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#日本工芸会
bizenwakakusa · 4 months
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第67回日本伝統工芸中国展 伊勢﨑創さんの「備前花器」が特別賞の金重陶陽賞を受賞されました
伊勢﨑創さんの舟徳利花入と八寸皿
  このたび第67回日本伝統工芸中国展において、
当店取り扱い作家さんである伊勢﨑創さんの「備前花器」が特別賞の金重陶陽賞を受賞されました。
  受賞おめでとうございます。
  下記スケジュールにて展示会が開催されますので、ご興味のある方はぜひ。
  第67回 日本伝統工芸中国展
2024年5月22日(水)から5月27日(月)まで
会場:天満屋岡山店 6階 葦川会館
2024年6月11日(火)から6月16日(日)まで
会場:鳥取県立博物館 第3展示室
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visions-antiques · 10 months
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MEDERU/noël VISIONS special temporary store in OSAKA
2023.12.3 sun – 12.25 mon Open 11:00 - 19:00 Closed on Thursday, Friday at Visions Lev 1F
真珠/Pearl 一般的に「真珠=白くて丸いもの」と強く印象づいていますが、水揚げすると珠の形や 色や大きさは実に個性豊かで、その一つ一つが自然が生み出すオブジェのようです。私 たちはその中でも、ひときわ自然な美しさを感じるあこや真珠のグレーバロックパールを長年取り上げ続けています。毎年愛媛の宇和島の養殖家を訪ね、その年の真珠を譲り受けて仕立てており、そのほとんどが一点もの。日本の空や海と同じ色をした真珠が、 日本の女性たちの美しさに寄り添います。
MEDERU 2008 年、アトリエを創立。"美しさは懐かしさの中に" をテーマに、普遍の魅力を古典から紐解き、伝統的な工芸技術や手仕事、自然素材のもつ繊細な個性・本質の美しさを 丁寧に掬い上げながら、時代を問わない味わい深い魅力を探求。西洋の文化背景・価値 観の中で育まれてきたジュエリーという文化を、東洋的視点や感受性で捉え直し再構築。 内なる贅沢を求めて、身に着ける人本来の美しさを引き出すような、シックな装身具を仕立てるブランドです。
今年の noël VISIONS は MEDERU 初となるテンポラリーストアを Visions Lev 1F にて開催いたします。定番のラインナップに加え、この会期のために限定でつくられた ジュエリーのほか、当日お持ち帰りいただける 1 点もののジュエリーを多数ご用意いただきました。100 年以上前の手仕事や自然の素材の個性を大切に生かす物作り。そこか ら生みだされる恍惚とする美しきジュエリーをこの特別な機会にぜひご堪能ください。
予約制ではございませんが、ごゆっくりと愛でていただくために、常時 3 組様ほどのご入場を目安にしております。 何卒ご了承くださいませ。 皆様のご来場をお待ちしております。
www.mederu-jewelry.co.jp www.visionslev.com www.v-i-s-i-o-n-s.com
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misoyo-happy · 1 year
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今日はこちら!
会社帰りに行ってきました。第70回日本伝統工芸展です。
多田 幸史 さんが入選されたとのことで見に行ってきました。おめでとうございます。
美しいデザイン(*´∀`*)計算されてるのかしら。感覚なのかしら。器の内側と外側違うのも素敵。
思いのほか広くてたくさんで全部見られなかった。残念。
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ryotarox · 2 months
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ある音楽評論家が配管工を呼んだら、やってきたのがフィリップ・グラスだった。「何やってんですか、あんた」「話はあとだ、まずは仕事を片付けよう」巨匠が作曲だけでは食えなかった頃の出来事。
[B! アメリカ] アメリカで生活していると日本ではほとんど使う機会のない配管工(plumber)という言葉が、TOEICでは超頻出単語である理由がわかる...→この3か月で水漏れが3回も
タクシーの運転手もしてたはず。
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フィリップ・グラスと物理学とジュネーブ大劇場 - SWI swissinfo.ch
「浜辺のアインシュタイン」は、作曲家グラスにとって重要な出世作となった。それまでグラスは生計を立てるため、そして創作活動の自由と独立性を守るために、配管工とタクシー運転手として働いていた。
フィリップ・グラス『フィリップ・グラス自伝 音楽のない言葉』 : Living Well Is the Best Revenge
当時グラスは新しい音楽を作るのと並行して金を稼ぐために携わっていた「昼の仕事」として配管工を挙げ、配管という仕事の詳細を4頁にわたって詳細に記している。配管工はなによりも鉛の扱いに習熟しなければならない。
「ミニマル・ミュージック」の巨匠、グラスとライヒは多くの共通点をもつ。(略)興味深いのは、二人とも一時期、タクシーのドライバーとして生活費を稼いでいたという事実だ。 私はライヒがタクシードライバーで生計を立てていたことを以前より知っていたが、本書によるとグラスもまたセラのアトリエでのアルバイトを辞めた後、タクシードライバーを「昼の仕事」としており、かなりの大金を得ることができたという。 「週に三晩働けば、家賃と生活費を払うには十分だったのだ」むろんニューヨークであるから危険な目にあったこともあり、57丁目からサルバドール・ダリが乗車してきたという嘘のようなエピソードも披露される。 グラスは後に「タクシードライバー」の監督であるマーティン・スコセッシと一緒に仕事をするからこの話題には落ちがつく訳であるが、ライヒとグラスがある時期、ニューヨークでタクシードライバーを務めていたというエピソードは芸術を天才の占有物にせず、日々の生活から生み出されるタスクとみなす点においてまことにミニマリズム的といえよう。
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koch-snowflake-blog · 9 months
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海津 雪乃は、日本の女性グラビアアイドル、タレントである。所属事務所はTRUSTAR。 新潟県出身。新潟明訓高等学校、中央大学理工学部人間総合理工学科卒業。 ウィキペディア
身長: 158 cm
事務所: TRUSTAR
出身地: 日本 新潟県
現年齢: 25歳
生年月日: 1998年5月14日
身長 / 体重: 158 cm / ― kg
2017年、東京ドームのビールの売り子をしている時代に「可愛すぎるビールの売り子」としてマツコ会議で取り上げられる。
2021年10月9日、同月よりスカウトをきっかけに芸能事務所TRUSTARに所属したことをTwitterにて発表。
  
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foucault · 3 months
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本日9日より、「日野明子の仕事・13」はじまります。本日は日野さん、すず竹細工の村上素子さんが在店します。店内、盛り盛りに各地の新鮮な仕事が届いています。どうぞご覧下さい。
さて、日野さんの会恒例、日野さんによる作り手の一言紹介。最初は愛媛の兵頭さんからです(写真も)。
兵頭侑亀(愛媛)
砥部焼の産地、愛媛県の砥部の陶芸家で古物も扱う池本惣一さんの工房に遊びに行った時のこと。「骨董かしら?」と気になった器を見ていたところ、「腕はあるのに、仕事を始めないから僕が売り込もうと思って」と紹介されたのが兵頭さんでした。陶芸を始めてまだ4年とは思えぬ出来栄えに驚きます。「小さい頃、おばあちゃんと一緒に書をしていた」ことが筆の滑らかさにつながっているようです。(現時点では)白磁と絵付けとが同じ価格なのも、「筆で描くのが好き」な、兵頭さんの気持ちの表れでしょう。経歴は?と聞いたところ、「あまり書くことがないんですが」と送ってきてくれたのが、以下のシンプルな経歴です。モノの出来に、経歴は関係ないな、と思わずにはいられません。
1990年 愛媛県松山市に生まれる
2020年 砥部にてやきものを学び始める
2022年 砥部にて共同の作業場を借りて作陶を始める。まだ、窯も借りもの。
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elle-p · 1 year
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P3 Club Book Ryoji Mochizuki pages scan and transcription.
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望月綾時 Ryoji Mochiduki 2‐F教室ほか
工キゾチックな顔立ちに、後ろになでつけたつやのある髪。超ロングのマフラーからのぞく口元は、甘く妖しく笑みを浮かべる。海の向こうで仕込まれたであろう女性の扱いを引っ下げて、11月という中途半端な時期に転校してくる男子生徒。目が合った女子生徒は口説かずにはいられず、多くの場合食事に誘うところからス夕ートする。左日の泣きくろがチャームポイントだと思っており、女性と話すときにはつねに斜に構えて魅力をアピール。そんな容姿と口のうまさで一般の女子生徒からはアイドル並の人気がある。
強引で軽すぎるノリで順平と非常にウマが合い、しょっ5ゅう寮を訪れるが、女子メンバーからは順平とともにひとくくりで「バカふたり」的な見かたをされており、とくにアイギスには初対面からダメ出しをされるダメっぷり。
恐れ多くも美鶴にまでも手を出そうという分別のなさ。難攻不落の生徒会長という事実、知らないって幸せ。
初対面から��人公を知っているそぶリを見せる、異国的な風貌の少年。女の子が大好きと公言してはばからず、順平と意気投合している。
季節外れの イケナイ転校生
振リ向く笑顔がたません。自分の存在の意味を和らない彼に、両手ぃっばぃのかリそめの青春を。
リョージ君のスーパーロ説き文句
• 望月綾時っていいます。分からない事、憂しく教えてくれると嬉しいな。(11月9日朝・教屋)
• ところでこの学校はカワイイ子が一杯だれ。もう何人もデートに誘っちゃったよ。(11月9日放課後・教室)
• ···しかし、なんという美しさでしょう。良ければ、今度ご一緒しませんか?3ツ星ホテルの最上階... あなたのイメージにピッ夕リの、夜景が楽しめるレストランがあるんです。(11月14日放課後・屋上)
• ···そうか、風情の演出ねー。“みんなのイメージする京都” なワクね。···で、舞妓さん、いないのかな?芸者遊びって頼める?(11月17日放課後・屋上)
• 修学旅行、面白かったね。時にあの露天風呂が··· ···っと、ゴメンゴメン。これはヒミツだったっけ。でもこうやってヒミツを共有するのも、何か楽しいよね。(11月21月放課後・教室)
• 最近ますますアイギスさんからの視線を感じるんだよね。もしかして、また何か僕にダメ出しする気なのかな···?(11月30日放課後・教室)
• 君と出会えて···嬉しかったよ。こういう気持ちが、たぶ··· “幸せ” っていうんだと思う。今まで、本当にありがとう··· (12月31日夜・主人公の部屋)
オールバックに地面にも届こうかという長いマフラーがトレードマーク。人目を気にしない彼じゃないとできないオシャレ。
Ryoji's COMMU
女の子はみんな大只好きさ!
→ ♡ → 風花
→ ♡ → ゆかり
主人公 ← なんとなく懐かしい気持ち?←
順平 ← 心の友 → 綾時
→ ♡ → 美鶴
→ ♡ → アイギス
← あなたはダメです ←
やがて還る滅びの塔を背に。避けることのできない結に、やリきれなぃ気持ちにさせられます。
綾時の中に眠る「死神」
人の姿をとってはいるが、綾時の正体は主人公の中に封印されていたシャドウのひとつ、「デス」が、主人公から麦け出して顕在化したもの。普通シャドウに人格が宿ることはなぃが、桐条研究所の事故がきっかけで主人公の中で眠りにつき、そのまま10年間もの長ぃ過ごしたことにより、人の姿だけでなく心をも獲得した。特別課外活動部によって12体の巨大シャドウが倒され、散りぢりになっていた破片が主人公の中で合わさることにより、その封印が解かれたのだ。ただし綾時自身には自分がシャドウであることの自覚はなく、主人公の中に封印されていたあハだの記憶もまったくなぃ。彼は「長いあいだ外国で暮らしていた」という自分自身の記憶操作にあざむかれる形で、巨大シャドウの消えた秋口に転校してくることになった。
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jujirou · 2 years
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おはようございます。 秋田県湯沢市川連は曇り空です。 昨日は朝市で輪島漆芸技術研修所時代の先輩のお店に伺い、久しぶりにお話をさせて頂き、次の場所へ移動していたら、学校時代に良くして頂いた塩多先生にも偶然出会い、懐かしいなぁ久しぶりやなぁ…とお互いの事をアレコレと話し、次は輪島美術館を視察し、ここでも良くして頂いた先生や事務局の女性、そして久しぶりな先輩の先生とも様々なお話をさせて頂きました。 次に輪島漆芸美術館を視察し、人間国宝で館長の小森先生とも再度お話をさせて頂き、その後は漆器組合資材部にて漆クロメやその他様々なお話をお聴きし、最後はキリコ会館にて輪島塗りのキリコを拝見し川連に帰省しました。 輪島の皆様には今回も、本当に色々とお世話になり有難うございました。 昨夜無事に川連へ到着し、今日は抗原検査を行い、帰省後の後片付けやら、お昼過ぎからは漆器組合にて会議の予定です。 今日もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。 皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に‼︎ https://jujiro.base.ec #秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #伝統工芸 #秋田工芸 #秋田クラフト #寿次郎 #輪島塗会館 #輪島漆器商工業協同組合 #輪島朝市 #細道商店 #輪島漆芸技術研修所 #輪島漆芸美術館 #キリコ会館 #日本漆器組合連合会 #日本漆器組合連合会全国大会 #川連漆器若手後継者 #kawatsura #Yuzawa #Akita #Japan #japanlaquer #japanlaque #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro (秋田・川連塗 寿次郎) https://www.instagram.com/p/CjZHymWP4uV/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Sean bienvenidos, japonistasarqueologicos a una nueva entrega de historia nipona en la que os explico la evolución del artefacto Tanegashima, una vez dicho esto pónganse cómodos, que empezamos. - Fue introducido por los portugueses en 1543, en pleno periodo Muromachi desde la isla que lleva su mismo nombre, el polvo negro químico fue inventado por los chinos en el siglo IX, se usaba para los fuegos artificiales, después se trasladó a otros ámbitos. - Se cuenta que cuando llegó a Japón, un herrero vendió a su hija para poder producir dicho artefacto, era un producto raro y poco efectivo, no todos los samuráis la utilizaban, ya que muchos preferían, todavía, las técnicas tradicionales más efectivas, además la consideraban un elemento deshonroso. El hecho más notable fue el 28 de junio de 1575 en Nagashino, en la Provincia de Mikawa. El clan de Oda Nobunaga se enfrentaba contra el clan Takeda conocido por su temible caballería, Oda Nobunaga emplearía unas empalizadas para proteger a sus soldados de las sucesivas cargas, en esta batalla se usaría el artefacto en masa. Esto lo podéis ver en el famoso videojuego de Total War: Shogun 2. - Esperó que os haya gustado y nos vemos en próximas publicaciones que pasen una buena semana. - 日本の考古学者の皆さん、種子島の遺物の変遷を説明する新しい日本史へようこそ。 - 室町時代中期の 1543 年に、同じ名前の島からポルトガル人によって導入されました。化学黒色火薬は 9 世紀に中国人によって発明され、花火に使用されましたが、その後他の用途に移りました。地域。 - 彼が日本に到着したとき、鍛冶屋はその工芸品を製造できるように娘を売ったと言われています。それは希少で非効率な製品でした。多くの武士が依然として最も効果的な伝統的な技術を好んだため、すべての武士がそれを使用したわけではありません。彼らはそれを考慮しました不名誉な要素。 最も注目すべき出来事は、1575 年 6 月 28 日に三河国長篠で起こった。 織田信長の一族は、恐ろしい騎兵で知られる武田家と対峙しました。織田信長は連続突撃から兵士を守るために柵を使用しました。この戦いでは、アーティファクトが一斉に使用されました。 これは、有名なビデオ ゲーム Total War: Shogun 2 で見ることができます。 - 気に入っていただければ幸いです。今後の投稿でお会いしましょう。良い一週間をお過ごしください。 - Welcome, Japanesearchaeologicalists, to a new installment of Japanese history in which I explain the evolution of the Tanegashima artifact. Having said that, make yourself comfortable, let's begin. - It was introduced by the Portuguese in 1543, in the middle of the Muromachi period from the island that bears the same name. The chemical black powder was invented by the Chinese in the 9th century. It was used for fireworks, then it moved to other areas. - It is said that when he arrived in Japan, a blacksmith sold his daughter to be able to produce said artifact. It was a rare and ineffective product. Not all samurai used it, since many still preferred the most effective traditional techniques. They considered it a dishonorable element. The most notable event was on June 28, 1575 in Nagashino, Mikawa Province. Oda Nobunaga's clan faced the Takeda clan, known for its fearsome cavalry. Oda Nobunaga would use palisades to protect his soldiers from successive charges. In this battle, the artifact would be used en masse. You can see this in the famous video game Total War: Shogun 2. - He hoped you liked it and see you in future posts, have a good week.
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aidaweb · 6 months
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バイコット
「バイコット(BUYCOTT)」とは、不買運動である「ボイコット(BOYCOTT)」の対義語。
購入することで、より公平な企業や団体、生産者を応援しようというものです。
普段食べる食品や、身につけたり、使ったりしている製品が、どのように作られているのかを知り、共感し、お金を使うという行為は、誰もが共生できる世界につながっていくと思います。
パレスチナの人々が作る農産物や加工品、伝統工芸品などを購入することもそのひとつです。
何より、食べて美味しく、目にも美しく、使って嬉しくなるパレスチナ製品をお近くのお店で、通販で、ぜひ手にしてみてください。
◎架け箸 (ヨルダン川西岸地区の作り手とのフェアトレード雑貨/パレスチナのオリーブの剪定材を使用した箸やブローチ、手刺繍雑貨、アップサイクルバッグなど) ・オンラインショップ ・instagram
◎タトリーズ (レバノンのパレスチナ難民女性たちが作る手刺繍製品、ガザ応援グッズの缶バッジ、ステッカー、ポストカードなど) ・オンラインショップ ・instagram *パレスチナ子どものキャンペーン (CCP Japan)による運営です。
◎パレスチナ・アマル (UNRWA・Sulafaガザ難民女性によるパレスチナ刺繍など) ・オンラインショップ ・instagram *Sulafa:1950年に立ち上げられたUNRWAの刺繍プロジェクト。難民女性の収入や刺繍の伝統文化を守り、継承していく役割があります。 *パレスチナ・アマルさんはガザ支援NGO 【Amal for Gaza】を立ち上げられました。こちらもご覧ください。
◎パレスチナ・オリーブ (ガリラヤ地方の生産者団体からのオリーブオイル。※2024年度はヨルダン川西岸地区からのオリーブオイルとなります。 ヨルダン川西岸地区からのオリーブ石けん、刺繍製品も。) ・パレスチナ・オリーブの商品のお取扱店一覧 ・パレスチナ・オリーブから直接通販する場合はこちらをご覧ください。 ・instagram
◎APLA (ヨルダン川西岸地区産オリーブオイルと、そのオイルを使用し日本で製造した石鹸など) ・オンラインショップ ・instagram
◎FOVERO (パレスチナのストリートファッションブランド。パーカーやトレーナー、Tシャツ、トートバッグなど) ・instagram *注文から到着までの日数が数週間〜2ヶ月と幅があったり、着払い料金が発生する場合もあるようです。その時々の国内情勢により変わる可能性を踏まえつつ、お友達とまとめて注文して送料を分担するのもオススメです。
【 番外編① 】
◎MOMO 大久保にお店を構えるとても美味しいお菓子のお店です。「パレスチナについて話すきっかけになれば」という思いから『オリーブの枝葉をくわえた鳩のクッキー』を販売されています。売上の一部は北海道パレスチナ医療法師団への寄付となります。通販ページには寄付のみをできる項目も。 お店の営業日、イベント出店の詳細はXアカウントなどで事前にご確認ください。
【 番外編② 】
日本の食品メーカーである下記の3社が、パレスチナ支援のため、国際連合世界食品計画WFP協会にそれぞれ1000万円の寄付をされました。
◯プリマハム(2024.2.15)
◯明治(2024.3.5)
◯カゴメ (2024.4.1)
人権意識の高い良識ある企業の製品も、日常品の買い物の中に取り入れて、買って応援していきましょう。
※追記※ 上記で紹介した企業の中には、パレスチナ支援の一方で、まだ未解決の問題(動物実験を継続しているなど)を抱えている企業もありました。こういうこと(例えば○○ウォッシングなど)は見極めるのがとても難しいですが、パレスチナの食料支援や人道支援を行う企業がもっと名乗りを上げて欲しいという気持ちもあり、ひとまず掲載はこのまま続けます。ひとりひとりで考え、検討し、「買って応援する」という行動に繋がっていけたらと思います。
*今後は、オリジナルのチャリティグッズなどを販売されているお店なども、少しずつご紹介していけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
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kennak · 2 months
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そのじいさんが亡くなった。 昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。 安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。 そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。 正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。 実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。 母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。 じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。 じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。 寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。 じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。 そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。 その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報に接し、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。 そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。 それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。 死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。 最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。 最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。 父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。 父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。 父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。 亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。 ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。 (ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった) そんな感じの人だったので、この世に未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。 こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。 生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。 生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。 じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。 それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。 ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。 私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。 私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。
実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後
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ari0921 · 6 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)3月19日(火曜日)
  通巻第8181号  <前日発行>
トランプ最新語録 『ゼレンスキーは史上かってないセールスマン』。
「メキシコ生産の中国車に100%の関税。ネタニヤフは早く戦争止めろ」
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『口撃』はエスカレートする。
「バイデンは間抜け」程度の攻撃(口撃)ではない。
3月16日のオハイオ州演説で、トランプ前大統領は「中国メーカーがメキシコで製造した自動車すべてに100%の関税をかける」と爆弾発言。習近平国家主席を名指しして、「メキシコに巨大工場を建設し、米国人を雇わずに、われわれに車を売ろうとしている。そうはさせない」とけんか腰の発言をくりだした。
さきに中国からの輸入品すべてに60%の関税をかけるというのもブラフだが、中国車に対して100%関税というのは「米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)」において、「メキシコから米国への自動車輸出は無税」と明記されているのだから、協定改定が必要である。
しかもこの「米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)」はトランプ大統領時代に成立させたのだから発言は矛盾している。
ようするにブラフの連発、有権者には受ける。
 日本のメディアは商売優先だから、上記の報道をおおきく伝えたが、同じオハイオ州演説でトランプはもっと強烈な発言をしていることを報道していない。
曰く「ウラジーミル・ゼレンスキー氏が米国を訪問するたびにポケットいっぱいの現金を持ってワシントンを離れることに成功している。ゼレンスキー氏はこれまで知った『最も偉大なセールスマン』の一人だ」と辛辣に批判したのだ。
そのうえで、「米国は単にキエフに資金を呉れてやるのではなく、資金は『貸付け』とすべきだ。そうすれば彼らが成功した場合、我々に返済してくれるだろう」
「ゼレンスキー氏は歴史上最も偉大なセールスマンです。訪米のたびに500億ドルか600億ドルを持って帰ってしまう。私もビジネスマンだが、そんな芸当は出来なかった。だから彼は私よりもはるかに優れたセールスマンです」と皮肉たっぷり。
 人気キャスターのタッカー・カールソンはゼレンスキーを『出て行かない居候』と比喩したが、こんどはトランプの『セースルマン』発言。左翼を除くアメリカ人の心象を代弁しているとみて良いだろう。
 さて反トランプ陣営のフェイクニュースキャンペーンも手が込んできた。
トランプが「もし選挙で負けたら巷は『血の海』になる」と発言したと左翼メディアが一斉に流したが、これはフェイクと判明している。 
民主党側が仕掛けた政治キャンペーンの一環であろう。
 ウクライナ戦争の実態はすでにゼレンスキー側の敗色が濃く、そのうえ大統領選挙をしないとして政敵を英国大使に「追放」したことはウクライナ国民の不信を招いた。米議会は支援資金を可決せず、ウクライナを最後まで支援すると言い続けてきたヌーランド国務次官も停戦交渉の邪魔となったため国務省からたたき出された。
 トルコのエルドアンが仲介役を買って出ており、ゼレンスキーも先日、イスタンブールを訪問しているのである。
 ▼『ハンガリーのトランプ』かく語りき
 「ハンガリーのトランプ」こと、オルバン首相も吠えた。
 オルバンは訪米してバイデンをバイパスし、トランプとだけ会った。すでに「あの間抜け」には会っても意味がないという意思表示、ワシントンは、外交がすでにトランプに傾いていることを知って愕然となった。
3月15日、オルバン首相はオーストリア帝国の支配に抗した1848年のハンガリー革命未遂を記念した集会で、「ブリュッセル(EU本部を意味する)はハンガリーに目を向けた最初の帝国ではない」と発言し、こう続けた。
「EUはハンガリーをロシアとウクライナの紛争に関与を強制し、受け入れさせる試みに対し、ハンガリーを守るためにあらゆる手段を講じる用意がある。西側の大国が戦争を始め、世界を破壊し、国境を引き直し、イナゴのようにあらゆるものを食べているが、私たちハンガリー人は異なる生き方をしており、異なる生き方を望んでいるのだ」
オルバン首相は、「EUを適切に再構築する必要があり、EU指導部が震え始める時が来た」と続けている。この発言の裏には「ウクライナにNATO軍を派遣する選択肢もある』などとしたマクロン仏大統領を、オルバンがバイデン同様に「間抜け」と思っているからなのだろう。
具体的にはウクライナ全面支援のEU諸国や英米の路線を明瞭に批判しつつ、独自の路線を歩むといっているのだが、その一方で、オルバンは中国と異常接近をなしている。この点が気がかりである。
BYD工場の建設、ブタペスト大學に中国人留学生増員と孔子学院など、NATOばかりか米バイデン政権へのあからさまな挑戦を見せつけている。
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softsoundingsea · 7 months
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Folks in mainland Japan: A super rare opportunity to see Ahagon Shoko's photographs of Okinawan farmers' resistance to US land thefts in the 1950s. The exhibition runs at the Maruki Gallery in Saitama 23 Feb ~ 6 May.
阿波根昌鴻(あはごんしょうこう、1901-2002)は沖縄戦後、米軍に占領された伊江島で農民たちと共に非暴力の土地闘争を行った人物として知られています。阿波根は「銃剣とブルドーザー」と呼ばれた強制的な土地接収や米軍の横暴、射爆演習場による被害を記録するためにカメラを入手して1955 年から島の記録を始めました。島で唯一のカメラを米軍に抵抗する手段とした阿波根は、「乞食行進」と呼ばれる行脚や陳情を展開するなかで沖縄における「島ぐるみ闘争」の一翼を担うようになりました。 生前、唯一の写真集として『人間の住んでいる島』(1982年)が出版されていますが、ここに収録された闘争の写真以外にも島の人々の肖像や日常を写した写真が数多く遺されていることが分かりました。 本土での初めての展覧会となる本展では、3000枚以上ものネガから新たに制作したデジタルプリント 約350点を展示します。「沖縄のガンジー」と呼ばれ、平和運動家として知られる阿波根の写真家としての側面をご覧ください。
主催:原爆の図 丸木美術館 共催:わびあいの里、島の宝・阿波根昌鴻写真展実行委員会 企画:小原真史 企画協力:阿波根昌鴻資料調査会、東京工芸大学、小原佐和子
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●有那(ゆな) 
1998年3月12日生まれ 京都府出身 
身長160㎝ B85 W64 H91 血液型=B型 
趣味・特技=旅行、ツーリング、ダンス、お米作り、工務店作業 
愛車:Honda X4(1300cc カスタム) 
〇2021年日本縦断、2022年47都道府県完走、同年、日本モーターサイクルスポーツ協会より「New Generation of the year」に選出された、生粋のライダー。SNSで旅の様子を日々投稿し、総フォロワー数は9万人に迫る。2023年芸能事務所に入り、週刊プレイボーイ本誌で本格的なデビューを飾る。
  
  
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foucault · 2 months
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今日5日は店は休みです。
さて、ご報告遅くなりましたが、『民藝』八月号が発刊しています。特集は「木工家・安川慶一 蒐集と創作」です。本年度の民藝夏期学校・富山会場は南砺市の城端別院善徳寺・杜人舎において開催されますが、この杜人舎は安川慶一が設計したものです。本号はこの夏期学校の参考資料として、また、名前は聞くけれど何をした人か分からない、とよく言われる民藝同人第二・第三世代の仕事をあらためて紹介したく作成しました。率直に申してたくさん売れる号ではありま���んが、民藝誌が取り上げないでどうする、という心意気で取り組みました。富山・砺波民藝協会の方々、そして安川慶一の甥にして元日本民藝館学芸部長の尾久彰三さんに多大なご協力を得、充実の号となっています。どうぞご覧下さい。
なお、電子書籍版も発売しています。販売先はkindle・googleBooksなどですが、正直kindle用しか売れていないので、再度kindle専売に戻そうかなと思っています。前も書いたかもしれませんが、Amazon専売だと卸値が7掛け程度なのに、他社併売にすると卸値が3割まで減額されるのは優越的地位の濫用にはあたらないんですかね。誰か教えてほしい。
などと文句ばかり言っていますが、最近電子書籍の便利さに気がつきました。このごろ文書仕事が以前に増して多いため、27inchのディスプレイで作業をしているのですが、全画面で民藝誌を読むと雑誌よりも画面が大きい上に写真の解像度が高くてとても快適。お年齢を召した方こそ電子版が快適かも、と思いました。
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moderndays · 4 days
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特別展 昭和モダーン モザイクのいろどり 板谷梅樹の世界
開催期間 2024.08.31土~2024.09.29日 開催場所 泉屋博古館東京(東京・六本木)
モザイク画をきちんと観たのは、これが初めてかもしれない。工芸品の細工に少し取り入れられていたり、建物のタイルに組み込まれていたり、断片的にしか観てこなかった。 「昭和モダン」「帯留」というキーワードに惹かれて数年ぶりの泉屋懐古館。 好きな近代建築と同じく、やはり昭和初期の作品が好きだ。 ポストカードが無く残念だったが、飾盆の青い兎、帯留めとカフスボタンなど、小さなものに惹かれる。本来は壁画のような大型作品でこそ味わい深いのかもしれない。小さいものだと、美術品というより工藝品のようなイメージだろうか。 代表作の日劇の壁画は現存しない。保管についても大変だと思うが、タイル画なので重さが半端ないのだろう。 解体の様子が会場内のビデオ映像で見ることができるが、解体の様子は建物でも嫌いで、最後まで見ず席を立った。 本展では、小川三知のステンドグラスが2点観れますよ! 梅樹が三知の工房に出入りしていた関係で(おそらく影響を受けて…)、参考作品として展示がを観ることができたのは、思いがけず嬉しい。
代表作で現存する大型作品の「三井用水取入所風景(みいようすいとりいれじょふうけい)」(昭和29年)のみが入口にて、撮影可能。 父で陶芸家の波山の作品も多数あったが、エキゾチックなモザイク画の方が好きだ。
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