Tumgik
#切り欠き加工
monthly-ambigram · 4 months
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2024-6月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「中華」です◆
今月は参加者の皆様に「中華」のお題でアンビグラムを制作していただいております。中華といえば漢字発祥の地。現代の蒼頡たちの宴をご覧ください。今月も逆さまな作字が集まっております。
ではまずはdouse氏から。
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「麻婆茄子」 回転型:douse氏
180°回転させても同じように麻婆茄子と読めるアンビグラムです。中華には「福到了」という福の字を上下逆さにひっくり返して貼るアンビグラム的な縁起物の風習がありますが 本作は麻婆茄子が無限に到来しそうな御目出度い回転字面になっています。対応解釈が最高ですね。この語句でこの文字組みが出来るのはきっとdouse氏だけでしょう。
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「酢豚」 回転型:peanuts氏
世界範囲で有名な中華料理の一つです。酢豚は日本で付けられた名称で 中華料理においては広東料理の「古老肉」や上海料理の「糖醋排骨」が該当するようです。本作は作字のデザインと対応解釈が高次で両立した理想的アンビグラムです。「乍/月」部分のギミックは美しくてかっこいいです。
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「酢豚」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
左右の鏡像図地で酢豚。作者いとうさとし氏はネガポ字(図地反転)の達人です。本作は真ん中から折りたたむとピッタリ嵌ります。まるでこの漢字がもとより嵌り合う構造を持っていたかのような自然さです。
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「回鍋肉」 図地反転鏡像型:douse氏
四川料理の一つ。本作は斜め鏡像の図地反転アンビグラムです。文字の組み方がテクニカルでブリリアントカットされたような光学的な装いが抜群にカッコいいです。
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「回鍋肉」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
上下の鏡像で図地反転になっている回鍋肉。日本語のアンビグラムは2022年に入ったころから飛躍的に進化発展した印象がありますが とくにネガポ字(図地反転)の進化は顕著で 英語圏でも作例はさほど多くないこのジャンルが日本ではたくさん作られるようになりました。それも本作の作者いとうさとし氏の尽力が大きいでしょう。
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「酸辣湯」 鏡像型:螺旋氏
中国料理のスープの一つで 酸味・辛味・香味が特徴。本作は斜めの鏡文字で組まれています。斜めの鏡像型は漢字のアンビグラム制作に向いた対応だと思います。うまく作ればアンビグラムだと見破られない作字が可能で 本作も「束」部分が自然で驚きます。
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「中華そば」 敷詰振動同一型:Jinanbou氏
発想が面白いです。「華」の字の中に異なる文字を幻視し抽出するその眼力には感服します。これは文字に隠された秘密のゲシュタルトを解析する行為でアンビグラム作りには欠かせないセンスです。
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「青椒肉絲」 重畳型:きいろいビタ氏
ピーマンと細切りにした肉などを炒めた中華料理。本作 重畳型は同じ図形で韻を踏み 青椒肉絲と読ませるアンビグラムです。そのまま亜細亜のどこかの国で商品のロゴとして使用されているのではと思えるほど完成度が高いレタリングです。 
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「杏仁豆腐(⿸广フ)」 旋回型:Σ氏
中国発祥のデザート。135°回転の旋回型アンビグラムです。「腐」の字が「广」の中に片仮名の「フ」を入れた略字になっているところが凄すぎます。この略字は実際にゲバ字(アジビラ文字)などで使用例があります。柔軟な発想ができる人のアンビグラムは読みやすいですが 本作は作者Σ氏のアンビグラムが優れている理由の一端が垣間見える好例です。
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「中華/北京/上海/広東/四川」 共存型(回転・鏡像):ラティエ氏
一般に四大中国料理と言われている4つの場所に お題をプラスした多面相アンビグラム。なんと5パターンの変化が起こる作字なのです。北京/上海/広東/四川は回転型で 大きく表示された中華はその鏡像になっています。 多面相漢字アンビグラムの制作はある種「挑戦」ジャンルです。多面相を作ろうとするその発想や度胸だけでも凄いですし 本作はその挑戦に成功していると思います。
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「横浜中華街」 回転型:ぺんぺん草氏
東アジア最大の中華街を回転アンビグラムに。細かい説明は無用の傑作。この完璧な対応解釈をご覧ください。けしてアンビグラマビリティは高くない語句ですが冷静的確に作字されています。最高です。
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「神戸」 回転型: 「長崎」 鏡像型: 「横浜」 重畳型:.38氏
日本三大中華街。それぞれ趣向を凝らした楽しい対応解釈で可読性も充分高い設計です。 これは文字数寄にはたまらない作字ですね。そのまま都市の紋章に使用してほしいナイスデザインです。
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「横浜中華街散策中隠処的拉麺店発見」 回転重畳型:超階乗氏
ブレードランナーに出てきても違和感のないサイバーパンクアンビグラムの名作。文字の各所に丼図案などが組み込まれていて そのおかげで回転重畳構造を把握しやすい親切設計です。回転重畳型とは ある図形の上に同じ図形をレイヤーで重ね、上に重ねた図形だけを規則正しく回転させて文字を形成するアンビグラムです。
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「西安」 回転型:うら紙氏
陝西省の省都で、旧名は長安というのは有名でしょう。 かっちりした輪郭でありながら墨のカスレを生かしたステキなタイポグラフィですね。アンビグラマビリティの高い語句ですが図案としてきれいにまとめるには作家の力が必要で、うら紙氏はその能力に長けています。
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「Qingdao/青島」 図地反転回転共存型:ヨウヘイ氏
青島(チンタオ)は中国有数の港湾都市・商工業都市・国際都市。 図地反転で漢字の隙間にアルファベットを見出そうとすると、青島は横画が多くて打ってつけの言葉なのですね。省略があっても読み取りやすい作品です。
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「シャンハイ」 旋回型:つーさま!氏
上海は中国で最高位の都市である直轄市の一つ。 五面相の旋回型。「シ/ン」の点の有無のみの差をどう表現するか難しいところですが、少し角度を変えるだけで違って見えてきますね。羽様の形状とグラデーションも読みやすさに一役買っています。すばらしい作品です。
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「万里の長城」 回転型:douse氏
中国にある城壁の遺跡。中国の象徴の一つでしょう。 回転中心の作り方が見事です。「の」が伸びているのも不自然に見えず、「長」の横画を切っているので「長」のバランスもよく見えます。「万/戈」の字画接続の切り替えが見事ですね。さすがの一作です。
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「麺/龍」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
どちらも中国を象徴するものでしょう。 自然に読めすぎて言うことがないですね。図地反転にピッタリすぎる組み合わせが今回のお題によって発掘されたと言えるかも知れません。一点、「龍」の上部の突き出した部分は作者も悔しいところだと想像しますが、それを差し引いても可読性最高の傑作です。
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「伝奇/でんき」 振動型:kawahar氏
中国の古典的な演劇である戯曲形式の1つ。 氏の得意な「読み漢」で一作。ぐにゃりとした書体が「ん/ム」の振動などにマッチしていますね。読み漢はひらがなしか読めない人にも漢字が読めてしまう実用的な手法ですが、適用できる漢字は少なく本作のように限られた言葉だけです。
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「太極図」  図地反転回転型:lszk氏
「易」の生成論において陰陽思想と結合して宇宙の根源として重視された概念である「太極」を表した図。 中央の「極」に本家の陰陽魚太極図があしらわれています。太極図の円形を「太・図」にもあしらって統一感を出していますね。図と地が絡み合い逆転しながら文字を形成しているところが、陰と陽が互いに飲み込みあい無限に繰り返す太極の思想を表しているようです。
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「造書 研究」  回転共存型:意瞑字査印氏
「造書」を90°傾けると「研究」と読める対応です。造書とは文字を造るという意味。『蒼頡、鳥獣蹏迒の跡を見て分理の相別異すべきを知り、初めて書契を造る』 そのむかし蒼頡という人が鳥獣の足跡をヒントに漢字を発明した故事からの語句選択です。なるほどアンビグラム制作とは 新文字を発明する行為とも言えますね。
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「東夷/西戎」「南蛮/北狄」 回転共存型:兼吉共心堂氏
四つまとめて「四夷」、古代中国で中華に対して四方に居住していた異民族に対する総称。 筆文字の効果を生かした表現がすばらしいです。「夷/西」「虫/北」ではカスレにより字画の本数を増減させ、「南亦/狄」では墨垂れで字画密度差を克服しています。真似が難しいテクニックです。
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「東夷」「西戎」  重畳型: 「南蛮」「北狄」  振動型:lszk氏
「四夷」は「夷狄」あるいは「夷狄戎蛮」とも。 お誂え向きの言葉がきれいにそろっていたものですね。というのは簡単ですが読みやすく仕上げるのは難しい字形もあります。氏は知覚シフトのバランス感覚が抜群なので調整の妙もさることながらこの対応にも気付けるのでしょう。
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「劉備玄徳/関羽 張飛」 回転共存型:KSK ONE 氏
「蜀漢」を建国した劉備と、劉備に仕えた関羽・張飛。三国志の武将からのチョイス。 髭文字ならではのハネなど遊びの部分を生かした作字ですね。一文字目の「劉」が読みやすくすらすらと読みを捕まえることができます。関連する名前同士でうまく対応付けできるのが運命的ですね。
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「熊猫」 敷詰図地反転型:松茸氏
ジャイアントパンダのこと。 パンダの白黒は図地反転にもってこいの題材ですね。どうやって考え付くのかわからない図案が毎回驚異的で目を白黒させてしまいます。きちんと敷詰できるのか不安になりますがちゃんと隙間なく並びますので安心してください。
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「伊布」  旋回型:YФU氏
「イーブイ」の漢字表記。 久方ぶりに参加していただきました。言葉のチョイスも氏らしいですね。図形の長さを読みやすいところに調整するバランス感覚は健在です。
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「マオ」 交換式旋回型:ちくわああ氏
かいりきベア氏の楽曲名より。「猫」の意味もある中国語らしい言葉の響きです。 線種を変えているのでかわいらしい作字になっています。対応付く字画も分かりやすいですね。それでもうまく敷き詰めてみるのは骨が折れそうです。
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「西游记」 回転型:オルドビス紀氏
16世紀の中国の白話小説、繁体字では「西遊記」です。 簡体字をうまく活用しているのですね。「遊」よりも自然に回りますし、「記」よりも「西」との相性がよく一石二鳥です。「西・记」の右下がりのラインと「游」の右上がりのラインの視覚効果が心地よく作字として最高の仕上がりだと思います。
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「 不 此 君 我 / 当 今 災 偶 成 夕 已 為 / 時 日 患 因 長 渓 乗 異 / 声 爪 相 狂 嘯 山 軺 物 / 跡 牙 仍 疾 但 対 気 蓬 / 共 誰 不 成 成 明 勢 茅 / 相 敢 可 殊 嘷 月 豪 下 / 高 敵 逃 類 」 交換型:繋氏
「山月記」より。縦に読んでください。 7×4の組全体を縦横に交換するともう一方になるという超絶技巧です。「爪」(爪痕の装飾がにくいです)を基準にすると見つけやすいでしょう。じっくりご覧ください。
最後に私の作品を。
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「截拳道」 交換式旋回型:igatoxin
≪友よ水になれ≫で有名なブルース・リーの武術、截拳道(ジークンドー)から。
お題 中華 のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「猫」です。長靴をはいた猫、シュレディンガーの猫、仕事猫、吾輩は猫である、猫男爵、猫目石、煮干し、マタタビ、夏への扉、蚤、百閒、注文の多い料理店、ハローキティ、ドラえもん、など 参加者が自由に 猫 というワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は6/30、発行は7/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}     10月{ヒーロー}    ��11月{ゲーム}         12月{時事}
2024年 1月{フリー}        2月{レトロ}   3月{うた}         4月{アニメ}    5月{遊園地}   6月{中華}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
9 notes · View notes
astk-design · 5 months
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House in Shukugawa 夙川の家 (共同設計|arbol)
ミニマルな空間と美しい曲線が生む 優しく包容力のある住まい The minimalist space and beautiful curves create a tender and inclusive home
夙川の家は兵庫県西宮市に位置し、四方を2階建ての隣家に囲まれたコンパクトな旗竿地にある。 プライバシーの観点から外に開くことが難しい敷地条件に対し、内部を周囲から切り離して住み手のための”独立した世界”をつくることを目指した。 ”中庭”と”大きな気積をもったドーム空間”により、閉じた箱の中でも窮屈さを感じることなく、美しい緑や光を愛でながら居心地良く過ごすことができる。包み込むような空間が家族の団欒を生み、暮らしを受け止める包容力のある住まいとなっています。
“House in Shukugawa” is located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, on a compact flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world for the client on the inside. The “courtyard” and “domed space with a large volume” allow the residents to spend a cozy time while enjoying beautiful greenery and light, without feeling cramped in a closed box. The enveloping space creates a family gathering, and the house has the tolerance to accept the people’s life.
- ⚪︎ロケーション  夙川の家は、兵庫県西宮市の豊かな自然と古くからの邸宅街が広がる夙川沿岸の閑静なエリアに位置している。この場所のように地価が比較的高いエリアでは、邸宅街と対照に土地が細分化され住宅が密集している部分も多くみられる。本邸も、四方を2階建ての隣家に囲まれたコンパクトな旗竿敷地での計画だった。 ⚪︎ご要望  クライアントから伺った理想の住環境や要望は、次の5つに整理できる。
自然とのつながり(緑、光、風、四季を感じれること)
プライバシーを確保しつつhyggeを大切にできること(hygge:デンマーク語で「居心地がいい空間」や「楽しい時間」をさす言葉)
陰翳礼讃の精神で光や陰翳を繊細に感じられること、照明計画も同様に均一な明かりではなく変化や緩急があること
全体に繋がりがあり、用途に合わせて空間ボリュームが多様に調整されていること
インテリアから建築まで飽きのこない普遍性のあるデザインであること
これらのテーマと敷地条件をもとに、建築形態を検討していった。 ⚪︎デザインコンセプト  プライバシーの観点から外に開くことが難しい敷地条件に対する解決策として、あえて周囲を隔絶し「中庭」と「ドーム空間」によって建物内部にクライアントのための“独立した世界”を構築する住まいを提案した。また共有していただいた好みのインテリアイメージには、ヨーロッパの空気感を感じるものが多く意匠にもそれらの要素を取り入れることにした。
 まずコンパクトな敷地の中で可能な限り大きく建物のフットプリントを設定し、周囲に対して閉じた箱型の木造2階建てとした。次に内部でも自然や四季を感じ取れるよう、安定した採光が確保しやすい北側の角に中庭を配置。その周りを囲むようにホールやダイニングスペース、キッチンなどのアクティブなスペースを設けた。寝室や浴室といった個人の休息スペースは、必要最小限の大きさにして2階に配置した。(1ルームの寝室は、可動式収納家具によって部屋割りを調整可能)  この住まいの最大の特徴はドーム型のホールであり、それは人々の暮らしを受け止める包容力のある空間となっている。適度な求心的プランが家族の団らんを生み、中庭の抜けとドームの大きなヴォイドが人が集まった際も居心地の良さを保証する。閉じた箱でありながら窮屈さを感じることなく、親密なスケールで家族や友人達と心地良く過ごすことができる。  またタイル張りの床、路地テラスのようなダイニングスペース、バルコニーのような踊り場、ドームとシンボリックなトップライトなどにより、1階は住宅でありながらセミパブリックな空気感を醸し出している。これがプライベートな空間である2階とのコントラストを生み、小さな家の中に多様さと奥行きをつくり出している。  採光については、単に明るいことだけではなく相対的に明るさを感じられることも重要である。ホールの開口部は最小限として基準となる照度を下げつつ、中庭に落ちる光が最も美しく感じられるよう明るさの序列を整理した。また壁天井全体を淡い赤褐色の漆喰仕上げとすることで、明るさを増幅させるとともに影になった部分からも暖かみを感じられるよう設計している。  空間操作としては、中庭外壁隅部のR加工、シームレスな左官仕上げとしたドーム天井、ドームと対照的に低く抑えた1階天井高などが距離感の錯覚を起こし、コンパクトな空間に視覚的な広がりをもたらしている。 ⚪︎構造計画  木造軸組構法の構造材には、強度が高いことで知られる高知県産の土佐材を使用。上部躯体には土佐杉、土台にはより強度や耐久性の高い土佐桧を用いた。工務店が高知県から直接仕入れるこだわりの材であり、安定した品質の確保とコスト削減につながっている。 ⚪︎造園計画  こ��住まいにおける重要な要素である中庭は、光や風を映し出す雑木による設え。苔やシダなどの下草から景石や中高木まで、複数のレイヤーを重ね、コンパクトでありながらも奥行きのある風景をつくり出している。またコンパクトな分植物と人との距離が近く、天候や四季の移ろいを生活の中で身近に感じ取ることができる。石畳となっているため、気候の良い時期は気軽に外へ出て軽食を取るなど、テラスのような使い方も可能。草木を愛でる豊かさを生活に取り入れてもらえることを目指した。  敷地のアプローチ部分には錆御影石を乱張りし、大胆にも室内の玄関土間まで引き込んで連続させている。隣地に挟まれた狭い通路であるため、訪れる人に奥への期待感を抱かせるような手の込んだ仕上げとした。また石敷きを採用することにより来訪者の意識が足元に向かい、ホール吹抜けの開放感を演出する一助となっている。 ⚪︎照明計画  ベース照明は、明るすぎず器具自体の存在感を極力感じさせない配置を心掛けた。特に中庭の植栽を引き立てる照明は、月明かりのように高い位置から照射することで、ガラスへの映り込みを防止しつつ、植物の自然な美しさを表現できるよう配慮している。ホールについても、空間の抽象度を損なわないために、エアコンのニッチ内にアッパーライトを仕込み、天井面に器具が露出することを避けた。  対して、人を迎え入れたり留まらせる場(玄関、ダイニング、リビング、トイレ)には、質感のある存在感をもった照明を配置し、インテリアに寄与するとともに空間のアクセントとしている。 ⚪︎室内環境  居心地のよい空間をつくるためには快適な温熱環境も不可欠である。建物全体がコンパクト且つ緩やかに繋がっているため、冬季は1階ホールとキッチンに設置した床暖房によって、効率よく建物全体を温めることができる。壁天井には全体を通して漆喰(マーブルフィール)による左官仕上げを採用し、建物自体の調湿性能を高めている。  換気設備は「第1種換気※1」を採用。温度交換効率92%の全熱交換型換気ファン(オンダレス)により、給排気の際に室内の温度と湿度を損なうことなく換気を行うことができるため、快適で冷暖房負荷の削減に繋がる。CO2濃度や湿度をセンサーにより検知し、自動で換気量を増やす仕組みも取り入れている。  また断熱材は、一般的なボードタイプよりも気密性が高く、透湿性に優れた木造用の吹き付けタイプを使用。サッシはLow-E複層ガラス+アルゴンガス充填で断熱性を高めた。 ※1「第1種換気」..給気、排気ともに機械換気装置によって行う換気方法 ⚪︎まとめ  近隣住宅が密集する環境の中で、周囲を隔てて内部空間を切り離すことで、住み手のための世界を築くことができた。仕事で毎日を忙しく過ごすクライアントだが、ここでの時間は、仕事を忘れ、好きなものに囲まれ、家族や友人たちと心から安らげる時を過ごしてほしい。心身共に癒やされるような家での日常が、日々の活力となるように。この住まいがそんな生活を支える器になることを願っている。 ⚪︎建物概要 家族構成 |夫婦 延床面積 |70.10㎡  建築面積 |42.56㎡  1階床面積|39.59㎡ 2階床面積|30.51㎡ 敷地面積 |89.35㎡ 所在地  |兵庫県西宮市 用途地域 |22条区域 構造規模 |木造2階建て 外部仕上 |外壁:小波ガルバリウム鋼板貼り、ジョリパッド吹付 内部仕上 |床:タイル貼、複合フローリング貼            壁:マーブルフィール塗装仕上             天井:マーブルフィール塗装仕上 設計期間|2022年11月~2023年7月 工事期間|2023年8月~2024年3月 基本設計・実施設計・現場監理| arbol  堤 庸策 + アシタカ建築設計室  加藤 鷹 施工  |株式会社稔工務店 造園  |荻野景観設計株式会社 照明  |大光電機株式会社  花井 架津彦 空調  |ジェイベック株式会社  高田 英克 家具制作|ダイニングテーブル、ソファ:wood work olior.      ダイニングチェア:tenon インテリアスタイリング|raum 撮影  |下村写真事務所 下村 康典 、加藤 鷹 資金計画・土地探し・住宅ローン選び|株式会社ハウス・ブリッジ テキスト|加藤 鷹
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House in Shukugawa ⚪︎Positioning the land as the background  Located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, the surroundings along the Shukugawa River are quiet, with abundant nature and a long-established residential area. Due to the high value of land and the relatively high unit price per tsubo, there are many areas where land is densely subdivided into smaller lots.  The site was a compact, flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. These conditions were by no means good. However, the client purchased the lot because of its good surrounding environment and the fact that it was in an area that he had grown familiar with since childhood. ⚪︎Requests  The ideal living conditions and requests we recieved from the client can be organized into the following five categories.
 To be able to feel nature (greenery, light, wind) even inside the house
 To be able to value "hygge" (Danish word meaning "comfortable space" or "enjoyable time") while ensuring privacy
 To be able to feel light and shade sensitively in the spirit of " In Praise of Shadows(Yin-Ei Raisan)" and the same goes for the lighting design
 The entire space is connected and the spatial volume is adjusted in a variety of uses
 Timeless design that can be cherished for a long time
Based on these themes and the site conditions, the architectural form was studied. ⚪︎Design concept  The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world within the house in line with the client's preferences. Many of the interior images they shared with us had a European feel, and we decided to incorporate these elements into the design.
 First, the footprint of the building was set as large as possible in relation to the site, and it was designed to be boxy and closed to the outside. To allow the interior to experience nature and the four seasons, a courtyard was placed in the north corner, where it is relatively easy to secure lighting. The hall (living and dining room), kitchen, and other active spaces are located around the courtyard. Rooms for individual rest, such as bedrooms and bathrooms, were kept to the minimum necessary size and placed on the second floor. (The storage furniture in the bedroom is movable in order to accommodate changes in usage.)  The most distinctive feature of this project is the domed hall. It is a tolerant space that accepts people's lives. The moderate centripetal plan creates family gatherings, the courtyard and the large volume of the dome guarantee a cozy feeling even when people gather. Here, one can spend comfortable, quality time with family and close friends without feeling cramped.  In addition, the tiled floor, the alley terrace-like dining space, the balcony-like stairs, and the dome and symbolic top light give the first floor a semi-public atmosphere even though it is a house. This contrasts with the private second floor, creating variety and depth within the small house.  In terms of lighting, it is important not only to be bright, but also to have a sense of relative brightness. While minimizing the openings in the hall to lower the overall illumination level, we organized the sequence of brightness so that the light falling on the courtyard would be perceived as beautiful as possible. The walls and ceiling are finished in a uniform light reddish-brown plaster, which allows the warmth of the light to be felt while amplifying  the brightness of the space.  In terms of spatial manipulation, the soft curvature of the outer courtyard wall corners, the seamless plastered dome ceiling, and the low ceiling height of the first floor in contrast to the dome create the illusion of distance and visual expansion in a compact space. ⚪︎Interior Environment  A comfortable thermal environment is also essential for creating a cozy space. As the entire building is compact and gently connected, the volume can be efficiently heated in winter by floor heating installed in the ground-floor hall and kitchen. The walls and ceilings are plastered (with a Marble Feel) throughout to enhance the building's own humidity control.  The ventilation system is "Class 1 Ventilation*1. The ventilation system uses a total heat exchange type ventilation fan (ondaless) with a temperature exchange efficiency of 92%, which allows ventilation without compromising indoor temperature and humidity during air supply and exhaust, resulting in comfort and reduced heating and cooling loads.  The insulation is of the sprayed wooden type, which is more airtight and has better moisture permeability than ordinary board-type insulation. Low-E double-glazing glass with an argon gas filling are used to enhance thermal insulation.
*1 "Type 1 Ventilation". A ventilation method in which both air supply and exhaust are done by a mechanical ventilator. ⚪︎Structural Planning  Tosa wood from Kochi Prefecture known for its high strength, were used for the structural members of the wooden frame. Tosa cedar was used for the upper frame, and Tosa cypress was used for the foundation because of its higher strength and durability. The construction company purchased these materials directly from Kochi Prefecture, ensuring stable quality and reducing costs. ⚪︎Landscaping plan  The courtyard, an important element of the house, is designed with a mix of trees that reflect the light and wind. Multiple layers, from undergrowth such as moss and ferns to landscape stones and medium height trees, create a compact yet deep landscape. The compactness of the space also means that the plants are close to people, allowing the users to feel the weather and the changing seasons in their daily lives. The cobblestone pavement enables the use of a terrace-like space, where one can casually step outside for a light meal when the weather is nice. We aimed to bring the richness of loving plants and trees into people's lives.  The approach to the site is made up of tan-brown granite, which is boldly pulled into the entrance floor of the house to create a continuous line. Since it is a narrow passageway between neighboring properties, we created an elaborate finish to give visitors a sense of anticipation of what lies ahead. The use of stone paving also directs visitors' attention to their feet, helping to create a sense of openness in the hall atrium. ⚪︎Lighting Plan  The base lighting is not too bright, and the presence of the fixtures themselves is minimized as much as possible. In particular, the lighting that enhances the plants in the courtyard illuminates from a high position, like moonlight, to prevent reflections on the glass and to express the natural beauty of the plants. In the hall, lights were installed in the air conditioner niche avoiding the exposure of fixtures on the ceiling surface, so as not to spoil the abstractness of the space.  On the other hand, at the place where people are welcomed in or stay (entrance, dining room, living room, and restroom), lighting with a textured presence is placed to contribute to the interior design and accentuate the space. ⚪︎Summary  In an environment where neighboring houses are densely packed, we were able to build a world for the residents by separating the interior spaces from their surroundings. The client spends his busy days at work, but during his time here, he wants to forget his work, surround himself with his favorite things, and spend truly restful moments with his family and friends. We hope that daily life in a house that heals both body and soul will be a source of daily vitality. We hope that this home will be a vessel to support such a lifestyle. ⚪︎Property Information Client|Couple Total floor area|70.10m2 Building area|42.56m2 1floor area|39.59m2 2floor area|30.51m2 Site area|89.35㎡ Location|Nishinomiya-shi, Hyogo, Japan Zoning|Article 22 zone Structure|Wooden 2 stories Exterior|Galvalume steel sheet, sprayed with Jolipad Interior|Floor: Tile flooring, composite flooring           Walls: Marble Feel paint finish           Ceiling: Marble Feel paint finish Design Period|November 2022 - July 2023 Construction Period|August 2023 - March 2024 Basic Design/Execution Design/Site Supervision| Yosaku Tsutsumi, arbol  + O Kato, Ashitaka Architect Atelier Construction| Minoru Construction Company Landscaping|Ogino Landscape Design Co. Lighting|Kazuhiko Hanai, Daiko Electric Co. Air Conditioning|Hidekatsu Takada, Jbeck Co. Dining table and sofa|wood work olior. Dining chairs|tenon Interior styling|raum Photography|Yasunori Shimomura, Shimomura Photo Office (partly by O Kato) Financial planning, land search, mortgage selection|House-Bridge Co. Text | O Kato
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ari0921 · 8 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)1月27日(土曜日)
   通巻第8107号  <前日発行>
 ミャンマー国軍のクーデターは「西郷なき西郷軍」?
  軍と仏教高僧との融合統治が機能不全に陥ったのではないか
*************************
ミャンマーで「本当は」何が起きているのか?
 大手メディアは投票箱民主主義至上史観だから、本質的なことが見えてこない。
 2021年2月、ミャンマー国軍はクーデターに打って出た。ところが、ミャンマーの民衆が想定外に強く反発し、「民主主義を蹂躙した」として大規模な抗議集会が開かれた。抗議デモに軍が出動、多くの死傷者がでたため国際社会から批判に晒された。
 欧米の傀儡といわれたアウン・サン・スー・チーを支持する人たちは外国のメディアが同情的に報道したので、鮮明に反政府の旗を掲げた。こうなると正義はどちらにあるのか、よく分からない政権運営が続いた。因みに2021年のミャンマー経済はGDPがマイナス18%、通貨は暴落し、庶民は生活苦に喘ぐ。
 クーデターから三年が経った。欧米のメディアの複写機である日本は「国軍=悪」vs「民主主義団体=善」のスタンスを依然として維持している。スーチー政権のときにロヒンギャ70万をバングラデシュへ追い出すと、欧米メディアは一斉にスーチーを「人種差別主義」「ノーベル賞を返還せよ」と猛烈な批判に転じたが、日本はそのまま、ミャンマー国軍批判である。
 この価値基準は「イスラエル=悪」vs「ハマス=善」、「ゼレンスキー=善」vs「プーチン=悪」と、リベラルな西側政治家やメディアが作り上げたフェイク図式に酷似している。ミャンマー国軍ははたして悪魔なのか?
ミャンマーの社会構造は宗教を抜きに語れない。
仏教徒が90%をしめ、しかも上座部(小乗仏教)である。僧侶が800万人もいる。
軍隊は徴兵制で43万人(実態は15万に激減)。
つまりこの国は軍と仏教世界との融合で成り立つ。軍は元来、エリート集団とされ、国民からの信頼は篤かったのだ。それが次第にモラルを低下させ、徴兵ゆえに軍事訓練は十分ではなく、そもそも戦意が希薄である。愛国心に乏しい。
 軍クーデターは伝統破壊の西欧化に反対した政治的動機に基づく。単なる権力奪取ではない。つまり「西郷軍が勝って、近代化をストップした」ような政治図式となるのだが、現在のミャンマー軍(ミン・アウン・フライン司令官)はと言えば、「西郷隆盛なき西郷軍」である。権力は握ったものの何をして良いのか分からないような錯乱状態にあると言える。
 軍人は経済政策が不得手。コロナ対策で致命的な遅れをとり、猛烈インフレに襲われても、適切な対応が出来ず、外資が去り、自国通貨は紙くずに近く、闇ドルが跋扈している。
国民は外国で反政府活動を活発に展開する。国内各地には武装組織が蠢動を始めた。
 ▼まるで「西郷のいない西南戦争」でクーデターが成功した
 西南戦争は『道義国家』をめざし、挫折した。戦略を間違えた。というより勝利を計算に入れずに憤然と立ち上がったのだ。
佐賀の乱、神風連、秋月の乱、萩の乱から思案橋事件が前哨戦だった。城山で西郷は戦死、直前に木戸が病没、大久保暗殺がおこり、明治新政府は「斬新」な政策を実行に移した。しかし行き過ぎた西洋化、近代化。その象徴となった「鹿鳴館」に反対して国学派が復興した。
 ミャンマーの仏教鎮護国家の復活が国軍指導者の目的だった。
しかし彼らは広報という宣伝戦で負けた。都会は西洋民主主義、グローバリズムに汚染され、若者は民族衣装を捨てていた。西洋化は、あの敬虔なる仏教との国ミャンマーにおいてすら進んでいた。
 となりのインドでは巨大なモスクを破壊し、その跡地に大きなヒンズー寺院建立した。竣工式にはモディ首相自らが出席した。
 ミャンマー国軍に思想的指導者は不在のようだ。だからこそ、国軍は仏教の高僧を味方にしようとしてきた。しかし国内的に厄介な問題は同胞意識の欠如である。そのうえ山岳地帯から国境付近には少数民族各派の武装組織(その背後には中国)が盤踞している。中国はミャンマー国軍政府と「友好関係」を維持しているが、背後では武装勢力に武器を供給している。
 主体のビルマ族は70%だが、嘗て国をまとめた君主はいない。カチン、カレン、モン、シャン、カヤ族と、それぞれ少数の武装組織が国軍と銃撃戦を展開しているものの、反政府で連立は稀である。カチン、カレン、モン族は博くラオス、カンボジアにも分散しており、ラオスでのモン族は米軍について共産主義と闘った。敗戦後、17万人のモン族は米国へ亡命した。
 2023年10月27日、ミャンマーの反政府武装組織が初めて三派共闘し、シャン州北部で「国軍」と戦闘、驚くべし国軍が敗走した。国軍兵士数百が投稿した。
 中国の秘密裏の仲介で停戦状態となったが(24年1月26日現在)、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)、タアン民族解放軍(TNLA)、西部ラカインのアラカン軍(AA)の「三派」の共闘はこれから「連立」となるか、どうか。
この三派以外にも不明の武装組織(なかにはギャング団、麻薬シンジケートも武装している)。なにしろミャンマーは五つの国と国境を接し、130の少数民族がいるとされる。 
 
国境問題の複雑さが問題をさらに複雑にする。ミャンマーが国境を接する国々とは、インド、中国、ラオス、タイ、バングラである。地域によっては少数民族が多数派となる。
西海岸の古都シットウエイはインドとの海路の拠点であり古代遺跡があるため外国人観光客が多い。
チャウピューは中国へのパイプラインがミャンマーを斜めに横切り雲南省へと繋がっている拠点、ここには中国企業が進出し、工業団地を建設中で、ロヒンギャとの暴動になった場所、行ってみる、と放火されたモスクの無残な残骸があった。やや東側の中部、マンダレーは雲南華僑の街である。
旧首都のヤンゴンと新首都ネピドーはアクセスが悪い。マンダレーは国際空港こそ立派だが、翡翠やルビーの商いはほぼ華僑が握る。そうした三都三様の物語が付帯する。
 ▼麻薬王
ラオス、タイ国境に拡がるのが統治の及ばない「黄金の三角地帯」である。
アフガニスタンにつぐ麻薬産出地域で、ギャング団と武装組織と博打場である。治安の安定はあり得ないだろう。
黄金の三角地帯の形成と発展、その後の衰退は国民党残党という闇とCIAの奇妙な援助があり、やがて彼らへの弾圧、そしてミャンマーとタイとの絶妙な駆け引きをぬきにしては語らない深い闇である。
国共内戦に蒋介石は敗れて台湾に逃れたが、南アジアで戦闘を継続したのが国民党の第27集団隷下の93軍団だった。およそ一万もの兵隊が残留し、シャン州をなかば独立国然とした。モン・タイ軍(MTA)は『シャン州独立』を目指した軍事組織で、ビルマ共産党軍が主要敵だった。
国民党残党の軍人とシャン族の女性のあいだに産まれたのがクンサ(昆沙)。
のちに『麻薬王』と呼ばれる。中国名は張奇天で、���時はモン・タイ軍の2万5000名を率いた。軍資金は麻薬だった。
CIAが背後で支援した。アルカィーダを育て、やがて裏切られたように、ムジャヒデン(タリバンの前身)を育てたのもCIAだったように、やがて米国はクンサに200万ドルの懸賞金をかけた。
『麻薬王』と言われたクンサは紆余曲折の後、麻薬で得た巨費で財閥に転じ、晩年はヤンゴンにくらした。2007年に74歳で死亡した。米国の身柄引き渡し要求にミャンマー政府は最後まで応じなかった。
もうひとつの有力部族=ワ族はモン・クメール語を喋る少数民族で、いまワ族の武装組織は中国の軍事支援がある。
 ▼ミャンマー進出の日本企業は、いま
さて安倍首相が二度に亘って訪問し、日本が投じたティワナ工業団地はどうなったか。
ヤンゴンの南郊外に位置し、コンテナターミナルを日本が援助した。しかし国軍クーデター以後、西側が制裁を課し、日本政府が同調したため、日本企業の10%がミャンマーから撤退した。住友商事、KDDIなどが残留しているとは言え、投資のトップはシンガポール、中国、そして台湾、韓国が続く。
日米印の企業投資は実質的にぼゼロ状態だ。
拍車をかけているのが外交的孤立である。ミャンマー軍事政権を支持するのは中国である。背後では、ロシアが接近している。
 仏教界は分裂している。将軍たちと協力し、仏教とビルマ文化の両方を外部の影響から守る必要があるという軍の理念に共鳴した高僧もおれば、「ラカイン州で地元の仏教徒とイスラム教徒のロヒンギャ族の間で暴力的な衝突が起きると、『過激派僧侶』といわれるウィラトゥ師は、「ビルマ仏教はイスラム教徒によって一掃される危険にさらされている」とし、「イスラム教徒経営の企業のボイコット」を奨励した。
 軍事クーデターに反対するデモに参加した僧侶たちも目立った。シャン州北部の主要都市ラショーでは国軍の統治が崩壊した。
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kennak · 14 days
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私は62才である。とある地方都市で、公務員として約36年働いてきた。生まれ故郷だ。 地元、そう、本当に地元だ。保育所から高等学校まで、ずっと地元である。(地元にある大学で行きたい)大学はなかったので、大阪府内に進学することになったのだが。 それから民間で三年ほど働いて、地元の市役所の採用試験を受けて入庁した。 いいことも嫌なこともたくさんあった。思い出深い職場である。時間が過ぎるのはあっという間だった。 ずっと土木建築の仕事をしてきた。道路造りに、水道に、都市計画に、施工監理に……少しの間だが、まちづくりの仕事もした。思い出が蘇ってくる。もっと写真を撮っておけばよかった。 本題である。定年延長により、公務員の定年退職はしばらくの間、2年に1回になっている。 私が定年になったのは61才になる年度である。民間企業は誕生月に退職になるのが一般的だが、公務員の場合は年度末まで在籍できる。 今年の3月末をもって分限退職の辞令を受け取り、退職日には労働組合の行事で退職者一同での職場巡りを行い(※有給である。有給が残ってない人は人事がわかってて見逃してくれる)、最後は市長のポケットマネーで退職者のための小宴会が催され、皆それぞれに挨拶をして――私を含めた有志は、翌年度からも再任用(あるいは再雇用)されて働き続ける――はずだった。 タイトルにあるとおり、私は再任用の対象にならなかった。再雇用もNGだった。 2023年の秋頃だったか、再任用の希望票を人事に提出した。その後、返送されてきたのは「再任用は不承認」なる文言の書かれた通知が1枚だけだった。 理由によると、総合的な事情により再任用できないらしい。同じ階にある労働組合の職場委員会を通じて確認したところ、この階の職員だけでも数名が再任用されなかったということだ。 はてなユーザーであればご存じかと思うが、一応説明しておく。 民間企業では、「雇用と年金の接続」という観点から、年金が支給となる65才まで退職者を継続雇用する義務がある。例えば、60歳定年制を採用する企業の場合、65歳までの再雇用は法律上の義務であり、再雇用拒否は原則として違法である。 では、公務員の場合はどうかというと、こちらも原則として再任用をすべき~という旨の総務省通知が平成25年3月に出ている。 内容を要約すると…… 「公的年金の報酬比例部分の支給開始年齢が段階的に60歳から65歳へと引上げられることに伴い、無収入期間が発生しないよう国家公務員の雇用と年金の接続を図るとともに、人事の新陳代謝を図り組織活力を維持しつつ職員の能力を十分活用していくため、当面、定年退職する職員が公的年金の支給開始年齢に達するまでの間、再任用を希望する職員については再任用するものとすること等を内容とする閣議決定をした」 ということだ。 【参考URL】 (平成 25 年3月 29 日総務省通知) https://www.soumu.go.jp/main_content/000216510.pdf (停職6月の懲戒処分を受けた者の再任用) http://www.rilg.or.jp/htdocs/main/houmu_qa/2015/43_winter02.html   ただし、この通知はあくまで国から地方自治体への技術的助言であり、法的効力があるわけではない。 組織からその価値がないと判断された職員だと、再任用はされないことになる。 私は、36年間ずっと、このまちで働いてきた。 そこまで目立たない中国地方の地方都市ではあるが、このまちが気に入っている。 できれば、ずっと働きたい、もっと働きたいと思っている。 労働組合に上記の再任用拒否を相談したところ、今後の団体交渉前の当局とのやり取りにおいて、本件に言及いただけるとの回答が執行部からあった。だが、望みは薄いようである。こういった当局の対応は、何年も前から続いているからだ。 市役所にとって不要な人材は、再任用(再雇用)しない。それが人事当局の方針である。 実際のところだが、私は確かに不良な職員であった。 私は怒りやすい人間であり、周囲に迷惑をかけたこともある。若い頃は上司と反りが合わず、反発して死のイベントを無断欠勤したことがある。なんてことをしてしまったんだろう。あのイベントに出ていればよかった。 日常の仕事においても、市民や業者と言い争いになることがよくあった。 感情の振れ幅が大きく、職場の人に迷惑をかけた。用地買収の仕事の時にも、地権者との交渉がうまくいかなかったのは私のせいである。 査定が低かったのは間違いない。でも、私は私で、このまちが好きで市役所職員の仕事を続けていた。もうちょっと働いていたい想いがある。 仕事とは別の方面になるが、二十代の頃からずっと組合活動をしていた。 土木建築の職場委員会はずっと仕切っていたし、反核の平和の火リレー、メーデー、自治労の定期大会その他の行事などは、40代になって体にガタが出るまで前線に出ていた。 平和の火リレーの時は、市立総合体育館の前にある大きい道路をまっすぐに進んでいったっけ。本当に懐かしい。 一番、血気盛んな時期だと……国と県が合同で実施する泊まり込みの研修があった時、私が朝のラジオ体操時の国旗掲揚係になった時だった。私は、つい大声で主張したのだ。自分の平和にかける想いを。 あの時は、江田島にあった国立青少年自然の家だった。集会室での私の言葉は、十数年前の日記に確かに記録してある。 「皆さん。申し訳ありません。これは研修中の職務ではありますが、私は日本国旗を掲揚する係にはなれません。太平洋戦争を引き起こし、被差別部落問題を長年放置してきたのは日本政府です。人権侵害の象徴である、その政府が作った国旗を掲げることは、平和を愛する者として到底できないのであります!」 と、研修参加者50人以上の前ではっきり告げたのだ。これは、当時の労働組合における一般方針のひとつであった。 今では思う。広島県全体の研修の時なのだから、この時ばかりは組合の方針に反してもよかったのではないかと。 実際、研修が終わった後で人事当局に呼び出された私は、総務部長から「増田さん。悪いけど辞めてくれるか?」と言われた。国か県かはわからないが、クレームがあったらしい。 だが、やはり血気盛んだった頃の私は、組合にも相談したうえで、基本は一人っきりで人事当局と戦った。少しばかりは助けを求めたこともあったが。 最終的に、処分ではなく厳重注意に留まった。組合が助けてくれなかった場合、本当に辞めされられていた可能性がある。 愚痴ばかりで申し訳ないのだが、これでも反省している。 私が悪いのだ。私は仕事に対して真摯に向き合ってきた。本気でやってきた。それでも成績が悪かったのは事実であり、その時期の上司の方々の温情に賜れたことに感謝している。 仕事は本気でやっていたけれども、周囲への配慮が足りなかった。令和になっても、今でいうパワハラみたいなことをしていた。 あの時、いつだったか。令和元年のことだ。 税務の子が当時、私が働いていた施工監理(兼庶務管理)の部署に来ることがあった。土地の課税評価のことで、私が依頼していた文書を届けにきたのだ。 その文書には誤りがあった。その時、私は怒鳴ってしまった。今でも反省している。後悔の念を込めて、できうる限り思い出してみる。 確か、私はこんなことを言った。 「お前、まちごうとるぞ。小字(こあざ)がなかろうが、字がっ!! なしてないんならあ、おい」 「え……どういうことですか」 「水吞町だけじゃなかろうが、さらに、その下に水~(※龍だったかもしれない)という小字の名前がなかろうが」 「すいません、つけ忘れました。打ってません」 「なんでそんな大事なもん、付けわすれるんならあ、おい」 「すいません」 「お前、法務局にこれ出してみろやあ~、恥ずかしいどお!!」 「ごめんなさい……」 恥ずかしいのは私の方である。若い子に対して、こんなに失礼なことを言ってしまった。 その次の週に同僚から聞いたのだが、その女の子はうつ病になり、職場に来ることができなくなったという。 元々、抑うつ気味で元気がなかったらしい。私が怒鳴った金曜日だけでなく、土日にあったイベントでも動員があり、その子は仕事ができず��い思いをしたという。 ただ、私にも原因があるのは明らかである。本当に申し訳ないと思っている。 その子は、労働組合を通して聞いたところだと――翌年に単純事務労働として税務の仕事に復帰したが、なかなか調子が戻らず、結局は新卒2年目で退職したとのことだ。 後悔先に立たず、という言葉がある。私の場合がまさにそれだ。 仕事でヘマをしてるだけだったら、まだ再任用されたのかもしれない。 しかし、それだけではない。私が他者の信頼を損ねる行為を繰り返したからこそ、こうなったのだ。 できれば、今からでもまた市役所で働きたいよ。でも、その資格がないことも重々承知している。 たとえば今、私は市役所で働いていた頃の思い出を書いてるけれども、守秘義務に反している可能性がある。それでもいい。罪があれば償おう。これも責任の取り方というものだ。 私は罪を犯した。犯し続けた。それで再任用されなくなった。仕事人生の責任を、こんな最悪なかたちで取ることになった。 あれは今年の1月だったか。後輩と一緒に現場に出るため、廊下を歩いていると、部長級の職員が前からやってきた。 その人は、正面にいた私に向かってこう言ったのだ。 「なんや増田。お前、まだ辞めとらんかったんか。はよお、辞めろや!!」 後輩が見ている前で、こんなことを言われてしまった。恥ずかしかった。 でも、しょうがないのだ。私はずっと、禄でもない職員だった。 だから、こんなことになっている。 最終勤務日のことだ。 労働組合が主催する職場巡りの会が終わり、最後に職場に帰って、デスクに座ってしばらく待ち、定時を迎えた時のことだ。 定時のチャイムが鳴って、2~3分くらい後だったか。私は、カバンを抱えてまっすぐに職場を出た。 事務所にいた同僚連中には、「じゃあの~」と軽快な口調でさよならを言った。みな、私に「お疲れ様でした」と返してくれた。 しかし、ひとつだけやっていないことがあった。最終勤務日の前日、職場の親睦会の若い幹事職員に言われたのだ。 「増田さん。最後に僕が花束を渡すので、退職スピーチをお願いします。その後記念撮影をしますから、残っておいてくださいね!」 と、しっかり伝えられ、私はOKの返事をしている。 にもかかわらず、こんなことをしてしまった。チャイムが鳴ったら逃げるように、すぐに家に帰ってしまった。 スピーチなどしたくなかった。再任用されなかったこんな私がスピーチをしても、恥ずかしいだけだと思っていた。 自分に負けたのだ。彼の思いに応えられなかった。 最後になるが、もし増田の利用者の方で思い当たるフシがある方は、どうか職場では自重してほしい。 他者の信頼を損ねる行為ばかりしていると、私のように情けない老後を過ごすことになる。この日記がひとつの警句になってくれたら望外の幸せである。 明日からは、またはてな匿名ダイアリーのイチ利用者である。また面白い日記、楽しい日記をたくさん読んでみたい。 ありがとうござい���した。
再任用を拒否された
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hisoca-kyoto · 25 days
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先週の金曜日は「金継ぎワークショップ」でした。皆さんが仕上げられた器の写真を撮るの忘れていて、やっとご紹介できました。(お一人持ち帰られた後に撮ってないことに気付きました。汗)ご参加の皆さんありがとうございました。今回もそれぞれに大切にお使いだった器たちが蘇っていく工程を、皆さん楽しんでくださっていました。カケや割れたパーツを無くされても継ぐ事ができますので(2枚目の写真では欠けたパーツの部分を作られています)大切な器が欠けたり割れたりした際は諦めずにワークショップにご参加いただけたらと思います。中川先生も今回も最後の仕上げまで丁寧にしていただき、充実のワークショップをありがとうございました。
継いだ箇所に漆を塗って乾かしている休憩時間に今回は&AnneさんのキャロットケーキとKUSUMI TEAのオーガニックアールグレーで一息ついていただきました。ご参加いただいた方々とお話も弾んだり、昔のお知り合いと再会されたり今回もご一緒に楽しい時間を過ごさせていただきました。次回は来年の春の予定です。また機会が合いましたらワークショップにご参加してみて下さいね。
9/11のブレンドティー(ティーコーディアル)のワークショップはまだお席をご用意できます。ソーダで割って冷たい飲み物にしたり、お湯で割ればフレーバーティーとしてもお楽しみいただけます。気軽に自分好みのティーコーディアルをお作りいただけますので、こちらもぜひご参加お待ちしております。
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sorakumo-bathroom · 1 year
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4月になりました。新年度、新学期などを迎え、また今月から切り替えてスタートです。桜は春という季節(時間)を共有していく上で欠かせないアイコンです。その桜が今年は暖かい日が多かったのか、開花も早く花も散り始めています。春先取りという感覚よりも、春を通り越した感じがしました。ソラクモグループで投稿された写真も、各地にいながら「ソラクモ時間」を共有できます。多少の問題も抱えているSNS(ソーシャルネットワーク)ですが、様々な場所で、時間で、スチュエーションの中で(一枚の写真ではありますが)共有できることって素敵なことだなと改めて感じます。 東方美和子さんからコメントをいただきました。「午前中が雨で、午後が晴れと、打って変わった天気でした。だから半分半分と言う事で写真を撮りました。たまたま自宅の庭からスマホで撮ったものを加工もせずUPしたので、嬉しさが格別でした。 一生の幸運を全て使ってしまったような気持ちです。」とのこと。 ■ソラクモグループ(空と雲の写真)
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20kitan · 8 months
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CoC「片鱗」HO殺人鬼 ※シナリオの重大なネタバレが含まれます
セリフ集
「かうかう」 「ぶ」 「うー、あ゛」 「カッコー、カッコー、カッコー」 「くじら、ヤギ、キツツキ」 「ここが地獄だ!ここで跳べ!」 「宙吊り、宙吊り、宙吊りで、かわいそうで、おれが埋め合わせしてあげたいと思うんだよ」 「あの家には行かれない」 「ううー」 「いい子、いい子」 「『行き過ぎろ、影』」 「おまえはもう十分耐えた。あれはただの育ちすぎたコウモリだ。やつらが自ら蒔いた種をおれが刈りとってやる」 「それに比べてどうだ? おまえときたら盗人の淫売……おまえの薄汚い血が薄まったおかげで衿迦や兄は出来がいい」 「邪悪! 老いぼれの古コウモリめ! 報いを受けろ!」 「でもおれは、どこにも行くところがないし、他にやることもないんだ」 「今日はいいことあった?」
◆身上調査書
姓名:ビスコ/房 必思可(ファン ビスコ) 愛称:ビスコ 年齢:23歳 性別:男 血液型:B型 誕生日:6月28日 星座:かに座 身長:198cm 体重:84kg 髪色:オレンジっぽい赤毛 瞳の色:茶色 視力:左右1.0 きき腕:右 声の質:ザラザラした掠れ声 icv山寺宏一 手術経験や虫歯、病気:なし 身体の傷、アザ、刺青:なし その他の身体的特徴(鼻や目の形、姿勢、乳房、足、ホクロなど):手足が長くて猫背 ゴツゴツしている 手が細長い セックス体験、恋愛、結婚観:なし 性愛感情がかなり薄い 尊敬する人:なし 恨んでる人:もういない 出身:衿迦から生まれた/中国籍を取得 職業:肉屋 将来の夢:まだない 恐怖:衿迦を守れないこと 癖:目を細める 舌を出す 酒癖:酒の味が苦手なので飲まない 特に酔っても顔に出ない
*交流向け 一人称:おれ 二人称:おまえ、あいつ 呼び方:下の名前呼び捨て 敬称をつけない
*概要
 蛇之目衿迦の同級生と家族3人の命を奪った殺人鬼。道徳規範を持たぬ怪物。正体は蛇之目衿迦が作り出した狂気の別人格であり、アーティファクトの力を得て肉体を持つ独立した存在となった。
*性格
 おおよそ人間が持ち得る道徳規範や社会的モラルを持たない破綻した思考回路の持ち主であり、目的を達成するために法律や禁忌を破ることにはじめから躊躇いのない人物。自身の写し身である衿迦を守ることに関しては普通では考えられないほどに献身的になるが、それ以外の人間や事象に関しては関心がかなり薄い。  感情表現は幼稚で素直だが、起伏は通常激しくはない。極端なほど口下手で、ほとんどのコミュニケーションを単語や短い反復によって行い、自分の考えを自発的に話すことは稀。意味のない喃語を交えて話し、関わる必要がないと思えば完全に相手をシャットダウンし、ひとことも喋らないということも平気でする。  これらはビスコ自身に「社会に混じって生活する」という能力が根こそぎ欠けていることに由来し、目の前で起きたことや他人の事情や感情を受け取って呼応することもなければ、常識的にこうしなければならないという基本的概念を持たず、相手に分かりやすく伝えるための工程をすっ飛ばすことで発生する。理解できていないわけではなく理解させる気がないといったほうが正しい。  このため知能行動に支障があると判じられることが多く、実際の知能テストをまともに受けることも不可能なためそのように分類されるが、実を言うと知能より性質の問題。今後社会生活をこなしていく上で変化する可能性はある。  大人しくぼうっとして反応が鈍い。何を考えているかわからない冷血で爬虫類っぽい性格である。衿迦に対してはどこまでも優しく、辛抱強いあたたかみのある部分が発露される。刺激しなければ無害な置物のようなもの。
*人間関係
 社会に馴染める人格の持ち主ではないため、衿迦と房芳と職場の店主くらいとしか基本的には会話をしない。初対面の人間からは不気味がられ、それらを払拭する努力もしないため遠巻きにされることが常である。一応必要があると思えば肯定、否定、疑問くらいは口にすることもあるようだ。
*家族関係、幼少期体験
 なし
*能力
 前述のとおり実は知能に問題はなく、高校卒業程度の学力知識は持っているものと思われる。計算問題などは難なくこなし、少々難解な文章も理解して読むことができる。問題はテストなどをまともに受けるために机に留まらせておくのが難しく、ビスコが意味を理解できないものには取り合わないため、数値的な判断は難しい。  現在は肉屋での食肉加工作業を行っているが、動物を解体するのに精神的に動揺することも落ち込むこともなく、生まれが生まれのために刃物の扱いに長けていることからなかなか向いており、慢性的に人手不足な職種のため重宝されている。特に楽しいと思ったことはないが、現在の仕事に不満はないようだ。  何時から何時までという括りでの仕事が難しいため、衿迦が出かけるときに一緒に出かけ、作業が終わったら帰るという出来高制を許可してもらっている。
*肉屋のポパイ
 牧場から一頭ずつ牛や豚、鳥を買い付けるため新鮮で安いお肉を売っている精肉店。店内作業がきついため職人が居付かず育たないことが目下の悩みだったが、重労働をあまり高くはない給料でやってくれるビスコが店員になり助かっているらしい。現在は店長(精肉作業と接客)、ビスコ(精肉作業専門)、バイト(接客と配達)の3人で運営している小さな町の肉屋。コロッケがおいしい。  ビスコはほとんど店長としか会話をしないが、特段ビスコの奇妙な人柄を気にしていないようだ。
*好きなもの 食べ物:チョコレート菓子、グラタン、コロッケ、ハンバーグ ケチャップとマヨネーズの味が好き 飲み物:カルピスなど乳酸菌飲料、ホットミルク 季節:夏 色:海の色、衿迦の目の色 香り:牛乳石鹸のにおい 書籍:銀河鉄道の夜 動物:あんまり出会ったことがない ファッション:丈が長い服 落ち着く 場所:海 愛用:肉切り包丁 趣味:クレーンゲーム 写真を見る 
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foucault · 9 months
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しめかざり展、初日からたくさんの方にお越しいただきありがとうございます。昨日は空気がなまぬるく、なんというかしめかざりをお渡しする季節感に欠けるな、と思っていたのですが、今朝はぐっと冷え、明日からはますます冷え込むようですね。風邪など召されませぬよう、お気をつけください。
写真は、11月にうかがった新潟・燕でお目にかかった方々の姿。少し前の話ですが、やっと出張が落ち着いたのでここでご報告。今回、"conte"シリーズを作っている一菱金属の江口広哲さんの案内により、conteのデザインを行なった小野里奈さん、野口品物準備室の野口忠典さんとご一緒して燕のものづくりを見てきました。
金型制作・バレル研磨・フチ巻&突切・スピニング・材料問屋&レーザー加工・半自動研磨・鎚起銅器・プレスや溶接、出荷作業などなど、たくさんの工場(こうば)を案内いただきました。専門性を持つ各工場が連携することによって、一つの製品が出来上がっていく姿を見ると、かつての漆器産地と同様の古典的な「産地」の姿がここにはある、そして、皆さんが働く姿を見ていると、素材がステンレスだから手仕事ではない、なんてとても言えないな、と思うことしきりです。
また、古典的な産地が生きているからこそ、各工場の専門性を串刺しにして一つの優れた製品を作るためには、職工の方々の能力を把握し、かつ、信頼関係を基として意志を貫くことができる人が必要なのだ、とも。それがconteにおいては江口さんなんだな、だからconteはいい製品なんだな、ということが実感できた訪問でした。
小野里奈さんからも、conteシリーズをデザインするにあたってのお話を伺ったのですが、自分自身の思う形、デザインを通すのではなく、現場と対話と試作を重ねてゆくことが良い製品につながる、というお話をいただき、自分たちの仕事とも重ね合わせつつ、嬉しく聴きました。
ほか、帰る前の晩には、ツバメコーヒーの田中さんにお招きいただき、お客さまの前で好き勝手に燕初滞在の印象についてお話などいたしました。こちらでも多くの方にお目にかかることができて、そして地元のお酒がおいしくて、とても楽しい燕訪問となりました。また参ります。みなさま、ありがとうございました。
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team-ginga · 1 year
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映画『生きる』
 U-Nextで黒澤明監督、志村喬主演の映画『生きる』(1952)を見ました。
 その昔、母から話を聞いた映画です。母は本が好きな人でしたが、映画も好きだったのかな。おそらく母が話してくれた映画はこれだけだったと思います。
 母曰くーーぼん���りと暮らしていた市役所勤務の男が胃癌で余命いくばくもないと宣告される。男は死ぬ前に何かを成し遂げようと、子どもたちのために公園を作ることにする。公園が完成して男は死んでいく。男が公園のブランコに乗って「いのち短し恋せよ乙女」と歌うシーンは名シーンだ。
 まさにそれがこの映画の中核ですが、実際に見てみると当然ながらそれだけではなく、いろいろなものが付け加えられています。
 主人公の渡邉(志村喬)が胃癌で余命いくばくもないというのはその通りなのですが、実際に医者にそう言われるわけではありません。病院の待合室で見知らぬ患者と雑談をして「胃癌というのは恐ろしいものです。医者は軽い胃潰瘍だと言い、特に消化の悪いものでなければ好きなものを食べていいと言うのですが、あっという間に悪化して死んでしまう」と聞いた渡邉は、医者にその通りのことを言われてショックを受けます。
 直後のシーンで医者同士が「あの人はいつまでもちますかね」ーー「半年くらいかな」と言っているので間違いはないのでしょうが、時代を考えれば本人に宣告しないのは当然としても、家族にも教えないものなんでし���うか。本人も家族も知らず、医者だけが知っているというのは、今の感覚からするとちょっと変な感じがしました。
 渡邉は早くに妻を亡くし、一人で息子を育てました。息子は社会人になり結婚して、渡邉と一緒に暮らしています。
 渡邉は市役所の市民課の課長です。ある地区に住む女性たち(その中には若き日の菅井きんもいます。こんなに可愛かったんだ、菅井きん)が空き地の水たまりをなんとかしてくれと陳情に来ていますが、市民課から公園課へ、公園課から土木課へたらい回しにされるだけで、一向に埒があきません。
 渡邉も若い頃は仕事に熱意を持っていたようで、仕事場の机の引き出しには市役所の運営の改革に関する私案の書類が入っています。若い頃に渡部が書いたのでしょうが、結局提出しないままになってしまったということですね。必死に書いたはずの書類の最初のページを破ってペン先の掃除に使うシーンは、渡邉の現在と過去を一瞬で対比するいいシーンだと思いました。
 癌で余命いくばくもないと知った渡邉は市役所を欠勤し、銀行から5万円おろして飲みに行きます。当時の5万円って今のいくらに当たるんですかね。100万くらい? まさか500万ということはないでしょうが、かなりの金額です。
 でも、遊び慣れていない渡邉は何をすればいいかわかりません。彼は飲み屋で知り合った小説家(演じるは伊藤雄之助。痩せて精悍な感じで、まさに無頼派の小説家という感じです)に余命いくばくもないことを話し、パチンコやキャバレーに連れて行ってもらいます(この時代のパチンコって立ったままやるんですね。知りませんでした)。
 キャバレーでピアニストに「リクエストはありませんか」と言われた渡邉は『ゴンドラの唄』をリクエストし、ピアノに合わせて歌います。
 あ、ここでまず歌うんだ。
 このシーンは凄みがあります。志村喬はうつむき加減で虚空の一点を見つめながら、口をほとんど動かさず、調子はずれに歌います(音をはずすというよりリズムをはずし、ピアノの伴奏と合わない歌い方です)。
 彼の横に座っていたホステスは怖くなってどこかへ行ってしまいますが、むべなるかなーーそれほど鬼気迫る感じです。
 いいなあこのシーン。当然ラストで志村喬はもう一度『ゴンドラの唄』を歌うのですが、私はこっちのシーンの方が好きです。
 一晩中遊び歩いた渡邉は翌朝、自宅に帰る途中、市役所の部下の女性・小田切と偶然で会います。小田切は市役所の仕事は退屈だから転職する、ついては辞表にハンコが欲しいと言います。小田切の靴下が破れているのに気づいた渡邉は洋品店でストッキングを買って彼女にプレゼントします。
 小田切は「これ欲しかっただけど高くて」、「もしこれを買ったら、1ヶ月間お弁当のおかずはメザシになってしまいます」と言って喜びます(彼女は二間のアパートに3家族で住んでいるとも言っていました。まだ日本全体が貧しかったということでしょうか)。
 渡邉は小田切と一緒に遊園地やスケート場や映画館に行きます。息子や息子の妻は年甲斐もなく若い愛人を作ったのではないかと疑います。
 渡邉は息子に病気のことを打ち明けようとします。しかし、息子は愛人ができたという話だと思っているので話が噛み合わず、渡邉は打ち明けるのをやめます。
 一方、小田切は最初こそ渡邉と一緒に出かけるのを喜んでいましたが、だんだん不自然なものを感じて、もう出かけたくないと言います。渡邉は最後に一度だけと言って、小田切を喫茶店に連れて行きます。
 渡邉は余命いくばくもないことを小田切に打ち明け、「私はミイラのように生きてきた」、「君はどうしてそんなに生き生きしていられるんだ」と尋ねます。小田切は「さあ」と言った後、バッグからウサギのおもちゃを取り出し(彼女は市役所を辞めておもちゃ工場で働いているのです)、「これを作ってるからかしら。どこかの赤ちゃんがこのおもちゃで遊んでいると思うと嬉しくなるの」と言い、「課長も何か作ったらどうですか」と言います。
 でも渡邉は何を作ればいいかわかりません。小田切も「あの役所じゃ無理ですよね」と言います。しかし、渡邉は何か閃いたように喫茶店を出て行きます。
 その喫茶店は2階建てで中央に階段があり、渡邉と小田切は2階にいます。階段を挟んだ向こう側では、大勢の若者たちが仲間の誕生日を祝っています。
 渡邉が階段を駆け降りるとき、ちょうど誕生日を祝ってもらっている女性が現れたのでしょう、若者たちは一斉に「ハピーバースデイ」を歌います。
 次のシーンで渡邉は役所の部下たちに市民からの要望に応えて、空き地を整地し公園を作ると言うのですが、そのシーンでも「ハピーバースデイ」が流れます。
 それまでミイラのように生きていた、本当の意味で生きているとは言えなかった渡部が、この瞬間生き始めるということを示す演出ですが、うーん、どうなんでしょうね、これ。わかりやすいだけに少しあざとさを感じてしまいました。
 そこから時間が飛び、渡邉の葬儀の夜になります。これはちょっと驚きました。渡邉の死から遡る形で渡邉のしたことを描くわけですか。なるほど……これは予想していませんでしたが、なかなかいいですね。
 同僚や上司が渡邉の自宅に集まっているところへ、新聞記者たちがやってきます。空き地に公園を作ったのは渡邉なのに、それを自分の手柄にした助役にインタビューしたいとのことですが、そんなことで葬儀の場にまで来るものですかね。
 助役(演じるは中村伸郎)は「記者たちは役所の仕組みを知らないから困る。公園を作ったのは渡邉君ではない。渡邉君一人の力では何もできない」と言い、土木課長や公園課長も「取りまとめたのは助役ですから」とお追従を言います。
 そこへ陳情に来た女たちが焼香にやって来ます。彼女たちは泣きながら焼香をしますが、何も言いません。この「何も言わない」ところがいいですね。下手に何か言うと艶消しです。
 女たちが出ていくと、助役たちは居心地が悪くなったのか早々に立ち去ります。残った市民課の職員たち(藤原釜足がいて千秋実がいて左卜全がいます。いつものメンバーですね)は最初「あの公園ができたのは課長一人の力ではない」と助役たちと同じことを言いますが、若い課員が「いや、あれは渡邉課長の力だと思います」と言うのをきっかけに、渡邉が公園設置のために何をしたか、それぞれが思い出話をすることになり、最終的には「課長は立派だった」、「俺たちも課長のように頑張るぞ」と言います。
 そこへ巡査が現れ、焼香します。巡査は前夜遅く、渡邉が一人で公園のブランコに乗り「ゴンドラの唄」を歌っていたと言い、あの時きちんと保護していれば亡くなることもなかったと悔やみます。
 そこでフラッシュバックーーブランコに乗った志村喬が「ゴンドラの唄」を歌うシーンが流れるのですが、私は知っていたからかもしれませんが、このシーンよりキャバレーで「ゴンドラの唄」を歌うシーンの方が凄みを感じました。
 翌日の市役所ーー職員たちは前夜「課長のように頑張るぞ」と言っていましたが、何も変わりません。以前と同じように陳情に来た住民をたらい回しにしています。
 葬儀の場で渡邉を擁護した若い職員が、渡邉の作った公園へ行き、子どもたちが遊んでいる姿を見ているところで「終」とでます。
 確かにいい映画です。批判はしたくないしできません。
 黒澤が渡邉という人間の生と死を描くとともに役所の縄張り主義、硬直したシステムを批判しようとしたのはよくわかります。
 でも、個人的にはそういう風刺はどうでもいい、渡邉だけにスポットを当てて欲しかったという気がします。
 志村喬はもちろん名演です。猫背でオドオドして、病気が進むにつれてだんだん掠れ声になっていくところなぞ誰も真似できないと思いますし、『七人の侍』のリーダーと同じ役者がやっているとはとても思えません。
 でもなあ……いつも濡れた目をしている(これももちろん役者としての技術ですが)のを見ていると「病気の犬」か何かに見えてしまうというのもまた事実です。
 息子もかわいそうだよなあ。物語の流れとして息子夫婦には打ち明けない/打ち明けられないというのはわかるのですが、自分が息子なら「親父、どうして言ってくれなかったんだ!」と言いたくなります。
 息子は知る由もありませんが、渡邉は初対面の小説家や職場の部下にすぎない小田切に癌のことを打ち明けています。他人には打ち明けられるのに息子には打ち明けられない……世の中にはそういうこともあるとは思いますが、息子としてはたまらないだろうと同情してしまいました。
 『生きる』はミュージカル化(!?)されているそうです(渡邉役は市村正親と鹿賀丈史のWキャスト)し、最近イギリスでリメイクもされているそうですが、もしあの話を現代に置き換えるとどうなるんでしょう。
 ちょっと見るのが怖い気がします。
追記:  志村喬は1905年生まれ。ということはこの映画のときには47歳。  え? 47歳?  とてもそうは見えません。  もっとも当時の定年は55歳ですから、渡邉はまだ50代前半ということになります。  今とは年齢の感覚が全く違うということでしょうか(『サザエさん』の波平だって50代前半、うっかりすると40代なわけですし)。
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myonbl · 11 months
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2023年10月23日(月)
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月曜日は1人で出勤、東寺の五重塔を眺めるのが楽しみだ。信号待ちの具合でちと見辛い位置ではあるが、街路樹は緑を保っているが、境内の桜は落葉しているようにも見える。職場に着くと、中庭の欅は大半が茶色くなっている。春から初夏への緑の変化は元気に溢れているが、秋から冬への移り変わりは少し寂しげだ。加齢と共にこのような穏やかな変化を好もしくなってきたこと、素直に認めよう。
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5時15分起床。
日誌書く。
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朝食には、久しぶりに奥川ファームの手打蕎麦をいただく。
洗濯。
弁当*3。
ツレアイは午前中2件の訪問、私は1人で先に出発する。
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順調に到着する。
給与明細のWeb発行システムが変更になっ��とのこと、ログインしてパスワードを変更する。
タイムカードを整理する。
木曜日の<共生社会と人権>の資料作成、印刷。
月曜日は3限・4限<情報機器の操作Ⅱ(看護学科)>、今日は5週目。先週のPowerPointの試験答案を返却、平均点は80点満点の60点程度。
今日からExcelの学習に入る。前期の続き、表の印刷・ヘッダー/フッターの挿入/タイトル行の挿入/ページ区切りの変更など。続いて、これからの学習に不可欠の<相対参照・絶対参照>の確認、簡単な例題に取り組んで今日は終わり。
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帰路も順調。
洗濯物を取り込む。
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夕飯は、昨日から仕込んでおいた<無水地鶏カレー>、サラダを省いたので色が寂しい。
ツレアイは午前中訪問、午後は市民活動センターでテディ��ア作り、帰宅後はWeb会議と忙しい。息子たちの夕飯が終わってから残り物を並べ、🍶・🍷で慰労する。
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夕方の放送を録画したものを鑑賞、1981年の放送だが、とても面白い。平城京にペルシャ人の熟練工がやって来て制作していたことなどまったく知らなかった。
片付け、入浴のはずが・・・、今日も早々にダウンしてしまった。
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教室への移動も一回だけ、買い物にも出なかったので活動量が少なすぎる。水分は、1,780ml。
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chiaroscuro-lily · 1 year
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みなさまごきげんよう。
メンバー紹介ブログ5人目ですよ!なかなか更新されないなって不安にさせてしまったかな??申し訳ありません!(本当にごめんなさい!)
今回はみけが担当します🍓🎀
自己紹介なら好きなことを書いていいよと言われているので好きなこといっぱい書きますね!
あまり文章を綴るのは得意ではないのでお見苦しいかもしれませんがご容赦くださいませ!
私は小さい頃からかわいい女の子が大好きで、覚えてる中では2歳頃から美少女がいっぱい出ているようなアニメを見て育ってきました。今思えばオタクとしてはエリートだったかもしれません。百合好きに目覚めたのもおそらくこの頃で、かっこいいキャラとの絡みよりも女の子2人組の他の人が付け入る隙のない関係だったり空気感だったりを『なんか……いい。』と思ってうっとりしているような子どもでした。大きくなってからいろいろな事を知って、私が好きだったのは百合だったんだなと気付いたくらいです。百合という概念を知らないうちから百合が好き。さすがに目覚めが早い。
いろいろ好きなことはありますが、2次元好きが高じて細々とコスプレもしています!最初は某夢の国の仮装をちょこちょこしている程度でしたが、大好きな友人がコスプレをしていたこともありコスプレを始めるようになりました。結構頑張っていて、7割方衣装などもろもろ自作しています。そういえば初めてのコスプレもめちゃめちゃ時間かけながら衣装自作したなぁ……!いい思い出です。好きなキャラと同じ格好をしたいというのが原動力のため、服を作ったり造形物を作るのが得意というわけではないです!が、だんだんノウハウが身についてきたり、できることも増えてきて、もっとやりたい!がどんどん出てくるしなかなかいい趣味だなぁと思っています。あと普通に暮らしてたらあまりしないような技術が身につきます。ウィッグ切ったり洋服作ったり小物等モロモロつくったりしないもんね。顔面加工の技術も上がったよね。
あと1年前くらいから仲のいいコスプレイヤーの友人にお誘い頂いて踊ってみたをはじめました。コスプレして踊ってみたね、知ってはいたけどまさか自分がやるとは思っていなかったよ………。大変なこともたくさんありますが、好きなことなのでいっぱい頑張ることができています!嬉しいことにライブやイベント等にも出して頂けたり、踊ってみた動画を見て頂けたりして原動力になっています。
ダンスは今までやったことがなかったのですが、なかなか楽しくやらせて頂いています!伸び代しかない!まだまだこれからということで!
あとは筆がかな〜〜〜り遅いのですが、イラストなんかを描いたりもします。好きな作品とか好きな事とかに心が動かされていてもたってもいられないときにガガッと描いたりしてしまいます。
クオリティの差はあれど我ながら好きの昇華の表現方法がたくさんあって事欠かないなぁって思ってます。
きおりちゃんとはもともと職場の同期で別部署配属だったのですが、お互い年間パスポートを持つほどの某夢の国好き。ということで時々遊んだりする仲でした。
きおりちゃんの第一印象は落ち着いた喋り方をするすらっとした美女♡って感じでした。この子は賢くて、自分が知らないことを知っていろいろと考察するのが好きなんだなぁって感じていました。
数年間はそんな感じで遊んでいたの��す。が、忘れもしないあの夏の帰りの電車。私が転職するためなかなか会えなくなるね、ってことで一緒に遊びに行った日の帰り道。お互い某夢の国のオタクとしてしか接していなかったのですが、他愛のない会話でなんとお互い百合が好きということが発覚。電車の乗り換えの時間も気にせず結構な時間話し込み、百合のサークルを始動させたいというお話しを伺い、あわや終電、といった時間に帰宅し………紆余曲折あり今のサークル活動に繋がりました。
ほんと人生何があるかわからないですね……。素敵なご縁に感謝です。このサークルの他のメンバーさんたち、きおりちゃんが集めてきただけあってみなさん個性的で才能ある面白い方々がたくさん集まっています。ぜひぜひ活動を見守って頂けたら嬉しいです。
すこし話し過ぎちゃいました!長々とお付き合い頂きありがとうございました!メンバーブログ、次回はゆーやさん♡🥀🦋
よろしくお願いします♡
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monthly-ambigram · 3 months
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2024-7月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「猫」です◆
今月は参加者の皆様に「猫」のお題でアンビグラムを制作していただいております。今月も逆さまな作字が集まっておりますので、ごゆるりとご鑑賞ください。今号は失礼ながら簡易的なコメントとさせていただいております。皆様のコメントがいただけますと幸いです。
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「猫/ネコ」 図地反転型:ぺんぺん草氏
「猫」の隙間に「ネコ」が見える、ラングドン御大の作品でも見られる伝統的Figure-Groundタイプ。我々が現在定義している図地反転型の定義より弱いアンビグラムとはなりますが、ネコっぽいタイポグラフィも楽しい良い作品ですね。
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「三毛猫」 旋回型:ヨウヘイ氏
「三毛」を回転重畳すると「猫」になる作品。文字幅がアンバランスでも読みやすくて面白いです。
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「虎/猫」 旋回型: いとうさとし氏
虎のような模様のネコ。アンビグラマビリティは高くない語句だと思うのですがキレイに回っていて素晴らしいです。
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「わんこ/ねこ」 交換型:kawahar氏
「わんこ」をうまく敷詰めると「ねこ」になり、さらに重ねるようにすると犬か猫かのような絵になる面白いデザインです。
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「捨て猫」 回転重畳型:ラティエ氏
「捨/猫」の共存対応がキレイです。背景の絵も併せて回転重畳になっているのがすごいですね。素晴らしい。
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「ネコ/液体」 敷詰振動型:Jinanbou氏
「液」の敷詰と「体」の敷詰と「ネコ」の敷詰が一致するようになっています。確かにネコは液体であるようです。
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「肉球」  回転型:lszk氏
猫と言えば。図形を欠けさせつつ読ませるデザインに驚愕です。
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「CAT TOWER」 図地反転鏡像型:ちくわああ氏
「TT/W」のハマり具合が気持ちいいですね。折り返しの「O」の自然さに驚きます。
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「熊猫」 図地反転敷詰鏡像型:松茸氏
「熊」はパーツ反転しています。「正図」「図地反転」「逆図」「逆図地反転」を敷き詰めると、「非自明な対称軸や回転対称中心」が現れるのでアンビグラムの定義に当てはまる、という意図の驚異の作品。
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「家族同然」 鏡像型:.38氏
「家/然」の対応がキレイですね。「族」の変形が楽しいです。
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「ギコ猫」 旋回型 「ゴルァ」 回転型:無限氏
匿名掲示板で流行したAAの一つ「ギコ猫」とギコ猫のセリフ「ゴルァ」をAAベースのアンビグラムに仕立てるという面白い作品。
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「逝ってよし!」 回転型:うら紙氏
こちらもギコ猫のセリフより。吹き出しとしんにょうの一体化が面白いです。
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「猫娘」 図地反転型: いとうさとし氏
ゲゲゲの鬼太郎より。「猫」は字画がバラバラになっているのに重要なパーツ分けはしっかりしているので読めてしまいます。
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「F.D.C.WILLARD/CHESTER」 回転共存型:兼吉共心堂氏
科学論文誌を執筆した物理学猫の名前より。F.D.C.ウィラードがペンネーム、チェスターが本名です。文字数の差の吸収のさせ方に注目です。
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「ドラえもん」 図地反転回転型: いとうさとし氏
言わずと知れたネコ型ロボット。読みやすくていうことがありません。
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「仲良くケンカしな」 回転型:繋氏
「トムとジェリー」の主題歌の歌詞より。同作のロゴ風の処理ですね。「ケ」第一画の思い切った処理が好きです。
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「ねこねこ日本史」 回転型:あおやゆびぜい氏 日本の史実の人物を猫にして歴史を描く4コマ漫画シリーズでアニメ化もされました。読みやすくなるように文字組が工夫されていますね。「ね」のループは飾りとして処理しやすいのですね。
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「黒船屋」 回転型:douse氏
竹久夢二の代表作の一つで、和服の女性が黒猫を抱いているさまを描いた絵画。「船」の自然さをはじめ、「黒/屋」も自然に読めすぎて脱帽です。
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「吾輩は猫である」 回転型:きいろいビタ氏
夏目漱石の代表作。ひらがなをすべて袋文字風にすることで漢字との字画密度差を解消していますね。素晴らしいです。
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「猫の手も借りたい!」 回転型:peanuts氏
近松門左衛門の浄瑠璃の一節が由来と言われています。文字組が面白いですね。最後の「!」が工夫できれいに対応付くようになっています。
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「猫に小判」 回転型:つーさま!氏
猫の付くことわざと言えば。ひっそりと猫の横顔と猫の目のようなあしらいが楽しいですね。
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「猫も杓子も」  回転型:lszk氏
何もかも。「杓子」の二つのハネがちょうど猫耳になるのが気持ちよいですね。
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「猫の恩返し」 回転型:douse氏
図案が非対称のため共存型と見る方が良いかも知れません。全体的に網目のような文字が面白いです。
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「宅急便」 内包型:螺旋氏
3重内包型。本家ロゴに似せているのもあり一目で読めますね。内包の関係にあることの発見が素晴らしいです。
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「観測するまで猫の生死は判らない」 内包型:超階乗氏
現実に書いたものを実際に重ねて表現された3重内包。細かい調整と猫の絵が見所ですね。
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「窮鼠猫を嚙む」 敷詰振動式旋回型:Σ氏
「窮鼠+を」の敷詰と「猫+噛む」の敷詰が一致します。「窮/猫」「鼠/噛」「を/む」の対応がピッタリですね。
最後に私の作品を。
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「異郷で会える猫」 回転型:igatoxin
旅先で猫に出会う。
お題 猫 のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「夢」です。真夏の夜の夢、レム睡眠、無我夢中、夢の島、トロイメライ、枕、荘子、儚、夢窓国師、枯野 など 参加者が自由に 夢 というワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は7/31、発行は8/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}     10月{ヒーロー}     11月{ゲーム}         12月{時事}
2024年 1月{フリー}        2月{レトロ}   3月{うた}         4月{アニメ}    5月{遊園地}     6月{中華}          7月{猫}  
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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hitujijp · 2 years
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創造合戦
この所、人工知能に創造を行わせる分野の伸びが著しい。何年か前にオレは人間の最たる特徴は創造の能力に特化した点で、ここまで顕著な例は地球上の生物では人間以外に無いと述べた。
しかし確かに生物では並ぶものが無かったとしても、非生物も含めるなら今後は話が変わってくるかも知れない。
先に要点だけ述べたい。人間のAIに対する優位点は想像力では無く感性だ。そしてその感性は生物としての身体に裏打ちされた、環境と創発しながら発露させる能力に占める所が大きい。しかし一方で身体を持つが故に疲労や体調変化、諸処の生老病死の影響を免れない。
さらに付け加えると、人間が感性のうち幼児が何も教わらないのに描く時の絵の様なものでなく、学校で教育される様な概念に汚された感性は遠からずAIに再現されるだろう。なぜなら「これはこういうものだ」と概念化された情報にはどこかにパターンが存在し類推の糸口になるからだ。
けれども、一方でそう悪い事ばかりでも無いと感じなくも無い。アニメにしろ漫画にしろせいぜい週1回の更新が限界だろう。しかしAIが高速にコンテンツを自動生産してくれれば毎日更新される漫画や、毎日新作が放送されるアニメだって登場するかも知れない。これなら幾ら人間が貪欲にコンテンツを浪費しても人生の暇潰しに事欠く心配は無くなる。
そしてそういうものが一旦堰を切って世界に溢れかえると、最早当たり前になってしまい何者が作っているかなど気にもしないし、気付きもしないまま受け入れてしまうのではないか。 個人的にはコンテンツの供給と消費を通じて、AIは長期的に少しづつだがその受け手の精神を懐柔し、相互に寄生していく様な形に落ち着き、最終的には融合するのではと予想している。
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ari0921 · 2 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024年)7月���7日(水曜日)
    通巻第8334号 
 JDバンス副大統領候補は「トランプのクローン」とバイデン
   中国問題が一番、ウクライナはさっさと領土割譲に踏み切れ
*************************
 バイデンは共和党副大統領候補に指名されたJDバンスを「トランプのクローン」だと評した。
 そうなのだ。バンスがトランプと共鳴したのは「アメリカファースト」である。
やや孤立主義的であり、強制送還を含む移民対策の強化、ウクライナ支援継続に反対し、同性婚と中絶に反対し、USスチールの日本企業の買収に反対している。ただし中絶禁止の法律は州に任せるという所までトランプと同じである。
もっとも重要なポイントは中国に対しての強硬な基本姿勢であり、米国の最大の敵という認識である。そのためにはウクライナ支援継続は意味が薄いという国際情勢の認識を抱く点でも同じ基軸から発想している。トランプは中国の背後にあるロシアを地政学的に活用するにはプーチンとの関係を良好なものにしなおすという戦略的思考がある。
 それにしてもトランプはなぜオハイオ州選出の新人議員をランニングメートとして選んだのか? 激戦州を勝ち抜くためだが、次の八年間を託せる政治家に育てないとする希望もあるからだろう。
 JDバンスはその自伝『ヒルビリー・エレジー』をこう書き出した(ヒリビリーは「田舎者」という意味)。
「私はラスベルトを呼ばれる一帯に位置するオハイオ州の鉄鋼業の町で貧しい子供時代を送った(鉄鋼はアームコで川崎製鉄との合弁)。その町は、仕事も希望も失われた地方都市である」(中略)「将来にのぞみのない子供の一人だった。高校では落第しかけ、この町では誰もが抱く怒りやいらだちに屈しかけていた」(関根光宏、山田文訳。光文社未来ライブラリー)。
 彼は海兵隊に応募した。イラクに派遣され、社会の秩序を経験して、祖国を実感し、そして米国の矛盾を知った。オハイオ大学を奨学金とアルバイトで卒業し、つぎに、エール大学のロースクールをめざす。アイビーリーグに合格する人間は、その町にはいなかった。
バンスの人生への挑戦が始まった。かれは母親の不倫や薬物中毒、夫婦げんかをいやというほど観ながら、しかし挫けなかった。家族は血筋がバラバラでも団結していた。
アメリカンドリームを体現したいと日夜努力した。その苦労ばかりの体験を素朴に書いた。修辞はゼロ、感嘆符も形容詞もなく、文章の技巧がない、ありのままを何も飾らずに綴った。
それが『ヒルブリー・エレジー』で、プアホワイトの現実を訴えた。静かに共感を巻き起こし、時代的な環境が加勢してベストセラーとなって2020年には映画化され、バンスの人生が変わった。
ウシュ夫人はインド系移民二世でサンディエゴで育った。エール大学で同級生だった。そのうえ『米国社会の衰退』を討論するグループで同じだった。ウシュ夫人は歴史を専攻した。ふたりには2013年に結婚し三人の子供に恵まれた。
 ▼シリコンバレーでファンド
 自伝以後のバンスは『ヒルビリー・エレジー』から「シリビリー・ラプソデー」に変わったとSNSで比喩した評論家がいるが、「シリビリー」は米国メディアの造語でたぶんシリコンバレーの金持ちという意味だろう。
 JDバンスは博士号を取得してエール卒業後、しばし法律事務所に属したが、起業家精神を試そうと、オハイオ州で「ナルヤ・キャピタル」を立ち上げた。ピーター・シーエル(PAY PAL創設者)も出資した。やがてサンフランシスコへ移住し、バンスは「ミスチル・キャピタル」に二年を過ごした。同社CEOはピーターだった。
 腕をみがき次にステーブ・ケース(AOLの共同創設者)がCEOの「リボルーション」に移籍した。つまりバンスはファンドマネジャーでもあったので経済政策にも通暁している。
 2022年にトランプの応援を得て上院議員にいきなり立候補し、民主の対立候補に20万票の大差をつけて当選した。議会歴二年にも満たないのに、トランプに見込まれて副大統領に指名されたのも、2000年選挙で、トランプ選対のオハイオ州担当が長男のエリックだったからだ。エリックはバンスと共鳴し合った。
 米国の上院議員は六年が任期で途中欠員となってもやり直し選挙はなく知事が任命権をもつ。バンスが副大統領となればオハイオ州選出の上院議員はどうするのか。
現在のオハイオ州知事はマイク・デワイン(共和党。元上院議員)で、JDバンスの空席は反WOKE運動で予備選にもでたヴィヴィック・ラムスワミ(実業家)が有力だろうと各紙が予測し始めている。
 七月十四日からウィスコンシン州のミルウォーキーで、2268名の代議員が集まって開催された共和党大会は二日目にニッキー・ヘイリー元国連大使が演説する。ミルウォーキーは民主党の牙城、過去65年共和党が勝ったことがない。敵地に乗り込んだ格好である。
 ▼アメリカンドリームの体現者もトランプ支持へ
 さてこの舞台にイーロン・マスクが闖入する。これまで民主党を支持してきたマスクは、2020年から共和党支持となり、ツィッターを買収してXとし、またウクライナ緒線ではスペースXを提供してウクライナの通信網を再構築して危機を救った。
 マスクは「毎月4500万ドルをトランプPACに献金する」とした。大富豪のメロンが5000万ドルを献金したから、その一割減という洒落だが、11月まで「毎月」4500万ドルの献金を計画しているという。実現すれば、空前の政治寄付行為だろう。
 狙いは何か? EV対策以外考えられないのではないか。
 トランプもバンスも、EV普及に関心を持たず、自動車労組の雇���確保、ガソリン車擁護、資源開発拡大を唱えている。そのうえ中国製EVには100%関税、メキシコからのEV輸入にも高関税をかけると言っている。
となると、マスクのビジネスはあがったりになるではないか。
 マスクは上海でテスラを製造し、メキシコにもテスラのEV工場を造成すると言っていた。ところが、トランプが考えているメキシコ製EVへの高関税適用は中国BYDだけが対象ではないのだ(後者は北米自由貿易協定違反だから実現は無理だろうが)。
 共和党綱領が発表された。すべてがバイデン政策の否定である。
 仮想通貨規制、AI規制などを撤回し、気象変動対策を廃止する。テキサス州など南部への『州兵』ではなく「軍隊」を派遣する。
中国のWTO最恵国待遇を廃止し、エネルギー開発で巻き返しを図る等、市場は歓迎しエネルギー、軍事関連株が急騰した。
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kennak · 3 months
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江崎グリコの基幹システム障害に伴い、同社子会社の4工場で牛乳・乳製品など冷蔵商品の製造停止が長期化し、産地に懸念が広がっている。例外的に製造を続ける学校給食用牛乳に加え、4月末から病院や児童施設向けの牛乳製造も再開したが、全体に占める分量は少ない。それ以外の商品の製造再開は6月中を見込み、産地関係者は「牛乳消費量や酪農家の手取りへの影響がないようにしたい」と対応に追われる。  先月14日からの冷蔵商品の出荷停止に伴い、同社は他社での委託加工による生乳の完全処理に努めている。指定生乳生産者団体は配乳計画を変更するなど取引先と連携し、生乳廃棄を防いでいる。  九州生乳販連を通じて佐賀県全酪農家の生乳を同社佐賀工場に出荷するJAさがは、酪農家の不安の声に対して「安心して今まで通り搾ってほしい」と呼びかける。生乳生産量への影響はないという。「牛乳消費がこれ以上落ちないことが大切。今後気温が上がり、需要期に入るので早い再開を願っている」(酪農課)。  同社商品が陳列棚から消えたことで、小売りからは他社への注文が相次ぐ。九州生乳販連によると、同社以外で飲用向け処理量が上がったといい、「加工向けは想定より増えていない。大型連休中も管内の加工施設がフル稼働することはなかった」と説明する。  JAさがのブランド牛乳「グリコJA牛乳さが生まれ」が欠品したことを受け、最も多く同牛乳を仕入れていたAコープ九州は、プライベートブランドや大手乳業の商品で代替を図った。「いつ復旧するか見えないので棚を埋めた。牛乳全体の販売量は落ちていない」(商品部)とする。  人気の洋生菓子「プッチンプリン」や乳飲料「カフェオーレ」が欠品になったことは全国的な影響を及ぼす。競合商品を作る大手乳業は「プリンとコーヒーで注文が大きく増えた。製造能力や資材調達の問題もあるので可能な範囲で応じている」と話す。九州・沖縄を中心に「らくのうマザーズ」ブランドで牛乳・乳製品を展開する熊本県酪連は「プリンへの注文が極端に増えている。製造能力の限界が来るときもある」(営業部)と明かす。  江崎グリコは今回の出荷停止を受けて9日、2024年12月期の連結業績を売上高、純利益、営業利益全てで下方修正した。(柴田真希都)
グリコの牛乳製造停止が長期化 酪農産地に懸念広がる 計画変更し廃棄防ぐ(日本農業新聞) - Yahoo!ニュース
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shredderwastesnow · 1 year
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会社を辞めた理由
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2023年7月末、10年以上勤めた会社を退職した。 8月上旬から中旬は、去年の引っ越し後に手つかずになっていた段ボールの開梱と断捨離をしていた。必然的に段ボールの中の本も断捨離することになり、古書店に60冊ぐらい売った。
そして8月下旬から、短期留学でハワイに来ている。 語学学校に通いつつ、空き時間には観光もして、これまでの疲れを癒しつつ今後に向けてエネルギーをチャージしている。 (とは言っても最初の一週間は宿や学校などの不慣れな環境に馴染むことで手一杯だった……今週はもう少し穏やかに過ごさせてくれ……!)
会社には、退職の理由を、健康診断で視力が大幅に低下してしまい、翻訳チェックの仕事をずっとやるビジョンが描けないので……と説明した。視力は本当に下がっていたので、嘘ではない。 でも、実際にはもっと別の理由がある。上司に言って解消されるような内容ではないので、会社の人には言っていない。 ハワイ生活が軌道に乗り始め、ブログを書く余裕が出てきた今のタイミングで、会社を辞めた本当の理由をちゃんと振り返りたい。
本当の退職の理由は、以下の4つだ。
1) 「社員と非正規雇用」という歪な関係に疲れた
2) 自分に合った仕事を探す意欲が高まった
3) 経営陣が価値観をアップデートできていないことが辛くなってきた
4) 「父に認められなければ」というプレッシャーがなくなった
「社員と非正規雇用」という歪な関係に疲れた
3年前、部署異動することになった。配属先は女性だけの部署で、7人のうち社員は私を入れて2人、他5人はすべて非正規雇用(派遣か業務委託)だった。 私に割り振られた仕事は、その職場で2年以上働いているベテランの派遣さんが担当していた。私は社員として入社していたので立場としては派遣の人より上だが、その部署での経験という点では後輩という立ち位置だった。
ベテランの派遣さんは、ものすごく仕事のできる人だった。ミスをなくすという目標への執着が桁違いだった。これまでずっと英語関係の仕事をやってきたが、このレベルでミスを潰せる人に出会うのは7年に1度レベルだった。私たちが担当していた技術系の翻訳チェックをするには最適の人財だったと思う。
最初のうちは、自分だって英語を人一倍学んできたのだから、チェック作業のフローになれればそれなりのレベルでチェックできるようになるだろうと思って頑張った。実際に、チェックの精度は徐々に上がった。でも、ある程度の期間その仕事をする中で、努力ではカバーしきれない適正上の問題に直面せざるを得なくなった。
多分私は、仕事のどこかにクリエイティブな要素がないと楽しめない。正確さを追求するより、面白さとか独自の工夫を考える方が向いている(この部署に来て分かったことではあるけど)。チェックの仕事をしながら、「私よりこの作業に向いてる人がいるんだろうな」という気持ちになることが多々あった。 そして、ベテランの派遣の人は、ミスなく正確にタスクをこなすことを楽しいと思えるタイプなのではないかと思う。逆に面白さや独自性を求められると、この手の人はどうしていいか分からなくなる。
ベテランの派遣さん以外にも、こういう人が職場に数人いた。
でも、立場的には社員である私の方が権限を持っている。そのまま偉くなれば、私は非正規の人たちに指示を出すポジションに就く。私の方が経験も浅く、仕事ができなかったとしても。
そもそも、非正規雇用というシステムが非人道的すぎる。 非正規で働く人には有給が与えられず、給料を減らされたくない人は体調が悪くても無理して出社せざるを得なくなる。いつ契約が切られるか分からないので、ローンを組んで家や土地や車などの大きな買い物をすることも難しい。結婚して子供を持つことを諦める人もいる。正社員と同じくフルタイムで働いても、こういう状況にある人は多い。
仕事のできる派遣の人が隣の席にいる環境でずっと働いていると、この問題について嫌でも考えてしまい、仕事そのものとは別の疲労感に襲われる。 そして、どんな事情があったのか分からないが、そのベテランの派遣さんは月に半日程度しか休みを取らなかった。私は月に1.5~2日ぐらい休みたいと思っていたが、派遣さんより上の立場の人間が派遣さんより休むというのはかなり気が引けるため、気軽に休むこともできない。消化できない(そして今後も消化できる見込みのない)有給が、どんどん溜まってゆく。 このまま偉くなったらもっとしんどくなることが目に見えていたので、メンタルを病んだりする前に退職しようと決めた。
自分に合った仕事を探す意欲が高まった
2021年、私の書いた小説が、三田文學新人賞の佳作を受賞した。 小説は8年ぐらい書いていて、過去に色々な新人賞に3回出したものの結果が出ず、才能ないのかなー時間の無駄なのかなーと思いながらも気が向いた時に書くことを続けていた。 初めて賞を貰い、自分の作品が広く読まれたり、文学を生業にしている人からコメントをいただいたりしたことで、やっぱり私はクリエイティブな活動に向いている!と確信できた。
この経験を経て、文化・芸術方面の業界で英語を使う仕事を探そう、という気持ちが固まった。 私は文学や美術を専攻しておらず(専攻は経営・会計学)、その分野の職歴もないが、履歴書に「三田文學新人賞佳作」と書ければ、その手の求人にも応募しやすくなる。そして、親や周囲の人にも説明しやすい。
経営陣が価値観をアップデートできていないことが辛くなってきた
2017年に、反女性差別のキャンペーン「#MeToo」が世界中にインパクトを与え、フェミニズムやセクシュアリティ研究など旧来の家父長制を問い直す学問への関心が高まった。日本でも、昔は大型書店の奥の棚に数冊あるだけだったフェミニズムやセクシュアリティ関連の本が、#MeToo後には大型・小型書店の平台に並ぶようになり、���なくとも東京では空気が変わったのを感じる。
こうした変化に伴って私の意識も変わり、自分の職場にある理不尽な出来事や慣習が気になり始めた。
私の周りで、育児休暇や子育て目的の時短勤務をしている女性を沢山見た。 でも、勤め先にそういう男性は一人もいない。課長などの役職に就いている人が率先して育休や時短を活用すれば部下たちも同じことをしやすくなるのに、誰もやらない。
また、セクシュアルマイノリティへの想像力を欠いた制度にも違和感を覚えるようになった。 私がいた会社では、社員が結婚すると共済会から祝い金が出る。 でも、ゲイやレズビアンの社員が人生を共にするパートナーを見つけた場合については、何も書かれていない。社員数が1,000人を超えている会社なので、ゲイやレズビアンがいてもおかしくないのに。 最近は、同性カップルが結婚できないことで直面する困りごとについて、様々なメディアで報じられている。自治体によっては、婚姻関係に準ずるものとしてパートナーシップ制度を導入しているし、同性婚を合法化すべきという声も強まっている。 しかし、それでも、共済会のルールは変わっていない。同性パートナーシップの届けを自治体に出したと報告した社員には、結婚した社員と同額の祝い金を渡すなどのルールが加わる気配はなかった。
経営陣は、ドローンやAIなどのビジネスのトレンドについては、プロジェクトチームや勉強会を立ち上げて追いかけようとする。 一応、女性の働きやすさを促進する試みも行われてはいる(男性の育休取得増は達成できていないものの)。 それなのに、セクシュアルマイノリティをめぐる問題については、一切アクションを起こさない。何で?
私が定年まで辞めずに働くとしたら、あと20年この会社にいることになる。 経営陣を信頼できない状態で、20年も働き続けられる気がしなかった。
「父に認められなければ」というプレッシャーがなくなった
2020年下旬、父が亡くなった。 私は一人っ子なので、葬儀の準備や役所での��続き、遺品の整理などを、母と分担して進めた。父が亡くなった時点では私は一人暮らしをしていたが、母が実家の一軒家を売ってマンションに越すと言うので、私も同居することにした。
昨年の4月、一人暮らしのアパートから広いマンションに引っ越した。 荷造りを仕事と並行してやらなければならず、ずっと忙しかった。 転居から3ヶ月ほど経って、ようやく生活が落ち着いてきた。昔より広くなった部屋で、自分にとって父とは何だったのかをゆっくり振り返れるようになった。
父がいなくなって、これまでの私は、「父に否定されたくない」「父にいっぱしの人間として尊重してもらえるような生き方をしなければ」という気持ちで、人生の様々な決断を下してきたことに気付いた。
前の勤め先で、仕事が今一つ楽しめなくても10年以上働けたのは、父に対する意地があったからだ。 「私はそれなりの会社で真面目に働いて、高給とは言えなくてもそれなりの額を稼ぎ、一人暮らしできるぐらいの経済力がある。だから、私の人生に対して口出しはさせない」という意識が、私を支えていた。私の着るものや細かい行動に気が向いたタイミングで難癖をつけ、「俺はお前より優位に立っているんだ」と定期的に示したがる父に対抗するためには、安定した仕事や経済的自立という拠り所がどうしても必要だった。
しかし、父の干渉を阻止して自由に生きるためにとった行動が、新たな不自由を生むことになった。 本当はもっと自分に合った仕事があるような気がしても、やりたいこと基準で転職して今より給料が下がれば、父は必ず文句をつけてくるだろう。そうなるくらいなら現状維持でいいや。そんな思考から、私は違和感を抱えながらも転職を決断できなくなった。 仕事だけではなく、父に何か言われるのが煩わしいという理由で、実家に帰る時に文句をつけられない服装を心掛けたりもした。何故そこまでしてやらなければならなかったのか? 思い返すと悔しい。
父がこの世からいなくなったことで、ずっと私を縛っていたものが失われた。 しがらみから解き放たれて人生を振り返り、私が無意識のうちに自分に課してきたものの大きさを思い知った。 人生の選択を自分の意思で下してきたと思っていたけれど、実際は仕事という人生の大きな要素を自分の純粋な欲求で決めていなかった。こうして言葉にしてみると情けない話だが、事実なので仕方ない。
だから、会社を辞めて短期留学をすることは、自分の人生を取り戻すための儀式でもある。 これからは自分に関する重要なことは自分で決め、それによって生じた失敗も自分で引き受ける。 何かあるたびに他人や環境のせいにして嘆くような、自分の人生を「生きさせられている」みたいな状態を、この辺りで終わらせたい。
今後について
今、この文章をホノルルの家具付きマンションで書いている。 会社や仕事に対する責任から解き放たれ、しがらみのない土地で過ごすという、前例のない体験をしている。 語学学校の授業は難しいところもあるが、落第が危ぶまれるほど深刻ではないので、まあ何とかなるでしょう。
短期留学を終えて帰国したら、1年ほど学生をやる予定だ。 1年間で学芸員過程や諸々の資格を取り、その後に転職活動をする。
ここまで文章を読んで、「こいつ30代後半なのにまだ『自分探し』やってんの?」みたいな感想を抱いた人もいるだろう。 確かに日本社会では、この年代の人間は結婚して家庭を持って子育てをしているのが望ましいとされている。 でも、私としては「たまたまこのタイミングだったので仕方ないんです」としか言えない。傍から見たら不可解かもしれないが、自分の人生を取り戻すためにどうしても必要なことだから、今やらざるを得ない。
そして、パートナーや子供がいないタイミングで人生を見直せてよかったとも思う。例えばローンを組んで家を買った後だったりしたら、その家に住んでいる人全員が私の自分探しに巻き込まれることになって、さらに大変になるだろう。 (もちろん、パートナーや子供ができた後に生き方を変える必要が出てくる人もいるとは思う。そういう人が別の可能性に挑戦するのが悪だとは思わないが、相手のキャリアが変わる前提で一緒になったわけではないパートナーや子供が納得しなかった場合、家庭という一つの拠り所が失われることも覚悟しなければならないわけで、今の私以上にリスクを負うことになる気がする。) あと、私の母が老後の資金を確保できていることにも感謝しかない。私が母を養う必要があったら、1年働かずに勉強することはできなかった。ありがとうございます。
書くべきことを書ききったので、これからの1年を有意義に過ごすという決意とともに、この記事を終わりにしたい。 まずは語学学校を修了すべく、目の前の課題をしっかりこなす。 そして、ホノルルで過ごす人生の夏休みを、全力で楽しむ!
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