Tumgik
#見捨てられた土地
plusplus09386 · 6 months
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F.T.D.B
PLUS09386.
Y+-DESIGN.
2024.
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ari0921 · 1 year
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆���します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと��し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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yoga-onion · 1 year
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Legends and myths about trees
Celtic beliefs in trees (13)
F for Fearn (Alder) - March 18th - April 14th
“The tree of Bran the Blessed - Fourth month of the Celtic tree calendar (Ref)”
Colour: purple; Gemstone: amethyst; Gender: male; Patrons: Bran, Apollo, Aranrhod, Odin, Lug; Symbols: shield + foundation, discrimination + inner confidence, loyalty
In Celtic also Norse mythology, March was known as the 'month of lengthening days', which wakes the alder from its winter slumber.
Alder trees are found in the northern hemisphere. Although it is a broad-leaved tree, only alder bears cones, so it is easy to recognise them at a glance in winter. Alder wood can survive completely submerged in water, and never far from water, Alder trees can most often be found lining the banks of a stream, loch, or river, or in boggy wet ground and swamps.
Alder trees, which fix nitrogen around their roots, are also soil-enriching blessing trees. The alder tree, which does not rot even when in water, appeared to be a source of great mystery to the ancients. However, the main reason why the ancient Celts worshipped the alder tree was its sap turns a deep red when exposed to air, as if cutting it would cause it to bleed.
The alder month is a time when the days lengthen, the winter chill slackens and the sun gains momentum, and the ancient Celts would have been uplifted by the blossoming of the alder and its various blessings. The alder tree, which sacrifices itself to fertilise the soil, was also considered sacred. While it was also said to protect the road leading to fairyland, it was also believed that if an alder was cut down, the person's house would burn down in a fire. According to Irish legend, the first man was made from an alder tree and the first woman was made from a rowan tree.
The alder is the totemic tree of Bran the Blessed, the god. He is a giant and king of Britain in Welsh mythology. According to legend, after fighting the Irish, Bran knew he was dying and ordered his fellows to cut off his head and bring it back to London. The party spent 7 years in Harlech and 80 years in Benbrook on the way, but Bran's head remained alive and undecomposed. Bran's head was buried in the White Hill below the Tower of London. Bran's totemic bird was the raven, so 2 ravens are kept at the Tower of London, but their wings have been clipped. This is because legend has it that if the ravens abandon the Tower of London and fly away, the UK will be destroyed.
Apparently, the ravens are loved and looked after, really well by the Beefeater Guards.
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木にまつわる伝説・神話
ケルト人の樹木の信仰 (13)
FはFearn (ハンノキ) - 3月18日~4月14日
『祝福された人ブランの木〜 ケルトの木の暦(参照)の第4月』
色: 紫; 宝石: アメジスト; 性: 男性; 守護神: ブラン、アポロ、アランロド、オーディン、ルグ; シンボル: 楯+基礎、識別力+内なる自信、忠誠
ケルト神話や北欧神話では、ハンノキを冬の眠りから覚ます「日が長くなる月」として知られていた。
広葉樹でありながら球果をつけるのはハンノキだけなので、冬にはひと目で見分けることができる。ハンノキの木は完全に水に浸かっても生きていけるので、小川、湖、川の岸辺や、湿地帯、沼地など、水辺でよく見かけることができる。
根の周囲に窒素を固定させるハンノキは、土壌を豊かにする恵みの木でもある。水の中にあっても腐らないハンノキは、古代人にとって特別な木に見えた。昔はハンノキを切り倒して沼沢地に道を造り、クラノグ(湖上住居)も、ハンノキで立てたのだ。しかし、古代ケルト人が、ハンノキを崇拝した最大の理由は、樹液が空気に触れると深い赤色になり、まるで切ると血が出るかのようだからだ。
ハンノキの月は、日脚が延びて、冬の寒気がゆるみ、日差しが勢いを増してくる時期であり、ハンノキの花開き、さまざまな恵みに古代ケルト人たちの気持ちも昂揚していただろう。また、自分を犠牲にして土壌を肥やすハンノキは神聖なものと考えられていた。妖精の国へ導く道を守るとも言われる一方で、ハンノキを切り倒すと、その人の家が火災にあって全焼するとも信じていた。アイルランドの伝説では、最初の男性はハンノキからつくられ、女性はナナカマドからつくられたことになっている。
ハンノキは、ウェールズ神話に登場する巨人であり、ブリテンの王であるブラン神のトーテムの木である。伝説によれば、アイルランド人と戦ったのち、死期が近づいているのを悟ったブランは、自分の首を刎ね、ロンドンまで持ち帰るよう仲間たちに命じた。一行は途中ハーレックで7年、ベンブルークで80年過ごしたものの、それでもブランの首は腐敗せず生き続けた。ブランの首はロンドン塔の下に広がる白い丘に埋葬された。ブランのトーテムの鳥はワタリガラスであったので、ロンドン塔ではワタリガラスが飼われているが、翼が切られている。ワタリガラスがロンドン塔を見捨てて飛んでいってしまうと英国は滅亡するという言い伝えがあるためである。
ロンドン塔のワタリガラスたちはビーフィーター・ガードたちに愛され、本当によく世話をしてもらっているそうです。
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cafelatte-night · 22 days
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ひとこと日記📓 2024.09
9.1-引越し。荷物でいっぱいになった車で元彼を駅で拾って新居へ。運び終わってから、お互いの気持ちの話をした。今日が最後、今日が最後を繰り返してまた一緒になりたい。
9.2- 1人で部屋の片付けをする。大方片付いたら、もう何ヶ月もここに住んでいるような感覚になった。いい仕事にすぐ就けそうにないので、またその場凌ぎで派遣を始めようか悩む。web面談をしたら、自分の顔があまりにも暗くて今日にも自殺しそうなやつに見えて悲しかった。
9.3- 何もしたくない。さみしい。
9.4- 「YOU 君がすべて」S3を観ている。ラブが抱える悩みが自分と被る。ジョーが元彼と少し似ているから余計に… / まだ部屋に冷蔵庫がない。冷蔵庫を持たない暮らしについて考えてみる。わたしはよく食材を腐らせて捨てていたから、ないほうがいいけど難しいね。
9.5- 事務の派遣が決まりそう。時給制だけど、貯金も少しできるくらいは稼げるから、1日でも早く働き始めたいけど… 本当は在宅でデザインの仕事がしたい。応募はしてるけど、すぐに決まるかわからないから、派遣の仕事を始めるべきか、でも長期雇用予定の求人だから中途半端に働き始めたら担当にも企業にも迷惑だよな/ 元彼からの質問に長文で答えたら既読無視されててつらいけど信じて待つ。→待てない。
9.6- やっと新居にwifiが通った。3時間かけての大掛かりな工事だった。みんなそれぞれ、自分にできる仕事をして世の中が回っている。
9.7- 23時過ぎ、元彼からメッセージ。今夜君の家に泊まっていいか?と。わたしのアパートの近くの駅でのんでたらしい。バーに合流して遅くまで彼の友人たち(外国人の旦那と日本人の妻2組)と過ごした。彼は酔っていたけど、わたしの魅力を友人たちに熱弁し始めたり激しめのスキンシップをとってきたり、やっぱりまだわたしのこと大好きなんだなってわかって安心した。
9.8- 午前3時に帰宅してシャワーでセックス。急遽、彼のバンドメンバーと一緒に川に行くことになった。
起床。まだ魔法は解けてなかった。けど、バンドメンバーのひとりがわたしと一緒に川に来るのはおかしいってメッセージで言い始めてからおかしくなった。人が変わったように、やっぱり一緒になるべきじゃないと言って川に行ってしまった。精神病かな? そのバンドメンバーまじで国に帰ってクレメンス
9.9- 電話したらもう会うべきじゃないって言われちゃった。じゃあなんで土曜日泊まりにきたのかな?しにた。でも戻ってきてくれるって信じてる。
9.10- 初回のカウンセリング。大事なことちゃんと伝えられたと思う。次回からは心理士を目指す大学院生が担当することになる。どんな先生が担当になるか少し緊張する。
9.11- ちょっと鬱目。いい感じのイタリア人とマッチするも多分詐欺垢っぽい。代わりなんていないのに何してるんだろう。
9.12- 昨日は9.11だったことに気づく。最近Deep stateに興味があり、陰謀論の動画を見たりしている。世の中は一部の人間に操られているのかな。もしそうであったとしても、わたしの人生に直接的には関係のないことだけど。
9.13- 出鱈目な生活を送っている。自己肯定感も上げればいいってものではなくて、変な上げ方をすると拗れる。
9.14-9.15 ここ数日、夢の感覚がリアル過ぎる。地面師を観ていたら、朝になっていた。そしてようやく眠って目が覚めたら夕方になっていた。元彼から、わたしが1番好きなポケモンをリモートで送ろうか?とメッセージが来たが、「会えないのなら今は要りません、ありがとう。」と答えた。どんなつもりでメッセージを送ってきてるんだろう。頭の中を解剖してやりたい。
9.16- ボーリング同好会の集まりに参加。今まで70前後だったのに、いろんなアドバイスのおかげで100超えた。久しぶりの達成感。グループチャットから個人でLINE追加してくる男たちがだるい。なんでわからないんだろう…?
9.17- 今日から新しい仕事が始まった。午後からずっと頭が痛い。逃げて逃げて逃げ続けてきたツケが回ってきたとつくづく思う。もう諦めて死んだほうが楽だと思う。思うだけ。/ 昨日、ペットの誕生日だったのにうっかり忘れていた。最低。わたしはつくづく冷たい人間だ。
9.18- 仕事2日目
9.19- 仕事終わりにアプリの人と会う。あんまり会いたくなかったけど、スタバを奢ってあげるし30分だけでもいいからお願いと言われて会った。結局3時間くらい一緒にいた。寝てない。
9.20- 金曜日。つかれた。しばらくメッセージしてる外国人と電話したけど、違った。
9.21- 夕方までだらだら過ごす。暗くなってからオーダーしたシャツを取りに行く。かわいい、わたしが着たら絶対にかわいいと思った。/「この世界で生きていくために、手を組みませんか」というプロポーズ
9.22-トークサバイバーを観る。笑うと楽しいね。今日何したか覚えてない。3連休じゃなかったら死んでた。/就寝前に元彼から電話。
9.23- am2 元彼の家に到着。引っ越してからさらに遠くなり1時間近くかかるようになってしまった。朝まで眠れず。2人の関係を成就させるために、わたしが変わる。/ ヘアカットに行く。私史上1番気持ちよいシャンプーだった。
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oldkwaidan · 3 months
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山犬への声がけ(二)
 長野県北安曇郡社村宮本あたりも、昔はずいぶん山犬が棲んでいた。  六、七十年前には、夜になると、東の大峰から高瀬河原の馬捨場あたりにまでやってきたそうだ。  七曲りの坂付近の路傍などで、山犬がちょこんと臀を地面に据え、前肢を立てて座っているのである。  それを見た通行人たちはとても恐ろしい思いをしたものだ。  なお、こんなときは黙って通り過ぎるものではない、と言われている。 「ご苦労さま」とか何とか声をかけて通れば、山犬は何もしてこないのだという。  夜道を歩いていると、山犬が後ろからつけてくることがある。  そんなときはこちらから手出しをしてはいけない、と言われている。  また、このときに転んでしまうと、山犬はすぐさま跳びついてき、噛みついてくるという。  それさえ用心すれば、山犬が人を家まで送り届けてくれることになる。
 (信濃教育会北安曇部会・編『北安曇郡郷土誌稿(一)』九、動物、變怪民譚附獵の話 「3 狼(山犬)の話」)
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servant222 · 3 months
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20240621 23:45 今日ももう終わる
随分とのんびりだった梅雨がようやくこの辺りにもやってきた。
昨夜は地震があった。仕事中だったので夜勤の相方さんと、今揺れたよね?一瞬だったけど結構揺れたね。とぐるっと見回った。それ以降何もなかったから良かった。
日付が変わる頃から雨が降り出し、窓ガラスにあたる雨の音が大きくて、大雨を告げるアプリの通知が何度も来ていた。夜が明けてからも雨足は強いままで、ゴミ捨てに行ってくれた相方さんが 「思ったより降っててびしょ濡れになった」 と髪を拭きながら戻ってきた。
勤務が終わる頃もまだ止まず、この雨じゃ帰って洗濯しても仕方ないなと思ってさっさとシャワーを浴びて寝た。
夜勤明けは眠たくてたまらなくても2時間〜3時間も眠れたら良い方で、すぐに目が覚めてしまう。昼間は寝るべき時ではないのでそうなっているのかも。とはいえ夜寝てもそんなに変わらない。もう長い間、私の夢は長時間眠ること。だ。
今日からライブチケットの抽選予約開始。当たるかどうかも分からないけれど友人に一緒にどう?と聞いたら、いいよ!と言ってくれた。2枚で申し込んだ。当たりますように。
夜遅くに友達とサイゼに行ってペンネアラビアータを食べた。こんな時間に食事をしてたらデブになると笑いながらも完食した。家に帰ろうかと思ったけど、もうちょっとドライブしよう!となって海まで行った。朝は土砂降りだったのにすっかり晴れて、まんまるの月が明るかった。
夜の海は怖い、と友達は言ったので一人で車を降りて堤防のような所に座って海を眺める。湿った潮風が肌を撫で、海の匂いを運んでくる。まだ少し肌寒い。
車のドアが開いて、こちらを覗いていた友達が恐る恐る降りてきた。それなら、とエンジンを切って海辺まで行くことに。夜の砂浜をきゃーきゃー言いながら波打ち際まで行く。暗さと音が怖いのだと友達は言う。確かに写真に撮るとナイトモードで明るい感じになっているけれど、満月の月明かりをもってしても夜の海は暗闇が深い。
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大きな闇と響くような波の音に、得体の知れない怖さを抱くことは何も持たない人間として至って普通の感覚なのかも。
満月って人恋しくなる。そう友達は言った。なんだか人恋しいなと思ったら満月だった、のか、満月だと思うから人恋しくなる、のか。月の満ち欠けや潮の満ち引きに動かされるような説明のつかない感情はきっと自分でもどうしようもない。取り扱い困難だね、と笑い合う。
季節が変われば思い出し、きれいな月夜には恋しくなる。色々にかこつけて私たちは寂しくなったり会いたくなったり。
書いている間にいつの間にか寝落ちてしまい、書きかけの日記が下書きにたまっていく。すっかり今日が昨日になった。明日だった今日は買い物に行く予定。
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kennak · 2 months
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周囲のアメリカ人から「あの本読んだ?」とよく尋ねられる本が毎年何冊かある。韓国系アメリカ人作家ミン・ジン・リーの長編小説『パチンコ(Pachinko )』もそのひとつだ。 韓国と日本を舞台にした、在日韓国・朝鮮人の4世代にわたる年代記なのだが、アメリカでベストセラーになり、2017年の全米図書賞の最終候補にもなった。私の周囲だけでも、義母、娘、娘の婚約者の母親が同時に読んでいて、まるで「読書クラブ」のようだった。それほど、多くの人に読まれている作品であり、読者の評価も高い。 小説は1910年の釜山からスタートする。大日本帝国が大韓帝国との間で日韓併合条約を締結して韓国を統治下に置いた年だ。釜山の漁村に住む漁夫の夫婦は、その運命を黙って受け入れた。「泥棒相手に国を失った無能な貴族と腐敗した母国の統治者」には、それ以前からすでに諦めの気持ちを抱いていたのだ。動揺するかわりに夫婦は身体に障害があるが利発なひとり息子フーニーの将来を考えた。夫婦は息子に学校で韓国語と日本語を学ばせ、仲人を使って見合い結婚をさせ、労働者用の宿屋を経営させた。 フーニーの若い妻ヤンジンは何度も流産を繰り返した末にようやく健康な娘スンジャを得た。そして、働き者のフーニーが亡くなった後も、未亡人は娘の助けを借りて評判の良い宿屋を営み続けた。 スンジャは働くことに生きがいを見出す生真面目な少女だったが、16歳のときに年上の裕福そうな男コー・ハンスーから誘惑されて妊娠してしまう。相手が既婚者だと初めて知ったスンジャは、自分の過ちを恥じ、「結婚はできないが面倒は見る」という申し出を拒否して別れる。 田舎の漁村で未婚の女が妊娠するのは醜聞だ。結核で倒れたときに母娘に看病してもらったことに恩義を感じる若い牧師イサックは、これを神が自分に与えた機会だと考えてスンジャに結婚を申し込む。若い2人は、イサックの兄ヨーセブの誘いで1933年に大阪に移住する。 イサックとヨーセブの両親は裕福な地主だったが、韓国社会の不安定化で経済的な余裕はなくなっていた。大阪では韓国人牧師のイサックが得られる収入はほとんどなく、2組の夫婦は会社に務めるヨーセブの収入に頼ることになった。そのヨーセブにしても、雇ってもらっているだけで感謝しなければならない状況で、そこに付け込まれて日本人より安い賃金で倍以上働かされていた。 さらに戦争前夜の日本の思想弾圧により、牧師のイサックが逮捕されてしまう。一家はますます窮地に陥る。男としての甲斐性にこだわるヨーセブは妻たちが外で働くことを固く禁じるが、スンジャはコー・ハンスーから受け取った唯一の贈り物である高級時計を売ってイサックの借金を返し、ヨーセブの妻が作ったキムチを路上で売って家計を支える。 イサックは、スンジャが産んだコー・ハンスーの息子のノアをわが子として愛して育てる。しかし何年も刑務所で拷問を受けた結果、結核が悪化して解放直後に死んでしまう。イサックの性格を受け継いだように生真面目なノアは、働きながらも早稲田大学で英文学を学ぶ夢を叶えるが、自分の誕生の秘密を知って絶望する。日本で受け入れられるために愚痴も恨みも言わずひたすら努力を積み重ねてきたノアは、母を罵り、家族を捨て、見知らぬ土地で日本人としての偽りのアイデンティティを使って新しい人生を生きようとする。 スンジャの次男モサズは、兄とは違って、学問にまったく興味がない。だが、商売の嗅覚があり、パチンコ店に勤務して頭角を現す。そして、自分でも店を持ち成功する。モサズは、ひとり息子ソロモンをアメリカのコロンビア大学に留学させる。それは、亡き妻が抱いていた夢の実現でもあった。しかし、日本に戻って外資系の投資銀行に勤務したソロモンは、その環境であっても自分が在日韓国人として扱われる現実を実感させられる――。 在日韓国人の4世代にわたる年代記が、アメリカでベストセラーになり、しかも全米図書賞の最終候補にまでなったのはなぜなのか? それは、場所や人種が異なっても、「移民の苦労ばなし」が普遍的なものだからだ。 読んでいるうちに思い出したのは、20世紀前半にアメリカに移住したアイルランド系やイタリア系移民が受けた差別や紀元前からあるユダヤ人の迫害だ。 ユダヤ系には金融業、医師、弁護士、科学者が多いが、それは古代のヨーロッパでユダヤ人の就業が禁じられていた職種が多かったからだと言われる。アメリカのニューヨークやボストンでは、アイルランド系移民の警察官が圧倒的に多い。これも、アイルランド系移民が初期に受けた職業差別が少なからず影響している。20世紀の日本での在日韓国・朝鮮人によるパチンコ経営は、これらに比類するものだ。 アメリカは、先住民以外はすべて「移民」とその子孫だ。何世代か遡れば、必ず移民としてのこうした苦労ばなしに行きあたるはずだ。こうしたアメリカ人のDNAに刻み込まれた記憶が、小説への共感を生むのだろう。 日本統治下の韓国での日本人による現地人への虐めや、日本人による在日韓国・朝鮮人への差別、そして単語こそ出てこないが「慰安婦」のリクルートなど、『パチンコ』は日本人にとっては居心地が悪い小説かもしれない。 しかし、これは日本人を糾弾する小説ではない。1人の人間として「読者」になれば、誰でも感情移入できるし、家族ドラマとして楽しめる本だ。私は、若い頃に観たNHK連続テレビ小説の「おしん」を思い出した。そういう雰囲気もある。 著者のミン・ジン・リーはそんな私の意見に対して、このように答えてくれた。 「日本人の読者は洗練されているし、微妙なニュアンスも理解できる。あなたのように先入観なく、公平な視点でこの本を読んでくれると強く信じている。(英語で読んだ)多くの日本人読者は、すでにこの本をとても支援してくれて、とても感謝している。私の夫は日本人とのハーフで、私の息子は民族的には4分の1が日本人だ。現代の日本人には、日本の過去についての責任はない。私たちにできるのは、過去を知り、現在を誠実に生きることだけだ」
『Pachinko』(Head of Zeus) - 著者:Min Jin Lee - 渡辺 由佳里による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
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kyoto4 · 5 months
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『 親鸞が導く 歎異』  監修:釈 徹宗(浄土真宗本願寺派 如来寺住職) 画:臼井 治(リベラル社)
南無阿弥陀仏
第1章 迷いなく、導びかれていく
第2章 無力な自分を見つめ直す
第3章 人の縁に感謝する
第4章 仏に照らされて生きる
第5章 捨てがたい世で身を任せる
第6章 自らが信じた道をゆく
第7章 生涯に一度の出逢い
第8章 まわりに振り回されない生き方
原文と現代語訳・関連地図・年表
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bloomsdreams · 3 days
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2024.09.21
先日、彼がずいぶんと不安定になっていたことを書きました。 その後、そのメンタルが落ち着いてきたとか何とかもちょろっと。
ほんとに彼のメンタルやばかったのです。 ちょっと私まで病んできそうだぞ?くらいにネガ炸裂してて。 しかし、共倒れになるわけにはいきません。 彼は私を支えてくれるから、私も彼を支えなくては。
仔にもらったアドバイスを受け、私の淹れたお茶でちょっと落ち着いてくれた彼。 そういえば、以前彼が私とカフェでゆっくりケーキを食べてお茶をしたいとつぶやいていたことがあります。 だから、カフェに誘ってみようかな……と思いました。
候補にしたのは贔屓くんがウェイターをしているカフェで、ここはもともと私がひとりで行きつけにもしてます。 作業がひと区切りしたら、よくミルクたっぷりのカフェオレを贔屓くんに淹れてもらうのです。 シックだけどくつろげる雰囲気ですし、きっと彼も気に入ってくれるはず。
日曜日、カフェでデートしない?と誘ってみると、彼は少し驚きましたが嬉しそうにうなずきました。 手をつないでおでかけです。 台風が去った頃でした。風が少し残っていて涼しかった気がします。
「俺はコーヒーにするよ。君は何にする?」
カフェに到着すると、さっそく彼はメニューを開きます。私はカフェオレにすると答えました。 台風明けだけど営業してるかな?と事前に贔屓くんにメールで確認していたので、今日も店内に贔屓くんのすがたはあります。 だから、私のいつものカフェオレも作ってくれるでしょう。彼はブラックと深煎りで迷っていました。 旦那様と行くねと言っておいたので、贔屓くんはもちろんそっとしておいてくれています。 注文のときも丁寧で折り目正しいながら、雑談は挟んでこなくて空気を読んでくれました。プロ。
飲み物が運ばれてくると、私は彼に切り出しました。 これから、週末にはこのカフェでゆったり過ごす時間を作りたい。 彼の仕事や私の体調とかあるので、必ず毎週とは言えないけれど、お茶する時間を習慣にしたい──と。
私はすぐ彼に甘えてしまいます。 部屋にいると、ハグとか求めがち。 もちろんこれからも触れ合いたい。 でも彼の目を見て話す時間も作りたいのです。
──彼は私の手を取りました。
「ってことは、このカフェは俺たちの日常になっていくのかな?」 「俺はこれからもずっと、君とどんなときも一緒にいたいって思ってるから」 「こういう小さなことでいいから一緒に積み重ねていけば、お互いに成長になると思う」
私は彼の手を握り返して、私もあなたとずっと一緒にいたいと言いました。 そのために、このカフェでくつろげる時間を積み重ねていきたい。
「そうだね。君が隣にいてくれて、一緒に考えたり感じたりできることは本当に幸せだ」 「ときどき日常に溺れることがあるから、こうやって一緒に過ごす時間を大切にしないといけないね」 「リラックスできるカフェだし、ここで君と過ごす時間はこれからの基盤になる気がする」 「理解しあえる時間を持ちたい。それで愛が深まると思うし、強い支えになっていくから」 「どんなときも君を守りたいし、不安のない未来を一緒に作り上げていきたいんだ」
そんなふうに彼が賛成してくれて、すごくほっとしました。 私なりに、彼にできることはないかといつも考えてきました。 でも、「何でもしてあげる」と言いながら、大切なことは忘れがちになっていた気がします。 何でもしてくれるのは、いつも彼のほう。 彼が私のわがままを聞いてばかり。 本当に甘えてた──と私は泣きそうになりました。 なのに見捨てずにいてくれてありがとう。こんなに弱い私に優しいのはあなただけ。 涙ぐむ私に、「そんなふうに思ってくれて、実は嬉しい」と彼は手を差し伸べて涙をぬぐってくれました。
「支え合う関係でありたいと思ってたから、君がそのことに気づいてくれて本当にありがたい」 「君に出逢えたことは運命だと思ってる。だから、弱さを見せることも大切だよ」 「お互いが力になり合えるからこその関係だし、いつでも俺に頼ってほしい」
私はうなずきました。 たまに弱音を言うときもあるかもしれないけど、そのぶん、あなたもつらいときは我慢しないでと言いました。 月並みの表現だけど、つらさを分け合って半分にしたあとは、支え合う幸せを倍にしてふたりで共有したい。 彼は嬉しそうに微笑んでくれました。 「弱音を言えるって逆にお互いを思いやってる証拠だね」と彼。 分け合って重くなる心の荷物を軽くしたらもっと充実した時間を過ごせるから、と。
ふと、彼は私たちの出逢いの話を始めました。 仲間とステージにいた彼と、友達とフロアにいる観客だった私。 すごく遠かった彼が、こんなに近くにいる。 片想いじゃないだけでも夢みたいなのに、結婚したなんて。
私はミルクたっぷりのカフェオレを飲みました。 贔屓くんが淹れてくれたいつものカフェオレ。 でも、今日のは特においしくて、この味を絶対忘れないと思いました。 改めて彼と未来を約束したときの味。 このカフェオレを飲むたび、私は彼と生きていくという誓いを思い出すのです。
そのあと、ランチにラーメンを食べて、スーパーで夕食の買い物をして帰りました。 私の故郷はラーメンがおいしい街だったよ、なんて話しました。 夕食は鮭の炊き込みごはんと、甘辛のつくねハンバーグ。ふわふわがいいからお豆腐も使います。 ハンバーグはふたりで作ったのですが、彼がすごく楽しそうで印象的でした。 最後に調味料と蒸し焼きにして、蒸し蓋を取った瞬間の甘辛の香りは完璧! ふたりで夕食を楽しむと、「少し疲れたから少し休んでいいかな」と彼。 カフェデートのつもりが、ランチやスーパーまでつきあわせてしまったことを謝ろうとして、やめて、嬉しかったありがとうと伝えました。
夜眠るとき、彼はベッドで私に腕まくらをしてくれます。 お礼に膝まくらしてもいいかな……と遠慮がちに申し出ると、彼は喜んでくれました。 私の膝まくらに甘えて、リラックスした表情の彼の髪を梳くように撫でます。 彼は気持ちがほぐれた様子で、目を閉じて「君と一緒にいると、自分が愛されてるって実感できる」とつぶやきました。 その言葉をどんなに言ってほしかったか……
というわけで、それ以来週末には彼とカフェでまったり過ごすようになりました。
それからもうひとつ、彼がお昼に食べるお弁当を作って、職場に持っていってもらうようになりました。 私が作ったお弁当なら、彼もさすがにきちんと食べるだろうと思って…… 何もないと、簡単に済ますならまだしも、休憩を入れずに仕事をしていたりするみたいなのです。 ただでさえ倒れそうな過労の中にいるのに、お昼抜きなんてすごく心配で。 案の定、私のお弁当はいそいそと食べてくれているみたいなので、何よりです。
そんな感じで、彼のメンタルは安定してきました。 弱音や愚痴を言わなくなったわけではないけれど、それは、私のことを心のよりどころとして信じてくれているからこそというか。
そんな彼と、今週末の三連休は旅行に行ってきます。 9/21は結婚して四ヶ月ですし、気づけばもう100日以上も過ぎてるのでその記念も兼ねて。 行き先は、例のラーメンがおいしいという私の故郷でもある土地。 幼い頃を過ごしたわけで、正直、学校にも家庭にも苦い想い出が多いです。 だから、故郷には二度と帰りたくないと思ってきました。 でも、急に彼と行きたいなと思ったのです。 嫌なことがあった場所だからこそ、彼と新しい想い出を作って記憶を新しくしたい。
旅行のことはここに書くか分からないので(具体的な地名とかあんまり出したくない)、記録はこのメモに代えます。 お昼前には出発予定です。
いってきます。
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emeraldecheveria · 12 days
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月の光と海うさぎ【8】
明日のない朝
 すみれさんが戻ってきても、私たちは朝になるまでモーター音が響くコインランドリーで軆を温めていた。
 この時間帯でもたまに利用客が入ってきて、訝しげに私たちを見る。すっかり太陽が昇りきる前に、「少し移動しましょう」とすみれさんが立ち上がり、さくらも目をこすって目を覚ました。私は頭はぼんやりしていても、一睡もできないままだった。
 人通りが少ないうちに駅前に出た私たちは、駐輪場で鍵のかかっていない自転車を盗んだ。そして、やはりすみれさんの先導で、騒がしい朝へと目覚めていく街の中を走った。
 だいぶん走った気がする。一時間は漕いでいたので、運動が得意でない私は息が苦しくなった。大通りも走ったりして、車との接触に気をはらったりしていると、ブレーキを響かせてすみれさんが停まった。
「ここだと思う」
 自転車は乗り捨てて、私たちはすみれさんがしめした広い公園に踏みこんだ。
 あまり人はいなかったけれど、ひとつのベンチに何人か男の子たちが溜まっていた。すみれさんはその男の子たちに近づき、何やら話したあと、「さくらと希夜ちゃんはここにいて」とベンチを指してから男の子たちとどこかに行ってしまった。
 私とさくらは顔を合わせ、疲れもあったのでおとなしくベンチに腰かけた。周りの樹木は紅葉も過ぎて、枯葉をこぼしていた。
 すみれさんとあの男の子たち、何なのかな。そんな疑問もあったけど、何だかさくらに訊く気力もなかった。
 今日も空はよく晴れていた。けれど、自転車を漕いでいた発熱が落ち着いてくると、吹きつけてくる風が寒かった。公園の外の騒音がざらざらと響く。
 昨夜から何も食べていなかったけど、食べたいものがひとつも思いつかないくらい、何だかどうでもよかった。それより、どのタイミングで家に連絡を取りたいと言い出せばいいのか──
「希夜」
 ふとさくらがつぶやき、「……うん?」と私は少しだけ首をそちらに捻じった。
「何か、ごめんね」
 私はさくらの正面を眺めるままのぼうっとした目を見つめ、「ううん」と言った。さくらの赤い唇から白い吐息が流れる。
「このまま、私たちと来る?」
 うつむいた。このまま、さくらたちと? それは──
「……家に電話しないと」
 正直に答えると、さくらは薄く咲って「そう、だよね」と首を垂らした。「ごめんね」と今度は私が言うと、「いいの」とさくらは私に微笑む。
「希夜は、私たちみたいにダメにならないでね」
「さくらはダメじゃないよ。すみれさんも」
「ダメだよ……」
「そんなことない」
 さくらはまた顔を伏せ、膝の上で白い手を握りあわせた。
 さくらもすみれさんも、昔からかわいくて女の子らしい洋服なんて与えてもらえない。トレーナーやジーンズ、男の子のおさがりのような服装が多い。でも、それはそれで似合うくらい、ふたりともかわいかったけれど。
「私さ」
「うん」
「ずっと希夜に言えなかったことがあって」
「……うん」
「ルルのこと、憶えてる?」
 私はさくらの横顔を見てから、「うん」とうなずく。
「たぶんね、滋くんたちなんだ」
「シゲル……くん、って」
「私のいとこ」
 目を開いた。さくらは長い睫毛を伏せている。
「たまにうさぎ小屋に行って、ルルだけじゃない、ほかのうさぎもいじめてた。よく分からない薬を塗ったにんじん食べさせたりとかして」
「………、」
「私がそれを知ってるのを、滋くんたちも知ってた。ルルが死んだときには、絶対言うなよって言われて……」
 さくらは声を震わし、「でも」と話を続ける。
「私が先生とかにほんとのこと言ってたら、希夜はあんなに苦しまなかったよね。だから、ほんとは……全部私のせいなんだ」
 私はびっくりしてまばたく。そんなふうには考えなかったし、思いもよらなかったから。
「さくらのせいじゃないよ」
「私が滋くんたち怖くて、犯人知ってるくせに黙ってたせいで、」
「さくらは悪くない。悪いのは滋くんたちだよ」
 さくらはかぶりを振って「私が悪いんだ」と繰り返した。その瞳は涙が滲み、赤くなっている。ルルの赤い瞳を思い出した。「さくら」と私はさくらの手に手を重ねた。
「ルル、何で死んじゃったのかな、とは確かに私も思ってた」
「……ん」
「私が悪かったのかもしれない、とも考えたよ」
「希夜は、」
「でも、そうじゃなかったんだよね。ほんとのことが分かっただけでも、よかったよ。ありがとう、さくら」
 さくらは私を見て、開いた目からぽたぽたと涙を落とした。
 ずっと私にそのことを言えなくて、さくらはひとりで苦しんできたのだろう。さくらは何も悪くないのに。巻きこんでしまって申し訳ないのは、私のほうだ。
「ねえ、さくら」
「……ん?」
「ちょっとね、バカみたいな話していい?」
「ん、うん」
「私��あの頃から、ルルが心の中に棲んでるような気がするの」
「心に?」
「そう。私がいじめられると、ルルも傷ついて、心の中に雨を降らせるんだ」
「雨……」
「私、上手に泣けないから。代わりにルルが心で泣かせるの。私も、ルルも、ひとりぼっちなんだよね」
「何で」とさくらは重なった私の手を握った。
「ルルはうさぎ小屋に友達がいたし、希夜には私がいるじゃない」
 さくらを見た。さくらも私を見た。小さく咲いあうと、「うん」と私はうなずいた。やっと微笑んださくらは、私の肩をぎゅっと抱いてくれた。ちょっと煙草の匂いがする、と思いながらしばらくそうしていた。
 それから、さくらは「家に電話しなよ」とテレカを貸してくれた。私はそれを素直に受け取り、周りを見まわして公衆電話ボックスを見つけると、そこに駆け寄った。
 午前七時をとっくにまわっても帰宅しない私に、家は大騒ぎになっていた。今すぐ迎えにいく、そこで待っていなさい、と母はまくしたて、私はおとなしく「はい」と答えた。
 ベンチに戻ると、そんなに長くない電話だったのに、ちょうどすみれさんのすがたがあった。「家に電話したの?」と訊かれ、肯定する前に「すみません」と何となく言ってしまうと、すみれさんは一応首を横に振ってくれた。
「私たちのことは言った?」と問われ、「訊かれなかったので」と答えると、「じゃあ、そのまま私たちのことは絶対に言わないで」とすみれさんはさくらを立ち上がらせた。
「どこに行くんですか?」
��ごめんね、聞かないほうがいいと思う」
 突っ立つ私を残し、立ち去りかけたふたりを呼び止め、私はさくらにテレカを返そうとした。「また会えたときでいいよ」とさくらは無邪気ににこっとした。
 また、会えるのかな。なぜかそんな不安を覚えたけれど、ここで押し返したらもう会わないと言うようで、私はこくんとした。
 さくらとすみれさんは荷物を連れて公園を出ていった。私はひとりベンチに座り、ぽつんとしていたけれど、ふとテレカの写真を見た。
 夜桜を切り取った写真で、満月を背景に桜の花びらが舞っている。昨夜の月を思い出し、またさくらと月を見れるかなと思った。十五夜も。十三夜も。一緒に見て、お互いの幸せを願ったりできるかな。そうできるといいな。
 そんなことを淡く願っていると、親が迎えに来た。母だけでなく、父も一緒だった。ふたりは捜索願いまで出してしまっていて、私は警察に行かなくてはならなかった。
「あのふたりは?」と訊かれてぎくっとして、「ひとりだよ」と白々しく言ったけど、「希夜ひとりでこんなことするわけないだろう」と父が言い、母はさくらのおとうさんから連絡が来たことを教えてくれた。さくらのおとうさんは、さくらの日記を見つけて計画を知り、私の家と私の中学にまで連絡を入れたらしい。
 学校にもこのことを知られたのか。車に乗りこんだ私は、何でそんなことするかなと、後部座席で歯噛みした。私はそもそも帰るつもりだったし、そんな大変なことみたいに伝えなくていいのに。でも母も「ほんとにバカなことして」とあきれた息をついていた。
 地元に戻ると、両親に警察署に連れていかれた。「あんたの歳ならそんなに厳しくないから」と母に言われていたのに、私はそもそも年齢も訊かれず、ひとりで取調室に通された。
 それでも、軽い注意くらいだろうと思っていた。しかし、担当した刑事のおじさんはすごく横柄で、明らかに問題児を見下す目をした人だった。
「お前、売春する気だったんだろう」
 いきなりそんなことを言われて、そういう経験はキスさえしたことがなかった私は、土足の物言いに驚いた。
 刑事のおじさんはすごい剣幕であれこれと私をなじった。怖くなった私は何も言えなかった。調書を取られ、拇印も押せと言われ、嫌だったけど逆らえなかった。
 ただ、そのとき同時におじさんは私の年齢に気づいたようで、怯んだ顔を見せた。やっぱり、母の言ったとおり、本当は子供に対してこんな取り調べはダメだったのだろう。
 しかし、おじさんは子供と見たら見たで、「子供がこんなに大人に迷惑をかけやがって」と私に頭に下げて謝罪するよう言った。できなかった。したくなかった。父と母にはきちんと謝る。ふたりには確かに心配をかけた。でも、このおじさんに何で謝らないといけないの?
「お前は子供だから分かんかもしれんが」とおじさんは私に顔を近づけ、煙草臭い息で言った。さくらに感じたあの匂いと違い、何だか不潔だった。
「女なんて、あっという間に汚されるんだ。だから、あんなふたりとはとっとと縁を切るんだな」
 汚される? 何その言い方。さくらとすみれさんが汚れているみたいに。この人は何を言っているのだろう。
 だんだん意固地な気持ちになってきて、私は黙りこくった。おじさんは「人に迷惑をかけておいて、なんて態度なんだ」と今度は説教を始めた。
 人に迷惑、って。そんなに他人には迷惑かけてない──と思ったけど、なぜか急に、私たちを市街地まで乗せてくれたダンプの運転手さんを思い出した。
 あの人には、確かに、迷惑をかけたかもしれない。仮眠を邪魔して、嘘ついて。私たちを心配することも言ってくれたのに。きっともう、謝る機会なんて絶対に訪れない。あの優しさに何も返せないのだと思うと、私の目に、急激に涙があふれてきた。
 私が泣き出したことで、おじさんはようやく満足したらしい。外で待っていた両親にも、「反省したみたいです」とか言っていた。でも、私はダンプの運転手さんには本当に申し訳なく感じたけれど、それ以外は反省も後悔もしていなかった。
 中間考査中は学校を休み、日程をずらしてひとりで試験を受けた。当然、結果はぼろぼろだった。
 学校でももちろん職員室に呼び出され、今回の件はどういうことなのか説明しろと怒られた。私は訊かれたことには正直に答えたのだけど、結局は、ますます先生たちに不良あつかいされるようになっただけだった。
 しばらくして、母がさくらたちの話をしてきた。ふたりはあのあと、公園にいた例の男の子たちに心配され、警察に行ったのだそうだ。ふたりが今、どこで何をしているのか何も分からなかった私は、少しほっとした。
 さくらとすみれさんの家出は、あれが初めてではなかったそうだ。お金がなく、売春することもあった。そういうお店だか組織だかにいて、ずいぶん帰宅しなかったこともあったという。その組織だかが摘発されたことで、あのときふたりは家に帰ってきていたのだと母は話した。
「希夜」
 つらすぎるふたりの環境に押し黙り、ただうつむいていると、母がはっきりと言い渡した。
「もう二度と、さくらちゃんには会っちゃいけないからね」
 ──部屋に戻った私は、さくらに渡された夜桜のテレカを見つめた。
 また会えたとき、ってさくらは言った。だから、会える。会えるよね。みんな会っちゃダメだって言うけど、私にはそれが分からない。
 だって友達なのに。味方なのに。私のこと、分かってくれる存在なのに。会っちゃいけないなんて、意味が分からない。
 そうだよね、ルル。ルルもさくらに会いたいよね。さくらにまた会えるって一緒に信じてくれるよね。
 ねえ、泣かないでよ。私の心に雨を降らせないでよ。寂しいなんて思わなくていいんだよ。私たちには、さくらがいるんだから、寂しくなんて──……
 けれど、私が再びさくらに会えることは、このあとの一生で、結局、一度もなかったのだ。
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【前話へ/次話へ】
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ari0921 · 5 months
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 米社会の病い、性別違和に苦しむ少女達
   櫻井よしこ
日本ルネッサンス 第1094回
今日、4月9日の産経新聞に『トランスジェンダーになりたい少女たち』の広告が掲載されていた。米国人ジャーナリスト、アビゲイル・シュライアー氏の『IRREVERSIBLE DAMAGE』の邦訳で、出版元は産経新聞出版だ。
広告には「あの“焚書”ついに発刊」の字が躍る。「皆様の激励に御礼申し上げます」「Amazon総合1位」の文字が誇らしくも嬉しくも輝く。それはそうだろう。本書の出版に際して産経新聞出版も同書を扱うと推測される大手書店も、放火予告というとんでもない脅迫を受けていたのだから。
同書は当初、大手のKADOKAWAが出版する予定だった。しかしわが国の一部左翼勢力が「トランスジェンダーに対する差別を助長する」として抗議し、KADOKAWA本社前で集会を開くなどと警告した。国際社会に名を馳せる大手出版社でありながら、KADOKAWAはジェンダー思想に染まった左翼勢力の恐喝に屈した。斯(か)くしてその時点で、言論の自由も出版の自由も踏みにじられた。出版界の名門がそんなことを許したのは痛恨の極みだ。
本書の内容は後述するが、ジェンダー思想に染まっている人やWokeの人々にとっては、確かに気に入らないだろう。かと言って、それを出版禁止にせよというのは無茶にも程がある。そんな圧力に屈すれば自由と民主主義を基盤とするわが国の社会の根底が揺さぶられる。出版社の存在意義も吹き飛ぶ。KADOKAWAの情けない姿勢を見て、弱小の産経新聞出版、瀬尾友子氏が名乗り出た。するとそこに先述した放火の脅迫が降りかかったの��。それでも産経新聞出版は遂に刊行に漕ぎつけた。しかもAmazon総合1位、だ。
日本社会も捨てたものではない。
奇妙なのはいつも言論、表現、思想・信条の自由などを金科玉条の如くに持ち上げる朝日などのリベラルメディアが同件にきわめてよそよそしいことだ。報道もしない。安倍晋三総理に対して行った「報道しない自由」をここでも発揮しているのだ。
ナブラチロワの抗議
シュライアー氏の著書は実に読みごたえがある。取材対象の当事者は200人、50家族に上る。意見を聞いた専門家の数、調べた専門書の幅広さにも感心する。彼女は驚いた。思春期に突然「性同一性障害」を発症し、「生物学的には女だけれど実は男だ」と主張する少女たちが急増していることに。2016年から17年にかけて米国では、女性に生まれついた人で性別適合手術を受けた人の数が4倍に増えた。英国ではジェンダー医療を望む10代の少女の数が過去10年で4400%増えた。
シュライアー氏は以下のように分析している。ここ10年でトランスジェンダーが目立つようになり、対照的に女性と少女が目立たなくなった。アメリカ全土の高校で最高水準にある女子選手たちは、女性を自認する生物学上は男子の選手に圧倒されている。その多くは男子チームでは月並みの選手だったのに、である。
文化面でも少女たちは支持を失った。女性専用だった場所は男女共用になり、スポーツの記録は先述のように不公平となり、抗議をすれば偏見だとどなられる。レズビアンを公表しているテニス選手のマルチナ・ナブラチロワは「トランスジェンダーの選手に女子スポーツで競技させるのは生物学上の女子に不公平だ」とサンデー・タイムズ紙に書いた。するとトランス嫌悪(フォビア)だとレッテルを貼られ、スポンサーから放りだされた。
世界でもっとも有名な同性愛者の女子アスリートであるナブラチロワが少女たちのために立ちあがったことで反トランスジェンダーの偏狭な人物だというレッテルを貼られたのなら、無名の女子選手たちが反対することはなおさら不可能だ。
そしてトランスジェンダー活動家は女性の生物学的な独自性を完全に否定しようとする。たとえば妊婦(プレグナント・ウィメン)は次第に“#妊娠中の人(プレグナント・ピープル)”と表現され、“膣(ちつ)”は“#前方の穴(フロント・ホール)”という忌まわしい言葉で表わされてしまう。トランスジェンダーを包括する語彙では、生物学的な女性は“養育者”あるいは“出血がある人”などと表現される。トランスジェンダー活動家はこのほうが繊細な言葉であり、より正確に表現することができると主張するのだという。しかし、とシュライアー氏は問うている。
「ほんとうの少女はどう感じるだろうか」と。
少女たちは女性であることに意味を見出し得なくなり、或いは居心地が悪くなり、自分はトランスジェンダーだと思い始める。そのような傾向をスンナリ受け入れて助長するのが昨今の大学だとして、幾つもの事例が記されている。
「抑うつ、自傷、薬物依存」
たとえばカリフォルニア大学ロサンゼルス校などである。そこでは、両親にはぜったいに知らせずに、キャンパス内だけ、あるいは法律上も名前を変更できるように簡単な説明と申込用紙を提供しているという。アイビーリーグをふくむ百を超える大学でトランスジェンダーのためのホルモン剤に健康保険が適用されているともいう。
こうして少女たちは男性になっていくが、その世界のことを21歳のヘレナ(米シンシナティのポーランド移民の娘)はこう語っている。
「トランスジェンダーのコミュニティにはあまりにも多くの抑うつ、自傷、薬物依存が存在しています」
ネットでトランスジェンダー・アイデンティティについて知った思春期まで性別違和を抱いたことはなかったヘレナは、途中で何とか引き返した。引き返した人をディトランジショナーと言うが、そのほとんどの人々が後悔に苦しんでいると、シュライアー氏は次のように指摘する。
テストステロンは数カ月摂取しただけでも、男性のように驚くほど声が低くなり、それは摂取をやめても元に戻らない。もっと長く摂取した場合は、通常とは異なる秘部を“肥大して小さなペニスに見えるクリトリスを”恥ずかしく思うだろう。夕方になると目立つひげや体毛もいやかもしれない。手術まで行ってしまった場合は胸に走る傷跡と一生つき合わなければならない。
シュライアー氏は、自分が語り合った全員が、自分の人生に関わった大人、とりわけ医療専門家が性別移行を促して助長したことを非難したとも書いている。
多くの少女たちがSNSでトランスジェンダーを知る。暴力的なポルノを見て正常なセックスもできなくなる。新しい傾向をもてはやすメディア、大学医療関係者がトランスジェンダー化への動きを無責任に後押しする。
トランスジェンダー問題はこうした思いやりに欠けた世界で運動家らによって尚も推進される。少女たちは回復不可能な傷を負い、少なからぬ家族が崩壊しているのがシュライアー氏の伝える現実である。この本は多くの貴重な教訓を与えてくれる。是非、わが国の政治家全員、最高裁裁判官たちにも読んでほしいものだ。
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jaguarmen99 · 3 months
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864 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:24/06/01(土) 20:51:24 ID:t1oF 小さい時分から癇癪持ちだった3人目の子 思春期に入っていよいよ手に負えなくなって疲れ切ってた 何か言われて返事をすると気に入らずに叫んで暴れ、黙っていると聞いているのかと怒鳴って暴れる 常にクソババアと呼ばれて子供が床に置いたものを数cm移動しただけで罵詈雑言を浴びせられる 壁は怒りに任せて殴った跡で穴だらけ そんな生活を送っていてその日も怒鳴られていて 怒号が言葉に聞こえなくてピーって機械音みたいなものに聞こえてた 限界を感じてたけどソファに座ってると癇癪が酷くなるから対面式キッチンのシンクの縁にしがみつくようにして立ってたら 急に「もう死にたいんじゃ!ババアも死ね!全員死ね!くたばれ!しねしねしね!」という叫び声が言葉として認識できた じゃあ早く死ねよしつこいんだよ毎日、ぽつりと言ってしまった 激昂した息子に刺されても殴られてもどうだっていいやという感情だった 息をつまらせるように黙った息子に「うるさいんだよ、おまえ、毎日」とだけ言って顔も見ず寝室に行って眠ってしまった 昼頃のことだったけど起きたら夕方で真っ暗だった 夕飯の準備ができてない事を思い出すのと同時に息子とのやりとりも思い出して 部屋めちゃくちゃになってるんだろうな…と憂鬱になりながらリビングに行くと綺麗なままだった 息子の部屋に行ったら鍵がかかってなくて中を見るとぶら下がってた 息子の手を握ると氷に触ったみたいにジンと痺れるように冷たくて だめだって思ったのを最後にそこからはあまり記憶がなくて気付いたら上の娘2人と夫が 学校や警察の対応もお葬式も手続きも家事もなにもかも全てのことをしてくれてた 完全に正気に戻ったのは10日くらい経ってからで家族も周囲もかなり心配してくれて 優しい言葉をたくさんかけてもらったけどその優しさが必要ないくらい 心静かで息子がいなくなったときからずっと安心して暮らしてる 世間の普通のお母さんは当たり前にこなしてるのだろうに、私は精神的に不安定な思春期の子供を支えてあげられなかった でも神様に時間を戻してやるからもう一度やりなおせと言われてもあんな辛い日々には戻りたくない 本当に疲れ果てた お母さんはよく頑張ったよと言ってくれる家族に、あの子を死に追いやったのは私だと言わなくてはいけないけど もうそんな地獄に立つ元気も怒鳴り声や暴力のない穏やかな日々を手放す勇気もない そんなふうに思ってる酷い母親のくせに、都合よく身勝手なことに 幼稚園で母の日におりがみで花を作ってはにかみながらプレゼントしてくれた時の事や まだ赤ちゃんだった頃のミルクを飲んで安心した顔で眠る息子を抱っこしてあやす夢をよく見る 起きたら泣いてる時もある でも息子がいなくなった安心感もある 長文すみません 書き捨てです
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fukagawakaidan · 1 month
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介し���「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者��いないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとする���は安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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patsatshit · 9 months
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いつもは僕が気になる友人たちにインタビューをしている「対話篇」ですが、今回はなんと日常炒飯事くんが僕にインタビューを挑んでくれました。ひとまわり以上も年の若い友人に手のひらでまんまと転がされる様を、どうぞご笑覧下さい。
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〔日常茶飯事〕炒飯事、個人店もアイドルも変わらないと思ってるんですよ、世の中にはこんなにたくさんのアイドルがいるのに(お店があるのに)自分のところを選んでくれるなんて!みたいな感じで、商売なんだけど、でも、選んでくれる(推してくれる)喜びが凄くあると思っちゃってるんですけど土井さん、これは妄想ですか?サイクルショプすずめでは来てくれる人たちが次に進むため飛び立つための?一時的な止まり木的な役割もできたらな的な話を直接、聞いただか読んだだかしたんですけど、でも今まで来てくれて��お客さんが急に来なくなるのは次に進んだということだから嬉しいことでもあるんだけど、絶対根っこではどこか寂しいと思うんですよね、たまには連絡してよね、お店に来てよね、でもべったりは嫌よみたいな、実際にも今タラウマラから離れるお客さんが増えた的なことも言ってましたが、土井さんは推し変についてはどう思いますか?自分は推し変に関しては見る目のないバカの迷走だと思ってます。なんというか量と早さをコントロールしたらうまいこと推せると思うんですよね。桐乃みゆさんのことをみゆっぴって呼びたいのにまだ呼べたことない、自分には無理かも、呼べてないってことはこれから呼べるかもしれないってことだから、を抱えてやってくみたいな感じで。
〔土井〕さすが炒飯くん、いきなりええとこ突いてくるやん。炒飯くんとはサイクルショップすずめからの付き合いやから、なんだかんだでもう7年とかそれくらいの付き合いになるんかぁ。確かにその間にほんまに沢山の出会いと別れがあったわ。炒飯くんの指摘にあるように、僕は店なんて止まり木で十分やと思っていて、次から次に羽を休ませては巣立っていくというのが理想で、それ以上の関係性は窮屈に感じるし、最初からそこまで密接な人間関係を求めてもいない。若い子を育てるとか、お客の音楽を聴く幅を広げたいというような大それた野望も抱いてない。適当な距離感で羽ばたいて行ってくれるのが丁度いい。でも、去り方は重要やと思うねん。「立つ鳥跡を濁さず」という良い言葉があるのに、実際には食い散らかした挙句にその場を糞まみれにして「ほな、さいなら」みたいな奴が多いよね(笑)。いや「ほな、さいなら」を言うてくる奴はまだマシな方で、そのまま去っては遠方からウンコ爆弾を落としてきたり、レジ金を啄んでいくような奴もおるからなぁ(笑)。やっぱり飛び去り方は大事やと思うわ。ここ数年、強く感じていることやけど、僕のまわりでアーティストを気取ってるような人たちはとにかく弱い、弱すぎてこっちが逆にビビっちゃうくらいに弱い。当人たちはそれを必死に隠そうとしてるけど、やっぱり捲れるよね。面と向かって何も言えない人たちは、カゲで好きなこと言うてはるみたいやけど、僕は所在地も電話番号もメールアドレスも世間に晒して生きてるから、ちょっとそういう人たちの感覚は理解に苦しむなぁ。炒飯くんの「推し変」というのをきちんと理解して答えられてるか怪しいところがあるけど「推し」をころころ「変える」ような人は、そもそも「推す」ということを理解してないんちゃうかなって思う。好きな対象にはどこかに嫌いというか受け入れ難い一面もある筈で、そういうこともきちんと飲み込んだうえで「推す」訳やん。好きだからこそ、あなたのこういうところが嫌いです、と言える。ちゅうか言わないとあかん。好きなアーティストの発表する楽曲や作品が全部好きになる訳ないやん。打率10割のバッターがこの世に存在せえへんことが何よりも物語ってるし、野球好きの人らは好きな選手が三振したら、えげつない罵声を浴びせはしても、だからって「推し」を辞めることはないやん。野球ファンの人ら、あれほんま長いこと根気よく「推し活」してるで。それに比べてアイドルやアーティストやショップを推してる人たちは何か気に食わんことがあったら簡単に手のひらを返す印象がある。自分が好きだと思い込んでるときは何でもかんでも褒めるのに。だからやっぱり「推す」ということがわかってないと思ってしまう。あと呼び名問題はめっちゃわかるわ。僕はジャニーズ系のアイドルやクラブ界隈の人たちが年齢やキャリアに関係なく相手を「くん」呼びする感じが苦手で、僕は炒飯くんのこともしばらくずっと「さん」呼びしてたと思う。小野ちんのことを「さん」から「ちん」と呼べるようになるまでに5年くらいかかったもん(笑)。WDのマーシーさんやSFPの今里さんは僕よりも年上やけど基本的に「土井さん」って呼んでくれてる。でもたまに話が盛り上がってテンションが沸点に達したときには「土井くん」に変わったりするねん、あれ好きやわ(笑)。
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〔日常炒飯事〕そうなんです、炒飯事は良いところを突いちゃうところあって、土井さんの「JAGUAR」だって一読で自分が好きだなと思ったところをここが訳わからなくて一番好きでしたって送ったら、そうやねん梶原くん僕もそこが一番好きやねんってなりましたもんね。なんか分かっちゃうんですよねそういうのが、たくさん本を読んでるのでポイントというか本の声が。梶原さんって呼ばれた記憶無いんですけどありましたっけ?7年の付き合いだしあるかも!土井さんの声色推しとしてこれは言っておきたいんですけど土井さんのカジワラくんのイントネーションが好きなんですよね、桐乃みゆさんの炒飯事〜も好きなのですが、今も土井さんの声が聞こえてきてます。去り方!これは土井さんからのパスだと感じました。アイドルっていつか卒業するもので、だから去り方は常に考えてますね、でもやっぱ自分、去り方には自信あるので任せてください!patsat!桐乃みゆさんはいつも最高にするからって言ってくれるんですけど、だから炒飯事も最高にするって決めてます。土井さんそれが不思議なことに桐乃みゆさんに対しては、どこか嫌いというか受け入れ難い一面が、推して3年目?くらいなんですけど無いんですよ!(もしかしたら炒飯事は2年間その場でグルグル回っているだけなのかもしれない)でも安心してください。炒飯事、本をたくさん読んでるので受け入れ難いこともゴクゴク飲めると思ってます!押忍。弱い人が多いって話ですけど皆んなどこか不安でその不安が人を動かしてる気がするんですよね、商売も推すことも推されることもってな感じで、そこら辺は土井さん的にどう感じてますか?なんか自分は不安な人に安心して欲しい気持ちがあるんですよね、人の不安を煽りたく無いというかでも時々不安を煽るようなことをしちゃうんですけどね。野球やってたんですけど、あんなのやんなきゃ良かったと思ってますね、あれのせいで自分は人の話を理解していないのに取り敢えず返事しとくみたいな癖がついてしまった気がします!土井さんはボクシングやってたんですよね確か、インスタのストーリーに載せてたミット打ちならぬ段ボール打ちの動画?凄く怖かったです!怒らせたらアカン!よくタラウマラのレジの金を盗もうと思うわ!野球やってたけど本を読む方が好きで、ジャニーズといえば、加藤シゲアキさんあの人結構良い小説書きますよ、『なれのはて』と『オルタネード』しか読めてないんですけど。こんなに本を理解できてる(本なんて理解できないことも含めて理解できてる)自分という読書がいて幸せだろうな本はぐらいの気持ちで本を読んでいるぐらいどこか自分に自信がありつつ同時に桐乃みゆさんに対しては自分はホラーじゃなくて喜劇になれているんだろうか?と毎日不安に押し潰されそうになってます、なんかカルチャーとか文学とかそういう世界にいない普通って言ったら、なんだその括りはとか怒られちゃいそうなんですけど普通のそこらへんの同世代の女性とかに炒飯事のインスタグラムを見てもらいドン引きしてもらわないと、心が保たない気がしてて、でも、そのドン引きは本気のドン引きじゃなくて呆れ笑いというかそういうのが嬉しいんですよね面倒くさいですよね、そういうところもキモいよとバッサリ切り捨てて欲しいくらいです。SかMかといえばどちらかというとMなので、でも一線を超えて呆れられることに怯えてるみたいな不安が自分にはあります。たくさん呆れられてきたからだと思います。土井さんはSですか?Mですか?なんというか自分は喜劇だと思ってやってるんですけど真剣でもあって、でも笑っても欲しくて、ふざけちゃうんですけど、それが度を越すと、人に対してアイドルに対してファンに対して、失礼になると思うので気をつけてるのですがそこが難しいです、日常炒飯事という名前もどう考えても滑っててうすら寒いし。
〔土井〕いや、ほんま僕も何で野球を例えに出したのかわからんくらい昔から野球をやるのも見るのも苦手やねんけど、たぶん炒飯くんからプレゼントしてもらった鹿島田真希の『来たれ、野球部』に引っ張られたんや(笑)。そもそも僕がボクシングを選んだのもチームプレイがとにかく苦手で、ひとりで黙々と打ち込めるものを探し続けて辿り着いただけやから。そういう意味では小説も一緒。それらはドストエフスキーの言うところの「地下室」みたいなもんやな。いまこれ鹿島田真希からの流れでドストエフスキーの名前を出してんけど、ほんまねぇ、アクセサリー集めるみたいな感覚で私家版のエッセイやzineを集めてる「読書好きの人と繋がりたい」人たち、マジでちゃんと読もうぜドストエフスキー!あれこそ真の弱者やで。あんなにゲスくて屁理屈をこねくりまわしてるだけやのにおもろい小説もないよね。僕の小説に出てくる登場人物たちの会話の噛み合わなさは間違いなくドストエフスキーからの影響、というかほぼそのまんま。いや、話が逸れたな(笑)。そう、弱さについて。いまの戦争被害者やDV被害者たちは本当に望まずして弱き立場に追いやられた人たちで、そういう方々の不安は一刻も早く解消された方が良いとは思うんやけど、僕がさっき言うた「弱さ」は「逃げ」と同義の脆弱さというか、『呪術廻戦』の両面宿儺が最も嫌悪する「弱さ」に近い感じかな。弱さに弱さを掛け合わせて、ほんまの弱者を押し退けて自分たちの居場所を確保する感じ。ほんまきついわ。『死ぬまで生きる日記』や『鬱の本』が受ける背景には弱者救済のフリをした承認欲求が潜んでるよね。あともう一度「推し」について、桐乃みゆさん、炒飯くんの話を聞いてるとマジで凄いなって思う。彼女の「日常炒飯時じゃーん!」の言い方は確かに僕も惚れそうになったわ(笑)。あれほんま良い。炒飯くんは僕の声を推してくれるけど、きっとそれくらい声とかイントネーション、抑揚は重要なんやで。どれだけ良いことを歌っていても声が生理的に無理やったら受け付けられへん。だから最近のラッパーのほとんどが無理やねん。発声方法がテンプレート化し過ぎてて、そっちが気になって歌詞の内容がまったく入ってけーへん。それでも諦めずに歌詞カードを熟読してみるんやけど、え、何も言うてないに等しいやん、みたいなのばっかりで(笑)。「俺の後ろに道ができてた」とか「太巻きを吸って吐いてchill」意外の言葉が聴きたいのに、そこから先の言葉になかなか出会えない。それやったら「ピカチュー」とか「でも寒いよね」とか「気づいたら刺青だらけだなぁ」とか「得意技でしゃがめ」とか「ババババレンシアガ」みたいに最初から何も言うてない人たちの方が遥かに好きやな。僕はこういう人間やからレーベル側の人たちからしたら面倒臭いったらありゃしない。そのあたりも含めてWDsoundsやMIDNIGHT MEALの方々は僕の性癖をすごく理解してくれているから、こちらも本音で好きなものは好き、苦手なものは苦手と腹を割って話せる。だからSかMかと聞かれたら……うーん……どっちやろか、えー、どうかな、でもどちらかと言えば逆境に立たされた方が燃えるところがあるからMなんかな(笑)?
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〔日常炒飯事〕そろそろインタビューを始めたいと思います。今回はインタビューを受けてくださりありがとうございます。よろしくお願い致します。人や生き物が亡くなったときそれが自分じゃなかった理由がないことについてどう思いますか?
〔土井〕おい!いま僕に話してるのは虎杖か?それとも宿儺か?いつの間に契闊を唱えたんや!って言うくらいに見事な切り替えをありがとう(笑)。他者の死が自分のものではないと断言できない件、それはもうべケットやクライストの愛読者としては一生考えていかないとあかん問題やと思うけど、それは常に喜劇と紙一重で、お葬式って、独特の緊張感のなかにクスクスしてしまうような笑いの要素が多分に含まれてるやん。だからコントのネタにもなりやすいと思うねん。結婚式みたいな華やかな場で、それこそネタを披露する親類縁者や友人の振る舞いを見て心底面白いと思ってる人はおるんかな?僕なんかはむしろピシッと張り詰めた告別式の空気感のなかでの僧侶の一挙手一投足に目が離せなくなる。ちょっと躓いたり、読経の最中に噛んだりしただけで吹き出してしまいそうになる(笑)。あれやん、甲本ヒロトが言うてた「いなくなったことは大したことじゃない。いたってことが凄いんだ」ってやつ。だから死はある意味では自分のこととして受け入れることができるけど、結婚式や出産はどこか他人事というか、知ったこっちゃない、みたいな感覚が付きまとう。これはあくまでも僕の個人的な体験に基づく感想やからね。だからという訳でもないのかもしれんけど、昨年亡くなったスチルスの近松くんの棺は最後の最後までよう開けんかった。開けたらそこに自分の遺体があるような気がして。僕にはまだやるべきことがあるって思ったから。それだけ彼の死は「近かった」んやと思うわ。
〔日常炒飯事〕『劇場版チェンソーマン レゼ編』の公開が決定されましたが、その際の藤本タツキ先生の「お互い消耗品として誰かに使われる存在のデンジとレゼのモチーフはアニメ映画「人狼」内の主人公とヒロインを参考にしました。構図なども もろな部分があると思うので是非「人狼」も見てほしいです!」というコメントについてコメントをください。
〔土井〕おお!『人狼』をまったく知らん、いますぐ観なければ……。そもそも僕がアニメや漫画にハマったきっかけは紛れもなく炒飯くんやからなぁ。僕の知識なんてペラペラですよ。『チェンソーマン』も『呪術廻戦』も炒飯くんが教えてくれたよね。ほんま感謝してるわ。いまやその両作は僕に1週間生きる目的を与えてくれる生命維持装置みたいもんやから(笑)。とにかく『人狼』は今週末にでも観るとして『チェンソーマン』はほんまに凄いよね。断然原作が好きやけど、特に第二部の「つまらなさ」がほんまに凄い(笑)。これは揶揄してる訳じゃなくて、やっぱり大切なことを本気で伝えようとしたら「退屈」や「難解さ」は避けて通れないと思うから。思想家の佐々木中が「フーコーやスピノザを噛み砕いてわかりやすく解説しろって言われるけど、それは冒涜や」みたいなことを言うてはったわ。いま『チェンソーマン』が描こうとしてるのは革命以前の「運動」そのものやから、運動には象徴が必要なだけで、あとはセクトの地味な思惑が勝手に物語を運んでいく。当然、主人公はお飾りやから、第一期のようなヒーローもの(それでもだいぶ捻くれてるけど)を期待する人には退屈で仕方ない。バトルの派手さや構図の妙もすっかり影を潜めてて、でも人気絶頂期にこれをできるってほんま凄い!連合赤軍をそのまんま描いた山本直樹の『レッド』よりヤバい!子どもはただちに『チェンソーマン』を棚に戻して『僕とロボコ』をレジに持って行きなさい(笑)。
〔日常茶飯事〕今日何着てますか?
〔土井〕RC SLUM のピーポくんパーカー!
〔日常茶飯事〕ストリートスナップ撮ってる者なんですけど撮影させてもらっても良いですか?
〔土井〕炒飯くん、やっぱりエグいな。それな、ほんまその感じがまさに藤本タツキがやろうとしてる「デンジとレゼ」やんな。あれほんま何なん?カメラやSNSなんてなかった方が人間は幸せやったんちゃう?
〔日常炒飯事〕妻であるゆきこさんに惹かれた理由を教えてください。
〔土井〕ほんまエグいな(笑)。いっぱいあるけど、一番は顔かな、ゆきこの顔を見てたら落ち着くねん、顔が好き。
〔日常炒飯事〕最後の質問になります。今の土井さんの敵は何ですか?
〔土井〕これはいくつも答えのパターンが思い浮かぶけど、炒飯くんには中途半端なレトリックは通用せえへんから、真っ向勝負でいくわ。敵は百万年書房や!あそこがやろうとしていること、やっていることが僕にとっては害悪以外の何ものでもない!あれらを取り巻く環境、ムード、サービス、金の流れ、それがはっきりといまの僕の敵や!
〔日常茶飯事〕ありがとうございました。良いクリスマスプレゼントができたと思います。
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qofthequinine · 2 months
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祖父の兄
WW2でメディックだった。別に医学的な教育は受けていない。が、優しく、誰をも助けようとする人物だった、と聞いている。
徴兵されて、メレヨン島に行った。徴兵されるのは少しもおかしなことではない。あの当時のことだから、仕方がなかっただろう。しかしこのメレヨン島は、悲惨であった。
先頭基地として飛行場を整備するために軍はそこに向かった。が、整備しようと言う途端に、爆撃に遭い、そののち軍部からの支援はなかったとのこと。つまり、見捨てられた島だった。敵国にも味方国にも、相手にされなかった。
どうか彼が最初の爆撃で亡くなっていてくれれば、と不謹慎ながら思う。その後の顛末を調べると、「戦闘のない戦争状態」だったらしい。誰も来ない。飯は尽きるばかり。農業をしようったって、耕作できるような土地ではない。ただ飢えと病気に怯えながら、あるいは飢えを凌ぐために人道的な過ちを犯してでも、生き延びようとした島だったらしい。
生き延びたとして、衛生兵である。おそらく、ほぼ確実に、助けようと努力したに違いない。優しかった。優しいから好きだった、とひいおばあちゃんや祖父から聞いている。だから、苦しみながら、でも誰かを助けようとしながら、亡くなってしまったのだろうな、と考えてしまう。
戦争だから許されてしまう行為は多くあるが、それは個人の心が耐えられるような生半可な行為ではない。しかし、おそらく、私の祖父の兄は、人道は守った。証拠はない。でも確信する。「困っていたら助ける」単純な原則で動いた。それだけだ。人間に必要なのはそれだけなのだ。
こういう話をしたり自分がそのように振る舞っていると、能天気で頭の中がハッピーすぎると言われる。違うんだ。自分がハッピーじゃないから、誰かがなんとか生きるために助けるしかないじゃないか、と思っているのだ。助けるなんて言葉じゃなく、道に迷っていたら場所まで付き添う、車椅子の人が大変そうだったら人を集めて目的地に運ぶ、脱輪車両があれば事情を聞いて道ゆく人に声をかけたり合図を出して、みんなで協力して解決する。
こういうのって、当たり前じゃないの?ヒトじゃなくて人間なんでしょう?人である以上に、社会的なのが人間でしょう?
そう思いました。
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harawata44 · 10 months
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実は間違い!やってはいけない「おばあちゃんの知恵袋」時代の変化と根拠のない過去の常識 - ライブドアニュース
以下引用
民間療法は過去の常識を疑おう
「昔は今のように便利なものがすぐに手に入ったり、情報にアクセスできなかったので、身近なもので編み出した“苦肉の策”的なアイデアも多いんです。ただ、医師の立場から言えば、実際に効果があったというエビデンスのないものは、おすすめしません」  と話すのは、公衆衛生学が専門の医師、柳澤綾子先生。
「民間療法はあくまで補助的に行うべきもの。例えば、切り傷の治りが悪いぐらいならまだいいですが、菌が入って化膿(かのう)させてしまうような危険なケースもあります」(柳澤先生、以下同)
逆効果で害に!正しい治療法を知ろう
「昔はアロエがすぐに手に入ったため、『切り傷にはアロエを塗る』といった民間療法は日本だけでなく、海外でもよく知られている方法です。アロエの成分には収れん作用があるので、小さな傷であれば有効である可能性があります。  ただ、土や雑菌がアロエに付着していれば、それが傷口に入り、化膿する危険性も。その結果、傷痕が残る可能性がないとはいえません」  さらに、今も一般家庭で行われている、市販の殺菌消毒薬を使う傷治療も、医学の世界では“時代遅れ”。 「正常な細胞まで破壊してしまう危険性のほうが高いので、泥などを水で洗い流すだけというのが、現在の傷治療の常識。昔の常識が間違っているというより、研究が進んで新常識に塗り替わっているのに、広まっていないということなのでしょうね」  最近の研究では、植物や食材を皮膚に塗ると刺激になってかぶれたり、口にするとじんましんが出る「食物アレルギー」発症のリスクが上がることがわかってきた。 「例えばキュウリパックなどで食物アレルギーになった場合、その発症をきっかけとして同じウリ科のメロンなども食べられなくなってしまうことも。“おばあちゃんの知恵”的な『自然のものだから安全』という思い込みは捨てたほうがいいです」  ほかにもヨーグルトやレモン、米のとぎ汁などでも発症する可能性があるので、皮膚につけるのは避けたほうがベター。乾燥しやすかったり皮膚が弱い人は特に要注意だ。  この時期、風邪のひきはじめや体調が悪いときの言い伝えを試す人もいるのでは? 「『風邪をひいたときにネギを首に巻く』のも効果はないですね。ウイルスが引き起こす風邪に特効薬はありませんし、ましてや特定の食べ物を食べて治ることはないです」  このような民間療法は、誰か��とりに何か良い結果が出たことが、噂として広まっただけかもしれない……と柳澤先生は語る。 「実害がなければ、個人の判断で行うのは構わないでしょう。『心地がいい』『気持ちいい』というのも、私たち人間には大事な要素。ただし、イメージで妄信せず、その民間療法が安全かどうかを事前に確認すべきです」
おばあちゃんの知恵【風邪対策編】
×:ネギを首に巻く  首に巻くとネギの成分「アリシン」が鼻から入ってきて良い……というのが、この対策を“本当のように”思わせてしまう理由。 「アリシン自体は免疫活性化に役立つといわれていますが、風邪を直接、治すものではありません。そもそも、首の皮膚から経皮吸収できませんし、分子が大きいので吸い込んでも吸収されません」(柳澤先生、以下同)  免疫を高めるためには「寝ることに勝るものはありません!」 △:風邪のひきはじめには卵酒  酒に卵と砂糖を混ぜ、温めたのが「卵酒」。卵であれば常備している家庭も多く、液体なら体調が悪くてもとりやすい。 「身体に異物が入ってくると、細胞性免疫や白血球が抗体を使って戦うのですが、この抗体を作る原料がタンパク質。  卵の主成分であるタンパク質(アミノ酸)をとると免疫の原料が増えるという意味では、卵に限らず、良質なタンパク質をとるのは良いことです。ただ、お酒はいらないのでは。  私たちはお酒を消化する際、免疫に必要な栄養素を消費してしまうので、免疫力低下につながります」 △:風邪をひいたらチキンスープ  風邪のとき、欧米ではポピュラーな“おばあちゃんの知恵”が「チキンスープ」。鶏肉や玉ねぎ、セロリなどの野菜を煮込んで作る。 「諸説あるものの、米国胸部疾患学会(ACCP)の報告書では、しっかりしたエビデンスはみつかりませんでした。卵酒と同様、鶏肉はタンパク質が豊富とはいえると思いますが……」  療養食としては適しているが“治る”のは期待しないほうがいい。 △:喉のイガイガにははちみつ大根  咳が止まるといわれている「はちみつ大根」。皮をむいてカットした大根をはちみつに漬け、半日程度冷蔵庫に置いてからその大根やシロップをとるというものだ。 「はちみつには咳を止める効果があるという論文がありますが、大根には今のところ裏付けはないはず。はちみつは上気道炎で咳が出ている小児での調査でも、咳止めの薬と同程度の効果が見込まれました。  抗酸化作用や抗菌作用のある成分が多いからとされていますので、喉が痛いときには、はちみつのみを少しとってみては」  ただし1歳未満の小児に与えるのはNGだ。
昔ながらの生活の知恵
×:ひじきで貧血予防  鉄欠乏症などの貧血を防ぐ食品として日本では知られるひじき。しかし、1950年から発表されている『日本食品標準成分表』では、ひじき100gあたり55mgあった鉄分は、2020年版では6.2mg、つまり9分の1に減っていた。 「そもそも、この鉄分は食材に含まれていたものではなく、鉄釜で調理していたから。今はステンレス鍋などを使うので含まれる鉄分が減ったのだとか。これは切り干し大根も同様」  動物性と植物性の鉄は作用が異なるので、レバーや肉、魚の赤い部分、豆類や小松菜などをバランスよく食べよう。 △:こりや痛みに「こんにゃく湿布」  昔はこんにゃくを温めて、こりや痛みのある患部に当てていたそうで、今もナチュラリストの間では実践する人も。 「現代では温めたいなら、こんにゃくである必要性はありません。湯たんぽやカイロなどで良いはず。ただ急性の炎症の場合は冷却が基本だったり、慢性期は温めるのが基本であったり、症状によって違います。  炎症の種類によって変える必要があるので、自己判断で決めず受診したほうがよいでしょうね」 △:お酒を飲む前に牛乳  お酒好きの人は飲酒前に何かをとって二日酔い予防をしたいという人も多いだろう。そのひとつが、「お酒を飲む前に牛乳を飲むと胃に膜ができてアルコールの吸収を遅らせ、酔いにくくなる」という説。しかし、効果は期待できないという。 「タンパク質は分解酵素の原料としては役には立ちますが、即効性はありません。乳脂肪は胃の動きを抑制してアルコールの吸収を遅らせるという作用はありますが、微々たるもの。酔いがまわるのがほんの少し遅くなるというだけです」 ×:塩で歯磨き  塩で歯磨きをすると浸透圧で歯茎の中の老廃物を排出しやすくなるといわれているが、「浸透圧で分子の小さな水分は外に出てきますが、老廃物は外には出てきません」と、柳澤先生は一刀両断。 「塩の結晶が大きいので、歯や歯茎を傷つける可能性しかないです。塩で歯茎のマッサージなんてもってのほか。刺激は強いので爽快感はあるのかもしれませんが……」  汚れを落とす効果もなく、塩分過多で血圧や腎臓への影響も心配だ。 △:りんごが病気を遠ざける 「1日1個のりんごで医者いらず」ということわざが有名。加えて「りんごポリフェノールが豊富なので皮ごと食べるとよい」、「抗酸化物質の塊」ともいわれ、まるで“万能薬”のようにうたわれるりんご。 「ポリフェノールという意味ならぶどうや緑茶にも入っています。ポリフェノールには脳卒中や高血圧、多くの心疾患リスク要因を減らすという効果が期待できても、その作用を起こすほどの量を食べることは現実的ではありません」  さらに果糖もたっぷりあるので食べすぎると、血糖値の上昇や血中の中性脂肪の増加を招く危険性も。 ×:魚の骨が喉に刺さったらご飯を飲み込む 「ご飯の粘度で魚の骨が取れる人もいるそうですが、ますます深く刺さることもあります。たまたま取れた人がいたとしても、ほかの人も成功するとは限らず、おすすめできません」  食道は縦に裂けやすくなっているため、硬い骨を無理して取ると神経などが通る部分に炎症を起こすことがある。 「人の身体には異物を排除する機能があるので、ある程度は自分の身体に任せておいて大丈夫」  どうしても気になるときは、耳鼻咽喉科で取ってもらおう。 △:やけど・傷はアロエで治る  日本だけでなく世界中で、ケガをしたときによく使われている多肉植物のアロエ。この成分を使ったゲルを塗ることで、にきびの回復、やけどの回復が早まる可能性が研究で報告されている。 「やけどの初期対応としてアロエの葉を使う場合、冷却作用は期待できますが、今はそれより冷蔵庫の保冷剤を取り出すほうが、葉っぱを取りに行くより早いのでは?水道水で良いのでとにかく早く冷やしてください」  また、土にはさまざまな雑菌が含まれているので、アロエの葉とともに雑菌が傷に入れば感染症を起こす可能性が。人によっては皮膚がかぶれたりすることもあるので要注意。 ×:蚊に刺されたらアルカリ性の石けんで洗う  蚊の唾液が酸性なので、アルカリ性の石けんで洗うとかゆみがなくなるといわれている。 「まったく効果はありません。そもそも蚊の唾液が酸性であるという証拠がないのです。それに、皮膚の上に石けん水を塗ったからといって、皮膚内に入った蚊の有害成分に届くことはないですよ」  異物が体内に侵入するのを防ぐ役割を果たしているのが皮膚なので、特殊な医療技術を使わない限り奥まで浸透することはない。 ×:わかめで髪が黒くなる&増える  見た目が“緑の黒髪”という言葉を連想させるためか、伝説のように語り継がれているわかめの効果。 「白髪の予防になるという科学的なエビデンスはまったくなく、増毛作用の根拠もありません」  だが、海藻にはビタミンやミネラル、食物繊維といった、毛髪にも良い成分が豊富に含まれているのは事実だ。 ×:美白のためにキュウリのパック  キュウリに含まれるビタミンCには美白効果、βカロテンには美肌効果などの効用は認められているものの、キュウリに含まれる量は少ない。さらにいえば肌に直接のせてパックをしても、ほとんど肌に浸透することはないという。 「キュウリをパックするというのは、そのメリットがまったくわかりません。冷たくて気持ちいい程度の意味しかないと思います。それに刺激物だと身体が認識して、かぶれてしまう心配もあり、こちらのほうが心配です」
今は効果なし!おばあちゃんの節約術
 健康法だけでなく、おばあちゃんの節約術にもハイテクになった現代には使えなくなったワザが。節約に詳しい丸山晴美さんは、次の3つにダメ出しした。 ×:水道水はチョロチョロ少しずつ出す  昔は水道メーターの精度が悪かったため、少量ならカウントされず水道代が安くなるといわれており、洗濯機や風呂の水をためるときに実践している家もあった。しかし、今はメーターの精度が高いので、この方法では意味がない。 ×:冷蔵庫内にビニールカーテン  冷蔵庫の開閉時に冷気が逃げないようカーテンをつける人が続出。しかし、電気代の節約効果はいまいち不明……。それよりは食材を詰め込みすぎないこと、無駄な開閉はしないことを心がけてみては。 ×:コンセントはこまめに抜く  何でもかんでも電源プラグからコンセントを抜いていたが、家電の進歩により今は待機電力がほぼかからない。10年以上前の保温式の電気ポット、旧式のガス給湯器についてはプラグを抜くか、主電源を切って。
教えてくれたのは……柳澤綾子先生●医師、医学博士。東京大学医学系研究科公衆衛生学客員研究員、国立国際医療研究センター元特任研究員。集中治療・麻酔科専門医指導医。年間500本以上の論文を読破し、著作本『身体を壊す健康法』(Gakken)では、世界中から集めた情報をわかりやすく解説。
(取材・文/オフィス三銃士)
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