#松本市美術館
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#おでかけ #松本市美術館
美術館の脇にあった自販���ももれなく草間彌生仕様になっております。見つけたときめちゃくちゃテンション上がりました。
すごい。カラーリングはコカコーラのはずなのに違和感しかない。


自販機の隣にあったドットのショーウィンドウは作品かな?ガラスが反射してしまってなかなかきれいに撮れない……。
とにかく、美術館まるごと草間彌生ワールドで楽しめます。
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京都の伏見は酒蔵の町
京都の伏見といえば、伏見稲荷大社が有名ですね。
その一方で、酒蔵の町としてもよく知られていたりします。

月桂冠に黄桜に、松本酒造に。有名な酒造メーカーが並んでいます。

↓のページが見やすいです。
去年の秋くらいに仕事で近くに行ったので、少しぶらぶらしてきました。
これは松本酒造。


桃の滴が有名なのですかね。

川沿いにあって、春になると菜の花も咲くようで、絵になる景色が見られるかもしれません。
大正時代からある酒造で、正面の佇まいからも歴史が感じられます。
見学もできるようですね。


ここから少し離れたところに、月桂冠大倉記念館やキザクラカッパカントリーなどもあります。

そのあたりも行ってきたので、次の記事でも写真を載せていきますね。
ここのブログは、1記事につき10枚までしか写真がアップできないので、記事をわけなければいけません。
さて、酒蔵の町・京都伏見は、日本三大酒どころの一つだそうです。
あと二つは、兵庫県の灘、広島県の西条です。
京都の観光地というと、やはり祇園・四条・清水エリアが人気ですが
京都伏見のこの辺りも、もっと観光客が増えてくるのでは?と、勝手に見込んでいます。
最近は、インバウンド観光客向けなのか、日本酒の飲み比べができるお店や��酒の美術館もできているほどですから。
京都四条の錦市場にも、日本酒の飲み比べができるお店があります。人気ですよ。
錦屋台村が人気ですね。
京都伏見の酒蔵の町には、あの寺田屋や十石舟、伏見桃山城もありますし、
もう少し人が入ってきてもいいのになぁと思いながら、散策しておりました。

春になったら人が増えるのかもしれませんね。
桜が咲く頃の十石舟の風景写真は、Instagramでもよく見かけます。
最近はInstagramでの宣伝効果もすごいみたいで
そこまで有名でなかったはずの長岡京市の光明寺や
同じ伏見区の城南宮などがおしゃれになって参拝者も増えたので驚いています。
城南宮は、昔から知ってたりしますが、
今までと違う参拝者が増えたように感じられますね。
Instagramの影響ですね、きっと。
インスタ映えを意識した写真をよく見かけます。
そういう演出もされているようです。
伏見稲荷は、外国人の参拝者ばかりです。⛩️のキーホルダーもよく売れてますし、狐の小物もあったような気がします。
あと、狐のお面があったような。
伏見稲荷の狐さんもPUMAのロゴみたいでかっこいいです!

で、伏見稲荷から酒蔵の町の伏見桃山あたりまでは、歩いて行ける距離ではありません。
電車で14分位ですね。歩くと結構遠いです。
行きたい場所によっては、伏見桃山駅よりも中書島駅のほうがいいかもしれませんね。
1つ隣の駅になりますので、もう少し時間がかかります。
京阪本線で移動するのがスムーズではないかと。
ただし問題があって、京阪本線は京都駅からは乗れないので
観光される方は、京都駅から地下鉄東西線で四条駅に出て
人気観光エリアの祇園・四条・清水あたりを観光されてから
徒歩圏内にある京阪本線の祇園四条駅か、三条駅から
伏見稲荷、伏見桃山駅方面へ向かわれると良いのかも。
途中、東福寺もあります。
もう少し便利な移動手段があれば、伏見桃山あたりももっと賑やかになるのかもなぁとか思ったりして。
思ってたよりもちょっと静かなんですよね。
素敵な街だからもったいないなぁ。
秋ぐらいに行ったからだろうか。
もう少し賑やかになってほしいですね。
長々とすいません。色々気になったので調べました。
ですから、こういうのも
前記事で書いたように
Googleのマイマップに
まとめたいわけなのです👓
#日本酒#にほんご#京都#歴史探偵#歴史#japan photos#kyoto#sake#japanese sake#伏見稲荷大社#fushimi inari taisha#景色#風景#ひとりごと#日記#観光スポット#観光#懐かしい#japanese#日本人#日常の記録#穴場#Instagram#gekkeikan#酒#大正時代#aph japan#考え事
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秋旅2024 - リゾートビューふるさと + 富山市内旅
秋は旅に限るよね、どこへ行こうか?そうだ富山いこう!
はじめに
どこかへ旅行したい気分、でもちゃんと考えて計画するのはめんどくさい気分。そういう時は一度行ったことのある場所の再訪が楽ちん。ということで今回は、2年ぶりに2回目の「リゾートビューふるさと」へ乗りに長野へ、そのまま終点の南小谷まで進んだ後、大糸線 糸魚川、えちごトキめき鉄道線・あいの風とやま鉄道線を乗り継ぎ富山まで行ってみました。いつも素敵なお写真が並ぶケイスケさんのブログでちょうど紹介されていた富山駅周辺にも惹かれたため。
リゾートビューふるさと 信越線・篠ノ井線・大糸線経由 長野→南小谷
リゾートビューふるさとの紹介は前回訪問時に記載しているので詳細は割愛。簡単にいうと土日を中心に運行されるリゾート快速で、長野から姨捨、松本、穂高を経て、緑(JR東日本)と青(JR西日本)の境界駅である南小谷に至るというもの。途中の姨捨と穂高では30分ほど停車し途中下車が楽しめるというもの。前回はまだ某疫病が終息しきっていないこともあり、神社参拝時の案内や車内での民謡演奏等、一部サービスは割愛されていましたが、今回はそれらも再開されていた点が大きな違いかな(あとは、指定券が300円くらい値上がりしたのと。。。)。あまり変わり映えしませんが、写真も何枚か。

1枚目、朝一は立ち蕎麦で朝ごはん。長野駅には立ち蕎麦屋が何軒かありますが、今回はそのうち改札外 東口の榑��川にて、山菜キノコ蕎麦をいただきました。ひんやりした朝に温かい蕎麦は染みる。

2枚目、穂高駅にリゾートビューふるさとに使用されるHB-E300のお顔。よい面構えですね。


3枚目、車窓から楽しめる仁科三湖。訪れた日はお天気が微妙で。。。アルプスの山々は全然見えませんでしたが、仁科三湖(青木湖・中綱湖・木崎湖)は綺麗にみえました、山々の紅葉と合わせて一枚(これが何湖だったかは覚えていません。。。)。
4枚目、終点 南小谷駅周辺にて乗り換え待ち30分で散策。事前情報として認識はしていましたが、川の様子を見に行く以外は特にすることがないですねぇ、天気が良ければ遠くの山々の景色も楽しめるのかもしれませんが、あいにくの曇り空。
大糸線 南小谷→糸魚川
大糸線はこの先 JR西日本管轄の非電化エリア。輸送密度も小さく1両のディーゼル列車とローカル線の香り。列車は姫川に沿って右へ左へゆらゆらと、眠たくなりますね。


1枚目、車窓から1枚。ガラスの反射と揺れに悩まされながらなんとか撮れたもの。ずっと川沿いを走るた��大体景色はこんな感じ。
2枚目、終点 糸魚川にて1時間ほどの待ち時間。隣接するヒスイ王国館内のカフェでおやつタイム、わらび餅セット。上品なわらび餅とたっぷりの温かいお茶でほっと一息。ずっと座って列車にのっていただけでも疲れるものですね。


3枚目、4枚目、ここまで運んでくれた列車と駅舎からの夕焼け。近年開業した新幹線の駅舎って大体同じような構造(既存の地上駅の横に背の高い新幹線駅舎を作って橋上駅舎で無理やりつなぐ形)に見え、この光景もやや見慣れたものに。
えちごトキめき鉄道 日本海ひすいライン・あいの風とやま鉄道線 糸魚川→泊→富山
ここから日本海沿いを進み富山へ。えちごトキめき鉄道とあいの風とやま鉄道の境界 市振の2つ先 泊にてえちごトキめき鉄道の車両からあいの風とやま鉄道の車両へ乗り換え。同一ホーム上に縦列駐車する2つ列車間の乗り換えという面白い体験。よく考えるとここからが��の旅の在来線で初の電車でしたね(リゾートビューふるさとはハイブリット気動車、大糸線・日本海ひすいラインはどちらも気動車)。JR西日本の近郊形車両ベースの車両は内装や音含め、何だか東海道本線の米原から先、琵琶湖線を走っている気分。

日中であれば日本海の景色を楽しめるのかもしれませんが、時はすでに夜。真っ暗で何も見えませんでしたので、糸魚川駅での待ち時間に撮影したえちごトキめき鉄道の観光急行を。何やら撮り鉄っぽい方が何名かいらっしゃるなと思っていたら、こちらがお目当てのようでした。貴重な国鉄形の気動車は重厚感が違いますね。
富山城ライトアップ
富山駅には夜の到着。そのままホテルに直行したい気分でもあったのですが、富山城がライトアップしているとのことで重い腰をあげ。歩いても行ける距離ですが折角ならと市電に乗車。富山市内は市電が充実、かつ高頻度で運転されていて便利でした。富山駅の乗り場案内もわかりやすく好印象。


訪れたときは世界糖尿病デーということでブルーにライトアップされていました。明りにいざなわれ城内へ、ゲームだったらこの後 ボスが出現しそうですね。。。
富岩運河環水公園
2日目は運河沿いに設けられた富山市民の憩いの公園。紅葉はじめのシーズンということもあり、紅葉と青空、それらが水面に映り込む景色が素敵でした(この日は午後から雨予報でしたが朝はご覧の通りの快晴でした)。


ここには世界一美しいといわれている(?)スターバックスもあり、一応 こちらもからめて写真におさめてみました。アクセントにはちょうどよいかな、ちなみに朝から大混雑でした。
TOYAMAキラリ・富山市ガラス美術館
駅から市電で10分くらい、富山市ガラス美術館と図書館が入るTOYAMAキラリへ。隈研吾氏が設計した建物は、斜めに切り開かれた吹き抜け構造と、内装に木材がふんだんに使用された特徴的て面白い建物でした。広角で切り取るのが楽しすぎた。とはいえ幅広い年層の方がいらっしゃる公共施設ということで邪魔にならないように撮影はほどほどに、したつもり。


ガラス美術館は、エミール・ガレの展覧会が開催中。折角なのでガレの作品も鑑賞してきました(こちらの作品は写真撮影・SNS投稿OKのもの)。学がないので小難しいことはわかりませんが、シンプルに綺麗だなという感想と、目に見えないものを作るITエンジニアとしては、目に見えるもの・手にできるものは長い時を経てもこうやって残されていくということにちょっと羨ましさが覚えました(戯言)。


終わりに
ガラス美術館訪問後は軽くお昼を済ませた後、早々に新幹線にて帰京しました。お天気も崩れてきていたので。
よって、かなりコストパフォーマンスの良くない旅をしてしまった気がしますが、たまにはこういうのもよいよね。1ヶ月後くらいの朝、旅路をゆっくり振り返りながらこのエントリをまとめてみた。
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25年5月3週目
台湾に行ってた週末。待ちに待った2回目の台北一人旅。行きの飛行機でちょっぴり気持ちが落ちていて、なんでだろ、どうしよう、いつか海外に行くことに飽きてしまったら?気持ちが高揚しなくなってしまったら?と不安になってたが、到着して気づいたらいつも通り気持ちが上がっていた。でもこの恐怖感はいつも消えない。
今回は初めて街に近い松山空港。空港からのアクセスはとてと良い。それでも家を出てからホテルに着くまで8時間半くらい。距離的には遠くないのに飛行機は時間がかかる。あとやっぱり仕事終わりに移動した方が効率は良く感じる。
とにかく今回はよく食べた。初日から飛ばして食べなかった後悔をしないようにしようとしたら、最後の方、軽いはずの葱餅が食べきれず3回くらいに分けて無理して食べることになるなり反省。空腹は最高のスパイスを改めて実感。しかし1人だと食べられる種類が厳しい。そしてあまり新規チャレンジがなかったのはこれまた反省点。今までの集大成みたいになってしまった。一応、線麺を現地で食べたのは初めて。パパイヤミルク、スイカミルクも初めて。暑かったのでドリンクを試しやすかった。
あとは美術館を2つほど。台北市立美術館と台北流行音楽センター。前者は現代アート。150円で2時間いても全然見切れないほどの展示量。近くに気になる他の展示物の施設があった気がするので、出入り自由だしカフェ的なものもあるし暑い日、寒い日、天気の悪い日はずっとここにいても良い。後者は台湾ポップスの歴史約100年。デート中のカップルが多かった気がする。ビビアン・スーらがナレーションしている日本語ガイドもあり良かった。
人生で初めての占いをしてもらった。医療と占いって紙一重じゃない?と思った。どちらも確率論というか経験値積み上げたものを根拠に判断をしてくれるというか。これからの人生を見通すというより、どうしたらより良く生きられるかのアドバイスだった。概ね言われたのは、・表向きと内心がバラバラ。仕事でも大丈夫といい、恋愛でも相手に本心が見せられない。もっと自分の気持ちを言った方が良い、助けを求めた方が良い。・肉体労働じゃないのに毎日くたくた、それを声に出して自分を労ってあげること。それを半年は続けてみて。・仕事は辞めたい辞めたいと思っても辞められないのは実はその仕事が好きだから。天職です。(!?)辞めても同じような仕事に戻る。・大金持ちにはならないけど、お金の心配はない。(これ言われたとき心底安心した)・結婚したくないからと言って、良くない男を選んではダメ。相手が向上していくと一緒に向上するタイプなので、そこを結婚軸で間違った選択をしないこと。好きなものを共有できるコミュニティをいくつか作って、友達を作ること。それは人脈にもなる。その中で恋人が見つかるのが望ましい。とのこと。
台北何度行っても物足りない。






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ちよ旅オカルト編2024夏②
屋島(香川県高松市)
ここから香川県に入って行きます
チヨハのフォロワーの中にまだ香川県に行ったこと無いヒトいたら「屋島はマスト」だとまず言っておきましょう
うどんなんか食ってる場合じゃないですよ、屋島に行け(現にチヨハもまだうどん食ってないです

というのも、屋島という場が全方面のオタクにしっかり刺さるような多角的な魅力を持つ地であるからです
以下、用語バンバン出しながらざっくり説明するから気になったら調べてね
地学的な話をすると「メサ」という残丘地形です、その息を呑む美しさは屋島に登ってく道で必ず気付くはず
歴史的な話をするといわゆる源平合戦の「屋島の戦い」の舞台です、平家の拠点があったんですが義経軍に奇襲かけられちゃって気合いで押し切られ壇ノ浦へと敗走する契機となった戦いです
観光的な話だとお遍路八十八ケ所のお寺もあるし水族館もある、景色も綺麗
香川観光のイメージいくつか上げた時には順位あんまり高くなさそうなとこですが、実はそんな欲張りセット的なとこなのです
まあでもチヨハは当然オカルト的な目的で行きました
屋島にはタヌキがいるのです

平成たぬき合戦ぽんぽこはまあ義務教育レベルだと思うんですが、
自然を破壊する人間に対抗することを目的に変化の技術を磨くために、多摩に四国から3匹の長老タヌキが呼ばれてきます
そう、四国はタヌキ信仰がめちゃくちゃ浸透してるのです
この3匹の長老タヌキは四国3大タヌキとして実在(実在?)してて、
屋島にいるのは真ん中にいる一番おじいちゃんタヌキ
「屋島の禿狸」こと「太三郎タヌキ」です
実はこの太三郎タヌキ、四国どころか日本3大タヌキにも数えられるくらいの大物なのです
そんなわけでタヌキ大国の四国においてでも、四国タヌキの総大将みたいな位置付けになってます



屋島には太三郎タヌキにちなんでたくさんタヌキがいます
でもタヌキが多い四国でもなぜ太三郎タヌキが総大将足りえるか、その答えが屋島頂上の「屋島寺」境内にあります


お寺の境内に太三郎タヌキが仏様に並んで「蓑山大明神」の名前で祀られているのです
そこらの変化が上手いだけの単なるイタズラタヌキではなく、「仏法の守護者」としての地位に落ち着いてるところにこの太三郎タヌキの凄さがあります
御使レベルなら他の動物にもあったりしますがこのレベルは結構珍しい例なん��ゃないかなと思います
鎌倉から昭和まで「神々の守護がある」という建て付けで行われていた他国との戦争の戦時下、日本軍にはやたら「神様から加勢があった」という報告がありました
日露戦争時には太三郎タヌキも参戦していたというまことしやかに語られた噂があることからも、神仏の類いとして見られているということは間違いないでしょう
平成たぬき合戦ぽんぽこで終盤、太三郎タヌキが念仏に傾倒し、亡くなったタヌキを極楽浄土に率いていくのも、この辺の事情を反映しているということですね


歴史的には屋島は源平合戦の舞台ということですが、それにまつわるオカルトもあります
上の写真は「血の池」
源氏方が平家を討った後、この池で刀を洗うこと、池を血で染めてしまうほどだったということだそうです
今はご覧の通り美しい池なのですが

また、屋島の戦いも海戦であったことから、壇ノ浦(山口県下関市)と同じく、「海へと沈んだ平家方の武士は怨念が宿った平家蟹へと生まれ変わった」とされます
合わせて「海へと沈んだ平家方の女房はカッパに生まれ変わった」という伝承があります
カッパ?
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【かいわいの時】天正十四年(1586)九月二十五日:山科言緒(阿茶丸)、中島天神社の流鏑馬を見物(山科言経『言経卿記』)
天満宮では、九月二十五日の秋大祭に流鏑馬式がある。伝承によると明治以前には、射手が拝殿に一七日間参籠 し、当日は飾馬に乗り、鏑矢を持ち、社殿を三度回ってから、表門の前から浜の間に立てられた三ヵ所の的を射たという(『新修大阪市史 4』)。旧暦。現在は10月25日。
大阪天満宮における流鏑馬神事の起源は定かではありませんが、豊臣秀吉の時代に天満に居住した公卿・山科言経の目撃証言(息子が見物)があります。
天神社ニ今日ヤフサメ有之、四条・阿茶丸寸見物云々、哥仙新造懸之、願主津田ト眞也云々(天正十四年九月二十五条)。東京大学史料編纂所編纂『大日本古記録 言経卿記二』より。
その後、一時途絶えたようですが、元和元年(1615)に松平忠明が大坂城主として入城後、幕命により乗馬を神事に供したことがきっかけで復活(伝)。延宝八年(1680)刊行の大坂の年中行事を案内した一無軒道冶の『難波鑑』には、馬上から矢で的を射る「天満天神の矢ふさめ」の挿画入りで解説されています。
此日天神の御神事也。則やふさめあり。是は天満天神の門の前に。茶屋あり。茶屋のあるじの式として。としこと是をつとむ。まづ七日以前より。拝殿にあらこも志きて。通夜いたし。精進潔斎して。其日にいたれバ。あたらしきなをしはかまに。袖くくりあかき鉢巻して。かさりたる馬にのり。ゆミとかふらやを。左右の手に取とり。社檀をのりめくること三度それより。逸散をかけいだし。宮の前浜手九町を三反のりかへすあいたに。六所に角のまとを立て。是を射る也。手綱もとらず。手をはなちて。弓射ゐる間。逸足かくる馬を。つゐに落さることハ。此天神の御はからひといとたふとし(「天満天神流鏑馬 同二十五日」)。『浪速叢書 第12』「難波鑑 第五」より。
しかし、江戸後期になると、様子が変わっています。享和元年(1801)、大坂の銅座に赴任した幕臣・大田南畝の『葦の若葉』には、現在と同様に馬上から半弓で的を打ち破る様子が記録されています。
九月二十五日、晴天滿天神の秋祭にて、流鏑馬の神事ありと聞て、御社にまうづる道々に矢來結ひわたせり、神主社家に知る人ある物を伴ひたれば、神社の拜殿に登る事を得たり……やゝありて肩衣袴きたる男、馬に乘て門前の西の方より出て大路を南へ濱の方迄かけおふ事、一度してかへれり、是を馬場見せといふ、やがて的板三本を大路の東の方三所へたつ、乘るへき馬を拜殿の階下に引立つ、社家の白衣きたるが垂多く持出て、厩人に渡す、口取馬の頭につく、社家拍子うちて、細に切たる紙をちらして入る、緋縮緬の小手袖きて〔金絲にて縫たる丸き紋を付〕黄なる皮の行騰に似て、短き物はきたる若き男、弦なき弓と矢を持〔初の馬場みせ乘たるものにあらず〕拝殿の幕の內より出て、神前にぬかつく、社家盃を傳ふ〔神酒なり〕ついたちて、騎射笠のこときものを着て馬に乘り、拜殿の前なる棚のもとを、東より西にめくる事、三度にして門を出づ、此時門の内人あまた立込たれば、棒持たる男先に立て、打拂〃〃行く、門を出て西の方に入て、大路を南へ濱の方まて馬を走しむ事三度なり、一度〃〃に例の的札持たるもの、大路の方三所より的差出すを、弓のはずもて打ば、的持たるもの、的を破りて引く事都合九度なり、此間神主社家ともに、拜殿の階上に座し事終りて退く、此馬にのる男は、例年山本屋といへる市人なりといふ(『葦の若葉 巻三之下』)。吉川弘文館『蜀山人全集 巻1』より。
その出で立ちは、南畝の描写とは細部で違いはありますが、芳梅の『滑稽浪花名所』で見る事ができます。
(写真)芳梅「滑稽浪花名所 天満天神」1857-58(ボストン美術館蔵)
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白夜
AP_2023 / 名古屋芸術大学 舞台芸術領域2年 演劇公演(プロジェクトワーク3)
原作:フョードル・ドストエフスキー (小沼文彦訳よりアダプテーション)
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僕はもう、自分の人生に罪を冒したって悩まなくても済むかもしれない。
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主人公の青年は、サンクトペテルブルクに引っ越してから8年、友人が一人もできず、夢想的で孤独な生活を��っていた。白夜のある晩、橋のたもとで、ある少女に出会い彼の日常は鮮やかになっていく。孤独だった 2 人は、互いに惹かれあい、会う度に気持ちは高まっていく。しかし、実は少女には婚約者がいた。夢のような淡い恋心が芽生え始めたころ、彼の想いは淡く散ってしまう。 青年は少女との出会いを心から喜び、感謝し、誠実に関わろうと努める。それでも少女は青年の前から去ってしまう。そのとき彼は何を思うのだろう。
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開演日時
2024年7月13日(土)11:00、14:30※
※両回ともに予定枚数に達したため予約受付を終了いたしました。 ※当日券は若干枚発行予定です。
※受付開始・開場は、各公演30分前より ※上演時間45分(予定・途中休憩なし) ※駐車場あり ※場内車いすスペースあり ※未就学児入場不可 ※全席自由
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料金:無料
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会場
名古屋芸術大学 東キャンパス 8号館スタジオ 愛知県北名古屋市熊之庄古井281
公演当日受付場所:東キャンパス 1号館 1階ロビー
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ご予約(オンライン受付) https://forms.gle/mUviZedostUTAMHa9
●両回ともに予定枚数に達したため予約受付を終了いたしました。 ●当日券は若干枚発行予定です。
※予約開始 6月7日(金)12:00 ※定員に達し次第、予約受付は終了となります。 ※演出の都合上、開演後はすぐに入場できない場合があります。
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出演
宇津 舞衣子(音楽領域 音楽総合コース2年) 安尾 琢杜(舞台芸術領域 プロデュースコース2年)
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「白夜」の主人公は、あまりにも人間らしい。
夢想家である彼は、考え込み、想像し、思い上がったと思えば、悲観し、皮肉り、絶望する。そして、今日という日を懸命に生きていくのだ。
この作品の中で、彼は沢山の感情を吐露する。それは、人の素晴らしさだけでなく、人の残酷さ、世の中の無情さによるものでもある。
私達も彼と同様、理不尽な出来事に苛まれる時がある。等身大の人間である彼と共に過ごすこの物語は、あなたの心にも重なることがあるのではないだろうか。
世界は変わっていくものであり、そこには���うことや捨てることへの不安よりも強い期待がそこかしこに溢れている。若々しい期待は、ほとんど場合、期待通りの結果にはならない。その世界の中で私達はどう生きれば良いのか。
世界の若者の多くが、これまでに心の病を経験していると言われる現代。だから私達は、この今の時代に「白夜」という作品を通し、「あなたが抱えるものはあなただけのものではない」ということを伝えたい。そんな自分を、他者を、そして世の中を赦せたのなら、あなたの世界はより一層健やかなものになるだろう。
舞台芸術領域 プロデュースコース 3期生
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構成・演出:鳴海康平
第七劇場、代表・演出家。Théâtre de Belleville、芸術監督。早稲田大学在籍中の1999年に劇団を設立。これまで国内25都市、海外5ヶ国11都市で作品を上演。ポーラ美術振興財団在外研修員(2012・フランス)。2014年、三重県津市美里町に拠点を移設。民間劇場 Théâtre de Belleville を開設。愛知県芸術劇場主催 AAF戯曲賞審査員(2015〜)。名古屋芸術大学 舞台芸術領域准教授(2021〜)。
写真:松原豊
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制作(舞台プロデュースコース)
安尾琢杜、山田葵衣、石川大海(演出補) 今泉舞音、遠藤美帆、岡部創太 河合仁衣菜、齋藤寧々、田中蒼真 松本千花、蓑原楓子、萬敬祐
音響(演出空間コース[音響])
上之未来、奥田颯杜、松木千夏
照明(演出空間コース[照明])
浅野羽菜、大橋知世、何采沂 桂川栞吏、新名里彩、野本恭可 深作百花、水谷莉子、三宅梨世 山田瑞希
美術(舞台美術コース)
大下女神、岡本愛結、後藤歩栞 坂倉しずの、白井友菜、諏訪天音 髙橋杏奈、田中杏果、丁奕文 成瀬葉菜音、花瀬由珠、坂梨々愛 間瀬美紀、松本莉歩、武藤彩花 村松真琉子、山下心響、吉川治希 吉田翠里
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照明協力
イ ロイ、今井歩、上本瑞和 酒井優、佐藤星希、鈴木日奈子 関楓奈、松浦萌衣、三浦琴葉 宮原羽菜
音響協力
夏目依吹、橋村怜央、二木陽菜 松木花水実、中根美咲
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指導教員:
梶田美香、鳴海康平、浅井信好 石黒諭、山口剛、神谷怜奈
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宣伝美術:橋本純司
フライヤービジュアル:イ ロイ
フライヤーPDF 表 / 裏
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名古屋芸術大学 舞台芸術領域について
「あなたが舞台をつくる」をコンセプトに、舞台芸術作品を製作・上演するための知識と技術を専門的に学ぶことのできるカリキュラムで、未来の舞台芸術シーンをけん引する人材の育成をおこなう。
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X / @NUA_AP instagram / nua_ap
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主催・お問い合わせ: 名古屋芸術大学 舞台芸術領域
mail / [email protected] tel / 090-6798-8035(平日10:00〜17:00)
協力:名古屋芸術大学 音楽領域音楽総合コース
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だって、こんな生活、罪ですよ。

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2024後記
2025年になってようやう2024年を終わらせる。tumblrに書くのももうお仕舞にしよう。
・アーティゾンの空間と作品は面白かった。作品をどういう空間で見るのか。ホワイトキューブから離れて、空間そのものを作り、その中で作品を見る。夏の直島でも思ったけれどロケーションによってかなり作品の見方や感じ方が変わる。
・メゾンエルメスの内藤礼生まれておいで生きておいでをメゾンエルメスというブランドの抱えるギャラリー内でやる。ここも平日なのに人が多い。内藤礼の作品を見るには騒がしすぎると思う。概念も。
・伊藤ゲン展は、SNSでみるものと生で見るものとかなり印象が違う。生の方が圧倒的に生々しいというか(あたりまえである)書いているものが身近なものであるということを差し引いても、絵の具の乗り方が生活感をより彷彿とさせるというか。美味しそうなケーキも描いていると食欲を吸い取られているのか、食べたい気持ちがなくなるそう。描かれるためだけに買われて捨てられる食べ物をもったいないと思う気持ちと、半永遠に姿をとどめられてしまったのだなぁという気持ちと。
・田中一村展、都美術館はオタクのぬい文化を取り入れようとしていて面白かったが、ちょっと曲解ぎみじゃないか?というのは置いておいて、圧巻だった。時間が解けていくが体力も削られていく。奄美大島は遠いので、都内でこれほどまでに集めてもらえたことに本当に感謝。
・松濤美術館の空の発見展、日本画には西洋のあれそれが入るまで描かれる空そらがない。空くうならある。
・Cool氏Solo exhibition 犬のかたち様々。ジョジョ立ちのような人物立体(作家本人も自覚アリ)
・写美アレック・ソス部屋についての部屋、数年前の葉山がかなりロケーション含めて最高だったので、ハイライトだけでものたりない。テーマも面白いかと言われると、葉山を見た後だと、別に…葉山で見たいように見てしまったし。でも最近の作品が見られたのは良かった。今後すべてを葉山の展覧会と比べてしまうだろう。
・オペラシティ松谷武判展、ボンドと黒。ボンド作品は卵のような生の予感と、それが弾けた瞬間のグロテスクさを思わせる。黒は時間も空間も全てを埋めていく。
・SOMPO美術館カナレットとヴェネツィアの輝き展、カナレットの絵画は近づいてみるとより輝きを増す。ヴェネツィアの光。絵のための虚構込み。でも後半のウォルター・シッカートのヴェネツィアの絵画で、この暗さが落ち着くんだよなと思った。光は好きだけれど、眩しい。
・森美術館ルイーズ・ブルジョワ展ルイーズのキンとした声質がどこかビョークに似ていると思った。作品がかなり理性的というか、この人はものすごく思考の言語化が上手くて(というかそういうことを している)それが作品を見たときにストンと落ちてくるので、意味が分からないグロテスクさがないのが清々しいというか。内容としては過去の自分の心のケア的な要素が大きいので、別に清々しいものではないのだけれど。
・東京ステーションギャラリーテレンス・コンラン展はやっぱりコンランショップが当たり前になってしまうと、当時のセンセーショナルさ目新しさなどを失ってしまい、当たり前の光景だと感じてしまうので現代人にとって感動はしにくい。当時を振り返って、すごかったんだね、というにもまだ感慨がいまいちわかない。あと、彼について語る人の映像が多いとちょっと疲れる。
・科学博物館鳥展、キウイの卵って大きいんだ!シマエナガって思ったより小さいんだ!など鳥のことを何も知らないゆえに純粋に面白かった。
・三菱一号館美術館ロートレックとソフィ・カルの「不在」正直ロートレックは取ってつけたような不在すぎる気もする。もっと面白い見せ方があったのではないか、と。作品が分散しすぎな気もするね。ソフィ・カルは文句なしでよかったので、ソフィ・カル単体でやってほしかった。品川の原美術館で見たときが忘れられない。ソフィ・カルやっていまいちにする方が逆にすごいので、どんな展示でも嬉しいが、でもあれ混雑したら翻訳書いてある紙が少なくて、意味わかる人少なくない?と余計なことを思った。ソフィ・カルがいいから内容は満足だけど、キュレーションとしてはいまいちじゃない?
・松濤美術館須田悦弘展、美大時の初期の作品もあり、ここから今に至るというのを感じられた。これを木からひとつひとつ掘り出しているのか~さりげないところに作品が置いてあって、館とわりとあっていてよかった。夏のベネッセにもあったが、あまりにもさりげなさ過ぎて、やはり気付く人が少なそう。知っていないと見つけられなそうだが、ここはちゃんとマップがあるので安心。
・印刷博物館の書籍用紙の世界、色々な紙がある(阿保みたいな感想)
・庭園美術館そこに光が降りてくる青木野枝/三嶋りつ恵、これほどまでに館と一体になった展示があっただろうかと感動した。久しぶりに庭園美術館の展示内容がよかったと感じた。ここ最近は庭園美術館は建物系の展示ばかりで正直惹かれないというか予算ないのかな?と思っていた。ガラスを扱う人は、ある程度ガラスを柔らかな素材だと認識している節があるなと思った。年始ごろ?に見た山野アンダーソン陽子さんは確か液体だと言っていた。鉄も円形にくりぬかれ、光を通すと明るい印象になるんだね。どちらも火が大事。
・文化学園服飾博物館あつまれ!動物の模様その国その文化によって描かれる動物は勿論違う。服装��通してさまざまな文化を覗いている。中国語って面白いね。発音が同じだから縁起物になるという。
・府中市美術館小西真奈Wherever初期の作品の緻密に描かれたものから感じられる不穏さよりも、近年の作品の線や色の伸びやかさ(ここにいくまでにきちんと描いてきたという下積みはもちろん感じる)が好ましいと思う。
感情は生モノなので、振り返っても忘れている。何もかもを忘れていく。
ヨン・フォッセ『朝と夕』、文フリで手に入れた本たち、ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』、塚本邦雄『連弾』、北山あさひ『ヒューマン・ライツ』、スティーブン・キング『書くことについて』、サマンタ・シュウェブリン『救出の距離』、ミハル・アイヴァス『もうひとつの街』、牛隆佑『鳥の跡、洞の音』、アグラヤ・ヴェテラニー『その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか』、梅崎春生『怠惰の美学』、ミシェル・ウエルベック『ある島の可能性』
π、狭霧の国、ローラ殺人事件、ベネチアの亡霊、書かれた顔、グリン・ナイト、戦艦ポチョムキン、リバー流れないでよ、ローマブルガリホテルメイキング皇帝の至宝、ベイビーわるきゅーれ、パルプ・フィクション
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アメリカが主導した昭和天皇の戦争犯罪の証拠隠滅
昭和天皇と731部隊
http://blog.livedoor.jp/nobug51/archives/1103925.html
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、その地で、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。その中心になったのが陸軍軍医少佐の石井四郎であった。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
戦後、アメリカは731部隊幹部の尋問を細菌兵器の専門家に担当させた。
ところ���、731部隊幹部は事実を隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。ソ連とアメリカの交渉により、人体実験のことが明らかになると、アメリカは人体実験・細菌戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
マッカーサーは当初から日本の占領にあたって、天皇の力を利用しようと考えていた。
また、マッカーサーは自国の遅れていた細菌兵器の開発に日本軍のデータが役立つだろうと見ていた。何としても、細菌戦や細菌兵器のデータが欲しかった。
731部隊の戦犯追及をすると、そのデータは独占できなくなり、またその責任が天皇に及ぶのを恐れたのではないか?
(ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。
新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。
それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。(『死の工場』ハリス著:柏書房)
・天皇裕仁は、���らかに、2度にわたって石井の実演を目にしている。
1度目は1933年に陸軍軍医学校を視察した折、もう1度は恒例の天皇訪問の際の、海軍の艦船上においてである。石井が濾水機の1つに放尿し、その濾過水を飲み干すよう天皇に恭しく差し出したとされているのは、天皇が視察したそうした折のことだった。・・・天皇はその申し出を断り、そして石井は尿を濾過したその水を見るからに嬉々として飲み干したという。
・軍医中将で元関東軍軍医部長の梶塚隆二によれば、石井は「天皇の軍令」によって1936年に平房の実験を開始する許可を与えられたと言う。・・・・梶塚によれば、その後1939年に、天皇は、石井の特殊部隊を再編成するようさらにもう1つ軍令を発布した。・・・・
石井が東京の高い地位のところに、ひょっとすれば最も上のところに味方を持っていたことは明らかである。
・軽く見てはならないのは、石井と若松の部隊は、裕仁の勅令によって設立された部隊であるという事実である。他の多くの部隊は、必要とされた時に陸軍の内部で適当な司令官によって設立された。
・軍事細菌研究のさらにもう1つの拠点が長春の第100部隊(部隊長:若松有次郎)であった。作戦任務のための資金供給は莫大かつ無制限だった。部隊は2つの経路から資金を得ていた。すなわち、東京の陸軍省と、関東軍司令部の第2部である。(陸軍省から人件費60万円の予算が、100万円が関東軍司令部の第2部から攻撃的生物戦の研究のために支出された。731部隊の予算総額は1000万円、人件費300万円、20万から30万が各支部の運営費、600万円が細菌製造、実験、研究費用である。しかも731部隊の予算は国会の場で細部を発表されることはなかった。関東軍の獣医将校は、生物戦の資金は底なしだと自分は理解していたと語っている。)
・石井はノモンハン事件の間に彼が行ったサービス業務に対する褒美として、天皇の玉璽の押してある大変名誉な政府表彰を受けた。彼の部隊は、同じ戦闘中における英雄的な行動に対して、天皇から価値ある表彰状を贈られた。
このことも、またしても無二の名誉だったのである。他の医療部隊も日本の戦争において勇敢に働いた。それなのに、20世紀において他の医療部隊が天皇の表彰状をその業務に対して受けたことはない。裕仁が、これらの名誉ある賞を与える前に、いくらかの調査を行ったのではないかと疑ってもおかしくない。
(1939年に発生したノモンハン事件では、出動部隊の給水支援を行うことになり、石井式濾水機などを装備した防疫給水隊3個ほかを編成して現地へ派遣し、部長の石井大佐自身も現地へ赴いて指導にあたった。最前線での給水活動・衛生指導は、消化器系伝染病の発生率を低く抑えるなど大きな成果を上げたとされる。その功績により、第6軍配属防疫給水部は、第6軍司令官だった荻洲立兵中将から衛生部隊としては史上初となる感状の授与を受け、石井大佐には金鵄勲章と陸軍技術有功賞が贈られた。)
・『731部隊-天皇は知っていたか?』と題されたそのドキュメンタリーは、2人のベテランのテレビジャーナリストによって製作された。・・・アメリカ、イギリス、その他の連合国軍の西洋人捕虜が、人体実験の犠牲になったことが暴露された。その上、ドキュメンタリーの製作者・ナレーターは、天皇が満州での細菌戦の人体実験を知っていたことを強く示唆している。
・1930年代において、くるくる替わった日本の内閣においては役目を果たすように〔大臣職に〕任命された軍部のリーダーたちは、誰もが満州で起こっていることを認識していた。参謀本部のスタッフ〔立案者〕とその上司たちは、石井、若松、北野のプロジェクトに精通していたし、細菌兵器の開発研究を助けた。・・・・
何千人もの、もしかしたら何万人もの陸軍の軍医や獣医、生物学者、化学者、微生物学者、技術スタッフその他の似たような職の人々が、定期的に交代で満州や〔その他の〕中国占領地に派遣されている。(731部隊には専用の飛行場があり、専用の飛行機も複数持っていた。東京⇔ハルピン間を何度も往復して情報交換や物資の輸送などをしていた。また、他の部隊との連絡にも使った。)
・軍部を除けば、外務省が平房での秘密の任務について認識していたことは確実と思われる。それは、ハルピンの日本領事館の地下室がマルタの留置場として使われていたことからも言える。
・東久邇は早い時期に、平房の施設を旅先で訪れている。
・1939年2月9日に、裕仁の弟である活発な秩父宮は、陸軍省の大会議室で、2時間半にわたる石井の「雄弁な」講演に出席した。
・天皇の一番下の弟である三笠宮は、施設の多くに立ち寄った。
・竹田宮は関東軍の首席主計官として、満州におけるすべての細菌戦の関連施設に割り当てられる金を扱った。・・・また、平房〔の施設〕に立ち入る際には竹田宮・宮田が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れるときは、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。
・天皇は、その倹約〔の精神〕でも知られていた。彼は常々、役に立たないもしくは取るに足らないプロジェクトのために、政府の支出が無駄に使われないよう懸念していると表明していた。細菌戦のプログラムは、国の資源の大規模な乱費であった。第2次世界大戦中、平房、長春、奉天、南京の主要な基地および多くの支部施設は、少なくとも1500万円から2000万円、多分それ以上の年間予算を食い潰して機能していたに違いない。天皇が軍事予算を詳細に調べたなら、満州やその他の中国における何千もの人員の滞在は、天皇にとって関心事だったはずである。裕仁はまた、特別の武器研究にその使途を限定された秘密の帝国予算を持っていたが、それが満州や中国において細菌戦の研究に使用されていても何の不思議も無い。
・裕仁は細菌戦の研究については知っていたのだろうか。おそらくイエス、であろう。このプロジェクトは、単純に、天皇の目から隠しおおすには、大規模すぎた。費用も、天皇の政府費用に対する鋭い関心から逃れるには巨額すぎた。・・・・最終的に、大日本帝国において、政策決定は政府の最高レベルで行なわれるべきものであって、陸軍の将軍たちの気まぐれでできるものではなかったのである。
(以上『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳より抜書き)
・731部隊の組織犯罪については、関東軍という日本陸軍の一駐留軍の指揮命令系統下にあった。部隊そのものは関東軍司令官の直轄であり、あらゆる人体実験も形式上は司令官の命令無しには行なわれえなかった。また、731部隊以外の「防疫給水部隊」(北京、南京、広東など)も日本陸軍の中国派遣軍の指揮下にあった。
日本陸軍を統括していたのは陸軍省であり、その上には天皇がいた。したがって731部隊の人体実験の最終責任者も天皇である。(『検証 人体実験 731部隊・ナチ医学』小俣和一郎著:第3文明社)
http://blog.livedoor.jp/nobug51/archives/1103925.html
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#おでかけ #松本市美術館
今回の目的、草間彌生さんの企画展。草間彌生さんといえば一番有名なのはこの南瓜のような原色のドットですが、新しい作品はドットではなく、白地に黒一色でパターンのようなものが描かれた作品でした。
今までちゃんと作品を鑑賞したことがなく、漠然と水玉の人、ぐらいのイメージだったんですが、この企画展だけでもものすごく色んな表現がされていて、これが一人の人の頭と心の中から生まれたのが不思議なぐらいです。
最後に撮影可の南瓜コーナーがあったので、思う存分黄色と黒の世界を堪能してきました。よく見たらかぼちゃのドット、めちゃくちゃ細かい……。

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Famitsu 1820 Persona 3 Reload part scan and transcription.




続報
リマスターではなく、全ビジュアルを一から描き起こしている本作。3Dモデルも頭身が上がりより魅力的に。
人々との絆が“影”を切り裂く力となる
岳羽ゆかり
声:豊口めぐみ
専用ペルソナ
イオ
↑←弓を武器とするゆかり。テウルギア“サイクロンアロー”は、敵1体に相性を無視して疾風属性の特大ダメージを与える効果を持つ。
月光館学園高等部2年生で、主人公のクラスメイト。専用ペルソナの“イオ”は、ギリシャ神話で女神ヘラに仕え、主神ゼウスの寵愛を受けたという巫女がモデル。
リマスターではなくフルリメイク作品として18年ぶりに帰ってきた、JRPGの傑作『ペルソナ3』。グラフィックを一新し、システムや操作系に多くの新要素を加えるなど、現在のP-STUDIOの手で生まれ変わっている。今回は、新戦闘服や日常生活について紹介しよう。
現行機種で蘇る少年少女たちの死闘
特別課外活動部(S.E.E.S.)が新戦闘服に身を包んでタルタロスヘ
本作では、特別課外活動部のメンバーがタルタロスに挑む際の戦闘服が新たなものに。オリジナル版をやり込んだ人も、新鮮な気分でバトルに臨めるはずだ。今回は、すでに公開中の主人公に続いて、ゆかり、順平の新戦闘服アートが披露された。合わせて、新要素で戦闘中に条件を満たすと発動できる超強力なスキル“テウルギア”のスキル内容も紹介しよう。
主人公
声:石田 彰
伊織順平
声:鳥海浩輔
↑火炎、斬撃属性を得意とし、両手剣での豪快な攻撃が持ち味の順平。テウルギア“バーストスイング”も、敵1体へ相性を無視した斬撃属性の特大ダメージを与えるという、彼らしいスキルだ。
専用ペルソナ
ヘルメス
主人公とゆかりのクラスメイト。専用ペルソナ“へルメス”は、ギリシャ神話でゼウスの使いとして従事する伝令の神で、旅人や商人から崇められていた。
共用の設備を使って仲間たちとともに過ごす寮生活
主人公たちが暮らす学生寮では、寮内にある共用の設備を使って、仲間といっしょの時間を過ごすこともできる。ときに仲間の意外な一面も垣間見られる共同生活では、主人公の人間性が磨かれるだけではなく、仲間たちがバトルで役立つパッシブスキル“特性”を獲得することも。
コロマルとの散歩
テスト勉強
屋上菜園
読書
料理
DVD鑑賞
共用パソコン
寮のラウンジには寮生共用のパソコンが置いてある。プレイ中に手に入る、サイトのURLが書かれたメモを使うなどしてこれを利用すると、ソフトを使った学習や、情報収集を行うことができる。それらを通じて、主人公の人間性を表し、さまざまな行動に影響する“人間パラメータ”を上げられるほか、戦闘や探索に役立つ技能を習得できることもある。
ネット環境完備の巌戸台分寮
特性の習得
学生寮で、共用の設備を使って主人公とともに寮生活イベントを過ごした仲間たちは、“特性”と呼ばれる特別なスキルを習得することがある。特性は、任意で発動させるものではなく、つねに効果が発生している、いわゆる“パッシブスキル”と呼ばれるもの。その内容は、“クリティカル攻撃の発生率アップ”、“回復スキルの発動に必要なコストが減る”など、戦闘に役立つものばかり。時間があれば積極的に仲間と過ごそう。
放課後に学園内外で
学園で出会う“コミュ”のメンバー
→月光館学園の生徒たちは、部活動や下校時の寄り道など、おもに放課後の時間帯に交流しやすい。
“コミュニティ”、略して“コミュ”とは、主人公が多くの人々と出会い、交流していく中で生まれる辞のこと。交流を重ねてコミュのランクを上げ、特別なイベントを発生させると、主人公のペルソナ能力の強化にもつながるため、非常に重要な要素だ。本作ではコミュ対象キャラクターのイラストが新規に描き下ろされ、イベントも新キャストによるフルボイスで展開する。今回はコミュ対象の月光館学園の生徒たちを紹介しよう。
気のいい男子生徒。クラスメイトとなった主人公に、なかば強引に友だち宣言をした。年上好きで、主人公に恋愛相談を持ち掛ける。
友近健二
クラスメイト
声:羽多野 渉
3年生。港区中の飲食店を渡り歩き、あらゆるメニューを食べ尽くした。トラブルから助けてくれた主人公を、自身のSPに任命する。
末光望美
グルメキング
声:落合福嗣
主人公のクラスメイトで、陸上部の部活仲間。 努力と気合と根性で結果を残してきたエースだが、主人公をライバルと認めている。
宮本一志
運動部
声:宮下英治
2年生。陸上部のマネージャーで、宮本とは幼なじみ。面倒見がよく、入部したての主人公のことも気に掛けてくれている。
西脇結子
女子マネージャー
声:加藤英美里
生徒会の副会長。厳格な性格で一般生徒からの受けはおおむねよくない。美鶴の推薦で生徒会に加入した主人公に一目置いている。
小田桐秀利
平賀慶介
声:松風雅也
1年生で、生徒会の会計を務める。押しに弱く厄介ごとを押しつけられがち。男性に苦手意識があり何とか克服したいと思っている。
伏見千尋
生徒会会計
声:遠藤 綾
美術部部長の3年生。医者の息子だが、医学部進学か芸術方面での留学か迷っている。部活動見学から主人公と交流することになる。
平賀慶介
文化部
声:井口祐一
フランスからの留学生で、着物と時代劇と日本庭園をこよなく愛する大の親日家。“ふぁっしょん同好会”に主人公を勧誘する。
ベベ
同好会の留学生
声:市来光弘
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short trip to Inujima and styling for island trip

こんばんは。
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昨日は、久しぶりに1日お休みを頂き、日帰りの小旅行に行ってきた。
行くと決めたのも2日前とかで、どこに行こうかなんて考えていた時、最初は豊島美術館にでも行こうかなぁなんて思って調べてみると生憎14日は休館日。
そんな時、ふと思い出したのが犬島だ。
・
瀬戸内海を舞台にした「瀬戸内国際芸術祭」(以下「瀬戸芸」)。
数ある芸術祭の中でも知名度・作品数やその質は国内でもトップクラスだと思っている。
そんな「瀬戸芸」には、2010年、記念すべき第1回の時に、3泊4日で訪れた。
その当時は、現在ほど会場となる島が少なかったため、3泊4日の日程でもかなりの作品を見てこれた。
今でも家に保管されている当時の美術手帖。

この当時、大学5年目の僕は、めちゃくちゃ金が無くて、でもどうしても行きたくて、本当に申し訳ないことに、会場に並んでいたこの本を連日さりげなく立ち読みをさせてもらって、日々向かう島の情報とマップを頭に叩き込み、スケジュールを組んでアートを見て回った。
・
なので、この本は後日、当時は滋賀に住んでいたけど、滋賀に帰ってからバイト代が振り込まれた後に書店に購入に行った。
・
そんな2010年の「瀬戸芸」第一回から会場の一つになっている犬島。
2010年の時は、島へのアクセスや時間の都合から島への訪問を見送ってしまった島になる。
まあ、関西からも近いし、また改めて行けばいいかなんて思っていたら、気がつけば14年。
そんな訳で、今回は14年前の忘れ物を取りに行くような。そんな思いを抱いて行ってきた。

そんな犬島に2010年からずっと展開されている美術館。
「犬島精錬所美術館」
犬島は明治初期、銅の精錬所があり、その精錬所跡地を利用した美術館になる。
第一次世界大戦によって銅価格が暴落し、1909年に開業した精錬所は僅か10年で閉鎖されたそうだ。
・
その精錬所跡地は、忘れ去られたまま放棄されていたのだけど、現代アーティストの柳幸典と建築家の三分一博志によって美術館として再生されている。
美術館には、精錬所跡地が当時のまま保存されており、近代化産業遺産としても認定されている。
・
この美術館には、エアコンなどは無くて、自然の風の力を使って空気の循環が行われているそうだ。
犬島自体が、東からの風の影響を受けやすく、その風を取り込んで銅の精錬が行われていたそうだ。
なので、この美術館もそんな自然の風などを利用して空気の循環や室内の気温を保っているそうだ。

美術館のエントランスまで続くアプローチは、黒色のレンガが積み上がっている。
これは、当時、銅の精錬をする工程で生まれた不純物を含んだものをレンガに固めていたそうで、それがそのまま放棄されていたものを活用したそうだ。
鉄を多く含む素材となり、夏は表面温度が60度から80度に。
冬は反対に非常に冷たくなるそうで、これもこの美術館が自然の力で気温調整をするのに役立っているそうだ。
・
実際に触ると、確かにめちゃくちゃ熱かった。

館内には、日本の近代化に警鐘を鳴らした三島由紀夫の邸宅から出た廃材などを使った作品が並んでいて、空間もとても見応えがある。
・
さて、美術館で鑑賞中にめっちゃ驚いたことに、先日西脇のコットン畑に行った際に、一緒に作業をしていた知人の足立くんとバッタリであった。笑
土曜日の段階では、犬島に来ることを決めていなかったので、まさかここで会うとは。
足立くんはどうやら家族で遊びに来ていたみたいで、めちゃくちゃびっくりした。笑

足立くん。
また来月、西脇で。
・
その後は、もう一つ、犬島に行ったら見たい「家プロジェクト」。
2010年よりも施設数も増えた「犬島 家プロジェクト」。
島内を散策しながら、作品を見て回る。
ちなみに、「犬島 家プロジェクト」のチーフキュレーターは、現在「金沢21世紀美術館」の館長も務める長谷川祐子。そして、設計は同じく「金沢21世紀美術館」の設計に携わっている建築家の妹島和世。
・
作品も定期的な入れ替えなどもあったりするみたいで。
一番新しいものだと2019年に設置されているそうだ。

犬島 家プロジェクト F邸 名和晃平「Biota (Fauna/Flora)」

犬島 家プロジェクト A邸 ベアトリス・ミリャーゼス 「Yellow Flower Dream」

犬島 家プロジェクト S邸 荒神明香 「コンタクトレンズ」

犬島 家プロジェクト I邸 オラファー・エリアソン 「Self-loop」
お馴染みのアーティストも多いなぁなんて思いながらも、それでもやっぱり普通に楽しめたりして。
ライブにめっちゃツアーする人に似ていて、セトリが変われば別物というか。
同じアーティストでも、そもそも作品が異なればそれは別物だし、空間も変われば感じるものであったり見え方も変わる。
・
オラファー・エリアソンに関して言えば、大阪・前橋・犬島��今年だけで3箇所も見ているし。
それでも、やっぱりそれぞれ良かったりして。
陽射しが降り注ぐ島内を散策しながら楽しんで作品巡りを行った。
・
さて、正直そんなにお腹も減ってはいないのだけど、せっかくなら何か食べようということで、島内のカフェへ。
ここが最近、僕が成長したところ。

これまでの僕は、本当に旅の途中の食というものに無頓着で、平気で食事を抜くとか、手っ取り早くコンビニで済ませるとか。
せっかく旅に出ているのに、その土地のお店に寄らないとか平気でしていた。
・
最近、ちょっとそれを改めるようにして、その土地のものやその土地のお店に入るということを意識してやるようにしている。
・
ちなみに、2010年の「瀬戸内国際芸術祭」に訪れた際は、朝と晩はコンビニのパン。昼はコーラ。
マジで終わっている。
高松を拠点にしていたのに、讃岐うどんすら食べていないという。
逆に、その徹底ぶりを褒めてほしいくらいだ。
・
まあ、今回は、パスタとビール。
休みだし、昼間から酒飲むのもOKでしょと。
・
食事をとったら残り船の出港まで1時間ちょっと。
大宮エリーの作品を見て、そのままひたすら海岸に沿って散歩を。

海が本当に綺麗だ。
以前、夏が好きだという知人に、なんで好きなのかと聞いたことがある。「夏の瀬戸内の海が綺麗だから」という話を聞いた。
その方は、瀬戸内海に面した街の出身なんだけど、マジでそれがめちゃくちゃ分かった。
マジで海が綺麗だった。
青のグラデーション。島々の陰影。
太平洋や日本海のように、水平線が続く風景とはまた違った世界がある。
なんか、夏もいいかもなんて本当に思ってしまった。
(まあ、今日、早速大阪の夏を目の前にして、夏が嫌いだと思い出しました。笑)
・
多分、きっと夏の瀬戸内が一番綺麗なんだろうなぁ。
それは僕が冬が好きだという感覚に近くて、僕は長野の松本が地元だけど、確かに冷え込みは半端ないのだけど、北アルプスが雪化粧している姿がとても綺麗で、ピリッとした冬の冷気すら気持ちよく感じてしまうからだ。

さて、僕は様々な芸術祭に足を運んできたけど、初めて行った芸術祭が「瀬戸内国際芸術祭」だった。
その2年後に越後妻有「大地の芸術祭」へ。
この2つ、エリアは違うけど、とにかくランドスケープが素晴らしい。
都市型芸術祭にはない、風景美も楽しめる。
・
来年は「瀬戸内国際芸術祭」。
現在僕にとって夏旅の最有力候補だ。
犬島の風景とまた違った風景を楽しめるのだろうか。
今からちょっとワクワクしてしまう。

さて、そんな旅に何を着て行ったのか。
まあ、僕は結構旅のコーデを考える時間も楽しかったりする。
・
今回、この小旅行の旅を決めた瞬間に絶対に着ていこうと決めた服が"osakentaro"の"mesh tops"だ。
船が海を行き交う柄が、まさに島旅にはぴったりだ。
僕自身も島の風景にとまでは行かないけど、そんな気持ちでピックしてみた。
・
そしてボトムスは"rihei"の"Denim Pants"
"rihei"のデニムは、普段皆さんが街で目にするデニムや、保有のデニムと比べるとライトオンスデニム(厚みが薄いデニム)を採用しているので、軽やかで夏に着用しても気持ち良いのだ。
・
全身を淡いブルーで。
海に媚びたコーデで楽しんできた。
・
コーデの写真。
オラファーの作品で撮らせてもらうという、超贅沢なことをしてしまったけど、そんな旅コーデも楽しんでもらえると。
・
ちなみに、僕の着用しているアイテムとは少し異なるかもだけど、一応"osakentaro"の"mesh"シリーズと"rihei"のデニムをそれぞれ掲載しておく。
まあ、もし気になる方がいらしたら問い合わせください。
osakentaro : rib mesh tops (sea) ¥52,800 (tax in)
osakentaro : mesh tops (bougainvillea) ¥29,700 (tax in)
osakentaro : mesh × denim zigzag stitch pants (people) ¥41,800 (tax in)
osakentaro : mesh × denim zigzag stitch pants (bougainvillea) ¥41,800 (tax in)
rihei : Denim Skirt (navy) ¥30,800 (tax in)
こんな感じで"osakentaro"のメッシュ素材を使ったアイテムと"rihei"のデニムシリーズをピックしてみました。
気になる方はお問い合わせください。
・
それでは今日はかなり長々と、ほぼ、旅のお話でしたが、結果、何を着て行ったのか。
そんなコーデを考えるのも旅の一部であると。
特別な瞬間に特別なコーデを。
そうなると、また楽しみが一つ増すかなぁなんて思ってます。
・
それでは次回もお楽しみに。
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【お知らせ】参加決定!!大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024
スイッチ総研が越後妻有に初見参!!「大地の芸術祭」の拠点施設である「越後妻有里山現代美術館 MonET」を舞台にスイッチをスペシャルミニ上演いたします。
豊かな緑に囲まれ、端正な四角い池を有する美術館MonET。美術館オリジナルの企画展『モネ船長と87日間の四角い冒険』にお招きいただき、ご機嫌な現代美術があふれる空間でMonETならではの作品を展開予定!
各地で研究開発してきた「スイッチ」のなかから選りすぐりの演目をMonETバージョンにアレンジし、回廊のあちこちへ設置。と予定していたスイッチ総研ですが、現地下見を経て新作演目も複数展開ありの予感!「現代美術」×「鑑賞者がスイッチを押すと出現する一瞬の演劇」の饗宴やいかに!?
1日限りのクレイジーかつピースフルな祝祭空間がMonETの池の周りに出現!来たれ!愉快な四角い池のほとりへ!!

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024参加 スイッチ総研 『越後妻有 MonETスイッチ』 2024年10月14日(月祝)
【作】 スイッチ総研
【脚本/演出】 光瀬指絵
【研究開発/出演】 大石将弘 光瀬指絵
<契約所員> 矢野昌幸
<遠隔契約所員> 細谷貴宏 ※研究開発のみ
<非常勤研究員> 石田菜々子 上杉智恵子 大田浩志 可知瑞季 川口雅子 喜田裕���(はちどり空港) 小嶋直子 琴松蘭児(ひょっこり船) 佐伯ウイ 佐々木優樹(トム・プロジェクト) 實近順次 関口真生 手代木花野(CI部) 遠田風馬 長井健一 渚 まな美 平嶋恵璃香 深海哲哉(グンジョーブタイ/アマヤドリ) 松井絵里(さるさるさる松井絵里) 松井里美(劇団ハンニャーズ) 松田 蓮(演劇調理集団ビストロカプリチョ) 三浦真央(Souer+(スール)) 森田 亘 容原 静(カムパネルラ)
※非常勤研究員としてご出演予定だった石橋奈那子さんは、ご体調不良のため大事をとり今回のご参画は無しとなりました。
【日時】 2024年10月14日(月祝) ①11:30~11:45 ②13:30~13:45 ※お客様が会場に点在する「スイッチ」を押すと始まる作品です。上演時間内の何時からでもお楽しみいただけます。
【会場】 越後妻有里山現代美術館 MonET 回廊 〒948-0003 新潟県十日町市本町6-1-71-2 https://www.echigo-tsumari.jp/travelinformation/monet/
【料金】 無料・予約不要
【主催】 大地の芸術祭実行委員会、NPO法人越後妻有里山協働機構、独立行政法人日本芸術文化振興会、文化庁

[大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ] 世界最大級の国際芸術祭であり、日本中で開催されている地域芸術祭のパイオニア。アートを道しるべに里山を巡る新しい旅は、アートによる地域づくりの先進事例として、国内外から注目を集めている。過疎高齢化の進む日本有数の豪雪地、新潟県の越後妻有地域(=大地の芸術祭の里)が舞台。農業を通して大地とかかわってきた「里山」の暮らしが今も豊かに残っている地域で、1年を通して自然の中に作品を展示。(公式サイトより) https://www.echigo-tsumari.jp/
[越後妻有里山現代美術館 MonET] 2003年に竣工、地域の物産や観光を扱う拠点施設「越後妻有交流館キナーレ」として開業。2021年、大幅な内装のリニューアルを経て、「越後妻有里山現代美術館MonET」(モネ、Museum on Echigo-Tsumari)としてスタート。越後妻有の風土や文化の特質に深く向き合う作品、あるいは展示された場所の空間、時間の変容を観る者に体感させる作品を展示している。(公式サイトより) https://www.echigo-tsumari.jp/travelinformation/monet/
『モネ船長と87日間の四角い冒険』 MonETの回廊や明石の湯エントランスを使った、MonETオリジナル企画。国内外の作家が参加し、池の周りで繰り広げられるのは「モネ船長」の “冒険と遊び ”!?たとえばスリル満点の《阿弥陀渡り》や、パターゴルフ、巨大彫刻など、楽しみながら体験できる作品が盛りだくさん。夜間はライトアップされ、昼とは異なる静謐な世界観を味わうことができる。[キュレーター]原倫太郎+原游(公式サイトより) https://www.echigo-tsumari.jp/art/artwork/monet_2024/
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風景的螢幕實踐 第4回 若松孝二與Chantal Akerman的密室=風景論
風景的螢幕實踐 佐佐木友輔
映像創作者暨媒體研究者佐佐木友輔,以電影、攝影、美術、動畫中的「風景」與承載其影像的「螢幕」為主軸,自由橫跨各種作品進行討論的連載系列。本連載以1970年前後曾引發激辯的「風景論」為起點,嘗試進行當代更新。在第四回中,將聚焦於以「密室」作為舞台的兩部電影──導演若松孝二的《胎兒在密獵時》與導演Chantal Akerman的《Jeanne Dielman, 23 quai du Commerce, 1080 Bruxelles》。一方是粉紅電影的大師,一方則是聚焦女性日常生活的藝術家……這兩人之間,關於「密室」的觀點,究竟有何共通與差異之處?
松田政男〈作為風景的性──若松孝二與密室的烏托邦〉(1969)
人們聽到「風景」這個詞時,腦中浮現的往往是山川河海或城市街景等戶外場景。但若將「風景」定義為:透過將場所經驗物化為「值得觀看之物」的過程中所產生的產物,那麼建築物的內部空間也就能成為風景。事實上,曾引領風景論爭的松田政男,在其重要論文〈作為風景的性──若松孝二與密室的烏托邦〉中,就將「密室」與「風景」這兩個關鍵詞結合起來,深入分析若松孝二的電影。
在本文中,筆者將從松田的密室=風景觀點出發,重新解讀若松電影,並假設Chantal Akerman的電影也可視為某種密室電影,進而進行比較與分析。
以粉紅電影大師之名聞名的若松孝二,與足立正生等人共同持續創作充滿性與暴力的作品,堅持反權威立場,並在國內外引發眾多爭議。1965年,其作品《壁中秘事》在第15屆柏林影展上映時,甚至遭到觀眾辱罵,在日本國內也被稱為「國恥電影」,飽受批評。但這些聳動風評與實際觀看若松作品時的印象,卻存在落差。實際上,他的電影中幾乎看不到刻意煽情的情色描寫,反而多是令人沮喪壓抑的性愛與暴力,經常在封閉的密室中展開。
松田引用矢島翠的話說:「只要有一間房、一個男人、一個女人、一張床,粉紅電影便能成立。」並據此將若松的電影定位為「密室的劇���」。當時,若松電影的主要觀眾群是年輕男性。他們並非如電影中人物般性解放者,而是閉門在自己房間苦讀至深夜,靠著廣播中女性播音員的聲音自慰──這樣一群擁有「被隔離的認真」特質的青年。對這樣的觀眾來說,若松電影並非為了釋放被壓抑的性衝動而存在,反而更像是「應被持續反覆思索的對象」,即是一面讓人凝視自身慾望的鏡子。
在這裡,松田將幾個密室結構性地重疊──電影院作為密室、若松電影中描繪的密室、觀眾所處的自家密室,以及他們的內心世界這座密室。
若松孝二《胎兒密獵時》(1966)──思辨的、概念化的密室
換句話說,若松電影中的密室,不僅是攝影機所進入、實際進行拍攝的物理空間,同時也是為了「反覆思索」而被建構出的、帶有高度思辨性與抽象性的概念空間。例如,足立正生擔任編劇、若松執導的《胎兒密獵時》(1966)所發生的場景,是一間為拍攝而被塗成全白的「白盒子」密室。主角丸木戶定男(由山谷初男飾演)不只是具有自身背景與故事的角色,他也承載了「施虐性」這一抽象概念。與他同住密室中的江守由香(志摩美波飾)則被設定為與定男前妻長得一模一樣。也就是說,這部作品中不僅是密室本身,連其內部的人物都經過「漂白」,喪失原本的個體性,轉而成為年輕男性觀眾內心投射的「螢幕」。
建築學家原廣司曾將近代社會主導的空間概念命名為「均質空間」。這類空間排除了自然環境、地域特性、文化意涵與宗教性,因其具備完全一致的屬性,因此可作為任何用途的「空白空間」。而《胎兒密獵時》中的密室,正是透過全白塗裝而構築出的均質空間。再加上如水波般閃爍的光照打在這空白空間上,進一步為其賦予了新的意義。這樣的密室,成為懷抱「反出生主義」思想的定男,投射其「回歸母胎願望」的場所。他對自己被生下此世感到怨恨,否定「家庭」這種再生產體系,卻又在這「母胎的烏托邦」中化身暴君,一次又一次地鞭打著被囚禁的由香。
密室的螢幕之上,映照出對家父長制與「母親」這一存在的扭曲慾望。
在〈作為風景的性〉中,松田分析了《壁中秘事》、《胎兒密獵時》,以及由若松企劃製作的《New Jack & Betty》(沖島勳,1969)中的密室。他指出:像是否定生育、肯定亂交等反權力與反家父長制的行動,只能在如此具有思辨性與母胎性的密室中實現。同時也指出,欲突破此種母胎烏托邦所面臨的「終末觀的缺失」──即無具體戰略去改變現況的無力感。總的來說,若松與沖島所描繪的密室,正是1970年前後那群年輕男性觀眾的閉塞感與退行慾望的映照,並藉由這些密室,促使觀眾省思自身處境,探索變革的可能性。
風景的對立語/同義語作為密室
接著,松田提到了若松孝二當時的最新作《二度處女GO GO GO》(1969)。他指出,在該片中,被封鎖出口的公寓屋頂成為廣義上的「密室」。四周所圍繞的不是住宅的牆壁,而是透過鐵網望去的藍天、東京鐵塔與高樓大廈等城市風景。松田從這些看似普通的風景中,看見了包圍我們、並與我們對立的國家權力的運作。
「若是國家權力,它會大膽切斷風景──例如直接貫通東名高速公路。我們享受暢快駕駛的那一刻,正是風景將我們緊緊束縛、〈權力〉將我們全面擄獲的時刻。」
在這個脈絡下,「密室」一詞獲得了對風景的雙重意涵。一方面,密室被看作是對抗作為國家權力的風景的私人領域──是個人內心與性慾的領域。然而另一方面,它也成為在四面被權力風景圍困、無處可逃的絕境象徵。根據文脈不同,密室既可以是風景的對立語,也可以是其同義語。
如果說躲進「母胎的烏托邦」中能暫時保身,那麼人終究無法永遠安於其中。總有一天,必須親手「粉碎那溫暖母胎的烏托邦」或「炸毀密室的牆壁」。當松田這麼說時,「密室」就已經被明確地視作「風景」的另一種表達。而他將真正試圖破壞密室牆壁的行動者,指向了連續槍擊殺人犯──永山則夫。
永山在東京、京都、函館與名古屋四地犯下四起殺人案。他的動機並非單純源自個人怨恨或家庭環境,松田反而認為,他是為了劃破那覆蓋全國、到處均質的風景=權力而扣下扳機……透過這種寫法,松田企圖將原本只能以「情境」或「密室」等抽象詞彙描述的概念,具體化為「風景」這一可視形象,從而更清楚描繪出應當對抗的敵人。
然而,在現實中,永山的子彈尚未撕裂風景,就已奪去了兩名保全與兩名計程車司機的性命。他的反抗行動最終以五名勞動者的死亡作結,包括被判死刑的永山自己──成了悲劇的終局。
同樣地,松田指出,在若松電影中與男性觀眾一同苦悶的主角們,也只能藉由選擇悲劇性的結局來逃離密室=風景。例如,在《胎兒密獵時》中,定男被奪走了原本用來虐待由香的刀子,接著被由香反過來刺殺致死。
這名出於自保而犯下殺人行為的由香,在密室中與定男建立起一種扭曲的共犯關係。她既拒絕被當作理想的「妻子」或「母親」,也試圖逃出這個作為母胎烏托邦的密室。然而,另一方面,也正因為由香的反叛與她撕裂密室=風景的行動,松田=若松試圖傳達的權力批判計畫得以完成,定男也在被殺死的同時獲得某種解放。
這個原本應該只是「被反覆思索之物」的思辨性、概念性的密室,實際上並非只有思考主體可以主導的自律空間。無論是在維持密室的階段,還是要破壞它的瞬間,「女性」這個他者總會被召喚而來,被迫同時扮演忍受暴力與施加暴力的角色。*
Chantal Akerman《Jeanne Dielman, 23 quai du Commerce, 1080 Bruxelles》(1975)──呈現「另一種觀看方式」
距〈作為風景的性〉發表約五年後,在比利時,Chantal Akerman完成了《Jeanne Dielman, 23 quai du Commerce, 1080 Bruxelles》(1975)。這部電影將攝影機帶進Jeanne Dielman(由Delphine Seyrig飾)與她的獨子同住的公寓中,觀察她的日常生活。正如本文開頭所提���這部作品同樣可被視為一種「密室電影」。
兩位導演對密室的處理,乍看之下截然相反。定男所打造的是一個將牆壁漆成白色、冷峻極簡的無機密室;而Dielman的房間則充滿了各種物品。僅在廚房一隅,就排列著食材、調味料、碗盤、圍裙、抹布、手巾、洗劑、刷具等家務用具。Dielman實際使用這些工具進行烹飪與清理。Akerman使用固定攝影機與長鏡頭,耐心地記錄她沉默而專注地重複著每日家務的模樣。相較於若松孝二透過思辨與抽象的密室,描繪作為應被思索對象的「性」與「暴力」,Akerman所描繪的家務,是一連串具體的動作與身體行為的累積。
電影理論家Teresa de Lauretis讚揚《Jeanne Dielman》提出了一種「不同的觀看方式」。早在當時,已經有不少理論試圖批判傳統男性中心的電影美學,或探索屬於女性的美學,但如果所依賴的理論本身仍是由男性所建構,那麼就難以真正脫離男性主導的世界。de Lauretis主張,與其沿用既有理論去正反辯證,不如從根本重新審視:「那些長久以來被認為不具美感價值的事物,是否真的就不具美感?」例如,《Jeanne Dielman》中的女性日常行為──煮飯、洗碗、打掃──在傳統以接吻或爆破為價值中心的電影中,根本被視為無足輕重的瑣碎日常,甚至長期被從銀幕中排除。但Akerman透過改變觀看視角,使這些原本「未及於美」的行為成為應被觀看、被重視的風景。她並未順從男性美學的語言進行否定或肯定,而是展現出「美」可以存在多種可能。
Jeanne Dielman與丸木戶定男
不過,《Jeanne Dielman》與《胎兒密獵時》之間,以及作為密室主體的Dielman與定男之間,並非僅存在對比,也存在數個重要的共通點。
Jeanne Dielman每日按部就班地執行例行公事,而這些日程中也包含了賣淫。第二天的下午,她如往常般接待客人,但從這裡開始,生活節奏開始出現失衡:客人逗留過久,使她不得不丟棄煮到一半的馬鈴薯;泡咖啡也泡不好;逛遍多家店也找不到想買的鈕扣;甚至平時常坐的咖啡館座位也被人搶先佔走……隔天,她用剪刀刺死當天的客人,滿手與滿身是血地癱坐在餐桌前,陷入恍惚。
電影中並未明確說明這起殺人事件的動機,但從她日常節奏逐步崩潰至最終衝動殺人的過程卻描繪得極為細緻,展現出異常的說服力。回頭看來,Dielman對秩序的堅持有些過頭──她總是極度在意既定順序與物品擺放位置。雖然目的與手段不同,但她與定男同樣是試圖建構一個排除不可控制他者的密室,並將自己封閉其中。
Dielman的「例行公事」不僅限於家務,也包含賣淫與外出行程。無論是洋裁店還是咖啡館,她總試圖消除所有偶發因素,並期待自己與他人都能維持一貫的行為模式──就如同松田政男對《二度處女GO GO GO》中的主角所指出的,她將私人的密室延伸到了戶外風景中。然而這樣的嘗試,最終被客人的意外行為打破,她也因此陷入必須「屈服於變化」或「排除他者」的二元選擇。Dielman與定男一樣,最終也走上了透過對他者施加暴力,來維持密室並走向自我毀滅的道路。
與都市節奏連結的密室
我們已經知道,在若松電影中,密室既可視為風景的對立語,也可為其同義語。而這一點,也可用於理解《Jeanne Dielman》。該片可被解讀為一部風景論電影,描繪資本主義與國家權力所建構的「均質風景」中人們無法逃脫的處境。
Jeanne Dielman的公寓到了夜晚,會被窗外光線照亮──那可能是霓虹燈、汽車車燈或其他無法明確分辨的燈光。不同於《胎兒密獵時》中水面般柔和的光影,Dielman屋內所接收到的光線節奏規律卻令人不安──近乎痙攣,喚起一種生理上的焦躁感。它彷彿象徵著Dielman的神經質與過度拘謹,但更像是來自外部世界的一種強迫訊息,促使她不得不那樣行動。
這種節奏,也可以被歸入電影史上一個視覺化都市節奏與人體機械化的譜系之中──像是《The Electric House》(Buster Keaton, 1922)、《Ballet Mécanique》(Fernand Léger, 1924)、《Modern Times》(Charlie Chaplin, 1936)等作品。在這些作品中,工業化社會的節奏滲入了人的身體。而Dielman所處的密室,也同樣成為了資本主義下無盡的生產與再生產鏈的一部分。她透過堅持日常規律來維持現狀、賦予其價值,進一步合理化變革的「不可能」。此外,她也順從市場邏輯,不得不販售自己的性來維繫生活。若定男是靠與他者的扭曲共犯關係來維持密室,那麼Dielman則是靠自我壓抑與勞動,努力維繫密室的秩序──但她依舊無法完全阻擋外界的侵入。
Chantal Akerman《Saute Ma Ville》(1968)與「密室=風景」的掙扎
Akerman在《Jeanne Dielman》中,一方面以深情凝視女性日常動作,另一方面卻也清楚意識到:這些活動隨時都可能被風景=權力吞噬與操控。這種自覺,也強烈體現在全片無可逃離的壓迫感與悲劇結局中。即便殺了一個男人,這一刀仍無法劃破風景;她與兒子的明日,只會更加艱難。這點與懷抱革命幻想、迎向死亡、對共犯由香之未來漠不關心的定男,形成決定性的差異。
回顧 Akerman 的首部短片《Saute Ma Ville》(1968),她親自飾演主角,完成家務與晚餐後,在鏡子上以美容霜寫下「Ça suffit!(到此為止!)」,接著點燃瓦斯,引爆整個房間。影片中對日常細節的描繪、自選悲劇性結局、手持鏡頭的拍攝與僅以聲音表現爆炸──都與若松電影互為呼應。不同的是,此作明確將殺意對準「城市」本身,正如其法文標題「Saute Ma Ville(炸毀我的城市)」。這正與松田政男風景論的「風景=權力結構」觀形成強烈共振。
從《Saute Ma Ville》到《Jeanne Dielman》的過程中,我們可以看到Akerman對「密室=風景」之不可切割性的絕望,以及儘管如此仍試圖開一條裂縫的苦苦掙扎。從歷史上來看,被囚禁於「密室=風景」中的主要受害者,多半是女性,是家庭主婦。從1970年代中期起,「風景論」的主題,也開始融入家庭劇與情感劇,轉化為對「主婦的一日」的各種變奏與再現。
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*補充說明:值得注意的是,在2000年代至2010年代間興起的所謂「零年代批評」(ゼロ年代批評)語境中,也反覆出現與「作為母胎烏托邦的密室=風景論」同構的論述。代表性論者如東浩紀在其著作《遊戲性寫實主義的誕生》(講談社現代新書,2007年,頁321)中為《Kanon》(1999)、《AIR》(2000)等美少女(色情)遊戲辯護,指出這些作品蘊含一方面展現父權主義男子氣概、另方面又對此抱持嫌惡與反省的雙重結構。
對此,宇野常寛在其著作《ゼロ年代の想像力》(早川書房,2008年,頁204)提出反駁,認為東所謂的「自我反省」實際上未發揮反省功能,而只是鞏固並延續男性佔有女性的欲望的表演形式。此外,宇野也追溯了男性御宅文化的源流至漫畫家高橋留美子,批判其所創造出的「如箱庭般的世界裡,被美少女角色包圍,過著樂園般重複日常生活的結構」,稱之為「母性ディストピア(母性反烏托邦)」(頁211)。
再如評論者てらまっと(Teramatto)於文章〈どんでん返しのヘテロトピア──『じょしらく』と震災後の日常〉(《週末批評》,2022年5月21日)中指出,動畫《じょしらく》(2012)描繪的五位美少女落語���的「樂屋」,看���與外界隔絕的烏托邦,但實則是社會性與政治性不斷滲透其中的怪異空間──他稱之為「滿是漏洞的樂屋」。這種對「密室」與「風景」模糊邊界的描寫方式,正可視為動畫領域中的密室=風景論,其與松田政男在若松電影中對密室既為風景的對立詞又為其同義詞的論述形成對應關係。
從這個角度來看,如何釐清1970年代初期的風景論爭與2000年代「零年代批評」之間的異同,無疑也是未來值得深入探討的重要課題之一。
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ヘッダ・ガーブレル Hedda Gabler
じゃ、私にできることは、何もないのね。
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彼女はなぜ原稿を燃やし、銃の引き金に指をかけたのか——。
自分の生と自己についての実感を求めて、空虚の中で心を圧された女性「ヘッダ」。生きている価値、妻であることやパートナーの意味や意義、ひとりの人間として必要な承認をめぐる、生が自己を求める切実さを描く物語。
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開演日時: 2024年8月31日(土) 14:00・18:00 / 9月1日(日)14:00 ※各回終演後に演出家によるトークセッションを実施予定 ※受付開始は開演の45分前、開場は30分前 ※上演時間は100分を予定
託児サービスあり(先着順・有料) 9月1日の回が対象。公演2週間前までに要申込。 (三重県文化会館 TEL059-233-1122)
英字プログラムあり
会場: 三重県文化会館 小ホール(三重県津市一身田上津部田1234) ※三重県文化会館へのアクセス
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原作:ヘンリック・イプセン 構成・演出・美術:鳴海康平
出演: 木母千尋、三浦真樹 諏訪七海、桑折 現 山形龍平、梨香
舞台監督:北方こだち 照明デザイン:島田雄峰(LST) 音響:平岡希樹(有限会社 現場サイド) 照明操作:前田遥音 衣装:小野花弥 肖像画製作:永村清華 フライヤービジュアル撮影:松原豊 フライヤーレイアウト:橋本デザイン室 アダプテーション:鳴海康平
フライヤー撮影協力:Bon Vivant(三重県伊勢市本町20-24)
※原千代海訳、毛利三彌訳、福田恆存訳、 Deborah Dawkin and Erik Skuggevik 英訳、 Terje Sinding 仏訳を参考にさせていただき、上演台本を作成しています。
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料金:(全席指定) 一般前売 2,500円(当日 3,000円) 22歳以下 1,000円(前売・当日とも)
チケット取り扱い(チケット発売日:6月29日10:00)
▋三重県文化会館 チケットカウンター(窓口・電話) tel. 059-233-1122(10:00~17:00/月曜または月祝翌平日休館) WEBチケットサービス「エムズネット」 https://p-ticket.jp/center-mie/
▋第七劇場(予約のみ) https://www.quartet-online.net/ticket/hedda24
※未就学児の入場不可 ※22歳以下チケットでご入場の際は、年齢の確認できる証明書のご提示をお願いいたします。
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三重県文化会館 公演情報ページ https://www.center-mie.or.jp/bunka/event/detail/48724
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関連企画
「ヘッダ・ガーブレル」を読んでみよう
演出家・鳴海のナビゲートで、実際の上演台本を使った読み会を開催します。みなさんで声に出して読みすすめながら、作品を紐解いてみましょう。
日時:8月12日(月・祝)14:00〜16:00 会場:三重県総合文化センター 生涯学習センター棟 2階 まなびラボ 参加料:1,000円
事前申込制(先着)
参加料は当日精算
定員 15名
申し込み受付は6/29(土)〜8/3(土)※必着
お申し込み・お問い合わせ
tel: 059-233-1122 窓口:三重県文化会館 チケットカウンター 10:00〜17:00/月曜休館(祝日の場合は翌平日休館) 申込URL: https://www.center-mie.or.jp/bunka/
※未就学児のご参加はご遠慮ください。 ※筆記用具をご持参ください。 ※定員に達し次第、受付終了となります。
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ヘッダ・ガーブレル
1891年、ミュンヘンで初演。研究者の夫テスマンとの関係に息苦しさを感じている妻ヘッダは、退屈な日々と、身近な生気に溢れた人たちに苛立ちを覚える。テスマンの研究者としてのライバルでありヘッダの元恋人レェーヴボルクの死、ヘッダの古い友人テアとテスマンの研究上の意気投合、レェーヴボルクの死に関する判事の思惑が交錯し、嫉妬と羨望と絶望が高まる中でヘッダは、自身の行動で自らを追い込み自殺してしまう。

ヘンリック・イプセン(1828〜1906)
ノルウェー出身の劇作家・詩人。「近代演劇の父」と呼ばれる演劇史上の巨人。シェイクスピア、チェーホフと並び、現在でも世界中で盛んに上演される。19世紀当時一般的だった勧善懲悪の物語や歴史上の偉人が登場する大作から離れ、個人の生活や現実の社会の課題などを題材に戯曲を執筆。
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第七劇場
1999年、演出家・鳴海康平を中心に設立。主に既成戯曲を上演し、言葉の物語のみに頼らず舞台美術や俳優の身体とともに多層的に作用する空間的なドラマが評価される。国内外のフェスティバルなどに招待され、これまで国内25都市、海外5ヶ国11都市(フランス・ドイツ・ポーランド・韓国・台湾)で作品を上演。代表・鳴海がポーラ美術振興財団在外研修員(フランス・2012年)として1年間滞仏後、2013年に日仏協働作品『三人姉妹』を新国立劇場にて上演。2014年、東京から三重県津市美里町に拠点を移設し、倉庫を改装した新劇場 Théâtre de Bellevilleのレジデントカンパニーとなる。 https://dainanagekijo.org
写真「三人姉妹」2023・三重県文化会館 ©松原豊
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鳴海康平
第七劇場、代表・演出家。Théâtre de Belleville、芸術監督。1979年北海道紋別市生まれ。三重県津市在住。早稲田大学在籍中の1999年に劇団を設立。「風景」によるドラマを舞台作品として構成。国境を越えることができるプロダクションをポリシーに製作し、ストーリーや言語だけに頼らないドラマ性が海外で高く評価される。ポーラ美術振興財団在外研修員(フランス・2012年)として1年間渡仏し活動。帰国後2013年に日仏協働作品『三人姉妹』を新国立劇場にて上演。AAF戯曲賞審査員(愛知県芸術劇場主催 2015〜)。名古屋芸術大学芸術学部舞台芸術領域准教授(2021〜)。
写真 ©松原豊
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主催:三重県文化会館[指定管理者:公益財団法人三重県文化振興事業団] 共催:レディオキューブFM三重 助成:公益財団法人岡田文化財団 文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業(地域の中核劇場・音楽堂等活性化事業)) 独立行政法人日本芸術文化振興会 特別協力:名古屋芸術大学
製作:合同会社 第七劇場
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お問い合わせ: 三重県文化会館 tel. 059-233-1122(10:00~17:00/月曜または月祝翌平日休館) 第七劇場 [email protected]
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