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#旅行って楽しいけど帰ってくると我が家が一番だって思うし、外に出たくなくなるよね
kennak · 10 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと���じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え���小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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#05 中沢レイ
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一日の流れ
朝は6時半くらいに起きて朝ご飯とお弁当をつくります。家は私と息子と私の母の3人暮らしです。息子に持病があって、12時間おきに飲まなきゃいけない薬があるので、彼が寝てようが何してようが飲ませてから出かけます。職場は三重県内の市役所で、移住関係の仕事をしています。非常勤で働いてもうすぐ3年になります。
家から市役所までは車で山道を走って40分ぐらいで、道が混んでいたら小一時間ぐらいかかるときもありますね。仕事は17時15分までで、時間になったらすぐ家に帰ります。以前、息子と二人で暮らしていたときは夕飯のお弁当を買って帰っていましたが、今は母親が夕飯の支度をしてくれているので、それをありがたくいただいています。夕食後はだいたいぼーっとスマホを見たりして、気づくと2時間ぐらい経ってたりします。息子はゲームが好きで、夜はゲームのコアタイムだから私とは全然話をしてくれないんですよ。みんなが思い思いに過ごしているのを確認してからお風呂に入って、寝るのは23時ぐらいです。
市役所の仕事のほかにヨガを教える仕事もしていて、レッスンがあるときは、仕事のあと家に一旦帰って晩ごはんを食べて、借りているレッスン場に出かけます。土曜日はバレエ教室で子どもたちにコンテンポラリーダンスを教えています。ダンスというか、キャッキャ言いながら自由に動いたり、何でも試してみようというクラスですね。日曜は基本的に休みですが、移住の仕事は土日にイベントがあることが多いので、結構出張したりもしています。空いている日は子どもと一緒に過ごそうと、何をするわけじゃないけど、家にいるようにしています。
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生い立ち
生まれは岐阜県岐阜市です。母方の祖父母が縫製業を営んでいて、一家総出で服をつくっていました。両親は朝から晩まで、すごくうるさい工業用ミシンを踏んでいて、家には有名なブランドの布が置いてありました。だけど、私が小学校1、2年生の頃に景気が悪くなったのか、父が仕事を辞めて養鶏場に働きに出るようになりました。それまでは家にずっと親がいたけど、突然鍵っ子になって、弟は泣いていましたね。姉である自分はしっかりしなくちゃと思っていた記憶があります。
中学3年のときに親が頑張って家を建てて、引っ越しをしたんですよ。私は転校もしたんだけど、ある日修学旅行から帰ってきたら両親に「離婚するわ」って言われて。私から見たら仲は悪くなかったんだけど、実際はそうじゃなかったみたいです。せっかく建てた新居も出ることになって、その家は私の叔母さんが住むことになりました。弟は父に、私は母についていくことになったんですが、母の家に引っ越すと中学校を変わらなきゃいけないと言われたので、卒業までは叔母さんのもとで居候をしていました。叔母さんは私のことをかわいがってくれて、叔母さんというよりお姉さんという感じでした。
母は家を留守にしがちだったので、高校からは一人暮らしのような感じでした。家の下がうどん屋さんだったので、母が置いていったお金で天丼の出前を頼んだりしていました。高校3年のときに母が再婚して新しい家族ができましたが、私はもう高校生だし「あなたたちとは関わらないので」と言って、学校もあまり行かずに好きなように過ごしていました。高校卒業後は好きな英語を勉強するために、英語の専門学校に入りました。
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仕事のこと
私が専門学校に入った頃は超バブルの時代で、成績が良い子は先生の薦めで在学中から証券会社とか銀行に就職するんですよ。私も1年の終わりには学校に籍を置きながら商社で働きはじめました。同じころ、音楽をやっている友だちから「岐阜放送っていうラジオ局で話す人を探してるんだけど」と言われて。当時はバイリンガルのDJが流行っていて、私が英語を話せると思って声をかけてくれたんですね。実際はそんなに話せないんだけど、洋楽を聴いていたからそれっぽくは話せるんです(笑)。それでラジオ番組のDJをやることになりました。商社は1年勤めて辞めました。
田舎の放送局だけど案外仕事はありました。レコード会社の人がプロモーションで名古屋に来たときに、そんなに回るところがないから岐阜放送まで来てくれるんですよ。「若くてちょっと変わった子がいる」みたいな感じでいろんな人に良くしてもらって、外タレのアーティストに直接インタビューさせてもらったりもしましたね。でも、DJとかタレントになりたいという気持ちはまったくなかったです。どちらかと言うと裏方や制作をやりたくて、19歳ぐらいから台本や企画書を書いたりしていました。自分の番組では選曲も全部自分でやっていたし、そうした仕事が周囲に伝わって愛知や東京でもDJをやるようになりました。
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踊りのこと ラジオと平行してやっていたのが、幼少期から続けていたダンスです。うちの親は全然そういう素養はなかったんですが、私が幼稚園のころに「バレエをやりたい」と言ったみたいで、母が習わせてくれました。ただ、習っていた先生が怪我をしてバレエをやめることになってしまい、次に入ったのがモダンダンスの教室でした。少しして「これはバレエじゃない」って気づいたんですが、それがかえって良かったんです。というのも、その先生は生徒にお手本を見せないんです。「シュッとなってパッよ」というふうに擬音で振り付けをするので、みんなそれぞれの「シュッとなってパッ」をやるんですね。中学高校と、その先生のもとでダンスを続けました。
あるとき、名古屋で開かれたダンスの大きなコンクールに通訳として参加したんですが、そこで出会ったのが(舞踏家の故・)和栗由紀夫さんです。和栗さんに「お前、踊りやってるのか。うちに遊びにこいよ」と言われて、東京に行ったら板橋にあった和栗さんの家に遊びにいくようになりました。ある日、和栗さんの家に行ったら、ベニヤ板を2枚出してきて、「ここに座って」と言われて。言われたとおり座ったら今度は「右手をこう出してみな。左手は上から出して。これが閉じてさ、開くんだよ」とか言われて。「こうですか?」みたいな。それで「今度舞台やるんだけど出ない?」とくるわけです(笑)。
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それで出演したのが、新宿のパークタワーホールでやった和栗さんの『エローラ〜石の夢』という作品です。その後、和栗さんが主宰していた「好善社」に入るとともに、東京に引っ越してきました。好善社の男の人たちは、それまでダンスをやったことがなくて突然踊りを始めているから、発想がとても面白かったんですよ。そこから結局6、7年は東京に住んでいたと思います。
その後、もう踊りはやめようと思うことがあって、カポエィラに打ち込んでブラジルに行ったりもしました。ダンスの世界は、なんだかんだ言って身体を動かすことが得意な人しか入ってこないけど、カポエィラは、趣味でやってますみたいなお姉さんとか、イケイケの男の子とか、格闘技好きのオタクっぽい子とか、いろんな人がいるんです。一般社会では絶対に仲良くならないような人たちが嬉しそうに一緒にやっているのがすごくいいんですよね。でも、ブラジルにいたとき、テレビから流れてきた音楽に合わせて、やめたつもりの踊りをふと踊っていたときがあって、やっぱり踊りはやめられずにいます。
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妊娠・出産
出産したのは38歳のときです。妊娠がわかったときは、当時結婚していた夫とフランスに住んでいました。日本では私がダンスをやっていると言うと、初対面の人にさえ「いつまでそんなことやってるの」と言われたりしましたが、フランスではまったく逆で、みんな興味を持ってくれました。現地の人たちと仲良くなって一緒に作品をつくったり、小劇場で即興の企画をやったりもしましたが、一方で自分の底が知れた感じもあって、妊娠を機に日本に帰ることに決めました。
出産はだいぶ時間がかかって大変でした。それでも元気に生まれて良かったと思っていたんですが、生まれてからがさらに大変だったんです。とにかく夜まったく寝なくて、ベッドに置いたらどれだけ寝ていても起きて泣いて……。子どもってそんなもん��のかなと思ってたけど、自分も寝れないから信じられないくらい痩せてしまって、布団で寝ていても背骨が痛くなってしまうほどでした。夫は仕事に行ったきりほとんど帰ってこなくて、赤ちゃんと二人暮らしみたいな感じです。しかも、夫の希望で都内からもう少し田舎に引っ越すことになって、それまでは遊びに来てくれた人たちも来れなくなって、本当に孤独になってしまいました。
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それでも息子を地元の幼稚園に入れてなんとか生活していたんですが、2011年の1月末に、幼稚園に息子を迎えにいったら、先生から息子の様子がおかしかったと言われました。確かに、家に帰っても何もしゃべらないし、ご飯も食べないんです。病院に連れていって、インフルエンザの検査をしたりしたけどなんともなくて。食塩水を点滴してもらって、ちょっと良くなったように見えたんですが、次の日にはもっと具合が悪くなってしまって。抱っこしたらびっくりするぐらい重たくて、これはおかしいと思いました。
再度病院に行って尿検査をしたら、測れないぐらいたんぱくが出ていて、大きな病院に行くように言われました。行った先で「これはネフローゼという病気で、治療に長い時間がかかります」と言われて、そのまま入院です。ステロイドを大量投与する治療をはじめたんですが、息子はステロイドを半量に減らしたところで再発してしまい、それから一切ステロイドが効かなくなってしまいました。
これはもう救急車で運ばなければという状態になってしまって、埼玉から東京の世田谷にある成育医療研究センターに救急車で運ばれて入院しました。それが2011年の3月11日です。病院について、しばらくしたらダアーッと揺れて点滴は倒れるわ、壁に亀裂が走るわで大パニックです。しかも原発事故で放射能がどうこう言われていたから、ガラケーで一生懸命情報を調べました。食事も大変で、子どもには病院食が出るけど、自分の食事は出ないからコンビニに行くんだけど食料がないんです。なんとかゲットしたパンひとつで一日過ごすなんてこともありました。
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生きていてほしい
入院して息子の具合は良くなるどころか、同室の子から風邪をもらったのがきっかけで敗血症になってしまいました。ICUに入って人工呼吸器をつけられて、カテーテルを入れられて……まだ小さくて暴れてしまうので、鎮静をかけられて眠らされていました。そんな息子の姿を見たときに、親としてこんなことを言っていいかわからないけど、この子は何ヶ月も苦しんできて、これ以上苦しむなら、楽になって逝ってしまった方がいいのかなとも思いました。
でもあるとき、私が「今日はもう帰るね」と言ったら、小さくイヤイヤしたんです。鎮静をかけられていて目は開かないけど、耳は聞こえていたみたいで。ICUで隣だった女の子も、私からすると寝てるだけに見えるんだけど、その子のお母さんが「この子は嵐が好きなのよ」と言って、嵐の曲をかけると「喜んでる」って嬉しそうにするんですよね。それまで私は、寝たきりの人や重い障がいのある人が生き続けるのってどうなんだろうと正直思っていたんです。
だけど、1ヶ月ぐらい経つと、嬉しそうな感じがするとか、これは嫌なんだなって分かるようになるんです。それで、やっぱり息子には生きててほしいって思うようになりました。なんて言っていいかわからないけど、何もできなくても生きているという事実が目の前にあるだけで、周りの人が安心するというか。息子がイヤイヤする姿を見て「ああ、とにかく頑張るしかないな」って思ったんです。息子の病気をきっかけに、私の考えはすごく変わりました。
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やってみたいこと
治療は長くかかりましたが、幸い息子に合う免疫抑制剤が見つかって、1年くらいかけて普通の暮らしができるぐらいまで回復しました。何かあったときのために、そのまま入院しておくこともできたけど、外に連れていこうと思って思い切って退院させました。その後、息子が4歳になる前に埼玉から三重に移住して、間もなく夫とも離婚しました。 息子は小学校4年生ごろに自閉スペクトラム症の診断を受けて、学校生活も苦労しましたね。小学校1年生からずっと行き渋りで、6年生まで毎日送迎していました。下駄箱でしばらく入れずにいるのですが、なんとか中に入っていくのを確かめてから自宅に戻り、学校からの電話があるといけないので待機していました。中学3年間は完全不登校でしたが、この春から通信制の高校生になりました。
息子が東京で入院していたときは、家と病院が離れていたので、病院の近くにある(ドナルド・)マクドナルド・ハウスという入院患者の家族のための施設で寝泊まりしていました。そこには、地方から出てきて泊まり込みで付き添いをしているお母さんたちがいて、中には子どもが生まれてから10年間そういう暮らしをしている人もいました。みんな自分のことは置き去りで子どもに付き添っているんです。
そういうお母さんたちのために何かできないかと思ったけど、「ダンスしましょう」とは言えないじゃないですか。「ダンスなんてハードルが高いし、そんな気分じゃないわよ」って言われると思うんですよね。でも、みなさんマッサージとかにはお金を払って通っていたので、ヨガだったらやってもらえるかなと思って。これまでも障がい者施設や高齢者施設ではヨガやダンスをやってきましたが、病気の子どもたちに付き添っているお母さんのためのヨガも、いつか実現したいことのひとつです。
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みんなに場をつくりたい
私は踊るのは好きだけど、舞台の真ん中で踊りたいとは案外思っていないんですよ。私が踊りをやるのは「みんなに場をつくりたい」からです。1998年に「オービタルリンク」という即興のイベントをはじめたのも、あらゆるジャンルのパフォーマーが自分の表現を模索しながら、やる側も観る側もジャンルの垣根を超えて出会ってほしいという思いがあったからです。ラジオDJをしていたときも、自分が面白いと思ったら無名の人でもゲストに呼んだりしていましたからね。当時から今にいたるまで、やっていることは変わらないと思います。
今日撮影をしたアトリエ第Q藝術も、大きすぎない規模だからこそ「個人」が見えて好きなんです。劇場が大きくなればなるほど、後ろの方まで届くように表現しようと思って動きが大きくなり、身体の動きだけを見せることになることが多いと思うんです。そうすると結局、どれも同じような作品になってしまうというか。私は、踊りの完成度はどうでもよくて、その人が踊りを通して「本当のこと」を言ってるかどうかを知りたいんです。そういうことが見えるのは、このぐらいの規模の劇場かなと思います。チーフディレクターの早川誠司さんには以前からお世話になっているし、舞踏や演劇関係の友だちもよくここで公演をしているので、私のルーツのような場所でもありますね。
人生って、「あのときあそこに行ってなかったらあの人に出会ってない」とか、そんなことばかりじゃないですか。でも本当に好きなことを続けていたら、絶対にまた元のところに戻ってくるし、ずっと会っていなかった人ともまた会えるんですよね。もっと別の仕事をする機会も、別の人と付き合う機会もあったろうけど、そのときの自分がそれをやりたくて選んだんだしなって。自分は、いつも「こういうことを考えている人がいるなら、こういう場所をつくったらいいんじゃないかな」と思って、場所をつくって人と人をつなげてきたんですよね。さらに、自分の場合はそこに「踊り」がありました。そうしてここまでやってきて、今の自分があると思います。
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(2023年3月26日収録) 取材協力=アトリエ第Q藝術
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tokyomariegold · 1 year
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2023/2/27〜
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2月27日 通勤途中の5000円の紙は今日やっとなくなってしまった。
また一段と日が延びて、早く帰ることへの罪悪感が増していながら、でも本当に心ここに在らずのふわふわ感も増して、何だか何を思っていれば良いのかわからない感じ。
程よい感じで泊まってみたい奈良のホテルがあって、ゴールデンウィークはもう埋まってしまっていて、でも新幹線のパックツアーで抑えられていたようで、そのパックツアーを予約してみた! 今年もゴールデンなゴールデンウィークを過ごせるのか、それまで生きていけるのかわからないのに楽しみ!
日記の文字起こしがどうしてもできなくて滞ってしまっている。もっとSNSで生きたいし、写真のことやインターネットのことを学びたい。気持ちが行動に動けるときまで、今はじっと待ってみようと思う。
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2月28日 嘘みたいに暖かく春が来ることもあるのですね。昼休みに梅がとても可愛く咲いた。 今日で2月が終わりということは、今日は妹のお誕生日。
少しずつ新しいパソコンや、置きたいテーブルを注文して生活を向上させたい。
親子レクレーションに参加した職員さんから、ドッジビー(ドッジボールのフリスビーバージョン)をしてきて、我が我がの子供ばかりでちょっと驚いたという話を聞いた。 最近の子は、みたいな、世代ひとくくりが苦手だけれど、やっぱりある時代を同じ年齢で生きてましたね、って共通の何かを生んでしまうんだろうか。
音楽サブスクをApple Musicにしてみたらとてもお耳が嬉しい楽しいです。
3月1日 今日は一段と暖かくて春めいている。
朝から鼻水が止まらなくなってしまい、花粉症になったのかも知れないし、去年感染症の発症始めが鼻水だったのを思い出して、また患ってしまったのかも知れない、と思っている。
朝の電車の高校生たちが今日はとても少なくて、そんなことは忘れて帰り道を歩いていたら、胸に花とリボンのブローチをつけている高校生とすれ違い、3月1日は卒業式。
今日は、確かに卒業式の日のように、午前中で式を終えてから、帰宅して家で遅いお昼ご飯に飲んだインスタントのコーンスープを思い出した。
今日から採用された職員さんがいて、違う部署の私は認識していなかった方に気付かぬうちに知られていることを知って、どこでどうみられているかわからないので、なるべく丁寧でいたい、と素直に思ったりした。
amazonのカードをつくったり、定期便を利用してamazonお得生活をしている方の話を聞いて、生活用品のほぼ全てをamazonに頼っているので、ちょっと運用してみようかな、と思い立って、大人になった気分にだけ味わっている。
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3月2日 職場の方々と仕事以外の話をするのに慣れてきて、でもその話したことを相手が全く覚えてくれてなかったこと、全然悲しくなくって、そんなこともあるんだ、と思った。
プールの授業と運動会のダンスって最悪!みたいな話をした。
お昼にポッドキャストを聴き始めた!
あと、先週大阪でお茶した友人夫婦に教えてもらったNHK大阪の番組に、ちゃんといつも通りの友人が出演していて、わたしとお茶をしていた時のように画面の中でお話ししていて、とても不思議だった。 わたしは今日オンライン採用説明会の練習で、画面に映る自分を気にしながら、とってもよそ行きの喋り方をした。
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3月3日 色々予定を揺らぎながら、結局、ちゃんと起きて庭園美術館へ行けた! 機能と装飾のポリフォニーを鑑賞。 平日だけれど、会期末ということもあって混雑していた。 ポール・ポワレのドレスがかわいい。すこしmameのワンピースの形にも似ていた。 白いテーブルの出角に◯が連なってくっついている家具も可愛かった。 平日の昼間に、学生やご婦人に混ざって美術館にいると不安になること、まだ少しあるけれど最近少し麻痺して楽しめるようになってきた。
東京駅は平日というのはあまり関係なく、旅行客がとても多い気がした。春なのかもしれない。ホワイトデーの何かにみんな並ぶ余裕があるみたいで、いいな〜と眺めながら、何を買うわけでもなく丸の内をふらついてきた。 某航空会社の旅行窓口?のエントランス前で、何かを叫んでいる人たちがいた。
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最果タヒの“もぐ”を読んでいたら、思いがけず写真集と写真について書かれていて、写真を通して、人と人は関わり合えず平行線を生きていることを実感する、と言っている気がして元気になる。
それと、ちーちゃんから、彼女が結婚した夢を見て悲しかったことを伝えたメッセージにお返事がきていた。おめでたい、おめでとう、と思えなくっても、その事実を受け入れたり、ほへ〜と聞くだけでも良い、と言ってくれていて、大好き。 中之島から最果タヒのポストカードを送った友人からも、嬉しすぎて玄関に貼ってます、とメッセージをいただいて、ほんのその場しのぎでも、その夜だけ泣かない日になるようなことを、好きなひと達にできたらいいな、と思った。
ボタン電池を交換したのに、フィルムカメラの露出計が動かない。 撮れているのかわからない状態でシャッターを切れるほど貴族ではなく、あまり写真を撮れなかった1日。
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mougen-nikki · 9 months
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1月
年女。元旦から地元の友人2人とデニーズに6時間居座り、年末年始限定メニューの存在を知る。卒業式ぶりにネイルをした。魂24周年にバリチルで開催したパーティーで初めてオーダーケーキを頼んだがかわいくて大満足。こうきとまなみと神田大明神と湯島天神に初詣に行き、一瞬リョータに会う。シネマカリテで『そばかす』を観た。
まなみと日産グローバル本社でSAKURAの試乗をし、帰りに寄った中華屋で居眠りをした。あゆみさんとすえぴとネロの店で新年会をする。
THE FIRST SLAM DUNKの衝撃。三井への恋心を15年振りに思い出す。
すみちゃんとの大人の休日倶楽部が発足し、蔵前〜合羽橋あたりを散歩。観音山フルーツパーラーでももちとあゆみさんとすえぴが初対面。帰りにみんなにつかあってもらって、Tnewtiesで靴とワンピースを買った。
ことごとくおみくじの引きが悪い。
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2月
休職中の同期に久しぶりに会えた。元気そうで一安心。こうき主催のスイーツ会兼合同お誕生日会。ダロワイヨでケーキをたくさん食べた。工場の同期と遊んでザファを一緒に観た(THE SECOND SLAM DUNK)ら、同期は24時間経たないうちに2回目を観に行っていた。代官山のあたりをプラプラ散歩し、無数のトイプードとすれ違ったり旧朝倉邸に住みたがったりする。自主的Tłusty czwartekでミスドを食す。
かなこと海を見てカラオケ。バリチルで三井の寿の宴を行う。21卒22卒23卒になった高校の友達と卒業旅行で箱根へ。富士屋ホテルで豪遊し、星の王子様ミュージアムに涙ながらの別れを告げる。
テニミュ青学vs氷帝が当日の公演中止でぴよと残念会。
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3月
同期とご飯に行ったら2ヶ月ビハインドで私のお誕生日プレートをオーダーしてくれていて、この子たちのことは何があっても守ろうと思った。私お姉ちゃんだから。
大学の部活の先輩同期とかなり久しぶりに会った。大手町有楽町エリアで昼から夜まで遊んで、現役の時もこんなに遊んだことないから新鮮だった。私はちゃっかり途中の大丸でコスデコのアイグロウジェムをタッチアップし購入していた。
妹と母と受験お疲れ様の一泊2日熱海旅行。恋愛おみくじに「六歳年下が良い」と言われてじゃあ、三井寿か。と思う。月曜有給旅行の良さを感じたが穏やかな春の熱海の空気に当てられて情緒が不安定になる。
念願の姫鶴一文字を初顕現。宝箱からかなり早い段階で飛び出してきてくれて嬉しかった。
THE THIRD SLAM DUNKで横断幕特典シールをもらう。すみちゃんとピューロに行き、バツ丸のカチューシャを買ったらマレフィセントになった。三井を応援するネームプレートを作る。
在宅後ダッシュで駒沢に向かい、まおとA東京の秋田ノーザンハピネッツ戦を観る。なまはげがいたり、ありえない技(天井ダンク)を持つマスコットキャラがいたり、選手の概念車を教えてもらえたり、SDGsがボコボコにされたりと見どころ満載。ザファのおかげでプレーの解説がしやすい。ありがとう井上雄彦。
本社の同期4人ですみだ水族館にお出かけ。大阪人の登場シーンが肩揺らしすぎ歩くの早すぎ治安悪すぎで爆笑。いつの間にか水族館に墨田区の伝統アピールとして大金魚ゾーンができており不意打ちを喰らう。その後浅草寺で引いたおみくじ:凶。
かなこと銀河劇場でマリー・キュリー観劇。すごく良かった。韓国作品らしくフェミニズムのベースに労働者の健康被害問題や企業の製造責任、資本主義批判まで織り込んでおり見事な構成力。そうこうしていたらミューマギの第二公演情報解禁があり、まさかの山﨑昌吾ジャーファルに椅子から転げ落ちる。
ぴよのお誕生日@バリチルを開催。調子に乗ってバカのバースデーケーキを買ったら大変な目に遭った。
ももちとすみちゃんの作った和風シナリオを通過。知人の作ったシナリオは初だったが手癖を感じて面白い。バカ男子大学生コンビだったのでロールプレイが楽しかった。ガチ恋粘着獣の影響でYouTuberの探索者にした。
客先から一部品番値上げOK連絡をもらい、祝いにケーキを買って帰る。ここまで足掛け半年。
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4月
まおとBunkamuraのマリー・ローランサン展を観る。ローランサンとシャネルのメディアを介したラップバトルの話やテニミュのような前衛映像で爆笑。
閉館前の三菱一号館美術館に駆け込み、グッズを買う。そのまま散歩してヒューマントラストシネマ有楽町で『ジョージア 白い橋のカフェで会いましょう』を観る。すごくリラクシングでおおらかな映画で良かった。お国柄かな。
カイザーの話をされすぎてブルロ原作を読み始める。何もかもがめちゃくちゃすぎて読んではTwitterを開き、読んではTwitterを開くハメになった。おかしすぎる漫画。
はるかさんのお誕生日会があり、ウォカジンのヘアピンで爆盛り上がり。まったく、兄貴は意外と抜けてるところがありやすからね。
すみちゃんとラシーヌの苺アフタヌーンティーに行き、ノリタケの加州安定ティーセットが届く。
アニメのオペラオーが良すぎてメロメロになる。本当に彼女のことが大好きだしこの手の人間に弱い。ウマ娘は人間ではないが。
品川区民として初めての選挙(区議会議員選挙)。出張ついでにTさんと京都で遊んで私が行きたかった京都府立植物園に付き合ってもらう。何故か28,135歩も歩いた。
わが、まお、あゆみさん、すえぴと日本橋でピザを食べてから千葉ジェッツのA東京戦を観戦。冨樫を初めて生で観た。千葉なのに東京のイキリ中学生たちがコラボしていて何故?と思う。今回は席が取れなすぎてバラバラに座ったから観ながら話せなくて残念。観戦後の焼肉で炎の男の写真撮影に興じる。
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5月
2日にネスの夢小説を読み「ふ〜ん結構ネスのこと好きかもと思った」とツイートしている。
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運転練習を兼ねてGWに家族で伊香保に行こうとしたが関越が混みすぎて秒速5センチメートルしか進まなくなったため途中で諦め森林公園へ行く。エゴイストなので別行動して一人だけサイクリングをした。地元のイタリアンで祖父母の誕生日祝いをした。
こうきとポコの再会。この時祖父母がこうきを質問攻めにしており申し訳なかった。
降り頻る雨の中ポラ科とポーランド祭りに行き、帰りに駅のムンバイでチャイをしばく。
金夜のミュージアムナイトですえぴとマティス展に行く。プロヴァンスの映像コーナーがあり、教会の鐘の音を聴いた瞬間幸村精市との存在しない記憶とホームシックの幻肢痛に襲われた。とにかくヨーロッパに行きたい。
ももちとひなと湘北を想う湘南ドライブ。逗子マリーナの駐車場が法外な値段という学びを得る。これがあゆみさんから譲り受けたネスと初めてのお出かけ。
文フリに出かけて東直子とまほぴ、安田茜にサインをもらう。のいちゃんとたほさんにもご挨拶して差し入れを渡す。いつかドームに連れて行きます!と言われて最前行きます!と返した。
こうきとすえぴ、あゆみさんが対面し4人でヴァーミリオンのポップアップへ。この時はオーブのガーネットの指輪を買った。昼食場所を探したが渋谷の人口密度が高すぎてお高めの地中海料理に入る。イスカンダルセットというワクワクセットを注文。
母の日プレゼントで母にageteのネックレスを見繕った。チャーム別売りのやつ。
すみちゃんと劇場版コナン(魚影)を観た。元太のセリフ全てと陰謀論者の目暮警部で爆笑する。観終わった後がってん寿司でうなぎを食べてネスにも見せてあげた。
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6月
マンシティvsバイ���ルンのチケットが当たりまくる。ここから1.5ヶ月ほどチケット捌きに奔走する。チケ取引が中学の先輩や大学の後輩に会うきっかけになったので何だかんだよかった。
すえぴとあゆみさんと六本木ヒルズで薔薇のアフタヌーンティー。スタンドの高さがありすぎて起立して写真撮影。PWCを始める。三笘が来た瞬間ゲームバランスが崩壊し三笘ゲーと化した。
ミューマギの公演が始まり、6公演入る。今回はキャストが増えたのでオープニングとエンディングの厚みがすごかった。まさかの客降りで山﨑ジャーファルさんが数メートル先を歩いて行った。長生きはするものだと思った。マギ、サイコー!でも紅玉ちゃんの個人ブロマイドがないのはまだ納得してない。アクスタが売り切れすぎて買えないかと思ったがぴよが捕獲してくれた。
ネスの夢小説を書く。執筆中は納期にミートするために定時退社していた。わりと気に入っているので続きが読みたい。
部署の奨励金で帝国ホテルのご飯を食べ、その後走って若手による新入社員歓迎会に移動。
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7月
前日深夜に母に誘われ、急遽クレイジー・フォー・ユーを観劇。萌さんをリアルで初拝見。エンタメに全力な作品でかなり良かった。衣装もすごい。タイミングよくたかりかさんとも会えた。
ぴよとあゆみさんと東京タワーで迷子のストライカー探し。その後言ったカフェでマスターの爺さんに絡まれ怪しげな成功譚を聞かされる。
はるかとこうきと浦和レッズvsFC東京を観戦。初めてのスタジアムだったのでドキドキだったが色々新鮮で楽しかった。埼玉出身者としてコバトンと写真撮影。試合は0-0で内容もしょっぱい。酒井も3分くらいで怪我したし。翌日に国立でこうきと町田ゼルビア vs東京Vを観戦。シチュエーションが整っておりかなり熱い試合とブーイングが見られた。
リトル・マーメイドをひなと観た。冒頭にアンデルセンの引用があり大事をあげて椅子から転げ落ちる。
あゆみさんが妄言バースの夢小説を書いてくれた。嬉しすぎて仕事中に読みまくる。やってることが10年前と同じ。
すえぴあゆみさんももちとココス呪術コラボを冷やかす。
ポラ科ドライブで秩父へ行きそばを食べる。ポテくまくん邸を表敬訪問。
あゆみさんと渋谷シティの試合観戦。コートが近く、ボールを蹴る音が聞こえてすごかった。妹と国立西洋美術館のスペインのイメージ展に行く。
大学の部活の納会に参加しバスケをした後2次会までこなす。
マンシティvsバイエルンの当日、午後休を取ってネイルを変えてから国立へ向かう。かなりお祭りムードで楽しい。こうきにバイエルンバウンドの服装を褒められて嬉しかった。はるかさんも合流して写真撮影やらトロフィーチラ見やらをした。試合はシティのパスワークのすごさとバイエルンの疲労を感じた。
バリチルでリョータとソーちゃんの誕生日会をした。
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8月
地元の祭りで3年ぶりの花火がまさかの強風で打ち上げ中止。同日に花火大会があった板橋では火事が起きていたので妥当な判断だったと思う。
すみちゃんと大人の休日倶楽部有楽町編を実行し、シンガポール料理、プラネタリウム、マリアージュ・フレールを巡る。マリアージュ・フレールで友人の結婚祝いを買った。
友人の結婚パーティーに参加したが、レストランでやる簡単なものだったためか泣かなかった。中学時代のいつメンと会えて嬉しいが、私が恋愛の話題に非対応なためやりづらさはある。最近どう?と聞かれたので順調だよ〜と言ったらいつから付き合ってるんだっけ?と言われる。流れを無視して交際ではなく人生の話をしてしまいすみません。でも結婚した友人のことは誇りに思うし尊敬するし応援してる。私たちもうホグワーツにも帝光中にもいないけど、それぞれの戦場で変わらず戦おうね。
お盆は車を乗り回すためムーミンバレーパークやスタジアムジャポンや伊香保に出かけた。
ひなとまなみと島でバカンス。海で浮いたり原チャリを乗り回したりと満喫。花火もお菓子も買ったのに朝が早かったため夜ご飯後に爆睡。星が綺麗らしかったが当然見れず。護岸されていない箇所で泳ごうとしたら波が激しすぎて引き波の時に足に当たる石で流血した。
ももちこうきあゆみさんと才能の原石たちとで本能のままに餃子を食らった。あゆみさんももちまおとHUBでサバトも開催。
かなこれみかと横浜散策。ダイナーでハンバーガーを取り違えられ、中華街にあるフォーチューンアクアリウムの存在を初めて知る。
ひなとTHE FOURTH SLAM DUNK。
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yfuga · 1 year
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20230927
#オーストラリア旅行記 05
こんなに美しい夜があって良いのだろうか。
最後の夜だからと、夕日を見にビーチへ、夜はディナーを共にしてくれた。ビーチで火を焚いて、Sandyは釣りをして、WadeとRolyと友人たちはお酒を飲んだ。Tamyも来てくれた。さくっと夕日を見て帰る人、暗くなるまで火を囲む人。それぞれがその時間を味わい、好んでいる感じがよかった。
WadeとSandyとカウンターでステーキとチップスとサラダを囲む。
二人は本当に、「時間を一緒に過ごす」ということを、たっぷりとしてくれた。こんなにも、食卓を囲み会話をすることに、すべてを注いだことがあっただろうか、というほどに。同時に日々いかに、食事や食卓の時間をただ通り過ぎているか気付かされる。
二人は私に訪ねた。ここでの過ごし方はどうか(別々の住まいや食事について)、
Wadeは私に聞いた。なぜ漁師なのか。なぜ英語を学ぶか。英語が海の仕事に必要ないなら何に必要なのか。女性が漁師として働くのは大変か。
とにかく海が好きなのでずっとやりたい(hole of life)、未だにbad luckを運ぶと信じられてたりしてそういう大変さがある。
本当はもっと言いたいことがあったけれど英語で伝えやすいことが先に口から出る、だから本当にいいたかったことにたどり着けないことがあるな。「生きてる感じがする」って言いたかった。
「どのように学ぶか?」尋ねてくれたのは印象的だった。だって君は賢い。と言って(んー、ありがとう!と返した)、例えば本を読む?それとも、やりながら学ぶタイプ?と。もちろんlearn from doingでそれはEmityと同じだって。
二人は、学ぶのが早いとか、よく働くとか、この時間に限らずたくさん伝えてくれて、Sandyはこの二週間でもすごく上達したよと、Wadeにもっとたくさん聞きたいことがあったけど全然言葉がなくてと言ったらわかってるよ(彼は一時インドネシアにいたので言語学習者の気持ちがよくわかる)と、私は次に二人に会う時に、もっと話せるようになっていて、もっとお互いを理解できるようになる、そういう再会ができるのならそれは最高だ、とても楽しみだと思った。
彼は次にくるときは短い期間でもいいんだよと言う。2週間のステイを希望するのは仕事において慣れてより力になれるからだけど、ショートステイでもanytime、と言ってくれるのはただ私たちの間に良い関係性が築けたからであり、それをとても光栄に思う。
今朝、you are the best みたいなことを言ってくれた。よく働くという意味で。彼は以前からタスマニアの求人情報を調べて教えてくれたりしていて、今日も「もし求人に必要なら、自分の電話番号を使って良い、そしたら君の働きぶりをつたえる(こういうときに、shit だったよっていうから〜みたいないじりは本当に既視感、どこも同じで面白い)」というようなことを伝えてくれて、ああなるほど、そういうこともあるのか、と思った。つまり、wwoofは収入にはなり得ないが、経験が、仕事にこのようなかたちで直結する可能性については想像していなかった。ちょっと、もう少し力を抜くべきだろうか、と思うほどに結構一生懸命はたらいてしまったけど、やっぱりこれが私の生き方であり(力の出し惜しみをしない)その先に、結果としていいことがおこる(かもしれない)ことを、やっぱり私は知っている。
私の仕事ぶりを褒めてくれる流れで、「いいチームはいい仕事を作る。船も同じでしょう?小さな場所で(私は、そして、毎日ね!と言った)」と言う彼の言葉は忘れ難い。
Wadeはあまり誕生日にプレゼントとかしないんだって。みんな期待するでしょって。でも、なんでもないときにふとプレゼントをしたりする。Sandyは、そうそう、誕生日に何もないって、オ、オーケー…って感じよ、でもブリスベンに行ったあとこの猫(置物)を持って帰ってきたの!とすごく嬉しそうに言う。俺たちはequalだ、いや彼女がbossか。私たちはequalなのという。二人が、カウンターの反対側で隣りになって、二人とも私の目をしっかり見ながら話してくれる。外のテーブルに移って、失敗から学ぶんだよ、とか、this is the lifeとか、彼が彼の仕事が好きでよかった、とか、私にはすごく、ふたりがそれぞれ独立していながらそれでいて一つの生命体のように見えた。それぞれに意思を持っていながら二人でひとつの考えを共有している感じ。ふたりでひとつ、という言葉を真に使うとしたら、こういう場面のような。
必要なのは、思っていることを言うことだろうか。どちらかが我慢を重ねていてはこうはならない。他者や、家庭に見えない側面がたくさんあることは承知している。でも彼らとの時間は、愛ある時間だった。Wadeは、Sandyは、深い愛情をもち、それをもって他者に接せられる人だった。そういうことを、そうした家族のありさまに触れる、触れて、自分の内側がかき混ざるような体験によって、私は少しずつ少しずつ、家族や、他者との関係性に対してポジティブな気持ちを抱きつつある。岩手にはじまり、大きく確実で尊い変化である。もし将来子どもがいたとしたら、そういう意味で、旅をすすめたい。
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akutukarino · 1 year
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卒業後-12
お疲れ様です、どうも。今回は毎年恒例の旅行の備忘録です。とりあえず箇条書きで。
・覚悟と準備をしていざ旅行へ〜台風直撃は免れない〜
・生まれて初めての格安旅行機
・ついた直後にいざ海〜俺だけ装備が水着しかない〜
・今年こそはG対策はバッチリ!出ないはず!!
・襲来。
・奇跡。
・二日目、大洗並みの海とそしてコロナ罹患。
・コロナと台風直撃
・去った台風、罹ったコロナ
・ギリギリ復活、そして福岡観光
・ホテルのベッド最高
・クソマズイオレンジジュースの謎〜コロナの後遺症かわからん〜
・帰宅〜今度は帰る方向に台風直撃〜
以上がざっくりした内容ですね。ざっくり詳しくは以下です。
と言うわけで、旅行中に台風直撃、そしてコロナに罹患しました。チクショウ!!!俺のノーコロナが!!!!!
コロナの話からすると、正確には俺は悪くないんですよ。私は今回もずっとマスク生活でしたし、旅行前に抗原体検査もしたんですが問題ありませんでしたし。問題があったのは親ですね。マスクなしで前日徹夜してた父親がまず高熱になり、病院でコロナってなりました。そして俺と父親は隔離されず俺にも罹りました。めちゃくちゃ被害者じゃないですか!!!???無駄な抵抗かもしれないけど俺も隔離してよ!!!いいんですけど!!!別に!!!
コロナに罹ったのは悔しいし、めっちゃしんどかったし、なんなら今もまだ完治してないんですけど。まぁ、そこまで恨んではいませんよ、台風直撃もあって全員道連れでまともに遊んでませんからね、ハハッ。
コロナの症状に関しては、ワクチンの副作用の期間を延ばした感じですね。はい。高熱も酷いが私は何より喉が酷かった。いまだにちょっと痛い。最大の時はまともに食事できないレベルで喉が腫れて痛みましたよ。そしておまけに中耳炎っぽいのにもなってて、ものによっては耳の奥が激痛で聴覚にも影響が出るレベル。酸味が強いとかあとはチョコレートでもなるんですよね…ただ一番凄かったのはオレンジジュース…銀○このオレンジジュース飲んだら周りの音は聞き取りづらくなるわ、くっっっっっっっそ痛いわで飲めなくて、父親に飲ませたら人生で一番まずいとのこと。コロナのせいかマジで不味かったのか……。
今はだいぶ落ち着いてものもようやくまともに食えますよ…。まぁ、まだ咳き込むし鼻水出るし、耳痛いんですけど…。一時期は唾液も飲み込むのが辛かったのでだいぶ良くなりましたよ…。噂の味覚は…一応あるけどなんか全体的にパッとしない気がしますね。まぁ、こんなものかな…みたいな……めちゃくちゃ美味しいはずのものがうーん……うん??みたいな……めちゃくちゃ美味しいらしい店に行ったんですがよくわからなくてちょっと悲しい。とりあえず完治しないとナンジャタウン行けないな……。
次は軽めに、生まれて初めて格安旅客機ってやつに乗りました。ジャンボジェットよりもめっちゃ揺れた気がする。ただ年一しか飛行機乗らないので記憶がないので確証はないです。でも揺れましたね、これは怖い。 あと帰りは九州から関東だったので思いっきり台風の中を突っ切ったんですよ。すごかった…。下手な遊園地のアトラクション並みに揺れた……。ちょっと楽しかった……。
あとは話すことは、Gと俺ですね。今年は対策グッズを用意して行ったんですよ。クローブとベチバーと言うアロマですね。ベチバーがすごいらしいんですが、今回は予算の都合上アロマストーンしか確保できずに効果はよくわからないですね…でもすごいらしいですよ…。
そして何より最初のインパクトは入って玄関にひっくり返って死にかけの野生のG…。我々に身近な家にいるやつではなく山に住むはずのおそらくはヤマトゴキブリ…なぜか玄関で死にかけてました。多分、外が暑すぎて、泣く泣く家に避難してきたら結局暑くて…そして……。今年の暑さが異常すぎるが故の悲劇でした……。
次が襲撃についてですね。
とりあえず私が持ってきたG対策グッズを展開し、結界を貼ったその日の晩…忘れもしない、月曜から夜更かしの「夏祭り、行く?行かない?」辺りのインタビューシーンの時…テレビの裏から突然、目測4、5cm級の黒いヤツが現れたのです…。去年も出てきたその場所から……絶対あそこワープゾーンあるって……。
そして私は寝ていた父親を起こして対策会議。しかし父親は殺すことに非協力的であり、Gホイホイを置いて偶然入ることを願おうと言うのです。俺はこの部屋で寝るのに。俺はこの部屋でGと寝ろと!!!???? こうして文句を言ってなんとか何かないか探しに行かせてる間、俺は睨めっこしながらヤツを直接仕留めるアイデアを考えていました…。するとなんと!!!!!父親が置いていった!!偶然入ることを期待されたホイホイに!!!!入った!!!!!!!!!奇跡!!!!!!!!!!!!!!!!!
こうして私は安寧を手に入れたものの、翌日もG対策について父親と揉めましたが、神アイテム・キンチョーの『コックローチ ゴキブリがいなくなるスプレー』を撒いたらマジで俺の部屋には最終日まで出ませんでしたよ。マジ神アイテム。
まぁ、大体こんな話ですね。いやぁ、疲れた。ホテルのベッド最高。
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canty-essay · 1 year
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ホームステイの受け入れ、始めました
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 山梨に越してから、我が家に訪ねて来て泊まる人が増えてきた。東京から日帰りができない距離ではないけれど、せっかく来ていただいたのだから八ヶ岳ライフを楽しんでもらおうということで、気軽に「泊まっていったら?」と声をかける。お客さま用布団も二組用意してある。
 訪ねてくる人の多くは息子の友人たちで、夏だったら彼らはテントやハンモックを持ってきて、庭で寝起きする。自分たちで食事の支度をし、私たち夫婦の分も含めて作ってくれて、後片付けもして、お風呂も近くの温泉に行くので、全くの世話なしだ。
 うちの息子は一年中庭のテントで寝起きしている。もちろん防寒対策はバッチリしてのことだ。ところが友人たちはそこまで装備がないので、夏季意外はいきおいわたしたちの住まいのドーム内に泊まることになる。夕食が終わりひとしきり私たちも一緒に語らい、彼らだけ温泉に行くこともあるが、代わる代わる我が家のお風呂に入ることもある。全体で一部屋しかない我が家では、私が布団に入る十時半が消灯時間という暗黙の了解があり、若い彼らも二階のロフトに布団を敷き大人しく休む。普通若者はそんなに早い時間には休めないものだが、我が家のあたりの標高は1030メートルあり、これはお母さんのお腹にいる時の気圧と同じで、けっこう眠くなる土地だと言われていて、初めて来る人の多くは眠気に襲われる。
 時には私の友人が泊まることもある。その時は私の隣に寝ている夫には二階に移動してもらう。二階の方が多少はプライバシーがあるのだが、夜中トイレに起きた時の階段の上り下りが慣れないと危ないので、友人には一階で寝てもらう。
 三、四日から一週間ぐらい滞在する人もいて、ちょっとはお互いに気を遣うのだが、けっこう楽しく過ごしてしまう。
 先月から、息子とタンザニア滞在中に知り合ったという男の子が訪ねてきて、しばらく一緒に暮らすこととなった。男の子と言っても三十二歳で、国立大学の大学院を出て公務員やいろいろな仕事を経て、一旦全てを休止して、タンザニアで四ヶ月を過ごして戻ってきて現在休職中。でもすぐ就職活動する気にもならず、息子に誘われるままに八ヶ岳にやってきた。農業にも興味があるということで、我が家にいればいつでも農業コミュニティに行きたい時に参加することができるし、ということで。彼の名はマーくん。
 息子がマーくんを連れてきた翌日、息子はガールフレンドの待つ沖縄に行ってしまった。「息子の代わりやっといて」と言い残して。
 我ら夫婦とマーくんの共同生活が始まった。彼は料理が上手だ。JAに勤めていたこともあり、八百屋の店長をやっていた経歴もあり、野菜や果物に大変詳しい。野菜たちをこよなく愛していて、野菜の特性を活かした料理をする。マーくんが来てから、私たちは毎日彼のおいしい手料理にあずかることになった。
 私がいただいた山梨特産のこんにゃくを、マーくんは薄切りにして、すりおろしたリンゴのジョナゴールドを乗せて岩塩を振って出したくれた。組み合わせにびっくりしたけれど、「春の訪れ」を感じたなかなかな味わいだった。
 私がお客さまで忙しい時は、マーくんが夫を車で送ってくれたりもする。ほんとに息子代わりをしてくれている。
 うちにはお客さまが多いので、その度にマーくんを皆さんに紹介する。最初は「今うちに泊まっている・・・」と説明して、本人も「居候してます」などと言っていたが、居候という言葉にはどこか邪魔っけみたいなニュアンスもある。それで思いついたのが「ホームステイ」という言葉で、「今うちにホームステイしているマーくんです」と紹介するとすんなり通じるようになった。
 私は彼を農業グループの仲間にもどんどん紹介して、農作業の手伝いや、コミュニティでやっているカフェの食事作りのお手伝いにも行ってもらう。彼の持ち前の明るい性格と誰とでも気軽に話せるキャラクターで、みんなの人気者となっていった。
 彼が家の中にいても気にならないのが不思議だ。実際のところ、お互いの寝息も聞こえてしまう、ひとつドーム内生活なのだが。最初のうちは多少のぎこちなさがあり、トイレに入るタイミングとか、お風呂に入る順番とか、お風呂から出た人をまとも見ないとか、それらもだんだんスムーズに行くようになった。彼も朝寝坊する日はするし、農作業から帰って疲れたからと居間でお昼寝している時もある。好きな時にうちの車で出かけたりもする。
 そんなある日、息子が一旦沖縄から戻り、連休明けにはガールフレンドのリホちゃんを呼んで一緒に住むという。「えっ、普通同棲ってふたりでするものじゃないの? 」とまたびっくりする私。先日ドイツから一時帰国した娘と彼氏との家族関西旅行で、京都でリホちゃんとも合流して、一晩私たちと同じ宿に泊まったけれど・・・
「ドームで寝起きするの? 」
「いや、テントで・・・」
「女の子を? かわいそうじゃないの? 」
結局リホちゃんが来る前の二日間にかなりの雨が降り、テントに浸水したので諦め、近く知り合いのペンションの部屋を借りることにした。リホちゃんにも仕事があるので、しばらく滞在したら、また現在の仕事場所の気仙沼に戻ると言うが。
 私は自分の心の乱れをマーくんにぶつけてみた。「どうする、今度リホちゃんも私たちと住むって」「そうスか」まあくんもリホちゃんの写真は息子から見せられて、顔は知っているらしい。「明日のお昼にはこちらに着くって。そしたらウエルカムランチでもする? 」私は今や我が家の料理長となったまあくんの顔を仰ぎ見る。「そうスね。うん、何がいいかなぁ」
 マーくんには、その日来たお客さまの��色や体調を見て料理をするという特技がある。気がつけば、彼の料理を食べている私たちはなんだか体調がいい。身体が凝らなくなった。食事で身体がそんなに変わるものなのかと驚いている。
 マーくんがいて、リホちゃんも来る。考えてみたら、わたしたち夫婦だけのところにリホちゃんが来るより、他人のマーくんもいた方が、返って気づまりにならなくてもいいかも、もう何があっても楽しむしかないじゃないの、そう思うことにした。
 ウェルカムランチはおいしかった。玄米麺に、去年この近くで採れたきのこを乾燥させて保存していたものを戻し、豆乳と合わせてクリーム状にしたものにアスパラを加えたクリームパスタ。それにケールに甘夏を隠し味にしてナッツと和えたサラダ。薬膳も学んでいるマーくんの作るものは、加える素材のひとつひとつにも、例えば疲労回復などの意味がある。
 しかし滋賀から長距離移動してきたリホちゃんには、次第に疲れが見え、貧血症状を訴え横になってしまった。そこで、マーくんがまた工夫を凝らして、貧血に効く食材や気持ちのほぐれる料理をする。
 この寒い山梨に来るというのに半袖の服しか持ってこなかった彼女に、あれこれと似合いそうな服を引っ張り出しては着せる私。彼女は大変小柄で、色が白く、潤んだような大きな瞳に濃いまつ毛の、大変かわいらしい女の子だ。
 次第に彼女も打ち解けてきた。将来この彼女が本当に息子と結ばれるのかは今の私にはわからないが、かわいい人なのだから、とにかくかわいがっちゃおうと決めた。
 ある晩、息子とリホちゃんが、知り合いの若い夫婦のところへ晩御飯に出かけて行った。久しぶりに夫と私とマーくんの三人で食卓を囲む。
「なんかちょっとホッとしましたね。なんだろう、このリラックス感」まあくんは、息子たちがいない今日の空気感をそう語った。
「ほんとにそうよね。けっこう緊張していたよね、私たち」
まあくんは、年上の自分が何か優れたところを見せて、リホちゃんの前で息子のプライドを傷つけることになってはいけないと気を遣っていたみたいだし、私もリホちゃんが私たちの誰かの無神経な言動に傷付いてはいけないと、けっこうドキドキしていたのだ。
「どうもお疲れさまです」すっかり身内のようになって、お互いを労いあったのだった。
 なんだか、こういうよくわからない家族もおもしろいなぁ、と感じる今日この頃だ。お客様たちも皆おもしろがって、ひとしきりマーくんやリホちゃんとお話していく。血が繋がっていてもいなくても大事な人であることに変わりはないし、食費や光熱費だって、本当の娘たちがここにいたとしたら同じにかかるし、娘たちだって異国の地でいろいろお世話になっているのではないかと思うと、今私がここできることを精一杯しようと思う。
 マーくんもいずれはここを去る日が来るだろう。リホちゃんだって、いずれ息子と別の場所に住むだろう。その時は一抹の寂しさを感じるだろうけど、これからはいろんな人をホームステイの人として受け入れて、一緒にご飯を食べて語って休んで、その人がゆっくり身体を休めてまた元気になって出発できるようになったり、何か目には見えないものを受け取っていかれる(いや実際には受け取っているのは私たちの方なのかもしれないが)、通過点としての場所を提供できるのが、私たちの幸せかもしれないなぁと思っている。
  2023年5月
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thyele · 1 year
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2023年4月26日
米粉シュークリーム はづき|東京 田園調布 https://hazuki-cream.com/
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B'zさん「【NEWS】B’z 新曲「Dark Rainbow」が2023年10月20日全国公開となる映画『おまえの罪を自白しろ』主題歌に決定いたしました!書き下ろしの新曲と緊迫感溢れるストーリーの融合、どうぞお楽しみに!q #Bz #DarkRainbow #おまえの罪を自白しろ #おま罪」 https://twitter.com/Bz_Official/status/1650258542241398785
佐藤健が最高にかっこよかった作品ランキング!るろうに剣心、恋はつづくよどこまでも、仮面ライダー電王、1位は?|るろうに剣心シリーズ,恋はつづくよどこまでも,仮面ライダー電王シリーズ|他 - gooランキング https://ranking.goo.ne.jp/column/8719/
【IA English C】 Why so Serious ? ~ Study for English Song No.12 ~ 【Original】 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=YEoNwon5Djg
Mutsumi/ムツミさん「楽器上達の「さしすせそ」 さ サボるな。8時間練習しろ し 嫉妬する暇があったら8時間練習しろ す すぐ上手くなれると思うな。8時間練習しろ せ 正解は1つじゃない。8時間練習しろ そ そんなに難しく考えるな。8時間練習しろ」 https://twitter.com/mutsumidtm/status/1650089946613686273
新潟県の公文書データ10万件が消失 保守業者がテストなしで新機能追加し不具合に - ITmedia NEWS https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2304/24/news085.html
函館市長選勝利の大泉潤氏、弟・大泉洋とのやり取り明かす | Narinari.com https://www.narinari.com/Nd/20230478926.html
岸田奈美|Nami Kishidaさん「ニューヨーク、満員エレベーターでも劇場でも長蛇の列でもかならず車いすを優先してくれるんだけど、優しいっていう表現とはちょい違って「あー、はよ行けはよ行け」「かまへんから、とっとと先行かんかい」「あとは知らん」って感じでむちゃくちゃ雑で消費カロリー低い。どっちも気楽。 #岸田家NY https://t.co/vheav8PjAo」 https://twitter.com/namikishida/status/1650455943040098305
『ちいかわ』作者ナガノ氏、入院・手術を公表「KAROU JYA NAIYO!」「ゆっくり復活していければ」 | ORICON NEWS https://www.oricon.co.jp/news/2276514/full/ お大事にどうぞ
中居正広、新番組に「寿司150人ぶん」差し入れ…過去には200人にスニーカー、医療従事者に叙々苑弁当も | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌] https://smart-flash.jp/entame/232515/
双子なんですか? 葉加瀬太郎、うり二つすぎる“後輩”に「寄せてくるねぇ」 平原綾香にも過去間違えられ「あのね……」(1/2 ページ) - ねとらぼ https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2304/24/news104.html
Mona_DRさん「歌コレ初出場で歌ってみた3曲目です 【歌ってみた】SLAVE / LUNA SEA 【N】https://t.co/E2Nb2zhKOW 【Y】https://t.co/byC4w11H1L 聴いてみて下さい #LUNASEA #SLAVE #歌ってみた #歌い手さんMIX師さん絵師さん動画師さん繋がりたい #歌コレ2023春 #歌コレ2023春ルーキー #オサーン卍連合」https://twitter.com/Mona_DR01/status/1649352276102791169
脳内クラッシュ演劇「DRAMAtical Murder」フラッシュバックさん「【広告掲出情報】 JR池袋駅改札外北通路付近 パノラマ池袋Aにて、脳内クラッシュ演劇「DRAMAtical Murder」フラッシュバックの広告を掲出中! 掲出期間:4/24(月)~30(日) ※本件に関しての駅や駅社員へのお問い合わせはご遠慮ください。 #ドマステ #ドマステ再演 https://t.co/7tFJIYQdz4」https://twitter.com/DMMd_engeki/status/1650435496794005505
Karyuさん「今日この曲を録り終えた 今ライブで観て欲しい曲NO.1🫂 https://t.co/FWQSXRTApJ」https://twitter.com/karyu_official/status/1650381210210942976
lucy+peter=esolagoto / 中村真悟さん「そんな健康志向強めの我々は5/11池袋手刀にてとろりんぽです・・・† 宜しくどうぞ🍜🍜🍜 https://t.co/YOyM8OUH3C」https://twitter.com/lucy_peter/status/1650381738902953991
Ryuichi Kawamura officialさん「monologue🫶🏻 https://t.co/OHrTTotEnN」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1650390627799162880
[email protected] grace periodさん「昨夜のNEiN最高に楽しかったψ(`∇´)ψみんな最高でした!有り難う✨ 個人的にはTwiggyYOUmirez以外マラソン部員も参戦で楽屋も楽しかったな🏃‍♂️ NEiN次はいよいよ自主企画&舜さん生誕祭! Photo by @SanaHarukawa https://t.co/WHcv5Bk5t1」https://twitter.com/eisuke_gp/status/1650395563727400961
UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「おそようございます🙋‍♀️ 昨日のライブトラブル多かったけど楽しかったよ✨ 昨日の主役と一枚😊 朝5:00くらいw おめでとうございました&お疲れ様でした✨ @hideki_bass https://t.co/DQUyYBDyOs」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1650398559118979072
N'sGuitarMaintenanceさん「ライヴが終わったばかりですが次はコチラ。 チケット予約もスタートしております。 舜さんのバースデーイベントです。 この日は気持ちではなく、会場にて直接お祝いをしに来ていただけたらと思います。皆様是非!! #NEiN https://t.co/NIm8x7vWvh」https://twitter.com/NsGuitar2016/status/1650383020761948160
Ryuichi Kawamura officialさん「『第二の故郷大阪』 #アメブロ https://t.co/aE0lmH8f7n」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1650420086132572161
Hydeさん「[STAFF] ワンマンツアー『HYDE LIVE 2023』の楽天チケット先行受付は本日23:59まで! お申し込み忘れのないようお気をつけください。 詳しくは↓ https://t.co/BmNGtzabND #HYDE #HYDELIVE2023 #声出し解禁 #BEAUTYANDTHEBEAST #TAKINGTHEMDOWN https://t.co/hvumwXtWoo」https://twitter.com/HydeOfficial_/status/1650424342046449664
森 翼Tsubasa Mori/MIMIZUQさん「パスマーケット今日までです。帰国までの1週間の様子。プラカノンLive/シーラチャLive/カンチャナブリ家族旅行/楽曲制作などの内容になります✈️✨」https://twitter.com/mori_tsubasa/status/1650425046018723840
SOPHIA_OFFICIALさん「【#Eternal】 ファンクラブ限定コンテンツ🎉 「#黒柳能生 の #俺流 」更新! / 📣今回も"料理編"!!🍳 \ 今回は豪華2品✨ あまりの美味しさに トモがプロポーズ⁉️🫣 🔽ぜひご覧ください♪ https://t.co/0tNz4hc8Zf #SOPHIA https://t.co/2IoVs1QwDu」https://twitter.com/SOPHIA_OFFICIAL/status/1650426359196573696
UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「■2023/6/16 会場:吉祥寺SHUFFLE 『BEAT OF THE PASSION Vol.18』 チケット購入はUNCLOCK LOVERにて一括予約となります。 下記URLよりアクセスして頂き 日程 会場名 お名前 枚数 必ずご希望のバンド名 をご入力下さい! https://t.co/XHoyQwGMyB ※5月16日19:00より受付け開始 https://t.co/RdxOKniSzs」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1650428126361690113
ROCK CAFE LOFT|ロックカフェロフトさん「情報解禁 5/14夜公演 「ゴッドラジオ Vol.18」 【出演】aie、大嵩 潤 OPEN 17:30 / START 18:30 予約 ¥3,600(+要1オーダー以上) 各種配信チケット ・通常 ¥1,500 ・応援チケット ¥2,000 ・超応援チケット ¥3,000(特典付き) 詳細→https://t.co/4KUvOO1iCr https://t.co/dHraejL9Fu」https://twitter.com/ROCKCAFELOFT/status/1650424365681643520
舜6/3我輩生誕祭@池袋手刀さん「■2023/6/16 吉祥寺SHUFFLE 『BEAT OF THE PASSION Vol.18』 ・開場/開演17:30/18:00 ・チケット前売り/当日¥4000/¥4500 Drink別 チケット購入はUNCLOCK LOVERにて一括予約となります。 必ずご希望のバンド名 をご入力下さい! https://t.co/5CRRDLzPNh ※5月16日19:00より受付け開始。 https://t.co/MEsLlCIBca」https://twitter.com/shun_thefuzzbox/status/1650429940368838657
NEIN_OFFICIALさん「🎫 ※5月16日19:00より受付け開始。 チケット購入はUNCLOCK LOVERにて一括予約となります。 (人数制限あり) ��記URLよりアクセスして頂き 日程 会場名 御予約者様お名前 枚数 必ずご希望のバンド名 をご入力下さい! https://t.co/u2hrmCYyks」https://twitter.com/nein_official/status/1650431599530614785
NEIN_OFFICIALさん「【東京公演スケジュール追加!】 6/16@吉祥寺SHUFFLE 『BEAT OF THE PASSION Vol.18』 ・NEiN ・UNCLOCK LOVER ・Yeti ・Larme Belladonna ・鳳-AGEHA- ・開場/開演17:30/18:00 ・前売り/当日¥4000/¥4500 Drink別 https://t.co/IHprnOeFXm」https://twitter.com/nein_official/status/1650431458782371840
NEIN_OFFICIALさん「6.16スケジュール追加!! SCHEDULE | NEIN OFFICIAL SITE https://t.co/79bOLAvyl5」https://twitter.com/nein_official/status/1650431925293821952
takuma.さん「2023/6/16 吉祥寺SHUFFLEにて NEiNサポートギターとしてこの度2度目のステージに立たせて頂きます! 21年6月2日から 約2年振りのNEiNのステージ 健太さんの気持ちを背負ったステージ 暴れさせて頂きます! 詳しくは引用元、舜さんのTwitter又は@nein_officialをご覧下さい。 https://t.co/LKgjSo0eyV」https://twitter.com/takuma_official/status/1650435892149112833
UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「@shun_thefuzzbox よろしくお願いします😆✨」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1650440846456795141
舜6/3我輩生誕祭@池袋手刀さん「6月は僕の生誕祭もあるけど、可愛い後輩の誕生日イベントもあるので何卒🙇‍♂️🎸✨ NEiNの6月は2本!」https://twitter.com/shun_thefuzzbox/status/1650430392112140290
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「Mercuryのスタッフさんの協力があってこそ魔界の森を召喚する事ができました アーカイブでまだまだ魔界を体験できるぞ (°_°)」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1650440952333615104
yoshikittyさん「Playing beautiful music together! Please support #yoshikitty in the 2023 #SanrioCharacterRanking! VOTE EVERY DAY from all of your devices until May 26th! https://t.co/OpppEM7eSS #HelloKitty x #YOSHIKI #teamyoshikitty #チームyoshikitty #Sanrio @YoshikiOfficial https://t.co/bTzPGBOLBE」https://twitter.com/yoshikitty/status/1650352729683025920
seekさん「Psycho le Cemu Vijuttoke主催 『Vijuttoke!!Festtoke!!2023』出演決定!! 2023年8月19日(土) OPEN 15:30 START 16:15 E.L.L3会場(ElectricLadyLand / ell.FITS ALL / ell.SIZE) https://t.co/9i6pxMFGH9 https://t.co/aeXfrXdXZI」https://twitter.com/seek_bonshisya/status/1650447021202079744
Psycho le Cemuさん「4/24(月)20:00~ ニコ生 サイコチャンネル『24周年直前SP』 いよいよ結成24周年を迎えるサイコルシェイム。Anniversary Liveを直前にメンバーが心境を語ります! お楽しみに! 出演:DAISHI,Lida,YURAサマ ※無料放送枠60min https://t.co/TvioGpL3Er #サイコルシェイム #psycholecemu #ニコ生 https://t.co/t1zRffWIZG」https://twitter.com/PLC_official/status/1648234918126792844
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akufuku · 1 year
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セーブルのプレイ日記
第1話:ユーアー谷へようこそ!
音楽:The Ewer (Day)
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よ。私はセーブルです。アイベクス族の中で一番登るのが上手です。他の趣味は、絵を描くこと、裁縫、骨格など。虫を我慢することが出来る、普通に。よろしくお願いします。
今日が誕生日だから、グライディングという大人になる冒険をはじめなくちゃいけない。楽しみだけど、実はちょっとモヤモヤもしています。一人で生きることが全然出来ると信じる、でも、家族と別れることはまだ…
とにかく、今朝はロハナ様の寺で先延ばしにする。後ろはロハナ様の顔です。
さ、食べたいから、帰ろう。
(この投稿はとても長いから、ページの区切りの下で続く)
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この頭骨は私より年上だと思います。太陽がまるで焼けた。
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この寺は昔、震災でみだれたので、通すことが難しい。最高のクライマーだから良かったね。
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あっちでアイベクス族のキャンプがあります。
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ユーアー谷は烏の鳴く音と風の音だけ、無言です。
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行こう。
音楽:Ibexxi Camp (Day)
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アイベクス族は大体羊飼い、その上に、布や骨のお守りや作ります。遊牧民なのでよく旅行します。私は別れてから、確かにここに残らない。
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この人はジャディさんです。アイベクス族の族長です。皆のおばあちゃんみたいなのです。老人だけど、とても鋭い。
近づいてから、ワクワクしていることがすぐに分かった。いたずらする、そして心強い言葉を伝えてくれた���バイクを乗るみたいっていった。はじめは怖い、でも後で当然です。
心配は、間違った生活をえらびます。間違った生活はありませんと言ってくれた。
ヒラルさんとドリスさんが私に品物をくれたがっていると伝えてくれた。
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この人はヒラルさんです。変な石で遊んでいます。上に投げてから、石がだんだん下に漂います。グライディング石というものだとヒラルさんが伝えた。冒険に助かる。でも、今、力が弱いので、リチャージために谷の南の寺へ持って行かなきゃいけない。
あ、ドリスさんのプレゼントをしてると思います。
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やっぱり!あそこにバイクがある!
まあ、ドリスさんもいます。近づいてきたことにドリスさんは驚かされた。何故かここにいると言いました。
え? プレゼントがあると思った?ジャディさんとヒラルさんの話しを説明する。まだ混乱していてがった。そして、急に気づいた。
「そ、そうなんだ!」と嚙みました。「もちろん!えーと、えと」
バイクについて質問しました。また嚙んで続けた。とうとう、わかってきた。多分。かも。
「学習」のために、あそこの輪をバイクに通す。
行く前に、バイクの名前ついて質問しました。
「サンドカッター」と答えました。
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オーケー、行ってきます!
サンドカッターたんは… まあ、正直なところ、ちょっと臭いと思います。それ以外は、エンジンがドンドンとしていた。危ないバイクかな。
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息のようにしやすいですよ。日陰と風は気持ちよかった。
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ただいまー おっと!
ドリスさんは変な質問をした。「変な音?」や「火がある?」と聞いた。火が出来る?爆発したら何を???あーもうー
やっぱり、全然危ないバイクだ!サンドカッターたん、気を取り直して。
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あそこの寺に行かなきゃ。さ、また行ってきます。
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着いてきた時には、夕焼けがもう始まっていました。
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入口の隣で、「チャム」という動物を見つけました。
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えっ?卵に変わりました?
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残り。変な動物ですね。
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蝶人の像が入口にあります。頭の上に烏もいます。
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危ない!寺の中で、床が落ちた!死ぬところだ!
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安全に、下へ登りました。
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中の問にきた。入りました。
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中は全く暗いです。台に近づいたところには、グライディング石が手から飛び出す。
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台の上で、ロハナ様の力が入ってくれました。
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光がどんどん回って、光の玉は体の周りに現れました。漂っている!
そして、無意識になった。
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kennak · 1 year
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私はそこそこ年かさのパパで、就学前の子供一人と社会人としても家庭人としても優秀な妻の3人で暮らしている。首都圏在住、夫婦ともにフルタイム勤務。なぜ書くのか子供を持つ喜びがネットであまり共有されていないのがもどかしい。子育てについて、よく把握しないまま否定しているような意見まで見るようになり、残念な気分になった。そこで我が子を育てる中で感じている喜びを紹介したいと思う。じゃあ子供を持つ喜びとは何か?この感覚をわかってほしいんだようちの子は、保育園のお迎えや、仕事からの帰宅でパパが来たのを知ると全力の笑顔とダッシュでつっこんでくる。誰かの人生にここまで重要になれるとは…承認欲求と言うとなんだか下品な感じがするけれど、この誇らしい気分は悪くない。結婚も家族が増えるという点では同じだが、また違う良さがある。うまく伝えるのは難しいのだけれど…たとえば照明に例えよう。結婚後、妻を見ると蛍光灯が灯るように、一拍おいて心が明るくなった。こんな体験は今までなかったので、結婚はすごい…家にいるだけで毎日新鮮で、修学旅行みたいだな…と思ったものだ。ところが、子供が生まれたあとの喜びは、もう自分が経験したことのないほどの強烈な喜びを感じる。子供を見ると、瞬時に天井いっぱいのLED照明が点灯され、多幸感が落ちてくるイメージだ。そんなに愛おしい子供が、一人でできることが増えたり、同い年の子が苦手にするような野菜をパクパク食べたりしたら、どれだけ誇らしい、幸せな気分になれるか!生理的な影響もあると思う。子供を腕に抱きながら寝ると、寝覚めのときに、満たされた気持ちで起床することになる。おそらくオキシトシンか何かがドバっと分泌されているのではないか。個人の感想だけど。彼女のママ友は百八人までおるぞさらに近所のコミュニティに繋がれるというのも大きい。子育てをしていると親のネットワークができ、連絡先を交換することになる。私の妻は素晴らしいママ友ネットワークを築いている。彼女には感心させられることが多いのだが、結婚後最もすごいと感じたのは、このママ友ネットワーク構築の実績だ。子供が生まれる前は近所付き合いなんて皆無だったのに!妻の1/10も真似できていないが、コミュ障、陰キャの私でもご近所と多少は知り合えた。子供と、模範をみせてくれた妻のおかげだ。私は妻と子のおかげで、今の街に根を下ろすことができたと思う。学びもあるんだ我が子が知識や道徳を習得していくプロセスに寄り添うことで、人という生き物への理解が深まった気がする。仕事でもプライベートでも、他者に対する感じ方がかなり変わった。それから、フィクションで人が死ぬのを見ると、苦しくなるようになった。人の命の大切さを知ったと言えるかもしれない。何を選ぶのか?人の生き方というのは様々だ。親になるだけが人生ではない。だが、消費する喜びや趣味を生きがいに生きていく、という人には、オタクで趣味に没頭して生きてきた私から言わせると、ちょっと待ってほしい、という感じだ。個人的な感想になってしまうが、買い物ならば、子供のための買い物のほうがより楽しい。おもちゃを手にとって、うれしいな、うれしいなと感激している子を見る満足感。このおもちゃを通して、何か新しいものを学んでいくという期待感。子供が初見のものに感動するたびに、愛おしくて抱きしめたくなる。子供がプラレール沼、レゴ沼、ロボットアニメ沼に落ちるたびに、親である私も一緒になって楽しんでいる。人生の酸いも甘いも噛み分けたはずのジジババが、親が反対しても際限なくオモチャを買い与えようとするのは何故か?それはとても楽しいからだ。子育て支援は足りるのかまず、こんなに楽しい自分の子育てのために、公費でタダ同然の保育所、無償の医療が提供されるのはすごいことだ。そして今の保育の充実ぶりは、質・量共にすばらしい。保育所に入れないという話も聞かなくなった。昔は本当にひどかったようだが・・・近隣の認可保育所は活動も食事も自宅育児では全く実現できないほどクオリティが高い。私は日本での子育てがそこまでハードだとは思わない。成人してからの失業も少なく、子供が犯罪にかかわるリスクも低い。金銭の問題はつきまとうが、行政も遊んでいるわけではないので、基本的になんとかなるように設計されている。調べて、決断すべき子育ての喜びを知らないまま年齢を重ねるのは機会損失につながる。若い人にはライフプランについてよく考え、勇気を持って人生の方向を選んでほしい。補足:良い事ばかりではない親子というのは離れがたい関係なので、障害など、困難な問題が起きてもそこから逃げられないというのはある。行政には、こういった世帯への支援を手厚く行ってほしい。社会福祉は真に困っている世帯への支援を優先してほしい。世の中には子供が居るのに家庭をぶっ壊したり、子供に加害する人も居るのは事実。まったく理解できない世界だが、私が感じるようなバラ色の状態だけではないんだな…それから、時間は本当に足りない。長時間残業、長距離通勤、介護などで時間が無い場合は育児の困難さはかなり上がると思う。キャリアも犠牲になると思う。我が家は夫婦ともにそこは受け入れているが。追記読んでくれた人いろんな立ち位置の人がいると思うけど、みなさんありがとうございます。この界隈で見かけない意見を言語化できて、誰かの役に立てたなら嬉しいな。内容が薄い、つたわらない説明したいと言いつつ、人によっては表現が伝わりづらかったなと思う。ごめんなさい。愛情で繋がっている嬉しさって言葉にしにくいということなのかもしれない。大事なことを書き忘れた。世界で一番かわいいママがいて嬉しい、なんでも知ってるパパ大好き、と…俺の息子…天使みたいに笑って…彼はハッピーボーイなんだよ。そりゃ嬉しい。妻も幸せだと確信できるしね。家事やってるの?いっぱいやってるよ!以上。家事にからめて妻自慢をさせてもらうと、うちの妻の食事を作るスピードは半端ない。省力化しつつ爆速で食事を用意する彼女は、キッチンという戦場を駆け抜ける疾風ウォルフだ。私は高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に余った食材を組み合わせて使い切るタイプ。面倒なことについてとにかく時間・土日に休めない 子供に張り付き、溜まった家事をすると休日さのほうが疲れる気がする。楽しい時間で体力消耗してるから良いような、良くないような。・子供に時間を割けない罪悪感 我が家は語りかけ育児を信奉していて、家で子供を放置してしまうときは焦る。過保護かな。・仕事への関心が薄くなる子供、妻、仕事と3番手に降格だから仕方ないね心を広く持てるようになったような気もするが…これ以外は人によって違うかな。親同士の子育て方針の違いとかね。子供が一人ということもあって、お金の面は気にしていない。パパ友ママ友パパ友ママ友がみんな素晴らしい人なんだ。不思議。こわ有り難い。この先子供は離れていくだろうし、ある意味犬を飼うより賞味期限の短い時間かもね。しらんけど。バイク>コミュ障、陰キャの私でも多少の知り合いができた。これもバイクのおかげだ。ここリアルだな。私は、暖気運転を兼ねて、エンジンの反応を確かめながらゆっくり走り���す瞬間とかしゅき。
【追記あり】子育て、やってみたらとっても楽しかったんだ!この楽しさを知らせた
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leon-write · 1 year
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影踏み
 山に忽然と現れた静かな広場で、夕焼けに作られた大きな影を踏んではいけない。もし踏んでしまったら、聞こえてきた声に返事をしてはいけない。
 その影は山神様の住処への入口。その声は山神様からの呼び声。だから、踏んではいけない、答えてはいけない。
 もしも踏んでしまったら、答えてしまったら、もう家には帰れない。人の世には戻れない。
 昔、両親と車で出掛けた時に山を越えようとして、でも大雨による土砂崩れで道が塞がって帰れなくなったことがあった。土砂崩れで塞がった道は自宅への最短ルートで、引き返せば他にも道はあるけれど酷く遠回りをしなければならない。その遠回りのルートを使うと家には帰れるけれど、帰るまでに最短ルートの倍以上の時間が掛かってしまう。そして、最短ルートを通れないと知った時は既に夕飯時を超えていて、遠回りのルートを使うと家に着くのは深夜どころか早朝と呼んでもいい時間になってしまうという、そんな状況だった。
 幸いにして翌日は休日だったから、無理に今日中に帰ろうとするのではなくどこかで泊まってゆっくり休んで、明日の早朝に遠回りのルートを使って休憩を挟みながら帰る方が安全だろう。そんなふうにお父さんとお母さんが話をして、急遽近場に見つけた民宿に泊まることになった。
 その民宿は大きな古民家を民宿にしたという古びたところで、家族で経営しているというアットホームな宿だった。従業員は家族とその知り合いしかいないらしく、従業員同士のやりとりは気さくで遠慮がなく、今まで私が泊まったホテルとは違う雰囲気だった。
 お父さんとお母さんは、あまりこういう民宿は好きではなかったらしく、親しげに話しかけてくる従業員に対しては少し困った顔をしていたように思う。それでも、空いている宿はここくらいしか無かったので、嫌だと思っても他に行くところはなかったのだから我慢したのだろう。翌日の帰りの車の中で「やっぱり大きなホテルや老舗の旅館じゃないと疲れる」というようなことを言っていた記憶がある。
 私はどう感じたのだろう。覚えていない。きっと長年をかけて育った大樹であっただろう木を使って作られた古民家の宿。その大樹がまだ生きて呼吸をしているように感じた古民家の中は不思議と暖かく、山間の闇から中にいる人たちを守っているように感じたことはぼんやり覚えている。外に出てはいけないよ、闇は怖いからここにいなさいと、そう言われているように感じたのは気のせいだろうか。
 そんな民家の囲炉裏のそばで火の番をしていた老婆のことだけはよく覚えていた。民家を形作った木材と同じか少し足りないくらいの年齢を感じる皺くちゃの顔は、私を見ると穏やかな笑顔になって私を手招いた。こっちへおいで、ここはあったかいよとその地方特有の訛りで告げる老婆は、不思議と私を暖かい心地にさせた。
 その言葉に呼ばれるままに私がそばに行くと、老婆は目尻の皺をいっそう深くして笑って、囲炉裏の傍にあった一番綺麗で柔らかそうな座布団を自分の隣に置いて、ぽんぽんとそこを柔らかく叩いて見せた。おずおずとそこに正座をすると、行儀のいい子だねと笑った。そして続けて、楽に座っていいんだよと言った。こんな老婆に子どもが畏まることは無いんだと訛りのある言葉で言った。言われるままに足を崩せば、ニコニコと嬉しそうに笑っていた。
 老婆は火かき棒で囲炉裏の具合を整えながら、私やお父さんとお母さんが土砂崩れで思ったように帰れなくなったことをいたわる言葉をくれた。災難だったね、ゆっくり休んでいきなさいとそう言った。綺麗な宿では無いかもしれないけれど、暖かいご飯と寝床くらいなら用意できるから、と。そんなことを言っていた。
 それから、老婆は私の事をぽつぽつと聞いた。学校は楽しいかい、勉強は頑張っているかい、よく遊んでいるかい、お友達とは仲良くできているかい。そんな他愛もないこと。それにたどたどしく答える度、老婆は嬉しそうに笑って凄いね、頑張っているね、偉いねと言った。それがなんだか擽ったかった。
 老婆の話し方は穏やかで柔らかく、聞いているだけでなんだか心地よかった。私の話にじっと耳を傾けながら、うんうんと静かに、でも確かに相槌を打つ声が優しくて。言葉に詰まったり考え込んだりしても静かに私の言葉を待って、時折ポツリと私の言いたかったことに近い言葉を渡してくれるのが心地よくて。だから、不思議と話すことが苦にならなかった。名前も知らない相手だったのに。
 そうしているうちに、私の話も尽きてきたところで老婆は昔話をしてくれた。自分が幼かった時のこと、どんな遊びやどんな勉強をしたか、自分が子どもの頃に起きた出来事など、色んな話だった。遠い昔の話だったからか、まるで異世界の出来事のように聞こえて、あの時私はたぶん楽しいと感じていた。テレビも電話も無い時代。まだ妖怪や物の怪が信じられていた時代の話。老婆が老婆の祖父母から聞いた話。
 そのことを今思い出しているのは、山の中だというのに目の前に突然ぽかんと開けた広場が現れたせいだろう。昔、小学校の遠足で訪れた時には無かったはずの、この広場が。
 この山は都心から電車で一時間と少し、そこからバスに乗って三十分程で来れる山で登山客も多い山だ。世界一人が訪れると言われている山ほど人は来ないけれど、それでも歩いていれば一時間の間に数人とすれ違うような、そういう山。特に今日は休日なのだから、人と会わないなど滅多に起こらないような、そんな山。
 それなのに、この広場には人の気配がなかった。これだけ開けている場所であれば、登山客の一人くらいは休憩をしていてもおかしくないだろうに、誰一人いない。広場の四方には古びた小さな祠が建っているだけの、がらんとした空間。一休みには最適な場所だというのに。
 ああ、でも、ここで一休みをしようと思う人はいないのかもしれないと、ぼんやり思う。開けた場所だというのに、何故かここはどことなく薄暗く感じる。肌に感じる空気もどこか張り詰めているような気がするし、真夏だというのに少し肌寒く感じる。ここにいてはいけないような、そんな気分になるから。
 すっと空を見上げる。西側の空が赤く輝いていて、東側の空は藍色を帯びている。夕暮れ時の空の色だ。あと一時間もしないうちに夜がくる。夜がくれば、ここは山の上だから闇に包まれるだろう。空の星や月の光以外は何も見えない、夜の闇に。そう思いながら、私はギュッと胸元を握り締めた。
 闇に溶けてしまおうと思ってここまで来た。とろりと暗い闇の中でなら、もしかしたら私は息が出来るかもしれないから。仮にそうでなくても、そのまま闇に溶けて消えてしまえるなら、それでいいと思った。自分が何をしたいのか、何が嬉しくて何が悲しいのか、わからないなら存在する意味が無いと、そう思ったから。何のために生きているのか、わからなくなったから。
 そう思いながら広場の地面に視線を移す。夕焼けに照らされた地面には、誰もいないのに大きな影が落ちていた。人の形をした影が四つ。髪の長い影、短い影、髪をひとつに縛っている影、ふたつに縛っている影。誰もいない広場で影だけがまるで遊んでいるかのように動き回っている。
 影を踏んではいけないよ。そこは山神様の住処への入口だ。もし影を踏んでしまったら、聞こえてきた声に返事をしてはいけないよ。返事をすれば、もう人の世には帰れない。わしのお爺さんのお友達は、それで帰ってこなかった。かつてあの民宿の老婆から聞いた話を思い出す。思い出して、そして、私は走り回る影のひとつを……そっと踏んだ。
 ――あんよあんよ、こっちおいで。
 ――わたしの影を踏んでごらん。
 歌うような囃し声が聞こえる。掠れたようなか弱い声だけど、でも不思議と頭に残る声。その声は耳から聞こえたと言うよりも、頭の中に響いたような感覚がした。
 不思議な声。何故か胸の奥があたたかくなるような、そんな声。胸の奥があたたかいなんて、そんな風に感じたのはいつ以来だろうか。そう思いながらじっとしていると、また声が聞こえた。
 ――影を踏んだのだぁれ。
 歌うような声に静かに目を閉じる。誰かが私の方を見たような気がする。誰かの視線がこちらに向いたような、そんな感覚。それをぼんやり感じながら、私は小さく息を吸った。
「私が、踏んだ」
「えッ……!?」
 私が声を発した途端、驚いたような声が三つ聞こえた。その声に答えるように目を開けると、景色が一変していた。
 真っ白な場所だった。空も地面もくすんだ白で、何もない場所。ところどころに見たことの無いオブジェのような物が建っているけれど、それもくすんだ白。そんな場所に三人の人がいた。
 一人は一昔前のセーラー服のようなものを着た、肩くらいの茶色の髪の子。もう一人は、袴と洋装の間のような服装の、桜色の髪の子。最後の一人は古びた布で出来た昔風の野良着のようなものを着た、白い髪の子だった。
「嘘……」
「まさか、まだ迷い込む人がいるなんて……」
「ていうか、こいつ自分から影踏みに来なかった?」
 三人の人がそれぞれに言葉を発する。その三人ともが時代の違う服を着ていることを見て、ああ、と思った。
 これで私は、人の世に戻れなくなったんだな、と。
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real-sail · 6 years
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ティールーム卑弥呼の宴
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散々ふりまわされた物件から、ついに引っ越すことにいたしました
ちょうど同じタイミングで家を引っ越す友人がいて、お互いに「食材を使い切りたい」という事案が発生したので
思い切って(無法地帯な)うちのキッチンで日本のカレーを作ってパーティをすることに
当初は3人くらいの女子会を予定してたのですが、当日いろんなことが起こって、結局最後には5人もゲストが来てくれる華々しい展開になりました
ところがカレーパーティには裏番組がありました
なんとその日に限って、夏休み中いなかったフラットメイトのひとり(一番問題児である)通称「パーリー野郎」が帰ってきたのです
うちのフラットには、一番若くてやんちゃなパーリー野郎と、1週間に一度チキンを丸々焼いては少しずつ食べるチキン野郎と、自炊もするけどよく出前を頼むピザ野郎がいました
パーリー野郎のあだ名の由来は、ある日わたしが帰宅したらディスコミュージックがかかっていてホームパーティが開催されていて、パーティ自体はさほど遅くならずに解散されたものの、翌日大量の酒の瓶や缶が放置されていた出来事にあります
そのときのものを含め、とにかく改装したてのはずのキッチンのサイドテーブルは酒の瓶で埋まっていて、わたしとしては触れたくもない状況なので毎日嫌だなあと思いながら見ないふりをしてきました
もちろん本気を出せば片付けられなくはないものだったけれど、その手間と労力をわたしがかけるのは違うと思ったのです
パーリー野郎も今月いっぱいは契約があるはずなのに先月早々に家財道具を全て引き揚げてさっさと引っ越していったので、もう二度と会うことはないだろうなと思っていた矢先、よりによってわたしがパーリーをしようとしたその日に帰ってきたので、とても気が滅入りました
しかもカレーを仕込んで鍋をコンロにかけておいて、わたしたちが部屋に戻った隙にパーリー野郎がキッチンに赴き、何やらバタンバタンと音をさせています
いくばくかの恐怖を抱えながら恐る恐るカレーの様子を見に行くと、なんとパーリー野郎、放置に放置を続けた酒瓶ほかゴミ類を、ゴム手袋をする本気ぶりですべて片付けていました
しかも我々がカレーの下ごしらえをしている間に、トイレ掃除と洗面台掃除まで行う徹底ぶり
チキン野郎とピザ野郎が放置した歯ブラシ類もすべて処分されていました
またわたしが家を旅で離れた間に大量投下されていたわたし以外の人々へのたまりにたまった郵便物が、気がついたら一掃されていました
一番嫌いだったパーリー野郎が、最後にまさかの展開を見せて、
あいつ、いいやつだったのかな
と思ってしまうわたしは、お人好しでしょうか
ただまあ、彼の彼女が作った彼のバースデーケーキの食べかけが冷蔵庫の中に2か月は放置されているのですが、それは手付かずのまま、彼はまた去っていきました
一方昨晩の‘パーリー野郎’は確実にわたしです
とはいえカレーを作ってお米を炊いて食べて談笑するだけ、酒を飲みに飲みまくって踊るよりよっぽどおしとやかなパーリーですよね?笑
たしかに不具合の多い家ではあったけれど、わたしが愛をかけて居心地よく作ったお部屋は、昨年寮に住んでいたわたしにとって、いわば初めての完全なひとり暮らしのお部屋でした
きのう来てくれた友人たちは、これまでにもわたしの部屋でわたしが催したお茶会に遊びに来てくれた人たちで、でもお茶会はそれぞれの人とこじんまりと開催していたので、そのみんなが一堂に会するというのはとても不思議で
わたしの大好きな人たちがみんな同時にわたしの部屋に集っていることは夢のようで、でもとても幸せだな、と思いました
すでに引っ越しのためにかなり荷物をまとめてしまっていたので、いつも友達をもてなしていた得意の紅茶セレクションは4種類しかなかったけれど(充分だろ)
急遽来ることになった人たちが飲み物やお菓子を持ってきてくれて、急ごしらえなのにも関わらずにわかにかわらしいホームパーティが出来上がりました
わたしのお部屋に来た人はみな、ついつい長居をしてしまう傾向にあり、まあそれはわたしもべらべらしているせいではありますが、それを「居心地いいからつい長居しちゃった」と言ってもらえることが嬉しくて
きのうもひとりがそろそろ電車が終わるから帰らなきゃと言ったとき、みんなが「もうこんな時間だったんだ!」と言い、時を忘れるほどみんなが心地よく過ごしてくれていたなら、迎える側としては本望だなと思いました
わたしがイギリスに来てから仲良くしていた人の多くは、この夏一緒に卒業した人たちで、国籍問わずすでに帰国してしまった人たちもいるくらいです
きのう来てくれた人たちもこれから旅立つ人が多く、ここに残ってみんなを送り出す立場になってしまったことは寂しくもあるけれど
みんなとロンドンで出会えたことが何よりの恵みだし、みんな必ずどこかでまた会えるからその日を楽しみに、みんなの未来も、わたし自身の未来も、明るいものであることを祈っています
余韻もそこそこに、もう来週には新年度が始まってしまいます
新年度を始めるための準備段階ですでにアクシデントがあり、ちょっと頭が痛いのですが、それはそれ、ちょうど2年前にイギリスに来たときの何にもわかっていなかったけれどがんばっていたあの頃の新鮮な気持ちを思い出しながら、新しい環境に向かっていきます
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oumikado · 2 years
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【エッセイ】バニー好き作家の奮闘記「第1回 小説を書き始めた頃の私」
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 このエッセイは、2013年にプロデビュー依頼、奮闘し続けているバニー好きの作家・逢巳花堂の���りのままの姿を綴ったものである。(各サイトで『へっぽこ作家が今日もゆく!』のタイトルで掲載しているものの再掲です。また、電書版のみ掲載のエピソードもあります)
 ☆ ☆ ☆
 遡ること18年前。
 社会人になりたての私は、理不尽な出来事が次から次へと襲いかかってくる中で、すっかり心が参ってしまっていた。
「このままサラリーマン人生を送るのか?」
 そう考えるとゾッとするものがあった。
 何かしないといけない。何をすべきか。
 悩み苦しんだ末に出した結論は、「よし、小説家を目指そう!」だった。
 小説家になる夢は中学生の頃から抱いていた。けれども、真似事のように文章を書いては放り出し、書いては放り出し、を繰り返していて、実際に作品として形になったものは一つも無かった。今度こそ何か一つ書き上げて、どこかの文学賞に応募してみよう、と考えたのである。
 だけど、当時の私は考えが幼かった。プロの小説家になる、ということがどういうことなのか、そのための登竜門はどこにあるのか、何もわかっていなかったし、調べようともしなかった。
 そうして選んだのが、「伊豆文学賞」という地方の文学賞だった。
 伊豆には縁があって、幼い頃から何度も行っている。これまで何十回行ったのか、数えることが不可能なくらいだ。そんな自分だから、伊豆にまつわる物語を書くことには自信があり、応募してみようと思った。
 四百字詰原稿用紙で56枚ほどの物語。今でこそ、集中して取り組めばその日の内に仕上がる程度の分量ではあるけど、書き慣れていない私は、ウンウンと苦しみながら、少しずつ文章を紡いでいった。
 そんなある日、信じがたい報せが飛び込んできた。
「おばあちゃんの余命が、あと数ヶ月だって……」
 祖母は、ガンを抱えていた。だけど発見が遅れてしまったため、見つかった時にはもう手遅れな状態だったのだ。
 母からそう教えられた時、焦りを感じた。
 末っ子で誕生した長男、ということもあるのだろう、祖母にはかなり可愛がってもらっていた。祖母は頭のいい人だったので、よく祖母の家に行っては英語を教えてもらい、勉強が終わった後は温かい紅茶を飲みながら、色々なことを語り合ったりした。私の他愛もない空想話に、祖母はニコニコしながら付き合ってくれていた。
 そんな祖母のことを、私はとても慕っていた。
 自分がプロの小説家としてデビューしたという報告を、何としても、祖母が生きているうちに届けたかった。
 一気に筆が進み始めた。
 時には「今回は諦めようか……」と弱気になりそうなのを、「まずは作品を仕上げないことには何も始まらない!」と奮い立たせて、会社から帰った後、寝る時間も惜しんで、書いては消して、書き直して、を繰り返していった。
 そして、文学賞の締切日当日ギリギリになって、ついに、人生で初めての小説作品が完成した。
 タイトルは『蛇の姫』。社会の荒波に揉まれて心を病んだ青年が、伊豆へと療養にやって来て、そこで不思議な体験をする、という物語だ。
「出来た! 出来た! これが僕の処女作だ!」
 何度読み返しても、この作品は面白いと感じた。よく出来ている、と思った。伊豆文学賞で大賞をとることは間違い無しだと信じていた。
 24時間やっている郵便局まで、自転車を勢いよく走らせた。10月の夜風が心地良かった。夜の闇を掻き消すほどに、世界が輝いて見えた。
 郵便局で原稿を出した後、家に戻った私は、ベッドに横たわりながら興奮で鼻息を荒くしていた。
 だけど、次第に気持ちが落ち着いてくる中で、残酷な現実を見つめ直さざるを得なかった。
 伊豆文学賞の結果が出るのは、年が明けてからになる。しかし、祖母の命は、年を越すまではもたない、という見込みだった。
 受賞したことを知ってから、祖母には最期を迎えてほしかった。でも、自分にはどうすることも出来ない。
 仕方がないので、完成稿をあらためてプリントアウトして、祖母のもとへと持っていった。
 末期を迎えるために我が家の中にあてがわれた、祖母の部屋へと入ると、祖母は窓際の椅子に座って、木の枝に止まっている小鳥のことをジッと見つめているところだった。
 英国の老婦人のような佇まいの祖母は、私が入ってきたことに気が付くと、振り返りながら優しくほほ笑んだ。
「小鳥がああやって元気に動いているのが、たまらなく愛しく感じるの」
 私はこみ上げてくる感情をこらえつつ、祖母に『蛇の姫』の完成稿を手渡した。
「ありがとう。読むのが楽しみだわ」
 祖母はそう言って、大事そうに、原稿を抱き寄せた。
 しばらく時間が経ってから、また祖母の部屋を訪ねてみた。祖母はベッドに横たわり、静かに休んでいるところだった。
「読んだわよ」
 優しい笑みを浮かべる祖母。
 自分の作品に絶対の自信を持っていた私は、きっと祖母は大絶賛してくれるだろう、と思いながら、感想を語り出すのをウズウズと待っていた。
 ところが、祖母の口から出たのは、意外な言葉だった。
「あなたらしい優しい作品ね。でも、毒が足りない」
「へ!?」
 余命わずかの祖母の口から、まさか「毒」という単語が出てくるとは思ってもいなかった私は、思わず問い返した。
「賞を狙うのだったら、毒が必要。審査する人達に訴えかける強さの毒が無いと、印象に残らない。優しい作品だけど、そこが足りないわね」
 呆気に取られていた。
 そして、自分の頭を殴りたい気分だった。
 よく考えたら、今回の作品は初めて書き上げた第一作目だ。出来がいいはずがない。それなのに、高い評価をつけてくれるだろう、と甘えた根性で原稿を渡した自分の情けなさが、とても恥ずかしかった。
 ここで満足しているようだったら、とてもプロになんてなれるわけがない。自分がやりたいのは、ただ作品を作り上げることではなく、人がお金を払ってでも読みたいと思えるような面白い小説を書き上げることなのだ。
 まだまだ、スタート地点に立ったばかりではないか。
「ありがとう。”次”はもうちょっと毒を入れてみるよ」
 アドバイスを受け止めた私の返事に対して、祖母は楽しげに笑みを浮かべていた。まるで”次”の原稿を心待ちにしているかのような笑顔だった。
 ☆ ☆ ☆
 結局、伊豆文学賞は落選した。
 その結果を祖母は知ることなく、あの世へと旅立っていった。
 ただ、おそらく祖母には見えていたのだと思う。私が落選する未来が。だからこそ甘やかすことなく、厳しく、そして的確に、当時の自分に足りていなかったものを指摘してくれたのだろう。
 『蛇の姫』に対するアドバイスは、祖母からの最後の贈り物だった。
 祖母から突きつけられた「毒」という課題を常に意識し続けることで、書く度に作品のクオリティは上がっていった。
 こうして、『蛇の姫』から8年の歳月を要したけれども、第19回電撃小説大賞の3次選考通過、4次選考落ちとなったところで、電撃文庫編集部より「うちで書いてみませんか?」と電話を受け、ついに商業デビューを果たしたのである。
 もし、あの世にいる祖母の声が聞こえるのなら、今はなんと言ってるのだろうか。何が自分には足りないと言っているのだろうか。
 それとも、二度や三度失敗したくらいで心折れてしまった自分に対して、喝を入れているのだろうか。
 とにかく、これからも書いていくしかない。書いて、書いて、成長する。そうやって出来上がった会心の一作を祖母の墓前に置いて、今度こそ祖母に、感嘆のため息とともにこう言わせてみたい。
「とても面白かったわ」
 と。
 ☆ ☆ ☆
 さて、小説を書くということは、プロの場合は特に、他人に読んでもらうことが前提となる。読者、は必ず存在する。誰にも読ませないのなら、それは��だの日記か、空想や妄想の個人的なメモでしかない。
 その他人に読んでもらうことが前提の小説作りにおいて、「面白い小説を書いてやる!」と意気込むことは、とても危険な行為だ。少なくとも私に関してはヤバい。このモードに入ると、本当にヤバい。本当に面白くない作品を書いてしまう。
 記憶に残っているので一番古い例は、なんと言っても『室奈屋の娘』だ。
 『室奈屋の娘』は、『蛇の姫』を出して落選した翌年に、再び伊豆文学賞にチャレンジした時に書いた短編である。生涯二作目の小説だ。
 内容は、ある男の独白から始まる。時代は60年代。東京からやって来た青年が、伊豆の山奥にある村に迷い込み、そこで陰のある女性佐那と出会う。佐那のことが気になる青年は、村に滞在し始める。やがて彼は、村の暗く凄惨な過去と向き合うことになる・・・・・・という物語。
 あらすじだけなら、この手の物語の王道パターンであり、展開次第ではものすごく面白くなるプロットだと思う。
 ところが、ここで私はやらかしてしまったのである。
 「超面白い作品に仕上げてみせる!」「文章力を最大限発揮してみせる!」とやたら鼻息荒く、気合いを入れてしまったのだ。
 まあ、気合いを入れること自体は悪くない。問題は、読み手のことをあまり意識していなかったところにある。どこか漠然とした「読者」というイメージしかなく、誰に読んでもらうか、どういう人に受け止めてもらうか、そのことは一切考えていなかった。
 気が付けば、歪な作品を作り上げてしまっていた。
 ある人に『室奈屋の娘』を読んでもらった時に言われた感想を、今でも憶えている。
「面白かったら私の知っている編集さんに紹介しようと思ったけど、このレベルじゃ全然ダメね」
 出直しておいで、と言わんばかりの酷評だった。
 もちろん伊豆文学賞は落選した。
 逢巳花堂、24歳の冬。こんな体たらくであったので、当然、作家デビューするまで長い年月を要したわけであるが、それはまたこれから少しずつ語るとしよう。
 ☆ ☆ ☆
 ちなみに、電撃小説大賞への応募作『バニィ×ナックル』は、賞こそ逃したけれど、拾い上げで作家デビューするきっかけとなった作品であるが、なぜ編集の目に止まることが出来たか、その理由については明確に説明することが出来る。
 『バニィ×ナックル』に関しては、ハッキリと読者層の顔が見えていた。
 電撃文庫はどういう年代の、どういう趣味嗜好の人達が愛読しているのか、その特色は何であるか、歴代の大賞を取った小説は他の作品群と何が違ったのか。
 そういったことを一所懸命頭をひねって考えて、こういう物語であれば楽しんでもらえるのではないか、と試行錯誤した末に出来上がったのが、『バニィ×ナックル』だった。
 あの時のマインドが『ファイティング☆ウィッチ』や『天破夢幻のヴァルキュリア』を執筆した時にも発揮されていたら、今ごろ結果は違っていたかもしれない。『ファイティング☆ウィッチ』では、せっかく掴んだ商業出版のチャンスを逃したくないという気負いが悪い方向に働いたし、『天破夢幻のヴァルキュリア』ではそれこそ読者層の顔がまったく見えなくなっていた。なんというへっぽこ作家であろうか。
 ま、そんなことを考えたところで後の祭りではあるが。
 成功も失敗も、それぞれ必ず理由があって訪れるものだ。運を天に任せるのではなく、しっかりと頭をフル回転させて、小さくても着実な成功を掴み続けていきたい。そんな風に考える日々である。
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2023年1月23日(月) 出張旅行記その62 【1月15日】 晩ご飯を取ろうと,LE MUANG NGOYさんへ。 陽気な店主は,今宵も温かく迎えてくれます。 今日も寒いね。ここ座れよ。こっちだ,こっち。 あれ?ここ,宴の途中,席を外していますという状態ですよね? ほら,ນ້ຳຫ້າ(ナムハー; 飲料水のブランド)だ,飲め飲め。 今夜もウェルカムドリンクにナムハーという飲料水のペットボトルに入ったເຫລົ້າຂາວ(ラオカーオ; 焼酎)がやってきます。 つまみも食べなよ。これ,美味しいぞ。 こうして温かく迎えてくれるのが,ラオス文化です。普通に考えたら,レストランでお酒と料理のもてなしを受けるって,あれ?ちょっと。ここで売っているのは,飲み物と料理ですよね? もてなしてくれるのなら,気持ちよく受けるのもまた,礼儀。せめて少しでも貢献しようと,ビア ルアンプラバンを注文しました。これは,ラオカーオの喉休めにもなります。 店主の向かいに座ったおじさんは,今回初めて会います。 ああッー! 大学体操部の先輩じゃないですか? と,思わず声に出してしまいそうなくらい,そっくりなラオス人のおじさんでした。 いや,いるもんですね,世界のそっくりさんが。 この店の名前にもなっている村,ເມືອງງອຍ(ムアンンゴイ; ンゴイ村)に住んでいて,この店の店主の親戚になるそうです。奥さんがつながっているのかな。 ボートの船長で,ここノンキァゥからムアンンゴイへのツアーを主に請け負っているそうです。3人の子どもたちは親元を離れ,ビエンチャン,ルアンパバーンに住んでいるとか。奥さんと二人だと寂しいね,というと,そうなんだよ,年に2,3回しか帰って来ないんだ。昨年は長男の結婚式をビエンチャンでやって,家族総出でビエンチャンに行ったんだ。楽しかったよ。 おじさん,ギラギラ感がなく,素朴でかつ優しさがあふれる男です。店主にラオカーオを勧める時も,大丈夫,飲めるかい?と気遣ってくれました。 男が惚れてしまうような男。ぐいぐい引っ張る感じではないのですが,ふと後ろを見るといつもニコニコ見守ってくれているような存在。上司がこのおじさんだったら,安心して働けるでしょうね。こういうところも,大学の先輩そっくりです。性格が顔に出ているんでしょうね。 やがて,周りの西洋人のお客の相手を一通り終え,陽気な店主が帰ってきました。もう一人のスタッフのお兄さんも新たな料理を手にして加わります。 さあ,乾杯だ! そこに,隣に座った西洋人のおじさんを陽気な店主が誘い,乾杯します。 Happy New Year! もうすでに15日も過ぎていますが,我々の心は今も正月騒ぎです。いや,これだから酔っ払いは(自分に対する言葉)。この店の店主の奥さんが作ったというラオカーオは,確かに雑味が少なく,美味しいと思います。いや,だからといって飲みすぎると翌朝後悔するのは,自分です。気をつけなければ。 オーストラリアから来たおじさんは,ご夫婦でインドシナ半島を回っているそうです。自転車を持って来ていて,バスで移動したり,自転車で移動したり。 ひゃー,ハードな旅ですね。 タニシが出てきて,オーストラリア人のおじさんは戸惑い気味。ほら,こうして食べるんだよ,と優しいおじさんが綺麗に身を取り出してあげました。小さい分,サザエの身を取り出すより難しいんです。コツさえ掴めば簡単なんですけど。小さいけど,酒の宛てにぴったりです。魚も美味しかったのですが,店主の一番のお気に入りは,やはり焼き豚です。ラオスの豚は,柔らかくて本当に美味しいんです。 みんなと楽しい時間を過ごした後,まだしっかりしたご飯を食べてなかったなと思い,橋のホテル側にあるインドル料理店Deen Indian Foodさんへ。 タンドリーチキンとチキンブリニャーニを注文(したと思います)。もう22時を回っているというのに,小学生くらいの女の子たちが注文をとりに来てくれます。店の家族の女の子...いや,もしかすると近隣の村から口減しで出された子たちかもしれません。イヤイヤではなく,ニコニコとかつてきぱきと働く彼女たちの姿に,少し安心するような,しかし,現実世界の厳しさを思い知るような。 世界の抱える問題は実に根深く,かつ大きすぎるので,まずは自分にできること,知ることから始めることにしている店主です。誰か一人の力で一気に片付く問題ではありません。でも,まずは知ることからでもいい,余裕があるときに何か働きかけるといい,そんな小さな力がたくさん集まって,世界がより良い方向へ動くと思うのです。 満腹気味のお腹と一杯になった頭で,ホテルへと帰ります。ノンキァゥの気温は12℃。寒いはずです。 #カフェ #バー #東南アジア料理 Cafe & Bar ສະບາຍດີ(#サバイディー ) 大阪府大阪市福島区鷺洲2-10-26 📞06-6136-7474 #osaka #fukushimaku #cafe #bar #福島区グルメ #福島区ランチ #福島区バー #ラオス #ラオスの旅 #ラオス文化 #変わろう日本 https://www.instagram.com/p/Cnvy_vFyCrB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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angyeong-12 · 5 years
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大阪-宮城の大遠征をしました
人生初の遠征梯子���しました!
人は4日間遠征をするとどうなるのか、24歳(体力0)はこの旅程に耐えられたのか!?
▼日程
12月18日
大阪へ新幹線、イリチルライブ
12月19日
イリチルライブ
12月20日
朝飛行機��仙台へ、EXOライブ
12月21日
EXOライブ、そのあと高速バスで家に帰る
1日目の夜、すでに疲労と満足感がキャパを超え、早くも帰りたいと言っていました(帰れよ) 
▼1日目
あまりこういうことは言いたくないんですが、ちょっとあまりにもおもしろいので先に言いますね
この日、12/18は誕生日でした
それにもかかわらず、いろんなことが起きますので、皆さん「こいつ本当不幸だな」って思って頂ければと
その1
「大阪着いて5分で現地人の洗礼を受ける」
はい、電車待ちの時に絡まれました
これくらいは耐えられますよ、私強いので(涙目)
その2
「ホテルチェックイン時に従業員が真横で倒れて痙攣」
私、かれこれ救急車の付き添いは2回、目の前で人が倒れるのは3回目とかなんですが、今回が一番キツかったですね、、、ちょっと精神的にもきましたが、もう目の前で倒れるとか個人的には珍しいことではないので比較的冷静です
フロントのお姉さんがテンパっちゃったので、
「あ、もう私のチェックインはいいですよ、自分でやるので。まず落ち着いて、誰も救急車呼んでないっぽいので119電話しましょうか」
と諭しました(倒れた方の対応はホテルの方がしてましたので、ご安心ください)
人ってテンパると、目の前にあるAEDを見ながら「AED持ってきて!」って言うみたいです
その3
「スタンド2列目なのに推しが来ない」
わーちかーい!と思ったら全然推しが来ねえ、いいけど、いいけど、これが私の人生だからさ
もう一つ結構精神的に来たこともありましたが、もうこれは言うレベルではないので割愛します、そんなこんなで私は24になりました、祝ってくれた方、カムサ
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アパホテルのツインって結構広いのな、まあ角部屋だったんですけど
▼2日目
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来た、トレカ推し自引き
この時すでにテヨンマークのラップにやられてます、テヨンやばい
▼3日目
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私、昔は大食いだったんですが、大学卒業したあたりから1日1食で生きていける人間になり、旅行時にいたっては1日1ゼリーでいけます
と言うか、食べれなくなります、が、、、、
流石に2日間食べてなかったのでお腹が空いてたこ焼き
大阪のたこ焼きって、必ずしも東京人の好みとは限らないなって再確認 (まだ好みの店を見つけられてないだけなのかな、まあ食に興味ないからいいけど)
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仙台着いた!寒いというより、風の攻撃力が強い
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いまだにちゃんと読めません、えくすぷろれいしょん?
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ホテルに帰ってきました、あ、レポは前に記事にしてるのでしません
足はもう痛いとかの次元を越しました、もともと脚に持病があるので歩くたびに痛い
アパホテルは、値段相応のホテルなんですけど、今回泊まったホテルは1泊1万だったので(個人的には高いの領域です)良い
ホテルマンの質が違う、、、、、
▼4日目
起きられないかと思ったら起きれました
それどころか、9時起きの予定が7時に起きた気が
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はい、ライブの話はしません
これ、シャトルバスのふだのとこを黙々と撮ってたら運転手のおじさんが話しかけてきて
「あげるよ!いる?」
と言われたので思わず即答
あのシャトルバスは2往復とかはしないみたいです、一度仙台駅に来たバスはもうそこで終了なんだって
だからこの札も使わないってか捨てるの!と言われたので頂きました
うれp!!!となって仙台駅で撮った写真、今このふだは私の部屋にありますが、私の部屋はexplorationしてくれない、連れて行ってよ
さ、夜行バスまで時間がある!
しかし、会場で逸れた友人はサイゼに行った! (ここでもお腹が空かない私)
というわけで、私は趣味の散歩をすることに
脚が悪いくせに散歩が好きです
なので、ここでは私が宮城で撮った写真を、、、
※自撮りではないので安心してください、そんなの撮らないです
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この三越、マンションみたいじゃないですか??
結構見た時混乱して、何枚も写真撮ってましたが、通行人の人は
「何撮ってんだあいつ、田舎もんか?」
って思ったはず、ホラ三越見たことない田舎者的なね
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ピングーの著作権侵害かなって思いましたが、微妙に可愛くないから良いのかな
ギョンスー!!!!!!!
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歩き回ってたら、とんでもないイルミネーション群に遭遇
オタクがやりがちなやつもちゃんとやりました、あとこういうキラキラ好きなので結構感動(ネクラなのにね)
思えば、今回のツアーで13枚以上はトレカ引きましたが、一枚もスホさんは出てきませんでした、このスホさんは交換で来たスホさんです
イリチルは最高な感じで自引きできたのにな、、、、
▼帰宅
帰りの高速バス、WILLERのリボーンというバスにしました
そしたらオラ、、びっくりしました、
私172cmあるんですが、足が、、、、伸ばせるんですよ、、、、
もう高速バスはあれしか乗らん
ま、もう高速バス乗るような現場無いんですがね、ぴえん
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myonbl · 2 years
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2022年5月18日(水)
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今の家に引っ越して21年目、組長は3回目、今年は会計と保健係も兼務している。今日は早めに帰宅して、特定健診のポスターを貼り、チラシの回覧を各組長に依頼する。面倒と思わなくもないが、町内の様子を確認できるのはそれなりに楽しい。ご近所で一番早く咲く紫陽花、大分色づいてきた。他にも薔薇や芍薬、あちこちあれこれ目の保養。庭はなくとも地域全体が我が家の借景、お気楽兼業主夫はラジカル・オプティミストであったのだ。
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5時起床。
日誌書く。
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アオサそば+そば湯+ヨーグルト。
洗濯1回。
空き瓶・缶、45L*1。
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2人分の弁当を用意し、ツレアイの職場経由で出勤する。
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順調に到着。
まずは、研究室のMacBookAir のOSアップデート。
びーんず亭に、珈琲豆発注。
ラジオ体操第1。
水曜日2限・3限は「情報機器の操作Ⅰ(食物栄養学科)」、今日のテーマは「プレゼンテーション」、宿題にしていた「大学生活の目標」を各自発表する。サンプルファイルを編集するのだが、学業とそれ以外の目標と達成までの課題がコンテンツ、画像やイラストを自分好みのものに入れ替える。午後のクラスに1人、私のミー文字を使った学生がいたのには驚いた。
ランチは弁当とニンジンジュース。
3限終了後、すぐに退出。
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帰宅すると、「まいどおおきに露の新治です」事務局からキリ番の粗品が届いていた。参院選候補者のチラシも同梱、参考にさせていただく。
町内掲示板にポスターを貼り、健康診断のチラシを各組長宅に届ける。今年の会長はお風呂屋さん、水曜日が定休日と初めて知る。
西大路七条・ライフで買い物、タマネギ・セロリ・トマト・鱧皮・西京漬け。
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夕飯は、鶏むね肉のタンドリーチキンbyコウケンテツ、息子たちの食事中に奥川ファームから臨時便が届いた。無農薬栽培のイチゴとグミ、中にアリも一緒に入っていたのが楽しい。
ツレアイもさほど遅くならずに帰宅、食事しながら録画番組視聴。
街道をゆく 選「オランダ紀行」
原作・司馬遼太郎。壮大な紀行文学を映像化!鎖国時代、暗箱のような日本にとって「針穴から射し込む光」だった国。その歴史は?風車とチューリップの国を巡る旅が始まる。
昭和から平成へ。亡くなるまで25年にわたって司馬遼太郎が書き続けた「街道をゆく」▽国土の4分の1が海面下。オランダ人はどうやって田園や石畳を作り上げたのか?▽婚礼の立会人は市長!式は市役所で▽17世紀の黄金時代。そしてチューリップバブルの崩壊▽レンブラントの名画「夜警」誕生の背景には▽首都アムステルダムの土地の値段は?▽全長30キロの大堤防へ。いったい文明とは?▽1998年放送の番組がよみがえる。
【朗読】田村高廣,【語り】柿沼郭
いやぁ、面白い。
ツレアイは、奥川ファームから届いた地鶏をカットしてヨーグルトに漬ける。
私は明日のチキンカレー用に、ストウブで野菜の無水煮を用意する。
入浴、台所の片付け。
今日も23時就寝、とは言え、柳家小ゑんのCDを聴きながらなので午前零時近くになってしまった。
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こまめによく動いた、水分は1,800ml。
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