#雨宿り絵日記
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Amayadori Illustrated Diary #022-#028
Alright, strap in, friends, this is going to be a long one.
Chapter 22 references a classic japanese tradition in which, in order to overcome the stress and anxiety that comes with standing in front of a crowd, one draws the character for "person" on the palm of their hands three times (hence why Atsu says "it's one too many") and pretends to gulp it down.
According to at least these two QAs i found, this practice comes from the idiom "人に呑まれる, to be swallowed up by a crowd". Seeing that the verb for "swallowing", 呑む, can be used in both the "swallow a thing" and "being overwhelmed by something" senses, the practice aims to ease the pressure put on an individual by reversing the situation, that is, the individual simbolically swallows the crowd instead.
The punchline of the chapter relies on the fact that Ame guides Sooda to draw the character for "Umbrella", 傘 instead. In Japanese, Kanji can be merged together in order to form other Kanji, and indeed, the Kanji 傘 is formed by four repetitions of 人, a "cross" (十, the number 10) and a "roof" (𠆢, doesn't really mean anything on its own).
Of course, seeing how it involves extreme wordplay with japanese characters, it was essentially impossible to localize, which is why i left the characters in the speech bubbles to see if I could still get it across.
On chapter 25, Atsu brings up various terms that refer to the blossoming of cherry trees under a rainy/cloudy weather, these are, in order of appearance:
• 桜雨, lit: Rain cherry blossoms, translated as rainy blooms, and 桜流し, lit: Cherry blossom wash/flow, translated as flowing blossoms. These are nouns made by joining "Cherry blossom" with other words, and don't have a direct translation or equivalent in english;
• 花ぐもり, lit: Clouds made of flowers, translated as clouds of bloom, is used when the flowers are blooming under a cloudy weather;
• 花冷え, lit: The cooling from the flowers, translated as petal breeze, refers to flowers blooming when the winds are chilly;
• 花風, lit: flower winds, translated as wind blossoms, refers to when the wind blows through the blooming flowers;
• 花嵐, lit: flower storm, translated as such, refers to when the blossoms are hit by a strong rain, scattering their petals around.
The punchline of the chapter comes from Sooda suggesting Mapo Glass Noodles, "麻婆春雨", the kanji for "glass noodles" is Harusame, "春雨", which also refers to the gentle drizzles of rain that occur during springtime. I tried my best to localize it but i found it very hard to get it across without leaning too much towards one meaning in particular, so i figured i'd make a note instead.
On chapter 27, Sooda says she bought the food from a デパ地下, which translates more literaly to "underground department store". From what i could understand, some department stores in Japan prefer to sell their perishables and other foods in an underground floor, however, over time, the term simply came to refer to the food sections in department stores in general.
The archive for their first live concert has since expired, however, the physical release for their 1st album, also titled "The Umbrella Folds Down", seems to still be up on the Findmestore. Alternatively, you may simply listen to it on streaming.
If you use LINE, you may also purchase their Sticker collection.
Read the originals:
Chapter 22, 23, 24, 25, 26, 27, 28.
Comic by Fukasaku Emi: @ i_moni on Twitter
Amayadori Project:
@ amayadori_info on Twitter
@ amayadori_official on Youtube
Amayadori are Utaite Sooda (@ sooda_oda on Twitter and Youtube) and composer Mizuno Atsu (@ atsu361 on Twitter and Youtube)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたの��選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅を��ていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅵ
花鳥誌2024年6月号より転載

日本文学研究者
井上 泰至
10 思ひ川渡れば又も花の雨
初出は『ホトトギス』昭和三年七月号。「貴船奥の宮」と前書き。『五百句』には、「昭和三年四月二十三日 (���山)泊雲、(野村)泊月、(田中)王城、(田畑)比古、(同)三千女と共に鞍馬貴船に遊ぶ」と注記。
成立の事情は『ホトトギス』昭和三年九月号の、「京都の暮春の三日」なる虚子の紀行文に詳しい。二十一日夜、大阪で「花鳥諷詠」の初出とも言うべき毎日新聞社での講演の後、東山から鞍馬・貴船・大原と洛北を巡った。二十三日当日は、前日ほどの雨ではないが、天気は悪く、かなり寒かった。鞍馬から貴船に向かい、昼食の後、幸い雨もあがって貴船神社から奥の宮へと向かい、宿に戻って句会を行い、掲句は「春の雨」の形で披露されている。
本井英氏は「虚子『五百句』評釈(第五五回)」(『夏潮』)で、昭和十年三月発売の「俳句朗読」レコードに添えられた自注を紹介している。それによると、貴船神社を参詣後、貴船川という小川にそってさらに物寂しい奥の宮に着くと、ほとんど参詣する者もなく、辺りには桜がたくさん咲いており、落花もあれば老樹もあった。貴船神社でも雨だったが、しばらく降ると止み、奥の宮にゆく道にある思ひ川が貴船川に流れ込んでおり、そこでまた降り出した、という。
当初「春の雨」としたのは、京都特有の、降ったりやんだりする「春雨」を実地に体験した報告として成った、ということだろう。それが様々な桜を濡らし、花を散らして川に流す方に重心を置いて「花の雨」とした。ここで「又も」が報告に終わらず、奥山の桜の様々な姿態を想像させる、繚乱の華やかさを得るに至った。
「思ひ」は、和歌では恋の火を連想させ、貴船には恋の説話が堆積している。恋多き女、和泉式部も夫の心変わりに貴船にお参りをし、貴船川を飛ぶ蛍を見て、歌に託して祈願をしたら、ほどなく願いが叶い、夫婦仲が円満に戻ったという故事がある。
さらに、謡曲「鉄輪」では、嫉妬に狂った公卿の娘が 貴船社に詣で、鬼神にしてほしいと祈願し、明神の託宣があって、娘は髪を分け、五本の角をして、足に松明をつけ、これを口にもくわえ、頭にも火を燃え上がらせて鬼の姿に変じたという。
虚子は、こうした幾多の恋の話を面影に、一句を絢爛たる「花の雨」に転じて詠み留めたのである。
なお、田畑夫妻は祇園の真葛原でにしん料理屋を営む。吟行に侍した三千女は、かつて千賀菊の名で祇園の一力に出ていた舞妓であった。虚子の祇園���舞台にした小説『風流懺法』の三千歳のモデルである。
11 栞して山家集あり西行忌
『五百句』に「昭和五年三月十三日 七宝会。発行所」と注記。
この句については、『夏潮虚子研究号』十三号(二〇二三年初月)に私見を披露しているので、ここにそのあらましを再記する。
最近提出された岸本尚毅氏の掲句に対する解釈の要点は、以下の通りである。「山家集」と「西行忌」という、氏によれば同語反復に終始したこの句は、
「定型と季題以外何物もない」句ということになる(『高濱虚子の百句』)。そもそも膨大な数残る虚子句から、配合の句に絞って論じた所に本書の狙いがある。通常季題と季題以外の取り合わせに俳人は苦心するが、氏に拠れば、虚子にはその迷いの跡がない、と言う。その理由を探ることが本書の目的でもある、とも言う。
従って、標題句もそうした関心から選ばれ、「人の気配がない」句として解釈されるに至る。その真意は、本書の最後に置かれた「季題についての覚書」に明らかである。岸本氏によれば、虚子の配合の句は、一般のそれより季題に近いものを集めた「ありあわせ」なのだという所に落ち着く。虚子の工夫は、季題を季語らしく見せることにあり、それは季題のイメージの更新でもあった、という仮説が提示される。
ここまで確認したところで、掲句を眺めれば、「西行忌」から「山家集」を「ありあわせ」、「栞」がどの歌になされているのか、その折の情景や人物はほぼ消去されているというのが、岸本氏の解釈であろう。
ただし、岸本氏は、「おしまいにまぜっかえすようなことを」言うと断りを入れて、「句はあるがままにその句でしかない」というのも虚子の真意だったろう、と記している。
これを私なりに敷衍して述べれば、虚子にもともと二物衝撃のような俳句観は極めて希薄だったのだから、標題句のような一見すると同語反復に見える「ありあわせ」については、季題がどれで季節がいつかといった議論を無効にする句作りがなされていたことになる。したがって、「同語反復」の良否を議論することは、虚子の句の評価においては、本質的ではないことになる。
虚子の読書を題材とした句にも、標題句より取り合わせの色が多少は濃いものがある。
焼芋がこぼれて田舎源氏かな
昭和八年の作なので、標題句から詠まれた時期も遠くない。『喜寿艶』の自解はこうである。
炬燵の上で田舎源氏を開きながら焼藷を食べてゐる女。光氏とか紫とかの極彩色の絵の上にこぼれた焼藷。
絵入り長編読み物の合巻『偐(にせ)紫田舎源氏』は、本来女性向けの読み物であった。白黒の活字印刷ではない。木版本で、表紙および口絵に華麗な多色摺の絵を配した。それらは、物語上の主要な人物を描くものではあるが、顔は当代人気の歌舞伎役者の似顔絵となっていた。
「読書」というより、「鑑賞」と言った方がいいこの手の本への接し方は、色気を伴う。主人公光氏は、光源氏のイメージを室町時代の出来事に仕立て直したものである。そこに食い気を配した滑稽と、冬の余り行儀のよくない、それが故に微笑ましい、旧来の読書の季節感が浮かんでくる。確かにこれから比べれば、西行忌の句は人物の影は薄いし、西行の繰り返しということにはなる。周到な岸本氏は、
去来抄柿を喰ひつつ読む夜哉
落花生喰ひつつ読むや罪と罰
など、虚子句から同じ発想のものを、「焼芋」句の評で引いてもいる。 そこで、標題句の解釈の焦点は、「栞」が「山家集」のどこにされているのかについての推論・推定に絞られてくる。まずは『山家集』中、もっとも有名な次の歌が想起されよう。
願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃
西行は出来ることなら、旧暦二月の望月の頃に桜の下で死んでゆきたいと願った。『新歳時記』よりさかのぼり、標題句の成立から三年後に出された改造社版『俳諧歳時記』(昭和八年)の「西行忌」の季題解説は、虚子が書いている。この歌を引いて、その願望の通り、二月十五日か十六日に入寂したことを伝えている。従って、掲句についても、この歌と願い通りの入寂を想起するのが順当であろう。その意味で、この句は��花」の句の側面を持つことになる。
ここまでくると、一句の解釈は、読み止しにした人も、「願はくは」の歌に「栞」をした可能性が出てくる。また、仮にそうでななくとも、「西行忌」に「栞」された「山家集」からは、西行と花の奇縁を想起するのは、当然のことと言えるだろう。
花有れば西行の日とおもふべし 角川源義
例えば、この句は「西行忌」ではなく、「花」が季題だ、という事に一応はなるだろう。また、「西行の日」を「西行忌」と考えてよいのか、という問題も残る。しかし、一句は「桜を見れば、桜があれば、その日を西行入寂の日と思え」という意味であり、「西行入寂の日」の奇縁、ひいては西行歌と西行の人生全体への思いがあふれている。むしろ、「西行忌」という枠を一旦外すことを狙った、広義の意味での「西行忌」の句と言えるだろう。
逆に虚子の句は、「西行忌」に「山家集」を持ち出すことで、和歌・俳諧の徒ならば、西行の作品とともに、その生きざまに習おうとする思いは一入のはずではないか、というところに落ち着くのだろう。「栞」をした人を消すことで、逆に西行を慕った人々に連なる歌俳の心が共有される句となっているわけで、かえってここは、具体的な人物など消して、西行の人生と歌のみを焦点化した方がよかったのである。
回忌の句は、俳諧の場合、宗祖を慕いつつ、一門の経営に資する世俗性が付きまとってきた。近代俳句はそういう一門の流派を嫌った子規の書生俳句から生まれたが、皮肉なことにその死の直後から「子規忌」は季題に登録され、他ならぬ虚子自身が、大正の俳壇復帰に向けて子規十七回忌を利用した経緯もある(井上『近代俳句の誕生』Ⅳ・2)。
しかし、西行ならば、広く歌俳を親しむ人々一般に、「開かれた」忌日として価値が高い。標題句が、西行一辺倒で詠まれた理由は、西行の「古典性」「公共性」に由来していたとみてよい。標題句の同語反復に近い言葉の選択の意義は、祈りの言葉に近いものであったからで、それを正面から行わず、「栞」を媒介に『山家集』の読者を無限につなげていく「さりげなさ」こそが、虚子の意識した俳句らしさであったと見る。
『虚子百句』より虚子揮毫
11 栞して山家集あり西行忌
12 紅梅の莟は固し不言

国立国会図書館デジタルコレクションより
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間��院)など 多数
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2024年2月18日(日)

今日は<京都マラソン2024>、なんの関心も無い京都市民にとっては鬱陶しい日だ。あちこち交通規制が行われるので、終日逼塞するのが正解だ。朝8時過ぎに<関西古紙回収組合>の軽トラが通る、すぐに飛び出して溜まっていた古新聞と段ボール箱を引き取って貰う。おじさんの話では<普段は上賀茂・西賀茂エリアを回っているが、今日だけは動きが取れなくなるので早めに下京までやって来た>と。なるほど、色んな処に影響するものだと認識を新たにしたが、私としては懸案が片付いて良い一日となったのだ。

6時30分起床。
アラームを止めたことに気づかなかった。

朝食。
洗濯。
食器を洗っているときに関西古紙回収組合のテーマソングが聞こえる、すぐに飛び出して廊下と玄関に積み上げてあった古新聞・段ボール箱を引き取って貰う。あぁ、すっきりした!
ごぼう茶煮出す。
半熟酢卵仕込む。
<名探偵ポワロ>の録画開始。

ランチ、息子たちには<うまかっちゃん>、ツレアイには残りのカレー。
彼女は近所に住む元同僚の見舞に、私には聞いても理解出来ない難病で苦しんでいるとか。
軽く午睡。

我が家のインターネット回線は<NURO光>を利用しているが、現行の2Gから10Gへのアップグレードが始まっているとのこと。しばらくニュースを見ていなかったので出遅れたが、すぐにアプリから申し込む。
コレモ七条店で買物、ミニトマト・コンニャク・チクワ・薄揚げ。

夕飯は昨日の焼肉の残り肉、残りもの炊き合わせ、トマトとレタス。
録画番組視聴、日本の話芸。
桂春若 落語「抜け雀」
初回放送日: 2024年2月18日 桂春若さんの落語「抜け雀(すずめ)」をお送りします(令和5年12月7日(木)NHK大阪ホールで収録)【あらすじ】小田原のとある宿にみすぼらしい身なりの男が泊まった。1日に1升5合もの酒を飲んで、5日が経過。宿代を支払ってもらえるか心配になった宿の主人が支払いを催促すると、「文無しだ」と言う。男は絵師だと名乗り、金の代わりに白いついたてに5羽の雀の絵を描いて去った。翌朝、宿の主人が雨戸をあけると…。
サゲはオリジナル��もしれないが、この話の眼目からは遠く離れている。
名探偵ポワロ
第2話「ビッグ・フォー」/ The Big Fourシーズン 13, エピソード 2 ヘイスティングス、ミス・レモンのもとにエルキュール・ポワロ死亡の知らせが届く。手配したのは最近警視監に昇進したジャップ。一方、『ビッグ・フォー』 と呼ばれる組織の存在が世間を賑わせていた。新聞は彼らが世界戦争を企む国際的な秘密結社で、最近起きた列車衝突事故や暴動はすべてビッグ・フォーの仕業 だと報じていた。その4週間前、新聞記者タイソーのもとにビッグ・フォーに関する警告文がたびたび届いていた。
いよいよ最終回が迫ってきた。
軽く腹ごなしウォーキング。
片付け、入浴、体重は500g減。

今週の血圧、大分暖かくなってきたので落ち着いた数値になってきた。

ちと歩数が足りないが仕方なし、水分は1,640ml。
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来月から新しくスタートします、ワークショップのお知らせです。
「ちくちくダーニングステッチのブローチ」ワークショップ
大切に着ていた洋服や靴下などの衣服に出来た穴やほつれにステッチや刺繍を施して楽しむ、イギリスで生まれたダーニングという補修方法をご存知ですか?今回ダーニングで使われるステッチや刺繍を使って布に刺し、ブローチに仕立てるワークショップを開催します。色合いやステッチなどはご自身のお好みで選んでいただけますので自分だけの一つを作っていただけます。ブローチになじみのない方にはヘアーゴムへの変更も可能です。
教えてくださるのは2021年の「unique展」にご参加いただきました、丸岡裕子さん。その際もダーニング刺繍のブローチや、ヘヤーバンド・三角スカーフなどの編み物キットなどを色々製作いただきました。コロナ禍前に、ダーニングのワークショップの約束をしていましたがようやく今回お願いできる事となりました。
ダーニングで使うステッチや刺繍などに親しんでいただけた後には、今後ダーニングや編み物のワークショップも開催していけたらと思っています。お針仕事がお好きな方には楽しんでいただけると思いますのでぜひご参加お待ちしております。
日時:2023年9月12日(火)13時00分 ~ 15時30分(予定)
講師:丸岡裕子さん
受講料:3,800円(受講料、材料費込み。お菓子とお茶が付ます)
持ち物:筆記用具、お針箱
定員数:4名さま(定員となりました!ありがとうございます)
*ご質問などあればお気軽にお問い合わせ下さいませ。
*お申し込み・お問い合わせ hisoca
TEL: 075-202-3574
e-mail:[email protected]



【丸岡裕子/ マルオカユウコ】
「編み物の日」という編み物・ダーニング教室をされたりご自身の作品を作られたり、絵を描かれる活動をされています。 ご自身のレシピのもと編み物のキット販売や、それに伴う編み方解説のyoutubeアカウントもお持ちです。 「maru workshop」 https://youtube.com/channel/UCXKgr4k8TObvBNN4DtkFyZA
*只今、大阪の喫茶路地さんにて丸岡裕子さんの個展「雨宿り」が開催されています。(9/24まで)こちらは絵の展示です。詳しくは丸岡さんのHPをご覧下さいませ。https://maruokayuko.jimdofree.com
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆��畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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セピア色の記憶のスライドショーの下で
第一章:八つの記憶
暗いセピア色の映像が、無音のまま瞬く間に駆け抜けていく。
一枚目:古い石畳の道。雨に濡れて光る石の表面に、誰かの足音の記憶が刻まれている。
二枚目:窓辺に置かれた一輪の枯れかけた薔薇。花びらが一枚、また一枚と静かに散っていく瞬間。
三枚目:古い時計台。針は止まったまま、時だけが流れ続けている。
四枚目:二つの影が重なり合う壁。夕日が作り出した影絵のような輪郭。
五枚目:開かれた古い手紙。インクが滲み、文字は読めないが、想いだけが残っている。
六枚目:空の椅子が二脚。テーブルには冷めたコーヒーカップが置かれたまま。
七枚目:鏡に映る後ろ姿。顔は見えないが、肩の線に深い疲労が宿っている。
八枚目:閉ざされた扉。ドアノブに手をかけようとする指先で映像は途切れる。
第二章:スライドショーの下で
映像が消えると、現実の夜が始まった。
ジェルヴァジオは窓際に立ち、街の明かりを見下ろしていた。彼の横顔は月明かりに照らされ、先ほどのセピア色の記憶のように輪郭がぼやけて見える。
「あの映像を見たの?」
栞温(かおん)の声が背後から聞こえた。足音もなく近づいてきた彼女の気配を、彼は肌で感じていた。
「ああ。八つの記憶…すべて俺のものだった」
彼女は彼の背中に静かに寄り添った。二人の影が窓ガラスに映り、まるで四枚目の映像の再現のようだった。
「時計台の針が止まっていたのは、あの日からだったのね」彼女が呟く。
「お前が最初に手紙をくれた日だ」彼が振り返る。「あれから時は止まったまま、でも俺達だけは変わり続けている」
夜風が窓を叩く音が部屋に響く。二人は言葉を交わすことなく、互いの存在を確かめ合うように近づいていく。
セピア色の記憶は過去のものだが、今この瞬間の二人の営みは、明日また新しい記憶の一枚になるのだろう。
彼女の指先が彼の頬に触れる。その温もりが、冷たいセピア色の世界に唯一の色彩をもたらしている。
「今夜は、新しい記憶を作りましょう」
二人の唇が重なり合う瞬間、街の明かりが一斉に消えた。しかし、彼らの世界だけは温かな光に包まれていた。
夜の営みは静かに、そして深く続いていく。セピア色の過去から解き放たれた二人の魂が、現在という時間の中で踊っているかのように。
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2025/6/11 19:00:19現在のニュース
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以下に、清少納言の「春はあけぼの…」の趣ある文章を、司馬遼太郎風に書き直しました。
司馬遼太郎らしさを出すために、
四季の描写に、歴史的・風土的背景や人の暮らしへの思索を織り交ぜ、
一節に「余談だが、…」と旅先での記憶や観察を添え、
全体の語り口は、冷静だが情感を帯びた「日本という風土へのまなざし」に貫かれています。
日本人の生活感覚には、古来より「時刻の美学」というものがあった。日々の営みのなかで、ある時間が季節ごとに殊のほか美しいと感じられること――それが人びとの心を耕し、文化の輪郭をかたちづくってきた。
春は、あけぼのがよい。 夜の帳がゆるやかに後退し、東の空がうすら白みはじめる。山と空のあいだがほんのり明るみ、そこへ紫がかった雲が、まるで誰かの吐息のように細くたなびく。山里に暮らす者にとって、この時間は、単に新しい日が始まるというだけではない。命が再び動きはじめる、その兆しそのものだった。
夏は、夜がよい。 月が明るい晩は申すまでもない。が、むしろ月のない闇夜にこそ、夏という季節がもつもうひとつの相貌が現れる。蛍が多く飛び交う夜、水辺に静かにたたずめば、ほのかな光のうごきに人の記憶が揺さぶられる。 ――余談だが、ある年、越前の小さな村で、一匹の蛍がまるで人に近づくように、静かにこちらへ飛んできたことがあった。あのとき、私は何かに赦されたような気がした。自然というものは、ときに人の内面にまで届いてくる。
雨の降る夏の夜もまた、風情がある。屋根を打つ雨音は、むしろ心を鎮めるものとなり、人は眠りのなかで次の季節を夢に見る。
秋は、夕暮れがよい。 日が西に傾き、空が金色から朱へ、そして群青へと移るころ、烏が三羽、四羽、あるいは二羽と連れ立って、急ぐように寝ぐらへと帰っていく。それを見ていると、自然界にも「日暮れて道遠し」の感覚があるのだと思わされる。 ましてや、雁が列をなして空に浮かんでいくのを見れば、その小ささと規律正しさとが、秋という季節の厳しさと奥ゆかしさをあらわしている。やがて日が落ち、草むらから虫の声が聞こえはじめ、風が音をともなって吹く。そのすべてが、秋の夕暮れを完全なものにしている。
冬は、早朝がよい。 もし雪が降っていれば、それはもう言うまでもない。が、たとえ雪がなくとも、霜が地を白く染めた朝には、空気のすみずみまでが清澄で、ただ歩くという行為にすら意味が宿る。寒さがひどい朝などは、火を急いで熾し、炭を抱えて隣家へと届ける。それもまた、冬という季節の呼吸にふさわしい勤めである。 昼になり、寒さがゆるみ、火鉢の火が白い灰に埋もれてしまうと、いささか締まりのない風景となる。冬は、引き締まっていてこそ美しい。季節が人間に緊張を強いるということ――それもまた、日本の四季の教育作用であろう。
このように、四季それぞれにふさわしい時間帯というものがある。その感受性こそが、我々の祖先をして、自然とともに生き、詩を詠み、絵を描き、道を拓かせたのではなかろうか。
ご希望があれば、同様の文体で他の古典作品(例:『徒然草』や『方丈記』など)も書き換え可能です。お気軽にどうぞ。
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2025/5/17
今日はモリコロパークにて開催された「介助犬フェスタ」に行ってきました。
今年で協会発足30年ということで記念のチャリティーアイテムも多く作成されていました。ということで今回は利用者の山内さんによるイラストを使用した30周年記念クリアファイルをゲット。
そして今年もポルノのチャリティー���ッフルもありもちろん参加しました(結果は…)あと宿泊券チャリティーラッフルのWチャンスで人向けと犬向けが選べるの有り難いなと思いました。
デモンストレーションに愛犬似顔絵にしつけ教室にクイズラリーと雨のなかでしたが今年も盛り上がっていました。
来年は晴れますように(そうしないとシェルティ来れない)
添付画像は、会場の様子と、デモンストレーションの様子と、今回の購入品とフライヤーです。
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Amayadori Illustrated Diary #019-#021
Most sources estimate that Rigel is 870ly away from the sun, that means the light we currently see comes from the very tail end of the Heian period (794-1185). However, estimates for Betelgeuse vary from 400 all the way to 700ly away from the sun, which puts the origin it's current observable light anywhere from the very end of the Kamakura Period (1185-1336), the Muromachi (1336-1573) or the very short Azuchi-Momoyama (1573-1603) Periods, to a little into the Edo period (1603-1868).
Gyokuro, or Jade Dew, is the highest grade variation of green tea in Japan (some even say of the whole world), it is harvested only once a year during winter. It undergoes a special harvesting process where the youngest leaves are shaded from the sun roughly 20 days before plucking, they then undergo several different drying processes and are set to age for up to six months before finally reaching retailers.
Read the originals:
Chapter 19, Chapter 20, Chapter 21.
Comic by Fukasaku Emi: @ i_moni on Twitter
Amayadori Project:
@ amayadori_info on Twitter
@ amayadori_official on Youtube
Amayadori are Utaite Sooda (@ sooda_oda on Twitter and Youtube) and composer Mizuno Atsu (@ atsu361 on Twitter and Youtube)
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発酵する洞窟
部屋に置いている緑に新芽が出てきた。畑に蒔いた種が一斉に芽を出してきた。
春の土用でまだ土いじりを控えているけれど、今年も実りの良い畑仕事ができればと、毎年この涼しい時期にはまだ張り切って意気込んでしまう。
去年借りていた田んぼと畑には、掲示板で譲ってもらった原付で通っていた。通い路の途中に高速道路の下の隧道があって、数年前からそこで一人のおじいさんが暮らすようになった。一時停止の十字路があって、その次のほら穴に暮らしていた。
初めは布団に少しの段ボールくらいだった記憶だけど、見かけるたびに毛布/自転車/端材 と、増えていくものでかたちづくられる住まいは、宿木のように見事な巣と化していった。
夏は猛暑で、冬は強すぎる風の吹く場所なので、今夜を乗り切れるだろうかと気にかける日は多かったけど、中々声をかけるところまではいけなかった。
でもある日、今日は行こうという日があって、田んぼで育てたお米で塩むすびをつくり、3つ持っていった。
いつも覗く穴とは反対側の穴から入って、塩むすびを渡す。
今日は朝からサワードゥの発酵種をつかって、ブリオッシュやドーナツをつくった。夜は、台所でご飯をつくるともだちの絵を入れて、バイト終わりのともだちに渡しに向かう。
いつものほら穴をしっかり覗く、からだの右の意識でのぞく癖がついていて、今日は後者のモードで洞穴を通過する。気配がない。気配がなくて、鼻歌がほんの数秒止まる。
見間違え(正確には感じ間違え)かもしれないから、ともだちにパンを渡した帰り道、いつもなら確認しないほら穴もひとつひとつゆっくり走って確認した。
やっぱりどこにもいなくて、巣は跡形もなくなっていた。
3つ思い浮かんだけど、答えはわからない。
今日はバターをたっぷりつかったブリオッシュとドーナツを焼いて、昨日仕込んでいたハーブのフォカッチャも焼いて、机いっぱいにパンを並べた。
夜はおじいさんと巣がなくなっていた。
(ill)
彼の苦しみを凌いだもの/雨風を凌ぐコンクリートのほら穴/3つのおむすび/よく焼けたパンの空洞/空洞の城
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「ブレードランナー」とは何か?どんな映画なのか、そしてなぜこの映画は特に40代・50代の人たちに大きな支持を集めているのか?
若い方にはよく分からないと思うのですが、本作が語り続けられる映画であることには、理由がある。「ブレードランナー」を語ることは単なる1つの映画作品の範疇を超えて、デザイン、カルチャー、さらには建築からマーケティングに至る話と大きな関連があるからだ。
公開当時、私は高校生だったわけですが、この映画が映し出す未来世界の中に、どこか今の現実世界を映し出しているような、「リアル」なものを感じた。ところがMacintoshという名前のコンピュータのCMを作ったことで名が知られていたこのリドリー・スコットという監督が作った本作、公開当時の評判はさっぱりだった。私の父は彼の前作「エイリアン」を大いに褒めたが、本作には冷ややかだった。何かよく分からないSF映画じゃないかと。
例えば画面の絵作り。未来のLAの街はずっと雨が降っていて、照明の具合も変で俳優もヒロインも顔に深く皺が刻まれている。やけに登場人物はみんな歳とったように思える、そんな小汚いSF映画だ。実際に当時、一部の映画ファンやSFファンは褒めていたが、夏休みの大作映画として公開されたのにも関わらず、すぐに終了。興行収入はよくなくて、制作費の半分にも達することができなかった。自分も本作ではなくて「E.T.」のほうを観に行った。ところが時代が経つに従って、デザインだったり当時のカルチャー、哲学に興味のある人たちから徐々に話題が広がり、公開された年から4年ほど経過した86年くらいをピークにして「ブレードランナー」の話をよく聞くようになる。つまり当時、一般的になってきたレンタルビデオで観られ、TVでの放送や環境ビデオでその断片が使われ、再上映が繰り返されることでファンが広がり、時代を追うごとに繰り返し観られることで評判を高めていったというわけだ。
なぜ我々の世代は本作を理解しやすかったのか。この世界がリアルだと感じたのか。こんなに好きになってしまうのか。理由は3つある。1つはこの映画の主人公と敵のキャラクター設定。主人公はダメ探偵、敵は魅力的でカッコよく、美男子の戦闘員というキャラクターの作り方と敵味方の関係性。本作におけるハリソン・フォード演じる主人公の探偵は、ロバート・アルトマン監督の映画「ロング・グッドバイ」の影響下にある。冴えない独り者の探偵がLAの街を放浪し、少しずつ犯人に近づいてゆく。我々の世代はこの映画自体は観ていなくても、この作品が影響を受けたテレビドラマの数々、例えば松田優作の「探偵物語」などを山ほど観ていたから、この主人公の設定、かっこいい敵といった関係性が極めて分かりやすくお馴染みのものだったのだ。
2つめは美術。リドリー・スコット監督作品は、本作のみならずどの作品も観ればわかる通り、美術やミニチェアがすごい。彼は美術監督を経て映画監督になった人物だから。ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの出身でグラフィックデザインを学んだデザイン界のエリート。作品はどれも美術史に残る作品からのしつこいくらいの引用を行う、美術史の時代を行き来するような作品を作ってきた。例えばCMディレクターとして名を成して40才の時に製作したデビュー作、ハーヴェイ・カイテルを主人公にした「デュエリスト」では、フェルメールの「光」を作品の中で極めて忠実に再現することをやってのける。
この「デュエリスト」のストーリーフォーマットをそのまま未来に持ち込んだのが「ブレード・ランナー」だ。この映画は一応、SF映画、ということになっているが、ピカピカ・ツルツルした従来のSF的世界とは一線を画していた。そもそもプロデューサーも、スコット監督も、美術監督すら原作と言われるフィリップ・K・ディックの原作を読んでおらず、SF映画にも関心がなかった。本作で美術のイメージに大きな役割を果たしたのはフランスの漫画家で前作「エイリアン」でも美術デザインに参加したメビウス。彼の描いた「ロング・トゥモロー」というゴミまみれの都会風景をベースにした。
さらにそこにイメージを重ねたのが、当時、建築界の大きな波になっていた「ポストモダン建築」だ。すでに日本でも公開当時、竹山実の「渋谷109」(1979)、磯崎新の「つくばセンタービル」(1983)などが我々の日常の風景に現れて、異彩を放っていた。そしてさらに本作公開後には、高松伸の「キリンプラザ大阪」(1987・スコット監督の「ブラックレイン」で登場するビル)など本作からの影響すら見られる建築物も登場してくる。合理性や機能美から解き放たれた形が、当時の都市部(しか���京都なら北山通という畑の中に突如現れた新商業ビル)に実際にあった。いわゆる現代にも続く「良いデザイン」とされるモダニズムデザインに対する反抗声明とも言えるポストモダンの潮流が画面の中にびっしりと詰まっている。当時も今もこれらの建築や美術、プロダクトデザインは「バブルの象徴」と言われている。本当にそうだろうか?何れにしても、これらの風景やデザインが画面いっぱいに登場する様子を見て当時の我々、若者としては「やってやった」というものだった。そして新しい風景と古い風景が渾然一体となって存在しているごちゃ混ぜの都市の風景。それはすなわち「今」と連続して続いている新宿・歌舞伎町のような風景だ。
いくつかのデザインはプロダクトデザイナー、シド・ミードに依頼されたものだが、監督が彼に伝えたコンセプトは「レトロフィット」というもので、外形は古いままで、最新の機械を組み込んで動いているように見せてくれ、というものだった。実際に「これは未来的すぎる」と言って完成後、キャンセルされたデザインもあったという。そしてこのシド・ミードによってデザインされたパトカーや拳銃も、結局は油にまみれ、ドロドロに汚された。しかしホコリや砂にまみれたSF映画「スターウォーズ」世代の我々には、ハン・ソロと同じ俳優が演じる本作に、これこそSF風景!、これこそリアル!と感じられたのだ。
3つめ、広告都市。ラストシーンで主人公がルトガー・ハウアーが演じる敵と戦うのは、当時、カセットテープのブランドとして世界的に有名だった「TDK」の巨大ネオンサインの前だ。二人の戦いは延々、このTDKの看板を背景に映しながら行われる。それだけではない。この映画の都市は溢れるばかりの、エドワード・ホッパーの絵の色調をそのまま借用してきた広告のネオンサイン。そして巨大ディスプレイに映った広告の山(強力わかもとを美術制作者は避妊ピルだと勘違いしていたらしい)、空に浮かぶ気球にまで様々な広告が映し出されている広告都市(渋谷スクランブル交差点の大型モニターの風景は本作からイメージされたものだというのはご存知だろうか)。
80年代初頭、最も重要な哲学書はなんだったか。若者によく読まれていた人文書はなんだったか。それはフランスの思想家、ジャン・ボードリヤールである。彼の著作「消費社会の神話と構造」「象徴交換と死」、そして「シュミラクルとシミレーション」だ。彼が解いていたのは大量消費時代における「商品」というものの本質とは何か。商品は単なる使用価値を超えて「記号」として現れ存在するのだと説いた。今でこそデザインやマーケティングの領域で多くの人が共有している概念だが、彼の著作に刺激されて出現したものは、例えば西武文化だったり、無印良品だったりというブランドだった(堤清二氏はその影響が無印を作るきっかけになったと自著で述べている)。それが製品やサービスとして実態になり、本作の公開時に街に溢れていた。
リドリー・スコット監督が広告業界出身であったことを思い出してほしい。そして、TDKの看板の前でラストの戦いシーンにしても、旧来の文化の捉え方しかできない観客には「なるほど、TDKから広告費をもらってるんだな」と考えるかもしれない。しかしそれは事実ではないし、スコット監督の意図とも違うだろう。実際、当時、このシーンを観たわれわれ観客の目にもそのようには決して映らなかった。なぜか?
このTDKの広告で重要なのは、画面に映っているのがカセットテープの絵柄ではなく、ロゴマークだけといことなのだ。本作に現れる他の看板類も全てそうだ。製品そのものは一切、その姿を現さず、巧妙に画面から隠されている。ボードリヤールは「消費社会の神話と構造」の中でこう書いた。資本主義の概念である「等価交換」では、商品の価値は品質と機能によって決まるというルールに乗っ取っていたが、しかし商品過剰の状態によっては、商品そのものはむしろ重要ではなくなる。何が重要となるのか?それはイメージだ。つまり「ブランド」その名前自体を広く知らしめればいい。それが現代における「広告」の意味であり、価値である。ブランド価値が商品そのものの実態に還元されてゆく。そうやって「ブランド名」や「ロゴマーク」だけが大量に街へと放出される。これこそが「未来の都市風景」なのである。
ボードリヤールは「シュミラクルとシミレーション」の中でこう書いた。現代社会において、シミレーションがどんどん高度になっていったこと、蔓延していったことで、ホンモノの価値というものは大きく脅かされ、価値が消えていったと。例えば「幸せな家庭を描いたCM」や「恋愛ドラマの中で素敵な恋愛をするアイドルたち」を眺めることは、退屈な実際の日常を軽々と超えてしまう。そして、むしろそこにこそ「リアリティー」を感じているのではないか。現実を超えてゆく、完璧なシミレーション、これをボードリヤールはこう呼んだ、「ハイパーリアル」と。
本作では人造人間のことを「レプリカント」と呼ぶ。外見は人間そっくりに作られ、人間が行くことのできない宇宙に出かけて危険なミッションを行ってきたという。そして人間と同じように考え、感じ、死を恐れ、さらには詩をつくることすらできる。ラストシーン、主人公を前に、レプリカントはこんな自作の詩を語ってみせる。
私は君たち人間が想像すらできない、美しいものを観てきた
オリオン座の近くで燃え上がる宇宙船
タンホイザー・ゲートの闇に輝くオーロラ
だがそんな思い出の数々もこうやって消えてゆく
雨の中、頬を流れる涙のように
そして彼は寿命を迎えて死ぬ。レプリカントは人間以上に「人間らしく」作られた。ハイパーリアルとは、モノだけに固定されるものではない。われわれ人間の存在すらハパーリアルの中に組み込まれる。完璧なシミレーションがリアルを越えてゆく。人間以上に人間らしく作られた人間。それがレプリカントという存在なのだ。
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Play Back 息抜きオランダショートトリップ③ -デン・ハーグ 編-
オランダ2日目の今日は、アムスから電車で1時間半ほどの位置にある街、デン・ハーグへ。アムスが東京ならデン・ハーグは山梨みたいな?(テキトー)
まずはアムスの宿近くのベーカリーで朝食。半地下みたいになってる場所で、なんか味のある雰囲気。「ここは(営業)長いんですか?」って聞いたら、なんと『うちはアムステルダムで一番最初にできたベーグルショップなのよ!』とのこと。(ホンマか?)

サクッと朝食を済ませて、まずはGoogle map上で気になっていた「海辺の彫像美術館」を目指す。ここは、デン・ハーグを調べた時、真っ先に目に飛び込んできた場所(なぜなら場所名が翻訳されて日本語表記だったから)。
長距離電車に1時間ほど揺られ、路面電車に乗り継ぎ、最寄駅に到着。てゆーか久々の海!
文字通り、この美術館は海辺にあるので、向かいながら「海辺感」を噛み締める(しかし残念なことに極寒&悪天候)。ついたらジョアン・ミロ展が開催中とのこと。美術館周りはあまり人気がなかったけど、中は結構人がいて盛り上がりを感じた。
天気がいい時に来たらもっと素敵なんだろうなという建築で、1日目のステデリックミュージアムとはまた違った雰囲気。休息とか現実逃避にピッタリな感じがする。カフェのお姉さん(いや、年下か?)も優しくて、軽くランチして(ここで飲んだ何の変哲もないジンジャーレモンティーがすごく沁みた…)、記念にトートバッグを買って中心地の方へ移動。オランダの方がドイツよりちゃんと「接客モードON」って感じで、お店の人がやさしい〜
(余談:後日、ベルリンのルームメイトがたまたまデン・ハーグに行く用事があるというので、この美術館を勧めた。実際、ここを訪れた彼女は「確かに素敵だったけど、カフェしか行かなかった。だって入場料22€は高すぎる。この金額は、まるで来る人を選んでるみたい。アートはもっと全人に開かれた状態であるべき。それに、ミロはある意味オールドスタイルだから、22€払ってまで見なくていいかなと思ってね😉」とのこと。痺れるね〜(私はちゃっかり学生料金で入った))










▲ミロ以外の作品も色々。
次の目的地は、マウリッツハイス美術館という、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』とか17世紀のオランダ絵画を中心に所蔵している美術館。めちゃ興味ある系の展示ではないけど、寒いし雨だし、美術館くらいしか行くとこないし〜、みたいなノリで来場。
クロークに荷物預けに行ったら、ミロ展で買って早速使っていたトートバッグを見た担当のお兄さんが「いいバッグだね!どこの展示?」というので「デン・ハーグだよ。今日、さっき行ってきたんだ。」「え、ここじゃん」「そう。ミロ展。きっとあなたも好きだとと思うよ!(知らんけど)」「へー。君もアーティスト?ここに住んでるの?たぶん日本人、だよね?」と会話が進むので『はよ入場させてや〜』と思いつつも「うん、日本人で、グラフィックデザイナーで、今は大学に行きたくてドイツのベルリンに住んでるよ!今日は観光でオランダに来��る。」「へー、でもアートやデザインならオランダもいいところでしょ。僕はベルリン行ったことないけど、比べてみてどう?」「うん、デン・ハーグもオランダも初めて来たけど、いいところだね。でも私はベルリンのカオスでshabbyな感じが好きなんだ」「shabbyさか…確かにここにはそれはないね。アムスもそんなにだもんね。じゃあ残りの滞在楽しんでね!」とかなんとか。
ゆっくりぼーっとしたい一人旅でも、こういうちょっとした会話が生じると嬉しい。
ここは、作品というよりも、「絵画のための御殿」みたいな荘厳な内装がすごかった!(元々は、貴族の館だったそう)





歩き疲れた&甘いものが食べたくなったので、カフェ兼本屋へ向かう。
このお店、Googleレビューが1500件くらいあるだけあって、賑わいつつも落ち着ける雰囲気で、すごくよかった。奥に進んでいくと、温室のような空間があって、そこで本を読んだりお茶したりできるようになっていたので、��ばらくそこでゆっくりした。そしてまた電車に乗ってアムスに戻る。
21時ごろにアムス到着。ヨーロッパで、この時間からでも夕ご飯を食べられるのは、移民がやってるエスニック系のお店と相場が決まっている。昨日から目をつけていたスリナム料理のお店へ。
スリナム料理とはなんぞやって感じですが、スリナムとは南米にある国の一つで、元オランダの植民地だったとのこと。それゆえオランダにはスリナム料理店がたくさんあった。


ずらりと並んだスパイス系のお惣菜から、主食とおかずを選ぶスタイル。インド系の味付けとはまたちょっと違ったスパイス感で、確かにカリブとかの南米っぽさある。(テキトー)
お腹も満たされ、移動に疲れたので早々に就寝。
ちなみに、ホステルのルームメイトはドイツ人おばちゃんに加え、イタリア人のティーン女子2人が追加。
ティーンの帰宅が遅く、おばちゃんが「夜中にガタガタうるさい」と文句を言っていたが、本当にうるさかったのは、夜中じゅう鳴り響いたおばちゃんのイビキである。
Day3、ライデン編へ続く。
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250227 木
【6:50】
学生時代の記憶を思い出すと照れ隠しで人を傷つけた嫌な記憶も思い出す
大人ぶりや、性的なものに対する過度な拒絶
子供らしいバカキャラである事の過剰アピール
よくわからないものに「敗ける」ことや「操られる」のが嫌だからそれについて学ばず、認めず、ただただおちょくり見下しバカにし続ける
その態度こそが子供らしさだという事実に気づかず
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子供の子供らしさとは理解不能なものに対しとりあえず知ったかぶり決め込んでマウント取ったりバカにする「虚勢」の部分にある
そんな子供らしさを残したまま歳だけとった人間がコミュ障になる
30代半ばになってようやく自身の過ちに気付き、恐怖に裏打ちされたプライド横に置き「多少物分かりのいい中学生みたいな態度」取って15年遅れで内省してみたりする
私たちが1000年以上生きる長命種ならそれでいい。10年、20年の成長差なんてのは誤差であり個性だ
だが我々は50、60代で健康寿命迎える事もある短命種
精神発達と社会性の獲得遅い人間は社会のメインステージからドロップアウトさせられる
この平和な日本社会。油断すれば小学生レベルの精神年齢と実務スキルのまま30代突入なんて余裕であり得る
社会性カスになって見放されるまでサボりやチートを許してもらえるし、全ての選択は自己責任
親としての責務を果たそうとするような大人はほぼおらず、子供の自主性重んじるという建前に甘えて管理監督責任を放棄してる
平和な世界は退屈。だから皆戯れに「不必要な差別」や「不必要な淘汰」をして遊んでる
狩りが必須の世の中に戻れば、戦争が常態化した世に戻れば「人間的な強さと優しさ」が足りないものから順に殺されてゆく
中途半端に意地悪なだけで実戦で役に立たないクズは殺される
意地悪さというものは狩りや競争における実務遂行能力が伴う事で初めて許容される甘えであり、能力が低い者が行使する事は許されない贅沢品(だからスキル低い人間は努めて善人を振る舞うしかない)
あ。また子供ディス始まっちゃった。バランス取る為に老人ディスもしないと…
わからないまま終わったっていいじゃん
楽しまずに終わる人生なんて嘘
我慢はただの趣味。しかも悪趣味寄り
可愛さと格好良さを追い求め女の子は整形の全身麻酔の影響で脳障害を負い、男の子はブリーチのかけすぎでハゲてゆく
ハックルベリーがゲロの横で眠っている
それでよし!
働こう。与えられたなけなしの生存権に感謝しつつ
主観的幸福のレベルは年収1000万も5000万も大差ないという(億超えでようやく変わってくるとか)
だから戸建てに住んでようがダンボールハウスで道端に住んでようが「主観的幸福度」は大して変わらない
私はどこにいようと布団では寝ない。ふとんは年収1億の人間にのみ許される贅沢品
コート羽織ってダンボール1枚敷いて毛布一枚かけりゃどこだってスイートルーム
もちろん、それを観て怖がる人の前ではそんな強さは見せない。戯れに不快さ愚痴って贅沢な臆病者の演技して人を安心させる努力も欠かさない
「ケチで融通効かない面倒なやつ」とは思われないようにする
自分の動物的欲求が満たされぬことなどどうでもいい。いや、温みだけはほしい
一番ほしいそれだけは欲しい
食事よりも睡眠よりも性的なアレよりも
優しさと感謝の気持ちだけは常に忘れたくない
あたたけぇ、あたたけぇ… 生まれてよかった、生きててよかった、対話を諦めなくてよかった
と思って逝きたい
———
【8:50】
中学生くらいの頃から性の捌け口として他者から消費されてきた存在が性カルチャーに対し抱く必然の嫌悪とニヒリズムと痛みを伴う優越感
そのようなパーソナリティ獲得した人間に対し適切な距離感保たず歩み寄ろうとする者は皆壊れる
沢山傷つけられた人間は優しい人や善人を壊す術(すべ)を身をもって知っている
ほらな、掘っても仕方ないカテゴリーを掘り始めた。洞窟の奥のどん詰まりにはまり込んで死を待つしかなくなった人の諦観と安らぎみたいなものに満たされ始めている。これが自宅の呪い
妻の事を思い出さないようにしたところで誰にでも当てはまる虚無や寂しさへの掘り下げはやまない
虚無へのフォーカスやめたいから私は痛みと笑いと労働に逃げ込んでいるのだ
虚無は温(ぬく)い。だがそれに耽溺したら現実の競争の冷たさに耐えられなくなる
だから死にかけの前頭葉叩き起こして束の間の人間タイム演じろ
飯を食え。節食を2日以上続けるな、虚無への執着がやまなくなる。妻の事を忘れればむしろ私が妻が見ていた世界を引き継ぐこととなる
それは生物の寿命を縮める悪い温み
最高に心地よい諦観
建設的に生きるよりも遥かに素晴らしい自棄があるという真理に目覚めてはいけない。その世界観にすがってはいけない
「役立たずで可愛い真理」を一度だけギュッと抱きしめて、極寒のエアロック外に放り出すしかない
私も世界や誰かのままならぬお荷物と化したなら、この宇宙船地球号のエアロックから出ていくから
———
【10:00】
これ観ちゃったよ。絶望的に見えて、優しい世界でもある
少し気を抜けば自分もその世界の住人になる確信がある(自宅にいると秒でそれに近づく)
何かを諦め切るまでずっと綱渡りなんだ、我々労働者の人生は
本来自分で渡らなきゃならない綱渡りを他人任せにするとチャレンジが遅くなる
子供を思い過ぎる親の気持ちが子供の失敗や敗北を固定化させる
親の縛りや愛から逃れる事ができたなら、気ままに楽しく、前のめりに冒険を楽しんで生きて欲しい
温みに耽溺し足踏みしながら眠りにつくだけの日々は、死を待つ終末期の人間の為に用意された悲しいおやつ
徐々に衰弱し穏やかに死んでゆく為の栄養価乏しい嗜好品
酒も、壊れた人間と過ごす日々もそれと一緒
抱きしめて、奈落へ突き落とす。あるいは共に落ちる。それしかない。それがせめてもの情け
切り替えて…いけないよ、そう簡単には
無力感と虚無感は我々ダメ人間の最愛のパートナー
捨ておけない。せめて禰󠄀豆子の箱みたいのに入れて常にそばに置きたい。そしてたまに箱から出しては撫でて抱きしめる
それが鬼だろうと四肢切断された愛玩人形だろうと、捨てられない
苦しいという事実を認めてはならない
肉体が感じる主観的現実に同調してはならない
今日は授業参観だ。身支度を整えねば
ボトムに穴が空いていて人前に出る格好じゃない。ブックオフで適当な黒ジーンズ買ってこよう
———
【15:15】
授業参観おわり
娘の存在は妻との物語の集大成なので、娘が生きて何かしてるだけで嬉しくて仕方ない
妻はそれを無責任と言っていた。気を抜けばすぐ死ぬ命の責任負って24時間面倒見続ける母親の大変さがわかるか、と
ああ、だが私にとっては妻の存在から何から全てが身に余る奇跡だから家族が生きて動いててくれるだけで最高に幸せだ
こんな親が子供を駄目にするのだろう
私は本来子供は簡単に生まれ簡単に死んでゆく存在だと思ってる。出産時に母子共に無事で済む確率は本来それほど高くない
だからその奇跡(医療インフラ等)の積み上げで出来ている平和な日本と現代文明そのものに対し感謝の気持ちを抱いている
地に足ついてない、幸せのハードル設定が低過ぎる、その通り
幸せのハードル下げりゃ呼吸できるだけでもありがたい
雨風凌げる屋根と服があるだけでありがたい
うん。そんなお父さんじゃいいブランドバッグ買ってくれそうにないよな
ATMとすら呼べない小さな小さな小銭入れ
小銭入れが幸せ求めちゃいかん
もっと不遜に、もっと感謝を忘れて
温み足りねーなあ思ったら範馬勇次郎かディオか宿儺気分で気ままに他者を貪(むさぼ)れ
でも勇次郎は刃牙にエア味噌汁作ったろ、宿儺は裏梅を殺さなかっただろジョルノの母親はディオに殺されなかっただろ
何が言いたい
どんな強者にも憂いや隙がある
その隙にこそ、その存在の本質が隠されている
バカ、全部漫画の創作キャラだろ
いいや。私が出会ってきた社会的強者や有名人にも、皆心に隙があった
笑ゥせぇるすまんに漬け込まれかねないような分かりやすい隙が
なんの話だよマジに
絵になんて全然興味が湧かない
人の温もりが一番好きだ
けど、絵を描かない人と特別な関係になりたいとは全然思えない
妻は背が低い人と親密になりたいとは思わないと言っていた。それと似た「排他」だ、私のこれも
ただ、一度好きになってしまえばあとは結構テキトーだ。当初決めていた自分ルールなんてパートナーや子供の可愛らしいわがままの前には吹き飛んでしまう
妻とは妻が絵を描いてなければ付き合わなかったが、結婚し絵をほとんど描かなくなったから別の絵描きに乗り換えたいなんて一度も思ったことはない
絵は、私が他者を認め許す為のとっかかり
それ以上でも以下でもなし
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2025/1/31
東京国立博物館 大覚寺展に行ってきたよ
テレビで見てからずっと髭切膝丸を実際に鑑賞してみたいと思いつつ、「でも京都行ける機会ないしなぁ…いつか社会人になってからかな」と思っていたので本当に嬉しい。しかも二振り同時!!!!同じケース内で!!!!レア過ぎる。友人も見ながら「夢のような時間」と溢してて本当に同感。
写真NGだったので写真は無し。残念。
でも記念にミュージアムショップで髭切膝丸と江戸三作と童子切安綱と大般若長光と、、その他たくさん写真とともに来歴が紹介されている刀剣画報を買ったのでヨシ!源氏のあれこれの解説も載っているので彼らの持つ物語をようやく少し理解できる。(撮影OKのプレミアムな抽選鑑賞会が別日に開催されていて、それに参加した方がTwitterに写真を載せて下さっていたので、拝借した髭膝の写真はスマホのフォルダ内にはある)
鬼切丸も、薄緑も、
本当に「みずみずしい、神々しい、光」。
語彙力なくて申し訳ない。でも今まで見た刀の中で一番みずみずしくて光り輝いていた。彼らが主人に与えた生命力の反面に、人の命のかかっていた危うさの影が見える。刀剣乱舞の世界線抜きで、もしもこの世のこの刀に、本当に付喪神が宿っているとしたなら、とてつもなく神格の高い神様なのだろうなと畏怖を覚えるほどの神々しさ。刀剣乱舞の「髭切膝丸」も危うさを秘めた感じだけれど、彼らとは「別物」と感じた。(1年前三日月宗近の本霊を見に行った時は、「ああ、うちの本丸の「三日月宗近」と同じ匂いがする。ここの長として堂々とそこに在る感じが。」 と親近感を覚えた。不思議。)
見どころの一つ、襖絵の章も演出が圧巻でした。この章この空間がひとつの作品のよう。

今期は小龍景光が展示されていたので、常設展も見てきました。
龍、緻密で格好いいね!!


今日のために1月初旬からちまちま自作していた髭膝概念ネイル

ちなみに先にランチをして、午後からトーハクへ。会期初日から1週間後の平日午後なら、晴れの日でも結構観覧客は少なめ。前回の雨の日の午前と変わらない感じ。※横を通った西洋美術館は何の催しか、もしかしたら全員モネ展目的なのか、ものすごい長蛇の列だった…恐ろしい😨 「他にどこか行く?それともトーハクゆっくり見て回る?」と話していたのだけど、行く予定にしなくてよかった笑
ランチは上野さくらテラスのLA COCORICOへ
前菜もボリュームたっぷり、グラタンもバゲットもとっても美味しかった(*´ч`*)満腹。これで平日¥1210なのお得すぎる✨店員さんの雰囲気も良かった。また行きたい!平日は開店直後11:00に並んでおいたら予約無しでも入れそう。


髭切のおうち北野天満宮も、膝丸のおうち大覚寺も菅原道真公とのゆかりが深いとの事、二振りは勝利をもたらす吉兆の刀という事で、ふた振りにとっては私はただの観覧客であるのは重々承知で、烏滸がましくも 「私事ですが、来年薬剤師国家試験を受けます。1年間本気で勉強に取り組みます。もっと清らかな人間になれるよう努力してまいります。もし宜しければどうかお力添えの程よろしくお願いします!!」 と心の中でお祈りしてきました(北野天満宮行けたらいいのだけど行ける暇がないので…)。本霊が伝えてくれるとは思っていないけれど、私個人の「けじめ」のような宣言を失礼しました。
弊お髭さん 「主、頑張るって言ったもんね」
近侍監視の元、泣いても1年、笑っても1年。
心身健康第一で頑張ります。
本霊に会って誓いを立ててきたのでやるしかないのです。ただ見守っていてほしい。
身の回りの邪気を払うのはうちの付喪神たちが請け負ってくれるはず(よろしくお願いします)。
できるかどうかは関係ない。ただ「する」。そこに感情を挟む余地はない。実行するのみ。単純な事。
追伸。この日からタイトルコールにお髭さんが出てきてくれる事がめちゃめちゃ増えたのだけど、え、もしかして「ちゃんと頑張るって言ったもんね、主?」って監視されてる…?!
焦り(¯∇¯٥) いや、来週からハードな授業期間が始まるので今のうちに羽を伸ばしておこうと…。今だけ、本当に今の数日間だけ休ませて。いつも365日200%学生やってるんだから今だけは。そしたら残り一年は頑張るから
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