鳥取県立博物館/鳥取市東町【鳥取城跡】〜仁風閣〜宝隆院庭園
鳥取県立博物館とは
鳥取県立博物館は、鳥取県鳥取市東町(とっとりけんとっとりしひがしまち)にある博物館だ。
鳥取県立博物館は、県民の教育及び文化の発展に寄与するための施設として久松山下鳥取城跡内に設立され、昭和47年10月1日に開館した総合博物館です。
博物館の紹介/とりネット/鳥取県公式サイト から引用
鳥取県立博物館
鳥取県鳥取市東町2丁目124
0857-26-8042
(more…)
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少し前の話ですが
母が海老食べたいって言ってたので
母の日にちょっと連れ出して遠征、
ノープランで気ままにドライブしてきました。
伊勢海老食って、エビフライ食って
舟盛り食って魚介三昧。
最後に松阪牛食べて帰りましたw
天気には恵まれなかったけど
楽しそうにしてたのでよかった♪
また的矢牡蠣でも食べに行こ。
→→→→→
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https://copal-xxx.tumblr.com/
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【かいわいの時】明治四十三年(1910)4月15日:京阪電気鉄道(天満橋―五条間)開通。
天満橋南詰より鉄路長く駛つて京都五条橋畔に達する本線の沿道は、風景に於て他に比肩すべきものなきと同時に歴史研究の上に逸すべからざる幾多の名勝旧蹟を認むべし。今吾人をして試みに一乗客となりて本線の沿路を通過せしめんか、浪花の富を一夢と観せる古英雄の覇業を語れる大阪城を後にし。心中夫の網島の艶史を留むる大長寺の甍を左にしつつ、一路直に河北の大郊原に駛出すべし。此時後方遥かに楠氏一門の干城たりし金剛山の翠蓋を指し、右手東の方には葛城山脈の蒼々として打連なる中央に於て、生駒飯盛の翠巒を望見すべし。木村小路、守口に至れば澱江の水溶溶たるが上に軽舟小艇の去来する状、當に一幅の好画題なるを失わず(大久保透)。『最近之大阪市及其附近』1911(国立国会図書館蔵)より。*ママ。いずれも誤植。心中夫の網島→心中天の網島、木村小路→森小路。
(写真)「境内古図」(大宮神社蔵)
秀吉時代の当社を示す絵として描かれたものと伝わります(写真は複製)。寛政元年(1789)奉納。古図には本殿、拝殿の他、櫻門、高良社、北斗社、鬼門守護社、若宮八幡宮、七社相殿、三元殿等があり、南には京街道の「七曲がり」が確認できます(大宮神社=図も)。図の「一の鳥居」の附近に京阪電車の「大宮臨時仮駅」(1913~1920)がありました。
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江戸三大祭りの一つに数えられる、日枝神社(東京都千代田区)の山王祭で使われてきた掛け軸が、書家で幕臣としても知られる山岡鉄舟(1836~88年)の直筆だと確認された。同区は有形文化財に指定し、18日から8月18日まで、区立日比谷図書文化館で公開する。
鉄舟は幕末から明治にかけて活躍した書家。1868年に現在の静岡市で西郷隆盛と面談し、江戸城の無血開城につなげた幕臣の一人として知られる。
掛け軸は、絹地に墨で「日枝神社」と書かれ、「正四位山岡鐵(てつ)太郎拝書」と本名で落款がある。鑑定した二松学舎大講師の寺内進氏によると、晩年の1885~86年ごろの作品とみられるという。
掛け軸は千代田区の「麴(こうじ)町五丁目町会」が保存しており、山王祭で隔年で設置される各町会の御神酒(おみき)所に飾っていた。町会に、「(掛け軸は)鉄舟本人が書いたものではないか」との声が寄せられたため、区に相談���た。区は、鉄舟の書の研究で知られる寺内氏に鑑定を依頼し、真筆だと判明した。
区は、書家としての技術が凝縮され、鉄舟の到達点を示す作品だと評価。鉄舟の作品が祭礼で使われ続けてきたことも珍しいとしている。ただ、町会と鉄舟の関係を示す史料は確認できておらず、制作や入手の経緯は不明だという。
現在、麴町五丁目町会の会長を務める湯田嘉彦さん(77)は「本物だとは思っていなかった」と驚く。副会長の片岡勝吾さん(65)は「一般公開されるので、多くの人に見てもらいたい」と話す。山王祭では今年から、レプリカを使うことにした。
(via 「本物だとは」 日枝神社・山王祭の掛け軸、山岡鉄舟の直筆と判明 | 毎日新聞)
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#おでかけ #岡崎城
カフェを探しつつ岡崎城の周りを歩いてみたり。
途中武将の兜をモチーフにした映えパフェのカフェを発見し、すごいwwと盛り上がったり。
ちなみに岡崎市のマンホールは何種類もある模様。私が見つけたのは岡崎城と水運の舟バージョンのもの。どうやらほかにも名所などのマンホールが数種類、あとは東海オンエアのマンホールが7種、内藤ルネマンホールもあるらしく、内藤ルネのマンホールはぜひとも見てみたかったです。1種類だけかと思って、一つ撮って満足していました……。
岡崎城周辺は梅がちょうど見頃を迎えていました。
岡崎城公園の中にある時計台は、時刻が漢数字で、見慣れたアナログ時計なのに見慣れない感じ。
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初めてちゃんとした漫画を描いた。疲れた。
ちょっと長いので折りたたみます。
蛇足だけど私が現時点で好む両者の関係性はこんな感じ↓
「無航無を描きたいけど話のネタが無い」と思っていたら幸いにも、過去の私が妄想を書き留めていたので「これだ!」と描きたいところを描いた。
【話の説明】――漫画だけじゃ伝わらないかもなので書く。
ホセが乗ろうと言い出して舟に乗った二人。しかしここは湿度が高く、傘の生命エネルギーが上昇し、ホセが催眠によって深海に沈んだ人が水底へ誘う幻覚を見る。「あぁ、そうだった、海に帰らなければ。」
唐突に「海へ帰る」と言い出すホセに謝必安は「何事……?」と茶化しながら返答するもホセが片足を水に突っ込んで本当に沈もうとしているのが見えた。引き留めるの赤い光を瞳から放ちながら、左手でホセの魂を吸い取り、右手で水面へと傾いていたホセの体を勢いよく船側へ引き上げる。
ホセは船へ倒れた。徐々に吸魂の緑の光と目の赤みは消えていき、船は静寂に包まれた。「だから私といたらどんな怪異が起こるか分からないと言ったのに。」ホセの手から転がり落ちていた懐中時計を拾い上げた。ホセの時計には加護があるという噂は耳にしたことがあるが、「海神の加護とはやらはどこへ行ったのですか。」
……海神の加護って何なんだろう。良い方向に向かうとは限らないって言ってるけど、こういう本人的には「海の底に行けば幸せだ!!」みたいなメリバ系の幸せでも加護の一環なのかなぁとかいろいろ思った末のセリフ。実は最初は無咎で描くつもりだったんだけど、吸魂(意識を失わせるとか?)ができるのは謝必安だなぁと思い無咎ではなく謝必安になりました。別に無咎が嫌いとかではない。
技術不足を痛感した。コマ割りが分からない・背景と人物がなじまない・トーンでの色塗りができない(だからフルカラーにした)・効果音のつけ方が分からない……漫画を描く人って本当にすごいなぁと思った。
追記:感想。
今思ったけど、3ページ目のうにょうにょしてる感じがさよ教で御幸ちゃんを瓶に詰めている時の画像みたいだなって思った。
改めて見ると月が良い味を出している。背景推理の最後で月が昇るホセさん、悪夢を見続ける謝必安。宝石の国に夜に閉じ込めるという表現があ���たけど、今回の二人もそんなイメージ。エモくて大好き。逆に、以前書いていた無航無はこんな感じに背景をふんだんに盛り込んだ話を書いてなかったよなぁ。解釈違いが多いではあるけど、ああいった可愛さ全振りのはもう描けないのかもしれないと思うと少しだけ残念かも。
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刺身の舟盛りを見てると「こいつらは船に2回乗ったんだなあ」と思う
Xユーザーの青木龍一郎さん: 「刺身の舟盛りを見てると「こいつらは船に2回乗ったんだなあ」と思う」 / X
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【新作歌舞伎 『流白浪燦星』取材会】 ルパン三世役・ 片岡愛之助さん登壇&口上イラストも初公開
新作歌舞伎 『流白浪燦星』(ルパン三世)のルパン三世役・片岡愛之助さん、脚本・演出の戸部和久さんが登壇する取材会が11月7日(火)に都内で行われました。
自身も「ルパン三世」を楽しんできて、もしルパン三世以外の役を演じるとしたら?との問いに<マモー>と答えた愛之助さん。
本作に取り組むにあたっても “歌舞伎の安土桃山時代の中にルパン一味がいたとしたら” という考えにいたるまで話し合い、そこから衣装・カツラなどさらに相談を重ね、新作歌舞伎『流白浪燦星』のルパン三世役に全力で挑んでいると意気込みを語りました。
「ルパン三世」に欠かせない音楽は愛之助さん自身もワクワクする仕上がりと自信を見せ、物語や台詞を三味線の伴奏で語る「義太夫(ぎだゆう)」や、「だんまり」「本水」といった歌舞伎ならではの演出を盛り込んだ“歌舞伎版”ルパンの世界をぜひ体験して楽しんでほしいと話しました。
取材会では、口上をイメージしたルパン、次元、五ェ門、不二子、銭形の描き下ろしイラストも初公開されました。
===================
【公演概要】
■演目
新作歌舞伎 『流白浪燦星』(ルパン三世)
■公演期間
12月5日(火)初日~12月25日(月)千穐楽
■チケット取り扱い
WEB:チケットweb松竹
電 話:チケットホン松竹
■劇場
新橋演舞場
■配役
ルパン三世:片岡 愛之助
石川五ェ門:尾上 松也
次元大介:市川 笑三郎
峰不二子:市川 笑也
銭形警部:市川 中車
傾城糸星/伊都之大王:尾上 右近
長須登美衛門:中村 鷹之資
牢名主九十三郎:市川 寿猿
唐句麗屋銀座衛門:市川 猿弥
真柴久吉:坂東 彌十郎
■スタッフ
モンキー・パンチ:原作「ルパン三世」より
戸部和久:脚本・演出
大野雄二:作曲(オリジナルテーマ)
藤間勘十郎:振付
山中隆成:美術
多賀正記:照明
苫舟:編曲監修
鶴澤慎治:竹本作曲
杵屋栄十郎:附師
田中傳次郎:作調
湯浅典幸:音響
富永美夏:衣裳
下柳田龍太郎:舞台監督
▼開演時間など、詳細はこちらをご覧ください。
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午後から…あれえ?
2024年2月、寺口釣池(奈良県) iPhone11
どうも、こんにちは。2月11日(日)「建国記念日」は、旧竜田川釣池…じゃねえや、寺口釣池に行ってきました。トップ画像は、寺口釣池から見た旧竜田川釣池です。
2024年2月、寺口釣池(奈良県) iPhone11
さてさて、長い竿を振りたかったので、15尺まで振れる南陸桟橋に入ります。前々回入った西側は中セ池の常連さん3人組が先乗りしてはったので、1席空けて隣枡になる波除けパイプの横に入りました。箱池には珍しく南側の岸辺は丸くなっているので、桟橋に対して斜めに竿を出します。箱池なのになんで円形?フツーは四角ですよねwhy?
2024年2月、寺口釣池(奈良県) iPhone11
この竿が振りたかった。「寿るすみ 伊吹 白由里調」。12.6尺なので、尺数規定が11尺までの阪奈園へら鮒センターでは1号池に一つしかない長竿枡でしか振れないので使うチャンスがないんですよね。長竿枡に入れば良いんでしょうけど、今のところ2号池で結果が付いてきているので、1号池に行く気がしないなあ。なので、寺口釣池に来た次第。お昼ごはんも注文できますし。阪奈園HCじゃコンビニのパンばかりなので、たまにはガッツリと食事したいw。
2024年2月、寺口釣池(奈良県) iPhone11
12尺の仕掛けはクルージャンのTKOの1号でシズ合わせしてあるんだが、水面がテカってるので試しにTKOを付けて振り込んでみたら、もろに逆光。なので舟水の「逆光オールマイティ宙」の7号…は先週阪奈園HCで破壊したので8号をつけます。つけたらズボッと沈んだので、TKOは1号でもオモリが乗るんですね。
2024年2月、寺口釣池(奈良県) iPhone11
7時頃到着したので、7時40分頃釣り開始。隣の3人組は中セ池の常連さんで中セ池の話をしてはるので興味津々。結構大きな声で話してはるので丸聞こえなのだが、中セ池は不漁続きだったので、昨日の土曜日に新ベラを入れたそう。なので、お友達に電話で釣況を聞いてはったのだが、今日は釣れているそうだ。それを聞いて「明日は中セ池や」とワクテカしたが、振替休日なのに予定通り休業らしい。中セ池は平日の営業は火曜日だけなので。ところで釣りの方。早いペースでエサ打ちしたがサワリもなし。前回はFさん、MMさんが細かいまぶし粉で釣ってはったので、阪奈園HCのまぶし粉の粉の方(粒と粉)を用意していたのだが、思うところがあって早いエサ打ちを止めて細かいまぶし粉をつけたエサを置きっぱなしにしていたら、浮子がジワーッと抑えられたと思ったら「ツン」と節魚信が来た。ひょっとして池全体で1番乗り?まだ誰も釣ってないかもしれない。8時22分でした。
2024年2月、寺口釣池(奈良県) iPhone11
ε- ( ̄、 ̄A) フゥー、今日は早々に楽になれたw。余裕をかましてiPhoneで写真を撮ったりw。箱池には珍しくこんな形状になっているので、真っすぐ竿を出すには桟橋に対して斜めになる。
2024年2月、寺口釣池(奈良県) iPhone11
まぶし粉は、菅原商会の3号で手数を稼ぎながら、ここぞというところで阪奈園HCの粉を使う。テンポよくエサ打ちするより、気配がある時は誘わず置きっぱなしで待った方がいいみたいだ。2枚目も阪奈園HCの粉で結構待っていたら「ツッ」って感じの小さい魚信で釣れた。今日は珍しく先行してる。お隣はまだ釣れてないので、「今日は長い竿が良いのか」とか言ってくれる。
2024年2月、寺口釣池(奈良県) iPhone11
周りもボチボチ釣れ始めたころに3枚目。菅原商会のまぶし粉3号でサワリがあったので、エサ落ち目盛が出るまで結構待ったら釣れました。全部綺麗な節魚信なので気持ちいいです。
2024年2月、寺口釣池(奈良県) iPhone11
魚信が止まったら、波除けパイプの交差が気になる。15尺で届くので「魚光」の15尺に変更。お昼まで30分ぐらいなので、お昼前に尺数変更しておく。
2024年2月、寺口釣池(奈良県) iPhone11
日が高くなって逆光じゃなくなったので、浮子も舟水の「太PC底」の9番。
2024年2月、寺口釣池(奈良県) iPhone11
釣池でちゃんとしたお昼ごはんが食べられるのは有難い。とんかつ定食です。美味いけど、今日は温め無しでした。チーンってしてもらった方がいいね。
2024年2月、寺口釣池(奈良県) iPhone11
午後の部は15尺で開始したんだが、サワリが1回あっただけ。お隣の3人組は、前々回howellsさんが入った席の人が15尺に替えてから釣れだして3枚ほど釣ったかな。久しぶりの長尺はぎごちないし、柔らかい竿なのでタスキの振り切りでダウンジャケットにフッキングすること数回www。カッコ悪う〜(^▽^;)。風も出てきたんで12.6尺に戻す。
2024年2月、寺口釣池(奈良県) iPhone11
だが、しかし…終了間際にサワリが続いたものの喰い魚信がなく、乾いてしまった手網が再び濡れることはなかった…
(ノ_-;)ハア…
ということで、2月11日は、皆さんの竿が曲がらない時間帯にポンポン釣って見せて「手練」を演じてみましたが、すぐに化けの皮が剥がれて午後0枚でした…。合計3枚。
では、また。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ���と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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◆報道後も3億円かけ100トン除去
都は、2019年以降も2度にわたって、さらに計17トンのカキを除去。2021年夏の東京五輪は乗り切った。
ただ、カキ問題はこれで終わりではない。
都は、五輪後も4回にわたって計83トンのカキの除去を余儀なくされた。4年前に東京新聞がカキの大量発生を報じた後も、カキの除去に計3億円の経費がかかっていた。
このままだと、またカキが付着してしまう。
海の森水上競技場は、五輪のレガシー(遺産)として、五輪閉幕後も解体せず活用。一般に開放するほか、国際大会や全国大会の誘致を目指していた。
五輪会場の後利用のために、カキ対策は避けては通れなかった。
◆「カバーに効果」でも20年間で14億円
都は2021年7月から専門家を招き、抜本的な対策を検討し始めた。
候補に挙がったのは、
①海水を電気分解して貝の付着を抑える次亜塩素酸を発生させる
②装置にカバーを取り付ける
③定期的に装置をワイヤーで吊り上げる
④消波装置を石積みで下から支える
の4つの案。
5回にわたる検討会議の結果、消波装置にカバーをかけてカキの付着を防ぐのが最も費用対効果が高いと結論付けた。装置の編み目をビニール製のカバーで覆うことで、稚貝をくっつきにくくする狙いだ。
専門家が「最も経済的な案」と判定したカバー案。それでも消波装置のうち316基に付けるとなると、その費用だけで1億5000万円がかかった。
これでカキ対策も万全と思いきや、「カキの発生を完全には防げない」(施設の運営を担当する東京都スポーツ施設部)というのだ。
カキの幼生は肉眼では見られないほど小さく、カバーの隙間から消波装置に付着する可能性が高い。東京都スポーツ施設部の浅田宗(そう)・前施設整備担当課長(3月当時)は「今後も年に1回は装置を陸に引き揚げて清掃する必要がある」と話す。
すでにカキ対策に6億円を投じている都だが、カバーを設置しても2042年までの20年間で計14億円かかるというのだ。
試算額に、浅田課長は「正直、決して小さな額ではない」と認める。「当初想定しなかったカキの大量発生があった中で、健全な競技環境を整えなければならない。必要最低限の費用で、効果的な対策をとるよう知恵を出して努力している」と理解を求める。
◆「負の遺産」強化合宿は今も戸田で
「すごい、そんなにお金がかかるとは…」
カキ除去に14年間で20億円かかるとの都の試算に、埼玉県ボート協会の和田卓理事長は一瞬、言葉を詰まらせた。
和田氏は、海の森水上競技場の建設前から「風や波が強く、競技に不向きだ」と疑問を投げかけてきた。
和田氏の指摘に、「波や風の対策を講じるので問題ない」と言い張ってきたのが東京都だった。その結果、五輪が終わっても莫大な維持コストが都民にのしかかることになった。
和田氏は「当時、懸念していたことが、そっくりそのまま現実になった。競技に適さない場所なのに無理やり作ったツケだ」と憤る。
和田氏によると、海の森水上競技場ができた今も、1964年東京五輪のボート会場だった「戸田漕艇場」(埼玉県戸田市)で強化選手の合宿が行われているという。
都は、海の森水上競技場を戸田漕艇場に代わる新たな「ボートの聖地」にしたい考えだ。しかし、五輪後、海の森が一般開放されても、首都圏の大学や社会人の練習拠点は戸田漕艇場に残ったまま。
和田氏は「海の森水上競技場は、海水なので舟が傷みやすいし、消波装置があっても波が高い。使えない上に、たくさんの税金を垂れ流すだけの負の遺産でしかない」と言い切る。
波を防ぐ装置に発生した大量のカキを除去するため、今後も20年間で14億円かかることが判明した海の森水上競技場。一方、波とともに懸念されていた強風対策でも毎年、費用がかかることに。そのコストたるや…。
◆100年前は東京産が全国トップ
カキの産地といえば、広島県や宮城県が有名だが、東京にそのイメージはない。農林水産省の統計では、東京都の養殖カキの収穫量はここ20年ほどゼロが続く。
なぜ大量発生したのか。明確な原因は、都も分からないという。
文献を調べてみると、意外な事実が分かった。
実は古くから、東京湾の台場や葛西、大森周辺には多くの天然ガキがいた。明治期には養殖も盛んになり、昭和初期にかけて、東京都がカキの生産量や金額で全国トップだった時期もあった。
「東京都内湾漁業興亡史」にまとめられた東京都のカキの生産高。明治~昭和初期には全国トップだった時期もあった
「東京都内湾漁業興亡史」にまとめられた東京都のカキの生産高。明治~昭和初期には全国トップだった時期もあった
東京都漁連内の団体が1971年に発行した「東京都内湾漁業興亡史」によると、東京都は1905(明治38)年に養殖カキの生産量が全国1位。1926(昭和元)年と1931(昭和6)年には、天然カキの販売金額も、それぞれ全国1位だった。
東京都水産課の担当者は、「隅田川や荒川、江戸川、多摩川をはじめ多くの河川から水が流れ込む東京湾は栄養が豊富で、本来は漁場としての生産性が非常に高い。
高度経済成長期に海面を埋め立て、都市開発を優先して漁業権を廃止するまで、東京都はアサリやハマグリ、ノリなども含めて漁業が盛んでした」と説明する。
漁獲されていなかっただけで、これまでずっと東京湾の至る所にカキは存在していた。
海の人工構造物にすみ付きやすいカキにとって、突如出現した海の森の消波装置は表面の編み目がくっつくのにぴったりだった。
陸揚げされた消波装置の編み目に付着したカキ殻=東京都江東区で
陸揚げされた消波装置の編み目に付着したカキ殻=東京都江東区で
◆新しいご当地グルメに?
今回大量発生したのは、カキの中でもマガキと呼ばれる種類。国内で一般的に流通し、生食やフライ、鍋物などでよく食べられている。
予期せぬ事態を逆手にとって、ご当地グルメとして売り出すことはできないのか。
カキの衛生基準に詳しい、日本牡蠣協会オイスターズジャパンの三村大輔代表(41)は、「健康上の懸念から、難しいでしょう」ときっぱり言う。
「東京湾には水質がきれいで現在も漁業が行われているところもある。あくまでも競技場周辺のエリアの話だが、埋め立てで水質が悪化したことに加え、大雨などでオーバーフローした下水が河川を通じて流れ込むことがあります。病原性大腸菌の数が多く、食用には適しません」
味に関しても、評価は厳しい。
「そもそも国内で流通するマガキはほぼ100パーセント養殖物で、味や形を整えるために生産工程が管理されたもの。カキは海中の浮遊物を取り込むので、そのエリアの海のにおいがそのまま食べたときの香りやにおいになる。佃煮にしたらまだごまかせるかもしれませんが…たぶん、おいしくないですよ」
まだ続いていた東京五輪の戦い…相手は「カキ」 東京都が億単位のカネを投じて延命する「負の遺産」:東京新聞 TOKYO Web
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鳳凰 龍 細密石彫刻製作 石基壇 聖徳太子殿 念佛宗仏教美術 The Prince Shotoku Hall The Buddhist Art of Nenbutsushu Stone carving
聖徳太子殿 The Prince Shotoku Hall
念仏宗無量寿寺(念佛宗) 総本山 佛教之王堂〜三国伝来の佛教美術 日本では類例を見ない四手先総詰組様式、および三手先腰組付縁の八角堂 It is a grand octagonal shrine with four-stepped intermediate bracket complexes under the eaves and three-stepped bracket complexes under the veranda, which is peerless in Japan.
概略 高さ17.2m(基壇、棟飾り込) 側通り柱間4.85m
輪島塗による高蒔絵、及び彫金が施された厨子に、中華人民共和国、工芸美術大師・佘國平佛師制作の「和国の教主」とうたわれる聖徳太子像がお祀りされている。
念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴
他に類を見ない様式 四手先総詰組、三手先腰組付縁の八角堂は他に類を見ない。特に四手先総詰組は、日本建築史上初めての独自の変形組み手である。特殊な組み方をすることにより、組み手同士の立体的干渉を回避している。この念佛宗(念仏宗)ならではの、独創的な手法は、専門家をも捻らせている。日本の大工の始祖とも崇められる聖徳太子も、きっと納得されているに違いない。 天平の文化が華やかなりし頃、神社仏閣は、鮮やかに朱で彩られ、外国文化を吸収、醸成され、それはきらびやかなものであった。 そして今また千年の時を超え、念仏宗 佛教之王堂における聖徳太子殿は、天平時代の華やかさを凌ぐ存在感で、参詣者を迎える。 外装壁部には「天女」、阿件形の「鳳風」、衆生を導かんと雲を従えて天下る阿件の「龍」が、また蛙股部には「宝相華」が、胡粉の白一色に塗られた彫刻で荘厳されている。腰組部と階段脇の耳石にも阿件の精緻に「鳳風」が彫刻されている。 これら数多くの彫刻、彩色で彩られた御堂は、典雅な趣にみあふいざな満ち溢れ、訪れる者を夢の世界へと誘う。 桟唐戸は丹青技法による極彩色が施された「宝相華」や「転法輪」、「鳳凰」の彫刻で荘厳され、八方を守護している。 世界に誇る槙の日本庭園に囲まれた姿は、飛鳥・天平時代を偲ばせる典雅な趣に満ちている。 軒裏に扇垂木を用いており、内部は韓国人間国宝・李萬奉大僧正猊下、及び、直弟子洪昌源師制作の、韓国古来の伝統的丹青技法による彩色が施され、合計428点の彫刻が太子を賛嘆している。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴 三国伝来の佛教文化 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂の聖徳太子殿は、かつて、聖徳太子が御堂にこもって、経典の解釈に没頭しておられる時、夢告(むこく)で教えを賜った(たまわった)との伝説から、法隆寺などでは平安時代より、「夢殿」(ゆめどの)とも呼ばれてきた。 ここ念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂における聖徳太子殿は、日本の建築技術と韓国の丹青(たんせい)技法、そして中国の彫刻が見事に調和し、三国伝来の佛教文化の粋を見ることができる。 例えば四手先総詰組様式及び三手先腰組付縁(こしぐみつきえん)は、他に比類なき日本建築の最高峰といえるもの。 また、内部に施された極彩色(ごくさいしき)は、韓国の丹青技法が日本で独自発展を遂げた平等院鳳凰堂の様式を踏襲したものであり、天井画写真下方の緑色部、「ぼかし」のような繧繝(うんげん)彩色や、全体的な白く縁どられた紋様等が特徴的である。 和国の教主 聖徳太子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿には、聖徳太子像をお祀りしている。天竺(インド)から唐土(中国)へ伝わった佛教の尊さを悟られ、神佛が習合する中、日本へ佛教を根付かせた「日本佛教の父」が聖徳太子。 「和を以て尊しとなす」 これは世界的に有名な聖徳太子『十七条憲法』の根幹(こんかん)をなす第一条の言葉。『十七条憲法』は、我が国最初の憲法であり、佛教精神を基(もとい)とした平和国家日本の建設に臨まれた聖徳太子の決意を表している。推古(すいこ)天皇即位の時、聖徳太子を摂政(せっしょう)とし、すべての政治を委ねられた。『日本書紀』には、その時、もろもろの豪族らは、君主と先祖の恩に報いるために競って佛をお祀りする場所を造ったとされ、以来、それが「寺」となった。つまり恩に報いるために寺が建てられ、佛教が興隆していった。 第二条に「篤く三宝を敬え。三宝とは佛・法・僧なり」そして「何れの世 何れの人か この法を 尊ばざる」として、どの時代、いかなる人であってもこの法を尊ぶべきことを明断しておられる。 そして佛教を基調とした国づくりをして、日本を統一国家に相応しい姿にされた。それによって寛容の心が根付き、民の争い事が減った。そして佛教伝来から僅か数十年で、当時の世界最新建築の佛教伽藍(ぶっきょうがらん)「四天王寺」「法隆寺」を建立した。聖徳太子が、「和国の教主」と呼ばれる所以。太子の願いは、大和の地に佛教を興隆させ、人々に平和をもたらすことでした。 丹生(たんせい)技法に彩られた堂内 青丹によし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり 聖武天皇(しょうむてんのう)の御代、奈良で一世を風靡した丹生技法は、今、ここ社の地で大きく華開いている。 渡来して日本的発展を遂げた密度濃やかな繧繝(うんげん)彩色や、白縁模様で荘厳された極彩色の天井を、吉野檜の銘木に、拭き漆と熨斗(のし)模様を施した八角柱が八方から支える。 聖徳太子殿の「八角宮殿」 扉に描かれた阿吽の鳳凰は、聖天子(せいてんし)の出現を待ってこの世に現れ、飛天は、釈尊説法時に舞い降り、奉楽し、天華を散らし空中で舞う、とされている。 宮殿は、もともと、天竺(てんじく)における塔やその下の小室である「龕」(がん)を源流とし、後世、これが厨子(ずし)や仏壇に変化した。 法隆寺玉虫厨子や橘夫人念持佛(たちばなぶにん)などは、その代表例。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿の「宝珠」 宝珠は、災いを除き、願いをかなえる力を持つとされ、聖徳太子殿の屋根に聳える宝珠は、聖徳太子の佛教興隆の成就を象徴しています。 この宝珠を護法神である、八頭の象が支えており、八方から佛敵より佛法を護り、宝珠の周りには、凡夫の煩悩を焼き尽くす火焔(かえん)が、勢いよく燃え盛っています。 聖徳太子殿の「輪島塗 高蒔絵」 日本の伝統技法の輪島塗りによる高蒔絵は、最高品質の漆を盛って、乾かないうちに松煙(しょうえん)を蒔きこみ、盛り上げ固めます。入手困難な「舟鼠(ふなねずみ)の蒔絵筆」を用い、輪島塗職人の二年間にわたる努力の末に完成しました。十枚の扉に浮かび上がる金色の『十七条憲法』の銘文は、職人会心の傑作です。 松竹梅と獅子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺の宮殿下部には獅子が八方を護り、吉祥紋様の松竹梅が施されています。 風雪や厳寒に耐えて緑を保つ常磐木(ときわぎ)の「松」と「竹」、春、百花に先駆けて花開く「梅」を長寿・高潔・節操・清純などの象徴として「歳寒三友(さいかんさんゆう)」とも呼び、その吉祥紋様を背景に、獣類中、最も勇敢で高貴な、百獣の王の獅子が、宮殿を護っています。
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【かいわいの時】安永七年(1778)三月十日:蕪村、几菫、旧国の三人、夕暮れに桜宮を吟歩(『戊戌之句帖』)
安永七年三月九日、師の蕪村とともに伏見より昼舟で来板した几菫(きとう)は、翌日、俳友の旧国(ふるくに)も加えて網島に遊びます。句集『戊戌之句帖』には、次のように記されています。
十日 旧国と三人網島に遊び夕暮桜の宮の辺吟歩す
落ちかゝる雲を抱へて初桜
三ツふたつ��ぼるゝ雨や初ざくら
雨含む雲にけ高し初桜
とばかり案じ入て、今さら信徳が花の林にけをされて、中/\申出べくもあらず 又 都の春のにしきとは、常に聞ふるし見ふるしにたれば
難波津や桜の宮の柳哉
旧国は、姓は安井、名は政胤、通称は大和屋善右衛門の俳号。北革屋町に住し、飛脚問屋を営む。寛延3(1750)年家督を継ぎ、三都随一といわれるまでに��勢を盛りたてた(加藤定彦)。隠居後の享和元年(1801)に大江丸として刊行した『俳諧袋』は彼の第二句集ですが、そのなかで、蕪村のことを「生国摂津東成郡毛馬村の産」と記しており、これが毛馬村を故郷とする(蕪村以外の)唯一の証言となっています。しかし、この句集および第一句集『俳懴悔』にも、この時の句は収録されていないようです。
御大蕪村はとゆうと、安永七年二月の月例句会で
初ざくら其きさらぎの八日かな
と詠んだ句あります。弥生の桜宮ではどんな句を詠んだのでしょう。
(写真)中沢弘光「櫻宮(仮題)」。『畿内見物 大阪之巻』1912(スミソニアン蔵)挿画。
『畿内見物 大阪之巻』には高安月郊「蕪村の故郷」が収録されており、本画は二つある挿絵の一つ(もう一つは「網島」)。一の鳥居の内側から清湾を望み、大阪城・伏見櫓をとらえています。鳥居の刻銘には脱字があります。正しくは 「文化六年己巳春三月日建」。文化六年(1809)は蕪村が吟歩した31年後にあたります。
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March 2024 3 days ogikubo club DOCTOR
6bodies60minutes6months vol.13
club Doctor Purifiva Pataphysique Records eyeliner Presents
各日開場19:00 開演19:30
料金¥2000+D 3日間通し券¥3000
2024年3月12日(火)Europe 2023 Again…
青木智幸, 川口雅巳
2024年3月13日(水)最暗黒の日…
TACO(山崎春美、森田潤), 魔術の庭(福岡林嗣、ルイス稲毛、モロハシシゲキ)
2024年3月14日(木)妖艶な共演…
Sister Paul(Susumu 、MACKii), バラナンブ(藤井政英、山崎怠雅、南部輝久)
青木智幸
1967年生まれ。サイケデリックバンドUP-TIGHTのVocal&Guitarとして30年に渡り国内外で活動を続ける。また、この10年はSax即興奏者である望月治孝とのデュオでの活動も盛んで2枚のアルバムをリリース。23年にはMike Vest(Ba) &Dave Sneddon(Dr)とのトリオでTomoyuki Bandとしてアルバムを発表。2024年中にセカンドも発売予定。ソロでもUP-TIGHT同様、時に繊細、時に暴力的な唄とギターで独自の空間を生み出す。
川口雅巳
1970年生まれ。90年代より東京アンダーグラウンドシーンで活動。現在は自身のバンドNew Rock Syndicateを中心に、ギタリストとして灰野敬二&The Hardy Rocks、ベーシストとしてうすらび、Los Doroncosでも活動中。またガレージロックから即興演奏まで幅広いミュージシャンとセッションも行っている。ソロでは海外ツアーも頻繁に行っており、2018年ロンドンでのライブはCafe OTOよりデジタルリリースされている。
TACO(山崎春美、森田潤)
じゅうたん、と仮名ルビまで打ってみたところで爆撃可能なそらなんかみつからないし、みつかりっこないのであればうわのそらでいるよりほかない。なにもかもが素敵だった。この庭はぼくらのじゃない。くらやみのたんとあるたくらみなんかいざとなれば破綻しちまうんだ。そもそも狙わなければ追い詰められない。デルモア・シュォーツは夢のなかで責任がはじまると叫んで、近隣に咲き乱れる花々がTACOとなっては失明する。断絶してさらに破綻する。ガシャン!そしてヨーロッパの息子たちは、ふたたび殺戮を繰り返し、血塗られた成熟が静寂となってよみがえる。もしかしたら見捨てられた庭なのだろう。人影はまったくなかった。飛び込もう。みえるのは碧い水ばかり、両手がピンクの魚みたいだ。海水だとゆらゆら黒ずんだ緑色の影になるのに。すくなからず不安なのだ。いや、だれも見張ってなんかいやしない。おもったほど愉しくもなかった。みんな他人のものなのだから。いつなんどきでてけといわれ追いはらわれたってしかたがないのだし。うつくしいのに味わうことができない。これは運命のいたずらにすぎないのではないか。すぐにも釈明をもとめられたりしたら、じょうずに逃げきれるのか。足音を忍ばせて近づいて、やがて肉厚の毒針が放射状にくっついた灰色に肥大した竜舌蘭がみつかった。Il giardino incantato 1948年。「あそこ」だ。ちぇっ、見逃しちゃった!
魔術の庭(福岡林嗣、ルイス稲毛、モロハシシゲキ)
"Rockの最後衛にして保守反動。今時全く流行らない大型アンプを積み上げ、戦艦大和もかくやと21世紀に逆行し続ける東京ゼロファイター達は、約30年前のOverhang Party時代からなにも変わっていない「進歩の敵」である。「ただ馬鹿デカい音で延々と同じことを繰り返しているだけのようだが、そこに僕は悪魔の旋律を聴いている気がする。音楽を理解するためにはそれぞれの持っている耳の歴史が重要なのだ」とは1995年、当時の朝日新聞記者近藤康太郎氏によるAERA誌にての評。”
Sister Paul(Susumu 、MACKii)
1992年結成の男女混成コーラスグループ🐱 荻窪へ行くにはいつも歩き🐼 今年からリーバイスジーンズの蒐集を始めるも、まだ3本しか集まっていない🌵
バラナンブ(藤井政英、山崎怠雅、南部輝久)
2017年、結成。ヘヴィなトリオロックサウンドとサイケデリックカルチャーやグラムロック的な風貌の三人のキャラクターでライブ活動が評判を呼び、2019年、4曲入りミニアルバム『ファズ、光線、花』を発売。日本語歌詞と共に奏でられるハードロック、グラムロック、ニューロック、60年代から連綿と続く「日本のロック」を正統に継承したサウンドが好評を博しディスクユニオンでは日本のロック週間チャートで2位を獲得。メンバーはYBO2からキャリアを開始し数々のバンドを渡り歩いた藤井政英(Vo,G)、主にAural fitで活動し、水晶の舟など東京アンダーグラウンドでの活動を続ける南部輝久(Dr)、ex 魔術の庭、The Silenceや自身のソロでも活動する山崎怠雅(B,Cho)。メンバーの出自である日本アンダーグラウンドの枠をはみ出した大音量ながらもキャッチーなサウンドで東京都内を中心に精力的にライヴ活動を展開。
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ブレワイと鉄道、少し傭兵
まずブレワイから。ブレスオブザワイルドってどういう意味なんだろうと思い始めてきました。まずブレスって何?bless?breath?そこから。どうもbreathらしい。
思い出を全部回収したっぽいです。ゼルダ姫が封印の力に目覚めた!なんというか思い出したというよりは察してたことが補完されたというような感覚ですが。まあ、やっぱりミファーがラネール山の麓で言いかけたこと、誰かを守りたいという想いみたいなのがキーだったんでしょうか?
これまでも思うところあったのですが、女神ハイリアという存在、なかなか癖のある神ですよね。絶対悪ガノンと対になる絶対善ではない。相対的に善なだけであって、本質的にはそんなにいい神ではなさそうです。いい神、優しく善なる神だったら、こんな風に巫女を試したりしないでしょう。民もたくさん死んでいるのに。
マスターソードのときも思いました。試すとか言って生き血啜ってくる剣は魔剣というのでは?女神ハイリアの名のもとにアスレチック作って数千年地面に埋まってる即身仏がたくさんいるのも空恐ろしいし。。。他にもなんか一回くらいあったような。。。こういうシーンが。。。
ただ単にハイラルを支配下においてるだけで、本質は力・勇気・知恵を司る上位存在であるだけなんでしょうね。私はそっちのほうがリアリティあっていいと思いますが。この文脈におけるリアリティってなんだ?????
あとは祠チャレンジとか、その他サブクエを完遂したらハイラル城に突っ込もうかなと思っています。まだやり切っていないクエストとかもありそうですが…。やることなさそうかなと思ったら一度攻略情報見てみるかもしれません。
個人的に今気になっているのは、ウオトリー村を出奔してBIGになろうとしていたニート(その後ハイラル平原でピンチになったところを目撃している)、リトの村の入り口で空を見ているニート、ゾーラの里で縁談の予感を待ち構えている仲人おじい、ロベリーと奇人の息子グラネット(来る途中見ましたか?と言われたけど絶対いないよね?イマジナリー息子?)、らへん。ゲルドのお料理先生も気になっていたのですが、ルージュ様が兜くれたので、特にもう何もなさそう。
あと、カカリコ村の宝珠が盗まれるクエストで、出てきたイーガ団幹部が悪の幹部すぎて感動した。
(9月18日 画像を追加しました)
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次スターレイル。ヤリーロ-VIをくりあーしました。最後カカリア戦の演出なんかいろいろすごかったな。。。。ほんとなんかすごかったという感想しかない。すごい盛り上げ方でした。今後まわる世界全部こんな感じなんですか?
ほんとに最後のほう、サンポが意味深に誰かと話しているシーンがありましたが、サンポはヤリーロ人じゃないのかな??星核ハンターでもないさらなる勢力?公式サイトでもベロブルグの人扱いになってるけど。謎です。
サンポ、特に好きなタイプのキャラではないのですが(あのタイプのキャラが大好きな人がいるのはかなり強く感じます)、しゃべり方の……文体?がなんというか他人とは思えなくて気になっております。
仙舟・羅浮にやってきましたが、この世界観かなりいいですね。未来中国、しかも住民獣耳。好きなものを全部詰め込みました感。ストーリーも今後の展開が気になる感じになってます。刃、カコイイ。ただかっこいいだけじゃなく、普通にちょっと気持ち悪いような薄気味悪さを併せ持ってるのがいいですね。景元将軍と従者君もいい感じです。従者君はかわいい男の子風なのに強いのがちゃんとわかる言動、ベタだけど良いです。女性陣は、なんというか全員ケモミミでショートパンツなので、ちょっと脱力です。将軍の座を狙ってた女の子のほうが古参兵ネキより強そうだったな。。。
あとはお宝さがしイベントを一生懸命やって終わらせました。
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私はあんま興味がなかったのですが、アーマードコアが発売されましたね。我が家でもなんか始まっています。ヴァ・ナボリスみたいなのを攻略しようとしている場面を見ました。荒野の四足歩行機械でビームを撃ってきて脚部を破壊して乗り込むやつ、なーんだ。歩く霊廟は荒野にはいないから×です。ちなみにビームを撃つのは雪原限定です。
「主人公はフリーランス傭兵だから、あっちについたりこっちについたりする」という話を聞きました。それを聞いて思い出したのはFE蒼炎の軌跡…。アーマードコアの話じゃないです。申し訳ありません…。ファイアーエムブレムの話です…。
団長の死を気にグレイル傭兵団を辞めてフリーランス傭兵になったシノンさんは後に帝国軍に雇われて、グレイル傭兵団の剣の露となって雪原に散っていったんだよね…。
悪趣味なのは重々理解しているんですが、私はこのシーンが大好きで、それは当たり前ですが人死にを喜んでいるわけではなく、シノンさんには生存ルートと死亡ルートがあるということを前提にして、この死亡ルートのあっさりした最期、その悲しさが非常に含蓄に富んでいると思っていて、だからとてもよく覚えているんです。
シノンさんの再加入後には新人(?)との支援会話もあって、楽しそうな(?)会話をしていたりするわけです。そういう未来が選択と可能性の交錯によって閉ざされてしまう(あるいは、生存のほうが難しいと思うので、「そういう未来を選び取ることもできる」)ことをシミュレーションできるって、ゲームとはなんと表現力豊かな媒体なんでしょうね。
シノンさんが登場する続編である暁の女神を私はプレイしていないのですが、それは、このシーンの「正解」が定められてしまうのは受け入れがたいと思ったからでもあります。
ゲームって奥が深いですね。ストーリーメディアとして。
今日はそんな感じで~す。
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