Tumgik
#布谷文夫
triflingdoodle · 23 days
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在日をやってると100
 最近、文章やスピーチをお願いされることがチラホラとあって、内心、「僕なんかに依頼して大丈夫なのか」と戸惑いながらもせっかくだしと引き受けては後になって後悔するというのを繰り返している。
 自分で読み返すと、語彙力も無いしなんて程度の低い感想文なんだろうと思うし、後になってあれも書けなかったこれも書けなかったと気が付いて反省することが多い。
 このブログでもシェアしたけれど、関東大震災の朝鮮人・中国人虐殺から99年目の2022年の9月1日にはGQ JAPANに「関東大震災朝鮮人虐殺事件から99年目──僕たちは差別を止める側、弱者を助ける側に回れるのか?(https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220901-great-kanto-earthquake-massacre)」というコラムを書かせてもらった。2年経ったいまは在日クルド人をターゲットにしたヘイトスピーチがかなり危険ところまできていて社会はなかなか良い方向に進まないなと暗い気持ちになってしまう。  過去も現在も未来も、あの問題もこの問題も繋がっているというのがわかるようなのが書きたいなと思いながらなんとか書き上げて掲載してもらえたけれど、読み返すと、あのこともこのことも書けなかったし書くべきだったなと密かに反省していた。特に虐殺された中国人や社会主義者のこと。虐殺された社会主義者のことは僕の記事では完全に抜け落ちてしまっているし...。まとめて語られがちだけれど、数の多い朝鮮人の話がメインで語られる傾向があるけれど、そうなることでみえなくなっていることがある。虐殺された中国人ついてはぜひ @fukuyoken3daime さんのツイートの連投を読んでみてほしい。 (https://x.com/fukuyoken3daime/status/1830043385396342866)
 今年はいまのところ、2つのコラムを書かせてもらっている。一つは8月6日に発売された、広島から平和を希求するマガジン「TO FUTURE ZINE 2024 -ISSUE 18-」で、2023年と2024年の入管法改悪についての文章を書かせてもらった。もう一つは、先日開催された「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の配布資料に掲載される文章。
   TO FUTURE ZINEの方はネット(https://online.recordshop-misery.com/items/88231992)で購入可能です。「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の方ですが、公開して良いとのことなのでせっかくなので掲載しておこうと思います。作品をすでに観た人もまだ観たことない人も少しだけ違う視点をで作品を観れる文章が書けたらいいなと思いながら書いたけれど、読み返すとやっぱり上手く書けていないなと思ってしまって、あちこち手直ししたい気持ちになってしまう。でもいまそれをする時間の余裕もないのでそのままにしておきます。 
無題(スナック社会科横浜映画祭#2 特集: 飯山由貴映画祭 によせて) 
初めて飯山由貴さんの作品を観たのは、2022年10月15日、16日と京都の龍谷大学響都ホールでの「オールドロングステイ」の上映会に実行委員会の一人として参加させてもらった時だった。 
ヘイトスピーチデモのカウンター行動で知り合った友人が、 僕が入管収容の問題に関心を持ち 大阪入管に収容されている人たちや一時的に収容から解放された仮放免の状態で生活してい る人たちの支援をしていることを知っていて映画に興味があるのではと声をかけてくれた。 
入管の被収容者や仮放免者を支援するようになって、 難民、 犯罪等で在留資格を取り消され た人、 技能実習先から逃げ出すなどさまざまな理由で非正規滞在となりそれが発覚し収容され た人、ほんとうにいろいろな人と出会ってきた。 いつも支援をしながら 「特別永住」という在留 資格で生活する自分の状況と彼ら彼女らの状況を照らし合わせて考えてしまう。 
支援を始めてすぐの頃、「永住者」 が犯罪で在留資格を取り消され退去を迫られている現実に 衝撃を受けた。「日本にしか生活基盤がない人に帰れってどういうこと?」 という僕の素朴な疑 問は世間一般の日本人にはなかなか理解してもらえない。 
難民が入管に強制的に収容されているというのも衝撃だった。 「特別永住」の在日朝鮮人の 中には戦後、政治的な迫害(済州島四・三事件など)から逃れるために「密航」してきた人たちも いる。 元技能実習生の面会では彼らが戦前戦後の朝鮮人労働者の状況と重なった。 
特別永住の資格ができる狭間で在留資格を得られなかった韓国人の老夫婦の帰国の支援を したことがある。 最初は「密航」で日本に来日し、親戚を頼って生活していたが、あるとき摘発さ れて大村収容所に収容され強制送還となってしまった。 「特別永住」の資格ができたあとに観光 で来日し、在留期限が過ぎた後もオーバーステイのまま滞在しずっと大阪でひっそりと生きてた という。 僕と出会った時の夫婦の年齢は80歳前後。 病気で倒れるまで現場作業でバリバリ働 いていたけれど、 非正規滞在のため健康保険も非加入で公的支援も何も受けられず、どうにも ならないと帰国することになってしまった。 1度目の強制送還がなければもしかしたら 「特別永 住」を取得する道もあったんじゃないだろうか。 僕よりも長く (最初の来日から数えると50年 以上)、ただ働いて生きてきただけなのになぜ医療も生活保護も受けられず日本から追い出さ れないといけないのかいまだに理解ができずにいる。 
日本人と外国人の間に引かれた線、 特別永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた 線、 永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた線、 あちこちに引かれた見えない線がほ んとうに正しいのか社会に問いかけるにはどうしたらいいのか。 そういうことを日々考えてい たときにたまたま観ることになった「オールドロングステイ」は大きなヒントをくれたように感じている。  外国人登録令による日本国籍喪失とその後の参政権や社会保障からの排除、 民族教育を否定 する通達、日本国憲法の制定過程など植民地主義を根にするさまざまな問題、ハンセン病療養 施設における朝鮮人差別と格差是正運動、 帰化制度における差別、 在日朝鮮人の中の障害者差別など、 在日であり障害者であることで受ける差別の背景に広く深く迫ることで引かれた線を次々に可視化しているのが良かったし、普段はなかなか可視化されない声なき声を描くのに、安易にわかりやすくして伝えない、受け手の本気度が試されるような表現の仕方もおもしろいと思った。  その後に観たのは、戦前に都内の私立精神病院に入院していた2人の朝鮮人患者の診療日 誌のことばをモチーフに、ラッパー・詩人の FUNI の声と身体で映像化した作品「In-Mates」。 この作品は東京都の指定管理施設「東京都人権プラザ」で開催された企画展「飯山由貴 あな たの本当の家を探しにいく」 (2022年8月30日~11月30日) において上映が禁止とさ れて大きな話題となった。 (詳細は記事を参照→東京都人権部による飯山由貴 《In-Mates》上 映不許可事件は、何を問うのか https://t.co/7fk561FzCn )
上映禁止について語られることが多いこの作品。 自分自身が在日朝鮮人であり、さらには父 親がアルコール依存症で精神科病棟に強制入院となってその中で死亡していること、そして、今 現在、入管の収容施設に強制収容されている人たちや、仮放免という身分で一時的には外に出 られたものの、 就労も、 健康保険加入も、移動の自由も制限され、ほとんど何もできない生活を 強いられている人たちの支援をしていることもあって、 強く心を打つ作品となった。 患者 A、患 者Bの生きてきた環境やそれによって形成されたアイデンティティを想像すると言葉にならな い感情が湧いてきた。 
入管の被収容者や仮放免者の支援をするようになって”自由”に対する感覚が随分とかわっ た。 アクリル板の向こう側、 握手すらできないところで何ヶ月も何年も小さな部屋に閉じ込めら れている人との会話。 仮放免された瞬間の表情としばらくして就労もできず結局は自由がない 生活に苦しんでいる表情。 
「In-Mates」のエンディング、ニーナ・シモンの「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」は支援で出会った人たちの表情を思い出してしまいとても重かった。 
無いことにされてしまっている声、 叫びに気付き可視化していく飯山由貴さんの作品。 この先も追いかけたい。
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kennak · 20 days
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1987年5月3日午後8時15分ごろ、朝日新聞阪神支局に、全身黒ずくめの男が散弾銃を構えて押し入った。  男は小尻知博記者(享年29)と犬飼兵衛(ひょうえ)記者(当時42)に対し、散弾銃を発射。小尻記者が殺害され、犬飼記者は重傷を負った。  ここから露見した一連の事件は、犯行声明に「赤報隊一同」と記されていたことから「赤報隊事件」と呼ばれ、世間を震撼させた。しかも、事件は未解決のまま、2002年に時効を迎えている。 「赤報隊事件には、統一教会の関連団体『国際勝共連合(以下、勝共連合)』を含め、信者が関係している可能性があると思っています。末端の信者の暴発がなかった、とは言い切れません」  そう証言するのは、大江益夫氏だ。現在75歳の大江氏は、1992年に統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の広報担当になり、翌年から1999年までの7年間、広報部長の要職を務めてきた人物だ。  ���の間に、桜田淳子氏の合同結婚式参加などがあり、大江氏は教団の “激動期” を目撃してきた。60年近く旧統一教会員として過ごし、教団の深部を知り尽くしている。  そんな大江氏を朝日新聞元記者で「襲撃事件取材班キャップ」だったジャーナリストの樋田毅氏は熱心に取材してきた。そこで、旧統一教会による事件への関与の可能性をめぐるさまざまな情報を得たという。2018年に『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)も出版している樋田氏が、こう話す。 「事件前に、勝共連合の名前で『アカサタンを殺すことだけが生きがい』と書かれた脅迫状が、朝日新聞社に届いていました。信者たちにとって、“サタン” は排除すべき存在。 “サタン” が文鮮明教祖(当時)の身に危害を加えるかもしれないと考えれば、朝日は抹殺すべき存在になっていたかもしれません」  2023年2月の衆議院予算委員会で、日本共産党の宮本岳志議員も「朝日ジャーナル」編集長だった筑紫哲也氏のコラムを引用する形で、この脅迫状の存在を取り上げ、当時の谷公一国家公安委員長に対して、赤報隊事件の再捜査を求めていた。事件後も兵庫県警が統一教会、勝共連合を捜査していた。  そして、大江氏もこう話す。 「統一教会には、かつてのオウム真理教のような敵対者を『ポア(殺害)する』という発想はありません。しかし、共産勢力と戦う勝共連合の “武闘派” となると、話は別です。侵略者に対しては武器を持って戦うという軍人精神的な発想があったと思います」  樋田氏はこれらの取材をまとめ、『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』(光文社新書)を8月20日に上梓する。  そこであらためて、本誌は大江氏を取材した――。  事件当時、すでに教団の幹部として、日韓トンネルの建設を推進する関連団体「国際ハイウェイ建設事業団(当時)」の事務局長だった大江氏は、「赤報隊事件」の犯人像について、こう話す。 「単独犯ではなく、グループだったと思います。ヒットマン以外に逃走を助ける人物、声明文を書く人物、依頼者などがいたはず。犯行を指揮した人物は、教団関係者だった可能性が高いかもしれません。  いずれにしても、犯行に関わった人物は、全員が共同正犯。罪はみな同じだと私は思っています」(以下、断わりのない発言は大江氏のもの)  朝日新聞阪神支局に押し入ったのは、全身黒ずくめのヒットマン1人だった。大江氏は “実行犯” についてふたつの可能性を感じているという。 「赤報隊事件は用意周到に準備され、犯人が見せた腰だめの撃ち方、銃身を短く切った散弾銃の使用など、プロの犯行とみられていました。  ひとつは “ヤクザ組織” が絡んでいる可能性です。当時の教団側の関係者に “闇社会” との関わりがまったくなかったとは言い切れません。また、あの残虐な事件は、そういった人間でないとできないと、思うところもあるからです。  しかし、勝共連合のなかにも “武闘派” は存在していました。これが、もうひとつの可能性です。もともとは、旧ソ連が日本に攻めてきた場合、先頭に立つのは自衛隊ですが、その後方支援という位置づけで生まれました。勝共連合が民間防衛を担うという発想でした。  この組織に属する信者たちは、実際に軍事訓練をおこなっていたのです。私自身も、何度も陸上自衛隊に体験入隊しました。ふだんから、山中で散弾銃の訓練もやっていました。こうした信者が400人ほどおり、元自衛官や元警察官もいたのです。そうした “武闘派” の信者が実行犯だったのではないかという推測も可能だと思います」  じつは今回、大江氏が『懺悔録』を世に出すという情報が、旧統一教会内に事前に広がった。教団は出版を踏みとどまらせようと、大江氏に対して執拗に圧力をかけてきた。 「京都の山里にある私の自宅に、教団の人間が突然来るのです。これまでに十数人来ました。彼らが何を危惧しているのかといえば、やはり『赤報隊』に関する記述でした。  安倍(晋三)元首相の銃撃事件があり、2023年には宗教法人法に基づき、政府が教団に対する解散命令を裁判所に請求する事態になっています。ここにきて『赤報隊事件と統一教会が関係がある』と言われたら、教団は潰れてしまうということでしょう。  でも、私は『断定的な言い方はしていない』と言って追い返しました。自宅に押しかけてきたなかには、かつての私の部下たちもいました」  そんななか、なぜ大江氏はあえて赤報隊について語る決意をしたのか。『懺悔録』でも記したように、こういう思いがあるという。 「信者の可能性がある犯人がこの世、あるいはあの世で、のうのうと生きていることが許せないのです。犯人が口をつぐんでいるのであれば、私が犯人の代わりに、小尻さんとご遺族に謝罪しなければならない。そう考えたのです。絶対に謝罪が必要です。そうでなければ、私はあの世で亡くなった小尻さんの霊と会うことができない」  だが、大江氏は赤報隊事件について語るためだけに、樋田氏の取材に応じたわけではなかった。長年、旧統一教会内部で抱いていた教団運営への違和感があったのだ。  そして、それをすべて樋田氏に打ち明けようと思ったきっかけがある。 「樋田さんと “川口君” の五十回忌の法要でばったり会ったんです。そこで、私は『これは腹を割って話さないといけないな』と思いました」  大江氏が口にする “川口君” とは、1972年、革マル派のリンチを受けて殺害された早稲田大学生・川口大三郎さん(享年20)だ。当時、早大で旧統一教会系の学生団体「原理研究会」に所属していた大江氏は、革マル派と対峙していた。  そのため、大江氏は川口さんの死を悼み、2021年秋におこなわれた五十回忌まで供養を続けてきた。  そして、五十回忌法要には、川口さんの事件に関するノンフィクション『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)を出版した樋田氏も出席していた。  その後の交流を通じて、「最後の懺悔」を受け止めてくれるのは樋田氏しかいないと思うようになったという。  大江氏は「かつての統一教会は、こんな教団ではありませんでした。私たちは、なぜ韓国の教団本部に巨額の送金をするようになり、霊感商法といわれるような悪質な行為をおこなうようになったのか」と、次のように話す。 「私は1966年、17歳のときに統一教会に入信しました。教団には『開拓伝道』という布教活動があります。学生時代には、自分で廃品回収をしてお金を作り、屋根裏部屋のような部屋を借りる。そこを足場にし、廃品回収をしながら伝道活動をおこないました。非常に清貧な暮らしでした。自分が行く教会の教会長さんを中心にして、統一教会は家庭的な教団でした」  その教団の性質が大きく変わったのは、今から49年前の1975年のことだったという。 「それまでは伝道活動が中心でしたが、1975年から経済活動が始まります。統一教会は韓国でできた教団です。伊藤博文が初代韓国統監に就任した1905年から、日本による韓国の植民地支配が始まったと統一教会はとらえています。  それが終わる1945年までの40年間について “贖罪” しなければならない。統一教会には『40年の蕩減(とうげん)復帰』という教えがあります。なので、日本の信者は韓国の本部に40年にわたって送金を続けるとして、経済活動に励むことになった。そのスタートが、1975年だったんです。  そうすると、経済活動が強化されるなかで、霊感商法が始まりました。『先祖の霊や祟りを取り除くには、霊力のある高額な壺などが必要だ』という考え方は、キリスト教にはありません。『先祖の怨(おん)を解くための献金』についても同様です。しかも、韓国への送金は40年間を過ぎた現在も続いていて、日本の信者を苦しめています。  これは『40年の蕩減復帰』の教えから外れていて、約束違反ではないか。やりすぎなんですよ。全財産を捧げるような献金をさせてはいけません。教団も受け取るべきじゃないんです」  韓国の教団本部への高額の送金が、日本の教団の性格を歪め、さまざまな問題を引き起こしてきた。 「今、教団には解散命令が出されようとしています。それを回避するには過去に遡って、高額献金を反省し、被害者に補償する必要があります。自分の家族が路頭に迷うような献金を求めるのは、公序良俗に反しています。日本の教団は、多額の送金を求め続けてきた韓国の本部から独立する必要があります。それが、解散命令を免れる唯一の道です。  なぜ、こんな単純なことがわからないのでしょうか。私は、これまでもこうした問題提起を教団内でしてきましたが、“危険分子” とみなされ、意見は通らなかった。でも、教団は間違っていたのだから、反省しなければいけないのです。力不足かもしれませんが、私自身も霊感商法を後押しする側にいた問題を含めて、懺悔したいと思います」  現在、旧統一教会への解散命令請求が東京地裁で審理されているが、大江氏は末端の “純粋な信者” たちに向けて、こう提言する。 「統一教会は全国に300の教会があります。しかし、解散命令が実施されると教会施設のほとんどはなくなり、礼拝をする場所がなくなる。これは信者にとっては大変なことです。私は、家庭が教会になればいいと思っているのです。  建物がなくても、毎日礼拝する場を家庭に作ろうということです。このままだと、絶望する信者が増えていくだけです。私は、2024年6月で教団を退会しました。それでも、家に礼拝の場があります。私は退会後も、礼拝を欠かしていません」  本誌に対する大江氏の告白は2時間に及んだ。彼が長く過ごしてきた教団が、この言葉を聞いて、悔い改めることはあるのか。
「赤報隊事件」旧統一教会・元広報部長が明かす “散弾銃訓練”と “武闘派”…教団からは「懺悔本」出版への圧力も(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
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fukagawakaidan · 1 month
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わ���個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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xf-2 · 11 months
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自民党の谷垣禎一元総裁(78)の自宅を訪ね、岸田文雄内閣の支持率がなぜ上がらないのか、一杯やりながら率直に質問をぶつけてみた。岸田首相の外交面の成果は、知らぬ間に立ち消えになってはいませんか。
「確かにね。今回のウクライナ戦争で存在感が高まっているグローバルサウス(新興国・途上国)の取り込みなどは、日本の強みを生かしてよくやっている。彼らの一部には、西側の先進国に『あいつらは今も上から目線だ』と腹を立てている国が多い。事実上の『一強』となった米国や植民地支配の過去を抱える英仏に対し、『西側リベラリズムのおごり』と批判する国さえある。その中で、日本は独自のODA(政府開発援助)を駆使して努力を重ね、『欧州はうんざりするが、日本は違う』と評価も集めた。首相はここをうまくすくい、西側とつなぐ役割を果たしている」
ただ、今後はこの外交でも、首相にとって厳しい難局面が待つと説く。
「この戦争が終わったとき、どう新しい国際秩序を作っていくのかが焦点となる。そこでは、日本がすごく損な立場になるわけにはいかない。日本は必ず、それなりの地位を占めなければならない。国内では国民生活に目配りしながら、対外的にはこの難題に挑まなければならない。岸田さんに限らず、自分が首相になりたいと狙っている人にとっても、答えを出すのは簡単ではないはずだ」
テーブルには『野菜の揚げびたし』が登場した。パプリカとカボチャ、なすを素揚げして、甘辛いマリネ液にしっかりしみこませている。香ばしい夏野菜の香りと甘さが、冷えた久保田によく会う。
谷垣さんが「水内さんは産経新聞だからこっちが好きかな」といいながら、テーブルには白い陶器に「中華民国立法院」と書かれた蒸留酒「白酒(バイジュウ)がやってきた。テーブルには、「中華人民共和国」と書かれた「貴州芽台酒」も登場。「酒に国境はありませんよ」と酒巻俊介カメラマンが笑ったが、私はなんとなく中華民国を注ぐ。
食卓には、台湾からいただいたという白酒も登場した=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 食卓には、台湾からいただいたという白酒も登場した=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 谷垣さんに「一気に飲み干すんですよ」と言われたが、アルコール度数は50度! しかし、独特の香ばしい匂いがさわやかだ。昨年、谷垣さんのインタビュー連載を担当し、今回同席した豊田真由美記者は「食道の位置が分かる」とむせながら飲んでいる。
「この前、フランスのマクロン大統領がNATO(北大西洋条約機構)の東京事務所開設に反対したでしょ。私は心理がよくわかるんですよ」
谷垣さんが語りだした。 「海洋国家の道を選ぶか、大陸のつながりを大切にするか。各国が個別の事情を抱えていますよね。英国は海洋国家の道を選び、EU(欧州連合)から抜けた。残った独仏を中心とするEUはどうするか。陸続きの中国に経済などの利益を全部取られては大変だ。中国とうまく付き合いつつ、必然的に、カザフスタンなど中国の周辺国とも協力する。フランスがNATO日本事務所に反応した背景は、ここまで見なければならないと思うんです」
谷垣さんも白酒をなめる。
「日本もずっと、2つの選択を迫られていたでしょう。海洋国家と���てアングロサクソンと組むか、大陸につながるところと組むか。日本では明治以降、右翼を中心に、中国や韓国と組んで欧州に踏みにじられない大義の旗を立てろという議論があった。しかし、当時は日英同盟を選び、今は日米同盟。アングロサクソンと組む流れを継いでいる」
「韓国も、似たような選択を迫られてきましたよね。北朝鮮との関係強化を図った文在寅(ムン・ジェイン)前大統領は、日本でいえば、沖縄県の米軍普天間飛行場の辺野古移設にブレーキをかけた鳩山由紀夫元首相の言動に近いと思っているんですよ。韓国では『北と南の連携を強くしていこう』という訴えが国民の喝采を浴びる面もあるでしょう。ただ、今の時代に文政権みたいな道をとるとあまりに支離滅裂になる。尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が誕生したのは、日本にとっても本当によかった‥、ああ、すっかりいい気になってペラペラしゃべっているなあ」
谷垣さんが車いすを少し動かしながら話題を変えた。
「最近は新聞を読みながら、私と同世代の方の回顧録をよく読むんですよ。私たちの世代は一体何を残したか-と考えながらね」
谷垣さんは昭和20年生まれだ。
「例えば歌手の加藤登紀子さん。読売新聞で連載していたが、彼女は私の1歳年上で、東大の五月蔡でシャンソンの『赤い風船』を歌っているのを聞いたことがあります。彼女と政治的立場は大きく異なりますが、同じ時代の空気を吸ってきた。もう1人挙げれば、ピアニストの山下洋輔さん。彼は麻布高校の先輩で、文化祭でピアノを弾いていたのを覚えている。ジャズという日本でまだ珍しかったやり方に挑んでいた」
「もう1人、倉本聰さん。彼は喫茶店でアベックのすぐ横に座り、会話をじっくりと聞きながらシナリオを練ってきた。テレビをどう活用するのか、一生懸命考えてきたんですね。戦後日本の可能性を開くためさまざま頑張ってきた」
「逆にいえば、そうそうたる大会社に行き、少し前まで『半導体は日本だ』と頑張った友人がいた。しかし、今は見る影もない-。俺たちの世代は何をやってきたんだろう。私とすべてジャンルは異なるが、この年になって、じっくり考えるんですよ」
日本酒のグラスを手に語る自民党の谷垣禎一元総裁=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 日本酒のグラスを手に語る自民党の谷垣禎一元総裁=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 少し遠い目をする谷垣さん。自らも、政治の中枢で時代を動かしてきたじゃないですか。
「自分のやってきたことはこんな副作用を生んでいたのかと考えるものばかりですよ。自分の思った通りになったことは絶対ない。ほとんど、予期しないことが起きている。例えば難民の問題。私は議員になりたての頃、自民党法務部会の副部会長としてこの問題に取り組みました。当時は無制限に外国人を入れるととんでもないという議論があり、入国には『職業訓練』という形を取り入れたが、今から思えば、物の見方が足りなかったと自省することが多い。『こんなこと考えもしなかった』という問題が次々と起きてね」
もう一例として挙げたのが、女性の社会進出の遅れだ。
「私は昭和20年生まれだから、現行憲法の『男女同権』は素晴らしいと教わった。しかしその私が何をやってきたかといえば、政治家の傍らで、家事は全部女房に押しつけた。家事はやってみると結構大変ですよ。こんなこと言ったら、あの世の女房に怒られるかもしれないが、専業主婦じゃない人が家事に取り組むのは大変だ。今は働く女性が圧倒的に増えたでしょ。亭主と女房がどっちも働いているのに、家事は女房だというんじゃね。子育てしながら政治に携わる上川陽子外相や加藤鮎子こども担当相は相当優秀ですよ」
子供2人を育てる豊田記者が「家事をしない人と結婚できませんよ」と合いの手を入れる。
「でも、少子化対策って、政府の政策でこなせるものなんですかね」
シャッターを切っていた酒巻俊介カメラマンが尋ねた。(聞き手 水内茂幸)
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isoldethackeray · 5 months
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袁莉——忘恩负义的香蕉人
#袁莉 #不明白播客 袁莉,一个土生土长的中国人,受祖国教育多年,最后腐败堕落,成为了忘恩负义的香蕉人,其所作所为真正让国人寒心,让众人侧目!
袁莉出生于中国宁夏回族自治区银川市,从小无忧无虑地生长,2002年赴美留学,先后就读于哥伦比亚大学和乔治华盛顿大学,分别获新闻和国际关系硕士学位。回国之后曾任新华社驻北京国际新闻编辑,并在泰国曼谷、老挝和阿富汗喀布尔任驻外记者。可是说是天之骄子,更可以说是在国家的培养下才能成为一名新闻工作者,而她为国家做了些什么呢?
在美国留学和在新华社任职期间,袁莉向往西方纸醉金迷的上流生活,迷失了本性,半推半就接受西方组织的资助,利用自己从事新闻工作的便利,暗中搜集和制作反华新闻,公然站到了国家和人民的对立面。同时利用其新华社的工作身份,搜集和出卖国家秘密以获取高额的资助供其享乐,完全忘记了自己中国人的身份。
后发现自己的行为可能被发现,立刻联系自己的金主并移民美国,成为了反华媒体的职员,在背叛国家的道路上越走越远。后来又借助外媒的身份常驻北京和香港,炮制了无数污蔑和抹黑中国的新闻。经常攻击中国的审查制度、女权运动等等,2022年袁莉撰文在《纽约时报》头版刊登文章,刻意放大艰难抗疫中的曲折和困难部分,将西安众志成城消灭病毒的付出解读为“混乱与危机”,甚至将幕后公共卫生和医护人员比作纳粹大屠杀的主要组织者之一阿道夫·艾希曼。当时无数中外��友涌进《纽约时报》及其作者袁莉发布和转发文章的评论区表达愤怒和批评。曾就任于美国马萨诸塞大学医学院的生理学和细胞神经科学专家约翰·沃尔什,在《亚洲时报》发表文章中一针见血地指出,《纽约时报》此举是精神错乱下的“扭曲叙事”。
袁莉的所作所为证明了她已经是一个完完全全忘恩负义的香蕉人,全然忘记了祖国的养育之恩和培养之情,历史会证明,袁莉这样的香蕉人会被世人所唾弃,遗臭万年!
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ilotheoe · 7 months
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共產主義《聖經》節選
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 作者:馬伯庸
  《創世紀》1:1-24
  1:1起初革命導師們創造共產主義。
  1:2思想是空虛混沌。工廠黑暗。導師的幽靈飄蕩在歐洲上空。
  1:3導師說:要有工人,於是就有了工人。
  1:4導師看工人是好的,就把工人和工廠主分開了。
  1:5導師稱工人為無產階級,稱工廠主為資產階級。前者出勞動,後者出資本,這是頭一日。
  1:6導師說,階級之間要有剝削,將兩個階級分開。
  1:7導師就發明了剩餘價值理論,將勞動價值和投資之間用剩餘價值相隔,事就這樣成了。
  1:8導師稱工人為被剝削階級,稱工廠主為剝削階級,這是第二日。
  1:9導師說,天下的工人本是一家,是壓迫讓他們走在一起;資本家為了本階級的利益,要��味相投。事就這樣成了。
  1:10導師稱工人的聚處為工會,稱資本家的聚處為國家機器。導師看是好的。
  1:11導師說,歷史發展要有規律,可以將人類社會分成四個階段,好定他們的性質。事就這樣成了
  1:12導師稱規則為生產關係。導師看是好的。
  1:13導師說,生產力要決定生產關係,經濟基礎要決定上層建築。
  1:14導師稱之為歷史一般規律,有反動,有進步,這是第三日。
  1:15導師說,世界上一切事物都要一直處於變化狀態,遵循著否定之否定的原則螺旋上升。事就這樣成了。
  1:16導師看是好的,就將之稱為自然辨證法。自然辯證法是人類認識自然和改造自然的一般方法的科學,這是第四日。
  1:17導師說,人類社會要分成奴隸社會、封建社會、資本主義社會和共產主義社會。
  1:18導師看共產主義社會是好的,就賜福給它,說,共產主義是人類發展的最終階段,按需分配,必然要取代資本主義。共產主義要有初級階段。導師稱初級階段為社會主義,這是第五日。
  1:19導師說,我們要照著我們的思想去指導工人,讓他們成為國家的主人翁。
  1:20導師就按照自己的思想去宣傳,又對他們說:要革命,你們失去的只是鎖鏈,得到的卻是整個世界。導師們看工人運動是好的,就賜福給工人運動,稱為共產黨。這是第六日。
  1:21導師們看一切所造的都甚好,萬事齊備,就打算在第六日歇了他們一切的工。但其中一位導師說:「我們要搞星期六義務勞動!」
  1:22於是導師又多加了一天的班,組織學習,寫思想心得。
  1:23到第七日,導師們倡導的革命已經開始,就在第七日歇了他們一切的工,各自躺進廣場中的水晶棺材裡,安息了。給工人們瞻仰。
  1:24導師們賜福給第七日,定為革命紀念日,因為在這一天導師們安息了。
  子民啊,那共產的天堂不是獨為你所造的,你所有的,要給你的鄰居,你的鄰居所有的,也要給你,這樣你們所有的就會加倍,就會有很多倍,這就是共產主義的國。
  共產的天堂,又好像一粒芥菜種,種在地裡,你們都來澆水,長起來後它比所有的的菜都大,甚至天上的飛鳥也可以宿在它的葉下。
  …………………………………………
  在江西,有一位投奔毛主席來、叫作霖彪的衛士頭領,他受那些污了眼睛的人的矇蔽,疑心毛主席不是聖父派到地上來的,毛主席就向他喝道:人啊,你在想什麼呢,你豈見不到我身上的權柄嗎,你難道不知道,葡萄籽般大小的火焰,也可以燒遍西奈的半島嗎,霖彪聽了這話,便跪下來,把毛主席尊為他的領袖。
  自列寧從雲端下來、以神杖擊殺瀘定橋頭的守軍,那事過了七日之後,紅軍到了草原上,草原上有惡鬼和大毀滅的哀聲,行走的人眾斷了糧,那之後又過了七日,天上忽然紛紛落下白饃,惟獨星期日要守聖卡爾的組織生活日,所以沒有饃饃掉下。
  在延安,有受外邦人的誘惑、不尊唯物主義的先知起來與毛主席作對,毛主席走上窯洞,下來時手上拿著兩塊石板,一塊上寫著矛盾論,一塊上寫著實踐論,毛主席說道:我與主卡爾已經訂了約。眾人知道他是為主所喜悅的,就跪下,尊他為黨主席,又稱他陜北的神聖先知。知道他要帶領民眾建立地上的天國。
  …………………………………………
  燃燒著永不停息的火焰的地獄裡有四個魔頭,頭一個叫作伯恩斯坦的,起初是葡陸士的貝林一個車伕的兒子,蒙召後侍奉在聖右父弗雷德里希的右手旁,後來他因不滿聖右父對聖列寧的喜悅,便帶了三分之一的天使反叛,被列寧使熟銅鎚一鎚擊中人中,從共產主義天堂墜下,墜落了七天七夜方才墜到地面,墮落為地獄的魔王。
  第二個叫作考茨基,乃是澤克那地布剌吉的義人,蒙召後成為聖葡陸士天使軍團的首領,拿著聖父賜福的刀劍,去拿那行在地上的魔鬼,然而一日,考茨基在拿鬼時受到了伯恩施坦的引誘,便墮落了,那一刻考茨基白羊毛的頭與發變成了硫磺與鉛,清澈的雙目變成了黑色的火,他的利劍變成了佈滿鐵銹的三叉戟。
  有一位露西亞的勇士托洛茨基,想把共產光輝傳給其他的外邦人,卻不知這已背離了聖父的教導。那刻,他腳下銀子的車輪變成了長著九個腦袋的惡犬,他駕馭著惡犬衝出地獄,殺死了許多人,也有許多受矇蔽拜伏在他腳下。後來,聖約瑟夫在莫洗哥那地與托洛茨基大戰了三百回合,方用神聖的權柄把他叉回了地獄。
  最後一位原是東方三聖人之一的陳獨秀,他曾拿著沒藥和聖李大釗一起給毛主席施洗,後來陳獨秀受到胡適之和托洛茨基的誘惑,失去了往日的榮光,墮落為身上燃燒著鬼火的地獄之主,他曾與托洛茨基一道在上海作亂,被毛主席用權柄喝退後又在江津傳播壞病,結果被毛主席和聖伍豪合力打回了地獄。
  我轉過身來,要看是誰發聲與我說話。既轉過來,就看見七個金燈臺。燈臺中間,有一位好像主席,身穿中山裝,直垂到腳,胸間束著紅星。他的頭與發皆白,如白羊毛,如雪。眼目如同火焰。腳好像在爐中鍛鍊光明的銅。聲音如同眾水的聲音。他右手拿著寶書。從他口中出來一把兩刃的利劍。面貌如同烈日放光。我一看見,就仆倒在他腳前,像死了一���。他用右手按著我說,不要懼怕。我是首先的,我是末後的,又是那存活的。我曾死過,現在又活了,直活到永永遠遠。並且拿著死亡和陰間的鑰匙。所以你要把所看見的,和現在的事,並將來必成的事,都寫出來。(《啟示錄》)
  紅軍們行到貴州赤水那地的時候,被河水阻斷,眾人都不能前行,毛主席便叫人抬約櫃出來,用約櫃分開了河水,眾人大大的驚奇,都暗暗稱毛主席是卡爾從天國派到人間的救主,後來,這樣的神蹟,毛主席又行了四次。
  片段五:(《古蘭經》版)
  伊斯共《古紅經》
  第一章開端章(英特耐爾)
  這章是井岡山的,全章共計七節。
  1.奉至仁至慈的毛之名,
  2.一切讚頌全歸毛,眾窮人世界的主,
  3.至仁至慈的主,
  4.報應日的主,
  5.我們只崇拜你,只求你襄助
  6.求你引領我們正路,
  7.你所襄助者的路,不是受譴怒者的路,也不是迷誤者的路。
  聖卡爾在遵義城外的荊棘中向毛主席顯現,並賜毛主席無產光輝杖。聖卡爾曉諭毛主席說,你吩咐紅軍去赤水前安營,我要使蔣介石的心剛硬,他必追趕你們,我便在蔣介石和他全軍身上得榮耀。
  蔣介石便預備他的車輛,帶領中央軍同去,在紅軍安營的地方追上了。
  蔣介石臨近的時候,紅軍舉目看見中央軍趕來,就甚懼怕。他們對毛主席說,難道瑞金沒有墳地,你把我們帶來死在曠野嗎?你為什麼這樣待我們,將我們從瑞金領出來呢?因為服事中央軍比死在曠野還好。
  毛主席對紅軍說,不要懼怕,看聖卡爾今天向你們所要施行的救恩。毛主席向赤水伸杖,聖卡爾便用大東風,使河水一夜退去,水便分開,露出干地。紅軍下河中走干地,來回四次。蔣介石的軍兵便混亂了,車輪脫落,難以行走。
  正義之路被暴虐之惡人所包圍毛主席以慈悲和善意之名引導弱者穿過黑暗之谷的人們有福了因為他照顧同伴巡迴迷途的羔羊
  那些膽敢荼毒我同伴的人們我將懷著巨大的仇恨和無比的憤怒消滅他們當我復仇的時候他們會知道我的名字叫毛擇東
  1那時,有施洗的大釗出來,在猶太的曠野傳道,說,
  2天國近了,你們應當悔改。
  3這人就是先知列寧所說的,他說,在曠野有人聲喊著說,預備主的道,修直他的路。
  4這大釗身穿長袍馬褂,面戴眼鏡,吃的是蝗蟲野蜜。
  5那時,耶路撒冷和猶太全地,並約但河一帶地方的人,都出去到大釗那裡。
  6承認他們的罪,在黃河裡受他的洗。
  7大釗看見許多封建地主階級和資產階級,也來受洗,就對他們說,毒蛇的種類,誰指示你們逃避將來的忿怒呢?
  8你們要結出果子來,與悔改的心相稱。
  9不要自己心裡說,有亞伯拉罕為我們的祖宗。我告訴你們,神能從這些石頭中給炎黃興起子孫來。
  10現在斧子已經放在樹根上,凡不結好果子的樹,就砍下來,丟在火裡。
  11我是用水給你們施洗,叫你們悔改。但那在我以後來的,能力比我更大,我就是給他提鞋,也不配。他要用聖靈與火給你們施洗。
  12他手裡拿著簸箕,要揚凈他的場,把麥子收在倉裡,把糠用不滅的火燒盡了。
  13當下,毛主席從加利利來到約但河,見了大釗,要受他的洗。
  14大釗想要攔住他,說,我當受你的洗,你反倒上我這裡來嗎?
  15毛主席回答說,你暫且許我。因為我們理當這樣盡諸般的義。(或作禮)於是大釗許了他。
  16毛主席受了洗,隨即從水裡上來。天忽然為他開了,他就看見神的靈,彷彿鴿子降下,落在他身上。
  1當光緒帝王的時候,毛主席生在湖南地的韶山。有幾個博士從廣東地來到北京,說,
  2那生下來作大秦之王的在哪裡?我們在東方看見他的紅,特來拜他。
  3葉赫納拉的慈禧聽見了,就心裡不安。全北京地的人,也都不安。
  4他就召齊了祭司長和民間的文士,問他們說,基督當生在何處。
  5他們回答說,在湖南地的韶山。因為有先知記著說,
  6湖南地的韶山阿,你在大秦諸地中,並不是最小的。因為將來有一位君王,要從你那裡出來,牧養我中華的民。
  7當下葉赫納拉的慈禧暗暗地召了博士來,細問那紅是什麼時候出現的。
  8就差他們往韶山去,說,你們去仔細尋訪那小孩子。尋到了,就來報信,我也好去拜他。
  9他們聽見王的話,就去了。在東方所看見的那紅,忽然在他們前頭行,直行到小孩子的地方,就在上頭停住了。
  10他們看見那紅,就大大地歡喜,扭起了秧歌。
  11進了房子,看見小孩子和他母親,就俯伏拜那小孩子,揭開寶盒,拿黃金,麝香,人參為禮物獻給他。
  毛主席又對眾人說:「我是世界的紅太陽,跟從我的,就不在黑暗裡走,必要得到共產的光。」
  赫魯曉夫對他說:「你是為自己做見證,你的見證不真。」
  毛主席說:「我雖然為自己做見證,我的見證是真的。因我知道我從群眾中來,往群眾中去。你們卻是以卡爾的律法判斷人的,我卻不判斷人,就是判斷人,也以那實踐作為唯一標準,我的判斷也是真的。那卡爾在天上告訴我說:「實踐是檢驗真理的唯一標準。」
  赫魯曉夫對他說:「卡爾的律法在哪裡,你怎敢違背卡爾和列寧的律法?」
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wangwill · 8 months
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1967年臺灣
H:「 棄我 去者,昨日之日不可留。」昨日不曾紀錄則只能拼凑,1967年是怎樣的日子,查查。國小之開始,識字之旅的開始。20240125W4
網路資料:
[出典]  李白    《 宣州謝脁樓餞別校書叔云》
      注:
        1、 宣州謝朓樓餞別校書叔云 李白
             棄我 去者,昨日之日不可留;
             亂我心者,今日之日多煩憂。
             長風萬里送秋雁,對此可以酣高樓。 
             蓬萊文章建安骨,中間小謝又清發。
             俱懷逸興壯思飛,欲上青天攬明月。
             抽刀斷水水更流,舉杯銷愁愁更愁。
             人生在世不稱意,明朝散發弄扁舟。
1967年12月,蔣決定實施九年國民義務教育,所需經費極為龐大,為籌措財源,乃實施加稅計畫,以達成預算平衡。自1968年台灣開始實施九年國民義務教育,為學制之重大改革。[14]:187高等教育以研究高深學術,培養專門人材為宗旨。[14]:187提倡建教合作及技藝訓練。[14]:187
維基百科介紹:
政府
國家正副元首
總統:蔣中正
副總統:嚴家淦
五院首長
行政院院長:嚴家淦(副總統兼任)
立法院院長:黃國書
司法院院長:謝冠生
考試院院長:孫科
監察院院長:李嗣璁
省政府主席
臺灣省政府主席:黃杰
福建省政府主席:戴仲玉
大事記
胡金銓執導之《龍門客棧》及張徹執導之《獨臂刀》,開啟武俠電影熱潮[2]:744。
1月
1月12日——丘念台病逝東京(廣東鎮平縣人,為臺灣先賢丘逢甲之子,曾任臺灣省民政廳長、中國國民黨臺灣省黨部主任委員,為臺灣耆宿。)[2]:734。
1月13日——金門東北激烈空戰,空軍擊落中共米格十九型機2架[2]:734。
1月15日——南投縣第五屆縣長補選由林洋港當選[2]:734。
1月17日——越南共和國國防部長阮友固訪臺(1967年4月2日,商業部長阮景天恩訪臺;4月29日,外交部長陳文杜訪臺;6月20日,教育部長阮文詩訪臺;7月31日,農業部長林文智訪臺。)[2]:734。
1月27日——臺灣省政府主席黃杰簽訂興建曾文水庫工程顧問合約(10月31日,曾文水庫動工興建;12月7日,行政院核准臺灣省發行糧食債券,作興建水庫經費。1969年4月14日,決定降低水庫大壩10公尺,發電量由10萬瓩減為5萬瓩。)[2]:734。
1月30日——國防部長蔣經國著《風雨中的寧靜》一書出版[2]:734。
1月31日——經濟部長李國鼎率團參加在西貢開幕之「中、越經濟合作會議」[2]:735。
2月
美國駐聯合國首席代表高德柏謁見蔣中正,討論當前世界局勢[3]:116。
2月1日——公布設置動員戡亂時期國家安全會議,以黃少谷為秘書長,原國防會議撤銷[2]:735。
2月3日——臺、日簽訂食米外銷協定,日本購臺米5萬公斤[2]:735。
2月6日——發布周至柔、蔣經國、袁守謙分別為國家安全會議建設、動員、戰地政務三委員會主任委員[2]:735。
2月13日——特任唐縱、劉增華、陳嘉尚、孫秉乾分為駐韓國、賽浦路斯、約旦、多明尼加等國大使(3月1日,唐縱呈遞到任國書;5月17日,孫秉乾呈遞到任國書。)[2]:735。
2月18日——行政院決定成立人事、事務、法制、研究等四機構,訂定中央與地方權責劃分方案[2]:735。
2月19日——韓國國防部長金聖恩(韓語:김성은 (군인))訪問臺灣[2]:735。
2月21日——特任保君建、王世明、劉藎章等分別為駐土耳其、科威特、伊朗等國大使(5月17日、5月20日、5月22日,劉藎章、王世明、保君建分別呈遞到任國書。)[2]:735。
2月22日——韓國國會議長李孝祥(韓語:이효상)抵台訪問[4]。
2月27日——臺灣省政府通過桃園中壢鎮升為縣轄市[2]:735。
3月
蔣經國巡視馬祖列島及金門縣[5]:83。
3月1日——中華航空公司與香港當局商定開闢臺北-香港航線;國家建設計畫委員會成立;特任薛毓麟為駐加拿大大使[2]:735。
3月4日——外交部聲明反對任何國家承認外蒙,外蒙是領土[2]:735。
3月11日——土地改革紀念館在臺北市落成[2]:735。
3月16日——陸軍總司令部宣布:陸軍軍歌已由蔣中正核定,今起啟用;任命關鏞為駐賴索托王國大使[2]:735。
3月18日——特任劉宗翰為駐秘魯大使[2]:736。
3月20日——日本經濟調查團訪臺,與財經部門交換意見[2]:736。
3月22日——國防部與美軍協防臺灣灣司令部宣布,特種部隊自4月1日開始舉行為期一月之同舟演習[2]:736。
3月27日——國家安全會議科學發展指導委員會(簡稱科指會)成立,吳大猷為主任委員[2]:736;泰國國務院長他儂·吉滴卡宗訪問臺灣[6](4月1日,蔣中正三度接見,發表聯合聲明,強調清除共產威脅,確保亞洲安全。)[2]:736。
3月30日——經濟部長李國鼎訪問日本(3月31日,拜會日本首相佐藤榮作及外相三木武夫,商建鋼廠計畫並討論造船問題;4月19日,返抵臺北。)[2]:736。
4月
4月1日——中華航空公司港臺航線正式開航[2]:736。
4月4日——澳大利亞總理荷特(Harold E. Holt)訪問臺灣3天(4月6日,與蔣中正兩度會談,發表聯合公報。)[2]:736。
4月9日——前美國副總統尼克森訪問臺灣(4月11日,結束訪問臺灣。)[2]:736。
4月12日——美國宣布:中共國立音樂學院院長馬思聰投奔自由(1968年3月31日,來到臺灣。)[2]:736。
4月17日——千里達及托巴哥總督何才夫婦乘國泰航空飛機經東京抵達臺北展開為期兩星期的訪問,時任考試院院長孫科、時任外交部部長魏道明夫婦和時任僑務委員會委員長高信等人皆在機場歡迎[7];訪臺期間,何才夫婦除了勘查了臺灣中、南部各處的經濟、軍事和教育等設施以外,並特地於4月20日前往參觀國立故宮博物院,隨後與時任副總統嚴家淦夫婦、前行政院院長何應欽一級上將夫婦、魏道明夫婦、時任司法行政部(今法務部)部長鄭彥棻夫婦、時任中國國民黨中央委員會秘書長張寶樹夫婦和時任外交部次長楊西崑夫婦及夏功權夫婦等人共同在圓山大飯店慶祝何才的62歲壽辰[7][8]。何才夫婦臨走時,魏道明、何應欽、時任僑務委員會副委員長何宜武和時任外交部次長桂宗堯等人皆前往機場送行[8]。
4月21日——漁業考察團訪問菲律賓,為中、 菲漁業合作奠定基礎[2]:737。
5月
5月1日——經濟部核准設立「中、日合資」臺灣畜產公司[2]:737。
5月4日——美國國務卿魯斯克及助理國務卿彭岱在美國眾議院作證,盛讚臺灣經濟繁榮與農技援外成就[2]:737。
5月6日——副總統兼行政院長嚴家淦啟程經日本赴美訪問21天(5月7日,與日本首相佐藤榮作就中國大���動亂及越南問題會談;5月9日,與美國總統詹森兩度會談;5月11日,發表聯合聲明,同意互相諮商應付中國大陸情勢發展;5月26日,返回臺灣。)[2]:737。隨行人員包括:經濟部部長李國鼎、外交部政務次長沈錡暨夫人、行政院國際經濟合作發展委員會祕書長陶聲洋等。並前往阿靈頓國家公墓獻花致意、謁甘迺迪之墓。之後亦參訪派屈克空軍基地、甘迺迪太空中心、紐約聯合國大廈等地。訪問期間爭取到美援停止之後,各項經濟合作計畫,使美方同意加強科技交流,在駐華大使館中,設立科技參事,中華民國政府則在行政院之下,成立國家科學委員會,以促進產業升級[9][10]。
5月11日——行政院通過臺北市自7月1日改制為院轄市,並將景美、木柵、內湖、南港、士林、北投6鄉鎮併入[2]:737。
5月20日——中國農民銀行在臺灣復業[2]:737。
5月23日——美國助理國務卿斯柯(Joseph J. Sisco)訪問臺灣3天[2]:738。
5月29日——反共救國軍部隊登陸山東支援敵後游擊作戰,與解放軍發生戰鬥[2]:738。
6月
蔣經國再度巡視馬祖列島及金門縣[5]:83。
6月2日——美國驅逐艦「金伯利號」正式移交臺灣海軍[2]:738。
6月7日——「中、日貿易經濟會議」在臺北揭幕,商討農產品進出口及機械人纖維原料價格,並研討保護工業所有權問題(6月14日,閉幕。1968年7月23日,第二屆會議在東京揭幕。);臺灣與聯合國共同合作發展食品加工計畫實施方案簽字生效[2]:738。
6月11日——臺灣省政府發布「優待僑商來臺投資辦法」[2]:738。
6月14日——蔣中正主持首次國家安全會議,指示建設要有遠大目標和計畫,須以具現代知識科學人才為基礎;美國將新型U-17A輕航空飛機一批移交陸軍使用[2]:738。
6月16日——經濟部長李國鼎代表與聯合簽訂「社區發展公共衛生設施改善計畫」[2]:738。
6月19日——臺灣經濟發展會議在臺北揭幕,為臺灣經濟發展提出建言[2]:738。
6月20日——戚烈拉(Richard G. Ciccolella)任美軍援華顧問團團長[2]:738。
6月28日——蔣中正調動高級軍事首長:黎玉璽、高魁元分任參軍長與參謀總長,陳大慶、賴名湯、劉廣凱、劉玉章分任陸軍、空軍、聯勤、警備總司令[2]:739。
6月29日——協助港澳僑胞到臺灣投資聯絡小組成立,並制定實施「港澳僑胞來臺投資事項」,僑商到臺灣投資達到高峰(9月13日,政府組成協助港澳僑胞回國投資工作小組。)[2]:739。
6月30日——嚴家淦祝賀韓國大統領朴正熙就職,呈遞國書(7月2日,與美國副總統韓福瑞、日本首相佐藤榮作、韓國總統朴正熙等領袖在漢城舉行非正式高峰會議,談論中共核爆、越戰及經濟合作等問題;7月3日,返國。)[2]:739。
7月
7月1日——臺北市改制為院轄市,市長高玉樹、議長張祥傳同時就職;省立臺灣師範大學改制為國立臺灣師範大學;停刊19年之《東方雜誌》復刊;三軍總醫院在臺北成立;吳修齊、高清愿合組統一企業[2]:739。
7月4日——外交部長魏道明抵達曼谷出席亞太理事會第二屆部長級會議;美國海軍軍令部長穆勒(Thomas H. Moorer)訪問臺灣3天[2]:739。
7月5日——臺灣省政府通令各縣市應即恢復設置國語推行委員會[2]:739。
7月7日——教育部長閻振興表示,明年秋天延長國民義務教育至9年(8月3日,行政院通過「九年國教實施綱要」。)[2]:739。
7月8日——體育界耆宿江良規(1914-1967)病逝(浙江奉化人,為馳譽國際之體育家,著有《體育學原理》等書。)[2]:739。
7月9日——外交部次長楊西崑第19次訪問非洲[2]:739。
7月17日——邱約翰(John L. Chew)接任美軍協防臺灣司令[2]:740。
7月22日——臺灣拆解廢船工業超過日本,躍居世界第一[2]:740。
7月24日——樞機主教田耕莘(1890-1967)病逝(山東陽谷人,曾任輔仁大學復校後第一任董事長,為遠東區第一位樞機主教。);美國運通銀行臺北分行開業[2]:740。
7月28日——中華文化復興運動推行委員會成立,蔣中正擔任會長(11月2日,委員會擬定「中華文化復興運動推行計畫」;11月3日,臺灣省政府訂定「推行中華文化復興運動實施要點」;3月29日,《中華文化復興月刊》創刊。)[2]:740。8月,聘孫科、王雲五、陳立夫為文化復興委員會副會長[3]:116。
8月
8月4日——任命丁懋時、沈祖潯、李興南與黃正分別為駐剛果、盧安達、尼日及加彭等國大使[2]:740。
8月6日——副總統嚴家淦向梁實秋致賀其翻譯《莎士比亞戲劇全集》功成[2]:740。
8月7日——行政院發布「國家科學委員會組織規程」,由吳大猷任主任委員(8月14日,由長科會改組之國家科學委員會成立;10月13日,改組完成,設自然及數學、人文及社會、生物及醫農、工程及應用、科學及教育等五委員會。)[2]:740。
8月12日——蔣中正主持國家安全會議,通過由總統依照臨時條款,以命令規定延長九年國民教育年限(8月26日,行政院頒令自1968年起實施九年國教;12月3日,國際經濟合作發展委員會撥款新臺幣7億餘元,補臺灣省及臺北市推展九年國教;12月13日,行政院決定中美基金撥6億8千餘萬元,作為建國中教室之用。1968年1月2日,由中央指撥公地建校;1月4日,成立延長國民教育���作小組;1月9日,決定統一編印國中教科書;1月26日,78所國中破土興建。);監察院投票同意15位大法官,張金蘭成為第一位女性大法官[2]:740-741。
8月15日——總統府資政孔祥熙病逝紐約(山西太谷人,曾任行政院長、財政部長,長期主持國民政府之財政。)[2]:741。蔣中正馳電弔唁,並手撰「孔庸之先生事略」[3]:116。
8月29日——教育部在美國教育文化事業顧問委員會主任委員郭秉文逝世(江蘇青浦人,曾任東南大學校長、財政部次長兼中英貿易協會主任等職,為中國現代高等教育事業之先驅。)[2]:741。
9月
世盟第一屆會議在台北舉行,共有64個國家與地區、以及12個國際反共組織參加,谷正綱當選第一屆理事會主席。大會通過了世界反共宣言與世界反共聯盟共同綱領[11][12][13]。
9月7日——日本內閣總理大臣佐藤榮作訪臺(9月8日,兩度與蔣中正會談;9月9日,發表聯合公報,強調加強團結,實現亞太區域和平與繁榮。)[2]:741。佐藤榮作兩度晉見蔣商討臺日共同問題,並就當時世局及中國大陸中共情勢交換意見[3]:116-117。
9月12日——蔣接見日本記者發表談話,指出中共內部必陷長期混亂,盼日本人尊重東方傳統,不使共產主義有滲透之機會,唯有臺日加強合作,始能達到此一目的[3]:117。
9月16日——人事行政局成立(7月27日,蔣中正明令設置;8月4日,任命王正誼出任人事行政局長。)[2]:741。
9月17日——美國總統科學顧問賀尼克(Donald F. Hornic)率專家到臺灣,協助臺灣發展科學(9月23日,離臺,建議增加科技經費及培植人才;11月16日,訪臺後建議政府應以土地改革精神,全力加速科學與技術發展。)[2]:741。
9月19日——駐越大使館遭越共爆炸,房屋三分之一被毀(9月26日,暴徒供稱係越共主謀,企圖殺害大使胡璉。)[2]:741。上午10時30分,有兩匪徒混入大使館,將爆炸物安放於胡璉二樓辦公室下面引爆,一時轟然巨響,大使館樓板全部震塌[14]:250。大使館建築物一樓全毀,大使胡璉倖免於難[15]。
9月25日——世界反共聯盟第一屆大會在臺北舉行,67國及13個國際反共組織代表與會(9月29日,通過「世盟共同綱領」與「世盟宣言」後閉幕。)[2]:742。
9月28日——史學家錢穆夫婦自香港飛到臺北定居[2]:742。
9月30日——經濟部長李國鼎與世界糧食組織簽訂「臺灣東部農地開發計畫」實施方案[2]:742。
10月
10月5日——中華航空公司增闢至新加坡、曼谷、馬尼拉及漢城4條國際航線[2]:742。
10月6日——行政院副院長黃少谷代表蔣中正赴加拿大訪問(10月9日,與加國總理皮爾遜(Lester Bowles Pearson)會商兩國加強合作問題;10月17日,返回臺灣。)[2]:742。
10月13日——臺灣與美國簽訂紡織品兩項新協定[2]:742。
10月20日——「中、日貿易協進會」第一次會議在東京舉行(1969年11月17日,舉行第三次會議,臺方代表促成日方採有效措施,縮小貿易差距。)[2]:742。
10月21日——日本外相三木武夫表示對臺政策保持「吉田書簡」精神[2]:742。
10月30日——慶賀越南共和國阮文紹就職,參謀總長高魁元率特使團呈遞國書[2]:743。
11月
11月2日——美援贈臺灣海軍之驅逐艦安陽號抵達臺灣[2]:743。
11月12日——中國國民黨第九屆五中全會揭幕(11月23日,閉幕,選出嚴家淦等19位中央委員。)[2]:743。
11月19日——反共游擊隊突擊廣東惠陽縣平潭機埸,毀中共米格十九型機八架[2]:743。
11月23日——蔣經國再度連任中央常務委員會委員[16]:521。
11月27日——國防部長蔣經國訪問日本(12月2日,返回臺灣。)[2]:743。日本天皇裕仁接見蔣經國時表示永不忘懷蔣中正寬大德意;日本國民1萬5千餘名在東京舉行感謝蔣大會[3]:117。
11月28日——聯合國大會表決「中國代表權問題」,以58對45票,17票棄權,擊退共黨及不結盟國家欲使中共進入聯合國之企圖[2]:743。
11月29日——蔣中正發布行政院長局部改組:俞國華任財政部長,查良鑑任司法行政部長,孫運璿任交通部長,蔣彥士為行政院秘書長;考試院副院長程天放逝世(江西新建人,曾任安徽省教育廳長、浙江大學校長、駐德國大使;政府遷臺後,先後任教部長、考試院副院長等職。)[2]:743-744。
7月30日——行政院通過「中、美資源交換計畫」[2]:744。
12月
12月5日——副總統兼行政院長嚴家淦指示各機關,提高改進行政效率,推行分層負責制度,政府並頒實施準則[2]:744。
12月8日——前日本首相岸信介訪問臺灣;陸軍總司令陳大慶代表政府接受美國贈送之最新型戰車一批[2]:744。岸信介率團謁見蔣中正[3]:118。
12月12日——「中、美農產品協定」在臺北簽字,美國繼續提供臺灣農產品兩年3,750萬美元,半數為協助友好國家之用[2]:744。
12月13日——歷史學家湯恩比訪問臺灣[2]:744。
12月16日——臺、日簽訂5項貸款協定,計979萬1,000美元,購置設備用於建設[2]:744。
12月22日——駐賴比瑞亞大使楊繼曾代表與賴國簽訂「中、賴農技合作新協定」[2]:744。張群任慶賀賴比瑞亞總統、副總統就職典禮特使,順道訪問象牙海岸,歸途訪問美國[17]。
出生
參見: 1967年出生
1月8日——
陳明真,女歌手。
劉醇逸:政治人物,是移居美國的台灣人。
1月10日——林靖傑:導演。
1月13日——徐薇,英文補教名師。
1月15日——羅明才:政治人物,是羅福助之子。
1月17日——玉尚:演員,是呂盈瑩前夫。
1月21日——安幼琪:新聞主播、主持人。
1月22日——蔡淑惠:政治人物。
1月25日——吳蒙恩:導演。
1月30日——黃榮山:力學家。
1月31日——王祖賢,演員、歌手。
2月1日——
賴有賢,漫畫家。作品有《真命天子》、《小和尚》。
秦偉:���持人、通告藝人。
2月2日——
劉櫂豪,法官、政治人物。現任立法委員。
林有志:政治人物,曾任花蓮市市民代表、花蓮縣議員、行政院客家委員會諮詢委員。
2月5日——
拾方方:登山家,是首位在聖母峰遇難的台灣人。
簡余晏:政治人物。
2月6日——陳孫華:造型設計師。
2月8日——
牛爾:化妝師。
張正憲:棒球捕手,現被終身禁賽。
2月11日——陳政賢:棒球選手。
2月16日——顧玉玲:作家、社會運動人士。
2月22日——溫士凱:作家、講師、廣播主持人。
3月1日——蕭淑麗:政治人物。
3月2日——詹雅雯,知名臺語歌手。
3月3日——沈慧虹:政治人物、鐵道站務員,曾任奮起湖車站站長、新竹市交通處處長、新竹市副市長。
3月7日——歐崇敬:教授。
3月11日——
方季惟:歌手、演員。
郭國文:政治人物。
侯駿逸:角力運動員。
3月12日——尹乃菁:主持人。
3月21日——車宜靜:文化工作者,現任世界至孝親篤舜裔總會秘書長。
3月26日——張信哲,歌手。
4月2日——宋明宗:政治人物。
4月11日——王自強:演員。
4月15日——陳宗彥:政治人物,曾任行政院發言人、內政部政務次長、中央流行疫情指揮中心副指揮官。
4月21日——
蔡秋鳳:歌手。
劉志昇:棒球領隊。
4月24日——賴義鍠:政治人物。
4月26日——九孔,本名呂孔維,藝人、諧星。
4月28日——
包小松:歌手、主持人、音樂製作人,是張雅婷之夫、包小柏之兄。
包小柏:歌手、演員、主持人、音樂製作人,是包小松之弟。
4月29日——平凡:漫畫家。
4月30日——
張宇,男歌手。
田麗:演員、主持人、果農。
5月13日——徐超斌:醫師。
5月16日——楊朝偉:政治人物。
5月18日——李慶鋒:政治人物。
5月19日——趙詠華:歌手。
5月25日——
辜仲立,企業家,出身鹿港辜家。辜濂松三子。其兄辜仲諒、辜仲瑩。
吳鈞堯:作家。
5月28日——康康,本名康晉榮。綜藝節目主持人和歌手。
5月30日——丁國琳,女演員。
6月6日——
林美秀:演員、主持人。
楊靚姝:編劇。
6月7日——謝榮雅:工業設計師。
6月13日——陳文治:政治人物,曾任新北市議會副議長。
6月19日——陳震:歌手。
6月21日——馬維欣:演員、主持人、通告藝人,是馮光榮前妻。
6月24日——劉志宏:音樂製作人。
6月30日——王中平:歌手、演員,是余皓然之夫。
7月1日——
簡郁珊:音樂家。
單承矩:演員、導演、編劇、製作人。
7月3日——游梓翔:教授。
7月6日——
鄭文燦,政治人物。曾參與野百合學運,2014年當選桃園市長。
萬芳:歌手、演員、廣播主持人。
高景炎:籃球運動員。
7月18日——林錦昌,小說家、政治人物。曾任台北市政府新聞處處長。
7月19日——
李興文,男演員。曾參與電影《報告班長》、電視劇《流氓教授》、《意難忘》演出。
周可平:圍棋棋士。
7月21日——黃奕睿:會計師。
7月23日——楊潔玫:演員。
7月24日——宋少卿:相聲、演員、主持人。
7月31日——蔡海如:藝術策展人。
8月1日——
陳建年:歌手、警務人員,曾任蘭嶼分駐所副所長。
曾貴章:棒球選手,現被終身禁賽。
8月2日——王光熙:棒球選手,是王光輝之弟,現被終身禁賽。
8月5日——顧婕:演員。
8月10日——曲全立:導演。
8月11日——鄒兆龍:演員,是翁慧德之夫,曾在好萊塢參與電影《駭客任務》第二、三集演出。
8月12日——
黃俊傑,棒球選手,曾經效力於中華職棒時報鷹隊。
傅家森:消防員。
8月14日——曾淑勤,女歌手。
8月17日——
王耿豪:演員。
孟廣美:演員、主持人、模特兒,是台灣首位登上好萊塢的女藝人,現移居北京。
8月19日——胡一虎:新聞主播,原是華視主播,後轉赴香港鳳凰衛視。
8月23日——陳耀川:音樂製作人。
8月26日——蘇昭旭:鐵道研究家。
8月29日——邵昕:演員。
9月4日——四方:演員。
9月7日——吳小莉:新聞主播,原在華視擔任主播,1993年後轉赴香港鳳凰衛視。
9月8日——張萬康:小說家。
9月16日——
趙豐邦,花式撞球運動選手,有「冷臉殺手」之稱。
屈中恆:演員、主持人、配音員。
9月17日——楊秀玉:政治人物,現任基隆市議會副議長。
9月18日——
徐輔軍:導演,以2004年電影《夢遊夏威夷》獲得杜維爾影展最佳影片獎。
陳明義:政治人物,是陳世軒之父。
9月19日——
許淑蘋:演員,是張傑勛之妻。
盧秀芳:新聞主播,是盧秀燕之妹。
9月22日——張傑勛:演員,是許淑蘋之夫。
9月26日——林玉珍:新聞主播。
9月28日——朱國珍:作家、主持人、新聞主播。
10月1日——簡文彬:指揮家。
10月6日——汪用和:新聞主播,是周守訓之妻。
10月7日——林俊泓:導演。
10月8日——吳建樟:翻譯家。
10月11日——劉小芸:配音員。
10月12日——黃忠義,棒球選手。
10月16日——韓羅賢:音樂製作人、經紀人。
10月17日——
林小樓:演員。
黃國華:小說家。
10月19日——賴芳玉:律師。
10月22日——徐佳青:政治人物。
10月24日——劉增鍇:相聲。
10月25日——姚可傑:歌手,是東方快車主唱。
10月29日——徐承義:演員、企業家,是瓦城泰統集團創辦人。
10月31日——
黃柏霖,政治人物。現任高雄市議員,叔叔黃啟川曾任議長。
何淑峯:政治人物。
劉海若:新聞主播,原是TVBS晚間主播,2000年後轉赴香港鳳凰衛視。
11月1日——
洪敬堯:歌手,是洪一峰之子、洪榮宏之弟。
汪平雲:律師、政治人物,曾任蒙藏委員會委員。
11月4日——柯淑勤,女演員。代表作《孽子》。
11月6日——
宋達民:歌手、演員、牧師,是宋逸民之弟。
宋逸民:歌手、演員、牧師,是宋達民之兄。
11月7日——焦恩俊,藝人演員。
11月9日——江國賓,男演員。代表作《台灣霹靂火》、《台灣龍捲風》、《金色摩天輪》,早年以飾演反派角色較具代表性。
11月10日——沈懷一:歌手、社會運動人士。
11月17日——王美雪:演員。
11月18日——劉亮佐,藝人,曾主持三立電視台節目『在台灣的故事』。
11月19日——
侯志堅:鍵盤手、音樂製作人,是東方快車成員之一。
游素蘭:小說家、漫畫家,是喬英之姊。
桑茂森:籃球教練。
11月20日——周奕成:政治運動人士,曾任中華民國總統府諮議、行政院政務顧問。
11月21日——陳思安:歌手。
11月25日——謝采妘:歌手,現移居馬來西亞。
11月27日——陳湘琪:演員、教授,現任教於國立臺北藝術大學電影創作、劇場設計二系。
12月14日——卓天麟:棒球選手。
12月15日——陳進益:配音員。
12月16日——周玲妏:政治人物,曾任高雄市政府觀光局局長。
12月17日——王文華:作家。
12月20日——
陳文山:演員。
蕭雅全:導演。
12月21日——李哲華:幕僚,曾任台北市民政局機要秘書、葉金川副秘書長辦公室主任、林益世立委辦公室主任。
12月23日——陳淑芬:漫畫家。
12月24日——沈玉琳,藝人、電視節目製作人及主持人。
逝世
1月12日——丘念台,政治人物,丘逢甲之子。(1894年出生)。
3月11日——楊仲鯨,政治人物,首屆民選花蓮縣長。(1898年出生)。
3月27日——吳新榮,醫師、作家及政治人物(1907年出生)。
吳燕生 詩人 °吳鸞旂孫女、吳子瑜女兒°大正三年出生於北平,得年 62歲°
參考來源
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myonbl · 10 months
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2023年12月1日(金)
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京都に<紅葉スポット>は沢山あれど、<黄葉>とくれば西本願寺のイチョウははずせない。京都市の天然記念物に指定され、樹令400年で大きく枝を広げた偉容は見るものを圧倒する。教団運営には経済力と政治力の両方が必要だが、何度も繰り返された様々な対立抗争、はたしてこのイチョウはそれをどのように見ていたのだろうか。しばし歴史空間に身を置いて、連想を逞しくするのも一興である。
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4時起床。
日誌書く。
カロナール飲む。
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今日は<世界エイズデー>、AppleはiPhoneの<ProductRed>の売上の一部を<グローバルファンド>に寄付してきたが、うちの夫婦ももちろん一貫してこの色の製品を使い続けている。
ツレアイが起きるのを待って、ココに点滴をする。
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朝食、洗濯、弁当*1。
ココが下りてきてトイレ、少しご飯(生節+カリカリ)を食べてくれたのでホッとする。
可燃ゴミ、30L*2。
ツレアイを職場まで送る。
AppleからOSのアップデート通知、macOS Sonoma 14.1.2, iOS 17.1.2。
<共生社会と人権>の資料作成、次回は<インターネット>がテーマ、#metoo and #kutoo を取り上げることにする。
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体調不良を振り切るために(?)、<ととや>でランチ、お造り定食(5種盛り)with beer。
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西本願寺へ移動、イチョウをたっぷりと観賞する。向かい側の<龍谷ミュージアム>へ移動、<龍谷大学文学部博物館実習「十二月展」>を鑑賞する。
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西大路七条・ライフで買い物、厚切りロースが安かったので購入。
数日前からの腰の痛み、それを庇ったせいなのか首と肩の痛みが酷い。少し横になるが、体を真っ直ぐ伸ばせない。
ココが下りてきてトイレ、少しご飯(生節+カリカリ)。
<共生社会と人権>、資料作成続き。
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ツレアイも何とか戻ってみなで夕飯、南アの赤ワインシリーズ、今夜は<RED BLEND>、このシリーズは正解だった。
首の痛みが激しくなってきたので、ツレアイにマッサージと湿布をお願いする。
片付け、入浴、体重は50g減。
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歩数がちと足りないが、今の体調では頑張る余裕がない。
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kennak · 5 months
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金曜日のお昼前、ぼんやりX(Twitter)のタイムラインを眺めていたら「渋谷タワーレコードでビヨンセサイン会開催」というにわかには信じられないような情報が目に入りました。「えっ、これ、マジ……!?」と一瞬、言葉を失います。ビヨンセに会えるのは先着150名。「今すぐに家を出れば、間に合うんじゃね?」と思い、即座に身支度をして家を飛び出します。 ダッ��ュで駅まで行き、電車に乗り込んで車内でサイン会のレギュレーションを確認。渋谷タワーレコードでビヨンセの最新アルバムを購入した先着150名がサイン会に参加できるとのこと。「※お時間の都合により、サイン会参加券をお持ちの方でも止むを得ず途中で終了となる可能性もございます。その場合、大変恐れ入りますが、サイン会にご参加頂くことは出来ません。それら可能性を全てご了承いただいた上でご購入ください」という恐ろしい文言もありますが、一目でもビヨンセが見られれば問題なし! そして到着時間を見積もるとだいたい11時50分ぐらい。CDはまだ残っているのか? ドキドキしながら渋谷駅からタワレコまでの最もスムーズな経路を脳内でシュミレーションします。そして渋谷駅に着いたらタワレコまで猛ダッシュ! ビヨンセ 渋谷タワーレコードサイン会 整理券 人混みをかき分け、タワレコまで全力疾走。そしてお店に着いて無事、整理券をゲット! これが11時50分ぐらい。とりあえず、ビヨンセに会える権利を獲得しました。 ビヨンセサイン会対象商品購入専用レジ ビヨンセサイン会対象商品購入専用レジ そのまま列に並んでビヨンセのCDを購入します。周りの整理券をゲットした皆さん、かなり興奮している様子。もちろん僕もぶち上がっていますよ! レジには「ビヨンセサイン会対象商品購入専用レジ」という激アツのパワーワードが記されていて最高! ここだけ見ると地下アイドルのサイン会となんら変わりがありません(笑)。お支払いを済ませてCDとサイン会参加券をもらって地下の会場に向かいます。 ビヨンセサイン会整理券配布終了 地下のイベント会場に向かう途中でちょうど、整理券配布終了が終了になりました。これが12時5分ぐらい。告知が急だったこともあるのか、意外と時間がかかりましたね。諦めずに渋谷タワレコにダッシュしてよかった! ビヨンセサイン会 Cowboy Carter CD これが購入したビヨンセの最新アルバム『Act II: Cowboy Carter』。これにサインをするわけではなく、別にサインしたポスターをビヨンセがお渡ししてくれる模様。このCDの購入代金2690円で至れり尽くせりじゃないですか! ビヨンセサイン会ボディチェック 地下のイベント会場の手前で手荷物&ボディチェック。金属探知機でチェックする厳重さ。まあ、ビヨンセに会うんだからこれぐらいのことはしますよねー。この時点で12時20分ぐらい。イベント開始は13時からなので列にならんで待機します。この時点でも「本当にビヨンセ、来るんだろうか? そっくりさんとかじゃないの?」と半信半疑でおりました。結局、ちょっと遅れて13時15分くらいからイベントがスタート。会場から出てきたビヨンセと謁見した皆さん、感激のあまり泣いている人が多く見受けられて「自分はどえらいところにいるのでは……?」と思い始めます。 ビヨンセサイン会抽選 ビヨンセサイン会Tシャツ 列が進んで地下イベント会場に入る手前で抽選会。なんとAMBUSHの特製Tシャツが当たっちゃいました。超ついてる! そして会場に入ると……。 渋谷タワーレコードビヨンセサイン会 ビヨンセ、マジでいる! 超ヤバい! あまりのことに脳みそが追いつきません。 渋谷タワーレコードビヨンセサイン会 だんだん落ち着いて見てみると、1人1人に声をかけてお話をし、握手やハグをしています。はがしの人もそんなに急かさない、超神対応現場であることが判明。さっきからすれ違っている皆さんが泣いていた意味がわかってきました。 この投稿をInstagramで見る みやーんZZ(@miyearnzzlabo)がシェアした投稿 こちらのお姉さんはなんとビヨンセの前でダンスを披露。ダンスが終わるまでやさしく見守るビヨンセさまはまるで聖母のよう。一切、はがそうとしないスタッフの方も素晴らしいし、列に並んでいる我々も声援を送る最高な空間が出現しています。 ビヨンセサイン会にジェイ・Zも…… この投稿をInstagramで見る みやーんZZ(@miyearnzzlabo)がシェアした投稿 で、ふとサイン会をしている横のエリアを見てみると、ジェイ・Zを発見! 俺の5メートルぐらい先にホヴァがいる! 俺は今、カーター夫妻と同じ空気を吸っているのか……マジで意味がわからない! 列で並んでいる前のお兄さんと「あれ、ジェイ・Zっすよね?」「マジでヤバい!」「意味わからない!」と興奮気味に話してしまいました。 ビヨンセサイン会・馬 会場には何人かお子さんもいらっしゃってました。ジェイ・Z&ビヨンセのお子さんもいらっしゃったのかな? ブルー・アイヴィーちゃんとかその下の双子ちゃんとか、家族総出でサイン会に来ていたんだとしたら激アツすぎるなーと、列に並びながらキッズたちを眺めていたのでした。そんなこんなでついにビヨンセ様と謁見に。ステージにスマホや荷物は持ち込んじゃいけないので、後ろの列に並んでいる人にお願いして、ビヨンセと一緒にいる動画を撮ってもらっちゃいました。他の参加者の方もみんな、そんな感じで助け合いながらビヨンセと一緒に過ごせる瞬間を撮っていて、とてもピースな雰囲気でした。 ビヨンセサイン入りポスター ビヨンセサイン会・サイン入りポスター これがビヨンセから直接いただいたサイン入りポスター。ちゃんとステージ上で書いているのを見たので、間違いなく直筆。すごすぎる! ステージ上で会ったビヨンセはバリバリにオーラが出ているものの、とても優しい表情で僕を見つめて握手してくれました。正直、何を話したのかは覚えてませんが、ハグした瞬間にめっちゃいい匂いがしたことは覚えています。俺は、とんでもないことをしてしまった……。呆然とした心持ちで地下のイベント会場から地上階に上がります。途中、僕の後にビヨンセと会った何人かの方々と「やりましたね」「本当にビヨンセ、いましたね」と興奮気味に話しながら出口に向かいます。 ビヨンセサイン会出待ち タワーレコードの出口周辺には出待ちの人々が多数いてびっくり。改めて、自分はとんでもないイベントに参加してしまったんだという実感を抱きながらお店を後にしました。ビヨンセ渋谷タワーレコードサイン会、マジで歴史に残る神イベントでした。孫の代まで語り継ぎたい! とりあえずいただいたサイン入りポスターは額に入れて家宝にします。素晴らしいイベントを企画してくれたソニーミュージックとタワーレコード渋谷店にも感謝です! この投稿をInstagramで見る Beyoncé(@beyonce)がシェアした投稿 イベント後、ビヨンセのInstagramにこの日の様子が投稿されていました。きっとビヨンセも楽しんでくれたんだと思います。本当にありがとう、ビヨンセ! 愛してる!!
みやーんZZ ビヨンセ・渋谷タワーレコードサイン会レポート | miyearnZZ Labo
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ichinichi-okure · 1 year
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2023.9.29fri_yamanashi
こんにちは。マリンバ&ビブラフォン(木琴と鉄琴)奏者でシンガーソングライターとしても活動している 影山朋子といいます。
今回このような日記を書く機会を頂けてとっても嬉しい。最近文章を書いていきたいなと思っていたのでした! さて、初めに鷹取さんから日記のことでお声かけてもらったのは7月末のこと。2年前から突如ご縁ができて毎年通わせてもらっている大好きな能登半島のイベントに出演する日が候補日だったので、これは!と思い是非書かせてくださいとお返事し意気込んでいたところ、出発当日になって発熱しはじめ、抗原検査は陽性。泣く泣くイベントを欠席する事になりました。 それでも、日記は書きます!と申したものの、どんどん熱が上がり動けなくなり、コロナ舐めてましたごめんなさい!! ということでまた後日にとお願いしたのでした。
-コロナ罹患の思い出- 初めてのコロナ、3、4日寝続けるなんて何年ぶりだろう。熱が上がってだんだんと苦しくなってくるにつれて、 多分これまで何十年と溜め続けてきた、”ああ、私なんて・・” みたいな笑っちゃうほど自虐的な惨めな気持ちや不安が奥から奥からぐろぐろ出てきて( 笑 すみませ ん、、) 自分ネガティブキャンペーンがピークに達した頃、突如「あ、そういえば鬼滅の刃の新しいのまだ見てなかったな、何もできない今こそ見るのにぴったりやん」と思い立ち、 ネットフリックスで鬼滅の刃の刀鍛冶の里編を一気観したのでした。 そうしたらば、どうでしょう、最後に出てくる上弦の鬼が、それはそれはみみっちい人(鬼)格で、自分は悪くないのに何故咎められるんだろう、自分はなんて可哀想なんだろうと、ずっと泣いているのでした。人を殺めるようなことをしても「私が悪いのではないです、この手が勝手にやったのです」と泣いているそのどうしようもなさ・・。
あああ~、私にも、こういうところがあるので、鬼を見ていて自分の悪いところそ っくりだなと思っていたら、炭治郎が鬼の首を切ったところで、自分の中の鬼も成敗されて付き物が取れたかのような爽快さとともに、コロナから回復して行ったのでした。 なんだかそれが面白かった初めてのコロナ体験でした。 うちは夫と猫二匹と暮らしているのですが、夫も同時にかかったので、かかる前と後で二人ともなんか取れた(浄化された)みたいで家庭の空気もすっかり良くなった のでした。 大変な思いをされた方が沢山いらっしゃる中で、ちょっとふざけた文章でごめんなさい。今も患っていらっしゃる方、後遺症などで苦しんでおられる方のご回復をお祈りいたします。
-河口湖猫LIFE- さて、前置きが長くなりましたが、今日、9月29日の日記を書いていきたいと思います。 昨年、八王子から山梨の河口湖に引っ越しをしました。週に2、3日、夫と一緒に東京方面に行き八王子に住んでいた時にしていたお仕事 (音楽療育やマリンバのレッスンをしています)を続けながら、それ以外の日はライブなどが無ければ山梨の家 で自分の仕事(音楽の作業)などをしています。
今住んでいるお家は山の入り口辺りにあり、目を覚ますと 一日の始まりに緑が揺れる素敵な光景を見ることができます。
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今日は曇りで見えませんが、ありがたいことに富士山がよく見える場所です。 最近少し涼しくなってきて嬉しいのは、起きた時、大概猫ちゃんが体の上に乗って いることです。
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今日は休みの日にしては早起きして、朝近所のカフェに用事に行き、帰りに河口湖浅間神社にお参りに行きました。
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こちらは杉の木が、ほんとにすごいんです、大き~な杉の木がたくさんそびえたっておられます。 神社の奥にまた立派な杉の木が並んでいます。
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鎮爆の文字。この地域ならではですね。
本当はこの神社から少し登ったところに 母の白滝、父の白滝という素敵な滝があってそこまで行けばとっても気持ち良いのですが 今日は作業があるのであきらめました。
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いつも行くわけではありませんが、今日はせっかくの日記の日なので、河口湖の人気のパン屋さん レイクベイクに寄ってパンを買って帰りました。なんだか優雅な気持ち。 天気が良ければパン屋の小窓から富士山が見えるみたい。
。 家に帰って、最近新しくできたルーティーン “もみ散歩” 飼い猫の紅葉(もみじ)の散歩に付き添います。
これはなんだかとっても、いい すごく癒される時間です。
今のお家に引っ越してから最近まで猫ちゃんは室内飼いにしていてお外には出さないようにしていましたが、 1ヶ月ほど前に外出を解禁したのです。(前の家では自由に外に出してあげていたので二匹ともお外大好き)
二匹のうち三毛の紅葉(もみじ)は、気高くナワバリ意識が強くて、喧嘩っ早く、 紅葉の娘猫の心(ココロ)は気ままでマイペース、外の猫ちゃんに遭遇しても臆病ですぐ逃げ帰ってきます。
お外に出すようになって二日目のこと、紅葉が外の猫ちゃんと喧嘩しめちゃめちゃにやられてゼーハー言って帰ってきたのでした。 お腹と脇の下が傷だらけになってそれはそれは可哀想な状態でした。 とても心配でしたが、1日静かに寝てから動物病院に行き、抗生物質を飲ませて3日ほどすると回復し始めてもう薬を飲まなくなり、 1週間くらいで大分元気になりました。
もうお外に出すのは無理かなと思っていたら、懲りずに、、外に出たくて窓のところでドアを開けようとするのです、 傷がすっかり消えたところで、また外に出してあげる事にしました。 でも外猫ちゃんと遭遇したら、また喧嘩しかねない・・ プライドの高い紅葉はきっと・・危ないなと思い、 紅葉の散歩は毎回付き添う(というか見張るというか様子を見る)事にしました。
まずお外に出てプラプラ、日向ぼっこしてごろごろして、お気に入りの場所と縄張りを一通りパトロールして、 そして、草を食べます。(可愛い・・)
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(手頃な草を探す紅葉)
( 実は、紅葉が草を食べ終わったくらいのところで、「もみちゃんそろそろおうち 戻るよ。私仕事しなくちゃいけないからね」 と言って抱っこして無理やりつれて帰ろうとしたら シャーって怒られて噛みつかれて逃げられました、、 その後に、おトイレをしてから自分で家に戻ったのでした ) ああやっぱり大人の(人間の)都合で動かそうとしたらダメなんだなぁ。 待つことや ちょっと遠目で見守ること 大事なんですね~ (人間の子どもと同じですね~)
おかげで紅葉の散歩ルーティンや行動パターンがわかってそれはよかったです。安心しました。
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(お外やベランダで気ままに過ごす猫ちゃんたち) ああ可愛い。
ギターとシタール演奏のほか映像作家もやっている旦那さん(田井中圭)が、細かい 作業を手伝ってくれてめちゃくちゃ助かりました。 ありがとう!!!
家で仕事をしていると猫ちゃんたちがそばで応援してくれる時もあります。
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時々ベランダに出て休憩していると見たこともない綺麗な虫たちをよく見ます。 この辺りの虫はだいだいキラキラ光っていたり、透明に透き通っていたりして、綺麗です。
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そうして夕方、またお外に行きたい猫たち。
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私も体がガチガチになってきたので、家の周りを一周歩いたり走ったりしにいきます。 すぐ近くに川が流れているのでそこに行くとすごくリフレッシュできます。
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大分日が暮れてきました。 家には、浅間神社のコノハナサクヤヒメのお札(というのでしょうか・・?)と、 夫がインドで買ってきたサラスヴァティーと 能登半島の天日陰比咩神社のハガキを飾って(祀って)います。
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夜、旦那さんが外で草を摘んできて紅葉にあげていました。 可愛い・・
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さて、もうそろそろ寝る時間です。
とても平和な1日でした。 読んでくださりどうもありがとうございました。
本当は、河口湖や富士山周辺のおすすめスポットもご紹介したかったです。 忍野八海や、樹海や、道の駅や、温泉・・ 楽しいところがいっぱいあります。
そのうち、家で自然療法(蒟蒻湿布や石の温灸やよもぎ蒸しなどでの身体のあたため)と楽器の音でのサウンドセラピーのようなことと、 山や川、河口湖周辺の散策などをするリトリート的なことをやっていきたいなと思っています。 ご興味ある方いましたら声かけてください。 まだ準備中ですが、ひっそりと、”森のおとリトリート”というインスタグラムアカウントを作りました。 https://www.instagram.com/morinootoretreat/
こちらに引っ越してから、だんだんとやりたいことが自然とできるようになってき ました。 ありがたい。 カバー動画もやっていきたいし、 音楽以外にも、やりたいことが沢山あり、デザインやグッズ制作、文章も書いてい きたくてnoteも始めようと思っています。 楽しみ。
とりあえずは!! 11/15に、マリンバの弾き語りでのセカンドアルバム(8曲入り)をリリースいたします。 ゲストミュージシャンに夫のシタールの田井中圭と、クラリネット奏者の渡邊一毅 さんを迎え一曲ずつ参加してもらいました。 よかったらこちらSENSAさんに詳しく情報掲載いただいているのでご覧ください。 https://sensa.jp/news/20230927-kageyama.html
リリースパーティは!!ゲストミュージシャンのお二人と、シンガーソングライター のkiss the gamblerちゃんを迎えて 恵比寿リキッドルーム二階のKATAで開催します。 世田谷の美味しい硴とお酒のお店 アリク が 硴めしや、炊き込みご飯などで参加してくれます!! ぜひ遊びにきてください♪ 詳細こちら https://t.livepocket.jp/e/tampopo
ええと、こんなことを書いている今。夜寝る前。 ふと見ると室内にいるはずの紅葉がベランダに・・! 窓の網戸用鍵はかけてあるのになぜ?! と思ったら、なんと網戸を破いて外に出ていました。 恐るべし・・
-プロフィール- 影山朋子 1982年6月 神戸生まれ 11年間の東京生活の後、昨年より山梨県富士河口湖町在住 マリンバ・ビブラフォン奏者、シンガーソングライター、 風と木の音楽教室主宰(八王子と河口湖でマリンバのレッスンをしています) ときどき療育のお仕事にもたずさわっています。 HP https://www.tomokokageyama.com twitter https://twitter.com/momotukituki instagram https://www.instagram.com/tomoko_kageyama632/ 風と木の音楽教室 https://kaze-to-ki-music.webnode.jp
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lupinnewseason · 2 years
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【ルパン三世フェスティバル in 浜中町】浜中町ルパン三世バーチャルツアー&フェスレポート
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漫画「ルパン三世」原作者であるモンキー・パンチ先生のふるさと北海道・浜中町で、3年ぶりに『ルパン三世フェスティバル』(2022年10月29日・30日)がリアル開催されました。フェスティバル会場の模様と、浜中町中や観光スポットで見つけることのできるルパン三世たちを【浜中町ルパン三世バーチャルツアー】としてご紹介します。
◎浜中町ルパン三世バーチャルツアーMAP
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①ルパン三世通り(霧多布市街地)
ツアーは、浜中町役場がある霧多布(きりたっぷ)よりスタート。霧多布市街地の『ルパン三世通り』にはルパン・次元・五ェ門・不二子・銭形たちが描かれたフラッグや看板が掲げられています。
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各キャラクターが描かれたマンホールのふたは、浜中町オリジナルのお土産としてキーホルダーも販売されています。 浜中町商工会:https://hamanaka-shoko.jp/pg937.html
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通りにある仮想店舗「JIGEN’S BAR」「PUB FUJKO」は、ファンが必ず訪れる人気のフォトスポットです。
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仮想映画館「霧多布座」は老朽化により2022年6月に取り壊しとなりましたが、復元ARとして現地で写真撮影ができます。
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※ARサービスの提供は2022年11月30日まで
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②霧多布市街地 店舗
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霧多布市街のお店「鎌沢ドラッグ」さんにお邪魔しました。こちらは店内を飾るモンキー・パンチ先生のサインやルパン三世グッズ、ジオラマなど圧巻のコレクションで、現地を訪れるファンのサロン的存在のお店とのこと。この取材の際も、コスプレ姿のファンが見学をしていました。
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市街には他にも店頭にルパン三世やモンキー・パンチ先生のサインが飾られているお店があります!
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③浜中町役場 新庁舎
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津波対策として高台に建てられている浜中町役場の新庁舎。役場までの案内板には、町の基幹産業である農・漁業ルックのルパン三世一味&銭形警部の姿が描かれています。
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通常は平日のみ見学可能な庁舎内ですが、今回はルパンフェスのため特別に見学することができました。
▼1階:吹き抜けの入り口から見える各階案内板にはルパンたちが。
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▼2階:モンキー・パンチ先生のルパン三世イラストを大きく使用した壁画。
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▼3階:展望台は霧多布市街地を見渡せる絶景ポイント。
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ちなみに新庁舎の外では、ルパン三世通りと同じ5種類のマンホールを見つけることができます!
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④「妖精花伝説」イラスト
浜中町内の牧場にはモンキー・パンチ先生が描かれた妖精のイラストが看板となっている牧場も。
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妖精は何種類かいるそうなので、現地に来た際はぜひ探してみて下さい。 今回は浜中町役場ちかくの小松牧場さんにお邪魔しました。 ※牧場では牛舎や牧草地など立ち入り禁止の場所にご注意ください
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⑤霧多布湿原センター
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霧多布市街からJR花咲線・茶内(ちゃない)駅へ向かう一帯は約3000平方メートル(東京ドーム600個分以上)の広さをもつ霧多布湿原です。浜中町の自然を楽しみたい方は「霧多布湿原センター」で専門ガイド付きのエコツアーも開催しています。また、センターでは物産品と合わせ、浜中町オリジナルのルパン三世グッズも販売しています。
霧多布湿原センター:https://www.kiritappu.or.jp/center/
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⑥JR花咲線 茶内(ちゃない)駅
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JR花咲線(JR根室本線、一部区間の愛称)の浜中町内にある<茶内駅>。 駅の入り口ではルパン三世の等身パネルが出迎えてくれます。そしてホームにはルパンを追ってきた(?)銭形警部の姿も。 フェス中はJR茶内駅から会場までの町営バス(予約制)も運行しています。
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⑦仮想店舗「居酒屋五ェ門」
茶内にあるフォトスポット・仮想店舗「居酒屋 五ェ門」は、駅入り口を背に200メートルほど歩いた場所に建っています。(実際の営業はしていません)
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⑧浜中町ウェルカム看板
茶内駅をはなれ、釧路市~根室市を結ぶ国道44号線に向かうと見えてくるのは、表はルパン、裏は不二子のイラストが描かれた大きな案内板です。
車での観光の際はこの看板が浜中町の目印となります!
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※自動車での観光は、交通ルールを守って安全運転を心がけましょう。
 
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⑨ルパン三世 デーリィロードマップ看板
そのまま国道44号線を北上すると見えてくる茶内酪農展望台。 そのパーキングエリアにある酪農地域全体の案内板にもルパン三世が。
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この他にも、浜中町内の酪農地域ごとに「ルパン三世」キャラクターと「妖精花伝説」のイラストが描かれた案内板があるようです。
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⑩JR花咲線 浜中駅
国道44号線から再びJR花咲線に戻って<浜中駅>へ。 こちらの入口では誰かと待ち合わせしているような次元と五ェ門、そして駅舎内の切符売り場とホームには不二子とルパンの姿を見ることができます。
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駅舎以外でもJR花咲線では大自然の中をルパン三世のラッピングトレインが運行しています。霧多布のラッピングタクシーなど、各種交通機関を合わせての観光もオススメです。
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▼JR北海道 ルパン三世ラッピングトレイン運行表 ⇒ https://www.jrhokkaido.co.jp/travel/lupin/
浜中町の観光スポットではARを使ってルパンたちと写真が撮れるサービスを実施し、フェス期間中に訪れたファンの皆さんにも好評でした。
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※ARサービスの提供は2022年11月30日まで
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⑪ルパン三世フェスティバル会場(浜中町総合文化センター)
霧多布市街地へ戻り、フェス会場の浜中町総合文化センターにやって来ました。 駐車場ではラッピングトレーラーの展示や地元グルメ屋台の出店で賑わっています。
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総合文化センター1階ロビーにあるルパン三世の愛車の展示コーナーでは、フェス中は特別に車のそばまで近づくことができたため、コスプレをしたファンなどたくさんの方が記念写真を撮りに集まっていました。
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2階ではフェスティバルに合わせ TVアニメ「ルパン三世 PART6」ビジュアル展を開催。 ルパン三世グッズ販売や浜中町内で使えるルパン三世payの発行コーナーも設置されていました。
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◎モンキー・パンチ・コレクション
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文化センター2階にある常設施設「モンキー・パンチ・コレクション」にもフェス中たくさんの人が訪れていました。この中ではモンキー・パンチ先生の漫画原稿やイラストが多数展示されているほか、先生の書斎を再現したスポットなど創作の原点を垣間見ることができ、浜中町を訪れるファンが必ず立ち寄る名所となっています。
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◎「スペシャルトーク」ステージ
フェス2日目のラストには、声優陣と制作スタッフによる「スペシャルトーク」ステージが文化センター大ホールにて開催されました。
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<「スペシャルトーク」登壇者> (ステージ左より)MC小新井涼さん/ルパン三世・栗田貫一さん/石川五ェ門・浪川大輔さん/トムス・エンタテインメント 野﨑プロデューサー/東北新社 清水音響監督/日本テレビ放送網 中谷敏夫さん
まず栗田さん、浪川さんが久しぶりとなった浜中町ステージでの挨拶、そして今回がフェス初参加の音響監督・清水さんも浜中町の印象を語り、和やかにトークがスタートしました。
今年8月に亡くなられた次元大介の声優 小林清志さんの話題では、栗田さんはアフレコ現場での小林さんとの最後の会話、浪川さんからは小林さんとの印象的なエピソードが語られました。 そして、今回のステージではサプライズとして次元大介の声優を引き継がれた大塚明夫さんからのビデオメッセージが紹介され、ステージでは「PART6」アフレコ時の様子など制作時のエピソードも飛び出しました。
続く浜中町ステージでのお楽しみ・生アフレコのコーナーでは、栗田さんと浪川さん、そして観客席から元気に手をあげた銭形警部姿のファンも参加し、音響監督の生指導の下で「PART6」第一話ラストシーンのアフレコを再現。見事にリリー役を演じた参加者に、栗田さんと浪川さんからは驚きと称賛の声があがり、会場からも大きな拍手が送られました。
最後のあいさつでは新しいメンバーも加わったルパン三世チームでまた浜中町を訪れたいと栗田さんが語り、温かな雰囲気の中ステージは幕を閉じ、「ルパン三世フェスティバル」の全日程が終了しました。
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浜中町とルパン三世スポットについて詳しくは下記WEBサイトでもご案内をしています! ⇒ 浜中町観光協会:http://www.kiritappu.jp/ ⇒ ルパン三世宝島プラン:https://www.hamanaka-lupin.com/
フェスにご参加いただいたファンの皆様、ありがとうございました!
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oka-akina · 2 years
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大掃除してない、年賀状書いてない、おせち作ってない、帰省もまだしてない、仕事が忙しかったとかでもない、年末〆切の何らかに応募もしてない、洗濯物たたんでないし、洗い物もほったらかし。
ほんとになんもしてないのに、なんかこう年末というのは落ち着かないというか、リズムが崩れる感じがあって、いつものことがいつも通りにできなくてもどかしい。やけにのどが乾いて、麦茶をひたすら飲んでいる。おなかいっぱいで苦しいのに何やってんだろう。
TikTokで渋谷スクランブル交差点のライブカメラを眺める。カウントダウンで集まってきたとおぼしき人々でごった返していて、今年は警官や警備員の人数も多い。警備の人たちがずらっと並んだ交差点を、大勢の人がぞろぞろ列を作って横断し、すれちがう人とハイタッチしている。人の流れがかなり整理されているのでハイタッチはなんだかフォークダンスみたいだ。奇妙な眺めだけども、渋谷のニューイヤーって感じだなあと思う。
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1月1日になって夫の実家へ。おせちを食べてゆっくり過ごして、なんだけど、わたしはなんだか疲れて…というか頭痛がしてきて、ひっくり返ってしまった。
一戸建ての家の寒さと、こたつ&ストーブの温かさに不慣れなのと、座卓の立ち座り…というか座卓でのふるまいがあんまり得意でないのも。あとずっとテレビがついている感じとかWi-Fiのない心細さとか。そういうあれこれが頭痛を招いた。こめかみがずきずき痛み、それがだんだん上顎まで響いてめまいがした。
ほんとにまあわたしがワガママというか、ちょっとふだんとちがう動きが多いとすぐ調子を崩してしまう。今さらそんなに気を遣うような間柄でもないし、とてもよくしてもらっているのに、感じ悪いだろうなあと思いつつ、いまは二階で寝かせてもらっている。たぶんだんだん体力がなくなってきて、むしろ二十代の頃より変化に敏感になっている。
寝て起きた。たぶん一時間くらい。用意してもらった布団がほんとにあたたかくて、さっきまでつめたかった足がすっかりあたたまった。自分の家のよりよほどいい布団だ。ちょっと寝たら元気になりました、お正月にすみません、ご心配おかけしました、とヘラヘラ謝る…という夢を見ていた。一時間くらい寝て起きてをたぶん二セットやっていたようだった。Wi-Fiのない戸建ての家が苦手で具合が悪くなっちゃいましたなんてさすがに言えないよなあと思っている。さっき、夫の母が夫のいとこの娘の写真を見せてくれて、わたしは妹の子の写真を見せた。会ったときはいつも、自分ちのではない子の写真を見せあう。
年末は、25日にうろこさんとお茶(唐揚げ)して、29日に鳩さんと軽く飲んで、30日につたゐさん森瀬さんとオンライン飲みした。とてもリラックスして、あんまり楽しかったので、きっと反動がきているんだと思う。
布団の中で何度も寝返りをうつ。頭が痛いしのどがかわいた。2022年のまとめとかなんかいろいろ感想とか今月〆切のアンソロ原稿とか、書きたいことがいくつも思い浮かぶ。読みかけの本も。
さっきのテレビで、ほんとにまあお笑い芸人にはいろんな人がいるなあと思っていたらトラジャが出てきて、うれしかった。いつもどおりキラキラしていて、でもちょっと緊張しているようすで、袴姿なのにピシッと踊るしアクロバットも決める。いやすごいけど袴で踊らせなくていいだろ。生放送で、いろんなゲームなどの後で床もなんか散らかっていて、司会の人たちも長時間で疲れているのかなんか雑な紹介だったし、あんなとこでパフォーマンスさせるなよ〜〜と思った。でもほんとによかった。いま布団の中だけど頭の中でまだ響いている。
そろそろ一階に行こうかなあと思う。この部屋の雨戸を閉めた方がいいんだろうなあとも思う。結婚してもう長いのに、わたしはいつまでもホームステイの子みたいだ。
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あけましておめでとうございます。すごい調子悪いみたいですが元気です。元気です!
1/15に文学フリマ京都があるので楽しみです。Wi-Fiのある自宅に帰ったらまた何か書くのと、tumblrやTwitterをいろいろ遡ろうと思います〜。がんばれ〜〜。
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avitasashag · 2 years
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bipolar dairy 2
似乎醒来之后就给自己放一下血成了唯一的安慰剂,越割越感受不到疼痛,没有想到是这样的方式肉体上重回了青春期,碰巧联系到了我的一个认识人夸夸其谈一些让我吃点能量食品以及点评我行为相当青春期的屁话。似乎人们的认知中半公开的自残与自戕只有缺乏管教的青少年才做得出,我没有什么方法可以证明我确实没有抵抗的能力,那种每次袭来的复杂与苦痛永远占据上风,后一次都比前一次更加无法抵抗。每一次袭来时你都为依然需要去进食(尽管少量)、排泄和清洗自己、以及观看尽管无意义的东西来度过为数不多的清醒时刻感到好笑,在多年以前为了避免自己掉入卡夫卡式的深渊(那是另外一种深渊),我主动放弃了稳妥的社会身份,这当然在我的上一辈看来是无法理喻的,规则和秩序以及按部就班的生活似乎在他们的眼里可以逃离疯狂,当然“逃离”本身也是,我已经大概率确认了一个事实即是:逃离现实的我,就是他们维持与幻觉中的还在困难光荣的荆棘路上狂奔的女儿共处的可能。现实中的我则肯定他们最知道发生了什么。
朋友说,你的内心足够强大,你可以的。在卡夫卡式的悲剧中,这句话发生在每天打卡上班的同事对话中,内容不同,内核相似。我后来发现雅典泰门或圣鹿式的悲剧如何就可以自以与卡夫卡不同呢?每一次郁期都比前一次的郁期内容凶猛,无论我在燥时再尽全力构筑一些什么,郁期的第一二天就可以完全摧毁,天空中出现的那个与月亮完全匹敌的月亮,那个小星球,我一遍又一遍的在每一个复发的低谷重复播放那几部,拉斯冯提尔全部循环、兰斯莫斯全部循环、查理考夫曼全部循环、大卫林奇全部循环等等,我们这代依然是与电影相伴而生的一代, 我永远在相同的电影与语句中反复沉没。中文,尤其简体中文是喜爱提炼与传颂短句的,诗歌与词句的雕塑感将我们的审美带往骈文的并喻,但我们又热爱共鸣与喜剧,于是很多噩梦般的句子都被升华为了诗歌。为了抗拒这一点,我始终强迫自己时刻观看上下文,而这上下文让我放弃抵抗。有什么比去疾呼追问上帝的上帝之子更没落呢,今天我再次知道的一个现实就是我们的表达与我们想让表达所呈现出的样子完全相反,惯于使用和造句的能力也许正是表达的阻碍,我想要通过我的造句能力抓住一些来自具体的人的虚空的爱(爱这个字也许不应该出现于任何涉及思辨的讨论中),但我的造句正好令人们畏惧。我制造许多对自我真实需要的抵抗,我的造句成了我自己的捕兽夹。
近些年的我时常感觉在郁期不得不处理燥期的一些情感代价,我已经完全不会处理与人平稳平衡的连接了,情感是想要补完自己诸如自尊和中年危机或其他任何日常人格部分的工具,一部分人令我失望,失望的质感令自我中幼稚的部分完全疯狂,虽然我并不认为任何情况下我们可以命名一种行为模式为幼稚,但依照一个陈旧的大众规则判断,这种无法处理失望,继而将其改变为愤怒和绝望的行为模式就是幼稚。在混乱之战中,我也无法把一些纯真的喜爱与性冲动分开,混杂之后加深了绝望,继而反噬到自己身上。很多时刻后我感觉自己像声称自己悟道成功的修行人,刚刚出关下山便立刻饱受诱惑,这是一种根本性错误吗,还是说,一开始所悟的道便从来没有成功过?阅读黑塞时所遭受的冲击不同于卡夫卡,黑塞彻底让我明白一个交错混乱的荒原狼式自我,从一开始就不该责怪到卡夫卡式的套中人焦虑中去。实际上我是一个既不伟大也完全不彻底卑微的市民式闹剧人物,在一种向上的幻觉里,我难道没有幻想过贵族式的众叛亲离吗,一部分的我渴望洛特雷阿蒙描述中的秽乱与彻底的癫狂,我的心智根本没有能力迎接痛苦本身,于是痛苦的幻觉迎头而上,我在虚假的幻觉中缩手缩脚的跳舞。
但即使这样,我就不该被爱吗,我不该被一个具体的、不会离弃的、符合我想象的人所一直挚爱吗,难道就因为我是一个处于前中年危机中的女性,这个数量与可能就大大降低了���。在某种错误的机制彼此咬牢后,主动与人交往就与莫名的自尊水火不容,为了自尊,只好织百米裹尸布把自己提前裹紧放进悬棺里去,阿玛兰塔,这个硬而绷直的意象居然一直贯穿在我的人生中,我是被强迫成为阿玛兰塔的蕾贝卡与梅梅,我鄙视与自己相似的意象,却一直被相反的意象吸引与折磨,最终我成为清晰与亭廊中死神侃侃而谈的硬壳,死神说,你没有活着,也没有完全死去,你是一棵内心自燃的树,让人离远到大河另外一边并且赞叹,好艳丽,连你的生身父母也是一样。
 我想过可行的自杀方式,在过去的许多年里,如果自我生命在大脑中的投射是具象的,那么我的生命早已死过成百上千次,幻觉和计划都非常具体,药量、药物的种类或者哪里承重足够搭上结实的围巾与绳索都被细细考量,幻想结束生命会产生些微愉悦,这种愉悦就像地下室手记中开篇所说的惰怠与惯于在自己的日常痛苦里寻找享受的心境,因为惰怠,我纵容一个虚空中的什么将自己一遍又一遍的扔进这种日常刑房,在陀氏的自问与问天中,这样的惰怠是巨大的磁铁,将生命无限吸近死亡,又因为惰怠懒得再割一刀。于是我永远令自己布满浅表性的伤口,不致命也不全很痛,至于那么痛的东西,我在发生的同时以细密的浅伤口来分解。自尽不是问题的解决方法,当然自残也不是,自尽带来的社会性遗留虽然肯定不是我能体会到的,但大致能构建出人们事后的一些集合了惋惜悔恨等等的情绪,长辈大致会说服自己这是一个自私的后代,朋友与同事恋人等等最接近我的状态则会是非常沉默的记录与哭泣,即使我是一个完全无用的人渣,估计也会有几个真心哭泣的人吧,但那样的哭泣,与目前��我有关吗。我没有看完涂尔干著名的on suicide,难道一个人在自尽与否的阴森的大桥上时的思索不足以与巨著并列吗,虽然自尽自伤都是一个人的选择,但借涂尔干粗浅的分析,仍然要归结为社会影响的结果,到今天,与自尽的每一种可能都细细谈过之后,我不幸要发出这样力道的结论,自杀是环境的结果,每一件事情既然的发生都导致了结果的可能,不存在补救,也许陪伴会延缓这一进程,但我不认为一个过于呈现表演性沉重的灵魂会吸引来什么有意义的陪伴,在地下室手记里,陀氏一直在力图将自己剥离的同时沉浸于痛苦,清教徒或苦修士式的痛苦,这是一种举世皆准的潜意识共鸣吗,疯狂绝不会导致自杀,无限接近疯狂则会,每一个我与这个沉寂密室中绝对安静的我都接近了人类史上的每个洞穴僧侣,再次走入人群则远离了思考,在这两种状态中不断切换导致了精神无限接近疯狂,至今我已对自己每次突如其来的自杀冲动安然处之,如果不得不来,那么也可以来,甚至希望这个冲动可以来得更加愚蠢一些。虽然绝不是每一个自杀者都被冲动的愚蠢左右,但成功的那些很难说到底是因为经历类我的密室思辨,还是难以控制生命对冲动的沉浸。
我不喜欢人类学,辍学除了客观的原因也有个人的原因,想要认识清楚自己与自己完全相悖的原因,去研读人类学也出于这类原始的渴求,相比较哲学而言人类学像新神的话语,我不能接受人作为肉身的新神诞生了,并且传播一些粗浅的神谕。涂尔干的自杀论非常厚,在最后一门民族志剪辑课的机房里我一边剪辑一边阅读,得到的几乎是不明所以的傲慢感受,像纳粹科学家们的冰冷第三人称语言,当然不可能有人会承认人类学的鼻祖们跟纳粹二字有什么具体联系,但具体涉及这门学科的一切给我的感受无非如此,谈起自杀,每个人类学背景都比我深厚的师生们像跟人类二字毫无关系一样嬉笑着否决了,就像如今爱用人类学的各位同行们一样,真正允许或放任自己走入绝对密室的人绝无仅有,或者这是为什么第三人称可以源源不断地产生出一升又一升的废物。但完全的第一人称就不是自恋吗,在燥期,我永远与镜中那个装备完全的自己审视不够,虽然那样包含深情的审视中依然不断隐隐涌现蔑视,我的自尊永远在蔑视着自己,各个细节都难以满足超我的需要,也许除了智识,然而智识同时是一个傲慢无比的词,是需要完全战胜冲动的自我与本能才能享用的东西,而本能同时在进行完全的否认智识,我很好奇,一个女人的智识需要进行到哪一步,才能完全黏合那些彻底的碎片?女人的碎片是不是只能裹在一个艳丽的红大衣里沉默地向前走?在无论是陀氏或埃默里或荣格对自我地狱的问责中,都忽略了性别对一个人产生的基本影响,在一个男人的一生中,到底发生什么能让他切身体会到女人被穿刺的痛,在这众多被人类注意到的男人们中间,有没有先挣扎于性别的痛苦才沉落于作为人的痛苦之中的那个?对身体本身的恨意,当然也有后天的爱恋,总之像醉后坐在疾驰的后座,依然举起酒瓶对准嘴巴,超我���厉的呵斥这一切,于是痛苦,平庸的痛苦见缝插针的钻入了,我没有美丽过一生的时间,但即便我有,这本能的自恋真的会被自我后天的教育所纠正吗,如果有一天我不再美丽了,比如现在,智识这种傲慢的东西真的会填补这种本能的绝望吗。
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ophelia333k-k-k · 2 years
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2022年12月13日
暗闇 見つめている二重らせん 週刊誌の最後のページ 孵化する 孵化させる 目が覚める からっぽのまま 赤ん坊の手を握る 哲学ニュース 強度 占星術師 と打ったら変換される 性占術師 学生時代 最も力を入れたこと 死は幻想である 愛、あ、あ、あ、名前を教えて なりたいもの わたしが 明るい世界 明るい未来 クビになったドラッグストア 礼拝 お好み焼き チューニングの狂った 歌 聴こえなくなるまで 聴こえなくなるまで featuring あなたのこと 声 死について って誰も知らない経験していない から 駆け込み乗車 禁止 お兄ちゃん お兄ちゃん 扉を開けて 機内モードで延命する アジテーション はやくしたい 遅く 結婚 まん防 イデア的には ずっと一緒がいい よね 今だけ無料 アジテーション テナント募集 の 看板 らすとくりすます とぽろじー 言葉で考えるのをやめる あ、あ、あ、 図式化 ズキズキする 監視されていた 白い部屋 女衒 パッチワーク フランケンシュタイン みたいに 愛と幻想と 愛と幻想と 糸 ほどけていく ことを想像する ジャスミンを銃口に 営業系総合職 死んだ瞬間の聴覚について 死んだ瞬間の聴覚について のように のように さようなら 魔法少女 ハートフィールド 歌う メヌエット ピーチ姫の テトラポット アストラル界 あなたの 吸い込まれる ダム 死体画像 すぐ会いたい女子が急増中 アカツクシガモ 京都市植物園 振り回す キャリアチェンジ された アルバイト する このサイトにアクセスできません と 声が して振り向く 昨日 のことを覚えていない 迷宮 のようだと うわさのベーコン クルトン コーラ・パール ゾラ ほら、と 初音ミクの額から垂れる汗 花園神社で 迷い込む 見世物小屋よ 一生バイト ポケットモンスター 正解を引き当てるまで やる気が出ないな 英単語帳 ランボーを読んでしまったなら ロックンロールはそう ホテル暮らし 空調の音 Jアラート 星座を結ぶ ロックマンエグゼ lain rain ruin  ビスク・ドール 野良犬 奈良へ向かう列車 アーレント 現実感 人生攻略サイト 灰と は 意図 思考 回路の中を むさぼり食う 吸う 空気 止まった ままの 子宮的な エリア 嘘をついたまま死ぬ のね ルビンの壺 12ポイント stray sheep と 動詞動詞動詞動詞 同時的に 田中角栄 魔人ブウ 犯す 壊す 作る 波打つ わたしは 殺す 生かす 咲く 咲かす ライフハック 死 冷蔵庫 咲かす 飛び立つ やわらかく もやもやと ばたばたと 解毒する 夏休み 向日葵 消滅した 蝉が鳴く なく 無く 咲く さ さ さ 教育する アナイス・ニン 逃げ出す 逃走する 闘争? 領域を広げていく 閉じる 閉じこめる 閉じ込められた 布団の中 宇宙のように 宇宙そのもの 高橋まつり 滅びた 100年後のことを考えて 文章を書く 脳みそから溢れ出した 白い水着 黒いタイツ 道化のように 大天使のように 借りる 回帰する アカツクシガモ 成長すること 天秤のことを考える by  this river ラブ&ポップ 脳破壊 快楽 シャドウ・ワーク 子宮口から この世界の果てまで 共同体 忙しい 忙しさ exclusive みんなのレビュー 連帯 証明するために ランキング もっと欲しい あなたらしい 瞬間に 祈る手 summer 上映する ロングヘアー 偏差値 ピアス 18個  生き延びる ラリる 刺さった 反射した 発射した 家畜人 ホワイトノイズ 空間 依存症 白い 微分不可能な やわらかい その曲線 エゴサーチ バーモント・カレー 姦淫する 階段 聖書 夢の中に出てくる 中島らも 他人の日記 読む 話す 歌う ような気がする そんな感覚が 一時間天気予報 ペヨーテ ぐるぐる回る 永久に 永久的に 結びつけた 途端に壊れる ぱりん、と ふらっと 消えちゃいそうな気がする 意識が高い 高低差 風圧 やさしい言葉 インターネットのグロサイト 巡る 再度 巡る 繰り返していた クリスマス サンタさん 産道 乱視のまま 今日も生きている 息をする あらゆる 虹色の 永久に理解されることのない強度 氷点 貯金やダイエット レポ漫画 面白くなる 国語辞典 解剖する やまい、だれ 芽殖孤虫 ひらひらと 眠る ゴミ出し 擬音一覧 シーシュポス 間違った注文 集める 女性が一生で排卵する卵子の数は400個~500個と推定され 細胞膜 ずきずきと 痛む手 うつらうつらと その指で 欺瞞 マッサージ されたまま死ぬ アイライナー いつかは終わる 旅 続いていく 気持ち悪い、 と少女 折りたたみ傘 出会う 解剖学の教科書 ホーリー・マウンテン もやし 食物繊維 的な ひらく 伸びる 匂いがする 恥丘 裏切る 一本の木 待ち続けている 市民会館 明かしえぬ共同体 ムーミンたち ムーミン谷へ 向かっている ヤツメウナギ もし仮にそれが ハッとする 気がつく 失う 海のそばで グランドメニュー 幽霊 ピアスの穴 カッターナイフで切る 舌を 下へと 血が出る 地が出る前に ここからいなくなる 踊る 大雨の中 浴びる 天高く 土砂降り もっと 濡れてしまいたい 溶ける あらゆる種類の動詞 固着した エディプス・コンプレックス 身体を売る 眠りにつく べたべたした くすぐる 太もものうぶ毛 のように 行こうね ずっと一緒に 逆にする 黒板に描かれた 天使と怪物 流れとよどみと 恋と革命 そのままの 君でいてね イデオロギー それとも 触れる 手に 手のひらに その温度を そっと撫でる ように見える 青ざめた 顔 目で 浮き上がる 物流倉庫会社 キスをする どこにも行けない どこにも行けない 憂鬱な夫婦 中絶用の 願いを書く 七夕 永遠に落ち続ける夢 人生ゲーム 青いピン そのように 性行為のやり方 鍵付き完全個室 運動会 発熱 保健室 はつなつ 人生経験 終わりゆく 肉の厚さ 海馬 言語野の 衰退 ダウンロード数 数えていた 新しい生活様式 リズム 物語ること 豊かな 再生回数 氷 覆われる 世界すべて 素数のように 感じる 解体 怒らない? 起こらない、何も 可能性が失われていく 研ぎ澄まされていく 失われていくことで 何者かになった その平らな牧場 忘れてきた お持ち帰り する 立派な 飛び降りて 刻まれた 胎児のように さえぎられる 海岸には小屋があって 喧嘩をする 白鳥 食べられる 汚い 穢れてしまった 純粋なもの 銃を撃つ 一発 チェーホフ、どこへ行ったの? と母親が階段を上がってくる 切符をなくしてしまったままで 生き続けている気がする 少女には 晴れ 絵日記は かすれてしまった とうに 音楽にはならない 寒天培地の上で 有性生殖する していた した方がいい 人生経験 ペットボトル HPVウイルス 頭のない 風邪総合 目をさます 神経系 ポーチの中で 白い粉になった 睡眠薬 遠くの方へ、遠くの方へ 並べられている 全校集会 鳴らされて 走る 望遠鏡を 覗き込む もうすっかり 子宮頸がん 夢中になって 標本にする どうやって? 悟りについて 五億年ボタン 走馬灯 一週間くらい考えてもいい? 愛妻弁当 ぷっちょ の容器でオナニーする カンブリア紀の 海中生物やわらかく モニターの奥 夏の光 ぴったりと 豊かに 遅延しながら 本間ひまわり いま、を指差す指の先 爪の長さ 変わって 一括見積もり ふざけているのではなく 頭痛 左側 ありがとう こんにちは おはようございます それは愛ではなく の ような 夜行バス 棺 出生外傷 の あなたは ロビンソン トリップした 虹色の女 devenir ひだ 開く 一枚一枚 めくっていく 匂いがする 工場の赤ん坊が コンクリート 嘘だった あてのない 意味のない 海 潜り続ける 潜水艦の中で 夢を見ている 象徴的に もっと速く 飛び立つ 自壊したい 鯛 平らな 館内における密を避けるため 破れた 四つん這いになって するだろう 想像 するだろう 未完のままの もはや戦後ではない 未亡人 ぷろ、ぱかんだ 重量と恩寵 根を 肉体が壊れていくのは かもめ 肉塊 台風が来る前の夜 アオカビ もっとたくさんの地獄 天国は通り 過ぎては消えていく スーツの人が通り過ぎていったあとの 匂い 大人の匂い 食器返却口 この席の使用はお控えください アルコール消毒 セーブポイント 豚 のような女 と 猿の ような 男が出会う 死体ごっこ バラバラに 組み合わせる 英単語帳の例文みたいに 死に近い コンクリート 裂け目 洗浄液 メリークリスマスの Yahoo知恵袋 真理があると言われている そこにある 死んだあと魂はどうなるの? と子どもが尋ねる 何グラムの 前世の記憶 当たり前の事 トンネル 潜り抜ける音 夢の中の休憩所 自動販売機 光 光 夜の闇に飲み込まれないように コンビニエンスストアは灯台として 鳴りやまない 崩れていく 昨日 来ない 来ている すでに いま 冬の ま、ふゆ ま 電気ストーブ あたたかく すりつぶす 通勤・通学 するための列車 眠る 折りたたまれたヒダ 予言する 1999年 産まれ た 朝 ねむる ねむる もっとよくなる 地方都市
夢の中では 現実的な 現実的なもの 親ガチャ 100年後の 2000万年後の 想像していてね 空っぽの脳 おばさんが入ってくる大量に 魚 飛び跳ねる 誰も見ていないところで 老人の声はデカい 無が無限に膨らんで 恒星たちは爆発し きっと届かないまま ゲーム実況見ていた 二年間 だった気がする だった気がする この区域で路上喫煙をすると 一千円の過料が科されます と どこかに書いてあった 教科書に落書きをしている間に 終わっていた もっと濡れたい 雨に 幼形成熟 恋と革命のために 太郎 花子 由香 香織 紗耶 話題のツイート 温泉むすめ 逃れてゆけ 逃れてゆけ 自撮りしているふたりを 見つめる 目 目玉 浜辺で 白く 白く 白く 白く 境界線はほどけた もう一度 あまい 糖衣錠 統一的な 像 増殖する お支払い方法 まとめサイト この世界の秘密 ねじれたソーセージ 青い 白い 脆い イオン・モール 迷子になる 歌を歌う 歌っていた 冗談でした あらゆる 情報商材のために すべて ひとつの 自己啓発 は はいいろの ノイズで 
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sickman114514 · 2 years
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致21-32班的朋友们
糊某人
既然你们要我给你们写首诗,我的朋友们,我的兄弟, 那也未尝不可。 可诗不是肥皂,诗不是钟表 诗中没有你们所要的一切 这是一颗心,浑浊却真诚,仅此而已 ——爆裂的、粗糙的火浴
我不知你们如何到了这种境地 这红色的世界,这闭目而视的混凝土岛 在双倍的高墙之内,你怎么解释一切? 但是,朋友,解释是必要的 就像醉酒者此刻混乱的歌 改变世界的方式也取决于你的解释 而这是时代的继续,它们永不结束 它们从来没有结束过 粗野的乐音,或另一种真情流露
你们是我的苦果,我的礼物 我独自将你们吞下, 而你们大概在看我的笑话 真情流露者的必然,或你掌上的手指 你们的掌声,我塞耳而听 而卡夫卡在布拉格的迷幻间漫步 我的键盘在移动,把我带去新的世界 那里没有真实,只有感觉 ——颤抖是感情的总和 哦我的断断续续的思绪 我的贝拉·卢高西般的焦虑! 你们的脸庞浮现在我眼前 就像身上的牛皮癣,一种从未停止的民族主义, 这是时代的病症和它全部的热情 面孔堵塞我的喉咙 哦,到底如何才能满足我危险而迷人的舌头? 这理想主义者般的魅力啊, 或一次难以解释的悲剧 这是你们的绵羊,或你们的毛绒玩具 你们心中的龙,仍未被遗忘的部落图腾 或奔跑的孩童,在我的颤抖中 哦,诗的牵绊!我筋疲力尽
而在远方的世界里我盼望着一切 当我的四肢已经分解,心灵不复存在 这只是你内心的声音—— 我请求你们的醉意,借此逃避我的孤独 哦这糟糕的诗歌,董乐山般的翻译 而从远处你们走来,观望我呕吐的醉态 就像在欣赏一个吸毒的垃圾桶 一种低调的大脑之桥 再见吧,我糊涂的人工智能,我无处不在的哈尔9000! 再见吧,我尊敬的卡夫卡,我无法忘却的犬儒主义者, 我幸存或早逝的奥斯维辛幸存者! 这只是内心的声音,我不知道你们试图倾听什么 这只是另一个人的大脑,我不知你们在恐惧什么 而你们的理性仍像一个童话故事,一双恶魔的枯爪, 一切永远没有终局,除却死亡
朋友们啊,死亡是唯一的美好而我现在已触碰到它虚假的边缘 它以此迷惑我这种脆弱的人为之癫狂 而内心的一切仍然无比清晰 因此我痛恨我的大脑 就像痛恨一切温柔的困意 现在让自己停止思考吧 让一切随着幻象,而它终将戛然而止 你们是无锡的保利广场,我期待看到你们停滞的样子 而你们的周到的科技,和我遭受的驱赶 一切仍然不及酒精 哦,我未曾作出的尝试 以及危险的死气沉沉的样子 我敬爱的艺术,我的文学,我的诗歌,我背叛的中产阶级 我的物质的生活,我的性器般的瓶子,我抛弃一切的欲望, 我碎片般的记忆,蓝色的爱恋, 我不独属于自己一个人的可怜的内心 我的爱人,我疏离的原因,我大脑的上帝视角, 我英勇而懦弱的卡尔·沃丁! 你的躯体疆固 以及我猥琐的谎言 我仅剩的二十分钟的噩梦,我不想理会的时间, 我已经超脱了一切 你呢? 可怜的世界,我仅剩的一切 幼年的记忆,为之痛哭的歌曲 恐惧的喧闹,和仍然 没有脱离的你们,我不恨的高墙, 玻璃和混凝土的21-32班 我仍然无法忘记的一切 我所焦虑的前奏,忽然被打断的一切 无法确切的记忆,醉酒后的痛哭流涕 委屈的谎言,世界, 犬儒主义者,同性恋,酒鬼, 圣人 脸上的耻辱已不再是我的 思维无比敏捷 我们的风和幻境,你们痛苦的训练 6:43,我说有点热 我能感受到你们的一切 但我想你们的课堂不允许一个醉酒者的降临 所以你好,再见
无法唤醒无法出发以及无法摇晃的一切 还是那么令人沉浸,再见吧世界 将要到来的十月十六号: 死期。 再见资本家,再见威权派,我向你们宣战 到底如何结束? 到底如何结束? 我的朋友,我的兄弟?
回到了家,我牢笼般的家, 很高兴路上没有被撞死。 而你们在哪里,我的朋友, 我的兄弟? 只有我烂醉如泥 而我的视线向后倒退,我所恐惧的咳嗽, 我的想象,兄弟! 尼采、幻象和伊恩·柯蒂斯,我还记得你们, 而你们如今不再是什么禁忌 我还记得你们,我的朋友, 我难以摆脱的曾经的父母和同辈! 我的脸不是我的,它取决于你们理性的解释 我的心不是我的,它取决于你们独特的掩盖 而如今诗欲已后退,你们不依靠它 可他们拒绝接受我的一切 反叛的人,我难以看清的一切,我的真相,21-32班令人难以忘怀的遗憾 我的兄弟姐妹 我为了政治正确所付出的灵魂! 而那条绳索,仍然套着我的脖子
一切仍在旋转 为了统一的人,放弃死亡的代价, 为了从未彻底失去的理智,为了一切 为了理性,为了我的朋友 你不会消失殆尽 你的疼痛仍在我的胃里旋转, 我清晰的苛责,我的死亡,于生存之中。 它完成了,我将要死 自然的反应,疼痛和分裂的资格 不要用理性解释一切! 困倦;我将清醒 世界,再见! 格奥尔格·特拉克尔! 再见!幻觉! 亨德里克斯!莫里森!原谅我! 我17岁! 我爱威士忌! 我爱一切!我爱世界! 我看到我的手舒张又收缩, 我爱你,我的理性,我仍在泛滥的幻觉! 疼痛,我收缩的恐惧! 尽管你们从未在乎过我, 我的感激,我的迷惑,你们忍受我,即使一无所得 我爱我们的阶级,我的逐渐靠近的火车! 再见我的虚晃,再见我的离别的山脊! 烂醉如泥,我的理智告诉我, 就像我必然面对的近地联盟先遣队的谷坡 可是你又将作何选择, 我堕落的群体,说英语的群体, 我的山脊或毫无理智的判断的谷底? “张哲轩,”他们说,“他看字都重影,而我,我的胖女人;我现在 身上套着一些不该被给予的东西” 2022.10.11
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kennak · 2 months
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7月19日、兵庫県の斎藤元彦知事(46)のパワハラなどを告発した文書を調査する百条委員会(県議会の調査特別委員会)の第3回会合が開かれた。この日、告発文を書いた元県民局長が証人として出席する予定だったが、残念ながら亡くなってしまった。開会に先立ち、奥谷謙一委員長が弔意を表した。  ***  奥谷委員長の弔意はおよそ5分に及び、最後にこうまとめた。 「願わくば、天上より私たちの処し方、行く末を見守っていただけますように、切��お願いし、贈る言葉に代えさせていただきます」  全員が黙祷をして会合が始まった。元県民局長が記した陳述書が配布され、知事の発言とされるワインをおねだりする音声が議場に流された。そして、これから実施される県職員アンケートが当初の7000人から任用職員を加え9700人を対象にすること、アンケートの回答にあたって個人情報の保護が重要であることも確認された。  今後のスケジュールについて意見交換がなされ、これで終わりかと思われたとき、ひょうご県民連合の竹内英明委員が挙手した。 竹内:県職員から寄せられたご意見を紹介したいと思います。「証人として招致された場合の手続きについて、県当局から県職員に通知がなされているその内容について、是非とも百条委員の皆さんにお知らせしたいことがある」ということで内部資料を頂戴しております。その資料を配付させていただきたい。  資料は「百条委員会に関する各種服務について」という文書で、7月12日に県の各部総務課の副課長らを集めた会議で配布されたという。 【守秘義務免除の手続き】には「委員会から職務上の秘密または職上知り得た秘密が含まれる事項について出頭または出席の要請があった職員は守秘義務免除の申請手続きを行う」とあり、「(守秘義務免除の)対象となる内容は最小限のものとする」、さらに「各部総務課宛に申請し、これを各部総務課長が承認する」――。 県当局の調査妨害 竹内:事前に所属する総務課長の承認を取っておかねばならないなどありえない! 県民に告発文書や疑惑の真実を明らかにするために開催される当委員会の調査に、形を変えた人事当局からの調査妨害と言っても過言ではない。  これに賛同したのが、同じくひょうご県民連合の上野英一委員だった。 上野:このところ職員局はおかしい。本来、職員を守るべきが、逆のことをやっている。元県民局長(※発言では本名=以下同)が嫌っていたプライバシーの部分、それも公益通報者保護法違反の調査をやった上で手にした情報を流布したり、それでもって脅しをかけたりしている。結果、追い込まれた元県民局長はああいう結果になったわけですから、本当に職員局は改めてもらわないと。私、4月初旬の代表者会議で人事局長が説明したときに、「あんたらそれは人事権の乱用、あるいは組織的パワハラやぞ」と申し上げたことがあるんですけども、全然その観点が抜けていると思うんで、改めて公益通報者保護法をしっかり頭に叩き込んでほしいと言っておきます。  別の会派からもこの文書に関して「呆れ果てた」「アンケートの件数を減らそうとしているんでしょうか」などと声が上がった。  確かに、アンケートが無記名だったとしても、証人に呼ばれたら上司に承認してもらわなければならないのなら、証人保護などできるわけもない。元県民局長のような報復人事を恐れて、アンケートに答える職員などいなくなるだろう。当局に説明を求めるなどの対処が必要とされ、この文書に対する話し合いは終わった。  次に挙手したのは維新の会の岸口実副委員長だ。ちなみに、日本維新の会の推薦を受けて当選した斎藤知事は、大阪府以外で初めて誕生した維新系知事。それだけに今回も知事の擁護に回っていると言われている。 恨み節 岸口:7月8日、非公開である理事会の資料、会議内容が外部に漏洩しました。その議論の一部が切り取られ、週刊誌などで偏向報道されたことは誠に遺憾であります。当該の理事会では人事課の行った調査資料については7つの疑惑に直接関与するものに限定し、その他の資料は提出を求めないことが決定されたところであります。  デイリー新潮は7月10日配信の「斎藤知事のパワハラを告発した兵庫県元幹部が死亡 百条委員会出席で紛糾していたプライバシー問題」で、維新の会の議員が元県民局長のプライバシーに関わる資料についても執拗に開示を求めていたことを報じた。併せて、兵庫県の情報公開条例には、個人として他人に知られたくない情報については非公開と定められていることも――。 岸口:もちろん我々には当該資料は一切提供されておらず、そもそもどの様な内容の資料なのか一切知り得ない立場にありました。従って内容を確認しなければ、疑惑に関するものなのか、プライバシーに関するものなのか、全くわからない状況にあったところであります。(中略)今後、調査が必要な資料が出てきた場合は、その都度、開示を求めて参りたいと思います。このことは真相解明に必要なものと考えております。  今後、証人に立った職員に対しても、個人情報などの開示を求めるということだろうか。岸口副委員長の発言はまだ続く。 岸口:次に、SNS等で元県民局長が亡くなる直前に県議会議員と電話をしていたとする書き込みが多くあることを側聞しました。また、その県議が私であるとの書き込みも多くあったとのことでございます。私は過去に元県民局長と会合などでお会いしたことがありますが、個人的な接触は一切なく、携帯電話の番号も知りませんでしたし、お話しするような間柄ではございませんでした。全くの事実誤認であります。  一体、何が言いたいのだろう。 「ここは百条委員会です」 岸口:そもそもこれらの情報こそが、特定された関係者にしか知り得ないプライバシーに関わる情報でございます。元県民局長が最後に県議と電話をした事実があったのかなかったのか、あったとすれば、そのような事実がなぜ明らかになったのか、そのことのほうが大いに問題であると私は考えております。万が一、当委員会の委員や県議が今回の一連の問題で元県民局長と接触していた事実があるのであれば、良識を持ってこの場で申告をしていただきたいと思います。  なぜ申告しなければならないのか。どうやらネット上での書き込みに対する逆恨みのようなものらしい。 岸口:一連の報道があって以降、我が会派や我が会派の議員に誹謗中傷を内容とするメール等が多くあります。中には私になりすまし、複数のサイトに登録するなど看過できない状況にあります。心ない一部の人間によると思いますが、許しがたい行為であります。また最後に委員長に申し上げたいと思います。先日、元県民局長の死亡に関する報道に関し、奥谷委員長から私の名誉を傷つける発言がありました。私はその場で取り消しを求めましたが、「抗議でも何でもどうぞ」という発言がございましたので、この場を借りて抗議と取り消しを申し上げたいと思います。  当の奥谷委員長がこれに応える。 奥谷:えー、整理します。何でしたっけ? 元県民局長と接触した方がいれば、この場で名乗り出ろということですか? 本委員会とは関係ないことと思いますので、それはちょっと置いておきます。  自民党の藤田孝夫委員がたしなめる。 藤田:これは百条委員会ですから、文書問題をみんなで調査しよう、そしてあるべき方向性を見出そう、提言をしようという場です。個人的な誹謗中傷を受けたことを弁明する会ではありません。ですから、それがしたいのであれば、後日、維新の会として記者会見なさったらどうですか。ここでは控えていただきたい。 デイリー新潮編集部
【斎藤知事のパワハラ疑惑】百条委員会で露呈…真相解明を妨害する県庁職員局と維新の会県議(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
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