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#牛すじお好み焼き
dajin-leo · 2 years
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須磨寺商店街といえば、鉄板焼き㐂らくさん。 今回は牛すじお好み焼き。 辛口ソースでいただきました! あ〜うんまかった😭 さて、これから勝負〜勝負〜‼️ #㐂らく #須磨寺商店街 #吟遊打人 #牛すじお好み焼き (㐂らく) https://www.instagram.com/p/Cl-TZ5lPaTU/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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55kazuharu · 2 years
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森下にある鉄板焼のぽん太。 序盤で肉や海鮮をいただき、後半でもんじゃやお好み焼きをいただきます。 こちらのお店は、以下特徴がかなり良いです! ①肉が美味しすぎる 鉄板で焼くと肉の脂が逃げないのであまり良くない肉だと脂臭くなりしつこい感じになります。 なので、肉が美味しいということは、炭焼肉以上のクオリティの肉が提供されているということ。 今回は牛タン(予約時に伝える)をいただきましたが、焼肉屋でもこれほどの牛タンはないかも。 ②お好み焼きが美味しすぎる 特徴は広げずに高く盛ってじっくりと蒸し焼きにしていくスタイル。 なので、出来上がりまでは時間がかかるのですが、その待った甲斐があったほどに美味しい。 ふわっふわでとろ〜っとした食感。 でもキャベツのシャキシャキ感は残ってるという絶妙な火入れです。 まさに新食感! ③経営されているご家族が楽しすぎる 皆さん気さくで、ご主人のこだわりも聞いてて楽しい。 行く際には予約していくのが良いです。 そのときに牛タンやハラミ、レバー焼きを予約すれば入荷があれば取り置きしてくれます! 間違いなくリピートします! これは隠れた名店です。 #ぽん太 #お好み焼きぽん太 #森下グルメ #清澄白河グルメ #焼肉 #お好み焼き #もんじゃ焼き #牛タン好きな人と繋がりたい #ハラミ好きな人と繋がりたい #東京グルメ #東京グルメ部 #東京グルメ巡り #グルメ好きな人と繋がりたい #グルメスタグラム #美味しいお店を紹介しますよ #食べログ低評価の名店シリーズ #genic_food #fluke公認アンバサダー https://www.instagram.com/p/CqO2VMBy2LC/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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petapeta · 1 year
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 「スパイス」や「バター」を使った料理は、当時の日本人の口に合わなかったのです。しかし、ある日本の調味料がきっかけで、一転して「肉が大好き」になりました。その魔法の調味料は「味噌」と「醤油」です。普段から馴染みのある調味料を使って、獣肉の臭みを消すことに成功。かくして牛肉にネギ・コンニャク・豆腐などを入れて、味噌・醤油・砂糖で煮込んだ「牛鍋」が誕生、大流行しました。明治8年(1875)、牛鍋屋は東京で100軒を越え、2年後にはなんと558軒と激増。大正時代になると、焼いた牛肉を醤油・みりん・砂糖で煮込み、溶いた生卵につけて食する、関西発祥の「すき焼」が主流になり、現在に至っています。岡田哲氏は「なぜ日本人に肉食が浸透したのか」について、以下のように考察しました。 「肉鍋の調理形態は、獣肉から牛肉へ、そして、味噌から醤油と砂糖へ移行していく。換言すれば、米飯に合うおかずとして発展しはじめる。しかし、欧米の肉料理に共通する、香辛料(スパイス)の使用はまったく見られない。つまり牛鍋は、日本人の食卓を欧風化したのではない。洋風素材の牛肉を、和風鍋に取りこんだ」 『とんかつの誕生~明治洋食事始め/岡田哲著』から抜粋  日本人は、西洋料理をそのまま受け入れることはせず、自分たちの主食である「御飯」に合うように日本風にアレンジしていったわけです。小菅桂子氏も著作で「カレー」にまつわる面白いエピソードを紹介しています。 「かつてインド料理店のインド人のコックが『ボンカレー』を食べて、「これはなかなかおいしい日本料理だ。なんていう料理か教えてくれ」と真顔で訊いたという嘘のような本当の話も伝わっている」 『にっぽん洋食物語大全/小菅桂子著』から抜粋
ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「西洋は長崎から~「洋食」」
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kennak · 3 months
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「本人は一生懸命生きようと思っていた。それを奪ってしまって申し訳ない」 80歳の男は声を震わせながら法廷でこう語った。長年にわたり介護していた85歳の妻を夫が殺害した事件。“介護疲れ”による殺人だったのか、それとも“衝動的な”殺人だったのか。裁判員らが悩み抜いて出した結論は執行猶予付きの判決だった。 吉田友貞被告(80)は2023年9月30日から10月2日までの間に、東京・世田谷区の自宅で妻・節子さん(当時85歳)の首を両手で絞めつけた後、電源コードを首に巻きつけて殺害した罪に問われている。 保釈中の吉田被告は12日の初公判に、青いネクタイを締めグレーのジャケットに黒のスラックス姿で法廷に現れた。声が聞き取りづらいのか、右手を耳に当てながら裁判長らの話を聞く場面もあったが、はっきりとした口調で「間違いありません」と起訴内容を認めた。 “老老介護”の実態 食事にはこだわりも 吉田被告は50歳の時に、仕事関係で知り合った節子さんと結婚した。仲の良い夫婦だったが、2016年頃から節子さんの視力が悪化し、生活状況が変化していくことになる。ヘルパーの支援を受けることになったものの、支援は外出する時だけ。自宅での介護は、節子さんの希望もあり吉田被告が1人で担っていた。その後、節子さんはほとんど目が見えない状態となり、2023年1月には要介護の認定を受けることになった。 その後、節子さんは、吉田被告の浮気を疑う発言、「死にたい」との発言、勝手に外に出て行って徘徊、近隣住宅のインターホンを鳴らすといった言動が増えていった。 7月には神経症・うつ状態と診断されることになる。精神科医が訪問診療することになったが、節子さんが受診を嫌がったため、2回目以降は全てキャンセルすることになった。 節子さんを一人にしてはおけないと考えた吉田被告。“息抜きの場所”だったシルバー人材センターでの仕事も辞めて介護に専念することにした。 吉田被告が1人でしていた介護とはどういったものだったのか。 トイレやお風呂は節子さんだけでできたというが、吉田被告は家事全般、爪切り、毎日足湯を用意、夜中などに痰が詰まったときには背中をさすることなどをしていた。食事については節子さんの好みに合わせて作っていたという。 吉田被告の自宅(東京・世田谷区 2023年10月撮影) この記事の画像(4枚) 吉田被告: 朝はパンや牛乳、ヨーグルトに果物を入れたもの。牛乳は決まったものしか飲まなかった。昼は麺で夜はご飯。ご飯は毎回1合炊くが、1合に500mlの水を入れていた。魚は骨が駄目なのでほとんどがマグロやネギトロだった。お肉も柔らかいのしか無理なので、しゃぶしゃぶ用の肉を焼いたりしていた 弁護人: どうして節子さんのこだわりに付き合ったのか。 吉田被告: 我々の歳になると食べることくらいしか生きがいがない。なのでできるだけ望み通りにしたかった。 弁護人: 介護についてはどう思っていた? 吉田被告: 2人きりの家族なので当たり前だと思っていた。 検察官: ストレスに感じていた? 吉田被告: 自分ではストレスという認識はなかった。そんな大変な介護をしている認識はなかった。 事件の10日前、妻が錯乱状態に 吉田被告はつきっきりで介護をしていたが、2023年9月22日にある出来事が起きた。 吉田被告: この日は一日中調子が悪く、私が買い物から帰ってきたら「どこに行っていたんだ」とか「財布を返せ」とか「浮気をしているならお金を返せ」とか話の筋が通らないことを言われた。 節子さんはその後外に飛び出し、大声で叫びながら近隣住民の玄関をたたくなどの行動をしたため、吉田被告が救急隊を呼ぶといった騒ぎがあったのだ。 この出来事から約10日後、吉田被告は節子さんを殺害した。 事件直前も節子さんが大声で騒ぎ、吉田被告は話を聞いたりなだめたりしたが、手がつけられない状態が続き、「静かにしてほしい」という思いから首を絞めた。節子さんを殺害後に吉田被告は自殺をすることも考えたが、実行できないまま事件が発覚し逮捕に至ったのだ。 「限界です!!」携帯に残された日記 事件当時の吉田被告の心境はどのようなものだったのか、吉田被告の携帯電話のメールの未送信フォルダには「日記」が残っていた。 (吉田被告の日記より) 2023年9月30日午前1時2分 なかなか死ぬふんぎりができません。でも限界です!! やってみます。ご迷惑をおかけします。 2023年9月30日午前1時29分 死ねるかな?!出来るかな?!分からないけど息苦しいです。 2023年9月30日午前2時4分 刃物は傷つけてかわいそうなので首を絞めようと思います。 2023年9月30日午前2時26分 まだ勇気がでません。ありったけの酒を飲んで頑張ってみる。 2023年9月30日午後7時6分 かわいそうだな。節子の頭の中どうなっているのかな。 2人で死ぬことを考えたものの、実行できない様子がわかる。 そして、2日後。 (吉田被告の日記より) 2023年10月2日午前1時4分 ついにやりました。ずっと首を絞めて申し訳ありません。後は自分の事です!!頑張れ。 2023年10月2日午前10時33分 節子は楽になったのかな。俺はいまだに生きています。 包丁は小さい方が良いのか。頑張れ。 日記には「頑張れ」という言葉が多くあった。吉田被告によると「節子を殺してしまった以上、私が生きていることはありえない」と考えてはいたものの、「自分を刺す勇気が出なく、それを何とか振り絞ろうと自分を激励していた」という。 “生きる権利を奪ってしまった”男が語る後悔 事件から約9カ月。吉田被告は今何を思っているのだろうか。被告人質問では次のように答えた。 弁護士: 節子さんに対してどのように思っている? 吉田被告: 本人は一生懸命に生きようと思って薬も欠かさず飲んでいたのに私が生きる権利を奪って申し訳ない。節子は今怒っていると思います。 弁護士: 事件の根本的な原因は何だと考えている? 吉田被告: 私自身が古いかもしれませんが、自分の家のことは自分で片付けないといけない、人に弱みを見せてはいけないと考えてしまったことです。 弁護士: 今何か言いたいことはある? 吉田被告: 節子は昔から他人様から言われていたが、しっかりもので、きちょうめんで、仕事的にも家庭的にも強い人だとみられていたが、ここ2、3年の節子��見ていると本当は私に甘えたかったのではないかなと。それが出来なくて申し訳ないです。 「悩み抜いた」裁判所の判断は執行猶予 この事件は、“老老介護の介護疲れ”による殺人事件だと報道されている。ただ、検察側は吉田被告自身が介護をストレスとは思っていなかったこと、節子さんも吉田被告の手助けを受けてはいたがある程度身の回りのことはできていたことなどを指摘し、“介護疲れによる殺人”と見るべきではないと主張。節子さんが騒いだり、なだめても収まらないといった言動に「頭に血が上り、カッとなった」ことで殺害に及んだとして懲役7年を求刑した。 一方、弁護側は、介護によるストレスを自覚していなかったにせよ、肉体的・精神的に疲労していたこと、介護サービスを受けることを節子さんが拒否をしていたことなどを踏まえ、 “介護”が事件の背景にあり、犯行に至る経緯に酌むべき事情があるとして執行猶予付きの判決を求めた。 東京地裁は吉田被告に対し懲役3年、執行猶予5年の判決を言い渡した 20日、裁判員らが出した答えは懲役3年、執行猶予5年の判決だった。 東京地裁は判決で、「吉田被告自身、ストレスを感じていなかったと述べているが、その経緯をつぶさに見ると、家族のことで他人に負担をかけさせられないとの思いや、自らの見栄などから介助を背負い、自覚のないまま疲労や疲弊感を蓄積させていたことは容易に推認できる」と指摘。その上で「実刑を選択することも考え得るところであるが、吉田被告の置かれていた状況や事件までの経緯を考慮すると、刑務所に直ちに収容することのみが刑事責任を問う唯一の手段とまでみることはできない」「その余生において、反省を深め、被害者を弔い続けるべきものとすることが適当」として執行猶予付きの判決を言い渡した。 そして裁判長は判決を言い渡した後、「結果が大変重いということは何回も強調したいと思います。私達は悩み抜いた上でこの結論にたどり着きました」と震える声で涙ながらに諭していた。 「私だけが普通の生活をしていいのか」 吉田被告は判決後に報道陣の取材に応じた。 ――判決が出たときの率直な気持ちは? 吉田被告: 正直言って執行猶予が付くとは思っていなかった。本当にいろんな人にお世話になって執行猶予がついたが、本当にそれでいいんだろうかっていう微妙な気持ちは本当にある。 ――最後に裁判長が「私達は悩み抜いて結論を出した」って言っていたがどう思った? 吉田被告: 本当に私から見たらすごく寛大な判断をしていただいたんだと思いますけど、それが本当にいいんだろうかって、そういう気持ちがある。本当に頑張って努力しようとしていたのは私だけじゃないんだと。女房も頑張っていたのは間違いないことなんで。 ――執行猶予で本当にいいんだろうかというのは節子さんに対して? 吉田被告: はい。私だけが表で普通の生活をしていいんだろうかという気持ちがある。 周囲には吉田被告の異変に気づいている人もいたが… 吉田被告の異変に気付いていた人は周囲に多くいた。吉田被告の妹、ケアマネジャー、お寺の僧侶、近隣住民たちが吉田被告の様子を心配し、相談も受けていた。しかし最終的には吉田被告が「自分の家のことは自分で片付けないといけない。他の人には迷惑をかけられない」という考えから1人で抱えてしまい、最終的には殺人事件という最悪な結果になってしまった。 吉田被告は法廷で精神科医の訪問診療を断った時が分岐点だったと振り返り、「本人が嫌がっていても介護サービスの利用や病院に入院させるべきだった」と語った。だが、それを実際に実行するのは難しい。孤立してしいる人や十分な介護を受けられていない人をどう救うのか、高齢化が進む中で今後このような悲しい事件を起こさないためにも課題を社会全体で解決しなければいけないだろう。 (フジテレビ社会部 高沢一輝)
「限界です!!」老老介護の実態…介護中の妻を殺害した男に執行猶予付き判決 裁判長涙ながらの判決「悩み抜いた結論」 東京地裁|FNNプライムオンライン
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imwatashi · 7 months
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20240214
恋人が中野に住み始めたので仕事終わりに向かう。ずっと好きな街だったので気軽に行けるのが嬉しい。スーツケースを持って行ったので、徐々に変わっていく街並みを車窓越しに見ながら上京する田舎っぺの気持ちになった。ラストオーダー10分前の秋吉で焼き鳥と串カツを食べた。秋吉はいつも串カツを頼んでしまう。
20240215
仕事を早めに切り上げて成田空港へ。4年ぶりの海外、3回目のタイへ向かう。コロナが流行る寸前に滑り込みでシンガポールから帰国し、その間にパスポートも切れ、ずっと時間が止まっていた。はじめての赤色のパスポートなので、自動認証ゲートを抜けたあとにわざわざスタンプを押してもらった。搭乗前に吉野家の牛丼を食べた。
20240216
早朝2:30にバンコクへ到着。受託手荷物とSIMカードをゲットし、Grabでタクシーを捕まえてホテルへ向かう。Grabだから大丈夫しょ、と思って現金を持たずに飛び乗ったら、クレカ情報の登録を忘れていて、無銭でタクシーに乗り込む日本人2人になってしまってめちゃくちゃ焦った。運転手は英語もままならず、Google翻訳を使ってなんとかATMで現金を下ろす。ホテルについた頃にはもう朝で、近くの屋台でご飯の上にオムレツが載ったものを買って食べた。おばあちゃんがWokでつくる美味しいオムレツ、40バーツ、約160円。
仮眠をとってからバンコクの渋谷ことサイアムに行き、お昼ご飯にプーポッパンカレーをはじめて食べた。高かったけれどそれに見合う美味しさだった。フットマッサージを30分受けて、アンパワー水上マーケットやメークローン市場へ。ガイドなしのツアーに申し込んだが、自分たち以外中国の方で、マーケットに着いても中国人ばかりでアウェイな気持ちになった(元々ホームではないけど)バンコク3回目だけれど、どちらも初めて行く場所で新鮮だった。生まれて初めてホタルを肉眼で見た。再びサイアムで解散しマンゴースムージーを飲みに行くと、そこは日本人だらけだった。みんなここにいるんだね、と話しながらホテルに帰る。この日はパッタイ1回とガパオライスを2回も食べたけれど、結局おばあちゃんがつくる40バーツの朝ごはんが一番忘れられなかった。
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東南アジアのこの空気感がやっぱり好きです
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myonbl · 23 days
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2024年9月1日(日)
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ツレアいが代表を務めるボランティア団体・MQJ(メモリアル・キルト・ジャパン)、今日はニュースレターの印刷・発送作業の日だ。いつも通りの小規模家内工業、昨晩編集した原稿を修正し、京都市市民活動総合センターで印刷作業、自宅に戻って折り込みと封入、夕方には京都市中央郵便局で発送、慌ただしくも何とか予定通りに作業を終えることが出来た。後期授業開始まで3週間、明日からは夏休みの宿題を頑張るのだ。
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5時15分起床。
体重は850g増。
洗濯機回す。
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朝食は奥川ファームの蕎麦、野菜、果物とヨーグルト、豆乳。
洗濯物干す。
珈琲を淹れる。
毎年12月に開催する<��モリアルキルト展in京都>、今日は会場利用の申込日、午前9時に彼女をひと・まち交流館まで送る。最初に予備抽選、その後本抽選、いつもより時間がかかったが何とか希望通りの日にちで場所を確保できたとのこと。その連絡を待ってニュース原稿を持って私がひと・まち交流館へ、予約していた印刷室で作業終了。
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自宅に戻ったのが12時35分、息子たちにはサッポロ一番、彼女には伊勢うどんを用意する。
13時過ぎにJcomの担当者来訪、古くなったチューナーの交換について説明を受ける。現在のもはブルーレイドライブが付属しているが、新しいものにはその仕様がなく、外付けドライブが必要とのこと。キャンペーンの利用で¥30,000のキャッシュバックがあるのとことで、チューナー交換に同意、工事日が9/13(金)午前中と決定した。
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早速amazonで外付けハードディスクとブルーレイドライブを注文する。
続いて、ニュースレターの折り込み・封入作業。朝のうちにラベルを打ち出し、封筒には料金別納のスタンプを押しておいた。今回の印刷は180部、郵便料金値上げでメール配信をお願いしているが、結局郵送分は約130部。2時間程度で作業を終えて、彼女を京都市中央郵便局まで送る。窓口で発送作業を済ませ、ヨドバシで買い物を済ませた彼女が戻ったのが17時、やれやれ。
彼女と三男でココに点滴、私は夕飯準備。
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昨日のすき焼き用牛肉をかさ増しし、奥川ファームのオクラをフィーチャー。
録画番組視聴、日本の話芸。
三遊亭兼好 落語「大山詣り」
初回放送日:2024年9月1日 三遊亭兼好さんの落語「大山詣り」をお送りします(令和6年7月5日(金)昭島市・FOSTERホールで収録)【あらすじ】神奈川県伊勢原の大山は庶民の信仰を集め、連れだってお参りに行く小旅行は江戸時代から盛んだった。長屋の一行は、先達(せんだつ:お参りを引率する役目の人)と、旅の間はけんかしない、もし暴れたら坊主にする、と約束して大山詣りをする。参詣を終えた最後の夜になって、熊さんが大酒を飲み…
名探偵ポワロ
第4話「死との約束」/ Appointment with Deathシーズン 11, エピソード 4 中東シリアで遺跡見学ツアーに参加中のポワロは、考古学者ボイルトン卿の家族と遭遇する。再婚した妻であるボイルトン夫人は威圧的で、連れ子の息子レイモ ンドと2人の娘キャロルとジニー、婆やのテイラーは常にビクビクしていた。その夜、ポワロは、「あの女に死んでもらおう」と話すキャロルとレイモンドの会 話を耳にする。
今夜も私は途中でダウン。
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今日は車移動のみで、リング完成は無理。
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kjh-417 · 9 months
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mes possibilites aujourd'hui. 今日のわたしの可能性。   シュトレンコンフェクトを仕込む。   洗濯物を片付ける。     外は風がびゅうびゅう吹き荒れる一日。 イングリッシュオークの葉も いよいよ散りはじめた。 好きなかたち。   この週末は 出かけないと決めていたので、 午後からシュトレンコンフェクトをつくる。 焼き上がったところに 溶かしバターと粉砂糖を びたびたにして、休ませる。   以前スーパーマーケットの ベーカリーに クリスマスの時期に並んでいた ベルリーナーを思い出しながら、 おやつにひだ牛乳のリングドーナツを食べる。 テナントが変わってしまって もうあのベルリーナーはないんだよな。 このドーナツに ジャムをサンドすれば、 きっと近い味になるんじゃないか。   そしてツマグロくんは すっかりハチミツ水の 飲み方をマスターした。 賢いコ。 明日から寒くなるってさ。 もう1匹、そろそろ前蛹化かな、と 思っていたら案の定ぶらさがった。 これから食草の調達も きびしくなるけど、 みんな、がんばれ。 わたしも、がんばる。
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runpenparis · 2 months
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
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【自己紹介 2024年8月3日追記 4335文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある お兄さんいるらしいがあった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 上野城のお堀の高さ日本2位? 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった 小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから だからそういう人には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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amiya3 · 10 months
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まだ出てない新刊『令和ブルガリアヨーグルト』連続ドラマ化
※長いです おはようございます。はじめまして。「地味にスゴい!校閲ガール・河野悦子」の原作の小説を書いた人です。名前は宮木あや子といいます。宮本あや子ではなく、宮木あやこでもありません。木です。子です。いろんな小説を書いています。
三年ぶりの新刊『令和ブルガリアヨーグルト』予約がはじまっております。食品会社に勤める20代の人間とブルガリア菌のダブル主人公でお送りする、笑いあり涙は特にないが謎の感動はたぶんある、ジャンル分けするのを諦めてほしいハートウォーミングな感じの長編です。 それから 三年ぶりの新刊「令和ブルガリアヨーグルト」、出版前からどういうわけかドラマ化が決まってました。やったねー! テレビ東京水曜25時~、題名は「推しを召し上がれ~広報ガールのまろやかな日々~」、主演は鞘師里保さん! https://www.tv-tokyo.co.jp/oshimeshi/ 略称は「オシメシ」だそうです。まさかこの内容で○○ガール系の題名になるとは。 「校閲ガール」書いてたときは「私も○○ガール市場(ルビ:しじょう)に参入したい! 先達のガールたちに乗っかってドラマ化とかでボロ儲けしたい!!」という打算100%でしたが、此度のガールはまったくもって意図していませんでした。したがって今回はどじょう100%(二匹目)
原作者プロフィール 1976年 神奈川県生まれ 東京都在住 2006年「花宵道中」で第五回女による女のためのR-18文学賞受賞:デビュー 詳しくは上のほうにある「★」をクリックしてください。 ゆるキャン△に影響されて今年の八月にキャンプを始めました。
テレ東の深夜といえばもぐもぐドラマ。しかし原作はまったくもってもぐもぐしてません。かなり原作通りに脚本を作ってくださった感じがしますが、映像化ってぜったい「全く同じ」にはならないので、私の読者のみんなには今までの映像化と同じく、小説とは違う種類のエンターテイメントとしてお楽しみいただければ幸いです。脚本めっちゃ面白いです。 あと、この機会に各方面へお願いさせていただきたいこと。 今回のドラマは「乳酸菌を推すヒューマンビーイング」が主人公です。これまでも私は「推しがいる人間」が出て来るお話をいくつか書いています。その中のひとつが『婚外恋愛に似たもの』というアイドルファンの小説で、2018年にdTVでドラマ化されています。 が、最近dTVがなくなってしまい、あの名作ドラマが現在どの配信サイトでも観られなくなってしまいました。円盤も出ていません。親の欲目や自画自賛ではなく本当にこのドラマはみどころいっぱいの名作です。主演のオタクは麗しき栗山千明さん、今をときめくDa-iCEのおふたりや増子敦貴君も、推されるアイドル役で出ています。チカちゃん(あつきくん)マジ爆売れだよね……雅さんもきっと喜んでるわ。ここをご覧の関係者様、いらっしゃいましたらぜひ御社でお迎えのご検討を何卒お願いいたします。原作側の窓口は光文社です。
※ここから転載禁止※ ※以下の文章の一部およびぜんぶをどこにも転載しないでください。以下の文章をもとにした記事や動画を絶対に作成しないでください。※
公表されているキャストさんについて個人的なあれこれ
主演の鞘師さんについて ラッセ! めんつゆの国からようこそヨーグルトの国へ。 先日、豊洲のライブを拝見してきました。タレントとファンの信頼関係と双方の愛が溢れる素敵な現場で、余所のオタクながら見ていてすごく幸せな気持ちになりました。ありがとうございました。スマホライトの��の海、きっと綺麗だったでしょうね。私はその翌日幕張で似たようなことをしてきました。 テレビをほとんど観ない、芸能にすこぶる疎い私の薄い知識の中での鞘師さんは「BABYMETALのサポートですごいダンスを踊っていた子」でした。あとモモウメのラスクの歌と、やがて古田新太になる山田様の彼女、そして柚木麻子の推し。この原作でOKしてくださり本当にありがとうございます。 鞘師さんのファンの皆さま、原作者、ハロプロはほとんど判らなくて申し訳ないのですが、女子アイドル方面では細々とさくら学院が好きでした/です。当時はすぅちゃんと鞘師さんが同じスクール出身だとは知らず、サポートメンバーがほかのグループの子、というニュースにおおいに驚いた一人です。機会がありましたら原作の小説のほうもお手に取ってみてください。帯に鞘師さんのお写真が入ってます。あと、もし私の公開授業にいた父兄でハロ兼の方がいらっしゃったら、お手数ですが鞘師さんファンのお友達に私の説明(できれば良い印象を持ってもらえそうな)をお願いしたいです。ヲタ友の口伝が一番信頼してもらえると思うの。出身賞にR-18って入ってるし、映画で安達祐実さん脱がせた原作者でめっちゃ心配だと思うけど、手のひらの楽園という本は国語の試験や学習教材によく使われているんだよと(本当です)。そういう未成年向けのお話も書くんだよと。私の代わりに。弁明を。どうかお頼み申す。
明日海さんについて 宝塚の湖沼があるとしたら、私は離れた村落からその湖沼まで月に二回くらい水を汲みに行っている永遠のにわかです。 映像化していただく際、いつもダメモトで「私の夢の配役リスト」を出しています。好きな俳優を挙げるわけではなく、なんとなくこんな感じかなあ、と想像する容貌に近い役者さんのお名前を書くだけの熱量低めのものですが、此度の企画書のキャスト欄はほとんど空だったため、まあ今回もダメもとで出してみるかと、緑川役には現実的に依頼が可能そうな元宝塚の方のお名前を書きました。そしたらいろいろ飛び越えてすごいの来ちゃった……。なんか、鉄板焼き屋で私のお小遣いで食べられるせいいっぱいのお肉頼んだら、お店の手違いで松坂牛のシャトーブリアン出てきたみたいな感じで、「緑川は明日海りおさんです」って言われたときちょっと何を聞いたのか判んなくてリアクションできませんでした。いいの……!?! それ超高級なおにくだよ……!?! ファンの皆さま、よろしくお願いいたします。私は今までの推しが全員卒業後に芸能から離れており、今は直近の推しのお手伝いだった下級生さんを細々と応援しています。顔の造作ぜんぜん違うのに、ダンスも演技もお化粧も決めポーズの表情や首の角度も推しちゃんにそっくりで、スール制度(っていうのか?)すごいなと毎回感心しています。在団中のみりおさんの出演作ではハンナのお花屋さんが好きです。よろしければ原作本もお手に取ってみてください。帯には間に合いませんでしたが、書店にあるかもしれないPOPにはお名前を入れさせていただいております。
橋本さんについて 橋本さんにお願いしているとうかがったのがちょうどVIVANTが終わった直後くらいの時期で、え!?!?! あの製作費が民放最高額の超大作ドラマに出てた、「帝劇? 俺の別荘やで!」みたいな俳優さんに一人称が吾輩の微生物役頼んだの!?! 正気なの?!?! ってガクブルでしたがわりとノリノリでお引き受けくださったらしいという話を二人くらいあいだに挟んで聞きました。なんという懐深きイケメンタル。まことにありがとうございます。素晴らしきブルガリア菌20388株になる予感しかありません。楽しみにしてます!!! 余談ですが、企画書いただいた時点ではブルガリア菌はCGか声だけだと聞いていたため、夢の配役リストには少年役を得意とする若い女性声優さんのお名前を書きました。その後制作側で紆余曲折あったらしく、まさかの生身。しかも身長184㎝のアラ還イケオジプロフェッショナル。予想の斜め上にもほどがあるわ。ただ、この布陣になった以上橋本さんのファンにこそぜひ読んでほしいので、ファンの皆様は原作本をお手に取ってみたらそのままレジへ直行してください。橋本さんのお役がより愛しくなること、ドラマがより楽しくなること請け合いです。私が橋本さんのファンだったらぜったい「観る前に読んどいてよかった!」って思うと思う。発売日は11月29日です。何卒よろしくお願いいたします。
※※転載禁止ここまで※※
書籍に関する詳細は発売日近辺にまた書きます。見に来てください。 買い逃している人がいるかもしれないので再度のお知らせですが、小説「雨の塔」の続編が、今年の始めに出た「百合小説コレクションwiz」という百合アンソロに載ってます。題名は「エリアンタス・ロバートソン」です。よろしくね! あと校閲ガールシリーズの文庫がまた何度か重版されてました。ありがとうございます。電子の売り上げがわからない+単行本の刷数を憶えてないので、大幅に少ない/多い可能性もありますが、たぶん現在20万部くらいです。頑張ったわね悦子……これから頑張るのよ由寿……
近況(キャンプ) 順調に月二回ペースでキャンプしてます。楽しいです。先日新しいテントとガスストーブとめっちゃあったかいと評判のダウンジャケットを買いました。今からそれらを使うためにキャンプへ行ってきます。PCやタブレットは持って行きません。スマホは持って行きますが老眼で指もパサパサでキャンプ場は寒いです。お察しください。木曜には戻ります。あと上のほうで書き忘れましたがご存じない方のためにベビメタはさくら学院の元重音部です。それでは行ってきます。
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tokyomariegold · 2 months
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2024/1/29〜
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1月29日 やっぱりできるだけ日記を紙に書きたい!と思うほどの余裕があったのは、少し暖かい日だったから? 昨日道で見つけたjerry catの大きなうさぎちゃんを朝は確認し忘れてしまった。 職場でムーミンビスケットをお誕生日にくれた方とお話をして、彼女がいつも牛乳を飲んでいるのは低血糖を防ぐため、と教えてもらう。私は全く低血糖を予防できずに過ごす日々8年目の人なので、えらいな〜と思った。
そろそろ関西での展示計画へ動き出そう、と、ギャラリーへの応募に必要なものを確認した。企画書を作らないと。目星に入れているギャラリーの1つ、恵文社で購入したというポストカードに書かれたお便りが届いた。年賀状のお返事!
帰り道、まだうさぎちゃんが道にいるのを確認して、スーパーで「こんなの誰が書くの?」と、思っていたお客様の声を書いてみた。 (取り扱いが終わってしまった商品があり困っている事と新鮮な商品を取り扱って欲しい事を書いた。) 今日は調子に乗っている。
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1月30日 昨日は調子に乗ったせいで夜寝るのが遅くなってしまい、まだ火曜日なのに寝不足だったので今日はもうノートに日記を書けていない。
昨日スーパーにリクエストした畑うまれのまろやかソイはどうやら販売が終了してしまったようでインターネットにもなかった。
昨日届いたBluetoothイヤホンをしてみる。 頭と首に自由ができた感じ!
職場のお誕生日が同じ方とやっと今日「お誕生日おめでございました」を交わすことができた。 今日、娘さんがお誕生日だという職員さんは、お誕生日なのに昨日調理し損ねたぶりが夕食になってしまった、と言っていた。娘さんにそれを伝えたところ「照り焼きでなくて味噌煮がいい!」とリクエストがあったそう。 ぶりの調理方法の違いで好みをリクエストできる小学生なんているんだな〜と、私はいつもスーパーのぶりの切り身を、レンジ調理できるのかな?と眺めている。
ギャラリーの応募要項を、見れば見るほどますます企画書を作らなくては!という状況で、気持ちは追いつかない。 もう早々に関西へ行って現地をまず見るのが良いのかな。
2ヶ月くらい前に買った腕時計が、最近よく結露して読みづらいな〜と思っていたら、文字盤がサビだらけ。腕時計にこだわりがあまりなく、でもなるべく良いものをお金をかけずに身につけたい気持ちでセールのオフ率が高い順に品定めをしてしまう。 さすがにサビだらけは気持ち悪いので新しいのを探さないと。
日毎に陽が長くなっていく気がするし、今日もまた少し暖かさを感じられる時があって、でもまだ1月なんてお正月がはるか昔に感じられる。
今週末の通院の予定を先延ばしにしてしまった。
帰りスーパーのお客様の声コーナーには牛脂が置いてあった。
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1月31日 たぶん実質グランプリ落ちの連絡が来ていて少し落ち込んでいる、というか、何がしたかったんだろう?結局承認しされたいだけだったの?と貧しい気持ちになってしまった。
日記の更新とかをした方が良い。
昨日の夜届いた黄色のカラーマスカラを、楽しみに今朝つけてみたけれどお仕事をするにはポップ過ぎて上から黒いマスカラを重ねつけた。
今日でサブスク解約になるNHK+で、昨晩ちょっと流し続けられそうなドラマを見つけてしまい再契約をしようか迷い中。橋本愛ちゃん主演の研究熱心な大学生のドラマ。
職場の方にラムとマトンの違いを教えてもらう。 どちらが子羊でどちらかが大人の羊とのこと。 どっちだっけ。
今日はまた一段暖かくなって梅がまたさらに咲いていた。 昨日の帰り見かけたけれど声をかけず、また明日会えるからいいか、と思っていた一期下の方が今日はお休みの様でなんだか寂しかった。
珍しく定刻通りに来たバスにちゃんと乗り遅れて、でも暖かくて気持ちには少し余裕がある。
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2月1日 色んなお仕事を並行して片付ける様に忙しかったけれど、なんの充実感もなくて、少しへとへとで、こうゆう時に無理やりお部屋の掃除を始めてしまいかねないので気を付けないと。
出産を終えて育休中の上司が提出物を持って職場に来ていた。いろんな職員さんに囲まれながら写真をみせたり出��のエピソードをお話しされたりしていて、遠くで声を聞きながらお仕事を続けてしまった。お元気そうで、とてもとてと嬉しかったけれど、遠くでそっと存在を確認するしかできず、上司と部下の関係ってなぞ。変に親しげに挨拶をするのも違うしな〜と思ってしまう。
重い荷物を両手に持っていたら、2期下の方が「持ちますよ!気が利かずにすみません」と片方持ってくれて、とてもとてもありがたい気持ちだった。 最近は身体的理由で自分では頑張れないことが多くて、やっぱり重いものは持って欲しい。 その方は最近ベースを始めて、フジファブリックの虹を弾ける様になったとお話ししてくれた。 この職場の方々とバンドを組んだとのことで、今週末はボーカルを決めるカラオケ大会をするらしい。 職場の関係でこうゆう世界線があったんだ…と思った。
今週の初めに投稿したお客様の声はまだ届いておらず、昨日も未だ2尾入りでしか販売してくれていない鮭の西京漬を買って、なんと!1尾はラップに包んでジップロックに入れて冷凍保存したよ!えらい! ちゃんと解凍して食べる、までできるかはわからないけれど。少しずつ生活に慣れていきたい。
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2月2日 雪が降りそうな真冬の気候に戻って、朝目眩がするな〜と気を抜いたら倒れてしまう?!と気を付けながら通勤した。
そんな感じだったのと、今日が金曜日だったので、程々に職場の方々と雑談を交わしながら過ごした日だった。 ご自身で設計した自邸が完成して引っ越し中の話や、フランスはライトにカモ料理を食べられるしとても美味しいという話。せり鍋というせりと熊肉が入った鍋料理を愛媛で食べた話。
お昼休みに一期下の方から三角のハーブティーをプレゼントにいただいた! 渡してもらいながら「あ、でもお家に紙コップしかないんでしたっけ…?」と言われ、透明の耐熱コップは愛用している話をする。
���れを思えたのは今日が金曜日だからなんだと思うけれど、いろんなひとに生かされているな〜と思った日だった。
3月から中之島美術館で最果タヒの関わる展示の情報を得て、とても嬉しくなった。展示が開催されるのももちろん、自分の展示計画のため(頑張らないといけない!)だけの理由で関西へ行かなくてもいい!素直に関西に行きたいから行ける!
水野しずのコントロールラブな概念としての30代女性を読み直して、なぜかオズマガジンとHanakoを読み間違えていたことが判明。そして今は関西に住むこと以外を(コントロールラブな状況において)全てやりにいく、みたいな感じでいよう、とまた自分のスタンスばかりを考えてしまう。
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369sharp · 3 months
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ゆるい日記の毎日
(2024/07/09 21:21:28)
―――
バタバタしていたので、身体の調子を整えつつゆるやかに短歌の読書勉強や57577アプリや、こうしてゆっくりと日記を書いている。夏は、やっぱり暑い。疲れが溜まっていたので、マッサージ器を先日購入してそろそろ届くかなとか色々考えている。👁4巻(自作本)のシリーズの制作を考えている。深夜からのろのろ、退勤等したら制作すると思う。疲れた時はやっぱり眠い。夏は、数年前からYouTubeで、家族皆でホラゲを見るのにハマっていてサイレン(異常に1ばかり見る)を休日にぼーっと見ていた。自分はマッサージ器(顔面の、効く…)をしながらたまにいびきをやっぱりかきながら寝てしまっていたんだろうかと思う。緩やかに書いているので楽な感じの文。
夏にやりたい事、屋台のたこ焼きやお好み焼きを食べる(かき氷、メロン🍈)、銭湯に行く(フルーツ牛乳かコーヒー牛乳)、線香花火、ふわふわかき氷。。もう少ししたら、イチゴサンデー🍓、うな重、フルーツサングリア。🍏🍎🍐🍊🍋🍌🍉🍇むくむく。ᐢ ̳⩌ ̫ ⩌ ̳ᐢ🍨💚💚角川短歌の新刊。色々。ゆっくりマイペースである。
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kaoru-gohan · 11 months
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【10月6日(金):ばんごはん@実家】
・油断すると鮭の切り身を買い込むハハ。
「鮭は認知症予防にいいらしいからええやん?」といいつつ、長生きしてる鮭を消費。
・冷凍庫の鮭たまねぎを炒めて茹でた小松菜と一緒に木綿豆腐小麦粉牛乳合わせて作ったソースで和えて耐熱皿に入れ、パン粉振ってグリルで焼いた。
・焦げた。
・豆腐嫌いなハハには不評だったことが後日判明。味覚も衰えてるらしいのにキライなものには反応する...
・怪しい見た目になってた使いかけこんにゃくも使って、さっとごま油で炒めてみそ酒みりん砂糖鷹の爪輪切り水少々合わせて加えて汁気が飛ぶまで煮た。
・ハハに好評。こういうのが食べたかったらしい。
・ハハが好きだという切干大根の煮物、にんじんお揚げと一緒に柔らかく炊いた。
・お昼のサンドイッチに挟んだ切干大根のサラダ残り。
・1本買ってきた大根にちょいついてた茎刻んで塩もみして生姜みじん切りゴマを混ぜ合わせた。
・海老の殻でとっただしに大根千切りカニカマさいたのいれて水溶き片栗粉でとろみつけてときたまごを回し入れた。
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krkwngm · 9 months
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ファースト・カウ
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 映画初めに行ってきた。もし今年が丑年だったらお正月映画に位置付けた謎のPRがなされたのかなとぼんやり思った。それはそれで愉快な気もする。
 長編7作目にして日本初配給のケリー・ライカート作品、ということで気になってたけど実際沁みる映画だった。去年の最後が『PERFECT DAYS』だったので、光の美しい映画を年末年始に立て続けに観てしまった。こりゃいい年にならざるをえない。  以下良かったところのメモなのでネタバレがある。
 歩いてる足元を映すシーンが多かった気がする。劇中の音楽はきれいだったけど多用はされておらず、枯れ枝を踏みしめる足音やオールを漕ぐ水音、クッキーが菓子を焼いてるときの火の爆ぜる音なんかはほとんど飾られていなかったと思う。だからいっそう足元のカットが印象に残ったのもあるだろうけど、歩きかたってやっぱり感情出るよな(観てるこっちが読み取ってしまうだけかもしれないけど)と感じ入った。監督はそういう小さな変化を撮るのが好きなのかもしれない。農業をやりたかったキング・ルーと旅人のためのホテルかパン屋をやりたかったクッキーが少しずつ友情を深めていく、そのかすかな変化を大事に拾い上げていくような物語が、小さな音や光の移り変わりや自然の表情をこまやかにとらえる映像で作られているのは説得力があった。現代の川をずみゃーーー……と進んでくる長いタンカーの黒とオレンジの船体と当時の川をのんびり渡ってく小舟の対比がなんかよかった。  見ててくれって頼まれた赤子を置いていくのを躊躇ったり乳搾りのあいだ牛に話しかけたり、くつろいでくれと言われたのにルーの家の掃除始めたり枝を採ってきて飾ったりしちゃうクッキーが全体的にいいやつすぎて……ボストンのパン屋で働いてたことがあるって仲��商に打ち明けてたけどあれキング・ルーは知ってたんかな。頭打って体調悪いのに「baker(パン屋)とbeggar(物乞い)が似てるのはどちらもb-read(パン)が必要だから」てジョークかますところもよかった。父が死んで母が死んで家を出てあちこち彷徨ってきた経歴のわりに物の見方が荒んでないのは、両親の記憶とかパン屋の経験とか、放浪のなかにも良い出会いがあったからかもと想像した。  クッキーがそういう人間である一方で、「中国じゃ白人より嫌われる」北生まれのキング・ルーはたぶん自分の生まれた場所を思い返すと苦い記憶が入り混じるんだと思う。本当は農業をやりたかった、は自分の土地がほしかったって意味でもあるだろうから。「カードを一枚しか場に捨てない古いルールに則るペテン師ことジョン・ハート(ハートは心臓でなく牡鹿(dear)のほう)」の意味合いがうまく呑み込めずにいるんだけど、酒場でクッキーを見つけたときにカードをやってるテーブルじゃなく自分の家の卓で酒を飲まないかって誘ったあたり、ルーはクッキーに助けてもらったことが本当に嬉しかったんだろうな。自分を追ってたロシア人が戻ってきて家をめちゃめちゃに壊して去ったあとのルーが、残骸のなかからクッキーがお菓子作りに使ってた枝を拾い上げて石の上にそっと置き直したところに愛を感じた。  あと観に行ったフォロワーさんも言ってたけど、映画の冒頭で並んで横たわった状態で見つかる二人ぶんの骨がさあ……。ドーナツの列に割り込まれたり働けって怒られたりして結局買えてなかった男性が逃げる二人を尾行してたけど、最終的には彼がキング・ルーを撃ったんだろうか。というか観終わったあとにチラシを見たら牛を牽いてたのも同じ男性だったので(全然気付いてなかった)よくもおれの牛をってことだったのかもしれん(この人の牛ではない)。あと仲買商がすごい見覚えのある俳優さんでびっくりした。トビー・ジョーンズじゃん!  キング・ルー、ビーバーの脂は高く売れるとかサンフランシスコのホテルはどうとかクッキーの前でずっとぽつぽつ喋ってたけど、あれクッキーに聞かせるというより自分に言い聞かせてたんだと終盤で気付いた。頭を打ったクッキーがしんどそうに木の陰に横たわったとき「眠っていろ おれが見張ってる」て隣に座って膝抱えてたのに「すこし眠ろう」て隣に横たわって「おれがついてる」て目を閉じるじゃん。その言葉のとおりに最期までクッキーのそばについていたんだなと分かる冒頭の骨ですよ。ハートはペテン師でもキング・ルーは何も欺かなかった。ほんとに「鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情」だったんだな……てしみじみしたし、このラストに至った二人の歩みに納得しかないくらい、最初から最後までささやかでも得がたい交友の重なりを見せられたところが良さだと思った。良い映画が観られてうれしい。今年もいい年にしよう。
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netemo · 1 year
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2023/10/7 8 9
一品目 やり遂げたぜ。
グラニャネージ社のコンキリオーネ イタリア産
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店員さんのオススメに従って、白ワインを効かせたシーフード味のホワイトソースにしてみました。
エビ・サーモン・しめじ・舞茸・ベーコン・ジャガイモ・タマネギ・インゲン豆水煮
美味しいけど一口には大き過ぎて食べ難い。
ナイフ🍴が必要。
半分に切っちゃうとこの形の意味がないよね。
二品目 やり遂げたぜ。
グラニャネージ社のニョッキ・ナポレターニ
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店員さんオススメの茄子とトマトのソースに、牛肉茄子舞茸玉葱、を足してソースというよりもはや具材だな。
牛は別で一旦ローストすんのその方が美味しいから。上手にできた。
パスタはモッチリ感が無いな。
なんか良さはわからない。
いつも食べてるルマコーニの方がモチモチで旨い。
瓶詰めのソースはお店の味がして美味しかった。
三品目 やり遂げたぜ。
ダラコスタ ショートパスタ ルマコーニ
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店員さんオススメのフェンネルとバジルの効いたトマトソースに、いつものひき肉タネと豆焼きしめじを足した。
瓶詰めのソースは、私はこの手のハーブ類が好きで美味しかったが、👓がダネだったわ。
総評としてはソースは二品目のでパスタはルマコーニが1番美味しかった。
次があればその組み合わせで作ってみる。
パスタの値段、倍以上違うのにな。
ダラコスタ ショートパスタ ルマコーニ オススメします。
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seishun18x2movie · 5 months
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公開直前!先行上映会 in 大阪 舞台挨拶レポート
4月25日(木)に『青春18×2 君へと続く道』の公開直前 先行上映会が大阪で行われ、舞台挨拶に、清原果耶さんと藤井道人監督が登場しました!
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3月14日に世界最速で公開した台湾にて、公開1ヵ月で既に観客動員30万人、興行収入7,000万NTDを突破し、今年台湾で公開された台湾映画(合作含む)ではナンバー1大ヒットを記録、「今年一番泣ける」と話題を呼びリピーターも続出している本作。 3月下旬に開催された香港国際映画祭のインターナショナルプレミアでは、1300席の会場が即完で満席。香港、マカオ、シンガポール、マレーシア、ブルネイ、ヴェトナムでも公開を迎え、特にヴェトナムでは、日本映画実写第1位の記録で、今後も韓国、カンボジアなど10以上のアジア各国・各地、さらには中国大陸でも劇場公開が決まっており大注目を集めています。 TOHOシネマズなんばでの上映終了後、清原さんと藤井監督が観客の皆さんの前に登場。涙を拭っている皆さんに向けて、清原さんが「いかがでしたか?」と問いかけると、盛大な拍手が沸き起こりました。続けて「出身が大阪なので、今日大阪のみなさんに作品をお届けできたことが個人的にすごく嬉しい。」と話し、監督は「清原さんとは15歳から一緒に映画を作らせてもらって今回、一番と言っても良いくらいの清原さんが撮れたと思っていて、そんな清原さんと一緒に大阪に来られて光栄です。」と挨拶をしました。 出身地でもある大阪なんばでの舞台挨拶について清原さんは「“なんば”という響きを聞くだけで大阪に帰って来たんだなぁ。控室にもたこ焼きを用意してもらっていて、帰って来たなぁと思いながら、美味しくいただきました。大阪は落ち着く半分、緊張半分、ちゃんとしなければという気持ちがあり、でもやっぱり嬉しい!」と語り、続いて監督も大阪について「僕は、去年映画のキャンペーンで道頓堀の船に乗りました。」と思い返しました。 本作の共演者、特に清原さんと同じ関西出身の道枝駿佑さんの印象を聞かれると監督は「テレビで見ていた印象と変わらない、純度100の青年。幸次の役よりは3度くらい熱は低く…もう少し大人しいんですが、(幸次の役は)グッと上げて頑張ってくれました。」とコメント。過去にドラマでも共演していた清原さんは「撮影では全く会わなくて、宣伝活動で久しぶりに会ったら身長が伸びていて、月日が経ったんだなぁ」と語りました。 最初に本編を鑑賞した際に涙が止まらなかったという清原さんは、その時の気持ちを「見る前はどういう感じで完成したのかワクワクだったけど、私が出てないシーンをちゃんと見たら、そこでアミのまわりのひとたちの想いに初めて直面し、アミとして悲しかったし切なかったし、すごく大事にしてもらっていたんだなぁと泣いてしまいました。」と振り返りました。
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清原さんが演じるアミが知ることのない、アミを想いながらのジミーの旅について聞かれ「言葉にできない感情ばかりだったかなと思うけど、アミとジミーが出会って過ごしてきた日々がまぎれもなく彼らの青春であり初恋だったんだなぁ。ということを私は知れたことが嬉しかったです。」とアミの気持ちを代弁。
清原さんと監督は今作で3回目のタッグとなり、清原さんが演じたアミにてついて監督は「彼女が少女から大人になっていく過程を見させてもらっていて親戚のおじさんみたいな気持ちでいた。今回アミを演じて僕が想像したことを超えてきてくれる、そこには映画人としての信頼が常にあって、60年後までご一緒する仲かも!?という思いで向き合わせてもらっています。」と強い思いを伝え、会場からはその未来への期待に拍手が起こりました。それに対して清原さんは「何から何まで気になることが合ったら監督にすぐ確認する。」と信頼関係の強さを伝え、監督は「清原さんとは戦友とは言え、今回はかなり過酷な状況での撮影で、それでもあれだけ素晴らしいアミを演じてくれて本当に感謝しています!」と改めて清原さんを賞賛。清原さんも「監督と一緒に丁寧にこの作品に取り組めて毎回感謝しています。」と気持ちを伝えました。 本作は、日本と台湾で撮影され、アジア圏で今最も注目を集める台湾のスター俳優シュー・グァンハンさんとの共演について清原さんは「素敵な方で周りの人を巻き込んですべてやわらかい空間にしていく力があり、グァンハンさんが演じるジミーにアミも助けられた。」と魅力を伝えました。コミュニケーションについては「通訳を交えて会話したり、お互い日本語と中国語の単語を教え合ったり・・」とまさにアミとジミーのようだったことを明かしました。 清原さんは「特に台南の街並みが好きでアミと同じ気持ちで旅することができ、アミに感情移入が出来た」と台湾の撮影を、監督は台湾での撮影の言葉の壁について「日常的に言葉を頼り過ぎている。言葉が通じ合わないから何が本当にやりたいことなのか、みんなが目を見て、我々にとって青春、初心に戻れた」と振り返りました。 台湾でのオフの過ごし方について清原さんは「散歩したり、ご飯を食べたりスタッフさんと夜市に行ったり」と楽しい時間を過ごしていたが、監督は「僕は別の作品で参加ができず、みんなで楽しんでいる写真が送られてきた」と残念だった様子。清原さんは「台南のお肉をさばいてスープとして出してくれる牛肉のスープが美味しかった!」と台湾のご飯も絶賛しました。
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本作を経て、監督は映画を作ることにおいて「映画は正解がない、心に残る人もいて、明日には忘れる人もいてそれも全部正解だと思う。自分の人生にこの1本として映画を作り続けたい」と語り、清原さんは「言葉、気持ち感情をより大事にすることを思って、大人になっていくうえで我慢したり、忘れなければいけなかったり、どうしてもぶつかることもある中で、それでも自分の軸として大事に持っておかないといけないものを持ち続ける勇気は大事にしたい、アミを演じたからそう思える、役や作品との一期一会に感謝したい」とそれぞれ考え方が変わった経験を伝えました。 最後に、満席の観客に向けて藤井監督は「青春という言葉が一生続けばいいなぁとこの映画を作って感じました。この映画が皆さんの日常を豊かにする一つになれば嬉しいです。」とメッセージを送り、清原さんは「失いたくないものを見つけて宝物に出来るような映画になりました。台湾、日本のスタッフキャストのみなさんと一丸となって魂をかけて作った作品です。たくさんの方々に届けばいいな、今日来てくれた皆さんにだけでも温めてもらえたら・・・」と声を詰まらせ、「大切な作品になったのでみなさんにとっても大切なものになるように思っています。」と、ひとことひとこと噛みしめるように言葉を残し、舞台挨拶は終了しました。
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oka-akina · 1 year
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リチとの遭遇(冒頭試し読み)&通販のお知らせ
 こたつの天板をひっくり返すと麻雀のラシャだった。あの緑色が現れると夜だった。布端がちょっとほつれて毛羽立っていて、直行はいつも焦れったかった。剥がれかけたかさぶたを引っ掻くみたいに手が伸び、びーーっと引っ張りたくてたまらなかったが、あれは父とその友人、あるいは伯父たちが夜な夜なジャラジャラやるためのものだった。勝手に触ると叱られそうな気がしてがまんしていた。  母家の隣のプレハブ小屋だ。父たちはしょっちゅうそこに集まり、ときには半裸になって酒を飲んでいた。母や祖母はほとんど来ない部屋だった。酒とかつまみとかを運んで溢れた灰皿を交換する役目は直行だった。��の小屋はかなり蒸すが、窓も扉も全開にして扇風機をまわしておくと夜風が涼しかった。  ぶおお……ぶおお……と風に乗って鳴き声が響く。あれは牛蛙だと祖父が言った。火を通すとささみみたいだがあまりうまくはない、ただし唐揚げにすれば鶏か蛙かわからない。直行は、六年生になったら授業でカエルの解剖をやる、一人一匹カエルを与えられて必ずお腹を割かねばならないと上級生からおどかされていたため、いつまでも響く鳴き声が怖かった。そうしたら祖父が励ますみたいに「鳴いているのはみんな雄だ」と教えてくれた。変な励ましだと思った。  日が暮れる。父は小屋に向かう。麻雀牌にベビーパウダーをまぶし、夏場は長い時間やっているうちに牌と牌が汗でくっついてしまうからで、直行が赤ん坊のころ汗疹やおむつかぶれにはたかれたのと同じ粉だった。いそいそと作業する父の背中は汗ばんで、太い首が桃色に染まっていた。小屋の中を甘いにおいでいっぱいにして仕度し、父は客を待った。そうしていいにおいは男たちの汗やたばこでたちまちぐちゃぐちゃになった。  牌は杏仁豆腐みたいに見えた。しっかり固くて、スプーンを押し当てたらすとんと切れる、甘いシロップの中に浮かんでいる……。牌山を見ているとひんやりと甘い味が口の中によみがえった。甘味が虫歯に滲みる気さえした。あるいは父たちのツモったり切ったりの手つきは寿司職人みたいだと思っていた。伏せられた牌の白色はシャリで、背の黄色は……、黄色いネタって何かな。沢庵とか卵とか。もしくは辛子を塗られた? そんなもの見たことはないがたぶんバラエティ番組の罰ゲームっぽい何かが頭にあった。直行がじっと見ていても父も誰も麻雀のルールを教えてくれなかった。そばで携帯ゲーム機をいじりながら勝手な想像ばかりしていた。  父の後輩らしきちょっと若い男。日焼けした体がケヤキの若木みたいで、背中も眉も額も、体の全部がまっすぐだった。定規で引いたみたいな輪郭だと直行は思った。彼が「ロンです」と控えめに発声する感じがいいなと思っていた。あ、ロンです。あ、ツモ。おとなしく勝つ感じが格好いいもののように思えた。ただどうもロンとかツモとか宣言しても必ずしも勝ちとはならないようで、直行にはますます謎めいていた。  昼。男たちがいなくなったあとも直行はそれについて考えた。授業中や掃除の時間にふと思い出した。ポン、チー。卓のあっちからこっちへやりとりされる点棒。あれは算数セットの何かに似ていなくもない。小屋の麻雀はいつも長い時間やっているから直行は途中で寝てしまうこともあり、誰かが布団へ運んでくれた。男の横顔。彼はたばこを吸わない。漬物の茄子を齧るとき、汁がこぼれないようにあるいは惜しむように、口に運んだ箸をちょっと吸う。直行も真似をしてみたが茄子漬けを好きになれなかった。においも感触も苦手だった。鉢に残った漬け汁の青色は朝顔みたいな色だと思った。授業で育てた朝顔。直行のだけ成長が遅かった。みんなが実をスケッチしたり種を収穫したりしているころ、直行の鉢だけまだ青い花を咲かせていた。  苦手だとわかっているのに客の前で見栄をはり、茄子を口に入れたら飲み込めなくてべえっと吐いた。父はべつに叱らなかったが声をかけてくれるでもなかった。若い男がティッシュをとってくれた。しゅっしゅっとすばやく二枚。二枚も使って母親に怒られないかと、小屋にはいないのにとてもどきどきした。そうして若い男は出し抜けに「子どものころ学校のトイレでうんこするのが恥ずかしくて、体育館横のトイレは幽霊が出るって噂を流したよ」と言った。おれ専用のトイレにしたんだと笑った。  鳴いている蛙はみんな雄だ。いつかの祖父の励ましは理屈として通らないと思ったが、あれは理屈を言いたいわけではなかったのだとしばらく経ってからふと思い至った。体育館でマットを運んでいたら急にそう思った。たんになぐさめようとして言葉を継いだのだ。直行の学校は体育館の横にトイレはなかった。渡り廊下がいつも薄暗かった。  それならばと直行は思い、父たちのいない昼のうちにこっそりラシャのほつれを毟ることにした。学校から帰ってきてそっと忍び込み、昼間の小屋はかえって薄暗かった。カーテンの隙間から差し込む光が埃の粒子に跳ね返り、光の道筋を作ってキラキラしていた。直行は口を開け、ぱくっぱくっと空気をかじって吸い込んでみた。キラキラが埃だというのはわかっていた。汚い粒が自分の胃袋に溜まっていく背徳感に酔った。  天板を浮かせて隙間に手をつっこみ、布端を探った。天板は重く、指を挟むと爪がぎゅっと白くなった。痛くはないが圧迫される感じがよかった。思ったより少ししか糸はほどけず、びーーっとはならなかった。千切った糸は絨毯の裏に隠した。すっかり擦り切れたパンチカーペットで、タバコの焦げ穴があいている。直行の人差し指がちょうど嵌まる穴。そこに指を突っ込むのが好きだった。自分の指が芋虫になって絨毯を食う。きっと穴はどこかちがう場所につながっている。ワープ。そのころ髪を抜くのもちょっと癖になっていて、ぷちっと抜いたときの案外痛くない感じがやみつきになっていた。根元の白いかたまりが大きいとうれしくて、いい感じのかたまりが取れるまでぶちぶち抜いた。抜いた毛も糸と一緒に絨毯に挟んだ。  直行は一人で小屋に入り浸るようになった。毎日緑の布地をこすった。父たちがラシャと呼んでいたからこれはラシャなんだろうなあとおぼえたが、本当はもっとちがう名前があるのか、このような敷物がラシャというのは世の中の常識なのか、直行にはわからなかった。ラシャは音を消した。酔った父たちのでかい声に反し、牌を切る音はことんことんとおとなしかった。おらっとふざけて乱暴な打牌をすることはあったが、それでも大した音は鳴らない。寿司っぽい。寿司のことはよく知らないけど。白い調理服の男のイメージ。たまに連れて行ってもらう回転寿司は若いアルバイトとおばさんのアルバイトが多く、ちょっとちがった。伯父は醤油をむらさきと呼ぶ。伯父の太鼓腹には盲腸の手術跡がある。盲腸の痛みがいかに大変だったか、伯父は大仰に語り直行を怖がらせたが、手術跡というのは格好いい気がしていた。酔った伯父のひたいはてかてか赤く光った。  重い天板に手首の骨のところをわざと挟んでみて、痛くないのに痛がってみた。手がちぎれる! 罠が仕掛けられていた! 鰐に噛まれた! そういう想像。なかなかいい演技だったと直行は思うが一人きりでやっていたことなので誰も見ていない。昼間の小屋には誰も来なかった。やがて自慰を覚えた。  挟まれる感じといえば、重たい布団に押しつぶされるのも好きだった。押入れに積まれた布団の間に体をねじこみ、圧迫される感じがうれしかった。そしてそういう喜びは人に知られてはいけないものだろうと直感していた。これは誰にもばれてはいけない感情だと直行は噛み締めた。  でも従兄弟たちは察していたのかもしれない。集まった子どもたちで床にうつぶせになって何人も重なる遊びをよくやっていて、直行は一番下にされがちだった。その遊びのことはペチャンペチャンと呼んでいた。一番下はじゃんけんで決めようとは言うが小さい子が下になってはかわいそうだともっともらしく言われ、だいたいいつも直行が下敷きになった。どんどんみんな積み重なって、他人の体と密着したのはこれが最初の記憶かもしれない。自分ではない体のぐにゃっとした重さや熱。におい。  二つ上の従兄はそんなに背が高いわけではなかったが腕や足が骨っぽくて重かった。のしかかられると日焼けした腕にうっすら毛が生えているのがよく見えた。従兄の輪郭も定規で引き直されつつあると思った。直行が重いと叫ぶと毛が揺れた。草原だと思った。自分のとはちがうよその家の服のにおいがくすぐったかった。ペチャンペチャンをやっていると母たちに叱られた。内臓が破裂しちゃったらどうするの。直行はそのスリルにもひそかにドキドキしていた。ペチャンペチャンは三人目くらいから腹がぐっと押され、潰される感じで、苦しい苦しい、痛い痛い、ぺちゃんこになっちゃうよと直行はわめいた。ほんとはそんなに痛くなかった。痛みよりも快感があったのだが、ごまかすみたいに苦しいと叫んでいた。  やがて従兄は中学生になり麻雀の輪に入っていった。卓を囲む四人の男たち。じゃあ、従兄が入ったぶん誰が抜けたのだろう。それとも誰も抜けずに仲良く交代で? 疑問に答えは出ないまま、やがて直行が中学に入るころには父たちはあまり集まって遊ばなくなっ��。若い男は結婚し、子どもが生まれたときいた。直行は小屋をもらって自分の部屋とした。
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5/21文学フリマ東京の新刊です。3万字くらいの短い小説で、薄い文庫本です。
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