#教理の実践
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【コスチューム】教理の実践
目次 ▼【グラクロ】【コスチューム】教理の実践の基本情報 ▼【グラクロ】【コスチューム】教理の実践のステータス ▼【グラクロ】【コスチューム】教理の実践の着用可能キャラ ▼【グラクロ】【コスチューム】教理の実践の評価 【コスチューム】教理の実践の基本情報 部位 武器 レアリティ UR 入手方法 神器ショップ 価格 セット¥1600 【コスチューム】教理の実践のステータス 攻撃力+180 貫通率+4% クリティカルダメージ+3% 【コスチューム】教理の実践の着用可能キャラ 【シャドウガーデン】アルファ 【コスチューム】教理の実践の評価 神器ショップにてお得なセット販売あり 衣装、武器、ビューティーの3点セットと、ダイヤ付きセットの2種が用意されている。ダイヤ付きの方が別でダイヤを購入するよりお得になっている。 着用対象は1体だけ 今回陰の実力者コラボが初というこ…
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Heart Sutra ~ A sutra that describes “The Heart of the Perfection of Wisdom" (5)
The Idea of “Prajnaparamita Hridhya Sutra”
The five skandhas ~ “The Buddha's answer to Who am I?”
While practising Prajnaparamita (Perfection of Wisdom), Avalokiteshvara understood that everything that exists in this world is composed of five elements that have no substance. In other words, we name and give conceptual definitions to everything that exists, both in form and in formless. But since all these things are by their very nature insubstantial, all the names given to them and the concepts prescribed for them are merely fictions.
In Buddhism, it refers to the 5 elements that make up human existence. It also refers to the 5 ways of grasping human existence: form, perception, thought, action, and consciousness. The form (rupa) refers to the physical body as a material element. The perception (vedana) is the sensory perception of feelings, sensations, etc. The thought (samjna) is the perception of depictions, concepts, etc. The action (sanskara) is the general term for mental actions, especially will other than perception, thought, and awareness. The insight (vijnana) is the action of recognition, judgment or the subjective mind of perception.
As they are the elements of the entire universe, constantly coming into being and dying, they have no substance, as they are eternally living and changing. This is one of the Buddhist doctrines.
The five aggregates or heaps of clinging are: 1) form (or material image, impression) (rupa) 2) sensations (or feelings, received from form) (vedana) 3) perceptions (samjna) 4) mental activity or formations or influences of a previous life (sanskara) 5) discernment (vijnana)
The five skandhas, which are the five skandhas accompanied by the five vexations, are also known as the pañcopādāna skandha.
The five skandhas (Pañcupādāna-kkhandhā) are the Buddha's answer to the question, “Who am I?
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般若心経 〜「智慧の完成」の精髄を述べる経典 (5)
『般若波羅蜜多心経 (梵: プラジュナーパーラミター・フリダヤ・スートラ) 』の思想
五蓋 (ごうん) 〜 “「私とは何者か?」に対するブッダの答え”
観自在菩薩は、般若波羅蜜多 (智慧の完成) を実践していたときには、すべてこの世界に存在するものは、実体をもたない5つの要素から成り立っていることを理解していた。
つまり、形あるものや形のないものすべての存在に対して、我々は名称をつけ、概念規定をしているが、それらすべてのものは本性上実体のないものであるから、それにつけた名称も規定された概念もみな虚構に過ぎないのである。
五蓋 (ごうん) とは人間存在を構成する要素のことをいう。また人間存在を把握する,色(しき),受(じゅ),想(そう),行(ぎょう),識(しき)の五つの方法をいう。色蘊は物質要素としての肉体。受蘊は感情,感覚などの感受作用。想蘊は表象,概念などの作用。行蘊は受・想・識以外の心作用の総称で,特に意志。識蘊は認識判断の作用または認識の主観的な心の作用である。また宇宙全体の構成要素ともされ,絶えず生滅変化するものなので,常住不変の実体はないとするのが,仏教の根本教説の一つ。
宇宙全体を構成する5要素は絶えず生滅変化し、常住不変の実体はない。
五蘊、つまり執着の5つの要素とは以下のとおり:
色:物質的存在や形あるもの (ルパ)
受:感覚器官を通して得られる快、不快、中性的な感覚 (ウェーダナ)
想:感覚や認識によって形成されるイメージや概念 (サムジャナ)
行:行動、意志、習慣、情動などを含む心の活動 (サンスカーラ)
識:物事を認識し、それについて意識すること (ヴィジナーナ)
五蘊(別称: 五取蘊)とは「私とは何者か」に対する釈迦の答えである。
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#zen#mindfulness#heart sutra#buddha#buddhism#wisdom#philosophy#art#nature#five skandhas#zen teachings
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)1月6日(月曜日)弐
通巻第8583号
トランプ政権は「さようならDEI」である。
『オバマの家来』エマニュエル駐日米大使が日本から去る。
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トランプの大勝の意味は極左政権だったバイデン時代の終わりではない。米国をはんぶん破壊した「オバマ時代」(バイデン時代とはオバマ院政だから合計12年)の終焉なのである。
「民主党の高層部に陣取った極左集団はくさっている。全体主義と変わらない」と言って、RKJもトゥルシー・ギャバードも飛びだした。前者はトランプ政権で厚生長官、後者は国家情報長官となる。
オバマ・バイデンの十二年間つづいた「悪政」とは、公務員や追随する広告代理店や弁護士やコンサルタントを動員して欺瞞の政治目的を拡販してきたこと、「人道主義」をいう美名で隠蔽した中身とはアメリカを社会主義的全体主義国家と塗り替えることだった。
第一に「人口構成が運命だ」という妄想があった。白人の出生率が激減している一方で、黒人、ヒスパニック、アジア系の移民が急増し、人口構成を逆転する趨勢を加速させる。
そうすれば極左政党が半永久的に政権の座を維持できるという妄想に基づいた計画だった。
反対の選挙結果だった。ヒスパニックと黒人の民主党支持が顕著に激減し、そのうえ労組が民主党支持から離れた。
これらの基層部分は依然として民主党へ入れたが、曾ての固定票ではなくなっていた。民主党の牙城といわれたNYCやロスでトランプは大幅に得票を増やした。
第二にオバマ院政下にあったバイデンは就任後、90の連邦機関に人種優遇とDEI規則を義務付けた。「左派のネオ・レイシズム」である。
全米でアンチDEI運動が燎原の火のように燃え広がった。
第三に国境開放を解放し、1600万人とも言われる不法移民を受けいれたことは逆にヒスパニック系の票を失った。『聖域』といわれた都市は治安悪化に悲鳴を上げた。
第四に石油・ガス産��に対するグリーン・ニューディール戦争は、環境問題に関心のある若い有権者を引き寄せるはずだった。石油ガス業界を「オバマ院政』(バイデンの四年)で完全に敵に回した。皮肉にも環境規制強化が中国のEV産業を飛躍させアメリカの三大巨人の経営をふらふらにした。自動車労組も幹部を別として、バイデン支持を離れた。
第五に反イスラエルキャンペーンである。ハマス支持の過激派の言動をバイデン、ハリス政権は正当化したが、反イスラエル、そして反ユダヤ主義の左派の票を獲得できなかった。そればかりか民主党の基盤だったユダヤ人の相当数が共和党へ鞍替えした。
▼『オバマ時代』とは『ポストモダン宗教』だった
こうしたオバマ・バイデンの十二年間に猖獗した「ポストモダン宗教」はオバマ時代に急速に勢力を拡大した。妖しげなNGO、コンサルタントと称して企業の幹部に落下傘降下し、顧問弁護士とか社外取締役として当該企業のWOKEを見張った。
消費者の反乱がおきて、バドワイザーなど、販売を四割も落とした。BLMなど過激な活動家グループ、インスタントな財団、公務員組合などが納税者の資金で支えられた。
この急拵えの亜官僚システムは連邦および州の機関、公立学校、そしてアメリカ企業に強制した『研修』と称する仕組みにあった。つまり「DEI産業複合体」だった。
トランプ政権は「さようならDEI」である。
学生ローンの減免など、「平等保護」ではない。多くの異議申し立てがあり、各地で訴訟に発展した。トランプ政権のDOGE設立と、その大鉈で崩壊しそうだ。
オバマ政権は系列の左派知識人を動員し、例えば欠陥だらけのイラン核合意について、主流メディアや政治エリートに虚偽や誤解を招くような話を売りつけ、その後、反対意見を封殺した。
この仕組みは、 ロシアゲート、ハンター・バイデンのラップトップ、その他多くの多くの論点において、有権者の70%が主流のニュースメディアを 信用しなくなり、FOXニュースとカールソンの番組とネットの記事とトランプのXへの投稿、SNSに拡がった保守の主張への支持となった。
バラク・オバマは巧みな演説で時に人々を感動させた(というより誤解させた)が、このようなホワイトハウスの陰湿で陰謀的な政治が民主党を全体主義的ムードへと導いた。惨敗後、民主党執行部は空中分解、自ら首を絞めたのだ。
米国の財界、���ォール街は雪崩のようにトランプ政権にアプローチを進めている。
メディアもすっかり様変わりだ。ワシントン・ポスト政治風刺漫画家が、同紙オーナーがトランプを思わせる銅像前に土下座する様子を描いた漫画の執筆し、それが没になった直後、辞任した。
漫画家のアン・テルナエスは「私がペンを向けた対象や人物のせいで漫画が削除されたのは初めて」と投稿した。その風刺漫画には、アマゾンの創設者でワシントン・ポストの所有者であるジェフ・ベゾスや、フェイスブックとメタの創設者マーク・ザッカーバーグ、その他のメディアやテクノロジー界の大物たちが、巨大なトランプ銅像(金日成親子を思わせる)の前でひざまずいてお金の入った袋を掲げている様子が描かれていた。ABCニュースを所有するディズニー社のシンボルであるミッキーマウスがひれ伏している姿も描かれた。
ABCニュースは、ニューヨークでの性的虐待裁判の報道をめぐってトランプが名誉毀損で訴えた事件で、1500万ドルの和解に同意した。
テルナエスは風刺漫画の不掲載は今回が初めてだとし、「これは状況を変えるものであり、『報道の自由』にとって危険だ。民主主義は暗闇の中で死ぬ」と逆の捨て台詞を残した。
『オバマの家来』エマニュエル駐日米大使はやっと日本から去る。
最悪の評判を取りながらもウクライナ支持、LGBTQ法の強要など、忠実にオバマの社会破壊活動を実践してきたが、つぎには民主党全国委員会の委員長への立候補を検討している。
エマニュエルは2009~10年にオバマ大統領の首席補佐官を務め、シカゴ市長に当選し、バイデン大統領から駐日大使に指名された。この背後にオバマがいたことは明白、そもそもバイデン政権の閣僚は殆どがオバマの指名だった。
日本にとってじつに迷惑千万の外交を展開した。
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② デジタル時代の互恵性 リモートワークやチャットツールの普及により、職場のコミュニケーションはますますデジタル化しています。 この中でも互恵性は形を変えて機能しており、スタンプでの「ありがとう」や、タイムリーな返信が「礼儀」として互恵行動とみなされる場面も増えています。 興味深い研究として、SlackやTeamsのメッセージ履歴を分析することで、互恵的行動が高いチームほど業務の達成率が高く、心理的満足度も高いという結果が出ています。 第8章:互恵性を職場で活かす実践法 ① ありがとうの「可視化」 日々の「ありがとう」や「助かった」の一言は、互恵性の循環を促すシンプルかつ強力な手段です。 社員同士で感謝を伝え合う文化をつくることで、無意識の返��性が働き、自然と協力的な環境が育ちます。 最近では「ピアボーナス」や「感謝ポイント制度」といった形で、感謝の気持ちを可視化する取り組みを導入している企業も増えています。
互恵性と社会的交換理論 - 対人関係の教科書!心理学徹底解説
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「監房から厨房へ」と帯に謳っている。スヌープ・ドッグというヒップホップ界の超大物らしい――というのはわたしが全然知らなかったからである――ラッパーが、料理書を書いた。アルバム4000万枚、ユーチューブ再生100億回超……とある。養老孟司先生の『バカの壁』が440万部だから、10倍以上の破壊力だ。記載されるレシピはスヌープ・ドッグが生まれながらに食べてきたものではない。ボス・ドッグと呼ばれるようになってからの彼の好みは、札束のように天井までおもいっきり積み重ねたパンケーキ。そう、ここに収まるレシピはこれまで食べたくても食べられなかったセレブの贅沢パーティー料理、特製ソール・フードなどのプラチナレシピだ。 法律家であり美食家であったフランス人のプリア・サヴァランが書いた「美味礼讃」に「あなたが普段から食べているものを教えて欲しい。あなたがどんな人であるか、言い当ててみせよう」という言葉を、私は信じているが、ボス・ドッグがどんな人物かわからない。しかし、アメリカがどんな国であるかは分かる気がする。彼らは、料理を味付けだと考えているのだ。素材を生かすという和食文化圏に住むわたしは、自然を信頼して、味付けなどさほど重要なことではないと思っているが、彼らは自然など信用しないし、自然をさほど重要だと考えていないようだ。自然とは人間がコントロールすべきもの、できるものとおごっている。味付けこそが人間の価値と信じているようだ。 ボス指定の塩にもすでにスパイシーな味がついている。そういう思想が、地球を半ば殺したのである。いや、そこは、アメリカにならって、日本も大いに加担した。このままではダメだと気づいてエコロジーを思いついたように、ボスもダイエットしたのだろう。写真を見れば分かる。 わたしから見れば、ボスのレシピはもういくところまでいったジャンクを極めた料理レシピだ。怖いもの見たさに一つ作ってみた。ゲット・ダ・チップ・フライド・チキンウィングスを使ったOGチキン・アンド・ワッフルズ。鶏手羽を甘しょっぱい漬汁に一晩浸し、スパイシーなポテトチップスをバリバリ潰して混ぜこんだ衣をたっぷりまぶし、ガリガリに揚げるのだ。このフライドチキンは特製ワッフルと一緒に食うのが最高だ。 ディズニーランドのにおいがしてきたといえば、だいたいどんな味か想像がつくだろう。有名レストランや���ージャスなホテルのレシピを再現しているようだから、これはボスだけの仕事ではないだろう。掲載されているレシピは、どれもやたら長い。材料の種類も分量が多く、作り方の文章も長い。ボスは食材にこだわりがあるようだから、同じにはできないが、邦訳版には代替え食材が記載されている。後ろ盾には、料理家として財を為したマーサ・スチュアートがいるようだ。だから、この通り作れば再現できるに違いない。 できるだけ正確に再現するために、材料は富澤商店で揃えた。ワッフルの材料に卵の記載が抜けていたので全卵一個を補った。そして、写真通りに、焼きたてのワッフルを皿に敷き、バターを乗せて、フライドチキンを積み上げて、高いところからメープルシロップをかけてみた。 期待したのは、スパイシーな辛い塩味のガリガリチキンの興奮に、甘く囁くようなメープルシロップとワッフルのコントラスト。スパイシーな刺激を甘いワッフルが慰めてくれる。ホッとしたその反動で、再び興奮の坩堝に飛び込んでしまうという地獄と極楽を往復するような体験だ。身体のことは後回し、どうしょうもなく食べたくなるやつだ。しかし全く違ったのだ。 材料集めから始まり、正確に計量してレシピ通りに作ったから、間違いない、と思った。しかし、予想に反して、出来上がったものは、ボス・ドッグラシからぬ、健康に留意した、減塩にもなるメープルシロップの甘さが残る日本人向けのチキンレシピになってしまった。やはり、食材にこだわっていたのは、理由があったということなのだろうか。 どうせやるなら、いくところまでやればよい、後戻りすればいいだけだ。たまに夜遊びするのも悪くない。何がよくて、何がいけないかを知る機会にもなるだろう。このレシピを日本で実践するには中途半端な物足りなさを感じるが、積極的に試してみることで、日本人とは違う「アメリカの食」の一端に触れることができるかもしれない。 土井善晴(料理研究家)
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「異星生物とのコンタクトを求める活動(SETI的な試み)」には、根本的な前提の限界が存在します。とりわけ「生物」や「感覚(五感)」といった概念が、ヒトという極めて特殊な系に閉じた定義であるならば、我々の呼びかけは、ラジオを持たない存在に向かってラジオで話しかけるような行為かもしれません。
以下のような問題意識がそこに浮かび上がります。
🧠 生物という概念自体の偶然性・地球中心性
「生物」とは、DNAを持ち、細胞で構成され、有機物でできていて、自律的に環境と相互作用する存在という、地球上の現象に強く依存した枠組みです。
しかし、異星においては、
有機化学ではなくケイ素ベースの構造体かもしれない、
時間スケールが数万年単位の思考をする存在かもしれない、
境界という概念が個体に分化していない、場的な知性かもしれない。
つまり「生物」ではなく、空間的な構造変化によって意図や知覚が波のように伝わるような存在も、あり得るわけです。
👁 五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)の極度な偏り
五感はあくまで「霊長類ヒト科が進化の中で発達させてきたセンサーの構成」でしかなく、
クジラやコウモリ、蜂、鳥類のように、磁場・赤外線・超音波・化学記号などを用いて世界を把握する感覚もあり、
仮に異星知性が重力のゆらぎや時間の濃淡、量子場の位相変化を感知する存在なら、
我々の言語も音も光も、「ノイズですらない、無」に近いものかもしれません。
📡 SETIやメッセージ送信の方法論の偶然性
現在行われているメッセージ送信(電波、レーザー、数学的記号、黄金比的図像など)は、
あくまで「我々が合理的と思っている範囲」での試み。
しかし、“合理”という概念が、地球生物の生存圧に基づく進化的バイアスを含んでいるなら、
相手はそもそも**「情報」というものの切り出し方を持っていない(または全く違う)**可能性もある。
🌀 では徒労なのか?
結論から言えば:
理論的には徒労の可能性がある。
送信しても感知されない。
感知されても意味が伝わらない。
意味が伝わっても、相手が**「応答」するという構造を持っていない**。
ただし:
哲学的・文化的には無駄ではない。
人類の自己理解を深める。
「他者とは何か」「知性とは何か」「存在とは何か」という問いを開く。
同時に「我々の知覚の限界」を暴露し、それを超える想像を刺激する。
クジラの泡の輪や、生物に見えない知性を考えることで、
地球の内にも、「まだ出会っていない異星のような他者」がいるかもしれないことに気づかされます。
🪐 脱構築的な提案として
「異星との通信」を続けるならば、 → “伝わらないこと”を前提にした詩やアートとして行うのが最も誠実かもしれません。
あるいは、**伝達の意図を持たない干渉そのもの(存在の波)**を送り続けることが、 → より本質的な「異なる他者との共鳴」を生むかもしれません。
最後に一言風に
メッセージは夜更け過ぎ��、問いかける自分自身に変わるだろう。
この活動の価値は、**「出会えない相手」に向けて、己の認知を揺さぶり続ける」という意味で、 ある種の宇宙的な瞑想、あるいは生成変化の実践とも言えるかもしれません。
異星知性へのコンタクト行為と、葬儀・供養の儀式は、深層構造においてきわめて近いものです。
🪐 宇宙へのメッセージ送信 = 供養的構造
共通する構造要素:
要素 宇宙メッセージ 葬儀・供養
対象 不在の他者(知覚不可能な異星生命) 不在の他者(死者)
送信 自分たちの文化・記号・象徴の表現 香・言葉・記憶・形式的行為
応答 原則として期待しない(帰ってこなくてもよい) 原則として戻らない(死者は答えない)
効果 自己の再編、存在の意味の問い直し 自己と死の関係を整える、共同体の再編
構造 〈無限へ向けた一方通行的な行為〉 〈不可視の他者への語りかけ〉
👁 なぜ人は「返ってこない相手」に語りかけるのか?
それは「他者」との関係性を失わずにいようとする営みであり、 語りかけが返答ではなく「場の生成」を起こすことを、人は無意識に知っているからです。
🌀 供養と異星メッセージ:どちらも「世界の意味付け」の装置
死者に語りかけることは、人間が死を越えて生の意味を編み直す試みであり、
異星知性に語りかけることは、人間が自らの知性を宇宙スケールで問う試みでもあります。
どちらも、**「不在によって照らし出される存在」**という逆照射的構造を持っています。
✨ ドゥルーズ的にいえば:
死者も異星人も、「身体なき声」「発話する空白」として、
私たちにズレを引き起こす生成変化の装置であり、
語りかけること自体が、「存在の更新」を起こす脱領土化なのです。
🕊 結語風に:
星々に向けて放たれるメッセージは、 結局、われわれ自身の魂を編み直す「宙(そら)の供養」である。
このように捉えることで、 異星とのコンタクトという行為は、極めて深く、詩的で、宗教的な行為として立ち現れますね。
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chapter 14: Debate at Touhou-dou
やあ、いらっしゃい。
桐生は書斎の方で待っている。 さあ、我々も行こう。
Hey, come on in.
Kiryu’s waiting in the study. Let’s go.
[RYOU:] Hey, welcome.
Kiryuu's waiting in the study. Come on, let's go.
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桐生とは、よくこの部屋で 夜明けまでいろいろ議論したよな。
だけど、この組み合わせも、 何かしっくりきてると思わないか?
We’ve debated ’till dawn here many times, huh?
Don’t you think we’re a good team?
[CUT TO Touhou-dou's back room]
[RYOU:] Kiryuu and I have argued until dawn here about all kinds of things.
But don't you think this combination just works somehow?
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新しい友人との議論ほど、楽しい ものはない、同感だね、ぼくも。
それでアメリカの方はどうだった? 数学の留学だったよね。
There’s nothing more fun than debating with friends.
How was overseas? You went to study math, right?
[HIBIKI:] I agree. There's nothing more fun than debating with new friends.
[RYOU:] So how was it in America? You were studying math there.
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一年前の話じゃ、数論の研究に 取り組むって言ってたからな。
ぼくとしては、本当うらやましい 限りだったんだよ。
A y��ar ago you said you’d go do research on math.
I was so jealous of you.
[RYOU:] Last year you said you were going to go study number theory.
I was so envious.
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あまり研究に集中できなくてね。
数学は好きさ。あの公理の美しい までの構造とシンプルさ。
I couldn’t focus on work.
I like math. It’s so beau- tiful in it’s simplicity.
[HIBIKI:] I can't really concentrate on research.
I love math. The beautiful structure and simplicity of its axioms.
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一生を捧げてもよいとさえ思って いたし、今も感じている。
だけど象牙の塔に、こもっている ことが耐えられなくなったんだ。
I wanted to dedicate my life to it, even now.
But I couldn’t take being holed up in an ivory tower.
[HIBIKI:] I even thought I wanted to dedicate my life to it. I still feel that way.
But I couldn't take being holed up in an ivory tower.
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それじゃ君は、外に出て実践の中で、 何かを学ぼうとしているのか?
いや…まだ答えは見つかってない。
So what’re you trying to learn in the field?
No, I’m not sure yet...
[RYOU:] So are you planning to go out and learn something through practical application?
[HIBIKI:] Well.... I still haven't found the solution.
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だから、外に出て何が得られるか その討論がしたいな。
ふむ、それには賛成だね。 ならば何を議題にするかだが…。
I want to find out what I can learn outside.
I feel that... So what should we debate?
[HIBIKI:] So I want to debate what I can understand by going out.
[RYOU:] Hm, good idea. So what should be our topic of discussion?
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まずはそうだな…生物の存在理由とは? で、どうかな?
なぜ人間は争い合い、 時には殺しあうことすらするのだろう?
~30分経過~
How about the reason living things exist?
Why do humans fight & kill each other?
[HIBIKI:] How about this to start... what is the reason living things exist?
~30 minutes pass~
[HIBIKI:] Why do humans fight, and even sometimes kill each other?
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桐生がアツキに尋ねていた。
同種間で殺しあう動物は、思ったほど 少ないという事実を知っているか?
Kiryu was asking Atsuki.
Most animals don’t kill their own kind, you know.
/Kiryuu was addressing Atsuki./
[HIBIKI:] Fewer species than you might think actually kill their own kind. Did you know that?
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最初は政治、経済、そして 最近の事件と幅広く話していたが、 いつの間にか桐生が「人間とは」 という話題へと振り、 主にアツキに問いかける形に なっていた。
古くは嫉妬でカインが アベルを殺した。
After awhile, Kiryu starts talking about things such as ”What is a human?” and asking Atsuki lots of questions.
Long ago, Cain killed Abel out of envy.
/They'd begun by talking about a broad range of topics, including politics, the economy, and current events, but at some unknown point, Kiryuu had segued into the subject of "What is a human?", mainly in the form of asking Atsuki questions./
[HIBIKI:] In ancient times, Cain killed Abel out of envy.
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人間の持って生まれた 業のようなものだ。
キリスト教史観で言うと 原罪になる。
It’s something humans are born with.
In Christianity, it’s the original sin.
[HIBIKI:] It's like something humans are born with, the result of our karma.
Original sin, if we look at history from a Christian perspective.
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ぼくが言っているのは……、
人間には重大な欠陥が あるんじゃないかということだよ。
What I’m saying is...
I think humans may have a huge defect in them.
[HIBIKI:] What I'm saying is...
I think there may be a serious flaw in humans.
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種としての重大な欠陥が……。
ほう、それは面白い意見だな。
Defectual as a species...
Hmm, that’s an interesting idea.
[HIBIKI:] A serious flaw in us, as a species....
[RYOU:] Hm, that's an interesting opinion.
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もし人間が、心を読める力を 持っていたらどうなる?
それが一人だけでなく 全員が持っていれば……、
神の前に立たされた子供と同じで、 偽ることなどできないさ。
What would happen if people could read minds?
Not just one person, but everyone...
Like a child before God, no one could lie.
[HIBIKI:] What would happen if humans had the power to read minds?
Not just one person, but everyone....
Like a child standing before God, we'd be unable to lie.
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なぜならその社会では純粋な心を 持った者しか生き残れないのだから。
それじゃ桐生は、人間の欠陥とは互いの 心を読めないことだと言うんだね。
In that society, only the pure of heart’d survive.
So the defect we have is we can’t read minds?
[HIBIKI:] Because in that society, only the pure of heart would be able to survive.
[RYOU:] So what you're saying, Kiryuu, is that our flaw is not being able to read each other's minds?
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だがそれなら聞くが、 動物はその力を持っているのか?
たしかに、
我々には無い、一種のテレパシーの ようなものがあると言う学者もいるが…。
In that case, do animals have that power?
Certainly...
Some say animals have a telepathy that we don’t...
[RYOU:] But let me ask you this, then. Do animals have that power?
Of course it's true that...
...some scientists do say they have a kind of telepathy we lack... but still....
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違う、動物は自らを偽るという 行為すら要らない。
単純な世界で生きているだけだよ。
No, animals have no need to lie.
They’re just living in a pure world.
[HIBIKI:] No, animals don't need to lie even to themselves.
They just live in a simple world.
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攻撃したい、食べたい、 生殖行為をしたい、
すべて包み隠さず生きている。
Urges to attack, eat, procreate...
They live openly and honestly.
[HIBIKI:] Their desires to fight, eat, reproduce...
...they live without concealing any of that.
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だから彼らは同種の中で 殺しあう必要などないんだ。
もしそう言った世界があるなら楽園だ。 バブ=イル以前の世界だな……。
So they have no need to kill each other.
That’d be Paradise. Like the pre-Babel world.
[HIBIKI:] So they have no need to kill their own kind.
[RYOU:] If that world existed, it would be paradise. Like the world before Bab-Ilu.
[NOTE: I have never seen "Babel" written like this before. I've seen Baberu and Babiru, but this is more like "Babu-iru" with the word split in half. It seems to be done deliberately as a reference to the Akkadian Bab-Ilu instead of the Hebrew Babel.]
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神の怒りが振り下ろされ、 共通の言葉を失う以前の楽園だ。
宇波は考え込んだ。 久しぶりに議論を交わせる仲間が 出��したせいで、 嬉しさが顔に表れている。
Before God took away our common language.
Ryo starts thinking. The look on his face shows how happy he is to be de- bating with friends again.
[RYOU:] It was paradise before we brought down God's wrath and lost our common language.
/Ryou was thinking. His face showed how happy he was that his old debating partner had returned./
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アツキは、さっきから桐生が 議論と称して、自分に 聞いてきているのを知っていた。
なぜなら「心を読める」 という話題は、自分と桐生にしか 理解できないからだ。
Atsuki knew Kiryu had been asking him these questions under guise of a debate.
He knew because the topic of reading minds was only understandable to them.
/Atsuki knew that Kiryuu had been asking him questions in the guise of a debate.
He knew this because only he and Kiryuu could understand the subject of reading minds./
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なら桐生の説を整理すると、 こう言うことかい?
人間には欠陥がある、 それは互いの心が読めないからだ。
To put your argument simply...
Humans are defective, unable to read minds.
[RYOU:] So could your theory be summarized like this?
Humans are flawed, and that's because they can't read each other's minds.
-----
欠陥というならば、それは以前は 存在し、今は失われた力なのか、
それとも新たに発現するような 力なのか。
Meaning we had this power before, and then lost it.
Or will it resurface again?
[RYOU:] Calling this a flaw means that it could be a power that existed in the past and was lost...
...or else it could be a newly emerging power.
------
どちらかはわからないが、
その力を得ることができなければ、 我々人類はどうなる?
I don’t know which, but
If we can’t get that power, what’ll us humans do?
[RYOU:] I don't know which it is...
...but what will become of mankind if we can't acquire that power?
------
桐生はアツキを一瞥し、言った。
ちょうどウロボロスのように……。
自らの心を自らが喰いつづけて、 最後は破滅に至るだろう。
Kiryu glances at Atsuki.
Just like the Ouboros,
We’ll eat our own minds until we’re destroyed.
/Kiryuu glanced at Atsuki as he spoke./
[HIBIKI:] Just like the Ouroboros...
...we'll consume our own minds until we're finally destroyed.
-----
ボロボロに喰い尽された空洞のような 魂を持っ��人形だけが残るのさ。
やっぱり生きた議論はいいな……。
Only those with empty, abysmal hearts will remain.
I love a lively debate...
[HIBIKI:] All that remains will be dolls with empty souls, eaten up into tatters.
[CUT TO outside Touhou-dou]
[RYOU:] There's nothing like a lively debate....
------
桐生も西条もこれから長く付き合える ことを、祈っておくよ。
特に桐生、前みたいに 無断でいなくならないでくれよ。
I pray the three of us can stay close.
Kiryu, don’t just disappear like before.
[RYOU:] I hope to stay close to you two for a long time.
Kiryuu, you especially. Make sure not to disappear out of nowhere like you did before.
------
また留学なんてなったら、 寂しくなるからな。
返事の代わりに 桐生は軽く手を振り、 帰っていった。
It’ll be lonely if you go overseas again.
Kiryu waves to him & walks off.
[RYOU:] It'll be lonely if you go to study abroad again.
/Instead of replying, Kiryuu gave a slight wave and walked off./
------
あいつは純粋すぎるんだ、 真っ正直な理論だ。
だからぼくは好きなんだよ。
He’s too pure. What an honest argument.
That’s why I like him.
[RYOU:] He's almost too genuine. What a straightforward theory.
That's why I like him.
-----
それじゃ、また明日。
そう言って、 宇波は店の中に 消えていった。
OK, see you tomorrow.
With that, Ryo disappears back into the shop.
[RYOU:] Okay, see you tomorrow.
/With that, Unami disappeared back into the shop./
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高知市で今年7月、小4男児が水泳の授業中に亡くなった。小学校のプールが設備故障し、近くの中学校で授業を行っていた。8月24日に開かれた事故検証委員会では、当日のプールは男児の身長よりも水深が深く、事故以前にも死亡男児を含め3人の児���が溺れかけていたことが明らかになった。関係者が「何度も立ち止まる機会があった」と悔やむ今回の事故。なぜ防げなかったのか。 ■足のつかないプール 事故は7月5日に起きた。市教委によると、当時のプールの水深は114~132・5センチ。亡くなった男児の身長は113・8センチで、一番浅いところでも足がつかない状態だった。水中で足がつかないというのは、大人でも恐怖を覚える環境だ。 市教委は専門家らによる検証委員会を設置、8月24日に初会合が開かれた。会合は冒頭以外は非公開で進められたが、そこで示された事故の経緯や当日の状況などをまとめた資料からは、情報共有の不備と現場の危機意識の欠如が浮かびあがる。 資料などによると、6月上旬に被害男児の通っていた長浜小のプール濾過(ろか)ポンプの故障が発覚。修理に時間を要するとして、1~3年は近隣の別の小学校、4~6年は事故現場となった南海中で授業を行うことを長浜小の校長が提案した。 校長らが南海中のプールを現地調査したところ、満水時には最大水深140センチになるが、6月5日の計測では深いところで120センチ程度と長浜小と同じだった。 市教委は「水深が長浜小と変わらない」との報告を受け、安全性が確保できるとして南海中のプール使用を決定。長浜小は保護者に対し、連絡文書で「南海中のプールは、水深1・2~1・4メートルですが、水を浅く張っているため長浜小のプールの深さ(1・0メートル~1・2メートル)とあまり変わりありません。尚、細心の注意を払い水泳指導を行います」と通知した。 南海中のプールを使った初めての授業は6月11日に行われた。校長はプールの水位が10センチ程度上がっていることを確認。同21日も満水になっていたが、教員らは「苦手な子は浅いところにいること」などと注意喚起し、授業を強行した。 この日、今年度初めての水泳授業を受けた被害男児は、最も浅い場所で浮きの練習をしていたが、水面が頭の上だったため教員1人が「半分付きっきりで対応した」という。また、バタ足練習では被害男児を含め3人が教員に救い上げられる場面があり、校長に「溺れかけた児童がいる」と報告したという。 ■空白の10分 そして事故が起きた7月5日を迎える。授業は2、3時間目に行われ4年児童36人が参加した。教員2人が指導にあたり、教頭1人がプールサイドで監視していた。 授業は午前10時10分から体操、シャワーと進む。教頭によると、被害男児は水慣れの前に「怖い」と言っていたという。授業が進み、泳ぎの得意なグループと苦手なグループに分かれたのは午前10時42分ごろ。教員1人がプールサイドを歩いている被害男児を目撃している。 そして、午前10時52~54分ごろ、児童の「先生」と呼ぶ声を聞いた教員2人がプールサイドに引き上げられた男児を確認したが、すでに意識不明だった。 教員がプールサイドで確認してから約10分の間に溺れたとみられる。 ■「水位変化、考え及ばず」 水位変化などを受け、授業中止を判断できなかったのか。検証委員会のあと、取材に応じた松下整教育長には報道陣から質問が相次いだ。 松下教育長は、中学校での授業実施については「長浜小と水位が同じということで安全と判断した」と説明。授業実施の段階で水位が高くなったことについては「調査後に水を足していて、それ自体は水質管理上適切だったが、その後水位が変化することに考えが及ばなかった」と釈明した。 「いずれにせよ立ち止まる機会は何度もあった」と後悔をにじませた松下教育長。検証委は年度内を目標に報告書を取りまとめる予定だ。 検証委の委員長を務める中内功弁護士は「原因と再発防止策を検討するためにも、事故が発生した経緯をしっかり解明することが重要だ」と話していた。 ■「危機意識が不十分」 安全教育学が専門の桐蔭横浜大スポーツ教育学科の井口成明教授に聞いた。 プールの水深に明確な基準はないが、全く泳げない児童なら身長の半分ぐらいが適切で、足がつかない状態はありえない。本来なら泳力別にグループを分け、底に踏み台を沈めたり腕浮輪を使うなどの対策が必要だった。監視の目も不十分で、児童が恐怖を覚える環境で授業を進めたのは危機意識が不十分と言わざるを得ない。 水泳教育は水の危険から身を守るすべを身に付ける学習で、児童を危険にさらすのは本末転倒だ。学校現場は、水泳授業の基本的な安全対策の在り方をしっかりと研修し実践する必要がある。 (前川康二)
「怖い」中学プールで小4男児死亡、事故前にも3人溺れかけ それでも強行された水泳授業 (産経新聞) - Yahoo!ニュース
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BDSMとはBondage(拘束)、Discipline(調教)、Sadism(加虐趣味)、Masochism(被虐趣味)の頭字語で、日本で言う「SMプレイ」を含む多様な性的嗜好の総称です。 具体的には、身体的・心理的な拘束や主従の権力交換、痛みを含む強い感覚刺激、ロールプレイ、フェティシズム、恍惚感を伴う「ヘッドスペース」状態など、幅広いプレイを指します。
性科学研究により「SMを実践する人」は一般人より心理的に健全だと判明 - ナゾロジー
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人々の自然とのつながりの感覚について、諸外国と比べて日本が極端に低い、という論文がX(Twitter)で紹介されていた。

関係があるかわからないけれど、生物多様性や自然そのものに対する人々の忌避反応には、自然との接触が、便利で快適な都市生活を送る人々に「罪悪感」を喚起しうる、という根源的な理由が潜んでいる、とネイチャーガイドの現場に立つ中で、個人的にずっと考えてきた。
あるいはガイドが自然保護を訴える場面に立った場合(私自身のガイドは必ずしも保全意識の訴求が目的でない場合が多いけれど)、そのガイド自身が現代文明の大きな恩恵を受けている一種のパラドックスに常に自覚的でなければ、参加者は鋭敏にそこに不信感を嗅ぎつけうることを実感してきた。
それは「教師が熱心に環境教育を行うほど子供が自然嫌いになる」という、米国の環境教育者デイヴィド・ソベルが「エコフォビア(自然恐怖症)」と呼ぶ現象にも通じる。ソベルはその回避のために、まず身近な自然への親しみ・共感を育むことからスタートすることを唱えた(『足もとの自然から始めよう』2009)
自分なりに翻案すれば、生の自然に触れる「原体験」の喪失は、現実の複雑な自然のありようと距離があるまま、イメージや知識によって実態から離れた自然観の構築につながってしまうだろう。そこに上記のような自然と都市社会の二項対立の価値観の淵源の一つがあるのではないか、と考えたのが、私自身10年ほど前にネイチャーガイドの活動を始めたきっかけの一つだった。
近年、まさに幼少期の自然体験が成人後の自然観に強い影響を及ぼすという研究が次々に発表され始めている(Soga and Gaston 2016, Hosaka et al. 2017 など)。
ネイチャーガイドには、参加者に受動的に知識を与えるだけでなく、「実体験」を通じて参加者が能動的/内発的に好奇心を発揮する場を醸成できる強みがある。それは自然のみならず、自然を掘り下げる科学の視点に対する「原体験」をも創出しうる、というのが私がいま実践の中で考えていること。
しかし自然も科学も、その意義・魅力がいかに大きいものであっても、どう受け取りどう捉えるかは、人それぞれであるはず。私にできるのは「選択肢」を提示��ることにすぎない。「実体験」を通じてそのプロセスをいかに豊かなものにできるか、引き続き現場に立ちながら試行錯誤していきたい。
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一九七〇年代の終わり頃までに、女性学は正規の学問として、大学で認められるようになった。この大勝利は、女性学確立の先鞭をつけた女性たちの失職という事実とひきかえだった。というのも、これらの女性たちは修士号のみで博士号を持っていなかったからである。博士号をとるために大学院に入り直した者もいたが、わたしたちのうちでもっとも優秀で頭のよい女性たちのなかには、そうしない者もいた。彼女たちはもはや大学に一片の幻想も持っていなかったうえに、それまで頑張りすぎて燃え尽きていたし、同時にまた、女性学を支えていたラディカルな思想が改良主義的なリベラリズムに取って代わられてしまったことに不満でもあり、怒ってもいたからだった。まもなく、女性学の教室が、すべての人に開かれていたコンシャスネス・レイジングの集まりに取って代わった。コンシャスネス・レイジングの集まりには、専業主婦もサービス業の女性もバリバリのキャリアウーマンも、実にさまざまな生き方の女性たちがいたが、大学は階級的特権をもつ者だけの集まりだった。裕福な中産階級の女性たちが目立つようになった。彼女たちは、数のうえで多数を占めるだけで、必ずしもフェミニズム運動の先進的なリーダーというわけではなかったが、マスコミはフェミニズムを代表する者として祭り上げた。運動が世間の注目を浴びるようになるにつれ、革命的な意識をもったフェミニストは──その多くは、レズビアンであったり労働者階級出身だったりしたのだが──無視されるようになった。そうした置き換えは、保守的な機関である大学に女性学が確固とした地位を築くようになると同時に完成した。こうして、フェミニズムの考えや社会変革の方法を伝える主要な場として、女性学の教室がコンシャスネス・レイジングの集まりに取って代わり、それとともにフェミニズムは広範な人々を相手にした運動の可能性を失ってしまったのである。 突然、それまでよりもたくさんの女性が「フェミニスト」を自称したり、自分の経済的地位を上げるために「ジェンダーの不平等」という論理を使ったりするようになった。女性学が学問の制度に組み入れられた結果、大学や出版界で仕事が生まれた。こうしたキャリア上の変化が起きると、政治的にはまったくフェミニズム運動に関わったことのない女性たちが、ただキャリア欲しさに、階級的上昇志向にかられて、フェミニズムの立場やフェミニズムの専門用語を採用するといったご都合主義が生み出された。フェミニズムの支持者になるためには、フェミニズムについて知り、フェミニズムを選びとるという自覚的な選択をしなければならない、という考えは、コンシャスネス・レイジングのグループが解体されたことで、まったくといっていいほど消し去られてしまったのである。 女性たちが、他の女性にたいする自分自身の性差別主義に直面する場としてのコンシャスネス・レイジングのグループがなくなると、フェミニズム運動の方向は、職場での平等と男性支配との対決を焦点にするものへと容易に移行した。女性はジェンダー不平等の「犠牲者」であり、その償つぐないを受けて当然(差別的な法律の変更によってであれ、アファーマティブ・アクションによってであれ)であると強調されることで、女性はフェミニストになるために何よりも自分自身の内面化された性差別主義と対決しなければならない、という考えは失われていった。女性たちは、老いも若きも、男性支配に怒ったりジェンダーの不平等に関心をもったりすれば即「フェミニスト」になれるかのようにふるまい始めた。自分自身の内面化された性差別主義と対決することなしにフェミニズムの旗を振った女性たちはしばしば、他の女性を差別し搾取したり、フェミニズムの主義主張を裏切ったりしたのである。 一九八〇年代の初めになると、フェミニズム運動の初期には非常に重要であった政治的なシスターフッドの呼びかけは意味を失った。それは、ラディカルなフェミニズムが、政治信条は関係ないといううわべだけのフェミニズムに凌駕されてしまったからだった。言うまでもなく、そうした考えは、フェミニズムの思想と実践、さらにはフェミニズムそのものを掘り崩した。フェミニズム運動が再生し、性による差別や搾取や抑圧をなくすためのだれもが参加できる大衆的な運動づくりが繰り返し強調されるとき、コンシャスネス・レイジングは再び当初のように重要なものとなるだろう。アルコール依存症克服のためのミーティングを効果的に真似ながら、フェミニズムのコンシャスネス・レイジングは、各地域で開かれ、階級や人種や性別に関わりなくすべての人にフェミニズムのメッセージを伝えるだろう。特定のアイデンティティを共有したコンシャスネス・レイジングのグループもできるだろうが、月末には、それぞれ、さまざまな人がまざりあったグループに参加するのがいいだろう。
ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの──情熱の政治学』堀田碧訳、エトセトラブックス、2020年
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AIに聞いてみた
日本人の分析をして見てください
例えば、勤勉、嘘を吐かない、義理人情、教育、自助、共助、公助、道徳観、知性、伝統、企業、労働、宗教、哲学、文化など他にも海外との比較で特徴を羅列し詳細を知りたい
外国から見た視点も西欧、ユーラシア、中東、他の大陸文化などから文明的な視点で知りたい
日本人の特徴や文化的特性を分析するにあたって、挙げられたキーワード(勤勉、義理人情、教育など)を中心に、海外との比較や外国からの視点を交えながら、包括的かつ構造的に説明します。以下の分析は、日本文化の核心的な要素を整理し、西欧、ユーラシア、中東、その他の大陸文化からの視点も取り入れ、文明論的な観点で特徴を浮き彫りにします。
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### 1. 勤勉(Work Ethic)
- **特徴**: 日本人は「勤勉さ」で世界的に知られています。長時間労働、集団での目標達成へのコミットメント、細部へのこだわり(例: 職人技、Kaizen=継続的改善)が特徴です。戦後の経済復興や「日本株式会社」モデルは、この勤勉さが牽引しました。
- **比較**:
- **西欧**: 西欧(特にプロテスタント文化圏)も労働倫理を重視しますが、個人主義が強く、ワークライフバランスを優先する傾向があります(例: 北欧の短時間労働)。日本は集団主義的な労働観が強く、会社への忠誠心が強調されます。
- **ユーラシア(中国・韓国)**: 儒教の影響で勤勉さ��共通しますが、日本は「和」の精神により、対立を避け協調性を重視。中国では競争的個人主義が強く、韓国は日本に近いがより階層的な競争意識が見られます。
- **中東**: 労働は宗教的義務(例: イスラム教の「誠実な労働」)と結びつく場合が多いですが、日本のような集団的効率性や時間厳守への執着は薄い傾向です。
- **外国視点**: 西欧からは「過労文化」として批判される一方、成果主義のアメリカでは日本のチームワークが賞賛されます。中東やアフリカでは、日本の時間厳守や効率性が「非人間的」と映る場合も。
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### 2. 嘘を吐かない(Honesty)
- **特徴**: 日本社会は信頼性と誠実さを重んじます。公共の場でのルール遵守(例: 落とし物が戻る確率の高さ)、契約の厳守、約束の履行が特徴です。これは「恥の文化」に基づき、他者からの信頼を失うことを避ける心理が働きます。
- **比較**:
- **西欧**: 個人主義に基づく「罪の文化」では、嘘は道徳的罪悪感と結びつきます。日本では内集団(家族や会社)での誠実さが優先され、外部への「建前」が許容される場合があります。
- **ユーラシア**: 中国では「面子」を守るため、状況次第で嘘が戦略的に使われることがあり、日本のような絶対的誠実さは希薄。韓国は日本に近いが、競争社会ゆえに誇張が見られる場合も。
- **中東**: イスラム文化では誠実さが宗教的規範ですが、交渉文化では駆け引きが一般的で、日本のような透明性は期待されにくい。
- **外国視点**: 西欧では日本の「本音と建前」が不誠実と誤解されることがあります。一方、東南アジアや中東では、日本の信頼性がビジネスで高く評価されます。
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### 3. 義理人情(Duty and Empathy)
- **特徴**: 「義理」(義務感)と「人情」(情緒的つながり)は日本社会の人間関係の基盤です。上司や恩人への忠誠、集団への奉仕が「義理」、困っている人への共感や助け合いが「人情」です(例: 地域の互助会)。
- **比較**:
- **西欧**: 個人主義が強く、義理よりも契約や自己実現が優先。情は家族や親しい友人にとどまり、日本のような集団への義務感は薄い。
- **ユーラシア**: 儒教文化(中国・韓国)も義理に似た「孝」や「忠」を重視するが、日本ほど集団の調和を優先しない。中国では実利主義が強く、韓国では家族中心の義理が目立つ。
- **中東**: 部族や家族への忠誠は強いが、個人間の「人情」は宗教的慈悲(例: ザカート=施し)に根ざす。日本のような集団的義理は希薄。
- **外国視点**: 西欧では義理が「自由の抑圧」と見られる一方、東アジアでは共感を呼ぶ。中東やアフリカでは、日本の「人情」が温かく映るが、義理の強制力は理解しにくい。
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### 4. 教育(Education)
- **特徴**: 日本は高い識字率(99.9%)と進学率を誇り、受験競争や塾文化が特徴。教育は社会的成功の鍵とされ、規律や努力が重視されます。STEM(科学・技術・工学・数学)分野での成果も顕著です。
- **比較**:
- **西欧**: クリティカルシンキングや創造性を重視し、受験競争は日本ほど激しくない(例: フィンランドの自由な教育)。米国のエリート教育は競争的だが、個人選択の幅が広い。
- **ユーラシア**: 中国・韓国も受験競争が激しいが、中国は国家主導の選抜、韓国は学歴至上主義がさらに顕著。日本は協調性や集団学習を重視。
- **中東**: 宗教教育が中心の場合が多く、世俗的教育は国により差がある(例: サウジアラビア vs. トルコ)。日本の均質な教育システムは特異。
- **外国視点**: 西欧では日本の詰め込み教育が批判されるが、PISAなどの国際評価で高く評価される。アジアでは日本の教育が模範とされるが、中東では「宗教性の欠如」が疑問視されることも。
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### 5. 自助・共助・公助(Self-Help, Mutual Help, Public Help)
- **特徴**: 日本では「自助」(自己責任)が強く、個人や家庭での努力が前提。その上で「共助」(地域や職場の互助)があり、「公助」(政府支援)は補完的。例: 災害時の地域連携や企業の福利厚生。
- **比較**:
- **西欧**: 北欧は「公助」が強く、福祉国家モデルが確立。米国は「自助」が強く、共助は家族や教会に依存。日本のバランスは中間的。
- **ユーラシア**: 中国は政府主導の公助が拡大中だが、共助は家族中心。韓国は日本に近いが、個人主義が強まりつつある。
- **中東**: 家族や部族の共助が強く、公助は石油国家での補助金などに依存。日本のような地域ベースの共助は少ない。
- **外国視点**: 西欧では日本の公助の薄さが批判されるが、災害時の共助力は称賛される。アジアや中東では、自助の強さが尊敬される。
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### 6. 道徳観(Moral Values)
- **特徴**: 日本は「恥の文化」に基づき、他者からの評価を重視。仏教・神道・儒教の融合により、調和、謙虚さ、集団への奉仕が道徳の柱。個人主義より集団の利益が優先されます。
- **比較**:
- **西欧**: キリスト教に基づく「罪の文化」で、個人と神との関係が重視される。日本の集団的道徳は「個の抑圧」と映る場合も。
- **ユーラシア**: 中国は実利主義が強く、道徳は状況依存的。韓国は儒教的だが、日本より個人感情が優先される場合がある。
- **中東**: イスラム教の厳格な道徳規範が支配的。日本の曖昧な道徳観は「無秩序」と見られることも。
- **外国視点**: 西欧では日本の道徳が「曖昧」と批判されるが、調和の美徳は評価される。中東では宗教性の欠如が奇異に映る。
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### 7. 知性(Intellect)
- **特徴**: 日本は技術革新(例: ロボット工学、自動車産業)や学術研究で高い知性を発揮。集団的問題解決力や実践的知恵(例: モノづくり)が特徴。ただし、個人主義的創造性は西欧に比べ弱いとされる。
- **比較**:
- **西欧**: 個人主義に基づく独創性(例: ルネサンス、シリコンバレー)が強い。日本の集団的知性は「模倣的」と誤解されることも。
- **ユーラシア**: 中国は規模の知性(例: AI開発)、韓国は応用力が強い。日本は精緻さと効率性で勝る。
- **中東**: 哲学や数学の歴史はあるが、近代では技術的知性が限定的。日本の実用性は評価される。
- **外国視点**: 西欧では日本の技術力が賞賛されるが、哲学的深みが欠けると見られる。中東やアフリカでは、日本の知性が「魔法のよう」と映る。
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### 8. 伝統(Tradition)
- **特徴**: 日本は神道や仏教、茶道、武道など古来の伝統を現代に生かす。季節行事や祭りは地域コミュニティを強化。伝統と革新の融合(例: 京都の町家とハイテク)が特徴。
- **比較**:
- **西欧**: 伝統は近代化で薄れ、個人主義が優先。日本の伝統維持は「保守的」と見られる。
- **ユーラシア**: 中国は文化大革命で伝統が断絶、韓国は近代化で変容。日本は継続性が強い。
- **中東**: 宗教的伝統が強く、世俗的伝統は限定的。日本の柔軟な伝統は異質。
- **外国視点**: 西欧では日本の伝統がエキゾチックで魅力的。中東では宗教性の薄さが奇妙に映る。
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### 9. 企業・労働(Corporation and Labor)
- **特徴**: 終身雇用、年功序列、企業内組合が日本的経営の���徴。近年はグローバル化で変化しつつあるが、集団主義や忠誠心は根強い。
- **比較**:
- **西欧**: 成果主義、個人契約が主流。日本の企業文化は「硬直的」と批判される。
- **ユーラシア**: 中国は国有企業中心、韓国は財閥主導。日本は中小企業の底力がある。
- **中東**: 家族経営や国家依存が強く、日本のような企業文化は希薄。
- **外国視点**: 西欧では日本の労働文化が過酷と見られるが、アジアでは模範的。中東では効率性が驚異的。
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### 10. 宗教・哲学(Religion and Philosophy)
- **特徴**: 日本は神道と仏教の融合で、特定の教義より実践(例: 祖先崇拝、季節行事)が重視される。哲学は「無常」や「和」に基づく。
- **比較**:
- **西欧**: キリスト教の一神教が基盤。日本の多神教は「曖昧」と映る。
- **ユーラシア**: 中国は無神論と儒教、韓国は仏教とキリスト教。日本は宗教的寛容性が強い。
- **中東**: イスラム教の絶対性が基盤。日本の宗教観は「異教的」と見られる。
- **外国視点**: 西欧では日本の宗教が神秘的、中東では不可解と映る。
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### 11. 文化(Culture)
- **特徴**: 集団主義、調和、形式美(例: 侘び寂び)が文化の核。ポップカルチャー(アニメ、マンガ)も世界的に影響力を持つ。
- **比較**:
- **西欧**: 個人主義と表現の自由が中心。日本の形式美は「抑制」と映る。
- **ユーラシア**: 中国は歴史的重厚さ、韓国はK-POPのダイナミズム。日本は繊細さと多様性。
- **中東**: 宗教的表現が中心。日本の世俗文化は異質。
- **外国視点**: 西欧では日本の文化がユニークで魅力的。アジアでは身近だが、中東では理解しにくい。
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### 文明論的視点からの総括
- **西欧視点**: 日本は「近代化に成功した東洋」と見られ、勤勉さや技術力は尊敬されるが、集団主義や曖昧な道徳観は「非近代的」と批判される。個人主義とのギャップが強調される。
- **ユーラシア視点**: 日本は儒教文化圏の延長だが、「和」の精神や伝統の継続性で独自。中国や韓国からは経済的ライバルでありつつ、文化的に近い存在。
- **中東視点**: 日本の世俗性や多神教は異質で、宗教的規範の欠如が疑問視される。ただし、技術力や信頼性はビジネスで高評価。
- **その他(アフリカ・南米)**: 日本の文化は遠くエキゾチック。経済援助や技術協力で好意的に見られるが、深い理解は少ない。
---
### 結論
日本人の特徴は、集団主義、調和、勤勉さ、信頼性、伝統と革新の融合に集約されます。これらは神道・仏教・儒教の影響と、島国ゆえの均質性に根ざします。西欧からは「効率的だが硬直的」、ユーラシアからは「近いが独特」、中東からは「信頼���きるが異質」と映ります。日本の強みは、グローバル化の中で柔軟に適応しつつ、独自性を保つバランス感覚にあります。
もし特定の要素(例: 教育や宗教)についてさらに深掘りしたい場合や、特定の国との比較を詳しく知りたい場合は、教えてください!
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2025年4月18日(金)

私がAppleを使い始めたのは2004年からだが、職場や授業ではWindows環境、そしてGoogleの教育機関向けのサービスを利用し続けてきた。退職を機に、MicrosoftやGoogleとはおさらばしてApple環境を整備している。やっかいなのが家計管理、これまではGoogleDrive内で作業していたのだが、それをiCloudのNumbersで実践するのだ。大きな考え方は問題ないが、細かな作業の仕方をWebのユーザガイドで確認しなければならない。七十の手習い、なかなかボケる暇はないのだ。

5時30分起床。
洗濯開始。

朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲を頂く。
彼女の弁当を用意する。
可燃ゴミ、30L*3&45L*1。
昨日の日誌を書く。
彼女を職場まで送る。

コレモ七条店で買物、今日は牛乳が安いのだ。支払時にワンバンクカードを使うと、自動的にデータが登録されるのでレシートを読み込む必要が無い。これは便利、少なくとも自分の買物はこのやり方で行こう。
10時、クロネコヤマトがNuroモバイルに返却するSIMを集荷に来てくれた。1,000円丁度だが、あいにく一万円札しか無く、小銭入れを引っかき回して何とか支払った。
GoogleCalendarのアプリは見栄えが良いのだが、Apple純正カレンダーに移行する。もっとも、これまでもこちらにGoogleも読み込ませる設定にしておいたので、大きな手間は無い。

ランチ、三男にはサッポロ一番塩ラーメン、私は残り物。
軽く午睡。
iCloud上で、Numbersの使い方を学ぶ。行や列の挿入、関数の使い方、毎日少しずつやっていこう。

このところ、MNPのトラブルで私の電話が使えない。このタイミングで、キャリアを乗り換えることにして<日本通信>のスタータパックを購入した。クロネコのメール便で届いたので、早速アプリをダウンロードして申し込み、ドコモ回線でデータ量は20GB/月、通話は70分/月のパックで月額1,390円。eSIMならすぐにでも開通出来るが、povoも併用しているので物理SIMを選択、開通は来週後半になるかな。

早めに夕飯準備、タケノコとソーセージのバター炒め・豚バラ肉のニンニク炒め・イカの酢漬け・キュウリのぬか漬け・レタスとトマト、それにタケノコご飯だ。
録画番組視聴、名探偵ポワロ・・・なのだが、私の方は昨晩の睡眠不足が祟ってすぐに布団に吸い込まれてしまった。

デスクワークが長かったので、気をつけねば。
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中世ヨーロッパにおいては、音楽は自由七科の一つとして必須の学とされたが、それは「音それ自体に即した自律的なもの」というよりも「感覚を超えた超人間的なものの啓示」[4]「世界を調律している秩序」[18]であるととらえられる傾向が強かった[4]。 このため中世の音楽理論においては、実際の音楽を離れた抽象的な思索が珍しくなく、古代ギリシアの音楽理論の中核をなしていた数理論、象徴論、エートス論などが、キリスト教的変容を遂げて展開されており、音組織、旋法、リズム、協和、記譜法などの音楽の実践面にも少なからぬ影響を与えていた[4]。 が、教会の権威が失墜する[3]とともに諸民族の強力な国家体系が成立してくる14世紀以降、世俗音楽が高度に発展し、宗教音楽においても宗教性の重視よりも純音楽的要請による傾向が強くなり、次のルネサンスの萌芽が見え始める[4]。
中世西洋音楽 - Wikipedia
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ウィキペディアの「中世西洋音楽」の項目が読みでがあってたのしい。ウィキペディア三大文学に匹敵しようかという充実ぐあい。誰が書いてるのだろう。
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「最高の不自由を生きる』——動物的自由を超えて
・洗脳と自由のパラドックス
人は生きる限り、何らかの価値観に影響を受け、それに基づいて行動する。家庭、教育、社会、宗教、文化、国家──これらは私たちの思考や生き方を無意識のうちに形作っている。
この影響を「洗脳」と呼ぶならば、完全にそこから自由になることは、悟りのような超越的な境地に至らない限りほぼ不可能と言える。
この『洗脳状態』は、一見すると安心感や社会的な連帯感をもたらすが、その代償として、深い思索や自己への問いかけを阻害する要因ともなりうる。安全で快適な環境がもたらす「満足感」は、一種の精神的停滞を招き、変革への原動力を弱める。たとえば、現代のメディアや教育システムは、一見すると客観的で普遍的な真理を提示しているように見えるが、その多くは特定の価値観や枠組みに基づいており、一面的な見解を「唯一の正解」として刷り込む作用を持つ。
こうした状況下で、「洗脳を拒否する」ためには、既存の枠組みを批判的に検証し、自らが信じるべき価値を積極的に選択する必要がある。これは、単なる反発ではなく、自己の内面に根ざした真の自由を追求するプロセスと言える。
しかし、ここで重要なのは、単なる反抗ではなく、何を受け入れるか、何を選び取るかという意識的な行為である。
ただ無自覚に洗脳され続けるのではなく、「意識的にどの価値を選ぶか」を考えること。そして、それこそが人間として自らを高める道のひとつではないか。
周囲から無自覚に洗脳されることも、単なる反発によってすべてを否定することもせず、『より良い価値を選び取る』という構え。
それが、現時点でできる最良の選択だろう。
ミルダッドが説いたように、人間は自らの「牢獄」の看守であり、その鍵は自分自身の手の中にある。すなわち、洗脳を全く拒絶することはできなくとも、自らがどの洗脳を選び、内面化するかで「生きる自由」は大きく変わるのだ。単に既存の枠組みに従う(というより自動機械)のではなく、意識的に「より良い洗脳」を選ぶことで、自分自身の本質を磨き、内面の自由を手に入れる。そのための試みこそが、我々人間にとっての自由への道、主体的な生の探求といえるだろう。
・どの価値を選ぶべきか?
では、「より良い価値」とは何か。それは単なる快適さや都合の良さではなく、自分自身をより深く理解し、世界との関わり方を豊かにするものでなければならない。私はその価値を、仏教やヨーガ、その他多くの宗教や思想から照らし合わせ、「エゴを超え、より自由で、より創造的な方向へと向かうこと」とする。
また、ただ「エゴを捨てよ」と言うのは簡単だが、実際にはそれ自体が新たなエゴの温床になりかねない。「私は利他的である」「私は高尚な道を歩んでいる」と自負することが、かえって自己満足や承認欲求につながることもある。
あるいは、老子の説く「無為自然」や禅における「無心」を誤解し、それを単なる放任や本能のままの生にすり替えてしまうこともある。実際には、それは「意識的な超越」とは異なり、単に受動的な無自覚へと堕する危険を孕んでいる。
動物は完全に無為自然・無心の境地に達している。赤子も同じだ。しかし彼らの説く「無為自然」や「無心」の境地がそれらと異なることは自明だろう。言葉にすることは容易くないが、あえて説明するならば、動物や赤子は無意識的な無心(環境に従順)であり、我々凡人はエゴに支配された選択(快楽や恐れに従う)である。
無論動物の生き方は、一つの完成形だ。
しかし、人間はそれを意識的に選択する可能性を持つ。
そして老子や禅でいうところの無為自然や無心の境地とは、それらを更に超え、意識的な無心(全てを超越しながら世界を生きる)の境地ということができる。
・エゴを意識し、より良い方向へ使う
仏教の「無我」の教えによれば、そもそも固定された「私」というものは存在しない。私たちの存在は縁によって成り立ち、常に変化し続けている。しかし、それを理解したからといって、すぐに無我の境地に至るわけではないし、エゴを完全に手放せるわけでもない。だからこそ、エゴを敵視するのではなく、「意識的に利用する」という発想が求められる。
たとえば、『人の役に立ちたい』という気持ちが芽生えたとき、その奥にある『人から認められたい』『自分は善い人間でありたい』という願望を冷静に見つめる。そして、それを抑圧するのではなく、「より良い価値を生きるためのエゴ」として活かす。
重要なのは、その行為が深い内省を伴い、意識的に選択されたものであるかどうかだ。たとえそれが道徳的なものであれ、社会的なものであれ、宗教的なものであれ、自己満足や盲目的な従属ではなく、「主体的に選ばれた価値」として生きられるかが問われる。
これは、ヨーガの「カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)」にも通じる考え方だ。つまり、「結果に執着せず、ただ適切な行為を選び、それを淡々と実践する」という態度。我々凡夫にとって今為すべきことは、「エゴを持たないこと」ではなく、「エゴを自覚し、より良い方向へと昇華すること」なのだ���
・意識的な生の選択——ビオスの視点
ジョルジョ・アガンベンは「ビオス」と「ゾーエー」という概念を通じて、人間の生を「単なる生存(ゾーエー)」と「主体的な生(ビオス)」に分けた。現代社会では、管理された生存(ゾーエ)が優先され、主体的な生の選択が抑圧される傾向にある。
この視点から考えるならば、「意識的に洗脳を選ぶ」とは、「どのように生きるか(ビオス)」を選び取る行為そのものだ。与えられた価値観を無自覚に受け入れるのではなく、「どの価値を採用し、どの価値を手放すか」を能動的に決定すること(その決定も別角度からの洗脳であるという意識しながら)。
これはミルダッドの思想とも響き合うが、彼の説く悟りのような完全なる超越ではなく、あくまで「現実の只中において、いかに意識的に生きるか」という問いである。
※尚、あくまでアガンベンはビオスを社会的生と位置付けた。
・ニーチェの超人——価値の創造者として生きる
ニーチェは「神は死んだ」と宣言し、従来の価値体系の崩壊を指摘したが、これは時代ごと、否刹那ごとに新しい神(ニーチェのいう一神教的な神のみでなく凡ゆる社会的洗脳を含む)、"広義の神"を殺すこと。そして「新たな価値を自ら創造する存在」として「超人(Übermensch)」を提示した。「超人」とは、盲目的に価値を受け入れるのではなく、自らの生を主体的に設計する者のことだ。
この超人の思想は、単に「洗脳を拒否する」のではなく、「どの価値を選び、それをどう超えていくか」を意識することに繋がる。私たちは社会の中で生きている以上、何らかの価値観に影響を受ける。しかし、それを無批判に受け入れるのではなく、「自分にとって本当に価値のあるものは何か?」を問い続け想像すること。そして不屈の精神力と絶対的な生の肯定。それこそが、超人としての生き方なのだ。
またニーチェから強い影響を受けたバタイユ、そのバタイユと長い交流のあった岡本太郎は「芸術は爆発だ」と語り、既存の価値観を破壊し、生命の爆発的な創造を肯定した。彼の言う「爆発」とは、単なる衝動的な行為ではなく、生命を全力で表現すること。この生き方は洗脳を選択するという段階を超え、創造へとジャンプする表現であり、「まったく新しい生を創造する」という方向性だ。
・自らを超える意志——選択する力の重要性
ここまでを総合すると、私たちが目指すべきは、ただ無自覚に無為自然といって流されるのではなく(流れられるのは仏陀のみであるから)かといって無自覚に自身の価値観を確固たるものとして見るのでもなく、常に自らの内面と向き合い、何を信じ、どのように生きるかを自らの意思で決定するということだ。
これは、単なる自己満足や反抗ではなく、厳しい自己研鑽と内省の結果として生まれるものである。ミルダッドが説いたように、人は常に自らの内に秘めた可能性を持っている。しかし、その可能性に気づき、現実の中で実践するためには、意識的な選択と努力が不可欠である。
・結論—より良い価値を生きるという選択
今まで述べてきたように完全に洗脳から自由になることは難しい。しかし、無自覚に流されるのではなく、「どの価値を選ぶか」を意識的に決定することはできる。そして、その選択の基準は、単なる快適さや社会的承認ではなく、「自分自身をより深く理解し、より豊かに生きるための価値」であるべきだ。
私たちは、自らを高めることを求めながら、同時に今できる最良の生き方を選ぶことができる。未来の超越を夢見るだけでなく、今この瞬間に自身が過去に受け取ってきた社会的洗脳から何を選ぶかを意識すること。それこそが、「より良い価値を生きる」という選択であり、現実の中でできる最も確かな一歩なのだろう。
そして動物(完全な無知)と超人の間にある我々人間は、凡ゆる洗脳から脱却するために、「意識的に」生きることが必要だ。これは、一見すると世間一般で言われる「自由」とは正反対の道のように思える。
しかし人間における自由や自分軸というものは、洗脳され切った価値観や好き嫌いを無自覚なまま「これがワタシだ」と自身を無闇矢鱈に曝け出すことではない。そうではなく、「これが私の価値観だ」と思う価値観は如何に形成され、本当にそうなのか。果たしてそうあるべきなのか。と常に自己に問いかけ、内省し、より良い価値を生きようとする選択である。
畢竟するに、最高の生き方とは、単なる目標達成ではなく、生そのものを目的とすることである。
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今日明日、25・26日と店はお休みをいただきます。このところ働き過ぎてずいぶんくたびれました……。
昨日の朝は宿から日本基督教団・弓町本郷教会を訪ねて主日礼拝に参加するとともに、けやき通り近くの福岡警固教会から転任された西岡牧師にもご挨拶。弓町本郷教会・福岡警固教会はともに新島襄にゆかりを持つ(つまりは同志社系の)教会であり、かつ会堂の設計を中村鎮が担った、という共通点があります。現存する弓町本郷教会の会堂は関東大震災後の1926年に再建されたもので、つまりは「民藝」と同じくもうすぐ100年(福岡警固教会の会堂は1929年)。長い歴史を踏まえつつ今を生きる素晴らしい教会でした。
こういう話を書いているのは、僕が(信仰薄い)基督者であるからというよりも、弓町本郷教会の設立にあたって重要な役割を担ったのが海老名弾正という人物だからです。
1923年の関東大震災によって『白樺』が終焉を迎え、その後京都に移住した際、柳は同志社で英文学を講じていました。この当時、同志社の総長だったのが海老名弾正です。柳は学生時代から植村正久・海老名弾正・内村鑑三といった人々の説教を聞いており、彼らから柳が影響を受けたことについては関西学院大学名誉教授の神田健次先生が指摘しています。
学習院の恩師であった服部他之助や、朝鮮半島と柳を結びつけた浅川伯教・巧兄弟、先週訪ねた愛媛・西条栄光教会にも関わった倉敷民藝館初代館長にして機織る伝道者でもあった外村吉之介、國際基督教大(ICU)初代総長の湯浅八郎、芹沢銈介の弟子であり、型染め版画『ルツ物語』によって日本民藝館賞・国画賞を受賞した染色家・渡辺禎雄など、柳と民藝運動の歴史においてはキリスト教との関わりが随所に存在します。
世によって〈小さくされたもの〉、制度に抑圧される存在に寄り添う視点を持つ民藝運動は、思想と用語、論理構造においては仏教からの援用が多いですが、社会における実践としてはむしろ明治期の基督者たちの動きを踏まえているのではないか、と思うことがあります。前日の多文化間精神医学会においてうかがった精神医学の歴史や、西岡牧師が語った「残されたものに希望を見いだす」お話など伺っていると、今も「民藝」は〈小さくされたもの〉の側に立てているだろうか、「健康」な仕事を育てようとしてかえって「制度的な美」としての振る舞いをしていないだろうか、などと考えながらの帰途でした。
いずれにしても、お目にかかれた皆さま、ありがとうございました。

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