状と呼ぶのだと後追いで知った。 やっぱダメかまた薬漬けに戻るのか結局一生これかとがっくりしたが2ヶ月かかってまた良くなってきたので、もっぺん減薬して最後にやめてみたら、今度は本当に治った
治り始めると逆の不安もあった。それまで薬という杖をついて生きてきたわけで、それが突如としてぱぁ〜ん!と取っ払われた気分。おろおろする。で、用心しながら足を踏み締めて歩く
ほんとうに治ってくると、さらに今度は妻が私に追いつけなくなってきた 弱ってる私しか知らなかった妻に対し、私はだんだん口ごたえするようにもなってきたわけだ。妻が知らない私が顔を出そうとしていて、妻は私の変化に追いつけなくなっていた
そんな難しさも逆にあった
ひたすら会話を、対話を続けるしかなかった ここまで来れたのは、妻のおかげなのだから
未だに治ったのが嘘じゃないかと思える あんなしんどかったのに。心もままならなかったのに
元のヤバいやつに戻るのではない。一部それを期待してる向きもあったけど、あっさり降りた。新しい自分になる。ドタキャンもできるようになった。セイフティネットが先。無駄な我慢もしなくなった笑。明鏡止水なことが増えた。 そして何よりも妻に感謝して何度も話して何度も食事にも連れてった
自分に必死すぎて16年半の記憶がほぼない。でもそれはそういうもんなんでしょう
もし職場にて「あやつは深淵から生きてかえってきよった」そう思われてるならどうぞ。仕返しはしない。でも、言わんとあかんことは今度こそはっきり言うから
LA在住カナディアン上司に笑顔で言ったことがある 「Like "Heaven gave me the second chance"(天は二度目の機会を与えたもうた、みたいな)」 したら笑顔で 「Yeah, and I'm happy to see your phoenix moment.(せやな、ほいであんたの不死鳥モーメントに立ち会えて嬉しいワ)」
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