カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意��を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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タンポポハウス Tanpopo(dandelion) House
北海道 Kuromatsunai-cho, Suttu-gun, Hokkaido, Japan
2023/08
この日の夕飯😂
夕飯を食べるお店を探しながら国道5号線を走っているとCafeeの看板を発見。
小道を少し進むと素敵な雰囲気のお店が現れましたが、閉店3分前😥
引き返そうとしたらお店の方が出てきて、温かく迎え入れてくださいました。
お店の方と北海道の話で盛り上がってしまい、結局2時間弱も滞在😄
帰りに「ケーキだけじゃ、栄養が…」と、わざわざ畑からわ新鮮なトマトとキュウリを採ってきて、持たせてくださいました。
井戸水で淹れた口当たりまろやかですっきりとした自家焙煎コーヒー、甘さ控えめの手作りケーキ、可愛くてセンス抜群のお店の雰囲気、そして優しくて気さくなお店の方のお人柄。
旅の貴重な出会いでした。
また、いつか行きたいな~
土日のみの営業です。
お土産に買ったコーヒーの袋も可愛くてまたパシャリ📷💕
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【小説:2024年GWの貧困JAPAN】
2024年のGW、衰退国家日本は通貨危機に陥り、円は数年で40%も下落していた。
かつてあれだけハワイ旅行が流行った繁栄国家は急速に衰退し、貧しく海外に行けない国民ばかりになっていた。
貧乏な白痴大衆を主な視聴者層にするテレビ局はこぞって、「日本人はハワイに行って自炊生活をしています!ハワイへの旅行客は貧乏旅行をみんなしています!」と報道していた。
「ハワイに行っても楽しくないんだ! 俺は家で遊んでるけど幸せなんだ!俺は勝利している!」と国民は精神的勝利をし、「すっぱいぶどう」を見せるテレビ局と、それをみて満足に浸る視聴者の相互補完関係は今日も保たれていた。
東京で36歳になったたかしはまだ結婚をしておらず、GWの暇を持て余していた。
海外旅行に誘う相手もいないわけではないが、友人は次々結婚していき遊ぶ人間も減り、今年は円安であまりにも高いので、趣味の一人海外旅行も行かずに、特にすることがない。
銀座や新宿、渋谷にふらっと出かけていくと、外国人観光客で店がごった返し、次から次へと商品を買っていくのをみる。
かつて白人のみ、そして次に金持ちの中国人ばかりだった観光客。
いよいよ貧しくなり果てたJAPANでは様変わりし、一体どこの国から来たのかわからない国の人々ばかりになっていて、彼らの国籍は全くわからない。
渋谷の道端で缶ビールを飲む連中に、横一列で歩いてくる人々。時折悪態をついて見下してくるような態度を取る外国人。
いよいよ富裕層だけではなく中産階級でも来られるようになった国、JAPAN。
かつて日本人が東南アジアなどにいって現地の人々を下に見て、それが態度に出ていたように、彼らにマナーも期待することはできない。
好きだった海鮮の店も外国人向け商品ばかりになり疎外感を感じる。
今や海鮮丼が3000円4000円で、もう自分では食べられない。
店の中では外国人らが「What a price! Delicious!(マジで安すぎ!うまい!)」とガツガツ食べている。
店員も外国人ばかりになり、オーナーも経営者もおそらく外国人になったのだろう。
一体自分がどこの国にいるのかわからなくなり、日本に金が落ちるのかもわからない。
疲れ切って自宅に帰り、仕方なく冷凍食品を温めて食べる。
誰かを誘って温泉旅行にでも行こうと予約サイトを開く。
一泊一人3万も出せばそこそこの宿は泊まれるだろうと思ったが、一泊5万10万は当たり前で、20万30万の宿も出てくる。
あらゆるサイトを確認したが同じで失望する。
そういえば先日大阪に出張に行ったときも会社の規定の宿予算で泊まることができなかった。
大阪の街で買い物に興じる大量の外国人たちをみて、一体なにが起きているのかを理解した。
両親にLINEをして、帰省すると伝える。
東京駅に行くと、大きなスーツケースを抱えた外国人でごった返している。
駅の広告には「Uber Eatsで美味しい食事を頼みましょう」とか、「Netflixでシティーハンターを独占配信」という広告がどこの壁にも画面にも出てきて、我が国資本の広告は藤原竜也のよくわからないSKyなんちゃらというIT製品の広告しか目立たない。
そんな自分も、Google Mapで乗り換え案内を検索し、手元にはiPhone、仕事の携帯はAndroid、東京駅まで来る途中はSpotifyで音楽を聞き、旅の写真はGoogle PhotoかiCloudに、旅行にブッキング・ドットコムやエクスペディアを使っており、新幹線に乗る前にスタバでコーヒーを買っている。
これらを使うたびに円が売られドルが買われ、円安を加速させる。
かつて世界中に自国の家電や半導体、車を輸出しまくって外貨を稼ぎ、世界トップの金持ち国家に君臨していたのは日本だと聞いても、にわかに信じがたい。
新幹線の改札に向かうが、特急券と乗車券が分かれるという極めて奇妙なシステムを理解できない外国人らが改札で混乱し、スマートEXの使い方すらわからないアナログ日本人もまた通れず混乱している。
自動改札なのに駅員が大量に配置されている風景は、毎年繁忙期の風物詩である。
東京駅で、新幹線のぞみ号に乗る。
弁当を買っていたら時間がなく、申し訳ないと思いながらもグリーン車に飛び乗って、自分の普通車車両を目指した。
東京駅を出る時に弁当を食べ始め、新横浜に到着する前に食べ終わりゴミを捨て、そこから静かに寝るのが常である。
運良くグリーン車の隣の車両だったのですぐ座席についたが、隣に座った大きな荷物を持った外国人らがどこに荷物を置けばよいのかわからず、立ち往生していた。
大型荷物置き場の予約もしていなさそうだが、荷物置き場が諸外国の鉄道と比べ極めて少ない我が国の新幹線に苦労するのは当たり前である。
無理やり荷棚に置いたりしようとしてはうまくいかず、今度は最後尾の座席の後ろのスペースを勝手に使ったりと右往左往し、あれこれと出入りが多くて自分も弁当を食べることが出来ない。
車両をよく見みると、他にも外国人が多く乗っている。
JAPAN RAIL PASSというJRが提供する格安乗り放題チケットがあるが、ひかりやこだましか乗ることが出来ない。あまりにも安すぎて日本人差別かと言われるほどだったので、こないだ値上げをした。
JAPAN RAIL PASSのおかげで多くの外国人は「ひかり・こだま」押し込まれて「のぞみ」には乗っていなかったのに、今日はやけに多い。
JAPAN RAIL PASSの値上げのせいか、それとも「円安でのぞみ安いからこれでいこうか」となったのか、それはわからない。
さっき通ったグリーン車も外国人だらけで、しかもインドかタイなのか、かつては想定もしていなかった国々の人がたくさん座っていた。
結局は「日本が安いから」たくさん乗っていることは間違いない。
デッキには、指定席を買わず自由席券でケチって乗ろうとしたのか、GWは全席指定なのを知らなかったのか、ずっと座り込んでたり立っている日本人がちらほらいる。
弁当を食べて飲み物を飲みたくとも、車内販売は先日終了した。
日本を代表する高速鉄道である東海道新幹線の車内販売すら、少子高齢化による人手不足には勝てない。
今やここで水一杯を調達することも出来ない。
東京からうっかり飲み物を持たず博多までのチケットを買ってしまったら悲惨だ。
三島を超えると車窓から、雪が多く残る5月の富士山が見える。
かつて日本国民に愛された「シンカンセンスゴイカタイアイス」こと、スジャータのアイスの販売もグリーン車に限られ、たかがアイスですら上級国民と下級国民で差をつけられる現実をひしひしと感じて辛い想いがこみ上げてくる。
そういえば、先日北陸新幹線でスノボに行った時も、グランクラスに乗っていくのは外国人、というかインド人ばかりだったのを思い出す。
格安SIMのギガ数が少ないのでケチケチと新幹線のWifiにつなごうとしたが、全く速度が出ないどころかろくにつながらず途中で諦める。
N700Sという新しい車両が導入され、一部車両ではWifiは2倍高速と言っているのに繋がらない。
隣の外国人もWifiと悪戦苦闘し繋がらず、話しかけられたが何か助けることもできず、お互い言葉は通じないが諦めた顔をしている。
本当に通信回線が用意されているのか疑問に思いながら眠りについた。
実家の最寄り駅(といっても車で時間もかかるが)につくと、老いた父親がプリウスで迎えに来ていた。
車窓風景は何年たっても変わらないが、よくみるとなじみの店が閉店し、空き家が増え、建物は残っていても人が少なく街がひっそりしているように感じる。
家に到着すると、田舎者らしく居間には大きなテレビがありニュースを流していて、母がそこでお茶を飲んでいる。
ニュースは「本日はこちらの地域に振り込め詐欺の電話がかかってきています」などと呼びかけ、その他にも「85歳の老人がコンビニに突入しまいました」とかいうニュースが流れ、その車がプリウスであると心の中で予想すると、やはり映像にプリウスが流れる。
「外国人の爆買いは凄かったなあ」と疲れ切ってソファに座ると、テーブルの上には新聞の折込チラシが置かれていて、そのチラシをパラパラとめくって父が「ワークマンが最近いいらしいぞ」とワークマンのチラシを渡してくる。
誰かのXの投稿で「日本人がワークマンが凄いだのなんだの言ってる間に、東南アジア人はパタゴニアを着てスキーをするようになりました」と見たのは、1年半前くらいだろうか。
あの時は「そんなことはない」と思っていたのに、迫りくる現実をひしひしと感じ、なんとも言えない悲壮感が漂ってくる。
テレビをぼーっと見ていると、夢グループの通販が始まり、誰が使うかわからないポータブルDVDプレーヤーが1万円で売られており、「やすぅ〜い!」とおばさんの歓声があがる。
「ねえ母さん、こんなの誰が買うの?」と母の方を見ると、居間のすみっこに夢グループと書かれた段ボールが置かれているのがちらりと見える。なにが入ってるのか怖くて開けられなかった。
ニュースを見ても老人向けの意見ばかり言うコメンテーターばかり、バラエティを見てもよく知らない低俗な安い芸人が飯を食ったり、ガハハとつまらない話でひな壇で笑い合うだけのものばかりしかない。
CMにはコンドロイチンとか腰痛、尿もれパッドだのといった広告ばかりが流れ、同じ国なので東京と田舎でここまで違うかと驚愕する。
ワークマンの折込チラシの横においてある新聞を開いてみる。
母がむかし「高級紙」と呼んでいた朝日新聞。
「天声人語というのがあったな」と昔を思い出していると、母がおもむろに「こんなのが最近は本屋さんにあるのよ」と「天声人語書き写しノート」という公式の謎ノートを差し出してくる。これが累計500万冊以上売れてるらしい。
発行部数が減り実質不動産屋となって食いつないでいる会社の政治思想機関紙が、今でもこうして高齢有権者に幅広く読まれている現実を知って、複雑な気持ちになる。
数年前、YouTubeの見すぎで陰謀論にハマり、ディープステートだロスチャイルドだと毎日言い続けていた父。
地元の友人も離れていった者も少なくはない。
そこでNetflixやAmazon Primeを契約しインストールしたiPadをプレゼントし、YouTubeとの接点を消したのが一昨年の年末であった。
陰謀論を唱えることは多少減ったものの、右翼韓国嫌いの父はNetflixは韓ドラばかりで嫌だと言うので、U-NEXTを契約して日本や中国のドラマも見れるようにしたのが去年の年末。
あれから4ヶ月経ったが、U-NEXTでは実は隠し機能でアダルト作品が見放題になったのを私は知らなかった。
案の定、自慢げにiPadを町内会に持っていった時にうっかり視聴中の熟女系アダル���作品が大音量で再生されてしまったそうで、なかなか停止の操作もできず、大きな恥をかいたという。
アダルトの世界も女優の高齢化が進んでいるというが、視聴者が高齢者が増えているのが理由なのだろうか。
元気にこんな騒動をしている親も将来介護が必要になると思うとつらい思いがある。
いつか家を処分するのを見越して、私がかつて着ていた服とか、使っていた本とかを処分していく。
私が寝泊まりしていたかつての子供部屋には、ショップチャンネルやQVCの箱が山積みされ、食べ物や健康グッズなどを買った形跡があり、母が浪費をしていないか心配になる。
戸棚からカセットテープやCD、MDが大量に出てくるが、カセットテープからMDへの進化には当時誰もが感動したのに、もう今や誰も使っていない。
ソニーのウォークマンに電池を入れて久々に再生してみるとまだ動くことに感動し、浜崎あゆみのSeasonsが流れ、当時の情景が思い浮かんでくる。
ケツメイシの「さくら」が流れてくると、自然に手に取ってしまった高校の卒業アルバムを開いた。
一緒に勉強や部活を頑張っていた彼らはいまどこでなにをやっているのだろうか。
音楽は記憶を蘇らせる道具だなと感心する。
優秀だった何人かの名前を検索して見ると、大企業で管理職についていたり、外科医となり手術をこなして人を救っていたり、田舎に残って地元のイベントを盛り上げていたり、名前が出てくると嬉しくなる。
「あいつらも頑張ってるんだな」と思うと、自分も腐らず頑張ろうと思えるのは、いつの時代も同じなのだろうか。
頑張って活躍してる彼らに連絡を取れたらと思っても、携帯メールが衰退しLINEなどが勃興した今、連絡先は断絶している。
高校時代や大学時代のメアドに連絡してもきっと届かないだろうと思うと、技術の進化と人間関係の継続性については本当に進化をしているのだろうか、と考える。
そうこうしているうちに夕食の時間になった。
久々の帰省で張り切って高い肉を買ってきたのだろう、久々のステーキだった。
彼らはもう年金暮らしだが、お金はあるのだろうか。
「こんな良い食材わざわざ買ってこなくてもいいのに」
そう言っても、
「いやいや、たいしたもんじゃないよ」
と返す父と母。
陰謀論にはまろうが、怪しい通販にハマろうが、子を想う親の心は消えていないことに少し安心する。
「同級生の春奈ちゃん、二人目の子供産んだって」
「成績良かった大介くんは、トヨタで働いてるんですって」
「栄町の美奈子ちゃん、不妊治療でやっと1人目生まれたらしいわよ、よかったわね」
どれも本人たちに直接聞いた話でもなんでもない。
田舎人たちは、ITもクラウドもキャッシュレスも遅れているはずなのに、都会人よりも他人の個人情報を細かく早く把握しているのはなぜだろう。
自分は、同級生たちにどんな情報が伝わっているのだろうか。
「なあ、たかしはいい人はおらんのか?」
ビールで酔った父からそう言われても、
「いや、特に」
としか返すことも出来ず、美味しいステーキのはずが味が落ちていく。
なんとも言えない雰囲気になるが、
「つらいことあったら、いつでも帰ってこいよ」
と父が言う。
それから両親とはたいして多くを語り合うことはなく、休みも最終日を迎えた。
翌日、東京へ帰るバス停に両親が送ってくれた。
同じように、都会へ帰っていく若者たちが何人かバスを待っている。
バス停のプレートもずいぶん劣化し錆びてきている。
地面のアスファルトも割れが目立つ。
「つらいことがあったら、いつでも帰ってこいよ」
父がまた同じことを言う。
バスに乗り、車窓から両親を見る。少しさびしそうな顔をして、前より小さくなったような気がした。
バス停のアスファルトの割れ目からは、たんぽぽが咲いているのが見えた。
そのたんぽぽが、妙に力強く、たくましく見えた。
バスが発車すると、どんどん小さくなる両親。
両親も私も、お互いが見えなくなるまで、ずっとずっとお互いを見つめていた。
—終---
https://x.com/japantank/status/1786595831841509692?s=12&t=2udZ4HodM8nXVRmb1FbVUA
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【谷乃愛】
たに のあ 北海道出身 身長156cm 誕生日12月30日 血液型O型 2020年12月にタイトル未定に加入し圧倒的なパフォーマンスで注目を集める。趣味は音楽鑑賞 特技は歌、ダンス 休みの日の過ごし方は映画鑑賞、友達とショッピング
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YさんのAV男優スカウトとOさんのデマ事件
前の会社で起きた変なエピソードをご紹介したいと思います。
就職して間もない新人の頃、私が担当していた地域は、現在担当している中東・北アフリカなどのアラブ圏ではなく、インド・パキスタンが昔から���有権を巡って紛争の火種になっているインド北部のカシミール地方だった。
私はインドへはカシミール地方(主にスリナガルか、ラダック)しか行ったことがないのだが、カシミール地方は、俗に言うインドの有名観光地(デリー���カルカッタ、バラナシ、アグラ、ブッダガヤなど)とは全く異なる雰囲気らしく、インドがイギリス領だった頃のイギリス貴族の別邸があったり、当時、避暑地としての高級リゾート地だった名残を残している。
雪を抱いたヒマラヤの山々と湖が織りなし、三角屋根の可愛らしい家々や、湖に浮かぶボートハウスなどが、雄大な大自然に恵まれたカシミール地方の美しさを引き立てており、治安さえ安定すれば、ここは素晴らしい観光地になるだろうと、訪れる度に思っていた。
カシミール地方を担当していた頃、一緒に取材に行く映像部門のカメラマンに40代半ばのYさんという中間管理職の男性だった。
どちらかと言えば、この会社では、何故か容姿や体格にやたらと恵まれた男性が多い(特に営業部)中、Yさんに至っては、ごく普通の風貌だった。
身長も恐らく、175cmぐらい(当時の40代半ばの175cmだと世間一般では、高いのかもしれないが、大学&大学院で所属していた研究室と、前の職場の男性は異様に背が高い人が多く、仲良くしている男性社員は全員180㎝台後半だったし、私の親兄弟&親戚&夫&夫の親戚も皆異様に背が高く、明治生まれの祖父でさえ、185cmという背の高い家系なので、男性で175cmだと低いと思ってしまう💦)の瘦せ型で、特にイケメンという訳でもなく、ごくごく普通のオジサンという印象だった。
重い機材を持ち運ぶカメラマンらしく、Yさんの浅黒く日焼けした身体は引き締まっており、白髪も無いフサフサとした黒髪は豊かで、弛みの無いシャープな顎は実年齢よりもYさんを10歳ぐらい若く見せており…と誉め言葉を連ねたいのだが、中年男性特有の(?)顔のテカりを営業部の次長のOさん(ハリウッドスターのロバート・レッドフォードさん似の高身長痩身の男前で、海外ハイブランドのスーツを格好良く着こなし、営業成績も良く、見た目だけは、モデルや俳優のような完璧な容姿。だが、性格と言動はかなり問題アリな人)にからかわれ、Oさんからは『てっかりん』と呼ばれていた。
Yさんは、奥様と二人の娘さんがいる、ごく普通の妻子持ちのサラリーマンである。
ちなみに、娘さん二人は、Yさんには全く似ておらず、奥様に似た美人姉妹で日本最高峰の国立大学に公立高校から予備校にも通わずに、通信教育だけで現役で合格した超秀才の、非の打ち所がない才色兼備の美人姉妹である。
だから、心無いOさんは、『Yさんの娘さんは二人共、奥様と間男との不義の子だ』なんて酷い噂を流していた。だが、Yさんはおおらかで、寛大な方だったので、Oさんの悪意も笑って受け流してしている、非常によくできた人間だった(多分、私がYさんだったら、そんな噂を流されたものなら、OさんやOさんの上司のTさんにブチ切れたあげく、人事部の部長に報告し、名誉毀損で損害賠償を請求すると思う)。
そんな、お人好しのYさんが、ある休日に、彼の趣味であるパラグライダーの用品を買おうと渋谷を歩いていたら、スカウトされたらしい。
何にスカウトされたかというと、なんとAV男優へのスカウトだったらしい。
Yさんは、その場で断ったらしいが、1出演あたり、50万円のギャラを支払うから、どうか、撮影現場だけでも来て欲しいとスカウトしてきた人に懇願されたらしいが、YさんはAVなんかには絶対出演したくなかったし、そもそも自分はカメラマンで、撮影する側であり、撮影される側ではないと、断ったらしい。スカウトの人は残念そうに、名刺だけYさんに渡して、気が変ったら、是非連絡をくださいと言い残して、残念そうに去っていったらしい。
Yさんは、帰宅してから奥様に渋谷でAV男優にスカウトされた事を話したらしい。
すると奥様は「よかったじゃない。AV男優にスカウトされるなんて、あなたは、40代だけれど、まだまだ男性として魅力があるってことよ。でも、まあ普通、AVの出演は断るわよね」と言ったそうだ。
すっかり気を良くしたYさんは、次の出社日にスカウトされたときにもらったAV制作会社の名刺を持って、意気揚々として、『渋谷を歩いていたら、一回あたりの出演ギャラ50万円のAV男優にスカウトされた』と誇らしげに語っていた。
YさんがAV男優にスカウトされた話は、お喋りや噂好きのOさんの耳にも届き、会社中どころか、関連会社、子会社の社員までが知る事となってしまった。
YさんのAV男優スカウトの話題が社内で落ち着いた頃、私はセミナーで自分と同じくカシミール地方の紛争取材を担当している同業種の他社で働いている知人記者とバッタリ会った。
その知人記者とお昼休憩で、一緒にランチをしていると、こんな会話になってしまった。
「みずほさんの会社にYさんっていうカメラマンの方がいらっしゃいますよね?」
「ええ、いますよ。私とペアを組んでいるカシミール担当のカメラマンです」
「あのYさんって凄いですよね~。カリスマAV男優の●●さんと共同出演してゲイAV界で華々しくデビューして初版のDVD発売数は500万部って聞きましたよ~」
私は思わず、飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。
なぜ、そんな噂が流れているのか?!
カリスマAV男優の●●さんは、確かにカリスマAV男優だけれども、ゲイAVに出演するなんて聞いたこと無いぞ?しかも、その相手がYさんだなんて、一体何処からそんな情報が出たの??
私は心の中で何度も疑問を反芻していた。
「…!!!えっ?それ、完全にデマですよ?Yは確かに、AV男優にスカウトされましたけど、スカウトされたその場でAVの出演を断りましたけど?しかも、ゲイAV男優じゃなくて、普通のAV男優として、スカウトされただけですけど?」
「えっ?だって、御社の営業部のOさんが、ウチの△△部長にそう言ってましたよ」
「いえいえ、その話は、真実に尾鰭が付いたデマです。YはAV男優にスカウトされただけですし、その場で断ってますし。真実と異なるいい加減な情報をOが流してしまい、本当に申し訳ございません。どうか、△△部長殿にも、デマだとお伝えいただけますか?」
「Yさんと一緒に仕事をされているみずほさんが、そう仰るなのなら、それが事実なんですね、分かりました、伝えておきます。」
このとき、私は口から心臓が飛び出るかと思うほどビックリしたし、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
なぜ、Oさんは、いつもいつも真実ではなく、余計な尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けてデマを流すのか。
しかし、よくこんなぶっ飛んだデマを思い付くモノだなってOさんの発想力に感服すると共に、冷静になればなる程、Oさんに対する不信感が募ってきた。
百歩千歩譲って社内や関連会社の人間だけならまだよしとしても(本当は全然よくないが)、全く違う会社の人に、こんなデマを伝えるなんて、この業態に身を置く人間として許されないのではないか?という怒りがこみ上げ、午後からのセミナーは殆ど身に入らならかった。
その日は直帰していい事になっていたが、私はセミナーが終わるなり、会社へと急いだ。
自分の部署の扉を開けるなり、私は大声で
「Mさん!!Oさんのせいで、大変な事になりかけてましたよ!!」
と叫んだ。
てっきり、私が直帰するとばかり思っていた上司で部門長のMさんは私が物凄い剣幕でまくし立てたので、ビックリして飛び上がりそうになっていた。
Mさんは、取り合えず、私に落ち着く様にと言い、何が起こったのか順を追って説明してくれと言った。
私は知人記者から聞いた「YさんAV男優スカウト事件」について、Oさんがトンデモナイ尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けて、社外の人に真実と異なる事を喋っていた事を伝えた。
そして、これは職務上、聞き洩らしや言い間違いなどの齟齬を防ぐための、私のいつもの習慣なのだが、ボイスレコーダーを再生し、知人記者との会話をMさんに聞かせてみせた。
Mさんは、Oさんが盛った話があまりにコミカルでぶっ飛んでいたので、最初はお腹を押さえて大笑いしていたが、一通り笑った後、「イカン、イカン、笑い事じゃなかったな。営業部と人事部に報告に行こう」と言い、私を同行させた。
この業界は色々な人間や組織を相手に取材を行い、取材から得た情報を提供する事が仕事である。
だから、提供する情報は真実と異なる物であっては絶対にならない。
勿論、知っている情報から憶測でモノを言うこともご法度である。
これは、新入社員の時に厳しく言い聞かされた事であり、私のように執筆に携わる者だけでなく、間接部門や管理部門でも周知徹底している当然の鉄則である。
ましてや、社外の人との交流が多い、営業部の、部門長のTさんの次に偉い人間であるOさんがデマを話すなんて言語道断である。
幸い、Oさんが話した内容は、相手方企業の方があまり興味を持たなかったので、事無きで済んだ。
しかし、Oさんが盛った話の中で、Yさんの相手役になっていた●●さんというAV男優は、AV界では、カリスマAV男優として名を馳せている(特定の分野に限ってではあるが、ある意味)著名人である。
もしも、Oさんがデマを話した相手方企業が、Oさんの話に興味を抱き、カリスマAV男優の●●さんへ取材を申し込んでいたりしたら、当社は信頼を失墜する恐れすらあったのだ。
この事は人事部長の逆鱗に触れ、Oさんは1週間の出勤停止処分となり、Oさんの上司のTさんも部下の監督不行き届きで厳重注意処分となった。
人事部長と営業部の部門長のTさんには、よく炎や火事になる前に煙の状態で火消ししてくれたと感謝されたが、当然ながら、Oさんには恨まれた。私はこのAV男優スカウト事件以来、Oさんにしょっちゅう落とし穴を掘られたり、地雷や罠を仕掛けられるようになり、Oさんとの長い戦いの始まりであった。
だが、滅茶苦茶酷い噂を流されても、「まぁまぁ、Oさんは面白い話をしたかっただけだと思うし、よくそこまでぶっ飛んだ噂に飛躍できるなって、ある意味Oさんも盛った話は笑いのネタとしてはもってこいだから、僕は気にしてないよ」と、笑いながらOさんを許したYさんは、本当に寛大な人間だと思う。
私もYさんの寛大さとおおらかさを見習わなければならないと思った瞬間だった。
残念ながら、私は2年後にカシミール地方の担当を外れ、アラブ圏(主に中東・北アフリカ)担当になったので、Yさんと一緒に仕事をしたのは2年間だけだった。
中東・北アフリカ担当になり、カシミール担当時代よりも、遥かに過酷な現実や心が折れそうになる悲惨な世界や事柄を沢山目の当たりにした。だが、挫けそうになる度に、私はYさんの事を思い出した。
まだ、右も左も分からない新人の頃に、Yさんからは、この業界に身を置く者としてのイロハを沢山教えて頂いた。
Yさんから教えて頂いた沢山の事は、今でも私の心の支えである。
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<北海道>
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<宮崎県>
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<鹿児島県>
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「消滅可能性」744自治体 人口戦略会議 239自治体が脱却 / 日本農業新聞
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1207-1211
1207
たくさん洗濯をした。朝から暖かかい日だった。キムチ鍋の残りにごはんと卵と餅を入れておじやっぽいものを食べた。この餅は母が仕事のお客さんからもらったもので(毎年餅つきするらしい)、食べきれないからと毎年わたしのところにもやってくる。わたしも食べきれなくて冷凍していたやつ。いや母はとっくに退職している。これはいつの餅だろう。いつのかわかんないけどふつうに食べられた。スープジャーにこれを入れてお昼にし、入りきらないぶんを朝食べた。
角川ふざけんなとバチぎれた日記を書いた。バチぎれた日記を書くとソワソワしてしまう。わたしはいろんなことをのろのろのろのろ考えているタイプで結論を遅らせがちなんだけど(意図して遅延させている面もある)、この件の差別的な宣伝文に関しては言える人がすぐ言わないとだめだと思った。「伝染する」はひどい。今後いろんな価値観や常識は変わっていく可能性があるけど、いま、この瞬間、「伝染する」にショックを受ける(受けた)人たちがいることを無視しちゃだめだと思った。どのような本も出版を妨げられるべきではないというのはそれはそうなんだろうけど、と同時にNOは言わなきゃと思った。このあいだの日記でも書いたけどわたしにはひどいミサンドリーがあり、自分のあたまで考えたつもりのことはまちがいだらけなんじゃないかと不安でたまらないし、実際しくじりも後悔も多い。でもそれはそれとして「伝染する」はありえねーわ。そう思ったいまのこの気持ちを大事にしたいと思った。
なんかいろいろ終わらなくて観に行きたかった映画を観に行けなかった。しょんぼりしながら帰って寝た。
1208
今日も暖かい。寒さに慣れてきたのもあるかもしれない。デニムのセットアップで出かける。セットアップって好き。太ってからメンズのセットアップをよく着るようになった。
甥の誕生日プレゼントを買う。妹にリクエストをきいたら絵本がいいとのこと。「からすのパンやさん」と「スイミー」が気に入っているからそれ以外のかこさとしかレオ・レオニとの指定。���歳になる。絵本の読み聞かせは書いてある文字をぜんぶ読んであげないと怒るそうで、奥付も音読しているらしい。偕成社、東京都新宿区市ヶ谷砂土原町…とかそういうの。わたしも親向けの解説とかぜんぶ読んでたな。
ブックファーストに行ったら絵本はほぼシュリンクされていて、中身が見られなくてちょっと困った。汚損防止だろうけど表紙しかわかんないんじゃネットで買うより不便だ…。
「どろぼうがっこう」、「だるまちゃんとてんぐちゃん」、「おんがくねずみジェラルディン」、「さんびきのやぎのがらがらどん」をチョイス。中身がわからないから自分の好きなものになる。ジェラルディンはえものおすすめ。だるまちゃんとてんぐちゃんだけシュリンクされてなかったのでぱらっと読んだ。こんないい話だったっけ…ちょっと泣きそうになった。
だるまちゃんがてんぐちゃんの持ち物をつぎつぎほしがり、お父さんに相談して近しいものを手に入れていく。天狗の下駄とか帽子とか。似ているものを探し、自分用を作り出していくさまがかわいくて面白い。あるときてんぐちゃんの鼻にちょうちょがとまって、だるまちゃんも長い鼻をほしがる。最初お父さんは蝶がとまるなら花だと思って色とりどりのお花を並べてみせるんだけど、ちがうそうじゃないんだ、花じゃなくて鼻なんだ、自分は長い鼻がほしいのだとだるまちゃんは訴える。お父さんはお餅をついて鼻を作ってあげて、だるまちゃんは立派な鼻を手に入れる。鼻の先に小鳥がとまって、てんぐちゃんも一緒によろこんで、めでたしめでたし。
めっちゃいい話だな。こういうのって、他人の所有物や身体の特徴をうらやましがるのはやめましょう、自分のあるがままを愛しましょう的なメッセージにしちゃいがちだけど、ほしいものをなんとかこしらえ手に入れるっていうのがいい。めちゃめちゃいい。飛躍しすぎかもだけどこれFTMの話だなって思った。
お昼はピザ。ドミノピザがブラックフライデーで600円というのをやっていて、ブラックフライデーってもう終わってないか?と思ったんだけど(一応ネットでも調べた、12/3までのキャンペーンと書いてあった)、店の窓には600円ですと書いてあるのでこれまだやってるんですかとたずねたらやっていた。一人で昼間からピザ食べるの浮かれてて面白いな。食べたらとても眠くなりやるべきいろいろが捗らなかった。夕方、通販とか書店さんへの荷物を送った。
夜ごはんはかぶと豚の炊き込みご飯。インターネットで見かけたレシピ。あとじゃがいもの煮物と、ほうれん草を炒めたやつ。ほうれん草はナムルかごまあえにしようかと思っていたけどめんどくさくなって塩胡椒で炒めた。炒めただけなのにやけにおいしくて、なんだか感心してしまった。それで(っていうのも意味わかんないと思うけど)久しぶりにヘミングウェイの『老人と海』を読み返した。
1209
甥の誕生日会。妹と妹の夫の勤めている会社の保養所みたいなところですき焼きを食べた。旅館みたいな畳の個室。甥が卵を割ってかきまぜてくれた。駅から保養所への道で父が転んで血だらけになり、店の人にばんそうこうをもらった。何やってんのと母は呆れ、父はばつの悪そうにしていた。これ以上言ったら機嫌が悪くなるからさっさと手当てして話題を変えようという連携プレーがあった。うちの父はいつも威張っていて口が悪く、その一方で信じられないくらいうっかり者で、離れて暮らしていると困った奴だなーとやや笑えるけど毎日一緒にいると扱いづらくて大変だろうなと思う。ただ母も言動に軽はずみなところがありわたしはしばしばぎょっとするので、まあちょうどいいんだろうなと思う。ちょっと飲みすぎた。瓶ビールを何本か飲んだあと、妹と父とわたしで日本酒の四号瓶をあけた。甥がどんぐりをたくさん拾った。一個ちょうだいと言ったら二個くれた。すべすべした立派などんぐりだった。すごく眠かったけど帰り道だったので新宿アルタ前のスタンディングにちょこっとだけ参加。STANDING DEMO QUEERS FOR PALESTINEっていうやつ。人多かった。帰ってから少し寝て、起きて小説を書いた。夜になっておなかがすいたのでコムタンを食べた。
1210
原稿を提出。ちょっとすっきりした気持ち。日記祭に行く。望月柚花さんと待ち合わせ。新しい下北沢にいまだ慣れないという話。ずっと慣れない気がする。バインミーを食べた。レバーペーストがこってりしていてパンがしっかり固くて、これだよ〜!というバインミーだった。
日記祭、わたしの探し方が悪いのかもなんだけど委託?の本がどこにあるのかよくわからなくていくつか見つけられなかった。売り切れもあった。うろうろ歩きまわって見つけらんない感じにきのうの父を思い出した。似てんのかな。口ばかり達者でうっかり者。でもいい天気であたたかくて、見つからないのもしょうがないなという気持ちになった。外でやるイベントいいな。隙間さんの『うつわ日記』と図Yカニナさんの『沖縄に六日間』を買った。
柚花さんと文章の話とか着物の話とかしながらビールを飲んだ。ミントマイナスマイナスのことを覚えていてくださってうれしかった。そしてしゃべっている途中、ネプリにしているステッカーのPalestinaのつづりがまちがってませんかと糸川さんがDMで教えてくださって、自分はほんとにうっかり者だな…と反省した。父はわたしの名前の漢字をしょっちゅうまちがえるのを思い出す。
ドーナツを買って柚花さんとバイバイし、国会前のデモへ。この日は黒のオールインワン(ツナギ)を着ていて、最近イベントとかスタンディングに行くときよく着てる。どこでも座れるしポケットいっぱいあって便利。日記祭行ってビール飲んでドーナツ持ってデモ行くのどうなんだと思いつつ、そのくらいで参加するおっちょこちょいがいてもいいような気もする。あとやっぱりこういうのにぶらっと行けるのは関東民の特権なんだろうなとは思うので、行けるやつは行っとくほうがいいかなと思っている。そこそこ元気で、子育てや介護やぜったい抜けられない仕事とかもないし。
国会前のデモは年齢層が高くてちょっとびっくりした。ナクバを生き延びたパレスチナ人のお孫さんという方がスピーチしていて、胸が詰まった。警察がすごく多かった。地下鉄の出口を出たところで「イベントに参加の人ですか?」と道案内されかけ、イベントではなくないか…?と思った。
日比谷公園でドーナツを食べ、さっき買った日記を読む。隙間さんの日記、写真(LINEの画面のスクショ)がたくさん袋に入っているもので、公園でこの束をカサカサめくる時間がすごくいいなと思った。内緒話みたいな感じ。futouさんのツイッターから流れてきてなんとなく日記を眺めたことが何度かあって、すっかり忘れていたんだけどちょっと前にツイッターをフォローしてくださってああそういえばと思い出した。日記祭でお話してみたかったんだけどfutouさんから来ましたとか意味わかんないことしか言えなかった。このあいだ角川にバチギレた日記を書いたとき、「毎日書いてる日記だけど、怒っていることについて書くと日記ではなくなるな…。でもこの日これを考えていたという記録だからまあいいかという日記。」というツイートにいいねしてくれてうれしかったの。でもわざわざ言うことでもないなと思った。『沖縄に六日間』は旅日記的なものが読みたくて買った。装丁がすごくいい。国会前の時点でスマホの充電はだいぶ少なかった。電源のあるカフェとかに行けばよかったんだけど天気がよくて思わず公園でぼーっとしてしまった。『ピュウ』を読みすすめた。
体力的にきついかなーと思ったんだけど渋谷ハチ公前のプロテストレイヴをちょっと見に行った。すごくよかった。スピーチがパワフルなのもよかったけど、音楽がすごくよくて…。赤と緑のスモークもよかった。渋谷駅前、スリバチの底に煙と音と声が溜まり、うねっていた。通りすがりに足を止める人も多かったように見えた。これ何やってるんですかと聞かれたのでちょっと説明。ステッカーをあげた。つづりまちがってないほうのやつ。帰って肉を焼いて食べた。
1211
何も捗らない一日だった。きのうおとといと活動的に過ごして疲れているんだと思う。そりゃそうだよなと思う。労働の電話がかかってきたのを無視した。「こわいよお」とか言って布団にもぐった、部屋に一人でいるのにかわいこぶって。メールは返した。春菊とキムチでチヂミを作って夕飯にした。食べながら蘭たんの動画を見た。8番出口のやつ。夜になっても洗濯物はあんまり乾かなかった。今度参加するアンソロの小説を書き進めた。
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みなさまにとって、今年はどんな一年やったんやろう。うれしいことたくさんあった?かなしいこと以上に、たのしいことやうれしいことが上回っていたなら僕もしあわせです。ちなみに僕たちは右を見て、左を見て、上を向いて、サルを喜ばせた一年でございました。今日は年内最後にひとつ、どうしてもやりたいことがありましてね。一年間の活動をまとめてみたいのよ。お仕事というのもたいせつなご縁ですから。ものすごーく長くなってしまいそうな予感がしているので、お時間とご興味のある方はぜひお付き合いくださいな。Tumblrさんがひとつの投稿に10枚までしか写真を貼り付けられないみたいやから、上半期と下半期に分けて投稿しますよ。それではげんきいっぱいにいってみよー!
1月
2023年の幕開け。いちばん最初にテレビ越しでみなさまとお会いしたのは、ダウンタウンDXさんの最強運ランキングやったね。
わらってる。笑ってますけど、乙女座×A型の僕は41位でした。48位中の41位。僕はおしゃべりがへたっぴやからひとりでバラエティにお邪魔するのって結構珍しかったりするんやけど、まさかこんなに早く名前が呼ばれるとは思わんかったなあ。クレームではないですよ。僕がこういう風貌だからか、近くにおった後輩の橋本涼に「ビビってます」と言わせてしまったり、あのちゃんから「歯並びあまり綺麗じゃない」と言われたり。新年早々だいぶふんだりけったりでした。もちろんクレームではないよ。来年はすこしでも順位が上がっていますように。
続きまして、映画「嘘八百〜なにわ夢の陣〜」が全国の映画館で公開に。僕の体の事情でずっと避けていた映像作品。ご迷惑をおかけしたらどうしようかと不安な気持ちもあったけれど、この作品をやり遂げたあとはまた映像のお仕事もしてみたい、と前向きになれた僕がいて。恐怖心をひとつ、やさしく解いていただきました。感謝やね。カリスマ波動アーティストの彼は今までまったく演じたことのない人間性で、思い出深い作品。只今レンタルも開始されておりますよ。年始のまったり時間のお供にいかがでしょう。
1月の締めくくりはドームLIVE18祭。僕たちの愛する故郷、大阪でフィナーレを迎えました。楽しい時間は瞬く間に過ぎてしまうけど、18年目まで連れてきてくれてありがとう、の気持ちを余すことなくお伝えできたことがとってもしあわせ。またはやく会いたいね。
2月
お洋服かわいいでしょ。こちらはEテレのドラマ「オリガミの魔女と博士の四角い時間」という作品。ゲストで1話分がっつりと出演させていただきましたよ。僕の役は、星空を支えるうしかい座のカウボーイ。アトラスくんです。空から逃げてしまったうしさんを呼び戻すために、オリガミの博士とかわいいうしさんをおりおり。めっちゃ難しかったなあ…。
3月
3月は嘘八百からのご縁で、友近さんの番組にお邪魔しました。なかよしこよしなのよ。雪国でのロケは寒かったけど、大好きなお姐さんとの北海道デートやったから子供のようにはしゃいでもうた。誰と楽しむかって大事よね。上富良野町。かみふらのちょう。いいところです。
4月
とってもかわいい妹分と、ananさんの表紙に呼んでいただきました。表紙ですって。品出しの店員さんはびっくりしたやろなあ。今までまったく知らんかったけど、ananさんは心臓の毛がぼーぼーなんやと思う。ありがたいことです。
5月
48枚目のシングル、未完成の発売。たくさんのおともだちからも気に入っていただけたようで、ひとつひとつの感想がほんまにうれしかった。選り好みせずいろんなジャンルを歌える自分たちでいたいと思うけど、やっぱり誰かの背中を押す応援歌は、それぞれが持つパワーというものがいつも以上にきらりと輝くような気がするね。
5月はもういっちょ。このお写真で僕が着用しているサングラス、実は自分で手掛けたものなんです。365日使いやすいルックスと使い心地に。そんな想いを込めて、GROOVERさんの手をお借りしながら無事形にすることができました。抽選販売になってしまったけれど、もっとたくさんの方の元へお届けできるように、そしてまた次に繋げられるように僕も頑張ろう。
6月
1月に紹介した18祭の映像商品が世に出ましたね。特典映像と本編、すべてまるっと含めて13時間超え。愛するeighterさんを楽しませたい!の気持ちから、ついこんなことに。てんこもりや。もりもり。いつ見ても飽きないでいてほしいからね。さて、以上で前半戦はおしまいです。10枚までしか載せられへんから結構厳選してもうたなぁ…。後半戦へつづくぞー!
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コールガール
酒場で歌いほろ酔いで帰ったホテルのシングルルーム。
ふと誰かの温もりを感じたくなってしまった。
ネットで調べた番号に電話をかけると無機質な声で料金を言われ、それに応じて電話を切る。
部屋に来るまでの十分間で歯を磨いてパジャマに着替えた。
扉をノックする音。
静かに開けた扉から、中背で痩せ型若い色白の女性が姿を見せ、中へと招いた。
目元が可愛らしくマスクを外すと優しさを感じる顔立ちで少しあった緊張が解けた。
派手さは無いが例えるならマーガレットのようなしおらしい可愛さがある。
「あかりです」
鼻から抜けてどこに気持ちがあるんだろうという声質が耳に残る。
シャワーを浴びる。
恐らく仕事に慣れてないのだろうという手際。
「生まれは?」
「北の方」
「俺も北だよ」
「同じかもねぇ」
彼女の首筋に顔をうずめる。ボディーソープと頭皮の脂の香りが安らぎを与えてくれる。
タトゥーも自傷跡もない白く綺麗な体を抱いた。
話をしていくと、県は違うがとても近いところの出身だと言うことがわかった。そこは祖父とドライブでよく行っていた海沿いの街。
地元の進学校を出て東北の都市部に出た。普段はOLで、今は出稼ぎで来ているらしい。
話していてストレスなく返答や言葉が出てくるから、そこに頭の良さを感じた。
話の流れで連絡先を交換した。
本当の名前はゆかだった。
アイコンが馬の写真で背景が競走馬のぬいぐるみだった。
「競馬好きなの?」
「好きです」
そこから会話が弾んだ。
今流行のゲームより前にYou Tubeでオススメされたライスシャワーのヒストリーを見たのがきっかけだという。
ライスシャワーを簡単に説明すると、記録がかかったレースで対象馬をマークして勝つという、所謂ヒールと呼ばれる馬だった。
そんな中、ファンから一番人気で選出されたレースでようやくヒールがヒーローになる時に、レース中の怪我で命を落としてしまう。
それに感銘を受けて競馬にハマるという感受性に興味がわいた。
そんな中、一緒にいる時間も終わりに近づく。
「よかったらこの水あげるよ」
フロントでもらった水を冷蔵庫で冷やしていたからそれを渡した。
「ありがとうごさいます。嬉しい」
「よかったよ」
「もしね」
「うん」
「店長の気分が変わってなければこれで今日ラストなんです」
「そうなんだ」
「泊まってるホテルも近いし、よかったらお話しませんか?」
まさかの誘いだった。
「い��よ、ぜひ話そう」
「やった!競馬の話たくさんしてください」
店に電話してゆかは仕事の終わりを伝えて帰宅を許された。
夜ご飯を食べてないというゆかとコンビニへ向かった。甘いお酒とボンゴレビアンコ、おにぎりを買った帰り道。
「あのさ」
「なに」
「一生のお願い程ではないんだけど」
「うん」
「手繋ぎたい」
「これが一生のお願いなの」
彼女から手を繋いでくる。
「いや、違う。程ではないって言ったよ」
「ふふふ」
部屋へ戻って食事をとる彼女と話をした。
競馬の話。それに因んだゲームの話。ひとしきり話した後、彼女について聞きたくなった。
「彼氏は?」
「いるよ」
「だよね」
「同棲してる」
「よく出てこれたね」
「GWだからお互いに実家に帰るってなって」
「なるほど」
「こんな事聞くのもあれなんだけどさ」
「なんでこの仕事したのって?」
「うん、気になった」
「うつになってね、休職したんだ。その間はある程度給料で出てたんだけど、時短で復職したら全然お金貰えなくなって」
「そうだったんだ」
「同棲してるから家賃も生活費も半分ずつだし、それじゃあ足りないから…」
「彼氏は出してくれないの?」
「半分以上は出してくれないし、あんまり頼ると嫌な顔されるから。うつでしんどいときも家事はやらなきゃだったし、やらないと嫌味言われてさ」
恋人とか、パートナーとか、夫や妻って何だろう。
苦しいときに何かしてあげたいと思うのがそれらではないんだろうか。
去年俺が経験した事とも重なって、目頭に熱さを感じた。
「それでなんだ」
「それでもやっとなんだ。彼氏が仕事終わるまでに帰らなきゃいけないから長い時間できないし」
「彼とは病気の話はしてるの?」
「したけどあんまりわかってくれなくて。薬飲んでも変わってないじゃんって言われて。私が悪いんだよね」
椅子に座って机を見つめるゆかを抱きしめた。
「ゆかは悪くないよ」
「えっ」
「ゆかは全然悪くない。悪いのはまわりだ」
ゆかが俺の背中に手を回してふっと笑った。
「ありがとう」
「ほんとだよ、ゆかは悪くないから」
ゆかの髪に口づけて、顔を見合わせてキスをした。
シングルベッドの上で何度もゆかを求めて、ゆかも俺を求めた。
「一緒に帰ろうか?」
「帰れないよ」
「そうか」
「だって、まだ気持ちあるから」
「好きってなんだろうね」
「なんだろうね」
このままゆかを連れ去りたいけど出来ない。
そして離してしまうと二度と会えないこともわかっていた。
「会えたのって奇跡だね」
「なにそれ」
「ゆかがここに来なかったら、俺らは会ってないからさ」
「そうだねぇ」
変わらず気持ちがどこにあるのかわからない声だ。
でもそれが堪らなく愛しいと思った。
夜は更けて過ぎていく。
ゆかの推してるアニメキャラの同人の話を聞いて眠った。
ゆかがセットしたアラームが鳴って起きた。
六時だった。
ゆかはまだ眠っている。
気持ちよさそうに寝息を立てる顔を見て静かにシャッターを切った。
唇を重ねる。そこでゆかは目を覚ました。
「おはよう」
ゆかが頷く。
ベッドでゴロゴロして寝ぼけながら話をした。
「俺、バツイチなんだ」
「そうなの?」
「娘もいるよ」
「なんで別れたの」
「子供がお腹にいる頃にうつになって、仕事見つけられなくなって、そしたら別れを言われた。」
「辛かった��…」
「発達障害も見つかってさ。通院してるよ今も」
「私もある。ADHD。薬も飲んでるし」
「そっか、一緒だったんだ」
「うん、そうだね」
ゆかが俺の頭を撫でる。そのあと俺はゆかに抱かれた。
別れの時が近づく。
「今度帰ってきたら会おうよ」
「うち過保護だから夜は無理だよ」
「昼でいいよ」
「私の車ないから迎えに来てもらわなきゃいけない」
「どこにでも行くよ」
「ありがとう」
部屋からエレベーターまで手を繋いで歩いた。
下行きのボタンを押す。
「実はね…私六階なんだ」
「えー、早く言ってよ!」
「ふふっ」
上行きのボタンを押す。
「だからか、エアコンの効き悪いとか知ってたもんね」
「そういうことでした」
エレベーターの扉が何度も開いて閉じてを繰り返す間、最後に口づけをした。
「また会おうね」
「ありがとうございました」
手を振ってわかれた。
またいつか会えるといいな。
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日記にしなかった19
弟に「北海道から上京した7割は戻ってくるんだよ」と言われ、やっぱり北海道は最高だよな〜と思う。
夕方の空にグラデーションが降りてくる。
曇り女なので、雨は上がるし、太陽は隠れる。
疲れすぎて改札に家の鍵かざしてたからもう帰る(帰っているん)
今出会ってたら、もっと上手に愛せていたかな。
その日の天気は、通勤中にすれ違う人が傘を持っている割合で確認するので、雨が降ってももう間に合わない。
パーソナルカラーなんぞわからないが、今が“飲みべ冬”だということはわかる
不満はあるが、不安はないこの職場。私は昔から将来のために虎視眈々と準備してきた性格だ。
フリスクなのだろうか。シャンシャンシャンと音を立てながら走る人を見て、まるでサンタクロースだなと微笑んでしまう。
次、雪が降ったら根雪だなと思って過ごしている。そうなったら最高気温がいつも氷点下の寒い寒い冬がやってくる。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
通巻第8118号
孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
*************************
自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評���』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し���その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
(十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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ぷららさんさんはTwitterを使っています:「しかし函館市長選、不祥事も無いのにこれだけ惨敗する現職首長を見たことがない。北海道における大泉家の愛され方が異常過ぎる。兄貴でこれなら大泉洋本人だったら参議院選でも知事選でもぶっちぎってしまうのではないか。」
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“You’ll Burn and we’ll be happy”
https://grrrgraphics.com/the-burning-times-maui-wildfires/
漫画掲載:2023年8月15日
ジョー・バイデンはマウイ島ラハイナで発生した壊滅的な火災についてコメントしないかもしれないが... 私はコメントする。
ティナと私は何年も前にマウイ島を訪れたが、私にとってマウイ島は本当にパラダイスだった。ラハイナは島の北西海岸にある趣のある町で、魅力的だった。それが突然、700マイルも離れたハリケーンが煽った火事で消滅してしまったのを見て、私は心を痛めた。愛する人を失ったすべての家族に哀悼の意を表します。
この火事で100人近くが亡くなり、その数は増え続けている。この火災は、数年前にカリフォルニア州パラダイスで起きた火災を思い出させた。
あの火事は非常に珍しいものだった。エンジンブロックを溶かしながら、近くの木々を免れたケースもあった。あれは指向性エネルギーの実験だったのか?ある種の指向性エネルギービーム、レーザー、マイクロ波が使われたのでしょうか?私が『陰謀論者』であることは承知している。9月11日にビル7が崩壊したのを見た後、そしてゲイツ、ファウチ、ビッグファーマが世界に押し付けた計画的な疫病の後では、私には疑う権利がある。
政府軍が長い間、気象実験を行ってきたことは誰もが知っている。権力に狂ったコントロールフリークのやることだ。しかし、我々はそれを知っている。ラハイナでの突然の大火災は、不吉なグローバリストの仕業なのだろうか?彼らは意図的に住民を一掃しようとしたのだろうか?確かなことは言えないが、現地の市民は "爆弾を落とされたようだった "と言っている。
確かにある種の指向性エネルギービームが使われたように見えた。水中のボートも燃えた。警報システムはどうなったのか?サイレンもなかったし、政府からの警告もなかった。ハワイ州知事は安易な方法で『気候変動』のせいにした。
本当か?1、2週間前、彼らは赤道付近の海が沸騰しているという嘘をついた。今度は気候が暑すぎて島で自然発火が起きたとでも言うのだろうか?
意図的に火を放った可能性が高い。あるいは、送電線が風で吹き飛ばされ、非常に乾燥した外来種の草に火が燃え移ったのかもしれない。それにしても、なぜある建物は助かったのに、ある建物は焼け焦げてしまったのだろうか?またしてもカリフォルニアの火事に似ている。グローバリストたちは、貧しい人々だけでなく、中産階級とそのビジネスを焼き尽くそうとしているのだろうか?封鎖の間、彼らはそうした。中小企業は閉鎖された。すべては国連のアジェンダ21と30の計画の一部なのだ。WEFのクラウス・シュワブ会長は、私たちは何も所有せず、幸せになると言った。彼は私たちに肉ではなく虫を食べさせようとしている。実際には、彼は私たちが死ぬことを望んでいる。致命的なワクチンや町全体を焼き払うことがその手始めだ。
ラハイナで実際に何が起こったのか、未来に答えが出るかもしれない。住民の多くは再建に十分な保険に加入していないだろうし、長年にわたって追加されてきた複雑な建築基準法や規制のために、再建にははるかに高額な費用がかかるだろう。超富裕層が急襲して土地を買い占めるようなことがあれば、私たちの疑念は確信に変わるだろう。マウイ島のスペースは非常に限られており、オプラやベゾスのようなグローバリストの億万長者たちは、この土地に鉤爪をかけたいのだろう。
しかし、レガシーなメディアは、この火災の原因を調査するどころか、すぐに完全に無視してしまうに違いない。その代わりに、この火災を「気候変動」の証拠として、お決まりの「専門家」の大声で引き合いに出されることになるだろう。それはでたらめだ。
私たちの多くは、科学者を買収し、その科学者が自分たちの主張を通すためにデータを選別し、それを企業メディア(これも買収された)が後押ししていることを知っている。気候変動に関する彼らのシナリオはすぐには消えない。彼らはそれを「証明」するために、喜んで町全体を焼き尽くすだろう。
- Ben Garrison
The Burning Times, Maui Wildfires – GrrrGraphics
日本もあちこち燃えてるよね〜 今年は日本が標的かも〜(これまでもそうだったけどあからさまに始まった感)
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「劇場版 ポールプリンセス!!」ホワイトデーアンコール上映会、全国12劇場で開催決定!
皆様の熱い声に感謝の気持ちをたっぷり込めて、3月14日(木)に全国12劇場で「劇場版 ポールプリンセス!!」ホワイトデーアンコール上映会の開催が決定しました!「劇場版 ポールプリンセス!!」本編上映後、WEB版の7つのソロポールダンスショーを大画面&音響でたっぷりお楽しみいただけるスペシャルな上映会!ポルプリを最近知ってくださった方も、ずっと応援してくださっている方も、この機会にぜひお誘い合わせの上、ご来場ください!皆様のお越しをお待ちしております。
◆上映会タイトル
「劇場版 ポールプリンセス!!」 ホワイトデーアンコール上映会
◆実施日
2024年3月14日(木)
※上映時間は劇場によって異なります。劇場HPにてご確認ください。
【上映作品】
「劇場版 ポールプリンセス!!」
※「全力上等☆応援上映」<応援上映全編>となります。
※本編上映後にWEB版ポールダンスショーの上映あり
◆鑑賞ルール
・歓声、応援、声出し、曲に合わせた手拍子、振り付け、拍手、コスプレ可能な上映となります。
・応援グッズ(タオル、ペンライトなど)の持ち込み、使用も可能です。
・座席から立ち上がってのご鑑賞や、飛ぶ、跳ねる、あばれるなど、周りのお客様のご迷惑になる行為はご遠慮ください。
<WEB版ポールダンスショー上映内容>
・「Queen of Fairy Sky」 御子白 ユカリ(CV.南條 愛乃)
・「Avaricious Heroine」 紫藤 サナ(CV.⽇⾼ ⾥菜)
・「眩暈の波紋」 蒼唯 ノア(CV.早⾒ 沙織)
・「マジカル☆アイデンティファイ〜3・2・1の魔法〜」 歌:東坂 ミオ(CV.小倉 唯)
・「とびきり上等☆Smile!」 歌:西条 リリア(CV.鈴木杏奈)
・「リメイン」 歌:南曜 スバル(CV.日向 未南)
・「Wish upon a polestar」 歌:星北 ヒナノ(CV.土屋 李央)
◆実施劇場
札幌シネマフロンティア(北海道)
MOVIX仙台(宮城)
横浜ブルク13(神奈川)
T・ジョイ蘇我(千葉)
MOVIXさいたま(埼玉)
T・ジョイ新潟万代(新潟)
シネシティ ザート(静岡)
ミッドランドスクエア シネマ(愛知)
T・ジョイ梅田(大阪)
T・ジョイ京都(京都)
広島バルト11(広島)
T・ジョイ博多(福岡)
※上映時間は劇場によって異なります。劇場HPにてご確認ください。
◆チケット
1,700円(税込/全席指定)
※各種前売券、ムビチケカードをご利用頂けます。
※特別興行につき、各種割引・サービスデイ・各種招待券・無料鑑賞券・無料鑑賞クーポンは、ご利用頂けません。
※購入方法は劇場により異なりますので劇場HPをご確認ください。
◆注意事項
・記録や取材のための撮影が入る場合がございます。予めご了承ください。
・上映中、座席から立ち上がる、飛ぶ、跳ねるなどの行為はご遠慮ください。
・火器類の持ち込み、クラッカー・笛などの鳴り物の使用はお控え下さい。
・タオルなど、後ろの座席のお客様の視界を遮るような応援グッズを肩より上に掲げる行為はお控え下さい。
・周りの方の視界を遮るようなグッズの持ち込みはお控え下さい。
・会場内では感染防止のための措置や指示に従っていただき、感染防止を意識した行動にご協力をお願いいたします。安全確保の妨げになると判断した場合にはご退場をお願いすることもございます。
・劇場化粧室でのお着替えや周囲の迷惑になる行為はお控えください。
・ペンライトのお持ち込みを許可している特別な上映会となります。静かに映画をご鑑賞されたいお客様は通常上映をお勧めいたします。
・転売を目的としたチケットのご購入は固くお断りいたします。
・場内でのカメラ(携帯カメラを含む)、ビデオ等による撮影・録音等は固くお断りいたします。
【主 催】
株式会社エイベックス・フィルムレーベルズ
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DiDiモビリティジャパンは日本型ライドシェア事業において全国12都道府県のタクシー会社と提携し、ライドシェア車両のマッチングを開始すると発表した。サービス開始時期は6月上旬で、対象エリアは今後拡大予定。
今回連携するのは北海道、宮城、東京、神奈川、静岡、愛知、京都、大阪、兵庫、広島、���岡、沖縄エリアの提携タクシー会社。
また、ライドシェアに関する特集サイトを開設し制度の紹介をすると共に、ドライバーの募集を行う。同社は今後、相互評価機能や緊急通報機能などを通して乗客、ドライバー双方に対して安全かつ利便性の高いサービスを提供する。
タクシー配車アプリ「DiDi」ライドシェア利用へ…新たに12都道府県 | リセマム
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240119
つかれている。たぶん。
詩集をつくりながら泣きそうになってしまった。
途中でやめて、ねた。
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240120
もう朝だけれど、起きたくなかった。
ねていたいのではなく、起きたくなかった。
わたしは一体何をやっているのだろう。
お金にもならないのに、つくり続けて。
展示を、ギャラリーを借りて自由にしたことがなく、不安なのだと思う。
壁に何をどうしたらいいのかわからない。わからなくて、ただ白い壁になるのがこわいから、どうしよう、何かつくらなきゃ、と思い続けている。
つくった詩集を読んでいたら、なんか、いいなと思いえた。
結局のところ、ひとつひとつ、やっていくしかないのだ。
ひとつひとつ、ちらかった頭から取り出して、片づけをしていくしかないんだ。
こう、日記をつけることがすでにひとつ、整理になっていて、毎日しっかりめに絵を描いたり、本をつくったり、しているのにやることが無限にわいてくる。
いろいろと、間に合わないかもしれないけれど、今できることを精一杯やりたい。
格好いい空間にはならなくても。
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240121
朝、雨が降っている。
アルバイト、行きたくない、と強く思いながら傘をさして歩く。
ハト。
路上をひょこひょこといつもと同じ調子で歩いている。お前はさむくないのか。湿度。湿度があって、もしかしたら刺すような厳しいさむさというわけではないのかもしれない、と思う。
冬の湿度はやさしい。夏の湿度は拷問。
夜、友人と喫茶店でカレーを食べる。
ひさしぶりでも、あなたと会うこと、いつもひさしぶりではないみたいだよ、嬉しい。
北海道に引っ越したら、東京と北海道のそれぞれのものを贈り合おうと提案してくれる。お互いのこれからの日々を祈った。
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240122
額装をしてもらいに画材屋へいく。
いった。いったのだけれど。急にいろんなことが怖くなって、とてもじゃないけれど、何かを選択するということができる状態ではなくなってしまったから、画材屋の前のベンチに座って、ぼんやりとしていた。ちょっと泣いた。
音楽を聴いて、少し落ち着いて、店員さんに声をかける。
大丈夫。普通の声でしゃべれている。大丈夫。大丈夫だった。
絵を、素敵ですねって言ってもらう。
マットと絵の間に余白がある方がいいですよって教えてくれた。
その方が、色を何層も塗り重ねる塗り方が伝わる、と。
何層も色を重ねていることに対して、わたしは特に何も思っていなかったから、わたしの絵のわたしがわかっていなかったところを拾ってもらったみたいだった。
額装をお願いしに来て、こんな嬉しい気持ちになるとは思わなかった。
手の先端が冷える。
緊張状態なのだろう。異様な冷え方をしている。
氷が触れ続けているみたい。それはわたしの指なのに。
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240123
額装した作品を受け取りにいく。
ふわふわと漂っていた絵に輪郭が生まれて、安心する、
ご褒美に、いつもいく少し贅沢な喫茶店に入る。
少し並んでいる。席は空いているのに。
急くような気持ちで待っていた。少しいらいらもしていた。
けれど、店員さんに丁寧に接客してもらっているうちに、わたしの時間もゆっくりになって、さっきまでの自分が嫌になる。
自分のことしか見えていない自分になっていた。
昨日買った『傷を愛せるか』を読む。
わたしたちはいつだって傷ついている。
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