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#誠丸
39goodboy · 7 months
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shihlun · 10 months
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Mariko Okada playing baseball in "No Time for Tears" (1955)
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zegalba · 2 years
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戱丸仁忠誠
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anamon-book · 6 months
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決定版 深夜の散歩-ミステリの愉しみ 福永武彦・中村真一郎・丸谷才一 講談社 装幀・挿絵=和田誠
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noriaki-nakada · 3 months
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【似顔絵】東京都知事選候補者のみなさん。
ブログ記事はこちら:https://wp.me/p72NAa-1Wr
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hobbystationerytagimi · 11 months
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ウェーブ / 核誠治造 熊丸Racoon 2Pカラー(クリアーレッド) 入荷しました!
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hirasen · 2 years
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#ひらせん食堂 の #超豪華ディナー ( #笑 )は、 #15日ぶり #福島丼丸 (https://sasafune.co.jp/shop/?_id=15723) #大河原店 #福島丼丸大河原店 (https://instagram.com/donmalu0401?igshid=YmMyMTA2M2Y= https://www.facebook.com/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E4%B8%BC%E4%B8%B8-%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E5%BA%97-574423509755237/)さんの #痛風丼 という、 #恐ろしい名前 の #どんぶり です! #名前とは大違い で、 #とってもオイチー ♪ #以前 #河原丼痛風バージョン (https://twitter.com/hirasen1965/status/1461533069328805894?s=46&t=g1cG1RWGIysKdz2-RrbgNQ) #というのもありました ☆ #メニュー表の値段 も #最新のものになりました ♪ #家族の皆様 、 #誠にありがとうございます ♡ https://www.instagram.com/p/ClvuGFvrkv4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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koch-snowflake-blog · 8 months
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鈴木 愛理は、日本の歌手、女優、モデル。所属事務所はアップフロントクリエイト、所属レーベルはzetima、UP-FRONT WORKS、Epic Records Japan。『Ray』専属モデル。 千葉県出身。血液型B型。身長161.8cm。 ウィキペディア
出生地: 岐阜県
生年月日: 1994年4月12日 (年齢 29歳)
両親: 鈴木亨、 丸谷 京子
音楽グループ: ℃-ute (2005年 – 2017年)、 ハロー!プロジェクト、 Buono! (2007年 – 2017年)、 あぁ!、 ハロー!プロジェクト・キッズ、 H.P.オールスターズ (2004年 – 2004年)、 4KIDS
兄弟姉妹: 鈴木貴之、 サイキ・スズキ
学歴: 慶應義塾大学環境情報学部 (2013年–2017年)、 慶應義塾大学
父はプロゴルファーの鈴木亨。母は元プロゴルファーの丸谷京子。プロゴルファーの娘であることから、MC等のトークで自らゴルフの話題を出したり、周囲からゴルフの話題を振られたりすることがある。『よろセン!』ではゴルフの授業を担当した。ゴルフに関しては弟の方が巧いとも述べている。出身地である千葉県に本社がある千葉銀行CMで親娘共演を果たしている。
ハロー!プロジェクトに入るきっかけは、モーニング娘。の舞台『LOVEセンチュリー〜夢はみなけりゃ始まらない〜』で、矢口真里が最前列にいた鈴木に向かってステージ上から手を振ったことがきっかけ。
Berryz工房の清水佐紀からは制服のおさがりをもらうほどの仲である。他に、グラビア雑誌『UP to boy』で共演した渡辺麻友とも仲が良い。
℃-uteの曲で一番好きなのは「美少女心理」。
好きな物は母が作った炊き込みご飯。
抹茶も好きでBerryz工房の熊井友理奈とよく一緒に抹茶を使ったスイーツを食べている。2人で組んだ非公式ユニット「抹茶ーず」は2012年11月26日に宇治商工会議所より「宇治茶♥大使」に任命された。2016年11月14日には「宇治市観光大使」にも任命された。
幼少の頃から歌うことが大好きで、歌手になることを目標としてきた。また、コルネットを吹くことができる。
嫌いなものは、ヘビと雷。雷が鳴ると机の下に逃げ込む。
仕事をきっかけにアニメにハマっており、『魔法少女まどか☆マギカ』『化物語』『ラブライブ!』が好きである。
日本武道館での初コンサートのライブ看板が、ミススペリングで「DUDOKAN」と表示される。このニュースは反響が大きく、DUDOKANがライブ当日のTwitterのトレンド入りした
新体操選手の畠山愛理とも親交があるが、畠山が鈴木誠也と結婚したため同姓同名となった。 
  
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ken1ymd · 7 months
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https://x.com/mofumofu_LION/status/1763193305372987811
もふもふライオン
某メーカーのお客様からプラント解体工事を依頼され、受注した。 依頼されて、受注するまでに、お客様提案に訪れること、実に5回。 訪問回数は多いものの、正直、受注するとは思ってなかった。 ...というのも安値で有名な他社が競合だったからだ。 そのため、発注者であるお客様から受注の連絡が来た瞬間、目を丸くして、思わず、こう聞いてしまった。 「なぜ弊社なんですか?他社の方が安かったんじゃないですか?」 連絡をしてきた担当の方から返ってきたのは 「御社より他社の方が安かったですよ笑  しかし、もふもふライオンさんの提案が一番安心できました。  他社は『予算はいくらですか?それに合わせて解体費用を計上しますよ』の一点張りでコスト推しでしたが、もふもふライオンさんは『本物件の解体費用で絶対にかかる費用は〇〇と××で、それだけは絶対に下げられません。理由は▲▲で、それ以上下げたら、雑な工事になって、御社に迷惑をかける。なお、工事を行う上で、発注者である御社にお願いしたいことは〜〜〜』とコスト面の限界値を教えてくれるだけでなく、発注者として気をつけなきゃいけないポイントを教えてくれました。  弊社では、今回のプラントの解体工事はトラブルなく進めるのが第一で、費用だけで判断するのは危険と思っています。  だったら、理屈がしっかり説明できる会社に任せたいと思ってます。  ...ということで、もふもふライオンさん。任せますよ!!」 この返答に涙が出そうになった。 多くの発注者が解体工事はコスト面しか見てないのが現状だ。 もちろん、ビジネスである以上、コスト第一で、安い方が良いに決まってる。 しかし、安かろう悪かろうという雑な解体工事をすると近隣住民の方からのクレームに繋がり、その後の影響は計り知れない。 そうならないためには、きっちりした見積積算ロジックを立てて、発注者に理解してもらい、誠実な工事を行うしかない。 営業してる中で、そのことを熱弁してるわけだけど、高値で受注したい解体業者のポジショントークと思われなくて、よかった。 営業に自信が持てた1日だったな(感動) 午後10:23 · 2024年2月29日
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wankohouse · 3 months
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栗浜陽三 (文・写真) 『九十九里浜』 より 雑誌MLMW (ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
 
[上のページの画像から自動文字起こしをして、誤判読に気付いた所は修正したけど、誤判読が残っているかも知れない]
九十九里浜・しなやかな風景 写真と文 栗浜陽三 
九十九里浜が、何県にあるかを知らない人でも、その名の持つ雰囲気に、何か特別のイ メージをお持ちであろうと思う。太平洋に面した、その茫漠たる長い長い浜の風物は、浜というものが持つ様々の要素を凝縮させて、 我々の期待感や夢を満たしてくれるかのように思える。しかし残念ながら今では九十九里浜の魅力の殆どは、過���のものとなってしま った。一体、十数年前の、あの素朴で夢のよ うに美しかった九十九里浜は何処に行ってしまったのか。この僅か数年の間に、都会人の荒々しい神経で浜は汚され、美しい砂の起伏は姿を消し、近代化の手は浜に沿って長々とハイウエイを引いてしまった。九十九里浜にとって、全く無意味としか思えないこのハイウエイプランを耳にした時、私は自分の心の中の大切な部分を引きさかれる思いがしたが、土地の政治家というある人は、それは芸術的
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
 
[上のページの画像から自動文字起こしをして、誤判読に気付いた所は修正したけど、誤判読が残っているかも知れない]
しなやかな風景●九十九里浜
・・・は黒ダンの前袋の両脇から黒々と毛をかき出して男らしさを競ったといい、亦、漁から浜に帰って来る舟は、長い竿を舟の両側につき出して、その先に黒褌を結びつけ、尾長鶏の尾羽根のように海風になびかせてもどって来たと話してくれた。
私がせめて十数年早く九十九里を訪れていたら、目にしたであろうこれは誠に九十九里の匂いのする昔語りであった。 それでも私は消えてゆく残り火の色を見る ように、時折浜で数少ない漁師の浜仕事や、 女達のフラミンゴの踊るような鮮やかな作業っぷりを見る事が出来た。
度び重なる私の九十九里訪問につれて、私の仕事友達や学生達が浜を訪ねるようになり、若々しい彼等の裸身が浜をにぎわすようになった。彼等はアっと いう間に海風にやけ、町中まで褌姿でのし歩き地引網を楽しみ、九十九里独特の丸板の波乗りをし、別人のように生き返った。
私は丸裸で浜仕事をする漁師をたびたび目にしたが、 この風俗は戦後アメリカ人の手前禁じられてしまったその名残りであった。中年の漁師が性器の先をワラシベや布切れで結んで褌の代用としている様も、決して雑でも奇異なものでもなく、浜の風物の中ではごくノーマルに感じられた。これは海水に濡れたままの褌の不衛生さを彼等がきらったからだという。
浜の女達はよく働いた。小柄でたくましいマイヨールの彫刻のような彼女達は、舟を浜に 引き上げる時には男以上の働きを見せた。母 親の仕事を見ている少女の背中の、赤ン坊の顔には、一刷毛はいたようにウッスラと砂が乗っていた。
十年以上訪ね続けている私の目には、浜の舟の数が年々少くなって行くのがよく解った。最初一、二年の間、浜にそびえていた何艘かのK家の船もいつしか姿を消した。民宿が急激に増え、そしてドカンと音のするようにハイウエイが浜に沿って走り、浜と村を引きさいたのである。庭から海に裸で飛び出してゆけた私達もトンネルをぬけて海に出る為に廻り道をしなくてはならなくなった。浜は見る見る中にゴミが打ち上げられ、マイカーが波打ぎわを走りぬけ、ビーチパラソルが立ち、その下で一日中マージャンをするという馬鹿げた男達が東京からやって来た。日本人は本当のゼイタクの楽しさや味わい方を知らないし、知ろうともしない。なぜ九十九里に都会生活をそのままズルズルと引きづって来る必要があるのだろうか。彼等は潮騒をきく代りに、浜でトランジスタラジオをきこうとする訳なのである。民宿になった素朴な土地の家で、海の香りを味い、あるがままの九十九里の生活に思いきり身をまかしてこそ、本当のゼイタクの楽しさではないだろうか。ハイウエイは私如き人間の知らない理由で必要なのかも知れないが、その代り、日本一のあの美しい浜の風景は二度ともどってこないのである。
K家にはその頃四年程続けて、ある外国の大使館の青い目の客が来るようになった。映画スターのような見事な美女達であった。私の友人の若者達とこの美女達は、伸々打ちとけ合う機会がなかったのだが、ある日、彼女達がK家の前庭の椅子に腰をおろして読書を楽しんでいる最中に、この若者達が海からもどってきたのである。彼等はオイルで鋼のように輝く背中をみせてタオルやマットを干し始めた。その姿を一人のブロンド娘がしみじ ・・・
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
 
以上の写真と文は雑誌MLMW(ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事『九十九里浜』より
これらの文章を読むと、栗浜は性的にも、性的な物を離れても伝統を残したままの海やそこに暮らす漁師を愛していたことが判る様だ。また、他の記事を読むと祭りについても性的にも、性的な物を離れても愛していたことが��ると思うよ。
栗浜のオリジナルは持ってないからウェブから集めた画像だけど、九十九里浜は良い画像がなかったんだ
一応拡大して補正はしておいたけど画質はちょっと残念だね
世間一般では本名の藤井千秋でイラストレーターとして有名な人なんだよ~
藤井千秋は画像検索したらいっぱい出てくるよ
2つの名前の作風の違いに驚くよー!
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deepspeed · 7 months
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某メーカーのお客様からプラント解体工事を依頼され、受注した。
依頼されて、受注するまでに、お客様提案に訪れること、実に5回。
訪問回数は多いものの、正直、受注するとは思ってなかった。
...というのも安値で有名な他社が競合だったからだ。
そのため、発注者であるお客様から受注の連絡が来た瞬間、目を丸くして、思わず、こう聞いてしまった。
「なぜ弊社なんですか?他社の方が安かったんじゃないですか?」
連絡をしてきた担当の方から返ってきたのは
「御社より他社の方が安かったですよ笑
 しかし、もふもふライオンさんの提案が一番安心できました。
 他社は『予算はいくらですか?それに合わせて解体費用を計上しますよ』の一点張りでコスト推しでしたが、もふもふライオンさんは『本物件の解体費用で絶対にかかる費用は〇〇と××で、それだけは絶対に下げられません。理由は▲▲で、それ以上下げたら、雑な工事になって、御社に迷惑をかける。なお、工事を行う上で、発注者である御社にお願いしたいことは〜〜〜』とコスト面の限界値を教えてくれるだけでなく、発注者として気をつけなきゃいけないポイントを教えてくれました。
 弊社では、今回のプラントの解体工事はトラブルなく進めるのが第一で、費用だけで判断するのは危険と思っています。
 だったら、理屈がしっかり説明できる会社に任せたいと思ってます。
 ...ということで、もふもふライオンさん。任せますよ!!」
この返答に涙が出そうになった。
多くの発注者が解体工事はコスト面しか見てないのが現状だ。
もちろん、ビジネスである以上、コスト第一で、安い方が良いに決まってる。
しかし、安かろう悪かろうという雑な解体工事をすると近隣住民の方からのクレームに繋がり、その後の影響は計り知れない。
そうならないためには、きっちりした見積積算ロジックを立てて、発注者に理解してもらい、誠実な工事を行うしかない。
営業してる中で、そのことを熱弁してるわけだけど、高値で受注したい解体業者のポジショントークと思われなくて、よかった。
営業に自信が持てた1日だったな(感動)
https://x.com/mofumofu_lion/status/1763193305372987811?s=46&t=3uBU4NAcX1YMMVPF4niZ4w
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39goodboy · 8 months
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hachikenyakaiwai · 7 months
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【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
難波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之助、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、大抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害に遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ランク順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前頭)、米屋喜兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋の商家は軒並み焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸めざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(コメント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及んだこと、そして住友の親類の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また飢えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸・京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩平八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内昌之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見六竹の筆記)には、この話は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域を出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野太郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
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castatratewriter520 · 10 months
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閹割教會
在俄羅斯有個特殊的教會組織叫skoptsy,創始成員們都提倡只有切除身上的罪惡根源,才能夠真正得到上帝的恩典,隨著時間不斷的轉變,這個組織早已分佈於世界各地,從原本的幾十人規模,現早已破好千萬人,宗教的教義中,女人的胸部是罪、男人的生殖器官是罪,所以為了根治這些罪,加入教會後,當完成了受洗,就必須洗淨自己的罪,從18世紀開始到現在的22世紀,切除這些器官早已是司空見慣,5個人��面就有一位來自skoptsy,只要人們真心懺悔自己的罪惡,拋開過去的一切,不論是誰都可以加入教會,大部分的人都是在結婚生完孩子後,才會正式加入教會,這漸漸的成為了一種世襲,上至達官顯貴,下至貧民百姓,都是這樣一代傳一代,在21世紀末,多國政府甚至將某一天設立為skoptsy Day,這天可以說是教會的大日子,因為這天全球的教會都會同時舉辦受洗活動,所有前來參加活動的人,都將在這天重生,將更加接近神的世界,今天是2050年12月1日,距離大日子不到一週,我從小就已經開始計劃,年滿30歲的時候,不論我有沒有結婚生子,我都會在30歲生日那年接受洗禮,雖然爸媽希望我可以生完孩子後再去受洗,但是如今這社會,沒孩子過一輩子的人多的是,有沒有生孩子根本沒有差別,所以我在教會的網站上填寫了受洗報名,報名表除了填寫基本資料之外,還必須將自己的生殖器官拍照上傳,並附註確切數值,這樣才算完成報名,因為切下來的器官會有人願意收購,只要你的生殖器有符合買家的需求,只要收購成功,自己還能額外獲得一筆錢,所以每個報名的人都願意上傳照片,如今剩不到一週,我打算好好把握自己的時間,約了好幾個朋友一起出去旅遊幾天,我們來到了俄羅斯首都莫斯科,又去了博物館、貝加爾湖等著名景點,就為了好好的體驗生活,一群快30歲的男人,有些人早已結婚生子,有些人跟我一樣都還沒對象,有幾位跟我一樣報名了今年度的受洗,想當年我們都是一起讀書長大的同學,如今也要準備受洗了,我們十幾位朋友,在湖泊脫光衣服,一起跳入了河川戲水,有一兩個朋友在幾年前就接受受洗,其中一位還是我的好朋友謝爾蓋,他跟我當年可是玩遍了全校的女同學,謝爾蓋在當年被稱為巨屌王,因為當年我們才剛滿18歲,但是謝爾蓋還沒勃起就已經有17公分長,勃起的時候甚至跟女同學的手臂一樣粗,再加上他有一副優質的帥臉,更是全校排名第一的優菜,但是如今的他,已經接受了受洗,他受洗當天,聽說有人用了一筆不小的金額購買了謝爾蓋的生殖器官,他老婆之後甚至還哭了好多天,但是卻也因為這筆錢,讓他們在首都買了一間豪宅,謝爾蓋如今只能用其他方式來滿足自己跟他老婆的慾望了,現在的謝爾蓋依然是非常帥氣,不過現在全身赤裸的他,下體已經剩下一個尿口,或許是不習慣沒了陰莖的他,我內心突然覺得有點心酸,但是看到謝爾蓋依然開心的跟我們一起玩水的樣子,或許是我自己想太多了,我們一群人玩累了坐在旁邊的石頭上休息,幾個跟我一樣要接受洗禮的朋友靠了過來,紛紛向謝爾蓋提出疑問,不外乎就是問割的時候痛嗎,會不會漏尿之類的問題,謝爾蓋只是很乾脆的說,不會啊,你們看我有漏尿之類的嗎,他只是耳提面命的提醒割完之後,千萬不要吃重口味的東西,保持傷口的乾淨等傷口照護,謝爾蓋看著我的陰莖,笑著說,終於輪到你啦,老友,我只是不耐煩的說,拜託,當年你的陰莖是很大,不過我的也不差啊,也有15公分長,如今你的17公分都已經被切除了,我現在至少還贏你15公分,謝爾蓋只是笑著說,是是是,你終於贏我了,不過如果你的生殖器有人收購的話,到時候記得要請我吃飯喔,我翻了翻白眼,可是我跟他瞬間氣氛又化為寧靜,他溫柔的眼神看著我,兄弟,等你重生的那天,結束後我們再出來聚聚,我跟我的朋友們約好了,等身體恢復健康後,再出來聚聚,幾天的旅遊行程終於結束了,我們回到了波戈托爾,通常為了流程的順利,我們參加者前一日就會到區域教會報到,隔日凌晨四點左右開始起床準備活動的事情,教會發給每一個參加者一份受洗流程圖,內容寫到所有參加者,受洗前必須先將陰毛剃光,然後受洗當下全身不穿任何衣服,然後隨者神父的唱名一一往前接受受洗,這次來參加的人,多半是社區的居民,多半是30歲以上的結婚者,也有很多是剛滿20歲就來參加的人,這間教會主要是負責男性的受洗,女性的受洗則是在相隔兩公里的教會負責,畢竟男女有別,還是必須尊重別人的隱私,這次包含我在內,一共有20位,有幾位還是前幾天一起出遊的同學,我們在浴室裡一邊剃著陰毛,一邊抓著彼此的陰莖嬉鬧,畢竟這罪惡的根要被切除了,教會的旁邊有一個小型的焚化爐,這個焚化爐,每年都要燒掉一堆生殖器官,沒有被收購的生殖器官,就會被直接送去火化,所以大家都希望至少可以被收購,還能額外獲得一筆錢,但是一切都要等完成淨化之後才能知道自己的是否被收購。
活動於早上九點正式開始了,神父開始一一叫名,第一位是隔壁的鄰居貝爾德,29歲,有個兩歲大的兒子跟一個不到一歲的女兒,因為生了兩個小孩了,貝爾德就順勢在女兒出生滿8個月的時候,報名了這次的受洗,神父嘴裡念念有辭,我是有聽沒有懂啦,接著貝爾德單膝跪地雙手交叉抱著胸,頭低下看著地上,神父將聖水淋在貝爾德的身上,連續三次,受洗的流程就完成了,接著就是轉過身看向眾人,大聲的坦承自己的罪,並願意消除自己的罪,身旁的工作人員拿著一件純白的披風蓋著貝爾德,另一位工作人員推出了一張座椅,示意要貝爾德坐在椅子上,貝爾德坐在椅子上後,工作人員將一件綠色的被子蓋在貝爾德身上,只有露出了貝爾德的生殖器,為了避免有人害怕血液,所以貝爾德的眼睛被矇住,看不到割掉的過程,醫生拿出了一把弧形的刀,這把刀是教會歷代傳承下來的,年代雖然久遠但因為經常使用的關係,刀子依然非常明亮鋒利,麻醉師先進行了局部麻醉,待藥效發作後,醫生先是握著貝爾德的兩顆睪丸,醫生非常迅速的一刀割下貝爾德的睪丸,並丟到旁邊的盤子裡,接著又抓著他的陰莖,往外拉直,刀子一劃就割斷了陰莖,鮮血開始一直流出來,醫生將貝爾德的陰莖丟到盤子裡後,開始將傷口止血並縫合傷口,受洗就算是完成了,雖然科技的進步,只要在傷口上噴上藥劑,一天就可以完全復原了,但是教會為了提醒前人的努力付出,所以每個受洗完的人都必須讓傷口自己慢慢癒合,才能徹底體會古人的辛苦,一名助手隨即將放在盤子上的生殖器官做整理,先是將陰莖用清水洗乾淨,然後放到禮盒裡,然後將陰囊裡的兩顆睪丸取出,並將白膜移除,此時貝爾德的兩顆睪丸就完整的出現了,助手小心的區分左右睪丸,並放入禮盒內,包裝好後由快遞送往收購者的住家,而貝爾德也因此獲得了25萬盧布的現金,第二位被神父唱名的是我的國小同學伊萬,他也是從小一起長大的好朋友,長相非常俊俏,身高有190公分,他在去年就已經結婚,小孩在今年出生後不久,他就跟我說他報名了受洗儀式,成熟男子的生殖器官總是特別粗大,伊萬不僅身高高,連生殖器都好大一副,在經過聖水沐浴之後,伊萬來到了座椅上,工作人員將綠色毯子蓋上,醫生將伊萬的生殖器從毯子的洞用出來,當助理準備蓋上伊萬的眼睛時,伊萬表示他不想矇著眼睛,想親眼見到被閹掉的過程,麻醉師開始在伊萬的生殖器官進行麻醉,醫生確認沒問題後,拿出一把新的弧形彎刀,由於伊萬的睪丸很大顆,醫生花了一番功夫才順利握住,哪怕再大一副睪丸,在鋒利的彎刀上仍然不值得一提,一刀的功夫就讓兩顆睪丸脫離了伊萬的身體,看伊萬那震驚的表情,看來不論是否準備好了,割下來的那一剎那,仍然需要時間來適應,醫生直接將切下來的東西放進盤子裡,接下來就剩下一根陰莖了,醫生抓起那根大熱狗,毫無懷疑的就沿著陰莖根部劃下一刀,陰莖就被切的一點也不剩,醫生手上那根陰莖,不知道是醫生人生中第幾根切下來的東西,不過至少不會是最後一根,經過熟練的縫合後,伊萬被工作人員攙扶到一旁的位置上休息,而伊萬的生殖器也被人用300萬盧布金額收購了,伊萬的禮盒大了一點,而且當助手將伊萬的睪丸從白膜中取出時,伊萬的睪丸真的是非常肥美,真的是值這樣的價格,隨者麻醉藥的退去,最先受洗的貝爾德開始疼痛到發出聲音,工作人員立刻幫貝爾德注射止痛藥,並讓他吃抗生素預防感染問題,疼痛很快就緩解了許多,神父開始呼叫第三位受洗者,他是跟我一起出去旅遊的高中同學,葉菲姆,他在學生時候就是一個很紳士的人,那天一起脫光衣服在河川玩水,大概是我看過他最瘋狂的時候,平時都是正正經經的他,那天也是我第一次看到葉菲姆的裸體,雖然不是說特別天賦異稟,不過他身上的體毛非常茂密,棕色的胸毛一直延伸到他的陰莖,像是一隻小熊很可愛,看他那天開心的一起打鬧嬉戲,如今也跟我一樣來受洗,剛才葉菲姆已經將陰毛剃光,露出他乾乾淨淨的陰莖,看著他接受聖水沐浴的畫面,真心覺得這畫面好莊嚴神聖,在他轉身對著大家坦誠自己的罪時,我才知道原來葉菲姆一直對於他高中時,偷嚐禁果這件事非常懊悔,不過我自己並不覺得什麼,畢竟我也很喜歡做愛,在工作人員帶領下,葉菲姆已經坐好,醫生將生殖器官調整好位置,工作人員將葉菲姆的眼睛蒙上,做好了前置作業,一切都已就緒,看著葉菲姆嘴巴念念有辭,不過大致上就是在說,我要根除自己的罪之類的話,很快醫生就一刀揮下,斬斷了葉菲姆的睪丸,而葉菲姆似乎也知道已經被割下睪丸,開始感恩上帝的恩典,陰莖也在熟練的操作下被醫生切下,一旁的工作人員將葉菲姆的生殖器官拿出教堂,送往焚化爐燒毀,一切都是這麼的快速,沒有太多時間上的浪費,因為葉菲姆的生殖器官並沒有人購買,眼看也不到一個小時的時間,就已經完成了三位受洗,我也想早點接受受洗,希望神父趕快叫到我的名字! 結果第四名受洗者就是我,神父叫了我的名字,我興奮的往神父走去,我走到神父面前後,我單膝跪地雙手交叉抱著胸,眼睛看著即將割掉的生殖器官,興奮到難以言喻,聽完神父的禱告詞後,神父將聖水潑灑在我身上,儀式順利完成,我站在殿上,訴說著自己的罪行,我將披肩脫掉,直直走向座椅,助手將布蓋住我的身體,只露出即將割掉的生殖器官,我要助手不要蓋住我的眼睛,我想親眼看著全部過程,很快麻醉針就完成了注射,隨著生殖器官逐漸麻木,醫生右手拿起彎刀,左手握住我的睪丸,不過就一秒的時間,我跟睪丸立刻分了家,接著我的陰莖被醫生拉的很緊,醫生的彎刀直接在我的根部切了下去,醫生將割下來的陰莖放到盤子裡,緊接著以非常快的速度進行傷口的縫合,我也順利完成了淨身,我一邊被醫生縫合傷口,一邊看著助手處理我的生殖器官,看著我的陰莖跟睪丸整齊的擺在禮盒內,我覺得很開心,因為我完成了淨身,而且我的生殖器官也成功被人收購,沒想到我的還能賣到150萬盧布的金額,這是我萬萬沒有想到的,我的15公分好歹還是有很大用處的,只是不知道是誰買走的。之後,教堂花了半天的時間,就將所有報名參加的人完成了淨身,其中只有五位成員沒有被收購得到現金,而20人中收到最多現金的是住在隔了一條街的亞里斯,本人用了1000萬盧布的價格收購了,他的真的是天賦異稟,不僅長度就超過20公分,蛋蛋也是與伊萬不相上下,真的是人外有人天外有天,畢竟市場上還是會比較想買尺寸大一點的,因為比較划算,我花了一週的時間恢復健康,一週後我踏出教堂的那一天,我覺得自己特別的純潔,特別覺得上帝離我好近好近,這或許就是淨身的魅力所在。
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anamon-book · 1 year
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ニューミュージック愛をよろしく 32人の青春譜 富澤一誠 講談社文庫 カバー装画=安西水丸
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kennak · 2 months
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法律の専門家のアドバイスが正式に入る前の段階で、わたし個人の立場から見た経緯をまとめておきます。弁護士の方との打ち合わせの直前に急いで書き残しているので、多少乱文なのはご容赦下さい。 ①有名人についての悪質な憶測・デマを拡散するアカウント及びそのフォロワーについての批判的な私見をまとめたポストを私が個人のXアカウントで投稿しました。 ②日刊スポーツがそれを全文丸写ししただけのコタツ記事にし、Yahoo!ニュースにも煽情的なタイトルで転載したため、拡散されました。この時点での問題は以下です。 ・私がXアカウントのプロフィールに投稿の無断転載は禁止すること、及び無断転載を見つけた場合には転載料を請求する旨の但し書きをしていたのに無視してコタツ記事にしたこと。 ・私の複数の投稿をただコピペしただけの、取材も批評性もない記事であること。独自の価値が付加されていない、ただの転載と拡散であるため、「引用」とは言えない代物でした。 ・テレビで活躍しているタレントの番組内での発言を文字起こしする記事自体にはまた問題がありますが、それにより社会的な議論を呼んだり、新たな価値が生まれることもあります。私の場合も、ラジオでの発言を書き起こしてくれる、信頼している媒体もあります。しかし、今回は、文章の執筆も仕事にしている人間の「文章の投稿」を全文丸ごとコピペしたものであり、言わばイラストレーターのイラストや写真家の写真を無断で記事に載せたような事例に近く、より悪質だと考えます。 ・Yahoo!ニュースのコメント欄には「わざわざ難しい言葉で」「関係ないのに首突っ込むな」「こいつ誰?」のような私への批判的なコメントがつきました。私は私のアカウントで私のフォロワー及びその周囲にだけ、自身のアカウント運用のトーンの通りに私見を述べただけで、まったく私のことを知らない人に、文脈から切り離されて発言が晒されることを防ぐために「無断転載の禁止」を但し書きしていましたが、その意図を踏み躙られる結果が実際に発生しました。これは日刊スポーツの無断転載がなければ起こらなかったことです。 ③私は記事公開の数時間後に発見し、日刊スポーツにメールでクレームを入れました。その数時間後にコタツ記事を統括する人から謝罪の返信があり、日刊スポーツの元記事、Yahoo!ニュースへの転載、日刊スポーツの記事を告知するXポストは削除されました。 ④転載料は最初から求めていたのに謝罪のメールには転載料の支払いの件が全く触れられていなかったため、どうなっているのか問いました。 ⑤コタツ記事部署の責任者からは「私の一存では決められないので、社内協議になる」という旨の返信が来たのみで、そこから連絡は途絶えました。 ⑥コタツ記事部署の責任者は、私に何の断りもなく、私の所属事務所(タイタン)に連絡を取りました。私の所属事務所のスタッフ及び社長が対応しましたが、なんの謝罪なのかわからない不可解な応答が続き、コタツ記事部署の責任者がタイタンに謝罪に来ると言い出しました。 ⑦タイタンに来訪して謝罪をしたものの、それは「タイタンを巻き込んだこと」への謝罪であり、本来の無断転載、投稿盗用、転載料の不払いへの謝罪ではないことが明言されました。 ⑧日刊スポーツコタツ記事責任者から改めて連絡がある、とのことなので待っていたら日刊スポーツコタツ記事責任者側の弁護士(いまだに、なぜ向こうが弁護士をつけるのかよくわかりません)から電話が来ました。「話し合いの席を設けたい」という相談でした。事件発生から1週間経っても「何を謝罪していて、何ができるのか、何ができないのか」が一向にわからない状態なので、まずは最初「一存では決められない」で止まってるメールを返すように、論点と希望を整理するように求めました。こちらが投げたボールのまま止まっているので、これは当然の要求だと思います。重ねて「1週間も何の社内協議をしているのか。納得が行かないので本当に社内協議をしているならどんなスケジュールでどんなプロセスで協議をしているのかも開示してほしい」と言ったら、弁護士は突然激昂し早口になり、「そのような義務はございません。メールで返答します」と言って一方的に電話を切りました。これも非常に不誠実な対応に感じました。 ⑨しばらく待ってようやくメールで日刊スポーツコタツ記事部門責任者&弁護士の見解が届きました。まとめると ・Xの投稿を記事にする際にプロフィールを確認する義務はなく、社内ルールとしては問題ない →一般人の感覚として、そんなわけないと思います。 ・よって、無断転載料は払えません →これも、そんなわけないと思います。 ・大島が私信のやりとりをXに載せていることは許されない。コタツ記事部門責任者はそれにより「精神的苦痛」を感じているので削除を求める。 →他人の無断盗用はしていいと開き直っているのに、自分は被害者ムーブを取るという不可解な言い分で、理解できない。 日刊スポーツ側がすぐ謝って払える金額を交渉すれば済む話を「全面的に認めない」ポーズに持ち込んでしまったためにボロが拡大して、どんどん話が通じなくなっている状況です。こちらがクレームを入れた翌日には「大変ご迷惑おかけした」「確認不足」「再発防止」と言ってたのに、弁護士がついた途端「ミスはなかった」「確認義務はない」と180度手のひら返してるのも、仮にもメディアの姿勢としてとても怖いです。 「タレントなんだから」「公開のアカウントでやってるんだから」全ての発言を自由に転載されて当然、という姿勢なのでしょうか。先方の回答には「社会的に報じる価値があると判断し」うんぬんかんぬん、という綺麗事も書いてありましたが、だとしたら書面から取材を申し込めば良いのではないでしょうか。他人の記事を無料で盗んでいいことの説明には何一つなっていません。 すべての記事に許可取りが要る、と言っているわけではありません。宣伝されると助かる話、本人が明らかに拡散してほしくてした投稿、社会的に批判されるべき差別的な投稿など、許可取りのプロセスがなくても記事になり得るSNS投稿はあると思います。しかし、本人が文章を仕事にしていて、自身の言葉の広がる範囲をコントロールするためにプロフィールに但し書きをしている場合は流石に当てはまらないでしょう。 自分の言葉を「勝手に使わないで下さい」と丁寧に記載しているのに、それを無視して拡散され、「問題がなかった」と開き直られる。じゃあどうすればいいんでしょうか? これからも日刊スポーツは同じ運用でコタツ記事を量産するつもりだということです。悪びれずに同じことをやります、と宣言しているのと同じです。盗用について、日刊スポーツサイドは一歩も譲歩していません。これからも「SNS投稿を勝手にパクって丸写しする時にプロフィールを読む必要はないし、これからもしないし、お金も払わない」と言っていることになります。どうかしています。 少しでも常識に照らして、譲歩がなされることを望みますが、どうなるでしょうか。 公開できる進捗があれば追記します。
日刊スポーツに投稿を全文無断盗用されて逃げられそうな件|大島育宙
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