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Yuri's Life as Art
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yurislifeasartjp · 2 years ago
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絶望のスタンプカード
私はこれまで、仕事を辞めたい、と思い始めると、「こんなことが起きたら辞めよう」「あの人が辞めたら自分も辞めよう」と、退職する条件を考えていた。
そして、あれが起きた、あの人が辞めた、と条件が満たされる度、心の中の絶望スタンプカードにスタンプを押していった。
とはいえ、振り返ると、こうしたスタンプはどれも退職の決定打ではなかったと思う。つまり、スタンプカードのスタンプは増えていったものの、一個目のスタンプが押されてすぐに退職したことはなかった。
イメージでいうと、スタンプが押される度に、心のコップに不愉快で濁った液体が溜まっていき、それが溢れたときに退職を決めていた。
そして最近、辞めたいな、と思った。そして、心のスタンプカードを着々と整備していき、ことあるごとに条件を書き足し、スタンプカードを大きくしていった。
そこでふと気づいた。
「あれ?私、自分が絶望する日を待ちわびてない?」
要するに、この思考回路では、絶望する度にスタンプを押し、絶望が心のコップから溢れ出るまでは、私は仕事を辞められない。絶望なんてしたくないのに、絶望しないと私は仕事をやめられない。だから絶望する日を心待ちにしてしまう。
でも最近思った。絶望スタンプカードというルールは私が勝手に作ったもので、誰かに強制されたものではない。スタンプを貯めてもいいけど、コップがあふれるのを待つ必要はない。それならむしろスタンプカードルールから自分の決定で脱却し、やめたあとのことを楽しみにして動き出せばいいんだと。
そうして転職活動を初めてみた。今回の転職は、これまでと色々と違う転職になるので、時間もかかるだろう。転職エージェントにも「難しいですね」と言われることも少なくない。でも、これまでより少し大人になったのか、割と「まあそんなもんでしょう」と受け止められている。
ちょっと戸惑うのは、今の会社に多少なりとも心残りというか、愛着というか、慣れがあるからだろうか。
今の職場は給料がいいし、上司とも反りが合う。人間関係も悪くない。ただ、スタンプを貯めるつもりはなかったのに、そもそも、枠すら定めていなかったところに特大のスタンプが押されてしまった。
給料も上司も悪いところはないから、迷いがないわけでもない。おそらくスタンプカードを満タンにしたほうが迷いはないし、後ろ髪も引かれないだろう。とはいえ、難しい転職活動だからこそ、絶望仕切ったところで活動を始めるのも難しそうだなと思う。
とりあえず今回は、スタンプカード片手に、満タンを待たずして旅立とう。
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yurislifeasartjp · 2 years ago
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サイバーセキュリティ的観点で考える結婚
最近、友達のTちゃんと結婚について話した。
Tちゃんは結婚して7年くらい経っている。私はTちゃんの旦那さんに一度も会ったことないけど、話を聞いていると、仲の良い友達の延長のような夫婦関係のようで、楽しそうだなあといつも思う。
一方私は独身で、結婚したことはない。年を重ねるごとに、結婚や家庭を持つことの責任や大変さ、そう簡単に投げ出せない結婚という制度の固さや、既婚女性は寿命が縮み、既婚男性は寿命が伸びるという統計が目に入り、結婚というものに後ろ向きな側面を見出すことが多くなった。
とはいえTちゃんの話を聞くと、彼女は常に楽しそうに彼女の流儀で自分の人生を謳歌しているので、彼女の話故に結婚というものにネガティブな印象を受けることはあまりない。
そんな感じのTちゃんと私だが、この間、サイバーセキュリティの考え方で結婚について話した。
Tちゃんはセキュリティ関係の仕事をしており、私も一時セキュリティに関わる仕事をしていたので、そういうことになったけど、セキュリティの観点から考える結婚は、なかなか発見のあるものだった。
私はTちゃんに言った。
「私はすごく結婚したいとまで思ってないけど、結婚すると、片方が働けなくなったりして人生で倒れても、もう一方がどうにかできるから、そういう意味でいいなと思う」
するとTちゃんはこう言った。
「なるほど。Yuriちゃんは結婚の意義として可用性を挙げるんだね」
可用性とは、平たくいうと「1つのシステムが使用できなくなっても、他のシステムを代用することで、情報の処理が止まらない」ということ。
ものすごく単純化して説明しよう。例えば、企業では、サーバを介してデータが各所で利用される。会社に1つのサーバしかない場合に、そのサーバが攻撃にあったり、何かの不具合があった場合、会社の唯一のサーバが使えなくなり、その会社のビジネスが止まってしまう。なので、これを防ぐために、企業では複数のサーバをスペアとして用意する。仮にいつも使っているサーバAが使用できなくなっても、代わりにサーバBやCを使えば、ビジネスが止まることはない。会社は利益を出し続けることができる。こういう状態を「可用性がある」という。
「可用性、という言葉は今まで使ってこなかったけど、確かにそうだね」と私は言った。
するとTちゃんは目をむいて言った。「そうとも限らないよ。結婚すると、脆弱性が増大する可能性もあるんだよ」
Tちゃんの説明はこうだ。結婚を2つのサーバの連結によるネットワーク構築だとするなら、それぞれのサーバはすでにそれぞれの家族という別のサーバと繋がっており、それらの家族もまたネットワークである。つまり、結婚とは、2つの別々のネットワークに属するサーバ同士の連結なのである。
ここで私の補足を入れる。この理屈でいくと、理想の結婚とは、強固でセキュアな、脆弱性のないサーバ同士の連結である。
だがTちゃん曰く、家族というネットワークの中にあるサーバは、どれも大なり小なり脆弱性を持っている。よって、脆弱性を内包したサーバの集まりである家族という名のネットワークが連結することが結婚でもあるという。
要するにTちゃんの考えでは、結婚は可用性の問題ではなく、脆弱性を孕んだネットワークの結合であり拡大なのだ。
そこで彼女は言った。「結婚すれば、夫婦間での可用性が増すかもしれないけど、同時に脆弱性も増大する。だから結婚はいいものだというのは、一面的な話だよ」
結婚を可用性の問題として捉えていた私は、独身者はただただ強固なサーバにならなければならないと考えていた。しかし、結婚を脆弱性を孕んだネットワークの構築と捉えるなら、独身であるということは、脆弱性を拡大しな��ということだ。
とはいえ、実際の結婚も家族も、サーバでもネットワークでもない。どれも人間の話だ。だから、サイバーセキュリティの議論には登場しない要素や、豊かさ、面白さもある。
とはいえ、結婚してもよし、結婚しなくてもよし、と私は思うことにした。
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yurislifeasartjp · 3 years ago
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難易度の高い処方箋
最近体調を崩した。3週間近く熱もないし咳もないのにただただだるい。時に気持ち悪い。血流が悪くて肩こりがひどく、頭痛がする。そしてコロナ陰性。
もうどうしようもないなと思って病院に行ってみると、先生もこの状態では原因がわからず、きちんとした処方箋も出せないという。
ということで、血液検査をした。
自慢の、血管が見えやすく、医療関係者うけのいい腕から採血され、数日結果をまった。
結果、特別悪いところはなさそうなものの、一箇所二箇所ちょっとだけ正常値をはみ出ているところがあり、そこを是正する薬を処方された。
処方箋を持ってドラッグストアに行くと、
1日2回、食後の薬
1日3回、食後の薬
1日3回、食間の薬
が処方された。
いやいや、飲むタイミング難しす��ない?覚えるの大変じゃない?三十代の私で難しいんだから、世代の上の人とかお年寄りには無理なのでは?
とか思って個人的にうける。だいぶウケる。
薬剤師さんにも「全然文句とかないんですけど、これ難しくないですか?笑」と言ってしまった。
「一日中薬飲みっぱなしですよね。すみません」と言われる。 
誰が悪いわけでもないんだけど、最適化されない医療を見た気がする。
そんなこんなで、その後会社に行ってから、「週末のハイライト」として中のいい同僚たちに、もはやネタとしてこの話をした。
すると、小さな子供を持つ同僚が自分の子供の話をした。
なんでもお子さんが子供用のあまーい液体の薬がお気に入りのようで、「お父さん、お薬ちょうだい」と食後に言ってくるとか。
「うちの息子、薬をデザート感覚で捉えているんだよね」と言っていた。
それで思い出した。
私も人生初の薬はやたら甘いジュースのようなシロップのようなもので、大さじか何かで飲んだ記憶がある。
それがいつの間にやら中級編の粉薬になり、子供ながらに「自分はもう子供じゃないんだ」というような喪失感のような悲しみを覚えた。
そして不本意な粉薬になれてくると、世の理不尽は深まり、先生も粒状の薬をさも「飲めるんでしょ?」と言わんばかりに子供に出してくる。
子供の頃は粒の薬が喉に詰まりそうで飲むのが恐怖だった。あのカプセルサイズの薬の恐ろしさと言ったら。。。
そうしたら、ある同僚も同様のことを思っていたらしく「粒の薬、怖かったな〜」と幼い日の恐怖を噛み締めていた。
気づいたらなかなかのサイズのサプリも平気で飲むようになったけど、こんなふうに自動的に、勝手に、大人の都合の『薬のサイズのベルトコンベア』に乗せられ、当人たちの心の準備にかかわらず私たちは大人にされていく。
そんな世の中の不条理と、「自動」の怖さと、それに気づかず、ベルトコンベアを乗り切ってしまい、毎朝何粒ものサプリを飲みながら、半分冗談、半分本気で「ドーピングはサラリーマンの嗜み」とか言うようになった自分に物悲しさを覚えるべきか、成長を喜ぶべきか、迷う。
甘い薬ではなく、粉薬を渡された時の私や、初めて粒薬を渡されて恐怖に慄いた私は、今日の私を見てどう思うだろう。「大人になった私」と映るのか、「裏切り者」と罵られるのか。
今晩のベッドには、3人の私が横たわる気がする。
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yurislifeasartjp · 3 years ago
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他人が自分と違うことは許せていたけど、自分が他人と違うことを許せていなかった件
文句を言わず、なんでもにこやかに取り組む同僚のAさん。残業が続こうが、急な作業が発生しても、にこやかに「はい、やります」「大丈夫ですよ」と二つ返事。「私にはできないんじゃないか」とか「こんなの理不尽だ」とか言わないし、多分思ってもいない。さらには「この職場の人たちはみんな優しい」と言った。
私はそんなAさんを見て「どうして私はこの人みたい���粛々とできないのだろうか」「やっぱり私は弱いのだろうか」とか思った。要するに、私は自分が大嫌いな残業をすることや、残業しないで仕事を終わらせられない自分への嫌悪、残業によって体調を崩すのではないかという不安、メンタルが弱るのではないか」という恐怖を感じる自分を責めていた。
ある日Aさんに「なんでそんな動じないの?」って聞いたらこんなことを言っていた。
Aさんは英語圏でもないヨーロッパの国で子供を産んだ。その時、生まれそうなのにドクターと看護師が研修医だけ置いてコーヒー飲みに行った。でも仕方がないから子供を産んだし、子供は産まれた。
それを聞いて、流石にこれは「私の経験が足りないのが悪い」のではなく、Aさんが究極の状態をくぐり抜けてきたことがすごいのだ。そういう場面を経験した人なら、残業や差し込み作業ごときで動じないのもわかる。
同時に、私はAさんが私と違うことは許せている、受け入れられているのに、Aさんのような動じない心を持っていない自分、Aさんのようではない自分を責めていたのだ、と気づいた。
他人に許していることは、まず自分に許そうと思った。
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yurislifeasartjp · 3 years ago
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人生初のインターナショナルコミュニケーション
私が人生で行った「初めての海外」はなぜかスペインだった。それも小学校2年生の時だった。
十数時間の長旅の後、私と家族は空港からタクシーに乗った。
私の父は海外旅行に行く時、旅行の数ヶ月前から現地の言葉を勉強し、旅行者としてのスピーキング力とリスニング力をある程度身につけていく、なかなかの旅人だった。
タクシーに乗るときも、どこにいくのかなど、タクシー運転手ときちんとコミュニケーションをとっていた。
すると、父が私たち家族に向かってこう言った。
「今、運転手さんがね、このままタクシーでホテルまで行った方が安いし、楽だって言うんだよ。どうする?」
タクシーに同乗していた私の姉は、車酔いしやすい体質だったので、最後までタクシーだと困る、と言うようなことを言った。
とはいえ、父の旅行用のスペイン語では、「娘は車酔いしやすいので、タクシーは途中まででいいです」とは言えない。
当時小学校高学年くらいだった姉は確かまだ英語を勉強する前で、「う〜ん、カーおえ?」と言ったが、全く通じていなかった。
タクシーの運転手も、私たち家族が何か言おうとしているのは分かったらしいが、何を言わんとしているのかは皆目見当がつかなかったようだ。
私はそんな年長者のやりとりを見ていた。そして閃いた。吐く真似をすればいいのだ、と。
当時、私と兄の間では「リアルに吐く真似」が大流行していた。なので、来る日も来る日も、それらしく吐く真似の技術を磨くことに精を出していた。
そして、私は後部座席からできる限りリアルに「うぉおおえっ」とやってみた。
タクシー運転手は、「あ〜〜〜〜〜」と納得するような声をあげた。そして彼は私に握手を求めた。
英語を勉強し始めるよりもだいぶ前、世界は日本とアメリカくらいしかないような理解で、ヨーロッパという概念も朧げだった私の、生まれて初めてのインターナショナルコミュニケーションだった。
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yurislifeasartjp · 3 years ago
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振り返ればドキっとする日韓友好の瞬間
���生時代にカナダに語学留学に行った時のこと。
私が行っていた学校には、多数の日本人、多数の台湾人、数人の韓国人、西欧・東欧から数名の留学生がいた。
その時は確か日本でも初期の韓国ブームの頃で、私はヨン様とチェ・ジウの名前くらいはわかるけど、まだちゃんと韓国ドラマを見たこともなく、どちらかといえばまだ韓国料理の方が馴染みがあるくらいだった。
私のクラスには、韓国人の女の子が一人いた。彼女は「オタク」という言葉を知っていて、”I am otaku”と自ら言っていた。確か、彼女は日本のアニメや漫画が好きで、私の記憶が正しければ、その世代のアニメとジブリを見たレベルで、継続的に漫画やアニメを追っておらず、名探偵コナンも追いきれなくなっていた私よりも、漫画やアニメに詳しかったんじゃないかと思う。
そんなある日の休み時間。私はその韓国人の女の子と、自分と同じ大学から留学にきていたMと雑談をしていた。
すると、彼女は「私日本のこと知ってるよ」と言って、休憩スペースにあったホワイトボードに漢字で「豊臣秀吉」と書いた。私とMは顔を見合わせた。みなさんご存知の通り、豊臣秀吉は韓国遠征を行っており、韓国では悪人だからだ。
一方私とMは世界史で大学受験をしていた。そこで「よし、ここは李舜臣(イ・スンシン)だ」となった。
李瞬臣は、豊臣秀吉が韓国遠征した時に戦った韓国の英雄だ。
私はペンを持ちながら「イ・スンシン、イ・スンシン、漢字どんなだっけ?」と言ってうろ覚えの漢字を頭の中から手繰り寄せ、「リ、と瞬間の瞬、とオミ?」みたいなやりとりをMとして、なんとか力を合わせて漢字で書くことができた。
そして彼女と私とMは、2つの名前が書かれたホワイトボードを見て「お〜」と言いながら、お互いに「やるなぁ」みたいな、お互いを認め合うような特殊な友情を感じていた。
彼女は日本の文化に興味があったし、私も韓国に興味を持ち始めたころで、幸い当時の私の世界・視界にはまだ嫌韓・反日の世界観が入ってきておらず、ちょっとMと二人でどきっとしたものの、結局豊臣秀吉と李瞬臣のおかげで、お互いが知っておくべき歴史をちゃんとおさえつつ、「お互いちゃんとお互いのこと知ってるね」みたいな平和的な相互理解を深めることができた。
この時、私は世界史選択をしておいてよかったと、心から思った。
これは、私の中のいわゆる「国際理解っぽい思い出」の中でも、特に記憶に残っている、楽しい思い出だけど、やっぱり振り返って、今日の日韓の緊張関係を見ると、どきっとするところもある。そんな思い出です。
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yurislifeasartjp · 3 years ago
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あの時のお姉さんたちは本当にお姉さんだったのか
この間、近所のパン屋さんに行った。お店の中で何を買おうか考えていたら、お父さんと3−4歳の男の子が入ってきた。
男の子は結構おしゃべりで、お父さんも息子に結構話しかけるタイプだった。息子がお盆を持って、買うも���を選ぶらしい。
私は買うものが決まったので、レジに並んだ。前のお客さんが会計中で、私は2番目。
サンドイッチの並んだ棚の前で並んで待ってると、男の子が私のそばにきた。サンドイッチでも見るのかなと思ってちょっと脇によけたところでお父さんが「ちゃんと並ぶんだよ」と息子に言う。すると息子が「お父さん、お姉さんどいてくれたよ」と言う。
それを聞いた私、「え、どいてないよ(笑)」と心の中でツッコミを入れる。私がよけたのを「自分のためにどいてくれた」と解釈するあたり、ちびっ子の「世界の中心は自分」という世界観が強いなあ」と思っていた。
でも、そのすぐあと「いや待てよ、果たして30超えたいい歳の拙者は『お姉さん』なのだろうか。拙者は社会的にお姉さんなのだろうか。拙者は喜ぶべきなのだろうか。しかしお姉さんと呼ばれて喜ぶのはフェミニストとしてどうなのだろうか」などと考えた。
そのあたりでふと自分がその男の子くらいの歳だった頃のことを思い出した。
3歳くらいの子供なんて、どこに行ってもスーパースター。私もそうだった。
電車でも通りでも、綺麗な若い会社員風のお姉さんたちがニコニコしてくれたり、挨拶してくれたり、手を振ってくれたり。
でも、もしかしたら、あの人たちも頭の中で自分のことを「拙者」とか呼んでたのかなあ、とか思った。
もしあの人たちの頭の中の一人称が「拙者」だったなら、あの人たちはいわゆる「お姉さん」だったのだろうか。
今思えば、当時の日本は今以上に女性が働きにくかったはずで、あの人たちは私よりもっとタフな会社員生活を送っていただろう。脳内の言葉遣いが私よりも悪かったり、荒れていた可能性はある。
あるいは、当時はまだオタク文化もまだない頃だろうけど、私には知る由もないハードコアなマイワールドを持っていた人たちだったのかもしれない。
私の頭の中の「綺麗なお姉さん」って、結構信用ならない記憶だなと思った一方で、もしかしたら頭の中で自分のことを「拙者」と呼んでいたかもしれない彼女たちは、ただの「綺麗なお姉さん」ではなく、自分のことを「俺」「拙者」などなどで勇気づけたり、励ましていた、ハードボイルドな戦士だったのかもしれない。
これからも自分のことは「拙者」と呼び続けよう、と思った。
そして私は食パンを買った。
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yurislifeasartjp · 3 years ago
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腕に刺さった矢を抜く決心がなかなかつかない時ってあるよな
この間、友達からこんな話を聞いた。
その友達の知り合いで、アメリカ人男性と結婚した日本人女性がいたという。詳細は忘れたけど、どうやら夫が最初に浮気に走り、その後妻の方も浮気に走ったそうな。
夫の方はもともと安定した手堅い職業についていたものの、「ユーチューバーとして食っていきたい」と言って退職したという。夫の家族は「あなたの夢があるならそれを追いかければいいんじゃない?」と言うような家風だそうで、特に反対もなかったとか。
妻の方はどんな仕事をしていたか忘れたけど、その人はその人で仕事を持っているらしい。それで夫婦でもともとアメリカに住んでいたものの、裕福な妻の実家に二人で帰って暮らしているらしい。
なんだか色々ごちゃごちゃしている夫婦だなと思った私。二人にはまだ子供はいないという。それなら、むしろ一旦離婚してお互いリスタートを切った方がパートナーシップを探すにしても、キャリアの上でも良さそうだなと思ったので、友達に「離婚してお互いやり直した方が幸せに慣れそうだけど、そうもいかないんだね」というと、「その人(妻)、なんかやっぱり別れられないというか、『独身』になるのが怖いらしいんだよね」と友達。
今回は離婚の話だけど、「変化」を恐れてより良い決断を下せない時ってあるよなと思う。
例えて言うなら、腕に刺さった矢みたいなものかなと思う。
長期的に見たら、腕に矢が刺さったら、できるだけ早く抜いて、早く治療して、その矢が刺さっていた腕を使って楽しい人生を歩んだ方がいい。でも、矢を抜く瞬間は痛いし、ひょっとしたら肉も一緒にちょっとは取れるかもしれない。痛みは怖いし、矢についた肉と血をみるのも怖いそれなら抜かないでおこう、と思ってしまうのもわかる。
それに、あまりに長い間矢が刺さっていたら、矢に愛着を覚えてしまうかもしれない。いつもそこに矢が刺さっているのに、ある日突然それがなくなったら、自分の周りの景色が変わってしまう。それも怖い。
腕に矢が刺さっていることで、楽をできるところもある。例えば、腕に矢が刺さっていなければ、多分やらなきゃいけないこと、負わなきゃいけない責任、負わされる責任もきっと大きくなる。腕に矢が刺さっていれば「見て!私腕に矢が刺さってるの!まさか大変なことやらせたりしないでしょうね?痛いの!わかる?痛くてできないの」と周りに言ったり、何よりも自分自身に対して「しょうがないよ。腕に矢が刺さってるんだもん。挑戦しなくていいよ」と言いやすくなる。
それに、矢が抜いてしまったら、「矢を抜いた後の未来」が待っている。しばらく矢が刺さっていた腕から矢が無くなったなら、リハビリが必要だろう。そして、リハビリは面倒だし、今まで通りに動かない腕にフラストレーションを抱えながら、それでも毎日努力をしないといけない。あるいは、リハビリや、まだまだ不自由な腕と精神的な折り合いを付けないといけない。抜かないでいる限り、そうした面倒なこと、面倒な葛藤からは逃げていられるし、逃げるだけの正当性を持っていられる。自分にも、思い当たる節はある。
だから、離婚に限らず、長期的に見たらやった方がいいことを先延ばしにしてしまう気持ちはわかる。でも、だからといって「先延ばしが悪い、やめろ」と言う気はない。
おそらく、先延ばしにしていると言うことは、矢を抜きたくなるほどに辛くはないんだろう。あるいは、「今矢を抜くよりかは日々の痛みに耐える方が楽・マシ」と言うこと。それなら「どうしても矢を抜きたくなる瞬間」を待っていてもいいんじゃないかと思う。「何かをやろう」と言う気持ちは、「さあやろう」と思って作れるものではない。人それぞれ、気持ちが熟成されるまでにはそれぞれかかる時間もプロセスも道のりも違う。
だから、先延ばししている間は「まあ、そのうち抜きたくなったら抜こう」と思っておけばいいんじゃないかと。
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yurislifeasartjp · 3 years ago
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自分から不幸になりに行く時
ここ2、3年くらいで気づいたことがある。自分は結構進んで不幸になりに行く時がある。
「不幸になりに行く」というのは、「明らかに自分が傷つく状況に進んで身を置く」と言うような積極的な、選択をともなう行動ではない。私が今回話したいのは「別に自分で如何様にも解釈できるのに、自分が不幸になる解釈を選ぶこと」だ。
これの一番わかりやすい例が「定時で帰っても、残業して帰っても、結局自分はだめなんじゃないか」問題。
私は今、多くの人が定時に上がるか、せいぜい30分くらい残業して帰るような職場にいる。いつも定時きっかりに帰る人もいれば、大体定時だけど日によっては残業一時間して帰るくらいの人もいる。いつも定時きっかりに帰る人に対して感じるもやもやは、一旦今回は語らないことにしておく笑
さて。私は後者。とはいえ、私は入社してまだ1年もたっておらず、今回の会社へは異業種への転職のような形で入ったので、まだ「自分で自分のペースを作る」ようなフェ��ズにまだ来ていないのだと思う。
それはわかっているけど、一時間以上残業する人が少ない職場で一時間残業しているときには「私、仕事ができないから残業してるのかな?」と思うことがある。でも、残業しないで帰ると、「私、頑張りが足りないのかな」とか考えて、謎の罪悪感のようなものを背負いに行きそうになる。どっちにしても自分が悪い、って結論に行ってしまう。
でも、周りから「あなたは仕事が遅い」とか「頑張りが足りない」と言われたことはない。「言われてない」=「みんな思ってない」とも限らないけど、要するに「私仕事遅いんじゃないか」「私頑張ってないんじゃないか」は私が勝手に頭の中で考えていることでしかない。誰にも何も言われてないので、何かアクションを起こさないといけないことでもない。「誰かに何か言われたらアクション起こさなきゃいけない」なんてこともないけど。
まあいずれにせよ、「定時退社」の原因は私が問題視しているだけであって、私以外の人にとってはどうでもいい話。私の頭の中で何をどう考えるかと言うだけの話だから、「仕事ができるから定時」と思おうが、「頑張りが足りないから定時」と思おうが実は私の自由。わざわざ後者を取りに行く必要はない。
残業も一緒。「仕事ができないから残業」と思うのも「今日は単に色々やらなきゃいけないから残業」と思うのも私の自由。
さらに言うと、理由は知らないけど定時で帰る人と自分を比べて進んで不幸をかみしめに行くか、「あの人帰り早いけど私の知ったことではない」と適当にもやもやを切り上げて、その辺に置いていくかは私の自由。
こうやって考えると、結構自分から必要もないのに「不幸になりに行く」ときってあるなあと思う。
で、ここで終わると「私って自分から不幸になりに行く人間なので」で終わって悲しいので。もうちょっと書こうかと。
自分から不幸になりに行けるなら、自分から幸せにもなりに行けると思うのね。仮に自動的に自分が悲しくなる結論にたどり着いたら、その反対を考えればいいのよ。その一手間を取れる自分を褒めるのよ。
私が好きなMartha Beckって言う人が誰かから聞いた言葉だったか考え方を紹介してたことがあって(肝心なその人誰よ笑)、それが確かこんな内容。
ーー自分にとってネガティブな言葉が浮かんだら、その反対こそが真実。
でね、落ち込んだり悲しい時って「私は仕事できない」「私は〇〇」とかって文章が頭の中に出てくるでしょう?そう言う時はその真逆を声に出して言ってみるといいよ。
「私はできない」って思ったら「私はできる」「私ならできる」。ちょっとこれだと言い過ぎで嘘くさいなって思ったら、「私はこれをなんとかできる」「私はこれに対して何かのアクションをとることができる」「私は今日これをうまくできないかもしれないけど、ちゃんとできるようになる方向に進んでる」とか。
とはいえ、こう言うのってある日突然できるようになるものでもない。毎回毎回、悲しくなったときに、「あ、悲しい。ネガティブ。ってことはその反対が真実。あ、真実に気づいた私すごい」って毎回毎回自分を褒めて楽しむのが大事なんだと思う。
まさかこんなことも言っていた。自分にとっての真実のフレーズが見つかった時、人は落ち着く。これは本当だと思う。
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yurislifeasartjp · 4 years ago
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気持ちを友達と思ってみる
私はエリザベス・ギルバートが結構好き。彼女の本は『食べて、祈って、恋をして』しかまだ読んだことはないけど、最近彼女のスピーチやインタビュー動画をよく見る。
彼女の考え方の好きなところは「気持ち」「感情」を擬人化するところ。
私が今まで見た中では、恐怖、愛、クリエイティビティ(あれ?インスピレーションだったかな?)を擬人化してユーモラスに語っている。
例えば恐怖。確かギルバートさんは「恐怖は大事。恐怖があるから私はあの危なそうな通りを避けた。だから私は今日生きていられる」といって恐怖に感謝しようみたいなことを言っていた。あと、「恐怖が顔を出したら『そこにいてどうぞ』と言ってあげる」みたいなことを言っていた。あと、「恐怖は車に同乗することはできるけど、ハンドルを握ることはできない。ハンドルを握るのは自分。恐怖はバックシートに座っておいて貰えばいい」みたいなことを言っていた。
あと、ギルバートさんは、不安になった時、「Love」と対話するとも言っていた。大文字で始まるLove。彼女が不安になった時、ギルバートさんは髪の上でLoveと筆談するんだって。ギルバートさんが「ねえLove。私不安なの。どうしたらいい?私全然大丈夫じゃない」って言うと、Loveは「そう。あなた不安なの。大丈夫。私はいつもあなたと一緒にいる。何があってもあなたを1人にしない」と答える。ギルバートさんが「私はどうしたらいいの?」というと、Loveは「どうすればいいのかは答えられないわ。でも大丈夫。私があなたについてるから」と答える。こうしてLoveと会話すると気持ちが落ち着くとか。
ギルバートさんはクリエイティビティについてこんなことを言っていた。「クリエイティビティは私に向かって『あの崖に向かってドライブしようよ!きっと楽しいよ』って言うの。それでよしきた、やろう!って言ってドライブするじゃない。崖から飛び降りるじゃない。車が大破して自分も怪我するの。それで私はクリエイティビティに『どうしてこんなことになるの?うまく着地できるんじゃなかったの?』って言うと、クリエイティビティは『え?私そんなこと言ったっけ?まあいいや、もう一回崖に向かってドライブしようよ!』って言うの。クリエイティビティは成功までは約束してくれないの。でも、私たちは怪我が治ってからもう一度クリエイティビティとドライブすることはできる」みたいなことを言っていた。
それを参考にして、私も最近「気持ち」を相手に会話をするようにしている。
不安「どうしよう。心臓がドキドキする」
私「そうか。ドキドキするか。それじゃあ一緒に深呼吸してみよう」
不安「少しマシになった」
私「マシになった?よかったね」
不安「またドキドキしたらどうしよう?」
私「そしたらまた私と一緒に深呼吸すればいいよ。今はそれを心配する必要ないよ」
不安「私今日まだ何もできてない」
私「そうだね。でも今日はまだまだ時間があるよ」
不安「でも私もう2時間何もしてない」
私「2時間もゆっくりできてよかったじゃない。まだ少し時間があるから、もう一回深呼吸しよう」
みたいな感じ。
これ、やってみて思いのほか効果があった。
気持ちを友達だと思って話すと、気持ちを責める言葉や思考回路が出てこない。どこまでも気持ちの味方でいられる。そうすると気持ちも収まって、ちゃんと前を向けるようになる。
自分の気持ちと友達に。大事なことだと思う。
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yurislifeasartjp · 4 years ago
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何が起こるかわからない
以前働いていた職場に派遣社員のSさんという人がいた。
Sさんはいつもニコニコした元気そうな感じの人で、お子さんが5人いた。
ある時お話ししたら、「もう旦那と離婚したい」と言っていた。それをあけっぴろげににこやかに話すものだから、気持ちがいいと言うかスカッとするというか。
Sさんがどれぐらいの期間働いていたのかは覚えていないけど、最終的にはそこでの派遣社員を辞めて、家のそばの会社で正社員として働くことになったという。
その話を聞いた時には、確かSさんはもう離婚が成立していた。
退職の話を聞いたのは、女子トイレだったと思う。
Sさんは離婚が��まり、就職が決まり、そして5人のお子さんはSさんが独立して作る戸籍の中に入るということだった。
一番上のお子さんはまだ成人してない。Sさんの子育てにはまだまだ先がある。でもなんだか楽しそう。
離婚と就職が決まり、旦那さんが家から出て行くと言う。Sさんの人生が大きく良い方に動いているんだなあと、詳細は知らないけどなんとなくそう思った。
Sさんの最終出社の日、私は早退するので部署の全体メールで「そろそろ帰ります」と連絡した。すると、Sさんの上司が「Sさん今日最終日だから、帰り際に一言かけて」と気を利かせた。
そこでSさんに声をかけてみたら待っていましたとばかりに笑顔でこういった。
「Yuriさんずっと言いたかったことがあるんです。私はね、30歳になってからいろんなことがあったの。だからこれから分かんないわよ」
Sさんは私を怖がらせようとしたのではなくて、多分「楽しいことがこれからいっぱいあるから楽しみにしてね」っていう意味だったんだと思う。
そこで私は「Sさんが最初のお子さんを産んだのは何歳の時だったんですか」と聞いた。
「32歳だった」という。
そこから5人産んで5人育てて、まだ育て中で、派遣社員から正社員に変わる。確かに何が起こるかわからない。でも楽しみなんだろうと思う。
退職を初めて聞いたトイレの中でも言ったことだけど、この最終日の会話でも私はSさんにこう言った。
「Sさん、3000円の宝くじの日を一袋買いましょう」
これだけ人生が前にSさんの求める方向に動くのであるならきっといいことが起きるだろうと思った。
翻って今。2-3年前に書いたこの文章を見つけて、ブログにアップしようと思った。
ここ1-2年、あるいはもう少し長い間、私は自分の人生をどうしていいのかわからない。
どうしようかな。自分何がしたいのかな。どうしたら幸せになれるのかな。っていうか、今この瞬間幸せであれば、その続きにそれ相応の未来があるんじゃない?でも今何したいの?
「まいっか」と思える日もあれば、堂々巡りでどうしようもなくなる時もある。
でも、そんな時は
「Yuriさんずっと言いたかったことがあるんです。私はね、30歳になってからいろんなことがあったの。だからこれから分かんないわよ」
「楽しいことがこれからいっぱいあるから楽しみにしてね」
を思い出そうと思う。
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yurislifeasartjp · 4 years ago
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のりちゃん
今日はのりちゃんの話をしようと思う。
のりちゃんは二回しか会ったことのない女の人。
のりちゃんに会ったのは5年くらい前だったかな。地元のファッションビルのに入っているアクセサリーや服を売っている店。のりちゃんはそこの店員さんだった。
その時期、私は自分の人生が恥ずかしく、不安だった。
なぜなら、私は大学院に進んだものの、研究の道には進まず、研究した分野とも特に関係のない仕事につき、その仕事でもうまくいっている気がしていなかった。
そんな時に、なんでかわからないけど実家に帰ってみた。実家に行く途中だったのか、実家から帰る途中だったのか、どういうタイミングでそのビルに行ったのかは覚えていないけど。
お店に入ると、のりちゃんが声をかけてきてくれた。確か私はゲームボーイに似たデザインの肩掛け鞄を見ていた。
のりちゃんがその鞄をかけて「こんな感じ?」「こんな感じ」と言ってコーディネートの見本を見せてくれた。
どうしてそうなったのか全く覚えていないけど、のりちゃんは「私人見る目あるの。あなた大丈夫よ。私状況がよくない人、一眼でわかるから」と私に言ってくれた。私は人生不安な時が多い人間だから、「あなた大丈夫よ」と言われてすごく嬉しかったし、落ち着いた気がする。
「お金がなければ職場におにぎりを作って持っていけばいい。時間がなければ朝早起きすればいい。これができれば週末にちょっとおいしいものを食べるくらいのことはできるのよ。実家暮らしが長くてもいいのよ。親と一緒にいられる時間は限られてるから、一緒にいたければいればいい。私は何年か前に結婚したけど、それまでずっと実家暮らしだったの。私結婚遅めだったけど、それでいいのよ」
それからしばらくして、のりちゃんに会いたくて、同じ店に行った。のりちゃんは私のことを覚えていなかった。でも、「この間、のりちゃんはこんな話をしてくれて、また会いたくなってきたんだ」って言った。その日は特にそんなすごくない世間話をして、何も買わないで帰った。
それからしばらくしてそのお店は無くなってしまった。のりちゃんにまた会いたいな。
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yurislifeasartjp · 4 years ago
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退職したら「お疲れ様」か「おめでとう」か
最近、ある友達から久しぶりの連絡を受けた。離婚するとのことだった。
それに関連して彼女は用があって私に連絡したんだけど、この時の会話でいろんなことを考えた。
まず驚いたというか、ほっとしたのは、彼女がとても穏やかで、これからの人生に胸を躍らせていることだった。本当に、元気そうで何よりだった。
彼女の知らせを聞いて私が真っ先に言ったのは「お疲れ様」だった。自分でもものすごく守りというか、弱腰というか、無難な物言いだったと思う。でも、彼女が自分の決断を良いと思っているのか、悪いと思っているのか、あるいは後悔しているのか、それもわからない段階で「よかったね」「残念だったね」と私の主観的なポジティブな反応、ネガティブな反応を示すのは、彼女に寄り添うことではないと思った。
私は結婚の経験も離婚の経験もないし、何より私は彼女ではないから、彼女にとっての最適な言葉を知らない。でも、私の中でのその瞬間の最善の言葉は「お疲れ様」だった。
今になって思うのは、もしかしたら私は「おめでとう」というべきだったのかもしれない、あるいは、「おめでとう」ということもできただろう、ということだ。
私が昔パワハラ・モラハラの横行するブラック企業を退職したあと、私はその後どうしていいかわからず、学生時代にお世話になった先生たちに挨拶回りを行った。そうしたら何かやりたいこと、行くべき場所がわかるような気がした。
挨拶した中の一人の先生は、私の顔を見るなり、大きな声でにこやかに「退職おめでとう!」と言った。それまで私は退職した自分を責めていた。でも、この一言で「そうか。退職はめでたいことなんだ。これから私は何をしたっていいんだ」と思えた。
結婚、離婚と就職は全く別物だけど、もしかしたら私は彼女に「おめでとう」といえたのかも知れない。彼女の人生の選択に至った経緯を知りもしないで、あえて無責任に彼女の決断を全肯定してもよかったのかも知れない。
「お疲れ様」という一言になんの後悔もないし、それが私の心からの彼女への言葉だったけど、「おめでとう」と言ってたら何か違ったのかな?と思った。
彼女は終始元気そうに見えた。でも、「元気そうに見える」のと「元気であること」は別物。もしかしたら私に見せなかっただけで、本当はいろんなことが心配だったり、不安だったりしたのかもしれない。あるいは、私と話していたその瞬間は元気だったけど、電話を切った瞬間、悲しさや苦しみが彼女を襲ったのかもしれない。私は知る由もない。でも、電話を切った後も、彼女が一人でいる時も、別の友達と一緒にいる時でも、元気でいてほしいなと心から思う。
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yurislifeasartjp · 4 years ago
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現状を受け入れること、現状に屈服すること
働いていると辛いことがある。苦しい時がある。
そういう時の反応はいくつかパターンあると思う。
1つは苦しみに毎回反応し、「こんなの嫌だー!」と思って怒ったり、そういう状況を変えようとしたりして、その状況に抗うパターン。
もう1つは苦しいことは苦しいなと感じながらも、それはしょうがないものとして受け入れ、いちいち抗わないパターン。この反応をする人の中には、自分の苦しい状況を俯瞰して「笑える状況」として読み替えることで自分の心を守る人もいる。ストレスと気長に適当に付き合う現実的で賢い生き方だ。
私はこれまで前者の姿勢で働くことが多かった。辛かった。だから後者の姿勢の人が羨ましかったりする。
私は自分ではない人たちが何をどう捉えていても、「別にいいんじゃない?迷惑かけなければ」と考えている。だから後者の人たちを羨ましく思っても、間違っていると思ったことはない。
ただ、自分がその考え方になることは許せなかったところがある。「苦しみ受け入れる」ことは、現状に屈服することだから。自分ではない他人が苦しみに抗わず、現状に屈服しても、それはその人の人生だし、自由だと思う。でも、自分が苦しみに抗わずに現状に屈服することは許せなかった。
でも最近気づいたことがある。
苦しみに抗わないこと、現状に屈服するということは、別の言葉を使えば「現状を受け入れる」ということ。これらの表現の意味するものは全く同じで、どういう味付けの言葉を使うかだけが異なる。
そして現状を受け入れることは、今の自分を受け入れることでもある。
もしかしたら、屈服すること、受け入れることで、見えてくる自分の未来もあるのかもしれないなあ。
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yurislifeasartjp · 4 years ago
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自分で自分をおちつかせる「自分との会話」
私は怖がりだ。
「これから何かが起きる」時、真っ先に思い浮かぶのは悪い予測で、いつ誰から攻撃されるかもわからない、人は自分のことを悪くいう、と考えがちだ。
でも最近、色々本を読んだりして学んだことがある。
「自分との対話」の進め方次第で恐怖はだいぶコントロールできるということだ。
例えば、今。私は就職に関係してある人に連絡した。その連絡を待っている。ただ事務的な質問のやりとりをしているだけだ。
今回、私からではなく向こうから連絡をもらい、このやりとりが始まった。つまり、基本的に先方は私に好意的な気持ちや評価を下しているという前提がある。
私は先方の質問に解答し、私から���質問をした。向こうの質問は事務的なもので、こちらの質問も事務的なもの。なのに「どんなことを言われるのか」と悪いことばかり想像して怖がっていた。まだ返事が来たわけでもないのに。
そこで私はこの自分との対話について思い出した。よし、対話してみよう。
「何が怖いの?」
「質問が失礼だったとか、変なこと言ったとかってて攻撃されることが怖い」
「失礼な質問したの?変なこと言ったの?」
「言ってない」
「なら怖がる必要ないじゃない」
「でも攻撃する人は、理由を作り上げて攻撃してくる」
「でも、今日のその相手はそういう人?」
「そうは思わない」
「じゃあ怖がる必要ないんじゃない?それに、その人あなたに興味があって連絡してきたんでしょ?あなたを攻撃する確率の方が低いでしょ?むしろ、これからあなたが受け取るであろう返事はあなたを助けたり、ワクワクさせるものであるはずじゃない?だから大丈夫よ。攻撃されないから。仮に攻撃されたらその時考えればいいことでしょう?」
「そうだね」
「大丈夫。楽しいお知らせしか来ないから」
ここまで一連のやりとりを声に出してみて、やっと胸のゾワゾワが治った。
これを書きながら思い出した。
Rayya Eliasという人が自分の頭に関してこういうことを言っていた。
「私の頭よ。私があなたを所有しているのであって、その反対ではない」
Elizabeth Gilbertは恐怖に関してこんなことを言っていた。
「恐怖はありがたいもの。恐怖があるから、私たちは危ないことや、危ない場所を避けて、今日ここにいる」
「恐怖は存在しても車のハンドルを握ることはない。ハンドルを握るのは私。恐怖はバックシートにでも座らせておけばよい」
Martha Beckはこんな感じのことを言っていた。
「何かしようと思い立った時、『いや、でもみんながうまくいかないって言いそうだからやめよう』と思うことがあります。でもその『みんな』は誰でしょう?具体的に考えてみて。その人たちはあなたにとって大事な人?多分そうではない。多分あなたにとって有害な人たち。なぜなら『みんながうまくいかないって言いそうだからやめよう』と言う思考は、危険から自分を守ために作動するものだから」
Seth Godinはこう言うことを言っていた。
「私たちは自分と対話することがあります。大きな声は私たちに、『私の出番ではない』『私は十分に知らない』などと言います。自分と対話をするときには、語りかける自分と聞き役の自分がいます。語る側数値や服従を求めます。聞き役はあまりおしゃべり上手ではありません。でもこの聞き役には本能があり、いろんなものをよくしようとします。私たちがこの聞き役に耳を傾けた時、さまざまな機会が爆発するでしょう」
聞き役に耳を傾けることを忘れたくないなあ。
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yurislifeasartjp · 4 years ago
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自己実現病
自己実現という言葉。
好きか嫌いか。
どうだろう。
好きと言えば好きだけど、本当のところでは、胸が苦しくなる。
自分は自己実現できていないし、将来できるのかわからないし、自己実現に向かう道の上に自分が立っているのかもわからないから。
自分以外の人は、自己実現できているか、その道の上に立っているか、あるいは自己実現なんてものに重きを置いていないか。自分は上のどれでもないから、胸が苦しくなる。
私の中では、「自己実現=社会的な何者かになること」という図式だ。
もちろん、それは私の勝手な解釈で、例えば街のパン屋さんになることだって自己実現になりえるし、温かい家庭を気づくことだって自己実現だと思う。憧れのカフェでバイトをして、店長になるのも自己実現だと思う。
とはいえ、自己実現というのは、「今の自分ではないものになる」という一点において、誰にとってもその意味するところは同じなのではないだろうか。
つまり自己実現という言葉を使った瞬間、誰しも「今の自分は足りていない」という前提に立ってしまうのだと思う。
今というのは、人生においてほんの一点に過ぎない。だから、今この瞬間、私が自己実現をできているのかどうか、あるいは将来自己実現が達成されるまでの道のりに立っているかどいうかで気を病むことは時間の無駄なのだろうとは思う。
本来、自己実現というのは、幸せになるということなのだと思う。幸せになることを考え始めたら、なんとも不幸な心持ちになる。
30歳を過ぎ、「オリンピックで活躍するあの人」や「テレビでよく見るあの人」が自分よりも年下であることが珍しくなくなってきた。
それなりに頑張って今まで生きてきたけど、結局「それなり」なんてものには意味がなくて、結局「誰よりも」な結果を出さないと意味はないのか?それなら世の中の大多数は存在意義はないのか?
私は意義はあると思う。でも、「それなりな私に存在価値はあるのか?」と問われたら、尻すぼみな声で「ある」と答えるだけだろう。
価値を証明しなければいけない生き方が苦しい。自己を実現しないといけない、という自分の考え方が苦しい。
そんな私にできるのは、日々をそこそこに生き、夜や週末にテレビやYouTubeでうさを晴らしたり、「こんな自分でもいいんだ」と自分を慰めたり、気休めをいうだけなのだろうか。そんな生き方を私は私に許せるのだろうか。それは肯定できる生き方なのだろうか。
私は許したくてしょうがない。肯定したくてしょうがない。
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yurislifeasartjp · 4 years ago
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未来は敵か?友達か?
「良い時間」とは何か。多分、心配事がない時間だと思う。怖いことがない時間だと思う。安心していられる時間だと思う。言い換えれば、「今この瞬間のことだけを考えて、先のことを考えなくていい時間」だと思う。
わかりやすい例は、スポーツに熱中している時とか、映画を見ている時とか、友達とケーキを食べている時とかだと思う(あ、ケーキのカロリーのことを考えている瞬間は除く)。
でも、「未来」はいずれ「今」になる。未来は未来の「今」だ。もし私が未来のことを考えなかったら、未来の私は「良い時間」を過ごせないのだろうか。結局私は今、「未来」のことを考えないといけないのだろうか。そうしたら、私は今、良い時間を過ごせないのではないか?
じゃあ、ちょっと「今」とは何か考えてみよう。私が「今」という言葉で指定するときは、今日かもしれない、今週かもしれない、今月かもしれない。
とはいえ、今と未来は隣り合っている。今まさに「今」と言った瞬間は、3秒前の未来に当たる。そう考えると、実は未来とは、「今」から断絶した先々の時間ではなく、むしろ「今」の中にあるのではないか。未来は今の一部なのではないか。
それなら、未来のことを考えるというのは、実は今のことを考えるということになる。
未来、将来のことを考えると不安になる人、怖いなと思う人が世の中には一定数いる。私も不安になりがちな人間だ。
なんで未来が怖いのか。多分、未来のことがわからないからだと思う。
これは人間関係でも一緒だと思う。人間が漠然と怖かったり、まだ会ったことのない人が怖いのは、やっぱりその人たちのことをよく知らないからだと思う。未来とあ会ったことのない人は、よく似ている。
未来は今の中にある。あるいは未来はいつも今のすぐ隣に座っている。それなら、未来は実は会ったことがない怖い人ではなくて、私と仲良くしたがっている、まだしゃべったこともないだけの人なんじゃないか。
未来を敵視する必要なんてなくて、本当は未来は私の友達なのかもしれない。
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