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#朴相映
alen09blog · 9 months
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想成為一次元
我曾經相信,人生只會朝著一個方向流動。當時的一切都更加容易,也更加簡單,只需要竭力擺脫束縛自己的事物就好,只需要看著前方、卯足全力奔跑就好。然而,無止境奔跑這十多年之後,我所到之處依舊是那個原地。 有些記憶永遠不會變成過去。(頁131)
到目前為止,我看過的書都告訴我,苦難與不幸是為了被克服而存在。孫悟空與哈利波特、娜娜與魯夫,一些堪足以承受的考驗加諸於這些角色身上,而這些試煉不過是為了讓即將到來的幸福更加美麗、更加耀眼的一種裝置。 但是,生活中出現的不幸卻沒有那麼容易克服。它會十分漫長,也許終其一生都會用類似的型態反覆出現。我在相對較小的年紀時,就透過父母學到這件事。(頁308)
我過去一直告訴自己。我不想去感受任何的情緒與感覺,或是任何其他東西,結果真的變成什麼都感覺不到了。對於允道、泰瑞和害怕人生就此墜落的那些苦惱,也在頃刻之間成為過往。 我曾經希冀自己能從一切事物中逃亡,哪怕只有一瞬間也好;在耗盡全身力氣後,不知道從何時起,這些事情就像真的沒有發生過一樣,留在心中的只有一片迷茫。就這樣,這個空缺中再沒有任何有價值的事物。 我只是一直空蕩蕩地,在那個位置上慢慢老去。(頁374)
朴相映《想成為一次元》(1 차원이 되고 싶어)(鄧宸瑋譯)
把書闔上,我也想像紋紋一樣,劈頭問主角:「為什麼是允道?」
閱讀此書可算是全球化意義的文化驗收了。出於世代相近作家之筆(朴相映1988年出生),同處上世紀末東亞四小龍經濟共榮圈的成長脈絡,設定其中人物情節,追憶少年昔日,自然而然,具體而微地,召喚出共享之娛樂文本(哈利波特、春光乍洩、重慶森林、霍爾的移動城堡、NANA、Coldplay、艾薇兒等)、社會模式(出櫃與校園霸凌;出國與跑路)、媒體格式(前SNS年代的部落格書寫、電視與雜誌宰制的大眾流行)等風格型態,我完全能同步而無段差地接收。
故事框架在這樣的格局內,即使是酷兒,自不例外;其特殊意義,因時空條件得以展露。這是一份參照式證詞,書寫與遺忘對抗。一方面重建主角破碎的記憶,一方面揭露傷痛的無所遁形,藉此安慰,彷彿鎮魂——始於老城的重建,在廢棄樂園池中,發現了竹馬泰瑞父親的白骨,末了舉辦四十九齋禱告儀式——這首尾相應的安排是過分聰明的酷兒式書寫,關於主角長久抑壓的罪惡感來由,一場揭露實是建造一條甬道,如此包裹,掩飾同時暗示,嚴密把風得以陳情自訴。
同學熙榮藉由緊迫盯人的觀察(監視),誤打誤撞地道出一個又對又錯的事實,「他從來沒有喜歡過任何人,也不懂什麼是喜歡(頁377)。」不容於世道的情感,主角、允道、泰瑞,膝跳反射般全面護衛自我的保全機制,表面上那樣愛護自己,卻又彷彿能為鏡像般的對象粉身碎骨在所不惜,無非是自信心低落,對自我存在澈底輕視。連自愛都沒有的人,又能如何愛人?
所以,儘管主角與允道的初戀悲哀作結,「一次元世界」自始作為二人約定的生存之道:
如果你跟我連結在一起,就會形成另一條線,也會在窗外創造出另一個世界(頁122)。
只要縮小成一個點,什麼也不是,便無所畏懼;彼此連結,足以抗衡無垠暗夜。作者引為一種酷兒書寫的敘事策略,主角連結起自己的過去與現在,兩點一線,穿過了盤據在天花板牆角「壓迫著我的整個存在(頁130)」的黑影,沿此視線,艱難回望,「彷彿是很久很以前的我,把頭轉向現在的我(頁400)。」終於取得諒解。
......
老實說,我無法釋懷,二度撕掉泰瑞(告白?)信、丟掉泰瑞送的書(《涼宮ハルヒの憂鬱》),甚至推泰瑞去死的主角(!)。
不過,到底是主角還是熙榮,誰更瘋呢?
(頁45提到) Nell - 어차피 그런 거(反正那種事)
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mm0924 · 5 months
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November of Mei Nagano. 11月。今日は30日。つまり、11月最後の日。今年の4月から毎月続けてきたTumblrだけど先月に引き続き今月も、締切に追われる漫画家のような気分で執筆開始。このながのの月記は【前書】【思考】【仕事】【音楽】【後書】の五段落で構成しています。今回この次の段落【思考】では、人と接するときに考えたいおもてなしの心〝接遇〟について書きたいと思っているんだけど、それに通ずる部分があるのかなと思った出来事をここで。出会いも別れもタイミングは選べないし、予期せぬ別れはどんな理由であれやっぱり辛い悲しい気持ちになっちゃいますよね。気付いたらいなくなってる人がいて、だけど他の人のところには帰ってきてて「なんで自分のところには来てくれないの?」って、そんな経験もあるんじゃないでしょうか。ながのはあります。だけどそこで「悲しい」「なんで」「その程度でしか見られてないのか」って思ってしまうのは正直まだまだだと思っていて、もちろん合う合わないもあると思うけどそれでも離れてほしくないと思うのなら離れてほしくないなりの行動をしなきゃいけないし努力をしなきゃいけない。それができないのに軽率に手を繋ぐのは失礼にあたるのではないか、とまで思ってしまいます。ながのにはこれといった取り柄がないから、ながのにできる範囲の努力は絶対に怠ってはいけないし他の人よりも頑張らなきゃいけない。まだまだみなさんの側にいたいから頑張らせてください。そしてちょこっとだけ欲張りなことを言うと、頑張れないときのながのも愛してやってください。前説っていう大事な導入部分で辛辣な意見を綴ってしまったことに若干の反省はしています、が「いいもん、めいのTumblrだもん!何を書くもめいの自由!」と全力で開き直って続きを書いていこうと思います。だって書き直す時間がない(事前に下書きしてなかったながののせい)からね。ざっ!っと書いて、ぐっ!っと読み直して、ちょちょちょ!っと直して、華麗に投稿ボタン押してやりますよ!あ、決して適当に書いてるわけではないですよ。だってこうして永野芽郁に、ながのという人間に触れるために大切な時間を割いてこのTumblrを読んでくれる方がいるんだから、適当になんてできない。「めいちゃんのこと知れたな」とか「こんな考え方もあるんだな」って少しでも有意義な時間を過ごしてもらえたら幸いです。 4月に58人いたフォロワーさんが今では69人になり、新しい出会いがあるたびに百人百様という言葉の意味を知る日々です。100人いれば100種類の姿、形、顔があるし100種類の存在意義があるんです。今月は〝接遇〟について考えました。人と向き合うとき他者の体験や経験、本やネットから得た知識を参考にするのが間違いだとは思わないけど、この方法が最良だ!なんてそんな便利なマニュアルはないんです。きっとここで考えなきゃいけないのは、今めいが向き合っている人は誰なのか。そして、他の誰かに効く薬がその人に効くとは限らないということ。じゃあながのが持ってる薬って、できることってなんなんだろう。先日「めいちゃんに相談したいことがあって」って悩みを話してくれたお友達に「どうしてめいなんですか?」って素朴な疑問をぶつけると「めいちゃんは悩みを無駄にしないからね」って伝えてくれたんです。「楽しい話をしてくれるから」「元気がでるから」「話しやすいから」いいように考えてもそんなところかな、と思っていたから相手がそう見てくれていたことがとっても嬉しかった。こうして綴ってみたけど、これが誰にでも効くってわけじゃないからまた難しいんだけどね。何気なく受け流している言葉は相手が縋るような思いで紡ぎ出した一言かもしれない。だから、1つも取りこぼさないように全部掬って無駄にしない、これはながのにできること、ながのがしなきゃいけないこと、そして存在意義の1つだと思って大切にしていこうと思います。 お仕事!11月は日本武道館でのイベントをはじめ、ドラマや映画の情報解禁などもあり盛沢山な1ヶ月でした。単独イベント『非公開』の会場では季刊誌「team mate」特別版を発売させていただきました。そして今年も『永野芽郁オフィシャルカレンダー2024』の発売が決定しました!12色のカラーテーマに合わせた写真はみなさんの毎日をカラフルにすること間違いなし!是非お部屋の片隅に置いて1年のお供にしていただければと思います。今回のお仕事紹介はお話したいことがたくさんあるので、以下3本立てでお送りします。 【フジテレビ系連続ドラマ『君が心をくれたから』】 月曜9時というドラマの中でも特別な枠だと思ってきた月9で、主人公の逢原雨を演じさせていただきます。愛する人のために〝心〟を差し出す、過酷な奇跡が引き起こすファンタジーラブストーリー。初めて台本を読んだときは、心が苦しくなったりこの役が自分にできるんだろうかという不安もありました。だけどそんなネガティブな気持ち以上に〝今の自分の全てをかけて挑みたい〟と思う作品に出会���たことが幸せだし、今撮影していて凄く嬉しいです。『君が心をくれたから』は誰かのことを純粋に想ったり何かをしてあげるということは素敵なことだと改めて感じられたり、逆に人を想って何かをすることが相手にとっては酷なことだったりもするという人間のリアルな部分も描いた作品です。今心がもやもやしていたり未来がちょっと不安な方が寒い冬の夜、心温まる〝愛の物語〟に救われますように。初回放送日は2024年1月8日成人の日。30分拡大でお送りします。お楽しみに! 【映画『からかい上手の高木さん』】 山本崇一朗さんによる人気コミック『からかい上手の高木さん』の実写映画版で主人公の高木さんを演じさせていただきました。原作で描かれている隣の席の女の子にからかわれ続ける男の子…から実写映画版では10年が経ち、母校で再会する2人を描いたオリジナルストーリー。お話を頂く前からいち視聴者として原作やアニメを拝見していたので『からかい上手の高木さん』の世界に入ることができてとても嬉しく思いながらのびのびと楽しく演じさせていただきました。自然豊かで穏やかな小豆島で撮影できたことによって、スクリーンの中にも穏やかで温かく観ていて心地の良い映画になっていると思います。全編小豆島で撮影された本作は2024年5月31日公開です。お楽しみに! 【永野芽郁『非公開』in日本武道館】 8月末に開催を発表させていただいてから3ヶ月、あっという間でした。まずは無事に開催することができたこと、ありがとうございます。日本武道館という場所はながのにとっては大きすぎて、大勢の人が集まってくれるとわかっていてもどうしても立てる自信がなくて、だけど11月23日イベント当日「めいちゃーん!」「大好きだよ!」って全部全部ちゃんと届いてたよ。ながのの不安を全部蹴散らしてくれる愛に溢れた人たちが、時間が、そこにはありました。とってもとっても幸せでした。大型二輪免許の取得、ピアノで作詞した曲の弾き語り、Vaundyくんが歌う『カーニバル』でのドラム演奏、一人芝居などなど、ながのにとっては〝挑戦〟だらけの2時間15分でした。そう、今回のながの的裏テーマは〝挑戦〟。きっとみなさんに楽しんでもらえる時間をプレゼントできたんじゃないかなと思います。そして(メタな話にはなりますが)、永野芽郁ちゃんに見合うように頑張らないとと感化された1日でした。これからもみなさんに応援したいと思ってもらえるような人でいられるように、自分らしく楽しく面白がりながら努力していきたいと思います。これからもながのについてきてください。一緒にいろんな景色を見に行きましょう。みなさんのことがメイトのことが、大好きです。
11月のながののイチオシソングは米米CLUBさんの『浪漫飛行』。いつまで経っても古くならない石井竜也さんの詩。やりたかったのにやっていなかったこと、逢いたかったのに逢っていなかった人、行きたいのに行けてなかった場所…荷物はトランク一つ、イメージははちきれそうなくらいに膨らんで心はあの人に話したいことで溢れかえる、そういう〝夢〟が『浪漫飛行』にはあります。〝夢〟や〝愛〟の前で不安になることもあるかもしれないけど、そのすぐ側には希望がいてくれているはずです。〝逢いたい〟その気持ちがあれば旅に出る理由は十分。準備万端。会いたい人がいるっていいですよね。会いたい人がいるうちはきっと大丈夫なんだろうと思います。会いたい人には今すぐ会いに行って!ながのは会いに行くことにするよ。 今月はお仕事の情報がたくさん解禁になったのでお仕事の話をたっぷりさせていただきました。気になるものはありましたか?大量の情報解禁とまとめる時間と技術のなさが相俟って(盛大な言い訳)長くなってしまいましたが…これからのながのも見たいと思ってもらえますように!もっと知って興味をもってもらえますように!自由に書きたいことを書きたいだけ書いためいの月記、最後まで読んで下さりありがとうございました。 12月のながのめいもよろしくお願いします︎︎︎︎︎︎☺︎
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lgbtqromance · 5 months
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出公差偶遇黝黑健壯大屌運動員
下了飞机,已经是深夜,我并没有像其他人那样有很强烈的高原反映,空旷的拉萨机场的广场上很多计程车在拉生意,我和随行的领导随意找了一辆夏利便走了,一路看着拉萨大街上的风景,我的心情格外的好,这是第一次来拉萨,我对这里个神祕的圣地很是好奇,这次来是藉领导的光,是打着考察的幌子来的拉萨,回去还要说上的青海!真是麻烦领导一下出租手机就响个不停,然后对我说:你随便找个地方住下吧!我们明天早上见,没有重要的事别打我电话!领导的事我也不好多问。
反正我自己也落个清闲自由,他走他的我玩我的,妈的!正值旅游高峰期的5月,拉萨的大饭店已经客满为患了,我拎着行李箱在拉萨陌生的街头上乱串,我看见前边有一个很暗的灯箱,上边写着:友谊旅店,我的眼睛放出了狼一样的光芒,我先前的疲惫和失落一扫而光,我很快的踏进了旅店的大厅,一个汉族中年男人睡眼朦胧的接待着我,没有身份证登记,只是交钱拿钥匙上楼那麽简单,穿过了狭窄的走廊我进了房间,房间很小,也很简陋,只有2张单人床,而且床的距离很近,墙壁隔音很不好,我听见隔壁电视机的声音很大,棚顶一颗昏黄的灯炮,光线暗得让我想睡觉,我问他:晚上有没有洗澡水,他说:有但是不是很热,你要是冲一冲到是可以的,我没理睬他,我不想给他好脸,我想夜里他要是给我房间塞小姐我就先一脚把他的下巴踢掉,况且本爷们我不好那一口哈哈~我收拾了一下行李,简单的洗了洗就回房间了,我推了几下房间的门没有推开,我记得我出去的时候门是虚掩的,因为我把行李都锁起来了,我有些急了,我和大声的喊:老闆!开门,快点~没等我话音落地,房门“咔”的一声打开了,我定睛一看,一个高高壮壮很帅的男人打开了房门,我看了看他,他看了看我,谁也没说话就进了房间,我刚洗过澡有点冷,我脱了睡衣就进了被窝,他坐在我床旁边的床看着电视,那和古董一样的熊猫牌电视还在哇啦哇啦的叫着,而且台很少,只有中央和拉萨地方台,我感觉电视节目很没劲,我就那出一本在飞机上没看完的书看起来,我仔细的打量着身边这个人,看样子也就是25、6岁,诗歌藏族人,由于高原的人皮肤黑红,而且和粗糙,所以他有点显老,身高很高足有180的样子,身材魁梧,而且好像是个当兵的,因为他上身迷彩背心下边迷彩军裤,透过迷彩背心我看见他宽阔的肩膀和厚实健壮的胸大肌,手臂很粗,而且血管很明显的鼓在皮肤的外边,全身都没有一丝赘肉!
他回过头看看我,我用书很快的把脸档住了,他和我说:看电是不一想你吧!(他的汉话很僵硬)我放下书笑着说:没事,(谁说没事我感觉很吵还有我很累)他说:怎麽能不吵到你呢,我关了,我看他把电视闭了,而且拿着毛巾和香皂就要走,我说:你东西收好,别丢了,我看他拿的东西很简单便又说:除了我的毛巾和牙刷之外你可以使我的香波和沐浴露!
他说:真不好意思,那我就使一点,我说:呵呵~使吧!没事的我不知道他什麽时候回来的,由于旅途疲顿我迷迷糊糊的睡了过去,等我再醒来看他已经坐在床上,拿着指甲刀剪着手指甲来,他回头看我醒了,就问我:等一下,我剪完就关灯,他黝黑英俊的脸庞上带着淳朴的笑容让我的心随着动了一下,他上身什麽都没穿,只是下身围了一个旅店准备的毯子,我看着还没乾的水珠在他上身黝黑健壮结实的肌肉上流下来,留下了一趟痕迹,我的小弟弟一下就硬了起来,他真得很健美,他的胳膊很粗肌肉发达,厚实的胸大肌上有着像绿豆一样大的乳头,我想着要是含在嘴里吸吮一定很爽,真不知道他生殖器能有多大,听说藏族男人的生殖器都很粗长的!
我的心又是一阵暗喜,我闭起眼睛睡了过去,这个旅店靠近公路,经常过车,弄得我时睡时不睡的,我翻过来翻过去的就是睡不着,我把身翻过他的方向,黑暗中我看见他也没有睡,而且他的被子起起伏伏,他的呼吸很粗重,我看不见他眼睛是否闭着,但是他的的腿一直伸得很直,我在心里断定:他在Sh?u淫!
我想到这里我的心跳得彷彿要在嗓子眼出来一样,我的鸡鸡也不知何时硬了起来,我穿的内裤很紧,包裹着坚硬的大鸡鸡很难受,我把手伸向里内裤,我开始用手隔着很有弹性面料的内裤揉捏起里边发热的阴茎来,我闭着眼睛感受着自慰的快感,我一直没有把内裤脱下来,我一直用手来回的在内裤的一大包上抚摩摩擦着,我感觉龟头流出来的爱液已经把内裤弄湿了,我感觉有一个东西已经伸进了我的被窝,我的手马上停了下来,那个东西伸进被卧之后活动得很慢,好像是在试探性的在进一步运动,方向是我这边,我感觉一双穿着很弹性丝袜的大脚终于蹭在了我的腿上,我的心好像停了一下,这双穿着丝袜的大脚很大,感觉肉呼呼的就触碰在我的腿上,穿着丝的脚底还湿腻腻的!
很慢很小心的在摩擦着我的小腿,我想他可能看见我用手摸鸡鸡了,要不他不能这麽大胆的挑逗我!
看见他把脚伸进我的被窝我的心里一直很高兴,我把手缓缓的伸下去,我抓住了这只又大又肥的穿着丝袜的大脚,确实是肉呼呼的,而且很长,用单隻手根本握不住这只脚的脚掌!
丝袜很小很薄由于脚很大袜子勉强套在这双大脚的脚踝下,我用手开始摸起这只脚来,丝袜包裹的感觉让我摸起来滑滑的,而且脚心上有很多茧!摸起来很粗!
他看我摸得有点吃力就把脚慢慢的伸得更往里一些,一直伸到我的鸡鸡处,然后压在鸡鸡上边,这样我就可以双手抱着这隻大脚,而他却因为这样的角度身体已经斜横在他的床上,脑袋也枕不住枕头了!
我双手抱住他的这只脚就往上拉,一直拉到我的胸前,他也很识趣的用他的这只脚开始摩擦起我的胸口来,脚趾还一伸一屈的挑逗着我的下巴,我对着他侧翻了一下身,这样我可以看见他,他也侧身面对我躺着,他的这只脚还在我的被窝里,我开始用鼻子去嗅这只脚,有种皮鞋和脚汗混合的馊味但是并不臭,(高原的人没有脚气)我开始用嘴亲吻起这隻大脚,突然他把脚抽了回去,然后他把手伸了过来,打算拉我的手并且操着很生硬的汉话对我说:大哥!我想上你被窝!我很高兴的说:进来吧!他听我答应了,很快的就跨上我的床,床一下子变挤了,他健美的身躯离我如此的近,我感觉他的皮肤很光滑,没有别人说的藏民身上的怪味道!还散发着年轻男人的幽香,我?起头示意他把手臂放在我的脖子下,他和明白的就把手放下去还很随和的把另一直粗壮的手臂环抱起我来,健美弹性的身躯一下子把我包围,我的身体马上热了起来,他很本能的开始将他的下身贴在���腰际并且开始挺起来,我不用看就知道他穿了一条很弹性面料很光滑的T裤,我掀开被子,很惊奇的看着在他健壮的胯间包裹着那弹性的一团的红色健美小T裤!
原因是这麽闭塞的地方怎麽也会有这麽前卫的内裤,他看出我的意思笑了笑对我说:这是我在北京参加比赛的时候买的,我在网上看见过这个店,我问:你是军人参加什麽比赛,他哈哈笑起来,说:看我穿迷彩装就是军人吗?我是健美操运动员,我家在拉萨,我在兰州念书,我摇了摇头!心里骂着自己的自以为是!
他看着我的眼睛好久!然后把环在我脖子上的手臂抱得紧了些,一双温热的唇就贴了上来,我感觉他的唇很柔软也很弹性一直很贪婪的包裹着我的唇,我的呼吸慢慢的加快,我的手也开始大胆的抱着他弹性健美的腰间,他的吻越发疯狂,他开始把舌头伸进了我的口腔,他的舌头和放肆在我的嘴里与我的舌头纠结!我开始吸吮起他的舌头来,感觉舒滑无比,带着薄荷的清香,(他刚刷过牙)我的四肢被他缠得死死的,完全被他的四肢控制着,他那被弹性小T裤包裹的一大包东西开始顽皮的与我内裤里的那玩应摩擦起来,而且还不时的挺几下,这些动作都令我兴奋无比,我一翻身就把他按在下边,他眼睛紧闭,全身显得很放松,身体瘫软得像一直听话的绵羊,我骑在他那弹性的一团东西沙锅,手扣住他的手指,开始亲吻起他的脖颈!
他开始嘤嘤呻吟起来,嘴里模糊的说着:啊~真舒服~啊~真舒服,我在兰州要是遇见该多好,他的手开始抚摩起我的臀部,并??且伸进我内裤里开始揉捏起我的臀瓣来~我的唇亲过他脖颈一直亲吻到他结实的胸膛!弹性结实的胸大肌,让我很迷恋,我开始用舌头舔吮起他的胸肌来,并且开始吸吮着他的乳头,他的乳头很硬和坚挺,被我含在嘴里不停的拿舌头舔拨!
他开始禁住这样刺激的快感,他的头仰了起来,身体在我的身体下扭动~这样的动作令他宽阔的肩膀结实的胸大肌更显得魁梧健美,他的手紧紧的抓住床单,并且轻轻的呻吟起来:丝~~丝~啊~啊~~好舒服,以前从来没人告诉我吸吮这里会这麽舒服!
啊~好舒服,哥哥~啊~哥哥~别停~别停!我的唇开始向下移动,一直亲吻到他结实平坦的小腹,我的胸口压在他弹性的那一大团上,用舌头时而舔拨时而吻吸,他被弄得春情激荡,面颊泛起红潮,全身结实的肌肉也柔软如棉的在我的襁褓内任由我的抚弄!
我们脱掉彼此的内裤,开始互相抚摩起对方的大鸡鸡来,他的鸡鸡果然很粗很长,而且龟头饱满弹性十足,又热又胀,我用我的龟头开始摩擦起他的龟头来,随着我们俩人龟头互相的摩擦,我们的龟头上流出很多粘湿滑爽的液体!
液体流得越多我们蹭得越舒服,那种用语言形容不出来的快感,迫使我们俩很上瘾的手握对方的阴茎干越来越快速的抖动着对方的阴茎,让对方的龟头更准确的摩擦到彼此龟头上的敏感区,我们的龟头时而围着对方的龟头打圈,时而用龟头上的马眼来摩擦对方龟头的马眼,我们很兴奋的接吻,互相吸吮着彼此的舌头,他突然一下把我的拔开,对我说:不行!哥~我要来了!我也很激动的说:那就忍一下,他起身拿出行李袋,拿出一管葯膏和一个自慰环(电动,男男性行为性玩具,两根电??线上有两个胶皮圈套在龟头下的冠壮沟处,打开开关,震动,跳跃!)我当时很是惊讶他有如此高昂的性趣!
他抱着我亲吻着我的耳判对我说:我们涂上助勃延时凡士林然后套上双人震动环好吗?我着的很激动,一把抱住他结实弹性的身体,很用力的含住他的嘴唇和他接吻,助勃延时凡士林涂在我们两人的龟头上后,大约要10分钟后有效果,在这时间里我们互相用手托着对方饱满的阴囊,给对方的阴囊按摩,向下牵拉对方的睾丸并且揉捏,这样我们一会用双人自慰环的时候会和有耐力,我们的手从来没有离开过对方的生殖器,彼此给对方按摩生殖器都很舒服,助勃延时凡士林起了效果,感觉大鸡鸡坚硬如铁,他的大鸡鸡又粗又长,龟头黑红,青筋爆露,血管绷起,整根大鸡鸡不照种马屌差,他先给自己套上自慰环后为我也套上了,我们紧紧的抱在一起,他的腿伸进我的双腿间,我们互相夹着对方的腿,双人自慰环把我们两人的大鸡鸡连在一起,他说了句:我开开关后,就一下把嘴唇贴在我的嘴唇上,并且把舌头伸进了我的口腔,我听见开关叭的一声被扭开,强烈的快感袭来,整根大鸡鸡都被震动起来,酥麻奇痒的快感以下击穿我的身体,我看见他随着开关的启动,嘴里发出了一声:啊~之后!身体一下紧蹦起来,双眼紧闭,手紧紧的抱着我的身体,把头埋在我的脖颈间!
我们的身体随着双人自慰环震动带来的快感而拥抱在一起互相摩擦着!完全兴奋的大龟头被自慰环包裹和身体之间的摩擦让我们很是满足,我们呼吸加速,已经异常的坚硬,双唇紧紧的包裹在一起,舌头开始纠缠!
自慰环的震动是同步的,俩人的鸡鸡的快感是相同的,他的手紧紧握着我的手,表情很兴奋全身的肌肉僵硬着,自慰环的震动发出”嗡嗡”的响声~他的腿在我的裆间伸得很直,连脚趾都伸直了,我们全身很同步的颤抖着,我发现连龟头上的马眼定时的流出液体都是同步的,由于助勃延时凡士林的作用,一直相射可是快感还老也达不到射的强度的折磨,让我们俩热欲仙欲死~快感频繁的将我们两人的身体折磨的颤抖,快感让他那根套着自慰环的粗硬大鸡鸡也一直被他由于收缩阴茎系带弄得一翘一翘的鞭打着我的阴茎,突然我感觉阴茎的快感达到了极点,我再也忍受不住了,他的呻吟声月越发的大了起来,他”啊~啊~”的叫着,身体紧绷,全身的血管都蹦了起来,他的手臂紧紧的抱着我的身体,我们两人呼吸沉重,双腿紧紧的纠结在一起,他一下子把我的舌头吸吮住,我听见他用厚重的鼻音”恩~恩~恩~”的闷吭着,他那火热的大鸡鸡和有力的喷射着精液,灰白色的精液(有写民族的精液是灰白色的)”次~次~”的射在我的肚皮上,我也全身一抖,一时没忍住,与他同时射了出来,他抱着我,身体随着射精的快感颤栗着,双人自慰阴茎环还在震动,我一把把它拉掉!
开始和他接起吻来,我们喷射的精液混合在一起,在我的肚皮上留到了我的腿上,随着我们的拥抱,身体的摩擦,涂抹得我们俩人肚皮,大腿,手臂,到处都是!我们看着窗外天空泛起的鱼肚白,很满足的互相拥抱接吻,没有一点睏意!我们很满足的又依次把舌头伸进对方的嘴里…
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oka-akina · 6 months
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デモに行ってきたよってツイートできなかった
日曜日、渋谷駅前のスタンディングデモに参加してきました。参加というほどではないかも。ツイッターで見かけて知って、行ってみた。全部の時間はいられなかった。朝ゴルフの練習に行って夕方から飲み会があったので(文フリ打ち上げを2daysでやった)その合間に立ち寄ったという感じ。こんなカジュアルに参加していいのか、でもそのくらい気軽にやれたっていいんじゃないのか、気持ちがさだまらなくてずっと落ち着かなかった。あとデモという場にあんま慣れていないのもあって心臓がバクバクしていた。
デモに参加していますとツイートしようとしてうまくできなかった。ツイートの文章をいじりながら何度も画面を開いたり閉じたりしていた。あとでツイッターのタイムラインを遡ったらフォローしている人もその場にいたようだった。すごく寒い日で、予定がなくてもずっとその場にいるのは無理だったかもしれない。スマホの充電がぐんぐん減っていった。
なんでツイートできないのか自分でもよくわからない。トランス差別反対のデモとかTRPとかでもそうだったんだけど、ハッシュタグをつけてツイートすることにためらいがある。だいたいいつもオンラインではしっかり報告できず、「まあその場にいたことはいた」という感じになってしまう。その場にいたことはいたならば、頭数になったならばまあいいんじゃないのか、むかしはSNSなかったんだし、SNSやってない人もいるんだしと言い聞かせながら。パートナーにこそっと言ったり、一緒に来てもらったりがせいぜい。
わたしは何をびびっているんだろう。デモの場所に行って写真撮って参加したよとツイートするのはなんかこう何もできない自分が何かしたよという証拠を残している、アピールしているみたいな気がしてなんかこうなんかこう…。人がそうツイートしているときにはぜんぜんそんなこと思わないんだけど、自分については。
そして虐殺やめろということを言いたい場所なのにどうして自分の自意識の話でこんなにうじうじしてんのか、なんかもうとにかく恥ずかしくなってしまう。
9.11やイラク戦争のときの冷笑的な空気を覚えているからかもとも思う。いまはぜんぜんちがうのもわかっている。
子どものころ授業でアンネの日記をやって、どうしてそんなひどいことをしたのに同じ国の人も周りの国の人も止められなかったんだろうと素朴に思った。むかしの人は野蛮だったのかなと本当に素朴に思った。いまのこれはどうなんだと思う。あるいはこのあいだ読んだ『理不尽ゲーム』でもそういうことを考えた。
『ガザに地下鉄が走る日』や『ハイファに戻って』を読んで、本をシェア型書店や私設図書館に置いてみて、それで何かをしたことになるのか。たぶんならない。ならないこともないとは思うけど、やっぱり何にもなっていなくて、無力感を感じている。この無力感だって自分の感情の起伏ってだけなのではとも思う。
わたしも好きなアイドルの写真とかがガザの瓦礫から見つかったり、あるいは昨年ウクライナの避難する人たちの向こうに好きなアイドルのセンイル(誕生日)広告が映っていたり、虐殺や侵略の場に同じアイドルのファンがいる。その写真わたしもすごく好きなやつで、持ち主は無事なんだろうか。そういうことでも胸がしめつけられる。やはりたんに感情で思っているだけかもと思う。でも感情が動かなくてどうするんだとも思う。そういうところからいてもたってもいられなくてデモに参加する人はいっぱいいる。もっと堂々とした態度で。
でもみんなが大声をあげたり大きなプラカードを持ったりしているわけではなかった。ぶらっと来た感じの人はほかにもいたように見えた。周りにいた人たちと何かしゃべったりはできなかった。ほんとにその場のはじっこにちょっといただけ。でもいたことはいたと言いたくなっているのが、どうにも格好悪い気がしている。それでなのか、昨日今日とイベントで感じたことなどに言及するツイートがやけに増えてしまった。
そう、ついきのうまで文フリと新刊でドタバタしていて、ほんとにもう自分の作品のことばっかりだった。なんかもうとにかく自分が誠実でない気がしてうーっとなっていた。
そして、ほんとにこれはぜんぜん、ぜんぜん関係ないことなんだけど、この日大好きだった友だちの結婚式があって、でもいろいろあってキャンセルしてしまった。いま自分がデモの場にいるのが、そのキャンセルへのアリバイづくりみたいな気もしてきて、とにかくうしろめたかった。
その後打ち上げで会った人��ちに話そうとしたけど話せなかった。参加してきたよということもだし、自分のこういううじうじした気持ちについても相談したかった。開始早々スマホの充電が5パーとかだったので充電器貸して〜って言ったときに言えた気がするのになんかだめだった。
ぜったいちゃんと話をきいてくれそうな人たちで、むしろわたしなんかよりしっかりものを考えている人たちだったから、もし話したらばかにせず聞いてくれたと思う。でもなんか言えなかった。わたしが一番年上だったから恥ずかしかったのかな…。年齢の割になんも積み重ねてきてないなーという気持ちもあった。それでほんとなんかいろんな感情がぐちゃぐちゃになってしまい最後酔っ払って泣いたりギャーギャー騒いだりしていたのでほんとに恥ずかしいね…(まじでごめん)。
文フリ東京の話はまたあとでまとめます〜
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kennak · 8 months
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とっくの昔に旬を過ぎている質問と思われますが、面白そうなので回答します。 一般的に思われている「クラシック」とは、ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽です。古典派の時代くらいから市民階級を対象とした「コンサート」が行われるようになり、レパートリーとして交響曲をはじめとする器楽曲が数多く書かれ、19世紀を通じて隆盛を極めました。はじめは存命の作曲家の作品ばかりが演奏されていたようですが、コンサートの数が増えるにつれ、曲が足りなくなり、「すぐれた作品であれば、故人のものでも演奏しよう」ということになります。数々の音楽雑誌が創刊され、音楽に関する言論が盛り上がります。シューマンが創刊した「新音楽時報」が代表格で、これは現在も刊行されています。音楽雑誌の主要な関心は、「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定」でした。現在コンサートのプログラムを飾る数々のクラシックのレパートリーは、こうした中で選ばれてきたものです。バロック時代の作品はいわば「前史」として、後に発掘されたものです。メンデルスゾーンがバッハを発掘した例はあまりにも有名です。 作曲家たちは、こうした中で勝ち残りつつ、世俗的な成功をおさめようとしのぎを削っていました。みんな「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を目指していた、といっていいと思います。が、19世紀後半に爆発的な数の作曲家が出て、個性を追求しようにも、もはや音の組み合わせが尽きつつあるのではないか…その問題から逃れようがなくなっていきました。そもそもオクターブに12音しかないものを、多くの作曲家が競争して曲を書いて行ったら、可能性を汲みつくしてしまうのではないか…そういう種類の問題です。 その問題の処し方は、ヴァーグナーが切り開いた半音階和声の道や、国民楽派が切り開いた民族性追求の道、フランス人たちが切り開いた旋法や非機能的和声の活用の道でした。 20世紀に入っても、少なくとも第一次世界大戦まではこの延長上で数々の作曲がなされていました。民族性追求はジャズやガムランなど非ヨーロッパ音楽への関心を生み、そのよって立つ民族を広げながら続いていきます。フランス人たちの切り開いた道も、それはそれで継承されていきます。 が、半音階和声の追求の中からシェーンベルクが無調の道を開き、一般の聴衆と決別する傾向が出て来ます。複調を多用した作品でスキャンダルとなったストラヴィンスキーの春の祭典も、同じように言えるかもしれません。新しい作曲技法の追求は、第1次世界大戦前の段階で、「クラシック」の前提であった「市民階級を対象とした芸術音楽」から外れ始めたのです。簡単に言えば、「最新の技法で曲を書くと、市民に聞いてもらえない」「市民を置き去りにしないと、最新の技法を試せない」という状態に陥ったのです。 第1次世界大戦以降、ロマン的な感覚が毛嫌いされ(民族主義を盛り上げる=ナショナリズムに訴える=戦争に結果的に協力する部分があったのは否定できません)、クラシック界は新古典主義の時代となります。シェーンベルクは十二音技法を開拓しますが、これも言ったら無調のシステム化であり、理性的です。中には新古典主義の語法を適度に取り入れつつもロマン的な曲を書いた人もいますし(バーバーとか)、ルネサンス期の舞曲や民謡を編曲した懐古的な作品も見られますが、例外的です。 ただ、この新古典主義ですが、形式への回帰とロマン的な感情表現の否定、下手をするとオリジナリティの否定(民謡と現代的な作曲技法を結びつけたりしています)ですので、大物は出て来にくいです。最大の大物はラヴェルとバルトークだと思いますが、フランス6人組といっても一般的には知られていないでしょうし、コダーイやカゼッラやマリピエロも通常は知らないでしょう。 何より、第1次世界大戦が、それまでの「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定を行う市民階級の共同体」に物理的・経済的に深刻なダメージを与えたことは間違いないでしょうし、それまでのようにナイーブに共同体の共同主観を信じることも難しくなったでしょう。ナイーブに自国の素晴らしさと誇りを信じた結果、破局的な大戦に至り、ドイツ・ロシア・オーストリア・オスマンの4帝国は解体となりました。フランスは人口構成が変わるほどの大ダメージです。ロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」という理想自体が、技術的にも理念的にも疑わしくなったと言えるのではないでしょうか。 悪いことは続くもので、ソ連では社会主義リアリズムが叫ばれるようになり、音楽は大衆に奉仕するものとして、人為的に古めかしい様式で書くことを強制されるようになりました。ナチスは実験的な音楽とユダヤ人の音楽を抑圧しつつ東方に勢力を広げました。ここでもロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を試みるための自由が奪われたわけです。結局、そうした自由が残っているのは実質アメリカだけのような状態になりました。ガーシュウィンやグローフェやコープランドやバーバーやケージなど、アメリカだけがかなり元気に見えるのは、絶対に偶然ではないでしょう。 要するに、戦間期の段階で、すでに「クラシック」を生み出してきた種々の条件が大幅に崩れています。オリジナリティの余地は狭まり、オリジナリティ自体の正当性が疑われ、クラシックを支えてきた市民階級の共同体は物理的・経済的・精神的に力を失い、やがては全体主義国家による抑圧も行われるようになった、ということです。こうした時代に、ベートーヴェンのような素朴な市民共同体の信奉者や、ショパンのような詩人や、ヴァーグナーのような誇大妄想狂が伸び伸びと作曲できたでしょうか。 さらに、凄惨な独ソ戦はドイツ以東を滅亡の淵に突き落とします。一応戦勝国のはずのフランスも、ドイツに率先して協力した者を糾弾するなどで戦後は内輪もめです。クラシックを支えてきた市民階級の(ある意味のんきな)共同体など、大陸諸国では崩壊したものと思われます。おまけに戦後は鉄のカーテンで、東欧は全てソ連の影響下となり、抑圧体制となります。社会主義リアリズムは粛清を伴う形になり、自由な創作は生命の危険を伴う状態にすらなりました。社会主義リアリズムとは「強制されたロマン主義音楽や民族主義音楽」と言えると思います(ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンを聞けばわかります)。ソ連の音楽界は、西側諸国から離れ、ガラパゴス的な世界となりました。 対抗上、西側諸国では、いわゆる前衛音楽が各国政府によってバックアップされ、自由のアピールとされました(ロマン主義・民族主義・新古典主義のどれをやっても、社会主義リアリズムと被ってしまいます)。前衛音楽は新しくていいのですが、一般市民にアピールする力はありません(ヨーロッパの音楽愛好者が、「前衛音楽は、風変わりな音が古い城の大広間などで演奏される様が最初は非常に新鮮で面白かったが、すぐに飽きた」などと書いています。一番好意的な反応でこのくらい、と考えられます)。受け取り手の共同体が崩壊し、作品をつくる側が市民階級から背を向けていたとしたら、巨匠が出てくる余地があるわけがないではありませんか。 一応、メシアンだのブーレーズだのケージだのライヒだのと、主要な作曲家を挙げることはできますが、おそらく一番影響力があって楽壇をリードしていたブーレーズが、ある時期からほとんど作曲をしなくなり、指揮ばかりするようになってしまったのが象徴的です。要するに、「クラシック」を生み出してきた種々の条件が完全に崩れてしまったのです。質問に対する直接のお答えは、これです。 戦後に起きた大きな変化としては、世界の中心がヨーロッパからアメリカに移ったこと、旧体制(ナショナリズム的な国家体制)が若者世代から各国で猛反発を食らい無視できなくなったこと、貴族主義やエリート主義の崩壊(といって悪ければ地下化)などがあるでしょうが、これもすべてクラシックの首を絞めています。代わりに台頭した音楽が、アメリカ起源のロックで若者対象の音楽であることが象徴的です。 それでもクラシックに関心のある層は、クラシックの新作ではなく、指揮の巨匠によるレコードの演奏の違いに関心を寄せるようになりました。が、徐々に生演奏のハッタリ要素は自粛され、レコードにしても傷のない演奏をコンサートで行うのが当たり前になり、クラシックは新作という意味でも、演奏という意味でも、活力を削がれる形になっていきます。1960年代くらいのライブ録音など聴くと、相当にロマン的な無茶をやっていて楽しいですし、各国のオーケストラにもまだ明確にエスニシティがありますが、70年代以降どんどんそれは消え失せていきます。演奏に全く傷のない録音とそれとそん色ない生演奏の極北は、シャルル・デュトワとモントリオール交響楽団だと思いますが、あれはあれで尖った個性だったと思います。しかし、もはやその路線もありません。クラシックのCDは、どれをとっても似たような穏健な解釈とそこそこ傷のない演奏により、聴く人の「既存の曲のイメージ」をほぼ再確認するだけのものになっているように思います。おまけに値崩れも甚だしく、昔の巨匠と世界的オーケストラの録音が、500円くらいで投げ売りされていたりします。 それでも、宮廷料理に起源のある高級料理が滅びないのと同様、クラシック音楽が絶えることは一応ないでしょうし、また映画音楽などのネタ元として、クラシック音楽は活用され続けるでしょう。もしかしたら、一応西欧文明の影響下にある国々に普遍的に流行する音楽も書かれる余地はあるかも��れません(クラシックではありませんが、Let it goが世界43か国語に訳されて歌われたのはなかなかエポックメイキングだと思います)。が、その時に使われる作曲技法は絶対に最新の前衛的な技法などではなく、多くの人にわかりやすいロマン的あるいは民族的あるいは新古典的な様式でしょう。 クラシック的(あくまで「的」ですよ)な作曲法で大流行した例としては、パーシー・フェイスとか、ヘンリー・マンシーニとか、ポール・モーリアとかが挙げられるでしょう。映画音楽は後期ロマン的な様式で書くというルールがハリウッドで確立されており、ジョン・ウィリアムスはその巨匠です。日本だと久石譲ですね。こうした音楽は、おそらく今後も書かれ続け、一定程度の人気を得る曲も出てくると思われます。 が、クラシックの系譜に直接つながる音楽=ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽で、作曲家が世界で自分にしか書けない鮮やかな個性を目指して最新の技法で書き、多くの人に受け入れられた上、歴史の審判を経て残る音楽=はもはや、存在しえないと思います。
なぜ、現代に、クラシックの大作曲家が輩出されないのですか?大昔の作曲家のみで、例えば1960年生まれの大作曲家なんていません。なぜでしょうか? - Quora
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pudknocker · 3 months
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ここ最近の「翻案」をめぐる議論、発端となった問題に関しては事実確認と再発防止策の徹底をすべきだと強く思うが、今回の事件に関する議論から話が転がりまくって翻案作品そのものに対する弾圧が始まってるのは流石にどうかと思うし、素朴な原作原理主義が行き過ぎてると思う。 翻案にあたって原作者と作品への敬意とコミュニケーションが必要不可欠なのは当然の話だが、そもそも映画やアニメーションはあらゆる文芸作品(小説、漫画、戯曲etc...)を翻案することで相互的な発展が促されてきたわけだし、翻案にあたってはそれぞれの媒体に合わせたアレンジも当然行われる。「オリジナルで勝負できない脚本家/演出家はダメ」「原作こそが至高」というような素朴な義憤は、むしろ今回の事件が提示した問題を更に悪化させるきっかけになりかねない。 前からネット世論に流れる「創作」への歪んだ意識というか、「何かを"ゼロ"から生み出すこと」への異様な信仰がさらに先鋭化しつつある空気があって、ちょっと心配。どんなに独創性に溢れた創作も先行作品や様々な知識を作者の手で再構築した結果の産物であって、完全に無から生み出された作品なんてこの世に存在しないのだが、どうにもその辺が混乱したまま議論がおかしな方向に進むケースが少なくない。「コマを割って吹き出しで台詞を表現する漫画」「クロスカッティングやオーバーラップを使った映画」が全て「他人の褌で相撲を取る」と断罪されるわけがなかろうに。
Xユーザーのかねひさ和哉さん
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manganjiiji · 3 months
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いつかはぜんぶ幻みたいに思えても
タイトルはSwitchの曲「オモイノカケラ」より。昨日友人と会った際に彼女がこの歌を口ずさんでいて、ああ、この曲も大好きだったなと思い出した。Switchの曲はどれも良すぎる。なんでSwitchはここまで曲に恵まれているのか?恐ろしいほどだ。たんに私の好みに合っているだけかもしれないが。キャラクターのパンチがそこまでではない(いわゆる正統派美形ではない、搦手の3人)ため、曲は厚遇されているのか?などと思ってしまった。そのあたりのバランスはありそうだが、まあわからないことを考えても意味がない。そしてオモイノカケラを叩いていて思ったのだが、宙の顔のモデリングがえぐいほど良いということだ。夏目もいいのだが、あんスタの3Dはやはり小さな子供の顔が基調だと思うので、ということを差し引いても宙の顔のパーツ配置や輪郭が黄金比すぎる。夏目も童顔なのでいい感じだが、追加ユニットゆえのモデリング改良を受けているのだろうか。つむぎは成人男性のため、他のキャラと同じくややアンバランスだが、とにかく宙の顔の美しさが群を抜いている。どの角度から映されてもあまり現実の比率と齟齬がない。Rabbitsには感じたことがない感覚なので、やはりモデリング技術のなんらかの向上があるのか、宙だけ異様にうまくできてしまったのか…とまた考えても答えのないことを考えている(もしかしたらどこかのインタビューに答えがあるのかもしれないが)。そうなるとmusicで追加されたALKALOID、CrazyBの面々のモデリングもかなり改良されていそうなものだが、こちらには童顔(小柄)キャラがいない。一彩、藍良、こはく辺りはやや童顔系だが、宙ほど幼くはないので、やはりいつものやや幼さのある謎のバランスの悪さが発揮されている。成人男性モデル組はそもそも変。私は変だと思っているが、これがあんスタのモデリングなので別にいいと思う。顔も体も、なぜか立ち絵よりも幼く作られているのは、どんなコンセプトがあるのかいつか知りたいところである。というか、アイマスからの「少女型」モデリングをそのまま継承しているイメージでもある。これはモデリングをする人の手癖とかもあるのかもしれない。
SPECTATORS vol.52のアメリカ保守リベラルの年代まとめを終えた。1929年のウォール街大暴落までは、自由奔放な野蛮な(素朴な)アメリカ、その後ルーズベルトのニューディール政策により「大きな政府」=リベラルの時代が約40年続く。1980年代になり、ベトナム戦争の敗北や全体的な生産力の低下、アメリカ内部の分裂が深刻になり、「古き良きアメリカ」への懐古と、いきすぎたリベラルへの反動で、レーガンの「小さな政府」へ。ここから現在にいたる約40年間が保守の時代。こうしてまとめると、いろいろと見えてくるものがある。つまり、私が生まれた時代というのは強烈なアメリカ保守への揺り戻しの時代で、まさに自由市場主義が推し進められた、それも過剰に推し進められた「小さな政府」の時代だった。そして、失われた30年間とかなんとか、日本では言われるようになる。が、アメリカでは依然保守が強いので、日本の政党もかなり右傾化したままここに至っている。日本では経済成長が終わり、デフレ真っ逆さまのなか、「小さな政府」路線からなかなか脱却できず、福祉や公助で人々を救うのが遅れに遅れ、その間も自由市場主義によって格差はどんどん拡大した。これが私が生きてきた35年ほどの日本の状況だったように思う。この最悪な状況のなかで、確かに精神を病む大人(親)は多かったし、その煽りを受けて家庭内虐待が大量発生し、私たちの世代(子)もかなりの割合で、若い(子供の)うちから精神疾患を発症している。おそろしい時代だと思う。これから、格差拡大により増加した貧困層にいかに税金を割いていくか、を考えなければならないのに、日本は高齢者への福祉にかなり足を取られている。この状況はあと20年ほどは続くだろう。若い人たちは限られた自分たちに使える税金をいかに分配するか、工夫しなければならない。こんな状況で被虐待児や元被虐待児に支援を、と言っても、とてもそんなところまで手が回らないと言われるのはすごくよくわかる。とくに虐待なんて、誰もが関わりたくないトピックだ。それは、「虐待者が悪い」と言ったときに、その虐待者が権力者であった場合、指摘した側、子供を助けようとする側の立場が悪くなるから。しかし、被虐待者である子供の側には、何の権力の後ろ盾もない。親と子が争った場合、ふつうに負けるのは子供の方である。そして虐待死に至るか、虐待を耐え続け逃げ延びても、その先で精神疾患になり自殺する。または自殺と常に隣り合わせで地獄を生きていくことになる。それでも、そんなことはどうでもいいとばかりに、児相は動いてくれない。これがなぜなのか私には全然わからない。児相がふつうに仕事をしてくれたら、虐待の被害はもう少し減るだろうし、こんなに民間で自助しなければならない構造は変わるだろう。児相が機能していない背景には、やはり、親権規定の強力さがあると思う。親権規定がある限り、児相がいくら子供を助けたいと思っても、親から子供を引き離すことはできない。親の虐待が検挙されるか、親がyesと言わなければ、子供を施設で保護することはできない。加えて施設も里親の数も足りない。日本にはとにかく血の繋がった子でなければ愛せないという神話が未だに渦巻いており、養子文化は全然ない。またはそれは悪いこと、恐ろしいことと思われている側面さえ感じる。私には理解できないが、血が繋がっていればその子供を愛せるらしいし、血が繋がっていなければ、その子供に対してどこか投げやりになるということなのだろうか。そんな人間ばかりではないと思う。みんな犬や猫を家族として受け入れているんだから、人間だって血が繋がっていなくても家族になれると思う。かかる金の桁が違うが、「自分の子」として受け入れるなら、愛情は注げるはずだし、誰の腹から生まれたかがそこまで重要なのか?と、養子反対の感情は私には本当に理解できない。私がさっさと結婚して養子を育てれば話は早いのだが、そもそも30代後半の精神障害者が結婚することがかなり難しいので、そこを強行突破できればいいのになあといつも思っている。あと30代後半の精神障害者と結婚してくれるような男というか、30代後半の女と番いたいと思う男に基本的にはまともな人は残っていないので、そういう男と結婚するのは憂鬱だなあと思っている。ここで虐待が再生産されたらなんの意味もない。養子縁組や里親は私以外の健全な人間たちにぜひお願いしたいと思っている。私は自分が養子を取るという面においてはあまり虐待問題に貢献できなさそうなので、仕事で被虐待者の支援を請け負う人間になりたいと思う。本当は自分の好きな仕事をして好きな人と結婚して子供を産んでまあふつうの家庭や家族をやってそれなりの人生を送りたかったのだが、それは無理だったので、せめて自分にできることを、と思っている。このような体力のない精神障害者でも、いないよりはいたほうがいい。0よりは、0.1でも、力はあったほうがいいのだと思っている。自分のためだけに生きられる人間だったらもっと楽だったと思う。でもたまたまそうは生まれつかなかった。自分の仕事をして、余暇で趣味をする。本来なら人間の生活とはそれでいいはずだ。でも、私はそうではなく、とにかく子供たちや、今も苦しむ大人たちを少しでも楽にしなくては、と思っている。それは自分にその経験があるから共感しているからなのかもしれないし、過去の自分を救済したいからなのかもしれない、それはどうでもいいのだが、とにかく、1秒でも早く、苦しんでいる誰かを実際的に救わなくては、と思う。この感情に駆られず生きられたらとても穏やかなんだろうなと思うが、たまたまそうは生まれなかったので仕方ないと思う。なんでみんな自分のことだけ考えていられるんだろう、自分が幸せならそれでいいんだろう、と不思議に思う。逆に、私も不思議に思われているはずだ、なぜ他人の救済を義務のように感じているのかと。もうこれはお互い生まれつきなので、お互い根本からの理解は不可能だと思う。
「自分にケアが必要な人ほど、他人を助けたがる」と苦言されたことがあった。でもそれは仕方がないと思う。他人を助けたいあまりに自分がダメージを受け、そのダメージが回復していないとしても、まだ他人を助けようとしてしまう、根源は同じだ。自分のケアをある程度まで進めてからでなくては共倒れになるのだから他人を助けることなど到底できない、と鼻で笑われたとしても、実際その通りなのだが、でも強烈に他人を助けなければという思いは消えない。その為にも私は自分を立ち直らせることを急いでいる。共感性の高い人がそうなりやすいと思う。自分が傷ついた経験から、他人の傷をこれでもかと想像できてしまい、その苦しさがわかるからこそ、助けたくなる。その人が少しでも楽になれば、共感によりこちらも少しは楽になる。その人が苦しんでいればこちらも苦しい。共感性も生まれつきのものだと思うので、これは仕方のないことだと思う。
共感性の高い人間には、おそらく、共感性の低い人間の感覚はわからない、逆もまた然り。利他的な人間には利己的な人間の感覚はわからない、逆もまた然り。これはどちらがいいとか悪いではなく、単に生まれつきが違うだけだからそうなってしまうのだ。そこで分断されずに、ただ、あなたはそうなんだね、とお互いの特質を理解して尊重するだけでいいと思う。私は共感性が高く、利他的な人間に生まれついたが、これがマイノリティであるということはさんざん今までの人生でわからされてきた。そして、自分も、自分と違う感性を持つ人も、別にどちらも悪くないし、どちらも正しい、みんな、自分の生きたいように生きればいいということをわかっている。
2023.1.29
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patsatshit · 6 months
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東京滞在日記。
◆Day1
12:45 新横浜到着。寒いと思ってヒートテックやらネックウォーマー、起毛したパジャマを持っていったにも関わらず、気温25度で照り返しがきつく汗ばむ気候。東京に住んでいた頃、関東は体感温度が関西よりも5度くらい低い気がしていたのに。レイジアゲインストザマシーンのウィズアウトアフェイス。かっこええー。96年発売の曲の中で一番好きかもしれないな。いや分かんないけど。終わるのが悲しくてリピートしてしまう。
12:57 京急に乗って雑色へ。「ぞうしき」と読むらしい。聞いたことも見たこともない地名。最近友人が引っ越したというので、おじゃまさせてもらうことになった。ありがとう。大田区。飛行機に乗らない私にとってはあまり縁のない地区。東京タワーからは程遠く、都会とは縁のなさそうな樹々が生えていて、なんだか良さそうな街。昔ながらの商店街もある。バックナンバーからaiko、いきものがかりと平成J-popが次々と流れてくる。結構長そうな商店街。天六ほどではないだろうけど、先が見えないので抜けられるのかドキドキする。突然見覚えのある走り方をする人影が見えてきた。
13:55 友人宅到着。ちょっと駅からは離れているけど、立地は最高。大きな窓からは多摩川が見えていて、開放感でいっぱい。空港が近くにあって、すぐにここを飛び出してアメリカへでもいけそう。
14:30 友人は1日在宅ワーク。ずっとパソコンに向かってタイピング&会議私は後ろでひたすらゴロゴロ。ヒモみたいになってた。
16:00 夕方、仕事終わりの友人と茶をしばくため虎ノ門へ。むっちゃ薄暗い照明のお店。店内はマスターのオキニが詰まった宝庫みたいになっていて、グレングールドがかかっている。ライトな雰囲気のカフェと聞いていたけど、かなり荘厳な感じ。バカ話できるかな?友人登場。私が今ちょうどほしかったcasetifyのiPhoneケースを使っていてテンションが上がる。「ちょうど昨日藤原ヒロシが『便利』って言ってたよ」という話から佐川急便男子の話まで途切れることなく2時間強話しまくる。酸味の効いたコーヒーと濃厚なチョコレートケーキ、淡白なチーズケーキの相性がそれぞれ完璧だった。友人の背後からフライヤーの三島由紀夫が鋭い眼光でこちらを睨んでいた。ずっと怖かった。
19:10 『ざっくりYouTube』で見ていた池尻大橋の「喜楽亭」へ。ジュニアさんが座った席と同じところに座れてテンションが上がった。料理はもちろん極上。こう言っちゃなんだけどまずいハンバーグカレーとかあるのかなぁ。ルーとライスを綺麗に分けずに「親父ガケ」して「親父グイ」(ルーを皿一面にかけぐちゃぐちゃにして食べること)してしまう癖、治したい。というか治す。いやだわー。無意識って怖い、気をつけよう。
22:00 帰宅。友人と話��。思い出話2割、今後の話8割。昔は覚えてもないようなどうでもいい話しかしなかったのに、キャリアとか結婚とか出産とか、切ないね。けど仕方ないね。そうそう、何で雑色に引っ越したのか聞いてみた。いい場所だけど都心からはだいぶ離れているし…。友人曰く、最近の日本にますますいやけが差してきたので、すぐ海外に飛べるように空港付近にしたとのこと。かっこえ。昔から彼女の意思&意志が強くてすぐ行動に移せるところ、尊敬してる。
◆Day2
12:00 13時からの打ち合わせに向けて横浜へ。ほどよい都会感。建物の感じもどこかオシャレに見える。今日は風が強い。ふわっと香るくさいにおい。もう銀杏の季節か。『トークサバイバー2』で(シソンヌ)じろうさんが叫んでた「銀杏〜!くせえからうめえのか、うめえからくせえのか?」っていう素朴な疑問、私も思う。いつか教えてくれ。
15:30 一旦帰宅。友人会議中。多摩川を少し散歩する。『セトウツミ』の舞台ってここかなぁ?とかあらゆる平成ジャパニーズ映画のロケ地に思いを馳せながら歩いてみる。
16:50 半年ぶりに代田橋へ。行く場所は決まっているのに常に緊張する。Fat Boysを聴いて喝を入れる。
17:01 ジャスミンティー購入。手鏡にてデコに大きなおできと小さなニキビを確認。
17:10 緊張で首が左上右下に動いてる感じ。つまり吐きそう。
18:01 代田橋到着。とりあえずトイレに行く。
18:03 緊急事態。一旦酒を入れなければと彷徨う。
18:09 「納戸」は閉まっていた。がっくし。
18:18 「ジュークボックス」へ入る。マスターに挨拶するも覚えていない様子。半年ぶりだし2回目だから仕方ないかと思ったが、zineの話をしたら思い出してくれた。髪型とファッションで人は変わるということが分かる。コーヒー焼酎のロックを2,3杯入れる。美味い。
19:40 マスターに教えてもらった「大天狗」というお店に入る。焼き鳥がぶりぶりで美味しかった。この書き方だと不味そう。身が大きくて味付けも辛すぎず無すぎず、つまりちょうど良くて美味しかった。特にレバー塩。
23:39 終電に乗れた。代田橋に来る時はいつも終電と共にお別れだ。はー。終電といいながら蒲田までしか行かない。代田橋のお兄さんにもらったハイボールを片手に電車に揺られる。
0:16 蒲田駅から多摩川沿いを歩いている。徒歩22分。結構近い。友人に連絡する。川沿いで合流することに。
...
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↑記憶なし
◆Day3
12:47 起床。若干頭痛。友人は会議中。
17:18 山手線に乗っている。今日学んだこと。二日酔いでも酒は飲め。但し、酒がないと話せない場合に限る。つまり緊張状態に縛られる状況の場合。
17:46 綺麗な夕焼けを写。肝心な時にカメラを持ってきていない。そして非常に落ち込んでいる。
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↑夕焼け
19:15 友人とご飯に行く。カジュアルなフレンチビストロ。ここで「人生の目標」とか「働くこと」とか「死ぬこと」などシリアスな話を熱く語り合う。
20:39 多摩川散歩。酔っ払っていたので写真がすべてぶれている。
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↑彗星到来。ネオ東京
◆Day4
8:45 朝から餃子を作る。大学時代から彼女とはずっと餃子パーティーをしていた。餃子で繋がる友情と言っても過言ではない。彼女の家族たちと餃子パーティーをしたこともある。今後誰と会ってもそうマウントをとっていく。味噌ダレで乾杯。パートナーの話で盛り上がる。いくつになっても色恋の話は楽しいな。しかし外食が多くて、胃が悲鳴を上げ始めてる。
10:45 多摩川の写真を撮る。毎日多摩川を見ながら生活できる幸せ。噛み締めた。川のある生活っていいなぁと実感。天気も良くて雲の形もポテトフライみたいでよかった。
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↑ マンションの広告にありそうなくらい完璧な景色。うまく言えないけれど。
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↑パノラマで撮った
11:00 友人と別れの時。でも12月にまた会える。でも帰り道少しツンときた。それくらい居心地が良くて、一緒にいて落ち着ける存在だったのだと改めて思う。会うのは半年ぶりだったけど、しっかり話すのは2年半ぶりくらい。彼女はすごく…さらにいい方に変われていて、刺激をもらうと同時にすこし、自分に対して不安になったりもした。同じ歩幅で歩いてると思っていたから。全然違ってたんだ!今、小さい頃に遠方の祖父母の家に何泊かして帰らなければならない時の悲しさで涙が止まらなくなるあの感じが襲ってきてる。嬉しいのに少し寂しいな。
12:02 有楽町駅到着。映画館の前を通り、スコセッシの新作今日公開だと思い出す。でも今日は無理。ノーマネーソーリー。
12:06 ある人と待ち合わせ。その後ランチ。
15:33 新幹線到着。いよいよ帰る。おセンチな気持ちなのでブレッドのプレイリストを聴いている。ただ、ウォークマンのプレイリストは厄介。
16:03 『Dumb and Dumber』(ジムキャリーはMr.ダマー)をみる。百面相最高。we love jim carrey!!!
18:40 帰宅
.
おしまい。
東京ってやっぱり刺激のある街。ずっといたら飲み込まれそうで怖いけど。昔からそう思っている。昔東京に数年住んでみたけど、まぁ仕事とか色々なことがあって、いい思い出は全くなかった。でもきっと、その頃の自分は視野が狭くて未熟で卑屈ですごく保守的だったのだと思う。その頃の自分のことを…ようやく客観的にみれるようになった気がした。離れてみるとやっぱ東京って面白い街だと思うし、会いたい人がいれば誰にだって会いに行けるし、刺激の宝庫だなと思う。
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sskyt · 9 months
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『「呪術」の呪縛』上巻読書ノート
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江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(上)リトン、2015年。
 今、呪術がかつてないほど注目されている。近代西欧に成立したreligionに対して、劣位に置かれるmagic概念を所与のものとして前提とすることなく、改めて問い直し、概念史や各国の事例研究といった観点からその諸相に光を当てる書。
 以下、所収論文についての読書メモ。 江川純一・久保田浩「「呪術」概念再考に向けて:文化史・宗教史叙述のための一試論」
 全体の導入論文。日本語の「魔法」と「呪術」、学問的概念としてのmagic、西洋文化史におけるmagic、そして、本書の背景と構成が論じられる。「魔法」(1474)が室町中期に現れているのに対して、「呪術」は『続日本紀』(699)に言及がある。  とはいえ、「呪術」は近世・近代において人口に膾炙しておらず、20世紀後半にフレイザーのmagicの訳語として定着した(それ以前は「魔法」)。また、学問的概念としてのエティックな次元と日常言語としてのイーミックな次元の区別の重要性が指摘される。  学問的概念としてのmagicで要注目なのはタイラーとフレイザーであり、特に後者のmagic→religion→scienceという図式が重要。その後のmagic研究の系譜はある意味ですべてここから始まった。他方で、イーミックな次元で見れば、magicの語源は古代ペルシア語に由来するギリシア語のμάγοςに発する。  すなわち、magic概念には、そもそもペルシア由来という他者性が付与されており、つねに地理的他者(非西洋)、歴史的他者(古代)、宗教的他者(異教)という含意がある。近代的なreligionとscienceは、他者にmagicという名を与えることで、自己を正当化してきた歴史的経緯がある。 第一部 呪術概念の系譜
藤原聖子「アメリカ宗教学における「呪術」概念」
 ウェーバー以来、ピューリタンは「世界の脱魔術化」として位置づけられてきたが、1980年頃からピューリタンも呪術を実践していたとする研究が盛んになった。これらの研究を島薗進の新宗教研究(呪術と近代化は背反しない)と比較対象する論文。  アメリカにおけるピューリタンの呪術実践研究では、呪術と近代化の関係は問題とならず、呪術の感情面が重視され、信仰と理性の対立図式、すなわち、アメリカの知性主義対反知性主義というナショナル・アイデンティティの問題へと引きつけて理解されている。  たしかに考えてみれば、アメリカのホラー映画は、魔女、魔法、霊、占い、ゾンビと呪術に事欠かない。むしろ合理性の反作用としての呪術に取り憑かれているようにさえ見える。それはアメリカという国のアイデンティティに関わる問題で、非常に興味深い。  ちなみに、アメリカの呪術総決算的なホラー映画として「キャビン」おすすめです! この『呪術』論集は、「宗教」概念批判を経た後で、「宗教」周辺の重要概念をアプリオリに前提とせず、反省的にその概念の意味を問い直すという点で、『ニュクス』第5号「聖なるもの」特集と双子のような存在ですね。
竹沢尚一郎「イギリスとフランスにおける呪術研究」
 エヴァンズ=プリチャードのアザンデ研究における妖術論とグリオールのドゴン研究における占い論の検討を通じて、呪術を複雑な世界の「縮減」(ルーマン)の仕組みであるとする仮説を提唱する。
 注で触れられている、レイモン・ファースの師マリノフスキーへの問い「もしすべてがすべてに結びついているとすれば、どこで記述を終えたらよいのでしょうか」は、いかにもラトゥール的な問いのように思える。 横田理博「ウェーバーのいう「エントツァウベルンク」とは何か」
 この論文は何度読んでも面白い。ウェーバーのEntzauberung(脱呪術化、魔術からの解放)は有名な概念で、様々な論者によって援用されるにもかかわらず、ウェーバー自身はこの概念を定義しないために、その内容は実は不明確である。  著者は丁寧な読解によって、「脱呪術化」が『プロ倫』における「救いの手段としての呪術の否定」と、『職業としての学問』における「世界の意味づけの否定」という二つの意味をもつことを明らかにする。また、前者が呪術から宗教への移行であるのに対して、後者は「世俗化」を意味する。  ちなみに、私が『現代思想』のウェーバー特集に寄稿した「世界に魔法をかける」の元ネタはこの論文です。「脱呪術化」という概念でひとつ気になるのは、この語はつねにEntzauberung der Weltと「世界の/世俗の」という言葉を伴っていること。この点も「脱呪術化」を援用する論者に見落とされがちだ。
高橋原「初期の日本宗教学における呪術概念の検討」
 日本の宗教学の歴史の中でmagicの訳語としての「呪術」が定着していった過程を跡付ける。明治時代はmagicの訳語として「呪術」は用いられていなかったが、日本の宗教学の確立とともに大正時代にフレイザーの影響の下、「呪術」が定着していった。 谷内悠「呪術研究における普遍主義と相対主義、そして合理性:分析哲学と認知宗教学から」
 「呪術は合理的である」と言われるときの「合理性」について、タンバイアの普遍主義/相対主義の議論を批判的にアップデートさせることで解決しようとする。概念図式/メタ概念図式の議論はガブリエルの「意味の場」の議論を想起させる。  ただ、普遍主義と相対主義の対立をメタ概念図式によって解決するというのは、問題を一段先送りにしただけのような気もするし、最後に出てきた「生物的合理性」は素朴な自然主義のように思えて、正直なところ、肩透かしの感がある。 第二部 事例研究:アジア
鈴木正崇「スリランカの呪術とその解釈:シーニガマのデウォルを中心に」
 スリランカで最も呪力の強いとされるデウォルについての��話と実際の呪術実践から、呪術の特徴を探る。呪術は「外来」「異人」といった境界的状況に対する意味付与・統御として発生するのであり、現在のグローバル化による変動もまた呪術が力をもつ場である。  たしかにマゴスの語源的意味にしても、フェティッシュにしても、文化的・地理的・時間的な境界において、あるいは、他者との界面において、「呪術」(なるもの)は発生するように思われる。個人的には、障り、罪、穢れ、害、悪を意味するシンハラ語の「ドーサ」という概念が面白い。 木村敏明「プロテスタント宣教師の見た「呪術」と現地社会:ヨハネス・ワルネック著『福音の生命力』をめぐって」
 スマトラのバタックに宣教したヨハネス・ワルネック『福音の生命力』に基づいてキリスト教から見た呪術の意義と効用を検討する。ワルネックは、インドネシアの宗教をアニミズムとして特徴づけたが、その評価は両義的である。  著者はこれを「世界観としてのアニミズム」と「エートスとしてのアニミズム」に分類し、前者が称賛されるのに対して、後者は現世利益を追求する自己中心的な呪術実践であるがゆえに非難されるとする。しかし、ヨハネスはこうした呪術を逆手にとって宣教が可能となるとして、利用価値も認めている。 池澤優「中国における呪術に関する若干の考察:呪術という語の呪術的性格」
 面白かった。呪術を「非人格的な法則性に基づく宇宙の操作」と定義すると、人間の作為が宇宙の経営に関与するという点で、陰陽五行説のみならず、古代中国思想全般が「呪術」になってしまうが、これは概念の使い方として非生産的である、という。  古代中国宗教研究における「呪術」の用例として、『詩経』研究が取り上げられ、そこではおおむね「呪術」が素朴な宗教を指す語として用いられ、特に言霊信仰のようなものが想定されている、と指摘される。  私は特に、グラネ『中国古代の祭礼と歌謡』の解釈が面白かった。詩は個人の感情を歌ったものではなく、慣習によって定められた集団の感情を表出したものであり、慣用句は「興」という強制力をもって、自然を循環させる力をもつ、という。詩はいわば礼のよ���な宇宙の形式なのだろう。
川瀬貴也「近代朝鮮における「宗教」ならざるもの:啓蒙と統治との関係を中心に」
 朝鮮における近代化、日本の植民地支配という観点から、「宗教」と「宗教」ならざるもの(呪術・迷信)との区別が何を意味しているかを示す論文。特に、今村鞆、村山智順による植民地下の民俗学的調査の視線が見つめる「迷信」が興味深い。  近代化・啓蒙によって退けられた「巫俗」が宣教師たちによって朝鮮宗教の本質と捉えられ、さらに、朝鮮民族のナショナリズムへと結びつき、現代韓国社会において伝統と見なされるようになった、という指摘が面白い。この辺りの話はどうしても「コクソン」を思い出さざるをえない。 第三部 事例研究:日本
井関大介「熊沢蕃山の鬼神論と礼楽論」
 近世日本儒学における鬼神の問題を、白石・徂徠・蕃山を中心に、主に「礼」の観点から検討する。蕃山にとって、祭祀儀礼の意義は、人心を無意識裡に統御し、社会を統治することにあったが、それは天人相関論によって宇宙の運行を正しく経営することでもあった。  蕃山によれば、鬼神祭祀の礼は、社会が経済的に豊かになって人心が堕落し始めたとき、富の余剰を有益無害な仕方で蕩尽させるために整備された、とのことだが、これはまんまバタイユの社会的蕩尽の理論と同じですね。 一柳廣孝「魔術は催眠術にあらず:近藤嘉三『魔術と催眠術』の言説戦略」
 明治期の催眠術ブームのベストセラー、近藤嘉三『心理応用魔術と催眠術』にしたがって、明治期の「魔術」イメージを検討する。近藤によれば、魔術とは心の中の霊気を通じて感通する手法であり、睡魔術と醒魔術に分けられ、前者は催眠術からは区別される。  魔術は、感通によって、施術者の意思が被術者へと影響を与えることであり、催眠術とは睡魔術のの導入部分にすぎず、近藤は催眠術による治療は有害であるとさえいう。ここら辺は黒沢清の「CURE」っぽい話ですね。 宮坂清「科学と呪術のあいだ:雪男学術探検隊、林寿郎がみた雪男」
 これは面白い。1959~60年の雪男学術探検隊に参加した動物学者林寿郎の記録から、雪男に関する科学的視点と呪術的視点の関係を問う。学者が探求していた「雪男」とシェルパにとっての「イエティ」が、実は同じではなかったことが判明する件がハラハラして特に面白い。  日本の雪男ブームの出発点は、今西錦司(1952年のマナスル登山隊が雪男の足跡を目撃)だったんだね。知らなかった。あと、雪男探検隊って、川口浩探検隊みたいなものかと思ってたら、ちゃんとした科学的調査隊が派遣されていたのも知らなかった。 今井信治「「魔法少女」の願い」
 1960年代の『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』から現代の『魔法少女まどか☆マギカ』まで、魔法少女アニメを時系列順にたどりながら、そこで描かれている「魔法」表象があとづけられる。  東映魔女っ子シリーズが女子の人気を博したのは、当時、女子向けのテレビ番組がなかったからで、別に魔法でなくてもよかったとの分析だが、そうはいっても「セーラームーン」の継続的な人気や、映画「マジカル・ガール」を見ると、やはり女の子にとって魔法は特別な意味をもっているようにも思われる。 堀江宗正「サブカルチャーの魔術師たち:宗教学的知識の消費と共有」
 アニメやライトノベルで人気の「魔術」を分析することを通じて、データベース消費型のサブカルチャーがその消費者にとって「宗教」よりもリアリティをもつようになった現状を明らかにする。  「魔術」関心層は20~30代の男性であることと、魔術・宗教的語彙をもったメディア作品の受容者は自分を能動的に魔的キャラクターを使役する存在(つまり魔術師)として同定しているという分析を組み合わせると、なかなかに痛い実態が見えてくるような気がする。
 魔術を扱った代表的な作品として『とある魔術の禁書目録』が挙げられているが、現在(2023年)に改めて同様の問題を扱ったら、おそらく代表的な作品は『呪術廻戦』が挙げられることだろう。また、作中では錬金術はあくまでも「科学」であって「魔法」ではないとされるが、実態としてはどう見ても「魔術」を扱っている『鋼の錬金術師』がまったく言及されないのは不思議。
追記
藤原聖子「「呪術」と「合理性」再考:前世紀転換期における〈宗教・呪術・科学〉三分法の成立」『思想』No. 934、2002年、120-141頁。
 呪術は、科学と比べて「非合理的」とされる場合(フレイザー)と、宗教と比べて「合理的」とされる場合(ウェーバー)があるが、これは両者で「合理性」の意味が異なるためである。著者によれば、さらに第三の失われた合理性概念がある。  すなわち、呪術は、理論ー合理的な科学に対して、理論ー非合理的であるが、実践(合目的的)ー非合理的な宗教に対しては、実践ー合理的である。この2種の合理性に加えて、呪術には「ゾッとさせる」という意味での「実体的非合理性」が含意されている(デュルケーム、オットー)。  奇跡論においては、古代末期か~中世末期、奇跡は「聖」に結びついていたが、19世紀末には「超自然」と結びつくようになった、という話(マリン)が面白かった。つまり、キリスト教では奇跡が聖人の業として呪術に対置されていたが、近代以降、科学と対立するがゆえに超自然と結合した、ということ。
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hitujijp · 1 year
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2023ドクトリン再考査
オレの持つドクトリンは大別すると4つの要素の組み合わせながら、その拡張を目指すモデルだと定義出来る。4要素は文化、身体、哲学、環境がこれに充たり、単に一個人に限らず集団や国家、それ以上の枠組みにも適用可能である様に意識して考える癖は付けているつもりだ。
しかしながらこれらの根本として存在するオレ本人の精神特性(形質)はただ一つ「作るという行為」のみで、それは自分探しを最早必要としない程に明確だ。もっとも自分の持つ形質などと大層でも格好良くもなく、どうしても抑えられない欲動、我慢を重ねようとしても出てきてしまう気質みたいなもので、ともかくオレは常に何かを作る行為に携わっていないと我慢がならないのである。
少し話が逸れてしまったので元に戻すと、4要素の現在の進捗と目指されるべき形についてここ1年での情勢変化を踏まえて再整理すると、まず環境の面における拡張とは恐らく最も分かり易く物質的に版図を広げ、活用可能な資源を獲得するそれを指すのだが、この点については大規模な資本を必要とする為、オレには出来る事が殆ど無い状況は変わっていない。 宇宙分野に関しては過去に勉強するにはしたが適性は無い様だ。最終的に自分でやるより新進気鋭の専門家に任せた方が良いだろうと判断し、僅かながらではあるが投資という形で貢献している。既に5年以上経つが資金の引き上げは予定していない。月や火星に多大な期待を抱くのは危険だが、人類の栄華も曲がり角に差し掛かっておりチャンスは残り2世紀ほどと思われる。それを逃せばもう温暖化や目先の生活への対処で手一杯になり大規模な宇宙進出の道は閉ざされるだろうから、やれる時にやっておく意義は有る。幸い平和の時期が終わり再び世界は冷戦の様相を呈し始めている。技術革新に覇権争いは不可欠なのだから追い風は一応吹いている様だ。
次に身体の面を挙げれば、自分個人について言えば先日示した通りのトレーニングと健康維持方針に努めるしか無いが、どこかの段階でサイボーグ化やゲノムへの働きかけを試みる必要性を以前から感じているし、何よりそれを面白そうだと感じている。特にサイボーグ化や仮想空間への対応は現状の技術でも検討に値する。またオレ個人の人生には関係ないが、人類は元来放射線飛び交う宇宙への進出と、核戦争や原発事故すらものともしない強い放射線耐性の獲得を急ぎ、人体サイズの小型化による資源節約もゲノムへの働きかけを通じて検討すべきだろう。
哲学の面に関しては既に大枠は完成していた。ここで書き記すと膨大な量に至るので割愛するが、近年の微修正によって特に神についての解像度は宗教よりも科学に近い形に寄せて整理する内に素朴にして明快な形に高まったと感じている。4大宗教に関しては尊重はしているが、いずれの枠内にしろそれに留める形で収めようとは思わない。
最後に文化面に関して述べるが、国の本質とはまさしく文化に他ならず、在地文化が滅びた国には植民国家としての惨めな末路が待ち構えている。別に文化を担うのがどんな肌の色で有ろうが、どんな出自だろうが構わないのだ。重要なのは土地に根を下ろし定着し、土地の産物で腹を満たし、土地の水で喉を潤し、血と肉とを土地と一体化する中で土地と切っても切り離せない文化を継承してゆく点に在る。
その土地の強みと環境特性を生かし、なるべく運輸に資源を割かず完結する仕組みを営むのが重要である(グローバル化より地産地消を優先すべきだろう)。また祭りの効果も忘れてはならない。少なくとも日本の場合、祭りを中核として共同体文化圏を線引き出来るし、有事の際は祭りの機関要因と参加者に少し手心を加えるだけで動員すら可能な程だ。これを活用しながら地域文化の深化(拡張では無い)を方針とする事で長期的には独自性と独自性に裏打ちされた人材、そして観光資源が捻出される。
オレ個人の取り組みとしては、消失の恐れの有る武芸や天然砥石文化を対象とした保全と啓発に趣味の楽しみも含めつつも関与し、まずまずの手応えを得ている。
いずれの計画も寿命を超えかねない程の長期関与が不可欠であり、取っ替え引っ替えせわしなく行う類いの取り組みでは無い。毎年微修正は加えるが、たかだが数年程度でやる事は基本的に変わらず、現代人の時間に対する尺度とは異なる点には注意しなければならない。その為いつもいつも代わり映えの無い生活を送っている様に見られ、時には自分ですら退屈を感ずるが、あくまで長期計画に従う以上そうなるのはやむを得ない。時間尺度の違いに惑わされず計画通りのマイペースで履行したいと思う。
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alen09blog · 9 months
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雖然我們已經有過多次性關係,他的身體就像我的身體一樣,我的身體也像他的身體一般,沒有什麼新鮮感,但是兩人的自尊心都很低,且會週期性地產生自殺衝動,學生時期有過被霸凌的經驗,喜歡看藝術電影或書籍,厭惡村上春樹和洪尚秀、法國文學和奧迪(Audi)等共同點,所以彼此都覺得相當特別。 〈在熙〉,朴相映《在熙,燒酒,我,還有冰箱裡的藍莓與菸》(頁50,盧鴻金譯)
素來介意設定,人物塑造縱是輕巧帶過,足以點撥片面又刻骨的情感與意識形態。這般觸及厭惡村上春樹,真是靈敏精緻,瞬間代入。
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madokaizuka · 10 months
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感想日記 君たちはどう生きるか
素朴な印象としては、ディズニーの『ふしぎの国のアリス』が近かった。他の人の感想を見たところシュルレアリスム絵画からの引用が多数見受けられるようなので、おそらく意図的なものだろう。
主軸のストーリーはシンプルで、戦争で母・久子を失った眞人が父の再婚相手である夏子(久子の妹)を母親として受容するまでの物語。そこにいくつもの主題が複雑に絡まりあっている。もっとも目につくのは宮崎駿のこれまでの仕事に対する自己解題のような要素だが、私はジブリの熱心なファンではないので、この点に関しては他の人の解釈を読んで理解を深めようと思う。
アリスと違うのは、眞人のたどり着いた「下の世界」が夢であると明示されないところだ。精神世界は現実と地続きである。そこで得たものは、ゆっくりと忘れていってしまうかもしれないが、眞人がこれからを生きていく上で必要なものだ。
元の世界に戻る、ラストに近いシーンで眞人は若かりし頃の母が「死ぬのは怖くない、あなたを産みたい」と言うのに背中を押される。姉の子である眞人を受け入れられていなかった夏子もまた、久子その人に「いい赤ちゃんを産みなさいね」と送り出される。崩壊した世界から飛び出してきた色とりどりのインコたちと共に帰ってきた眞人と夏子の表情は晴れやかだ。
はじめ、私はこのシーンをご都合主義的で、寂しい場面だと思った。「下の世界」が夢、あるいは精神世界だとすれば、口なき死者に耳あたりのいい言葉を言わせることでしか現実で前を向くことはできないのかと。
けれど一緒に行った夫から、それこそが眞人の言う「悪意」なのではないかと指摘され、考えを改めた。戻ってきた夏子は晴れやかな笑顔で、インコたちに「かわいい」と言うが、その顔は大量のフンで汚れていた。困難な状況を受容し、現実で前を向くためには、死者を利用して都合のよい言葉を自分に言い聞かせることも受け入れていかなければならない。全ての生き物は食べるために殺し、殺される。綺麗事だけで内側に篭り続けることはできない。人はどこかで、汚れることを諦め、受け入れなくてはならない。かといって、汚い部分ばかり露悪的にあげつらって、悲観しろというわけでもない。「悪意」を受け入れた先には顔を上げて歩んでいく未来がある。「君たちはどう生きるか」はそういう人生讃歌の映画ではないかと思った。
ほかにも考えることがたくさんありすぎて頭がパンクしそうだった。また何度か見に行きたいと思う。
蛇足:
ただの自慢話だが、尊敬する友人の名前をクレジットに見つけてとても誇らしかった。創作に真摯な人が第一線の現場にいるというのもうれしい。
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diarytheroomoffuji · 1 year
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まるで映画
ボニー&クライドを知ってるかい?
東京の銀座で白昼堂々と強盗事件が起きたらしい・・・なんでも後ろには、実行犯を操る組織もあるとか。
組織ぐるみならもっと考えてできないのかな?と素朴に思った。いやいや、犯罪ですから彼らを肯定できませんけど、映画の様な話だな〜と、外から眺めてます。
狭い日本と言えども解決できてない事件が沢山ありますが、それにしてもさ・・・
ジャニーズ問題、相変わらずトップニュースにはなりません。
ズブズブ社会
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alex-upshur · 1 year
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【CoD:MW】Little Bug
原文地址:https://archiveofourown.org/works/44283286
授权截图:
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《Little Bug》
BY  tetsuyacchi
译  空城
BETA  妄归
141特遣队的每名成员都接受过专业训练,能够悄然无息地完成任务。Ghost也不例外。潜行是任何一位称职的士兵必备的技能,而中尉在所有方面都做到了出类拔萃。他并不总是只依靠蛮力和速度。他知道如何利用环境来获得优势……如何安静地从后方接近目标,然后在他们意识到死亡降临之前将其一刀毙命。
就像他的代号一样,Ghost可以随心所欲地消失和出现,利用阴影躲避视线、隐藏。又或许他被称为Ghost只是因为他已经死里逃生过太多次。一个萦绕在生者之间的“幽灵”,被怨愤与坚执的决心推动着前进,拒绝坍倒在战斗之外。
尽管Ghost完全可以做到隐秘行动,但这次的任务并不需要这个。
任务相当轻松。至少对Ghost来说是如此。虽然他可以毫无顾忌地使用经由国家许可的暴力,但他也不像他的美国上级那样对他们的敌人抱有什么怨恨。这次的情况很简单——只需要遵守命令,仅此而已。
Ghost可以从精神上避开这种情况,摒弃暴力带来的不安情绪,脱离那些如同附着在墙面上的湿气般渗透进士兵生活里的罪恶感……它不可捉摸,难以窥测,当你意识到它的存在时已经追悔莫及,它早就悄无声息地沁入肺中令你窒息。因此中尉业已学会像上过发条一样以某种机器般的精准执行任务。
Ghost在此肩负的责任主要源于他的资历,这给予了他做出关键决定的权力。他是一名值得信任的士兵,可以彻底且无偏无倚地执行任务。
这次任务并不要求隐蔽或保密——毕竟他们天杀的是在计划发射一枚他妈的导弹——所以不需要进行卧底监视或渗透,Ghost是本次行动的最佳人选。同时任务也不需要潜行,否则Ghost知道他不会是第一选择。不是说他无法 完成,但是当你手上拥有更好的人脉时,为什么还要屈择第二呢?
“Watcher-1呼叫Bravo 0-7,你就位了吗?”
Ghost举起无线电,他的声音在面罩下显得有些模糊不清。“我快到了。”
更重要的是,这项任务需要一个响应迅速的士兵。一个在战场上积极参与并且能够及时回应上级命令的人。Ghost可以做到这一点。他已经花了相当长时间来遵循命令,吐出这些话语对他来说就像第二天性一样自然。他的声音平静,迅速而精确地应对Shepherd和Laswell提出的每一个问题。每天如此,日复一日。中尉喜欢这种按部就班。这意味着他几乎不需要思考就可以回答Graves的问题。导弹即将发射,而Ghost就在落点的危险距离内。
危险对他们来说是一种职业危害。Ghost冷静地回答。“收到。批准。”灼烫的沙漠阳光投射在他沉重的装甲上,这颗炽热的恒星将与他共同见证即将发生的毁灭。“发射吧。”
他面无表情地看着逼近的导弹掠空而过,然后在精确的计算之下击中地面,将沿途的一切摧毁殆尽。疾风嘶哑地呼啸,尖锐的龙卷风挟着沙砾狂舞,吹乱了他脸上的面罩。Ghost一动不动地直立着。尘埃终于从落点处消散,他在确认没有幸存者后打开了无线电。
“直接命中。目标已摧毁。”
这就是一天的工作。
Ghost保持着镇静,直到获得许可才离开。他怀着某种希望这个任务尽快结束的私心,但他也知道催促上级不会是什么好选择。中尉想要离开阿尔玛兹拉闷热难耐的高温,回到他心目中的家,尽管那里缺乏人情味。这个基地并不是传统意义上的家庭,它没有那些能够让人感到温暖惬意的温馨装饰,但那里住着一个Ghost珍而重之的人。一个承载着一切能令他体会到舒适与稳定的归属感的人。
无论他们身居何方,这个人的所在之处才是Ghost真正可以称之为家 的地方。
尘埃已经消散,火光滚出弥漫天空的浓烟,即使隔着面罩,灰泥的恶臭也在侵蚀他的感官。当他暂时移开目光以躲避从天而降的碎片时,他看见了自己手臂上的一只小虫子。
不知何故,它在爆炸中幸存下来,毫无征兆地降落在他的袖子上,现在似乎正试图钻进他工装夹克的褶皱中安家。Ghost笑了,他无视下方的熊熊火海,只是看着这只小生物在他的手臂上四处乱窜,对身后这个庞大的观察者视而不见。他保持不动,不愿把它吓跑,他的笑容藏在面罩之下。
Ghost想回家看看自己的小虫子。
沉重的靴子发出均匀平稳的踏步声,疲惫的眼睛注视着身侧飞速掠过而显得有些模糊的灰暗墙壁。这条没有尽头的重复的走廊就像一部糟糕的恐怖电影,总是会令来者陷入一种冷漠的消极情绪。
面罩覆盖了双眼以外的一切,但Ghost确信如果他在走廊上遇到任何人,他的疲惫都将显而易见。眼周覆盖的暗色涂料也无法遮掩那些黑眼圈。他通常挺直的肩膀现在因疲倦而弯曲,而双臂沉重到难以支撑,如果不是因为肢体尚且连接在身躯上,他几乎错觉它们将要脱落。
Ghost花了很长时间才走到那扇标志着正确房间的平平无奇的门前。中尉用肩膀推开它,让沉重的金属在他身后砰地一声关上,然后轻轻扭动锁栓将门锁好。他现在最不需要的就是某些不长眼色的混蛋来敲门,而他最渴望的是与柔软的床单团聚。
这是一个简单的房间,带着那种只有军事基地才能做到的粗陋与不起眼。两张铺着标准白色床单的单人床,旁边是朴素的木制边桌,上面放着银钢灯。其中一张桌子上有一本被频繁使用过的日记,书页虚掩。一旁的灯还亮着。
突然响起一阵溅水声,紧接着是水滴落在瓷砖面上的轻响。Ghost眨了眨眼睛,疲惫的眼神循声望向房间左侧的门。门缝里涌出一小缕蒸汽,光线透出来,映照着昏暗的房间。
Ghost叹了口气,瘫坐在床上,身体前倾,茫然地盯着自己的钢头工作靴。他在等待中放空头脑,任由思绪在毫无意义的空虚里漫游,徘徊无定。
龙头发出吱呀声,水流停止了,接着是衣料的相互摩擦。很快,他听见柔软的脚步落在硬质的油毡地面上,然后嗅到椰子洗发水的余香。中尉的出现引发了一阵惊讶的余音,但很快,这种惊讶变成了某种快乐与喜悦的哼吟。
Ghost的视线中出现了一道身影,然后感觉到有人在他身旁触碰他;没戴面罩的Roach坐在他床上,此时正透过凌乱的刘海抬头看他,头发在沐浴后显得湿漉漉的。他的眼睛很平静,Ghost可以看到他鼻梁上那个因为常戴护目镜而留下的小小凹痕。中尉抬起一只手,拇指轻轻按压这条痕迹,看着Roach闭上眼睛,睫毛轻柔地落在面颊上。Ghost感到喉咙发干。
‘今天过得不好吗?’Roach没有睁眼,他用手语问道,嘴角微微上扬。
Ghost嗤之以鼻。“这一周都他妈过得不好。”
即使无法说话,Roach有时仍会发出微小的声音。譬如受伤时不受控制的惊讶喘息或者痛苦呻吟……但现在Ghost获得了他满足的轻哼。不知何故,仅仅听到那声音就足以减轻他肩上的负担。Ghost感觉自己开始缓慢地放松下来。
只有他们两个人。而且也只会存在 他们两个人——门是锁着的。所有驻扎在基地的人都明白,最好不要在私人时间敲开中尉的门,因为他们知道,如果有人打扰了Ghost的隐私,中尉那脆弱的耐心很可能会马上崩溃。
Roach用灵巧的手指敲击他的胸口以示提醒,然后它们开始解除Ghost身上沉重的装备。一件一件地,他身上的重量被逐渐卸下,而中士每一个细致的动作也都让他心中的沉重感随之减轻。Roach没有将注意力停在战术装备上。他的手指开始按压Ghost隆起的肩膀,揉捏酸痛的肌肉,经验引导着他的双手,让他能准确地触摸那些中尉闭上眼睛时能看到星星闪烁的位置。
“太棒了,bug。”他咕哝着,感叹地放松下来。Roach轻哼一声,那声音就像淌过他皮肤的温水,进一步舒缓了紧绷的肌肉。
Ghost感觉自己也许在床上坐了好几个小时,而Roach跪在他身边,他对于中尉来说太矮了,无法在没有额外支撑的情况下适当地按摩Ghost的肩膀。就像在无边无际地漂浮——Ghost确信他已经变得迟钝下来,即使此刻基地可能会遭到突袭,他也只能发出一声微弱的抗议让他们滚远��,除此之外他什么也做不了。
当你有一个随叫随到的私人按摩师时,生活也并不总是那么糟糕。他想着,随即轻笑出声。Roach又轻轻敲了他一下,Ghost半睁开眼睛。
‘有什么有趣的事吗?’Roach挑了挑眉毛问道。‘除了那个愚蠢的面罩?’
“哎呦,bug。这话好伤人。”
Roach玩味地翻了个白眼。‘我是认真的,Ghost。把它取下来。’
尽管嘴上说着要求的话,但Roach还是向前轻轻拉拽起面罩底部,视线跟随着那块粗略地缝在暗色布料上的苍白头骨。Ghost没有阻止他,只是将胳臂向后伸展,手掌平放在床垫上支撑身体,任由Roach进入他的私人空间。他那双黑色的眼睛注视着一切;中尉缓慢而慵懒地眨动眼睑,目不转睛地看着Roach,像一只终于被驯服的野生动物。
Roach小心翼翼地拉开面罩,随着Ghost的脸孔逐渐展现出来,他的唇角也扬起一点微笑,眼神落在Ghost下颌的胡茬上。白日太忙碌,夜晚又太过焦躁,以至于中尉不断推迟了刮胡子的时间。面罩下的胡茬令人不适,但Roach那倾向于在他颌角处徘徊的方式,还有沿着他分明的颌骨边缘来回轻抚的手指,让Ghost重新考虑了一下他立即去找最近的剃须刀的计划。
Ghost想要逗他开心——想说一些俗套的话,一些来自烂电影的陈词滥调,比如喜欢你看到的吗?或者拍张照片吧,这样它就会持久存在——但当Roach毫不掩饰地用爱慕的目光看着他时,他却说不出任何话。
当看着他 时。Ghost感到一阵渴望的隐痛。
‘你好啊,Simon。’Roach懒洋洋地打了个手势,不愿离伴侣的温度太远。中士的胳臂环绕着Ghost的脖颈,而Simon自然而然地将自己的手臂箍在他细瘦的腰间,他们的身体紧紧地贴在一起。
Roach充满迷恋的表情可以让任何一个人为他屈膝,而Simon Riley从不认为自己会有什么不同。 "你好啊,bug。"
与往常一样,Roach对这个绰号嗤之以鼻,但Simon并没有生气。他知道Roach实际上很喜欢这个独属于他们 的亲昵称呼——而他 是唯一被允许的使用者。因此,当另一个男人皱起鼻子,像个任性的孩童一样翻着眼睛,飞快地打出一连串他无法理解的胡乱的手语时,Simon只是允许自己留出一点时间来简单地看着 他。他充分利用了每一次能够享受这份特权的机会。
Gary Sanderson确实拥有一副足以令他有必要随时戴着面罩和头盔的漂亮外表。他的下颌锐利分明,双颊却异常柔软,还有那双明澈的眼睛和微翘的鼻尖,这一切聚拢在一起后无疑勾勒出了一个迷人的形象。当然,这绝不是他戴面罩的原因,但Simon仍然感到非常满意。他并不想在执行任务时把他们有限的休息时间浪费在怒视那些轮流打量他伴侣的随便哪个家伙身上,所以他暗自高兴于Gary觉得需要伪装自己。Simon不喜欢分享。
当然,这也是一把双刃剑,因为在他们被派去执行需要大范围侦察的任务时,Simon连续数天都看不到Gary的脸。但这只能意味着,每到现在这样的时刻,他们向彼此敞开心扉,不曾掩盖面孔,对于他们来说都是十分特别的。
在持续的沉默中,Gary把头歪向一边,而Simon低哼着,手指轻抚Gary眼尾那些曾经的幸福时刻烙印出的无法磨灭的痕迹。Simon想在Gary身上刻下自己的 永恒印记。他渴望着深深地埋进Gary身体里,以至于他无论如何都再也无法摆脱自己。
不过,他最终选择了一个不那么具有占有欲的方式。舒适的房间、安静的氛围和轻柔平缓的呼吸声让气氛变得亲密起来,Simon渴望看到中士为他的 所作所为而露出眼尾的纹路。他想让Gary因为自己 而微笑。
“戴领结的鱼叫什么?(What do you call a fish wearing a bowtie?)”他一脸严肃地问道,声音单调。他观察着Gary的脸,等待那些特别的迹象,皱起的眉毛和逐渐发亮的眼睛,他的唇角看似随意地微微颤动着,这些都是他们愉快游戏中会出现的暗示。当Gary微笑着露出左脸颊上的酒窝时,Simon把它们都分类纪录在心底。
Gary似乎被逗乐了,他的食指模仿提问般左右摆动,配合着Simon的愚蠢游戏。‘是什么?’
“老练的 (sophisticated)。”
Gary为了理解这个糟糕的双关而沉默了一瞬,然后他发出一声喘息,在从床上摔下来前紧紧抓住了Simon的肩膀。他的鼻子皱了起来,Simon想起Gary曾多次 强调过他的冷笑话(dad jokes)已经不能用糟糕来形容了,但他知道真相。他知道另一个人暗地里喜欢他蹩脚的双关语,只是不愿承认。那些Gary努力抑制的从唇边滑落的笑声就是明证。
那是一种柔和不清的声音,是Gary感到快乐的声音,与Simon日复一日在基地周围听到的狂笑和叫嚷喧闹截然不同,但它温暖着他心底的更深处。因为Gary几乎从不让任何人听到他的声音,无论是言语还是脚步,他习惯于在战场上保持沉默,而这一点也早已渗透进他的日常生活。
但不是与Simon在一起时,不是在他们自己的房间里,不是在他们共享的舒适而亲密的状态之下。此刻,Gary允许自己被倾听,被窥探,而Simon享受这些声音,就像焦渴的人迎接甘露。
‘你太糟糕了。’Gary伸手颤抖地用手语说,他仍在轻笑,眼睛明亮得让Simon感到某种短暂的窒息。‘真可怕。’
“看起来你觉得我的笑话很有趣,bug。”
看着Gary眯起眼睛微笑的样子,Simon将这个画面牢记于心,与他已经记下的许多其他记忆储存在一处。他感到自己的嘴角也随之上扬,露出一个与中士的快乐相对应的微笑,这种笑容随着他在对方身旁度过的每一天而变得越来越司空见惯。
【END】
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keredomo · 1 year
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この顔
 一年以上会っていなかった旧知と久しぶりに二人で酒を飲んでいたら、「顔が変わったね」と指摘された。  「最初はメイクを変えたのかなと思ってまじまじ見ていたんだけど、どうも違う。やっぱり顔自体が変わってる。どうしたの?」と言うので狼狽えて、どんなふうに変わったのかを訊ねると、「冷たさが抜け落ちて、ただただ小動物のようにきゅるんとしてる」と、友人。  彼女に会っていなかった一年間を経て、たとえば「老けたね」と言われるのならわかりやすかった。この一年、生に疲れ果てるだけのおびただしい出来事が襲来して、私は身も心もぼろぼろに疲弊したはずだった。なのに、「きゅるんとしてる」と評されている。つまり、幼く純粋素朴な面持ちへと退行しているらしいのだ。  手鏡を開いて自分の顔を確認したら、ジブリ映画の登場人物みたいに線がなかった。皺がないのではなく、線がない。人生の機微によってそこに刻まれるべきものが刻まれていない、あまりにもプレーンな顔。  驚いた。苦痛に対峙して、どうにかやり過ごした人間の顔ではない。凄惨な出来事の何もかもを無化したような、傷つくことなど何もなかったような、あまりにも素朴な顔をしていた。
 その話をすると、「変わったのは事実だと思うよ」「人に甘えることを知ったからじゃない?」と、その年、近いところで私の顔が変わる様を眺めてきた、別の旧知。「苦しむ君を甘やかしたいんだ」と望んで私のそばにいた人なので、自分がよい顔に変えたという自負があるのだろう。  優しい感想だったが、それは違う、と思った。そういうわかりやすいプラスの変化ではない。あんなに苦しんだのに何もかもがなかったことになっている、その心持ちの異常をこの顔が表しているのだ。何もかもを忘れ去ってしまう健忘症のあられもなさがこの顔を私に与えたのだろうか。わからない。ただ退行して幼児化しているこの顔について、誰も異常だと思っていない以上、悩むことすら憚られた。打ち明けて理解してもらえそうな相手からはポジティブな反応しか返ってこない。違うんだ。これは異常なことなんだ。大きな鏡の前にへたりこんで、一人きりで、慄きながらこの顔と付き合うことを強いられる。
 *
 去年の春ごろだっただろうか。「きれいになったね」と、付き合いの長い友人たちにしきりに言われるようになった。  「顔が変わった」とは違う、「元の顔からさらに良くなった」という指摘だったから、わかりやすかった。  綺麗になった自覚はあった。肌はつやをたたえ、目はきれいに見開かれて真っ直ぐ世界を見つめていた。口元にはつねに余裕の微笑みをたたえ、怖いものなどなにもないような顔をしている。
 私がきれいになったのには、わかりやすい理由があった。私のそばに、しきりに容姿を褒める人がいた。たとえ私が一切の化粧をしておらずとも、慄然と世界を睨みつけておらずとも、すべての姿をあまさず「きれいだね」と称賛し、この生来の容姿への愛着を惜しみなくあらわす人が、生活という次元でそばにいたた���だった。  化粧をきれいに落としきった寝覚めの顔も「かわいい」と慈しみ、だらしなく唇をあけていても「きれい」と微笑む人。そんな奇跡みたいな存在が、2021年の冬から22年の秋までずっとそばにいて、寝ても覚めても、私は褒められ尽くした。きれいだね、かわいいね、美しい。絶賛されるたびに私はきれいになった。自信をつけ、輝いた。とても単純な話だった。  至極表面的なことではあったが、30年を自分として生きながら自分の醜さを憎むのにほとほと疲れていたこの人生を救う、ほとんど唯一の僥倖だった。私は自分の表面を数十年にわたって毎日こき下ろすのにほとほと疲れ果てていた。疲れ果てたところに、思いがけず降りてきた僥倖だった。そのような救いはこれまで誰一人として与えてくれたことがなかった。縋った。依存した。内面化した。  その人はすでに私のもとを去ったが、おそらく今も私は前より綺麗なままでいる。
 *
 こう話すと誰もが意外だと言うが、意外に思われるのであれば私の虚栄がうまく働いているだけのことである。私は自分の容姿の醜さに常に苛まれて生きていた。もっとも近しい人ですら、「あなたは自分の容姿を誇っているのだと思っていた」と言う。そう思われるのなら、私の戦略は成功していた。誰も、自信のない者に愛されたり褒められたりしたところで満足するわけがない。私は自信に溢れる態度、ふるまいを、自分に課した。賛辞を向ける先の人々にその賛辞を十全に受け取ってもらうがために。
 思春期は遥か遠く、当時「美しい」女の見本は、雑誌によって示された。田舎に生まれ育ち、マスメディアの決める美醜にしか基準点を置くことのできない幼い女にとっては、ファッション誌の専属モデルの容姿こそが「正解」だった。大きな目の縁を平行に彩る綺麗な二重瞼も八頭身のスタイルももたない自分は劣等たる存在なのだと思い込んだ。彼女たちのような美貌を持たない自身の不正解をどうすればよいのか、途方に暮れた。
 あのころ、とにかく「不正解」が怖かった。幼少期には私のテストの点数が家族の機嫌を決めていた。満点を取れば家はにこやかに保たれた。小学生のころ、国語のテストで64点しか取れなかった日の夜、母と祖母は狂ったように絶叫し、私の出来損ないを激しく責めた。私はその責めを愚直に受け取って自分を情けなく思うばかりであった。不正解による低得点は、狭い世界で生きていた幼い私にこの世の地獄をもたらす咎だった。  叱られないためにはすべての科目で満点をとる必要があった。容姿についてもその延長にあった。母に「あなたの顔のせいで私は正解には程遠い、あまりにも美しくない、努力では容姿の不正解を乗り越えられない」と泣き叫びながら訴えたら、「整形したいのなら協力する」と至極申し訳なさそうに言われた。なんという暴力、なんという毀損、なんという否定、なんという蹂躙だろう。
 *
 私の顔と体の造形を愛し、全身全霊で褒めそやす人とまだ愛し合っていた頃、「僥倖の僥と倖、どっちがほしい?」と訊いてみたら、「幸せのほうを君にあげるよ」と言ってくれて、彼は優しかった。どこまでも優しく、健気に私を好きなのだった。目を細めて慈しむのだった。  寝覚めの顔を至近で「かわいい」と言われるたびに、16歳のころ、好きだった男に「遠くで見ると可愛い」と評されたことを思い出していた。幸福は屈辱を呼び覚まし、すべてが主観であるがゆえに、塗り替えるほどの説得力を持たない。
 私が数十年後に皺くちゃになっても同じように愛されていたのか、今ではもうわからない。  美しい容姿に注がれる愛は、永続するものではない。私は老いる。私は崩れる。君が愛した唇は皺で柔らかさを失う、君が愛した瞼の淵にはこれから何本も線が引かれるだろう、頬が弛み、口元には深い影ができるだろう。  自分の老いた姿について、とめどなく想像が膨らむ。怖くて足がすくむ。そうなった時、注がれなくなった慈しみのまなざしは、どこに吸い込まれて消えてゆくのだろう。
 *
 「どんどんいい女になるね」と、私を正面から見つめる人。
 隣駅の、大通りに面しながらその門戸をひっそりと隠すイタリアンの店でコースを頂きながら、テーブルを挟んで正面に座る人がため息混じりにそう言った。  「あなたのおかげ」と返しながら、心臓が口から飛び出しそうなくらい緊張する。「あなたは綺麗だ」とその目が語っているのがわかる。あなたが私に嘘をつかないことを知っている。
 賛辞には曖昧に頷くことしかできなかった。自分が歳を重ねるごとに綺麗になっていくのがわかる。私の存在に相応しい年齢になったということだろう。
 綺麗になったとは思うが、自分の顔は嫌いなままだ。人に褒められるたびに、今どんな顔をしているだろうと不安に駆られる。
 おのれの美しさをどう扱えばいいのか、他者の思う美しさと自身の思う醜さの折り合いをどこに落とし込めばいいのか、私は美しいのか醜いのか、誰の判断に従えばいいのか。自分を自分で美しいと評することは、可能なのか不可能なのか。
 あなたは老いても私を美しいと言うだろう。
 数年にわたるあらゆる対話と情の交換と説得と懺悔と和解とを経て、もはや恨みさえを感じえないその人を孤独にすることをよしとせず、私はかれを寂しがらせないだけの情念を記憶からかき集め、顔を少し前のものに戻した。  戻した顔を見て、その人は大いに安心していた。  「いつものあなたの顔だ」と嬉しそうに語った。私の顔は、客観的にはすっかり変わってしまったはずなのに。「いつもの顔」。あなたを見つめるいつもの。
 眼差しだろうか、顔つきだろうか、唇の結び方だろうか、瞳の苦しさだろうか。  愛だろうか。恋心だろうか。縋る気持ちだろうか。離れないでと、離さないでと、懇願する思いが目に映っているのだろうか。
 正体のない、この顔。
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bleierconor · 1 year
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许秀中,从恨国者到叛国者!
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   这两天,我频繁地看到“许秀中”这个名字,才知道她正是“新疆棉花”事件的始作俑者。西方发起这么大一场抵制新疆棉花的风暴,竟然是基于一个对祖国充满莫名敌意的90后,没去新疆只用卫星影像编造出的报告,这个事实本身就是多么荒诞!
我看了一些许秀中参加节目的视频。看到她在澳大利亚人面前反复诋毁自己的祖国,不以为耻反以为荣的样子,心理和生理上都产生了强烈的不适,也让我对她产生了好奇。许秀中为什么会成为今天这个样子?这么年轻,怎么会如此敌视自己的祖国,崇洋媚外到如此地步?国家究竟怎么对不起她了?
国内已经有不少自媒体对许秀中做了揭批,但普遍情绪激烈,这情有可原。在对她了解的过程中,我也需要不断克制自己的情绪,以免影响自己的客观判断。我希望尽可能地对她以及这种现象做了相对冷静的阐述。这并不容易。
许秀中后来的行为已经不仅是一个恨国者,而是一个叛国者了。其性质无疑是十分恶劣的。然而,还有一些更深层次的问题值得追问:为什么许秀中是在澳大利亚“风生水起”?为什么西方对她的报告不加甄别,就悍然发起针对新疆的行动?
种种迹象表明,这背后是一盘大棋,而许秀中只是一枚可耻的棋子。
1,许秀中是怎么被教育出来的?按照公开的说法,许秀中1994年出生于甘肃省嘉峪关市,独生女。据她自己对外媒的介绍,她的家庭条件还是不错的,父母对她抱有很大的期待,让许秀中学拉提琴,花钱请人给她上数学、物理,还有英语的课外辅导。许秀中12岁时还参加了奥数夏令营。
这是比较典型的中国三口之家。然而许秀中后来在面对外媒谈起父母时基本都是否定解读。她说,“父母把所有注意力都放在我身上。这是一种让人窒息的爱。” 她抱怨自己因为一直练习小提琴,而在下巴上留下疤痕。她说,自己考了第三名,父母还不满意。她说,“他们投入大量金钱、时间在我身上,你知道这是为什么吗?不是因为他们爱我,而是因为按计划生育政策,他们不能再生了……可悲吗?”
这类表述能反映出许秀中看待事物的思维方式以及她对故土的否定是多么彻底,是一个没有感恩之心,心理扭曲,不懂自尊自重的人,当她用这种思维方式去衡量自己的祖国,得出的结论可想而知。从这个意义上讲,对许秀中的教育是彻底失败的。
不过,许秀中的学习成绩不算差,考上了中国传媒大学。中国传媒大学是211大学,培养了很多优秀的媒体人。不意外,许秀中说自己在传媒大学过得很不开心。不知道什么原因,许秀中中途退学了,辗转去了澳大利亚。 
在澳大利亚,许秀中终于找到了适合自己的舞台,在她身上出现了巨大的变化。或许不算是变化,而是澳大利亚的特殊环境,让许秀中得以露出来了本来的真实面目。 
2,一个无耻的“脱口秀”演员!
许秀中对脱口秀很有兴趣。在澳大利亚,她晚上经常去讲脱口秀,主打的话题正是贬损中国人及中国。这是一幅有着很强象征性的画面。在脱口秀舞台上,许秀中低三下四地作践自己,以此博得洋人的欢笑。她乐在其中。到了西方媒体的镜头前,许秀中用同样的态度和方式,贬损自己的同胞和祖国。这是多么的一致。然而,后者所产生的破坏性就不是简单的脱口秀所能比的了。
她从一个恨国者变成了一个叛国者。
脱口秀的舞台毕竟不大,观众也有限。许秀中后来相继做了澳大利亚广播公司(ABC)和纽约时报的记者。在这个期间,她从一个小丑般的脱口秀演员,开始成为一名抹黑中国的“正规军”。2019年,乱港暴徒最嚣张的时候,许秀中看到了机会,她在澳大利亚混入爱国爱港游行的队伍中,做了恶劣的诋毁报道,力挺香港暴徒,在澳大利亚大出风头。
因为表现“出色”(没有底线),许秀中被臭名昭著的澳大利亚战略研究所(ASPI)收入门下,成为一名分析员。在ASPI的官网上,许秀中的方向是:“中国的海外影响力运动,中国民族主义、新疆和维吾尔族问题、侨民社区、一带一路。”不久,许秀中迎来了自己的“高光”时刻,这将成为永远无法洗刷的人生污点。
2020年3月1日,ASPI发布题为“待售的维吾尔人”的2万字报告,许秀中是第一作者。这份报告生生编造出:2017-2019年,超8万名维吾尔族百姓被强迫转移至中国内地工厂劳作,并称这是中国政府针对维吾尔族的“强迫劳动”。许秀中没去新疆,竟然是通过卫星地图找“证据”,而她列举的证据恰恰证明了完全是她在编造。
可就是这样一份完全基于谎言和虚假信息的所谓报告,却引发了一轮西方对中国新疆棉花的抵制风暴,以及美国“涉疆法案”的出台。我猜许秀中应该会为此沾沾自喜吧。但她对这个后果的严重性是否有足够的了解呢?
3,许秀中已经“无路可退”!
我之前曾说过,在中西关系紧张的背景下,一些海外华人会更急于与中国做全面而彻底的切割,向驻在国纳投名状,做出激进反华的举动,以取得洋主子的信任。许秀中,就是其中最突出的代表之一。不断制造抹黑中国的话题,这是许秀中对于西方反华势力的价值所在,也可以保持她自己在澳大利亚或美国的新鲜度。这方面,许秀中展现出很强的能力。
在2019年,她先是挺香港暴徒收获了一茬关注度,然后又以遭遇“小粉红”网暴为话题,成为澳大利亚许多媒体报道的对象。当时澳媒写道,“现在,每个与许秀中一起喝咖啡的人都发现,她的手机总是响个不停,不是要采访她,就是请她到别国演讲,又或者是要给她工作。她现在炙手可热。”一些西方媒体在报道她时,常常把她的照片和五星红旗,或者一张并不完整的中国地图P在一起,这是成心想以此来羞辱中国。
许秀中在西方舆论场上努力将自己塑造成一个遭中国强权压制的受害者,她到处跟洋人说,“要是我出了什么事,你知道我就是被人谋杀了。”
2019年就“炙手可热”的许秀中,现在更是“火到爆了”。而她再一次故技重施。许秀中这两天的推特,反复说自己正在被中国国安部门调查,继续碰瓷。而中国网友出于朴素的正义感和爱国情怀对她的谴责,也被她当成自己遭遇中国网暴的证据,而加以渲染。
我个人不太赞同对许秀中进行谩骂,虽然我很理解网友的心情。因为这种谩骂有可能被许秀中拿来作为继续抹黑中国的素材。再说,许秀中就是吸毒也好,淫乱也好,那是她的私事,糟蹋的也是她自己的身体。
许秀中自己可能意识不到,他们对中国的妖魔化,也在西方世界制造出了一个怪物——针对亚裔的种族歧视,他们也会遭到这个怪物的反噬。现在澳大利亚和美国,针对亚裔的暴力袭击剧增。无论许秀中怎么和中国做切割,她都无法换掉自己那张中国人的面孔,而暴徒可分不清你是精神澳大利亚人或精神美国人。
4,为什么是澳大利亚?
为什么许秀中这样的人在澳大利亚如鱼得水?这个答案比较明显。说起来,许秀中和澳大利亚真是臭味相投。如果比喻成一个人的话,澳大利亚和许秀中一样,也是一个有着突出人格缺陷的病人。
澳大利亚患的最严重的是受迫害妄想症。本来和中国隔着这么远,而且中国还是它最大的贸易伙伴,中国非但不是澳大利亚的威胁,实际还是帮助它改善生活的伙伴。但这几年,澳大利亚的受迫害妄想症爆发了,老觉得中国要害它。澳大利亚自己主动去当特朗普政府打压中国的忠狗,不少时候,甚至比华盛顿还激进。
澳大利亚的许多迷惑性举动让中国人感到莫名其妙,无法理解。除了受迫害妄想症,它还有着典型的人格缺陷,就是没有自我反思的能力,不会从自己身上找问题。它不想想,中澳关系现在搞成这样,到底怪谁呢?
许秀中、澳大利亚,还有澳大利亚战略研究所(ASPI),三位一体,有着很高的一致性。对一个有底线的人、机构及国家,编造谎言都是不可接受的。我的一位朋友说,澳大利亚能出这样的谎言报告,是澳大利亚整体学术界的崩盘。这很有道理。澳航前首席执行官约翰·梅纳杜批评澳大利亚战略研究所缺乏诚信,给澳大利亚带来耻辱。
ASPI惯常炮制各种颠倒黑白、荒谬至极的涉华“报告”,据澳方人士披露,这个机构长期接受来自美国政府和军火商的经费支持,实际上是反华势力的“急先锋”。我们大致梳理一下这几层关系:许秀中——ASPI——澳大利亚——美国。
对他们最有力的回答,是祖国的繁荣富强。
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