Tumgik
#葛ひき
march-brown · 2 years
Photo
Tumblr media
お精霊さん定食@dd食堂京都 デザートのおはぎが、珈琲を呼びます。 #京都定食 #お精霊さん定食 #京都の食文化 #おしょらいさん #京のお盆 #お盆 #ひろうず #生麩 #ずいきのごま酢和え #のっぺ汁 #葛ひき #干瓢 #湯葉 #追い出しあらめ #西瓜 #おはぎ #間水 #けんずい #珈琲 #定食 #京都ランチ #京都カフェ #ロングライフデザイン #dd食堂 #danddepartment #longlifedesign #ディアンドデパートメント #佛光寺 #プラネタリーヘルスダイエット #planetaryhealthdiet (at D&Department KYOTO) https://www.instagram.com/p/Ch1D2CSuerS/?igshid=NGJjMDIxMWI=
4 notes · View notes
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
埼玉県白岡市逆井出身の杉浦梨砂杉浦堅の実妹です。杉浦穏やかですから、健太郎居候と是非ともお見合い出来ればありがたいです。
2024/04/12
1 note · View note
shirasaki0yu · 11 months
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
0 notes
fsravine · 2 years
Photo
Tumblr media
#京都 の #朝ごはん ホテルの #たん熊北店 で #和定食 #鮭塩焼き #ひろうす #お粥 #葛餡 一品一品がいつもながら丁寧 出汁を味わいながら、#味噌汁 を飲む #出張 で疲れた胃を癒してくれるね (at 京都東急ホテル / Kyoto Tokyu Hotel) https://www.instagram.com/p/CeDzS5YLN3np_Lns2ALgIuV01TYLJpT8hDNsfI0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
shingi · 1 month
Quote
翻訳業の場合、"not"をひとつ見落としたら人が死に、飛行機が墜落し、戦争が起き、取れる特許が取れず、真���人が変わります。したがって億ドル単位の損害賠償を請求される可能性はいつでもあります。私は「損害賠償請求額は当該案件の税込み報酬額が上限」という条項を必ず入れてもらっています。
Xユーザーの葛葉さん
185 notes · View notes
leomacgivena · 6 months
Quote
知的労働をしている人が働き方改革で一番困るのが「効率的に働け」の意味合い。アホな経営や人事、上司にかかると、ひたすら手を動かしていないと効率的とは認められない。一番付加価値の高い仕事をしている時とは考え事をしている時だが、それを「遊んでいる」「非効率」と見なされる恐れあり。
木村岳史(東葛人)さんのツイート (via gkojax)
224 notes · View notes
nanaintheblue · 4 months
Text
思い出した。わたしがSNSで個人的な気持ちを投稿するのをやめるようになったのは、まったく知らない人がわたしの言葉をかんたんに額装するからだ。力を込めて書いた作品とSNS投稿ひとつを同じ重さみたいに反応されるのがいやだからだ。わたしはもっと、わたしのことを独り占めしたくなった。悩みや愚痴は、その葛藤から遠く離れるほど時間が経った後で、悩みや愚痴を話せるような仕事がきたときだけ話したほうがいい。あまりにオンタイムな葛藤は、公開してしまった途端に、鯉の池に投げ入れた餌みたいにぼちゃぼちゃ飛沫を上げてうやむやになってしまう。わたしはもっと根深く、真剣に、収拾がつかなくなるくらいの葛藤をしたい。みんなが簡単に追いついて来られないような葛藤と恨みを煮立たせるには孤独が必要だ。
くどうれいん「日記の練習」
84 notes · View notes
kennak · 10 months
Quote
ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』��て、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
68 notes · View notes
dai-mori · 6 months
Text
Tumblr media
Tomigaya, Shibuya, Tokyo / Oct. 2023
昨晩から悪寒腰痛頭痛と風邪ひき始めサインが出たので今日は葛根湯と痛み止めにイブクイック飲んで今は抑えられてる。風邪引くの何年振りだろうか。コロナもかからなかったか気づかなかったから薬の服用自体5年ぶりくらいかな。普段は食べて寝て治すけど今週末実家に帰省予定なのでまぁ仕方ないと思って飲んだんだけど怖いくらいよく効く。急に寒くなって身体がついていかないな。
23 notes · View notes
ari0921 · 10 days
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月19日(金曜日)
   通巻第8221号
 後継皇室問題で自民党が有識者会議の二案を『妥当』
  やはり自民党に「現代の新井白石」はいなかった
*************************
 皇統後継問題の皇室典範改正をめぐって有識者会議が開かれ、これを踏まえて岸田首相は令和六年(二〇二四年)一月三十日の所信表明演説後の質門に答え、かく述べている。
 「有識者会議において悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならないとの結論に至った」。
つまり「女系天皇論」という俗論をたしなめたのだ。だがメディアは意図的に、この一歩踏み込んだ発言を殆ど伝えなかった。岸田首相は「悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」と明言しているのである。
 皇統は神武以来の万世一系で男子が継承し、跡継ぎが幼少などの場合、未亡人皇后か独身の内親王が天皇代理として「称制」と務めた。この歴史の特質が意図的に議論されず学校でも教えない。
だから軽佻浮薄にも「愛子天皇待望論」が出てくる。女性天皇と女系天皇の区別も曖昧とされたままである。
 小泉政権のおり皇室典範改正をめぐって有識者会議が開催された。明治二二年(一八八九年)制定された典範により、男系長子が皇位を継承するという神武天皇以来の万世一系の伝統が守られてきた。状況が変化し、皇統が絶えかねないという危機を認識し、急遽、有識者会議が招集された。
だが、座長はロボット工学専門の学者で歴史には無知だった。秋篠宮に悠仁親)王がお生まれになって、皇統問題は棚上げとなった。
 もしこの流れを変えるとなると歴史を否定する革命である。フランクフルト学派が狙うのは二段階革命による国家破壊であり、グローバリズムが国境をなくせと唱えている国家否定の隠れた目標に通底する。
  
 4月15日、自民党は皇位継承の安定のための皇族数確保に関する有識者会議の二案を『妥当』とする立場を示し、「安定的な皇位継承の確保に関する懇親会(麻生副総裁が会長)で党見解のとりまとめを急ぐとした。
 「二案」とは(1)皇族女子の結婚後の皇族身分保持。(2)養子縁組に拠る旧皇族団系男子の皇籍復帰、である。
 自民党はいずれも妥当としたわけだが、いささか勉強不足だろう。やはり与党に現代版の新井白石はいなかったのだ。
 各党の意見のなかで、唯一まともなのが「維新の会」である。すなわち(1)に対して、現実的ではあるが「女系への皇位継承資格拡大につながる懸念がある」としている。
 (2)に関しては『歴史と現実を踏まえれば、高く評価できる』とした。
そもそも皇室典範の改正云々を内閣ごときがおこなうべきではない。立太子と親王殿下がおられるのに、なぜこんな議論をするのか、裏に何か別の動機が潜んでいるのか。
(参考文献 宮崎正弘『二度天皇になった女性 ─孝謙・称徳女帝の光と影』(ワック)
  ▼
(再録)「新井白石 皇統断絶の危機を予知」
 皇統が断絶の危機に瀕したことは神武天皇の御代から幾度かある。また後継皇位を争った政争、謀殺も何回かあった。 
 古代史最大の謎は応神天皇と継体天皇の正当性である。ほかにも雄略天皇が謀殺したイチノヘオシハ(履中天皇の皇子、雄略天皇の叔父)の遺児が播磨と吉備の境に二十年隠れ住んでいて、雄略の皇子・清寧天皇が亡くなると名乗り出た。この間、イチノヘオシハの妹の称制だった。
 新井白石は自伝ともとれる『折たく柴の記』のなかで、皇室の後継が不在となる危機の到来を認識し、東山天皇の祖孫をして閑院宮家を立てられるよう将軍に建言した。その皇統を維持させた経緯を次のように回想した。
 「議し申すべき一事の候は天亨・建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば、武家の代の栄えも衰えをも、ともにせさせ給ふべき御事なるに、応仁の後、世の乱れ打ち続て、武家すでに衰給ひにし上は、朝家のことは申すに及ばず当家(徳川)神祖天下の事をしろしめされしに及びてこそ、朝家(皇室)にも絶たるをも?ぎ、廃れしをも興させ給ふ御事共はあるなれ。しかはあれど儲君(皇太子)の外は、皇子、皇女皆々御出家の事においては、いまもなほおとろへし代のさまに、かは
り給はず。凡そ匹夫匹婦の賤しさも子を産みては其室家あらむ事を思ふ。これ天下古今の情也。(中略)これより後、代々の皇子、皇女、其数多くおはしまさむに至りては天下の富も、つがせ給はぬ所ありぬべしなど申す事も候はんか。古より皇子、皇女、数十人おはしませし代々もすくなかれねど、それらの御後、今に至り給ふは、いくばくもおはしまさず。『天地の間には大算数といふもののある也』と古人は申したりき。これらの事は人の智力の推し測るべき所にあらず。ただ理の当否をこそ論じもうすべけれ」(松村明校注、岩波文庫。138~140p)
 新井白石は後継皇統の候補者がたくさんおられた時代ではなく、いずれ後継候補が不在となる危機にそなえ、別に宮家を建てて費用をまかなうべきと建言したのだ。
 将軍家宣は白石の建言を受けいれ直仁親王を閑院宮と称し、禄千石を進上した。はたして白石が危惧した通り第113代東山天皇の系統は第118代後桃園天皇で絶えた。
 そこで東山の皇子、直人親王の孫にあたる光格天皇が第119代天皇として即位された。光格天皇は閑院宮典仁親王の第六王子。誕生の翌年に聖護院に入寺し将来は出家して聖護院門跡を継ぐ予定だった。
 ところが後桃園天皇が崩御し、直系は内親王だけだったため、安永八年(1789)十一月二十五日、践祚された。今上陛下はこの光格天皇の系統である。
 ゆえに令和の時代の皇室論議に臣籍降下された旧宮家の復活が急がれる所以である。
 白石が冒頭にのべた「建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば」という意味は、建武の中興の後醍醐天皇の南朝が99代の後亀山天皇で世継ぎなく北朝五代の後円融天皇の皇子が、第百代の後小松天皇、101代称光天皇のあと、五代遡って北朝一代の光嚴天皇の祖々孫にあたる後花園天皇となられたことを指している。
 皇位が空位となったケースは幾つかあるが、未亡人か独身の内親王が称制(臨時天皇)として正式な後継皇子が成人するのを待った。たとえば持統天皇、皇極・齊明、元正、元明がそうだ。孝謙・称徳天皇の場合は後継淳仁天皇を廃帝とし、次の光仁天皇を指名したとする遺書は藤原百川がでっち上げた。
 第二十一代雄略天皇の子、清寧には皇子がおらず三代遡って履中天皇の皇子イチノヘオシハの遺児(顕宗、仁賢)が継いだことはみたが、その間の飯豊天皇は明治三年に皇統譜から削除された。ところが葛城の麓へいくと宮内庁管轄の飯豊天皇陵がある。
 その後、第二十五代武烈天皇にも後継皇子は不在で、こんどは五代遡り、応神天皇の五代孫と言われた継体天皇が践祚された。継体天皇は越前からやってきたが二十年間も奈良へ入らず、この謎は解明されていない。
                 (『月刊日本』から再録です)
7 notes · View notes
oka-akina · 1 month
Text
コピー本交換会レポート(でもない)①
コピー本交換会ありがとうございました! 早いもので1ヶ月経ってしまった。 2月は本棚展をやったり寄稿するアンソロの〆切×2があったり忙しく、自分主催のアンソロも動き始め、3月に入ったらJ.Gardenもありそのほか生活のもろもろもあり…ずっとドタバタしている。自主開催するイベントってほんとはもうちょっと身軽なときにやるものだったかもしれないなあとは思いつつ、身軽なときというのはなかなかやってこないので、えいやっとやってみてよかったようにも思う。 というかいちばん初めのところでは、えも個展&本棚展への集客につながったらいいなーというちょっと下心みたいな気持ちで始めたことではあったので、会期中の2月に開催したのはそういうわけでした。
Tumblr media
つまずく本屋ホォルの深澤さん、mibunkaの吉田さん、快く会場を貸してくださりありがとうございました。わたしの要領を得ない説明をいつも辛抱強く聞いてくださり、コピー本って何?交換ってどういうこと?というところからしっかり会話ができて、とてもうれしくありがたかったです。 わたしが「なんかもっと格好いいイベント名をつけたかったんですけど思いつかなくて…」とぶつぶつ言ったとき、「コピー本交換会ってとてもいいと思いますよ」と吉田さんが背中を押してくださりありがたかった。いろいろ準備したり当日を過ごしたりするなか、今回のイベントはそういうまんまの名前が必要だったんだなあと思い至りました。コピー本を交換するということだけ決まってて、来た人はそれぞれいろんなスタンスでいていいというか。
打ち合わせに何度かお伺いしたのですが、いつもいろんな方がにこやかに出入りしていて、本当にいい雰囲気のお店だなあと思います。お店は地域生活応援団という地域住民主体の支え合いの場、有償ボランティアさんの拠点でもあって、イベント会場に貸していただいた2階スペースは���だんコワーキングスペースにしているとのこと。近所の方が「霞ヶ関の父」っていう傾聴ボランティアをやってらして、幅広い世代の方で賑わっていていいなあと思います。
本当にとても正直な気持ちをいえば、そういう「地域」「地元の人」と密接な場所におじゃまするのはけっこうドキドキします。わたしは自分の作品にセクシャルマイノリティのことをたくさん書くので、生身の人間が顔を突き合わせる場、住所や容姿や年齢やもろもろ属性と紐付きやすい場に作品を持っていくのはとても緊張する。いま家からかなり近いところで貸本棚をやっているけど本当におそるおそるという感じで、もちろん悪いことをしているわけではないしうしろめたい表現というわけではないんだけど…「地縁」的なものになんとか馴染もうとするときに切り捨てられがちなものが気にかかる(そういうものを小説にしている面がある)。 ホォルさんはいま住んでいる場所からは離れているんですが実家の近くではあるので、イベントを開催したり自分の作品を並べたりするのはいろいろ感慨深いものがありました。怖さ、照れ、恥ずかしさ、でもここで自分がこういうことをできるようになったんだなーという喜び。また少部数のコピー本だったりzineだったりは書いた人のパーソナルな部分が出やすいものではあるから、自分含む参加者がリラックスして話せることを大事にしたかった。セーファーな場づくりをしたかった。
深澤さん吉田さんがわたしのそういった葛藤や、zineにまつわるデリケートさをみたいなものを汲んでくださりつつ、本当に快く場を開いてくださりとてもとてもうれしくありがたかったです。イベントが明るくオープンな場になったのはホォルさんmibunkaさんの常日頃からのお店づくりによるものが大きいと思います。ホォルさんの選書にもそういった姿勢があらわれていて、大らかで気骨のある場所だなあと感嘆します。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
なんかこのレポートすごく長くなりそうなので何回かに分けようかな。ひとまず今回は余談のような話をしておしまいにします(もはやレポートでもないんだけど、ちゃんと書こうとするとえっらい時間がかかりそうなので、ともかく考えたことを垂れ流しにしているような感じ…)。
--------
ホォルさんのある角栄商店街の通りに合鍵と靴修理のお店があって、���こで5円コピーというのをやってたんだよね。白黒と単色カラーが5円で、色紙(色上質紙)に刷ると6円だったかな。中学生のころ友だちとそこに行ってペーパーを刷ってたの。 ペーパーっていってもべつに何か宣伝するとかでもなくて、なんかこう…各自が好きな漫画とか音楽とか身の回りのこととか、いろいろおしゃべりみたいなのを書いた手書きの紙。30枚とか40枚とか刷って、学校の友だち同士で交換したり、同人誌のイベントのフリーペーパーコーナーに置いてみたり、好きなバンドのライブとかファン同士の交流会?みたいな場で名刺と一緒に交換したり、郵便で知らない人と交換したり…。 こないだ実家を掃除したらそういうのが出てきて、GLAYのJIROのラジオで紹介されてたスマッシング・パンプキンズのAdoreってアルバムがよかったとか、恋する惑星を観たから香港に行ってみたいとか、そんなようなことを書いていた。いまとあんま変わんないかもしれない。 同じ頃、部活の後輩から毎日手紙をもらっていて、ルーズリーフやコピー用紙にぎっしり書かれた手紙だった。夜に書いたのを朝にくれて、授業中に書いたのを昼か夕方にくれて、1日2通の手紙。わたしの返事は5回に1回返すかどうかって感じだったんだけど、毎日まめに手渡してくれて、なんか話したいことがあったんだろう。わたしにそういう高頻度で手紙をくれる子はほかにも4人くらいいて、毎日たくさん読んでいた。どの子の手紙も深刻な話はあんまりなくて、だいたいは日記というか雑談というか。 あとその頃よく行っていたCD屋で店員さんが新譜紹介のフリーペーパーを自主的に作っていて、これまた手書きの手作り感あふれる感じの紙だった。新譜紹介といいつつ「これぜんぜん好きじゃない」とか「もうこれで解散してもいいくらい最高」とか思いっきり主観で、余白にはどこそこに行ったとか何を食べたとかの雑談も書いてあって…。
わたしはふだん同人誌やzineを作って文フリなどのイベントや書店で販売してるんだけど、今回のコピー本交換会は、こういうペーパーや手紙が頭にあった。売り買いとはちょっとちがうやりかた、むかし作っていたペーパーみたいなことってできるのかな。これは去年6月に参加した陰気なクィアパーティーでzineの交換会をやってすごくいいなと思ったのもあったし、以前umeさんからいただいた交換がテーマのzine(umeさんは本の交換所をやっている)を読んで考えたことでもあった。売ったり買ったりではないことをしてみたらどうなるだろう。売ったり買ったりできないものを作るってどんなだったっけ。
金銭のやりとりの方がコミュニケーション自体はラクだろうか。交換だと人対人になりやすいから結局のところコミュニケーションが達者かどうかになっちゃうんだろうか。買う(読む)側としては匿名でいたい気持ちはすごくある…なら金銭を介したやりとりであるべきか。いや売り買いであっても、規模の小さいイベントだと人対人のコミュニケーションになりやすい。11月に出店者10組だけのzineイベントに出て、「あなたは誰?」「この本は何?」という会話になりやすかった。場が親密になればなるほどそうで、それ自体はとても豊かな時間なんだけど、属性と作品がまっすぐ結ばれるのってちょっと危うさはあるなと思った。そして作り手側もそういうプレゼン?にあっというまに慣れちゃって、自己プロデュースのうまさみたいなことになりがちなのも気にかかる。属性、作品、宣伝、SNS、ビジュアル、会話…そういうものがしっかり噛み合い、「わたしは◯◯で、△△な作品を作っています」がいつも首尾一貫している。一言で説明できる。なんかわかりやすすぎないか。整いすぎてないか。自らと作品をじょうずに寄せにいっちゃってるけど齟齬があってもよくないか。あと買う側の人も自身のことをけっこう開示してくれて、わたしとしては会話ができるのすごくうれしかったけど、無理に話させてないかとちょっと心配にはなった。べつにあなたが何者であっても(なくても)わたしの小説を手に取ってくれるのはうれしい。でもそれだけではいられない、何か話さなきゃって圧が場に生じてるんだとしたら、けっこうきついことかもしれない…とか(ところで陰気なクィアパーティーはそういうのがなくてすごく居心地よかった。会のはじめにセーファースペースポリシーを読み上げてくださって、場にいた人がおたがい了解していたのもあったし、たぶんそのあたりに関心の強い人が多く参加していたのもあったと思う。すごいことだなあと感嘆したしほっとした)。
あるいは売り買いの宣伝の話。文フリとかzineフェスとか書店さんとかで小説を売るとき、多くの人に見つけてもらえるよう宣伝をするわけだけど、なんというかまあけっこう大変だし疲労はある。たとえばアンソロジーだと、コンセプトの強さだったり、フックの効いた言葉やビジュアルだったり、作品や作家の紹介を丁寧にやったり、メンバーの豪華さをアピールしたり…いろいろあるわけだけど、ちょっとちがうことをしたくなった。これはそういうのがよくないという話ではなくて、ちがうベクトルのことをしてみたらなんかいいことあるかもなあくらいのぼんやりした予感。 文芸作品、とくに小説は、読むのにそれなりの負荷がかかると思う。作品の難解さとはまた別のところで気持ちや時間のコストが大きく、「なかなか読めない」という話を作家同士でさえ本当によく聞く。そうすると作品や作家周辺の「活気」みたいなものがけっこう重要ではあって、何か賞をとった、SNSでよく見かける、みんなが話題にしている、みんなが工夫をこらして強い文言で「いい」って言う、そういう祭りや波が読むことへの後押しになる。活気があるのはいいことで、わたし自身すごく楽しんでいるし参考にもしている、かなり恩恵を受けている部分もあるけども、祭りや波から生じる権威大好き感がちょっと苦手ではあって…。権威大好きはちょっと言葉が悪いか。でも沈黙や絶句が、ほんとに沈黙や絶句のままでいられないのはなんかちがうなというか、心の柔らかいところをまいど律儀に開示しなくてもいいし、そもそもそんなに激しく感情が動かなくても楽しんだり感じ入ったりはあるわけで、まして誰々のお墨付きとかじゃなくてもいいわけで…。大傑作とまでは思わなかったけどほどほどに楽しんだ、ちょっといいなと思った、そういうことはぜんぜんあるというかわたしはだいたいの作品はほどほどに面白がってるんだけど、それをまんま口にするとちょっとけなしているみたいに聞こえてしまいそうだなと思う。なんかこう活気を起こそうとする中でちょっと「褒め」がインフレしてねえか…と思う。要するに、祭りや波的なものとはちがったやりかたでの読んだり書いたりが必要な気がしている。 (これはあんまり整理できてないし、活気を起こそうとがんばっている人たちをくさしたいわけではないので、ほんとにまとまってない話で恐縮なんだけど。参加してるアンソロ10000000部売れてくれ〜とかわたしもぜんぜん言うし、人と一緒に作ってるときはおたがいを鼓舞する意味合いも強いのはわかってる。もしかしたらみんなそんなことはとっくに了解していてあえて強い言葉をやっているのかもとも思うけど、わたしはその「あえて」をやり続けられるのってそれなりに元気な人だけじゃないかなあとは思ってしまう…元気じゃない人も文芸をやりたいし、実際勝手にやってるんだけど、「やってる」ということを他人に見せていくのは大事かなと思って言っている)
余談と言いつつすごい長くなってしまった(むしろ余談の方が長い)。 えーと今回のコピー本交換会、わたしはいくつかzineやペーパーを持って行って、そのうちのふたつ『tide』と『プロテスト・モノローグ』はあんまり売ってない本です。 『tide』は陰気なクィアパーティーでのzineの交換用に作ったもの。短い小説をいくつかと&セクシュアリティにまつわるぼやきみたいな文章をまとめたもので、通販はしてなくて文学フリマにも持って行ってない。zineフェス長野には持ってったかな。べつに過激なことが書いてあるわけじゃないんだけど自分的にちょっとナイーブな話はしてるから、こういう本がありますよって宣伝するとなると勇気がいるなーと思う。 『プロテスト・モノローグ』はパレスチナへの連帯について考えてることとかのひとりごとみたいなzine。コピー本交換会のどさくさにまぎれて作ったような感じで、ほんとの走り書き。あんまりおおぜいに売るものではないなーと思った。勿体つけるわけではないんだけど、なんかこうちゃんと発信しようとすると発信するための言葉や話題になるわけで、そうじゃない話、「どさくさ」でないと出てこないような話をする必要があるなと思ったというか…。
そういうものを手渡す場所をやろうと思った。交換する本を机に並べて、気になったものを手に取って読んだり持ち帰ったりできる。しゃべりたかったらしゃべれるし、黙って本だけ交換して帰ってもいい。閲覧用の本も置いておいて、読書の時間にしてもいいし本作りのヒントにしてもいいし…。 それがうまくいったのかどうか、当日わたしはドタバタしていてじつはよくわかんないんだけど、ちょっとずつ振り返っていければと思います。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
9 notes · View notes
march-brown · 2 years
Photo
Tumblr media
dd食堂京都のお精霊さん定食 ご先祖さまの魂「おしょらいさん」という実在しないお客様をお迎えし、送り出していくお料理です。 #京都定食 #お精霊さん定食 #京都の食文化 #おしょらいさん #京のお盆 #お盆 #ひろうず #生麩 #ずいきのごま酢和え #のっぺ汁 #葛ひき #干瓢 #湯葉 #追い出しあらめ #西瓜 #おはぎ #間水 #けんずい #定食 #京都ランチ #京都カフェ #ロングライフデザイン #dd食堂 #danddepartment #longlifedesign #ディアンドデパートメント #佛光寺 #プラネタリーヘルスダイエット #planetaryhealthdiet (佛光寺) https://www.instagram.com/p/Cg_NYmVOZMP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
chibiutsubo · 4 months
Text
Tumblr media
#たべもの #伊勢屋
リヴェルタさんを出る時に、これからお土産を探しながら東海へ帰ります、という話をしたところ、近くの和菓子屋だという伊勢屋さんをオススメしていただきました。
地元の方、しかも美味しいお店の方のオススメなら絶対に間違いないだろう!というわけで、気になったお菓子をいくつか購入。
そのうちのひとつ、葛まんじゅうです。
つるっとした喉越しの葛まんじゅうの中には、甘さかなり控えめの餡子が。こしあんの優しい甘さがとてもお上品で、冷たい緑茶に合いそうな感じでした。
14 notes · View notes
tsukishiro-himari · 3 months
Text
Tumblr media
「数年前備忘録」
来年のカレンダーとおじいちゃんの形見が
梱包されたおかあさんからの小包
未来と過去が箱の中に混在してて圧倒したよ
ゆいちゃん(妹/成人)が
「高い高いして欲しい」と言ってきて
おねえちゃんがんば��ね
#ゆいちゃんとひまり
コロナ期で逢えていなかったおばあちゃんに
三年振りに逢えてるょ
おばあちゃんが寂しいって言うから
頭をよしよししてたら
そこ掻いてって言ってきて可愛い
お風呂から満月が見えて
それがアニメの一コマみたいで
忘れたくないなって思った
こういう気持ち
今年は恐がらないでかみしめたい
言葉ひとつで
攻撃も優しさも伝わるな
涙も想いも
昇華させて
遺したい
挑戦が多いけれど
その挑戦に怯むことなく臨みたい
おかあさんから
「身体に気をつけて✨」
というメッセージが届いて
活動の事を昨年話せた事は
本当に大きかったなって思ったよ
泣いちゃって
未だ未だ弱いと思っていたけれど
強い人が皆んな泣かない訳では無くて
泣ける環境になっていってるという事は
素敵な事なんだね
ツアー中途方も無く落ち込み
おかあさんとゆいちゃんに電話するも
繋がらず心の海に溺れていたけれど
その後おかあさんから
『大変な事、山盛りなんだね🗻落ちればあとは、登るだけ⤴️』という
あっけらかんとしたメッセージが届き
ポジティブな気って
本当に素晴らしいなと思った
本当に苦しい時も多々あったけれど
がむしゃらに頑張る事が許され
それが認められ繋がる事に感動した数日
「今回はどうしても出口が見当たらない」
と思いまたそれが
焦燥に繋がる事もあるけれど
そこから出る時視界が
180度変わるかもしれない事
忘れない
毎日何かしらの不安で
押し潰されそうになりながらも
それでも今生きている
その積み重ねで形作られ
そして根本に在る筈の夢を
私は見失っては駄目だと葛藤している
8 notes · View notes
seasandandsorrow · 6 months
Text
あのひとの歌
日本の女たちが歌う詩には、男の求める女を内面化したようなものしか見つけられず、自分が体験していた恋や苦悩の実感がそこにはなかった。そんなもんだと思っていたけど、中学生の時に椎名林檎の「修羅場」を聞いて衝撃を受けた。
椎名林檎の詩を聞いた時、これだと思った。シンクロした。身勝手なのに悩みづけていて、本当は知りたくないけど貪欲で絶対に覗き込みたくて、魂を引き裂くナイフとそれを縫い合わせる針と糸を持ち合わせた誰かをずっと待っている。正誤よりも、胸の奥に静かでいて強烈な喜びを感じるかどうかを軸にして耳を澄ませていて、その衝動を待っている。「幸福論」、「勝訴ストリップ」、「加爾基 精液 栗ノ花」あたりの初期のアルバムが、自分の少女時代の葛藤と偏愛を記録していた。
それに女の子の苦悩は、男の子に振り向いてもらえるかなんてものではない。それは男の望む女が悩むことで、実際のつまらない悩みを隠蔽するための虚像。
本当の苦悩というのは、老いた時に愛してもらえるのか、女の価値は若さにのみ宿るのか。生きる糧が生の振動で零れ落ちていってもそれを受け入れて自己犠牲して生きるしかないのか。魅力的な女にいつかなれるのか、なれなかったらどうするのか。特別じゃなかったらどうやって生きるの。少なくとも自分にとってはそういうものだった。椎名林檎はそれらの苦しみや不安を言葉にして問いただしていく。「三文ゴシップ」「日出処」から今に至るまで。
自分の本心をしつこく引っ叩くこと、昔言ったことを否定すること、一新すること、取捨選択を惜しむこと、全部の葛藤をやって見せてくれるから、女たちの母だと思って尊敬している。どこのなにをとっても魅力的なんだ。
10 notes · View notes
kwon91 · 8 months
Text
Tumblr media
「NARUTO」原作(げんさく)者(しゃ)・岸本(きしもと)斉(ひとし)史(し)が語(かた)るシリーズ総括
〆切りに追われることがなくなったいまでも、ふいに目が覚めて焦ることがある。「寝起きに時計を見て『ヤバい!』となることはありますね。『大丈夫、もう終わったから寝てていいんだ』と言い聞かせています(苦笑)」。そう語るのは漫画家の岸本斉史。言わずと知れた大人気漫画「NARUTO-ナルト-」の作者であり、先日15年におよぶ連載を終えたばかりの、話題の人だ。(取材・文・写真/黒豆直樹)
画像2
「4時間くらいで目が覚める癖がついていて、最近になってやっと8時間くらい続けて眠れるようになってきたかな。連載中はずっと、目覚ましを掛けて、〆切りに合わせて逆算して寝起きしていたので」という言葉から15年におよぶ週刊連載の重みがうかがえる。
15年という歳月は? という問いに、迷わず「ひたすらに長かったです」と言い切る。「長かったし、苦しかったですよ。『長いようであっという間でした』とか言いそうですが、ただ長かったというのが実感ですね」。
【※以下、原作の結末に関する記載がありますので、未読の方はご注意ください】
主人公の忍者・ナルトと仲間たちが、他国との戦争や歴史的な因縁に向き合い、時に葛藤しながらも成長していく姿を描き続け、単行本は現時点で71巻にまで達した。改めて読み返すと、その計算し尽くされた重層的な世界観に驚かされる。ナルトたちの成長にしたがい、どんどん世界は広がっていくが、そこにブレやとってつけた感は見当たらない。
「連載当初からある程度、忍の国の世界観に関しては固めていましたね。例えばナルトがいる、火の国の中の“木ノ葉隠れの里”の他にも国や里が存在し、“五影”と言われる五大国の里の長がいることや、四代目火影がナルトの父親で既に死んでいて、いまは代わりに三代目が里を治めているといったことは最初から決めて、ある程度は物語を広げやすいようにはしていました」。
第四次忍界大戦、世界そのものを覆そうとするマダラとの決戦、忍の歴史の根源とも言える最強の敵・カグヤとの最後の決戦を経て、物語は終わりへと向かうが、岸本自身が具体的な結末について固めはじめたのは、中盤から後半にかけての「ペイン編」と呼ばれるエピソードの頃だった。
画像3
「ナルトとサスケが戦って終わるということだけは、最初から決めていたんです。ではどうやってそれを迎えるのか? 『ペイン編』が終わったあたりから意識して作りこんでいくようになりました。重要なのはサスケをどういう立場でナルトと戦わせるかということ。あくまで完全な敵として対決するのか? それとも、親友として拳をぶつけ合うのか? そこは、どう持っていくかを含め、じっくり考えました。その意味で、最後の『第四次忍界大戦編』は、サスケの立ち位置をしっかりと見せるために描き始めたんですが、つい他のキャラクターのことも大事に描き過ぎて、どんどん長くなっちゃったんです(笑)」。
戦いの行方とあわせて、ファンの中で大きな関心を占めていたのが、最終的にナルト、サスケ、サクラらの関係がどうなるのか? ずばり恋の行方である。この点も、岸本は曖昧にごまかすことなく、キッチリと“答え”を示して連載を終えた。最終話である700話では忍界大戦の終結から10数年後が描かれるが、そこでナルトはずっと彼に想いを寄せてきたヒナタと結ばれ結婚、ナルトが当初、恋心を抱いていたサクラはサスケと結ばれているようだ。岸本はいたずらっぽい笑みを浮かべつつ“内幕”を明かす。
「ナルトがヒナタと一緒になることは結構早い段階で決めていましたね。だからこそ、ナルトとサクラがくっつくかのようにミスリードさせるために、あえてサクラとナルトの母親であるクシナの動きを重ねるかのようなシーンを描いたりもしたんです」。
ちなみに連載終了から間を置かずに公開となる劇場版アニメ「THE LAST NARUTO THE MOVIE」で描かれるのは「第四次忍界大戦」の終結から2年後の世界――つまり2本立てで「週刊少年ジャンプ」(集英社刊)に掲載された699話とその10数年後の未来を描いた最終回700話の“間”に何があったのかを描いているのだ。
画像4
ヒナタの存在にフィーチャーしつつ、原作に描かれなかった“その先”を描く劇場版。自らキャラクターデザインとストーリー監修を務めた岸本は「今回の映画はぶっちゃけ恋愛です!」と公言しているが、ここでも彼は、少なからぬ“論議”を呼んだ最終700話を読み終えたファンに対し、彼なりの“解”を示している。
「ナルトとヒナタの関係性がどうやって、原作の最終回に至るかを描いてはいるんですが、僕が大切だと思って何度も何度も打ち合わせで言及したのが、サクラとナルトのあるシーン。この映画はある意味で、当初からずっとサクラのことを好き好きと言い続けてきたナルトとサクラの訣別の物語でもある。最終回を読んだ読者の方が抱いた疑問やモヤモヤをここでキッチリと解消し、すっきりしてもらえると思います!」
「そう言えば、うちの子どもが幼稚園のとき以来かな? こないだ、久々にキャッチボールをしました」。
岸本はそう言って嬉しそうに笑った。これから成長していく子どもへ父として伝えたいこと――。ナルトや仲間たちを通じて、大切な想いを紡ぎ続けた15年だった。
8 notes · View notes