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#理化学ガラス
shunya-wisteria · 5 months
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秋旅2023 小海線 HIGH RAIL 1375 ~ 野辺山・小諸
JR線で最も標高の高いエリアを走る路線 小海線にのって、一路 小諸へ。
今回も前々から一度 乗ってみたいと思っていた小海線、せっかくなのでJR東日本ののってたのしい列車シリーズの HIGH RAIL 1375 にて小淵沢から小諸までを乗り通してみた。普通列車で途中下車しちゃうと次の列車はいつだろう…… となってしまいますが、このような観光列車は見所の駅では少し長めに停車してインスタント途中下車を楽しむのを待ってくれる、というのがシンプルにこの子を選んだ理由なのです。あわせて紅葉が楽しめそうな小諸城跡の懐古園も散策します。
朝、ほどほどの時間の特急あずさにて小海線の起点 小淵沢へ。小淵沢駅に降り立つと、キリっとした冷たく澄んだ空気がお出迎え。やっぱり都内とは違うね。ありきたりな言葉ですが空気がおいしい。改札横からのお出汁の香りに誘われ立ち蕎麦へ、遅めの朝食として軽く腹ごしらえ。寒いときには格別!の駅そばをいただいた後、列車の出発時刻まであたりを散策。列車内でのお楽しみ、お弁当とお酒を丸政さんで仕入れる(食べてばかり)。
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程よい時間に、改札を抜けホームへ。青色に塗装されたキハ100系気動車へ。最近 キハ100系に乗ることが多いような…、非電化のローカル線だと自ずとそうなってしまうか。今回は私は窓側を向いた1人用のシングルシートをセレクト。隣を気にすることなく大きな窓を独り占めできるリクライニングシート。
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ほどなく列車は出発、急な勾配を進みどんどん高地へ。別荘地帯を抜けJRで2番目に標高の高い駅 清里に到着、しばしの停車。かっこいいHIGH RAIL 1375の車両でも撮影しておきましょう(PhotoshopとPixelの消しゴムマジックで他の乗客を消しているのは内緒です)。清里を出発すると次は野辺山。この区間にはJR最高地点 標高1,375mの地点が。列車は速度を落とし、乗客は皆 カメラを構える(ガラスの反射で変な模様なでちゃった 涙)。数分で野辺山に到着。
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JRで最も標高の高い駅 野辺山。ここでもしばし停車時間があり、改札外出ることも可能。白く一見教会を思わせるような駅舎を見学。駅正面には冠雪した山々の美しい姿を拝むこともできます、写真は失敗しちゃいましたが…。観光バスでお越しの外国人観光客がたくさん。小海線に乗るわけではなく、駅だけを見に来ている?不思議な感じでした。
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まもなく列車は発車。野辺山をあとにすると、列車は高原を下り佐久盆地を目指します。後半の見どころは、右へ左へと移り変わる千曲川。お弁当を食べながらのんびり楽しみましょう。長野側の主要駅にいくつか停車し、列車は北陸新幹線との接続駅 佐久平を経て、終点 小諸に到着。2時間強の列車旅でした。
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小諸では小諸城址に整備された庭園 懐古園へ。戦国時代、武田信玄の軍師 山本勘助によって設計されたという言い伝えの小諸城。城郭が城下町よりも低地にあることから穴城とも呼ばれていたとか。懐古園は大正時代に町によって整備された史跡の自然景観を活用した公園。ちょうど紅葉シーズン真っただ中ということで、空気の澄んだ青空のもとで映える色づいた葉にシャッターをきってみた。不思議とここは人が少なく空いていましたねぇ。これくらいが写真を撮る身としてはありがたいものですが。
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ひとしきり園内を回り身体も冷えてきたので、足早に小諸の街を散策しつつ帰路へ着きました。
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petapeta · 5 months
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あのですね、そもそも小学校の体育って、グローブ使わないんですよ……。    小学校の体育の内容は、低学年・中学年・高学年で分かれています(算数みたいに学年ごとではない)。    文科省の資料。 ゲームについて~ベースボール型ゲーム    表の通り、子どもの発達段階に合わせて、 低学年:ボールゲーム 中学年:ゲーム(ベースボール型ゲーム) 高学年:ボール運動(ベースボール型)  という感じで発展していきます。 (「ベースボール型」の他、「ゴール型」はサッカー・バスケ系、「ネット型」はバレー系)    まず中学年の「ベースボール型ゲーム」。  ピッチャーが転がしたサッカーボールをバッターが蹴る「キックベース」、ティーの上に置いたゴムボールを手やラケットで打つ「ティーボール」などを扱います。    高学年の「ベースボール型」。  ピッチャーが投げた柔らかいボールをバットで打つ「ソフトベースボール」などを扱います。  動画では「ソフトボール」って呼んでるけど、いわゆるソフトボールとは全然違うゲームなのでやめて文科省。    ルール的には野球より簡略化されていて、ランナーにタッチするのではなく、拾ったボールに守備側が集まるとか、打者一巡でチェンジとか。  というか、より楽しく遊べるように、子どもたちが相談し、自分たちの実態に合わせてルールを調整することが奨励されています。    しかし今回一番重要なのは「動画見ても、誰もグローブはめてない」ってことですね。  だって柔らかいボールを使うし……。    余談ながら、昨今では、ドッジボールをやるにも、ソフトバレーボールみたいなふわふわしたボールを使います。  私が子どもの頃は、バスケットボールに使うような固いゴムボールが飛び交って、それがみぞおちに直撃して泣いた記憶があるんですが、今は全然。  それでも「首から上はセーフ」というルールだけは残ってるので、子どもたちは姿勢を低くして積極的に頭から当たりに行ったりします。    低学年? 低学年は、そもそも「ベースボール」ではないので……。  一年生なんて、ドッチボールですらルールが把握できないことがあるんですから。(当たったらどこへ行けばいいのかわからないとか、当てても戻ってこないとか)  アウトとかチェンジとか進塁とか無理ー。    で……低学年用のグローブを3つ寄贈してくださるんですか……そうですか……。   「指導要領になくても野球を扱ったらいいだろ!」  ってお考えの方もいるかも知れませんが、指導要領は一応子どもたちの発達段階を考慮して編成されています。    掛け算九九を学習してない子に割り算を教えられないのと同じで、まともにボールを投げられない(低学年だと、ドッジボールのコートの反対側までボールが届かない)子にグローブはめて野球やれっていうのは無理です。    もちろん、個人的に野球クラブに入ってる子は別でしょうけど。 「低学年用グローブ」というものが存在する以上、そういう子もいるでしょう。    そりゃあ、個人的に習ってれば、低学年で25m泳げる子もバイオリンが弾ける子もいますわな。  でもそれは低学年の授業でみんなにバイオリンを弾かせて25m泳がせて野球をやらせられるという意味ではない。    無理にやらせても、「わけがわからなかった」「楽しくなかった」「ボールが怖かった」という記憶が残ってしまって、大谷選手の意図と逆効果になってしまう気がします。    それでは、もらったグローブがどうなるか……は、まあ私が決めることではありません。  おそらく、 「校長会で検討して、市内で統一した対応を」  みたいな話になると思います。  でもたぶん、正面玄関のガラス戸に、色々な賞状やトロフィーと並んで展示されることになるのではないでしょうか。   「ちゃんと活用しろ!」  という声もあると思うのですけど、冒頭にあるような 「メルカリで売ったんじゃないか」  とかあらぬ疑いをかけられてもアレなので、みんなの目に見えるところに飾っておくことになるんじゃないかと。    そもそも使えといわれても、本校の場合、学校の備品にグローブがないんですよね……授業で使わないから。  そこへ3つばかりもらっても野球はできません。    むしろ、中学校は授業でソフトボールやるから、そっちに寄贈した方がまだいいんじゃないかと思うのですが……。    っていうか、学校にとって、寄贈品ってたいへんめんどくさいものです。  いただいたものなので、うかつに処分できない。    これまで、あちこちの学校で、半ば風化したような動物の剥製とか、ばかでかい彫刻とか、壊れかけた模型とかを見てきました。  どう考えてもゴミだろ、って思うようなものが後生大事に取ってある時、だいたいどれも「寄贈」って札がついてるんです。    大谷選手のグローブもそういうことになるのではないかなあ、と思います。    もちろん、校内に野球部があるとか、有効に活用できる学校も必ずあるとは思うのですが。  でも、だったら、せめて学校側に希望をとってほしいな、と思います。  その方がお互い幸せなんじゃないでしょうか。  相手の都合を聞かずに送りつけるのが迷惑なのは、何も被災地への支援物資だけではないと思うのですよね。   (個人的には、体育振興のためなら、グランド用の砂を1トンくらい寄贈するといいんじゃないかと思います。あれ減るので……あっ、でもちゃんとお住まいの地域の学校に相談はしてください)
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m12gatsu · 6 months
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無題
「飼ってたオオスカシバのイモムシが サナギになって 今日 羽化した」と母親から連絡が来た。なんで句読点の代わりに全角スペース打つんでしょうか。ペットボトルの底で青々とした芋虫が葉っぱを食んでいる動画や、ピンボケした成虫の写真が立て続けにいくつも送られてきた。スカシバという名の通り、黒い骨子にガラスを嵌めたような透明な翅がきれい。流線型の弾丸みたいな胴体は腹部が白く、���面は頭部から三分の一ほどが黄緑色で、中程からやや下は黒い帯模様に挟まれた赤い帯模様がベルトのよう。そこから先は黄色くなっていて、尾の末端は黒く先細っている。全体が太い毛のようなものでモコモコしていて、つぶらな瞳も存外可愛いと思えないこともない。ロイコクロリディウムみたいに見えないこともない。蜂と間違えられることもあるが、害の無い節足動物らしい。これはベイツ型擬態といって、捕食者による攻撃を免れるために有害な種に自らを似せるのだという。なるほど嫌悪感には理由がある。
Kと飲んでいて、サッカーの話になって、三苫薫が所属しているブライトンは英国の数少ないビーチリゾートらしい、ときいた。それでハッと思い出したのが、小さな恋のメロディという映画で、12歳の小さな恋人達が学校サボって逃避行したあのビーチはたしか、ブライトンではなかったか。調べたらすぐわかるんだろうけど調べてない。渋谷TSUTAYAのレンタル終わったのが悲しい。
いくつかのピーマンを半分に切って種を取る、というようなときに、
ひとつ切る
種を取る(1.に戻る)
よりも、
全部切る
種を取る
という方がはるかに効率がよろしい、ということに、俺はいつも幾工程かを繰り返さないと気がつかない。
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gupaooooon · 1 year
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ジェイクのステレオタイプ描写などについて
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・ジェイクのステレオタイプ描写についてを主に。ジェイクというキャラクターについて、自分なりに考えていることを。以下、だらだらと。かなりとっ散らかった書き方になってしまいましたが、残します。
・MCUムーンナイト。ジェイクが現状は……DIDのステレオタイプ描写に収まっている部分があること、その批判と懸念について。製作陣から、批判についての言及、問題意識の共有などがインタビューで為されていることが。大事なことだし、安心する。
ということを前提に、現状はステレオタイプに寄ってる/収まってしまっていることへの批判点注意点というか。自分なりの不安や考えなどを書きたい。
・↑このインタビュー記事の最後に、記事を書いたライター側によるジェイクの感想/予想があるのだけど。
ジェイクがもし、仮に「兄のような役割」なキャラクターだとしても……それはステレオタイプ描写の解消や帳消しにはならないよな、と思っている。
繰り返し出てくる「マーク達が困惑し恐れるほどの苛烈な殺人描写」、「病棟でハロウを捕まえるために罪人ではなさそうなスタッフが殺害されてる描写」……などが「暴力的/他害を厭わない」「ことフィクションで“サイコパス”(この用語の使われ方自体に問題あり)と名指されがちなキャラ造形」という偏見、ステレオタイプ描写に掛かっているのが問題の肝であって、
そこに「交代者を守るため」という理由が付け加えられたとしても、↑の解消にはならないというか。
あの問題点が非常に多い「スプリット 」だって、“守ること”が動機のひとつだったし……からの「Mr.ガラス」だった訳で。
ジェイクの描写の肝は「彼が何故その苛烈な役割を引き受けているのか」と同時に、「制裁の拳という役割、そこにある抑圧や支配」の構造……のようなものが描かれないと……ステレオタイプの脱却には遠いんじゃないかな……と。
・病棟で殺されていたスタッフは、実は酷い罪人だったという事実などが後から明かされる可能性もあるけれど、
例え相手が“罪人”だろうが、人を殺し続けることは、その役割は、辛いことであり。自分が殺した人間を「忘れられない」マーク・スペクターの姿が描かれたことが重要だし、MCUムーンナイトの好きなところなので。
コンスによる、“罪人の裁定”と“死で贖う”という手段について。そもそもの、その定まりについて。
アメミットの“剪定”の暴力性の次は……コンスの定める“制裁の拳”という在り方についてを問う,コンスという“父/支配者”の姿を問う話を……見たいんですよねほんと……続編………
・ジェイク、作中で散りばめられた要素が複雑で。
シーズン1では明かされなかった物語の多くの空白部分や時系列に。アーサー・ハロウの生死についても製作陣によって捉え方が異なっていたり。
ジェイクはほんと、まだまだ謎だらけで、それ故にステレオタイプ描写が印象深くなりがちだけれど。
以前↓の関連記事にも書いた、ジェイクと「子供の死の描写(子供を死に追いやるような描写は、ハロウやコンスとは異なり、ジェイクにはない)」 や「マークの自傷描写との繋がり」は、大事なんじゃないかなと。考えている。
・マークの自傷(を思わせる)描写とジェイクとの繋がりについては特に。「迫害者人格」を意識した、丁寧なキャラ造形が考えられていたりしないかな、とも思っている。
虐待者/加害者から身を守るための、予測と学習、模倣から。虐待者との同一化が起きること。身を守るための学習が、自らへの攻撃/自虐/自傷に転じていくことがあること。
保護者であり攻撃者でもある、そういった複雑な側面を持つ交代者がいたりすること。“迫害者人格”と呼ばれたりすること。
ジェイクにとって、マーク達は保護すべき存在であると同時に。彼にとっての、憤りや苛立ちや悲しみの対象/要因にもなりえたりしないか……と、いろいろ考えてしまう。
・コンスが封印されてからは……ほとんどジェイクが現れずにいたことも、いつか何かしら明かされるのか否か、気になる
(コンスが封印されていた状況では出てこない?ただ間が悪かった?コンスとの依存や信頼?それとも、ハロウが言うような解放の静寂/自由なるものを真に実感していたのはもしかしてジェイク?)
(Twitterに2022年7月に書いた感想の一部。抜粋/少し書き足したり整えたりしてまとめたもの。後から更に書き足したり他記事と繋げたりするかもです
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bastei · 1 year
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2022
夢を見るには眠すぎる
 目が覚めると外は一面の雪景色に変貌していた。「すごいって、早く会社行って雪かきした方がいいよ」と妻がいう。もう少しだけ布団の中でグダつきたい。隣で寝ている息子の顔を眺めていたいけれども、妻のいうようにぐちゃぐちゃになった顧客用の駐車場のことを考えると、もう嫌な気持ちでいっぱいになった。この季節は全部マイナスからスタートしていくのが嫌だ。たとえプラマイゼロまで持って行っても、くだらない書類の空白を埋めていかなければならない。寝息を立てている息子のさらに隣で寝ている娘の顔を覗き込むと、私に気づいて信じられないくらい笑顔で笑っている。妻は先に目を覚ましており、蛍光灯もつけず私のお弁当を作っていた。これから始まる絶望的な季節、金にならない労働が幾分か頭をよぎっているようだった。だいたいこの時期になれば”こんにちは、雪です。一年ぶりですね”といった具合に簡単な挨拶にくるものだったから油断していた。”あー降ってきやがったなー”と思った翌日には、特殊作戦群が扉の前に"ステンバーイ…"と待ち構えていた。
繋がりとか縁とか言うとちょっと恥ずかしい
 ここに集まった人みんなは"何かのご縁"で集まっていると思います。今日を迎えるにあたって、僕とイトーくんの縁はなんだろうと考えました。出身も違えば大学も学部も違うし、サークルも違うし、仕事も趣味も多分違うし、多分国籍が一緒くらいなもんで、たまたま今から10年以上前にいった神楽坂の竹子——ほんとうにひどい飲み屋ですよ——の一角でたまたま隣のテーブルに座っていて、たまたま私の元カノの友達——それも2、3回しか会ったことなかったんですよ——といっしょにいて、酔った勢いで話しかけてみて、そのまま仲良くなるという縁が、ここまでずっと残るとはあの時思わなかったです。今になってみれば何であの飲み会行ったかも、逆になんで自分があの飲み会誘われたかも今ではよくわかんないし、もうすこし気持ちが乗らなかったら外に出なかったかもなーとか、竹子のビールがもう100円高くて上等なものだったらあそこまで酔っ払ってなかったかもなーとか、その後なんとなく皆んなで東京タワーまで歩く気分にもなってなかったかもしれないです。なんというか僕はラッキーだなーと思ったんです。
 そうして思い返していると、一緒にいると楽しいかもとか面白いことがことが起こるかもしれないという予感のようなものが縁だったのかなーと思うのです。よくわからん人付き合いには、ふわふわと縁なんて言ってヘラヘラ誤魔化してしまうんですけど、今日はもう少しだけ踏み込んでみるとあの時確かに"いい予感がした"んだって、やっぱり楽しいそうだなって予感が、あの時したんだと思います。みなさんも、お二人も、きっとそうじゃありませんか。
 そして、その元カノの友達はイトーくんと飲んだくれているうちに、今では直接の大事な友達として、今日まで仲良くしています。彼女はいまロンドンにいて、ここに来ることができませんでしたが、手紙をいただいておりますので、代読させていただきます。
Hからの手紙を読む
 結びになりますが、今日はお招きいただきありがとうございます。奥様とは今日初めてお会いしますが、二人が本当に愛し合っていることが身にしみてわかって、すごく嬉しいです。イトーくんをよろしくお願いします。今日は李賀のように飲みすぎるなと妻から釘を打ち込まれておりますが、たくさんお酒を飲んで、仲良くなって楽しい気持ちで帰りましょう。こんにちの縁が、美しい予感が、ずっと続くことを祈念しまして、お祝いのあいさつとさせていただきます。
手紙の中で語られた、昔イトーくんが酩酊状態で突如として朗読した李賀の漢詩
琉璃鍾 琥珀濃 小槽酒滴眞珠紅 烹龍炮鳳玉脂泣 羅幃繍幕囲香風 吹龍笛 撃鼉鼓 細腰舞 況是青春日將暮 桃花乱落如紅雨 勧君終日酩酊醉 酒不到劉伶墳上土
ガラスの杯は濃い瑠璃色に輝いている。 小さな桶から酒が滴って紅の真珠のようだ。 龍を煮、鳳を包み焼きすると、玉の脂がジュージューと泣くようにこぼれる。薄絹の帳と刺繍した幕にいる囲まれた中に、かぐわしい風がそよぐ。 龍の笛を鳴らし、ワニ皮の太鼓を打ち、白く美しい歯の美女が歌い、細い腰をくねらせて舞う。まして春だ。日はまさに暮れようとしている。桃の花は乱れ散り、紅の雨のよう。 君に勧める。一日中、ぐてんぐてんに酔いたまえ。かの劉伶でさえ、墓にまで酒を持ってはいけなかったのだ!
今年生まれてきた娘についてのごく個人的な考察
 兄妹そろって妻寄りの顔つきなので、3人並んでいると本当にそっくりだなーと思う。加えていえば、妻は3つ子なのでこの世に似ている顔が6つあることになる。ややこしい。
じゃがいもについて
「ねえ僕は実はさ、じゃがいもってあんまり好きじゃないんだ」
「えっ?! どういうこと?? 私むしろ入れるようにしてたんだよ?お腹いっぱいになるかなって思って、それも結婚してから5年もたってるのよ?本気で言ってるの?」
「そうなんだよ、そこなんだよ、だっておなかいっぱいになっちゃうじゃないか。それだけでおなかいっぱいになっちゃうのが僕はダメだったんだよ実は」
「飢饉かよって思ってしまうんだ。いや、フライドポテトとかは別になんともないし、なんというかコロッケとかはむしろ好きなんだ」
「めんどくせー男だなオメーは。むしろなんにでも入れてたわ。これでもかってくらい」
「汁物に入っているやつが、なんか違うなってなっちゃう。いや、食べるよ別に、なんていうか食べれないわけじゃないんだ」
「同じコストでいろんなもの食べたいんだよ。人参とか玉ねぎとかは同じ量食ってもお腹いっぱいにならないでしょう?他のものも食べれるわけよ、米とか」
「ところがじゃがいもってマジでお腹いっぱいになるじゃん。さっき道の駅で買った郷土料理の汁物のなかに死ぬほどじゃがいも入っててさ、これじゃあじゃがいもじゃんって思っちゃって最低だったマジ。それでやっと気がついたっていうかさ、じゃがいもそんなに好きじゃないって。好き嫌い殆どないからさーあんまり考えたことなかったんだよ。いままで。そもそも山菜汁にじゃがいもいれてくるあたりセンスないよ。あの店潰れるぞ。僕は山菜が食べたいよ」
「ポトフはよく食べるじゃん」
「ポトフはギリギリ許せる。味がするから。嫌いなわけじゃないんよ、普通に食べるし」
「めんどくせー男だなーーーマジで」
「カレーは?」
「カレーはじゃがいもっていうかカレーだからイケるな」
「5年も真顔で好きでもないじゃがいも食べるのやばいって」
「そういうの早くいってよ」
今年買って買ってよかったもの
小型のマッサージガン マツダのcx-5(ディーゼル4WD) デスストランディング(いまさらプレイして最高傑作だった)
この記事は2022 Advent Calendar 2022の5日目として作成されました。前日は nobokoさん、明日はまとさん⭐️🇶🇦さんです。
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xf-2 · 7 months
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ガラス瓶製造大手「日本山村硝子」(兵庫県尼崎市)の独自技術を中国企業に渡すため不正に入手したとして元社員ら夫婦が逮捕された事件で、山村硝子と中国企業の契約が打ち切られた後に技術情報が持ち出されていたことが16日、関係者らへの取材で分かった。また、夫婦とも元中国籍で日本に帰化していたことも判明。中国企業が元社員に漏洩(ろうえい)を持ちかけた疑いもあり、兵庫県警が詳しい経緯を調べている。
県警生活経済課などが不正競争防止法違反容疑で逮捕したのは、山村硝子元社員の小鷹瑞貴容疑者(57)=懲戒解雇=と、妻でガラス製造技術コンサルタント会社「アズインターナショナル」社長、青佳(せいか)容疑者(51)。平成28年6月、山村硝子のサーバーにアクセスし、ガラス瓶軽量化の技術に関するプログラムを私用メールアドレスに転送した疑いが持たれている。
山村硝子や関係者によると、瑞貴容疑者は平成15年に入社。25年5月~29年7月に海外チームに所属し、中国で技術契約に関する営業、通訳などに従事していた。もともとは中国籍で中国語が堪能といい、中国での営業を長く担当していたという。
同社は事件前、情報の流出先とされる中国のガラス瓶メーカーと技術支援契約を締結。瑞貴容疑者が担当していたが、契約が打ち切られたという。その後、瑞貴容疑者らが持ち出した情報は、ガラス瓶の超軽量化を図るためガラスを薄くする特殊な計算式で、二酸化炭素(CO2)削減などにつながる山村硝子の独自技術とされる。瑞貴容疑者は営業職として技術情報へのアクセス権限があった。
一方、青佳容疑者もかつて中国籍で、社長を務めるコンサル会社が事件約1カ月前の28年5月、この中国メーカーとライセンス契約を締結していた。同8月~令和3年4月には、中国メーカー側から20回にわたって計1億8960万円相当の入金があったという。営業秘密はコンサル会社を通じて中国側に提供されたとみられる。
山村硝子は東証スタンダード上場で、国内のガラス瓶生産シェアトップとされる。外部からの情報提供があり、社内調査で不正が発覚した。
相次ぐ流出、スパイ活動に高まる懸念
日本企業の営業秘密が中国などに持ち出される事件は度々起き、政府は近年、先端技術の海外流出を防ぐ経済安全保障対策に力を入れている。外国スパイによる情報流出も懸念されるが、日本にはスパイ活動自体を取り締まる法律がない。警察幹部は「流出は日本の技術的優位の低下を招く。企業は意識を高め、対策してほしい」と話す。
警察庁によると、全国の警察が昨年摘発した企業情報持ち出しといった営業秘密侵害事件は29件で、統計を取り始めた平成25年以降で最多。中国などは先端技術などを獲得するため、民間人も活用した「情報戦」を展開しているとみられる。
令和2年、液晶技術に関する情報を中国企業に漏洩したなどとして積水化学工業の元社員が書類送検された事件では、中国企業側がビジネス向けSNSを通じて元社員に接触。国立研究開発法人「産業技術総合研究所」の研究データを持ち出したとして今年6月、逮捕された中国人研究員は、研究所に20年近く勤務する一方、中国人民解放軍と関係があるとされる「国防7校」の一つ、北京理工大教授にも就いていたと指摘される。
経済安全保障に詳しい明星大の細川昌彦教授は「技術力の高い日本は、特に半導体や基幹部品といった先端技術が狙われやすい。大企業だけでなく中小企業も警戒すべきだ」と指摘。漏洩対策について、「(情報に)アクセスできる人を限定するほか、重要な技術の管理サーバを他の情報と別にするなど、経営者らはコストをかけてでも対策に取り組むべきだ」としている。
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ari0921 · 10 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)7月5日(水曜日)
   通巻第7818号  <前日発行>
 ガリウム、ゲルマニュー輸出を中国が禁止へ
   日米欧のハイテク封鎖に報復第一弾、つづいてレアアース再禁止か
************************
 嘗て中国は日本向けレアアースの輸出を止めたことがある。
戦略備蓄を怠ってきた日本企業は悲鳴を上げた。代替供給地を求め、カザフスタンなどと交渉した経緯がある。昭和電工などは中国に生産工場を移転して対応したほどだった。
 中国は2023年8月1日からガリゥムとゲルマニウムの輸出を規制すると発表した。対中ハイテク供与禁止の西側へ報復のつもりらしく、いずれも半導体、通信機器、太陽光パネルの材料に使われ、西側の中国依存度はかなり高い。
 ガリウム(Ga)はアルミと亜鉛の精錬の副産物で、95%が半導体に使われる。生産国はロシア、中国、カザフスタンの三ケ国で全体量の四分の三という寡占状況にある。
 ガリウムの世界需要の70%が、じつは日本である。今後、日本企業はカザフスタンからの輸入を増やすだろう。
 ゲルマニウム(Ge)は亜鉛鉱の副産物で高熱に弱いため近年の半導体に関してはシリコンが代替している。嘗てゲルマニウムはトランジスタに大量に使われた、
現在は光ファイバーに多用されている。このため日本の光ファイバー産業が甚大な影響を受けることになるだろう。
具体的には住友電工、古河電工、フジクラ、通信興業などで、「戦略備蓄」という安全保障上の戦略的発想が希薄な企業が多い。
生産国は中国が67%、つぎがロシアと米国が各4%、その他となっている。つまり中国の報復措置により被害が深刻になるのは米国より日本なのだ。
  
 ▼レアアース対日輸出規制をまたも発動へ
中国は次にレアアースの再度禁輸に打って出るだろう。
中国の狙いはサプライチェーンを押さえて西側の結束をばらばらに亀裂させ、半導体製造装置などと取引する脅迫材料として使う。
米国、欧州、日本が「中国の台頭」を念頭に輸出規制を進め、その一環として日本政府は3月31日、新たに半導体製造装置23品目を輸出管理の対象に追加した。軍事転用防止が目的である。
レアアースとは 31 種類あるレアメタルのうち、17 種類の元素(希土類)の総称。レアアースはスマホ,EV、磁石、ハードディスク用ガラス基板や液晶パネルディスプレイ用の研磨材、自動車、石油精製の触媒などに使用される。中国がレアアースの供給の約 97%を占めており、早くからリスクが指摘された。
ランタン、セリウム、プラセオジム、ネオジム、プロメシウム、サマリウム、ユウロピウム、ガドリウム、テルビウム、ジスプロシウム、ホルミウム、エルビウム、ツリウム、イッテルビウム、ルテシウム、イットリウム、スカンジウムである。
レアアースの埋蔵は米国が世界一、第二位が豪州だ。
ところが米豪両国はレアアース鉱山の開発・採掘にまったく手つかずで、埋蔵地は放置されたまま。理由は環境問題である。
シェールガス開発が遅れたように米国では歴代民主党政権は左翼人士が重視する環境に配慮して鉱山開発をなかなか認めず、輸入に依存する態勢をとってきた。それというのも精錬過程で有毒物質を含み、環境汚染が甚だしく、こうした「穢い仕事」は中国、インド、ブラジルに任せれば良いとしてきたのだ。
このため中国内蒙古のフフホトと江西省がレアアース採掘、精錬で潤い、フフホトの工業団地など「希土類工業団地」と命名され広大な森林公園のなかに数社がひしめいている。空港近くには「レアアースホテル」の高層ビルが建ち、一大戦略拠点と化した。
米国政府は2019年にレアアース生産を促進するよう国防総省に命じている。
また、重要鉱物の供給を確保するため、加・豪などの同盟国と協力行動計画の策定で合意している。
共和党のテッド・クルーズ議員らがレアアース鉱山開発をみとめよとする法案を準備した。また2020年にはトランプ大統領が「国内鉱業界の緊急事態」を宣言する大統領令に署名している。
この大統領令では内務省に対し、国防生産法(Defense Production Act)の適用について調査するよう命じ、中国など敵対国に対する関税、輸入割当、貿易制限措置の導入に関する評価報告書の提出を求めた。
 ▼中国人の頭脳がごっそりと中国へ帰国しているゾ
もうひとつ注目すべきは在米中国人の帰国現象である。
DNAの研究で世界的な学者でもある謝暁亮ハーバード大学教授が米国市民をすてて中国籍に復帰し中国科学院に復帰した。
中国教育部によると、2019年の中国人海外留学生は70万3500人、このうち帰国した留学生数は58万300人だった。1978年から2019年までの間に、中国人の海外留学生は累計656万600人。現在も米国に留まっている学生は165万6200人。留学を修了した490万4400人の423万1700人が帰国している。中国の経済成長や技術革新により帰国を選ぶ留学生が増えていたのは事実である。
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kennak · 8 months
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こういう棚卸しは面白いな。関西も乗っかるわ。東京みたいに全部が一点に集中してないからエリアは京阪神+αで許してや。1 演劇あんま詳しくないけど、なんつっても宝塚やな。大箱は梅田芸術劇場、京都劇場、オリックス劇場あたりかな。それから、生き残ってる大衆演劇は阪神地域が中心なんちゃうかな。京都は学生が多いから小劇団もいっぱいあるで。増田はヨーロッパ企画のサマータイムマシンブルースを西部講堂で見たのがちょっとした自慢や。2 美術・建築建物が古いからな、世界遺産が5件あるで。姫路城、法隆寺、京都、奈良、百舌鳥古市古墳や。建物の中にも美術品がたくさんあるから、重文が町のそこらへんに転がっとるで。一見ただのベッドタウンでもいきなり西国三十三所に出くわす楽しみもあったりするしな。曜変天目基準やと関西は2点あるから関東より多いで。伝統建築だけやのうて、近代建築も京都・大阪・神戸の中心地に点在してるな。京都は南禅寺の水路閣、大阪は中之島の日銀、神戸は旧居留地が増田の好みや。もちろん現代建築も充実しとるで。ガラス張りの京都駅と梅田スカイビルは原広司の代表作やな。国立美術館・博物館やと、京都と奈良の博物館、大阪の国際美術館、それから万博記念公園の民族学博物館や。みんぱくはいいぞ3 メセナさすがにこれは大企業が多い東京の方が有利や。サントリーはなんで東京でがんばってるんやろな?ローム、京セラ、竹中工務店、神戸製鋼あたりが有名なんかな。4 伝統芸能落語は上方で成立して現代に至るからな、さすがに譲れんで。人形浄瑠璃もほぼ大阪の独自芸能や。歌舞伎は南座と大阪松竹座で盛んにやっとるで。能楽は明治期に東京に行ったけど、華道と茶道はほぼ京都文化ちゃうか?5 サブカルチャー関西やとほぼメインカルチャーな気もするけど、このカテゴリーでお笑いを外すのはありえんな。関西弁が方言の中で唯一全国どこでも意味が通じるのは7割ダウンタウンのおかげやと増田は思っとる。増田の経験やから今も盛んか分からんけど、京都にはオシャレ~な本屋やら雑貨屋もめっちゃあったで。6 漫画・アニメ出版社とテレビ局が東京に集中しとるからこれは東京が強いな。ただ京都には有名なスタジオがあるで。同人イベントはコミケほどやないけどCOMIC CITYが大規模にやっとる。インテックス大阪でやるから通称インテやな。7 音楽・映画元増田が書いてないけどこれも挙げとくで。箱の話がメインになるけどな。増田はクラシック畑やからいいホールが点在してる印象が強いんや。大阪のシンフォニーホールとフェスティバルホール、西宮の兵庫県立芸術文化センター、京都の京都コンサートホールあたりにはちょくちょくお世話になるで。でも海外オケの公演がなかなか来ないのは事実や。悲しいわ。ポピュラーや��大阪城ホールが一番有名やろ。ライブハウスがたくさんあるはずやけど、よく知ってる人が補完してくれるのを期待しとくわ。ジャズは神戸かと思ったらなぜか高槻で盛んやな。映画は(追記:単館が)京阪神合計で東京の半分くらいみたいやね。増田は行ったことないわ。8 食関西でこれを書かんと片手落ちや。京都と大阪の懐石、京都の精進料理とそばとラーメン、大阪の粉もんとスパイスカレー、神戸の鉄板焼きと芦屋の洋菓子、みんな最高やな。もちろんパンも充実しとるで。(追記)トラバとブコメのおかげでいろんなこと知れたから増田は嬉しいわ!ブログでなく増田に書いてよかった!トラバでも書いたけど、ゲームは活動範囲が関西に収まってないかなって思って外したんや!アリスソフト好きやで!はてな?あかんあかん!お茶の一杯も出してから出直しや!スポーツは野球とかラグビーとか考えたけどガンバのしょっぱい成績が頭をよぎって外してしまったわ!エリアは東京と比べるために京阪神+αに絞ったから滋賀と和歌山は入れてないし奈良も世界遺産でしか入れてないんや!すまん!石山寺も黒壁スクエアも高野山もパンダも大好きや!猛虎弁みたいな妙な関西弁は書き文字にするとなんかポロッと出てしまうんや!堪忍な!
関西の文化(追記)
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poetohno · 9 months
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第四楽章 水の旅路
「物語」
地球上の水のほとんどが塩が混ざり あるいは氷に閉ざされている
純粋な水として存在するには空に抱かれ 山に削られ 岩磐(いわいわ)の険しい旅路を行き 大地の洗礼をうけなければならない
地表に流れる水は命の源であり 様々な自然の関わりによって生み出される命の産物
水は天より降り注ぎ 山を下り 河を流れ 海に終着する水が渇き天に抱かれ空を旅する雲となるのなら風とは命の使いとも呼べないか
風は運命を垣間見せる全ての命は風に運ばれている
風の導きによって命の定めも決まるだろうか風が囚われれば世界は地獄と化し風が自由に歌えば生命もまた謳歌する
ふと目にするあの雲もまた空の彼方の海からやってきたのかもしれない雲は風に流れ 果てに行き着くだろうまた別の風は果てしなく巡っていることだろう
―海のように
果てなき海は生命の始まりの大地山は生命の終わりの果て 辿り水は生と死を巡る 水は命そのもの
雪に閉じこめられた命は春の訪れと共に花開き溶ければ寄り集まりながら小さな鼓動のように流れやがて大きなうねりとなり生命が漲る川となる
そこに命があるなら戦いがある戦いに勝利したものは生き延び敗北したものは死に絶え川を下る
その戦記には続きがある彼らの肉体は川の果ての森に続き木々に住まうものたちの糧となる森の果ての川に命を紡ぐ物語がある
「川の調べ」
雨は天より零れし海の唄 海は天を仰ぎ 天は海を抱く山を越え 草原を愛で 森の謳歌を奏で渇いた砂漠に一瞬の楽園を築く 命の交響曲を支える旋律
空が蒼いのは川を抱いているからなのか空に���う雲は 流れる風は 天に聳える山にとって脅威にもなる水は一度流れを持ってしまえば何者をもってしても止めることはできない時に抗えないように
水は命を蘇らせる力を持つが同時に山を死に至らしめる力を秘めている峰を削り 野山を駆け下り 大地を削り 渓谷へと変貌する深く奥へと 時が覆い隠した地表が現れる時を遡るかのように
「川の宴」
川が在る所に命は宿る獲物求め命を奪う破壊者がいるなら草を求め旅するものたちの大行進がある
命を賭けた戦いが川を彩る沈黙に眠る川も一度戦いが始まれば騒然となる
一瞬のうちに命が散り 火花のように瞬き雷の閃光のように轟く
そこには思想も哲学もない剥き出しの命と真実がある
「湖の謳歌」
湖は海と隔たり生き物たちはその境界を越えることはできないそれは牢獄なのか それとも楽園なのか
湖がもし栄華を極めたとしても湖が干上がれば命は全て消えてしまう
生き残るためには他を上回る戦略によって己の道を切り開くしかない
裏切り 裏切られ 騙し 騙され 命を残すための闘いは熾烈を極める本能と理性の狭間に揺れる闘争
鏡のように澄み切った湖の下には過酷な世界がある
一の美しさをこの目に宿すためには相反する十の醜悪な世界を知らなくてはならない
「川の旅路」
川の旅は続く天空より舞降りる千の雫は木の枝から幹へと遡るように寄り集まり川の流れを描き大地をうねりながら森を横切り平野を走る
大地の鼓動が生命の躍動なら大地の雄叫びは闘いの咆哮である
闘いの先に散っていった者達が川に溺れ 川に沈み川を血の色に濁らせるなら
草茂る水の流れはその汚れを払い水に清流を取り戻す
乾季と雨季に生と死が巡り歓喜と憂き命が交錯する
雨が降ることで大地の様子は一変し世界が変わる
生命の謳歌と眠りが時の巡りに合わせて変化する川は山を削り 破片を海岸まで運んでいく
そして川の旅は終わる
「海の森」
珊瑚礁は海を砂漠から森に変え多種多様な命を呼び起こすオアシス光を受け輝き 波に揺らぐ花のよう海に咲く花を愛でようと多くの命が集まり闇の海に咲く光であり 命の灯のよう海の家 大地にとっての安らぎの木
海に昆布が揺らめく場所は熱帯雨林を思わせる海を浮かびながら漂い 命は溢れ 迸り色は犇めきあいながら 絡まり合い 踊りながら波に歌う絵の具を散りばめたかのような宝石のように輝き始める足を踏み入れたものはその場所に住み着き憩いの場所を築き 新たな旅に出る時を隠れながら待つ
「海の宴」
命を育み 支える命の種命を降らせる恵みの雨植物プランクトンの恩恵を受けるために 命たちで溢れ返る
生き物たちが群れを成して訪れる命求めて海を縦横無尽に旅するものたちが春を待ち続けていた
冬に荒れ狂う波は海をかき混ぜて海に栄養を行き渡らせる命にとっては天と地を別つ温度の壁海にはある嵐は壁を破壊し 天と地を混ぜ合わせる命にとっての心臓の鼓動のよう
夏命を求める旅は続く魚は群れを成して移動を続け鳥たちは巣へと帰り 再び飛び立っていく鯨もまた旅を続けている温暖な場所から極地へと向けて旅は続いている―春を求めて太陽の方角へ
秋が来る時 嵐は再び起こる命にとって堪えなければならない長い時の前の休息と謳歌の時間集まってきていた生き物たちは散り散りになりそれぞれの場所で 冬が終わる時を待っている海さえ嵐を呼び込みながら 海をたゆみ無く巡らせながら 春の時を待っている海の流れが無ければ 命は恵みの時を受けられず翼は折れ 大地に落ちる
「富の海」
光が降り注ぎ 大地は珊瑚礁に彩られ魚が銀色に閃いて通り過ぎる揺れる虹のようなたなびく彩雲のような百花繚乱の森色の豊かさが命の豊かさを示すならこの彩りに富んだ景色が命の豊かさを現している
海の楽園は海全体のどれ程だろうか
エメラルドに光り輝きクリスタルのように透き通り波が青の群れとなり光揺れる世界
生き物に犇めき濁った世界砂漠や極寒の世界に隠された地底奥底の知られざる世界があるかもしれない
豊かさだけを見るなら確かにここは楽園であるが楽園の背後に眠る闇を誰も知らない
命踊り 光輝き それは目下に佇む闇の中に歌う星のよう
「海の彼方の闇」
知られざる宇宙のような場所
天文学者ならば星を探して眼を凝らし新たな光を見ようとし
生物学者ならば命を探して彷徨い歩き新たな生き物を見つけるだろう
深海の闇という宇宙に潜む星を探すように生き物たちは身を潜め闇の中で蠢いている
光は徐々に薄くなっていく辺りは夜のように紺に染まっていく気づけば無音の闇の中光の恩恵はここには存在しないあらゆる時間において闇は光の無い洞窟のように
微かな栄養を頼りに彼らは生きるしかない自らの力によって海を渡り海流という大地にとっての風に乗り漂う
海を浮遊する微細なプランクトンが海の世界を支えている鯨や鮫 鯱や海豚といった華やかな生き物はその表面で閃いているに過ぎない舞台に踊るアクターを支える無数の影の努力者たちのような
触れれば壊れそうなガラス細工のように揺らめき揺れる蝋燭の火は今にも消えそうな陽炎のよう今にも壊れそうな幻想的なあり方をしている
「深海の底」
海は深いだけで圧倒的な力を湛えている大気であれば気圧 全ての命の源 水を水として存在させるための力水圧の力には際限がない 科学の力で武装した鎧すら簡単に破壊する
水温は凍えるほどに冷え込み 空気は高山のように薄く やがて皆無になるこの世界は生命の存在を拒んでいるのだろうか
果てしなく深い限界の場所で生き物は蠢いている恩恵は海の表層から降り注ぐ 雨のようで 雪のような死が舞い降りる生きとし生けるもたちの肉片が塵となって落ちてくる彼らの死によってもたらされるものはこの世界では太陽の光のよう
海底に着く時この世界は月のようだ果てしない無の世界が広がっているしかしこんな所にさえも生き物は生息している
「海底火山」
海底にも火山は存在する海底とは海の底であると同時に大地の果て
大陸と大陸の鬩ぎ合いの狭間に摩擦に散る火花があるように火山が煌々と火を上げている
マグマは地脈のように奔り 地球の中心まで潜り巡り 再び地上へと吹き出す
世界とは外に開かれているのではなく内側に広大に巡っている
マグマが海底の生き物を支えている砂漠にとってのオアシスのように
海底に山脈を築き 延々と続くかのようにいつか大地が隆起し 沈没した時海底に眠る大地は海上に眼を覚ますだろうか
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parkhabiomaster · 1 year
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ザ・パークハビオ
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江戸川区の最大の特徴は、区民の平均年齢が41.4歳と23区の中で最も若いことです。 これは、特に子どもの数が数字に反映されるためで、平成24年1月1日時点の東京都の市区町村別年齢別人口統計によると、0歳~14歳の人口比率は約17%を占めています。 私はここにいます。 国勢調査のデータによると、28.3%が既婚子持ち世帯、19.0%が4人以上の世帯、3.35%が3人世帯で、いずれも23区の中で最も高い。 合計特殊出生率は 1.45 で、23 区平均の 1.16 を大きく上回っています。 江戸川区といえば、東京東部臨海部の繁華街を代表する区の一つですが、太平洋戦争では大型台風の直撃や家屋倒壊など大きな被害を受けました。 . 海抜が低い地域と揶揄され、津波や洪水の危険性が高いことが懸念されています。ザ・パークハビオ
臨海部の住宅開発により、子育てしやすい区として多くの若者の流入に成功しています。 ディズニーランドに行きやすいところも、子育てファミリーの魅力の一つかもしれません。 支援制度は子育て世帯だけでなく、中高年向けの「家賃補助制度」や高齢者向けの配食サービスなども充実。 区内のスポーツセンターも温水プールなど設備が充実しています。 やはり海抜の高い地域が多く、自然災害のリスクが高いからです。 しかし、家賃が安いので外国人も多く住んでおり、国際色豊かな街です。 492haの広大な敷地を持つ葛西臨海公園は緑豊かで砂浜もあり、日本の渚百選にも選ばれています。 動物園併設の公園もあり、区内の公園面積は756haと23区の中で最大です。 水族館では魚も見ることができます。 区内を流れる江戸川や那珂川でも自由に遊べます。 荒川沿いには2003年に小松川千本桜、2013年には新川千本桜が完成し、多くの市民に人気の花見スポットとなっています。 江戸川区は若者の流入が活発ですが、江戸時代から庶民の街として栄えた長い歴史を持つエリアです。 江戸川区には伝統工芸品や特産品もあります。
江戸切子は東京都の伝統工芸品の一つで、主に江東区、江戸川区、墨田区などで作られています。 ガラスの表面に金の板や砥石を使って様々な模様を刻む技法です。 18世紀初頭頃から鏡、眼鏡、風鈴などの製造が始まり、明治時代に入るとヨーロッパの技術が導入・近代化され、東京の地場産業となりました。 2002年には東京都の伝統的工芸品に、2014年には経済産業省より国の伝統的工芸品に指定されました。 もうひとつ、江戸川区を代表する商品が小松菜です。 江戸時代の将軍が江戸川区の小松川村に鷹狩りに訪れ、小松菜の入った澄んだ汁を好んだことから村名がついたと言われています。 江戸川区は今でも作付面積第1位。 カルシウムや鉄分を多く含み、今や全国どこでも一年中食べられる野菜になりました。 現在、江戸川区がこの小松菜のブランド化に取り組んでおり、生で食べられる新しいサラダ小松菜が誕生しています。 近年、急激な人口増加により若い世代に人気の江戸川区ですが、治安面で不安の声も多くあります。 子供が多く、ディスカウントスーパーもあり、都心へのアクセスも便利という利点から、空き巣や強盗などの犯罪が多発しています。 長い間、江戸川区は北側を鉄道しか通っていない交通アクセスの悪さから「孤島」と呼ばれていました。 1969 年の東西線開通、1983 年から 1986 年の都営新宿線開通以降、この問題は徐々に改善されてきた。
現在、都心と千葉エリアを結ぶ東西線は完成していますが、区の南北を結ぶ鉄道路線はなく、交通手段はバスのみ。 バスの路線数を増やすなどの対策がとられていますが、1世帯あたりのマイカー保有率は23区内で5位であることからもわかるように、クルマは生活の必需品です。 杉並区は23区の西部に位置しています。 区名は青梅街道沿いに杉の��が植えられたことに由来��るが、現在はそのような木はない。 杉並区は、関東大震災後、多くの人が杉並区に移り住み、郊外住宅地として発展してきました。 緑被率は23区で3位、人口密度は11位というデータを見ると、広々とした住宅が立ち並ぶ街であることが想像できます。 震災後に杉並区に転居した者のうち、富裕層は防災のため都心部には戻らず、杉並区にとどまり、広々とした邸宅を建てて優雅な生活を送った。 戦前から文人や画家など多くの文化人が暮らしてきた。 杉並区は、専業主婦の就業率23位、専業主婦率1位、シングルマザー率1位、離婚率23位、高卒大学進学率が高い区です。 . 東京の山腹を代表する住宅地の多いエリアです。 そして杉並区の魅力はそれだけではありません。 沿線には若者が多く住むエリアがあり、安くて魅力的なお店が並んでいます。
意外にもレジャーマダムだけでなく、若い人も多いです。 杉並区は専業主婦が多く、広々とした家で優雅に暮らすだけではありません。 杉並区に住む年齢層別の住民比率を見ると、18~29歳の若者の割合は男性4位、女性2位、全体では3位です。 中央線沿線の吉祥寺、荻窪、西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺エリアに多くの若者が住んでいます。 個性豊かな雑貨店や古着屋、古本屋、ジャズ喫茶、ライブハウスなどが軒を連ねるエリアです。 生活しやすい大きな商店街もあり、乗り換えなしで移動できる新宿へのアクセスも非常に便利です。 昭和の高度経済成長期に生まれ育った人にとっては、広大な土地を持つ一戸建てが杉並の生活かもしれませんが、20代の若者にとっては、音楽や古き良き文化、 、 バラエティショップに囲まれ、毎日刺激を受けながら生活を楽しめるのが杉並の魅力です。 この2つの特徴が、杉並区が住みたい街として人気の理由です。この2つの文化がうまく受け継がれ、融合し、独自の杉並文化が生まれています。 現在、杉並区では音楽を通じたまちづくりに積極的に取り組んでいます。 設備の整った公会堂や毎年恒例の音楽祭など、音楽の街としての地位を築いてきた杉並区。
アニメも地場産業の一つと捉え、その発展支援にも取り組んでいます。 荻窪音楽祭は杉並区を代表する音楽活動の一つです。 21世紀荻窪考える会が主催し、クラシックコンサートを通じて荻窪のイメージアップに貢献してきました。 荻窪駅周辺の銀行、協会、音楽スタジオ、喫茶店など様々な場所で期間限定で音楽フェスが開催されます。 運営スタッフを募集し、ボランティアで開催しています。 無給のスタッフに加え、街のバリアフリー化や音楽祭開催のスポンサーを募り、音楽祭の資金を募っています。 区民が運営側と出演者に分かれて開催する荻窪音楽祭は、2016年で28回目を迎え、町おこしの一大イベントに成長しました。荻窪音楽祭の他にも、 もう一つの有名な音楽イベントは阿佐ヶ谷ジャズストリートです。 1995年のスタート時は、小学校の体育館や企業ロビー、ライブ会場など13会場で開催されていましたが、現在では60会場以上に規模を拡大。 音楽の力で街を元気にするために始まったこのイベントも、地元の有志によって運営されています。 全国に600のアニメスタジオがあると言われ、そのうち70以上がここ杉並区にあります。 杉並区にアニメ関連の企業が多く設立されたのは、自社の住居を確保したことと、交通の便がよかったからです。
杉並区は都心へのアクセスが便利なだけでなく、静かで広々とした緑豊かな環境で仕事に没頭しやすい環境です。 杉並区は、日本で初めてアニメを地場産業として位置づけ、その発展を後押ししています。 2014年3月には、線路下にアニメ関連のショップが集まった施設「阿佐ヶ谷アニメストリート」をオープン。 日本のアニメーションの歴史を紹介するアニメーションミュージアムも開館し、展示のほか、ワークショップやアニメーションの上映会など、さまざまなプログラムが用意されています。 アニメウォークという街歩きイベントも。 アニメーション制作者と視聴者が交流する場として、アニメーション産業の発展をサポートするイベントです。 練馬区は、1947年8月に22区制であった板橋区から分離して設置されました。 練馬区は、東京都の北西部に位置し、23 区の中で最も標高が高く、面積は 23 区で 5 番目、人口は 2 番目です。 まだまだ畑が多いことから「緑豊かな区」というイメージを持たれている方も多いと思いますが、区は農地だけでなく公園もたくさんあります。 緑の多い練馬では、農業が主要産業の一つ���す。 2013 年 1 月現在、農地面積は 240ha で、23 区の中で第 1 位です。 農家数も372戸と1位ですが、33%の農家が農地面積0.3ha以下、約4割が農家収入0~49万円、500万円未満です。 9割のデータを見ると、大規模な農業をしている人は少ないことがわかります。 1975 年に 746 ヘクタールの農地と 1,342 戸の農家があったことを考えると、農業が衰退していることは明らかです。 農業以外にも、練馬の知名度を上げたアニメがあります。
練馬区には、90 を超えるアニメ関連企業、大学の芸術学部、音楽大学もあります。 都心へのアクセスの良さ、緑豊かな環境、家賃の安さは漫画家志望者の求める条件であり、日本を代表する漫画家が次々と誕生しました。 農業では地元の特産品をブランド化することが多いですが、かつて練馬には練馬を代表する野菜である大根がありました。 練馬大根は江戸時代から盛んに生産され、明治時代になると日清戦争や日露戦争により需要が高まり、その名は国内外に知られるようになりました。 大正時代になると、首都東京に人口が集中し始めます。 この頃から、練馬地区は都心部の農産物の供給拠点となり、その役割は年々強くなっています。 最近では大根の生産も盛んです。 練馬の農業は、鉄道の開通により流通が活発化し、拡大期を迎えました。 練馬大根の最盛期は、明治末から昭和初期の約25年と言われています。 昭和の終戦とともに、それまで大根漬けの一大供給地であった軍部の解体により、大根の生産は衰退し始めます。
大根の収穫は大変だったので、農家は大根からキャベツに主力生産を移しました。 現在、大根は練馬ではほとんど生産されていません。 農地面積は、1975 年の 745.6ha から 239.8ha へと減少し、2012 年度には 3 分の 1 以下となった。 練馬区内の農家・農家数は、1975 年の 1,342 世帯・7,232 人から 2012 年には 498 世帯・1,075 人に減少している。 、ブルーベリーとブドウ、およびその他の植物の 3,549 ヘクタール。 平成23年度東京都土地利用面積データによると、練馬区の農地利用率は区総面積の5.1%で第1位。 23区で最も農業が盛んな地域ですが、全体として農業の規模は縮小傾向にあります。 農産物の出荷量や作付面積は減少していますが、練馬区ではこれまで培ってきた農業のノウハウや既存の人材を活かし、農業を観光資源として活用しています。 大都市東京に近いという利便性を活かし、練馬区には現在約30のブルーベリー農園があります。 農業を観光資源化し、他地域から多くの観光客を呼び込む練馬の生き残り策の一つとして注目されています。 また、小学校での総合学習の一環として、区内の田んぼや果樹園を積極的に小学校に開放し、次世代への農業振興を積極的に行っています。 小中学校での田植え、カキやキウイの選別、受粉・収穫、野菜くず・残飯などの体験を通じて、子どもたちの農業への関心を高める活動。 肥料にリサイクルされています。 日本のアニメーションは、その技術とソフトウェアの両面で海外から高く評価されるようになりました。
練馬区は、日本一のアニメタウンとしてアニメ発展の歴史に深く関わってきました。 区内のアニメーションスタジオが日本初のアニメーションを制作し、1963年にはテレビでアニメの放送が始まりました。 当時の漫画家や後に有名になった漫画家のほとんどが練馬区で働いていました。 現在でも90社以上の関連会社が練馬に集まっています。 練馬区では、区が主体となってアニメ産業を戦略的に強化するための政策を策定するとともに、多数のアニメ関連産業を誘致することで区内産業全体の活性化に向けた活動を行っています。 国勢調査によると、2000年から2005年までの中央区の人口変化率は135.7%、2005年から2010年までは124.8%でした。 どちらのデータも、日本で最も高い人口増加率を示しています。 これを見ただけでも、中央区がますます人で賑やかになっていることが想像できます。 また、2020年のオリンピックに向けて、晴海に選手村が建設され、敷地内に約6,000戸の住宅が建設されます。 江戸時代から現在に至るまで、日本の文化・商業・情報の中心地として発展してきた中央区は、今後も人口が増加し続ける日本最大級のメガシティとして君臨しそうです。 順調そうに見える中央区ですが、紆余曲折がありました。 現在増加傾向にある人口は、1960 年から 1980 年までの 20 年間で 16 万 1000 人から 8 万 3000 人に減少しました。失われた人口を補うために、区は住宅建設を促進するためのさまざまな政策を導入しました。 中央区は区内定住者数の増加に成功したものの、その生活を支えるスーパーマーケットなどの商業施設や、子育て世帯が望む大規模な公園が不足しています。 便利で住みよい街を目指した地域づくりが今後の課題と言えます。 中央区だけでなく、現在の千代田区や港区などトップクラスの23区でも入居者が減少。ザ・パークハビオ
この時期は「都市のドーナッツ化現象」と呼ばれた。 高度経済成長期と呼ばれる1954(昭和29)年から1973(昭和48)年は、急速な都市化の時代でした。 石炭から石油へとエネルギーが変化する中、東京湾沿岸には次々と工場が建設され、産業が発展していきました。 都市部の工業化が進み、所得が増加した結果、裕福な人々はより良い生活を求めて広々とした家に住みたいと思うようになり、郊外に一戸建てを購入するようになりました。 私はそうでした。 この時期、都心部の大企業のオフィスや工場が集中する地域から、快適な住環境を求めて人々が離れていった。中央区では1957年から人口が減少に転じた。 バブル期に入り、中央区の地価が上昇したことで人口はさらに減少し、2000年1月1日現在、69,695人にまで落ち込んでいた。 バブル期の終焉後、都心部の不動産が大量に解放され、比較的安価な住宅が大量に供給されるようになり、都心部に住む人が増え始めました。 これがアーバンリターン現象の始まりです。 中央区は1981年に定住人口10万人を宣言し、1988年には定住人口回復の年を宣言した。 続々と紹介されています。 これらの施策により、長年減少傾向にあった中央区の人口は1998年から増加に転じました。 隅田川流域の住宅開発により、30~44歳の子育て世代の割合は33.9%を超えています。 これは、23 区の平均である 26.0% を大幅に上回っています。 2005 年から 2010 年までの 6 歳未満の子供の人口増加率は 56.0% と、23 区の平均である 5.7% をはるかに上回っています。 2020年東京オリンピックを控え、全国から注目を集めるエリアとなる中央区。 人口が増加の一途をたどる一方で、生活関連施設の整備が遅れています。 前述のように、日常の買い物ができる店舗はまだまだ不足しています。 大型スーパーはなく、食品スーパーも少ない。 ミニスーパーも増え、買い物の悩みも少しずつ解消されつつあります。 また、緑被率が23区内で最も低いことからもわかるように、緑のある公園の数は非常に少ないです。
浜離宮公園を除く公園面積率は23区中20位。 小さいお子さんがいるご家庭にとっては、外で遊べる場所がないというのは深刻な問題です。 現在、中央区内にはオリンピック選手村跡地や築地市場跡地など、いくつかの再開発候補地があります。 これらの広大な敷地を今後も住居専用にするのか、それとも緑の広場を追加するのかについては、議論の余地があります。 東京都が作成した東京都の人口によると、千代田区の人口は昭和35年以降減少傾向にある。 都心復帰の影響。 2016 年 1 月 1 日現在、千代田区の人口は 55,131 人です。 東京23区の中でも大きな役割を担う千代田区は、一言で言えば昼と夜の人口差が最も大きい区です。 昼間は人口が多く、夜間と夜間の差は20倍。 日本一にぎわうオフィス街には家がほとんどなく、夜もほとんど人がいません。 千代田区は23区の中で最も人口が少ない区です。 居住者が非常に少ない地域です。 夜間の人口が少なく、昼間の人口が多いということは、この区は昼間に多くの人が働きに来る場所です。 千代田区は業種別に分類しやすいです。 丸の内や大手町は大企業が集積するビジネス街であり、日比谷や有楽町は銀座の繁華街に近いため商業施設や娯楽施設が充実しています。
パークアクシスブランド レジディアブランド コンフォリアブランド パークハビオブランド プラウドフラットブランド パークキューブブランド アーバネックスブランド ルフォンプログレブランド カスタリアブランド オーキッドレジデンスブランド ディームスブランド ブリリアブランド 東京都心のブランドマンション 白金ザスカイ仲介 ワンルーフレジデンス田町仲介手数料無料 ザ・パークハビオ渋谷クロス仲介手数料無料 コンフォリア新宿イーストサイドタワー仲介手数料無料 パークタワー勝どき仲介手数料無料 HARUMI FLAG/晴海フラッグ仲介手数料無料 白金ザ・スカイ仲介手数料無料
ここにアクセスしてください:https://parkhabiomaster.site/
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maru852 · 10 months
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子ども3人いながら年収800万円の仕事を辞めて、夫婦仲最悪から改善した40歳トレーナーの理念・歴史
こんにちは!MARUです
現在40歳で、愛知県の有名なエリアで5人家族で暮らしています
日々、経営者として奮闘していながら、毎日、子どもを送り迎え、行事の参加など、子どもの成長を見守って暮らしています
事業の方は、メンタルトレーナーをメインに行っていて、特にこれまで、がむしゃらにがんばっていたのに、なぜか最近がんばれなくなってしまったガス欠な人に向けて、ガソリンを補給して、モチベーションを改善することを行ってきました
ただし、今は自分が改善した夫婦仲を改善する方法を世の中に広めようと目指している最中です
そんな私の、これまでの歴史を振り返っていこうと思います
夫婦仲というと「結婚は人生の墓場」という通り、墓場に入っていたわけですが、墓からよみがえったわけを紐解いていこうと思います
墓からよみがえるために才能は必要ありません。ただ”コミュニケーション”って何かを考えることだけです
それではいきましょう
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私は、東京23区内で生まれ育ちました
とはいえ、かなり貧乏な方な家庭だったと思います
家はローンがないとはいえ、築30年は超えていて、すりガラスの漆喰の壁で地震がきたら、確実に潰れてしまうといった感じでした
←こんな感じでしたね
 まわりの家との違いは際立っていました
それでも、教育熱心だったのか、遠くの幼稚園に通わせてもらったんですが、その結果、小学校に誰1人として友達がいないという困った事態だったのですが、クラスカーストの子たちと仲良くなって生活していました
そんなある日、何が原因かも忘れましたが、クラス上位からイジメられるようになりました。というか、いじられグループにいて、自分の番が来たみたいな感じでした
毎日、憂鬱というか、単純にイヤだったので、先生とともに戦いました。結果、一旦は落ち着いたけど、3ヶ月もすると元通りになりました
ただ、3ヶ月前と全く違うことが起こったんです
それが、私の感じ方でした
3ヶ月前と全く異なり、何も感情の起伏が起きませんでした。なんのリアクションもないからか、すぐにイジメ自体がなくなりました
これがどうして起こったのか、今ならわかるんです
それは、自分が孤独である・孤独になってもいいやと受け入れたので、その下のステージで興味関心を引きあうゲームに関与する気がなくなったんですね
その当時、生きていく上では大事な視点だったかもしれませんが、これが夫婦関係というか、人間関係に大きな影を落とすことになりました
人間関係が希薄なままの大学生活
東京に住んだことある人は分かると思いますが、自転車で通える範囲ですべてが事足りるので、大学も自転車で1時間くらいかけて通っていました(1時間半もかけて満員電車乗るなんて苦行、無理)
つまり、いつまでも無駄に遊んだり、つるんだりする時間がなかったということでもあります
学校終わって、電車に乗って、街へ出かけて遊んだり、無駄に1夜を過ごしたりということが全くなかったでしたね
授業やサークルが終わっても、駅まで一緒に行くが、そこで解散
と、本人的には充実していましたが、コミュニケーションの観点からすると、人は人、自分は自分と割り切っているところがしっかりと形成していった時期でした
うって変わって楽しい院生時代
貧乏だったと言いましたが、お金の使いどころを決めていたようで、教育にはお金をかけてくれました。中学生から公文式で、そのまま高校まで公文式1本で理系の大学まで行って、大学院まで行かせてもらいました
ただ、全く外食しないし、旅行は帰省するときだけ、ディ〇ニーランドも一度も行ったことありませんでした。本当にお金をかける部分を絞っていたように思います
小学生の時に、もうこれは…ってことで、家を立て直したんですが、家の設計図面を自分たちで書いて構造計算までして、設計費用を浮かしていたようです
自分たちで出来ないこと以外にはお金かけずに家建ててましたね
脱線しましたが、そんな感じで、大学院生活が始まったわけですが、たまたま、日本の研究所の2大巨頭である理化学研究所から教授が着任して、1期生としてゼミを受けることができ、そのまま院生になることができました
2年目からは競争が激化して足切りラインが設定されて大変だったようですが、1年目に滑り込めて良かったです
理系のゼミ生って何するか、イメージがわかない人のために説明すると、大体、7~8人くらいの4年生が配属されるので、その中で、教授がやりたいことを2名ずつくらいで研究するという感じです。院生はその3~4テーマの進捗管理と卒論発表のためのデータ取り、そして自分のテーマを進めるのと、手伝いを院生候補にさせるって感じになります
教授は授業とメーカーとの応対に加え、理化学研究所のプロジェクトもあって、そっちの話を進めたりと、多忙なので、学生の実験を教えることはほとんどないって感じでした
私が学生たちに実験を直接教えて・やらせて・データを取らせておいて、1週間に1度報告させるみたいな感じで、自分で仕切りながらやることが面白かったですし、自分からコミュニケーションとらないと進捗も進まない(就職が決まったら、別に後は研究せずとも卒業できちゃう)ので、楽しくコミュニケーションとりながら、結果を導くみたいな部分にやりがいを感じてました。
研究って黙ってやっているイメージかと思いますが、雑談したり、反応待ちでゲームしたりして、本当に楽しかったです(ゴルフゲームでチーム戦でランキング100位/10000チームくらいやり込みました)
帰りも駅までいって、時間があれば、毎日のように飯を食って帰るみたいな、コミュニケーションが満たされていた充実した生活を送っていました
一部上場企業の化学メーカーに就職し、愛知県で働くことになる
大学の頃のポジティブな状態で社会人になり、メーカーで工場勤務という男社会ど真ん中みたいな職場でしたが、大学の頃と全く変わらなかったので、慣れるのは早かったです
日々、楽しく先輩・後輩とご飯に行ったり、釣りに遊びに行ったりと、楽しい時間を過ごせていましたが、転勤や結婚といった周囲の変化から、一人になり、これじゃいけないとパートナー探しを始めました
幸いマッチングアプリが存在していたので、割と早く同い年のパートナーが見つかり、1年半の交際を経て結婚と順調な流れで、これからの夫婦生活も楽しくなるのかなという矢先でした
結婚は人生の墓場 -第1:棺桶に入るー
結婚して専業主婦になってから半月たった金曜日の夜でした、パートナーが友達を連れてきたいと言いだしました。結婚式にも招待し、結婚以前も友達として紹介され、何回か遊んだ仲の人でした
もちろん、OKと言いました、ただ、お互い片付けは得意じゃなく、少々乱雑になっていて、結婚式の残骸やらなんやらが、まあ、そんなもんだろう。「汚い所で悪いね」と言えばいいやと思っていたら、少したって、「明日来るから、今から掃除するよ」と一言
今から??何を?金曜の夜、仕事から帰って掃除ってなんだろ?と思いながらも、おもむろにリビングを片付け始めたので、最終形も見えてない私は、リビングのゴミを掃除機で吸い始める、すると、「同じことやらないで、違うことして」と言われ、渋々、玄関とトイレの片付けを開始。ほどほどに掃除して、「終わったよ」と一言
ご飯でも作るかなー、夕飯なんにしようと考えていたら、「ダメ」これじゃ掃除になってないと言い、自分でやり始める。何かしてと言われたので、関係ない風呂と寝室の掃除を釈然としない気持ちのままやって、夜中までかかり、ご飯も食べず寝ることに
今思えば、ちゃんとコミュニケーションを取っておけば良かったんですが、人は人、自分は自分と割り切った考えが沸き上がってきてしまった最初の出来事でした
結婚は人生の墓場 -第2:埋葬されるー
とは言いながら、新婚旅行やその後の妊娠などで、そんなことを忘れていて、ついに出産したあくる日、仕事上で大きなトラブルが舞い込んできました
工場の技術部署で働いていたのですが、生産現場が知らないうちに原料の大幅な変更が後6ヶ月で始まるという話が舞い込んできたのです
これは後で知った話ですが、上司が私の前任者に原料変更は大丈夫と聞いて、大丈夫と2年前くらいに聞いたからプロジェクトを進め始めたようで、原料部署とのやり取りがない、私たちが知ったのは、いざ切り替えましょうとなったときだったのです
私は即座に現場に聞きましたが、無理という返事でした。確かに、ほぼ同じ原料を原料部では取り扱っているのですが、私たちの工場では、生産能力が2倍になるという試算でした
明らかにおかしいと誰も思わなかったのか?工場に聞いたら、一瞬でわかったはずなのに??大企業の歪んだ思惑のしわ寄せが舞い込んだわけです
1年でやるような仕事を6ヶ月でやり切るために、子どもが生まれたばかりなのに、毎日午前様、遅いときは、朝4時頃までの仕事、土日はどうなってるんだという上司の電話、パートナーは実家との仲が悪くなって、自宅にいるというわけのわからない状況でした
私のポリシーとしては仕事を家庭に持ち込みたくなかったので、何をやっているのかは、言いませんでしたが、土日も会社から電話がかかってくるという事態に、察してくれたようで、何も言わずでした
ただ、逆の立場から見ると、子ども生まれたのに一人で、ずっと一人で朝から晩まで子どもを見ているという状態で、全く息抜きも出来ないし、相談もできないと、どんどん孤独になっていき、変な妄想が始まって、こんな風になっていきました
「仕事じゃなくて、遊んでるんだ」「私はこんなに辛いのに、無視する」「どうせ、仕事の方が大事ですよ」といった感じですね
こうやって色々と文句を言われた私はというと、イジメの時と同じ対処を図りました。感情の起伏を抑えて、半ば無視するような形です
アインシュタインもこう言っています「人間は生まれた時から孤独である」ということで、具体的なこと、「ご飯買ってきて、子どもと出かけてきて」などについては対応しましたが、そのすべてにいいなあ楽で、と一言付け加えてくるようになっていました
そもそもの原因である孤独をいやしてあげることをしてこなかったせいなんですね
結婚は人生の墓場 -最終:あなたは敵ー
なんとか、プロジェクトも終わり、私も別の部署に異動になりました。同じ愛知県でしたが、全く違う場所です
今までのママ友たちとも離れ、また一人になってしまったのですが、会社の業績や昇進もあって、そこは満足していたようです
ただ、3人目の子どもを妊娠したときに本当に壊れてしまいました
私が、
2人の子どもの面倒を見てくれない。仕事で帰ってこない。何を言ってもはぐらかされる。何か言ったら意見を言われる。
ということで、子どもの面倒が見れないうつ状態になってしまいました
3人目の世話はしないとまで言われました
2人目の時も育休を取ったので、3人目も取って育てました
幼稚園の子が雨の日はバス停まで送り迎えできないと言われ、いろんな保育園に掛け合って、途中入園等を繰り返して、家に一人でいる時間を作りました
ただ、どこまでやっても、元に戻る兆候はありませんでした。とにかく、毎日、私の悪い所を探して言う、何にもなかったら、過去にさかのぼって、あの時助けてくれなかったと責め続ける日常が続いていました
人生の転機
普通これくらいの状況になったら、もう元に戻らないと思いますよね
ただ、元に戻す方法があるんです。というか、昔からあったんですが、私が知らなかったのと、無くても困っていなかったからなんですね
どうして、この元に戻す方法を知ることができたのかというと、3人目が生まれた後の待遇の違いが原因だったんです
2人目が生まれた時も育休を取ったのですが、仕事内容に関わらず、給与が維持される方針を取って頂きました
育休後といえど、急に仕事復帰は難しく、また、早く帰ることも多かったですが、そこも加味しての評価をして頂きました
育児にお金がかかるのはもはや常識で、家事・育児をやった結果、仕事が低下することは当たり前だと思いますが、3人目の時は、顕著に仕事内容から給与から大きく下げられました
データ入力とかの単純作業にさせられ、その結果、同一賃金同一労働の観点から、給与が下がりました
まあ、固定費削減のチャンスが転がっていたのを拾うか拾わないかという選択だったのだと思います
ただ、こんなことをされて黙っているはずもなく、また、家族のこともあって、メンタルを勉強することとしました
コミュニケーションの本質とは?
メンターからメンタルについて学んでいくうちに、メンタルに大きく関与するコミュニケーションについて正しい知識を得ることができたんですね
アインシュタインの名言「人間は生まれた時から孤独である」というのは、孤独であることを認識して、コミュニケーションを取らないと、それはただの自己満足に終わってしまうよ、という話でした
人は孤独なんだから、どんなに人を敵対視していても、その根底は孤独だからということを理解することができるようになったんです
周囲に当たり散らしている人も、その表現方法がわからないだけで「孤独だ。助けて。」と言っているに過ぎないということを知ってから、対処する方法がわかるようになりました
実際に、家族関係も最悪な時期からは脱却して、孤独にならないように専業主婦からパートに出てもらって、改善しています
今は、これを安定化するためにコミュニケーションを活用しています
この学んだ情報を活用するために、メンタルトレーナーを始めました。実際にクライアント様からメンタル不全の原因を聞いて、掘り下げていくと、私と同じようにパートナーとの関係が悪いことが土台にあることがわかりました
というのも、仕事でストレスが溜まっているのに、さらに家に帰ってもストレスを受ける、ストレスの逃げ場が無くなって、風船が膨らみきって、割れる寸前・割れてしまったという状態で、私のとこにくるといった状態であることに気づきました
ちょっとでもよくなるなら、なんとかしたいな
私の行動原理です
別に熱意を持って、あなたを変えてやると意気込んでいるわけでもありません
ただ、あなたが夫婦仲に問題を抱えているのであれば、変化するきっかけを与えることは可能だと思っています
というのも、自分自身が経験したこともそうですが、クライアント様も治っていったという自信があるからです
ただ私が教えることは、テクニックではありません。本質です
とにかく、パートナーの話を聞いて、相槌を打っていれば大丈夫です
なんて、テクニックの話ではなく、あなたがパートナーに対してコミュニケーションするために何が必要で、それができているかということを伝えていきます
なので、即効性はないです。正直言って、即効性があって、かつ、本質原因を取り除くなんてことは、夢物語ですので、今すぐ諦めましょう
では、どれくらいやればいいのか、あなたがどれくらい生きてきたかわかりませんが、90日。これだけの時間があれば、人は変わることができます
今巷で話題になっているChatGPTですが、ChatGPTはテキストベースで5000文字程度のバックグラウンドを理解した上で運用しています。
要は、5000文字分の人生観を詰め込んで、話を作ることができるということです。そして、その文字数は使っていくと変化していくという特徴を持っているものなんです
では、人間はというと文字数が多いだけで同じ仕組みを利用しているんです。年齢によって体感時間が異なるのは、この文字容量が増えていくことに起因していると考えられています。
ただ、過去がいい思い出に変わっていくのは、この影響が大きいと思っていて、いかに人間が優れていても、このあなたの人格を作っている文字は常に書き変わっているんですね
この書き変わる速度は個人差がありますが、大体90日にと言われています。なので、あなたも90日で変化することができるはずなんです
ちょっとでも夫婦仲を良くしたい、自分が変わりたいと思ったり、なんかどうしたらいいかわからない、聞いて欲しいという方はコメント頂ければ幸いです
それではここまで読んで頂きありがとうございました
そして、今だけ私のやっている夫婦仲改善セミナーの詳しい説明などを含めて、豪華5大プレゼントをしています
有料で販売しても恥ずかしくない内容にしていますので、ぜひ確認してみてください。
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elle-p · 1 year
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P3 Club Book Yukari Takeba short story scan and transcription.
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学校で起きる怖い話
こつり。
その書きは、暗く大きな建造物の中に大きく広がり、ふっと消える。そして、また。
こつり。
まるでそれは、骨か石膏でできた心臓が発する、鼓動のよう。断続的に、一定のペースで、ゆっくりと。それが心音だと��ると、その寿命は尽きかけているのではないか?そう思わせるほど、ゆっくりと、途絶えがちにすら思える音が、こつりこつりと響いている。
そこは、昼の光の中で見れば、明るく清潔な印象を与える場所だったに違いない。だが深夜、満月もほど近い、十三夜のほの暗く青い月光のもとでは、鮮やかな若草色のはずの床はどす黒く、陽の光を思わせある真っ白な壁は死人の肌のように蒼白で、ただひたすらに---怖い。
そんな場所の、長い廊下にゆらゆらと、頼りなげにうごめくひとつの影。ゆらりと動いては、止まり、また動いては、止まる。そしてそのたびに、こつりこつりと、音が鳴る。その影は、ひとつの扉の前でふと停止した。一拍置いて、影が細く枝分かれして、扉に伸びる。よく見ると、その影は小刻みに震えていた。やがて聞こえてくる、影と同じように震える声。
「······怖くない。こ、怖くないんだからね。 ぜんっぜんちっとも微塵も怖くなんかないから。な、なによ、たかが暗いだけじゃん。つ、月明かりもあるし。あ、あは。あははははは」
人影の正体は、月光館学園2年F組、弓道部期待のホープにして、シャドウを狩る特別課外活動部員こと、岳羽ゆかりであった。
「し、シャドウと戦ってるあたしが、こんな暗闇程度でブビ······ビビッてたまるかっつーの」
勇ましい言葉に反し、ビビリまくりで、しかもきっちり噛んでいる。どうやら、目の前のドアを開けるのに躊躇しているらしい。だが、それでも、ついに彼女は意を決して腕に力を込め。
がらり。
何の抵抗も無く、ドアは横にスライドし、その室内をあらわにした。そして。
「······うみゃああああああああああああぁぁぁぁぁ!!」
壮絶な悲鳴だった。悲鳴を上げながら、ゆかりは既に10メートルは離れた場所を疾走している。悲鳴の後半がやや尻下がりに低く聞こえるのは、そのあまりのスピードによるドップラー現象が起こっているせいだ。
暗闇に取り残される、開きっぱなしのドアと、その内部の影。ゆかりに悲鳴を上げさせた元凶である、入り口脇に置かれた人体模型は、悲鳴を上げたいのはこっちだと言わんばかりに、大きく目を見開いて直立していた。
そもそもの発端は、タルタロスの探索に深入りしすぎたことにあった。満月を控え、いつもより実戦経験を積んでおきたかったこと。既に踏破済みの階層で、体力的には余裕があったこと。その他、いくつかの不幸な理由が重なり、あってはならない “事故” が起きた。
それは突然の風花の悲痛な叫びから始まる。
《これは······いけません! エントランスに戻ってっ!影時間から······弾かれますっ!!》
探索中のタイムオーバー。
誰にとっても始めての事態だった。
そのときに探索メンバーとして参加していたのは、ゆかり、順平、天田、そしてリーダー。風花の声に、全員が目を見合わせた瞬間に、それは来た。ぐにゃりと周囲の壁が歪む。一瞬で平衡感覚が失われ、高いところに放り投げられ、叩き落されるような衝撃。内臓が持ち上がり、また下がり、脳が揺さぶられる。そして気づいたときには---ゆかりはひとり、この場所に倒れていたのだ。
「ど······どこ?ここ?」
最初は、訳もわからず暗闇の中にいたが、徐々に目が慣れてくると周囲の状況が把握できるようになる。長い廊下と、壁の片面にだけ点々と存在する横開きの扉。壁の掲示板らしきボードには、「こんしゅうのもくひょう・きゅうしょくのまえに手をあらう」という文字が読み取れる。遠くに赤く光って見えるのは、たぶん消火栓の非常灯。
「学校······初等部?」
その推測は正しく、そこは月光館学園初等部の校舎内だった。以前、体育館に閉じ込められた風花が、タルタロスのいずこかへと飛ばされたことがあったが、今回はその逆転現象とも言える事態が起こったのだ。本来、タルタロス内部では、影時間が終了しても翌日の影時間へと間断なく入り込む。だが何らかの原因で、ゆかりたち4人はその影時間の流れから弾き出され、正常な状態に折り畳まれたタルタロス---すなわち月光館学園へ、バラバラに強制転移させられたのだろう。
「······とりあえず、外に出なきゃね」
事態を把握し、ゆかりは呟いた。そして、ゆっくりと身体を起し、ぱんぱんとスカートについた埃をはらう。落ち着いた、様子だった。だが実際は、まったくもって落ち着いちゃいなかった。彼女は既に、自分が大の怖がりだということすら忘れるほど、パニクっていたのだ。
そして、意識を取り戻してから十数分後、ゆかりはけたたましく喚きながら、学校内を疾走していた。その叫びは、もはや人類の解する言語ではなく、火災現場に急行する消防車のサイレンさながらである。
しかしそれでも、さすがに体力の限界が来たか、ゆかりは何階かも知れぬ階段の踊り場で足を止めた。目の前には大きな窓。冴え冴えとした光を帯びる月が、そこから見える。ガクガクと震える足を最後の力を振り絞るように動かし、ゆかりはその窓に近づいて、手をかける。窓から見える景色からして、そこが1階と2階を結ぶ階段の踊り場であることがわかり、ゆかりはぐっと腕に力を込める。
だが、窓はびくとも動かない。
その窓を隅々まで見たが、ロックに当たる機構は見当たらず、それがはめ殺しの窓であることが理解できると、ゆかりはがっくりと膝をついた。そう。ゆかりをパニックに陥らせている最大の原因が、この初等部校舎の構造にあったのだ。数年前、変質者が学校に侵入して子供を傷つけるという痛ましい事件が連続し、学校側の安全意識が大きく変化したことがある。その際、部外者を完全にシャットアウトするという目的で施されたのが、この
執拗なまでに完璧なセキュリティ体制であった。
大半の、開ける必要がない窓はすべてはめ殺しで強化ガラスが張られ、開けられる窓も内部からのみ操作可能な電子ロック式。外部に通じる扉もそれは同様で、外部からの侵入どころか内部から外に出るのも、教師によってロックが解除されないと自由にはならないという徹底ぶり。そのため、生徒および関係者がすべて下校し、完全に電源が落とされた現時点では、この校舎は脱出不能の密室と化していたのだ。
「っ······たく、か、火事でも起こったら、ど、どうすんのよ······ひぐっ」
べそをかきながらも、精一杯の虚勢を張ってゆかりが呟いた。実際には非常時に備えて、停電時でも手動で開けられる窓があったり、強化ガラスを打ち割れる特殊ハンマーが各所に設置されていたりするのだが、それを知らないゆかりには、ここはまさに牢獄であった。
だが、そこに救いの手が差し伸べられた。
《ゆかりちゃんっ!?》
心に染み渡るように柔らかな、それでいて包み込まれるように心強い声が頭の中に響く。ついに風花が、散り散りになったゆかりの位置を補足したのだ。それに対する返事は。
「もぎゃああぁythh@kwf*!!??」
先ほど以上に壮絶な、ゆかりの悲鳴だった。
《も、もう······びっくりしたよ》
「ごめん······」
おずおずと、しかしちょっと前は確実にカ強い足取りで、ゆかりは廊下を歩いた。
《あ、そこの角は右ね》
「うん、オッケー······うぎゃっ!!」
《ど、どうしたの!?》
「······は、あ、あ······だ、だいじょび、美術室の石膏像が、ちょっと······」
《あはは、月光館七不思議のふたつ目だね。“夜中にまばたきするビーナス像”》
「······やめてよ、もう······」
《最初に見たっていう “覗き込む人体型” と、さっ見た音楽室の “抜け出すハイドンの肖像画” と合 わせて、あとは“未来が見えるトイレの鏡”でコンプリートだよ。······ゆかりちゃん、トイレ行きたくならない?》
「ならないっつーの!ったく、だいたいそれでコンプリートって、4つしかないじゃん」
《それも、不思議のひとつなのかもね》
くすくすと笑う風花に、ゆかりもついつられて軽い苦笑を浮かべていた。
いまは風花の誘導で、仲間との合流地点を目指して進んでいるところだ。暗闇に一人きりという状況は変わらずとも、会話する相手がいるだけでずいぶんと心は安定する。そもそも携帯で連絡を取るということを、最初に考え付くべきだったが、それも先ほど風花に指摘されるまで、すっかりと失念していた。本当に、自分はこういうのはダメだと、ゆかりは深く自覚する。
《······本当に、ゆかりちゃんってお化けとか苦手なんだね》
ゆかりの心を読んだように、風花が言う。
「ま、まあね。カッコ悪いよね?あはは」
《ううん、そんなこと、ない。でも、なんでそんなに苦手なんだろね?》
「たぶん······ホントは、居て欲しいのかも」
《えっ?》
ゆかりの聞き取れるかどうかという呟きに、風花の軽く驚いたような声が返る。 少しだけ迷ったように間を空けて、ゆかりは言葉を続けた。
「あたし······お父さん死んじゃってるでしょ?できるものなら、もう一度話したいとか思ってる。だから、ホントに霊ってのがあるんなら、できれば······なんてね」
《ゆかりちゃん······》
ゆかりのさっぱりとした性格上、霊なんてないと否定すれば、それで済むはず。だが、そうしたくてもできない過去。その複雑な感情が、霊の存在を信じさせ、その想いに付随する形で、余計な恐怖をもたらしている、のだろう。
《あのね、ゆかりちゃん》
「ん?」
《気を悪くしないで欲しいんだけど、私は、こういう能力を持っているから、生きている人同士の心の繋がりや、それが持つ力を知っている。だからわかるんだけど······死んだら、人はそれっきり。もう、生きている人との繋がりは、そこで終わっちゃうと、そう思うの。だから私は、霊っていうものはないと思ってる》
「うん······」
《でも、だから、逆に生きている人との繋がりは、何よりも強いし、大切だと······思う。上手く、言えないけど······生きている私たちが、ゆかりちゃんの怖いこととか、辛いこととか、受け止めてあげること······できない、かな?》
珍しく饒舌な風花の言葉に、ゆかりはふっと心が軽くなったような気分になる。風花が言っていること、それは霊が存在するかどうかという議論とは、まったくピントの外れたものだったが、それでも、不思議と怖さが薄れていく。
「ま、要するにさ、 今は風花がいてくれるから、大丈夫ってことだよね?」
《そ、そういうこと、かな?》
「なによー、ハッキリしないなあ」
《あ、ご、ごめん》
「あはは、うそうそ。······ありがとね」
《······!う、うん!》
霊なんてものが、いるかいないかはわからない。でも、仲間がいれば大丈夫。それだけは、確実に実感できる。そして、それだけで、今のゆかりにとっては十分だった。
「で、 あとどれぐらいでゴール?」
《えっと······そこから10メートルくらい先の角を、左に曲がれば合流地点です。もう皆で、待ってるはずだよ》
「りょーかい!風花、さんきゅーね」
一人でいたときの怯えぶりが、まるで嘘のようにゆかりは元気を取り戻していた。いまだ、目の端に映る影が動くような気がしたり、ちょっとだけビクッとするときもあるが、すっかり恐怖は影を潜めたようだった。やがて、曲がり角のシルエットが、暗闇の中に現われたとき。
「······から、大丈夫だって······」
「······メですよ、 順平さん······に悪い······」
小さなささやき声が漏れ聞こえてきた。かすかでわかりにくかったが、どうやら順平と天田が会話���しているようである。
「順平?天田くん?いるの?」
明るい声を上げ、小走りになるゆかり。
「······しっ!」
「······知りませんよ······もう······」
順平と天田の、ちょっとばかり不穏な声は、あいにくと再会の喜びに浸るゆかりには届かなかった。そして満面の笑みで、ゆかりが角を曲がったとき、そこに見た物は。
「······!?」
懐中電灯で下からライトアップし、どこで入手したものか血糊らしきものを顔面に垂らして、白目を剥いて鬼気迫る形相を浮かべる順平のアップであった。もし、違う状況なら、こんな子供だましの脅かしは、一笑に付されて終わり、のはずだった。しかし、相手は人一倍怖がりの岳羽ゆかり、場所は学校、時間は深夜、いくつもの原因が重なり······“事故” が起きた。
「&△×○#▼□%◇$●@+☆дつ!!」
その悲鳴は、もはや超音波を超え、衝撃波とすら形容できる恐ろしいもの。だが、それに続く、男性の悲鳴は、それ以上に血を凍らせるほど悲痛な、断末魔の声だった。
数日後、月光館学園初等部の昼休み。大型シャドウとの戦いでの疲労が残っているのか、天田乾はうーんと腕を伸ばしつつ、眠そうな目で大あくびをした。そこに、ひとりの女子クラスメイトが声をかけてくる。
「ねえねえ、天田くん、知ってる?」
「ん?何?」
「七不思議だよ、七不思議。ついに七不思議が揃ったんだって。何日か前、夜中に肝試しにきた6年生が見たらしいよ。えっと······確か、“絶叫して渡り廊下を走り回る女” と “玄関ホールに浮かぶ大きな牛の頭” と “はいずり回る血まみれの男” だったかな?嘘じゃないって!ホントにホントなんだってば!」
「う、うん······知ってる······怖いよね」
返事をする天田の脳裏に浮かぶのは、数日前の惨劇。いるかいないかわからない霊よりも、誠に恐ろしいのは、生きている人間、であった。
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hiraharu · 1 year
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無造作に入れても、なんとなくすっきりまとめてくれる優れもの。
丸みのあるつまみのついたクリアでシンプルな仕上がりのキャニスター。 https://wazawaza.shop-pro.jp/?pid=168400303
ガラス製ですので食べ物の匂い移りもせず、蓋をすれば冷蔵庫で保管もできます。
<こんな使い方おすすめです。>
Sサイズは梅干しを入れたり、漬物入れにちょうどよさそうな大きさです。耐熱ガラスですので、冷たいものも熱いものも盛り付けられます。器としてスープやヨーグルトをよそったり、果物を盛り付けてみても。食卓でご飯を待つみんなの笑顔が頭に浮かんできそうですね。
Mサイズは高さがあり、見せる収納におすすめ。キッチンではショートパスタの保管に、おやつ用のキャンディーやグミ、焼いたクッキーを入れてもかわいいですね。いろんな使い道がありそうです。
キッチンでの活躍はもちろんですが、蓋を外して花器として使ったり、卓上の小物を整理するのに使ったり。何を入れてみようかなと考える時間も楽しくなりそうです。
中身が見えるのが何よりもポイント。クリアなガラスと、職人技から生み出された美しいフォルム。そのものだけでもお楽しみいただけます。お好みのサイズをお選びくださいね。
明治45年創業の小泉硝子製作所は、自社で耐熱ガラスを溶解できる国内でも数少ないメーカー。理化学や医療用途のガラス製品を中心に手がけており、現在も自社工場でひとつひとつ丁寧に職人がガラスを吹き上げて商品が作られています。
職人技から作られるガラス製品の数々は、業務用品であっても芸術作品のよう。クリアで美しく洗練された仕上がりです。
▼小泉硝子製作所 https://wazawaza.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=2758060
・・・・・・・・・・・・・・・ ▼わざわざオンラインストア https://waza2.com/
▼わざわざのパン・お菓子 https://kinarino-mall.jp/brand-2482
▼【限定クーポンが届くかも】メルマガ登録はこちら https://wazawaza.shop-pro.jp/secure/?mode=mailmaga&shop_id=PA01189522
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leon-write · 1 year
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一択から二択、二択から三択
 「ボク達の生存逃走���のイベスト全部見た。すごく良かった。めちゃくちゃグッときた。
 まふゆちゃんの置かれている状況がどんどん悪くなっていく中、瑞希ちゃんが満を持して「明確に」まふゆちゃんに働きかける、言葉を届ける、想いを伝える、というストーリーだったけど、物凄く丁寧な展開で、かつ瑞希ちゃんにとっても大切な意味があるストーリーだったな、と思った。
 あと、まふゆちゃんのお母さんの方針というか、手法が見えたのも凄くよかった。なんというか、やっぱり愛なんだなと思った。まふゆちゃんに対する愛ではある。ただ、その愛の手法が物凄く画一的で弾力のないものなんだな、と。幅もなく、狭く、そして潰しの効かない愛。もう少し突っ込んで言うと、赤ん坊や幼児に対する愛の段階で止まっている、硬直した愛だな、と。
 赤ん坊や幼児は、社会の仕組みを知らないし、危険も安全もわからない。だから、ある程度成長した子どもなら触らないであろう、沸いたお湯の入ったヤカンに触れてしまったりする。周りを確認もせず、突然道路に駆け出してしまったりする。ヤカンが熱いこと、道路には車が走っていること、そういう危険があることをそもそも知らない。知識として持っていない。だから、大人が見たら無謀なことをする。命知らずなことをする。
 だから、大人は赤ん坊や幼児の意志を無視して手を掴んでヤカンに触れないように、道路に飛び出さないように止める。どんなに触りたいと喚いても、走っていきたいと泣いても、大人は絶対に赤ん坊や幼児の手を離さない。自由を許さない。なぜなら、そこで自由を許せば、酷い火傷を負ったり、最悪の場合は命すら失うから。だから、自由を制限する。赤ん坊や幼児が怪我をしたり命を失うことがないように、と。それは愛だろう。その子の身体や命を守ろうという愛。
 まふゆちゃんのお母さんは、そこで止まってるんだなと思った。まふゆちゃんを赤ん坊と同じように扱う。まふゆちゃんに選ばせることは危険だと考えているんだろうな、と思う。まふゆちゃんにそういう選択ができるということを信じていないというか、考えてもいない。まふゆちゃんはいつまでも子どもで、赤ん坊で、判断力のない無力な存在だとどこかで思っているんだろうな、と。
 だから、選択肢を潰す。本来ならば無限にある可能性をひとつに絞ろうとしている。まふゆちゃんのお母さんが考える「確実に幸せになれる方法」の選択肢以外を全て排除しようとする。選ばせないようにする。そうすれば、まふゆちゃんが苦しむような未来への道を全て潰せると思ってるんだろうな、みたいな。
 そして、今まではそれでよかった。少なくとも、小学生くらいまではそれでも良かったんだろうなと思う。私が小学生の時なんて、粘土齧ったり、ガラスで出来たグラスを噛み割ったり、危険な高い場所によじ登って転落したりしてるから、ある程度自由を奪うことは必要だっただろうなと思う。幸いにして私は怪我したり命を失ったりせずにここまで来たけども、運が悪ければ後遺症が残るような怪我や病気をしたり、最悪死んでただろうし( ᐛ ) だから、ある時期まで自由を制限する、奪うことは子どもを守ることにも繋がってた。
 ただ、まふゆちゃんはもう高校生なわけで。そして、まふゆちゃんはとても聡く賢い子なわけで。もうそんな「とんでもなくリスクの高いこと」は選ばないくらいの知識や判断力を身につけていると思う。多少痛い思いするような選択肢を選んでしまうことはまだまだあるだろうけど、少なくとも取り返しのつかないデンジャラスな選択肢を選ぶような可能性はすごく低いと思う。粘土齧ったり、グラス噛み割ったり、高いところに登って転落するような事はしないと思う。
 それなのに、まふゆちゃんのお母さんはまだ粘土を齧るような幼い子どもを相手にするように接している。自由の制限が赤ん坊や幼児の時のレベルと変わらず、物凄く少ない選択肢にしている。他にも無数にある幸せへ続く道を潰していって、自分がこれと思う選択肢だけを選ぶようにしている。選択肢を次から次へと潰している。それは愛だけど、とても幼い愛だな、と。
 子どもがどうして向こう見ずに危険なことをするのかと言えば、知識がないのももちろんだけど、もうひとつの理由として、周りが見えてないからなんだよね。道路の向こう側にある綺麗な花しか見えてない。その道路に走っている車が見えていない。そういう狭い視野で世界を捉えているから、道路に飛び出してしまう。少し離れたところを猛スピードで走ってきている車が見えてないから飛び出す。
 まふゆちゃんのお母さんの考える幸せも、それと同じじゃないかな、と思う。たった一つの幸せへの道しか見えてない。他にもたくさん幸せへ至る道があるのに、たったひとつしか見えていない。それ以外が目に入っていない。それならば、子どもが道路の向こう側にある綺麗な花に向かって走っていくのと同じじゃないかな、と思う。とても幼い行動だな、と。
 何より、道路の向こう側にある花を走って見に行くというのは、自分の「見たい」という欲求が最優先になった行動なわけで。そこに他者が存在しない欲求でもあるわけで。尖った言い方をすれば、利己的な行為だとも言えるかなと思う。そう考えるならば、まふゆちゃんのお母さんが選択肢を潰して一つだけにする行為も、やはり同じく利己的だとも言えるだろうなと思う。「私の考える幸せ」には、他者が存在しないんだから。まふゆちゃんがそれを幸せと捉えるかという視点がないのだから、まふゆちゃんの存在がそこにほとんど意識されていないのだから、幼くて利己的な幸せ観とも言えるんじゃないかなぁ、と。
 それに対して、ニーゴの子達やバーチャルシンガーたちは、ずっとずっと「まふゆちゃんの存在」を念頭に置いて考えたり行動したりしてきている。それぞれがそれぞれに、「私はこういう方法がいいと思う」と提示しながらも、「それを選ぶのはまふゆちゃんである」というところを常に意識している。あまりに���自分の意志を無視され続けてきたせいで、自分が選択肢を掴み取る事を悪い事だと思っているかのように動けないまふゆちゃんに対して「自分から動け」と檄を飛ばすことはあっても、この選択肢を選べと強要してはいない。それは、赤ん坊や幼児に向けられた愛よりももっと段階が上の愛だなぁ、と思った。
 その人が「自分の手で幸せを掴むことが出来る」と信じる愛というか。その力を貴方は持っていると信じることが出来るというのは、相手を「無力な子ども」ではなく、「無限の可能性を持った子どもであり、人間である」と認めることでもあるのかなと思う。それはかなり発展した、進化した愛だなぁ、と。
 ニーゴの子たちやバーチャルシンガー達は、まふゆちゃんの選択肢を「増やそう」としているんだなと思った。お母さんに潰されて見えなくされていた選択肢を、これだって選んでいい選択肢だよと掘り起こして見せている。んで、絵名ちゃんの家にまふゆちゃんが行ったイベストや、前回の奏ちゃんとまふゆちゃんのお母さんが対面したイベストで、明確に掘り起こされた選択肢が「立ち向かう」という選択肢だったんだな、と思う。お母さんが示した、たったひとつだけにした選択肢を「選ばない」という選択肢。そして、その選ばない方法として「反発する」という方法を提示した。
 そして、今回のイベストでは、「選ばない」という選択肢の中にもうひとつの選択肢を掘り起こして見せた。選ばずに反発する、という選択肢だけじゃなくて、選ばずに逃げる、という選択肢を示した。それを示す役割を担ったのが瑞希ちゃんというのがめちゃくちゃに熱いな、と思った。
 今までのイベストでは、奏ちゃんや絵名ちゃんが進んでいく様が示されていた。二人がそれぞれの抱えた問題に対して、文字通り向き合っていく姿が描かれていた。
 もちろん、その描き方は二人とも違っていて、奏ちゃんはひとつひとつに向き合いながら、自分なりに納得出来る形に取り込んでいく形かなと思う。お父さんを壊した事実を見つめて、その事実に対して自分がどうしたいのか、何を願うのかをひとつひとつ考えて、自分の中に取り入れていくというか。事実を受け入れていくという感じかなと思う。そういう立ち向かい方というか。
 絵名ちゃんは、真っ向から向き合って身体全部心全部でぶつかりに行って、そこで見つけた自分の問題点をひとつひとつ見つめて改善していく、みたいな感じかなと思う。ようは、事実と向き合い戦うという手法。戦うために力をつけようとするみたいな、かなりアグレッシブな方法で立ち向かっている。けちょんけちょんにされながら、時にKOされながら、それでも震える足で立ち上がってまたぶつかりに行く形。
 形はこうして違えど、二人がしている事は明確に「向き合うこと」で。向き合い、片や受け入れていき、片や戦っていくという手段の違い。向かう先は似ているけど、そこに至る過程が違うのが奏ちゃんと絵名ちゃんなのかな、と思う。
 そこに来て、瑞希ちゃんは今までのイベストではひたすらに逃げ続けている描写がされていた。向き合うことをせず、目を逸らしたり耳を塞いだりしながら、苦しい現実から距離を置き続けている。立ち向かう描写はなく、自分が逃げているという事実ばかり浮き彫りになっていくというだいぶつらい描写が目立つなぁと思ってた。
 それが、ここで生きてきたなと思う。
 瑞希ちゃんは逃げることに関してはほかのメンバーの誰よりも上手だと思う。巧みに煙に巻いて姿をくらませて、苦痛から逃げていく。恐らく、ある意味では他の誰よりも「衝突」の経験がないんじゃないかなと思う。衝突を避けて逃げているのだから当然と言えば当然なんだけども。
 じゃあ、衝突を経験してないから苦しんでいないかと言えば、そうではなくて。逃げているというその事実にひたすらに苦しめられている。何も解決していない、臭いものに蓋をしているだけ、見たくないものに目をつぶっているだけ、聞きたくないことに耳を塞いでいるだけということを、瑞希ちゃんは物凄く理解している。蓋をしても、目を閉じても、耳を塞いでも、そこにそれはずっとあって消えないのだと痛いくらいに経験している。何も変わっていないし進んでいないと、苦しいくらいに理解している。それが瑞希ちゃんの聡さであり、悲劇でもあるなと思う。
 その場しのぎでしかないわかってしまうから、苦しいんだろうな、と。その場しのぎだということに気が付かなければ、瑞希ちゃんはきっと苦しむことは無い。これが解決策だと心から思えていれば、蓋をして目を閉じて耳を塞げば「なかったことになる」と心から思えていれば、きっと苦しいなんて思わない。自分が知覚しない場所にあるものは「存在しないものとしていい」と本気で思えていれば、瑞希ちゃんは苦痛なんて感じずに楽しく生きていられるのだろうと思う。
 でも、瑞希ちゃんは聡いから、そうは思えない。自分が知覚しないようにしているだけで、問題はずっとそこにあるということに気づいてしまう。察してしまう。知っている。だからこそ、自分はその場しのぎで楽な方に流れているだけだ、問題から逃げているだけだということに物凄く自覚的で、だからこそ苦しむ。周りに立ち向かって進んでいく人がいるから、余計に逃げ回っている自分が情けなく見えて、でも逃げることを辞めることが怖くて出来ず、立ち竦んでいる。それが、瑞希ちゃんの現状なのかなと思う。
 たぶん、瑞希ちゃんにとって「逃げる」という選択肢はあまりにも情けなく、みっともなく、どうしたって否定的にしか見れない選択肢だったと思う。力強く立ち向かっていく絵名ちゃん、覚悟を携えて進んでいく奏ちゃんの姿は瑞希ちゃんにあまりにも眩しくて、だからこそ自分の「逃げる」という行為が後ろめたく薄暗いものに見えてるんじゃないかな、と。
 だからこそ、今の今までまふゆちゃんにも「逃げていい」と言えなかった。逃げ続けた自分がたどり着いたのが「進みたいのに足を踏み出せずに立ち竦んでいる」という現状と苦しみだからこそ、それをまふゆちゃんには渡せなかった。自分が苦しんでいる道にまふゆちゃんを連れていく訳には行かなかっただろうし。
 それに対して、ルカさんが別の視点を与えてくれた。確かに瑞希ちゃんは逃げているし立ち向かっていない。それは臆病なことであるともしっかり明言された。でも、ルカさんはそれを否定するでもなく「見方を変えてみたら?」と提案した。逃げて逃げて逃げ続けたのが瑞希ちゃんだけれど、それで手に入れたものは何?と。逃げることで失ってきたものにばかり目を向けていた瑞希ちゃんに対して、逃げることで得たものに視線を向けさせた。
 そうして瑞希ちゃん���気づいたのは、逃げたことで得たものが確かにある、という事実で。それが「家」という逃げ場であり、その「家」に隠れて生き延びたことで出会ったニーゴの皆との関係だ、と気づいた。逃げずにいれば、きっと瑞希ちゃんは潰れていたし、そうなっていれば家が安全基地だと気づくことも出来ず、ひいてはニーゴの皆とも出会うことは無かったと気づいた。確かに逃げまくって来たけれど、逃げたからこそ今までどうにか生き延びることが出来て、そして大切なものに出会えた。それに気がつけた。
 否定的にしか見れなかった「逃げる」という選択肢に対して、肯定的な面が見えた。だからこそ、瑞希ちゃんはまふゆちゃんに「逃げろ」と言うことができるようになったんだろうな、と思う。選ばずに逃げてしまえ。苦しいなら逃げていい。そうして得たものがある、得られるものがあると、心から思えたからこそ口にできた。
 今の弱り果てたまふゆちゃんには、立ち向かう選択肢はかなりハードルが高くて、まふゆちゃんは怖くて選べない。でも、それを選ばないなら、まふゆちゃんの前にはお母さんが用意した選択肢しかない。どちらに行っても辛かったり怖かったりする選択肢しかない中に、瑞希ちゃんが見せてくれたもうひとつの選択肢、逃げる、が追加された。二つだった選択肢が三つになった。それって本当に凄いことだな、と思う。
 そして、瑞希ちゃんは逃げる達人だからこそ、警告もくれた。逃げ続けることはオススメしないよ、と。それを選んだ自分は今別の苦しみに囚われているから、と。だから、逃げる選択肢ばかり選ぶのはきっと辛いよとも伝えた。それでも、一時、今にも死んでしまいそうなくらい苦しい時に逃げるのは、ひとつの手段だよ、と。逃げの達人だからこそのアドバイスを贈れた。しかも、逃げる実践付きで。
 これは、選択肢の少ないまふゆちゃんにもうひとつの選択肢を用意したことと、もうひとつ大切な意味があるなと思う。それは、瑞希ちゃんが今までの自分を「肯定できた」ことだと思う。つまり、瑞希ちゃんはまふゆちゃんの救いの道をひとつ増やすと同時に、自分の救いの道もひとつ見つけたんだな、と。
 今まで瑞希ちゃんは自分を肯定的に見れていなかった。少なくとも、「逃げる自分」に対しては否定的に見ていたし、後ろめたさしか感じていなかった。そこに来て、瑞希ちゃんは初めて「逃げた自分」を肯定することが出来たんだな、と思う。情けなくてみっともなくてどうしようも無いと思ってたけど、無意味で無駄だと思っていたけど、そうじゃない部分もあるということに気づけた。
 逃げたことで生き延びることが出来たという成果に気づけたし、その経験がまふゆちゃんの助けになる可能性を見出した。そして、まふゆちゃんがそれを選ぶなら、自分は助けられるという一種の自負も生まれた。それは、立ち竦むことしか出来なかった瑞希ちゃんの新たな道だと思う。瑞希ちゃんの側にも選択肢が生まれてきた。それがすごいな、と思った。
 そして、何よりもグッときたのが、瑞希ちゃんが「責任」という言葉を使ったこと。絵名ちゃんにガチンコで向き合ってもらった時ですら「誰かがボクの事全部話してくれたらいいのに」と、自分がやらなきゃいけないことを他者に任せて逃げようとしていた瑞希ちゃんが、ここに来て初めて「まふゆが逃げることを選んだなら、それはボクの責任だ」と明言した。誰のせいにもせず、自分のところに言葉の責任を持ってきた。それってめちゃくちゃ凄いことだと思う。ここに来て初めて、瑞希ちゃんは「逃げ」を選択しなかった。責任という言葉で自分の逃げ道を塞いだ。激アツ過ぎる。
 なんてーか、まふゆちゃんを救おうとすることで、それぞれが救われていくというか、自分の問題と向き合って変わろうとしていってるな、みたいな。苦しんでいるまふゆちゃんが拙くも必死に足掻くことで、周りも頑張ろうと思えているように見えて凄く心が震えた。まふゆちゃんの頑張りが、人一倍臆病で立ち竦んでいた瑞希ちゃんに、「責任」という言葉を使えるほどの勇気を与えたんだな、みたいに思って目頭熱くなっちゃった( ᐛ )
 一方的に救って、救われての関係じゃない。一方的に助けて、それに助けられるだけの関係じゃない。勇者が無力な人を救うのでなく、か弱い人達が互いに影響し合って影響され合いながら、少しずつ成長していく関係が見えたような気がして、本当に素敵だった。そしてそこには強要はなくて。何を選ぶかはそれぞれに委ねられていて、誰かが何かを選んだなら、他の人はそれを支えようと皆が必死になって考える。誰かの選択を受け入れていく。
 それは凄く、こう、多面的でしなやかな弾力があって、強く温かい関係性だなと思った。それを強く感じたイベストだったなと思った。めっちゃ好きです、このイベスト☺️
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kisanebacci · 1 year
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いよいよ、ついについに、 四月二十一日金曜日午後府立洛南病院との 第三回目の団体交渉が設定できました 素晴らしいです。 第一回第二回の団体交渉のために出した、最初の【府立洛南病院院長殿並びに副院長殿並びに看護部長殿並びに事務長殿公開質問及び要請状】をアップしておこうと想います よーーし、ヤルゾーーーー
府立洛南病院院長殿並びに 副院長殿並びに看護部長殿並びに 事務長殿 公開質問及び要請状
 私たちは、1976年設立の精神病患者会前進友の会と申します。また、患者会が設立母体運営主体となって1988年に認可を受けたやすらぎの里作業所とも為っております。40年以上拠点としていました山科区の日ノ岡から、昨年の10月伏見区の石田大山に引っ越して参ったトコロです。貴院とは、距離にして、4キロ弱、車なら10分ほどの距離に居ります。コレもナニかの御縁でしょうか。地元であり身近であると、言えましょう。ジックリとおつきあいくださいませ。身近な患者会作業所として、貴院の医療内容の充実に微力ながら協力を惜しまない決意と覚悟でございます。     さて、身近であると云うコトは、貴院において此のたび観察法病棟を拵えて運用を始めるということに、不安に想っているなかまが多いと云うコトであります。町内会の皆様方が『迷惑施設』ができるので不安だと云うとても差別的な不安とは、全く意を異にする精神病者の精神病患者のセーカツから来る不安と云うものです。 ただでさえ我々精神病患者は『セーシン病』の『キチガイ病』の『キタナイ』は『キケン』やは『キツいキチガイ』やは『異常者』やは、『生活保護』やは、だのと、世間様から、散々に言われ続けワルう見られ続けてるのです。しかも、なんとかかんとかフツーにセーカツしていても、この町内から、アパートから、学校から、会社から、出て行けと、表裏なく言われ続けているのです。そこにさらに、上乗せで、『観察病棟帰り』の『触法精神障害者』となったら、『ハクが付き過ぎて』、『スティグマに為りすぎて』、外で暮らせなくなるのではないか、出歩けんようになるんじゃなかろうか、と、ますます、ワシ等キチガイは、暮らしにくくなる、のでは、と不安でいっぱいです。  なぜここまで不安に駆られるのか、以下理由を述べます。
 まずは15年間、この法を運用してみた結果、余りにも『自殺者』が多いと云うコトがハッキリしております。つまるところ、『内省療法』の名のもと、『認知行動療法』的手法を駆使した【心理拷問】でもって自殺を煽る医療を、『法を犯したとする精神病患者』に対し、『治療』としてやり続けてきたわけです。怒りを禁じ得ません。あり得ない、と想います。『認知行動療法』と『内省療法』でもって、自殺させるため【心理拷問】を、組織的に制度的に医療として治療として、多くの人出とたくさんの予算をつこうてやってきたのです。  クロルプロマジン換算何千ミリなどと云うクスリも使ったのでしょう。『m-ECT』とキレイ事を言って電気ショック電パチも使ったのでしょう。看護士の暴力も、鉄格子も保護室も四肢拘束五点張りも使ったのでしょう。観察法病棟の医療従事者ども、キレイ事を言うんじゃない。許さん。専門職と称する奴等が意識的に患者を自殺させるコトを目指す、ことが、果たして医療と言えるのでしょうか。怒りを禁じ得ません。「鉄格子じゃないプラスチック強化ガラスなんじゃ。看護士の暴力やない、包括的暴力防止プログラムCVPPPを実践しとるだけじゃ」などとキレイ事言いさらすなよ、ホンマに。
 我々はなかまの一人が2010年冬、観察法審判に付されると云うゲンジツを味わったのでした。まさか、本当に、一緒にセーカツしていたなかまが、コンナにカンタンに観察法審判に付されてしまうのかと、とてもとても、ビッ��リ致しました。その時に味わったことは、忘れられるものではありません。その時のことは、現代書館刊、浅野詠子著『ルポ刑期なき収容 医療観察法体制という社会防衛体制』アットワークス社刊、江端一起編著『キーサン革命宣言 精神病者のセーカツとカクメイ』にて、著述されております。ご一読下されれば、この観察法病棟の問題点と、如何にしてなかまを観察法の魔の手から救い出してきたかが、赤裸々に描かれております。  この時の苦い苦い想いから、2点目の理由として、本人にとって一番医療が必要な時に鑑定などで、時間を取られて、法的手続きのために、本人のための医療が途切れると云うコトがあります。つまるところ、本人とって必要な医療は、どのみち必要であり続けるワケで、『触法』であろうがなかろうが、ジブンの信頼している医者にかかれない、作業所に行けないと云うコトであります。この時は奇跡的にも、なかまに対して「この法による医療は必要ない」と云う審判が下されましたが、もし、入院命令、通院命令になっていたら、本人が信頼しているクリニックからも作業所からも、訪看からも、つまるところ、地域から途切れさせらてしまうわけです。本人がづうっと居続けていたクリニックや作業所やトモダチ関係と途切れてしまう、中断してしまうと云うことは、精神医療として、在ってはならない事ではないでしょうか。    3点目としてこの15年の運用実績を見てみると、ゲンジツには短期で出すと云うことが反故になってしまい、【物凄いスティグマの監察札を貼り付けた上で、社会的入院をシビアーに再生産している】だけと為っているのではないでしょうか。入院が長引いているではないですか。『社会復帰』しにくくなってませんか。平たくイャア、制度設計した時の予想より、とんでもない長期入院が増えているんじゃないですか。ソリゃあコンなゲキレツな『鑑札』貼り付けるんやもん、外で生きづらいワナ。  しかも、ゲキレツな人的資源、溢れるほどの銭を使って、他の精神医療や福祉に比べたら、余りにも、不公平じゃないですか。チカラコブの入れるトコ、入れ方、入れようが、間違っているんじゃないですかね。しかもそれをもって、「素晴らしい精神医療の実践」だとか持ち上げて、濃厚で人手とゼニをつこうたスッバラしい精神医療をやってみたかったんだとばかりに、『反対派医師改革派医療従事者』が『賛成派推進派』に回っている、と云うのがアサマシいほどの真実じゃないですか。  そちらの院長副院長の名前を聞いて腰をぬかしましたからね。一応は『改革派』ダッタんですよね。副院長様ナンカ、前進友の会の二泊三日の海水浴の夏レクに一緒に行った仲じゃないですか。此の頃は貴院からもたくさんの入院患者さんが参加されていました。みなさん、ドウ過ごされているのでしょうか。あの頃丘の上の方の二階建ての病棟が上も下も全開放で、愉しかったデスがね。  当会の江端君なんか、ソチらの副院長様吉岡隆一はんとは一緒に夏レク行くは、京都滋賀精神医療人権センターで一緒に結構長く活動してるはで、一体全体、ドウなっているんだと、ドウしたんだと、アタマ抱えていますよ。府立洛南病院と言えば、元々『プシ共闘』の拠点病院で、『改革派医師』の中でイカツく闊歩していたのは、モハヤ過去の歴史の一ページにも為らんと云うトコでしょうか。時代があまりにも早く移り変わって、とかく精神医たちの『変わり身』の速さには、コチとらついていけませんよ、それで、当会の江端一起君、確か90年代後半から02年ころまで、松本院長を主治医として外来に罹ってた、観察法病棟が在るトコに自分の記録やカルテが残ってるのはオソロシクてしようがない。グアイワル為る、カルテを廃棄してくれと、言っていますよ。ひょっとすると、貴院に罹ったことのある患者さん、みんなコウ云うフウに想って恐怖しているかもしれませんね。酷いコトだ。
 4点目として、そもそも、『再犯予測』なんて、出来るハズもないのに、ソンなことは出来ないのに、イロイロリクツをこねくり回して、『学会ごっこ』しているうちに、『池田小事件』利用して、ナンダカ勢いでやっちゃったから、コンなザマナンじゃないですかね。事件の利用の仕方がズル賢いですよ。ナンかの事件が大々的にマスコミにのっかる時、次はナニが出て来るのかと、ホンとシンパイですよ。
 5点目、医療観察法を適用する前から、アンタ等が使えるモノはイロイロアッタではないですか。措置入院も医療保護入院もあったではないですか。任意入院ですら退院制限できる制度設計になっているじゃないですか。警察官通報も検察官通報もナンでもアリだ。ホンのチョットしたことで、ケーサツが来てパトカーで精神病院連れていかれて、家族に連絡されて医療保護入院じゃないですか。刑事裁判で執行猶予が確定するまでの二週間の間、司法では身柄を拘束できないって云うんで、検察官通報と措置入院をまっことベンリに使うているじゃないですか。『司法と精神医療の相乗り』デスな。
 6点目、『司法制度と精神医療の相乗り』と云えば『保安処分』と云うコトバをつかわなくても、そもそも、心神喪失者医療観察法って、憲法の禁ずるところの特別法廷に為っているンじゃないですかね。しかも、一回の審判で決まってしまう。傍聴も出来ない、まるで密室の暗黒裁判やがな。それで、控訴も上告も出来ないんやから、全くの再審の機会がないわけヤカラ。だから、そもそも、その犯罪行為にかかわったかのどうかチャント判断できなくで、冤罪かどうか判断できないもんで、ジッサイのトコロ『真犯人』名乗り出ちゃって、無関係と判明と云う事件この15年で何件もなかっですかいの。コレぞホンマの暗黒裁判ではないですか。無罪か有罪か、証明できない上に、だからこそ、冤罪の場合国家賠償スラできないときた、しかも、ヤリ方によっちゃ、『司法制度と精神医療の相乗り』のくせに『精神医療の麗しき治療』であると言い募って、実質、『遡及適用』出来る上に、『時効』も『一時不再理』も無いときた、うまく出来た制度ですよ、ホンと、コレぞ【ヂゴクの暗黒裁判】だ、コレチャントした刑法学者はんや憲法学者はんや弁護士はんたちは、問題にし続けないとならないのではと、想います。
 ココまで書いて、長すぎちゃって、質問の趣旨や、要請の趣旨が分からないナンて言われちゃうと、うまくナインで、質問趣旨、要請趣旨を箇条書きにしておきますので、まずは、文書でもって九月二十日までに返事を下さいね。宜しくお願いしますよ。
①一度、前進友の会と、会って話しが出来ませんか ②観察法病棟を運用するツモリですか ③ソレは何故ですか ④予定されている年間予算はお幾らですか ⑤『観察法病棟帰り』と云うスティグマを生みませんか ⑥この法15年の実績の中で『自殺者』は何人に為っているのでしょうか ⑦『自殺者』が多い原因は何だと考えていますか ⑧『多剤大量投薬』を実施しますか ⑨『内省療法』を実施しますか ⑩『認知行動療法』を実施しますか ⑪『鉄格子』『保護室』『四肢拘束』『看護士の暴力』を実施しますか ⑫『m-ECT電気ショック電パチ』を実施しますか ⑬この法15年の実績の中で最長入院年数はどのくらいですか ⑭長くなる原因は何だと考えていますか ⑮本人の希望する或いは信頼する医療福祉環境から断絶することをドウ考えていますか ⑯現代書館刊、浅野詠子著『ルポ刑期なき収容 医療観察法体制という社会防衛体制』を読みましたか ⑰アットワークス社刊、江端一起編著『キーサン革命宣言 精神病者のセーカツとカクメイ』を読みましたか ⑱『再犯予測』は出来得るとのお考えですか ⑲司法制度ですか精神医療制度ですか ⑳そのように考えるのは何故ですか ㉑副院長が当会の夏レクに参加していた事実はありますか ㉒副院長が京都滋賀精神医療人権センターの活動に参加していた事実はありますか ㉓何年間活動していましたか ㉔その間『処遇困難者専門病棟』構想に反対していた事実はありますか ㉕当会会員江端一起の記録やカルテは残っていますか ㉖本人の希望により廃棄処分とすることは可能ですか ㉗観察法病棟を運用前に見学することは出来ますか ㉘観察法病棟を運用中に見学することは出来ますか ㉙『保安処分』をドウ考えますか ㉚この法による患者の『自殺』は『治療』の『成果』と考えているのではありませんか、ドウなんダ ㉛府立洛南病院が果たしてきた役割と歴史を、現在の幹部諸君はドウ考えているのか 2020年8月13日   精神病患者会前進友の会  押印      やすらぎの里共同作業所  押印 
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sakanafromhell · 1 year
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かつて世界中で流行した幸福について (3333字)
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 7年前、突如としてこの世界から12月24日が消失した。  冷静に考えれば、我々が失ったのは365日のうちの1日でしかない。  とはいえ12月24日だ。多くの人々にとって特別な意味を持つ、替えの効かない日。  巨大な喪失感が深夜の歯の痛みのような冷酷さで世界中に染み渡った。  しかし予想外の早さで痛みが引くと、嘘みたいに忘れられた。  今ではもう、12月24日を誰も憶えていない。  そして今年も12月23日の夜がやってきた。  服を脱いだ彼女は、カーテンも閉めずに窓辺に立っている。  冬の夜空には星々が正確に配置されていて、ガラスに映った彼女ときれいに重なっている。下着姿の星座みたいだ。脱ぎ散らかした服を足でどかして、彼女は4000円ちょっとの情けないサンタの衣装に身を包んだ。彼女の全身からばちばちと音を立てて蒼白い光が放たれる。 「今年も美しいな」 彼女は真面目な顔で言った。「私は」 「異論はありません」 僕は少し笑う。でも彼女と安っぽい衣装とのあいだには、歴史上一度も起こったことのない化学反応のようなものを感じる。 「気分が良い」 彼女は微笑んだ。「プレゼントは私だよ。などと冗談を言いたいくらいには」 「それは楽しみ」  じつは僕も、彼女へのプレゼントを隠し持っている。  だけどそれを渡すのは24時間後の話だ。  彼女はこれから、たった一人で失われた12月24日に忍び込むのだ。
 もしかすると12月24日が失われたことよりも、サンタクロースがいなくなったことのほうが大きな事件だったかもしれない。7年前に起こった12月24日の消失は、同時にサンタクロースの消失でもあった。  だから12月24日が失われた最初の年には、子供たちにはプレゼントが一つも届かなかった。  ただでさえ暗い世の中にあって、子供たちの悲嘆に暮れる声というのは、あまりにも痛切に響く。体調を悪くする者も多かった。  そこで大人たちは協議の末、毎年25日になると、自分でこっそり用意したおもちゃをサンタクロースからの贈り物であると偽って、子供たちの枕もとに置くことに決めたのだ。  これが思いのほかうまくいった。  子供たちはその嘘をすっかり信じたし、大人たちも子供のために内緒でプレゼントを選ぶという楽しみを得た。  なぜ今までこの方法をとらなかったのだろう?  世界中の子供たちのプレゼントを、サンタクロース1人に任せていたことのほうが異常だったのではないか?  思うに、これは12月24日消失後の世界で、ほとんど唯一の良い方向への変化だ。  そもそも7年前に世界は終わりかけていた。悪意のぎっしり詰め込まれた出口のない箱のようだった。大がかりな戦争と個人的な戦争ばかりがそこらじゅうに転がっていた。そんな時代のさなかに12月24日は失われたのだ。最後のともしびが消えたかのように。  けれど少なくとも今では、大人は子供たちのためにプレゼントを贈るようになった。  世界は少しずつ良くなっていく。  それは僕の個人的な祈りでもある。  僕自身の生活はこの7年、少しも好転しなかった。毎日毎日、ほとんど寓話的といって良いような、つかみどころのない戦闘を強要され、ぼろぼろにすり減っていくばかり。自分がどんな目的で、どの方向に進んでいるのかもわからない。  でもきっと、それは僕だけに与えられた苦難じゃない。  誰だってそんなものだし、彼女の7年間だって似たようなものだったと思う。  なにしろ彼女は7年前に自分の名前をなくしてしまったのだ。  7年前の12月25日。 「次のサンタクロースは私なんだって」 僕の横で眠っていた彼女が跳ね起きて言った。「サンタクロースって啓示によって選ばれるものだったんだね。ぜんぜん知らなかったな」  起き抜けのキュートな寝癖を直しもせずに、彼女は犬みたいに目をらんらんと輝かせていた。  12月24日が消えた翌日。  世界中がショックに打ちひしがれている真っ只中のことだ。 「啓示? きみが次のサンタクロース?」 僕は寝ぼけていた。「じゃあ衣装を買ってこないと。ミニスカのやつを」 「そうだよ、早く買いに行かないと!」彼女はベッドから飛び降りた。「26日になったら、あんなのどこにも売ってない!」  僕たちは近所のドン・キホーテでサンタクロースの衣装を購入した。4000円ぐらいの。ぺらぺらの生地の。ばかみたいなミニスカートの。てっきり僕は、僕たちのマンネリ打破のためにそれが買い求められたのだとばかり思っていた。  だけどサンタクロースの衣装を着た彼女は、本当にサンタクロースになってしまった。 「私がプレゼントを配るのは、この世界の子供たちに対してではない。失われた12月24日に閉じ込められてしまった、幻の子供たちのために配るのだ」  彼女は政治家の物真似みたいな表情と口調で言った。でも、ふざけているにしては、あまりにもその衣装は似合っていたし、あまりにも説得力を持ちすぎていた。  そして本当に不思議な話だけど、サンタクロースになった瞬間から、彼女は自分の名前をすっかり忘れてしまった。  誰にも彼女の名前を思い出すことはできなかった。  僕にも思い出すことはできなかった。  役所で取り寄せた彼女に関するすべての書類の氏名欄には、「12月24日」 とだけ記載されていた。  サンタクロースの衣装を着た彼女は、世界中でただ一人、12月24日に侵入することを許された。といっても僕たち以外の誰もそのことは知らないし、12月24日はいまや彼女の中にしか存在しない。  幻の街の、幻のクリスマス。  そこで彼女は、幻の子供たちに幻のおもちゃを配る。  幻の笑顔。  幻の幸福。  幻の12月24日。  かつて世界の一部だったもの。  すべての子供たちに一晩かけておもちゃを配り終えると、彼女はようやく現実の12月25日に戻ってくる。眠っている僕のベッドにもぐり込む。サンタの衣装のまま僕に抱きつく。  幻みたいに冷えた彼女の体。  彼女も僕も、それぞれの世界でぼろぼろに傷ついている。 「12月24日は正確に保持されている」 彼女が僕の腕の中で言った。「夜空に星が正確に配置されているのと同じように」 「お帰り。今年もお疲れさま」  彼女はちょっとだけ微笑んで、そしてすぐ目を伏せた。 「この世界には罰が与えられたのだと思う」 「罰?」 「人々の考える幸福というものが、あまりにも一面的すぎたのだ。あるいは、幸福になるための手順が複雑になりすぎた。結果として、幸福になりたいのか、不幸になりたいのか、誰にもわからなくなった。幻みたいな幸福を奪い合って、世界は大小の戦いに埋め尽くされた。その罰として12月24日が取り上げられてしまった」 「酷いことをする奴だ」 「誰が?」 「誰もが」 「誰もが。そう、たしかに。私もそう思う」 彼女のため息が僕にかかる。「私は12月24日をもとの場所に戻したい。この世界に〈12月24日〉をプレゼントしてあげたいんだ。それがサンタクロースとしての私に課せられた仕事なのだと思う。やり方はまだわからないけれど……その日が来るまで、私は幻の12月24日を管理し続けなければならない」 「大変な仕事だ」 「だが私にしかできないことだ」 「その覚悟は立派だと思うけど……でも、きみは誰からもプレゼントをもらわなくて良いの?」 「サンタクロースはプレゼントをもらわない」 「そんなことはないよ」 「誰がくれるんだ」 「僕が」 「きみが? 私に? どんなプレゼントを?」 「何でしょう」 「愛かな」 「愛だよ」 「それはもう、もらっている」 「愛のほかにも」 「何をくれるの」 「きみの名前」 と僕は言う。「きみの名前は、7年前の12月24日に飲み込まれてしまった。僕は7年かけてそれを掘りおこしたんだ。僕にしかできない仕事だ」 「私の名前を?」 「そう」 「私はなんという名前だったの?」 「イヴ」 「イヴ」 彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。「ちょっと出来すぎな気がする」 「僕もそう思う」 「でも嬉しい」  イヴは僕の首筋に顔を埋めた。  イヴのなめらかな脚の感触が伝わってくる。  そのとき、少なくとも僕たちのあいだには、誰にも恥じることのない幸福があったんだと思う。世界は少しずつ良くなっていく。貧しくても、何もかもがうまくいかなくても、悲しいことばかりが起こっても、僕たちはこうして少しずつ、世界をもとに戻してゆけるのだ。
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