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#ドイツ国鉄
iktsarpok · 3 months
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ジャ、ジャーン!
たまったマイレージで旅してきました
ドイツ→フランス→イングランド→スコットランドを2週間足らずで巡ってきました
もしかしたら電車やバスで移動してる時間の方が長かったかも
カタコト以下の英語でなんとかなったのはラッキー
そして、今、帰国途中。シンガポールで26:10発の乗り継ぎの便を待っています
楽しかった旅の話を誰かに聞いて欲しくて久しぶりのTumblrです
せっかくの特典航空券、欲張ってヨーロッパと決めたけれど
行ったことのない国、行ってみたい国のどこに行こうか?
まずはフランクフルト空港からヨーロッパ入り。
ドイツの温泉のある保養地、Baden-Badenへ。
ドイツ鉄道、予約したけれど
乗れるかしらん?大丈夫かなあ、私。
不安はありつつも、大丈夫でしょ、大丈夫なはず…
結論からいうと、ドイツ鉄道、噂通り遅れました。
海外の鉄道ど素人で、旅の初日、さらにドイツ語というハードルを超えなければならないこととなりましたが、今回もそこにいて人たちに助けてもらって、なんとか無事、電車に乗ることができました。
はあ〜やれやれ。
たどり着いたバーデンバーデンという町はかわいくて、素敵なところでした。
以下、続く
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ari0921 · 4 months
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<正論>共産党の私兵組織中国軍の弱み 
東京国際大学特命教授・村井友秀
中国の挑戦
中国共産党は今、「中華民族の偉大な復興」をスローガンに米国の覇権に挑戦しようとしている(1つの山に2匹の虎はいない)。米国政府も米国に挑戦する力を持っているのは中国だと考えている。中国が持つ世界を変える力とは、多くの国の同意と共感を得るソフトパワーではなく、多くの国に望まないことを強いるハードパワー、すなわち経済力と軍事力である。
GDPを見ると、米国が第1位、中国が第2位である。中国のGDPは米国の7割に当たるが、最近は中国のGDPは将来も米国に追い付けないだろうという予測が多くなっている。軍事力を見ると、兵員数や軍艦の数で中国軍は米軍を上回っているが、中国の核兵器は現在のところ米国の10分の1であり、総合的破壊力には大きな差がある。何よりも常に世界のどこかで戦っている米軍とは異なり、中国軍には大敗した中越戦争(1979年)以来大規模な戦闘を戦った実戦経験がない。
また、中国政府は常に問題を外交によって解決すると言う。外交とは「棍棒(こんぼう)を持って静かに話す」ことであるが、ソフトパワーがない中国外交は静かに話して相手を説得することは難しく、棍棒による威嚇に頼らざるを得ない。中国の棍棒の硬さを検討する。
社会の屑から革命の大黒柱へ
現在の中国軍の名称は「人民解放軍」であり中国軍ではない。人民解放軍が守っているのは人民、すなわち共産���支持者であり国民ではない。共産党に反対する中国人は人民の敵であり打倒すべき対象である。
人民解放軍(紅軍)の起源を見ると、紅軍は共産党の革命の道具として作られた。共産党が生まれた1920年代の中国では、軍隊は略奪暴行以外に能のない社会の屑(くず)(遊民無産階級)だと見なされていた(好(よ)い鉄は釘(くぎ)にならず、好い男は兵にならない)。紅軍も例外ではなく、毛沢東も「紅軍の成分は遊民であり労農分子に取り換えるべきだがその方法がない」と嘆いていた。紅軍の敵であった国民党軍も「自分のことしか考えないゴロツキの集団である。指導者の興味はただ金、権力そして地位だけだ。手に入るものには何でも頭を下げ、自分は戦わないように心がける」(中華民国軍参謀長スティルウェル米陸軍中将の日記)ならず者の集団であった。
革命は基本的に内戦であり、勝敗のカギは戦闘力ではなく国民の支持である。革命戦争の本質はプロパガンダでありハイブリッド戦である。毛沢東は共産主義者であり、社会の屑と見なされていた貧しい農民労働者(遊民無産階級)が社会を変えると信じていた。国民党や軍閥が兵士の士気を高めるために略奪暴行を黙認していたのに対して、毛沢東は紅軍兵士の略奪暴行を禁止し(三大規律六項注意)、人間の屑を良民に変えようと教育訓練し、紅軍を人民に信頼される軍隊に変えた。これが革命成功の原点である。毛沢東が軍幹部に要求したものは、革命への情熱と共産党への忠誠であり、戦闘レベルが低い国民党軍や軍閥との戦闘では高い戦闘能力は必要とされなかった。
現在の人民解放軍も基本的に同じ軍隊である。「人民の軍隊は中国共産党の旗印を高く掲げ、揺るぎなく党の指示・指導に従って人民の解放のために奮戦します」(駐日中国国防武官2023年7月)
共産党にとって危険な中国軍
各国政府は二本の柱、すなわち国民の同意と国民を強制する力によって支えられている。民主主義政権は国民の同意により、独裁政権は強制力により支えられている。中国共産党の権力を支える柱は国民の同意ではなく、軍や警察といった強制力である。共産党を支える軍の第一の任務は反革命勢力の打倒であった。外国の正規軍ではない国内の反革命勢力を打倒するのに高レベルの軍事能力は不必要である。したがって、中国軍幹部に要求される資質として、共産党への忠誠心が戦闘能力よりも優先された。中国軍では、戦闘指揮官としての能力は高いが共産党への忠誠に疑いがある軍人(専)よりも、戦闘指揮官としての能力は低いが共産党への忠誠には疑問がない軍人(紅)が高いポストについてきた。
しかし、今、中国軍には米軍との戦争という大きな課題が突き付けられている。現在、中国では国内治安維持の要であった陸軍が削減され、外国との戦争で重要な役割を果たす海軍やロケット軍が増強されている。共産党が人気取り政策として「中華民族の偉大な復興」を掲げ対外進出を図る限り外国との衝突は避けられず、「専」の軍人を重視せざるを得ない。
「専」の軍人を重視すれば、中国軍は共産党の私兵から国軍へと変質せざるを得ず、共産党は軍を信頼できなくなる。世界初の空挺部隊や機械化部隊を発案し、強力なナチス・ドイツ軍に勝利したソ連赤軍は、ソ連崩壊に際して共産党を支持しなかった。
人民解放軍の近代化は共産党支配に深刻な矛盾をもたらすだろう。(むらい ともひで)
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kintsuru · 2 months
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jpf-sydney · 8 months
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Besuto essei. 202
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日々の雑感、考察、失敗談から、亡くなられたあの方への追悼文まで… さまざまな書き手たちが、「エッセイ」という枠組みのなかで書き記した2021年の記録。 この年に新聞・雑誌等の媒体に発表された中から選りすぐった、珠玉のアンソロジーです。
Shelf: 914.68 BES 2022 Besuto essei. 2022 = The best essay. edited by Nihon Bungeika Kyōkai.
Tōkyō : Mitsumura Tosho Shuppan, 2022. ISBN: 9784813804147
337 pages ; 20cm.
Editorial board members: Kakuta Mitsuyo, Hayashi Mariko, Fujisawa Shū, Horie Toshiyuki, Machida Kō, Miura Shion. Text in Japanese.
Table of contets:
部屋にいる感じ / 武田砂鉄
ロクな恋 / 李琴峰
特に秘密、ありません / 二宮敦人
親父の枕元 / 原田宗典
犬の建前 / 宇佐見りん
いつか「コロナ福」だったと言える日 / 鷲田清一
紙 / 内田洋子
学び始める春、失敗を楽しむ / 山本貴光
瀬尾夏美 / おじいさんの空き地
落合博満への緊張感 / 鈴木忠平
月の砂漠 / 小池水音
冷水を浴びせる : 坂上弘の文体 / 三浦雅士
陰のある光 / 小泉凡
脳内・ドイツ / マライ・メントライン
父と兄の書棚が招いた変な読書 / 志茂田景樹
心の扉を開く音楽 / 寮美千子
立花隆さんを悼む / 柳田邦男
失われゆく昭和探して / 川本三郎
大人への扉を開けたのは / 加納愛子
関係性の結晶 / 齋藤陽道
ガラスのこころ / 岸田奈美
"諦められない"心でアイヌ語研究に夢中 / 金田一秀穂
アイヌとして生きる / 川上容子
佃煮に想う / 小泉武夫
最高の食事 / 田中卓志
珠玉の世界 / ブレイディみかこ
神様、世間様 / 尾崎世界観
さいとう・たかをさんの思い出 / 辻真先
コロナ禍社会と密になった / 本谷有希子
最後の飛翔 / 椹木野依 -- 我が町の「宝」 / 井上理津子
ネガティブな皆さんへ / 尾上松緑
「あいつなりに筋は通ってるんだ」 / 岩松了
翻訳とは / 村井理子
「覚えられない」 / 茂山千之丞
白土三平さんを悼む / 田中優子
そんな時代 / 海猫沢めろん
ともに歩けば / 小川さやか
(笑)わない作家 / 万城目学
雪原 / 岸本佐知子
河合雅雄さんを悼む / 佐倉統
学園の平和、取り戻せ! / みうらじゅん
料理 / 小山田浩子
田中邦衛さんを悼む / 倉本聰
「声」分かち合う喜び / 温又柔
エリック・カールさんを悼む / 松本猛
月みる月は / 彬子女���
トーストと産業革命 / 青山文平
祖父母のすずらん守る / 星野博美
考えることに失敗する / 神林長平
悪態俳句のススメ / 夏井いつき
死も遊びだと思いましょ / 横尾忠則
UFO / 柴田一成
「やめた」後の達成感 / ほしよりこ
息子よ安心しなさい、あなたの親指は天国で花となり咲いている / 青木耕平
那須正幹さんを悼む / 高樹のぶ子
愚かさが導いてくれた道 / 沢木耕太郎
クールでお茶目なかっこよさ / 谷慶子
機械はしない終業挨拶 / 黒井千次
閉、じ、こ、も、り / 村田喜代子
ナマケモノ / 奥本大三郎
夢を彷徨う / 髙村薫
愛しの小松政夫さん / 鈴木聡
胃袋の飛地 / 湯澤規子
『老人と海』をめぐる恋 / 高見浩
「すごい」と「やばい」 / 酒井順子
写真を撮られるということ / 松浦寿輝
安野光雅さんを悼む / 大矢鞆音
この世の通路 / 佐々涼子
◆編纂委員作品◆
瀬戸内寂聴さんを悼む / 林真理子
多分、両方だと思いますよ / 町田康
忘れがたきご亭主 / 三浦しをん
あそこの棚に置いてある。 / 堀江敏幸
それは私の夢だった / 角田光代
遠き花 / 藤沢周.
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elle-p · 1 year
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P3 Club Book Aigis short story scan and transcription.
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人の心、アイギスの心
わたしは、人型戦術兵器アイギス。桐条グループ のラボで開発された、対シャドウ決戦兵器であります。現代の軍事技術の最先端であり、長年に渡るシャドウ研究の結晶。機械の身でありながら、人間と同様の精神性をも併せ持ち、世界で最も火力の充実したペルソナ使い。とくに頑強さにおいては定評があり、わたしの名前のもととなったギリシャ神 話---イージスの盾の逸話どおり、まさに不敗、鉄壁、無敵の存在。
そう。無敵のはずでした。
ですが、現在わたしが身を置いている月光館学園、その学生生活において、この優れた兵器としてのスペックはいっかな発揮する場を得られず、ゆかりさんを始めとする性別女性のクラスメイトの方々の口調を借りて言うなら、ちょっとブルー?なんかウツ入ってる?といった感じなのであります。
「······それじゃあ、今日は4日だから······ひの ふのみで、えっとアイギスさんか。このときの “私” の気持ちを要約して言ってちょうだい」
あ、そういえば、いまは授業中なのでありました。鳥海先生がわたしに回答の発言を要求しているであります。先ほどまで思考作業を行なっていたわたしですが、最先端の人型戦術兵器たるわたしの中枢は、並列処理が可能なので質問も聞き逃すことはありません。ありませんが······。
「どうしたの?やっぱ帰国子女には現代文は難しい?そんな深く考えなくていーのよ?」
現在のテキストは、夏目漱石という人物の創作による『こころ』という小説。わたしには、この “こころ” というものに対する理解が、まだまだ足りないようなのです。32秒あまりの沈黙ののち、鳥海先生はわたしに正解への手がかりを与えようというつもりでしょうか、やや演技過剰と認識される様子で話しかけてきます。
「自分が親友Kを差し置いてプロポーズした結果、その友達は何と自殺してしまう······さあ、そんなときアイギスさんなら、どう思う!?」
「わたしなら······友達が自殺してしまったなあと、思うであります」
「······まんまじゃないの。もちょっと捻りなさいよ!捻りなさい!」
「もしや······自殺に見せかけた殺人?」
「なんでよっ!これは漱石なのっ!純文の名作を江戸川乱歩ミステリにしないでっ!」
「動機の面では “お嬢さん” がもっとも疑わしくありますが······現場不在証明を確認する必要が······」
「聞いてよっ!私の話を聞いてっ!!」
いつものように鳥海先生がはじけてしまい、間を置かずに終業のチャイムが鳴りました。これがもし “私” が “お嬢さん” を親友Kから奪うための、要人略取作戦の立案であれば容易なのでありますが······。ペルソナさえ召喚できる精神を持つわたしでも、この “こころ” というものへの理解は、一筋縄ではいかないのであります。
「まあ、オレらは生身の人間だけどさ、それでもなかなか人の気持ちなんてわかんねえもんさ。そこまで悩まなくていいんでないの?」
順平さんの言葉に、わたしの大切なあの方もこくこくとうなずいてくださいました。いまは昼休み、屋上であります。現在、わたしが直面する問題を解決する参考意見を聴取するため、おふたりにご足労願ったのであります。
「しかし······現実問題として、わたしの学園生活には “人間らしさ” は必須のスキルであります。民間人の方々とのコミュニケーションが何らかの原因で阻害されれば、それはすなわち、わたしの任務も阻害されるということであります」
「でもよ、けっこうクラスの連中ともうまくやってるみたいじゃん」
「いえ、いわゆる “ジョシコウセイ” という集団において、わたしはひどく浮いているように思えます。携帯メールによる情報伝達すら、満足に理解できないありさまで······」 「へ?どーゆーこと?」
例えば、とわたしは前置きして携帯を取り出し、先日ゆかりさんから受け取ったメールをおふたりに見せました。そこには「桐条SP に遅くなるって伝えて (^_^)」と書いてあります。
「これが?」
「通常、SPといえば要人の身辺警護を行なう、いわゆるボディガードを指します。ですので、わたしは桐条グループの警備部に、その日のゆかりさんの帰宅が遅くなる旨を伝えました」
「い?そ、そりゃあ······」
「なぜか、変な顔をされたであります」
「だろうな」
「その夜、ゆかりさんからSPとは先輩の略だと聞き、 わたしは大きく落ち込みました。それだけではありません。別のメールで “H/K” という記述があり、それが “話は変わって” の略だと理解するまでに、3日を要しました。もしこれが “H&K” ならば、ドイツの銃器メーカー ヘッケラー&コッホの略だとわかるのですが」
「それこそ一般人にゃわかんねえよ······」
「だいたい、ギャル文字というのも何でありますか。“†ご” で “た” と読ませたり、“(十” で “さ” と読ませたり、1バイトで済む情報量をわざわざ2バイトに増加させるなど、理不尽であります。非効率的であります」
「まあまあまあ。それがジョシコーセーってもんだよ。つか、そんな形にとらわれなくたって、アイちゃん十分人間らし······あ、そーだ」
突然、順平さんが何かを思いついたように立ち上がりました。
「どうなさったのでありますか?」
「とりあえず、そういう相談ならさ、やっぱ本職に教えてもらうのが一番だと思うわけよ」
そう言って、順平さんは嬉しそうに笑顔を見せます。こういう人間らしい笑顔は、人間のジョシコウセイという擬装に必須で、それでいてわたしに足りないもの。こんな笑顔を、私も身につけることができるのでしょうか······?
「という訳で、特別講師の岳羽です」
「じょ、助手の山岸です」
「つかさ、順平。あんた結局さ、アイギスの相談ごとをダシに、自分が遊びたかっただけなんじゃないの?」
状況が理解不能であります。
その後、わたしたちはゆかりさん風花さんと合流し、なぜかポロニアンモールのカラオケマンドラゴラ店内にいるであります。
「ま、ま、ま、細かいことは気にしない!学校帰りに友達とカラオケなんて、女子高生の定番じゃん?やっぱ形から入るのも重要だと思うわけよオレは」
「そうなのでありますか?ジョシコウセイは下校途中にカラオケ······了解であります。あ、ですがそうなると、美鶴さんもお誘いすべきではないでしょうか?」
「き、桐条先輩は一般的女子高生の見本にするには······その、ちょっと違うかな、と」
「······?」
詳細は不明ですが、奥が深いであります。
「よっし、んじゃ早速アイちゃんからな。何歌う?何でもいいぜ」
「歌、でありますか?初めての経験でありますが······奮励努力するであります」
「よっしゃ、頑張れー!」
「想定外の事態でありました」
「ま、まだ頭がクラクラするわよ······」
「私は······鼓膜が破れるかと······」
「ま、まあしゃあねえや、な?」
不幸な事故でありました。わたしが敵おうとマイクのスイッチをオンにした瞬間、すさまじい不協和音が発生したのであります。わたしの駆動機関が発する電磁波とスピーカーとが共鳴を起こす。いわゆるハウリングという現象。それは、音響爆弾もかくやという威力でありました。ドリンクのグラスはすべて破壊され、隣室のカラオケ機器にも影響が出たということであります。
「中枢部の電磁波シールは完璧だったはずでありますが、各関節部の駆動モーターまでは考えが回りませんでした······」
これは、落胆という感情なのでしょうか?やはり兵器であるわたしには、普通のジョシコウセイとしての能力を身につけることは無理なのでしょうか?そんなわたしの思考を断ち切るように、順平さんが相変わらず明るく言います。
「んじゃ、気を取り直して女子校生の定番、その2!プリクラ行ってみようぜ!」
「ぶり······くら······でありますか?」
メモリにない言葉に、わたしは少し警戒心を呼び起こされます。ですが、せっかくの順平さんの立案です。わたしははっきりと肯定しました。
「行ってみる······あります!」
「よっし!んじゃゲームパニックにゴー!」
「で······ぷりくらとは、何でありますか?」
順平さんが盛大に転倒しました。
「これが、ぷりくら······プリント倶楽部でありますか。なるほどなー」
順平さんによると、数人で撮った写真をシール状に加工するための機器ということでありました。これで友人同士で写真を撮り、そのシールを分け合うというのが、ジョシコウセイの基本だとか。その意図はよく理解できませんが、この行動が作戦に必要ならば、わたしは逃げられません。敵前逃亡は銃殺刑でありますから。
「では、行きます」
「よし、ゆかりッチと風花も一緒にな。えっと、背景はコレ······フレームはコレでと······おし、スタートボタン押すぜ」
「ほらアイギス、ポーズとって」
「ポーズ、でありますか?」
「そうそう、笑顔笑顔」
「え、 笑顔······?」
状況を認識する間もなく、バシャというカメラのシャッター音に似た効果音が響き、��ほど時間を置かずに下の受け取���口からシールが排出されました。それを見るや、順平さんが。
「う······ちょ、ちょっと笑顔が堅い、かな?」
「つかさ、笑ってないじゃん」
ゆかりさんの言うとおり、シールになったわたしの表情は、いわゆる無表情というものでした。兵器としてのわたしには、感情に応じて表情を変えるという仕様はありません。
「も、もう一度やってみようぜ?」
「その試みは無駄かと思われます。笑顔や泣き顔を表現できないということは、わたしの仕様ですからしょうがないのであります」
と、わたしのその言葉に、皆さんが一様に顔を見合わせたかと思うと、一斉に爆笑されました。
「何ごとでありますか?」
わたしの疑問に答えることもなく。否、答える余裕がないように、皆さんは笑い続けています。
「な、何ごとって······くっくっく······あ、アイちゃん、さすがあの幾月さんにメンテ受けているだけはあるな。ぶふっ」
「く、苦しい······何よ今のダジャレ。“しようだからしょうがない” って。あははっ」
「幾月さんが言うとアレだけど、アイギスが言うと愛嬌があっていいよね」
「あ······」
理解しました。意図し��ことではありませんが、わたしの発言がいわゆる洒落、似た音の言葉で一連の文章を作る、もじり言葉あるいは掛け言葉といわれるものになっていたようです。少々、困惑してしまいつつも、皆さんが喜んでくださったことは、わたしにとっても喜びであります。
「あれ?できるじゃん、笑顔」
「え?」
突然の順平さんの指摘に、わたしは驚きました。
「笑って、いましたか?」
「うん、私も見たよ」
風花さんも、順平さんに同意します。そうですか、わたしは笑っていましたか。
「そうそう。そこの無愛想な現場リーダーよりも、いい笑顔だったよ」
「······」
ゆかりさんの指摘に、あの方は別にどうでもいい、といった風にそっぽを向きました。そういえば、この方はあまり気持ちを表情には出さない方です。それでも、立派にリーダーとしての役割をこなしていますし、友人の方々ともうまくやっていらっしゃるようです。わたしは、ふと、ひとつのことに思い至り、発言しました。
「わたしは、お役に立てていますか?」
「へ?どうしたんだよ突然」
「わたしは、いわゆるジョシコウセイの方々のように振舞うことができません。カラオケもプリクラもうまくできません。人間の方の、“心” というものが理解できません。それでも、皆さんの仲間として、特別課外活動部所属の一員として、この場所にいてもいいのでしょうか?」
「あ------ったりまえじゃん!!」
順平さんが、大声で答えました。
「何、アイギスそんなこと悩んでたの?」
ゆかりさんも呆れたような口調で言います。それに続いて風花さんも言いました。
「アイギス、不安だったんだね?」
「不安······そう、そうかもしれません」
わたしのなすべきことは、皆さんとともにシャドウを倒すこと。そしてあの方を守ること。ジョシコウセイらしくできないわたしは、その任務に不適格なのではないか、皆さんの期待に応えられていないのではないか?そういう想いが、わたしの処理を不安定にしていたことに、いまようやく自分でも気づいたようでした。
ポロニアンモールからの帰り道、風花さんがわたしのそばに寄ってきて言いました。
「あのね、私思うんだけど、周りの人が自分をどう思ってるかわからなくて不安になる、それって立派に心があるってことじゃないかな?」
「そうなのでしょうか?」
もしそうなら、わたしは嬉しく思います。心を理解できないことで悩んでいたわたしが、理解しがたいことで悩むのが心なのだと、逆説的なことを知って安心しています。
「人の心とは、摩訶不思議でありますね」
「みんな一緒、そう思ってるよ」
みんな一緒······それは何だか嬉しいことであります。わたしはふと、ポケットから携帯を取り出して、そこに貼られた先ほどのプリクラを眺めます。
「おそろいであります」
わたしがそう言ったとき、前を歩いていた順平さんとあの方が、少し驚いた顔をしました。
今度はわたしも自覚していました。こういうときに、人間は笑うのであります。
わたしは人型戦術兵器アイギス。人間の心が理解できずにときどき悩んだりもするけれど、それでも大切にしてくださる人がいる、幸せな对シャドウ決戦兵器なのであります。
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moment-japan · 1 year
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Adrian Frutiger(Font Designer)
視認性抜群なJR京都駅のフォント。
日本語部分はモリサワの新ゴ・ボールド書体。
欧文部分はスイスの超有名フォントデザイナー、アドリアン・フルティガー氏によるフルティガー・ボールド書体。
スイスは世界で最も多くの有名書体デザイナーを輩出している国の一つです。
ちなみに京阪の日本語部分はモリサワの新ゴM、欧文はこちらもJRと同じくフルティガーのボールドとなかなかオシャレ。
近鉄の欧文部分もフルティガーのボールド。神戸市営地下鉄も欧文部分は同じくフルティガーのボールド。
京都市営地下鉄の日本語部分は鎌田経世によるゴシック4550というマニアックさ。
阪急の日本語部分はイワタUD丸ゴシックM、欧文部分は定番のヘルベチカのレギュラー書体、駅番号はUD新ゴ DBという変則表示。 
最後に阪神の日本語部分は、視覚デザイン研究所のロゴG DBですが、欧文部分はフリーフォントのベルダナというところが大阪らしいです。
フルティガーのもう一つの代表作にアベニール書体というのがあるのですが、1990年代後半、未完成だった残りのライト・ウェイトとヘビー・ウェイトを当時、ドイツのライノタイプ社に所属していた日本のフォントデザイナー、小林章と共同で制作してアベニールの全書体を完成させ、アベニール・ネクストとしてリリースしています。
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samantha-dan564 · 1 month
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何が羨ましいかって、これだけ酷い定時運行率でも鉄道運営が回る程度にインフラに余裕があることだよね。名鉄の清水武さんが「側線の数は資産だ」と言ってた記憶があるけどまさにその通りで、日本みたいに線路規格が低く(だって許容軸重20tの路線が国内にいくつある? 製鉄所だけじゃね?)側線もギリギリ、車両数も限界まで絞ってるような、言い方は悪いけど「貧乏軽便鉄道」では、定時運行率90%をキープしないとあっさり破綻するのよ
遅延の基準にしても大陸はとても余裕がある。ドイツは6分以上、スイスでも3分以上が「遅延」となるけど、日本は1分以上が遅延対象。運転士的には30秒で遅延扱いになる。ここまでやらないと鉄道がシステムとしてまともに回らないというのが、日本の鉄道の貧弱な点なんだよね
これまでは装置産業として人的リソースをがっつり注ぎ込んでなんとか回してきたけど、これからは人が少なくなってこれまで見たいなことができなくなる。CBTCとかCBMの概念を導入して何とかしようとしているけど、いかんせん元のインフラが貧弱極まりないからどうにもならん
「日本の鉄道は世界でいちばん正確」というのは凄いことではあるんだけど「なぜそうなったのか」を考えるとあまりいいことじゃないよね、って話
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kennak · 3 months
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沖縄は先島諸島12万人が避難対象ですが、九州方面に一週間となっています。沖縄本島に島外避難計画はありません。ミサイルは車載型移動式で民間地域に展開します。なお自衛隊が使用する空港は国民保護には使えません
[B! 軍事] ドイツが戦時計画発表、ロシアの脅威念頭 地下鉄駅は防空壕に
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hachikenyakaiwai · 3 months
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【かいわいの時】明治三十七年(1904)7月7日:市電に二階付き電車登場、営業許可(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
大阪市電が開業して3月後の明治36年の暮れ近くに完成納入された二階付電車5号車は、余りに珍しい構造であったため、なかなか使用許可が得られず、翌年明治37年7���にようやく営業に出すことができたと伝えられています(略)二階付電車が走ったのは、わずか7年あまりで、明治44年11月には四国愛媛県の松山電気鉄道(後に伊予鉄道に合併)に売却されました。大阪市電の看板電車がなぜこんなにはやく見切りをつけられたかのかは謎につつまれています(『保存車両ガイドブック(緑木編)』2010より)。
同書では、「一時は夜間に投光器をつけて夜景を楽しんでもらうサービスをしたところ、風紀上よろしくないと警察方面からクレームがついた」というエピソードも披露されています。また、産経WEST「絵ハガキ時空散歩」では、「こののっぽの電車は明治37(1904)年に導入され、乗客には眺望の良さで好評だったという。ところが、この眺めの良さが仇となった。沿線住民から「家の中をのぞかれる」という苦情が出たため、短期間で廃止」とあります。調べてみると、電気車研究会『鉄道ピクトリアル 478』(1987)の「高松吉太郎 カメラと機関車を胸に抱いて(4)」が初出だと思われます[註]。『大阪市電-路面電車66年の記録』(1980)には言及がありません。
全車両売却されたのは事実ですが、それはヘルブランド台車を採用した初期10両(うち3両が2階付)すべてであって、2階付電車に限ってのことではなかったようです。この台車は、貿易商がドイツから輸入し京浜電気鉄道に預けてあったものの内、10台を大阪市が譲り受けたもので、第5回内国勧業博覧会の開催に間に合わせようと、最も早く手に入る台車を選んだことが採用理由であったと伝わっています。大阪市電としての活躍期間は短く、明治44年(1911)から大正3年(1914)にかけて全車両が売却されています。
明治44年には、乗客の急増に対応するため、台車2基を備えたボギー車*75両の導入を決めており、どうやら、輸送力増強のためのモデルチェンジが売却理由だったようです。しかし、売却車両と同型の単車(台車1基)30両も新たに導入されており、また、件のヘルブランド台車がその後20年以上も使用され続けたことを考えると、わずか7年で御役御免とはいかにも早すぎます。新車両の選定に絡んだ大人の「諸事情」があったのかも知れません。 *ボギー台車を装備した車両をボギー車と呼ぶ。ボギー台車とは、車体に対して水平方向に回転可能な装置をもつ台車の総称である(ウィキペディア)。
[註]大阪市電が創業時の築港線に2階建電車を走らせたことは有名な話である。市の中心部に路線を延長する段階でこのダブルデッカーの増備はとりやめとなった。まちなかではこの2階から市民の生活がまる見えになるという、今でいえばプライバシーの侵害といった苦情が原因らしい。「高松吉太郎 カメラと機関車を胸に抱いて(4)」『鉄道ピクトリアル 478』1987より。
(写真)「(大阪名勝)築港の電車」1906_12
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honyakusho · 4 months
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2024年5月20日に発売予定の翻訳書
5月20日(月)には22点の翻訳書が発売予定です。
ウェルギリウスの死 上
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ヘルマン・ブロッホ/著 川村二郎/訳
あいんしゅりっと
ウェルギリウスの死 下
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ヘルマン・ブロッホ/著 川村二郎/訳
あいんしゅりっと
失われた創造力へ
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多木陽介/編訳著
どく社
南光
朱和之/著 中村加代子/翻訳
春秋社
ナチス逃亡者たち : 世界に潜伏、暗躍したスパイ・武器商人
ダニ・オルバフ/著 山岡由美/翻訳
朝日新聞出版
ロールズ 哲学史講義 上 新装版
ジョン・ロールズ/著 バーバラ・ハーマン/編集 坂部恵/監修・翻訳 久保田顕二/翻訳 下野正俊/翻訳 山根雄一郎/翻訳
みすず書房
ロールズ 哲学史講義 下 新装版
ジョン・ロールズ/著 バーバラ・ハーマン/編集 坂部恵/監修・翻訳 久保田顕二/翻訳 下野正俊/翻訳 山根雄一郎/翻訳
みすず書房
ルドン 私自身に 新装版
オディロン・ルドン/著 池辺一郎/翻訳
みすず書房
バレンボイム/サイード 音楽と社会 新装版
ダニエル・バレンボイム/著 エドワード・W・サイード/著 アラ・グゼリミアン/編集 中野真紀子/翻訳
みすず書房
ヒトラーを支持したドイツ国民 新装版
ロバート・ジェラテリー/著 根岸隆夫/翻訳
みすず書房
きょうりゅうレントゲンびょういん
キョン・ヘウォン/著 真鍋真/監修 こまつようこ/翻訳
パイ インターナショナル
日本短歌行 : 〈小倉百人一首〉中文全訳
安四洋/翻訳
星雲社
しずかなところはどこにある?
レーッタ・ニエメラ/著 島塚絵里/翻訳
岩波書店
マンガで読む 資本とイデオロギー
クレール・アレ/著 バンジャマン・アダム/著 トマ・ピケティ/企画・原案 広野和美/翻訳
みすず書房
ネイションという神話 : ヨーロッパ諸国家の中世的起源
パトリック・J・ギアリ/著 鈴木道也/翻訳 小川知幸/翻訳 長谷川宜之/翻訳
白水社
パンセ
ブレーズ・パスカル/著 由木康/翻訳
白水社
ワインレッドの追跡者 : ロンドン謎解き結婚相談所
アリスン・モントクレア/著 山田久美子/翻訳
東京創元社
伝説とカフェラテ : 傭兵、珈琲店を開く
トラヴィス・バルドリー/著 原島文世/翻訳
東京創元社
ふつうのことばたち : わたしたちの心をつなぐ
キム・イナ/著 たなともこ/翻訳
イースト・プレス
流浪の英雄たち シャフタール・ドネツクはサッカーをやめない
アンディ・ブラッセル/著 高野鉄平/翻訳
カンゼン
カルロ・スカルパの日本
J.K.マウロ・ピエルコンティ/著 三浦���子/翻訳
鹿島出版会
建築という芸術 評伝フランク・ゲ-リー
ポール・ゴールドバーガー/著 坂本和子/翻訳
鹿島出版会
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reportsofawartime · 5 months
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1941年にナチスがソ連に侵攻したとき、何千人ものウクライナ民族主義者がドイツ国防軍に加わろうと殺到し、同時にリヴィウやカウナスなどの町ではユダヤ人に対する暴動が勃発した。何百人もの人々がウクライナ民族主義者によって鉄棒で殴り殺され、一方ドイツのナチスはあらゆることを撮影し、写真に撮り、文書化した。
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ichinichi-okure · 7 months
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2024.2.13tue_tokyo
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7:00起床 昨夜、明日は永田町と下北沢のダブルヘッダーだから早く眠ろうと思っていたけれど、なかなか寝付けず。いろんなことを考えていた。だけど起きて青空見たら寝不足も気にならない。心情とは面白いね。
政治、とりわけ東京のことを考えるようになったのは住み始めた23年前の2001年頃。思えばさらには2011年東北大震災がきっかけだったように思う。福岡、佐賀時代は自分のことばかり見て、ちっとも想像が外に及ぶことはなかった。まったく褒められない酷い時代。
2019年の終わり、パンデミックが始まって「痛い、なぜこんなに痛いんだ?こんな状態だったんだ。いつからだったんだよ。」とダイレクトに心に生まれた痛さにようやく気付き世の中を見始める。とっくに人生はそうとう進んでいたね。酷い私の時代はずっと続いてたよ。
起きるコロナ禍が始まる頃、世界のこと、日本のこと、気候変動から始まる「全てのイシューは地続き」をつくづく実感した。その後興味を持って行き始めたスタンディング、マーチ、ダイイン、対話集会、プロテストレイヴと、その中にある様々な言葉を拾い探す努力をし始める。そして今日、たまたま二つの集会スピーチ、コールとそれに対話ライブとが重なり2つの梯子する日になった。
15:00 毎日お昼ご飯の代わりのおやつをしているからそんな毎日のルーティンは普通にして行きたいとお昼3時頃、コーヒーを入れおやつを仕込んだ。この頃くらいから朝に少し興奮した気持ちも随分落ち着いていたね。おやつとコーヒーは大事。
その後、カメラと荷物を抱え出かける。少し早く出たから散歩代わりに「LOST AND FOUND Tokyo」へ歯磨き粉を買いに歩く。おかげでよりカームダウンした気がする。いつも思っていることはなるべく熱狂しないということ。だいたいそれで失敗するし、必ずそんなことでくよくよする。
18:30 地下鉄に乗り国会議事堂前で降りる。久しぶりの国会議事堂は怪しく光っていた。いや、たぶん申し分無く思っていたら『今日の国会議事堂は穏やかな光を放っていたな』になったのかな?いくつかの集まりのコールと僧侶の人が立ち奏でる読経聞いた。様々な人の心が国会議事堂をつつむ。
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すでに始まっている国会議事堂前行動、近づくにつれ遠くてもよく通るチャント、コールが聞こえ出す。到着したと同時に小原隆治さんのスピーチがはじまりその一節の「正義を語る事を、止めよう。Let's talk about injustice.。I will not be silenced by injustice. 」が深く心に残り、しかも小原さんの歌うようなチャントに『すべてはリズムなのだ』ね。
21:00 時計を見ると21:00。まだスピーチの方は続くんだけれど、ダブルヘッダー二つ目、下北LIVE HAUSで開催されている「9Party」へ急いで向かった。入るとすぐにsakumagのメンバーでグラフィックデザイナー、ラッパーのnatsumeさんがいた。「しいねはるかさん」がライブ中。私たちも「9Party」に出演した時にご一緒したシンガー。音はもちろんのこと、しいねさんの言葉はいつも心に残る。あんな風に話せる人になりたいと毎回思うよ。その後、浅沼優子さん、佐久間裕美子さんがドイツとアメリカからリモートで対話に参加された。LIVE HAUSのスガナミさんが司会進行。思えばこんなに重要なお話で、遠くにあって間近に聞ける環境を作るスガナミさんのアクティビティーが本当に素晴らしい。とはいえ、あっという間の90分余り。もっとお二人のそしてみんなの話も聞きたかったな。
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今世界中に起きる、イシュー、クライシスを少しの時間だったけれど分かち合えたと思える時間だったよ。そして内容もさることながら、とにかく全てが優しいのだ。みんなが、その漂う全てが優しい。浅沼さん、佐久間さんのお話、エントランスに並ぶsakumagの本や地下BOOKS、バックパックブックス、ふるさとの店の本、しいねさんの歌、sakumagクルーのセレクトする音、そしてお好み焼きがくちゃん、チャーベさんが焼くお好み焼き。実際、ライブ中も対話中もずっと『ジュージュー』と素晴らしく優しいSEがフロアーに降り注いでいたね。
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23:30 家路に辿り着きふと歩数を見ると1万5千歩の文字。寝不足だし今日はあっという間に眠るなと思うも、1日の出来事を反芻するよにまた朝からを思い出していた。この日記みたいに。ただ私がこうやって日記を書いている「今」も世界はジェノサイドをタイムラインで見ている。そのことに憤りまた眠れぬ夜になってしまいそうだけど、私がいくら眠れなくなったとて辛くなったとて何も変わらない。だからこれからもアクティビティ続けようと確認した2月9日。
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明日の朝起きたら「全ては夢」だったってならないのかな?それではおやすみなさい。
チャーベさんの広島風お好み焼き美味しかったなー。
26:00就寝(たぶん)
-プロフィール- ムトウサツキ Small Circle of Friends & STUDIO75. @scof75
ムトウサツキとアズマリキの2人組。1993年、イギリスの人気DJジャイルス・ピーターソン主宰、United future organizationのレーベル”Brownswood”よりデビュー。以来17枚のフル・アルバムをリリース。2005年にはインストゥルメンタルに特化したサイド・プロジェクト「STUDIO75」をスタートアーティストのトータルプロデュースからbeat製作も多数。最新は、BASI、maco marets、kojikojiなど。Small Circle of Friends最新は12th AL” cell ”とセルフミックス “Another cell”。サツキはリユーステーラー「75Clothes」展開。2024年はSmall Circle of Friendsの30周年イヤー。13枚目のアルバムリリース予定です。音楽と服で毎日を暮らしています。
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ari0921 · 5 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月15日(月曜日)
     通巻第8216号
  ドイツの左翼政権、またまた「こころがわり」?
    親中派閣僚と企業トップを引き連れ、ショルツ首相が北京詣
*************************
 この「綱渡り」はうまく行くか。途中で転落するか?
 4月14日ショルツ独首相一行が中国を訪問した。大型使節団で、経済界からはBMWのオリバー・ツィプセ社長、メルセデス・ベンツグループのオラ・ケレニウス社長、鉄鋼大手CEOらが同行した。
閣僚も三人の親中派大臣が同行している。ウィッシング運輸相らで、とくにウィッシングは、5G通信網のインフラ構築で、中国の華為技術(ファーウェイ)製の機器の利用を制限しようとする動きに反対し続けてきた。
ショルツ首相の訪中は2022年11月以来。ドイツ政府が中国と距離を置き始める外交に転換してから初めての訪問である。
 ショルツ政権の対中強硬路線は、連立政党との兼ね合いである。
緑の党などを連立に抱えており、一方で、社会民主党(SPD)や自由民主党(FDP)は中国に融和的な姿勢を取る。
ドイツ訪中団は最初に重慶市を訪れた。水素自動車を開発するドイツ企業の生産拠点を視察、15日には上海市へ移動し、ドイツ系企業視察などをこなす。
そして4月16日は習主席との首脳会談を行い、李強首相らと独中経済諮問委員会を開催する予定。
 ドイツはメルケルの時代にべったりと中国に寄り添い、自動車などの生産拠点を構えた。ところが昨今のEVブームで、中国勢が急伸したこと、まだドイツ銀行のスキャンダルがたたって金融支援が円滑化していないことなど、協議するべきは多々ある。
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warehouse-fujiki · 8 months
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GREENEBAUM BROTHERS
2024 年、ウエアハウス秘蔵のアーカイブがついにベールをぬいだ。1874 年にパテントが登録されたグリーンバウムブラザーズである。
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パテント取得から 150 年という極めて古いこのブランドは、 ワークウエアの黎明期に西海岸にあったその他のブランドとは一線を画している。デニム生地から縫製の仕様、ディテールまで、リーバイスの「5ポケット」とは似て非なるものであるのだ。
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 その理由を知るためにはグリーンバウムブラザーズのプロフィールを知る必要がある。
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1848 年、ドイツでは革命が鎮圧され、行き場を失った自由主義的な 人たちの一部がアメリカに移住した。彼らのようなドイツ系移民を 1848 年革命にひっかけて「48ers」 (フォーティ・エイターズ)と呼ぶが、 彼らはもともとドイツ人入植者の多 かった地域に多くが移住し、やがてそれぞれの都市の中流住民になった。このような激動の時代に、ドイツ移民のユダヤ人であるグリーンバウム一家も「約束の地」を目指したのである。
 ドイツのミュンヒヴァイラー(当時はカイザースラウテルン)に住んでいたグリーンバウム一家は、まずミシシッピ、フィラデルフィアを経てシカゴに行き、乾物や衣料品、靴 作りに携わった。シカゴの荒涼とした開拓時代に短期間滞在した後、末っ子のハンナとサラの 2 人の女 の子はフィラデルフィアで、一家の友人であったマーカスとベラ・カウフマン夫妻のもとで育てられることになった。 
そして 1949 年。西部での金鉱発見に端を発した熱狂は、グリーンバウム兄弟を奮い立たせ、一攫千金を求める数千人の仲間入りをさせたが、彼らは慎重に「商人」としてのキャリアを続けることを決意した。兄弟のうち、ハーマン・グリーンバウムはサンノゼで商店を開けたのち、サクラメントへ。彼と彼の兄弟モーゼス、ジェイコブ、アブラハムはサクラメントで企業家として成功した。サクラメントの名簿には 「国内衣料品の輸入・販売業者」として登録されているが、これが「GREENEBAUM BOROTHERS」である。
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数年間、グリーンバウムの兄弟のビジネスはサクラメントで順当に推移したが、妹のサラはルイス・スロスの花嫁として 1855 年にサクラメントに到着し、ハンナはルイス・ガースルと結婚して 1858 年に到着した。グリーンバウムにとって義理の弟となる「スロースとガースル」は、のちにアラスカ商業会社を設立し大成功を遂げる。 
そして、ハーマン、ジェイコブ、モーゼスのグリーンバウム兄弟は サンフランシスコとニューヨークに移り住み、乾物、衣料品、男性用家具、後には毛布やタオルなどを中心に事業を拡張している。 
生地や素材は輸入したものを東海岸につけ、そこで縫製されたものがサクラメントに届けられ、流通させたと考えられる。 
1868 年、ロシアからアラスカが割譲されると、すぐにスロスとガースルら は Alaska Commercial Company (アラスカ商業会社)を設立した。 そして 1870 年にはアザラシを捕獲する 20 年間の租借権を獲得した。 
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アラスカ商業会社は、アラスカの田舎の人々に食品や雑貨を提供した最初の「小 売店」であり、長い伝統を 150 年にわたり培っている。1868 年から 特に 1900 年 代初頭のアラスカのゴールドラッシュの時代には、わな猟師、探検家、金の探求 者に食料品や衣料雑貨を提供した。グリーンバウムブラザーズにとって義理の兄 弟となるルイスとスロースの「アラスカ商業会社」には、彼らの多くの衣料が卸売 されていたことが想像できる。 
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リベットの特許が取得されたのは 1873 年、その一年後に、グリーンバウム兄弟は奇想天外なアイデアで 労動着のストレスがかかる箇所を「外装」した。「サージ·ド·ニーム」のようなヨーロッパから来る資材を入手 し、東海岸でそれを縫い上げ、船と鉄道を駆使してサンフランシスコまで届けた。 それ故に、当時西海岸に存在したライバルメーカーとは、デニムから縫製に至るまでが全く違うのだ。 
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特徴のひとつは、コインポケットが付いていないこと。1880 年 11 月 13 日に配布されたウェストバージニア州の新聞「ニュードミニオン紙」には「Leather Bounded Overall 」(革で外装されたオーバーオール)という記載がある。 既に東海岸でも紳士用品店にこのメーカ ーのパンツの広告が見られるのだ。
北は アラスカ、そして東海岸へと、早くから販売網を広げることができたグリーネバウムブラザーズのワークウエア。 
奇跡的にそろったシャツ、ブラウス、ウエストオーバーオールが、長い時を経てウエアハウスの手で蘇る。
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renachtara0313-blog · 9 months
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2024年の抱負(やりたいこと)
既に新年始まって9日なので今更感はある。…が、ネットで文字を書いて形に残すと自分に言い聞かせる効果があると実感している。だからまとめることにした。
転職活動は続ける。後1社くらいは内定取ってみたい。蹴るかもしれないけど。
→自分の人生で勝つ経験が欲しい。社内政治のプロになることは自分の満足とはズレている。現職という狭い箱の中で認められること、それで自分は満足か?と自問自答してしまう。30代は挑戦ができる最初の機会だし、もしかすると最後の機会かもしれない。その機会を何もやらずにドブに捨てたりせず、「私、ちゃんと生きていたな」と振り返って納得できるような経験をしたい。だから、転職活動を続けることにした。既に書類選考で1社落ちているので、このままでは終われないといった気持ちが大きい事もあるけど。1−3月にやって、ここまでで決着つかなければ現職の都合上、次にトライできるのは8月中旬からだ。向こう3ヶ月一旦頑張って、後は3ヶ月の状況を振り返った上で決めたい。
真面目に勉強する。候補は簿記、プログラミング、ドイツ語と中国語。
→現職で成果出せていることを言い訳に、ダラダラと7年(今年で8年)会社で過ごし続けていた気がする。成果が出ているように見えても、後輩���つかずマネジメント経験はないし、部署異動すら経験していないので実務経験が本当に広がったのかと言えば謎だった。書類選考で落ちた会社は会計や経理関連の経歴/スペックが欲しかったらしい。
なので、いい加減簿記の勉強を真面目に続けようと思う。会社で経験できなければ、自分でさっさと身に着けなければ。
加えて、プログラミングは自分の興味分野だが、興味で終わるばかりでは意味がない。自分も会社で必要な簡単そうな効率化システムとか内製化/デザインできるようにならないと、他人と差がつかない気がする。調べたところ、Paizaなどお手軽にプログラミングの学習素材を提供しているページをいくつか確認できた。何でもいいから手を付けようと思う。自分の現職と関わりが深いものはHTML/CSS(ホームページ担当、大体業者に委託しているが)、うまく活かせば製造現場に役に立ちそうなものはPython、一番とっつきやすいのはJavaらしいと聞いている。この辺りを少しずつ触っていこうかと思う。
最後に語学。ドイツ語は高校で専攻だったけど高校時代はうつ状態?ともかくメンタル不良との戦いだったので、断片的くらいにしか残っていないと思う。その不完全さを、成人になった今だとしても、一生かけて埋めていかないとなと思う。(そうでもしないと、昔の自分の日々がトラウマとして延々と襲いかかってくる気がする)一方で中国語、特に台湾華語を学びたい気持ちが強い。台湾に詳しい人の話を聞くと、他の国以上に治安・国内の人々の性格面で住みやすい環境であるらしい。台湾の人と社会的に関わっていける力を持てば、生きる場所といった選択肢を広げられるのではと思う。ドイツ語に比べて単純に学べる機会は幅広いと思うので、ここは自分に頑張って鞭を打ちたいところ。
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(台湾観光をまともにできなかったという悔しさもある(家族全員体調崩し+思った以上に英語も日本語も通じない+乗り継ぎ待機時間が非常に微妙だった+夏は厳しい、逆に年末年始休暇の際は台湾一周が候補になる可能性あり)。中国語学習のモチベを復活させるには、このことを思い出さんとな。)
見出しに書いていなかったが、そろそろ運転免許も真摯に取得を考えないと親がキツそうである。後は、公共交通機関インフラが脆弱(申し訳ない言い方だが)な地域に住んでいる友達には、自分が車を運転して会いに行けるといいな、という将来の野望もあるので…。
趣味を増やす
→流石に「上手に生きること」を考えると、やはりアニメとゲーム好きのままでは趣味活動が厳しい。アニメとゲームを消費するための脳は、上手く生きることに繋がってこない。自分でも悲しいし心にぽっかりと穴が空いた気持ちになるが、ポケモンと刀剣乱舞も満足に追えないかもしれない。どちらも日本各地に根ざした取り組みが活発なので、旅行のついでに追いかけることは引き続き問題ない。が、今後ゲームをどれだけ消化できるかは不透明だ。刀剣乱舞はちょうど良く昨年に一番好きな刀剣男士がレベルMAXになっている。ポケモンだけが悲しいことになってしまった…がしょうがないんだ…。
旅行はお金も時間も飛んでいくが、両親も私も好きだし他の人との雑談のネタになるので何やかんや続けていくだろう。それ以外に何をするかだ。いろんな本を読むという読書趣味はあるが、それ以外にも欲しい。料理は必須になった時に、ライフであり趣味と同化してきそうな気がする。(既に最近、声優の木村良平さんの料理放送や、ゆるキャン△の外飯レシピをじっくり見てはいるが…)なので他のもので探してみた。
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(京都 東寺の川を泳ぐ野鳥)
野鳥観察。観るだけなら旅行しながらでもできるか。というか名古屋市だと、たくさんの鳥を見るためには港付近の小さな干潟公園に行くしかないような…これまでに撮ったことのある鳥さんをスケッチで描き起こしてみることも、一興ではあるかと思う。
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(相当どうでもいいが、最近は地図を自分で手描きすることが何となく楽しかったりする)
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(静岡 島田のふじのくに茶の都ミュージアム)
茶道。持ち家ではないし、そもそもの人脈上誰かを誘うこともないか…。教室に行ってじっくり学ぶ必要があり、お茶会を開けそうな環境(小道具や服装含め)がないとキツそう。ただし、茶道の知識があると、江戸時代の大名さんが持っていた茶道具の価値や、博物館の展示物コレクションへの理解が深まる。教養として学ぶことに意義があると感じた。
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(埼玉 鉄道博物館で眺めた新幹線「とき」)
東京に何度か行き来すると、鉄道/電車に愛着が湧く。しかし、鉄道も動かす仕組みや歴史を学ぶこと以外だと、基本乗り鉄マニアとして旅行の延長線になりそう。いつか青春18切符で名古屋からできる範囲で効果的に旅をする、といった目標なら考えられるか。
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(埼玉 大宮盆栽美術館。木の幹が龍の形に整えられた、最も私の印象に残った五葉松)
盆栽はとても良い趣味だとフィーリングで思ったが、調べてみた結果、植物を育てることも愛玩動物の世話をすることと同じレベルの手間や丁寧さ、こまめさが必要と分かってしまった。関心事が変わりやすかったり、ふらふら遠出したくなる自分には向かなそうである。ただ、茶道と同じく、知識を身につけることで見れるものが多くなると感じた。何気なさそうな造形から、手入れした人のイメージした世界観や風景を想像する楽しみがある点は、日本刀の観賞に似ている気がする。後植物に愛着が湧く。
ま、まああまり変わらないな。ドローン操縦も気になるが、ライセンスも必要になりそうだし、関係法令をきちんと学ぶハードルもある。何よりどんな教室に通えば学べるのだろう…。
最後の候補は藤井聡太さんで話題になっている、将棋を覚えてみるか....(?!)。
旅行経験や何かしら思い出のある県に関する、話題をまとめたブログ記事(※Wordpress)を書く
→日本国内だと47都道府県の話になるが、実際は日本以外の国も含めて記事化することを想定している。
きっかけは、スマホの旅行写真をなかなか破棄できずに困っていること。また、外付けHDDを既に所持しているは良いものの、HDDにバックアップしたところできっとその存在を忘れるだろうと思っているから。忘れないようにするためには、自分が作ったネットの媒体に写真とテキストを残すことが一番かと思う。手間もあっての記憶だろうか。加えて、プログラミングは自分で触って形にしないと身につかないだろう。HTML/CSS知識習得の手段としても、Wordpressは何とか記事作成と運営を続けるべきだ。地域の思い出に関するネタなら、無難な話を書くことができるだろう。読書感想文を投稿しても良いだろうけど。
ぐだぐだ述べてしまった。これ以外にも増えるし変更するかもしれない。いずれにせよ、自分を出し惜しみせず、後悔のない1年を過ごせるようにしよう。
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nemosynth · 2 years
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Season 2, episode 4 - PPG/waldorf
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「世界三大発明」
左から、盆栽、ハンバーガー、そして2Uラックマウント型音源モジュール。その音源モジュールの色は当時めずらしかったネイビーブルー、真ん中近くにモノアイの如き大きく丸く赤いダイアル、その下に長円形の赤いボタンが、しかも斜めにあしらってあって「O.K.」と書いてある。 「おっけーボタン!」 シンセ界のガッツ石松と見まごうそのセンス。それはコアでヲタな音源モジュールに似つかわしくない不思議にポップなセンス。のちにシンセ・デザイナーの神となった若きAxel Hartmann駆け出しのころの作とは誰も気づくまい。
これは当時の雑誌宣伝広告、そのコピーをNemo版超々訳すると「世界三大発明」。 広告の主旨は、当時の先進工業国3ヶ国がおのおのみずから誇る文化的な発明品を出展しているという風情。
そう、最も右にあった音源モジュールとは何を隠そうWaldorf社のデビュー作、microWave初号機。
時に1989年、KORG M1が出た翌年、奇跡の大ヒットで息を吹き返したKORGはT1, T2, T3という巨大PCMワークステーションシンセ三連星を繰り出し、YAMAHAはDXシリーズの次をめざしてV80FDもといSY77でもって仕切り直し、RolandはDシリーズの末っ子D-5をプリプリの今野登茂子ちゃんのマスコット・キーボード的に新発売しLA音源シンセD-50, D-20, D-10, D-5, D-550, D-110鉄板ラインナップ完成、KAWAIなんてK1 IIのみならず中堅かつ16bit PCMシンセの名機K4ローンチ! 怒涛のPCMサウンドに全世界が押し流されていたそのとき、底抜けにあさっての方向を向いた削ぎ落としの音源モジュール、リアルな音なんて出るはずもなく、ファンシーな内蔵エフェクトにも目もくれず、すでに32音ポリまで具現化していた時代に渋い8音ポリ、廃業したPPGから受け継いだ独創的なウェーヴテーブル音源だけを搭載し、あとはなん〜にもないただの箱。 それこそが技術大国ドイツが誇る切れ味さわやかゾーリンゲンの如き鋭利な音ばっかする尖ったシンセmicroWave。電子レンジにかこつけたその名こそは、だが、いくたびの谷を乗り越えて何度でも不死鳥のように蘇りつづけるメーカーの誉れWaveシリーズ末裔たるあかし。
今回はその創世と輪廻転生を見ていきたい。
♬    ♬    ♬
「選ばれし者」
ヴォルフガング・パーム(Wolfgang Palm)。1950年、当時の西ドイツ北部の港街ハンブルグ生まれ、今なお同市に在住。 ビートルズやストーンズ大好き電子工作少年ヴォルフガング坊やは、ギターを自前でこしらえた挙句、父にファルフィッサのトランジスターオルガンを買ってもらう。だがどうにもその音色が気に入らない。憧れのハモンドみたいな音がどうしても出ない! 思いをつのらせた彼はバンド仲間が勤める楽器屋でつぶさにハモンドを検証、そのトーンホイールから出る音がサイン波なのに対し彼のオルガンの音はもっとブライトな鋸歯状波みたいな音であると見抜いた。なるほど! 早速彼は一種のローパスフィルターみたいな回路をつくりあげ、それを自分のオルガンにくっつけた。
ここですでにヴォルフガング君が尋常ならざる非凡ぶりを発揮するに、そのトランジスターオルガンに搭載されし70基もの鋸歯状波オシレーター1個ずつに対し、フィルター回路も1個1個つくってくっつけたのである。計70個にもおおよぶ自作フィルター回路がおのおの音を丸めてくれたおかげで、それなりに彼は満足したらしい。
ドイツ人が時として自嘲気味に言うドイツ完璧主義:ドイッチェ・パーフェクツィオーン。 ドイツの技術は世界一ィィィィーーーーー! 天才とは恐ろしいもので早くもここに将来彼がこだわりまくって会社をつぶすことになる片鱗がうかがえてしまうのだ。すでにフォースが強かった少年にとって運命の邂逅とはシンセではなく、彼にしてみればツッコミどころ満載だったファルフィッサのトランジスターオルガンなのであった。それに自作のフィルター回路を70個もくっつけてしまった運命の少年ヴォルフガングは、オルガンをSFポッドレースの車両のようにチューニングし、壮大なサウンド・キャニオンの中を疑似正弦波駆動エンジンにてかっ飛ばそうとしていたのかもしれない。
1960年代に入って物理学を学んでいるとき、moogシンセを知りELPも聞いたヴォルフガング・パーム。斬新でつややかな音色もさることながら、とりわけ彼を魅了したのはポルタメント。すなわちオルガンを始めとする既存の楽器ではなかなかありえないねちっこくも滑らかに自由なピッチ。
シンセは自由! クロマティックに微分化されえないめくるめく自由なピッチ!
こういう音がバンドにもほしい! また思いをつのらせた彼は、自分のオルガンから演奏できるシンプルなモノフォニックVCOを制作。すなわちpitch to CV変換器を内蔵することで、オルガンを弾けばVCOが鳴るシカケ。それもmoog式Oct/Vではなく、作りやすさとピッチの安定性からHz/Vで制作。このピッチ安定性へのこだわりが、のちに彼をして時代に先駆けデジタルへ傾倒させる伏線となる。ポルタメントにしてもピッチが安定するからこそ意味がある。いや、ここでも正確無比なドイッチェ・パーフェクツィオーン!
1974年、minimoogを手本につくってみた小さなシンセDer Kleine(デア・クライネ、ドイツ語で「ザ・ちび」という意味)。2基VCO、1基VCF、1基VCAという仕様。それを3台制作。 次に作ったCompact Synthesizerなる機種は、なんとminimoogを凌駕するアドバンテージとしてパッチケーブルを「内蔵」。すなわち掃除機の電源コードよろしく使わないときは本体内部にしゅるしゅる内蔵、使う時にびよ〜んとひっぱってパッチング。さしずめスプリング式リトラクタブル・パッチケーブル・システム! 新開発エルゴノミック・準モジュラーシンセ! おまけにフロントパネルの文字が光るというヤンキーまがいの自照式! 暗いステージやスタジオにもいいね!
翌1975年、PPGことPalm Products GmbH社またの名をPalm Products Germany社とも言うちっちゃい工房を設立したヴォルフガング・パーム。タンジェリン・ドリームのメンバーたちとも懇意になり、モジュラーシンセを初めどんどん大型機種を開発。クラウス・シュルツェやジャン=ミシェル・ジャールなどイケメン・シンセ貴公子たちもお買い上げ。特にタンジェリン・ドリームのエドガー・フローゼに言われるままにモジュレーションホイールが8基もあるヤマタノオロチみたいな怪物キーボード・コントローラーを制作。これはもう8つのパラメーターを同時にあやつるヤマタのハイドラ! あのよくタンジェリンの写真で見る特注キーボードはヴォルフガング・パームの手になるものなのですよ。
そんな彼は、しかしアナログシンセのピッチがどうがんばっても安定しないため、ついにデジタル・オシレーターを開発。 それは誰よりも早く1976年にデジアナハイブリッド・モノシンセPPG 1020となって結実。デジタルだから波形も自由。音源波形6つ。 DCOどころではない。DCOとはピッチだけをデジタル制御したアナログオシレーターであり、その波形生成はアナログ回路で行っている。だがそんなものすっとばして一気にピュアなデジタルオシレーターを搭載せしめたシンセ爆誕。当時まだマイコンだなんだというのは彼の界隈には存在せず、やたら苦労して回りくどくつくったのだという。だがテクノロジーが未熟だろうが彼は言い訳しない、着想した夢は必ず具現化せずにはおれない気骨の人、それがヴォルフガングなのだ。
デジタルオシレーターに続き、翌1977年にはデジタル音色メモリーを実現。かくしてフルアナログ・モノシンセに音色メモリーをカップリングさせた世界初フルプログラマブルシンセPPG 1003 Sonic Carrierまで開発。 レゾナンス8ステップ、カットオフ64ステップにするという量子化への苦労があったものの、全パラメーターを記憶できる50音色メモリーを搭載。Prophet-5よりも早く、OB-1よりも早く、デイヴ・スミスよりも早く、デイヴ・ロッサムより早く、トム・オーバーハイムよりも早い、まぎれもなく史上初のフル・プログラマブルシンセの誕生を人類は目撃!したはずなのだが、15台ほどハンドメイドしただけなので目撃した人類といえば作った本人の他は、クラウス・シュルツェ、エドガー・フローゼ、あとほんの若干名だけ。それでもタンジェリン・ドリームの面々に納品した個体は、鍵盤をはずしてPPGモジュラーシンセの中に組み込み可能など、相変わらず独創性の強いキャラが光る。しかもパラメーターを数値化したおかげでノブもなにも無い、のっぺりひらべったい顔した数値入力シンセ、え、それってつまりDX7やPoly-61が躍り出る5、6年前にすでにのっぺりシンセ! なんかそれってもはや人類初のジェット戦闘機メッサーシュミットMe262みたいなもんですか!? ちなみに機種名「1003 Sonic Carrier」にあるキャリアというのは、もちキャリア波、変調における搬送波に由来。
とどまらないデジタル快進撃。 デジタルオシレーター、 デジタル音色メモリーに続く3つめは デジタルシーケンサーPPG 350 Computer Sequencer。これを開発。
ところがフランクフルト・ムジークメッセのデモで電圧が足りずシーケンスデータ吹っ飛ぶ。Roland MC-8が出たのと同年であり、やはり同じ問題にぶちあたっているところは「テクノは忍耐」と松武秀樹をして言わしめた初ものデジタル・シーケンサーならでは。 だが、それでもなおヴォルフガング・パームがぶっちぎっているのは、このシーケンサーに4オクターヴ49鍵のキーボードを装着し鍵盤入力も可能としたことで、つまりすでに擬似ワークステーションシンセ状態であったこと。またRolandはインテル8080を使ったが、PPGはモトローラ 6800 を中核に据えた点でも興味深い。
・デジタルオシレーター ・デジタル音色メモリー ・デジタルシーケンサー
こんだけ一気に立て板に水のごとくデジタル三羽ガラスを作った彼は、1977年にしてすでに誰よりも先に今日的デジタル・ドメインで音色や音楽をつくることに着手していたわけ。DAWなんて二十年くらいあとの話なのに。
だが、デジタルまっしぐらの彼を待ち受けていたのは、その足元をすくうやつらであった。 すなわちKORG MS-10 / MS-20など日本製の安価なアナログシンセが人気を博し、高価格帯にとどまるデジタルPPGのビジネスは窮地におちいった。 そうこうしてるうちに、その高価格帯ではOberheim 4Voice / 8Voice、Sequential Circuits prophet-5などアナログ音源ながらに革新的なシンセという競合が出てきてますます厳しい。誰でもCPUとSSM音源ICとデジタルスキャニングキーボードとを手に入れることができる今、スキルとカネさえあれば参入障壁はかつてなく低くなったのだ。 ヴォルフガング・パームは、すみやかに次の一手を打つ必要に迫られていた。
にもかかわらず彼はもっと別な方向の未来をじっと凝視していた。彼が孔があくほど見つめていた明日へのヴィジョン、それが彼をしてますます遠く遠く未知のデジタル深宇宙へと跳躍させ、まるで重力レンズのごとく虚空の彼方へといざなうのである。
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「波形パラパラ漫画への道」
彼のこころを鷲掴みにして離さなかった魅惑のシンセシス、その挑戦とは、いかにしてアコースティック楽器や自然界のような豊かな倍音を出すか、であった。 しかも彼に言わせれば、アナログシンセの音なんて変化が無くて凡庸であった。彼にしてみれば同じ波形ばっか繰り返すのではなく、1周期1周期が違う波形であり違う音色であってほしかった。これはモーグが発見した音色の経時変化そのものであり、その追認であり、その次世代への模索でもあった。いみじくも元ローランド社長の菊本氏が見抜いたように、音とは時間軸上に展開するアートであり、つまり菊本氏の言葉を借りるなら音色とは本質的にtime variantであった。そんな音の本質にヴォルフガング・パームも気づいていたばかりか、本人曰く「僕はモーフィングするサウンドの大ファン!」なのであった。
考え抜いた彼は、もはやお家芸のデジタルテクノロジーを応用。 当時PPGの他にはアナログシンセしかなく、まだデジタルサンプリングが一般的ではなかった時代、彼は現実音をサンプリングして波形データを作成。さらにアナログシンセのフィルター・スウィープをデジタルで再現すべく、鋸歯状波をデジタルで生成し、そこから徐々に高次倍音から削っていってサイン波へと近づけていき、その変化を1波ずつデジタルでキャプチャー。それら1波1波をずらっと時間軸上に並べてスキャンすれば、パラパラ漫画そこのけに鋸歯状波から正弦波へとなめらかにスウィープするを再現できる、しかも安定したデジタルで。
史上初、ウェーヴテーブル音源が産声を上げた瞬間!!!
これでもう実世界の音色変化をいくらでも再現できる! 単に1つサンプリングしただけでは静止画と同じでおもんない。いろんなサンプルから1周期だけ波形を抽出し、パラパラ漫画の如く時間軸上にたくさん並べ、あたかもコマ送りで動画にするようにスキャンすれば、しかも自分の好きなタイミングや好きなテンポや好きな順番でスキャンすれば、単なるスタティックなサンプリングではなく動的に音色を生き生きと経時変化させられる。各フレームに入る1波1波が異なる波形でありさえすればいいのでメモリーも食わない。人工音テーブルや波形遷移順序を入れ替えたテーブルを作成すれば、非現実的な音色変化すらをも実現できる。フィルターにとらわれない自由奔放な音色変化! デジタルだからこそ可能な自由! しかもデジタルだから常に結果は安定して同じ! おまけにデジタルだからコストも安い!
ヴォルフガング・パームにとってデジタルとは、高くて不安定きわまりないアナログを安価かつ安定した結果に置き換えられる未来テクノロジーであった。
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かくして1979年、史上初のウェーヴテーブル音源シンセPPG 360 Wave Computer 爆誕!
しかもフィルターが無い! ただひたすらウェーヴテーブル・オシレーターで音創りをする原理主義的なまでにストイックなデジタルシンセ。アナログなんていらねーと言わんばかりに割り切ったぶん、コンセプトから仕組みからシンプルかつ明快。音のキャラもはっきり分かった。搭載されしウェーヴテーブルは8種類。当時これでも最先端だった 8bit につき正直音が粗かったのだが、フィルターに依存しないぶん自在に音色が変化するフリーダムな PPG 360 は話題となり、そのぶん仕様への要望もたくさん出た。お客様のご要望に応えるべくLEDをLCDに変え、シーケンサーも搭載、2オシレーター化、そしてなんだ結局はアナログVCFもSSMチップでもって追加搭載してしまったのが2年後1981年の後継機種、でたWave 2!!! 「だって営業が『みんなアナログフィルターが無い無いってよ』なんてうるさく言うもんだからさぁ」 とは本人の心の声(?)。
その1981年、フランクフルト・ムジークメッセ話題No.1 は Fairlight CMI、そしてNo.2がなんと発表デビュー初陣を飾ったPPG Wave 2であった。デジタル楽器ワンツーフィニッシュ! あまりのWave 2人気殺到ぶりにFairlight社のピーター・ヴォーゲルがわざわざPPGブースまで陣中見舞いにやってきて「うちら1位だけど君らが2位だね」とリスペクトを表しにきた。
して発売してみれば月産20台という、じつはたった5人しかいない個人商店 PPG 史上最大の大量生産しないと追いつけないほど受注してしまい、逆にたいへんなことになってしまったのであった。初採用の青いフロントパネルはPPGを象徴するアイコン的存在となって一人歩きしだす、人気っぷり。タンジェリン・ドリームに至ってはWave 2がひらいた新しいサウンド銀河にみちびかれるままにアルバム「Exit」を制作。ちなみにこの1曲目の名前はなんと「Kiev Mission」、彼らにしては珍しく声入り、しかもスラヴ系の言語、そして暗示的に平和を希求するメッセージが行間から読み取れる、その冷戦時代センスが今また予見的。
ちなみにWave 2デビューと同じ1981年、prophetやOBといったアナログポリシンセは頂点を極め、フォロワーとしてRoland Jupiter-8、同JUNO-6、KORG Polysixも誕生。日本のシンセもまた欧米への追いつけ追い越せという駆け出しのフェーズを脱し、海外大型ポリシンセたちと互角に肩を並べるところまで来た歴史的転換期でもあった。Jupiter-8がRoland1社という枠を超え、もはや日本のシンセ全体の象徴となったのは、歴史の峠に屹立したからかもしれない。そしてそんなポリシンセの波頭にCMIやPPGといったまだ天文学的にお高い次世代デジタル楽器が、とんがった先鋒となって風を切っていたのである。
このあとPPGはウェーヴテーブルを30種類にまで拡大させた改良機種Wave 2.2や、eltec社パソコンeurocom IIをカスタマイズした専用サンプラー波形編集コンピューターシステムWaveterm、ピアノタッチ鍵盤コントローラーPRKことProcessor Keyboard、そしてサンプリングしたオーディオをデータ転送できるよう8bit8パラレル独自インターフェイス規格PPG Busを開発する怪力ぶり。しかし身の丈を超えた無理が祟ったのかWave 2シリーズで不良を量産してしまい、逆にprophetが売れてしまうPPGオウンゴールな事態もあったという。 そしてご多分に漏れず自分たちのネットワークシステムに未来を託すあまりMIDIを軽んじてしまい出遅れることトム・オーバーハイムの如し。ようやく1984年にMIDI対応したPPG Wave 2.3は、Oberheim 初のMIDI対応シンセXpanderと同窓生。
そのPPGは不良率が高いだけでなく、デジタル化を過激に推し進めたために基板回路が緻密すぎて部品単位で修理できず、さりとて基板まるごと交換修理するにしてもそれを安価に行うだけのテクノロジーが存在せず、しかも故障品には対価が支払われないことから採算がシビアになり開発部隊と販売部隊とで軋轢が生じるようになった。この火種が元になってのちに販売部隊がwaldorf社へと、半ば喧嘩別れするがごとくに変貌する。事実、開発拠点があったのはヴォルフガング・パームが住んでいた北ドイツのハンブルグであり、一方、販売拠点があった小さな町はまさにヴァルドルフことWaldorfだったのである。
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「倒産ではない、清算」
すっかりMIDI時代になった1985年ムジークメッセ、そこにロバート・モーグがふらっとやってきた。 「あんたらデジタル・ガイってさぁ、なんでデジタル・フィルターつくらんのさ?」 そうだ、そのとおりだ、そしてそのころヴォルフガング・パームが構想していたのはシンセもエフェクトもミキシングもレコーディングもみ〜んなコンピューター1台の中で実現し、モニターひとつで快適に操作できることであったSteinbergがCubaseにVSTプラグイン規格を搭載する10年も前、それどころかまだCubaseはオーディオを扱えないMIDIシーケンスソフトでしかなく、名前もまだPro-24だった時代、さらなる高みを求める彼はついに究極のデジタルドメイン仮想スタジオを実現せんとしたのである。
モトローラ68000をCPUに迎え、DSPを複数投入することで夢の2機種を並行開発。それは:
・HDU(Hard Disk Unit): DSP 2個使ったハードディスク・レコーディングシステム ・Realizer(リアライザー): DSP 8個使ってminimoog、FM音源、サンプリング / ウェーヴテーブル音源、モジュレーションマトリクスを実現したヴァーチャル音源専用機、しかもHDUを8基制御可能
もはやこれは規模的にも価格的にも真っ向SynclavierやFairlight CMIと対決するぶっちぎり最先端デジタルスタジオ・システムであった。なんでもかんでも全て網羅したがるあまり理想すぎる重厚長大トータルソリューションをめざしてドイツ完璧主義ドイッチェ・パーフェクツィオーン最終進化。あの久石譲さんも、一時期PPGに賭けようかと思ったことがあったとか。
しかし、時すでにDX7が台頭して数年、もはやデジタルはPPGの特権ではなかった。PPGと同じ高価格帯にてSynclavier、Fairlightの牙城は崩せず、PRKには Kurzweilというすぐれた相手が出現。しかもここでもダークホースとして姿を表したるは、あのE-muをも唸らせた信じがたいローファイ価格破壊サンプラーensoniq Mirageという道場破り。1986年にHDUやRealizerのプロトタイプができたもののバグの暴風雨。HDUに搭載されし40MBという当時の「大容量」ハードディスクに笑うことなかれ、バグを笑う者はバグに泣く、失敗したやつだけが語る資格がある。ついに1987年、かさむ開発コストにPPGは経営崩壊、会社を清算することになった。Realizerはrealize(実現)しなかったなどと切ないことを北米キーマガに言われたゆえんである。
ちなみによくPPGは倒産したと言われるがそれは違う、きれいさっぱり清算したのである。すっきり飛ぶ鳥あとを濁さず。ヴォルフガング・パームさん、そういうところもきっちり完璧主義パーフェクツィオーンしているのね。流石だわ。
自分一人に戻って身軽になったヴォルフガング・パーム、同じドイツ企業Steinbergへ出向きHDUとRealizerに関する情報を渡してきた。さぁ、もうお気づきですね聡明なる読者の皆さん! はたしてその後Steinbergはハードディスク・レコーディングを確立、それでもってCubaseはMIDIシーケンスソフトからオーディオトラックも兼ね備えたDAWへと脱皮、さらに約十年後にはCubase VSTプラグインシステムを引っさげてメジャー・アップデート登場。前述の「シンセもエフェクトもミキシングもレコーディングもみ〜んなコンピューター1台の中で実現し、モニターひとつで快適に操作できる」というHDU + Realizerが描いた理想のデジタルスタジオとなりしSteinberg Cubaseは、DAW 業界に覇を唱えてしまったわけですよ。
そしてだからこそこれを10年早く80年代半ばに具現化せんとしていたおそるべしヴォルフガング・パームに震撼せん!!!
一方、旧PPGの販売部隊はwaldorf社となり、 PPGの遺産ことウェーヴテーブル音源を引き取ることになった。彼らに 「Wave 2.3 を安ぅでけへんもんやろか?」 とwaldorfから依頼されたヴォルフガング・パームは、開発外注として新しい音源部分を設計。これが1989年に「世界三大発明」というキャッチコピーとともにデビューしたmicroWave。ウェーヴテーブルは360 Wave Computerの8種類、Wave 2.3の30種類をすべて内包した64種類となり、渋くストイックながら実は多彩な音の小宇宙となった。
独創的なウェーヴテーブル音源を引き継いだwaldorf社はPCMシンセへのアンチテーゼを唱え、その盟主となって黄金期を迎える。 彼らはThe Waveという究極のフラッグシップを看板にしつつ、うまくその後、ヲタな仕様をポップにまとめてツウをうならせる軽妙洒脱なラインナップを展開。
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microWave XTに至ってはドイツの貨物列車みたいなくすんだオレンジのスウェード調にあたたかい太陽系のようなフロントパネルをレイアウト、見た目も音色もシックに尖って個性的。
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ヴァーチャルアナログの名機Qなんかクエン酸を連想するくらいイエローまぶしく、挙句その名もGekkoというヤモリをモチーフにあしらった勾玉デザインのかわいい柑橘系MIDIデバイス(?)も販売。そしてD-Pole、PPG Wave 2.V、Attackといったソフトウェアシンセも積極展開。
かくして90年代はPCMワークステーションシンセへのアンチテーゼがひとつの大きな主張となり、音色銀河の辺境宙域はwaldorfを筆頭にnord lead、access Virus、Quasimidi、Roland JP-8000、同JP-8080、YAMAHA AN1x、KORG prophecy、同Z1といった、ちょっとあやしげなくらい個性派なデジタルシンセたちが跳梁跋扈する領域となった。同じ空間でRoland MC-303のようなグルボが登場したのもこのとき。時代はまさしくへんてこなシンセたちが牽引したのである。 2003年にはプラグイン版リアルアナログ・フィルターことAFB-16を開発。これは2Uラックマウント型アナログフィルターモジュールをパソコンとUSB接続、DAWにモノホンのアナログフィルターを挿すというアクロバティックな機種であった。その制御ソフトにはカットオフを変調できるステップシーケンサーまで搭載。でもこれ、あんまし見かけませんよね。またしても開発コストかさんだのかなぁ?
案の定、その第2の黄金時代のあとふたたびの業績悪化でwaldorfは沈没。だがもうここまで来たら世間さまがウェーヴテーブル音源を見逃すはずもなく、圧倒的な呼び声に応じ2007年blofeldを皮切りに3度めの復活! 完全独立4系統で音創りできる充実のソフトシンセlargo、iOS版から始まった軽快なアプリシンセnave、コンパクトな卓上音源 rocketにstreichfett、モジュラー宇宙へのいざないnw1、そのモジュラー宇宙を楽器に変えてしまうkb37、Studio Logic社sledgeへの音源供給、Axel Hartmann自身のデザインオフィス20周年2万ユーロ・シンセ「20」への音源提供、そして3度目のフラッグシップしかも新音源方式もたくさん重層的に搭載したQuantum、iridium、Mなどなど重厚な頂点機種はじめ多彩な機種が今をいろどる。
すべからくwaldorf機種は中身は濃いぃのに、それでも打ち出しは妙にあかるくポップでハイセンス。彼らが不死鳥のように何度でも舞い上がれるのは、このポップさ、軽さゆえであろう。ヲタなちからこぶを消化するオサレ感覚。それはAxel Hartmannのなせるわざであり、軸足が定まったディレクションの勝利なのであろうか。
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「創世神話、楽器進化論、そして輪廻転生」
独創的かつ求道師のようにストイックすぎて窒息しそうに生真面目だった PPG。それを継承したwaldorfがヲタながらに軽快に消化。
そしてensoniqをはじめ多くのメーカーが自分なりのウェーヴテーブル音源を開発するようになり、ついにソフトシンセXFR RECORDS SERUMにてウェーヴテーブル音源はブレイク、アナログに回帰したもののフィルターに飽きてきた業界にウェーヴテーブルのサウンドはかつてなく流行することになった。
その一方、ひっそりと未来シンセシスを探求する究道士。ヴォルフガング・パームその人は、2002年にSteinbergからソフトシンセPLEXを発表。これは音をコンポーネント化しておきユーザーがモンタージュのように組み合わせる、言わばオブジェクト指向のシンセ。じつは音創りする上では画期的なアプローチであり、フィルターだエンベロープだロー・フリケンシー・オシレーターだなどと分かりにくい理屈を知らなくとも、音を既存の楽器や物体の部品に分解して組合せを変えて違うものへと換骨奪胎、今までとは全く違う方法で音色を再合成できる革新的なシンセなのであった。 そしてそれは彼が構想したHDU + RealizerというDAWコンセプトの上で、彼がつくったプラグインシンセが踊るという感慨深いものなのだが、彼自身はどう思ったことであろう。
やがて彼はiPad版 Animoogを見てマルチタッチスクリーン操作にあらたな可能性を見出し、「ひとり PPG」としてPPG WaveGenerator for iPad、同Wave Mapper 2 for Mac、そして同infiniteへと進化するようにシンセアプリを開発。それらにてオブジェクト指向の音創りUIを進化させる一方、次世代ウェーヴテーブル・テクノロジーことTCS - Time Corrected Sampleを開発。サンプリングした音において時間軸上を正再生逆再生するだけでなく、音量も正規化つまりノーマライズすることで原音が持つ音量変化からも解放され、ユーザーがほんとうの意味での音量エンベロープを自在に設定できる、ユーザー音量エンベロープを鋳型にしてサンプルを流し込むことができる、時間軸上でも振幅軸上でも原音の束縛からかつてなく自由で画期的な表現をもたらした。
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それは、オリジネイターだからこそ次へ進化できるという実例であり、TR-80を進化させたドラムソフトシンセRC-808を作りあげた菊本忠男氏と同じであった。凡百の808エミュが808に到達することばかりをめざすのに対し、"Re-Create 808" を標榜するRC-808は元祖808のモノマネはもちろん、そこからさらに進��して聴いたこともないあたらしい808の音色表現が可能なところにポイントがあった。聴いたこともない808の音なのに、まぎれもなく808の音がするRC-808。基本的には減算方式であるにもかかわらず、あらゆる音色を再現できる8パーシャル分析型合成。その一例として、ドラム音色にサスティンがあってもいいじゃないか、ドラム・シーケンスにゲートタイムがあってもいいじゃないか、ドラム・シーケンサーにピアノロールがあってもいいじゃないか、そんな自由奔放な問いに、先をゆく表現を聴く。
菊本氏もパーム氏も、常に前を向く人たち。ファンから熱望されて過去をリバイバルするではなく、あくまで今後未来の音源はどうなるか、これから何にプライオリティをおくのか、その答はまだ彼ら生みの親たちからしか提示されていない。わたしたち後輩は、彼ら時代のパイロットが操縦する飛翔体の乗客であった。そしてわたしたちはそのバトンを受け取れるようになり、操縦桿を握り、そしていずれ後世へ渡す。 その具現化において制作のためのプラグインならいざ知らず、演奏のためには音源だけでなくUIを組合せてこそであり、両者を両立しうるは音源に最適化されたハードを身にまといし未来のハードウェア楽器なのであろう。
音源やシンセシスに最大の関心があるがゆえなのか、ヴォルフガング・パームはソフトウェア・シンセを作りたいのであってアナログやハードウェアに戻るつもりは無いときっぱり言う。 菊本氏は、アナログシンセに戻ることは無いがソフト・ハードは手段として都度最適なものを選択するまでであって等価に扱いつつ今なお開発を続けている。 デイヴ・スミスはあくまでハードウェアにこだわり、OSアプデ無限地獄なんかについていくのは無理、画面の奥に引っ込んで触れないソフト楽器なんてありえないと言いきっていた。 アナログもデジタルもハードもソフトも全てを経験し、今なお単純復刻ではなくつねに新しいものを追い求めたこの三人、それでもなお三者三様にアプローチが違うのが面白い。
PPGがついえさったあとも一人PPGを名乗り、孤高の開発をつづけたヴォルフガング・パーム。全てを見渡した彼は70歳になったのを期に引退を宣言。ファンとしても年齢からしてもちょっとまだ早すぎるようにも思えるも、無論ひとさまのことを外野席からとやかく言えるわけもなく。そこはヴォルフガング・パームらしく、みずからに対しても完璧主義であったがゆえ、なみなみならぬ決意なのかと推察するばかり。時に西暦2020年3月18日。ドイツ完璧主義ドイッチェ・パーフェクツィオーンをあくまで貫き通した老将の旅路、その終着駅、彼の個人サイトに掲載されし最後の文章、その老境あふれる思いが行間にそこはかとなくにじみ出るを、不肖Nemo版超々々訳を添えてリスペクトを込めつつ引用しておく。
Dear Customer,
after 50 years of creative work in the field of sound synthesis I decided to stop doing business. I’ve been thinking about this step for some time now, especially since I’ve turned 70 this year. Therefore, I am very happy to have found a competent company in Brainworx Audio GmbH that will take over and continue my products and ideas.
I would like to thank you for the support I’ve received over the last six years. PPG VST plug-ins and iOS apps are no longer available for purchase. We will continue to provide downloads of your previous plugin purchases until end of 2020.
However, we do not recommend updating the hosts or the operating systems, as we cannot guarantee that our products will still run perfectly.
Customers of PPG plugins will receive a mail from SendOwl, which gives more infos on how to connect to Brainworx.
The future of the iOS apps has not been decided yet.
Thank you again for your support. March 2020, Wolfgang Palm
親愛なる顧客各位
これまで音色合成なる分野において50年にわたり様々なものをつくり続けて参りましたが、このたび仕事から身を引くを決意致しました。特に今年は古希を迎えたということもあり、ここしばらくは身の振り方についてずっと思いをめぐらせておりました。それ故、私の商品やアイディアをBrainworx Audio GmbHという優秀な会社が引き継いでくださると分かり、たいへんに嬉しい気持ちでいっぱいでございます。
過去6年にわたり皆様からご支援いただけたこと、感謝いたします。すでにPPG VSTプラグインとiOSアプリとは新規購入はできませんが、これまでにご購入いただいたお客様に限り、2020年の終わりまでは再度ダウンロードいただけるよう手配いたしております。
ただし、ホストマシンやオペレーティングシステムをアップデート致しますともはや私どもの商品が完全に動作するとは保証できなくなるため、これら環境の更新は推奨いたしかねることご理解たまわりますようお願い申し上げます。 またPPGプラグインをご使用のお客様には、SendOwlからメールが届くことになっております。そこにBrainworxへの詳細な案内が書いてございますのでご参照くださいませ。 なお、iOSアプリの今後についてはまだ決まっておりません。あわせてご理解たまわりますよう、よろしくお願い致します。
皆様からのご支援に重ねて感謝致します。 2020年3月、ヴォルフガング・パーム
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「time variant time」
ヴォルフガング・パームが去った今、わたしたちにはいかなるバトンが手渡されたのであろう。
「シンセはアメリカで始まったのではない。その前にフランスでミュージック・コンクレートがあったのであり、ドイツでは西ドイツ放送ケルン局の電子音楽スタジオがあったのだ。」 そう冷静に見つめるは、ヴォルフガング・パームが作りあげたシンセのご贔屓さまジャン=ミシェル・ジャール。 「シーケンサーはレコーダーではない。シーケンサーはグルーヴをもたらすものである。」 もはやプラットフォームと化すまでに肥大化したDAWに対し、その上でなお存在しつづける楽器とは何かを問う、示唆に富んだジャールの見識。
もともとヨーロッパには長大なインストゥルメンタルとも言うべきクラシック音楽という長い背景があり、その新しいうねりとして現代音楽にシンセをはぐくむ源流があったのであり、戦前からレフ・テルミンら先駆者による幻影と伝説がこだまする中、自宅スタジオにシュトックハウゼンを招いたEMS共同創業者ズィノヴィエフ然り、テクノの開祖クラフト・ヴェアク(クラフトワーク)然り、ヴォルフガング・パーム然り、ストイックな究道士のごとく理想を希求する彼ら皆、その同じ空気を吸って育ったことであろう。
そこから欧州大陸を飛び出し、大西洋を渡って新大陸を発見したドイツ系エンジニアことハラルト・ボーデ。その新大陸アメリカへ彼が持ち込んだるは欧州から長大なストライドでもってやってきた振動の巨人、電子楽器。すなわち1960年アメリカAESショーで彼が出展した史上初の電圧制御式シンセ。それはオシレーターの代わりにオープンリールの磁気テープを使い、あらかじめそこに録音されていた音を電子回路で加工する、それでもなお電圧制御式たるところがこんにち的。そのミュージック・コンクレートっぷりとケルン電子音楽スタジオっぷりとの武骨なアウフヘーベン、そこからいづるサウンド。そしてその聴衆の中にいたのはボーデのシンセに未来からの衝撃を聴きそのヴァイブを全身でびりびりしながら受け止めた若き日のボブ・モーグ。 新世界にてシンセ界が指し示す未来へのヴィジョンを見てしまい、見てはいけないものを見てしまったその禁断のショックに打ち震えたボブ・モーグが後遺症のように感慨をこめて作ったのが彼のテルミンでありmoog modularでありminimoog。みずみずしい感性と機動力がヴォンヴォンみなぎる新種の楽器minimoogは、あたかも反射波のように大西洋を逆向きに渡り、イギリスのズィノヴィエフや、ドイツのヴォルフガング・パームや、旧ソ連の軍需産業エンジニアことセルゲイ・マリチェフらをインスパイア。同じ空の下、コール・アンド・レスポンスのようにこだましあい、それぞれ独自の楽器をつくって響かせあい、さらにそれら波濤は遠く極東の島国にまで到達。
その波濤が全地球をくるんだ後に残したもの、そこにはトム・オーバーハイムが夢想したネットワークとそのノードにたゆたう数々の名機シンセという、おしゃべりしあう楽器たちがあったであろう。あるいは派手派手しいスターの如きシンセがデビューを飾る影に隠れてデイヴ・ロッサムがピースサインする基礎研究という、どっしりと盤石なるテクノロジカル土台への深きリスペクトもあったであろう。センセがほしがる答を生徒の口から言わせるという紋切り型教育には思いもつかないensoniqというあまりにも惜しまれる異議申し立てもあった。そしてヲタな本質を見抜くもポップに分かりやすく提示せんとするサービス精神旺盛なwaldorfと、最後の一人になってでも己に正直な究道士たらんとしたヴォルフガング・パーム。 かくして音のフロンティアに生まれたおびただしい数のへんてこなシンセたちこそが、クラシックな楽器とはおのずと違う異端児として、時代の音色をつむぎ出し時代のエンベロープ・カーヴを描きつつ時計の針を推し進めたのだ。そしてその時計の名は菊本氏が看破するtime variant、つまり時間すらもが自由な時計という異次元の楽器であろうか。タイムドメインの牢獄から解放されたとき、果たしてあなたには時間が見える?聴こえる?
まのあたりにするは人類進化の最先端。外宇宙がしみでるように青黒い虚空の中、いつわりの影ばかりを漆黒の闇の銀河へと落とす虚の惑星にて、目にしみる絶海の碧の中、しずしずと見えてきた小さく黒く尖った島がその引き締まった存在感を物語りはじめるとき、忘れ去られた楽園のようにしたたる緑の群落に、傾きゆくあったかいオレンジ色の陽射し、火焰山のように燃えあがる岩肌の陰影ふかく、上に飛鳥なし、下に走獣なし、故郷のものとは異なるおごそかに小さく引き絞られた陽のもとで、そこにたったひとつ持参できるとしたらその音は何?
すべてシンセには存在意義があるのであり、どんな「ぷー」な音しかせずともその音には使いみちが、存在意義がある。 こんにちの電子楽器が実現しえたものはまだ着想の2割くらいでしかないであろう。MIDI 2.0だなんだと解像度だけを追い求めるのではなく、まだまだ根本的に異なるパラダイムからの表現が埋もれているを、たとえば菊本氏のラボに垣間見る。技術そのものに夢があった時代は遠く去ったように思えても、それでもなお次なる技術、次なる応用、次なるひねりが新しい事象の地平面を切り拓くであろう。 どこまでも限りなく拡大し続ける知の地平。宇宙の挑戦を受けて立ち、まだ聴いたこともない音の銀河をめざして遠く飛翔するシンセの試み。その旅路の航宙図をもとめてシンセのミッシングリンクを解き明かし、なおかつ未来への触媒となす旅。いずれまたそれら切っ先の最先鋒について、機会あれば描いてみたい。
皆さん、ここまでお付き合いくださり感謝の極みです。くれぐれもお健やかに。Stay healthy.
(2022年8月13日、同人誌にて初出)
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