Tumgik
#涅槃釈迦如来
crazyfox-archives · 2 years
Photo
Tumblr media
A hanging scroll depicting the buddha Shakyamuni’s parinirvāṇa, or passing away, painted by Hasegawa Tōhaku (長谷川等伯) during the 1570′s at Myōjōji Temple (妙成寺) in Hakui, Ishikawa Prefecture
Image from the temple’s official website
41 notes · View notes
wasagiri · 1 year
Text
Tumblr media
そしてマッサージの殿堂 涅槃釈迦如来で有名なワット・ポーは猫寺でした。 この子は下足番の奥さんのお気に入りの子。 ♪にゃんころちかわいい〜といつものように歌うと なでなでタイムが増えたんですよ〜。
9 notes · View notes
kennak · 2 years
Quote
"日本の大仏は阿弥陀如来などが多いのだが、涅槃仏は釈迦が寝た姿がモデルになっているので、より自分たちが普段信仰する上座部仏教(小乗仏教)に近い感覚なのだろう。"
[B! 宗教] 元日にベトナム人が大仏に大集結する理由、福岡の南蔵院・茨城の牛久大仏…
1 note · View note
poddyshobbies · 2 years
Text
福津市の長谷寺(ちょうこくじ)
Tumblr media
古いオーディオ製品の修理を依頼することにしたお店(山水電気九州エリア正規代理店「オーディオ・サービス・エンジニアリング」)に依頼品を持ち込んだ、そのお店のすぐそばに建つお寺さんです。「さ~て、何と読む?」と考えながら訪ねてみました。所在地は福津市の手光(てびか)地区です。これまた難読地名だと思います。
山門に続く坂道の入口にある石塔 ~ 文字の判読はできず。
Tumblr media Tumblr media
緩い坂道を 20m ほど登ると右手に駐車場があります。そこから山門に続く石段があり、その横にはお地蔵様がずらり並んでます。
Tumblr media
宗像西部新四国八十八箇所霊場 第9番 釈迦如来涅槃像(グーグルマップの表記)
Tumblr media Tumblr media
石段を登る ~ 正面に本堂、右手に観音堂、上に鳥居が建ちます。
Tumblr media
振り返ると田園風景が望めます。
Tumblr media Tumblr media
観音堂 ~ 筑前国中三十三観音霊場第17番札所
Tumblr media
ご本尊 十一面観世音菩薩(秘仏)~「身代わり観音」の由来
Tumblr media
33年毎の本開扉と中間の17年目にだけのご開帳で、次回は 2025年だそうです。
Tumblr media Tumblr media
本堂
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
遠景
Tumblr media
2022.11.28 つづく
1 note · View note
catonoire · 6 months
Text
「ほとけの国の美術」展
Tumblr media
府中市美術館で「ほとけの国の美術」の前期展示を見る。毎年恒例の「春の江戸絵画まつり」の企画展である。神も仏も信仰しない無宗教者で抹香臭いのも嫌いだが、「春の江戸絵画まつり」は大好きで毎回なるべく行くようにしているし、府中市美術館が単に抹香臭いだけの展示をするわけがない、と思って今年も足を運んだ。前期と後期で大幅な展示替えがある。
Tumblr media Tumblr media
第1章、浄土と地獄。まずひときわ目を引かれるのは京都・二尊院の「二十五菩薩来迎図」。金がふんだんに使われていて豪奢だが、描写が繊細なためか品がある。この時点ですでに「抹香臭いのはイヤだな」などと思っていたことをすっかり忘れて、絵に見入ってしまった。二尊院では、2体の本尊(釈迦如来と阿弥陀如来)を中央に、右は太陽を先頭に、左は月を先頭に、その他の菩薩の皆さんがずらりと並ぶように掛けられる。展示室では、たとえば掛軸の配置や掛軸をかける高さ、掛軸の背後の襖(たぶん実物?)など、可能なかぎり本来の形に近づける工夫がなされていて、最大限のリスペクトを感じた。また、ロビーではこの来迎図の修復の模様が映像で流れており、来迎図自体と同じぐらい興味深かった。修復から院外貸出に至るまでの経緯もちょっとしたドラマになりそうな気がする。
前期のみ展示の「観経変相曼荼羅図」には、ランク別の往生が図示してあっておもしろかった。最上級の往生である上品上生では仏教界のえらいひとたちに恭しく迎えてもらえるが、最低ランクの下品下生だと蓮の台のみのお迎え。しかしなんといっても蓮は仏教では特別な植物なのだし、粗末なものではなさそうである。往生が叶うというのはたとえ下品下生でもすごいことのように思える。
同じく前期のみの「阿弥陀二十五菩薩来迎図」は、基本的な来迎図のお約束にのっとりつつも、変わった点もあるとのこと。たとえば、地上の光景の描写が具体的で充実している(たぶん一般的な来迎図では地上の様子を詳しく描いたりしない)。そして、来迎図の菩薩たちはふつう楽器を演奏しているが、この来迎図では楽器を持っていない。しかしよく見ると、描き表装の中に楽器が描かれている! この凝り方はなかなか心憎い。
通期展示の「十王図」もとてもおもしろかった。地獄の審判である十王を描いたもので、現在は6幅が伝わっている。派手な朱色の色遣いが大津絵を彷彿とさせる。地獄で働く鬼たちの描写がどこかコミカルで、地獄に落ちてきたワルいやつらを相手に鬼がまじめに働いているのかと想像すると、思わず笑みがこぼれてしまった。
第2章、禅が教えてくれること。ここでは禅画やそれに類する作品が展示されている。禅画にはやはり少し抹香臭いというか説教臭さを感じてしまうが、仙厓の「三福神図」は、福神を好んで描いた仙厓らしい作品。また、甫雪等禅「叭々鳥図」はかわいいながらもキリッとしていて魅力的だった。
第3章、古典美としての仏画。美術の世界では「仏画が美術として魅力的だったのは平安・鎌倉時代まで」と言われていることを引きつつ、江戸時代の仏教絵画を紹介するコーナー。狩野探幽「文殊菩薩騎獅像」は、墨の濃淡を基調とした中に赤や青などの色が部分的に施されているのが美しい典雅な作品だった。文殊菩薩がお経と花を持って獅子に乗るという定番モチーフを知らなかったので、その点でも勉強になった。
第4章、ほとけの国の人気キャラ。府中市美術館が本領を発揮しそうなコーナー。ここで取り上げられた「キャラ」は、考えてみると、布袋さん、阿弥陀さま、大仏さま、などと親しげに呼ばれる存在ばかりで、納得がいく。
第5章、円空の仏像。このコーナーのみ木彫の展示である。円空の仏像を見るのはたぶん初めて。あえて作り込まない感じの作風でゆるさがあるが、真似しようとしてもできない雰囲気を持っている。
第6章、涅槃図と動物絵画の時代。仏画の中では涅槃図がいちばん好きなので、このコーナーもとても楽しめた。
一般的な涅槃図に加えて変わり種もあり、上田公長「芭蕉涅槃図」が特に気に入った。芭蕉の死の床の周りに弟子たちが、さらに芭蕉の句に詠まれた動物たちも集まっている。猿が蓑を着ていたり(「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」)、馬が花をくわえていたり(花はおそらく「道のべの木槿は馬にくはれけり」のムクゲ)、ちゃんと句の内容を踏まえているところもよい。
動物絵画については、動物にも仏性があるという仏教の教えの影響があった、という解釈、位置付けが新鮮に感じられた。
Tumblr media
なお、入場時にクイズが載ったリーフレットを渡される。クイズに答えると帰りにポストカードを1枚もらえるということで、せっかくなので答えて1枚いただいてきた。
Tumblr media
冷泉為恭「童子読書図」敦賀市立博物館所蔵。
Tumblr media
1 note · View note
moko1590m · 1 year
Quote
釈迦が舎衛城の祇園精舎に滞在している際に、マールキヤプッタ尊者の中に、 世界は永遠であるのか 世界は永遠でないのか 世界は有限であるのか 世界は無限であるのか 生命と身体は同一か 生命と身体は別個か 修行完成者(如来)は死後存在するのか 修行完成者(如来)は死後存在しないのか 修行完成者(如来)は死後存在しながらしかも存在しないのか 修行完成者(如来)は死後存在するのでもなく存在しないのでもないのか といった10の疑問が生じた(上記の通り、対になる選択肢を統一すれば、実際は4つの疑問である)。 マールキヤプッタ尊者は、これらの疑問に釈迦が答えてくれるなら修行を続けるが、答えてくれなければ修行を放棄しようと考えつつ、釈迦にこれらについて問う。 それに対して釈迦は、「私の下で修行すればそれらについて説くと私は話したか、またマールキヤプッタはそのような期待でこの修行を始めたのか」と問い返す。マールキヤプッタ尊者はどちらも違うと否定する。 釈迦は「もし私にそうした疑問について説いてもらえない限り、私の下で修行しないと言う人がいたとすれば、その人は私にそれについて説いてもらう前に、死期(寿命)を迎えてしまうことになるだろう」 (中略) 「それらの答えが与えられてはじめて、人は修行生活に留まるということはない」「それらがどうであろうと、生・老・死、悲しみ・嘆き・苦しみ・憂い・悩みはあるし、現実にそれらを制圧する(すなわち、「毒矢の手当てをする」)ことを私は教えるのである」   「故に、私は説かないことは説かないし、説くことは説く」   「先の疑問の内容は、目的にかなわず、修行のための基礎にもならず、厭離・離欲・滅尽・寂静・智通・正覚・涅槃に役立たないので、説かない」   「逆に四聖諦は、目的にかない、修行のための基礎にもなり、厭離・離欲・滅尽・寂静・智通・正覚・涅槃に役立つので、説く」   「この説かないものと、説くものとの違いを、了解せよ」と諭される。 マールキヤプッタ尊者は歓喜し、釈迦の教説を信受した。
無記 - Wikipedia
1 note · View note
amiens2014 · 2 years
Text
法輪寺/徳島県阿波市【四国八十八箇所霊場第9番札所】弘法大師が白蛇を見つけたことに始まる古刹
法輪寺とは 正覚山菩提院法輪寺(しょうかくざん ぼたいいん ほうりんじ)は、徳島県阿波市土成町土成字田中(とくしまけんあわしどなりちょうどなりあざたなか)にある高野山真言宗の寺だ。 四国八十八箇所霊場第9番札所で、本尊は涅槃釈迦如来(ねはんしゃかにょらい) 古くは「白蛇山法林寺」と称され、現在の地より北4キロほど山間の「法地ヶ渓」にあって、壮大な伽藍を誇っていたと伝えられる。その礎石や焼土がのこっており、これは天正10年(1582)の戦乱のさいに長宗我部元親による兵火で焼失した遺跡である。縁起によると、弘法大師がこの地方で巡教されていたときの弘仁6年、白蛇を見つけた。白蛇は仏の使いであるといわれていることから、大師は釈迦の涅槃像を彫造し、本尊として寺を開基したとされている。 正覚山 菩提院 法輪寺 – (一社)四国八十八ヶ所霊場会…
Tumblr media
View On WordPress
0 notes
yoga-onion · 3 years
Photo
Tumblr media
The Quest for Buddhism (27)
The family of Siddhartha (Buddha)
Sunakkhatta - Rahula’s(Ref) other half-brother who has fallen into infinite hell Part2 [Part1]
How the rebel fell into infinite hell:
After Buddha's death, his teachings were compiled through several gatherings, mainly by his ten great disciples, including Mahakasyapa and Ananda, to form the the Sutra Pitaka, known as agama. In it, some of the events are described.
Snakkatha left Buddha and went to an itinerant monk because Buddha did not show him divine powers(Ref2) in his immaturity. At other times, he secularised himself and returned to Vaisali, a commercial city in ancient India that was autonomous and republican, where trade and commerce flourished and there was a spiritual atmosphere of respect for freedom, and made snide remarks such as, "Buddha Dharma is not the dharma of superhumans."
In particular, the Mahaparinirvana Sutra describes him in detail as a Icchantika (meaning one who does not believe in the Buddha Dharma and slanders it; literally translated, "one who desires").
Sunakkatta had attained the four stages of Dhyana, but because of his closeness to his evil friend Kutoku (One of the Six Heretical Teachers), he lost the four stages of Dhyana and began to have evil thoughts and to deny the Buddha's teachings. Snakkatta was close to this false teacher.
Buddha told this story to the masses and said, "If you disbelieve the true words of the Buddha, he is in the Lilājan River (Skt. Niranjana), go and see him". And Buddha went there with his disciples. When Snakkatha found the Buddha, he again developed an evil mind and fell into the infinite hell alive.
Buddha was asked by a disciple, “Why did you allow Sunakkatta to be ordained?” The Buddha replied, "I never just stood by his misdeeds, but I truly pity Snakkatta. If he had not been ordained like Rahula and the other princes of the Sakya tribe, he would have succeeded to the throne, wielded his power and destroyed the Buddha Dharma. However, because he was ordained, he eventually renounced the good roots of Buddhism in this life, but in the future he will be able to produce the good causes of precepts and practice and attain Buddhahood.
That may have been one of the reasons behind the ordination of many of the Sakya tribe.
Tumblr media
仏教の探求 (27)
お釈迦さまの家族
善星 (ぜんしょう、巴: スナッカッタ)〜無限地獄に堕ちた、ラーフラ(参照)のもう一人の異母兄・その2(その1)
ブッダの死後、その教説が、大迦葉 (だいかしょう、梵: マハーカーシヤパ)や阿難 (あなん、梵: アーナンダ)を始めとする十大弟子たちを中心として、何回かの結集を経てまとめられ、阿含経 (あごんきょう、梵: アーガマ、"伝承された教説、その集成"の意)と称する経蔵 (きょうぞう、梵: スートラ・ピタカ)が形成された。
善星 (ぜんしょう、巴: スナッカッタ)が無限地獄に堕した経緯については、その阿含経 (あごんきょう、梵: アーガマ)の一部にいくつか記述されている。
スナッカッタは、ブッダが未熟な彼に神通力(参照2)を示さなかったことなどを理由に、梵行 (ぼんぎょう: 淫欲を断つ仏道の修行) を修せず、ブッダの下を去り、他宗派の遊行僧のところに行った。またあるときは、還俗 (げんぞく)して、自治制・共和制がしかれ、通商貿易が盛んで、自由を尊ぶ精神的雰囲気があったと言われている古代インドの商業都市、毘舎離 (びしゃり、梵: ヴァイシャーリー)に戻り、「仏法は超人の法ではない」などと悪口(あっく)しりしたため、ブッダは彼を退転者の例として挙出したとある。
特に大般涅槃経 (だいはつねはんぎょう、梵: マハーパリニルヴァーナ・スートラ)では、彼を一闡提 (いちせんだい、梵:イッチャンティカ、仏法を信じず誹謗する者の意。字義通りに翻訳すれば「欲求する人」)とし、彼について詳しく書かれている。
スナッカッタは、四禅定(しぜんじょう)を獲得したが、悪友である苦得外道 (くとくげどう、六師外道・六人の異端教祖の一人)に親近したために、四禅定(しぜんじょう)を失い邪見を起し、仏の教えを否定するようになった。スナッカッタはこの苦得(くとく)に近親した。
ブッダは、大衆に向かってこの話を教下し「汝らがもし如来の真実語を不信するなら、彼は尼連禅河(にれんぜんが、ナイランジャナー河)にいるから、共に行って見るがよい」と言い、ブッダは弟子たちと共に赴いた。スナッカッタはブッダを見つけるとまた悪心を生じて、生身のまま阿鼻地獄 (あびじごく)に堕したという。
なお、ブッダは「なぜスナッカッタの出家を聴許したのか?」との弟子の問いに、「我は決して彼の非道を傍観したのではなく、スナッカッタには真に憐憫している。彼を羅睺羅 (らごら、梵: ラーフラ)や釈迦族の他の王子と同様、出家せしめなければ、彼は王位を継ぎ、その権力を縦に振るい仏法を破壊したであろう。しかし彼は出家した為に結局、今生においては善根を断ってしまったが、将来において持戒修禅の善因を生じ成仏することができる」と説いている。
多くの釈迦族が出家した背景には、そのような事情もあったのかもしれない。
63 notes · View notes
moment-japan · 5 years
Photo
Tumblr media
特別企画 奈良大和四寺のみほとけ
東京国立博物館
奈良大和四寺のみほとけ / 本館 11室   2019年6月18日(火) ~ 2019年9月23日(月)
奈良県北東部に所在する岡寺、室生寺、長谷寺、安倍文殊院の四寺は、いずれも7〜8世紀に創建された古刹で、きわめて魅力に富んだ仏像を伝えています。奈良時代に流行した木心乾漆造の岡寺・義淵僧正坐像、平安時代初期の重厚な特色を備える室生寺・釈迦如来坐像、鎌倉時代に高度な技術で造られた長谷寺・十一面観音菩薩立像、安倍文殊院本尊の像内に納められていた文書など国宝4件、重要文化財9件を含む名品を展示します。卓越した造形と厚い信仰を物語るみほとけをぜひご堪能ください。
Tumblr media
▲ 国宝 十一面観音菩薩立像 平安時代・9~10世紀 奈良・室生寺蔵
Tumblr media
▲国宝 義淵僧正坐像ぎえんそうじょうざぞう 奈良時代・8世紀 奈良・岡寺蔵
Tumblr media
▲国宝 釈迦如来坐像しゃかにょらいざぞう 平安時代・9世紀 奈良・室生寺蔵
展示作品リスト 15件
重文十一面観音菩薩立像1躯鎌倉時代・13世紀奈良・長谷寺蔵 十一面観音菩薩立像1躯平安時代・12世紀奈良・長谷寺蔵 阿弥陀如来立像1躯平安時代・12世紀奈良・長谷寺蔵 重文菩薩半跏像1躯奈良時代・8世紀奈良・岡寺蔵 重文天人文甎1枚飛鳥時代・7世紀奈良・岡寺蔵 重文釈迦涅槃像1躯鎌倉時代・13世紀奈良・岡寺蔵 国宝義淵僧正坐像1躯奈良時代・8世紀奈良・岡寺蔵 国宝釈迦如来坐像1躯平安時代・9世紀奈良・室生寺蔵 重文地蔵菩薩立像1躯平安時代・10~11世紀奈良・長谷寺蔵 重文赤精童子(雨宝童子)立像1躯運宗作室町時代・天文7年(1538)奈良・長谷寺蔵 重文難陀龍王立像1躯舜慶作鎌倉時代・正和5年(1316)奈良・長谷寺蔵 重文十二神将立像(巳神・酉神)2躯鎌倉時代・13世紀奈良・室生寺蔵 国宝十一面観音菩薩立像1躯平安時代・9~10世紀奈良・室生寺蔵 重文地蔵菩薩立像1躯平安時代・10世紀奈良・室生寺蔵 国宝文殊菩薩像像内納入品 仏頂尊勝陀羅尼・文殊真言等
8 notes · View notes
herbiemikeadamski · 3 years
Photo
Tumblr media
. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 3月15日(火) #友引(丁卯) 旧暦 2/13 月齢 12.4 年始から74日目(閏年では75日目)にあたり、年末まであと291日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 昨日の暖かさ急に、こんなにって 寒いのも急にだしなって😅💦 そんな風に気楽に居たら夜はヒエヒエ でしたよね⛄️今朝も昨日の朝と 10°も低いですから⤵️それに☔️ 「霧雨じゃ濡れて参ろう」で💧 大した雨じゃないから構わない けどね🤣にしても3月に入った かと思うと前半も終了ですよ🚀 早いです😅💦正に今日の格言。 「光陰矢のごとし」ですよね🤚 . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍♂ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #涅槃会(#ねはんえ・#お釈迦様の命日).  仏教の祖・釈迦が亡くなったとされる釈迦入滅の日。  各寺院で釈迦の遺徳を偲ぶ法会が行われます。  元々は旧暦の2月15日でしたが、現在の暦では月遅れの3月にあたるそうなので新暦3月15日行う寺院もある。 . #友引(トモビキ). 六曜の名称の1つで、相打ち勝負なしの日のこと。  つまり良いことはないが悪いこともない日のことである。  ちなみに六曜は仏教とは関係なく葬式を避けるという話は迷信である。  「友人を引き込む」とされている日とされている。  友引の日には、結婚式、入籍、七五三、お宮参り、引越し、建築、契約、納車、宝くじ購入、は問題ない日です。  験担ぎで拘るなら、凶となる11時~13時の間を避けると良いでしょう。  六曜は、先勝(センショウ)、友引、先負(センプ)、仏滅(ブツメツ)、大安(タイアン)、赤口(シャッコウ)の6つである。 . #天火日(テンカニチ). 天に火気が盛んであるという日。 屋根ふき・ 棟上 むねあ げ・かまど造り・種まきなどを忌む。 天火。 . #狼藉日(ロウジャクニチ). 陰陽家で、大禍日・滅門日とともに三悪日の一つ。 万事に凶であるという日。  狼藉。 . #最硬の盾の記念日. . #温泉むすめの日. . #ドメインの日. . #会いに走れ記念日. . #ランドセルリメイクの日. . #SideMサイコーの日 . #眉の日. . #靴の記念日. . #万国博デー. . #オリーブの日. . #サイコの日. . #マイコの日. . #生命保険見直し月間(1日~31日). . #世界消費者権利デー. . #1848年の革命と自由戦争記念日(#ハンガリー). . #憲法記念日(#ベラルーシ). . . ■今日のつぶやき■. #光陰矢の如し(コウインヤノゴトシ) 【意味】 月日の過ぎていくのは、飛ぶ矢のように早い。 歳月のたつのが早い事の例え。 . . 2001(平成13)年3月15日(木) #原かれん (#はらかれん) 【アイドル/NMB48のメンバー】 〔大阪府〕  . . (南流山駅) https://www.instagram.com/p/CbGYjvhhYkFGvi_lyDSJqnl5DWGwq6Mz_PECeI0/?utm_medium=tumblr
0 notes
ishidamitsunobu · 6 years
Text
基礎講座:三宝
上田秋成「雨月物語」に“仏法僧”と言う言葉は登場する。
雨月物語は庶民向けの読み本
仏法僧=三宝は当時から庶民文化に浸透していた。
三宝:仏教徒の最優先遵守条項3つ
   条項①仏宝
   条項②僧宝
   条項③法宝
仏宝:信仰対象
   信仰対象であれば、ゴータマ・ブッダ本人、妙法蓮華経に於ける釈迦牟尼仏、浄土信仰における阿弥陀如来、密教における大日如来などどれでもOK
   おおむね「如来」と称されればそれ。
   如来にはその特徴(観点)による10の呼称がある(如来の十号)
   ①如来:世界の真理を理解し、その世界からこの世に来た人
   ②応供:阿羅漢。布施の対象として素質十分な人
   ③正偏知:最上級の理解を成し遂げた人
   ④明行足:知識と実践のバランスが取れた人
   ⑤善逝:彼岸に到達した人
   ⑥世間解:世の中についてよく理解した人
   ⑦無上士:本人以上の存在がない人
   ⑧調御丈夫:万人向け人生アドバイザー・リーダー
   ⑨天人師:神と人間にとっての師匠
   ⑩仏陀:真理を理解した人
   ⑪世尊:世間からの尊敬を集める人
法宝:涅槃獲得への手続きとその方法
   部派仏教以降、三蔵のことを指す
   三蔵①:経蔵:ゴータマ・ブッダの発言集
          その形式により12種類に体系化(十二分教)
   三蔵②:律蔵:仏教組織の規則集
   三蔵③:論蔵:発言集の注釈、研究
僧宝:ゴータマ・ブッダの指導内容の学習と実践に取り組む組織
   サンガと呼ばれ、インドでは組合のことを指す一般名詞
   サンガ内には4種の区別がある。
   ①優婆塞:社会に帰属する男性信仰者
   ②優婆夷:社会に帰属する女性信仰者
   ③比 丘:具足戒(規律)を遵守する男性非政府主義者
   ④比丘尼:具足戒(規律)を遵守する女性非政府主義者
仏教における実践項目には、非政府主義的実践行為が多い。
(自宅、家庭、社会への帰属を断捨離etc)
しかし、世捨て人でありながら阿羅漢(在家者から功徳を期待される人)、
    世捨て人でありながら世間解(世の中を理解している人)、
    世捨て人でありながらサンガに対する衆生救済、教化活動の推奨etc
仏教徒が行う反社会・非政府的行為と、衆生救済を目的とする教化活動も、矛盾しない。
2 notes · View notes
shakuhachi-kataha · 4 years
Text
第16回 ミニ講座「普化禅師ってどんな人? 其の二」
やっぱり狂人?奇人?
 
 
 
 
一般的な認識で、普化禅宗の「開祖」ということになっているので、一応どんな人か掘り下げておきましょう🎵
 
 
 
普化禅師のことは『祖堂集』『宋高相伝』『景徳伝灯録』『臨済録』等に書かれている。
 
 
 
 
『臨済録』(りんざいろく)は、中国唐代の禅僧で臨済宗開祖の臨済義玄の言行をまとめた語録。詳しくは『鎮州臨済慧照禅師語録』。
『景徳傳燈録』(けいとくでんとうろく)は、中国・北宋代に道原によって編纂された、禅宗を代表する燈史。
 
  
Tumblr media
(釈迦、達磨、臨済のスリーショット✨「元信画集」国立国会図書館蔵)
 
 
 
 
以下、『景徳傳燈録』より臨済と普化のやりとり。
 
 
 
     
盤山禅師は遷化(せんげ・高僧が死ぬこと)にあたって門下の衆僧に告げた、「わしの肖像を描きうる者はあるか」
「真」(肖像)を写すということには、師の真面目 (1) を如実に我が物にするという意が含まれている。だが僧たちはみな目に見える師の似姿を絵に描いて提出し、ことごとく師から打ちすえられてしまった。そこで弟子のひとり、普化が出てきて申し上げる、「それがしには描けます」「なら、わしに出して見せぬか」そこで普化はひょいとトンボがえりを打って、さっさと出ていってしまった。
 盤山はいった、「この男、いずれ”風狂”のごとくに人を教化していくに相違ない」
(『景徳伝灯録』巻七盤山章)
 
真面目(しんめんぼく)本来の姿・ありさま。転じて、真価。
 
 
 
 
 
(「そんなことしてもムダ、不可能」ということを普化禅師はとんぼ返りで表現したのでしょうか。これはまるでとんち話のようです)
 
 
 
 
 
 
以下『臨済録』より
 
 
  
 
 
 臨済が始めて臨済院の住職になった時、普化に会って言った。
「わしが南方にいて、潙山に書状を持って行った時に、そなたが先にこの地に住んでわしが来るのを待っていてくれると仰山に教えられた。そしてそなたの協力を得ることになった。わしはこれから黄檗の宗旨(その宗教・宗門の教えの中心になっているところ)の功績をたたえ世間に広めようと思う。どうかわしに力添えしてもらいたい」普化は、では失礼、と言って退出した。
 克符が少し遅れてやって来た。師は同じように言った。克符も、では失礼、と言って退出した。 
 三日あと、今度は普化が師のところに来て挨拶して言った、「和尚は先日なんと言われましたかな」師は棒を取り上げるなり打って追い出した。
 また三日すると、克符もやって来て挨拶して言った、「和尚がこの前普化を打たれたのはなにごとですか」師はやはり棒で打って追い出した。」
 
 
(潙山、仰山とも唐代の禅僧)
 
  
 
 
いたって簡単なことを言われたのにわざわざ道化をしに臨済の所に来る普化。何故でしょうか。。。
 
 
 
 
 師はある日、普化と共にお斎に信者の家へ招かれて行った時、そこで問うた「一本の髪の毛が大海を呑みこみ、一粒の芥子の中に須弥山(しゅみせん)を収めるというが、これは不思議な神通力なのか、それとも本体のありのままなのか。」普化はいきなり食卓を蹴倒した。師「なんと荒っぽい!」普化「ここをどこだと思って荒っぽいの穏やかのと言うのか。」
 その翌日、また師は普化と共にお斎に招かれた。そこで問うた、「今日の供養は昨日のと比べてどうかね。」普化はやはり食卓を蹴倒した。
師「それでよいにはよいが、荒っぽすぎるな。」
普化「盲め!仏法に荒っぽいの穏やかのがあるものか。」師は舌を巻いた。
 
 
 
 
 
<一筋の毛が>『維摩経』(ゆいまきょう・大乗仏教経典の一つ)の説にもとづく句。特徴的なのは、不二法門(ふにほうもん)といわれるもので、互いに相反する二つのものが、実は別々に存在するものではない、ということを説いている。例を挙げると、生と滅、垢と浄、善と不善、罪と福、我と無我、生死と涅槃、煩悩と菩提などは、みな相反する概念であるが、それらはもともと二つに分かれたものではなく一つのものであるという。(柳田聖山訳注)
 *宗教は可能かという問いかけでしょう。普化は臨済より偉いかも知れない(山戸朋盟氏ブログ)
 
 
 
  
 
  ある日、師は河陽と木塔という二人の長老と一緒に僧堂の囲炉裏を囲んでいたとき、「普化は毎日、町の中で気狂いじみたまねをしておるが、いったい凡夫なのだろうか、それとも聖者なのだろうか」と噂をしていた。すると、その話しの終わらぬうちに普化が入って来た。そこで師は問うた「そなたは凡夫なのか、それとも聖者なのか。」普化「あんた言ってみなさい。おれは凡夫か聖者か」そこで師は一喝した。普化は三人を指ざしながら言った「河陽は花嫁、木塔はおしゃべりお婆さん。臨済は小僧っこながら、いっぱしの目を持った子だ。」
 師「この悪党め!」普化は「悪党だ!悪党だ!」と言って出て行った。
 
 
 
 
(でも臨済は好き。と言いたい普化禅師。。。?)
 
 
 
 
 
 
 ある日のこと、僧堂の前で、普化が生のままの野菜を食っていた。それを目にした臨済がいう、
「やれ、まったくロバのような。」すると普化は、すかさずロバの鳴き声をした、臨済、「この悪党が!」普化は「悪党だ!悪党だ!」と言いながら、そのまま出て行ってしまった。
 
 
 
 
 
 
(「悪党が!」と言われると「悪党だ!悪党だ!」と立ち去るのは普化禅師の毎度のパターンのようです。「そんなことどうでも良い」という表現なのでしょうか。)
 
 
 
 
 
 
 
 ある日のこと、普化は街中で人々に僧衣を乞うた。人々はそれを布施したが、普化はどれも受け取らなかった。そこで臨済は院主に命じて棺桶一式を買い整えさせた。やがて普化が寺にもどって来る。
臨済「おぬしのために、衣をあつらえてあるぞ。」
普化はさっそく自分でその棺桶をかつぎ、街中にふれてまわった。
「臨済がわしのために衣をあつらえてくれた!わしはこれから東の城門へ行って遷化する」。
街の人々は先を争って、物見高くついてゆく。すると普化はいう。
「今日はまだ、だめだ。明日、南の城門のところに行って遷化するといたそう」
こうして三日つづき、もはや信じる者もいなくなり、四日目にはとうとう、誰もついて来なくなった。
 普化はひとり城門を出て、自分で棺桶に入り、通りすがりの者に釘で打ちつけてもらう。噂はあっという間に鎮州の街中に広まった。
 街の人々は、我さきに駆けつける。そしてその棺桶を開いて見たところ、なんと普化は、身ぐるみ消えてしまっていた。
 空中で鈴の音が、リンリンと鳴りながら去っていった。
 
 
 
  
『祖堂集』(952年)では、臨終の際は墓のトンネルをレンガで塞いで亡くなったとのこと。『祖堂集』が普化に関しては最も古い記述かもしれないそうです。(柳田聖山「禅思想」参照・神田可遊著「虚無僧と尺八筆記」より)
 
 
 
 
 
「墓に入る」をまさに自ら実現した、誰にも迷惑をかけない死に方ってやつですね。『臨済宗』の普化禅師の終わり方は、ちょっとファンタジーじみていますが、何だかカッコいい終わり方になっています。後から書かれるとこうしてどんどん作られていくものなんですね。尺八研究家の神田氏も指摘されていますが『祖堂集』も正確な記録ではないにしても明らかに『臨済録』は脚色されているようの思えるとのことです。 
 
 
 
Tumblr media
(「虚鐸伝記」より 国立国会図書館蔵)
 
 
 
 
 
 
さて、
普化禅師のことが書かれたものは、これで以上です。
 
『臨済録』等にわざわざ普化禅師を登場させて、臨済をしてやっつけるような言動を書き残すということは、よほど重要な存在なんだと思います。ただの変わり者ではなさそうです。
 
 
 
 
 
なぜ、この普化禅師が日本の禅宗の一つの宗派の名前となったのか、今後ひも解いていきたいと思います。普化禅師は弟子をとらず、このように?消えてしまったので、普化宗という宗派は本来は存在していないのです。 
 
 
 
 
何にもとらわれない普化禅師。この世間を超越したかのような奔放ぶりには現代を生きる私にも一種の憧れを感じますが、中世当時の日本にも同じような思いの人々が存在したようです。
 
 
 
 
 
今後、尺八史は色々複雑になってきて一体どうやってまとめようかと無い頭をひねっておりますが…、
 
 
 
ミニ講座、次回もお楽しみに〜🎵
 
 
 
参考文献
『臨済録』入谷義高訳注 
『臨済録』柳田聖山 
『臨済録-禅の語録のことばと思想-』小川 隆 著 
『虚無僧と尺八筆記』神田可遊著
 
 
 
 
 
...
0 notes
naturalmagickk · 5 years
Text
Tumblr media
https://note.mu/nogi1111/n/n294fffe58376
聖人と聖女 その1
2019/10/07 22:16
見出し画像
COBRAの2019年9月25日の記事「移行」で紹介された記事「THE SAINT AND HIS VIRGIN」を翻訳しました。長いのでいくつかのパートに別けてまいります。
公開三日後から有料設定をさせていただきます。
その2はこちら
"アタルガティスは人魚の女神で、シリウス恒星系から何千年もの前に卵型の宇宙船に乗ってユーフラテス側の土手に到着しました。
アタルガティスの原型は、その後カバールによって歪められましたが、アタルガティスの元のエネルギーはイベント後の社会への平和な移行にとって鍵となるエネルギーの一つです。
現在の歪んだ文化では、性的エネルギーに対する新鮮な視点が必要となります。"
元記事:
初期キリスト教における『聖なる性』と、イエスの『内的教え』について
by Walter Last
グノーシス派の福音書などで散見されるように、初期のキリスト教では『聖なる性』がその教義の中心となっていました。現代のキリスト教を見ればわかるように、それら教義は現在では全て記録から抹消されてしまったようです。このイエスの教えは、『神の王国』についての中心的教えであったと考えられるのです。そして、それは単なる古代の教えではなく、現代でも通用するものなのです。
画像1
初期キリスト教では、口伝による秘儀伝承を主としており、イエスの教えはその後徐々に書き記されていくことになりました。十字架はりつけの後、イエスの『内的教え』は聖ヤコブの指導の下でユダヤ人キリスト教徒たちに引き継がれていきました。ヤコブはエルサレムにおける最初のキリスト教司祭になった人物で、イエスの実の兄弟です。内的教えは常に口外禁止とされて、書くことは禁止されていました。その教えのほとんどは70年のエルサレム陥落の際に地上から失われ、135年のバル・コクバの乱をもって完全に姿を消しました。
この時代、非ユダヤ人(ゴイム)のキリスト教徒たちの数が増え、拠点となるローマでは多数派となりました。そして元々あったエッセネ派のユダヤ人キリスト教徒たちの迫害が増加していきました。この時イエスの使徒たちが残したグノーシス文書が各所に隠されていきました。こうしてイエスの元々の教えは、ローマ教会による一般的教養やパウロ教義に塗り替えられていったのです。教会はこれまで一度もイエスが秘密の内的教えを使徒たちに伝えていたということは公言していません。
使徒パウロはイエスと個人的に会ったことはありませんでした。そして、ヤコブ率いるユダヤ系キリスト教徒たちとは異なる方向性を持っていたようです。新約聖書には、ヤコブの書簡の一部だけが記載されています。その他の書簡は教会によって抹消されたためです。それとは対照的に、キリストに会ったことが無いパウロや彼の信者たちの話ばかりが書かれているのはそのためです。当時からほとんどのユダヤ系キリスト教徒たちは口伝による伝承のみを良しとしていたこともあって、パウロの教えを否定していました。
ユダヤ系キリスト教徒たちが四散することになった後、西洋世界ではパウロの教えがキリスト教の根幹をなすまでになりました。グノーシス派の文書および信者たちは排斥される運命にありました。この時地下に潜った教えを細々と受け継いでいる派閥も、もちろんあります。
地下にもぐることで、教会の聖典(カノン)からその教えを守ることにもつながりました。
神の王国
現代の宗教観では、イエスは非の打ちどころのない『善と愛の人』とされていますが、グノーシス文書ではそれとは異なったイエスの一面が描かれています。
外典(偽典)とされているトマスによる福音書の16節にて、イエスはt偽のような発言を残しています。
「人々はおそらく、私が平和を世界にもたらしに来たと考えている。 彼らは私が地上に不和を、火、剣、戦争をもたらしに来たことを知らない。 というのも、ある家に5人いれば、3人はふたりに、ふたりは3人に、父は息子に、息子は父に対立するであろう。 そして、彼らは独りで立つであろう」
第10節では、イエスは次のように言いました「私は世界に火を投じた。そして見よ、 それが燃え盛るまで、私はそれを守っているのだ」
つまりイエスはこの世界を良くするために来たのではないという隠された智慧があるということです。イエスの見つめていた先はこの世界の現状ではなく、『神の王国』と呼ばれる領域と、そこに至るまでの道程でした。
それは死後にいきつく世界のことではありません。それは、人間という存在にとっての目的地、いわば仏教やヨガにおける涅槃<ニルヴァーナ>と近いものであると言えます。イエスもクリシュナも釈迦も、人間という制限を超える方法を模索し、それを人々に説いていたのです。現代のニューエイジ界隈では『次元上昇』などと呼ばれています。
その王国に至るには、まず自身の新しい高次のエネルギー体を形成する必要があります。その体は通常の人間の魂を超えるものです。ヨガやタントラ、道教、仏教、錬金術、薔薇十字、神智学、ニューエイジなどでの共通テーマとなっています。元々のイエスの教えも、それと同じものだったのです。
そのエネルギー体とは、『不死のライトボディ』であるという点では意見が一致しています。道教の老子はこのライトボディのことを次のように説明しています。「エゴが一切無い、自己意識のこと。肉体に宿ることができるが、それに執着が無いもの。感情ではなく智慧によって動かされるもの。全であり徳であり、そして不死である体のこと。」
外典とされるフィリポの福音書においては、次のような説明があります。「光を受けしそのお人は姿が見えなくなり、したがって何者にも捕らえることがなくなる。よって何者にも傷つけることは叶わず、この世界にいながらにして苦しみから解放される。そしてこの世界を去る時にも、そのお人はすでに真実を受け取っていた。」
そしていずれの伝承や宗教においても、内なる男性性と女性性のエネルギーを調和させることが、不死のライトボディを得る為の必要条件だとしています。この点においては、初期キリスト教徒たちの間で広く認識されていたことがあります。それは、男性の内側に住む『乙女』についての智慧です。
アガペ主義
『アガペ―』は霊的で無条件の不変の愛を表すギリシャ語の言葉です。その対極にあるのが『エロス』、即ちロマンチックで性的な愛です。アガペ主義者とは、『恋人』や『聖女』と訳すことができるでしょう。聖女、すなわち神聖な乙女(処女)こそが、不変の愛を放つ者ということです。
ここで『処女』という言葉を巡る誤解を解消させていただくことにします。処女という言葉は単に結婚前の若い女性、もしくは未亡人、もしくは娼婦のことを表す言葉として使われていたのです。ですから、性交を行ったことの無い女性を指す言葉ではありませんでした。というよりは、その点は重要では無かったと言えるでしょう。ギリシャ語に移された文書では、『παρθένος パルセノス』という言葉があてられ、それも単に『婦人』を表す言葉でした。
そして、現代のキリスト教では、アガペ主義者の男性と女性の神聖で霊的な性交という知識が全くと言っていい程失われています。初期キリスト教徒たちの間で広く伝わっていたこの儀式は、305年のエルビラ公会議や、325年のニカイア公会議によって『犯罪行為』とされたのです。
それと取って代わって導入されたのが禁欲主義、修道院生活などでした。聖職者たちは家事使用人の女性とのみ住むことが許されました。現代まで続いている、キリスト教社会による性への弾圧が始まった瞬間でした。
その後の世でも、僅かに生き残ったアガペ主義者による教えは続いていきました。ですがそれも、1139年のラテラン公会議によって再び弾圧されることになったのです。
カタリ派もグノーシス派の派生であり、不淫、純潔、生殖を目的としない性交を行う教団でした。南仏で栄えていった彼らにも、13世紀なかばに教会から差し向けられた軍隊によって虐殺の目に遭うことになりました。続く異端尋問によって、生き残った信者や教えも根こそぎ排除されることになりました。カタリ派がキリスト教伝説の『聖杯』の護り手であったという主張もあります。15世紀にも薔薇十字団がこの聖なる性の奥義を守り抜き、世間に『聖婚』の秘儀を伝えようと試みました。それは錬金術による不老長寿の万能薬の生成に関する知識でした。他にも歴史上で沢山の秘密のアガペ主義者による知識の痕跡が見られます。
http://members.ozemail.com.au/~moorea/agapetae.html
パウロが残した言葉の中に、キリスト教徒の男性が物理的な処女と性交することに反対していた形跡は見られません。女性が妊娠し、家庭を持つことは罪では無いとしていました。よって、結婚そのものに反対していたのではありません。反対していたのは、男女が聖なる結婚をすることだったのです。
アガペ主義者について新約聖書のルカの福音書第23章29節で次のように語られています。「『不妊の女と子を産まなかった胎と、ふくませなかった乳房とは、さいわいだ』と言う日が、いまに来る。」これと似たようなことがトマスの福音書でも言われています。イエスは単に生殖を目的とした性交ではなく、純潔な処女(乙女)性を保つことを重視していたことが見受けられます。
マグダラのマリア
一世紀頃、このアガペ主義が最盛期を誇っていたことには理由がありました。それこそが、イエスが伝えたかった彼とマグダラのマリアの間で行われた、『聖婚の間の儀式』であると考えられます。
グノーシス文書ではマグダラのマリアはイエスの伴侶であり、最初のアガペーとされています。フィリポの福音書では、「主は弟子たちよりも彼女を愛していたので『主は何度も口づけをした』」と書かれています。
マリアの福音書で、レビはペドロに言いました。「ペトロ、貴方はいつも腹を立てている。いまも、この女を敵の如くみなしで言い争っている。
救い主が彼女を相応しいと認めたなら、彼女を拒む貴方は、一体何者なのか。救い主は間違い無く、彼女を良く御存知だ。そこで私たちよりも彼女を愛されたのだ。」
イエスはマグダラのマリアとは結婚していたのだし、使徒たちがそれに嫉妬していると単純に考えるのもおかしいことです。よって二人の関係はただの夫婦ではなく、もっと霊的な関係性があったと考えるべきでしょう。
しかし、当時の社会では女性の身分が今よりも低かったということも嫉妬の原因として考慮できる点ではあります。加えて、イエスが十字架はりつけの後に真っ先に現れたのが、マグダラのマリアの前で��ったこともあります。
それでもなお、マグダラのマリアだけに矛先が向かう理由の説明にはなっていません。なぜなら、イエスの信者の中には他にも女性がいたからです。そういった女性達の多くは男性信者たちの妻であったか、娼婦たちでした。これ以上の詳細は語られていません。マグダラのマリアほど高位ではなかったにせよ、男性信者たちにとってのアガペ主義の相手であった可能性も大いにあるのです。
男性性と女性性の統合
多くの神話などで、はじめは一つになっていた全体性が二極へと別れ、その相互作用によって様々な神々が産まれていったという伝説が語られています。たとえばシヴァとシャクティの男女両性神が、男神であるシヴァと女神であるシャクティに別れたりなど。アダムとイヴも一つの存在から別々の存在へと別れた一例です。
これは逆説的に考えると、より密度の高い世界において男女の両極性を統合することで、密度の低い高次の世界へと移行することができるということです。
男女両性というと、雌雄同体や両性器具、雌雄同株といったことを想像してしまいがちですが、霊的な意味での男女両性とはそれらとは異なる概念です。
それは、三次元的な男性でも女性でもない、高次のエネルギー的な体を意味しているのです。私達は皆、エーテル体やアストラル体などの複数のエネルギー体を持ってます。しかし、それらは常に男女どちらかの性に偏っているのです。
トマス福音書には神の王国への至り方について、次のようなことが書かれています。「イエスは彼らに言われた。『あなたがたがふたつのものをひとつにするとき、そして、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、そして男性と女性とをひとつにし、男性がもはや男性ではなく、女性が女性ではないようにするとき、そしてひとつの目の代わりに目を、ひとつの手の代わりひとつの手を、一つの足の代わりにひとつの足を、ひとつの像の代わりにひとつの像をつくるとき、あなたがたは神の国に入るであろう』」
また、ペトロがイエスに「マリアを破門してください。女性に永遠の命は相応しくありません」と懇願した際、イエスは「私自身が彼女を連れて、男性にするであろう。彼女が精霊として生をうける時、あなたには男性に見えることであろう。女性は男性になることでしか、神の国へと入れないのだから。」といいました。ここでも男女両性について言及しているのが解ります。
老子は次のような言葉を残しました。「神仙となるには、皆の肉体、精神が常々望んでいるように、陰と陽を融合させる必要がある。それには、肉体の性器同士による性交ではなく、霊的な性交が必要なのだ。通常、性交というのは力を入れなければ成り立たないが、神仙のそれは静かで落ち着いていて、自然なものだ。通常の性交は性器同士を合わせるものだが、神仙のそれは精神同士を融合させ、全ての細胞を相手の中に融合させることなのだ。それは男女両方にとって大変容となり、天上の喜びを経験する機会となるだろう。」
仏陀は云いました。「Buddhatvam Yosityonisamasritam 悟りは膣の中にあり。」この言葉が意味するのは、男性エネルギーが女性エネルギーと融合して、究極の悟りを得るということです。シヴァとシャクティのタントラも、同様の行程を踏みます。錬金術や薔薇十字団も、これと同様の過程を示す図などを残しています。
初期キリスト教徒たちは『裸』を純真性や完全性のシンボルとして用いていました。つまりこれはイエスの教義の中心でもあり、それが意味するのは『私達は性について一旦子供のように無邪気にならなければならない。アダムとイヴのことは忘れましょう。』ということです。
トマス福音書で、イエスは言いました。「朝から夕まで、夕から朝まで、何をまた着ようかと思い煩うな。」「あなたがたが恥じることなく衣服を脱ぐとき、小さな子供らのように着物を脱いでそれを足もとに置き、踏みつけるとき、そのときあなたがたは生ける者の子らとなり、恐れることがなくなるであろう。」
この言葉が示唆しているのは、楽園にいたころのアダムとイヴは純真無垢であったので、自らの体について恥じることなどなかったということです。そして、私達は神の王国に入るためにも、もう一度その状態を取り戻す必要があるということです。
初期キリスト教徒にとって、不淫のうちに男女共同生活を送るというアガペ主義は、このアダムとイヴが堕落する以前の状態にまで立ち戻ろうとする試みだったのです。聖書の中でアダムとイヴは知恵の木になる実を食べてから、自らが何も着ていないことを恥じましたが、ここでの『堕落』とは善悪という二元性に堕ちることを意味していたのです。そして、セックスの目的を絶頂を迎えるためのものと、子供をつくるためのものに分断したのです。しかし、イエスはその過程を逆にしようとしていました。アガペ主義を通して男女が純粋な性生活を送ることで、堕落以前の状態に戻そうとしたのです。
フィリポの福音書では次のようなことが書かれています。
「イヴがアダムの中にいたとき、そこに死は存在しなかった。彼女が再び彼に還る時、死は再び無くなるだろう。」
「アダムは童貞処女両方の純真さから生じた。精霊と、無垢なる大地から生じた。キリストは純真から生まれる。これではじまりの堕落は帳消しとなる。」
このように、男女の両極性を一つにすることで不死を得るという考えは、イエスの教えの根底をなしていたのです。裸は、純真無垢さの象徴でした。
その2につづく
Kei.T
0 notes
catonoire · 2 years
Text
東福寺展
Tumblr media Tumblr media
東京���立博物館で特別展「東福寺」を見る。京都を代表する禅寺ゆかりの文物が並ぶ。
14年もの歳月をかけて修理された吉山明兆「五百羅漢図」は流石の存在感で、楽しく鑑賞できるような仕掛けもほどこしてある(上の左の画像、チラシの表を飾る絵にいろいろセリフが入れてあるが、それと同じようなノリのキャプションが展示室にある)。展示替えをしながら全幅を公開するというのは素晴らしい。修理の模様を詳しく知りたくなったが、それについては特に紹介はされていなかったのが残念だった。
五百羅漢図に加えて印象的だったのは書である。上の右の画像、チラシ裏面には国宝の「方丈」が載っているが、ほかにも筆の運びが見事な書を拝める。
撮影可能エリアには、旧本尊の仏手と蓮弁、そして旧本尊の光背化仏である釈迦如来坐像が置かれていた。光背化仏がごくふつうの大きさで、仏手と蓮弁はかなり大きい。旧本尊が巨大であったことを想像できる。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
東福寺大涅槃図の一部のグラフィック。本物は4月15日から5月7日まで東福寺で特別公開される由。京都へ行きたくなってしまう。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
1 note · View note
kachoushi · 5 years
Text
3月の各地句会報
平成31年3月の特選句
Tumblr media
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
平成31年3月2日 零の会
坊城俊樹選 特選句
生涯の友は利根なり春田打つ 節子 づかづかと御魂踏みつけ野に遊ぶ 淸流 大利根の風に雪解の匂ひあり 節子 春天に昇る香煙奇北墓所 孝子 寄せ墓の天辺にある暖かさ 久 鯱の渾身の反り春疾風 水翁 水攻の春泥なるか囲ひある 千種 犬吠の春潮遠き大河かな 伊豫 春昼や時刻表なき利根渡船 節子 光背は坂東太郎春仏 順子 筑波嶺の遥か古草踏む川辺 要 住職のダンスの手指春を呼ぶ 三郎 鳥の恋色めく空の下の句碑 順子 香しき艹や句碑うらら 萌 人の来て触れれば春の土となり あおい 利根堤ゆくは奇北か草青む 孝子 円墳の春の野としてふくらめる 伊豫 大利根に名乗り出でたる葦の角 もと 春光を集めて句碑の立ち上がる 水翁
伸悦選
円墳を丸刈りにして東風怒濤 俊樹 陽炎や平野切り裂き大河ゆく 眞理子
(順不同 特選句のみ掲載)
………………………………………………………………
平成31年3月6日 立待花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
鳶の輪の下啓蟄の大地あり 越堂 春愁の眉よせ給ひ半跏仏 越堂 背山出で滴たるばかり春の月 越堂 春泥に身の温もりの靴を脱ぐ 世詩明 毛糸編む女前髪より老いし 世詩明 早春の闇で眩しき人に逢ふ 輝一 春寒や散骨の舟動き出す 誠 
(順不同 特選句のみ掲載)
………………………………………………………………
平成31年3月7日 うづら三日の月句会
坊城俊樹選 特選句
雛に貸す座敷念入り塵拾ふ 由季子 紙雛に若き日思ひ独り言 由季子 晴天に老の耕し少しづつ 由季子  土雛に幾世の手垢あたゝかし 都 菜を刻む手元に春の香りあり 都 水温み羅漢うつとり足浸す 都
(順不同 特選句のみ掲載)
………………………………………………………………
平成31年3月7日 花鳥さゞれ会
百官のつかまつるごと雛飾り 匠 藩侯の米研ぐ水の温みけり 匠 鳶鳴いて足羽三山笑ふなり 匠  漁りて耕し耕しもして五湖に住む 越堂 雛飾るどこへも行けぬ母の笑む 松陰 春やブキウギ猫踏んじやつて怒髪かな 数幸 風の意に触れ合ひ遊ぶ吊し雛 希子 下萌や慈母觀音の裳裾より 千代子 山笑ふ水琴窟の音にまで 千代子
(順不同 特選句のみ掲載)
………………………………………………………………
平成31年3月9日 枡形句会
栗林圭魚選 特選句
啓蟄や揺るるこの世に息を吐く ゆう子 春服をデビューさせたき日和かな 教子 島々のまどろむやうな春の海 美枝子 鮊子や母の余生のひと日づつ 百合子 思ひ切り剪られし木々も芽吹きたる 三無 春の泥小さき足と跳ね踊り 三無 いかなごや夕餉の皿に海の音 美枝子 鮊子煮エプロンの白母の味 多美女
(順不同 特選句のみ掲載)
………………………………………………………………
平成31年3月11日 なかみち句会
栗林圭魚選 特選句
潮の香の日をたつぷりと白子干 秋尚 暮れのこるちりめんじやこの縮れかな 有有 摘草や話途中のまま離れ 秋尚 摘草や土の呟き聞きながら 三無 白子干銀色に目の光りたる 貴薫 鉄匂ふ工事現場の陽炎へる 美貴 白子干眼のぎつしりと売られけり 三無
(順不同 特選句のみ掲載)
………………………………………………………………
平成31年3月11日 鳥取花鳥会
岡田順子選 特選句
藪椿石灯籠に紅映えて 俊子 春雷の間合に小さく息を吐く 都 春塵をなだめて雨の屋台引く 幸子 春近し野鳥図鑑を窓に置く 佐代子 松露掻く砂丘の風を手元まで 幹也 早春の息吹は杜の瀬音より 和子 風光る草食む山羊の乳房張り 栄子 雛飾りある窓口で買ふ切手 悦子 茎立や曲る方向それぞれに 史子 犬箱は吾の手づくりや雛祭る 益恵 大根を分厚く炊いて接待す 立子 水菜漬パリパリ音す一人膳 すみ子 ビー玉も回すよ春の洗濯機 美智子
(順不同 特選句のみ掲載)
………………………………………………………………
平成31年3月12日
萩花鳥句会
芽柳の雨粒光りつもつれつつ 祐子 海は凪ぎ山は笑うてゐたるなり 孝士 ロープウェイ満員御礼山笑ふ 美恵子 長崎に柳芽吹きてランタン祭 健雄 ときめきの種をまいてる老いの春 圭三 芽柳の影ゆらめきし藍場川 克弘
(順不同 特選句のみ掲載)
………………………………………………………………
平成31年3月15日 芦原花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
父母の期待は重し大試験 孝子 小白鳥引きて水田の残りけり よみ子 鵜の瀬へと松明流る水送り 孝子
(順不同 特選句のみ掲載)
………………………………………………………………
平成31年3月17日 伊藤柏翠記念館
坊城俊樹選 特選句
口癖のかうして居れぬ春炬燵 雪 トランプの一人占ふ春炬燵 たゞし 春の雪傘に花吹く如くなり 富子 指広げ手より落ちたる雛あられ 富子 浦の子の海苔掻きと言ふ授業あり 英美子 雪女袂泣くため隠すため 世詩明
(順不同 特選句のみ掲載)
………………………………………………………………
平成31年3月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
薄紅梅散るうすら日のせせらぎに 久子 少しだけ駈けてみたしや水温む 貴薫 武蔵野のてつぺんとりし花辛夷 千種 古ひひな管楽の音はとうに絶え ゆう子 防人の越えし横山鳥雲に 秋尚 山茱萸の花蒼天へ黃を弾き 芙佐子 豪農の名残り丈余の椿垣 圭魚 水温むあぎとふ鯉のかんばせに 淸流
栗林圭魚選 特選句
名草の芽白き片鱗見せ始む 千種 武蔵野のてつぺんとりし花辛夷 千種 春蘭や土の湿りを諾へる ゆう子 風癖のまま雪柳咲きこぼれ 三無 春蘭や武蔵野の空淡々と 芙佐子 初桜心のつかへ解けゆく 久子 かたかごの花影��く俯ける 芙佐子 満天星の芽立ちすつくと紅さして 淸流
(順不同 特選句のみ掲載)
………………………………………………………………
平成31年3月20日 福井花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
縄跳びに飽いてふらここ揺らしては 和子 声継ぎ風をつなぎて鳥帰る 嘉子 鳥帰る眼下に街の花時計 嘉子 受験子の肩一つ押し送り出す よしのり 耕耘機田より上りて泥ちらす 美代 川一縷春光底にまで届く 美代 春愁の十一面の御ン面輪 雪
(順不同 特選句のみ掲載)
………………………………………………………………
平成31年3月22日 鯖江花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
堂朧伏目に在す観世音 雪 不老てふ四百年の梅の香に 雪 腹巻きに涅槃団子を拾ひけり たゞし 涅槃図の大きな顔の寝釈迦かな たゞし  供へ物下げし寝釈迦の薄明り たゞし 春泥を千鳥に飛んで子ら遊ぶ みす枝 鳶の輪の下に啓蟄動くもの みす枝 敷石につまづき梅の香を乱す 信子 空重き越の峰々鳥帰る 信子 セーターと身の上話置き帰る 世詩明
(順不同 特選句のみ掲載)
………………………………………………………………
平成31年3月24日 花鳥月例会
坊城俊樹選 特選句
花の下唐変木がうづくまる 千種 眩暈して垂れ桜の中にゐる 光子 虫柱立ちて陽炎近くする 千種 空あをく古木の桜満ちたれば 和子 寂しいか寂しくないか花下を行く 千種 御柱に踏青されよとも祷る ゆう子 城門の開きて花を迎へたる 佑天 なによりも木霊へ献じたる桜 順子
岡田順子選 特選句
戦友を呼び合ふ花の木霊かな 小鳥 異国人持つピザまんの陽炎へる 小鳥   花巡り夢見し室の零戦機 小鳥   初桜橋懸りへの灯のごとし ゆう子 夜もすがら桜咲きをり引退す 公世 城門の開きて花を迎へたる 佑天 むすび食む黒の袴の卒業子 小鳥
栗林圭魚選 特選句
初花の木訥にあり饒舌に 俊樹 眩暈して垂れ桜の中にゐる 光子 水に触れさう初蝶の橋くぐり 炳子 花冷の手水に背筋正しけり はるか 八方へ光を溶いて雪柳 秋尚 白木蓮何も無かつたやうに咲き 七湖 娘の婚のきのふを語り花影に 順子 初花や首のスカーフ掻き合はす ゆう子
(順不同 特選句のみ掲載)
………………………………………………………………
平成31年3月28日 九州花鳥会
坊城俊樹選 特選句
古雛西に流るる潮に乗す 佐和 蛇穴を出づ西遊記読みをれば 睦子 亀を見て亀に見られて山笑ふ ちぐさ 涅槃図に見入る園児の足裏かな 志津子 雁風呂を焚くわが胸の人は去り 勝利 春はあけぼの解かるるための帯を締め 寿美香 西方は黄金夕焼里は花 勝利 春の海果てて西方浄土かな 桂 灯台の日の斑ゆらゆら水の春 佐和 妣の星光りて暮るる涅槃の日 阿佐美 西へ西へ星座傾け猫の恋 佐和 燎原の火は薄紅の桜かな 桂 老が老を待ちゐる港春の月 佐和 一島をたつぷり抱く春霞 寿美香 春泥のそのまま乾く耕耘機 初子 朧夜の片目で眠る深海魚 伸子 壱岐島は白虎の方位涅槃西風 ちぐさ
(順不同 特選句のみ掲載)
________________________________________________
さくら花鳥会
岡田順子選 特選句
啓蟄や育児日記を読み返す 実加 隅に置くリードオルガン木の芽吹く 登美子 単調に鍬に絡まる春の土 あけみ 畑打つや母の背中と押車 あけみ 水温む観音堂の手水舎も みえこ 卒業子手伝ふ母の掌 栄江 水温む胎児はぐると回るらし 登美子
(順不同 特選句のみ掲載)
………………………………………………………………
平成31年1月7日 武生花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
美容師を独り占めして初鏡 ミチ子 初句会句仇ばかり集ひけり 世詩明 神仏を身近にしたる三ケ日 越堂 映るものすべて過去とす初鏡 信子 真剣な手が宙を切るカルタ取り みす枝 しこしこと海鼠噛みゐる四日かな 昭女 雑煮喰ぶ大黒柱見上げつつ 時江 一と掬ひ掬ひに祈り紙漉女 みす枝 手毬唄今にも聞えさうな毬 雪 冬の日の納戸に喪服ととのへり 昭女 臘梅の香を確かめてゐる淑女 越堂 胼の手に受けし卵を落しけり ただし 助六にじつと見られし飾り凧 昭子
(順不同 特選句のみ掲載)
………………………………………………………………
平成31年2月11日 武生花鳥俳句会
城俊樹選 特選句
人となり自らなる懐手 雪 二十年前の話の初芝居 雪  坂昇る雪の白山見ゆるまで 昭女 春寒や問ひに応へぬ返書かな ミチ子 息白く猫にもありし謀 雪 手毬唄一ツ覚えの母の声 雪  節分と云ふ金剛の戸を開く 越堂 春霰たばしる九頭竜橋渡る 越堂 春一番さらはれさうなベレー帽 昭子 猫の目の青きバレンタインの日 ただし こぼるると云ふ色のあり竜の玉 雪 紅梅ややはらかき嬰よく笑ふ みす枝
(順不同 特選句のみ掲載)
________________________________________________
0 notes
meishipro · 5 years
Photo
Tumblr media
常保寺(青梅) 本日は常保寺さんにて16面釈迦八相御朱印の受付があるので並んでいます。50部限定。 ①令和の幕開けに相応しい令和兜と釈迦如来さま ②このような涅槃図の御朱印の受付です。 ③6時40分で整理番号が13番です。始発でもこれです。電車組の限界ですね笑。 ④⑤素敵な本堂です。ここで時間まで待ちます。本日の御朱印は「平成ー令和」の1種類になります。 お車の方は路駐をご注意ください。昨日も大混乱とのことで大変だったとのことです。 #常保寺 #常保寺御朱印 #御朱印 #御朱印帳集め #御朱印巡り #御朱印好き #御朱印収集 #御朱印集めてる人と繋がりたい #御朱印めぐり #限定御朱印 #カラフル御朱印 #御朱印スタグラム #御朱印おじさん #御朱印男子 #ご朱印 #ご朱印巡り #お寺御朱印 #青梅市御朱印 #綺麗な御朱印 #涅槃図 #令和御朱印 (常保寺) https://www.instagram.com/p/Bw5VkN1hJ04/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1c2gpfi3dpdwz
0 notes