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#ポプラの綿毛
asagaquru · 11 days
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恋人が北海道の地方の大学に学士編入したいと考えているらしい。福岡から恋人の大学頃の友人が来札していて、学士編入の話をしたという。
頭の中で逆算する。試験勉強をして、受験して、入学卒業したとして彼は、わたしは何歳になる。こんな話をされる3日前までは、順当にいけばこのまま結婚して、暫くしてから妊娠出産するだろうと思っていた。彼を待つとしたら、ぐっと妊娠が難しい年齢に差し掛かることが一番に過ぎる。「絶対子どもは欲しい。***くんもそうだよね?」と聞くと、神妙に頷かれた。授かろうとしてすぐ授かるものでもない。今の年齢でさえどちらかが不妊症の可能性があるのに。ブライダルチェックでもして安心材料が欲しい。ここまで一気に話す。そうだよね、と返されてほんの少し間が空く。「でも、学生でも子どもは持てるだろうから」 それは、わたし達の年齢だけを考えれば、最善の答えかもしれない。でも、学生の彼と、家族と知り合いもいない地方に引っ越して、転職して、わたしが産んで、育てるのは過酷だと思う。産休育休のことを考えれば、今の職場に勤めながら札幌で産んだ方が安心なのに。「もし受かったとして単身赴任とかになるのかな」 「***ちゃんは来るよ」 当たり前のように言われてしまう。彼の将来にわたしがいる事が嬉しい気持ちと、彼について行くことを当たり前のように思われている事に少し身を固くしてしまう。
彼が高校生の頃にその道に進もうとして、諦めたことは知っていた。「今だに浪人すれば良かったかと思うことがある」「今年の配属で就かなかった職に関わる事務をするなんて皮肉だなと思っていた」「俺が今の職に就いて親族はがっかりしたと思う」 その話は初めて知った。「この話も、学士編入を目指したいことも内緒ね」と言われる。彼がこの先、後悔しない日々を過ごして欲しいと思う。なんだかんだ受かっちゃう気もするし、仮に落ちたとしても彼が自分の人生に折り合いをつけることが出来るのならばそれで良いと思う。今日がターニングポイントになるのかもしれない。彼も人生を変えうる受験をすること自体、まだ迷っている。もしかしたら、よく考えた末に何事もなく2人で札幌で生きていくのかもわからない。
不思議と怖くはない。あなたの人生は、わたしの人生。
気を揉んでいても、受験は来年。それまで現状はさほど変わらない。彼が出す答えを尊重しようと思う。彼の友人と彼との3人で、彼らの母校へ行って案内してもらう。初夏。縦にぐんっと30メートルほど伸びるポプラを見上げる。ポプラの綿毛が、夏の雪かのように風に舞っている。久々に晴れた高い青空と緑が透ける木漏れ日を縫って、どこまでも綿毛は飛んでいく。
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sagara0220 · 6 months
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地面を踏み固めること
今年を振り返ると、のんきに一段ずつ登ってきた階段の途中で、振り返って景色を見てうわ~すごい、きれい、きもちいい、とか言いながらのほほんと眺めたいのに、あちこちで起こっているいろんなことが目について見過ごせなかったり、袖を引かれて止まったり、すれ違っていくひとびとに何かを手渡すその間、地面を踏み固めるみたいな、そういう一年だった。
たとえば今まで自分のなかで淡々と重ねてきた、自分が生き延びるための知識たちを、言葉にして誰かに教え、伝えることがぐっと増えた。アウトプットしてはじめて自分自身に引きつけ咀嚼する必要が生じるので、ものごとの本質に少しずつ近づけるけど、同時に見えてくるものが変わるので、とてもじゃないけど勉強が足りないとも思う。時間がかかるし沢山はこなせないのだけど、地元で起きた戦争や朝鮮人・中国人の強制労働のこと、LGBTQ+、ジェンダーのことは、決して自分の知的好奇心を満たすためだけに学んでいるのではないと、誰かに伝える作業をして強く感じたし、自分が仕事にしている専門分野以外で力になれたり、他者の学びの一助になれることを、難しくも嬉しく思うことが度々あった。
ここ数年ずっと、わたしの大事な部分を固めてくれている韓国文学を手に取ると、高頻度で日本の植民地支配時代の話が出てくる。
先日読んだチェ・ウニョン著「明るい夜」は時代や家父長制に翻弄されながら生きた四世代にわたる女性たちのシスターフッドを書く傑作長編小説だが、戦争中に日本に出稼ぎに行き、広島で被爆したおじさんが原爆症で亡くなる下りがある。作中もっとも信頼できる穏やかで愛に満ちた男性として書かれた彼が「あんな死に方をしなくちゃいけない人はひとりもいなかった」と広島の街を語るのが手紙のかたちで伝えられるシーンは、本の中でも印象に残る。フィクション小説という形を成しているが、祖母の口や手紙で語られる、あくまで一人称としての戦争体験であることが、幾度も胸を刺す。
今年読んで最も強烈な印象を残しているのが、ハンセン病の療養所である長島愛生園に暮らす在日朝鮮人・韓国人を訪ねて聞き取りをした喜田清著「名ぐはし島の詩(うた)」で、読みながらそれぞれの壮絶な人生に涙を流しながらも、植民地支配をしていた側の国で生まれ育ったわたし自身を丸裸にして、病の前にそも支配と略奪が、戦争がどうかれらを根底から変えたかを突きつけられた。ふるさとでハンセン病にかかったあと、当時戦況が悪化して毎日空襲があった日本に行けば誰にも知られず死ねると思い、縄でくくられたまま連行され泣き叫ぶ同胞を横目に、絶望し、死ぬために日本に渡ってくる方の話がある。また、植民地時代に言葉を奪われ、朝鮮語も日本語も読み書きできないまま療養所に入り、進む病と施設での仕事の隙間で辞書を片手に必死に読み書きを学ぶことで、己の知性を守り、踏み躙られた民族の尊厳を守り、宗教や友人を得る過程は、どの方の話を読んでも毎回涙が出た。そして、数多くの方が、祖国が解放されても、続いた朝鮮戦争で家族と生き別れになっている。
余談だが、この本を読んで、買ってから十年ほど経過しているのに、何度挑戦しても読了できないでいる神谷美恵子さんの「生きがいについて」を再度挑戦したいと思った。今のわたしなら読み終えることができるかも、と思える本があるのは、犬だったら噛み応えのある骨をプレゼントされるみたいで嬉しいものだ。
わたしが韓国文学にはまったころ、友人に誘われてかかわりはじめた地元の戦争遺跡の保存活動と、それに伴う朝鮮人・中国人の強制労働の実態調査のボランティアの仕事がある。
今わたしたちは過去に聞き取った肉声をあらゆるデータにして保存する作業をしていて、そのなかで、想像を絶する虐殺を、拷問を、過酷な環境下での作業を、強制労働に従事した方々が話すのに触れる。作業は、一筋縄ではいかない。冷静に、流れ作業として、戦時中のひとつの資料として読み飛ばすことはできない。
戦争というものが、人の一生を根底から壊すものだということを、それが、大国主義というものの前に個々の人生やヒューマニティが一切無視された先にあったものであることを、けれど戦争は大衆の記憶などではなく、個々人のなかにだけあるものだということを、数々の肉声に囲まれながら作業をしていると、つくづく思う。そうして、結局わたしは、大衆の記憶としての近代史しか学んでこなかったことに打ちのめされる。時々手が止まり、証言に聞き入り、読み耽り、あまりにも凄惨な体験と深い苦悩に触れて言葉を失い、立ち尽くす。そうしてまたしばらくして、作業をはじめる。その繰り返しだ。
証言は、ときにあいまいなもので、非常に頭の良い方でも、言葉も地理もわからない場所での過酷な体験であるので、信ぴょう性に欠けるものもいくつかある。通訳されていない原語での理解も必要だし、踏み込んだ調査や研究ができるほどのスキルもお金もないので、ひとまずデータ移行だけをしているのだが、ひとつひとつの、膨大な数の証言を扱っていると、聞き取りのさいごに、「まさかこんな日が来るなんて」「日本から来てくれるなんて」と感無量で語る方がいる。そうして、保障をしてほしいこと、戦争を二度と起こしてはならないというお願いで締められる。(証言に協力してくださった方の何人かは、賃金に関して裁判も起こしている)
戦争でまっさきに失われる個人やヒューマニティにきちんと向き合っていったのが、戦後の被害者への聞き取り作業なのではないか、とわたしは作業をしながら思った。戦中、強制労働というかたちで無視し、否定してきた人間性を、一人ずつ、限られた時間ではあるけど丁寧に聞き取りをして書き起こしたことは、数ではなくひとりの人間の体験として戦争や強制労働や虐殺や暴行や苦しみがあったことを真正面から思い出させてくれる。信ぴょう性の調査や審議の前に、その苦しみをいったん引き受けることが、どれほど切実で、大変なことだったろうと思う。
ノンフィクション作家の保坂正康が「最後の講義」という番組の中で、証言とはどういうものか語っている場面があった。証言とは一生をかけてするもので、証言を聞くということは、本人が背負っているものを半分引き受けることである、という言葉に、仕事でもプライベートでも、物語として消化してしまいがちなわたしという個人を指さされたようだと感じた。
調査に乗り出したうちのひとりがボランティアの大先輩にいて、度重なる訪中、訪韓の膨大なデータを管理してくださっている。そのひとの記憶はすさまじい。名前���尋ねるだけで、どこの出身で、どのように戦中を過ごしたのか、どのような半生だったのか、すらすらと答えてくださる。ときに涙を浮かべながら、ときに苛烈に。かれらの体験に多く出てくる、聞いているだけで指の先がこわばり、胃が縮み、血の気が引くような残酷で非人道的な折檻や拷問の数々を聞くうちに、戦争の映画や物語を見られなくなったという。真実を知るからこそ、痛みが容易く想像できて、目を瞑らないといられないのだという。聞き取りをした方々はもう亡くなっている。そのひとの生き方こそ、語り手の人生の半分を引き受けるということだと思っている。
2017年に、わたしはそれなりの意識を持ってポーランドのアウシュビッツや、ドイツのホロコースト関連の資料館に行った。外国に行くときは、その土地の地理や歴史を勉強してから行くのが好きなので、ホロコーストやポーランドの歴史について学び、何本か映画を見て本を読んでから向かった。そこで、アウシュビッツ=ビルケナウ博物館で案内人をしてくださった中谷剛さんが語った言葉に、そもそも根本をわたしは知ろうとしていなかったのだ、とものすごく恥ずかしい気持ちになったことを今でも鮮明に思い出す。
「――ポーランド語のあいさつができますか?イギリスやフランス、スペインのように。知りませんよね。なぜならそれは、ヨーロッパの歴史は西ばかりが優遇され広められてきたからです。日本人の中にもすでに、民族のヒエラルキーが無意識に植え込まれています。差別をしているんです。私たち日本人は、中国や韓国など、アジア圏の歴史をどれほど理解し歩み寄ろうとしているでしょうか?日本の加害の歴史をどれほど学んでいるでしょうか。ヨーロッパはドイツを戦後よくやってきたとは、決して評価していません。でも、一般のドイツ人のアウシュビッツの訪問者の数がとにかく多いのです。政府の対応ではなく、そういった市民の行動を、みなは評価し、黙っているのです。」
はるばるポーランドまで来て、わたしはその瞬間、浅はかだった自分を恥じた。もちろん、答えられなかったからだ。日本が行なった様々な加害の歴史を、言葉としては知っていても、知識として知らなかった。学んでこなかった。学ぼうとすらしていなかった。
こうして何年か経って、やっと加害の歴史を一生懸命学び、伝える側に回れたので、2017年5月の、どこまでも菜の花の絨毯が広がり、ポプラの綿毛が舞う美しい初夏のポーランドの、ひろびろとしたアウシュビッツ=ビルケナウ博物館のなかで深く恥じたわたしに、今のわたしはちゃんと顔向けができる。あなたは数年後、きちんと向き合う。思う存分恥じるといい。
そんななかで、10月7日を皮切りに、毎日虐殺のニュースを見聞きするようになった。コロナ禍真っ最中の2020年に岡真理さんの「ガザに地下鉄が走る日」を読んだとき、パレスチナで芸術活動をする若者のドキュメンタリーを見たとき、焼身自殺する若者をみたとき、殺されて臓器を売られる子供を見たとき、わたしは都度立ち止まったのに、いつのまにか忘れていて、毎日のニュースに打ちのめされた。
ガザについて勉強会を行い、本を読み、可能な支援をし、同時に自分の国の加害の歴史を学んでいくと、そこに70年余り時が経っていることが、信じられなくなる。イスラエルとパレスチナについて、レイシズムや植民地支配について学べば学ぶほど、かつて日本が行った言語や文化のはく奪が、いかに民族の歴史と尊厳を踏みにじり、取り返せないことであるのかを突きつけてきて、わたしはいままさに、当時を見ているのだと思っている。すごくしんどい作業だ。
でも、今年わたしが、こうした世の中になんとか絶望し切らず、自分の足で立って地面を踏み固めることができたのは、今までの学んできたことが生かしてくれていたからだし、出来事は大衆のものではなく個人に帰結するものだとあらゆる作業を通じてわかっていたからだと思う。じゃないと、物事の大きさの前に、ただただ立ち尽くしていて、わたしを含め、目の前にいるひとたちは世の中から見たら些細なものなんだとよぎることがあったかもしれない。それはまったく、わたしの中の、生活をやっていくというポリシーに反する。わかっていてよかった、言語化できてよかった、とこれを書きながら思う。
今年読んだ本のなかで、大事にしたい本がある。
パク・ソルメ著「未来散歩練習」は、光州事件、釜山アメリカ文化院放火事件と五人の女性の生き方を通して、今を生きる・過去を理解する・未来を思うことを描く長篇小説(出版社解説)で、パク・ソルメらしい独特の語り口調で淡々と物語が進む。岡真理さんのガザを考える緊急セミナーのなかでも、この釜山アメリカ文化院放火事件の犯人の一人である文富軾の言葉である「忘却が次の虐殺を準備する」という言葉が引用されていて、本を読んでいたおかげでどんな事件かを詳細に思い出すことができた。
とにかくずっと思考しながらものを食べて歩く小説なのだが、読んでいてずいぶん励まされたし、大事にしたい文章がいくつかあった。
「現在と未来について考える人たち 来るべきものについて絶えず考え、現在にあってそれを飽きずに探し求める人々は、すでに未来を生きていると思った。絶えず時間を注視し、来るべきものに没頭し、人々の顔から何かを読み取ろうとする人々は、来るべきと信じるそのことを、練習をとおしてもう生きているのだと。」
わたしの来るべきと信じるそのことは、差別のない社会を実現することで、それは綺麗事とかとても無理なことだとは言いたくない。なぜならわたしの半分は医療者で、発達障害の子どもたちに関わる仕事をしていて、大人がしている差別と加害は、子どもにダイレクトに伝わるから。医療と福祉の彼岸にいるような人びとも、社会の中でいっしょに生きていてほしいから。トランス差別を許せないから。
そんな社会に、わたしはいたくないし、大事な人たちを置いておけないと、いつも思っている。そう思いながら、二次創作という形で物語を書けたのも嬉しい。職場で動き出したSOGIチームのコアメンバーになれたのも、今年良かったなと思えることの一つだ。加害の歴史を学んで伝えることも、遅々として進まないように思えるし、歴史家でも研究者でもないわたしが伝えられることは限られている。でも、そういうときはチョン・セランの言葉をお守りにしている。「視線を先に置くことで絶望を乗り越える」「絶望しそうになったら、いや私はいい大人になりたいと思う」「個人の無力を私は信じません」
ふと手に取った本も、学んでいることも、絶望しそうになる世の中で、わたしを生かしてくれていると思う。わたしは、今年、過去と現在と未来を考えながら、今いる場所を踏み固めていた。もちろん、どうにもならないこともあるし、間違えるし、まだまだ知らないことだらけだし、考えるのをサボることもあるし、忘れるし、機動力には欠けるしやっぱり無力だと感じることも多いけど、2017年にアウシュビッツで恥じ入っていたわたしよりは、多少かっこよくなっているはずだと2023年の自分を励ましたい。
来年も生き延びて、のさばってやろう。
たくさんの本たち、今年も生きるのを励ましてくれてありがとう。
 追記
この文章を書いたのが12月24日の夜で、そのあと、ボランティア仲間と忘年会をした。
友人のひとりが、アウシュビッツに行き、中谷さんの案内を受けたという。わたしは仲間内でガザの勉強会をひらいていて、そのときに、もっと身近であったはずのアジア圏のひとびとにした加害と差別について無知でありながらアウシュビッツにいた自分を恥じた経験を話していた。
友人が、中谷さんのお話を聞いているうちに、どうしてもわたしのことを伝えたいと思い、数年前にあなたの話を聞いた友人がいまこうした活動をして加害について学んでいますと話の中で伝えてくれたようで、ものすごくびっくりしたし、嬉しかった。しみじみと、こんなふうにいつか誰かに勝手にもらったバトンを、別の誰かがそっと戻してくれるようなことがあるのだなあ、と、年の瀬に胸がいっぱいになり、勇気をもらったのだった。
そのときの中谷さんのお返事を、友人を通して受け取って、やっぱり、2015年のわたしよりずっとましになっているよ、と思えた。
嬉しいし、頑張りたいと思う。
忘年会当日、車のルーフが割れていることに気づき、わたしは基本的に価格や愛着に関わらず、自分の道具が傷つくことに関しては寛容なのだけど(眼鏡は除く)、ルーフを開けるたびにほとんどまっぷたつと言っていいほど割れているガラスが目に入ると、ちょっと心にくるものがあったので、悪いニュースと良いニュースが同時に来る、年末らしい日だったと思う。新年早々、修理代を捻出しなければならないが……
みなさま、良いお年を。
わたしはこの挨拶が、挨拶のなかで最も好きです。
良いお年を!
≪出てきた本≫
「明るい夜」 チェ・ウニョン 著 古川綾子 訳/亜紀書房
「名ぐはし島の詩 長島愛生園に在日朝鮮人・韓国人を訪ねて」 喜田清 著/海声社
(絶版)
「ガザに地下鉄が走る日」 岡真理 著/みすず書房
「未来散歩練習」 パク・ソルメ 著 斎藤真理子 訳/白水社
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nipponokasi · 2 years
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【北海道観光】北海道の絶景=「ポプラの綿毛」を撮りました
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kamiton · 2 years
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. 週末の風景。 初夏の風物詩、ポプラの綿毛。 #建築 #建築デザイン #建築設計事務所 #スタッフ募集 #北海道長崎県人会 #北海道 #札幌 #旭山記念公園 #ポプラの木 #ポプラの綿毛 #札幌観光 #poplarfluff #sapporosightseeing #hokkaido #sapporo #architects #architecture #architecturedesign #recruit https://www.instagram.com/p/Cev1quspUvG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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wakakotachibana · 3 years
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夏の雪 Summer Snow (poplar fluff) in Russia
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夏なのに雪⁉️👀 よーく見てみると#ふわふわ したものが地面に沢山積もっていますね😮このふわふわの正体は #ポプラ の #綿毛 なんです😆 この真っ白な風景は #初夏の雪 とも呼ばれているそうです❄️ 進化する多機能POSレジシステム パワーナレッジ POS 製品情報◆http://www.power-k.jp/ Facebook◆https://business.facebook.com/Power.Knowledge804/ Twitter◆https://twitter.com/PKPOS1 Instagram◆https://www.instagram.com/power_knowledge.official/ #パワーナレッジ #posレジ #美容 #サロン #エステ #リラクゼーション #メディカル #柔整 #鍼灸 #整骨院 #接骨院 #はりきゅう #あはき #あん摩 #整体 #パーソナルジム #ヨガスタジオ #審美歯科 https://www.instagram.com/p/ByjmuLygENf/?igshid=vh519dlmirml
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ayanos-pl · 4 years
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Moskwa, wrzesień 1992 r.
Moscow, september 1992
モスクワ路上、YMOじゃなくてЧMOだよ。でも何の意味だかわからない。1992年9月撮影。 #moscow1992
モスクワ路上、埋もれた蓋、はみだせ緑、500、矢印。これも何の意味だかわからない。1992年9月撮影。
モスクワ川。1992年9月撮影。
綿毛(たぶんポプラの)、モスクワ市内の公園にて。1992年9月撮影。
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redux-pain · 5 years
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Chapter 04: PC Room (Sigma only)
[note: The scripted lines in Sayuri’s Sigma scenes are really weirdly out of order from where they actually play. For example, the first two lines are “man in a hood” and then the one about him pulling a knife--that’s why the TL turned it into “Has a large knife” even though in-game, that ends up being the *first* line.
Honestly, “Man in a hood” still makes more sense at the beginning to me, and seems out of place where it actually is, but *shrug*]
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奇妙な声 Weird Voice A Weird Voice
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通り魔に襲われた時の記憶が よみがえり、その時の恐怖が 浮かび上がってきている。
The recollection of being attacked by the phantom killer and the fear with it.
Her fear returns as she remembers the moment she was attacked by the slasher.
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大きな刃物を出した 
目の前に刃
怖い
イヤだ
Has a large blade
Blade in front of me
Scared [repeating]
No...
[He] pulled out a huge blade
The edge is right in front of me
I’m scared... [repeating]
No!
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殺される
誰か助けて
I’m gonna’ be killed
Someone help me
Death
He’s going to kill me
Someone help
Death
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フードの男
奇妙な笑い声
侵蝕侵食
ノドがつぶれてる?
The man in the hood
A creepy laugh
Erosion, erosion
Throat collapsed?
A man in a hood
Strange[-sounding] laugh
Gnawing at me, eating at me
A hoarse throat?
[note: 侵蝕侵食 does indeed seem to be two versions of the word for “erosion”. The second one is used in the description of her other Thought, to refer to the kind of encroachment/erosion of Silent into the subconscious.]
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Move & I’ll kill you
Where will he take me?
Female cop’s voice
Escaped
騒ぐと殺す
どこに連れていかれる
女の刑事さんの声
逃げて行った
He’ll kill me if I make a scene
Where’s he going to take me?
The female detective’s voice
He ran away
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羽虫の夢 Dream of Flying Insects Winged Bug Dream
最近よく見る夢のシーンが、 日常生活にまで侵食している。 どこか懐かしさと暖かさを 感じる夢のようだ。
A frequent dream’s scene infiltrates daily life. There is warmth and nostalgia there.
A dream she’s having frequently these days is encroaching into daily life. It seems like a dream about somewhere warm and nostalgic.
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同じ夢を観る
キレイな場所 
ポプラの綿毛が漂う
羽虫となって飛ぶ
美しい景色
声が聞こえる
Seeing the same dream
Beautiful place
Poplar fuzz floating
Becomes a bug & flies
Beautiful view
I hear a voice
[I keep] having the same dream
A lovely place
Poplar fuzz floating in the air
I become a flying insect and soar
Beautiful scenery
I hear a voice
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帰っておいで
かりそめの地
故郷に戻れる
Come back
A temporary place
I can go back home
“Come back”
A transient place
I’m in my native land
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itocaci · 3 years
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online shop “立夏” update
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こんばんは。
昨日、一昨日と気持ちの良いお天気でしたね。
ちょっと僕は開店前に散歩がてら公園までいってきました。
ベンチに座って気持ちの良い陽射しと爽やかな風を感じながら読書をしてきました。
本を開くと舞台は雪化粧に覆われた世界。
こんな気持ちの良い初夏日和に、銀世界の話をまさか読むことになるとはと思いながらページを開いて読み進めると、本の間に綿毛が飛んできます。
ふと見渡すと、初夏の風に乗ってどこからかたくさんの綿毛がふわふわと飛び回っていました。
ポプラの木でしょうか。調べてみるとヤナギの木も綿毛を飛ばす品種があるそうです。
初夏に舞う雪ではないですが、思わぬ初夏の風の計らいで、物語の舞台に近い、幻想的な世界の中読むことができました。
ささやかな喜びなのかもしれませんが、こういった素敵な時間を遠くに出かけなくても楽しめるというのは、自粛期間の発見なのかもしれません。
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さて、本題ですが、本日より暦は夏へと移り変わります。
5/5はこどもの日ですが、今年は”立夏”でもあります。
2月に春を迎え、気がつけばあっという間に夏へ。
この頃から比較的天気も安定し、心地よい日が増えてくるそうです。
また、各地で田植えも行われ、日本の原風景をお楽しみいただけるのではないでしょうか。
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今回は「薫風」、「光」、「新緑」などをキーワードにこれからの季節に装いに取り入れていただきたいアイテムをピックしてみました。
とはいえ長雨などから急に気温が下がったりする日もあるかと思います。
まだまだ羽織はなかなかと手放せませんが、徐々に夏の装いの準備を始めてみてはいかがでしょうか。
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ぜひ一度ご覧いただけると嬉しく思います。
また引き続き、緊急事態宣言下でもありますので、”stay home” 期間におすすめのアイテムと”Mother’s Day”特集アイテムも僅かですが掲載しております。
合わせてご覧いただけると嬉しく思います。
なお、下記URLよりご覧いただけますので、よろしくお願いいたします。
https://itocaci.thebase.in/
それでは次回もお楽しみに。
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hoory · 4 years
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RT @jishin_dema: 【再掲】拡散動画で「ポプラの綿毛は火災の原因になるので燃やして除去している」というのは誤り。燃えているのは意図的ではなく、そのたびごとに消防が出動して消しているとのこと。こちらの(5)を参照。 https://t.co/xqc8Ylniyv
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grykenjp0328 · 4 years
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公園に雪のように舞うポプラの綿毛
 今の季節、札幌ではポプラの綿毛がホワホワと舞っています。見た目には雪の様できれいですが、雪と違って溶けないので顔や身体にくっついてくると少し鬱陶しいですね。人によってはアレルギーもあるようなので注意が必要です。
 ポプラの木にはオスとメスがあって綿毛を飛ばすのはメスの木だけです。
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ポプラの枝が風に揺れて綿毛が飛び散ります
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My CSS bubble  
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池のほとりに咲いている黄色の花きれいだね。
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キショウブって花なんだ。
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ukigawachihiro · 7 years
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『虹と木漏れ日』  虹と木漏れ日。朝露のついた葉っぱ。死んでしまったアゲハチョウ。地を這うアリが集まってくる。今朝の冷え込みは森全体を湿らせて、寒さに耐えきれなかったアゲハチョウの翅をアリたちが運んでいく。木漏れ日の中を生きたアゲハチョウが飛んでいく。空には大きな虹がかかっていた。胸に抱えたスケッチブック。描きたい場所を探して見つけた景色は、中学生の日常からかけ離れていて、私自身もその景色の一部であることに全く実感が湧かなかった。  ○  新しいクラスの親睦会を兼ねた林間学校で近くの自然公園に来た。中学三年生にもなると森の中で遊ぶ機会も少なくなるので、飯盒炊飯を行うキャンプ場までの山道すら、ロールプレイングゲームの中盤のダンジョンのような険しさに思えた。道中襲ってきたスズメバチは紛れもなく凶悪なモンスターだったし、日本最強の猛獣であるエゾヒグマに出喰わす可能性だってゼロじゃない。こんな危険な場所に、ジャージ一枚という装備で強制連行する先生方のリスク管理能力は問題視するべきだろう。そんな不満を心の底でふつふつと煮込んでいた私を他所に、クラスメイトたちはこの林間学校を割と楽しんでいるようだった。  はしゃぐ友人たちの中でも、同じ班の中村君の飯盒炊飯に掛ける意気込みは凄かった。班員で分担して持ってきたカレーの食材の内、私はジャガイモを、中村君はカレールーを持ってくることになっていた。私もカレーは好きなので、煮込んでも型崩れしにくい品種であるメークインをきちんと選んできたのだが、中村君は市販のルーではなく小麦粉と数種類のスパイスを持ってきたのだ。クミン、コリアンダー、ターメリック、チリペッパー。他にも聞いたことがないスパイスが数種類。コンソメ顆粒にニンニク、生姜。塩と胡椒。そんなものがやけに大きなリュックから続々と出てきた時には、班員全員が唖然とした。二年生の時から中村君と同じクラスだった班長の大竹さんは「またやってる」と慣れた様子だった。 「中村君って料理好きなの?」  三年生からの転校生である坂本さんが器用にジャガイモの皮を剥きながら聞いた。中村君はスパイスを調合しつつ、声だけで返事をした。 「好きっていうか、どうせ作るなら美味しいものを作りたいし」  班長の大竹さんが呆れて言った。 「ルーで十分美味しいじゃん。バーモンドの中辛と辛口を混ぜれば、それでもう最高のカレーでしょ」  春の川の冷たい水のような声が印象的だった。臙脂のジャージとは似合わない青白い肌がそういうイメージを与えているのかもしれない。大竹さんも中村君も、勉強も運動もできる優等生という共通点はあったけれど、性格というか、二人の持つ性質は真逆だった。色で言えば青と赤。安っぽく言えば氷と炎。「冷静と情熱」なんて言葉もあるけれど、それは少し違う気がした。大竹さんの方が氷を直接手で持った時のような鋭さや常識を破壊していく激しさみたいなものが感じられる。一方の中村君はというと、強さも弱さも優しさも厳しさも美しさも気持ち悪さもごちゃまぜにして煮込んだような、それこそカレーのような人に見えた。  他の班が協力して各々の料理を作っているのに対して、私の班は中村君に料理を任せ切っている感じで、野球部の斎藤君なんかは元々同じクラスだった長谷川君と連れ立って、キャッチボールに行ってしまった。野球素人の文化系である長谷川君に対し、斎藤君は変化球を全力で投げ込んでいるため、キャッチボールは続かない。斎藤君の一方的な投球練習のようだったし、実際、そのつもりだったのかもしれない。カレー作りは中村君の独壇場となっていたので、大竹さんも遊びに出た二人を止めなかった。大竹さんと私は大きな鍋で玉ねぎを炒め始めた。「体で止めろよー」と大きな声がした。「無茶言うなって」と情けない返答があった。長谷川君が止められなかったボールがキャンプ場の近くに流れている川に落ちたらしく、二人はジャージをふくらはぎの上まで捲り上げ、川の中へと入っていった。川辺にはアゲハチョウがたくさん飛んでいた。  調理場に残った唯一の男子はまだ解凍しきれていない豚肉を一生懸命剥がしている三浦君だった。暇な時間があると、三浦君はよく変な話をした。 「この冷凍肉を狙って熊が出たら、皆は僕を置いて逃げるといいよ。サバンナで襲われたガゼルは、時間の無駄になるのに大きく跳ねるんだって。それは群れに危険を知らせる意味もあるのかもしれないけど、生存競争においては不利にしかならない。でも、ガゼルは本能として跳んでしまう。そんなガゼルに親近感を感じるんだよね、最近」  私は「へぇ」と曖昧な相槌を打った。大竹さんが大きく溜め息をついた。漏れた溜め息はぬるま湯のような確かな感触を持って、辺りを包み込んだ。  ○  中村君が最低三十分はカレーを煮込むというので、鉛筆とスケッチブックを持って、散歩に出た。  絵を描くことは私の数少ない趣味の一つだ。描くものはあまり決まっていない。どちらかというと風景というより具体的なものを描く方が多かった。具体的なものといっても、通常の物体とは限らない。さっき「見えた」ぬるま湯のような溜め息。小さい頃から、ああいう確かに在るのに語られることのないものをよく描いていた。  ○  普通の人が見えないものが見えていると気付いたのは、小学校中学年ぐらいだったと思う。保健室のベットの閉じられたカーテンの向こうから、声にならない泣き声が嵐のように私を包んだときだ。一番強烈に覚えているのは、修学旅行で行った自殺スポットとして有名な滝だった。それはもう、魑魅魍魎や百鬼夜行といった具合でそういうものが溢れかえっていた。霊感の強い友達が「何かいる。嫌な感じがする」なんて言っていたけれど、私の目には、赤黒い怨念がぐるぐるとその子の首を締め付けている姿が映っていた。嫌な感じ、といってお茶を濁して片付けていいレベルではなく、その怨念は確かに「その子を殺したい」という強い意志を持っていた。滝は真っ逆さまに五十メートル程落ちていたけれど、滝壺には霧と様々な感情がひしめき合っていて、美しいはずの水面は全く見えなかった。  私の世界に溢れている、確かにあるのに誰にも語られないものや音や色や感触や温度を誰かに伝えるために、気付けば私はそれらをひたすら描くようになっていた。  最初、母は私のことを天才だと褒めちぎっていた。しかし、母に見えている世界ではない意味不明な絵ばかりを描く私が気持ち悪くなってきたのか、その内、絵以外の習い事ばかりさせるようになった。それでも、私は時間を見つけてはノートに落書きを描いていた。父がそのノートを見たときは、お祓いをしてもらおうと有名な神社に連れて行った。神主さんはさすがで、ふさふさの大幣を振るう度に光の粒が広がって、とても綺麗だったのをよく覚えている。  ○  この森にはたくさんのそういう輩がいて、とても賑やかに見えた。見えると言っても、よくある「黄色いオーラをまとったあなたは・・・」みたいな占いみたいな感じじゃなくて、もっとはっきりした感覚だ。例えば、林道にたくさんの鬼火が飛んでいる。見上げた先、枝の隙間には仄暗い地縛霊の影がふわふわ漂っていた。風が吹けば、葉が擦れる森の音がして、オレンジ色のお腹をした小鳥が地縛霊や鬼火を避けるようにして飛んでいった。普段、街中では色んな人の色んな感情に押し流されそうになってしまうけれど、森はもっと賑やかで、もっと優しかった。  森の中を描くものを探して彷徨っていると、どこまで行っても続く緑に迷い込んでいくような気がしてくる。まるで自分が小さな虫になって、ぐるぐると虫かごの中を回っているように感じてくる。目の前にある大きなカツラの樹が、さっき見たものなのか、それとも初めて見たものなのかも分からなくなる。この道はさっき通った道なのか、それとも皆から離れていく道なのか。普段、家や学校の周りで生活をしているときには感じたことのない気持ちが心の中に積み重なっていく。ぐるぐるぐるぐる。森の中を彷徨っている私と鬼火と地縛霊のどこに違いがあるのだろうか。  じめじめした落ち葉に隠れていた虫の私が、少年に掴まれて光の中に出されてしまったように、急に森が明るくなる。  尾根に出ると緑のトンネルを抜けて、突き抜けるような青空が見えた。ものすごい高いところをカラスが飛んでいる。枝は大空に向かって上に上にと伸びている。崖のような藪に向かって、食事をしていたシマリスが走っていった。陽光が細い葉の上に残っていた幾つものの朝露を輝かせていた。朝露を覗き込むとその一つ一つに虹が入っている。空色のガラスの中に虹が閉じ込められているようで、とても不思議な光景だった。  後ろを振り返って虹を探す。深い青空に大きな虹がかかっていた。空。虹。森。とても綺麗だけれど、抱えたスケッチブックに描くには少し大きいかな。  座ってお茶を飲むことにした。ずっと林道を歩いていたので、気付けば息が上がっている。平たい石に腰を下ろすとジャージから石の冷たさがお尻に伝わってくる。目の前に、山吹の花が咲き誇っていた。鬼火でも地縛霊でもない、とても普通な、美しい花だった。  ○  そういえば昔、占いに依存していた時期があった。毎朝登校前に、ニュース番組の星座占いコーナーをチェックして、順位、注意点、ラッキーアイテムをノートに書き留めていた。学校から帰ってくると家族共用のパソコンの電源を入れ、誕生日占い、動物占い、手相、姓名診断と順に占っていく。最終的には何人かいた好きな人候補の中から本当に好きな人を相性占いで選んだ。「山吹彩夏」「〇〇〇〇(好きな男の子)」といった具合に二人の名前を入れて、「占う」ボタンをクリックするだけで簡単に結果が出てくる。何を決めるのにも占いが必要だったのだ。  結局のところ、占いが当たることも当たらないことも経験した私は、自然と占いへの依存から脱し、「そんなことよくあるよね」といった程度にしか信じなくなってしまった。ちょうどその頃、占いよりももっと確かに感じているこの世界が、占いよりももっと不可思議な世界なのだと疑い始めたのかもしれない。  星で溢れているはずの夜空に暗闇が残されているように、きっと、この世界には目で見ることができない、耳で聞くことも、舌で味わうことも、指で感じることも、機械で観測することもできない物質やエネルギーがある。あるはずなのに、ただ見えないから「ない」としてしまう人が、嫌いだ。そういう人はきっと私のことも見えないものとして扱っている。一生関わり合うことのない異物として。  尾根を吹き抜ける風が吹いた。  どこからか飛んできたポプラの綿毛。今年、初めて見た気がする。  森の季節が移ろいゆくように、私も変わっていくのだろうか。いつか、こういう目で見えないはずのものも感じられなくなってしまうのだろうか。みんなが大人になって、今よりずっと大人になって、そうすると、今の友人たちは影も形も無くなってしまうのだろうか。いつの間にか消えている虹みたいに。  ○ 「何してんの」  目の前に中村君が立っていた。さすが男の子。ここまで登ってきても全然息が切れていない。それでも、少し顔が赤くなっていた。私は仕方なくスケッチの手を止める。中村君が非常に邪魔なのだ。美しい花が中村君の情念のような赤黒いものでほとんど隠れてしまっている。わずかに見える綺麗な花の山吹色も、臙脂色のジャージが写って、カレーのような風味になってしまっている。 「カレーできたから、呼びにきたんだよ」  見上げると、照りつける日差しに丸い葉が透けて、わずかに重なりながら、鮮やかな薄緑色の点描画のようだ。確かにそろそろお昼時だ。  スケッチをやめて、鉛筆をしまった。立ち上がり、振り返ると、そこにはまだ虹が薄くかかっていた。私と中村君はみんながカレーを待っていることを知りながら、しばらくその場に立ち尽くした。  ○  「虹と木漏れ日」  中村君がそう言った。  私はびっくりして、中村君を見ることができない。どうして彼は私の見ている世界が分かるのだろうか。中村君はそれきり何も言わなかった。ただ、そこにいて、私が振り返るのを待っているのだ。見えなくても、聞こえなくても、沈黙と風の中に、その気持ちが伝わってきた。  確かに感じることができるものだけが、世界ではないのだ。見なくても、聞かなくても、触れなくても、伝わる気持ちがあるということを、私は初めて知った。気付いてしまえば当たり前の事だった。誰かに見られる前から、花は美しい。誰に教えられなくても、その優しい少年は小さな虫を外の世界に出してあげるのだ。  私を虫かごから出した少年は、中村君だったのかもしれない。その仕草は荒々しくて、とても好きになれないけれど。その気持ちは真っ直ぐすぎて、遠くに逃げたくなってしまうけれど。私は少年に感謝しなければならないのかもしれない  ○  虹と木漏れ日は占いのラッキーアイテムにはなりえない。滅多にないものと日常にありふれているものだから。でも、それらは間違いなく私の心を解きほぐしてくれた今日限りのラッキーアイテムだった。  葉についた水滴から、虹が逃げていく。私たちの心からも、いずれ消えてしまうのかもしれない。例えば十年後、また中村君にあったとして、私は今日のことを思い出せるだろうか。森の空気、カレーの匂い、山吹の花の良い香り。よくある霊感や虹よりも、もっと不確かで、確かなもの。そんなものを描くことができないだろうか。暑くなってきた森の中では、小さく蝉の声が響きだした。  木漏れ日の中で、消えゆく虹を見ていた。      (終わり) 【作成中の長編『タイムカプセル』より『虹と木漏れ日』】
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mojohandblues · 7 years
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ポプラの綿毛 (北海道大学 高等教育推進機構)
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kamiton · 2 years
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. 昨日の帰り道。 札幌は新緑の季節。 #建築 #建築デザイン #建築設計事務所 #スタッフ募集 #北海道長崎県人会 #北海道 #札幌 #中島公園 #豊平館 #ポプラの木 #ポプラの綿毛 #札幌観光 #poplarfluff #sapporosightseeing #hokkaido #sapporo #architects #architecture #architecturedesign #recruit https://www.instagram.com/p/CeOAbKepsLv/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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milkteabonbon · 7 years
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宝石の季節
フランスでは、五月一日に大切な人やお世話になっている人へ鈴蘭の花束を贈る風習があるそうだ。贈った人にも贈られた人にも幸運が訪れると言われているらしい。帰りに花屋へ寄ってみたら清楚にまとめられた鈴蘭のブーケが真っ赤なカーネーションの鉢植えに気圧されるようにひっそりと並べられていたので、金曜日ではなかったけれど一つ買ってしまった。二、三日しか保たないと但し書きがついていたが、Porte Bonheurなのだから良いのだ。なめらかな流線形の葉とふるふると幾つもの揺れるつぼみをつけたMuguetを片手に、どの花瓶に生けてやろうかと考えながら皐月風吹く家路を急ぐ。五月は好い月……。この季節が来ると思わず諳んじるこの詩が、マジックアワーの薄紫に溶けだしてゆく。 三月の終わりにアジアンタムを育て始めてから、すっかり園芸ブームが巻き起こってしまった。細かい銀杏型の葉が連なった、見た目にも涼しげなこのシダ植物は、根元から蕨に似た薄黄緑のやわらかな新芽をぐんぐんと伸ばしている。最高気温が二十度を超える日が多くなってからというもの、彼らは目に見えて旺盛に生長するから面白い。朝と晩に霧吹きで葉に水を掛けてやると、しゃらしゃらと音が鳴るようにざわめくのだ。手が濡れるのも構わず根元を探ると、またいくつかのあたらしい芽生えが見える。私はすっかり満足して、まだ水気の残る手をガウチョパンツの腿のあたりにこすりつけて家を出る。 今日はチャービルとカモミール、それからスイートバジルの苗を買った。ベランダには既にレースラベンダーとセダムのテラコッタ鉢が据えてあるから、どうにかスペースを作ってやらないといけない。限りあるベランダを植木鉢が行ったり来たり。 種苗店に行くとついつい手が伸びてしまう。カレル・チャペックの「園芸家12カ月」の四月の園芸家みたいに、苗を植える余地を探して右往左往することになると知っていても。 カモミールはお茶が飲めるくらい花が咲くと良いのだけれど、苗はまだ青々と繊細な葉を茂らせている。チャービルはオムレツに入れたくて育てることにした。バジルはガパオ。トマトソースに使うのもいいし、さっと炒めてやってもいいと、あれこれと作りたいレシピが浮かぶ。その前にまずはこのちいさな苗を大きくしてやらなければ。ベランダ園芸家の悩みと楽しみは尽きない。 ーー五月は好い月、花の月、芽の月、香の月、色の月、ポプラ、マロニエ、プラタアヌ、つつじ、芍薬、藤、蘇枋(すはう)、リラ、チユウリツプ、罌粟(けし)の月、女の服のかろがろと 薄くなる月、恋の月、……ーー 与謝野晶子「五月礼讃」 目に映るものが宝石のように皆つやつやと光を帯びて、生の歓びを歌いだすような、五月である。何もかもを赦し、祝福するようなムード。公園の噴水広場には子供たちがちいさな足を浸している。売店には古びたソフトクリームの看板。道路沿いに植えられたソメイヨシノの新緑があまりにまぶしくてそっと地面を見やると、木漏れ日がちらちらとモザイクのように輝いた。ガラスの破片が目に飛び込んだようで慌てて目を瞑ると、一瞬世界が静寂になる。頭の芯で切なく赤い色の血の流れる音だけがどくどく響いている。またゆっくりと目を開く。途端、色彩と光と音の洪水に巻き込まれる。飼い主に連れられた焼き過ぎたトースト色の犬の湿った鼻先、揃いのキャップを被った老夫婦の背中、ベビーカーからはみ出した爪先に引っかかったおもちゃみたいなスニーカー、一斉に飛び立つ鳩の群れの羽音、手足を動かすのがとにかく楽しくてたまらない子供の腕をしっかりと掴む母親のまなざし、クスノキの清々しい緑。舗装の隙間から生えた、ふわふわの綿帽子になったたんぽぽを摘む。ふっと息を吹きかけると、無数の綿毛が蒼穹に吸い込まれていった。 ーーやれ来た、五月、麦藁で 細い薄手の硝杯(こつぷ)から レモン水をば吸ふやうな あまい眩暈(めまひ)を投げに来た。 与謝野晶子「五月礼讃」
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redux-pain · 5 years
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chapter 04: Police station
On visit 1, Nami will have a different response depending on whether you made her angry at the school. Mako’s line, “You’re a big boy, right?” was originally just, “You’re a boy, aren’t you?” Probably changed because that’s much less acceptable to Western audiences.
On the second visit, Yui will let you ask only two questions, then she’ll go back to the investigation. She does have lines responding to Poplar Fluff and Strange Voice.
Again, I don’t know whether it’s possible to have these Info items. So far I’ve only seen one instance of text in a script file that I know was dummied out of the actual game, that being the would-be description for Atsuki’s apartment. But Sayuri’s Thought seems pretty unavoidable and it didn’t drop those items. Since I’m not turning up anything about Poplar Fluff or Strange/Weird Voice in old walkthroughs, I’m gonna go ahead and add tag for Removed Dialogue on scenes involving them.
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>Info >Strange Voice [presumably]
奇妙な声? そんな報告は入っていないわ。
誰かを探しているのかしら?
それだったら、奥の 受付を訪ねてみてちょうだい。
悪いけど、私は担当外だわ。
Strange voices? We haven’t had any reports of that.
Are you looking for someone?
Then go see the secretary in the back.
Sorry, that’s not my department.
[YUI:] A strange voice? We haven’t gotten any reports about that.
Are you looking for someone?
If you are, then go see the information desk in the back.
Sorry, but that’s not part of my job.
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>Info >Poplar Fluff [presumably]
綿毛?
ポプラはこの辺りでは 生殖していないわよ。
探すのなら、図書館で 植物図鑑を借りなさい。
本物が欲しいなら、 生殖地を調べてみるのも良いわ。
Fluff?
Poplars don’t grow naturally around here.
Maybe check out a book on plants at the library.
If you want a real one, go look up where they grow.
[YUI:] Poplar fluff?
Poplars don’t grow around here.
If you’re looking for one, try checking out a guide to plants from the library.
If you want a real one, you should look up where they grow.
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