Tumgik
#銀華出版社
shihlun · 7 months
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1961年古亭書屋 《民俗臺灣》 景印本裡的呂訴上《臺灣電影戲劇史》廣告。
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patsatshit · 11 months
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いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそうなんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレーの咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈夫」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集者の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコミを入れたくもなる。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上の読者を想定していないし、それより多くの読者に対する責任は負いかねるというような趣旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。逆に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言って消極的に引きこもっているつもりもなく、寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読者を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ積年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を飾ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。
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ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然ながら、ジャーナリ���トにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型小説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディプス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある、親族に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マーケティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)
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僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめから読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇雲に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)
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ari0921 · 5 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)5月11日(土曜日)弐
   通巻第8249号
中国の軍配備は対外戦争だけに備えているのか?
  孫子の兵法なら中国の分裂を策するのが最も効果的である
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 AI時代、生成AIとチャットGPTの開発競争とは、実質的に第三次世界大戦である。「AIを確立した国家が世界の覇者となる」というのはプーチンの預言だが、開発現場のエンジニアには技術の視野狭窄に陥って、機を見て森を見ない状況にある。
 とりわけ米国の開発企業にむけて唸るような投機資金の流入をみていると、現場にある発想は人類への貢献より、カネではないか。オープンAI、AI-X、エヌヴィディアなど、この先端分野の企業はすべてがアメリカ発である。
孫子の肯綮とは、「百戦して百勝するは、善の善なる者に非ざるなり、戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」(百戦百勝はかならずしも最善ではない。戦わずして敵を屈服させるのが最善だ)
 この基本原則を台湾統一にあてはめると。。。。
「上策」はTSMCをそのままのみ込む
「中策」が軍事小競り合いと武威の継続。心理的降伏。
「下策」は軍事衝突、しかしシナ兵は戦わない
中国はいまモラルを引締め、国内矛盾のすり替えに「祖国統一」を呼号している。
 西側はAI規制のルール作り乗り出した。日本も遅ればせ『セキュリティクリアランス』法が成立した。
ところが、まったく非協力的なのが中国とロシアである。アメリカはハイテクを中国に渡さない政策に狂奔してきたが、結果は『ザル法』だった。7ナノ半導体が中国に渡っていた。
なにしろ相手はスパイと模倣、不法盗取が得意技の国なのである。日本製部品はかれらの兵器に使われ、また新幹線も鉄鋼もリニアもみごとに盗まれた。
 AIは、いまや自動翻訳からロボット分野で革命的な進歩をもたらし、半導体、EVで中国の追い上げは凄まじい。特許の出願件数(特許成立件数ではない)では、中国がアメリカを抜いている。
 一方で、アメリカが分裂を深め、シン南北戦争に突入する危機が日増しに増大している。その兆しが不法移民、LGBT、BLM、中絶、銃規制、同性婚、そしてイスラエル支援か否か、をめぐって鮮明な対立を産んだ。
アメリカの分裂は中国とロシアに裨益する。過激な社会運動へ迂回路を通じて中国からの資金が入っていることは周知の事実だが、金融面での中国銀行への締め上げはようやく効果を見せ始めた段階である。
 ▼中国を七つに分裂させるという壮大な戦略を西側は立案すべきではないのか
 さてそうであるとすれば、西側が策すべきは中国を分裂させる戦略であろう。もとより李登輝元台湾総統は「七つに分裂する」と主張されてきた。チベット、ウイグル、南モンゴルに旧満州は別の国であり、ほかに華北(北京圏)、華中(上海圏)、華南(広東圏)に分かれる。合計ななつ。
 語呂合わせで言えばユーゴスラビアは七つに分裂した。スロベニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、セルビア、コソボ、モンテネグロ、北マケドニア。
 ソ連は15に分裂した。
 ロシア、ベラルーシ、ウクライナというスラブ枢軸とモルドバ、「バルト三国」(エストニア、ラトビア、リトアニア)、カフカスのグルジア、アルメニア、アゼルバイジャン、そして中央アジアイスラム圏五ヶ国(トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン)に。
 筆者は上記七分裂のシナリオに加えて蜀(四川省)、広西チワン自治区、雲南省も歴史的には別の国であり、香港、マカオ、それに事実上の独立国家たる台湾を加え,さらに細分化した地域に分かれると、シンガポールが「飛び地」で加わって緩やかな中華連邦となるとシミュレーションして『中国大分裂』(文藝春秋、絶版)を上梓したことがある。
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vivariku · 2 years
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1650年代、イギリスに初めてコーヒーが紹介された。
当時、コーヒーはイスラム圏と付き合いのあったヴェネツィアくらいしか飲まれておらず、口当たりもあまりよくなかったので悪魔の飲み物ではないかと当初思われていたものの、頭痛や痛風、皮膚病に効くとされて受け入れられる。
コーヒーハウスが初めてロンドンにできたのは1652年だった。
この頃はハイソな飲み物扱いで、大学生や銀行家、保険会社のビジネスマンなど、排他的な知的エリートの溜まり場で、普通の人は入れなかったけど、彼らはたちまちコーヒーの魅力にハマる。
「酒と違って酩酊しない! 頭がクリアになる!」
有益な効果を表す嗜好品として彼らはカフェイン中毒になっていった。
「コーヒーは身体にいいし、思考力が高まるらしい」
口コミでコーヒーへの憧れが広まる。飲んでみたい。そんなある日、大事件が起こる。
ロンドンを大火災が襲い、市街の9割が焼失した。ロンドン大火。
焼け落ちたロンドンが急ピッチで再建されていく。元々の店を失った人達は、いい機会だからコーヒーハウスでもやるかと考え、ロンドン中でコーヒーハウスが開店した。
コーヒーはありふれた飲み物となり、庶民もコーヒーハウスに通い出す。何せ席料込みでコーヒーいっぱい、たったの1ペニーだった。
元々知的エリート達の場であったコーヒーハウスは、庶民がやってきた事で多様な階層が一緒に過ごす混沌とした坩堝となった。
「旦那ぁ! 新聞を読んで下せぇ! 俺っちは字が読めねぇんでさ!」
「よし来た。昨今の政治状況はな……」
文字が読める者はそうでないものに日々のニュースを伝える。
身分階層の異なる者が、異なる知見をそれぞれ持ち込み、酩酊するでなく、逆にクリアな頭で話し合う。コーヒーには軽い覚醒効果と興奮作用があった。時には激しく議論になることもある。世界が広がる。知らない事が知れる。
楽しい。
コーヒーハウスはたちまち大人気となった。
政治、哲学、思想、文学、科学、宗教、ゴシップ、ニュース、��ジネス、ありとあらゆる事が話された。
紳士もいたし庶民もいた。悪党もいたし女衒も詐欺師もいた。ありとあらゆる話題がコーヒーハウスに溢れる。
やがてコーヒーハウスは『ペニー・ユニバーシティ(1ペニーの大学)』と呼ばれる。
余りに居心地がいいので入り浸る人が続出した。中には住み着いてしまう人すら出る始末。
コーヒーハウスは女人禁制の男の社交場で、爪弾きにされた女達はコーヒーハウスに憤慨し、コーヒー害悪論を展開する。
「ウチの夫がもう何日も家に帰ってこない! コーヒーのせいだ!」
王政府もコーヒーハウスの状況に真っ青になる。最も知的な人たちが最もわい雑な言葉で日々、喧々轟々の議論をやるし、その中にはかなりの程度政権に批判的な言葉が含まれていた。悪魔の飲み物は伊達ではない。
「反体制派の溜まり場ではないか! コーヒーハウスは禁止!」
1675年、国王チャールズ2世が禁令を出す。チャールズ2世は清教徒革命でイギリスを追い出され、命辛々、なんとか国王に復帰した人で、反体制派の怖さは身に染みて知っている。
しかし国王を以てしてもコーヒーには勝てない。
「国王横暴! 議論させろ! コーヒー飲ませろ!」
やむなく禁令は撤回される。次代のジェームズ2世の時にはせめて扇動的な出版物を置くなとやや緩めの禁令が出るも、これも敢えなく撤回。ゴシップと扇動はコーヒーハウスの華。撤去できる訳がない。
こうしてコーヒーハウスは身分秩序の強いイギリスで異例の平等な空間として栄えた。
コーヒーハウスは18世紀の中頃まで流行したものの、混沌とした空間を楽しんでいた利用者達は、やがてそれぞれの階級に相応しい方向に分化していく。高級層はクラブに、庶民はパブに。
コーヒーハウスは情報と話題の独占者であり続けるため、独自の新聞を作ろうとしたけど、それは嘲笑を買った。
また、紅茶ブームが始まるとコーヒーの人気も衰え、熱狂的だったコーヒーブームも18世紀終わり頃にはすっかりと収束する。
再度、カフェが開かれるけど、それは女性でも安心して訪れることのできる優雅な雰囲気のお店で、かつてのわい雑なコーヒーハウスとは似ても似つかなかった。
安価で、誰にでも開かれている一方、クローズドな側面も持ち、ありとあらゆる話題が集中し、過激な議論や罵り合いが身分の高低を問わず日々繰り返される。
コーヒーハウスは17世紀から18世紀のヨーロッパの思想醸成の場として機能し、革命派の温床にもなった。
いつでも、こうした場は魅力的ね。
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kennak · 8 months
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1月2日から14日の2週間で起こった不景気な出来事を総括する「週刊不景気ニュース」。倒産や赤字業績の発表が多い2週間となりました。 破産申請(準備含む)により倒産したのは、新潟の貿易会社「アイ・ディー・サポート」、福島の金型製造「横山鋼業」、新潟の印刷業「野崎印刷」、栃木の出版業「栃の葉書房」、青森の水産品加工「マルカネ」、広島のパン製造・販売「オギロパン」、北海道の結婚式場運営「ジュリアンヌ」となりました。 また、神奈川の食品加工「寿食品」が事後処理を弁護士に一任したほか、東京の元リゾート施設運営「奥白馬高原開発」が特別清算の開始決定を受け、海外では中国の資産運用大手「中植企業集団」が破産を申請しました。 一方、アメリカの事務機器大手「ゼロックス」が約15%の人員削減を発表したほか、地方銀行の「福島銀行」が債権取立不能のおそれを明らかにし、ソフトウェア開発の「sMedio」が子会社「sMedio America」を解散すると発表しました。 そのほか、赤字業績を発表したのは、二輪車買取・販売大手の「バイク王&カンパニー」、通信機器が祖業の「ネクスグループ」、飲食店チェーン運営の「イートアンドホールディングス」、中華レストラン運営の「東天紅」、産業機器商社の「アルテック」、住宅メーカーの「ウッドフレンズ」、光学関連製品開発の「オキサイド」、実演販売・商品卸の「コパ・コーポレーション」などとなりました。
週刊不景気ニュース1/14、倒産や赤字業績の発表が続く 不景気ニュース - 不景気.com
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takahikohayashi · 2 years
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カムイユカラ(2)/銀の滴降る降るまわり kamuy yukar (1)/Silver drops fall fall all around image20x15cm wood engravingprint   林孝彦 HAYASHI Takahiko 2008 アイヌ神謡集の著者、知里幸恵 生誕100年(2003年)を機に制作を進め、2009年に完成した林孝彦の木口木版連作全21作品のうちの一作品。
作品のテーマとなった「カムイユカラ」とは、アイヌに伝わる自然の神々の物語(神謡)のことです。木口木版は、木を輪切りに切り出した硬質な面を版材とする技法で、ビュランという彫刻刀を用いることにより、細密な線を表現することができるのが特長です。
カムイユカラにインスピレーションを受けた林がイメージを昇華し、限られた樹木の面に見せる精巧な表現は、まるで自然界と人間界とを結ぶ宇宙のような広がりを見せ、新たな物語となって私たちの前に現れます。
<作家ステートメント> 2022年は”アイヌ神謡集“の著者、知里幸恵没後100年にあたります。多様な共生社会を目指すグローバル化された現代、その在り方を考える上で彼女の書き残した世界観は深い意味を持つと思います。
元は祖母らによって口頭で語られたモチーフであり、私自身抽象的表現を旨としてきましたので、制作にあたっては個々の具体名が持つイメージを払拭し、特有の“ケサヘ”と呼ばれる繰り返すリズムなどと共に語り継いだ自然と共に生きるものすべての肉体とたましいが行き来するスパイラルのカタチを模索する日々でした。
カムイユカラ連作2作目 ランランピシカン “銀の滴降る降るまわり” はフクロウの神が自ら歌う代表的なフレーズ。
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tutai-k · 1 year
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伸びやかに砂浜を歩く
しばらくブログをサボっていた。書こうかな…と思うようなことはいくつもあったのだが、体調があまり良くなかったので書けなかった。 こういうとき、どうにもならない持病を持っているとイライラする。
9/10 仕事が終わってから大阪へ。『銀河英雄伝説』を読み返していて、大阪にある銀英伝のコンセプトバーへ行きたいという気分になり……友達の朝凪空也さんを誘ってバーへ。 繁華街の雑居ビル…! こんなところへいくことは田舎に住んでいたらほぼないので、めちゃくちゃどきどきしながらお邪魔した。 ロイエンタールとミッターマイヤーをイメージしたカクテルを頼んだら、店主さんがロイエンタールとミッターマイヤーの透明なパネルを出してくれて撮影を楽しむ。歌織さんの概念として、ゾンビモルカーを空也さんが連れてきてくれていた。
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9/11 文フリ大阪。いつもより開場が早くなるかも? というメールが流れてきたので早めにOMMビルへ。とはいうものの30分まえだし……とカフェでスコーンとコーヒーを飲んでいたら空也さんが現れる。二人でモーニング(?)をして、開場へいくとびっくりするくらい長蛇の列ができていた。10時入場開始だが、入れたのは10時20分くらいで、さらに開場が早まったので、開場に準備が間に合っていないサークルがたくさんあったように思う。 再録だから出ないかな…と思っていた新刊『いづくにか、遠き道より』をお求めのお客さんが多かった。この本はKindleもよく読まれている。日々詩編集室から出た『ゆけ、この広い広い大通りを』も、文フリの価格帯にしてみれば高い方だと思うが、たくさん手に取ってもらえた。 本は、楽しみにしていた朝凪空也さんの第二歌集「滅びに向かう場所にて」と、出会ったときから出版社で本が出ることを心待ちにしていた詩人の海老名絢さんの『あかるい身体で』が買えたのでとてもうれしかった。 おかさんがちいかわちゃんの「うさぎ」のパックをくれたので、とっておきの日に「うさぎ」になろうと思っている。 帰りに隣接だった八束さんとたこ焼きを食べて帰る。タコご飯がおいしかった。
特筆を要することはこの二日くらいかな。
最近読んだ本で印象深かった本をいくつか。
『銀河英雄伝説』(田中芳樹・らいとすたっふ) 数年前に読んで、めちゃくちゃ面白くて「なんでもっと早く出会わなかったんだ…!」と思いつつ、あれより若かったらこの物語をちゃんと咀嚼できなかっただろうなとも思った。台風で労働を休んだので読み返した。相変わらずロイエンタールとシェーンコップがいとしい。そして、前回読んだときには未読の銀英伝がこの世から消えてしまうのがもったいなくてたいせつにとっておいた外伝も全部読む。 ヤンがユリアンを愛している姿、ロイエンタールがミッターマイヤーを信頼しているその深い情念、キルヒアイスとラインハルトの友情、その全てが、壊れてしまいませんようにと祈ってしまうほどうつくしく、愛おしかった。 そしてやっぱり、政治の問題と言うことをすごく考えたよね。政治的な言動を放棄してわたしたちは生きられない。生きることはそもそも政治的な行動だし、値上げをぼやくのも政治的な行動だし、沈黙も、逆に「楽しい話だけしかしない」のも政治的な行動だと思う。そして戦争を賛美し、戦争をしたがるひとたちほど、実際の前線には立たないと言うこと。わたしは「公文書に効力がある」という地点がすごくつらいですね。
『覇王愛人』(新條まゆ・小学館) 銀英伝8巻の傷に打ちひしがれていた誕生日、勧められて(?)読んだ。くるみちゃん、そんな男はやめとけ! と読者に言わせるいとまも与えず次々と襲いくる黒龍くんの横暴に一生減速しないジェットコースターに乗ってる気分だった。中華料理屋の息子が最後に報われて(?)良かったと思う…。
『滅びに向かう場所にて』(朝凪空也・ウェルウィッチア) 空也さんの短歌は、日常のしんどさや、ふんわりとわたしたちをとりまく理不尽がどんなものかを、目を逸らさずにしっかりと書いているところがすごく魅力的でそれはわたしが「いつのまにか」踏み越えていたり、踏み付けにしていることに気づかずにいた「誰か」の足だったり大切な物だったりすることに気づかせてくれるなといつも思う。生きているって、誰にとっても楽なことではないのに、「わたし」以外の人はなんか楽にうまいこと生きてるな〜と思えちゃうような傲慢さが私にはあるんだけど、誰にだって生きる地獄があり、「そこ」に立たねばわからんよ、見えないまま想像で断じるな、という強さと言えばいいのか。 強さ、と書いたけど、上からではなくて、同じ地平に立って指差して視線をそちらへ向けてくれるような、そういうねばりづよさ。 「無意識に使う両手は無意識に誰かに不便を強いている手だ」という短歌が私はとても好きなんだけど、「なに」という具体的なものを指さず、でも、自分の行動や、「両手が使えること」をはっきりと「どういうものか」を示してくれていたりとか。 こういう眼差しを持ち、それを言語化し、静かに丁寧に、複雑で難解な言葉ではなく音を巧みに使って心にするっと入り込みやすく表現してくれる稀有な表現者/歌集だと思う。 同時代に読めることがとても嬉しい。
『私と夫と夫の彼氏』(綾野綾乃・タタンコミックス) あらためてブログに書きたいと思っているんだけど、とても……とても良かった。ある日夫がゲイだと知ってしまった主人公美咲、夫悠生の浮気相手は実は主人公の過去の教え子周平で……しかも周平は、悠生だけでなく、美咲にも好意を抱いていた……。 この三角関係に対して、美咲は最初、悠生や周平を責めるんだけど、二人と対話や生活をしている内に、「三人で」関係をつくっていこうと同棲を始めることに……。 人間関係と「愛情」の書き方がとてもいい。「愛」というものが衝動的な一方通行ではなく、それまでに培ってきた信頼関係や一緒にしてきた経験を元にしているところに安心感がある。中心になる三人だけでなく、いろいろな「生き方」を選択している登場人物が丁寧に・肯定的に描かれていて、だからこそ衝突するし問題だらけで、ピンチが重なり続けるんだけど、そのつど言葉を重ねて、語られる言葉を聞いて、一緒に生活や行動をして、解決したり、すぐに解決できないことも、大切にしているのがいい。最新刊の9巻までを読んだんだけど、優しさと罪悪感から悠生が自分も周囲もつらい行動をとってしまったり、契機になりそうな出来事があったりと、もうとにかくつづきが早く読みたい……! めちゃくちゃ面白い。ドラマもU-NEXTで見られるようなので、タイミングを見計らって絶対見たい! と思っている。おすすめ。 パンセクシュアル・ポリアモリーという、偏見や好奇心で見られがちな属性について丁寧に書かれているのがすごくいいなと思ったし、わたしはポリアモリー的な感覚を強く持っているので、そして「どう関係を構築していくか」を肯定的に、真摯に物語の中で模索してくれていることがありがたくてうれしい。取りこぼされていないと思うし、物語のなかに居場所があるとも思う。このお話のまえに読んだ『ミモザの告白』という小説でも、悪者のように書かれていたポリアモリーの男子生徒への偏見が、最後に主人公の気づきによって完全な「悪」にされてしまわなかったことにも安心した。もっとこういうお話しが増えればいいな~と思う。
『鋼鉄紅女』(シーラン・ジェイ・ジャオ 早川書房) こっちもめちゃくちゃおもしろかった! 最近読んだ本の中で『私と夫と夫の彼氏』と双璧として並べたい本! 男女のペアが乗って操るロボット的なもので、未知の存在と戦うSFなんだが、これがもう~~~~~~最高!!! とにかく主人公の武則天がかっこいい……最初のペアの男を殺して「悪夢へようこそ」と告げる場面からもうずっと「アアアアアアアアアアアア!!!!!!! もっと!!!! もっとおねがいしますうううううう」ってなった。 この物語も「男女で一個の安定した関係」という通念に疑問を投げかけてくれるお話しだったし、家父長制につよく異議を唱える芯が通っていたのがすごく良かった! 人生のお守りにしていきたい……。 いろんなひとにすすめたいな~~~。 観た映画 『バービー』 『覇王別姫』
9月一ヶ月分のまとめみたいなブログになったな。 10月~11月がかなり忙しいので、生き延びられるのかどうかがわからない。とにかく頑張って生きようと思う。
次は『若槻菊枝 女の一生 新潟、新宿ノアノアから水俣へ』を読もうと思っている。本が読める時期らしいので、読める内に読んでおきたい。
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ilotheoe · 7 months
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共產主義《聖經》節選
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 作者:馬伯庸
  《創世紀》1:1-24
  1:1起初革命導師們創造共產主義。
  1:2思想是空虛混沌。工廠黑暗。導師的幽靈飄蕩在歐洲上空。
  1:3導師說:要有工人,於是就有了工人。
  1:4導師看工人是好的,就把工人和工廠主分開了。
  1:5導師稱工人為無產階級,稱工廠主為資產階級。前者出勞動,後者出資本,這是頭一日。
  1:6導師說,階級之間要有剝削,將兩個階級分開。
  1:7導師就發明了剩餘價值理論,將勞動價值和投資之間用剩餘價值相隔,事就這樣成了。
  1:8導師稱工人為被剝削階級,稱工廠主為剝削階級,這是第二日。
  1:9導師說,天下的工人本是一家,是壓迫讓他們走在一起;資本家為了本階級的利益,要臭味相投。事就這樣成了。
  1:10導師稱工人的聚處為工會,稱資本家的聚處為國家機器。導師看是好的。
  1:11導師說,歷史發展要有規律,可以將人類社會分成四個階段,好定他們的性質。事就這樣成了
  1:12導師稱規則為生產關係。導師看是好的。
  1:13導師說,生產力要決定生產關係,經濟基礎要決定上層建築。
  1:14導師稱之為歷史一般規律,有反動,有進步,這是第三日。
  1:15導師說,世界上一切事物都要一直處於變化狀態,遵循著否定之否定的原則螺旋上升。事就這樣成了。
  1:16導師看是好的,就將之稱為自然辨證法。自然辯證法是人類認識自然和改造自然的一般方法的科學,這是第四日。
  1:17導師說,人類社會要分成奴隸社會、封建社會、資本主義社會和共產主義社會。
  1:18導師看共產主義社會是好的,就賜福給它,說,共產主義是人類發展的最終階段,按需分配,必然要取代資本主義。共產主義要有初級階段。導師稱初級階段為社會主義,這是第五日。
  1:19導師說,我們要照著我們的思想去指導工人,讓他們成為國家的主人翁。
  1:20導師就按照自己的思想去宣傳,又對他們說:要革命,你們失去的只是鎖鏈,得到的卻是整個世界。導師們看工人運動是好的,就賜福給工人運動,稱為共產黨。這是第六日。
  1:21導師們看一切所造的都甚好,萬事齊備,就打算在第六日歇了他們一切的工。但其中一位導師說:「我們要搞星期六義務勞動!」
  1:22於是導師又多加了一天的班,組織學習,寫思想心得。
  1:23到第七日,導師們倡導的革命已經開始,就在第七日歇了他們一切的工,各自躺進廣場中的水晶棺材裡,安息了。給工人們瞻仰。
  1:24導師們賜福給第七日,定為革命紀念日,因為在這一天導師們安息了。
  子民啊,那共產的天堂不是獨為你所造的,你所有的,要給你的鄰居,你的鄰居所有的,也要給你,這樣你們所有的就會加倍,就會有很多倍,這就是共產主義的國。
  共產的天堂,又好像一粒芥菜種,種在地裡,你們都來澆水,長起來後它比所有的的菜都大,甚至天上的飛鳥也可以宿在它的葉下。
  …………………………………………
  在江西,有一位投奔毛主席來、叫作霖彪的衛士頭領,他受那些污了眼睛的人的矇蔽,疑心毛主席不是聖父派到地上來的,毛主席就向他喝道:人啊,你在想什麼呢,你豈見不到我身上的權柄嗎,你難道不知道,葡萄籽般大小的火焰,也可以燒遍西奈的半島嗎,霖彪聽了這話,便跪下來,把毛主席尊為他的領袖。
  自列寧從雲端下來、以神杖擊殺瀘定橋頭的守軍,那事過了七日之後,紅軍到了草原上,草原上有惡鬼和大毀滅的哀聲,行走的人眾斷了糧,那之後又過了七日,天上忽然紛紛落下白饃,惟獨星期日要守聖卡爾的組織生活日,所以沒有饃饃掉下。
  在延安,有受外邦人的誘惑、不尊唯物主義的先知起來與毛主席作對,毛主席走上窯洞,下來時手上拿著兩塊石板,一塊上寫著矛盾論,一塊上寫著實踐論,毛主席說道:我與主卡爾已經訂了約。眾人知道他是為主所喜悅的,就跪下,尊他為黨主席,又稱他陜北的神聖先知。知道他要帶領民眾建立地上的天國。
  …………………………………………
  燃燒著永不停息的火焰的地獄裡有四個魔頭,頭一個叫作伯恩斯坦的,起初是葡陸士的貝林一個車伕的兒子,蒙召後侍奉在聖右父弗雷德里希的右手旁,後來他因不滿聖右父對聖列寧的喜悅,便帶了三分之一的天使反叛,被列寧使熟銅鎚一鎚擊中人中,從共產主義天堂墜下,墜落了七天七夜方才墜到地面,墮落為地獄的魔王。
  第二個叫作考茨基,乃是澤克那地布剌吉的義人,蒙召後成為聖葡陸士天使軍團的首領,拿著聖父賜福的刀劍,去拿那行在地上的魔鬼,然而一日,考茨基在拿鬼時受到了伯恩施坦的引誘,便墮落了,那一刻考茨基白羊毛的頭與發變成了硫磺與鉛,清澈的雙目變成了黑色的火,他的利劍變成了佈滿鐵銹的三叉戟。
  有一位露西亞的勇士托洛茨基,想把共產光輝傳給其他的外邦人,卻不知這已背離了聖父的教導。那刻,他腳下銀子的車輪變成了長著九個腦袋的惡犬,他駕馭著惡犬衝出地獄,殺死了許多人,也有許多受矇蔽拜伏在他腳下。後來,聖約瑟夫在莫洗哥那地與托洛茨基大戰了三百回合,方用神聖的權柄把他叉回了地獄。
  最後一位原是東方三聖人之一的陳獨秀,他曾拿著沒藥和聖李大釗一起給毛主席施洗,後來陳獨秀受到胡適之和托洛茨基的誘惑,失去了往日的榮光,墮落為身上燃燒著鬼火的地獄之主,他曾與托洛茨基一道在上海作亂,被毛主席用權柄喝退後又在江津傳播壞病,結果被毛主席和聖伍豪合力打回了地獄。
  我轉過身來,要看是誰發聲與我說話。既轉過來,就看見七個金燈臺。燈臺中間,有一位好像主席,身穿中山裝,直垂到腳,胸間束著紅星。他的頭與發皆白,如白羊毛,如雪。眼目如同火焰。腳好像在爐中鍛鍊光明的銅。聲音如同眾水的聲音。他右手拿著寶書。從他口中出來一把兩刃的利劍。面貌如同烈日放光。我一看見,就仆倒在他腳前,像死了一樣。他用右手按著我說,不要懼怕。我是首先的,我是末後的,又是那存活的。我曾死過,現在又活了,直活到永永遠遠。並且拿著死亡和陰間的鑰匙。所以你要把所看見的,和現在的事,並將來必成的事,都寫出來。(《啟示錄》)
  紅軍們行到貴州赤水那地的時候,被河水阻斷,眾人都不能前行,毛主席便叫人抬約櫃出來,用約櫃分開了河水,眾人大大的驚奇,都暗暗稱毛主席是卡爾從天國派到人間的救主,後來,這樣的神蹟,毛主席又行了四次。
  片段五:(《古蘭經》版)
  伊斯共《古紅經》
  第一章開端章(英特耐爾)
  這章是井岡山的,全章共計七節。
  1.奉至仁至慈的毛之名,
  2.一切讚頌全歸毛,眾窮人世界的主,
  3.至仁至慈的主,
  4.報應日的主,
  5.我們只崇拜你,只求你襄助
  6.求你引領我們正路,
  7.你所襄助者的路,不是受譴怒者的路,也不是迷誤者的路。
  聖卡爾在遵義城外的荊棘中向毛主席顯現,並賜毛主席無產光輝杖。聖卡爾曉諭毛主席說,你吩咐紅軍去赤水前安營,我要使蔣介石的心剛硬,他必追趕你們,我便在蔣介石和他全軍身上得榮耀。
  蔣介石便預備他的車輛,帶領中央軍同去,在紅軍安營的地方追上了。
  蔣介石臨近的時候,紅軍舉目看見中央軍趕來,就甚懼怕。他們對毛主席說,難道瑞金沒有墳地,你把我們帶來死在曠野嗎?你為什麼這樣待我們,將我們從瑞金領出來呢?因為服事中央軍比死在曠野還好。
  毛主席對紅軍說,不要懼怕,看聖卡爾今天向你們所要施行的救恩。毛主席向赤水伸杖,聖卡爾便用大東風,使河水一夜退去,水便分開,露出干地。紅軍下河中走干地,來回四次。蔣介石的軍兵便混亂了,車輪脫落,難以行走。
  正義之路被暴虐之惡人所包圍毛主席以慈悲和善意之名引導弱者穿過黑暗之谷的人們有福了因為他照顧同伴巡迴迷途的羔羊
  那些膽敢荼毒我同伴的人們我將懷著巨大的仇恨和無比的憤怒消滅他們當我復仇的時候他們會知道我的名字叫毛擇東
  1那時,有施洗的大釗出來,在猶太的曠野傳道,說,
  2天國近了,你們應當悔改。
  3這人就是先知列寧所說的,他說,在曠野有人聲喊著說,預備主的道,修直他的路。
  4這大釗身穿長袍馬褂,面戴眼鏡,吃的是蝗蟲野蜜。
  5那時,耶路撒冷和猶太全地,並約但河一帶地方的人,都出去到大釗那裡。
  6承認他們的罪,在黃河裡受他的洗。
  7大釗看見許多封建地主階級和資產階級,也來受洗,就對他們說,毒蛇的種類,誰指示你們逃避將來的忿怒呢?
  8你們要結出果子來,與悔改的心相稱。
  9不要自己心裡說,有亞伯拉罕為我們的祖宗。我告訴你們,神能從這些石頭中給炎黃興起子孫來。
  10現在斧子已經放在樹根上,凡不結好果子的樹,就砍下來,丟在火裡。
  11我是用水給你們施洗,叫你們悔改。但那在我以後來的,能力比我更大,我就是給他提鞋,也不配。他要用聖靈與火給你們施洗。
  12他手裡拿著簸箕,要揚凈他的場,把麥子收在倉裡,把糠用不滅的火燒盡了。
  13當下,毛主席從加利利來到約但河,見了大釗,要受他的洗。
  14大釗想要攔住他,說,我當受你的洗,你反倒上我這裡來嗎?
  15毛主席回答說,你暫且許我。因為我們理當這樣盡諸般的義。(或作禮)於是大釗許了他。
  16毛主席受了洗,隨即從水裡上來。天忽然為他開了,他就看見神的靈,彷彿鴿子降下,落在他身上。
  1當光緒帝王的時候,毛主席生在湖南地的韶山。有幾個博士從廣東地來到北京,說,
  2那生下來作大秦之王的在哪裡?我們在東方看見他的紅,特來拜他。
  3葉赫納拉的慈禧聽見了,就心裡不安。全北京地的人,也都不安。
  4他就召齊了祭司長和民間的文士,問他們說,基督當生在何處。
  5他們回答說,在湖南地的韶山。因為有先知記著說,
  6湖南地的韶山阿,你在大秦諸地中,並不是最小的。因為將來有一位君王,要從你那裡出來,牧養我中華的民。
  7當下葉赫納拉的慈禧暗暗地召了博士來,細問那紅是什麼時候出現的。
  8就差他們往韶山去,說,你們去仔細尋訪那小孩子。尋到了,就來報信,我也好去拜他。
  9他們聽見王的話,就去了。在東方所看見的那紅,忽然在他們前頭行,直行到小孩子的地方,就在上頭停住了。
  10他們看見那紅,就大大地歡喜,扭起了秧歌。
  11進了房子,看見小孩子和他母親,就俯伏拜那小孩子,揭開寶盒,拿黃金,麝香,人參為禮物獻給他。
  毛主席又對眾人說:「我是世界的紅太陽,跟從我的,就不在黑暗裡走,必要得到共產的光。」
  赫魯曉夫對他說:「你是為自己做見證,你的見證不真。」
  毛主席說:「我雖然為自己做見證,我的見證是真的。因我知道我從群眾中來,往群眾中去。你們卻是以卡爾的律法判斷人的,我卻不判斷人,就是判斷人,也以那實踐作為唯一標準,我的判斷也是真的。那卡爾在天上告訴我說:「實踐是檢驗真理的唯一標準。」
  赫魯曉夫對他說:「卡爾的律法在哪裡,你怎敢違背卡爾和列寧的律法?」
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wangwill · 8 months
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1967年臺灣
H:「 棄我 去者,昨日之日不可留。」昨日不曾紀錄則只能拼凑,1967年是怎樣的日子,查查。國小之開始,識字之旅的開始。20240125W4
網路資料:
[出典]  李白    《 宣州謝脁樓餞別校書叔云》
      注:
        1、 宣州謝朓樓餞別校書叔云 李白
             棄我 去者,昨日之日不可留;
             亂我心者,今日之日多煩憂。
             長風萬里送秋雁,對此可以酣高樓。 
             蓬萊文章建安骨,中間小謝又清發。
             俱懷逸興壯思飛,欲上青天攬明月。
             抽刀斷水水更流,舉杯銷愁愁更愁。
             人生在世不稱意,明朝散發弄扁舟。
1967年12月,蔣決定實施九年國民義務教育,所需經費極為龐大,為籌措財源,乃實施加稅計畫,以達成預算平衡。自1968年台灣開始實施九年國民義務教育,為學制之重大改革。[14]:187高等教育以研究高深學術,培養專門人材為宗旨。[14]:187提倡建教合作及技藝訓練。[14]:187
維基百科介紹:
政府
國家���副元首
總統:蔣中正
副總統:嚴家淦
五院首長
行政院院長:嚴家淦(副總統兼任)
立法院院長:黃國書
司法院院長:謝冠生
考試院院長:孫科
監察院院長:李嗣璁
省政府主席
臺灣省政府主席:黃杰
福建省政府主席:戴仲玉
大事記
胡金銓執導之《龍門客棧》及張徹執導之《獨臂刀》,開啟武俠電影熱潮[2]:744。
1月
1月12日——丘念台病逝東京(廣東鎮平縣人,為臺灣先賢丘逢甲之子,曾任臺灣省民政廳長、中國國民黨臺灣省黨部主任委員,為臺灣耆宿。)[2]:734。
1月13日——金門東北激烈空戰,空軍擊落中共米格十九型機2架[2]:734。
1月15日——南投縣第五屆縣長補選由林洋港當選[2]:734。
1月17日——越南共和國國防部長阮友固訪臺(1967年4月2日,商業部長阮景天恩訪臺;4月29日,外交部長陳文杜訪臺;6月20日,教育部長阮文詩訪臺;7月31日,農業部長林文智訪臺。)[2]:734。
1月27日——臺灣省政府主席黃杰簽訂興建曾文水庫工程顧問合約(10月31日,曾文水庫動工興建;12月7日,行政院核准臺灣省發行糧食債券,作興建水庫經費。1969年4月14日,決定降低水庫大壩10公尺,發電量由10萬瓩減為5萬瓩。)[2]:734。
1月30日——國防部長蔣經國著《風雨中的寧靜》一書出版[2]:734。
1月31日——經濟部長李國鼎率團參加在西貢開幕之「中、越經濟合作會議」[2]:735。
2月
美國駐聯合國首席代表高德柏謁見蔣中正,討論當前世界局勢[3]:116。
2月1日——公布設置動員戡亂時期國家安全會議,以黃少谷為秘書長,原國防會議撤銷[2]:735。
2月3日——臺、日簽訂食米外銷協定,日本購臺米5萬公斤[2]:735。
2月6日——發布周至柔、蔣經國、袁守謙分別為國家安全會議建設、動員、戰地政務三委員會主任委員[2]:735。
2月13日——特任唐縱、劉增華、陳嘉尚、孫秉乾分為駐韓國、賽浦路斯、約旦、多明尼加等國大使(3月1日,唐縱呈遞到任國書;5月17日,孫秉乾呈遞到任國書。)[2]:735。
2月18日——行政院決定成立人事、事務、法制、研究等四機構,訂定中央與地方權責劃分方案[2]:735。
2月19日——韓國國防部長金聖恩(韓語:김성은 (군인))訪問臺灣[2]:735。
2月21日——特任保君建、王世明、劉藎章等分別為駐土耳其、科威特、伊朗等國大使(5月17日、5月20日、5月22日,劉藎章、王世明、保君建分別呈遞到任國書。)[2]:735。
2月22日——韓國國會議長李孝祥(韓語:이효상)抵台訪問[4]。
2月27日——臺灣省政府通過桃園中壢鎮升為縣轄市[2]:735。
3月
蔣經國巡視馬祖列島及金門縣[5]:83。
3月1日——中華航空公司與香港當局商定開闢臺北-香港航線;國家建設計畫委員會成立;特任薛毓麟為駐加拿大大使[2]:735。
3月4日——外交部聲明反對任何國家承認外蒙,外蒙是領土[2]:735。
3月11日——土地改革紀念館在臺北市落成[2]:735。
3月16日——陸軍總司令部宣布:陸軍軍歌已由蔣中正核定,今起啟用;任命關鏞為駐賴索托王國大使[2]:735。
3月18日——特任劉宗翰為駐秘魯大使[2]:736。
3月20日——日本經濟調查團訪臺,與財經部門交換意見[2]:736。
3月22日——國防部與美軍協防臺灣灣司令部宣布,特種部隊自4月1日開始舉行為期一月之同舟演習[2]:736。
3月27日——國家安全會議科學發展指導委員會(簡稱科指會)成立,吳大猷為主任委員[2]:736;泰國國務院長他儂·吉滴卡宗訪問臺灣[6](4月1日,蔣中正三度接見,發表聯合聲明,強調清除共產威脅,確保亞洲安全。)[2]:736。
3月30日——經濟部長李國鼎訪問日本(3月31日,拜會日本首相佐藤榮作及外相三木武夫,商建鋼廠計畫並討論造船問題;4月19日,返抵臺北。)[2]:736。
4月
4月1日——中華航空公司港臺航線正式開航[2]:736。
4月4日——澳大利亞總理荷特(Harold E. Holt)訪問臺灣3天(4月6日,與蔣中正兩度會談,發表聯合公報。)[2]:736。
4月9日——前美國副總統尼克森訪問臺灣(4月11日,結束訪問臺灣。)[2]:736。
4月12日——美國宣布:中共國立音樂學院院長馬思聰投奔自由(1968年3月31日,來到臺灣。)[2]:736。
4月17日——千里達及托巴哥總督何才夫婦乘國泰航空飛機經東京抵達臺北展開為期兩星期的訪問,時任考試院院長孫科、時任外交部部長魏道明夫婦和時任僑務委員會委員長���信等人皆在機場歡迎[7];訪臺期間,何才夫婦除了勘查了臺灣中、南部各處的經濟、軍事和教育等設施以外,並特地於4月20日前往參觀國立故宮博物院,隨後與時任副總統嚴家淦夫婦、前行政院院長何應欽一級上將夫婦、魏道明夫婦、時任司法行政部(今法務部)部長鄭彥棻夫婦、時任中國國民黨中央委員會秘書長張寶樹夫婦和時任外交部次長楊西崑夫婦及夏功權夫婦等人共同在圓山大飯店慶祝何才的62歲壽辰[7][8]。何才夫婦臨走時,魏道明、何應欽、時任僑務委員會副委員長何宜武和時任外交部次長桂宗堯等人皆前往機場送行[8]。
4月21日——漁業考察團訪問菲律賓,為中、 菲漁業合作奠定基礎[2]:737。
5月
5月1日——經濟部核准設立「中、日合資」臺灣畜產公司[2]:737。
5月4日——美國國務卿魯斯克及助理國務卿彭岱在美國眾議院作證,盛讚臺灣經濟繁榮與農技援外成就[2]:737。
5月6日——副總統兼行政院長嚴家淦啟程經日本赴美訪問21天(5月7日,與日本首相佐藤榮作就中國大陸動亂及越南問題會談;5月9日,與美國總統詹森兩度會談;5月11日,發表聯合聲明,同意互相諮商應付中國大陸情勢發展;5月26日,返回臺灣。)[2]:737。隨行人員包括:經濟部部長李國鼎、外交部政務次長沈錡暨夫人、行政院國際經濟合作發展委員會祕書長陶聲洋等。並前往阿靈頓國家公墓獻花致意、謁甘迺迪之墓。之後亦參訪派屈克空軍基地、甘迺迪太空中心、紐約聯合國大廈等地。訪問期間爭取到美援停止之後,各項經濟合作計畫,使美方同意加強科技交流,在駐華大使館中,設立科技參事,中華民國政府則在行政院之下,成立國家科學委員會,以促進產業升級[9][10]。
5月11日——行政院通過臺北市自7月1日改制為院轄市,並將景美、木柵、內湖、南港、士林、北投6鄉鎮併入[2]:737。
5月20日——中國農民銀行在臺灣復業[2]:737。
5月23日——美國助理國務卿斯柯(Joseph J. Sisco)訪問臺灣3天[2]:738。
5月29日——反共救國軍部隊登陸山東支援敵後游擊作戰,與解放軍發生戰鬥[2]:738。
6月
蔣經國再度巡視馬祖列島及金門縣[5]:83。
6月2日——美國驅逐艦「金伯利號」正式移交臺灣海軍[2]:738。
6月7日——「中、日貿易經濟會議」在臺北揭幕,商討農產品進出口及機械人纖維原料價格,並研討保護工業所有權問題(6月14日,閉幕。1968年7月23日,第二屆會議在東京揭幕。);臺灣與聯合國共同合作發展食品加工計畫實施方案簽字生效[2]:738。
6月11日——臺灣省政府發布「優待僑商來臺投資辦法」[2]:738。
6月14日——蔣中正主持首次國家安全會議,指示建設要有遠大目標和計畫,須以具現代知識科學人才為基礎;美國將新型U-17A輕航空飛機一批移交陸軍使用[2]:738。
6月16日——經濟部長李國鼎代表與聯合簽訂「社區發展公共衛生設施改善計畫」[2]:738。
6月19日——臺灣經濟發展會議在臺北揭幕,為臺灣經濟發展提出建言[2]:738。
6月20日——戚烈拉(Richard G. Ciccolella)任美軍援華顧問團團長[2]:738。
6月28日——蔣中正調動高級軍事首長:黎玉璽、高魁元分任參軍長與參謀總長,陳大慶、賴名湯、劉廣凱、劉玉章分任陸軍、空軍、聯勤、警備總司令[2]:739。
6月29日——協助港澳僑胞到臺灣投資聯絡小組成立,並制定實施「港澳僑胞來臺投資事項」,僑商到臺灣投資達到高峰(9月13日,政府組成協助港澳僑胞回國投資工作小組。)[2]:739。
6月30日——嚴家淦祝賀韓國大統領朴正熙就職,呈遞國書(7月2日,與美國副總統韓福瑞、日本首相佐藤榮作、韓國總統朴正熙等領袖在漢城舉行非正式高峰會議,談論中共核爆、越戰及經濟合作等問題;7月3日,返國。)[2]:739。
7月
7月1日——臺北市改制為院轄市,市長高玉樹、議長張祥傳同時就職;省立臺灣師範大學改制為國立臺灣師範大學;停刊19年之《東方雜誌》復刊;三軍總醫院在臺北成立;吳修齊、高清愿合組統一企業[2]:739。
7月4日——外交部長魏道明抵達曼谷出席亞太理事會第二屆部長級會議;美國海軍軍令部長穆勒(Thomas H. Moorer)訪問臺灣3天[2]:739。
7月5日——臺灣省政府通令各縣市應即恢復設置國語推行委員會[2]:739。
7月7日——教育部長閻振興表示,明年秋天延長國民義務教育至9年(8月3日,行政院通過「九年國教實施綱要」。)[2]:739。
7月8日——體育界耆宿江良規(1914-1967)病逝(浙江奉化人,為馳譽國際之體育家,著有《體育學原理》等書。)[2]:739。
7月9日——外交部次長楊西崑第19次訪問非洲[2]:739。
7月17日——邱約翰(John L. Chew)接任美軍協防臺灣司令[2]:740。
7月22日——臺灣拆解廢船工業超過日本,躍居世界第一[2]:740。
7月24日——樞機主教田耕莘(1890-1967)病逝(山東陽谷人,曾任輔仁大學復校後第一任董事長,為遠東區第一位樞機主教。);美國運通銀行臺北分行開業[2]:740。
7月28日——中華文化復興運動推行委員會成立,蔣中正擔任會長(11月2日,委員會擬定「中華文化復興運動推行計畫」;11月3日,臺灣省政府訂定「推行中華文化復興運動實施要點」;3月29日,《中華文化復興月刊》創刊。)[2]:740。8月,聘孫科、王雲五、陳立夫為文化復興委員會副會長[3]:116。
8月
8月4日——任命丁懋時、沈祖潯、李興南與黃正分別為駐剛果、盧安達、尼日及加彭等國大使[2]:740。
8月6日——副總統嚴家淦向梁實秋致賀其翻譯《莎士比亞戲劇全集》功成[2]:740。
8月7日——行政院發布「國家科學委員會組織規程」,由吳大猷任主任委員(8月14日,由長科會改組之國家科學委員會成立;10月13日,改組完成,設自然及數學、人文及社會、生物及醫農、工程及應用、科學及教育等五委員會。)[2]:740。
8月12日——蔣中正主持國家安全會議,通過由總統依照臨時條款,以命令規定延長九年國民教育年限(8月26日,行政院頒令自1968年起實施九年國教;12月3日,國際經濟合作發展委員會撥款新臺幣7億餘元,補臺灣省及臺北市推展九年國教;12月13日,行政院決定中美基金撥6億8千餘萬元,作為建國中教室之用。1968年1月2日,由中央指撥公地建校;1月4日,成立延長國民教育工作小組;1月9日,決定統一編印國中教科書;1月26日,78所國中破土興建。);監察院投票同意15位大法官,張金蘭成為第一位女性大法官[2]:740-741。
8月15日——總統府資政孔祥熙病逝紐約(山西太谷人,曾任行政院長、財政部長,長期主持國民政府之財政。)[2]:741。蔣中正馳電弔唁,並手撰「孔庸之先生事略」[3]:116。
8月29日——教育部在美國教育文化事業顧問委員會主任委員郭秉文逝世(江蘇青浦人,曾任東南大學校長、財政部次長兼中英貿易協會主任等職,為中國現代高等教育事業之先驅。)[2]:741。
9月
世盟第一屆會議在台北舉行,共有64個國家與地區、以及12個國際反共組織參加,谷正綱當選第一屆理事會主席。大會通過了世界反共宣言與世界反共聯盟共同綱領[11][12][13]。
9月7日——日本內閣總理大臣佐藤榮作訪臺(9月8日,兩度與蔣中正會談;9月9日,發表聯合公報,強調加強團結,實現亞太區域和平與繁榮。)[2]:741。佐藤榮作兩度晉見蔣商討臺日共同問題,並就當時世局及中國大陸中共情勢交換意見[3]:116-117。
9月12日——蔣接見日本記者發表談話,指出中共內部必陷長期混亂,盼日本人尊重東方傳統,不使共產主義有滲透之機會,唯有臺日加強合作,始能達到此一目的[3]:117。
9月16日——人事行政局成立(7月27日,蔣中正明令設置;8月4日,任命王正誼出任人事行政局長。)[2]:741。
9月17日——美國總統科學顧問賀尼克(Donald F. Hornic)率專家到臺灣,協助臺灣發展科學(9月23日,離臺,建議增加科技經費及培植人才;11月16日,訪臺後建議政府應以土地改革精神,全力加速科學與技術發展。)[2]:741。
9月19日——駐越大使館遭越共爆炸,房屋三分之一被毀(9月26日,暴徒供稱係越共主謀,企圖殺害大使胡璉。)[2]:741。上午10時30分,有兩匪徒混入大使館,將爆炸物安放於胡璉二樓辦公室下面引爆,一時轟然巨響,大使館樓板全部震塌[14]:250。大使館建築物一樓全毀,大使胡璉倖免於難[15]。
9月25日——世界反共聯盟第一屆大會在臺北舉行,67國及13個國際反共組織代表與會(9月29日,通過「世盟共同綱領」與「世盟宣言」後閉幕。)[2]:742。
9月28日——史學家錢穆夫婦自香港飛到臺北定居[2]:742。
9月30日——經濟部長李國鼎與世界糧食組織簽訂「臺灣東部農地開發計畫」實施方案[2]:742。
10月
10月5日——中華航空公司增闢至新加坡、曼谷、馬尼拉及漢城4條國際航線[2]:742。
10月6日——行政院副院長黃少谷代表蔣中正赴加拿大訪問(10月9日,與加國總理皮爾遜(Lester Bowles Pearson)會商兩國加強合作問題;10月17日,返回臺灣。)[2]:742。
10月13日——臺灣與美國簽訂紡織品兩項新協定[2]:742。
10月20日——「中、日貿易協進會」第一次會議在東京舉行(1969年11月17日,舉行第三次會議,臺方代表促成日方採有效措施,縮小貿易差距。)[2]:742。
10月21日——日本外相三木武夫表示對臺政策保持「吉田書簡」精神[2]:742。
10月30日——慶賀越南共和國阮文紹就職,參謀總長高魁元率特使團呈遞國書[2]:743。
11月
11月2日——美援贈臺灣海軍之驅逐艦安陽號抵達臺灣[2]:743。
11月12日——中國國民黨第九屆五中全會揭幕(11月23日,閉幕,選出嚴家淦等19位中央委員。)[2]:743。
11月19日——反共游擊隊突擊廣東惠陽縣平潭機埸,毀中共米格十九型機八架[2]:743。
11月23日——蔣經國再度連任中央常務委員會委員[16]:521。
11月27日——國防部長蔣經國訪問日本(12月2日,返回臺灣。)[2]:743。日本天皇裕仁接見蔣經國時表示永不忘懷蔣中正寬大德意;日本國民1萬5千餘名在東京舉行感謝蔣大會[3]:117。
11月28日——聯合國大會表決「中國代表權問題」,以58對45票,17票棄權,擊退共黨及不結盟國家欲使中共進入聯合國之企圖[2]:743。
11月29日——蔣中正發布行政院長局部改組:俞國華任財政部長,查良鑑任司法行政部長,孫運璿任交通部長,蔣彥士為行政院秘書長;考試院副院長程天放逝世(江西新建人,曾任安徽省教育廳長、浙江大學校長、駐德國大使;政府遷臺後,先後任教部長、考試院副院長等職。)[2]:743-744。
7月30日——行政院通過「中、美資源交換計畫」[2]:744。
12月
12月5日——副總統兼行政院長嚴家淦指示各機關,提高改進行政效率,推行分層負責制度,政府並頒實施準則[2]:744。
12月8日——前日本首相岸信介訪問臺灣;陸軍總司令陳大慶代表政府接受美國贈送之最新型戰車一批[2]:744。岸信介率團謁見蔣中正[3]:118。
12月12日——「中、美農產品協定」在臺北簽字,美國繼續提供臺灣農產品兩年3,750萬美元,半數為協助友好國家之用[2]:744。
12月13日——歷史學家湯恩比訪問臺灣[2]:744。
12月16日——臺、日簽訂5項貸款協定,計979萬1,000美元,購置設備用於建設[2]:744。
12月22日——駐賴比瑞亞大使楊繼曾代表與賴國簽訂「中、賴農技合作新協定」[2]:744。張群任慶賀賴比瑞亞總統、副總統就職典禮特使,順道訪問象牙海岸,歸途訪問美國[17]。
出生
參見: 1967年出生
1月8日——
陳明真,女歌手。
劉醇逸:政治人物,是移居美國的台灣人。
1月10日——林靖傑:導演。
1月13日——徐薇,英文補教名師。
1月15日——羅明才:政治人物,是羅福助之子。
1月17日——玉尚:演員,是呂盈瑩前夫。
1月21日——安幼琪:新聞主播、主持人。
1月22日——蔡淑惠:政治人物。
1月25日——吳蒙恩:導演。
1月30日——黃榮山:力學家。
1月31日——王祖賢,演員、歌手。
2月1日——
賴有賢,漫畫家。作品有《真命天子》、《小和尚》。
秦偉:主持人、通告藝人。
2月2日——
劉櫂豪,法官、政治人物。現任立法委員。
林有志:政治人物,曾任花蓮市市民代表、花蓮縣議員、行政院客家委員會諮詢委員。
2月5日——
拾方方:登山家,是首位在聖母峰遇難的台灣人。
簡余晏:政治人物。
2月6日——陳孫華:造型設計師。
2月8日——
牛爾:化妝師。
張正憲:棒球捕手,現被終身禁賽。
2月11日——陳政賢:棒球選手。
2月16日——顧玉玲:作家、社會運動人士。
2月22日——溫士凱:作家、講師、廣播主持人。
3月1日——蕭淑麗:政治人物。
3月2日——詹雅雯,知名臺語歌手。
3月3日——沈慧虹:政治人物、鐵道站務員,曾任奮起湖車站站長、新竹市交通處處長、新竹市副市長。
3月7日——歐崇敬:教授。
3月11日——
方季惟:歌手、演員。
郭國文:政治人物。
侯駿逸:角力運動員。
3月12日——尹乃菁:主持人。
3月21日——車宜靜:文化工作者,現任世界至孝親篤舜裔總會秘書長。
3月26日——張信哲,歌手。
4月2日——宋明宗:政治人物。
4月11日——王自強:演員。
4月15日——陳宗彥:政治人物,曾任行政院發言人、內政部政務次長、中央流行疫情指揮中心副指揮官。
4月21日——
蔡秋鳳:歌手。
劉志昇:棒球領隊。
4月24日——賴義鍠:政治人物。
4月26日——九孔,本名呂孔維,藝人、諧星。
4月28日——
包小松:歌手、主持人、音樂製作人,是張雅婷之夫、包小柏之兄。
包小柏:歌手、演員、主持人、音樂製作人,是包小松之弟。
4月29日——平凡:漫畫家。
4月30日——
張宇,男歌手。
田麗:演員、主持人、果農。
5月13日——徐超斌:醫師。
5月16日——楊朝偉:政治人物。
5月18日——李慶鋒:政治人物。
5月19日——趙詠華:歌手。
5月25日——
辜仲立,企業家,出身鹿港辜家。辜濂松三子。其兄辜仲諒、辜仲瑩。
吳鈞堯:作家。
5月28日——康康,本名康晉榮。綜藝節目主持人和歌手。
5月30日——丁國琳,女演員。
6月6日——
林美秀:演員、主持人。
楊靚姝:編劇。
6月7日——謝榮雅:工業設計師。
6月13日——陳文治:政治人物,曾任新北市議會副議長。
6月19日——陳震:歌手。
6月21日——馬維欣:演員、主持人、通告藝人,是馮光榮前妻。
6月24日——劉志宏:音樂製作人。
6月30日——王中平:歌手、演員,是余皓然之夫。
7月1日——
簡郁珊:音樂家。
單承矩:演員、導演、編劇、製作人。
7月3日——游梓翔:教授。
7月6日——
鄭文燦,政治人物。曾參與野百合學運,2014年當選桃園市長。
萬芳:歌手、演員、廣播主持人。
高景炎:籃球運動員。
7月18日——林錦昌,小說家、政治人物。曾任台北市政府新聞處處長。
7月19日——
李興文,男演員。曾參與電影《報告班長》、電視劇《流氓教授》、《意難忘》演出。
周可平:圍棋棋士。
7月21日——黃奕睿:會計師。
7月23日——楊潔玫:演員。
7月24日——宋少卿:相聲、演員、主持人。
7月31日——蔡海如:藝術策展人。
8月1日——
陳建年:歌手、警務人員,曾任蘭嶼分駐所副所長。
曾貴章:棒球選手,現被終身禁賽。
8月2日——王光熙:棒球選手,是王光輝之弟,現被終身禁賽。
8月5日——顧婕:演員。
8月10日——曲全立:導演。
8月11日——鄒兆龍:演員,是翁慧德之夫,曾在好萊塢參與電影《駭客任務》第二、三集演出。
8月12日——
黃俊傑,棒球選手,曾經效力於中華職棒時報鷹隊。
傅家森:消防員。
8月14日——曾淑勤,女歌手。
8月17日——
王耿豪:演員。
孟廣美:演員、主持人、模特兒,是台灣首位登上好萊塢的女藝人,現移居北京。
8月19日——胡一虎:新聞主播,原是華視主播,後轉赴香港鳳凰衛視。
8月23日——陳耀川:音樂製作人。
8月26日——蘇昭旭:鐵道研究家。
8月29日——邵昕:演員。
9月4日——四方:演員。
9月7日——吳小莉:新聞主播,原在華視擔任主播,1993年後轉赴香港鳳凰衛視。
9月8日——張萬康:小說家。
9月16日——
趙豐邦,花式撞球運動選手,有「冷臉殺手」之稱。
屈中恆:演員、主持人、配音員。
9月17日——楊秀玉:政治人物,現任基隆市議會副議長。
9月18日——
徐輔軍:導演,以2004年電影《夢遊夏威夷》獲得杜維爾影展最佳影片獎。
陳明義:政治人物,是陳世軒之父。
9月19日——
許淑蘋:演員,是張傑勛之妻。
盧秀芳:新聞主播,是盧秀燕之妹。
9月22日——張傑勛:演員,是許淑蘋之夫。
9月26日——林玉珍:新聞主播。
9月28日——朱國珍:作家、主持人、新聞主播。
10月1日——簡文彬:指揮家。
10月6日——汪用和:新聞主播,是周守訓之妻。
10月7日——林俊泓:導演。
10月8日——吳建樟:翻譯家。
10月11日——劉小芸:配音員。
10月12日——黃忠義,棒球選手。
10月16日——韓羅賢:音樂製作人、經紀人。
10月17日——
林小樓:演員。
黃國華:小說家。
10月19日——賴芳玉:律師。
10月22日——徐佳青:政治人物。
10月24日——劉增鍇:相聲。
10月25日——姚可傑:歌手,是東方快車主唱。
10月29日——徐承義:演員、企業家,是瓦城泰統集團創辦人。
10月31日——
黃柏霖,政治人物。現任高雄市議員,叔叔黃啟川曾任議長。
何淑峯:政治人物。
劉海若:新聞主播,原是TVBS晚間主播,2000年後轉赴香港鳳凰衛視。
11月1日——
洪敬堯:歌手,是洪一峰之子、洪榮宏之弟。
汪平雲:律師、政治人物,曾任蒙藏委員會委員。
11月4日——柯淑勤,女演員。代表作《孽子》。
11月6日——
宋達民:歌手、演員、牧師,是宋逸民之弟。
宋逸民:歌手、演員、牧師,是宋達民之兄。
11月7日——焦恩俊,藝人演員。
11月9日——江國賓,男演員。代表作《台灣霹靂火》、《台灣龍捲風》、《金色摩天輪》,早年以飾演反派角色較具代表性。
11月10日——沈懷一:歌手、社會運動人士。
11月17日——王美雪:演員。
11月18日——劉亮佐,藝人,曾主持三立電視台節目『在台灣的故事』。
11月19日——
侯志堅:鍵盤手、音樂製作人,是東方快車成員之一。
游素蘭:小說家、漫畫家,是喬英之姊。
桑茂森:籃球教練。
11月20日——周奕成:政治運動人士,曾任中華民國總統府諮議、行政院政務顧問。
11月21日——陳思安:歌手。
11月25日——謝采妘:歌手,現移居馬來西亞。
11月27日——陳湘琪:演員、教授,現任教於國立臺北藝術大學電影創作、劇場設計二系。
12月14日——卓天麟:棒球選手。
12月15日——陳進益:配音員。
12月16日——周玲妏:政治人物,曾任高雄市政府觀光局局長。
12月17日——王文華:作家。
12月20日——
陳文山:演員。
蕭雅全:導演。
12月21日——李哲華:幕僚,曾任台北市民政局機要秘書、葉金川副秘書長辦公室主任、林益世立委辦公室主任。
12月23日——陳淑芬:漫畫家。
12月24日——沈玉琳,藝人、電視節目製作人及主持人。
逝世
1月12日——丘念台,政治人物,丘逢甲之子。(1894年出生)。
3月11日——楊仲鯨,政治人物,首屆民選花蓮縣長。(1898年出生)。
3月27日——吳新榮,醫師、作家及政治人物(1907年出生)。
吳燕生 詩人 °吳鸞旂孫女、吳子瑜女兒°大正三年出生於北平,得年 62歲°
參考來源
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2023年に読んで「オォッ!」と思った本や作品……その2
『中銀カプセルタワービル 最後の記録』(中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト編/装幀:上清涼太/草思社) 『ヒエログリフを解け ロゼッタストーンに挑んだ英仏ふたりの天才と究極の解読レース』(エドワード・ドルニック著/杉田七重訳/東京創元社/Kindle版) 『AXIS August 2023 vol.224 特集シン宇宙時代 The New Space Age』(株式会社アクシス) 『ジブリの立体建造物展 図録〈復刻版〉』(藤森照信監修/コンセプト・デザイナー:種田陽平/編集:株式会社スタジオジブリ/デザイン:細山田デザイン事務所/トゥーヴァージンズ) 『 湖の秘密─川は湖になった』(編集・執筆:前田礼、戸谷莉維裟(市原湖畔美術館)/地図制作:吉田健洋(一般財団法人日本地図センター)/デザイン:大西隆介(direction Q)/写真:田村融市郎、市原市観光協会、『写真集/市原市の昭和史』(千秋社)/市原湖畔美術館発行) 『ジョセフ・アルバースの授業──色と素材の実験室』(執筆:ブレンダ・ダニロウィッツ、永原康史、沢山遼、亀山裕亮/和文英訳:中野勉/欧文和訳:水野俊、林寿美、亀山裕亮/編集:林寿美、亀山裕亮、飛田陽子(水声社)、関根慶(水声社)/ブックデザイン:木村稔将、阿部原己(Tanuki)/水声社) 『相分離生物学の冒険──分子の「あいだ」に生命は宿る』(白木賢太郎著/装丁:細野綾子/みすず書房) 『「生きている」とはどういうことか 生命の境界領域に挑む科学者たち』(カール・ジンマー著/斉藤隆央訳/装幀:大倉真一郎/白揚社) 『食虫植物 多様性と進化』(長谷部光泰著/裳華房) 『What is Tanuki?』(佐伯緑著/題字:森井(藤原)敏惠/表紙イラスト:佐伯緑/装丁:designfolio/佐々木由美/東京大学出版会) 『線虫 1ミリの生命ドラマ』(長谷川浩一著/装丁:鈴木成一デザイン室/dZERO) 『新・動物記8 土の塔に木が生えて シロアリ塚からはじまる小さな森の話』(山科千里著/新・動物記シリーズ編集:黒田末壽、西江仁徳/ブックデザイン・装画:森華/京都大学学術出版会) 『新・動物記7 白黒つけないベニガオザル やられたらやり返すサルの「平和」の秘訣』(豊田有著/新・動物記シリーズ編集:黒田末壽、西江仁徳/ブックデザイン・装画:森華/京都大学学術出版会) 『新・動物記6 アザラシ語入門─水中のふしぎな音に耳を澄ませて』(水口大輔著/ブックデザイン・装画:森華/シリーズ編集:黒田末壽、西江仁徳/京都大学学術出版会) 『フィールドの生物学24 ミツバチの世界へ旅する』(原野健一著/東海大学出版部) 『哺乳類前史:起源と進化をめぐる語られざる物語』(エルサ・パンチローリ著/的場知之訳/青土社/Kindle版) 『招かれた天敵──生物多様性が生んだ夢と罠』(千葉聡著/みすず書房/Kindle版) 『進化のからくり 現代のダーウィンたちの物語』(千葉聡著/講談社ブルーバックス/Kindle版) 『ビーバー:世界を救う可愛すぎる生物』(ベン・ゴールドファーブ著/木高恵子訳/草思社/Kindle版) 『タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源』(ピーター・ゴドフリー=スミス著/夏目大訳/みすず書房/Kindle版) 『幻のシロン・チーズを探せ 熟成でダニが活躍するチーズ工房』(島野智之著/デザイン、イラストレーション:佐々木宏/帯文:坂上あき、森節子/八坂書房) 『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』(多田将著/イラスト:上路ナオ子/イースト・プレス/Kindle版) 『ビッグコミックススペシャル 藤子・F・不二雄 SF短編コンプリート・ワークス7 ポストの中の明日』『ビッグコミックススペシャル 藤子・F・不二雄 SF短編コンプリート・ワークス1 ミノタウロスの皿』(藤子・F・不二雄著/装幀:佐々木暁/小学館) 『北極百貨店のコンシェルジュさん 1・2巻』(西村ツチカ著/装幀:井上則人(井上則人デザイン事務所)/小学館) 『ぼっち死の館』(齋藤なずな著/小学館ビッグコミックスフロントライン) 『すとまとねことがんけんしん1』(内田春菊著/装画:内田春菊/装丁:秋山具義(Dairy Fresh)/デザイン:横倉清恵(Dairy Fresh)/ぶんか社) 『すとまとねことがんけんしん2』(内田春菊著/装画:内田春菊/装丁:秋山具義(Dairy Fresh)/デザイン:山口百合香(Dairy Fresh)/ぶんか社) 『大金星』(黒田硫黄著/講談社アフタヌーンコミックス/電子書籍版) 『ころぶところがる』(黒田硫黄著/小学館/電子書籍版) 『大日本天狗党絵詞1〜4』(黒田硫黄著/アフタヌーンKC/電子書籍版) 『映像研には手を出すな!1〜8巻』(大童澄瞳著/小学館/電子書籍版)
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mlyzvt-no2157 · 1 year
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フリーランスに憧れて色々考えていたら前の職場の珍エピソードを色々思い出してしまった
定年後にフリーランスに転身した元同僚の先輩(私と全く同じ仕事をしていた)に「私も、ここ数年、毎年1月頃になるとフリーランスに転身しようかなって思うんですよね。前の会社では日本に居る時(私の場合、だいたい1年のうちの3分の2を海外の取材対象地区で過ごし、残りの3分の1を日本で過ごしていた。今は外資系の別の同業他社に転職し、同じ仕事をしていたが、その会社で4年ほど前に部署異動したため、海外に行くことや記事を執筆することが激減し、日本でチマチマ翻訳をしていて、記事そのものはときどきしか書いていない)は、会社で面白い事がいっぱい起こっていたのに、今は会社で全然面白い事が起こらないんですよね~。しかも、戦地を離れたから、なんか緊張感の無いのほほんとした暮らしをしていて、これでいいのかなって思うんですよ。」と相談したところ、先輩曰はく、私の前の職場は変な人が多過ぎたから、しょっちゅう面白い事が起こっていただけで、会社を辞めてフリーランスに転身しても、面白い事なんて起こらない。しかも、護衛を自費で払わなければならないから、収入は激減するし、防弾チョッキなどの備品も自費になるから、今の会社に特に不満が無いのなら、フリーランスに転身しない方がいいよ、と言われてしまった。
言われてみれば、今の会社はかなりホワイトな会社で、有給完全消化を目標としており、部下の有給消化率が8割を下回っていれば、管理職の私の査定が下がってしまい、私自身も毎年有給は完全消化している。そのほか、体調不良のときは、有給を使わなくても病休(給与は出る)もあるし、女子社員は生理休暇もきちんと消化している社員が多いし、軍事部門時代は、帰国後は10日間の特別休暇があった。そのほかにも、誕生日休暇や結婚記念日休暇、リフレッシュ休暇(10日/年)、残業や休日出勤は基本的に禁止、でも残業や休日出勤をしたら手当は100%支払って貰えるなど、恐らくは、かなり恵まれた職場だと思う。 唯一の不満は、前に勤めていた会社のように珍事件が起こらない事ぐらいであるので、フリーランスに転身した先輩社員の言うように、簡単に辞めてしまうのはもったいない気がする。
先輩社員の言う事は的を得ていて、確かに、前に勤めていた会社には面白い人(変な人と言ったほうが正しいような気がするが...)がたくさんいた。特に営業部は面白い個性的���人の巣窟だった。あんな面白い人達には、あの会社でしか出逢ったことはない。 tumblerに一部のエピソードを書いているけれど、特にインパクトのある珍エピソードを簡単に、箇条書きにしてみた。
①元々はノンケだったのに、某国のホテルで出張ゲイ風俗に間違えて電話をかけたことをきっかけに、すっかりゲイになった、高身長、イケメン、スタイル抜群、仕事もできるハイスペック男性
②黒地にスパンコールやフリフリのレースが付いている超セクシーなメンズブラをしていたイケメンで爽やかで背の高いおじさん営業マン。(ちなみに彼がメンズブラをしていると分かった時は、インターネットが普及しておらず、ネット通販などもなく、メンズブラを買うには特殊なお店に行くしかなかった時代である)
③同じ苗字の人が他に6人も社内に居るからという理由で、自分の一人称を社内・社外関係なく「ターくん」と言っていた執行役員クラスの男性
④渋谷を歩いていたら、AV男優にスカウトされたと嬉しそうに会社中に喋りまくっていた40代のYさんというカメラマン。ちなみに、YさんはAV男優の話はその場で断ったらしい。
⑤ ④のエピソードに尾鰭、背鰭、胸鰭を付けて「YさんがAV男優にスカウトされて、しかもYさんが出演するのは、普通のAVではなく、カリスマAV男優のお相手をするゲイAV男優として、華々しくAV界でデビューし、Yさんが出演するAVのDVDの初版が500万枚発売される」と社内だけでなく、社外や取引先の人にまでデマを流したロバート・レッドフォード似の二枚目の営業マン
⑥単身赴任に寂しさが耐えられず、会社のトイレで尻の穴に湯飲みを挿れたら、抜けなくなって(「尻~尻~尻~!!!」と叫びながらトイレの前の廊下で倒れてのたうち回っているところを発見したのは私である。ちなみに会社常駐の産業医も湯飲みを抜こうと試みたが、湯飲みは完全に尻に入り込んでおり、我々の手で湯飲みを抜くのは不可能だった)救急車で運ばれ、尻から湯飲みを出すという、恐らく病院でも滅多に無いであろうことが容易に想像できる珍緊急手術を受けた営業マン (後日、なぜ、尻に湯飲みを入れたのか本人に聞いてみたら、「一人暮らしで寂しくてたまらなかったから、最初、尻にボールペンを入れたらそれが快適で、徐々に尻に入れるものが、マジックペン、キュウリ、ごますり棒、なすびになって、会社で尻が寂しくて堪らなくなったから湯飲みを入れた」と語っていた)
⑦雨の日、私がトヨタのレースクイーンの傘(トヨタのディーラーに行ったときにもらったもの)をさして早退するとき、たばこ休憩中のロバート・レッドフォード似の営業マンに会った。彼は私が持っているレースクイーンの傘をまじまじ見つめていたが、私は余計な事は何も言うまいと黙って「お先に失礼します」とだけ言って退社した。すると翌日には会社中の人に、なぜか“私の母は元レースクイーン”というデマが広まっていた。
⑧たまたま、休日に私と夫が銀座で歌舞伎を観に行くために、歩いているところを目撃した男性営業マン(金融資産を10億円強保有しているほか、サラブレット2頭、高級ぶどう農園の持ち主で、働かなくても食べていけるが、暇つぶしとボケ防止に働いているという変わり者)が、私の夫に一目惚れしたと会社中に言いふらしていた。
⑨自分の顔に自信があるのか、パソコンの壁紙を自分の顔のアップ写真にしている営業マン。ちなみに、その営業マンは元は私のいる部署に所属しており、かつてユーゴスラビア崩壊についての外部セミナー講師をしたとき、自分のPCを持って行き、セミナーが始まるまでの間と休憩時間中、セミナー会場のスクリーンには彼のドアップの顔が写されていた。
⑩実際にやってみたことがなくても、やり方の本を読んでいるだけでどんなスポーツも出来るようになると勝手に思い込んでいる営業マン(スキーをしたことが無い)が、私(スキーのインストラクター免許保持者)にスキーの滑り方を手取り足取り教えてくれた。
なんか、挙げていったらキリがないので、ここまでにしておくけれど、前の会社では、上記の10エピソード以外にも珍事件や変な出来事はしょっちゅう起こっていた。 こうして冷静になって考えると、前の会社に戻らない限り、私が楽しんでいた「珍事件」「珍エピソード」は起こらないような気がする。 でも、この年齢での転職は難しいし、前の会社も人が入れ替わっている事が予想できるので、以前ほど面白い職場ではなくなっているような気がする。
結論としては、今の会社に在籍し続けるのがベストという事に至った。
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wangwill66 · 2 months
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腦疲勞
H:亞洲旅遊台醫師好辣119集「小心!大腦過勞,讓你越變越笨!」曾國藩「精神愈用愈出,智慧愈苦愈明。」透支使曾國藩活61歲。「成功者須有風波災難。」身體要顧,腦袋才靈光。常笑人「頭腦簡單,四肢發達」,實際是四肢發達,頭腦更進化。20240803W6
網路資料
高速運轉的生活,讓人分心的海量資訊,永遠做不完的工作,永遠回不完的LINE,不要懷疑,腦疲勞已經成為現代人的常態。
理解能力不強或記憶能力不佳。如:「笨蛋」、「愚笨」。
不靈巧、不靈活。如:「笨手笨腳」。《兒女英雄傳》第一三回:「我的嘴笨,也說不上個甚麼來。」
龐大沉重。如:「笨重」。《清史稿.卷一四九.交通志一》:「有鐵路,則機器可入,笨貨可出。」
腦疲勞
大腦若長期過勞,又沒有適時保養,將會爆發「身心症」,或稱「精神疾病」。 腦細胞長期處於亢奮狀態,交感神經過度活化的結果,焦慮症與恐慌症會上身,外帶自律神經失調,全身上下疾病叢生。 當殘餘的能量耗盡,腦部活性轉趨低下,憂鬱症將悄悄襲來,奪走你所有的快樂,享受,思考與生活能力。
如何解決腦疲勞?
就能擺脫大腦疲勞,改善身體和精神健康,讓人神清氣爽更有精神。
專注地去感受腳底的感覺
專注地「喝飲料」
溫熱眼周
將周遭的顏色轉換為言語
在浴缸裡用心呵護自己
進行「步行冥想」
用「3階段分析法」解除負面情緒
藉由「拉環冥想」感受內心的自由\
曾國藩:
精神愈用而愈出,不可因身體素弱,過於保惜;智慧愈苦而愈明,不可因境遇偶拂,遽爾摧沮。
曾國藩的一生,會發現他只活了六十一歲,三十歲即患肺病大吐血,三十五歲上患癬疾,後半生常被此病弄得痛苦不堪,四十七八歲上得了嚴重神經官能症,五十多歲患高血壓,最後以腦中風而猝死。
有志則不甘為下流,有識則知學問無盡,不敢以一得自足,有恆則斷無不成之事,三者缺一不可。
頭腦簡單,四肢發達,諺語,拼音是tóu nǎo jiǎn dān ,sì zhī fā dá,意思是人身體健壯,但不善於思考。
曾国藩读书与做人
作者
曾国藩
译者
张宏杰 / 吴久民
出版社
国际文化出版公司
出版时间
2012年12月
作品目錄
前言
第一部分讀書
一、守住一口井,直到挖出水來
二、考試在即,未看完的書也不能丟下
三、讀書不求強記,卻須弄個明白
四、善於讀書的人,必須把書看���水
五、絕大部分學問就在家庭日常生活之中
六、要做出如火如荼的文章
七、文字好比人身上的血氣
八、善於用墨,能讓一種神光活色浮於紙上
九、五箴併序
十、求闕齋記
十一、書學案小看後
十二、祭韓公祠文
十三、聖哲畫像記
十四、王船山遺書序
第二部分做人
一、不敢以阿諛奉承取悅聖意
二、與其將來受大言欺君之罪,不如此時據實奏明
三、崇綸稍有天良,亦當以一死圖報
四、封詰敬領新頒頂戴仍從舊秩
五、左宗棠之才實可獨當一面
六、矯正不白不黑不痛不癢之風
七、君子直道而行
八、不佔他人便宜,不望他人回報
九、精神愈用而愈出,智慧愈苦而愈明
十、盈滿之時,不待天平,當預先自平
十一、只因傲之一字,百無一成
十二、享福太早,將來恐到老
十三、亂世居華屋廣廈,尤非所宜
十四、亂世宜藏之深山,不宜輕出門一步
十五、與官相處,不親不疏之間
十六、用紳士不比用官,千萬不要揭露紳士的短處
十七、願子孫為耕讀孝友之家,不願其為仕宦之家
十八、絕不肯積留銀��給後人
十九、再困窘,也不可索窮友之債
[1]
參考資料
我們的頭腦像一個漸漸堆滿舊物的穀倉一樣,被塞得滿滿的,我們根本無法動彈,無法前進。然而,生活就是要向前走。雜亂堆積會讓人無所適從、憂心忡忡和委靡不振。
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ari0921 · 8 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月13日(火曜日)弐
    通巻第8130号 
 『醜い中国人』(柏楊)から『悲しい中国人』へ
  『国進民退』という状況のなか、中国国民は搾取に喘いでいる
*************************
 中国経済は「ルイスの転換点」を超えた。これはアーサー・ルイス(1979年度ノーベル経済学賞)が「途上国で農民が工業化の都会へでて成長するシステムは、ある時点で余剰労働力がなくなる」とした仮説で、「ルイスの転換点」と呼ばれるようになった(ルイスは英国籍の黒人。米国でもプリンストン大学で教えた)。
不動産バブルが瓦解し、都会の建築現場から労働者が去った。地方の公務員、教員らは給与の遅配に喘ぐ。中国各地では米国への輸出が激減したばかりか外資が去って、レイオフがつづき、雇用機会がなくなった。清掃も地方政府の予算が削られて、町中がゴミに溢れ、あまりのことに臨時清掃員を募集すると若者の応募がすぐに集まる。ボランティアを呼びかけても無料奉仕はしない。想定以上に経済の退潮が深刻である。
 かようにして中国においては「ルイスの転換点」が崩れ、労働市場における需給の競争価格は賃金の大幅な上昇(=利潤率の縮小)が起きたが、富の分配を誤り、軍事大国優先としたため西側の制裁に遭遇する。先進国からの設備投資や技術移転による後発発展モデルはここで限界に達した。中国は経済構造の自発的な変革が起こせない。つまりは長期のスタグフレーションに突入する。習近平独裁政権の元では改革の青写真をえがける改革派(=共青団)が悉くパージされたため、高度成長の再現は考えにくくなった。
 中国人の特性は「息を吸うように嘘をつく」。嘘の上塗りが続き真実は誰も知らない。
 官吏の特性とは「賄賂、賄賂、賄賂、賄賂。。。。。。。」(林語堂)
 中国政治の特徴とは「革命 革革命 革革革命 革革革革命。。。。。。」(孫文)
 庶民の特徴は「上に政策あれば、下に対策あり」である。
 すなわち成長がとまったばかりか、中国経済は崖っぷちにあるというのに、GDP成長率が5・2%などと絵空事を唱えるのは、嘘の上に嘘で固めたが故に誰も本当のことが分からないからである。
 かつて中国人人気作家の柏楊が『醜い中国人』を書いてベストセラーとなった。光文社の編集者から原本入手を頼まれ、筆者は台湾の友人に電話して速達航空便で送って貰った。1988年に日本語版(宗像隆行らが翻訳)がでて日本でも評判となった。2022年、柏楊未亡人は、『醜い中国人』を絶版とした。台湾でも中華思想組が残存しているから政治的圧力をかけたのではないかと推測される。
 2024年初頭、中国の株式市場の時価総額は六割減となった。
潤沢にあった投機資金が忽然と「蒸発」していた。外国ファンドは90%が引き上げた。中国証券監督管理委員会の易会満主席は責任を取らされて解任された。
マンション建設が中断し、物件がひきわたされない。けれどローンは自動的に引き落とされる。庶民は不動産ローンの支払い中断で抗議した。不動産デベロッパーのドル建て社債はデフォルトの連続。凄まじい焦げ付き。倒産デベロッパー本社へ抗議活動をおこなうと公安が自宅にやってきて「二度と加わるな」。
個人の預金残をしらべて「不動産を買え」「株を買え」「BYDを買え」と脅迫まがい。
 バブル破綻の惨状は、まだ序の口、これから凄まじい経済破綻の地獄がはじまる。
債務総額1京円。社会融資総額7200兆円(シャドーバンキングを含めて)。うちわけは銀行ローン4600兆円、ノンバンク2700兆円(中国のGDP=2886兆円)
地方自治体の累積赤字は1600兆円(融資平台の債務残高。公称でも1200兆円)。新幹線の累積赤字は114兆円。地方都市の地下鉄も想像を超える赤字。2024年内に償還(返済期限)となる社債は140兆円!
外貨準備が3兆ドルあるのなら、なぜ米国債を静かに売却し、外銀からドルを借りるの? つまり外貨準備高はゼロに近いとみてよいだろう。外国銀行から借りたドルも、外貨準備高に算入していたのだから。
既に十数年前から黄文雄が指摘していた。
若い中国人にアンケートをとると、「来世は豚でもいいから中国人には生まれたくない」と回答するのが60%以上だった。未来が暗くて夢がないのなら、結婚もしない。子供も作らないという人生観に陥る。
驚く勿れ、中国の出生率、日本より低くなった。
富裕層は資産を海外へ移し、子供たちは外国に移住させ人民元の資産を持たない。
2月10日から始まった旧正月で、日本にやってきた中国人観光客がまず何をしたか。福島産魚介の輸入を禁止しているが、その情報を信じていない庶民は寿司屋へ駆けつけた。
爆買いの対象は宝飾品、とくにゴールドか骨董(ローレックス等)。金コイン、ダイヤモンド、宝飾品となった。人民元が崩落しても、価値が保たれる資産への換物投機が、中国国民が出した回答だった。
すなわち「上に政策あれば下に対策あり」の智恵が顕現されたのだ。
このような投資行動の心理的背景には庶民が人民元を信用していないからである。政府を信頼せず、独自の行動をとって身を守るのである。
嗚呼。悲しい中国人!
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peterchiublack · 2 months
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好意外,居然是由這位香港僑生,來講出我們這一輩台灣人的老故事,而且出奇的完整,實在教人驚異,這真是台灣人最幸福的時代!
*原文刊載於《文創達人誌》60期,可惜~永~遠~回~不~去~了!
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林野,那個沒有手機的年代,《文創達人誌》60期,2018. 09。
*原文刊載於「文創達人誌」60期,2018. 09
▶應該是本名【溫德生】的另一位筆名同為【林野】的作家。 [溫德生]本籍廣東新興,出生地“香港”,1957年來台。此資訊也與本文內容所謂「從香港舉家遷台」事情相符合。 詳見 國立台灣文學館 檔案資料 :
https://db.nmtl.gov.tw/site4/s6/writerinfo?id=815
上個世紀的五十年代,從香港舉家遷台,因不會說國語,學校硬將我降一級從小三讀起,每次老師口頭規定課後作業,因沒聽懂,不是寫錯,就是沒寫,第二天少不了被打手心,一度視上學為畏途。
第二學期總算克服了語言障礙,從此國語科考試成績突飛猛進,有一次月考考燈的單位,全班沒人答對,惟有我寫的「一盞燈」得到一百分,那一個兇巴巴的女老師就不再打我了。
學期結束,學校發給學生的獎品都很寒酸,不過是墊板一塊,以及有橡皮頭的「雄獅」鉛筆四枝。記得這個牌子算���比較高級的,有時候也會改發「月光」香水鉛筆,至於手刨鉛筆機還不多見,大家都是用「手掌牌」的小刀削。五年級時的導師是一位師大畢業的女僑生,作風比較闊氣,她買給學生的獎品是「王樣」水彩盒,可惜僅教了一年就回香港了。
在那個家庭收入捉襟見肘的時代,孩童沒有什麼零嘴可吃,餅乾是秤斤兩賣的,鐵罐裝的「金雞餅乾」則是餽贈親友的好禮。
有些父母將麵粉加點砂糖乾炒,當作子女的甜點,成為日後古早味的麵茶;每逢爆米花的三輪車過街,孩童就帶着裝米的罐子蜂擁而至,圍觀小販的震天一爆。以前用過的克難物品在懷舊的柑仔店裡已不多見,像「天鵝牌」非肥皂、「百雀羚」面霜、「窮人木頭」的竹器、升火的煤球爐等,許多嬰孩是吃「仙童牌」代奶粉長大的。
「白雪公主」泡泡糖搶先在「夢夢」口香糖之前銷售,風靡全台,5角一盒,縱使不會吹泡泡,也會迷上它附贈的彩色卡片。或許這是台灣第一種「文創」商品,以三國演義、封神榜的人物引誘購買慾,宣稱集滿100號可換自行車一台。我曾經花了幾年,收集到的卡片六十多張,卻在初二的數學課被老師整盒沒收,下課後哀求她賜還不成,幾乎恨她一輩子。
當年的自行車最初是以倒轉踏板剎車的,後來纔改進為手剎車。一台「伍順牌」自行車售價要幾百元,許多公務員分期付款作為上班代步的交通工具,學生如果能有一輛,簡直是奢侈品。不可思議地,那時規定前輪的車柱要掛車牌繳稅,無牌上路會被警察攔下,這種怪法規到高中畢業後終被取消。
三、四年級最懷念的童年讀物,八成會說是葉宏甲的諸葛四郎漫畫。從「大戰魔鬼黨」看到「大破山嶽城」,儘管老師禁止帶到學校,還是偷看不誤,這也成為日後整套時出版,廣被老讀者們的訂購,至於優良讀物「東方少年」還沒它那麼流行。
有時隨父親上台北,他會帶我逛重慶南路挑幾本回頭書,整條街都是櫛次鱗比的書店,知書達禮的人很多,現在老字號書店已剩下沒幾家了。
九年國民義務教育尚未延長之前,初中入學有聯考,學生開始用鋼筆寫作業,記得SKB是最普及的品牌,吸墨水時要拉下筆桿側邊的開關,當時擁有一支美國製的派克21鋼筆可真叫人羨慕。老師批改作業還是使用沾水鋼筆,墨水有兩個牌子─「銀行牌」和「派克牌」,用久了需要換筆尖,後來陸續出現的國產「利百代」和「玉兔牌」原子筆,兩者都會漏油,法國製的Bic和Reynolds 原子筆,趁勢進佔文具市場。
武俠小說開始盛行,臥龍生、司馬翎、諸葛青雲等人的作品成為市俗的大眾文學,故事中的刀光劍影、江湖風雨,常帶給人們想像空間的快感。坊間的租書店也多,不知何故,書的版面狹窄,封面和底面都裝訂了厚紙板,好像是為了偷看的方便,後來有了菊16開的版本,終於大方地行俠天下。
上了高中,瓊瑤的言情小說取而代之,成為早熟少男少女的喜愛,那時的學校皆以「禮義廉恥」為共同的校訓,男生的頭髮很短,女生裙子很長。每學期的軍訓課都會到三張犁打靶,國文課本裡打了圈的文章都要背誦,考卷會有一段默寫。「文星」和「水牛」出版的口袋書流行起來,高三時好奇地讀完王尚義的「野鴿子的黃昏」和「狂流」。
1962年台視首先開播,黑白電視機改變了人們的生活,慎芝主持的「群星會」,打響了綜藝節目的第一砲,接着田邊製藥贊助的「五燈獎」也不遑多讓。
1969年中視也跟着開播,家裡終於有了一台電視機,兩部連續劇「晶晶」和「情旅」的劇情雖已模糊,但猶記得後者的主題曲中幾句歌詞:「在寂寞的旅途中 偶然的與他相逢,他的笑靨,使我神往;他的眼睛,使我迷惘」,引起許多人坐火車的遐想。
不久入伍當兵,那陣子台視每星期會播映一次日本的職業摔跤節目,晚點名剛解散,士官兵就湧向中山室看兩頭怪物,豬木和馬場在擂台上打鬥,超過10點,值星班長就跑來趕人就寢。至於夜間看少棒是默許的,祇要向衛兵登記,時間一到就會叫你起床。在台灣青少棒所向披靡之年,上班族犧牲睡眠,深夜觀戰,每場勝仗都振奮人心。
退伍後愛上洪小喬主持的「金曲獎」節目,她的闊邊草帽半遮臉孔,吉他輕撥彈唱,直到最後一集纔揭開廬山真面目。
1972年美國總統尼克森訪問大陸,1978年中美斷交,刺激了國內年青人的文化覺醒,於是校園民歌萌芽,發展成為國內流行音樂的主流。學歷高的民歌手轉向用自己的語言,創作自己的歌曲,形成靡靡之音外的一股清流。
七十年代彩色底片夢幻成真,美國的「柯達」和「伊士曼」,日本的「富士」和「櫻花」是我儲存大學繽紛記憶的道具。當年「柯達」製作了一支非常經典的反越戰廣告,一個返鄉的士兵走下火車,畫面忽響起湯姆・瓊斯的Green green grass of home,印象深刻。最初因沖洗費不便宜,故不敢多拍,後來各地快速冲印店的興起如雨後春筍,加上操作簡易的傻瓜相機上市,生活的點滴皆可信手捕抓。
此一時期,市面上出現TDK和SONY的卡式錄音帶,成為學習英語,考TOEFL的工具,從此音樂卡帶變成方便的載體,完全攻佔了黑膠唱片的市場,我買的第一個卡帶是理查・克萊德門(Richard Clayderman)的浪漫鋼琴演奏。隨身聽也繼之應運而生,成為愛樂者的新潮電器,我買的第一台是獨眼龍商標的「戴陽」,體積幾近磚頭般大,由於嫌它笨重,又買了一台SONY推出的Walkerman趕上時髦。
迄今不少人會將參加過的救國團活動和黃金歲月畫上等號,昔日夏令和冬令戰鬥營在軍方的支援下,報名人數極踴躍,常有向隅之憾。我在大三的寒假被學校保送參加交通大學舉辦的「歲寒三友會」,記得參加者皆是大專和軍校社團的菁英,文武青年交融成一片,聆聽講師的領袖培養課程,遊戲間學習團隊合作,惜別時刻依依不捨,有人也在活動結束後仍藕斷絲連,找到未來的妻子。
經國先生主政的年代,吏治澄明,推動十大建設,加上孫運璿等清官,帶給台灣空前的繁榮,人民對經濟起飛亦與有榮焉。當時的生活雖嫌單調平淡,但學校有規矩,社會有秩序,人人睡眠充足,因為三家電視台到了深夜12點就唱國歌停播,商店的霓虹燈有節電管制,夜店甚少,也沒有24小時營業的7-Eleven。
七十年代老三台播映的美國電視影集,很受國人青睞,從中視的「愛之船」開始,啟發我對美國文化的認識,出國前買了「三人行」學英語。記憶較深的是「法網恢恢」,劇中的小兒科醫師理查・金波為了昭雪沉冤,在各州浪跡天涯,據說真相大白的最後一集收視率高達五成七,然而來到美國始終沒看到電視的重播。幾年前我買到它的第一季影集,完結篇卻是從網路下載的,以前看過的「勇士們」和「虎膽妙算」也陸續找到,當作記憶的時光標本。
九十年代學成歸國,公車上有人手持「黑金剛」打電話,公共電話亭越來越少,心態一時不能調適變化中的大環境。諸如e世代追求次文化,言行率性,祇要我喜歡有何不可?21世紀到臨,智慧型手機帶來想像不到的方便,但人際關係反而變得複雜。回想那個打電話要投幣的年代,收到朋友的來信時,心情是超愉快的,因它是經過書寫和投遞的,具有溫度。
幾年前的小學同學會,有人提起那位打人很兇的導師,次日和同學到天母去探望她,快90歲了,大家合送一個紅包,據說她壓在枕頭下,捨不得花。當年沒收我收集泡泡糖卡片的數學老師,也在初中的同學會中遇到,我趨前向她敬酒,如果那些卡片依然無恙,可是柑仔店裡稀有的古玩。那個沒有手機的年代是民風淳樸,社會有感覺,人間有情義的年代,好似一張純樸無華的黑白照片,不以色彩取勝。
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kennak · 1 year
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こういう棚卸しは面白いな。関西も乗っかるわ。東京みたいに全部が一点に集中してないからエリアは京阪神+αで許してや。1 演劇あんま詳しくないけど、なんつっても宝塚やな。大箱は梅田芸術劇場、京都劇場、オリックス劇場あたりかな。それから、生き残ってる大衆演劇は阪神地域が中心なんちゃうかな。京都は学生が多いから小劇団もいっぱいあるで。増田はヨーロッパ企画のサマータイムマシンブルースを西部講堂で見たのがちょっとした自慢や。2 美術・建築建物が古いからな、世界遺産が5件あるで。姫路城、法隆寺、京都、奈良、百舌鳥古市古墳や。建物の中にも美術品がたくさんあるから、重文が町のそこらへんに転がっとるで。一見ただのベッドタウンでもいきなり西国三十三所に出くわす楽しみもあったりするしな。曜変天目基準やと関西は2点あるから関東より多いで。伝統建築だけやのうて、近代建築も京都・大阪・神戸の中心地に点在してるな。京都は南禅寺の水路閣、大阪は中之島の日銀、神戸は旧居留地が増田の好みや。もちろん現代建築も充実しとるで。ガラス張りの京都駅と梅田スカイビルは原広司の代表作やな。国立美術館・博物館やと、京都と奈良の博物館、大阪の国際美術館、それから万博記念公園の民族学博物館や。みんぱくはいいぞ3 メセナさすがにこれは大企業が多い東京の方が有利や。サントリーはなんで東京でがんばってるんやろな?ローム、京セラ、竹中工務店、神戸製鋼あたりが有名なんかな。4 伝統芸能落語は上方で成立して現代に至るからな、さすがに譲れんで。人形浄瑠璃もほぼ大阪の独自芸能や。歌舞伎は南座と大阪松竹座で盛んにやっとるで。能楽は明治期に東京に行ったけど、華道と茶道はほぼ京都文化ちゃうか?5 サブカルチャー関西やとほぼメインカルチャーな気もするけど、このカテゴリーでお笑いを外すのはありえんな。関西弁が方言の中で唯一全国どこでも意味が通じるのは7割ダウンタウンのおかげやと増田は思っとる。増田の経験やから今も盛んか分からんけど、京都にはオシャレ~な本屋やら雑貨屋もめっちゃあったで。6 漫画・アニメ出版社とテレビ局が東京に集中しとるからこれは東京が強いな。ただ京都には有名なスタジオがあるで。同人イベントはコミケほどやないけどCOMIC CITYが大規模にやっとる。インテックス大阪でやるから通称インテやな。7 音楽・映画元増田が書いてないけどこれも挙げとくで。箱の話がメインになるけどな。増田はクラシック畑やからいいホールが点在してる印象が強いんや。大阪のシンフォニーホールとフェスティバルホール、西宮の兵庫県立芸術文化センター、京都の京都コンサートホールあたりにはちょくちょくお世話になるで。でも海外オケの公演がなかなか来ないのは事実や。悲しいわ。ポピュラーやと大阪城ホールが一番有名やろ。ライブハウスがたくさんあるはずやけど、よく知ってる人が補完してくれるのを期待しとくわ。ジャズは神戸かと思ったらなぜか高槻で盛んやな。映画は(追記:単館が)京阪神合計で東京の半分くらいみたいやね。増田は行ったことないわ。8 食関西でこれを書かんと片手落ちや。京都と大阪の懐石、京都の精進料理とそばとラーメン、大阪の粉もんとスパイスカレー、神戸の鉄板焼きと芦屋の洋菓子、みんな最高やな。もちろんパンも充実しとるで。(追記)トラバとブコメのおかげでいろんなこと知れたから増田は嬉しいわ!ブログでなく増田に書いてよかった!トラバでも書いたけど、ゲームは活動範囲が関西に収まってないかなって思って外したんや!アリスソフト好きやで!はてな?あかんあかん!お茶の一杯も出してから出直しや!スポーツは野球とかラグビーとか考えたけどガンバのしょっぱい成績が頭をよぎって外してしまったわ!エリアは東京と比べるために京阪神+αに絞ったから滋賀と和歌山は入れてないし奈良も世界遺産でしか入れてないんや!すまん!石山寺も黒壁スクエアも高野山もパンダも大好きや!猛虎弁みたいな妙な関西弁は書き文字にするとなんかポロッと出てしまうんや!堪忍な!
関西の文化(追記)
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honyakusho · 2 months
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2024年7月18日に発売予定の翻訳書
7月18日(木)には26点の翻訳書が発売予定です。
自閉症とその他の神経発達症のESSENCE(エッセンス)
Tumblr media
クリストファー・ギルバーグ/著 田中康雄/監修 畠中雄平/監修 北添紀子/監修 石川ミカ/翻訳
明石書店
ヒーリングウォーターオラクル
レベッカ・キャンベル/著 ケイティ・ルイーズ/イラスト 岩田佳代子/翻訳
JMA・アソシエイツ
配色スタイル ハンドブック ファッション・パレット
ローレン・ウェイジャー/著 ソフィア・ノリーン・アフマド/著 和田美樹/翻訳
ビー・エヌ・エヌ
ナイルの聖母
スコラスティック・ムカソンガ/著 大西愛子/翻訳
講談社
父が子に語る科学の話 親子の対話から生まれた感動の科学入門
ヨセフ・アガシ/著 立花希一/翻訳
講談社
慈悲の瞑想 : 慈しみの心
春秋社
進化論の射程 : 生物学の哲学入門
エリオット・ソーバー/著 松本俊吉/翻訳 網谷祐一/翻訳 森元良太/翻訳 丹治信春/監修
春秋社
動物城2333
荷午/著 王小和/著 島田荘司/翻訳
講談社
哺乳類の興隆史 : 恐竜の陰を出て、新たな覇者になるまで
スティーブ・ブルサッテ/著 黒川耕大/著 土屋健/翻訳
みすず書房
ハイブリッド・ヒューマンたち : 人と機械の接合の前線から
ハリー・パーカー/著 川野太郎/翻訳
みすず書房
だから私たちは人生を変えていける : 「思い通り」を実現する心の法則
ウエイン・W・ダイアー/著 渡部昇一/翻訳
三笠書房
ザ・グレートボールゲーム : 語り継がれるアメリカ先住民のおはなし
レベッカ・シェイア/著 ジョシュア・ステックリー/イラスト 山口順子/監修 津内香/翻訳
世界文化社
つかめ!理科ダマン 7 みんなで地球を冒険!編
シン・テフン/著 ナ・スンフン/イラスト 呉華順/翻訳
マガジンハウス
THE UNIVERSE IN A BOX 箱の中の宇宙 : あたらしい宇宙138億年の歴史
アンドリュー・ポンチェン/著 竹内薫/翻訳
ダイヤモンド社
バリアの破壊者
クルト・マール/著 H・G・エーヴェルス/著 岡本朋子/翻訳
早川書房
パナマの仕立屋 上
ジョン・ル・カレ/著 田口俊樹/翻訳
早川書房
パナマの仕立屋 下
ジョン・ル・カレ/著 田口俊樹/翻訳
早川書房
マッキンゼー : 世界を操る権力の正体
ウォルト・ボグダニッチ/著 マイケル・フォーサイス/著 中山宥/翻訳
早川書房
万博と殺人鬼
エリック・ラーソン/著 野中邦子/翻訳
早川書房
台湾文学コレクション2 風の前の塵
施叔青/著 池上貞子/翻訳
早川書房
夜、すべての血は黒い
ダヴィド・ディオップ 加藤かおり/翻訳
早川書房
グッド・フライト、グッド・シティ : パイロットと巡る魅惑の都市
マーク・ヴァンホーナッカー/著 関根光宏/翻訳 三浦生紗子/翻訳
早川書房
スパイダーマン/スパイダーグウェン :シッティング・イン・ア・ツリー
ブライアン・マイケル・ベンディス/著 サラ・ピチェッリ/イラスト 光岡三ツ子/翻訳
小学館集英社プロダクション
バットマン&ジョーカー:デッドリー・デュオ
マーク・シルベストリ/著・イラスト 中沢俊介/翻訳
小学館集英社プロダクション
新版 ゆるすということ
ジェラルド・G・ジャンポルスキー/著 大内博/翻訳
サンマーク出版
デシベル・ジョーンズの【銀河/スペース】オペラ
キャサリン・M・ヴァレンテ/著 小野田和子/翻訳
早川書房
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