Tumgik
#日本救急医学会
chikuri · 10 months
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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nyantria · 3 months
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「Can You Catch A Cold?」サンプル5
字幕大王2024.06.25
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水俣病の混乱
細菌論に夢中だったために伝染病と間違われた病気は栄養不足だけではない。1956年5月のこと、5歳の少女が日本の水俣市の病院に入院した。水俣は八代海に面した人口約5万人の小さな漁村だった。その少女は、けいれん、歩行困難、言語障害などの異常な神経症状を呈し、急速に体調を崩していた。数日後、彼女の妹と町内の他の3人もまったく同じ症状で病院を訪れた[45,46]。
その後、数週間から数ヶ月で、村の人々が病気になるケースが急増したが、罹患したのは村人だけではなかった。大量の魚が奇妙な泳ぎ方になり、やがて死んで陸に打ち上げられた。海鳥は飛べなくなり、異常な行動をとるようになった。これらの動物を捕食する猫も具合が悪くなり、口からよだれを垂らし、気が狂ったかのようにぐるぐる走り回った[47]。動物と人間の間で何らかの病原体が伝播したのだろうか。誰も確かなことはわからないが、この大流行は伝染病の特徴をすべて備えているように思われた。最初の患者が出た後、村に住む人々が次々と同じ症状で倒れ始めたのだ。そのため、ある種の「奇妙な伝染病」が発生したという噂が広まった[48]。やがて、この病気は伝染性髄膜炎であるという未確認の報道が出始め、地域社会は大きなパニックに陥ったのである[49]。
謎の病気への恐怖は極めて大きく、近隣の町の人々は水俣人を排斥し始め、長い間築かれてきた密接なコミュニティの絆は急速に失われていった[50]。伝染病まん延を抑えるため、家屋は消毒され、病人は隔離された[49]。この対策にもかかわらず、伝染病が地域住民を襲い続けた。初期の報道によれば、少なくとも55人が感染し、17人が死亡した[45]。
しかし、約3年後、研究グループはついに病気の原因が地元の肥料製造会社であると突き止めた。同社が、合成肥料製造の廃棄物であるメチル水銀27トンを水俣湾に投棄していたのだ[51]。この水銀が地元の水路を汚し、何百平方キロメートルもの海を汚染した。かつては美しく肥沃な自然の珊瑚礁であった水俣湾は、有毒な荒れ地となり、かつては豊かであったその恵みを不運にも口にした人間や動物を毒した。
1963年2月、水俣病の発生原因を調査していた研究グループから正式な発表があった。誰もが落胆したが、水俣病の原因は感染性微生物ではなく、メチル水銀に汚染された水俣湾の魚介類の摂取によるものだった[49]。長年にわたって、この環境破壊の犠牲者たちは、日常生活で出会う人々に伝染性ではないと安心させねばならなかった[52]。この災害によって900人以上が死亡し、200万人が慢性的な健康被害に苦しんだ[51]。
水銀中毒の混乱
水俣で起きた出来事にもかかわらず、医療関係者は今日に至るまで、水銀中毒を感染症として誤って診断している。2018年8月のこと、15歳女性、13歳女性、11歳男性の3人兄弟が救急外来を受診した。彼らには、発熱、筋肉痛、皮疹、倦怠感など、非特異的な症状が進行していた。検査は陰性の連続であり、その結果、「ウイルス性症候群」と診断された。子供たちは休ませるために家に帰らせられたが、その3日後、兄弟はさらに悪化した状態で救急部に戻ってきた。うち一人は神経障害を起こしていた。子供たちは溶連菌性咽頭炎(連鎖球菌性咽頭炎)と猩紅熱(しょうこうねつ)と診断された。彼らには抗生物質が投与されて退院した[53]。
その数日後、子供たちはセカンドオピニオンのために別の救急外来を受診した。この時までに、症状はかなり悪化しており、激しい頭痛、息切れ、手足のしびれ、全身の脱力感などが生じていた。結論に飛びついてウイルスやバクテリアのせいにするのではなく、救急医たちはさらに詳しく調べた。すると、子供たちが自宅で水銀の瓶で遊んでいて、それがカーペットにこぼれていたことがわかった。母親はこぼれた水銀を掃除しようとして掃除機を使った。母親はそうとは知らず、これが水銀を加熱・気化させて、子供たちはうっかり吸い込んでしまったのだ。不思議なことに、母親には何の症状も現れなかったので、この病気は小児感染症のように思われたのだ。
子供たちが水銀中毒であることを知った医師たちは、水銀除去のためにキレーション療法を開始した。二人の子供は完全に回復したが、1人は関節、背中、筋肉の痛みが続き、歩行器が必要になった。この出来事はケーススタディとして記録され、2020年2月の医学雑誌に掲載された。著者の結論としては、水銀中毒が感染症に似ている可能性があることだ[53]。子供たちは同じ家で暮らしており、似たような症状を呈していたため、最初の病院の医師は、小児期の伝染病が兄弟間で広がったに違いないと誤って考えたのだ。ここでもまた、一面的なレンズを通して世界を見ることが誤った思い込みを招き、正しい診断と治療を遅らせたのである。
なぜこれが重要なのか?
壊血病、ペラグラ、水銀中毒といった病気の原因を正しく特定することが重要だったことは明らかだ。しかし、いずれの場合も、細菌論というレンズが真実を邪魔し、調査者を無益な捜索に向かわせ、一般大衆を無用なパニックに陥れた。これらの事例だけを見ても、間違った説明モデルを適用したことによる影響を定量化するのは難しい。数え切れないほどの資源、時間、人命が、存在もしない敵と戦い、追いかけて失われたのだ。また、どれだけの人々が仲間はずれにされ、孤立し、非人道的な扱いを受け、タイムリーで効果的な医療を拒否されたかを考えると胸が痛む。それは伝染病だからではなく、伝染病であることを恐れたからである。このように、我々が世界を見るレンズは強力だ。良くも悪くも、レンズは我々のあらゆる知覚を彩り、我々の見方に一致する結果をもたらす。
もちろん、今では良くわかっており、これらの病気を伝染病と見なすことはない。壊血病、ペラグラ、水俣病のような病気を振り返り、その過ちに気づくのは簡単なことだ。現在の我々から見れば、人間がハンセン病患者のような烙印を押され、治療を拒否され、檻に入れられた動物のように閉じ込められていたのは野蛮なことのように思える。後知恵とはおかしなものだ。我々は今、すべての答えを持っていると思い込んでいる。しかし、我々がいまだに伝染病だと考えているが、そうでない病気が他にもあるとしたらどうだろう?ここまで来たと誇らしげに振り返っても、まだ同じ過ちを犯しているかもしれない。プライドと甘さに目がくらみ、過ちを犯し続けていることに気づかないまま、我々は突き進むのだ。
今にして思えば、過去の研究者の一部が傲慢でなく、型にはまっていなかったのは幸運だった。彼らは謙虚であり続け、心をオープンにし、勇気を持って行動した。もし彼らが、受け入れられているパラダイムに挑戦しようと思わなかったら、今日の世界はどうなっていただろう?我々はまだそれらの病気を伝染病とみなし、かつてと同じ非効率的で非人道的な治療法を続けていたかもしれない。単純な食生活改善の代わりに、重金属を注射し、ペラグラのために隔離されることを想像してみてほしい。壊血病や脚気、くる病に他人から感染することを恐れて暮らすことを想像してみてほしい。おそらく我々は、ワクチン接種、手洗い、社会的距離、抗生物質、抗ウイルス薬、マスク、ロックダウンといった現代的な方法で、これらの(存在しない)細菌から身を守ろうとするだろう。そのあいだ、人々はライフスタイルや環境によって不必要に死に続けるのだ。そういった想像は難しくはない。例えば風邪やインフルエンザなど、他多くの病気についても、今日の世界はこのような方法で対処しているからだ。ただひとつ違うのは、現代の研究者たちが、伝染病モデルによってこれらの病気を正確に説明できると信じてこんでいることだ。この信念は現在、集団心理に深く刻み込まれており、間違いの可能性を受け入れるのは難しい。文化もまた変化しており、受け入れられているパラダイムに異議を唱える者は、狂った陰謀論者のレッテルを貼られる。
我々はあまりに自身を確信しすぎてしまっている。しかし、本章で示すことは、結果を観察して原因を誤って帰することが、いかに物事を間違えやすいかである。また、結論を急ぐのではなく、厳密に管理された(controlled)科学実験によって因果関係を確認することがいかに重要であるかを強調している。我々は過去にも過ちを犯したし、因果関係を正しく理解しなければ、我々自身がどれほど進歩していると考えていようと、過ちを犯し続けるだろう。誤った例が強調しているように、病気を伝染病と誤って診断することは、あらゆる種類の悪影響をもたらす。病人にとっては、適切な診断や治療へのアクセスが遅れ、より深刻な機能障害や身体障害につながる可能性がある。総合的には、これは広範囲に及ぶ影響をもたらす。実際、病気の原因を伝染病と混同してしまえば、より恐れを抱く回避的な社会が培われ、資源の配分を誤り(研究助成金など)、誤った経済(医薬品など)を支え、組織(政府など)に権力を譲り渡し、誤った道を進む間に、より多くの人々が病気になり、命を落とすという機会損失を最終的には被ることになる。
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「Can You Catch A Cold?」サンプル5 | 字幕大王
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moko1590m · 3 months
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クマに襲われ、「命に別状はない」とされた80代男性の症例写真を見て、あまりのすさまじさに言葉を失った。額から上あごにかけて顔がなくなっているように見える。左の眼球はだらりと飛び出ている。 「クマは明らかに顔を狙って攻撃していると感じます」  こう語るのは、秋田大学医学部付属病院の高度救命救急センターでクマ外傷の治療にあたった土田英臣医師だ。  この男性は15時ごろ自宅前の畑でクマに襲われた。意識は明瞭で、自ら119番通報したという。 「鼻が取れ、皮膚が左右に裂けていました。救急隊員が道端に落ちていた鼻を見つけて運んできてくれたので、形成外科の先生が手術して、くっつけたのです」  傷の見た目はひどいものの、出血量は比較的少なかった。血圧や呼吸などの全身状態は安定していたので、すぐに手術できたことも幸いしたという。 ■容貌が変わるほど重大なけが  昨年度、クマに襲われた被害者は過去最多の219人。その大半がツキノワグマによる被害者で210人、約96%を占める。ツキノワグマは主に人の顔や頭に一撃を与えた後、すぐに逃走する場合が多く、いわゆる「人食いグマ」による「食害」はまれだ。  だが、クマに人が襲われ、「命に別条はありません」と報道されても、実際は顔貌が大きく変わるほどに重大なけがであることが少なくない。  昨年度、クマによる人身被害が最も多かったのが秋田県だ。死者こそ出なかったものの、70人が負傷した。このうち、重傷者20人が同病院に搬送された。18人が顔を負傷。失明は3人、顔面骨折は9人にのぼる。  冒頭の男性の被害は、搬送されたなかでは特別深刻なケースではないという。 ■クマによる外傷は「特殊」  一般的に外傷は、交通事故や転落事故などによる「鈍的外傷」と、ナイフなどによる「鋭的外傷」に分けられるが、クマに襲われた際のけがはその二つの特徴をあわせもつ「特殊な外傷」だという。 「強いパワーによって骨折し、傷口は深く、筋肉までぱっくりと開く」(土田医師) ■小さな傷でも「細菌」で化膿  別の70代男性は早朝、山中で植林作業をしていた際、クマに襲われた。自力で道の駅まで車で移動し、救急要請をした。  頭部と顔面に裂創を負い、左ほおの傷は口の中まで貫通していた。口腔内にたまった血で呼吸が困難になった。病院に到着したとき、意識は薄れつつあった。 「出血がひどく、血圧が下がってしまった。『出血性ショック』という状態で、緊急輸血を行いました。圧迫��血を行うとともに、耳鼻科の医師が電気メスで動脈を焼いて出血を止めました」  その後、頭骨の骨折や、頭蓋内の出血などを治療する緊急手術が行われた。 「クマ外傷」は傷の状態がひどいだけでなく、細菌に高度に汚染されることも特徴だ。外傷ではなく、敗血症で亡くなった人もいる。そのため、大量の生理食塩水による傷口の洗浄や、抗生剤治療などの感染対策が必須になる。土田医師はこう訴える。 「クマの牙による傷は一見、ぽちっと穴が開いているだけですが、深い傷です。後で化膿する患者さんもいます。クマに襲われてけがをしたら、どんなものでもすぐに病院で治療を受けるべきです」 ■顔面の筋肉や骨がボロボロ  秋田赤十字病院の形成外科部長・渡邊理子(あやこ)医師は「クマに引っかかれた」と報じられることに違和感を抱いてきた。昨年、同院にはクマによる外傷で7人が搬送された。 「実際は顔の中心、特に目のまわりをものすごく強い力で殴打される。皮膚を引きはがされる剥脱創(はくだつそう)が目立ちます。顔面の筋肉や骨はボロボロになる」  皮膚組織を欠損してしまうことも珍しくない。そのため、傷を縫い合わせた後、皮膚を移植し、傷痕を目立たなくするなど、複数回の手術が必要となることが多い。  一般的な骨折と違って、顔面の骨は細かく砕けていることが多く、骨片をパズルのように元の位置に戻し、金属製のプレートでつないでいく。それもできない場合は破片を取り除いた後、骨の代わりとなる大型のプレートを埋め込むこともある。  筋肉の挫滅がひどかったり、神経が傷ついたりすると、顔面をうまく動かせなくなる。傷が治っても痛みや違和感を訴える人は多い。  こうした恐るべき被害の実態が十分に伝わっていないため、クマからの防御手段が軽視されている。それが被害を広げる一因にもなっていると、指摘する専門家がいる。 ■致命的なダメージ防いで  NPO日本ツキノワグマ研究所の米田一彦所長は、10年前からこう訴えてきた。 「クマに遭遇した場合、立った状態で攻撃を受けるのが最も危険です。ただちにうつぶせになり、両腕で頭部を覆ってください。致命的なダメージを防ぐことが重要です」  3年前に改訂された環境省の「クマ類の出没対応マニュアル」にも、うつぶせになって頭部を守れ、と記述されるようになった。  ところが、インターネット上では「机上の空論」「うつぶせになって顔や頭を守っても食われるだけ」「攻撃こそ最大の防御!」と、防御姿勢を軽視するコメントを見ることがある。背景には深刻な人身被害の実態が十分に理解されていないことがあるのだろう。  前出の渡邊医師は言う。 「顔面は社会生活を営むうえで非常に重要です。人の顔面は頭部に比べて脆弱ですから、クマに攻撃された際、うつぶせになって身を守るという方法は妥当だと思います」 ■口腔顎顔面の再建治療を  島根県ではクマの目撃が年間1000件前後にもなる。島根大学医学部歯科口腔外科学講座の臨床講師を兼務する雲南市立病院の歯科口腔外科部長・小池尚史医師は、クマに顔面を攻撃された際、負傷者を迅速に大学病院、またはそれに準ずる高次医療機関に搬送することの重要性を強調する。防災ヘリやドクターヘリも有用だという。 「例えば、顔面の涙小管や耳下腺管、三叉神経や顔面神経などを損傷した場合、時間との勝負になってきます。緊急手術を行って、即時再建できる病院に搬送することが大切で、これが遅れるほど機能回復に遅れが生じてしまいます」  島根大学医学部付属病院の高度外傷センターでは、救命医をはじめ脳神経外科医、歯科口腔外科医、整形外科医など、複数の医師が密な連携のもと治療にあたる体制が整っている。  クマ外傷の場合、あごを負傷することも珍しくない。あごを骨ごと持っていかれてしまう場合もある。 「口元がなくなってしまうと、摂食、嚥下、咀嚼、咬合など社会生活に大きな影響が出ます。外傷によってあごの骨や歯を大きく失った際、歯科インプラントも公的医療保険制度の対象となる場合がありますから、機能と審美の両面から、あごと口を再建して社会復帰していただきたいと強く思います」 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
クマは「明らかに顔を狙って攻撃」「骨もボロボロ」と医師たちが証言 「命に別状はない」の実態(AERA dot.) - Yahoo!ニュース
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natun-ika · 3 months
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やることは尽きないけれど
終わった…何もかも…
長きに渡る介護生活が終わりました。母親が5年前に膝を骨折(2か月ぐらい歩けなかったけど復活したのでちょっとした補佐)、4年前に腕の骨折(右腕だったので身体介護本格化)、2年前には腰椎圧迫骨折で介護生活本番突入しCOVID-19の影響もあって夜の外出など高嶺の花になってしまってました。それでも3か月に一回ぐらいは出かけたけどほぼ飲まずに一次会で帰る、泊りがけの温泉旅行などもってのほか、日中と言えども出かける前は「行っちゃうの…早く帰ってきてね…」と縋るオンナ(母親)に縛られてたワタシ。
たまにやむを得ない用事で家を空ける時は友達に頼んで見に行ってもらう手はずを整えました。こういうときは友達よね。そりゃネットの友達も好きだけどこの場合リアルで近くに住んでる友達しか頼れないよねと再認識しましたね。
そんな今年4月末のある日、母が黄色い。
かわいいヒヨコ色じゃなくて黄疸で黄色い。病院へ連れてったら膵臓に腫瘍がありますと。腫瘍が胆管をふさいでて全身が黄色くなりましたと。膵臓の腫瘍は置いといて今回は胆管を通しましょう、と素早く手術してくれたドクターありがとうございました。内視鏡での胆管ドレナージ、これ昔ならこのまま終わりだったなあと思いました。現代医学って素晴らしい。
とはいえ膵臓ですから。すい臓がんっつったらあっちゅうまで有名ですから「こりゃ2,3か月か!」と介護生活の終わりが見えた瞬間でした。母親ですからずっと生きてて���しいけど今の介護生活がいつまで続くのかと自分も多少疲れてきた時期ですからがんの発覚は厳しいながらもゴールが見えた、そんな宣告でした。この後はこれは神様がくれたオマケだ。今まで介護しながら一緒に生活してきたから思い残すことはないと言いたいがさすがに今今これでお別れだったら急すぎて悔いが残った。これからの2,3か月は心の準備をしながら、お別れの準備をする神様がくれた時間だ。そう思いました。
さあこれからどうする。お母さんどうしたい?
母は元ナースということもあって病気には冷静に対処できる人間。「膵臓に腫瘍が」と口にしただけで「あー、はい」という感じで受け止め、そのくせ「家で死にたあい」と甘えたように言うのでありました。
一言で「家で死ぬ」ったってねアナタ。
周りが大変なのよアナタ。私ひとりじゃ無理よ。妹に確認する。「うん、それが望みならかなえてあげたい」との返事を受けてんじゃやるかと。私も介護福祉士でありケアマネージャーであるからにはプロとして娘としてプロの娘としてできる限りやりましょう。もしかしたら今まで数々の方を看取ってきたのはこの日のためだったのかも。集大成として挑みましょう。って言うほど決意はそう重くなかった。何とかなるだろ、くらいでしたね。だてに20年から介護福祉の仕事してませんよ、いけるでしょ、ぐらいでした。実際そうなりました。
胆管ドレナージの後は1週間であっさり退院して帰宅、家に戻ったからには準備が必要です。たまたま母が長年かかってた病院が在宅診療をやっていました。手術してくれた医師の診療情報提供書を持って伺います。私が元勤務してた病院でもありますからいつものように訪れます。
ワタシ:ちわー、母が家で死にたい言ってます。膵臓癌です。これお手紙です。
病院の返答:在宅診療は可能です。今の状態は?
ワタシ:今は元気です。痛みも無いし自分で身の回りのことはできます、食事も摂れています。
病院:ではタイミングは娘さんに任せます。様子を教えてください。
というわけで5月中は今までと同じような生活、むしろ食欲もわいて元気なイメージでしたが下旬になると息切れや倦怠感の強さが目立つ。入浴は何年も私が介助していたけど動きが悪くなってきたので6月1日を最後に訪問入浴に切り替えました。
そのタイミングで医師に相談。訪問看護は以前からリハビリ目的で利用していたのでそのまま移行し6月半ばには在がん開始となりました。
※在がんとは、 居宅で療養している末期の悪性腫瘍患者に,在宅療養支援診療所(在支診),在宅療養支援病院(在支病)が計画的な医学管理の下に総合的な医療を提供するもの。介護保険から外れて医療保険の範疇になり、訪問診療・訪問看護が包括的に行われます。費用も上限が決められますが人によりますのでケアマネさんに相談してください。
※家で死んだ場合、突発的な場合はパトカー・救急車から消防車から総動員で家の前に停まって近所の話題になったり取り調べで遺族なのに嫌な思いをしたりすることもありますがこうして事前に準備を整えておくと警察沙汰にはなりません。←ここ一番大事
どんな場合も介護の在り方について希望を叶えるためには、ケアマネに正直に遠慮なく、「こうしたい」という希望を伝えるのが大切です。そしたら希望を叶えるべく動きます。今回は母のケアマネジメントも私がしているので手順が省けました。ダイレクトに関係機関に伝えることができて良かった。
早め早めの対応で、本人が不安なく過ごせて終えるように整えることができて私も本望です。
妹も身体介護がとても上手になりました。ヘルパーさんできるよ!とけしかけていますが「他人には無理」と言います。
私は他人で経験を積んでの母親だったから恵まれてたかも。冷静に対応できたと思います。不安にならないように冷静に。穏やかに。「大丈夫だよ」っていつも安心させて手を握って。
でも時々、油断すると5歳の私が頭をもたげる。顔がゆがむ。
おかあさん。しなないでおかあさん。そんな泣き顔を見せるわけにはいかないけどでもおかあさん、しんじゃいやだとさけぶ私もいる。
何とか押し込めて穏やかに笑顔を見せて。その繰り返しでした。
で、看取りが終わって骨になって、訪ねてくれる人のお相手をして手続きもこれからでまだ忙しいですがまずは終わりました。やりきったので悔いも悲しみもないんですよ。清々しいほど無いんです。ただ、あの人がいらしてくださいましたよ、お電話頂きましたよ、と報告したい母がそこにいないので行き場がないですね。
母が嫌いだった人の悪口も一緒に言えませんしね。「いやいやお母さん!〇〇さん来ちゃったよ!」って教えてあげたいw
これからは解放感と自由を満喫して、そのうち襲ってくる寂しさも受け止めてまだまだ働いて生きていきますよ。
俺、すべて終わったら八戸に行くんだ・・・・フェリー座礁してたな・・・
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kennak · 5 months
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私は外科医です。 私は医学部と厳しい外科訓練を経たので、回復力があり、うまく適応していると思いたいです。 私は医師になって13年になりますが、その期間の多くは、可能な限り優れた外科医になるための訓練に費やされてきました。 私には素晴らしい家族のサポートがあり、私の仕事を理解してくれる医師の妻がいます。そして私は精神疾患と診断されたことはありません。 ブリスベンの胃腸科医アンドリュー・ブライアント医師が先週自殺したことは、生々しい神経を直撃した。 彼の妻はこの正直で勇気ある手紙を書きました。 抱いたことはありませんが 私は深刻な自殺願望を 、他の多くの医師と同様に、暗い時期を何度も経験してきました。 うつ病、不安、燃え尽き症候群、自殺願望、絶望、無気力、無快感、気分の落ち込み、心配などはすべて、同じ現象、つまり内的または外的ストレス要因に対する人間の否定的な反応の異なる性質です。 もちろん、原因は常に複合的です。 家族歴、遺伝、行動の欠陥、劣悪な環境、不十分な社会的サポートなどに単純化しすぎてはいけませんし、そうすべきでもありません。 を注意深く分析すると 自分の暗い季節 、いくつかの共通のテーマが浮かび上がってくることがよくあります。 このような暗い時代においては、仕事が状況を悪化させ、永続させる重要な要因となることがよくあります。 外科医として、私は生涯の大部分を仕事に費やしているため、そこで何が起こるかは、結婚、家族、社会生活を含む私の人生の他のすべての側面に影響を与えます。 私を絶望の暗い穴に放り込んだ共通の事柄が 3 つあります。 1. コントロールの喪失 私は日々のコントロールを失ってしまいました。 私は病院で働いていましたが、14 日中 12 日は 24 時間年中無休でオンコールがあり、隔週の週末が休みでした。 外科試験の準備をしていたとき、私は毎日午前6時半から午後10時まで仕事と勉強をし、家族に会えるのは週末の昼食時だけでした。 私は 4 つのキャンパスをカバーする病院ネットワークで働いており、これらの現場を取材する際には週に 500 キロメートルを運転していました。 私は病院で働いていましたが、何日も家に帰れず、病棟や外来診療所のベンチ、車の中で一晩寝ていました。 、洗面用具、着替えを車のトランクに入れていました 私は寝袋 夜も家に帰れるかどうか分からなかったので、 。 緊急事態のため、職場では毎日計画が変更されます。 オンコール中は次の 1 時間がどうなるかさえわかりません。 なぜ仕事を減らすことができないのかと疑問に思うかもしれません。 そんなに簡単なことではありません。 私が仕事を減らすことにした場合、病院の費用は誰が負担するのでしょうか? 病院が他の医師を雇用していないのであれば、患者を野放しにするわけにはいきません。 私は待機する注意義務があるという事実を受け入れます。 このようなオンコール期間の激しさと人的被害は忘れられがちです。 それだけではなく、私たちは医療全般のコントロールを失いつつあります。 毎日、新しいフォーム、新しいガイドライン、新しいプロトコル、新しい医療ソフトウェア、新しいポリシーが登場し、すべて臨床医の活動を指示、制限、変更します。 これらのポリシーの中には、患者を診察していない人々によって書かれたものもあります。 コストを削減し、生産量を増やすために、医師や看護師の業務を再構築することに専念している有給業界全体が存在します。 2. サポートの喪失。 ただ想像します。 私の一日は朝6時に始まります。 朝起きると、完了していない退院サマリーの数と、完了しなければならないさまざまなコンピューターベースのモジュール (手洗い、プライバシー、患者の昇降など) を知らせる電子メールが届いていました。 ラウンドは午前7時に始まります。 記入が必要なさまざまな旅行書類、証明書、台本を持った 15 ~ 20 人の患者を診ています。 すべて電子医療システム経由で行う必要があり、使いにくく、ユーザーフレンドリーではなく、ログインに時間がかかります。その後、午前 8 時にオーバーブッキングされた手術リストを開始します。 7件の予約が入っています。 誰が手術リストに載るか、患者の順番については私には何も言えません。 最初の患者はまだ診察を受けていない。糖尿病患者は低血糖症だ。 幼児は機嫌が悪い。 自閉症の子供が逃げています。 通訳はまだ来ていません。 コンピュータはまだログインしていません。パスワードの有効期限が切れています。 一部の操作は他の操作よりも時間がかかることがわかっていたので、以前は操作リストを整理することができました。 しかし現在、予約オフィスは私の扁桃摘出手術にはすべて 14 分かかると判断しています。これはコンピューターに記録されている平均時間だからです。 スクラブした瞬間にタイマーがスタートします。 スクラブを外した瞬間にタイマーが停止します。 クリック。 クリック。 クリック。 劇場の予約には通訳の時間、治療前の期間、ICUへの転送が考慮されていないため、リストは遅れています。 担当の看護師は時間通りに終わるように私の首に息を吹きかけてくれています。 私は依然として各症例に約 14 分かかりましたが、チームは外部の臨床的理由により遅れています。 演劇チームは終わらせることに熱心で、すべてが急いでおり、間違いは必ず起こります。 その間、私は救急病院、一般医、その他の部隊からの 12 件の電話に対応しています。 現在までに 3 人の患者が救急病院で私を待っており、1 人は別の病院から飛行機で運ばれてきました。 運行リストの完成が遅れています。 私は急いでEDに行き、 インスタントコーヒーを 飲み干した。 それから午後の診療所に遅く到着しましたが、ここも予約がいっぱいでした。 クリニックの看護師たちは満足していません。 さらに多くの電話を受けながら、8〜10人の患者を診察しています。 私は複雑な手術について患者と話し合おうとしていますが、電話や事務手続きによって中断されてしまいます。 それから緊急事態に備えて劇場に戻ります。 この時点で私は失敗する準備ができています。 私は疲れていて、機嫌が悪くなり、頭はやるべき仕事でいっぱいです。 私は午後の回診をし、より多くの診察を受け、より多くの患者を受け入れ、手紙の口述筆記をします。 24 時間の通話期間中に最大 70 件の電話を受けました。 午後6時までに完全に疲れ果てました。 私はポテトチップスのパケットとジンジャービールを手に取り、書くはずだった書類に取り組み始めました。 今後数日間、事件のメモを見直します。 午後7時から8時の間に帰宅します。 夕食を食べて、子供たちを寝かしつけます。 再び呼び出され、緊急処置のために患者を劇場に連れて行きます。 夜中過ぎに帰ってきて寝ます。 深夜0時から朝6時までの間にさらに4回電話がかかってきます。 午前6時。 繰り返す。 私は日々のコントロールを失い、サポートも失いました。 実際にいつサポートを見つけることができますか? 同僚と人生について話す時間がありません。 家族と過ごす時間がありません。 友達と連絡を取る時間がありません。 医学部に足を踏み入れると、社会的なつながりは失われます。 人生の重要な出来事(誕生日、記念日、同窓会、学校の発表会、初めての散歩など)を逃した回数は数え切れません。 産科医が渋滞に巻き込まれたため、私は3人目を自分の手で出産しました。 翌朝、私は仕事に行きました。そうしなければ、12人の患者が手術を逃すことになり、2人の麻酔科医と約8人の看護師がその日の収入を失うことになるからです。 さらに重要なのは、手術リストのキャンセルは病院にとって多大な経済的損失となるため、管理者は満足しないでしょう。 どこでサポートを受けられるかはわかっていますが、実際には、いつ、どのようにサポートを受けられるのでしょうか? さらに、助けを求めて叫ぶ医師は正式に報告される可能性があり、そのため診療が制限され、場合によっては高額な医療費が支払われることになります。 助けを求めた研修生は成績不振のレッテルを貼られ、試用期間または是正措置を受けなければならない場合があります。 頻繁に宣伝されているサポートを実際に利用できない場合があります。 3. 意味の喪失 興味深いことに、上記の身体的および感情的ストレス要因は、私にとってはかなり対処可能です。 私は自分自身の身体的、精神的な限界を理解しています。 これらのストレス要因は疲労を引き起こしますが、仕事の興奮と知的挑戦は個人的に大きな満足感をもたらします。 瀕死のガン患者、緊急気道事故、複雑な病気の子供たちを相手にしているため、時々感情的に動揺することもありますが、なんとかやっています。 私に最大の苦痛をもたらしているのは、患者との有意義な臨床活動を奪う執拗な管理上の圧力であることをますます認識しています。 そして、これは多くの若い医師も同様に経験していることなのではないでしょうか。 かつて医学は有意義な追求でした。 今では面倒な業界になってしまいました。 医療の喜び、目的、意味は成文化され、無菌化され、プロトコル化され、工業化され、体系化されてきました。 医師はビジネスの網の中に囚われており、もはや崇高な職業ではありません。 若い医師の利他主義は、効率、生産性、主要業績評価指標という束縛に取って代わられています。 私自身の手術リストや診療所の整理についてはほとんど発言力がありません。 手術リストを再注文する権限さえも外科医から奪われている。 私が好きなこと(手術と患者の診察)は、測定され、記録され、ベンチマークされることです。 クリニックは予約が殺到しており、番号を確保するのが困難です。 患者と接するたびに必要な事務手続きは年々増加しています。 私が何をすべきか、そしてそれを行う最善の方法を指示するのは、臨床以外の部門が他にもたくさんあります。 合言葉は「費用対効果と生産性の向上」です。 に進みました ことを承知して医学の道 私は患者のために多くの犠牲を払わなければならない 。 私が実感しているのは、今日の現代医学において、医師はこの複雑な業界の数多くの商品の 1 つにすぎないということです。 それはもはや患者の問題ではありません。 病院の業務についてです。 患者満足度担当者、劇場利用担当者、患者フロー コーディネーター。 これらはすべてビジネス上の役割です。 外科医として、私は病院で 1 年間を過ごし、通勤中に笑顔で仕事に就くことができたことにとても感謝しています。 自分がやっていることが重要だとわかっていたので、長い日々を楽しみにしていました。 さらに一年、別の病院に入院したとき、私は仕事に行くのが怖かった。 電話に出るのが嫌いでした。 私は燃え尽き症候群になり、仕事でも家庭でも感情をコントロールできなくなりました。 私は本質的に攻撃的で無礼な人間ではありません。ただ限界に追い込まれ、仕事を取り巻く状況のせいで失敗しそうな人間です。 同じ外科医でも仕事は違う。 私を感情のコントロールを失うように押し込んだ力は、おそらく私たちの一部を自殺に追い込むかもしれない力と同じです。 一部の病院とそのビジネスにとって、私は外科医ではありません。 私はただの従業員です。 過労、焼損、交換可能。 医学への崇高な呼びかけは、医療業界としての官僚的な力によって窒息させられてきました。 私の考えに同意しますか、それとも反対しますか? 他にどのような「医師の闇」の問題が考えられますか?
医師であることの暗い側面 - DrEricLevi のサブスタック
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neobakufu · 3 months
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ネオ幕府アキノリ党による100の政策
※内はアキノリ将軍未満による脚注。
🌾 文化・日本語
1. 『双京構想』京都を陪都に。
※ 上皇后両陛下に仙洞御所にお戻り頂く案などから上奏。
2. 文章の形式を国粋化。縦書き・漢数字を基礎に、時間や単位や数理や音楽も日本文化圏独特の書式を考案し漸次移行。
※ 漢数字に関しては画数が多く判読もしにくいため,西ローマ・アラビア数字くらい判読しやすく書きやすい数字用の文字を作ってフォントに組み込んだりを検討。
3. 日本語の電子媒体を刷新。
※ イーロン・マスク氏に会いに行ってXの東アジアの言語を全部縦書き漢数字(言語ごと)に直してもらう事を条件に,共栄圏での法人を作ってもいいと約束。ただし,その情報資産は共栄圏のものとし,資本の移動は認めない。 ※ 拡張かなを拡充し電子媒体に組み込む・体制化した際に方言の言語化も視野に。
4. 都内の外国籍労働者・親族等への日本語や法制に係る教育サービスの展開。
※ それぞれの民族に寄り添った親善団体と連携 ※ 裏で世界共栄化に関わる宣伝を行い、本国に情報輸出させる足がかりとする。😈
5. 都内の宗教共同体の実態把握・公的包摂・共生都市社会の推進。
※ 体制化までの中長期的に各宗教の日本化を試みる方針。
🌾 税制・社会保障・経済
6. 税制改革や都債発行を財源に,実質賃金の上昇率の安定向上(最低でも年3%水準)まで一律で都民税半額。
7. 都営ブロックチェーンの創設・ネオ幕府トークンの発行とサーバー維持管理。
※ 全国電子通貨を想定・通貨の名前は「球」読み方は本名が「たま」,「きう」が普及版。NAMが出典。 ※ いずれ日本円にとって代わる。😈 ※ 我々が全国化した折には武蔵国の地域トークンというか藩札を創設を想定。
8. 都債発行・時限的な商品券等の給付による地域経済振興。
9. 都民や都内に通学する学生への一律奨学金免除。
10. インボイス廃止を国政に提言・特に中小零細企業の事務処理負担を軽減。
11. 濫用的な投資や無軌道な開発,オーバーツーリズム等に因る地価や宿泊施設の価格高騰を抑制。
12. 外国企業等による国土の売買規制に係るモデル条例の策定。
13. 都内の特に大企業の法人税の納税率を向上・財源構成の平等化。固定資産税の累進化。
14. 社会保障費用の逆進性緩和・累進課税の推進。
🌾 教育・学術
15. 公営学生寮の確保・増大。
※ 国際法を典拠に一定の自治権を認める
16. 大学院まで教育全面無償化+困窮世帯向けに塾代含め支援検討。
17. ���門学校等の整理統合・総合大学との連携強化・学生や職員の有益な流動化を促進。
18. 図書館民営化の見直し。知識アクセス・公共教育インフラの維持。
19. PTAの有償化や情報共有・可視化の促進。
20. 教育委員会の体質改善・責任体制の明確化。
21. 都立高校の入試改革の見直し・効果的な外国語教育に転換/無益な学習負担の軽減化。
※ どうでもいいけどほんとに外語やるならマッチング実践とかだわ
22. カルト校則の全面廃止・学生の学ぶ権利や表現の自由を守る。
23. 入学しない大学への入学金支払義務の免除・ルール撤廃を東京から実践。
24. 部活動の地域化・民営化等による教員の負担軽減を都から実践。
🌾 交通・公共施設
25. 練馬─中野─杉並─世田谷区や足立─台東─江戸川区を縦断する都営線路の開拓。
26. 東京都-近隣の港湾に集中投資・世界一の港湾大都市圏を構築。
27. 満員電車の終局的な解消・時差通勤の促進(主に企業向け)や代替手段の公的導入検討。
28. 離島との往復費用の低廉化・人材や投資交流の活発化。
※ 将来伊豆諸島は伊豆の国に, 小笠原諸島以南は小笠原国にする。
29. 16歳未満(中学生)に対しての交通インフラ料金を子供料金にする・25歳以下に対してユース料金の公共交通機関・各商業施設での導入。
🌾 防災・戦時体制を想定した防衛
30. 全国のあらゆる自然災害に対し救援・復興の為の物資や人員輸送が可能な体制の整備。
31. 都内のあらゆる公共設備の耐震化推進。
※ 災害をある程度前提とする伝統的な都市デザインの可能性も検討。
32. 核戦争を想定した核シェルター建設・地下経済圏の構築促進。
33. 災害リスクを見据えた都民や隣接県民(都内の勤労者)向けに食料等備蓄・予備的分配。
34. 官公庁・民間企業に対するサイバー攻撃の防衛体制整備。
35. 東京都の空を米軍から取り戻す・首都圏の集団安全保障体制を見直し。
36. 近隣諸国の紛争や破局的災害を想定した都民の命と経済を守る有事法制・モデル条例の策定。
37. 安全保障や軍需産業分野の研究開発支援・学界に蔓延る偏見の改善。
🌾 恋愛・婚姻等の共生生活・性的少数者支援
※ 現在はヘテロが社会の主体である事を公共に認め(右翼を安心させ), その余裕の下に性的少数者への配慮を行う政治指針を宣言化。
38. パートナーシップや相続法制等に係る性的少数者の権利保障モデル条例の策定。
※ パートナーシップに日本語の造語を与えることを目的に研究会を行う、反動保守国学者や左派リベラルの論客もネオ幕府体制の責任もとで幅広く招聘したい。
39. 専門家や当事者の意見を参考に高齢者向けの公的恋愛支援事業を実験的に開設。
40. 既存の公営マッチングアプリ・ブライダル支援等政策の見直しと再構築。
41. ユース(18-25歳を想定)以下に対してのマッチングアプリ補助制度。
🌾 医療・福祉・地域協同・家庭問題
42. 視力矯正器具や歯列矯正等への保険適用・車椅子や補聴器の価格低廉化。ゆくゆくは無償化。
※ 歯を生やせるようになればすぐ保険適用を検討
43. ひきこもり老人を訪問し地域を協同化・社会的包摂を目指す・若年層のアルバイトで高齢者を訪問しスマホ教室とネット普及・生活状況の実態調査。
44. 民間に甘んじた無料塾・こども食堂等の公営化。
※ 都から職員を派遣して実態調査し一定の基準で認可を行い、その場で謝礼。 ※ その後恒久的に経済支援, 半官半民でネットワークをくみ人的支援を拡大 ※ 定期的に児童虐待や裏社会の斡旋等の有無を潜入調査。😈
45. 実態調査のうえ, 都心や下町に関わらず包括的な訪問診療・介護サービス等を拡充。
46. 学校や社内研修に基礎的な救急救命の教育カリキュラムを導入・相互扶助の日本を再建。
47. 地域交流や文化活動を活性化すべく公立小中学校等の空きスペース活用促進。
48. 既にある公園に遊具を拡充・児童の自由と安全を保障。遊閑地の利活用推進。
※ クレーム処理等は我々ネオ幕府が請け負う。
49. 生活保護の取得要件緩和と生活再建・出口支援。給付付き税額控除の試験的導入。
50. 公共施設から迅速・全面・包括的にバリアフリーデザインを実装。
51. 乞食(路上生活者・野宿者・炎上するだろうがこの言葉を使う,いささかの差別的感情を含まない)の住宅支援事業における不合理待遇(いわゆる「タコ部屋」等)の撤廃。
52. 「禁煙」でなく「分煙」。公共喫煙所の増設と依存症支援拡充。
53. 「帰宅困難家庭」の児童のシェルター確保・拡充。
54. 親の孤立防止。財政的支援やシッター利用・保育所等インフラの拡充。
55. 麻酔科医の待遇改善・拡充による無痛分娩・不妊治療等の普及・無償化を都から実践。
56. ヤングケアラーの実態調査・迅速な支援拡充。
57. 一定期間の債務等支払義務の凍結や世間からの隔絶を許容する「隠遁」制度の試験的導入による自殺予防。
58. 共同親権制度移行後の離婚親や子の権利保証に向けたモデル条例案の策定。
59. 犯罪被害者や遺族の情報秘匿や生活再建支援事業の拡充を都から実践。
🌾 環境・公共衛生・都市デザイン
60. 『江戸東京オシャレ特区』構想・ドレスコードの厳格なサービス業種の方でも自分らしい服装等の表現を保障。
61. 炭素繊維等による東京湾浄化・老若男女が利用可能な東京湾に。
※ 一〇年単位の長期計画で研究会に予算をつけて水質浄化に関わる各方面の専門家と企業に助成を。
62. タクシーや通勤通学バスや訪問介護車両や都内を往来する長距離トラック等に向けた電気自動車等の導入支援。
63. 道路にゴミ箱を増設し収集作業も増員・雇用創出。
※ 『乞食』の方々向けに最低でも3日に1度は湯船に疲れる水準の支援体制を迅速に構築。
64. 都内の樹林伐採ストップ・地域経済や文化に無益な再開発の見直し。国土を守る。
65. 引越しや住宅確保等に係る費用分担による近隣県への移住サポート。
※ 漸次地方都市にも移住サポートしたい・全国化したときに地域を蘇らせる。
66. 主に大企業の都外への本社機能移転・人口とリスク分散を段階的に進める。
67. 排除アート・「座らせないベンチ」の全面撤去。小憩できる都市デザインの再建。
68. ユース(12-25最程度を想定)以下に対して公営美術館・芸術施設の入場料無料化。
69. 路上表現・アーティスト等に向けた道路使用許可申請等手続きの簡素化・拡充
70. 官民連携で路上ライブ・イベント等を充実させ,『解放区』の乱立。
🌾 動植物
71. 動物殺処分0の次は都から始める愛玩動物の生体販売全面禁止。
※ ペットショップの店員かわいそうだから動物病院とか生物学研究所に転職もさせてあげて。そのために予算つけよう。 ※ 日本固有種の生物種は緩和したさがある,というかその系統を維持するための研究会や国家機関創設を提唱したい。
72. 特定外来種や有毒の微生物等の実態調査・飼育手段の包括的なデータベースを策定し公開。
73. 生物学系の人材活用・医療分野との連携を強化。
74. 孤立対策に動植物との共生を促進・AI利活用で安全・安定的な飼育体制を提供。
🌾 宇宙開発
75. 軌道エレベーターや公共/民間通信衛星等を想定した宇宙産業への公共投資。
※ 東京から日本〜東南アジアをまたぐ測天衛星網(GPS)を提唱
76. 核融合発電技術への積極的公共投資。
※ 戦時を想定した燃料備蓄
🌾 食糧自給・安全保障
77. 家庭菜園や地域農産・地産地消の促進。
78. 種苗法改正の見直し・食文化の保全。
※ 戦時を想定した食料備蓄
79. 酒税法の見直し・どぶろく文化を再興。
80. 生レバーやユッケ等の規制緩和。
81. 依存症対策や飲酒強制の予防規制を条件に, 飲酒解禁を18歳に引き下げ。
🌾 労働市場制度
82. 新卒一括採用の見直し・企業や経済団体等への協力要請。
83. 官公庁や民間企業の採用基準にポスドク枠拡充。
84. 生涯学習・リカレント教育普及に向けた労働市場改革。職業訓練給付や実施企業への支援等の拡充。
85. 様々な産業分野の企業に対して有給や育休利用の促進。
🌾 汚職・職権乱用の防止
86. 地方議会における縁故的な役職(選管等)の選定過程・給与等の見直し・再編と代替的職務の用意。
87. 刑事収容施設や入管施設内での侮辱や虐待や差別的待遇の実態調査・迅速な改善。
88. 市民オンブズマン制度の創設・拡充による第三者目線の地方議会の監査強化。
89. NPO法人設立や生活保護申請・政治団体含む会計監査の厳格化・責任体制の明確化。
🌾 表現・報道の自由
90. 小池都知事が実施していた様な一部のマスコミやジャーナリスト等の排除に反対・報道と表現の自由を守る。
91. 『表現の自由』の前提として,エンタメ・出版・コンテンツ業界に投資拡充・且つアーティストの食い扶持と表現の場を守り,層の厚さを維持。
92. NHKの過剰な集金を規制・困窮世帯の債務免除・公共の利益となる基礎的なコンテンツは保障するが国民の無償・平等な『知る権利』に配慮。
🌾 スポーツ
93. 『マイナースポーツに光を』・Eスポーツ含む多様な体育会系コンテンツにも積極的に投資。
94. 身体に障害を有する方々が主役であるパラスポーツ分野に投資拡充・宣伝を強化。
🌾 その他
95. 小池都知事の財政調整基金の使途・費用対効果について徹底的に監査。
96. 小池都知事や森本首相も関わる東京オリンピックに関する利権構造や裏金・役員の不審死・作業員の過労死等の真実究明。
97. コロナ禍におけるエンタメ産業や一部の飲食業界・性産業等への差別的待遇の見直し・適切で平等な補償体制の確約。
98. コロナ禍における緊急事態宣言の手続的正当性・費用対効果を徹底再調査。
99. お気持ちベースの『自粛要請』では無く必要な法整備・責任体制を明確化。
100. 多様な業種の方々に配慮し投票所を26時まで開放・且つ開票日を平日にスライドし行政コストを軽減。
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spaceradior · 5 months
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Happy birthday, J'onn J'onzz
他的生日(姑且这么称呼)其实是4月24日,当天我只在微博和AO3上发布了内容,现在我要把这篇生贺在这里再发一遍。就当成是存档吧,我不觉得有人会拿翻译器阅读……但以我的英文水平,很难把整篇文章恰如其分地翻译成英语。这是以闪点宇宙为背景的故事,接受的话请阅读↓↓↓
【荣恩中心】万用地球语
warning:闪点世界观,可能存在令人不适的描写,私设如山,ooc。
summary:1985年4月24日,火星与地球首次非正式建交。
chapter 1
火星上只有一种语言。人人都会心灵感应的种族不需要第二种语言——不可能产生第二种语言。隐喻,暗语,密码——在相互理解的瞬间,它们就变成了同一种语言。那是心的语言。这当然是令人自豪的天赋:在这广阔无垠而冷酷无情的宇宙之中,高等智慧种族说不上多,也称不上少,然而绝大多数都不具有心灵沟通的能力,非得用有声语言、肢体语言、信息素语言之类之类彼此交流不可。这在星际交往中带来了多大的弊端呀!多少误解,多少纷争,多少战乱,正由于语言的壁垒而爆发!然而这对于火星人而言,不过是与生俱来的感官的一部分。每个火星孩子出生的时候,最先“听”到的就是父母的爱与感动。不少人长大后还记得那种感觉,他们往往将其描述为“温暖的海洋”、“柔软的拥抱”,依个人的审美与喜好不同,还有可能是“黎明的玫瑰色”、“小心翼翼的太阳”、“毛茸茸的弧线”。火星并非没有罪恶与痛苦的理想世界,但相互理解让他们中大多数人更为友善、更善于理解与共情、更愿意相信他人。曾经,荣恩·荣兹也是这些火星人的一员。
他现在仍然是火星人。研究所里的每个人都会认同这个结论:这头身体瘦长、浑身无毛的绿皮怪物,当然绝非人类。
荣恩·荣兹是被买到这里来的,或者说,卖到这里来的。地球语言多奇妙啊!这两句话居然是同一个意思。
当时的情况是这样的:为了以防万一,荣恩·荣兹被关在一个形制复杂的铁笼里,这个笼子的构造分为最内侧的合金栅栏笼,中间的隔热层与喷火口,最外侧的储液层连接着高压氧气瓶。整个产品完全为确保内容物充分燃烧而设计,火星人就是那个内容物。印度人研究了他整整五年,发现的最大弱点仍然是最开始的那个——火。因此火成了最可靠的安全收容措施。
出发前,荣恩·荣兹对即将发生的一切一无所知。所有知情人员都被专门调走,因为他们缺乏抵抗心灵感应的专业素养,只有一些驯服而无知的研究员留下来。迈克尔·德萨尔若无其事地敲敲火星人的房门,通知他十点钟有一场实验,涉及部分生理指标的测量,需要麻醉进行,请他提前半小时到场。荣恩·荣兹早已习惯人体实验,只是应了一声,盯着电视机里的超级英雄剧集。
“那都是骗小孩的。”德萨尔说。他无法理解火星人对地球文化的偏好,这个时代最缺超级英雄——于是超英作品层出不穷。人们渴望被拯救——人,超人,神明般的存在,非比寻常之物。
“那也不错。”荣恩·荣兹若有所思,“我们也有传说与神话……但我们极少构建纯粹虚构的东西。你们的思维方式很有趣。”
“我想那是因为人类没有超能力——绝大多数吧,也不会读心术。想象力是弱者的庇护,一层隔绝了真实世界的壳,逃避真相的手段。他们躲在自己的蛋壳里,假装自己从未出生过,会有永恒的奇迹与英雄保护他们。”
他们紧接着闲聊了两句地球的虚拟作品,德萨尔推荐了几本小说后告辞离开,因为还有许多决策要等他下达。九点二十五的时候,荣恩·荣兹到了实验室,发现研究员换了几人,但他完全不在乎,这种人总是轮换个不停。他躺上病床,熟悉的不安涌上心头,丢失意识总是令人神经紧绷。麻醉医生是个性情温和的女人,她柔和的语调总让荣恩·荣兹想起自己的妻子。那好像是很久之前的事了。棕皮肤的女人请他放松,不要紧张,不然针头扎不进去——特质的合金针头在火星人绷紧的皮肤面前仍可能弯成铁钩——接着给他扣上手环式的麻醉泵。麻醉药安静地淌进血管,火星人盯着软管里白色的液体,相比人类,他对镇静药物的抗性强得多,因此失去意识的过程被拖得极为漫长:“你在这工作多久了?”
“八年了,先生。”女人平和地说。荣恩知道这是实话,他有时候就会这样干:把某人的思想扒拉开,一边提问一边倾听,并观察人类会在什么时候撒谎。观察结果总是十分有趣。他知道女人三十四岁,未婚,有一个生病的父亲,一个劳累的母亲,以及两个妹妹和一个弟弟。比起长姐,她更像他们的父母。她不喜欢男人,也不喜欢小孩,更不喜欢自己的家,但仍旧出于某种盲目的义务抚养弟妹、照料父母。得亏德萨尔确实出手大方,发的工资足够她安全无忧地养活一家人。但是话说回来,他从来不是什么大方的人,那双眼睛,总是精明、狡黠而市侩,毫不介意从别人身上割下两块肉称称斤两。
火星人的眼皮沉重地坠了坠,最后安然闭合。又过了一会儿,德萨尔走了进来,左右看了看:“他睡过去了吗?”
“指标一切正常,先生。”麻醉医生看了一眼仪器,微微躬身,“请问您……”
“很好。接下来就不是你们的工作了。”德萨尔摆摆手,“都出去吧。”研究员们面面相觑。但是他们都是非常本分、非常守规矩的人,所以他们一个字也没多问,顺从地离开了实验室。
德萨尔带着笑容碰了碰输液管:他的皮肤比里头的液体还苍白,整体泛着一种灰蓝色或是灰紫色,而且粗糙皴裂,没有体毛,导致他看起来像个怪物。不过,他的确是人类,至少他的DNA这样说。
“做个好梦,荣恩·荣兹。”他打开对讲机,朝另一头的人交代道,“麻醉起效,开始运输。”
麻醉药物是经过多次实验与调配的。火星人免疫绝大部分细菌、病毒、毒素,以及药品。阿片类药物对他既没有成瘾性,也没有任何镇痛效果。起初他们纯粹靠火来控制场面,让所有采样过程都像是发生在屠宰场,火星人尖叫着爆发出一连串黏连而震颤的音节,如同某种复杂管乐的声响,然而节奏相当急促,而且夹了十足的怒火,显然是在骂人。好在他们一个词也听不懂,包括再之后的那些:痛苦累积到一个地步后,那音调会软化下来,断断续续的连不起来,接近某种哀求。语言不通让火星人成为一头待解剖的动物,减少了许多研究人员的心理压力——他们虽然为德萨尔工作,但毕竟只是普通人——尽管他们私下里承认,火星人的惨叫着实叫人心里不好受。他们试了很多药物,最终研发了独创的复配麻醉药,配合足以麻死一头成年大象的药量,总算让火星人昏迷过去。
德萨尔是信奉万全准备的那种人。特种麻醉药的研发当然非他本意,也绝对不是为火星人减免些许痛苦,但这项研究最终允许他平安地把荣恩·荣兹送出去:经过六个半小时的空运以及一小时车程,荣恩·荣兹坐在了俄罗斯研究所的个人专属牢房里。他坐在一把完全不符合人体工程学的金属椅子上,呆呆地望着皮肤发红、满脸络腮胡的大块头白种人,一时没反应过来这是哪儿——他问:“迈克尔呢?”
俄国人嘴角抽动了一下。那是一个忍得很艰难的笑容。荣恩提高音量:“迈克尔·德萨尔在哪里?”
“这里是俄罗斯。”大胡子男人说。他的英语卷舌音很重,荣恩懵了一下——这时候他注意到环境的变化,异常的气温与湿度、奇怪的外国人均表明他身处异乡。他一下子理解了自己的处境,并且毫不迟疑地破口大骂。
遗憾的是,他要骂的人远在天边。俄罗斯人敲了敲玻璃,命令他安静一点。荣恩·荣兹的英语不算很好,印度语倒是上佳:他总是很有学习精神,而且很有语言天赋,能迅速依靠心灵感应建立词句与含义的链接。听力方面——整个研究所内只有所长德萨尔发音相对标准,大部分研究员都是本地人,说话仍然带着浓重的印度口音,他也习惯了这样发音;电视剧与电影又大多是美国人拍的。因此这句话他一样没能听懂。鉴于他骂的是火星语粗口,俄罗斯人也不知道他在说什么。两次警告无效,俄国人拉下了窗边的闸门——牢房的四面墙喷出火焰,火星人惨叫起来。这就是人类与火星人的第二次建交过程,场景非常不体面,也相当不友好,充满了误解与隔阂。
chapter 2
那么,让我们来谈谈第一次建交吧:那得倒回五年前,也就是1985年。那是一个闷热的夜晚,俄德博士正在进行最后的调试。他正在建造一部伟大的机器,并且坚信跨维度传输技术的成功将影响整个人类世界,怀抱着青史留名的期待与拓展科学边界的崇高精神,他热情洋溢地完成了自己的工作。德萨尔要求他带来“其他世界的东西”作为成功的证明,而俄德野心勃勃,想要带来“活物”。在完成自己疯狂科学家式的幻想之前,他其实完全没有细想过要是真的外星生物——甚至外星人降临地球后要怎么做,万一他们怀抱敌意,科技水平远超地球,或是携带致命细菌病毒怎么办?真正目睹那个场景之前,他胸腔中只有纯粹的兴奋与喜悦,以及对未来的美好幻想。这里不得不提一句,要是他再过几年才研发成功,可能会对这个选项警惕些:当时流行的科幻电影中出场的外星人虽说与人类外貌大相径庭,却总是友好善良,还会被充满内乱与纷争的人类吓个半死。总之,他信心满满地按下了按钮。
他们还未为原型机命名。甚至,跨维度传输技术这个词也没有得到学术界的广泛认可:早在1954年,一位量子物理学家就提出了平行宇宙理论,这个概念就和量子物理这个神秘莫测的词一样,成为了科幻作品的宠儿。但假若谁宣称自己见证过平行世界,那一定会被人当成疯子的呓语,叫人笑掉大牙。绝大多数人不知道的是,尽管因为连绵的战火,他们世界的民用科技比大多数平行宇宙的地球还低一些,但世界上从不缺乏高科技,只是它往往掌握在少数人手中:譬如德萨尔。他招揽了郁郁不得志的俄德,获得了他的忠诚与智慧——可能没那么忠诚,这不是每个人都有的素质——但俄德毕竟不是个逆反的人,德萨尔为他提供食宿、实验室、助手、研究材料,离了这白皮肤的印度人,他上哪儿去找这样的好地方?
机器忠实地运转起来。在正式工作之前,它首先要经过一连串准备程序,以正确地构建通往另一个世界的通道。俄德博士紧张地把手插进兜里,好把汗水抹在衣兜内衬。有十几名安全人员站在他身后,更有两人一左一右地护住他,十几双眼睛盯着嗡嗡作响的机器,但仅有俄德博士一人陷于极度的紧张与振奋之中。
在机器运转的同时——同时,这词不太准确,时间是相对流动的,特别是跨维度讨论的时候——某个遥远的火星上,正举行着一场葬礼。一个火星人将灰烬扬起,让它们随着狂风与红沙一同离去,同时念诵起死者的名字。他没有选择使用心灵去呼唤,因为他们正是因此而死;他选择了使用有声语言,因为再没有人能倾听心声,只有回音能令他略感宽慰。这位幸运而不幸的火星人正打算研究一下自己接下来该做什么——哭个半小时还是发呆,或是辱骂神灵和苍天一个小时,鉴于此刻所��事于他都失去了意义,因此他可以做任何事——的时候,他眼前一亮,又一暗。
这可是真咄咄怪事!火星人大吃一惊,本能地挣了一下:没用,他好像被塞进了某个极细的管子,压缩成一条长长的细线,并且迅速移动着。无形的管道压抑而狭窄,他呼吸困难,眼前发黑,恍惚间认为这是死亡。因此他放弃了挣扎,品味到某种解脱:赫隆米尔啊!爱之神,艺术之神,火之神——死亡之神!您终于垂怜于我,不独留我一人苟活于世!这个猜想当然是完全错误的。机器预加载了十分钟,正式运转了一秒钟后,火星人头昏眼花地出现在了传送区域内。
按设定的程序,舱门开启前要填充大量的麻醉气体,直到异星生物昏迷为止。若是它拒绝昏迷,那就得通入毒气,这是为了在场地球人的生命安全考虑。想法是好的,现实相当残酷:火星人只迷茫了一小会儿,在吸入一口高浓度混合麻醉气体后决定立刻离开,他反转自己的相位通过舱门,在机器外现形,有点恼火地跟面前的人打了个招呼——出于防止误会的好意,他的声音直接在俄德颅腔里响起:“这是哪儿?你是谁?我……”
俄德博士尖叫起来。他叫得无比惨烈,骇得火星人退了半步:我还什么都没做呢!
荣恩·荣兹是个火星人,这意味着三件事:一,他知道外星人的存在,不害怕未知生物;二,他善于变形,从不以貌取人;三,他有超能力,无惧与人交流沟通。而俄德博士是地球人。这意味着另外三件事:他叶公好龙式地憧憬外星人,真看到了却吓得连滚带爬;面容冷峻、绿色皮肤、脊背与手臂生着棘刺的细瘦人形不在普通地球人的审美光谱内;他是个年事已高、身躯脆弱的人类,遇上怪事的第一反应总是自保。结果是:俄德惊恐万分地从衣兜里掏出枪,本能地扣下扳机。他的手腕发颤,手指发软,子弹只打中了天花板,但这声枪响象征着一道命令:他的身后,负责保护他与处理外来物的专员抬起枪口。
“我没有恶意!”荣恩·荣兹立刻高呼,回应他的是连绵不绝的子弹。这东西虽然伤不到他,但打在身上还是有点疼的,故而他很快丧失了耐心,双目迸发红光,专员们被烧融的枪支烫得吱哇乱叫。而俄德博士像一个正统的疯狂科学家那样,只擅长制造烂摊子,不擅长收拾自己带来的超级生物。他瘫坐在地,好半天才凝聚起逃跑的力气,连滚带爬地缩到门口按下警报器,等待更多支援的到来。他们大大低估了外星生物的强度——也是因为没人对俄德博士的研究怀有信心——手忙脚乱地抛掷自己携带的武器。伟大的机器在第一发手榴弹后炸毁了小半边,俄德博士发出一声凄惨的哀叫。火星人被闪光弹逼退半步,但很快就恢复过来。催泪弹和毒气弹都不适合使用,火星人动得又快,靠得又近。他们差一点点就输了:要是这样,历史就会永久性地改变。但混乱之中,有个专员惊慌地四处射击,一枚子弹击穿了维度穿越机器的发动机,液体燃料的部分汩汩流出,被火花点燃。那绿皮怪物猛地缩到墙边,发出一声惊惧的怒吼。那声音贯穿在场所有人的心脏与耳膜,震得他们脑壳隆隆作响,俄德博士尖叫起来。
“火!”他惊呼道,“这东西怕火!”
这就是荣恩·荣兹躺在这里的原因:他有恐火症。火是人类最容易获得的武器之一。在生理意义上,他当然比人类强得多,只是仅此一点就叫他在人类面前全无抵抗之力。曾经,在极度的恐慌中他失去了自控能力,杀死了几名专员,然后被赶来的支援人员用薄膜控制住;现在,他连人带椅子翻倒在地,因为升腾的火焰而缩成一团。
大胡子男人说了什么。他听不懂,也听不见对方心里的声音:毫无���问,心灵力场抑制器。德萨尔的技术。既然他卖了自己,当然也可以打包卖一些技术。
在之后的日子里,他学会了俄罗斯语。这没有使他的处境好上半分:德萨尔把他放出来可不是因为他学会了英语或者印度语,而是觉得有火星人的自主配合更方便某些研究。荣恩·荣兹不理解如果无法沟通,语言还有何意义?为什么他念出了正确的单词,组织了正确的语法,表达了正确的意思,却没有人听得懂——没有人愿意听——没有人在听他说话?为什么他尝试交流,却没有得到任何回音,只得到暴力与更多的暴力?
如果德萨尔在这里,就会回答他:是没有意义的。巴别塔的倒下,意味着人类从根本上无法相互理解,更何况去理解外星人呢?
荣恩·荣兹不再想学习语言。他扭过脸躲避火焰,竭力蜷缩起来,不受控制地尖叫与挣扎:至少他确定,学会一门新语言救不了他。
chapter 3
特斯-亚当意识到自己在被某人拖着走。面部的拘束被取掉了,但他嘴里还残留着冰冷的金属味,以及血腥味:他自己的血。为了张嘴念出咒语,他做过很多次尝试,磨得舌头与口腔鲜血淋漓。那只手一下子松开了:你醒了?那就自己走吧。
声音是直接在颅骨内侧响起来的。他一开始以为对方说的是英语,但细细揣摩,却不是他所了解的任何一门语言。事实上,他好像压根就没听出什么单词,只是本能地理解了对方的意思。他困难地站起来,捂住自己空落落的右臂,唤起咒语才获得些许安全感:“你是谁?”
那是一头……一只——一个人形生物。个子比他还高,但瘦得多,浑身赤裸,灰绿色皮肤上不见一根毛发,沾了许多赤红的血。它转过脸的时候,露出一对分不出瞳孔与虹膜的红眼睛。它的声音有些低沉,似乎是男性:“是我救了你,你该感激我,黑亚当。他们是这样叫你的吧?”
黑亚当的思绪有些混乱。他还记得可恨的印度人,冰冷的雪地,拿枪的士兵,穿着白大褂戴口罩的研究员,不记得这只绿色的生物是什么。但是他基本能确定对方说的是真的:那些俄罗斯人在惨叫。把他当成实验动物、超能力个体的研究员在惨叫,奔跑,然后变成一堆肉块,或者莫名地瘫软下来抱着脑袋尖叫。这座研究所已经变成了血腥的地狱,但他并不讨厌,反倒觉得畅快:他老早看这帮俄罗斯人不爽了。
“你也是他们的实验品吗?”
“我比你来得早多了。”绿色生物看了他一眼,“我来自火星。”
他简略介绍了一下自己的经历,许多地方寥寥带过,但黑亚当大致勾勒出故事的雏形:不幸的外星人流落地球,被人逮住做活体实验,为俄罗斯人的超能力研究贡献力量。他在这待得更久,受过更多折磨,他完全没详细描述人类对他做过什么,只是在虐杀人类时露出阵阵冷笑。火星人扯出一个人的心脏,又把它放进另一个的嘴里,将两个人拧成一股让骨头发出刺耳的声音。那只绿色的手可以穿过人的身体而不留下一滴血,也可以不撕开颅骨就捏爆人的脑子。五根手指虚虚插进人脑袋里的时候,会让人发出怪异的嗬嗬声,然后撕扯抓挠自己的脸和身体,把脑袋往墙上地上撞。死得最安详的是开枪自杀的那些,他们被同伴的死吓崩溃了。荣恩.·荣兹笑得极为狰狞,扭曲的面容浮现纯然的快意,那是掌控局面的得意与复仇的狂喜。“你瞧,亚当。”火星人笑着,扯下一个不住求饶的研究员的胳膊,“非得这样他们才明白事理,这是为什么啊?”
“求求你……”那人嚎了几声,又被打碎几颗牙,只能哀哀叫唤,说话也含糊不清,带得卷舌音更为严重,“求求你,我错了,我没对你做过什么!我只是个助手……我很抱歉,求你放过我,我……”
“我也很抱歉。”荣恩·荣兹用火星语说,声音几乎是温和而谦逊的,就如同他过去一般,“我听不懂。”
荣恩·荣兹扭断他的脖子。
确认方圆几公里没有人类生命迹象后,荣恩迟缓地感觉到冷。狂怒与狂喜的热血褪去,冰冷而新鲜的空气抚过他的皮肤。他变幻身形,给自己造了身过得去的衣服,打量了一下旁边飘着的大块头:“你不离开这里?”黑亚当也杀了一些人,不过没他多,花样也没他新。
黑亚当静静地落下来。他直觉这就是自己最需要的援手:一个和本地任何势力都没有关联的外星人,一个力量强大的超级生物,一个同样仇恨迈克尔·德萨尔的人。他似乎无意结交什么人,却把自己救了出来。
“无论身份与意图如何,有一件事不会改变:你是我的救命恩人。”黑亚当说,“我是坎达克的国王,若你来到我的国家,我与我的人民将盛情款待你,将你当成最尊贵的客人。我知道你或许憎恨人类,正如同我憎恨德萨尔和这帮俄罗斯人。但是,人类并不都同他们一样狡诈残忍,我会向你证明,我们也可以是最忠诚的盟友。”他伸出手,等待火星人的反应。
荣恩·荣兹望向那双眼睛。特斯-亚当有一双坚毅的黑眼睛,现出十足的坚决果断,那是一双为了某物可以牺牲任何人——包括自己的眼睛。他轻柔地探入他的记忆,看见白皮肤的印度人与冻僵的女人,看见被屠杀的军队,然后看见坎达克。这个位于埃及与以色列之间的小国因自身资源而饱受外敌的折磨,在这个混乱的世道上仅靠国王一人勉力支撑。但荣恩一点也不关心石油。他几乎浑身战栗:那干燥的空气,卷着尘土的风,连绵的沙漠与玫瑰色的黎明——啊,那令他想起——
“好啊。”火星人露出一个极为得体的笑容,握住了坎达克国王的手,“我很乐意。”
*本文中出现的所有时间点与设定若与读者所知的历史存在冲突,请记住:这是一个发生在已不存在的宇宙的不存在的故事。
**在那之后,荣恩·荣兹意图占有坎达克,杀死了特斯-亚当。
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shintani24 · 8 months
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2024年2月2日
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貧乏によるストレスは離婚や介護よりも強く健康状態の悪化に関連していることが判明(Gigazine)2024年2月2日
人生には経済的な問題や配偶者との離婚、親の介護といったさまざまな問題が付きまとい、これらのストレスは精神だけでなく健康にも悪影響を及ぼします。イギリスの研究チームが行った新たな研究で、経済的なストレスはその他のストレス要因よりも強く健康状態の悪化に関連していることが示されました。
イギリスのユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンとキングス・カレッジ・ロンドンの研究チームは、さまざまなタイプの慢性的なストレスが高齢者の健康バイオマーカーとどのように関連しているのかを調査しました。
研究には、50歳以上のイギリス人を追跡調査したEnglish Longitudinal Study of Ageing(イギリス老化縦断研究)が2008~2012年にかけて収集した合計4934人のデータが用いられました。被験者は面接や自己記入のアンケートに回答したほか、看護師によるバイオマーカーの採取を受けました。今回の研究に用いられた4934人の年齢の中央値は65歳でした。
今回の研究で調査されたストレス要因は、将来的に必要な経済的リソースが枯渇する可能性がある「経済的なストレス」、過去1年間に私生活で成人の介護を行っていた「介護のストレス」、歩行やしゃがむといった行動に困難がある「障害のストレス」、長年の病気や健康問題により活動が制限される「病気のストレス」、過去2年以内に親や配偶者との死別を経験した「死別のストレス」、過去2年以内に離婚を経験した「離婚のストレス」の6つでした。
また、被験者の健康状態のリスクは、ストレスに反応して産生されるホルモンのコルチゾール、炎症への免疫反応に関連するCRPとフィブリノゲン、老化と長寿に関連するIGF-1という血液中の4つのバイオマーカーを通じて測定されました。
分析の結果、何らかのストレスにさらされていると報告した被験者は、4年後の追跡調査で高リスクのカテゴリーに分類される可能性が61%高まりました。この結果は遺伝的要因や年齢、性別、ライフスタイル、調査開始時点の健康状態といった要因を除外しても確認されました。
また、複数のストレスを持っていた被験者では、ストレス要因が増えるごとに高リスクカテゴリーに分類される可能性が19%増加しました。ところが、「経済的なストレス」のみを報告した人は、それだけで4年後に高リスクカテゴリーに分類される可能性が59%も高くなることが判明しました。つまり、「経済的なストレス」はその他のストレス要因よりも強く健康状態の悪化に関連していたというわけです。
経済的なストレスが健康により強い悪影響を及ぼす理由について、論文の筆頭著者でユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの博士研究員であるオデッサ・ハミルトン氏は、経済的なストレスは生活のさまざまな側面に関与しているからかもしれないと指摘。経済状況の悪化は家族間の対立や社会的な疎外につながるほか、最終的には飢餓やホームレス状態などに陥る可能性もあるとのこと。ハミルトン氏は、「今回の研究では、経済的ストレスが生物学的健康に最も有害であることがわかりましたが、これを確立するにはさらなる研究が必要です」と述べました。
今回の研究結果は、必ずしもストレスが長期的な健康問題を直接引き起こしていると証明したわけではありません。しかし、ストレスが高齢者の体に大きな影響を与えており、ストレス源によって身体的影響が異なる可能性を示唆しています。
ハミルトン氏は、「免疫系と神経内分泌系がうまく連携して機能すれば、体のホメオスタシス(恒常性)が維持され、健康が保たれます。しかし、慢性的なストレスはこの生物学的経路を乱すため、病気につながる可能性があります」と説明しました。
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被爆者団体「まだまだ戦わなければ」 引き続き「黒い雨」訴訟支援など確認 広島(RCCニュース)2024年2月2日
広島県被団協の��表者会議が2日、広島市で開かれ、引き続き「黒い雨訴訟」の支援などを続けていくことを確認しました。
広島県被団協 恒例の「新春代表者会議」には、県内各地の被爆者団体など、約40人が出席しました。
広島県原爆被害者団体協議会(県被団協)箕牧智之 理事長 「被爆から79年、高齢化でこうした集会は集まりにくいが、戦争犠牲者・原爆犠牲者は、まだまだ戦わなければならない」
現在、被爆者の高齢化で、団体の存続が課題となっています。坂町にある被爆者団体は、高齢化を理由にいったん解散したものの、被爆2世などで再結成し、黒い雨訴訟の相談会のチラシを配る活動などをしたということです。
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原爆投下直後に降った「黒い雨」をめぐっては、援護対象区域を広げた国の新基準でも、被爆者手帳の申請を却下された人たちが、取り消しを求める裁判を続けています。
厚生労働省の有識者検討会では、現時点で降った範囲を判定することは困難だとしていますが、広島県被団協は引き続き、被爆者の救済を国に求めていくとしています。
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「公園内は軍施設と一体でそのメッセージは『戦争』」 被団協の講師団がパールハーバー視察報告 広島市の姉妹公園協定をめぐって(RCCニュース)2024年2月2日
広島市が、平和公園と姉妹公園協定を結んだハワイの「パールハーバー国立記念公園」について、協定に異議を唱えている市民団体が、現地視察の報告会を開きました。
アメリカ・ハワイ州にあるパールハーバーには、アメリカ軍の基地や、1941年の真珠湾攻撃で亡くなった兵士などを追悼する記念館などがあります。
広島市は、去年6月、パールハーバー国立記念公園と平和公園は「共通の理想を達成するために、国際協力と相互利益を促進する」として、姉妹公園協定を締結しました。
被爆者などでつくる団体は先月、現地を視察した報告会で、公園は軍の施設があるため、自由に撮影ができないことなどを紹介しました。
広島市は、姉妹公園協定の対象を、ビジターセンター周辺とアリゾナ記念館など4施設に限定し、軍の施設は含めないとしています。
しかし団体は、対象の施設が、核兵器の威力や開発を誇る軍の記念館や基地と隣り合っていることから、「公園内は一体で、目に飛び込んでくるのは『戦争』というメッセージだ」と訴えました。
佐久間被団協平和学習講師団 山根岩男さん 「『ノーモア・広島』『核兵器廃絶で平和を』と訴えていくことと真逆のような、『油断するな 戦争に備えよ』『抑止力こそ強化すべき』と訴えている」
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広島でしか買えない 人気の「むさし」と「うえの」の弁当 新幹線で大阪に直送(RCCニュース)2024年2月2日
広島でしか買うことのできない人気の弁当を、大阪のイベントで販売するために、新幹線で直送しました。
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広島駅の新幹線ホームです。出来上がったばかりの「むさし」の「若鶏むすび」が、新幹線の到着を待っていました。JR大阪駅で開かれている広島・山口の人気商品を販売するイベントに、新幹線で素早く届けるためです。
記者 「スタッフ用の入り口が開きました。新幹線が停車する1分の間に積み込みが行われます。今、むさしのお弁当が運びこまれました」
「むさし」に加えて「うえの」の「あなごめし」という広島でしか買えない人気弁当を、イベントの期間中、4回新幹線でスピード輸送するということです。
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むさし新幹線店 沖田隆次 店長 「大阪のお客様に召し上がっていただいて、広島に行きたいなと思っていただければ光栄です」
JR西日本は、荷物を早く定時で運べる新幹線の活用を、検討していくということです。
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「私たちの病院を助けて」病床ひっ迫、疲労の蓄積 被災地の医療は課題山積(石川テレビ)
被災地の医療は課題が山積みです。珠洲市の診療所は断水が続き十分な医療が行えていません。奥能登の医療体制は綱渡りの状態が続いています。
珠洲市内にある小西医院。普段は内科、循環器内科、小児科の3つの診療をしています。しかし、今はかかりつけ患者への薬の処方だけです。
小西 堅正院長「(正院地区は)いわゆる電気の復旧も一番遅かったんです。サーチライトやってそれでもなかなかカルテも散らばって診療にならないので、やっぱりこれは無理があった」
地震発生後は停電のため電話も使えず、体にカイロを貼り懐中電灯などで辺りを照らしながら再開に向け準備をしてきたそうです。
電気が通ったのは地震から22日目。今は1日に20人から30人ほどの患者が薬の受け取りにやって来るそうです。
小西 堅正院長「金沢に避難された患者さんから『元気でいますよ』と電話だけかかって来ることもあるんです。無理して頑張っても誰も(珠洲市に)いなくなるんじゃないかなと心が折れそうになるときも実際ありましたけど、そうやって『自分らも必ず戻るから頑張ってね』と言われると、やっぱり自分ももうちょっと頑張らんといかんなと元気づけられる。(人手不足などもあるが)人的支援もいただきながら少しずつ戻していければと思っています」
一方、こちらは七尾市の恵寿(けいじゅ)総合病院。病床のひっ迫に危機感を募らせています。
恵寿総合病院 神野 正博理事長「非常に病床はひっ迫していて空いているベッドは10数床ということで、救急患者を受け入れるためにその10数床をどうやって空けるかを考えながらいろいろと患者の流れをつくっています」
別館の一部で天井が崩落するなどの被害が発生。スタッフのおよそ1割は現在も避難所など自宅以外からの通勤を余儀なくされています。手術や透析などの病院機能はこれまでにほぼ全て回復しましたが、被災地の医療現場では先行きの見えない状況が続いています。
恵寿総合病院 神野 正博理事長「(この病院は)手術などがちゃんと機能しているという意味で、(今後)療養だけの患者さんはここではなくて他のところで受けていただくという形が必要だと思います。職員が非常に疲弊しています。全職員の10パーセントくらいは自分の家以外から、全体の3パーセント程度の方は避難所から出勤しているんですね。全国の病院に呼びかけているんですけども、私たちの病院を助けてくださいと。少し職員を休ませて、そして長持ちさせるということが必要かなと思っています。これからの医療を止めないために、私たちがいま一番必要なのは人材の支援だと思っています」
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2月2日夜、直径約290mの小惑星が地球付近を通過 NASAも監視中(Forbes)2024年2月2日
スタジアムサイズの小惑星が日本時間2月2日金曜日の夜に地球の近くを通過する。そして、そのサイズと地球への接近距離のため、NASAの科学者らは危険がないか監視している。
直径約290mの小惑星が、秒速約18kmで地球から約270万km(月までの距離の約7倍)以内のところを通過するとNASAのジェット推進研究所は発表した。
「2008 OS7」と呼ばれるその小惑星は、太陽を962日周期で周回しているため、次に戻ってくるのは2026年となるが、その次に地球へ接近する2037年では、地球から約1600万kmの距離を通過する見込みだ。
NASAは、地球から約750万km以内に接近する直径140m以上の天体を「潜在的に危険な小惑星」に分類しているため監視している。
地球付近を通過するのは日本時間2月2日金曜日の午後11時41分頃と予測されている。肉眼で見えることはできないが、NASAがバーチャル小惑星トラッカーを提供して小惑星の位置をリアルタイムで伝えているほか、Virtual Telescope Projectがライブ中継を行う。
小惑星は惑星と同様に太陽を周回している岩石質の天体だが、惑星よりずっと小さいとNASAは説明している。約46億年前に太陽系が形成された時の残骸からできている。小惑星2008 OS7は、アポロ群と呼ばれる地球軌道と交差する可能性のある1万8232個の小惑星からなるグループに属している。
近年NASAは、地球に接近する小惑星の脅威をより深刻に捉えている。2022年のDARTミッションでは、小惑星の軌道を変更するテストを行った。NASAは探査機を宇宙に飛ばして小惑星に衝突させ、その公転周期を32分短くした。さらにNASAは、地球に接近しているベンヌと呼ばれる小惑星を研究するミッションで探査機OSIRIS-RExを送り込んだ。同探査機は小惑星の標本を採取し、2023年9月に地球に届けたが、発見内容は未だに公開されていない。科学者らは、ベンヌが2182年に地球に衝突する可能性を信じており、それがベンヌの探査が行われている理由だ。OSIRIS-RExミッションの科学者チームは、ベンヌが2182年に、テキサス州サイズの領域に2700分の1の確率で衝突する可能性があると考えている。Icarus誌に掲載された2023年の論文による。
2月2日に地球近傍を通過する小惑星は2008 OS7だけではない。あと2つ小惑星が近づいている。小惑星2024 BJ3は今年発見された直径約21mの飛行機サイズの小惑星だ。2008 OS7よりもずっと近い86万km以内に接近する。小惑星2024 BP1も飛行機サイズだがやや大きい直径約40mほどで、この中では最も遠い340万km付近を通過する。
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tokyomariegold · 8 months
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2023/10/16〜
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10月16日 昨日キャンドルをぶつけた足の甲がまだ痛くて、やっぱり少し腫れている感じ。内側に嫌な痛みがある。バス停から歩きがてら確認した保健センターの診察スケジュールに、ちょうど今日、整形外科が診察予定のとのことだったのでお仕事中に抜けて診察してもらった。 ものすごく業務的に淡々としたお医者さんだった。レントゲンを撮ってくれた技師さんも、わたしがいくまでは白衣を脱いで休憩?モード。 とりあえず「骨は大丈夫です。打撲でいいでしょう。」とのこと。いいでしょう…。 「安静にしておけばよいって感じですかね?」と、思わず投げかけてしまった。 薬出せますけどどうしますか、と言われ、痛み止めの湿布だ今朝処方してもう。
今日は面談があった。 今までとこれからのお仕事のことを上司にお話しさせてもらって、今の方がこの4月から上司になってからお仕事の姿勢などたくさん学ぶことが多かったので、そんな話などもさせてもらって思いがけず長い面談になってしまった。 先週から風邪をひかれていたので、部署の全員と面談し続けて、声は大丈夫だったかしら。 先日5,000円で買った主治医からの診断書を提出させてもらう。そして、すでに提出してある調書を変更して異動希望としたい旨をお話しした。 「この数年のその場凌ぎでなく、長い目で見て、希望を出しても良いと思う」とアドバイスもいただいて、業務上と言ってしまえばそれまで、でもありがたい。
今日も登録がうまくいかなくて問い合わせたコールセンターは繋がりませんでした。
明日は足の状態がまだましになるといいな、と思いながらいつも通り歩き続けてしまう。というか旅行これで行けるの?
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10月17日 昨日提出し直した調書について、面談をしていただいた上司からメールが入っていた。“通院を続ける中で体調が回復して今の持ち場に戻りたい!と思える日が来るかもしれないし、戻ることは可能ですから、今は医師からの客観的な判断に従うのが、私も良いかと思います”とのこと。昨日はご自身のこれまでの経歴などもお話ししてくださって、励まされてしまった。何も今の部署だけが全てではないし、ロールモデルはたくさんある。 そして、その上司ともうすぐ産休に入る上司と、まだもう少しお仕事させてもらいたいな〜、という気持ちにもなった(あまのじゃく!)。
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お昼休みにだめもとでコールセンターに電話をしてみたところ、なんと後7分で繋がるとのこと。スピーカーモードにして、電話中継中のクラシックBGMを流しながら紅葉しつつある構内を歩いていた。 登録情報の間違えを確認して、やっと次の段階へ進むことができた。 この話を、つみたてNISAをおすすめしてくれた職員さんへエピソードトークとして話したところ、新NISA特集号の今月の東洋経済は、amazonでも楽天でもメルカリでも売り切れだと教えてくれた。
昨日から豚汁みたいなものが食べたいけれど、レンジで作れるのかを調べつつ、味噌や顆粒だしという新たな調味料を買うのがだるくてできない。 インスタントのあさりのお味噌汁はなんか違った。
帰り際、今もまだ度々休みながら出勤している職員さんに話しかけてみて、自分が、この方はここの職場で居づらさを感じ出るかも、可哀そう!と思い込んでいるかも、と気がつく。少しでも出勤しやすくなれば、とか思っていたんだろうか、わたしは。 彼女がせめて興味ありそうな美容の話題(友人へのプレゼントで化粧品のおすすめはあるか?)をしてみて、Diorのリップが唐辛子エキスを使っていておすすめでジェネリック的な製品ではヴィセが良い、と教えてくれた。「また見つけたらメールしますね!」と言ってくださって、そんなに真剣に悩んでないし実はもう友人のプレゼントは買ってしまっていて、本当に自分を何様だと思っていたのだろう自惚れるな!と、自分にがっかりした。
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週末の京都で何をしたいかがわからなくて、qpさんがツイートしている世界を見たい、と思って彼が投稿した喫茶店に旗を立てています。
足は昨日よりはまだましかな。 月が細く出ていて、久しぶりに月のことを思い出した。
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10月18日 本当に今週末、京都へ行くべきなのか���い始めてしまうくらい、いまお仕事が忙しい。 行くことが負担になっている気がする。でもせっかく泊まりたいホテルを予約できて、会いたい友人たちと日程調整したのだから!いかなくては!と息が浅くなる。 Perfumeの衣装展鑑賞じゃなくて、夜ドラのロケ地巡りをしたい。
来月の研修の宿題と研修後の親睦会の出欠が明日までで、面談をしてもらった上司へ回答しなくてはいけない。宿題も進められておらず、でももっと親睦会の出欠を悩んでいた。 エクセルでプルダウンして選ぶだけなのに、不参加、ってなんか選びづらすぎる。文字面が悪すぎる。 上司から口頭で「行かないでいいでしょ?」と取り急ぎ出欠だけ確認されて救われる。
昨晩更新した日記を読んで、2ヶ月前から私はずっとお仕事と健康のことで心がざらざらしていて、なんか日記にしては必死すぎる核心すぎる内容で、こんなの誰も楽しくないな、と思って、もっと何でもないことを不特定の皆さんに向かって書きたいと思った。
友人のスレッズに投稿された日記を3日分読んだ。
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10月19日 少し落ち着いて、最果タヒの文章を読んでtofubeatsを聴いてqpさんの見ている風景を見たい、と思えるようになってきた。 少しだけ明日からの旅行に前向きな気持ち。 夜ドラの曲もダウンロードした!
今日もふにゃふにゃに忙しくって、でも職場の小さなサボテンが株分けされて、新たに小さな鉢が2つ窓際に置かれているのに気づく。 もうこの方の業務の半分は、植物の面倒を見ることなんだろうな、と思ってしまう位、日々まめに鉢を日向へ動かしたり水をあげたり間引いたりしている職員さんがいる。 そのおかげか、今は8つくらいの鉢で植物はみんな穏やかに元気。栄養剤を与えたピンピン具合でなくて、すくすくと毎日を過ごしている感じ。
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お昼休みにお手洗いであった方から「◯◯さん(私の名前)を見るたびに税関について調べようと思っているのに、次の瞬間には忘れてしまう」と話しかけてもらう。 税関イベントとカスタムくんの話をして、とっても時間がある時にでも調べてみてください、と伝えた。
そういえば応募した写真展の公募の結果、選考していたらそろそろ連絡が来るはずだけれど、なんかそんな気配が全くない。次のことを考えたり、進めたりしなくてはいけない。しなくてはいけない?
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ashi-yuri · 1 year
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あなたや私と同じ普通の少女の話
FAITH: The Unholy Trinity fanfiction
エイミーのお話です。
※バチカン非公認
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1.    家(予兆)
 誰も口にしないパーティーのチキンをゴミ箱へ捨てる。招待状を捨て、お誕生日の飾りを捨てる。地下からだかだかとミシンペダルを踏み込む音が聞こえる。毎日、毎日。父さんから中東だかアフリカだかの人形が送られてきてから、お母さんは毎日地下室にこもってマネキン相手になにかを作り続けている。父さんはどうかしている。不安を抱えてるお母さんにあんな気持ちの悪い人形を送りつけるなんて。家にもろくにいないのに。この家にいるのは私とお母さんの二人きり。そして会うことのなかった弟たちの二人。
 階段を上がり、隣の部屋へと続く扉を見つめる。もうあの扉を開けたくない。真新しかったはずのおもちゃにうっすらと埃がかぶっているのを見るのがつらい。父さんもお母さんも誰もずっとなにもできないでいる。捨てることも、掃除することさえも。ほんとは片づけるべきなんだろう。家に来たお医者さんの先生もそう言っていた。だけど、あの部屋を片付けた瞬間に私の家は終わる。どうしてだろう。でも、あの部屋だけが私たちを何とかつなぎ留めている。気が狂いそうだ。
 リビングの片づけが終わっても、ミシンのだかだかという音がまだ聞こえる。きっと明日も、明後日も。今度は何を作るのだろう。ミシンのあの音は大嫌いだけど、何か作っているあいだのお母さんの具合はまだよかった。一度、あのミシンの音をやめてほしくてお願いしたら、急にすごい大声でいつもの双子の話をまくしたて、森へと飛び出してしまった。慌てて森に探しに行こうとしたら、両手を血まみれにして帰ってきた。「狼がいるの。あなたも、あの子たちも、私が守らなくちゃ」と呟きながら。このあたりに狼なんていないよと言ったけれど、お母さんは手を洗って、そのままふらふらと地下室へ行ってしまった。
 お母さんに私の声は届かない。ずっと双子に憑りつかれているから。
 お母さんの調子が悪くなって、父さんは仕事で家を空けることが多くなった。それとも、逆だったろうか。外に続く森は暗く、幹線道路を走る車の音も聞こえない。この家にずっと私とお母さんと二人きりでいる。地下室のミシンの音がようやくやんだ。その代わりにすすり泣く声が聞こえる。
 お母さんは可哀想な人なんだ。これ以上傷つけたくない。私がしっかりしなくちゃいけない。気が狂いそうだ。
2.    樹
 お気に入りの松の木に寄りかかって座る。どの木も同じに見えるけれど、この木はとりわけ枝張りがよく、近くにいると落ち着けた。この場所ならおかしな声も音も聞かなくて済む。家のことを考えるのが怖かった。中にいると、歪んで、まっすぐに進めなくて、家自体が軋んで悲鳴をあげている気がする。お母さんには、学校に行けずに家に閉じこもっているからストレスがたまっているのだろうと言われた。私とお母さん、おかしいのはどちらなんだろう。この家と森にふたりでいると、すべてがどんどんおかしくなっていく。出口が見えない。
 前にこの木のそばでひとりで泣いていたら、そのすすり泣く声がお母さんにそっくりで、それが怖くてもうずっと、泣けなくなっていた。
 誰もいない木々のあいま、鹿が通り抜けていくのだけを眺めている。ずっと眺めていると、赤いものを身に着けた大人の人たちが歩いていくのが見えた。ふとその一人と目が合ってしまうと、あちらか声をかけてきた。
「そんな顔をしてどうしたの、お嬢さん。なにか辛いことでもあった?」
 なんてことない言葉だったけれど、そこには随分とひさしぶりに感じた暖かさがあった。
3.    診療所
 ハートフォードのクリニックでお手伝いをするのはとても楽しかった。チームのみんなが近くまで車で迎えに来てくれるし、街には森にはない色々なものがあった。それにクリニックでボランティアをすることは、すごく人のためになることのように思えた。そこにはいろいろな悩みや不安を抱えた女の人たちがやってくる。私は医者でも看護師でもないから大したことはできないけれど、ちょっとした事務仕事や患者さんの話し相手になることはできた。
「赤ちゃんを失ってしまったことは、あなたのせいじゃないんです」
「今はつらいけど、きっと受けいれられる日が来ます」
 そうだ。本当にそうなんだ。
 少しだけ肩の荷が下りたようにクリニックを出る人を見ると、私の心も少し軽くなる。だから、このクリニックのことを悪く言う人がい ても気にならなかった。
一度だけ、このクリニックを経営する団体のトップだというミラーさんという人と会ったことがある。スタッフみんなに親しげに声をかけながら、最後に私のところへと来た。赤いへんなローブから覗く瞳が、真正面からこちらを見つめる。
「いつもクリニックのため頑張ってくれてありがとう。これからも期待しているよ」
 強面のわりに言葉は思いのほか優しく、握手した右手は骨ばっていた。そしてなにより見つめた瞳の奥の翳りは、どこかで見覚えがあるような気がした。ミラーさんと一緒にいた女の人が私を睨んでいたような気もしたけれど、私はあの翳りをどこで見たのか、そればかり思い出そうとしていた。
4.    家(変容)
 頭がぼんやりする。眠れないとき、不安で息が苦しくてたまらないとき、クリニックでもらった薬を飲むようになった。あれを飲むと、すこし不安が消えて落ち着ける。時々、ぼうっとしてしまったり、たまに何かよくわからないものが見えることもあったけれど、形の見えない不安に苛まれ続けるよりはよかった。
 父さんもお母さんも私がクリニックでボランティアすることを快く思っていなかった。変な噂があるとか、私の様子が最近おかしくなっているとか。確かにそうかもしれない。けれど、この家にいるよりずっと普通だし、ちゃんと誰かの役に立てている。チームのみんな、私の話を聞いてくれるし、親切にしてくれる。
 夕方の食事の席で、久しぶりに帰ってきた父さんが諭す。
「お前のことを心配しているだけなんだ��。」
「そうよ。あそこには変な人が出入りしてるっていうじゃない。」
「うちよりずっと普通だよ。」
「どうしたの、エイミー?」
「うちよりずっと普通だって言ってるの!」
 なぜか、これまでずっと言えなかった言葉が喉の奥で渦巻いている。目の奥が引き攣り、頭の中で聞いたことのないノイズが呻き鳴く。
「どうしたの、あなた……ねえ、本当におかしくなってしまったの?」
「おかしくないよ。私はずっとまとも。」
「エイミー、そういう話は食卓では……」
「エイミー、何がおかしいっていうの?」
「うちだよ。」
「えっ」
「うちがおかしいんだよ。」
 耳鳴りがひどくなる。家が軋む音が聞こえる。戸棚がガタガタと震え始める。
「父さんもお母さんも、ずっとおかしいよ。」
「エイミー、」
「弟たちがいるふりなんかして。」
「エイミー、やめなさい……」
「とっくに双子なんていないってわかってるくせに。」
「エイミー!」
「あなた、おかしいわ……」
「おかしくない。」
 口の端からごぼりと血がこぼれ出す。
「エイミー、やめなさい!」
「いもしない双子の幻影なんかにすがり続けてるほうがおかしいんだよ!」
「エイミー、お前がおかしい。謝りなさい!」
「私はおかしくなんてない!」
「あなた、悪魔が憑いてるのね!」
 バン、とグラスがはじけた。
 救えない。この家は、もう救えない。
 ふらふらとダイニングを出る。手足がガクガクと震えてうまく歩けない。ふと振り返ると、鏡に映った自分が見えた。そして、気付いた。あのゲイリーという人の目にあった翳りをどこで見たのかを。
 それは、自分の眼の中にあった。
5.    家(事件)
 椅子に縛り付けられ、どこかからやってきた大人たちが私に向かって聖書を読み上げている。無性におかしくて笑い声をあげると、自分のものじゃないノイズが混じる。薬が切れたせいだろうか、やけに息苦しくて体が震える。なんで神父さまなんか呼んできたんだろう。ふたりとも、神様なんて信じていないくせに。いつもそうだ。ずっとそうだ。救ってもくれない幻影を、偽りの救いを信じ続けるなんてあまりにも哀れだ。そういえば、結局なんの役にも立たなかった、アフリカに派遣された神父さまの手紙は地下のどこに置いたっけ?口が勝手になにかを叫ぶ。体は震え、熱く苦しい。なのに心だけは、驚くほど静かだった。
 一人きりになった年長の神父さまがなにかを唱え、十字架を掲げる。途端に体が燃えるように熱くなり、胸の奥に蠢く何者かごと圧し潰そうとしてくる力を感じる。今までのものとは比べ物にならないほど苦しい。胸の奥の「それ」が苦しみ外に出ようと滅茶苦茶に暴れ出す。口から聞いたこともない悪態の言葉が飛び出す。苦しい。死んでしまいそうだ。でもまだ死にたくない。神父さまのほうを見上げると、その表情は力強くまったく揺るがない。だめだ。私では勝てない。このままでは圧し潰される。まわりを見渡すと、奥にマネキンたちが見えた。視線を強く向ける。自分とマネキンの間に繋がりを感じ、触ってはいないけど手ごたえがある。そのまま引っ張るように顔を引き上げると、がしゃんとマネキンが倒れた。警戒しながら神父さまが振り返る。めくれた布の間から、異様に精巧で生気のない、まったく同じ表情をした二つの少年の顔が覗く。神父さまの眼に一瞬��戸惑いと疑念が浮かんだ。それで十分だった。
 胸の奥の「それ」が無限の力を貸してくれる。私には何をすべきか分かっていた。
 手に力を入れるだけで、それはあっけなく終わった。 
 ブレーカーの方に視線を向ければ、バチン、と音を立てて家の中が暗くなる。明かりはなく真っ暗だけど、私には家のすべてが見えている。足を踏み出さなくても、どこへでも移動できる。この家は、いまや私の手中にある。なぜなら私が、私だけが、この家の真実を知っているからだ。
 暗闇の中、私の手がずぶずぶと人の体に沈んでいく。粘土細工をこねるようにかき混ぜる。内臓が引き千切れる音がしようとも、断末魔の叫びが響こうとも、私の心はずっと静かなままだった。
6.    家(対面)
 家中の電気がすべて落ちても、月明かりが差し込むこの屋根裏だけはほんのりと明るい。差し向かいに立つ若い方の神父さまの顔は、けれど屋根の影になっていて私には見えない。
「戻ろう、エイミー。君は良くならないと。」
 良くなるってなんだろう?これ以上、いったい何が良くなるというのだろう?若い神父さまの言葉は弱くて偽りだらけで頼りない。誰かを救うにはまったく足りない。視線は揺らぎ、握った十字架は小刻みに震えている。それでも一歩こちらに近づいた神父さまの顔を月明かりが照らす。その眼の中には、見覚えのある翳りがある。見つけた。
「あなたはメレディスを救えなかった。違う?あの人はいま、私と同じところにいるんだよ。」
「やめてくれ。」
 神父さまの体がぶるぶると震えはじめる。やっぱりだ。これでいい。この人の言葉は、心はあまりに脆い。大きいのは図体だけ。掲げられた十字架も怖くはない。十字架を見た胸の奥の「それ」が騒ぎ出す。自分の体が勝手に動き、よじれ、眩暈がするなかで、神父さまの眼の奥すべてが恐怖に呑み込まれるのが見えた。これで終わりだ。
 手を伸ばすと、急にまばゆい光が目の前ではじけた。
 頭を強く打ったのだろうか、気が付いたら床に仰向けで横たわっていた。右手と左足がありえない方向にねじ曲がっている。傷はついていないのに、血が鼻と口からだらだらと流れ出す。あの神父さまは、入口の奥に積み重なったマネキンの向こうにいるのか、もう見えない。激痛の中をぼんやりと漂っていると、急にわかった。
『私はおかしい。』
 すべてから裏切られた気がした。すべてを失ったのだと知った。
 この家で、屋根裏の窓から見える月だけが好きだった。月はいま、目から流れる血で赤く染まっていた。
7.    病院
 ずっと頭がぼんやりとしている。麻酔、鎮痛剤、抑制剤、見舞いに来たクリニックのメンバーが差し入れる薬。あの日から、私の体はよくわからない薬漬けとなっている。時の流れももうよくわからない。混濁と覚醒を繰り返しながら、時折体の、心の激痛に叫ぶ。そしてほんの束の間、はっきりと物事がわかる時がある。
 親戚は一度だけ面会に来て、二度と姿を見せなかった。当たり前だけど見放されたのだろう。病院の先生たちも、重罪を犯し、よくなる見込みもなく、うわ言しか言えなくなった私を哀れな厄介者としか見ていなかった。頻繁に見舞いに来るクリニックのメンバーたち、彼らのことはもう信用できなかった。けれど、すべてから見放された私を気にかけているのは彼らだけだった。先生たちも、親切で情け深い友人たちとして、あの人たちを何の躊躇もなく病室に入れた。そして彼らはいつもなにかを唱え、大量の薬を渡して帰っていった。
 私の体はじょじょに腐っていくようだ。悪臭でも放つかのように。まともな人は誰も私に近づかない。私はまともじゃない。私はおかしい。ずっと。ずっと前から。そういえばあの人はどうなったろう?だれも救えないあの神父さまは。わからない。わからない?なぜあの人は助けられた?どうして私はこんなことになった?始まりはどこ?始まらない道はあった?私はとっくに終わってる。終わってるのに終わらない。私の終わりはどこにあるのだろう。
8. 儀式
 目覚めると、いつもは外から施錠されている病室の扉が開いていた。変な気がした。なんでもいいから、この場所から出たかった。ずっとまともに動かせなかった体はふらつき、足はおぼつかない。あせらずに歩く。一歩ずつ進んでいく。
 あの場所に戻らなければいけない。家に帰らなければいけない。あの場所だけが、私の終わりで、私の始まりだ。あの場所できっと、私に手を下してくれる人が待っている。手を差し出してくれる人はいなくても。
 わき目もふらず、まっすぐ歩いていく。と、急に手を引かれる。その手は赤く染まっていた。
 体が動かない。おぼえのある気怠さが体全体を覆っている。顔になにか被せられている。内側になにか塗られているのかドロドロして気持ち悪い。皮膚が溶けていくように熱い気もするけど、感覚がなくなってよくわからない。もう喋れない。もう動けない。私はどこまでも降りていく。ここが本当の終わりだろうか。ちがう。いやだ。ここじゃない。顔からなにか引き剥がされ、息をのむ音が聞こえる。赤い人影は見分けがつかない。ろうそくの灯のなか、まばゆく光るナイフが見える。目が痛くてほかに何も見えない。あの煌めきの先に私の終わりは、私の救いはあるのだろうか。
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あとがき
あるいは、失われた断片について。
エイミーに何回もMortisさせられ、この娘はなんでこんなに強いん?と思ったので書きました。書いてみて、これじゃ100回Mortisさせられても文句言えないなあと納得したので、満足です。
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つよつよ悪魔になったら楽しく悪魔ライフをエンジョイしていてほしい。
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victorinox-japan · 7 months
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ドクターヘリとマルチツール。災害と備え。|ビクトリノックス × 日本医科大学千葉北総病院
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ビクトリノックス ジャパン株式会社は、2011年3月よりCSR活動として、重傷救急患者の救命活動に大きな役割を果たし、救命率向上に貢献している日本医科大学千葉北総病院 救命救急センターのドクターヘリ事業(救急医療用ヘリコプター)を支援しています。
今回、実際にドクターヘリに搭乗し救急医療の現場で活躍されている救命救急センター 助教 安松 比呂志 医師に、ドクターヘリの取り組みについて、そして、災害時におけるマルチツールの役割についてお話を伺いました。(2024.2.19インタビュー)
リンク:日常・防災・災害時に。 「もしも」に備えるマルチツール
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年間1,800回出動!? ドクターヘリの取り組みとは?
まずは、ドクターヘリについて詳しく教えてください。
ドクターヘリは、救急現場へ医師をいち早く送り込み早期に患者の初期治療を行い、そして、患者を迅速に病院へ搬送するツールです。
現在、国内では46都道府県に56機が導入されており、千葉県は北部の北総ドクターヘリと南部の君津ドクターヘリがそれぞれ2機のヘリコプターを所有し、千葉県と茨城県南部を対象として日々医療活動を行っています。
救急現場において、ドクターヘリが要請されるタイミングは大きく2つあります。
現場から要請:119番通報を受けて現場へ到着した救急隊が、実際に患者の状況を確認し、重症、そして緊急度が高い場合にドクターヘリが要請されます。その場合、救急隊から北総病院へ直接連絡がきて現場へ急行します。
覚知要請:消防の指令センターで119番通報を受けた段階で、指令センターがドクターヘリを要請します。「胸痛」「麻痺」「意識障害」「交通事故」など、重症および緊急性が非常に高い状況である可能性を示唆するキーワードをピックアップし、ドクターヘリが必要か否かを判断します。
出動頻度はどの程度ありますか?
1年間で約1,800件程度の要請があり、そのうち実際に出動するのは1200件、1日平均3 ~ 4回出動しています。要請の半分以上は覚知要請です。
実際は現場に到着した救急隊が状況を確認し、3割程度が、軽傷や意識が回復したこと等の理由で要請がキャンセルとなっています。
キャンセルが多いような印象を受けます。
我々は、少しでも重症度、緊急性が高いと疑った段階でためらわずに要請をする(オーバートリアージを許容)ように消防と連携しています。
現場で、実際に状況を確認してからの要請だけの場合だと、本当に重症かつ緊急性の高い患者への治療(接触)が遅れてしまう可能性がでてきます。本当に必要な時には必ずドクターヘリで向かっている状況にするため、少しでも重症の可能性があれば、ドクターヘリを要請するような環境を整えています。
そのため、3割程度がキャンセルとなっているのです。もちろん、要請の精度を高めるために、キャンセルとなるキーワードを精細する等、日々改善を図っています。
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救急現場におけるドクターヘリの重要性。
ドクターヘリの最大の特徴は何ですか?
ドクターヘリに対して、「患者を病院へ早く移送する」という印象をお持ちの方も多いかと思いますが、医療者を現場にいち早く運ぶこと(ドクターデリバリー)が、ドクターヘリの最大の目的です。
北総病院の医療圏は、最大で車で1時間程度かかる距離があります。患者の受け入れ要請を受けて、最大で1時間程度、患者の到着を待たなければいけないわけです。ドクターヘリがあることで、これまで医師が病院で患者の到着を待っていたところを、ドクターを現場に搬送することで、現場でいち早く処置を開始できるようになります。これがドクターヘリの最大の特徴です。
ドクターヘリだからこそ救えた命も多いですか?
はい。 まず、北総病院は、重症のケガを負った患者(外傷患者)の搬送が多い医療機関です。外傷患者は大量出血の場合が多く、その場合、「いかに早く手術を開始できるか」が非常に重要となります。
ドクターヘリがあることで、医師が現場で患者の状態を正確に判断することができ、細かな事前情報を把握することができます。そうすれば、病院では患者の到着後すぐに処置(手術)を開始できるよう、準備することが可能となります。事前情報の有無が、処置の開始スピードに大きな影響を与えるのです。 事前情報をいち早く共有できることもドクターヘリにとっての大きな意義です。
また、北総病院では救急外来でも手術ができる環境を整えており、実際に患者が到着してから、最短10分以内には手術を開始できる状況を整えています。もちろん、患者の状況によってその限りではありませんが、今すぐにでも手術をしないと間に合わない場合に、最速で手術ができる環境が整っているのは強みです。
私自身も、ドクターヘリで急行し、現場で緊急処置を施して病院へ搬送したこともあれば、病院で待ち構えていて、ドクターヘリ到着後すぐに手術を行ったこともあります。ドクターヘリがあったからこそ救えた命です。
リンク:日常・防災・災害時に。 「もしも」に備えるマルチツール
災害時におけるマルチツールの活用と、「もしも」の備え。
ビクトリノックスは、ドクターヘリのロゴをプリントしたマルチツール「ドクターヘリ支援モデル」を製造し販売しています。また、マルチツールをはじめ、救急現場での道具の運搬時に活用いただけるバッグを提供し、活動を支援しています。
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マルチツール ドクターヘリ支援モデル ※左から ハントマン 価格:6,050円(税込) ミッドナイトマネージャー 価格:6,050円(税込)
現在、お使いいただいているマルチツールは、災害時や救急現場では必要だと思いますか?
マルチツールは必要だと思います。私は、2024年1月に発生した能登半島地震の災害支援に行き、石川県災害本部にてドクターヘリでの搬送調整業務を行いました。そこで聞いた現地活動隊の話は、お風呂がない、トイレも困難など、通常の生活とはかけ離れた、とても過酷な環境だったと聞きました。
実際に被災された方の状況を考えると、やはり逃げることが精いっぱいだったと思います。いかなるものですら持ち出すのは難しかったかもしれません。
そんな危機的な状況でも、マルチツールは簡単に持ち運ぶことができますし、“もしもマルチツールを持ちだすことができれば”、避難所でもやれることが各段に増えるのではないかと思います。
災害発生時に、パッとカバンひとつで持ち出すことができる準備を整えておく、さらにその中にマルチツールがひとつ入っているだけで「備え」として非常に安心できます。
最近は、ビニール袋で子供のおむつを作る等、災害時の様々なアイデアや対策が取り上げられていますが、それらを実際に実現するために必要な道具として、切ったり、穴を開けたり、ライトで照らす、缶を開ける等、色々なことをこのマルチツールひとつでできるのは、とてもすごいです。
自然災害の多い日本で、いつ起こるか分からない災害に対する備えはどうすればよいと思いますか?
私が上司から常に言われていることは、「想定外を想定する」ことです。地震など、いつ起こるか分からない災害、可能性が低いことでも想定し備えておくことが大切だと思います。
大人になると避難訓練などをする機会はなかなか無いですが、会社でも家庭でも、災害時を想定し、避難経路を確認しておく、災害グッズを備えておく等、緊急事態に備えておくことで、“その時”に正確な判断ができると思います。
災害現場でマルチツールを使うためには、当たり前ですが“持っていること”が前提となります。
マルチツール、防災アイテムを持ちだすためにも、日頃から事前に準備をしておき、災害・緊急時にちゃんと持ち出すことができれば、様々な場面で活用することができ、とても心強いと思います。
リンク:日常・防災・災害時に。 「もしも」に備えるマルチツール
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ドクターヘリの更なる活躍のために。
ドクターヘリの課題はありますか?
まず、ヘリ設備の問題で夜間や悪天候では飛べないという、活動範囲が限られている現状があります。また、着陸現場の消防の安全確認等、着陸時の制約が厳しいところも、乗り越えなければいけない壁です。
現在は46都道府県で56機が配備されていますが、日本のすべての範囲をカバーできるわけではありません。さらにドクターヘリを増やす必要があるか検討も必要ですが、ドクターヘリを飛ばすパイロット不足の問題や、地域によっては救急医も足りない現状もありますので、ドクターヘリに従事する人材の確保も大きな課題だと思います。
安松先生は今後どのような形で医療に貢献していきたいですか?
ドクターヘリ業務では、現在は指導する立場となり、搭乗するのも月に数回程度です。これからは、ドクターヘリがもっと社会に貢献できるよう、若い医師や看護師をしっかりと育てていきたいと考えています。
また、私自身は外傷外科医としてさらなる研鑽を積みがなら後進を育てていきたいと考えます。
貴重なお話ありがとうございました。
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日本医科大学千葉北総病院 救命救急センター 助教 安松 比呂志 医師
2005年3月金沢大学医学部を卒業。金沢市内の病院で初期研修を経て、外科の修練を積む。外科修練期間中に救急や集中治療の勉強の必要性を痛感し、救急の世界に飛び込む決断をする。
2011年4月より日本医科大学千葉北総病院救命救急センターに入職しドクターヘリと外傷外科医の修練を開始。現在は外傷外科医として研鑽を積みながらドクターヘリ、外傷手術ともに若手の指導も行っている。ドクターヘリ搭乗回数1200回。
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日本医科大学千葉北総病院
日本医科大学千葉北総病院は、1994年に日本医科大学4病院の中で最も若い新進気鋭の大学病院として開設されました。
千葉県印旛医療圏の「地域中核大学病院機能」を基盤に、わが国随一の歴史と実績を誇るドクターヘリを最大活用した「救命救急」、「脳卒中救急」、「循環器救急」などの「高度急性期医療」を展開しております。2001年に全国に先駆けて「ドクターヘリ医療」を導入し、爾来年間1200例以上の患者を搬送・治療しております。
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chentailai · 8 months
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【HP BLUE BEETLE 】My blue in the noche nevada【3】
这篇比较短,主要是hellbeetle(非完全cp,偏cd
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……
要是海梅死掉了,因为他为万圣节准备的恶作剧烟花死掉了——
不会的,海梅有卡基达,卡基达一定不会让海梅死掉的。虽然一个火花正中了他们,但他们一定不会死的,对吧?
哦天啊,天啊!
从片片黑烟中,闪出一小片蓝光,像是在指引埃德似的,蓝色是希望的颜色,虽然它看起来很悲伤
埃德发誓他从没这么喜欢过蓝色,他跌跌撞撞地跑过去,扑到那一堆碎石里,一块块地将石头从海梅身上拔开,海梅颤抖地伸出手将自己左肩上的石块推开
“海梅!”埃德欣喜地将海梅从废墟里用力一拉来,然后抱住了好友被黑色装甲覆盖的上身
“你还活着!”
“我当然还活着……咳,埃德你的烟花,我看见了…起作用了”
“别管什么狗屁烟花了!”
“好了,好了咳……你轻点抱”埃德赶紧松开定睛一看,海梅满身都是烧焦的痕迹
“我的腹部受了不少伤,不过都被卡基达的装甲挡住了,他正在帮我疗伤呢不用担心……就是有点疼”
海梅抬头看着埃德,对方正一脸惊恐和懊悔,
苍白的脸色显得他的脸更像一片白纸了
“不过没关系,瞧,我们救了大家”
埃德张了张嘴还想说些什么,却被身后断木碎石的声音吓了一跳,他紧张地转身查看,然后马上脱掉外套盖在海梅的装甲上。紧接着,他们的变形课教授琼恩举着魔杖快步从浓烟中走了出来
“谁受伤了?”琼恩看着埃德的嘴唇快速地颤抖了几下,一边慌张地扫过海梅的身体,琼恩直视埃德的双目,看来明白了什么,将魔杖插回口袋后立刻把海梅抱起来,转身对着其他赶过来的人说:“这里有个孩子急需治疗”
“布隆伯格先生,你去医务室”
埃德快速起身跟着琼恩一起跑回浓烟中
“虽然你们这次表现的很好,但埃德先生,你在学校里制作大型烟火这是严重违反校规”
“格兰芬多扣50分,好了,你们出去吧”
埃德一副乐呵呵的样子“我从没见过咱院长这么喜欢我过~”
“你快得了吧”海梅笑着拐在埃德身上,另一只手臂在维吉尔身上,他被两人抬着从办公室的楼梯下去
“但我最高兴的是你们都没出事,不然我会……”
“哦”
当三个人看见那个在楼梯下面等着他们的人时,他们都惊呆了, 一时间不知道该不该走下去
一个看起来大一年级的女生,有显眼的白发,还戴着一个单眼罩,不客气地抱着手臂盯着他们几个
“罗丝”埃德小声的咂砸嘴
还有一个人,再熟悉不过了,当下格兰芬多的学院明星兼那个永恒的全年级第一,提姆.德雷克
很明显那个叫罗丝外号“劫掠者”女生是陪着他过来的
三人组相互对视一眼,慢慢的走下去,埃德尴尬的开始打起招呼
“你好啊,罗丝,你们怎么来了?”
“埃德.布隆伯格,现在已经是宵禁时间了,我就长话短说”
“基于你们在万圣夜的优秀表现,作为少年泰坦的团长,我在此邀请你们三个加入我们”
罗丝在一旁冷哼一声,提姆为难地看了她一眼
“哦哦……好”埃德强装镇定,但他的嘴型暴露了他“没问题”
“那好,明天下午第四节课下课,三楼左边走廊的第五个空教室里面的虎皮猫油画,告诉她你们的绰号,如有变化我会再通知你们的”
“还有你”提姆转向中间被抬着的海梅“蓝甲虫对吗?”海梅没有忽略提姆在说这个外号时抬了一下眉头
“海梅.雷耶斯,我听说你有些特别的才能”
“额……我…不”
“我希望在泰坦社团里你能将你的特别才能展示给我看”
“我不,我没有……”
“我还听说……”提姆的表情突然像是被泼了水一样
“你是泰德.科德的学生?”
“额,泰德先生,额,对……额”
提姆突然变得对自己非常生气的样子
“我知道了,明天见,希望你们可以成为我们的一份子”
“再见”埃德快乐地对着他们挥手道别,罗丝转过头狠狠地瞪了他一眼
“没想到居然还邀请了我,我做什么了?我不太擅长社团活动”维吉尔烦恼地挠了挠头
“没事的”
卡基达不舒服的在海梅脑子里叫了一声,模糊的听起来就像猫咪叫声一样
“大概吧”
『一见钟情』
圣诞节的晚宴马上要到了,作为为学校做出巨大贡献的少年泰坦成员,海梅他们也可以参加舞会
自从他们成为了泰坦的一员,女孩子便开始对这三个非主流的玩意十分青睐
埃德坐在格兰芬多的桌子上开始对周围的一堆女生胡乱鬼扯,洋洋得意的样子让其他两个人只好在周围看情况
“话说提姆前天把你拉到学校外面的怎么回事啊?”
“well……他其实是泰德先生的粉丝啦,拉着我说了很多”
“这样啊,真没想到。不过我记得最近日报上发表了一些小道新闻,说提姆是布鲁斯.韦恩的养子,我关注了这几天的头条,发现原来真是”
“谁谁谁?!谁的养子?!”
“布鲁斯.韦恩啊”
“跟埃德说我晚点去看他的魁地奇选拔,我要先去找一趟提姆”
“嘿——等等海梅,我们不是还要去找舞伴吗?”
据圣诞节晚宴还有两天,埃德敷着包裹着冰块浸鼠尾草根汁的布包,把红色的长发撩到耳后
“你这是怎么了?”海梅一边试穿寄来的礼服长袍一边问道
“他去邀请罗丝”维吉尔按照报纸上会动的一个小专栏系领带
“然后在众目睽睽下被打翻了”
“她就这么讨厌你吗?”
“快别说了,我倒大霉了,罗丝今天心情不好”
“我也是才知道,原来少年泰坦内部的感情关系很乱……”
埃德惆怅的看向窗外,草丛里尽是精灵的光芒,美丽的星星点亮了整座雪白的城堡,檞寄生点缀在每一棵圣诞树上
“罗丝去邀请提姆,然后被拒绝了……”
“我去找她的时候,卡茜正好来了,两个女人,看起来马上要杀了对方”
“……女人…真是怪透了…恋爱什么的”
埃德梳理一下乱发,拿出皮筋将长发在脑后扎成马尾
“你们呢,找到舞伴没有?”
“你猜怎么着,梅甘愿意和我去,她比我们小一年级,太害羞了一个小姑凉,不敢去邀请其他人”
维吉尔耸了耸肩
“我觉她是想到舞会后再去邀请康纳,因为太多人围着这个“超级小子”了。我很乐意帮个忙,把她送到舞池里去,然后到时候再找别人”
“我没找到……额,我忙了别的事”海梅眼神躲闪,看起来没什么自信
“我记得有个低年级向我问过你来着,海梅,不过她太小了……做舞伴就…”
“好吧”埃德把布包扔掉,从床上跳下来,语气有些沮丧和烦躁
“你们就进舞会后听天由命吧,我要出去狩猎了,作为一个红色的魔鬼”
当埃德从宿舍出去的时候,维吉尔和海梅担忧地对视一眼,埃德的状态越来越不对劲了,而他们完全摸不到这其中的头绪当那扇木门关上时,卡基达好像听到什么,暂时从睡梦中清醒过来那像是一声叹息
“我不觉得光是关于女孩的事让他这么不对劲”
“我也觉得,听说Tim他们是在搞三角恋?”
“据小道消息说…是卡茜暗恋罗丝,罗丝喜欢Tim,Tim喜欢康纳,卡茜喜欢康纳,卡拉喜欢卡茜,康纳喜欢卡拉……额”
“这都什么和什么……”
当西装革履的男士们搂着他们美丽的舞伴在银色的灯光下纵情歌舞时,海梅和埃德正在宴会厅外的花园里渡步
谁能想到最后没找到舞伴的只有他们两个,连入场仪式都没参加
海梅疑惑地看着埃德,这家伙太不对劲了,他本来以为他会像一股野火冲到舞会里点燃所有人才对
“现在就只有我们两个了,虫屁股”埃德听起来有些伤感,他穿着印着火焰图纹的红色西装梳着整洁的高马尾
海梅觉得自己穿着像一个普通的社区牧师,加上他刚蓄起来的小胡子,显得更加早熟
“你怎么没去找个伴呢虫屁股,我看见那三个女孩在楼梯口堵住你……你比你想的要受欢迎知道吗?”
埃德扯了一下嘴角,试着别出一个像样的微笑这倒让海梅受不了了
“拜托”他快步走到埃德面前迫使他停住脚步
“来吧,埃德,男人,我们需要聊聊”
“我…什么……我不”埃德明显慌了神往后退了几步,隔开自己的好友
“你完全不对劲埃德,连圣甲虫都看出来了”
“拜托男人,告诉我发生了什么”
“我们可以一起解决”
“我不……”埃德别过头去不看海梅“这件事不是我们可以……”
“那就去找大人帮忙啊!埃德,求你了,我们都很关心你”
海梅缓缓地向埃德靠近着:“告诉我发生了什么,是因为罗丝吗?埃德……”海梅看准时机抓住埃德的双手,这样他就不会再往后退
“你不必独自承担这一切…我永远都会在这里帮你”
他用真诚的眼神看着Eddie,试图让Eddie信任他
“Eddie……”
埃德终于不再逃避海梅的目光,他转过头
“还记得我二年级时和你说的吗,关于我……”
他突然像是看见一条火龙一样猛地闭上嘴,拽着海梅的后领把他拉到自己一边
“罗丝?!”
罗丝.威尔逊正气势汹汹地向他们走来
“埃德,我在找你,你居然不在舞池”
她看一眼海梅,面色缓和一些,海梅吓到怔在原地不动
“要和我跳舞吗?”
“我……什么?!”海梅猛地推了一下埃德的后背,小声地说了一句:“加油”
“当然愿意”
当埃德被罗丝快步拉走时,回头看了一眼海梅
海梅笑着向他挥了挥手
话说埃德本来要跟他说什么来着?
算了不重要,海梅想,玩的开心amigo
TBE
————————————————————
预警,下期开始会有明确cp。我要开始补作业了,可能没多少时间发
我恨作业!!!我开始发刀了。
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beracha7 · 1 year
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ノアさん大きいのでもう落ちそう?😅
ルーさんを学校に送った後、3週間ぶりに散歩をしました😌🙏
3週間が経ち、
やっとみんなの風邪も落ち着いてきたので、
白馬のオーケストラの楽譜にとりかかろう!と
思っていたら、
ルーさん、火曜日の夜中お腹が痛いということで
救急に行きました😅
ルーさんは滅多にお医者さんに行きたがらなくて、前回は酸素濃度92の時に1回だけ行きたいといいました。今回も行きたいというので、よっぽど痛かったのだと思います。お祈りして、2つの救急外来のチョイスがあったのですが、小児科のある方へ行きました。2.3時間待つと言われていたのですが、すぐに診てもらえて!坐薬を入れて、どうやら便秘で苦しかったみたいです。
アメリカのみなさんにも、夜中に起きていた姉にも祈っていただき、盲腸とかでなくて感謝です🥲
今日から早速、ごぼう、れんこん、にんじんと。
もう、お腹痛くなりたくないからと、色々と食べてくれるようになりました。
これも益となることを感謝します。
.
そして今日、やっとこさ、ノアさんの寝ている時に楽譜を書き始めました。オーケストラの方々に祈ってもらっているので、教会の祈りがあるから神様がやってくださることを信じます🙏
.
各楽器の音域から調べるくらいのレベルですが 笑😂
そして、今日は魚の骨が、ルーさんと私もささり😅耳鼻咽喉科に行こうかと。
明日までに治っていたらありがたい!神様、おねがいします🙏
.
で、全然関係ない話なのですが、
先週の土曜日、校長先生とお話しするチャンスがありまして、
なんと、校長先生(女性)と旦那さんのご両親は
全員日本の宣教師だったそうで!
校長先生のご両親は、ノルウェー出身で56年?も日本で宣教されていたそうです。
そして、ルーさんが8月末からスタートする新しい学校にも校長先生と旦那さんが通われていたそうです。
全然知らないで、祈っている中で、
こんなところに行けたらいいなぁと思っていた場所で、神様に導かれて、
近くだから行っていた所でしたが、
まさか、宣教師の方々のご家族が主体となって働きをされていたなんて。
きっと多くの祈りが積み上げられていたんだろうなぁと思います。子供たちのためにも祈ってくれていたんだろうなぁと。
あと2.3週間で今の学校は終わりますが、
最後の最後でその話を聞けたことも、すごく恵みだったなぁと思いました😌✨
神様に感謝します!
収穫した、きゅうり🥒笑
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kennak · 4 months
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茨城県つくば市で昨年4月、高熱を出して震え続ける当時3歳の男児について、駆け付けた救急隊がけいれんではなく緊急性は低いと判断し、搬送を見送った。男児はその後、けいれんで発症する急性脳症と診断され、重度の知的障害を負った。 病院で待つ間に健ちゃん(仮名)の体温を測ると、41度を超えていた=2023年4月、茨城県つくば市(家族提供)  家族は「搬送していたら、結果は違ったのではないか」と、今も苦しんでいる。市は第三者委員会を開き、当時の対応を検証中だ。  乳幼児は自分で体調の異変を説明しきれない。専門家は救急現場での判断の難しさを指摘し、訓練を積む必要性を訴えている。(共同通信=鶴原なつみ) ※記者が音声でも解説しています。「共同通信Podcast」でお聴きください。  ▽41度の発熱、がたがたと震え呼びかけに返答しない  2023年4月16日午前0時半すぎ、父親は隣で眠っていた当時3歳の健ちゃん(仮名)が「うー」とうなり、がたがたと震えているのに気付いた。顔色も唇も青白く、呼びかけても返答がない。熱を測ると41度あった。  前日の15日は風邪気味のため小児科を受診。夜8時ごろに38度に上がったが、元気なまま寝付いた。数時間後の急変だった。これまでも高熱を出したことはあるが、明らかに様子が違う。すぐに119番した。「熱があり、けいれんもしています」。通報の経験はなかったが、迷っている暇などなかった。  10分もしないうちにサイレンの音が聞こえてきた。到着を待ちきれず、震え続ける健ちゃんを布団でくるんで抱き上げ、玄関外の軒下で母親と待った。救急車から降りた隊員は、父親が抱えたままの状態で健ちゃんにライトを照らし、瞳孔や酸素飽和度を確認。そして、こう話したという。「けいれんじゃない。寒さから来る震えなので、大丈夫です」。  外は暗く、街灯もない。「明るい救急車の中で確認しなくて状態が分かるのだろうか」。両親は疑問を感じたが、「救急隊が言うのだからそうなのか」と少し安心する気持ちもあった。「自分で連れていけますか?」という問いかけにうなずかざるを得ず、救急車は去っていった。  ▽人工呼吸器を付け集中治療室に…医師は「亡くなる可能性もあります」  すぐに自家用車で約20分かけて市内の救急病院に向かった。待合室で30分近く待つ間、健ちゃんの熱はさらに上がった。目の焦点が合わず、震えも強くなったように感じた。「薬をもらえれば落ち着いて帰れるはず」。両親は健ちゃんを抱きしめながら、救急隊の言葉を信じていた。        診察室で医師は、健ちゃんを一目見るなり奥の処置室に運んだ。人工呼吸器を付けられ、慌ただしく集中治療室(ICU)に。「急性脳症の疑いがある。亡くなる可能性もあります」。医師の言葉に両親はぼうぜんとした。  健ちゃんは一命を取り留めたものの、けいれん重積型急性脳症と診断され、重い知的障害が残った。一家の生活は激変した。保育所に通い始め、語彙が増えて喜んでいたところだったが、退園せざるを得なかった。現在は4歳になったが「パパ、ママ」と言うことも、呼びかけに返事をすることもなくなり、意思疎通に苦労する。健ちゃんをサポートするため、母親は正社員として働くのを諦めた。不意の動きで怪我をしたり、家族に噛みついたりしないように自宅でも絶えず見守る必要がある。「体は大きいのに0歳になっちゃった感じ。一日一日が必死で精いっぱい」と母親はつぶやく。  ▽意識レベルの低下を「眠っている」と誤って評価されるケースも  日本小児救急医学会の井上信明理事(54)は、今回の事案について「救急隊員は、子どもが呼びかけや、体に刺激を加え痛みに反応するかといった意識レベルの確認は必ず行うはずだ。ただし、子どもの場合は意識レベルの低下を『眠っている』と誤って評価されるケースがある。つくば市の救急隊員がどのような評価をしたのかが焦点となる」と指摘した。  つくば市消防本部は「観察の結果、緊急性が低く、家族からの同意が得られたと判断し、搬送を見送った」と対応に問題はないとしたが、過失がなかったか調べるため2024年3月、弁護士2人、医師1人による検証委員会を開いた。  家族はあの夜の場面を何度も思い出す。「『大丈夫』との言葉を信じ、同意せざるを得なかった。判断ミスと認めてほしい。搬送していたら脳のダメージを少しでも軽くできたのではないか」。全容の解明を願っている。  ▽搬送に消極的な姿勢に不信感、でも動揺する母は隊員に言い返せず
救急隊は「けいれんじゃない。大丈夫」と搬送せず、でも3歳の息子は重度の知的障害に 信じたのに…今も苦しむ家族、救急現場で求められる対応とは?(47NEWS) - Yahoo!ニュース
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ari0921 · 11 months
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我が国の未来を見通す(92)
『強靭な国家』を造る(29)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その19)
宗像久男(元陸将)
────────────────────
□はじめに
 久しぶりに私的なことを書かせていただきます。
4日の土曜日、神保町まで足を運び、開催中の「神
田古本まつり」で手当たり次第に古本を物色したと
ころ、いつものように“即決”を繰り返し、なんと
12冊もの書籍を一挙に購入してしまいました。
“秋の夜長”などと悠長なことは言っておれない日
々を送っているのですが、ジャンルも違い、著者も
��刊年次もばらばらな書籍をみて、改めて自分の
“好奇心の旺盛さ”に驚くほどでした。
実は書きたかったことは別にあります。どの書店を
訪れても、古書ではありますが、それぞれの分野の
“専門書”が小説や雑誌などに交じって“所狭し”
と陳列されていました。改めてそれぞれの分野の研
究に一生を捧げ、書籍のような形でその職責を残さ
れた専門家の皆様のご苦労とか責任とか愛情とかが
伝わってきて感慨深いものがありました。
そして、古本だけによけいに時代の流れとか歴史を
感じ、その積み重ねの延長に“現在社会”があるこ
とを再認識し、改めて自分の浅学菲才を恥じ、敬意
を表するばかりでした。
最近は、必要な古書はほとんどアマゾンで買ってし
まいますので、本当に久しぶりの神保町でしたが、
もう少し時間の余裕ができれば、足を運ぶ回数が増
えそうです。
5日の日曜日は、「ゴジラー1.0」の映画を観賞
しました。これから観られる人たちのためにあらす
じの紹介は省略しますが、終戦直後の東京にゴジラ
が上陸するというシーンでした。
ゴジラ自体はフィクションなのですが、ゴジラに立
ち向かった主人公をはじめ、関係者の勇敢さはみご
となものでした。しかし、それ以上に、製作者がこ
の映画を通じて訴えたかった、当時の「日本人の精
神」のようなものが手に取るようにわかり、「日本
もまだこのような映画が作れるのだから“捨てたも
のではない”」と安堵しつつ、本映画の製作自体に
感動して涙が流れました。この“捨てたものではな
い”の続きは、本論で取り上げましょう。
▼「国家意思」として目指したいこと
 さて前回の続きです。一般的な意味で「伝統」と
か「文化」などと言っても、具体的なことがわから
ないと実際に「誇り」を持つことなどできないでし
ょう。
しかし我が国は、実際には、他の国にはなく、日本
(人)独特の「良さ」とか「利点」とか「強み」な
ど表現される、いわば“本質的特性”のようなもの
がたくさんあります。それらが実際の「伝統」や
「文化」を形作っているのでしょうし、「誇り」の
対象にもなり、かつ個人の意思や精神の集大成とし
て「国家意思」のコア(核)として“目指す方向”
にも直結するものになると考えます。
戦後の“行き過ぎた教育”のせいもあって(その細
部はのちほど触れましょう)、多くの日本人の頭が
消え去ってしまっている、日本(人)の“本質的特
性”のようなものについて、有識者が紹介している
ものを列挙してみましょう。
まず、ケント・ギルバート氏は、「日本で左派思想
に惹かれる人々の中にも、実は驚くほど『伝統的な
価値観』なるものを持った人がいる」として、安倍
総理の『美しい国、ニッポン』に猛反発しても、日
本という国や郷土に対しては、何の嫌悪感を持たず、
むしろ絶対的な信頼と愛着を持っていることを強調
し、つまるところ、彼らも“純粋すぎる日本人”で
あると結論づけています(『ついに「愛国心」のタ
ブーから解き放される日本人』より)。
この指摘のように、巷には、(偏ってはいても)強
いプライドとシャイさが同居しているような“純粋
すぎる日本人”がたくさん存在することは事実です
ので、ケント氏のこの結論にこそ “彼らをしてその
気にさせる”大いなるヒントが含まれているのでは
ないでしょうか。
保守層がよくやっている、“上から目線でたたみか
ける”ような物言いでは彼らの反発を強くするだけ
で、心を動かすことは難しいと考えます。知的レベ
ルの高い人(特に高齢者)ほど自分自身(の考え方)
に自信を持ち、プライドも高く、信念も強いでしょ
うから、これを“軟化”するのは簡単でないことを
知る必要があるのです。
加瀬英明氏は、「日本は『和』の国である。日本の
『和』の心は他国には存在しない。日本の『和』は、
人々が合意することによって成り立っているもので
はなく、人々が意識することなく存在している」と
語ります(『新しい日本人論』〔加瀬英明、石平な
ど共著〕より)。
加瀬氏は、その「和」は“性善説”に基づいている
として、国内的には大きな強みだが、“性悪説”を
とっている他国には通ぜず、国外に対しては大きな
弱点になることも指摘しています。
これこそが、これまで再三述べてきた“孤立国・日
本”の限界でもあり、「和」の考え方が、人類社会
の理想に近いものであっても、これを世界の隅々ま
で普及させるのは永遠に不可能であると悟り、“で
はどうすればよいか”を詰めていく必要があると考
えます。
数学者の藤原正彦氏は、「この国は再生できる」と
して「美意識と武士道精神で、危機の時代を生き抜
く」、あるいは「『日本人の品格』だけが日本を守
る」ことを強調しています(『日本人の真価』より)。
その卑近な例として、このたびのコロナ禍において、
「人権に気を取られている民主主義より全体主義の
方が人の命を救う点で優れている」と主張しつつ
“強権”を最大限に活用した中国と違い、あるいは、
国民の自由に任せたところ、大パニックに陥って膨
大な犠牲者を出す結果になった欧米列国とも違い、
日本は、医療従事者の献身をはじめ、国民の高い公
衆衛生意識、規律や秩序など高い公の精神などの
“高い民度”を活用して、自粛要請という静かな決
意でコロナを抑え込んだことを取り上げています。
この事実は、世界的意義のあること結論づけます。
以前にも紹介しましたが、『「見えない資産」の大
国・日本』(大塚文雄、R・モース、日下公人共著)
は、中国やアメリカにはない強みとして、日本は、
「インタンジブルズ」の宝庫であると強調します。
つまり、「日本人には美を求める心や平和を尊ぶ心
や愛の心がたくさんある。また『道徳心』『好奇心』
『忠誠心』『愛国心』などが、どこの国にも見られ
ないほど豊かである」として、これら“無形のも
の”が、場面場面で「一生懸命」とか「工夫する」
とか、「約束を守る」「仕上げに凝る」「仲間を助
ける」などの“形になって現れる”と強調していま
す。
私が尊敬する奈須田敬氏は、東日本大震災の直後の
平成23年に『天下国家を論ず』と題して、30年
にわたって発刊し続づけた『ざっくばらん』巻頭言
20選を取りまとめた1冊を上梓しました。
本書の最後に「何百年に一度かの天変地異に見舞わ
れて、現実は見るとおりの悲惨さ、というほかはな
い。こうなっては総理大臣、一市民のちがいもない。
与党、野党のちがいもない。日本国民は肩をこすり
あわせていきのびていくほかあるまい。─そう腹を
決めたころから、新しい日本国民の芽生えを見出す
ことができそうだ。その芽は『ボランティア』とい
う形ですでにかいまみせている」として「90年の
生涯もけっして無駄ではなかった」と結んでいます。
ガザ地区などでも現に起きているように、他国なら
略奪が発生してもおかしくないような悲惨な状況の
中で、被災者は食べ物を分け合い、文句を言わず長
蛇の列に並び、そして多くのボランテイアが被災地
に入って、泥だらけになりながら様々な活動を続け
ました。奈須田氏は、そのような日本人の姿を“芽
生え”としてとらえ、安堵されたのでした。
保守の論客・中西輝政氏は、自書『強い日本を目指
す道』の中で、「グローバル化した世界だからこそ、
その中で日本はむしろ、つねに『フルセット自前主
義』の文明伝統に立ち返り、多極のなかで、『一極
として立つ』という気概を示さねばならない。多極
化世界でこそ、「自立の日本」を求められ、また可
能となるのである」と提言しています。
この続きは、読む人が読めば感動ものでしょう。
「この気概に気がつけは、再び日本が世界を引っ張
っていく存在になることは不可能なことではない」
として、「安定した時代の日本人は、皆『和魂(に
ぎみたま)』の持ち主で、『荒魂(あらみたま)』
は眠り込んでいる。『和魂』は『目的喪失』危険も
背中合わせなのである。だがひとたび危機の時代が
到来すると、必ずや『荒魂』が眠りから覚め、『目
を覚ませ日本!』と訴える。そして、世界の人々も、
その声に耳を傾ける」と訴えます。
そしてこうしたリズムを繰り返すのが日本文明の一
大特徴なのであり、「もはや途絶えた」と見えても
「地下水脈」として日本人の奥深くに流れている。
これこそが日本文明の核心たる「大和心」であり、
「日本の底力の源泉」であると結論づけています。
さらに、「このことのもつ、ただならぬ重要性に気
づいて、教育の場やマスコミでどんどん論じられる
ようになれば、日本人は急速に力を発揮する・・・
それは各時代の日本人が証明してきたことだ」と付
け加えます。中西氏もまた、日本は“豹変”する国
であることを分かっているのではないでしょうか。
▼「国家意思」を表明することがスタート
いかがでしょうか。これらはほんの一例に過ぎない
と考えますが、冒頭の「ゴジラー1.0」で述べた
ように、私が「日本はまだまだ捨てたものではない。
まだまだ明るい希望が持てる」との想いを強く持て
るのは、まさにここに紹介したようなところです。
しかし、“希望を現実のものにする”には大ナタを
振って荒治療する必要があることも事実でしょう。
顧みますと、戦後のわが国は、GHQの巧妙な「対
日戦略」に何ひとつ逆らうことなく国家を運営して
きました。講和直後の「吉田ドクトリン」などはそ
の典型と考えますが、それからしばらく経って、G
DPが戦前を上回った1956年頃から「もはや戦
後ではない」との言葉を一人歩きしました。また、
安倍元総理は、「戦後レジームから脱却」を掲げ、
「教育基本法」の改正にも着手しましたが、その成
果が上がっているとは言えないことはすでに取り上
げました。
これらを総括するに、戦後世代の最大の過失は、
「国家100年の計」といわれ、後に続く世代の
「教育」に特段の関心を持たないまま放置してきた
ことにあると言えるのではないでしょうか。
つまり、GHQによる強制的な“墨塗り”教科書の
内容を見直すことなく、70数年あまり、“行き過
ぎた教育”を継続してきました。その結果、ここに
紹介したような、日本の“本質的特性”を若者に教
え、多くの日本人に認識させることができないまま
時が流れました。
このような状況を創った最大の要因も終戦直後まで
さかのぼると考えます。少し補足しましょう。少し
前の調査結果によれば、「自衛隊は憲法違反だ」と
答える憲法学者は約6割を数えるそうですが、素人
の私などからみても、憲法第9条を正確に読めば、
この数字は法理論的には納得できない数字ではない
と考えます。問題はそれから先です。この6割の学
者のほとんどが「だから自衛隊を解体しろ」の方に
走ってしまい、「自衛隊抜きでは国防が成り立たな
い。これは一大事だ。憲法を改正しよう」と声を上
げている人は数えるほどしかいない状態が続いたの
でした。
言葉を代えれば、最も高い知性を有すべき法学者を
して、法理論の解釈を先行するあまり、「国防」と
か「国のあり方」などに疑問や関心を持たない程度
の“知的レベル”に留まってしまいました。
戦前の反省や軍への反発などについて理解できない
わけではないですが、極端な話をすれば、「こちら
から泥棒に入らなければ、我が家に入る泥棒はいな
い。よって、戸締りをする必要はない」と言ってい
るようなものなのです。そのようなことになぜ疑問を
持たないのか、私は長い間、理解不能でした。
そして、このような恩師(達)のもとで、同じよう
な思想や法理論を叩きこまれ、自らの知性や主義主
張になんら疑問を持たないまま拡大再生産された多
くの大人たちが、やがて法曹界、教育界、経済界、
さらには政治家、官僚、有識者、マスコミ人などそ
れぞれの分野を“牛耳る”ようになりました。最近、
政府の有識者懇談会による「日本学術会議に社会貢
献要求」との記事を見つけ、当会議はこれまで“社
会貢献すらしなかったのか”と呆れました。
このような状態では、「国家100年の計の教育を
見直そう」との雰囲気などできるわけがなく、70
数年余りの長きにわたり「教育」は放置されたまま
になってしまいました。私たち大人世代は、最近の
「Z世代」を批判する資格はないと言えるでしょう。
自分たちが「Z世代」を生んできたのですから。
さて、話を戻しましょう。周辺国が“日本をこのま
ま眠らせておき、覚醒しないように”と歴史問題な
どを蒸し返す狙いは、紹介したような日本(人)の
“本質的特定”に“こわさ”を感じているからなの
かも知れないのです。その考えが過剰防衛に走り、
軍事力の拡大路線を走らせている要因の一つになっ
ていると言えるでしょう。
私たち日本人は、認識しているか否かは別にして、
日本文明の「心」あるいは「コア(核)」とも言え
るような特性を依然として保持しています。保持し
ていることが日本人のアイデンティティそのもので
しょうから、これらを「誇り」として、今こそ、個
人の意思や精神の集大成として「国家意思」の“目
指す方向”に掲げることを求められていると考えま
す。
戦後の「教育」によって造成された価値観に凝り固
まっている人たちにとっては、“思いもよらない”
「国家意思」のたたき台を提示されても、にわかに
賛同することはないでしょうから、我が国の無形の
「資産」��して後世に残すべき日本文明の「心」を
謳うことについては譲れないとしても、どのような
言葉や文章をもって表現すればよいか、などについ
ては最大限の工夫が必要でしょう。
そのような内容を包含する「国家意思」を表明する
ことがスタートであり、それを受けて、中西氏の言
うがごとく、政界や教育界やマスコミ界で活発な議
論を展開して頂きましょう。その結果、本質さえ変
わらなければ若干の修正は“良し”としましょう。
いずれにせよ、「国家意思」の表明がスタートであ
り、「国家戦略」とタッグを組むことによって、輝
かしい未来をつかみ取ることができると私は確信し
ています。今回はこのくらいにしておきます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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moshgsh · 9 months
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2023年
お風呂でSNSでみんながそれぞれに発する1年間の成果や反省を読みながら、去年の自分についてやっと振り返りたくなって急いで湯船から上がって髪を乾かした。
釘は熱いうちに打て。っていうからね。もう十分遅いんだけど。
2023年は、一番メンタルブレブレの一年だったと思う。その理由まで自分で何となくはわかってる。私と同じような生き方をする10個上のおじさんが現れて、「君は人たらしだね。」って言われたところから、私のお豆腐メンタル劇場は幕を開けた。今まで何にも考えてこなかった、他人にとって自分がどういう存在なのか、ということについて考えることになった。
その時の私はなぜだかわからないけど、バイトや大学のみんなから引っ張りだこだった。こんなこと恐れ多いからいつもは黙ってるんだけど、tumblrだからいいよね。あの時は人生のピークかもしれないくらいに思ってた。そんな時に、私と同じような、というか私以上に引っ張りだこな人が現れて、「○○ちゃん(当時の私の一番の親友)のことどう思ってるの。」って言われたところから、私のお豆腐メンタル劇場は第二楽章に入る。その時感じていた違和感を、その人にぶつけるうちに、「なんでこんなに自分を犠牲にしているんだろう。」と思い始めた。その人は、なんで自分が引っ張りだこなのかをわかっていたし、そのためにどうふるまうべきなのか。ということを知り尽くした人だった。
結局、その違和感は、自分がその子に利用されているという感覚だった。その感覚をぶら下げながら、その子の話を聞くと、恋愛の話は全てただ私が仲がいい人も結局は○○ちゃんのことの方が好きだという自慢だし、私の話は、面白がって本気で相談に乗ってくれていないことだって思うようになっていった。肝心な時にありがとうとごめんねを言ってくれずに、いつも見下される感じが、本当にしんどかった。いざという時義理がない人って信頼できないんだなって知った。こんなこと気が付かない方が幸せだったかもしれないと思う一方で、気が付いたからには、本当に仲いい人っていうのを改めて考えようという思いが募った。
私はその子から、思い切り距離をとった。ここからがお豆腐メンタル劇場のサビ。その子は、私の紹介で仲良くなった子と私以外で遊んで、その子たちをSNSに「大親友」として載せまくった。私があえてあいていない日に遊びを計画し、私に断らせ、私以外でのグループを作り、そのメンバーを「このメンバーが最高」という投稿をしまくった。私は、悲しかった。マジで利用してるだけじゃん。っていうことに気が付いたから。これを高校とか大学の子(〇〇ちゃんとは関わりがない子)とか引っ張りだこマスターに話しては、メンタルを救ってもらってた。
○○ちゃんに一回だけ、距離をおくことを伝えようかと思ったことがある。そのために二人でご飯に誘った。最近気まずい私から誘われて、何かを察したのかすごい距離を詰めて、大好き!って来られた。裏で悪口いわれてるのはもうさんざん聞いている時期だった。SNSにもほかの「親友」が載せられまくっている時期だった。もう怖かった。でも伝えたかった。元親友として、最後に心から向き合ってほしかった。だから、切り出した。「最近さ、ちょっと思うことがあって」って。その子は故意か無意識かは知らないけど、その話をぶった切った。そしてまた、自分の恋愛の自慢話を始めた。なんかもう自分だけ頑張っているのが馬鹿らしくなった。諦めた。親友でいることを。悲しくて、帰りに一人でブランコで揺られながら泣いた。
浅すぎるから嫌いと言っていたAちゃんと本音がわからないから仲良くなれないといってたBちゃんとその子は仲良くし始めた。Bちゃんから、最近○○ちゃんとなんかあった?って聞かれたことがある。Bちゃんを巻き込みたくはないから、「いや、ん~、マンネリ化じゃない?」って言って流した。Bちゃんのことは大好きだし、本音で話したいのにまたしても○○ちゃんに人間関係が壊されているのを感じて、つらくなった。それでも表面上平和史上主義だから、黙ってた。その悲しさより、○○ちゃんが私から離れて早くほかの仲良しを見つけてほしかった。まあその結果Bちゃんに○○ちゃんを押し付けたことで私はまた、メンタルブレイクしたんだけど。
当時こんなお豆腐メンタルをもってしても、私はまだ○○ちゃんと仲良くできる方法を考えていた。メンタルぼろぼろになりながら、バカみたいなこと考えて、さらに崩れていく私を救ったのは、今の彼氏だった。「お前さ、○○ちゃんのことが嫌いなんだよ。」って。いわれて気が付いた。親友を嫌ってもいいんだって。「○○ちゃんとなんでそんなに仲良くしたいかわかんない。俺はお前を傷つけるから大嫌い。」って。あー、嫌いになっていいんだって思うだけで、楽な気持ちになった。てか、この子に使う時間があるんだったら、もっと自分が好きな人たちに時間を費やそう。って思えた。
そう思って自分の周りを見ていると、私をメンタルブレイクの沼から引っ張り出そうとしてくれる友人がたくさんいることに気が付いた。てか、それまで気が付かなくてごめん。あまりにも自分しか見えていなかった。そこからは、その子たちに感謝して、仲良くさせてもらうことで救われた。心がちょっとだけ強くなった。
年の末、○○ちゃんの恋愛話はウソだらけであることが分かった。何も事情が知らない研修医になった先輩に2年ぶりにあった時、「あいつと仲良くしてあげるのはお前の自由だけど、俺はいつ距離をおいてもお前のせいじゃないと思う。」って言われた。ついこの前、高校の時のその子の友達に会った。「ねえ、〇〇と縁切った?頑張ったね。」っていわれて抱きつかれた。この3件が重なったとき、○○ちゃんって本当にかわいそうだし、孤独だって思ってしまった。ざまあみろとは思えなかった。あの子に私はさんざん見下されてたけど、そんなことに構ってる自分の時間が無駄だった。
恋愛のウソも、先輩が感じていた客観的視線も、私は気が付かないくらいには鈍感な人間だって気が付いた。それが平和に結びつくこともあれば、気が付かないうちに自分を不幸に陥れているときもあると思う。それに気づかせてくれた引っ張りだこマスターにはずっと感謝してる。(笑)あの人は、そう言うことに気がつきながら、自分の振る舞いを決めることが大事ってことを知ってた。
あの子はこれからも都合の良い利用できる人を見つけては、見下して生きていくんだろうと思う。それを救うことは、私の力ではできなかった。もうこれ以上仲良くもなれないし、あの子の人生に私は必要ない。都合よく利用できない、都合の悪い人間になってしまったから。
そんなわけで、私は他人からどう思われているのか、っていうことを考えまくった一年を送った。確実にこれからの人生で必要な一年だった。大切な人が誰だかを学んだ一年だった。大切なことに気がつかせてくれて、お豆腐メンタルまで救ってくれた引っ張りだこマスターありがとう。
今まで好き~って来てくれる人とばかり受け身で仲良くしてきた人間だから、愛を伝えるのは下手だけど、これからはちゃんと好きな人に愛を伝えて、自分が大切にすべき人を大切にできるようにしたいと思う。
長くなったけど、これが2024年の目標。
2023年は、23年間の人生で一番人間やってたな。笑
2023年、ありがとう。関わってくれたすべての人への感謝を込めて。
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