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#散財のためこちらは稼ぐために働く
sayasaan · 2 years
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#2022シリーズありがとうございました 今年はかなり久しぶりの現地観戦を再開させ、ドラゴンズを応援してきた自分。とても楽しい1年でした。 来年はもっともっと楽しいシーズンになるといいなぁ😊 #オフとはいえキャンプ情報が楽しみ #散財のためこちらは稼ぐために働く ✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧ #ドラゴンズ #ドラゴンズファン #ドラゴンズファンと繋がりたい #ドラゴンズ愛 #中日ドラゴンズ #ドラゴンズ好き #ドラゴンズ大好き #ドラゴンズ頑張れ #dragons #ありがとう #プロ野球2022 https://www.instagram.com/p/CjOkS5HPmzY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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shukiiflog · 11 months
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ある画家の手記if 佐伯岬/春輝視点 告白
わたしを見つけて
佐伯岬:
光は人が好きだった。
妻の昴が持病の具合がよくなくて光を見ていられない日、僕は仕事で行くパーティに幼い光を抱えて連れていった。 子供用のかわいいドレスを着せて、髪の毛は僕が編んだ。 会場に着くと光はすぐに僕の腕から降りて、会場をとことこ歩き回り、途中から靴擦れで足が痛くなったのか靴を脱いで裸足になって、あちこちの人に笑顔でシャンパンや花を配って回った。途中でパーティの主催者に光にそういうことをさせてもいいかと聞かれて、僕も了承した。 接してくれる誰もが光を笑顔で可愛がり、あたたかく迎えてくれた。 しょっちゅう誰かにお菓子か何かをもらっては、遠目に見ている僕のところへ光はいちいち走って戻ってきて「もらった」といって僕にもらったものを一つずつ丁寧に見せてくれた。 「おとうさんがもってて。たべてもいいよ。これとこれはたべちゃだめ」光に荷物持ちにされて細かく指示を受ける。 「はい。いってらっしゃい」笑顔で受け取って光を送り出す。昴に似てとてもかわいい。僕がそういうといつも周囲は「いや、お前に似てる」と返してきた。そうかな? そういう場で春輝とも出会った。光に声をかけられた春輝はまだ学生だった。春輝も親に連れられて来場していた。
昴が病気で寝込むことが多い以上、お手伝いさんを雇ったりするべきだったのだろうけど、そこまでのお金がなかった。なんとか僕が仕事を調整すれば光のことは見ていられたし、家事はもともと僕が好んでしていたから、うちは僕と昴と光の三人家族だった。 それより以前は存命だった僕の父も一緒に暮らしていたけれど、影で光によくない悪戯をしようとしているのに気付いてからは父には出ていってもらい、そのまま親子の縁を切った。 僕はそれ以来、ほとんど勘当されたも同然の身になり、莫大な財産に支えられた生活は終わった。 その後は父ではなく僕個人と繋がった人脈でなんとか仕事を続けて稼いでいた。培った仕事の要領でそれなりの年収はあったものの、昴の医療費にかなりの額を確保しておく必要があったため、暮らし向きはどこにでもある中流家庭の域を出るものではなかった。 その点では財産を丸々失ってしまうため昴には申し訳ないことになると思ったが、僕が昴に事情を話すと、昴から言い出してくれたのだった。 「私たちが出ていくか、お義父さんに出ていってもらいましょう」
僕一人にえらく負担がかかっているように周囲からは見えたようだったけれど、光の面倒を見る時間は僕には癒しだった。 光は僕のいない時間は昴の寝ている布団のまわりで転がりながら、折り紙をしたり絵を描いたり本を読んだりして過ごし、昴は体調のいい日には光と一緒にそういうことをしたり、もっと難しい折り紙や一人遊びを教えたり、本を読み聞かせたりしていた。
僕は仕事から帰ってくると昴の寝ている部屋に顔を出す。光がいない。「光はどこかな?」「さぁ、岬さんの車が帰ってくる音が聞こえたら急にどこかに行ってしまって…」 これが僕と光の日課だった。 僕が帰ってくる気配がすると光は家の中のどこかへ隠れる。僕が光の名前を呼びながら家中を探し回る。 光は運動神経もいい上に極端に体の小さな子だったから、思いがけない場所によく隠れていて、真剣に探しても見つけるのはなかなか簡単ではなかった。 光の隠れ方もたまに巧妙に裏をつくようなものだったりして、洗濯籠に洗濯物に埋まって隠れている光の上から脱いだ服を気づかず僕は投げ入れていたり、帰ってきて無造作に放っていたままのコートの下に隠れていた光を危うく踏みつけそうになったり。 足場もない高い箪笥と天井の隙間の影にいたり、戸棚を一つずつ全部開けたらその中の一つに実にうまく体を曲げてコンパクトに手足を折りたたんでおさまっていたりした。 賢いのか天然なのか、とにかくいつも光は何事にも真剣で一生懸命に取り組んでいた。 ある時は隠れるためにあまりに高い場所に登ったせいで一人で降りられなくなって、いつまでも僕が見つけられずにいると光が僕を細い声で呼んだ。僕は笑って梯子を持ってきて光を抱えて床に降ろした。 それでもやっぱり子供だから簡単に見つけられる日もあった。けれど僕は見つけられないふりをしてしばらくの時間、家をわざとうろうろした。 「光はどこいったのかな?」「隠れるのが上手だね」「大人の僕でもこれはとても見つけられない」「光は賢いなぁ」そんなことを隠れているつもりの光に笑顔で言いながら。
どんな些細なことでも、光に一つでも多くの成功体験を積ませるため、僕は光をいつも褒めた。 この子が人を好きになってくれたら。 屈託なく誰にでも心から笑えて、人の善性を信じ尊んで大事にするように育ってくれたら。 もちろんいつまでもそれだけでは��けない、けれどこの年齢ならまだ子供を守るのは僕や昴や大人の役目だ。先に信じることを、疑うことは後からいくらでも身につけられる。この世界への安心感と揺るぎない信頼をまず光にあげたかった。 光は僕と昴の愛情に育まれて、天真爛漫で素直な素晴らしい子に育ったし、僕も昴もそんな光の成長に日々を支えられていた。
ある日を境に、僕は光をパーティに連れていくことをやめた。光は行きたがったけれど、もう二度と同じような思いはしたくなかった。 パーティ会場で幼い光に多くの人が善意でお菓子やかわいいキーホルダーや着けているアクセサリーをくれた。光はいつも僕にそれを渡していって、中にあまりに高額そうなものが混じっていたら僕が帰り際に主催者に持ち主に返してくれるよう頼んで預けて帰った。 ある日、光が僕に渡したその中にコンドームの箱が一つ混じっていたのだ。誰が光にこれを渡したのかは結局分からずじまいだったものの、あまりの不快感と吐き気で僕はすぐに光を連れて帰って、二度とそういう場所へは連れていかなかった。
光が平均的な子供より可愛らしい容姿をしていることは親の欲目を捨てても理解できていた。 子供服のモデルのスカウトや、テレビでちょっとした子役に出してみないかという話がよく人づてにきたが、僕はそれらをすべて断ったし光にも教えなかった。 なんであれ子供に自分で金を稼がせることは慎重にしっかりした教育下で少額から少しずつ経験させていかなければいけない。労働や消費対象になることなども含めて、どんなに条件のいい話でも僕には許容できなかった。
光は、止むを得ず僕がほんのすこし目を離したタイミングで、誘拐されかけたり連れ去られそうになったりしていた。そのすべてを僕が間一髪で防いではいたものの、そういうことは光が成長するにつれて頻度を増した。まだ裁判沙汰にまで至らないし、すべて相手に逃走されて終わっていたとはいえ、僕にとってはすべて重大なただならぬことだった。
光にとってもどこかでストレス要因になって積もり積もったものがあったのか、それともまったく別の何かからなのか、光は自分の指や爪を噛んで、ちぎったり皮を剥がしてしまうようになった。 指先が血みどろになっても光はやめなかった。 とめる間もなくすぐに癖付いてしまった自傷をなんとかしようと、僕は空いた時間に光を抱きかかえて優しく揺らしながら家の中を毎日散歩した。 光は静かに揺られながら僕の首筋の肌に噛みついてじっとしていた。そのうちうとうとして、眠り込んだ光を昴の布団に入れる。 僕の首筋には鬱血した噛み痕が残ったけれど、光の指先に比べればどうというほどのものでもなかった。 なにかを噛んでいると光は安心するようだった。
その頃からすこしずつ、光の問題が浮かび上がってきていた。 知らない人についていってはいけないとか、物をもらってはいけないと言い聞かせても、光はそれを理解できなかったのか、何度も似たようなことを繰り返してしまった。 叱らずによく話を聞いたが、総じて光は加害者を「やさしくていいひとだった」というふうに屈託なく笑顔でそう評した。 僕が、育て方を致命的に誤ってしまったのか。悩んだ末に、光に危険な存在や行為や悪意についてそろそろしっかり教えなければと思った。光は人の言うことをいつだって真剣に聞くし、僕のことを誰より信頼している。根気強く教えればいい。 もし光にそれらを理解できない何か重大な問題があるのならそのように接して、光が生きていく環境を僕がある程度整えなくてはいけない。 酷いことが起きないように僕が目を光らせながら、僕がいつか居なくなっても光が生きていけるように、信頼できる伴侶や守ってくれる存在を見つけて、いつか僕からその人たちへ光を託さなければ。 このまま順当にいけば僕の方が光より先に死ぬことは明らかなのだから。
***
佐伯春輝:
岬さんが出張先の海外で起きたテロに巻き込まれて亡くなって、僕は遺された昴さんと結婚した。昴さんはまだ若いけれど僕よりはずっと歳上だった。 僕には岬が一人でなんとか仕事をして稼いで暮らしているのが理解できなかった。勘当されたとかいう話は聞いたけれど、なんでそんなことになったのか、光もいて、昴さんの医療費もあるんだし、佐伯の実家に頼るのが一番だろうに。 そう思って、結婚してすぐに僕は絶縁状態になっていた佐伯家へ出向いて、資金援助と和解を申し出た。 岬は不利な要素を抱えても一人で中流家庭並みの暮らしを実現させていたけど、僕はまだ若いし、とても岬の真似事はできなかったから。 そうして僕は佐伯の家の跡継ぎになった。一人息子の岬に去られて佐伯家は今後どうするかで揺れていたから、僕の申し出は歓迎された。ただやっぱり僕は頼りなかったのか、佐伯の家から受け入れられている感じはしなかった。 僕はすこし気が弱いし、あまり自分に自信もないし、自分でもこれからどうしようか途方にくれることが多かった。 それで僕は光を使うことにした。 幼い頃に僕にパーティ会場で花をくれた。初対面から光は僕に好意的だった。 僕は光に家でも人前でも僕を「お父さん」と呼ぶように言いつけた。光は断固としてそれを拒否し続けていたけど、一度ベッドに無理やり連れ込んだら以降はおとなしく言うことを聞くようになった。 それでも光は「おかあさんのお部屋にいたい」と言ってしつこかった。実際、昴さんは岬を亡くしてから持病を拗らせていたし、光はそんな母親のそばについていたかったのだろうが、僕はそれを許さなかった。 僕の目を盗んで母親の部屋にいた光を抱えて連れ出し、「そんなにべったり一緒にいたらお前にも病気がうつってしまうよ、昴さんはそれを望むかな?」と説いた。 それから光は遠くの廊下から母親のいる部屋を毎日じっと見つめているだけになった。 それから一度も昴さんと光は会えないまま、昴さんはあっけなく亡くなった。 家には僕と光だけになった。
光はその頃まだ小学生だったけれど、成人女性の色気とも種類の違う独特の色気のようなものを発していた。 子供にしても未発達な印象のあどけない童顔、黒くて艶めいた長くて太い睫毛で常にアイラインを引いてるような目元、小さな口や鼻、すこし厚めの唇。 頭、顔、肩幅、手、足、耳、爪、すべて規格外に小さい。すべて小さいのでバランスにあまり違和がない。 全身痩せ型で細いが、とくに手首と足首が折れそうなほど細い。 全体的な雰囲気は岬と似ていた。 生前の岬も、光はつけ狙われやすいと友人に相談していたそうだ。そういう子なんだろう。 僕を誘ったのは光の方だと思っている。意識的なのか無意識なのかは知らないけれど。光の体には毒がある。 僕はその毒にあたったのだ。 岬が死んでから光はほとんど眠れなくなっていた。夜の間は僕が遊び相手になった。 光の体は感度が良くてすぐ濡れるからいつも大した準備なんてしなくてもすんなり僕のことを受け入れたし、光もおとなしかった。佐伯の人間で僕を受け入れてくれるのは光だけだった。 同時期から光は食事を嫌がるようになった。匂いが強いとか味が濃いとか、食材も味付けも以前と変わらないのに急にわがままを言いだすようになった。なら食べなくていいと言ったら、光は本当に食べずにどんどん痩せ細ってしまった。 医師からは拒食症だと言われた。なにか心的外傷になるような出来事があったか尋ねられたので、僕は岬と昴さんの死について語った。
僕は光を義務教育期間だけ学校に在籍させていた。高卒や大卒の履歴などこの子に必要ないだろう。 医師の診断書を偽造して、母親と同じ病気であるとあちこちに触れ回った。 それで光はむやみに外出もできなくなった。 妙に本質を突くような聡いところがあるかと思えばこんな僕の言うことを簡単に鵜呑みにしてしまう、どうにも愚かな子だった。 ただ何かの拍子に光は僕の目をじっとただ黙って見た。子供らしく床に転がってお絵かきをしたり本を読んでいる姿勢で止まって、そこにやってきた僕の目を、じっと。いつものように笑ってもいない、無表情に近いけれどはっきりと意思を宿した大きな瞳が、黒くて長いまつ毛に縁どられてただ僕を凝視していた。光はそういうとき一言もなにも言わなかった。
人形かなにかのようだ。意思があるように見えるだけで僕の内面を反映しているだけ。人の形をしているし、いかにも人間らしいけれど、それだけだ。 そのたびに、僕のことなどすべて見通されているように感じて、怖くなった。脅かされているのは、僕のほうだ。
そういうふとしたとき以外は、光は天真爛漫なかわいい子だった。 岬が死んで以来、身長や体重が変化せず、成長がぴったり止まったようになっていたし、光には第二次性徴が訪れず、月経も始まらなかった。そういう体質なのかもしれないと思って放っておいた。 何より光の成長が止まったことは偽りの病気にもっともらしいぱっと見でわかる事実としての身体的異常を付け加えてくれた。 僕は光に言った。 「こんなに背が小さいのも初潮がこないのも、病気の影響だよ。この歳でこんなに背が低いなんて昔なら奇形児なんて言われて気味悪がられてるところだ。今でもそういうふうに言ってくる心ない人は外にたくさんいるけれど、光がここにいれば僕が守ってあげられる。お前はきっと一生一人では何もできないだろう。未成熟な醜い子だけれど、僕は光を誰より美しいと信じてるよ。光を愛しているからね」 光は僕の言ったことを、ただ無表情で黙って聞いていた。 僕が喋れば喋るほど光は無表情になって黙って僕を見るだけになったから、怖くてだんだん僕は光とちゃんと会話するのを避けるようになった。
光は保健室登校しながら、ある日突然彼氏だと言って同じくらいの学齢の男子生徒を家に連れてくるようになった。 その度に僕が間に入って、申し訳ないけれどこの子は闘病で手一杯だからと話して無理やり二人を別れさせた。それでも光は性懲りもなく何度も新しい別の彼氏を作った。 ある日、僕は光に聞いた。「どうしてそんなに次々に誰かと付き合うんだ、別れるのだってあんなに簡単に別れるのならどうして付き合おうと思ったんだ」と。 光はこともなげに「付き合いたいって言われたから」だと答えた。それ以上のものはないように見えた。 ますますもって人形じみてきたと感じた。僕の人形だと思っていたけれど、誰の人形にでもなるのか。
僕の中で光への感情が修復不可能なほど屈折していくのが分かったけれど、僕が屈折しているのではなくて光がただ異常なだけであるようにも感じた。両親の死で本当にどこかおかしくなったのかもしれない。 僕は二人だけの家にわざと他人を招いて、光を襲わせた。 光も僕の差し金だと分かっていただろう。勝手に外で恋人を作ってくるような真似をするからだ。相手が欲しいのならいくらでも適当なのをあてがってやる。どうせ大した怪我なんてしないだろう、誰相手にでもすぐ慣れるふしだらな体だ。 そのうち光はそういう連中を相手取ってなのか家のあちこちに隠れるようになった。 光は見つかっては隠れた場所から力尽くで引きずり出されていいように弄ばれた。 あるとき光はひとりごとみたいに空中に向かって呟いた。「かくれんぼは最後に絶対にお父さんが見つけてくれる」 光の中ではまだ隠れているまま、終わっていないという意味か。お父さんとは僕のことじゃなく岬を指しているんだろう。 ちょうどいい。何度でも岬ではない他人に見つかって暴行されて終わるのを繰り返してその拠り所と一緒にめちゃくちゃに踏み躪られればいい。本当に岬はもういないのだから。
以前から光は年齢に似つかわしくない難解な本を好んで読んでいた。 僕にはそれらの内容が理解不能だったし、光はそれらに熱中することで他の自身についての事柄にさらに無頓着になっていたから、僕には都合が良かった。それで邪魔はせず、欲しがる本はすべて買い与えた。 光の本棚はあっという間に埋まって増えていって、一見たいそうな読書家の部屋のようになった。光が読んだ本について僕になにか語ることは一切なかった。
そして時間の止まった家は光を内包するための容量が足りなくなったことを象徴でもするようにその都度必然的な理由で増築されていき、家には巨大な施設群がくっついて光はそっちで過ごすことの方が多くなった。 見栄えも考えてあったが一般客のためのアトラクション的なものではなく、どちらかというと研究者や有識者のための学術的な場だった。プレゼンテーション用のスクリーンが完備されたホールなどがあり、そういう空間がよく学会などの発表の場として活��されていた。 屋内にも緑が多く、建物のあちこちに綺麗に水が通る自然の地形を生かした設計は訪問客にとても好評だった。光はその設計を初めて見たとき「フランク・ロイド・ライトの建築のよう」だとその美的感覚を絶賛していた。僕には光の話すことはよくわからなかった。 たまに光は訪れた有識者とオーナーの娘として知り合いになって気まぐれにしばらく楽しげに話し込み、「研究に興味を持って話を聞いてくれた。聡明な娘さんですね」と僕があとでお世辞を言われることもしばしばだった。 あの子をまだ小学生かその程度だと勘違いして買いかぶったのだろう。実年齢を聞けばきっとバケモノでも見るような顔をするに違いない。
あるとき施設の管理担当が一人の若い男に引き継がれる流れになった。 広くて全体を把握するのも難しいため、何人かの担当者にあちこち区分させて管理を任せていたけれど、その男は突然一人でやってきて簡単に屋内を歩いて巡ったあとで、仕事を一人で引き受けてしまった。 彼は僕と信頼関係を築くための必要最低限の世間話を応接間でしていった程度で、施設の現状の資料を一台のノートパソコンにおさめて帰っていった。定期的に訪れて微調整をすると言っていた。 彼が帰ったあとでよく思い出したら、この施設の初期の設計に携わった数人の建築家のうちの一人が彼だった。会ったのはこれが初めてだった。建設される当時はもっと年配の人間が責任者兼代表として僕に挨拶にきていた。 一人一人の年齢まで把握していなかった、まだあまりに若くて気づけなかったけれど、要は自分の設計した建物がようやく本人の管理下に落ち着いたということなのだろうか。
何より喜ばしかったのは、光がこの男に少しずつ惹かれていったことだ。 光と僕はそういう話はまったくしなかったが、僕から見たって一目瞭然だったし光も隠す気はないようだった。これまで迫られて了承する形でしか恋愛といったものに関われずにきた光が自分の意思で彼に迫るようになった。 それを十分確信したタイミングで僕は彼に光との縁談を持ちかけた。 光が世間的な常識人とうまく関係を築けるはずもない。接したところ彼はそのあたりをよく踏まえた常識的で賢明な人物であるように感じた。結婚してここを出ていこうが、必ず破綻して光がここへ出戻ってくることは明白だ、僕のもとへ。 光自身の無力と絶望的な精神的遅滞とを自分で痛感して、光は一生立ち直れないほどのひどい挫折体験を抱えて帰ってくるだろう。それが光にとっての外界へのイメージになるはずだ。光の中にある外界への憧れを光自身が望んで実行した行動と感情を基にして、折ることができる。 そのためには彼への恋愛感情がより強く揺るぎないものになればなるほどいいだろう。 僕は彼に感謝した。 病気でしかもどうしようもない世間知らずな娘を手厚く扶養する父親として、僕の立場はこれまでなんとかもってきていたのだから。
光視点
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hummingintherain · 2 years
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7月24日(日)|流されやすさ
 以前読み進めようとして挫折した植本一子『台風一過』をもう一度読んでいる。石田さんがいなくなった日々が描かれていくことに少しくらいは耐性がついたと思っていたけれども、『台風一過』は事の直後ともあって当然ながら石田さんの存在がかなり色濃く、何度も手を止めてしまう。
 2月27日の生命保険のくだりが印象的だった。
 保険の話までするのはあまりにも個人的すぎるかと思ったが、一応伝えると、急に焦った様子で、それは誰かに相談したんですか?と聞かれる。そういえば誰にも相談していない。お金の話だし、とどこかで思っていたのかもしれない。すると、普通は高額を掛ける時は、リスク回避のためにいくつか分散させるものなのだと先生が言う。私は為替の保険に入ろうとしていたが、円の保険ももちろんあるし、一箇所に掛けるものではないらしい。保険会社の人からしたら余計なことを言っているかもしれませんが、植本さんはお金を大切にしていらっしゃるし、もうちょっとよく調べてみたらどうですか?と、「ほけんの窓口」を教えてくれた。保険とはいえ、確かに為替はギャンブル感があると思っていた。先生は、これまでにもいろんな人を診て来たので、つい言いたくなってしまいました、と心配してくれている。どうして保険に入ろうかと思ったのかと聞かれ、たまたま路上で勧誘されたからと言ったら驚いていた。 「大きな出来事があった時は、どうしてもスーッと流されやすいですからね」  そう言われてハッとした。今回のこともそうだし、人が死んだ家に宗教が入り込むのも同じようなことだろう。(『台風一過』植本一子 河出書房新社 P.87-88)
 安倍元首相銃撃事件で話題になっている旧統一教会も脳を掠めるけれど、もっと間近に自分ごととすれば、今接骨院に通い詰めて鍼灸治療まで始めようとしていることが重なった。最初の予約こそ誰かに勧められたではなく自分で決めたことで、たまたま前を通りがかった際に身体のだるさや肩こり腰痛頭痛等々でお困りの方もしかしたらそれは背骨の歪みかもしれませんよといったようなポスターがあって、それも一理あるかもしれないなと相談をしてカウンセリングを受けて、過去誰からも、固すぎ、と苦笑されてきた私の肩やら背中やらを預けて、しっかりと治療をしたいのであればこまめの受診をおすすめしますと言われ、やがて奥の筋肉までほぐすために鍼を勧められ、大体のことに対して、じゃあそれで、とほとんど受け身の姿勢でいる。しいていえば三ヶ月の定期券と一ヶ月の定期券で三ヶ月はみた方がいいと思いますと言われながら値段に尻込みして、実際に三ヶ月通うことになればまとめて払った方がかなり安くはなるのだけれどつい最近そうしたまとめ払いに後悔したことを思い出して、一ヶ月分にしたくらいがささやかな自分の意志だった。接骨院の人たちは親身になってくれていて、一ヶ月にした時もそれ以上言及するどころか「そうした方がいいと思います。なんだか不安そうなので」と言い、そこで少し信頼が増した。施術自体は気持ちがいいし、普段の姿勢にも多少は気を遣うようになった。でもあれよあれよと付加されていくごとにお金がかかっていくこともまた事実で、直近で強く困っているわけではないのだけれど、セラミック歯もいれたし映画にも行っているし、生きていればもちろん固定費食費かかっていくし、決して自分のスケールにとって小さくはない出費が重なっていることにもっと危機感を抱けと危惧する内側の声もある。でもお金で買える幸せなのであれば買ってしまっていいんじゃないかと思ったりもする。
 誰にも相談せずに接骨院通院を始めたけれども、おととい、それを試しに家族のLINEで言ってみたら、「信仰に陥らぬよう祈る」と母に言われる。セラミックにするか銀歯にするか迷った時にも相談したとき、すぐにセラミックを勧められた。家族、特に母は、身体に関することには多少お金をかけてでも最善を尽くすべきだという考え方をしている。とはいえ、セラミックを選ぶことと、整体を施し身体をケアすることは、違うといえば違うんだけれども、どちらも身体に関する大きな枠組みでいえばとても似ていると思われた。いや、深い意味はなく、心配されているだけなんだろう。でも信仰と出されるのも、なんだか腑に落ちない。この信仰への注意には、傾倒して盲目的になり気付かぬうちに不都合を被っている、なんてことにならないようにね、といったニュアンスが含まれていると感じたのだけれど、失礼な気もするのだった。私にも、真面目に働いている整体師や鍼灸師の方々に対しても。私はこの倦怠感を、身体の痛みをどうにかしたい。かなり、切実に。少しだけでも元気になりたい。可能なのであれば、鎮痛薬を常に財布に忍ばせていなくても平気なくらいになりたい。
「楽になれば嬉しいね」とその後言われる。そう。楽になったらいい。でも楽になるための手段がこれで良いかはわからない。この迷う曖昧さ、身体をケアしている時の楽な感覚をそのまま受容して大丈夫なのかといった不安は、他人に自分の身体を預ける心細さだとか稼ぎ柱にはなるよなあといった疑いと諸々まとめてつきまとう。そう考える自分も失礼かもしれない。
 大きな出来事があった時は、流されやすい。他人事でなくて言い聞かせても、どこかにある、いや言うて大丈夫でしょとへらへらした油断で足下をすくわれるのかもと危惧する怯え。失敗したときは失敗したときですよ、と言い聞かせる大雑把さが結局根にある。
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kuro-tetsu-tanuki · 3 years
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裕くんが三日月亭でバイトする話(タイトル)
定晴ルート入った辺りのお話。
委員会イベやら本編の描写やらとあるルートネタバレやら有。
「なぁ裕。お前、数日ここでバイトしねえか?」 「は?バイト?」
いつものように三日月亭に買い物に来ていた俺は、店長から唐突な申し出を受けた。
「お前ドニーズでバイトしてたって言ってたよな?調理スタッフとしてもやれるだろ?」 「はあ。まぁ、確かにキッチンもやってたのでやれなくはないですが。どうしたんです?随分と突然ですね」
三日月亭は店長が一人で回している。 繁盛している時間は確かに忙しそうではあるが、注文、調理、配膳と見事に捌いている。 港の食堂を稼働させていた時の俺のような状態ではとてもない。 これが経験の差というものか。 いや、それは兎も角人員を雇う必要性をあまり感じないのだがどうしたというのだろうか。
「いや、その・・・ちょっと腰が・・・な」 「腰?店長腰悪くしたんですか?ちょ、大丈夫ですか!?海堂さん呼んできましょうか?あの人ああ見えてマッサージ得意なので」 「あー・・・そういうワケじゃ、いや、元はと言えばお前らがブランコなんか・・・」
なんだかよくわからないが随分と歯切れが悪い。 腰悪くしたことがそんなに言いにくい事なのか? 言葉尻が小さくて上手く聞き取れない。
「・・・あー、海堂の旦那の事は頼む。屈んだりすると結構痛むもんでな。基本はホール、こっちが手一杯になったらキッチンもやってもらうつもりだ。で、どうだ?まかない付きで給料もしっかり出すぜ。時給は・・・こんくらいでどうだ?」 「おお・・・意外と結構な金額出しますね」 「臨時とは言えこっちから頼んでるわけだしな。その分コキ使ってやるが」
海堂さんの事を頼まれつつ、仕事内容も確認する。 まぁ、ドニーズの頃と左程変わらないだろう。お酒の提供が主、くらいの違いか。 時給もこんな離島の居酒屋とは思えない程には良い。田舎の離島で時給四桁は驚きだ。 内容的にも特に問題ない。直ぐにでも始められるだろう。 とはいえ、屋敷に世話になっている身。勝手に決められるものでもない。
「非常に魅力的ではあるんですが、即断即決とは・・・。申し訳ないですが、一度持ち帰らせてください」 「おう。言っとくが夜の居酒屋の方だからな」 「キッチンの話出しといて昼間だったらそれはそれでビックリですよ。わかりました、また明日にでも返事に来ますよ」
話を終え、買い物を済ませて三日月亭を後にする。 バイト、かぁ・・・。
夕食後。皆で食後のお茶をいただいている時に俺は話を切り出した。 夜間の外出になるのでまずは照道さんに相談するべきだし、海堂さんにもマッサージの話をしなければならない。
「成程。裕さんがやりたいと思うなら、私は反対はしませんよ。店長には日ごろからお世話になっていますし」 「ほー。ま、いいんじゃねぇの?懐があったかくなることは悪いことじゃあねえじゃねえか。マッサージの方も受けといてやるよ。店長に借り作っとくのも悪くないしな」
難しい顔をされるかと思ったが、話はあっさりと通った。 海堂さんに至っては難色を示すかと思っていたが、損得を計算したのかこちらもすんなりと了承を得た。 ちょっと拍子抜けしつつ、改めて照道さんに確認する。
「えっと、本当にいいんですか?」 「ええ。ただ、裕さんの事を考えると帰りだけは誰かしらに迎えに行ってもらった方がいいかもしれませんね」
確かに。禍月の時ではなくても、この島は気性が荒い人は少なくない。 まして居酒屋で働くのだ。店長がいるとはいえ何かしらトラブルに巻き込まれる可能性もある。
「じゃあ、俺が迎えに行くぜ。なんなら向こうで普通に飲んでてもいいしな」
お茶を啜っていた勇魚さんがニカッと笑う。 あ、湯呑が空になってる。 急須を取り、勇魚さんの湯呑にお茶を注ぎながら問い返す。
「俺は助かりますけどいいんですか?はい、お茶のおかわり」 「お、さんきゅ。いいんだよ、俺がやりてえんだから。俺なら酔いつぶれることもねえしな。それに、そういうのは旦那の仕事だろ?」
自然な流れで旦那発言が出てきて驚きつつ、その事実に一気に顔が火照る。 うん、そうなんだけど。嬉しいんだけど。そうストレートに言われると恥ずかしいというかなんというか。
「え、と・・・ありがとうございます」 「けっ、惚気は余所でやれってんだ」 「ふふ・・・」
海堂さんのヤジも、照道さんの温かな眼差しもどこか遠くに感じる。 ヤバい。凄い嬉しい。でもやっぱ恥ずかしい。 そんな思いに悶々としていると、冴さんがコトリと湯呑を置いた。
「で、バイトはいいんだけど、その間誰が私達のおつまみを用意してくれるの?」 「はっ、そういやそうだ!オイ裕!お前自分の仕事はどうする気なんだ」
冴さんの一言に、海堂さんが即座に反応する。 ええ・・・酒飲みたちへのおつまみの提供、俺の仕事になってたの・・・?
「それこそ三日月亭に飲みに来ればいいのでは・・・?」 「それも悪くはないけれど、静かに飲みたい時には向かないのよ、あそこ。それに、この髭親父を担いで帰るなんて事、か弱い乙女の私にさせるの?」
確かに三日月亭は漁師の人達がいつもいるから賑やか、というかうるさい。 ゆったり飲むには確かに向かないかもしれない。ましてや冴さんは女性だから漁師たちの視線を集めまくることだろう。 さり気なく、海堂さんを担ぐのを無理ともできないとも言わない辺りが冴さんらしい。
「ふむ。俺が裕につまみのレシピを教えてもらっておけばいいだろう。新しいものは無理だが既存のレシピであれば再現して提供できる」 「それが無難ですかね。すみません、洋一さん。今日の分、一緒に作りましょう。他にもいくつか教えておきますので」 「ああ、問題ない」
結局、洋一さんが俺の代わりにおつまみ提供をしてくれる事になり、事なきを得た。
翌日、午前中に店長へと返事をした後、島を探索。 少々の収穫もありつつ、昼過ぎには切り上げ、陽が落ち始める前には三日月亭へと足を運んでいた。
「説明は大体こんなもんか。不明な点が出てきたら逐一聞いてくれ」 「はい。多分大丈夫だと思います」
注文の仕方、調理場の決まり、会計の方法。 業務の大半はドニーズでの経験がそのまま役立ちそうだ。 むしろ、クーポンだのポイントだのない分こちらの方がシンプルで楽かもしれない。 渡されたエプロンを付けて腰紐を後ろで縛る。うん、準備は万全だ。
「さ、頼むぞルーキー」 「店長が楽できるよう努めさせてもらいますよ」
そんな軽口をたたき合いながら店を開ける。 数分も経たないうちに、入り口がガラリと音を立てた。
「いらっしゃい」 「いらっしゃいませー!」
現れたのは見慣れた凸凹コンビ。 吾郎さんと潮さんだ。
「あれ?裕?お前こんなとこで何してんだ?」 「バイト・・・えっと、店長が腰悪くしたみたいで臨時の手伝いです」 「なに、店長が。平気なのか?」 「動けないって程じゃないらしいので良くなってくと思いますよ。マッサージも頼んでありますし。それまでは短期の手伝いです」 「成程なぁ・・・」
ここで働くようになった経緯を話しつつ、カウンター近くの席へご案内。 おしぼりを渡しつつ、注文用のクリップボードを取り出す。
「ご注文は?まずは生ビールです?生でいいですよね?」 「随分ビールを推すなお前・・・まぁ、それでいいか。潮もいいか?」 「ああ、ビールでいいぞ。後は―」
少々のおつまみの注文を受けつつ、それを店長へと投げる。
「はい、店長。チキン南蛮1、鶏もも塩4、ネギま塩4、ツナサラダ1」 「おう。ほい、お通しだ」
冷蔵庫から出された本日のお通し、マグロの漬けをお盆にのせつつ、冷えたビールジョッキを用意する。 ジョッキを斜めに傾けながらビールサーバーの取っ手を手前へ。 黄金の液体を静かに注ぎながら垂直に傾けていく。 ビールがジョッキ取っ手の高さまで注がれたら奥側に向けてサーバーの取っ手を倒す。 きめ細かな白い泡が注がれ、見事な7:3のビールの完成。 うん、我ながら完璧だ。 前いたドニーズのサーバーは全自動だったから一回やってみたかったんだよなぁ、これ。
「はい、生二丁お待たせしました。こっちはお通しのマグロの漬けです」 「おう。んじゃ、乾杯ー!」 「ああ、乾杯」
吾郎さん達がビールを流し込むと同時に、入り口の引き戸が開く音がした。 そちらを向きつつ、俺は息を吸い込む。
「いらっしゃいませー!」
そんなスタートを切って、およそ2時間後。 既に席の半分は埋まり、三日月亭は盛況だ。 そんな中、またも入り口の引き戸が開き、見知った顔が入って来た。
「いらっしゃいませー!」 「おう、裕!頑張ってるみたいだな!」 「やあ、裕。店を手伝っているそうだな」 「勇魚さん。あれ、勇海さんも。お二人で飲みに来られたんですか?」
現れたのは勇魚さんと勇海さんの二人組。 俺にとっても良く見知ったコンビだ。
「勇魚から裕がここで働き始めたと聞いてな。様子見ついでに飲まないかと誘われてな」 「成程。こっちの席へどうぞ。・・・はい、おしぼりです。勇魚さんは益荒男ですよね。勇海さんも益荒男で大丈夫ですか?」 「ああ、頼むよ」 「はは、裕。様になってるぞ!」 「ありがとうございます。あまりお構いできませんがゆっくりしていってくださいね」
勇魚さんは俺の様子見と俺の迎えを兼ねて、今日はこのままここで飲むつもりなのだろう。 それで、勇海さんを誘ったと。 もう少しここにいたいが注文で呼ばれてしまっては仕方ない。 別の席で注文を取りつつ、すぐさまお酒の用意を準備をしなければ。
「いらっしゃいませー!」 「おッ、マジでいた!よう裕!遊びに来てやったぜ!」 「あれ、嵐の兄さん、照雄さんまで。何でここに?」
勇魚さん達が来てからしばらく経ったころ、店に見知った大柄な人物がやってくる。 道場の昭雄さんと嵐の兄さんだ。
「漁師連中の噂で三日月亭に新しい店員がいるって話を聞いてな」 「話を聞いて裕っぽいと思ったんだが大当たりだな!」 「確認するためだけにわざわざ・・・。ともかく、こっちの席にどうぞ。はい、おしぼりです」
働き始めたの、今日なんだけどな・・・。 田舎の噂の拡散力は恐ろしいな。 そんな事を思いつつ、2人を席に誘導する。 椅子に座って一息ついたのを確認し、おしぼりを渡しクリップボードの準備をする。
「おお。結構様になってるな。手際もいい」 「そりゃ照雄さんと違って裕は飲み込みいいからな」 「・・・おい」
照雄さんが俺を見て感心したように褒めてくれる。 何故か嵐の兄さんが誇らしげに褒めてくれるが、いつものように昭雄さん弄りも混じる。 そんな嵐の兄さんを、照雄さんが何か言いたげに半目で睨む。ああ、いつもの道場の光景だ。
「はは・・・似たようなことの経験があるので。お二人ともビールでいいですか?」 「おう!ついでに、裕が何か適当につまみ作ってくれよ」 「え!?やっていいのかな・・・店長に確認してみますね」
嵐の兄さんの提案により、店長によって「限定:臨時店員のおすすめ一品」が即座にメニューに追加されることとなった。 このおかげで俺の仕事は当社比2倍にな���たことを追記しておく。 後で申し訳なさそうに謝る嵐の兄さんが印象的でした。 あの銭ゲバ絶対許さねえ。
「おーい、兄ちゃん!注文ー!」 「はーい、只今ー!」
キッチン仕事の比重も上がった状態でホールもしなければならず、一気にてんてこ舞いに。
「おお、あんちゃん中々可愛い面してるなぁ!」 「はは・・・ありがとうございます」
時折本気なのか冗談なのかよくわからないお言葉を頂きつつ、適当に濁しながら仕事を進める。 勇魚さんもこっちを心配してくれているのか、心配そうな目と時折視線があう。 『大丈夫』という気持ちを込めて頷いてみせると『頑張れよ』と勇魚さんの口元が動いた。 なんかいいなァ、こういうの。 こっからも、まだまだ頑張れそうだ。
「そういえば、裕は道場で武術を学んでいるのだったか」 「おう。時たまかなり扱かれて帰って来るぜ。飲み込みが早いのかかなりの速度で上達してる。頑張り屋だよなぁ、ホント」 「ふふ、道場の者とも仲良くやっているようだな。嵐の奴、相当裕が気に入ったのだな」 「・・・おう、そうだな。・・・いい事じゃねえか」 「まるで兄弟みたいじゃないか。・・・どうした勇魚。複雑そうだな」 「勇海、お前さんわかって言ってるだろ」 「はは、どうだろうな。・・・ほら、また裕が口説かれているぞ」 「何っ!?ってオイ!勇海!」 「はははははっ!悪い。お前が何度もちらちらと裕の方を見ているのでな。あれだけ島の者を惹きつけているのだ、心配も当然だろう」 「裕を疑うわけじゃねえ。が、アイツ変なところで無防備だからよ。目を離した隙に手を出されちまうんじゃないかと気が気じゃねえんだよ」
何を話しているのかはここからじゃ聞こえないが、気安い親父たちの会話が交わされているらしい。 勇魚さんも勇海さんもなんだか楽しそうだ。
「成程な、当然だ。ふうむ・・・ならば勇魚よ、『網絡め』をしてみるか?立会人は俺がしてやろう」 「『網絡め』?なんだそりゃ」 「『網絡め』というのはだな―」
あまりにも楽しそうに会話しているので、まさかここであんな話をしているとは夢にも思わなかった。 盛大なイベントのフラグが既にここで立っていたのだが、この時点の俺にはあずかり知らぬ出来事であった。
そんなこんなで時間は過ぎ、あっという間に閉店時刻に。 店内の掃除を終え、食器を洗い、軽く明日の準備をしておく。 店長は本日の売り上げを清算しているが、傍から見ても上機嫌なのがわかる。 俺の目から見ても今日はかなり繁盛していた。 売り上げも中々良いはずだろう。
「いやぁ、やっぱお前を雇って正解だったな!調理に集中しやすいし、お前のおかげで客も増えるし財布も緩くなる!」 「おかげでこっちはクタクタですけどね・・・」 「真面目な話、本当に助かった。手際も良いしフードもいける。島にいる間定期的に雇ってもいいくらいだ。もっと早くお前の有用性に気づくべきだったな」
仕事ぶりを評価してくれているのか、便利な人材として認識されたのか。 両方か。
「俺も俺でやることがあるので定期は流石に・・・」 「ま、ひと夏の短期バイトが関の山か。ともかく、明日もよろしく頼むぜ」 「はい。店長もお大事に。また明日」
金銭管理は店長の管轄だし、もうやれることはない。 店長に挨拶をし、帰路につくことにする。 店を出ると、勇魚さんが出迎えてくれた。
「さ、帰ろうぜ、裕」 「お待たせしました。ありがとうございます、勇魚さん」 「いいって事よ」
三日月亭を離れ、屋敷までの道を二人で歩いていく。 店に居た時はあんなに騒がしかったのに、今はとても静かだ。 そんな静かな道を二人っきりで歩くのって・・・何か、いいな。
「・・・にしてもお前、よく頑張ってたな」 「いや、途中からてんてこ舞いでしたけどね。飲食業はやっぱ大変だなぁ」 「そうか?そう言う割にはよく働いてたと思うぜ?ミスもねえし仕事遅くもなかったし」 「寧ろあれを日がな一人で捌いてる店長が凄いですよ」 「はは!そりゃあ本業だしな。じゃなきゃやってけねえだろうさ」
勇魚さんに褒められるのは単純に嬉しいのだが、内心は複雑だ。 一日目にしてはそれなりにやれたという自覚もあるが、まだまだ仕事効率的にも改善点は多い。 そういう部分も無駄なくこなしている店長は、何だかんだで凄いのだ。
「にしても、この島の人達はやっぱり気さくというか・・・気安い方が多いですね」 「そう、だな・・・」
酒も入るからか、陽気になるのは兎も角、やたらとスキンシップが多かった。 肩を組んでくるとかならまだいいが、引き寄せるように腰を掴んできたり、ちょっとしたセクハラ発言が飛んできたり。 幸か不幸か海堂さんのおかげで耐性がついてしまったため、適当に流すことは出来るのだが。
「裕、お前気を付けろよ」 「はい?何がですか?」 「この島の連中、何だかんだでお前の事気に入ってる奴多いからな。こっちは心配でよ」 「勇魚さんも俺の事言えないと思いますけど・・・。大丈夫ですよ、俺は勇魚さん一筋ですから」 「お、おう・・・」
勇魚さんは俺の事が心配なのか、どこか不安そうな顔で俺を見る。 モテ具合で言ったら寧ろ勇魚さんの方が凄まじい気がするので俺としてはそっちの方が心配だ。 でも、その気遣いが、寄せられる想いが嬉しい。 その温かな気持ちのまま、勇魚さんの手を握る。 一瞬驚いた顔をした勇魚さんだが、すぐさま力強く握り返される。
「へへっ・・・」 「あははっ」
握った手から、勇魚さんの熱が伝わってくる。 あったかい。手も。胸も。 温かな何かが、胸の奥から止まることなく滾々と湧き出てくるようだ。 なんだろう。今、すごく幸せだ。
「なぁ、裕。帰ったら風呂入って、その後晩酌しようぜ」 「閉店直前まで勇海さんと結構飲んでましたよね?大丈夫なんですか?」 「あんくらいじゃ潰れもしねえさ。な、いいだろ。ちょっとだけ付き合ってくれよ」 「全くもう・・・。わかりましたよ。つまむもの何かあったかなぁ」
という訳でお風呂で汗を流した後、縁側で勇魚さんとちょっとだけ晩酌を。 もう夜も遅いので、おつまみは火を使わない冷奴とぬか漬けと大根おろしを。
「お待たせしました」 「おっ、やっこにぬか漬けに大根おろしか。たまにはこういうのもいいなあ」 「もう夜遅いですからね。火をつかうものは避けました」
火を使っても問題は無いのだが、しっかりと料理を始めたら何処からかその匂いにつられた輩が来る可能性もある。 晩酌のお誘いを受けたのだ。 どうせなら二人きりで楽しみたい。
「お、このぬか漬け。よく漬かってんな。屋敷で出してくれるのとちと違う気がするが・・・」 「千波のお母さんからぬか床を貰いまして。照道さんには、俺個人で消費して欲しいと言われてますので・・・」 「ああ、ぬか床戦争って奴だな!この島にもあんのか」
ぬか漬け、美味しいんだけどその度に沙夜さんと照道さんのあの時の圧を思い出して何とも言えない気分になるんだよなぁ。 こうして勇魚さんにぬか漬けを提供できる点に関しては沙夜さんに感謝なんだけど。 というかぬか床戦争なんて単語、勇魚さんの口から出ることに驚きを感じますよ・・・。 他の地域にもあるのか?・・・いや、深く考えないようにしよう。
「そういえば前にからみ餅食べましたけど、普通の大根おろしも俺は好きですねえ」 「絡み・・・」
大根おろしを食べていると白耀節の時を思い出す。 そういえば勇魚さんと海堂さんでバター醤油か砂糖醬油かで争ってたこともあったなぁ。 と、先ほどまで饒舌に喋っていた勇魚さんが静かになったような気がする。 何があったかと思い勇魚さんを見ると、心なしか顔が赤くなっているような気がする。
「勇魚さん?どうしました?やっぱりお酒回ってきました?」 「いや・・・うん。なんでもねえ、気にすんな!」 「・・・???まぁ、勇魚さんがそう言うなら」
ちょっと腑に落ちない感じではあったが、気にしてもしょうがないだろう。 そこから小一時間程、俺は勇魚さんとの晩酌を楽しんだのであった。
翌日、夕方。 三日月亭にて―
「兄ちゃん!注文いいかー?この臨時店員のおすすめ一品っての2つ!」 「こっちにも3つ頼むぜー」 「はーい、今用意しまーす!ちょ、店長!なんか今日やたら客多くないですか!?」 「おう、ビビるぐらい客が来るな。やっぱりお前の効果か・・・?」
もうすぐ陽が沈む頃だと言うのに既に三日月亭は大盛況である。 昨日の同時刻より明らかに客数が多い。 ちょ、これはキツい・・・。
「ちわーっとぉ、盛況だなオイ」 「裕ー!面白そうだから様子見に来たわよー」 「・・・大変そうだな、裕」
そんな中、海堂さんと冴さん、洋一さんがご来店。 前二人は最早冷やかしじゃないのか。
「面白そうって・・・割と混んでるのであんまり構えませんよ。はい、お通しとビール」 「いいわよォ、勝手にやってるから。私、唐揚げとポテトサラダね」 「エイヒレ頼むわ。後ホッケ」 「はいはい・・・」
本日のお通しである卯の花を出しながらビールジョッキを3つテーブルに置く。 この二人、頼み方が屋敷の時のソレである。 ぶれなさすぎな態度に実家のような安心感すら感じr・・・いや感じないな。 何だ今の感想。我が事ながら意味がわからない。
「裕。この『限定:臨時店員のおすすめ一品』というのは何だ?」 「俺が日替わりでご用意する一品目ですね。まぁ、色々あってメニューに追加になりまして」 「ふむ。では、俺はこの『限定:臨時店員のおすすめ一品』で頼む」 「お出しする前にメニューが何かもお伝え出来ますよ?」 「いや、ここは何が来るかを期待しながら待つとしよう」 「ハードル上げるなァ。唐揚げ1ポテサラ1エイヒレ1ホッケ1おすすめ1ですね。店長、3番オーダー入りまーす」
他の料理は店長に投げ、俺もキッチンに立つ。 本日のおすすめは鯵のなめろう。 処理した鯵を包丁でたたいて細かく刻み、そこにネギと大葉を加えてさらに叩いて刻む。 すりおろしたにんにくとショウガ、醤油、味噌、を加え更に細かく叩く。 馴染んだら下に大葉を敷いて盛り付けて完成。 手は疲れるが、結構簡単に作れるものなのだ。 そうして用意したなめろうを、それぞれのテーブルへと運んでいく。 まだまだピークはこれからだ。気合い入れて頑張ろう。
そう気合を入れ直した直後にまたも入り口の引き戸が音を立てたのであった。 わぁい、きょうはせんきゃくばんらいだー。
「おーい裕の兄ちゃん!今日も来たぜ!」 「いらっしゃいませー!連日飲んでて大丈夫なんですか?明日も朝早いんでしょう?」 「はっは、そんくらいで漁に行けない軟弱な野郎なんざこの打波にはいねえさ」 「むしろ、お前さんの顔見て元気になるってもんだ」 「はァ、そういうもんですか?とは言え、飲み過ぎないように気を付けてくださいね」
「なぁあんちゃん。酌してくれよ」 「はいはい、只今。・・・はい、どうぞ」 「っかー!いいねぇ!酒が美味ぇ!」 「手酌よりかはマシとは言え、野郎の酌で変わるもんです?」 「おうよ!あんちゃんみたいな可愛い奴に酌されると気分もいいしな!あんちゃんなら尺でもいいぜ?」 「お酌なら今しているのでは・・・?」 「・・・がはは、そうだな!」
「おい、兄ちゃんも一杯どうだ?飲めない訳じゃねえんだろ?」 「飲める歳ではありますけど仕事中ですので。皆さんだってお酒飲みながら漁には出ないでしょう?」 「そらそうだ!悪かったな。・・・今度、漁が終わったら一緒に飲もうぜ!」 「はは、考えておきますね」
ただのバイトに来ている筈なのに、何だか何処ぞのスナックのママみたいな気分になってくる。 それも、この島の人達の雰囲気のせいなのだろうか。
「あいつすげぇな。看板娘みてぇな扱いになってんぞ」 「流石裕ね。二日目にして店の常連共を掌握するとは。崇といい、これも旺海の血なのかしら?」 「もぐもぐ」 「さぁな。にしても、嫁があんなモテモテだと勇魚の野郎も大変だねぇ」 「裕の相手があの勇魚だって知った上で尚挑めるのかが見ものね」 「もぐもぐ」 「洋一、もしかしてなめろう気に入ったのか?」 「・・・うまい。巌もどうだ?」 「お、おう」
料理を運んでいる途中、洋一さんがひたすらなめろうを口に運んでいるのが目に入る。 もしかして、気に入ったのかな? そんな風にちょっとほっこりした気持ちになった頃、嵐は唐突に現れた。 嵐の兄さんじゃないよ。嵐の到来って奴。
「おーう裕。頑張っとるようじゃのう」 「あれ、疾海さん?珍しいですね、ここに来るなんて」 「げ、疾海のジジィだと!?帰れ帰れ!ここにはアンタに出すもんなんてねぇ!裕、塩持って来い塩!」
勇海さんのお父さんである疾海さんが来店。 この人がここにやってくる姿はほとんど見たことがないけれど、どうしたんだろう。 というか店長知り合いだったのか。
「なんじゃ店主、つれないのう。こないだはあんなに儂に縋り付いておったというのに」 「バッ・・・うるせェ!人の体好き放題しやがって!おかげで俺は・・・!」 「何言っとる。儂はちょいとお前さんの体を開いただけじゃろが。その後に若い衆に好き放題されて悦んどったのはお前さんの方じゃろ」
あー・・・そういう事ね。店長の腰をやった原因の一端は疾海さんか。 うん、これは聞かなかったことにしておこう。 というか、あけっぴろげに性事情を暴露されるとか店長が不憫でならない。
「のう、裕よ。お主も興味あるじゃろ?店主がどんな風に儂に縋り付いてきたか、その後どんな風に悦んでおったか」 「ちょ、ジジィてめぇ・・・」 「疾海さん、もうその辺で勘弁してあげてくださいよ。店長の腰がやられてるのは事実ですし、そのせいで俺が臨時で雇われてるんですから。益荒男でいいですか?どうぞ、そこの席にかけてください」 「おい、裕!」 「店長も落ち着いて。俺は何も見てませんし聞いてません。閉店までまだまだ遠いんですから今体力使ってもしょうがないでしょう。俺が疾海さんの相手しますから」 「―ッ、スマン。頼んだぞ、裕」
店長は顔を真っ赤にして逃げるようにキッチンへと戻っていった。 うん、あの、何て言うか・・・ご愁傷様です。 憐れみの視線を店長に送りつつお通しと益荒男を準備し、疾海さんの席へと提供する。
「よう店主の手綱を握ったのう、裕。やるもんじゃな」 「もとはと言えば疾海さんが店長をおちょくるからでしょう。あんまりからかわないでくださいよ」
にやにやと笑う疾海さんにため息が出てくる。 全く・・・このエロ爺は本当、悪戯っ子みたいな人だ。 その悪戯が天元突破したセクハラばかりというのもまた酷い。 しかも相手を即落ち、沈溺させるレベルのエロ技術を習得しているからなおさら性質が悪い。
「にしても、裕。お前さんもいい尻をしておるのう。勇魚の竿はもう受けたか?しっかりと耕さんとアレは辛いじゃろうて」
おもむろに尻を揉まれる。いや、揉みしだかれる。 しかも、その指が尻の割れ目に・・・ってオイ!
「―ッ!」
脳が危険信号を最大限に発し、半ば反射的に体が動く。 右手で尻を揉みしだく手を払いのけ、その勢いのまま相手の顔面に左の裏拳を叩き込む! が、振り抜いた拳に手ごたえは無く、空を切ったのを感じる。 俺は即座に一歩下がり、構えを解かずに臨戦態勢を維持。 チッ、屈んで避けたか・・・。
「っとぉ、危ないのう、裕。儂の男前な顔を台無しにするつもりか?」 「うるせえジジイおもてでろ」 「ほう、その構え・・・。成程、お前さん辰巳の孫のとこに師事したんか。道理で覚えのある動きじゃ。じゃが、キレがまだまだ甘いのう」
かなりのスピードで打ち込んだ筈なのに易々と回避されてしまった。 やはりこのジジイ只者ではない。 俺に攻撃をされたにも関わらず、にやにやとした笑いを崩さず、のんびりと酒を呷っている。 クソッ、俺にもっと力があれば・・・!
「おい裕、どうした。何か擦れた音が、ってオイ。マジでどうした!空気が尋常じゃねぇぞ!?」
店内に突如響いた地面を擦る音に、店長が様子を見に来たようだ。 俺の状態に即座に気づいたようで、後ろから店長に羽交い締めにされる。
「店長どいてそいつころせない」 「落ち着け!何があったか想像はつくが店ん中で暴れんな!」 「かかかっ!可愛い奴よな、裕。さて、儂はまだ行くところがあるでの。金はここに置いとくぞ」
俺が店長に止められている間に、エロ爺は笑いながら店を後にした。 飲み食い代よりもかなり多めの金額が置かれているのにも腹が立つ。
「店長!塩!」 「お、おう・・・」
さっきとはまるきり立場が逆である。 店の引き戸を力任せにこじ開け、保存容器から塩を鷲掴む。
「祓い給え、清め給え!!消毒!殺菌!滅菌ッ!!!」
適当な言葉と共に店の前に塩をぶちまける。 お店の前に、白い塩粒が散弾のように飛び散った。
「ふー、ふー、ふーッ!・・・ふぅ」 「・・・落ち着いたか?」 「・・・ええ、何とか」
ひとしきり塩をぶちまけるとようやく気持ちが落ち着いてきた。 店長の気遣うような声色に、何ともやるせない気持ちになりながら返答する。 疲労と倦怠感に包まれながら店の中に戻ると、盛大な歓声で出迎えられる。
「兄さん、アンタやるじゃねぇか!」 「うおッ!?」 「疾海のじいさんにちょっかいかけられたら大体はそのまま食われちまうのに」 「ひょろっちい奴だと思ってたがすげえ身のこなしだったな!惚れ惚れするぜ!」 「あ、ありがとうございます・・・はは・・・」
疾海さんは俺と勇魚さんの事を知っているから、単にからかってきただけだろうとは思っている。 エロいし奔放だし子供みたいだが、意外と筋は通すし。 あくまで「比較的」通す方であって手を出さない訳ではないというのが困りものではあるが。 そんな裏事情をお客の人達が知っている訳もなく、武術で疾海さんを退けたという扱いになっているらしい。 けど、あのジジイが本気になったら俺の付け焼刃な武術じゃ相手にならない気がする。 さっきの物言いを考えると辰馬のおじいさんとやりあってたって事になる。 ・・・うん、無理そう。
「おっし!そんなあんちゃんに俺が一杯奢ってやろう!祝杯だ!」 「いいねえ!俺も奢るぜ兄ちゃん!」 「抜け駆けすんな俺も奢るぞ!」 「ええっ!?いや、困りますって・・・俺、仕事中ですし・・・」 「裕、折角なんだし受けておきなさいな」
どうしようかと途方に暮れていると、いつの間にか冴さんが隣に来ていた。 と、それとなく手の中に器のようなものを握らされた。
「冴さん。あれ、これって・・・」
横目でちらりと見ると『咲』の字が入った器。 これ、咲夜の盃・・・だよな?
「腕も立って酒にも強いと知っとけば、あの連中も少しは大人しくなるでしょ。自衛は大事よ」 「はぁ・・・自衛、ですか」 「後でちゃんと返してね」
これって確か、持ってるだけで酒が強くなるって盃だったっけ。 その効果は一度使って知っているので、有難く使わせてもらうとしよう。 店長もこっちのやりとりを見ていたのか何も言うこと無く調理をしていた。
「おっ、姐さんも一緒に飲むかい!?」 「ええ。折角だから裕にあやからせてもらうわ。さぁ、飛ばしていくわよ野郎共ー!」 「「「「おおーっ!!」」」」 「お、おー・・・」
その後、ガンガン注がれるお酒を消費しつつ、盃を返す、を何度か繰り返すことになった。 途中からは冴さんの独壇場となり、並み居る野郎共を悉く轟沈させて回っていた。 流石っス、姐さん。 ちなみに俺は盃のご利益もあり、その横で飲んでいるだけで終わる事になった。
そんな一波乱がありつつも、夜は更けていったのだった。
そんなこんなで本日の営業終了時刻が近づいてくる。 店内には冴さん、海堂さん、洋一さんの3人。 冴さんはいまだ飲んでおり、その底を見せない。ワクなのかこの人。 海堂さんはテーブルに突っ伏してイビキをかいており、完全に寝てしまっている。 洋一さんはそんな海堂さんを気にしつつ、お茶を啜っている。 あんなにいた野郎共も冴さんに轟沈させられた後、呻きながら帰って行った。 明日の仕事、大丈夫なんだろうか・・・。
後片付けや掃除もほぼ終わり、後は冴さん達の使っているテーブルだけとなった時、入り口が壊れそうな勢いで乱暴に開いた。
「裕ッ!」 「うわっ、びっくりした。・・・勇魚さん、お疲れ様です」
入り口を開けて飛び込んできたのは勇魚さんだった。 いきなりの大声にかなり驚いたが、相手が勇魚さんとわかれば安心に変わる。 だが、勇魚さんはドスドスと近づいてくると俺の両肩をガシリと掴んだ。
「オイ裕!大丈夫だったか!?変な事されてねえだろうな!」
勇魚さんにしては珍しく、かなり切羽詰まった様子だ。 こんなに心配される事、あったっけ・・・? 疑問符が浮かぶがちらりと見えた勇海さんの姿にああ、と納得する。 というか苦しい。掴まれた肩もミシミシ言ってる気がする。
「うわっ!?大丈夫、大丈夫ですって。ちょ、勇魚さん苦しいです」 「お、おう。すまねえ・・・」
宥めると少し落ち着いたのか、手を放してくれる。 勇魚さんに続いて入って来た勇海さんが、申し訳なさそうに口を開いた。
「裕、すまないな。親父殿が無礼を働いたそうだな」 「勇海さんが気にすることではないですよ。反撃もしましたし。まぁ、逃げられたんですけど」 「裕は勇魚のつがいだと言うのに、全く仕方のないことだ。親父殿には私から言い聞かせておく。勘弁してやって欲しい」 「疾海さんには『次やったらその玉潰す』、とお伝えください」 「ははは、必ず伝えておくよ」
俺の返答に納得したのか、勇海さんは愉快そうに笑う。 本当にその時が来た時の為に、俺も更なる修練を積まなければ。 ・・・気は進まないけど、辰馬のおじいさんに鍛えてもらう事も視野に入れなければならないかもしれない。
「裕、今日はもう上がっていいぞ。そいつら連れて帰れ」 「え、いいんですか?」 「掃除も殆ど終わってるしな。色々あったんだ、帰って休んどけ」
俺に気を遣ってくれたのか、はたまたさっさと全員を返したかったのか、店長から退勤の許可が出た。 ここは有難く上がらせてもらおう。色々あって疲れたのは事実だ。
「じゃあ、折角ですので上がらせてもらいます。お疲れ様でした」 「おう。明日も頼むぞ」
店長に挨拶をし、皆で店を出る。 勇海さんはここでお別れとなり、俺、勇魚さん、冴さん、海堂さん、洋一さんの5人で帰る。 寝こけている海堂さんは洋一さんが背負っている。
「裕、ホントに他に何も無かったんだろうな!?」 「ですから、疾海さんにセクハラ受けただけですって。その後は特に何も無かったですし・・・」
で、帰り道。勇魚さんに詰問されております。 心配してくれるのはとても嬉しい。 嬉しいんだけど、過剰な心配のような気もしてちょっと気おくれしてしまう。
「俺に気を遣って嘘ついたりすんじゃねえぞ」 「冴さん達も一緒にいたのに嘘も何もないんですが・・・」 「裕の言ってる事に嘘はないわよ。疾海の爺さんに尻揉まれてたのも事実だけど」 「・・・思い出したら何か腹立ってきました。あのジジイ、次に会ったら確実に潰さなきゃ」
被害者を減らすにはその大本である性欲を無くすしかないかな? やっぱり金的か。ゴールデンクラッシュするしかないか。 あの驚異的な回避力に追いつくためにはどうすればいいか・・・。 搦め手でも奇襲なんでもいい、当てさえすればこちらのものだろう。 そう思いながら突きを繰り出し胡桃的な何かを握り潰す動作を数回。 駄目だな、やっぱりスピードが足りない。
「成程、金的か」 「裕、その、ソイツは・・・」
洋一さんは俺の所作から何をしようとしているかを読み取ったようだ。 その言葉にさっきまで心配一色だった勇魚さんの顔色変わる。 どうしました?なんで微妙に股間を押さえて青ざめてるんです?
「冴さん。こう、男を不能寸前まで追い込むような護身術とかないですかね?」 「あるにはあるけど、そういうの覚えるよりもっと確実な方法があるわよ」 「え?」 「勇魚。アンタもっと裕と一緒にいなさい。で、裕は俺の嫁アピールしときなさい」
嫁。勇魚さんのお嫁さん。 うん、事実そうなんだけどそれを改めて言われるとなんというか。 嬉しいんだけど、ねぇ?この照れくさいような微妙な男心。
「裕。頬がだいぶ紅潮しているようだが大丈夫か?」 「だ、大丈夫です。何というか、改めて人に言われると急に、その・・・」 「ふむ?お前が勇魚のパートナーである事は事実だろう。港の方でも知れ渡っていると聞いている。恥ずべきことではないと思うが?」 「恥ずかしいんじゃなくて嬉しくも照れくさいというか・・・」 「・・・そういうものか。難しいものだな」
洋一さんに指��され、更に顔が赤くなる。 恥ずかしいわけじゃない。むしろ嬉しい。 でも、同じくらい照れくささが湧き上がってくる。 イカン、今凄い顔が緩みまくってる自覚がある。
「流石にアンタ相手に真正面から裕に手を出す輩はいないでしょう。事実が知れ渡れば虫よけにもなって一石二鳥よ」 「お、おお!そうだな!そっちの方が俺も安心だ!うん、そうしろ裕!」
冴さんの案に我が意を得たりといった顔の勇魚さん。 妙に食いつきがいいなァ。 でも、それって四六時中勇魚さんと一緒にいろって事では?
「勇魚さんはそれでいいんですか?対セクハラ魔の為だけに勇魚さんの時間を割いてもらうのは流石にどうかと思うんですが」 「んなこたあねえよ。俺だってお前の事が心配なんだ。これくらいさせてくれよ」 「そう言われると断れない・・・」
申し訳ない旨を伝えると、純粋な好意と気遣いを返される。 実際勇魚さんと一緒に居られるのは嬉しいし、安心感があるのも事実だ。
「裕、あんたはあんたで危機感を持った方がいいわよ」 「危機感、といいますとやっぱりセクハラ親父やセクハラ爺の対処の話ですか?」
冴さんの言葉に、2人の男の顔が思い浮かぶ。 悪戯、セクハラ、煽りにからかい。あの人たちそういうの大好きだからなぁ。 でも、だいぶ耐性はついたし流せるようになってきたと思ってるんだけど。
「違うわよ。いやある意味同じようなモンか」 「客だ、裕」 「客?お店に来るお客さんって事ですか?」
え、海堂さんとか疾海さんじゃないのか。 そう思っていると意外な答えが洋一さんの方から返って来た。 客の人達に何かされたりは・・・ない筈だったけど。
「店にいた男たちはかなりの人数が裕を泥酔させようと画策していたな。冴が悉くを潰し返していたが」 「何っ!?」 「え!?洋一さん、それどういう・・・」
何その事実今初めて知った。どういうことなの。
「今日店に居た男たちは皆一様にお前をターゲットとしていたようだ。やたらお前に酒を勧めていただろう。お前自身は仕事中だと断っていたし、店長もお前に酒がいかないようそれとなくガードしていた。だがお前が疾海を撃退したとなった後、躍起になるようにお前に飲ませようとしていただろう。だから冴が向かったという訳だ」 「疾海の爺さん、なんだかんだでこの島でもかなりの手練れみたいだしね。物理でだめならお酒でって寸法だったみたいね」 「えっと・・・」 「食堂に来てた立波さん、だったかしら。ここまで言えばわかるでしょ?店長も何だかんだでそういう事にならないよう気を配ってたわよ」
あァ、成程そういう事か。ようやく俺も理解した。 どうやら俺は三日月亭でそういう意味での好意を集めてしまったという事らしい。 で、以前店長が言っていた「紳士的でない方法」をしようとしていたが、疾海さんとのやりとりと冴さんのおかげで事なきを得たと、そういう事か。
「えー・・・」 「裕・・・」
勇魚さんが俺を見る。ええ、心配って顔に書いてますね。 そうですね、俺も逆の立場だったら心配しますよ。
「なあ裕。明日の手伝いは休んどけ。店には俺が行くからよ」 「いや、そういうワケにもいかないでしょう。勇魚さん、魚は捌けるでしょうけど料理できましたっけ?」 「何、料理ができない訳じゃねえ・・・なんとかなるだろ」
あっけらかんと笑う勇魚さんだが、俺には不安要素しかない。 確かに料理ができない訳じゃないけど如何せん漢の料理だ。店長の補助とかができるかと言うと怪しい。 この島に来てからの勇魚さんの功績をふと思い返す。 餅つき・・・臼・・・ウッアタマガ。 ・・・ダメだ、食材ごとまな板真っ二つにしそうだし、食器を雑に扱って破壊しそうな予感しかしない。 勇魚さんの事だからセクハラされたりもしそうだ。 ダメダメ、そんなの俺が許容しません。
「様々な観点から見て却下します」 「裕ぅ~・・・」
そんなおねだりみたいな声したって駄目です。 却下です却下。
「裕、ならば俺が行くか?」 「お願いしたいのは山々なんですが洋一さんは明日北の集落に行く予定でしたよね。時間かかるって仰ってたでしょう?」 「ふむ。ならば巌に―」 「いえ、海堂さんには店長のマッサージもお願いしてますしこれ以上は・・・」
洋一さんが申し出てくれるが、洋一さんは洋一さんで抱えてる事がある。 流石にそれを曲げてもらうわけにはいかない。 海堂さんなら色んな意味で文句なしの人材ではあるのだが、既にマッサージもお願いしている。 それに、迂闊に海堂さんに借りを作りたくない。後が怖い。
「洋一も無理、巌も無理とするならどうするつもりなんだ?高瀬か?」 「勇魚さん、三日月亭の厨房を地獄の窯にするつもりですか?」 「失礼ねェ。頼まれてもやらないわよ」
勇魚さんからまさかの選択が投げられるがそれは無理。 冴さんとか藤馬さんに立たせたら三日月亭から死人が出る。三日月亭が営業停止する未来すらありえる。 頼まれてもやらないと冴さんは仰るが、「やれないからやらない」のか「やりたくないからやらない」のかどっちなんだ。
「明日も普通に俺が行きますよ。ついでに今後についても店長に相談します」 「それが一番ね。店長も裕の状況に気づいてるでしょうし」 「巌の話だとマッサージのおかげかだいぶ良くなってきているらしい。そう長引きはしないだろう」 「後は勇魚がガードすればいいのよ」 「おう、そうか。そうだな」
そんなこんなで話も固まり、俺達は屋敷に到着した。 明日は何事もなく終わってくれればいいんだけど・・・。 そんな不安も抱えつつ、夜は過ぎていった。
そしてバイト三日目。 俺は少し早めに三日月亭へと来ていた。
「ああ、だよなぁ。すまんな、そっちの可能性も考えてなかったワケじゃ無いんだが・・・そうなっちまうよなあ」
俺の状況と今後の事を掻い摘んで説明すると、店長は疲れたように天井を仰ぐ。
「何というか・・・すみません。腰の具合はどうです?」
別に俺が何かをしたわけではないけれど、状況の中心にいるのは確かなので申し訳ないとは思う。
「海堂の旦那のおかげでだいぶ良くなった。もう一人でも回せそうだ。何なら今日から手伝わなくてもいいんだぞ?」
店長はそう言うが、完治しているわけでもない。 悪化するわけではないだろうが気になるのも事実。 なので、昨日のうちに勇魚さんと決めていた提案を出すことにする。
「でも全快というわけでもないんでしょう?引き受けたのは自分です。勇魚さんもいますし、せめて今日までは手伝わせてくださいよ」 「心意気はありがてえが・・・。わかった、面倒ごとになりそうだったらすぐさま離れろよ?勇魚の旦那も頼むぜ」 「おう!」 「はい!さ、今日も頑張りましょう!」
昨日話した通り今日は開店から勇魚さんも店に居てくれる。 万が一な状態になれば即座に飛んできてくれるだろう。 それだけで心の余裕も段違いだ。
「裕、無理すんなよ」 「わかってますよ。勇魚さんも、頼みますね」 「おう、任せときな!」
勇魚さんには店内を見渡せる席に座ってもらい、適当に時間を潰してもらう。 俺は店長と一緒に仕込みを始めながら新メニューの話も始める。 途中、勇魚さんにビールとお通しを出すのも忘れずに。
「新しいメニュー、どうすっかねぇ」 「今日の一品、新レシピも兼ねてゴーヤーチャンプルーでいこうかと思うんですよ」 「ほー。確かに苦瓜なら栽培してるとこはそこそこあるしな。行けるだろう」 「スパム缶は無くても豚肉や鶏肉でいけますからね。肉が合わないなら練り物やツナでも大丈夫です。材料さえあれば炒めるだけってのも高ポイント」 「肉に卵にと寅吉んとこには世話になりっぱなしだな。だが、いいねえ。俺も久しぶりにチャンプルーとビールが恋しくなってきやがった」 「後で少し味見してくださいよ。島の人達の好み一番把握してるの店長なんだから。・・・でも、やっぱり新メニュー考えるのは楽しいな」 「・・・ったく、面倒ごとさえ無けりゃあこのまま働いてもらえるってのに。無自覚に野郎共の純情を弄びやがって」 「それ俺のせいじゃないですよね・・・」
調理実習をする学生みたいにわいわい喋りながら厨房に立つ俺達を、勇魚さんはニコニコしながら見ている。 あ、ビールもう空きそう。おかわりいるかな? そんな風に営業準備をしていると時間はあっという間に過ぎ去り、開店時間になる。 開店して数分も経たないうちに、店の引き戸がガラリと開いた。
「いらっしゃいませー!」
「裕、お前まだここで働いてたのか」 「潮さん、こんばんは。今日までですけどね。あくまで臨時なので」 「ふむ、そうか。勇魚の旦那もいるのか」 「おう、潮。裕の付き添いでな」 「・・・ああ、成程な。それは確かに必要だ」
「おっ、今日も兄ちゃんいるのか!」 「いらっしゃいませ!ははは、今日で終わりなんですけどね」 「そうなのか!?寂しくなるなぁ・・・。なら、今日こそ一杯奢らせてくれよ」 「一杯だけならお受けしますよ。それ以上は無しですからね」
「裕の兄ちゃん!今日でいなくなっちまうって本当か!?」 「臨時ですので。店長の具合もよくなりましたし」 「兄ちゃんのおすすめ一品、好きだったんだけどよ・・・」 「はは、ありがとうございます。今日も用意してますから良かったら出しますよ」 「おう、頼むぜ!」
続々とやってくる常連客を捌きつつ、厨房にも立つ。 店長の動きを見てもほぼ問題ない。治ってきてるのも事実のようだ。 時折お客さんからの奢りも一杯限定で頂く。 今日は以前もらった方の咲夜の盃を持ってきているので酔う心配もない。
「おう、裕のあんちゃん!今日も来たぜ!」 「い、いらっしゃいませ・・・」
再びガラリと入り口が空き、大柄な人物がドスドスと入ってくる。 俺を見つけるとがっしと肩を組まれる。 日に焼けた肌が特徴の熊のような人だ。名前は・・・確か井灘さん、だったかな? 初日に俺に可愛いと言い、昨日は酌を頼まれ、冴さんに潰されてた人だ。 スキンシップも多く、昨日の一件を考えると警戒せざるを得ない。 取り合えず席に案内し、おしぼりを渡す。
「ガハハ、今日もあんちゃんの可愛い顔が見れるたぁツイてるな!」 「あ、ありがとうございます。注文はどうしますか?」 「まずはビール。食いモンは・・・そうさな、あんちゃんが適当に見繕ってくれよ」 「俺が、ですか。井灘さんの好みとかわかりませんけど・・・」 「大丈夫だ。俺、食えねえもんはねえからよ。頼むぜ!」 「はあ・・・分かりました」
何か丸投げされた感が凄いが適当に三品程見繕って出せばいいか。 ついでだからゴーヤーチャンプルーも試してもらおうかな。 そんな事を考えながら、俺は井灘さんにビールとお通しを出す。
「む・・・」 「どうした旦那。ん?アイツ、井灘か?」 「知ってるのか、潮」 「ああ。俺達とは違う港の漁師でな。悪い奴では無いんだが、気に入った奴にすぐ手を出すのが玉に瑕でな」 「そうか・・・」 「旦那、気を付けた方がいいぞ。井灘の奴、あの様子じゃ確実に裕に手を出すぞ」 「・・・おう」
こんな会話が勇魚さんと潮さんの間でなされていたとはつゆ知らず。 俺は店長と一緒に厨房で鍋を振っていた。
「はい、井灘さん。お待たせしました」 「おう、来た来た」 「つくね、ネギま、ぼんじりの塩の串盛り。マグロの山かけ。そして今日のおすすめ一品のゴーヤーチャンプルーです」 「いいねえ、流石あんちゃん。で、なんだそのごーやーちゃんぷうるってのは?」 「内地の料理ですよ。苦瓜と肉と豆腐と卵の炒め物、ってとこでしょうか。(厳密には内地の料理とはちょっと違うけど)」 「ほー苦瓜。滅多に食わねえが・・・あむ。うん、美味え!美味えぞあんちゃん!」 「それは良かった」 「お、美味そうだな。兄ちゃん、俺にもそのごーやーちゃんぷうるってのくれよ」 「俺も!」 「はいはい、ただいま」
井灘さんが美味しいと言ってくれたおかげで他の人もゴーヤーチャンプルーを頼み始める。 よしよし、ゴーヤーチャンプルーは当たりメニューになるかもしれない。 そう思いながら厨房に引っ込んでゴーヤーを取り出し始めた。
それからしばらくして井灘さんから再びゴーヤーチャンプルーの注文が入る。 気に入ったのだろう���。
「はい、井灘さん。ゴーヤーチャンプルー、お待たせ」 「おう!いやー美味えな、コレ!気に入ったぜ、ごーやーちゃんぷうる!」 「あはは、ありがとうございます」
自分の料理を美味い美味いと言ってもりもり食べてくれる様はやっぱり嬉しいものだ。 作る側冥利に尽きる。 が、作ってる最中に店長にも「アイツは気を付けとけ」釘を刺されたので手放しに喜ぶわけにもいかない。
「毎日こんな美味いモン食わせてくれるなんざあんちゃんと一緒になる奴は幸せだなあ!」 「はは・・・ありがとう、ございます?」 「あんちゃんは本当に可愛い奴だなあ」
屈託ない笑顔を向けてくれるのは嬉しいんだけど、何だか話の方向が急に怪しくなってきたぞ。
「おい、裕!早く戻ってきてこっち手伝え!」 「ッ、はーい!じゃあ井灘さん、俺仕事に戻るので・・・」
こっちの状況を察知したのか、店長が助けを出してくれる。 俺も即座に反応し、戻ろうと足を動かす。 が、その前に井灘さんの腕が俺の腕を掴む。 あ、これは・・・。
「ちょ、井灘さん?」 「なあ、裕のあんちゃん。良けりゃ、俺と・・・」
急に井灘さんの顔が真面目な顔になり、真っ直ぐに俺を見据えてくる。 なんというか、そう、男の顔だ。 あ、俺こういう顔に見覚えある。 そう、勇魚さんの時とか、立浪さんの時とか・・・。 逃げようと思うも腕をガッチリとホールドされ、逃げられない。 ・・・ヤバイ。そう思った時だった。 俺と井灘さんの間に、ズイと体を割り込ませてきた見覚えのあるシャツ姿。
「なあ、兄さん。悪いがこの手、離してくんねえか?」 「勇魚さん・・・」
低く、優しく、耳をくすぐる声。 この声だけで安堵感に包まれる。 言葉は穏やかだが、どこか有無を言わせない雰囲気に井灘さんの眉間に皺が寄る。
「アンタ・・・確か、内地の客だったか。悪いが俺の邪魔・・・」 「裕も困ってる。頼むぜ」 「おい、アンタ・・・う、腕が動かねえ!?」
井灘さんも結構な巨漢で相当な力を込めているのがわかるが、勇魚さんの手はびくともしない。 勇魚さんの怪力はよく知ってはいるけど、こんなにも圧倒的なんだなあ。
「こいつ、俺の大事な嫁さんなんだ。もし、手出しするってんなら俺が相手になるぜ」
そう言って、勇魚さんは俺の方をグッと抱き寄せる。 抱き寄せられた肩口から、勇魚さんの匂いがする。 ・・・ヤバイ。勇魚さん、カッコいい。 知ってたけど。 知ってるのに、凄いドキドキする。
「っ・・・ガハハ、成程!そいつは悪かったな、旦那!」 「おう、分かってくれて何よりだぜ。さ、裕。店長が呼んでるぜ」 「あ、ありがとうございます勇魚さん。井灘さん、すみませんけどそういう事なので・・・」
勇魚さんの言葉に怒るでもなく、井灘さんは納得したようにあっさりと手を放してくれた。 井灘さんに謝罪しつつ、促されるまま厨房へと戻る。
「おお!あんちゃんも悪かったな!旦那、詫びに一杯奢らせてくれや!」 「おう。ついでに裕のどこが気に入ったのか聞かせてくれよ」
漁師の気質なのかはたまた勇魚さんの人徳なのか。 さっきの空気はどこへやら、そのまま親し気に話始める2人。
「ちょ、勇魚さん!」 「いいぜ!旦那とあんちゃんの話も聞かせてくれよ!」 「井灘さんまで!」 「おい裕!いつまで油売ってんだ、こっち手伝え!」
店長の怒鳴り声で戻らざるを得なかった俺には二人を止める術などなく。 酒の入った声のデカい野郎共が二人、店内に響かない筈がなく・・・。
「でよ、そん時の顔がまたいじらしくってよ。可愛いんだこれが」 「かーっ!羨ましいこったぜ。旦那は果報モンだな!」 「だろ?なんたって俺の嫁さんなんだからな!」
勇魚さんも井灘さんも良い感じに酒が入ってるせいか陽気に喋っている。 可愛いと言ってくれるのは嬉しくない訳ではないけれど、連呼されると流石に男としてちょっと悲しい気分になる。 更に嫁さん嫁さん連呼されまくって複雑な心境の筈なのにどれだけ愛されているかをガンガン聞かされてオーバーヒートしそうだ。
「何故バイト中に羞恥プレイに耐えなければならないのか・・・」 「おい裕、いつまで赤くなってんだ。とっとと料理運んで来い」 「はい・・・いってきます・・・」
人が耐えながらも調理しているというのにこの銭ゲバ親父は無情にもホール仕事を投げて来る。 こんな状況で席に料理を運びに行けば当然。
「いやー、お熱いこったなあ兄ちゃん!」 「もう・・・ご勘弁を・・・」 「っははははは!」
茶化されるのは自然な流れだった。 勇魚さんと井灘さんのやりとりのお陰でスキンシップやらは無くなったが、祝言だの祝い酒だの言われて飲まされまくった。 咲夜の盃が無ければ途中で潰れてたかもしれない。
そんな揶揄いと酒漬けの時間を、俺は閉店間際まで味わうことになったのだった。
そして、もうすぐ閉店となる時間。 勇魚さんと一緒にずっと飲んでいた井灘さんも、ようやく腰を上げた。 会計を済ませ、店の前まで見送りに出る。
「じゃあな、あんちゃん。俺、マジであんちゃんに惚れてたんだぜ」 「はは・・・」 「だが、相手が勇魚の旦那じゃあ流石に分が悪い。幸せにしてもらえよ!」 「ありがとうございます・・・」 「また飲みに来るからよ。また今度、ごーやーちゃんぷうる作ってくれよな!」 「その時に居るかは約束できませんが、機会があれば」
からりとした気持ちの良い気質。 これもある種のプレイボーイなのだろうか。
「じゃあな!裕!勇魚の旦那!」 「おう!またな、井灘!」 「おやすみなさい、井灘さん」
そう言って手を振ってお見送り。 今日の三日月亭の営業も、これにて閉店。 店先の暖簾を下ろし、店内へと戻る。
「裕。そっちはどうだった?」 「こっちも終わりました。後は床掃除したら終わりですよ」 「ホント、この3日間マジ助かった。ありがとうな」 「いえいえ、久しぶりの接客も楽しかったですよ」
最後の客だった井灘さんも先程帰ったばかりだ。 店内の掃除もほぼ終わり、閉店準備もほぼ完了。 三日月亭のバイトももう終わりだ。 店長が近づいてくると、封筒を差し出してきた。
「ほい、バイト代だ。色々世話もかけたからな。イロ付けといたぜ」 「おお・・・」
ちょろっと中身を確認すると、想定していたよりかなり多めの額が入っていた。 店長なりの労いの証なのだろう。
「なあ裕。マジで今後もちょくちょく手伝いに来ねえか?お前がいると客足増えるし酒も料理も注文増えるしな。バイト料もはずむぜ」 「うーん・・・」
店長の申し出は有難いが、俺は俺でまだやらなければならない事がある。 悪くはない、んだけど余り時間を使うわけにもなぁ。 そんな風に悩んでいると、勇魚さんが俺の頭にぽん、と掌をのせる。
「店長、悪いがこれ以上裕をここにはやれねえよ」 「はは、旦那がそう言うんなら無理は言えねえな。裕の人気凄まじかったからな」 「ああ。何かあったらって、心配になっちまうからな」
今回は勇魚さんのお陰で事なきを得たけど、また同じような状況になるのは俺も御免被りたい。 相手に申し訳ないのもあるけど、どうすればいいか分からなくて困ったのも事実だ。
「お店の手伝いはできないですけど、またレシピの考案はしてきますので」 「おう。売れそうなのを頼むぜ。んじゃ、気を付けて帰れよ」 「はい、店長もお大事に。お疲れ様です」 「旦那もありがとうな」 「おう、おやすみ」
ガラガラ、という音と共に三日月亭の扉が閉まる。 店の前に残ったのは、俺と勇魚さんの二人だけ。
「じゃ、帰るか。裕」 「ええ、帰りましょうか。旦那様」 「おっ・・・。へへ、そう言われるのも悪くねえな」 「嫌味のつもりだったんだけどなァ」
そう言って俺と勇魚さんは笑いながら屋敷への帰路につくのであった。
後日―
三日月亭に買い物に来た俺を見るなり、店長が頭を下げてきた。
「裕、頼む・・・助けてくれ・・・」 「ど、どうしたんです店長。随分疲れきってますけど・・・」 「いや、それがな・・・」
あの3日間の後、事あるごとに常連客から俺は居ないのかと聞かれるようになったそうな。 俺がまだ島にいるのも事実なので連れて来るのは不可能だとも言えず。 更に井灘さんがちょくちょく仲間漁師を連れて来るらしく、『姿���見えない料理上手な可愛い店員』の話だけが独り歩きしてるらしい。 最近では聞かれ過ぎて返す言葉すら億劫になってきているそうな。 ぐったりした様子から、相当疲弊しているのがわかる。
「な、裕。頼む後生だ。俺を助けると思って・・・」 「ええ・・・」
それから。 たまーに勇魚さん同伴で三日月亭にバイトに行く日ができました。
更に後日。
勇魚さんと一緒に『網絡め』という儀式をすることになり、勇海さんに見られながら致すというしこたま恥ずかしいプレイで羞恥死しそうな思いをしたことをここに記録しておきます。
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yooogooo · 5 years
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デリヘル嬢した経験を盛らずに書く。
https://anond.hatelabo.jp/20200120133956 但し、もう十数年前の話で、しかも短期間(2ヶ月半くらいかな)しかしていない。
当時の私のスペック 22歳大学四年生。 低身長痩せ形(しかしピル飲んだら短期間のうちに急激に太ったが、都会で徒歩行動していたお陰で引き締まってもいた) 家族構成は、父リストラされかかりの会社員、母リストラされかかりのパートタイマー、非正規社員(失業しがち)の弟、やたら金のかかる部活をしてた妹、認知症の祖母。 容姿レベルは、お客さんに「ブスが来なくてよかったー」と、ほんのり喜ばれる程度。お目々ぱっちり、美肌、貧乳。 通っていた地方大学の近所に一人暮らししていたが、デリヘルをやっていた時だけは東京23区内の家賃6万3000円の部屋に住んでた。 デリヘルをした動機 切実にお金がなかった。 引っ越したかったから。 月経困難症の治療費を稼ぐため。 デリヘルという職業への単純な興味。 外見のイメージでやたら潔白だと思われがちだったこと。 そんなイメージを押し付けてくる親や友達や(元)彼氏が知ったら嫌がりそうなことをしたかった。(けど、嫌がられるだろうなと想像するだけで充分満足だった。)
要はお金と自分の精神衛生上の問題。
給料、待遇、客の払う料金など 給料一本8000円。 お客の払う料金は一本(60分)17000円。指名料1000円。当時としては格安。 客の払った料金から、衛生費1000円、プール分1000円を引かれて、8000円が嬢の取り分で残り7000円が店の取り分。 プール分は月末にまとめて貰える。 指名料とチップはそのまま嬢の取り分。 オプション無料。いくらこなしても嬢には一文の特にもならない。その代わり拒否権強い。 給料前借りOK、社保完備をうたっている店だったが、そんなの利用する人、いたのだろうか……? 入店時に店長から「お年玉あげる~」って5000円貰ったけど、これは私があまりにもみすぼらしい格好をしていたからかもしれない。 店長のパソコンの前にドライバーさんのお給料をメモった紙が置いてあったのをチラ見したけど、独身がごくごく質素な生活出来るほどには貰えるっぽかった。 プレイに必要な衛生品の支給。バスタオル、イソジン、消毒ソープ、ローション。ローションは使えたものではなかった。コンドームは、本番無しの建前上、支給出来ないということだった。 シフトは基本自由。週1時間~OK、平日のみ、週末のみOK。 の筈なんだけど、私だけ週5勤務強いられていた……。ドライバーさん達に聞いたら、そんなの私だけだし、どうして店長が私にだけやけに厳しかったのかは、謎だという。 年に数回しか働かない嬢、しばらく音沙汰がないと思ったら唐突に電話をかけて来て、「今から働くから迎えに来て」っていう嬢がほとんどだったそうだ。 面接、入店の手続き、面接 風俗求人サイトから面接の申し込み→店長から電話がきて、面接の日時を予約→当日、電話で店長の指示通りの道順を辿って事務所へ行く。ゴールが中々見えない。 面接。一目で「はい合格」。人手不足ゆえに。 書類二枚書かされる。 一枚目は個人情報。住所氏名電話番号、非常時の連絡先。身分証明書も見せなければならないし、嘘は書けない。 二枚目は、お店のサイトに載せるプロフィール、自己アピール、可能プレイなど。 可能プレイはあまり少ないと客がつかないという理由で、ほとんどOKにすることに。SM、スカトロ、AFはNGにした。しかし店自体がソフトなサービスしかしない方針なので、全部OKにしてもそんなに過激なことはさせられないらしい。建前かな。 書類書き終わったらすぐ研修。生理中なんですけど後日じゃダメですか?別に気にしないので今からやりましょう!という、こっちに熟慮する隙を与えないスタイル。 研修内容は、かなり最低限のプレイだけ。礼儀的なことはちっとも教えてくれなかった。そこらへん詳しく教えて欲しかったんだが……。 研修の流れから、店長の趣味のお時間にそのまま移行した(お察しください)
仕事内容について
事務所に出勤するか、自宅にドライバーさんが直接迎えにくる。どちらになるかは、嬢の都合と予約状況と交通アクセスによる。 事務所から車で30分圏内のホテル(ラブホ、ビジホ、シティーホテル)か客の自宅に派遣されてプレイする。 たまに、どこか待合せ場所を指定されて一緒にホテルに入ることもあった。その場合、ホテルまではドライバーさんが着いてくる。 一本60分だけど、10分前にはドライバーさんがお迎えに来てて、早く帰ってこいと電話で急かしてくる。そのため開始40分でいそいそと帰り支度を始めることになる。 延長は店長と相談の上。 プレイ内容は普通としか言いようがない。本番は禁止。 大抵は一日二本くらいしか仕事がないし、0時過ぎまで働きたい嬢はそんなにいないらしい。 にも関わらず、私は毎日4本くらいこなして朝帰りだった。 仕事のない時間は、車内かファミレスか事務所か自宅で待機。車内待機の場合は、待機ポイントが指定されていた。
仕事仲間達
大体お金の為に働いていた(当たり前。
私は他の嬢とあまり顔を会わせないようにされていたので、他の嬢に会ったのはほんの数回だけだったが、こんな人達がいた。
27歳ベテラン。19歳の頃から店を替えつつデリヘル一本で食い繋いでいた人。可愛い。23歳設定で働いていたが、二十歳にしか見えなかった。店長とは映画友達。いつも薄くてセクシーなワンピース。 21歳強者。当店最強の女と言われていた。すごく美人。いつもお洒落なスーツを着てた。客から本番を強要されると、客に蹴りを入れて帰ってくる。何か欲しい物があるときしか出勤しない。 21歳可愛い系。フェミニンだった。こんなに女の子女の子した振る舞いを普通にする女の子を私は初めて見たのでびっくりした。お客さんには全力でサービスするけど彼氏の前ではマグロでいたいと言っていた。欲しい物があるときしか出勤しない。 25歳トリリンガル。空き時間にやたら電話がかかってくる。それに英語かフランス語で対応していた。電話に出るとき、席を外さない。三日で辞めた。 二十代後半伝説のナンバーワン。私が入店する半年前に辞めていった人。プロ中のプロで、人柄も良かったそうだ。昼間は普通の勤め人だったらしい。婚約者が名古屋の人で、結婚するには持参金1000万円用意しなければならなかったというのが、デリヘル嬢をしていた理由で、入店時の約束通り1000万稼いで辞めた。一年半かかったという。 店長とドライバーさん達 店長は中卒で数々のバイトを経てデリヘル経営者になった人。女子を押し倒すのが得意。気がついたら天井が見えて床に転がされているしどこも痛くない、すごい。そこだけは感心した。
ドライバーさん達は大抵昼は何か別の仕事をしている、普通の人達。皆車持ってる。ワゴンかミニバン。
こんな人達。
推定三十代。顔面傷だらけで不死身そうだった。嬢に何かあった時に客のお仕置きに動向する係(立ってるだけだけらしい)。顔恐いけど優しい。店長がいない時に店を切り盛りする人その①。 四十代会社員。睡眠時間1時間半で生きているといっていた。常に半袖でほかほかに放熱している。店長がいない時に店を切り盛りする人その②。 三十代職業不明。昼間働いていたのは確か。チーマーのような、ラッパーのようなスタイルの人。 三十代後半プロのミュージシャン。ミュージシャンだけど立ち居振る舞いが最も会社員っぽい。低姿勢で店長の自尊心を満タンにしていた。輝いていた若い頃の話をしながら、今の境遇とのギャップを思い出してテンションが下がってしまうという特性があった。 27歳食いしん坊。嬢を待つ間にラーメンを食べて時間を潰すのを日に4回やってもまだお腹が空くと言っていた。凄く痩せていた。食費の為に働いていた。 推定34歳チャラ男。本当にチャラい。女の子大好き。常に嬢とのワンチャンを狙っていた。
お客さん達 大量の靴を所持している人が多かった。 本、何かよくわからんがらくた、爬虫類etc.を溜め込んでいる人もいた。 部屋をお洒落にしている人が多かった。 寝床を変な場所に隠すように設置している人もよくいた。動物の巣かな?みたいな。 8割普通の人。 真の変態には一度当たった。 真の危険人物には幸い当たらなかった。 むしろこっちが料金を支払うべきでは?という気がしてくるような攻め好きな人に一度当たった。 凄いイケメンにも一度当たったけど、かなり恐い人だった。 物凄く世を僻んでいる人に一度当たった。 写真撮りたがった人は、二人。 仕事での困りごと 礼儀面でのことをさっぱり教えて貰えなかったので、着ていく服装や挨拶の仕方を自分で考えなければいけなかったので困った。 他の嬢との接触をほぼ断たれていたので、相談する相手がいなかった。 三回利用すれば本番出来るの当然でしょ?という客が半数くらいだった。 客が嬢をレイプした場合、警察に言っても無駄だというので店長がドライバーさんを連れてお仕置きに行く。そのお仕置きが、暴力は振るわないものの結構派手なので、逆に怖くてレイプされても言い出しづらくなった。 コンドームが支給されないので、コンドームを使ってプレイしたい場合(←本番ではない)は、客に用意してもらわなければならない。 ということは、うっかりレイプされた場合、しかも生でやられることになってしまう。 本番禁止と店長からは強く言われているものの、よくいわれる「自由恋愛」というやつで、その場の裁量に任されている感じだった。 なのでお客さん達は当然出来るものと思っている。 オプション拒否られてもへこたれない癖に、本番に関してはすごく執拗にねだってくる。 客を蹴りあげてまで本番を拒否ってしかも無傷で帰ってくるしクレームもつかない、という嬢もいたけど、皆が皆そうではないのか、私の場合は拒否ると客が豹変したりクレームを入れられたりしがちな方だった。 本番強要してくる客は脅しも暴力もしてこない。隙を狙ってやってくる。しかもやった後ご機嫌だし、こちらのご機嫌をやたら取ってくる。だから余計に店長に報告しづらい。ドライバーさんに言うと詳細は店長に報告せずに客をブラックリストに入れた。 よくわからないと思ったこと。 皆、デリヘルではそんなに本番やるものなのだろうか。ほんと、ダメなんだって!と言い過ぎて疲れた。
気付き 性行為する相手の年齢容姿を私はわりと気にしないということを知った。 禁止と言われていることを破られる、破らざるを得ないということの精神負担が想像よりも重かった。
結論 すごく、気疲れした。
追記
当時の私のお財布事情を書くのを忘れていた。大体、一日に2~4万稼いだ。多い時で5万ちょっと。指名料とチップ含んで。 給料は日払い手渡しだったので、帰りがけに貰ったお給料をコンビニで全額預金してた。 金銭感覚があまりにも変わらなさすぎて、自分に絶望した!もっとパーッとどうでもいいことに散財出来るかと思ったけど、勤めてる間に買った余分なものといえば、CD二枚くらい。 服も必要最低限しか買わなかったのだが、お洒落着なので使う度にクリーニングに出していた。クリーニング代がかかったというのも散財といえば散財のようだが、必要経費のような気がしなくもない。 下着はとにかく沢山買った。ただし調達先はもっぱらドンキ。 引っ越し関連でどんどんお金が飛んでったので怖くて無駄金使う気になれなかった。 よく店長やドライバーさんから、「今は新人だから優先的に仕事つけてあげてるし、素人っぽいから人気もあるけど、そのうち慣れて油断するとお客さんが離れちゃうから気を付けてね」って釘を刺されていたので、いつ仕事がなくなるかビクビクしながらやっていた。なのでお金は貯める一方になりがちだった。 私は根がケチに出来ているんだと思う。同じ状況でも散財する人はするだろう。
本番強要の件は本当に相談出来る人がいなくて困った。 実のところ、客の言うことを大人しく聞いている方が安全なのでは?と思う事がよくあった。 乱暴な指挿れで大怪我させられるよりは、不意討ちで押さえ込まれて生でやられるよりは、最初からゴム付きでされていた方がマシじゃないかなあ、とか。 コンドームの用意がある客はやる気満々な訳だし。 サービスは受けたいけど風俗の女に素で触られたり舐められたりするのはばっちいから俺はコンドームをつけるぜ!なんて客はいなかった。 衛生上の対策として、自分でコンドームやオモチャを持参するという手は、やってる人がいたかどうか知らないけど、私はリスキーだと思ってやらなかった。 デリヘル車めちゃめちゃ職質に遇いまくりなので。ドライバーさんが、「友達と待合せ中です!助手席の娘は彼女です!」と言い張って切り抜けてくれたけど、もしも手荷物調べられてコンドーム見つけられたらまずいよなと思って。
朝、仕事から帰って、寝て昼に目が覚めたら、シーツのあちこちに血が着いていて驚く毎日だった。ただプレイしているだけで、全身の至るところに擦り傷が出来ていて、そこから血が出ている。 下着を脱いだら生理でもないのに鮮血に染まっている。指挿れされて知らないうちに傷が着いている。 なんか痛痒いなと思ったら乳首にざっくりと歯形がついていて、しかも結構深かったのは怖かった。ただプレイしただけで薬を盛られた訳でもお酒を飲んだ訳でもないのに、プレイの最中は必死なので、怪我しても気付かないみたいだった。 お客さんの背中一面にひつじ雲みたいな赤い湿疹が浮いていて、これ梅毒じゃないかな?って思ったことが一度ある。その時は、流石にプレイ拒否して帰った。
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oniwastagram · 5 years
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⛳️1647. 巴ヶ丘もみじ公園・巴ヶ丘山荘 Tomoegaoka Momiji Garden Park, Nagaoka, Niigata ・・・・・・・・ 写真セレクトしながら、まだ紹介できてないけどここよかったなーってお庭をあげてくシリーズ。 昨年のGW。JR信越線の「来迎寺駅」で初めて途中下車🚞 目的は朝日酒造🍶の施設とその迎賓館「松籟閣」だったのですが(こちらも超良かったです)、このもみじ公園も――公園という名だけど #国登録有形文化財 の建物が残ってるぞ…ってことで立ち寄ってみました。 そしたら予感的中、明治時代に当地の大地主・高橋家の別荘の庭園として作庭されたという近代の日本庭園がありました。 その名の通り、広大な敷地内にはとにかくモミジ!カエデ!中には京都から優れた品種を移植したものもあるそう。 新緑のモミジが美しかったし、高台からの景色も◎。 冬期は休園してるそうだけど(割と雪も積もるんだろうし)、春以降は自由に散策可能。こういう日本庭園、残ってるもんなんだなあ。 秋には紅葉ライトアップも🍁来迎寺の駅にはモミジの葉が描かれているぐらいなので、この地域にとってはシンボル的な庭園なのかもしれないなぁ。いつか紅葉の時期に訪れてみたい。(新潟にはそういう場所沢山ある…) そして残されている建物は明治時代の近代和風建築。市民のお茶室などで利用可能だそうですが――稼働率どれぐらいなのかなあ。いつか中も見てみたい。 〜〜〜〜〜〜〜〜 ‪🔗長岡市公式サイト内のページ: https://www.city.nagaoka.niigata.jp/kankou/miru/kouen/momiji.html 🔗文化遺産オンライン: https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/265912 ーーーーーーーー ‪#庭園 #日本庭園 ‪#garden #japanesegarden #japanesegardens #長岡 #長岡市 #nagaoka #新潟 #新潟県 #niigata #来迎寺 #raigoji #中越 #越路 #越路町 #koshiji #青もみじ #新緑 #登録有形文化財 #文化財 #おにわさん (越路もみじ園) https://www.instagram.com/p/B8nXypQgZbD/?igshid=1l6mucdcipd6f
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zaregoto1914 · 5 years
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土呂久鉱害事件に関する覚書
(2002年1月22日成稿)
土呂久鉱害事件に関する覚書
 宮崎県高千穂町の土呂久鉱山における亜砒酸製造に伴う慢性砒素中毒症は、大正期から戦後に至る長期にわたって継続した鉱害であったにもかかわらず、被害地域が僻遠の山村であったため長らくその存在が知られず、鉱山の閉山から10年近くたってから地元の教師の告発によって実態が初めて認知された特異な公害である。慢性砒素中毒症が4大公害病に続く指定公害病でありながら、現在あまり顧みられることが少ないことも考慮し、本稿では土呂久鉱害の経過を追うことで、近代日本社会の「闇」の一端に切り込みたい。
(1)土呂久鉱山の成立(1920-1933)  宮崎県岩戸村(現・高千穂町)の土呂久鉱山は、貞享年間(1684-1687)に銀山としてスタートしたものの、近代に入ってからは事実上休山状態であった。しかし、1920年、当時佐伯近郊の木浦鉱山で亜砒酸製造を行っていた鉱山師の宮城正一が土呂久鉱山から亜砒鉄鉱を採掘し、土呂久で亜砒酸の精錬を開始したことで一変した。日本の亜砒酸生産は第1次世界大戦期にドイツに代わる形で急成長し、主にアメリカに輸出されて綿花栽培の害虫駆除剤の原料などに使われていた。ところで、宮城が港町で交通の利便な佐伯から山間の土呂久へ移ったのには理由があった。地方紙『佐伯新聞』1917年4月29日付に次のような記事がある。
「懸案となり居りし当町字灘鳥越にある亜砒酸製造所の煙毒問題は今回所主宮城正一が農民に対して損害賠償をなし且つ製造所を移転する事となり、兎も角も一段落を告げるに至った」
 宮城は煙害により地元住民から補償と立ち退きを要求されていたのである。つまり宮城は佐伯を追われ、亜砒酸製造が甚大な鉱害をもたらすことを知りながら土呂久へ移転したのであった。
 亜砒酸は昇華点の193℃を境にして固体から気体へ、気体から固体へ変化する。この性質を利用し、亜砒鉄鋼を焙焼して砒素分を亜砒酸ガスとして流出させ、ガスを昇華点以下の空間に導き固体に戻して亜砒酸の結晶を採取する。当時、亜砒酸生産量全国一の足尾銅山では、銅の精錬の際に煙に含まれる亜砒酸をコットレル集塵器で回収する方法が採られていたが、土呂久にはそのような設備はなく、煙突に藁の覆いを被せるだけで、砒素を空気中に撒き散らし放題であった。そのため早くも1923年には亜砒酸による農業被害が地元で問題にあった。5月に行われた土呂久の部落自治組織「和合会」総会は鉱山側に「完全ナル設備ヲナシ事業ヲナサレン事」を要求することを決した。これに対し、宮城に代わって経営者となっていた川田平三郎は、1ヵ月50円の「交付金」を和合会に支払うことに応じたが、その見返りとして鉱山へ操業に必要な材料を提供することを求めた。鉱山側は要求を逆手にとったのである。
 その後鉱害は甚だしくなり、特に牛馬の奇病が相次いだ。1925年、和合会は岩戸村長の甲斐徳次郎に対策を要求し、甲斐は西臼杵郡畜産組合の獣医である池田実と鈴木日恵に奇病で死んだ牛の解剖と鉱害の調査を依頼した。4月7日、鈴木は警察官立ち会いのもと解剖を行い、「連続セル有害物ノ中毒ニアラサルヤノ疑ヲ深カラシムルモノナリ」との所見を示した。甲斐はこの牛の内臓を宮崎県警察部衛生課に持参し、鑑定を依頼したが、県側は解剖後に内蔵へ亜砒酸が混入した可能性を理由に鉱害を否定し、現地調査を行ったものの調査結果を隠蔽した。一方、池田は「岩戸村土呂久放牧場及土呂久亜砒酸鉱山ヲ見テ」と題する報告をまとめた。池田報告は当時の土呂久の実状を生々しく伝えている。
「二、三十年モ経過シタ植林ノ杉ガ萎縮シテ成長ガ止リ、或ハ枯死シテ赤葉味又竹林ハ殆ンド枯死シ」 「妙齢ノ婦女ノ声ハ塩枯声デ顔色如何ニモ蒼���デアル、久敷出稼デ居ル人ノ顔面ハ恰モ天刑病患者ノ様ニ浮腫」 「山川ノ水ハ清ク澄ミ渡ッテ居ルガ、川中ノ石ハ赤色ニ汚レテ、三年前迄居タ魚類ハ今ハ一尾モ見ヘヌ」 「今ハ椎茸ノ発生デ忙シカラネバナラヌノニ、何ノ果報カ、此地ノ重要物産デアル椎茸ノ原木ヲミレバ、椎茸一ツ見ヘヌ。土呂久名物ノ蜂蜜モ、今ハ穴巣ヲ止ムルノミ」 「小鳥類ガ畑ノ中ニ死ンデ落チテ居ル事ハ年中ノ事で、何時デモ死ンダ小鳥ヲ畑ノ中ヨリ拾ッテ見セル事ガ出来ル」
 この池田報告は1972年に高千穂町史編纂室で発見されるまで封殺された。
 鉱害が拡大・悪化するに従い、農業では生計を立てられなくなった人々は鉱山で働くようになった。しかし、亜砒酸による健康被害は鉱山労働者に最も顕著であり、皮膚の亜砒負け、色素沈着、黒皮症、角膜炎、結膜炎、喘息、気管支炎、肝硬変などの症状に見舞われた。健康悪化に耐えられずに鉱山を辞め帰農する人も少なくなかったが、農業被害は増大するばかりで生活できず、結局収入を得るために再び鉱山に戻らざるをえなかった。あるいは椎茸の生えなくなった木を木材として鉱山に売却したり、完全に農業ができなくなった土地を鉱山に売却するという例もあった。鉱害はむしろ鉱山の事業を拡大する動因になったのである。
 また被害と加害の重層性も深刻であった。鉱山の地主であった佐藤喜右衛門は鉱山から地代を得るのみならず、自ら採掘を請け負い、地元住民を労働者として勧誘し、鉱害に苦しむ農民からは加害者として忌避された。しかし、一方で彼は鉱山のすぐ近くに住んでいたために砒素中毒症に罹り、1930年から32年の2年間に彼の一家7人のうち自身を含む5人が病死した。部落で鉱山から収益を受ける者が増えるに従い、鉱害反対の足並みは崩れていった。
(2)土呂久鉱山の展開と終焉(1933-1962)  大戦景気によって始動した亜砒酸製造は、戦後不況によって急速に不振になった。1926年にはアメリカの綿花不況のあおりで生産量が激減し、土呂久鉱山も生産中止・事業縮小に追い込まれた。一方、1930年代になると、航空機の材料の国産化をねらう中島飛行機が錫を求めて土呂久に目をつけた。1931年、中島門吉(中島知久平の弟)が一部の鉱業権を獲得し、33年には中島商事鉱山部が土呂久鉱山のすべての経営権を取得した(後に岩戸鉱山株式会社設立)。
 中島は当初亜砒酸よりも錫を重視し、1936年に錫精錬の反射炉を建設したが、この反射炉は錫から分離された砒素分が煙とともに空気中に飛散するという杜撰な代物であった。翌年、和合会は反射炉の煙害防止を鉱山側に要求し、その結果遊煙タンクが作られたが、煙害対策とは名ばかりで、実際はこれを利用して亜砒酸の採取が行われたため、鉱害はむしろ悪化した。また、経営者が変わったことにより1923年の交付金契約は無効となり、中島が和合会に亜砒酸1箱精製につき12銭の補償金を支払う新契約が結ばれたが、旧契約に比べて被害者が受け取る金額は事実上半減し、しかも補償金の分配を巡り和合会内部で対立が発生した。さらに1937年の岩戸村会議員選挙で、中島側は鉱山の会計係長を出馬させ、鉱山労働者を買収した結果、中島系候補が当選し、和合会系の現職は落選した。明治以来、土呂久出身者が議席を失ったのは初めてであった。鉱山は地方自治をも破壊したのである。
 中島傘下となって土呂久鉱山は拡大し、最盛期には約400人の労働者が働いた。特に1930年代末頃から亜砒酸は毒ガスの原料として需要が急増した。「黄二号」ことルイサイト、「赤一号」ことジフェニール・シアン・アルシンが亜砒酸を元に作られ中国戦線に送られた。深まる亜砒酸鉱害に対し、ついに1941年和合会は鉱山との契約破棄を決定した。福岡鉱山監督局は和合会に説明を求め、代表6名が福岡へ行き亜砒酸製造の中止を申請したが、監督局の担当者は「非常時には、部落のひとつやふたつつぶれても鉱山が残ればよい」と言い放ったという。結局1941年11月選鉱場の火災により土呂久鉱山は休山し、所有権も中島から国策会社へ移行した。
 土呂久鉱山は戦後1948年、銅や鉛などの採掘を再開した。再び鉱業権を獲得した中島鉱山(旧岩戸鉱山)は亜砒酸製造の再開を計画した。和合会は再開反対を決議したが、宮崎県と岩戸村の斡旋により、1954年、鉱山から和合会への協力金支払を条件に改良焙焼炉建設に同意した。土呂久婦人会は岩戸村に抗議したが、村長伊木竹喜は「鉱山のおかげで、岩戸村には鉱産税がはいりよる」と取り合わなかったという。
 鉱山がその後、1958年7月の坑内出水事故により一時休山を余儀なくされ、翌年には住友金属鉱山が中島を事実上買収したが、往時の活性を取り戻すことができず、1962年経営不振により閉山した。その間も鉱害は続き、1959年には和合会が高千穂町(岩戸村吸収)に亜砒酸製造施設の廃止を陳情した。しかし、ついに閉山まで鉱害はやむことがなかった。
(3)土呂久鉱害の告発(1970-  )  1970年、宮崎県高城町の四家鉱山で集中豪雨により鉱滓堆積場のダムが決壊し、砒素を含む鉱毒が河川へ流出するという事故が起き、宮崎県は急遽県内の休廃止鉱山の調査を行った。調査の結果、土呂久川から飲料水基準の2倍の砒素が検出された。同年12月、土呂久在住の佐藤鶴江は、岐阜のカドミウム汚染の報道を聞いて不安を抱き、宮崎地方法務局高千穂支局の人権相談に鉱毒被害を訴えた。支局は土呂久鉱山跡を調査し、彼女に鉱毒被害の事実申立書を発行したが、法務局は専門医による因果関係の証明がないことを理由に申立書を留置した。またしても行政によって鉱害は隠蔽されたのである。
 一方、高千穂町立岩戸小学校教諭の斎藤正健は、妻が土呂久出身であったことから鉱害の事実を知り、同僚とともに土呂久全世帯を対象に鉱害調査を行った。斎藤らの調査は1971年11月、宮崎県教職員組合の教研集会で報告され、新聞報道により全国的に注目された。斎藤報告は、①1913-1971年に死亡した92名の平均寿命は39歳である、②土呂久全住民の34%が呼吸器をはじめ疾患に罹っている、③土呂久の児童の体位は劣っている上に眼病が目立つ、④スギの年輪は鉱山創業期に生長が阻害されている、という驚くべき内容であった。大正期以来の鉱害がこの時はじめて公表されたのである。
 土呂久住民に不安が高まる中、宮崎県は県医師会に委託して住民の一斉健康診断を実施したが、慢性砒素中毒症に認定されたのは7名だけで、県の土呂久地区社会医学的専門委員会も健康被害と亜砒酸製造との関係性を「現在の知見では十分に説明ができない」と肯定しなかった。宮崎県知事黒木博は住友金属鉱山と認定患者に補償斡旋を提案し、1972年12月、両者間に補償協定が結ばれたが、住友の法的責任には一切触れず、補償金額は平均240万円にとどまり、しかも将来の請求権放棄を定めていた。県側は患者との交渉を外部との接触を絶った密室で行い、十分な説明をしないまま患者に調印を強要した。その後、黒木は新たな認定患者に対しても同じ内容の補償斡旋を5次にわたって続けた。しかも県は斡旋受諾者に対して公害健康被害補償法による給付を含む公的給付を中止するという「いやがらせ」まで行った。知事斡旋は補償額を抑制し、被害者の口を封じることがねらいであった。
 1973年、環境庁は慢性砒素中毒症を第4の公害病に指定したが、認定要件を皮膚障害に限定し、内臓疾患を認めなかったため、多くの被害者が認定されなかった。一方でこの頃から県外の医師による自主検診が相次いだ。同年2月には名古屋大学医学部講師大橋邦和が、74年には太田武夫ら岡山大学医学部衛生学教室が、75年5月には熊本大学体質医学研究所の堀田宣之が住民への自主検診を行った。堀田は10月にも同僚の原田正純らとともに1週間にわたる大規模な自主検診を行った。これらの検診結果は環境庁の認定要件とは裏腹に、砒素中毒による障害が皮膚に限らず、呼吸器や循環器などの内臓にまで広がっていることを示していた。
 1975年12月、5人の患者と1遺族が住友金属に損害賠償を求め宮崎地裁延岡支部に提訴した(第1次訴訟)。続く76年11月には第2次、77年12月には第3次、78年3月には第4次の訴訟が起こった。土呂久訴訟最大の問題は、1次的に賠償責任を有する鉱山師も中島鉱山もすでに存在せず、被告の住友が正式に鉱業権を得たのが閉山後の1967年で、住友自体は亜砒酸製造を行っていないことにあった。住友側は全面的に争い、訴訟は長期化し、高齢の原告が相次いで死亡していった。1984年3月に下された第1次訴訟の1審判決は「土呂久地区という山間の狭隘な一地域社会が、そのただ中ともいえる場所での本件鉱山操業により、大気、水、土壌のすべてにわたって砒素汚染され、本件被害者らはその中で居住、生活することにより、長期間にわたって四六時中間断なく、且つ経気道、経口、経皮、複合的に砒素曝露を受けたもので」あると土呂久鉱害を正確に認め、鉱業不実施を以って鉱業権者の賠償責任は免責されず、鉱業法115条の時効規定も適用されないことを理由に住友へ損害賠償を命じる画期的な内容であった。
 しかし、この1審判決をピークに土呂久鉱害は急速に風化していった。既に1980年頃には被害者の支援組織「土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会」が財政難による活動停滞に陥っていた。また、支援運動の中心であった総評系労組が「反公害」から「反原発」へシフトしつつあり土呂久鉱害への関心は相対的に低下した。1979年、補償斡旋を続けた黒木が受託収賄容疑で逮捕され知事を辞職し、翌年、後継知事松形祐尭は公害認定を巡る行政不服審査で県が敗訴したのを機に被害者へ公式に謝罪したが、依然として知事斡旋受諾者への公健法給付を認めなかった。一方、訴訟は住友の控訴により続き、1988年の控訴審判決は住友の賠償責任を認めたものの、補償額から公健法給付を差し引くよう命じる後退したものだった。住友はさらに上告したため、原告弁護団はついに水面下の和解交渉を行った。原告の高齢化と最高裁の状況を踏まえた苦渋の判断であった。1990年10月最高裁で原告と被告の一括和解が成立したが、住友の法的責任には触れず、賠償義務を否定し、公健法給付とは別に「見舞金」総額4億6475万円(1審判決の仮執行金と同額)を支払うという内容だった。1審判決も控訴審判決も被告の法的責任を認定したにもかかわらず、原告は訴訟の長期化に耐えることができずに訴訟自体には敗北したといえよう。
(4)総括  土呂久鉱山は、日本経済の工業化が急速に進展した第1次世界大戦期に始まり、戦間期の停滞を挟んで、15年戦争期には新興財閥の手で重化学工業の一端を担わされ、そして高度経済成長の開始により終焉した。その歴史は終始日本資本主義の発展過程に強く制約されたと言えよう。故に土呂久鉱害事件は局地的な鉱害ではあるものの、鉱山の杜撰な鉱害対策、鉱山への抵抗と依存の間で揺れる地域社会、一貫して公害の存在を隠蔽し民衆の声を潰した行政、公害反対運動の党派的分裂等々、近代日本の鉱害の一般的特筆を余すところなく有している。そしてついに根本的解決には至らず、現在も土呂久の自然が回復していないことは、鉱害が過去の問題ではなく、依然として現在的問題であることを示していよう。
《引用・参照文献》 斎藤正健「土呂久公害の告発とその後」Ⅰ-Ⅲ 『歴史地理教育』211、212、214号 1973年 川原一之『口伝 亜砒焼き谷』岩波書店 1980年 川原一之「土呂久鉱毒史」『田中正造と足尾鉱毒事件研究』5号 1982年 土呂久を記録する会編『記録・土呂久』本多企画 1993年
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xf-2 · 5 years
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時代とともに変化するのは言葉の常だが、新たな言葉が人口に膾炙される過程においては相応の理由があると見るべきだろう。コラムニストのオバタカズユキ氏が指摘する。
【写真】池袋暴走事故の現場
 * * * 「上級国民」というネットスラングの拡散が止まらない。もとは4月19日に、東京の東池袋で自家用車が暴走、歩行者10人をはね、母子2人を死亡させた事故の運転者を指した言葉だが、いまやその範囲を大きく超えて、使い続けられている。
 たとえばツイッターの世界では、10連休のゴールデンウィークと絡めて、こんなつぶやきが方々に散らばっていた。
〈モノレールが連休を旅行で過ごす上級国民様で満たされておる〉 〈10連休を取れるのは全体の3割。そんな能天気に生きて居られるのは、上級国民だけってか〉 〈(アフリカ旅行を勧める朝日新聞公式アカウントのツイートに対して)いい加減にしろ!韓国やグアム程度ならばまだしも、幾ら10連休の旅行でもアフリカに行くのに一体幾らかかると思っているのだ?そんな上級国民の為の記事より、この国を変える為に収入が激減して苦しむ日雇いや非正規の怒りを紙面にしたらどうだ?〉 〈10連休なんて上級国民様の催しでしかないのです、下級国民は労働奉仕なのです(震え)〉
 休日祝日関係ないフリーランスの私としても「そうだそうだ」という気分だが、それにしても「上級国民」はすでにもう、普通名詞のような使われ方をされている。日本には一部の「上流国民」とその他大��の「一般国民」や「下流国民」しかいないみたいな構図が、いつの間にかできあがっているようであり、そして、この言葉を使用する人々には、基本的に、疲れていて、嘆いていて、捨て鉢になっている印象がある。
〈給料総額15万、週6日働いて稼働日数月25日。盆正月関係なし。ほとんど奴隷と同じです。きっと公務員や、NHKに勤めてる上級国民の皆さんには理解できないんだろうな〉 〈77歳で新聞配達のバイト。そうせざるを得ない人々はますます増えるだろう。上級国民が左ウチワでエンジョイしている一方で。それでも安倍支持率は下がらず、地方選でも自民が議席を伸ばしている。政権が変らなければ、庶民は毟り取られていく一方だと思うが、みんながそれでいいなら仕方ない〉 〈平成がいい時代だったと言えるのは、よほどの上級国民だけなんじゃないの? 災害はやたらめったら多いし、少子化進むし、賃金は上がらないのに戦争準備してる。令和は確実に戦争があるわね(>_<)〉 〈次、生まれ変わるなら人間じゃなくて蝉が良いな 上級国民に×されずに済むし〉
 この問題は当初、事故で多くの死傷者を出しておきながら、運転手が逮捕されず、マスコミからは「さん」づけで呼ばれるのはおかしいではないか。それは元高級官僚という「上級国民」だからじゃないか。という疑問と怒りの文脈で使われていた。さらに事故の2日後、神戸のJR三ノ宮駅前で市営バスが歩行者2人はね、2人を死亡させるあらたな事故がおきた。そのバスの運転手は駆けつけた警察官により現行犯逮捕され、マスコミ「××容疑者」という呼び方で事件を報じたため、バス運転者のような「一般国民」はすぐさま罪人扱いで、「上級国民」のほうは忖度されてお咎めなしなのか、と怒りにさらなる火がついた。
 実際のところ、東池袋のほうが逮捕されなかったのは、運転手が87歳と高齢かつ事故で怪我を負って入院したからであり、「さん」づけだったのは容疑者でもない(逮捕されていない)個人名に関してはそのように表記するというマスコミルールが存在するからである。だが、そういうことを客観的に説明する記事などが出回っても、聞く耳を持たない人々が大勢いて、ただひたすらに「上級国民」の言葉が独り歩きしていった。
 これから東池袋の事故の捜査が進み、運転者が任意出頭し、書類送検となり、犯罪者として処罰される可能性は大いにあるだろう。ただ、そうなったとしても、「上級国民だから逮捕されなかったんだ」「二人も殺しておきながら罪が軽いのは上級国民だからだ」などの「疑惑」がつきまとうと思う。そう思わせるくらい、この言葉を使う人々の世の中に対する不信感や絶望は深い。
「ニコニコ大百科」によると、「上級国民」は、〈一般国民と対をなす、日本国民の身分を表す概念のひとつである〉とのことだ。2015年に起きた東京オリンピックエンブレム騒動で、盗用が疑われたデザインの説明に際して、エンブレム応募作品の審査員長が「専門家の間では十分分り合えるんだけれども、一般国民にはわかりにくい、残念ながらわかりにくいですね」と発言、その「一般国民」という表現が上から目線だと批判され、対比する言葉として「上級国民」がネット上で広まった。今回の事故にあたって誰がその「上級国民」なるネットスラングを掘り起こしたのかはわからないが、ここまで拡散するとは思いもよらなかっただろう。
 もしこの「上級国民」が、「エリート」や「セレブ」だったら、さほどに広まったとはイメージしにくい。「エリート」「セレブ」には、勉強なり、仕事なりで努力した結果、手にいれた地位といった語感がある。「庶民」や「一般人」でも、努力の上にラッキーが重なればそうなれる可能性が僅かながら残っている。
 対して、「上級国民」は手の届かない存在だ。他の言葉では「上流階級」や「特権階級」に近いが、「階級」もまた努力や運によって上に行くことが不可能ではないことを考えると、「上級国民」という言葉はより固定的で、生まれ育ちで決定されている感がある。「上流国民」「一般国民」「下流国民」などの階級がガッツリ固まっている身分制度がこの世にあるかのごとき印象を抱かせる。
 関係するツイートでこんなものもあった。
〈上級国民というワードがいよいよネタや冗談じゃなくなるんだろうな(今まで表に顕現してなかっただけだろうけどw) 文面上では皆平等も現実社会は階級社会に最適化されてゆくのだろう〉
「上級国民」が大拡散したのは、このツイートが指摘するような社会変化が背景にあるように思われる。時代でいうと、小泉政権の頃からだろうか。非正規労働者が急激に増え始め、正規社員との間に越えられない壁が立ちはだかり、戦後最長の好景気だなんだと言っても、それこそ一般国民の収入は増えることなく、人によってはじりじり下がり、なのに福祉や社会保障制度が充実するでもない。教育に関しては、お金持ちの家の子ほどいい学校いい大学に入ることができる教育格差の固定化が進んでいる。
 はっきりわかっていることは、労働人口の減少でこれからの日本経済はますます低迷するということ。それによって、下層の者ほど生活が苦しくなり、現に貧困者はじわじわ確実に増えているということ。
〈北欧のような福祉国家とは天地ほどの差がある日本。主権在民を知らず、政府批判を許さず、お上(財閥・上級国民)に任せる生き方をしていたら、幸福度はどんどん下がってゆくのは当たり前〉
 というツイートもあった。日本一国だけが世界から取り残されて、貧しく、ひもじくなっていくイメージ。国民のみながみなそう思っているとはいわないが、頑張れば頑張っただけ報われる時代はとうの昔に終わってしまったという認識は、大半の人々の間で共有されているだろう。これからの時代、経済的に恵まれるのは、もともと育ちの良かった人、たまたま優秀な遺伝子を受けついだ人ばかりである。 
 そんな身も蓋もない階級社会は冗談じゃない、ふざけるなとの怒りはどんどん溜まっている。が、一方で、どうせ変わらないよという諦めや絶望も広がっている。庶民の怒りを変革のエネルギーとして現状のけしからん政治に大ナタを振るってくれる人物が登場する気配というか、期待も感じられない。それよりも、多くの人々は、疲弊しながら日々の生活をどうにか成り立たせるのに精いっぱいといったところではないだろうか。
「上級国民」なる言葉の大拡散は、そのような状況にある一定層の日本人の心中や現状をあぶり出したように思える。ネット上で「上級国民」を腐して、少しばかりガス抜きをして、また「下流」の日常生活に戻っていく日本人の後姿が見えてくる気がする。
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ymifune · 2 years
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awai #134
2013年にアメリカのデトロイトが財政破綻したと聞いた時は、町が・・・というか州が財政破綻するというのが、正直イメージできなかった。どうしてそんなに税収が落ち込むことがあるのか、財政破綻した町はどんな組織が間に入り立て直すのか。 コロナ禍の只中にある今(あるいは緩やかな第三次世界大戦に入りつつあるような今)、京都が近い将来財政破綻するであろうというニュースは、まあ信じられるぐらいのものにはなった。実感というか、京都市民ではないので、痛みも何も感じないが、東京以上にインバウンド景気に支えられていた京都の今を見るに、想像には難くない。 もちろん、デトロイトほど荒廃することはないだろう。なぜならば、京都には歴史と文化があるから。京都だけのものではない世界文化遺産が複数ある町なのだから。 2020年の何か良くないことが圧倒的なスピードで広まりつつあった京都の町。 2021年の閑散として、シャッターが降りた店や撤退したり潰れたりした店が多かった京都の町。 ・・・を経て、今年の京都はというと、今がチャンスかのように京都へと進出した新しい会社だったり、コロナ禍というのがきちんと日常の一部になり、混乱や不安が煽られたままの人は流石にもういなくなり、いわば安定感がある町へとシフトチェンジが緩やかにでも感じられるようになっていた。 実情は住んでみないとわからない。が、みんなできることはしているように見えたし、3月22日には取り敢えずの蔓延防止等充填措置が終わって、若人がキャッキャしている風景もだいぶ垣間見られた。 去年一昨年と京都に行った時は暖かく、また晴れた日が多かったので、旅行としてはだいぶストレスレスだった。かつ、桜ももう満開に咲いていたので、存分にその場所にいさえすれば幸せという瞬間と時間を味わって帰ってくることができたのだが、今年はそうもいかなかった。雨の日が多く、気温も低く、桜もまだ咲いていないようだった。 去年や一昨年と何が変わったかって、やっぱり自分が変わったんだろうな。 新しい禅寺にももちろん行ったし、新しい温泉にも挑戦したし、新しいカフェにも行ってみたし、それはそれでもちろん楽しかったのだが、 「ああ、春だなぁ。」 という・・・春っていうのは春が来たという一瞬の自覚の中にこそあるものなのだと思うのだが、それが今回はなかった分、散漫に過ごしてしまったような気がしている。 父のマンションを全力で掃除して、それはうまく行ったし、父も喜んでくれたのでよかったと思っている。父が今気にかけている女友達のHさんにも会えた。また、父と今後のことについて、ざっくばらんにプランを話したり、意見を交換したり、本音で語り合うことができたのもよかった。一番大切なことは父と本音で語り合うことだと思っているから、それが達成できたのなら、今回の旅もよかったということになるのかな。 気が散漫だったせいか、地下鉄東西線に乗るときに肘を思い切り肘置きにぶつけて打撲してしまい、旅の間はずっと湿布と肘のサポーターが欠かせなかったり、あろうことか充電器を持っていくのを忘れてしまって現地で大枚を叩いて新しく買わざるを得なかったり、衛生状態が悪そうなケバブ屋で食事をしたら見事に当たってしまい、2日間下痢に悩まされたりと、多少トラブルもあった旅だった。 経済を回すのは、きっと図太い人というか、そんなに・・・なんだろうね、自分のせいかなとか、深く考えたりせずに発言したりできる人たちなんだろうと思う。 そうでない人って言うのが多分教職とかに就くのかなと思った。とか、こんなことを書くと自分を卑下しているようにも聞こえるけどね、そうではなくて。 経済を回せるような人になる才能がない人にも生きる道がある世界であってほしいなと思えたと言うのが今回の旅の収穫だろうか。 父・・・とは今の所、助け合えていると言うか、お互いに助け合うべき存在だと思えているので、それは結構自分にとって救いではある。 父ともそんなに長い時間一緒にはいられないのだけどね。一緒にいると疲れてしまうので。どうしてそういう振る舞いになってしまうのか、相変わらずわからないということだって、本当にたくさんあるので。 家族っていうのは本当に儚いものだ。が、少なくとも俺は目が覚めた状態で、今も居続けることはできているのだと思う。で、父も自分の目が覚めている状態であるということについてはきちんと伝わっているように思う。 そういう絆が1年に1回でも確認できれば、良いのかなと、妥協が100%ないとは言い切れないが、そういう現実的な受け止め方を、今回の京都旅行でも再確認してきた。父も父なりのサバイバルを繰り広げている。俺も俺なりのサバイバルを繰り広げている。という現状認識と、だからお互いにどうしてそういう振る舞いになるのかわからないというところがあっても、尊重はすべきだと思えていること。それが大事。 観光資源という話をすると、結構もう大抵のところには行ってしまった感じがするんだよね。もしかしたら、来年また京都に行く機会があっても、4泊はせず、3泊ぐらいで帰ってくるかもしれない。 なんだかとても言葉を選んだ書き方になってしまうね。 京都の若旦那ことSくんにLINEしたところ返事が来て、会ってくることができた。2019年に新宿とかで会ってから3年ぶりになる。インバウンドに支えられた仕事を彼もしていたと思うので、生き延びているだろうかと心配していたのだが、生きていた。実は会社は彼が個人事業主としてやっているものだけではないのだそうで、そちらはコロナ禍でもきちんと稼働していたのだという。詳しくは知らないのだ。一度概要を聞いたのだけど、そこまできちんとは理解できなかった。 次に彼が東京に来るときにはきちんと話したいと言われているので、その時にでもちゃんと聞けたら良いのかな。 父の美術館にも行ってきた。父のアイディアというよりかは青木淳館長のアイディアなのかその辺は詳しくはわからないが、今回は「ぽよよんタイム」というファンシーな名前が付けられた談話室に入り浸って、簡単なワークショップのようなものに参加してきた。美術館がコンテンツを見せて、客は鑑賞するだけではなく、美術館が学び合う場であるという考えがきちんと反映されていることに、今ならではの目配せを感じた。東京都現代美術館にも東京都写真美術館にも図書室はあるが、そうじゃないのよ。そこで会った人同士対話が生まれなければ、仕方がないのだ。 今回の旅のハイライトは、産寧坂にある階段を双子を乗せたベビーカーを持ち上げて降りようとしていた恐らく英語圏の国から来たご夫婦の旅人をその場に居合わせた私が助けて、坂を最後まで一緒に降りたこと。とても感謝されたし、すぐに参加して挨拶ぐらいは交わせたことに自分はとても満足を感じた。旅をするってこういうことだよね。 その点で、ゲイアプリでその土地その土地の人と交流するというのは、今も有効な旅を満喫するための手段なのだろうな、とも思った。 京都市の財政赤字は任天堂がどうか暫く市の京都市債などをどか買いすることで肩代わりしてやってはもらえないだろうか。あと5年ぐらいでも財政破綻することなく町が存続すればきっと海外からの観光客も帰ってくることだろう。 誰もいなくて見やすい観光地巡りをここ数年続けてきたわけだが、これが長くは続かない特別な時間だったということも理解しているつもりだ。 長くは続かない。 今、甘受している環境がこれからも続くなんてことはない。それが、どうか自分の人生にとっても父の人生にとっても救いであるように。 ただいま。
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mayutarot · 3 years
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2022年2月6日(日曜日)
日本各地で行われるボートレースの今日の全体的な内容占い(エッティラ/ヤコブの梯子)
一段目左端から戸田・江戸川・平和島 二段目左端から常滑・三国・尼崎 三段目左端から福岡・住之江・丸亀 四段目真ん中から下関・若松
🌞【戸田】🌞
・・41番・・ ビジネスでも恋愛でも成功するカード。 正位置ならば経済的に豊かになる可能性。勝利。 ビジネスでも恋愛でも成功するカード。このカードは常に戦士にとって吉兆であり、敵に対して大きなアドバンテージを与えてくれる。かなりの金額を稼ぐことができる。出征前にこのカードを引いた兵士は必ず高い階級で帰還することができる。 逆位置ならば商業的成功。あなたが携わっているビジネス取引は成功するだろう。雇った人の忠誠心を予言する。
☆正位置でのコンビネーション 51番と共にあるとき、 女性であれば大きな利益を確保することができる。65番近くならば、新しい愛を知るだろう。 71番の隣にあるのなら、肉体的にも精神的にも盲目でない限り、敵に対して大きな優位に立つということを教える。
☆逆位置でのコンビネーション 70番の付近ならばいくつかの難点がある。 50番近くならば言葉に気をつけることを勧める。
・・54番・・ このカードは涙と悲しみに満ちているが、逆位置ならば本当に良いカードとなる。 正位置ならば、悲しみ、泣くこと。ある知らせがあなたを苦しめるだろう。 逆位置ならば勝利、獲得、権威、成功、アドバンテージ。あなたの権限・権威が主張される。 軍人にとってはこの逆位置のカードは、自分が勝利し幸運をもたらす戦いを予言するものとなる。
☆正位置でのコンビネーション 17番の隣にあれば家族の喪に服すだろう。 あなたの家族の苦難のサイン。21番のそばにあることも多く、この場合それは不一致の兆候であるだけ。家庭内での話し合い、議論。 26番に遠くないところでは、ライバル。 18番に遠くないところでは裏切り、背信行為。
☆逆位置でのコンビネーション 71番のそばならば幸運はあなたに微笑むだろう。 ビジネス上の問題で金銭的な利益を得ることを示す。 37逆の遠くないところでは、求めていたものを手に入れるだろう。 26番に対しては、このカードはあなたのライバルにとって有利な比較があなたを泣かせるであろうことを知らせる。 74番の隣ならば、あなたが嫉妬している人に知らず知らずのうちに贈られたものがあなたの悲しみになる。
・・9番・・ このカードは「正義」と、そこから生じる善悪のすべてを擬人化したもの。玉座に座るソロモン王は、その手に正義の属性を握っている。 正位置ならば、正義。気になる相手は、誠実で正直な人。信頼を置くことができる。 あなたが多額の費用を費やした訴訟がまもなく有利になること、 あるいは強力な親戚や友人とあなたを遠ざけている争いがなくなることを告げている。 相談者が女性の場合、彼女に対する中傷がすぐに発覚することを告げている。 逆位置ならば、立法者、 弁護士。法律の専門家を呼ぶしかないだろう。 常に悪い予言であり、口論になる兆候。 人々はあなたの問題を混乱させようとするだろう。 しかし、71番が右や左にあると、面倒なトラブルを意味するだけ。
☆正位置でのコンビネーション 22番のそばらなば、威厳や高貴な称号を告げる。 22番、27番付近では、正義は我にあり。 28番のそばでは、相談者が男性なら恥をかき、女性ならひどい誹謗中傷を受けるという待ち伏せの恐怖を生じさせる。
☆逆位置でのコンビネーション 28番付近では、打撃の応酬。 68番,71番付近では、現時点ではビジネスを行わないようにし���ほうがいい。 22番正に近いとき、階級が上がったり、栄誉を得たりすることができる。 22番逆に近いとき、自分の状況が揺らいでしまう。有利な職務や金銭の損失を予言する。
🌞【江戸川】🌞
・・26番逆・・ このカードは、古典的な「クラブの10」に関連している可能性がある。あまり良い報道はされていない。その解釈は、どちらかというと侮蔑的であることが多い。 正位置ならば欺瞞的な提案、反逆罪、裏切り。 あなたの住む土地には嵐や地震が訪れ、油断していると産業界の騎士があなたの破滅のために働きに来るだろう。周囲の人々はあなたを破滅に導くために狡猾さを発揮する。 しかし逆位置ならばあなたが千の障害を克服した後に彼らの邪悪な計画を阻止することを示す。このタロットが好ましい番号の隣にある場合、迷惑、驚き、仕事を意味する。 ☆逆位置でのコンビネーション 18番ならば、彼らはあなたを破滅させようとしている。
・・67番・・ 相談者が男性の場合、この「ジャック」は勉強や仕事での成功を告げるもので、女性の場合、予後が不確か・不安もしくは選択肢が更に多岐にわたる可能性を告げる。 正位置ならば勤勉な少年。試験で成功すること。 このカードは、女性が引いた場合、とても親切な男性が彼女に多くの関心を寄せてくれることを告げ、34番の隣では、逆に彼女が尊敬の念を抱いているような紳士にだけは気づかれないだろうと告げている。 逆位置ならば贅沢、利益、散財、放蕩を意味する。自分が何において蕩尽しているかを知るには、下記のカードを参考にするとよいだろう。
☆正位置でのコンビネーション 既婚男性では73番の隣にこのカードがあれば、彼のように奥方の目を美しいと思う者がいるが奥方は徳の高いものなので害はなく安心と告げている。 もし、73番の代わりにこのカードが逆転した64番の隣にいれば妻は厳しい攻撃を受け、長い間彼女に目をつけていた黒髪の男から身を守らなければならなくなるがそれ以上のことはないだろう。 22番となら、誰かがあなたを昇進させるだろう。(誰かが先回り・先手を打ってくれている。) 17番に遠くないところでは、三連単やカジノで間違った賭け方をしないようにしよう。 64番逆に遠くないところでは、黒髪の男性が情熱的にあなたを愛している。
☆逆位置でのコンビネーション 7番に遠くないところでは、使いすぎ、多額の出費をしてしまっている。 24番逆となら、空き巣。 45番と5番の遠くないところでは、瑠璃色の放蕩者。稀代の天才たち。放蕩息子。 45番に遠くないところでは、遠い親戚からの遺産をすぐに使ってしまう、あるいは、かなり大きなお金を稼いだ後、それを適切に使えないことを告げている。相談者が地位の高い騎手であり、このカードが59番に後続した場合、何らかの方法(放蕩行為・親不孝な方法)で富を稼ごうとすることはほぼ確実だろう。
・・61番逆・・ このカードが出たときは、別居や判断ミスを考えなければならない。 正位置のとき、あなたの友人は気まぐれ。もし、あなたが若い人のために活動しているのであれば、このタロットは短期間の喧嘩を告げる。 逆位置ならば、あなたは、陰で妥協している。あなたは日陰のビジネスによって、危険に晒されている。あなたが軽率な行動をとってしまったことを、自分だけでなく、その軽率さゆえに妥協してしまった相手に対しても後悔していることを告げている。
☆逆位置でのコンビネーション 15番なら、心痛、鬱病。 27番となら、なくしものが見つかる。
🌞【平和島】🌞
・・46番逆・・ この「哀愁漂う」カードで、周囲に迷惑をかけることも少なくないだろう。 正位置ならば倦怠、退屈。偶発的な関係は、深刻な不愉快の原因となる。ちょくちょく会う人が深刻な不愉快の原因になっている。 このカードは、あなたがすぐに経験することになる迷惑の兆候を示す。 あなたが嫌いな人がいつもあなたの近くにいる。 逆位置ならば不運、新しい知見。運命の逆転、地位を失う。 ☆逆位置でのコンビネーション 59番付近ならば、家族の死別。 2番付近ならば、火。 32番付近では、一部の人の正直さ、誠実さを誤解している。
・・17番・・ ローマ神話のモルタ。ギリシャ神話のアトロポス(Atropos)に相当する。 このカードは、隣人に不幸な影響を与えるものであり、必ずしも死を予言するものではない。しかし、用心することが大切。 正位置ならば死。この病気と闘おう。自殺を考えてはいけない。何よりも、無茶をしないこと、計画を立てないこと! あなたは、自分に大きな貢献をしてくれた人を失うことを恐れているようだが、恐れることは何もない。 このカードが1番に続いて出た場合、あなたの友人の一人が大きな危機を脱したことを告げている。 質問者が女性の場合、このタロットカードは彼女に様々な迷惑がかかることを予言している。 若い女性の場合は、結婚生活やその計画がうまくいかなくなる兆し。 このカードは、他のすべてのカードにとって悪い隣人であり、オラクルの解釈を害するときは、ラインから取り除かなければならない。 逆位置ならば糖尿病患者や具合のよくないものは効率的に自己管理する必要がある。 プロジェクトの成功への期待が裏切られることを告げている。
☆正位置でのコンビネーション 4番と一緒ならば、死の危険がある。 4番のそばでは、相談者が川を避け、船に乗らないこと、そこに危険が待ち受けていることを知らせている。 20番と共にあれば、動物に噛まれないように注意。ある種の動物の接近に注意するように警告している。 35番に先行すれば、式典や祝賀会で大きな感動を味わえることを告げている。 35番付近ならば、激しい感情、脳溢血、脳への輸送。 ☆逆位置でのコンビネーション 15番とならば、致命的な結果。
・・28番逆・・ このカードには、乗り物、出会い、旅、恋愛が待ち構えていることが多い。 正位置ならばピクニック。楽しいことの予感、楽しいゲームに期待ができる。 このカードは、相談者が独身であれば、田舎を散歩することを告げており、カップのカードの近くにあればそれは相談者にとって非常に楽しいことであるが、この28番が否定的なカードの1枚と一緒にあればその散歩は相談者を悩ませることになる。 結婚していない場合、散歩が剣のカードを1枚添えていれば楽しい向かい合わせが生まれ、否定的カードを1枚添えていればその逆が起こるだろう。 既婚者がこのカードを逆さに引くと、喧嘩、家庭内の揉め事の予兆である。 逆位置ならば後悔。国内紛争。困ったことになるだろう。 ☆逆位置でのコンビネーション 38番付近ならば、諍い、争い、戦争、勝負。 18番付近ならば、あなたの家族の友人に注意すること。 42番と並べると、若い女性との喧嘩を予言する。 57番が隣にあると、仲直りの兆しとなる。 76番と隣になれば、家族の何人かの怒りを買うような刺激的な知らせが告げられる。
🌞【常滑】🌞
・・36番・・ このローマの法皇は高名な人物で、コンサルタントに対してしばしば慈悲深く、時には恥知らずな悪戯をする。 正位置ならば、金髪の男性。男性は借りたものを返してくれる。また、良い取引ができるようにしてくれるだろう。 このカードは大祭司を表し、優れた意志を示す。しかし、気をつけてたほうがいい。偽善者は、あなたの役に立つふりをしながら、裏ではあなたを非難しているのだ。 少女がこのタロットを引き、48番と前後していれば結婚の前兆、63番と前後していれば子宝の前兆であることがわかる。 逆位置ならばあなたに近づいてくる男性は、欺瞞的で不謹慎、人を欺く不誠実な人間である。引っ越し、かなりの損失を被ることを予言しているが、周囲のカードによって意味が変化することが多く、その中で7番、32番、41番、47番、77番を挙げることにする。 ☆正位置でのコンビネーション 18番近くでは、敵対、反目。 19番近くでは、きっと癒されるだろう。 48番近では、女性の結婚!
・・29番・・ 特に逆であれば、非常に多くの話し合い・プロジェクト・タイムリーでないステップが示される。 正位置ならば、格調高い招待状。話すこと。あなたの計画が成功に向かうことを予測する。そして、幸いにも友人の不器用さだけが、払拭された道を阻んでいたのである。 若い人にとってこのタロットは好ましい神託。 逆位置ならば、あなたの存在は気づかれることはない。相談者が優柔不断に計画を立てるのは間違いであることを示す。
☆正位置でのコンビネーション 13番に後続すると、友人が彼女の夫探しのお世話をすることを発表する。 22番のそばでは、庭から聖水を投げて勧誘に応じてくれるような素敵な偉人との対談を発表する。 47番となら、火災保険の見直しをすることを勧める。 47番の隣ならば、当人が可燃物の所有者であればその人は火事を恐れなくてはならない。 18番となら、誹謗中傷されている。 10番付近ならば、予期せぬ宴会や会食があるだろう。
☆逆位置でのコンビネーション 18番のそばでは、あなたが誹謗中傷されていることを伝える。 39番付近では、もっと現実的に考えたほうがよい。
・・39番逆・・ この「ジャック」は、逆であっても一般的に吉兆とされている。しかし残念ながら、他のカードの影響を受けてしまうこともある。 一般に、このカードは、自然な意味で配慮のしるしであり、喜び、成功、賞賛を予言するものである。 正位置では、勤勉な若い男の子。金髪の男の子。 若者は、あなたが長い間求めていた仕事への任命をもたらすはずである。 あなたは道を切り開くだろう。君主の祝福は、あなたを大きな威厳に昇華させるだろう。 このカードが若い人に引かれた場合、金髪で学識があり、機知に富み、裕福な青年と結婚することを予言する。 男性の場合は前進。 逆位置ならば、友愛。好み。傾向。差し出された友情を受け止めよう。彼女の情熱は挫折し、結婚する運命の夫が彼女が期待していた計画を放棄することを示す。
☆逆位置でのコンビネーション 23番近くでは、ある女性がスキャンダルを起こすだろう。 17番近くでは、 隣人の死。 19番付近では、忠実な若者。 27番の遠くないところにあれば、長い間彼女を悩ませてきた傾倒の千載一遇を告げる。
🌞【三国】🌞 ・・71番・・ このカードがあなたに提供するお金や状況は、努力なしでは得られない。 正位置では、保証金のみ受け取ることができる。 もしこのゲームが若い人のためならば、第一の場合、彼女に言い寄っている男は現金に強くないことを伝える。 第二の場合、彼女は恋人の財産について何も恐れることはない。もし彼が持っていなくても、彼が世間で占めている社会的地位に対してかなりの金額を短期間で持つことになるからである。 逆位置では、お金の心配。お金を貸してはいけない。 逆位置になった71番の前後でその価値が変わらないカードがあると、お金を使う必要があることによる煩わしさや、お金の使い過ぎによる心配事があることを告げている。
☆正位置でのコンビネーション このカードが先行し、かつ18番や76番のそばに出た場合は、あなたの信頼を悪用した人物から経済的な被害を受けることを警告している。 18番および78番付近では、反転と没収。 78番付近では、狂気じみた出費.。 20番、31番、45番のいずれかの付近では、小額の資産。予期せぬ受取や利益、相続によってビジネスの状況が回復したり、満足のいく状態になることを予言している。
・・64番・・ この「王」は、特に逆位置に置いて、必ずしも気持ちの良い相手ではない。このタロットと59番、62番を組み合わせると、あなたが信頼していた黒や茶の男があなたを騙し、友人の一人を告発することになる。 もし相談する人が既婚者であれば、男性でも女性でも、このタロットの前か後に逆位置の57番���なければ、自分を良く見せている人のすべてを恐れ、警戒しなければならない。 船乗りがこのカードを引き、24番と隣り合わせになったとき、まもなく長旅に出ることを予言する。 船乗りがこのカードを引き、58番を伴う時は、彼が長旅に出て、あなたが間違った道を通ることを予言する。 正位置では、ビジネスマン。トレーダーとの悪い取引。 逆位置では、悪意。恥知らずな男が、あなたを無秩序な生活に引きずり込もうとしている。
☆正位置でのコンビネーション 59番、62番に遠くないところ: 褐色の男による裏切り。 9番に遠くないところでは、与えられた指示を受け入れよう。 3番に遠くないところ:あなたは密かに愛されている。
☆逆位置でのコンビネーション 5番に遠くないところでは、不幸な出会い。
・・65番・・ シバの女王。 良いカード。正位置であれば(あなたがまっすぐであれば)、豊かな贈り物を予感させる。 正位置ならば、裕福な女性。暗い髪、ブルネットの女性。黒髪の女性が、その贈り物であなたを魅了しようとしている。 田舎の金持ちで気前のいい親戚がプレゼントを送ってくれるだろう。 もし、あなたが若い男性のためにカードを作り、このタロットが最初に彼のところに来たならそれは非常に好ましい神託であり、 それは彼が大きな富をもたらす若いブルネットと結婚することを予言する。このカードの前に69番の逆位置があれば性格の悪い女性が出るが、 この69番の後に45番があれば、遠い親戚の一人から寄付を得ることができると告げている。 逆位置ならば、優柔不断、躊躇。あなたが付き合っていたり、たむろしている人は完璧ではない。近いうちに病気になるが、長くは続かないことを意味する。 このタロットの前後に21番がある場合は不快な出会いを告げるが、18番ならば神託はその逆となる。
☆正位置でのコンビネーション 69逆なら、危険な情事。 45番となら、遠い親戚が遺産を残してくれる。
🌞【尼崎】🌞
・・8番・・ このカードは、相談者の資質と欠点を表している。 古代の人々は、このカードについて多くのことを論じたがその真意についてはほとんど間違えていた。 もしあなたが引いたカードの中から出てこなかった場合、 相談者が女性であれば、このカードを山札から取り出してあなたが説明しなければならない行の最初に置くこと。 相談相手が男性であれば、解説ページに書かれているように、行から取り出して置き換えること。 この女性を取り囲む円は、彼女の想像力が困惑している未来の迷宮を表している。 しかし、まもなく神託はこの未来を彼女に語りかけるだろう。 休息。 わかるようになる。 9番、13番、35番の隣では、良い兆候。 14番、17番、18番のそばでは悪い予感がする。 正位置では、頑固。執念。自分に不利になるようなつらい秘密の暴露。 逆位置では、進捗。風邪をひかないようにする。すべてのクルーズを避ける。
☆正位置でのコンビネーション 17番正となら、危険。 50番逆となら、敵に勝利すること。
・・16番・・ このカードは、理解と献身を与えてくれる。 それは時に疑心暗鬼を呼び起こし、愚かな行為を引き起こす。 正位置では、あなたの文章は公正である。それを維持すること。 あなたの運勢にとって不幸な結果をもたらす訴訟は、短期間で裁かれ、あなたはほとんど破滅し、友人はあなたの救助に来ることを恐れてあなたを見捨てるだろう。 しかし次の相続があなたの運勢を回復し、それはあなたの敵にとって神秘的であるだろう。 逆位置では、友人の仲裁を求めよう。彼の意見は承認されるだろう。
☆正位置でのコンビネーション 36番と51番があれば、裁判に勝つだろう。 17番近くでは、相続や贈与についての争い。 17番が付随すれば、相続のための苦難を予告する。 58番付近では、あなたの証言が求められるだろう。あなたが名誉の問題で証人に呼ばれること。 それが女性の場合、普段の関係以外の人に対する欺瞞を目撃することを予言する。 24番付近では、難儀な会話、話すことが難しい。相談する人が心配でたまらないような事柄を示す。 68番に後続していれば(このカードに68が後続していれば?)、勝利を収め、損をしないような金額をもたらすことを予言する。
☆逆位置でのコンビネーション 61番逆となら、裁判に負けるだろう。 68番付近では、あなたはお金を回収する。
・・11番逆・・ ダビデは強さ、ほとんどの分野での成功、パワーを示す。よほど悪いもの囲まれていない限りは。 正位置ならば、強さ。フォース。自分の良さを明確に示すことができる。 逆位置ならば、力。君主。あまり吉兆ではなく、あなたに好意を寄せていた偉大な人物の不名誉や保護が失われることを告げている。過信せず与えられた力を発揮すること。力を濫用してはいけない。
☆逆位置でのコンビネーション 51番正付近ならば、素敵なプレゼントが届く。 51番逆付近では、他人のためにお金を使わなければならなくなるだろう。
🌞【福岡】🌞
・・20番・・ ネブカドネザル。 コンサルタントとあなたが興味を持っている人の両方にとって非常に良いカード。それはそれを取り巻く悪いカードを改善する。 このカードは常に非常に好意的であり、何も持っていない人には幸運の兆しを、豪奢な人には運気の上昇を告げる。 それだけで威厳、高揚、繁栄を意味する。 兵士のためにこのデッキをプレイしているならば、このタロットは次の作戦の後に高い階級に任命されることを告げている。 他のすべてのカードと一緒に、彼らの予測に良いものを追加する。 正位置ならば、幸運があなたに微笑みかけ、運命はあなたを支持する。あなたは利益を上げる。 逆位置でも縁起がいい。あなたはあなたの収入を拡大したり、幅を広げる。相談者が若者であれば、兵士の訪問を告知する。
※運命の輪、この象形文字は増加や幸運を意味する。 しかし、この象形文字が現れるたびにそれが我々のものだと信じてはならない。 最後にそれがどこに配置されているかを調べる必要がある。 彼女はしばしば非常に邪悪であると言われ、狂気とさえ呼ばれるが、彼女が非常に賢明であると信じている。 なぜなら狂人や愚か者を苦しめることだけを自分の仕事としているからである。
☆正位置でのコンビネーション 15番となら、夫が騙される。 9番、10番、11番、12番となら、素晴らしい道徳的資質を持っている。
・・62番・・ このカードは、カードが伴わなければほとんど意味がない。 このヒエログリフは非常に有利なサインであることが多いが、周囲のカードも有利でなければならない。 女性には、彼女にとってとても嬉しい贈り物を予言する。 このタロットを勧誘する人が引いた場合、功労者の支援を告知する。 正位置では、やさしさ、柔らかさ。あなたは愛情に包まれている。 逆位置では、偽り。あなたは騙されている。 トリックスターや騙すものを相手にしていることを警告しているが、 55番の隣では、あなたが注意しなければならないそのトリックスターや騙すものが速やかにあなたの前に姿を現すことを告げている。 このタロットを田舎に住むものが引くと凶作を予言するが、 そのためにはこのタロットを逆位置にし、19番か56番のいずれかを添えなければならない。
※ 偽りの友人、役に立たない親族。役に立つことがあっても、困窮している私たちに警告を発しないほど、厳しくケチ。彼らは敬遠され、憎まれるべき存在である。 しばしば同情するふりをし、そしてその裏側では心の奥底であなたの気分を良くするようなことには反対しているのである。
☆正位置でのコンビネーション 11番となら、友人が助けに来てくれる。 37番付近ならば、愛の夢。 6番逆となら、悩んでいることの真実を知ることができるだろう。
☆逆位置でのコンビネーション 55番付近ならば、あなたの疑惑は晴れた。 15番近辺では、体調に気をつけよう。自分をいたわったり、もてなしたりしよう。 71番付近では、ゲームで勝つ。
・・52番逆・・ この騎士は、主に軍用に確保されている。一般的に縁起が良いとされている。 あなたが興味を持った兵士が見事な活躍をし、それに対して良い報酬が与えられるだろう。 この52番が41番にジョイントすれば、彼の勝利は傷で買われることになるだろう。 もしあなたが女性のためにプレイするならば、このタロットは彼女に友情の証を与える兵士から思いがけない知らせをもたらすだろう。 正位置では、自分の意見に勇気を持つこと。 逆位置では、無学。軍隊でも勉強を怠ってはいけない。 彼が彼に耳を傾けるすべての人の笑い株になるであろう愚か者との議論をするであろう、と彼に予測する。 女性の相談者のライバルは、彼女がより多くの喜びと彼女が育成する才能のいずれかに敗北することを予測する。
☆逆位置でのコンビネーション 21番付近では、賢明さを活用し、適切な場合にのみサインをすることを勧める。
🌒【住之江】🌒 ・・66番逆・・ このカードは、添えられてこそ価値がある。メリットや利点は、決してあまり重要ではない。 このカードは、あなたの国にとって有益な発見を知らせ、友人から、サービスを求められるだろう。 もし、あなたが女性のためにゲームをするのであれば、このカードが71番と74番に後続して出た場合、夫が彼女に何か役に立つ贈り物をし、最初は喜ばないが後に満足するようになると予言している。 正位置ならば、利益。有用性。これ以上ないほどの恩恵を受けることができる。 逆位置ならば、無活動。あなたの不注意があなたを苦しめている。友達に捨てられるだろう。 このカードは怠惰、不注意、怠慢を意味する。 もしあなたが軍人のために活動しているなら、このカードは平和のしるしを表す。
☆逆位置でのコンビネーション 63番に遠くないところでは、この時点では、主導権を握らないようにすることを勧める。 相談者がしなやかなお嬢様である場合、このタロットにNo.33が添えられていれば、注意して自分自身を観察することを勧める。 この観察がなければ、彼女の性格の軽さが決して逃れられない罠にはまることになってしまうからである。
・・69番・・ 事業の結果を表すカード。 このカードが重要なタロットカードの隣にあると、その効果を速やかに発揮することができる。 このカードが33番と59番とペアで出た場合、あなたは最も巧妙な策略に脅かされていることを告げているが、それはあなたの運勢を悪化させることはなく、あるチャラついた男の小さな策略に過ぎないので、あなたは少しの犠牲で済むだろう。 逆位置でも同じようなサインになるが、このタロットがより好ましいカードの隣にある場合は、悪い冗談を示すだけである。 71番逆のそばでは、大金を貸した相手には、その人の誠意がとても心配になることを教えてくれている。 正位置ならば、達成。あなたのプロジェクトは実現不可能。 逆位置ならば、欺瞞。彼らはあなたからお金をむしり取ろうとしている。
☆正位置でのコンビネーション 26番正となら、手続きを開始する。(法的措置を開始。) 26番逆となら、手続きを中止する。(法的措置を中止。訴訟を取り下げる。)
☆逆位置でのコンビネーション 71番逆に遠くないところでは、貸したお金の心配をすること。 67番逆に遠くないところでは、奪われている。 78番となら、愚行を誘う。無茶なことをやってもいいと思えるようになるだろう。
・・56番逆・・ このカードは、単独で使用した場合、厳しい批判や不幸な事件の代名詞となる。 このカードは、13番、20番、36番の隣にあれば悪い兆候ではないが、18番、19番、34番のそばにあると凶兆となる。 予想もしなかった神秘的な体験ができたり、もしかしたら物事がさらに進むかもしれない。 このカードを女性が引いた場合、噂話が広まっていることを警告しており、 46番の近くでその噂話に気づかれると大変なことになり、大いに苦しむであろうことを警告する。 正位置ならば、批判。試験に合格するのは困難。 逆位置ならば、事件。偶発的で不快なできごと。
☆逆位置でのコンビネーション 78番のそばであれば、家族の誰かが遊びに行く・行かなければならないことを告げている。 25付近ならば、面白いが一時的な昇進。 24番の遠くないところであれば、急ぎの出発を意味する。
🌒【丸亀】🌒 ・・38番・・ この「ライダー」は、人の到着を知らせるもの。(彼女が)単独・一人なら良いイベントだが、そうでなければ...。 あなたの友人や親戚の一人が、あなたにとって非常に嬉しい訪問をしに来るだろう。 特にこのカードに71番が添えられているときは、彼はあなたが当てにしていなかった大金をあげるように頼まれたことを示す。 しかし30番が添えられていれば、あなたが受ける訪問は、彼らがあなたにさせたい融資や彼らからお金を借りるためのものに過ぎない。 50番の隣では、このカードは、治安判事・奉行の不正を告げる。 正位置ならば、到来。栄光への道があなたのために開かれている。 逆位置では、詐欺、チート、悪徳商法。商品の質を誤魔化している、商品の質に老いて騙されようとしている。 裏返すと詐欺の印となる。 14番から遠くなければ公の場で騙され、30番を伴えば楽しいパーティに参加できなくなる。 68番に後続すれば、あなたを破滅させかねない投機の収益で購入した不動産の所有者になる日が近いと予言している。
☆正位置でのコンビネーション 71番近くならば、���かがあなたにお金を貸している。 17番近くならば、あなたが受け取ろうとしているものは危険である。 50番近くならば、権力の濫用。 68番近くならば、プロフェッショナルな機会。
・・72番・・ このカードは、将来のことを考えすぎず、現在のことを考えるように促している。 このカードは、世の中で安定しているのは現在だけであり、お金に対する渇望があなたの思考を吸収してしまうことによって、あなたが享受できない幸運について告げている。 正位置では、周囲、周辺。周囲が悪いので結果的に助からない。(あなたの周りは貧弱で、それ故に貧弱な助けしかない。) このタロットの前に8番が先行し、20番に後続する12番(逆?)と共にあるのを見た若い女の子は、非常に有利な立場にいる。 なぜなら、彼女の慎重な行動が大きな財産を持つ男性に彼女の家の世話をすることを決めさせたことを示すからである。 この男性は、タロットの列で67番が見つかれば自分のために働き、7番が見つかれば他人のために働くだろう。 逆位置では、野心、野望、大望。あまりに野心的なプロジェクトは失敗する運命にある。間違った方向に進んでしまうことを告げている。
☆正位置でのコンビネーション 17番と一緒なら、継承の可能性。 76番と一緒なら、成功はもう過去のもの(もしくは、お預け)。 76番のそばにある場合は、「これから大変なことになるが、すぐに抜け出せる」という警告。 12番と20番と一緒なら、パワフルな男性があなたに興味を示している。
☆逆位置でのコンビネーション 25番となら、悪い知らせ。 25番のそばでは、待ち望んでいた美しい夢を邪魔するような手紙を予言している。 65番に遠くないところでは、狙いが高すぎる。高望みのしすぎ。 65番の隣では、あなたが無駄に情熱を燃やしていること、そしてその対象である人がそれを共有していないことを彼女は教えてくれるが、我慢すること !
・・73番逆・・ このカードは、感傷的な事柄や心の衝動を司る。 このタロットで34番を伴った場合、運勢が不公平になり、せっかくの結婚も逃してしまいそうになるだろう。 もしあなたが結婚しているなら、このタロットはこの不愉快なことが起こるのはあなたの家族の誰かであることを告げているが、 13番の隣では、この結婚が行われることを示し、20番がそれに後続すれば、それは非常に幸運・裕福であることを告げている。 正位置では、恋人たち。愛が微笑んでいるはずだ。 逆位置では、心痛、傷心、秩序のなさ。 このカードは、あなたの出費の無秩序さと経済性の欠如が、必ずやあなたを大恥に導くと告げている。 しかしすぐに、真剣・まじめな警備員が妥協した財政を改善するのに役立つだろう。 心を許した相手の冷たさ、不誠実さを恐れなければならない。 正位置の62番が近くにいて、この苦しい立場にあるあなたを助けてくれる親しい人の友情に頼らなければならないだろう。
☆逆位置でのコンビネーション 12番と一緒なら、人間関係にもっと気をつけることを勧める。
🌒【下関】🌒 ・・60番・・ 孤高と貯蓄のカード。 相談者は一人でお金を持っていることが多い。 (お金だけ置いていかれることが多い。) このカードを最初に引いた人は、近々宗教団体に引き込まれることを予言している。 相談者が男性の場合、このタロットが14番とペアで提示されたら要注意。 相談者が女性の場合、このカードに6番が付随していれば、見捨てられたり無視されることを恐れているはずである。 正位置では、孤高。一人暮らしの願望と戦おう。 逆位置では、貯蓄、セーブ。お金を節約しよう。 賢明な業務管理による確かな成功を告げる。
☆正位置でのコンビネーション 16番に遠くないところでは、放棄、断念。 51番に遠くないところでは、飛行、亡命。
・・51番・・ このカードは、肉体的というより精神的なもの。したがってそれは必ずしも人物表現ではなく、振る舞いを示す。 かなり親しい間柄の性格の悪い未亡人女性が、すぐに再婚する予定・しなければならない。 もし女の子のためにカードを作っているのなら、このタロットの前後に好ましいカードがなければ、相性が悪いので結婚しないほうがよいだろう。 (彼女は結婚するべきではない。なぜなら、このタロットの前または後に有利なカードがない限り、彼女は悪い家庭を作るから。) 1番の隣は、男性が女性より年上であることを示す。 8番の隣ならばその逆。 67番の隣では、このカードは夫が倹約家でないことを女性に伝えている。 78番の隣は「愚かなことをする」 71番の隣は「財産を守るために気をつけなければならない」と告げている。 正位置では、寡婦、やもめ暮らし、未亡人。不幸な出来事。 逆位置では、意地の悪い・悪意のある女性。女性は憎しみをもってあなたを追いかける。 非常に悪意のある女性があなたに危害を加えようとしていることを示し、 彼女が47番のそばにいれば成功し、33番が付随していればその逆が起こる。
☆正位置でのコンビネーション 55番となら、誰かがあなたを傷つけようとしている。 9番となら、自分の心だけに耳を傾ける。
☆逆位置でのコンビネーション 67番逆の近くでは、放蕩のし過ぎ。 78番の近くでは、あなたの無遠慮・軽はずみさ・めまいと戦うこと。 71番の近くでは、重要な・多額の金銭的流出。
・・7番・・ 蛇。 敵意を引き起こすが、支援や保護も与えるので、このカードは必ずしも悪いものではない。 正位置ならば、サポート、支援。 既婚男性の場合は、家庭の幸せ。 若い娘の場合は、思いがけない結婚。 部下の場合は、保護。 蛇が地を這うのは呪いのしるし、海は穏やか、鳥は素早く空を飛び、起き上がるのが難しいことを表している。 このカードは、偉大な人物のサポートを得て、その人物の庇護のもと、あなたが求めていた仕事に辿り着くことを告げている。 相談者が若い女性なら、お金持ちで有名な男性と結婚することを予言する。68番に隣接するこのカードは、トレードで大きな利益を約束する。 42番の遠くないところでは、わずかな遺産を残してくれる親族を失うことを予言している。 71番のそばでは、地方の古い親戚からあなたに送られるお金を告知している。 逆位置ならば、保護。上記の予測は緩和・トーンダウンされている。 あなたの敵は混乱に陥り、長い間絶対的な沈黙を強いられると予言する。
☆正位置でのコンビネーション 特に逆位置での68番の隣では、三連単、ロト、宝くじの当選。 48番となら、小さな遺産。
🌒【若松】🌒 ・・42番逆・・ このカードは、資質に溢れ、健全な喜びを生み出す若いブロンドの女の子を表す。 あなたが大きな関心を寄せている人物から、知らせを受けたり、近々受けたりすることがある模様。 もしあなたが若い男性のためにプレイしているなら、 このカードは彼がブロンドの若い娘と結婚することを伝え、63番のそばでは、彼が多くの子供を持つことを伝えている。 もし若い女性なら、このカードが41番と一緒に出てきたら、彼女は幸運の星にすべてを託すに違いないだろう。 21番に後続すれば、有力者と喧嘩をすることを警告している。 20番の隣では、ギャンブルで大勝ちする兆し。 正位置では、あなたはすぐに恋に落ちるだろう。愛は長続きする。逆位置では、幸せを満喫することを勧める。こ完璧な満足を意味し、特に好ましいカードのひとつと組み合わされたとき、その意味を発揮する。
☆逆位置でのコンビネーション 17番付近では、債務者の死。 56番近くでは、喧嘩。
・・68番・・ この地図は、家庭の地図であり、私たちの住む場所の地図。 また、運任せのゲーム・また、ギャンブルの本場でもある。 このカードは家を表すので、それ自体に価値はなく、 その存在を説明するにはその前後にあるタロットカードを見る必要がある。 例えばこのカードに31番が添えられていれば、自然な意味で、家の中に宝物があることを示していることになる。 正位置では、家庭。家を建てるのも、アパートを購入するのも今がチャンス。 逆位置では、運任せのゲーム。有利なチャンス、それを活用しよう。 21番の隣にあるときは、大金を受け取ることを告げている。 47番のそばでは、長い間あなたに借りがあり、あなたが追いかけている相手が、喜んでとは言わないまでも、 少なくとも強制されたかのようにあなたにお金を払うことになると警告している。
☆正位置でのコンビネーション 31番と共にあれば、よく探せば、隠された宝物が発見できるかもしれない。 38番と共にあれば、あなたの年金はすでに保証されている。
☆逆位置でのコンビネーション 21番と一緒なら、かなりの金額を受け取ることができるだろう。 54番と一緒なら、ゲームに勝つだろう。 47番と一緒なら、債務者がお金を払うだろう。
・・6番逆・・ 空。神秘と、理解することの難しさを伴うものすべてへの願望を表すカード。 天空、夜、ヌイト。 星。 このカードは空を表し、太陽はまだ地球を照らしているが、月の淡い光がそれに取って代わるだろう。 この図形の神秘的な意味を説明するのはそれほど難しくはないだろう。 闇、嵐、日食���告白を意味する。 相談者が高齢者の場合、このカードは長寿を予言する。 それが若い人であれば、長い間計画されていた結婚に多くの障害を経験することになる。 16番のそばでは、超常現象を予言している。 あなたが相談した魔術師は、実現しないことをいろいろと教えるだろう。 正位置では、秘密。少女にとっては情熱の発見。高齢者にとっては長く幸せな人生。 逆位置では、真実。意外な・驚くべき出会い。イルミネーション!混乱した問題の解明や悟りを約束する。
☆逆位置でのコンビネーション 18番と共にあれば、黄疸。 70番と共にあれば、俳優、作家、講演者の失敗。
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teoisine · 3 years
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しゃりしゃり
後期って課題数は少ないから意外とぽんっと時間が空く期間がある程度ある。それをいいことにぐーたらサボってしまいがちだな。。
バイトも週3程度に安定してきて学生としてはちょうどいい。この一年バイト先には恵まれて、ストレスなく働けている。1年半前の自分を励ましてやりたい。
提出日の後、落ち着いた期間に街に繰り出して散財するのが好きだ。よく頑張ったね私〜と自画自賛しながら美味しいものを食べたり、本をたんまりかったり、映画を観に行ったり、友人とおしゃべりしたりする。そこに別に高価なものはなくていい。数百、数千円単位の小さな楽しみをちびちび積み重ねるだけで満たされていく。
話は逸れるけど、洋服のことについて時々考える。私はその人に似合っている、そして好きなものを身につけていればそれでいいと思っている。そしてそれは主観的なものでいいと思う。その中でも惹かれるなあと思うのは、その人の意思のようなものを感じる服を身につけてる人。ブランドのロゴはあまり意志を感じない、逆に妙なディテールをもつ古着を身につけてたりするとここに惹かれて買ったのかな似合ってるな〜って心がぼっと熱くなったりする。
私の父はブランドのもの、高価で質の良いものが好きで私にもよく買い与えてくれてしまう。そのどれもセンスがいいので、調子に乗ってしまうのだけど、身の丈に合わなくてどこか着させられてる感覚になることがある。これはあまり人に話したくないことだけど、自分が身につけるものは自分で稼いだお金で買うべきだしうんうんと悩んで買った服や靴を大切に身につけていきたい(当たり前だ)。父が買ってくれた服が増えるたびに嬉しいのだけどうーんと、どこかがずんと重くなる。
私は意思があるようで、いやあるはずなのに揺らぎやすいとても。昨日下校中に、デザイン職を諦める道も全然ある的なことをクラスメイトに話していたら、それは周りが後押ししても揺るがないもの?って聞かれて、そこまで頑なではないなと思った。自分の性格からして、もし信頼してる人たちが口を揃えてそういうのなら、って簡単に揺らいでしまうと思う。
洋服の話もそうで今書いたことはもうずっと思っているのに、その場で父に何も言えないでいる。
26歳目前にして自分の居心地のよいものや場所や人は、なんとなくわかるようになってきた。揺らぐのは柔軟!ってことにしたいけど、自分の意思から大きく逸れるような柔軟さはいらないなと思う。でも頑なでない揺らぎは、ちゃんと自分として持ち続けたいかな。それがあっての今の私だと思うから。面倒なことも多いけど。
あ、題名しゃりしゃりにしたのは先日観た『Shari』という映画がとても良かったからなんだけど、映画たいうか映像作品、芸術作品という感じで私はかなり好みだった。音が素晴らしくて耳だけで感じる音だけでなく体感する音だった。ドキュメンタリー的な映像と赤いやつの場面の相容れない妙な感じが、私はすごくわくわくした。監督が台本?を書かず紙芝居で最初にストーリーを提示したらしく、それが赤いやつや子どもたちが出てくる場面で、それ以外はおそらく現地での偶然を繋げていったと言う。その流動的な感じ、それこそ柔軟で私は好感を持てた。もう一回観に行こうかな、珍しく。
あー、これ書くの意外と時間吸われるのよね。。さ!洗濯だ!
2021/10/28
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香樟樹芳
香樟樹芳
--あろ
 二十九歳の足取りは地面一面の落ち葉を踏んで、乾いて焦げてもろくて、記憶のクラクションを伴って、瞳が湿って急にリュックサックを置く淡々とした微笑は十年前に考えた成長かもしれない。 青々とした歳月の中で、情洞が開いた時の美しさは歳月の洗浄を経て、あの時のように爱を貪ることはできません。 成熟した後はあまり多くの考えがなくて、ただ抱き合った記憶があって、純粋な相顧みて言葉がなくて、簡単な心の声を歓談します。 数年後、私は自分がまだ誰かを爱していると思って、記憶は軽くて、涙は桜のように頬に落ちて、また3月に微笑んでいます。
「あなたは何を望みましたか?」 私の十七歳の誕生日の時、楊雲は私の前に顔を寄せて、優しく紳士的に尋ねた。
私は簡単に彼に私の愿いを教えます:「私は1部の爱を持って、簡単に生活して、一緒に奮闘して努力して、幸せな生活を送って、一緒に仕事のほかに景勝地を観光します。」
彼は答えを聞いて、かすかに笑った。彼が笑いだした時、国を傾けて、このように頭の中に刻み込まれた。
アブとの8年間の付き合いの中で、私はずっと彼を楊雲の存在だと思っていました。彼が4月に去った時、私はどこにいても、どこにでもその人の姿がありました。
「落、あなたは本当に爱している人もあなたを爱して、离れないで舍てないのですか?」 アブはいつもぼんやりとベッドやソファーのそばに座って、8月の周末、離れる時にやんちゃに私に聞いて、一気に記憶が飛び散って、雨は花びらを打って、深い思索の質問が私に瞬時にアブの微笑と後ろ姿を発見させたことがある。
「私たちは一緒にいることはないと思います。顔色はやつれていて、すべて胡かすで、そんなに多くの結果のない物語が私を年にしてしまう運命にあります。」 私は彼に一言返した。
「いい芸術の答え、あなたは髭を剃る時とても魅力的で、私はとてもやせたあなたが好きで、とてもかっこいいです!あなたは私があなたを爱しないと思って、桜が舞うのはあなたの季節で、私がいない日はあなたに気をつけてください!  彼はそう言って、前髪を指でしごき、ハンドバッグをさげて足早に立ち去った。私はぼんやりと彼の後ろ姿を見ていたが、彼は遠くの空の果てに消えていった。
今年、すでに2020年。長江のほとり、澄んだ水は私に親しみを感じさせた。私は靴を脱ぎ、靴下をポケットに入れ、足を水の中に入れてみた。少し氷があった。春の川の水はヒマラヤ山脈の温度を巻き込んで、遠くの場所の存在を遠くの誰かの親しみを感じているように感じた。 「あの人は大丈夫ですか」 答えのない疑問が可笑しいと心の中で自分に問いかけていました。
立ち上がって、前に向かって、川の水は足首を越えて、澄んだ透明な水しぶきを蹴って、孤独と夕日の相互呼応は私にますます時間の中の遠い人を懐かしくさせます。 携帯電話を取り出して、自分の水しぶきの記念を1枚撮ります。 子供の頃はスマートフォンがなくて、多くの可能な喜びを失って、1枚の写真で十分で、再び元の位置に戻ってビデオを見ます。 共感する働画はすべて1部の自業自得の代入で、彼は超能力で多くの人にダンス、歌をさせて私の携帯電話の画面上で私と対話することができなくて、よく考えてみると、言ったこと、踊ったダンス、歌った歌、私とあまり関連がありません。 人を恋しく思うと、その人は通りの次の角に現れると思ってしまう。
歩き続けると、言葉を忘れた見慣れた場所にたどり着いた。地面一面に落ち葉があり、白いカジュアルシューズがそっと入ってきた。香樟の木の香りが芳しく、マスクをしていてもまだほのかな香りが漂っていた。一陣の風が私の前髪を吹き、葉がサラサラと音を立て、昔のことは雲煙が立ち上がって軽やかに舞っていた。
目尻が少し湿っていた。私は静かにゆっくりクスノキの周りをぐるぐる回って、そっと離れた。子供の頃、友達と一緒に下校していた道を歩いていた。多くの人の姿が目の前に浮かんで、かすかに笑った。それは色に戻って初めて咲き始め、子鹿がドキドキした年だった。
15歳の時、私はある人に会った。  彼の髪は太阳の下で私の好きな茶色を浮かべて、濃い眉毛は故郷の山脈の曲線のようで、目は前方を見て、しっかりとした目は人に英気を感じさせます。 彼の足取りはとても速く、私は彼のかっこよさをじっと見つめていたが、うっかり電柱にぶつかり、本が地面に滑り落ちた。 彼は声を聞いて私の方を向いた。私は本を拾うことに夢中になっ��いた。彼の両手が私の視線の中に現れた。私は感電のように彼の方を見た。 彼は私のために本を拾い上げたが,何の表情もなく,落とし物を私に渡して出て行った。。
日照りが長く続いたので、8月にはアブのプールに行って水浴びをするのが大好きでした。
アブは潜水が好きで、「水の中で完全に泳いでいると、水の流れ以外の音が聞こえず、自分が自由自在な魚のように感じることができます。私はずっと子供の頃のようにのんびりしていたいです。」と話した。
アブは水面に出て、じめじめした髪をしごいて乾かし、両手で顔を拭いた。彼は反対側の池の壁にもたれていた。私はそばの飲み物を持って歩いて行った。 「プールの中を歩き回るのはおかしい」と額を押さえて笑った。
「いつか泳ぎを教えてくれる人に会うかもしれません。私たちはいろいろな場所に行って、澄んだ水の中で泳ぎます。」 私はアブの前に行き、ジュースを注いだ。
アブはジュースを持ってストローを噛み、他の方を見て、それから私の方を見て、私はジュースを吸いながら水面を見てぼんやりしていて、彼は言いました:「オロー、しばらくしたら私は行く、ここは売る、これからあなたは泳ぐ場所がない」。
私は笑顔でジュースを置いて、「どこへ行くの?」と言いました。
彼は首を振って、「遠く遠く」と言った。
「ああ」 私は口から出まかせに返事をした。
「また会えるって聞かないの?」 彼は水面を滑っている。
「昔も昔も同じことを聞いていたのに、今は幼稚だと思っているのに、どうして聞くんだ。遊びに来たら電話してくれ」
アブは両手で水面を叩いて水しぶきを上げ,「プールがないと夏の暑さに耐えられない」と言った。
「昔のように、毎日水道水で水浴びをしています。」
アブはあっけにとられた。私の目尻の余光が気づいて、彼は言った。+++「またあの汚い部屋に戻るの?」
私は水に手を置き、ジュースカップに水がしだいに浸かるようにしました。コップの半分は水に浸かって太陽の光がちらちらと光っていました。私は言いました。「それは私の子供の頃からの仕事です。少なくとも私の部屋はきれいです。 私が大学に合格すれば,すべてうまくいくだろう。。 私は良い仕事を持って、ここを離れて私の望む人生を追いかけます。 私がお金を持って故郷に帰ったら、その部屋を掃除して改装すれば、とてもきれいになるだろう」と話した。
「あなたが話しているのを見ていると、あなたは混乱しています」アブは突然大笑いして言った。「とてもいい家ですが、豚の巣のようで、毎日心配の中で生きています。ほこりだらけで、雑貨の山だらけです」
「どこにも行くところがないんですが……」
アブは私の言葉をさえぎって、カップをプールに投げて、両手を私の頬に置いて、しっかりとした目で私に教えてくれました:「自分の梦を追いかけて、私は華灯初上の場所であなたを待っています!」
私は素早くしゃがみこんで全身に水を浸し、水から立ち上がると水しぶきがあふれた。 揺れる水滴がアブの体にかかり、私も髪をしごいて顔の水を拭いた。
アブは避け、笑いながら「恋をしました」と言った。
私は驚いて目を大きく見開いて、「いつ結婚するの?」とたずねた。
彼の微笑みは恋の蜜壺に浸り、目には愛の甘さがあふれていた。 私は首をくねらせ,口をとがらせて言った,「彼女はきっといい娘だ!」
「これからきっとあなたを爱する人があなたの春秋冬夏に付き添うことができます!」
「ああ、最近ある人に会った。その人の顔はかっこよくてきれいで、身なりがきちんとしていて、彼とすれ違った。とても魅力的だった!」 思い出に酔いしれています。
「彼と同じ品位を持ちたいなら、頑張ってください。あと5、6年もすれば、あなたもかっこよく、魅力的になるでしょう!」 アブは拳を握って応援してくれた。
これからの週末、私は射撃場で射的の練習をします。 半年ほど練習して、また出会った人に会って、ぼうっと見て練習していました。
彼は防音イヤホンを外して私を見て、一緒に隣に行って飲み物をごちそうしてくれたのですが、「4、5ヶ月になるのに、いつも私のことを見ているのはおかしいと思いませんか」と言いました。
私はジュースを吸いながら、首をかしげて考えた。+++「楊凱雲、私はあなたが好きです!」
「ああ」 彼は後ろ向きになり、口調を長く延ばし、興味深そうに私を見ていた。
「お名前は?」 彼は1度まばたきをしただけだ。
私は楊雲の目を見て、両足を腰掛けの上に曲げ、両手で膝を抱えて言った。+++「あなたの目は……私を落と呼んでください」
彼の目はすばやくまばたきをして、微笑が凝結して、続いてため息をついて、整然とした歯を現した。+++「升元は阿落と呼ばれていた!」
楊雲が口をおおった。+++「あなたにはガールフレンドがいるんじゃないの?私のことが好きなの?」+++楊雲はあわてて顔をそむけた。
私はジュースを一口飲んで、彼の目をむいて、自分の悲しみを偽装して言った:「誰も私を好きではありません!」
彼は首を横に振って、「夏休みはどこへ行きたいですか?」と尋ねた.
「最近悲しくて、遠くへ行ってリラックスしたいです。」私はジュースカップをうつむいた。
楊雲は立ち上がった。私は顔を上げて彼を見上げた。+++「そのうち出張があるから、一緒に旅行しませんか?」
私はうれしそうに椅子から飛び降りて「はい」と言った。
一週間後、私と楊雲は飛行機に乗った。彼は私の右手に座っていた。
私は飛行机がゆっくりと上昇するのを見て、ゆっくりと飛んでいる感じがして、窓の外の翼が都市の中を通り抜けて、私は飛行机が都市の電線と密接に接触することを心配して、飛行机が早く雲に到着することを祈ります。
楊さんは私の心配を察し、「パイロットの操縦能力を疑っているのか」と尋ねた。
私はすぐに口をふくらませ、「いいえ、ありません。私は……私はただ、このような飛行機に乗ったことがないだけで、少し特別な感じがします」と言った。
「おお!」楊雲は眼帯を下ろし、位置に横になると、すぐに呼吸が均一になった。
彼が眠ってから、私は窓の外の景色を見て、だんだん退屈になって、運転室に行きました。
操縦室の中のパイロットはハンサムでかっこよく、痩せた体は私よりずっと背が高いようで、私はそばに座って前方の星空を眺めていた。
黒幕のような空に無数の星が瞬き、天の川のリボンがかすかに見えた。これまで見たことのない奇麗な景色を、私は思わず遠くの空を眺めていた。私は空の美しさに驚嘆した。「うわっ!」
パイロットは「大人になったら何が一番したいですか」と微笑んだ。
私は彼の横顔を見て、長い間考えて、言いました:「私は生活を良くすることを考えて、望みがなくて、自分の好きな人と一緒に努力してお金を稼いで、それから人生の意義を体験します。」
「あなたの好きな人はあなたを好きですか?」 と彼は尋ねた。
私は嘆息して言った:「まだ会っていない、ある日あのとても私を爱している人に会って、私達は一緒に魅力の都に行きます。」
「目的地に着いたら、もっと外に出てください。」
しばらくして、私はコックピットを出て、二枚の布団を持って楊雲のそばに帰ってきた。夜は少し涼しかったので、彼のためにカバーをしてあげた。 私は自分で豆乳を一杯飲んで、口をきれいに塗って、彼の左手をカバーして、私はカバーの中にうずくまって、彼の手を握って夢に入った。
アナウンスで目を覚ましたが、窓の外の空はまだ夜だった。私はコックピットに向かい、飛行機がゆっくりと路面に着陸するのを見ていた。
前に2人いて、彼らは雑談をしています。 私はパイロットと一緒に飛行機から降りた。彼は私よりずっと背が高く、私たちは話をしながら楊雲を待っていた。
私はパイロットに言いました「一緒に街を見に行きましょうか?」
パイロットは「明日の午後は出勤するので、ゆっくり休む必要があります」と携帯電話を取り出した。
携帯電話を取り出して彼と連絡先を交換した。 楊云は私にいくつかのことを話して、1枚の地図とホテルの情報をあげて、飛行机の前の人と車を走らせました。
私は遠くに手を引いたが,1台の車が私を乗せて去っていった。 ホテルに向かい、部屋に入ると、洗練された内装に驚かされた。
私は部屋が私に与える静かな体験がとても好きで、壁の絵は独特で面白くて、私はソファーに座って、天井を見て、軽く呼んでいます:「私がいつかたくさんのお金を稼いで、毎日このような環境の中で、とても安らかで、1人の私を爱する人がいて、一緒に生命の繁栄を享受します。」
私はバスルームに行ってシャワーを浴び、パジャマに着替えてベッドに跳び、すぐに眠りについた。
私は目が覚めて浴室に行ってシャワーを浴びて、服を着て、テレビ番組を見て、しばらくして、あまり面白くないと思って、遊びに出かける準備をしました。 帽子をかぶり、マスクをして、カバンにコチュジャンを入れて、シャツにジーンズに白いスニーカーを入れて、鏡の前で左右を見ていると、きれいだと思って出てきました。
都会では故郷のように挨拶もせず、デパートの近くを歩いて街をぶらぶらしていた。  肌の色が違う人たちが行き交っているのに惊きました。彼らの格好はすべて違うのです。 ジュースを売っているところに行くと、財布の中に楊雲からもらった数百元が入っていた。 マスクを外してジュースを飲んでいると、ふとこれが私の望む生活だと思った。
多くの人が私を振り返ったので、私は急いで帽子をかぶった。 持っていた小さな鏡を取り出し、ウェットティッシュで頬や額を拭き、リップクリームを取り出して唇を潤します。 私は地図に沿って公園に向かった。そこにはたくさんの人が芝生に座ってレジャーしていた。 私も芝生に座って、みんなが走ったり遊んだりしているのを見ていました。 私は地面に横になって、一言を思いつきました:あなたと国際的な大部分で、公園の太阳を体験して、緑の叶と風がそっと揺れて、光線はまだらで、あなたは私のそばにいます。
広場のスクリーンは広告をカルーセルに放送して、私は人の波の大通りを歩いて、孤独な感じは私にしばらくの時間に付き添った人を思い出させて、私は少し寂しいです。
夕方までぶらぶらしてホテルに戻ると、楊銀云は髪をじめじめさせながらソファーに座ってテレビを見ていた。彼は私に「食べましたか?」と尋ねた。
私は彼の顔を見て、「さっきハンバーガーを食べたのに、口の中にまだ味がある」と言いました。
「早く洗面しろ」
私は急いで服を脱いで、一日中の汗の汚れを洗った。洗面が終わると、パジャマを着て楊雲のそばにやってきた。
「これから使ったパジャマやタオルはホテルに交換してもらい、きれいにしなければならない」と話した。
私は急いでうなずいて、「私が初めてあなたを見た時、あなたは遠く離れていると感じて、あなたは今私のそばに座って、夢のようです。」と言いました。
彼は振り向いて私を見て、言った:「今あなたはまだ小さいので、あなたのだらしない格好を受けて、私はずっとあなたのそばにいて、あなたがふさわしくないかどうかを見て、他の人はあなたを離れないで、あなたはどんなに自分を爱します!」
私は目をぱちぱちさせて言いました「私はあなたが言ったことを考えていませんでした。あなたは私に自分を愛することを教えてくれました」
「あなたの髪は濡れています。母は髪を乾かさないと脳卒中になりやすいと言っていますが、乾かないのですか?」 私は彼の意見を尋ねている。
「あなたと私の関係はあまりよくないので、髪を乾かすのを手伝ってください」と口元を弧を描いて言った。
私は浴室に行ってドライヤーを出し、不慣れに髪を吹いてあげた。
「ドライヤーは初めてですか?」 彼は優しく尋ねた。
「髪を洗った後、私はすべて髪を乾かします。あなたのためにうまく吹いていないので、あなたの髪を乱すのではないかと心配しています。」
「あなたが髪を吹いてくれるのを楽しんでいます。久しぶりにこの感覚を体験しました。」
「どんな感じ?」
彼は軽く首を振って,笑って答えなかった。。 彼のために髪を乾かしたので、ドライヤーを元の位置に戻した。
「私は今日街をぶらぶらしに行って、とても小さい時私はずっと世界の1つの街、1つの市と思って、そんなに大きい都市は私にとても斬新だと感じさせて、多くの異なった人種の人、彼らの顔は私達のと異なって、しかも着ている服も異なって、私はこれから私がここに住むことができると感じます。」 私はソファーに座って、彼の右手を引っ張って言った。
「大金を稼ぐんだな。道音痴のくせに、引き返す道が見つからないのが心配だ」楊雲はリラックスして、だらしなく横になっている.。
「最高の卒��プレゼントだ!」
「私たちは3日間しか滞在しないので、悔いのないように急いで遊びに行きましょう。この旅があなたの心の傷を癒してくれますように。」
「自分がなぜ悲しんだのかわからない。何か毒を飲んで胸が苦しくなって涙が出たのかもしれない。友情が招いたものだと自分で勘違いしていた」。
彼は私の手をしっかり握りしめて、私に言いました:「あなたはただ一人のガールフレンド、ただ一人の彼氏、二人はあなたが長年持っていない友情、あなたは大切にして、あなたは爱して、更に多くの抵抗はどうしようもなくて、未来の道は孤独ですが、しかしあなたは直面することをマスターします!」
「あなたは私の友達ですか?」私は眉をひそめて尋ねた。
「あなたがいつも眉をひそめていると、あなたの眉の角に筋肉の塊ができて、悪魔のような顔になります。私は子供をだましたくありません。あなたと私は友達ではありません。私はいずれあなたを離れます。あなたは最近脳が混乱しています。私にはわかります。あなたは自分で自分の面倒を見てほしいです!」
「私はずっとあなたを愛して、ずっとあなたを好きになって、私は初めてあなたに会った場所に留まって、あなたを離れません!」私は彼の手をつかんで、心臓の近くに置いた。
「あなたは私の容姿に惹かれますか、それとも私の服装に惹かれますか?」
「みんないるよ。それに、君の身長がうらやましい。残念なことに、周りの人がくれた毒で、これ以上伸びられない。一メートル六五の背は一生の恥だ。これからは自分をおしゃれにして、自分を美しくしよう」
「今のお前もブサイクじゃない!」
「最近不眠になりました。この先ずっと不眠が続くのではないかと思います」
「お供するから、ベッドに行くから、話をしてあげるよ」楊雲は私の王女をベッドに抱き寄せ、私は彼の右側に横になって、彼の話を聞いた。
は簡単な物語で、私がこの本を書いた時、私たちはやっとその中の哲理を理解しました。
「昔、一匹の子猫と一匹のウサギがいました。彼らは仲のいい友達でした。子猫はいつも川で釣りをしていました。ウサギはいつも土の中で大根を掘っていました。彼らは仲がよくて、毎回一緒に食事をしていました。残念ながら、子猫は魚を食べず、子猫は大根を食べないので、魚がなくなったり大根を掘ったりしたら、一緒に別の場所に行きます。」 楊銀云は水を一口飲んで、続けて言った:「ある日、彼らは新しい場所に行って、1匹の小さい黒いウサギと1匹の小さい黒い猫を見て、彼らはこれまで離れたことがなくて、心地良い大きい家の中で住んで、幸せな生活を送っています。 白いウサギと猫は一瞬にして素敵な生活に惹かれています。 毎日小さな黒いウサギは大根を掘るだけでなく、勤勉に大根を植え、小さな黒い猫は池を手入れしているので、彼らの食べ物は絶えず、小さな白いウサギや猫のようにあちこち移動する必要はありません。 食料探しや移動に多くの時間を費やす必要がなくなり、家や垣根、家具などの建設に多くの時間を費やすことができるようになりました」と話しています。
楊雲は私を見て続けた。+++「白うさぎと猫は、自分たちを受け入れないのではないかと恐れていたが、受け入れてほしいと思って勇気を出した。白うさぎと猫は喜んで受け入れてくれた。数年後、彼らは城を建て、より多くの仲間を持つようになった。彼らはこの上なく幸せに暮らしている」
楊雲は「話が終わったら、もう寝るぞ」と言った。
「あなたの前では子供のような気がします。あなたが物語を話してくれて嬉しいです。当座はすぐ寝ます。今夜は一緒にいてくれませんか?」
「うん」 彼はきっと、私はすぐに甘い夢の中に入った。
毎日私はすべてぶらぶらして、車に乗って窓の外の都市の風景を見ます。  夜、楊雲と夜景をぶらぶらしていると、美しい都市を見て、「思春期にマスクをしていたのに、ある日、私の美しい顔がきれいでなくなって残念ではないかと思ったことがある」と話した。
楊雲は私のこの感嘆を聞いて、思わず大笑いして言った。+++「もしかしたら本当にいつかあなたはブスになるかもしれない!」
「それはひどいことになるだろう。しかし、私は怖くない。十分なお金を稼げば、自分の顔を美しくすることができるはずだ」。
「マスクを外してもいいですよ。あなたの肌はそんなに白いので、誰も変だと思わないでしょう。それに私がいるのに、何が怖いのですか?」
彼の話を聞いて、私も自分は安全だと思ってマスクを外すと、通行人はいつも振り向いて私を見ていて、私は少し恥ずかしかった。 当時はまだ「リピーター」のようなネット言語がなかったので、彼がそばにいて安心しました。
その日の夜、私たちはステーキを食べに行って、もっと遠くへ行って、ホテルに帰って、私は彼に聞いた。「せっかく外出したのに、ほんの数日だけ滞在しますか?」
楊雲は私の頭を触って言った:「私はすでに事を完成しました。もしあなたがまだ新鮮な感じがあるならば、私はもっとあなたと一緒にいてもいいです。」
「一日二十四時間、私に付き添うということですか?」
楊雲はうなずいた。 私は彼の懐に飛び込んで言った,「お兄さんが甘やかしてくれてよかった!」
楊雲は私を胸に抱きかかえて、「いつ自分の部屋に戻るの?」とたずねた。
「なに?」 私は少し疑問に思っています。
「あなたの家は小さいですが、そこはあなたの部屋です。いつまでも両親の家に居座っているわけにはいきません。」
私は楊雲を見て答えた。「私は経済的に独立していない。両親のところに住んでいない。どうやって服を着て食事をするのか。読書の学費さえ、自分で稼げると思うか。あなたは私があなたに要求してもいいと思う。おそらくこの見知らぬ国際的な大都市では、見知らぬ人はあなたと私の仲がいいと思うだろう。私は若いので、あなたに頼ることができる。  あなたは出張のついでに私を連れてきてくれただけです」と話していました。
「あなたの言うことを聞いて、私はとてもうれしくて、私もあなたに隠していないで、この数日付き合ってから私はすぐに離れることができます。」 楊雲の表情は少しばつが悪い。
「私はあなたの仕事を理解して、私は依然としてとてもあなたを爱しています!後で私達はまた会うことができますか?」
「知らない!」
「じゃあ、縁に任せて!こんなに長く付き合っているのに、まだ何歳か聞いていないんだよ」
「知っているかと思った」
私は「わからない」と首を横に振った。
「今年二十二、三歳です」
「素敵な年齢!私があなたの年齢の時、とても幸せになりますように!」
「重慶に帰ってから、どうするつもりですか?」 楊雲は私に抱きついて尋ねた。
「仕事を続けていて、給料はそんなに高くないけど、まだ若いんです。 もともと公務員になることを望んでいましたが、私のこの様子では、すべての人は私が最低であることを望んでいるようで、基礎も壊れて、不可能になるはずです。 私は良い大学を勉強して、良い仕事を見つけて、私の小さい家を改装して、自分で大きい部屋を買って、店を開いて、企業を経営します。 安定した収入があって、あちこちぶらぶらして、私はまだ世界を見たことがないので、私は見に行く必要があります。 余生を楽しみ、シンプルにして気持ちよく過ごしていきたい」と話していました。
楊雲は慎重に私を見て言った。+++「あなたが欲しいのは、鐘鳴絶食の生活です!」
「そうです!」
「いつか本当にやったら引っ張ってくれる?」
「私はできるだけ三十代に目標を達成して、毎年一、二百万の利益を上げて、できるだけ毎年利益を上げて、私が一千万の時、もしあなたが来てくれるなら、私はあなたの到着を歓迎します。その時、このお金は私たちの生活費に十分でした。しかし、私が本当にやり遂げなければなりません。さもなくば、あなたは私と一緒に貧しい生活をしなければなりません。」
「落ちゃん、どうして私に要求してくれと言っているのに、あなたは私に要求してくれないの?」
私はそっと言いました「今のあなたは私に何を手伝うことができますか?  あなたの羽ばたきを待って、もし私が思いついた目標を達成するならば、あなたは私を助けて、スタートアップ資金を稼ぐのはとても容易ではなくて、私は短期的に台頭することができません。」
「もし私があなたを助けられなかったら?」 楊雲は慎重にたずねた。
「それはいいんですが、私はあなたの大切な人間ではありません。あなたはどうするつもりですか?」
「あなたの思いやりに感謝します。あなたに出会ったのは私の幸運です。私はあなたの秘密を守ります。絶対に言いません!」
「ありがとうございます。実は秘密でもありません。私はもう慣れています」
「私の計画は簡単で、きれいな女房を探して、これで過ごしました。」
「いいつもりですが、もう適当な人はいますか?」
「まだ追いかけています」
「成功を追求してほしい!」
「あなたも将来、企業を成功させてほしいです。これからも故郷に帰ってくるのですか?」
「あの人たちはまだそこにいます。私はいつも帰ります。年をとったら重慶に残ります。江津の冬はとても寒いので、南岸に住むかもしれません」
「お金があったら、暖房器具をつけて、家政婦が面倒を見てくれるのに、まだそこにいるの?」
「もちろんです。毎日をシンプルに過ごすのはいいですよ。でも、都会の生活を見ていると、故郷のような『あっさり』した人生に慣れるかどうかわかりません」
「だから、未来ははっきりしない。君は帰って、そこに住んで、家族と一緒にいるべきだ。君が去った後、帰るのは難しいと思う。」
「私はあなたの言うことを理解しています。それも正しいです。私のような青二才は、小さい頃からそうで、どこへ行っても家です。卒業したら、広州に行って、お金を稼いで、だんだん発展していきます。いつか、私の会社が深圳のA級オフィスビルにあり、私はそこで仕事をしたいと思っています。」
私達は更に2日間滞在して、この2日間楊雲の付き添いがあって私はとても幸せで、私達は更に遠い観光地をぶらぶらして、残念ながら写真を撮っていません。
楊雲さんは「ある日、あなたは文章を書くことに成功して、私たちが歩んできた場所と楽しみを文字に変えました」と話した。
幼い私には写真の記念の意味がわからない。もし最初に撮った写真を今出しても懐かしく感じる。
帰りの飛行機の中で、私は豆乳を一杯持って、「この1年間、一緒にいてくれてありがとう」と言いました。私はリュックの中からロリポップを二つ取り出して、一つを渡しました。「私にとって、ロリポップは最高のキャンディーです。甘くて幸せです。あなたも、ロリポップを味わうように、甘くて幸せですように」
彼はロリポップを取っていたので、私は自分のロリポップのパッケージを切り裂いて口に入れました。楊さんはキャンディーを味わいながら、「一人に好かれるのはいい感じです」と話した。彼は荷物を開けると、中にアルミ製の金属製の箱が入っていて、私に渡してくれた。「あなたへの贈り物は何もない。あなた���7歳の時から射撃が上手だった。この中にはシミュレーションモデルの銃が入っている。記念に取っておいてください」。
私は彼のいわゆる贈り物を受け取り、箱を開けると、中にはこじんまりとしたアメリカのコルトM1911の模型が入っていた。私は模型銃のベルトをほどいて、銃身を触って、「これは全金属の?」
楊氏は「金属製品の保存は長続きするだろう」と優雅な口調で語った。
「プレゼントしてくれてありがとう。年下の私には、わからない」私は銃を置き、アルミ製の金属製の箱を隣のテーブルの上に置いた。私は「あなたを初めて見ました。その感じはすばらしいですね」と続けた。
楊雲はあっけにとられて、それ以上何も言わなかった.。
飛行機が着地した後、すでに明け方になっていたので、私は楊頂雲からのプレゼントを他人に渡し、「家に帰るのにこれを持っていくのは不便だから、後でくれ」と言った。私は楊雲の乗り継ぎ機を送って出発し、飛行機の灯りがだんだん上がって、だんだん消えていくのを見ていた。
私はため息をついて、中区に行って、ケーキを買って、部屋に入りました。
私はろうそくを取り出して、全部で16本、ケーキの上に挿して、ろうそくに火をつけて、愿い事をして、また一気に息を吸って、ろうそくを吹き消して、私は自分に言いました:「今年16歳、私の誕生日おめでとうございます!」
私は鏡の前に行って自分に言った。+++「これからどんなに憂鬱になっても、そんなに強い酒を飲むな!」
私はワインキャビネットのワインを一本取り出して、自分のために小さなコップを注いだが、酒のにおいを嗅いで急に吐き気がしたので、急いでコップの酒を捨てた。
「しまった。胃に問題があったので、体を養生しなければならなかったが、残念ながらこのラフィーの瓶だった」 私は木栓をしっかりと瓶の口を塞いだ。+++「これからも飲めたらいいのに。馬鹿だよ。これは半年分の給料だよ」
私はケーキを分けて、自分で1人前食べて、あまり食べないでお腹がいっぱいになりました。
横になって3時間以上休んで、車を走らせて江津周辺に行くと、ヘリコプターが待っていて、私はロープを締めて、ビルの屋上に着陸した。
階下に下りて、ドアを開けて、ベッドに横になって引き続きぐっすり寝て、私は疲れて大変で、夜両親が家に帰って私も知らないで、勝手に何かを食べて、また引き続き頭を逆さにしてぐっすり寝ます。
真夜中に目が覚めて、私は戸棚の中のPHSを充電して、誰も私に連絡してくれませんでした。
ベッドの縁に座って、この町はとても悲しそうで、突然眠れませんでした。 テレビをつけ、音楽番組のランキング音楽を聴いているうちに、心が落ち着きました。
その数日の朝早く母の仕事の場所に行って、毎日すべて数十斤の唐辛子を粉砕して取引先にあげなければならなくて、私はちょうど休みで、そこで手伝いをして、毎回鉄板を持ち上げて唐辛子を粉砕する時、私はすべて井山兄と天蕊を懐かしんでいます。
私は100元余りを使って車店で自転車を買って、午後何の用事もない時広場で練習しました。
母は眉をひそめているのに、「こんなに安いと壊れやすい」と笑っていました。
「とりあえず覚えておきましょう。壊れたら捨てても、どうせ高くはありません」 私は彼女を慰めて言った。
初日はなかなか上手になれず、どうやってもバランスが取れなかったが、翌日はおじさんやおばさんの助けを借りて、自転車を覚え、四、五メートル走れるようになった。
自転車を覚えた後、私はとても川辺で自転車に乗ることが好きで、風は服の襟を吹いて、私は自分の新しい1年の出逢いを迎えて、あれらのすばらしい記憶はこれで一段落しました。
私は川のほとりに立って、夕日を見て、美しい夕日に言いました:「あなたに出会うことができて、あなたとしっかり抱き合うことができて、あなたは私に最高の贈り物です!」
瞬く間に、二十九歳、大木を歩いて、軽く心を比べて、あなたが無事であることを祈ります。
 完了:2020年5月18日月曜日
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koudelkalightnovel · 6 years
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Collections of Hiroki Kikuta’s blog
1997年秋から1999年末まで携わった、 「クーデルカ」という仕事は、僕の人生の中で大きな意味を持つ。 嬉しかったこともあり、残念だったこともあり、しかし、制作に費やした二年間は、 無駄ではなかったと、��振り返って思う。 サクノス立ち上げに助力していただいた、元セガ副社長の故藤本敬三氏の思い出。 ロサンゼルスはウエストハリウッドでの夢のようなモーションキャプチャーセッション。 胸に浮かぶままに、語るべきことは尽きない。 ここでは、写真、設定資料、デザイン画を中心に、ゲーム制作のプロセスと、 その印象を綴っている。 クーデルカのための宣伝用イラストレーション/1998 岩原裕二 部分 このサイトは、1999年12月にプレイステーション向けホラーRPGとして発売されたゲーム「クーデルカ」のディレクター菊田裕樹が、制作資料の掲載や作品解説を目的として運営するものです。ゲームをプレイしてくれたユーザーが、より深くクーデルカの世界とその魅力に親しんでもらうために、僅かなりと助けになれれば幸いです。 --- 「クーデルカ」のモーションキャプチャーは、1999年1月、ロサンゼルスはサンタモニカにあるスタジオで収録された。技術面を担当したのはフューチャーライト。普段は「ゴジラ」等のハリウッド映画のSFXを担当している映像制作会社である。遡る1998年9月、僕はイベント系を担当する人員の不足から、それを全てモーションキャプチャーで賄うという構想を建てた。全体で見れば一時間をこえるイベントシーンを、手打ちのアニメーションとスクリプトで実現しようとすれば、5人がかりの仕事となる。しかも、一向に従来のRPGの域を出ない、面白みの無い方法だ。ゲームのドラマ部分を表現するために、効果的で、目新しくて、しかも大きな省力化になる方法として、モーションキャプチャーは画期的な試みだった。無論、問題はあった。技術的に不可能だというのだ。物語の性質上、最大4人を同時にキャプチャーし、併せて音声も収録する必要があったからだ。僕はまず、日本国内のスタジオで実験をし、手応えを掴んだ。その結果、モーションキャプチャーは十分に魅力的な効果を生み出すという確信を得た。しかし同時に、僕の要求する仕様は日本国内では実現不可能であるということも分かった。だが、そこで諦めてはクリエイターが廃る。幸い、以前「双界儀」の録音でお世話になったデイブレイク社の大竹氏が、海外のコーディネイターに詳しいというので、畑違いながら探してもらったら、ロスにそれらしい技術を持った連中が居るという。早速連絡を取り、俳優のオーディション方々会いに行った。ところが実際に会ってみると、彼等も僕が考えるような仕様でキャプチャーをしたことがなかった。4人を同時に、音声もいっしょに、しかも数分に及ぶ芝居をいっぺんに収録する。そんなの聞いたことがない。しかし驚いたことに、面白そうだから是非やってみょうと、彼等は言ったのだ。新しいことにチャレンジするのが嬉しくてしょうがないスタッフ達。こうして、この前代未聞の試みは実現したのである。 クーデルカを演じてくれたヴィヴィアンとエドワードを演じてくれたマイケル。100人程のアクターをオーディションした中から選んだ人達だ。アメリカのアクターの層は厚い。皆、良い作品に出演することを夢見て、演技の勉強をし、技術を身に付け、レストランなどで働きながらハリウッド近辺で暮らしている。アメリカでは基本的に、どのような有名な役者でも、名前だけで出演が決まることはない。必ずオーディションをして、その役に本当に相応しいかどうかを確かめられる。彼等は、役の大小に限らず、それを勝ち取ることに真摯で、また仕事に臨んでも出来るだけ良い結果を残そうとする姿勢を崩さない。 セッションに参加してくれたスタッフ達。フューチャーライト側から、モーションキャプチャーの陣頭指揮にあたってくれたダン・マイケルソンをはじめ、プログラマーのランディ、エンジニアのジョン。彼等は4日に及ぶセッションの中で起った、様々な問題に素早く対処してくれた。日本側から、クーデルカのモーションを担当した竹原君。IPG側から、わざわざこのコーディネイトのためにニューヨークから駆け付けてくれたポール。そして、サウンドエンジニアのキース。 写真中央、このセッションのディレクションを全て担当してくれた、IPGから参加のデビッド・ウォルドマン。彼は日本でビデオクリップのADをしていた経歴があり、日本語が話せたため、今回の仕事に適任として選ばれた。映像制作の現場でのノウハウや、その進行に関して、彼に学ぶところは大きかった。その後、ロスでムービーキャメラマンの学校に入り、本格的に映画制作を志しているらしい。左は、デビッドの女房役のADであるクレイグ。右に居るのは、9才のシャルロッテ役を演じてくれた12才のサラ・パクストン嬢。その可愛らしさで、スタジオの人気者だった。しかし、プロとしての意識は本物で、長台詞を覚え、慣れないキャプチャーに戸惑うこともなく、見事に演じてみせた。下の写真は、キャプチャーセッションに先立つ、リハーサルの時のもの。近くのホテルで部屋を借り、本番の時と同じように、全ての芝居をチェックする。この時キャラクターはどんな気持ちなのか、何を考えながら演じればいいのかを、ひとつひとつ、押さえていく。このシーンは、クーデルカとエドワードが、オグデンとベッシーにスープを振舞われるところ。中央に、いかにも人の良いおばさんを演じてくれた人の良いおばさん、デニス・ホワイト。 スタジオというよりは工場といった有り様だが、実際すぐ横にプロップを組み立てる工房があったりした。一応サウンドステージとして作られてはいるのだが、防音がしっかりしていないため、上空を飛ぶ軽飛行機の音がうるさくて、撮影が中断したのには参った。真中に置いてあるのは、ジェームズら3人が大聖堂に入る扉が開かなくて悪態をつくシーンのための大道具。例えば、扉を叩く芝居が欲しい時に、何もないのにそういう振りだけしても、リアリティーは生まれない。扉を叩く時には、そこに扉があるべきだ。下の写真は、ゴミの山に埋もれてひっそりと稼動しているSGIのONYX。これに限らず、驚くような機材が、ごく当たり前に使われているのをあちこちで見た。聞けばそれらは全て、レンタルなのだという。こういう所にも、日本との状況の違いを感じた。右は、連日に及ぶ深夜の撮影で疲れ果てて眠りこける僕。 2000/11/25 菊田裕樹 --- ヴォイニッチ文書 部分 Emigre Document 紀元前5000年をさかのぼる昔、ブリタニアには高度な巨石文明を持った民族が栄えていた。今も島のあちこちに残るドルメンやストーンサークルは、現代科学を持ってしても不可能と思われるほどの彼らの技術力を、我々に示している。彼らはケルト人が到来するまで、全世界でも最も進んだ文化と文明を持つ民族であった。エジプトでピラミッドが建築される遙かに昔。中国、バビロニア、イスラエル、どの文化圏よりももっと以前に、ブリタニア全土に分布する巨石遺構は建てられたのである。 その力の秘密は、彼らの持つ宗教にあった。彼らは大地より湧きいでる生命の秘密に手をかける術を知っていたのである。生と死を操り、不死や、あまつさえ死者の再生をも我がものにし、労働力としての人間ならざる怪物を生み出し、高度な文明を築き上げた。それは自然の持つ輪廻の法則そのものを御する行いであり、神の為す神秘に等しい。いや、彼らこそが原初の「神」だったのかもしれない。彼らはその「神を遙かに遡る世界の成り立ちの秘密」を、文字にして書き記すことはなかったが、その祭儀や術としてのノウハウは、ケルト社会のドルイド僧に引き継がれた。ドルイド僧は古代人の残した祭儀法を基盤に、自分たちなりの技術的アレンジを加え、古代人には及ばないまでも、天地の秘密を力に変換することを自らのものとした。 だが、彼らもまた、自分たちの慣習や宗教に関して書き残すことをしない。ケルト民族の在りように関して最初に言及したのは、まさにそこを征服せんとして兵を進めたユリウス・カエサルである。しかし、彼が紀元前50年頃に「ガリア戦記を」書き記す以前に、前4世紀頃ケルト民族と親交のあったアレクサンダー大王が、アレクサンドリアの大図書館に收めるべく、ドルイドの秘儀をギリシア語で文書化させていたのである。彩飾図版を交えて作成されたこの文献は、その任に当たった人物の名を取って「エミグレ文書」と名付けられた。 この文書は閲覧を禁じられた秘密の書として王宮の図書館に保管された後、戦禍を逃れて持ち出され、数世紀の間、各所を転々とする。その間にはキリスト教の成立やローマカトリックの隆盛などがあるが、6世紀に入り、アイルランドに様々な修道院が建設され、写本事業が盛んになった結果、イタリアの片田舎に忘れられていた「エミグレ文書」は、リンデスファーン島にある写本で名高い修道院に持ち込まれた。だが、ギリシア語に堪能でない彼らは、内容の美しさや彩飾の艶やかさに目を見張りこそすれ、文書の持つ本当の力に気づくことはなかった。 9世紀に入って、度重なるヴァイキングの来襲により、蔵書の保存に危機を感じた修道院は、重要な文献を各地に避難させ始める。アイルランド生まれで敬虔な信者であるヨアヒム・スコトゥスとダニエル・スコトゥスの兄弟は、大修道院長より「エミグレ文書」を託され、その内容に驚愕した兄ヨアヒムは弟ダニエルをウェールズの辺境にあると記される聖地へ赴かせ、自らは写本を携え、フランス王の元に庇護を願い出た。弟ダニエルは聖地で修道院を建て、祈りを捧げて一生を終わる。兄ヨアヒムは碩学として歴史に名を残すが、その死後、ローマ法王庁に写本を接収されてしまう。 キリスト教を脅かす力を持ったこの文書は、ローマ法王を恐怖させ、禁断の書物として誰にも閲覧を許すことなく、書庫の奥底にしまい込まれたが、13世紀になってその損傷の激しさから、新たな写本を作る必要が生じ、当時最高の知識人として名高かったフランチェスコ会修道士ロジャー・ベーコンにその任が与えられた。彼は10年にも渡ってフランスに幽閉され「エミグレ文書」を精確に複製することを強いられたが、その過程で文書の知識は彼の物となった。秘密を守るため彼をそのまま監禁し、二度と世に出すまいという法王庁の意図とは裏腹に、彼は密かに外部と連絡を取り、自らが解読した文書の示す聖地へ赴き、生命の秘密を探る試みに取りかかるべく、着々と準備を進めていた。 彼は、先にダニエル・スコトゥスが建てた修道院を改修し、実験施設となるべきゴシックの大聖堂を建築させた。そこで彼がどのような秘術を試みたのかは、記録に残っていないが、法王庁の手を逃れフランスを脱出した彼は、二度と姿を現すことはなかった。彼は、姿を消す前に、新たな一冊の写本を残している。エミグレ文書の記述を元に、ウェールズ語の暗号で書かれたその写本は、聖地の修道院に残されていたが、16世紀になってエドワード・ケリーとジョン・ディーによって発見され、新たな写本として書き直され、さらにローマの修道院を経て、20世紀になって古物商ヴォイニッチによって再発見され、ヴォイニッチ文書と名付けられて、現在エール大学のベイニック図書館で閲覧できる。 また、ロジャー・ベーコンによって複製された「エミグレ文書」写本(原典は破棄された)は19世紀までヴァチカン宮殿の奥深くに秘蔵されていたが、1890年頃何者かに盗み出され、以後その行方を知る者はいない。ダニエル・スコトゥスが建てた修道院は1536年の修道院廃止例の後、政治犯や重要犯罪人を拘留し処刑するための施設へと転用され、聖なる場所で多くの人命が闇に葬られた。 (設定資料より) 2000/10/25 菊田裕樹 --- 2000/10/25 Hiroki Kikuta Koudelka Iasant 1879年生~没年不詳。イギリスはウェールズの田舎、アバージノルウィンの寒村生まれのジプシー。幼い頃から強すぎる霊能力を持ち、様々な怪異を起こすため、呪われた存在としてジプシーの世界から追放される。1888年9才頃ロンドンで霊能力者ブラヴァツキー婦人に拾われ、秘蔵っ子として厚遇されるが91年婦人が他界すると共に、再び放浪の旅へ。普段は霊媒として失せ物を探したりして、糊口をしのいでいる。 年は若いが、世の中の事情を一通りわきまえたところがあり、良く言えば大人、悪くいえばすれっからし。普段はあまり明るい顔をせず、大体において不機嫌そうで態度が悪いが、時折女らしいところを見せる。差別される者や愛されない者に肩入れする傾向がある。自分を表現することが下手。 (登場人物設定資料より) Notes クーデルカという名前は、著明な写真家であるジョゼフ・クーデルカから採ったものだ。口にした時の不思議な響きと、民族や国籍を感じさせないところが気に入って、名字ではなく名前として使わせてもらった。手元の資料を見ると、キャラクターデザインの岩原裕二氏にコンペ用のスケッチを発注したのは1998年の3月26日だが、遡る2月10日の段階で、僕はゲーム全体の進行手順と、シナリオの箱書きを完成させていたし、キャラクターの心理設計も完全なものとなっていた。クーデルカはジプシーの出身である。彼らはインドをもっとも古い故郷とし、放浪に生きる人々で、自分たちのことを誇りを込めてロムと呼ぶ。それは人間という意味である。一般社会の人間たちとは隔絶され、自分たちの血縁関係の中だけで生きている彼らにとって、追放はもっとも苦しい罰となる。クーデルカはその特異な能力ゆえに、子供の身でジプシーを追われることになった。僕は彼女を、どこにも安住することを許されない、最も孤独な存在として設定した。平和で豊かな暮らしの中に、彼女の居場所は無い。呪われた魔物や幽霊が跋扈する、廃虚の暗闇の中にだけ、かろうじて自分を置くべき空間を見出せる。クーデルカは、そういう悲しい存在なのである。 岩原氏はこのプロジェクトのために、100枚にも及ぶキャラクタースケッチを描いた。クーデルカだけでも数十枚になるが、そのほとんどはポリゴンによるモデル化のための制約から来る衣装デザインの試行錯誤であり、キャラクターの本質部分に関しては、最初から完成形に近いものを掴んでくれていたようだ。また、氏にはゲームの制作に先行して角川書店の雑誌で漫画連載を始めてもらい、ゲーム設定の1年後のストーリーという立体的な構成で、物語の厚みと魅力を増すことに貢献してもらった。 クーデルカのポリゴンモデルは、当時広島のコンパイル社の倒産で行き先を捜していた渡辺伸次氏に、経済的に援助するということで東京に移り住んで制作してもらった。彼は同社の仲間とCGスタジオであるD3Dを設立した。そのころの彼等には全く実績が無かったが、見せてもらったプロモーションムービーのキャラクターの動きに並ならぬ情熱を感じ、彼等と一緒に新しいチャレンジをする気になったのである。しかし実際、キャラクターのモデリングは難航した。ゲームスタッフ側の無理解も大きな原因だったが、D3D側もクーデルカほど高いレベルのモデルを作るのは初めてとあって、試行錯誤のために何ヶ月も時間が必要になった。リテイクに次ぐリテイクの嵐。最終的には、僕自身が彼等の後ろに付いて、鼻をもう少し縮めてだの、唇をもう少し上げてだのと細かく指示を出し、なんとか納得のいくものに仕上がるまでに半年近くかかっている。 モーションキャプチャーにおいて声と演技を担当してもらったヴィヴィアン・バッティカ嬢は、米サンタモニカ・スタジオで行ったオーディションの中で、クールで独特の色気があり、抑えた芝居の出来る人として選定した。ただ可愛いだけではなく、クーデルカの持つ陰の部分を表現するためである。彼女自身まだ若く経験も浅いとはいえ、その熱意と努力は相当なもので、10分にも及ぶ長丁場の芝居、何十行もある長台詞を、たった数日で完全に頭に入れて撮影に臨む辺り、なるほどプロというものはこういうものかと感心させられた。度重なる技術的不備にも嫌な顔をすることなく、エドワード役のマイケル・ブラッドベリーと現場の雰囲気を明るく盛り上げてくれたことには、感謝の言葉もない。 2000/10/25 菊田裕樹 llustrated by Yuji Iwahara このページ内の全ての画像及び文章の著作権、版権、複製権、二次使用権は全てその正当な著作者、権利所持者に帰属します。よって、無断複製、無断転載を含め、著作権法に違反する形態でのあらゆる利用を禁止します。 All Rights Reserved 1997 1998 1999 2000. クーデルカは(株)サクノス・SNKの登録商標です。 All Rights Reserved (C)SACNOTH/SNK 1999 --- Nemeton Monastery イギリスはウェールズ地方。アバースワースにほど近い、海沿いの断崖に、人気もなく廃墟と見まごうようなネメトン修道院がある。ちょっとした公園ほどもあるその敷地の中には9世紀頃に建てられたと思われるロマネスク様式を色濃く残した修道僧の宿坊をはじめ、13世紀頃に建てられた飛び梁も美しいゴシックの大聖堂、会堂をかねた図書館、鐘つき堂、屠殺場を兼ねた炊事場、処刑台に使われた東屋、近代になって建てられた宿舎などが、全体を囲む壁と一体化して並んでいる。16世紀に修道会を禁ずる制令が発布されるのを待たずして寂れ、廃墟と化したこの場所は、17世紀に入って政治的な犯罪者や虜囚などを閉じこめたり処刑したりする目的に使用された。今でもどこかに地下牢が隠されているといわれている。近代になって、訪れる者も居なくなり、荒れるに任せていたのを、ある資産家が物好きにも買い取って移り住んだが、程なくして彼は姿を消し、後には様々な憶測と噂だけが残った。あるいは、財宝が隠されたまま埋もれているといい、あるいは、悪魔が彷徨っているといい。再び廃墟と化したこの修道院を訪れるのは、人目を避ける犯罪者や一攫千金目当ての食い詰め者だけだった。 (制作資料より抜粋) ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 1998年2月の段階で、ゲームの進行に伴う、マップ全体像の設計は、ほぼ出来上がっている。八棟の建物、地下道、墓地など、全部で100個見当の区画からなる構成で、イベントと連動して移動できる範囲が拡がっていく。実は、このような閉鎖された空間を舞台として設定したのは、単に演出的な意図によるものではなく、人的物理的制約による結果なのである。例えば、高度に訓練されたグラフィックスタッフが20人居るならば、一年間に500から600枚を超える背景画を制作することが可能だ。しかし、楽観的に考えても数人が限度と思われる人材確保の現状を前提にすると、およそ100マップ200~250画面が、用意できる背景数の上限と見なければならない。一般のRPGのように、ワールドマップがあって幾つもの街があって、などという仕様は、最初から無理。そこで、極めて限定された空間を設定し、それを有効に活用しつつ、様々な雰囲気のバリエーションを提供できるような仕掛けを考案した。それがホラーRPGという枠組みだったのである。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 ネメトン修道院を構成する建物群は、そのひとつひとつが、建てられた年代も、目的も異なるものである。各々の建築様式の違いは、ドラマの進行と相まって、ユーザーを飽きさせないための装置として機能する。扉を開けて新しい建物に入る度に、物語が次なる展開を迎えたことを実感してもらうために。微にいり細にわたり、緻密に作り上げることが、あたかも実際にそこに居るかのような臨場感を生む。そのために最も必要だったことは、実際の建築物を参考にすることであった。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 物語上でアバースワースとしたのは、アイルランド側の海岸にその場所を置きたかったからだが、98年8月にス���ッフを伴って訪れた実際の取材は、ウェールズの下側に位置する観光地ペンブロークシャーを中心に行った。その一帯は、草原から突然に切り立った断崖が現れ、地平線の彼方まで続く、不思議な景観の土地である。その周辺に夥しい数の修道院や城跡が存在する。あるものは往時を偲ばせて健在だが、ほとんど廃虚と化した遺構も多い。セント・デイビッド教会は、中世そのままの姿で我々の目を楽しませてくれると同時に、石造りの聖堂が持つ、独特な雰囲気を理解するのに役立った。また、垂れ込めた雲と雨が作るどんよりとした暗い空気は、実際にその場に立ってみないとイメージできないものである。近辺の修道院の壁や石組みを大量に撮影して、3Dモデル用のテクスチャーとして使ったのも、大きく意味がある試みであった。 さて、ネメトン修道院の大聖堂はゴシック建築として作られているため、本当ならば、その常として側廊が無ければならない。ゴシック建築は荷重を分散する構造にすることで壁を薄くし、ステンドグラスの設置を実現しているからである。しかし、ゲーム仕様上の制約としてプリレンダリングのマップを考えた時に、多数の柱を立体的レイヤーとして配置することが困難であるために、内部を単純な箱型にせざるをえなかった。外側から見ると、飛び梁様の補強柱が一定間隔で取り付けられているが、現実の物として考えれば、全体の重量を支えるために、壁自体もさらに厚くせざるをえないと思われる。なお、大聖堂頂部の鐘突き堂は、そのものが飛び梁によって構成されている特殊な形式だが、これは架空の物ではなく、実際に存在するスタイルであることを付け加えておきたい。 2000/10/25 菊田裕樹 --- Library : クーデルカという物語 By 菊田 裕樹 – 2000年 3月 28日Posted in: Library, Library : ARTICLE    クーデルカという物語    2000年3月 公開    このサイトを御覧の方には僕の制作した    RPG「クーデルカ」を未プレイの向きも多いと思う。    手短に説明すると、19世紀のイギリスはウェールズの    片田舎にある今は廃墟同然と化したある修道院を舞台に、    クーデルカという19才のジプシーが出会う様々な    怪異をテーマにした、いわゆるモダンホラーと    呼ばれるジャンルに属するゲームである。    僕はこの作品のコンセプトに始まり、キャラクター設計、    マップ構成、シナリオ、ムービーや    モーションキャプチャーイベント部分の    ディレクション等など、様々な種類の仕事をした。    基本的な部分の組み立てには約3ヶ月ほど要しただろうか。    全部で100冊以上の本に眼を通したが、    物語の発想の土台となったのは、    「幽霊狩人カーナッキ」という本であった。    短編集で、主人公である怪奇現象研究家カーナッキが、    様々な「怪異」と「怪異に見えるもの」に遭遇し、    あるものは解決し、あるものは良く分からないまま    終わる(笑)という、味わいのあるホラー小説集だ。    興味のある方は是非一読されたい。    さて、僕が物語を組み上げる段階でこだわるところは、    歴史上の事実を曲げないということである。    実際に起こったとして、記録に残っている様々な事件を、    相互に関連付け、その隙間を虚構で埋めていくという    やりかたが僕は大好きだ。    同じ嘘をつくのでも、まったく根拠も無く考えるのと、    事実に基づいてその基盤を組み上げていくのとでは、    細かい部分でのリアリティーが違ってくる。    だから、クーデルカという物語には、    プレーヤー諸氏が考えているよりも、    ずっと多くの史実が含まれている。    エドワードやロジャーが実在の人物である事など、    歴史に興味のある方は、調べてみられるのも一興かと思う。    1898年は科学と迷信がせめぎあう世紀末の、    まさに移り変わる一瞬を捉えて興味深い時代である。    明ければすぐに1900年、近代科学文明の浸透の    象徴ともいうべき、パリ万博が開催される。    そしてそれこそが、僕がクーデルカの続編と    目論んでいた物語の舞台なのである。    ウェールズを描くために、ロンドンやペンブロークに    足を運んだのと同じように、僕はパリやベルギーに    取材をするつもりだった。    (パリ万博に出展されていた建物が、当時の    ベルギー王の要望で買い取られ、    ブリュッセルに現存するのだそうだ)    会場から郊外を結んで建設された地下鉄と、    そこで起こる怪異。エースネクスト誌連載中の    漫画版のエピソードを終えたクーデルカが、    拠ん所ない事情でパリを訪れ、地下に巣喰う    亡霊どもの争いに巻き込まれていく。    実はクーデルカの続編は、僕の頭の中では4作目まで    出来ている。第一部イギリス、第二部フランス・・・    とくれば、第三部はアメリカである。    時代は大きく跳んで、1973年アメリカはシカゴ。    主人公は、シカゴ大学で教鞭を取る文化人類学者、    クーデルカ・ロードメル。    クーデルカの娘アメリアが後に渡米して産んだ子供で、    つまりは孫だ。ベトナム戦争末期とあって、    帰還兵が持ち帰ってしまった悪霊が、    様々な殺人事件を引き起こすのを、まだ生きている    ロジャーの助けを借りて解きあかしていく。    (ちなみにロジャーはスーツを着て出てくる)(笑)    そして第四部は1984年奈良。    関西大学で教える友人の宗教学者の元を訪れたクーデルカは    何者かに命を狙われ、陰陽師や式神と戦う羽目になる。    奈良の巨石墳墓や京都の町並みが、    雰囲気造りに一役買うだろう。    残念なことに、今のところ僕がそれらの    続編を作る予定はないが、    小説のようなものであれば、書いてもいいかなあと思う。 Story of Koudelka : Library --- Haven: On Koudelka, you served as producer, writer, and composer. What were some of the goals you accomplished in taking on these various responsibilities? Were there ways in which the project could have been better realized? Hiroki Kikuta: Let me begin by saying, whenever you divide up responsibilities among a group of people concerning the judgments that get made on a project, the end quality is bound to suffer as a result. To keep the quality high and the schedule organized on a project, it's better for as few people as possible to be making key decisions, and for them to be communicating within the group with as few conflicts as possible. The ideal situation would be for but one director to be delegated the responsibility of expressing his or her creative vision. That said, for Koudelka, I was pursuing that degree of creative control. To prepare, in gaining an understanding of the game's setting, I read about one hundred books on English history, touching on periods from the Medieval era to around 1900. It proved useful in discovering relevant episodes which could be incorporated into the story. Having several events to ground the plot in a kind of historical reality, I then started building on that foundation with some fictional events. For example, the character of Edward is based on an actual Irish dramatist named Edward Plunkett, 18th Baron Dunsany, while the woman who writes a letter for Charlotte is based on Sophie Dorothea of Württemberg. Roger Bacon is, of course, a historically famous philosopher. Also, the incident on the Queen Alice really occurred and is recorded in the captain's log of the vessel. By filling out the gaps in those historical events with fictional incidents, such as the Emigre Document and reincarnation ritual, I aimed at providing a realistic basis to the imaginary aspects of the story. Before production, some members of our staff went on a trip to Whales to gather information and capture the genuine atmosphere of the place with our own eyes. We demanded extreme accuracy in providing the background details, and we even used motion capture technology to provide culturally appropriate body language for the characters, techniques advanced enough to compete with the standards of the Hollywood industry at that time. Those challenges, which were provided by the passion motivating that project, were the real essence of Koudelka. Koudelka, "Patience," music sample I remember that I was reading the critical biography of James Cameron, who was making Titanic at that time, on the airplane to England. I was overwhelmed by his tremendous efforts to capture those startling images. At that time, I realized that it is necessary for creative work to have a degree of obsessive passion involved. I hope that some degree of that conviction had a positive result on the end product. --- As soon as it is in the year 1900, the Paris World Expo is to be held as a symbol of the penetration of modern scientific civilization. And that is the stage of the story that I was thinking as a sequel to Kuderuka. In the same way that I went to London and Pembroke to draw Wales, I planned to cover Paris and Belgium. (It seems that the building which was exhibited in the Paris Expo is bought at the request of the King of Belgium at the time and exists in Brussels.) The subway built by connecting the suburbs from the venue and the monster occurring there. Kuderuka who finished the episode of the comic version in the series of Ace Next magazine visits Paris due to circumstances that are not based, and is caught up in the strife of ghosts who nest underground.    (The first line of the Paris Metro opened without ceremony on 19 July 1900,[4] during the World's Fair (Exposition Universelle - that is what is meant by subway) Actually, the sequel to Kudelka is made up to the 4th in my head. Part 1 England, Part 2 France · · ·     If you do, the third part is the United States. The era greatly jumped, in 1973 America was Chicago. The hero is a cultural anthropologist, Kurdelka Roadmel, who teaches at the University of Chicago. Kuderuka's daughter Amelia is a child who gave birth to the United States later, that is, it is a grandchild. With the end of the Vietnam War, the evil spirits brought back by the returning soldiers will solve various murder cases with the help of living Roger yet.     (By the way, Roger comes out wearing a suit) (lol) And the fourth part was Nara in 1984. Kurdelka who visited the origin of a religious scholar of a friend taught at Kansai University is targeted to someone, and it will be fought against the Yin Yang masters and the expression god.     The megalithic tomb of Nara and the townscape of Kyoto will contribute to the atmosphere building.     Unfortunately, for the moment I have no plans to make those sequels, but if it's like a novel, I wonder if I can write it. --- RocketBaby: At what age did you become interested in music? Hiroki Kikuta: When I was ten years old, I met up with the music of Emerson, Lake & Palmer. I had never heard such marvelous music before. It was quite an impact for me. A few months later I heard that Keith Emerson was using a particular instrument called MOOG synthesizer. RB: At what age did you start writing music? HK: When I was twelve years old, the Folk blues movement came over to Japan from America. I studied Acoustic Guitar and started to create an original song immediately. I wanted to be a singer/ songwriter... if I wasn't a terrible singer. Actually, Digital equipment opened up my potential as a music composer. Without a musical sequencer, I can't create any complicated tunes. When I first acquired a YAMAHA SY-77 synthesizer/sequencer, I felt as if I got a ticket to a different world. RB: Why did you start Sacnoth? HK: I had held many original ideas about video games and visual expression for a long time. The most important purpose is to create an entertainment. When I was searching for a way to achieve my dream, I met a dominant business advisor. He introduced me to the chairman of SNK. I told him about many pitfalls that every existing RPG had. I thought those were lacking a comprehensive insight and a integrative interpretation. It is a structural defect of game production. To resolve the problem, it is necessary to get the picture of each element of game creation at the same time. I have an ability to do that. I established a company SACNOTH and took up my position as CEO in order to produce a new horror RPG project, Koudelka. But unfortunately... Though I conceived a grand scheme to realize an innovative game system and visual expression, many old staffs from SQUARE were not able to accept real change without hesitation. I say that the person who will have no change is already dead. After termination of Koudelka project, I retired as CEO of SACNOTH. It was my choice. RB: As a composer how should music effect the game? As a developer how should the music effect the game? HK: A music composer wants to create a good tune with utter simplicity. But if you want to create a good game as a developer, it is not enough. Because good music does not necessarily fit a good game. The most important problem is adjustment of each of the elements. If the visual element exactly synchronizes with the musical element, a dramatic effect will be generated.. And I take it for granted that everybody wants to hear a good melody in the end. RB: What were your influences for Koudelka? HK: In the first instance, I designed all concepts and fundamental settings of the Koudelka's world. I gathered various graphic and text materials in London and Wales. I did character design, map design, event design, scenario writing, direction of computer graphics movie, direction of motion capture... I got involved with all of the integral parts of Koudelka except battle and game system. Especially, I had no influence in battle section. I still have a great regret. I wish I could have designed it. And a quick digression, I consulted many movies and books for Koudelka. A most impressive movie is The Name of the Rose (Jean Jacques Annaud 1986). I also read the original book which was written by Umberto Eco. It is a definitely masterpiece. If you want to know some origins of Koudelka's world, you may read Carnacki the Ghost Finder written by William Hope Hodgson and The Case of Charles Dexter Ward written by Howard Phillips Lovecraft. Many fantasy novels by Lord Dunsany (His his full name and title is Edward John Moreton Drax Plunkett 18th Lord Dunsany) are also important. If you want to know about visual origin of Koudelka, see photographs created by Bob Carlos Clarke and Jan Saudek and Holly Warburton. Those are extremely exciting works. RB: How did you manage to write, direct and compose the music for Koudelka? HK: Writing a scenario. Directing a CG movie. Composing a BGM. Each of those is no more than a single face of game creation. When I imagined the world of Koudelka, I figure graphic elements and story elements and sound elements all at once. Because, those are mingled with each other organically. So I think that It is rather easy to manage multiple affairs. RB: What was the easiest aspect of working on Koudelka? What was the hardest? HK: The easiest aspect is music composing. Because I can create a music by my lonesome. It makes me free and I feel comfort. Hardest aspect is behind-the-scenes maneuvering of power game in company organization. I am so tired to do that. Let's get something straight, I am not a buccaneer but rather a creator. All aspects about creation are really pleasant for me. RB: Why do you make music? Why do you make games? HK: Music composing is a natural behavior for me. Like breathing. I usually conceive a good melody and a harmony without suffering. So I have no reason to make music. I think that it is my vocation. Meanwhile, creating video game is not my vocation. It is my wish. I want to produce high quality entertainment in the future. When I write a story and a plot, I usually suffer by myself. Though it is very hard and thorny, I feel maximum accomplishment. RB: What inspires your melodies? HK: Many great works of famous composers and musicians inspire me. If I must respect only one person or group as a music composer(s), I will take Pink Floyd. RB: What are your hobbies and why? HK: Good question. Riding bicycles is my hobby. I also love my yellow Peugeot MTB made in France. I also have some fun playing with my cat. She is extremely pretty. RB: When did you begin working at Square? HK: I began work at Square in 1991. I was twenty seven years old. In those days, the production studio of Square was placed in Akasaka Tokyo. It was small and homey, different from now. I remember that Nobuo Uematsu and Kenji Ito interviewed me in their office. We talked about progressive rock music and famous guitar player Allan Holdsworth with each other. I created sound effects for Romancing Saga at the start of my career. A few of graphic staff worked with me to design a lot of novelty sounds. We worked hard in night and day. RB: How much freedom did you have making music at Square? HK: In a sense, I had perfect freedom. Because, the planning staff of Square put none of the assignments relevant to the menu of music work and schedule in my hand. Nobody explained to me about game detail which they were producing. I had to think and imagine what kind of music was needed for our game project. Changeover,changeover, and more changeover of specifications. It was difficult to foresee the final image of it. But I did. RB: What is favorite game that you worked on at Square and why? HK: May be Seiken Densetsu 2 (Secret of Mana). I think that it was a pretty good game except for the big BUG. The multi player system was extremely fresh and delightful. In the aspect of music, I was fully challenged in regard to sound expression using 8 voice PCM system of SNES hardware. Please see and hear the opening sequence of Seiken Densetsu 2. It is so simple but so lyrical, isn't it? I am really proud of my visual direction and music composition. RB: Did Nobuo Uematsu influence your work? HK: I think there is no influence from Nobuo Uematsu. I have never taken any lessons about composing game music. The style and the melody of my music are totally conceived by myself. Just the same, every staff composer at Square were free from influence of somebody else. Originality and personality were cheerished in our studio. It was the policy of Nobuo Uematsu. RB: What are the best and worst memories that you have of Square? HK: Hmmm... Best memory... it seems a trip to MANA island of Fiji republic. After a production of the game Secret of Mana, I and my friend decided to visit an island placed in South Pacific Ocean. We played skin diving everyday and watched some corals. Those were extremely beautiful. It looks like a blue heaven. I will never forget the view of the sunset from Mana's beaches. It is one of my treasures. By the way... Worst memory is a dissolution of the game team in which I was supposed to participate. I wanted to propose an innovative game system using music and sound effects. RB: Who is your favorite Square composer and why? HK: I recommend Jin Sakimoto (Hitoshi Sakimoto). His works are extremely dense. RB: One of our favorite soundtracks of yours is Soukaigi. The sound quality and styles are some the best for a game. HK: Soukaigi has many characters of sound. I designed it with different complex styles. House music meets real performance, fusion meets folk choirÖÖ It was an adventure for me. To tell you the truth, the style of music does not a matter. I don't dwell upon it. Though I put a high value on counterpoint it does not bind me. It is only a method. In the case of Soukaigi, I was mainly influenced by East European pops like Varttina. RB: Why did you leave Square? HK: I wanted to direct not only musical expression but also visual expression. And of course, I wanted to write a fine scenario which is different from existing one. I had felt a big complaint against those juvenile works. But unfortunately, I couldn't get a chance to take a part in those kind of production works in Square. I suffered terribly for a long time. After all is said, I left Square and established new company Sacnoth to achieve my idea. RB: Do you perform your music live? HK: If I have a chance to do that, I wish to play my music as a live performance. I didn't make an attempt to do that in Japan yet. Do you want to hear my music in front of your eyes, ya? RB: Who would you like to make music with? HK: Jin (Hitoshi) Sakimoto. Because, I could not collaborate with him on composing game music when we were hired together by Square. I respect him. Except for game music composer, I want to collaborate with Allan Holdsworth, a fusion guitar player. His music is a miracle. RB: How do you think game music compares to other genres of music? HK: I think that is similar to movie soundtracks. It is important to synchronize the music with visual element. It has an expressive purpose. If you want to create a game music, don't forget to construct it as an emotional device. RB: How will the next generation consoles allow you to express yourself as composer and game designer? HK: I feel a strong attraction to X-box and Game Cube. A big visual capability makes me hot. I have many ideas to display fascinating characters using real time computer graphics. They will sing and dance and talk with real emotion. Don't you want to play the Musical RPG on Network? I want to play it. RB: What would your advice be to people who: A. People who want to create game music. HK: Listen to as much music as you can. Don't confine yourself to your room. The genre of music is meaningless. If you want to find your treasure, you must challenge the common practice at any one time. B. People who want to create games. HK: Video games are not art. They are an entertainment. You must amuse your audience first instead of amusing yourself. I am always conscious of the feeling to accommodate someone with a fun service. Can you create a lot of gimmicks for the player? If you work so hard and push yourself enough, the day will come to collaborate in some way with me for sure. Let's think of a next game together. RB: What is in the future for Hiroki Kikuta? HK: I will be involved in some new game projects that are not directed by me. I will be a technical advisor. I will create computer graphics and sounds. But soon, I hope to form my studio and develop my own game project. So now I am looking for new investors around the globe. RocketBaby would like to thank Mr. Kikuta for chatting with us.
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shibatakanojo · 3 years
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404
 くたくたの身体を引きずるように帰宅し、年齢にそぐわない安物のネックレスを外しながらアクセサリーボックスを開いてそこにあの腕時計がないことに気づいたとき、私は私の人生がこれ以上好転し得ないのだと改めて確信した。 「ねえ、よーちゃん。私の時計知らない? ほら、あの金ぴかの。私が成人したときばーちゃんに買ってもらったやつ。私、いっつもここに入れてるんだけど、なんか、ないんだよねえ。なんでだろう?」  私は一縷の望みをかけよーちゃんに訊ねる。するとよーちゃんは少しだけ顔を曇らせて、けれどすぐさま汚らしく口角を上げると、テカテカの趣味の悪いシャツの胸ポケットから八万円を取り出して私の目前に翳してみせた。 「ん? よーちゃん、そのお金、どうしたの?」  よーちゃんはここ四年働いていない。  私が毎朝六時二十分に起きてよーちゃんの朝食と昼食を作り、セール品のスーツとドラッグストアの化粧品で身なりを整え、前日の残り物を五分そこらで胃に突っ込み満員電車に揺られ、頭の悪い上司や態度の悪い部下に腹を立てながら仕事をしている間、よーちゃんはずっとこのアパートで寝ている。  お昼手前に起きたよーちゃんは私が支度したごはんを食べ散らかし、お皿も洗わず洗濯物を干してくれることもなく、掃除機がどこにあるかすら知らないままダラダラとテレビを見、私が買ってあげたスマートフォンを私が契約するWi―Fiに繋いで、出会い系サイトで私が知らない女の子といやらしい会話をする。  それに飽きると、今度は私が隠してあるほんのわずかな生活費を引っぱり出して、腹を空かせたコヨーテみたいに自分の財布へそっくり収納してしまうのだ。そのお金を持ってよーちゃんは外に行き、数箱の煙草と馬鹿みたいに値の張るお酒を買い、私が知らない人たちに配ったり一緒に飲んだりして、残ったお金は全てパチンコ台に流し込み、結局数時間でなくなってしまう。  私が何度も頭を下げ、会社のトイレで悔し涙を流し、行き帰りの電車へ飛び込みそうになる肉体に鞭を打って稼いだなけなしのお金を、よーちゃんは悪びれることなく使い込む。  この生活を、私はもう四年、続けている。  よーちゃんが八万円ものお金を自らの力で稼ぎ出せるはずがないことは私が誰より知っていた。よーちゃんはそういう人なのだ。それでも私は、どうしてもよーちゃんを信じていたかった。だって、よーちゃんを否定することとは、つまり私の四年間を否定することなのだから。  私はどうしても私を否定することだけは避けたかった。  確かに私は正しいことなどしていないかもしれない、けれど間違っているとも思いたくなかったのだ。私は間違っていない。その思いだけが今の私を支えていた。 「ねえ、よーちゃん。そのお金はどうやって手に入れたの? 今朝は私に五千円もらっただけのはずだよね? お財布にはもうそれしか入っていないのに、通帳にも全然入ってないのに、どうやってそれが八万円に増えたのかな?」  よーちゃんはいまだニヤニヤと汚い歯を剥き出しにして笑っている。私はじっとよーちゃんの言葉を待つ。しばらくそうしていると、突然よーちゃんは、へへ、と笑い出し、 「パチンコ、久しぶりにめちゃめちゃ出た。やばいよ、二時間で五万近くも稼げたんだ。すごくね? 俺やっぱパチプロなろうかな」  そうしてよーちゃんは私へくしゃくしゃに握り潰した三万円を投げつけた。  両耳の奥が轟いている。  大量の血が私の肉体を駆け巡っていた。  うるさい。喧しくてたまらない。黙れ。黙れ、黙れ、黙れ。私は今すぐ冷静にならなければいけないのだから。だって、私は、今日も、明日も、明後日も、その次も、ずっと、ずっと、ずっとずっとずっと、馬鹿みたいに、よーちゃんを、許し続けなければならないのだから。 「すごいねえ、よーちゃん。さすがだなあ。才能あるよねえ――でもさ、よーちゃんさ、私さっきも言ったけど、元々五千円しか持ってなかったはずだよね? 今持っているのは八万円でしょ? パチンコで稼いだのが五万円くらいなら、残りの二万五千円はどこから出てきたお金なのかな?」 「は? 貯金してたもん」 「嘘」 「……いつもんとこに入ってたやつ。ちょっと借りただけだよ」 「生活費のこと? 私の下着入れの奥の封筒から盗ったってこと?」 「ああ、そうそう」 「今日は一円も入れてないよ」 「あー……そうだっけえ?」 「よーちゃ���、本当のこと言って。嘘はもういいよ」  よーちゃんが舌打ちをする。まるで私が悪いみたいに。  私は先ほどよーちゃんが投げつけてきた三万円を拾いながら、じっとよーちゃんの言葉を待った。よーちゃんは面倒くさそうにボリボリと頭を掻いた後、 「お前のあのきったねえ時計、二万五千円にしかなんなかったんだけど。それを、俺が、自分の五千円とあわせて八万にまでしてやったんだろ? その三万はプレゼント。『いつもありがとー』っていう俺の優しさじゃん。感謝してよ。残りの五万を元手にもっと当てて、あんなきたねえやつ目じゃないくらいいい時計買ってやるよ。そんでいいんだろ? あー、なんて顔してんだっつうの……前から思ってたんだけどお前さあ、そうやって可哀想振るのやめたら? めちゃめちゃウザいんだけど。恥ずかしくないの? 三十一の、いいオバサンのくせしてさ」
 よーちゃんが投げつけた三万円は皺だらけで、何度撫でつけてももう綺麗にはならなかった。私は繰り返しそれを伸ばす。手のひら全体に、出せる限りの力を込めて、必死に皺を伸ばそうとする。  無駄なことだとはわかっている。それでも私はその行為をやめられなかった。  私は、そういう病気なのだ。  私は、縋ることをやめられない、人の屑でしかない。  だから私はやっぱりよーちゃんを許すしかなくて、でも、だからこそ私は、どうしても、どうしても私は、私自身を許せなかった。
 よーちゃんが二万五千円で売りさばいてしまったあの腕時計は、十一年前、祖母が私に買ってくれたものだった。  典型的な母子家庭だった私は裕福とは程遠く、祖母の暮らしも私たちと似たようなものだった。それでも祖母はわずかな年金をこつこつと貯め、私の二十歳の誕生日にあの腕時計を買ってくれた。センスのいいものではない。あまりにも古臭いデザインは若い女の子が喜ぶものではなかったし、実際私にはさっぱり似合わなかった。それでも私は、涙が出るほど嬉しかった。私は祖母に愛されている、その事実が嬉しかったのだ。  祖母はまだ生きているが、一年半ほど前に認知症を患い今では私のことなんてすっかり忘れてしまった。それでも私は週に一度は祖母へ電話をし、私は元気にやっている、大手企業に勤める恋人はいつも優しくて、頻繁に遊園地や水族館や動物園へ行き、一緒においしいご飯を食べ、手を繋ぎ一つのベッドで眠るのだと、私は完璧なまでに幸せなのだと、もう何一つ覚えていない祖母に嘘を吐き続けている。 「はあー、そうですかあ」  心底どうでもいい、とでも言いたげな祖母の声を聞くたび、私はどうしようもない悲しみに追いやられたが、それでも私はその行為をやめられなかった。
 よーちゃんが立ち上がり上着を羽織る。どこ行くの、と訊ねると、短く「パチンコ」とだけ言い返してくれた。派手な音を立て、ドアーが閉まる。  私の両眼から涙が零れ落ちる気配はない。試しに小さく笑ってみると、それはひどくしっくりきた。  なんだかもう本当に滑稽だった。私には笑うほか何もなかった。だって、どう考えてもこんな駄目な男を切り捨てられない私が悪いのだから。よーちゃん以上に私が狂っている、これはただそれだけの話なのだ。  スマートフォンを取り出し、お気に入りに登録してある、祖母が買ってくれた腕時計のブランドのホームページを開く。404、あとは僅かな英文が羅列され、指紋だらけの画面に無表情の私が薄ぼんやりと映り込んでいる。  よーちゃんが帰ってくるまでに部屋中に灯油を撒いて、よーちゃんが帰ってきたら彼を力いっぱい抱き締めて、そのまま二人で燃えてみようかな。それだけが私たちに残された唯一の幸福なんじゃないかな。  よーちゃんは一生あのままだろうし、私だってきっと一生変わらない。私がいなくなったって、よーちゃんはまた別の誰かに寄生して生きていくし、私もよーちゃんと縁を切ろうがどうせ他の屑を飼ってしまうのだ。いっそ私たちはこの世界の屑という事実を受け入れて、今夜中に死んでしまった方が世界のためなのだろう。
 私はまた小さく笑う。カラカラに干乾びた声帯が砂嵐のように不快な音を立て、けれどそれはちっとも面白くなんてなかった。  台所へ向かう。ほとんど空っぽの冷蔵庫とストック棚からなんとかそれなりの食材を選び出し、私は今夜も二人分の夕餉を作り始める。
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xf-2 · 6 years
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嘘つき新聞の朝日新聞によるお得意の事実の改竄記事から。 【「いつ同じ目に」消えぬ解雇不安 年越し派遣村10年】  2008年の暮れ、東京・日比谷公園に現れた「年越し派遣村」。リーマン・ショックで仕事だけでなく住まいまでも失った非正規の労働者らが多く集まり、脆弱(ぜいじゃく)な働き方が広がっている実態を社会に知らしめた。それから10年。安定した働き方は増えたのか。 「御手洗さん、僕たちから仕事も住まいも奪わ… ~以下、有料会員専用記事のため省略~ (2018/12/29 朝日新聞) この年越し派遣村は派遣切りされた人達が 自発的に集まったものではなく 共産党がバスで運んできたものだったりします。 その後、年越し派遣村を政権批判の材料に利用した マスゴミと共産党、社民党、民主党は 東京都にこのかき集めた年越し派遣村の連中を押しつけますが、 元々が浮浪者の集まりで派遣切りとは関係なかった人達です。 で、この年越し派遣村を仕切っていたのが NPO法人自立生活サポートセンター「もやい」の代表だった 湯浅誠でした。 この湯浅誠はのちに菅直人が総理になると内閣参与にしました。 派遣切りと全く関係無い浮浪者の生活保護や住宅確保を支援する NPO法人の代表がなぜ派遣村を企画して仕切っていたのか? かつてリプラスという会社がありました。 連帯保証人不要サービスを業務とする企業でした。 「もやい」が浮浪者の連帯保証人となり、生活保護などを斡旋。 家賃保証を「リプラス」が行うということを2006年から開始しました。 リプラスからはもやいに寄付という形でお金が支出されていました。 これでそれまで業務をボランティアで賄っていた もやいが一気に収入を得ることになりました。 それまで伸びてはいたものの数百万円だった もやいの収入(寄付を基本とする)は 2006年には1600万円を超え、 2007年には2800万円を超えるなど大きく黒字化しました。 浮浪者への生活保護の斡旋と賃貸住居の確保。 これで寄付のキックバックをしてもらったり、 一般人にも寄付を募るビジネスモデルが 大きく黒字化することになり、 一気に規模拡大となっていくわけです。 ところが2008年秋、リーマンショックとともに このビジネスモデルが大きく崩れました。 今でもこちらにニュースリリースが残っています。 【「リプラスの連帯保証人不要システム」に関しまして】 「リプラスの連帯保証人不要システム」に関しまして 平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。 さて、去る9月24日に株式会社リプラスが破産手続開始決定されたことに伴いまして、弊社ホームページ上の一部の物件でご案内しております「リプラスの連帯保証人不要システム」がご利用頂けなくなりました。 他の保証会社の連帯保証人不要システムのご利用可否等につきましては、物件毎に異なりますので、詳細に関しましてはお手数ですが、都度弊社営業担当までご確認下さいますようよろしくお願い申し上げます。 2008年9月30日 レジデントファースト株式会社 「もやい」が浮浪者への住居と生活保護斡旋を行い、 「リプラス」がその浮浪者達の名義を使って手数料ビジネス。 この構図がリーマンショックでリプラスが破綻することで崩壊しました。 松山大学に「もやい」を研究した論文があります。 ----- 生活困窮者支援団体の設立と展開 ―― 認定 NPO 法人自立生活サポートセンター・もやいの事例研究 ―― (松山大学論集 2015年12月発行)----- この論文から一部抜粋します。 リーマンショックでリプラスが 9月24日に破産手続き開始の申し立てを行った事を取り上げ こう続けています。 ----- 団体(※ブログ主注:もやいのこと)は資金協力の引上げという大きな危機を迎えることとなった。 この危機に対して,団体では10月1日よりインターネットを中心に「緊急カンパキャンペーン」を開始した。「このキャンペーンを多くの方々がブログやメールなどを通して告知してくださり,東京・中日新聞,毎日新聞などが記事で紹介してくれたこともあり,開始からわずか1ケ月半の間に〈もやい〉の年間予算を超える3,865万1,324円(11月18日現在)というお金が集まりました。」と報告されている。30) 加えて,年末年始の「年越し派遣村」の実施である。 2009年春号『おもやい通信』の中で稲葉は,「年末年始に労働組合と法律家などが中心となり,日比谷公園で開催された『年越し派遣村』には大きな社会的反響がありました。」と記している。事務局長の湯浅が「村長」を務めていたが,団体としては参加していなかった。しかし,「派遣村」の実施を機に団体の活動は広く知られることになった。31) 2008年度は,大口の寄付先の破綻という危機と派遣村の実施を経て,寄付金が1億円に達し,団体として最大の寄付金を受けた年となった。 ----- 年越し派遣村で湯浅誠ともやいをマスゴミが 積極的に宣伝したことで寄付金が膨れて1億を超えました。 年越し派遣村では派遣切りをされた人はほとんどおらず、 浮浪者の集団というのが実態でした。 これがために派遣村に集まった500人に ハローワーク職員が4000件以上の求人を持っていっても 125人しか申請せず、 生活保護を申請したものが大半という状況でした。 また、新党日本代表として現地に手伝いに行った田中康夫は 「テントを張っている人々は突如企業からクビを切られたような人では無く、日々飯場のような仕事をしている人であり、「日比谷公園に行けばメシが食えるらしいぞ」と聞きつけてやってきた人が多かった。」 「(共に運動をしている)日教組や連合、共産党系の組合などは、いくつもある自分達の組織の施設を開放するなど、やるべきことがあるのではないか」 とぶっちゃけています。 派遣村を作って政府批判に利用した 共産党、社民党、民主党の連中は この派遣村から誰一人雇うことはしませんでした。 そして政府と東京都に最後まで面倒を見ろと押しつけたのです。 さて、「もやい」の湯浅誠としては リプラスと組んで拡大してきたビジネスモデルが崩壊した直後に この「年越し派遣村」を企画して大当たり、 派遣切りの被害者ということにしてまんまと大量の浮浪者を 都と厚生労働省に押しつけることに成功したと言える���しょう。 おまけに多額の寄付金が集まったわけです。 すぐに東京都と厚生労働省に集めた浮浪者を押しつける事に成功し、 数日のうちに派遣村は解散となりました。 これについて当時追跡取材をした記事が産経にありました。 以下。 ----- http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090113/trd0901132102017-n1.htm 【Re:社会部】「派遣村」の何だかなぁ…】  東京・日比谷公園の「年越し派遣村」。総務省の坂本哲志政務官が放った「本当にまじめに働こうとしている人たちか」という発言が猛反発を受けています。 村全体を見れば、坂本政務官の発言は「不適切」と言わざるをえません。 しかし、「何だかなぁ」と思うシーンが取材中にいくつかあったのも確かです。 1つは「厚生労働省の講堂の開放、勝ち取る!」という学生運動ばりの用語。勝ち負けの問題でしょうか。 http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090713/trd0907130833006-n2.htm でも、アンケートには「無断欠勤したら解雇された」「役所の担当者がいじわる」「何もしたくない状態が続いている」といった声も。そんな記述を読むと、やっぱり「何だかなぁ。派遣村」と、思わずにいられない。自己責任が貧困を招くケースもあるのだ。 年末年始の格好のニュースとなったこともあり、派遣村に寄せられた寄付は5千万円に達したという。 実行委の1人は当初、「あまりに大きすぎる額。2月にもインターネットで中間報告したい」と言っていた。 しかし、公表されることなく解散してしまった。最後まで「何だかなぁ。派遣村」である。(副編集長 赤堀正卓) ----- 集まった5000万円の寄付金の使途は結局明かされなかったこと。 学生運動のような扇動が行われたいたこと。 など、問題があったことを明らかにしています。 ユニオンだのの幟が大量に並び、 9条守れだの政権批判だのの幟まで堂々と並んでいたら 普通の人はおかしいと思うはずですけどね。 都から出された支度金を受け取った派遣村の少なくない人数が 酒やたばこ、はては遊興費に使ったりと、 酒に使い切って泥酔が続いて派遣村から追い出されるのまで出るなど 呆れる事態も発生していました。 支度金を受け取ったら姿を消した者も大量に出たりと、 派遣村の内容たるや散々なものでした。 ここまで書けばはっきりとわかると思いますが、 マスゴミや一部の人達は年越し派遣村を 「派遣切りをされて住むところも失った可哀想な人達」 という設定にしていますが、 実態は全く違うものだったということははっきりさせないといけません。 だからといってこれからの派遣切りにはまた別の角度から 考えておく必要があります。 財務省の消費税増税による不況維持拡大政策で 大きく冷え込んだ国内景気に対応する為に 人件費調整場面において 経団連と連合の労使馴れ合いによる 「全てのツケを若者に押しつけて誤魔化した」 いわゆる就職氷河期世代、ロスジェネの問題があります。 いまだ少なくない人達が非正規の というよりも荒稼ぎしてきた派遣会社の主力が この氷河期世代だったと言っていいと思います。 その氷河期世代も40を超えるようになり、 派遣会社としてはもてあまし始めているところもあるでしょう。 派遣会社はただ仕事を斡旋してマージンを取っているだけなので 斡旋する先が無くなれば勝手に契約が切れるわけです。 病気等になったらすぐに契約解除できるように 契約に書いてあったりと 社会的責任もなにも取らないで済むビジネスモデルで、 派遣のピンハネ率の規制すらないのです。 派遣切りや非正規雇用の低賃金ぶりを批判するのなら 派遣会社も批判するのが筋ですが、 マスゴミ各社が自前の派遣会社を作って 自社グループに派遣する形を取って 実質的に二重取りしているんですから、 派遣会社の問題の方に触れないのは 彼らにとって当然なのでしょう。 特にキー局のそれぞれの看板ニュースバラエティには 日本一非正規が多い事で知られるイオンがスポンサー なんてところも多いですしね。 経団連としては年を取ってきて使いにくくなったロスジェネを もっと若い使い捨て労働者に切り替えたい。 そこで外国人労働者を拡大させろとやってきただけだと言っていいでしょう。 そこに相変わらず連合が結託している構図。 野田佳彦や財務官僚の悲願である 景気にとどめを刺して再び不景気に引き戻す という目的を含んだ消費税10%への増税というものが こうまで強く進められている状況にあっては 企業は再び景気後退に備えることになるでしょう。 そして派遣が真っ先に切り捨てされる。 大晦日に書きましたが、 不景気を維持することによって増税スパイラルへもっていこうという 財務省のやり方は 安全保障という観点においても 日本国民の敵と断言できるレベルの物です。 財務省は現在に至っても消費税を上げても景気は悪くならない と言い張っています。 ならなんでいま必死に不景気にならないように 消費税増税分をすべて景気対策に回すなんて事を 安倍政権が言っているのか? 財務官僚は国民から審査を受けることが無いので 「どうせ批判と不満が強すぎたら政権が倒れるだけ、俺達は関係無い」 というスタンスです。 ロスジェネを生み出し、切り捨て、 新たなロスジェネを生み出そうという財務省の方針、 そして財務省の官僚どもからお目こぼしをもらえると 空手形を鵜呑みにするなどして消費税増税をしろと主張する 経団連、経済同友会、連合、マスゴミ各社。 日本の将来を考えるのなら 消費税増税は必要ありません。 そんなものはインフレが加速しすぎてからやればいいだけの話。 日本はといえばまだはっきりとデフレ脱却したと言えないレベルなのです。 2%のインフレ目標すら達成できていないんですから。 まずは「財務省による官制不況」という病気が完治するまで 増税は禁止すべきなんです。
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