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#澄まし汁
aizumin · 1 year
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今朝のごはん。
ローストポーク丼、春菊と大根の澄まし汁。
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今朝はとうとうおかず抜き、一汁のみです!!
だって、春菊と大根とえのき茸とわかめだけでこの量ですよ😅ちなみにこれでも全量の2/3くらい。お鍋の中にまだたんまりと具材が残ってました。
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最初はお味噌汁を作ろうかと思ってたんですが、春菊と大根なら味噌より醤油味で食べたいな……と思い直しまして、澄まし汁に。肉団子とかつみれがあったら、もっと良かったけどなぁ。それだと一人鍋になっちゃうか💦
🍚ものは、お惣菜のローストポークで丼に。バラン酢サラダについてくるごまドレッシングが余っていたので、それを回しかけました。トッピングのお陰で和風に見える。
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薄切りのローストポークなのに、1/2パック(6枚)でも充分食べた~って満足しますね😊💕
本当はもうひと品くらい、和え物とかなら作る余力はありました(ちゃんと手をかけたおかずにならないのは、お米を浸水し忘れたダメージがあるからw)が、食べきれそうにないやと。作ったとしたら、もやしとツナのゆかり和えになったかなぁ🤔
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leomacgivena · 5 months
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土井善晴さん「米は研ぎ汁が澄むまで研いでください。栄養がって言う人おりますけど、今時お米から栄養取る必要ないでしょ。」
Xユーザーのコンユウジさん
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shunya-wisteria · 5 months
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秋旅2023 小海線 HIGH RAIL 1375 ~ 野辺山・小諸
JR線で最も標高の高いエリアを走る路線 小海線にのって、一路 小諸へ。
今回も前々から一度 乗ってみたいと思っていた小海線、せっかくなのでJR東日本ののってたのしい列車シリーズの HIGH RAIL 1375 にて小淵沢から小諸までを乗り通してみた。普通列車で途中下車しちゃうと次の列車はいつだろう…… となってしまいますが、このような観光列車は見所の駅では少し長めに停車してインスタント途中下車を楽しむのを待ってくれる、というのがシンプルにこの子を選んだ理由なのです。あわせて紅葉が楽しめそうな小諸城跡の懐古園も散策します。
朝、ほどほどの時間の特急あずさにて小海線の起点 小淵沢へ。小淵沢駅に降り立つと、キリっとした冷たく澄んだ空気がお出迎え。やっぱり都内とは違うね。ありきたりな言葉ですが空気がおいしい。改札横からのお出汁の香りに誘われ立ち蕎麦へ、遅めの朝食として軽く腹ごしらえ。寒いときには格別!の駅そばをいただいた後、列車の出発時刻まであたりを散策。列車内でのお楽しみ、お弁当とお酒を丸政さんで仕入れる(食べてばかり)。
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程よい時間に、改札を抜けホームへ。青色に塗装されたキハ100系気動車へ。最近 キハ100系に乗ることが多いような…、非電化のローカル線だと自ずとそうなってしまうか。今回は私は窓側を向いた1人用のシングルシートをセレクト。隣を気にすることなく大きな窓を独り占めできるリクライニングシート。
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ほどなく列車は出発、急な勾配を進みどんどん高地へ。別荘地帯を抜けJRで2番目に標高の高い駅 清里に到着、しばしの停車。かっこいいHIGH RAIL 1375の車両でも撮影しておきましょう(PhotoshopとPixelの消しゴムマジックで他の乗客を消しているのは内緒です)。清里を出発すると次は野辺山。この区間にはJR最高地点 標高1,375mの地点が。列車は速度を落とし、乗客は皆 カメラを構える(ガラスの反射で変な模様なでちゃった 涙)。数分で野辺山に到着。
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JRで最も標高の高い駅 野辺山。ここでもしばし停車時間があり、改札外出ることも可能。白く一見教会を思わせるような駅舎を見学。駅正面には冠雪した山々の美しい姿を拝むこともできます、写真は失敗しちゃいましたが…。観光バスでお越しの外国人観光客がたくさん。小海線に乗るわけではなく、駅だけを見に来ている?不思議な感じでした。
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まもなく列車は発車。野辺山をあとにすると、列車は高原を下り佐久盆地を目指します。後半の見どころは、右へ左へと移り変わる千曲川。お弁当を食べながらのんびり楽しみましょう。長野側の主要駅にいくつか停車し、列車は北陸新幹線との接続駅 佐久平を経て、終点 小諸に到着。2時間強の列車旅でした。
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小諸では小諸城址に整備された庭園 懐古園へ。戦国時代、武田信玄の軍師 山本勘助によって設計されたという言い伝えの小諸城。城郭が城下町よりも低地にあることから穴城とも呼ばれていたとか。懐古園は大正時代に町によって整備された史跡の自然景観を活用した公園。ちょうど紅葉シーズン真っただ中ということで、空気の澄んだ青空のもとで映える色づいた葉にシャッターをきってみた。不思議とここは人が少なく空いていましたねぇ。これくらいが写真を撮る身としてはありがたいものですが。
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ひとしきり園内を回り身体も冷えてきたので、足早に小諸の街を散策しつつ帰路へ着きました。
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chiyoha1488 · 3 months
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「いとこ煮」という料理
全国各地にある名前なんだけど、作り方食べ方は千差万別
でも「カボチャや芋などの野菜」を「味噌あるいは醤油ベース」で「小豆と煮る」、「冬の健康のため」だとか「浄土真宗の開祖の親鸞」と紐付けられるっていう点は結構一致してる
そんな中、ここ山口県萩市にいとこ煮は特に変わってる
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かまぼこ、しらたま団子、干し椎茸が浮かんだすまし汁のような澄んだ甘じょっぱい出汁に小豆が沈んでる、おかずともスイーツともつかない食べ物
全国的にも珍しいこの珍妙な郷土料理を是非食べてみたくて、今日ついに食することができた
実際に目の当たりにして、なんでこんな形になっているのかちょっとわかった気がする
一つは萩という町が武士の町で城下町ということ
煮物然としたいとこ煮は浄土真宗の親鸞と紐付けられるって書いたけど、浄土真宗は農民の間で強かった信仰なんだよ
材料もカボチャとか根菜とか農民にも手に入れやすいものだし
萩のすまし汁然としたいとこ煮にはそういう土の匂いが感じられなくて、出汁も黄金色で美しく、味も上品さがある
これは比較的身分が高い、あるいは食わねど高楊枝的なプライドが高い人の食べ物なんじゃないかなと
あと山口県は公家とのゆかりも深いからこの辺も関係してると思う
もう一つは山口県が中央から離れてて情報が上手く伝播してなかったんじゃないかなってこと
まあいとこ煮って名前もだし、甘めの味付け、それに小豆っていうポイントみたいなのは何個か押さえてる
伝播はあったけど伝言ゲームが不十分だったのがひしひしと伝わってくる
まあいずれにせよなかなか興味深い経験でした
不思議な味だけど美味しいし
みなさんの地元にもいとこ煮があるかも知れませんし、また他の郷土料理にも地元の事情みたいなのが込められていると思います
食の面から故郷を知るというのも面白いかもしれませんね(教育番組?
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oosakajiityann · 25 days
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昼ご飯
 四色弁当 牛乳寒天 澄まし汁
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suma10ra · 3 months
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2024/02/13
自分の目、かなり気に入っている。
相変わらず労働が激しくてなんかもーくたくたになっちゃってあっちこっちでぽっぽろけだった。
1月は26歳になったり、大阪に行ったり、友人のHNと同じ名前の店に行ったり、それはもう色々あったんだけどなんだもう鮮明に書き起こせるほどは覚えていなくて、今はただ上澄が美しくキラキラと光っているので、そんな感じで濁して流して、いい気持ちでいます。
今月に入ってからも色々あった。
生きていればそれなりに色々あるのが人間というものなんだろうから、何でもかんでもあれやこれや書き連ねるのもなぁという気持ちもありつつ、しかし汚い気持ちは記録しておくとある意味で自分の人間らしさを思い出す媒体となるので、そうなるようにそうしてみる。
仕事で嬉しいことがあり、がんばってきてマジで良かったね、と自身に対して思う。私は私を誇りに思う。
と同時に同量もしくはそれ以上の重圧(自分で勝手に上乗せしている側面もありけり)と、これが崩れた時に信頼を著しく損なうのでは、という無駄な心配もぽたぽた滴っており、少しずつ確実に心がびしゃびしゃになっているのだが、今のところ見ないふりをしている。
私は自分の能力に自信を持っているけど、その自信を帳消しにするくらいに自分の人格に対しては否定的なので、能力がべこべこになってもなお人に好かれている自分、というのがいまいち想像できなくて、へこむ。
バスがとろくてイラつく。
この三連休はたくさん眠りたくさん食べて映画とアニメをたくさん観た。たくさん観て気づいたことがいくつかあるので気持ちのまま正直につらつら書いてみる。
・能力がないのにでしゃばるやつを見てるとイライラする(優生思想?)
・キャラに対して「この人仕事だとこういうタイプっぽい」という嫌な社会人ぽい感想を持つようになった
・志が低い人に対してはそんなにイライラしないかも
・他者に自己肯定させようとするコミュニケーションが心底嫌い、言ってほしいことを引き出そうとするな
・私、感情移入しないタイプだと思ってたけどすごいする
・明確なゴールがない中でドラマを起こすのって難しいんだろうな
・ハリーポッター、大人になってから観てよかった
・SNSで安易にネタバレするやつ、布教と称してゴリゴリに展開を教えて萌え語りするやつ、いなくなってほしい
・自らの正義を信じて進むのと、自分のことを疑いながら進むのではかかるストレスが猛烈に違うだろうね
・あっけらかんとして呑気な存在って過度にストレスが加わる状況では絶対に必要
明確に書きたいことがあったような気がするけどもう忘れた。書いている側からさらさら流れていくような感覚がある。それなら書かない方がいいんじゃない?ってか? これは定期的な灰汁抜きであり排泄に近い作業だから・・・。
次回、歯の矯正シミュレーション(保険適用外2万円+消費税)の巻!
私は私をもっと好きになれるように生きていこうと思う、好きになれるならどんなところでもいい。今は目だけが好きだけど、そこからもっと好きなところを増やしていけばいい。好きなところがないなら作っていく。
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rosysnow · 1 month
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雨にとらわれて
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 誠弥くんは、私の肩に咬みつくような口づけをして、荒っぽく動きながら、しがみつくみたいに抱きしめてくる。まだ男性として未完成で、丸みの残る軆と低くなりきっていない声、匂いも甘い。
 私もそんな彼を腕に包みながら、じかに背中に触れているたたみに、湿った髪を流している。
 窓の向こうでは、まだ雨が降っている。冬の冷気が染みこんだ雨だった。その雨に濡れて、軆を温めて、私は恋人の弟であるこの子と軆を重ねている。
 こんなこと、この子の助けにはならないのに。
 激しい雨音が、このアパートのリビングを世界から切り離している。誠弥くんの息遣いが耳たぶに触れて、私に微熱をうつしていく。
 私は睫毛を伏せ、今だけ、と思った。
 そう、今だけ、これでこの子の気が済むのなら。
 ──長かった残暑が明け、ほんのひととき、季節が秋に彩られた。街路樹の銀杏が、アスファルトをひらりとひるがえっていく。秋晴れは青く澄み、頬をすべっていく風は心地よい涼しさをはらむ。もうすぐ十一月になるから、秋の味覚や夜長の虫の声は、いつのまにか過ぎ去ってしまったけれど。
 家電メーカーのコールセンターで働く私は、仕事を終えると、恋人の圭弥のアパートにおもむいて夕食を作る。
 圭弥は同じメーカーの実店舗でバイトリーダーをしている男の子だ。知り合った切っかけは、本社と店舗の交流会。私は短大を出て、圭弥は高卒から働いていて、年齢は同じ二十二歳だ。
 おとうさんはいない、おかあさんは留守がちの家庭で育った圭弥は、私の手料理を喜んで食べてくれる。圭弥には誠弥くんという中学二年生の弟がいるけど、彼も私の料理を無言でだけど、いつも平らげてくれた。
 その日は雨模様だった。スーパーで急いで献立の材料を買うと、赤い傘をさして圭弥の部屋に急ぐ。雨雫に湿った肩をはらい、ドアフォンを押した。
 こうすると、いつも誠弥くんが無表情にドアを開けてくれるのだけど、今日は反応がない。どうしたのかな、と思いつつ、合鍵はもらっているので、それで部屋にあがった。雨音が響く中で耳を澄ましても、誰かがいる物音はしない。
 時刻は十八時をまわっている。学校はとっくに終わっている時間だ。誠弥くん、どうしたのだろう。気にかかりつつも、私はエプロンをまとって夕食の支度を始めた。
 香ばしい秋鮭のホイル焼き。甘いさつまいものそぼろ煮。白いごはんと、豆腐とわかめのお味噌汁。
 ひととおり完成した夕食を味見していたとき、玄関で物音がした。振り返った私は、目を見開く。
 学ランを着た誠弥くんだったのだけど、髪にも服にも泥が絡みつき、疲れ切った面持ちをしていたのだ。
 私は慌てて「どうしたの」と玄関に駆け寄る。しかし、誠弥くんは私をちらりとしただけで、「何でもない」と吐き捨てるように言った。間近で見ると、肩や脇腹に靴底の痕がある。
「誠弥くん──」
 誠弥くんは何も言わずに私を押しのけ、自分の部屋に入っていった。昔は圭弥と誠弥くんの部屋だったらしいけど、今は圭弥は誠弥くんに部屋を譲り、自分はリビングで生活している。
 私は誠弥くんの顔を思い出し、顔には何もなかったけど、と思う。蹴られた痕。暴力。……イジメ? 安易な発想かもしれないけれど、そんな考えがぐるぐるよぎって、勝手に不安になる。
 翌日になっても、対応が終わって電話を切ったあと、ふと誠弥くんのことが思い出されて、心配になった。
 圭弥は、知っているのだろうか。言ったほうがいいのかな。昨夜の夕食時には、何となく誠弥くんの視線に圧を感じて、何も言えなかったけれど。
 十月最後の週末、私はオフなのでお昼から圭弥の部屋に向かった。店舗勤務の圭弥は、週末はほとんど休めない。だから、誠弥くんの昼食を用意するように頼まれている。圭弥にも、腕によりをかけて夕食を作る。
 誠弥くんはいつも部屋にいて、「ごはん食べる?」と声をかけてやっと部屋を出てきて、ふたりなのが気まずそうだけど、やっぱり私の料理を平らげる。けれど、その日何となくドアフォンで知らせることなく合鍵で部屋に入った私は、誠弥くんがキッチンの引き出しを開けているところに遭遇した。
 その手は、封筒をつかんでいた。私が食材に出したお金は、圭弥がそこに忍びこませて返してくれるのが、暗黙の了解だった。そのときに使っている封筒を、誠弥くんが開いている。
「何、してるの」
 私がこわばった声で言うと、「違う」と誠弥くんは声変わりしきっていない声で言った。
「持ってこいって……でも僕、一万円なんて持ってないし、」
「圭弥が働いて稼いだお金なのに、」
「そんなこと知ってる! じゃあ何だよ、にいさんは一万円くれんのかよ。あいつらに渡す一万円をよこせとか、……言うのかよ」
「………、それでも、」
「あんたに分かるかよっ。くそっ」
 誠弥くんは引き出しに封筒を投げこみ、閉じることもせずに自分の部屋に入っていった。私は当惑しつつ、引き出しを閉じる。
『あいつら』。やはり誠弥くんはイジメを受けているのか。それも、恐喝されるようなイジメを。それはもうイジメじゃなくて犯罪か。
 どうしよう。さすがに何かしてあげないといけない。けれど、ここで私の一万円を貸して、当座をしのぐのは解決ではない。
 そのあと、誠弥くんのぶんの昼食は作ったけど、声をかけても出てこないどころか返事もなかった。圭弥が帰宅した夕食時もそうで、「ごめんな、気むずかしい奴で」と言われて私は首を横に振る。圭弥はさくっと牛肉のコロッケを頬張ったあと、「とうさんがいた頃はよかったんだけど」と哀しそうに微笑んだ。
「おとうさん」
「その頃は、かあさんも家にいてくれたし──かあさんも、とうさんが死んだのを受け入れられないから、この部屋にあんまり寄りつかないんだと思うんだ」
「……うん」
「分かってても、子供にはそれは寂しいんだよな。とうさんがいないから、せめてかあさんの愛情が俺にも誠弥にも必要なのに」
「そう、だね」
「こんなぎすぎすした家じゃなかったんだ。とうさんが生きてた頃は、家の中はほんとに優しかった」
 圭弥はシーザードレッシングをかけ、プチトマトと千切りのキャベツを食べる。
 誠弥くんも、おとうさんがいれば頼りになる人がいて、救われていたのだろうか。傷つけられた心身を打ち明け、受けて入れてもらって、甘えて泣くこともできていたのだろうか。
 それからすぐ十一月に入って、秋が冬にうつろいかけて、冷たい雨の日が続いた。
 また誠弥くんが帰宅していない日、もしやと心配していると、案の定、誠弥くんはぼろぼろのすがたで帰ってきた。「大丈夫!?」と玄関に走り寄っても、誠弥くんは何も言わずにスニーカーを脱いで、私のかたわらをすりぬけようとする。
「ねえ、圭弥に言ったほうが──」
「言うな!!」
 鋭い口調に、びくんと口をつぐむ。誠弥くんは、いらいらした視線を持て余すようにして、目を床に伏せた。
「にいさんには、分かんないよ。あんたみたいな彼女もいて、いつも『頑張ってるね』って褒められて……僕ばっかり、出来損ないだ」
「そんなこと、」
「じゃあ、僕とやれんのかよ」
 急に睨みつけられて、私はまた口ごもってしまう。「口ばっかりじゃないか」と誠弥くんは疲れたように毒づいた。
「はけ口になる気もないくせに」
 そして、顔を背けると誠弥くんは部屋に行ってしまった。
 はけ口、って。いや、誠弥くんは学校で「はけ口」にされているのだ。だとしたら、誠弥くんにも吐き出す場所が必要なのだろうか。それを性衝動で発散したいというのなら、私があの子と寝れば、せめてもの癒やしになれる──?
 仕事中もそんなことを考えて、問い合わせ内容を聞き違えてお客様をひどく怒らせてしまった。落ちこみながら、その日も赤い傘をさして、圭弥と誠弥くんの部屋に向かう。
 吐く息が白いほど雨が冷たい。アパートへの一本道に入ったとき、前方を黒い学ランの男の子が歩いているのに気づいた。傘もささず、ずぶ濡れになって、とぼとぼと歩いている。
「誠弥くん」
 思わず声をかけながら駆け寄ると、誠弥くんは振り返る。雨で髪も顔も服もびっしょりだけど、目の中が赤く潤んでいて、泣いているとすぐに分かった。しかし私はそれには触れず、「風邪ひくから」とかすかに震えている誠弥くんを傘に入れる。誠弥くんは拒絶せず、前髪からぽたぽた雫を落としながら、うつむいた。
 傘の下でひとつの影になって、私たちは一緒に部屋に帰った。家並みが雨脚に霞み、轟々と雨音が鼓膜を圧している。誠弥くんの横顔を見て、この子の笑顔って見たことないなあと思った。
 部屋にたどりつくと、私はすぐにお風呂にお湯を溜めた。誠弥くんは暗い表情で突っ立っている。まもなくお風呂が沸くと、「すぐ入ってあったまって」と誠弥くんの肩を優しくうながす。すると、誠弥くんは私を見上げて小さな声で言った。
「一緒に入って」
「えっ」
「……あんたも濡れてるし」
「私は、」
「嫌なの?」
 私は狼狽えたものの、ここで拒絶するのも誠弥くんを傷つける気がして、「分かった」とぎこちなくうなずいた。洗面所で、お互い無言のまま自分の服を脱ぐ。
 誠弥くんの軆を直視できないし、誠弥くんも私から目をそらしている。それでも誠弥くんは私の手を引いて浴室に踏みこんだ。
 軆を流してから、温まるために一緒に湯船に浸かる。ひとりで浸かる狭い浴槽だから、絡みあうように私と誠弥くんの肢体が触れ合う。
 雨の音が響き渡る。交わす言葉はない。でも、相手の息遣いに耳を澄ましている。
 そのうち引きあうように軆が近づき、急に、誠弥くんが私の腰を引き寄せた。乳房に顔をうずめ、初めて、甘えるようにしがみついてくる。
 ずっと、すりガラスの窓に当たって砕ける雨粒を見ていた。そんな私の軆を、誠弥くんはむさぼるように抱いた。私の中に入ってきて、波紋を起こしながら深く突き上げ、かろうじて私の体内でなく水中に吐き出す。
 でも、私は圭弥の恋人なのだ。だから、誠弥くんのそばにいることはできない。つながったけど、つながってはいけない。私と誠弥くんは、どうやってもつながれない。
 触れちゃダメ。
 触れさせてもダメ。
 なのに、浴室を上がっても私たちは軆を合わせた。激しい雨の中でかたちを崩し、ひとつになってしまうみたいに。でもお互いの心に手は届かないから、ひとつにはなれない。
 ああ、私は誠弥くんに何もできないんだ。
 雨はやまない。やむ気配もない。けして結ばれない私の軆を求めながら、誠弥くんはひとりだ。
 倦むことなく窓ガラスを殴る雨を私は眺める。この秋雨が過ぎ去れば、いよいよ冬だ。そうなれば、雨はやむだろう。
 しかし、この子は、いつまでやまない雨の中、ひとりなのだろうか。
 このままでは、その心に降りしきる雨はみぞれになり、神経を刺すように傷つけるのに──誠弥くんは、心を穿たれ、熱に浮かされ、雨にとらわれたまま、ひとり彷徨っている。
 FIN
【SPECIAL THANKS】 止まぬ雨 ひとり/杉野淳子 『解放心章』収録
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【有志演奏会 in 気仙沼 DAY2】団員レポート
気仙沼有志演奏企画、2日目のレポートになります!
最初にご紹介するのは、いよいよ本番を迎えて、緊張の面持ち…?の後発部隊の皆さまです。
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2日目の目的地は「気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館」です。
階上地区にそびえるこの施設は、震災発生時に津波被害を受けた気仙沼向洋高校を、そのまま遺構として改修した施設で、教室や敷地内の様子を当時のまま保存しています。
参加者がついに全員集結したところで、当時の記憶を語ってくださる語り部の方々と共に施設見学へと向かいました。今回アテンドしてくださったのは、三浦秋男さんと近藤公人さんのお二人です。同級生コンビで案内していただきました。
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冷たい風が吹きすさぶ中、集中して展示を見学します。
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左は校舎三階に飛び込んできた自動車、右は校舎4階にぶつかった倉庫がつけたへこみです。津波襲来時に、周辺にあった冷蔵倉庫が校舎に向かって流されてきましたが、偶然校舎の端にぶつかったことで、屋上に避難した方々は助かったそうです。想像もできない状況ですね…
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見学を終えた一行は、、、腹ごしらえです!
今回昼食のご用意をしてくださったのは、企画発案者でもある奏者のPerc.三浦瑞穂さんのご家族です!2種のおこわ、つみれ汁、芋の子汁、特製のお漬物などなど、地元のものを使ったご馳走をいただきました!LAFFOOの方、伝承館の皆さんと一緒に、いただきます!
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お昼の後は、いよいよ本番にむけてリハーサルスタートです。
実は、今回の会場は有志演奏会としてはかなり大きい規模なんです!真っ黒な衣装に着替えて、いざ練習へ。会場にはOBの狩野さんも応援にいらっしゃいました!
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いよいよ開演が迫ってきました。
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演奏が始まりました。1曲目は「ラストエンペラー」、指揮はHr.菊野奏良くんです。超満員のお客さんの前で、威風堂々の演奏を見せてくれました。
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2曲目はHr三重奏で「6つのホルンのための三重奏曲」です。優しく、華やかに会場全体を包みます。3曲目は木弦アンサンブルで「海の見える街」。強く時には恐ろしく、それでいて美しい気仙沼の海を思い浮かべながら演奏します。
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4曲目は坂本龍一監督作品「litany」のTrp三重奏。過去にも有志演奏会で演奏したこの曲をぜひ届けたいということで、演奏させていただきました。続いて弦楽アンサンブルで「aqua」。優しいメロディが特徴的なこの曲は、団員達も大好きな一曲です。
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最後は「ふるさと」。みんなの心に響く美しい音を響かせました。
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なんとなんと、その後は万雷の拍手をいただくことができ、アンコールとして「ラストエンペラー」を演奏しました!聞いていた皆さんの笑顔を見ることができ、団員達もうれしい気持ちでいっぱいです。
今回の有志演奏会は、大成功で幕を閉じました。
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もちろん、”おうちに帰るまでが有志演奏”ですよ!
というわけで、最後に大谷海岸にもう一度寄って、お土産購入&もう一度記念撮影!
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ここで各方面に解散となりまして、今回の企画は終了です!
聞きに来てくださった方々、伝承館やLAFFOO関西支部の皆さまをはじめご協力をいただいた皆さま、ありがとうございました!
そして何より、参加者の皆さんお疲れ様でした!3月の演奏会に向けても頑張っていきましょう
今回の企画は、東北ユースの有志演奏活動でも過去最大規模のものになりました。最大級の震災被害を受けた気仙沼を訪問することで、私たちが「東北」ユースオーケストラである意味、音楽で発信する意味など、様々な思いを今回の活動で確かめられたではないかなと思います。
能登半島地震をはじめとした自然災害に社会が向き合っていくために、東北ユースオーケストラが何を発信していけるのか。常に自問しながら、これからも有志演奏活動を続けていきたいです。
東北ユースオーケストラ有志演奏係 Tb.福澄茉音
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utagejp · 6 months
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これぞ日本の中華そば🍜
〜風の谷農苑にて〜
目指すは澄んだスープの中華そば。今朝は昆布&アゴ出汁、ショウガの醤油スープ、ちぢれ中太麺、手作りチャーシュー(豚肩ロースを低温でゆっくりローストした)、メンマ、旨味が濃厚な山のホウレン草〰😋
美味しく健康に、自然の恵みに感謝して頂きます(合掌)。
#中華そば #サイボクハム #風の谷農苑 #大地の宴 #chukasoba #ramennoodles #roastpork #daichinoutage #utage_jp #tokyo #japan
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kennak · 11 months
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年度末の夕食会の提案F爺の受け持っている日本語講座の初級の某クラスの受講生一同が、「年度末の夕食会」をすることに決めたと言って来ました。「F先生も是非いらしてください」「勿論、参加しますよ」というわけで、日時は6月19日の講義の直後ということに決まりました。「会場は、どの店がいいかな」会場候補夕食会の会場の最初の候補は、F爺が却下しました。ウェブ検索してみたら、【耐え難い音量のバック・ミュージックを流す】という評判なのです。F爺先生に耐えられるはずがありません。その店を推奨した人が「テラス席を予約すれば店内の音楽は大して聞こえないはず」と言うので、改めて固く拒否しました。テラス席というのは、「店の前にテーブルと椅子を持ち出して設(しつら)えた席」のことで、店内と違って「喫煙自由」なのです。煙草の煙にアレルギーのある者は、そんな場所での食事は自殺行為です。「じゃあ、先生がどこかを推薦してください」ということになって、何年か前にB爺が教えてくれた店を提案しておきました。当日の講義当日の講義は、まず「箸」「茶碗」「汁椀」「皿」「小皿」「サラダ」「漬物」などの語彙を復習し、まだ教えていなかった「生物(なまもの)」「焼き物」「煮物」「和え物」「突き出し」などの言葉を説明しました。それから、家庭での食卓と料理屋の皿の並べ方とは異なること、鮨屋、蕎麦(そば)屋、天麩羅(てんぷら)屋、餃子(ぎょうざ)屋、一膳飯(いちぜんめし)屋などにはそれぞれの流儀があること、ヨーロッパの様々な料理の説明のために出現した「前菜」「主菜」「デザート」などの言葉・・・と続けました。講義が終わるころには、口々に、笑いながら「こういう内容の講義は、出席しているだけでお腹が空く!」と言っていました。お品書き当日は、全員が一緒に、徒歩で会場と決めた店に行きました。10分ぐらいの散歩です。予約してあった席に着いて、まずは、レバノン料理を食べたことの無い人のために、お品書きの説明が必要です。F爺が、「メゼ」(= アラブ料理圏の小料理)の組み合わせを推奨します。ところが、「それよりも、『4人様以上のためのメゼ多種類と焼肉多種類の組み合わせ定食』のほうが品数も多くてたっぷり食べられて良さそうだ」と言った人がいました。殆どの人がそれに同調しました。F爺先生もその仲間に加わることにします。同調しなかったのは、菜食主義の人が二人だけ。飲み物は、みんなが「レバノン産のビール」を所望しました。待つほども無く、まずメゼがやって来ました。# 葡萄の葉で米と挽肉をくるんで蒸し焼きにしたもの# パセリとトマトと玉葱を細かく刻んだサラダ# エジプト豆を煮て擂り潰したもの# 白い大きな豆を煮たもの# 砕いた小麦を煮て一旦乾燥させた後で混ぜ物に仕立てたもの# 青唐辛子を焼いたもの・・・など、9種類。「まあ、これ、全部食べ切れるかしら。この後で焼肉も来るんでしょ」この店のやり方を知っているF爺が事情を説明します。「この店は、『多人数様用の多種類組み合わせ料理』の場合は、食べ切れるはずの無い量のものを出す方針にしているの。後でお持ち帰り用のアルミのパックをくれるから、持ち帰りたいものは脇に退けておいて、今すぐ熱々で食べたいものだけ食べ��ば良いんですよ。高めの料金に見えるけど、二食か三食分になるから、実際には、とても良心的な価格設定」「えっ」「ええっ」と、みんな驚いています。後に続いた「焼肉多種類の組み合わせ」が、また豪勢でした。# 羊の腿肉# 羊肉のソーセージ# 鶏モツ# 鶏の手羽先# 鶏の笹身# バジリコと山羊肉の揚げ物# 仔羊肉の串焼き・・・と、並びます。幾つの言語が話せますか様々な味を少しずつ楽しみながら、いろいろな話題が弾みました。人数が多かったため「二つか三つの話題が同時進行」という状態だったのですが、一回だけ、全員がある質問に対するF爺の答えに耳を傾けました。質問は、「先生は、幾つの言語が話せるんですか」でした。最初の答えは、一言、「数えられません」「うわーっ」「はあーっ」「まあぁ」それから説明に入ります。【チェコ語とスロバキア語のように、また、クロアチア語とセルビア語とボスニア語とモンテネグロ語のように、近縁でお互いに通じ合うほど似通っている言語を幾つと数えるか、客観的な尺度が無い】【特定の言語がどの程度話せれば「話せる」と数えるかという尺度も、客観的に測定できるものは無い】【特定の言語の「格調高い標準語」しか話せない場合と「方言、幼児語、俗語、卑語、若者言葉その他までこなす場合」とを同列に扱うのは、正しいのか。これも決め手になる尺度が無い】全員が耳を澄ませていましたから、理解でき、納得できたのだろうと推定しました。お持ち帰り用のアルミ・パックもうフォークを動かしている人がいないと見て取った給仕が、F爺先生の予言通り(笑)、お持ち帰り用のアルミ・パックを持って来ました。F爺が率先して、欲しい物をどんどんパックに詰めて行きます。全員が同じ行動に移り・・・「ほんとだ。二食分には十分になるね」ということで、みんなの意見が一致しました。デザートは?給仕が戻って来て訊きました。「デザートは、いかがでしょうか」口々に、同じ意味になる声が出ました。「無理」「お腹いっぱい」「これ以上は、何も入らない」「三日分ぐらい食い溜めしたみたいな感じ」全員が満足して、お開き。徒歩で帰宅した時は、23時を過ぎていました。
日本語講座の受講生との夕食会 2023年6月 - F爺・小島剛一のブログ
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parkhabiomaster · 1 year
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ザ・パークハビオ
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江戸川区の最大の特徴は、区民の平均���齢が41.4歳と23区の中で最も若いことです。 これは、特に子どもの数が数字に反映されるためで、平成24年1月1日時点の東京都の市区町村別年齢別人口統計によると、0歳~14歳の人口比率は約17%を占めています。 私はここにいます。 国勢調査のデータによると、28.3%が既婚子持ち世帯、19.0%が4人以上の世帯、3.35%が3人世帯で、いずれも23区の中で最も高い。 合計特殊出生率は 1.45 で、23 区平均の 1.16 を大きく上回っています。 江戸川区といえば、東京東部臨海部の繁華街を代表する区の一つですが、太平洋戦争では大型台風の直撃や家屋倒壊など大きな被害を受けました。 . 海抜が低い地域と揶揄され、津波や洪水の危険性が高いことが懸念されています。ザ・パークハビオ
臨海部の住宅開発により、子育てしやすい区として多くの若者の流入に成功しています。 ディズニーランドに行きやすいところも、子育てファミリーの魅力の一つかもしれません。 支援制度は子育て世帯だけでなく、中高年向けの「家賃補助制度」や高齢者向けの配食サービスなども充実。 区内のスポーツセンターも温水プールなど設備が充実しています。 やはり海抜の高い地域が多く、自然災害のリスクが高いからです。 しかし、家賃が安いので外国人も多く住んでおり、国際色豊かな街です。 492haの広大な敷地を持つ葛西臨海公園は緑豊かで砂浜もあり、日本の渚百選にも選ばれています。 動物園併設の公園もあり、区内の公園面積は756haと23区の中で最大です。 水族館では魚も見ることができます。 区内を流れる江戸川や那珂川でも自由に遊べます。 荒川沿いには2003年に小松川千本桜、2013年には新川千本桜が完成し、多くの市民に人気の花見スポットとなっています。 江戸川区は若者の流入が活発ですが、江戸時代から庶民の街として栄えた長い歴史を持つエリアです。 江戸川区には伝統工芸品や特産品もあります。
江戸切子は東京都の伝統工芸品の一つで、主に江東区、江戸川区、墨田区などで作られています。 ガラスの表面に金の板や砥石を使って様々な模様を刻む技法です。 18世紀初頭頃から鏡、眼鏡、風鈴などの製造が始まり、明治時代に入るとヨーロッパの技術が導入・近代化され、東京の地場産業となりました。 2002年には東京都の伝統的工芸品に、2014年には経済産業省より国の伝統的工芸品に指定されました。 もうひとつ、江戸川区を代表する商品が小松菜です。 江戸時代の将軍が江戸川区の小松川村に鷹狩りに訪れ、小松菜の入った澄んだ汁を好んだことから村名がついたと言われています。 江戸川区は今でも作付面積第1位。 カルシウムや鉄分を多く含み、今や全国どこでも一年中食べられる野菜になりました。 現在、江戸川区がこの小松菜のブランド化に取り組んでおり、生で食べられる新しいサラダ小松菜が誕生しています。 近年、急激な人口増加により若い世代に人気の江戸川区ですが、治安面で不安の声も多くあります。 子供が多く、ディスカウントスーパーもあり、都心へのアクセスも便利という利点から、空き巣や強盗などの犯罪が多発しています。 長い間、江戸川区は北側を鉄道しか通っていない交通アクセスの悪さから「孤島」と呼ばれていました。 1969 年の東西線開通、1983 年から 1986 年の都営新宿線開通以降、この問題は徐々に改善されてきた。
現在、都心と千葉エリアを結ぶ東西線は完成していますが、区の南北を結ぶ鉄道路線はなく、交通手段はバスのみ。 バスの路線数を増やすなどの対策がとられていますが、1世帯あたりのマイカー保有率は23区内で5位であることからもわかるように、クルマは生活の必需品です。 杉並区は23区の西部に位置しています。 区名は青梅街道沿いに杉の木が植えられたことに由来するが、現在はそのような木はない。 杉並区は、関東大震災後、多くの人が杉並区に移り住み、郊外住宅地として発展してきました。 緑被率は23区で3位、人口密度は11位というデータを見ると、広々とした住宅が立ち並ぶ街であることが想像できます。 震災後に杉並区に転居した者のうち、富裕層は防災のため都心部には戻らず、杉並区にとどまり、広々とした邸宅を建てて優雅な生活を送った。 戦前から文人や画家など多くの文化人が暮らしてきた。 杉並区は、専業主婦の就業率23位、専業主婦率1位、シングルマザー率1位、離婚率23位、高卒大学進学率が高い区です。 . 東京の山腹を代表する住宅地の多いエリアです。 そして杉並区の魅力はそれだけではありません。 沿線には若者が多く住むエリアがあり、安くて魅力的なお店が並んでいます。
意外にもレジャーマダムだけでなく、若い人も多いです。 杉並区は専業主婦が多く、広々とした家で優雅に暮らすだけではありません。 杉並区に住む年齢層別の住民比率を見ると、18~29歳の若者の割合は男性4位、女性2位、全体では3位です。 中央線沿線の吉祥寺、荻窪、西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺エリアに多くの若者が住んでいます。 個性豊かな雑貨店や古着屋、古本屋、ジャズ喫茶、ライブハウスなどが軒を連ねるエリアです。 生活しやすい大きな商店街もあり、乗り換えなしで移動できる新宿へのアクセスも非常に便利です。 昭和の高度経済成長期に生まれ育った人にとっては、広大な土地を持つ一戸建てが杉並の生活かもしれませんが、20代の若者にとっては、音楽や古き良き文化、 、 バラエティショップに囲まれ、毎日刺激を受けながら生活を楽しめるのが杉並の魅力です。 この2つの特徴が、杉並区が住みたい街として人気の理由です。この2つの文化がうまく受け継がれ、融合し、独自の杉並文化が生まれています。 現在、杉並区では音楽を通じたまちづくりに積極的に取り組んでいます。 設備の整った公会堂や毎年恒例の音楽祭など、音楽の街としての地位を築いてきた杉並区。
アニメも地場産業の一つと捉え、その発展支援にも取り組んでいます。 荻窪音楽祭は杉並区を代表する音楽活動の一つです。 21世紀荻窪考える会が主催し、クラシックコンサートを通じて荻窪のイメージアップに貢献してきました。 荻窪駅周辺の銀行、協会、音楽スタジオ、喫茶店など様々な場所で期間限定で音楽フェスが開催されます。 運営スタッフを募集し、ボランティアで開催しています。 無給のスタッフに加え、街のバリアフリー化や音楽祭開催のスポンサーを募り、音楽祭の資金を募っています。 区民が運営側と出演者に分かれて開催する荻窪音楽祭は、2016年で28回目を迎え、町おこしの一大イベントに成長しました。荻窪音楽祭の他にも、 もう一つの有名な音楽イベントは阿佐ヶ谷ジャズストリートです。 1995年のスタート時は、小学校の体育館や企業ロビー、ライブ会場など13会場で開催されていましたが、現在では60会場以上に規模を拡大。 音楽の力で街を元気にするために始まったこのイベントも、地元の有志によって運営されています。 全国に600のアニメスタジオがあると言われ、そのうち70以上がここ杉並区にあります。 杉並区にアニメ関連の企業が多く設立されたのは、自社の住居を確保したことと、交通の便がよかったからです。
杉並区は都心へのアクセスが便利なだけでなく、静かで広々とした緑豊かな環境で仕事に没頭しやすい環境です。 杉並区は、日本で初めてアニメを地場産業として位置づけ、その発展を後押ししています。 2014年3月には、線路下にアニメ関連のショップが集まった施設「阿佐ヶ谷アニメストリート」をオープン。 日本のアニメーションの歴史を紹介するアニメーションミュージアムも開館し、展示のほか、ワークショップやアニメーションの上映会など、さまざまなプログラムが用意されています。 アニメウォークという街歩きイベントも。 アニメーション制作者と視聴者が交流する場として、アニメーション産業の発展をサポートするイベントです。 練馬区は、1947年8月に22区制であった板橋区から分離して設置されました。 練馬区は、東京都の北西部に位置し、23 区の中で最も標高が高く、面積は 23 区で 5 番目、人口は 2 番目です。 まだまだ畑が多いことから「緑豊かな区」というイメージを持たれている方も多いと思いますが、区は農地だけでなく公園もたくさんあります。 緑の多い練馬では、農業が主要産業の一つです。 2013 年 1 月現在、農地面積は 240ha で、23 区の中で第 1 位です。 農家数も372戸と1位ですが、33%の農家が農地面積0.3ha以下、約4割が農家収入0~49万円、500万円未満です。 9割のデータを見ると、大規模な農業をしている人は少ないことがわかります。 1975 年に 746 ヘクタールの農地と 1,342 戸の農家があったことを考えると、農業が衰退していることは明らかです。 農業以外にも、練馬の知名度を上げたアニメがあります。
練馬区には、90 を超えるアニメ関連企業、大学の芸術学部、音楽大学もあります。 都心へのアクセスの良さ、緑豊かな環境、家賃の安さは漫画家志望者の求める条件であり、日本を代表する漫画家が次々と誕生しました。 農業では地元の特産品をブランド化することが多いですが、かつて練馬には練馬を代表する野菜である大根がありました。 練馬大根は江戸時代から盛んに生産され、明治時代になると日清戦争や日露戦争により需要が高まり、その名は国内外に知られるようになりました。 大正時代になると、首都東京に人口が集中し始めます。 この頃から、練馬地区は都心部の農産物の供給拠点となり、その役割は年々強くなっています。 最近では大根の生産も盛んです。 練馬の農業は、鉄道の開通により流通が活発化し、拡大期を迎えました。 練馬大根の最盛期は、明治末から昭和初期の約25年と言われています。 昭和の終戦とともに、それまで大根漬けの一大供給地であった軍部の解体により、大根の生産は衰退し始めます。
大根の収穫は大変だったので、農家は大根からキャベツに主力生産を移しました。 現在、大根は練馬ではほとんど生産されていません。 農地面積は、1975 年の 745.6ha から 239.8ha へと減少し、2012 年度には 3 ���の 1 以下となった。 練馬区内の農家・農家数は、1975 年の 1,342 世帯・7,232 人から 2012 年には 498 世帯・1,075 人に減少している。 、ブルーベリーとブドウ、およびその他の植物の 3,549 ヘクタール。 平成23年度東京都土地利用面積データによると、練馬区の農地利用率は区総面積の5.1%で第1位。 23区で最も農業が盛んな地域ですが、全体として農業の規模は縮小傾向にあります。 農産物の出荷量や作付面積は減少していますが、練馬区ではこれまで培ってきた農業のノウハウや既存の人材を活かし、農業を観光資源として活用しています。 大都市東京に近いという利便性を活かし、練馬区には現在約30のブルーベリー農園があります。 農業を観光資源化し、他地域から多くの観光客を呼び込む練馬の生き残り策の一つとして注目されています。 また、小学校での総合学習の一環として、区内の田んぼや果樹園を積極的に小学校に開放し、次世代への農業振興を積極的に行っています。 小中学校での田植え、カキやキウイの選別、受粉・収穫、野菜くず・残飯などの体験を通じて、子どもたちの農業への関心を高める活動。 肥料にリサイクルされています。 日本のアニメーションは、その技術とソフトウェアの両面で海外から高く評価されるようになりました。
練馬区は、日本一のアニメタウンとしてアニメ発展の歴史に深く関わってきました。 区内のアニメーションスタジオが日本初のアニメーションを制作し、1963年にはテレビでアニメの放送が始まりました。 当時の漫画家や後に有名になった漫画家のほとんどが練馬区で働いていました。 現在でも90社以上の関連会社が練馬に集まっています。 練馬区では、区が主体となってアニメ産業を戦略的に強化するための政策を策定するとともに、多数のアニメ関連産業を誘致することで区内産業全体の活性化に向けた活動を行っています。 国勢調査によると、2000年から2005年までの中央区の人口変化率は135.7%、2005年から2010年までは124.8%でした。 どちらのデータも、日本で最も高い人口増加率を示しています。 これを見ただけでも、中央区がますます人で賑やかになっていることが想像できます。 また、2020年のオリンピックに向けて、晴海に選手村が建設され、敷地内に約6,000戸の住宅が建設されます。 江戸時代から現在に至るまで、日本の文化・商業・情報の中心地として発展してきた中央区は、今後も人口が増加し続ける日本最大級のメガシティとして君臨しそうです。 順調そうに見える中央区ですが、紆余曲折がありました。 現在増加傾向にある人口は、1960 年から 1980 年までの 20 年間で 16 万 1000 人から 8 万 3000 人に減少しました。失われた人口を補うために、区は住宅建設を促進するためのさまざまな政策を導入しました。 中央区は区内定住者数の増加に成功したものの、その生活を支えるスーパーマーケットなどの商業施設や、子育て世帯が望む大規模な公園が不足しています。 便利で住みよい街を目指した地域づくりが今後の課題と言えます。 中央区だけでなく、現在の千代田区や港区などトップクラスの23区でも入居者が減少。ザ・パークハビオ
この時期は「都市のドーナッツ化現象」と呼ばれた。 高度経済成長期と呼ばれる1954(昭和29)年から1973(昭和48)年は、急速な都市化の時代でした。 石炭から石油へとエネルギーが変化する中、東京湾沿岸には次々と工場が建設され、産業が発展していきました。 都市部の工業化が進み、所得が増加した結果、裕福な人々はより良い生活を求めて広々とした家に住みたいと思うようになり、郊外に一戸建てを購入するようになりました。 私はそうでした。 この時期、都心部の大企業のオフィスや工場が集中する地域から、快適な住環境を求めて人々が離れていった。中央区では1957年から人口が減少に転じた。 バブル期に入り、中央区の地価が上昇したことで人口はさらに減少し、2000年1月1日現在、69,695人にまで落ち込んでいた。 バブル期の終焉後、都心部の不動産が大量に解放され、比較的安価な住宅が大量に供給されるようになり、都心部に住む人が増え始めました。 これがアーバンリターン現象の始まりです。 中央区は1981年に定住人口10万人を宣言し、1988年には定住人口回復の年を宣言した。 続々と紹介されています。 これらの施策により、長年減少傾向にあった中央区の人口は1998年から増加に転じました。 隅田川流域の住宅開発により、30~44歳の子育て世代の割合は33.9%を超えています。 これは、23 区の平均である 26.0% を大幅に上回っています。 2005 年から 2010 年までの 6 歳未満の子供の人口増加率は 56.0% と、23 区の平均である 5.7% をはるかに上回っています。 2020年東京オリンピックを控え、全国から注目を集めるエリアとなる中央区。 人口が増加の一途をたどる一方で、生活関連施設の整備が遅れています。 前述のように、日常の買い物ができる店舗はまだまだ不足しています。 大型スーパーはなく、食品スーパーも少ない。 ミニスーパーも増え、買い物の悩みも少しずつ解消されつつあります。 また、緑被率が23区内で最も低いことからもわかるように、緑のある公園の数は非常に少ないです。
浜離宮公園を除く公園面積率は23区中20位。 小さいお子さんがいるご家庭にとっては、外で遊べる場所がないというのは深刻な問題です。 現在、中央区内にはオリンピック選手村跡地や築地市場跡地など、いくつかの再開発候補地があります。 これらの広大な敷地を今後も住居専用にするのか、それとも緑の広場を追加するのかについては、議論の余地があります。 東京都が作成した東京都の人口によると、千代田区の人口は昭和35年以降減少傾向にある。 都心復帰の影響。 2016 年 1 月 1 日現在、千代田区の人口は 55,131 人です。 東京23区の中でも大きな役割を担う千代田区は、一言で言えば昼と夜の人口差が最も大きい区です。 昼間は人口が多く、夜間と夜間の差は20倍。 日本一にぎわうオフィス街には家がほとんどなく、夜もほとんど人がいません。 千代田区は23区の中で最も人口が少ない区です。 居住者が非常に少ない地域です。 夜間の人口が少なく、昼間の人口が多いということは、この区は昼間に多くの人が働きに来る場所です。 千代田区は業種別に分類しやすいです。 丸の内や大手町は大企業が集積するビジネス街であり、日比谷や有楽町は銀座の繁華街に近いため商業施設や娯楽施設が充実しています。
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doctormaki · 1 year
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ハンブルグに戻り、ほぼ誰もいなくなったもぬけの殻のマンションで、ここ数日暮らす。実に静かで良い。このマンションの立地は丸の内一番地的で素晴らしいのだが、上階や隣人の足音や声が聞こえて、言うなれば、音響が素晴らしく良い。上階のギリシャ人Chrisと共に起き、彼と共に上下階に別れて朝シャワーをし、Chrisが出かけていく足音を聞きながら、左側上階のスウェーデン国籍ナイジェリア人のMinnaがZoomしているのを聞きつつ、隣人の南ア人ゲイのLouisが彼のパートナーとお喋りしているのを聞く毎日。私は神経質なので、他者の生活音がかなりのストレスだった事を、思い知る。
世の中はイースター休暇である。小学生の頃、イースターの頃のヨーロッパ旅行でイースターエッグのチョコレートを貰うのが、小さな喜びだった事を思い出す。私が子供の頃は、チョコレートも飴も、ちょっとした特別感があったものだ。コーヒーも紅茶も、ちょっとした潤いというか贅沢だった。豊かになり、チョコレートが毎日飽きる位に食べられるようになったり、コーヒーが一杯百円で売られるようになったりと、日本の異常な豊かさに驚くと共に、そんな事は長続きするはずが無いと確信している。豊かさの飽和が、民心を貧しくしているというパラドクスは、しかし、アメリカもドイツも同じだ。
日本のバブル崩壊から30年。それでも豊かでいられるのは、過去の現役日本人、祖父母や両親達が頑張ってくれたお陰だと身に染みて思う。私と同世代の団塊ジュニアは、バブル世代の犠牲になって差し上げ、バブルの軽くおバカなノリを冷ややかに見ているが、それは、ほぼ、社会の底辺から見ているに過ぎない。私達の直ぐ後の世代は、就職氷河期でも無いくせに、就職氷河期であった事を主張し、自分達が社会の犠牲者である事を恥ずかしげもなく標榜し、発想力も無く、知的レベルが低く、上(バブル世代)に媚びへつらう事で生き延びようとする組織のコマ程度の人材ばかりが、起用されていく。ハンナ・アーレントの組織的悪のパターンが平和的に実行されているに過ぎぬ。日本の経済力、組織力、民度の低下は、今後ますます酷くなるだろう。そうした危惧も無く、今をこの世の春と謳歌できる楽観主義者と、未だに核家族化における社会的要請(少子化対策)を真剣に受け止めるマジメな方々だけが、せっせと子作りに励み増殖していく。それは、アメリカでも、ドイツでも同じ。
私の周りの知人達は、ほぼ皆、社会不安や将来不安から子を持たない選択をしている。この人には親になってほしいと、こちらが願うような人格者ほど、子を持たない。私の分析では、子供を持つ事とは、親に成らせてもらう事によって、自らの自己成長のために、子供を、ある種の犠牲にしているようなものだと思う。従って、DVなどの負の連鎖は、綿々と続くし、どこかで、負の連鎖のカルマを断ち切り、気付きの機会が無い限り、家は負の意味で没落しゆく。逆に、家が消滅するとは、カルマが終了したという風にも捉えられると思う。十分に、学びの機会を持ち、ついえれば、終わって良いのだ。日本は宗教がいい加減だが、多くの聖職者が子を持たないのは、そういう意味合いがあるのだろうと思う。私は、聖徳太子の好む維摩経が好きだ。在家で在野に在りながら、清くいる。私は、二十代の半ば、病気をしてから、維摩経を心に置いている。
私は、色々な角度から考えても、子供を持たなかった選択を、良かったと思う。どうせ天然記念物並の知性と感性の持ち主なのだから、天然記念物らしく朽ちれば良いのだ。ガハハ。生物とは、ただの遺伝子の箱なのだとしたら、チェコのブルーノでメンデルが発見した法則のように、また、どっかで、突然変異が生まれ、私のように、社会を斜めに観察する人間も、生まれて来るだろう。問題は、小池がほざくような(負の)レガシーではなく、何を足跡として残せるのかという事とも思う。しかしながら同時に、忘却される事の粋美も思ったりする。忘却されていても、本物であったならば、本物を探す者が時空を超えて探し当てるものだと確信している。それは、必ずしも親族や同民族では無いという事も。
春の訪れを日本を思いつつ祝う時、チューリップを紅白に活けてみた。また、研究所での食事が無くなったので、自分の食べたいものを料理して食べられる幸せを感じている。料理を極端に嫌う事や、料理しない事を良しとする事は、私には理解不能だ。自分の体調に合った、身体が季節変化に合わせて求めるものを、食べたいときに食べられないのは苦痛でしかない。食べたいものを、自らが調理して食べられる幸せ。買いたいものが売られていて、それを購入できる幸せ。その背景にある多くの人々の仕事に感謝しつつ、また、食べて下さいと五体投地してくれる生命を、有り難く調理し、美味しくいただく。これ以上の幸せはあろうか。自分が確実に大きな社会のネットワークの小さなゴマ粒に過ぎず、大きなものに生かされていることを思う。毎食、毎食が、感謝でしかない。
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研究所のコックのミヒャエルと、彼の彼女レベッカさんは、私の事をとても好きみたいだ。まぁ、地下回廊に簡易に作られた薄暗く狭いキッチンに、昨年からせっせと通い詰めているのは、研究者でも私だけだしね。。。私は丸山眞男好きなので、市井の小さき名もなき人々の日々の小さき行いこそが、国家の根幹であると信じて疑わない。政治家も学者もアイドルも、みんな、ウンチである。見て社会の病を推測する事はできても、社会を支える根幹は、表立つウンチどもからは、絶対に見えない。大衆とは、実にウンチが好きなんだなぁと感心する。まぁ臭いから、ベムりんみたいに、気になるという事なんだろう。あるいは、自分の中のウンチと呼応するので、ウンチを見て賞賛したくなるのかもしれん。
ワシはウンチはどうでも良いので、社会を動かす、根幹の部分にある、隠蔽された良心を見たい。そして、そこにこそ、社会の希望と未来を見出だしたい。そんなワシに、ミヒャエルは、イースター休みにも関わらず、レベッカと愛犬ペッピーノと共に、車で拙宅まで送り迎えし、自宅に招き、春の料理を振る舞ってくれた。ミヒャエルは北部ドイツ、レベッカは黒い森周辺の南部ドイツ出身。ミヒャエルは、バンコク、リスボンなど世界中を渡り歩いたコックさん、レベッカは2014年台北で開催された25歳以下世界お菓子選手権大会で世界3位を取ったパティシエ。ペッピーノはミックスの捨てられていた犬で推定1歳半。皆、何故か分からんが、ペッピーノなんか身体が壊れそうな位に喜びまくるし、ワシの方が感謝せんならんのに、ミヒャエルとレベッカは、来てくれてありがとうと、感謝して来訪を喜んでくれる。
イースターのためにミヒャエルが作ってくれたのは、春の魚、サワラのソテー。これに森のキノコと白ワイン、玉ねぎを煮込んでとった出汁をベースに、刻んだ玉ねぎと白アスパラと緑アスパラを小口切りし、たっぷりのバターで炒め、春にしか取れない森のキノコをふんだんに入れたところで出汁投入。そして削ったパルメジャーノと黒胡椒で味を整えたスープ仕立てソースを、別フライパンでソテーしたサワラの上にかけて、いただく。食器は、家にある食器で一番高いという、ミヒャエルがお祝いで貰った、美濃焼の器。彼の料理は、優しく繊細で、兎に角、優しく奥深い味わい。研究所で出している料理と異なり、心がこもる料理とは、同じ作り手でも、味わいが異なる事を実感した。この料理を、私は生涯、忘れ無いだろう。
おまけに、何故か、ミヒャエルからは日本から輸入した枯節一本、レベッカからは彼女の作った特大イースターエッグのチョコレートとワシが好きだと覚えていて、ラズベリーとパッションフルーツのジャムを頂戴する。イースターにも、プレゼント交換するのをワシは知らんかったので、メチャクチャ恐縮。
でも、多分、ワシが作ってあげた、カツオダシのお澄ましとニラ餃子、あんこ玉を作っておいて白玉粉を器用に、トリュフ作る時みたいに白玉で包んで茹でて作った、あんこ入り白玉団子が、美味しくて、嬉しかったって事なんだろうなぁと、しみじみと思う。しみじみと、しみじみと、ワシの心が、彼らの心に触れたのであれば、これこそが、ホンマモンの外交努力である。そして、こうした触れ合いが人知れず継続される事でしか、外交なんて、本当は成立しない事も、ワシは知っている。昨今の、金持ちブリタイ外交官や商社マンが、適当な高級レストランで適当にクッチャベッて外交した気分で喜んでいるのは、ブリと鯛レベルに過ぎぬ。その一晩に使った金額の多い少ないで関係性が計測されてしまい、資本主義の薄っぺらい関係性でしか無くなる。
そうじゃないんだよ。時間を共にするということ。同じ釜の飯を食うとは、共に材料を集め、共に調理する時間を過ごしたという事を含意する。ミヒャエルが、マキに何を食べさせようかと思案しつつ、イースターで閉まる直前の忙しい市場に出向き、ウロウロして食材を買い揃え、前日には、アルコール飛ばしたソースなら食べられるか?と確認のメールをし、当日には朝からワクワクと、ソワソワと、魚を自慢の刺し身包丁で解体し、切り身にしてからバットの上で休ませ、レベッカに運転させて、マキを30分かけて車で迎えに行く。この間、ずーっと、思って貰えた事に、感謝なんだ。その優しさと、かけてくれた時間、思いを寄せてくれていた事こそが、掛け替えの無い友情の証だと、アホなワシは確信する。
ワシが、ケーキを作らなくなって久しいのは、忙しいからを口実にしとるが、ちゃうねん。ワシが掛けた時間が、工業製品の如くに、チャチャッと評価され、つまらない物として消費され、こんなんだったら、〇〇パチシエで買う方がいいじゃんと言われる事に、耐えられなくなっただけ。じゃ、おフランスで修行して、バカ高い価格つけて売っているブリタイ共から、買え。と思っただけ。
でも、もうこんな心的逃走も、春の訪れを以て終了します。他人は、裏切るものよ、信用なんかしちゃダメと、お風呂の師匠は私を諭す。他人に期待して傷つくのは自分だから、他人に期待しない事だよ。社会なんてゲームなのさと、エルちゃんは私を諭す。私は、ずーっと、ずーっと、彼らの言葉を哀しく聞いていた。人間はそんなものなのかと。父はハッキリと、お父さんは性悪説だと、10代のワシに宣言した。だから、ワシは18歳で、性善説を貫くと心に決めた。天邪鬼は、いつの世でも大変です。でも、ワシはやはり、性善説を生きようと思う。他人の、良心に触れようと。触れるためには��自分が良き人でなくてはならない。与えて、与えて、悲しんで、傷付きまくって、泣きまくって、それでも、与え続けられる人になりたい。何故なら、私はやはり、人間を恐れつつも、人間が好きだからだ。芥川の蜘蛛の糸のように、どんな悪人にも良き心があるはず。親鸞の悪人正機説は私はバーカ親鸞と思っているが、何故なら、悪の正当化を許容するから。近代日本をダメにしたのは、極端な悪人正機と他力本願で、親鸞こそが浄土真宗こそが、悪だとワシは思うちょりまんねん。まぁ大衆宗教だから、しゃーないけど、酷いもんだで。
いずれにせよ、ワシはもう、こだわりを捨てるのだ。東大にも日本にも、もはや期待は持てない。つまりだ。究極の個人主義の時代ならば、夏目漱石の超個人主義の時代が到来したのだと理解して、ワシこそが、良き者であり、あろうとし続ける弛まぬ努力をし続けることで、世界の良心になろうと思う。
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khty-khty · 1 year
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二ヶ月ぐらい続いていた日記が急に書けなくなってきた。人に見せる日記って、なんかハードルが高い。楽しませなきゃ楽しませなきゃと思ってしまう。いつからかわからないけど、会話にオチをつけなければいけないというオブセッションにとらわれている。そうしないと話をきいてもらえないとおもっているんだとおもう。そうしないと話を聞いてもらえなかった、という末っ子あるあるはとくにないとおもう。とくにないけど、ほんとにそうおもってる。自分のなかでは自分は世界の主人公なのに、実際の自分がその自己像についていかない。なにをやってもそつなくこなせるはずなのに、努力しなければつねに平均を少し下回る。知らぬ間にハードルを上げている。とにかく現実の方をイメージににじりよらせるのだけど、イメージは逃げ去ってしまう。それがあらかじめわかっているから、そもそも現実に飛び込んでいくことをしない。抽象的に生きていればイメージ通りに主人公でいられる。子どもっぽいが、子どもなのだからしかたない。知性的でも哲学的なのでもなくて、ただただ子どもなのだとおもう。
馬場で不動産屋に用事があったから、それを済ませて早稲田松竹に行くことにした。レイトショーで、ゴダールの女と男のいる舗道。そのまえに時間があったから、ご飯を食べることにした。とにかく辛いものが食べたくて、四川料理の重慶担担麺の汁なしを食べた。
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パクチーと山椒が痛い。自分をいじめている気分になる。いじめているというのも、たぶん適切じゃない。とにかく、自分の身体を食べものに預けている感じ。全面的に開けている感じ。来てもいいよというのじゃなしに、もうなにかを自分から排除しておくことすらめんどうで、ただ目の前にあるものにすき勝手させているという感じ。おいしいとはおもう。このお店を何となく見つけられてよかった。こうやって街を開拓するというのも、いままで誰も教えてくれなかった。すぐに、自分が教わることを拒んでいたんだと頭の中で声がして、ほんとうにどうしようもなくなる。その通りのことをすぐ言語が貫いてしまってやるせない。自分は自分のことを大人だとイメージしているのに、街の楽しみ方すら知らないのだと気づく。そういうことはみんな周りではすでにやっていて、自分だけなにかが遅れているのではないかと不安になる。早稲田松竹だって今日初めて行く。全部の初めてにいまさらかよという言葉が付きまとう。ついこないだまで海外すらいったことがなかった。スキーもスノボもやったことがなかった。いま気づけてよかったね、と思うのに、いまさら気づいたの、と声がする。何をやるにも、どうやったら遅れを取り戻せるのかということが頭をかすめる。自分からこれがやりたい、というのはあまりない。とにかく人があたらしそうなことをやっていて、どうしたらそれに置いていかれないで、しがみついていられるかということを考える。できないこと、しらないこと、ないことばかりが思考にのぼってくる。こんなことは中学とか高校とかで乗り越えているべきはずのことで、22歳にもなって、と、本当におもってる。きっと自分以外の人間はもっと濃密な時間を過ごしてきたんだろう、で、自分はどうかといえば、いまになって中学や高校をやりなおしている感じがする。なにもかも新しくていいじゃない、と言われるのは嫌ではないしそうだとおもう。でも、遅れているという感覚についてはそれでもやり場がない。
本屋で地球の歩き方を読んで、時間をつぶす。BRUTUSとかPOPEYEとかも読む。これだって最近になって知った、というのはもうやめておく。時間になったから早稲田松竹にいく。
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名画座って言うんだ。こういうところ。こんなことも知らずに文化を語っていたのか、というのももうやめておく。日記が告解室みたいになっていけない。知ったかも虚言も、とにかくうまいこと同居していくしかない。それで、ゴダールは3本くらいしか見たことないけど、オチがない作家だとおもう。正確には、オチがつきそうな寸前でオチをつけることをやめてしまう。たとえばこないだみたRRRと同じような没入感はゴダールにはほとんどない。大きなスクリーンで観てもそうだった。でも、なんか笑える。オチがなくてもなんか面白い。オチがつきそうでつかなかった後の呆けた静寂がなんだか面白い。自分にはそれが途方もない救いにおもえてくる。こっちは一生懸命オチをつけなきなつけなきゃとおもって、人を楽しませなきゃ楽しませなきゃとおもって無理をしているのに、オチなんていらんと言われているようでムカつくけど、嬉しい。でもべつに後味がいいわけじゃない。
日記に深刻さを記したくないと言っているのは紛れもなく自分だけど、そんなことを言っているのは、いくらでも実存的で深刻なことが言葉にできてしまうからで、放っておくとそれしか書けなくなるからだ。自分で自分にセーブをかけているのかな。そんなことはそこまで思っていないかもしれないのに言葉だけが深刻さの方にひとり歩きして、やりきれない。やたらに澄み切った自分の言葉が邪魔で仕方がない。言葉だけがいっちょ前で、身体がうまくついていかない。
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bokurarri · 2 years
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塩つけ麺+味付玉子+チャーシューご飯 一条流がんこ十一代目 そういえばつけ麺って味噌しか食べたことないや。塩つけ麺食べてみたいのぉ〜。最近になってスペシャルではなく、味玉トッピングにチャーシューご飯が心を満たしてくれるとわかりました。フライドオニオン満載のつけ汁は、非常に澄んでいるが塩気バッチリ効いている。麺がズバズバすすむ。つけ汁にほぐれたチャーシューが入り、脂がとろける具合で麺とのお供も素晴らしい。そして味玉ほんとうまい。チャーシューご飯に胃袋も喜ぶ。あぁ行徳去っても偶には食べたいなぁ。ほんと名残惜しい。 #行徳名残飯 (元祖一条流がんこ十一代目) https://www.instagram.com/p/Cjaz0Q0PTNZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yfukuoka · 2 years
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【3515日目】2022-09-02 雨だ……こういう日はきっと行列少ないよね。 オイシイカレー@下北沢 ‪____________________________________ テレビで「下北沢で一番美味しいお店」って出ちゃってから、気軽には近づけないお店になりましたが、そろそろ落ち着いたかな。 気持ちも新たに、定番料理と限定副菜をチョイス。 *鶏出汁チキンカレー *豚出汁ポークカレー *キノコのムリガタニースープ 鶏出汁チキン。お肉はヨーグルトとマサラでマリネして焼いたようなチキンティッカ風味。グレイビーも以前食べたときと印象が違う…さらにオイシくなっている(気がする、気のせいかもしれない)。 鶏肉自身は筋肉の締まったブリブリ食感。ネギが小口切りじゃないのは、薬味というより、具材の一つとして食べてほしいという狙いかな? 丸鶏と鶏ガラからとった出汁と鶏油でラーメン要素もあって、この店を象徴するおもしろ美味しいカレーです。 豚出汁ポークは、さらっとしたスープ状。熟成された豚骨スープの上澄にはオイルが光ります。少し深めのローストで苦旨く、チキンと比べると荒々しいワイルドなグレイビー。 豚肉は脂身ではなく赤身。油使いも押し引きがあって、料理としての構成も興味深い。 限定副菜のムリガタニースープ。イギリス発祥の料理ということもあり、料理人の数だけ存在するスープ料理というイメージ。食べ歩いていて見かけるたびに必ず注文するのですが、ひとつとして同じ味に出会ったことがありません。 スリランカでも2〜3軒いただきましたが、どれも違うスープでした。 オイシイカレーのムリガタニーはどうか。「豆と野菜の��タージュ」と書いてある。 たしかに、これは野菜の出汁ではなく、野菜が溶け込んだとろとろスープ。複雑で何が入っているのか分からないのも、西洋由来のスープ感があります。ポタージュという表現に納得の美味しい着地点。 ‪やっぱり、すべてが面白いお店。初めて店主さんがお休みの日に当たってしまいましたが、ちゃんとクオリティが保たれているのも素晴らしいなぁ。‬ ‪‪____________________________________‬ 🇮🇳🇨🇳 #india‪ #indianfood #china #chinesefood #asianfood #asia #foodpic #foodstagram #instafood #food #tasty #delicious #spice ‪#‬curry #インド #ラーメン #世田谷 #下北沢 #オイシイカレー #スパイス #カレー #カレー部 #カレー好きな人と繋がりたい #フクドローン #ふくすたぐらむ ↓オイシイカレー @oishii_karee (オイシイカレー) https://www.instagram.com/p/CiC0BgVPnW8/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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poetry-for-absence · 19 days
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陰翳礼讃における詩性 (2008)
      
この著作では、西洋文化との比較における東洋文化としての、日本に独特な美意識が「翳り」を切り口にして綴られている。
現在、私たちの日常は、”西洋的な思考のかたち” で殆ど満ちている。そんな中、本当に純粋な日本的な美を、日常の内に見つけることは難しいことに思える。しかし、私はこの著作の中に、そのような美を確かに見、感じた。それは、静寂の音楽であり、仄暗さであり、暗闇への意図の介入であり、許容の美であった。
詩性および美なるものは、人間の生活に織り込まれており、そこから感じ取られ、見出されるものである。そのためか、谷崎は、生活の根幹である住居について、多くの言及をしている。その中で、厠についての叙述が特に詩的で印象深いものであった。そこに描かれていた厠こそが、最も端的に日本的な美を表しているように思え、ひいては、全ての日本的な美がそこから派生したものの様にさえ思える。
五月の優しい雨の降る午前、書斎で読書をしている。部屋には清らかな空気が満ち、障子からは淡い白い光が滲む。ふと、思い立ち、手を休め、席を外す。障子を開ける音、廊下を歩む音が、雨に包まれて、静かに響く。厠の戸を開け、入り、用を足す。桟越しにのぞく庭木の緑が、厠の暗さに映える。ああ、葉々の緑は初夏のものが一番美しい、と思う。雨粒は葉に落ち、大地を想い、したたる。今日は穏やかな日である。
これは、本文から着想を得た創作だが、この様な厠の詩性には、大いに感じ入るものがある。
著作中に描かれている厠に日本的な美の本質がある、という私の認識は前に述べた。そこで、日本的な美を構成する詩的な要素を厠の詩性から抽出し、著作に感じた詩性についての把握を確固たるものにしようと思う。
詩的な要素として、まず挙げられるのが、「瞑想性」である。それは、静けさによってもたらされる。葉のさざめき、風鈴の音、雨の庭石を打つ音、虫の音、澄んだ月夜。それらの詩は、静寂の音楽により澄明なものとなった繊細な心へと届く。また、かすかな音・静止の景色は、対比により静寂を引き立て、それを一層深いものにしてゆく。そして、心は更に深い瞑想へと誘われる。
この様な静寂の音楽は、日本的な美に於ける底流として、常にその気配を立ち昇らせている様に思える。
次に挙げられるのが、「仄暗さと暗闇」である。障子により濾過された外光、蝋燭の明かりに照らされる膳の上の椀と、その中の闇のゆらめきの様な味噌汁。おひつの中の、真珠の様な飯粒。闇の底で鈍く光る椀の金装飾。鈍い光を闇へと滲ませる金襖と金屏風。そして、その仄暗さの中で暮らす人達。
闇に溶かしてしまうことにより、魅力あるものは秘められることで蠱惑を纏い、醜いものは、闇のふところに抱かれる。美醜の、どちらも闇に溶かすことにより、日常には、仄暗い静寂と澄明さのみが残る。
そして、「暗さとの対比」が、三つ目として挙げられる。例えば、町屋の薄暗い部屋から眺める坪庭の緑は、往来で見るよりも鮮やかである。それは、明と暗の対比によりもたらされるものであり。闇の無により葉々の有が引き立つ。そして、その様な、闇との対比から色を感じる感性は、独特な色彩感覚を生む。例えば、能に於ける、闇から生まれた様な暗い緑や 淡い柿色の衣は、闇に秘められた役者の、日本民族的な色味の肌を美しく映えさせる。また、暗闇の中で鈍く光る金襖、金屏風。武者の鎧と朱の面。細部まで気の配られた能面などは、その色彩も、その造形も、闇と切り離しては、そのものの最上の美しさは立ち現れないだろう。
最後に挙げるのが、「許容による美」である。渋く黒ずんだ銀食器や、コクのある照りの出た道具に感じられる美と詩は、道具が古びてゆくという現象から「手沢」というポジティブな価値が見出されたことにより生まれる。ここでは、本来では嫌がられる「手沢」とは表裏を成す価値 ― 古びる、手拓がつく、しみが出来る、等 は、「手沢」の美と詩性により許容され、その美意識のふところに包まれている。(厠に於いては、日本的なるものの詩性の全てをもって許容され、美と詩性が生まれている、と考えられる。)
このようにながめてみると、、静寂の裡に、ものごとの白黒(=境界)を曖昧にさせることが、日本的な美の一つの側面であるとすることが出来るだろう。それは、少なくとも、この著作中に描かれた詩性の性格であろう。
現在の私たちの日常の殆どは、西洋的な思考のかたちで満ちていると最初に書いたが、だからといって私たちの日常から詩性や美が無くなってしまった訳ではない。美と詩とは、瞬間が落とす永遠の名の影であり、時代に遍在している。だから、現在に生きる私も日常のなかに詩を感じることが出来る。そこで、私の感じる日常の詩を羅列してみる。
夜降る優しい雨。夏の夜の停電。ベンチに休む老夫婦。花。深く優しい声。静かに佇む猫。早秋の空。散歩。マフラー。寒い日のバス。冷たく澄んだ部屋の空気と暖かいふとん。リンゴジュース。
いずれにしても、その詩性を詩性たらしめているのは、「静寂の音楽」である。静寂こそが、その身を詩に溶かす。騒がしさに詩が溶け込んでいることは稀である。
現代の日本に於いて、商業的な目的のみにより開発された地区ほど詩情に乏しいものは無い様に感じられる。その詩情の乏しさは、ひとえに「さわがしい」という点に起因する。その「さわがしい」のは、聴覚的にだけでなく視覚的にもである。
具体的には、過度の広告行為が挙げられる。渋谷の街などで、アイドルの新譜を大音量で広告する車を見かけるが、あれ程あさましいものはない。道行く人の親密な会話を破ってまで行う広告は、本来、人に一番近いものであるはずの「うた」への冒涜にも思える。また、延々と続く録音テープの客引き。あれを聞くと、殆ど絶望に近い気持ちになる。
「にぎやか」ならば良い。楽しいし、好きだ。詩的ですらある。けれど、機械の発する電子音、作動音が人の音を覆い尽くしてしまった「さわがしさ」に詩は感じない。そんな所に、人の尊厳も誇りもあるものかと思う。また、繁華街の、真夜中を真昼の様に照らす過度の照明、ネオンサインには非常に気が滅入る。沈黙・静寂を騒がしさの下に埋め、闇を光により押し潰している様な街の風景は、まるで空白に怯えているかの様だ。
お金と資産とは、人が人からものやことを買うための約束事である。それと同時に、権利でもある。お金があれば、ものやことを手にすることが出来る。そして、物質的豊かさが社会的地位となりうる世の中に於いて、金権は絶大な力を持ち、そのことが拝金主義を助長する。
拝金主義による物質的豊かさの追求は、空白を恐れる。それは、空白には利益が埋蔵されているという強迫観念による。そこで、物質によりその空白を埋める。ここで言う物質とは、消費される記号のことであり、それは本当の意味の食料でも衣類でも住居でもない。そんな物質に胸の奥の空白を埋めることは出来ない。むしろ、空白を広げる。しかし、その空白は気づかれず次第に忘れ去られる。いつのまにか、人はからっぽになる。そこは全くの真空であり、静寂の音楽は響くことはない。
その真空状態は、おぞましいことである。そこでは人から生気が抜け、動物としての美しさが失われている。そのおぞましい真空に空気を送り込み、人を健やかにするのが感情であり、生の歓喜である。それは、詩と美そのものだ。
私は、詩の作品たちが好きで愛読しているが、詩ほどに心を打ち、かつシンプルなものはない。詩とは花のようなものであると思う。花の美しさには、媚びや おもねりや 衒いが無く、圧倒的な純粋さを持つ。そしてその純粋さが私たちの心を打つ。その様な詩の力を、私は信じている。従って、生活に詩性があることはとても重要なことに思える。
詩性は、生活の様式の上に立つ。その生活の様式に一役(それも、とても大きな)を買うのが建築であり、その建築の様式である。建築の持つ責任は大きな強度となる。そして、様式とは作られてゆくものである。
私は、花がそうであるように、私たち自身に誠実であり、人間の尊厳に誠実である建築を創りたい。その様に、歴史の紡ぎ手の一人となりたいと、建築を志す者として思う。
(了)
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