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#愛と光と忍耐
hitorisan-saito · 1 year
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あなたの周りに嫌な人がいるとする。それは、生まれる前に「嫌な役回りだけど今世、引き受けてくれませんか?」と自分で頼んできたの。だから、みんな名役者なんだよね(笑)。魂の成長のために「嫌な役を演じてくれてありがとう」って思ってもいいくらいなんです。 ひとり 斎藤一人さん→ @hitori_saito #スリムドカン #100回聞き #美温活 #ロレックス #美輪明宏 #中村天風 #九字切り #恵美子社長 #江原啓之 #誘導瞑想 #アファメーション #唱える #天国言葉8つ #斎藤一人さんのお店 #斎藤一人さんの話 #ついてる神社 #今日の言葉 #祈り #おすすめ本 #愛と光と忍耐 #斎藤一人さんの講演会 #斎藤一人さんの本 #斎藤一人さんの言霊 #斎藤一人さんの教え #アメノミナカヌシ様 #エネルギー療法 #斎藤一人さんの天国言葉 #ふわふわチャンネル #振動数 #お金の真理 https://www.instagram.com/p/Cp_KTWfS3BZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 10 months
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力���る形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳��す』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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ashi-yuri · 8 months
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FAITHにおける「神はなぜエイミーを助けなかったのか」という神学的問題に対する回答試案
以下は、キリスト教徒でもなければ、神学をちゃんとかじったこともない素人が本問題を考えるための材料を記した覚書である。
※この覚書はどのような事実も保証しない
※全Note、全endingネタバレ注意
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結論
エイミーの救済は、弱く罪を抱える人の子がそれでも人を救えるのかという神の試練である。
事件の概要
(ゲーム開始前)
マーティン夫人が双子を流産により失う
マーティン夫人が双子が生存しているように振る舞うなど、精神不安定状態となる
夫人は治療で一時回復に向かうが再度悪化。
マーティン氏が送った怪しげな人形に触発されて(?)マーティン夫人が双子の依代を作り始める
Chapter3 Note44 ボブへ 君が昔からの友人でなければ、こんな風に患者の秘密を破るようなことはしない。私はこの状況を本当に憂いているんだ。 ナンシーの妄想は、初めの頃よりもずっとひどくなっている。私は彼女に徐々に現実を示すよう注意深く接してきた。君は、彼女がまだあの二人のことを話したり偽のお誕生日会を開いたり、その他諸々についてもとても忍耐強く対応していた。彼女が流産したこと、そして双子が亡くなったことを受け入れたとき、私たちは前進しているのだと思った。 けれど彼女は今、双子が自分とコンタクトを取ろうとし、双子の魂が宿る "代用品 "を見つけられると確信しているようなんだ。 聞き覚えはないか?ニカラグアの村で見つけた家を覚えているか?君が彼女に話したのか?なぜ君がそんなことをするのかわからないが、そうでなければなぜそんな話が出るのか、他に理由が思い当たらない。 できるだけ早く私のオフィスに来てくれ。次にどうすべきか、話し合う必要がある。
エイミーが婦人科クリニック(ゲイリー率いる教団が運営)でボランティアを始める。教団がエイミーと接触を図る
エイミーに悪魔が憑く
1986年9月21日
エクソシスト2名(オルレッド神父とジョン)がエイミーの悪魔祓いを試みる
悪魔に敗北し、オルレッド神父が死亡
エイミーが両親2名を殺害
ジョンはエイミーに対して単独で悪魔祓いを行おうとするが失敗。悪魔に圧倒され、恐怖に負けて逃走しようとする
ジョンに対して、白い謎の存在がエイミーはどうするのか問う
ジョンは逃走を希望する
白い謎の存在は、エイミーの運命をジョンの記憶に封印することを条件に、ジョンをマーティン家から逃がす
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ジョン:これは、私の身には余ります。私は怖ろしいのです。どうかこの場所から逃してください。 ??:少女はどうする? ジョン:私はただ帰りたいのです。 ??:汝を安全な場所まで導けば…彼女の運命は汝の頭に封されるだろう。 ジョン:お望みならなんでもします。どうか、ここから連れ出してください。 ??:誓いなさい。 ジョン:誓います。
事件後、ジョン及びエイミーは精神病院に収容される
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1986年10月23日
ジョンは悪魔祓いを間違いだったと認め、信仰を捨てることで退院を認められる
この時点で、正式な聖職者としての地位は辞しているかも?
(神父を辞したのち、ジョンはモリーと暮らしはじめる)
Chapter1 Note20 1986年10月23日 マクグラーシャン先生へ ここエール精神医学研究所で私の治療が始まってから、30日が経とうとしています。スピネル先生は私に辛抱強く寄り添い、私の苦悩を理解し、私が真実を受け入れて前に進む方法を見つけるのを助けてくださいました。 スピネル先生の助けを借り、私は実��にマーティン家で起こった9月の出来事について受け入れられるようになりました。これは超自然現象の結果ではなく、独断的な両親と前時代的な教会による悪魔祓いといわれる儀式によって、暴力的にならざるをえなかった少女の必死な抵抗であったと受け止めています。 嬉しいことに、真実を受け入れてから、悪夢は止み、事件以来感じたことのない心の平穏を享受しています。こちらに来てからの私の経過を考慮いただいたうえ、今後のスピネル先生の経過観察を条件に、エール精神医学研究所からの退院を謹んでお願いいたします。
1987年9月
エイミーが精神病院から脱走?
カルト教団が儀式を行い、エイミーの顔を削り、器とする
ジョンが悪夢を見る
Chapter1 Note18(抜粋) モリーへ 私はあの家へ戻らなければならない。私の見ている悪夢は現実だ。エイミーはまだあそこにいて、私を待っている。まだ彼女を助けられる。
Chapter1
1987年9月21日
ジョンはマーティン家へと戻り、器となったエイミーと邂逅
ジョンは悪魔を祓いきれず、エイミーは脱走
ジョンは銃を手に取るが、エイミーに手をくださないまま、家へ帰る
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chapter2
ジョンが悪夢を見る
悪夢から目覚めると、ガルシア神父の手紙が届いている
(モリーは家を去っている)
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chapter3
1987年10月28-30日
ガルシア神父の手紙に従って、カルト教団の目論見を阻止するためクリニック・アパート・保育園を探索する
1987年10月31日(冒涜の安息日)
(Neutral ED)
ジョンはカルト教団の本拠地で、白い謎の存在に誓ったことを思い出す
ゲイリーを退け、カルト教団の目論む冒涜の安息日を阻止する
エイミーの悪夢を見続ける
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ジョン:神父さま、去年初めてエイミーと会った時に……悪魔を見たのです。悪魔は私を惑わしました。これからずっと、私はエイミーから解放されることはないでしょう。
(Good ED)
ジョンはカルト教団の本拠地で、白い謎の存在に誓ったことを思い出す
封印を解き、カルト教団の最奥「坩堝」の中でミリアムとゲイリーとマルファスの穢れた三位一体と対戦
撃破後、エイミーに出会い、悪魔祓いを終える
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(Bad ED)
ジョンはなにもしない
自宅にいたエイミーに取り憑く悪魔に呑み込まれ、天罰「Damnatio Memoriae」(記憶の抹消)が下される
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前提 
人間には善を為すor悪を為すことを決める自由意志がある。これを尊重し、原則、人の子の問題は人の手により解決すべきである。
ただし、神の恩寵を実現させるため、自由意志を助ける形で神は介入を行う場合がある。(傾かせるが強いない)
この項における「救い」とは魂が悪魔から解放されることを指す。
(白い謎の存在の補足)
白い謎の存在をジョンの空想上のイメージと見なした場合でも、ジョン自身がイメージとの対話により意志を持つに至った結果を重視し、以下の推論を妨げないとする。
白い謎の存在が天使か悪魔かは、作中で明言されないのでここでは問わない。開発者のAirdorf氏は「コリント信徒への手紙二11章14節」を引き、あの存在は悪魔が天使を装ったものと示している。
コリントの信徒への手紙二/ 11章 14節 しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光の天使を装うのです。 「旧約聖書」日本聖書教会 聖書教会共同訳より
推論の過程
マーティン家の状況は、オルレッド神父とジョンが来た時点ですでに破綻状態にある。神父たちがエクソシストとしてできることは、エイミーに憑いた悪魔を祓うことだけだ。けれど、悪魔祓いは失敗する。
オルレッド神父が死亡したのち、エイミーが救われるか否かはジョンの手に委ねられる。ジョンにとってははじめての悪魔祓いであり、ジョンは悪魔にたやすく圧倒され、恐怖にのまれてしまい、人智を超えた存在となってしまったエイミーから逃がれたい一心で助けを求める。
ここから、なぞの白い存在との対話が始まる。
白い存在にこのまま逃げたらエイミーはどうなるのか、暗に見殺しにするのかと問われたとき、ジョンはそれでも恐怖から逃げることを選択する。
この選択により、エイミーが現世で救われないこと、悪魔の器となる運命は確定する。人間だけでは悪魔の目論見を防ぐことができなかったことも。悪魔から逃げることを選択し、エイミーが悪魔の器となる運命を最終的に決定した人間はジョンである。
救うべき者を見捨てた罪の代償は「エイミーの運命をジョンの頭に封じる」ことだ。それはジョンにとって誓いであり、呪いでもある。
白い謎の存在:汝を安全な場所まで導けば…彼女の運命は汝の頭に封されるだろう。
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頭に封印された記憶は悪夢となり、1年後にジョンは再びマーティン家へと赴く。信仰を捨ててあたたかなはずの愛を得たにも関わらず、ジョンはそれらを捨てて、あの家へ戻らなければならない。
誓いを果たすため、または呪いを解くために。自らが犯した罪、助けなければならなかった無垢な子どもを見捨てた罪へと向き合い、今度こそ悪魔を祓うために。悪魔の器となってしまったエイミーから悪魔を祓い救うことができるのは、そうなる道を選択してしまったジョンしかいない。
エイミーを救うことは彼個人の願いであるとともに、神の意思でもある。悪魔を祓う力を持つ十字架は、ジョンの願いを助け、神の意思を示す。エイミーを救うという神の意思を達成するか否かは、良き神の子たるジョンの行いにかかっている。
それは、救うべき者を救わなかった罪深き者が、なお人を救えるのかという神の試練である。
悪魔の器となったとしても、誰の手にも及ばない存在になったとしても、エイミーはまだ救われる可能性がある。ジョンが歩み続ける限りは。
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(おまけ)神に頼らない世俗的な救済について
ついでに、神の助けを借りずとももっと早く助けられなかったのかなあと考えてみる。
世俗的な救済は一般人が対応するため、家庭が破綻に至る前の早期対応が重要だと思われる。
具体的には、親戚・近隣・公的団体等による早期のエイミー母への共感的なメンタルケアやグリーフケア、エイミーの状況把握及び学校への登校支援、適切なコミュニティ(信頼できるボランティア団体や普通のバイトなど)への参加誘導などが必要だったんだろう。
だけど、1980年代という時代背景や孤立化しやすい森の一軒家という環境を考慮すると、救済難易度高めでいろんな難しさを感じる……そしてエイミーが器となり死亡が確定した時点で、世俗的にできることはもうない……
器となったエイミーを救うことができるのは、結局ジョンだけなんだろう。
あとがきと感想
神の存在を前提とする場合、残酷なこの事件をどう神学的に解釈するんだろうという個人的興味により書いてみました。
理論的に導くならこんな感じかなと思ったけど、神学者の方の解釈を聞いてみたいなあ。ちゃんと書くなら、アウグスティヌスとかの著作やそれに続く自由意志論争を読みとかなきゃいけないんで無理。結局ただの感想文に近いけれど、ふしぎ論理学っぽく色々考えられたのは楽しかったです。
もし、白い謎の存在が天使を装った悪魔なのだとしたら、作中いちども神の意思は直接示されることはなく、ほんとに十字架だけが頼りであまりに信仰ハードモード……
ヴァチカン非公認でも、神との一対一の信仰を果たすためとにかくやるんだ!という感じはアメリカのプロテスタントっぽいかもね。本作はテキサス在住のキリスト教徒(notカトリック)の方が開発してるので。
神を信じるならここまで考えてきた問いに意味があるけれど、そうでなければ、ジョンの所業は罪悪感や後悔による偏執的な思い込みにしか見えないし、半分おかしくなってるんだと思う。エイミーのことは手遅れなので、ふつうに考えたら贖罪にもならないし。そうせざるをえない心理状況に追い込まれてしまったのだとしても。
でも、本当の結論はあなたの心のなかの信仰次第です。
そして、ゲイリーはなんだったのとかそもそもなんでエイミーに悪魔が憑いたの?という話はまた次回。
※ゲーム画面、日本語翻訳は非公式日本語modを使用しました。
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uniuni-sims · 7 months
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NOT SO BERRY CHALLENGE
Generation Nine: Green🐸#22
『薬物トリップな妻と目立ちたがり屋セレブな夫』
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今回もドリーマー家編をお届け。
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大麻の吸いすぎで目が真っ赤なマーガレット
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机の上には他にもマーガレットの服用している薬、ザナックスボトル(精神安定剤)などが散乱
ハイになっていた所にちょうど、デイジー一家が遊びに来ました。
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マーガレットが薬物多用によりトリップ状態に!!
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ちょっと何言ってるのかわからない。
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これには遊びに来ていたみんなもびっくり。気まずい空気の中解散です。
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その日の夜。
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大人しくピザフロートに浮かんでるかとおもったら、
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LSD使用してた。
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マーガレットは、蝶の羽をもつ弾丸が魂の中にぽっかりと穴をあけ、その穴は無限の悲しみで満たされていると確信しました。
意味不明ですが、たぶん反省して悲しんでる様子。
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空気を察してダークさんが皿洗いしてくれていました。
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翌朝、真顔で猛反省中のマーガレット。
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ダークさんになにか耳打ちするマーガレット。
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気晴らしにタルトサのレストランでランチです。
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とても素敵な雰囲気を家族で楽しんでいましたが、
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パパラッチがすぐに嗅ぎつけてやってきました。横から後ろから、至近距離で連写。
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別日、愛犬のウルフが病気になったので動物病院へ来ました。
パパラッチに気付かれないように、変装してきたマーガレット。
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反対に、いつでも光輝いていたいダークさん。
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目立ちたがり屋のセレブに周りのシムはうんざりしています。
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セレブシムと結婚生活を続けていくには、忍耐力が必要です。
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Read next.....
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tuufuukowai · 1 year
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喜怒哀(eel)楽
去年の7月にパートさんと鰻屋に訪れた事について綴ろうかと。何故今年の2月に入ってから振り返るのか。その事にも触れて綴り殴っていく。
仕事の休憩中に会社のパートさんと飯屋についての雑談をしていた。この人は各地方の鰻屋を巡るのが趣味らしく、休みの日には1人で地方の鰻屋に足を運んでいた。長野や岐阜、滋賀など...と鰻を食べる為なら地方まで出向くのは苦じゃないという人だ。
そんな美食家のパートさんがどうしても行きたい鰻屋があるという。だが1人では行けないとの事。会社の中で色んな地方の鰻屋の事を骨の髄まで知り尽くした漢が行けない鰻屋とはどんな鰻屋だろうか。気にならない訳が無い。話を聞くと愛知県内にあり会社からの距離だとやや遠いらしい。やや遠くとも愛知県内なら何時でも行けるはずでは?と思ったがここの鰻屋はかなり特殊であった。
まずそこの鰻屋を食べるに当たって朝から並ばなければいけない。
僕「???鰻屋って朝から並ぶん???パチンコの抽選なんか???」
パチンコの抽選だったらまだ良かったと思った。パチンコの抽選よりも朝早くから並ぶ事になる。大将が朝早く店にやって来るのだが、そのタイミングで名前を書いて予約するというやり方である。大将がやって来るタイミングも日によって違い、早い時間帯だと朝の4時頃。遅い時間帯だと朝の6時頃(当社調べ)にやって来る。しかもその予約方法と鰻の美味さを口コミで聞いた美食家達がこぞりにこぞって1列に並んでいるという。多い日だと早朝から鰻屋に20組近く並ぶという異常な光景が見られる。中には東京や大阪、地方からわざわざ車や夜行バスで来て並ぶ美食家達も存在するという。
そんなん気になってまうやん。
パートさん曰く、予約したいのは山々だが朝っぱらから鰻屋まで足を運ぶ事が面倒で食べに行けていないという。そこで僕の出番という訳だ。会社で鍛え抜かれた忍耐強さを活かして予約を取ろうと試みた。僕はパートさんに朝並んで予約する事を条件に僕の分の鰻代を奢って貰うという割とwin-win(なのか?)交渉を持ちかけた。話半分で聞いてたパートさんは
「並ぶなら全然いいよ笑 並ぶんならね笑」と。
交渉成立(一方的に交渉成立にさせた)
任せろ。今日は火曜日の遅番。あと5日待てば天国が待っている。こうなった僕はもう誰にも止められない。まさにバーサーカー。
「今週の日曜日に予約取りますね。」と告げその日を終えた。次の日の休憩中に「マジで予約取ってきてくれるんだったら俺全然出すわ笑」と言ってくれたので一方的では無くしっかりと交渉が成立したので心置き無く予約しに行く事が出来る。
迎えた土曜日の夜。僕は愛知県の北の方に在住しており、車が必須と言われる地域に住んでいながらも恥ずかしながら車を所持していない。(早く買え)実家から最終の電車に乗って鰻屋の最寄り駅の尾張瀬戸駅へと到着した。
日付が変わって時刻は00:20_____。ここから勝負が始まるのか。この予約を取る為に頑張っt...いや待って、早すぎる。何でこんな早い時間に来とるん?夏の割には肌寒くね?眠くね?暗くね?全然街灯無いしお化け出そうじゃね?いろんな感情が交錯しながらも15分後には呆気なくその地に着いた。
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うなぎ 田代
ここが聖地メッカか_____。
いややっぱ暗すぎるやろ。流石に1番乗りだった。そこら辺の猫と戯れつつ寝ないようにテンションをガンガンに上げていくプレイリストの楽曲達を聴きながら待った。3時間ほど待つとチョロチョロ人が並び始めた。到着するのが早すぎてどこで並ぶのかが分からなかった僕は並び始めの2組の後ろに並んだ。すると前に並んでいた老夫婦が話し掛けて来て如何にも常連ですよ、と言わんばかりの口振りで「どっから来たの?」と声を掛けてきた。僕が返答すると「全然近いね遠いとこだと大阪や東京からやってくるから」と言っていた。やはりあのパートさんが言っていた事は本当だったのか、と思っていたのも束の間。4時頃には僕含め約10組程の美食家達が綺麗に列を揃えていた。完全にパチ屋で見たそれだった。朝の5時頃。漸く大将が到着。体感それほど待った感じはしなかった。会社で8時間近く立ち作業をしている僕にとってはお易い御用だった。予約を朝の11時に取りその後去った。朝の8時頃にはもう既に予約は終了していたとの事。早すぎやろ。
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その間する事が無くお腹も空いていたので近くのファミマでコンビニ弁当とビールをキメた。もうこの達成感だけで非常に気持ちが良いのに何だこの背徳感。いつもよりビールが美味く感じた。その後歩いて1時間半かけてコメダに行った。コメダで時間を浪費しながらまた歩いて1時間半かけて田代近くまで戻った。パートさんがレンタカーで来ていたみたいなのでやや早めに合流し、田代の店内へと向かった。
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鰻屋独特のええかほりがプンプンする。
入店すると大将が鰻を素手で焼いていた。その腕捌きは完全に職人の手さばきだった。店内はかなり年季が入っており、長くから続けられてきたんだと言わんばかりの内観だった。まさに老舗。カウンターに3人程座れてテーブル席2組座れる感じ。
もちろん頼むのは鰻丼(上)
ここまで頑張って来たんだ。しかも奢ってもらえる。今日くらいがめつくたっていい。そして思った以上に早いスピード感でうなぎ達は姿を現した。
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ありがとう。非常に感謝した。富士山を頑張って登った時に見える絶景と空気の美味しさ。この為に頑張って来たんだ、と。そう感じざるを得なかった。四捨五入したら田代のうなぎは富士山なのかもしれない。そう言わんばかりの面構えをして我々の前に現れた。見た目はかなりシンプル。鰻丼とお吸いものと漬物。薬味等は一切無し。余計な物は要らない。このシンプルな鰻丼だけで勝負してきたとうなぎ達が我々に語りかけている。鰻は1尾と半尾。かなり贅沢。焼いた表面から見える鈍い光がより一層我々の食欲を掻き立てた。そんな御託はどうでもいい。口の中いっぱいになるまで頬張る。
口の中で天変地異が起こった。なんだこれ。美味すぎる。外はパ��と言うよりかはサク。中がフワフワでは無くフヮフヮ。この表現をする為にこのヮは生まれて来たのかもしれない。うなぎ特有の後味の臭みも全く無く、やや濃ゆめタレと相性が抜群過ぎる。かなり食べ応えのある鰻。圧倒的ナンバーワンな蒲焼だと思った。長年受け継がれてきた焼き方でないとこの焼き方は出来ないのだろうな、と。5時間近く並んだという付加価値も含めてより美味しさが増している事も事実。しかしそれを抜きにしたとしても手が止まらなかった。割と量あるのかなと思っていたがペロリと食らいつくし、パートさんも余裕で完食していた。後日談で2019年のミシュランガイドに掲載されていたらしい。そんなん絶対掲載なるやん。美味しさ故に暫く余韻に浸り続けていた。長年各地の鰻屋を渡り歩いたパートさんも「田代は越えれんな今の所ナンバーワン」と言っていた。
時が経ち、今年の2月にまた鰻の話題が出た。冬の方が鰻は脂が乗ってて美味いのでまた行こうと言っていたので「またもや奢られチャンスか!?」と思っていたが店側が予約方法を変更したらしい。どうやら大将が大病を患ったらしく、今まで田代を支えてきてくれた常連さんのみに提供する事になったらしい。悔しいが大将には身体を大事にして欲しい。もう少し早ければと自分を責めた。またあの味を求めたかったがもう求める事は出来ないのだと。もう少し早ければ。
いつかまた5代目がこの伝統とも言える田代を引き継いでお店を前のように再開してくれる事を心から祈っております。
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niyuuhdf · 7 days
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トキ/灯彦:『証言』
俺は先祖代々の故郷からは幾分離れた込み入った住宅街の一軒家で生まれ育った。 俺が産まれるって時に、俺の父の実父…つまり行屋のじいさんが単身故郷を離れて近場に越してきた。その理由を「可愛い孫のためだ」とかなんとか嘯いてたが。 じいさんには随分と可愛がってもらったもんだ。 そのじいさんがある時口にした 「俺たちは行灯の火を潜り抜けて現し世に偶然姿を晒しちまった。現し世の人々の目に、俺たちのこの姿が分け隔てなくうつるとは、ゆめにも思わずに。」 歌舞伎は東海道四谷怪談の提灯抜けに掛けたらしい言葉。 それは相変わらずの食えねえ薄ら笑みに紛れ溶け込ませるように、諧謔に包み隠しながらも深い悲哀と悔恨の織り混ざったような述懐であったことを覚えている。 その言葉は、まだ年若い俺の心のもっとも深部にある原風景をそのまま写し出したかのようであったから。
ある画家の手記 Part : 行屋虚彦 
『疾彦の証言』
海辺に故郷の土地があるなんてえのは、一つのもののたとえだと、じいさんは言った。 行屋の人間ーーーー随分と大雑把にして大袈裟で選民的な言い回しだと幼い俺は思ったが、他に言いようがなかったもんかねーーーーは、長く住み着いたそこに多少の愛着こそあれ、土地そのものを故郷だと強く体感してなどねえと。
ここからは俺のじいさんの語ったことだ。語るにも聞くにも死ぬほど退屈極まりねえんで適当に端折りながらじいさんの言葉を復唱する。 じいさんが俺に語ったことは、口伝とも言えねえ、じいさんも朧に伝え聞いただけの昔話 どれだけ眉唾か知れたもんじゃねえ そういう類の話だ
蔵を引っ掻きまわしゃ出てくる家系図では、行屋家は平安の武家まで遡る。かのエリート様、文武両道の色男にして若くに妻と幼児を捨てて旅の歌人の人生を選んだ、あの男だ。さもあらん。 そいつが真実どんな様相で生きていたかは知る由もない。ただ、「なにごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」なんて詠むからには、己の心に馬鹿正直ではあったかもしれねえ。 かろうじて行屋の血筋の生き様…様相を伺えるのは江戸から。 記録が片手落ちすぎて話にならねえが、その時代にはもう漠然と血縁同士で助け合い、どうにかこうにか支えあって普通に人里の中で生きていた、らしい。
行屋の血筋の者は見えるはずのないものをよく見た。 見えたものを人里でそのまま口にすれば何が起るかは自明の理ってんで、血縁同士で教え伝え合って戒めあった。見えるものを口にしすぎないようにと。 ごく稀に幼な子がうっかり口を滑らせちまって、ひどい仕置きも暴力も迫害も公然とあったらしいが、 行屋の血筋は遺伝的にそのほとんどが誕生からの発達と発育が異様に早く早熟…これは俺もナナも虚も例外じゃねえ。 だから幼い時分から言い聞かせ、親族の中での教育で悪しき事態を防いで沈黙することで、表向きには何事もなく暮らしていくことが可能だった。 それにも勿論個人差はあったろう、いずれ綱渡りには違いねえ気はするが。
まさに当時から、すべてを沈黙し隠蔽し尽くして生きることには限界があったらしい。なにごとにつけ全てが嘘ってのは具合が悪いもんだ。故に、何かしらが時折りふと見える程度の仄めかしを村の中で敢えて情報開示として行ってきた。 不運にも露呈するような形で知られるんじゃあ、周囲に不安と警戒心を与えて排斥されるってんで。そうじゃなくごく穏当に村の利益に繋がる形にして受け入れさせようと。 結果、この海辺の村では運良く受け入れられつづけたらしい。 村民にしてみりゃあ「ありがたい不思議な力、うまくご利益にあやかろう」てふうに…脅威として認識されることはうまく避けてたらしい。 まだ人知の及ばねえものがそこらを跋扈した時代でもあったろうし、…行屋の人間の立ち振る舞いや言動、人間としての気質もその印象に落ち着かせるのに一役買っただろうと。じいさんは言ってた、若い頃の俺が良い例だとな。 産まれてすぐにしっかりと大きく目が開き、よく笑い、人に懐く、すぐに立って歩き走りまわる、幼児に似つかわしくなく流暢によく喋る、運動神経がやたら良くて、口が達者な笑い上戸、周りを冗談や話術や手遊びで沸かせ賑わわせ、躊躇いなく道化にもなる、華やかにしてごく自然に人の輪の中心となり他者を牽引する、が、すべてを絶妙に抑制し、決して逸脱しすぎず飛躍しすぎず常軌を逸さず、己に人間としての分を弁えさせつづける。行屋の人間の若年期ってのは、代々こんなもんだったそうだ。まったく辟易するぜ、じいさんは学生の頃の俺しか知らねえからな、今の俺のざまを確と見ろと言いたくもなる。
昔の話に戻る。 この目は重宝がられさえしたらしい。村人に失せ物さがしなんかを気楽に頼まれたりな、都度その場で解決、不思議な力に村の皆で感謝しつつ宴会でもひらく、ってなふうに…楽観的で素朴なものとして受容されてたらしい。当然の如く例外はあったろうがな。 当時は30代よりかは多少長く生きてもいたらしい、当時はそれくらいの齢でくたばるのはそこまで異例でもなかったかもしれねえし、海が近いことも有利に働いたそうだ。
時代が進めば、怪奇も不思議も人地を超えた力も身幅が狭くなってくる。 里にも医者が それも西洋医学を軸に学んだ医療が及んだ。 行屋の人間の目と苦痛と短命が、放置されなくなった。 仁と医を尽くしてすべての人間に懸命に長寿を達成させようってえ向きだ。 しかし医者が手を尽くせば尽くすほど、行屋の人間だけは医学じゃどうにもできないことだけが只管に浮き彫りになってくる。
もっと時代が進むと、遠方まで容易に情報が行き交うようになった。 行屋の人間の一部は「霊能者」あるいは「エセ霊能者気取りの不気味で不謹慎な血筋」だってんで、一時期は強烈な迫害と少数の誤った信仰を招いて、非科学的なものを否定する世間の流行の猛威を浴びたらしい。
歳を負うごとに身体の苦痛が増し、自制を欠いた狂躁のような激しい気質を帯び、昂って暴走し、性的快楽に耽り、目には激痛が襲う、瞼を閉じ、家からふらふらと海へ向かって外へ出る、ふっつりと茫然自失になる、そういうさまから、行屋家の人間が遠方へ嫁いでいった先では、家に座敷牢なんて豪勢極まる代物も用意されたとか。
行屋の人間は、自分たちの目にも苦痛にも短命にも、名前をつけなかった。 苦痛は耐え忍ぶ。憐れむならそれを上回る快楽を。故郷の慣わしなんぞ何も知らねえ俺でさえ奇しくも似たような手段を取った。 目の激痛は光を遮断することで少しは和らげられる。暗く閉ざした部屋に行灯一つあれば充分。あとは多くの時間を瞼を閉じて生きるだけ。 今でも里じゃ親戚の中を見渡せば、ずっと瞼を閉じた者や、目隠しをした者がちらほら見受けられる。 今のように「病」だと呼ぶことも定義づけることもなかった。当事者間ではそのような認識ではなかったとよ。血族で似た者同士が群をなすと異質さはかき消える。道理だ。 あとは血族以外との折り合い、順応と適応の世界。 どれほどの苦しみであっても、家内で分かち合える以上それは体質に過ぎねえと。 しかし医学に割って入られると事情は変わる。そこから行屋の人間は「精神病者」と定義づけられて、積極的に私宅監置に置かれることになった。定義づけと命名が必要だったのは、医療を施すためだ。行屋の人間を捉える主体が当人らからそっちへ移ったわけだ。 即刻入院治療とならず私宅監置…座敷牢になったのは、もっと手に負えねえ精神を患った患者が病床を占めてたから。そいつらに比べりゃあ行屋の人間は意思疎通が可能で聞き分けがよく大人しい。
その後、また時代が変わって、医師の側の意識改革と医療の是正が始まった。 外部から調査にきた医師団が、親族の私宅監置の現状を調べて、あまりに杜撰で酷いものが多いことから、病院への入院治療を推し進める流れになった。 杜撰で酷い座敷牢ってえと目を覆うような惨状を思い浮かべそうなもんだが、それは東京って都会のど真ん中からカメラやら取材道具担いでやってきた人間の感覚で、その感覚は間違っちゃあいないが、当事者との齟齬は大いにあったとかなんとか。 おりしも行屋家の住む土地は人の少ない辺境の海辺、危険行為を繰り返す精神病者を完全に病院に隔離することなく開放的な入院治療と静養がかなうとして、里からほど近い静かな海辺に精神病院が建てられた。勿論行屋の人間のみのための病院じゃなかったろうが。
その後、この国の人口が増加したためか知れねえが、そんな海辺の田舎にも一般住宅が押し寄せひしめき合うようになり始めた。「海が綺麗だ」ってのがよそから好んで移り住みたがる人間の主な理由。 そいつらはいうにことかいて、古くから住む行屋を含めた住人も、そこに建つ不吉な精神病院も忌み嫌い、病院側に立ち退きを要求してきた。まあ海沿いのリゾート感覚で住み始めたんだ、そんなもんだろうな。 病院側は、「患者を院外に出さない」ことを条件に立ち退きを免れた。 これは行屋の人間にとって痛手だった。他の多くの患者にとっても自由と尊厳を踏み躙られる大きな痛手だったろうが。行屋の人間にとっては、思いのままに海へ出られない、これこそが痛手だった。 その後の大きな戦争と災害の度に、打撃を受けた精神病院から、一部の行屋家の連中が焼け出されて、そのまま身を隠した。 他の多くの患者は医師との信頼関係によって病院におとなしく留まったらしいが。 身を隠した連中が、海沿いの各地に散って、或いは村にひっそりと戻り、留まったのが、今のお里の実態なんだとよ。
他の地域の海辺で暮らす奴もいるらしい。面識はねえが。望みもしねえが。 海外に飛んだ奴もいるが、皆決して海から離れようとしない、離れ難いんだそうだ。 じいさん曰く、苦痛に耐えられなくなったとき、或いは茫然自失と化した状態で、招かれるように自ら海へ入っていく。そうして自らの火を、もといたあちらへ帰そうとする。火だるまになった身体の炎は海が消火し尽くしてくれる。 幼い頃から、耐え難い苦痛の際には海へ浸かるのがひとつの慣わしであり、自然な行動だったんだと。慣習と衝動のどちらが先だったかは判然としない。 はたから見れば判断能力をなくした入水自殺じみてうつるその行動も、案外現実的らしい。海へ浸かることで身体の苦痛が安らぎ、死に至るまでもなく平然と浜から自宅まで自分の足で戻ってくる場合のほうが多いらしい。 じいさんも七を知ってるが、七が月夜に招かれるように外へ出たがったのは、月より潮と呼応してたように見えたそうだ。
"死の先に帰る場所がある  我々はそこからやってきた  そこにしか我々のよるべはない  死の先に故郷がある  死そのものをのぞむのではない  死後になにかを期待しているのではない  死の先に明瞭な故郷の景色や幻想を抱いているのではない  ただ帰ろうとするときの帰路に偶然死が横たわっている  我々はただ帰りたい  我々は己らの生命、出生、誕生、人生を捉えられない  捉えられないものを無思慮に否定するものでもない  しかし  こちらにきたことは偶然だった  隔てなく人間の身に己がおさまることを知らぬ無知、隔てなく人間の目に我々がうつることを知らぬ無知故にここへきてしまった  その過ちは我々の目を焼き、腑を犯した  我々はただ帰りたい  この由来なき形容し難い感覚を、閉鎖的に、つい近年まで血族とだけ共有してきた  ただ帰りたいだけなのだ  ただ帰してやりたいだけなのだ  どうか行かせてほしい"
じいさんのそのまた祖父さんが遺してった走り書き。遺書か。 「行屋」の姓の字の由来がそんな詩的なもんかは置いといて、 幼い俺にじいさんが零した戯言は、そんなような代々脈々と、連綿と続いた根深い感傷と言いしれぬ衝動に端を発していた。 走り書きの「我々」ってのが何を指してんだか知ったこっちゃねえんで検証にも足らねえが。 俺はそれらを言葉になった上っ面だけで聞き知ったとき、なんの異質さもねえ誰の内にも在るごくありふれた回帰願望の類だと思った。貶めようってんじゃねえ、ただ大袈裟に身内の中だけで秘める必要などなかったものを、ってな。 そういう意味じゃご先祖さんが一等賢い選択をしてる。家族を捨て、出家して、従者もなく一人、諸国をさすらい歌でも詠む、それで結構じゃねえか。 この回帰願望めいたなにか…理論立てれば幾らでも容易く突き崩せる穴だらけのなにか…が代々受け継げるほどに強靭に仕立てられていったのは、身体性…目と身体の苦痛に大きく依拠するだろう。身体の苦痛…身体的な経験の共有は同じ思想や信仰に染めるにもってこいの洗礼だ。おそらくなにより先立ってその身体性があった。 …ただ、「帰りたい」という情緒の言語化…、そこは解せねえ。積極的にそこを言語化して親族間で整えた環境と教育によって伝え刷り込んだという印象は薄かった。 共有したのは具体的な生き延びるすべのほうで、まあ生活様式に規範を揃えりゃそれだけで充分一つの具体的な信仰にはなっちまうが、情緒や思想にはなんの強要もなかったようだ。それよりかは、生来の生まれ持った形容し難い感覚に呑まれて苦しむ者を、血族がなんとかあとから帳尻合わせにそういう戯言を例外的に用いて掬い上げることもあった、程度。 そんな印象を抱いたのは、遠方の親族のことなんざ露知らず育った俺の中にも過去に似たような萌芽があったことを認めざるを得ねえからか、否か。
俺の実父は、俺が産まれる直前になって、抑制の効かない状態に陥ったらしい。意気揚々と里から離れた新天地に移ると言いはり、親族の反対を押しきって実行した。それをその父、つまりじいさんは、淡々と見ていた。 じいさんは、それに賭けた。 じいさんは息子を見張るような建前を身内には示しつつ、息子の移り住んだ土地に自分も移った。 奇矯を装いつつも、俺の父は薄々気付いていただろうとな。親族だけで寄り集まって閉鎖的に同じ場所に留まり続ける、その弊害と欺瞞に。 俺はそこから解き放たれて生まれ育った。虚も。 それは賭けだ。じいさんはその人生の行く末を見届けたかった。 七は大学入学まで里で生まれ育ったが、そこから七を連れ去ったのは俺だ。 その俺が、中学の頃、生家に火を放ち父母もろとも焼き滅ぼした。そのことにじいさんだけが目敏く気付いた、血は争えねえな。 尋ねられたわけでもねえのに、その時俺は動機めいた一言を口走った。嘘偽りない本心だった。「そろそろ帰してやらねえと」…と。
…………
虚の性的快楽への拒絶っぷりは血筋で言うなら異端中の異端だ。
ーーーーーーーーー
曽祖父:
海辺に故郷の土地があるなんてえのは、我々にとっては一つのもののたとえ。 行屋の人間はこの土地そのものを故郷だと強く体感してはいません。 勿論この土地に愛着はあります。何せ長く住み着きましたからな。
これから語ることは口伝とさえ言えない、伝え聞いただけの昔話で どれだけ眉唾か知れたもんじゃねえが…
辿れば平安の武家まで家系図はありますが、今のような様相で生きていたかは知る由もない。 かろうじて様相を遡れるのは江戸までです。 家業は本来なんだったか、記録が片手落ちなもので定かでないが、その時代にはもう漠然と血縁同士であることを感じ取って助け合い、なんとか支えあって普通に人里の中で生きていたようです。
行屋の血筋の者は、およそ見えるはずのないものをよくその目で見た。 見えたものを人里でそのまま口にすれば何が起るかは自明の理。 だから血縁同士で教え伝えました。見えるものを他者に口にしすぎないようにと。 ごく稀に、幼な子がうっかり口にしてしまい村の秘密を暴き、ひどい仕置きも暴力も迫害も公然とあったようですが。 しかし我々の血筋は遺伝的にそのほとんどが誕生からの発達と発育が異様に早く早熟です。 言い聞かせ、親族の中での教育でそのような事態を防いで沈黙し、表向きには何事もなく暮らしていくことが可能だった。 それにも勿論個人差はある。いずれ綱渡りには違いなかったろうが…。
当時から、すべてを沈黙し隠蔽し尽くして生きることにも限界があったとみえます。故に、何かしらが時折りふと見える程度の仄めかしを村の中で敢えて情報開示として行ってきた。 不運にも露呈するような形で知られるのでは、周囲に不安と警戒心を与え、排斥されます。そうではなく、受け入れさせるのです。 結果、この海辺の村では運良く受け入れられつづけた。 さしずめ村民にすれば「ありがたい不思議な力、うまくご利益にあやかろう」てなもんで…脅威として認識されることなく、ごく自然に受け入れられていた。 まだ人知の及ばぬものが許された時代でもあったろうし、我々の立ち振る舞いや言動、人間としての気質もその印象に落ち着かせるのに一役買ったでしょうな。若い頃の疾彦などが良い例です。 あの子はここで生まれ育ったわけでもないのに …否、だからこそだったのか、行屋家の人間の典型そのものでしたよ。幼い頃から見てきましたが。 産まれてすぐにしっかりと大きく目が開き、よく笑い、人に懐き、すぐに立って歩き走りまわり、流暢によく喋る。運動神経が良く、聡明で、口が達者な笑い上戸、周りを冗談や話術や手遊びで沸かせ、賑わわせ、躊躇いなく愛嬌ある道化にもなる、同時に泰然として威風堂々、自然に他者を牽引する人気者、…がしかし、すべての有能さを絶妙に抑制し、決して逸脱しすぎず飛躍しすぎず常軌を逸さず、己に人間としての分を弁えさせる。 行屋の人間の若年期とは、代々このような気質が多かった。
昔の話に戻りましょう。 この目は重宝がられさえした。村人に失せ物さがしなど気楽に頼まれたり、都度その場で解決してみせ、不思議な力に村のみなで感謝しつつ宴会でもひらく、というような…楽観的で素朴なものとして受容されていたそうです。当然ながら例外もありましたが。 我々も、当時は30代より少し長く生きたし、当時はそれくらいの年齢で亡くなることはそこまで異例でもなかった。海辺が我々に環境として合っていたのもある。
時代が進めば、怪奇も不思議も人地を超えた力も身幅が狭くなります。 ここにも西洋医学を軸とした医療が及びました。 我々の目と苦痛と短命が、放置されなくなった。 …そのことを、我々は沈鬱な内心を抱え、それでも静かに時代に従った。 仁と医を尽くしてすべての人間に懸命に長寿を達成させようとする向きです。 しかし医者が手を尽くせば尽くすほど、行屋の人間だけは医学ではどうにもできないことだけが浮き彫りになってくる。
もっと時代が進むと、遠方まで容易に情報が行き交うようになった。我々は「霊能者」あるいは「エセ霊能者気取りの不気味な血筋」として、一時期は強烈な迫害と少数の誤った信仰を招き、非科学的なものを否定する世間の流行の猛威を浴びたようです。 歳を負うごとに身体の苦痛が増し、自制を欠いた狂躁のような激しい気質を帯び、それが昂って暴走し、目には激痛が襲い、家からふらふらと外へ出る、そしてふっつりと茫然自失になるさまから、行屋家の人間が遠方へ嫁いでいった先では、家に座敷牢が用意された。
我々は、この目にも苦痛にも短命にも、名前をつけなかった。 苦痛は耐え忍ぶのみ。憐れむならそれを上回る快楽を。 目の激痛は光を遮断することで少しは和らげることができる。暗く閉ざした部屋に行灯一つあれば充分。あとは瞼を閉じて生きるだけ。 ここに住む親戚の中にも、見渡せばずっと瞼を閉じた者や、目隠しをした者がちらほら見受けられるはずです。 今のように「病」だと呼ぶことも定義づけることもなかった。当事者間ではそのような認識ではなかった。血族で似た者たちが群をなすと、異質さはかき消えます。 あとは血族以外との折り合い、順応と適応の世界になります。我々のうちではどれほどの苦しみであっても、それは体質に過ぎません。 しかし医学に割って入られると事情は変わります。そこから行屋の人間は「精神病者」と定義づけられ、積極的に私宅監置に置かれることとなった。定義づけと命名が必要だったのは、医療を施すため。我々を捉える主体が我々自身からそちらへ移ったわけですな。 我々はそれを静かに受け入れた。
その後、また時代が過ぎて、医師の側の意識改革と医療の是正が始まった。 外部から調査にきた医師団が、我々の親族の私宅監置の現状を調べ、あまりに杜撰で酷いものが多いことから、病院への入院治療を推し進める流れになった。 杜撰で酷い座敷牢と聞くと目を覆うような惨状を思い浮かべられるかもしれない。が、それは東京という都会のど真ん中からやってきた者の感覚です。その感覚は間違ってはいないが、当事者との齟齬は大いにありました。 おりしも行屋家の住む土地は人の少ない海辺であったので、危険行為を繰り返す精神病者を完全に病院に隔離することなく開放的な入院治療と静養がかなうとして、ここからほど近い静かな海辺に精神病��が建てられた。勿論我々のみのための病院ではなかったはずですが。
その後、全国で人口が増加したためか、こんな田舎にも住宅が押し寄せひしめき合うようになり始めました。「海が綺麗だ」というだけの理由で好んで住みたがる人間たちが、各地から集い出した。 その人間たちは、古くからここに住む我々も、そこに建つ精神病院も忌み嫌い、病院側に立ち退きを要求してきたそうです。 病院側は、「患者を院外に出さない」ことを条件に立ち退きを逃れた。 これは我々にとって痛手だった。他の多くの患者にとっても自由と尊厳を踏み躙られる大きな痛手であったでしょうが。我々にとっては、思いのままに海へ出られない、これこそが痛手だった。 その後の大きな戦争で打撃を受けた精神病院から、一部の行屋家の者が焼け出され、そのまま身を隠した。 多くの患者は医師との信頼関係によって病院におとなしく留まったそうですが。 身を隠した者たちが、海沿いの各地に散り、或いはここにひっそりと戻り、留まったのが、今の我々の実態です。
ここだけではなく、他の地域の海辺で暮らす者もいますよ。 海外に飛んだものもあるが、皆決して海から離れようとしない。離れ難いんでしょうな。 苦痛に耐えられなくなったとき、或いは茫然自失と化した状態で、我々は招かれるように自ら海へ入っていく。 そうして自らの命の火を、もといたあちらへ還すのです。火だるまになった身体の炎は海が消火し尽くしてくれる。 幼い頃から、耐え難い苦痛の際には海へ浸かるのがひとつの慣わしであり、自然な行動でした。慣習と衝動のどちらが先だったかは判然としない。 はたから見れば、判断能力をなくした入水自殺じみてうつるその行動も、案外、現実的なのです。海へ浸かることで身体の苦痛が安らぎ、死に至ることなどなく平然と浜へ自分の足で戻ってくる場合のほうが多い。 七が月夜に招かれるように外へ出たのは、潮と呼応していたように見えた。
我々の故郷はここに無い。 死の先に、帰る場所があるように感じている。 我々はそこからやってきた。 そこにしか我々の帰る場所はない、とも。 …この由来なき感覚を、閉鎖的に、つい近年まで血族とだけ共有してきた。 死の先に 故郷がある。 幼い疾彦に私が零した戯言は、そんなような根深い感傷に端を発していたのです。
私の息子…疾彦の実父は、疾彦が産まれる直前になって、抑制の効かない状態に陥りました。意気揚々とここから離れた新天地に移るのだと言いはり、親族の反対を押しきって実行した。 私は それに賭けた。 だから私は息子を見張るような建前を身内には示しつつ、息子の移り住んだ土地に私も一度は移った。 奇矯を装いつつ、息子も薄々気付いていたのでしょう。親族だけで寄り集まって閉鎖的に同じ場所に留まり続ける弊害と欺瞞に。 疾彦はそこから解き放たれて生まれ育った。…虚彦も。 行く末を見届けたかった。 七は大学入学までここで生まれ育ちました。ここから七を連れ去ったのは疾彦です。 その疾彦が、生家に火を放ち父母もろとも焼き滅ぼした。その動機を疾彦は呟くように私にこう一言語った、「そろそろ帰してやらねえと」…と。
それらすべてが間違っていたのかどうかは …………
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reallypaleninja · 1 month
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お前たちがわたしの神に仕えず、わたしの建てた金の像を拝まないというのは本当か。
ダニエル3・14-20、24-25、28
お前たちがわたしの神に仕えず、わたしの建てた金の像を拝まないというのは本当か。
ダニエルの預言
その日、ネブカドネツァル王は言った。3・14「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、お前たちがわたしの神に仕えず、わたしの建てた金の像を拝まないというのは本当か。15今、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器の音楽が聞こえると同時にひれ伏し、わたしの建てた金の像を拝むつもりでいるなら、それでよい。もしも拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか。」
16シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。
「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。17わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。18そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」
19ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。20そして兵士の中でも特に強い者に命じて、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを縛り上げ、燃え盛る炉に投げ込ませた。
24間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。
「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。」
彼らは答えた。
「王様、そのとおりでございます。」
25王は言った。
「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」
28ネブカドネツァル王は言った。
「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。」
答唱詩編
ダニエル補遺・アザルヤ29、30+32
神の名はあまねく世界に輝き、その栄光は天にそびえる。
ダニエル補遺・アザルヤ
29わたしたちの先祖の神である主よ、あなたに賛美。 あなたは代々にたたえられ、あがめられる。 あなたの栄光の聖なる名に賛美。 その名は代々にたたえられ、あがめられる。
30あなたの栄光、聖なる神殿の中であなたに賛美。 すべてにまさりあなたは代々にたたえられ、あがめられる。 32玉座におられるあなたに賛美。 すべてにまさりあなたは代々にたたえられ、あがめられる。
福音朗読
ヨハネ8・31-42
よい心で神のことばを保ち、忍耐を持って実を結ぶ人は幸い。
ヨハネによる福音
そのとき、8・31イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。32あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」33すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」34イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。35奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。36だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。37あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。38わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」
39彼らが答えて、「わたしたちの父はアブラハムです」と言うと、イエスは言われた。「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。40ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。41あなたたちは、自分の父と同じ業をしている。」そこで彼らが、「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です」と言うと、42イエスは言われた。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。」
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michiakisato · 2 months
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おはようございます。今日は朝からお茶を飲んでます。コーヒーは濃いめが好きなように、お茶も濃いめが好きです。伊藤園の濃茶もいいけど、この濃い十六茶もなかなか味わい豊かです。
それはそうと、フラワーオブライフのペンダントを手放してから1ヶ月くらい経ちましたが、身につけていた時よりは幾分、身体の痛みも治りました。それでもまだ、身体のあちこちが調子が悪いです。おそらく、ペンダントに光の受容を促進する働きがあって、それで好転反応が起きたのかなと思っています。
なのでまさしく、カウルダーと同じように自分も試練の時なのかなと思っています。光を、愛を自分自身に許すということは、簡単なことのように思えても実際は難しいんだなと実感しています。まさに絶好調ならぬ、絶不調。今は辛抱と忍耐の時ですね。
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purplekittennight · 2 months
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偉大で驚くべき神の働きの中で
神の子が現れたのは、 悪魔の働きを滅ぼすためです。Ⅰヨハネ3:8b
      (2/18の週の聖句)
主よ、 あなたの業(わざ)はなんと大きく、 あなたの計らいはいかに深いことか。
        詩篇92:6
全能者である神、主よ、 あなたの業は偉大で、驚くべきもの。 諸国の民の王よ、 あなたの道は正しく、 かつ真実です。黙示録15:3
 ヤコブ書1:1~6(7~11)12、13
 出エジプト記2:11~25(通読箇所)
    (ローズンゲン日々の聖句2/19;月)
   ―――― α&ω  ――――
 【御子である神】が、 天の栄光の座をあとにして、 人間イエスとして人の世に来られたのは、 悪魔の働きを滅ぼすためだと言われるのですね。
 悪魔(サタン)は、元々は天使長の一人として、 神に最も近い場所で神に仕える者でしたが
    (イザヤ14:12~15、エゼキエル28:12~17)、
自分が神のようになろうとして神に反逆し、 神の前から追放され、 やがて、滅びる運命にある者なのだそうです。
それで、悪魔は人間を、 その滅びの道連れにしようとしているのですね。
イエスは、その悪魔のわざを滅ぼし、 私たち人間を神の創造の目的のとおりに回復し、 神の子、神の家族の身分を与え、 神と思いを一つにしながら生きる者にしてくださる というのですね。
全能者である神、主は、諸国の民の王であり、 正しく、真実な方なのですから。
 イエスの弟のヤコブは、手紙で書き送っています。
「神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、 離散している12部族にあいさつを送ります。 私の兄弟たち。様々な試練にあうときは いつも、この上ない喜びと思いなさい。 あなたがたが知っているとおり、 信仰(神への信頼)が試されると忍耐が生まれます。 その忍耐を完全に働かせなさい。
そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、 成熟した、完全な者となります。 あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、 その人は、だれにでも惜しみなく、 とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。 そうすれば与えられます。
ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。 疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。 その人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。 そういう人は二心を抱く者で、 歩む道すべてにおいて心が定まっていないからです。
身分の低い兄弟は、 自分が高められることを誇りとしなさい。 富んでいる人は、自分が低くされることを誇りとしなさい。 富んでいる人は草の花のように過ぎ去って行くからです。 太陽が昇って炎熱をもたらすと、草を枯らします。 すると花は落ち、美しい姿は失われます。 そのように、 富んでいる人は旅路の途中で消えていくのです。
試練に耐える人は幸いです。 耐え抜いた人は、神に愛する者たちに約束された、 いのちの冠を受けるからです。  
だれでも誘惑されているとき、 神に誘惑されていると言ってはいけません。 神は悪に誘惑されることのない方であり、 ご自分でだれかを誘惑することもありません。 人が誘惑にあうのは、 それぞれ自分の欲に引かれ、 誘われるからです。(ヤコブ1:1~14)」
 通読箇所は、出エジプト記です。
兄たちに憎まれ、売り飛ばされたヨセフは、 エジプト王ファラオの侍従長ポティファルの奴隷として
買い取られました。
そして、王の夢を解いたことで王に次ぐ者に抜擢され、 神が王に夢で告げられた7年の大豊作と 7年の大飢饉に供える対策を実施し、 エジプト全土を支配する者となりました。
そして、飢饉の中、一族をエジプトに招きました。
それから400年ほどの時を経て、 エジプトに下ったとき70人だったイスラエル一族は、 20歳以上の戦うことのできる男だけで60万人という 一つの民族に成長しました。
そのころ、 ヨセフのことを知らない別の王朝がエジプトに起こり、 イスラエルの民は奴隷として酷使され、 それでも増え広がるので、 王はイスラエル人の男の子が生まれたら ナイル川に投げ込むように命令しました。
そんな時、モーセは生まれました。 両親は3ヶ月、隠して育てましたが隠し切れなくなって、 水が入らないよう工夫した葦のかごに 赤ん坊のモーセを入れ��� ナイル川の葦の茂みに浮かべました。
ちょうど、水浴びにナイル川に下りて来た エジプト王ファラオの娘がそのかごを見つけ、拾い上げ、 モーセはこのファラオの娘の子として 育てられることになりました。
大人になったモーセは、 同胞たちのところに行き、その苦役を見ました。 そして、一人のエジプト人が イスラエル人の一人を打つの見て、 まわりにだれもいないことを確かめ、 そのエジプト人を打ち殺し砂の中に埋めました。
次の日、また外に出てみると、 二人のイスラエル人が争っているのを見て、 「どうして自分の仲間を打つのか」と言うと、 「だれがお���えを、 指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。 おまえは、あのエジプト人を打ち殺したように、 私も殺そうというのか」と反論され、 また、このことを知ったファラオが モーセを殺そうと探していたので、 ミディアン(サウジアラビアの北西部)に逃れました。
そしてそこで、羊飼いをしている ミディアンの祭司レウエルの娘たちを助けたことから、 この人のところに住むようになり、 レウエルは娘ツィポラを与えました。 彼女が男の子を産んだのでモーセはその子を ゲルショム(異国にいる寄留者)と名づけました。
それから何年もたって、エジプト王は死に、 イスラエルの民は重い労働にうめき、泣き叫んだ。 神は彼らの嘆きを聞き、 アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。
神はイスラエルの子らをご覧になり、 彼らをみこころに留められた。(出エジプト記1~2章)
 天の神、主は、このように人間の歴史の中で みわざを進めていかれる方なのですね。 全能の力と正義と真実をもって。 私たちをサタンの道連れの滅びから救い出し、
ご自分の家族にしようと。
だから、困難の中にあるときも、 心を定め、期待し待ち続けるように、と。
今日も。
      ~~~~~~~~~~~~~~
(聖書のことばへの疑問やご意見、 近くの教会を知りたい等の方、 また、婚活で広く出会いを求めたい 教会に行っていないけれど 葬儀をキリスト教でしたい、等の方、 お問い合わせは、 [email protected]へどうぞ。)
 
(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/所属〉)
 
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hitorisan-saito · 1 year
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自分で商売をやるにしても「返事の良い人」にお客さんは来るの。返事ってものすごい大切なの。頼まれごとが多くなるからね、必ず「ありがとう」を言われる機会が多くなってくる。そうすると巡り巡って良くなっちゃう。返事がいいと何倍も頼まれるんです。 ひとり 斎藤一人さん→ @hitori_saito #スリムドカン #100回聞き #美温活 #ロレックス #美輪明宏 #中村天風 #九字切り #恵美子社長 #江原啓之 #誘導瞑想 #アファメーション #唱える #天国言葉8つ #斎藤一人さんのお店 #斎藤一人さんの話 #ついてる神社 #今日の言葉 #祈り #おすすめ本 #愛と光と忍耐 #斎藤一人さんの講演会 #斎藤一人さんの本 #斎藤一人さんの言霊 #斎藤一人さんの教え #アメノミナカヌシ様 #エネルギー療法 #斎藤一人さんの天国言葉 #ふわふわチャンネル #振動数 #お金の真理 https://www.instagram.com/p/CpvogDqPV8k/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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asa6fuji · 3 months
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試練を耐え忍ぶ人は幸いです。
ヤコブ1・12-18 試練を耐え忍ぶ人は幸いです。 使徒ヤコブの手紙 1・12試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。13誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。14むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。15そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。 16わたしの愛する兄弟たち、思い違いをしてはいけません。17良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。18御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造ら…
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basic-s2 · 3 months
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2024.2.7
"それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。"
ローマ人への手紙 2章4節
"忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。"
ローマ人への手紙 2章7~8節
"栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行うすべての者の上にあります。神にはえこひいきなどはないからです。"
ローマ人への手紙 2章10~11節
"かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。"
ローマ人への手紙 2章29節
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poetohno · 3 months
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鐘の音 4 おまけトーク(実は周りの人間関係にすごく支えてもらっているという話)
「命の音」
望む者の無い 痛み(行き場はない) 救いのない 哀しみ(彼方から) 苦しみの 世界(果てまで) この世界に 望みはない(最初から)
生まれたのは哀しみだけ 肥沃な土地を荒廃に変える 流す涙に軌跡はない 流す涙と血の味を知らない
苦痛の何が分かるのか 怒りと哀しみの叫びを聞き取ったことがあるか 聞こえはしない…呪いのように
痛みが呪いとなって降りかかるなら 日常を奪い去る
光を闇に染め不幸が舞い落ちる
涙はどこに落ちるのか 聞き入れて刃は闇に佇む樹のようにざわめく 笑い声だとは恐ろしくて知るに至れなかった 刃は振り下ろされる 蛇のように大地を張って消えていく
声は虚空に消える 一体誰が復讐を望んだというのか 声は既に大地の奥深くに消えてしまった 取り返せはしない…運命は変えられない
雨は矢となって降り注ぐ
受けた傷の数だけ血を流せ
軌跡に闇が蠢く
光が頭上に踊ることはあるだろうか
二度と血の涙を流してはいけない
救いのない苦しみを 誰がすくい取るというのか 救われない手は 救われない誰かを産み落とす
永遠に続く悲劇の連鎖
ナイフで傷つける必要はない
言葉で胸を抉り突き放し
心に刻みつければ それだけでいい
勝手に堕ちていくのを眺めるだけでいい
誰も傷つけられない玉座から見下ろせばいい
苦しみ のたうち 叫び 涙する様を
やがて時を止める 悲劇という名の喜劇は終わった 王は飽いて次なる悲劇を求める 精神における蹂躙と支配 王は血を涙し泥を啜る姿を嘲笑う 人は人でなくなり 力は奪い取られ 王は私欲を肥やし 絶望と憎しみが蔓延する 王の罪を裁く者はいない 王はささやかな棘を胸に食い込ませたに過ぎない
傷口が膿んで心臓を犯し脳を狂わせる 過程を微笑んで見つめていたに過ぎない
救いがないように 誰も罰することはできない 憎しみと 哀しみが 怒りと 虚しさが 雪のように 降り 積もり 滝のように 雪崩れ 堕ちる
傷に容赦なく降りかかるだろう 受け止める者は どこにも いないのだから
苦しみは 重力のように 行き場のない 星の力の奔流のように
うなり うねり 積み重なり 拉げ 躰を押しつぶし 捻曲げる
世界は 反転し 輝きは 潰え 闇が 降り注ぎ 感情の 瞬きは消え 世界は 闇に彩られる 温もりは 冷え切り 何も感じない 虚無と 歪んでいく 鏡のように 砕けた世界が 荒涼と広がる 茎が 折れ曲がり 光を見失い 捩れ 光さえも 見つからず うねり 絡まるように 身動きは 取れず 重さに 耐えきれず 千切れ 散っていく あらゆる感情を 混沌にして 生きる 心臓すら無音 あらゆる苦痛が 砂漠のように広がり 世界はこんなものだったのかと 愕然とする 思い至る 世界をこんなにしたのは誰だと 偽善という名の仮面を被り 愛と錯覚させ 権力を振りかざし 尊厳をそぎ落としたのは 誰なのかと 知る 風は吹く 行き場のない力の奔流 運命が 振りかざす刃を身に纏う 濁流のように 押し寄せ 蝶の羽ばたきのように 足音すら立てずに 王の背後に忍び寄る 心臓を杯に掲げて天に捧げる 涙と共に痛みの全てを解き放つべく 魂を捧げて あらゆる苦痛は 王の首をはねる 命の全ては消え去る
憎しみが運命を呼び寄せた結末は残酷でしかない
運命は消えることなく新しい悲劇の種を蒔く
種を刈る者はいない
愚かな者は愛と錯覚して育て育んでしまう
花が咲いた時
己の血肉を吸う吸血の茨となるとも知らず……
失われた 魂は 輝きは
いつ取り戻せるというのだろう この世界の どこに 救いがあるというのだろう
苦しみ 涙 悲痛 絶望 どこへ行き着くのか
世界の墓場に沈殿するだけなのか 海すら 汚す 穢れた海は 陸を犯し 空さえも落とす 星は息を止めて 深淵の穴となる 墓場のように 光が 救うというのか 光は目映いだけで 何も与えてはくれない… 光の何が救いか 闇の反転でしかない どちらも同じこと 光は炎のよう 魂は極寒の大地を 望む 永遠に 眠るために 光など安らぎですらない 氷を溶かすのは 誰かの手でしか ありえない 命が通う…その手だけ…
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iseilio-blog · 4 months
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12/23  柴寮偶記
中共長期化介選 美中上演代理人戰 台灣詭異現象 經濟選民消失?/台灣大選詭異現象 美中上演代理人戰?/經濟選民消失.中共介選長期化台灣能擺脫?|20231201| - YouTube 人家韓國、日本、菲律賓沒有必須在夾逢中生存的問題。
王建煊堅信中共和統.一國兩制 屢遭廖筱君舉證打臉 竟惱羞成怒罵XX /前監察院長王建煊85歲耳聰目明看世局/趙少康捲款退黨?王:不能說他有或沒有/新黨主張和統卅年不變 制衡中共武統|20231202| - YouTube • 擺脫中華民國的國旗、國號、國歌是早晚的事情;二戰之前台灣沒有這些東西。 • 一方往死裡說,一方拼命說理,說理的一方會落入困境;其實一開打,戰場只可能在中國。
林毅夫最新演講:如何認識中國的機遇與挑戰?【字幕版】 - 這顆蛋頭誤導中國漸漸走入困境。
日台交流広場(台湾と日本) | Facebook 來回走了六年;巷口賣花生、納豆,右側白色三層樓是功學社,和義美一樣應該都還沒開張。
Facebook
季辛吉不擇手段出賣台灣 宋國誠列舉八大罪狀:死有餘辜遺臭萬年/季辛吉百歲逝 縱橫美國外交毀譽參半/季辛吉促美中建交不犧牲台灣?宋國誠:相反/季辛吉縱橫外交 只看權利無視人權|20231205| - YouTube 一個人會失去動能除了年紀老大之外,還有一樣就是享譽超過天賦;季辛吉 就是一個很好的例子。在當時美國總統 尼克森 的特別提攜之下,季辛吉 一出現, 國際風雲戲劇性之轉折,到了尼克森訪中達到高峰。 吳庭琰、阮慶、阮文紹、阮高基,政權一再更迭(看我記得多熟);越戰給美國帶來的民窮財困,反戰示威 全國動盪,實在是別無他法。 在一個大變局的大環境,要從中找出線索解套,一般說來不會很困難;對抗 的反向思考是其一,比如求和撤退,要另開新局,就嘎嘎呼其難也。撤退,先要設定 知其不可為,或不值得的撤退點;當發覺一個女生顯現心猿意馬,複雜 = 性空,如同韓國文在寅,或阿富汗,應該找出比較好的時機與方法,有序移出砝碼,收手 走人,更不應該打一場不求勝利的戰爭。 就台灣來說,要去求和投靠,享盡風光之餘,還賺得砵滿盤滿,都很容易。要能整體上下一心,恢宏大氣,及於細微末節,其能耐就遠遠不是如同 季辛吉 一般者流 所能望其項背了。
北京大叔感受台北🇹🇼 北京与台北最大的相同与最大的不同(眼见为实;有一说一) - YouTube 風土不同,風情自然不同;要談相異處,不如多多享用各種多元內容,如同在世界或中國各地,或比如雪梨或墨爾本,這就會更加豐富生命,而不是形成一種無所助益的比較。• 黃珊珊》給你的一封信 | i-media 愛傳媒 應該是柯的副總統候選人才對。
移民加拿大最大胆金融小哥:今天我豁出去了,回国真能拘留我? - YouTube 人口經濟的紅利只可能一次,還有一點目前體制無能為力的就是平均分配。
〔全程字幕〕108課綱刪《廉恥》 北一女老師怒轟:無恥的課綱|三立新聞網 SETN.com - YouTube 腐儒也不再學珠算了。
《#侯友宜 #趙少康 搶攻年輕票!藍綠拚國會席次過半!》【年代向錢看】2023.12.08 @ChenTalkShow #柯文哲 #蕭美琴 #賴清德 - YouTube 40年前的東京上班族,住家都在搭電車一個��小時的地方;就算下了電車,還要走十多分鐘才能回到租來的住家。這種狀態很普遍。
专访黄亚生:中国为何一直逃不脱专制? - YouTube 蔣經國的改變主要是來自社會(黨外力量)的要求,與美國的壓力,因此他說:「環境在改變,時代在改變。」中國的改變,相信美國的力量相當重要。這樣說可能不太好,就是透過經濟的下行,讓中共的統治失去人心,失去合理性,也就是相當大部份的底層民眾會受苦,甚至顛沛流離,在這段期間應該要有承接的力量成形。之前有 新中國聯邦,可惜因為種種原因,已經成了過去式。
或許清末的同盟會可以參考。地下組織還是重要的。台灣的民主化,除了黨外運動之外,海外的勢力遊說美國,與回台參與,都是讓國民黨為開明勢力取得政權的力量。反抗勢力可以是零星而散漫的,就只待一聲巨響,全國四處開花,習獨夫連身邊的親信都整肅,可見現在時代已經不同。回頭看台灣的民主化,30年後的今天仍舊在搏鬥就可以瞭解,原本就是非常的不容易。 https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E9%BB%83%E8%8A%B1%E5%B4%97%E8%B5%B7%E7%BE%A9
学者说书 《万历十五年》 吴思 (youtube.com) 所舉古時 “數字管理” 並無法 “籠罩” 過去整個中國,而 黃仁宇 所說,則比較會是現代的科學管理,以 “數字管理” 表示,可能是當世尚無法以 “科學” 二字表述。
互控大巨蛋 藍白交鋒變藍白搓/中間選民流失 15%不表態/姚立明喊話盼陳建仁重視民怨/藍白北市執政20多年 姚立明:沒人敢說大巨蛋真相/標榜公開透明 柯文哲與趙藤雄密室喬大巨蛋|20231212| (youtube.com) 外型也不符原設計。
國防大學教授涉洩密 中校禁不住4.8億誘惑擬投共 邱國正震怒:叛國者應槍斃/叛國! 國防大學教授葛明德與中國技術合作10年/開價4.8億新台幣 檢調:中共曾策動我軍駕CH-47叛逃|20231212| (youtube.com) 應該在意識模糊的戰後嬰兒潮世代退休後,新世代會有大幅的改善。
Anna曝波蘭免費醫療藏陷阱!! 媽媽動手術要等七、八年?! 【WTO姐妹會】 - YouTube 加拿大健保包括:結石、心臟、攝護腺等的免費開刀。
《網友打臉侯康貸!侯外交翻車!國民黨知識藍選民流失?!侯貼葛來儀合照自抬身價!國民黨破口是趙少康!國台辦重點關切台選舉!夏立言又訪中!》【2023.12.16『年代向錢看』週末精選】 - YouTube 侯友宜是個土台客。
綠電、香港、萊豬都有問!戰貓能回應民進黨內政問題? ft.副總統候選人 蕭美琴 | 斐姨所思【阿姨想知道】 EP124 - YouTube 面對同樣尖銳的問題,柯文哲常常顯得逃避。 • 台灣民意,中國狀態,國際情勢,都是處於變動狀態;在前述變動狀態的情況下,一般要求談的媒體與部份民間必須說出:「在何種狀態下就是可以去 “談” 的時機。」記憶中,以前柯林頓也說過要談,不過:“不要談出結果”,這已經是二十多年前的事了。馬英九也曾經要簽服貿( “談” 的第一步),結果就發生了太陽花;這後面可是有藏鏡人、影武者的。我也覺得要談 - 放屁安狗心爾。
兩岸不會有戰爭,台灣必須有侵略性。與歐洲國家相比,台灣一點也不小;去看看北韓的金正日、以色列、芭樂斯毯,有台灣這麼漏始的嗎?國民黨又去談了,大概是談的如何幫國民黨勝選吧?中國一黨獨大,價值與體制,都與世界潮流背道而馳。台灣與日本做為區域強權,必須有的做為,就是成為亞洲的自由女神,解中國人民於倒懸。
中國在南海發飆,肇因於美國封鎖;既然中國擁有南海主權,封鎖船隻進出才是道理,也不敢在台海生事,只好找小國菲律賓出世水。
還有,心情必須放輕鬆,舉重若輕;談話有內容、夠深入,這些都很好,從容大氣的就屬老江湖的深宮怨婦 呂秀蓮。
【道歉聲明】蕭美琴專訪影片開頭內容澄清 - YouTube 都是一些柯粉,可以掠過不必在乎。
#凝觀說說看 2024#賴清德 對決#趙少康 !@ChenTalkShow #國民黨 #侯友宜 - YouTube 國民黨來台,除了眷村之外,主要就停留在雙北;接受日本教育的雙北本省族群,只有萬華與大稻埕。其它地方大多是農田,比如現在的大安區。
6、70年前的本省家庭,使用的語言大多台、日語交叉使用,而不是之後的國、台語,現在國語一體化已經相當明顯。桃竹苗屬於另一種族群景像。
因此說外省族群教育程度高,比較是在與生俱來的中國文史方面。而理工方面,可能就比較是在南部。
侯友宜是本省人,成了候選人原因,除了在新北治績第一之外,主要是因緣際會,之後才知道格局問題。而更重要的是 “本省人” 不是國民黨黨性;
主流非主流時期除外。
《#侯友宜 收政治獻金?!#柯文哲 農地變停車場!#賴清德 老家礦工悲劇!》【年代向錢看】2023.12.19@ChenTalkShow #蕭美琴 #趙少康 #曹興誠 - YouTube 仰德集團、姓許= 國賓飯店
親密戰友爆料 姚立明準備被抓/姚曾部署到北京天安門 拉起中華民國國旗/獨家! 韓國瑜.妙天 都找"他"輔選/姚立明:柯P本性愛說謊 看不起人/”我是一隻小小鳥“ 姚老師開唱|20231218| - YouTube 歷史平話,共三冊 作者:姚季農 總代理 台灣英文雜誌社 售 100000 郵局劃撥 1995號
美國聯準會急轉鴿 竟與中國經濟崩壞有關?美國現在對抗中共 一併算入香港澳門!全球一盤安全棋!2023印太最特殊 美日韓航空軍力大串接!|吳嘉隆|吳明杰|新聞大破解 【2023年12月20日】 - YouTube 大死一次 從頭來起
親密戰友爆料 姚立明準備被抓/姚曾部署到北京天安門 拉起中華民國國旗/獨家! 韓國瑜.妙天 都找"他"輔選/姚立明:柯P本性愛說謊 看不起人/”我是一隻小小鳥“ 姚老師開唱|20231218| - YouTube 諸葛亮為人特點 總使自己處在平凡的地位上 要從困難環境中求得新的生機除了忍耐力還要有創造力 - 姚季農
#凝觀說說看 #樂樂法利 :#柯文哲 給我的感覺就是大爺的氣質…@ChenTalkShow (youtube.com) 柯的基本人設有問題之外,盲點很多:• 普世價值之上有各自的 “文化”、• 鄧小平三上三下的大背景是,當權派的勢力,遠遠大於毛左、• 和中談判,因為價值背反,為世界一致唾棄,尤其中共可能下台、• 貪腐柯須自省、• 主權觀游移,不可放棄、• 多元文化之上有主流創造、•  傳統產業發達,肇因不受中國影響,etc。
【一刀未剪】應援之夜小英人氣爆棚!酸國民黨喊選綠中華民國會滅亡 蔡英文反擊:不但沒滅亡 每年國慶國旗愈來愈大!當場自曝退休計畫…│【焦點人物大現場】20231229│三立新聞台 - YouTube 發言內容精審,每句都是標語!
Facebook 應該要鼓動 文藝復興,去除民族主義。
服貿大將改口反服貿? 李淳為何強調自己「立場如一」?ft.外交部政務次長 李淳 | 斐姨所思【阿姨想知道】 EP81 (youtube.com) 對中台雙方,一直以來,政治就是主要考慮的關鍵,不過雙方立場相反;這樣的關係很難改變,即使中國民主化之後。
【一刀未剪】楊志良點燃女性怒火!吳思瑤要全天下所有楊志良們 管好自己的嘴 高喊"我的子宮輪不到你來管" 吳沛憶接力喊"我沒結婚生小孩 但是超級有用"│【焦點人物大現場】20231229│三立新聞台 - YouTube 老實說,台灣的女生比男生厲害。
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siim-tv · 4 months
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【コスチューム】月の魔法少女
目次 ▼【グラクロ】【コスチューム】月の魔法少女の基本情報 ▼【グラクロ】【コスチューム】月の魔法少女のステータス ▼【グラクロ】【コスチューム】月の魔法少女の着用可能キャラ ▼【グラクロ】【コスチューム】月の魔法少女の評価 【コスチューム】月の魔法少女の基本情報 部位 衣装 レアリティ UR 入手方法 神器ショップ 価格 セット¥1600 【コスチューム】月の魔法少女のステータス 防御力+180 忍耐率+4% クリティカル防御+3% 【コスチューム】月の魔法少女の着用可能キャラ 【守護の光輝】エリザベス 【コスチューム】月の魔法少女の評価 可愛い魔法少女になる エリザベスらしい白とピンクがベースのミニスカ衣装。キャラの大半を占める部位なので、衣装を変えるだけでキャラの印象も変わる。エリザベスらしさのある可愛い衣装なので着せ替えとしても需要がある。 入手時から…
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guroria48 · 6 months
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23歳の囁き
春に就職してから資格勉強も終わり、ひと段落したから久しぶりにここに戻ってみる。わたしは昔から文章を書くのが好きで、(おそらく)17歳からやっているこのアカウントももう6年目だろうか。大学生になってからも恋愛で事あることに傷付き、悩み考え耐え忍んできたのはTumblerのおかげに違いない。Tumbler、ときにはTwitter、ときには対人を使って自分の心を外から観察し続けてきた人生だった。
大学3年、20歳になったあるときわたしは、自分が突然思春期を抜けたのを感じた。徐々にではなく、本当に唐突に自分の中の価値観が変わったのを感じた。ぼんやりとしていて主観的で自分ではどうにもできず、どうしたらいいかもわからないが故にひどく甘えていた世界の見方から、自分の「行動」と「責任」に重きを置く見方にがらりと変わった。それはまるで霧の中や暗く長いトンネルから突然抜け出たようで、視野が広がり地に足がつき腹も据わった感じがした。「この世界はどこまでいっても自己責任でしかない。自分の行動には責任が伴う。何も行動しなくても、何も行動しないという選択をしたのは自分。すべては自分に降りかかる。だからこそ、自分に決定権があり、自分の人生なら自分で操縦しなければならない」ーーー。
そう思うようになったのはきっとフリーターくんとの恋愛と、当時のバイト先で年上組になりいつまでも”新人ちゃん”や”可愛い誰かの後輩”ではいられないと肌で感じたことだろう。わたしはただそこにいて誰かから何かを与えられるだけの赤ちゃんではない。わたしの行動により好きだった男が号泣しているという事実。一年経てば新しい世代が繰り上がってきて元気さやかわいらしさを求められるより、信頼されたり何かを任せられるようになるという事実。その二つの事実が唐突にわたしの目の前の霧を晴らした。自分がしたことの責任を取るということ。結果が不満ならばたとえ苦痛でも自ら選択し続けれなければいけないということ。また、わたしたちは知らぬ間にベルトコンベアーに乗っているということ。後ろが詰まるから、ある程度歳をとったら次のステップに行かなければならない。スキルも経験も知識もあるならば、それを下の代に受け継いで次の世代のために身を引かなければいけない。そう思うようにもなった。不安定だった心もかなり落ち着きを見せはじめ、思春期のホルモンバランスを恐ろしく思うのと同時に、歳を取ればとるほど生きるのが楽になるんだろうなぁとわたしは気付いてしまった。
失恋のどん底の中で就活をして、同級の誰より早くつかみ取った内定先はわたしにとても合っていた。規則正しい生活、ストレスのない人間関係、達成しやすい目標、やりがい、憧れだった東京での生活。そしてなにより自分を必要としてくれる人がいることが一番大きい。わたしのように打ち込める趣味もなく友達もおらず、常に孤独で寂しい人間はなにかに依存するしかない。今までが恋愛なら、これからは仕事なんだろう。わたしの承認欲求と依存心は、ただの負けず嫌いと向上心に形を変えて、仕事での成果を上げることに一躍かっている。わたしは働くことが好きだ。働いてさえいれば自分の居場所ができるし、なぜかお金ももらえるし、傷付かない距離感で笑い合える人間関係も手に入る。小さい頃から見ていたネットには社不やニートがたくさんいて、自分もいつの間にか働きたくないんだと洗脳されていたけど、ネットで声高々に言わないと耐えられない人々はリアルでは少数派だ。それでいえば趣味があって打ち込めるものがあって、SNSでなにかを発信しようと思う人も少数派だ。才能や情熱のある人達は少ない。働かなくても心を病まない人はわたしが思うより少ないはず。大多数の人はきっとそうじゃない。わたしも才能のある少数派ではない。暇すぎると自分を見失う。趣味も友達も何もないわたしにとっては会社が生きる場所だ。だから大多数に紛れて、大多数に紛れていることに心底安心しながら毎日会社に行くのだ。合法的に人と触れ合える満員電車もさほど嫌いではない。スーツを着る理由、メイクをしなければいけない理由、残業をする理由、飲み会に行く理由、上司のグラスより下に下げて乾杯する理由。わたしは全部分かってしまった。学生の頃はあんなに反発していた社会人の悪しき文化にもっともらしい理由をつけて消化して、全部が全部、わたしの一部になった。
でもわたしは社会に染まったとは思わない。この道を選んだのはわたしだから。悪しき文化にも理由がある。実際それでうまく行ってるからこんなにも広まっているのだとも思う。ネットにはいない、見えない大多数の人はこの悪しき文化に救われているのかも。服を考えるのが面倒だからスーツを着る、周りと浮きたくないからメイクをする、仕事が終わらないから残業をする。酒を��んだ翌日はよく知らない同僚も気心が知れて仕事がしやすいとか、上司は立てておいた方が仕事がしやすいとか。全部が全部自分のため。誰に強要されたわけでもない。昔の自分が見たら、この思想すらも染まっていると思うのかもしれないけれど。
思春期が終わって社会に出て半年。自分の責任で毎日を過ごす。規則正しい生活。認めてくれる人たちと、与えられた自分の役割をこなす中で精神も安定していく。資格取得のために時間を削って勉強をして、結果がどうであれ死ぬほど充実していた半年。もともとASD気味で勘の悪い方ではあったけど、相手の気持ちも分かるようになってきた。少なくとも、中学の頃みたいに自分の気持ちをぶつけることはしなくなった。インスタの意識高い系を参考に、結論から話したり0秒思考なんかをやってみたりして、思考もかなり洗練されてきた。そもそも日常に暇がない。朝どれだけいい天気でも、蛍光灯の輝くオフィスに足を運ばないといけない。朝家を出る瞬間とか、お昼残り5分とか、夜家まで歩いているとき、もしくは寝るその瞬間とか、ときどき胸の上に石を置かれたみたいに息苦しいときがあるけど、それも別にどうってことない。やるべきことがないと死ぬ人間だ。もっと追い込みが足りない、別の資格勉強を始めようとも考える。ただ、もう少しゆとりがあればいいなとも思うけど、今だって十分恵まれている。これ以上ないも望むことはない。わたしの欲しかったすべてが手に入った。それは過去のわたしの努力と選択があったからこそ。これからも欲しいものは自分でつかんでいく。
ただ恋愛だけは努力だけではどうにもならない。生物だから人との関係性が一番難しい。全部自己責任とか、うまくいかないことはやらなくていいとかの精神で過ごしてきたわけだから、頑張ってもうまくいかない恋愛はもうやめて、自分から行くのもやめて、ひたすら待とうと決めた半年間だった。でも特に何もなかった。自分から行動しないならもっとチャンスが減るだけなのは当たり前だった。だからこそ、久しぶりに会った同期たちと朝3時まで酒を飲み明かす合宿研修をして、春からいいなと思っていた男がそこにいれば、それは部屋にも行きたくなるよな。普段はつんつんして平気で人を傷付けることを言ってくるくせに、酒を飲むと目を見て話してきて、膝枕を強要したり、簡単に抱き着いてくる。言動や顔つきまで変わって、何度酒が抜けないでと願ったことか。そうしてギャップ沼のある男と、都合のいい女ムーブにリーチをかけながら、わたし自身の下心と、数日間しかない合宿研修と酒と男と女と、いろいろなものが相まってわたしはわたしの気になっていた同期と一緒に寝ることを選んだわけです。付き合ってもうまくいくわけない、お互い血だらけになるって分かってるのに、結局向こうから身体接触された人を好きになるのは、フリーターくんのときと何も変わっていない。今回幸いだったのは、その同期とは飛行機で1時間くらいかかる距離にいるってこと。この物理的距離がわたしたちの関係をゆっくり進ませてくれるのか、はたまた障壁になるのか、それは分からない。ただわたしは自己責任かつ理性的に考えて、いつもみたいにアプリで見つけたポッと出の男にイラつきながらデートをするより、多少物理的距離があっても、多少傷付く可能性があっても、友達とも恋人とも違う大事な大事な同期と少しだけお近づきになりたいなと思うのです。
さすがに書いていたら眠くなってきた。明日も仕事だ。
2023/10/30 22:52
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