Tumgik
#進撃の赤子
sarahalainn · 9 months
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PART 2!
(PART 1 は一つ前の投稿より)
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Sarah Àlainn - Celestial Christmas Concert
サラ・オレイン
~ 天使と天上の音楽 ~
8. Hallelujah (Leonard Cohen)
Airmail Specialをはさみたかった最大な理由が、
ここからの絶対的な3曲のため。
Hallelujah
タイトルだけ見ると教会にぴったりな選曲。
でも、これはレナード・コーエンのハレルヤ。
歌詞の内容を思うと、やって良いものなのだろうか、悩む。
「神様は、いるかもしれない
でも、愛から学んだのは、
自分より銃を早く抜くことが出来る人を、
どう撃つかくらいだ」
壊れたHallelujah。
でも、コーエンが言ったもう一つの名言を思い出す:
「すべてのものにヒビがある。そこから光が差し込む」
そう、私たちは壊れてる。ヒビだらけ。
でも、そこから光が差し込むのよ。
Jeff Buckleyのカバーが特に好きで、ギターが印象的。
今年ツアーでエレキを弾く機会があって、今回もと思っていたのですが、
PAさんとも相談し、結果エレアコに。
久しぶりに登場したオーストラリアのMaton。
指が攣りそう><エレキと違って、ヴァイオリンとも違った力の入れ方があり、フォークギターはとにかく毎回緊張します。
エレキヴァイオリニストの壷井彰久さん、ギターも以前弾かれてましたが、「ギターを弾くと指が硬くなってヴァイオリンに影響するからやめた」と話されて、確かに。いつかもっと弾けるようになりたいものですが、今のところ練習を控えてた楽器。
なので、パイプオルガンと並んで、1番緊張した楽曲。
筋肉痛、きっとここからも来てる。
サビでのTakanaとのハモリーがまた気持ち良い。
心の叫びのような、大好きな一曲です。
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9. Andata (坂本龍一)
セトリを考える時、一番大事にしてるのは流れ・物語。
演奏者としての自分のことはその次、または無視。
なんでギターの後にまた大変なオルガンを持ってくるのか><
でも、上手くいったら、綺麗なFlowになる。
それを信じて、突き進む。
パイプオルガンのソロ曲、バッハは冗談で言ったものの(ディズニーの「Fantasia」にも出てくるし、分かりやすいかなと。Takanaが当日初めてリハで聞いた時、ふいちゃいましたw)、可能なら挑戦してみたいと思った曲は坂本龍一氏のAndata。アルバム「Async」のバージョンが一番好きで、これをパイプオルガンで演奏できたらなんと素敵だろうと。。
ご本にの前で演奏してみたい。みたかった。
そんな教授へのRequiemでもありました。
終わったから言えますが、初めの和音を弾いた瞬間「やっちゃった。。><」
Shchedrykで消したはずのFull Organ(音色を変えるボタン)がONになってました。
最初は「え!何でこんなに音が大きくて音色が違うんだろうと」、左、右い、上下を次から次へと見て、
最後に赤いランプを見て「うわあ、まさかの」と。
頭の中ではこんなことを色々考えていたけど、現実ではおそらく多分2秒くらいしか絶ってなく、パニックした割には落ち着いて演奏ができました。ちょうどリピートがあったので、落ち着いてボタンを押し、2回目は想像してた音色に。
後で関係者に聞いたら、意図的だったと思う人がいるよ、とのことで、安心。
ハプニングがあったけど、今回一番集中できた演奏でした。
落ち着いたらこちらもYouTubeでシェアしたいです。
10. Merry Christmas Mr. Lawrence 『戦場のメリークリスマス』
もちろん、この季節に欠かせないこの一曲。
ツアーではキーボードの弾き語りをしてますが、Andataからの流れを考えて、パイプオルガンに。
いつもはもっとRubato気味で演奏してますが、オルガンはオリジナルのテンポ感の方があってたので、
演奏してて新鮮でした。最近混ぜてるYMOの「Behind the Mask」もパイプオルガンの音色がハマり、
やっぱり、シンセサウンドに近いものがある!
ここで一番アレンジで苦労したのはピアノとのバランス。
当日でしか分からなかったのですが、オルガンとピアノのチューニングが違う。
あんな大きな楽器で、寒いホールなので、音が狂わないほうが不思議です。
そこでTakanaと上手くどうぶつからないか試行錯誤。
10代の時ピアノトリオで戦メリーを弾いたこともあり、自分の中ではヴァイオリンの激しい部分あってのMerry Christmas Mr. Lawrence。今回のセトリは見ての通り、殆どヴァイオリンの出番がないTTやはりできればここで演奏したい。
そんな構成もあって、楽器の配置も考えました。ヘッドピースは衣装につけられないため、電池を持ちながらヴァイオリンを拾う地味にむずい動作。
色々なアレンジ、編成で演奏して来た戦メリですが、人生でせめてもう一回、またパイプオルガンの弾き語りで表現してみたい。
遠くにいる教授へ
遠くにいる知らないあなたへ
この歌が届きますように
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11. Joyful Joyful / 第九
クリスマスは喜ばしい季節。
だから一層悲しみも深く目立つ。
誰もが贅沢できる、少なくとも安心して生きられる、そんな世の中になって欲しい。
でも、現実は違う。
毎日複雑な思いで生きています。
自分自身の行動に矛盾があることにどんどん気づく日々。
今年も出させて頂いた、体にも、環境、動物に優しいクッキー。
今年のクッキーの寄付先はTABLE FOR TWO へさせて頂きます:
https://jp.tablefor2.org/
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お陰様でSold Outに。
沢山お作りしたいのですが、ひとつひとつ気持ちを込めて手作りのため、数量限定での販売となっています。
皆さんのおかげで、健康的な食料が、必要とされてる子供たちに届けられます。
最高な、クリスマス・プレゼントでは?!
サポートありがとうございます😇
さあ、クリスマスは、そんな自分にも優しく、遠い誰かにも優しく!
クリスマスをお祝いする方も、
ムーミンみたいに本来お祝いしない方も、
クリスマスは喜ばしい、Joyfulな季節だから!
クリスマス、年末年始にやっぱりこの曲でしょう。しかも今年は合唱入り!
合唱も手拍子しながらのノリノリなゴスペルで「Joyful Joyful」からの日本語で賛美歌のような「喜びの歌」。
そしてラストは声楽で「第九」。Takanaアレンジでお届け!一曲の中で人格がなん度も変わる。好き。
普段声楽を歌われない合唱がさらにドイツ語で歌われて、bravissimo!!!!
そうそう、偶々第九のワインを見つけました!いつか合唱とゆっくり飲む予定^^
Joyful Joyfulから最後までは、ほっと一息。
力が抜けてリラックス。
12. O Holy Night
聖なる夜に聖なる場所で皆さんと過ごせた幸せ。
本編最後はやはり、この一曲。
昔からもっとも好きなクリスマスソング。これ、歌っててとても気持ち良いのです。
歌詞も音符・キーも含めて、とにかく歌いやすいんですよね。発生しやすい?というのだろうか。
綺麗に音が響く、計算されて作られた一曲なのかもしれません。
こちらはウィーン少年合唱団と歌わせて頂き、レコーディングをさせて頂きました。
男の子になりたかったチビサラ。それは叶わないと思った時、せめてボーイソプラノになりたいと思った。
その時からなのか、声を真似て高音が出るようになりました。ビブラートが殆どない、ピュアな歌い方。
こちらの方が誤魔化しが効かないので難易度が高い。後半に連れて疲れてくるとビブラートに逃げたりもします。
今回はウィーン少年合唱団のアレンジをベースに、最後は「Amen」を足してみました。🙏
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ENCORE
13. Ave Maria (Vavilov)
きっとアンコールがあるだろうと、お客様は思ってくれるでしょう。
でも教会だから、ここで終わりなのかなと思われたりして。。
色々考えながら、焦りながら、大移動+早着替えを。
オルガンももうないので、ロングのウェディングドレスに合わせてハイヒールに。
ヴェールも被り、慎重に急ぐ。
今度はTakanaがパイプオルガンへ。
Sarah’s AngelsのSAK.と磨裕美さんがヴェールを丁寧に持って下さり、素敵な絵になりました。
この曲は是非ともオルガンと、この時期に、こんなお衣装で歌いたかったです。
2000年以上前の今頃、お腹が大きかった聖母マリア様は大変な思いをされて旅をします。
そんな偉大な母の存在も、決して忘れたくありません。
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バージンロードを歩きながらの「Ave Maria」。
静かに見守るお客様。
この歌にもっとも相応しい会場。
大好きなこのAve Maria。よくCacciniと表記されてますが、実際はもっと最近のロシアの作曲家、Vavilovの作品。
あまり知られてないので分かりにくいかもしれませんが、これからはこんな素晴らしい曲を作られたVavilovの名前で表記します。
いつもならMinor(短調��、切ない感じで終わるのですが、打ち合わせも特になかったのに、TakanaがMajor(長調)で終わり、顔を見合わせながら、「だよね!」と二人頷く。
切ないけれど、絶望的でもあるけど、ハレルヤのように希望を感じさせる、そんな気持ちにさせるクリスマス。
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14. Silent Night
ここで演出として、会場と一体になりたく、「きよしこの夜」を皆さんと一緒に歌いました。
みなさんが立ち上がり、事前に作った歌詞カードを手にされ、声を一斉に。
伴奏もあっても良かったですし、合唱がハモるのもありでしたが、
ユニゾンで、同じ音で、アカペラで一緒に歌うことに、力を感じました。
シンプルに、ストレートに、心を一つに。
心の中でうるっと🥲
唯一今思うと、私も合唱もマイクを通さないで歌ったらさらに一体化しましたね。
なので、それは絶対にまたどこかで実現したい。
響き渡る皆さんの歌声。Bravi 👏
ここからさらに高いキーに転調し、Takanaのパイプオルガンのベースが鳴る。
合唱がSAK.の指揮によって入られる。
これまたエグいアレンジ(すみません)。
でもSarah’s Angelsは「こういうの好き!」と、
優しさからなのか、チャレンジ精神豊かだからか、天使の笑顔で微笑んでくれた。なんて良い人たちTT
本当に美しかったです。
15. Nessun Dorma
2023年ファイナルということもあり、音響が美しいということもあり、
「Silent Nightでも、誰も寝てはならぬ!」
本人はこの後10時間爆睡しましたけどね。
ツーランドットの女性バージョンを歌いきり、カーテンコールへ。
本当に皆様お疲れ様でした!
関係者の皆様、来られた皆様、
一生忘れない、クリスマスプレゼントをありがとうございました。
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16. You Raise Me Up
本来は「Nessun Dorma(誰も寝てはならぬ)」で終わるはずだった舞台。
大きく二つの理由があって、もう一曲アンコールを。
ちょうど一ヶ月前の11月21日、1/f FANCLUBの限定イベントが開催:
https://www.sarahalainn.net/
リクエスト曲ライブ。
最後、ノーマイクで歌って演奏した「You Raise Me Up」。
いつもサポートして下さってる方に最後は肉声で思いをお届けできればと。
限定ライブだったため、もう一度似たような演出を今回も。
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満員のホールにもか変わらず、響く教会にビックリ。
ここだったら完全にunplugged (PA・マイクなし)のコンサートは全然あり得ますね。
そして、もう一つ。
コンサートとはいえ、教会でのクリスマスということで、
拍手とお辞儀で終わるのが、ちょっと違和感を感じました。
聖なる夜に、本当の意味のクリスマスをお届けしたい。
メッセンジャーというスタンスで。
最後は、会場に下り、バージンロードを演奏・歌いながらその場を去りました。
ディナーショーなら手を差し伸べたい気持ちは分かりますが、
教会でのマナーを意識されたお客様のおかげで、こんな演出が可能でした。
安心して楽器の演奏も。エンターテイナーとして今後も安心しながら面白い演出をしたいので、とてもありがたいです🙇‍♀️
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サラジオのプロデューサーも来て下さって、とても嬉しい感想だったのでシェアさせて下さい:
「お客さんもあの終わりかただと満足度が極まって、アンコールの拍手も止んでしまいますね。
アンコールの拍手が出ないと言うことは、満足したと言う証明ですから、昨日はそれを実証しました。」
ここまで読まれたのですが?!
ありゃま。ワオ。お疲れ様です!
いつもこんな感じでコンサートの準備などしてます!
年末年始ということで、いつも以上に舞台裏を書けました^_^
そして終わっていつもこうなる:
「次どうしよう。。。><」
今年も沢山のサポート、愛をありがとうございました🫶
Merry Christmas! Happy Holidays! Happy New Year!
Happy New/Old YOU!
良いお年を!新しい自分、今までの自分に乾杯!
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ari0921 · 7 months
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 反スパイ法のない日本、外事警察の苦闘
            櫻井よしこ
わが国は、四桁に迫る数の自国民を北朝鮮という国家権力によって拉致されたまま、約半世紀、取り戻せないでいる。
13歳で拉致された横田めぐみさんは59歳になった。母上の早紀江さんは、日本はなぜ、国民を取り戻せないのかと問い続け、新しく拉致担当大臣が就任する度に「真剣に取り組んでほしい」と要望する。歴代内閣は拉致解決を政権の最優先課題と位置づけるが、吉報は未だ訪れない。
第二次安倍政権の7年8か月間、安倍晋三総理を支えて国家安全保障局長等を務めた北村滋氏は、近著『外事警察秘録』(文藝春秋)の冒頭で当時の拉致問題への取り組みを記した。めぐみさんのものとされる遺骨が螺鈿(らでん)装飾の漆器調の器におさめられて日本側に手渡された時、その遺骨は警視庁鑑識課で横田御夫妻に示された。目に涙を浮かべた父上の横田滋さんが無言で坐る傍ら、早紀江さんが���黙を破った。
「めぐみは生きていますから。これは警察の方でしっかりと調べて下さい」
早紀江さんは毅然と言い、「遺骨」を証拠として鑑定処分に付することを承諾して下さった。「それは娘の生存に対する確固たる信念の発露」だったと、北村氏は書いた。
周知のように、遺骨はめぐみさんとは無関係だと判明し、日本国内の怒りは頂点に達した。だが、振りかえってみれば拉致は金正日総書記が2002年に認めるまで日本での関心事にならなかった。遡って1988年3月、梶山静六国家公安委員長及び警察庁の城内康光警備局長が、「一連のアベック失踪事件は北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁した。
北村氏の指摘だ。
「拉致事件について国会で閣僚と警察の責任者が断言し、それと前後して日本人が拉致されたことを示す具体的な情報が複数取りざたされていたが、それでも捜査に追い風は吹かなかった。北朝鮮の国家犯罪の追及は当時、日本政界を支配していたムードに逆行するものだったのだろう」
事実、89年7月には土井たか子、菅直人の両衆院議員らが北朝鮮の工作員・辛光洙の釈放を求める要望書を韓国に送り、90年9月には自民、社民両党が「金丸訪朝団」を結成して訪朝した。当時は日朝友好親善の機運が高まっていたのだ。
世界一、与し易い国
警察が拉致を防げなかったこと、捜査が進捗しないことについての批判は依然として強い。北村氏は言い訳するつもりはないとしたうえで、日本国の体制に注視する必要性を指摘する。まず第一に、スパイをはじめわが国の国益を深刻に侵害する犯罪を直接、適切な量刑で処罰する法律がないことだ。米国では死刑、終身刑、数十年の懲役刑となるような犯罪が、わが国では北朝鮮のスパイ事件に見られるようにほぼ全員、軽微な刑罰にとどまると北村氏は指摘する。
警察庁が認定してきた1950年から81年までの北朝鮮スパイ事件42件に限れば適用された罪名は「出入国管理令違反」等の微罪にすぎず、執行猶予が付くケースが多いという。
第二次安倍政権が「特定秘密の保護に関する法律」(特定秘密保護法)を難産の上成立させたとはいえ、今もまだ拉致問題に典型的に見られる対日有害活動を直接処罰する法律は制定の動きすらない。安全保障に疎いわが国の、これが現実である。
『外事警察秘録』の頁をめくる度に、日本の安全保障体制が法的にも国民の意識という点においても如何に貧弱かを思い知らされる。北村氏が41年間のキャリアを振りかえって取り上げた事件は拉致問題、重信房子の日本赤軍、麻原彰晃のオウム真理教、暗躍する中国スパイなど、実に幅広い。一連の事例から浮かび上がるわが国の姿は、悪意を持った犯罪者にとって恐らく、世界一、与し易い国のそれではないだろうか。
日本と日本国民を守る手段(法整備)に事欠く中で、北村氏らは国内世論の無理解、日本政府内に蔓延する気概の喪失とも戦わなければならなかった。たとえばオウム真理教事件で、早急に打つべき手のひとつが麻原彰晃ら最高幹部の国外逃亡阻止だった。
彼らは当時頻繁にロシアに渡り、レーザー兵器、ウラン、軍事用ヘリコプター、毒ガス用の検知器、自動小銃などを入手した可能性があった。そこで北村氏ら外事警察は「旅券法に基づいて、麻原に旅券返納命令を出してほしい」と外務省に要請。95年3月30日、警察庁長官の国松孝次氏が狙撃された当日のことだ。外務省担当者はこう返答したという。
「返納命令を発出してもし報復テロの対象として我々が狙われたらどうなりますか。警察庁長官ですら銃撃から守れなかった日本警察に部外者の我々を守り切れるのですか」
テロリストの思う壺
最終的に旅券返納命令は発出されたが、恐怖心を煽って政治的目的を果たそうとするテロリストの思う壺にはまっている日本の姿がそこにあった。氏はまた警察庁外事情報部長だったとき、スパイ事件に関する日米の分析検討会議に出席した。日本の摘発事例を説明した際、米側の出席者がたまりかねた様子で尋ねた。
「日本警察が摘発した事件では、そもそも公訴の提起がなされなかったり、スパイ協力者に対する求刑が懲役一年から二年程度だったりすることが多い。判決では執行猶予が付され、釈放されるケースばかりだ。なぜなのか」
日米同盟という関係の中で、日本から情報が漏れれば米国も一蓮托生だ。米国側が懸念するのは十分に理由のあることなのだ。
北村氏は、日本の刑事法にはスパイ行為を直接罰する罪が存在しないこと、したがって捜査機関は、スパイがその情報を入手するためのプロセスを徹底的に精査し、あらゆる法令を駆使して罪に問える罰条を探し、スパイ協力者はその共犯として立件すると説明したが、到底、理解してもらえなかったという。
「米国では、情報を漏らした者はもとより、情報を探知し、盗み出した者を、より重罪とする。量刑は最高で死刑だ。(中略)終身刑や被告の寿命を遥かに上回る数十年の拘禁刑という事例も散見された」
北村氏はこう書いたが、これは中国、ロシアを含めておよそ世界の国々の常識であろう。
インテリジェンスの専門家が振りかえる安倍政権、7年8か月の軌跡は、案件のひとつひとつが生々しい記憶をよび起こす。独立国としての日本の再起に文字どおり命をかけた安倍晋三総理。第二次政権発足の翌日、内閣情報官としての第一回総理ブリーフィング(報告)を終えて退出する北村氏に安倍総理が声をかけた。
「これからも時々、報告に来てください」
週一回だった定例報告はそれ以来、週二回となった。安倍総理はインテリジェンス報告に多くの時間を割いた。情報こそが国の命運を決することを正しく理解していた宰相なき後、わが国の前途は多難である。
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hachikenyakaiwai · 7 months
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【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
難波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之助、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、大抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害に遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ランク順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前頭)、米屋喜兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋の商家は軒並み焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸めざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(コメント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及んだこと、そして住友の親類の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また飢えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸・京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩平八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内��之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見六竹の筆記)には、この話は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域を出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野太郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
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kennak · 2 months
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そのじいさんが亡くなった。 昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。 安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。 そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。 正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。 実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんは��ロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。 母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。 じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。 じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。 寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。 じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。 そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。 その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報に接し、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。 そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。 それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。 死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。 最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。 最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。 父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。 父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。 父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。 亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。 ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。 (ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった) そんな感じの人だったので、この世に未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。 こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。 生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。 生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。 じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。 それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。 ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。 私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。 私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。
実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後
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heartvisor · 1 year
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シン・仮面ライダーカード!!
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to commemorate the theatrical release of anno's shin kamen rider, various character cards were distributed to moviegoers. as well, calbee released promotional movie-themed chips with included random cards.
this post compiles the text for character tidbits, relationship details, and setting notes included on the collectible cards.
source image links calbee chip cards vol. 1: 1-24, 25-48 theatrical edition kamen rider cards: 49-68, 117-121 calbee chip cards vol. 2: 69-92, 93-116
1. クモオーグ
出身地: 奥多摩の山林 とくちょう: 1. 口からはきだすねばついた白い糸で人間をがんじがらめにしてしまう。 2. みずからの手でひとをころすことを一番の幸せと感じている。 弱点: うでのつけねやひじなどの、かんせつがもろい
2. コウモリオーグ
出身地: わからない とくちょう: 1. 間夜にひそんでとびまわり、ちょうおんばで敵ののうみそをいためつける 2. 人間にかみつき、てころしたり下僕にしたりするヴィルースに感染させてころしたり下僕にしたりする 弱点: かくしもっているしなやかなつばさ。 これをつけれからぜんぶちぎられるとしぬ。
3. ハチオーグ
出身地: 富士山のふもと とくちょう: 1. 刀のひとさしでえものをショックしさせる。 2. 人間たちをあやつって、ぐんたいをつくる。そして、人間をこうげんきできない仮面ライダーをくるしめる。 弱点: かたなとられるとこうけき力がにぶる。
4. 仮面ライダーのひみつ
SHOCKERでオーグメンテーションを受けた本郷猛は、戦うための強い肉体とくべつなそうびが与えられた。 胸のコンバーターラングと背中のコンバーターウィングはかれの全身にエネルギーをいきわたらせる。 ベルトのタイフーンはある力を計測する風車ダイナモやさまざまな回路やシステムがそなわっている。 ライダーのたたかいには、どれも欠かすことはできないのだ。
5. 走れ!サイクロン号!
ブロロロロ!!うなりをあげるエンジン。 ライダーとルリ子を乗せて、SHOCKERのアジトから脱出だ。 サイクロン号は並のオートバイではない。 のりこなせるものならのりこなしてみろといわんばかりの超馬力。 普通人など振り落とされてしまう脅威の加速力は、わざか数秒で最高時速350キロにとうたつ。ここからさらに変形し、真の力を発揮するのだ。
6. 仮面ライダーのひみつ
赤い光をはなつライダーの目。 これわC・アイとよぶ 昆虫の複眼をはってんさせたもので、たいへんすぐれた視力をもつ。双眼鏡でしか見えないはるか遠くの建物や、顕微鏡サイズのとても小さな生物も、はっきりとらえる。 まだ、すばやく動く物体などもしっかりキャッチする。だから、高速のサイクロン号に乗ったときも、人や車をよけながら安全に運転できるのだ。
7. 本郷のかくご
バッタとの合成オーグメントとなった本郷は、骨も筋肉もひじょうにがんきょう。 戦うための体であるから力の加減がむつかしく、気を抜けば物をこわしてしまう。 みのまわりの食器やコーヒーカップも、かるくにぎっただけで粉々になってしまった。 人間ばなれした力は本郷を苦しめている。 できるならふつうの人間に戻りたい。 しかし、SHOCKERをたおし、人々の平和を守る、いまはそれだけを考えている。
8. ルリ子もたたかうぞ
ルリ子は本郷とともにSHOCKERに立ち向かう、たのもしい仲間だ。 オーグメントのことをよく知っていて、もろいところを教えてくれたりもする。頭がまわるので、計画を立てるのもとくいだ。 いっけんとっつきにくい性格だけれど、本郷と同じように誰かを思いやるやさしい心をもっている。 本郷も、助けてくれるルリ子がいるから、安心して戦うことができるのだ。
9. ライダー特訓の日々
君は、ライダーの技がいくつあるか知っているかい?かるく40はこえるだろう。 技の中には、ルリ子が本郷と一緒に考えたものもいくつかある。 本郷は人の話をよくきくし、まい日トレーニングをかかさないから、どんな技もすぐものにしてしまう。 ライダーの特訓と成長におわりはないのだ。
10. 危険なオーグメンテーション手術
SHOCKERの科学陣は、人間に別の生き物をあわせてオーグメントにする。爬虫類や毒の生物などはいいあんばいだが、植物を材料にされた青年などは、まもなくしんでしまった。 人間と植物では、あまりにもかけ離れているから、特にむつかしい。成功と失敗をかさね、今は昆虫がよいという声がつよまっている。 緑川博士が本郷をバッタとの合成オーグメントに選んだのは頭脳明晰スポーツ万能だからだけじゃない。 かれの哀しい過去も理由のひとつなのだ。
11. クモオーグのひみつ
SHOCKERに目をつけられた人間ぎらいの男が、クモと合成オーグメンテーション手術をされた。 アマゾンやアフリカ、世界各地から集めた色々なしゅるいの危険なクモたちを材料にした。人間をしめころすための白い糸を吐き出す。 ほかにも、かくされた爪や牙からもう毒を注入する。クモオーグにやられたら、したいものこらない。 てきの中でもとくにゆだんのならないやつだ。
12. 悪の組織に立ちむかえ!
本郷、ルリ子、緑川博士は、SHOCKERと戦うことをちかった最初の三人だ。 緑川博士はルリ子のお父さんで、本郷の大学時代の先生。ついこの間まで、組織の研究員として働いていたが、これではいけないと考え直したのだ。本郷は緑川博士からオーグメンテーション手術を受けてなやんだりもしたが、先生をうらんではいない。その力をSHOCKERと戦うために使うことをルリ子と約束した。こうしてために使うことをルリ子と約束した。こうしてライダーのかこくな戦いがはじまったのだ。
13. 仮面ライダー
「変身!」 バッタとの合成オーグメント本郷猛は、ベルトの風車と胸のコンバーター・ラングに風を受け、仮面ライダーへと変身する。 SHOCKERの出現じょうほうをキャッチした! サイクロンで急行だ! どんなに強力な敵が現れようとも、ライダーが全力でむかえうつ。 まけるなライダー!たたかえ、ライダー!
14. ルリ子がつかまった
腕っぷしではライダーにかなわない。 そうはんだんした、ひきょうでかしこいクモオーグは人じちせんぼうに出た。 ジリジリとまあいをつめるライダー。 おいこまれたクモオーグの目にきんちょうの汗がながれこむ。そのまばたきをライダーの目C・アイがとらえた。 ライダーチョップ! ルリ子をとりかえすんだ!
15. SHOCKERにきをつけろ
合成オーグメントをつくる際、優秀な頭脳と健康な体をもつ人間ほどつよくなる。 SHOCKERたちはひと気のないところで人間をとりかこみ網やロープでつかまえてさらう。 優れた人は合成オーグメントに、すこし強い人は下級構成員となることが多い。 そうでもない人はせまくて暗い地下の秘密工場でずっとはたらかされる。 本郷も同じようにアジトへと連れ去られてしまったのだ。
16. サイクロンのひみつ
ゴゴォーオ!! 火をふく6本のマフラー。 サイクロンはハンドルのスイッチそうさで常用バイクから変形して真の力をはっきする。 最高時速は500kmまで上がり、東京から大阪までたったの1時間で走り抜けるのだ。 30メートルの大ジャンプで、おおきな崖もなんのその。 ライダーの変身システムはサイクロンがあってはじめてなりたつんだ。
17. たよりになるルリ子
これはダム湖のほとり。 ルリ子はよういしゅうとうなせいかくだから、もしものときのために、いくつもの計画や用意をしている。 ライダーの黒いコートは鋭くらいの攻撃ならはじいてしまうが、これは布じたいにくふうがほどこしてある。特殊金属があみこまれた、ルリ子の特別せいなのだ。だから本郷はひきょうなSHOCKERにうしろからおそわれても安心なのだ。
18. 組織に関わった者の末路
下級構成員たちがライダーを取り囲む。 右回りに、今度は左回りに、輪をせばめながらライダーの死角から襲いかかろうというのだ。業を煮やしたひとりが棒をふりかざす。だがライダーは棒を奪い取り、そこからは反撃の嵐だ。 ところで、倒されたSHOCKER構成員がとけてきえるのは、組織のひみつを世間に知られないためだ。SHOCKERに手をかけられた本郷もしぬとそうなる。
19. 疾走!サイクロン!
寒風になびく赤いマフラー。 サイクロンは気持ちのいい走りっぷりで山道を突き進む。これがたたかいでなければどんなに楽しいバイク旅だろうか。 一瞬ばかりよぎった思いをふりきり、本郷はアクセルをめいっぱいふかした。 胸のコンバーター・ラングに風を受け、全身に力がみなぎっていく。戦う準備はできた。 走れ サイクロン! 敵はもうすぐだ! まかせたぞ、ライダー!
20. クモオーグとライダーのたたかい
「お前も緑川博士のもとへおくってやる」 うごきのすばやいクモオーグが、ライダーにおそいかかる。 口からはく白い糸でうごきをふうじるのがやつのやり方だ。 だが、ライダーもとくいのジャンプでくうちゅうからはんげきをしかける。 ライダーチョップで腕をへし折れ! そこだ、ライダーキック!
21. 仮面ライダーのひみつ
オーグメンテーションによって、強化されたからだはバッタのようなうごきを可能にしている。そのひとつがジャンプだ。高さ66メートル30センチ。 ビルの20階までひととび、5回ジャンプするだけで東京タワーのてっぺんに届くものすごいジャンプ力だ。 ライダージャンプ!ライダーキック! 人間を襲うSHOCKERがまた1体ライダーに倒された!
22. 自然の力ライダーの力
「かかれ!ライダーだ!」 アジトが近いのだろう。下級構成員が次から次へとわいてくる。だがライダーは攻撃の手をゆるめない。森をぬける新鮮なひとっ風をコンバーター・ラングに受け、エネルギーに変えているから、つかれしらずなのだ。そして夕暮れが近づいたころ、下級構成員は現れなくなった。 「自然が力をくれたのだ」 本郷はそびえる山々を見やり、サイクロンで走り去った。
23. クモオーグの電話
「もしもし」 これは組織の大幹部からの電話をとる訓練だ。 ベルが三回なるまでにとらなければただではすまない。 ジリリ・・・・・・ ジリリ・・・・・・ ガッチャン! いじわるなクモオーグは、となりの下級構成員がつかう電話器を足で踏みつけ、電話を切ってしまった。たとえ訓練でも組織の掟をやぶればあとはない。下級構成員は、あわのようにとけて受話器に吸い込まれてしまった。
24. はたらき続けるコウモリオーグ
コウモリオーグは人間とコウモリのいいところをあわせたオーグメントだから、昼も夜も眠らずにずっと研究を続けられる。 ライバルの緑川博士においつくには寝ているひまなどないのだ。 「このさつじんヴィルースで緑川をぎゃふんと言わせてやる」 あやしく笑うコウモリオーグ。 このままでは、危険なヴィルースが完成してしまう。 コウモリオーグを研究所ごとぶっつぶせ、 ライダー!
25. こころやさしき本郷猛
オーグメンテーションされる前の本郷は、バイクで旅をするのが好きな人間であった。 他人と話すのが少し苦手で、はたらいてはいなかったけれど、スポーツはばつぐんで、勉強もとくい。なによりもやさしい心をもっていた。 だから、仮面ライダーになれたんだ。 本当は暴力が好きではない。 でも、人々を守りたいという強い思いから、SHOCKERと戦い続けると心にちかった。ルリ子もそんな本郷をとても信頼しているよ。
26. 罠にかかったなライダー!
コウモリオーグと戦うライダーに、クモオーグがしのびよる。ふだんたちきづくはずだが、コウモリオーグの超音波でかんかくがくるわされていたのだ。 はさみうち作戦だったのか! だが、ライダーの戦いはここからだ。 ライダー返しでクモオーグをコウモリオーグに投げつける。 しょうとつしてもつれ合うオーグメントたち。今がチャンスだ! ライダーキックでまとめてやっつけろ!
27. さあ、たたかいだ
SHOCKERのアジトに単身のりこむ本郷ライダー。今日は、いつにもまして力がみなぎっている。山のてっぺんで、たっぷりと強風をあびてきたのだ。 ライダーが身に受けた風はエネルギーにかわり、エナージ・コンバータにたくわえられる。ベルトの横についている箱型のそうちが、それだ。 きりょくじゅうじつ。ライダーはさいこうのじょうたいで戦いにのぞむ。
28. コウモリオーグの電話
「もしもし」 コウモリオーグは組織でも優秀な研究者であるから、あぶない薬品や実験台の人間を、電話ひとつで注文できる。 「やあ緑川博士ちょうしはどうだ」 今日は同じ組織の緑川博士がよい実験台を手に入れたというので、それをほしいと話したところ、もう使ってしまったよと電話を切られてしまった。 おのれ、緑川! 怒ったコウモリオーグは、受話器を投げつけた。
29. ハチオーグのアジト
「ようこそ 裏切り者たち」 壁には,SHOCKERとハチのエンブレム。 ここがハチオーグのアジトだ。きっと 悪魔的なおそろしい作戦をすすめているのだろう。 操られた人々もいる。ハチオーグを女王バチ。 その手下どもを働きバチと考えれば、本郷とルリ子はハチの巣に飛び込んだようなものである。 いつでもルリ子を守れるように、感覚をとぎすます 本郷。ゆだんすれば 刀でひと刺しだ。まわりの部下にも気をつけろ!
30. ハチオーグと刀
ハチオーグは組織でいちばんの刀つかいだ。だから刀にはとてもこだわる。 最近のお気に入りは、体にわるい金属をとかして叩いてていねいに研いだ刀。 相手をつき刺すと同時に、くるしみもだえさせることができる。ハチでいうところの毒針の役目をもつ、おそろしい毒刀なのだ。
31. 誕生! 第2号ライダー!!
本郷猛を狙う組織の刺客としてバッタの合成オーグメントにされた、正義のジャーナリスト一文字隼人。 とあるきっかけで一文字は、仮面ライダー第2号として組織に立ち向かうことを決意した! 戦うためだけの人を超えた力。だが、その力があれば、世の人々のために悪を蹴散らすことができる。 がんばれ! 一文字隼人!!
32. 仮面ライダー第2号のひみつ
一文字ライダーの体は、最新の技術によって生み出されたパワーアップ型だ。 筋肉がついた分、体重が少し重くなったので、ジャンプ力は本郷ライダーよりも下がったが、その分、パンチやキックの威力が上がっている。 だから、 本郷ライダーがパンチ5回で倒す敵を、4回で倒すことができる。
33. ハチオーグの電話
「もしもし」 ハチオーグはクモオーグと仲がわるい。 ケンカをした日は本気であいてをころそうとする。仲間でもようしゃはしない。 それが SHOCKERのおそろしさだ。 「次にケンカをしたらそのときがやつのさいごよ」 ハチオーグには友達がいるので、そういったことを電話で話したりもする。この時ばかりはとても楽しそうだ。
34. こい!ハチオーグ
スパッ!! ハチオーグが刀をひとふりしただけでふだんならびくともしないライダーのとくべつなそうびにも傷がはいる。 さらに、つぎつぎとくりだされるはやわざ。 おなじ昆虫合成型のオーグメントで基本せいのうはライダーと変わらない。 完全体になる前にこのつよさは予想外だ。 しかし、てきに背をむけるわけにはいかない。 かくごを決めるライダー。 ハチオーグ、いざ��負!
35. ゆくぞ、サイクロン!
本郷も一文字もサイクロンを大切にしている。 一緒にたたかう相棒なのだ。ベルトについているスイッチはサイクロンをよびだすためのものだ。 自動で走る機能を持つので、すぐにかけつけてくれるぞ。とくに本郷ライダーは変身の際に風を受けるひつようがあるのだから、変身の際に風を受けるひつようがあるのだから、サイクロンにのって走るのがよい。 いつも大変たすかっている。 平和になったあとはサイクロンで旅をするのかもしれないね。
36. 仮面ライダーのひみつ
ライダーのマスクをかぶれば、戦う力がぐんとわいてくる。これには、 あらゆる生き物にそなわる生存本能、生きるため必死に戦う性質をよびさます効果があるのだ。だけど、本郷は野生のけもののように暴れたりはしない。 やさしさを忘れることのないつよい心を持っているからだ。 体と心をきたえぬいた者だけがほんとうのライダーになれるのだ。
37. にがさんぞ、SHOCKERども
もう、がまんならぬ! 人を人とも思わぬSHOCKERの所業に一文字ライダーの怒りがばくはつした。もえたつ正義の心からわきあがるエネルギーが、一気に足へと流れ込む。 ライダージャンプ!かけ声をきいた下級構成員たちがとたんに逃げ出すが、もうおそい。ライダーキックがきまった!「これでスッキリした」 あやつられていた人々をかいほうすると、一文字は笑顔で去っていった。
38. サイクロンとともに
「きょうもよくがんばってくれた」 戦いがおわり、サイクロンをねぎらう一文字ライダー。一文字はもともとバイク旅が好きで、整備もできる。 SHOCKERどもは明日も現れるだろう。君がもしやつらを見つけたらライダーをよんでくれ!それがどこだろうと、ライダーはすぐにサイクロンでかけつけるぞ!
39. がんばれダブルライダー
「まて、SHOCKERども!」「俺たちが相手だ!」 崖の上から、あくまのSHOCKER軍団を見おろす、二人のライダー。向かって左が 本郷ライダー。右が第2号の一文字ライダーだ。 トォーッ!ふたりライダーが下級構成員のむれにとびかかる。ライダーひとりひとりの技も強力だが、二人の合体技はその3倍もの破壊力をもつ。 ゆけ、ダブルライダー! 新技の合体キックで、SHOCKERをぶちのめせ!
40. 仮面ライダーのひみつ
本郷ライダーは変身するとき、胸のコンバーター・ラングとベルトに風を受けてエネルギーを生み出さなくてはならない。 だから、建物の中で戦うときには、先に外で変身している。 だけど、一文字ライダーは、中でも変身が可能だ。 本郷ライダーと違う進化したしかけが一文字ライダーにはそなわっているのだ。 ぜひ、期待してほしい。
41. 仮面ライダー第2号、一文字隼人
ライダー第2号の一文字は、思ったことをはっきり言う気持ちのいいやつだ。 ジャーナリストとして世界かく地を旅したこともあるから外国語をいくつもおぼえていて、だれとでもすぐに仲良くなれる。そして、自分がいやだと思ったことはやらない。 正直に生きる。それが一文字なのだ。
42. 二人ライダーのがったいわざ
がんじょうなSHOCKERのオーグメントがあらわれた。ただのパンチやキックではまったくはがたたない。 こんなときは合体わざをくふうする。 「いくぞ、一文字」「よしきた、本郷」 いまだ!くらえ、ライダーダブルキック! 左右の弱点を同時に突かれ、みごと オーグメントは砕け散った。 二人のライダーが力をかさねれば、たおせぬてきなどいないのだ。
43. 仮面ライダーのひみつ
風にゆれる赤いマフラー。 これは、ライダーの、正義の心の証なのだ。 もしきみが、どこかでサイクロンを見かけたら、そしてそこに赤いマフラーを見たのなら、声援をおくってほしい。 彼はきっと、助けを求める人々のもとへ向かう途中なのだ。 はしれ サイクロン! がんばれライダー!
44. SHOCKERの技術力
SHOCKER科学陣はオーグメントだけでなく、人間をあやつる装置、武器や乗り物も開発している。サイクロンの設計にはあの緑川博士なども関わっていた。博士もバイク乗りであったから、すごいマシンをつくってやるぞとはりきったんだ。本郷と一文字の乗るサイクロンはその完成型にあたる最高のマシンだ。 組織のテストサーキットでは今、サイクロンの量産化にむけた研究も行われているようだ。
45. ひさしぶりだな、ルリ子
SHOCKERのとある施設。 暗闇でライダーを待ち受けていたのは、ルリ子のお兄さんであった。 名を緑川イチローという。 果たして彼は敵なのだろうか?
46. せまりくる危機
うらぎり者の本郷たちを始末するため、SHOCKERは新たなオーグメントをうみだした。 本郷ライダーと同じくらいのつよさがあるという。 数もひとりではない。同じつよさなら、数の多いほうがまちがいなく勝つというりくつだ。だが今の本郷には仲間がいる。 そして最後は気持ちがものをいうのだ。 強い心で立ち向かえ、ライダー!
47. さあ、決戦だ!
SHOCKERと戦う、三人の思いはひとつ。決戦を前に、新しい技をさっきまで練習していた。 ふたりライダーがそれぞれボーリング玉を抱えたまま同時にジャンプし、空中で玉を激突させて割る特訓だ。この玉が本番ではSHOCKERどもの頭というわけだから、成功すればこれはもうたまらないだろう。 おそろしいほどのいりょくになるはずだ。 技の名を、ライダーハンマーキックという。
48. 映画がはじまるぞ
きょうも元気に撮影を終えることができた。5人もほっとひと安心。 はげしいアクション! 火薬の大爆発とほのお! サイクロンもがんばった。 ライダーたちの戦いを、ぜひとも劇場のジャンボな大画面でみとどけてほしい。 映画「シン 仮面ライダー」の封切りはもうまもなくだ。 みんなで一緒に、ライダーの活躍を応援しよう!
49. 本郷猛
演:池松壮亮
スポーツ万能、頭脳明晰であるが、人とのコミュニケーションが���まくとれず、無職である。大学時代は緑川弘博士に師事していた。 その優しさゆえに、たとえ相手がSHOCKERであっても暴力で解決することへの葛藤を抱えている。 趣味はバイク。 一人旅をよくしており野宿はお手のもの。
50. 仮面ライダー
演:池松壮亮
SHOCKERの手によって、バッタとの昆虫合成型オーグメントとなった本郷猛。 体にプラーナの吸収増幅システムが施され、圧縮されたプラーナにより力を得る。 ベルトはプラーナ計測器の風車ダイナモとプラーナインバーターを内蔵したタイフーン、サイクロンのコントロールシステムとエナージコンバーターを内蔵した左右サイドボックスで構成されている。
51. 緑川ルリ子
演:浜辺美波
SHOCKERの人工子宮実験の生き残りで遺伝子情報は緑川博士から受け継いでいる。 組織の生体電算機としての役割もあった。 自らを常に用意周到な性格と称している。 SHOCKERで育ったため、外の世界を知らなかったが、兄・イチローが思い描く未来に疑問を感じ、父とともに組織を飛び出した。
52. 一文字隼人
演:柄本佑
かつてはジャーナリストとして活動し、愛用のカメラはMinolta16P。 表裏のない性格で、群れることを嫌がる。孤独を楽しめるバイクが趣味であり、そこは本郷と同じ。 「心スッキリ」することが一文字にとって大事なこと。SHOCKERにオーグメンテーションを受けた後も、洗脳に負けず、自分の筋は通している。
53. 仮面ライダー第2号
演:柄本佑
SHOCKERからのオーグメンテーション手術を受けた後、緑川イチローによって強化された。そのため、プラーナを体内呼吸で高めることが可能となり、風を受けなくとも変身ができる。 ルリ子のパリハライズによって、洗脳が解け、”SHOCKERの敵、人類の味方”として、「仮面ライダー第2号」を名乗る。
54. クモオーグ
演(声):大森南朋
SHOCKERによる人外融合型オーグメント。 人間を嫌い、人の姿には戻れない合成手術を自ら望んだ。 紳士的な物腰だが、考える幸せの形は異常。 組織への忠誠心が高く、裏切り者・邪魔な存在を消すことを役割としている。 4本の手を隠し持っており、手を下す際に脇腹のジッパーから姿が現れる。
55. コウモリオーグ
演:手塚とおる
緑川博士をライバル視しているSHOCKERの生化学主幹研究者。 他人を信用しておらず、一人で研究を続けている。 暴力は得意ではなく、完成させたヴィルースを”作品”と呼び、その毒性をもって人類を減らすことに幸せを求めている。 ハットと杖がお気に入り。
56. ハチオーグ (変身前)
演:西野七瀬
ルリ子と同じくSHOCKERの人工子宮実験の生き残りで、以前は違うコードネームを使っていた。 ”支配”を幸せとしており、奴隷制度による統制された世界システムを再構築し、実現しようとしている。 組織への人材供給のほとんどは彼女の手によるもの。ルリ子に対して、表現しきれないほどの愛憎を抱えている。
57. ハチオーグ (変身後)
演:西野七瀬
仮面ライダーと同じく、緑川グループの昆虫合成型オーグメント。サナギ状態から羽化することで現在の姿となった。 触れることによって、相手のプラーナを奪うことができる。 刀を武器とする戦闘スタイル。 戦いにおいては公平な考えを持っており、仮面ライダーに対しても刀を与え、同じ条件で勝負をつけようとする。
58. 緑川イチロー
演:森山未來
緑川博士の息子で、ルリ子の兄。 母を無差別殺人犯に殺害されたことが契機となり、父とともにSHOCKERの一員となった。 組織の幹部として、活動する一方、自らが考える”幸福の形”=ハビタット計画の実現を追求している。 計画の対象に例外はなく、自分もその一人である。
59. 仮面ライダー・仮面ライダー第2号
仮面ライダー/演:池松壮亮
仮面ライダー第2号/演:柄本佑
それぞれのベルト名称は、仮面ライダー(第1号) 変身ベルト タイフーン(プラーナ強制排出補助機構付初期型)、仮面ライダー第2号変身ベルトタイフーン(開閉式安全装置付初期改良型)。 本郷がチョウオーグのアジトに向かう中、一文字が駆けつけ、ダブルライダーとしてSHOCKERと闘う。
60. 本郷猛・緑川ルリ子
本郷猛/演:池松壮亮
緑川ルリ子/演:浜辺美波
SHOCKERによるオーグメンテーションの手術室から本郷を脱出させたのがルリ子。 ともに裏切り者としてSHOCKERに追われる身となるが、政府の男・情報機関の男の協力も得て、対SHOCKERの共同戦線を張る。 本郷の優しさが故の弱さを不安視していたルリ子であったが、その優しさに生まれて初めて“安心”を知る。
61. 本郷猛・一文字隼人
本郷猛/演:池松壮亮
一文字隼人/演:柄本佑
ダブルライダーとしてSHOCKERと闘う2人だが、その性格は正反対。 人とのコミュニケーションが苦手な本郷に対して、一文字は距離を詰めてくる。 しかし、不思議とウマが合い、戦闘でも即席ながら抜群のコンビネーションを見せる。
62. チョウオーグ/ 仮面ライダー第0号
演:森山未來
緑川イチローが完全変態を終えた昆虫型アルティメットオーグメント。 プラーナの絶対量が群を抜いている。 自らのやり方で人類を救うとし、仮面ライダー第0号を名乗る。 ベルトは仮面ライダー第0号変身ベルト アルティメットハーフタイフーン (試作改造型)。
63. K.K.オーグ
演:本郷奏多
人間・カマキリ・カメレオン、 SHOCKER初の3種合成型オーグメント。 死神グループの手によって生まれた。 性格は残忍。姿を消しての不意打ちが得意。 主な武器はナイフで、複数を携行し、左腕には身体の一部であるカマを隠している。 クモオーグを尊敬し、慕っている。
64. 政府の男・情報機関の男
政府の男/演: 竹野内豊
情報機関の男/演:斎藤工
政府、情報機関において、SHOCKERの後片付けを担当している。 本郷とルリ子に構成員の排除への協力を求め、代替として情報提供と警護を保証している。 2人には知らせず、別に行動することもある。 一文字に問われ、最後に名を明かした。
65. 仮面ライダー第2+1号
演:柄本佑
一文字が政府の男、情報機関の男に初めて依頼をしたのが新しいスーツサイクロンの用意だった。 本郷から引き継いだマスクがリペイントされ、防護服のラインは白い2本になった。 新たなマスクには本郷のプラーナが固定されている。 シンサイクロンで駆け、2人でSHOCKERと闘うことを誓う。
66. 大量発生型相変異バッタオーグ
緑川イチローが作り出した仮面ライダーの孤独相とは異なる、群生相を持つバッタオーグ。 仮面ライダーと同じ能力を持ち、バイクもサイクロンと同型。 群れて闘い、より凶暴性を増している。 黄色のマフラーを着用し、 11体存在する。ベルトの名称はプラーナ蓄積循環外部補助機構簡易タイフーン(量産型)。
67. ケイ
演(声):松坂桃李
SHOCKERの中枢である、世界最高の人工知能・アイ。 アイが外世界観測用に作り出した自律型人工知能がジェイで、ケイはそのバージョンアップとなる。 役割は構成員たちの幸せを観察しデータをアイに送り続けること。 常に学習を続け、関係者の死には白いバラを手向けている。
68.緑川ルリ子・緑川イチロー
緑川ルリ子/演:浜辺美波
緑川イチロー/演:森山未來
緑川弘を父とする遺伝子上の兄妹。 ルリ子がSHOCKER在籍時はともに研究を重ね、ハビタット計画を発案したのはルリ子だった。 イチローはハビタットシステム完成のため、ルリ子はシステムのパリハライズのため、互いのデータを必要としている。
69. 本郷猛のつよさ
ライダーはつよい。 それはもちろん、体を強化されたことがおおきいけれど、それだけじゃあない。本郷はライダーになる前から体をきたえていたし、たたかいのきほんになる柔道や剣道を、警察官のお父さんからおそわっていたんだ。 今でもSHOCKERの出ない日は、山で自分をきたえなおしている。落ちてる岩をなげ返したり、けがをした動物を助けたり、ひみつの特訓をしているぞ。
70. 仮面ライダーのひみつ
「ウグググ・・・・・・」 「おのれライダー・・・・・・」 さっきまで威勢のよかったSHOCKERどもが、つぎつぎにくずおれていく。 どうだ!ぶあついコンクリートのかべを障子紙のようにぶちぬく、ライダーパンチのいりょく! 強化筋肉の腕。 鉄をにぎり砕くあく力。そして、特別せいの戦闘グローラ。 この三つがあわさり、生み出されるのが、必殺の拳ライダーパンチなのだ。
71. 命がけのレース
本郷は十代の頃からバイクのりだった。 ためしに参加した大会で優勝し、プロのレーサーをめざさないかとさそわれたこともある。だが、今この瞬間、本郷が走るのは負ければ後がない死のレース。自分だけでなくルリ子の命もかかっている。 「たのむぞ、サイクロン!」 背後にせまるSHOCKERどもをふり切らんと、本郷はアクセルを全開にした。
72. 仮面の下に
マスクをはずした本郷は、そこに変わり果てた自分の素顔を見た。 願わざる力をその身に宿してしまった悲しみ。それは、すぐに受け入れられるものではない。 「いつかはふつうの人間にもどれるのだろうか?」 さしもの本郷も、この時ばかりは、未来への不安と絶望を感じずにはいられなかった。
73. クモオーグのうで
クオーグのチョッキを見てほしい。 いくつものチャックがついているのがわかるだろう。中にはきかいじかけの子グモや毒の注射、そして4ほんの腕がしまってある。 そんなところから腕が出てくるとは思いもよらないので、たいていの敵はそのまましめころされてしまう。 奇怪にして強力な、ひっさつの奥の手なのだ。
74. ルリ子がピンチだ!
クモオーグにおいつめられたルリ子。 だが、SHOCKERどもに命ごいなどしない。どんなにおそろしい目にあっても、弱さを見せずにがんばろうとするのがルリ子のつよいところだ。 「ギャアァッ!」 とつぜんふっとばされるクモォーク。 仮面ライダーのとうちゃくだ!ルリ子はこっそり、ほっとしたひょうじょうを見せた。
75. 人々の尊厳のために
仮面ライダーになったばかりのころは、本郷もこどくななやみをかかえていた。 たたかったり、だれかをきずつけたりするのがにがてなやさしいやつなのだ。だが、 思いなやむ ひまもなく、SHOCKERどもはつぎつぎに現れる。 人々の尊厳のためにその身をささげ、本郷猛はきょうもかこくな戦いに飛びこんでゆく!
76. アンチSHOCKER同盟
本郷とルリ子は、ともに戦うふたりの仲間を得た。めがねをかけた政府の男と、情報機関の無口な男だ。きけんなSHOCKERとわたりあうには、彼らのように援護してくれる味方がひつようなのだ。 ふたりの男たちも、口には出さないが、「きょうもたのむぞ、ライダー!」といつも心の中で仮面ライダーに声援をおくっているよ。
77. コウモリオーグにきをつける
コウモリオーグは実験でつくった毒やヴィルースを中にためこんでいる。 敵にかみつき、毒をあびせては、命令をきかないと解毒剤はやらないぞなどとおどかして楽しむのだ。もちろ���、薬をわたす気などこれっぽっちもない。 これでなおるぞと言いながら、にせの解毒剤やもっと強い毒を与えたりする。 ほんものの解毒剤わ、ぼうしの裏と翼のとがったところにしこんであるという。
78. SHOCKERの人工知能
ケイとよばれるみずから動ける人工知能は、いつも本郷やルリ子たちのことをじっとかんさつしている。 SHOCKERにかかわる者たちが、幸せになったかどうかをデータとして記録しつづけているらしい。 おそいかかってはこないが、なんにせよSHOCKERの人工知能なのだから、味方でないことは明らかだ。
79. はしゃぐコウモリオーグ
「できたぞ!」 とさけぶのはコウモリオーク。 にっくき緑川博士のけんきゅうに負けないよう、ひとりで実験をつづけてきたが、ついに満足のいくヴィルースが完成したのだ。 とってもうれしいコウモリオークだけど、一緒によろこんでくれる仲間がいないのは少しかなしいね。
80. ハチオーグのしめい
SHOCKERのような大組織をうごかすには、たくさんの人間が必要となる。 それを集めるのがハチオーグの仕事だ。 人々をつかまえては機械で洗脳し、しぬまではたらかせるのだ。 だが、人間の心の自由をうばうことなど、ライダーがゆるすはずもない。 今にアジトをぶちこわし、みんなをたすけてくれるだろう。 はやくきてくれ、ライダー!
81. つぎの戦いにそなえろ
ライダーのかいふく力は普通の人間とはくらべものにならない。 ちょっとしたきずはすぐになおるし、骨折だって、なん日かあれば元通りだ。 マスクやスーツ、サイクロン号などもルリ子が予備のぶひんや修理用のきかいをしっかり用意しているからすぐになおせる。 だからライダーは、いつもばんぜんのじょうたいで戦えるのだ。
82. ハチオーグのマスク
ハチォーグのマスクはとくに目がすぐれている。昆虫の複眼を強化した両目は、すばやい敵の動きをみやぶる。おでこにある三つのまるい部分も目の一種で、まわりの温度をとらえ、くらやみに隠れた敵を見つけ出す。そしてするどいアゴは、スズメバチのごとく鉄骨もこなごなにするいりょくをもつから、近づいてたたかうときは注意しなくてはならない。
83. ポーズのひみつ
仮面ライダーのポーズは、君ももうおぼえてくれたことだろう。 これはエネルギーをかいほうするための型のようなもので、この動きにベルトがはんのうして、からだ中のエネルギーがあつくはげしく湧きたち、とてつもない力が��なぎるのだ。本郷と一文字がポーズをとるのには、そういったわけがあるのさ。
84. おしゃれなハチオーグ
着物すがたルリを出むかえるハチォーグ。その装備には、ライダーとおなじぎじゅつがつかわれている。 着物はライダーの黒いコートとおなじ布だから、にがんじょうでしなやか。ハチの巣のてっぽうのたまをはじくほどにがんじょうでしなやか。ハチの巣のような模様のスーツは電気じかけで、きんにくのうんどうをつよめて、とまらぬはやさで走れるようにする。目にもとまらぬはやさで走れるようにする。 どれも強くなるためのおしゃれなのだ。
85. ハチオーグの手下
ハチオーグはまい日、刀のとっくんをしている。手下をあいてに、ほんものの刀でしあいをやるのだ。ほとんどはハチオーグにまけてしぬが、生きのびれば大切にされる。 いちばんつよい手下わ、黄色い背広の男。ひつようとなれば自分の命をささげ、そのプラーナでハチオーグにさらなる力をもたらす。強いくごを持った手ごわいやつなのだ。
86. 仮面ライダーのひみつ
ガチィィン! 飛びちる火花! 仮面ライダーの腕が、ハチオーグの刀をうけとめた!がんじょうきわまる人工骨と、くっきょうな強化筋肉。 いかなる刃物をもってしても、骨まで断つことなどできはしない。 ライダーがこぶしを握りしめ、肩からゆびの先までぐっと力をこめれば、腕ぜんたいが岩のようにかたくなり、ぜったいの盾となるのだ。
87. ルリ子のかなしみ
クモオーグの魔の手にかかり、ルリ子のおとうさんである緑川博士はこの世を去った。 さらにはたいせつなともだちまでもうしない、ルリ子はおしよせる悲しみにかたをふるわせる。 似た境遇を過去にもつ本郷は、そんなルリ子の気持ちをただしずかにやさしくうけとめるのだった。
88. ルリ子とヒロミの電話
「もしもし」 「もしもし」 となりに座りながら、電話でたのしそうに話しているルリ子とヒロミ。 子供のころ、いつもいっしょだったふたりは、ときどき ケンカをしていた。 そんな時は面とむかって話せないから、こうやって同じイスに座って電話で仲なおりしていたんだって。
89. 第2バッタオーグとのたたかい
「いいね!」 本郷ライダーを なさけようしゃなくおいつめ、たたかいをたのしむ第2バッタオーグ。 ずっと明るいちょうしなのは、洗脳された一文字の本来の心がまだ のこっているからだ。 洗脳さえとけば、きっと一文字をすくえるはずだ! チャンスがくるまで、たえてくれ、本郷ライダー!
90. パリハライズとはなにか
SHOCKERにさらわれた一文字隼人は、組織のいうとおりにはたらくよう洗脳されてしまったが、ルリ子によるパリハライズで正気をとりもどした。 パリハライズというのは、あいての心や魂にはたらきかけること。 これにはSHOCKERにしはいされた心をかいほうするなどのこうかがある。 ルリ子がとくいとする、人をすくうためのとくべつな技なのだ。
91. 立ち上がれ!一文字隼人
洗脳から解放された一文字隼人は、その時のひどいショックで動けなくなってしまった。しかし、こんなところでくじける一文字ではない。 「ゆるさんぞ、SHOCKER!」 はがねのようにつよい精神力でぐんと立ち上がった一文字は、SHOCKERどものもとへと走り出した!がんばれ、一文字!!
92.K.Kオーグ
出身地: 四国のあたり とくちょう: 1.色のかわるポンチョでまわりのけしきにとけこみ、カメレオンのようにとうめいになってかくれる。 2.鉄骨もちくわのようにまっぷたつにするカマキリのうで。 弱点: ポンチョをだめにするしつこい汚れ。
93. 仮面ライダー第2号、一文字隼人
「俺は今からSHOCKERのてき、人類の味方」 本郷とルリ子に出会い、自らの心を取り戻した一文字隼人。 かくして仮面ライダー第2号の終わりなき戦いがまくをあけた。 肩ならしのあいては、ルリ子をきずつけたにっくきK.Kオーグ。 いけ、一文字ライダー!! やつのマスクを叩き割れ!
94. K.Kオーグのひみつ
K.Kオーグのいちばんとくいな技はふいうちだ。 すがたをとうめいにして、敵に気づかれずにしのびより、カマでいちげき。 このたたかいかたは、先輩のクモオーグにきたえてもらったものだ。 ふたりのおんみつ能力は、組織の中でもトップクラス。 とりわけきけんな、あんさつコンビなのだ。
95. ライダーのパンチとチョップ
ライダーパンチはとにかく強力で、敵を正面からぶち抜いて倒せる。 だが、かたい殻につつまれた敵があいてだと、はじかれることもある。 ライダーチョップはそんな時に便利な技で、殻のすきまや、関節、首筋といった敵の弱点をせいかくにねらいうつものだ。敵もひとすじなわではいかないから、ライダーは数々の技を使い分けながらうまく戦っている。
96. K.Kオーグの電話
「もしもし」
K.Kオーグは組織の先輩であるクモオーグをそんけいしている。 さくせんに失敗したり、サソリオーグにおこられたときなどは、いつも電話でそうだんしていた。だが、クモオーグはたおされ、にどと電話に出ることはない。 「ゆるさないぞ、ライダーども!」 K.Kオーグはいかりにふるえ、先輩のかたきうちをちかうのだった。
97. たくされた願い
それは唐突な別れ。 凶刃に倒れた仲間が遺したのは、本郷への感謝と、SHOCKERの暴走を止めてほしいという切なる願いであった。 その想いに報いるため、身命を賭す覚悟を決めた本郷猛は、悼む間もなく死地に赴くのだった。
98. 一文字隼人のひみつ
ライダーになる前の一文字はジャーナリストだった。世界じゅうの事件を夢中でおいかけ、あぶない場所にも平気で飛び込んでいくゆうかんな男。 危険な取材を続ける中で自分の身をまもる戦い方をおぼえた。 自然や動物の写真をとるのも大好きで、南米やアフリカをバイクで旅したこともある。こんどは本郷もつれていってやろうと、こっそり計画しているよ。
99. 本郷猛と一文字隼人
美しき大自然に見守られながら、本郷と一文字は、SHOCKERと戦い続けることを誓いあった。 人々の自由をおびやかすものが現れたなら、地球のどこにいようともかけつけ、力をあわせてたちむかおう。 かたい握手とともに、そう約束した。 「またあおう!」 しばしの別れを告げ、ふたりはサイクロン号で走り去った。
100. ライダーのすばらしさ
SHOCKERのアジトはかく地にちらばっているから、本郷と一文字は手分けしてつぶしにいくことも多い。 だが、とおく離れた場所でたたかっていても、たがいのピンチはすぐにわかる。 「いきてるか、本郷!」 おいつめられた本郷ライダーのもとに、さっそうとあらわれる一文字ライダー。 どんなときもたすけあうのが、仮面ライダーのすばらしいところだ。
101. てきの群れがくるぞ!
くらやみにあやしく光る、こうかつなまなざし。その正体は、大量発生型バッタオーグだ。本郷ライダーとおなじくらいのつよさがあって、数もおおい。ぜんぶで11体もいる。さらには、バイクでかけれんけいこうげきをしかけてくるのだ。 ちからをあわせてたちむかえ! ダブルライダー!
102. 緑川イチローのひみつ
イチローは緑川博士の息子で、ルリ子の兄。彼もまた、本郷や一文字とおなじように、オーグメンテーションによる強化を受けている。グローブやベルトを見れば、ライダーと同じ力を持っていることが見てとれるだろう。 イチローは今、SHOCKERの幹部として、とても危険な計画を進めている。 やつを止められるのはライダーだけだ! いそげ、本郷!はしれ、一文字!
103. ルリ子とイチロー
これは、イチローとルリ子が一緒にすごしていたころの写真。 その後、ルリ子は組織をとびだし、イチローは人類をまきこむおそるべき計画を開始してしまった。 この一枚は、今となってはとりもどせない家族の思い出なのだ。 イチローのアジトには、この写真がたいせつにかざられている。
104. たちはだかる強敵
「かかってこい、ライダーども!」 SHOCKERのおそるべき計画。 その中心にいるのが、チョウオーグだ。 組織の幹部ともなれば、もちろんライダーたちのじゃくてんも知っていることだろう。 準備ばんたんにしてアジトで、本郷と一文字をまちかまえている。 それでもたたかうんだ、ダブルライダー!!
105. ルリ子の頭脳
緑川ルリ子最大のぶきは、その頭脳だ。 計算やぶんせきがとくいで、コンピュータを使ったしごとも早くてせいかく。 長くてむつかしい暗号も、ぱっと見ただけでといてしまう。 目が光っているときはとても集中しているので、なるべく話しかけないほうがいい。「常在戦場」、ルリ子もライダーとはちがうかたちで戦っているんだ。
106. 白いマフラー
「これでお前たちとお揃いだな」 チョウオーグがおもむろにとりだしたのは白いマフ���ー! 本郷や一文字とはちがうやりかたで世の中をかえようとする。 仮面ライダー第0号だ。 ダブルライダーあいてでもひとりでたたかうことができるほどの強さをもつイチローライダー。 かれも自分の心を信じてたたかう。
107. 仮面ライダーのひみつ
本郷ライダーと一文字ライダーの目の色がちがうのはなぜだろう。 ライダーの目C・アイには、昆虫の目と同じように、ちいさなカメラのようなものがたくさんついている。 一文字ライダーのほうが、より多くのカメラがぎっしりつまっているから、みつどがたかまって濃い赤色にみえるのさ。
108. よゆうを見せるチョウオーグ
チョウオーグこと仮面ライダー第0号は、なぜこんなにも余裕なのか?それは、ダブルライダーの性能を知り尽くしているからだ。 イチローは、本郷ライダーの開発者である父の緑川博士を手伝っていたから、ライダーたちのすべてを分かっている。自分のつよさが彼らを上回っていることも明らかだ。 だが本郷たちにはルリ子からたくされた奥の手がある!かくごしろ、イチロー!
109. チョウオーグのひみつ
ライダーたちは、プラーナとよばれるものをたたかうエネルギーにしている。 チョウォークこと、仮面ライダー第0号はとくにたくさんのプラーナを使えるから、とてもつよい。 それに、体の中のブラーナを使いきっても、アジトの大きなイスにすわれば、すぐにエネルギーをまんたんにできる。 やつをたおすのなら、まずはこのイスをこわさなければはじまらないのだ。
110. イチローの電話
「・・・・・・」 イチローは受話器を取ってからもしばらくは何も言わない。とてもようじんぶかく、たにんを信じられないので、あいてがしゃべるまではけっして言葉を出さないのだ。 自分から電話をかけるときもそういったぐあいだから、ルリ子からはやめてほしいとよく言われる。
111. ライダーのなかまたち
SHOCKERと戦っているのは仮面ライダーだけではない。 かこくな訓練をつみ、えらびぬかれたひみつのチームがそんざいするのだ。 このふたりはその中でもとくにゆうしゅうなメンバー。 本郷やルリ子が手をあげると、すぐにかけつけて手助けしてくれるぞ。
112. ライダー、あらたな力
きずひとつないマスクに、二本の線がはいったスーツ。 そう、これはライダーの新しい姿だ。 前よりもパンチやキックのいりょくがつよまっていて、そのうえ、本郷と一文字がこれまでにみにつけたなん十個ものわざもつかえるんだ。 ライダーのさらなる活躍を、ぜひたのしみにまっていてくれ!
113. 激走!シンサイクロン号!
ライダーたちの相棒、サイクロン号のことはみんなもよく知っているね。その魂を受け継ぐすばらしいマシンがついに完成したぞ! その名もシンサイクロン号。 最高スピードは時速720キロ。 200メートルのきょりをわずか1秒でかけ抜ける 超バイクだ! 来週からはこのシンサイクロン号が、ライダーと共にだい活躍するぞ!
114. ダブルライダーの絆
「本郷、感じるか? この風を」 新たなマシン、シンサイクロン号と共に走り出した一文字は、風の中に本郷ライダーの気配を感じとった。 だがそれは、まぼろしなどではない。ダブルライターの魂はひとつとなり、これからもいっしょに戦い続けるのだ。 走れ、仮面ライダー第2+1号! 真の平和をとりもどすその日まで!
115. SHOCKERのおきて
① 命令にしたがっていれば、しあわせ。②ライダーがいなければ、しあわせ。③ しっぱいから学べば、しあわせ。④SHOCKERだけの平和が、しあわせ。⑤SHOCKERだけの友情が、しあわせ。⑥怠け者・臆病者はオーグメンテーションで、しあわせ。⑦じかんを守れば、しあわせ。⑧病人・けが人もSHOCKERなら、しあわせ。⑨人類みなSHOCKERなら、とてもしあわせ。
116. ありがとう!仮面ライダー!
今、ひとつの大きな戦いが終わった。 だが、SHOCKERどもをねだやしにするまで、仮面ライダーは戦いつづける。 たとえ肉体が滅び去る日がこようとも、ダブルライダーの魂は永遠に不滅だ。 君も本郷や一文字のように、自然と平和を愛するやさしい心をいつまでも忘れないでほしい。 仮面ライダーはいつも、君たちをみまもっているぞ!
117. チョウオーグ
演:森山未來
「蝶は復活、不死の象徴。そして青い蝶は神の使いでもある」 絶望から新たな計画を目指すチョウオーグは絶対的な力を持つ。 あらゆるデータを蓄積したルリ子でさえも、彼のパリハライズには失敗する。しかし、ルリ子はそこでチョウオーグの最新データを手にしていた。
118. K.Kオーグ
演: 本郷奏多
裏切り者を許さないという信念に基づいて、本郷、ルリ子はもちろん、洗脳から解けた一文字に対しても強い敵意を持ち、粛清しようとする。 しかし、仮面ライダー第2号となった一文字にマスクを破壊されてしまい、その下の顔があらわになってしまった。
119. サソリオーグ
演:長澤まさみ
サソリと人間の合成型オーグメント。 殺し合いをも快感・幸せとしており、戦闘中、どんな状況でも笑顔を絶やさない。 毒性を持った針を手足に仕込み、相手を死に至らしめる。 サソリオーグの猛毒性化学兵器にはプラーナシステムでも対応できない。
120. 背広の男
演:上杉柊平
ハチオーグの部下であり、一番の側近。 紳士的な立ち振る舞いであるが、ハチオーグ同様に刀使いであり、ともに闘うことを許されている武闘派でもある。 いざとなった時は自らのプラーナをハチオーグに捧げる覚悟をもつ。
121. SHOCKER創設者
演:松尾スズキ
SHOCKERを創設した日本の大富豪。 世界の統一、人類をその先の世界へと導くため、世界最高の人工知能・アイを生み出す計画を立案、資金を調達した。 その後、人類を幸福へ導くことを指示し、自ら命を絶つ。その結果、アイにより「最も深い絶望を抱えた人間を救済する行動モデル」が人類の目指すべき幸せと設定され、今のSHOCKERの礎となっている。
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gupaooooon · 1 year
Text
NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきていることもあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
 1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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krkwngm · 8 months
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ファースト・カウ
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 映画初めに行ってきた。もし今年が丑年だったらお正月映画に位置付けた謎のPRがなされたのかなとぼんやり思った。それはそれで愉快な気もする。
 長編7作目にして日本初配給のケリー・ライカート作品、ということで気になってたけど実際沁みる映画だった。去年の最後が『PERFECT DAYS』だったので、光の美しい映画を年末年始に立て続けに観てしまった。こりゃいい年にならざるをえない。  以下良かったところのメモなのでネタバレがある。
 歩いてる足元を映すシーンが多かった気がする。劇中の音楽はきれいだったけど多用はされておらず、枯れ枝を踏みしめる足音やオールを漕ぐ水音、クッキーが菓子を焼いてるときの火の爆ぜる音なんかはほとんど飾られていなかったと思う。だからいっそう足元のカットが印象に残ったのもあるだろうけど、歩きかたってやっぱり感情出るよな(観てるこっちが読み取ってしまうだけかもしれないけど)と感じ入った。監督はそういう小さな変化を撮るのが好きなのかもしれない。農業をやりたかったキング・ルーと旅人のためのホテルかパン屋をやりたかったクッキーが少しずつ友情を深めていく、そのかすかな変化を大事に拾い上げていくような物語が、小さな音や光の移り変わりや自然の表情をこまやかにとらえる映像で作られているのは説得力があった。現代の川をずみゃーーー……と進んでくる長いタンカーの黒とオレンジの船体と当時の川をのんびり渡ってく小舟の対比がなんかよかった。  見ててくれって頼まれた赤子を置いていくのを躊躇ったり乳搾りのあいだ牛に話しかけたり、くつろいでくれと言われたのにルーの家の掃除始めたり枝を採ってきて飾ったりしちゃうクッキーが全体的にいいやつすぎて……ボストンのパン屋で働いてたことがあるって仲買商に打ち明けてたけどあれキング・ルーは知ってたんかな。頭打って体調悪いのに「baker(パン屋)とbeggar(物乞い)が似てるのはどちらもb-read(パン)が必要だから」てジョークかますところもよかった。父が死んで母が死んで家を出てあちこち彷徨ってきた経歴のわりに物の見方が荒んでないのは、両親の記憶とかパン屋の経験とか、放浪のなかにも良い出会いがあったからかもと想像した。  クッキーがそういう人間である一方で、「中国じゃ白人より嫌われる」北生まれのキング・ルーはたぶん自分の生まれた場所を思い返すと苦い記憶が入り混じるんだと思う。本当は農業をやりたかった、は自分の土地がほしかったって意味でもあるだろうから。「カードを一枚しか場に捨てない古いルールに則るペテン師ことジョン・ハート(ハートは心臓でなく牡鹿(dear)のほう)」の意味合いがうまく呑み込めずにいるんだけど、酒場でクッキーを見つけたときにカードをやってるテーブルじゃなく自分の家の卓で酒を飲まないかって誘ったあたり、ルーはクッキーに助けてもらったことが本当に嬉しかったんだろうな。自分を追ってたロシア人が戻ってきて家をめちゃめちゃに壊して去ったあとのルーが、残骸のなかからクッキーがお菓子作りに使ってた枝を拾い上げて石の上にそっと置き直したところに愛を感じた。  あと観に行ったフォロワーさんも言ってたけど、映画の冒頭で並んで横たわった状態で見つかる二人ぶんの骨がさあ……。ドーナツの列に割り込まれたり働けって怒られたりして結局買えてなかった男性が逃げる二人を尾行してたけど、最終的には彼がキング・ルーを撃ったんだろうか。というか観終わったあとにチラシを見たら牛を牽いてたのも同じ男性だったので(全然気付いてなかった)よくもおれの牛をってことだったのかもしれん(この人の牛ではない)。あと仲買商がすごい見覚えのある俳優さんでびっくりした。トビー・ジョーンズじゃん!  キング・ルー、ビーバーの脂は高く売れるとかサンフランシスコのホテルはどうとかクッキーの前でずっとぽつぽつ喋ってたけど、あれクッキーに聞かせるというより自分に言い聞かせてたんだと終盤で気付いた。頭を打ったクッキーがしんどそうに木の陰に横たわったとき「眠っていろ おれが見張ってる」て隣に座って膝抱えてたのに「すこし眠ろう」て隣に横たわって「おれがついてる」て目を閉じるじゃん。その言葉のとおりに最期までクッキーのそばについていたんだなと分かる冒頭の骨ですよ。ハートはペテン師でもキング・ルーは何も欺かなかった。ほんとに「鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情」だったんだな……てしみじみしたし、���のラストに至った二人の歩みに納得しかないくらい、最初から最後までささやかでも得がたい交友の重なりを見せられたところが良さだと思った。良い映画が観られてうれしい。今年もいい年にしよう。
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kurano · 1 year
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※ 岸田首相襲撃事件で“赤いシャツの男性”に注目が!SP顔負けの機敏さで筒投げ男を羽交い締め
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/321629
*「漁港のおっちゃん」称賛の嵐 首相に爆発物、容疑者をヘッドロック
https://mainichi.jp/articles/20230415/k00/00m/040/213000c
*岸田首相を襲撃した犯人が取り押さえられる瞬間の動画&爆発する瞬間の動画まとめ
https://gigazine.net/news/20230415-kishida/
*ワークマンの防寒ベスト、岸田総理襲撃犯を取り押さえた漁師のおっちゃん着用モデルに注目集まる
https://kabumatome.doorblog.jp/archives/66007292.html
 昔からヤクザの世界では、「漁師とだけは喧嘩すんな」、と戒められてきたそうだけど、最強ですね!
 まず、防弾鞄を持った警視庁SPの動きは完璧だった。爆弾を蹴り出し、総理をどついて身を守ろうとしたあの反射神経は称賛に値する。賞与と昇進があってしかるべき。
 ただし、全般としての警備は全く誉められない。
 安倍さんの時には、もう辞めた後だいぶ時間も経て、どの程度の警備を付けてよいのか? という問題もあったし、いろいろ不運な状況もあった。逆に犯人側にとって幸運な条件が重なりすぎた。
 しかし今回は、現職の総理大臣。安倍さんの事件の直後で、あそこまで有権者との距離を狭めることが正しかったのか?
 犯人が民間人に取り押さえられたこともさることながら、私が一番問題だと感じたのは、爆発物の処理を巡って。そこに投げ込まれた爆発物と鞄、中身は爆弾なのか劇薬物なのか解らないにしても危険物なのは明らか。
 ならば、間髪置かずにその場にいた群集を避難させる必要があるのに、動画から聞こえてくるのは、女性の悲鳴のみ。その中で爆発音が響く。警官の誰かが「逃げろ!」と怒鳴っている声は一切聞こえないし、その場から群集が散っているようにも見えない。
 群集の避難誘導の形跡が見えないという点で、この警備は大問題だと思います。爆発物が投擲されることを警戒している様子が全く見えない。その場にいた警備の警官たちが、単に傍観者になっているようにも見える。
 あと感じたのは、この手の爆発物に備えて、盾のようなものを持った警官もそばに待機させるべき。それで威圧できるし、いざとなれば、その上に被せて被害も減らせる。
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映画「バービー」を観た。以下ネタバレあり。
フェミニズム、男社会、多様性、そして「自分とはなにか?」という哲学的な所もあったりして、でもエンターテインメントとしても楽しめて、バランスがとても良かった。ケンがだめなんだけど、よかったなあ。ライアン・ゴズリングすごい。 少し前に見たEverything Everywhere All At Onceはこのバランスが非常に悪く、取ってつけた感がひどかったので、やはりちゃんと映画をやってきてるグレタ・ガーウィグはすごいなと思った。
と、結構楽しめたのだけど、どうしても最後が気になった。
これだけ劇中で色んな話をしてきたのに、結局主人公バービーの願いは子育てなの? それが「量産型」としての夢? あるいは観客に対して「あなたは量産型になっちゃだめだよ」という教訓? 結構いい調子で楽しめてたのに、最後で足払いをくらったような気持ちになってしまった。なぜいまさら子供…?
そこで思い出したのが冒頭。この映画、冒頭でかなり気合の入った「2001年宇宙の旅」のパロディをやっている。額面通り受け取れば、人形といえば赤ん坊しかなかった時代、バービーの登場は2001年で猿が道具を手にして人間に進化したくらいの衝撃的なことだった、ということなんだけど、2001年といえば有名な「子供」が出てくる。
スターチャイルドだ。
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2001年では人類が「次の段階への進化」を遂げるためにHALと戦って、勝ったボーマン船長は進化した生命「スターチャイルド」になる。
バービーは男女の社会的な問題をメインで提示しつつ、実は男女問わず、人種、国籍、宗教、信条、差別、戦争、環境問題…などなどその他諸々に囚われている人類全体が「次の段階への進化」を遂げなければならない、ということを言いたかったのではないだろうか。
そして、そのきっかけになるのは冒頭でモノリスのごとく出てきた巨大な人形、つまりバービーであると。劇中の主人公バービーは最初は人形で最後は人間になるので、ボーマン船長役とHAL役を一人で演じてたということかもしれない。
冒頭の凝ったパロディとラストの子供の話から考えると、いつかバービーの子供が生まれて、人間も人形も滅んで、新しい「バービーチャイルド」たちが宇宙をハッピーな感じで生きていくのかも。
蛇足だけど、ナレーションのヘレン・ミレンは2001年の続編「2010」に出ていたので、それも関係あったりするかなと思ったり。
というようなことをSF好きとしては思いついたりした。考え過ぎだと思うけど、なんにせよ人類は「次の段階への進化」をしなきゃならない気がする。
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nsmn2s · 1 year
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とあるUAC基地での出来事1
注意 : 落書きレベルの書きなぐりです。
怒りで握られた拳が力任せにデスクを叩く。デスク上の「サミュエル・ハイデン博士」と書かれたネームプレートが衝撃で飛び跳ね、床へ落ちた。
「机の弁償代を給料から天引きするからな」
「そんな事はどうでもいい!」
怒りを向けられている当の本人は呆れたようにため息を吐く。この光景はもう恒例となっていた。
アポもなく上司である彼のオフィスに無礼も承知でズカズカと入れるのは彼女だけだ。
「何度も言ったはずだ、我々の理念を忘れたのかね。入社時の契約にも書かれていただろう。君たちは同意してここに居るのだろう」
「それが私の部下の命を使い捨てにして良いという理由になるとでも言うのか!」
白いアーマーに身を包んだ女性は臆することなく自分より背の高いサイボーグの上司に食ってかかる。
「これで何回目だ、ジェームズにライナスにアヴドゥル……みんな私より若い。昨日お前達研究者とやらが殺したルカは子供が生まれたばかりだったんだぞ!」
彼女が今まで殉職した部下の名前を忘れた事は無い。
「遺族には相応の見舞金が支払われるから問題は無い。それに何度も言うが先進的な研究にはアクシデントは付き物だ。何年も務めている君も知っているだろう、Y/N警備隊長」
二人の間にデスクが無ければ今にでも殴りかかってきそうな彼女に彼は淡々と話す。
「未来のために犠牲はつきものだ」
「何が未来だ。未来ある若者を遊び半分で殺して何が研究だ。私が遺族に死亡通知を書くときどんな気持ちか分かっているのか!?」
彼は淡々と事実を述べていたつもりだが、それは彼女の怒りに油を注ぐばかりだった。
Y/NはUAC火星基地でハイデン直属の警備部隊を束ねる役職で、部下に殉職者が出る度毎回こうして衝突するのが今や施設内で恒例となっていた。
彼女は熱血で義理堅い性格の人物であるため部下からとても信頼されてはいるが、上司のハイデンとはとにかく馬が合わないことで職員の間で有名である。
だがお互い嫌悪し合っている訳では無い。ハイデンは彼女の能力と自分の意見をハッキリと言う物怖じしない態度を評価しており、彼女もまた兵役帰りで就職場所もなく彷徨っていたところを拾い上げてくれた彼に大きな恩義を感じていた。
彼の弟子であるオリビアが彼女をエリートガード部隊に欲しがったことがあった。勿論そのときハイデンは断固として拒否し、Y/Nはハイデンへの恩を選んだ。本人たちは表こそ出さないがそれくらい信頼し合っていた。
---
「これで全員か」
「はい。遺体が見つからない者も含めてです」
ハイデンは静かに就任したての警備隊長からの報告を聞いていた。
エネルギーの研究も佳境に入り、研究費も嵩むにつれて人件費や人手不足が拍車をかける。取り扱うものの重要性や規模が大きいほど研究中の死傷者が増えていた。
いつものように電子脳に送られたデータを見直すと、いつもは気に停めない数字に彼は一瞬だけ目を止めてしまった。
「博士、1つ質問しても?」
「良いだろう」
視線を彼へ向ける。
「なぜ対面でも報告を? データでも報告するので二度手間で非効率では?」
「確かにそうだったな」
ハイデンは毎回デスクを拳で殴るあのやかましい女性を思い出す。そういえば彼女は機械を仲介して会話することを嫌う昔気質なところがあった。機械で変換された数値には1番大事な情報が欠落していると言い、対面での会話を好み、医療班よりも先に部下の不調を見抜いたことがあった。ハイデンの腰のジョイントの不具合も見抜いた事もある。
「次回からデータのみの報告で構わない」
そう言って新任を退出させた後、静かなオフィスに残された彼は何となしに自身のデスクの表面を金属の指で撫でる。彼女が叩いて出来た傷は残ってなかった。
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オリビアは処分手前の引き受け先のない遺体を引き取った。
実験中の事故で死亡した遺体は科学的な汚染や情報漏洩の危険が認められなければ遺族の元へと送られる。だがその遺体は損傷が激しく誰の遺体なのかさえも分からなかったため、廃棄処分寸前だった。
これが誰なのか、彼女と彼女に囁きかける悪魔は知っている。
「ついに私の所に来てくれたのね、Y/N」
来るべき時のために、彼女は赤黒い地獄の血肉で満たされた水槽に浮かぶY/Nだった肉片に静かに微笑んだ。
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ari0921 · 29 days
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)8月25日(日曜日)
  通巻第8380号  <前日発行>
 ゾンビ中国、泥沼から這い上がろうと責任を他人に押しつける手口
   習近平「ふたつのすり替え」=『反日』と『トウ小平』
*************************
 中国経済は泥沼陥落である。住宅はさっぱり売れず、半額セールの「保障制住宅」(公営住宅)を建設する等と唱えている。しかし土地の価格が下がると銀行の不良債権が急拡大する。
 ようするに大手術を回避して小手先の措置を続けると、状況はさらに悪化する。不動産関連の不良債権が、信用機構を脅かすことになる。
 ところが習近平の周りに経済ブレーンが不在で、バブル破産は不動産業界と金融機関の「不始末」によって引き起されたという誤った認識しか持っていない。
本格的な対策を考える思考力もない。西側経済学をマスターした開明派のブレーン達は居なくなって、毛沢東理論とマルクス経済学しか知らない人たちが、経済政策の舵取りをしているのである。
 中央政府は、地方政府と大手国有銀行を含む国有企業の「隠れ債務」を隠蔽してきたため、泥沼が底なしになった。不良債権とは有利子負債のこと、この天文学的債務は膨らみ続ける。たとえば全土にがむしゃらに造成した新幹線だが、累積赤字は100兆円を軽く越えた。
 
8月22日はトウ小平生誕120年の記念日だった。
習近平国家主席は、突如、何かに衝かれたかのように、あれほど嫌ったトウ小平を「顕著な貢献をした、中国の特色ある社会主義の推進を促した偉大な指導者」と言い出した。
「トウ小平の業績は歴史に永遠に刻まれ、常に後世にインスピレーションを与えるだろう。トウ小平は党中央集団指導部の第二世代の中核であり、中国の社会主義改革、開放、現代化の主要な設計者であり、中国の特色ある社会主義の先駆者だった。世界の平和と発展に多大な貢献をした偉大な国際主義者でもあった」と付け加えた。
 泉下のトウ小平も聞いてびっくりだっただろう。
習のトウ小平礼賛はさらにオクターブがあがり「中国がマルクス主義を状況に適応させるという新たな突破口を開き、社会主義現代化で新境地を開き、国の完全な統一への正しい道を切り開くよう促した。その歴史的業績は包括的かつ画期的で、中国と世界の両方に深く永続的な影響を与えた。彼の偉大な歴史的業績を永遠に記憶し、彼の崇高な革命的行為を永遠に尊敬する」
そのうえ「中国の完全な統一を実現することは、毛沢東、トウ小平、その他の古い世代の革命家たちの長年の願望である」と台湾統一にも言及した。
 庶民は「改革開放」の環境の下、すこしばかりの自由化があったトウ小平、江沢民、胡錦濤の時代を懐かしんでいる。かなり自由は雰囲気が、あの時代の中国にあった。事態がまずくなると江沢民は「反日」を政治武器として活用した。中国全土、108ヶ所に反日を主眼の歴史記念館を建てた。
 ▼「愛国無罪」とは便利は方法だ
「愛国無罪」とならば、狼藉もしたい放題となる。暇な若者は今日は暴れてもお咎め無しとなれば、数万がネットの呼びかけで集まる。日本大使館に卵の嵐、壁は黄色くなった。日本食レストランから、走行中の日本車まで襲撃された。反日はガス抜き、自分たちの不手際を日本に転化するのだ。
 アステラス製薬の北京駐在員の不当拘束、靖国神社鳥居への落書きは二回。そしてNHKのラジオ国際放送で中国籍の男性が「沖縄県の尖閣諸島を「中国の領土」と発言し、さらに英語で「南京大虐殺を忘れるな」などと原稿にない反日発言を繰り返した。
この一連の反日はどこかで通底している。
 習近平も、現在のゾンビ経済という泥沼から這い上がり、責任を他人に押しつける手口としてトウ小平を持ち上げ、つぎに反日を利用する。習近平「ふたつのすり替え」は『反日』と『トウ小平』である。
 日本政府は正々堂々と反論し、中国の理不尽な遣り方を世界に告示、歴史の真実を述べるべきである。
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manganjiiji · 8 months
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内省ましまし
ずと楽しみにしていたイベント(す〜ぱ〜コミックシティ)に行くことができなかったが、さもありなん。という感じだった。ここのところ全然、起きて出かけたり、用意をしたり、生活をしたりすることができない。でも冬だし、仕方がないし、できないときはできないものだと思って、自堕落に暮らしている。シティには行って即帰るくらいの気持ちでいたので、まあ行かなくても、というか、私が行かないことで誰も損しないんだから全然行かなくてもよかった、と思えて、よかったな〜となった(日本語崩壊)。もし私が行かなければならない場に私が行けないとなると、落ち込みが激しいが、そうではないので、別に落ち込む必要はないか、と思えた。2ヶ月前くらいから楽しみにしていたが、疲労から立ち直れなかった。物理的に無理なことは無理。私の体には明確な限界があるのだった。
午後の、友人との映画、劇団ドラマティカの「カラ降るワンダフル!」には無事行けた。友人とも久々の再会となりとても嬉しかった。これはあんスタのキャラクター達のなかの演劇部のメンバーを中心として、キャラクターが演劇をするという舞台。カーテンコールでは、役を演じたキャラクター達が出てきて、最後のカーテンコールで、キャラクターを演じた俳優たちがやっとコメントをするというマトリョシカのような構造で、カーテンコールが面白かった。劇中ではコメディだったので恐ろしいほどの数のアドリブ(ミニコント的なもの)が成されており、そのアドリブはキャラクターがやっているていでやらなければおかしいと思うのだが、どう考えても俳優の「地」が出ていて、そこはやはり賛否両論あったらしい。私は劇団ドラマティカおよびあんスタ関係の2.5次元には全く触れたことがなかったし、最近はもう2.5にそこまでの思い入れがないので、役者たちが楽しそうだなあと思って普通に楽しめた。そして2.5でもなんでも、板の上の世界ってやはりいいなあと思った。映画館で見たので、カメラがここを見ろと映してくれ、視点で迷うことなく物語に没入できたのも楽だった。とにかく衣装とウィッグがかなりレベルが高く、金のあるコンテンツってこういうところがめちゃくちゃいいんだよな、と思った。全員顔が良かったし、ウィッグがとにかく良かった。
そんな舞台を見たあと、最近全然動けてなくてまずいという話を友人と最後にし、別れた。帰路、ドラマティカを見て元気を貰ったのもあって、これからは少し頑張れそうだと思った。もしも病気がなく、私の精神が健全で、人間としてもう少しまとも(つまり年相応)だったなら、私も36歳ならばなんらかの管理職か何かに就くか、家庭でなんらかの役割をこなすかしていたかもしれない。子供がいればそろそろ小学生だったり、そういう年齢だ。しかしそうはならなかった。そのような未来および過去は存在せず、どうすることもできない現実の現在だけがある。どうすることもできない。もしもりっぱな36歳だったら、働くことも逃げることもできず虐待の呪縛から解放されないまま苦しんでいる友人の面倒を見るというか、居候くらいさせることができたかもしれない。しかし、そうはならなかった。そもそも、私が病気になっていないのであれば、私は健全な家庭でそれなりに真面目に育ったはずで、そうなると、被虐待者の友人たちと出会わなかった可能性が高い。また、私が彼女達の状況や感情を理解できなかった可能性が高い。それを思うと、私は加害され、病気になり、36でも未だにアルバイトしかできないこの体と、実年齢マイナス10歳くらいの精神しか持ちえないこの状態で、全然良かったと思う。苦しんでいる人の痛みを理解できないままに、ただ自分の幸福だけを追う、ただの勝ち組になるよりは、私は、弱者としてでもいいから、弱者とよばれる人たちの支援のために駆けずり回る人生でよかった。うつ状態や希死念慮がどんなものか、親(養育者)に迫害されるとはどういうことか、トラウマを乗り越えるに��どのような困難があるか、そういったことを十分に想像できるこれらの経験があり、本当によかったと思う。もし恵まれた側に生まれていたら、私の頭の悪さでは、頭の悪い方向にひたすら突っ走って、いわゆる弱者を切り捨てることになんの躊躇ももたない人間になっていたと思う。こんなに(当社比)こころやさしい人間になれたのは、やはり辛酸を舐めたからだと思う。そういう意味では親に感謝したほうがいい。最悪な子育てをどうもありがとう。あなた達がクソみたいな人間だったおかげで、私は人間性を獲得しました。これは本当に、もし良い親に育てられていたら私の人間性はここまで担保されなかったと思うので、よかった。まともな親でも子供がやばい場合は多々あるし、まともじゃない親に育てられたからといって、まともな子供になれるという訳でもない。世の中にはさまざまなパターンがある。私はたまたま親にも生まれにも恵まれて、そこそこまともな思考を持つことができた。自分ではまともだと思っているけれど(全くまともではない自覚を持っていることも含めて)、いやお前は邪悪だよ、と言われてしまったらそれはごめん、という感じだけど、私としては真剣に何が正しいのかということを常に考えているつもりです。私はずっと正しさなんてないと思っていたが、長く生きていくうちに、どうやらほんとうに「正しい」ことはあって、それを実践するのが人生のようだ、ということに気づいた。正しさとは相対的なものではなく、絶対的なものだ。これに関して、ひとつ今でも覚えている例は「産まれたばかりの赤ん坊を、窓から放り投げるのは正しいか」という問いだ。これは正しくない。これは明確に正しくない。どんな状況だったとしても正しくない。もし、この赤ん坊が育ったとしても、結局は口減らしのために殺されるとか、何か壮絶な困難が待ち受けているとしても、成長した赤ん坊が「あの時殺してくれていれば」と思うとしても、やはり、産まれたばかりの赤ん坊を窓から放り投げるのは正しくない。理由はさまざまにあるのだが(考えればわかることなので省略する)、とにかく正しくなくて、我々は、産まれたばかりの赤ん坊を窓から放り投げる人がいる社会を、どうにか生み出さないようにしないといけない。正しさがあるから社会は変わっていく、時代は進んでいく。人間が生きることは正しくて、死ぬことも正しいが、その死が正しくなければ、それは悲しい。おおむねそういう考え方で、人間は社会というものを運営している気がする。
生きることや生まれることは無条件に正しいのか。という当然の問いが生まれる。その問いに関しては、私は正しいと思う。思わざるを得ない。今私は生きているし、生きている期間以外の記憶が無いから比較できず、判断のしようがないため、ともかく生きていることを正しいと考えることが、現時点で不可避である。産まれないことや、死ぬことは今のところ未知なので、正しいのか正しくないのかそちらはわからない。ただ、私は生きているので、私以外の誰かが産まれないことや死んでしまうことにたいして悲しさを感じる。だから、私にとっては今のところ、生きることは正しい。全ての正しさの根本は結局のところ生きることになっている、というか、生きて、悲しくない暮らしをすること、ということになっている。「生きて悲しくない暮らしをすること」だけが、今のところこの世界の人々の多数派の「幸せ」の考え方で、私も多数派に属するのでそう思う。もちろんこの多数派に属さない人もいて、とくにうつ状態というわけでもなく、死ぬほうが自分にとって自然だからという理由で自死する人もいる。そういう人にとっては、産まれたばかりの赤ん坊を窓から放り投げる行為はもしかしたら正しいかもしれない。が、やはり、死ぬことを決めるのは自分であるほうがよいのではないか、と私は思う。そうすると、正しさというのは、自分のことを自分で決められることになるのだろうか。自分が生きるか死ぬか、悲しく暮らすか、悲しくなく暮らすかは、自分で決める。決めて実行する。それが正しさなのかもしれない。正しさ。やはり相対的なものなのだろうか。でも、この時代、この場所での「正しさ」というものはかなりの精度まで絞れると思う。絞ったとしても、例外がある限り相対的ではあるが、人ひとりが生きていくための関わりの中(たとえば、私にとっては、80年間くらいの、地球上の関わり)で共有される正しさというのは、注釈付きで絶対的と言ってもいいのではないかと思われる。
まあともかく正しさがあって、あると仮定して、みんな生きているから、こんなに毎日議論は紛糾しているんだなあということが、いつだか忘れたが唐突にわかった。無抵抗の市民を空爆して殺すことは正しくない。このことを「正しい」と考える人達がいるから実際に攻撃は止まっていないわけだが、私は地球上の全員が「正しくない」と考えることを願う。そして、正しくないことをやめる権利を全員がもつことを願う。人を殺すのは基本的に正しくない。ただ、お互いが殺し合うことを合意していて、フェアな状況であれば、人を殺すのもやむなし、という事もある(戦争)。それでも正しくはないと思うが。人は、たとえ何か不快なこと、人、ものがあっても、その不快を自分の世界に容認して、共存していく力がある。殺さなくても、生きていけるならば、殺さないほうがいい。ここでもまた無根拠な、生きていることが正しいという感覚が出てくる。なぜか。人は死に対して恐怖を抱くことが多いから。死にたくない、と思うことが多いから。死にたくない、と思う相手を殺すことは、相手の意志を無視しているから。となると、死にたい、死ぬことはとくに自分にとって不利益ではないと感じている人(うつ状態や希死念慮、精神疾患によりそう思っている人を除く)を殺すのは、正しいということになる。すくなくとも、正しくないとは言えない。こうやって考えていくと、正しいこと、正しくないことの線引きが明らかになっていく。産まれたばかりの赤ん坊は、生きたいと思っているか生きたくないと思っているか、それがわからないため、窓から放り投げて殺すのは、正しくない。その赤ん坊が明確に「生きたくない。死にたい。」と考えていると分かるならば、窓から放り投げるのは正しいかもしれないが、今のところその意志を確認しようがないため、正しくないとされている。やはり、本人の「意志」が重要なのだ。人が自分の意思で何かをしたいと思った時に、基本的にはそれが成されるのが正しい。ただし、そこで他人の意志を阻害しないのが条件。なぜなら他人もまたその人の意志を達成しようとしていて、それは正しいから。ということで、意志と意志が共存できない時、コンフリクトが起こる。その時に、どちらの意志のほうが正しいのか。「生きたい」と仮に思っている赤ん坊のほうが正しいのか、何らかの理由で赤ん坊を窓から放り投げたいと思っている人の方が正しいのか、私達は考えなければならない。このとき、また繰り返しで申し訳ないが、やはり「生きること」のほうが優先される。ひとりが生きてひとりが死ぬことよりも、2人ともが生きることの方が優先される。それが基本的には正しいとされる。可能性。1人しか生きないより、2人が生きたほうが、可能性が大きくなるから。何の?繁殖の。という、結局動物としての答えも出るには出てしまうが、それでも私は「意志説」を押したい。殺したいという意志よりも、生きたいという意志のほうが尊重される。殺すことは何度もできるが、生きることは一度しかできない(と私たちは感じている)。結局、この世界では人間はこの生きている間のことしかわからないから、生きることをとりあえず正しいこととして暮らしている。産まれる前や、死後のことも含む世界では、正しさのあり方もまた違うだろう。
2024.1.28
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reportsofawartime · 8 months
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>ミス日本 審査時の質疑「外務大臣になったらどの国へ行き誰に会いたい?」 美のコンテストの審査にて、なぜこのような通常ではありえない”政治的質問”をするのか。そこに審査側の政治的プロパガンダ工作の意図がにじみ出ている。 西側社会では、エンタメも含め全てが「ポリコレ(政治的な正しさ)」のプロパガンダ工作の場にされる。 米国はそれが顕著で、米国産アニメや映画はLGBTのようなリベラルな価値観を推進する意図をもって作られ、評価する専門家たちも純粋な作品としての面白さで評価しなくなった。 アカデミー賞は2025年から「主演または助演の女優・俳優が、黒人やラテン系などのマイノリティを採用すること」「ストーリーのテーマについて、女性やLGBTQ、障害者、少数民族などを採用すること」が選考基準となった。 米ディズニーは子会社であるピクサーの圧力に負けて「ポリコレ」へと傾倒、それを望まない大衆に総スカンをくらった。 コロナの影響があったにせよ近年映画の主要作品は軒並み赤字、「ポリコレは間違いでした。我々はポリコレに力を入れ過ぎていた。」とCEOが発言するほどだった。 日本の漫画やアニメもポリコレの圧力に晒され続けている。 しかし、競争力の激しい日本ではポリコレにかまけている暇はなく、その工作はいまのところ上手くはいっていない。 今回の「ミス日本」もこれらの例に漏れず、政治的なプロパガンダに利用しようとしている意図が見え隠れする。 審査時、政治的な質問をする審査員たち。明らかにポリコレの土俵上のやり取りといえる。 そして先行されたのが今政治で話題の「ウクライナ」がルーツの方。誰が見ても明らかである。 リベラルは、マイノリティー弱者を盾にして、歴史、伝統、価値観を破壊していく。その構図は、戦争において攻撃されないように弱者である民間人を周囲に配置する「人間の盾」とやり方は全く同じだ。 今回のリベラルのポリコレ工作の犠牲となったのが、審査基準にある「日本らしさ」という価値観。 外見的な「日本らしさ」は壊され、好き勝手に乗っ取られている。 リベラルが狙っているのは「評価基準」。彼らは常に自分達の政治的な意図を評価基準に入れ込もうと工作している。 本来あるべき正しい評価基準は、まず大枠として社会貢献があり、その中で仕事なら仕事、学問なら学問で純粋に評価すべきであって、そこにリベラルの政治的意図と合致しているかどうかの評価基準は入れるべきではない。 関係ない評価基準で物事を計ろうとするなら、社会は声を上げなければいけない。 「弱者を盾」に恐れて自分達の意見を言わなくなれば、ますます好き勝手にされる。米国のように社会は歪ませられ、壊れてしまう。 ディズニーのように「ミス日本」が批判に晒されて総スカンをくらうか、「日本らしさ」という価値観が曲解され、壊され、乗っ取られるかの争いといえる。 今回選考された方は、少なくとも外見的には全く日本らしくない。 https://news.yahoo.co.jp/articles/db7144b9e6cba5dfa7491c1afad1b612977fe5d8
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kennak · 17 days
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1987年5月3日午後8時15分ごろ、朝日新聞阪神支局に、全身黒ずくめの男が散弾銃を構えて押し入った。  男は小尻知博記者(享年29)と犬飼兵衛(ひょうえ)記者(当時42)に対し、散弾銃を発射。小尻記者が殺害され、犬飼記者は重傷を負った。  ここから露見した一連の事件は、犯行声明に「赤報隊一同」と記されていたことから「赤報隊事件」と呼ばれ、世間を震撼させた。しかも、事件は未解決のまま、2002年に時効を迎えている。 「赤報隊事件には、統一教会の関連団体『国際勝共連合(以下、勝共連合)』を含め、信者が関係している可能性があると思っています。末端の信者の暴発がなかった、とは言い切れません」  そう証言するのは、大江益夫氏だ。現在75歳の大江氏は、1992年に統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の広報担当になり、翌年から1999年までの7年間、広報部長の要職を務めてきた人物だ。  その間に、桜田淳子氏の合同結婚式参加などがあり、大江氏は教団の “激動期” を目撃してきた。60年近く旧統一教会員として過ごし、教団の深部を知り尽くしている。  そんな大江氏を朝日新聞元記者で「襲撃事件取材班キャップ」だったジャーナリストの樋田毅氏は熱心に取材してきた。そこで、旧統一教会による事件への関与の可能性をめぐるさまざまな情報を得たという。2018年に『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)も出版している樋田氏が、こう話す。 「事件前に、勝共連合の名前で『アカサタンを殺すことだけが生きがい』と書かれた脅迫状が、朝日新聞社に届いていました。信者たちにとって、“サタン” は排除すべき存在。 “サタン” が文鮮明教祖(当時)の身に危害を加えるかもしれないと考えれば、朝日は抹殺すべき存在になっていたかもしれません」  2023年2月の衆議院予算委員会で、日本共産党の宮本岳志議員も「朝日ジャーナル」編集長だった筑紫哲也氏のコラムを引用する形で、この脅迫状の存在を取り上げ、当時の谷公一国家公安委員長に対して、赤報隊事件の再捜査を求めていた。事件後も兵庫県警が統一教会、勝共連合を捜査していた。  そして、大江氏もこう話す。 「統一教会には、かつてのオウム真理教のような敵対者を『ポア(殺害)する』という発想はありません。しかし、共産勢力と戦う勝共連合の “武闘派” となると、話は別です。侵略者に対しては武器を持って戦うという軍人精神的な発想があったと思います」  樋田氏はこれらの取材をまとめ、『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』(光文社新書)を8月20日に上梓する。  そこであらためて、本誌は大江氏を取材した――。  事件当時、すでに教団の幹部として、日韓トンネルの建設を推進する関連団体「国際ハイウェイ建設事業団(当時)」の事務局長だった大江氏は、「赤報隊事件」の犯人像について、こう話す。 「単独犯ではなく、グループだったと思います。ヒットマン以外に逃走を助ける人物、声明文を書く人物、依頼者などがいたはず。犯行を指揮した人物は、教団関係者だった可能性が高いかもしれません。  いずれにしても、犯行に関���った人物は、全員が共同正犯。罪はみな同じだと私は思っています」(以下、断わりのない発言は大江氏のもの)  朝日新聞阪神支局に押し入ったのは、全身黒ずくめのヒットマン1人だった。大江氏は “実行犯” についてふたつの可能性を感じているという。 「赤報隊事件は用意周到に準備され、犯人が見せた腰だめの撃ち方、銃身を短く切った散弾銃の使用など、プロの犯行とみられていました。  ひとつは “ヤクザ組織” が絡んでいる可能性です。当時の教団側の関係者に “闇社会” との関わりがまったくなかったとは言い切れません。また、あの残虐な事件は、そういった人間でないとできないと、思うところもあるからです。  しかし、勝共連合のなかにも “武闘派” は存在していました。これが、もうひとつの可能性です。もともとは、旧ソ連が日本に攻めてきた場合、先頭に立つのは自衛隊ですが、その後方支援という位置づけで生まれました。勝共連合が民間防衛を担うという発想でした。  この組織に属する信者たちは、実際に軍事訓練をおこなっていたのです。私自身も、何度も陸上自衛隊に体験入隊しました。ふだんから、山中で散弾銃の訓練もやっていました。こうした信者が400人ほどおり、元自衛官や元警察官もいたのです。そうした “武闘派” の信者が実行犯だったのではないかという推測も可能だと思います」  じつは今回、大江氏が『懺悔録』を世に出すという情報が、旧統一教会内に事前に広がった。教団は出版を踏みとどまらせようと、大江氏に対して執拗に圧力をかけてきた。 「京都の山里にある私の自宅に、教団の人間が突然来るのです。これまでに十数人来ました。彼らが何を危惧しているのかといえば、やはり『赤報隊』に関する記述でした。  安倍(晋三)元首相の銃撃事件があり、2023年には宗教法人法に基づき、政府が教団に対する解散命令を裁判所に請求する事態になっています。ここにきて『赤報隊事件と統一教会が関係がある』と言われたら、教団は潰れてしまうということでしょう。  でも、私は『断定的な言い方はしていない』と言って追い返しました。自宅に押しかけてきたなかには、かつての私の部下たちもいました」  そんななか、なぜ大江氏はあえて赤報隊について語る決意をしたのか。『懺悔録』でも記したように、こういう思いがあるという。 「信者の可能性がある犯人がこの世、あるいはあの世で、のうのうと生きていることが許せないのです。犯人が口をつぐんでいるのであれば、私が犯人の代わりに、小尻さんとご遺族に謝罪しなければならない。そう考えたのです。絶対に謝罪が必要です。そうでなければ、私はあの世で亡くなった小尻さんの霊と会うことができない」  だが、大江氏は赤報隊事件について語るためだけに、樋田氏の取材に応じたわけではなかった。長年、旧統一教会内部で抱いていた教団運営への違和感があったのだ。  そして、それをすべて樋田氏に打ち明けようと思ったきっかけがある。 「樋田さんと “川口君” の五十回忌の法要でばったり会ったんです。そこで、私は『これは腹を割って話さないといけないな』と思いました」  大江氏が口にする “川口君” とは、1972年、革マル派のリンチを受けて殺害された早稲田大学生・川口大三郎さん(享年20)だ。当時、早大で旧統一教会系の学生団体「原理研究会」に所属していた大江氏は、革マル派と対峙していた。  そのため、大江氏は川口さんの死を悼み、2021年秋におこなわれた五十回忌まで供養を続けてきた。  そして、五十回忌法要には、川口さんの事件に関するノンフィクション『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)を出版した樋田氏も出席していた。  その後の交流を通じて、「最後の懺悔」を受け止めてくれるのは樋田氏しかいないと思うようになったという。  大江氏は「かつての統一教会は、こんな教団ではありませんでした。私たちは、なぜ韓国の教団本部に巨額の送金をするようになり、霊感商法といわれるような悪質な行為をおこなうようになったのか」と、次のように話す。 「私は1966年、17歳のときに統一教会に入信しました。教団には『開拓伝道』という布教活動があります。学生時代には、自分で廃品回収をしてお金を作り、屋根裏部屋のような部屋を借りる。そこを足場にし、廃品回収をしながら伝道活動をおこないました。非常に清貧な暮らしでした。自分が行く教会の教会長さんを中心にして、統一教会は家庭的な教団でした」  その教団の性質が大きく変わったのは、今から49年前の1975年のことだったという。 「それまでは伝道活動が中心でしたが、1975年から経済活動が始まります。統一教会は韓国でできた教団です。伊藤博文が初代韓国統監に就任した1905年から、日本による韓国の植民地支配が始まったと統一教会はとらえています。  それが終わる1945年までの40年間について “贖罪” しなければならない。統一教会には『40年の蕩減(とうげん)復帰』という教えがあります。なので、日本の信者は韓国の本部に40年にわたって送金を続けるとして、経済活動に励むことになった。そのスタートが、1975年だったんです。  そうすると、経済活動が強化されるなかで、霊感商法が始まりました。『先祖の霊や祟りを取り除くには、霊力のある高額な壺などが必要だ』という考え方は、キリスト教にはありません。『先祖の怨(おん)を解くための献金』についても同様です。しかも、韓国への送金は40年間を過ぎた現在も続いていて、日本の信者を苦しめています。  これは『40年の蕩減復帰』の教えから外れていて、約束違反ではないか。やりすぎなんですよ。全財産を捧げるような献金をさせてはいけません。教団も受け取るべきじゃないんです」  韓国の教団本部への高額の送金が、日本の教団の性格を歪め、さまざまな問題を引き起こしてきた。 「今、教団には解散命令が出されようとしています。それを回避するには過去に遡って、高額献金を反省し、被害者に補償する必要があります。自分の家族が路頭に迷うような献金を求めるのは、公序良俗に反しています。日本の教団は、多額の送金を求め続けてきた韓国の本部から独立する必要があります。それが、解散命令を免れる唯一の道です。  なぜ、こんな単純なことがわからないのでしょうか。私は、これまでもこうした問題提起を教団内でしてきましたが、“危険分子” とみなされ、意見は通らなかった。でも、教団は間違っていたのだから、反省しなければいけないのです。力不足かもしれませんが、私自身も霊感商法を後押しする側にいた問題を含めて、懺悔したいと思います」  現在、旧統一教会への解散命令請求が東京地裁で審理されているが、大江氏は末端の “純粋な信者” たちに向けて、こう提言する。 「統一教会は全国に300の教会があります。しかし、解散命令が実施されると教会施設のほとんどはなくなり、礼拝をする場所がなくなる。これは信者にとっては大変なことです。私は、家庭が教会になればいいと思っているのです。  建物がなくても、毎日礼拝する場を家庭に作ろうということです。このままだと、絶望する信者が増えていくだけです。私は、2024年6月で教団を退会しました。それでも、家に礼拝の場があります。私は退会後も、礼拝を欠かしていません」  本誌に対する大江氏の告白は2時間に及んだ。彼が長く過ごしてきた教団が、この言葉を聞いて、悔い改めることはあるのか。
「赤報隊事件」旧統一教会・元広報部長が明かす “散弾銃訓練”と “武闘派”…教団からは「懺悔本」出版への圧力も(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
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0nce1nabluemoon · 2 years
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泉に戻ることを望む者は、流れに抗して泳がなくてはならない
[東ドイツ ある家族の物語] P.265
しかし日本は、国を失ったことはないでしょう
[また、桜の国で]P.115
今、僕の国では、未だかつてないほどに、武士道や大和魂という言葉が使われているよ。でもね、覚えておくと良い。濫用される時は必ず、言葉は正しい使い方をされていない。
[また、桜の国で]P.482
誤解せんで欲しいが、資本主義が勝利するわけではないぞ。敵を見失った資本主義は、これまた果てしなくモラルを失っていく。どんな形で崩壊するのか、それとも再生できるのか。
[プラハの春 下]P.366
犠牲者を追悼する際、たとえ何百万単位で数えられたとしても、彼らは個人であり、集団ではないと覚えておかねばならない。どのような形であれ、殺された人々を集団として記憶しようとするのは死者を否定し、還元し、再び消滅させてしまう行為である。まさに犠牲者を殺害した人たちの思うつぼなのだ。さもなくば記念碑は忘却と否定の文化に取り込まれてしまう。私たちが忘れてしまうのは単純に忘れた方が楽だからであるが、不安や恐怖の時代にそれをしてしまっては無責任である。忘却は無知に自由な支配を許すことになる。つまるところ、心に留めておきたい歴史が何であるのか、あるいは過去を意図的に消そうとする理由は一体何か内省してみれば、私たち自身が何者であるのかが見えてこよう。
[ポスト・ヨーロッパ 共産主義後をどう生き抜くか]PP.214-215
あたしはずっと歴史を教えてきたけど、歴史上の出来事のどれひとつをとってもわたしたちが最後まで知っていることってありません。経験したどれをとっても。真実のすべてを......
[戦争は女の顔をしていない]P.46
僅か十日のあいだに、日本の国民はこれだけの大きな自由を奪い去られたのだ。
[風にそよぐ葦(上)]P.199
そしてこの動乱の時代には、すべての愛情が悲劇の原因になるのだ。裏切られなかった愛情がどこにあるだろう。悲劇をもたらさなかった愛情がどこにあるだろう。人間と人間のつながりが、兵役法だの徴用令だの動員規定だの、その他無数の法令によってばらばらに切りはなされ、愛情の幸福はその根底を失ってしまった。
[風にそよぐ葦(下)]PP.76-77
榕子は日の丸の旗が嫌いであった。それは残忍きわまる国家権力の象徴であった。ここ数年来、国家とは国民の不幸の象徴ではなかったかろうか。良人を奪い子を奪い富を奪い食を奪い、あらゆる生活の根底を破壊し去ったものはこの日の丸の旗であった。
[風にそよぐ葦(下)]P.93
道徳も義理も人情も、そういう美しいものはすべて生きるための邪魔ものであった。
[風にそよぐ葦(下)]P.198
国家が国民に要求する犠牲がその極限に達し、その極限を過ぎて、血をすすり肉を啖い尽してから、戦争指導者と重臣たちとはようやく降伏を決意した、それまでは決断がつかなかったのだ。
[風にそよぐ葦(下)]P.271
古今の歴史は、為政者たちの暴政や侵略者たちの暴虐による人間の悲劇を、幾つとなく記録しているが、どれほど凶暴な力に打ちたおされても、それが人間の本質的な姿を変えることはできなかった。ヒトラーやムッソリーニや東条が、あのなさけ容赦ない強制と圧迫とを加えてみても、ついに蹂躙することのできなかった(人間の最後の自由)というものがあるのだ。ソヴィエトの圧制者たちがあれほどの秘密警察と懲罰主義とをもって、幾度か血の粛清を行なって見ても、どうしても奪い去ることのできなかったスラヴ人の自由というものがあるのだ。全体主義者たちが最後につきあたるものは、この、人間が人間であるという真実であるに違いない。自分の思考をもち、自分の欲望をもち、自分の理想をいだき自分の幸福を求める、人間としてのその本質的な希望は、国際関係が緊迫してきた現代の社会ではほとんど許されなくなってしまった。しかし、最後に残るただ一つの自由は、拒否するという意志に於いて表現されるのではあるまいか。
[風にそよぐ葦(下)]PP.464-465
しかし、どんな時代が来ても、人間の心の奥底にある、孤独感というか、一人きりでは生きて行けない、誰かを愛し、誰��を信じないでは居られない、そういう本質的な弱さ、・・・弱さと言ってもいいだろうね。・・・そういうものの美しさを信じることはできるんだよ。
[風にそよぐ葦(下)]P.536
私は罰を受けている・・・でもどうして?もしかして、人を殺したから?時々そんなふうに思います。年をとると、昔より時間がたくさんあって・・・あれこれ考えてしまう。自分の十字架を背負って行くんです。毎朝、ひざまずいて、窓の外を眺める。みんなのことをお願いするの。すべてを。夫を恨んではいないわ。許しました。彼のために祈ります。責めません。私が女の子を産んだ時、彼はしげしげと眺めて、すこし一緒にいたんだけど、非難の言葉を残して出て行ったんです。「まともな女なら戦争なんか行かないさ。銃撃を覚えるだって?だからまともな赤ん坊を産めないんだ」私は彼のために祈るの。もしかして彼の言うとおりかもしれない。そう思うことにする......これは私の罪なんだって......私はこの世で何よりも祖国を愛していた。私は愛していたんです。誰にこんなことをいま話せます?自分の娘......あの子にだけ......私が戦争の思い出話をすると、あの子はおとぎ話を聞いているんだと思ってるんです。子供用のおとぎ話を。子供のおそろしいおとぎ話を。
[戦争は女の顔をしていない]P.369
スターリンは結局民衆を信じなかった。祖国は私たちにそういうお礼をしてくれたの。私たちが注いだ愛情と流した血に対して。
[戦争は女の顔をしていない]PP.430-431
だって、人間の命って、天の恵みなんだよ。偉大な恵さ。人間がどうにかできるようなものじゃないんだから......。
[戦争は女の顔をしていない]PP.480-481
「本当の親か、本当の子かなんてことはね、誰にもわかりゃしないんだよ」良太郎は仕事に戻りながら、いかにもやわらかに云った、「お互いにこれが自分のとうちゃんだ、これはおれの子だって、しんから底から思えばそれが本当の親子なのさ、もしもこんどまたそんなことを云う者がいたら、おまえたちのほうからきき返してごらんーーおまえはどうなんだって」
[季節のない街]P.276
「おてんとさまばっかり追いかけるなよ」
何のことなのか理解出来ず、私は父を見た。七十年生きてきて、ようやく判ったのだと父はつづけた。自分は、日の当たっているところを見て、いつも慌ててそこへ移った。けれども、辿り着くと、そこに日は当たっていず、暗い影になっている。また焦って走る。行き着いて、やれやれと思ったら、たちまち影に包まれる。振り返ったら、さっきまで自分のいた場所に日が当たっている。しまったとあと戻りしても同じことだ。
[血の騒ぎを聴け]P.23
私は深夜、寝つけなくて、無数の映像と無数の音楽について考えた。どのような映像の彼方にも見えないものがあり、いかなる音楽からも聴こえないものがある。それを立ちあがらせるのが言語ではないか。文学は、終わるどころか、これから真の力を発揮する時代に入る。そう確信して、夜明け近くまで起きていた。文学が負けるのではない。虚無や時代への迎合というらくな階段を昇り降りし、訳知り顔に民衆をなめる作家や編集者が負けるのだ。
[血の騒ぎを聴け]P.47
文学が、結局は、死と恋に集約されざるを得ないのは、その哀しみと、そこから得るものが、数学の試験のように、一プラス一イコールニとはならないからであり、いかなる言葉を尽くしても、自分の心を表現することができないからであり、「別れ」が、なぜか個々人の人間のグラスを、ほんの少し大きくしてくれるからである。
[血の騒ぎを聴け]PP.287-288
われわれが実際に建設しているのは、投機を行うための都市であって、人々が住むための都市ではない。
[反資本主義]P.107
人が受け取ることのできる他人のあり方などほんの断片であり、一個人の持つ複雑な内面の全てを推し量ることなど決してできない。
[歌われなかった海賊へ]PP.362-363
王や神は書く必要がない。その存在は自己自身のうちで絶対的に充実しており、他者との関係を必要としない。王は書くことなく語る主体であって、自分の声をただ書きとらせるだけなのだ。
[デリダ]P.73
「一者」への結集は、「他の他者たち」に対してのみならず、「自己における他者たち」に対しても「暴力」となる。
[デリダ]P.293
そういう生まれつきの能を持ってる人間でも、自分ひとりだけじゃあなんにもできやしない、能のある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が、眼に見えない力をかしているんだよ。
 [さぶ]P.291
この世から背徳や罪悪を無くすことはできないかもしれない。しかし、それらの大部分が貧困と無智からきているとすれば、少なくとも貧困と無智を克服するような努力がはらわれなければならない筈だ。(略)「世の中は絶えず動いている、農、工、商、学問、すべてが休みなく、前へ前へと進んでいる、それについてゆけない者のことなど構ってはいられない、ーだが、ついてゆけない者はいるのだし、かれらも人間なのだ、いま富栄えている者よりも、貧困な無智のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれは却って人間のもっともらしさを感じ、未来に希望が持てるように思えるのだ」
  「赤ひげ診療所」 P.178
見た眼に効果のあらわれることより、徒労とみられることを重ねてゆくところに、人間の希望が実るのではないか。
「赤ひげ診療所」P.298
「……そういう人たちと別れ、戦地から戻って日銀に復職したら、なんだか妙にシャクにさわってむかむかしてきたんだな。わが身が大事のエリートが威張りくさって、トラックでわたしが一緒に働いたような、学歴のない人たちが、ここでもやっぱり下っ端として馬鹿にされて理不尽な目にあっている。こりゃなんだ、戦争は終わったのに、何も変わっていないじゃないか、と」「わたしはトラック島で部下だった工員たちに救われていた部分がずいぶんあった。そんなかれらが価値のないものとして否定されて、軍人より先に死んでいかなきゃいけないのが戦争だった。同じことが、まさにわが職場で行われているとわたしの目には映った。こりゃあ黙って見過ごしちゃいかん、と思ったんだな。大げさに聞こえるかもしれないが、それはわたしなりの、死者への責任でもあったんだ」
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]PP.60-61
彼らにとっての祈りとは、死者を自分の裡に住まわせてこの世を生きる、その生き方そのものではないかと思った。→デリダの幽霊
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]P.121
われわれの歴史だって、いつか、誰かによって演じられたものなのかもしれない。そしてわれわれは、その時と同じような敗北に向かって、同じような手で、コマを進めているのかもしれない。このベラミとそっくりのきちんとしておとなしい男が、かつては、象牙海岸で黒人狩りをおこない、ハイチやルイジアナへ船で運び、その途中、船倉でくたばるものはくたばるにまかせていたこともあり得る。そのベラミには、当時なんの悪気もなかったのである。いつの時代でも、ベラミには悪気はなかった。だから、始末にこまるのである。
「山椒魚戦争」 PP.242-243
市民であることとは、市民をケアすることでもあり、民主主義そのものをケアすることである。
「ケアリング・デモクラシー」 P.ⅻ
「巡礼だ、巡礼だ」暗い土堤を家のほうへ歩きながら、私は昂奮をしずめるために、声にだして呟いた、「苦しみつつはたらけ」それはそのころ私の絶望や失意を救ってくれた唯一の本、ストリンドベリイの「青巻」に書かれている章句の一であった、「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」
  「青べか物語」 -留さんと女 P.317
私は若くて阿保だったから女の絶望や不幸が情事と悦楽にひりひりした辛味をそえてくれる気配だけをむさぼっていた。甘さは苦みと手を携えて進んでいかなければ完成されないが、そうと知るにはおびただしい自身を殺さねばなるまい。当時の私は自身を殺さないでおいて、貪慾だけに没頭していたのだ。
「夏の闇」 P.58
私は自身すら愛していないのかもしれない。女のいうとおりだ。自己愛をとおして女を愛することもできないのだ。私は自身におびえ、ひしがれていて、何かを構築するよりは捨てることで自身に憑かれている。
 「夏の闇」 P.207
東は暗くて広く、西は明るくて広かった。けれど、止まったり、かけぬけたり、おりていく背も見ず、乗ってくる顔も見ず、暗いのが明るくなり、明るいのが暗くなるのを、固い板にもたれて凝視していると、東も、西も、けじめがつかなくなった。あちらも、こちらも、わからなくなった。走っているのか、止まっているのかも、わからなくなった。明日の朝、十時だ。
 「夏の闇」 P.
一〇〇メートルか一五〇メートルくらいのものである。たったそれだけ離れるともう人は夜店の空気銃におとされる人形と同じに見えてくる。渇望がびくぴくうごいた。面白半分で私は人を殺し、そのあと銃をおいて、何のやましさもおぼえずに昼寝ができそうだった。たった一〇〇メートル離れただけでビールの缶でもあけるように私は引金がひけそうだ。それは人殺しではない。それはぜったい罪ではなく、罰ももうけない。とつぜん確信があっあ。かなたの人物もまた私に向かっておなじ心をうごかしているにちがいない。この道具は虚弱だ。殺人罪すら犯せぬ。
  「輝ける闇」 P.50
使命は時間がたつと解釈が変わってしまう。だけど匂いは変わりませんよ。汗の匂いは汗の匂いだし、パパイヤの匂いはパパイヤの匂いだ。あれはあまり匂いませんけどね。匂いは消えないし、変わらない。そういう匂いがある。消えないような匂いを書きたいんです。使命も匂いをたてますからね。
 「輝ける闇」 PP.108-109
南でも北でも人びとは政治された。或る哲学者の悲痛な饒舌に私は従いたい。人びとは資格も知識も徳もない輩によって、きびしく監視され、検査され、スパイされ、指揮され、法律をつくられ、規制され、枠にはめられ、教育され、説教され、吟味され、評価され、判定され、難詰され、断罪された。
  「輝ける闇」 PP.140〜141
青年はやせこけて、首が細く、とまどったようにうなだれて口をとがらしていた。シャツがよごれたズボンのうえにはみだし、はだしの足が土によごれていた。誰かが叫んだ。一〇人の憲兵の一〇挺のカービン銃が、一人の子供を射った。子供は膝を崩した。胸、腹、腿、にいくつもの小さな、黒い穴があいた。それぞれの穴からゆっくりと鮮血が流れだし、細い糸のような川となって腿を浸し、舗石へしたたった。少年はうなだれたまま声なく首を右に、左に、ゆっくりとふった。将校が近づいて回転式拳銃をぬき、こめかみに一発射ちこんだ。血が右のこめかみからほとばしった。少年は崩れおち、柱から縄で吊され、うごかなくなった。頬と首が真紅の血に浸り、血は長い糸をひいて鼻から頭から錘のように舗石へ堕ちていった。記者やカメラ・マンたちが靴音をたてて走り、棺のまわりに群れて閃光をとばしあった。
  「輝ける闇」 P.181
わしらはキリスト教国の人間なのに汝の敵を愛せよという言葉を忘れてしもうた。それもはずかしいのじゃ。国の連中も毎日の生活にいそがしゅうてな。税金が上がったり、物価が上がったり、徴兵カードが来たときだけ本気になる。自分に関係ないことは誰も、何も、気にしよらんのだ、いまはそういう時代じゃ。恥を知らん時代じゃ
  「輝ける闇」 P.216
飛行場には飛行機が一台もなくて滑走路に芋畑をつくり、その芋からアルコールをとって飛行機をとばすのだと将校たちは中学生に真摯、激烈な演説をした。私は仲間といっしょに腹をかかえて笑いころげたが、その愚劣と一日も早く玉砕したいという憧れとは矛盾しなかった。むしろ愚劣を知れば知るだけそれは昂進していくようですらあった。
  「輝ける闇」 P.231
けれどわかったのは殺されたくなければ殺せということだけだった。 → 戦争の論理(フーコー)
  「輝ける闇」 P.281
人と人のあいだの最も人間らしい関係は静けさなのだということも知った。
 「わたしは英国王に給仕した」 P.190
この意味で、他者に対する暴力とは自分自身に対する暴力であって、このことが明らかになるのは、暴力とは私たちの社会的世界である、あるいはそうであるべき生者の相互依存を攻撃するものだ、と私たちが認識するときなのである。
 「非暴力の力」(ジュディス・バトラー)P.33
他方で、哀悼可能性の基準は、移民の諸人口はそもそも哀悼可能ではない、という仕方でこれらの決定へと組み込まれている。私たちは、哀悼され得ない人々を失うことはできない。彼らは喪失を超えたもの、既に失われたもの、決して生きたことのないもの、決して生きる資格を与えられたことのないものとして扱われているのだ。
 「非暴力の力」 P.128
世界は分断されている。「知らない」とか、「関係ない」とか、「敵だから」とか、いろんな認識での壁で分断されている。この関係の断絶は、ぼくらの倫理性を麻痺させる。人を殺すことだって、人が殺されているのを無視することだって、できてしまう。だからこそ、他者に向き合い、その姿にみすがらを映しながら、いろんな「つながり」を回復する必要がある。
 「うしろめたさの人類学」 P.20
ぼくらの手で変えられる社会のありさまに目を向ける。世の中を動かす「権力」や「構造」、「制度」といったものは、とても強大で強力だけれども、まずはそのすべてをその「せい」にすることをやめてみる。(中略)社会の現実は、ぼくらが日々、いろんな人と関わり合うなかでつくりだしている。あなたが、いまどのように目の前の人と向き合い、なにを投げかけ、受けとめるのか。そこに「わたし」をつくりだし、「あなた」という存在をつくりだす社会という「運動」の鍵がある。
  「うしろめたさの人類学」 PP.77,83-84
社会の格差を是正したり、公平さを回復したりすることは国の仕事だとされる。個人や企業は市場で稼ぎ、国はそこから税金を集めて再分配を行う。世の中はこうしてできあがっている。だから自分には直接関係ない、と。この「あたりまえ」の市場と国家の境界の線の引き方が、公平さをつくりだす「わたし」の役割をみえなくしている。
「うしろめたさの人類学」 P.178
ファシズムをうけ入れたものはすべての人の心の襞にひそむ感情である。中心的な持続的な人格が崩壊して瞬間だけがあり、本能の親和力を蔑んで、不浸透性への野望だけに窒息する衝動である。自己を他者から切り離し、省察と内面凝視に赴いて帰らず、その不毛を知ってついに自分を他者から見られるままの存在としてしか機能を意識できなくなる。(中略)この人間の原子化の時代にある私たちの不断の日常の感覚である。(中略)この時期の世界ほど、人間が過去に対するときほど、現在と未来に対して賢くなり得ない原則をさらけだしたものはほかにない。日本についてはいうまでもないことだ。
  「過去と未来の国々」 PP.228-229
心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にないことから生じて、そのことを僕達に知らせてくれるものだ。そして、僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来どういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕えることが出来る。
  「君たちはどう生きるか」 P.252
満員列車がやがて平野の夏のかなたからやってきた。車内の人ひどはみんな日本の無条件降伏を知っているようであったが、怒号する人もなく、嗚咽にむせぶ人もなかった。疎外荷物や、魚の罐や、イモの風呂敷包みや、バケツ、七輪、ふとん、リックサックなどのなかで人びとはおしひしがれ、体を折ったり、曲げたりして、ときどき吐息をついたりしながら窓から射しこむはげしい日光に煮られておとなしく苦しんでいるだけであった。        
ただ人びとは汗ばんで苦しんでいた。ただ"夏"だけがあった。                 
ナンナン、ナンナン               南京さん                   南京さんの言葉は                南京言葉                     
かけっぱなしにしてあったラジオがとつぜんうたいはじめた。明るく、朗らかで、清潔な、少女たちの合唱であった。                 
ふと母が怪訝そうに顔をあげた。         「ええのんかいな、こんな歌うとて」 彼女は困惑したようにつぶやいた。        「戦争に負けたのに支那人のことかろこうて、こんな歌うとて、ええのんかいな。南京さんやなんて…」
ラジオは明るく、朗らかに、清潔に中国を侮辱しつづけた。
 「青い月曜日」 PP.174-177
ーわしにとっては、心のある道を歩くことだけだ。どんな道にせよ、心のある道をな。そういう道をわしは旅する。その道のりのすべてを歩みつくすことだけが、ただひとつの価値のある証しなのだよ。その道を息もつかずに、目を見ひらいてわしは旅する。(中略)知者は行動を考えることによって生きるのでもなく、行動をおえた時考えるのだろうことを考えることによって生きるものでもなく、行動そのものによって生きるのだ
 「気流の鳴る音」 P.34
日本社会にはどうやら大きな変化があったらしかった。怜悧で、確実で、逸脱を知らない、時計のように平安で冷酷なものが主役として登場したのだ。まだ焼跡はいたるところにあった。しかしいたるところに家やビルが建ちはじめていた。商人たちは戸外で叫ばなくなった。闇市は市場となった。物や食品はいくらでもあふれ、人びとははそれを並べることよりは飾ることに心を砕いていた。新聞や雑誌に登場する知識人たちの声はたちあがるまえにすわることを考える姿勢を匂わせた。
「青い月曜日」 P.412
〈外の世界〉から来たものや帰ってきたものが、その内面の世界を共有することなしにたんに外面からながめられるとき、それはこの世界の秩序へのたんなるスキャンダルとして、すなわち欠如や違和として存在する。いいかえれば痴者、あるいは狂者として対他存在する。
  「気流の鳴る音」 P.77
今日の世界状況のなかでは知識人に残された選択の道は、三通りあるように思われます。それは共犯か臆病か拷問です。               もしかしたら、第四の道が残っているかもしれません。自分の精神的規範を裏切らないこと。いかなる状況の下でも、いかなる抑圧にも自分のなかにある絶対的な明確な視野をもった精神を否定しないこと。このなかに、唯一、精神のかけがえのない自由と高貴さがあります。
「カレル・チャペックの警告」 PP.67-68
私たちに代わって行動し決定する全権をその一枚の投票権で与えるというのは、そう些細なことではありません。もし人物によって決定しようとするのだったら、単に言葉によってではなく、誰が何をしたかによってもその人物を考えてもらいたい。政治を耳だけで判断しないこと。
 「カレル・チャペックの警告」 PP.101-102
行動の「意味」がその行動の結果へと外化してたてられるとき、それは行動そのものを意味深いものとするための媒介として把握され、意味がふたたび行動に内化するのでないかぎり、行動それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。生きることの「意味」がその何らかの「成果」へと外化してたてられるとき、この生活の「目標」は生そのものを豊饒化するための媒介として把握され、意味がふたたび生きることに内在化するのでないかぎり、生それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。
 「気流の鳴る音」 P.151
いっさいの価値が空しくなったとき、かえって鮮烈によみがえってくる価値というものがある。
「気流の鳴る音」P.210
恐ろしいのは、このような集団的残虐行為を見てもほとんど苦痛も軽蔑も感じなくなる、それどころか、そのうち今日の全世界の状況をみても恐怖も反感も感じなくなくなるのではないかということである。(中略)犯罪は犯罪であり、常に犯罪として宣告され、また未来においても宣告されるだろうことが、執拗に繰り返されなければならない。(中略)無関心な沈黙は悪しき行為である。それは悪逆非道な行為にたいする共犯である。だから、私たちは人類社会の大きな連帯から離反せずに、せめてこの共犯だけは犯さないように、精一杯、心を引き締めていよう。
 「カレル・チャペックの警告」PP.140-141(1938)
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redringnr · 10 months
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私なんかにSAC_2045の考察なんてできるわけがない
 どうやら自分はアニメとかドラマとか映画が苦手らしい、と最近気づいた。  昔から何となく、違和感というか、集中しきれないなぁ、とは思っていた。  今までその原因を言語化できるほど明確にできていなかったのだけど、どうやら物語の進行ペースを自分で調整できないのが良くないらしい。  自分のペースを崩されるのがそんなに嫌なのか、それとも単に頭の回転が遅いが故なのか。  なんにせよ世間と自分のズレが顕れているような気がしてちょっと辛くなってしまう。
 そんなワケで、「好きなアニメ」というものがないぐらいにアニメにこだわりがなかったのだけど、ある日アマプラで「攻殻機動隊」シリーズが無料になっていたのをなんとなしに見始めたところ、不思議なことにちょっとハマってしまった。  たたでさえアニメが苦手な自分なので、複雑な世界観で知られる攻殻機動隊の物語を理解できた自信なんて無いのだけど、「草薙素子のビジュアルが好みだったから」などというファンに怒られそうな理由で旧SACシリーズ(この呼び方で良いんだろーか)を最後まで見終わってしまった。 「素子がエロかった」以外に明確な感想がない。私は世界で一番不真面目な攻殻機動隊ファン、いやにわかです。申し訳ありません、自分の脳みそは下半身にあります。電脳化するときどうしよう。
 ……いやさすがに物語自体には一切思うところなんて無かったぜ! ってことはないけれど、理解に自信がなさすぎて本当に何も言えることがない。 考察とか書いてる人見ると「わぁ、すごい」という小学生みたいな感想ばかりが頭を埋め尽くしていく。 いかに自分が成長というものができなかったのかを思い知らされる。人生やり直したい。異世界転生キメたい。なろう的世界観で赤ん坊から強くてニューゲームしたい。チートスキルも頼む。  しかし現実はなろうではない。この厳しい現世でどうにかなるしかないのだ。何の話だ?
 ……ともかく、よーわからんなりに好きになれそーなシリーズだなぁと思い旧SAC以外の最初の劇場版だイノセンスだARISEだと、この攻殻機動隊シリーズの為だけにネトフリに登録し、その複雑さに頭をショートさせながらも鑑賞し続け、つい数週間前ぐらいに最新の「SAC_2045」にたどり着いた。 アニメ苦手マンにしては快挙である。誰か褒めてくれ。褒められ慣れてねぇんだおれは。
 で、その「SAC_2045」を見終わった私はあろうことか、その感想みたいなのを書きたくなってしまった。アニメ苦手マンの分際で。  見終わった後もふと気づけば「SAC_2045」について考えさせられてしまいどうにも落ち着かない。  先日公開が始まった映画「攻殻機動隊 SAC_2045 最後の人間」も見にいこうと思っている。なんかアニメシーズン2の総集編みたいなモンだと思ってたら新カットとかもあるらしく……
 映画を見る前に軽く頭とか感情の整理をしたいな~と思ったので、このロクに更新されないブログに無責任に書き散らしてみます。    誰も読まないと思うけど一応注意書き。  他の人が書いてた考察とかを引き合いに出してそれに反するようなことも書く予定だけど、当然否定や批判の意とかがあるわけでは無いです。こちとらアニメ苦手マンやぞ。マジのアニメファンとやり合う能力なんてあるわけがない。「多分間違ってるけど自分はこう思いますはいすみません……」ぐらいのテンションです。予防線を張らないと何も安心ができない。自分のアニメIQの無さはよくわかっております。アニメIQとかじゃなくてシンプルに頭が悪い可能性もある。基本このブログは自分の為だけに書かれています。そういうのをネットに放流するのが性癖なだけです。
>>>正直2期ラスト近くまで微妙な作品だと思っていた
 「SAC_2045」の1期はネット上ではなんか評判悪いっぽいが、6話までは攻殻シリーズ中でも見やすくてこれはこれで良いと思っていた。  戦闘シーン多めでエンタメ寄りというか、こういう風にわかりやすくしていくのか~と感心したくらい。まぁ古参ファンにとってはキツかったんだろうけど。  短い期間で一気に見た自分にしてみればまぁこういうのも悪くないな~と受け入れられた。  3DCGになった点にも批判が集まっている感覚だけど、これも自分の嗜好的には問題無く、楽しく見られてはいた。6話までは。
 ……1期を見終わった直後はかなりキツい気分になった。  「コレ大丈夫か?」と。  視聴前軽く見かけていた、批判されている部分。  それが個人的には大して気にならなかったので、そのまま楽しく見続けられるかと思ったのだが甘かった。
 江崎プリンが……新参ファンの自分としてもすごく……アレで……
 マジで好みじゃなかった。そりゃどんな作品にも苦手なキャラの一人くらいはいるけれども、攻殻において彼女はビジュアル的にも言動的にも目立ち過ぎていた。  「この作品にそーいうの求めてない」――言葉にしてみると傲慢過ぎるようなその感触、どうしても無視できなかった。  新参の自分すら拒否反応を起こしたのだから、古くからのファンの反発が目立つのは自然なことなのかも。
 正直2期で色んな新事実が発覚した後も全く好きになれなかった。なんなら今も好きじゃない。  「あ~また美少女がかわいそうな目に遭っちゃう系のヤツか……5億回ぐらい見たわ」というお気持ち。  あのエピソードで印象変わった人結構いるっぽいんですが自分には全く響かなかった。同情を強制されてるみたいで……  タチコマやバトーを始めとするキャラ達と完全に真逆な反応をしてました。血も涙もないのか?  ポストヒューマン化した後は元からのハイスペックがさらに過度になり、「メアリー・スー」な印象を受けてかなりキツかった。  「死んじゃったものは仕方ない」じゃないんだよ。どんだけ悪い意味でアニメキャラ的なんだよ。
 ……こんな受け取り方してる自分にドン引きする。人の心が無いのかもしれない。
 まぁネガティブなことを書きたかったワケではないのでこの辺にしときますが。  ともかく、1期を見終わった段階では「SAC_2045」に対しての期待は大きく萎えていた。  一度刻まれたイメージはなかなか変わらない。なんとか気力を振り絞り2期を見始めると少しずつ持ち直してきたけれど、ラスト近くになるまで、いやラストを迎えても微妙な気持ちが振り払えなかった。  まさか最終的に、こんな感想文を書きたくなるような作品になるとは、この時点では思いもしなかった……
>>>強烈なラストが、それ以前のストーリーに思いを馳せるきっかけに
 2期の最終話まで、1期を引きずって「エンタメ寄り攻殻」として消化しようとしていた自分にとって、あの最終話は背後から突然後頭部をブン殴られたかのような衝撃だった。  おいエンタメどこいった。考えさせられちゃう系(度を越して軽薄な表現)やんけ!?
 始めてあのラストを見た時は喪失感のような、置いてけぼりにされたかのような、本当に自分の中でどう処理していいかわからなくなってしまった。  過去の攻殻シリーズも全容を理解できなかったのは同じなんだけど、自分は深く考えないタチなので「わからんかったけどわからんなりに面白かった~しばらく経ったら見直してみるかな?」ぐらいで終わっていた。  が、今回はソレではどうにも収まりがつかなかった。  モヤモヤを解消したく、「SAC_2045 考察」でググり始め、他の方の考察を見始めたばかりの頃抱いていたのは……「怒り」、だった気がする。
 本作はジョージ・オーウェル氏の「1984年」からの引用が多く見られ、その中の一つに「ダブルシンク」というワードがある。  「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」らしい。  らしい、と言っているのは原著読まずにネットで調べただけだからである。どこまでも不真面目。……すみません、いつか時間が出来たら読みます……     で、あの問題のシーン――
 1.シマムラタカシのコードを引き抜き、全人類のN化(ダブルシンク)は解かれた。
 2.コードは引き抜かれず、そのままN化が続行される。
 どちらの結末になったかをはっきりさせないような終わり方は、視聴者をもダブルシンク状態にするのが狙いだった、という考察を各所で読み、ようやくなぜあそこまでぼやかしたのかを悟りました。  そしてすぐに、「そんなのありかよ! 卑怯じゃねぇか!」とキレてしまった。    「物語の解釈は画面の前の君が自由に考えてくれ!」みたいなスタンス、大して珍しくもないし、「無し」とは普段では思わない。  が、この「SAC_2045」はあまりにも事実と確定していない描写が多過ぎる。  例えばこの物語を「つまらない」と評価したとしても、「つまらないと思ったのは貴方が物語がつまらなくなるような解釈をしただけ! 本来はもっと面白い話! 不当な評価だ!」なんて言い訳ができてしまうような。  上手く言い表せなくて歯がゆいけど、物語のクオリティそのものを視聴者に委ねているようなやり方に、「無責任さ」――のような何かを感じてしまった。
 大体ポストヒューマンがあまりにも反則的過ぎる。  もうヤケクソ気味な言い分だけど、あんなポンポン人が観測する「現実」を歪められちゃうならこのアニメの全描写が信用ならない、夢まぼろしのようなものと解釈しちゃってもいいじゃねぇか、とも考えたことすらあった。  ギャグ系以外では禁忌ともいえる「夢オチ」というヤツ。こんなモン考察したってしゃ~ないだろ、と投げやりな気分になっていました。
 まがりなりにも好きだったシリーズがこんな終わり方をしたのがショックでした。好きだったものを嫌いになるのはいつだって辛い。  もう忘れてしまおう、としばらく他のネトフリ作品を見たりしていました。
 ……すると不思議なことに、忘れてしまおうとしていた「SAC_2045」について、日が経つにつれてどんどん考え続けてしまうようになっていました。  正直今でも「こんなやり方ありかよ」と感じる部分はあるのですが、悔しいことにあの仕掛けの面白さがジワジワと理解できるようになってしまった。  やっぱ考えちまうよずりぃよ………あのコード結局抜いたの!? 抜かなかったの!? うーわ俺自身もダブルシンクしちゃってね!? みたいな。頭悪すぎる表現で申し訳ない。
 その結果いつの間にか「2週目」に突入してました。既に見た映像作品をもう一度見るなんて本当に初かもしれない。
 ここからはその「2週目」の過程で気づいたことや考えた事を雑に書き並べてみます。
>>>シマムラタカシ以外のポストヒューマンって結局なんだったの
 ポストヒューマンの面々は、基本的に人間らしさというものをあまり表に出さない。  出さない、のだが、ポストヒューマンになる前の思想が、なった後の行動にもかなり反映されている様子がある。  その内の一人、矢口サンジは日本に現れた3人のポストヒューマンの中では唯一2期にすらたどり着けない程にあっさりと捕まってしまうのだけど、このキャラは恐らくそういう部分を強調する為のキャラだったのだろう。
 犯行理由にも思想が強く表れているし、素子と対峙した時に、彼女の「ボクシングスタイルを使う」という誘いにあっさりと乗る辺りも。  脱線だが、「急に素子がボクシングに目覚めたんだけど……」なんてネットの声も見たが、普通にやり合ったら超演算による変態的な格闘技術全開の相手では勝ち目が薄いので、敢えてボクシング縛りを選択した、と解釈してます。  ボクシング縛りに持ち込んでいたからこそ、バトーが軍隊格闘で乱入した時にあっさり型にハメられたのでは。
 ……その点ミズカネスズカはマジでなんだったんだ。  数学オリンピックの元チャンピオン、ぐらいの情報しかないし、シマムラタカシに協力していた理由もいまいち不明。  シマムラタカシが操っていただけとか?  トグサの回想にそっくりな女性がいたが何か関係があるのだろうか?
>>>シマムラタカシ、自分の理想を全肯定していなかった説
 正直シマムラタカシもプリンと並んで……って程ではないにしてもあまり好きになれないキャラだった���  ナヨナヨし過ぎで同族嫌悪が凄い。これは自業自得か。  こんなナヨナヨ中学生の手のひらの上で、9課が終わってみればほぼ完封と言って良いほどに踊らされていた、というストーリーもあってう~ん……とモヤっていて、彼に対してそんなにしっかり考察しようとは思わなかった。
 ただ、ネットの考察を通して「1984年」の知識を得ていくにつれて、妙に気になるキャラになってきた。
 「ビッグブラザー」だの「ミニラブ」だの「ダブルシンク」だの、これらの「1984年」由来のワードは物凄く乱暴に言えば敵側、悪役側の名前だったり、その悪役が掲げているキーワードだったりする。
 シマムラタカシは「1984年」で悪役として描かれた者達を、一概に悪と解釈しなかったのでは、という考察を見たが、自分はむしろ悪であることをはっきり自覚している気がする。
 根拠は1期の彼が学校にいた頃の一連のシーン。  この辺り、1期の中ではかなり理解しがたかったが、これまた考察の「妄想と現実が入り混じっている」という解釈に助けられ、ようやく腑に落ちかけている。  まぁ恐らく、空挺部隊がやってきたくだりの方が妄想なんだろうけど(軍隊が大真面目に学校に攻め入るワケないし)……  この妄想、妄想にしては都合良くないのだ。なんせ空挺部隊にシマムラタカシ自身が撃たれちゃうから……
 まるで自分が罰せられるべき人間であると考えているかのようだ。
 最終局面、素子がN化作業中のシマムラタカシの元にやってきた場面。  いくら素子がNにならないロマンチストだったとして、ポストヒューマンである彼ならいくらでも妨害できたはず。  だが、そうはならなかった。  コードを抜かれて全てが水の泡になるリスクを背負ってしまった。    これは素子がコードを抜かないことを選択することがわかっていたから、という考察があって、あり得ると思う。
 が、自分はシマムラタカシが自分の思想を全肯定しきれておらず、その迷いは掲げるキーワードを「1984年」の悪役由来のモノに設定したり、素子がNにならなかった時点で彼女を妨害することを止めた、という形で表れてしまったのではないだろうか。
 これ、自分が知る限り自分オリジナルの考察もとい感想なんでちょっと気に入っている。  まぁ無理あるとも思うけど。
>>>で、結局コード抜いたの? 抜かなかったの?
 結論から言うと、「抜いた」と自分は考えている。  これこそ雑な言い分ですが、コードの描写後の一見それまでと辻褄の合わないような流れがN化した後、誰かが見ている仮想現実の描写だった、として。  いくらでも都合良くできる「現実」の光景にしては、ボーマが車椅子のままだったりプリンが泣き出してしまったりと、都合良くなりきれていないと感じる。    Nキメちゃったんなら、誰の視点だったとしてももうちょい理想的で構わんやん? というクソ雑な理屈です。
 まぁ自分の願望も含まれているとは思う。  自分はダブルシンクという考え方に現実逃避的なニュアンスを感じてしまっているから。  そりゃ自分だって大した人生歩んでないので理想の仮想現実に心惹かれなくは無いが……やはり何の苦労もなく理想を手に入れる、という行為には妙にモヤモヤしてしまう。  ちょっと脱線だけど、個人的にはシマムラタカシの計画の肝は「自覚のないうちに」行われる、という部分だと思う。  嫌いな言葉が「努力」と「苦労」である自分ですらモヤるのだから。
 辻褄の合わないような描写も疑似的な記憶を植え付けられることすらある攻殻の世界観だと絶対に説明つけられないことではないと思う。これこそ乱暴な考察過ぎるが。
 あとこれは考察漁って思い出したことだけど、旧SACにて素子は「夢は現実の中で戦ってこそ意味がある」というセリフがあった。  こんな事言っちゃう素子がコード引き抜かないなんてある……?
 ただ「じゃあコード抜いた方に賭けるんかぁ~!? 賭けるか!? 金とか命とかよぉ!?」と言われるとチワワみたいになってしまうけど(ネット上に抜かなかったに5兆円賭けるとか言ってる人いてすげぇ~ってなった)。  それに、元は即コード抜いちゃうような思想だった素子がプリンを見て考えを変えた、というのもありそうに思える……
 ……なんか考えをまとめればまとめるほど、抜かなかった方が色々綺麗にまとまる気がしてきた……うぅ……
>>>ラストシーンの各キャラの反応から考えてみる
 ここでいうラストシーンは、素子がコードを掴んで暗転した直後から。    まずは素子、バトー、トグサ、プリンとその他のメンバーに分けて考えてみる。
 こんな慈悲のない分け方をするのは心が痛いけれど、まずはその他のメンバー。  「ずっと一緒に働いていたはずのプリンが新人として加入してくる」、という妙ちくりんな展開にも違和感を抱いた印象は感じられない。  ここだけ切り取れば、まぁ普通にコードは抜かれてないからこういう構図が成り立っちゃってるんだろうな~という解釈が一番無理がない。
 次はプリン。9課メンバーに改めて自己紹介しようとするタイミングで涙ぐんでしまう。  明らかにそれまでの記憶……9課メンバーと一度敵対してしまった事実を認識している。  「ゴーストがない」のでN化できないとはいえ、素子やシマムラタカシならその記憶を消してやり直す、なんてこともできなくは無さそうだが、恐らくそうはしていない。    仮にこのシーンが、誰かの仮想現実の光景だったとするとプリンにこういう反応をさせる必要は基本的にはないはず。  コードがどうなっているにしても、現実の光景ではあるのだろう。
 ……あれっ、コレ前述した「都合良くなりきれていないからコード抜いてる!」という主張を自分で否定してしまったじゃねぇか!  いつの間にか「コード抜いてなかったとしたらあのシーンは仮想現実」という謎の先入観を持ってしまっていた……  現実であればボーマが車椅子のまんまのかわいそうな状態であることにも説明はつく。  でも現実であればなんで「それ以外のメンバー」が初対面っぽい感じなの? という疑問も出てくるけど。  まぁそれこそクソ雑に疑似記憶ブチ込んで~ってすればいい話か。    次は素子。9課メンバー全員で話しているシーンからは特に特別な感情は読み取れないが、その後のバトーと二人きりの場面でのセリフ群からは明らかにそれまでの記憶をしっかり持っていることが読み取れる。
 次はバトー。9課のムードメーカー的な部分がある彼であれば、「新人の」プリンがやってくればしっかり反応してあげる、と思うのだけど、このシーンでは浮かない……というか、何とも言えない表情。プリンにも言葉はかけない。  そこだけを切り取れば、以前の記憶――プリンが死んでしまったという事実を知っていて、複雑な思いを抱いている。  あるいは、ロマンチックな解釈だが記憶は無いが本能的に「何か」を感じ取っているとか。
 コードを抜かなかった素子がバトーにだけは事実を伝えた、という考察をしていた方もいた。  この想定なら、その後の素子への「あんまり一人でしょい込むんじゃねぇよ」というセリフの解釈も綺麗にできる。  全人類をNにすることを選んだ、という大きすぎる事実を一人で抱えるな、という。  まぁ逆でもいいけど。N化、というある種の救いを人類に手放させてしまった、という事実を以下同文。    最後はトグサ。プリンに対して普通にコミュニケーションを取っているので、一見「その他のメンバー」と同じ条件のように思えるし、バトー「だけ」は事実を知っている、と解釈している人も結構いた。  が、何とも言えない表情をしているバトーを気遣うように肩を叩く様子は、全てを知っているようにも思える。  勿論、単純に「どうした?」という気持ちを込めた行動なのかも知れないが……流石にちょっと苦しいか。それなら「旦那?」と問いかけるぐらいだと思うし。  素子が事実を伝えたのはバトーとトグサの二人だったのだ、という解釈もあるだろう。
 が、自分にはまた違う考えが思い浮かんだ。  トグサが全てを知っている、と想定するとする。  しかしバトー「だけ」と考える視聴者が出る程に、彼は最初なんともないような態度でプリンと接している。
 だったら、「その他のメンバー」も同条件、つまり事実を全て知っていた可能性があるのでは……?
 確かに、プリンは一度9課と敵対関係になってしまった。  しかし、9課のメンバーは元々プリンに対し好意的で、もしかしたら同情的だった。  故に、プリンの「9課とやり直したい」という希望を叶えようと、全てを忘れてしまったように振舞ったのかも知れない。  だがバトーはプリンと特に関係性が深く、彼女の事を思い出さないままに死なれてしまった後悔がある。
 優しい男でもある彼「だけ」はどうしても、プリンに対して忘れた演技ができる自信が持てなかった。  そしてあのような煮え切らない反応をしてしまい、トグサに気遣われた……なんて、ロマンチック過ぎるだろう��。
 実のところあの場にいた全員が、全てを忘れてはいなかった、という想定は、ある意味で綺麗にまとまる部分があるように思える。  少なくとも「疑似記憶無双じゃい! 電脳ってのはこういう時の為にあるんだよォ~~~!!」とヒャッハーするよりはカッコいい理屈にはなる。タブン。
 この想定では、コードを引き抜かない選択をする意味はあまり無いと思う。  コードを引き抜いたが、ほんの少し優しい仕掛けをした、と考えたほうが収まりはよさそうだ。    もう9課には戻れない、と自らの理想に向かって歩めないプリンに、素子がその苦悩をくみ取った上で、「夢は現実の中で戦ってこそ意味がある」という自らの哲学にのっとり、また9課に戻るというある意味での茨の道へ、その背を押した。  しかし、プリンの境遇、シマムラタカシの思想にも思うところがある素子は、「プリンが9課メンバーを直接あるいは間接的に死に追いやった」というあまりにもどうしようもない事実だけは、疑似的にだが消し去ることにした。  それで素子は、9課メンバーに疑似的な記憶を与えたり記憶を消したりこそしなかったが、プリンに関して「忘れたことに、無かったことにしろ」と命じ、彼らはそれに従った。    ……自分で書いてなんだけど、ちょっと感動的過ぎないだろうか。   恥ずかしくなる筋なんてないはずなのに恥ずかしくなってきた。    これも前述のシマムラタカシについてと同じく、自分の知る限り自分オリジナルの考察なので、すっかり気に入ってしまったのだけど、逆のコードを抜かなかった説を強力に支えている根拠はまだある。
 素子のバトーと二人で話していた時の、
「おそらく次に人類が特異点を迎える時、それはこの星を飛び出しはるかかなたへと広がっていくだろう。忘れないで。私たちがこの時代に存在していたことを」
 というセリフは、コードを抜かなかった、つまり人類がN化、ダブルシンクという特異点を迎えたので、そのさらに次はもっとスケールの大きいことになる、という解釈が自然だと思う。  でもこれも、「N化、ダブルシンクすら止めてしまったからこそ、次は本当に抵抗できないほどに大きな波なのかも知れない」とも言えるのでは。苦しいか。
 現実で戦って欲しい(自分自身にはそんな度胸が無い癖に)という願望があるからか、どうしても「コードを抜いた」という自分に都合の良い解釈をしてしまっている。  結構コード抜かなかった説の方がうまく説明つけられてる部分あるのに。
 もしやこれもダブルシンクってヤツなんだろうか……
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 ということで考察――じゃない感想文でした。  これ、映画見に行く予定の日の前日にひぃひぃ言いながら書いています。  しかも深夜。深夜テンション。  確実に誤字、勘違いだらけでしょう。辛い。 
 なんでこんな夏休みの宿題を31日にやるみたいな状態になっているかというと単純に忙しかったから……  もう劇場版公開してから2週間ぐらい経ってるんだわ。ネタバレ踏まないようにするの大変だった。  勢い任せに書きなぐったので、朝起きてみたら悶絶するかも知れない。あぁ怖い。  映画版見てまたなんか思いついたらこっそり修正したい。
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