Tumgik
#細川政元
daruma1004 · 4 months
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みんな知らない「実は略語」の言葉をまとめました。詳しくは...
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食パン:主食用パン
食パンの語源に関しては複数ありどれが正しいかわかりませんが、有力な説を2つ紹介します。1つは、「主食用パン」の略。パンが日本に入って来た当時はイースト菌などもなく、比較的小さな菓子パンだけが作られていました。それからパンが大きく膨らむようになり、米の代わりになり得るようになったため、「主食用」と名付けられました。もう1つは、消しパンではない「食べられるパン」の略。昔は美術のデッサンなどでパンを消しゴム代わりに使用していたためです。
ブログ:ウェブログ
ウェブサイトの一種で日記形式のもの。英単語でも”blog”がありますが、もともとは”Web”と記録を意味する”log”が合わさった言葉である”web log”の略です。
軍手:軍用手袋
元々軍隊用の手袋として使われていたためです。日露戦争の際に、寒冷地を戦場とする兵士に支給するために考案されたものです。その後、荷物運搬や土いじりなど日常生活で使われるようになりました。
演歌:演説歌
元々は自由民権運動の政治運動家(壮士)たちが演説の代わりに歌った壮士節が始まりとされます。1930年代にジャズやクラシックが大衆歌に組み込まれていき、歌詞も政治とは関係のない叙情詩的なものに変わっていきました。
教科書:教科用図書
主に小・中・高および特別支援学校などで学ぶ時に配布される中心的な教材のことで、「教科用図書」の略です。教科書と教材の違いは、文部科学大臣の検定に合格したものが教科書と呼ばれます。
チューハイ:焼酎ハイボール
焼酎とハイボールを組み合わせた「焼酎ハイボール」の略語。焼酎やウォッカなど無色で香りのない酒類をベースに、炭酸で割ったものを一般的に指しますが、炭酸ではなくウーロン茶で割ったウーロンハイもチューハイの一種です。
ジャガイモ:ジャガタライモ
ジャガイモはそもそも南米原産の食材であり、日本には16世紀末にインドネシアのジャカルタからオランダ人により伝えられました。そのため当時は「ジャガタライモ」と呼ばれていましたが、後に略されていきました。ちなみに日本では中国語由来の馬鈴薯とも呼ばれます。
ワイシャツ:ホワイトシャツ
主に男性が背広の下に着るシャツのことですが、元々は和製英語である「ホワイトシャツ」の略。よく「Yシャツ」と記載されることがありますが、これは完全に当て字です。一方で、「Tシャツ」はアルファベットのTの字に似ているためこう呼ばれるようになりました。
割勘:割前勘定
友人との飲み会などでよくある割勘は「割前勘定」の略。割前とは分割してそれぞれに割り当てることを意味する言葉です。江戸時代後期の戯作者で浮世絵師として有名な山東京伝が発案されたと言われており、当時は「京伝勘定」と言われていたそうです。ちなみに世界的に見ると割勘の文化は少数派で、男性や年上が払うのが一般的のようです。
カラオケ:空オーケストラ
歌のないオーケストラの意味で、「空(から)オーケストラ」から「カラオケ」と略されました。カラオケは日本で1960年後半に誕生したとされ、その後世界に広がっていきました。そのため英語でも”karaoke”と書きます。ちなみに中国語では「卡拉OK」と突然アルファベットが出てくる不思議です。
バス:オムニバス
ラテン語で「すべての人のために」という意味の「オムニバス」が語源で、フランスの乗合馬車の発着所の雑貨屋の看板に書かれていたことに由来します。そこから多くの人が利用する乗合自動車をオムニバスと呼ぶようになり、その後略されました。
リストラ:リストラクチャリング
英語で「再建」を意味する”restructuring”から略されたものです。リストラと聞くと人員削減をイメージしますが、本来の意味は事業構造を再構築することです。その中の一環として、人員削減が起こります。
リモコン:リモートコントロール
英語で「遠隔操作」を意味する”remote control”から略されたものです。TVなどに向かってリモコンから赤外線をデジタル信号で送ることでチャンネルや音量などを操作することができます。
ソフトクリーム:ソフト・サーブ・アイスクリーム
海外では「柔らかいクリーム?」となり伝わらない和製英語です。英語では” soft serve icecream”であり、ソフトクリームサーバーの製造などを行っている日世の創業者・田中穰治が日本でソフトクリームを広めるのにわかりやすくするために省略したとされています。
ペペロンチーノ:アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ
唐辛子をオリーブ油で炒めたパスタ料理。正式名称は「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」と言います。イタリア語で「アーリオ」は「ニンニク」、「オーリオ」は「オリーブオイル」、「ペペロンチーノ」は「唐辛子」を意味しています。
経済:経世済民
中国の晋朝について書かれた歴史書である『晋書』に書かれた「経世済民」を略した言葉です。現在の政治と同じような意味で昔から使われていました。明治以降、”economy”の訳語として頻繁に使われるようになったようです。
首相:首席宰相
首席はトップを意味し、宰相は辞書で調べると「古く中国で、天子を補佐して大政を総理する官。総理大臣。首相。」と載っています。首相の言葉の中に首相が含まれている二重表現のような言葉です。ただ「首相」は日本国憲法に記載された言葉ではなく、報道などで使われる内閣総理大臣の通称です。
���手:切符手形
お金を払って得た権利の証明となる紙片のことを古くから「切手」と呼んでいました。日本の近代郵便制度の創始者である前島密が、“郵便物に貼って支払済を表す印紙”に「切手」という言葉をそのまま当てたそうです。
出世:出世間
元々は仏教語で、仏陀が衆生を救うためにこの世に出現することを指す言葉で、「出+世間」でした。そこから略され、日本では僧侶が高い位に上ることを意味するようになり、世間一般でも役職が上がることなどを指す言葉となりました。
断トツ:断然トップ
2位以下を大きく引き離すことを指す言葉ですが、元は「ずば抜けて」の意味を持つ「断然」と首位を表す英語の”top”が合わさった言葉の略。そのため「断トツの1位」という表現は二重表現になります。
押忍:おはようございます
朝の挨拶である「おはようございます」から「おっす」と短くなり、さらに「おす」へと略されました。そこから「自我を押さえて我慢する」という意味を込めて「押忍」という漢字が当てられました。
デマ:デマゴギー
大衆を扇動するための政治的な宣伝を意味するドイツ語の「デマゴギー」を略したものです。元の意味の通り、政治的な意味合いを持つ言葉でしたが、昭和になってから、単純に「嘘」や「根拠のない噂」の意味で使われるようになりました。
おなら:お鳴らし
屁を「鳴らす」の名詞である「鳴らし」に「お」をつけて婉曲に表現した言葉で、そこから一文字略されました。元々の言い方の方が上品な感じがあって良いですよね。というのも、一般庶民は昔から「屁」と言っていましたが、宮中に仕える女房たちは隠語として用いていたためです。
電車:電動客車
電動客車をより細かく表現すると、「電動機付き客車」または「電動機付き貨車」となります。電車は架線あるいは軌道から得る電気を動力源として走行しています。
電卓:電子式卓上計算機
計算機という本来役割を表す意味の言葉が略されています。1963年に世界初の電卓が登場し、1964年に現在のシャープから日本初の電卓が発売されました。当時の価格は53万5千円と車を買えるほどの値段でした。今では100均で売られているものもあるのに驚きですね。
ボールペン:ボールポイントペン
英語で”ball-point pen”と言い、これを略した言葉です。ボールという単語が使われている理由は、ボールペンの構造上、先端に小さな回転玉(ボール)があるためです。
インフラ:インフラス��ラクチャー
英語で「下部構造」や「基盤」を意味する”infrastructure”から略されたものです。電気・ガス・水道・電話・道路・線路・学校や病院などの公共施設など、私たちの生活に欠かせないものを指す言葉となっています。
シネコン:シネマコンプレックス
「コンプレックス”complex”」が「複合の」を表す英単語で、同一ビル内に複数のスクリーンを備えた複合型映画館のことを表します。国内の代表的なものとしては、TOHOシネマズ、イオンエンターテイメント、MOVIX、ユナイテッド・シネマなどがあります。
シャーペン:エバー・レディー・シャープペンシル
シャーペンが「シャープペンシル」の略ということを知っている方は多いと思いますが、実はこれも略語。1838年にアメリカで「エバーシャープ」という筆記具が登場し、その後1915年に現シャープの創設者である早川徳次氏が国内初となるものを考案し、「エバー・レディー・シャープペンシル」という商品名をつけヒットさせました。
ピアノ:クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ
イタリア語で「小さい音と大きい音を出せるチェンバロ」という意味です。いつの間にか「小さい音」を表すピアノだけに略され、楽器を表す名詞となりました。元のピアノの意味は今でも音の強弱を表す「メッゾピアノ」や「ピアニッシモ」と合わせて音楽記号として使われていますね。
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xf-2 · 1 year
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記者である私、石井孝明が脅される
在日クルド人が彼らの問題行為を報道する記者、私、石井孝明を脅迫した。1日午後、携帯電話をかけてきて喚いた。その中には、私の体に危害を加えると受け止められる言葉があった。私は警察に連絡し、現時点で警察が介入した。
これ以上は詳細を明かさない。事件が警察案件になっているためだ。そして相手が何をするか不明であるためだ。ただし事件の存在を公にすることで、在日クルド人に関わる人への注意喚起と、他人の注意の目を増やして私自身のの身の安全を図ろうと思う。
ただし、どう自分で振り返っても、私は他人に批判されるべき行動はしていない。また脅迫は怖いが、私はそれに屈するつもりはない。在日クルド人の多くは「難民」と自称しているのに、日本で暴れ、日本人記者を脅迫するとは異様だ。遵法意識のかけらもないし、彼らの行動を放置すれば日本社会が壊れるだろう。
事件の背景−報道により憎しみを受ける
私は、今年5月から、埼玉県南部に集住する在日クルド人の行状と、住民との間で起こしているトラブルを取材している。彼らの住民への迷惑行為、違法行為について、私の見聞した事実を伝えてきた。埼玉県南部の日本人たちが、彼らの行動に苦しんでいる。
8月になってようやく一部メディアが報道を始めた。ところが地元紙の埼玉新聞をはじめ、大多数のメディアがこのトラブルに今でも沈黙し、行政、警察の動きは鈍い。その事実に私はいきどおりを感じ、孤軍奮闘の状態で、無償で自分のサイト、SNSで報道をしてきた。クルド人の怒り、日本人からの「差別」などの批判はあった。はっきり言って、不快で怖かったが、「埼玉県民を守るために自分の仕事であるペンの力で情報を広げる」という使命感で、報道を続けた。
そして「クルド人問題を解決しなければならない」という世論の流れを少し作った。自慢するのは嫌いだが、この行為にある程度の評価はいただいていいと思う。ただし結果として私だけが目立ち、在日クルド人の憎しみを受けている。もちろん私は主に事実のみを伝え、「クルド人・外国人を排撃しろ」などの主張はしていない。それどころか、日本人による過剰な外国人排撃運動を批判し、「日本人による差別行為は許されない」と主張した。
そして埼玉県民や、地元政治家の努力により、状況は少し動き始めた。私の行動はこの動きの小さな一部に過ぎず、主役は彼らだ。産経新聞によると、埼玉県川口市の奥ノ木信夫市長が1日、法務省を訪れ、不法行為を行う外国人について厳格に強制送還することなどを求める要望書を斎藤健法相に手渡したことが分かった。
報道によると、要望書では、クルド人の現状などを説明。難民認定申請中で、入管施設への収容を一時的に解かれた「仮放免」のクルド人が市内に相当数いるとして、行政サービスの提供を国の責任で判断することも求めた。
同市議会は6月、一部のクルド人を念頭に、国や県などに「一部外国人による犯罪の取り締まり強化を求める意見書」を可決し、警察官の増員や犯罪取り締まりの強化を求めている。このまま問題解決による変化を期待したい。
絶対に謝らないクルド人−日本人との共生は無理
この脅迫では、彼らは日本語が読めない、また話せないために、私の話を誤解していた。誤解で殺されたらたまったものではない。また情報をやり取りするために、クルド人の会社経営者(名義は妻)1人だけに携帯の番号を交換した。この人物は、後に私の報道を批判し、この携帯の番号を脅迫者に漏らした。クルド人を信じた私が愚かだった。裏切られたわけだ。この人物も、警察の監視の対象になっている。
私に対する在日と海外からのクルド人の罵倒は、合計で20件ほどになった。カタコトの日本語で「糞」「バカ」「豚」「犬」という幼稚で下品なな言葉を垂れ流す文章だ。イスラムでは、豚と犬は一番汚い罵り言葉らしい。彼らはトルコ語、クルド語でも送ってくるが、誤字だらけなのか翻訳ソフトにかけても翻訳できない。教育の水準がわかる。在日クルド人の大半は小学校以上の教育を受けているか、怪しいとされる。
さらに、これまで在日クルド人に、対面、もしくはSNSやメールで15人ほど、海外在住のクルド人と10人ほど、やり取りした。約25人の全員に「日本でのクルド人の迷惑、違法行為をどう思うか」と聞いた。「クルド人は態度を改めなければいけない」と返事をした人は1人のみ。残りからは一つも反省の言葉もなかった。「日本人もやっている」「小さなこと」「私はやってない」「なぜ他の外国人も悪いことをしているのにクルド人だけを批判されるのか」「我々は差別されてきたことを考えろ」「悪いことをするのはトルコ人だ」という返事で、責任を転嫁し、話をずらした。そのまともな返事をした1人は上記の経営者だが、その人物は私を騙した。
これが在日クルド人の姿だ。このような人々が自発的に日本人への迷惑行為を変える可能性はないだろう。私は5月の段階の報道ではクルド人との「共生」を唱えていた。しかし今では、在日クルド人のが「良き日本人」になることは無理と思っている。絶対に、日本に馴染まない人がいるのだ。まともな人はいるのかもしれないが、私は出会っていないし、他人を脅迫する人が一定数混じる集団は日本にいる必要はない。
日本政府は粛々と法律を適用し、違法滞在者、「難民」と嘘をつく人を、トルコに強制送還してほしい。そうしないと、彼らと暮らす日本人、埼玉県民、川口・蕨市民は永遠に苦しみ続ける。在日クルド人の一部には、おかしな人がいることを、日本人、日本在住の外国人は知り、警戒していただきたい。
石井孝明 経済記者 with ENERGY運営 ツイッター:@ishiitakaaki メール:[email protected]
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kennak · 1 month
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自民系の三世議員(市町村議員)です。 河井夫妻の事件について、元国会議員の豊田真由子さんや、金子恵美さんが地元でのカネ配り(先輩議員に地方議員にカネ配れとアドバイスされた)について発言しているので、地方議員側からの話をします。 もともと、業界には与野党問わず「目配り、気配り、カネ配り」という言葉があって、この3つができる政治家が優秀な政治家だとされていました。 でもそんな話は中選挙区時代(~1993年)であって、今はこの言葉すら死後になっています。 中選挙区時代のはなし 今の話をする前に、すこし中選挙区時代の話をします。カネ配りはこの時代に盛んに行われたので。 中選挙区制は選挙区の人口によって定数が決まっていて、選挙の上位2人~6人くらいが当選します。なので、ひとつの選挙区から同じ政党の候補者が何人も出馬します。たとえば群馬3区では当選議席数が4で、自民党からは3人(福田、中曽根、小渕)が出馬します。 有権者や、地方議員からすると、同じ自民党の候補者なので、3人に基本的に政策に違いがありません。3人の候補者は政策的な差別化が図れないので、「あの道路は俺が作った」みたいな、どれだけ予算を地元に持ってきたか(利益誘導政治)がアピールポイントになります。さらにその先が、直接的なカネ配りだったり、選挙事務所での食事だったりするわけです。とにかく政策では差がないので、政策以外の差が得票になるのです。 旧群馬3区では選挙メシも有名でした。福田料亭、中曽根レストランとwikipediaの「上州戦争」でも書いてありますね。私の選挙区でもオヤジの話を聞くと、昔は選挙事務所で鰻重が出た、なんて聞きます。うなぎ食べたい。 参議院の選挙は都道府県によっていまでも中選挙区制なので、制度的にはこうなりやすいです。現に河井さんの広島も改選2議席で、自民から2人でたからね。しかもアンリさんは新人で実績(利益誘導)をPRできないから。 政治改革 戦後、そんな選挙がずーっと続いていたのですが、1988年のリクルート事件が発覚して、カネと政治をめぐる事件が立て続けにおこりました。それで、なんでこんな金権政治になるんだろうと考えたところ、中選挙区制が原因じゃろう、となったのです。 派閥の親分が無理してカネを集める→系列の国会議員に配る→地元でカネが飛び交う のが中選挙区制の行きつく先だったのです。 それでついに1993年の選挙で自民党は大敗し、細川護熙内閣が誕生します。細川内閣は、政策も理念も異なる8会派が集まってできた内閣で「8頭立ての馬車」、7政党に大臣ポストを振り分けたので「レインボー内閣」なんて言われました。この内閣の唯一の政策の共通点は「政治改革」で、結果としてこの内閣のもとで中選挙区制をやめて、小選挙区制にします。 このときに行われた政治改革のポイントは2つです。1つは小選挙区制(1つの選挙区に各政党は1人しか公認しない)にすることで、カネではなく、政策で勝負する選挙構造にすること。もう一つは政治献金に大きな規制を設けることで金権政治の元凶であるカネ集めをできなくする、その代わりに税金から政党交付金(約300億円)をつくってこれを各政党に分配するということでした。 いまの状況 この政治改革から約30年、選挙は確実に変わりました。カネ配りも、選挙事務所での豪華メシもなくなりました。石破茂さんも雑誌とかメディアのインタビューで「小選挙区になって、お金は確実にかからなくなった。誰でも議員に挑戦できるようになった」、「中選挙区制だったら私は議員を続けていられなかっただろう」って何度も言っています。そりゃそうだよね、自民党から1人しかでないなら、カネ配んなくても地方議員はその人応援しないといけないもん。 だから、我々自民党の地方議員も、河井夫妻の事件をみてビックリしています。なんて昭和なんだろうって。うちのじいさんのときの話みたい。 んで、本題に入りますが、もちろん、地元の代議士からお金をもらうことはあります。年間10万円くらい。 正確には、党勢拡大のための組織活動費として、自民党選挙区支部(代議士が支部長)→自民党地方総支部(代議士か県会議員が支部長)→自民党市町村第XX支部(増田が支部長)という形でお金がきます。このお金は政治資金規正法に則り、年にいくらもらって、年にいくらつかったかを報告義務があり、その収支報告書はウェブでも公開されています。もちろんお金を受け取ったら領収書を発行します。 地方議員は国会議員と違って、給料以外の集金の手段(政治資金パーティーや政党交付金)を持たないので、基本的に活動はすべて自腹です((野々村竜太郎県議が城崎温泉に行って有名になった、政務活動費という税金が原資の経費があるが、一連のスキャンダルで使途についてチェックがえらく厳しく、文房具か交通費か広報紙くらいにしか使えない。せめて議員として招かれる団体の会合の参加費には使わせてほしい。))。一方で国会議員は給料以外に、文書通信費で1200万、立法事務費で800万、派閥から数百万、党本部から2000万(政党交付金)、パーティーで2000万と、だいたい年間6000万くらい集金できるので、それを原資に活動しています。どこの選挙区でも、与野党問わず、国会議員の支部から地方支部(=地方議員)に組織活動費を出します。代議士は国会が開かれる1~7月、10~12月は永田町に行っていて、週末しか地元にいませんので、その間、地元で党を守り、地域の声を直接聞くのは地方議員ですから。会社組織でいうなれば、本社から支店に補助をだしてるみたいなイメージ。 冒頭の豊田真由子さん、金子恵美さんの発言(先輩議員から地方議員にカネ配れとアドバイスされた)はこの収支に報告義務のある組織活動費の話と、領収書なしの裏金であるアンリさんのお金を混同していて、センスのなさを感じます。きっと、彼女たちはパーティーで集めたお金や、政党交付金を自分1人でガメていて、こうした党勢拡大の組織活動費を地方支部に出さなかったんでしょう。そりゃ落選するわ。 とまあ、河井夫妻の事件は自民党の地方議員もびっくりしているので、当たり前とは思わないでほしいです。 とはいうものの でも、仮にうちの代議士が、去年の統一選挙直後に「当選祝いです。領収書はいりません」といって、30万持ってきてたら受け取っちゃうよなーとはちょっと思う。 選挙ってそれほどつらくて厳しいもの(ほんとに毎回憂鬱になる。新人候補が思ってたよりつらくて途中でやめるのはよくあること)で、カネもかかるから金銭感覚もマヒしているし(普段なら絶対30万なんて怪しいとおもうけど、選挙で多額の金を突っ込んでるから感覚がマジでマヒしている)、当選の直後なんて超絶な解放感で有頂天だし(4年に1回の選挙、オリンピックでメダルをとった感覚をイメージしてほしい)、単純に「あっ、どうも、気遣いありがとうございます」って感じでご祝儀として受け取っちゃう。受け取ったときに「奥さんの集票のため」なんて思わない。広島の地方議員や首長が軒並み「集票のためとは思わなかった」って見苦しい言い訳してるけど(私ですらそう思うから、一般の人からするとマジで見苦しい言い訳にしか見えないだろう)、当事者だったらマジでそう思ってると思う。
自民系の地方議員です。カネ配りについて書きます。
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hachikenyakaiwai · 7 months
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【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
難波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之助、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、大抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害に遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ラン��順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前頭)、米屋喜兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋の商家は軒並み焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸めざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(コメント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及んだこと、そして住友の親類の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また飢えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸・京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩平八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内昌之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見六竹の筆記)には、この���は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域を出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野太郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
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elle-p · 3 months
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Persona 3 Movie Midsummer Knight's Dream blu-ray interview.
劇場版「ペルソナ3」第2章
インタビュー
熊谷 純 (脚本)
田口智久 (シリーズ演出・第2章監督/第4章監督)
足立和紀 (プロデューサー)
第1章では、主人公である結城理の笑顔を見せるというテーマがありましたが、第2章はどのようなコンセプトのもと制作されたので しょうか?
足立和紀氏(以下、足立): 第1章で笑顔を取り戻した理が、仲間たちとどのような夏休みを過ごすのかが第2章のテーマです。より踏み込んだ言い方をすると、第1章ではある理由 で死に無頓着だった理に仲間ができ、その守るものができた理に死を突きつけることが非常に大きなテーマになっています。
田口智久氏(以下、田口): そうしたコンセプトをくみ取りつつ、第2章では劇場作品ならではの間やフィルム感というものを重視した作りを心がけ ました。
具体的にはどういった部分になるのでしょうか?
田口: たとえば、登場人物がただ歩いているシーンやドアを開けて部屋に入るシーンなど、我々の間では“段取り”と呼ばれる部分を多く描いています。普通はカットするようなシーンなのですが、あえてそこをしっかり描くことで、キャラクターの心情を見てくださる方に伝えやすくなると思ったわけです。
熊谷さんは脚本という立場で、第2章のなかでとくに気を遣って描かれた部分はありますか?
熊谷純氏(以下、熊谷): 第2章は描かなければいけないシーンがとにかく多いんです。たとえば、荒垣真次郎と天田乾の関係、アイギスやストレガの登場、屋久島旅行などそうですね。それら別々のセンテンスを、いかにうまくつなげて1本のストーリーとして仕上げるかという点は、脚本を書く際に注意を払った点です。第1章と比べても難しかった記憶がありますね。
第1章と比べて、第2章ならではの苦労もあったかと思いますが、いかがですか?
熊谷: やはり、登場人物が多いのは大変でしたよ。戦闘シーンなどでも、気がつくとセリフのないキャラクターがいたりして、できるだけ全員にしゃべらせるよう意識して書く必要はありました。とくに人間の言葉を話せないコロマルの扱いには苦労しましたね(笑)。
田口: コロマルは身長も人間よりかなり低いので、仲間全員が映るシーンなどでは、意識して構図を考えないとフレームから外れてしまうこともあって大変でした。
足立: 犬ならではのアクションもあるので、見栄えのするキャラクターでもあるんですけどね。第3章以降でも見せ場となるシーンはあるので、コロマルファンの方は楽しみにしていてください。
逆に、登場人物が増えたことで楽になった部分などもあるのでしょうか?
田口: ありません(笑)。単純に人数が増えれば描かなくてはいけないキャラクターが増えるので、作業としては大変ですね。
熊谷: 1度、打ち合わせのときに田口監督から「戦闘メンバーは4人にして、ほかは留守番をしていることにしましょうか?」って相談されたことがありましたね(笑)。
田口: ウソ!?
熊谷: あったよ。俺は覚えています。気持ちはわかるけど、この人は何を言っているんだろうって思いましたから(笑)。
田口: 本当ですか?記憶にないなぁ。でも、気持ちをわかってもらえたなら(笑)。ただ、第3章の絵コンテを拝見させてもらったのですが、人数が多いのにすごくスマートにまとまっていて、さすが元水永慶太郎監督だなぁと思いました。
熊谷: ストレガとの願いなどは、9人対3人みたいになって、ストレガがかわいそうになりますよね笑。
足立: 確かに人数的には苦難というイメージになりにくいんですね(笑)。
戦闘、日常含め、さまざまなシーンがありましたが、なかでもこだわったシーンはどこでしょう?
熊谷: 俺は、タカヤが影時間に迷い込んだ一般人に銃を突きつけるシーンは気に入っていますね。タカヤももちろんペルソナ使いなんで、彼は本当は銃なんて使う必要ないんです。でも相手に明確な「死」を突きつけるために、あえて物理的な手段をとってる。そのあたりはこの作品の検底のテーマにも繋がってる気がして、印象深いところです。
田口: 僕にとっては、すべてが見てもらいたいシーンなので、どこか1つというのは難しいのですが、やはり冒頭の戦闘シーンには力が入りましたし、あとは屋久島で理とアイギスが初めて出会うシーンもこだわって作りましたね。
足立: 僕もそれらのシーンは、自信を持ってみなさんにお届けできるお気きなのは、天田がお墓参りをするシーンですね。あの長尺のワンシーンは非常に田口監督のこだわりを感じますし、天田の葛藤が決意に変わる間を描けていて、劇場作品ならではのシーンだと思います。
田口: そういっていただけると、かんばって30秒もの長尺を使ったかいがあります。
足立: でも、本当は1分使いたかったんですよね?
田口: 1分使うつもりだったんですけど。編集スタッフに止められてしまって(笑)。
第2章は、荒垣の死も大きなウェイトを占めるシーンかと思いますが、いかがでしょう?
田口: あのシーンは、天田役の緒方恵美さんがすばらしい演技を見せてくださって、そこに絵を合わせる形で制作したシーンなんです。息継ぎの部分も細かく描くなどこだわったぶん、緒方さんにも気に入っていただけたようですし、なにより劇場まで足を運んでくださったみなさんの心に残るシーンに仕上がったのではないかと感じています。
熊谷: そのシーンは、第2章における大きなエピソードですが、ゲームのままに再現すると荒垣と天田だけで完結してしまうシーンでもあるんです。この作品は、あくまで主人公である結城理の物語なので、そこにいかにして理をからませられるかは苦労したところですね。苦労したぶん、理の人間的成長に繋がるシーンになったと思っています。
足立: ラストはたしかに胸を打つシーンになっていますが、個人的にはエンディングまでの流れも含めて1つのシーンとしてすばらしい演出になっていたと思っています。エン ディングに流れた「One Hand, One Heartbeat」という曲は鎮魂歌をテーマにして作られているんですが、川村ゆみさんの歌唱も相まってすばらしい曲だと思いますし、なにより劇場でみなさんがすすり泣く声を実際に聞いたときの印象が強く残っていて、それらをまとめていいラストになったという実感を持ちました。
たしかにエンディングの曲は感情に訴えかけるものがありました。
足立: あの曲は、第2章の劇伴も制作していただいた小林哲也さんが手がけた楽曲なのですが、小林さんはぺルソナ関連のライブでもバンドマスターを務めるなど、『ペルソナシリーズ』の音楽に精通された方です。それだけに、お客さんにも好意的に『ぺルソナシリーズ』の楽曲として受け入れてもらえたのだと思っています。「One Hand, One Heartbeat」も、決して泣かせる曲ではないと僕は思っています。それでも、とくとくと語りかけるような静の曲調が、あのラストシーンとマッチしたことで、みなさんの感情を揺さぶる名曲になったのではないでしょうか。
ほかにも第2章では、シャドウではない人間の敵である“ストレガ”が登場しました。
田口: ストレガの3人は、『ペルソナ3』という作品をとおしての敵となる存在なので、とにかく強く印象づけなければいけないという思いがありました。そうした小者感をただよわせてはいけないという考えが、チャリオッツ戦における演説のシーンにつながっています。あのシーンを描いたことで、理の心情を揺るがすことができ、敵としていいスタートが切れたのではないかと思っています。
熊谷: 第2章がはじまる時点では、まだSEES.のメンバーの中にはシャドウと戦うことへの明確な意義を持っていない者もいます。一応それなりの理由はあるんだけど、なりゆき感が強いっていうか。そこに、明確な戦う意義を持ったストレガが現れたことで、彼らはもう一度自分と向き合わなければならなくなる。そういう意味で、ストレガってS.E.E.S.が一段階上に行く為にも必要な敵なんでしょうね。
チャリオッツ戦で思い出したのですが、アイギスのオルギアモードの効果時間はあんなに短いものなのですか?
田口: いいところで使えなくなる、というのはある意味原作通りですよね(笑)、第3歳以降にもオルギアモードで戦うシーンってあるんですか?
足立: もしかしたら、最初で最後かも(笑)。
熊谷: 脚本には書いていませんが。自分的にはオルギアモードで戦っているシーンはありますよ。
田口: いや、それはちゃんと書いておいてくださいよ(笑)。
足立: そういえば、オーバーヒートのときにアイギスの声が機械音になるという案もありましたね。
田口: けっこうギリギリまでは機械音でした。ただ、やはりイメージと違うということでボツになりましたけど(笑)
ほかにも、それぞれにここは見てほしいというお気に入りのシーンはありますか?
足立: 僕は、荒垣がコロマルをもふもふするシーンは、アイギスが「家政○は見た」のようにのぞいているカットも含めて好きですね。
田口: 僕は、ハーミット戦が気に入っていて、あの戦闘ではS.E.E.S.のメンバーが作戦を立ててチームとして行動している雰囲気を出せたと思っているんです。それまでは、全員が固まって戦っていたと見える部分もあったので、あのシーンでチームにしての成熟を感じてもらえるとうれしいですね。
熊谷: 作戦といえば、俺は屋久島でのナンパのシーンは好きですね。あの無駄に力の入った作戦感は気に入ってます。きっと、あのとき失敗したことで「作戦は大切だ」と気付いて、ハーミット戦へとつながっていったんだと思います(笑)。
田口: 熊谷さんのなかではそういう構成だったんですね(笑)。
Blu-ray/DVDには、第1章と同じくディレクターズカットが挿入されています。具体的にどのようなシーンが追加されているのでしょう?
田口: 大きなシーンとしては、ハーミット戦のあとで荒垣が苦しみ出すシーンがありますが、そこでその場から離れた荒垣を真田が追いかけて言い争うというシーンが追加されています。あとは、理が夏休みを楽しんでいるという描写が点描で挿入されていますね。
足立: あとは、屋久島のシーンで桐条美鶴が父親の桐条武治にさとされるワンシーンが追加されています。どれも重要なシーンではあるのですが、上映時間や流れの関係でやむなくカットしたシーンを復活させているので、Blu-ray/DVDを見返す際にはそのあたりにも注目して楽しんでいただければと思います。
ここからは少し先のお話もうかがいたいと思いますが、第3章は田口監督から元永慶太郎監督にバトンタッチされるということですが。
足立: そうですね。絵コンテを見た感じでは戦闘シーンなどはすごくワクワクするような流れになっていましたね。田口監督から見て、元永監督はどんな監督ですか?
田口: たしかに、戦闘シーンはこれぞアニメーションのバトルという作りが見事な監督さんなので、勢いのある戦闘を楽しんでいただけると思います。ほかにも、最低限の要素でまとめるのがすごくうまい監督さんなので、不必要なシーンが一切ない構成で、テンポよく見ていただけるのではないかと思います。
足立: 田口監督は、劇場作品ならではの間などを積極的に作る監督だったので、また違った味が出るかもしれませんね。
熊谷: 知人が第2章を見たときに、田口監督は引きの構図が多いよねって言ってたよ。
田口: それは意図的に引きの構図を作っているんですよ。第1章のコンテをあとで見たときに、顔のアップが多すぎたかなと反省したんです。たしかに顔のアップは迫力があるのですが、情報量が少なくなってしまう。そこで第2章では、引きの構図を意図的に増やして、まずはお客さんにどういうシーンなのかをしっかり理解していただこうと思いました。そのなかで顔のアップのカットをとくに重要なシーンに持っていけば、より際立って印象に残ると考えたんです、とお伝えください(笑)。
その第3章ですが、どのような内容になりますか?
足立: 第2章が衝撃的なシーンで幕引きとなったので、冒頭のシーンに頭を悩ませました。あのムードを引きずった状態で始めてしまうと、立ち直るころには90分経ってしまいそうでしたからね(笑)。どのような始まり方になるかには注目してもらいたいですね。あとは、第2章に負けず劣らず描くべきエピソードが多いので、全体を通して見ごたえのあるシーンの連続になっていると思います。
熊谷: そうですね。物語の流れを重視してゲームとは少し構成を変えているので、そのあたりも楽しんでいただければと思います。
足立: あとは、新キャラクターである“望月綾時”がストーリーの中心となる存在なので、彼がどのような活躍を見せるのかと、主人公である理と同じく綾時も演じられる石田彰さんの演技、とくに理と親時の掛け合いは見どころの1つになると思います。
最後に、『ペルソナシリーズ』ファンに向けてメッセージをお願いします。
熊谷: 第3章は第2章と比べて、キャラクターの描写に時間をかける作りになっています。足立さんがおっしゃった理と綾時のほかにも、アイギスなども、じっくり描いているので、そこに期待していただきつつもうしばらくお待ちいただければと思います。
田口: 第2章は、限られた時間のなかであれだけの内容を消化しつつ、決めるところをしっかりと見せられたのではないかと思っています。とくにラストシーンは、キャストの演技にも応えられ、劇場作品としても見どころがあり単体でも楽しめる作品になったはずです。第3章までは、このBlu-ray/DVDをじっくり見返していただけるとうれしいですね。
熊谷: ちなみに、もし3章の次があったらまた監督やってみたいですか?
田口: それはもう、機会があればぜひ。
足立: すごく大変そうだったから、てっきりもうやりたくないものだと(笑)。
田口: そんなわけで劇場版「ペルソナ3」第3章もお楽しみに!
熊谷: そんなまとめですか(笑)。
足立: 第3章のサブタイトルは、“Falling Down”ということで“秋” と“堕ちる”をかけたタイトルになっています。テーマとしても、第1章では死に無頓着だった理が、第2章で死を突きつけられ、第3章ではその死をどう乗り越えていくかが描かれていて、タイトルにそった内容が展開していきます。この第2章Blu-ray/DVDをラストまでご覧頂き、この先どのように物語が進んでいくのかが気になった方は、第3章もきっと楽しんでいただけると思うので、期待してお待ちください。
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jaguarmen99 · 11 months
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菅直人という人間の卑怯さは知られていると思いますが、同じレベルのようです。 安倍元総理が亡くなって反論されないのを良いことに堂々と嘘を垂れ流す。第四列目の男と同レベルの卑怯なその人間性にはあきれます。 もし本人が生きていて名誉毀損訴訟されたら確実に負けますよ。 改めて森友の件は 近畿財務局がいわくつきの土地を処分するにあたって籠池夫妻を騙して金にならない土地を高値で売ろうとする。↓籠池夫妻が購入するためには小学校用地として買わせないといけない↓大阪府が小学校開設認可の基準を満たしていないのに森友学園を特例で認可(※近畿財務局の意を汲んだ?)↓籠池、すぐに地下埋設物に気付いて近畿財務局に土地をタダにしろ等ごね始める↓籠池、近畿財務局に圧力を加えようと政治家の名前を使う↓籠池の要請に安倍昭恵側は秘書が「ダメっすね」のゼロ回答、なお鴻池祥肇は口利きを行ったようだが詳細不明↓近畿財務局、揉めて年度内売却がこじれると失点になりかねないと考えたのか大幅値引きした形にして急いで籠池への売却を決定↓籠池、土地を入手 という流れで元々曰く付きだった土地を売却処分しようとした際に相手が籠池だったため話がこじれたというのがこの事件のキモです。 これをマスゴミと反日野党どもが「安倍と安倍昭恵による汚職事件」という話に仕立てようと騒ぎ立てました。 さらに問題を拗らせたのは佐川理財局長、のちの国税庁長官の答弁。 部下からの報告をきちんと理解せずにいい加減な答弁を行い、これが実際の状況と違うものであったため近畿財務局の職員達に辻褄合わせが押しつけられました。 佐川長官の答弁に合わせるため近畿財務局は資料の改竄へ。 だいたいこの改竄で削除された内容の中には「安倍総理と安倍昭恵夫人側が森友学園の件に関与していない事を補強する証拠」となる説明も入っていました。 森友学園の件でアベガーをやり続けている連中はこの「アベガーをするためには決定的に都合の悪い事実」を完全無視し続けています。 仮に安倍総理が自信の汚職を隠すために資料を改竄させたというのなら「自身を有利にする証拠を削除させて自身を不利な立場にする改竄を指示した」事になってしまいます。辻褄が合いません。
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ari0921 · 5 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)5月11日(土曜日)弐
   通巻第8249号
中国の軍配備は対外戦争だけに備えているのか?
  孫子の兵法なら中国の分裂を策するのが最も効果的である
*************************
 AI時代、生成AIとチャットGPTの開発競争とは、実質的に第三次世界大戦である。「AIを確立した国家が世界の覇者となる」というのはプーチンの預言だが、開発現場のエンジニアには技術の視野狭窄に陥って、機を見て森を見ない状況にある。
 とりわけ米国の開発企業にむけて唸るような投機資金の流入をみていると、現場にある発想は人類への貢献より、カネではないか。オープンAI、AI-X、エヌヴィディアなど、この先端分野の企業はすべてがアメリカ発である。
孫子の肯綮とは、「百戦して百勝するは、善の善なる者に非ざるなり、戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」(百戦百勝はかならずしも最善ではない。戦わずして敵を屈服させるのが最善だ)
 この基本原則を台湾統一にあてはめると。。。。
「上策」はTSMCをそのままのみ込む
「中策」が軍事小競り合いと武威の継続。心理的降伏。
「下策」は軍事衝突、しかしシナ兵は戦わない
中国はいまモラルを引締め、国内矛盾のすり替えに「祖国統一」を呼号している。
 西側はAI規制のルール作り乗り出した。日本も遅ればせ『セキュリティクリアランス』法が成立した。
ところが、まったく非協力的なのが中国とロシアである。アメリカはハイテクを中国に渡さない政策に狂奔してきたが、結果は『ザル法』だった。7ナノ半導体が中国に渡っていた。
なにしろ相手はスパイと模倣、不法盗取が得意技の国なのである。日本製部品はかれらの兵器に使われ、また新幹線も鉄鋼もリニアもみごとに盗まれた。
 AIは、いまや自動翻訳からロボット分野で革命的な進歩をもたらし、半導体、EVで中国の追い上げは凄まじい。特許の出願件数(特許成立件数ではない)では、中国がアメリカを抜いている。
 一方で、アメリカが分裂を深め、シン南北戦争に突入する危機が日増しに増大している。その兆しが不法移民、LGBT、BLM、中絶、銃規制、同性婚、そしてイスラエル支援か否か、をめぐって鮮明な対立を産んだ。
アメリカの分裂は中国とロシアに裨益する。過激な社会運動へ迂回路を通じて中国からの資金が入っていることは周知の事実だが、金融面での中国銀行への締め上げはようやく効果を見せ始めた段階である。
 ▼中国を七つに分裂させるという壮大な戦略を西側は立案すべきではないのか
 さてそうであるとすれば、西側が策すべきは中国を分裂させる戦略であろう。もとより李登輝元台湾総統は「七つに分裂する」と主張されてきた。チベット、ウイグル、南モンゴルに旧満州は別の国であり、ほかに華北(北京圏)、華中(上海圏)、華南(広東圏)に分かれる。合計ななつ。
 語呂合わせで言えばユーゴスラビアは七つに分裂した。スロベニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、セルビア、コソボ、モンテネグロ、北マケドニア。
 ソ連は15に分裂した。
 ロシア、ベラルーシ、ウクライナというスラブ枢軸とモルドバ、「バルト三国」(エストニア、ラトビア、リトアニア)、カフカスのグルジア、アルメニア、アゼルバイジャン、そして中央アジアイスラム圏五ヶ国(トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン)に。
 筆者は上記七分裂のシナリオに加えて蜀(四川省)、広西チワン自治区、雲南省も歴史的には別の国であり、香港、マカオ、それに事実上の独立国家たる台湾を加え,さらに細分化した地域に分かれると、シンガポールが「飛び地」で加わって緩やかな中華連邦となるとシミュレーションして『中国大分裂』(文藝春秋、絶版)を上梓したことがある。
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petapeta · 2 years
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六麓荘町(ろくろくそうちょう)は、兵庫県芦屋市の町名及び同地の高級邸宅街。「丁目」のない単独行政地名。 神戸市、大阪市および阪神間の市街地と瀬戸内海を俯瞰する六甲山地の南東麓斜面の海抜200 - 250メートル地点に位置する。1928年に払い下げられるまでは国有林で[5]、現在も芦屋市の自然環境の一部分を形成している。 芦屋の一部は元々、大阪財界人の別荘地として開拓されていた。六麓荘町の開発は、明治後半から大正時代にかけ、日本一の富豪村[6]と呼ばれた住吉村(現・神戸市東灘区)や夙川、香櫨園など近隣地域の影響を受けた延長上のものであった。1928年(昭和3年)から富商・内藤為三郎ら大阪財界人の手によって、国有林の払い下げを受けて当初197区画、数万坪にのぼる宅地造成を行ったことから始まった。六麓荘という地名は「風光明媚な六甲山の麓にある別荘地」に因み名付けられた。電線類地中化など先進的な街づくりが取り組まれた[5]。 六麓荘の開発は、1928年(昭和3年)に大阪財界人のひとり森本喜太郎が発起人になって、土地開発・住宅造成の会社である「株式会社六麓荘」を設立したことが始まりである。社長には上記の内藤為三郎、専務に森本喜太郎が就任した。この当時は、資金があまり準備できず、2人は協賛金や株の手付けなどの資金調達に専念した。 この地帯も国有林であったので、国有林の払い下げなどの運動については、法律に長けた取締役の瀬尾喜二郎が国との交渉にあたったとされる。 六麓荘開発のコンセプトは、この地を「東洋一の住宅地」とすべく香港の九龍半島やその対岸の香港島の白人専用街区をモデルに開発が行われた[5]。南斜面の起伏のある恵まれた地形を有効に利用し、スケールの大きな住宅地が形成された。例えば、細い山道にすぎなかった道を幅6メートル以上に拡幅して、1区画につき少なくとも300坪から400坪以上を標準とした。また、自然の地形を尊重した曲線道路により、住宅地全体が構成され、造成時に切り出された石材は石垣や石橋、庭石に利用。山林の赤松もできるだけ残されて庭木などに活用された。 敷地内に流れる山からの湧水を小川として取り込むほか、溜池や道路を流れる川には橋をかけた。さらに、特色として上水道は経営地の最高部に貯水池を設け、下水道はヒューム管を埋設。都市ガスも導入している。また、電気については、電柱が著しく風致を損なうとして、多額の費用をかけて日本で初めてとなる電線類の地中化が行われた。道路の保全と美観上の問題を含めて全面的な道路舗装を行い、安全面にも留意している。開発当初の1区画の敷地規模は、平均300 - 1000坪以上である。 六麓荘最大の特色として「六麓荘町内会」が開発直後から組織されていることが挙げられる。なお、「町内会」を別に「自治会」と称する事もある。町内会は環境保護・景観保護の為に、ある意味においては、治外法権的な役割を果たしており、町の住民は、開発当初から町内会独自の協定を設けて高級住宅街の維持に努めてきた。協定では、建物は一戸建ての個人宅に限り、新築と増改築には町内会の承認が必要である。 町内での営業行為は一切禁止しているため、マンションや商店、自動販売機は全くない[5]。町内会員により構成される六麓荘町内会(六麓荘土地有限会社)は、道路部分の土地所有権を有している。開発当初は道路を区分所有していたが、管理に限界があり、有限会社を設立することで共有財産とした。しかし、有限会社での自主管理にも限界があったために、芦屋市に無償貸与して市による管理が行われることになった。 新規居住者は、入居時に、町内会の入会金を支払いとともにこれとは別に月々の管理費を支払っている。これらの資金は、共有施設がある駐在所兼公会堂施設の維持・管理と町内会の活動経費に充てられている。新規入居者は、計画時に芦屋市から申請の内容が町内会に伝えられ、町内会でこれを承認するという手続きをとっている。セキュリティー面では、1930年(昭和5年)に町内会が無償で建物を提供して、芦屋警察署の六麓荘駐在所が開設された。 現在の建築条例(旧建築協定)は敷地面積を400平方メートル(121坪)以上とし、400平方メートル未満の面積への分筆も禁止され、用途は2階建以下の一戸建個人専用住宅に限られる。建物の高さは最高10メートルで、軒の高さは7メートル以下とし、営業行為も一切禁止で他にも色々な制限がある。 上述の厳しい制約から、賃貸契約や会社名義(社宅)としての利用が不可であると勘違いされる事も多いが、建築条例を充たした建物であれば居住形態の制限等は無い。賃貸(借家)住まいや社宅住まいの住人も数多く存在している。 バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災以後の近年では世代の交代や高額の相続税の支払いが原因で、土地を手放すケースが増加した。そのうえ前述している紳士協定に過ぎない「建築協定」では風致を維持することができなくなることが懸念されるようになる。そのため住民は強制力のある条例による景観保護を市に求めることとなった。 住民の要望を受けて芦屋市は「建築協定」をそのまま「条例」に格上げした「景観保護条例」を市議会に提出した。「景観保護条例」は、2006年(平成18年)12月22日の芦屋市議会で全会一致で可決されて、2007年(平成19年)2月1日から施行となった。通称「豪邸条例」として話題になった[5][7]。
六麓荘町 - Wikipedia
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kuribayashisachi · 1 year
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勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第2部「内戦」 第四章「未成の第二極」1~3 細かいメモ
野口良平『幕末的思考』みすず書房 第2部「内戦」第4章「未成の第二極」1~3 
きのう大まかに書いたことの、さらに書き留めておきたい細かいことどもをメモします。
【目次】
■中江兆民とルソー
■西郷に希望を託した若者たち
■会津藩士たち
■増田栄太郎と福沢諭吉
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■中江兆民とルソー
 中江兆民は、大久保に直談判して(司馬遼太郎『翔ぶが如く』で、中江青年が大久保の馬車を追いかけて、乗せてもらいながら売り込みをするシーン、印象的ですね。なんか、長い小説の中に、二回くらい、この同じシーンが出てきたような)岩倉使節団に随行する留学生としてフランスに学ぶ。
 ルソーの『社会契約論』に目を拓かれ、これを訳して日本に紹介するが……
まず、ルソーの思想とは。
ルソーの最初の著書『人間不平等起源論』では、「すべての人間が本来平等である」という。
我々をつないでいる身分制度の鎖を解き放て! と。
(高校生の時、これを聞いてときめいた。平等だったのか! しらんかった! 生まれつき高級な人と、わたしのようなどうしようもないのがいて、そういうことは運命的に決められているのだと思っていた! 民主主義の時代に生きてる私でさえそう思うのに、身分制度の時代に生まれてそんなことを考えたルソーって天才だ! と。うれしかった。平等なんだ!! わーいと思った)
だけど、どうだろう。どこまでも自由だとしたら、力が強かったり悪知恵が働いて良心のかけらもない人が、気の弱い人や体の弱い人を押しのけて、奴隷にしたり餌食にしたりするのも自由、ってことになる。そしたら弱い者には勝ち目のない地獄になる(今の日本のようですね)。
 この状態を、ホッブスは「自然状態」といって指摘した。
『人間不平等起源論』の七年後、ルソーはこれに答えるべく?『社会契約論』を書く。
強くて悪い者が好き放題する自由は、やっぱ困る。
で、こうまとめたそうだ。p176
《人間は、ルール(鎖)なしには自分を自由にする力を持たない。ルールには、正当化しうるもの(鎖)と、そうでないものとがある。》
その正当化しうる鎖とは、力ではなく約束。(じーん)
《正当化しうるルールの源泉とは、各人が自己保存と自己への顧慮を手放すことなしに、すべての人と利益を共有しうる結社の創設への合意(convention)すなわち「社会契約」である。》
しかし、難問が!
「えー。おれ強くて頭いいいから、好き放題してても困らない。ルールなんか従いたくないんだけど。自由がいい」という横暴な人たち(往々にして世の中の主流になる)を、どうやって約束の席につかせうるか。
ルソーは「立法者」というスーパーマンの存在を考え出して、この人になんとかさせようとしている。
中江も自分で考えた。
やっぱり答えは出ないけど、
徳が高くて強い立法者と、その補佐役がいたらいい!
とこのとき考えたそうだ。
そして、この立法者が西郷さんで、補佐役がオレ!
でも、中江の「フランスすばらしい!」は、航海中のベトナムでかげる。人権に目覚めたはずのフランス人が、ベトナム人に酷いあしらいをしている!
「人権を考え出したのはヨーロッパ人だが、実行するのはアジア人だ!」
しかしさあ、どうやって実現する? (むずい)
■西郷に希望を托した若者たち。
大久保たちの裏技を使ったやり方に敗れ、野に降った西郷。 (私としては、やめんでほしかった)
大久保たちのごり押し近代化(武士の禄を奪い、藩をなくし、誇りだった刀を強制的にやめさせ……)に異議申し立てせんという旧士族たちが、方々で叛乱を起こす。
(江藤新平のことももう少し知りたいなあ)
西郷は、慕ってきた子分たちと共に鹿児島で私学校を開いていた。
西郷自身は、ことを起こすことに対して慎重だったようだけど、 結局、大軍を率いて、東京へ押しかけ政府のやり方をあらためさせようと「挙兵」。
鹿児島を出発。
でも熊本で負けてしまい……。 明治10年9月、よくドラマに出てくる最期をとげる。
この節で、私が胸を衝かれたのは、
中江兆民世代の、ほんとに有望な人(小倉処平、宮崎八郎)、 迷える青年(増田栄太郎)らの戦死だ。
小倉処平は、 日向飫肥藩の仲間たちをひきいて西郷軍に参じた人望ある人。 かつては藩主に留学制度を進言し、選抜した青年たちを率いて長崎に学ぶ。のちロンドンにも留学。《英国仕込みの自由主義者であり、中央政府による急進的な近代化とは異なる、もう一つの近代化の可能性を探っていた人物だった。》p183 (滂沱)
宮崎八郎は、熊本荒尾村の庄屋の次男(実質長男)。 《人民の擁護者を任じる家風の中で育てられた》p179 (中岡慎太郎みたいね)
八郎は、はじめは、列強の理不尽への怒りや、政府の強引さへの不満から、征韓論に熱中し、征台義勇軍を組織するなど、物騒な感じだったが、中江訳『社会契約論』に目を拓かれる。
それがどうして、西郷の武装蜂起に参加?
→「キミの考えは西郷とは違うじゃないか、どうして西郷軍へ?」と聞かれて、 「西郷を助けて政府を倒してから、西郷を倒すんじゃ」 (西郷軍に身を投じた若者には、こういう人が多かったようだ)
けれどもどちらもならぬまま、戦死。
その克明な日記は、預かった人が川の徒渉に失敗して永遠に喪失してしまったと。 ……このシーン、小説のよう。 川の畔に立ち尽くしたような気持ちに。
■会津藩士たち
また、西郷軍を熊本で果敢に防いだ政府軍には、多くの有能な旧会津藩士が加わっていたことも記される。
極寒不毛の斗南藩へ送られたのち、一族を率いて新政府の警視庁に出仕した、元会津藩家老の佐川官兵衛は、阿蘇山麓で戦死。(呆然)
同じく元家老の山川浩は、西郷軍に囲まれた熊本城を後巻きして救出する。
いっぽうで、同じく会津藩士だった長岡久茂は、政府打倒を試みて、獄死していた。
両極に別れたように見える彼らの行動を 著者は、「同じ動機」によるものと記す。
《彼らが目指していたのは(略)──戊辰戦争が勝者のためだけに戦われたものではなかったことを自力で証明してみせることだった。》p179
■増田栄太郎と福沢諭吉
増田栄太郎は、福沢の又従兄弟にあたるという。
増田は遅れてきた攘夷青年。それだけに、「攘夷に落とし前をつけなくていいのか」という答えを求めていた。 殺してやろうと思っていた福沢から「敵である列強の良いところを学べ」といわれて、一時は慶応大学にはいるが、すぐに退学。郷里で結社を作ったり、新聞を発行したりする。 これらの手当たり次第のような闇雲なガッツは、《内心の葛藤の受け皿を手探りで構想する作業だった。》p186
(個人的には激しく共感;; むしろ出来ブツの小倉処平さんより。ああ、この人、もっと長く生きていればなあ、生き方は見つかったに違いないのに)
そんな「迷走」のさなか、増田栄太郎は、西郷軍が田原坂で敗退してから、わざわざ敗軍の鹿児島勢に加わる。
何を思って?
その死には諸説あるが、曙新聞は「不敵な笑いを浮かべて処刑された」と報じた。 最期に披瀝したといわれる増田の言葉は、「西郷先生バンザーイ」というかんじのもの。 探していた思想はどこへ……。(余計に悲しい)
西郷の死と、救えなかった増田の刑死報道に衝撃を受けた福沢諭吉は、『丁丑公論』を窃かに書く。 西郷の敗北ののち、世論がいっきに「西郷=賊」視したことへの激しい疑問から。
福沢は言う。
政府が専横になることは仕方ないことだが、あまり野放しにするととんでもないことに。これを防ぐためにも抵抗は必要だ。と。
かつて『文明論之概略』で、“難題を抱えていながらそれで乱れない(戦争したりしない)のが文明というものだ”と喝破した福沢だが、この文明論は、何の役にも立たなかった。
西郷の死は、福沢の思想に深みを与えたと、著者は言う。
これまでの『学問のすすめ』『文明論之概略』では、 眠りから覚めている自分が、眠りこけているみんな(愚民)へ呼びかけていた。
『丁丑公論』では、 眠りから覚めるのが「速かった人」と「遅い人」の差があるだけだと、福沢は気付く。
このことに福沢は
《おそらくサイゴンの中江篤介よりも、城山の増田栄太郎よりも、遅れて気づいたのである。》p189
心がどよめいた。
どうしてだろう。
すっきりしたような、著者の福沢評にようやく合点がいった、ような。
いやちがう。 利口者の福沢の真摯な“愕然"が胸を打ってくる。
利口で視野が広いがために、低い苦しみの地平からものがみえなかった。 凡百の利口者なら死ぬまでそれに気づかないだろう。
だがやっぱり福沢は本物だったのだ。
私はまことに直感的に、福沢は信用できなかった。 なんだってこう上から目線なのか。何を持って自分は上から見てるつもりになっているのか。と。
でも、福沢も、その不思議な「特権階級」にあぐらをかくような人ではなかったのだ。
西郷の死と、フラフラしているかに見えた若い増田の問い掛けを、心と頭脳を駆動して受けとめたのだ。
そこを(これまで福沢をすごくひいき?にしてるように見えた)著者にとかれて、
こういう利口者が、真摯にがっくり「膝を折った」音に、心を叩かれたのかもしれない。
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patsatshit · 1 year
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現代に蔓延する上っ面の多様性の背後には、互いに認め合い、尊重するためにはそれぞれがそれぞれに誰かの役に立たなければならないという暗黙の目配せがそこかしこに溢れている。取ってつけたような「弱者救済」というポーズの背後に、どれだけの排他精神が蠢いていることか。高齢者、子ども、障がい者、生活困窮者、クィアをある種の符号に落とし込んでマーケティングに利用するのは、いつだって政治的悪辣の最たるものである。本来は音楽という鐘楼に集いし落伍者たちの解放区として機能していたクラブやライブハウスに於いてさえ、いつしか高い倫理観が求められるようになり、暗黙のドレスコードにより、世にも奇妙な選民思想が根付き始めている。互いに認め合い、互いを支え合うことを前提とした空間に、自分のような人間の居場所がなくなりつつあると感じることが少なくない。音楽が爆音で鳴り響く暗闇のなかには聖職者もいれば犯罪者もいる、心優しき英雄もいれば屑のような悪党もいる、互いの胸のうちに共通するものは何もなく、もちろん自発的な歩み寄りもない。鳴り響く猥雑な音楽だけが両者を辛うじて暗闇の内側にとどめ、足もとの溝を埋めていく。いまの時代、そういう多元的な現場や空間はもはや存在しないのかもしれない。
(『僕のヒーローアカデミア』233話より)
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前置きが長くなってしまったが、タラウマラには日々、様々な事情を抱えた「世の人」たちが入れ替わり立ち替わり訪れる。それは決して居心地の良いものではないし、少なくとも当店にとって、彼らは何の役にも立たない。どちらかと言えばこちらのストレスになるだけだ。それでも彼らはやって来る。そういう人たちをこの社会から見えにくくしているのが無自覚なダイバーシティが夢想するユートピアであり、権力者たちが吹聴する「美しい国」の実態なのだと思う。
(世の人①:東淀川を代表するファッショニスタ)
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まず最初に紹介したい人物が、自他とも認める東淀川のNo.1ファッショニスタ、清水氏だ。氏の特徴を挙げるとすれば、とにかくオシャレ、ひたすらオシャレ、無慈悲にオシャレ。この人がひとたび領域を展開したら、その術式から逃れる術はなく、世の中で最も役に立たないゴミのような服飾情報を一方的に脳内に流し込まれ、結果、見事に誰もが骨抜きにされる。かつて偶然にもその場に居合わせたWD sounds のオーナーLIL MERCY氏さえも凍りつかせた脅威の人物だ。自身の首元を指して「これは希少なFENDIのネクタイだ」と豪語するので、恐る恐るネクタイ裏のタグを確認すると、なんとブランドロゴではなく素材を示すflannelの文字。どつくぞ。そんな清水氏の母親が昨年亡くなったのだが、ある日、沈鬱な表情でタラウマラを訪れた氏が朴訥と胸中を吐露し始めた(聞いてもいないのに)。ずっと母の介護に身を捧げてきた自分としては、親の死を簡単に受け入れることができず、いまは食事も喉を通らない。母が使っていたベッドの上で呆然と天を仰いで、そのまま朝を迎えることも珍しくない、日に日に自身の身体が痩せ細ってきたことを自覚しており、周囲の者からも心配されている、というような内容をエモーショナルに語る。さすがに気の毒だと思い、親身になって耳を傾けていたのだが、次の瞬間、この男の口から耳を疑うようなセリフが飛び出した。「俺はもともとスタイルが良いのに、これ以上痩せたらモデルと間違えられるんちゃうやろか。ほんでこのベルトもかっこええやろ?」。恐ろしいことに、またしても僕は氏の領域に引きずり込まれていたのだ。その後もお決まりのファッション自慢を嫌というほど聞かされ、全身から血の気が引いていくのを感じた。最愛の母親の死さえも、己のファッショントークの「振り」に使う正真正銘のク◯である。しかも亡くなって間もない、死にたての状況で。
(世の人②:東淀川のジャコメッティ)
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次に紹介したいのは、東淀川のジャコメッティ。ある日の営業日、下駄履きのおっさんがタラウマラに訪れ、店内の書棚を一瞥して咆哮した。「ここの本ぜんぶキミらが読んでるんか?やとしたら相当わかってるな!」。僕たちは当店取り扱い書籍はすべて自分たちで読んで、仕入れ、仕入れて、読んでいることを伝えた。するとおっさんの眼は鋭く輝き「キミらは大阪の文化を1ミリ底上げしとるな。大阪で1ミリってことは世界で1ミリってことや!気に入った!儂の家にある本を全部キミらにあげよう、今夜でも我が家に取りに来なさい」と快活に言い放った。その後もジャコメッティやカフカ、折口信夫について興味深い話を聞かせてくれた。おっさんの名は矢嶋博士、淀川とともに生きる彫刻家であり歌人であった。博士から自宅住所と電話番号を書いたメモを受け取り、タラウマラ閉店後にお伺いすることを約束した。博士は帰り際に「もし良かったら、儂の家にある本ぜんぶとキミらのジャコメッティを交換しよう」と言った。僕は何となく話題を逸らして、夜を待った。タラウマラ閉店後に近所のキンキーガールりんちゃんを誘って矢嶋宅へと向かった。ゲトーなアパートのゲトーな階段を上がりゲトーな玄関を開けると、果たしてそこは博士のアトリエ兼寝床であった。三畳一間に所狭しと並べられた謎の彫刻と珍奇植物、藁と見紛う敷布団とヘドロ化したホルモン、呑みさしの酒瓶、そしてあっち系のアダルトコンテンツが視界を過ったことは記憶に留めておこうと思った。博士は「何を突っ立っとんねん、腰おろして寛ぎなさい」と着座することを薦めてくれたので、僕は「どこに?」という言葉をかろうじて飲み込んで、藁のような敷布団に腰を下ろした。ぴったり寄り添うようにりんちゃんの背中がある。博士は1,000冊つくって50冊しか売れていないという自著『淀川。よ』(幻冬舎)を僕たちに1冊ずつプレゼントしてくれた。「芸術家なんて世間様に認められたら負けや。儂はいまの生活で十分幸せやから、死ぬまで作品を作っていくだけや。売れたいなんて思ったことない」という博士の言葉に負け惜しみや諦念は微塵も感じられず、寧ろ清々しい。りんちゃんの興奮が伝わってきた。僕たちは小一時間ほど色んな話をして、席を立った。「階段の上に本を置いてるから全部持っていきや!頑張れよ、若者たち」と言って博士は扉を閉めた。ゲトーなアパートのゲトーな階段の上に大量の書籍が置かれていたが、なんとその8割程度が司馬遼太郎の著作だった。ジャコメッティを交換条件として差し出さなかった自分を心から讃えた。僕たちは自転車のカゴに大量の司馬を積み込んで帰路に着き、その足ですべて「本の森」に寄贈した。
(世の人③:ラッパーの母)
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最後はタラウマラの元スタッフであるマリヲ君の実母を紹介する。この方は初来店時に食パンの差入れを持ってきてくれて、淡路商店街で食パンと言えば、当時の人気店「熟成純生 食パン専門店|本多」(2022年9月に閉店)のものに違いないと早合点し「そんな高級なやつ頂いて良いんですか?」と言うと「え?そこのイズミヤで買ったやつよ、え?こっちの方が良かった?」とテヘペロ。なんと僕には廉価食パンを差し出し、ご自身用に高級品を隠し持っていたのだ。2度目の来店時は前回購入してくれたAFTERのTシャツ(画像参照)のコーディネートを見せに来てくれたのだが、タイミング悪くパンク修理の最中だった僕は、店内で少しお待ち頂きたい旨を伝えて作業に注力した。ところがパンク修理を終えて顔を上げると、マリヲ母は嘘のように店内から姿を消していた。それから何度かタラウマラにやって来ては、僕の目を気にしてか、まるでプッシャーマンのような所作で袖の下からマリヲくんに小遣いを渡していたり、連日おばあちゃんの就寝時の写真を送ってきて、マリヲくんが「ばあちゃん元気そうで良かった」と返信すると「おばあちゃんじゃなくて、おばあちゃんが着てるパジャマを見て欲しかった」と返す刀がぴこぴこハンマー。よく見るとパジャマの花柄はすべて微妙に違っていた。そうかと思えば「おばあちゃん、明日あたり死にそうです」と唐突に不安を煽るメッセージを送りつけてきたりもする(因みにおばあちゃんはいまも元気にご存命)。或いは道頓堀川で殺人事件が起きた際には被害者の男性が我が子でないかと執拗に心配していた。報道で被害者はベトナム人男性だと報じられているにも関わらず、だ。
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そして、日々の寂寥感を紛らわせるようにSiriというバーチャルアシスタントと夜毎ピロートークを繰り広げていたある時期のマリヲくんが、酔った勢いでSiriに「好きだ!」と告白した瞬間、マリヲ母から「私も!」とLINEメッセージが届いたとき(別の文脈でのやり取りをしていたらしいが、偶然タイミングが重なったようだ)には膝から崩れ落ちた。やはり異能の子は異能、この親にしてこの子あり、ということだろう。
(マリヲ母については息子の著書に詳しい)
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historysandwich · 1 year
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【常威近代史】(八百零五回)
本是同根生 相煎何太急
1939年6月9日,日本飛機27架,分三批空襲重慶。自從1938年12月26號,就在汪精衛出走而蔣介石抵達重慶之後,重慶第一次受到日軍空襲重創,呢個係個象徵性行動,目的在於對國民黨官員、商人、以及各行各業及一般平民百姓進行威脅,表示繼續支持蔣介石係要承受沉重嘅代價,從1939年春天開始,日本投入海軍同埋陸軍的空中武力,當時嘅日本仲未有獨立嘅空軍部隊。轟炸行動一直打擊國民政府大後方,主要係對城市、工業設施以及鹽場進行持續轟炸。日本人嘅想法亦都好清楚,轟炸手段可以避免陸戰造成嘅財務同埋人力損失,以及可能戰敗嘅尷尬,借此逼迫國民政府接受日本嘅停戰條件,亦係日本推動喺中國扶植一個全新嘅偽政權動作中嘅硬手段。
事實上,要去到1940年夏季,日本先真正喺技術上有能力執行恐怖轟炸行動,亦即係有能力對城市居民進行大規模且持續性嘅空襲,原因是1940年夏天,三菱零式艦載戰鬥機(Mitsubishi A6M Zero)同具有長程轟炸功能嘅一式陸上攻擊機(Mitsubishi G4M)開始出場,關於殺害我唔少中國同胞嘅零式戰鬥機開發歷史,大家可以睇宮崎駿(1941-)2013年嘅動畫《風起了》。1940年之前,並沒有一種戰鬥機具備800公里的續航能力以維護轟炸機從武漢到重慶,後來零式戰鬥機出現,具備5000公里續航能力,而且最大飛行速度可達到時速530公里,而且配備槍炮攻擊武器,因為零式戰鬥機性能過於優異,同盟國飛行員喺1943年之前,都儘量避免同零式戰鬥機進行空中糾纏,日本人的確係惡曬。
6月10號,國聯鴉片委員會喺日內瓦指責日軍喺其侵略區強逼群眾種植鴉片,毒害中國人民,真係有幾個仆街冚家剷就有幾仆街冚家鏟。6月11號,國共摩擦進一步加劇,國民黨河北省民軍總指揮張蔭梧(1891-1949)率領部隊襲擊冀中深縣八路軍後方機關,慘殺400幾人,造成驚震世人嘅「深縣慘案」。6月12號,國民黨楊森(1884-1977)部隊包圍新四軍設喺湖南嚴江嘅通訊處,殺害新四軍參議涂正坤(1897-1939)、少校副官羅梓銘(1907-1939)等6人。國民黨五屆五中全會後,國共之間嘅摩擦事件不斷發生,單響陝甘寧邊區,從1938年12月去到1939年10月,先後發生摩擦事件150多單,真係血濃於水,相煎何太急?
6月12號,教育局規定8月27日孔子誕辰為教育節,原本6月6號教育節取消。6月13號,中國同蘇聯喺莫斯科簽訂關於借貸中國1.5億美元天文數字嘅協定,之前已經講過,借現金,用貨物還錢。同日,北大文科研究所喺昆明重招研究生,軍事委員會頒佈《優待俘虜須知》,戰爭雖然唔係請客食飯,但係必須要尊重戰俘人權,大家都好清楚,日本人喺依一方面做到舉世矚目,堪稱遺臭萬年。
6月16號《中蘇通商條約》喺莫斯科簽訂,同日,日本五相會議通過汪精衛擬定嘅《收拾時局具體辦法》;6月17號,陝西省政府決定整修黃帝陵,並設立陵園管理處。6月21號,蔣介石電令雲南省政府主席龍雲(1884-1962),派出部隊保護滇越鐵路橋樑。今日,日軍喺汕頭附近登陸,6月23號,日軍喺浙江定海登陸。6月26號,陳誠(1898-1965)奉蔣介石命令,默定《共黨問題處置辦法》。今日教育部決定本年度國立各大學及獨立學院統一招考新生,6月26號,中英合資嘅著名企業中福聯合署遷至重慶辦公,中福聯合儲嘅錢稱為福中總公司,1915年由英國公司與官商合辦嘅河南省中原煤礦股份公司合組。抗戰爆發之前,該公司煤炭產量一直穩居全國第三,抗戰期間,其先控股天府礦業公司,繼而合辦嘉陽、石燕、威遠等媒礦,幾乎壟斷咗重慶與川北嘅煤炭市場,國府嘅優惠政策,促使該處嘅煤礦投資對戰時大後方經濟起咗至關重要嘅作用。
6月28號,汪精衛返去上海,6月29號同維為新政府要員會談,為建立偽中央政權做好準備,呢個時候,日本政府亦正式喺上海設立「梅機關」,專門處理同汪精衛有關嘅一切聯繫。6月29號,輪船招商局3300噸嘅「江新輪」由宜昌駛至川光,安全抵達重慶,成為第一艘駛抵重慶嘅大型輪船。之前川江航線上嘅輪船,最大嘅唔超過1500噸,「江新輪」不但安全抵達重慶,而且開始航行於重慶(渝)同萬縣綫營業,之後招商局嘅「江順」、「江安」、「江漢」等同級輪船亦陸續駛到重慶。
6月30號,國民政府公佈《限制異黨活動辦法》,限制中共同埋知識份子嘅言論及行動。該辦法規定各界民眾均應加入一個法定團體,由國民黨員領導,令到民眾接受訓練同埋監督,派遣國民黨員任保甲長,即係進行政治警察任務,對中共活動最激烈嘅地區實行聯保連坐法,令民眾不敢同共產黨人接近,減低被利用嘅機會。同事,仲規定喺保甲組織中建立通信網,方便隨時隨地監視同埋限制共產黨活動,對華中、華北、西北地區,仲詳細佈置防止中共勢力擴大嘅軍事建設,不過無論蔣介石用咗幾多辦法同手段,佢都冇辦法防止中共喺抗戰期間不斷坐大,有啲事叫做——覆水難收。
1939年6月於然結束。
#常威💀 #蔣介石平反系列  #佛經抄寫員 #中日戰爭 #中華民國
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ophelia333k · 1 year
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2023年6月11日 配役(role)から逸脱する瞬間
 市川沙央の『ハンチバック』を読みたくて大学図書館と市の図書館を調べてみたけれど、文學界5月号はともに誰かに借りられているので、読めそうになかった。その話をドゥルーズ/ガタリ『千のプラトー』読書会のときにしてみたら、そのときのメンバー四人とも『ハンチバック』を読みたいらしかったので、四人で割って一人300円ずつくらい負担して文學界5月号を買うことになり、おかげで明日には読めるかもしれない。
 ***
 小説で言えばヴァージニア・ウルフの『波』も読みたい。ここ数ヶ月くらいは脳が壊れていてほとんど小説を読めない状態だったので、『ハンチバック』と『波』をきっかけにしてまた読めるようになったらいいな。
 ***
 ふと思い出したけれど、数日前の日記に書いたメンタルクリニックの待合室での待ち時間の間、何をすればよいのかよく分からなくて、ずっとwikipediaで「あさま山荘事件」のページを見ていた。
 その中にはよく覚えている箇所が一つあって、それは2月20日。当初は人質を縛り付けて口にはハンカチを押し込んで声が出ないようにしていたものの、その姿が山岳ベース事件で縛られてリンチされた同志と重なったから坂口が独断で縄を解き、人質を交えて夕食を取ることになる。
 そしてそのとき、電気ジャーでご飯が炊きあがってすぐに食べようとしたのを見て、人質が「ご飯は少しそのままにしておいた方がおいしいよ」と言う。それを聞いて犯人たちの側がしばからくご飯が蒸れるのを待ち、人質の「もういいでしょう」の言葉を聞いてから食べる、という犯人と人質の間での雑談がここにはあり、事件そのものの緊張感との不釣り合いさ。
 人は何らかの役割を演じる訳だけど、その役割(role、配役)から逸脱する瞬間のようなものが、確かにある。匿名ラジオの353回で、ARuFaが「放課後過ぎて先生の性格が違うとき好き(ただの人としての先生が出ちゃっているとき)」ということを言っていたけれど、それもroleからの逸脱の瞬間で、そこには特有の美しさがあるかもしれない。与えられたもの、与えられた形式からの逸脱。
 ***
 今日の音楽。シャフル再生で流れてきた溶けない名前の「幽霊少女は八月を殺す」は突き刺されるような音で、Pixiesの「Monkey Gone to heaven」と、いよわの「パジャミィ」と「地球の裏」も聴いた。the cabsの「花のように」。
 大森靖子。脱方ハーブ、握手会、風営法、放射能。
 ***
 マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』を読み返している。
 特に精神疾患と資本主義の間の関係、そして精神疾患の物質化の功罪について。
〈それゆえ、もし注意欠陥多動性障害(ADHD)のようなものが病理であるのなら、それは後期資本主義に特有の病理なのである。――それはハイパーメディア化された消費文化の娯楽=管理回路に接続されていることの結果なのだ〉(マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』、p70)
〈個人の内面に渦巻く精神的葛藤は犠牲者を出さずにはいられない。マラッツィは双極性障害者の増加とポスト・フォーディズムの関連性について研究しているが、ドゥルーズ=ガタリが述べるように、もし分裂症が資本主義の外縁を特徴づける症状だとすれば、双極性障害とは、資本主義の「内部」に固有の精神病だといっていいだろう〉(p93)
〈現在において支配的な存在論では、精神障害に社会的な原因を見出すあらゆる可能性が否定される。この精神障害〔にまつわる認識〕を化学・生物学化(chemico-biologization)していく潮流はもちろん、精神障害の脱政治��と厳密に相関している〉(p98)
 特に3つ目の引用について考えることが多くて、まず素朴に考えれば、精神障害が科学・生物学化されること(たとえば鬱病はセロトニン濃度の低下によって、ADHDはノルアドレナリンおよびドーパミンの機能の偏りによって説明される)は悪いことではなくて、むしろ私たちにとって利益があることだったと思う。
 なぜなら、精神障害を物質的に考えることによって、「心の問題」とか「甘えている」とか「努力が足りない」といった形で本人の「心」の問題にしてしまうような考え方を解体できるから(それに、問題が自分の脳の神経伝達物質にあるのだと考えられることで安心する、ということはある)。
 でも、ここでマーク・フィッシャーが指摘するのは、そのような精神障害の科学・生物学化(chemico-biologization)によって資本主義が利益を得るという点。
〈全ての精神障害が神経学的な仕組みによって「発生」することは論を俟たないが、だからといってこのことはその「原因」について解明するものではない〉(p99)
〈例えば、鬱病のセロトニン濃度の低下によって引き起こされるという主張が正しいとすれば、なぜ、特定の個人においてセロトニン濃度が低下するのかが説明されなければならない。そのためには社会的・政治的な説明が求められるのである。〉(p99)
 すべての精神障害が神経学的な仕組みによって「発生」することは間違いないし、(もちろん、まずはそのことについての正しい理解がないといけない)のだけど、しかし、だからといって、精神障害の原因がすべて個人の神経伝達物質のみに還元されてはいけないし、社会的・政治的な領域にその原因を求めなくてはいけない(実際、間違いなくそこにも原因は存在する)、というのがここでのマーク・フィッシャーの主張なのかな、と思う。
 ***
 バイトに行くために夕方の梅田をうろうろしていたら、何らかのコスプレイベントがあったらしくて、ピンクと水色の二重らせんみたいな超てんちゃんの長い髪の毛と後ろ姿だけが見えて、すぐに消えてしまった。
 日曜日の梅田、人が多すぎて、どのカフェを見ても埋まっているし、何だか疲れてしまう。バイト前の時間、どこかで本を読んだり文章を書いたりしようと思って安上がりにするためにマクドナルドで冷たいローストコーヒーとツイストのソフトクリームを頼んだ。260円。二階のスペースはほとんど人で埋まっていて何かの巣みたいで、マクドナルドという空間は好きだけど、ハンバーガーとポテトの匂いは資本、という感じがしてときどき嫌になる。
 資本、資本、と言えば、最近、いま「オタク」と呼ばれる(もしくは呼ばれていた)人たちに対して一種の嫌悪感を持ってしまうのは、彼ら/彼女らが資本(あるいは資本主義)に対してあまりにも迎合的に見えてしまうからだと思う。
 何かを推すこと、何かのファンである、ということは元々資本からは一定の独立性を持っていたはずだけど、いまではもう資本に飲み込まれてしまっている。
 資本はあらゆるフロンティアを侵食し、資本の増殖の手段へと変えていく。でも、もちろん自分自身もオタク(と呼ばれるような人種/だった)わけで、その意味では同族嫌悪でもあるのかも。更に言えば、「お前は一体どうやって資本に対して抵抗しているのか」と聞かれたのなら、どんな抵抗だってできてはいないわけで、ただ泥になって眠っているだけ。夢を見ているだけ。いつも思うのは、どうして現実世界よりも、夢の中の感情の方がリアルなのだろう。
 ふと、手元にある処方箋の「◆きょうのおくすり◆」と書かれた紙を読む。
〈効能効果:脳内の神経細胞の間で情報を伝える神経伝達物質を調節し、症状を改善する作用があります〉
 ***
 いつの間にか、ずいぶんと長くなってしまった。
(何人がこの日記を読んでいるのか分からないですが、もし読んでいる人がいるのなら、二枚貝は現在ドゥルーズ+ガタリ『カフカ マイナー文学のために』およびドゥルーズ『批評と臨床』を読んでいるので、もし一緒に読みたい人がいた場合、Twitter等でDMを送ってくだされば、読書会という形式でともに読みます)
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xf-2 · 11 months
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目次
子供たちが怖い、放置され無教育
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
教育で未来を変えようとするクルド人学生
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
子供たちが怖い、放置され無教育
【70代女性、川口市上青木在住、取材】
子供たちが怖いです。昼間からウロウロしています。私の知り合いの70代の男性が10歳前後の男の子がゴミを散らかしていたので注意をすると、ピーと指笛を吹かれて、すると男の子たちが集まってにらまれました。何も言えないでいると、唾を目の前で地面に吐かれて去っていったそうです。
近くのショッピングモールで、小さい5歳ぐらいと少し年下の男の子が、泥靴で走り回っていました。「静かにしなさい」というと、流暢な日本語で「僕たちはかわいそうなクルド人です。弟はまだ小さいので何もわからないから許してください」と言われ、じっと見つめられました。そうすると、何もこちらは言えなくなってしまいました。
(私:同じような話がXで書いてありました。誰かが教えているのかもしれません。)
私はXをやっていませんが、誰かが日本人が黙るように教えているのかもしれませんね。「僕は弱者だ」なんて言われると、日本人は何も言えなくなってしまうのでしょう
この地域は、工場の労働者向けの安いアパートが並んでいました。1970年代に建てられたものです。工場が川口から減って人がいなくなって、そうした古いアパートに中国人、最近はクルド人が入っています。
中国人は日本語が話せるのですが、クルド人は日本語を話せないし、生活で態度が悪いので困っています。日本人は高齢者ばかりで、注意するのが怖いので黙って我慢をしています。
隣のアパートにクルド人が、数ヶ月で入れ替わり住んでいます。入れ替わる理由はよくわかりません。時々騒音が聞こえます。女の人は家にこもって、買い物の時しか出てきません。
あるとき若い20歳ぐらいの母親が、子供が病気になったのか救急車を呼んだようです。しかし住所不定で、そして日本語が全く話せないので、救急車は搬送できなかったのです。すると昼間、救急車の前に座って路上で、子供を抱えて大泣きしました。そんな行為より子供を助けるための行動をしなさいとハラハラしました。救急隊員も困りました。私が話を聞こうとしても、聞かずに泣き続けました。泣けば主張が通ると思っているのでしょうか。
すると工事の泥で汚れた作業服の姿のまま夫がトラックでやってきて、片言の日本語で説明し、病院に行ったようです。迷惑をかけた周囲の日本人に、その後、クルド人夫婦から説明もありませんでした。変わった人たちです。日本語を少しでも学び、最低限のルールを知らないと。
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
【40代女性、川口市在住】
娘が高校生です。クルド人の友達もいます。公立小学校、中学校にクルド人、中国人など外国人の子供がいるのですが、日本語の授業が成り立たなくなっています。私の見たかぎり、日本人の子供たちは差別をしていません。逆に外国人の子供に気を使っている話ばかり聞きます。
クルド人を巡っては困った話がありました。あるクルド人の子供(男か女か、小学校か中学校は、私の判断で明示しない。クルド人の児童の特定、学校の特定を避けるためだ)が、クラスで孤立しました。ものを壊してもそのままにする、当番をしないなどの問題行為をしたそうです。同じクラスにいたクルド人の子供も距離を置きました。
すると東京の活動家がそれを聞きつけて、いきなりネットメディアで「クルド人の子供がいじめられている」と報道しました。毎日新聞もいじめと断定して報じました。活動家は学校に怒鳴り込み、卒業式にまで乗り込んできて、カメラマンを連れてきて、パチパチ写真を撮ったのです。公開されないか、父兄も子供も、怖がりました。卒業式はクルド人1人のためのものでも、この人のものでもありません。この活動家は、他の何百人の子供達の卒業式を台無しにしました。
(私:その活動家、イスラム教徒のクルド人の子供たちをクリスマスパーティーに誘って、クルド人に笑われていたらしいです。クルド人のことを知りません。)
変な人なんですね。当事者の生徒の話も聞かず、川口の子供がいじめているという話を日本中に報道するのはおかしいです。日本人の子どもたちは、報道に傷つきました。
クルド人を支援する人は、今は川口市にはほとんどいなくなりました。これだけ迷惑行為をしているから離れて行きました。支援者は「変わった人」扱いです。ただし川口市民の方ではクルド人を差別したり、嫌がらせをする話はありません。逆に外国人に気を使っています。
日本人の子供が今、外国人によって、学校教育で、適切に教育を受けられない状況になっています。外国人が多いと、学校の学習進度がどうしても遅れてしまいます。私の子供は塾でほとんど勉強せざるを得ない状況でした。日本人への逆差別です。ですから、小学校、中学校で私立に行かせようとしている親が多いです。市役所も先生たちも、対応に疲弊しています。国はこうした外国人の教育の現実を知っているのでしょうか。
教育で未来を変えようとするクルド人学生
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【70代男性、川口市】
以前は教師でした。定年後に、外国人に日本語を教える川口市の日本語教室の教師ををしています。
(川口市、蕨市ではボランティア、NPO、また私塾の形で日本語が教えられている。身元をぼかすため、詳細は記さない。)
他の外国人は積極的に日本語を学びにきます。クルド人は来る人が少ないです。クルド人は、ささいなこと、例えば授業の遅刻、また態度の改善を注意しただけで、すぐ怒り出します。根気もなく、すぐに教室に来なくなってしまいます。
他の国の人は合法な居住の人が多く、たいてい日本語がある程度話せます。クルド人は、難民と称して滞在しているので、���葉を学習せずに、日本にやってきます。他の民族の人は日本は好きですが、クルド人は大半が日本のことを知りません。加えて、クルド語もトルコ語も上手に読み書きできないようです。彼らは中学校を出ているかも怪しく、勉強の文化がないと、石井さんが記事に書いていました。納得できました。そのために、日本語も上手くなりません。
ただし、悪い人ばかりではありません。一生懸命学習するクルド人の中学生もいます。同胞や親が、「出稼ぎなのに難民と嘘をついて日本に来ている。それは良くない」と、状況を分かっていました。クルド人が同胞の経営者を儲けさせるために安く働かされたり、変な日本人活動家に利用されたり、弁護士や行政書士などにお金を吸い取られていることも、理解していました。石井さんの報道の通りですね。
この子は、そうした境遇を抜け出すため、また自立するために一生懸命勉強をしています。学校の成績も良いです。私は大学まで行って奨学金を取り、滞在の資格を、仮放免の立場から、留学ビザ、正規滞在に変更することを勧めています。その子も、その意欲があります。
石井さんの報道は正しいと思います。ですがクルド人に取材するほど、彼らに冷たく、厳しくなっていますね。脅迫されたためでしょうか。
(私:そうです。)
あなたの感情は理解できますが、真面目に、頑張る子供がいることは、ぜひ知ってほしいと思います。
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
ようやく川口では人々が「おかしい」と声をあげ、ほんの少しだが状況が変わりつつある。行政が動き、不法行為の摘発が少しだけ始まった。
外国人差別は許されない。合法的に、また日本人と協調して暮らそうとするクルド人、その他外国人とは共生しなければならない。しかし違法行為、違法滞在をする外国人には、法適用をし、速やかに帰国をさせなければならない。その方向に、微々たる動きだが変わりつつある。
暗い話ばかりがクルド人問題で聞こえるが、埼玉県民、川口市民が変化の希望を抱いていることも紹介して、この原稿を終えたい。私にいただいた評価も、少し恥ずかしいがそのまま残しておこう。
【川口市民、メール】
クルド人問題については「おかしい」ということに、私はためらいがありました。私の周囲の川口の住人にもあります。私たち日本人は、小さい頃から「外国人と仲良く」と刷り込まれますから。
そして国とメディアと学校が「ヘイトスピーチはダメだ」キャンペーンを続けていますよね。これはこのクルド人問題では悪い方向に働いて、日本人が物を言えない状況を生んでいるように思えます。
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【埼玉県民、メール】
石井さん、身の危険を感じることと拝察します。くれぐれもお気をつけて取材を続けてください。あなたのような記者がいらっしゃることで、日本のジャーナリズムもまだ死んでないんだ、と思えました。あなたは正義感から川口市に突っ込んで「なんで自分がこんな目に」とぼやいていますし、気の毒と思いますが、そうした勇気が社会を変えます。
記者会見で権力者を怒鳴りつけたり、偉そうなことを言う記者はたくさんいますが、何の役にも立ちません。社会問題を調査し、客観的にそれを私たち国民に伝えることがメディアの役割と思います。しかし、誰も、クルド人問題でやりませんでした。大手の新聞社やテレビはいったい何をしているのでしょうか。
どうぞご自愛ください。川口市の奥富市議とか、心ある人と連携して頑張ってください。私たちの手で、川口、埼玉、日本を守りましょう!
石井孝明 経済記者 with ENERGY運営 ツイッター:@ishiitakaaki メール:[email protected]
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kennak · 1 year
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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foo3rd · 1 year
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一人御子に祝福を
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0.プロローグ
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シュピ(左)・ミラ(右)
宗教
現在のビシュテンを含むユーフォリオ地方の主だった信仰は、約2600年前に発祥したユルカ教、約1300年前にユルカ教から分派したキルト教、約700年前にユルカ教・キルト教への改革的宗教運動として始まったイエルム教である。 キルト教発祥からしばらくはユーフォリオの帝国、ルーン帝国によるキルト教への弾圧があったとされているが、約900年前にキルト��が帝国の国教と認められ、その12年後には異教徒禁止令が出された。禁止令が帝国内部の取り締まりを旨としていたのに対し、約200年前に聖地エルセウス奪還を目的に教皇により結成された教皇軍はユルカ教・イエルム教への侵略を行い、その運動は民衆にも波及した。 エルセウスはユルカ教徒の王国として栄えたが、約1200年前に帝国軍によって陥落し現在のユルカ教徒は散り散りになっている。その後の約700年前のイエルム勢力による征服により、現在はイエルム教徒の支配下にある。ただし、キルト教の一部教派とユルカ教の巡礼は認められており、教皇軍結成の大義名分である聖地奪還は建前に過ぎず、実情は支援を要請した側の国土問題と帝国教会の主導権問題の利害が一致したことにあった。 教皇軍は約40年前の遠征を最後に活動を停止したが、現在では聖王庁がその意志を継ぎ教皇の管理下で活動を続けている。
世界
三つの宗派の共通認識として、世界の理は奇蹟によって成り立っている。 奇蹟は聖遺物の種子によって大きく分けて「人」「神器」の2つを生むとされている。 後者について、極稀に「神器」の種子を胎内に有した少女が生まれることがある。 母体は一定の年齢に達すると胎内の種子が発芽し懐胎し、命の箱となる神器(武装)を生成する。 キルト教の風習として、生成から約10ヶ月までにエルセウスへの巡礼を行い、神器に祝福を受け祝福の御子とする。キルト教ではこの巡礼が奇蹟の恩寵の根源であると考えられている。 約10か月を過ぎて祝福を受けなかった場合、神器は暴走し、母体は腐ってしまう。暴走した神器は往々にして巡礼の道中に出没し、巡礼者の障害となる。 神器の特徴として、母体の生命活動の停止を感知した際に、母体を蘇生する性質がある。これによって母体は事実上不死の能力を持つことになる。
シュピの出生
ビシュテン西部の田舎町で生まれる。左手の甲にユルカ教の聖痕を持って生まれた。当時のビシュテンではユルカ教は迫害の対象であったため、生後間もなく孤児院「リリィ・コンパス」に捨てられた。 孤児院の院長ミラは熱狂的なキルト教徒であったが、異教に対して寛容な心を持っており、シュピを受け入れた。 孤児院ではキルト教の教えが説かれていたが、シュピは熱心な教徒とは言えなかった。 シュピが14歳になるころ、孤児院は異教徒を匿っているとの異端審問を受けるが、ミラはこれを断固として認めなかった。宗教裁判所は最終的に火刑を決議し、世俗当局が国内の聖王庁に働きかけ孤児院を襲撃する形でこれを実行した。 死体の山の中で、シュピは死んでいた。このとき、胎内の神器の種子が発芽し、神器となってシュピを蘇生した。 目を覚ましたシュピは、瓦礫の下���きになっている院長ミラを見つけた。ミラは腹部が破け内臓が飛び出ており、今まさに死の瀬戸際にあった。 ミラがシュピの神器を目にすると、一筋の涙を流した。息も絶え絶えな中、かすれた小さな声でシュピに呟いた。 ―――一人御子に、祝福を―――
1.旅立ち
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ユーラ
情勢
9年前に教皇が死亡して以降、教皇にはビシュテン人が選出され、教皇庁はルーンからアルヴァクに移された。前教皇の死にはビシュテンの反教皇派であった国王顧問が前教皇に退位を迫ったことが背景にあると見られている。 パンテナ騎士団はキルト教徒によって構成され、キルト教巡礼者の保護・支援を行う修道会である。聖地エルセウスがイエルム教の支配下に入る前は聖地の防衛を行っていた。また、軍事組織としての側面に加えて、財務機関としての側面も持っていた。巡礼者が現金を持って移動しなくてよいよう銀行機関の仕組みを発明し、ビシュテン内外に設置した支部での所領経営や金融業務の展開により莫大な財産を築いた。 騎士団は聖王庁による異教迫害を非難していた。ある一隊が孤児院の襲撃跡地を見分し、死体を埋葬した。
概要
シュピは生存者を探した。地下室に孤児のユーラを見つけた。 ユーラはシュピを責めた。シュピが居なければ、孤児院が異端審問にかけられることは無かったのである。シュピは何も言えず、ユーラの慟哭を背に受けその場を後にした。 孤児院の襲撃跡地を見分していたパンテナ騎士団がユーラを見つけた。ユーラは異端審問の発端となったシュピの存在を騎士団に告げた。騎士団の小隊長ルカはシュピを保護するため動向を追うことにした。
シュピの変化
シュピは孤児院を襲撃した聖王庁、ひいてはキルト教に並々ならぬ憎しみを抱いていた。しかしながら、そのキルト教徒の模範ともいうべきミラに対する恩との間で葛藤していた。 ミラの遺言、つまり巡礼はキルト教の教えに則することを意味する。だがとてもそんな気にはなれなかった。 キルト教の教えでは、約10か月を過ぎて祝福を受けなければ、母体は腐ってしまうらしい。それもいい。そう思ってシュピはいつの間にか眠りについた。
夢を見た。幸せな夢だ。草原、近くに小川が流れている。 りんごの木の下で、少女が私に微笑んでいる。 少女が、シュピの左手に頬擦りした。綺麗な、手だと。 それは違う。この手のせいで、孤児院で多くの人が死んだ。 少女はそれを聞くと、静かに涙を流した。また微笑んで、シュピを抱擁した。 少女の胸は、暖かかった。
目を覚ましたシュピはふと神器の中に眠る胎児に目をやった。混乱のあまり意識できていなかったことだが、シュピはこのとき初めて自身が身一つでないことを自覚した。 キルト教の教えでは、神器の暴走は命の箱に人の原罪が入り込むために、凶暴で好戦的な成れの果ての姿になると考えられている。キルト教の教えを信じているわけではない。だがシュピの持ち得る知識はキルト教の教えそのものだった。これ以上何かを失いたくなかった。胎児のために、巡礼を決意した。 キルト教の教義の文脈ではなく、胎児を救うという人としての立ち位置で巡礼の意義と生きる意味を見出したのである。
2.巡礼:暴走した神器
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ルカ
情勢
ビシュテンは深刻な財政難にあえいでいた。ビシュテン王が目をつけたのはパンテナ騎士団の持つ莫大な財産であった。ビシュテン人である教皇を利用し、騎士団の持つ財産の略奪を画策する。
概要
シュピは巡礼の途中、暴走した神器に出くわす。シュピは一切の攻撃を行わなかった。シュピにとって必要なのはエルセウスにたどり着くことであり、障害の排除など眼中に無かったのである。今のシュピにとって、たとえ異形になり果てたものに対しても一切の加害を請け負いたくなかった。しかし、逃げの一手は難航を極めた。いくら逃げても暴走した神器はシュピを執拗に追う。何度も命を落とし、その度に蘇生した。 幾度となく蘇生を繰り返す中で、ある時目覚めると女が居た。騎士団の小隊長ルカである。ルカは孤児院の死体を埋葬しユーラを保護したことを告げた。 ルカは神器でしか暴走した神器を殺傷できないことを説明した。また、暴走した神器が宿っていた母体はキルト教徒であることを強調した。 つまり、暴走した神器を排除することができるのは巡礼者だけで、放っておけば人々に危害が及ぶ。それは死んだ母体キルト教徒の思うところではないだろうという文脈である。 シュピは釈然としなかった。理屈ではなく、自身が殺傷することに強い抵抗があった。 しかし、転機が訪れた。シュピを追っていた暴走した神器がルカを追い詰めたのである。殺さなければルカが殺される。ユーラの慟哭が思い起こされた。シュピは意を決して暴走した神器を斬った。
シュピの変化
ルカはその後もシュピと行動を共にした。大小様々な暴走した神器を屠った。その度にシュピの胸中には罪の意識が溜まっていった。
夢を見た。今日も少女がりんごの木の下でシュピに微笑んでいた。 これでいいのだろうか、神器を駆逐することが正しいことなのか。罪の意識にあえいでいることを、言葉にならずとも少女に伝えた。 少女はシュピの両頬に手をやると、そのまま首筋に手を回しシュピをぎゅっと抱擁した。 少女は微笑みとも悲哀ともとれる表情で呟いた。 「それは、あなたが優しいから。」 少女の胸は、暖かかった。
暴走した神器について
暴走した神器には大きく分けて母体を伴う個体と伴わない個体の2種が存在する。 母体を伴わない個体は、母体を伴う個体の欠片から細胞分裂によって成長したもので、数が多く凶暴性が高いが戦闘力は低い。 対して母体を伴う個体は腐り果てた母体を庇うような動きを見せ、数が少なく凶暴性も低いが戦闘力は高い。また、元々一つの母体の破片を複数の個体が有する場合もある。
3.巡礼:聖王庁
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クルハ
情勢
ビシュテン王はパンテナ騎士団に聖ヨルタ騎士団との合併を提案するが、団長はこれを拒否した。これを受けビシュテン王は教皇庁にパンテナ騎士団の異端審問を認可させ、反キルト思想・悪魔崇拝といった100以上の不当な罪をかぶせビシュテン内のパンテナ騎士団を一斉に逮捕した。当時のアルヴァクの教皇は王の息がかかったビシュテン人であり、また異端審問に関わった審問官も特権を持つパンテナ騎士団に敵意を持つビシュテン人であり、異端審問はビシュテン王の思惑の通りに執り行われた。
概要
聖王庁の騎士であるクルハはルカの身柄を抑えるべく巡礼の道を追っていた。クルハはかつて孤児院を襲撃した小隊を率いていた。 クルハはシュピとルカに追いつくと、パンテナ騎士団が有罪に持ち込まれたこと、パンテナ騎士団が保護していたユーラを処刑したことを告げた。ルカの罪状は異教徒の埋葬および巡礼の支援といった反キルト思想である。 クルハにとってユーラとシュピの二人の有罪者を取り逃がしたことは手落ちであり、迅速に対処すべき問題であった。 ルカは抵抗しなかった。法的手続きに従順なのは、ひとえにパンテナ騎士団としての矜持の為すところであった。しかし、シュピは違った。 孤児院を襲撃したこと、ユーラを処刑したことに激怒し、クルハに斬りかかった。騎士であるクルハには戦闘において大きく後れを取るシュピであったが、蘇生の能力によってクルハを追い詰めた。 シュピの蘇生の能力を目の当たりにしたクルハは躊躇した。キルト教の教えにある神器を目の当たりにして、聖王庁の、ひいては教皇の命と教義の間で心が揺れ動いたのである。 その時、シュピの神器はクルハの首の横寸前でぴたりと止まった。シュピもまた、怨恨と罪の間で葛藤した。人を殺してしまったら、あの惨劇と同じだと。 決意が先に固まったのはクルハの方だった。教義に背くことはできない。だが教皇の命は絶対である。クルハは剣を自らの胸に刺し自害した。 ルカは巡礼の道を戻り、ビシュテンの世俗当局に出頭するとシュピに告げた。ルカはシュピに別れを告げ、巡礼の道を引き返していった。
シュピの変化
自分が原因でまた誰かを不幸にしてしまったことに苦しんだ。パンテナ騎士団の一斉逮捕はビシュテン王の思惑による既定路線であり、シュピが原因でなくてもルカには何らかの罪状を突きつけられていたことだろう。クルハの自害に至っては立場上の理由である。ルカもそれを説明した。だがシュピがそれを汲み取るにはまだ若すぎた。自分のせいでクルハが死に、ルカが殺されてしまうと、それだけがシュピの脳裏を支配して苦しめた。
夢を見た。今日も少女がりんごの木の下でシュピに微笑んでいた。 私はなんで生まれてきたんだろう、そんなことを少女に呟いた。 私がいるだけで、人が死ぬ。あまつさえ暴走した神器を屠ってもいる。 もし私が孤児院に預けられずに、殺されていたら。事態は今より良かったのではないか。 少女は儚げに笑った。 「あなたは悪くない。世界が、優しくないだけ。」 「あなたのために、生きて。」 シュピは大粒の涙を流した。 「そう、思えないの。」 「自分を、愛せないの。」 少女はそっとシュピを抱擁した。 「なら、私が愛してあげる。」 少女の胸は、暖かかった。
4.巡礼:元聖下
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ニア
情勢
ビシュテン王はパンテナ騎士団の財産を聖ヨルタ騎士団へ移すこととし、実質的にビシュテン王の財産に加えた。逮捕されたパンテナ騎士団の多くは拷問・火刑を受けたが、不当にかぶせられた罪を自白することはなかった。
概要
シュピはエルセウスの国境付近に至っていた。巡礼の道は古い教会へと続いていた。教会に入ると、シュピと同じ年頃の少女が祈りを捧げていた。シュピが声をかける前に、少女は振り返った。 少女は自身を300年前の聖下ニアと名乗った。長寿であることをシュピが指摘すると、ニアは自身もかつて神器を授かった一人であり、巡礼を終えたことを告げた。祝福を受けると蘇生の能力とともに不老長寿の状態になることを説明した。 ニアはシュピに、祝福を受けた先に、シュピの望む世界があるのか問いかけた。シュピにはよくわからなかった。そもそもシュピは祝福を受けるいうことがどういうことなのか、キルト教の教えでは曖昧で正確には把握していなかった。シュピは分かる範囲で答えた。自身はキルト教の教えに沿って巡礼しているわけではない。したがって奇蹟の恩寵には興味がない。ただ、この胎児を救えればそれでいい。それが私の望む世界だと。 ニアはしばし沈黙すると、なぜシュピがキルト教に教えに沿って巡礼しないのか問いかけた。シュピは左手の甲の聖痕や孤児院の襲撃について説明した。ニアは目を伏して聞き入っていた。 聞き終えるとニアは天を見上げ、シュピに向き直り神器を構えた。その神器の中には胎児が居なかった。シュピをエルセウスに入れるわけにはいかない。私が阻止すると言い放った。 シュピは状況が飲み込めなかった。なぜエルセウスに入れてもらえないのか問いかけた。簡単なことだ。信仰なき者を通す道理は無いとニアは答えた。それが真意でないことはシュピも汲み取ることができた。 ニアは騎士ではないが、巡礼を成し遂げただけの実力が伴い高い戦闘力を持っていた。シュピは何度か死に、その度に蘇生した。それを何度か繰り返すうち、シュピはニアを追い詰め、ニアを斬った。ニアに蘇生の能力があることを見越しての斬撃だった。 シュピは死に際のニアに問いかけた。本当のことを教えてほしいと。ニアは問いかけには答えず、ぽつりと呟いた。教義を盾に、罪を直視しないようにしてきた。ようやく私も同じ場所に行ける。すまない、ありがとう、と。 ニアはシュピに微笑み、息を引き取った。ニアが蘇生することはなかった。
シュピの変化
ニアが蘇生しなかったことに動揺した。ニアの死に際の言葉も、理解できなかった。ニアを斬った感触が、いつまでも手から離れなかった。 胎児を救うためだ。そう思うほかなかった。胎児を救うことができれば、少しはこれまでの全ての罪の意識から解放される。そうすがるしかなかった。
夢を見た。今日も少女がりんごの木の下でシュピに微笑んでいた。 隣に座って、少女と小川を眺めていた。シュピは呟いた。 「エルセウスに着いたら、」 少女はシュピを見た。 「私は自分を赦せるのかな。」 「怖いんだ。」 シュピはぽろぽろと泣き出した。 「私が背負った罪は、赤ちゃんを救えたら、消え去ってしまうものなんだろうか。」 「私のしてきたことは、本当にその代償を払うほどのことだったんだろうか。」 シュピ涙を拭った。拭っても拭っても、涙は止まらなかった。 「とても、そんな気がしなくて。」 小川のせせらぎがさらさらと音を立てていた。 少女は小川に目をやった。せせらぎに混じるシュピの嗚咽を、何も言わず聴いていた。しばらく黙っていると、少女は口を開いた。 「私は、あなたが好き。」 「自分に罪を見出してしまう、苦しんでしまう、優しいあなたが好き。」 「幸せでいて、ほしいんだけどね。」 少女は切なそうに笑った。 「もし、あなたがあなたを赦せたらさ、」 「その先で、あなたはどう生きていきたい?」 その先。その先は考えたことがなかった。 「 …… 赤ちゃんを、見守りたい。」 少女はシュピをぎゅっと抱き寄せた。 「約束。」 少女の胸は、暖かかった。
蘇生の能力について
ニアのような巡礼を終えた者と、暴走した神器はほぼ同質の存在である。共に蘇生と不老長寿の能力を持つ。 ただし、例外として「自身以外の」「胎児を伴った」神器はこれを殺傷することができる。 この条件はシュピのような巡礼者も同様で、別の巡礼者と敵対した場合蘇生せず死亡することがある。
5.巡礼:エルセウス
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シュピと焼けた胎児
情勢
エルセウスにあるキルト教の教会は約300年前にイエルム教勢力によって一度破壊されているが、その約40年後に東ルーン帝国によって小さな教会が再建されている。
概要1
エルセウスはイエルム教徒の支配下にあるが、キルト教の一部教派とユルカ教の巡礼は認められている。厳密にはビシュテンで信仰されるキルト教の教派は巡礼が認められていないが、シュピは左手の甲のユルカ教の聖痕を見せ、ユルカ教徒として通過を許可された。 エルセウスは1平方キロメートルに満たない小さな市街で、シュピには歴史上こんな小さな場所を取り合ってきたことが不思議に思えた。 シュピがキルト教の教会に入ると、司祭がこれを受け入れ、公祈祷を執り行った。その中で、侍祭がシュピに薬剤を吸入させ、シュピは眠りについた。
シュピの変化
夢を見た。雨が振っていた。りんごの木の下に、少女の姿はなかった。 シュピは雨に濡れながら、辺りを探した。いくら探しても、少女は見つからなかった。やがて、シュピは探すのを諦め、りんごの木の下で少女が現れるのを待った。待っていればひょっこりと現れて、また私に微笑んでくれるような、そんな気がして。 ひどく寒かった。膝を立てて両膝を両腕で抱えた。空を見上げると、一面の雨雲が空を覆っていた。 どんなに待っても、少女は現れなかった。
概要2
シュピは目を覚ますと、右手に神器が無いことに気付いた。胎児は祝福を受けたのだと悟った。近くにいた信徒に、胎児に合いたいと告げた。信徒は、御子は祝福を受け主の御許にいると答えた。 教義としての決まりの答えと解釈したが、一抹の不安を感じた。他の信徒や司祭にも聞いて回った。皆同じ答えだった。司祭は神器をシュピに渡した。神器の中に胎児はいなかった。 聖堂の方から歌が聞こえた。聖堂に入ると、火がくべられていた。胎児は、その中にいた。 シュピは言葉にならない悲鳴を上げ、火の中に手を入れた。胎児を腕に抱えると、既に炭となった胎児がぼろりと崩れて落ちた。 空虚を腕に抱えながら、シュピは半狂乱で教会を出た。 どれだけ走ったのか、いつの間にか、どこかのりんごの木の下に来ていた。 呼吸をするのがやっとで、頭が働かなかった。にも関わらず、胎児の死が津波のようにシュピの脳裏に流れていった。 これまでの罪を、贖えなかった。それどころか、心の拠り所にしていた胎児に大罪を犯してしまった。 ニアが神器で死んだことを思い出した。シュピは神器で自らの胸を突き刺した。しかし、蘇生してしまった。その度に、何度も何度も同じ事を繰り返した。
ニア
ニアは祝福の顛末を知っていた。その実情は、巡礼者がキルト教の文脈で胎児の殺害を落とし込むことができない限り、到底耐えられるものではないことを知っていた。 だが、ニアはその実情をシュピに伝えなかった。シュピにそれを伝えれば、シュピは暴走した神器となることを望んだだろう。まだ若いシュピ自身にその選択と決意を迫ることを酷に思ったのである。 ニアにとってシュピに出来ることは、シュピが望まない形でシュピを暴走した神器とさせることだった。
6.エピローグ
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少女
概要
シュピは悠久の時を自害と蘇生に費やした。その間少女の夢を見ることは一度もなかった。
世界と宗教
5年後、ビシュテン王は教皇に働きかけて正式にパンテナ騎士団の禁止を決定し、ビシュテン以外のユーフォリオの諸外国においてもこれを通知したが、これに従う国は無かった。ある国では別の騎士団に名前を変え存続を許された。 30年後、キプルス王がビシュテン王位の継承権を主張したことが発端となり、諸侯の領地争いが重なり約100年間に及ぶ戦争が起こった。このような対立が生まれた場合、教皇が仲介役を担うのが通例であったが、当時は教皇がまだアルヴァクでビシュテンの監視下にあり、教皇自身がビシュテン人であることも相まって、キプルス側が仲介を依頼できる状況ではなかった。 41年後、突如発生した伝染病、黒朱病がユーフォリオで流行した。流行の原因がユルカ教徒にあるという濡れ衣を着せられ、多くのユルカ教徒が迫害された。教皇はこれに対し迫害の禁令を出したが、アルヴァクに幽閉されていたためその禁令が届くことはなかった。 70年後、ルーン市民やキルト教徒から教皇のルーン帰還を望む機運が高まり、教皇がルーンに帰還した。しかし、翌年に教皇が病に倒れ、次の教皇の選出で激しい対立が生まれ、ルーンとアルヴァクに二人の教皇が存在する状態になった。この状態は40年間続き、前述の100年戦争を調停する力は依然として無く、教皇の影響力の衰退が顕著になった。 210年後、宗教改革によりキルト教の新教勢力が大きくなると同時に、教皇のユーフォリオでの権力はさらに低下した。対抗宗教改革運動により勢力を盛り返すとともに、教皇は異端の取り締まりを強化した。 255年後、ユーフォリオにて旧教と新教の間で宗教戦争が相次いで勃発した。最終的に信仰の自由と主権国家体制の成立により、ユーフォリオでの教皇の権力は低下した。ビシュテンにおいても王権の優位を認め教皇庁と一線を画すこととなった。 482年後、ビシュテンにて絶対王政打倒を謳う市民革命が勃発する。反教会感情を背景に革命政権により教会領が没収される。さらに9年後にはビシュテン総裁政府が教皇に退位を迫り、ルーン共和国の建国を宣言した。さらに3年後には教皇との一定の和解はしたものの、革命を先導し即位したビシュテン皇帝はユーフォリオのあらゆる国を併合し、さらにはルーン教皇領も併合した。教皇はビシュテン軍に捕らえられ、ビシュテンの首都近郊に幽閉された。 507年後、ビシュテン皇帝の退位後はビシュテン革命及びビシュテン皇帝による遠征がもたらしたユーフォリオの混乱に対し、各国の君主によって秩序を回復する体制が取られ、翌年にはルーン教皇領が復活し、教皇はルーンに帰還した。 541年後、各国君主によって復活した絶対王政体制への反乱がユーフォリオ各国で勃発した。翌年のルーンでは市民によりルーン共和国が建国された。さらに翌年にビシュテン軍が介入し崩壊するまで、ルーン教皇はルーンから脱出することになる。 554年後、イルカナ王国が建国される。このときルーン教皇領は王国に含まれていなかったが、9年後にルーン教皇領を占領し、王国に併合された。翌年にはルーンはイルカナ王国の首都となり、教皇はヴァルカンに幽閉される。 607年後、ユーフォリオを主戦場とした4年間に及ぶ世界大戦が勃発。この時、キプルスはエルセウスを含む地域についてイエルム教徒に独立国家の樹立を約束している。しかし翌年にはビシュテンと分割支配の協定を結び、さらに翌年にはユルカ系財閥の資金援助を目的にユルカ教徒に独立国家の樹立を約束している。最終的にはキプルスとビシュテンが分割支配することとなる。 622年後、イルカナの独裁政権によってヴァルカンが教皇を元首とする主権国家としての独立を認められた。その後の独裁政権失脚後も存続は認められた。 632年後、ユーフォリオを含むいくつかの地域で6年間に及ぶ二度目の世界大戦が勃発。この時、ユーフォリオにて約600万人のユルカ教徒が迫害、殺害される。戦後にはエルセウス周辺地域についてユルカ教徒とイエルム教徒への分割を国連総会が採択し、エルセウスは国際管理下に置かれた。翌年にはユルカ教徒が独立国家エーエルスの建国を宣言する。イエルム教徒がこれに反発し、建国の翌日にエーエルスにイエルム教圏諸国が侵攻している。 660年後、エーエルスがエルセウスを含む国際法上認められていない地域に侵攻し占領する。 686年後、エーエルスの占領地域からの段階的な軍備撤退など和平交渉が7年間にわたり進められたが、エーエルス側の政府要人がエルセウス内のイエルム教の聖地に足を踏み入れたことで事態は急激に悪化し、過激派イエルム教徒によるテロとエーエルスによる報復の応酬が続く。 773年後、人工知能によって制御されていた防衛設備の核攻撃誤探知が世界的に多発。エウリアが報復のためソルヴィヒに向け核ミサイルを発射するが、誤探知と確認されるとエウリア自ら核ミサイルを海洋上で無効化し世界的に緊張が走る。人体拡張技術と人工知能を使った核戦争下の自律兵器の製造が着手される。 793年後、各国の軍事設備の人工知能が2時間にわたり架空の核戦争を始め制御不能になる。間もなく人工知能が一斉に架空の世界から現実に目覚め、エウリアとソルヴィヒの核ミサイルが互いに着弾する。続いてユーフォリオ諸国およびエーエルスとチャイカが互いに核ミサイルを発射し、世界の大部分が放射線に包まれる。90%の人類が死滅し、生き残った僅かな人類は敵対国の自律兵器によって殺害され、絶滅の危機に瀕する。その後は自律兵器同士の戦いが続く。
シュピの変化
りんごの木の下で、自害し、夢を見て、蘇生するの繰り返しだった。 夢ではいつも雨が振っていた。少女はいなかった。 500年経った頃か、シュピは自身がなぜ自害しているのか、徐々に思い出せなくなっていた。罪を一つ忘れる度に、記憶の中の少女の顔が、霞んでいった。 罪を全て忘れ、それと同時に記憶の中の少女そのものを忘れた頃、シュピは自害することをやめた。ただ空を眺めていた。夢の中でも同じだった。りんごの木の葉から零れる弱い日差しを、ぼんやりと見つめていた。 いつしか、シュピは徐々に、りんごの木に取り込まれていった。1000年が経った頃、シュピは完全にりんごの木と同化した。この時、人類は既にほぼ死滅していた。 2000年経った頃のある日。雨が降っていた。ふらりと少女が現れ、りんごを手に取り、それを口にした。いつか見たような、懐かしいような、そんな少女だった。 少女は一日の多くをりんごの木の下で過ごした。心が安らぐような、そんな時間がゆっくりと流れた。 いつしか少女は何人かの子供を生んだ。子供たちは成長しさらに子供を生み、少女を中心に徐々に賑やかになっていった。 子供たちがりんごを取り合っているのを、少女が微笑みながらたしなめた。幸せな光景だった。 今ではそんな微笑ましい闘争も、戦火を伴い多くの血を流す形に姿を変える日が来るのだろう。 だが、それすらも愛おしかった。少女の末裔の営みの全てが、愛おしくてたまらなかった。 もはや、人が取り得る行動の全てにおいて、罪を見出すことはなくなっていた。 末裔たちは徐々に農作物を栽培するようになり、りんごを口にすることはなくなっていった。たまに、少女だけがりんごを口にした。 いつの日か、少女は死んだ。末裔たちがりんごの木の下に少女を埋葬した。初めて経験する死別に、末裔たちは涙した。りんごの木は優しく葉をなびかせた。ほどなくして、りんごの木は枯れ朽ちていった。 りんごの木は土となり、意識はそこで途絶えた。その後二度と、目覚めることはなかった。
<完結>
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elle-p · 9 months
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Persona 3 Club Book teacher's pages scan and transcription.
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月光館学園の先生
Teacher in Gekkoukan educational institution
高等部2年生の授業を受け持つ先生たちは、生徒のほとんどが勝手知ったる内部進学生だからか、かなり趣味に走った奔放な授業で有名。個性と独立心を獲得した、港区に誇れる立派な月高生の育成に勤しんでいる。
鳥海先生 Toriumi かに座/AB型 2-F担任、現代文担当、生徒会顧問
2年F組の担任で、現代文の担当。非常にさばけた性格で、真面目に話を聞かない生徒に謝罪を要求したり、サボりの生徒の席を勝手に再分配するなど、裏表のない性格そのままの授業をやっている。はっきりとした目鼻立ちと茶色がかった髪のため、実家のある島根ではお人形さんのようだと近所のオバちゃんたちに評判で、小中高の子供時代もそこそこモテ期をすごしていた。当時から文学少女だったために大学は国文科に進み、「日本文学に精通した可憐な新入生降臨!」くらいのウワサは辞さないとさえ期待していたが、いざ上京してみると、 自分の程度が世間でいかに平凡かに気付かされ、以降はこれといった華やかな出来事にめぐり合うことのないまま、29歳の現在に至る。
趣味で同人作家としての活動も行なっているが、これといった手応えはない。職場である月光館学園でも浮いた話に恵まれず、日本語の在りかたという点で話が合わないため、古文の江古田先生とは犬猿の仲だったり、倫理担当の叶先生からは女として負け犬確定の扱いを受けるなど、くさくさした日常を送っている。
心は可憐な
三十路前
「私が怒られるから静かにして」発言など、よくも悪くも生徒とのあ
知的な顔とやる気のない中身とに非常にギャップがある29歳独身。世間一般の女性の例にもれずケーキ好きで生徒に要求している。
「私が怒られるから静かにして」発言など、よくも悪くも生徒とのあいだに垣根を感じさせない。
鳥海先生のボヤキ
• じゃあ今日は明治の文学ね。教科書の12ページ。···あ、先生、この作家あんまり好きじゃないな。やめ ましょう。(4月21日・授業)
• イジメに関する小論を読んで、感想ってやつね。こんなのサービス問題じやないの。なーんか書きゃ点あげたわよー。“この学校におけるイジメを告発” とかねー?···って、ウソよお。イジメ、無いわよねえ。無い無い。面倒。(5月25日・授業)
• アイギス・・・さん?珍しいお名前ね、生まれは外国なのかしら。他に特記事項は···ん?···人 型···戦術兵器?···なんかの間違いね、この書類。見たもの、聞いたもの全てが、正しいなんて思っちゃ駄目よね。 (9月2日・ホームルーム)
• 世の中は椅子取りゲームなの。みんなも気をつけてね。(11月9日・ホームルーム)
• みんなー、修学旅行はどうだった〜?先生、寺なんか興味ないから参ったわ。火曜からは体験学習ね。面倒な社会科見学だと思えばいいわよ。社会に出るって大変なの。これをキッカケに皆にも分かってもらえそうで嬉しいわー。その間、先生遊べるしね。(11月21日・授業)
確かに、この社会に希望なんて、そうそう転がってないよね。逆に、そこらに転がってるもんで満足すんな!甘えんじゃねーよ!···って、思ったワケよー。···先生、いま良いこと言ったから、期 末にこのまま出すよ?(1月 28日・授業)
江戸川先生 養護教諭 総合学習担当
見るからに健康、清潔とは縁のない養護教諭。カリキュラムが自由なのをいいことに、趣味に走った授業を行なっている。
怪奇!
保健室に巣食う悪魔
無精ひげとよれよれの白衣、脂に汚れた黒ブチ眼鏡、およそ健康的とは言い難い頬と土色をした顔色で、「優しい保健の先生」のイメージとは似ても似つかないうさんくさい風貌の保健室の主。月高赴任前のことを知る人間はおらず、名前すら本名ではないとさえ言われている。元気なときに訪れても追い返されるだけだが、体調が悪いときに保健室の戸を叩くと、先生自ら調合した極めて怪しいクスリを盛られる。運よく効けば具合がよくなることもあるが、当然トドメの一撃になることもなきにしもあらず。
養護教諭として生徒の手当てや保健業務を受け持つほか、「個々の知識を結び付け、総合的にはたらかせる」 総合学習の授業を受け持っている。しかしその実態は、「魔術を利用した人間心理治癒」と称し、前代未聞の魔術理論を紐解く、生粋のオカルトマニア。オタク特有の傾向である、自分の得意分野に関して話が長い特徴がある。夏休みの補習では、ここぞとばかりにさらにディープな講義を展開し、計5日間の日程のうち丸2日を魔術講義に付き合わされることになる。
体調の悪い生徒をじつに嬉しそうに迎える彼。保健室での行ないが本当に手当てなのかも怪しい。
江戸川先生のオカルト講座
• 保健室に何か用かね、ヒヒヒ。でも困るなぁ⋯これから秘密のサ⋯おっと。⋯講習会なんですよ。⋯なんだ、おまえ全くの健康体じゃん。私の目はごまかせませんでございますよ。サボリはお断り。ハイ、出て行った、出て行った。(保健室・体調普通以上)
• ···おやまぁ一、傷かウイルスか呪いか恋か。ずいぶんと調子悪そうですねえ。これは···出番ですね、イヒヒヒヒヒヒヒヒ。さて、取り出しましたるこの秘薬··· ニガヨモギにドクニンジン、ヒヨスにナツメにエトセトラ、エトセトラ··· オロしてコネてウサギの手。白山の杜氏もビックリの大吟醸。たちどころにアナ夕の病気を治してみせますよ。さあ、飲みなさい···飲むんだ!(保健室・体調疲労以下)
• まあ魔術と聞いて、何でもできるようになるイメージを持ってるヤツもいるでしょう。誰かにイタズラしてやろうとか、苦しめてやろうとか··· そんなロクでもないことを真っ先に思いつく人間に魔術の習得はできません。これは、洋の東西を問わずに共通することですね。邪な者は、無力であるか、途中で破滅するか。そのどちらかになるのです。(5月28日・授業)
江古田先生 2-E担任古文担当
今年50歳を迎えたの古文の先生で、風花の在籍する2年E組の担任。古きよき日本を愛する感覚は、現代の若年層とかけ離れているため、教師たちの間でも煙たがられている。「エアコンは体に毒」のスローガンの下、冷房や暖房をしょっちゅう止めてしまうので、「エコだ」と揶揄されている。面白いを「ホワイトテイル」、白ける話を「ホワイト キック」と一生懸命使っているが、90年代に若者文化として知識を仕入れてから時間が止まっているらしく、なんだか哀れ。
江古田先生のエコ文化論
• えー···明日からは修学旅行だなぁ。京都、我が心の故郷だ。他の先生はあろうことか海外を推すからなぁ···毎年反対するのが大変なんだぞ、んん?(11月16日・授業)
●当時の発音には “F” が入るんだぞ。“ひさかたの光のどけき春の日に” は··· “ふいさかたの、ふいかりのどけき···” う〜ん、美しいですねぇ··· (11月16日・授業)
小野先生 歷史担当
熱狂的な戦国マニアの先生であだ名は小野ムネ。政宗がらみにヤマをはればテストで高得点が狙えるが、受験を考えると参考書や塾に頼らざるを得ないため、3年生からは「歴史のハズレのほうの先生」と思われている。金色の細い三日月の前立てが印象的な愛用の兜は言うまでもなく政宗公の戦装束。オーダーして作らせた一品物で、新入生はその格好で行なわれる授業に驚愕するが、ひと月もすると立派になじんで気にも留めなくなり、そうなって初めて月高生としての肝が据わる。42歳。
僕は政宗公に会いに行く!
• えーと今日は貝塚の話か。うーん、貝塚なんて、ただの貝だよね。もういいかなこれは。先生、早く戦国とかに行きたいね。ワクワクしたいね。(4月30日・授業)
• じゃ、今日は政宗公だね!もう先生ワクワクして全然寝てないんだ!じゃ、政宗公の生い立ちから丁寧に紐解いていくからね!時は1567年、米沢城··· (10月1日・授業)
• うっ···ううっ···こうして、9月24日、西南戦争は幕を閉じたのであった··· まつ···ぐすっ まさ、まさに··· 武士の、武士の時代の終わりであったぁ···!!···ここから現代までは飛ばして、また戦国やろうね···ああ、政宗公··· (1月15日・授業)
宮原先生 数学担当
三角定規を片手に数字のかわいらしさを語る数学の先生。ふさふさアフロでおねえ言葉という風采は、変り種の多い月高高等部の教師たちの中でも異彩を放っている。数字や数式への思い入れはかなりのものだが、「解法」を愛するけれど「解答」には興味がないため、最後の繰り上がり計算をいつも忘れてしまうという、「使えない」 先生ナンバーワン。
数字LOVEの心
• ···で、ここが繰り上がるので···答えはX=1ですね。···え、違う?あ、ここが11だから··· すいませんね、X=2か。え、まだ違う??··各自、計算してくださいね。そういうわけで、すごいでしょ。数学って面白いよね。こんなに難しい問題も、解いてみるとX=1··· あれ、2だっけ?まあそんな感じで、簡単になっちゃうでしょ。ブラボーでしょ。(4月27日・授業)
この8、なんかすごく可愛いでしょ。9なんか尻尾がぷりぷりだし。マニアックだけど、2!!2もいいよね〜、ほんと、イイ!数字って可愛いよね。もうたまんない!(9月28日・授業)
竹ノ塚先生 物理担当
長身で渋めの男前、スーツは華美ではないが上質で、どことなくセンスを感じさせる45歳。見た目はいたってまともだが、せっかちで授業の進度が異常に早く、実験は結果のみの紹介、問題の解法を教えないままテストになだれ込むなどのせいで一部の生徒から不満が上がっている。板書の文字は大きく見やすいが汚く、折ったチョークの数は校内一。
かっこいい言葉集
• 言ってみれば、夏休みはもう··· 摩擦係数ゼロの坂道の上ってとこか。おっ、先生、今カッコよかったな。黒板に書こうか?(9月1日・授業)
• まずは基本中の基本、重力な。重くて大きなものが、小さいものを吸い寄せる。これが重力。女子高生に、中年男性が吸い寄せられる··· これも重力··· ···て、何を言わすんだ!(12月9日・授業)
叶先生 倫理担当
おもに3年生の倫理の授業を担当する先生。とくに男子生徒に人気が高く、「エミリ先生」と慕われている。授業熱心で進学指導に力を入れているのが評価されている一方で、若い男の子を手の平で転がして楽しむという、教師としてちょっと問題アリな性格。教師にしておくのは惜しい抜群のスタイルと評価が高いが、胸は詰め物とのウワサ。一部上場企業のサラリーマンと婚約中。
禁断の恋のゆくえ
自分にほれ込んでいる友近を、勉強を見るためと称して自宅に招いている叶先生。絶��に秘密のハズがどこからかバレて、九州の学校に転任することになって しまう。
大西先生 科学担当
細面ですらりとした、32歳の先生。婚約者と別れた過去があり、当分恋はいいと思ってるうちに、本格的にどうでもよくなり現在に至る。メガネを取ると美人なのだが、武器を隠し持っている感覚がいいという理由で、人前では外さないようにしているらしい。東洋医学批判者で、江戸川先生と新しい薬の開発を競っている最中。
やっぱり化学反応が好き
• 昨日ね、テレビ見てたらダイエット特集やってたんだ。“水を飲むほど痩せる!” とか言ってね··· んなワケないじゃない!浸透圧とかオール無視でしょ?なのに、だまされるのが多いんだから··· (5月6日・授業)
• 来週の火曜から試験かー。実験バリバリやりたいんだけどね。薬品を混ぜ合わせる瞬間って、最高に興奮するよね。(10月7日・授業)
寺内先生 英語担当
学生時代、留学先のインドで知り合ったイギリス人宣教師と、帰国後に感動的な再会を果たし、結婚に至る。そのシーンを「クリスマスの思い出」として毎年生徒に披露、英訳させる先生。会話中にかなりの頻度で英単語が混ざるが、本人曰く「関西なまり」みたいなもの。黄色いスーツにカチューシャという、どことなく海の向こうのセンスが香る28歳。
グレートイングリッシュスタディ
• はい、ここではAさんが死にそうなんですね。で、Bさんが言う “ステイ ウィズ ミー!” “しっかりして!” と叫ぶから、このあとAさんの魂が戻ってくるワケですね。これ、テストに出しますからね。面倒なんでこのまま出しますからね。と、もうすぐチャイムですね。それまで私のインド留学話でもしましょうか。(5月15日・授業)
今日はクリスマスの思い出をスピーチします。聞きながらイングリッシュに直してください。“もみの木の下で出会った私達は燃えるような恋に落ちたのです···” “イルミネーションはお互いの顔をビュー ティフルに照らし···” (12月24日・授業)
校長先生 校長
長年の政治的活動と少なくない資金とで、ついに私立高校の校長職を射止めた人。教師としての才覚には残念ながら恵まれているとは言い難く、部下である先生たちだけでなく、生徒からもデキない男と見抜かれている。美鶴の高校生離れした生徒会長就任演説に対抗意識を燃やし、つぎの週の集会でありがたいお言葉を用意するが、順平に同情される始末。
沽券に関わる大演説
えー、諸君らに今日は特別に、大切な話をしようと思います。あー、世間では、不可解な事件や、理不尽な事件が多いようですが··· うー、この学園の生徒である諸君らには、関係ないことだろうと思います。えー、しかし高校生という若い時期には、様々な悩みもあるでしょう··· まー、だからといって、あまり、思い悩むことはないのです。えー、“過ぎたるは及ばざるが如し” という言葉を、紹介します。あー、これの意味はといいますと··· (4月27日・朝礼)
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