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#シドニー市
sydneyman2020 · 2 years
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昨年末にシドニー水族館シーライフ(Sydney Sea Life)に行ってきました。
こんにちは、シドニーマンです。 昨年末にダーリングハーバーにあるシドニー水族館シーライフ (Sydney Sea Life )に家族で行ってきました。   シドニー水族館シーライフ Sydney Sea Life とは? https://www.visitsealife.com/sydney/ シドニー水族館シーライフ(Sea Life)とは、シドニー市中心部ダーリングハーバーにあるシドニー唯一の水族館です。 このシドニー水族館シーライフ(Sea…
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takahashicleaning · 2 years
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TEDにて
シドニー・ジェンセン:教師のこころの健康をどうすればサポートできるか
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
教師は子供たちのこころを支えます。
しかし、教師を支えているのは誰なのでしょう?
この目を見張るようなトークでは、教育者のシドニー・ジェンセンが、いかに教師たちが「二次的トラウマ」の危険にさらされているかを探ります。
つまり、教師たちは、生徒たちが経験しているこころの重荷を吸収してしまうというのです。そして、シドニーは、いかに学校が、あらゆる人のこころの健康を支えるために創造的なアイデアを生み出せるかを示してくれます。
多くの教師と同じように毎年、学校の初日には、私は生徒たちとアイスブレイクを行います。私はネブラスカ州リンカーンにあるリンカーン高校で教えています。うちの学校は、州内でも有数の歴史を誇り、また生徒の多様性がきわだって高い学校です。
さらに、私たちの知る限り「Links」をマスコットにしている世界でたった1つの高校です。鎖みたいなものですね。うちのマスコットということで校舎の前にある銅像といえば、鎖のようにつながった4つの輪です。1つ1つの輪に意味が込められています。伝統、優秀さ、団結、そして多様性です。
ですから学校の初日、私は新入生にこの輪の意味を教えてひとりひとりに細く切った紙を渡します。その紙に自分について書くように言います。大好きなものでもいいし、望んでいることでもいいし、自分らしいことならなんでもいいんです。
そうして私はホッチキスを持って教室を回り、その紙を1枚1枚、ホッチキスで留めて鎖を作ります。そしてその鎖は教室につるします。もちろん飾りとしてですよ?みんながつながっていることを思い出すためでもあります。私たちは鎖なんです。
ではこのうち1つの輪が、弱ったらどうなるでしょう?そしてその弱ってしまったのが、ホッチキスを持って回っていたその人だったら?このつながりを作る役目のはずの人です。教師です。
教師として私たちは毎日働いて対人面でも、感情面でも、学習面でも生徒をサポートします。多種多様で過酷な環境から学校に通ってくる子たちをです。たいていの教師のように私の受け持ちの生徒には、毎日自宅に帰りキッチンテーブルを囲んで健康的でバランスの良い食事を作る親と過ごす子たちがいます。
夕食の時間には、その日高1の国語の授業で読んだ物語を要約したり、ニュートンの運動法則が、どんなものか説明したりします。でも別の生徒たちの帰る先はホームレスのシェルターやグループホームです。家族がちょうど寝ている最中の車に帰っていく子もいます。
そういった生徒は、トラウマを抱えて学校に通っており私が毎日帰宅するときそのトラウマも持ち帰ります。いいですか。これが、教師業の大変なところです。
成績をつけるとか。授業計画とか。会議とかじゃないんです。もちろんそういったものにも時間とエネルギーを相当食われますけど。
教師業の過酷さは、子供のために自分が手を出しようのない事柄にあるんです。子供たちが下校してしまったらもう変えてあげることのできない事柄です。
これはどうしようもないのでしょうか?
ジョージア大学で訓練を受けていた学生時代のことを思い返します。指導法の授業でこう教わりました。
インターネットにより競争の条件が世界的に���わってしまったため、よい指導法という概念は、変わってしまったと。
私たちが育てているのは、工場のライン作業に従事する労働者となる子供たちではなくて、生徒たちは、他の人とコミュニケーションが取れ、協力して問題を解決できる労働者になっていくのです。
そのため教師と生徒の関係性は、知識の与え手と受け手というよりもより強力なものに変容してきたのです。
教師とおとなしく並んで座る生徒たち。という関係ではもうダメです。私たちは生徒と教師の間に、さらに生徒同士の間にも関係を築き、彼らがよりどころとなる世界とつながっていると感じられるよう援助できないといけません。
教師2年目の頃を思い出します。デイヴィッドという生徒がいました。その年私は、結構いい仕事ぶりだったと悦に入っていました「ほうら、もう新米教師じゃないのよ。ちゃんと仕事のこと分かってるわ」それは学校の最終日のことでした。デイヴィッドに「良い夏休みを」と言いました。
彼が廊下を歩いていくのを見てひとり思いました。彼の声ってどんなだったかしら。私はその時気づいたんです。うまくなんてやれてなかったと。それで私は、指導法をほとんどすべて変えました。生徒たちが私と話す機会をたくさん作りました。生徒同士が話す機会もです。
作文を読み合ったり、学びを言葉にしたりするんです。そして、まさにそんな対話を通じて私は生徒たちの声だけでなく、彼らの苦しみも知るようになりました。
その次の年もデイヴィッドの担任だったのですが、彼の父親は不法滞在者で国外退去させられていたのです。彼は学校で苦しみを行動で表し始めました。彼が求めていたのは、家族がもう一度一緒になることだったのです。本当にさまざまな形で私は彼の苦しみを感じ取りました。
私の話を聴いてくれる人が必要でした。私を支えてくれる人です。私が理解さえもできないこの状況にいる彼を支えられるようにです。そういったニーズが、認められている職業には、ぞっとするような犯罪現場を目撃した警官や患者を亡くした看護師があります。
でも教師については、そこまで切迫したものだと思われていません。
私が最も大事だと思って疑わないのは、生徒も教師も管理職も専門職助手も生徒のためのあらゆるスタッフが、こころの健康のためのサポートを簡単に安価で利用できるようにすることです。
常時、誰かのために働くとき、その誰かとは、たいてい1日25~125人の生徒たちですが、私たちのこころの元気は、常に消費されているのです。しばらくするとすっからかんになって立ち行かなくなりかねません。
これは「二次的トラウマ」とか「共感疲労」と呼ばれるもので生徒から語られるトラウマを私たちは毎日、エネルギーとして吸収しているということです。しばらくすると私たちのこころは、その重さにあえぐことになってしまいます。
ネブラスカ大学のBuffett研究所が、最近見出したことですが、たいていの教師たち。もっと言うと幼児教育に携わる教師のうち、86%にあたる人たちが、直近1週間に、抑うつ症状を経験していました。
およそ10人に1人は、治療が必要なレベルの抑うつ症状を訴えていました。仕事仲間から聞いたことや私自身の体験からするとこれは担当する学年を問わず、みんなに共通する苦しみだと感じます。
では何が足りないのでしょう?
このエネルギーの負の連鎖を断ち切り、修復するにはどうしたら?
私が働いてきたなかで2人の生徒と1人のすばらしい教師の自殺を経験しました。その先生は、子供たちが大好きでした。数えきれない数のホームレスの生徒たちにも会いました。法的機関のお世話になったり、出所してきた子供たちもです。こういったことが起こるとマニュアルには「もし誰かに話したかったら」と。
でもそれだけじゃ十分じゃないんです。私はとてもラッキーです。優れたリーダーシップのもと、すばらしい学校で働いています。大きな校区で地域の機関との健康的な���ートナーシップが多くあります。
そこからは、どんどん多くのスクールカウンセラーやセラピストやサポートのためのスタッフが派遣され、生徒を手助けしています(銃を持ち込まれる前に)スタッフは無料カウンセリングを受けることができます(銃を持ち込まれる前に)
福利厚生の一環としてです。でも小さな校区では多くの場合、大きな校区でも一部のケースでは、資金援助がなければ費用を賄えません。
すべての学校が対人面・感情面のサポートスタッフ(銃社会なため)
より正確には、学校にいる全員のニーズに対応できる訓練された専門職がまず必要です(銃を持ち込まれる前に)生徒や教師のニーズいずれかではなく両方のです(銃を持ち込まれる前に)
こうした専門家が必要なさらにもう1つの理由は、トラウマに最も近いところにいるスタッフを積極的に見つけ調子に気を配るためです(銃を持ち込まれる前に)
多くの学校はできるだけサポートの不足を解消しようとしています。そういった学校は、私たちのしている仕事がとてもハードだと認め始めています。
リンカーンにある別の学校。スクー中学校には「健康づくりの水曜日」があります。地域のヨガの先生を学校に招いたり、昼休みに近隣を散歩するイベントを支援したり、交流イベントを企画したりしてみんなで一緒に何かをできるようにしています。
ルイジアナ州ザカリーにあるザカリー小学校には「週の真ん中集会」があり、その日は先生たちと一緒にランチをとり、今うまくいっていることや胸にわだかまっていることを話すのです。
こういった学校は、対話という大事な場を作っています。最後に、私の友達であり同僚のジェン・ハイストリートは、毎日5分使って1人の同僚に元気の出る文章を書きます。ハードに働いていることや愛情深く人に接している様子をちゃんと見てるよと彼女は分かっています。この5分間で学校中にかけがえのないパワフルな波及効果を起こせると。
私の教室につるしてある鎖は、単なる飾りではありません。このつながりは私たちの頭上にあって生徒たちが廊下を歩く4年間、ずっとつるしてあります。そして毎年、私の340教室に顔を出しに来る最上級生がいますが、彼らは自分の輪がある位置をちゃんと覚えています。
彼らは何を書いたかも覚えています。つながりと支えを感じるのです。彼らは希望も持っています。これこそ、私たちに必要なものでは?手を差し伸べて大丈夫と保証してくれる誰かです。様子を気にかけてくれ、私たちはつながっていると思い出させてくれます。ときどき、私たちには、ちょっとした手助けが必要です。ホッチキスを持って。
ありがとうございました。
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leotide · 10 months
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Part of a looooong piece for the City of Sydney Creative Hoardings Project 🌇 Even though it didn't make it to the finals it was fun to make! Featuring the water python bebe 🌊🐍
シドニー都市プロジェクトの長ーいアート🌇 最終候補者でわありませんけど楽しかった! 水のヘビは客演です🌊🐍
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hangorin · 3 months
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パリへの連帯声明
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この夏7月26日より、三度目のパリでのオリンピックが開催される。過去・未来のオリンピック開催都市の住民である私たちは、イベントのさまざまな悪影響を被るパリの住民たち、とりわけ貧困層、人種化された人々、移民、住居を持たない人々への連帯を表明する。
あらゆるオリンピック開催都市で、排除・強制退去の対象となったコミュニティを私たちは目にしてきた。都市の「美化」のために脆弱な人々が監視・投獄されるのも、私たちは目にしてきた。パリも例外ではない。オリンピックが近づくにつれ、警察は移民キャンプの撤去を強化し、バスに詰め込まれた人々がフランスの地方へと移動させられた。こうした人々は、依拠していたネットワークやサービスから遠ざけられる。フランス国家警察のこうした活動は、東京の明治公園や宮下公園、2022年にロサンゼルスで行われたスーパーボール直前にイングルウッドのテント村で起きた強制退去���およびリオ、ロンドン、バンクーバー、アトランタ、シドニー他の路上で生活する人々の排除を思い出させるものだ。サン・ドニおよびサントゥアンの貧しい人々も、パリ五輪の巨大な選手村によって高まった排除の圧力に直面して久しい。こうした地区の不動産価格が選手村建設によって高騰しているからだ。
オリンピックの影響を不釣り合いに被るのは、つねに特定のコミュニティである。しかしオリンピックによる土地収奪で失われた緑地は、あらゆるパリジャンにとっての喪失である。破壊されたオーベルヴィリエの労働者菜園から、メディア村建設に伴いその一部がコンクリートに沈んだレールデヴァン公園まで。フランスの政治家たちが���リンピックを口実として個人情報の保護を踏みにじり、取り締まりと監視オペレショーンのためにEUではじめて人工知能の使用を拡大すれば、その影響を被るのはすべてのフランス人である。ド派手な開会式の「安全確保」のために、セーヌ川の周囲と近隣区域に前代未聞の治安維持バリアを設定し、自分たちの住む都市における住民たちの移動の自由が侵害されれば、その影響を受けるのはあらゆるパリジャンである。
フランスの帝国主義が今もって続くタヒチのチョープーでは、組織委員会がオリンピックのサーフィン競技のための審査員用タワー建設を強行した。地元住民の願いが聞き届けられることはなく、珊瑚礁の生態系が危険に晒されることになった。
オリンピックとは、金持ちたちのパーティーの名の下に、政財界の権力者たちが私たちの権利や生活を踏みにじるための道具である。
とにかく金のかかるこのパーティーは、国際オリンピック委員会の宣言とは裏腹に、私たちを分断するナショナリズムの熱狂を呼ぶものでもある。間近に控える大会は、パレスチナの人々、領土および文化に対するジェノサイド的暴力を継続するイスラエルのイメージをスポーツウォッシュするために使用されることになるだろう。その暴力は、私たちの住む各国の政府の資金援助によって可能となっている。収奪、帝国主義、資本主義、警察国家に対する私たちの闘争は、すべて繋がっているのである。
最後に、オリンピックのモットーである「より速く、より高く、より強く」は、より遅く、より「低く」、より弱い人々を貶めるものだ。それは、オリンピックの創設者、ピエール・ド・クーベルタンの能力主義、人種主義、性差別主義、エリート主義的イデオロギーを反映し、再生産するものである。
Saccage 2024およびパリ、サン・ドニ、マルセイユ、タヒチでオリンピックマシーンに抗うあらゆる人々に、私たちは連帯する。あなたたちの闘いは、私たちの闘いだ。そして私たちは、国境を越えたオリンピック反対運動をますます強いものにしていくのだ。
私たちはパリおよび世界のいたるところで起きている強制退去、ジェントリフィケーション、環境破壊、労働者の搾取に「NO」を突きつける。オリンピックはどこにもいらない(NO Olympics Anywhere)。オリンピックを廃止しよう!
7月26日またはその直前に、パリ、東京、ソウル、ロサンゼルスで予定されている行動に参加しよう。あるいは他の都市であなたたちによる連帯イベントを組織しよう。#NOlympicsAnywhere を求め、私たちとともに立ちあがろう。
NOlympics LA 反五輪の会 平昌オリンピック反対連帯 ワサッチ・テナントユニオン(ソルトレイクシティ) さっぽろオリパラを考える市民の会 オリンピックいらない人たちネットワーク(長野) オリンピック災害おことわり連絡会(東京) 札幌五輪対策室 持続不可能なオリンピック委員会(ミラノ) NO JO オリンピック反対(フレンチ・アルプス) Counter Olympics Network(ロンドン) Extinction Rebellion Mt-Blanc(モンブラン) Extinction Rebellion Annecy(アヌシー) アメリカ民主社会主義者(DSA)ロサンゼルス Salt Lake Community Mutual Aid
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kennak · 16 days
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香港(CNN) かつてリオン・リーさん(27)は中国最大手のIT企業に勤務し、ささやかながらも必要不可欠な仕事をしていた。 事務職員として会議の日程を調整したり、書類をまとめたり、上司が必要とするものを準備したりと、四六時中仕事に励んでいた。 だが今年2月に退職。安定した仕事と十分な給与からは手を引き、ストレスの少ない訪問清掃業に転職した。 「毎朝目覚まし時計が鳴ると、目の前には憂鬱(ゆううつ)な将来しかなかった」。リーさんは会社員時代を振り返ってCNNに語った。 リーさんのように、ストレスの多いオフィスワークから融通の利く肉体労働へ転職する中国人労働者が増えている。 こうした人々の多くは、かつて国内屈指の大手企業に勤務していた。 だが不動産危機や外国からの投資の減少、消費の落ち込みなど様々な障壁が中国経済に立ちはだかる中、こうした企業の魅力は徐々に失われつつある。 中国国家統計局(NBS)が15日に発表した最新データによると、2024年第2四半期(4~6月期)の中国の経済成長率はエコノミストの予測を下回る前年同期比4.7%増で、昨年第1四半期以来、最も低い数値だった。 自分の時間や健康を削ってまで高い給料を稼ぐ意味があるのか。過酷な長時間労働と人材不足が、リーさんのような会社員に再考を促している。 中国中部の都市、武漢在住のリーさんは、「掃除は好きだ。(国内の)生活水準が上がるとともに、訪問清掃の需要も増加し、市場はかつてないほど拡大している」と語る。 だがもっと重要なのは、以前より気持ちが充実している点だ。 「転職による変化は、目の回るような思いをしなくなったこと。精神的プレッシャーを感じることも少なくなった。毎日やる気いっぱいだ」(リーさん) 「996」労働文化はもうたくさん 会社勤務から肉体労働に転職したことで、仕事とプライベートのバランスが改善したというホワイトカラー層はリーさんだけではない。 アリス・ワンさん(30、プライバシーの理由により仮名)はかつてライブストリーミングとオンラインショッピングを運営する中国の大手プラットフォームに勤務し、年収70万元(約1500万円)を稼いでいた。 だが4月に退職し、風光明媚(めいび)なIT都市の杭州から家賃の安い落ち着いた成都へ引っ越して、ペットサロンの仕事に就いた。 中国には「996」という悪名高い労働文化がある。朝9時から夜9時までの週6日勤務という習慣は、IT業界やベンチャー企業など中国の民間企業では日常茶飯事だった。これが引き金となって、多くの会社員が辞職に踏み切っている。 以前のワンさんは生活の大半を仕事につぎ込んでいたが、体力的にも疲弊して「まるで覇気がなかった」と振り返る。 だが今では生まれ変わったような気分だ。 「多少なりとも自分が成長している感じがする」と言うワンさんは現在ペットサロンでトリマーの研修中で、ゆくゆくは自分の店を持つのが夢だと続けた。「先々の長期的な計画だ」と本人は語った。 中国の求人求職サイト「智聯招聘」によると、専門職から肉体労働へ転職する傾向の背景にはブルーカラー労働者に対する需要の急増がある。 IT企業を退職し、現在は清掃員として働くリオン・リーさん/ Courtesy Leon Li IT企業を退職し、現在は清掃員として働くリオン・リーさん/ Courtesy Leon Li 同社が6月に行った調査によると、フードデリバリーの配達員、トラック運転手、ウェーター、技師といった肉体労働の今年第1四半期の需要は、19年同期比で3.8倍増加した。 新型コロナウイルスに伴うロックダウン(都市封鎖)が続いた3年間でテイクアウト文化が定着したため、配達員の伸び率が最も高く800%増だった。 肉体労働の賃金も上昇し、以前は敬遠されていたような仕事への求職者が増えている。 先の調査によると、オンラインショッピンクの爆発的人気により配達員の平均月給は19年の5581元から8109元と45.3%増加した。 だが一部の大卒者にとっては、肉体労働は就職先の第1候補ではなかった。 景気の減速に伴い、正規雇用市場は次第に競争が激しくなり、新卒者の就職はますます困難になっている。 先の調査でも、今年第1四半期の25歳未満の肉体労働求職者数が19年比で165%増加したことが判明した。 国家統計局によると、中国の16~24歳の失業率は23年6月時点で21.3%にまで落ち込んだ。その後同局は数カ月間統計の公表を停止し、算出方法の調整を行った。 当局は統計の公表を今年1月から再開したが、6200万人前後の学生は統計から除外された。学生の本分は仕事探しではなく、学業だというのが当局の言い分だ。 湖北省の省都、武漢は主要な商業都市でもある/ Courtesy Leon Li 湖北省の省都、武漢は主要な商業都市でもある/ Courtesy Leon Li 国家統計局によると、労働市場への参加が見込まれる16~24歳の失業率はここ数カ月、14.2%~15.3%を推移している。 投資会社マッコーリーのエコノミスト、ラリー・フー氏とチャン・ユーシャオ氏が昨年まとめた調査報告書に記載されているが、かつて中国で若年労働者の主な就職先といえばサービス産業、民間企業、中小企業だった。だがこうした分野は消費者需要の低迷で打撃を受けている。 シドニー大学中国研究センターのデビッド・グッドマン所長によると、大学が送り出す新卒者と市場が求める労働者の間にずれが生じているという。 グッドマン所長によれば、中国経済は最先端技術や環境テクノロジー、サービス産業にシフトしつつあるが、大学教育の内容はいまだ製造業や公共サービスなど、旧態依然または飽和状態の分野に大きく偏っている。 「経済構造の急激な変化に対応するべく、高等教育制度が自ら適応、あるいは適応を促されてこなかったとすれば、重大な問題だ」(グッドマン所長) 別のプレッシャーも だがリーさんやワンさんをはじめとする人々が想像したストレスのない駆け込み寺が、本当に肉体労働職なのかと首をかしげる意見もある。 先日中国のソーシャルメディアで拡散した動画は、悪い結果になるケースもあることを物語っていた。動画には上海のカフェで働くバリスタが、会社にクレームを入れると脅す客に怒りを表す様子が映っていた。 怒りにかられたバリスタは客にコーヒーの粉をぶちまけ、たちまち店内は騒然とした。インターネットではサービス産業従事者が直面する問題についての議論が起こった。 中国の店舗やレストランにとって、クレームやインターネット上の悪評は致命的になる場合がある。消費者の多くが「小紅書」や中国版TikTok「抖音(トウイン)」といった人気SNSプラットフォームの評判に従順だからだ。 悪評を立てられる恐れが圧力としてのしかかり、低賃金労働者は会社から白い目で見られるようなことを避けがちだ。 インターネット上ではバリスタの不作法を戒める意見もあったが、それ以上に同情的な意見が多かった。 「クレーム対応もしなくてはいけない上に、そもそも給料が安い。会社と顧客の両方から締め付けられるなら、さっさと辞めたほうがいい」とコメントするユーザーもいた。 だがフリーランスの清掃員として1日6時間労働で働くリーさんの場合、これまでのところ順調だ。 雇用主とも良好な関係を築き、清掃の度に単なる仕事以上の充足感を得られているという。 「顧客は気を遣って私たちに水を出してくれる。お昼休憩の際にはテイクアウトを注文したり、食事を提供したりしてくれる。水分補給と休憩を取りなさいとちょくちょく声をかけてくれる」(リーさん) 今のところ会社勤めを辞めたことは後悔していないという。 「1日へとへとになっても、家に帰ってごはんを食べて、余計な精神的プレッシャーを感じることなく自分の好きなことができる」(リーさん)
大手企業から肉体労働へ、転職する中国人が続々 過酷な長時間労働と人材不足が再考促す - CNN.co.jp
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ari0921 · 5 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)5月5日(端午節)
    通巻第8240号
 報道の自由がなくなった香港でジャーナリズムの使命は果たせない
  WSJは香港本社を畳み、シンガポールへ
*************************
 東京の外国人特派員協会(外人記者クラブ)が殷賑を極めたのは1990年代半ばまでだった。欧米の主力メディアは一斉にアジア拠点を北京へ移転した。理由を聞くと「日本には面白いニュースがない」
 当時、筆者はよく外人記者クラブを『活用』していた。しかしこの十年ほど行っていない。知り合いの記者も殆どいなくなったうえ、飲食と会合に来る客は日本人の「賛助会員」が目立つ。つまりジャーナリストにとってトップ賞を取れそうなネタが日本にはないのだ。
1970年の三島事件直後に、この外人記者クラブ(当時は丸の内の古川ビルの一階にあた)で複数の外国プレスのインタビューを筆者がうけたのはここだった。隣にはトラベルセンターオブジャパンという旅行代代理店があって殆どの外人記者のチケットを手配していた。筆者もよく利用した。。
2024年5月4日、ウォール・ストリート・ジャーナルがアジア本社を香港からシンガポールに移転すると発表した。そうだ、香港に、国際金融都市としてのニュースが不足し、取材の自由がなくなり、そもそも有力な金融企業はさっとシンガポールへ移管した。
国際ビジネスマンもそうだ。言論の自由は中国共産党によって殺され、リンゴ日報は廃刊となった。
 
 WSJは「移転の理由は構造的なものでありビジネス、金融、経済の報道を統合します。取材先の多くの企業と同様に、重心を香港からシンガポールに移します」と発表した。世の中の動きを象徴する出来事である。
 WSJアジア本社はシンガポールとなり、支局が台北、東京、ニューデリー、北京、ソウル、シドニーとなる。
 
 習近平の傀儡となった香港当局は新たな「国家安全法」を導入した。反体制派を訴追する権限が拡大され、外国企業とて安全なビジネス展開が望めなくなった。中国国家安全法が制定されて以来、290人以上が逮捕され、174人が起訴され、114人が有罪判決を受けたが。ほとんどが著名な民主派政治家、活動家、ジャーナリストだった。
米国の「ラジオ・フリー・アジア」は3月に早々と、スタッフの安全への懸念を理由に香港事務所を閉鎖した。
「国境なき記者団」は代表者が香港への入国を拒否された。友人の福島香織さんは、香港になんとか入国は出来たが、取材は殆ど出来なかった、と帰国後に語った。
インタビューが電話盗聴などで物理的に出来ない。中国情報は人に会わないと精度の高い情報は入りづらいのである。
筆者は2019年からの香港の民主派学生運動の取材で2020年1月までに三回、香港を取材したが、(拙著『CHINAZI』、徳間書店)たぶん、習近平政権が続く限りにおいて、最後の機会だったことになるだろう。
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pupupupumpkin · 1 year
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【岐阜県美濃市松森595 マツモリビル Live Spot DiAngelo予定】 2023年10/8(日) 19:00頃~ 《Move.》池戸祐太(g)古木佳祐(b)河村亮(ds)ライブ ¥4,000/1ドリンク・軽食オードブル付 お問合せは 〈E-mail〉[email protected]  〈TEL〉090-4115-4235  〈店主 facebook〉https://www.facebook.com/daichi.furuta.5/
【Move.】ジャズギターマガジン誌/ジャズライフ誌等で度々ピックアップされるギタリスト池戸祐太を起点に個々の才覚が融合したスリーピース。ジャズ・コンテンポラリー、フリー・インプロヴィゼーション、プログレッシヴ等の色彩が詰まったオリジナル楽曲群を提示し続ける。東京都内を拠点にそれぞれが第一線で幅広く活躍中。岐阜は池戸/河村 両名の故郷です。二人の帰郷日程となる毎年のDiAngeloライブは、店主にとってもいつも楽しみなひととき。
池戸祐太(ギタリスト/コンポーザー) 1983年 岐阜出身。14歳でギターを始め、横山昌幸氏に師事。甲陽音楽院にて土野裕司氏に師事。卒業しオーストラリア・シドニーにて音楽活動をした後、東京に拠点を移す。Lage Lund,Mike Morenoにレッスンを受ける。2012年 リーダーアルバム “Breathing Space”をリリース。2018年2ndアルバム “Move. Live @ Virtuoso” をリリース。現在は東京都内を拠点に広く活動中。確かなテクニックとオリジナリティ溢れる楽曲に長く定評があり、注目される現代ジャズギタリストの一人である。2019年には“Mirror”リリース。ジャズギターマガジン誌では《ハーモニーの魔術師》と評される。
古木佳祐(ベーシスト/コンポーザー) 1990年 神奈川出身。歌手の母、ピアニストの父の音楽一家に生まれ幼少の頃よりジャズ、ワールドミュージックに親しんで育つ。実家が経営していた飲食店で行われるセッションに参加するようになりコントラバスを山下弘治氏、ジャズピアノを飯沼五洋氏に師事。即興演奏に必要な音楽理論を独学で身につけ、10代よりプロとしてのキャリアをスタートする。人それぞれの作曲や音楽性への深い理解力には定評がありジャズを中心としつつも様々なジャンルのミュージシャンからも信頼を集めている。https://www.keisukefuruki.com/profile
河村亮(ドラマー/コンポーザー) 1980年岐阜出身。幼いころから両親の影響で音楽に親しみ4歳からクラシックピアノ、13歳からドラムを始める。岐阜大学教育学部音楽科にて器楽奏法/音楽理論を学ぶ。和泉正憲氏に打楽器全般を、ドラムを黒田和良氏に師事。現在は活動の拠点を東京に移しジャズ・ポップスフィールドで演奏活動中。非常に音楽的、スムーズで安定したドラムプレイや人柄には、共演者から厚い信頼が寄せられている。直近の共演には太田剣(sax)和泉宏隆(p)堀秀彰(p)松本圭司(p)高木里代子(p)等。
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victorinox-japan · 10 months
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LIVE TO EXPLOREコレクションで個性的なスタイルを。12月8日(金)発売。
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パリ、シドニー、ニューヨークは、それぞれ個性的なスタイルを持つ都市です。
「Live To Explore」コレクションは、さまざまなストリートファッションに合わせたツールとアクセサリーのミックス&マッチを可能にします。トレンディでフレッシュ、モダンなデザインのツールが、日々のあらゆる場面で活躍します。
2023年12月8日(金)より、ビクトリノックス公式オンラインストア楽天市場店、Amazon店、Yahoo!ショッピング店で販売します。
また、ビクトリノックス銀座店、横浜ランドマークプラザ店、グランフロント大阪店、テラスモール湘南店では一部商品を販売します。 ※店舗情報はこちら
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パリ、シドニー、ニューヨーク
パリスタイルはロマンチックでナチュラル。ソフトなカラーと軽やかな甘さは、恋の都そのものです。
よりアクティブでダイナミックなライフスタイルを反映させたシドニースタイルは、鮮やかなカラーの中にさわやかさを感じさせます。
ニューヨークスタイルは時代を超えたエレガンスがテーマ。整った形状とクラシックなカラーに、さりげないファッション性を備えています。
マッチするアクセサリーのキーリング、ネックコード、カードケースと合わせれば、完璧なスタイルに仕上がります。
さらに、コンパニオンは革新的なボックスオープナー機能を備えており、オンラインショッピングで届いた、荷物の開梱が簡単にできます。未来に何が待ち受けていようと、このスタイリッシュで実用的なツールと共に世界を旅しましょう。
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クラシックSD 価格:7,700円(税込)
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Paris - パリスタイル
1.スモールブレード(小刃) 2.はさみ 3.つめやすり 4.マイナスドライバー 2.5mm 5.キーリング 6.ピンセット 7.つまようじ
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Sidney - シドニースタイル
1.ラージブレード(大刃) 2.つめやすり 3.つめそうじ 4.コルクせん抜き 5.ボックスオープナー 6.マイナスドライバー 3mm 7.せん抜き 8.マイナスドライバー 6mm 9.ワイヤーストリッパー 10.リーマー(穴あけ)、千枚通し 11.はさみ 12.マルチフック 13.キーリング 14.ピンセット 15.つまようじ 16.ボールペン
※ネックコード付属
高さ:18mm 長さ:91mm 重量:82g
スイスカード 価格:11,000円(税込)
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New York - ニューヨーク���タイル
1.レターオープナー 2.はさみ 3.つめやすり 4.マイナスドライバー 2.5mm 5.スケール(cm) 6.スケール(インチ) 7.ピン 8.ピンセット 9.つまようじ 10.加圧ボールペン
※カードケース付属
高さ:4mm 長さ:82mm 重量:86g
アクセサリー
付属のアクセササリーは単品でも購入可能です。
クラシックSD用キーリング 価格:2,200円(税込) コンパニオン用ネックコード 価格:2,750円(税込)
マルチツールは、サイズと機能の幅広さで知られています。ビクトリノックスのDNAを備えた赤いマルチツールは、このブランドのスイスらしさと高品質へのこだわりを象徴しています。
そして今、こうした重要な価値観を損なうことなく、スタイルコンシャスなトレンドセッターが、ライフスタイルや装いに合わせてお気に入りのツールをコーディネートできるようになりました。
新コレクション「Live To Explore」として、ビクトリノックスはフレッシュでトレンディ、そしてユニークなデザインの3つのマルチツールと、それぞれにコーディネートされた実用的なアクセサリーを発売します。
商品をみる
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ビクトリノックスは、すべてのナイフとツールに厳しい品質基準をクリアしたステンレススチールを使用しています。環境保護とサステナビリティはビクトリノックスの理念であり、商品はすべて生涯にわたってご愛用いただけるようにつくられています。
いずれの商品も材料や製造工程に起因した故障に対する修理または交換を永久保証しています。ビクトリノックスは、135年以上にわたってスイスで高品質なナイフを製造してきた実績に誇りをもっています。
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nanaimari · 2 years
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【オーストラリアの田舎で暮らせば⑤家庭菜園のガーデン・ベッドで育てる夏野菜】
南半球の冬の終わりから始めた家庭菜園の準備と、初夏(12月)からの収穫の記録。シドニーなどの都市部と比べて、地方部では日中と朝晩の気温の寒暖差が激しいため、なかなか思った通りには成長しなかった野菜も。 https://nichigopress.jp/topics-item/57685/
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lilgurlcollins · 11 months
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旅日記③ in Australia🇦🇺
Sydney編
続いて、Sydneyについて覚えてる限りのことを。
前半は都市について、後半は向こうでの医師の働き方について書きました。めっちゃ長くなった🤦🏻‍♂️
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3日間の滞在で感じたSydneyの魅力
第一の感想、数年住みたい。
ちょうどよく都会。日本でいう表参道のような上品な雰囲気を持ちつつ、道が広くて都会の行き過ぎた喧騒みたいなのがない。夜1人で歩いても明るいから怖くなかった。(夜のお散歩が楽しめるの最高)
気持ちの良い大自然が、電車や車をちょっと走らせると辿り着ける距離にある。最高すぎる。SydneyでもBlue Mountains(写真2枚目)など自然観光はたくさんしたけれど、1番気に入ったのはBondi beach(写真6枚目)。このビーチは何回来ても飽きないだろうな〜って思った。嫌なことあっても穏やかな気持ちになれそうな、そんな素敵なビーチだった🐚(現地の人たちは暇さえあればすぐ海に行ってレジャーシート引いてchillするらしい。)
アジア系多め。おかげさまで、旅行中に自分が外国人だと感じる瞬間もなく、差別を感じることもなく。アジア系が多めだからか、アジア系料理のお店も豊富で、海外旅行あるある「日本食恋しい」がなかった。
ジェラートがめちゃくちゃ美味しい。現地の人曰く、イタリア人が「イタリアンはさすがにイタリアの方がちょびっとだけ美味しいけど、ジェラートはイタリアと差異なく美味しい」と話すらしい。やるやんシドニー…。
ライフスタイルが魅力的。活動は朝早くから、でも夕方にはお休みモード。カフェは朝6時から空いてて、コーヒー買ってからみんな職場へ向かうらしい。飲み会は基本1次会まで、2次会はジェラート食べて終わりなんだとか🍨。深夜までの飲み会は翌日の疲労感が凄まじいので、この文化はますます魅力的。
(物価高いことを考慮しても)給料高め、定時で帰宅、残業少なめ。休日は自分の時間、家族の時間を大切にする国民性。Australiaはビザを取るのが大変なことで有名だけど、医師の資格があれば永住権の獲得も容易いようで、ちょっと働いてみたいかもと思ってしまった。
みんながみんな自由。ド派手な花柄ワンピースきたおばあちゃん、青い髪のお姉さん、靴履かずに裸足で歩くお兄さん。こういう他人への興味関心が薄いところ、居心地良い。狭いコミュニティは少し息苦しくて得意じゃないから、いいな〜って思った。
働く女性に優しい社会。出産はタダ、育休は両親合わせて2年ほど。お母さんがベビーカー連れてクラブでお酒飲んでても安全らしい(?)。電車で赤ちゃんが泣いてると機嫌悪くなるおじさんがいる日本よりは、たぶん優しい。
ざっと思い付くのでこれくらい。
今までは、海外旅行行っても初日に『日本しか勝たんな🇯🇵』と感じるのだけど(実際、ご飯は美味しい人は優しい治安はいい街は綺麗だから当たり前)、Sydneyはそんな日本のいいところもきちんとあったな〜って感じがした。ただ、数日の滞在なので見えてない部分もたくさんあると思う。
英語頑張って勉強して、数年間ここで働いてみたいなって思った。骨を埋めるのは日本がいいけど。
余談
3枚目はBlue Mountainのkissing trees(loves treesとも呼ばれている)🍃。お互いが栄養を受け渡ししあっているおかげで生きている木のことなんだけど、触ったら素敵なご利益があるらしい。めちゃくちゃ触っといた。ガイドのおじさんは触りすぎて効果なかったらしい(何なん)。
続いて向こうでの医師生活を聞いた感想
Australiaに行った目的は、日本人ながら現地でドクターとして働いている知り合いに会いに行くことで、せっかくお話たくさん聞けて刺激を受けたので、そのこともメモしておく📝
🇦🇺と🇯🇵の働き方の違い
🇦🇺は週4.5勤務で残業なし(9時5時)で、残りはゆっくり自分の時間を過ごせる。専門医は週5勤務に対して研修医は週4.5勤務。この差0.5週は、研修医は勉強に時間を使ってねって意図で、0.5週分も給料は出るらしい。(日本でも病院を選べば色々あるんだろうけど、全体的に日本よりも時間にゆとりのある生活を推奨してるんだなっていう印象)
有給は日本は年10日なのに、向こうは年間まるまる5週間。
働き方について色々メモしたけど、それでも日本で医師を週6で残業ありでバイトもしてやってるひとよりかなり年収の差があるらしい。お金が全てではないけど、お金の余裕は心の余裕だよなぁなんて思ったり🤦🏻‍♂️
��ザを取るのってすごい大変らしいけど、医者に関しては国家試験に受かれば2週間で取れるから、永住権獲得の心配は格段と少ないらしい。アメリカは永住権は全然取りにくくて、9年くらい?働いたらアメリカの僻地か、故郷に帰らないといけない決まりらしい。アメリカの僻地ってハワイが含まれるんだけど、だからハワイには日本人の医師が多いんだって。(ワーホリでオーストラリアにきて魅了されたけど、学生ビザとか雇用で何とか引き継いで、在住9年目っていうひとにウルルで会った。いまだ永住権取れずにいるし先が見えないっていって、ビザって大変なんだ〜って思ってたから、医師にとってビザは何とでもなるよっていう話は大きい収穫だった。)ちなみに、医師の他にビザが取りやすい職業は看護師と研究者らしい。
国試はアメリカと違っていついつまでにとかいう制限がないから、何回でもチャレンジできる。先生はいけるいけるって言ってたけど、絶対大変。(まあとりあえずオーストラリアに行ってみて、無理だったら日本帰ろ〜とかいうくらいのマインドでいいんだよって先生が言ってた。失業するわけじゃあるまいし、と。)
日本は1人の患者に1人の医師が担当するところが主流だから、急変とかあると呼び出しがあるけど、オーストラリアでは患者1人をチームで担当するから、呼び出しとかないし、負担もいい意味で分散される。
オーストラリアの医師は、ローカルGP(総合診療医)が70%をしめてて、専門医は残りの30%。ローカルGPは日本の総合診療医よりも何倍も網羅されてて、お産も心疾患も救急や小児や看取りなど全部がめっちゃできる。だからGPトレーナーをやるだけでも、経験をたくさん積んだ医師になれるらしい。
逆に、専門医を取るにはだいたい8年くらい(スムーズに行っても6年)かかる。オーストラリアで専門医をとってから日本に帰っても、日本でその専門医としてすぐなれるわけではないけど、学会発表とか色々やれば、専門医への近道があるみたい。要するにまた日本で1からっていうわけではないということ。
海外での人種差別ってないの?って思って質問したら、オーストラリアでは患者が白人以外の医師に対して差別っぽい言動をした場合、ブラックリストにのるかんじで患者側が病院から追放されるらしい。だから、白人以外もとっても守られてる国だなと感じた。訴訟もないわけじゃないけど、保険がきちんとあるから、それに関しては日本と同じかな。
育休は旦那さんと合わせて2年間くらいもらえるし、ドクターだったら保育園に納めるお金は他の職種より多いらしいけど、子供を保育園に預けるだけでオムツ用意しなきゃとかないらしい。多分、この収める金額によって楽さが選べるのかな?詳しくはわからないけど、とりあえず日本より子育てしやすい社会体制が整っているとのこと。
私はまだ日本で働いたこともないので日本の実態もよく分かってないし、医療体制において向こうがが優っているとも言えないけれど、刺激的でワクワクした☀️
興味持ったらとりあえず手突っ込んで、できるだけ将来の選択肢を狭めないように生きていきたいな、と思えた1週間だった。先生と知り合った時(10年前)は、自分はまだ中学生、先生もまだ大学生で、自分が先生と同じ進路を辿るとも、先生が日本を出るとも思ってなかった😂あとこんなに親しくなるとも思ってなかった。人生の縁に感謝です🌿
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moematsuyama · 2 years
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11.12.2022
もう2022年は終わりに近づいているようだ。気分はまだ10月?、いや9月ごろの夏が残っている季節の気分である。まだ夏を楽しみたくて、プールあがりの爽やかな体と残暑が残る風を感じたくて、、でも実際はキリキリと肌に刺さる冷たい風が吹く冬が始まっている。気持ちと現実は逆行しているようだ。
ここ数ヶ月は本当に怒涛に過ぎ去っていった。引っ越しもして、コロナにも罹ってしまい、本当にいろんなことがあった。人生の転換期であったことも身に染みて感じていたし、私の周りも本当にみんな大変そうな人が多かった。その分、今年大変だった人には、来年幸せが訪れてほしいものだが。そんなセリフを言うようになったのも、年末の訪れを感じさせられるものでなんだか不思議である。クリスマスの2週間前だというのに、親友は別の友人たちとクリスマスパーティをし、街はクリスマス色でとても眩しい。どうもこの時期の恋人たちはより輝いて見えるものだ。そして、この時期の会話は「年末どう過ごす?」ばかりである。地方出身者の人たちは、帰省する予定があるから羨ましい。ずっと東京にいる者にとっ���は、正月ほどつまらないものはない。やることもお雑煮食べて、初詣に行くぐらいしかやることがない。正月を有意義に過ごすという課題がいつになっても答えが出ないものだ。いっそどこかへ行った方が有意義に過ごせるのかも。南国とか。
去年は、12月23日のクリスマス前にオーストラリア・シドニーへ経ち、1週間過ごしたのち、大晦日に日本に帰国した。コロナがまだかなり警戒されていた頃だったから、海外帰国者にも危険物扱いをされたのを覚えている。真っ直ぐ家に帰ることは許されなかった時期だったから、羽田空港に着いたのち、PCRを受けさせられ、陰性結果者は大型バスに乗せられ、どこに行くかも告げられず強制隔離施設へ連れて行かれた。75年前に戻ったかのようだった。(その時代はもちろん生きていないが。)あとで、Googleマップで調べてみたら、そこは埼玉県和光市の研究施設の寮であった。防護服に身を包んだ人たちに案内され、個室に入るように言われ、そこで3日間ほど過ごした。寮自体は、ウォルナットウッドテイストの温かみのあるとても綺麗な部屋で、ベットにデスク、テレビもあり、さらに冷蔵庫も完備され、バスルームはユニットバスだった。南向きで日差しはかなり良好、文句なしの部屋だった。だが、換気はしていいが、外に出ることは許されず、もちろんドアもご飯のチャイム(ご飯は丸の内弁当みたいなものが定時にドア前の椅子の上に置かれる)の時にだけ、開けることができた。部屋から見える景色は研究所の殺風景な景色だけで、人1人歩いていない。こんなにも孤独と向き合ったのは初めてだった。そして、こんなにも辛い3日間を過ぎしたのも初めてだった。
もう2度とこんな経験はできないし、したくはないが、孤独は人間にとって一番の毒であるということ、また強制させられているということは人間を大いに苦しめることがわかった。多分、悪人に罰を与えるとするならば、孤独が一番効くと思う。
その孤独の中、人は無気力を覚えさせられる。活力など生まれず、人の温かみすら感じられず、無ばかりが充満させられる。
その3日間は囚人のような気分で生きていたし、実際そんな感じの生活とモチベーションだったのを覚えている。日常というありがたみは本当に大きいものである。
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highdiplomat · 1 month
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わたしは静岡県の港町・焼津市の出身で、シドニーに住むと決めた時、周りの人から「フリーマントルってところに焼津の漁船が入るから、困ったら行ってみなさい。漁師が助けてくれる」と言われた。
シドニーに住むと決めた時、周りの人から「困ったらフリーマントルってところの漁師が助けてくれる」と言われた話→故郷の力凄い - Togetter [トゥギャッター]
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aketalog · 2 months
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junichiroishii · 9 years
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Travelling Without Moving
【>> English】
Introduction : 本シリーズは新型コロナウィルス(COVID-19)で国境が閉鎖し、国内外での移動に著しく制限がかけられていた、2020年から2023年の間に制作されました。
2020年、パンデミックの影響で帰国を余儀なくされた外国籍アーティストたちが去り、人気のなくなった京都から、わたしは「パリのことを考える」という瞑想的な時間を過ごしました。
今からでは思い返すことさえ難しく感じられるのですが、2020年、例年であれば人々が誘って外へ出る桜の季節になっても、町には圧倒的な閉塞感が蔓延し、社会には重苦しい雰囲気が沈澱しているようでした。オーソリティはしきりにデジタル化を勧告し、助成金を使ってタブレットを購入すること(そしてそれを使って仕事をすること)が推奨されました。
オンライン・ミーティング、オンライン・エキシビション、果てはオンライン・アーティスト・イン・レジデンスという、言語的に倒錯したような可能性さえもが、真剣に議論されました。(もっとも、この努力により開かれた可能性も今日では多くあります)
「移動」はもはや不可能なのか。そもそも「移動」とはどんなものだっただろうか。COVID-19という出来事は、極めて根本的な疑問をわたしたちに突きつけました。これは有史以来初めて、世界中の社会が「同時に」「同じ出来事」を経験するという事態となったのです。
折りからの化石燃料に対する抵抗運動とも相まって、社会のデジタル化は急加速しました。このまま社会の営みは、すべてデジタルに置き換わってゆくのだろうか。人との出会いはモニターを通して、町の歴史は検索を通して、目の前に現れてくる時代になるのだろうか。そんな想像がポケットのスマートフォンから、食卓のラップトップから、日々のあらゆるところから立ち上がってくるように感じられました。
世界はどんな様相をしていただろうか。移動は、そうせずともその必要が満たされる時代になるのだろうか。はたして人は身体的な経験を排除して、ピクセル変換された情報を脳に再構築するだけで、生命をまっとうして行けるのだろうか。
そうした「オンラインへの引っ越し」に抵抗を感じながらも、わたしはそのような擬似信号の「世界」を渡って「京都からパリへ行く」ことにしました。
《#1 Le tour le monde en…》(2020)
2020年初夏、わたしは京都から西へ向かい、海を越え、大陸を渡り《Le tour le monde en…》と題した数十分の旅を行いました。(『八十日間世界一周 / Le tour du monde en quatre-vingt jours』は、ジュール・ヴェルヌの作品のタイトルです)
人々の「移動」が今よりもまだ技術的に制限されていた頃、人は指で地図をなぞりながら、どのように遠い世界に想いを巡らせていたのでしょうか。
デジタル通信の解像度が上がり、異国のロック・ダウンがほとんどタイムラグなく、ポケットのスマートフォンを通して認識可能となった今日、遠い世界、未知なるものへと向かう想像力を、わたしはあらためて持ちえるのでしょうか。
のちに《Sliding the surface of the Globe》と改名したこのシリーズの旅はシンプルです。すなわちグーグル・マップである地点から別の地点までを移動するという(だけの)ものですが、ただひとつ、わたしはマップ上での移動中は「ピンチ・イン/ピンチ・アウト」をしないということをルールとして課しています。
鮮やかに広がるCDA HEX「#579cda」色の海を渡り、朝鮮半島を越え中国へ。何の手がかりもない(ようにみえる)広大な中央アジアをひたすら西へ。時には川を、時にはそろりと現れる道路を頼りに、わたしは指で走りました。やがて黒海を抜け欧州に入ってからは、周囲の言語(表記)を手がかりに、わたしはパリを目指しました。そうしてほとんど旧式のiPadの充電が2%を切った頃、最後はセーヌ河を遡るようにして、わたしはパリの街へと滑り込んだのでした。
《#2 Travelling Without Moving 》(2022)
二回目の旅の機会は2022年の夏に訪れました。シドニー在住のアーティストからオンラインでの展覧会へ出展しないか、という問い合わせを受けたわたしは《Travelling Without Moving》と題した南半球への旅にでました。(タイトルはたまたまインターネットから流れていた1990年代の楽曲のタイトルです)
わたしは京都から南へ向かい、大海に出て、馴染みのない島々を眺めながらオセアニアを目指しました。
延々と続くグーグル・マップの青い(CDA HEX「#93b3f3」)海を南下し、最初に到着した陸地をわたしはオーストラリアだと信じたのですが、後にそれはパプアニューギニアではないかということに思いが至り、しかしそこからさらに南の海に乗り出すのは、なかなか勇気を必要とする決断でした。
下手をするとそれは南極への道のりかもしれない・・・しかしそんな心配をよそに、やがて陸地は現れました。オーストラリアにはまったく土地勘がなかったので、ともあれ海岸を頼りに、ついにはシドニーまで辿り着いたのでした。
《#3 Sliding the surface of the Globe》(2023)
東京の渋谷にあるギャラリーで「球体」をテーマにした展覧会から声をかけて頂いた際に、わたしは偶然フランスのリヨンにおりました。
今回より改題した本作《Sliding the surface of the Globe》は、形状としてはまったく「球体」ではありませんが、平面(スクリーン)に広げられた「球体(グローブ)」の表面を滑ることで、脳に喚起されるものを試験するものです。遠からず、展覧会のテーマに合致することを確認したわたしは、リヨンから渋谷まで行くことにしました。
フランスから東へ向かい、まずは黒海を目指します。一作目の経験を経て、この移動にはもはや土地勘のようなものさえ感じられます。問題は黒海を超えて中国に入ってからです。東へ東へと向かっているつもりでも、上下、つまり南北への誤差は発生します。北に行き過ぎるとロシアに入り、南に下りすぎると南アジアに入ってしまいます。わたしは漢字圏を出ないように、慎重に日本列島を目指しました。
結論から言えば、どこをどう通ったのか自覚できないような状態で、わたしは北海道に到着してしまいました。周囲の言語(表記)が日本語であるということには気づいたのですが、「それ」が日本列島の「どこ」に当たるのかに気づくまでには少々時間がかかりました。そうして闇雲に歩いているうちに、やがてわたしは一本のまっすぐな線路に行きあたりました。それは2016年に開通した北海道新幹線でした。新幹線に乗れば快適です。わたしは一直線に東京までの旅を進めたのでした。
《#4 Throw Away Your Screen, Rally in the Streets》(2023)
やがてパンデミックの収束も見えて、2023年の京都には海外からの旅行者も戻ってきました。COVID-19とはいったい何だったのだろうか。世界が「同時に」「同じ出来事」を体験したということの意味を改めて考えてみる暇もないまま、あたらしい日常が始まりました。唐突に日々はよそよそしく、この出来事を機会に何かが決定的に変化した、と結論づけるにも早すぎるそんな中、わたしはチェコ共和国のフルボカー・ナト・ヴルタヴォウという(わたしにとっては馴染みのない)小さな町での展覧会に招待されました。
わたしは《Throw Away Your Screens, Rally in the Streets》と題した最後の旅に出ることにしました。(タイトルは寺山修司の批評集『書を捨てよ、町へ出よう / Throw Away Your Books, Rally in the Streets』へのオマージュです)
モニターを出して京都を出発して西へ向かう。もはや行き慣れた旅です。黒海までは何の心配もありません。ただ、たまたま通りかかる大きな、あるいは名前を知っているような町に行き当たると心踊るような気持ちになります。画面に大都市の名前が出ると思わず自慢したくなるような、そんな記号獲得的な快楽が生じます。
この感覚とはいったい何なのでしょうか。
わたしは「知らないところ」へ行くよりも「知っている名前」を確認する方を喜んでいるのでしょうか。「未知なるものへ向かう想像力」というのは、いったいどこへ行ったのでしょうか。
この旅に終わりはありません。やがてフルボカー・ナト・ヴルタヴォウに到着したわたしは、この機会に、それまでまったく知らなかったこのフルボカー・ナト・ヴルタヴォウという町へと実際に行くことにしたのでした。
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kennak · 9 months
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オーストラリアのテクノロジーエコシステムは成熟段階に達しているが、それを維持するにはスタートアップ企業の規模拡大を支援する必要がある。 オーストラリアでは 2022 年に初期段階の投資が急増しましたが、後期段階では投資全体が減少しました。 それはオーストラリアに限ったことではありません。 昨年は世界的に、インフレと景気後退への懸念の中で投資家はより慎重になった。 しかし、オーストラリアの後期段階の取引の件数は、2019年の資金調達額と比較しても減少した。 問題の一部は人材の問題であり、スキル・イン・デマンド・ビザのような取り組みが役立つのです。 パウンダー氏は、「経験豊富で技術力の高い人材を求める市場には構造的なギャップがある。これは、テクノロジー関連の仕事の成長率に追いつかないレベルで、数十年にわたって体系的に人材のトレーニングが不足していることの一種だ」と述べた。 「それが時間の経過とともに蓄積され、技術的なスキルだけでなく、10 年の経験を持つ人材が必要であるという問題が発生します。 上級サイバーセキュリティスペシャリストやCEOを探しているのと同様に、経験が数年しかない人を採用することはできません。」 オーストラリアでは、スケールアップの経験を持つ経営幹部は他のスタートアップエコシステムに比べて稀です。 パウンダー氏によると、オーストラリアのテクノロジー部門で働く人々のうち、企業をスケールアップした経験がある人はわずか1%だという。 ちなみにシンガポールは約17%だ。 「グローバル企業を立ち上げ、世界市場向けに作られた製品を早い段階から輸出する場合、これまでの経験は本当に貴重です。」と彼女は言いました。 ここでオーストラリアの人材問題がちょっとした悪循環に陥ります。 オーストラリアのスタートアップ企業は他国のスタートアップ企業に比べてスケールアップの経験が少ないため、シリーズ C を突破して実際にスケールアップするために必要な資金を調達するのに苦労しています。 オーストラリアのエコシステムが若く遠隔地にあることも原因で資金が不足しており、スタートアップ企業が経験豊富な人材を惹きつけて維持する能力も制限されています。 米国での給与がオーストラリアのテクノロジー企業が通常支払う給与をはるかに超えている場合、これは特に当てはまります。 しかし、オーストラリア人が経済的に苦しんでいるわけではない。 テクノロジー業界の給与は依然として高く、オーストラリアの生活の質はトップクラスです。 メルボルンとシドニーは世界で最も住みやすい都市として常にランク付けされており、今年は エコノミスト・インテリジェンス・ユニットの2023年6月調査 で3位と4位となった。 このランキングは、各都市の経済が堅調で、失業率が低く、平均収入が高いことが一因となっている。 世界的な経験を持ち、アメリカの仕事にうんざりしているオーストラリア人は、帰国してノ���ハウを持ち帰るつもりかもしれません。 そして、政府が新たに技能移民ビザを導入したことにより、他の多くの人が、のんびりとしたライフスタイルや子育てに安全な場所という考えに惹かれるかもしれない。 「オーストラリアでは生活の質が桁外れに高いと思います」とスコット氏は言う。 Airwallex の幹部は、オーストラリアに戻るまで 10 年以上海外の Palantir で働いていました。 「私個人としては、オーストラリアは人生を送るのに本当に素晴らしい国であり、このような素晴らしいテクノロジーのスケールアップの機会を提供できるほど十分な大きさと十分な経済力があるということを認識しただけだと思います。」 このスタートアップは、グローバル企業であるにもかかわらず、製品エンジニアリングと設計のルーツをメルボルンに保持しています。 これは多くのオーストラリアのスタートアップ企業が従う傾向であり、投資家にとっては魅力的かもしれません。 Airwallex は、世界クラスの人材を引き付け、維持するために世界クラスの給与を支払っていると述べていますが、すべてのオーストラリアのスタートアップが同じことを行うためのリソースを持っているわけではありません。 投資家はこれを、���り手頃な価格で地元の優秀な人材を育成する機会と見るかもしれない。 「ほんの 10 年か 15 年前までは、米国のベンチャー企業から資金を調達した場合、エンジニアリング チーム全体を米国に移転し、営業チームやマーケティング チームも米国に移転することが期待されていました」と共同創設者兼パートナーのクレイグ ブレア氏は述べています。エアツリー・ベンチャーズにて。 「エンジニアリングチームをオーストラリアに留めておくことが競争上の利点になると私たちは考えています。」 Startup Genome は、オーストラリアのトップエコシステムである シドニーを 「誘致」フェーズに置きます。これは、その主な目標が世界的な才能を引き付け、いわゆる「統合」フェーズに拡大することを意味します。 オーストラリアは、知識とイノベーションの世界的なハブとなり、世界的なビジネスモデルとリーチを備えた自立的な成長エンジンとなるための骨組みを備えています。 この国は何年もの間、世界規模で自国の体重を上回る成果を上げてきました。 今こそ、エコシステムが資金と才能を引き付け、トップで活躍できるほど包括的なものになることができるかどうかを確認するときです。
Why Australia is ripe for VC | TechCrunch
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ari0921 · 8 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月8日(木曜日)
   通巻第8122号 <前日発行> 
三亜は「中国のハワイ」であるとともに、大海軍基地である。
  不動産バブルはすでに15年前、海南島ではじまっていたのだ
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 十五年前のことである。
初回の海南島訪問はその十年ほど前で、北側の港町=海口のホンダの偽バイク工場取材だった(取材は失敗、その後、ホンダが贋物工場を買収した)。ついでに南端の三亜まで長距離バスで七時間かけて足を伸ばし、戦争中に日本軍が敷設したレーダーサイトや西海岸に開通させていた鉄道(SLがまだ動いていた)。この頃は海南島では観光客誘致に熱心でアライバルヴィザを例外的に発効していた。四半世紀前まで中国旅行には逐一ヴィザが要求された。
 弐回目は海口から三亜へ新幹線が繋がったというので試乗がてら途中のボーアオ(中国版ダボス会議)も取材する予定だった。
さて三亜での驚きはリゾートマンションがにょきにょきと林立していたことだ。飛行機の窓から夢中に撮影したが、あんなに壮大に高層マンションを建てて、購入した人は果たして何人いるのだろうか? 
 三亜は「中国のハワイ」であるとともに、大海軍基地である。町で不動産屋の店先で物件のビラを眺めていたら、店員が飛びだしてきた。なるほど、売れていない証拠である。
 三年前から中国の不動産バブルが瓦解し、大手デベロッパーが軒並み債務不履行におちいったことは周知の事実。習近平自身が「マンションは人の住むところだ」と当たり前のことを発言した。多くが投機用に建てられたもので、2024年二月時点で、工事中断物件は数千とも数万ともいわれ、売れ残りを最低に見積もっても1億5000万戸ある。
 恒大集団は1月28日、香港で精算命令がだされた。CEOの許家印が所有した香港の豪邸は競売に付された。ところが、豪華すぎて買い手がいない。
恒大集団幹部たちはごっそり逮捕され、整理精算しようにも、なにから手をつけてよいか分からない。とりあえず二つの子会社を五鉱山国債信託に売却した。 
 海外を含めて資産売却を急ぐ最大手の碧桂園はロンドンに4億5000万ポンド(5億7000万ドル)を投じた開発プロジェクトを売りに出した。世界最大の不動産仲介コンサルティング「ナイト・フランク」社は、碧桂園の子会社「リスランドUK」からエルサホー大団地(62エーカー、952戸)の売却仲介を依頼されていると発表した。
碧桂園はシドニーに保有した物件をすべて手放したほか、広州の高層ビルやフェニックスホテル等五軒を売却した。
 中国オーシャンワイドHD社はサンフランシスコに建てた高層タワーが差し押さえとなったと発表した。まだ「広州富力地産」はロンドンの広大な物件二件を売却した。これらは「氷山の一角で」しかなく、夥しい中国企業が外国の不動産を売却し、また富裕層は手元資金不如意となったため海外物件の売却を急いだ。
中国政府は外貨不足を補えるため、海外物件売却を奨励した。
また工事中断物件を完成させよとして特別融資をおこなうなどモラトリアム政策を適用している。「こうした休載政策は逆効果になる」と米紙ウォールストリートジャーナルが警告してきたが、自由主義市場経済ではない中国では、独自の路線を選択、さらに凄絶な破滅の道を驀進中だ。
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