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#木更津図書館
eosdesign · 1 year
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#木更津市立図書館 📖が改修工事の最終工程で?(知らんけど😁)また3月9日まで休館だそうです . #活字中毒 🤢としては活字がないと手が震えてきますので😱💦(ウソですw) . がっつり上限10冊👍 . ナチスのホロコースト☠️😭アウシュヴィッツ強制収容所から生還した心理学者の著作「 #夜と霧 」は . なかなか予約待ちの順番がすすまなかったりしたんだけど、やっと借りられた . インスタの書評などでも評判が良いので、楽しみです . (...内容は「楽しみ」というには不謹慎で、程遠い内容なのだろうけど...😅) . この本と、アメリカの偉人ベンジャミン・フランクリンの伝記を借りたんだけど... . この2冊の「古さ」がスゴイ😆👍 . 夜と霧→昭和32年!!ハードカバーなのに250円! . #フランクリン自伝 →昭和52年! . って... . 今どきの図書館は、利用者カードと本のバーコードで「ピッ!」で終わりなんだケド... . この貸出カード?みたいなの...懐かしいよネ。。。😁👍 . . つーことで #木更津図書館 は2月12日からまた休館ですぞ! . オンラインの蔵書検索・予約を使っている方は、今予約すればソッコー用意してくれる(ハズ)なので... . 急げ!! . (....居ないか...🤣👍w) . . #図書館 #library #本 #book #books #読書 (Kisarazu, Chiba) https://www.instagram.com/p/Cod8F_grE0j/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yotchan-blog · 8 days
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2024/5/8 7:59:48現在のニュース
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kentackeyyy · 7 months
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2023.10.22
昨日、木更津へ。
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バスで行った。途中の工業地帯がすごい
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着きました。
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目的はYEN TOWN BANDとリリイシュシュのライブ。(目当てではないが、アイナジエンドも出る)
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始まるまで会場を探索。地中図書館というらしい。
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鏡。
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ロースト猪サンドと、猪唐揚げ。
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ソフトクリーム。牛乳そのままの味。
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スワロウテイルの看板あった。
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毒々しい。
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ライブはよかった。会場電波悪すぎて電子チケットが表示できず、整理番号めちゃめちゃ抜かされる事件あって萎えたけど(なんとお客さん対応で来てた会社の人に助けてもらうという…笑)近くで観るのが正解のライブではなかったから、結果よかったな。Charaは何歳になってもキュートだな。そうして、帰った。
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konoano · 1 year
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児童文学講座
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3月5日(日)千葉県木更津市にて講演会を開催します。
終了後には、本の販売とサイン会もあります。
お近くの方、ぜひいらして下さい! 定員になり次第、締め切りです。
詳しくは、コチラ
✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼ 日 時:3月5日(日)13:00〜15:00 会 場:木更津市 文京公民館 2F     〒292-0804 千葉県木更津市文京2-6-54 定 員:50名(事前申込制) 対 象:大人(18歳以上)子育て中・妊娠中の方 参加費:無料 申 込:図書館へTEL(0438-22-3190)     FAX(0438-22-7509)     mail([email protected])     タイトルに【児童文学講座申し込み】     本文に【氏名・住所・日中連絡の取れる電話番号】を記載。
電話での申し込みの場合、受付可能時間は以下のとおりです。 2月1日(水曜日)から13日(月曜日)まで 平日は午前9時から午後7時まで 土日祝日は午前9時から午後5時まで 受付不可日は、2月6日(月曜日)と13日(月曜日)
2月14日(火曜日)から3月9日(木曜日)まで 受付時間は曜日にかかわらず、午前9時から午後5時まで 受付不可日は、2月18日(土曜日)、19日(日曜日)、 23日(祝日・木曜日)、25日(土曜日)、26日(日曜日)
✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼
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tsuneminnn26 · 3 years
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Kanazawa-Kuruwa
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郭の中の金沢、辺京の小宇宙
郭_この辺京の遊郭には、金沢の美しさと醜さがくるわれている。
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郭は...
北陸の美学の結晶であった。 卯辰山へまっすぐ伸びる石畳、黒光るボッテリとした能登瓦、弁柄色の木虫籠(きむすこ、細い桟の出格子)。九谷の襖の手掛けや輪島塗りの調度品、べっ甲のかんざしや色とりどりの菓子や酒、夜遅くまで鳴り響く唄、笛、鼓の音色。
同時に人身売買の巣窟でもあった。 極めて幼い頃に身売りされた少女は、楼主と養子縁組を結び、自らにかけられた身代金を返すまで拘束を受け、芸妓・娼妓として働いた。町を彩った女のいくらかは楼主となった。
今回は、金沢の光であり影である茶屋街について、制度・人びと・建物・遊び・性の観点から明治・大正の茶屋を前提にご紹介する。
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(参照:『金府大絵図』金沢市立玉川図書館所蔵)
明治に生まれた主計町を除けば、ひがし・にし・きた・愛宕の郭は2つの大きな川、犀川と浅野川の金沢城から見て外側に位置している。(これは、江戸の吉原が常に皇居から見て川向いに建てられて、都市の外周部に位置していたこと同様の理由で、穢の場所を都市の外側に配置するためであろう。)
その中でも、金沢人が憧れと嫉妬を込めて名付けた東の廓(言うまでもなく京都の祇園・東山にかけている)であるひがし茶屋街は、北陸の最も代表的な茶屋街であった。
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(参照:『金府町絵図』金沢市立玉川図書館近世資料館所蔵)
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A:郭の制度
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金沢の花街の仕組みは京都と同様にお茶屋が客の要望に応じて、芸妓を置屋か ら呼ぶ方式である。芸妓は置屋に所属し、お茶屋から依頼があれば、料亭やホテルなど地域外へも出張することが可能なのも、京都と同様の取引制度である。 さらに金沢の三茶屋街の特色として、お茶屋と置屋の兼業が挙げられる。つまり、お茶屋は場所を提供するのだが、同時に芸妓を抱え、他のお茶屋に派遣することもでき、食事は飲食店から取り寄せることとなる。
お茶屋には上茶屋、中茶屋、下茶屋の3つがあり、上茶屋は5等級に格付けされていた芸者の中でも、一等級のものしか置かなかった。上茶屋は農家の出や他国の婦女は抱えたがらない気風があり、それを誇りにしていた。加賀血筋を大事にし、みっちり芸と作法を仕込むとのこと。明治時代には能登半島をはじめ、日本全国から身売りされた少女が芸妓として所属しており、朝鮮出身の芸妓の記録もある。
郭では「旦那」は芸妓の経済的な保護者であり、後援者であった。旦那は月々お手当を置屋の女将に渡すかわりに、贔屓の芸者を自分一人のものにすることができた。女将は抱え芸者の旦那から一ヶ月の手当をもらうこと大きな収入源であった。ある置屋の抱え芸者が、別の置屋の客を旦那としている場合、旦那はその置屋の女将に毎月の斡旋料を支払うこととなっていた。
お茶屋では客は一見の客は挙げない。理由は、遊興費が後でもらえるか不安なことと、もう一つは酒癖が悪い客を案じてであった。たちの悪い客の中には、火鉢の中に小便をしたり、掛け軸に盆をぶつけたり、美人画を盗む客もいたという。二度目から置屋は電話で芸者の予約を受付け、時間の打ち合わせをする。客は遊興費を何ヶ月に一度、現金で女将に直接手渡しでまとめて払っていた。
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B:郭のひとびと
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お茶屋に以下の人々が住み込んでいた。どこの家もかなりの大所帯で、大抵は十数人で寝ていた。
①女将:
多くは元芸者で、お茶屋の経営をするとともに芸妓と養子縁組を組み芸妓を育てるとともに労働者として管理する。
②芸妓、娼妓:
女将と養子縁組を結び、芸者として客に奉仕する。住み込みと通いがあったが、殆どが住み込みで、通いは芸者でも年季明けの終わった歳高の人たちだけだった。年季明けや旦那がお金を支払った場合は妾として茶屋街の周辺に暮らしていた。
③たあぼ:
行儀見習いと諸芸習得の傍ら、日中は走り使いの雑用、夕方からは芸者衆の座敷勤めな三味線をもって供をなし、供先きの置き屋とか料亭では家族用玄関の片隅で芸者衆の座敷終わりを待つ。12歳になると振り袖芸者と呼ばれ見習いの芸者とみなされ、さらに15,6歳になると留め袖芸者と呼ばれ水揚げが行われた。このころには体だけではなく、三味線・踊り包などの芸も一人前の扱いを受けた。
④ばんば:
年寄りが多く、飯炊賄いが主な仕事。
⑤べえべ:
10-40代、女中、下働きの女で賄い全般、掃除洗濯、女将の身の回りの世話をした。やりてばばあと呼ばれるべえべは客から以下にして金を使わせるか、寝床での振る舞いを芸妓に教え込んだとのこと。
男衆:
登楼のの客引き、芸者の世話役として付き添い、用心棒兼見張り役をする。
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C:郭の建物
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(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
茶屋は2つの大門を持ち、文字通り塀によってくるわれていた。門の外には妾宅が並んでいた。2本の大通りは卯辰山に向かい、卯辰山がアイストップの役割を果たしている。かつては壱番町へは小川を越えてアクセスするようになっていた。
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(参照:『浅野川茶屋町創立之図』文政3年(1820年) 石川県立図書館蔵 「旧東のくるわ」伝統的建造物保存地区保存対策事業報告書 1975年 金沢市教育委員会)
建物の外観は、1階は出格子となっており、木虫籠と呼ばれる細い縦格子がはめてある。縦桟は断面が台形になっており、外から中が見えにくい仕掛けとなっている。2階は今では小窓付きの雨戸になっており、全て開け放てる仕組みになっている。祭りの際には大通りにステージが設けられ、開け放した2階の座敷から芸者の踊りを見下ろしていたのだという。現在では失われているが、かつては木部分に紅殻色の塗装が施されており、赤い色彩と卯辰山の緑が生えたことだろう。また、屋根はかつて石置き板葺きであったが、今では釉薬を全面に施した北陸特有の黒く厚い瓦が葺かれている。
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平面は時代を経て大幅に変更されており、機能上の要求から下記図面の小さい方の平面図(明治以降)へと変更されていったようだ。
明治以降の平面図を前提に話すと、まず玄関を入ると黒漆塗りの大きな階段があり、ハイサイドライトから薄光が差し込んでいる。階段の横は長火鉢が置かれた茶の間であり、女将が座って一切を指示していた。奥座敷と茶の間は主に女将が使用する部屋で、奥座敷は仏間、寝室として使用していた。
みせの間は支度部屋で、芸妓が詰めていたから、街路には芸妓の声がよく聞こえていたことだろう
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2階は大きく表(前2階)・中・奥(広間)の3室に分けられ、表と奥を座敷とし、中はロビーのように使用されていた。間口が大きい場合は表と奥は2室に分けられ、4畳の部屋を芸妓が踊り演奏するステージのように使用していた。2階の更に奥には廊下や小階段を隔てて「離れ」があり、数寄屋風のしつらえとなっている。水揚げや日中の娼妓の使用にはこの部屋は人目につかないので都合が良かった。
3階はどの家にもあるとは限らないが、座敷を1間もつ場合がある。
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(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
座敷の土壁は紅殻色が用いられる場合が多く、柱は紅殻と灰をあわせて塗装されている。金沢では紅殻色や群青色が来客の場所に使用されることが多いようである。
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(参照:https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/spot/detail_10094.html)
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(参照:https://www.pinterest.de/pin/523332419194794021/)
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D:廓遊び 
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(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
宴会は夜だけではなく、遊びなれた客は深更にきて朝帰りということも珍しくなかったし、庄屋の番頭などが小僧の手前もあって夜抜け出せないために早朝に密かに遊びに来ることもあったし、昼遊びの客もあった。これらの時間の揚げ代は夜よりもむしろ高かったとのことである。
客としては、加賀友禅などの伝統工芸の職人の親方や商人、旅の客などがいた。
廓の花代の1単位は45分だった。1時間を1番木と言って、拍子木が隣の控えの間で打たれた。合図の1番木で、芸者は時間切れを伝えて帰り支度をはじめ、そこから客を送り出すまでを15分と見ていたようだ。これは線香1本が燃えるまでに40分かかったことからきていると聞いた。
婚礼の祝宴が夜通し続いたりすると、芸者たちは三日三晩睡眠を取ることもできないこともあった。
芸妓は昼に芸を磨いた。自由を厳しく制限された分、芸に自らの存在価値をかけたからなのであるが、当時の売れっ子は芸を磨くだけの時間的な余裕がなかった。遊客は気に入った芸妓がいると追い回し、昼夜となく名指しをしたため、彼女らは歌や踊りの稽古などしている暇がない。流行りっ子ほど無芸という結果になったのであった。しかし、芸に精進することは文字通り体をいじめ抜くことになり、体の形を崩してしまったようで、例えば、笛の達人と言われた美津は増えをあてがう下唇がミミズ腫れのように腫れ上がっていたとのことである。
お茶屋遊びは数多くあるが、ここで流行ったものに「かんざしえらび」がある。座敷で客と芸妓は輪になって歌った。
お姫さんと寝るがに かんざし引こう お姫さんを抱くがに かんざし引こう 人のかか抱きゃ せわしない ほれ せっせっせ せっせっせ
黒く塗った丸い盆の縁にかんざしが10〜20本、妓の数だけ放射状に置かれ、客たちはじゃんけんをして勝ったものからかんざしをとり、そのかんざしの持ち主と一晩寝ることとなった。
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E:郭の性
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中店以下にいる芸者は、多くは二枚鑑札を持っていた。芸者と娼妓を使い分けなくては前借りを支払うことができなかったからである。上店では芸者と娼妓の区別が一応はひかれていたが、明治から大正にかけてはほとんど建前になっており、体を張ることによって何十円と貰いが増え、前借金を返すことができたから、体を張る者も多かった。
朝から夜まで客が来た。一人は娼妓を置かなくては営業許可が降りなかったため、芸妓は自分の代わりに一日中客の相手をしてくれる娼妓には感謝していたとのことである。
日露戦争の折には、松山、習志野、大阪に加えて金沢もロシア人俘虜の収容地となり、4000人近くの俘虜が寺院などに収容された。彼らは「大切に」扱われたというが、国から通達を受けた市当局が置き屋の女将に協力を要請し、廓の芸者らがロシア人の相手をしたそうだ。廓には梅毒の予防のために「下洗い」する建物が設置され、性的搾取の対象となった。
第二次世界大戦の際には、芸者は三味線を弾くことや太鼓を禁じられ、専ら復員や動員に押しかける兵隊を相手に慰安婦、接待婦として働いた。
15歳ほどになると水揚げがある。水揚げの相手の旦那は、女将同士であらかじめ相談し、決められ多くは老人だったとのことである。若者では手荒く、過ちがあると良くないと考えられたためと、水揚げをするには大金が必要だったからである。相手が年寄りであることは女たちは皆嫌がった。水揚げというものは一回きりで一人前の女になるというわけではなく、二度も三度もしなければならない。水揚げは特別に料金が高いからお茶屋が儲かったとのことである。場所は自分の住むお茶屋とはとは限らず、離れの間が使用される事が多かった。
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(旦那衆が人目を避けて利用した梅ノ橋とかつての妾邸)
金沢の芸妓の生涯を描いたノンフィクション小説である『郭の女』(井上雪著)には花街の美しさと醜さがよく描かれている。
読者は気がつく。 あの美しく見えた芸妓は木虫籠という籠に囚われているのだと。
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hitoritabitabi · 3 years
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1️⃣中国地方乗り鉄旅(新山口~徳山)
2021.09.05
今回の乗り鉄旅は18きっぷを使って4日間、中国地方の廃線になりそうな路線を中心に巡る。観光・グルメとか無し。ただ、乗って、乗り継いで、車窓からの風景を眺めるだけ。 こんな酔狂なプランに友達二人が参加希望。二人ともこちらと同じ乙女座で、同じく鉄道の旅が好きだが、決して「鉄オタ」ではない♪ 東京を出発したのは9月2日(木)、21:50東京駅発のサンライズ出雲。これで終着駅、出雲市まで行き、そこから18きっぷ利用開始。木次(きすき)線、芸備線、姫新(きしん)線を乗り継ぎ、初日は岡山県の津山泊。 2日目は津山から因美線で鳥取、山陰本線で松江へ戻り、ここから出雲市までは既にサンライズ出雲で昨日も通過しているので、一畑電鉄に乗り換えるという素敵なプランで出雲市へ戻る。そして再び山陰本線に乗り換えるも、8月の豪雨の影響で江南~田儀は代替バスに乗り換えて歴史ある温泉地、温泉津(ゆのつ)に宿泊。 3日目は山陰本線を更に西へ向かって益田へ。山口線に乗り換えて新山口へ。ここで同行の友人とお別れ。一人は福岡空港から、もう一人は宇部空港から当夜のうちに帰京。 ってことで、「独り旅」となる新山口駅からの投稿~~
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新山口駅は2003年までの駅名だった小郡(おごおり)駅のほうが馴染がある。
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右は岩国行きでこちら乗車。 左は下関行きで二人が乗車。 どちらもいい顔だ♪
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瀬戸内海~
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日本海とはちょっと違う
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徳山駅で15分停車
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山陰・裏日本から来ると随分、都会に見える。 友達の話によるとJR各社の協議が行われていて、今度、JR東日本、JR西日本から一部切り離して、「JR裏日本」という儲からない路線の会社を作るそうだ、うひゃ!
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すぐそこは徳山の港
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駅ピアノ
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駅ふぐ
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駅図書館
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gohan-morimori · 3 years
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アジャラカモクレンニセンニジュウイチネンイチガツニジュウゴニチカラサンジュウイチニチマデノニッキ
1月25日(月)
 大前粟生『私と鰐と妹の部屋』読み終える。この本はたしか去年の2月だったか3月だったか(たしか2月)の本屋博で、toi booksのブースで買ったものだ。特典の『全身が青春』を読む。読んでいたら、やっぱり日記なんじゃないか、という気分になる。日記、いいな、となる。やったほうがきっといい。っていうかやりたい。という気分がどんどん高まっていって、でももうわたしは笹塚には住んでいないからタイトルを笹塚日記からなにか違うものに変えたほうがきっといい。変えないとテンションが上がらない。ということで、ぐるぐる考えて、アジャラカモクレンにしようと思った。3年前だったか4年前だったか(たしか3年前)(いや4年前か、もう)、そのころはまだ京都に住んでいて、でも東京へ行くことがほぼほぼ決まっている段階で、そういう状態で日々を過ごしている中で、なにか書きたい、小説ではないなにか、というようなことを思って、Tumblrでブログっぽい文章をいくつか書いていた時期があった。そのTumblrの名前をアジャラカモクレンにしていた。死神っぽいなにがしかから身を守りたかったのか。それが、そのTumblrがまだ残っていて、それも使おう、と思った。noteを使っていく上で、noteとかcakesとかに対するモヤッとした感情を解決するための策として、すこし前から、ショート・スパン・コールの更新/公開はnoteとg.o.a.tとTumblr(と、時間差でInstagram)を並行して使う、ということをしていた。「noteを使う」から「noteも使う」にすることで、自分の中でのnoteの重要性というか、一箇所性(一箇所性?)というか、ここだけ感というか、そういう価値を下げて、均す。わたしの文章を読む(読みたい)人に対しては「読みたい場所、モヤッとしない場所を選んで読んでね」という態度でいることができるし、ひとつの文章を更新/公開する場所を増やすことで、予期せぬ出会い、みたいな可能性も増やせたら、みたいな。いまのところそれはなんだかうまくいっているような気がしていて、というかわたしはとても気が楽で、こりゃいいやと思っている。しばらくはこの方法でいくのだと思う。そもそもいままで、なんで一箇所でしか更新/公開していなかったのだろう。なにはともあれそれでアジャラカモクレンのロゴを作った。なにはともあれまずはロゴ、ということで、バージョン���古いイラレを嬉々としていじり、ロゴを作った。アジャラカモクレンこれは日記です。アジャラカモクレンコレハニッキデス。死神よ消えろ!
1月26日(火)
 休日。去年の12月からは職場のシフトを固定にしてもらっていて、だから毎週火水はおやすみ。確定申告とか、皮膚科とか、耳鼻科とか(もう花粉が暴れだしている)、新宿の某クリニック(ホルモン注射)とか、やったほうがいいこと、やらなきゃいけないこと、行かなきゃいけないとこ、行ったほうがいいとこ、が溜まっているのだけど最近の火水はなんだかんだでずっと家に居てしまう。ショート・スパン・コールをぐんぐん書く。佳境、というか、自分の中でここは特に大事に慎重に書きたい、みたいなところにもうすこしで差し掛かりそうで、どきどきしている。なんだかんだで100篇はゆうゆう越えるもんだな、とも思っている。本読んで、書いて、トイレ行って、コーヒー飲んで、ビタミン剤飲んで、本読んで、書いて、トイレ行って、部屋うろうろして、コーヒー飲んで、煙草吸って吸って吸って本読んで書いて、みたいな感じで夜になってゲラ2本チェック。それぞれに戻す。
1月27日(水)
 休日。昨日から、というか一昨日の夜からずっと同じ寝間着を着ている。着替えていない。火水はこうなる。読んで書いて書いて読んでコーヒー煙草トイレコーヒー煙草スパゲッティ読んで書いてコーヒー煙草煙草煙草吸い過ぎだなコーヒートイレ煙草読んで書いて書いて書いて部屋うろうろ。リディア・デイヴィス『ほとんど記憶のない女』読み終える。高木美佑『きっと誰も好きじゃない』読み終える。リディア・デイヴィスの本を読むと勇気と恐怖が同時にやってくる。ここまでやってくれている人が既にいる、という勇気と、それと同じだけの恐怖(ここまでやってくれている人が既にいる……)。先週だったか、toi booksのYouTube配信で、大滝瓶太×滝口悠生のトークを聴いていたら、滝口さんが「連載って大変」みたいなことを言っていて、わたしは『灯台より』で自分が連載している小説「どこに行ってもたどり着く場所」のことを思いながら、勇気と恐怖が同時にやってきたのを思い出す。滝口さんでもそんなこと思うんだな、という勇気と、滝口さんでもそんなこと思うんだな、という恐怖。もしかしたらわたしはまだ到底持ち上げられない重さのダンベルに手をかけている状態なんじゃないか、みたいな。それを本屋Lighthouseの関口さんにSkypeで話して、そのSkypeは関口さんによるアナログなのかハイテクなのかわからない手法でライブ配信されていて、ほぼ機材チェックみたいな謎の時間を視聴者には提供していたこととは思うが、なんだか久々に、自分の生活圏外の人(関口さん)と交流、というか井戸端会議っぽい駄弁りができた感じがして、いい息抜きになった気がしている。関口さんとのSkypeを切ってから阿久津さんのZOOMにアクセスして、会議、というかこれもまた駄弁りのような、わちゃわちゃした会話をしていたら野口さんもZOOMに入ってきて、それで3人でわちゃわちゃと話してなんだか楽しかった。仕事と遊びがまぜこぜになる感じ。いまだにわりと新鮮に「オトナだ」となる。今年で29歳なんだから、オトナだろうよ。阿久津さんと野口さんはスタバの話でずいぶんとハッスルしていて、スタバになんのメモリアルもないわたしは途中からスマホをいじったりぼや〜っとZOOMの画面を眺めたりしていた。通話終わり。ゲラに関するメールを打って送る。なんだかどっと眠たくなって、歯を磨いて寝る。
1月28日(木)
 11時過ぎだか12時過ぎだかに起きる。14時には下北沢に着いていないといけない、というのを、忘れていたわけではないのだけれど「それってつまり」と考えることができなくて部屋をうろうろしたりぼやぼやしたりしているうちにちゃんとしたご飯を食べる時間がなくなっていて着替えてざっくり化粧をしてチキンラーメンを啜って家を出る。小雨。聞いてないなあ、知らないよ、雨、と思いながら自転車に乗った。雨粒がぽろぽろとマスカラに当たるのを感じていたけれど雨が降るなんて知らなかったから知らなかった。雨なんて無視無視。下北沢についた。阿久津さんと話す。話している間、雨が雪に変わっていくのが阿久津さんの後ろ、ガラス戸越しに見えて、話している途中で、あ、雪、と言った。言ったらわたしの斜め前、阿久津さんの横に座っていた桜木さんが反応して、あ、雪、となって、よかった。いい瞬間だった。雪。穂村弘の〈体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ〉という短歌を思い出したり、いしいしんじ『よはひ』の「二歳五ヶ月のピッピ」を思い出したり。職場で働く。静かな日。なにかチームで動くとき、チームに所属するとき、その中に居るとき、わたしはわりと「元気印」みたいなレッテル(レッテル?)を貼られたり、ムードメーカー的な立ち回りを演じたり(演じたり?)、ピエロっぽい役割を割り当てられたり、それらを自覚的に(あるいは無自覚的に)率先して引き受けたり、結果的にそういう立場になっていたり、することがあるのだけど、そしてそれはたぶんわたし自身が望んでそうなっている側面もあるのだろうけれど。いつだって元気なわけではないし、人一倍暗い瞬間だってきっとあるし、汚く醜い感情でひたひたになっている期間だってあるし。そういうとき。元気印が元気じゃないとき。いったい誰がわたしを元気にしてくれるのだろう。みたいな、行き場のないモヤモヤ、憤り、やるせなさ、みたいなものを感じることがちょいちょいあって、いままでは、そういうときはそのモヤモヤや憤りややるせなさに任せて、誰かに怒られたりするまで奔放に破壊的な行動をしてきたのだけど、いまは、いまの職場では、というかいまの自分は、そういうときも、そういうときであっても、仮面であっても演技であってもポーズであってもいいから、「元気」を全うしようという気持ちでいる。すきな人たち、信頼している人たち、素敵な人たちを自分の不調や不機嫌や元気のなさによっていたずらに不安にさせたり傷つけたりしたくない。それもきっと仕事のうちだ、と、思いはじめている。それがいつだってできるわけではまだないし、じゃあわたしの元気がないときは誰がわたしを元気にすんだい、みたいな気持ちへの落とし前はぜんぜんつけられないけれど(そしてその問いへの答えは結局「自分自身」でしかないのだけど)、でも、死ぬまで独り身で生きていくかもしれない現実に向き合って覚悟を決めて朗らかに独り身を生き抜くリズムを作るために去年の10月から一人暮らしをはじめたのだから、だから……なんだっけ?閉店時間になって、帰り支度をして、吉野靫『誰かの理想を生きられはしない -とり残された者のためのトランスジェンダー史』を読んで、帰って、コーヒーを淹れて煙草を吸ってこの日記を一昨日昨日の分まで書いて洗濯ものを干して(めちゃくちゃさむい)、湯たんぽをあっためてパソコンデスクの下に置いて足を乗っけてあったまりながら今日の分を書いて、ピラカンサのシュトーレンを切って食べて(しみしみになっていておいしい)、これからお風呂に入る。湯船に浸かりながら吉野靫『誰かの理想を生きられはしない -とり残された者のためのトランスジェンダー史』の続きを読む。いろいろ重ねて読んでしまうからしんどい本だけど読んでおきたい本でもある。気圧ひくい。頭いたい。かなしい気持ちになっている。奔放に、抱きしめられたいな〜、人に。最後にだれかと手をつないだのっていったいいつだ。
1月29日(金)
 寒い。晴れている。出勤。せわしなく働く。閉店後、
https://soundcloud.com/yunovation/virtual-luv20190314-1
を一曲リピートで延々流しながら、吉野靫『誰かの理想を生きられはしない -とり残された者のためのトランスジェンダー史』を読む。読み終える。終わりの文章でちょっと泣きそうになる。死にたくないな。生きなきゃな。とか思う。家に帰る途中で西友に寄って牛乳とオレンジジュースと豚バラとキムチを買って帰る。中橋さんに電話してだらだらしゃべる。途中からGoogle Mapで京都のあちこちを見回るのがやめられなくなって、電話を切ってからもだらだらと地図上で京都のあれこれを見ていた。それからなぜかYouTubeで予備校講師の動画を見漁りはじめて、止まらなくなって空が明るくなってから危機感に襲われて入浴。湯船に浸かりながらオーレ・トシュテンセン『あるノルウェーの大工の日記』を読み始める。去年はこの時期に佐伯一麦『ノルゲ』を読み始めた気がする。2月だったかな。同じ時期にノルウェーの本を読んでいるのがなんだか不思議とうれしいきもちになる。眠る。
1月30日(土)
 起きたり寝たり起きたりを行ったり来たりして13時50分くらいに起きる。慌てて準備をして出勤。煙草を忘れたことに家を出てしばらくしてから気がついて途方に暮れる。働く。せわしなく働く。いそがしいそがし、あわあわあわあわ、としているうちに閉店の時間になって身体がやたら重たくて怖くなった。ごはんを食べながらiPhoneで呪術廻戦の最新話を観る。ほんとTikTokみたいなアニメ/漫画だなと思う(いいとかわるいとかではなく)。ハンターハンター、ソウルイーター、BLEACHの気配をむんむん感じる。そのまましばらく身体が重くて動けなくなって、お腹が痛くなってきて、こわいこわい、と思いながら身体を椅子からひっぺがして帰り支度をして職場を出た。家に帰って可燃ごみをゴミステーションにぶちこんで今日一本目の煙草を吸って、腹痛に耐えかねてトイレに籠もってお腹をさすりながら『京都町中華倶楽部』創刊号を読む。おもしろい。この本を面白がれるのはわたしがいま京都にいないからなのかもな、と思う。キッチンとトイレを何度か往復しているうちにだんだん腹痛がおさまってきて、ビールを飲みながらまた煙草を吸う。京都。京都にいつか戻りたい。「戻る」という言葉がやはりしっくりくるな、と思う。戻りたいな、と思う。いつか。それがいつなのかはわからないけれど、いつかほどほどに自由に居住地を選べるような身分になったら、また京都に住みたい。でも東京が嫌だとか嫌いだとか、ここにいたくないとか自分の居場所はここじゃないとか思っているわけではなくてむしろ逆で、東京は東京で好きだし、ここは自分のいまの居場所だと思っている。でも、これは去年の4月ごろ、緊急事態宣言で家に籠もりっきりになって、あちこちの団体やお店なんかでクラウドファンディングが立ち上がったりしていたころ気づいたことなのだけど、わたしがこういう状況下で「助けたい」とか「助かって欲しい」とか「生き延びてほしい」とか「なくならないでほしい」とか思うような場所、モノ、人、コトのほとんどは京都のあれこれで、京都の書店で京都の映画館で京都のライブハウスで京都の酒場で、それはわたしが東京に住み始めてからまだ2年半ほどしか経っていないのもあるし、東京に来てから1年以上は手術費を稼ぐために娯楽的なあれこれを極端に切り詰めてきたからで、そもそもわたしはまだ自分が住んでいる土地のことをぜんぜん知らない。知らない土地に対して「助けたい」と思うのはむずかしい。というか、まずは京都が助かって欲しい。話はそれからだ、感がある。ここ半年ほどは、本を買うときは大抵京都もしくは大阪の書店のオンラインストアで注文しているし、たぶんこれからもそうしていくだろう。みたいなことを考えたり昨夜に引き続き予備校講師の動画を見漁っていたら日付が変わっている。今日こそは早く寝たい。喉に違和感がある気がする。こわ〜。
 自分にとって京都ってなんだったんだろう。みたいなことをよく考える。考えるというか、ぼやぼやと思ったりする。カンタンに最強になれる場所だったな。カンタンに、井の中の蛙になれる。よく晴れた日に、紫明通を自転車で走っているとき、ここが世界だと思っていたフシはあった。井の中の蛙は大海を知らないが、大海の鯨は井の中を知らない。井の中でしか存在し得ない世界を知らない。
1月31日(日)
 とか書いたけど嫌なことも悲しいこともむかつくことも、孤独も��しさもどこにも行けないもどかしさも、京都にいた約7年間で味わい尽くしたはずで、だからわたしの京都観には著しい美化が伴っていて、それをちゃんと自覚しておかないといけない、たぶん。トランスジェンダー、という自分のいち側面だけを考えると明らかに京都より東京のほうが日常で被るストレスや暴力、差別や排除はすくなくて、すくない気がいまは気がしていて、それはやっぱり人間の多さに依るところが大きいし、京都の狭さ、人の(土着的な人の)少なさはやっぱりトランスジェンダーといういち側面において無視できないしんどさをわたしの日々に与���ていたはずで、出ていきたい、ここを出ていきたい、という気持ちと、出ていけない、一生この場所で時給労働に従事し尽くした結果疲れてすり減って独りで何も成し遂げられないまま手術も満足にできないまま貧困状態のまま死んでいくんだ、クソが、みたいな気持ちで粉微塵になりそうだったはずで。そこから愉快な奇跡が重なっていまわたしは東京にいる。11時なのか12時なのか、みたいな時間に起きた。起きたけど起き上がることはできなくて、貪欲を抱きしめたり貪欲と添い寝みたいな格好になりながら、『京都町中華倶楽部』創刊号を貪欲の顔に乗っけて布団にくるまりながら読んでいった。龍門なつかしいな。行きたいな。知らない店がたくさんある。とか思っているうちに13時前になって慌てて布団を出てお風呂に入れない。家を出る。買い出しをして出勤。忙しくて慌ただしくてちょくちょく恐慌状態になったりしながら踏ん張って働く。忙しい。疲れた。ごはんを食べてビールを飲んで煙草を吸って身体が動かない。動かす。職場を出て、家へ。帰宅。「どこへ行ってもたどり着く場所」連載第3回の原稿について考えたり、『ショート・スパン・コール』94篇目〜103篇目あたりまでの展開や構想を練ったりしながら自転車を漕いでいると自分がどこにいるのかわからなくなりそうで怖い。いつか事故りそう。やっぱり日記を書きはじめるとそれ以外が書けなくなる。不器用。わたしはむずかしいことをしていて、それはひとりごとの言えなさに似ている。2冊目の歌集を出したい。というか出す。モノはあるから、自費でやろうか、BASEで、みたいな気持ちにかなり傾いていて、今年の上半期中に組版をやって見積もりをしよう。「どこへ行ってもたどり着く場所」も、『ショート・スパン・コール』も、大切に書きたい。疲れた。疲れた。今日こそお風呂に入ろう。2月は「どこに行ってもたどり着く場所」の原稿を書く前に読まないといけない(と、自分に言い聞かせている)本が何冊もあるから、ヘビーな月になりそう。がんば〜〜りまっしょ〜〜。タフネスを俺にくれ!!!!!!!!!
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eosdesign · 1 year
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#読了 僭越ながら #書評 ? #読書感想文 😝👍💦w . 少し前にインスタの #オススメ本紹介 みたいなのを見て読んでみた #運転者 という本が #良かった ので . そのつながりで著者検索で木更津図書館の蔵書にあったので借りてみたこの本📗 . とてもヨカッタです😂👍✨ . 著者をググると、若くして学習塾を始めた方らしく、そのためか?どちらかというと、あえて中高生向け?の文章にしているのか?と感じる文体なのですが、、、🤔💭 . そのためか?とても読みやすく、さらにグイグイ引き込まれる面白さも相まって、あっちゅー間に読み終わってしまった . 独特の雰囲気・世界観✨ . 一方では中二とも思える様な、どストレートでアツいメッセージが、ブスブスと刺さってくる内容⚔️👍 . (そもそも自分が #中二 な人間だからかも知れませんが...😅💦) . どうやったら?こんな文章が書けるのだろうか?🤔 . 素晴らしいを通り越して、凄まじいです😆👍 . 是非とも、自分の娘たちに読んで欲しい本です。。。 . . 2月まで改装工事中の #木更津図書館 ですが、12月から臨時窓口が開設されてWEBからの検索・予約も復活したので . 著者の #喜多川泰 氏の読んでない本の蔵書はすべて予約しました😁👍 . 買わなくてスミマセヌ...🤣🙏💦w . . . #読書 #本 #book #読書感想 #また必ず会おうと誰もが言った #ピンクパンサー号 w #木更津 😁👍w (Kisarazu, Chiba) https://www.instagram.com/p/ClzlSAuSa09/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yotchan-blog · 2 months
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2024/3/29 12:59:21現在のニュース
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genron-tomonokai · 5 years
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[友の会メール]『テーマパーク化する地球』6月11日発売!絶賛予約受付中!
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[友の会メールvol.322]『テーマパーク化する地球』6月11日発売!絶賛予約受付中! (2019年5月21日配信)
☆**:..。o○o。:..**☆
こんにちは、スタッフの宮田です。 『テーマパーク化する地球』がまもなく発売されます!Amazonやゲンロンショップでぜひご予約くださいね! また、6/14(金)には東浩紀による『テーマパーク化する地球』刊行記念イベントがゲンロンカフェで開催されます!会場チケットは売り切れとなりましたが、当日は生放送もございますので、ぜひご覧ください! また、梅原猛さんへのインタビューを電子書籍にて販売しております。こちらもぜひご覧ください。
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★『テーマパーク化する地球』6月11日 全国書店にて発売!ただいま予約受付中!★
ゲンロン叢書 第3弾 東浩紀著『テーマパーク化する地球』が、来る6月11日(火)にいよいよ販売開始となります! 『テーマパーク化する地球』はAmazonおよびゲンロンショップにて絶賛予約受付中です! Amazon: https://t.co/ruJvGJE0HT ゲンロンショップ: https://genron.co.jp/shop/products/detail/224
批評家として、哲学者として、そして経営者として、 独自の思索と実践を積み重ねてきた東浩紀。 その震災以降の原稿から47のテクストを選び出し、 「世界のテーマパーク化」「慰霊と記憶」「批評の役割」を軸に配列した評論集。 世界がテーマパーク化する〈しかない〉時代に、人間が人間であることはいかにして可能か。
平成に併走した批評家が投げかける、令和時代の新しい航海図。
★送料無料キャンペーン実施中!★
ゲンロンショップでは、送料無料キャンペーンを実施しています! 6/10(月)24時までのご予約で国内送料無料! たくさんのご予約をお待ちしております! https://genron.co.jp/shop/products/detail/224
★『テーマパーク化する地球』を手に入れるなら、ゲンロン友の会 第9期への入会が圧倒的にお得!★
ゲンロン友の会 第9期会員のみなさまに、批評誌『ゲンロン』1冊と、対象となるお好きな単行本2冊をお届けします! また、月刊ウェブ批評誌『ゲンロンβ』を9期会期中に発行された計12号を読むことができますし、ゲンロンカフェ、スクール優待など、特典盛りだくさんです! 『テーマパーク化する地球』発売直前の今だからこそ、ぜひゲンロン友の会 第9期への入会をご検討ください! https://genron.co.jp/shop/products/detail/183
★『テーマパーク化する地球』刊行記念イベント開催決定!★
『テーマパーク化する地球』祝刊行記念!「ゲンロンを経営してきたこの8年間」の軌跡について、東浩紀が語りつくします! 大変ご好評につき、本イベントの会場チケットは発売日に即日完売となりました。当日はイベントの模様をニコニコ生放送にて完全中継いたします!ぜひ『テーマパーク化する地球』をお手元に、放送をお楽しみください!
◆6/14(金)19:00- 東浩紀 「東浩紀がいま考えていること ――『テーマパーク化する地球』刊行記念」 https://live.nicovideo.jp/watch/lv320111785
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★梅原猛インタビュー電子書籍販売開始!★
2019年1月、哲学者の梅原猛氏が93歳で亡くなられました。 東日本大震災の翌年、東浩紀が聞き手となって梅原猛氏のインタビューが収録されました。 震災と原発事故に対する思いに始まり、梅原氏の哲学的来歴、そして洋の東西を超えた「人類哲学」の構想について、46歳の年齢差を超えて交わされた対話。そこには氏の思想の根底にある人間観・文明観が語られています。
2万字のロングインタビューに加え、東浩紀による追悼文と著作紹介を収録。ぜひご覧ください。
『草木の生起する国: 梅原猛インタビュー』梅原猛、東浩紀 https://amzn.to/2wbu0j8 定価250円+税
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★『新記号論』絶賛販売中!!★
『新記号論 脳とメディアが出会うとき』 石田英敬+東浩紀(ゲンロン叢書002)
ゲンロンカフェ発 伝説の白熱講義を完全収録! 「脳とメディアが出会うとき――記号論は新たに生まれ変わる!」
『新記号論』はこのたび3刷の発行が決定いたしました。3刷出来は5月末を予定しております。
[物理書籍版] https://genron.co.jp/shop/products/detail/215 [電子書籍(ePub)版] https://genron.co.jp/shop/products/detail/220
『新記号論 脳とメディアが出会うとき』特設ページはコチラ! https://genron-tomonokai.com/shinkigouron/
本書第2講義の無料試し読みページもございます! 「デジタル時代の夢と権力――『夢の危機』と『夢見る権利』」 https://genron-tomonokai.com/shinkigouron/no1/
『新記号論』のベースとなった石田英敬氏によるゲンロンカフェのイベント全3回のVimeoアーカイブ動画を、 お得なセットで販売中! 通常レンタル価格¥1,800→¥1,500(ご購入は¥3,600→¥3,000)とたいへんお買い得です!
書籍と相互補完する超充実の内容です。お見逃しなく! https://vimeo.com/ondemand/genronshinkigou
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★ゲンロン 大森望 SF創作講座 第3期 終了!★
ゲンロン 大森望 SF創作講座 第3期 は先週5/17(金)に、第3回 ゲンロンSF新人賞選考会(最終講評会)が行われ、これをもってすべての課程が終了いたしました!受講生のみなさま、1年間お疲れさまでした! 第3回 ゲンロンSF新人賞 正賞は、琴柱遥さん「父たちの荒野」に決定いたしました!おめでとうございます! また優秀賞は斧田小夜さん「バックファイア」、東浩紀賞は伊藤元晴さん「猫を読む」、大森望賞は進藤尚典さん「推しの三原則」にそれぞれ決定いたしました!おめでとうございます!
琴柱遥さんの最優秀賞作品は、『ゲンロン11』(2020年刊行予定)に掲載されます。こちらもお楽しみに!
受講生が提出しました最終課題は以下のサイトからご覧になれます。 最終課題:ゲンロンSF新人賞【実作】 https://school.genron.co.jp/works/sf/2018/subjects/11/
当日の講評会の模様は、以下のリンクからご視聴いただけます。 ニコ生: http://live.nicovideo.jp/watch/lv319950244 Youtube: https://www.youtube.com/watch?v=BZi1_HbUdDQ (ニコニコ生放送は5/24(金)まで、Youtubeは無期限で、それぞれ無料でご視聴いただけます。)
第3回 ゲンロンSF新人賞選考会(最終講評会) https://genron-cafe.jp/event/20190517/
ゲンロンスクールは今年もたくさんの受講生、聴講生のご応募をいただきました。ありがとうございます。 マンガ教室、SF創作講座ともにただいま開講準備中です。開講までいましばらくお待ちください。
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それでは以下、今週のカフェ&編集部からのお知らせです。
◆◇ ゲンロンカフェからのお知らせ  ◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◇◇ 発売中の会場チケット ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆5/22(水)19:00- 堀内進之介×塚越健司×柳亨英 「どのヒーローが称賛に値するのか? ――『アメコミヒーローの倫理学』刊行記念イベント」 https://peatix.com/event/653185
◆5/23(木)19:00- 大山顕×石川初×速水健朗×東浩紀 「大山顕のすべて ――『立体交差』刊行記念&『スマホの写真論』単行本化カウントダウンイベント」 https://peatix.com/event/639485 こちらのイベントの生放送は以下のページからご視聴いただけます。 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319709160
◆5/29(水)19:00- 菊地成孔×高見一樹×松村正人 「『前衛音楽入門』刊行記念イベント」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #18】 https://peatix.com/event/651395
★New!★ ◆6/4(火)19:00- 五十嵐太郎×加藤耕一 「ノートルダム大聖堂をいかに再建するか ――リノベーションの創造性を考える」 https://peatix.com/event/669684
★満員御礼!★ ◆6/14(金)19:00- 東浩紀 「東浩紀がいま考えていること ――『テーマパーク化する地球』刊行記念」 https://peatix.com/event/679300 こちらのイベントの生放送は以下のページからご視聴いただけます。 https://live.nicovideo.jp/watch/lv320111785
★New!★ ◆6/19(水)19:00- 平倉圭×大谷能生×山縣太一(オフィスマウンテン) 「俳優の身体には何が宿るのか? ――『身体と言葉:舞台に立つために 山縣太一の「演劇」メソッド』刊行記念イベント」 https://peatix.com/event/666370
◇◇ 今週・来週の放送情報 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆5/22(水)19:00- 【生放送】堀内進之介×塚越健司×柳亨英 「どのヒーローが称賛に値するのか? ――『アメコミヒーローの倫理学』刊行イベント」 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319820527
◆5/23(木)13:00- 【再放送】大山顕×本田晃子×上田洋子 「ユートピアと日常の共産主義建築 ――地下鉄、団地、チェルノブイリ」 (2017/2/15収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163057
◆5/23(木)19:00- 【生放送】大山顕×石川初×速水健朗×東浩紀 「大山顕のすべて ――『立体交差』刊行記念&『スマホの写真論』単行本化カウントダウン」 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319709160
◆5/24(金)13:00- 【再放送】川島素晴×木石岳×藤倉大 「現代音楽のポピュラリティ」 【現音カフェ #2】 (2018/10/30収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163143
◆5/24(金)18:00- 【再放送】菊地成孔×佐々木敦 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #10】 「音楽/時/空間」 (2018/8/30収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163203
◆5/28(火)18:00- 【再放送】平沢進×斎藤環 「平沢進・徹底解剖!」 【ゲンロンカフェ@VOLVO STUDIO AOYAMA #16】 (2019/2/13収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163726
◆5/29(水)19:00- 【生放送】菊地成孔×高見一樹×松村正人 「『前衛音楽入門』刊行記念イベント」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #18】 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319822665
◆5/30(木)13:00- 【再放送】津田大介×東浩紀 「あいちトリエンナーレと芸術の現在」 【ゲンロンカフェ@VOLVO STUDIO AOYAMA#3】 (2018/1/28収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163320
◆5/30(木)18:00- 【再放送】勝川俊雄×鈴木智彦「ゆれ動く日本の水産業と食文化を考える ――豊洲市場移転、漁業法改正…そして、サカナとヤクザ」 (2019/1/29収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163436
◆5/31(金)13:00- 【再放送】五十嵐太郎×海野聡「建築にとって日本とはなにか ――海野聡『建物が語る日本の歴史』(吉川弘文館)刊行記念イベント」 (2018/8/3収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163488
◆5/31(金)18:00- 【再放送】五十嵐太郎×さやわか×大澤聡+東浩紀 「メディア/都市/コンテンツ ――『1990年代論』から考える」 (2017/10/6収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163545
◇◇ 現在視聴可能なタイムシフト ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆5/21(火)23:59まで 【生放送】片山杜秀×岡田暁生 司会=山本貴光 「クラシック音楽から考える日本近現代史 ――『鬼子の歌』刊行記念イベント」 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319568843
◆5/22(水)23:59まで 【再放送】糸谷哲郎×佐藤天彦×戸谷洋志 「将棋、哲学、人間(あるいは人工知能) ――『僕らの哲学的対話 棋士と哲学者』刊行記念」 (2019/2/25収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv319951556
◆5/23(木)23:59まで 【再放送】大山顕×東浩紀 「都市と道の写真論」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #6】 (2018/4/22収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv319952192
◆5/23(木)23:59まで 【3刷決定!緊急再放送!】石田英敬×津田大介×東浩紀 「脳とメディアが広告と出会うとき ――『新記号論』刊行記念イベント第2弾」 (2019/4/20収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv319951916
◆5/24(金)23:59まで 【再放送】小川哲×飛浩隆×東浩紀×大森望 「日本SFの新たな地平」 【大森望のSF喫茶 #26】 (2018/7/6収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv319952849
◆5/26(日)23:59まで 【チャンネル会員限定・生放送】堀浩哉×黒瀬陽平 「作品を作る1 ――展示指導4」 【ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校 第5期 #5】 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319698470
◆5/28(火)23:59まで 【再放送】井上智洋×楠正憲 司会=塚越健司 「仮想通貨と人工知能 ――技術は経済を変えるのか?」 https://live.nicovideo.jp/watch/lv320162983
※ご視聴は23:59まで可能ですが、ご購入いただけるのは視聴終了日の18:00までです。ご注意ください。
◇◇ 今週のおすすめアーカイブ動画  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆【vimeo】さやわか×黒瀬陽平×東浩紀 「ゲームとアートは出会うのか ――『ゲンロン8 ゲームの時代』刊行記念イベント #3」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #11】 https://vimeo.com/ondemand/genron20180913 (2018/9/13収録)
◆【vimeo】佐々木敦×綾門優季×小田尚稔×額田大志 「現代日本演劇の新潮流 ――テクストと、その上演」 【ニッポンの演劇 #11】 https://vimeo.com/ondemand/genron20180402 (2018/4/2収録)
◆【vimeo】大澤真幸×吉川浩満×東浩紀 「いま、人間とはなにか? ――『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』刊行記念イベント」 https://vimeo.com/ondemand/genron20181009 (2018/10/9収録)
★ゲンロンカフェ Vimeo On Demand 公開動画一覧 https://bit.ly/2sybMGS
◆◇ 五反田アトリエからのお知らせ  ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇
ゲンロン カオス*ラウンジ 五反田アトリエでは、次回展示企画の準備中です。 五反田アトリエの最新の展覧会情報やアーカイブは、カオス*ラウンジの公式webサイトをご確認ください。 http://chaosxlounge.com/
(藤城嘘/カオス*ラウンジ)
◆◇ 編集部からのお知らせ  ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇
★東浩紀『テーマパーク化する地球』予約受付中! 「平成に併走した批評家が投げかける、令和時代の新しい航海図。」 Amazon: https://t.co/ruJvGJE0HT ゲンロンショップ: https://genron.co.jp/shop/products/detail/224 ゲンロンショップでは、送料無料キャンペーンを実施しています! 6/10(月)24時までのご予約で国内送料無料です!
◆『ゲンロンβ37』配信日変更のお知らせ 毎月第3木曜日にお届けしている『ゲンロンβ』ですが、2019年5月配信の『ゲンロンβ37』を5月30日配信に変更いたします。 これからも毎号充実の内容をお届けいたしますので、ご理解のほどをよろしくお願いいたします。
◆ウェブ批評誌『ゲンロンβ』配信日変更のお知らせ 毎月第3金曜日にお届けしている『ゲンロンβ』ですが、2019年4月から、配信日を第3木曜日に変更いたします。 これからも毎号充実の内容をお届けいたしますので、ご理解のほどをよろしくお願いいたします。 →最新号『ゲンロンβ36』はこちら! https://genron.co.jp/shop/products/detail/223
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◆「ゲンロン友の声」サイト、質問募集中です! 知られざるTumblrサイト「ゲンロン友の声」では、友の会会員のみなさまからお寄せいただいたご意見・ご質問に対して、 東浩紀をはじめとするスタッフがお返事を差し上げております。 最新の回答は、「『より良い憲法』を作るために必要なものとは?」です! https://tmblr.co/Zv9iRg2heIWYK ご要望などもお気軽に! http://genron-voices.tumblr.com/
◆◇ 東浩紀 執筆・出演情報  ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◆『AERA』の巻頭エッセイコーナー「eyes」に、東浩紀が連載中! 最新の記事は、東浩紀「令和は平成だけでなく昭和の負債も返さなければならない」です。 https://dot.asahi.com/aera/2019051500016.html
これまでの記事は朝日新聞のウェブサイト「.dot」で全文をお読みいただけます。 https://dot.asahi.com/keyword/%E6%9D%B1%E6%B5%A9%E7%B4%80/
◆KAI-YOU Premiumに東浩紀インタビュー「なぜ今、批評なのか 連載全5回」が掲載されています!最新の記事はこちらです。 Vol.5 次の時代を虚しくしないために https://premium.kai-you.net/article/21
これまでの記事はKAI-YOU Premiumからお読みいただけます。 https://premium.kai-you.net/series/azumahiroki
◆FINDERSに東浩紀インタビュー「東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間 前後編」が掲載されています! 思想・哲学をビジネスにするにあたって「ゲンロンがしないこと」は何だったか。東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間【前編】 https://finders.me/articles.php?id=858 なぜ組織をゼロから再構築しなければならなかったのか。東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間【後編】 https://finders.me/articles.php?id=859
◆河出書房新社より東浩紀『ゆるく考える』発売中! いつの間にか中小企業ゲンロンのオヤジ経営者になっていた。 人生の選択肢は無限だ。ゆるく、ラジカルにゆるく。東浩紀のエッセイ集! http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309027449/
◆◇ その他のお知らせ ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
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◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
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kanabass · 2 years
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2022/3〜演奏予定
いつも見てくださっている方も初めて見てくださる方もご訪問ありがとうございます^^ まだまだ寒い日が続きますね。。もうそろそろ、春にむけて、あったかくなっていくと良いなぁ。! さてさて今月、来月のスケジュール更新です♪
3/1(火)19:00〜(jam session) w/森田純代(pf)月1恒例ジャム。みんなで楽しみましょう♪ 津島・くれよん
3/3(木)18:00頃〜(jam session) w/加島かおる(ds)水野修平(pf) 修平さんのスパルタを受けたい方、お待ちしてます♪ 新栄・ebony and ivory
3/9(水)19:00〜21:00閉店 【bois】w/森永理美(pf) 岐阜・BAGU
3/11(土)19:00〜(jam session)中止 w/舩尾真伊年(ds)永田倫大(pf) 和気藹々としたセッションです、今回特別に金曜開催です。 豊田・キーボード
3/12(土)18:30〜(inst) 神谷バンド w/神谷邦彦(ds)高橋秀司(gt)ノッキー中橋(pf)竹中優子(as) 岡崎でアットホームな夜になりそうです。 岡崎・SATIN DOLL
3/13(日)能楽堂ジャズ祭り(10:00〜)(inst) 神谷バンドにて出演(12:10〜12:50) 岡崎・能楽堂
3/19(土)20:30〜(inst and jam session) 【中丸雅史 還暦記念ライブ&セッション】 w/中丸雅史(pf)林宏樹(ds)後藤隼人(ts)長瀬良司(tp) 1年越し、みんなでお祝��しましょう! 四日市・veejay 
3/20(日)15:00〜(inst) 【Eclat】w/森田純代(pf)上野智子(ds)月一エクラ。 松阪・Serai   
3/21(月・祝)夜(inst) 音セレブ(w/松本コウgt  佐藤暁彦ds) 朗読と音楽のコラボなど、みどころいっぱいのライブです。 恵那市図書館
3/23(水)19:00〜 水野修平 duo 覚王山・star☆eyes
3/26(土)19:00〜(inst) w/竹中優子(as)水野修平(pf)館岡紅介(tp)舩尾真伊年(ds) クインテット編成で2回目の演奏、修平さんアレンジたくさん演ります! 豊田・キーボード
3/27(日)詳細不明(inst) w/松本コウgt 佐藤暁彦ds 刈谷・洲原公園 
4/1(金)19:30〜(inst) w/竹中優子(as)水野修平(pf)館岡紅介(tp)舩尾真伊年(ds) クインテット編成で、修平さんアレンジたくさん演ります! 新栄・swing
4/2(土)19:00〜(vocal) w/川鰭祐子(vo)藤井孝紀(pf) 岐阜市・水の音 素敵なギャラリーでの演奏です。
4/5(火)19:00〜(jamsession) w/森田純代(pf) 月1恒例ジャム。みんなで楽しみましょう♪ 津島・くれよん
4/8(金)19:00〜(inst) 【4 tp session】w/館岡紅介 平手裕紀 三上貴大 中田博之(以上tp)他 豪華で賑やかなサウンドになりそうです! 覚王山・star☆eyes
4/13(水)20:00〜(vocal) w/藤井孝紀(pf)他 岐阜・BAGU
4/15(金)19:00頃〜(jam session) w/加島かおる(ds)水野修平(pf) 修平さんのスパルタを受けたい方、お待ちしてます♪ 新栄・ebony and ivory
4/17(日)15:00〜(inst) Eclat(森田純代(pf)上野智子(ds)林かな(ba)) 月1エクラ。 鈴鹿・carrera(鈴鹿市江島台2丁目2-1 080-6970-0187)
4/24(日)15:00〜(inst&vocal) w/竹中優子(as)近藤有輝(pf)黒田敦司(ds,vo) くろちゃんのソウルフルな歌をお楽しみに。 津島・くれよん
4/27(水)20:00〜(vocal) w/はやみまき(vo)藤井孝紀(pf)小森淳(gt)猿渡泰幸(ds) まきさんの落ち着いた歌でリラックスできます。 岐阜・BAGU
4/30(土)20:00(vocal) w/柚希(vo)近藤有輝(pf) 年末に行った配信ライブのメンバーでの生ライブが実現します。 池下・Tenderly(池下1-3-1パックス池下ビル8F) 今月もどこかでお会いできます様に!
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バンドの周年記念にいただいたお花🌸に癒されています♪
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cosmicc-blues · 3 years
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2021/7/31
お昼近くまでよく眠って目が覚める。今日という一日をどうしていこうか。じぶんはいま何を欲しているのか。そんなことを考えながらシャワーを浴びる。何カ月もまえから久しぶりに食べたいと思っていたP店のYさんが修行したM店のことがあたまにちらつく。場所がら土日の営業が少なくて、日祝は休み、土曜も隔週でしか営業していない。調べてみると、どうやら今日は営業している。今日という日の柱が決まる。それから、映画に行きたくて行きたくてしかたのない気持ちもずっとある。夏を存分に味わいたいから夕方から始まるようないい映画はないものか。このあいだの日曜の宵に観た前田陽一の『喜劇 日本列島震度0』は格別だった。夏は映画を観られなさすぎる。各館の上映を調べてみると、ついに遭遇を果たせそうな映画がある。4時間15分という時間がネックになってなかなか観られなかった濱口竜介の『親密さ』が17時20分から。今日という日の二本柱が決まる。柱さえ決まってしまえば、今日という日の諸瞬間は自ずと充実してくる。柱という目的はつまらないものだけれど、柱のあるお陰で、残りのことはあれこれと迷わずにそれ自体を感化できる。熱気球や、草木の踊りや、影や、他愛のない人々・動物・昆虫たちの所作や、蜘蛛の巣の発する閃光や、それに類似する様々な光線の在り方や、雲の動きとそれに相関する陰翳といったようなもの。ふたつの柱、旅のはじまりと旅のおわり、これさえ決まってしまえば、そのあいだの移動の時間は自ずと剥き出しのそれ自体になる。
ほんとうに最高だ。ふと、気がつくとあらゆるものに夢中になっているじぶんがいる。何も考える余地もなく、向こう側にからだが投げ出されている。
M店の大辛。M店にはP店の類い稀な繊細がないけれど、それだけに猛々しさがある。この猛々しさに振り乱されながら、どうにか食らいついていくように、���闘するように食べるていく��とがM店の醍醐味かもしれない。めっちゃ美味しいうえに清々しい汗を掻いてとってもいい気持ち。ごちそうさまでした!
地図をひらいてみると、近くにオリンピック会場の国立競技場があるから行ってみることにする。会場側へ繋いでいる歩道橋を渡りながら探知してみると、なんと、なんと、赤色がでる。うひょーーー!!!! きたきたきたーーーー!!!! 会場周辺は交通規制が幾重にも張り巡らされていて、国立競技場はたぶん封鎖されている。それでも道がだだっ広いからどうにか抜けられそうな感じがして、警察官が脇見している隙をついて、ひゅっと規制の先に身を参じる。それからはコソコソせず、あえて堂々と振る舞う。これは鉄則だ。警察官ではない警備スタッフみたいなひととすれ違い、お疲れ様でーすと自然な感じで声をかける。向こうは一瞬戸惑いながらも、お疲れ様でーす。そしたら、さっきの警察官が走って追いかけてきて万事休す。手荷物検査と職務質問が始まる。ひとまず全然気づきませんでしたーってすっ呆ける。手に持っていた「ばけたん」を示して、これはなに? と聞いてくるから、お化け探知機ですとも言えず、咄嗟に檸檬ですってボケてみるものの、はい? まったくボケが通じないから、お守りみたいなものですって言い直す。無事に解放され、ついでに明治神宮ってどうやって行けばいいですかって道を尋ねる、線路沿いを真っすぐ行けば門があるよ、ありがとうございまーす。
入口の門に続くという線路沿いの一本道を歩いていると、セミの鳴声が一切ないことに気がつく、大きな街路樹がずーっと連なっている並木道なのにもかかわらず。歩きながら探知してみると連続で水色がでる。明治神宮の門をくぐると、明らかに空気がちがう。大きな樹々の繁る参道には涼感のある空気が流れている。探知は、水色、水色、緑色、水色みたいな感じ。樹々の緑の隙間からストロボライトのように木漏れ日が降ってくる。本殿のまえでも水色が二連続。なんか、もはや、機能うんぬんより「ばけたん」が色んな色に発光することそれ自体が喜ばしい。単に光を見ることが好きだから。清正の井戸というところに行ってみたかったけども、いまは何故か閉鎖されている。そのまま神宮を抜けて駅に向かう。
濱口竜介の『親密さ』。今日の上映は指定席らしく、座席表をみてびっくり、大入りでほとんどの席が埋まっている。二列目の真ん中が空いているから、そこにする。上映まで少しだけ時間があり、夏を感じるためにいったん外にでる。線路を渡す橋の上をうろうろ、探知してみると4連続くらい水色がでる。
『親密さ』とんでもない映画だった。またしても、じぶんの映画史が根底から更新されるような、そんな映画的体験で、じぶんはこの映画に出会うためにここまで生きてきたんだと思う。この映画の発する全てを余すことなく受け止められたじぶんを誇りたい、そんな気分だ。たとえば『コントラ』は一部のひとに観てもらいたいと強く思ったけども、『親密さ』は全人類に観てもらいたい。それはこの映画が、私たちが常々それを欲している〈愛〉にまつわる映画だからだ。
・あなたは私ですか? いいえ、私はあなたではありません。
・映画を支える5つの詩編
 ①言葉のダイヤグラム
 ②質問
 ③花火
 ④魂
 ⑤暴力と選択
『質問』は、世界中のひとたちにひとつ質問をできるとしたら、どんな質問をしますか? ってテーゼから始まり、質問が羅列されてゆく。最初のほうは「あなたのことを教えて下さい」タイプの質問で、それが本質的な方向に推移してゆき、その臨界点において質問の方向性が変わる。つまり「あなたは私のことをどう思っていますか?」タイプの質問になり、それが本質的な方向に推移してゆき、その臨界点において「いっそのこと私のことを愛して下さい」というお願いに変わり、いけない、これは質問ではありませんねってところで詩が終わる。
『花火』は、あなたに近づくための言葉がなくなって、しけった花火のように、私の魂もしけったよう。あなたの中に私の言葉が打ち上がらず、魂を点火できない私の言葉は、地面にころがって、たまっていく。あなたに届かず、地面にたまった私の言葉は、最後に、あなたの線香花火に引火して、小さなはじまりのような爆発を起こす。その爆発はいまも私の身体に響いていて、いつのまにか、しけっているようだった私の魂に火が灯っている。こんな感じのニュアンス。
『魂』は、私たちの魂は海からコップで掬われたひとつびとつのようなものってテーゼから始まり、海にいるときはみんないっしょだったのに、コップに掬われて孤独になった魂たちと結ばれる。魂はコップ(=からだ)の存在を疎ましく思う。魂はからだの外に出たいと思う。でも、そんな望みは叶わない。それでも魂は同胞への愛着をどうにか伝えたい。そんなとき、はじめて疎ましく思われたからだを使うことを思い立つ。そのからだを使って、微笑んでみる。手を振ってみる。相手のからだに触れてみる。そんな感じのニュアンス。
『暴力と選択』は、暴力とは選択肢を奪うことだというテーゼから始まり、暴力と選択という視点から暴力ということの理解を深めてゆく。具体的に身体的な暴力から、抽象的に社会的な暴力へと推移してゆく。けれども、暴力は単にそれが発せられただけでは完全な暴力ではなく、それは暴力の胞子に過ぎないことが示唆され、暴力はその受け手がそれを暴力とみなして受粉させる限りにおいてはじめて完全な暴力となる、というような言葉が発せられる。暴力の受け手にはいまだ選択の余地が残されている、受け手が被害者として暴力の胞子を受粉したときに、それははじめて完全なる暴力になる。こんな感じのニュアンス。
・劇外の恋人同士。(a-e)
・劇内の生き別れの兄妹。(a-k〈≠e)
はじめは恋人同士が生き別れの兄妹を演じるつもりだったのが、どちらとも演出にまわるべきだとなり、けれども兄役の演者が演劇を離れて戦地に行くことになって、兄役にaだけが戻ってくる。eは戦地に赴いてゆく降りた兄役に別れの間際、ほんとうは抱きしめたいと言う。きみが戦地に行ってしまっても私たちは関係している、関係ないなんて思わないでってことを明確に言葉で伝える。
劇外のaも劇内のaもフェルナンド・ぺソア的な内面が空っぽな人間として演じられる。eはそんなaのことが大好きで、aのことを尊敬している。ほんとうはちゃんと書きたいし、事細かに追っていきたいけれど、言葉は偏るし、時間が許さないからすっ飛ばす、eと妹役は空っぽの兄役の積極的な外在性だ。だから、からだの動きがとても充実している。kは再開したaに抱きしめてもいい? ―それはなんか違うだろ。
劇内のaはあくまでも代役であり、eは客席から劇を見守る立場になり、本来eのいる位置にはkがいて、映画の中心が微妙に逸らされるような具合になる。劇内でもそんなふうに主役が移り変わってゆき、中心から常にどこかに逸れている。
・この社会で生きていくためには様々な情報を処理していかなければならないけれど、私たちやこの世界は情報ではない。
・壮大な長回しと小津的な交わらない瞳のカット。
そんな諸所が、映画史上もっとも感動的なラストシーンとして結実する。それを目撃しているじぶんは、じぶんのからだから海が漏れ出ていることを知る。
『言葉のダイヤグラム』
言葉は想像力を運ぶ電車です
日本中どこまでも想像力を運ぶ
「私たち」という路線図
 一個の私は 想像力が乗り降りする
一つ一つの駅みたいなもので
 どんな小さな駅にも止まる
各停みたいな言葉もあれば
 仕事をしやすくしてくれる
急行みたいな言葉もあるし
 わかる人にしかわからない
快速みたいな言葉もあって
 一番言葉の集まる駅にしか止まらない
新幹線みたいな言葉もあります
 地下の暗闇を走る言葉もあります
地下から地下へ受け渡される
よこしまな想像力たち
 でも時折 地下から地上に顔を出して
ビルの谷間をくぐるとき 不意の太陽が
無理矢理たてじまに変えようとするから
想像力は眉をしかめたりします
 ときどき 届くのが速いほど
言葉は便利な 大事なものに思えます
だけど ほんとうに大事なのは
 想像力が降りるべき駅で降りること
次に乗り込むべき言葉に乗ること
ただそれだけです だから
 ダイアグラムの都合から
ぎゅうぎゅう詰めの急行と
すっかすかの各停が
同じ時刻に出発して
 ほんの一瞬 同じ速さで走るとき
急行の中の想像力がうらやましげに
各停をながめることもあるのです
 2012年には
東京メトロ副都心線と
東急東横線がつながるみたいに
 今まではつながれなかった
あれもこれもつながるんだろうか
そんなことを想像しています 
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monqu1y · 3 years
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戦後の事件簿  「日本が受諾したポツダム宣言は、イギリス首相、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席の名において発された。ソ連は後から加わり追認した。中共は、抗戦相手ではなかった。大日本帝国の一部を形成する朝鮮半島の住民と内地の住民も、戦火を交える敵同士ではなかった。しかし、どこまでも敗戦革命にこだわる報道関係者たちは、中国や韓国や北朝鮮に戦勝国とウソをつかせたうえで、日本に対する理由のない非難と恐喝をするよう唆している。そして、韓国人や朝鮮人は本名を隠し日本人名を名乗っている。彼らの犯罪は、日本人による犯罪のように報道されるか、犯罪そのものが報道されない」という話を聞いた  図書館に行って朝鮮人の犯罪を調べたら、次のような記録が見つかった  1945年10月22日、大阿仁村事件が起こった。秋田県北秋田郡阿仁合町の阿仁鉱山で働いていた朝鮮人12名は、午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁村の伏影集落へ行き、共同管理の栗林に侵入し、栗を拾っていた所を村人に発見され、注意したところ乱闘となり、双方数名が負傷した。午後1時になると、約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧の為に急行した  1945年12月24日、生田警察署襲撃事件が起こった。午後9時頃、50名を超える朝鮮人の暴徒が「岡山の刑事を出せ」と叫びながら署内に侵入。署員を拳銃・日本刀・匕首を突きつけて軟禁した上で、岡山県警察部の捜査員を探し始めた。捜査員らが脱出に成功した一方で、暴徒によって署内の警察電話線が切断されたため、警察署は外部との連絡手段を絶たれてしまった。その後、事件を聞きつけた連合国軍部隊によって暴動が鎮圧された。襲撃以前、岡山市内にて7人組による拳銃強盗事件が発生しており、強盗犯を追って岡山県警の捜査官が神戸市まで出張にきていた。この捜査員に生田署が協力していたため、暴徒の襲撃を受けることになった。もっとも以下に挙げた資料には、確かに報復を仕掛けたのは朝鮮人の一団であったが、元の拳銃強盗事件の犯人が朝鮮人であったのかどうかまでは記されていない  1945年12月29日、直江津駅リンチ殺人事件が起こった。午後7時頃、新潟発大阪行の列車が国鉄信越本線黒井駅に到着した。3人組の朝鮮人が列車に乗車しようとしたが、満員のため乗車することが出来なかった。そこで彼らは列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところ、ある男性の乗客に阻まれたため、已む無くデッキにぶら下がり次の直江津駅まで行く破目になった。列車が直江津駅に到着すると、3人組は自分たちを阻んだ男性に対して、「乗降口から乗れないので仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのに何故妨害した」と詰め寄った。 男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、その男性を直江津駅のプラットホームに引きずり降ろし、駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した  1946年1月3日、富坂警察署襲撃事件が起こった。正午、春日町交差点において多くの不審者を乗せたトラック2台が富坂警察署方面へ向かうのを、交通整理にあたっていた警察官が発見、直ちに署に連絡した。連絡を受けてまもなく、例のトラックが富坂警察署に到着、警察官の制止を振り切って約80人の朝鮮人が署内に乱入し、留置中の在日朝鮮人の即時釈放を要求した。危険を察知した警部が警察電話を通じて、警備隊の応援を要請したところ、在日朝鮮人20人が電話室に乱入し占拠した。これにより外部との連絡が絶たれた。交渉にあたった署長は「朝鮮人は留置していない」と突っぱねたが、情報が漏れていたらしく、在日朝鮮人たちが留置場を探し始めた。これを阻止しようとした警察官に対して殴る蹴るの暴行を加えて負傷者を続出させた。在日朝鮮人はついに留置場を発見、中にいた容疑者を連れ出し、「署長は、朝鮮人は留置していないと我々を欺いた」と署長を責めた後、富坂警察署の前を通りかかったトラックを奪って逃走した  1946年1月9日、生田警察署襲撃事件が起こった。翌年、三宮ガード下で賭博団が検挙されたことを受け、30 - 40人の朝鮮人が犯人の奪還を目的に再度署内に侵入したが、この事件も進駐軍の協力を得て鎮圧し、首謀者3人を検挙した  1946年5月13日、長崎警察署襲撃事件が起こった。午前10時30分、280人の警官隊が一斉取締を開始し、日本人150人、朝鮮人26人、中国人6人を検挙、長崎警察署に連行した。その直後、在日本朝鮮人連盟や中国人団体が長崎警察署に押しかけ、被疑者の即時釈放を要求したが、署長は取調前の釈放はできないと拒否した。午後2時30分頃、朝鮮人や中国人など総勢約200人がバッドや鉄棒を持って長崎警察署を包囲���襲撃した。これにより警察官1人が死亡、10人が重軽傷を負った。その後、余勢をかって東浜町派出所や港町派出所も襲撃し、警察官に対し暴行を加えている  1946年8月5日、富山駅前派出所襲撃事件が起こった。午後6時50分頃、富山駅において闇米取り締りを実施し、朝鮮人3人を検挙した。しかし、それを見ていた朝鮮人2人が妨害し、3人を逃走させた。そのため自治隊員2人を公務執行妨害罪で逮捕し、富山駅前派出所に連行したところ、朝鮮人約30人が包囲し険悪な雰囲気となった。署に救援を頼んだが、その前に大乱闘となった。その直後に、救援隊が駆けつけて朝鮮人たちを実力で排除した。この乱闘で警察官1人が負傷した  1946年9月22日、坂町事件が起こった。午前0時50分頃、村上警察署の署員8人が坂町駅に赴き、ヤミ米の取締に当たった。署員が現れるや、約50人の朝鮮人・中国人は一斉に姿をかくした。警察官がホーム上に置き去りにされたヤミ米を押収しようとすると、「殴れ!」「叩け!」の叫び声を合図に襲いかかって来た。警察官が応戦している最中に列車が到着し、列車内から朝鮮人20人が下車し加勢、警察官に暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。この日の午後になり、「また、ヤミ米を運搬しようとしている」との情報が入った。警察官 10人が現場に向かい取り締まろうとしたところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた。金屋村警防団は警察官の応援に駆けつけたが、逆に鳶口や木刀を取り上げられて、彼等の武器にされる始末であった。その後、撤退命令が出たので、警察官等は一旦引き上げた。その後、進駐軍の新潟軍政部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならないこと」、「警察官のヤミ米取締を拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を言い渡した。軍政部のお墨付きが出たことで、警察は断固とした取締りが可能になり、12人が検挙された  1946年9月26日~29日、新潟日報社襲撃事件が起こった。在日本朝鮮人連盟などの朝鮮人16人が新潟日報社を訪れ、新潟日報社と読売新聞社の両社に対して、「坂町事件の報道に誤りがあると認め、ラジオ放送を通じて新潟県民に誤報であったという声明を出せ」と要求した。両社は「即答はできない」として、29日まで猶予してもらうことになった。その後読売新聞社は、9月28日になって譲歩し、誤報を認め謝罪記事を掲載することで話がついた。9月29日、朝鮮人16人が再度新潟日報社を訪れ、新潟日報社側の返答をせまった。新潟日報社は「警察の調査結果をまって善処する」と答え、彼等の要求を拒んだため、朝鮮人側は憤慨し、茶碗を投げつけたのを合図に一斉に暴れだし、社内の備品を破壊した。新潟警察署は、朝鮮人らを暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕した  1946年12月20日、首相官邸デモ事件が起こった。の全国大会では、約1万人の朝鮮人が結集した。日本共産党の徳田球一も出席しており、徳田球一の演説の後、生活権擁護の決議文を採択し、午後1時頃に集会は一旦終了した。午後1時30分、「朝鮮人虐殺政策絶対反対」「吉田内閣は日本の敵だ」といったプラカードを掲げてデモ行進を開始。午後2時頃に首相官邸前に差し掛かると、突如警察官の制止を無視して官邸正門前に殺到した。警官隊は侵入を阻止するため門を閉鎖しようとしたが、デモ隊は投石やプラカードを振り回すなどして暴れ、遂に首相官邸に侵入した。午後2時30分頃にアメリカ軍憲兵隊が出動し、まもなくデモ隊全員を解散させた。この事件で、警察官23人が重軽傷を負い、拳銃2丁が奪い取られた  1947年10月20日、尾花沢派出所襲撃事件が起こった。朝鮮人7人は警察によるヤミ米摘発の鬱憤を晴らすべく、派出所の襲撃を計画し、午後3時頃に楯岡警察署の尾花沢派出所に乗り込んだ。警察官が不在だったため、派出所内の器物を破壊し、門標を取り外した後引き揚げた。その後、外出から戻った警察官が、派出所内の惨状を見て驚き、直ちに署に連絡した。その直後、前述の朝鮮人7人と他の朝鮮人30人が派出所を取り囲み、火鉢を投げつけるなどの暴行を働いた。楯岡警察署は隣接の新庄警察署や進駐軍の応援も得て、29人を逮捕した  1948年4月23日~25日、阪神教育事件が起こった。9時、大阪府大阪城前の大手前公園で、朝鮮人学校弾圧反対人民大会が開催された。集会には在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余が集結した。16人の代表が選出され、大阪府庁舎で大阪府知事・赤間文三との交渉を行うことになった。12時30分、大阪府庁知事室において副知事と朝鮮人代表者16人との交渉が始まったが合意には至らず、15時になって在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余の中からシュプレヒコールが起こった。同時に50人余の青年が行動隊を編成し、スクラムを組んで大阪府庁前の阻止線を突破した。15時30分には行動隊に続いて、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も大阪府庁に暴力で突入し、3階までの廊下を占拠。副知事は警察官の誘導で、戦時中に作られていた地下道を通って脱出した。17時頃には群衆が知事室になだれ込み、ドアや調度品を破壊するといった行動に出る。日本共産党大阪地方委員会に派遣されていた増山太助は川上貫一衆議院議員とともに知事室に駆けつけたが、収拾がつかない状態だった。夜になって大阪城周辺の各所で在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人によってかがり火が焚かれ、朝連としては川上を代表として交渉の場を作ろうとした。しかしそこへアメリカ軍や武装警官が到着し、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人らと乱闘。在日朝鮮人のうち1人が死亡し20人が負傷した。警官側の負傷者は、31人だった。179人が騒擾罪で検挙された。4月25日には朝連や日本人約300人が南警察署に押しかけ逮捕者の釈放を要求したが、抗議に来た群衆に向けて警官隊が威嚇射撃を行い追い返した。翌4月26日に朝連は大阪東成区や旭区などで「朝鮮人学校弾圧反対人民大会」を開催。午後には朝鮮人代表者と赤間府知事との間で再度交渉が行われたが、15時40分に別室で待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と大手前公園に集結していた在日朝鮮人2万人の解散を指示。これに対し在日朝鮮人1600人のデモ隊が再び大阪府庁に向かい、武装警官隊の阻止線で投石を開始。武装警官隊は消防車に放水をさせ、デモ隊に突入し拳銃で発砲した。この衝突で当時16歳であった在日朝鮮人金太一が死亡する。検挙者は軍事裁判にかけられ、日本人9人と在日朝鮮人8人が重労働4年以下の判決を受けた。このうち当時の朝鮮総連の朴柱範兵庫県本部委員長は神戸刑務所に服役し、1949年11月25日に病気を理由に仮釈放されたが僅か数時間後に死亡した。事件解決後、大阪市警察局は、アメリカ陸軍第25師団司令部より感謝状が贈呈された。兵庫県非常事態宣言布告を報じた朝日新聞号外アイケルバーガー司令官の神戸視察を報じた神戸新聞10日に兵庫県知事・岸田幸雄は、朝鮮人学校に対して封鎖命令を発令。これを受けて14日に朝連は兵庫県庁を訪れ、岸田との交渉を要求した。言動はしばしば威圧的・脅迫的になった。4月23日に警官隊と米軍MPが朝鮮人学校灘校と東神戸校を封鎖すると、翌24日に封鎖に抗議する在日朝鮮人や日本人が兵庫県県庁前に集結。9時30分に兵庫県庁知事室で、岸田知事と神戸市長・小寺謙吉、検事正ら15人が朝鮮人学校閉鎖仮処分執行問題と在日朝鮮人の抗議集会対策を協議。協議が行われているとの情報は朝連にも伝わり、約100人の在日朝鮮人や日本人が兵庫県庁内に突入。知事応接室を占拠して備品などを破壊した後、壁を打ち破って知事室になだれ込み岸田知事やMPを拉致監禁するに至る。知事室に乱入した在日朝鮮人や日本人は電話線を切断して外部との連絡を絶ち、「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などを岸田知事に要求。半ば監禁状態にあって岸田は、17時に諸要求の受け入れを誓約。しかしその日の22時に岸田知事と吉川覚副知事・市丸検事正・田辺次席検事・出井兵庫県警察長・古山神戸市警察局長らが、占領軍兵庫県軍政部に召集され、23時に兵庫県軍政部が「非常事態宣言」を発令。軍政部の非常事態宣言によって兵庫県と神戸市の全警察官はアメリカ軍憲兵司令官の指揮下に入り、兵庫県庁への乱入者の徹底検挙命令と共に岸田知事が一旦受け入れた在日朝鮮人の要求への誓約を無効とした。25日早朝にMPと米軍憲兵司令官指揮下の警官による県庁乱入者の検挙を開始し、29日までに、1590人もしくは7295人 を検挙。日本共産党の神戸市議会議員・堀川一知も拘引された。4月28日には米軍軍政部の非常事態宣言も解除。検挙した者から主だった者を拘留し、23人を軍事裁判にかけた。唯一の日本人被告人だったは堀川は重労働10年の判決を受け、在日朝鮮人には最高重労働15年の判決が出されて刑期終了後は本国に強制送還されることになった  1948年10月11日~12日、評定河原事件が起こった。の10時から開会式が始まった。北朝鮮国旗の掲揚をめぐり仙台市警察が警告を発するなどのトラブルがあったが、1日目は特に混乱も無く終了した。2日目の10月12日は運動会が開かれた。国旗掲揚の代わりに国旗を頭上に捧げ持って行進したため、米軍の憲兵が行進の中止を命じた。その後、運動会は再開され、16時30分頃に閉会式が開かれた。そのとき、酒を飲んだ数人の朝鮮人が会場内に入って歌を歌い始めた。これに同調する者が次々と現れ、赤旗を掲げてデモ行進するなど不穏な空気に包まれた。その中で、北朝鮮国旗を持った一団がデモ行進をし、米軍憲兵の制止を無視し行進を続けたため、米軍憲兵は国旗を押収し、参加者4人を検挙した。その後の米軍憲兵隊の捜査で、更に2人が検挙された  1948年12月9日、宇部事件が起こった。約200名の朝鮮人が宇部市民会館に参集し生活擁護人民大会を開催していた際に、在日本朝鮮人連盟山口県本部委員長を進駐軍憲兵および警察隊が逮捕した。大会参加者は集団的に同被疑者を奪還しようとして警察側と衝突し、双方に多数の負傷者が出る騒ぎとなったが、警察側の発砲によって鎮圧された  1949年1月25日、益田事件が起こった。島根県美濃郡益田町の朝鮮人集落において密輸入物資が隠匿されているとの密告に基づき、進駐軍島根軍政部将校2名と経済調査官2名が同行して、令状なしで摘発に乗り出したが、「令状のない捜査は違法である」と拒否されたため、警察官10名が応援して違反物資を押収したが約100名の朝鮮人に奪還された。翌日、被疑者9名を検挙したものの、夜に入って約200名が警察署に押しかけて被疑者の釈放を要求し、署内に侵入しようとしたために警察官と乱闘になり48名が検挙された。逮捕されたもののうち9名が起訴され、騒乱罪で有罪となった  1949年4月6日~13日、枝川事件が起こった。午後6時頃、3人の捜査員は主犯を発見、逮捕しようとした。しかし主犯は別人を主張、周りの朝鮮人数人も捜査員を見ていたため、任意同行に切り替えた。そして、屋外に出ようとしたところ、主犯は捜査員を突き飛ばし、裸足のまま逃走した。捜査員は拳銃を3発威嚇発砲して制止しようとしたが、逃走を続けたため、遂に主犯に向けて発砲した。そしてなんとか逮捕することができたが、主犯はその際に負傷した。それを見ていた約40人の朝鮮人が「仲間を殺したやつは殺してしまえ」と捜査員2人に襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加え重軽傷を負わせた上に在日朝鮮人連盟の施設に連行した。もう1人の捜査員は、事態の重大性を察知し、近くの民家の電話を借りて枝川地区を所轄する深川警察署と月島警察署に通報した。まもなく深川警察署と月島警察署の応援部隊が在日朝鮮人連盟の枝川支部に急行したが、激しい抵抗にあい、警察側に負傷者を続出させたが、アメリカ軍憲兵隊が来ると急に態度を軟化させた。その後の交渉で朝鮮人側は暴行犯人の引渡しを確約したが、4月8日になっても引き渡さず、逆に捜査員の処分を求める有様であった。4月9日より、警察は枝川地区に架かる橋に検問所を設置、通行者全員に検問を開始した。それと並行して内偵調査を行った。その結果、警察官に暴行した容疑者が割り出されたため、4月13日に一斉捜査が行われ、容疑者5人が逮捕された。4月19日までに更に10人が逮捕された  1949年4月7日~11日、高田ドブロク事件が起こった。午前6時頃、取締部隊は朝鮮人集落に到着し一斉取締を開始した。早朝であったため、この取締そのものは整然と行われ、午前8時30分頃には引き上げた。午前10時40分頃から朝鮮人たちが高田市警察署に集結し始め、正午頃になると200人に膨れ上がり、検挙者の釈放を要求した。しかし警察側が断固拒否したため、警察署に向かって投石を行い窓ガラス十数枚を破損させた。4月8日も朝鮮人約200人が警察署前に集結し、釈放を要求した。4月9日正午、一人の朝鮮人女性が高田税務署に現れた。一人であったことから税務署を警備していた警察官も、一般の利用者と思って油断していたところ、あっという間に14・15人の朝鮮人女性が集まり、署長との面会を要求してきた。警備の警察官が退去を勧告したところ、「人殺し」と叫び座り込みをはじめた。午後1時になると多くの朝鮮人男性が押しかけ、税務署内に突入しようとしたので、小競り合いになり双方に負傷者を出した。4月10日、検挙者の自供により、高田市においても密造酒の醸造が行われていることが判明したため、在日朝鮮人連盟信越支部などを家宅捜査した。4月11日、約500人もの朝鮮人が高田市に集結、デモ行進を行った。彼らは市民に対して「警察が朝鮮人に対して不当な弾圧を加えている」「放火して高田市を灰にする」などと叫び牽制していた。ここに��り、警察もデモの首謀者12人を検挙したため、この事件も収束に向かい始めた  1949年6月2日~11日、本郷村事件が起こった。国家地方警察福井県本部若狭地区警察署の本郷派出所の警察官が朝鮮人地区の地図を作成したことについて、在日本朝鮮人連盟の幹部が抗議した。幹部は一旦戻り、在日朝鮮人70人を引き連れて、派出所を包囲した。そして中の警察官に暴行を加え、そのまま居座り続けた。若狭地区警察署は署員を急派したが、なおも居座り、6月4日になってようやく解散した。朝鮮人側は 暴行警察官の罷免 被害者に対する損害賠償 朝鮮人に対する謝罪 朝鮮人問題については、事前に朝連と連絡協議をすることなどを要求したが、警察は6月10日に朝鮮人2人を逮捕するために現地に向かった。待ち構えていた朝鮮人200人が、石や糞尿を投げつけて逮捕を妨害したが、なんとか強行突破し、2人を予定通り逮捕した。その後朝鮮人たちは、「民族弾圧、ファッショ警察の再現」と叫んで警察署前に居座ったり、「ファッシズム国警若狭地区警察の真相」と題するビラをばら撒くなど示威行動を続けた  1949年8月20日、下関事件[騒乱]が起こった。19日午後11時頃、朝連事務所前に約150人の在日朝鮮人が集結し、民団を非難する集会を開いた。集会そのものは特に問題なく終了したが、警備に当たっていた朝連の構成員と民団の構成員が路上で遭遇、乱闘となり、民団側が所持していた日本刀で朝連側に負傷者を出した。朝連は、これに報復すべく8月20日午前2時30分頃、構成員約200人を招集し、民団下関支部や民団構成員の自宅を襲撃した。そして被害家屋から金品を略奪するなどの狼藉を働いたあと解散した。このため、未明にも係らず市内は一時大混乱になった。下関市警察は、直ちに国家地方警察山口県本部に応援を要請した。国家地方警察は、自治体警察を含む山口県内の全警察に非常招集を発令、警察学校の学生をも動員した。県内各地から来る応援部隊の到着後、朝連や民団の施設を一斉に捜索を開始し、939 人の警察官のうち 14 人が負傷したが、73人を検挙した。翌日8月21日には、下関市警察と国家地方警察の合同による「下関事件合同警備本部」を設置するとともに、市内各所に検問所を設けて逃亡を阻止した。最終的に208人が検挙され、殺人未遂罪のほか、騒擾罪などで75人が起訴された  1950年3月20日、台東会館事件が起こった。10日午前9時、東京都の係官が台東会館に赴いた。警視庁では不測の事態に備えて多数の警察官を警戒に当たらせた。係官は会館を引き渡すよう命じたが、旧朝連はそれを無視したばかりか、投石を行い抵抗した。そのため、この日の接収は一旦取りやめになり、3月20日に再度接収を行うことになった。旧朝連側は接収予定日の前日から、会館入口にバリケードを設け、周辺道路を巡回して警戒していた。3月20日午前7時、係官が台東会館に入ろうとしたが妨害を受けた。そして、警戒に当たっていた警察官に向かって、石や唐辛子粉を投げつけて抵抗した。そのため警察は強行突入を断行し、朝鮮人119人を検挙した  1950年8月15日、連島町事件が起こった。1949年9月8日、GHQの指示を受けた法務府は告示第51号を出し、在日本朝聯と在日本朝鮮民主青年同盟に対し団体等規正令を適用して解散命令を下す。また朝鮮学校と民団総連も解散請求を受けた。これらの措置は在日朝鮮人の生活に直接の打撃を与えた。将来に不安を抱いた朝鮮人同胞らの中には、革命を叫んで公共施設を不法占拠し火炎瓶で武装した事件が起きた。こうした世情不安の中、岡山県浅口郡連島町で、朝鮮解放5周年を祝って約700名の朝鮮人が集まり集会を強行したため、これを制止しようとした警察と乱闘になり8名を検挙した。この事件で警察官15名が負傷した  1950年11月20日~27日、長田区役所襲撃事件[第二神戸事件]が起こった。午後1時、約200人の朝鮮人が神戸市長田区役所に押しかけた。要求は「市民税免除」と「生活保護の徹底」である。しかし区長がこれを認めなかったため、区長を軟禁状態にして騒ぎ出した。神戸市警察は直ちに出動、30人が逮捕された。11月24日午前11時、約300人の朝鮮人が再度長田区役所に押しかけ、区長との面談を要求した。区長が拒否したため、朝鮮人たちは区役所に乱入し、窓ガラス等を破壊した上、出動した警察官に対しても暴力を振るったため、不退去罪の現行犯として26人が逮捕された。11月27日朝、24日に逮捕された仲間の奪還などを求め、姫路市、明石市、尼崎市などから約600人の朝鮮人が神戸に向かっているとの情報が警察にもたらされた。警察は甲号非常招集を発令、神戸市警察および国家警察兵庫県本部の警官約3000人に待機命令をかけた。長田区にある西神戸朝鮮人学校に神戸市在住の者も含め約千人の朝鮮人が集結。「祖国統一決起大会」を開催し、投石用の石や棍棒を用意するなど不穏な状勢となったため、正午頃に解散を命じたが、「犬め、殺してやる」「貴様等人民裁判にかけてやる」と暴言を吐いて命令を無視、午後3時20分頃には、学校から出てデモ行進を始めた。遂に警察は神戸市電湊川大橋停留所付近で検挙を開始したが、デモ隊は激しく抵抗し、約60人が逮捕された。その残党は新湊川沿いに北上、長田区役所や長田税務署を襲い、窓ガラスを割るなどした。最終的に179人が逮捕された  1951年1月23日、四日市事件が起こった。旧朝連四日市支部を接収しようとしたところ、居合わせた朝鮮人約20名が、器物やガラスの破片を投げつけたり、灰・唐辛子による目潰し攻撃をしたり、濃硫酸を浴びせて接収の妨害を行った事件。そのため、執行係官7名が全治2 - 3週間の重軽傷を負った。警察が出動して、公務執行妨害容疑で15名を検挙した  1951年3月7日、王子朝鮮人学校事件が起こった。当日、王子警察署は周辺の道路を封鎖し、同校生徒以外の群集の流入を阻止しようとしたが、群集はそれを無視し最終的に2000人が集まった。集会は午前10時から始まった。一方、学校外にいた群集が警察隊に対し、投石や唐辛子粉の噴霧など抵抗したため、ある警察官が付近の民家の2階から写真を撮ろうとした。しかしそれを見た群集が民家に乱入、その警察官に暴行を加え、カメラを破壊した。応援に来ていた蔵前警察署員が救出しようとしたが、逆に返り討ちにあい、重軽傷を負わされた上、拳銃や警棒などが奪われた。警視庁は、遂に群集を強制的に解散させることを決断、警官隊が校内に突入しようとした。群集は煉瓦や石を投げつけるなど強硬に抵抗したが、午後2時50分までに全員を校外に排除した。警察はこの事件で28人が重軽傷を負った  1951年6月13日、神奈川事件が起こった。横浜市神奈川区にある青木小学校分校において、神奈川県朝鮮人学校PTA連合運動会が開かれていたが、参加者の一人が警備をしていた警察官に対して暴力をふるったため、公務執行妨害で検挙しようとしたところ、これを妨害しようとして大乱闘となった。これにより、双方ともに数名の負傷者を出した。運動会終了後、約500名の在日朝鮮人が横浜市警察本部に殺到し、玄関前でスクラムを組んで奇声をあげた。 そのため、横浜市警は約1000名の警察官を動員し、公安条例違反容疑で28名を検挙した  1951年10月22日、下里村役場集団恐喝事件が起こった。下里村において、在日朝鮮人約200名が、「生活保護」「強制送還反対」の陳情をするために村役場に押しかけた  1951年12月1日、東成警察署襲撃事件が起こった。午前11時頃、朝鮮人たちは旧御幸森朝鮮人小学校に集まり、東成警察署までデモ行進した。その後、元御幸森朝鮮人学校に集合し、12時15分ごろ東成警察正門前に到着した。さらに同署の東方道路から約20名、南方道路から20名が殺到し気勢を上げて署内に突入しようとしたので、大阪市警視庁機動隊はそれを阻止した。その際デモ隊は、クロールピクリン酸入りサイダーびん3本、投石や唐辛子を投げつけて抵抗した。この事件で3人が公務執行妨害罪で逮捕された 。12月16日午後、不法デモをおこない3隊に分かれ、生野区、巽町の工場を襲撃した  1951年12月18日、日野事件が起こった。10月18日午前11時30分、滋賀県蒲生郡桜川村に、在日朝鮮統一民主戦線や祖国防衛隊のメンバーが集結し、自転車にスピーカーを取り付けて自転車デモを行おうとした。滋賀県公安条例の届出を出していない違法デモであった。国家地方警察滋賀県本部蒲生東地区警察署では、これを制止しようとしたが、デモ隊は強行突破し、日野町内に侵入した。デモ隊は日野郵便局前で「朝鮮人強制送還反対」「軍事基地化反対」などの演説を行った。その間、周辺在住の朝鮮人が集まり、ピケを張ったりバリケードを作ったりした。そして警官隊に棍棒で襲い掛かったため、公務執行妨害罪で20人が検挙された  1952年2月21日~23日。木造地区警察署襲撃事件が起こった。国家地方警察青森県本部木造地区警察署は、傷害容疑で在日朝鮮人2名を逮捕した。これに対し、在日朝鮮人数十人が検挙者の即時釈放を要求して連日署に押しかけた。2月23日に入り、在日朝鮮人約70名が署内への侵入を図って警備の警察官と揉み合いになり、警察署の玄関のガラス戸が破壊された。また同日午後7時、応援に駆けつけていた弘前地区警察署の署員11人が、国鉄五能線木造駅を警備していたところ、在日朝鮮人に取り囲まれ、警棒を奪われる事件も発生している  1952年3月26日~30日、多奈川町事件が起こった。以前より多奈川町警察は、隣接の国家地方警察泉南地区署の応援を得、幾度も朝鮮人による密造酒の摘発を行っていたが後を絶たず、増加するばかりであった  1952年3月24日、大阪国税局は、同局泉佐野税務署・大阪地方検察庁岸和田支部・国家地方警察泉南地区署と合同捜査会議を行い、一斉摘発を決定。同年3月26日午前5時40分ごろ、泉南地区署に、国税局員45名・検事1名・副検事1名・検察事務官12名・制服警察官50名の合同捜査チームが集合。10班に分かれ、トラック10台に分乗し、多奈川町9ヶ所、深日町1ヶ所、計10ヶ所の密造場所に向かう。納屋や豚小屋に偽装された密造工場の各所で、朝鮮人による抵抗に遭うも、検察庁職員によって容疑者の逮捕、国税局員によってドブロク・コウジ・蒸留機などの酒造器具を証拠品として差押さえるなどし、各班は逐次南海電気鉄道多奈川線多奈川駅前に集合。この時、婦女子を先頭にした朝鮮人約200人がトラックの前に座り込んだり、大きな石をいくつも道路上に置いて交通を妨害。これを排除しようとした警察官が激しい抵抗に遭っている間、手薄な警備に勢を得た朝鮮人の数はさらに増え、ついには「生活権」を訴える怒号に扇動された朝鮮人が「殺してしまえ」とわめきながらトラックに殺到し、タイヤの空気を抜く、窓ガラスを叩き割る、トラックの運転手を袋叩きにする、差押えた証拠品を叩き落して破壊・強奪する、被疑者を逃がすなどの暴挙に出た。 この危機を脱したトラック3台は集合場所の大阪拘置所に向かったものの、残る7台は駅前の国道で立ち往生となる。1個班につき警察官が5人と言う手薄な警備体制が招いた失敗であった。不測の事態を受けた合同捜査チーム総指揮官大坪検事及び泉南地区警察署長は、深日町警部派出所から国家地方警察大阪府本部に応援を要請。検挙は後日に譲ることとし、後日の検挙に備え多数の現場写真を撮影、道路上の妨害を排除しつつタイヤの空気を入れなおし、午前7時半ごろ、捜査チームは泉南地区署に引き揚げた。午前8時過ぎごろ、朝鮮人約30名が多奈川派出所に押しかけ「俺たちの生活をどうしてくれる」と抗議。間もなく代表者3名を残し引き揚げる。午前9時ごろ、取材に来ていた毎日新聞社大阪本社の記者がドブロク密造地区捜査取材のため多奈川派出所に向かう途中、朝鮮人の暴徒に囲まれて殴打され、石を投げつけられ、全治2週間の怪我を負う事件が発生。また、この騒ぎで城東税務署員も右手に怪我を負っている。事態を重く見た国家地方警察大阪府本部は27日・28日の2日間にわたり、現場証拠写真、現場に出動した警察官、第三者の証言から被疑者の割り出し、証拠収集にあたる。結果、被疑者17名を特定し、29日、暴力行為等処罰に関する法律違反、公務執行妨害および傷害ならびに酒税法違反容疑で逮捕状・捜査令状を大阪地検より受けた。同年3月30日午前2時、検事らをはじめ、大阪府下8地区署から制私服警官警察官・警察学校生徒など、約450名が大阪市城東区関目の大阪府警察学校に集結。午前5時すぎ、自動車・トラック約30台に分乗して多奈川町小田平、朝日、東、湊、深日町兵庫の5地区21ヶ所に急行し、逮捕、押収捜索にあたった。捜査員が被疑者を逮捕しようとした際、人糞を降りかけられる、手を噛まれる、水桶・たらい・マキなどを手当たり次第投げつけられる、クワ・こん棒などを振り回して暴れる、トウガラシの粉を投げて目潰し戦術に出るというようなことがあり、捜査員3名が打撲傷などを負ったが、前回ほどの組織的集団抵抗はみられなかった。この検挙の際、26日の暴行首謀者とされる3名が逃走。緊急逮捕を含む27名の逮捕者は取り調べののち、5名を釈放。残り25名を酒税法、公務執行妨害、傷害、業務妨害などの容疑で大阪地検に送庁、19名が起訴された。3月30日の検挙活動の際、朝鮮人1名が職務質問を受け逃走、追いついた警官ともみ合いになり拳銃の引き金が引かれ、弾が右腹部を貫通、重傷となり、数日後に死亡した  1952年5月1日、血のメーデー事件が起こった。GHQによる占領が解除されて3日後の、第23回���ーデーとなったこの日の中央メーデーは、警察予備隊についての「再軍備反対」とともに、「皇居前広場の開放」を決議していた。大会は午前10時20分ごろ開会され、途中、全学連を中心として人民広場への乱入を扇動しようとする乱入者が相次いだものの、午後0時10分に閉会し、同25分より、北部・東部・南部・中部・西部の各コースに分かれて、予定のデモ行進に移った。デモ行進の途上でも、人民広場への乱入を扇動しようとする試みが相次ぎ、一部のデモ隊は当初のコースから外れて投石などを行ったほか、西部コース指導者は人民広場への乱入を拒否したために暴行を受けるなどの混乱が生じたものの、最終的には午後2時から4時にかけて順次に予定の解散地点に到着し、解散した。しかし特に混乱が著しかった南部コースを中心として、日比谷公園で解散したデモ隊の一部は、その中の全学連と左翼系青年団体員に先導され、朝鮮人、日雇い労務者らの市民およそ2,500名がスクラムを組んで日比谷公園正門から出はじめた。警視庁は、会場や行進中には主催者の自主的統制に待つこととしていたが、5,600名の部隊を編成して雑踏警備にあたっていたほか、各署員1万名以上を待機させて即応体制を整えていた。日比谷交差点を通過して無届デモを開始した群衆に対して、まず丸の内警察署長以下60名が制止したが、投石や竹槍・棍棒による攻撃を受け、13名の負傷者を出した。デモ隊は外国人の自動車19台に投石して窓ガラスを次々に破壊しながら北上した。馬場先門においては、第一方面予備隊と三田・東京水上・高輪の3警察署による470名の部隊が警備にあたっていたが、方面予備隊の一部が拳銃および若干の催涙弾を装備していたほかは警棒を携帯しているのみであった。またデモ隊は極めて先鋭的であったことから、周囲の一般通行人への被害も憂慮した方面予備隊長は車道の警戒線を解き、デモ隊は皇居前広場になだれ込んだ。乱入したデモ隊は、二重橋正面で警備にあたる丸の内警察署員および増援の第一方面予備隊2個中隊に対して投石を開始した。祝田町警備巡査派出所ではボックスが押し倒され、警察官は袋叩きにされて拳銃を奪われた。警察部隊は催涙弾を使用して鎮圧にあたり、午後3時頃には暴徒を中央自動車道まで後退させ、にらみ合いの状態となった。しかしこの頃、桜門および祝田橋でも警戒線が突破されたことで暴徒は8,000名に増加した。警察側も逐次に予備隊を配置転換して体制を強化したが、暴徒との攻防は激しく、一部ではやむなく拳銃を使用した。この結果、暴徒が混乱に陥ったことから、警察側は体制を整えて一気に鎮圧を図り、午後3時40分までには暴徒の大部分を広場外に排除した。しかし広場外に排除された暴徒はその後もしつこく攻撃を繰り返し、祝田橋では第一方面予備隊の隊員4名が包囲され、角棒で乱打のうえで凱旋濠に投げ込まれ、更に投石を加えられた。また他の隊員4名も包囲されて同様の暴行を受けそうになり、拳銃の威嚇射撃でやっと難を逃れる状況であった。またこのほかにも、警察官への暴行が相次ぎ、拳銃を奪われる例もあった。午後3時50分頃には、桜門前濠端側に駐車されていた外国人自動車14台を転覆させて火を放ち、炎上させたほか、付近をサイドカーで通行していた交通第一課員を取り囲んで暴行を加え、サイドカーにも放火した。その消火のため出動した消防隊も投石や殴打を受けて13名が負傷、ホースも切り破られた。これらの暴徒も午後4時頃には離散しはじめたが、その後も有楽町巡査派出所が襲撃されたり、また一部は日比谷公園に逃げ込んで投石を続けていた。皇居前広場・日比谷公園が平静を取り戻したのは午後6時過ぎのことであった。これらの騒動の結果、デモ隊側は死者1名、重軽傷者約200名、警察側は負傷者832名を出す流血の惨事となった。当日は警察予備隊の出動も検討されていたが、一般警察力によって収拾されたため、出動を命じられるには至らなかった。 なお、この事件に出動した「予備隊」とは「警視庁予備隊」のことであり、後の機動隊である。警察予備隊のことではない
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 1952年5月12日~25日、大村収容所事件が起こった。法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した  1952年5月13日、広島地裁被疑者奪回事件が起こった。午後2時55分から広島地方裁判所第二号法廷で勾留理由開示を開くことになっていた。対象となった被疑者は、4月30日と5月1日に、国警広島県本部安佐地区署古市町駐在所と民家に、それぞれ火炎瓶を投げつけて放火した容疑で逮捕された朝鮮人4人であった。勾留理由開示は予定通りに開廷されたが、傍聴席には多くの朝鮮人が陣取り、赤旗や北朝鮮旗が掲げられるなど異様な雰囲気での開廷であった。閉廷直前の午後5時20分、傍聴席の朝鮮人約200人が被疑者と傍聴者を分ける柵を乗り越え、被疑者に手錠をかけようとした看守を妨害して、被疑者4人を奪還した。広島地方裁判所の事務室には、万が一の時のために広島市警察の警察官約70人が待機していたが、現場に駆けつけたときには、既に逃走された後だった  1952年5月26日、高田事件が起こった。民団愛知県本部の顧問は、北朝鮮系の在日朝鮮人の脅迫を受け続けてきた。同年3月には自宅を襲撃されたり、殺害予告のビラが貼られたりしていた。午前5時40分頃、北朝鮮系朝鮮人数十人が顧問宅に侵入、ドアやガラスを破壊したりするなどの狼藉を働いた。顧問は何とか逃げ出し、名古屋市警察瑞穂警察署高田派出所に助けを求めてきた。まもなく顧問を追跡してきた一団が高田派出所に押しかけ、備品を破壊したり火炎瓶を投入したりして焼き討ちした。顧問は警察官の誘導で裏口から退避し、道を隔てた高田小学校正門より用務員室に向かったが、追いつかれ暴行により全治10日の傷を負った  1952年5月31日、奈良警察官宅襲撃事件が起こった。25日、桜井町で民団磯城支部書記長が、旧朝連系の在日朝鮮人に襲われる桜井町事件が発生した。国家地方警察奈良県本部は犯人を検挙し、奈良地検に送致した。5月30日、奈良市警察に国警磯城地区警察署から「在日朝鮮人の一団が奈良市に向かっている」との連絡が入った。在日朝鮮人の一団が奈良地検に突入したため、奈良市警は実力で排除した。このことから、旧朝連系は奈良市警に反感を持つようになった。襲撃を受けた奈良市警の警察官宅は、桜井町事件が発生した桜井町に所在していた。5月31日、桜井町の奈良市警警備課巡査部長宅に約10名の在日朝鮮人が覆面姿で押しかけて戸を叩いた。巡査部長の父親が戸を開けたところ、いきなり暴行を加え意識不明の重体にした。そして窓ガラスや障子を破壊して逃走した  1952年5月31日~6月5日、万来町事件が起こった。当時、宇部市には約3100人の在日韓国・朝鮮人が居住しており、大半が生活保護受給者だったが、市当局は彼らが「日中ブラブラしていた」ことから、「潜在収入がある」として、生活保護費増額を見送っていた。朝鮮人側はこれに激昂し、以降、連日宇部市福祉事務所に押しかけ、市職員を吊るし上げた。6月3日になると約400人に達したため、宇部市警察は全職員を動員して対処したが、朝鮮人側はその隙をねらって、留守中の上宇部派出所を襲撃した。6月5日、宇部市万来町において、朝鮮人解放救援会山口県本部が「民主愛国青年同盟」を結成し、当日は県内各地から朝鮮人が多数集結した。うち約70人が午前11時に宇部興産の工場に乱入、守衛を殴打し、電話線を切断するなどの行為をおこなった。続いて民団の団員宅を襲撃した後、引き揚げた。警察は襲撃犯を逮捕するため、午後2時に解放救援会事務所を包囲した。警察は解散を呼びかけたが、朝鮮人側は投石などの手段で抵抗した。午後3時半より警察は実力行使を開始し、午後4時からは催涙ガス弾も導入してようやく鎮圧した  1952年6月10日、島津三条工場事件が起こった。午後4時頃、トラックに乗った祖国防衛隊所属の在日朝鮮人約50人が、京都市中京区にある島津製作所三条工場に押しかけ、守衛の制止を振り切って中に突入、破防法反対のアジ演説を行った。工場側の要請を受けた京都市警察堀川警察署の署員約15人が現場に急行、五十代くらいの朝鮮人が妨害したため、ただちに検挙し京都市警南部警邏隊のパトカーに収容した。すると、付近にいた朝鮮人約100人が騒ぎ出した。パトカーがサイレンを鳴らして発進し、春日通三条にさしかかったとき、多数の朝鮮人が前に立ちふさがり、車内に火炎瓶を投げ込んだ。パトカーはたちまち火の車となり、道を大きくそれて京都市バスの車庫に入り込み、バスに激突した。乗っていた8人の警察官は重軽傷を負った。検挙者も火傷を負ったが逃げおおせることに成功した  1952年6月13日、醒井事件が起こった。滋賀県坂田郡醒井村では、民団系と在日朝鮮統一民主戦線系の在日韓国・朝鮮人間で対立が起きており、10日と6月11日の2日連続で乱闘事件が起きていた。午前5時頃、国家地方警察滋賀県本部坂田地区警察署の警察官は、被疑者逮捕のために現地に向かったが、朝鮮人は事前に察知し、ピケを張るなどして自宅に立て篭った。朝鮮人側が、投石や棍棒を投げつけるなど被疑者の逮捕を妨害したため大乱闘となったが、警察はこれを鎮圧し公務執行妨害罪で48人を逮捕した  1952年7月7日、大須事件が起こった。日本社会党の帆足計と改進党の宮越喜助の両代議士が、ソ連及び中共を訪問して日本国政府の方針に反する「日中民間貿易協定」を結んだ後に帰国し、6日に名古屋駅に到着した。両代議士の歓迎のために約千人の群集が駅前に集合、無届デモを敢行したが、名古屋市警察によって解散させられた。その際に12人が検挙されたが、その中の1人が所持していた文書から、翌日の歓迎集会に火炎瓶を多数持ち込んで、アメリカ軍施設や中警察署を襲撃する計画が発覚した。7日、名古屋市警察は警備体制を強化し、全警察官を待機させた。午後2時頃から、会場の中区大須球場に日本共産党員や在日朝鮮人を主体とする群衆が集まり始め、午後6時40分頃に歓迎集会が挙行された。午後9時50分に集会が終わると、名古屋大学の学生がアジ演説を始め、その煽動によって約千人がスクラムを組みながら球場正門を出て無届デモを始めた。警察の放送車が解散するよう何度も警告したが、デモ隊は放送車に向かって火炎瓶を投げ込み炎上させた。警察は暴徒を鎮圧すべく直ちに現場に直行したが、デモ隊は四方に分散して波状的に警察部隊に対して火炎瓶・投石・竹槍・プラカードで攻撃を行い、路上の一般の乗用車に放火するなど、大須地区は大混乱に陥った。また、大須のデモ隊とは別に、アメリカ軍の駐車場に停めてあった乗用車を燃やしたり、中税務署に火炎瓶を投下する事件も発生している。この事件で、警察官70人、消防士2人、一般人4人が負傷し、デモ隊側は1人が死亡、19人が負傷した。名古屋市警察は捜査を開始、最終的に269人を検挙した。その内、半数以上が在日朝鮮人だった。捜査の結果、この事件は共産党名古屋市委員会が計画し、朝鮮人の組織である祖国防衛隊とも連携しながら実行に移されたことが分かった  1952年11月9日~12日、大村収容所事件が起こった。5月12日、法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還��は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した  1952年11月19日~26日、五所川原税務署襲撃事件が起こった。仙台国税局は警察の協力を得て、青森県北津軽郡板柳町周辺の在日朝鮮人が経営する密造酒工場を摘発し、密造酒約100石、酒粕約400貫、その他容器約200点などを押収、酒税法違反として45名を検挙した。また、摘発を妨害したとして、在日朝鮮人7名を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。その後、在日朝鮮人は「生活権の保障」と「職の斡旋」を要求し、国警板柳地区警察署と五所川原税務署に連日抗議活動を行った。11月26日には約60名が五所川原税務署に押しかけて署内に乱入し、署を占拠した
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2018 演出介紹 Introduction of Performance
2018東京藝術節邀演作品 莎士比亞的妹妹們的劇團 X 第七劇場 台日三年國際共製計畫「交換手札」第三部曲 Notes Exchange vol.3
Shakespeare’s Wild Sisters Group X 第七劇場 日台国際共同プロジェクト Notes Exchange vol.3
舞台『珈琲時光』
電影《珈琲時光》是為紀念日本已故導演小津安二郎,由日本松竹株式會社,邀請台灣導演候孝賢導演創作的作品。電影中充溢著小津安二郎風格的日常感,與候孝賢擅長的長鏡頭風格極為契合。 莎妹劇團與第七劇場合作的《珈琲時光》並非直接引用電影版的劇本、情節和影像內容,而是將電影中的元素、關係設定和質感,轉化創作。 《珈琲時光》是導演王嘉明繼《親愛的人生》之後,再度探索舞台上的散文書寫,也是「劇場大叔」步入中年之後的作品轉向。他引用朱天文的話說:「生活的東西最好寫,也最難寫,不單為技巧問題,是心胸和性情。
映画『珈琲時光』は、日本の故小津安二郎監督を記念し松竹株式会社が、台湾の候孝賢監督を招いて製作された作品。映画は小津を思い起こす日常感があふれ、候孝賢が得意とするロングショットと相性の良さを見せた。Shakespeare’s Wild Sisters Groupが第七劇場と創る舞台『珈琲時光』は映画版の脚本やストーリー、映像コンテンツを直接引用するのではなく、映画の中の要素や設定、質感などを創作に流用した。『珈琲時光』は、演出家の王嘉明が『親愛的人生』同様に、舞台のエッセイを探求し書いたもので、「劇場おじさん」から中年を迎え、作品の転換でもある。彼は朱天文の言葉を引用して次のように述べている。「生活を描くのは最も簡単で、また最も難しく、テクニックの問題ではなく、心と気質である。」
演出場次
東京藝術節首演 時間:2018年10月24-25日 地點:東京藝術劇場西劇場 場次:2場
台灣演出 時間:2018年12月1-9日 地點:雲門劇場 場次:8場
日本三重演出 時間:2019年2月10-11日 地點:三重縣綜合文化中心小劇場 場次:3場
日本金澤演出 時間:2019年2月16-17日 地點:金澤21世紀美術館 場次:3場
公演日時 東京芸術祭初演:2018年10月24〜25日 場所:東京芸術劇場シアターウエスト 回数:2回
台灣公演:2018年12月1〜9日 場所:雲門劇場 回数:8回
三重県(日本)公演:2019年2月10〜11日 場所:三重県文化会館 小ホール 回数:3回
金沢(日本)公演:2019年2月16〜17日 場所:金沢21世紀美術館 回数:3回
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演出製作團隊 Production
企劃協力:侯孝賢 原始文本:候孝賢/朱天文《珈琲時光》 改編:王嘉明 導演:王嘉明、鳴海康平 演員: 【台灣】Fa(莎妹劇團)、朱安麗(國光劇團) 【日本】佐直由佳子(第七劇場)、小菅紘史(第七劇場)、鈴木真理子(SPAC-静岡縣舞台藝術中心)、西本浩明(演藝列車「東西本線」)
製作人:新田幸生 服裝設計:靳萍萍 舞台概念:鳴海康平 燈光設計:島田雄峰 音響:平岡希樹 、洪伊俊 舞台監督:鄧湘庭 文字視覺統籌:Baboo 執行製作/隨行翻譯:盧琳 劇團經理:趙夏嫻 行政:楊帛翰 翻譯:陳汗青、林佳祥   劇照攝影:Manbo Key 平面攝影:松原豊
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企画協力:侯孝賢 原作:候孝賢/朱天文『珈琲時光』 改編:王嘉明 演出:王嘉明、鳴海康平 出演: 【台灣】Fa(Shakespeare’s Wild Sisters Group)、朱安麗(國光劇團) 【日本】佐直由佳子(第七劇場)、小菅紘史(第七劇場)、鈴木真理子(SPAC-静岡県舞台芸術センター)、西本浩明(演芸列車「東西本線」)
プロデューサー:新田幸生 衣裳:靳萍萍 美術:鳴海康平 照明:島田雄峰 音響:平岡希樹 、洪伊俊 舞台監督:鄧湘庭 グラフィックディレクター:Baboo 制作/通訳:盧琳 劇団マネージャー:趙夏嫻 行政:楊帛翰 翻訳:陳汗青、林佳祥   スチール撮影:Manbo Key フライヤービジュアル撮影:松原豊
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演出概念與構想 Performance Concept
鳴海康平 △ 導演筆記
舉例而言,小津安二郎把自己比喻成豆腐店。所以並無法做出好吃的咖哩或炸豬排。我認為這一份小津的堅持,恐怕就像夏目漱石認為自己的作品並非「小說」,而是「文章」加上「語言」一樣。而且,注重鮮明的表情或修飾排列、構圖或配置,讓即使結構改變也可以多次呈現出相似主題與概念的基底,也讓小津與漱石的形象重疊,即使兩人的領域不同,但我認為他們對於為了讓多數人看見寫實而鋪成的虛假,或是以最大公約數來進行的虛構都沒有興趣。試著從劇場這端來眺望這樣的虛假或虛構,也可延伸至布萊希特所提出的戲劇論。相較於「能夠那樣觀看」的真實性,我認為,不如說是「也能是這樣」以事實與根據交錯所展現的真實性的一種態度。戲劇與電視劇相同之處在於,「為了能夠那樣觀看的寫實」被認為是最重要的一件事,實際上雖然這是重要的,但並非所有的戲劇都需要將這個原則至上。換句話說,這是兩件不同的事,也就是把重點放在「也能是這樣的事實與根據交錯所展現的真實性」為主的戲劇也是存在著的。那也就對應了電影裡小津的豆腐,或是文學中漱石所說的文章。這樣一寫,聽起來彷彿就是一個很難理解的話題,似乎會有人說是「關於戲劇的戲劇」,但我並不喜歡這樣定義它。(只是不喜歡而已,但不覺得不可以)。戲劇,並不是只有描寫人類或社會鮮明構造的功能,同時更有著相互確認、了解與對話的功用。在許久以前,觀看戲劇,然後在體驗劇場的同時,也有著一起坐著在同一個會議桌上一樣的意義。
在日本與台灣的島嶼間所創作的這個作品,在兩個島的共同或相異之處,取材自彼此相關的歷史,但相對於在那之中的真實性,不如說是以也能是這樣的事實與根據所交錯的寫實,創作出一張能夠進行對話的桌子。也讓我認為,對於我們台日國際共同製作團隊,這就是接近最重要的「豆腐」與「文章」的一個方式。然後,我也相信這個就是這三年間透過這個計畫的集大成。
鳴海康平 - 演出ノート
たとえば、小津安二郎は自分のことを豆腐屋だと言う。だからカレーやとんかつがうまくつくれるわけがない、と。その小津の「豆腐」へのこだわりは、おそらく、夏目漱石が小説ではなく「文」や「言葉」にこだわったこととよく似ているように思う。それに、あざやかな表情や修飾を排し、構図や配置を大切にし、構造を変えても似たテーマやモチーフを何度も変奏する姿勢において、小津と漱石のふたりの像は重なるし、二人とも、ジャンルは異なるが、多くのひとに対して、リアルに見せるための嘘や、最大公約数を基準とする虚構を描くことは性に合わなかったのだと思った。こういう嘘や虚構からの距離を演劇の側から眺めてみると、ブレヒトの演劇論に敷衍できる姿勢でもある。「そのように見える」ためのリアリティよりも、「そうである」という事実と根拠の積み重ねから現れてくるリアルに重きをおく態度のように、私には思えた。演劇もテレビドラマと同じように「そのように見えるためのリアリティ」が最重要事項だと思われがちで、実際に重要でもあるけれど、すべての演劇でそれが最重要というわけではない。言い換えれば、それとは別のこと、つまり「そうである事実と根拠の積み重ねから現れてくるリアル」に重きをおく演劇もありえるし、現に存在している。それが映画における小津の豆腐や、文学における漱石の文に、対応できるように思うのだ。こう書くと、なんだか難しい話のようにも聞こえそうですし、どこか��か「演劇についての演劇」みたいな言葉も聞こえてきそうですが、私はそれを好みません(好まないだけで、あってはならないとは思いません)。演劇には、人間や社会の仕込みをあざやかに描写する機能だけではなく、それを見極めて話し合う機能もある。演劇を観るということは、そして劇場体験の中には、会議のテーブルにつくような意味合いも、ずいぶん昔からあるわけです。
日本と台湾という島々の間でつくられた今回の作品は、島々の間に共通することや異なること、お互いの歴史に関わる事実などがモチーフとして用いられ、そのように見えるためのリアリティよりも、そうである事実と根拠を積み重ねることで現れるリアルに重きをおいて、対話のテーブルをつくりました。それが今の私たち日台国際共同プロジェクトチームにとって大切な「豆腐」と「文」に近づける方法だと感じたからです。そして、それが3年間にわたるこのプロジェクトのひとつの集大成だと信じています。 
王嘉明 △ 導演、編劇筆記
關於小津和侯導(主要是《珈琲時光》和早期)的評論,都會提到日常生活和表演的特殊性,但許多電影不也是拍日常生活嗎?「日常生活」這幾個字寫來容易,但如何表現?或是為了甚麼而表現?大師們的作品像是疑問的黑洞,重點不是標準答案,而是引發了創作團隊對於劇場質感和意義的想像。有幾個方向:看待日常生活的視角、物件和時間的穿透性以及狀態劇場。 「日常生活」不是封閉性的辭典字彙,不同人的經歷產生的心智結構會有不同的選擇,小津經歷過的二次大戰,侯導身處台灣如此流離失所的島嶼,都是建立眼前這些作品裡「日常生活」瑣碎人事物背後隱而不顯的視角。不同年代有不同的物件,甚至影響書寫和溝通方式,對於時間的體驗也大不相同,小津電影裡偶有新的電器為推動劇情元素之一,例如《早安》裡的電視機、洗衣機,人,也不是封閉的人,也總是被物穿透,隨時間不自覺地改變,包括小津最愛的食物。 電影和劇場當然大不相同,沒辦法有長鏡頭、低鏡位、的畫面比例,更不用說剪輯速度和場景變換,但劇場好玩的是:任何真實的東西都會有某種奇特的象徵感,包括人。小津和侯導電影激發的是劇場這種很特別的「感知狀態」:如何透過文字、空間、時間結構和表演,表現不寫實但有真實感,時間很清楚但不合理卻能理解,沒幹嘛卻發生了很多事的狀態,眼前不同人卻有相異與相同並存的曖昧,對我而言,這更接近「真實」。 因此雖然劇名來自電影《珈琲時光》,但內容完全重寫:一棟公寓同時有五個不同年代的設定,各自經歷不同的時間感,並以一巨大的母體串聯彼此。資料來自於小津和侯導各自電影中的家庭議題、元素和角色,甚至食物,以及各自的人物史和文化背景歷史,尤其是昭和史、飲食史(燒肉、泡麵、咖哩、咖啡、豬排、啤酒、微波食品)、運動史(相撲、棒球、摔角、奧運)與電器史(電話、電冰箱、電視、洗衣機、電腦),還有一些奇奇怪怪的日常物件史,例如:榻榻米。 當然這不是一齣Discovery,不會說這些物件的「有趣」史,而是為了構成前述的「狀態」,包括看到的與聽到的、視覺與音效的各種和諧與不和諧,或許比較接近有三個樂章的當代音樂吧,
王嘉明 - 演出、脚本ノート
小津監督や侯監督(主に『珈琲時光』や初期作品)への評論では日常生活と演技の特殊性がよく言及される。しかし、日常生活を扱った映画は他にもたくさんある。「日常生活」という、たった数文字は簡単に書けるが、それをどのように表現するのか、あるいは何のために表現するのか? 彼らの作品はまるで疑問のブラックホールだが、大事なのは一般的な答えではなく、クリエーションチームが映画の質感や意義への想像を引き出すことにある。それにはいくつかの方向性があり、日常生活の視点や物事と時間の貫通性、及び歴史的、文化的背景を取り扱うことである。 「日常生活」は閉鎖的で辞書的な言葉ではなく、異なる人間の経歴が形成した心の構造によって、その意味の選択も違ってくる。小津監督は第二次世界大戦を経験しており、侯監督は台湾という拠り所のない島に身を置いていた。これらはすべて作品の中に見える、「日常生活」を形成した瑣末な人や物事の裏に隠された視点の根拠である。異なる年代には異なるアイテムがあり、書き方やコミュニケーションの取り方、ひいては時間への体験も大きく異なってくる。小津監督の映画では新しい家電がストーリーを動かす要素に使われることがたまにある。例えば『お早よう』でのテレビや洗濯機がそうであり、人も閉鎖的ではなく、いつも物に貫かれながら時間の流れの中で知らない内に変わっていく。小津のお気に入りの食べ物もそうだ。 もちろん、舞台は映画とは大きく違い、長回しやローカメラーワークはなく、編集を使ったシーンの切り替えも不可能である。だが、舞台の楽しさはあらゆる実在のものが特別な象徵感を持つことにあり、それは人間も同じ。小津監督と侯監督の映画はこのような舞台独有の「感知状態」を引き出している。文字や空間、時間の構造と演出を通じ、リアリティのない真実らしさや、何もしていないのにいろんなことが起きている状態、目の前にいる異なる人間に相違と相同が並存する曖昧さなどを表現している。私にはこれこそがより「真実」に近づいていると思える。 従って、舞台の題名は『珈琲時光』と同じだが、中身は全部書き直してある。とあるアパートに5つの年代設定が同時に存在しており、それぞれ異なる時間感覚を経験しながら、一つの大きな母体によって互いに繋がっている。素材は小津監督と侯監督の映画にあった家庭内の議題や要素・人物・食べ物からきており、それぞれの人物史や文化の背景、歴史も引用されている。特に昭和史、飲食史(焼肉、インスタントラーメン、カレー、コーヒー、とんかつ、ビール、レンジ調理食品)、スポーツ史(相撲、野球、レスリング、オリンピック)、家電史(電話、冷蔵庫、テレビ、洗濯機、パソコン)など、そのほかに畳など特別な日常アイテムも含まれている。 もちろん、これはDiscoveryチャンネルの番組ではなく、アイテムの「面白い」歴史を説くわけでもない。前述の「状態」を構成するためである。見えたものや聞こえたもの、視覚と音声の協和と違和感など。三楽章の現代音楽に近いと言えるかもしれない。 
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評論與報導 Comments & Review
關於舞台劇「珈琲時光」的纖細 横山義志(東京藝術節直屬事務總監)
第一次聽到鳴海康平說「明年的作品要做『珈琲時光』」的時候,坦白說我有點不安。因為由台灣著名的電影導演侯孝賢向小津安二郎致敬的這部傑作『珈琲時光』,是一部淡淡的,沒有什麼高潮起伏的一部作品。從標題上來看,也就是「啜飲一杯咖啡的時間」,因此很難想像有什麼戲劇化的發展。可是實際上看過之後,我發現這是一個非常具有說服力的選擇。因為很難可以見到,能夠具有這樣「纖細」的國際共同製作。 以三重作為據點的第七劇場與台北的莎士比亞的妹妹們的劇團所展開的國際共製計劃來到了第三年。第一年以杜斯妥也夫斯基為主題,第二年則是演出改編至喬治・歐威爾小說的作品。我覺得在第三年,終於發展到可以闡述「自己的話語」了。因為「自己的話語」並無法透過西方來述說,這也類似於原作『珈琲時光』的故事。 侯孝賢的『珈琲時光』,主要描寫在現代日本與台灣之間所誕生的個人層面的關係,卻也可以說出在日本殖民時代台灣出生的作曲家江文也與在中國出生的妻子的故事。在兩人交往期間,一起前往咖啡店,在一杯咖啡中放入許多的砂糖,交談了無數的時間與話語等等。江文也為了學習電器工程與西洋音樂,移往中國活動,並在那裡與別的女性展開新的生活。可以說近代西方文化,成為「台灣人」與「日本人」(這個說法在當時並不正確,但以回顧當時的立場選用這個說法)之間中立的角色,調解兩人相處的關係。 所以在此,透過戰爭或奧運等,反映出當時被稱做「國家」這個不可思議框架的不安。在『珈琲時光』劇中可以聽見「軍艦行進曲」,以及為此敬禮的「日本人」與「台灣人」。「我們」經由了同樣的戰爭,一起為了同一個「國家」而戰鬥,卻不使用「戰爭」這個的詞彙。透過身體,纖細且綿密的告訴你,那些不知道該如何訴說,甚至是語言所無法表達的事物。我想這是王嘉明與鳴海康平,以及劇團成員與工作成員們透過長久建立的關係才能夠完成的作品。無論舞台、燈光、音樂、服裝,甚至是工作人員所呈現的資料,都在在顯示這個作品是透過如此長久時間的醞釀與叮嚀,才終於脫穎而出。 受到侯孝賢作品啟發的這個舞台劇『珈琲時光』,有著類似江文也、類似小津安二郎的人,還有活在東京奧運時代的人、現在的人,甚至幾十年後的人一起住在同一個公寓裡。他們的對話總是透過話筒、或是來自回憶,幾乎沒有跟實際上遇見的人們說幾句話。也顯現出在台灣新電影浪潮中,所經常呈現的那種重複無盡的孤獨,這或許也是日本與台灣此刻的現況。「即使再遠也能聯繫」,或者是變成「明明很近卻無法連結」的現代社會。這個是工業革命與殖民主義所帶來的「全球化」影響下,整個世界所該面對的問題的縮影。 這次演出的舞台劇『珈琲時光』,有來自三重、金澤、靜岡與台北的演員所共同參與。因為不是只經由「首都」,不是基於「國與國」的立場上才能建立出如此的關係。有時在我們啜飲一杯咖啡時,不需要任何語言的交會,也可以感受到我們身處在同一個空間,或是同一個身體裡。在此所醞釀出來的這一份親密又纖細的關係,也讓我認為,這或許正是此刻表演藝術在世界上必須發揮的那一份責任。
舞台『珈琲時光』の繊細さについて 横山義志(東京芸術祭直轄事業ディレクター)
はじめ鳴海康平さんから「来年の作品は『珈琲時光』」と聞いたときには、正直不安だった。台湾を代表する映画監督侯孝賢(ホウ・シャオシェン)が小津安二郎へのオマージュとして撮った『珈琲時光』は淡々としていて、なかなか盛り上げようのない作品だったからだ。そもそもタイトルからして、要は「コーヒーを飲む時間」のことだと思うと、ドラマティックな展開がなかなか想像しにくい。でも実際に見てみると、すごく納得のいく選択に感じた。これほどに「繊細」な国際共同の劇作品は、あまり見ていない。 三重を拠点にする第七劇場と台北を拠点にするShakespeare's Wild Sisters Groupの協働作業はこれで三年目になる。一年目にはドストエフスキー、二年目にはジョージ・オーウェルの作品を上演していた。三年目にして、ようやく「自分たちの話」ができるようになった、ということなのだろう。西洋を経由してしか「自分たちの話」ができない、というのは、ちょっと『珈琲時光』の物語にも似ている。 現代の日本と台湾のあいだで生まれる個人レベルでの関係を描く侯孝賢監督の『珈琲時光』では、日本植民地時代の台湾出身の作曲家江文也と内地出身の妻の話が語られる。恋人同士だった頃、二人で喫茶店に行き、一杯の珈琲にたくさんの砂糖を入れて、何時間もおしゃべりをした話、等々。江文也は中国で電気工学と西洋音楽を学んだために、中国を活動の拠点として、中国の女性と生活をともにすることになる。いわば西洋近代の文化が、「台湾人」と「日本人」(という表現は当時においては正確ではないが、 回顧的にはこのように語られることになる)のあいだの中立な場として、二人のあいだを媒介することになる。 だがそこには、戦争やオリンピックを通じて、つねに「国」という不思議な枠組が影を落としている。舞台『珈琲時光』で「軍艦マーチ」が聞こえるなか、敬礼する「日本人」と「台湾人」。この「私たち」が、ともに同じ戦争を、一つの「国」として戦ったということが、「戦争」という言葉を全く使わずに語られる。どう語るべきなのか分からないこと、語るべき言葉が見つからないことを、身体を通じて、繊細に、重層的に語ること。王嘉明と鳴海康平、そして劇団員やスタッフたちが長い時間をかけて関係を築いていったからこそできた作品だろう。舞台美術、照明、音響、衣裳、そして資料づくりなどのスタッフワークも、繊細さが際立つ作業になっていて、時間をかけて丹念にこの作品に取り組んできたことがうかがわれる。 侯孝賢作品にインスピレーションを受けた今回の舞台『珈琲時光』では、江文也らしき人や小津安二郎らしき人、そして東京オリンピックの時代の人、現代の人、数十年後の人が同じアパートに住んでいる。彼らが対話を交わすのは、受話器から聞こえる声や、記憶のなかの人ばかりで、実際に出会う人とはほとんど口を交わすことがない。台湾ニューシネマで繰り返し描かれてきた孤独というテーマがかなり極端な形で提示されているが、これは今の日本と台湾が抱えている現実でもある。「遠くにいてもつながれる」ようになることで、「近くにいてもつながれない」ようにもなってしまった社会。これは産業革命と植民地主義を通じて「グローバル化」された今日の世界全体が抱えている問題の縮図に他ならない。 今回上演された舞台『珈琲時光』には三重、金沢、静岡、台北を拠点とする俳優たちが参加している。「首都」を経由しないからこそ、「国と国」の関係でないからこそ築くことが���きる関係。ともに珈琲を飲むこと。時には言葉も交わさずに、同じ空間で、同じ身体をもつことを感じながら。そこで醸成された親密で繊細な関係は、今日の世界において舞台芸術が果たすべき本質的な役割を実感させてくれるものでもあった。
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單鏡頭與長鏡頭 × 複數《珈琲時光》 演出:莎士比亞的妹妹們的劇團 × 第七劇場 時間:2018/12/02  15:00 地點:淡水雲門劇場 文  羅倩(專案評論人) 2018/12/11 表演藝術評論台
如果用鏡頭的語言來理解《珈琲時光》,我想是「單鏡頭與長鏡頭 × 複數」。想像單鏡頭加上時間等於長鏡頭,多個長鏡頭相加等於《珈琲時光》。而白色的立面與平面架起潔白到發亮的舞台空間,僅有簡單的家居:茶水間、方桌、榻榻米、長型沙發。加上整場維持同一切換樓層的方式,難免感覺到單調與重複,或稱為「平淡的滋味」。也許是為了透過劇場契合電影的鏡頭吧,從單鏡頭角度解讀的話,眾多的獨白與寂靜並存,似乎也能理解維持換場時一致調性的理由。 王嘉明與鳴海康平的《珈琲時光》(Café Lumière,2018)以侯孝賢向小津安二郎致敬電影《咖啡時光》(Café Lumière,2004)為文本基礎,角色除了原本電影的井上陽子(一青窈飾)、竹內肇(淺野忠信飾)、日治時期台灣音樂家江文也,還有小津安二郎與演員原節子。劇場裡的一樓成為江文也J的家,二樓成為小津O的家、三樓成為在日本的朝鮮人A的家,四樓未知住誰,五樓是原本體育老師的郵差S,頂樓加蓋是陽子與台灣人生的孩子W的家,不知其地點的則是陽子與植物人肇的同居空間。若熟悉小津與侯孝賢電影的觀眾,應該不難辨認出舞台上的角色與關係圖。若不熟悉其文本,可能會對人物關係感覺到一頭霧水吧。 同一棟公寓中出場的人物用爆裂的雜訊因與暗燈彼此區隔,時間像是由一幕幕單鏡頭堆疊而成,唯有兩次同棟公寓住戶相遇的時刻:倒垃圾與頂樓陽台的曬衣場,才有人共同生活在一塊的感受。公寓因有人住而是活性的,但大多數的時間,人物卻都是孤單的。 演出前單看劇照和紙本文宣,想像作品應該是侯孝賢的《珈琲時光》,加上拉斯.馮.提爾的《厄夜變奏曲》(Dogville,2003)在舞台上畫出白色格線,以重點功能性的擺設來區別建築物與內部,整體呈現一個小鎮。我想像著如何在劇場的空間呈現這一棟五樓公寓的樣貌,以及生活在其中的角色。最大的亮點,應該是王嘉明與鳴海康平維持一貫舞台的空無與潔白到最後,透過內在的聲音與多個在白色舞臺之外如複語的旁白,來豐富角色的內在、環境與背景。交疊使用台語、日語、英語、國語作為口述與字幕。如果說《厄夜變奏曲》是透過攝影機水平移動、俯視與特寫鏡頭交叉剪解,在攝影棚內串聯整個小鎮的方圓視野。侯孝賢的《珈琲時光》則是在城市的街頭、大眾交通運輸工具與屋內取景,以長鏡頭與剪接塑造出在日本國家的內部空間場域的整體。劇場的《珈琲時光》更像是融合前述特色所打造的舞台,本質是無調性的、可以任���自由詮釋的空間,也可以說是模稜兩可的灰色地帶,在垂直式的想像空間任意放大與壓縮,就像前一段是一樓發生的事情,雜訊暗燈過場後,變成三樓發生的事情了。 從小津時代,東京(城市)與非東京(鄉村)的距離,變成封閉公寓與城市之間的距離,在劇場的《珈琲時光》,則更限縮到一棟公寓間樓層與樓層的距離。觀眾的視野從小津電影開闊的城鄉差距與侯孝賢眼下的台日視差,到王嘉明與鳴海康平合作下的混合空間,一座模糊時間與間距,混合過去歷史與未來想像的公寓。所有相關的角色與人物共同匯聚一起,劇場的《珈琲時光》像是對於兩位電影導演電影的召喚,保留了與電影相同的法語名稱Café Lumière。Lumière既是指向發明電影的盧米埃兄弟,也是法文的光源、光亮的意思。 就像濃縮萃取自電影的《咖啡時光》,既是平淡亦是深層濃郁的單色咖啡。如改編自吉本芭娜娜睡眠三部曲的同名小說電影《白河夜船》(2015),影片在角色彷彿深不見底的昏嗜睡中,那些潛伏於白晝與深夜之間的時光,導致影片的白晝太亮太刺眼,夜晚又太黑太深淵。就像劇場的《珈琲時光》,那些彷彿碎片式散落一地的意象之光。
シングルレンズとロングショット×マルチ『珈琲時光』 公演:莎士比亞的妹妹們的劇團×第七劇場 時間:2018/12/02 15:00 場所:淡水雲門劇場 文:羅倩(評論家) 2018/12/11表演藝術評論台
『珈琲時光』をカット言語で理解するなら、「シングルレンズとロングショト×マルチ」だと思う。シングルレンズに時間を加えるとロングショットになるが、複数のロングショットが合わさったのが『珈琲時光』である。白い壁と地面で真っ白にし、舞台空間を明るくした。簡単な家具しかなく、あるのは茶の間、四角いテーブル、畳、長いソファーだけである。しかも、二階や三階などの各階の情景が全てが同じフラットな舞台上で演じられ、どうしても単調さと重複を感じる。あるいは「平坦な味」とも言える。もしかしたら映画のシーンに合わせているのかもしれない。シングルレンズの角度から解読すると、多くの独白と静寂が共存し、場面を変える時の整合性を維持するためと理解できる。王嘉明と鳴海康平の『珈琲時光』 (CaféLumière, 2018)は、侯孝賢監督の小津安二郎へのオマージュ映画『珈琲時光』 (CaféLumière, 2004)のテキストをベースとしており、キャラクターは映画の井上陽子(一青飾り)、竹内肇(浅野忠信装)、日治時代の台湾音楽家の江文に加え、小津安二郎と役者の原節子である。一階は江文也Jの家、二階は小津Oの家、三階は在日朝鮮人Aの家となっていて、四階は誰の家かわからなく、五階は体育教師の郵便屋S、屋上は陽子と台湾人の子供Wの家、場所がわからないのは陽子と植物状態の肇との同棲空間だ。小津と侯孝賢の映画を熟知している観客ならば、舞台の登場人物とその関係を知ることができるだろう。もし内容を熟知してなければ、人物関係を理解するのは難しいだろう。同じマンションの登場人物が爆裂なノイズで暗くなり、人物と人物を隔て、時間はまるで一つ一つのシーンが積み重なっていくようだ。ゴミ捨ての時と屋上の物干し場にいた時の二回だけマンションの住人と出会い、初めて誰かと共同生活をしていると実感する。マンションに人が住んでいるからこそ活性化しているが、ほとんどの時間は、皆孤独だ。公演前パンフレットを見て、侯孝賢の『珈琲時光』にラース・フォン・トリアーの『ドッグヴィル』(Dogville,2003)の舞台上に白い線を引き、建物やその内部を区切ることで一つの村を表現した手法が足された作品だと思った。私は舞台の空間に五階建ての建物とその中の生活を想像してみた。最も注目すべき点は、王嘉明と鳴海康平が一貫して簡素で真っ白な舞台を最後まで維持したことだろう。内在する音と真っ白な舞台以外で複数言語のナレーションを通じて、役柄、環境と背景を豊かにした。ナレーションと字幕は台湾語、日本語、英語、中国語を使った。『ドッグヴィル』はカメラの水平移動や、俯瞰とクローズアップのクロスカットを通して、スタジオ内で町全体のパノラマの視野にした。侯孝賢の『珈琲時光』は、都市の街頭、大衆の交通手段や屋内をロケし、ロングショットと編集で日本国内の空間全体を形作った。舞台『珈琲時光』は前述の特色を融合し、作られたように思う。本質は明確な境界がなく、自由に解釈できる空間。つまり、曖昧な灰色の地帯。縦の想像空間は好きに拡大したり縮めたりできる。先ほど述べた一階の出来事のようにノイズで暗くなった後、三階で起こったことに変わる。小津時代の、東京(都市)と非東京(田舎)の距離を、閉ざされたマンションと都市の間の距離に変え、舞台『珈琲時光』では、マンション一棟の各階との距離に縮めた。観客の視野には小津映画での都市と農村の大きい格差と侯孝賢が見た台湾の視差から、王嘉明と鳴海康平の協力の下で混じり合った空間までが、曖昧な時間と空間、過去の歴史と未来の想像を交ぜたマンションだ。関係するすべてのキャラクターと登場人物とともに、舞台『珈琲時光』は二人の映画監督に召喚された。そして映画と同じフランス語の名前Café Lumièreも残している。Lumièreは映画の発明者リュミエール兄弟を指していると同時に、フランス語で光源、光の意味もある。まるで映画『珈琲時光』から抽出されたような、平坦でありながら濃く深みのある単色のコーヒーである。吉本ばななの眠り三部作を原作とする映画『白河夜船』(2015)は、底が見えないくらい深い昏睡状態の中,昼と夜の間に潜んでいる時間のせいで、映画の中の昼間はとても明るく眩しい、夜はとても暗くとても深い。まるで舞台『珈琲時光』はそれらの断片が散らばっている時間の光だ。
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表演藝術評論台|單鏡頭與長鏡頭 × 複數《珈琲時光》 https://pareviews.ncafroc.org.tw/?p=32692
表演藝術評論台|劇場中的日常生活《珈琲時光》 https://pareviews.ncafroc.org.tw/?p=32783
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網站連結 Website
回顧短片 https://vimeo.com/364036223
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eosdesign · 2 years
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#木更津図書館 が耐震補強工事のため9月1日~2月28日まで #休館 する!ってヒャ~!😱💦 . 先日利用した時に偶然知ったんだけど... . 最近また、イイ感じに #活字中毒 なので...😨 . 手元に読むべき活字が無いと手が震えて来るので....👐😱☠️ . (ウソです😁w) . 一方、長期の休館なので、返還時期12月までで一人30冊まで貸出オッケ~😁👍🎵 . という、今だけ特別ルールだというので...✨ . 慌てて、家のPCから蔵書検索して色々借りてきた . 合計28冊 . 12月までで約三か月だから、考えて見ると3日に一冊?なんだけど... . ホントにそんなに読むのか?🤣👍 . まぁイイか、頑張って読みませう🤔 . . 借りた基準は、最近お気に入りの書評のインスタ垢の #オススメの本 と . 最近読んでイイなと思った書き手の本など、まぁ #テキトーです 😁👍 . 木更津図書館、明日までですぞ! . 急げ~!🏃==!!! . . で、2枚目3枚目は、最近読了した本 . . ● #あした死ぬかもよ? . 読みやすい文章なので、1~2時間であっという間に読んでしまった . 具体的に起こったエピソードなどに説得力があって、内容はとても共感出来ます👍 . 最近あんまりやる気が起こらない人にオススメ?カモ?🦆 . . ● #夜と霧ビクトールフランクルの言葉 . ユダヤ人でアウシュビッツ強制収容所を経験した、精神科医のビクトール・フランクルの「夜と霧」という小説が良いと書評でオススメされていたので、検索すると「貸し出し中」😂❌ . なので、とりあず関連本?なのかな?と思って借りて見たんだけど... . この本は、要するに、ビクトール・フランクルのことを #メッチャリスペクト !な著者が「フランクルの名言」みたいなものを集めた本だったんだけど... . ぶっちゃけ微妙でした😅w . 多分、そこだけ抜き出してもな...ということなんだと思う . 言っていることが抽象的過ぎて、自分にはあまり刺さらなかったですね😝👍 . (たまにイイコト言ってるな、ってのはあったけど...) . . . #読書 #本 #book #読書感想 #読書感想文 😁👍w (Kisarazu, Chiba) https://www.instagram.com/p/Ch3fMwbPnnp/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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