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#漫画トリオ
fa-cat · 1 year
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上岡龍太郎さん死去 81歳 『ナイトスクープ』初代局長として活躍
 2000年に芸能界を引退した、元タレントの上岡龍太郎さんが5月19日に、大阪市内の病院で肺癌と間質性肺炎のため死去した。81歳だった。
 本人の強い意向により、ごく限られた身内で密葬を済ませており、お別れの会なども固辞したいとの旨を伝えていたという。
 上岡さんは1942年3月20日生まれ、京都市出身。横山パンチの芸名で、60年に横山ノックさん、横山フックさんと「漫画トリオ」を結成。68年に解散後は、テレビやラジオ番組の司会などで、絶妙な笑いを交えたトークで、関西を中心に絶大な支持を誇った。
 笑福亭鶴瓶と共演した『鶴瓶上岡パペポTV』や、初代探偵局長を務めた『探偵!ナイトスクープ』をはじめ、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』などヒット番組多数。「東京嫌い」で知られたが、全国ネットの番組でも人気となった。
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sattworld · 1 year
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suzumori521 · 5 months
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Hello!
I have released volumes 3 and 4 of my doujinshi "氷海線に生きる - hyokaisen ni ikiru-."
Although it's incomplete, this concludes the doujinshi I made at that time.
I hope to remake it someday and bring it to a real conclusion.
I plan to upload a side story doujinshi today.
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kennak · 1 year
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜��川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間���明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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yskwkt · 1 year
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ノックさん あなたは僕の太陽でした あなたの熱と光のおかげで 僕は育ちました あなたの温かさと明るさに包まれて 生きてきました ノックさん あなたはみんなの太陽でした あなたが現れるだけで その場がパッと明るくなりました あなたが笑顔を見せるだけで みんな心が癒されました ノックさん あなたは大きな太陽でした あなたの前に立つと 自分がいかに些細なことにこだわり つまらないことに悩み とるに足らないことで 人と争っているか 自分自身の小ささを思い知らされました ノックさん あなたは今 西の空を真っ赤に染めて 水平線の向こうに沈んで行こうとしています でも 僕の胸の中には今も 真夏の太陽のようなあなたが ギラギラと輝いています あなたと初めて会った昭和35年 1960年8月5日から 最後となった平成18年 2006年4月4日までの 想い出の数々が、まるで宝石のようにキラキラと胸一杯に詰まっています 六甲のベースキャンプ ハウスボーイ時代にはサミーと呼ばれ 宝塚新芸座では「みたひさし」と名のり 「あきたけいすけ」から「横山ノック」 漫画トリオになったノックさん はじめて買ったブルーバードファンシーデラックスが盗まれ セドリックからアルファ・ロメオ ジュリアスプリントGTヴェローチェ 運転手付きのタッチダートに乗り換えたノックさん 我孫子町からさわの町 西宮北口から千里津雲台 桃山台の豪邸から芦屋に移り住んだノックさん 漫才師から参議院議員 大阪府知事から 最後は被告人にまでなったノックさん 相方や車や住まいや肩書はコロコロと変えたけど 奥さんだけは生涯変えなかったノックさん 血の滴るようなティーボーンステーキが大好き あんころ餅や大福餅といった甘いものが大好きで 何より麻雀が大好きだったノックさん 女性が大好きだったノックさん 料理を作るのがうまかったノックさん 麻雀は下手クソだったノックさん 女性を口説くのが上手かったノックさん お酒は弱かったノックさん 麻雀も弱かったノックさん 女性にも弱かったノックさん マーロンブランド扮するナポレオンの髪型を真似して ピンカールしていたノックさん あの頭で10日に一回散髪に行っていたオシャレなノックさん 進駐軍仕込みの英語が堪能だったノックさん そのくせカタカナは苦手だったノックさん 人を笑わせるのに自分は泣き虫で 賑やかなことが好きで寂しがり屋で ありがた迷惑なほど世話焼きで ああ見えて意外に人見知りで 甘えん坊で 頑固で 意地っ張りで 負けず嫌いで 天真爛漫で子供っぽくてかわいくて そしていつでもどんな時でも必ず 僕の味方をしてくれたノックさん ノックさん 本当にありがとうございました ノックさん 本当にお疲れ様でした そして、ノックさん 本当にさようなら
上岡龍太郎さん「横山ノックを天国へ送る会 献杯の挨拶」 - あなたにおくる最後の言葉
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大洋さんから届いた絵 #277
松本大洋さんから、ひと言。
「『東京ヒゴロ』3巻 が、先日発売になりました。 『東京ヒゴロ』に限らず漫画を描くときはいつも、 登場する人物みんなを とても格好いいと思って描いているので、 塩澤さんやいろんな漫画家さんたちと さよならするのはさみしいですが、 最終回までたどり着けてほっとしました! 登場人物のひとり、長作の娘のルナは トリオ芸人ジェラードンさんのファンで、 時々歌ったり観ていたりするのはジェラードンのネタです。 僕ももちろん大好きです。」
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smkmrmr · 3 months
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辺見ちゃんこと辺見和雄について話をするよ。
思いのほか長文になったのでワンクッション。
好きな漫画の一つであるゴールデンカムイ、登場人物達はどれも個性的でトンチキさ(←)があるのが魅力的であるが自分の場合は杉元を筆頭とした黄金トリオを推していたりする。根本的に主人公サイドを応援しがちな性分だったりするので。
しかしそれはそれとして刺青囚人の中でもとりわけトンデモキャラといえる辺見和雄(以下辺見ちゃん呼び)にはどうしても惹かれてしまいがちなところがあるのだ。辺見ちゃんが気になったのは今に始まったことではない。元々ゴールデンカムイは単行本1巻が出た頃から追っている身で自慢というわけではないが何気に古参読者だったりする。その頃から面白く読んでいたのだが、辺見ちゃんのエピソードは5巻発売当時に読んで衝撃を受けてしまった。
見た目冴えないオッサンが恐るべき殺人鬼というギャップの上に主人公である杉元に対する乙女心というギャップをぶつけてきたもんだから、最初は「我々は一体何を見せられているのだ・・・」という唖然とするしかなかった。しかしそれと同時に彼の複雑怪奇なキャラ造形に何とも言えない味わいを覚え、それが愛おしさすら感じるようになった。
彼は本編においては初期の数話程しか登場しないゲストキャラ枠とも言える存在である。しかし作品のターニングポイントという点としては重要なキャラであって、実際に作者である野田先生は辺見ちゃんは自分をモデルにしていると述べており何かにつけて辺見ちゃんを自画像や代理扱いにしている。
ゲストの敵キャラにすぎないのに退場後も何らかで公式から擦られがちな人気の辺見ちゃん・・・フリーレンのアウラかな???(確かに杉元一行の仲間入りした辺見ちゃんのif二次創作もあったりはするけど)
そんな辺見ちゃんの魅力について自分なりの解釈でここから更に深堀りしていく。
正直な話、自分はヴィランの悪の美学というのは好きでもヴィランそのものを目的に作品を楽しむ感覚があまりなかったりする。全くないというわけではないが、前述で言ったように自分は主人公および主人公サイドを応援したり感情移入するようなタイプである。
だが辺見ちゃんの場合は少し事情が違った。辺見ちゃんは普段は穏やかな言動を振る舞っていても根本的には恐ろしい殺人鬼で、彼のやっていることはヴィランそのもの。だがその反面杉元のことは憧れとも恋心とも言えるような強い感情を抱いており、ヴィランでありながらも主人公に対して敬意を払っているという何や矛盾したキャラ造形に個人的には刺さってしまったところがある。
ヴィランの悪の美学を魅力的に描きつつ主人公のヒーロー性も肯定的に扱う。そしてそんな杉元も不死身の杉元として人殺しをやっているのを自覚しているからこそ、ある種の悪には悪をぶつけるという構図が起こっている様。それらの善悪の描かれ方のバランスが絶妙で、端から見ると茶番のような辺見ちゃんのエピソードはどのエピソードを切り取っても濃い本作の中でもとりわけお気に入りとなっている。(でも他のエピソードも茶番みたいなの多くないか?と突っ込んだら負け)
ゴールデンカムイが大団円に完結した今でも辺見ちゃんが頭から離れられないのだが、辺見ちゃん自体のインパクトはもちろん彼のエピソードは海洋生物にまつわるエピソードでもある点もあるかもしれない・・・と思っていたりもする。ニシンやらクジラやらシャチやらと元々海洋生物好きであった自分にとってはその辺り見ててワクワクしていたりした。とりわけシャチの存在感は強くて、知床で野生のシャチウォッチングしたいまである。
余談であるが丁度今の時期はシャチウォッチング真っ盛りで、先週は白いシャチが2頭同時に確認されたことが話題になったりしている。やっぱり生で見てみたいんだよなぁ。
あと今後どうぶつフォーゼで辺見ちゃん出すならシャチにフォーゼしてください。シャチがキラーホエールだの冥界の魔物だの呼ばれながらも水族館のアイドルとして愛されている側面があるところが、シリアルキラーでありながら可愛らしい言動を取る辺見ちゃんに通じる部分があるので←
そして自分のメンタル的な話題を混ぜて申し訳ないが、ここずっと自分は気が滅入っている状態が続いていてまぁそれは自分の生まれ持ったやつではあるのは分かってはいるのだが、だからこそ前々から密かに好きなキャラであった辺見ちゃんのことをここ最近は余計に可愛い可愛いの気持ちが募ってしまっているのだなと。
何というか辺見ちゃんはメンヘラ的なキャラではあるんだけど、煌めきというポジティブ(?)思考の持ち主でもあるからそんなポジティブでメンヘラなところが自分にとっては躁うつ的な波長を感じ取ってしまい、もはやある種の心地良さを抱いてしまっている部分がある。そして自分はメンヘラな気持ちを抱いても逆張りやルサンチマンを拗らせるだけで終わるのもそれはそれで嫌だな・・・という面倒くさい考え方があったりする。だからこそ辺見ちゃんのメンヘラでありながら煌めきポジティブを持っているところに惹かれてしまうのかもしれない。
野田先生だって自らを辺見ちゃんとして描いた上で、杉元の主人公としての勇姿を最後まで描ききってくれたわけだから。色々と気が滅入ってしまっている今だからこそ、自分のメンヘラな気持ちもポジティブな気持ちも両方肯定的に上手く向き合っていきたいよな・・・と思うところがある。
何か後半は謎の説教臭い内容になっちゃっているし、辺見ちゃんに対してそんなこと思っているのかよ・・・て感じですが、自分が思っていた以上に辺見ちゃんの強火担であったのは分かった。
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myonbl · 10 months
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2023年11月30日(木)
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今日で11月が終わる。このところ朝晩の冷え込みが厳しくなってきたので、私の衣装も冬仕様だ。春・秋用の<襟巻ジバン>の上に冬用のボア付きを着てみると、これがポカポカと本当に暖かい。木曜日は昼には仕事を終えて退出、カレンダーをめくると残り1枚、最後の出勤は12/21(木)となる。他の予定は書き込んでいないが、週末はイベント続きで忙しい、さすがに<師走>というべきか。
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4時30分起床。
日誌書く。
大丸にお節を発注する。
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朝食。
弁当*2。
いつもなら朝食前に洗濯をするのだが、腰の痛みのせいかいつもと胃リズムが狂ってしまい、すっかり忘れていた。
プラゴミ、20L*1&45L*1。
ツレアイの職場経由で出勤する。
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順調に到着する。
木曜日1限は<共生社会と人権>の11週目、冒頭に先日NHKで録画しておいた<よみがえる新日本紀行>を見せる。
最初のニュータウン 〜大阪・千里〜
初回放送日: 2023年11月18日 昭和54年、大阪・千里ニュータウンを訪ねた新日本紀行を再び!日本最初の巨大人工都市の暮らしを住民でもある漫才トリオ・かしまし娘の正司照枝さんがリポートしている。 番組から44年、千里ニュータウンではこの20年ほどで団地の建て替えやマンションの建設が進み、新たに住み始める若い世代も増えている。正司照枝さんは90歳のいまも元気いっぱい。新日本紀行当時と同じ家に住み、近くにいる妹の花江さんが届ける食事を楽しみにひとり暮らしをエンジョイ中だ。この街の良さは昔と変わらぬ静かな雰囲気だという照枝さん。今回も味のあるナレーションで千里への愛を語ってくれた。
その後、今日のテーマは<性的マイノリティーの人権>、時間が無いので<LGBT理解増進法>の成立経緯の説明を朝日新聞の記事の参考に、<BIG ISSUE>の<ジェンダーの生物学>の紹介し、最後に高校生のトランスジェンダーの生活を追ったニュース映像を見せて終了。後のコメントで正反対の意見があったのが面白い。
水曜日の入力問題のチェック。
来週の<情報機器の操作Ⅱ(11回目)>の内容チェック。
弁当を食べ、カレンダーをめくって退出する。
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早い時間だが、今日も1号線の交通量が多い。
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長男が使っていた室内こぎのバイク(何と言えば良いのかわからない)が壊れているので大型ゴミに出すことにした。今週からWebで申込を受け付けるとのことだが、初めてなので仮登録した後でセンターに電話して本登録という流れになる。完了すると、受付番号と集配場所の地図が送られてきた。12/4(月)回収、手数料は1,200円、10kgごとに値段が違うのだが、よくわからないので<30kg未満>でお願いしたのだ。
保健協議会の仕事、12/16(土)の<移動式拠点回収>のチラシを各組長さん宅まで配付する。
ファミリーマートで、大型ゴミチケット(400円*3)を購入する。
腰の痛みは大分よくなったのだが、姿勢が悪かったのか、今度は右の肩から首に掛けて痛みが出てきた。
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冷蔵庫食材で夕飯準備、南アの赤ワインシリーズも3本目、今夜は<CABERNET SAUVIGNON>。
録画番組視聴。
サラメシ シーズン13 (25)まるごと群馬SP 豊かな自然と食 受け継ぎ守る人
初回放送日: 2023年11月23日 群馬県内各地の奥深~い仕事とランチをご紹介▽生産量日本一!だるまの産地、高崎市の工房をお弁当ハンターの阿部了さんが取材▽本州最大の湿原・尾瀬。貴重な植物を踏み荒らさないよう整備された木道。その修理、架け替えを担う人たちのパワーの源、山小屋で頂くチカラめし▽地元の子どもたちに大人気のレトロ遊園地。陰で支える副園長さんの秘めた思いとは?▽小麦の産地、群馬の新名物!高崎パスタ店の絶品まかない。
「落語研究会」のDVDから、「つぼ算」「住吉駕籠」桂米朝。60代前半、一番良い頃かもしれない。
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3日ぶりの入浴、桶を持ったり頭を洗ったりする動作がやりづらい。
今月の血圧、けっこういい数字だった。
右肩に湿布を貼って貰う。
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痛みが消えるまでは無理しないでおこう。
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micmoc · 2 years
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【弔辞】上岡龍太郎から横山ノックへ
ノックさんあなたは僕の太陽でした。
あなたの熱と光のおかげで僕は育ちました。 あなたの温かさと明るさに包まれて生きてきました。
ノックさん、あなたはみんなの太陽でした。 あなたが現れるだけでその場がパッと明るくなりました。 あなたが笑顔を見せるだけでみんな心が癒やされました。
ノックさん、あなたは大きな太陽でした。 あなたの前に立つと自分がいかに些細なことにこだわり、 つまらないことに悩み、取るに足らないことで人と争っているか、 自分自身の小ささを思い知らされました。
ノックさん、あなたは今、西の空を真っ赤に染めて 水平線の向こうへ沈んでいこうとしています。 でも僕の胸の中には今も 真夏の太陽のようなあなたがギラギラと輝いています。
あなたと初めて会った昭和35年1960年8月5日から、 最後となった平成18年2006年4月4日までの思い出の数々が、 まるで宝石のようにキラキラと胸いっぱいに詰まっています。
六甲のベースキャンプ、ハウスボーイ時代にはサミーと呼ばれ、 宝塚新芸座では三田久と名乗り、秋田Kスケから横山ノック、 漫画トリオになったノックさん。
初めて買ったブルーバードファンシーデラックスが盗まれ、 セドリックからアルファロメオ ジュリア スプリント ベローチェ、 運転手付きのダッチダートに乗り換えたノックさん。
我孫子町から沢ノ町、西宮北口から千里津雲台、 桃山台の豪邸から芦屋に移り住んだノックさん。
漫才師から参議院議員、 大阪府知事から最後は被告人にまでなったノックさん。
相方���車や住まいや肩書はコロコロと変えたけど 奥さんだけは生涯変えなかったノックさん。
血の滴るようなTボーンステーキが大好き、 あんころ餅や大福といった甘いもんが大好きで、 なにより麻雀が大好きだったノックさん。 女性が大好きだったノックさん。
料理を作るのがうまかったノックさん。 麻雀は下手くそだったノックさん。 女性を口説くのがうまかったノックさん。
お酒は弱かったノックさん。 麻雀も弱かったノックさん。 女性にも弱かったノックさん。
マーロン・ブランド扮するナポレオンの髪型を真似して ピンカールしていたノックさん。 あの頭で十日に一回散髪に行ってたオシャレなノックさん。
進駐軍仕込みの英語が堪能だったノックさん。 そのくせカタカナは苦手だったノックさん。
人を笑わせるのに自分は泣き虫で にぎやかなことが好きな寂しがり屋で ありがた迷惑なほど世話焼きで ああ見えて意外に人見知りで 甘えん坊で頑固で意地っ張りで負けず嫌いで 天真爛漫で子供っぽくて可愛くて
そして、いつでも、どんな時でも、必ず、 僕の味方をしてくれたノックさん。
ノックさん、本当にありがとうございました。 ノックさん、本当にお疲れ様でした。 そして ノックさん、本当に、さようなら。
芸人を送るのに涙は似つかわしくありません。 どうか不世出の大ボケ、横山ノックを、 精一杯の笑顔と拍手で天国に送ってやってください。
ノックさんに献杯。
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re-readings · 1 month
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高岡大祐 福岡 佐賀5days!
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■高岡大祐 低音金管楽器tubaの限界と常識を突破するアウトサイダーtuba奏者。時には電子音的変調のようなエフェクティブなサウンドを肉体のみを駆使した非電化生音で発生させ、あるときはアンプリファイドして増幅させたtubaを発振器のように演奏するなど幅広く演奏。ジャズミュージシャンとの共演も多く、本来tubaが存在しない音楽を中心に演奏活動を続ける。 自己のレーベルからフィールドレコーディングと即興演奏を共存させた作品を多数発表中。 近年は粂田剛監督作品のドキュメンタリー映画「なれのはて」「ベイウォーク」などの音楽制作を担当。自身の幼年期の欧州放浪を原作にした漫画も連載中。
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9月19日(木) インプロセッション&ソロ 高岡大祐(tuba)from 東京、 サネマツアキラ(voice,per,etc)、みやいさとし(bass,dr)、山内桂(sax)from 大分 open !9:00 start 19:30 場所 箱崎水族館喫茶室  料金 2000円(ドリンク別500円)
■サネマツアキラ 1967年福岡生まれ 高校在学時のレコードマニアが高じて、当時MTVブームに乗じてビデオアートの専攻のある関東の大学に入学するが、当初の目的とは打って変わり空間的な映像のインスタレーションを発表し、美術家として活動する。1990年代後半から展示作品がサウンドインスタレーション的な方向性に変化し、パフォーマンスも行うようになる。また同時期に天鼓のヴォイス・ワークショップに出会い、ヴォイスによるパフォーマンスも行うようになる。 2004年、地元の福岡に帰郷。アートスペーステトラ、Gallery SOAP,IAF Shop等々のオルタナティブなスペースを中心に展示とパフォーマンスを行う。 2024年から神戸塩屋で行われているリスニングイベント「最近何聴」の福岡篇を大名のGallery BEMにて三か月に一度の頻度で開催。
■みやいさとし 演出家の下松かつと氏が福岡市内で長年主宰する、大耳ネットワークの夕べや名島表現塾に参加。 ベースやドラムでの演奏を中心に、他楽器を使ったマルチな即興演奏や踊り、演劇脚本執筆、デザイン、照明他のスタッフ仕事にも取り組んでいる。稀に箱崎水族舘喫茶室で働くこともある。 2024年夏現在、いくつかのバンドに参加しており、ドラムを担当する半元気の1stアルバムが最近リリース。ソロではベース弾き語りや宅録を細々と続けている。
■山内 桂 1954年 別府市生まれ 松山の大学時代にサックスと即興演奏や企画主催など活動を始め、M. グレイブス、D. ベイリー、H.ベニンク等の初来日松山公演主催。 以後2002年まで大分で会社勤務と音楽を続ける。並行して単独による山岳スキーや山岳フライフィッシングをする。 音そのものの響きと細胞レベルのコミュニケーションによる、唯一無比で独自の音楽「SALMO SAX」は刺激的でどこかなつかしい。ソロを中心に世界(ヨーロッパ、USA、東南アジア、台湾等)を駆ける。多くの視覚表現との共演により音楽と美術の越境も果たしてきた。 2024年3月現在17枚目のCDリリース内定。 自然での経験が音楽に結実したサルモワールド展開中。
2002年  音楽活動に専念。(脱サラ) 2008年~ サルモサックス・アンサンブル 2010年~ 映画制作。水の叙情詩三部作(ホフネン、ハルリ、フウア)は国際映画祭で入選多数 2016年~ サガイン(山崎昭典/ギター) 2022年  コントラバスサックス購入
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9月20日(金) 高岡大祐(tuba)from 東京、波多江崇行(guitar,effects)、十三(dr,effects) start 20:00 場所 BLACK CAT BONE  チャージ 3000円
9月21日(土) 高岡大祐(tuba)from 東京、波多江崇行(guitar,effects)、十三(dr,effects) start 19:00 場所 SAGA SPACE333(佐賀県佐賀市川副町早津江津333) チャージ 3000円
■波多江崇行 福岡出身糸島市在住。Jazz styleを基盤とし、ブラジル音楽、即興演奏、ノイズ、ambientなどスタイルは幅広く、国内外ミュージシャンとのツアーや音楽製作、アルバムリリースなど精力的に活動している。 自身の絵画と演奏作品をアップしたyoutube映像なども好評を博している。 趣味はブラジル音楽の採譜と魚釣り。 参加バンドやリリース作品。Advanced Music Gallery、沖至trio、sonic bebop &Takayuki Hatae、che sun bae quartet、ocean voice(加藤崇之gt duo)、倉地久美夫(gt.vo)duo、shikata meninos(伊藤ぺぺgt.vo duo)、波多江井野山崎trio(井野信義ba.山崎比呂志dr)
■十三 ジャンルにとらわれないボーダーレスな活動を中心に多数のバンド、セッションに参加。 愛知芸術劇場主催のサウンドパフォーマンスプラットフォームに自身のバンドで出演など、その活動は多岐に渡る。
構築力と転換力、アブストラクトなアプローチからリズミックな演奏も得意とし、2020年に初の自身のsolo音源 Acoustic material&material compositionをリリース。 Soloの名義をMad Discと定め新しいスタートを切る。
2021年ポルトガルのレーベルCronica より音源をリリース。国外で評価を得る。
現在、長く活動拠点とした名古屋から北九州に拠点を移し活動中。
主な共演者 PAAL NILSSEN-LOVE、Eli Keszler、Fernando Kabusacki、Yong Yandsen、小埜涼子、田畑満、Tsuneyasu inoue、大島輝之 、宍戸幸司etc…
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9月23日(月・祝) インプロセッション&ソロ 高岡大祐(tuba)from 東京、 サネマツアキラ(voice,per,etc)、みやいさとし(bass,Dr) open !8:30 start 19:00 場所 アートスペーステトラ 料金 2500円(ドリンク別500円)
9月24日(火) 高岡大祐(tuba etc.)、谷本仰(violin,effects) 【北九州八幡デルソルカフェ】093-662-2013 福岡県北九州市八幡東区前田3-10-26 open 19:00、start 19:30 投げ銭制!!
■谷本仰 ヴァイオリン他.。即興を中心としたソロライブプロジェクト「谷本仰Solo Dialogues」、アルゼンチン・タンゴ「トリオ・ロス・ファンダンゴス」等で活動。2021年3月より毎月、新作ソロCDR作品「谷本仰SoloS」リリース。
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mykimi2 · 4 months
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午後休して東バのロミジュリ見てきた。噂のクソブラボーに遭遇、休憩終わる時にアナウンスあったけど、20年バレエ見てきてあんなガチギレアナウンス初めて聞いた…ワタシの周りも1幕終わってみんな怒ってたから
「演出の妨げになるブラボーはヤメレ」ってアナウンスで拍手が出たんよ…ほんとに…。クソブラボーは下の階のL寄りからだと思うのだけど、2幕以降はワタシの後ろの方にもスタッフが座ってたから、あちこちで見張ってたんだろうなぁ(ありがたい)。
バレエのブラボーは辺なところで、ブラボーじゃなくても出ることが多いのが本当に嫌で、結局「推しに自分の存在を知ってほしくてやってる」自己顕示欲、承認欲求の拗らせだと思ってる。
ダンサーがどう思ってるかはちょっと置いといて(立場的に嫌だとは言えないだろうし)もうブラボーは歌舞伎の大向うみたいにプロしか声かけちゃダメにしてほしい。
まぁ、このプロってのは誰のことよってなると別の意味で厄介な話だろうけど。コロナの拍手だけの時は本当に心穏やかに余韻に浸れていたなぁと
東バ見るのは久しぶり(上野遠いんだもん)なんだけど、ワタシはここの若手男性ダンサーが主役になるパターンが好きみたいで、大塚くんは青くて少女漫画男子タイプで大変良かったし、池本くん、樋口くん(推し)とのトリオもそれぞれがキャラ立ちしてて、池本くんのマキューシオはハマり役だねえ。弾くんは今更王子で見たいとはあんまり思わないけど(こら)、今後もアクの強い狂犬キャラで見たい。
秋山さんはナチュラルボーンジュリエットで、可愛い、小さい、軽い。リフトされるの上手だなー。表情で主張をわがままではなく強さにするタイプ。木村さん奈良さんが両親で従兄弟が弾くんとか強すぎるだろ。
I took the afternoon off to see the Tokyo Ballet Romeo & Juliet.
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nom-iya · 6 months
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野宮です。
「ナイール」という名前で、「萩原ぎょん」「広野」という旧知の仲の3人で、コントや漫才をしています。
このブログでは、ライブ当日や、練習で集まった日についての日記を書きます。
2024/04/07(日)
みんなのペチカ vol.96 1部へ
コント「内見」を実施した。
もしご覧になった方いたらありがとうございます
アンケートも記入していただきありがとうございます
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昼食にタパスタパスへ
今回も中MCで呼ばれなかった。
アンケートの評価を見た感じでも、ブロックの中で3位くらいのように見えた。
個人的な感覚としては、ウケ量として初めて「マイナス以外の点数が出たかも」という感じだった。まだまだ足りない。これが賞レースの1回戦だったとして、このウケ量で上がれるとは思えない。
対して、他の2人は「上出来」という評価だったので、私が悲観的すぎると思った。だがしょうがない。他の2人の評価に水を刺すことなく、チームの中で最低ラインを上げる役回りとしてやっていく。これで全員が自分のように何もかもに悲観的だったらいつまで経っても楽しくならないし、良いことだと思えた。
ネタをやっていて、ツッコミが、来て欲しいタイミングで、来て欲しい角度で、来て欲しい温度で、来てくれていないから笑うタイミングを逃してしまう感じがあった。それは他の人のネタを見ていても思うことで、客席から見てる分にはわかるのに、台本上で、または練習中に、その軌道修正ができないのは自分の能力のなさを感じる。そのチューニング能力を鍛えていかないといけない。そしてそれができてやっとスタート地点だと思う。そこからどうやって個性を出すかの勝負が始まるから。
レンタルスペースへ行った。新しいトリオ名を決めた。この次にエントリーするライブから変えていく。
ラジオをお試しで録った。
レンタルスペースの外の電車の音がうるさかったので「お試し版」として録った。4本録って、2本目と4本目は及第点レベルになった。他の2本はボツ。
企画も考えてはきたが、お試し版なので何も決めず気を楽にして録った。何かを始める時だけは楽しい。
夜はヒカリエの上の居酒屋で定食を食べた。
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次に出るライブはアマチュアのコント賞レースです。
https://x.com/CONTest_pechka/status/1773338492778471526
その次も決まっています。こちらもバトルライブ。初めて出るライブです。
https://x.com/toshiro_kanto/status/1776927912983437620
【ここからは前回の日記を書いた日から今回までに思ったことのメモです。】
・見る側に見える数字
私は自分が見る側でも発表する側でも、フォロワーとか再生回数とかの数字が見る側に見えるようになっているプラットフォームが嫌だと言うことがわかった。ブログとか、そういった数字が管理者側にしか見えないプラットフォームのほうが落ち着く。
よく、「テレビは、元は作り手とスポンサーのためだけにあった視聴率のことを、視聴者が口にするようになってから良くなくなった」みたいに言うけど、それに似ていると思う。
・前の日記に書いた、作ってきた台本を一発目に読み合わせるときに無駄な箇所が多くて困る件
学生時代は授業終わりに図書館とかファミレスでネタを書いていたんだけど、社会人になってから時間がなくて、家でネタを書くようになったのが原因で、できた台本の完成度が低いのではないかと思うようになった。できるだけ休みの日などに喫茶店に行ったりして書いた方がいいだろうか。
・ぎょんをプレイヤーに専念させたほうがいいのか?
今は全てのことを3人がいる場所で俎上に載せて議論しているが、一旦広野さんに見せて、そこで決まったものを最終的にぎょんにぶつけて決定、にしたらどうだろうか。これがうまくいく確証は別にないのだけれど。
コンビだと、お互い50パーセントの持ち議席からスタートして、51パーセントになれば過半数獲得で自分の意見を通せるが、3人だと合議を取るときに持ち議席を33パーセントから51パーセントに持ってかないといけない。
「どちらかに先に見せる」だけであるなら、ぎょんが先でもいいかもしれない。
・「勝手にシンドバッド」を作らないといけない
今やっているネタがウケないのは、ネタのタイプが「いとしのエリー」タイプだからなのではないかと思った。「勝手にシンドバッド」のようなデビューシングル向きの、キャッチーで認知度上昇を第一目的としたセンセーショナルな曲と、「いとしのエリー」のような「いい曲」はまた別なのではないかと。それはネタでも同じで、誰にも知られていないような我々は、本当は「勝手にシンドバッド」を作らないといけないのではないかと思った。
・見られるつもりでやってんだか見られないつもりでやってんだかわからない
いつまでもグズグズ言ってるから見られるようにならないんだと思う
この日誌も本当はすぐやめた方がいい。でもそうすると何もせずただじっと待つだけになる。それは耐えられない。
・ボケルバに行って褒められてとても嬉しかったんだけど、「褒められても良いリアクションが取れない」という自分の性質がただ損失でしかない。そして褒められなかったら不貞腐れるだけ。幼稚。
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saruyama-inuo10 · 8 months
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横山ノック お別れ会 献杯の挨拶 上岡龍太郎
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ノックさん あなたは僕の太陽でした あなたの熱と光のおかげで 僕は育ちました あなたの温かさと明るさに包まれて 生きてきました ノックさん あなたはみんなの太陽でした
あなたが現れるだけで その場がパッと明るくなりました あなたが笑顔を見せるだけで みんな心が癒されました
ノックさん あなたは大きな太陽でした あなたの前に立つと 自分がいかに些細なことにこだわり つまらないことに悩み とるに足らないことで 人と争っているか 自分自身の小ささを思い知らされました
ノックさん あなたは今 西の空を真っ赤に染めて 水平線の向こうに沈んで行こうとしています でも 僕の胸の中には今も 真夏の太陽のようなあなたが ギラギラと輝いています
あなたと初めて会った昭和35年 1960年8月5日から 最後となった平成18年 2006年4月4日までの 想い出の数々が、まるで宝石のようにキラキラと胸一杯に詰まっています
六甲のベースキャンプ ハウスボーイ時代には��ミーと呼ばれ 宝塚新芸座では「みたひさし」と名のり 「あきたけいすけ」から「横山ノック」 漫画トリオになったノックさん
はじめて買ったブルーバードファンシーデラックスが盗まれ セドリックからアルファ・ロメオ ジュリアスプリントGTヴェローチェ 運転手付きのタッチダートに乗り換えたノックさん
我孫子町から沢ノ町 西宮北口から千里津雲台 桃山台の豪邸から芦屋に移り住んだノックさん
漫才師から参議院議員 大阪府知事から 最後は被告人にまでなったノックさん
相方や車や住まいや肩書はころころと変えたけど 奥さんだけは生涯変えなかったノックさん
血の滴るようなティーボーンステーキが大好き あんころ餅や大福餅といった甘いものが大好きで 何より麻雀が大好きだったノックさん
女性が大好きだったノックさん 料理を作るのがうまかったノックさん 麻雀は下手くそだったノックさん
女性を口説くのが上手かったノックさん お酒は弱かったノックさん 麻雀も弱かったノックさん 女性にも弱かったノックさん
マーロンブランド扮するナポレオンの髪型を真似して ピンカールしていたノックさん
あの頭で10日に一回散髪に行っていたオシャレなノックさん 進駐軍仕込みの英語が堪能だったノックさん そのくせカタカナは苦手だったノックさん
人を笑わせるのに自分は泣き虫で 賑やかなことが好きな寂しがり屋で ありがた迷惑なほど世話焼きで ああ見えて意外に人見知りで 甘えん坊で 頑固で 意地っ張りで 負けず嫌いで 天真爛漫で子供っぽくてかわいくて そしていつでもどんな時でも必ず 僕の味方をしてくれたノックさん
ノックさん 本当にありがとうございました ノックさん 本当にお疲れ様でした そして、ノックさん 本当にさようなら   芸人を送るのに、涙は似つかわしくありません どうか、不世出の大ぼけ 横山ノックを 精いっぱいの笑顔と拍手で天国へ送ってやってください
ノックさんに、献杯(けんぱい) ありがとうございました
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sika0728 · 1 year
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日記
休暇。朝起きて、楽しみにしていたドラマ「あいつが上手で下手が僕で」という漫才コンビたちの群像劇のDVD、メイキングを観る。めちゃくちゃ楽しい。お昼にそのドラマの脚本をやっているヨーロッパ企画のお芝居『攫いはするけど切り裂かないジャック』を観に行く。ヨーロッパ企画の舞台を初めて観たけれども、脚本も演出もなかなか大味で、いや、あれはああいうエンタメなんだな。石田剛太さん無性に好き。
下北沢でtonlistというお店に行く。ジャズを良音質でかけてはるホットドッグとコーヒーとお酒のお店。入ったらアビシャイ(ベース)のトリオがかかっていて、聴いたことのあるはずのアルバム(『Gently disturbed』)だが、ぜんぜん印象に残っていないのに、めちゃくちゃ良いと感じた、音響のおかげだろうか、それとも自分が変わったのか。次がGreg Speroというピアニストがリーダーで『Chicago experiment』というアルバム、これもめちゃくちゃかっこいい、ドラムのスケールがデッカいなあと思ったらマカヤ・マクレイヴン。名前ばかりでちゃんと聴いたことがなかった、すごい、来日、今年の春にしちゃっていた……。ジェフ・パーカーもマーキス・ヒルとジョエル・ロスもシカゴなんだな。2022年、🆕だ。ジョエル・ロス、いつか生で観たいな。そんで、マイルズの映画のサントラで『Miles Ahead』。ジャズはすごい、マイルズもグラスパーもすごい。そんで、あと1枚だけどんなレコードがかかるのかと思って居座ったら『Jazz at the Opera City』というハービーとジャコパスとチャーリー・ヘイデンとショーターとウィントン・マルサリスとトニー・ウィリアムスとボビー・ハッチャーソンと、みたいな、不勉強ながらこのアルバムを知らなかったんですが、嘘みたいな「フットプリンツ」。こんなん生で聴いてたら卒倒してると思う。トニー・ウィリアムスのドコドコ、すごいよ……。
夜、姉と妹が来る。真心ブラザーズのレコードをみんなで聴いた。妹がtonlistに行ったことがあるという。赤ちゃんだったのにカルチャーガールに成長してしまった。
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yskchan · 1 year
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金色のコルダ20周年祝い盛り上がってたなー!成人式やん〜改めておめでとうだよ〜!
っふー…お祝いギャグ漫画描かなくて良かったとX見て思ってしまったあぶないあぶない
イトケン声メンズと主人公トリオでフィーリングカップルする漫画描こうと思ってましたとだけ…
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ysformen · 1 year
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ジャニー喜多川の性的児童虐待について
ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。
まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。
ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であ���としている。
『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。
元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(データハウス、1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(データハウス、1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(データハウス、1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(鹿砦社、1996年4月)、 山崎正人は『SMAPへ』(鹿砦社、2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズ、著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群やグルーミングの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。
1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。
1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。
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