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#令和の怪物
nobu-izakaya · 1 year
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ari0921 · 6 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月1日(金曜日)
『中国の代理人』、最後の『パンダハガー』の大物
   怪物キッシンジャー、毀誉褒貶のなか、百歳の大往生
*************************
 1971年、世界に孤立していた中国に「利」を説いて近づき、反米路線を大胆に修正させたリアルポリティックスの体現者は、その北京秘密訪問が劇的だったので、なぜかアメリカ外交の立役者のように言われた。
 じっさいに現在のホワイトハウスの対中影響力よりヘンリー・キッシンジャーの立場は強いと評価された(台北タイムズ、12月1日)。なお中国語のメディアはキッシンジャーを基辛格(環球時報、連合報)、季辛吉(台湾『自由時報』)と書く。
 キッシンジャーは1969年から1977年までの八年間、米国外交の舵取りを担った。ロックフェラ-の外交顧問だった彼を政権に招き入れたのはリチャード・ニクソン大統領だった。
ニクソンとキッシンジャーが、外交で重視したのはリアリティであり、モラルやイデオロギーより優先し、力の均衡で冷戦構造を形成した文脈では戦後米国外交の立役者ニクソンと並ぶだろう。
 ところがFBIの工作でウォーターゲート事件のスキャンダルに襲われたニクソンがレイムダック入りした時期に、キッシンジャーはするりと外交の主役の座をもぎ取っていた。
 従来の歴史学に重点に置いて学説、地政学の伝統に囚われてき外交を、リアルポリティックの実現に結び、米中関係の回復、ソ連の孤立化を導き出した。これは元来、ニクソン大統領の発想だった。ところが、北京秘密訪問を演じたキッシンジャーにスポットが当たった。
 当時、NYタイムズにでた風刺漫画を筆者は鮮明に記憶している。
ニクソンとキッシンジャーがホワイトハウスの庭を歩いている。柵外からみていた見物人が言う。
「ところでキッシンジャーのとなりにいるのは誰だい?」
 キッシンジャーは泥沼に嵌まっていたベトナム戦争を早期終結されるため、ラオス、カンボジアのホーチミンルートに秘密爆撃をなして圧力をかけ、ベトナムと交渉し、停戦をもたらす「功績」があった。
これでノーベル平和賞をうけたのが、彼の絶頂だったのではないか。
「あのノーベル賞はいかがわしい」とする世評をよそに、トニー・ブレア元英国首相などは「外交を芸術にした」などと褒めあげた。「和製キッシンジャー」と言われた若泉敬(佐藤栄作時代の沖縄返還の密使)は、「キッシンジャーの著作に書かれたことを信用するな」と言っていた。
NYタイムズのコラムには「偽善者」というコラムが掲げられた(11月30日)。
 キッシンジャーは中東和平でもエジプト、シリアを説得し、中東地域の秩序と安定を優先させたが、最大の成果はサウジアラビアとの密約で「ペトロダラー体制」を構築したことである。
 ▼リアリスト外交官の光と影
 一方でキッシンジャーはチリの軍事クーデターへの介入など暗い面も多く、セイモア・ハーシェ、オリバー・ストーン等はキッシンジャーを「戦争犯罪人」と呼んだ。ニクソンを継いだフォード政権下で引き続き米国外交を担い、ときに大統領よりパワフルだった。
 「中国は一つ」という幻影を作り上げたのはキッシンジャーであり、北京訪問は百回を超えたが、台北へは一度も足を踏み入れなかった。『中国の代理人』の面目躍如だ。
 「台湾問題は解決不可能。戦争を避けるには時間の経過をまって、米中の話し合いでしか前進はない」などと台湾を不快にさせる発言が連続した。台湾はキッシンジャーを評価しないのも当然である。
 
 1977年に理想主義を掲げたジミー・カーター政権が誕生すると、晴れ舞台をさった。替わって安全保障担当の大統領補佐官となったのはポーランド系ユダヤ人のズビグニュー・ブレジンスキーというグローバリスト、中国礼賛学者だった。
 大統領当選前の1976年にカンザスシティで開催された共和党大会で、ロナルド・レーガン「キッシンジャーとフォードの下でこの国は、二番手になることは致命的ではないにしても危険な世界で、軍事力で第二位になった」と指摘していた。
 米国の保守派はキッシンジャーを首肯していなかった。
1981年から82年までのレーガン政権では、キッシンジャーは共和党主流派から遠ざけられた。レーガンの支持者の多くがキッシンジャーを蛇���の如く嫌った。「反共」の信念が希薄だと言うのである。
このため、かれはロビィ活動と著作活動で、外野席からの影響力を保持した。
 キッシンジャーは1982年に親中ロビィ団体「キッシンジャーアソシエイツ」を設立し、スコウクラフトら歴代大統領補佐官を政権中枢の送り込み、事実上の中国外交を舞台裏で担う。最大の顧客は北京だった。
 晩年にニクソンは言った。
中国の不気味な台頭に「われわれの意図に反して、フランケンシュタインをつくってしまったのではないか?」。
米国外交は道を誤った。
 キッシンジャーは、結果的に「中国の代理人」だったことを忘れてはならないだろう。だから中国はキッシンジャーが訪中すると特別待遇で報い、五月の百歳誕生日にはわざわざ王毅外相がNYの国連本部に近いキッシンジャーのオフィスに挨拶に訪れ、七月の訪中でも習近平がじきじきに会った。
 ▼米国が中国の脅威を認識するに時間がかかった
 中国が軍事大国としてのしあがり、アジアの脅威となると、対中国スタンスを徐々に変えたのはオバマ政権後半からだった。
だが、オバマ政権は外交的手腕のないブレーンで周りを固めたため、大胆な方針の切り替えは出来ず、トランプの登場を待たなければならなかった。
トランプは就任前にキッシンジャーをNYのトランプタワーに呼んだ。しかし彼の言うことを「聞き置く」だけで、はっきりと安全保障方面では中国敵対路線に切り替えた。
この基本方針だけはバイデンも踏襲した。つまり、トランプ政権誕生でキッシンジャーの神通力は消えていたのだ。
 キッシンジャーが拘わった各国は如何なる反応をしたか?
 中国は「中国を理解した最大の友人を失った」とし、「米中時代の終わり」という論調が華字紙に溢れた。
 インドは「彼は一度、インドを蹴飛ばし、やがて近寄ってきた」(『ザ・タイムズ・オブ・インディア』、12月1日)と評価は冷たい。
 イスラエルは「ユダヤ人ならびにイスラエルにとって、キッシンジャーは英雄であり、また悪人である」(『ハーレツ』、1��月30日)
 米国は「毀誉褒貶甚だしいが、かれが冷戦構造を形成した」(NYタイムズ)
 「権力こそが最大の媚薬であると信じた世界情勢の巨人」(英紙『タイムズ』)
 キッシンジャーは反日家だった。日本での講演はべらぼうな額をふっかける「商売人」の側面が強くあった。
 それはともかくとして、現在のブリンケンもサリバンも、最後のパンダハガーの威圧的風圧に比べるとその力量たるや、軽い、軽い。
平林たい子が中曽根を評して「鉋屑(かんなくず)のように軽い」としたが、バイデン政権における米国外交の担い手たちの軽きこと!
 ▼ロシアはいかなる反応を示したか?
 モスクワタイムズは次のように報道した(11月30日付け)
「キッシンジャーは、冷戦時代に米国のソ連との緊張緩和の主要な立案者として、米国の外交政策だけでなく、ロシアの外交政策にも消えない足跡を残した。ウクライナ戦争中、ロシアと米国の対立が激化していることに深い懸念を表明する一方で、ウクライナのNATO加盟支持を途中から(23年5月から)主張するようになった。」
 英誌『エコノミスト』で、「もし私がプーチン大統領と話したら、彼もまた、NATO加盟国であるウクライナのほうが安全だと言うだろう」とし、ロシアと中国の関係の将来については懐疑的だった。
キッシンジャーは同誌のインタビューで続けた。
「両国間の制限のないパートナーシップの公式宣言にもかかわらず、北京とモスクワ双方での相互軽蔑を感じた。私は中国について良いことを言ったロシアの指導者に会ったことがない。そして、ロシアについて良いことを言った中国の指導者に会ったことがない」
クレムリン宮殿は下記のプーチン談話を発表した。
 プーチンはキッシンジャー氏を「優れた外交官、賢明で先見の明のある政治家」と評し、「外交政策への現実的なアプローチはヘンリー・キッシンジャーの名と密接に結びついており、国際的な緊張緩和を実現し、世界安全保障の強化に貢献した最も重要なソ連・アメリカ協定を締結することを可能にした」と評価した。ホンネとはとれない。 
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 最後にキッシンジャー路線とは距離をおく情勢の流動化のなか、米国の「レーガン基金研究所」が11月30日に発表した世論調査では「中国が台湾侵攻した場合、アメリカ国民の72%が台湾独立を支持する」とした。
 NYタイムズは台北総督府で蔡英文総統にインタビューを行った。これも異例の珍事である。
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brygry · 1 year
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ひろゆき氏は原因ではなく結果だ。冷笑し、分断を煽り、弱者を見棄て、わが身の可愛さにしか関心を持たなかった者たちの積み上げてきた欺瞞こそが、令和の世に「ひろゆき」という怪物を生み出した。
なぜ「ひろゆき」は時代の寵児となったのか?「かわいそうじゃない人」を見放した日本社会の末路(御田寺 圭) | 現代ビジネス | 講談社(1/9)
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hachikenyakaiwai · 8 months
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【かいわいの時】昭和九年(1934)9月21日:室戸台風近畿地方直撃、強風・高潮などで大被害。死者・不明990人、校園に大被害、児童・教員など259人死亡、外島保養院倒壊、189人死亡(大阪市史編纂所「今日は何の日」)。
学校A(鶴橋第二小学校)大阪市内の小学校で最も死傷者が多かったのは鶴橋第二小学校で、死者は児童67名、職員1人、重軽傷者は児童188名、職員4名であった。 学校B(天王寺第一小学校)校舎が倒壊したが、児童を鉄筋校舎の講堂に避難させて、一人の怪我人もなかった。
午前7時: (大阪の気象状況)気圧967.3mb、風速12.6m/秒 (学校Aの対応)7時少し過ぎ、登校。直ぐに担当クラスへ行く。生徒を北側に座らせる。 (学校Bの対応)校長はじめ、ほぼ全員の職員が登校。教頭が火種を消す。校舎を巡回。
午前7時30分: (大阪の気象状況)風は次第に強まる。 (学校Aの対応)両隣のクラスの先生はまだ来ていない。
午前7時40分: (大阪の気象状況)17~18mの烈風となった。 (学校Aの対応)校舎が動揺し、瓦が窓を破る。生徒を机の下に入れる。職員室の指令を聞きに行く余裕がない。 (学校Bの対応)校長の指示で木造校舎の児童を鉄筋校舎の講堂に移動させる。隣の教室へ校長の指示を伝言した。
午前7時55分: (大阪の気象状況)最低気圧954.4mb。猛烈な暴風となる。 (学校Aの対応)2階の生徒がなだれ込んできた。机の下に入るように指示する。校舎が物凄く揺れ、ガラスが割れる。隣室との境に立ち、風が鎮まるのを祈る。 (学校Bの対応)校長・仕丁が玄関に立ち、登校してきた児童を鉄筋校舎の講堂に入るよう指示する。教頭が2回構内を巡視、居残り児童がいないか確認。
午前8時3分: (大阪の気象状況)瞬間風速がダインス風圧計で60mを越える。 (学校Aの対応)南側校舎が倒壊、北校舎も倒壊。柱の下敷きとなり、気を失う。 (学校Bの対応)御真影を講堂に移動。木造校舎が倒壊する。
※(学校Aの対応)教員の手記による。(学校Bの対応)大阪新聞及び当時の教頭の回想記による。 参考文献:『大風水災学園美績』101~104頁、『大阪新聞』1934.9.21、『天王寺』14頁。
※(大阪の気象状況)参考文献:大阪管区気象台『大阪の気象百年』、青木滋一『大阪の四季と災害』、藤原咲平『室戸台風調査報告概況』、大阪市『大阪風水害誌』。
以上、長尾武「室戸台風、大阪での暴風・高潮の被害―小学校の倒壊、ハンセン病外島保養院の流出―」立命館大学歴史都市防災研究所『京都歴史災害研究 第11号』2010より、抜粋して編集。
(写真)倒壊した校舎。毎日新聞「View+ あの日伝え継ぐ 慰霊碑/大阪」2021/8/29より。
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myonbl · 11 months
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2023年6月26日(月)
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普段、入浴時以外は Apple Watch を身につけている。時々、iPhone の<ヘルスケア>アプリからメッセージが届く。今朝は<歩行時平均心拍数>が103拍/分から、89拍/分に改善されたとのことだ。<心臓の健康状態や心肺持久力が良好である>とのこと、かなり嬉しいことではないか。恐らく、今月になってから始めた<酢タマネギ>を食し続けていることで、<血液サラサラ効果>が出始めたのだろう。これで、体重がもう少し減ってくれればなおよし、頑張るぞ!
5時30分起床。
朝のミッション、ツレアイが4人分のフルーツを用意、月水金は3男のおにぎり、その後私が夫婦の朝食を用意する。
私は洗濯をセットする。
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奥川ファームの手打蕎麦+蕎麦湯、フルーツとヨーグルト、酢タマネギとトマト。
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珈琲を入れ立てから、私は弁当作り、ツレアイは洗濯物を干す。
同居猫・ココは元気を回復し、ちゃんとご飯を食べて水を飲み、排泄も順調な様子。
月曜日なので、私1人で出勤する。
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順調に到着する。
換気・ラジオ体操・お茶。
今日から後期の履修登録開始、担当科目の「インターンシップ」について注意喚起のメールを配信する。
午後の授業の内容をチェックする。
遅れている原稿の執筆、何とか今月中には仕上げないと。
月曜日3限・4限は<情報機器の操作Ⅰ(看護学科)>、Excelの2回目、教科書の実習問題2題を解説しながらの復習。後半は、追加問題を配付して取り組ませ、これを提出させる。内容は簡単な作表と計算式の使い方、大きな問題はない。
授業早めに終え、学生たちに履修登録の時間を提供した。
16時に退出、帰路の名神は車軸を流すような雨、自宅に着く頃には収まったが。
ツレアイは今日は訪問は休み、午後は<京都市市民活動センター>でMQJの<テディベア作り・ワークショップ>、M姉・O姉も参加していただいたとのこと。
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早めに夕飯準備、平飼い有精卵の目玉焼き・さんだかん燻製工房の<ちきんじゅーしー>・フライドポテト・レタスとトマト。
月曜日が終わればホッとする・・・という名目で、日本酒を頂く。
録画番組視聴。
桂文治 落語「もう半分」
初回放送日: 2023年6月25日
桂文治さんの落語「もう半分」をお送りします(令和5年4月16日(日)収録)【あらすじ】永代橋のたもとにある小さな居酒屋で、六十をとうに超えた年寄りが茶碗に半分だけの酒を頼み、飲み干しては「もう半分」「もう半分」と飲み続けていた。したたか酔って帰っていった後、居酒屋のあるじがふと見ると、風呂敷包みを忘れている。中を見るとなんと五十両もの大金が。あるじは返しに行こうとするが、女房はそれをとめて…
怪談じみた噺だが、この人がやると・・・。
片付けをして風呂の順番待ち・・・の途中でダウンしてしまった。
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今日は学内でも自宅でも活動量乏しく3つのリング完成はならず、水分は1,680ml。
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kagurakanon · 1 year
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2023/04/20 ある意味で極めて「贅沢」な作りの映画--シン・仮面ライダー  
かつて世界征服を企み仮面ライダーの前に立ちはだかった悪の秘密結社ショッカーは「S.H.O.C.K.E.R(Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling--人類の持続可能な幸福を目指す愛の秘密結社)」として、この令和の世に蘇った。「S.H.O.C.K.E.R」の創設者である日本の大富豪は世界最高の人工知能「アイ」を開発し「人類を幸福に導け」という命令を与えて自殺する。そして「アイ」は演算の結果、人類にとっての「幸福」とは、いわゆる功利主義的な「最大多数の最大幸福」ではなく「最も深く絶望した人間の救済」によって成しうるものであるという結論を算出する。こうして「アイ」は絶望した人間が「オーグメント(身体増強/身体拡張)」によって「救済」され、自身の望む「幸福」を自由に追求することができるシステムとして「S.H.O.C.K.E.R」を構築したのであった。このような生物工学的アプローチによって人類を「幸福」に導こうとする「S.H.O.C.K.E.R」の思想それ自体は近年の現代思想シーンにおいて台頭しつつあるポストヒューマニズム/トランスヒューマニズムとも共鳴するものがあるだろう。しかし「S.H.O.C.K.E.R」により生成された怪人「オーグ」たちは自らが手にした人外の力を「責務としての人類の粛清(クモオーグ)」「疫病による人類の浄化(コウモリオーグ)」「快楽のための人類の殺戮(サソリオーグ)」「承認欲求を満たすための人類の奴隷化(ハチオーグ)」「ハビタット世界への人類の転送(チョウオーグ)」といった「幸福」の名を借りた自身のエゴイズムに使用するのであった。とりわけ最後の「ハビタット世界」というのはまさにエヴァにおける「人類補完計画」の反復であり、ここでは「他者性なき世界の希求と拒絶」というエヴァではおなじみのあのテーマが変奏されることになる。もっともその一方で、本作の枢要にはそのテーマ以上に濃厚なまでに溢れ出る特撮愛がある。本作は1971年のTVシリーズは勿論のこと石ノ森章太郎氏の漫画版からも多数の引用がなされている。それゆえに本作は素直に「物語」に没入する以上に、むしろ「物語」の背後にあるものを読み解くことによって初めて存分に愉しむことができるという、ある意味で極めて「贅沢」な作りの映画であるといえる。
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yang-gong · 1 year
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姫路城
  日本を代表する美しいお城イコール白鷺城、と言われ続けるのも納得でした。グラビアやら動画やらでフーンキレイダネと軽く眺めていた女優さんが目の前にあらわれたら想像以上であっけに取られる感じと似ています。
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客席からこの城を臨むことでお芝居を膨らませる、てな贅沢を思いつくのが平成中村座。令和になっても疫病騒ぎを経ても健在です。
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城にあるお菊さんの井戸です。イチマイ~ニマイ~ってのは昭和の怪談につきものでしたが、この物語を観たらもうヤメテーってなるしズーンと沈みます。そして、沈みながらもしっかり鑑賞している自分が居て娯楽というものの底知れなさを思うわけです。娯楽って人間の本性みたいなもんをえぐりだす装置なんすかね。
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どこに建てられても小屋風景はほぼ変わりません。トイレの楽しさや安心感も同じでした。歌舞伎は毎度長丁場になるので、トイレ問題で二の足を踏む人ってきっと居ると思う・・・年配者は特に・・・なので、それを払拭するこの小屋のありようには感激します。想像力の使いどころがいいよね。
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intothedopesea · 1 day
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考察めいた雑記とかもゲーム専用コミュニティ(ラボ)に綴れば考察好きとか与太話や妄想でも興味深く眺める奇特なプレイヤーが目を通してるのか時々リアクションが飛んでくるけど
自分がよく書くのはこれとこれは似てる気がする、関係がある気がする、同社開発でそれぞれ世界観が異なるけどテーマや建築物の共通点が多いからもしかして同じ世界をそれぞれ違う角度から見てるだけなんじゃないか?とか、どれも並行世界に無数に存在する似たような世界だけど同じ結末を辿るんじゃないか?とか、もしも⋯だったらどう思う?って話をよくしているし、それが正しいか間違っているかはどうでもいい
自分が捏ねくり回してる与太話とか変な観点について面白おかしく興味深く見ている人がいるというのは(トンチキ論だって自覚はあるからあんまり真に受けないで欲しいとは思いつつ)こちらとしても面白いけど
問題はファンコミュニティがな⋯
HYVゲーはキャラゲーだから所謂なんつーかカップリング論争だとかイベントに出張り過ぎれば運営のご贔屓キャラだとか⋯(まあこれは運営が特定のキャラだけ神輿に乗せたりそのキャラよりずっと前から実装されてるキャラを差し置いてグッズ出したりするので不満募らせる人がいるのも理解は出来る)
あとコミュニティ内で特殊なアイコンフレームやデザイン付きコメント枠を獲得したりガチャ石を得るのに運営のお気に入りキャラ関連のイベントやらなんやらに参加しないといけなかったり
自分の場合は星4キャラでゲーム内のNPCにもキャラ設定的にもあの詐欺師さっさと█ね!城壁に吊るされろ!とか(マジで)言われてる程度には嫌われてるし、大体何言っても胡散臭いし騙し討ちするし何か頼み事して来たと思えばそういう方法を通してプレイヤーを試してくる?観察してくる?ような不届き者だから
倫理観とか悪人アレルギー持ってる人はまず毛嫌いして近寄らないだろうし、多方面からヘイト買いまくってるコイツに好感を抱く人はなんか⋯善悪とかで測れない、底の見えない怪しさ、奇妙な曲者に惹かれてるんだろうけど(自身もそうだし)
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しかもこの詐欺の顛末についてのインタビューしてるのが女装した詐欺師本人ってあたりがな⋯w
二次創作的にはどこからともなく現れて足音ひとつ立てずに消える(雪の上を歩いても実際に何故か足跡がつかない)、一礼して趣味の悪いプレゼントボックスを開ければ閃光と煙幕爆弾が炸裂してその隙に逃げたり反撃したりの手癖の悪さ、謎の能力持ちなので捕まえるのがおそらく不可能で、挙句の果てに主人公(開拓者)じゃなくて画面の向こうのプレイヤーに語りかけてくる(第四の壁を破ってくるイレギュラー)⋯っていう都合の良さの塊みたいな存在だから誰と絡ませても違和感はないんだけど
ただなんというか⋯こういう癖強めのキャラを気に入ってしまうとファン層もアクが強いか、人気所に靡かない変わり者!に酔ってる感じの人だとか、マイナー推しはコミュニティが狭いから界隈に属してなくても悪目立ちしたり目をつけられやすいのが難儀だからラボではこのキャラが推しですっていうアピールバッジ(無期限)は取得したし着けてるけど
同好の士とはあんまり関わりたくないしこちらの存在を認識しないで欲しいから最近は発言を控えてるわけでね⋯
このキャラを一番理解してるのは私だ!みたいな考察合戦にも興味は無いし、このキャラといえばこの人でしょう!みたいなレッテルも貼られたくは無いし、このキャラ推しなのにグッズの1つも持ってないんですか!?wみたいなコレクターに鬱陶しい絡み方されたくもないし
とにかくあらゆるプラットフォームで注目を浴びるためにこのキャラを好いてるわけじゃないからそっとしておいて欲しいわけでね⋯
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兄妹っぽさのある愚者コンビはかわいい、実際は誰にでも利益を求めて絡みに行く青髪に絶対関わりたくない人物とまで言わせる煽り魔のヤベー女だけど
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名前は伏せますが⋯(名指ししてるような発言w)
それはそうと花火ちゃんに弄ばれてて欲しい願望はある、花火ちゃんに仮面返して欲しかったらスワンおちょくる茶番に協力してね〜!拒否権は無いよ〜!あと勝手に君に変化して芦毛ちゃんの事からかっちゃったけどいいよね????
みたいなやり取りをしてて欲しい、ただ多分青髪の詐欺師は本気出したらヤバそうな雰囲気を常に漂わせてるので(使令の肩書き持っててもなんらおかしくないし、愚者は自らが物語の中のキャラクターである事を認識してて宇宙を舞台だと思ってるけど、第四の壁を超える能力については愚者全員が持ってる権能では無さそうで、模擬宇宙で模造された愉悦神が第四の壁を超えて天才達が模擬宇宙にろくでもない悪戯をされる前に慌ててセッションを切断したりしてるから)その時花火ちゃんに報復する可能性も無くは無さそう
ただ、青髪は運命が虚無(闇深く暗い背景を持つキャラが多いので実際は愚者じゃなくて弔怜人派だったりしても変じゃない、愚者のマスクは元々弔怜人の持ち物で、怜人はアンデッドとか遺骸をモチーフとして好むらしい)で蛇かトカゲの骨に似た装飾品を巻いてるあたりも怪しい
ただ、怜人は禁欲主義だから人を騙してまで金銭を集めては札束を捲ってニヤニヤ笑う仕草は怜人らしくないんだよな⋯
ギャラガーは外見からプロフィールまで様々な人物のパッチワークで、所属も神秘(虚構歴史学者)だったからモチーフはティンダロスの猟犬な気はする
(クトゥルフネタは原神のアチーブメントにもあるし、SFが舞台のスタレはもっとクトゥルフと親和性が高いと思う⋯そもそも星神の元ネタがクトゥルフ神話に登場する神々じゃないかとさえ思う、愉悦神とかまんまニャルラトを想起させるし)
ハウンド家の元ネタがティンダロスの猟犬だとしてもヤツらは時間を無視して干渉できるようだから設定的に違和感が無い、そもそもドリームランドって場所がラヴクラフト作品にはあった気がするし、ピノコニーのモチーフとして織り交ぜてはありそう
2.1のタイトルが深淵への狂走(Into the Yawning Chasm)で、原神の場合基本的にはABYSSって訳するけど層岩巨淵だけはchasmって訳だった
何を以てアビスとカズムを別々のものとして?定義付けているのかは分からないけど
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それにしても死⋯ネムちゃんめちゃくちゃ健気でいい子では⋯?主人の名前が呼べそうで呼べないところも含めてだいぶかわいい、元々の死へ向かうのは何者とかいう長ったらしくて正しく思い出せない名前より随分呼びやすくなった
死ぬ事を永眠と言い換えたり睡眠は最も死に近い状態だと言われてたり、いずれ来る本当の死に備える為の擬似的な死の体験じゃないかとか色々な説があるから死ちゃんからネムリちゃんは納得のネーミング
流石ギャラガーおじさん(自称13歳)
大アルカナⅩⅢは死神で、数字自体も不吉の象徴ではあるからそれもわざと死に関連付けた設定なのか、ギャラガーという人物のパッチワークになった複数の人の中に13歳の子供が混じっていたのか、こういう本編と強く結びついてない隠されたモチーフやらなんやらとの関連性を見出すのが好きだ
(ラボでやれ)(はい)
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nobu-izakaya · 1 year
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大人気の牡蠣! 特大サイズ #真牡蠣 岩手のブランド #令和の怪物 数量限定で入荷しました! 食べごたえありのサイズ  濃厚ミルキーで美味しい真牡蠣!めちゃくちゃうまい😋   お試しください!限定につきお早めにお願いします! #牡蠣好きな人と繋がりたい #牡蠣 #牡蠣食べたい #牡蠣好き #牡蠣 #🦪 #おいしい😋 #旬鮮酒場nobu  #小田急相模原 #サウザンロード #おださが #グルメ #グルメ好き #グルメスタグラム #小田急線グルメ #相模原 #相模原お店大賞受賞店 #食べログ #食べスタグラム (旬鮮酒場 nobu) https://www.instagram.com/p/CpOv5hzSVGO/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 5 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)
   通巻第8068号  <前日発行>
 熾烈なAI開発戦争を横目に
   古代人の霊的な技術の脅威をどう評価するべきか
*************************
 十五年ほど前、チベットへ取材に行った帰り、高山病を調製し、乗り換え便を待つために四川省の成都に二泊した。
それ以前にも成都は何回か来ているので「珍しい所はないか?」とガイドに聞くと,クルマで二時間弱の場所に「三星堆遺跡」があるという。その時、筆者は初めて三星堆なる文明の存在を知った。
 戦後教育で教わった『世界四大文明』とはメソポタミア、エジプト、インダス、黄河文明だが、マヤ文明、インカ文明と縄文文明がかけている。三星堆は中華文明とはまったく無縁で地理的な要件はともかくシュメール(メソポタミア)に似ている。
 早速、見に行った。
明らかに太陽信仰の農耕文明だが、出土した仮面、神樹(御神木)の高さは4メートルにも及び、巨木信仰を窺わせた。人物像や神具などシュメールとの共通要素が多いが、シナ歴史の起源とされる夏・殷・周の中華文明とはまったく別物である。
 ▼巨大な目玉のデフォルメ青銅像は霊力の象徴ではないのか
 道具類も多彩で1934年に本格調査が始まり数百点のめずらしい出土品があった。戦争を挟んで1982年に発掘が再開され,大きなミュージアムもできた。 ブロンズ像の特徴は大きな目、飛び出した目玉、大きな鼻など、これはエジプトと似ている。
 筆者は売店でミニチュアのレプリカを二つほどあがなって書棚に飾った。
とくに143センチの杖は力の象徴であり、大きな目玉は『ホルスの眼』「第三の眼」として神の力であり、シナの古典の『蜀王本紀』には「巨眼の王がいた」と書かれ,『華陽国史』には、この三星堆文明は、「民とともに王が去った」と書かれている。
そして数千年、三星堆遺跡は土に埋もれていた。
 わが国でも亀ヶ岡縄文遺跡からは巨眼土偶が出土している これを日本では「射光器土偶」などと言っているが、神話性を無視した近代人の解釈では古代の謎は解けない。
眼には霊力が宿ったのだ。シュメールもエジプトもヒンズーも古代人は眼に神の力がやどると信じてきた。
 「ホルスの眼」は古代エジプト文明において重要な象徴。目の形だが、人間の脳にある松果体という部分の断面図に酷似している。この「ホルスの目」は、癒し、修復、再生の象徴でありエジプト神話の太陽神であるラーの右目は全てを見通す「知恵の目」とも言われた。魔除けと守護のシンボルだった。
水木しげるの漫画をみよ。目玉の妖怪だらけだ。
 ユダヤ教やキリスト教では、ホルスの目は神の監視と保護を表し、イスラム教では、真理と力を表している。ホルスの目は、力、保護、治癒を表す、歴史と文化的背景にあふれた霊力の象徴である。
中国の監視カメラは前項の目的、宗教を軽んじている。
「第三の眼」とは目に見えない目、ヒンズー教では頭脳にあるとされ、ネパールでは額に眼を描いた巫女のような神職がいる。まさに松果体(脳に存在する内分泌器)に似ている。さきにマヤ文明と書いたが、最近は人工衛星によってホンジュラスの山奥からも古代遺跡の所在が判明し、どうやらインカ文明とマヤ文明はことなることも朧気にわかってきた。
 ▼あのプマ・プンク遺跡の巨石切断は古代人がレーザーを使ったのだ
インカ文明以前に南米で現代人の創造を絶する遺跡が発見された。
 プマ・プンク遺跡は巨石が組み立てられた謎の構造物として知られる。一番の謎は10噸以上の巨石を80キロ離れた石切場からどうやって運んだか、石を見事なH型に切断、生前と並べた技術はレーザーか、超音波か、あるいは宇宙人かまるで違う文明がもたらしたものだったのか。
 レーザーはいうまでのなく半導体製造の一等中枢にある技術で、数ミリのチップに数十億の回路を刻み込んで集積回路とする。
 プマ・プンク遺跡の場所はボリビアのチチカカ湖の南、ペルーとの国境で標高は3800メートル。建造は紀元前2000年頃と推定される。
一万年前と唱える考古学者もいる。
 世界の考古学者、建築学者が謎の究明に挑んだ。運搬に関してはチチカカ湖を筏で移動、あるいは運河を造成したとういう説は退けられた。
丸太をコロとして人間が引いた? 
英国のストーンヘンジはたしかにそうやって造られた。またチチカカ湖は古代には海だったという説、大洪水でノアの箱舟と関連があるなどの説もほぼ否定された。巨石は安山岩で、大理石よりも硬質、それゆえに数千年の風雪に耐えた。
  ▼これは天文台なのか。
古代人は始原的な天文学に通じていたことは明らかである。
邪馬台国の卑弥呼なる巫女も原始的な占星術、鬼道に通じていたと魏志倭人伝は書いた。
天文学的な、シャーマン的要素で戦争を指導したのは壬申の乱で勝利した天武天皇である。
プマ・プンクの巨石の列が山頂に建てられたのだから城塞ではなく神殿だろうが、文字がないうえに人骨が周辺から発見されておらず、この点では忽然と去った三星堆の謎に似ている。
ピラミッドは地下には美術館のような彫刻、地下に墳墓があるがやはり巨石の切断方法と運搬方法が解明されていない。
U型のフォーク形状の道具や、金の杖を共通に待つのは指導者の威信、力の象徴とされ、シュメール文明と共通である。ワトキンスという学者は,太陽光を人工的な集光器にあつめてレーザー光線として切断したと唱える。
もし、そうやって古代人が巨石を生前と切断し、神殿のような建造物を造成したとしたら、古代人の智恵は明らかに現代ホモサピエンスの知能を超えている。プマ・プンクの岩石には異様な磁力があるという。
 巨人(宇宙人?)がラッパを吹いて巨石を動かしたという言い伝えは超音波が運搬手段に使われたとする学説である。超音波の運搬も、否定できない。
 またファラオ、ツタンカーメン、オベリスクなどのエジプト古代文明とシュメールの共通点、類似性に神木がある。
神話でいわれたことで真実に近いことは夥しいのである。
 
AI開発が生成AIを産み、やがてチャットGPTが進歩すると逆に人間の思考力は低下し、いずれAIが人間を支配する。そうやってAIの脅威が語られているが、だれも霊力との関連を語ろうとしない。
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bailonglee · 3 days
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【Front Japan 桜】ゼレンスキー暗殺計画の裏にあるもの[桜R6/5/9]
これではっきりした。
この男は、日本に同じ過ちを、繰り返させる。
この男は、喧嘩を散々した経験が無いと、断言出来る。
人を殴り、怪我をさせた事も無けりゃ、人に殴られ、怪我をした事も無い。
幼稚な、大人なんだね。。。
かわいそうに…
戦争は、何も生まない。
戦争は、絶対にしてはならない。
次日本が戦争したら、日本は無くなる。
グローバリストを倒すには、グローバリズムを捨てる事。
この痴呆社長は、何人も特攻隊員の話を聞いたと。。
こいつ、何歳なんだよ?w🤣
戦争は、79年前だし、
『戦闘機と一体となり、お国のため、立派な…』
実際に特攻した人間は漏れなく死んでんのに、
どうやって日本人の特攻隊員の、実際の実戦話聞いたんだよ?イタコか?🤣
はっきりわかった。
この水島という人間、嘘つき野郎だわ。
水島が行う事は、
扇動
である。
実際、池袋のデモは、2万人を集めたそうだ。
何かに似ていないか?
そう…
令和版2.26事件だ。
こいつこそ、日本を転覆させる、真犯人だ。
皇道主義を、唱えるのが、水島だ。
そもそも論を言うと、
何でYouTubeやるのに、2,000人から、毎月10,000円もの大金を必要とするか?
そこからして、おかしい…
毎月2千万円もの大金が、入る…
機材代金、スタジオレンタル代金、著名人出演料、差っ引いても、巨額の余剰が出る…
一体その余剰金、何に使うつもりだ?
改めて、2.26事件とは、何であったか?
youtube
ゼレンスキー暗殺推進したい、岸田退陣を、強く訴える。
じゃあそれらが成就したら、水島は何がしたい?
水島本人がはっきり言っている、
日本を皇道主義に戻す。
…冗談じゃないw🤣
今回も、すっかり騙されたw🤣🤣🤣✨
最初は、素晴らしいと思った。
ユダヤ、ブラックロックを批判したり、素晴らしい流れかと、思った。。
しかし、この人間の番組を見てゆくと、ゆにば、原口、そして、神谷宗���、参政党関連者、芋づるで出てくるw🤣🤣🤣✨
ここでもまた、大本教出口王仁三郎が、出てくるw🤣どんだけ日本壊滅させる気だよw🤣✨🥸
1935年に第二次大本教弾圧が、あった。↓
大本教弾圧、出口王仁三郎逮捕抑留からの流れが、凄まじ過ぎる。。
1935年、大本教弾圧。
1936年、2.26事件。
1937年、日中戦争。
1942年、出口王仁三郎釈放。
1945年、広島長崎原爆投下。
水島社長とは、何者?
と思っていたら、なんと、テレビマンだったんか…
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……
………どストライクに、グローバリスト側じゃねえかよw🤣🤣🤣✨
力。💪
それは源であり、根源。
善悪などの色分けはあるが、力は、力。
戦後、そして今に至るまで力をふるう、日本船舶振興会。
笹川良一という、人間。
里見甫らと組み、『阿片利権』で、ボロ儲けしたが、戦後、巣鴨プリズンに収監される。
その後、日本船舶振興会、日本のフィクサーであった。
正義も、サステナビリティも、元来無い。
力は力であり、善も悪も、無い。
ただ、過剰な力は、必ず淘汰されるのが、宇宙の法則。
グローバリスト、反グローバリスト、いずれも、我ら庶民の敵でしかないw🤣🤣🤣✨
私達は、淘汰されないよう、生きた方が良い。
それにはどうしたら良いか?
システムからの、離脱だ。
それは、長い歴史だ。
大化の改新から、“年号”が始まった、つまり、
グローバリズムの幕開けだ。
そこには、蘇我氏暗殺、卑弥呼の歴史からの抹消、まさに中臣氏、藤原氏の陰謀の始まりがある。。
大化の改新以前、卑弥呼以前の時代、
豪族たちによる、共和制
だった。
藤原氏は一気に、中央集権グローバリズムにしてしまい、今に至る…
グローバリズムの何がいけないか?
新しいものを、一切否定する、多様性否定の、管理世界だから。
この世界は、やたら“スタンダード”を、掲げる…
つまり、スタンダード以外、存在を認めない、抹殺するのが、グローバリズムだ。
面白い発見があった。
卑弥呼の時代、大人と、下戸がいたらしい。
下戸は、大人の話を聞くとき、土下座のように聞きいったらしい…
なんとなくなんだが、
下戸の特徴って、まさに今のグローバリストの特徴に、似てる気がしてw🤣🤣🤣✨
もしかしたら、大洪水の前、文明を滅ぼしたのが、下戸(グローバリスト)だったのかもしれないw🤣
で、新たに共和制の世界が始動し始め、グローバリストたちは、自ら進んで、下戸となり、卑弥呼たちに仕えたのかも知れない…✨
グローバリストとは、全体主義者であり、元奴隷軍団のいじめられっ子、阿呆の集団だw🤣✨
こいつらは、基本、犬程度の、知能しかないw🤣
知能と知識は、別物ですよ。
知能とは、右脳左脳の総合力であり、知識とは、肥大しすぎた、左脳…
馬鹿は同じ事を繰り返す。
グローバリストのアジェンダなんちゃらについて行く先は、地球🌏滅亡しかないw🤣
そうやってグローバリストの馬鹿どもは、宇宙で同じ事を繰り返した、病人団体であるw🤣💪
私達に、過剰な金は、要らない。
こんだけ犯人と、そのメカニズムがわかった。
あとは、このかわいそうな狂人たちを、いかに無視してゆくか、だけw🙂✨✌️😎✨
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findareading · 3 days
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そうそう、それと最近ね、不思議な人に会ったんだよ。よく行く古本屋さんで仲良くなったおじさんでね、いつも公園で本を読んでいるから、お散歩の時に会うとおしゃべりをするの。その人のお家には、読み切れないほどたくさんの本があって、本屋さんみたいに大きな本棚があるんだって。すごいよね。
— 阿泉来堂著『バベルの古書 猟奇犯罪プロファイル Book2《怪物》』(令和5年10月Kindle版、角川ホラー文庫)
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myonbl · 1 year
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2023年1月4日(水)
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京都市では今日からごみ収集再開、早速45Lの資源ゴミ用ポリ袋一杯の空き瓶を出す。近隣のスーパーはこぞって今日から初売り、午前にセントラルスクエア花屋町店、午後にライフ西七条店で買い物する。世間は動き出したが、私の冬休みは残り1週間、もう少しのんびりさせていただこう。ただ、体重はノンビリしすぎて漸増傾向、こちらは早く日常に復帰しなければ。
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5時30分起床。
ツレアイは息子たちの朝食を用意、今日からデイサービスが再開する2男のおにぎりを用意する。
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私は夫婦の朝食用意、トッピングをネギではなく三ツ葉にすると、少しリッチな気分になれる。
洗濯。
空き瓶、45L*1。
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ツレアイの弁当と珈琲を用意し、職場まで送る。
いつものMK石油で給油+灯油1缶を購入する。
糠床メンテナンス、キュウリとニンジンを漬ける。
セントラルスクエア花屋町店で買い物、ゴミ袋・牛乳・うどん・ネギ・鮭。
<浜峰商店>の社長から着信、本日午前中着で手配したお年賀の礼である。
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ランチ、3男は力うどん、私は蒲鉾うどん。
軽く午睡。
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お茶を入れて目覚まし。
<喜楽館>からDM、第4期タニマチ募集開始とのこと、早速銀行から振り込む。
ライフ西七条店で買物、サニーレタス・キュウリ・コンニャク。
夕飯準備中にツレアイから連絡、すぐに迎えに行く。
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暮れに知人からいただいたビールを皆で味見。
録画番組視聴。
【BS11開局15周年特別番組】新作落語で知る浮世絵の世界~明治維新 メディア時代の幕開け~(2023年1月2日放送)
江戸時代に生まれた落語や浮世絵は、日本が世界に誇るエンタテインメント! 特に幕末・明治という時代の転換期に登場したニューウェーブ浮世絵は、風刺・ユーモア・怪談・事件・スキャンダルなど、ドラマ性やストーリー性のある作品ばかり。 
 今回はこの浮世絵をモチーフに、令和の時代の落語家たちが番組オリジナル噺を創作! また浮世絵に描かれたドラマティックな物語、時代背景、人々の暮らし、ウラ話やこぼれ話を、劇作家・演出家の鴻上尚史、作家で博物学者の荒俣宏など豪華ゲストを迎え、紐解いていきます。 
 明治時代の浮世絵が、激変する社会をどうとらえ、人々に何を伝えたのか? さらに同じ頃に花開いた落語や新聞などの娯楽・メディアとともに振り返ります。 では、150年前の浮世絵の世界にタイムトラベルしましょう! 
 【出演】 MC:鴻上尚史 進行:平井理央 ゲスト:荒俣宏・浅井秀(浅井コレクション4代目) 落語家:柳家喬太郎・三遊亭歌武蔵・桃月庵白酒
なかなか見応えがあった。
片付け、入浴、体重は50g増。
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12,000歩に届かなかったのは残念、水分は1,600ml。
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komagome-soko · 2 months
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motivated bodies
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この度、綾野文麿、髙橋凜、チョン・チェリン、ナタリー・ツゥー、早川佳歩、米村優人によるグループ・ショー「motivated bodies」を駒込倉庫にて開催致します。 会期:2024 年 3月30 日( 土) ー4 月21 日( 日) 時間:12:00-18:00 *月・火・水 休廊 オープニング・レセプション:3月30日 16:00 -
Komagome SOKO is pleased to announce a group show, “motivated bodies” by Fumimaro Ayano, Kaho Hayakawa, Chaelin Joen, Rin Takahashi, Natalie Tsyu, and Yuto Yonemura,
Dates: Sat. March 30 - Sun. April 21, 2024 Hours: 12:00 - 18:00 *Closed on Mon., Tue., and Wed. Opening reception:  March 30 16:00 -
“Motivated”(モチベーションを持つ)という言葉は、正確には、科学的にも学術的にも定義づけされていない。主に心理学として使われる言葉だが、その定義は諸説にとどまる。いわば、空のシニフィアンである。
しかし、現代社会においては、モチベーションをもつことは、高い意識をもち、よりよいライフスタイルを目指す言葉として使われ、誰もが目指すべきもののように掲げられる。この要因として現代ではより裕福であることが善とされ、人々は良い家、良い服、良い車、良い食べ物を追い求めようとしており、それは資本主義的な飽くなき成長を目指す精神性と言えるだろう。さらにそのような考え方の中では、より健康で、より長生きするための実践も行われる。その先にあるのは、非科学的な手法や根拠のない俗説である。またモチベーションを持つことは、我々の日頃の生活の中でも、大いに要請される。社会的にはより生産的な人間であることが、あたかも絶対的な価値として蔓延し、非生産性はつまり “amotivated” (モチベーションがないこと)であることは社会的な悪とされている。このような二項対立のなかで、“motivated”であることは一種の脅迫的な思考とも言える。そして普遍的な価値としてもなりすまそうとしている。
しかし、そもそも、モチベーションをもつことは、なんら怪しいことではない。美術に話を寄せれば、インスピレーションをきっかけに作品制作は始まるかもしれないが、それを動かし続けるのは、モチベーションである。ある種の持続的なやる気というのは、内発的なモチベーションによって維持され続け、何かをやり遂げる原動力となる。
 本展覧会題名に出てくる、”bodies”は単に身体を指す物ではなく、ある組織全体や概念的な物体をさす言葉として使われる。その意味合いを用いた場合 “motivated bodies”は “動機を持ったものたち”というような訳になるだろう。また、ものとは作品自体を指す言葉にもなりうる。作品の持つモチベーションとは何か、受動的とも捉えられている作品自体がどのような役割を果たすのだろうか。
そして、このモチベーションのもとは何かを今回6人の作家を通して考える。
 The word "motivated" does not have a precise scientific or academic definition. While primarily used in psychology, its definition remains subject to various interpretations, essentially serving as an empty signifier.
 However, in contemporary society, being motivated is portrayed as having heightened awareness and aspiring to a better lifestyle. It is presented as a goal that everyone should strive for. In the present era, affluence is regarded as a virtue, and people relentlessly pursue good homes, clothing, cars, and food—an attitude reflective of the ceaseless growth ethos of capitalism. Within such a mindset, practices for better health and longevity are also pursued. Beyond this lies a realm of non-scientific methods and baseless popular beliefs. Additionally, being motivated is highly demanded in our daily lives. Socially, being a productive individual is pervasive as an absolute value, and a lack of productivity, in other words, being "amotivated," is considered a social detriment. In the dichotomy of these notions, being "motivated" can be seen as a somewhat coercive thought, and it attempts to masquerade as a universal value.
 Yet, fundamentally, there is nothing suspicious about being motivated. In the realm of art, while the creation of artwork may start with inspiration, it is motivation that keeps it going. A certain sustained enthusiasm is maintained by intrinsic motivation, serving as the driving force to accomplish something.
 The term "bodies" in the title of this exhibition does not merely refer to physical bodies but is used to signify an entire organization or conceptual entity. In this context, "motivated bodies" would translate to something like "entities with motivation." Moreover, the term "things" can also refer to the artwork itself. What is the motivation behind the artwork, and what role does the artwork, often perceived passively, play?
 Through the perspectives of six artists in this exhibition, we will contemplate the origin of this motivation.
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Fumimaro Ayano  綾野文麿 1992年生まれ。埼玉大学教養学部芸術論専攻卒業後に、2023年東京藝術大学美術研究科グローバルアートプラクティス専攻修了。2021年にミュンスター芸術大学(ドイツ)へ留学。言語と記憶を通して日常における「形骸化された行為」をテーマにインスタレーションやパフォーマンス、テキストなどの多様なメディアを用いて作品を制作している。現在は東京都在住。令和4年度東京藝術大学卒業・修了作品買上。Art Award Tokyo Marunouchi 2023 後藤繁雄賞。
主な展覧会に、レジデンス・グループ展「月出アートキャンプ2022」月出工舎(千葉、2022)、二人展「Half & Half」Kunstakademie Münster (ミュンスター、2021)、「室内写真ーCamera Simulacra」文華連邦・あをば荘(東京、2020)、「ex\on」dragged out studio(東京、2020)
b.1992. After graduating from the Faculty of Liberal Arts, Art Theory Department at Saitama University, completed studies in the Department of Global Art Practice at Tokyo University of the Arts in 2023. Studied abroad at the Münster University of Fine Arts (Germany) in 2021. Produces works using various media such as installations, performances, and texts, focusing on "ritualized actions" in daily life through language and memory. Currently resides in Tokyo. Artwork purchased for the Tokyo University of the Arts graduation (2023). Received the Goto Shigeo Award at the Art Award Tokyo Marunouchi 2023.
Notable exhibitions include participation in the residency group exhibition "Tsukide Art Camp 2022" at Ars Tsukide (Chiba, 2022), a duo exhibition titled "Half & Half" at Kunstakademie Münster (Münster, 2021), "Camera Simulacra" at Bunka union Aobasou with Midori Mitamura (Tokyo, 2020), and "ex\on" at dragged out studio (Tokyo, 2020).
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Kaho Hayakawa 早川佳歩 1996年愛知県生まれ、東京都在住。2019年武蔵野美術大学造形学部油絵学科版画専攻卒業。2021年武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程美術専攻版画コース修了。
主な展覧会に「Wit and Zen」GRAFO gallery(リトアニア/2019)、「山と谷のあるところ」多摩信用金庫2階ギャラリー地域貢献スペース(東京/2022)、「個展 3本足のスキップ」Cafe B13(2023/東京)など。
絵画空間の出現条件をテーマに、近年は作為と不作為のレイヤーが入れ子構造となることを条件と仮定し制作している。版画技法を用いて版を介することで他者性を介入させるだけでなく、ときに展示空間に立ち入る鑑賞者も不作為な要素として作品のなかに組み込まれる。
Born in Aichi Prefecture in 1996, currently residing in Tokyo. Graduated from the Oil Painting Department, Printmaking Major, of Musashino Art University's Faculty of Fine Arts in 2019. Completed the Master's Program in Art Major, Printmaking Course, at Musashino Art University's Graduate School of Art and Design in 2021.
Notable exhibitions include "Wit and Zen" at GRAFO gallery (Lithuania/2019), "Yama to Tani no Arutokoro" at Tama Shinkin Bank 2nd-floor Gallery Regional Contribution Space (Tokyo/2022), and solo exhibition "3 bon ashi no sukippu" at Cafe B13 (2023/Tokyo).
Exploring the theme of the conditions for the emergence of pictorial space, recent works assume the nested structure of layers of intention and unintentionality. By employing printmaking techniques and introducing otherness through the use of plates, the artist not only allows external elements to intervene but also incorporates viewers, at times, as elements of randomness within the artwork by entering the exhibition space.
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Chaelin Jeon チョン・チェリン ソウル、大韓民国で生まれ育ち、現在もそこで活動している。彼女は彫刻、絵画、ビデオなど、さまざまなメディアを使用して歴史から隠された声を掘り起こし、取り入れている。彼女は2021年にフランス、セルジーのエコール・ナシオナル・スペリウール・ダール・ド・パリ・セルジー(ENSAPC)でMFAを取得、2018年には韓国、ソウルの弘益大学でBFAを取得。
近年の主な展覧会には、「A Wall of sugar」(フランス、2023年のTour Orion)、オンライン展「In Transit」(スイス、2022年)、そして「Fesitval SI CINEMA」(フランス、2022年)。
Chaelin Jeon was born and raised in Seoul, South Korea, and currently resides there. She works with various mediums such as sculpture, painting, and video to unearth and integrate hidden voices from history. Graduated in 2021 MFA Ecole nationale supérieure d’arts de Paris Cergy (ENSAPC), Cergy, France. Graduated in 2018 BFA Hongik university, Seoul, Korea.
 Notable exhibitions include “A Wall of sugar” Tour Orion (France, 2023), “In Transit” exposition en ligne (Switzerland, 2022), “Fesitval SI CINEMA” (France, 2022).
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Rin Takahashi 髙橋凜
東京都生まれ。2022年にフランスに交換留学後、2023年東京藝術大学大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻修了。既存のイメージやオブジェクト、個人の小さな出来事を起点にした作品を手掛け、ドローイング、彫刻、映像、インスタレーション、パフォーマンス、まで多彩なメディアで制作を行う。主な展覧会に「Blind dog」(アートラボあいち、2023年)、「Adventure Something」(École nationale supérieure de paysage、2022年)、「DELTA」(KAYOKOYUKI、駒込倉庫、2021年)がある。
Born in Tokyo. After completing an exchange program in France in 2022, Takahashi Rin received an M.A in Global Art Practice from Tokyo University of the Arts in 2023. They work with found images, objects and personal moments as starting points, employing a variety of media including drawing, sculpture, video, installation and performance. Major exhibitions include “Blind dog” (Art Lab Aichi, 2023), “Adventure Something” (École nationale supérieure de paysage, 2022) and “Delta” (Kayokoyuki, Komagome SOKO, 2021).
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Natalie Tsyu ナタリー・ツゥー
オスロと東京を拠点に幅広い分野で活躍するアーティスト、研究者。風景の記憶の探求をテーマに、フィールドワーク、サウンド、パフォーマンス、アートブック、グラフィックなど様々な形態のプロジェクトを行う。歴史的な風景を記憶する方法を発見するために、音を道具として扱う。彼女の活動では、音は視覚的な形をとり、視覚芸術とサウンド・アートの境界線で、見えないものを聞き、聞こえないものを見ることへと導く。
2019年にオスロ国立アカデミーを卒業。ノルウェー北部における”存在”の再構築に関連する芸術的研究プロジェクトDUNKE-DUNKのmメンバー。この研究は2020年にThe Norwegian Barents Secretariatからスポンサーを受け、2023年にVIS - Nordic Journal for Artistic Researchに掲載された。日本政府奨学金(Un)mute performance (2022年)日本におけるサウンドアートの歴史(1980-2000)に基づく存在論的楽器の芸術的方法論の開発において平山郁夫文化芸術賞受賞 (2023年)
最近の作品は、ノルウェー、ベルゲンのKunsthall3,14で展示されました。Spriten Kunsthall Skien、ノルウェー。 ルーツ&アーツ白老、日本; ONAプロジェクトルーム、東京、日本。 JCCAC香港; アバブ・ザ・クラウズ・ギャラリー・ロンドン; イギリス
Interdisciplinary artist and researcher based in Oslo-Tokyo. With the theme of exploring the memory of landscapes, her projects include fieldwork, sound, performance, art books,
graphics, and a variety of other forms. In her artistic practice, Natalie deals with sound as a material tool for awareness and exploration of the way of remembering historical landscapes. The sound in her practice takes on a visual form and helps to find the very borderline between visual and sound art, the border where the one who can't see - can hear, and the one who can't hear - can see. 
She graduated from The Oslo National Academy in 2019 and is part of the artistic research project DUNKE-DUNK related to the reconstruction of being in the north of Norway. The research received sponsorship from The Norwegian Barents Secretariat in 2020 and was published in VIS - Nordic Journal for Artistic Research in 2023. In 2022, Natalie received a Japanese government scholarship for: (Un)mute performance: Developing an artistic methodology for ontological instruments based on the history of sound art in Japan (1980-2000) and Hirayama Ikuo Culture and Arts Award 平山郁夫文化芸術賞 in 2023. 
The recent artworks have been exhibited in Kunsthall 3,14 Bergen, Norway; Spriten Kunsthall Skien, Norway; Roots&Arts Shiraoi, Japan; ONA Project Room Tokyo, Japan; JCCAC Hong Kong; Above the Clouds Gallery London; UK https://natalietsyu.com/
Yuto Yonemura 米村優人
美術家。1996年大阪府生まれ。京都市在住。2019年、京都造形芸術大学(現 京都芸術大学)美術工芸学科総合造形コース卒業。近年の展覧会等に、屋外彫刻《AGARUMANS (Best Friend)》「ART SCRAMBLE」(グランフロント大阪、2021年)、個展「BAROM(あるいは幾つかの長い話)」(京都市京セラ美術館、京都、 2023年)、個展「BARORORM SQUAD 1人でも立ってられるって!」(NEUTRAL、京都、2022年)、個展「我(WE)」(COHJU contemporary art、京都、2022年)、小笠原周、熊谷卓哉との3人展「問題のシンボライズ −彫刻・身体・男性性−」(ホテル・アンテルーム京都、2022-2023年)、倉知朋之介との2人展「NSFS/止め処ないローレライ」(EUKARYOTE、東京、2023年)など。
Born in 1996 in Osaka Prefecture, Yonemura Yuto is a Kyoto-based artist. He graduated with a degree in mixed media from the Department of Fine and Applied Arts, Kyoto University of Art and Design (current Kyoto University of the Arts). Major exhibitions include the outdoor sculpture “AGARUMANS (Best Friend)” ART SCRAMBLE (Grand Front Osaka, 2021), solo exhibiions “BAROM(あるいは幾つかの長い話)” (Kyoto City Kyocera Museum of Art, Kyoto, 2023) and solo exhibiions “BARORORM SQUAD 1人でも立ってられるって!” (NEUTRAL, Kyoto, 2022), “我(WE)” (COHJU contemporary art, Kyoto, 2022), the three-person show “問題のシンボライズ −彫刻・身体・男性性−” (Hotel Anteroom Kyoto, 2022–23) with Shu Ogasawara and Takuya Kumagai, and two-person show “NSFS/止め処ないローレライ” (EUKARYOTE, Tokyo, 2023) with Tomonosuke Kurachi.
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shintani24 · 2 months
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2024年3月15日
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映画『怪物』クィアめぐる批判と是枝裕和監督の応答 3時間半の対話(朝日新聞 連載:カルチャー・対話 Re:Ron リロン)
昨年6月に公開された映画『怪物』。是枝裕和さんが監督を務め、カンヌ国際映画祭では坂元裕二さんが脚本賞を受賞するなど高く評価された。一方、「クィア」をめぐる表現や発信のあり方について当事者たちから批判の声が上がった。クィアの表象については近年、その取り上げ方や、当事者たちにもたらす影響について国際的にも議論が高まっている。何が問題とされたのか。どうすればいいのか。当初から指摘していた映画文筆家の児玉美月さんとライターの坪井里緒さんが、是枝監督と3時間半にわたって語り合った。
「クィア」をめぐる発信とスタンスについて、ラストシーンを含む物語と批評について、さらに日本映画界の変化と課題について。「お二人が作品と僕の言葉と向き合って批判してくれたことで、今回とてもいい気づきになりました」と是枝監督。約2万字という異例の長さではありますが、あえて分割はせず、1本の記事として3部構成でお伝えします。
第1部 クィアを隠さないで マイノリティーをまなざす
【坪井】はじめに、「クィア」という言葉は既存の社会規範・カテゴリーに則さない性的マイノリティー及び態度を主に指しますが、彼らへの連帯を示す表現としても使用されます。ただ、この説明はあくまでクィアを指す多くの意味のひとつに過ぎません。クィアという言葉の持つ意味は広く多様であり、「定義」してしまうことによってその包括性を狭めるべきではないと考えています。
【児玉】まずこの鼎談に至った経緯ですが、私は『怪物』を試写の早い段階で観て、マスコミ向けに非規範的なセクシュアリティーやジェンダーに関わる展開を「ネタバレ」扱いするような箝口令が敷かれていることを知りました。これまで映画宣伝において異性愛、シスジェンダー規範のもとでそれらをギミック(仕掛け)として扱い、批判されてきた歴史があります。当初SNSで作品名は伏せてそのことを批判していましたが、その後カンヌ国際映画祭で『怪物』がクィア・パルムを受賞した報道がされ、そこで初めて広く『怪物』が「クィア映画」として認知されることになり、その作品が『怪物』だったと明かしました。
それが起きたのが日本を代表する映画監督と脚本家の作品だったこともあり、批判したままで終わってしまってはいけないと思っていました。
一方で、こうした経緯がありながら、そもそも是枝さんがよくこの場に来てくださった、とも思います。
【是枝】カンヌでの記者会見後に友人から、「(LGBTQに)特化した映画ではない」という僕の発言について「炎上している」と教えてもらいました。「LGBTQの映画ではない」と言ったと報じられている、と言われて「えっ」と思ったのが最初でした。『ベイビー・ブローカー』(2022年公開)でもそうでしたが、SNSで意図と違う捉えられ方をしたことや炎上に対し、反論すると「反論自体に権力勾配が……」と言われたこともあり、SNSはちょっと難しいと思ってやめていた。ただ、(誤解とは異なる意味で)批判に関しては耳に入ってきて、それに対する応答はしたほうがいいと思いながらも、でもSNSでやるのは嫌だと思っていた。
すると、事務所の若手から「その態度はどうか」「失望する」と言われて。それでSNSを見るなかで坪井さんの批評記事に出会って、反省したし気づきにもなった。ただ、すべてに納得できているわけじゃなかったから、「僕はこう考えるんだけど」というのをやりとりしたいと思った。
児玉さんの『文藝』に寄稿された文章(2023年春季号「クィア映画批評と〈わたし〉を巡るごく個人的な断想」)も読み、勉強になったのですが、2人の文章を経て考えたときに、いかに自分の言葉が無防備だったかが分かって反省しました。
ただし、自分としては、「LGBTQの映画ではない」とは一言も言っていない認識でした。
記者からの質問が「日本では性的少数者を扱った作品は少ないと思うが」という、当然この映画はLGBTQの映画である前提を踏まえた上で、テーマは他にもあると伝えるために、「特化していない」という言葉を使った。児玉さんの文章にあったように、いかに映像表象においてクィアが隠されてきたか、僕なりには学んでいたつもりでしたが、当事者の苦しみをもっと深く理解できていたら、記者会見に臨むにあたってもう少し適切な表現を選択できたと思います。
「特化していない」という否定的なニュアンスによって、当事者の方々に「また自分たちの存在を隠された」と感じさせてしまうかもしれない可能性があると、思い至るべきだった。「当然これはクィアの少年たちを描いた映画ですが」という前提をきちんと繰り返すとか、プロデューサーや配給側と詰めておくべきだったというのが一番の反省点です。
【坪井】『怪物』の問題点の指摘を児玉さんと映画研究者の久保豊さんが早い段階でしていましたが、同時に2人に対する誹謗中傷とすさまじい攻撃が起こりました。私には2人がなぜここまで強く警報を鳴らさざるを得ないかというのが見えていたのもあって、自分の言葉で発信しようと思い立ち、文章を書きました(映画『怪物』を巡って――「普遍的な物語」を欲するみんなたちへ https://lighthouse226.substack.com/p/94f?sd=pf別ウインドウで開きます)。
『怪物』は、事前に公開されていた予告に関しても情報が無かったと思います。結果、受け手側にクィアを描いた映画だということが全く届いていないままにクィア・パルムを受賞し、さらに是枝さんの「特化した作品ではない」という発言があり……とすべてが重なってしまった形でした。
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映画『怪物』について、ライターの坪井里緒さんがつづった記事
【是枝】クィアを「ネタバレ」扱いしていると捉えられてしまう文言はやめてほしいと映画会社には伝えていたんですが、チェックが遅れてしまった。確認したところ、児玉さんが観た段階ではそういう文言があり、宣伝担当者にもそうした発言があったかもしれないと聞きました。僕自身は第3章で隠されているのはクィア性ではなく「私たちの加害性」であり、それが再帰的に捉えられていくと認識している。「怪物とは私たちのことだったのだ」と分かっていくプロセスなので、そこは伏せたいと映画会社とも話していました。
【児玉】 映画を論じる上で物語のどこを伏せるのかも批評行為の一種だと思っているので、そもそも「ネタバレ」を送り手が指定すること自体にも疑問があります。
私は、第3章を伏せることがどうしてもクィア性を隠すことにつながってしまうと捉えました。発信側の意図がどうであれ、そうした広報のあり方が「クィアは伏せておくべきもの」だと社会に対してメッセージを伝えてしまえば、それは差別になる。これは差別の構造と類型の話なので、意図は関係なく結果的に対象が不利益を被ってしまうなら、やはり問題があるのではないかと。
【坪井】登場人物や観客を含めた「マジョリティー側」が自分たちの加害性に気づけるのは子どもたちのクィア性が明らかになるからですし、クィア性が伏せられているというのは否定できない。
クィアはこれまで何度も普遍的な物語に埋没させられ「改修」されてきました。同性同士のラブストーリーなのに、「好きになった相手がたまたま同性だっただけ」と塗り替えられたり「“特別な人”の物語だと思われたくない」というマジョリティーに都合の良い理由でアイデンティティーや慕情が消されたり、透明化されてきた歴史があります。それを思えば、伏せておくという行為そのものが危険だったと、私も思います。
【是枝】今回の題材は僕が考えていた以上にセンシティブで、当事者の置かれた状況もより切迫していたがゆえに、いつも通りの発言のつもりが違う広がり方をしてしまった。「特化していない」発言のほかにも、なるべく前情報を入れずに観た方がいいといろんなところで言われて、僕もその方がいいと言ってしまった。それを坪井さんに、「マジョリティーの気づきを優先している」と指摘してもらった。
坂元裕二さんも僕もそうなんですが、いつも特定の誰か一人に向かって作っているんです。公の場では口にしないけれども、語り口としては確実にそこへ向かう。『怪物』に関していうと、僕自身がその立場でもあるし、マジョリティーの側が観た時にどういう気づきがあるかということは、どうしてもベースになる。
あの少年たちと同じような状況の子たちへの勇気づけとか、寄り添って肩を抱くみたいなスタンスはおこがましいと思ってしまう。それはテレビのドキュメンタリーをやっている時からそうで、むしろ弱者に寄り添って分かったつもりになることを回避したいと思ってきた。
ただ2人の文章を踏まえて考えると、スタンスの見直しが必要なのかもしれない。今、それが自分の中では課題です。
マジョリティーの側にいる人間がマイノリティーの題材を扱う時のスタンスとして、僕は彼らの側に立ちますという宣言がイコール唯一の誠実な態度だとは思えない。でも、マイノリティーの方たちは一番観てほしいと思っている人たちでもあるのに、その彼らに「自分たちの映画ではない」と思われてしまうのであれば、僕のスタンスが違うんだと思う。
【坪井】特定の誰かへ向けて作ること自体は悪いとは思わないし、私も誰かに向けて作るタイプです。
けれど、「マイノリティー当事者を描いた作品をつくる」のであれば、本編に描かれた者と同様に弱い立場に置かれている者たちが作られた映画をどう受け取るかというのと向き合い彼らを“まなざす”ことと、自分はあなたたちに決して差別の矛先を向けない、敵にならない、と明らかにするのは最低限必要だと思います。「これはクィア映画でもある」と表明することは、「あなたたちを透明化しない」というスタンスの明示になり得る。
私たちは誰もが別々の存在だから、完全に分かり合うことは無理だし、個のつらさや経験はその者だけのもので、他者が勝手に代弁してはならない。だからこそ、分かったつもりになるのではなくて、分からないからこそ尊重する、のが重要だと思います。
【児玉】クィア映画には固有の歴史や文脈があるので、それをやろうとした時に、既存のスタンスが汎用できないことはあると思います。是枝さんが自分はマジョリティーだからクィアの立場で何かを代弁するのは傲慢だと考えているのは分かりますが、その誠実さとしての一線を維持したまま、これは性的マイノリティーのあなたたちの物語なんだ、と言うことはできる。これまでマジョリティーを自認する作家たちはあまりにも、「あなたたちの物語」ではなく「みんなの物語」だと言い過ぎてきたように思います。
「クィア映画」を「普遍的な映画」と称することがなぜ危ういかというと、物語を彼らのもとから奪って、「普遍」とされる自分たちマジョリティーの枠組みに押しやってしまっているからです。その人たちの物語を取り上げないことが大事だし、より広く受け入れられることばかりが優先されてきてしまって、そこに描かれた人の方をまず真っ先に向く振る舞いをする作家がこれまで少なかったかもしれません。
【坪井】『怪物』は加害側の気づきに重きを置いているのもあって、クィアが受けている/過去受けていた、であろう加害描写がいくつもあります。そうした映画を前情報なく観られること自体が、マジョリティー側であるし、特権ではないでしょうか。
まさに「今」、同様のアグレッション(無意識に行われた攻撃のこと)を受けている子ども――あるいは過去強烈な加害を受けてトラウマを抱えながらも生き残ってきたクィアが、何の情報も無く映画館で『怪物』を観たらフラッシュバックを起こすかもしれませんし、強い言い方をすると命の危険もあります。
これは日本映画全体の問題として、観た者の痛みがあまりに軽んじられているように思います。自死や性暴力のシーンがあるのであれば、事前にアナウンスするべきです。
送り手は受け手が必要な情報によって観るかどうかを選べて、受け取る準備ができるようにしてほしい。『怪物』と同時期に公開された『CLOSE/クロース』という映画がありましたが、自死の展開があるので公開2日後に公式サイトにトリガーアラート(本編で扱うテーマや描写に攻撃的な内容やショッキングなもの、注意が必要な事象が含まれる場合に事前に開示される警告)が設けられていました。
【是枝】『怪物』が当事者をどこまで命の危険にさらすのか、僕は彼らの身になってそこまで深刻には考えられていなかったんだと思います。
基本的にどの映画でも僕は直接描写をなるべく避けて間接的にとどめる方なので、実はそんなに心配していなかった。『CLOSE』も自死はストレートに描かれず、心理的な描写になっている。主人公である少年が彼の死で自分を責めていく気持ちの揺らぎが丁寧で素晴らしい作品でしたが、『CLOSE』のような描かれ方だったとしても、やはりトリガーアラートは必要でしょうか?
【坪井】「傷つき」というのは個々によるものです。個にとって受けるアグレッションがどれほど大きいのかは、他者には判断できませんよね。であれば、傷になり得る・傷痕をえぐるかもしれない表現が「ある」こと自体を明らかにするのがなぜマイナスになるのか、と個人的には思います。
例えば震災の描写や実際の事件にひも付いた描写は最も開示されやすいですが、性暴力、自死、虐待やいじめ、差別描写となってくると伏せられている作品が多い。どうして開示されやすいトリガーと、されにくいものがあるのか。「傷つき」は決して、「大きさ」や「数」で比べられてはいけないし、比べられない。そもそも詳細には踏み込まずに、単にトリガーになりうる描写がある、と最初に提示することは作品の良しあしに直結しないですよね。それらを伏せることで作品の面白さが損なわれるのであれば、ただ単に作品の力不足にすぎないと思います。
【是枝】坪井さんの記事で、実はその指摘が一番効きました。そんなことを隠さなければ観られないものはその程度のものだ、と。何を伏せてどこで明かすのかは脚本を書くときに皆がやるものだけれど、ジェンダーやセクシュアリティーに関することをギミックの一つとして消費するべきではないという批判は、よく分かりました。
ただ、この3部構成について海外メディアに逆に質問したのですが、例えば「不誠実だ」というような批判的な指摘はスペインで一つ。あとはイギリスでもフランスでもアメリカでもなかったんです。ですから、もしかすると作品自体の構造以上に、宣伝の段階での僕自身の言葉の選び方に起因する部分が大きいのかなと思いました。
【児玉】もうひとつ批判が起きたのが、クィアの子どもを支援している団体から「あの年齢(11歳)の子たちが、例えば自分がゲイであるという自認、もしくは他認をするということはまだ早い段階」と助言をもらったと報道された時でしたね。
【坪井】「一時の気の迷い」であるかのような「まだ早い段階」という言葉はその年齢、あるいはそれ以前から自認していた者にとってはアグレッションになってしまったと思います。自認するのに“適切な年齢”を他者が決めるべきではないですよね。
【是枝】お会いした性的マイノリティーの当事者の方たちも自分はその年齢ではこうだったという経験をそれぞれ語ってくれて、僕ももちろんその認識は今回の映画の中での子どもたちに限っての話だと思っていました。作品を前提としたあくまで湊や依里の場合のつもりでした。そこが報道では、一般論かのように伝わってしまったようです。
【坪井】アイデンティティーに関する定義や一般論は、それ自体が問題です。アイデンティティーは定義できないものなので。私も何かを発信する時には一般論に聞こえないように、これはあくまで自分の話だ、と限定的に前振りするようにしています。
【児玉】今回は一般論として伝わってしまったことに問題があったと思いますが、そもそも色々な考え方があるので、複数の団体に聞くことも重要だと思います。
【是枝】プロデューサーと相談しながら、いくつかの候補を挙げていただき、実際に来ていただいたのは1団体になりました。最初に『怪物』のプロットを受け取った時、これはちゃんと勉強しないと描いてはいけないと思ったので、まず専門家の話を聞こうと。LGBTQの子どもたちを中心に支援している団体の方に来てもらって、演じる子どもたちやスタッフに性的マイノリティーについての講習をしてもらいました。
【児玉】団体に限らず、クィア表象の専門家や有識者の監修を入れることは考えていなかったのでしょうか。
【是枝】それは考えませんでした。インティマシー・コーディネーターの浅田智穂さんに入ってもらったり、今回は子どもをケアしたりする方向性に傾きました。なのでもし今後またクィアの作品を撮るとしたら、もっと監修などは考えたいですね。
【坪井】『怪物』が公開された6月は「プライド月間」と呼ばれていて、クィアにとって大事な月でした。権利を奪還するための運動が活発になる月というのもあって、その分、腹立たしいことですが差別を強くぶつけられる月にもなってしまっています。そういう側面でも何か発信があってほしかった、という気持ちがあります。
【児玉】日本のクィア映画は、これまであまりに社会や政治と切り離されてきたのではないかと思います。表象だけにとどまるのではなく、現実に生きる性的マイノリティーの権利や地位の向上にくみするような社会的アクションにもつなげていってくれれば、と。
【是枝】特別な月なのだから、一つの作品として何かを発信するという提案があってしかるべきだったと思います。そこは反省点です。
映画を撮ることが社会参加である、という意識が、自分も含めて日本ではまだ希薄だと思います。そこも今後、変えていかないといけないところかもしれないですね。
第2部 描かれなかった場面 ラストの解釈と批評
【児玉】主に映画の外の話をしてきましたが、『怪物』の作品そのものに深く入っていきたいと思います。決定稿を掲載したシナリオブックも出ていますし、完成された映画との違いについて。
【坪井】湊の隣の���のクラスメート・美青のエピソードが本編ではカットされていましたね。
脚本では美青はBL作品を好んでみている子として描かれ、湊と依里の親密さを自らのなかで勝手に恋愛関係だと決めつけて「応援してるの」という言葉をかける。「カミングアウト」(自分のアイデンティティーや慕情などの属性を開示すること)という言葉を使用して、湊たちに対し自分の決めつけた慕情の開示を迫るシーンまで書かれていました。
あれはまさに特定のクィアに対して、その者の属性を勝手に推測して当てはめるという暴力、実際に存在するクィアを自分の快楽のために相手に分かる形で同意なく消費する暴力、カミングアウトという個にとって生存に関わる重要な事柄を勝手に暴露する「アウティング」(当事者が同意していないのにもかかわらず、アイデンティティーや慕情などを第三者が暴露すること)、という三つの暴力。クィアを消費するマジョリティーへの批判のように読めました。美青の話を入れ込むべきだったのではという声は、クィアコミュニティーからも多かった。
【是枝】そのシーンはタイミング的に映画の終盤に差し掛かっていたので、カミングアウトを促す第三者の目が入るより、2人の関係そのものに絞り込んでいくべきだと判断しました。
【坪井】カミングアウトを強いることがどれだけ当事者にとってリスクが高いのか、アウティングが命に関わる加害であるかが今の社会では認知されていないので、美青のエピソードが映画に存在したらどうだったかな、と想像しました。湊と依里を第3章まで見つめてきた観客には、湊と依里が望まないカミングアウトを迫る美青がどれだけ危険な行いをしているか、アウティングがいかに当事者を追い詰めるかが伝わったのではないかと。
ただ、BLや百合が必ずしもクィアを消費しているかというとそれは違います。BL作品を消費するのが悪いのではなく、湊と依里の関係性を勝手に恋愛関係だと決めつけたうえで、当人に分かる形で消費しているのが問題であるのだとメッセージを限定しなくては危ういので、その点が難しかったかもしれません。
【是枝】正直なところ、その描写自体が言い訳に見えてしまったんです。こういう目配せも作り手はしているんだという匂いが撮りながらしてしまって、ない方がいいと判断しました。
【坪井】もう一つ、虐待を受けた依里を風呂から助け出した湊が力尽きて倒れた後、校長が倒れている2人を見つけて介抱し、ぬれた服を着がえさせてあげるシーンもカットされていましたね。
【是枝】脚本の段階で校長先生のエピソードに関しては、そのシーンか、音楽室で湊と校長が楽器を吹くシーンか、どちらかだと思っていました。そうでないと、第3章が少年2人の話ではなく、校長先生の話になってしまう。で、音楽室を選びました。
【坪井】大人たちによる差別と暴力により死にかけていた2人にあたたかい服を着せてあげて、彼らが自由に走っていけるように送り出すというシナリオにどうしても意義を感じてしまいます。
それまで本編に出てきた大人たちは皆彼らを「傷つける側」だったけれども、明確に2人のために動いて実際にケアをしてくれる大人が出てきたのが重要だったなと。音楽室のシーンはあくまで湊と校長2人だけのシーンだったというのもあって。
【児玉】久保豊さんが『CINRA』に寄稿していた批評でその音楽室のシーンに触れていましたが、「秘密を抱えた二人が言葉ではなく、楽器を通じた咆哮を学校中へ響かせる」が「その選択肢は、湊と依里が生き残る先を描いてのみ有効なのではないか」と疑問を投げかけていましたね。自分自身のマイノリティー性を具体的な言葉にすることもできない抑圧が働いてしまう現状の社会で、そうした音響の技巧的な表現が果たしてどれだけ有効なのか、という問いだと私は受け取りました。言葉にせよ映像にせよ、まだまだはっきりと可視化させていく段階なのではないかと。
【是枝】「一番大事なことは言葉になっていない」と僕もメディアで発言していたから、結局それもクィアの隠蔽(いんぺい)だと思われてしまったのかもしれない。そういう広がり方をしてしまったことは確かなので。
【坪井】制作段階でトランスジェンダーやゲイなどアイデンティティーや慕情に関する具体的な言葉は出なかったのでしょうか。
【是枝】話し合いの場ではもちろん出ていますが、せりふとしては一度も出ていないです。初稿の段階では、湊が自分の性的指向をカムフラージュしようとするような行為をとる場面があって。わざと携帯に水着姿の女の子の写真を残して寝て、寝室に入ってきた母親がそれを見てぷっと笑って安心する描写だったのですが、当事者の方たちへの取材の際に「気づきの段階にバラつきがある」という言葉を聞き、湊の行動を考え直し、3カ所ぐらいそういう描写をカットし、統一感をもたせました。それもこの映画が性的マイノリティーを描いた作品であることを隠しているような方向で捉えられた一因になってしまったのかもしれないですけど、その辺が判断としては難しいところでした。
ただ、その段階からゲイという具体的な言葉でまだ名付けられていない子どもたちとして描くことは坂元さんとも話していた。まだ自分でも名付けられないからこそ、「怪物」という言葉が外から入ってきてしまうことにしようと。
【坪井】『怪物』というタイトルになった経緯については、最終的にプロデューサーと是枝さんが推して決まったんでしたよね。
【是枝】しばらく『怪物(仮)』の状態のまま、途中で一度『なぜ?』に変わったんです。僕は『なぜ?』よりは『怪物』がいいと思っていたんですが、坂元さんが難色を示していてずっと(仮)を取らなかった。
【坪井】クィアな子どもたちのことを「怪物」だと思われたら、という懸念からでしょうか。
【是枝】明言しなかったけど、そうかもしれません。また件の「特化していない」発言につながってしまいかねないですが、「怪物」が指し示すのは少年たちのことだけではないので、最終的には良いタイトルなんじゃないかとみんな納得しました。
【坪井】「人間」を「非人間化」するのはまさに差別構造そのものですよね。
相手を自分と同じ人間ではないと見なせば加害をする免罪符になる、という誤った手法はこれまで起こった・今起こっている虐殺、及びあらゆる差別において繰り返し使われてきました。そもそも人間でなければ殺してよいわけではないのにもかかわらず、です。その差別の歴史を考えれば「怪物」というタイトルはクィアな「人間」を「非人間化」しているように捉えられる危うさからは逃れられていないように思います。
【是枝】実は、「怪物たち」というタイトル案も出していたんです。でも逆にそういう意図が明解になりすぎてしまったので、引っ込めたんです。
【坪井】「怪物たち」だと印象が違いますね。マジョリティーに対する比喩だと伝わります。とはいえ、本当の怪物はマジョリティー側なのだという制作陣の意図が観客に適切に伝わったとしても、「怪物」という存在に有害性を押し込めてしまい、差別という構造の問題を個人に集結してしまっているように読めるという問題点は残りますね。
【児玉】タイトルに関してもそうかもしれませんが、是枝さんの作家性は余白をあえて持たせるというか、両義性にあると思います。『怪物』の結末はかなり意見が分かれましたよね。
【是枝】この10年で、「オープンエンディング」に対して結末まで描かないでずるい、逃げていると批判されるようになりました。
『そして父になる』(2013年公開)で僕と樹木希林さんがQ&Aをした時に、客席からあれは最後どうなるのかと質問が出た。そしたら希林さんが、あなたはどうなると思うのかと問い返した。「私はあの家族がどうなるかは分からないわよ、だけどきっと二組の家族はああでもない、こうでもないってこの映画で描かれた時間を、考え悩んだことを無駄にはしないこれからの人生を一緒に生きるんじゃないの。それでいいじゃない」と言ってくれて。なんてかっこいいんだろうと思った。だから、そういう終わりをいつも目指しているんです。
【坪井】映画の結末の後も登場人物たちの人生が続いていくように感じさせるのと、映画としての結末の解釈に幅を持たせるのは意味が違うのではないでしょうか。
前者は私も好きですが、後者は観客に結末を投げているように感じられるし、視点が高いなと思ってしまいます。「最後どうなったのかは皆さんが判断してくださいね」って言っているそっちは、じゃあどこに立っているんですか、本当に結末を決めましたか、って思ってしまいます。
【是枝】それも最近よく言われるようになりましたね。しょせん、他人事なのか、と。
物語が終わった後に観た人が、あの人たちは明日どうやって生きていくんだろうと想像してもらえるような終わり方を、これまでずっと変わらず考えてきた。でも、昔は言われなかったことを随分言われるようになって、オープンエンディングはこの時代にはそう受け取られるんだなと思っています。
僕が難しいと感じているのは、何が当事者をエンパワーメントするのかという問題。『怪物』がマジョリティーの気づきにはなっているが、当事者のエンパワーメントにはなっていないという批判に、どう応答できるのか。この作品ではない場所で坂元さんとも話したのですが、死んだら不幸で生き残ったら幸せなのか、と。そんなに単純な物語を描いているつもりはないと言っていて、それは僕もその通りだと思っている。
要するに、最後は2人が死んだという前提で、クィアを不幸にしてマジョリティーが涙を流すための道具にしたと書かれている批評が結構あったんだけど、僕らとしてはあの2人を待っているのが「死」のつもりはなかった。撮影の現場でも少年2人にはそう説明していました。そもそも「死」だとエンパワーメントにつながらなくて、「生」にすればエンパワーメントなのか。そこは作り手の側から問いたい点ですけど。
【坪井】私も作品を書いていて「死んだら負けなのか」というのはすごく考えます。社会において特に自死は逃げだ、負けたんだと言われてしまいがちですが、私はそうではないと思います。加えてあえて言うならば逃げることの何が悪いんだよ、とも。
ただ、自分で選択した死と“選ばされる”死は違いますよね。本人が数ある選択肢のなかから自分の思想や気分で選び取った死と、とても生きてはいられない環境に社会・他者によって追い込まれた末に選ばざるを得なくなって起こった死はまったく違う。
クィア映画におけるクィアの死は後者がほとんどです。環境のせいで選ばなければならなくなった「悲劇の死」。クィアにとって、クィア映画における「死」はその存在そのものが猛烈なアグレッションなんです。
【是枝】僕は『怪物』を、むしろ“生”を選んだ話のつもりで作っていたんです。だからそこを根拠にした批判にどう答えたらいいのか、正直分からないまま、ここに至っています。
【児玉】映画技法としても、画面が白飛びになったりするあたりを含め、よくある死の表現のクリシェになってしまっていたかもしれませんよね。
【坪井】これは脚本にしかないシーンですが、トンネルの先へ走り去った馬を見て湊が「生まれ変わったお父さんかもしれない」と思う展開がありますよね。トンネルの先は生まれ変われる場所、つまりこの世界ではない天国のような場所なのではないかと読めます。2人はトンネルを通って『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)を思わせる列車に乗り込む。
また、映画にもあるシーンでは、「(猫を)土に埋めて燃やせばなりたいものに生まれ変われる」という会話が第3章にあります。「土に埋める」という儀式的な行為とラストの土砂崩れが被るんですよね。けれども2人は燃やされずに、土から這い出る。ただそれだけだと死んだんじゃないか、生まれ変わったのではという解釈の余地があるために、這い出た先で「生まれ変わったのかな」「そういうのはないと思うよ」「ないか」「ないよ。もとのままだよ」「そっか。良かった」という会話があったんだろうなと私は読んだんですけど、それでも「死」という解釈に引っ張られた方はかなりいたと思います。
【是枝】「死」と捉える人はいるだろうとは思っていたのですが、割合的には2割ぐらいだと予想していました。あの白飛びは確かに危険だなと思いましたが、文脈の流れの中で「生まれ変わったのかな」というせりふを聞いてもらえば、あえて言いますが、それほど「誤読」は起きないだろうと思っていました。
【児玉】是枝さんが本当に“生”として描きたかったのであれば、クィアと死がたやすく結びつけられる背景を考慮して、もっと明瞭に“生”の方へと舵を切らなければいけなかった気もするんです。
【坪井】クィアは物語においていつも悲劇的な死の役割を担わされる、という歴史的な背景に加えて、第1章から第3章にかけてずっとクィアへのアグレッションが繰り返されているので、結末に至る時、クィアな観客は精神的に弱っていると思うんですよね。こんな環境では到底生きてはいけないと認識した後の白飛びなので、やっぱりクィアは死ななきゃいけないんだと思わされてしまうのかもしれません。
ラスト、2人が廃線を走っていきますが、その先は木々が鬱蒼としていてどうなっているのか分からない。そういった整備されていない獣道にクィアが進んで行くというのも不穏で厳しい未来の暗示に捉えられるだろう、とも思います。
【是枝】2人には、最後はありのままの自分で生きていく喜びの表現をとにかくしてほしいと話しました。あそこは3回走ってもらったんです。
もっと楽しそうに、もっと叫んでいい、まだ足りない、そう言いながら撮っているし、台風で飛ばされたことにして、それまで2人の行方を閉ざしていた線路の柵を外して先まで行けるようにした。それは、未来が開けたという意味でした。
カメラを振った時に思った以上に光が強くて、一瞬白飛びするので、死後の世界として捉える人が出てくるかもしれないとは思いました。けど、それはむしろ「祝福の光」として捉えようと僕は思っていた。台風も過ぎ、彼らの“生”が祝福される演出ではある。
ただ、カンヌでも随分と最後がどっちなのか聞かれたし、「死」の結末に捉えた人が想像以上に多かったのは間違いない。僕は初めて『怪物』の脚本を読んだ時、これはカムパネルラとジョバンニが生き残る話だと思った。だから両方死なずに戻ってくる話だと思っていたんだけど、そこもちょっと甘かったのかもしれない。
【坪井】最後に2人が笑顔なのも、逆に現実が苦しいから、しがらみのあるところからやっと魂が解き放たれたようにも見えますね。脚本では、最後に2人がこちらを見返しますが、映画では変わっています。あそこでこちらを見る2人がいれば、私たちとまだ同じ世界にいるということが分かるので、かなり違いましたよね。
【是枝】そこも僕が坂元さんに決定稿に足してもらって、撮影した上で自分で削った部分です。何カ所かそういうところはあります。
確かにこちら側を批評するまなざしとしても、少年たちが見返して終わった方がメッセージは明らかでした。最初の試写段階でも残っていたのですが、走り切って黒に落とした方が圧倒的に終わりとしては力強くて鮮やかだったので、結果的には削りました。要は、私たちはもうあの2人には追いつけない。先生も母親も大人たちも、誰も手が届かない。作品の意味的には、もちろん見返す方が明確だったと思います。ただ、もう彼らには手の届かないところまで走って行ってほしいという感情が勝ちました。
でも、仮に死と捉えられたとしても、批評は批評として独立したものだから、それでいい。作品に従属する必要はないし、監督が考えている以上のことを書いてくれた方が面白いし、そういうものを読みたいです。
【児玉】坪井さんの文章は『怪物』のことを、本気でとことん考えたことが分かりますもんね。批判的な批評をすると、すぐに「表現の自由」を奪うつもりかと言われるなど、単純に作品への「攻撃」と見なすような風潮がますます強まっているようにも感じますが、正当性のある批判には映画文化を底上げしていく価値があるじゃないですか。
【坪井】『怪物』についての記事を出した時「お前は是枝さんのこと嫌いなんだろ!」みたいな反応がありましたね。気にしすぎ、とか映画の本質を理解していない、ただの難癖だ、というコメントもありました。
今回、怪物に関してSNSで批判をしたクィアに対しても似たようなコメントがぶつけられていたように思います。他の作品でも、そうした批判を封じようとする動きや冷笑をよく目にします。
是枝さんがおっしゃったように、批評は批評として独立したもので、私は一つの作品だと思っている。監督の意図に反していたり、想定を超えたりしている読解があっていいんだと強く言いたい。
好意的な批評だけが素晴らしくて、批判的な批評は全部「難癖」みたいなのは納得いかない。私は批評を一種のリスペクトとして書いているので、作り手が嫌いなんだという指摘は明確にズレています。
【是枝】それが僕にはよく分かったので、響いたんです。児玉さんと坪井さんに関して言うと、これは受け止めなければいけない本気の言葉だと思った。こういう時間は大切ですよね。
批判した側と批判された側でこうして関係が成立していることが外に出ていくのは、いいことだと思います。
【児玉】日本を代表する作家たちが手がけ、かつ高く評価されている大作を批判することは怖いことでもあるかもしれませんが、真剣に考えて本気で言葉を紡いだ観客もたくさんいたと思います。
【是枝】傷つけてしまった人たちに対しては取り返しがつかないかもしれないけれど、お二人が作品と僕の言葉と向き合って批判してくれたことで、今回とてもいい気づきになりました。
第3部 映画界の変化と課題 批判と応答これからも
【児玉】『怪物』から少し離れて、昨今の日本映画界のさまざまなイシューについてもお話ししていきたいです。是枝さんは映画の中で子どもを多く描いてきましたが、撮影する上で今どんなことに気をつけなければいけないのか。例えば『怪物』には性的な描写がありますが、どんな配慮があったのでしょうか。
【是枝】脚本には車両の中で湊と依里が抱き合って湊が勃起する描写があったんですが、子どもたち自身もその意味をどの程度理解しているか分からなかったので、まず保護者の方に問題ないかを確認した上で、「命育」という団体に相談をして紹介いただいた助産師さんにきていただき、インティマシー・コーディネーターの浅田さんにも同席してもらいつつ身体的な変化など性教育の講義を実施してもらいました。その上でこの映画の中で事前にどう抱きしめるのか、その時にどう感情が動き、身体的な変化が起きるのか、といったことを頭で理解してもらった上で、感情的なところに落とし込むプロセスを踏んでもらいました。
【児玉】少年同士の親密なシーンを撮影する時の現場は、どういう状況でしたか。
【是枝】そのシーンはロケ地が森だったので、電車の中は必要最低限のスタッフにして、カメラマンと僕、それから浅田さんだけでしたね。
【坪井】子役にシーンの意味を伝えないままに撮ってしまう現場もあると思うので、助産師による授業が設けられたのは大きいですね。
日本は性教育��遅れています。生理の仕組みや射精の原理、妊娠や中絶、避妊に関する知識など、性にまつわる情報は皆が小さい頃から知っておくべきなのに、私が小学生だった頃は男子と女子に分けられて、まるで秘密にしなければいけないことのように教えられた記憶がある。
まずその「男女」という二元的な分け方自体が問題です。性を知る権利の侵害は己の身体に対する自己決定権を奪われることなので、知識を身につけた上で演じられるのは重要だと思います。
【是枝】浅田さんに『怪物』の初期の脚本を読んでもらった時に、アメリカだとこれは児童ポルノとして搾取される可能性があると指摘されました。例えば大人のペニスを見るシーンがあれば完全に別撮りで、違う何かを見せてリアクションだけさせて、トラウマになるような撮影は一切しない。日本でも、この間放送されたNHKのドラマ『拾われた男』で、怒鳴ったり殴ったりするシーンは子どものリアクションを別撮りにしたらしいです。
『万引き家族』(2018年公開)で、もちろん保護者には事前の了解は取っているんだけど、子どもが夕立にあって家に帰ってきたらお父さんとお母さんが抱き合っていて裸を見てしまうシーンを同じ空間で撮ったんです。浅田さんにそれを話したら、アメリカだともうそういう撮影は許されない、と。別撮りでセットも分けるとなると予算的に難しいんですが、世界的な基準を踏まえた上で、何ができて何ができないかを模索し始めたところです。
【児玉】セバスチャン・リフシッツが監督したフランス映画で『リトル・ガール』というトランスジェンダーの子どもを描いたドキュメンタリーがあります。例えば風呂のシーンなどで肌の露出があったために批判が起きました。是枝さんは子どものヌードに関してどう考えていますか。
【是枝】『そして父になる』で風呂のシーンは男の子だけだったので、上半身とお尻までは見せているのですが、リリー・フランキーさんが演じる父親の家にいた3きょうだいの真ん中が女の子だった。風呂から出てきてぬれたまま走って、父親がバスタオルを持って追いかけるところを撮ろうと思ったんですが、その子が幼稚園か小学校に入りたてくらいで、確か既に上半身は見せてはいけないルールでした。ただ『万引き家族』の時に、安藤サクラさんが演じる女性が拾ってきた女の子のお風呂に入るシーンはどうしても撮りたかったので、裸ではなく盗んだ水着を着て喜びながら風呂に入っているシーンにしました。それは制約があったおかげで、むしろ良いシーンになりました。
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映画『怪物』について語り合う、是枝裕和監督(左)、ライターの坪井里緒さん(中央)、映画文筆家の児玉美月さん=2024年2月9日、朝日新聞東京本社、上田幸一撮影
【坪井】以前、子どもがいる役者さんも撮影現場に参加しやすいように、役者さんが芝居をしている間、面倒を見られるような環境作りを考えたと聞きましたが、それは『怪物』撮影時のエピソードですか。保育士を雇って現場に呼んだんでしょうか。
【是枝】厳密には、スタッフの中に保育士の資格を持っている方がいたので、現場にお子さんを連れてきたらそのスタッフが面倒を見られるようにしましたが、本来であれば専属のスタッフを追加で加えなければいけないと思います。ロケ場所の学校に空き教室がたくさんあったので、畳を敷いたりして環境作りをしました。ついこの間まで撮影していた現場は蒼井優さんがよくお子さんを連れて来ていたんですが、シッターを雇っていて、撮影の合間には蒼井さんもお子さんと一緒に散歩に行ったりしていましたね。だからシッターの給料を制作が賄うか、現場に施設が整備されているか、選択肢を提示できるのがベストだと思う。まだ実験的な段階ですが、直近の2作ではそのような対応をとりました。
【坪井】現場で働いているスタッフにとっても、子どもが居る状態でどう撮影現場に参加するかは大きな課題ですよね。
出産するタイミングで現場を抜けた後、もう一度復帰しようにも仕事が無い、あったとしても不規則な撮影時間であるためにライフスタイルと合わない事態が起きています。その点、脚本はどこでも書けるから辞めずにすむよ、と大学時代に言われた覚えがあります。
【児玉】テレビではつい最近、脚本家や原作者をめぐるトラブルが報道されていたばかりでしたよね。映画業界の脚本家の立場や地位は、どのような感じなんでしょう。
【坪井】著名な書き手であれば状況は違うと思いますが、脚本家の立場は監督と比べると弱いと思います。
脚本は是枝さんも話していたように、基本的にプロデューサーと監督とで直していく場合が多いと思うんですが、個人的にはもっと全体とコミュニケーションが取れる状況があってもいい気がします。原作モノの脚色なのに、脚本家と原作者が会えない、なんていうのもありますよね。
【是枝】過去の経験から、僕は原作ものを監督する時は、とにかく最初に原作者に会わせてほしいと伝えるようにしています。
『海街diary』(2015年公開)では、原作者の吉田秋生さんに会った時、こうしてほしくないということがあったら言ってくださいと伝えたら、作中しばしば話題には上るけど絶対に出てこない人物がいて、その「アライさん」だけは出さないでほしいと言われたんです。それを聞いて、『海街diary』は出てこない人が大事な物語だと分かった。原作者と会って話せば、きっと映画を作る上で大事なヒントにもなると思うんですよね。
【坪井】原作モノの映像化は原作者と監督・脚本家やプロデューサーなどが直接話し合う場が必要ですよね。ここは譲れないというすり合わせは密に、かつ第三者の言葉を介さずに行われる必要があると思います。伝聞の形を取ってしまうと本来落としてはならない部分が抜け落ちてしまう危険がありますし、誤解が生まれやすくなるのを避けられない。
映画化する際、原作と違う媒体に変えるわけですから、原作をそのまま映画に置き換えたら成立しない箇所は多々あります。原作の雰囲気や重要な軸を壊さずに作る必要がある際は、原作がいったい何を大切にしているのかが分からなければ作りようがない。故に対話というすり合わせは必要不可欠だと思います。監督や脚本家という作品の骨組みから肉付けを率先して担う立場が、原作者に直接会いづらいという慣習は映画界にもテレビ業界にもずっとあるみたいですが、一刻も早く廃れてほしいです。
【是枝】女性の働き方の話に戻ると、フランスで『真実』(2019年公開)を撮った時、撮影部のチーフが女性だったんですが、2人のお子さんを育てているシングルマザーでした。でも撮影が晩飯前には確実に終わり、保育園へ迎えに行ってご飯を子どもと食べることが撮影中もできる状況なので、日本でもそれができれば現場を離れずに済む。それを実現するために、映画業界の労働改革の働きかけをいろんなところにしています。例えば保育施設を撮影所の中に作ろうとすると、映画の現場だけにとどまらない話なので、厚生労働省まで巻き込まないといけなくなってしまうので大変です。
潤沢な予算があって長期にわたって同じ場所で撮影ができて、施設が用意できる状況が作れれば、いったん現場を離れているスタッフを戻せるのではないか。一度やってみようと思っているんです。
【坪井】まずは長時間かつ不規則な撮影時間の問題をどうクリアにしていくかですよね。夜中に帰っても、日が昇る前には出ないと間に合わないというような過酷な現場もまだまだあります。厳しい環境にもかかわらず、薄給というのも珍しい話ではない。
【是枝】日本の映画人には文化祭の延長で映画を作る楽しさとか、お祭り気分の一体感のようなものが好きで、それを手放したくない人たちがいるのも間違いない。でもそれは映画愛を利用しているし、スタッフ、キャストのやりがい搾取だから。もうそこに若い人たちだってついてこない。
【坪井】是枝さんが共同代表を務めているaction4cinema(日本版CNC設立を求める会)は昨年10月、制作現��のハラスメント防止ハンドブックを発表しましたね。現場で働く同期の話を聞いていて、激務の次に業界を去る理由になっているのはこのハラスメントだと認識しています。権力を持たされやすい・権威を帯びやすい役職から「下」とされてしまっている部署へのハラスメント・いじめ・性暴力がいまだに常習化しているのにもかかわらず、声を上げにくい状況が続いている。当事者が訴えるのではなく、周りが動いて暴力を止めたり防いだりできる環境作りが求められているように思います。
【是枝】それこそ、フランスのCNC(国立映画映像センター)のような統括機関が必要なんですよね。ハラスメント窓口すらない状況なので、どこに訴えたらいいのかがまず分からない。日本には映画の撮影チームを、監督の名前で何々組と呼ぶ文化がある。そうすると、組の中の倫理の方が勝ってしまったりするので、その組で起きていることに対して、他の組の監督が口を出すような文化ではないというか。それももうここで変わらないといけない。
action4cinemaに関しては、監督だけでなくプロデューサーの目線が入った方がいいという意見も出ていて、今年メンバーが少し変わる予定です。
若手から「ご自身では反体制だと思っているかもしれないけど、もう業界においてはあなたも権威なんだから、正しい権威になってくれ」と言われて……。『怪物』で批判が起きた時に、そういう立場の人間がスルーしてはいけない、と突き上げを食らいました。そこは真摯に反省して、映画界を良くするためにできることをやっていきたいと思います。
【坪井】作って発表して、それが観客という第三者に見られることで作品は「作品」になり、届いた「その先」も背負うのが制作側の責務だと私は作り手のひとりとして考えていて。今日は「その先」のひとつの場として鼎談が設けられたと認識しています。
作り手と受け手が互いに意見を交わし合う機会が更に増えていくと良いですよね。映画全体の手綱を握るのは監督だけれども、プロデューサー、脚本、演出、撮影、録音、編集、美術、制作、配給会社に宣伝会社と、多くの力によって映画は生み出され、観客に送り出されている。議題によって、各部署を担う方々がそれぞれ参加できるともっと良いのではないか、と思います。
今回はクィアへのまなざしに関係する批判を中心に対話を重ねましたが、被差別属性側を描いた作品の場合、まず批判を含めた当事者の声を聞いていかない限り、その作品自体が制作側の望まない方向に進んでいくのは免れず、それは作り手にとってもマイナスなはずです。
作り手の意図と受け取った側の解釈の間に暴力的な隔たりが生まれてしまった時、作り手が「実はこう考えていた」「ここは今から改善する」と明かし、「ここはよくなかった」と謝罪することに対して、ただの言い訳だ、という意見ももしかしたらあるかもしれない。ですが、至らなかったと謝るのと、応答せず無視し続けるのとでは、私は後者の方が無責任だと強く言いたいです。
【児玉】これまで、日本のクィア映画に対する当事者、批評家や観客からの批判に対して、作り手たちが十分に応答できていたかというと、なかなかできていなかった。
批判だけが空中分解して消えていってしまうので、作品と批判が建設的な形で架橋されない。例えば宣伝に対する批判が起きてその後に何かしら変更になったとしても、具体的にどこに問題があると認識して改善に至ったかという対外的に出すべき説明が抜け落ちてしまっているケースも多い。日本でクィアのテーマを扱う作品がつくられることに、反射的に不安や懸念を覚えてしまう人たちが一定数いる状況が続いてしまっているように見えます。
是枝さんが日本映画を代表する監督であることは間違いなく、そういう立場の人がこうして公に批判に応じたことは日本映画界にとって画期的なことで、大きな意義を持っていると思います。次世代を担う監督たちもきっと見ているはず。ここから続いていってほしいという期待もあります。
【是枝】そう言っていただけると、ここに来たかいがありました。こういう対話を一つ一つ積み重ねていくしかないですね。何か批判が起きた時に、自分はこう考えたとか、ここは反省しているとか、ここは改善できるとか、そういうことをできるだけ指摘してくれた人に対しても公にしていきたいと思っているんです。
ですが、矢面に立つのが監督なのは当然としても、映画は監督だけのものではない。作品を代表して発言するのが難しい時もある。
『怪物』に関してもそうで、一度カンヌにいる間に僕自身は何かしら声明を出すべきだと思って自分の考えを文章にまとめていたんですが、結局自分の判断で引っ込めました。公開から長い時間が経ってしまいましたが、自分が何を考えたのかということはまとめて表に出したいと思っていたので、こういう機会をいただけて、改めてありがとうございました。(構成=映画文筆家・児玉美月)
これえだ ひろかず 1962年、東京都生まれ。テレビドキュメンタリーの演出を手がけ、2014年に独立し制作者集団「分福」を立ち上げる。95年に『幻の光』で映画監督デビュー。主な作品に『誰も知らない』(04年)、『歩いても 歩いても』(08年)、『そして父になる』(13年)、『海街diary』(15年)など。18年に『万引き家族』がカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞。日仏合作の『真実』(19年)、韓国映画『ベイビー・ブローカー』(22年)など海外での制作にも取り組む。
こだま みづき 映画文筆家。映画に関する文章をさまざまな媒体に寄稿。共著に『彼女たちのまなざし 日本映画の女性作家』(フィルムアート社、2023年)、『反=恋愛映画論――「花束みたいな恋をした」からホン・サンスまで』(ele-king books、2022年)など。
つぼい りお ライター。1995年生まれ。在学中、映画脚本を専攻。言葉に関する活動を幅広く行う反差別のクィア。主な寄稿記事に、〈映画『怪物』を巡って――「普遍的な物語」を欲するみんなたちへ〉(本屋lighthouse)、〈映画『炎上する君』 燃え盛るのではなく、世界の果てまで延焼する〉(『映画芸術』484号)。
コメントプラス
仲岡しゅん(弁護士)【視点】 お三方の鼎談の中で、「クィア」「当事者」という言葉がよく出てくるが、当然ながらクィアの当事者でも全く一枚岩ではなく、見る角度や目線はそれぞれ大きく異なるという点は指摘しておかなければならない。
私はいわゆるクィアの当事者の一人ではあるが、記事中の「当事者たちからの批判の声」とは全く違った感想を抱いている。
私は、この「怪物」という作品から、他の映画や作品では到底感じたことがないほどの深い慰めを受け、勇気を受け取った。
あまり予備知識なく初めてこの「怪物」を映画館で観て、大きな衝撃を受けたのは、昨年の夏。
それから残業の合間に幾度もレイトショーで深夜の映画館に足を運び、その度に打ちのめされ、そして不思議な勇気と自信を得て帰る、という経験を繰り返した。
この作品は、確かにクィアの登場人物たちを描いている。
だが、決して「クィア」や「LGBT」という明確な切り口から描いてはいないし、むしろ「普遍的な物語」として描きつつ、しかし当事者たちを取り巻く状況についての勘所は押さえた上で描かれていた。
だからこそ、クィアの当事者である私に刺さったのだ。
今や私たちは、とにかく「LGBTQの人」といったカテゴライズをされがちだ。しかし、「LGBTQ」という言葉は、一方で当事者たちの連帯を生む概念でもあり、他方で、その外側からは安易なカテゴライズの道具として使われがちでもある。
だが、私たち個々の人生も生きざまも実に多様で、平凡で、そこにあるのは、普遍的な一人の人間像でしかない。
そして、とりわけ思春期以前の当事者にとってのそれは、LGBTQという言葉では言い表せない、「名前のない何か」だ。
「怪物」という作品は、そこに安易な名前を付けることなく「普遍的な何か」として描いたからこそ、私自身も子どもの頃に感じていた、得体の知れない怪物のような何かを生々しく描けたのだと思う。
私はむしろ、この作品が、クィア��LGBTQという要素を全面的に出してプロモーションしていたならば、かえってありがちな、陳腐なものになってしまったのではないかとすら思っている。
そしてラストシーンについても付け加えておきたい。
鼎談でも上がっているように、ラストシーンに「死」のニュアンスを感じ取った観客もいたようだが、私は全く逆で、自分を肯定できた子どもたちの「生」への祝福に感じられた。
そして、その後は描かれなくて正解だったろう。
その後の人生を作っていくのは、嵐を乗り越えて自己を肯定した当事者それぞれであり、私たちそれぞれだからだ。
私もかつて嵐のような何かを乗り越えて、今こうして生きていることを、「怪物」という作品は思い出させてくれた。これほど勇気と自信を与えてくれた作品は他にない。
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南極大陸本土で鳥インフル感染初確認、ペンギンに感染リスク(ロイター 2月27日)
[ブエノスアイレス 26日 ロイター] - スペイン科学研究高等会議(CSIC)は25日、H5型高病原性鳥インフルエンザが南極大陸本土で初めて確認されたと明らかにした。同大陸に生息するペンギンへの感染リスクも出ている。
アルゼンチンの科学者が24日、南極のプリマベラ基地近くで発見した海鳥少なくとも1羽の死骸からウイルスを確認したという。
南極地域ではこれまで、近隣の島でジェンツーペンギンなどの鳥インフル感染が確認されていた。この数カ月、H5N1型鳥インフルが世界各地でまん延している。
南極大陸とその近くの島々ではペンギンが密集してコロニーを形成しており、鳥インフルが容易にまん延する恐れも��る。
南極研究科学委員会も同基地で感染が確認されたとしている。
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ペンギンも鳥インフル感染 南極で急拡大の様相(時事通信 3月15日)
南極で列をつくって歩くアデリーペンギン=2012年1月(EPA時事)
【サンパウロ時事】南米チリの政府機関チリ南極研究所(INACH)は14日までに、高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)に感染したペンギンが南極大陸で初めて見つかったと発表した。南極大陸では先月に鳥インフル感染例が初めて確認されたばかりで、集団で行動するペンギンにも急速に広がる様相を呈してきた。
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南極でペンギン532羽死ぬ 鳥インフルが原因か―豪大(時事通信 4月5日)2024年3月15日に追記
南極で氷山から飛び降りるアデリーペンギン=撮影日不明(ニューヨーク州立大ストーニーブルック校など提供)(AFP時事)
南極で氷山から飛び降りるアデリーペンギン=撮影日不明(ニューヨーク州立大ストーニーブルック校など提供)(AFP時事)
南極大陸で先月、少なくとも532羽のアデリーペンギンが死んでいるのが見つかった。オーストラリアのフェデレーション大学が明らかにした。調査団は被害が数千羽に及ぶと推定。高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)が原因の疑いがあり、現地からサンプルを研究所に送り、詳細を調べている。
鳥インフルは2022年に南米で確認され、野生動物の間で急速に感染が拡大。南極大陸では今年2月に、最初の感染例が確認された。調査に参加した同大の生物学者メーガン・デュワー氏は「気候変動などによって既に影響を受けている野生動物に甚大な被害を及ぼしかねない」と語った。
英南極研究所によると、南極大陸では約2000万組のペンギンが毎年繁殖を行い、絶滅が危惧されるコウテイペンギンも含まれる。専門家は鳥インフルによって、コウテイペンギンなど南極に生息する野生動物が大量死する可能性があると懸念している。(ロイター時事)。
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happytime-en · 2 months
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町中華な佇まいのお店で「海鮮ランチ」
皆さん こんにちは。
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婚活アドバイザーの金子です。
角川武蔵野ミュージアム(埼玉県所沢市東所沢和田3丁目)へ、現在開催中のデジタルアート展【 サルバドール・ダリ エンドレス・エニグマ 永遠の謎 】の鑑賞を目的に行った時のランチは、角川武蔵野ミュージアムから徒歩8分程の場所に店舗を構える「中華料理 大三元」さん。
店舗名はもちろんのこと外観も昔ながらの町中華といった佇まいなのですが、意外な事に刺身・海鮮丼・魚介類のフライ、焼魚などの魚料理をいただけるお店でした。
10人位で満席になってしまう程のカウンター席のみの小さなお店なのですが、定食系のメニューだけでも50種類以上、単品は数百種類以上あるのではないかと思われるほどの豊富なメニューにも驚かされます。魚介系の他、ハンバーグ・生姜焼き・カツ丼・チキンやポークのカツ類。麻婆豆腐・ニラレバ炒め・角煮・ラーメンなどの中華メニューも!
かなり迷った末に選んだのは、本日の特選ランチから(刺身盛り+生カキフライ定食)こちらの定食には、ご飯・渡り蟹の味噌汁・漬物・茶わん蒸しが付きます。
メインのカキフライは、ふっくらサクサクでジューシー。添えられた手造りと思われるタルタルソースも美味しかったです。そして刺身盛りはマグロの大トロ・中とろ・赤身、イカ・甘エビ・アジなどどれも新鮮で美味しいです。煮魚も付いていました。
妻は(刺身盛り+生アジフライ)を選んだのですがアジが終了してしまったとの事なので、本日のサービスランチから(刺身3点+白身魚フライ タルタルソース)を注文。こちらにも二種のメインの他にご飯・渡り蟹の味噌汁・漬物・茶わん蒸しが付いていました。
運よく待たずに入店できましたが、人気店のようで店内は賑わっており私達の後から来た一組のお客さんは入店待ちでした。そのお客さんが入店した後は`準備中`になってしまったようです。
「孤独のグルメ」に登場しそうな雰囲気のこちらのお店。現地到着後にスマホで調べて発見したのですが、当たりのお店でした。(埼玉県所沢市東所沢和田3丁目1−8 新倉ビル 1F)
角川武蔵野ミュージアムの複雑な岩塊のような建物は建築家の隈研吾氏による設計とのこと。隈研吾氏というと新国立競技場のような木材を使用した和のテイストな建築が思い浮かぶので意外です。
ミュージアム内には、妖怪一つ目小僧が・・・。2Fのショップには「ダリ」関連グッズが販売されており、もちろん(チュッパチャップス)もありました。
敷地内には、平常時の柔和な顔の「大魔神」と怒り心頭時の鬼の形相な「大魔神」の像が設置されており、隣接する「武蔵野坐令和神社」は、神社とは思えないモダンな佇まいです。
角川武蔵野ミュージアムは、群馬県からもそう遠くではない距離なので日帰りドライブにも良いと思います。(残念ながらチームラボの「どんぐりの森の呼吸する生命」は今年1月に終了してしまったようです。)
新店舗への建替え工事中だった、桐生市相生町5丁目のケーキ屋さん「モンシェリー 相生店」さん。3月2日にリニューアルオープンのようです。しばらくの間は混雑が予想されるので少し落ち着いたらケーキを買いに行こうと思います。
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  群馬県桐生市相生町5-536-1 
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  電 話:0277-32-5314
  連絡時間:午前10時から午後9時
  定休日:年中無休
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