単巻作品
『風花雪月』
喫煙の補導で停学になった高校生の知幌。両親が激怒する家に帰りづらく、従兄の束の部屋に転がりこむ。その町で佳鈴という女性に出逢い、ひと目で惹かれるが、彼女には夫も娘もいて……男子高生×人妻のラブストーリー。
『IN BLOSSOM』
愛してるのは二次元の彼!重度の夢女子・季羽は進級したクラスで早瀬という女子生徒に目が留まる。近づきたい、でも触れたくない。そんな季羽は、“ノンセクシュアル”という恋はしてもセックスは求めない性を知る。
『月の堤』
精神安定剤を飲み、工場で働く毎日をやりすごす心を病んだ青年。ある日、職場で古株のおばさんになじられる新人の女性に目が留まる。何となく気になるものの、彼女には娘がいて──哀しいほどの純愛を綴る恋愛小説。
『ミメシスの夜』
昼は「普通」に紛れて過ごす彼らは、夜、いつものバーでありのままのすがたになる──ビアンの未桜、トランスセクシュアルの透羽、ゲイの七音とバイの伊緒。いつも四人で過ごす夜に、柳という中年男性が現れ……?
『僕の爪痕』
クラスメイトの女子である里菜に、暴力的なイジメを行なう少年・早原。スクールカースト上位の彼が、底辺の里菜を容赦なくいびる背景には、幼い頃からトラウマが関係していた。彼は里菜に「恐怖」を覚えていた──。
『PASTEL ZONE』
死後に待っていたのは異世界転生──じゃなく、現世に遺した人々に対して“無力”になったことを思い知らされる、気のふれそうな時間だった!家族、友人、恋人の中で過去になる自分に、あなたなら耐えられますか?
『砂糖づけの人形』
容姿のことでイジメられて以来、髪をほどくこともなくなった結菜。そんな結菜の前に現れたのは、家の都���で引き取られてきた佳月というはとこの美少年。次第に結菜に心を開いた佳月が語った、彼の過去とは──?
『Baby,RAG BABY』
僕は好きになった人と幸せになれない。同性を好きになった日から、そう思ってきた希雪。そんな悩みを知ってか知らずか、ふたごの妹の希咲は希雪の書いた詞をたどってギターを弾く。そんなふたりが出逢ったのは──
『ミチカケループ』
DV彼氏の束縛を愛だと言い張る彼女、そんな彼女に片想いする彼、ふたりの力になろうとする彼女、そして彼女が片想いする彼は……さまざまな男女の負の感情が絡みあい、吐き気がするような連作短編集。
『360°』
「僕、女の子が好きなんだよね」ある日、親友の雪月がそう打ち明けてきた。男ならそうだろうと思った千晶に、雪月は自分の心は女の子なのだと訴えてくる。さて、軆は男、心は女、それなら恋する相手は──?
『Blue hour』
クリスマスの朝、闘病していた僕の恋人が死んだ。彼女がいなくなったこの世で、それでも生きていかないといけない。それは気の遠くなる長い夜を過ごすようで──愛する存在を喪っても、前を向いて生きるための物語。
『死花』
僕には命など邪魔物でしかない──誰も自分など愛さない、そんな想いに囚われ、“心”や“意思”のない物体を愛し、やがて死体性愛に目覚めていく少年。殺さないと人を愛せない彼は、ついに一線を超えてしまうが……?
『まちばり』
幼い頃に捨てられた少年は、残飯の中から赤ん坊を拾い、その子を妹として守り育てることを心の支えに成長する。ずっと盗みで生きてきたふたりは、ある日、男娼宿のオーナーである男に目をつけられて──?
『ロリポップ』
遊びほうける高三の夏休み。大して本気でもない彼女、校則違反だらけの親友、俺も将来を考えることから逃げている。そんな現実逃避の毎日の中、自傷癖を持った女の子と出逢い、次第に惹かれていくけれど──?
『中2ヒーロー』
知名度と話題性で作家になる芸能人。俺のクラスメイトの神凪瑠斗みたいな奴。音楽、モデル、文学、何をしても認められて、何だよもう!俺の取り柄は書くことだけど、そのたったひとつにも��は当たらないのに。
『男の娘でした。』
駄菓子屋で店番をする癒は、子供たちに「姫」と揶揄われている。青春は華やかな男の娘として暮らした癒。しかし今はイケメン女子の恋人・伊鞠に首ったけ。彼女のためなら何も厭わぬ、ハイテンションラブコメ!
『僕らの恋はうまくいかない』
書くしか取り柄がない青年・希音の周りの人々は、みんな恋をこじらせている。女装男子に恋するゲイ、塀の中の初恋の人を想う少女、実の弟との関係に溺れる女性、好きな人のペットに過ぎない少年──
『彼女の恋は凪いでいる』
恋をする。私にはその感覚が分からない──自分はどこかおかしいのかと悩む舞凪が知ったのは、自分が無性愛者(アセクシュアル)だということ。そんな彼女と、高校で知り合った三人組の男女は……?
『それでも君に恋をする』
この気持ちは報われないかもしれない。どんなに想っても届かないかもしれない。距離を取る親友、兄の婚約者、勘違いする彼女、振られた相手、長年の友達、失恋を引きずる男女。それでも、君が好き。
『雪の十字架』
彼女は俺を怨みながら死んだ。高校時代の同級生の死に取り憑かれ、精神を病んだ瑞栞。しかし恋人である陽葵に寄り添われ、やっと未来に光が芽生えたはじめて──そのとき、少女の怨念としか思えない惨劇が始まった。
『恋にならない』
三十歳。焦って婚活もしない私は、誰とも結婚なんてしない気がしてきた。そのほうが気楽でいいとさえ思っていた。なのに、あるきっかけで夫のいる女性と親しくなって──ねえ、私たち、友達のままならよかったの?
『白濁の血』
俺のなめらかで蒼白い肌は、まるで白濁を浴びたときのままのようで。幼い頃、さらわれて犯人と倒錯的な時間を過ごした美しい少年。忌まわしい記憶をなぞりながら、カミソリで自分を傷つける。彼の傷ついた魂の在処は?
『深紅の盃』
血を飲みたい。僕はその異様な欲求をこらえきれない。でも、君が僕のそんな欲望を理解してくれた。だから、ただ君のそばにいられたらよかったのに──ある日突然現れた美しい彼が、僕から理性を掠奪する。
『雪薬』
枕営業も厭わないホステスの凪子。そんな彼女を支えるのは処方される大量の薬。今日も口説き落とそうとしてくる客である作家が飲みに来る。薬さえ飲めば、まともでいられるんだから、それでいいじゃない──
『MIDNIGHT』
お互いを犯すように、一線を超えて禁忌に耽る姉弟。そこに愛はなく、ただいらだちを吐き出して夜の行為を重ねていたが、ある日、姉弟の幼なじみが隣の家に帰ってくる。そこから、姉弟の関係は揺らぎはじめて……
『START OVER』
夢の中でくらい、幸せな恋ができたらいいのに。そんなことを思うアラサー女子・真幸は、今日も職場後輩の恋バナマウントをかわす。このままひとりなのかな。そんな不安も一抹感じる日々、彼女の前に現れたのは──?
『アイオライトの夜』
あの残暑の夜を、私はきっとずっと忘れない。祖母を亡くし、乾燥したような退屈な日々を送っていた少女。ある日、彼女はクラスメイトの少年の飼い猫探しにつきあうことになり、さらに「帰らずの森」に踏み込むことになるが……?
『アスタリスク』
ずっと死ねばいいのにと思いながら生きてきた。機能不全の家庭、登校拒否の教室、そんな環境に身を置き、繰り返すのは自殺にも至らない自傷行為。それでも、こんな僕でもまだ──。言ってはいけない願いをこめて。
『指先に触れる君が』
周りにはゲイであることを隠し、ひっそりだけど、穏やかにつきあう映乃と真冬。しかし思いがけない運命に引き裂かれ、かけはなれたふたりに起きる、切なすぎる奇跡──ファンタジー風味のボーイズラブ。
『万華鏡の雫』
秘かに想いを寄せていた恵波とつきあうことになった水澪。幸せな交際が始まったが、恵波をつけ狙う不気味な影と、謎めいた水澪のルームメイト・早凪によって、徐々に歯車が狂いはじめる──血塗られたグロテスクBL。
『揺籃に花』
俺の家族はみんな狂っている。そんな俺も家族を避けて引きこもって暮らし、夜にだけ街を出歩く。いつものバーで引っかける男娼のキキのことは気に入ってる。ただし恋愛感情ではない、そう思っていたけれど──
『さいれんと・さいれん』
「ほかに好きな子ができた」いつもそう言われて彼氏に振られる桃寧。俺なら心変わりなんかしないのに。そう思っていた水雫は、ついに桃寧とつきあうことに!そして現れた桃寧の弟は男の娘!?NTR系BL。
『ローズケージ』
雪理と雪瑠、そして颯乃。幼い頃はいつも三人一緒だった。しかし雪瑠が失踪したことで、三人はばらばらになってしまう。数年が経ち、中学生になった颯乃の前に現れた雪瑠が語った、雪理と共に受けていた虐待は──
『Noise From Knife』
担任教師の水波と秘かにつきあい、心も軆も愛されている優織。このままずっと先生のそばにいたい。そんな甘い願いは、優織がナイフを持った何者かに襲われたことで壊れはじめる──恋心と友情が錯綜するBL。
『樹海の影』
静かに暮らす姉弟の藍と燐。ふたりは夜ごと軆を重ねる、ゆがんだ男女でもあった。このままではいけない──分かっていても、呪われた記憶を共有するふたりは、互いに狂おしく執着する。これは愛情か、あるいは呪縛か。
『黒血の枷』
幼い頃、おぞましい出来事に見舞われたこまゆ。しかしその記憶も薄れた頃、その出来事が起きた町へと帰ってくる。懐かしい友達、幼なじみとの甘やかな再会──しかしこまゆを襲った悪夢は、まだ終わっていなかった。
『茜さす月』
幼い頃の忌まわしい記憶を共有し、互いを求めあってきた姉弟、萌香と有栖。ある日を境にふたりは離れることを選ぶが、それでも秘めた心では相手への狂気じみた執着が絶えることはなくて──禁断の愛の果ては?
『紅染めの糸で』
幼い頃から片想いしていた年上の幼なじみに大失恋した香凪。友達には早く次を見つけろと言われるが、簡単に心は切り替えられない。そんなとき遭遇したのは「男なら誰でもやれる女」こと深月毬実の情事現場だった。
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普遍性なき真実
龍と誠葉の契
4月馬鹿企画テーマ「立場逆転」
「ひとつ願いが叶うのなら」
僧侶姿の彼はハボダの眼前に近づき、にこやかに問いかける
「貴殿が求めるそれは、例え魔法使いだとしても強欲が過ぎる願いではござらんか?」
人懐こい笑みで、それでいてハボダが立つのもやっとな殺意を振り撒く僧が、人間ではなく龍であるのは自明の理であった
(一)
発端は、前線に近い集落まるごとが消え失せた報告が人龍連合に届けられたところからだった。確かに集落があった場所に、何の痕跡もなく全てが消え失せているとなれば、例え誠葉を用いたとしても異常である。
そして、なぜだかトラブル収束名人として名高い(不本意)ハボダが、その調査員として派遣されたのだ。何だって自分が、とハボダは文句を言おうとした。が、しばらく1人行動だから静かだぞ、と上の人間が爆発音を背後に告げたら、もう頷くしかなかった。先日、胃薬を受け取りに行って、あまりの顔色の悪さに睡眠薬を盛られた彼に必要なのは、静寂と平穏だったのだ。
そんな経緯で集落跡地にやってきたハボダを出迎えたのは、1人の僧侶であった。彼は人懐こい笑みで、ここに尋ね人がいたのだと説明する。こんな前線で、と怪訝な顔をしたハボダだったが、僧侶の手に握られていたのは、誰かの遺品であった。
「弔いを頼まれましたので」
僧侶の言葉に嘘は無いようだった。
「拙僧、名を玲瓏と申します。天の星を知るために、旅をしている僧侶です。貴殿は、その身なりからして遠い西の方と見えますが」
「西方の民を知っているのか」
「以前に彼の地へ近づいたことが。とは言え、乾期であったため商人に止められました。せめて雨季に向かうべきだと」
「賢明な助言だ」
西方の乾燥地帯を嫌というほど知っているハボダは、確かにこの僧侶が故郷間際まで来ていたのだと信じた。
「玲瓏殿、確かに俺は西方出身だ。名をハボダと言うのだが、今は人龍連合の一員として晦冥とも名乗っている。どちらでも好きなように呼んでくれ」
この地域ではあまり馴染みのない握手をハボダが求めれば、すんなりと玲瓏はそれに対応する。
「では、ハボダ殿とお呼びしましょう」
それで互いに挨拶は終わった。
(二)
「しかし、人龍連合のハボダ殿がここにいるということは、何かしら龍がこに集落を消したということでしょうか」
玲瓏からの問いかけ。ハボダはその問いにわからないと言って、首を横に振る。
「その調査員として俺が派遣されたのだ。……例え龍がその力を振るったとしても、こうも跡を消していくのは珍しい。そもそも、前線に近いとは言えここを襲う理由がわからない」
「ここは戦線においての物資補給所、ではなかったと?」
「ああ」
そこでハボダは玲瓏に、この集落が実は舞を奉納するための舞台があり、その舞台を維持する人々しか住んでいなかったのだと説明した。
「このような戦禍の最中、それでも舞を途絶えさせないと抗っていたのですか」
「それなりに名のある神事でもあったからな。宣言前は、祭りの日は人だらけだった」
舞い散る春の花、霞のように桃色が視界を覆い、風の姿を写しとる。その中心で一糸乱れぬ舞を踊る女人たちの姿は、荘厳の一言で表せられないものであった。
ハボダはかつて見た一幕を思い出し、その記憶の一片たりとも重ならない光景に、悲しみ覚えた。一体、この場で何が起きたのだろうか。
「ふむ、なるほど……ハボダ殿。その調査、拙僧も手伝わせていただけませんか?」
玲瓏の提案に、ハボダはタダビトを巻き込むわけにはいかないと断ろうとした。が、続く彼の言葉に躊躇いが生まれる。
「この遺品は羽衣です。きっと舞に奉仕する女人の物だったのでしょう」
彼は、と玲瓏が一区切りつける
「最後まで、この衣を手放しませんでした。そして、この地にて供養を頼むとも言われました。拙僧は、何もないこの地を見て困り果てておりましたが、これも何かの縁。ハボダ殿の調査に同行すれば、供養の道も開けます」
玲瓏の言葉は至極真っ当に思えた。
「……そこまで言うのなら、許可しましょう。ですが、危険なので俺の指示には従って貰います」
「構いませぬ。拙僧は弔いさえできれば何も望みません」
その純粋な言葉に、他の魔法使いもこうならいいのにと、ハボダは泣きそうになったし、胃痛は和らいだ。
(三)
何から調査をするのか、と玲瓏から問われた時、ハボダは土を調べると答えた。というよりも、初めてこの地にやってきた時に、彼は奇妙だと思ったのだ。
「痕跡がなくなった、集落がなくなった。この情報に含まれているのは、建物があって人がいなくなったと状態かと思ったのだが」
「実際は建物全てが消え失せていますなぁ」
「ああ、しかも倒壊とかの形跡もなし。ただただ、地面の上の物全てが消え失せている」
「だから地面を調べるのですか」
「そういう事だ」
ざり、とハボダが足元を撫でれば、変わり映えのない土が指先に着く。数度撫でて砂を退かせば、堅い大地が顕になった。が、やはりおかしいと彼は思う。
「玲瓏殿、できる限り砂を退けてください。なるべく広範囲でお願いします」
「目的は分かりませぬが、砂を退かすのですな?」
大きめの枝葉を幾つか探して来ましょう、と集落より離れたところに向かい、暫くすると枝葉の束を2つ、玲瓏は手にしていた。
「簡易の箒です。作業はこちらの方が捗るかと」
ハボダにも手渡された道具が、あっという間に砂を動かしていく。そして、結論が出た。
「ありえないことだが、建物の土台や支柱の跡すら遺されていないようだ」
顕になった大地には僅かな窪みはあれど、そこに人工物があった跡はない。全て、一様に、変化することなく、全く同じ状態の地面が広がっていた。
「足跡一つ、生活の痕跡一つ、そして火や水の跡すら残していない。異常だ」
「異常というよりも、化かされている気になってきましたな」
ハボダの出した結論に、玲瓏もまた同意する。が少しばかりユーモアも混ざった言い回しになっていた。
「周囲から見れば奇妙な空白地ですから、場所を間違えた訳ではありますまい。が、その空白に何の痕跡もないとはいやはやこれは」
一体、どのような魔法なのでしょうか、と玲瓏がハボダに尋ねた。が、ハボダは答えられない。正確には、己の持つ属性や魔法の規模が大きければ可能かもしれないが、それを可能とする龍は滅多にいないという事だ。
ハボダの契約龍からの情報なので嘘ではない。そして、契約龍はこの件には関わっていない。なぜなら、契約龍はこの規模の誠葉をウタえば、間違いなくもっと甚大な被害を出すし、制御をする概念を持たない。人がいた集落だけが消え失せさせた器用さが、あの龍にはないのだ。
だからこそ、ハボダは頭を悩ませる。間違いなく龍だ。だが、龍がなぜそんな面倒なことをしたのだ?
「ハボダ殿?ハボダどのー?」
何回か耳元で玲瓏がハボダの名を呼ぶ。1人考え事をしていたハボダはハッとなって、玲瓏に謝罪した。が、僧侶はケラケラと笑って「ハボダ殿は真面目でございますなぁ」と気にした風でもなく次の話題を出す。
「ハボダ殿は龍の仕業と疑っておりますか」
「ああ」
「では、龍がこれを行う理由があったのですな」
その玲瓏の言葉に頷こうとしたが、ハボダは思いとどまる。龍と人間は違う価値観で動いている。呼吸と同義で、天災を振り撒く龍もいるにはいるのだ。全てを人間基準で考える訳にはいかないのを、彼は伝えることにした
「龍の価値観……でございますか」
「人には人の、龍には龍の道理がある。確かに龍にとって必要なことだったのかもしれないが、それを俺たち人間が理解できるとは」
思えない、と続くはずの言葉を玲瓏が止めた。
「ハボダ殿は思い切りが良すぎるようですな」
人も龍も、生きているという点は変わりませぬ。感情があるのは否定できませぬ。そう、訥々と語る僧侶の言葉をハボダは黙って聞く。
「ですから、龍がここに何を求めたのかから考えませんか?」
それこそ分からん代表だと、なぜかハボダは言い返せなかった。
「まずハボダ殿にお尋ねしたいのは、なぜ舞が奉納されるようになったのでしょうか。奉納ということは、納める相手がいたはずです」
その指摘にハボダは、かつて見た神事の発祥を記憶から引き摺り出す
「桃源郷に住む貴人……への奉納だと聞く」
「桃源郷?」
「天上人が暮らす極楽、らしい」
その答えに玲瓏は「異界ですな」と呟いた。
「異界?」
「そうでございまする。こことは違う場所、こことは異なる場所。天国、地獄、あるいは川の向こう、山の向こう、海の向こうにある隔絶された場所。もしくは龍が住む人から離れた地」
「……まさか」
舞は隔絶した場所に住む龍に奉納する儀式であったのか、とハボダは驚愕した。
「龍が御伽話の存在となっても、龍にまつわる伝承は各地に多く残っております。また、ハボダ殿も承知でしょうが、龍は人の形になれましょう?ならば」
「龍が自らの身を隠して、人と交流してたのか」
「神事として残されたのならば、きっと何か契約をされたのかもしれません。その代価として、舞の奉納が続けられていた。……契約内容を推察できる何かを、ハボダ殿は知っておりますか?」
質問を受け取る前から、ハボダの脳内はずっと回り続けていた。何だ、何だ、契約内容は一体何だったのだ。
「祭の名は」
唐突に玲瓏が言った。その言葉にハボダの脳内に閃くものがある
「桜姫懐古祭……懐古!?」
舞踊る女人たちの姿、朗々と紡がれる祝詞、そして極め付けは
「桜姫という役は、まさか……」
舞を踊る女性たちの中でも、一際着飾った女性がいる。それを神事では桜姫役と呼び、舞台の中央で1人特別な舞を踊るのだ。それは栄誉なことであり、桜姫役はその年に結婚できるという伝説まであった。
桜の精だの、春の精だの、散々憶測混じりの蘊蓄を酔っ払いたちが口にしていたが、真実は違う。これは人間の女性と龍の恋愛譚なのだ。
幾年も幾年も、繰り返し繰り返し、龍に見せるための舞であり、龍に魅せるための奉納であったのだ。そして懐古祭の名の通り、結ばれた契約は龍の慰撫。愛した女性を忘れさせないための契約。そういう時に龍が与える寵愛は、愛した存在が住まう土地の守護が多いのをハボダは知っていた。
「……舞を奉納しなかったから、なのか?」
「……」
「この情勢下で舞を踊れなかっただけで、許せなかったのか!?」
ハボダの口調が荒くなる。声が張り、わなわなと腕を震わし、視線が険しくなる。怒りが彼を支配した。
「彼らは忘れてはいなかった。彼らは舞を大切に思っていた。今は舞えないかもしれないが、それでも消していい理由ではなかった!」
「ハボダ殿、落ち着いてくださいませ。何も、その舞の奉納相手がここを消したとは限りませぬ」
「だが、龍以外に誰ができると言うのだ!?」
「龍には龍の道理があるとおっしゃったのは、ハボダ殿でございましょう? それに今は戦時中です。龍も十分にそれを分かっておりますよ」
「なぜ言い切れる」
今度は逆にハボダが玲瓏を問い詰めた。
龍の動機が分かった。神事の意味も理解した。そこから導き出される答えは、散々を繰り返された悲劇でしかない。だが、
「ここを守護する龍は、龍王には従わなかった。ハボダ殿の契約龍や人龍連合におりまする龍たちと同様、人に寄り添う立場でありました」
玲瓏の言葉に、ハボダは頭に上っていた血が下がるのを自覚した。
そして、今目の前にいる僧侶の言葉に、違和感をようやく抱く。
「玲瓏殿は……なぜそれを」
口にしたのは悪手であったはずだ。何の防御策も打たずに、問いかけるなど普段のハボダならしない。にも関わらず、ハボダはまだ信じられないでいた。人懐こそうなこの少年顔の僧侶が、龍であることを信じられなかった。
いや、今の今まで気づかないほどに、彼は人の気配しかせず、言動に悪意もなく、人とそうずれたわけでもない感性で持ってハボダと会話を成り立たせていたのだ。それを龍が可能とするには、長く人と共にいなければならない。
「……彼は、人の寿命というものをちゃんと理解しておりました。いずれ消えゆ命、龍とは違う時間の歩み。それでも、僅かな時間を共にいられるだけで良かったと言っておりました」
ハボダの質問の意図とは異なる答えを玲瓏は紡ぎ始める。そこにあるのは、人と変わらぬ愛しいものへの慈愛であった。
「むしろ足掻こうとしたのは、人である彼女であった思います。あの日、彼が一目惚れした舞をずっとずっと見ていられるように、彼女の舞を受け継がせようと晩年まで躍起になって指導していたそうですから」
とは言え桜舞い散る中で踊る彼女は、老いてなお美しかったそうですよ、と玲瓏は茶化す。
「かの龍の名が忘れられ、桃源郷の貴人となっても。あの一途な女人の存在が忘れられ、桜や春の精となっても。人々の生活溶け込み、神事となり、祭りとして賑わう中で、あの日の舞が延々と続くその光景は、拙僧からしても美しいものです」
ですから、龍王の宣言を龍は受け入れず、人を守ろうとしました。
「玲瓏殿は……ここを守護する龍と」
「人にとっては長い付き合いなのでしょうな。あんなにも空を飛び回り、大地が狭いと言っていた彼が、こんな小さな土地の、こんなにも小さな命に全てを捧げる姿は」
「姿は」
「あはれ、でございました」
その言葉にハボダは絶望的なまでの差を実感する。
(四)
玲瓏の言葉に、説明に、始まりを知ったハボダは、ふとした違和感を覚えた。
集落の守護をしていた龍、そして消えた集落、跡形もなく広がる場所とその場に来たおそらく龍の玲瓏。長い話と歴史に逸らされそうになったが『根本的な部分が何一つ解明されていない』点が気になった。
今度は警戒心を持って、ハボダは尋ねる
「玲瓏殿」
「何ですかな」
「貴殿は弔いたいと言っていた。そして、この地を無くしたのは守護する龍とは限らないとも言った。では、ここは一体どこの龍によって全てを消されたと考えるべきか」
その瞬間、玲瓏の気配が変わる。
「うむむ、ハボダ殿は流されてはくれませんでしたか。人というよりも魔法使いとしては、大層な人情家をお見受けしたので、これで流されてくれるかと思ったのですが」
意外と論理的なお方だ、と言って玲瓏はそれまでの柔和な雰囲気をかなぐり捨てた。そこにいるのは、間違えようもなく龍だ。
「改めまして、ハボダ殿。拙僧は玲瓏。時に金緑とも称される龍でござます。これでも龍王軍の一員なれば、この地を守護する龍の説得要員でございました」
編笠を被り、袈裟を纏う少年は、尋常ではない生命力の気配を纏い、ハボダの前に対峙する
「その説得が功を為さず、結果貴殿がこの地を滅ぼしたのか!」
震える声を精神力で正し、ハボダは玲瓏を問い詰める。いつでも誠葉を放てるように距離を取ろうとしたが、それでも身体は恐怖で鈍くしか動かなかった
「拙僧はこの地を消してなどおりませぬ」
「では誰が」
「そも、ここは消えてはおらぬのです」
何をふざけたことを、と思ったハボダだが、玲瓏は何かしらの誠葉を口にする。ハボダはその瞬間、自らも誠葉を唱え、かの僧侶へと攻撃をした。が、そこで奇妙なことに、誠葉が共に事象を成す前に消えたのだ。
「これはッ」
「先に告げた通り、桃源郷という異界と化した場所に彼は長らくおりました。それが彼の力、彼の誠葉。拙僧相手では、それしか道が残されていない悟ったのでしょう」
つまりは神隠しですな、の説明にハボダは「馬鹿な」と言いたくなった。
「いやはや、実はちょっと拙僧も困っておりました。龍王軍としてはここの龍には退いて貰わねばならぬのですが、拙僧とは相性が悪く、こうして閉じ籠もってしまうと手出しができぬのです」
ですが、と嫌な笑いを浮かべて玲瓏はハボダを見る。
「ハボダ殿の力は、ここの龍にとっては最悪な属性でして」
「そんなことを言って、俺が貴殿に協力するとでも思っているのか!?龍王軍に味方するほど落ちぶれてはいないぞ」
啖呵を切ってハボダが言い返しても、玲瓏は特に応えた様子は見せない。
「ですが、異界に囚われた人は助けられましょう」
玲瓏の一言にハボダは息を呑む。
「龍の作り出す異界は、龍のためのもの。そこに人間への配慮はあまり為されませぬ。まぁ珍しく人への配慮がある龍なのですが、そもそも拙僧らとは根本的な体の違いがあります故、不具合はありましょう。長くいればいるほど、常人には耐えられないものかと」
「だが、」
「ここの地にいた人々は既に守護の龍の存在を忘れていたのでしょう?いくら彼らを守るためとは言え、龍王の宣言の後に出会う龍となれば、恐怖で精神を摩耗するものも出ておかしくはない」
「それでも、お前たち龍王軍がタダビトを逃すとは」
「では約束をしましょう」
こ��地に住まう人々は見逃そう、と玲瓏は告げる。
「守護した龍は」
「龍王に楯突いた時点で、末路は決まっておりまする。流石に彼は見逃せませぬ」
「見捨てろと?」
「全てを見捨てるか、龍見捨てるかの2択でござろう」
全てを失うよりかは、よほど良いのではないか?の提案のハボダは揺れる。
「それとも、今のこの場でハボダ殿が拙僧を倒して大団円を目指しますかな?まぁ、貴殿の力は少々厄介ですが、それでも器は人間ですからなぁ」
玲瓏の指摘通りであった。ハボダの属性は陰陽五行の中でも珍しい、陰属性だ。稀有であるし、その中でも攻撃力は高い。が、玲瓏の存在そのものが次元が違う。
「ハボダ殿の意見を拙僧は尊重しましょう。ここの集落の人々を助けて龍を見殺しにするか、龍の願いを聞き遂げて集落の人々を見捨てるか、その命を捨てて美談ぽく終わらせるか」
どう致しましょうか?の言葉に、ハボダは苦悩する。
「俺は」
「ハボダ殿は?さぁさぁ、どうしましょうか」
『そこまでにしてもらおうか、金緑』
唐突に第三者の声が割って入った。ハボダは周囲を見回すも、声の主は見えない。だが、玲瓏は驚くこともなく「遅かったでございますな、東風殿」と曰う。
その呼びかけに応えたのか、ハボダの背に龍が現れた。
『相変わらずの悪趣味さに反吐が出る』
「東風殿に言われたくないでございます。かつての戦いにおいて貴殿との策謀談議、どれだけ拙僧らが苦い思いをしたか」
『そのまま返すぞ』
ぽんぽんと気兼ねなく交わされる会話に、ハボダは目を白黒させる。
東風と呼ばれた龍は彼に『すまなかった』と言った。
『玲瓏は始めから、貴殿を利用しようとしていた。いずれ私が玲瓏の前に出なければならないように、貴殿に無茶な要求を突きつけたのだ』
「東風殿は人間に大層な情がおありですからね。例え見知らぬ魔法使いと言えども、あの選択を迷う時点でハボダ殿はこの龍の守護対象になりえましょう」
2頭の龍からの説明で、無意味な選択肢を突きつけられていたのをハボダは実感する。始めから一人相撲だったのかと、ハボダは玲瓏を睨んだ。が玲瓏は特に気にした様子はない。
「さて、東風殿。覚悟がお決まりかと思いますが、拙僧と共に」
「ちょっと待て」
「龍王軍まで」
「だから待てと」
「ご同行を」
「聞け、この陰険龍!」
「酷いでございます、ハボダ殿!拙僧、これでも龍の中では陽気な部類でございますよ!!」
『嘘つけ腹黒龍』
散々と玲瓏と東風の会話を邪魔し続けたハボダは、ようやっとこちらを見てくれたことに安堵する。対し、玲瓏は頬を膨らませ、いかにも怒っていますと顔に出していた。
それを呆れた表情で眺めるのは龍なので、いまいち締まりがない。
「もう、ハボダ殿はまだ何か言いたいことがあるのですか!?ちゃんと拙僧、約束は守りますぞ。東風殿も、そこは拙僧を信じているからこそ出てきてくれたのでしょう!?」
『いや、余計なことをこれ以上出さないようにだが?お前との約束はハボダ殿を人質に取るつもりだった』
「信頼ゼロでしたか」
「いや待て、俺を人質に取るとはどういうことだ?」
『うむ、貴殿の命を奪わない代わりに、こちらの民の命を人龍連合に保護させようと』
「俺はあなたを庇ったのだが?」
『違う。金緑は初めから人流連合の一員である貴殿の命を奪おうとはしていなかった。その力の価値を認めていたからだ』
「東風殿」
そこで初めて玲瓏が焦った表情を浮かべる。対し東風は余裕そうで、ハボダに説明した。
『金緑の口約束など端から信用などしておらん。だが、こいつはわざわざ貴殿に選択肢を与えた。人龍連合の魔法使いにそれを提示した意味を考えれば、簡単だ。金緑は貴殿に負い目を負わせたかったのだろう』
そして、と続く言葉は意外なものだった。
『問答を聞いている限り、貴殿はかなりの人情家。貴殿ならば見殺しにした龍の願いを叶えようと足掻くかもしれないし、結果金緑が求めるものを差し出すかもしれない。それは業腹だったので、私が貴殿に無理難題を押し付ける形にしたかったのだ』
(五)
ハボダは混乱していた。
消えた集落、おそらく龍に捧げられた舞の奉納、龍王軍と敵対した龍、その龍を排除しに来た龍、玲瓏にとって有益な力を持つハボダの価値。それぞれが、それぞれの立場で話を引っ掻き回し、筋道を見えなくしている。
何が正しいのか、何を目的としているのか、それが見えない。ならば、とハボダは深呼吸を一つ吐く。深く長く吐き続け、緊張を解き、思考をクリアにし、そして自身の目的を思い出す。
名はハボダ
人龍連合の魔法使い
消えた集落の謎を解き明かし、可能な限り人々を助ける
それだけだ。それが彼の芯であったのだ
ハボダの前では、玲瓏が東風に余計なことをと悪態をついている。だが、先程のよう焦りは見受けられない。ならば、まだかの龍の狙いからは離れていないのだ。だからハボダは確認しなければならなかった。確認のために、彼は自分自身へ向けて誠葉を解き放った。
(六)
ハボダの誠葉を止めたのは、玲瓏だけだった。東風は止めず、玲瓏だけが焦ったようにハボダが紡いだ誠葉の被害を食い止めたのだった。それが三者共に理解した時、次にハボダの命を狙ったのは東風であった。またもや玲瓏が止める。確かに、玲瓏にとってハボダが人質として効くようだった。
「ああもう、厄介なことをしてくれましたな!」
苛立ち混じりにハボダを抱えて玲瓏は飛び回る。飛び回りながらも東風からの攻撃を全て変化し、無力化させていた。
「それもこれも、ハボダ殿がせっかくまとまりかけてた話に横槍を入れたからですぞ!ああ、あの時無視しておけば」
「そう、それだ」
「どれですか!」
「あの時、俺に与えられた選択肢は龍を見捨てるか、人間を見捨てるかだった。だが結局は龍を見殺しにする道に誘導された」
抱えられながらも、ハボダは1つ1つを丁寧に考え始める。
「ハボダ殿は割とピンチかと思うのですが、それでも考えるのですか!?」
ああ、と頷いたハボダは舌を噛まないよう注意しながらも喋り始めた。
「玲瓏殿の目的は、この地を守る龍の排除。ただ、これまでの様子からして、貴殿は攻撃されなければ相手を攻撃できない縛りがある。あの東風と呼ばれる龍は、それに気づいて篭城戦へと切り替えた」
「対し東風と呼ばれる龍の目的は、この地の守備。集落の人間は発狂するかもしれないが、籠城戦をすればこの大地は守れる。つまり、両者とも狙いは土地であり、人間ではなかった」
「…………」
ハボダの説明に、玲瓏は何も言わない。
「そこにやって来たのが、俺だ。当初玲瓏殿は俺の力を使って、籠城戦の要である異界を壊そうとした。だが、ここで奇妙なことに土地の守護を放棄して東風は集落の人間の保護のために姿を現した。彼の説明だと、俺を使えば集落の人間が助かると思ったからだ」
しかしこれはおかしい、とハボダは思う。始めから龍たちは人間の命は度外視していた。ハボダの登場で、なぜ人間の命を天秤に乗せたのかが分からない。
しかし、玲瓏が何らかの狙いでハボダの命を守る動きをしている点を加味すれば、何となくこうではないかと仮説が浮かぶ。
「ただ一つの目的ではなく、優先順位があったはずだ。俺という異端がやって来たことで、当初の目的の優先順位が両者の中で入れ替わったのかもしれない。そこで俺を使うために、双方が人間の命を駆け引きに利用し始めた」
「たかがッ魔法使い1人の価値は重くないですよッ」
ハボダの言葉を否定する玲瓏だが、その顔の余裕はどんどんと剥がれていく。
「では、二頭の龍の狙いは何か。この土地に何があり、何故ここに両者共固執するのか。俺の力を使うと守護が壊れるのは確か。そして、この土地を欲しがる玲瓏殿にも不具合が生まれる」
さらにハボダは己の考えを述べていく。
「ここまで考えたとき、そもそも本当に舞の神事は龍の為に行われたのだろうか?という疑問が生まれた。確かに人と龍の交流があったのは事実だろうが、玲瓏殿は舞を踊る女人に一目惚れした龍が彼だった、と。龍のための奉納ではない、龍以外への奉納だ」
ならば始めから玲瓏はハボダを騙していたのだ。いや、事実の一部だけを教えて、誤解するように誘導していた。そのために、東風は業腹と言い放ったのだ。
「だが、両者ともに俺に真実を教える訳にはいかない事情もあった。俺が人龍連合に所属しているからだ」
「ハボダ殿、まだ話は続きますかな」
「ああ」
「拙僧、そろそろハボダ殿を庇いきれなくなりそうなのですが」
「嘘だな、何が何でも俺を生かしたいはずだ。陰属性……というよりも、俺が使う重力の誠葉は天の星に関わる」
その瞬間、玲瓏から表情が消える。
「玲瓏殿はその身を隠しながらも、天の星を求めると言った。東風殿は空を飛んでいたにも関わらず、大地に降りた。そして、春の訪れ、桜の開花に合わせる舞から考えれば、ここで行われていた神事は豊穣祈願。田畑のない土地に固執するとなれば」
ハボダは誠葉を紡いだが、玲瓏や東風に向けていない。
真っ黒な球体が地面を抉った。
誠葉は今度は転移もせずに発動し、大地を抉り、巨大な穴が開くとその下に隠れていたものを顕にする。
玲瓏は無表情に、東風は焦りを滲ませて、ハボダを睨んだ。
だが、ハボダの視線は巨大な穴に注がれている。そこにあったのは広々とした空間。
「人には見せたくないもの、龍が奪い合うもの、正確な暦に関係するもの、重力の誠葉で価値が変わるもの」
もう一度ハボダが誠葉を紡ぐが、東風が止めようとし、玲瓏の誠葉が予想外の現象を引き起こす。結果、その穴の中に記されたものが照らされた
「俺は正確に理解できないが、価値は知っている」
「これは星々の動きを記録し、計算し、予測された結果生み出された『数式』と『公理』だ」
(七)
ハボダが魔法使いとなったとき、契約龍から聞かされたのは重力というものの可能性だった。
重さ、質量、体積くらいまでなら分かるのだが、引力や力の釣り合い、果ては光の歪みに時間の伸び縮みなど、到底ハボダには理解できるものではなかった。
だが、契約龍自身もよく理解できていないらしい。本能でかの龍は身体に刻み込まれているため、特に苦も無く誠葉を紡げるようだった。だからこそ、人間であるハボダには���理だろうという前提で与太話として教えていた。「やろうと思えば星を降らせることも可能だ」と。
そんな馬鹿なとハボダは否定したが、契約龍は時代が時代ならやれたと豪語する。かの龍は人と龍が別れた頃に誕生した龍だ。存分にその力を振る舞うことはできなかったが、それでも独りで宙を目指したこともあったらしい。
「月に行きたかったが、生憎と誠葉が紡げなくなった。上は音のない場所だったんだ」
ハボダにとって契約龍の話は、そんな場所があるのかと好奇心が育つよりも、奇怪な御伽噺を聞かされた感覚が強い。
「なら、誠葉が届かない場所に浮かぶ星を落とすことなどできないだろう?」
「星は自らの力で位置を決めるのではなく、蜘蛛の巣のように互いを引っ張るらしい。だから綱引きのように」
引き込む力を強くすれば、星を落とせるのだ。と酔っ払いの戯言みたいなノリで教えられたのだ。
「だが、それにはどれだけの力が必要なのか確認せねばならない。人間は星を観察して、数で力を表しているとの噂だ」
「数式というやつだな」
「そうだ。誠葉は音として消えてしまうが、数式があれば」
星が落とせる日も来るかもな、と契約龍は上機嫌に教えたのだ。
もっとも、ハボダという魔法使いには到底できない力の使い方であったし、契約龍も龍王の宣言に反発していたからこそ今は人龍連合に身を寄せている。両者ともに本気で星を落とすつもりはなかった。
が、まさかである。
(八)
「秘匿されるべき数式と、俺の扱う誠葉への関与。あの契約龍の与太話かと思っていたが、まさか本気で星を落とす式があるかもしれない、などと誰が思うか」
玲瓏に抱えられたままのハボダの呟きに、今度こそ二頭の龍は沈黙した。
「龍王軍はこの式が欲しく、ここの守護者なら秘匿したい」
まさにハボダの存在がイレギュラーだったのだ。龍同士の膠着が、龍に対抗できるかもしれない方法を血眼になって探している連合の魔法使いに見つかった。しかも、鍵となる属性持ちだ。
玲瓏はこの場とハボダが欲しい。東風は例えこの場は放棄してもハボダだけは玲瓏に渡してはならない。
その思惑が今に至る。これで、ハボダはようやく龍に一矢報いる手段がわかった。
「なるほど、貴殿たちが生み出す策略に泣いたものが多いのも納得だ」
ハボダの腹の底から沸々と湧き上がる感情は怒り。せっかくの静かで平穏な調査任務。なのに!なのにである!!
「は、ハボダ殿?何を考えているのですか?」
玲瓏が恐る恐るハボダの顔を窺う。東風もまた、怪訝な顔で魔法使いを見つめた。
「やっっっっっっっってられるかあああああああああああ!!!!!」
それはハボダ渾身の叫びだった。
そのまま勢いで誠葉を唱えるが、あまりにも考えなしだったので結果、
「え?ええ?ちょ、ハボダ殿!?うわっ、重力の展開が早い」
『金緑ッ、その魔法使いを離すな!』
「無茶言うなでございます!!こんなネズミ花火みたいな状態で」
『こんな無茶苦茶な使い方があるか!私の誠葉の領域まで歪み始めた』
ハボダは玲瓏の腕から逃れ、そのまま東風の領域を穴だらけにする。
予想外の動きにそれまで散々ハボダを振り回していた龍たちは、片方は生け取りにしようと、もう片方は始末しようとした結果、慌てすぎて互いを邪魔し始めていた。
そしてその隙を逃すほどハボダも阿呆ではない。
「お前たちも目的なんか知るもんか」
地面に開けた穴から中覗き見る。
壁に床に彫られた文字、数、図形、記録の数々。その叡智が敷き詰められた空間で多くの人々が倒れ、苦しそうな顔を浮かべて絶命していた。とっくに彼らは発狂していたし、ハボダは遅すぎたのだ。
尚更彼の怒りが増大する。怒りのあまり、魔法の出力を誤った。
やめろと叫んだのは玲瓏か東風かは分からない。ハボダにとってはどうでもいいことだ。
彼は契約して得た力でもって、ありとあらゆる数式を記した壁を、床を、書物を、人を、まとめて押しつぶしたのだ。
ハボダ自身の身すら危険に晒すほどの重力の塊は、あらゆるものを飲み込む球体となる。
周囲を飲み込み続けている中、逃れる術が見当たらないことに、ハボダはとっくに気付いていた。そしてそれをくだらない最期だなと思う感性も持っていた。
とは言え、あの人間の命などどうでもいいと言わんばかりの龍たちが死守したかったものは壊せたのだ。
ならば良しとしよう、とハボダが思った矢先に別の誠葉が展開される。
「人情家ではなく激情家なお方とは思いませんでした」
やれやれと言った顔で、玲瓏が再びハボダを抱えて崩れかかった空間からあっさりと脱出したのであった。
(九)
「古代の叡智ぶち壊しは想定外でしたなぁ」
『何千年もの努力を壊すその度胸、逆に敬意を抱くぞ』
先程まで殺し合いをしていたはずの龍たちは、息のあった煽り文句をハボダにぶつけていた。
ピキピキとこめかみの血管が浮かぶほどに、それはハボダをイラつかせる。
「うるさい、黙れ、いい加減にしろ、俺は人龍連合の魔法使いだ。龍王軍とは敵対するし、人の命を奪う龍は憎む。それが俺の道理であり、このくだらない争いを止める手段だった訳だ」
龍には龍の、人には人の道理がある、と再度口にすれば、玲瓏は仕方がないと座り込んだ。
「ちょろいと思っておりましたが、案外頭が回るお方で驚きでございます。今後のために反省会を開きたいのですが、ハボダ殿の都合の良い日を教えてくださらぬか?」
『私も参加しよう。あとハボダ殿も盤上遊戯会は如何だろうか?貴殿ならきっと他の龍たちにも気に入られると』
「茶番はや め ろ」
ちぇー、つまんなーい、と文句を言う龍たちに本気でハボダは呆れる。
「で、」
「で?」
『うん?』
「何故、俺を助けたんだ?」
「それは弔いのためですよ」
最初の玲瓏の目的だったはずの言葉に、これまでほぼ全てが嘘だったのを知ったハボダは思わず「嘘だろ」と呟く。
「嘘ではございません。まぁ、確かにハボダ殿を騙す目的もありましたが、この地の慰めは拙僧らの役目ではなかったので」
何故だとハボダが首を傾げるよりも先に、玲瓏が東風殿と呼ぶ。東風は無言で玲瓏を見つめ返す。
「土地も人も憂いもなくなりました」
『ああ』
「その命を拙僧にお渡しください」
『仕方ない、あがけよ金緑』
ハボダが止める間もなく、東風は己で自身の命を終わらせる。はらはらと崩れ落ちる身体を目の当たりににした玲瓏は深々と礼をした
「さらばです、東風殿。貴殿との策略遊戯は楽しかったですよ」
震える声で送った言葉、お辞儀をしたことで見えぬ玲瓏の表情
「なぜ、何故だ!」
「龍王軍に楯突いたのです。当然の帰結でございましょう」
「だが、土地も人もなく、憂いもなくなったのなら共に」
「共に生きれませぬ。拙僧は龍王軍として抗うと決めました。そのためならば、かつての友であっても命を奪うのです」
しかし自殺だったではないか、のハボダの反論に、玲瓏は初めて敵意を露にする。
「もし仮にひとつ願いが叶うのなら、ハボダ殿は何を願いますか?」
「何を突然」
「それは犠牲なく叶えられると思いですか?そんな、都合のよい、誠葉よりも万能の何かがあると思いですか?」
「だが」
「ひとつ願いが叶うのなら」
玲瓏はハボダの眼前に近づき、にこやかに問いかける
「貴殿が求めるそれは、例え魔法使いだとしても強欲が過ぎる願いではござらんか?」
人懐こい笑みで、それでいてハボダが立つのもやっとな殺意を振り撒く僧が、人間ではなく龍であるのは自明の理であった。
「無理なのですよ、最初から。拙僧と東風殿が対立した時から、どちらかしか生きられない程度には追い詰められていました。少しでも時間稼ぎをするために、篭城戦までした。貴殿の登場で僅かな希望が生まれましたが、それも潰えた。ならば、決まりきった決着をつけるしかないでしょう」
つらつらと続く言葉。
「拙僧には役目があります。それを東風殿は慮り、自ら幕を引いたのです。彼には守護する土地も人も物もございませんから」
だから、と玲瓏はハボダに告げる。
「ハボダ殿が覚えてくださいませ。この地で、この美しい花があった場所で、誰が舞を送り、誰がそれを受け取り、どうして龍が守護したのか」
「それは嘘なのだろう」
「そうでしたね」
「貴殿が俺を騙すために誘導したもので」
「ええ、もう少し騙されてくれればと思いました」
「そもそも俺は人龍連合の一員で」
「存じております」
「なのに……」
俺に弔えと言うのか、とハボダは玲瓏に尋ねる。
「ハボダ殿は人情家で激情家なお人ですから、きっと流されてくれると思ったのですよ」
先程までの龍としての圧もなく。出会ったばかりの頃の、どこか人懐こい少年顔の僧侶として、彼は微笑んだ。それでハボダはこれが断れない策略だと気付く。気付いたが、もう疲れていたのでどうでも良かった。
「玲瓏殿」
「はい」
「貴殿ともう二度と会いたくない」
「拙僧としては、また巡り合う日を楽しみにしております」
「勘弁してくれ。……だが、嘘つきで意地っ張りの馬鹿な龍の願いくらいは叶えてやるさ」
「ひどいことを仰る。春だからこそ、愚かな振る舞いをするのですよ」
お互いにね、と悪戯っぽく玲瓏は笑い、そして誠葉を紡ぐ。その身は空へ、空へと登っていった。ハボダはしばらく空を飛ぶ龍の姿を眺める。が、眩しい光に嫌気がさして、すぐに視線を集落の跡地に向けた。
やることは山積みだが、まず彼は
「静かだな」
しばしの平穏を享受したかった。
(十)
玲瓏の帰還に合わせ、彼の部下たちが出迎える。口々にこれまでの戦果や被害が報告される中、一頭の龍が玲瓏に尋ねた。
「そういえば、あの数式は手に入れられたのですか?」
玲瓏の古馴染みが守護する土地に、星に関する数式があるのは龍王軍には周知の事実だった。
「いいえ。予想外なことに全部壊されてしまいましたからね」
「おや、それは残念でしたね。あれさえあれば、玲瓏様の研究が大分進むようでしたが」
ふ、と部下の視線が壁一面に描かれた天体図に注がれる。そこには幾つもの数式もあった。
「ないものはないので、また一から研究し直しですなぁ」
ああ面倒だ、と言わんばかりに彼は記された文字の幾つかを消す。
「東風殿が拙僧の味方だったら話は早かったのですが……あの方は、拙僧と同じく龍王の存在は嫌いですが、龍王そのものは気に入っていますし」
残念でしたなぁ、と呟く玲瓏に悲壮感はない。龍王への不敬とも取れる言葉さえ軽い。
「玲瓏様。いくらあなた様が龍王様の腹心、右腕としての地位があったとしても、先程のような発言は慎まれた方がよろしいかと」
「良いんですよ、これで」
「ですが、」
「どうせ龍王は東風殿との一件すら拙僧の悪あがきにしか思っておりませんから」
慢心して貰わないと、の言葉さえ玲瓏は隠さない。
「拙僧、龍王の思惑を知っております。龍王軍の行末も察しております。だからこそ、龍王軍の右腕として策を練りましょう。龍の未来のために、人の未来のために、何故なら天の星に恋した身なので」
正気も理性もなくすほどに恋は偉大なのですよ、と恍惚な笑みを浮かべて玲瓏は星の名前を呼んだ。
END
キャラ紹介:ハボダif
人龍連合所属の晦冥の魔法使い
重力を操る誠葉を扱うが、人間のため使用には制限が掛かる
苦労人のツッコミ気質
連合の火消し担当だけど先に爆発物という名の同僚の撤去から始めるべきだと思ってる
頭はたぶん良いはず
キャラ紹介:玲瓏if
龍王軍所属、龍王の右腕であり腹心
変化変容の誠葉を操る古の龍
戦闘能力自体はあまりない。���で戦略特化で軍を従わせている
明るい性格だが腹黒いので、上の年代の龍ほど警戒度が高くなる
龍王概念嫌いと公言しているが、龍王自体は好き。龍王の狙いに便乗して、星の研究をしてる
東風(ゲストキャラ)
固定の誠葉を扱う玲瓏とは同年代の古の龍
空が好きで、星も好きで、玲瓏と飛び回っていたけど、舞を踊っていた女性に一目惚れしてから地上住まいをしてた
龍王の正体にも気付いているし、玲瓏の狙いも薄々察している
数式渡したら破滅一直線なので絶対渡すものかで対立した
立場逆転だと
・ハボダ本来の気性の荒さが全面に出る
・肉体による制限がないので、玲瓏のやっちゃいけない誠葉倫理が吹っ飛ぶ
・正史ハボダは色んな情で右腕として身動き取れなくなってるけど、if玲瓏は1つの情のために他全部切り捨てて暗躍含めて動いてる
な感じかなぁと思いました
たぶんifの方が気質的に本人たちのストレス少ないと思うけど、それはそれとして龍王軍の暗躍と暴走がより酷いことになるので、正史の方がまだ安全ぽそう
あと玲瓏ifが恋しちゃった天の星は、数多ある星々の中でも一等情のある『彼らが生きる』星です。これ以上告げてしまうのもあれだけど、お題に則したセリフ回しにすると分かりにくいので補足しました
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