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#俳優に限らず多くの人に参加してほしい
hironoriyamazaki · 2 years
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親交の深い映画監督・島田伊智郎さんの 初長編映画「消えない虹」が9/3の東京公開を皮切りに全国上映が展開されております! そして!いよいよ12/23(金)には札幌「サツゲキ」にて公開されることが決まりました! 山崎の恩師・篠原哲雄監督や、原田眞人監督・成島出監督と名だたる巨匠の元で助監督を務め、監督や俳優からの信頼も厚く、リアリティーを追求した演出に定評がある熱い男です! 是非、映画「消えない虹」ご覧ください!とっても心が動かされる映画です! そして島田監督と山崎のコラボ企画! 【俳優ワークショップ】を 12/23〜29で開催する事となりました! 札幌市内にて!かなり熱ーい、濃ーいワークショップになりそうです。事務所所属の方でもどなたでも参加可能なようにただいま準備中ですので、詳細公開をお待ちください!今年の年末は熱い熱い時間が過ごせそうですよ♪ #山崎長編映画制作ドキュメンタリー #人の繋がりに感謝 #俳優に限らず多くの人に参加してほしい #なんとなく生きていたあなた #将来や夢に不安になっていたあなた #実感しよう #リアルを https://www.instagram.com/p/CkznDbspsnh/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 6 months
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確定申告会場で自民党裏金事件への怒りが噴出している。少しでも不備があれば課税される国民に対し、「政治資金」は非課税の聖域。疑惑の国会議員の申告状況も明らかでないが、実は1960年代、国会で200人以上の申告漏れが公表されていた。国権の最高機関を舞台に、脱税と疑われる行為が繰り返されるのはなぜか。本紙「本音のコラム」で指摘した青山学院大の三木義一名誉教授(租税法)とともに、考えた。(西田直晃、森本智之) ◆自民の裏金議員へ「確定申告せよ」  「けしからんとしか言いようがない。雨の中でも義務を果たすのが、ばからしくなってしまうよ」  19日昼、納税者が続々と訪れた東京都港区の品川税務署の近く。年金収入などがあるという山田経一さん(77)は、確定申告を終えて憤りを語った。  そもそも、国会議員は、給与に当たる「歳費」こそ所得税が源泉徴収されているものの、月100万円の調査研究広報滞在費(旧文通費)、月65万円の立法事務費などは報告義務がない上に非課税だ。  山田さんは「十分に思えるほどの手当などがありながら、さらにカネが必要だというのはおかしい。政策を練るための最低限の手当だけにして、あとは一般国民と同様に確定申告すべきだ」。 ◆税務署の職員「みなさんの気持ちは分かります」  受け付け初日の16日には今年も、俳優の高橋英樹さんが申告を呼びかけた品川税務署。近くで取材を続けていると、怒りを口にする人たちが目立った。  記者が「裏金事件について…」と切り出すと、「実は、私は税務署の人間でして」と苦笑いする背広姿の男性も。「納税者のみなさんの気持ちはよく分かります」とだけ答え、足早に去った。  裏金のうち、政治資金であれば非課税とし、政治活動以外に使った分や未使用分は議員個人の「雑所得」として課税—。この国税庁の見解に照らすと、キックバックされた資金を「使用していない」と自民党の調査に回答した議員は、本来課されるべき納税義務を免れたことになる。 ◆納税を呼びかけた岸田首相に対し「どの口が…」  「野党が指摘するように脱税に当たるはずだ」と話したのは、品川区の自営業女性(54)だ。「国民が同じことをすれば罪に問われてしまう。信じられないほど不公平だ。岸田首相が納税を呼びかけたニュースを見て、『どの口が…』と突っ込みたくなった」と語気を強めた。  自民党内でも「キックバックを受け取った議員は納税すべきだ」との声が上がっているが、既に「政治資金」として収支報告書を一斉に訂正した経緯がある。課税すれば「矛盾」が生じるとして、否定的な意見が多いようだ。 ◆裏金議員の申告状況は  だが、確定申告を終えた加藤昭治さん(79)は「矛盾しているのは政治家たちの発言と行動のほうだ」と突き放す。「自分たちに都合の良いように解釈してしまっている。どんな裏金も裏金なんだから、しっかりと課税するべきだ」  そもそも裏金議員たちも今、確定申告をしているのか。国税庁の担当者に尋ねたが、「われわれは守秘義務があり、個々の納税者の申告状況を公にすることはない。議員であっても、一般市民であっても変わりはない」とのことだ。 ◆1966年「黒い霧事件」後には異例の公表  とはいえ、過去には国税庁長官が国会で、議員の申告状況を公表した前例がある。きっかけは1966年、自民党議員の不祥事が続発した政界の「黒い霧事件」だ。  「黒い霧事件」後、政治改革の議論の中で議員の課税問題が噴出。確定申告の時期を経た67年5月23日、衆院大蔵委員会で泉美之松(みのまつ)国税庁長官が調査結果を明らかにした。  課税対象になる所得があるのに申告漏れしていたなどとして修正申告、更正決定した国会議員は「現職議員が181名、前議員が22名、合計203名」で、金額は「トータル2億1800万円」。当時の衆参両院の定数の3割近くに申告漏れがある計算だった。  国会議員に対するこうした調査はこの時が初めて。異例の動きの背景に何があったのか、「こちら特報部」は19日に国税庁に質問したが、「なにぶん古い話で、行政文書の保存期間との兼ね合いもあり、すぐには答えられる状況ではない」とのことだった。 ◆当時の大蔵大臣は政治家の「特権」に言及  当時の大蔵委のやり取りは議事録に残っている。泉氏は国会議員の所得申告状況について「収入支出の申告は漏れているのが実情」「所得ありとしての申告は非常に少ない」と説明。質問した社会党の西宮弘氏は「一般の中小企業では収入はないかとウの目タカの目になって探しておるじゃないか。とても国民は納得できない」とかみついた。  これに対し、自民党議員の水田三喜男・大蔵大臣は「一番納税道義の高くあるべきはずの国会議員であるので、一般に対する所得の把握と議員に対する所得の把握は若干違ってもいい」と政治家への特別対応を認めるような発言。さらに、「議員に対する名誉の尊重という意味から、国会議員だから特にこれを調べなければならぬということは私はないと思う」とまで言った。  西宮氏は「それは大変な間違いだ。だからこそ政治家に対する不信感が高まっている」「税金を納めることが実にばかばかしくなってきた。私がそうなんだから、ましていわんや、一般の国民は」と猛反発。60年近く前のやりとりだが、何だか現在の自民党への批判を彷彿(ほうふつ)とさせる。 ◆国税は政治家からの逆襲に悩まされ…  一連の経緯を今月8日の「本音のコラム」で紹介した三木義一氏は「ちゃんと議員も申告しろという声が上がり、与党の議員も一斉に確定申告することになった」と解説する。  三木氏によると、議員側はその後、政治活動関連の支出をすべて必要経費に入れ、政治活動の収支が赤字になると申告。国会議員の給与に当たる「歳費」と相殺することで個人としての所得が低くなったとして、逆に支払い済みの所得税の還付を求める与党議員が続出した。政治家からの逆襲だ。  「これに国税が参ってしまった。あわてて雑所得は他の所得と損益合算できないように制度改正したが、そこまで。これに懲りたか、税務当局が政治家に対して継続的に何かチェックしているというのは今に至るまで聞いたことがない」 ◆「不正を見逃すことは許されるのか」  日本大の岩井奉信名誉教授(政治学)も「国税が政治に踏み込もうとすると『政治活動の自由を侵す』と批判される。それが政治家への対応を甘くさせている部分はある」と認める。「政治活動の自由には配慮しなければいけないが、不正を見逃すことは許されるのか。政治資金制度の第三者委員会を検討してもいい」  自民党が公表した安倍、二階両派への聞き取り調査結果には、不記載の理由を「派閥からの指示、説明」とする回答があった。三木氏は「所得の仮装隠蔽(いんぺい)ではないのか。通常なら重加算税の対象になるし、その場合は過去7年にさかのぼる。ところが自民党の調査は5年分だ」と指摘する。  「国税はこの結果に基づき、『隠れて裏金を受け取った議員の税務調査をやります』『きちんと疑義を晴らします。調査します』と言わなければいけない。それが、国税の役割じゃないか」 ◆デスクメモ  所得税の捕捉率は「トーゴーサンピン」(10・5・3・1)と言われてきた。源泉徴収されるサラリーマン(10)は他職種より高いという意味で、最も低いピン(1)は政治家だ。マイナンバーで漏れを無くすそうだが、最大の不公平は温存したまま? 是正する順番を間違えている。(本)
「納税ばからしくなる」怒りが充満する確定申告会場 自民裏金議員との「信じられないほどの不公平」:東京新聞 TOKYO Web
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joemotofuji · 1 year
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Recently enjoyed (2023/01~03)
Been a while since my last update: life has been shifted to somehow an interesting direction😎 Just crossing all of my fingers (including toes) for lucks of myself and my favs🤞
驚くほど放置してしまいました。この期間は中村倫也さん作品に浸りつつ地上波ドラマを追っていました。このクール最高すぎて毎週テレビの前で爆泣きしていたのはきっと私だけではないはず。。。4〜7月と7月以降も手書きのノートにはまとめてるのでまたちまちまメモしにきます。
ハリー・ポッターと呪いの子(劇場鑑賞)
湯道(イオンシネマ)
ケンジトシ(舞台配信)
Lie To Me (Amazon Videoレンタル)
リバース(Hulu)
ビリギャル(Hulu)
春なれや(Hulu)
THE FIRST SLAM DUNK (横浜ブルク13 / IMAX)
貞子vs伽耶子(実家のJCOMでやってたの見てました)
シン・仮面ライダー(TJOY横浜)
シンゴジラ(Amazon Prime)
シンウルトラマン(Amazon Prime)
僕等がいた(Amazon Prime)
2023年1月期に追ってたドラマは下記。
Get Ready!(TBS)
ブラッシュアップライフ(日テレ)
女神の教室(フジテレビ)
星降る夜に(テレ朝)
夕暮れに、手をつなぐ(TBS)
大奥(NHK)
リバーサルオーケストラ(日テレ)
警視庁アウトサイダー(テレ朝)
100万回言えばよかった(TBS)
今夜すき焼きだよ(テレ東)
三千円の使い方(フジテレビ)
ハリー・ポッターと呪いの子(劇場鑑賞) 年明け初日、向井理さんハリー回見てきました。顔ちっっっさ……足なっっっが……舞台作品って主役級のキャラクターは5分くらい焦らしてから登場する感じのイメージが謎にあったため、本作で体感開始30秒くらいで向井ハリーが普通にど真ん中出てきた際にはヒエ〜〜言うてました。劇伴CDと配信版聞いた感じ曲と曲の繋ぎ目がほとんど分からない感じだったので結構厳密に時間が決まってたのかな?第一幕みなさんかなり早口だな〜と思っていましたがすぐに慣れました。マチネだったのですが見終わって時計見たらぴったりの時刻をさしてたので驚きました… とにかく魔法がすごい、ディメンターが怖い、という噂だけ聞いていたためとりあえず本筋だけ把握していこ〜と思ってシナリオブック(?)を事前に読んでいって正解だったかもしれません。「この場面のセリフじっくり聞きたい!」と狙いを定めて臨まなかったら脳の処理が追いつかなかったかも…と思うほど魔法が魔法でした。魔法だ…(?) マルフォイ父子の好きなシーン(闇の世界のあのシーン)が今回の上演ではカットされていたのですが、宮尾ドラコと門田スコがセリフのない場面で互いにとても大切にしあっているお芝居をされていて大号泣しました… ホラン千秋さんの「ミルベキ」で見て以来エハラマサヒロさんのロンを見たくて見たくてそわそわしていたので本当に最高でした…🤣他のキャストさんでも見たいなあ…
湯道(イオンシネマ) コメディとジーンとするシーンとの切り替えや塩梅が絶妙で、「良い映画見た」というより「良い時間だったな〜」と思いながら映画館を出ました😚♨️ 円盤で手元に置きたい……初日に見に行ったのに夕方だったからかグッズがほとんど売り切れていてまるきんのアクリルキーホルダーだけお迎えして帰りました。手拭いほしいなあ。 スーパー銭湯はよく行くものの純粋なピュア銭湯そういえば行ったことないな〜と思って近所の銭湯を検索したところ素敵な場所がまだまだたくさんあることもわかったので地道に開拓してみたいです。お風呂大好き…日本に生まれて良かった…
ケンジトシ(舞台配信) 中村倫也さんと黒木華さんという凪のお暇コンビが宮沢賢治とトシの物語をされるなんて‼️と張り切ってチケット先行やら抽選やらに星の数ほど(正確には両手の指の数ほど)参加して全て落選し血涙を流していた昨年末の私へ……シスカンパニーさんが配信してくださいましたよ!!!やったーー!!!きっと同じく落選続きで悲しんでいた仲間の中に前世で世界を救った方がいらしたんでしょう。その”徳”に便乗させていただいてしまいました。 小説悲劇喜劇 (2020年7月号) に掲載されていた脚本だけ読んだら脳内にハテナしか浮かなかったのですが配信でも舞台を実際に見たら………ハテナが三倍になりました。笑 舞台演劇については昨年10月に鑑賞した「夏の砂の上」のティーチインで脚本家の松田正隆さんがお話ししていた、「劇場というのは不思議な場所」というくだりのことを思い出しつつ、理性で理解するストーリーではないんだなあということだけ考えていました。(こっちの感想の方でちょっとメモしてました) 宮沢賢治に限らず詩作に思いを馳せて言葉に浸る・ということを、とんと行っていないここ数年だったのでとても良い時間を過ごしました。この作品こそ劇場で見たかったな〜
Lie To Me (Amazon Videoレンタル) 1話だけ見ました。The Mentalist やら Suits やらが好き、という話をしていたらお薦めしていただきました。英語の勉強も兼ねようと思ったんですがお仕事ドラマの英語まじではええ〜🤣 息をするように下ネタが出てくるのは、���本のオフィスラブ系ドラマで未婚や年齢・見た目いじりがスルッと出てくるのと似たようなノリなのかな〜と悶々としていたら終わっていました。同僚がセックスライフに口出ししてくるのと見た目のコンプレックスを笑ってくるのと、どっちの方が嫌と優劣をつけるものでもないんですが、これは慣れというか文化というか、「見慣れている」か否かの感覚の違いなのかなとも思いました。(有名な比較で言うと、アメリカのコメディアンがエスニック関連のジョークを言うのと日本のお笑い芸人が相方を叩くのとで反応が違うような) 閑話休題、サスペンス面とマイクロジェスチャー関連の出し方のバランスがきっとシーズン重ねるごとに面白さを増すんだろうなと期待したところで見終わりました。うーん、The Mentalist はメインキャラの中で積極的に性の話をする人がいなかったので見やすかったのかなと思いました。リグズビーが初っ端からグレースを狙ってたくらいしかしばらく言及がないので… 議員さんが若気の至りでできた子とはいえ、身を挺して娘を守ろうとする未来への解決(過去を無為に責めない)展開すごい好きでした。
リバース(Hulu) 藤原竜也主演、湊かなえ原作ドラマ。おすすめされていた作品をようやく見ました。面白かった〜〜!原作小説は二億年ほど前に読んで結末も忘れていたのでああこんな終わり方だったっけと思ったらちょっとハピエンになっていたようです。藤原竜也の将棋ドラマとハリポタ舞台をこのあと 2023 年 6 月に見たのでお芝居の振り幅すごすぎて頭抱えてました。俳優さんてすごい…… あと市原隼人の顔が良すぎてどこかのシーンでビール飲んでるところで一時停止して飲み物を取りに行き、戻ってきてテレビに目を戻したらCMのような良い飲みっぷりの静止画だったので笑いました。顎から鎖骨にかけての首筋が綺麗!
ビリギャル(Hulu) 有村架純さんが主演と知らず、石子さーん!と思いながら見ました。可愛かった……聡明さと天真爛漫さのマリアージュが絶品でした。 私自身個別指導の塾講師として勤務していたことがあり(というか今でも副業で続けており)、伊藤淳史さん演じる先生が褒めて伸ばすスタンスなことに共感しながら見ていました。宿題をやってこなかったり、できて当然の(むしろ年齢に対しできていないとまずい)問題を間違えたり、呆れたり怒ったりすることはいくらでもできるのですが、塾に来る生徒さんは何かしら課題や目標を抱えている状態が多く、もう既に散々呆れられたり怒られたりしてきている方もいます。そんな嫌な思い出しかない勉強をしに、本当ならのんびりしたい夜の時間に塾にきてくれた生徒さんに少しでもポジティブな気持ちになってもらいたくて私もとにかく褒める指導をしている派です。 もちろん、そういう講師に対してはハナから知らん顔をする生徒さんもおり、そうなると私の力量ではどうもできないので別の指導アプローチをする先生に相談したり、最終的にはチェンジになったりしています。 個別指導の良いところというか面白みは、生徒さんのスタンスと講師側のアプローチのスタイルが合致した場合に天井知らずの爆発的な伸びを見せることがある、という点にあると思っています。違う世代の若い考え方に触れる機会もありがたく、これからも続けられたらなあ…などなど、めちゃめちゃ自分語りなことを考えながら見ていました。父と弟の変化についてはフィクションだからこその綺麗なまとまり方で良かったです。ここまでくれば名大を受けていた同級生男子も合格してハピエン全振りでも…と思ったりもしていました。
春なれや(Hulu) 何みようかな〜と適当に Hulu のトップページをスクロールダウンしていた時に春を感じるドラマ特集の一覧に村上虹郎さんの顔を見つけて再生しました。17分くらいしかないのですが、じんわり心があたたかくなる作品で素敵でした。 全体的にセリフも少なくぽつぽつ会話するのが印象的で、宿命も春には及ばず。来年もまた咲くわね、という穏やかなセリフが記憶に残っています。
THE FIRST SLAM DUNK (横浜ブルク13 / IMAX) 漫画でリョーちんに憧れて PG 志願した小学生が私でした。アニメは見ていなかったので声優さんについても特に何も感じず、ただ3Dってどんなんだろうな〜と思いながら見に行き、良い試合を見た後のような高揚感で帰ってきました。めちゃめちゃ集中している試合の時ってコートで中腰になってる間の記憶が飛ぶんですが、変なタイミングでふと昔のこと思い出したりしてたのでリョーちんの回想が入ってくるのも「ああ〜」と思いながら見ていました。てか沖縄!?兄!?!知らなかった……
Get Ready!(TBS) 今でもあのマスク型キーホルダーとかスイーツの食玩グッズ販売待ってます(2023年8月現在) このドラマ見てお医者さん憧れるお子さんも多いんじゃないかなと思いました。ゲーミング手術室はともかく AI アシスト��最低限の人数での施術ってもう導入されてたりするんでしょうか……現代世界線に SF 要素とヒューマンドラマが混ざり合って面白かったです。
ブラッシュアップライフ(日テレ) バカリズムさん原作のウェディング・ハイ!を見て以来楽しみにしており、この3ヶ月本当に楽しく過ごさせていただきました。面白かった…! 当初、悪口や噂話ベースでナレーションが入るので主人公のことが苦手だったのですがそこについても二周目の人生で早々に回収されていて笑いました。友人を大切に思う気持ちがものすごく共感できて泣いたり笑ったり心地よく情緒を揺さぶっていただきました。また長い休みにまとめて見るか、毎日1話ずつ見るような感じでもっかい見たいな…
女神の教室(フジテレビ) 北川景子様の圧倒的”美”とオレンジ色の優しい画面に毎週癒されていました。法律にいろんな解釈があるのは相棒やら99.9やらでなんとなく知っていたものの完全に法曹界側(しかも学生側)から垣間見ることができたので面白かった…!フィクションであることは念頭に置きつつ、全然知らない職業についてちょっぴり知ることができるのもドラマの良いところ…
星降る夜に(テレ朝) びびるほど毎週泣いてました。ディーンフジオカをこんな癒し要素の配役にしてくださってありがとうございました……可愛かった……と思ったら後半胸が苦しすぎて一周回って大盛り上がりでした。 間の取り方と BGM が天才すぎて主題歌聞いただけで胸が熱くなります。JIN だ……
夕暮れに、手をつなぐ(TBS) ヨルシカと n-buna さん大好きの民、ティザーの時から楽しみにしていたので何もかもに大喜びでした。春泥棒のアレンジ音源ほしい… 主題歌のアルジャーノンが良すぎて、小学生の時に読もうとして冒頭のプラトン「国家」引用部分でくじけたままだった「アルジャーノンに花束を」をようやく読み、放心していました。もっと早くに読みたかった…10代の頃に読めていれば、もっと優しい人間になれたかもしれなかった…
大奥(NHK) 冨永愛様目当てで見て毎週口開けっ放しでした。全員、かっこいい…… 原作漫画を確か有功が亡くなるか僧になったんだかするところまで読んだような気がするのですが全然覚えてない…くらいの状態で見たので毎週の展開にハラハラしながら大盛り上がりでした。面白かった……10月から第二期ということで楽しみすぎます。三浦透子さんが一瞬わからないほどだったので今後もさらに楽しみです。半分怖いくらい…
リバーサルオーケストラ(日テレ) 門脇麦さんの魅力に完全にやられました。可愛かった…!!! 箱推しドラマとはまさにこのこと…と思いつつ、実は1話が録画できていなかったので最終回間近になってからやっと Hulu で全話追い、最後数話をリアタイした形でした。のだめ大好き勢なのでオーケストラものが嫌いなはずがなかったのですが、そもそも学生オケと社会人オケなので当たり前に全然違う、全く違う方向性で最高に面白いドラマでした。楽しかった… のだめは千秋やのだめといった天才が音楽と当たり前に生きる中での葛藤や戦いの物語だったのに対し、リバーサルオーケストラの方は主人公の二人以外にもしっかり焦点が当たっていて、天才というより秀才寄りのキャラクターたちが大好きな音楽にしがみついてもがいて生きる様子も描かれていて泣きました。芸術にしがみついて生きるのって辛いけど、幸せ… あと門脇麦さん演じる主人公が周囲の期待や圧と戦う描写も繊細で好きでした。面白かった〜〜😭円盤買いたい…
警視庁アウトサイダー(テレ朝) 特撮大好きな友人が大盛り上がりで見ていたので元ネタを教えてもらったり出演者さんのネタを教えてもらったりでキャッキャしながら視聴しました。楽しかった!私は唯一 BLACK SUN ネタだけわかったので大喜びでした。歌川親子が切なかった……🥲
100万回言えばよかった(TBS) ビターエンド最高すぎました。井上真央さんには個人的に、あの笑顔や花男のイメージでどうしてもめちゃめちゃ太陽のようなポジティブパワーがある方だと思っていたので、この方をしてバッドエンド(というか死別しっぱなし)になるはずがないと思い込んでいました。そのため中盤で佐藤健の死亡が確定した時点でだいぶ動揺し、そのままラストまで見てしましました。泣いた……最後海辺を一人歩く井上真央さんのシルエットの美しさよ……
今夜すき焼きだよ(テレ東) エンディング曲が最近友人が推しているリルリーグさんだと最後の方にやっと気づきました。ダンス可愛かった…
三千円の使い方(フジテレビ) 浪費家なので倹約のコツとかあるかな…と思って見始め、録画設定のミスで途中から撮れなくなってしまっていました。無念…
貞子vs伽耶子(JCOMの何かの局での放送) 実家に帰って深夜にチャンネル回してた時に流れてて見ました。お手本のような邦ホラーで、これは高校生の時に友人と見て盛り上がりたかったな…と思いました。最終絶叫計画の系譜を感じつつも本格的なホラーっぽく、ドンと驚かすところはびっくり効果が最大だったのですごかったなあと思って後で調べたら真剣なホラー映画だったっぽいことが分かり文字通り瞠目しました。
シン・仮面ライダー(TJOY横浜 / Dolby) エヴァンゲリヲン含めシンシリーズというか庵野監督作品をちゃんと見るのが初めてで色々度肝を抜かれました。森山未來がマ〜〜美しい……そしてハチオーグのるりるりへのもはや暴力的な執着にも似た友愛は多分女子なら誰でも小中学校くらいの頃に経験があるんじゃないだろうか……
シンゴジラ(Amazon Prime) 無駄に足を引っ張ったりごねたりする人間がおらず、各々がそれぞれの仕事をバキッとこなしていてかっこよすぎました。最高のお仕事映画…! 未曾有の事態に決して諦めず仕事し続ける官公庁側の人間たちが最高すぎました。怪物の生き物感というか造形が全体的にめちゃめちゃエヴァでウフフ言うてました。
シンウルトラマン(Amazon Prime) シンシリーズすごいのは元の作品を全然知らない状態で見ても血湧き肉踊り大��り上がりで見終われる点でした。米津玄師のエンディングがつええ〜
僕等がいた(Amazon Prime) アマプラ配信終了間近だったので前後編一気に見ました。生田斗真と吉高由里子の平成恋愛映画最高すぎました。BGM良かった〜映像が美しかった〜あと生田斗真に辛いエピ背負わせてくれてありがとう……
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kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年5月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年2月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
厨女も慣れたる手付き雪掻す 由季子 闇夜中裏声しきり猫の恋 喜代子 節分や内なる鬼にひそむ角 さとみ 如月の雨に煙りし寺の塔 都 風花やこの晴天の何処より 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 長すぎるエスカレーター早春へ 久 立春の市の算盤振つてみる 要 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ きみよ 伊達者のくさめ名残りや南部坂 眞理子 慶應の先生眠る山笑ふ いづみ 豆源の窓より立春の煙 和子 供華白く女優へ二月礼者かな 小鳥 古雛の見てゐる骨董市の空 順子 古雛のあの子の部屋へ貰はれし 久
岡田順子選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ 同 大銀杏八百回の立春へ 俊樹 豆源の春の売子が忽と消え 同 コート脱ぐ八咫鏡に参る美女 きみよ おはん来よ暗闇坂の春を舞ひ 俊樹 雲逝くや芽ばり柳を繰りながら 光子 立春の蓬髪となる大銀杏 俊樹 立春の皺の手に売るくわりんたう 同 公孫樹寒まだ去らずとのたまへり 軽象
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
敬􄼲な信徒にあらず寒椿 美穂 梅ふふむ野面積む端に摩天楼 睦子 黄泉比良坂毬唄とほく谺して 同 下萌や大志ふくらむ黒鞄 朝子 觔斗雲睦月の空に呼ばれたる 美穂 鼻歌に二つ目を割り寒卵 かおり 三􄼹路のマネキン春を手招きて 同 黄金の国ジパングの寒卵 愛 潮流の狂ひや鯨吼ゆる夜は 睦子 お多福の上目づかひや春の空 成子 心底の鬼知りつつの追儺かな 勝利
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月6日・7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
潮騒を春呼ぶ音と聞いてをり かづを 水仙の香り背負うて海女帰る 同 海荒るるとも水仙の香の高し 同 坪庭の十尺灯篭日脚伸ぶ 清女 春光の中神島も丹の橋も 同 待春の心深雪に埋もりて 和子 扁額の文字読めずして春の宿 同 砂浜に貝を拾ふや雪のひま 千加江 村の春小舟ふはりと揺れてをり 同 白息に朝の公園横切れり 匠 風花や何を告げんと頰に触る 笑子 枝川やさざ波に陽の冴返る 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月8日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
雪を踏む音を友とし道一人 あけみ 蠟梅の咲き鈍色の雲去りぬ みえこ 除雪車を見守る警備真夜の笛 同 雪掻きの我にエールや鳥の声 紀子 握り飯ぱりりと海苔の香を立て 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
東風に振る竿は灯台より高く 美智子 月冴ゆる其処此処軋む母の家 都 幽やかな烏鷺の石音冴ゆる夜 宇太郎 老いの手に音立て笑ふ浅蜊かな 悦子 鎧着る母のコートを着る度に 佐代子 老いし身や明日なき如く雪を掻く すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
朝光や寺苑に生るる蕗の薹 幸風 大屋根の雪解雫のリズム良き 秋尚 春菊の箱で積まれて旬となる 恭子 今朝晴れて丹沢颪の雪解風 亜栄子 眩しさを散らし公魚宙を舞ふ 幸子 流れゆくおもひで重く雪解川 ゆう子 年尾句碑句帳に挟む雪解音 三無 クロッカス影を短く咲き揃ふ 秋尚 あちらにも野焼く漢の影法師 白陶 公魚や釣り糸細く夜蒼し ゆう子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
犬ふぐり大地に笑みをこぼしけり 三無 春浅しワンマン列車軋む音 のりこ 蝋梅の香りに溺れ車椅子 三無 寒の海夕赤々漁終る ことこ 陽が風を連れ耀ける春の宮 貴薫 青空へ枝混み合へる濃紅梅 秋尚 土塊に春日からめて庭手入 三無 夕東風や友の消息届きけり 迪子 ひと雨のひと粒ごとに余寒あり 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浅春の眠りのうつつ出湯泊り 時江 老いたれば屈託もあり毛糸編む 昭子 落としたる画鋲を探す寒灯下 ミチ子 春の雪相聞歌碑の黙続く 時江 顔剃りて少し別嬪初詣 さよ子 日脚伸ぶ下校チャイムののんびりと みす枝 雪解急竹はね返る音響く 同 寒さにも噂にも耐へこれ衆生 さよ子 蕗の薹刻めば厨野の香り みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月14日 萩花鳥会
水甕の薄氷やぶり野草の芽 祐子 わが身共老いたる鬼をなほ追儺 健雄 嗚呼自由冬晴れ青く空広く 俊文 春の園散り散り走る孫四人 ゆかり 集まりて薄氷つつき子ら遊ぶ 恒雄 山々の眠り起こせし野焼きかな 明子 鬼やらひじやんけんで勝つ福の面 美惠子
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令和5年2月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
吹雪く日の杣道隠す道標 世詩明 恋猫の闇もろともに戦かな 千加江 鷺一羽曲線残し飛び立てり 同 はたと止む今日の吹雪の潔し 昭子 アルバムに中子師の笑み冬の蝶 淳子 寒鯉の橋下にゆらり緋を流す 笑子 雪景色途切れて��し三国線 和子 はよしねまがつこにおくれる冬の朝 隆司 耳目塗り潰せし如く冬籠 雪 卍字ケ辻に迷ひはせぬか雪女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
指先に一つ剥ぎたる蜜柑の香 雪 大寒に入りたる水を諾ひぬ 同 金色の南無観世音大冬木 同 産土に響くかしは手春寒し かづを 春の雷森羅万象𠮟咤して 同 玻璃越しに九頭竜よりの隙間風 同 気まぐれな風花降つてすぐ止みて やす香 寒紅や見目安らかに不帰の人 嘉和 波音が好きで飛沫好き崖水仙 みす枝 音待てるポストに寒の戻りかな 清女 女正月昔藪入り嫁の里 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月17日 さきたま花鳥会 坊城俊樹選 特選句
奥つ城に冬の遺書めく斑雪 月惑 顔隠す一夜限りの雪女郎 八草 民衆の叫びに似たる辛夷の芽 ふじほ 猫の恋昼は静かに睨み合ひ みのり 薄氷に餓鬼大将の指の穴 月惑 無人駅青女の俘虜とされしまま 良江 怒号上げ村に討ち入る雪解川 とし江 凍土を突く走り根の筋張りて 紀花 焼藷屋鎮守の森の定位置に 八草 爺の膝捨てて疾駆の恋の猫 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
古玻璃の奥に設ふ古雛 久 笏も扇も失せし雛の澄まし顔 眞理子 日矢さして金縷梅の縒りほどけさう 芙佐子 梅東風やあやつり人形眠る箱 千種 春風に槻は空へ細くほそく ます江 山茱萸の花透く雲の疾さかな 要 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 ぽつねんと裸電球雛調度 要
栗林圭魚選 特選句
紅梅の枝垂れ白髪乱さるる 炳子 梅園の幹玄々と下萌ゆる 要 濃紅梅妖しきばかりかの子の忌 眞理子 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 老梅忌枝ぶり確と臥龍梅 眞理子 山茱萸の空の広さにほどけゆく 月惑 八橋に水恋うてをり猫柳 芙佐子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
師を背負ひ走りし人も雪籠 雪 裏庭開く枝折戸冬桜 同 天帝の性こもごもの二月かな 同 適当に返事してゐる日向ぼこ 一涓 継体の慈愛の御ん目雪の果 同 風花のはげしく風に遊ぶ日よ 洋子 薄氷を踏めば大空割れにけり みす枝 春一番古色の帽子飛ばしけり 昭上嶋子 鉤穴の古墳の型の凍てゆるむ 世詩明 人の来て障子の内に隠しけり 同 春炬燵素足の人に触れざりし 同 女正月集ふ妻らを嫁と呼ぶ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
能舞台昏きに満ちて花を待つ 光子 バス停にシスターとゐてあたたかし 要 空に雲なくて白梅すきとほる 和子 忘れられさうな径の梅紅し 順子 靖国の残る寒さを踏む長靴 和子 孕み猫ゆつくり進む憲兵碑 幸風 石鹸玉ゆく靖国の青き空 緋路 蒼天へ春のぼりゆく大鳥居 はるか
岡田順子選 特選句
能舞台昏きに満ちて春を待つ 光子 直立の衛士へ梅が香及びけり 同 さへづりや鉄のひかりの十字架へ 同 春の日を溜め人を待つベンチかな 秋尚 春風や鳥居の中の鳥居へと 月惑 料峭や薄刃も入らぬ城の門 昌文 梅香る昼三日月のあえかなり 眞理子 春陽とは街の色して乙女らへ 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
ポケットの余寒に指を揉んでをり 勝利 黒真珠肌にふれたる余寒かな 美穂 角のなき石にかくれて猫の恋 朝子 恋仲を知らん顔して猫柳 勝利 杖の手に地球の鼓動下萌ゆる 朝子 シャラシャラとタンバリン佐保姫の衣ずれ ひとみ 蛇穴を出て今生の闇を知る 喜和 鷗外のラテン語冴ゆる自伝かな 睦古賀子 砲二門転がる砦凍返る 勝利 小突かれて鳥と屋や に採りし日寒卵 志津子 春一番歳時記の序を捲らしむ 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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oim2 · 2 years
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デスメタルのリフを遅くして、ハードコアパンクの形式にザクザクと刻みを入れてみる(ビートダウン)。またはツービートや横山やすし・西川きよしの漫才のテンポを遅くし、ザクザクと分節した時間を引き延ばしてみる(ダウンタウン)。みたいな書き方をしてみるのはどうか。またはベルンハルトのようにダラダラと思考を冗長に垂れ流すのはどうか。That’s life.
『極道たちの野望』のエスタブリッシングショットが面白い。タイトルからして一見ヤクザ映画だと思うかもしれないが、いや、ヤクザ映画なのだが、これはジャンルとしてはヤクザVシネである。ヤクザVシネを見たことが無いという方は一度動画配信サブスクに入ってワンシーンでもヤクザVシネを見て欲しい。いや、見なくてもいい。見たところで思う何かは人生にとって重要なものとなるにはあまりにも時間が短すぎる。私たちは呆然とする時間などない日常で、剰余価値生産のほんの僅かな間隙を縫って作った政治活動の時間までコンテンツ消費に使わなければいけない。どうせ死ぬのだからと、右翼の街宣車をハイジャックしストサベのHardcore Prideを轟音で鳴らしながら財務省に投石、火炎瓶、そのまま突っ込み身体に巻いていたダイナマイトで爆死する心積もりならば、こんな駄文を読んでいる暇などない。早く行け。俺はやることが他にあるからそれをやってから行く。と、ある友人にメールを打ってからというもの、以下のようなメールが絶えない。急なDM失礼します。ママ活をしたい女性からの問い合わせが多く男性が足りておりません。綺麗な女性が沢山いますので是非この機会に参加してください。ご質問等ある方もLINEを追加してご連絡ください。募集中のママさんを公開していますのでよかったら見てください。今日から募集の方も何名かいらっしゃいます。ご連絡お待ちしております。 ヤクザVシネの見つけ方として、まず動画サブスクの検索バーに「小沢仁志」、「中野英雄」、「清水健太郎」、Fuck「中条きよし」、「白竜」などと打ってクリックすると、怖い顔のジャケがずらっと並ぶと思う。その中でタイトルがどうも「臭う」ものを選んで再生ボタンを押してみよう。またはレビューの星の数が3ないし2以下のものを選ぶとより高い確率でヤクザVシネに辿り着けるはずだ。まずは3分見てみる。すると自分の映画鑑賞史の中で培った映画的感覚が妙な違和感を示すはずだ。何かがおかしい…。アナーキーな整音、虚無な照明、身体性がハイのカメラ、アウトオブコントロールな役者、RAWハードコア解像度、shit美術などなど、カチッと何かにハマってない、どこか外れた感じがあるだろう。非芸術的な粗雑さと細部の欠陥、冗語気味な展開、これがVシネの持つ特有のコンテクストである。俺はこれを多大な賞賛を含んだ意味で「映画の外道」と呼んでいる。その中でもヤクザVシネは「映画の外道」の看板ジャンルである。他にエロVシネや金融系、麻雀系、ヤンキー系、パロディ系のVシネなど色々ある。Vシネとは何なのか?ネットにこう書いてあった。
《Vはvideo(ビデオ)の頭文字》東映が平成元年(1989)に発売を開始したオリジナルビデオ映画。 映画館公開のためではなく、最初からビデオとして発売したり、レンタル店に配給したりするために作った映画作品。 商標名。
1989というとベルリンの壁崩壊、昭和天皇崩御、ジョージ・H・W・ブッシュが大統領就任、天安門事件、ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!が放送開始など日本然り世界的にも歴史の転換期となった出来事が起こった年だ。そんな激動の裏っ側でレンタルビデオショップに卸されるためだけに作られたビデオテープの映画作品がVシネというわけだ。今はデジタル化に伴いソフトはDVDとなり、主な販売先は多分ネット配信サービス会社だろう。
『極道たちの野望』は2016年に作られた正統なヤクザVシネだ。竹内力主演で、1997年に竹内力が設立したRIKIプロジェクトが製作、販売?はオールイン エンタテインメントを引き継いだライツキューブである。内容はヤクザ社会の勢力争いと内部抗争がセットになったものと、跡目レース、ヤクネタ、御法度の凌ぎ(シャブ)話がプラスされたものだ。これはヤクザVシネで形式化された話の型の一つだろう。これ系のヤクザVシネはごまんと作られたはずだ。ヤクザVシネにはこうした話の型があるので、その微妙な切り口の差異を「撮影」で見て楽しむ、というのは私の鑑賞方法だが、ヤクザVシネ好きは結構そういう人が多いんじゃないか?例えばハードコア(パンク)も大体の形式があり、その範囲内で微妙な違い、またはパターンや要素の組み合わせを楽しむ音楽ジャンルなので、似ている面がある。ただ、ハードコアは特にメタルと融合することで水平的に発展していった歴史があり、いくつもの派生ジャンルが生まれている。逆に初期のUKハードコアの形式(D-beat)の攻撃性やスピード感はスラッシュメタルに影響を与えている。のちにクロスオーバースラッシュというスラッシュメタルとハードコアが融合したジャンルが生まれるが、パンクとメタルが融合してハードコアに派生ジャンルが生まれまくったその原点は初期のUKハードコアの形式=D-beatおよびDischargeにあると言えるんじゃないか。ヤクザVシネはどうだろう。見ている本数はそこそこあるが、というか沢山見る必要性も感じていない、時代的に時間が有限すぎてとても見尽くせない、けれども、水平的にあらゆるジャンルが派生していった、ということは聞いたことがないし、自分が見ている限り何を見ても全て大体同じではないか?と感じる。先に書いた型を発展をさせずにずっと守り続けているのが、ヤクザVシネということだろう。
撮影技術の極端な洗練されてなさがヤクザ映画のアンダーグラウンド、「映画の外道」の真髄であると言ったら怒られそうだが、洗練されてなさ、愚鈍、crass的な要因は低予算=時間をかけられないという背景にもあるだろう。そのためまだ予算がある程度潤沢だったであろう90~00年代より、(ピンク映画監督の江尻大 a.k.a EJD曰く) 2010年以降予算が付かなくなってからがVシネ業界を非技術によるAnything goesが席捲し、ファン側からするとより益体の無いマニアックな見方ができるようになったという点で「映画の外道」の全盛期と言っていい。以前であれば非技術によるAnything goesのようなものを「映画の(素材の)拡張」と書いていたが、自分の作品でもよく使っていた言葉だが、どこかグローバリズム臭がするんですよね、ローカルを守り楽しむ方法を考えたいと、マニアしかわからなくていいじゃないすか?というかグローバルに誰でもわかることなんかやってねーよってことで使用禁止にしてます。 一方でVシネは無名な俳優が沢山出ていることから雇用を生み出す役目も果たしているように見える。というか、製作側からするとエンターテインメントとしての需要もあるだろうが、雇用を創出することが本来の目的なのではないだろうか。昔からヤクザVシネくらいでしか見ない俳優が沢山いる。しかもあらゆるヤクザVシネが大体同じメンツ、しかもギラついた男のような人間しか出ていないので、非常にホモソーシャルなコミュニティの中で経済が回っているようである。その人たちを食わすためにヤクザVシネが未だ滅びずに存続しているのではないか。また、そのために型を守り続けている、ということではないか。型が発展しサブジャンルが生まれると必要な人材も変わってくるし、元のジャンル自体の資本が分散してしまい、自ずと分配も減る(んじゃないのか?)。ただでさえ日本の映画界はーまあ知らんけどー資金集めに苦労しているのだから。ハードコアのライブに行くとNYHCやビートダウン、パワーバイオレンス、メタルコアなどのモッシュ主体のジャンルや激情系には若い人がチラホラいるが、クラスト、ノイズコア、グラインドにはジジイババアしかいない。というのと同じことで、派生ジャンルが発展すると古いジャンルは淘汰される。この変化や発展を食い止めるための型の保守なんじゃないすか?もしや。大ヒット作『日本統一』シリーズはそんな連綿と続く「終わりなき古き良き労働」の一端から商業的に確変をものにした作品だろう。
先日ヤクザ映画のオーバーグラウンド『新・仁義なき戦い』(2000年)を見返したが、岸部一徳、豊川悦司、松重豊と等価に映る大地義行はやはり凄味がずば抜けている。俳優としてのではなく、魔のような地の凄味だ。大地義行のあのやさぐれた狂犬が魔物に取り憑かれたような威圧感は同じくヤクザ映画のオーバーグラウンド『新・仁義の墓場』(2002年)で菅田俊に詰め寄る時のジャケットのボタンを外すシーンがクローズアップされたカットに集約されていると思っている。なぜあのカットを撮ったのか?多分撮影を指示したのは監督の三池崇史だろう。だがどうでもいい。あのシーンの現場にいる誰もが大地義行のボタンを外す仕草に震えたはずだ。大地義行は京都の自宅にいた内縁の妻を放火で殺した罪により無期懲役になり、今刑務所にいる。罪状が真実であれば鬼畜の所業だ。EJD a.k.a 江尻大から大地義行が嫁を殺して逮捕された!と知らされたのはもう20年前のことだ。現在は無実を訴え再審請求を目指しているようだ。2000年前後、あらゆるヤクザ映画のバイプレーヤーとして活躍していた大地義行が今も娑婆にいられたなら(少しでも尋常さがあったならいられたはずだ)、当時同じく名舎弟役として売れまくっていた山口祥行と「映画の外道」を盛り立てていたに違いない。しかし、今の日本社会または映画界に大地義行のような無頼の塊のようなはぐれものが生きられる場所はどこにもないだろう。この世で生きていくためには地獄へ足を踏み入れるしか術がない人間がいる。リベラルが望む「平等」はこの世に生まれ持った魔物が存在する限り叶うことはないだろう。
なげーから続きは次回。
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irusu-kyoto · 2 days
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京都芸術大学共同利用・共同研究拠点  2024年度 リサーチ支援型 プロジェクト『 支配的なイデオロギーへの対抗の場としての身体 : ジェンダー・セクシュアリティの視点からの新たな文法創出  』研究代表:山崎恭子
関連レクチャー企画vol.02
舞台芸術関係者に向けた「 LGBTQ勉強会 」
ゲスト講師:和田華子氏
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【 概要 】
タイトル:舞台芸術関係者に向けた「 LGBTQ勉強会 」
日時:2024年10月14日
時間:14:00 -17:30 ( 途中10分程度の休憩を2回含みます。 )
*開場13:40から
場所:京都芸術大学 人間館 B1階 NA014 ( 旧映像ホール )
参加対象者:俳優 / 演出家 / 舞台制作者 / テクニカルスタッフなど
定員: 20名
予約:https://x.gd/ciZvB
※応募多数の場合選考を行う可能性があります。
参加費:無料・要予約
問い合わせ:[email protected]
主催:京都芸術大学舞台芸術研究センター 舞台芸術作品の創造・受容のための領域横断的・実践的研究拠点 2024年度「 支配的なイデオロギーへの対抗の場としての身体 : ジェンダー・セクシュアリティの視点からの新たな文法創出」研究代表 山崎恭子
▲注意事項 ▲・勉強会の最初にSNS での取り扱いなどの注意事項をさせて頂く関係で、途中入場は基本的にお断りさせて頂いております。(当日の交通事情などは考慮しますが、時間通りの開催を目指しています、余裕を持って会場にお越しください。)
・勉強会には、様々な方が参加しています。参加者の皆さまが安心安全な 環境で勉強会に参加して頂けるよう、何卒ご協力お願い致します。
【レクチャー内容】
①LGBTQとは:性的マイノリティに関する基礎的な知識。
②日本におけるLGBTQの現状
③演劇とLGBTQ:稽古場で起こりやすいアウティングの問題を中心に、当事者・非当事者共により良い創作の現場を作る為に必要な知識や対処法のレクチャー
【ゲスト講師プロフィール】
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和田華子 Wada Hanako
俳優。1988年4月7日生まれ。青森県十和田市出身。京都造形芸術大学舞台芸術学科卒業。卒業後は東京の小劇場を中心に活動。これまでに松本雄吉、神里雄大、瀬戸山美咲、オノマリコ、山田百次、松村翔子、舘そらみ、杉原邦生等の作品に出演。2019年より青年団俳優部に入団。
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今回、リサーチプロジェクト関連企画vol.02では、俳優で「 俳優・劇作家・演出家・制作者 に向けたLGBTQ 勉強会 」を開催されている和田華子さんをお招きし、LGBTQに関する基礎知識をレクチャーしていただきます。
近年、性的マイノリティに焦点を当てた作品を目にする機会が増えました。しかし性的マイノリティに関する基礎的な知識を身につける機会は非常に少ないのが現状です。沢山の他者と共に作り上げる舞台芸術に関わる者として、また舞台芸術を含めたさまざまな表現の鑑賞者として、最低限の知識を身につけておくことは、想像力が人に与える強い力に関わるという点においてとても重要なことです。
自分の想像力には偏見や思い込みが含まれている可能性が常にあるということを受け入れること、また知らぬ間に既に身につけてしまった偏見を自分の中に発見し解きほぐそうと努めること、それにはまず知識を身につけることが必要です。そして、その知識は今はまだここにない新しい未来を生み出す駆動力なのだと思います。今回そのしなやかに前に進む力を私自身が身につけたく、和田さんを京都にお招きします。
このレクチャーでは①LGBTQとは:性的マイノリティに関する基礎的な知識。②日本におけるLGBTQの現状。③演劇とLGBTQ:稽古場で起こりやすいアウティングの問題を中心に、当事者・非当事者共により良い創作の現場を作る為に必要な知識や対処法。を和田さんよりお話しいただきます。
未来に向かったより豊かな創作の場を作るために、ぜひ奮ってご参加ください。
研究代表   山崎恭子
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◾️山崎恭子 Yamazaki Kyoko◾️
京都芸術大学 舞台芸術学科卒業、同大学大学院修士過程修了。『 不快なものに触れる 』豊岡演劇祭2021 フリンジプログラム採択 @江原河畔劇場、THEATRE E9 KYOTO×京都舞台芸術協会×DIVE ショーケース企画 「Continue2022」、豊岡演劇祭 2022 フリンジ「Showcase」採択 @芸術文化観光専門職大学 小劇場・そぞろ座。『ふるえる』YPAM 2021 フリンジプログラム @三鷹SCOOL 助成:公益財団法人全国税理士共栄会文化財団 。
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takahashicleaning · 3 months
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TEDにて
アレグザンダー・シアラス:受胎から誕生までを可視化する
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
アレグザンダー・シアラスが、受胎から誕生までの人の成長を一例として、非常に強力な医療分野の可視化技術をご覧にいれます。(現実に沿っているため、画像に十分ご注意ください)
男脳と女脳は、構造上、別物なので、自分と同じようにふるまうことをお互いに無意識のうちに相手に期待し、共感しようという思い込みが不幸を招き寄せてしまいます。
なので、極論お互い別の生き物と思えばいい。さらに、共感できる範囲が唯一食べ物や赤ん坊、子供くらいとお互いに狭いことが原因かもしれません。
男と女は違うみたいで、どちらが優れている?劣っている?ということではなくただ違う!両者に共通しているのは、種が同じということだけです。見ている世界も違えば、価値観も役割も違うそうです。
自分の尺度で相手を測ろうとしても、自分と同じ考え方、感覚を求めても必ず男女間の不満は爆発してしまうものと認めてしまえばいいかもしれません。このような前提で、お互いに歩み寄っても不満は無くなりませんが最小限にできる可能性があります。
児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?極端な場合は保護が必要ということを前提にしても問題がある。男女平等が社会システム内では功利主義的には有効?混乱を産み出し憎しみの連鎖を起動させてるだけで果たしてそうなのか?国の歴史によっても異なるし、上記の事例に関しては、法の下の平等は万能ではない!道理に反するということでもあります。
太古からの厳しい自然淘汰を生き抜く上で多少の児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?が良い作用を与えていたのも事実であって数万年かけて培われた本能的な児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?は、犯罪者扱いするんじゃなくて隔離して教育してもいいし、国家が対策マニュアルをオープンソースで公開して男女の特性子供の特性として共有すれば?極端な男女平等思想が憎しみの連鎖の原因かもしれない?
それを社会システム内で最適化させて一千年単位のスパンで少しずつ改善するほうがいいし、マスメディアも慎重に吟味してセンセーショナルな報道をしないことだ。本当に殺しては社会システム内ではダメだからテレビ的にはタレント生命、テレビ、ラジオ出演者生命や広告代理店関係者、芸人芸能人生命、俳優生命など。是非、不幸をあおるやつらを殺してほしい
児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?たった数十年の現代版社会システム内では善かもしれないが、数万年単位の大自然内では場合によっては最適かもしれない。強制的に洗脳報道繰り返すマスメディアは潰れたほうがみんなのためにもなる?極端な男女平等思想が憎しみの連鎖の原因かもしれない?
女性は、腹が立つ相手に恋をするし、「感性が真逆の相手に発情する」という特性は、脳科学上の真実
対策として、ケンカになった際は言い募るのではなく「悲しい気持ち」をありのままに伝え感情を共感しましょう。
男性が一日に発信する情報は7000語くらいで、女性は約三倍。この差は、テクノロジーやコンピューター、人工知能を活用しないと絶対に勝てないレベルです。コミュニケーションツールとして女性脳は認識しているためでもあります。女性の特性上、サポートするような仕事は、太古からの自然淘汰の中で培われたため相性が良いかもしません。
対策として、何気無い言葉でのメールやチャット、メッセンジャーも良いかもしれません。
つまり、女性はもともと本能レベルで備わってるので機械が使えないのではなく、使う必要性がないから、そんな役に立たないの使わないし興味がないだけです!だって、自分で無料で瞬時にできるのに、わざわざ遅くなる手間とお金かけないでしょ。
「今日は何してたの?」は禁止ワード。具体的に時間がかかろうが一つ一つ90分くらいは1日にかける覚悟は必要です。「言ってくれればやったのに」は禁止ワード。まず、ごめんね。と言って感情を共感してから手伝うこと。
「おかず。これだけ?」は禁止ワード。次に食べたい食べ物を要望して会話のキッカケにすること。足りない場合は自分で買って後で食べればいいだけです。
マスメディア側の専門的な知識や経験のない勝手な先入観で広告料金をもらうだけのために勝手な報道を垂れ流し、離婚させるよう誘導、偏向報道し、その報道のために児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?と視聴者に誤解させても責任をとらない?潰れたほうがいい。
自らが権力者であることを発信せず視聴者を混乱させ、それに便乗して権力乱用する日本の民法テレビ局。同じことを繰り返さないようにみんなでチェックし見守っていくことだ。
日本で、恋愛結婚が普及したのは、サルトルとボーヴォワールが来日した時に一気に拡大した可能性もあるかもしれない。それ以前は、お見合い結婚が主流でした。
前提条件として、恋愛結婚はサルトル、ボーヴォワールみたいな有名人であること。創作活動が成功していて多額の資金を保有し裕福層であること。
それ以外では、まず不可能。良い結果にはならないことを追加しておきます。日本の高度経済成長インフレ時代には合っていたけど、デフレ経済下に入ってしまうと厳しく破綻しやすくなります。
または
女性特有の支離滅裂な言語。例えば、キモいなど擬態語共感は男性には理解できない。
だから、言葉の定義を決めない場合、リアルタイムに真似して、同じしぐさで中和か、法律で正当防衛的な暴力を情状酌量可能にすれば言葉の表現方法を考えるきっかけになるかもしれない。
大前提として、理想の男性はこの世にいない!本能に任せて男を追い求めるくせに、母親が、幼い男性にもっと小さい頃から女性の善い面や悪い面を覚えさせることが最善。
さらに、将来までのサポートをしない責任もある!女性は、年齢的に心と身体形態を最低三回くらい変えていくエヴァンゲリオンの使徒みたいな特徴もあるから!
後始末しづらい精神分裂者と男性には感じられることが多々ある。
以上の前提条件から考えると
女性は子供を創る天才。男女平等じゃないのに男女雇用機会均等法を誤解したまま流布した政治家、マスメディア関係者をすべての女性は恨みな!
結局女性弱者にツケが回る仕組みなんだよね。お金を分配して償えば?邪悪な悪女が構築?
小池百合子が主犯と見ている
言葉の定義を決めよう!ジェンダー平等の定義は?そもそもの起源は?多神教や一神教。男と女。違いは必ずある!
価値観を数値化できないと定義も決まらない倫理観が欠落することになり権力者に悪用され基本的人権侵害に直結する危険性大
ジェンダー平等?真の男女平等な第二次大戦で社会実験結果がでたでしょ!男が勝利!平等はないと!
だから基本的人権が社会システム内に創られた!外に出たら結果は明白でシステム内の法律で押し付けるといずれ災厄が吹き出すぞ警告だ
女性活躍女性が強い?これは裕福女性がテレビで流布したプロパガンダだから女性弱者はこいつらを恨め!真実は第二次大戦で男性勝利で決着がついてる!
女性の末路は悲惨なものだった!死人に口無しって知ってる?
実務のできない女性を上役にしても混乱するだけ公約を果たさず再選した小池百合子が悪い見本
男女平等と誤認させるなら権力者であるテレビ局に出演する女性の旧姓と結婚後の名前を表示しろ!それで対等だ!
同じ種だが役割が違う!男が勝つのは先の大戦で結果がでた!こうして基本的人権が創設。
だから、男女平等ではなく男女対等。誤訳?平等なら男子女子と分けずに一緒にするよ
男女平等は誤り、男女対等と言え!
トップに立つには、それ相応の女性の良い見本を示すことが重要。
ジェンダーの定義は、古フランス語から共通の特性を持つ集まり、血統が語源。
この後に「平等」が付くと概念上は医療をフラットに提供するための原点に似ている?
二元性が存在できないプラスサム、共感やワンネスに近い?
参考概念としては、個人の基本的人権や法人の競争に頻繁に登場します。
知ってるつもりで思い違いしてること!で、公平概念というのは「ハンデをつけて上限を公平に!」と言葉であえて説明する。
平等概念をわかりやすく言葉にすると「上限の公平ではなく底上げの平等!」みたいな感じです。
これ以上でも以下でも概念が変わるから拡大解釈しないこと。
個人の基本的人権とは真逆なため、法人の平等な競争はあまり聞いたことない。公平な競争がしっくりくる。
時間をかけて諭していたが・・・
過酷な真実を言わなければ、女性の腑に落ちないから言うけど・・・
男女平等な第二次大戦で男が勝っているのに、東日本大震災、新型コロナ、ミレニアム以降の日本全体に災厄が降り注ぐのは
女人禁制の経験則に男女対等じゃなく、誤った男女平等を持ち込んだからかもしれない。
悲しいことに、ジェンダー平等や女性活躍主張する女性ほど独身、離婚者が多いのはなぜ?
結婚してる女性は幸せだから、慎ましく将来の息子の出世に響くため、そんなこと言わない傾向がある矛盾があるから統計を取るといいかも。
よく考えても見ろ!
自分の息子の将来を現時点で独身女性、離婚者女性が奪うのは、ジェンダー平等かな?
続いて
美人は初見だけで飽きるの根拠さ。
最近の研究によると、男と違い顔のバランスが整った美人ほど悪女の素養があるらしい事が判明した!
芸能関係や女優を公安の対象に入れてストーカーアルゴリズムで女優を透明化する特別法で罰することも正当化できそうだ。
最近の研究によると顔のバランスが整った美人ほど悪女の素養があるらしい事が判明。
はっきりとファクトチェックもしないで弱者を不審者に仕立てる警察内部とマスメディア内部こそが不審な腐敗組織だ!
不審の定義は「はっきりしない点があって疑わしく思う事」
よく概念の少ない若い女性が、意味も話の脈絡もなく気持ち悪いと言う場面があるが・・・
概念が未熟な自分のことを気持ち悪いと言ってるだけで男性に対してではない意味合いがほとんど!
自身が気持ち悪いだけだから男性の慈愛を消化できないだけ。
最近の研究によると顔のバランスが整った美人ほど悪女の素養があるらしい事が判明した!
この根拠は、男尊女卑の根拠にもなる。
実は、プロセスがあって、まず君主政の場合、君主が、美人と言う皮を被った悪魔(悪女)を好む歴史的な傾向あり。
続いて、誰も君主の伴侶。
つまり、悪女を批判できなくなり君主が暴走する。
立憲君主制、民主主義がある場合、君主であっても批判は許容範囲なため、回避できるメカニズムがある。
これが民主主義の歴史的な背景も考慮した良い面です
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
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oshukatsu2 · 4 months
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5月31日(金)初日舞台挨拶レポート in ユナイテッド・シネマ豊洲
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台風1号の影響により、あいにくの雨模様となったにもかかわらず、この日の舞台あいさつのチケットは完売。映画上映後、登壇者たちがステージに登壇すると客席からは万雷の拍手が鳴り響いた。そんな満員の観客を感慨深い様子で見渡した高畑は「本日は台風の中、こんなにたくさんの方に来ていただいてうれしい限りです。ご覧の通り、お終活の映画とは思えないほどに華やかな女優陣、そして華やかな男優陣が登壇しております。今日はどうぞお付き合いのほど、よろしくお願いします」とあいさつ。続く剛力も「満席はうれしいですね。本当にしあわせです」と語りつつも、ピンクの髪型に触れながら「グレました、娘。本当にすみません」と冗談めかすと、母親役の高畑も「ビックリしちゃった」と笑顔。さらに剛力が「ただ青春というか、再春というか、熟春というか、いろんなものにふさわしい、華やかな感じになったんじゃないかなと思います」と付け加えた。
さらに水野が「先ほどスタッフが、途中まで皆さんと一緒に映画を観ていたとのことで、たくさん笑っていたよ、という声を聞きました。特に(水野たちが出演する)野球のシーンはたくさん笑っていたと聞きまして。非常にうれしく思います」と続けると、凰稀が「皆さん楽しんでいただけましたか?」と質問し、会場からは大きな拍手が。その様子に笑顔を見せた凰稀は「楽しんでいただけたならわたしもすごく胸がいっぱいでございます」と晴れやかな顔を見せた。
一方の、香月監督の熱烈なオファーで友情出演を果たすこととなった藤原は「わたしは前作を観て、とても大好きな映画だったので、オファーをいただいた時はめちゃくちゃうれしかったです。皆さんと同じように、この映画のファンのひとりです。今回はバーのママの役をやらせていただいたんですが、本当に貴重な経験をさせていただきました」とあいさつ。さらに長塚が「こういう機会はあまりないので本当にうれしいです。皆さんがご覧になった通り、楽しく撮影をさせていただきました。この作品は続編ができるんじゃないかなと思っていますし、そうしたらそちらの方にも参加したいなと思いました」とさらなる続編に期待を寄せるひと幕もあった。
そして香月監督は「この映画は第二弾ですが、第一弾の1年後という設定でつくりました。第一弾の時はコロナの真っ最中で、公開の初日に9都道府県で映画館が閉まりました。われわれとしては、産んだ子どもが世に出なくて終わるんだろうなと思い、ものすごく落ち込んでおりました。その後、1年から1年半がたち、ホールとか、公民会など、いわゆる非劇場で映画を上映していただきまして。そこから7万人ちかくの方に観ていただいて。全国ナンバーワンになったと連絡が来ました。それで、みんなが観たがっているから、ぜひパート2をお願いしますということになり、この作品は生まれました。今日も朝から台風ということで、この映画はなんと七難八苦であることかと思い、心配していたんですが、これだけのお客さまに集まっていただけて感謝しております」としみじみ。高畑も「うれしいですね。第二作がつくられるということは、(今後は何本も続編がつくられて)寅さんになるんじゃないかと思ったりして。それはうれしいことでした」と笑顔を見せた。
そしてこの日のイベント中には、「私の青春時代こんなにも輝いてました」と題して、登壇者たちの若き日の写真を披露することに。まずは高畑が高校時代の写真を披露。「生徒手帳の写真です。(校則で)パーマをかけちゃいけないのに、わたしは天然ですと言いはって、毎日お母ちゃんのカーラーを借りて、クルクルさせて学校に行ってました。水泳部なので泳ぐと直毛になるんですけどね。」と語り、会場を沸かせると、「当時は大人になりたいというか、ませてましたね。ただその時に陸上部に好きな人がいたんですけど、しゃべれなかった。彼の前に行くと貝みたいになってしまって。だから彼の前でもしゃべれるような開放的な人間になりたいと思って演劇の世界に飛び込んだんです」と女優としてのルーツを明かした。
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続く剛力は小学校低学年で、おそらく7歳か8歳ごろと思われる頃の写真を披露。「この時にはじめて子供用の浴衣を着たんですけど、この頃は子供用があまりなくて。旅館に行ったときに子ども用サイズがありますと言われて、着させてもらったらものすごく気に入っちゃって。もともとお洋服は好きだったんですけど、ここからさらにオシャレに目覚めたというか。浴衣にときめいていた瞬間の写真を持ってきました」。
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そして水野はサッカーをしている時の写真を披露。「僕は5歳から18歳までサッカーをやっていました。僕が5歳の時から、365日ずっとサッカーをやり続けて。中学校くらいまでは一生懸命やっていたんですけど、高校が『ROOKIES』みたいな学校で。顧問がユニホームを忘れて棄権とか、ファウルで乱闘になって中止とか。入ったのがそういうサッカー部だったので。最後の方は大好きなサッカーをなまけていしまったんです。でも今、僕はそれをちょっと後悔しているんです。13年近く続けたものの最後が、非常に後味が悪いなと思って。だから今の仕事は絶対にそういう風に、なまけないようにしたいと思い、真面目にやっています」と学生時代を振り返った。
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さらに凰稀は、宝塚歌劇団宙組トップスター時代の写真を披露。「これは2015年、宝塚大劇場を卒業した日のセレモニーですね。紋付袴を着て、ファンの皆さんの前を練り歩きながら、ありがとうございましたとお辞儀をしたんですけど、わたしは中学生から宝塚に青春をささげたので。本当になつかしいです」としみじみ。
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そして藤原は、公には“初出し”となる大学時代の写真を披露。「これは92年で、20歳の時の写真です。わたしはこの世界に入ることを夢見ていて、この頃にデビューしたんですけど、親には(芸能界入りを)反対されていました。わたしは大学の英米文学科に通っていたんですけど、この頃は兵庫県の西宮から東京に通っていて。両親からは一個でも単位を落としたら芸能界入りは許さないと言われて。円形脱毛症になるくらい必死に通っていました。だからこの時代の写真を見ると本当に頑張ったなと思いますし、今でももっと頑張らないとなと思わされます」。
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長塚は「俳優になったか、ならないかくらいの写真です」といいながら、およそ50年前のパリ留学時代の若き日の写真を披露。それを補足するように香月監督が客席に向かって「この写真、見たことありますよね?」と尋ねると、「実はこの写真に赤ん坊の写真を合成して、映画でつかわせていただいたんです。その赤ちゃんというのが僕の孫でございます」と意外な裏話を明かして会場を驚かせた。そして最後は香月監督の助監督時代にカチンコを手にした写真を披露。「わたしは京都の撮影所で助監督をしておりまして。頭はリーゼントでヒゲ姿でした。当時、京都の撮影所は、なめられたら終わり、ケンカが強いヤツが一番偉い、という時代でしたから。ツッパってました」と笑いながら明かした。
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そして最後にキャストを代表して高畑が観客にメッセージを。「今日こうして皆さまとお会いできまして。『お終活』の船出です。世の中はいろいろありますけど、映画を連れ立って観て、見終わったあとにああでもないこうでもないと。あの人は好きだとか、そうでもないとか話し合うこと。それは罪のないことですから。それも含めて楽しんでいただきたいと思います。おしゃべりはとても大事です。閉じこもって出掛けていない人のことを思い出したら、ぜひその方を誘っていただいて。この映画が多くの皆さまの目に触れますことをせつに願っております」と呼びかけた。
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thetaizuru · 6 months
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 この数年間、世の中の出来事を見たり聞いたりするたびに、まるでSF映画でも観てるような感覚になるんだけど、じゃあ具体的にどんな作品が挙げられるかと考えると思い浮かばない。  例えば、何かの出来事を、映画や小説などを使って喩えて説明したり風刺したりというのを交換しあったりすることで、何を問題視しているのかとか、問題の構図なんかが整理されてくるというのもあるし、別の例えで言うと、ちょっと前にイーロン マスクがインタビューで、影響を受けた作品として『銀河ヒッチハイクガイド』というのを挙げていて、それを聞くとなんか言ってることのノリがわかる気がしてくるということとかもあって、具体的な作品名を挙げてみるということは、自分の考えを整理することに役立つ気もするし、意識しないうちに影響を受けている考えやバイアスなどに気付けたり、もうちょいうまく伝えたりできるんじゃないかとも思うんだけど、そう考えるたびに浮かんでくるのは、ここ1年くらいの間は特に、昔話の「おむすびころりん」とか「こぶとりじいさん」で、いやもっとSFっぽい感覚なんだけどな、というかそれらの構図でいうと、自分は「隣の欲の深いじいさん」で、誰かが上手くいったやり方をパクろうとして失敗するパターンに入ってんじゃねーかと思えてくる。
 この数年の問題の多くはグローバリズムに起因し、だからこそ世界の多くの場所で同じような問題が起きているのだという考えが広く共有され始め、そうした視点から世界の出来事について語られるのを聞く機会も増えた。  グローバリズムに起因していると考えられる問題への向き合い方としての反グローバリズムというのは、それぞれの国や地域、組織や個人で、それぞれ独自の考えを持つことが重要になるわけだが、巨大な力に対し、それぞれがバラバラになったままでは順次潰されていくだけだという矛盾がある。上手くいってる人を参考にしてそれぞれでがんばれというのは考えとしてもナイーブすぎるという意見もごもっともだし、「隣の欲の深いじいさん」パターンで失敗したり、どうしようもなくなって潰されるか巨大なシステムに組み込まれていってしまう。さらに矛盾したことを言うと、結局のところ結論としては、みんなそれぞれ自分を信じてポジティブにがんばれ的な感じになるのだが、この数年の問題の多くはグローバリズムに起因するという考えが広く共有され始めたこと自体が、共感の広さと希望を示している。  グローバリズムとは何かとか、特定の誰かが世界を支配しようというような意図を持って推し進めている思想なのかどうかとか、どんな方法が使われてるのかとか、それが問題なのかどうかとか、あるいはもっと感覚的な面でも、つまんないしダサいし意味ないと本人たちも言いながらみんながやっているからやめられない集団がなんかカルトっぽくて怖いとか、絵画にキレてムシ食ってるバカなガキがかわいそうとか、色んな角度から色んな考えを交換し合ったりしながら更新していくべきだとも思うが、特に西側諸国と呼ばれる国の多くで、同じような思想が推し進められていて、それが権力を持ち、主流メディアはどれも同じようなことを言い、それに対する疑問や批判の声は似たような方法で排除される。これは全体主義を推し進めるものだし、人々の人間性を奪うものだ、というのがグローバリズムを問題視する人の考えの一つである。
 反グローバリズムの運動がモデルとしている考えの一つに「パラレルエコノミー」というのがある。この言葉は2010年代の終わり頃くらいからアメリカのリバタリアンと言われる考え方の人たちなどがちらほら使うようになったもので、例えば「キャンセルカルチャー」に立ち向かう方法として提示された。キャンセルカルチャーとは、特定の人物や団体、特に著名人を対象に、発言や行動を問題視し、集中的な批判や不買運動を起こして、その対象を表舞台から排除するという動きのことで、このキャンセルカルチャーに対する不満や批判の声も強まっていたが、文句を言うことよりも長期的な目で見て効果的になるはずなのは、メインストリームの系列にない文化だったりローカルの文化などに関わることや、自分でも何か作ってみることだという考えを言い表すのに「パラレルエコノミー」という言葉が使われた。  「パラレルエコノミー」とは、1989年のビロード革命につながった1960年代末からの運動のことである。
 ビロード革命は、1989年11月17日にチェコスロバキア社会主義共和国で勃発し、当時のチェコスロバキア共産党による全体主義体制を倒した民主化革命である。スロバキアでは「静かな革命」と呼ばれる。「ビロード革命」は、1か月後のルーマニア革命のように大きな流血に至る事態は起こらなかったことから、軽く柔らかなビロード(ベルベット)の生地にたとえて名付けられた。  1985年、ソ連がペレストロイカを開始。1989年、ハンガリーに続いてチェコスロバキアが「鉄のカーテン」の撤去に踏み切ったことで、11月9日には冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊。その後11月16日までには、チェコスロバキア周辺のほとんどの共産党国家が、共産党一党独裁支配を放棄し始めた。これら一連の動きを注視していたチェコスロバキアでも、11月17日、プラハで反体制学生デモが実行され、これを治安部隊が鎮圧したことを発端とし、これに抗議し民主化を求める国民の大規模なデモが同年12月にかけて発生。11月24日、チェコスロバキア共産党幹部全員が辞任し、共産党政権が事実上崩壊。12月末、実務者協議により、円滑な体制転換についての折衝が重ねられた結果、共産党一党独裁の放棄と複数政党制の導入が妥結された。1990年チェコスロバキア連邦議会選挙の結果、アレクサンデル ドゥプチェクが連邦議会議長、ヴァーツラフ ハヴェルが大統領に就任し、12月に非共産党系による新政権が発足した。  さらにこの体制転換を契機に進められた、連邦を構成するチェコ、スロバキア両共和国への大幅な権限委譲が背景となり、1993年1月1日の連邦制解消につながった。連邦解消も「ビロード革命」のように、連邦解体の過程で内戦になったユーゴスラビアとは対照的に、チェコとスロバキアは平和的に分離したことから、西側メディアは、夫婦の協議離婚に見立てて「ビロード離婚」と呼んだ。
 1990年チェコスロバキア連邦議会選挙の結果、連邦議会議長に就任するアレクサ��デル ドゥプチェクは、1968年1月にチェコ共和国共産党中央委員会第一書記に選出され改革を行おうとした。この改革は後に「プラハの春」と呼ばれるようになる。ドゥプチェクによる改革は、経済における一部の地方分権化と民主化を実施し、それによってチェコスロヴァキア国民に権利を付与することを目的としていた。報道の自由や言論の自由を認め、自国民の旅行に対する制限の緩和も含まれた。  しかしこれに対して、特に行政権限の地方分権化に対して、ソ連は苦々しく思っており、チェコスロヴァキアと交渉を重ねた。  1968年8月20日、ソ連の指揮、主導により、ワルシャワ条約機構に加盟していた国々で構成された軍事部隊が、ドゥプチェクが実施しようとした自由化の改革を阻止、鎮圧するため、チェコスロヴァキアに侵攻した。8月21日の早朝までに、チェコスロヴァキアはソ連軍に占領され、ドゥプチェクとその仲間たちは8月21日の朝に逮捕され、モスクワに連行された。プラハに戻されたのち、ドゥプチェクは1969年4月に共産党第一書記を辞任した。  「プラハの春」とは、国民にある種の自由を提供しようという政策であり、この計画のスローガンである「人間の顔をした社会主義」という名称でも呼ばれる。  ドゥプチェクによって1968年3月に検閲が廃止されたことで、半年に満たないごく短期間となったものの、言論と報道の自由が保障され、その期間に、それまで抹殺されていた歴史が語られ、人々がはじめて実直な考察を行う契機ともなった。知的階級だけが語るものだった政治や歴史、文化について、大衆が自らの考えを語り始めた。  1990年チェコスロバキア連邦議会選挙で大統領に当選したヴァーツラフ ハヴェルは劇作家で、1968年のプラハの春がワルシャワ条約機構軍によって潰された後に反体制運動の指導者として活動を始めた。1977年に、ヘルシンキ宣言に謳われた人権擁護を求める「憲章77」を起草。「憲章77」は反体制運動の名称にもなる。以後、幾度となく逮捕、投獄された。ハヴェルが活動の主軸の一つとしたものが地下出版であり、また、ミュージシャンや俳優たちと連携して、禁止されたライブや演劇などを自宅などで行うということだった。つまりアンダーグランドカルチャー、オルタナティブカルチャーのことであり、これを「憲章77」にも参加した思想家のヴァーツラフ ベンダが、「パラレルポリス」(「並行都市」「並行社会」「並行構造」などと訳される)という語によって概念化し、1977年に地下出版した『パラレルポリス』で提示、「憲章77」の参加者たちと話し合った。
 「パラレルエコノミー」という語は『パラレルポリス』の中にも出てくる。『パラレルポリス』では、個人の責任と信頼に基づいた互恵性のある経済の模索というニュアンスで使われている。  現在使われている「パラレルエコノミー」という言葉は、ビロード革命までの流れを踏まえた上で、もっと広いというか、使う人によっても若干違うニュアンスで使われている。そもそも「パラレルポリス」の考えも、全体主義体制により完全に決定された「イデオロギー文化」とは異なる自由な文化を並行させようというものである。そしてこれはカウンターのイデオロギーを作ることでも、西側社会を模倣することでもない。イデオロギー文化の中では、決められたこと以外のこと、すなわち異論を言うことは、ケンカを売るということであり、その結果排除されることを意味する。そうではない場を作ることがパラレルポリスの目指すところであり、ハヴェルは何度も逮捕されるが、結果から見ると、そのたびに信頼とパラレルポリスを広げていた。ごく短い期間で終わったプラハの春だが、その時に語られたことを人々は忘れてはおらず、静かに語り継いでいた。
 現在の消費性向を一部のマーケターたちは隠語的に「注意欠陥経済」と呼んでいるという。SNSなどでの「注意欠陥多動性」的なコミュニケーションの傾向を背景にした「注意欠陥経済」で企業が生き残るために手っ取り早く効果的な戦略が、日々大衆に刷り込まれているマスイデオロギーの一部を自身に取り込むことであり、そのマスイデオロギーというのがキャンセルカルチャーを推進する「WOKEカルチャー」である。「WOKE」というのは、差別や人権問題をはじめとした社会で起きている様々な問題に対して「意識的」で、社会正義に「目覚めた人たち」のことで、今では「自己を絶対的な正義とし異論を何が何でも許さない人たち」への揶揄として使われることの方が多い語でもあるが、そのイデオロギーは今現在も日々主流メディアから流され続けている。  このイデオロギーは私たちの伝統を蝕むものだと考える人たちが構築しようとしているのがパラレルエコノミーである。この意味でのパラレルエコノミーというのは、WOKE企業からモノを買わなくてもいいように、その代替となる製品を生産してる企業や販売してる企業などへ投資したり、そこからモノを買ったり、そういう情報を交換するネットワークやコミュニティを作ろうというものである。  投資会社「1789キャピタル」のファウンダーであるオミード マリクは2023年頭に、パラレルエコノミーをサポートする企業への投資を行うと表明。マリクはパラレルエコノミーを「パトリオットエコノミー(愛国者経済)」とも表現している。10月、ジャーナリストのタッカー カールソンのメディア企業である「ラストカンパニー」への投資を発表した。
 2010年代から「パラレルエコノミー」という語を使っていた人たちが、もしかしたらいつか起こり得るかもしれないと半信半疑ながら期待していたのは、「スターウォーズインパクト」という出来事だった。1977年に公開された『スターウォーズ』は、制作会社も配給会社も興行的に失敗するだろうと予測し、宣伝もほとんど行われなかったのに、公開初日から長蛇の列ができ、世界的な現象になっていく。当時本当に存在するのかも怪しまれていたSFファンたちは、彼らの情報ネットワークで情報を交換し期待を膨らませ公開を待っていたのに、当の本人たちもそのネットワークの存在についてほとんど意識していなかった。『スターウォーズ』の公開によっていきなり巨大市場が出現したと同時に、彼らは互いの存在を認識した。
 2024年2月のタッカー カールソンによるプーチン露大統領へのインタビューがとんでもない視聴回数になり、グローバリズムとは何かということが話題になることが増えた。  希望が並行していることは示されている。
2024年4月 ブリング メイ フラワーズ
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kozuemori · 7 months
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今週は急に寒くなって雪が降った日もありましたが、徐々に春めいてきましたね。暖かい日はメダカも鉢底から顔を出して、そっと様子を伺っているのが可愛いです。
一昨日、今年初の『ドロップイン・ナイト』を開催しました。今回も指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアートを描かせていただき、その光と愛と叡智に触れ、私にとっても学びの多い、極上���癒しの時間となりました。お忙しい中ご参加いただきまして、どうもありがとうございました。
次回の『ドロップイン・ナイト』の開催は、5月中旬を予定しています。夏学期クラスの募集と共に、3月中旬にこのブログで告知、サイトにて受付を開始する予定ですので、今しばらくお待ちいただけますようお願いいたします。
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当日のデモンストレーションの様子をダイジェストでお伝えします。読みやすいように後から編集しています。
森:今、一番メッセージを伝えたい指導霊がいらっしゃっています。日本人の方なんですけど…兜をかぶっているんで。
女性:鎧?
森:そう、鎧の兜ですね。もうすぐ端午の節句なんですけど…まだか、この間ひな祭りが終わったばかりか、気が早い。(笑)ご自身に男のお子さんっていらっしゃいます?
女性:あ、いいえ。
森:男のご兄弟もいらっしゃらない?
女性:いません。
森:なんだろう…指導霊なんだけど、お身内に関係ある方って感じがするんですけどね。ご自身の周りにいらっしゃる男の人にもメッセージを伝えたいみたいなんです。先祖霊と指導霊を兼ねていらっしゃる方だと思うんですよ。兜をかぶった武士みたいな方がご先祖にいらっしゃるって、聞いたことはあります?
女性:私の先祖というか、実家が神社でして、お城のすぐそばにある神社で、首塚も祀っていて。
森:ご実家に関係ある方なのかな。宮司さんがご実家にいらっしゃるとか?
女性:宮司なんです、そう。八幡神社なんで、そういう(武士系の)縁もあるかな。
森:首塚とかは関係のない、ご先祖様のスピリット・ガイドだと思います。若い感じに見えるんですけどね…ご自身は結婚されていらっしゃいます?
女性:はい。
森:ご主人なのかな…身近にいる男性にもメッセージを伝えたいみたいなんですよ、最初はお子さんかと思ったんですけど…もしかしたら子供みたいに手がかかるご主人のことなのかもしれない。(笑)
女性:(笑)
森:ご自身にもうちょっと幸せになって欲しいんですよ、指導霊がね。ご自身の周りの男の人に言いたいメッセージはね、「もっと想像力と使ってください」って感じなんですよ。(笑)ご自身ではなくて、ご主人にそれを指導霊が言いたいみたいなんですよ。
女性:私も言いたいです。(笑)
森:(笑)表面的な、見えるところにしか(ご主人の)焦点が合っていないというか。
女性:うん、うん、うん。
森:そういうところがいいところでもあるんですよ。でも「もう少し想像力が欲しい、惜しい!」と、この指導霊が言っています。ご結婚の時から見守っている感じがします。ずっと夫婦関係を応援されている方です。鎧を着ている指導霊、というイメージではなくて、実際に肉体を持って生きていた方です。首塚とか、おどろおどろしいことは関係ないですからね、気にしないでくださいね、応援してくださっている方なので。で、ご自身へのメッセージは、とてもクリエイティビティがある方だとおっしゃってますよ、センスがあるって。そういう自覚ってあります?すごく手先が器用じゃないですか?
女性:あ、ちょっと前にある人から同じことを言われました。自分では思っていないんですけど。
森:じゃあ、その人もきっと人を見る目があるっていうか…。
女性:そんな事ないよ!って言ったんですけどね。(笑)
森:何かやってみるといいと思いますよ。何かいろんな材料があると、それを組み合わせてオリジナルなものを作っちゃうみたい、あんまり常識にとらわれないで。お料理とか得意ですか?
女性:あ、割とできる方です。
森:そこにあるもので、ちゃちゃっと何かを作る「そういう才能がある」とこの指導霊がおっしゃっていますね。戦いのイメージで出てきていらっしゃっていますが、人を傷つけるとかそういう戦いじゃなくて、ゲームを楽しむようなイメージです。お互いに敵も味方も切磋琢磨して、想像力や人が思い付かないようなアイデアを使って、一緒にゲームをする人を楽しませる才能があなたにはある、と言っています。他の人もそういうご自身の姿勢に触発されて、辛いと思っていた戦いを違う視点で見て楽しめるようになる、ご自身がまず率先してやってください。お仕事に関係あります?プランニングとか。
女性:やってみようかな…。
森:ご先祖だと思います、(1枚目のサイキックアートを見せる)。
女性:あ、父に似ています。(笑)
森:そうなんですか。お父さんって、亡くなっていらっしゃいます?
女性:はい。
森:その方が、神社の宮司さん?
女性:宮司の弟です。
森:じゃあ、そうかもしれないです。結婚も応援されてました?
女性:はい、結婚式にも出てくれたし。やっと今、腑に落ちた、全部、はい。
森:すごく指導霊っぽい感じなんですよね、霊格が高い方だったんでしょうね、ありがとうございました。
女性:ありがとうございました。
森:それでは、次の方にいきたいと思います。ご自身って音楽は好きです?
女性:あ、はい。
森:なんか、楽器を演奏したりとかします?
女性:ちょうど、習おうとしているところです。
森:そうなんですね、そういう方がいらっしゃっていますよ。いいですね、楽しそう…ちなみにこの指導霊、ハープを持っているんですけど、ハープじゃないですよね。
女性:ハープです。
森:えっ!すごい。びっくりしました!(笑)
女性:びっくりしました!(笑)
森:じゃあ、あまり説明はいらないかな?ギリシャ風のすごい綺麗な人ですよ。女神様みたいな姿で、ライアーのような小さめなハープを持っています。ご自身が習うのは大きなハープですか?
女性:アイリッシュハープです。ケルトの小型のハープです。
森:知ってます!以前アイイスのフェスティバルでアイリッシュハープを弾いてくださった方がいたんですよ。ですから、将来的にイベントの時には参加していただきたいですね。あ、メッセージですね。応援しているんでしょうね。ハープの旋律が、ご自身の身体の調子を整える、体の波動を整える、というようなことをおっしゃってますよ。『健康ハープ』みたいな感じですかね。(笑)
女性:(笑)
森:ご自身だけじゃなくて、そのハープを聴く人の体が整っちゃうみたいな感じ。なんでしたっけ、ピアノとかの音を整える…。
女性:調律。(笑)
森:あ、調律だ。(笑)この指導霊はヒーリング目的のハーピストみたいな感じですね、人を癒すためのハープ。やっぱりハープの音色を聞くと、なんか、元気になりません?
女性:そうですね。
森:そうですよね、心が癒されるし…手があまり上手く描けないけど…(笑)ごめんなさいね、ハープもあまり上手く描けないけど、こんな感じでお許しください。(3枚目のサイキックアートを見せながら)こんな感じでポロロン♪と、つまびいています。練習の時の音も周りに聴かせてあげるといいですね、弦楽器って常に流れるような音なので、間違えて同じところを繰り返してもあまり気づかれないと思います。(笑)だから、安心して他の人に『健康ハープ』の音色を聴かせてあげてください。
女性:(笑)はい、ありがとうございます。
森:次の方には男性っぽい感じの方が来ていて…結構年配に見えますね。髭が白い感じ。あの〜(笑)上手く描けるかな(笑)なんかね、シェイクスピアみたいな感じなんですよ。ウィリアム・シェイクスピア、戯曲家。どんな感じの人だったかな…ちょっと頭がこの辺まで禿げ上がっていて、髪の毛は上の方にはあるんだけど。額がすごく広くて、理知的な方ですよ。シェイクスピアって読んだりします?好きとか、縁を感じたりします?
女性:イギリスのシェイクスピア劇場とかに行ったりしました。
森:あ、グローブ座。本を読んだりしたことはあります?
女性:はい、戯曲とか。
森:あ、なるほどね…戯曲もそうなんですけど、俳優さんとか、演出とか、小道具とか、なんでも自分でやっちゃうような感じの指導霊ですね。すごいアイデアマンで、ご自身にもっと自信を持ってくださいというメッセージを伝えていますよ。この方、自信満々、って感じですね…シェイクスピアですからね。(笑)あなたには人を動かす力があります、って言っています。人のエネルギーがわかるから、その人を最大限に輝かせることができる、って言っていますよ。その人が自分で気づいていない魅力を見つけることができる、伸ばしてあげられるそうです。ただ伝えるだけじゃなくて、手取り足取りフォローする面倒見の良い人、一番の理解者、タレントのマネージャーみたいな感じです。そういうお仕事には興味ないですか?昔やっていたとかもない?
女性:たくさんの人と仕事をしている場面では、そういう立場とか振る舞いで皆を動かしています。
森:それが本当に自分にとって適職、天職だと思いません?まるで指揮者のように見えます。
女性:すごく才能があると思います。お芝居をやりたいと言ってくださる別のメンバーもいるので。
森:あ、実際にお芝居を。で、ご自身はシナリオとか書いたりします?
女性:え〜、早く書いてくださいと言われています。
森:あ!シナリオ書いてくださいよ、シェイクスピアが付いてますから!(笑)あれかな、悲劇が得意とかあります?
女性:悲劇の方が向いていると思います。でも、喜劇の方が皆さんが楽しめるんじゃないかなって、最近は思っています。
森:あ、なるほど。どちらも(シェイクスピアは)書いてますからね。あとは、ちょっと意外かもしれないけれどもミュージカルみたいなものに興味はないですか?
女性:ありま〜す!
森:向いていると思う…全体的な構成力があるから。最後に(絵の)シェイクスピアがニコッて笑いました。(7枚目のサイキック・アートを見せて)シェイクスピアって確かこんな感じですよね?
女性:はい。
森:ミュージカルもぜひやってみてくださいね、楽しみですね!
女性:ミュージカルに関してちょっとアドバイスをした人がいたので、ピッタリでした。
森:あ、よかったです。応援されてますよ。「Break a leg!」でしたっけ、「頑張れ」って意味ですよね、確か。
女性:ありがとうございます。
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夏学期クラスや今後のイベントにつきましては、3月中旬にサイトにて告知いたしますので、今しばらくお待ちください。
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heyatoengeki · 7 months
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部屋と演劇 対談② 宮崎玲奈×中村大地
部屋と演劇の中村、野村、福井が話したい同世代かつなんとなく距離の近そうな作り手三人にお声がけをして実現した対談企画です。当初は六人全員でワッと実施する予定でしたが、スケジュール的に無理があったため一対一に分けて実施しました。8月にSTスポットでおこなった『部屋と演劇』vol.1を見ていただき、後日オンライン上で話したものを書き起こして編集しています。今回は宮崎玲奈さんと中村が話しました。
中村 今回なんですが、『部屋と演劇』vol.1もそうですし、個人的には円盤に乗る場の活動もそうですが、ただ劇場で公演する以外のことも含め、“作品の手前”みたいなことを共有したいという欲望を持つ作り手が増えているのかなということが個人的にはあって、宮崎さんも「発酵シアター」をやられてますし、そういう話をしたいなという経緯で対談するかたちになりました。
宮崎 途中発表みたいなことでいうと、わたしはワークインプログレスという発表形態が好きじゃないなと思ってて、でも中村さんは「テーブルマナー(仮)の初稿を読む会」みたいなこともしていて、そのあたりの話ができたらいいのかなって思ってたんですけど、なんで積極的にやろうと思えてるんですか?
中村 根本のモチベーションとしては、円盤に乗る場の活動報告会で書きかけの小説を発表してみたり、戯曲を書いてみたりした経験があって、小さな規模でも外に発表することで、サボらずに書くことができるっていうのが大きいかな。それを自劇団でやってみようというのが「戯曲を読む会」。でも、そこに観客がどう参加するかみたいなことは正直まだあんまり考えられてないところはある。『部屋と演劇』Vol.1もそうだったけど。
宮崎 これが誰のために行われているのか?というのが私の引っかかるポイントで、作家ないしカンパニーや作品のためでしかないのだとしたら、観客が必要なのか?それとも見てくれる友達とかを呼べばそれが叶ってしまうのか、そのあたりが気になっているところです。
中村 そこにいる観客のことについてうまく言語化はできていないんだけど……でも、演劇の上演以外のプロセスに面白いことはたくさん起きていて、そのことを上手にシェアする方法はあるんじゃないかとは思っていて、シェアしたいとも思う。でもその形態としてワークインプログレスが最適解なのかは正直わからない。あるいは作品って消費者として“観る”みたいな態度をとる以外にいろんな触れ方があるんじゃないかなみたいな感覚もあるかな。それとただ戯曲を読むということはマッチしてるのかも、と。
宮崎 作る側として消費されたくないというのもありますよね。
中村 東京はやっぱり圧倒的にコンテンツの数が多いから。仙台にいたときとだいぶ感覚が違うんだよね……。でももしかしたらそれは仙台で想定していた観客の知り合い度がかなり高いということだけかもしれないけど。東京では、自分が観る側にいてもだけど、コンテンツを消費する見方をしてるなとは感じている。
宮崎 演劇の暗黙のお約束とかあるじゃないですか、映画館でもそうだけど、最低限邪魔にならない感じで見るみたいなことをどんどん共有することが難しくなってるのかなっていうことを、感じていて。その暗黙の約束を共有するにはどうすればいいんだみたいなことを、最近考えたりしてますね。
中村 難しくなってるっていうのはどういうこと?
宮崎 観劇の最中に自分が何かをすることが、劇に作用したりとか、他の観客に作用したりみたいなことが、これまでは小劇場で集まって、ギュッと作品を見るというなかで暗黙のルールになっていたけれど、そのルールみたいなものがどんどんカスタマー優先みたいになりつつあるのかなって。小劇場はそんな時代にどのくらい会社的・企業的に振る舞うべきなのかとか。でも、そもそも周縁化されたカルチャーだったはずだったな、とか。
中村 自分の現場で、そこまでカスタマー優先みたいな場面を僕は感じたことがないけど……。「お客様は神様です」的なことだよね?
宮崎 そうそう、
中村 テレビ見てるみたいな感じで、
宮崎 これくらいの金額払ってるんだしって。大きい声で怒鳴って良いのかって、
中村 客席から?
宮崎 受付のちょっとしたミスとかに大きい声で言ったり、
中村 えっ、そんなことあるの?
宮崎 わたしは結構去年色々あったから、
中村 そうなんだ、
宮崎 そういうルールをいちいち観劇のときに言うと、「してください」がいっぱい、みたいになってしまうけど、戯曲を読む会にしろなんにしろ、何かの集まりで観方をひらいていくというか。ルールがあるんだよという形で対応することはできるなと思っていて、そういう意味で作品を上演するというかたちじゃない可能性を探りたいという気持ちは結構高まっているかもしれない。
中村 あの、見れてないけど野外でやったやつもそうですか?
宮崎 あ、野外のやつは、演劇しんどすぎて結構セルフケア的にやりました。
中村 へえー。どういうあれなんですか?
宮崎 去年の11月の上演で色々ヘイト的なものが起こって、言い返したくても言い返せないみたいな、こっちは言われるだけなのかっていうもやもやがあったときに、それを発散する方法が欲しい、このままじゃなんか来年後編なんかできない!みたいになっちゃって。そのときに友達と「なんかこういうことがあってさあ」って自分自身のことをちょっと演劇にしてみようかという流れでやりました。すごく鬱々とした話だったから、実際に野外でやって、後ろの川でサップボードしてるみたいな風景が広がっていたのが良かったかな。自分たちとお客さん以外はすごい穏やかな景色が広がってる中でやるというのが。
中村 やっぱそれには発表するっていうチャンネルが必要だったってこと?
宮崎 うん。
中村 それで言うと思い出したのは、2020年度に「再建設ツアー」やって、その後『パラダイス』やって、コロナ真っ盛りのタイミングで両方ともお客さんが来ようもないみたいな状況だったから、なんかやってる意味あんのかみたいな気持ちのなか躁状態みたいな感じで駆け抜けて、そのあとかなり落ちて。だから2021年度は全然公演やらなかった。
宮崎 え、それでも逆に休めて健康でしたか?
中村 あ、ちょうどでも乗る場がはじまって、劇団員が目的なく稽古場に集まるみたいなことが起こりだして、そこでテアトロコントに呼ばれて。お金になるわけじゃないんだけど、でも、週1,2回の稽古をやりながら、つくるってそもそも楽しかったよな、がっちり上演っていうサイズで綿密に色々たててつくるのはもちろんやりたいのはあるけれど、短いけどこれおもろいよね、みたいなことで自分たちをケアした感がすごいあった。
宮崎 それすごい大事だなと思ってて。11月にやったら絶対疲れることはわかってるから、12月のクリスマスにみんなで楽しいだけの公演しようって言ってて、ほんとうにその週1,2とかで集まって、ぱっと作る、みたいなことで。それないと結構忘れるものが多いなって思った。
中村 めっちゃそうね。
宮崎 それめっちゃhonninman救世主じゃないですか。
中村 そう、honninman、ていうかテアトロコントの小西さんが救世主かもだけど。
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『ムニのクリスマスホリデー!』(2023) 撮影:黒澤多生
宮崎 最近稽古のやり方を変えて。タスクが多すぎしんどいって感じもあって。普通の稽古ってしんどくないですか? 中村 えーとね、あんまりしんどくないかなあ。 宮崎 うおぁ。 中村 うーん、俺稽古結構好きだからなあ。昔に比べると、自分たちの理想の稽古時間とか定まってきたのもあって、苦しい時はもちろんあるけど、あまりしんどくはない。どうしんどいんですか? 宮崎 事前にその日にやると決めたシーンやタスクはその日に全部決めたいんですよね。今、シーンの一回目触るみたいな稽古段階で、稽古スケジュールを組んで、その日までに覚えて、プラン立ててきてくださいねって俳優さんとやってみるみたいな感じでやってて。でもなんだろう、稽古場に行けばすごく楽しいんだけど、宿題がすごい多いなっていうのが今、しんどいのかも。 中村 それはわかるかも。でもそれが仕事だしなみたいな……僕はいつも稽古に向けて準備していったことが、「よしやってみましょう」ってやると、全部なぎ倒されていく感じ。でも準備していった方がいいなっていう。なぎ倒されるために準備していくっていう感じはある。 宮崎 なんかもっと昔は身軽に稽古場に行けてた気がするんですよね。だんだんこうしたいああしたいが増えていくことにより、行けば楽しいが、行くまで色々考えちゃうみたいな。 中村 ほんとそれ知りたいんだよね、演出の仕事どういうのしてんのっていうか、 宮崎 え、中村さんどんな準備してるんですか? 中村 とりあえず、とにかく戯曲を読みこんでいく。『父の死と夜ノ森』のときは一回全部役者の配置を決めたりはしてた。 宮崎 やっぱ、配置は決めていきますよね。 中村 あ、でも俺はじめてやった。 宮崎 あ、そうなんだ。 中村 あんまり場面が変わることがなかったからさ、屋根裏ハイツって。最初の形だけ決まればあとはナリで動いていくというか、 宮崎 え、じゃあ読むって何? 中村 本当に単純にテキストを読んで理解する……、自分の書いた台本でも、書いてるときはわかってても、あらためて現場で俳優の声で聞くと意味が通ってなかったり、わかんないところがあったりするから、英語の構文分析みたいにここをカッコにくくって、この形容詞が名詞にかかってまして、とかを書き込んでいく。まあなんとなく、多少の動きも想像していくかもしれないけれど。 でも宮崎さんの戯曲は配置を決めてかないとどうしようもないよね、同時多発のやつとかは特に。 宮崎 最初に舞台を、縦に2本線引いて、横に2本線引いて、9個のマスをつくって、マスの中で、囲碁みたいにつくってく。だからいっぱい囲碁の紙みたいのをつくって、それを稽古場で試すってやるかな。でも同時に動くやつとかはみんなで考えることが多かった。自分のタスクだけではなくて、他の人の動きを全部把握しとかなきゃいけなかったので、みんなで一緒につくる感が結構あって。それが前は稽古場楽しいなっていうマインドを担保してたのかもって思う。今は物語のほうが強くなってて、同時多発のときとは同じつくり方にはならないから、 中村 自分が1回ゼロイチを持ち込まないと始まらないというかんじ? 宮崎 そう。ただ、わたしはプラン決めてくるんだけど、それだけだと面白くないから、今回は俳優さんにも同じタスクを頼んでいて。「全体じゃなくていいから、自分の役の整理をつけて、このシーンがこういうふうに見えると良い、このシーンはどういうシーンだ」というのを、準備してきてもらうようにしている。 中村 あ、それ良さそう。ムニって出演者多いじゃん、それも稽古が大変な要素なんじゃね?って個人的には思う。演出が準備をめちゃくちゃしないと稽古場がなりたたない規模感ってあるなって。「父の死」の7人でも思ったくらいだから、人数多いともっとなるんだろうなって。 宮崎 準備って言っても、俳優11人いたらみんな違うから、たとえばこの人は辻褄合わせるとわりとその次に行きやすい人、この人は結構喋るの好きだけど、わたしとしてはもっと立ち稽古したいな、とか。え、めっちゃパターンあるじゃん!って。 中村 そうね、俳優ごとにどう話すかは変わるよね。 宮崎 それも相まって、「え、めっちゃタスク多くない?」って。 中村 たしかに、どういう稽古場をつくるかっていうのがまず一番しんどいもんね、このメンツとどうやっていくか、それがいい感じに乗るまでが一番しんどい。ちなみに僕は、本当は稽古からの帰り道がひとりでいたい(笑) 宮崎 え、ひとりで帰らないんですか? 中村 電車の方向が結果かぶるみたいなときに、繋がなきゃいけない言葉、みたいなのが一番しんどい。みんなでいる間は大丈夫なんだけど、ひとりでいさせてくださいみたいな気持ちに。 宮崎 わたし、トイレとか行って次に乗っちゃう。 中村 ああ、もはや!そうしようかな、俺も。 宮崎 あれすごい大変すよね。 中村 あれめっちゃつらいんだよな。 宮崎 普通にもう稽古のこと話したくないし、みたいな、 中村 そうそうそう!もうこれ以上うまく言えることはないみたいな状態になって……(笑)
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青年団若手自主企画vol.81 宮﨑企画『つかの間の道』(2020) 撮影:伊藤香奈
宮崎 今の稽古場は1回目のシーンが決まれば、2回目はそんなに大変じゃないのかなって気はしてます。 中村 最初が決まるまでは。そもそも前編とまったく同じメンツでしょ? 宮崎 そう。だからこの間面白かったのが、9月3日くらいに完本してはじめて読み合わせしたんですけど、キャラクターがもう出来てる!って思って。 中村 ああ、それ面白いね。 宮崎 だから、去年よりはもう土台がある状態でやっていく感じになってます。今回の発表スタイルの稽古はいいなと思ってる。 中村 発表スタイルって、みんなが各々自分のプランを考えて、 ドンでぶつけるってこと? 宮崎 それがいいなと思ってやり始めたんですよね。だったら同じだけ私も考えるし、俳優も考えるしで平等やなって。本の読み方は練習してるから、その読み方の上で決まったシーンを立ってやりましょうって、発表する。 中村 俳優同士は事前に相談するの?それともぶっつけ? 宮崎 あ、2人のシーンとかは事前に相談したりするけど、だいたいぶっつけ。ただ、台詞にニュアンスをいれないから、どっちかが自分の持ってきたプランを先行するみたいなことにはならなくて。役としてこう見えたらいい、ということだけクリアすればいいから、まだこの時こう動かなきゃいけないというのがあんまり入ってない感じ。 中村 確かに。それが一番良さそうね。演出家がウンウン唸ってる時間って無駄だからな…… 宮崎 でもだから、なんかむずいっすよね、質問されないはされないで大丈夫かなって思ったりもするんだけど、でも質問できたほうがいいとかそういうわけでもないから、質問なくてもその発表でうまくいってればそれでいいかな、みたいな。 中村 人によるよね、掘って整合性を取ったほうがいい人とかもいると思うけど。僕好きな話があって、瀧腰さんがはじめてでてくれた時に、稽古の中で「言ってることはよくわかりました、けど今はできません。そのうちできるようになります」って言って。それめちゃいいなって思ったの。その言い方が「がんばってできるようになります」って感じでもなくて、こっちがああ、じゃあ任せますって、言える感じで。なんかそういうのって言ってくれればすごい楽っていうか。だから俳優側が好きなこと言える状況はでかいなって思う。常連がいるとかね。でも今回はみんな持ち上がりだから余計強そうだね。 宮崎 そうすね。ゼロからじゃないのは大きいかもしれない。 中村 再演の集まり方なのに新作つくるっていうのがなかなかないよね。俳優同士も相談しやすそうだなって。再演ってすごく俳優との関係がフェアでいいなって思う。 宮崎 え、わたしは再演嫌なんですけど(笑)。 中村 あ、そうなんだ! 宮崎 今、『ことばにない』終わったら再演できない作品つくりたいと思ってるくらい。 中村 再演できないってことはどういうこと? 宮崎 今つくりたいのが、5年くらいかけてつくるやつで、俳優もキャラクターも5歳歳をとるっていう、それで毎年公演するやつをやりたい、 中村 『6歳のボクが、大人になるまで。』的な? 宮崎 ああ、でもそんな感じかも。でも記録されないから一回しかできないっていう。 中村 それは同じ登場人物なんだ? 宮崎 お休みとかもあるんじゃないですか? 中村 この人今年いないんだみたいな、 宮崎 そうそう。 中村 『ことばにない』もそうだけど、そういう長いレンジで書きたいってなったのはなんでなんですか? 宮崎 え、でももはや90分とか無理かもしれない。逆に。 中村 えー、すごっ、 宮崎 一回全部書ききったろう、みたいな気持ちで『ことばにない』をはじめたけど、それをしたことで何を短縮したら良いのかがあんまり。もちろん8時間でも短縮してるものはあるから、そこから探ればいいんだろうけど、まだそこまで圧縮することにあんまり興味が持ててない。 中村 だって、その結果5年になるわけでしょ? 宮崎 うん。 中村 それはきっかけがあったの?それとも結果的に長くないとできないものができたって感じ? 宮崎 『ことばにない』はそんな感じ。書きながら90分ではないなこれって。で、5年に関しては、もうちょっとライフワークみたいなやつをやりたいかもって思って、別に小さい規模でもいいから5年間やるみたいな。そのクリスマスのときにやる、楽しい時にやるみたいなのがあってもいいのかもって。
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ムニ 『ことばにない』後編(2023)  撮影:黑田菜月
中村 発酵シアターは、どういう経緯で始まってるんですか? 宮崎 元々は今年「ことばにない」は後編だけ上演やるから、前編の上映会をしようってなっていて。でも前編やったあとに、ムニこれまで作品いろいろやってきたけど、「ことばにない」から知ってくれた人もいたから、他のも一緒に見れるイベントにしようっていうのが企画の最初だったかもしんないすね。 中村 そこにいろんなひとの発表が挟まるみたいになったのは、どういう感覚なんですか? 宮崎 なんだろう、でもそれも、身軽に発表できるといいよねって思って。3月に山縣太一さんのワークショップ受けた時に発表楽しい!ってなって。テクニックや形式的なことを教えてもらいつつ、それぞれ自分の発表をつくる的なことをやって。もっと発表を身軽にできる場があってもいいよなって。ちゃんと公演にすると、場所とかお金とか色々要素があるけど、もっとイベント的に発表ってやれていいんじゃないか、自分自身がそういう場を求めていたというのもあって、つくりました。 中村 発表する人は公募? 宮崎 何人かこっちから声かけた人もいるけど、基本は募集して。 中村 どうでした?それは。 宮崎 え、めっちゃ良かったっす(笑) 中村 それは、試演会的なニュアンスとはちょっと違うんだ。 宮崎 うーん、発表会。完全に完成してなくてももちろんよくて。発表ということのハードルを下げたいとはずっと思ってて、誰でも発表していいというか。でも自分が発表するってなるとちょっと違って来ると思います。中間発表といいつつ、ちゃんと発表ってことにムニのこともなってたと思うから、企画と自分のことは別に考えているかも。 中村 そこにいる観客はどう捉えるの?そのイベントを楽しみに来た人って感じ? 宮崎 色んな人が参加してたのもあって、発酵シアター期間のなかでイベントが一番人数パンパンになって。で、イベントとセットで「ことばにない」4時間みて帰るみたいなことがあって、これをセットでやるのが結構いいのかもって思った。寄席みたいな感じかもしれない。 中村 それは確かに、乗る場のNEO表現まつりもすごいそんな感じしたな。 宮崎 それに、福岡のカンパニーのマルレーベルの加茂くんが参加してくれて。今度STで公演するんだけど、その宣伝も兼ねて東京でひとりでムニの発酵シアターをつかってくれたりとか。乗る場もいいけど、参加する人が固まらないのが良かったなって。 中村 うんうん、公募することの良さが。 宮崎 そうですね。最低限選んでもいるんですけど、結構バラエティがあったのがよかった。リハーサルもやるから、「ここ、こう見えました」的な相互批評的な感じにもなって、その過程があったのも良かったなって。 中村 公募の条件はどんな感じなんですか? 宮崎 お金はムニから払えないけど、カンパを募るのはありで、場所を貸しますって感じです。それも、もしムニからお金払ってお願いするってなると、またちょっと空気が変わってきたのかもって思うかな、 中村 たしかに、今聞いたやつのほうが健全にやれる気がした。部屋と演劇でも、そもそも多少お金くらい払ったって作品つくってたよねっていうのがあんまりネガティブな意味じゃなくある。ギャラなんかなくたって楽しんでやってた部分もあるじゃないのよっていう。それから部屋と演劇がああいう形になったのは「上演」までいかないと試せないことがたくさんあるっていうのが共通の認識としてあって。一日しか稽古してないけど、発表するっていう気合が一つモチベーションになってるなと思う。
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『ムニの発酵シアター』内「発酵イベント」(2023)
中村 ちなみに、今回のイベント、観客の体験として「パッワッサッ」感はありましたか?
宮崎 あー、でもまず環境としては、あの、平台の上に座る感覚とか久々で良かった(笑)
中村 (笑)
宮崎 ああ、これ、「パッワッサッ」だわ~って。
中村 あんまり設えられてない。
宮崎 入ってるチラシもめちゃ薄くて、これくらい作る側も身軽でいいよなって思った。椅子をいっぱいならべるわけでもなく。
作品でいうと、一番作品してるって思ったのは福井さんかなあ。ただ、普段してることとも関わって来る気がするから、普段から形式がある人のほうが「パッワッサッ」しやすいのかなって気がした。
中村 福井くんは今回ある意味、すっごい準備してた気もするかも?
宮崎 えっ、じゃあ演出家の準備はパッワッサッじゃないんですね。
中村 どうだろ?どんくらい演出家の準備がパッワッサッなのかは、わからない。
宮崎 それ気になりました、俳優どれくらいパッワッサッなのか、とか。
中村 たしかに、みんなそれぞれどんくらいパッワッサッ感があったのか……
宮崎 でも“集まり”の話でいくと、わたしは集まりのなかで戯曲を読めば上演になりうる、っていう思想だから、それは結構パッワッサッ的なことなのかもしれない。
中村 え?
宮崎 なんで上演するのかがずっとわかんない、5人くらい集まって戯曲読む集まりがあればそれで上演されたことになんないのかって結構思ってて。わざわざ上演する意味ってどういうこと?って考えてる。
中村 積極的な読書会とかって、演劇の稽古にかなり近いし、観客(参加者)がある種安全にテキストとの距離を取れたりとかもするよなとは思う。まあ上演でしか得られない満足感っていうものは観る側にはあるとは思うけど、なんかいいもん見たなみたいな……でも、そうやって上演を見に来るときの「消費する」的な感覚を変えるのは上演レベルでは不可能というか、そのモチベーションを劇場に金払って見に行くという身体でそうじゃないものを強く求めるのはこちらが設えを変えないと無理だなって最近思ったな。テアトロコントで笑いに来てる人に対してその条件を変えることにはあんまり意味がないっていうか。そこを疑うなら上演じゃないアイディアを作る必要があるんだろうなって思った。ほんとに戯曲を読むだけなら、みんなで読んだりしたらいいのかもね、
宮崎 でもそれわたしなら上演ですって言っちゃいそう。これは上演ですって。10人くらいあつまって上演しましょうって。
中村 それって、参加しない枠もある?
宮崎 あ、いないで考えてました。
中村 その場合、上演とはってなりそう、
宮崎 なんか、わたし瀧腰さんとかと3年位「ゴドーを待ちながら」を野外で読み続けるっていうのやってて、それもあって読めば上演になるんじゃないかって、しかもそれが集まりのなかでなされるってことを上演の定義にしてたんですけ��、
中村 でそれは、お客さんはいないんだ?
宮崎 街の人がいますよ。
中村 あ、路上パフォーマンスみたいになるってこと。
宮崎 そう、上野のパンダ橋とかでやってました。3,4時間かかるんですけど。
中村 え、ハード。動きとかなく、読むだけ?
宮崎 読むだけ、しかも誰がどの役をやるとかも決めずに読む。しかもト書きも全部読む。みたいな感じでやってました。
中村 へー、
宮崎 最後の方は写経してました。
中村 ゴドーを?
宮崎 写経も集まりの上で全員が同じ時間に共有された行為をしているので、それは上演になるのかみたいな、ことを試してた。
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部屋と演劇Vol.1 中村大地『複声にうつしてみる』リハーサル風景
中村 野村くんに聞いたんだけど、ドイツの公共劇場の稽古スケジュールって、最初に3時間やって、休憩3時間やって、後3時間やるっていうスケジュールなんだって。それ面白いなって思って。お昼休みって1時間じゃ、1時間半でもあんまり休めた気しないけど、3時間もあればもはや合間に他の打ち合わせとかいれられて。だから今度城崎でやろうと思ってる。
宮崎 え、ご飯食べて温泉入ってまでできますね。
中村 そうそうそう。もちろん東京じゃ出来ないけど、それくらい一回シャットダウン挟むのやってみよっかなって。「パッワッサッ」とは違う話だけど。 今回試しに8月に戯曲を読むだけのことを4日間やって、城崎まで、1ヶ月半くらい空くんだけどその間稽古はなくて。クリエーションの中でわざとそういう空白つくることで、さっきの「ことばにない」の前編をやって今年後編やる、みたいなときのスタートダッシュの切り方と同じような効果が生まれないかな、セルフ再演みたいなことになんないかなって思ってる。
宮崎 えじゃあ、8月やって、再演が10月があって、12月が再再演みたいな?
中村 そうそう、だから10月18日に発表があって、次12月のために集まるのが11月の半ばでって。
宮崎 逆に俳優は大変ですね。
中村 どうなんだろう、どっちが大変なんだろうね。短くワッて作れちゃうならそれはそれでいいけど。でも、今回公募で募集した時には、こんだけ時間かけてつくってみたい、っていう応募理由も結構あったな。クリエーション期間の中でいっぺん仕事に戻れたりしたほうが経済的には楽なのかなって思ったり。
宮崎 なんかでも、4ヶ月毎週発表をやり続けるとかしんどくないすか?
中村 人に見せるってことを?
宮崎 そうそう、
中村 あーでも、ダラダラ4ヶ月やるわけじゃないから。1回1回区切れがあれば、そこに向かって頑張ろうみたいな。まあ、やってないからわかんない。これですごいしんどかったらどうしよう(笑)
宮崎 そのスタイルやってみたいなと思ってる、4ヶ月毎週発表、解散!みたいなの、
中村 それは一般に見せるの?
宮崎 見せる、そのシーンを。
中村 連ドラみたいなことになんのかな
宮崎 そうそう、えーでも、再演システム……。
中村 とにかく上演を細かく挟んでいく、それはでも稽古場を公開しますよりはちょっと気合を入れつつ、でもラフな設えでやれたらなって。
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屋根裏ハイツ『すみつくす』2023年 撮影:本藤太郎
宮崎 なんか『父の死と夜ノ森』でいうと、あれは死の一回性、死が生と同居しうることを前提にして書かれてると思うんだけど、それを(屋根裏では)演技もだし、舞台上にモノが存在している重さで持って繰り返すっていうのが気になってて、
中村 あれをマレビトで見た時に、あの作品だけ一回きりじゃなくていいんじゃないかなって思ったんだよね。スケッチじゃなくて、戯曲として取り扱っていいものでは?って思ったんだよな。繰り返しに耐えうるというか。
宮崎 舞台上でも死が再演できないとするなら、あれは再演できないのでは?と思ったんですよね、松田さんは死を上演の際に「軽さ」を重要にして再現可能とするんだろうけど、上演が一回しかないということが、想定外の働きをしてしまったのではないかと。
中村 うーん、でも嘘だからなあ、死んでないし、
宮崎 でも、一回しかやらないってなるとそれを一回性の死として扱えるかなって、
中村 なるほどね、
宮崎 5回この死が繰り返されるっていう意味が繰り返すならば出来てくる、
中村 それでも別に、どうなんだろう、松田さんの戯曲よく人死ぬしな……それがどういう意図をもって描かれていたかはわからないけど、僕も舞台上で死を書いたことはないけど……
宮崎 死が見えない状態で舞台上にあることって結構あると思うんですけど、舞台上で死そのものが描かれることってあんまりないかなって。
中村 そうか…?まああれはああやって軽々しく死んでいくことが結構大事なのかなって思っていたけど、その一回性を大事とは思ってなかったかも。まあ俳優が、瀧腰さんはハードっていうか、いっぱい人殺すのはハードだったと思うけど。稽古場でもそういう話はでたかもね、本当に本気で色々乗っけてやるのは食らうから、ライトにやったほうが良いみたいなことは話としてでてた。それはもちろんニヒルな意味ではなくて、そのほうが現実感もあるかなとか。
中村 結局死そのものを舞台上で起こしたいとは、自分で書く分には思わないけど、
宮崎 でも他のレベル高すぎて、わたしには一生の問いみたいな感じがあるかも。
中村 出来事として死を描けるかってこと?
宮崎 そうそう、
中村 それはどういう感じなんですか?
宮崎 再現できないものをどう舞台上で起こすかみたいなこともそうだし、死が見えないってすごく普通のことだから、死を見せない、間接的に描くってのは形式に落ち着いていると思っちゃう。わたしたちは生きてていろんな場面で死が見えることを経験してるけど、なのに舞台上では死が見えないってどういうことだろう?とか思ったり。
中村 死んでないから死が描けないんですかね、
宮崎 ファンタジーとしての死ではなくて、もうちょっと想像の余白が残された出来事としての死ってなんかあるんじゃないかなって思ってるんです、
中村 それは死の気配が横たわってるとかではなく、
宮崎 じゃなく、
中村 なんか、上演の一回性に対する感覚が僕は結構もう薄れてるのかも、
宮崎 ええ?(驚)
中村 どうせもう絶対に一回性だから、みたいな感覚。
宮崎 屋根裏の稽古は再現性高める系ですか?
中村 再現性高くないと思うけど、「ここでこうしてください」という細かい振り付けはしないというか、なんか道路があって、そこにポイントはあって、そこは通過しなきゃいけないけどその通過の仕方は問わないという風にできたらいいなとは思ってる。でもわりに細かいとは俳優から言われるかな。
宮崎 それはポイントの数が多いみたいなこと?
中村 うーん、どうなんだろう。なんかサッカーみたいな、作戦はいっぱい練るけど結果はボールの動き方でかわるよねって思ってつくってる。
宮崎 ずっとそのやり方ですか?早く言ってとか言わずに、
中村 うん、2017年くらいからかな。「とおくはちかい」から。その頃からこちらが細かく操作するよりも、俳優が自分で立ち上げる方がいい結果になることが多いなと思うようになって。てか、演出が言ってくれたことを俳優がやってくれるのって気持ち悪くないすか?
宮崎 なんかわたしそれ、やられることが嫌なんじゃなくて、待たれることが嫌なのかもしれない。振り付けでもなんでもいいんですけど、言う事を待たれるのが。言うことが百になるのが嫌というか、
中村 うん。だから、言う事を待たれる感じにしないための空気づくりを頑張るのかもしれない。そうすると、俳優が「あなた(演出)今気づいてないかもしれないけどこうしてみましたけど」みたいなことが起きやすくなるなって。
宮崎 そう、稽古場をお客様いらっしゃいみたいなかんじにしないほうがいいと思ったりもします。ファシリテーターみたいにならないっていうか。稽古場自体にはよっしゃ行こうってしないと今行けないけど、稽古場でウェルカム~みたいな感じじゃなく、気を使いすぎないでいれてれば結構うまく行きやすいのかもなって思ったりする。
中村 ウェルカムにしたほうが俳優が観客みたいに待っちゃう気がするね、なんかサービスしてくれるんですか?みたいな状態になっちゃうというか。
宮崎 そうそう。
2023年9月中旬 ZOOMにて
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プロフィール 宮崎玲奈(みやざき・れな) ムニ主宰・劇作家・演出家。1996年高知県生まれ。明治大学在学中に演劇学校無隣館に通い、2017年ムニを旗揚げ。青年団演出部に所属した。第11回せんがわ劇場演劇コンクールにて『真昼森を抜ける』で演出家賞。大学卒業制作の『須磨浦旅行譚』が令和元年度北海道戯曲賞最終候補。その他の作品に『ことばにない』など。
〈次回公演〉 ムニ『つかの間の道』『赤と黄色の夢』二本立て公演 2024年3月9日(土)-17日(日) 会場:アトリエ春風舎 作・演出:宮崎玲奈(『つかの間の道』) https://muniinum.com/2024/01/25/tukanomaakakiyume/
【演出】 那須塩原市ART369プロジェクト実行委員会 劇「わたしのまち」 2024年6月7日(金)-9日(日) 会場:那須塩原市図書館みるる ホール
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mysteriouslydarkpanda · 9 months
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2023年の振り返り
 1年半ぶりとかですね……! ご無沙汰しています。文フリが終わる度にブログでまとめよう!と思い立つものの、燃え尽きてて何にも書けないーってなってるうちに次の本を作る時期になり……みたいな1年半でした。でも、せっかく年末なので、この機会に今年の活動を振り返りますね。いろいろ本を作りました。
 まずは、やったこと一覧を書いてみます。  2月 文フリ広島 作った本:『きっかけ広島』  5月 文フリ東京 作った本:『眠り』(かざぐるま)     ペーパーウェルさん 作った本(ペーパー):『3さいのわたしのとびら』  7月 文フリ札幌 作った本(ペーパー):詩とごあいさつのペーパー     深大寺恋物語 応募した作品:『八分目になるまで』(落選)  9月 文フリ大阪 寄稿した作品:『バリスタにはなれなくても』『しろくまさんとにんげんさん』           作った本:『夏の自由研究 句と歌』     ペーパーウェルさん 作った本:『深夜にカレーを作るくらいの』
 こんなかんじの1年でした。ちなみにここ3ヶ月ほどは何をやっていたかというと、また本を作っています。広島文フリで出す予定の、生き方についての詩とエッセイの本です。今回はしっかりした本を作って、書店さんに委託チャレンジしてみようかな……と考えているんですが、そういう大きな目標があるからか、けっこう苦戦しています。なんやかんやでいつもの分厚さの本になってるかもですが、できていたらお手にとっていただけるとうれしいです。実はもう一冊作ろうとしているんですけどね……。連作短編小説にするつもりなんですが、簡単な短編とか、そんなボリュームになりそうな気もしてきて、ちょっと焦っています。ただ、どっちも今のタイミングで一度は形にしておきたいなと思う本なので、本にはなっていると思います。
 今年の振り返りももうちょっとしたいので、その話もしますね。まずはかざぐるまの活動から。今年は眠りをテーマにした本を作りました。今回、「作者さんの横顔を見てもらう」ことを個人的な裏テーマとして掲げていてですね、巻頭にエッセイを掲載したり、アンケートを取ったりしてみました。最近、エッセイを書いている母の影響なのか、エッセイを読むのがとても楽しいなーと思うようになって。いろんな人がいろんなことを考えていて、自分と似���いる人のことも、真逆の人のことも、どんなことを考えているんだろうなーって気になるようになってきたんですよね。自分が本を買う時も、ざっくばらんなあとがきがあるような本に惹かれて手に取りがちだったりするので、そのあたりを今回の本に込められないかなと思っての裏テーマです。盛り込んでみて、サークルのみなさんの今まで知らなかったところを知ることができたりもして、楽しかったです。ここ数年は直接お会いする機会も減っていたので、ちょっと変わった交流の機会にもなっていればうれしいですね。  広報活動(と言うとおおげさですが)も少し工夫してみました。本の表紙は今まで自作していたのですが、お世辞にも上手いとは言えなくて、そんな表紙を堂々と出すのもなんだか恥ずかしくて、あまりアピールできていませんでした。そこで今回は思いきって、印刷所のしまや出版さんにオーダーメイドで作っていただきました。夜の眠りをイメージしたきらきらで素敵な表紙を作っていただけて、「この素敵な表紙を見てください!」ってテンションで、Twitterのあらすじ紹介それぞれに貼ったり、ポスターを作ってブースに掲げたりすることができました。ブース前を通る時に「おっこれは」ってかんじで立ち止まっていただけた方もいらっしゃった気がしてうれしかったです。中身も知っていただくために、エヴァンゲリオンの次回予告っぽいものを作ってみました。Twitterで、たまに流れてくる発言まとめメーカーのまとめがけっこう好きなんですよね。インパクトが強くて思わず笑ってしまうことが多いんですが、これだけ印象に残るのなら、あらすじ紹介としても良いのでは?と思い立って。メーカーの使い方はわかんなかったので、パワポで自作してみました。作品の中から一文程度を抜粋して配置していったんですが、それぞれの作者さんの特徴が出るのはどこの文章だろうとか、考えながら抜粋していくのは楽しかったです。当日は、このまとめとあらすじを裏表のチラシにして配布しました。ポスターを目に留めていただき、チラシで内容説明ができて、なかなかいいかんじに表紙も中身も見ていただくことができたかなと思います。当日はたくさんの方にお手にとっていただけて、とてもうれしかったです。ありがとうございました。
 個人の活動についても話しますね。まずは文フリ広島から。今回のブログ、だいぶ長いと思います。1年半を詰め込むとこうなりますね。ごめんなさい。文フリ広島と文フリ札幌と、ペーパーウェルのことを少しずつ書いていこうと思います。あとはちょこっとで。  文フリ広島では、『きっかけ広島』を作りました。広島が大好きで、個人の活動で初めて文フリに出店する時も、せっかくだから広島でと思うくらいに縁を感じていて。旅先で出会ったさまざまな方に、たくさんの優しさをもらって、行く度に好きになって、何度か出店しているうちに、「この気持ちをなんとか地元の方にお返しできないかな」と考えて作ろうとしたのがこの本でした。広島を好きになるきっかけを語っただけの本なのですが、地元の方に少しでも温かい気持ちになっていただけたり、広島に初めて訪れる方の少しのきっかけになったりすればなと思います。当日はお礼のつもりでブースに立っていたのですが、たくさんの方に本をお手にとっていただけたり、温かい言葉をいただけたりして、さらに「ありがとうございます」が増える結果になってしまいました。本当にありがたいです。来年も文フリ広島には参加予定なので、「広島が好き」を込めた作品を作れたらなと思っています(先ほどの連作短編小説がそれなので、くじけている場合ではないですね)。  文フリ札幌は初参加でした。電車が好きなので、新幹線と特急を乗り継いで向かいました。青函トンネルを通る時に緊張したり、線路内に鹿が入ってきて止まったり。ちょっと大変でしたが、どれも良い思い出になりました。短歌や俳句にもしました。初めてだらけの今回でしたが、はじめましてをちゃんと言えたのはうれしかったです。ブースにお立ち寄りくださった方、本をお手にとっていただいた方、ありがとうございました。本もたくさん買いました。素敵な絵本が多かったんですよね。絵本を作っていらっしゃる印刷所さん(出版社さん?)に出会えたりもして、「絵本、私も作ってみたいなあ」と新たな目標ができたりもしました。  ペーパーウェルさんは、5月と9月、どっちも参加できました。5月はほんと、ぎりぎりだったんですけどね。でも、追いつめられた時に特有の不思議なテンションで、いつもならできない作品ができて良かったです。印刷してくださった方、本当にありがとうございました。作品が拙かった分、何か良いことが起こっているといいなと思います。9月の作品は、まさかの音声で感想をいただけたりして、びっくりしました。エッセイをほめていただいて、なんだかとても元気が出ました。ありがたかったです。文章でもたくさん感想をいただけて、改めてありがとうございました。9月は私も少し感想をお伝えすることができて良かったです。「良かったです」ということを一生懸命いろんな言葉に込めているのですが、ちゃんとポジティブに伝わっているかな、ということがいつまでも不安で、感想を送る時はいつも緊張してしまうんですよね。少しでも応援になっているといいなあと思います。  くくりきれなかった作品についても少しずつ書いておくと、7月には深大寺恋物語という公募に応募してみたりしていました。厄除け参りに行ってみた深大寺と神代植物公園をすっかり気に入ってしまって、ありがとうを作品に込めて送りたかったんですよね。なんだか今年は、「場所への感謝を作品に込める」がサブテーマだったような気がします。拙い作品で、それがどこまでできているかはわかりませんが、今後も続けていきたいです。文フリ大阪のコーヒー号には、2作品を寄稿させていただきました。寄稿させていただく時はほんとにフリーダムに書かせていただいていて、とても楽しいです。8月に考えていたことをわりとそのまま書いた作品になりました。『夏の自由研究 句と歌』は、この夏の目標が「短歌や俳句を学ぶ」だったので、その記念に作った本です。この本は今もMOUNT ZINEさんというお店にがんばって並んでくれているので、どこかのタイミングで改めて裏話的なことをこのブログでしたいなと思っています。
 長いですが……最後に来年の展望を。今年、かなりハイペースに本を作っていました。それは、来年2月の文フリ広島を個人的な区切りにしようと思っているからです。ちょっと今後の人生を考えていくうちに、本を作ってイベントに出てが難しくなる期間もあるかもしれないなと思い、作りたい本は今のうちに作っておこう!と走り抜けたのが2023年でした。実際に来年以降がどうなるかわからないので、イベントに出られる限りは出たいなーと思っているのですが、ひとまず来年はあんまり新刊が出ない年になるかもしれません。あ、でも、ペーパーウェルさんは出たいので出るかもです。どちらかというとオンラインに居る年にしたいなと思っていて、今年は本作りを優先してまた後回しになっていたホームページ作りとか、そのあたりのことをやっていこうと思っています。ホームページも、考え方によっては一冊の本だなと思うことがあって。作品を掲載したり、好きな作品について語るページを作ったり、いろいろやりたいなと思っています。ブログも更新できるといいな。
 すみません本当に長々と……。読んでくださった方いらっしゃるのでしょうか……? 何はともあれ、今年もありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
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amiya3 · 10 months
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新刊「令和ブルガリアヨーグルト」本日発売
※長いです 三年以上ぶりの新刊です。待っててくれた人もとくに待ってなかった人もお待たせ! 題名からお察しのとおり、全面的に株式会社明治様にご協力いただいた、明治ブルガリアヨーグルトを題材にした話です。 ・主人公は20代前半の内気な人間と乳酸菌 ・恋愛要素なし・エロもなし ・乳酸菌がよく喋る、乳酸菌以外もわりとよく喋る ・料理が得意ではない人に向けたちょっとしたヨーグルト料理レシピを交え ・ブルガリアのちょっとした歴史なんかも知れる(ここはA面全開ですが) ・ハートウォーミングなお仕事&推し事コメディ(だいたいB面) です。先日インタビューしてくれたライターさんが、会うなり「マジこれ何考えて書いたんですか!? 天才ですね!」って言ってくれました。なのでたぶん私天才だと思う。このインタビューは12月初旬発売のダヴィンチに載ります。ありがとうございました。 主人公の「推し」はブルガリア菌です。ややこしくて申し訳ないんですが登場するブルガリア菌が「主人公の推しのブルガリア菌(騎士)」と「在野のブルガリア菌(桿菌)」の二種類います。よく喋る(ドラマで橋本さとしさんが演じてくださる)のは在野のほうです。作中では在野のブルガリア菌が、歴代の加奈ちゃんレベルでものすごく良い働きをしてくれて、楽しくなっていろいろ書いてたら私史上最高枚数になってしまいました。お話も長いけど書いてた期間も長く、ブルガリア菌に愛着沸いちゃってたので、最後の段落書いてる最中、お別れするのが悲しくて泣いてしまった。編集者曰く「これをどんな気持ちで読めばいいのかまったく判らないけどとりあえずなんか謎に感動した」、そんな物語。『CAボーイ』を読んでくださった方、茅野ちゃんのその後が判ります。あと誰も興味ないでしょうが岡林のその後も判ります。この岡林、ドラマにも出てきます。配役聞いてびっくりしました。発表されたら私と一緒にびっくりしてください。
表紙絵はまめふくさんにお願いしました。めちゃかわな菌たちに心がむぎゅっとなりました。まことにありがとうございました。 デザインは、ずっと「いつかお願いしたい」と憧れていた名久井直子さんにお願いできました。感無量です。まことにありがとうございました。
歴史監修は元二松学舎大学学長、現在は北里大学に籍を置かれる菅原淳子先生にお願いしました。まことにありがとうございました。指摘出しをしていただいた後日、対面でも三時間くらいお話しさせていただいたんだけど、「淑女」ってこういう人のためにある言葉だなあって思った。気品溢れるすごく素敵な先生でした。私も学生時代に授業を受けてみたかったです。 自分が好き勝手に書く小説とは責任の規模が違ったため、ほんっとうに多岐にわたって調べました。今の私はたぶん、歴史研究が生業でも趣味でもないのに何故かブルガリアの歴史にやたら詳しい東アジア人ランキングの八百万位くらいには入ってる。乳酸菌にやたら詳しいIT業界出身の40代小説家ランキング五万位くらいにも入ってる。取材をさせていただいた株式会社明治の皆さま、文化や言語などいろいろ教えてくださったブルガリア大使館のS氏、登場人物ごとの地元密着濃度まで考慮して方言指導してくださった岩手の友���、関連業界で働く友人たち、ご協力まことにありがとうございました。
★雑談 作中で飯野さんが推している「山手線の各駅を擬人化したアイドルっていうか駅員」は実在します。太田くん(婚外恋愛~でハッチを演じてくれた俳優さん)が目白なのでなんとなくチェックしつつもとくにハマることもなくスルーしてきたんですが、今年に入って宝塚の推しの卒業のため週3くらいで有楽町に通っていた時期、毎回神田で乗り換えてたらほんのりと神田に愛着が沸いてきてしまいました(エスカレーターの壁にめっちゃ印刷物貼ってある)。これが戦略か。カレー食べたい。
★おまけ ヨーグルトを使ったお手軽料理をいろいろ作っていた中で、文字数の関係で主人公に作らせることができなかったが、これは美味しいから他の人にも食べてほしいと思った辛いパスタのレシピ 二人分
材料 ・低脂肪や無脂肪ではない普通脂肪な無糖プレーンヨーグルト200~300mlくらいを限界まで水切りしておく ちょっとミント入れてもいい ・スパゲティ じゃなくてもパスタ類ならなんでも 200g ・みじん切りにした玉ねぎ 1/2個ぶんくらい ・にんにく一片 薄切りにする ・バージン以上のランクのオリーブオイル 適量 ・生ハラペーニョ(緑色) 二~三個 ビニール手袋着用のうえ種を取り荒く刻む。手袋しないと指痛くなります。 ☆トマトジュース200ml ☆砕いた「鍋キューブ」鶏塩味(なければブイヨンでもコンソメでもなんでもいい)一個 ☆魚料理向けハーブミックス 適量 なければバジルとパセリだけでも  うちでは朝岡スパイスの「ハーブシーズニング」を使用しています ☆さばの水煮缶 一個 中の汁もぜんぶ使う ☆マッシュルームをスライスしとく 生でも水煮でも 適量 ☆ハリッサ 大匙1くらい ☆トマトケチャップ フライパンに二回しくらい ・塩 トマトジュースが無塩の場合、味見して塩気が足りなかったら足す
1 玉ねぎを半透明になるくらいまで炒め、別皿にうつしとく 2 大き目のフライパンにオリーブオイルとにんにくを入れ、弱火で良い感じにする 3 2のフライパンにハラペーニョと炒めた玉ねぎ入れて火力を上げ軽く炒める 4 3のフライパンに☆ぜんぶ入れてよく混ぜ、サバは適当に崩す 5 10~15分くらい中火~弱火で時々かき混ぜながら煮る そのあいだにパスタ茹でる 6 茹でたパスタを湯切りしてオリーブオイルを軽くまぶしたあと、4のフライパンに入れて混ぜ、ソースが絡んだら皿に盛る 7 上に水切ったヨーグルトを丸く可愛く盛る 8 粗びき黒胡椒(材料外)をかける かけなくてもよいです 私は辛い食べものが苦手なので(しかし夫が辛いもの大好きで)、粉チーズでは間に合わず、辛いパスタにはブラータチーズかマスカルポーネを載せていました。が、頻繁に食べるには両チーズとも高価すぎて「これもしかして水切りヨーグルトで代用できるんでは……?」と思ってやってみたレシピです。低脂肪や無脂肪では試していないので味の保証ができません。残ったホエーはコットンパックやガスール溶かす水代わりにするのがおすすめですが、アレルギーが出る人もいるのでご注意ください。ヨーグルト入りのボディスクラブで痒くならない人ならたぶん大丈夫です。私の二冊前の本「手のひらの楽園」はエステティックに関する話なので、このあたりの美容系の話題にご興味がある方はぜひ。
★おまけ2 主演の鞘師さんが以前めんつゆのドラマの主演をされてて、おしめしドラマ化が決まったあと、配信探して全話拝見しました。レシピいろいろ参考になったので、私からも、とっておきのめんつゆずぼらレシピ「たぬきごはん」を。 ・ごはん一膳 ・市販の天かす(いか天入ってるやつ) カレー食べるスプーンに山盛り二~三杯 ・めんつゆ(にんべんの金色のラベルのやつ) 味が濃いので最初は小匙以下くらいで試してください ・罪悪感を軽減するための緑色の食材 好きなだけ。お勧めはえだまめ。 ・あれば白炒りごま 好きなだけ よく混ぜる→おいしいけどすっごい不健康だこれ!! 食後に明治ブルガリアヨーグルト食べとけばプラマイゼロになるかも!!※ならないかも。
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theatrum-wl · 10 months
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【投稿企画】先月の1本・来月の1本(2023年11月)
読者の方々からお寄せいただいた10月の「先月の1本・来月の1本」をご紹介します。先月の観劇の記憶を思い起こしながら、来月の観劇のご予定にお役立ていただければと思います。
・つきのふね 派遣社員(1~5本) 【先月の1本】 トランスレーション・マターズ「エミリア・ガロッティ/折薔薇」(すみだパークシアター倉) 備知識ほぼゼロで行ったが、古い戯曲で最小限の舞台セットなのに、今、ここ、の話と思わせる演出が面白く、また役者さんたちの演技も滑舌も見事だった。 【来月の1本】 こまつ座「連鎖街のひとびと」(紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA) 22年ぶりの再演、かつ、いい脚本、いい役者、いい演出の3つが揃っているとの評判なので、とても楽しみ。
・谷岡健彦 教員(1~5本) 【先月の1本】 新国立劇場「終わりよければすべてよし」(新国立劇場 中劇場) シェイクスピア俳優としての浦井健治が魅力的だった。少し早めの口調ながら、台詞の意味はすっきり耳に入ってくる。妙に重々しく朗々と歌い上げる台詞術とは一線を画した新たなシェイクスピア上演の可能性を感じた。 『季節はずれの雪』製作委員会「季節はずれの雪」(シアター風姿花伝) 今春のITI主催のリーディング公演『ロッテルダム』の翻訳が見事だった一川華の新訳に、『ブレイキング・ザ・コード』の舞台成果が記憶に新しい稲葉賀恵の演出となると期待しないわけにはいかない。
・まなぶ 司書(1~5本) 【先月の1本】 武本拓也「ソロ/トーク/ワーク」(京都芸術センター 講堂) 人の前に人がいる。アートがワークになるとき。 【来月の1本】 安住の地「声」(The side) 安住の地の一人芝居には期待できる。
・りいちろ 地方公務員(11本以上) 【先月の1本】 妖精大図鑑「無関係のジョバンニ」(吉祥寺シアター) 団体は10周年とのことだが私は初見。バレエなどの身体での表現も様々に仕込まれたウィットも実に洗練され、それらが縒り合わされひとつの世界へと至ることにも感嘆。「竹やぶを歩いていたらパンダに出会った気分です!」とのチラシのコピーに偽りなし。 【来月の1本】 ♯Q「紫にリボン結び」(スタジオ空洞) 脚本・演出の久保磨介氏がここ何作かで紡いだ舞台の、さりげなく柔らかく深い心への染み入り方に強く惹かれる。今回スタジオ空洞の空間にどのように世界が編まれるのかとても楽しみ。
・kiki 地方公務員(6~10本) 【先月の1本】 ムケイチョウコク「漂流する万華鏡」(古民家カフェ 蓮月) 古民家全体を使って上演される同時多発的な複数の流れに、登場人物として、あるいは黒子として参加する体験型の演劇。イマーシブシアターは初めてではなかったけれど、この作品の圧倒的な没入感に、観劇という概念から逸脱するほどの衝撃を受けた。 【来月の1本】 劇団扉座「扉座版 二代目はクリスチャン―ALL YOU NEED IS PASSION 2023―」(紀伊國屋ホール) 会場を紀伊國屋ホールに移しての再演。扉座による一連のつかこうへい氏リスペクトの作品群は、とにかく熱い。不器用でも無様でも体当たりで生きようとする人々の姿は理屈抜きに胸に迫る。好みはあるかもしれないが、個人的には芝居の王道と思う。
・小泉うめ 観劇人・観客発信メディアWL(11本以上) 【先月の1本】 中間アヤカ「踊場伝説」(養正市営住宅6棟跡) 伝説を語り自らもそこに連なって行くようなアプローチ。場所、天候、観客etcすべてを味方にする作品はズルいようだが基礎や天運を持っていない者には真似ができない。 【来月の1本】 ももちの世界「皇帝X」(in→dependent theatre 2nd) ひょっとするとももちの世界と言うよりピンク地底人っぽい作品になりそうな予感もしていてそれはそれで歓迎したい。キャストや美術にも期待している。
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straycatboogie · 1 year
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2023/09/21
BGM: The Blue Hearts - 情熱の薔薇
いますぐ読めるというわけではないのだけれど、阿部和重の初期の作品を読み返したくなった。『アメリカの夜』や『インディヴィジュアル・プロジェクション』、『ニッポニアニッポン』などだ。というのは、そうした彼の作品はこの自分自身の持つ主観(ひらたく言えば「自分自身がこの世界をどう捉えているか」)と世界そのもののズレをテーマにしていると読んできたからだ。それで、今日は休みだったので図書館に行って阿部和重の本を探したのだけれど『インディヴィジュアル・プロジェクション』はもう所蔵されていなかった。たぶんあまり読まれないからだろう(実にもったいないことだけど)。しょうがないので多和田葉子『アメリカ 非道の大陸』を借りる。その後、イオンに行き読みかけていた沢木耕太郎『246』を読み終える。姫路の図書館(やすとみ分館)にも行って期限切れの本を返そうと思ったのだけれど、図書館は整理休館だと気づいてそれであきらめた。ネタを割らない程度に書くと『インディヴィジュアル・プロジェクション』はさっきも書いたとおり「この自分の認知の歪み」を描いた話なのだけれど、ぼく自身もまたそうした「歪み」に自覚的にならざるをえないからそんな話が気になってしまうのかもしれないと思った。
ぼく自身、大げさかなとも思うけれどそれでも自分自身が少しずつ狂っていくのではないかと思うことがある。職場では相変わらず使えない、わけがわからない人と思われているようでそれはそれでもう慣れたのだけれど、その一方でこないだとある信頼できる方から「自分をそこまで卑下するのはよくないよ」と仕事中に言われたのだった。かと思えば、Discordで英語でチャットしたりプライベートでLINEで連絡を取り合ったりしている方からは篤実な人と思われているようで、実に180度評価が異なっている。こないだも職場で「すみません。おっしゃることがどうしても呑み込めないのでジョブコーチを交えて、その話を含めたいろんなことについて相談することできますか」ととうとうぼく自身が持ち出す始末となってしまい、相手の方が「私たちのことを信頼していないの?」とあやしげに思ったようだった……もちろんぼくは「いまの会社はこんなにもブラック企業だ!」とかそんな話をしたいわけではないので誤解しないでほしい。ぼくはただ、「もうこの時代は『何が正しいのか』がまったくもって見えなくなってきたな」と思い始めたのだった。いま世間を揺るがせているビッグモーターやジャニーズの話、あるいはこれから公開されるというなすびに関するドキュメンタリー(『懸賞生活』で一躍「時の人」となり、いまでも俳優として活躍されているあの方です)にしてもそうだろう。遡れば「ポスト・トゥルース」なんて言葉もあったけれど。
いや、ビッグモーターもジャニーズもぼくの立場では「聞きかじったこと」をきわめて無責任にしか語れない。だけどぼくのことを話すと、前に高校時代の元クラスメイトに「いまでもぼくは過去の暗かった時代を思い出してしまう」と話したことがある。「あの時代は(おみそにされて)ほんとうにつらかった」と。すると「誰だって思い出したくないことはあるものだよ」とかわされてしまった。まさに「絶句」してしまった……いや、これも相手を薄情だとなじりたいわけではない。そういうかたちで話が通じないことというのは往々にしてあるものだ。でもそこでも「独善」「独断」に至り盲目になってしまう陥穽・困難に陥らず相手と折衝していくことが大事だなとも思い始めている。そんな気持ちがあるからこそぼくは英語を学ぶことをやめられないし、読書だって続けてしまう。柄谷行人の難しい本を読もうとするし、夏目漱石や村上春樹や片岡義男に吸引されてしまう。あるいは、ぼくが多感な青春あるいは人格形成の時期を過ごした90年代に「トラウマを語ること」(アダルトチルドレンや虐待から来る多重人格などがテーマとして流行ったこと)が思い出されてくる。だがこれも、「聞きかじったこと」程度しか語れない。ともあれ、気になったので『インディヴィジュアル・プロジェクション』は近々読み返したい。
今日はそんな感じであれこれやっているうちに夜になり、ZOOMでミーティングに参加してそこでぼくの住む市をどう海外の人に知らしめるか(観光客を呼ぶか)という話で盛り上がった。それで、やはりこのご時世SNSなどを使って知らしめるのが有効ではないかという話を(ChatGPTからはじき出した結果などを使いつつ)する。ぼくが「この市もYouTubeのチャンネルを持っているみたいですね」と調べた結果を教えたりする。ただ、その市のチャンネルは英語に対応していないみたいだった。この時代においてあらためて「英語を使うこと」は重要なのかもしれないと思い始める。参加者の方からもぼくの英語力を信頼されていることが伝わってきて、もちろん言うまでもなくありがたかったのだけれど、あらためて会社でぜんぜん英語なんて使わないこと……いや、そもそもぼくの英語力なんて会社ではこれっぽっちも評価もされていない(個人的なメモを書く時に使うのが関の山)ことに、大げさではなくほんとうに「気が狂いそう」になる。逆に言えば、そんな「気が狂いそう」な評価のブレ/ズレを生きるぼくだからこそ面白いものが書けるのだろうかとも思い始める。そんなことを、今日の散文詩で書いてみた……と書いて、もしかしたらみんなそんなブレ/ズレの真っ只中を生きていてタフネスを「とっくの昔に」身につけているなんてこともありうるのかなとも思う。リアルとネットの使い分け、「公」と「私」の使い分けなど、あれこれ考えた。
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■ 「越境する文化」 とは何か 02 「越境する文化 (transculturalité)」 という現象についてお話ししたいと思います。 異なる文化間にはさまざまなコミュニケーションがあるものですが、 それは 「文化」 対 「文化」の影響関係にとどまるものではありません。 文化は交流、 合体、影響を繰り返し、 新しいものを創出したり、 すでにある文化をより豊かにしてきました。 たとえば、 「絹の道」 を介した東アジアとヨーロッパとの文化的交流は、ギリシャ風の仏教芸術というギリシャ美術とも伝統的な仏教美術とも異なるまったく新しい文化を生み出したのでした。
03
ヨーロッパの文明や文化において、 「越境する文化」 という現象は新しいもの ではありません。 18世紀のパリに生まれた啓蒙思想や19世紀のイエナに誕生したロマン主義はヨーロッパ全域に広まりました。 シュールレアリスムはヨーロッパの枠を超えて世界に広まっていきました。 今日、「越境する文化」 という現象は「地球の文化」というものを生み出そうともしています。
04
西洋の帝国主義を批判的に分析したカール・マルクスは、文学について 「国や 04地方に属する固有な文学がやがて普遍的な世界文学を生み出す」と予見しました。普遍性のある文学とはどういうことでしょうか。 世界中の人々が同じ文学を読むということではありません。 それは、西洋人が日本や中国の小説、アフリカや中南米の小説を読み、 中南米の人々も自分の属する地域以外の文学を読む、このような相互の交流によって、 ある 「地方」 に生まれた文学が 「普遍性のある世界の 文学」となっていくということを意味します。
05 音楽においてもグローバル化の現象は存在しています。 まず、西洋音楽が世界 に広まりました。 日本人の指揮者やニューカレドニア出身の歌手が活躍するように、西洋音楽は世界中で演奏されています。 一方、最近の傾向として、ヨーロッパは、アラブ、インド、 日本、 中南米、アフリカなど、世界中の音楽に門戸を開き、受け入れるようになってきました。
06
映画について、アメリカ映画が世界の映画市場を支配していることを指摘するだけでは充分とは言えません。 たとえば、フランスをはじめとしてヨーロッパでは、インドや日本、中国などの映画が配給されるようになってきています。 こうした 「トランスカルチュラル」な市場の成立は、それぞれの国や地域から生まれた固有の文化として映画を守るだけでなく、あらたな映画製作の可能性を広げることにも貢献しています。 黒澤明の映画はフランスや他の西欧諸国の映画文化に受け入れられ、新しい市場を見出したことにより、黒澤はさらに映画を撮り続けることができたわけです。 また、アンダルシア地方の固有な文化であるフラメンコをはじめとして、世界に無数に存在する地方に根付いた芸術表現や芸術様式の多くが、そのオリジナルのスタイルは遠く離れた異国のアマチュア愛好家によって守られているという現象もあります。
07
思想や学問、文明などの動きはきわめてゆっくりしたものです。 ヨーロッパで『易経』や『バガヴァッド・ギーター』 (インドの古典『マハーバーラタ』の一章) などアジアの古典文献が翻訳され、非西洋地域の文明についての研究が始まったのは19世紀になってからのことです。 20世紀に入ると文明史の研究が進み文学作品も紹介されるようになり、20世紀末には東洋の思想や宗教のいくつかの要素が欧米に入り込んで影響を与えるようにもなってきました。 たとえば、 仏教はアメリカやヨーロッパにも信者を得て、 その思想がよりよく理解されるようになりました。 東洋医学も認知され、 鍼治療はヨーロッパの大学の医学部や病院に導入されています。 西洋哲学は非西洋の哲学よりもすぐれており、支配的な立場にあって当然である、 というような考えはたしかにまだ残っています。 しかしながら、「越境する文化」の時代をむかえ、ヨーロッパは世界の中心ではなく、理性や真理を独占的に所有しているわけでもないことが理解されてきています。 要するに、ヨーロッパもこの地球上の一つの地方にすぎないと認識するようになってきたわけで、これは重大な転換と言わなければなりません。
8 産業化される文化— 「生産」 と 「創造」 の葛藤
09 今度は「越境する文化」という現象について、 メディア文化や大衆文化の��点から考えてみたいと思います。 この分野でも普遍化への大きな流れが認められますが、それは標準化、あるいは画一化、単純化が勝利したことを意味するのでしょうか。たしかにそういう面はありますが、それだけではありません。映画を例に説明しましょう。実に多くの要素で構成される映画は、俳優、音楽家、装飾家、衣装係など、さまざまなアーティストが参加する共同作業で作品ができあがるもので、芸術製作の方法という点で大きな革命を引き起こしました。 一方、ハリウッドでは、最大利益の追求という論理のうえに映画産業なるものが発展しましたが、その過程で作品を画一的にそして凡庸なものにしてしまうことも少なくありません。そして、ここにもパラドクスが生じています。つまり、文化産業というものは独創性や個性、あるいは才能と呼ばれるものを排除することはできない、むしろ必要としているということです。映画を作ることと自動車や洗濯機を作るこは同じではありません。 何らかの標準的な製作方法によって構想された映画であっても、やはり個性、独創性、独自性というものがあるはずです。 文化産業に属するものはすべて映画がその典型例と言えますがその中核部分に絶えざる対立があり、しかもその対立は相互補完的でもあります。 すなわち、 「創造(création)」 という個別的で芸術的なものと、 「生産 (production)」という産業的で商業的なものが対立すると同時に互いに補い合う関係にあるのです。 この対立は時として 「生産」 が 「創造」 を抑圧したり、押しつぶしたりする事態を招き、その結果、エーリッヒ・フォン・シュトロハイムやオーソン・ウェルズのようにハリウッドから立ち去ることを余儀なくされた映画人もいます。 しかしながら、一方では芸術的創造性ゆたかな作品が絶えることなく作られてきました。 もちろん、 ステレオタイプで画一的な作品も存在しますが、 それでもステレオタイプをほとんど神話のようなアーキタイプ (原型となる作品) に変えてしまうような力のある作品があることもやはり事実です。 たとえば、ジョン・フォードによる西部劇の名作はそのような神話性をもったアーキタイプと考えられると���います。
10 文化産業は、 創造性や芸術の可能性を破壊すると同時に呼びさますという矛盾 を抱え、しかもこの内なる矛盾によって活力を与えられています。 この矛盾は一方で集中型で官僚的、 資本主義的な組織体制で文化を 「生産」 し、 また一方で 「生産」される作品には独創性や創造性が要求されるという対立に進展します。 この意味において、 「生産」 は 「創造」を必要としているわけです。 同じような対立は文化を受容し、 消費する一般の人々にも見出すことができます。 標準化された作品に満足する人々が多いことは事実ですが、 文化を受容する方法や形態の個別化も進んでいます。これはメディア文化に顕著である「トランスカルチュラル」な現象と考えてよいでしょう。 このようにグローバル化や普遍化のプロセスは画一化や均質化だけでなく、創造性や多様性や個別化をともなうものです。 そして、この対立と葛藤がある限り、文化的な活力は保たれるのだと思います。
●地球のフォークロア
12 文化が普遍化していく過程で地球規模のフォークロアが成立します。 地球の フォークロアというのはアメリカ映画の神話性のある作品だけではなく、フランスで言えば 『三銃士』 のような冒険活劇小説、ローマ帝国の伝説や神話、あるいはその他の地域の冒険譚などを土台に、つまりある地域の文化を基盤に作品や文化の無数の出会いによって形成されていくものです。世界各地に広まった地球のフォークロアの例として、ニューオリンズを基点としながら、さまざまなスタイルに枝分かれしたジャズがまず挙げられます。 他にも、ブエノスアイレスの港湾地区で生まれたタンゴ、キューバ発祥のマンボ、ウィーンのワルツ、アメリカ生まれのロックなども地球のフォークロアと言えるでしょう。 とくにロックは、インドのラヴィシャンカールのシタール、ウム・カルスームのアラブ歌謡、アンデス地方のワイノなどを取り込み、地球のフォークロアとして一層豊かなものになりました。
13 このフォークロアのより深いところで何が起こっているかというと、それは文化の「混淆・異種交配 (métissage) 」 と 「共生 (symbiose) 」 です。 たとえば、 ジャズはアフリカ系アメリカ人のハイブリッドな音楽としてニューオリンズに誕生しました。 その後、 さまざまに変容を繰り返しながらアメリカ全土に広まりますが、新しいスタイルのジャズがそれ以前のスタイルを消去してしまうことはありませんでした。 やがて、 黒人だけでなく白人もジャズに耳を傾け、踊り、そして演奏するようになり、 黒人と白人とが共有する音楽となったのです。 こうして次々と新しいスタイルのジャズが世界中に広まり、 演奏される一方で、 発祥の地で忘れられていたニューオリンズの古いスタイルが外国から里帰りをするということもありました。 ジャズにみられるような現象は数多く、 世界中に広まっているロックはまさに 「越境する文化」 を実現してきたと言えます。 一例を挙げれば、 ロックと北アフリカの音楽とが出会い、両者の混淆を経てライという新しいジャンルが生まれました。 さらに、 ワールドミュージックと呼ばれるジャンルになると、単に複数の音が混ざり合うだけでなく、世界各地のリズム、 主題、 音楽性が出会い、予期せぬ結びつきから新しい芸術が生まれます。 こうした結びつきは好ましくない結果を生じることもありますが、多くは素晴らしい結果を生み出して、世界の音楽文化は地球時代の申し子であることには気が付かぬままに互いに豊かになっていくのです。
●文化の独自性を守りながら、 雑種性・混淆を促すこと
15 これまで述べてきたグローバル化のさまざまな現象が進行すると同時に、自らの根源、ルーツに回帰しようという動きも生じています。 その現象は音楽の分野でとりわけ顕著に認められるものです。 フラメンコについてお話ししましょう私はジャズだけではなく、フラメンコの大ファンでもあるので個人的な思い入れがたいへん強いのです。一時期フラメンコはその発祥の地であるアンダルシア地方で消滅しかけていましたが、自分たちのアイデンティティを守ろうとする若い世代によって復活することになりました。 さらに、CDや公演の国際マーケットがこの「復活」を後押しして、世界中でフラメンコ愛好家が倍増しました。 パリには倉庫を改造したフラメンコ・クラブがあり、スペインからフラメンコ舞踊団がやって来て上演しますが、その後彼らはヨーロッパ各地を巡業して回ります。こうした経験がフラメンコ自体にあらたな活力を与え、フラメンコは本来の芸術として活性化され、 復活する一方で、 異なる音楽形式とも結びつき、 源泉への 「回帰」と「混淆」という対立しているかにみえるけれども、 実は相互補完的なプロセスを体現しています。 ヨーロッパではバスクやケルトなど、そしてアフリカやアジアにおいても、 若い世代が伝統的な音楽を、 楽器を、 歌を守ろうと必死になっています。 ここでも 「トランスカルチュラル」な市場はそれぞれの音楽の伝統を守る運動を支えながらも、 同時に音楽的な多様性を育んでいるのです。
16 固有の文化を守らなくてはならないが、同時に文化は世界に向かって開かれな ければならないこのように、 私たちが直面する文化の問題はきわめて複雑なものです。 この問題を考えるにあたって、いかなる文化もその起源においては純粋なものではないということをまず理解しなくてはなりません。 いかなる文化も、その起源においては接触や結合や融合や混淆があり、純粋なものではありません。また文化というものは異質な要素を自らのうちに取り込み、同化させることができますが、これは充分な活力を持った文化であればの話です。 活力が充分でない文化は、より強い文化に同化し、支配され、 そして自らは解体してしまうこともあるでしょう。 文化というものはすべからく豊かなものですが、 不完全なものでもあります。 ちょうど人間と同じで、よいところもあれば欠点も欠陥もあり、常に突然の死を迎えるかもしれない危険とともに生きているのです。
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私たちには二つの相矛盾する複雑な至上命令が下されています。 その矛盾を解消することはできませんが、この矛盾こそが諸文化の生命には必要だとも思います。 その二重の命令にしたがって、 私たちは諸文化の独自性を守ると同時に混淆や雑種性を促していかなくてはなりません。 文化的アイデンティティを守ること、雑種的でコスモポリタンな普遍性を押し進めること雑種性が個々の文化のアイデンティティを破壊する可能性があったとしても、この二つを結びつけなくてはならないのです。
18 どうすれば、 「解体」することなく 「統合」 することが可能なのでしょうか。この問題はアマゾン・インディアンやイヌイットのような少数民族にとっては深刻な問題を投げかけています。 というのは、彼らにとって 「統合」 はポジティブなものではなく、むしろ文化あるいは社会そのものの解体を意味することにもなるからです。 技術や医学など、 現代文明から有益なものを取り入れてもらうことは望ましいと思いますが、同時に彼らが代々伝えてきた民間療法、シャマニズム、狩猟の技術、 自然についての知恵などを守っていけるように支援しなくてはなりません。 伝統と近代、 文化と文化の架け橋が必要になるわけですが、人種的混血だけではなく、むしろ文化的に混血の人々がその架け橋の役割を果たすことができるではないかと私は考えています。
19 今日の文化のグローバル化の進展はメディアネットワークや再生技術 (DVDやCD)の世界的普及と分かちがたい関係にあり、インターネットとマルチメディアがすでに述べたような多様性や、競合 対立するプロセスすべてを加速し、 増幅させていくことは間違いありません。 しかしながら、 私は書物が消滅してしまうとは思いませんし、映画がテレビに圧倒されて消滅するとも思っていません。書物は思索と孤独と再読の友として、映画は映画館の暗がりのなかで共感をもたらすものとして、つまりは文化として生き残り、それぞれへの回帰現象すら起こるように思います。
20 画一化や利益追求のプロセスは急激に進展していますが、にもかかわらず多様化のプロセスと個人化・個別化への要求によって逆向きの運動も起こっています。
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