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#チェスタトン
straycatboogie · 2 years
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2023/01/11
BGM: Cutemen - Love Deeep Inside
今日は遅番だった。朝、小坂井敏晶『神の亡霊』を少し読む。すこぶる刺激的な本だ。彼は、私たちは自分の死を選ぶことができると書いている。死にたければ死ねばいい、と。これは危険な議論だと思う。私は「死にたい」と願う人、死の自己決定を望む人に対して「死ねばいい」とは言えない。その自己決定をその人が後悔しないとは言い切れないからだ。生きていれば過去に下した決定を後悔することは山ほどある。間違いは誰もが犯しうる。それが人間の人生というものだ。ゆえに、死を望む人に向けられるべきは別の言葉だとも思った。こうした議論に私を差し向けてくれたという意味で、皮肉など交えず小坂井の本を良書だと思う。
「生きていればいいこともある」という言葉の意味について考える。日本には「人生万事塞翁が馬」ということわざがある。私もかつてクリニックの医師に「きっといいことあります」と言われたっけ。私たちの人生はそうした「運」「縁」が重要な役割を果たしているのだろうか。絶望的な状況に置かれた人に、「運次第」で人生は開けると語りかけること……それは残酷ではないだろうか。運次第で人生が好転するか暗転したままか決まるのなら、人生というものは相当にナンセンスなものではないだろうか。そんなことを考えた。
チェスタトンだったか、「奇跡に関して最も信じがたいことは、奇跡は起こるということだ」と喝破したのは。私の人生を振り返ってみても40の歳に奇跡的な出会いがあり、そこから今のような英語でメモを書いたり発達障害と向き合ったりするような人生が始まった。その意味では人生は「ガチャ」で決まるところがあるとも思う。人事を尽くして天命を待つ、ということわざもある。運次第でどうにでもなる人生だからこそ、私は運に頼らずに自助努力を尽くしたい、とも思う。この矛盾を生きることが、すなわち人生を生きることなのかなとも思う。
「空気は読むものではなく、吸うものだ」とある方の言葉だ。私も空気を読めなくて苦労している身なので、この言葉が身に沁みる。私は結局雑談もこなせない、変人としての人生を生きるしかない。だが、ならばその道を極めて集団の中でファーストペンギンとして生きるまでだ。ナンバーガールの歌詞のように「自力を信じて」。哲学の徒として私は生きているので、あらゆることを懐疑的に見る癖がついてしまっているがゆえにこれは難しい。だが、なぜかうまくいってしまうのが人生、奇跡が起きてしまうがゆえに価値があるのが人生でもある。人生は面白い。
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tumblr2011aterehwon · 2 years
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読んだ本 読み終わった本 ブラウン神父の童心 G•K•チェスタトン 中村保男 訳 創元推理文庫 「童心」⁇ ドラマのブラウン神父の方が 「童心」という言葉が似合う #読んだ本 #読了 #読み終わった本 #読書 #ブラウン神父の童心 #gkチェスタトン #中村保男訳 #創元推理文庫 https://www.instagram.com/p/CqF6FNnPsvc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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doggie · 2 years
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「さあ、いつでも挑戦を受けて立つぞ。あり得ないと君が言うすべての素敵なものが、つねにここにあったと僕は信じる」
イノセント・スミス (via G・K・チェスタトン『マンアライヴ』)
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lastscenecom · 7 months
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G. K. チェスタトンは、著書The Thingの中で、「道路にフェンスが立てられている」状況を紹介している。熱心な改革者が現状に異議を申し立てにやってくる。「何のためにあるのかわからないから、撤去してしまおう」。すると、現状の代表者が答える。「それがわからないなら、撤去を許可することはできない。出直しなさい。そして戻って、何のためにあるかがわかったと言えたなら、壊す許可を与えてもよい」
揉めずに現状を打破したい人が取るべき10のステップ 勇気だけでなくスキルが必要 | ビジネススキル|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー
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ayanos-pl · 14 days
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"The Mystery og the Sardine" Stefan Themerson, translation into Japanese: Yuzuru Okubo
ステファン・テメルソン、大久保譲訳『缶詰サーディンの謎』(国書刊行会)短編映画や絵本で知られるポーランドのテメルソン夫妻の片割れ、ステファンが英語で書いた奇妙奇天烈な小説。拙者はポーランド語関連や著作リストなどでお手伝いをしております。読んでね。装幀:山田英春、装画:M!DOR!
「本書はテメルソン本邦初紹介」とありますが、実は絵本が1冊すでに出ていました。著作リストを作成した拙者の見落としです。すみません。
『タテルさん ゆめのいえをたてる』ステファン・テマーソン著、フランチスカ・テマーソン、清水玲奈訳(エクスナレッジ、2019) https://www.xknowledge.co.jp/book/9784767825960
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easyinformality · 2 months
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“彼は自分が何か大変な吉報を持っているような気がした、それが他のすべてのことをつまらなくして、しかしすべてのものがつまらないと同時に愛すべきものであるような感じがした”
G・K・チェスタトン『木曜の男』
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bearbench-3bun4 · 2 months
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「虚無への供物」中井英夫 2271
第二章
27予言者の帰国01
この節のタイトルは、“予言者の帰国”です。 牟礼田俊夫がよいよ帰国するということなのでしょう。 第一、第二の事件の経緯なんかがわかるんでしょうか? それにしても、前から気になっていたのですが、牟礼田俊夫が予言者になった所以は何なんでしょう? そのあたりもわかるのでしょうか?
どういう訳か、牟礼田は探偵を引き受ける資格がないといいます。 例えとして、ピーター・ガンズのようには事件を解決できないとあります。 『赤毛のレドメイン家』(イーデン・フィルポッツ)の古典長編推理小説に登場する初老の探偵のことだと思います。 この話、ブレンドン刑事が惨めな失敗をしたあと、途中から、この探偵が登場するようで、それで例えているのかもしれません。 驚きの犯人も、もしかするとそれを例えている?と言うことは、犯人の目星もついているとか。 予言の件もありますから、そうとうの名探偵ということになるのでしょうか?
久生はプジョー203を運転して京浜国道を走っています。 ドゥサントロワ、フランス語で表現されています。粋ですね。
ちなみに、車名、203プジョー53年は、115万円だそうです。 重量当たり制動馬力 44.2HP/トン 加速所要時間 6秒31.1哩 登坂能力 勾配焼く18°をセカンドギアにて停止状態よりスタートせるも楽に上がれり 最小回転円直径 9.30メートル 制動力 76.8平方センチ/トン 四輪-683.2平方センチ950kg 計画燃費量 56キロ/1ガロン
だそうです。
目的地は、目白の氷沼家です。 空港に迎えに来ていた弟妹やジャーナリズム関係らしい友人と長いこと話し込んでいましたが、 紀尾井町の家へもよらずで目白の氷沼家へ向かっているみたいです。 探偵を引き受ける資格はないが、蒼司を見舞いの行くのだそうです。 ちなみに、 牟礼田は三十一二歳、外人の間でも目立つほどな長身で、 鼻筋も通って精悍に引き締まって居るみたいで、亜利夫は眩(まぶ)しい印象を受けています。
車の中では、藍ちゃんが、聖母の園の火事のことを聞いています。 藍ちゃんは、氷沼家の血筋を絶やすために何者かがあの事件を起こしたと決めつけているらしいです。
牟礼田は、客観的に考えようというのか、 朝刊の内容として、 『火災原因について警察が同日朝から調査を開始、同夜九時半にいたり原因はカイロ灰の不始末とわかった』 と発表したと言っていますね。 それよりも、死人がひとりひょっこり紛れ込んできたとしか考えられないと、 死体の数が合わないことをいいます。
それに、藍ちゃんは、やっぱり放火だったのでは、と興奮しています。 大叔母さんを殺すためだけじゃなく、誰かもう一人の死体を始末する必要があったから放火して一石二鳥を狙ったやつがいるんだとです。 なにしろ、養老院なんだから確実な自然発火装置を取り付けたり死体を運びこんでおいたに決まっている。とです。 確実な自然発火装置ってなんでしょう?
それを、亜利夫が否定しますね。 あまりに不確実だからというのです。 確かに確実ではないですね。
牟礼田もG・K・チェスタートンを例えて、あまりの現実離れして飛躍しすぎていると否定しますね。
チェスタトンは、英国の作家で、あのブラウン神父の生みの親だそうです。 「賢い人は葉をどこに隠す? 森のなかに隠す」で有名な小説「折れた剣」のことだと思います。
牟礼田は、あまり喋らないですね。 亜利夫が予言がどうしてできたのか聞いても、またいずれと話をそらします。
藍ちゃんがみたら喜ぶだろうと、 1911年にできたパリの巨大映画館ゴー��ン・パラスでH=G・クルーゾーの映画をやっている。 『悪魔のような女(あくまのようなおんな、原題:Les Diaboliques)』という映画で、 フィルム・ノワールの代表作なんていわれてなかな評判だったとです。 フランスでの公開が1955年1月29日だそうですから、帰国直前に見たのでしょう。 余計印象にのこっていたのかもしれません。 フィルム・ノワール(仏: Film Noir)は、フランスの批評家によって命名された犯罪映画のジャンルを指すそうです。
で、『悪魔のような女』という映画のネタバレをしてます。 省略しておきますけど、これはまずいでしょう?
藍ちゃんは、1953年頃にキングレコードから発売されていたデッカ・レコード盤のLPイヴ・モンタンは持っていたけど、 牟礼田がお土産に持って帰った“ガレリアン原題:Le Galérien”イヴ・モンタンを嬉しがっています。
結局、11時頃に目白の氷沼家につきます。 “赤の部屋”で蒼司と牟礼田は再会します。 それを亜利夫ひとりが見守ることになります。
蒼司がいきなり泣き出したのは、日常茶飯の出来事にかわったことの家の業を一身に引き受けたつらさからであろう。 と、牟礼田は「大丈夫だ」と慰めます。 それから、どこかの別荘へ行くとか、この家を処分する方法や時期などの内輪話をしだします。
久生と藍ちゃんは隣の部屋で、貰ったレコードをテープに録音しています。
それから十日ほど経った二月の二十八日の夕方までは、 牟礼田はそれより何かと忙しかったらしく、亜利夫が克明につけている日記を借りていったほかは、特に何もないようです。
どうも、牟礼田の態度が気になりますね。 ズバッと解決できないとしても、 なんだか、解決したくないような感じです。 まあ、これから徐々にわかっていくのでしょう。
つづく
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stj · 7 months
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狂人とは理性を失った人のことではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である。
G・K・チェスタトン - Wikipedia
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nekocya · 1 year
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honyakusho · 1 year
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2023年8月9日に発売予定の翻訳書
8月9日(水)には26冊の翻訳書が発売予定です。 そのうちハーパーコリンズ・ジャパンのロマンスは15冊、新書判のみ表紙画像が登録されていますがなぜなんでしょう……。
エディ、あるいはアシュリー
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キム・ソンジュン/著 古川綾子/翻訳
亜紀書房
神に挑んだ6人の世俗哲学者 : スピノザ/ヒューム/カント/ニーチェ/ジェイムズ/サンタヤナ
ルイス・ホワイト・ベック/著 藤田昇吾/翻訳
22世紀アート
アナトミー2 : もう一度確認したいインプラント臨床のための解剖
Louie Al-Faraje/著 森本太一朗/監修 新井聖範/監修 長尾龍典/監修 ほか
クインテッセンス出版
サバキスタン 1
ビタリー・テルレツキー/著 カティア/イラスト 鈴木佑也/翻訳
トゥーヴァージンズ
ベビー・シッターズ・クラブ クリスティのサイコーのアイデア!
アン・M・マーティン/著 山本祐美子/翻訳 くろでこ/イラスト
ポプラ社
死霊の恋/化身 : ゴーティエ恋愛奇譚集
テオフィル・ゴーティエ/著 永田千奈/翻訳
光文社
海のこびととガラスびんの伝説
サリー・ガードナー/著 リディア・コーリー/イラスト 中井はるの/翻訳
ポプラ社
TAKE BACK THE GAME (テイク・バック・ザ・ゲーム) : 子供たちのスポーツを取り戻せ!!
リンダ・フラナガン/著 佐伯葉子/翻訳
東洋館出版社
準備が整った人に、奇跡はやってくる : 「望むこと」があっさり現実になる心の法則
ウエイン・W・ダイアー/著 渡部昇一/翻訳
三笠書房
十七歳の花嫁
リン・グレアム/著 原淳子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
素顔のサマーバカンス
ジェイン・アン・クレンツ/著 仁嶋いずる/翻訳 ナリーニ・シン/著 長田乃莉子/翻訳 ほか
ハーパーコリンズ・ジャパン
没落令嬢のためのレディ入門
ソフィー・アーウィン/著 兒嶋みなこ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
涙の湖
ダイアナ・パーマー/著 杉本ユミ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
捨てられたシンデレラ
ナタリー・リバース/著 松尾当子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ドクターの情熱
サラ・モーガン/著 山本瑠美子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
聖トマス・アクィナス
G.K.チェスタトン/本文 生地竹郎/翻訳
筑摩書房
奴隷制の歴史
ブレンダ・スティーヴンソン/本文 所康弘/翻訳
筑摩書房
エンジェル・スマイル
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シャロン・ケンドリック/著 久坂翠/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
薄幸のシンデレラ
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レベッカ・ウインターズ/著 小池桂/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
隠された愛の証
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レイチェル・ベイリー/著 すなみ翔/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
スター作家傑作選~愛なき富豪と花陰の乙女~
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ダイアナ・パーマー/著 山田沙羅/翻訳 アニー・ウエスト/著 柿沼摩耶/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ボスと秘書の白い契約結婚
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ナタリー・アンダーソン/著 悠木美桜/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ベールの奥の一夜の証
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ミシェル・スマート/著 久保奈緒実/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
無邪気な誘惑
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ダイアナ・パーマー/著 山田沙羅/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
絆を宿した疎遠の妻
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シェリー・リバース/著 琴葉かいら/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
忘れえぬ思い
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ベティ・ニールズ/著 松本果蓮/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
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srkanagawa · 1 year
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●まだコロナがなかった頃、定期的に読書会が催されていて、私はいつも参加していたのだが、それが終わったあと、参加者一同で軽く食事をしに近くの店まで行くことがあった。そこで読書会の反省などを話すのだが、気の置けない場だったので、無遠慮な議論になることがある。今でも憶えているのは、そのときも既にしばしば蒸し返されてきた話題だったらしいのだが、アートとは何か、という古くて新しい哲学上の問題について、新進気鋭のまちづくり活動家にして研修医(当時)の守本陽一氏がKIACのプログラムディレクター吉田雄一郎氏に何度も問い詰めて辟易させているほほえましい光景だ。私は吉田さんがうざがるのも無理はないが守本さんの気持ちもまあわかる、と思った。KIACという組織の中にあって———多少パフォーミングアートに偏っているかもしれないが———アートの最前線に身を置いて日々仕事をしている吉田さんですら、若い守本さんに問い詰められると困惑的なストレスを感じるほど、アートというものに定説としての定義がない。とくに現代アートの状況を一瞥すると、一体何がアートなのかと首をかしげざるを得ない。これは由々しき事態である。
●美術史は19世紀のダヴィッドやアングルの荘重森厳な絵画に対して《擬古典主義 classicalism》乃至《偽古典主義 pseudo-classicism》の名を与えている。何が《擬》で《偽》であるのかというと、それはもう見て受ける感じが本物の古典主義 classicism とは全然ちがうのだ。本物の古典主義は14世紀シエナ派のシモーネ・マルティーニ『受胎告知』にしろ13世紀ビザンティン美術最盛期のアヤソフィア大聖堂『デイシス』にみられるキリスト像モザイクにしろ、形式と内容の調和と前者の優位下における後者の充実の感じをもっている。人間の歴史の中には個人の自由を抑圧して集団精神を優先させるような時代がいくつもあるが、その状態は永続せず、次第に集団精神の優位下に自由が回復してくるものだ。両者の均衡と調和があるときに古典主義があらわれ、後者のさらなる伸長と激化によって形式の精神の衰微と個人の自由の肥大があるとき、ロマン主義があらわれ、バロックがあらわれ、その方向の極点に印象主義があらわれるだろう。G.K.チェスタトンは印象主義を「宇宙に根拠があることを信じない、最終的な懐疑主義」だと言っている(『木曜の男』)。実際それは「神は死んだ」と叫んだ哲学者があらわれた時代に感覚だけに頼って目前の印象を画布に定着しようと努め、それを突き詰めることで遠近法的画面構成の溶融的崩壊をもたらし、表現主義の無からの絶叫を経てダダのニヒリズムを準備した。2021年現在、印象派が大好きで、モネやピサロのような作風で制作している画家がいるとしても、その作品は《擬印象主義》(そんな言葉はないが)とでも呼ぶしかないようなものになるだろう。あらゆる芸術様式は時代状況の産物であって、画家個人の才能だけで可能になるようなものではない。それを可能にする状況なしにうわべだけ真似をしても《擬》で《偽》であるようなものにしかならないのだ。
●以上の議論を踏まえて、アートとは何かを問おう。ダヴィッドやアングルの絵画をアートではないと言うのは言いすぎかもしれないが、そういう急進的な立場もあっていいと思う。アートは状況の産物である。借り物ではなく、なまの現実と人間が関わることによってしか生まれな��。人間不在の芸術がありうるか、という問いは正統派的な立場からすれば全くの愚問に過ぎず、鉱物の結晶や山岳の絶景を「自然の芸術」などと言うのは比喩以外のものではない。(『日本・現代・美術』第十一章を読む限り椹木野衣は宮川淳の「アンフォルメル以後」という論文に人間不在の芸術の理論の可能性を見ているらしかった。そこで同論文の所収されている単行本を取り寄せて読んでみたが、残念ながら私には、本当に誇張なしに最初から最後まで何を言っているのかさっぱりわからなかった。だいたい語源的にも art は technology と同じく人間の営みである。野心は結構だが、人間不在の芸術を認めるなら有史以来のあらゆる芸術理論を御破算にしてゼロから車輪の再発明に取り組まねばならない。とはいえそれが却って現代アートの呈している混乱を十全に掬い取る理論の構築への近道なのだと思わせてしまう状況がある。)
●(このテーマでシリーズ化して続けたい。できるだろうか?)
参考文献:岩山三郎『美術史の哲学』(1969) 創元社 
2021年08月20日
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straycatboogie · 1 year
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2023/07/30
BGM: Hayden - The Closer I Get
今日は変則的なスケジュールで、正午より仕事をすることになる。それで戸惑ったりしたのだけれど、何はともあれ午前中いつものように詩を書く。書きながら、こうして自分が実際に「書ける」ようになるとは思ってもみなかったと思った。ぼくが「作家になりたい」という夢というか甘美かつ幼稚な願望を持ち始めたのはいつの頃からだっただろうか。何かを書きたいと思ったのは中学生くらいの頃のことで、そこからノートに自作のラノベ(という言葉は当時はなかったけれど)を書いてみることを試みたことを思い出す。だが、完成させられたためしはなかった。高校時代に短文でレビュー(本や音楽作品などについてのブックレビュー・CDレビューだ)を書いてみたりして、「ライターになりたい」という夢をもまた膨らませたことを思い出せる。要するに書くことを通して、昔風の言葉でいえば「筆耕」「筆一本」で食えればというのがぼんやりした願望の骨子だった。そしてネットに触れるようになってから自分であれこれウェブ日記やブログ記事を書いてみたりするようになったのだけれど、でも今のように本格的に「完成された詩」を書くところまではぜんぜん至らず未完成なものを書き散らして過ごしてきてしまった。
そして、今となっては実にアホみたいな話だと思うのだけれどぼくは村上春樹に憧れを抱いていたので「いつか彼のように書けるようになる日が来る」と夢見て生きていたのだった。ぼくも、かつての村上春樹がヤクルトスワローズの試合を見ていて天啓のように小説のひらめきを得て、そこから作品を書き始めるまでに至ったというそんな日が来ると思った……そして48まで生きてしまった。だが、そうした出来事というのは「実際に起こる」ものでもあるのだ(なんだかチェスタトンの逆説みたいだけれど)。この日記にも前に書いたけれど、ぼくは今年に入ってある日未来屋書店の店頭で谷川俊太郎の詩集を買い求めた。その時、「もしかしたらぼくにも詩が書けるかもしれない」と思ったのである。過去を遡ればこのひらめきまでに至るきっかけはあった。女友だちから「詩を書くこともできるんじゃないですか」と薦められていたこと、そして実際に詩を(日本語や英語で)書いてみたりしたということ……でも、そこからぼくの中で何かが「爆発」して今のような詩作へと膨れ上がっていったのは「春樹的」な出来事のようでもあると思った。ぼくにとっては「奇跡」みたいな出来事だ。
ぼくには「才能」があるのだろうか。それはぼくにはまったくもってわからない。今のところ「枯渇」「限界」を感じずに何とか詩作は続けられているのだけれど、意外と早々に「退屈」「無理」を感じて止めてしまうものなのかもしれない。ただ、こうして書き続けていると自分の中で詩作という創作手段は性に合っているようだ。自分で言うことでもないけれど、つとめて「勤勉に」「規則正しく」詩作を続けていく。少なくとも、ぼくは自分の「詩才」を過信したりしたくない。何の神秘性のかけらもない「作業」の中から出てくるものを信じる。それは一方では判子を押して書類を片付けていくような、面白味も何もない作業のように見えるだろう。だが、そうした事務的・無味乾燥な作業の中からでも神秘的・天才的なものは出てくるのではないか。いや、ぼくにそんなものが書けるかどうかは誰にもわからないと思うのだけれど、少なくともぼくは「ワイルダネス(野性)」に則って破天荒に生き酒や色恋沙汰に溺れていく、そうした創作(書いていて「いつの時代の話だよ」と思ってしまったけれど)を信じないのだった。それはある種ぼくにとってアートの「既成概念」をぶっ壊す「パンク」な態度だとさえ思う。まさに村上春樹がそうであるように。
そうした仕事の合間に、なんとなくカバンの中に入れていた沢木耕太郎『246』を読み返す。沢木耕太郎がこの日記で書き記す生活もまた一種地味で渋い、カタギの勤め人のような仕事ぶりに裏打ちされたものだ。そしてそれでいいのだろうとも思う。ここ何年か、ぼくはこうして「すでに読んだ本」を読み返して安心感に浸る日々が続いている。いや、今日は池澤夏樹の詩に関する著作を図書館で借りたので「まだ知らない本」にぜんぜん興味がなくなったというわけではない。だけれど、自分が発達障害者とわかった時期からかぼくはそうして「自分の生活をしっかり」「ルーティーンを可能な限り守って」を心がけるようになった。そうした方が気持ち的にラクに生きられるからだ。毎週水曜日の断酒会のための休みの日を休み、あとは日曜日も休めれば休み、それ以外の日の仕事をレギュラーとして働く。たまたま今日は仕事だったので剣呑だったのだけれど、帰って土用の丑の日ということでうな丼を食べることもできて有意義な日になったと思った。断酒して、シラフの頭でつとめてドライに淡々と日々を過ごす。思わぬひらめき・啓示は意外とそうしたドライな毎日から生まれうるものなのかもしれない。それもまた人生だ。
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mobac01 · 2 years
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「近代的な改革者ならば、『このフェンスが使われているのを見たことがない。だから撤去しても問題はない』と気軽に主張します。しかし、賢い改革者はそういった人に対して『このフェンスが使われたところを見たことがないというのは、撤去する理由にはなりません。あなたがこのフェンスが置かれた理由を理解したとき、撤去について検討しましょう』と応じるはずです」
Farnam Streetはこのチェスタトンの主張について「フェンスが存在するのならば、そこには何かしらの理由がある」と解説し、この主張から得られる教訓を「そもそもフェンスが設置された理由を理解するまで、フェンスを撤去するな」と簡潔に要約しました。
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doggie · 2 years
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「不幸だって! もちろん、君は不幸になるだろう。君を生んだお母さんのように不幸になってはいけないなんて、君は一体何様なんだ? 失望? もちろん、僕らは失望するだろう。僕としては死ぬまでに、今この時の僕ほど立派な男に――すべての喇叭が鳴り響いている塔になれるとは思っちゃいない」
マイケル・ムーン (via G・K・チェスタトン『マンアライヴ』)
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misasmemorandum · 4 years
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"The Man Who was Thursday" G. K. Chesterton
読みながら、ちょっと奇想天外な展開で、でも全員警察官なんだろうな、日曜日と謎の男は同一人物だろうと予測をつけたら当たっていたり、イギリスのドタバタコメディかなと思ってたら、半分以上過ぎたあたりから、文章を読み落とした筈はないのに、流れにポコリポコリと穴が空いたり(読み落としてる可能性がないとは言い切れないけれど)して、なんだろうと不思議に思っていたら、最後のお着替えの下で、これはもしや夢?!と思ったら、果たしてそうだった。そして、著者の後書きに、
...... they had read the book but had not read the title-page. In my case, it is true, it was a question of a subtitle rather than a title. The book was called The Man Who Was Thursday: A Nightmare.
と書いている。実際私は副題がある事さえ知らなかった。全くもって、ギャフン!!だ。
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easyinformality · 3 months
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人生が耐えがたいのは、自由の感覚をほんの一瞬すら味わったことがない人々と、毎日毎日付き合っていかなければならないからかもしれない。
“この奴隷は「この鎖は私にふさわしいか」とは言わない。科学的に満足げに、彼は言う。「私は、この鎖にふさわしいのだろうか」” G ・K・チェスタトン『針小なる棒大』
驚くべきなのは、人々が、自分が元々人間だったことをすっかり忘れてしまい、立派な野球部員に、立派な公務員に、「ビジネスマン」に、兵隊に、作家に、要するに鎖そのものになろうとし、実際になってしまうということである。
“わたしは人間を探しているのだ” ディオゲネス
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