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#留椀
niioka · 1 year
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foucault · 1 month
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店は暑気払いで20日も休んでいます。明日からまた通常通り店を開けます。ご寛恕ください。
写真は、先月末奈良へ行った際に久しぶりに訪ねた「塔の茶屋」にて。塔の茶屋は『工芸青花』17号でも特集された、「無窮亭」河瀬虎三郎ゆかりの店ですが、以前は興福寺五重塔のすぐ裏手、え、ここ、公園というか寺域だよなあ、と思うような場所にありました。会社員のころは年末になると大和文華館の裏手にある義祖父の家に滞在し、夕暮れどきに皆で訪ね、春日大社への参拝者が静かに砂利踏む音を聞きながら懐石をいただくのが楽しみだったのですが、ならまちちょっと外れたあたりに移転されてからは初。
また伺いたいな、とこのところずっと思っていたのは、昨年末、honograの小松さん @akenosora8 とお酒を飲んだことがきっかけでした。店を営むにあたって、やることは決めていないけれど、やらないことは決めている、といった話が、ロラン・バルトの「私は好きだ、私は好きでない」みたいに、好き/嫌いをつらつら書き立てる楽しさってありますよね、などという話へ移りゆき、小松さんが、『無窮亭 数寄書留 竹柏のしづく』にもやはり「スキ・キライ」が記されているから、お持ちでなければ一冊お譲りします、という流れ(……ですよね?)でご恵与いただいていたこともあり、そこに記された「キライなもの」への共感から、あらためてまた行きたいな、と思っていたのでした。
最近は海外からの旅行客が多いようで、日取りの電話をした際には、団体さんがいらっしゃっているので、お帰りになってからの時間、簡単なしつらえでよければ……とのお返事でしたが、伺うと軸は「銅燈薹銘 并序 弘仁七載歳…」で始まる、興福寺国宝館に納められている燈籠火袋羽目銘文の拓、床には薄板を敷き、土師器の壺に野の花添えて、奈良らしい様子。懐石も先付・向附・煮物椀から、すっと飛んで鉢肴・茶がゆに甘味という軽めの流れでしたが、いずれも無駄なく(まさにキライなものなく)結構、老婦人からお話なども伺いつつ御酒もいただけて、���のしい一席でした。また伺いたいです。
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catonoire · 6 months
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「オリエントへのまなざし -古代ガラス・コプト織・アジア陶磁-」展
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早稲田大学 會津八一記念博物館で「小野義一郎コレクション オリエントへのまなざし -古代ガラス・コプト織・アジア陶磁-」展を見る。西アジアの古代ガラスやイスラーム陶器、エジプトのコプト織、東南アジアの陶磁など約80点が展示されている。古代ガラスはこれまで見る機会が多少はあったものの、まとまった数を見るのは初めて。コプト織はまったく未知の領域。東南アジアの陶磁も、散発的に見たことならあった気がするけど……という程度。そんな自分にはおあつらえ向きの企画展で、新鮮な鑑賞体験ができた。また、たとえば古代ガラスだと、ガラスの歴史を通観する展示のなかで見るのと、考古資料の展示の一環として見るのと、古代ガラスだけを集めた展示で見るのとでは、見えかたが違ってきたり、ひいてはそこから気づくことも違ってきたりする。同一ジャンルに属する文物を異なる文脈で繰り返し見ることができるのは幸いである。
さて、メインビジュアルに採用されているのは、ガラスの面カット装飾浅鉢。サーサーン朝時代、4〜6世紀、イランあたり。この下の自分の撮った写真より、上の展示室風���のビジュアル写真のほうが装飾がいくぶん見やすいかもしれない。
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円形切子装飾椀。サーサーン朝、5~7世紀、東地中海沿岸。全体的に黄白色なのは風化のためで、本来は淡緑色の透明ガラスとのこと。円形にカットされた装飾が確認できる。風化した風情も正直なところ好きなのだが、「いまでこそ経年変化で時代がかった見た目になっているけど、作った当時は古色はついていなかったのだから、元の姿を想像しながら見よう」と思いながら(心の目で)見るよう努めた。
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次の2点はイスラーム時代のガラス。左は12~13世紀、シリアかエジプト、マーブル装飾扁壺。文様がちょっとラテアートっぽい。右は型吹長頚瓶、11~12世紀、イラン。香水を散布するために使われたもの。10世紀ごろ蒸留技術が確立してバラ水などが普及したことから、このようなガラス製品が作られたものと見える。
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ローマ時代のミルフィオリ・パテラ形杯。前1~1世紀、東地中海沿岸。棒ガラスを組み合わせて金太郎飴のように輪切りにして文様を作っている。
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これもローマ時代、型吹双面瓶、1世紀後半〜2世紀、東地中海沿岸。微笑んでいる顔と怒っている顔が型吹きの技法で作られている。
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前期青銅器時代、紀元前2300~前2000年ごろの土器、掻落彩文杯。シリア北西部で出土したもの。直線や波線の文様はヘラのようなもので掻き落として作られている。
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ラスター彩人物文鉢。イラン、セルジューク朝時代、12世紀後半〜13世紀前半。2人の女性が描かれている。
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藍釉鉢。イラン、セルジューク朝時代、12世紀後半〜13世紀前半。
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色絵金彩鉢。イラン、セルジューク朝時代、12世紀後半〜13世紀前半。花のような太陽のような星のようなものが描かれている。白釉の上に藍彩で下絵付けをして焼成し、その上に色絵金彩で上絵付けを施す、ミナイ陶器と呼ばれるタイプらしい。
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コプト織は、エジプトの遺跡から出土する染織��の総称で、必ずしもコプト教と関係があるとは限らない。下の2点は6~7世紀のコプト織で、左は踊る女たち、右は馬に乗る男の図柄。
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10~11世紀の幾何学文のコプト織。
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左は4人の聖人が並んでいる図柄、7~8世紀。右は5~6世紀、幾何学文だが、ふたつの四角形を組み合わせた形はキリストの十字架を表現したものらしい。そして貴重な染料で紫色に染められている。
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蕾モチーフのコプト織、6~7世紀。蕾のモチーフはコプト織でとても好まれていた由。
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クメール陶器、黒褐釉象形壺。12~13世紀。壺の高台が象の4本脚になっていてかわいらしい。象は背中に宝珠のようなものを背負っている。
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クメール、12~13世紀の黒褐釉線文壺。黒褐釉の平壺はクメール陶器の典型のひとつだそう。
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クメール、11~12世紀、施釉刻線蓋付高坏。須弥山を模したと思しきこの形もクメール陶器の特徴とのこと。アンコールワットなどのクメール建築とも相通じていておもしろい。
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ベトナム、14世紀、鉄絵草花文椀。ベトナム産の鉄絵陶器は日本の大宰府などからも出土しているとか。海外へ輸出するために数多く生産されたらしい。
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ベトナム、15世紀、青花神獣文瓶。獣類の長である麒麟と鳥類の長の鳳凰が描かれている。
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タイ、14~15世紀、青磁刻線文双耳小壺。小さくてかわいいやつ。
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タイ、15世紀、白磁鳥形水注。
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タイ、15~16世紀、白・黒象嵌瓶。象嵌する土と胎土とでは耐火度や収縮率などが異なるため、ひび割れたり象嵌が剥がれたりしないためには高い技術力が必要だとのこと。つまり下の写真の陶器は手練の作なのだろう。
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伊勢丹新宿店 Babaghuri Table 杉田明彦 展 12/13(水)〜2024年1/2(火)
金沢を拠点に制作を続ける杉田明彦氏。 漆塗りの技法を基として生まれる、独自の表情。 白漆の丸盆は、シンプルな実用のかたちのなかに、まるで抽象絵画のような風情を持ちます。 ほかにも椀や皿、折敷など、和に留まらず様々な食卓のシーンに寄り添う、杉田氏の漆のうつわが揃うこの機会にぜひご覧ください。
伊勢丹新宿店 本館5階 インテリア/ババグーリ お問合せ:TEL 03(5361)7140
Photograph by Shoji Onuma
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kinemekoudon · 2 years
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【7話】 「大麻所持は不起訴を狙える」と弁護士に助言されたときのレポ 【大麻取り締まられレポ】
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居室で天井を眺めていると、留置官の一人が「5番、病院に薬もらいに行くから出て」と言うので、留置官が鉄格子の扉を解錠した後、僕は居室から出て便所サンダルを履き、留置官の後をついて留置場の出口まで歩いて行った。
留置場の出口の前には留置官が2人待機しており、出口まで案内してきた留置官が「身体検査ーッ!」と大声で号令をかけると、待機していた2人も「「しんたいけんさー!」」と大声で復唱し、3人によって身体検査をされる。
検査が終わり、留置官の1人が「身体検査ーッ、異常なしッ!」と大声を出し、もう2人も「「しんたいけんさー!いじょーなし!」」と大声を出すと、僕は手錠と腰縄をかけられた。
それから、解錠時の号令の後に大扉が開かれると、大扉の先には4人の刑事が待機しており、1人の刑事に僕の腰縄が受け渡される。大扉が閉まると、今度は刑事たちによって再び身体検査が行われた。
検査後、4人の刑事に囲まれながら、エレベーターに連れて行かれると、腰縄を握った刑事が「壁を向いたまま、奥の右角に立って」などと言うので、僕はそのように立った。
エレベーターが地下1階につくと、今度は「ゆっくりと時計回りで前を向いて」と指示をされたので、僕が時計回りに身体を動かすと、背後で腰縄を握っている刑事も、僕の背後をキープするように時計回りに動いていた。
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それから刑事らに連れられ、警察署の地下にある薄暗い駐車場に出た。目の前には、一般車両のように見えるミニバンが停まっており、その奥には15人程度の警察官が並んで立ち、こちらを見張っていた。
前に2人の刑事が乗り、僕は残りの2人の刑事に挟まれる形で後部座席に乗ると、車は警察署を出発し、病院へと向かった。移動中、運転していた若い刑事が「ほんとは大麻やってたんでしょ?」などと聞いてきていたが、僕は「本当にやってないです」などと条件反射のようにシラを切っていた。
しかしその刑事は、その後も何度も尋問してきたので、「ここで取り調べしても、調書に残せないんで意味ないと思うんですけど」などと鬱陶しげにぼやくと、助手席に座っていた中年刑事が「たしかに意味ねぇからやめろ」などと言ってケラケラ笑っていた。
病院に着くと、手錠と腰縄をつけられたまま、病院の裏口から診察室まで連れて行かれ、問診が始まる。医者は、僕が睡眠障害を患っていて、娑婆では睡眠薬を処方されていた旨を刑事から聞くと、「処方されていた睡眠導入剤は何ですか?」と僕に尋ねてくる。
当時、僕は本当は睡眠薬を処方されていなかったが、「マイスリーです」と過去に飲んでいて好きだった睡眠薬の名前を答えた。続けて医者は「何ミリですか?」と聞いてきたが、僕は何ミリだったかは忘れていたので、「一般的な容量だったと思います」などといい加減に答えた。
しかし医者は訝しがることもなく、「5ミリか10ミリですが…では一応10ミリで出しておきますね」などと気前のいいことを言っていたので、僕は図に乗って、「あと、一応デパス0.5ミリもお願いします」などと言って、ついでに抗不安薬もゲットしておいた。ちなみに医療費はタダであった。
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警察署に着き、留置場の自分の居室に戻されると、ちょうど夕食の時間である18時前になり、留置官が各居室をまわって、食事をする際に下に敷くための丸めたゴザを配っていく。
鉄格子には“配膳口”と呼ばれる、廊下側に開き、そのまま物を置く台となる仕組みになっている小さい扉があり、食事等々の物はこの配膳口を介して受け渡しされていた。
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ゴザを敷いて待っていると、留置官でない一般のおじさんが配膳カートを押してやってきて、各居室にプラスチック容器に入った冷たい弁当と箸を配っていく。続いて、留置官がやかんを持って、各居室にプラスチックのお椀にやかんから味噌汁を注いでいく。
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僕はゴザの上に弁当と味噌汁のお椀を置くと、まずは味噌汁をすすってみる。味噌汁の味はかなり薄く、味噌汁というより味噌風味のお湯が適当だと思う。続いて弁当を食べる。
この日の弁当の中身は、主菜として“塩味の低級豚肉の切り身1枚”とその下に申し訳程度に敷いてある“ほんのりケチャップ味のするスパゲッティ”、副菜として“大豆と千切りされたこんにゃくを異常にしょっぱく和えたヤツ”とその隣に“半分以上片栗粉の餡が占めている肉じゃが”、お新香として“桜大根少々”に、白米であった。
弁当のおかずは全体的に味が薄く、白米が進まなかったが、食べている途中で配膳口から醤油とソースが入れられたので、豚肉に醤油をかけて無理矢理味を濃くして白米と一緒に食べた。
弁当と味噌風味のお湯を完食し、空の容器とお椀を配膳口台に置いておくと、一般のおじさんと留置官が勝手に回収してくれた。回収が終わると、一般のおじさんが、味噌風味のお湯が入っていたお椀にお茶を入れてまわっていたが、お茶もお湯寄りの味だった。
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食事が終わると、僕は床にごろんと寝転がった。ぼうっと考え事をしていると、そういえば職場に出勤の連絡をしてから、パッタリ連絡が途絶えている状態になっていることを思い出し、慌てて近くに居た留置官に外部との連絡手段はあるかと尋ねた。
留置官は“警察の検閲を介して手紙を送る”か“弁護士伝いに連絡を取ってもらう”しか方法はないと言う。しかしそうなると、病院に行く前に来ていたヤブ弁護士は追っ払ってしまったので、手紙の手段しか残されていないことになる。
僕は留置官に頼んで、便せんと封筒、切手を購入し、父親宛に『突然だけど、大麻取締法違反の容疑で捕まったから、会社の人には「詳しい事情は私も分かりませんが、息子は知人のごたごたに巻き込まれ、冤罪で捕まっているようです」みたいなこと言っといて』という趣旨の文章を綴り、留置官に渡した。手紙が届くのは最短で明後日になるそうだ。
手紙を渡した後、(一般的な日本人は、仮に不起訴になったとしても、逮捕されて留置場に入ってたってだけで犯罪者と誤解するんだろうな…)などと少し悲観的な妄想をしていたが、(不起訴なのに解雇するのは不可能だろうし、悪びれず堂々としていればいい)と気を持ち直し、一旦、未来のことを思案するのはやめておいた。
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それから、本を読んで時間を潰していると、就寝時間の1時間前、20時になり、ボールペンと本が回収される。また、20時30分になると、就寝準備のため、居室から歩いてすぐの場所に布団置き場から順番に自分の布団を居室に運び、歯磨きを行う。
運んだ布団を広げようとしていると、突然、留置官が「5番、接見。当番弁護士さん」と言う。僕はなぜ当番弁護士が来たのか分からず、「弁護士ですか? 今日断ったんですけど、どなたですかね?」と聞いたが、留置官は「分からないけど、とりあえず行って。これ、ボールペンと便せんね」と言い、僕を面会室へ連れて行く。
面会室のドアを開けると、その当番弁護士はすでに椅子に座って待っていた。弁護士はロバートの秋山似の顔で、ずんぐりした体型をしており、前に来た弁護士とは対照的に、野暮ったいスーツを着ていた。
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お互いに挨拶を済ませると、弁護士は「今日、当番弁護士が来たと思いますが、その人がこの件について『弁護士倫理に反する案件だったので、お断りしました』というメッセージを残していて、私は次の当番として待機していたんですが、どういうことか気になって来たんです」などと言う。
僕はこの弁護士に期待できる気がして、『前の当番弁護士に、「売人と友達の3人で共謀の上、大麻を所持した容疑で捕まったが、大麻は売人の車に放置された状態で見つかっており、他の証拠は見つかっていないはずなので、罪を犯しはしたが不起訴を狙いたい」と話したところ、弁護士倫理に反すると言って、引き受けを拒否された』という内容を詳細に伝えた。
弁護士は僕の話に真剣に相槌を打ちつ��、事件の内容をメモに残し終わると、「はーなるほど。それは前の弁護士が悪いですね」とはっきり言い切っていた。僕はその言葉を聞き、胸のすく思いがして、「そうですよね!いやーよかったです」などと少し興奮しながら応える。
弁護士はさらに、メモを確認しながら、「うん、なるほど…。こう言ってはなんですけど、おもしろい事案ですね。たしかに、これは不起訴を狙えると思いますよ」と嬉しいことを言うので、僕は「ありがとうございます!ちなみに、不起訴勝ち取れる確率は結構高そうですかね?」と意気揚々と尋ねると、弁護士は「まあ、50パーセントですかね」と言っていた。
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つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
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kachoushi · 2 months
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招待席
撰集6月号巻頭
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巻頭の言葉
村山 要
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巻頭の言葉
村山 要
内裏雛母の昔を知つてをり 汁��に蛤うすあをく沈む 白酒を舐めしときより左利き
 子供の頃から人形遊びをした記憶が無く、雛祭にも特別な想いはありませんでした。段飾りの前で正座している写真が残っていますが、それは父が迎留中の戦後まもなく、人形店内も雑然としていた中で母が一式揃えてくれたものです。お内裏様が下段の人形より一回り大きかったのもそのせいだとか。いつからか天袋に仕舞われたままだったのが私の晩婚の理由かもしれません。  娘の初節句には、そんな母を説得して奈良の一刀彫の立雛を贈ってもらいました。当の娘はあまり興味を示さず成長し独立、今では私が自分自身の為に毎年飾っては悦に入っています。  「雛」の例句は情を感じさせるもの��殆どで私には苦手な兼題でしたが、近頃は星野立子の〈雛飾りつゝふと命惜しきかな〉の世界にも惹かれるようになりました。  何とかまとめた三句を選んで頂き、ありがとうございました。
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bearbench-tokaido · 6 months
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五篇 下 その四
東海道を離れ伊勢の参宮道に来ている弥次郎兵衛と北八。 雲津の旅館に泊まる。
旅館の亭主である胡麻汁が女中になにやら言って部屋を出て行くと、残った女中が側で給仕をしてくれている。 弥次郎兵衛が、 「まんざらじゃねえ。」 と言うと、北八が、 「いい女だ。しかしここじゃあ、お前が先生だし。おとなしくしておこう。」 と、自分の膳を見てみる。 膳の上には平たい椀がありそこには、コンニャクが盛ってある。 その手前には、みそが入った小皿がある。 さらに奥のほうに大福餅ぐらいの大きさの黒いものがのっている。
二人は箸を手に持ったまま顔を見合わせ、弥次郎兵衛が小声で、 「おい、北八。この皿にある、丸いものは何だろう。」 と、箸で指し示す。 「そうだな。なんだろう。」 と北八は、箸でつついてみる。 その感触ではどうやら硬そうで、とても箸でつかめるほどではない。 よくよく見ればどうも、ただの石のようだ。 二人は、びっくりして、 「こりゃ石だ。」 と、北八が言うと、 「な、なに。石なものか。のう、女中さん。」 と、弥次郎兵衛が、近くにいる女中に問いかける。 女中は当然のことのように、 「それは、石でございます。」 と言うと、北八が、 「それみろ。」 と、言って自分の前にある石を突いてみる。 いっこうに食べようとしない二人に手持ちぶさたの女中は、 「コンニャクのおかわりはどうですか。」 と、問いかけ、弥次郎兵衛が、 「ああ、そうだな。」 と、言うと、部屋を出て、台所の方に行ってしまう。
弥次郎兵衛は北八と二人きりになると、 「なんだこりゃ、ばかばかしい。どうやって、石を食うんだ。」 北八も、難しい顔をして、 「いやしかしそれでも、食べる方法があるんだろう。 でなきゃわざわざ、名物といって出さないだろう。 待てよ。さっきここの名物って言ったのは、この石のことか。」 弥次郎兵衛は、鼻で笑うと、 「そんな話、聞いたことがねえ。」 「いやまてよ。江戸で団子のことを『いし』と言うから、こりゃもしかすると団子じゃねえか。」 と、北八が、またまた箸で突いている。 弥次郎兵衛は、 「ははあ、なるほど。そういうこともあるかもしれない。 まさか、本物の石じゃ、あるまい。」 と弥次郎兵衛も、箸で突いてみる。 しかし、どうやってみても、やっぱり石だ。 これは、不思議だと、キセルを取り出し、その雁首で叩いてみた。 「かっちり、かっちり。」 と、乾いた音がする。 「どうでも、石だ。こりゃどうして、食うのかと聞くのもしゃくだが、どうもわからねえ。」 弥次郎兵衛は膳の前で腕組みしている。
そのう��胡麻汁が、台所からやってきて、 「これは何もござりません。よろしうめしあがりませ。」 と、おかわりのコンニャクを盛って来た女中を促す。 「いあ、石が冷めてはおりませんか。 こりゃこりゃ温い石と、替えてあげなさい。」 と胡麻汁が言うと、二人ともいよいよ、ぎょっとした。
しかし、この石の食い方が分からないと思われるのがいやで、弥次郎兵衛はこれを食べたという顔つきで、 「いや、もうおかまいなさるな。石は、もう十分だ。 なんとも、珍しいものを賞味いたしました。」 と、箸をおくと、 「江戸の方でも、よく、小砂判を唐辛子醤油で煮付けたのや、煮豆などのように焚いて食べることがございます。 それに、また、墓石なども嫁をいびる姑に食べさせろとか言いますし。」 「・・・」 「実は、私もずいぶん好物でございます。 このたび、駿河の府中に逗留いたしたとき、馬蹄石をすっぽん煮にして振舞われたのだが、その時あんまりうまいので、四つも五つも食べました。」 「・・・」 「ところが腹が、重たくなって立うとしたところがどうやっても立ち上がれない。 しかたがないので、両方の手を天秤棒に肩あてして縛り付けて、かついでもらってやっとのことで便所にいきました。 ここの石は格別、風味もいいですから又、食べ過ぎたらどんなにご厄介になるかと、お気の毒でございます。」
黙って聞いていた、胡麻汁は、 「いや、それは、とんでもないことだ。 石を食べられるというのは、たいそう、歯がお達者なのでございますね。 しかし、火傷などはなさいませんか。」 と、心配そうに言う。 「それは、また、どうして。」 と弥次郎兵衛が、問いかけると胡麻汁は、 「いやあの石は、焼け石でございます。 すべてコンニャクというものは、水気のとれぬものでございますから、あの焼け石にておたたきなさると、水気が取れてかくべつ風味がよござります。 そのための焼け石でございます。食べるのではございませんわいな。」 「ははあ、なるほど。わかりました。」 と、やっと理解できて、弥次郎兵衛は、北八を見る。
胡麻汁は、 「まあ、そうして、あがって御さんなされ。これ、おなべよ。 石が、熱くなったら持って来なさい。早く。」 と、女中に言うと、皿に焼けた石をのせて、女中が冷めた石と交換していく。 弥次郎兵衛と北八は胡麻汁の言ったとおりに、かのコンニャクをはさんで焼け石の上に置くと、じゅうという音がして水気がとれる。 それをみそにつけて食べると、格別うまい。 二人は、感心している。
「まことに珍しい料理。まったく、感心しました。 それにしてもよく、このように同じ大きさの石がそろいましたな。」 と弥次郎兵衛が、問いかけると、 「いやそれは、あちこちを探し回って、蓄えておくんです。 どれ、お目にかけましょう。」 と台所に立って行くと、なにやら箱を抱えて戻り、 「ご覧下さいませ。二十人分は所持いたしております。」 と、胡麻汁は、箱の中を示す。 二人は、感心しながらも、なんだかおかしくて笑い出す。 その箱の横には何か書いてあるので、読んでみると、 『コンニャクのたたき石、二十人前』と、書いてある。
そのうち、食事も済んだ。 それを待っていたかのように、近所の狂歌よみが、おいおいやってきた。 胡麻汁が、その連中の一人をみて、 「や、これは、横額禿揚(よこひたいはげあがり)さま。 さあさあ他の方も、こちらへどうぞ。」 と、その連中を座敷に通す。 「はい、これは、十返舎先生、初めてお目にかかります。 私は、冨田茶賀丸(とんだちゃがまる)と申します。 それから、次は、反歯日色(そりっぱひいろ)、水鼻垂増(みずばなたれます)、金玉過雪(きんたまかゆき)、いづれもお見しりおききださりませ。」 と、紹介する。
胡麻汁はそれが、済むと、 「ところで、先生。御面倒ではありましょうが、扇子か短冊に先生のご自慢の歌を是非、したためていただきたい。 お願いできますでしょうか。」 と、短冊を突きつけられた。 弥次郎兵衛はもっともらしくそれを受け取ると、何か頭の中に浮かんだことを書いてやろうと考えたのだが、どうも自分が道々詠んだつまらない歌しか思いつかない。 仕方がないのでこれまで、江戸で聞いたことがある人の歌を書くことにした。
さらさらと弥次郎兵衛が書いて胡麻汁に渡すと、 「これは、ありがとうございます。」 といただき見て、早速詠み始める。
「お歌は、 『ほととぎす 自由自在に きくさとは 酒屋へ三里 とうふやへ二里』 はあなるほど、どこかで聞いたことがあるような歌だ。」 と怪訝な顔で、もう一つの短冊を詠む。
「こちらの、お歌は、 『きぬぎぬの なさけをしらば 今ひとつ うそをもつけや 明六つのかね』 いやこれは、三陀羅大人のお歌ではございませんか。」 と胡麻汁は、びっくり。
弥次郎兵衛は、平気な顔で、 「なに私が昔、読んだ歌だ。しかも、江戸で大評判になったんだ。 誰も知らないものはない。」 とすましている。 胡麻汁は、困惑気味に、 「いやそう言われても、去年私がお江戸に行った時に、三陀羅大人、葱薬亭大人などお目にかかりましてそのとき、短冊もいただいて参りました。 それ、御覧なされ。そのびょうぶにはってあります。」 と、指差すので、弥次郎兵衛は、振り返ってみる。
すると、そこにあるびょうぶに三陀羅と署名して、弥次郎兵衛が書いたのとおなじ歌が書いてある。 北八は、おかしく思ったが、気の毒にも思ったので、 「いや、私の先生は、そそっかしくてがさつな性格。 人の歌だとか自分の歌だとかの区別は全然気にしない人でございます。」 と、言って、弥次郎兵衛に、 「おい弥次さん。いや先生、これまで道中で詠んだ歌を書けばいいものを。」 と、小さな声で言う。
弥次郎兵衛は失敗したかと思いながらも、根っから細かいことを気にしない男なのでいけしゃあしゃあとして、又、別の短冊に道々詠んだ歌を書きだした。
つづく。
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a2cg · 8 months
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同じ名前と私
堂本剛さんが百田夏菜子さんと結婚しましたね。堂本剛さんと言えば堂本光一 さんとのデュオKinKi Kidsとして有名ですが同じ苗字なのに血縁関係は無いみたいですね。
以前勤めていた長野県出身の先輩は実家近辺が皆親戚で皆同じ苗字なので、誰の話をしているのかわかるように屋号を使っているという話を聞きました。
同じ名前といえば1889年に誕生した埼玉県の松山町が1954年に松山市になる予定でしたが、愛媛県の松山市と間違えられそうという理由で東松山市になったそうですね。
それ以前は広島県府中市と東京都府中市など離れた場所であればOKだったのが東松山市の件をきっかけに同一市名が許されなくなったようですね。
というわけで本日のディナーは福岡県久留米市が先にあったので東京都東久留米市になったイオンモールにある #もりもり寿し です。
よもや年明け早々に石川県で震災が起こることなど予期せぬまま本場金沢の #回転寿司 がどんなものかとやって来ました。
まずは人気の三貫のった寿司からスタートです。シャリの量もお好みで選べるのですが、お腹が空いていたので、おにぎり位のサイズの盛りでお願いします。
新鮮なネタの感じが素晴らしい。小さな船盛りなのもいいですね。他にも光り物や北陸の味覚のカニなどいろいろ楽しめます。
#あん肝 なんかも寿司ネタになっていて素敵です。何気にお椀ものもいい味出しています。イオンにある寿司屋なので油断していましたが、なかなかでしたね。
#東久留米ランチ #東久留米ディナー #東久留米グルメ #東久留米寿司 #東久留米回転寿司 #東久留米和食 #田無ランチ #田無ディナー #田無グルメ #田無寿司 #田無回転寿司 #田無和食 #とa2cg
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6bfok · 1 year
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2023年08月30日(水)笠原裕介はこんなことをしていました。
◯04:35〜:46 居室で使用した珈琲ビーカーマグバスケットと取っ手付きマグカップとステンレスティースプーンを調理場ステンレス槽流し台で、
ザ ·ノースオイングランド P&I アソシエーションリミテッド ソフトスポンジにヤシノミ(R)プレミアムパワー(R)台所用洗剤 u.s0.0139oz(0.411ml液量)
吹いたスポンジを泡立て洗い、自在水栓蛇口上水道水600ml液量の点滴開き桶ありですすぎする手洗いスポンジ洗浄すすぎ。
◯上水道水400ml液量、挽いた珈琲豆5Gram、珈琲ドリップ。
◯04:48 浴室で浴槽ユニットの浴室排水穴に向けて、浴槽の残り湯115Littreから900mlを排水口に流して排水。
◯05:02〜07:06 満充電した。XIAOMI(R)Redmi(R)Note 10 JEを機器を電源オフし、バッテリーの残り13%から始めた。
◯05:28 浴槽に花王(R)ふろ水ワンダーを1包入れて、清浄した残り湯を今日は、手洗いと灰皿洗いに使います。
◯05:29〜:32 可燃ごみ専用大型ポリ袋に入れた分別可燃ごみの排出物を、今日が指定日です、鉄かご集合集荷ボックスへ。
◯05:33〜:34 トイレ掃除に使う、マツキヨトンボさん7.5Littreポリバケツを、浴槽清浄済残り湯を手桶で流してすすぎ、汲んだバケツ
6.95Littreの洗浄水をポリバケツに汲み、汲んだポリバケツの水を脱衣所にオカザキミニタオルを敷き、その上、
その中に5分間清浄漂白水汲んだバケツの水で、CeFiONtect(R)洗面台花王(R)ホワイト石鹸とふろ水ワンダー清浄水残り湯
850ml液量で手洗いスポンジ洗浄すすぎした。
◯06:04〜:14 枕元にライテックHiHi携帯吸い殻入の吸い殻をデスクトップテーブルの上でトイレットペーパー2切1枚2組を敷いて並べ、
灰皿の吸い殻や灰を並べたトイレットペーパー上に逆さ向きにこぼしてトイレットペーパーで包み、灰とトイレットペーパーで包みした
包みカスをセロハンテープで留めて渡辺金属工業HiHi吸い殻入に捨てた。
ライテックHiHi携帯吸い殻入と調理場からピュアベーキングソーダの袋とポリバケツのふろ水のワンダー清浄水をバケツに持ち、
庭の流し台に持ち出して、使い捨てハブラシ1本で、重曹5Gram、ライテックHiHi携帯吸い殻入1コに3度に分けて都合1.26Littreの
清浄水を点滴入れつつ、バケツを汚さないように姿勢して、HiHi吸い殻入洗い、のち僕は100ml液量上水道水手洗い。
ポリバケツには、4.24Littreのふろ水ワンダー清浄水残り湯を残し、その残り湯を手桶で600ml液量と
花王ホワイト石鹸で、CeFiONtect(R)洗面台で手洗いした。
洗いましたライテックHiHi吸い殻入は、居室保管2切1枚2組のトイレットペーパーで拭き上げ、水アカ拭った。
◯06:58 Amazonデジタルミュージックで配信曲 DEAMS COME TRUE - LAT43°N 250円をPayPay銀行visaデビットで1曲の購買
◯06:59〜07:02 北側トイレ室でお尻拭き紙トイレットペーパー3切1枚2組で排せつ大便の用をした。
◯07:03〜:04 ポリバケツから手桶で4.24Littre残りのふろ水ワンダー清浄残り湯から590ml液量���汲み、花王ホワイト石鹸手洗い。
◯08:17〜:27 食事飲食した(白御飯一杯盛膳、じゃがいも玉ねぎみそ汁スープ、極小粒納豆)
キッチンステンレス槽流し台で茶碗食器と汁椀食器と箸をザ ·ノースオイングランド P&I アソシエーションリミテッド ソフトスポンジに
ヤシノミ(R)プレミアムパワー(R)台所用洗剤 u.s0.0139oz(0.411ml液量)吹いてスポンジを泡立て洗い、
自在水栓蛇口上水道730ml液量の桶点開きで手洗いスポンジ洗浄すすぎしました。
飲食後にサワイ製薬リスペリドンOD錠3mgを飲んだ服薬をした。
◯昨日、僕は、バスタイム入浴8Littreの桶都度水で、下着やソックス洗いやスプレーの藤洗い、入浴体のアカを取りました。昨日は、母上ひとりが浴槽半身浴した。
使って残り湯清浄済み107.2Littreの水に入浴剤足し、バスタイム準備をします。今夜の父上の気前で湯を捨て払うことあり。
([email protected] Au by KDDI XIAOMI(R) Redmi (R)Note 10 JEで送信 2023年08月30日(水)10:08:45)
2023年08月29日(火)14時 から 2023年08月30日(水)10時までの我が家の使用上水道料は、0.505立方メートルでした。
2023年08月30日(水)10時時点の我が家の水道メーター計測器を僕である豊岡高等学校普通科卒業者の誠実数値読みは、775.905 です。
2023年08月24日(木)18:49 ベルーナ(楽天市場) ベルーナ 50代メンズ紳士大人  40代 メンズファッション メンズライフ ラフスーツ カジュアル スーツ あったか 春<ビバリーヒルズ・ポロクラブ> 購買のサイズ 股下65cm,LL, グレー 2点 8,778円 送料209円 計8,987円(楽天銀行JCBデビット) 購入の用途 ”内祝い”
2023年08月30日(水)11:27 ベルーナから配送荷物を佐川今井急便より、妹あいが子煩悩手勝手サイン受け取り代理した。同時刻笠原裕介決済購買者本人が受け取りした。
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kentarouchikoshi · 1 year
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 僕の家からは遠いけれど,行ってみたいなぁ(。・_・。)。oO
 僕が陶芸には比較的ご縁のある少年時代を過ごしたこと,そのため美術に興味の無かった頃から陶芸だけは比較的親しみを持っていたことについては,以前にも何度かお話をさせて頂きました。今にして思うと,これはとてもラッキーなことだったと思います。僕は最近「芸術に何らかの形でコミットすることは人間が人間らしくあるためには不可欠ではないか」と考えているところです。たとえ芸術に興味の無い人であっても,何かの形で目に留まった美術品や耳に入った音楽・或いは何かの際に読んだ文章等に人間性を涵養されて人間らしくあれるのではないか。芸術に無関心であった僕にとって,陶芸というのは芸術へのコミットを確保してくれる貴重な存在であった。僕はそのように感じております。
 美術鑑賞を好むようになった今も,陶芸作品に触れる喜びは変わりません。むしろかつては無縁だった他ジ��ンルの美術作品に触れた時には感じることの無い,懐かしさや親しみを覚えることすらも稀ではありません。しかし最近数々の陶芸作品を鑑賞しているうちに,自分はどうも実用性のある作品ばかりを好む傾向があるようだということに気付き始めました。陶芸作品は美術品であると同時に,たとえばお皿やお茶椀や壺などは日常生活で使用される実用品でもあります。しかし陶芸作品の中には純粋な鑑賞目的で制作されたものも少なくありません。そういう作品については同じ陶芸作品でありながら,今まではあまり興味を持てませんでした。しかし美術全般を鑑賞するという経験はやはりそれなりに役に立っているようで「これは彫刻に類したもの」と捉えることで,そうした実用性の無い鑑賞のみを目的にした作品についても最近は興味深く観られるようになってきています。
 今回,劉建華氏の個展のニュースを知りました。キャプションに「磁器の現代美術」とあり,一体どんなものなのかと記事を読んでみると,劉氏はまず景徳鎮の磁器工房で働いたのちに大学では彫刻を学んだ人物です。そして「磁器を現代美術の素材として用いた」「日用品としての『磁器』の用途や形を解体し、中国における経済や社会の変化、そしてそれに伴う問題をテーマに作品を手がけてきた」ということで,何やら「実用性の無い陶芸作品は,彫刻に類するもの」という僕の捉え方と共鳴するような経歴をお持ちの人物のようですね。  作品の具体的な解説を読むと,その思いはますます強まります。「遺棄」という作品ではテレビや靴・ペットボトルなど磁器で作られた「日用品」がうち棄てられた様が再現され,これは「磁器という脆い素材を初めて用いた作品であり、日常生活の儚さを仄めかすもの」ということです。また白い塔に取り付けた棚に器を並べた「塔器」という作品は塔を精神の・器を空虚さの象徴として創られたもので,この「塔器」を先述の「遺棄」と組み合わせて展示するということで,恐らくは現代人の精神が空虚な物質文明に囲まれていることを表現するものになっているのだろうと思われます。何やら彫刻のみならずインスタレーションの要素も取り入れた作品のようですね。
 是非是非観に行きたいところなのですが,展示会場が十和田市現代美術館と僕の住まいからはかなりの距離があることが少々ネックです。青森空港か三沢空港,或いは東北新幹線の八戸駅や七戸十和田駅からバスに乗り換えていくようですが,日帰りは実質的には無理でしょう。僕としては2023(令和5)年6月24日から11月19日までという長めの会期に希望を掛けたいところです。この期間に時間を作って何とか十和田市まで足を向けることが出来たら,と願っております。  そしてもし仮に今回は訪問出来なくても,劉建華氏という陶芸家の名前はしっかり記憶に留めて,いずれは必ず同氏の展覧会を鑑賞したいものです。
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shanemulcahy · 2 years
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ichigo ichie, a kaiseki restaurant in Cork, Ireland - absolute heavenly food and dining! Took me a while to post these but here are some photos from a meal (menu below) friends and I had back in February 2020, although I forgot to take a photo of dish 7. MENU: Kisaragi 01. Sakizuke/先附 [Amuse-bouche] - (PHOTO 2) Kisetsu no sakana 02. Oshinogi/御凌ぎ [Amuse-bouche] - (PHOTO 3) On soba (Ume plum, wakame, soba, katsuobushi and chive in shiitake dashi) 03. Hassun/八寸 [starters] - (PHOTO 4) A. Pistachio tofu (Pistachio, beetroot miso, apple blossom and gold leaf) B. Uni, yaki shirako wan (Connemara sea urchin, cod milt, wasabi and akazu rice) C. Yo-nashi sansho wine zuke (Pear, sansho in Rosé wine with shiso fluff) D. Awabi jagaimo arare manju gin an (Connemara abalone, Kilbrack organic vitabella potato, roasted rice and gin-an dashi) E. Tori yawata maki (Manor farm chicken, burdock, Kilbrack organic carrot and French bean) 04. Wanmono/椀物 [dashi broth] - (PHOTO 5) Dobin mushi ; unagi and maitake (Lough Neagh eel, maitake, taro potato, sudachi lime and Leamlara Ivan's mitsuba) 05. Mukouzuke/向付 [Selection of sashimi] - (PHOTO 6) Kisetsu no osashimi 06. Nimono/煮物 [stew] - (PHOTO 7) Mekajiki misoni (Sword fish, aubergine, padrón pepper, leek, chilli and yuzu miso) 07. Yakimono/焼き物 [shichirin grill] Kamo aburiyaki yagi cheese (Thornhill duck, St Tola goats cheese, bamboo ash, brassica mustard and sakura smoked hazelnut tuile) 08. Mushimono/蒸物 [steamed] - (PHOTO 8) Chawanmushi (Egg dashi pot, foie gras, plum wine winter black truffle, edamame and apple foam) 09. Sunomono/酢物 [pickled] - (PHOTO 9) Iwashizu (Sardine, spaghetti squash, wakame, pepper dulse and shiso tosazu) 10. Gohanmono/飯物 [rice] - (PHOTO 9) Maguro ikura zuke don (Balfego blue fin tuna, ikura and zuke yolk soy sauce) 11. Tomewan/留椀 [soup] - (PHOTO 9) Akadashi (Red miso, tofu, chive and dashi) 12. Kanmi/甘味 [sweets] - (PHOTO 10) Kuzumochi zenzai (Adzuki beans, kuzu and tea leaves)
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xf-2 · 5 years
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イタリアにおける新型コロナウイルス感染状況は、凄まじいばかりだ。「全土崩壊前夜」といった類の煽り気味で絶望的なニュースが飛び交う。
だが、なぜイタリアでこれほど感染が拡大したのか、といった視点が決定的に欠落しているように思える。
そこで、鄧小平が断行した対外開放、つまり「中国人の移動」という観点からイタリアを襲っている惨状の背景を考えてみたい。
おそらくイタリア社会における中国人――その大部分は対外開放以後に海外に「走出去」して飛び出して行った新華僑世代――の振る舞いを捉えることで、ヨーロッパ全体を覆いつつあるパンデミック危機の背景を知ることが出来るはずだ。
中国人がいないと米作りが成り立たない 今から7、8年ほど前になるが、香港の中国系書店で『“不死的中国人”――他們干活、掙銭、改変着意大利、因此令当地人害怕』(社会科学文献出版社 2011年)なる書籍を購入した。
地下にしっかりと根を張りながら咲き誇るタンポポの表紙に魅かれたと同時に、日本語に訳すと『“不死身の中国人”――彼らは働いて、カネを稼いで、イタリアを変えている。だから土地の人に怖がられる』となる書名が醸し出す反中・嫌中の雰囲気が気になったからだ。
それにしても不思議に思ったのは、この本が北京の出版社から刊行され、しかも香港の中国系書店に置かれ��いる点だった。
じつは、この本は中国人が著したものではなく、2人の若いイタリア人ジャーナリストがイタリア全土を駆け巡り、イタリア社会で生きる中国人の姿を克明に綴った
『I CINESI NON MUOIONO MAI:LAVORANO,GUADAGNANO,CAMBIANO L’ITALIA E PER QUESTO CI FANNO PAURA』(R.Oriani&R.Stagliano Chiarelettere 2008)
の翻訳である。
筆者にはイタリア語が分からないので、翻訳の出来不出来は判断のしようがない。が、なにはともあれページを追ってみた。
すると、中国人のイタリア社会への逞しくも凄まじいばかりの浸透ぶりが、溢れんばかりに綴られていた。
たとえば西北部の穀倉地帯として知られるピエモンテでのこと。
1980年代末に「紅稲」と呼ばれる雑稲が突然変異のように発生し、増殖をはじめ、稲の生産を急激に低下させた。ところが紅稲は除草剤や除草機では駆除できない。やはり1本1本を人の手で丁寧に抜き取るしかない。だが、肝心の単純労働力は不足するばかり。
そこへ、農家の苦境をどこで聞きつけたのか、大量の中国人がやって来た。イタリアで半世紀以上も昔に忘れ去られてしまった田の草取りの方法のままに、彼らは横一列に並んで前進し、紅稲を抜き取っていく。
<7、8月の灼熱の太陽を受け泥に足をとられながら、手足を虫に咬まれ、腰を曲げ、全神経を紅稲に集中する。想像を超える体力と集中力、それに一定の植物学の知識が必要だ。紅稲は一本残らず抜き取らなければ正常な稲に害が及ぶ。抜くべきか残すべきかを知っておく必要がある>(同書より抜粋)
過酷な作業ながら収入は少ない。だが喜んで中国人は請け負う。
ある日、田圃で中国人が脱水症状で倒れた。彼らに「健康を考慮し、明日からは10時間以上の作業を禁ずる」と告げた翌日、雇い主が田圃に行ってみたが、誰もいない。慌てて宿舎に駆けつけると、彼らは荷物をまとめて立ち去るところだった。
「毎日10時間しか働けないなんて、時間のムダだ」と、口々に言う。雇い主は、「中国人は疲れることを知らない。気が狂っている」と呆れ返る。
かくして同書は、「中国人がいないとイタリアの米作りは成り立たなくなってしまった」と嘆く。
「中国人って1カ所には留まらない」 農業に次いで、大理石の石工、ゴミ処理工場労働者、ソファー・皮革・衣料職人、バー、レストラン、床屋、中国産品の雑貨商などが中国人に依存するようになり、中国人はミラノを「イタリアにおける中国人の首都」にして、ありとあらゆる産業を蚕食していった。
その大部分は浙江省や福建省の出身者で、多くは非合法でイタリア入りしている。教育程度は他国からの移民に比較して低く、それゆえイタリア社会に同化し難い。
苦労をものともせず、倹約に努めるという「美徳」を備えてはいるものの、それ以外に目立つことといえば博打、脱税、密輸、黒社会との繋がりなど……。どれもこれも、胸を張って誇れるビジネスではない。文化程度の低さは、勢い生きるためには手段を選ばないことに繋がる。
これがイタリアで増加一途の中国人の現実である。
イタリア人は彼らを通じて中国を知る。だが中国人は、そんなことはお構いナシだ。
子供をイタリアの学校に通わせ、イタリア人として育てようとしている両親もいることはいるが、カネ儲けに邁進しているので、学校や地域社会で偏見に晒されている子供の苦衷なんぞを推し量る余裕も意識も持ち合わせてはいない。
同書の著者が、アンナと呼ばれる20歳の美しい中国娘に「夢は?」と尋ねる。すると彼女はこう答える。
<夢! そんなもの知らないわ。中国人って1カ所には留まらないものなの。あっちがよければ、あっちに行くわ。おカネの儲かり次第ってとこね。この地に未練なんてないの。もう14年は暮らしたけど、とどのつまりは行きずりのヒトなのネ……>
この印象的なシーンで、同書は終わっている。
アンナも他の中国人と同様に「とどのつまりは行きずりのヒト」なのだろう。
だが、新型コロナウイルスが「行きずりのヒト」と共に世界中を動き回ったとするなら、イタリアのみならず人類にとっては、やはり危険過ぎるというものだ。
対外開放でカネ・ヒト・モノが流入 1975年の時点で、イタリアでは400人前後の中国系住民(旧華僑世代)が報告されているが、鄧小平が対外開放に踏み切った1978年末から7年ほどが過ぎた1986年には、1824人になっている。
以後9880人(1987年)、1万9237人(1990年)、2万2875人(1993年)へと急増していったが、彼らは新華僑世代である。1990年代半ば、新華僑はイタリア在住外国人としては6番目の人口を擁していた。
1986年から1987年の間の1年間に見られた5倍以上の増加の主な要因は、1985年1月にイタリア・中国の両国間で締結(同年3月発効)された条約によって、イタリアへの中国資本の進出が促された点にある。
人民元(カネ)と共にヒト、つまり中国人労働者が大量にイタリアに送り込まれるようになった。また中国料理・食品(モノ)への嗜好が高まったことも、中国人労働者(ヒト)の流入に拍車を掛けたはずだ。カネ・ヒト・モノが中国からイタリアに向かって流れだしたのだ。
新華僑世代も旧華僑世代と同じように、同郷・同姓・同業などの関係をテコにして「会館」と呼ばれる相互扶助組織を持つようになる。1980年代半ばから1990年代末までの10年ほどで十数個の相互扶助組織が生まれた。これこそ新華僑世代増加の明らかな証拠だろう。
商品の発送元は温州市 彼らは強固な団結力をテコに、自らの生活空間の拡大を目指す。
たとえば、2010年前後のローマの商業地区「エスクィリーノ地区」には、衣料品、靴、皮革製品などを中心に2000軒を超える店舗がひしめいていたが、その半数は中国人業者が占めていた。
現在はそれから10年ほどが過ぎているから、その数はさらに増したと考えて間違いないだろう。
彼らが扱う商品の発送元は、浙江省温州市である。温州は、遥か昔の元代(1271~1368年)から中国における日用雑貨の一大拠点として知られる。新型コロナウイルスを巡っては、2月初旬に湖北省武漢市に続いて封鎖措置を受けた。
ローマの商業地区と新型コロナウイルスによって危機的レベルにまで汚染された中国の都市がモノとヒトで日常的に結ばれていたことを考えれば、イタリアの惨状が納得できるはずだ。
友人のイギリス人は、感染拡大の背景にはイタリア人の生活様式もあると指摘する。
イタリア人はオリーブやトマトといった健康的な食生活によって、肥満の多い欧州先進国においては珍しいほどに長寿国で、高齢者が多い。周辺先進国に比べて核家族化が進んでおらず、3世代同居も珍しくない。特に高齢者には敬虔なカトリック信者が多く、教会でお椀を共有してワインを飲む習慣があるという。
であるとするなら、中国人の「移動」という極めて今日的要因がイタリアの社会的・文化的伝統という“宿主”を得たことで、被害の拡大に繋がったとも考えられる。
中国人の数は40万人超 いま手元にある『海外僑情観察 2014-2015』(《海外僑情観察》編委会編 曁南大學出版社 2015年)を参考にし、近年のイタリアにおける中国人の状況を素描しておきたい。
中国人の人口は全人口の0.49%で30万4768人(2013年1月1日現在)。これに非合法入国者を加えると、実際は40万人超ではないか。
中国系企業が集中している地��は西北部のロンバルディア(1400社)、中部のトスカーナ(1万1800社)、東北部のヴェネト(8000社)、北部から中部に広がるエミリア・ロマーニャ(6800社)であり、貿易を主にして2万5000社前後。他にアパレルや製靴関係が1万8200社、レストラン・バー・ホテルなどが1万3700社を数える。
「イタリアにおける中国人の首都」であるミラノを見ると、イタリアが2008年のリーマンショック以後、経済危機に陥ったにもかかわらず、中国系企業、殊に食品関連は急増。同市で外国からの移住者が経営する600社のうち、中国人移住者のそれは17%を占めている。
アパレル産業の中心でもある中部のプラトでは、人口20万人余のうちの3万4000人を中国人が占めている。じつに7人弱に1人だから、一大勢力だ。彼らは有名ブランドの下請けから始まり、いまや伝統的な家内工業的システムを駆逐し、新たなビジネス・モデルを構築しつつあるという。
2014年4月、東北部のパドヴァには中国人経営のアパレル・チェーン店「CVG」が創業し、有名なファストファッションブランドの「H&M」や「ZARA」のライバルとして急成長を見せる。イタリアにおける中国系企業の小売り最大手は「欧売集団」で、イタリア全土で34軒のスーパーマーケットを経営しているという。
――以上は飽くまでも『海外僑情観察 2014-2015』に基づいたものであるが、ここからもイタリア社会への中国人の浸透度がある程度は理解できるだろう。
AC AFP via Getty Images AC Milanのイメージ写真 「ACミラン」の経営にも中国の影 「イタリアにおける中国人の首都」ミラノの象徴といえば名門サッカーチームの「ACミラン」だが、ここの経営にも中国人が大きく関係していた。
2014-15年シーズン終了後、ACミランのオーナーだったシルヴィオ・ベルルスコーニ元首相は、タイの青年実業家「Mr.Bee」ことビー・テチャウボンとの間で売却交渉を始め、2015年5月にACミラン株の48%売却で合意した。
Mr.Beeは、タイの「康蒂集団」と『星暹日報』の両社を傘下に置くサダウット・テチャブーン氏の長男である。
サダウット・テチャブーンは華人2代目で、華字名は鄭芷蓀。父親の鄭継烈が起こした建設業を引き継ぎ、1990年代初頭から積極経営に転じ、タイ国内のみならず中国やオーストラリアでの不動産開発やホテル経営にも乗り出した。
その後、タイの老舗華字紙『星暹日報』を買収し、2013年11月には広東省政府系の「南方報業伝媒集団」からの資本参加を得て、紙面も一新。それまでの繁体字からタイの華字紙としては初の簡体字横組みとし、電子版の配信、中国版Twitter「微博」の活用なども始めた。
当然のように論調にも南方報業伝媒集団の強い影響が感じられる。『星暹日報』は、タイにおける中国メディアの“別動隊”とでも言えそうだ。
さて、アブダビの資産管理会社「ADS Securities」と中国政府幹部が資金源と伝えられていたMr.Beeだが、ACミラン買収資金に苦慮していた。そこで彼が資金援助を申し入れた相手が、「阿巴里里集団」を率いる馬雲(ジャック・マー)であった。
2016年8月、ACミランは中国企業のコンソーシアム(共同事業体)に約832億円(株式の99.93%)で売却され、2017年4月にベルルスコーニ元首相はACミラン経営から撤退した。その後、2017-18年シーズン途中で中国系オーナーの債務不履行が原因で、最終的にはアメリカのヘッジ・ファンドが新オーナーに就任した。
華僑・華人の本質は移動 こう見てくると、「アンナと呼ばれる20歳の美しい中国娘」から現在の中国を代表する企業家・資産家の馬雲まで、じつに多くの中国人がイタリアと関わりを持っていることが分かるだろう。
同時に対外開放以後に顕著になった中国人の「移動」という現象が、合法・非合法に限らず世界各地の社会に様々な影響を与えていることも確かだ。武漢から感染が始まった新型コロナウイルスもまた、その一環と考えるべきではないか。
華僑・華人研究の第一人者である陳碧笙は、中国が開放政策に踏み切った直後に『世界華僑華人簡史』(厦門大学出版社 1991年)を出版しているが、同書で彼は、帝国主義勢力が植民地開発のために奴隷以下の条件で中国人労働者を連れ出した、つまり華僑・華人は帝国主義の犠牲者だという従来からの見解を否定した。
そして、華僑・華人の本質は、
「歴史的にも現状からみても、中華民族の海外への大移動にある。北から南へ、大陸から海洋へ、経済水準の低いところから高いところへと、南宋から現代まで移動が停止することはなかった。時代を重ねるごとに数を増し、今後はさらに止むことなく移動は続く」
との考えを提示した。
この主張をイタリアのみならず今や危険水域に達しつつあるヨーロッパ、アメリカ、日本、韓国、東南アジア、さらには感染報告が比較的少ないアフリカ、南米、そしてウズベキスタン、タジクスタン、キルギスタンなど中央アジアの国々にまで重ねてみるなら、新型コロナウイルスはもちろんのこと、中国発の“未知の危機”を今後も想定する必要があるだろう。
極めて逆説的な表現ながら、いまこそ国境を閉じて富強を目指した毛沢東の“叡智”を見返す必要を痛感する。新型コロナウイルスを「毛沢東の怨念」と見做すのは、筆者の偏見だろうか。
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catonoire · 2 months
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「シン・東洋陶磁―MOCOコレクション」展
大阪市立東洋陶磁美術館で、リニューアルオープン記念特別展「シン・東洋陶磁―MOCOコレクション」を見る。惹句にあるように“オールスター・珠玉の約380件(国宝2件、重要文化財13件含む)”が���った、なんとも贅沢な特別展である。全面的に撮影可能。無料のアプリをダウンロードすれば音声ガイドも聞ける(書き起こしもあって文字でも読める)。
また、美術館の公式サイトでは収蔵品画像オープンデータが公開されており、この展覧会に出品されている作品も参照することができる。さらに、公開されている画像は“当館への申請が必要なく、自由にダウンロード、複製、再配布することができます。例えば出版物やウェブサイトへの掲載、講演会等でのスクリーンへの投影、テレビ番組での放送、販売商品への印刷など、営利・非営利に関わらず利用が可能です”とのこと。でも、公式画像は美しいけれども展覧会の臨場感(?)が出ないので、いつもどおり自分で撮ったしょぼいスマホ写真を載せることにする。
展示は全部で13のパートに分かれており、それぞれに格好良さげなタイトルがついている。
1 「天下無敵(てんかむてき)-ザ・ベストMOCOコレクション」
この展示室では陶磁器と六田知弘の写真作品《壁の記憶》との取り合わせが楽しめる。《壁の記憶》は写真家が世界各地で撮った壁の写真のシリーズのようである。展示風景はたとえばこんな感じ。
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このようにコーディネートされており、意外性もあってなかなかよかった。上の赤い写真作品の壁はベネチア(イタリア)、下の白っぽいのはサンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)。
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展示室から展示室へと移動する途中に特別あつらえらしい展示ケースがあり、国宝の油滴天目が鎮座していた。たしかに美しいが、正直なところ自分の好みではあまりなく、油滴天目なら以前別の美術館で見た別のもの(もっと油滴が細かくて繊細に光る感じ)のほうが好みだったなあと思い出すなどした。
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2 「翡色幽玄(ひしょくゆうげん)-安宅コレクション韓国陶磁」
青磁好きにはたまらない展示室。あれもこれも全部青磁、もちろんクオリティも高い。
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3 「粉青尚白(ふんせいしょうはく)-安宅コレクション韓国陶磁」
下の写真の3点は日本では三島とか三島手と呼ばれるタイプの焼き物。三島は朝鮮半島製のほうが日本のより圧倒的に良い出来で、とても好き。
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そして次の3点は粉引の瓶。日本の茶人などの間で好まれたタイプで、たしかに良い風情である。
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4 「清廉美白(せいれんびはく)-安宅コレクション韓国陶磁」
《青花 草花文 面取瓶》。日本では「秋草手」と呼ばれる文様。面取の具合も文様も端正で美しい。
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《白磁 角杯》。遊牧民族が酒などを飲むのに用いていた角の形の杯を模したもの。王室用の白磁らしく、品がある。
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ロビーの展示ケースにあった、ルーシー・リー《青ニット線文鉢》。
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これもロビーにあった、《青花 虎鵲文 壺》。18世紀後半、朝鮮時代の作。ここに描かれた虎が美術館のキャラクターに採用されて「mocoちゃん」と呼ばれることになった。MOCOは美術館の英語名の略である。
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6 「優艶質朴(ゆうえんしつぼく)-李秉昌コレクション韓国陶磁」
《青磁象嵌 雲鶴文 椀》。象嵌技法にすぐれた一品。釉薬の貫入がまったくないのも特徴。
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《白磁鉄地 壺》。下半分はちょっと見には焼き締めのようだがそうではなく、鉄絵具を塗ったもの。16世紀朝鮮時代の作だが不思議と現代的に見え、たとえば「ルーシー・リー(あるいは誰か他の現代の陶芸家)の作品だよ」などと言われたらつい信じてしまいそうである。無理を承知で言うならこれはうちにも欲しい。
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6 「陶魂無比(とうこんむひ)-日本陶磁コレクション」
中国や朝鮮半島の優品を見てしまうと、日本の焼き物は正直かなり見劣りしてしまう。悪くないものはあるのだが、ほうっと溜め息をついたりつくづく感心しながら眺めるようなものはなかなかない(好みの問題かもしれないが)。そんな中で自分の目に留まったのはこれ。料理が映えそうなデザインで、実際に使ってみたいと思った。
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7 「陶花爛漫(とうからんまん)-李秉昌コレクション中国陶磁」
このパートに展示してある作品は、古いものだと新石器時代ごろまで遡る。中国文明の先進ぶりを目の当たりにして恐れ入る。この下の美しい白磁の杯も、さすがに紀元前とまではいかないが隋の時代(7世紀)の作。高台に釉薬が溜まって緑がかって見えるのもチャームポイント。
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8 「喜土愛楽(きどあいらく)-現代陶芸コレクション」
現代の作家の作品がロビーにいくつか並んでいた。下の写真は金子潤《2フィート・トール・ダンゴ》。ガラス張りのロビーだが、作品の背後には薄手のシェードが掛けてあった。
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9 「明器幽遠(めいきゆうえん)-安宅コレクション中国陶磁」
MOCOのヴィーナスこと《加彩 婦女俑》。自分がお目にかかるのはこれで2度目である。360度回転する展示台にお乗りあそばされている。
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こんなふうに回っておられる。
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後ろ姿のなんと優美なことか。
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《黒釉刻花 牡丹文 梅瓶》。白化粧をした上に黒釉をかけ、黒釉を削り落として文様を表現する技法(掻落し)で作られたもの。掻落しで自分の好みに合うものはあまり多くないのだが、これは堂々とした存在感でひときわ目を引いた。
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《木葉天目 茶碗》。本物の木の葉(桑の枯葉)を焼き付けて作られた天目茶碗。加賀藩前田家伝来とのこと。
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10 「天青無窮(てんせいむきゅう)-安宅コレクション中国陶磁」
点数は少ないが、うっとり眺めてしまうようなものばかり集めた特別な室。
《青磁 水仙盆》。これは以前この美術館を訪れた際にも見たので、またお会いできましたねと声をかけたくなった。宋の時代に宮廷用の青磁を生産していた汝窯の逸品。美しいが、これよりもっと素晴らしいのがこの世に存在している(台湾の故宮博物院が持っている)というのもまたすごい。
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国宝《飛青磁 花生》。自分のスマホ写真では到底うまく色を再現できないのが残念。
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この特別な展示室では自然光による採光がなされているのが大きなポイント。青磁の微妙な色合いをよく見ることができるとされる。
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11 「皇帝万歳(こうていばんざい)-安宅コレクション中国陶磁」
中国の皇帝の身辺を彩るにふさわしい、文様が華やかだったり色鮮やかだったりする作品の多い室。
《釉裏紅 牡丹文 盤》。銅顔料が使われており、たまたま中央部の牡丹の花のところだけ赤っぽく濃いめに発色したというのがおもしろい。
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抹茶色が特徴的な《茶葉末釉 双耳方形瓶》。茶葉末釉は個人的にそれほど好きな色ではないのだが、これはとても出来が良いように見えて印象に残った。
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12 「百鼻繚乱(ひゃくびりょうらん)-沖正一郎コレクション鼻煙壺」
いわゆる嗅ぎタバコ入れが勢ぞろい。下の写真はほんの一部である。
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この虫づくしのはどこか現代的な感じがする。とてもいい。虫好きな人がこぞって欲しがるのではないか。自分も欲しい。
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13 「泥土不滅(でいどふめつ)-現代陶芸コレクション」
現代の陶芸作家の作品がいくつか展示されていた。これは星野曉《表層・深層》。
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併設のカフェには「陶片クッキー」なるメニューがある。これは注文せざるを得ない。作家がひとつずつ彩色(アイシング)を施しているというから凝っている。ふたつとも涼しげな色合いなのは、もしかして夏だから? 海や水辺をイメージしたとか? 別の季節にも行ってクッキーの色合いを確かめてみたい。なお、味のほうはいまいち口に合わなかった……惜しい。
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hi-majine · 5 years
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万金丹
「おい、どうしたい? しっかり歩けよ」 「とても腹がへって歩けねえ。二、三日ろくなものを食わねえから、歩いてもふらふらしていけねえ。水さえみりゃあガブガブやってみるが、どうもあいつあ腹にたまらねえなあ。ガバガバアン、ガバガバアンなんて腹ん中が水で波立ってやがら……おまけにきょうはむかいっ風だから、腹ん中は時化《しけ》だ」 「なにをいってやあがる……腹ん中の時化なんてあるもんか」 「ああ腹がへった。たまらねえなあ……こう腹がへってくるとなんでも食いものにみえてくらあ……おめえの顔なんぞでこぼこしてじゃがいもにみえらあ……鼻なんぞまっ赤だからたらの子にみえる……ああ食いてえなあ」 「おいおい、よせよ、こんちくしょう。だんだん目がすわってきやがった。あぶねえ野郎だな、ほんとに……」 「ときに兄弟、もう夕方になるが、この大きな原で、銭はなし、家はなし、どういうところへ泊まるんだい?」 「野宿だよ」 「なんだい、その野宿てえのは?」 「あれっ、おめえ野宿を知らねえのか? 野に寝るから野宿じゃねえか」 「ああそうか。それじゃあ山へ泊まれば山宿だ。してみりゃあ鳥なんざあ枝宿だな……おらあ野宿なんぞしたかあねえや。屋根宿の、畳宿の、ふとん宿の、女宿といきてえ」 「くだらねえことをいうない……おっ……おうおう、むこうをみろよ」 「え?」 「どっちをみてるんだ。おれの指の先をみろ」 「ああ爪があらあ」 「なにをいってやんでえ、爪の先をみろってんだ」 「おっそろしく爪をのばしたなあ。おまけに垢がまっ黒にたまってらあ」 「こんちくしょうめ、爪の垢なんざあどうでもいいんだ。むこうに森がすーっとみえて、白い塀がチラチラみえるだろう?」 「どこに?」 「それ、むこうに森がすーっとみえて、白い塀がチラチラみえるじゃあねえか」 「ああ、森も白い塀もみえるけど、そのすーってやつと、チラチラってえのはみえねえぜ」 「そんなものがみえるわけねえじゃあねえか。そりゃあことばのかざりだよ。まあ、あれだけの塀があれば大百姓のうちにちげえねえ。田舎の人は親切だ。行き暮れて難儀をするといってたのんだら、今夜泊めてくれるだろう」 「そうかい、そいつあありがてえ。早くいってなんか食わしてもらおうじゃあねえか。どうも野宿はからだによくねえから……早くいってみよう」 「うん、まあ元気をだして歩け……おうおう、やっと着いたぜ……おい、百姓家だとおもってきたら、こいつあ寺だ」 「なんだい、寺か……しかし、寺には坊さんがいるだろう?」 「そりゃあいらあな」 「坊主食っちまおうか?」 「この野郎、なんでも食う気でいやがる。坊主が食えるかい?」 「ああ、場ちげえのたこぐらいにゃあ食えるだろう」 「じょうだんいっちゃあいけねえぜ……まあ、人を助けるのは出家の役というから、きっと泊めてくれるよ。いま、おれが聞いてみてやるから……へえ、ごめんくださいまし、おたのみ申します」 「はいはい、どなたじゃな? ……いま、おたのみ申しますといったのはおまえがたか?」 「へえ、おまえがたなんで……」 「自分でおまえがたというのはないな……旅のかたか?」 「じつは、行き暮れて難渋をいたします。今晩ひと晩でよろしいんですが、お宿をねがいたいとおもいまして……いかがなもんでござんしょうか?」 「それはさぞご難儀のことじゃろう。ごらんの通りの荒れ寺、夜の具《もの》とてろくにないが、まあ、お泊め申すだけならお泊め申そう」 「へえへえ、もう本堂の隅なり土間の隅なり、どこでも結構でござんすが……へえ、どうもありがとうございます」 「さあさあ、ふたりともそこで足を洗うてこれへきなさい……さあさあ遠慮せずにいろりのそばへきなさい。山路は冷えるでな、火がなによりのごちそう、これへきてあたたまりなさい。これへきて腹をあたためなさい。腹をあぶりなさい」 「え? 腹をあぶる? ……こちとらあ、腹ん中あからっぽで人間の干物《ひもの》みてえなもんだけど、まさかてめえで、てめえをあぶって食うわけにもいかねえしな」 「なにをくだらねえことをいってるんだ」 「なんか食わせてくれねえかな? 催促してみろい」 「そうもいくめえ」 「だからよ、すこし昼めしを早く食いすぎたかなんかいやあ、むこうで気がつくぜ」 「そうかな? ……やってみるか」 「やってみようじゃあねえか」 「うん」 「なあ兄弟」 「うん?」 「すこし昼めしを早く食いすぎたなあ」 「そんなに早く食ったかなあ」 「ああ早すぎたとも……なにしろ、おとといの晩に食っちまったから……」 「いや、これは愚僧としたことがうかつであった。あなたがたはよほど空腹のごようすじゃな」 「へえ、もう空腹なんてなまやさしいもんじゃあねえんで……もう、へそが背なかへぬけちゃいます」 「そりゃあお気の毒だ。そこに鍋がかかっておる。雑炊《ぞうすい》だが、よかったらおあがり。むこうの棚に椀《わん》があるから自分で盛ってたくさんやんなさい。椀はふたつあるが、箸《はし》は一膳しかないから、そちらのかたは、その火箸でおあがり」 「火箸で? ひでえことになりゃあがったな……じゃあ遠慮なくいただきます……おい、いただこうじゃあねえか」 「うん」 「おい、なにを変なつらあしてるんだ? え? においをかいでみろ? ぜいたくいっちゃあいけねえや、においなんぞどうだって腹さえくちくなりゃあ……なるほど、変なにおいだ」 「それになんだか舌へざらざらあたるぜ」 「舌へざらざらあたる? ……うん、なるほど……ええ、ちょいと和尚《おしよう》さんにうかがいますが……」 「なんじゃな?」 「へえ、この雑炊は、どうも変なにおいがして、口へいれるとざらざら舌にあたりますが、一体これはなんでしょうか?」 「それは、人間のからだに精分がつく薬じゃによってたくさんやんなさい」 「へえ、なんの雑炊なんで?」 「それは赤土のよく乾したものを雑炊にしたのじゃ」 「へえ、赤土? じょうだんじゃあねえ、いくら精分がつくからって、万年青《おもと》じゃああるまいし、赤土で精分なんぞつけられちゃあたまらねえや……それに、和尚さん、藁《わら》のようなものが歯にひっかかりますが……」 「ああ、それは藁のようなものではない」 「藁のようなものでないっていうと、なんなんで?」 「ほんとうの藁じゃ。からだをあたためるようにいれてある」 「じょうだんじゃあねえや。いくらあったまるったって、赤土と藁を食やあ、なんのこたあねえ、腹んなかへ壁ができちゃいますからね、せっかくですが、この雑炊はごめんこうむりましょう」 「いや、おまえがたに食せんのもむりはない。愚僧にも食べられん」 「いやだなあ、自分で食えねえものを……」 「じつはな、わしの師匠がな、出家は樹下石上を宿とするのがつね、武家でいう治にいて乱をわすれずということを教えてくれたによって、月に一度ずつかようなものをこしらえて食すのじゃ。きょうは、師匠の祥月命日《しようつきめいにち》、これをこしらえて仏壇にそなえた。その命日におまえがたが泊まりあわせたのもなにかの因縁、そこで一口ふるもうたようなしだい……なむあみだぶ、なむあみだぶ……」 「なんだか陰気になっちまったなあ……ほかになんか食べるものはありませんか?」 「麦飯《ばくはん》でよろしければ、それにあるからおあがり」 「へえ、ありがとうございます」  こうして泊まりましたところが、それから三、四日雨でふりこめられてしまいました。 「これこれ、おまえがた、雨もすっかりあがったようじゃから、そろそろ旅立ってはどうじゃな?」 「へえへえ、すっかりご厄介になりまして、ご厄介になりついでというのもなんでござんすが、もう四、五日おねげえ申してえんですがね」 「そりゃあこまるなあ。旅のおかたを長いこと泊めておくというのは、檀家のものに聞こえてもどうも……」 「しかしねえ、あっしたちもこうして旅をしておりますが、なにしろ江戸を食いつめて大阪へ知りびとをたずねていくというような心ぼそい旅なんで……」 「まあ、いってみればあまりあてのない旅だというのじゃな」 「へえ、そんなことなんで、もうすこしのあいだご厄介に……」 「どうじゃな? あなたがた、そんなあてのないことで知らぬ他国へいくよりも出家しなさる気はないか?」 「え?」 「うかがったところによると、たいへんに親不孝もし、道楽もしたようであるが、このさい、罪障消滅のために髪をおろし、御仏《みほとけ》の弟子になって修行《しゆぎよう》する気はないか?」 「へえ、なんのことで?」 「つまり、坊さんになるのだな」 「坊主になると、どうかなりますか?」 「一人出家すれば九族天に生ずというな」 「へえ、きゅうりがてんかんになりますか?」 「いやいや、親戚一同のものが極楽浄土へいけるということじゃ。どうじゃな、出家する気はないか?」 「へえ……どうする? 兄弟、和尚さんが坊主になれっていうが、やってみるかい?」 「そうよなあ、なまじっかあてのねえ旅をしてひもじいおもいをするこたあねえからな。まあ、身のふりかたのつくまでやってみるとしようか」 「そうかい……じゃあ和尚さん、なにごとも融通《ゆうずう》ですからねえ、ひとつ坊主をやってみましょう」 「これこれ、融通で出家するやつがあるか。しかし、まあ、おまえがたのことだ。たいして悪気もなかろう。さっそく髪をおろして名前をつけてやろう。おまえがたの名はなんというな?」 「あっしはねえ、梅吉で、こいつは初五郎と申します」 「では、梅坊と初坊となるがよい」 「梅坊主に初坊主とくりゃあ、どうみてもかっぽれだ」  まことにいいかげんな坊主ができあがりましたが、それでも二十日もたつと、どうにか坊さんらしくなりまして、毎朝、本堂で念仏をとなえるようになってまいりました。 「なむあみだぶ、なむあみだぶ、なむあみだぶ……なあ梅坊、しばらく酒をのまねえが、飲みてえなあ……なむあみだぶ、なむあみだぶ……それに女もずいぶん抱いてねえなあ……なむあみだぶ、なむあみだぶ、なむあみだぶ……かわいい女の子と一ぱいやりながら四畳半なんてえなあたまらねえからなあ……なむあみだぶ、なむあみだぶ……おい、ここの和尚はずいぶん金を持っていそうだなあ」 「そうだなあ」 「どうだい、和尚をしめ殺して、有り金かっぱらってずらかっちまうか?」 「それもいいなあ」 「じゃあ善は急げてえから、今夜さっそくやっつけるか、なむあみだぶ、なむあみ……」 「これこれ、なんじゃ、両人のもの、これにおって聞いておればまことにおだやかならん相談をしておったな。和尚をしめころして、有り金持ってずらかるとな?」 「いえなに、ただそうしようかって、はなしをしただけなんで……まあ、しめ殺すほうにまとまりがつきましたが……」 「そんなことをまとめてるやつがあるか……そんなことよりも、両人ともこれへきなさい。じつはな、京都の本山から飛脚がまいって、ぜひいかねばならんことに相成った。おまえたちに留守をいいつけるによって、よう留守居をなさい。わしの留守のあいだに乱暴狼藉《らんぼうろうぜき》をしてはならんぞ。それに檀家から葬式万端持ちこんでくることがあったら、とてもおまえたちの手には負えまい。この山ひとつ越すと静蓮寺《じようれんじ》という寺がある。これへたのんで万端のことをしなさい。よろしいか?」 「へえへえ……和尚さま、いつごろお帰りになります?」 「一月ほどは帰らぬによって、どうかたのみますぞ」 「へえ、よろしゅうございます。まあ安心していってらっしゃいまし」 「いってらっしゃい、お近いうちに……」 「和尚め、高慢ちきなつらあしてでていきゃあがった。どうだ、梅坊、鬼のいねえ留守に命のせんたくといこうじゃねえか。酒を買ってこいよ」 「酒買うったって銭がねえやな」 「銭なんぞ、本堂へいけば賽銭《さいせん》箱があるじゃあねえか」 「だって鍵がかかってるぜ」 「そんなものあぶちこわせ」 「和尚が帰ってきて文句いうだろう?」 「かまうこたあねえから、賽銭泥棒がへえったかなんかいってごまかすさ」 「そうかい、じゃあちょいといってくらあ……だめだ、だめだ、貧乏寺は情けねえや。賽銭いれるやつもろくにねえとみえて、たいしたこたあねえぜ」 「なんだ、これっぽっちか……まあ、それで酒を買うとして、魚はと……そうだ、裏の池へいきゃあ、鯉《こい》か鯰《なまず》ぐれえいるだろう。そんなもんでもとってこようじゃあねえか」 「とってくるったって、網がねえぜ」 「網がなけりゃあ、麻の衣《ころも》があるじゃあねえか。あいつでやっつけろ」  らんぼうなやつがあるもので、酒を買ってきて、鯉こくのようなものをこしらえると、ひさかたぶりでやりましたから、ふたりともすっかりいい気持ちになりまして、 「ど���でえ、すっかりいい心持ちになっちまったなあ、どうだ、酒はまだあるか? なくなったらかまうこたあねえから、本堂のもんでもなんでもたたき売っちまえ。あみださまだろうがなんだろうがかまうこたあねえや……あーあ、いい心持ちだ。こんないい心持ちになったってえのに、ただ飲んでるのもおもしろくねえな。どうだ、木魚でもたたいて都都逸《どどいつ》でも唄うか?」 「あんまりぱっとしねえな」 「じゃあ、ぱあっとしたところで、本堂へ火をつけてわっとさわごうじゃあねえか」 「ぱあっとしてるのはいいが、あとでいるところがなくなっちまわあな」 「ええ、ごめんくだせえまし、おたのみ申します」 「おう、表のほうにだれかきたぜ。おめえ、ちょいとみてきてくれ」 「厄介《やつけえ》な野郎がきやがったな。どれ、いってみるか」 「おい、待ちな、待ちな、はちまきはとっていけよ」 「だっていせいがいいじゃねえか」 「まっ赤なつらあして坊主がはちまきで、でていきゃあ、ゆでだことまちがわれらあ。いいからとっていけよ」 「そうかい……おう、なにか用か?」 「あんれまあ、いせいのいい坊さまがでてござったぞ……まあ、おめえさま、うでだこみてえにまっ赤でねえか?」 「なんだと、まっ赤だ? ああ、このまっ赤なところがありがてえ坊主のしるしだ。ふだんから緋《ひ》の衣《ころも》てえのを着てるから、こうやってまっ赤に染まっちまったんだ」 「へーえ、そうでごぜえますか」 「ああ、そうだとも……ときに、なんか用か?」 「はあ、てまえは、当寺《とうでら》の一檀家でごぜえます新田《しんでん》の万屋《よろずや》金兵衛の身内のものでごぜえますが、けさほど金兵衛が死去つかまつってごぜえます」 「そうかい。そりゃあ結構だ。いずれお目にかかっておよろこび申しますとそういってくれ」 「いえ、死去《かくれ》ましたので……」 「かくれた? そんならさがしたらいいじゃあねえか。これぽっちのせめえ土地だ。じきにわかるだろう」 「なに、金兵衛が落ちいりました」 「どこへおっこった?」 「こりゃあ、はあ、どうもわからねえ坊さまだな……金兵衛がおっ死《ち》にましたんで……」 「ああそうかい、くたばったのか」 「くたばった?」 「くたばったんならくたばったとはやくいうがいいじゃあねえか……それでなんだろう、安葬《やすとむら》いでもだそうってんだろう?」 「さようでごぜえます」 「そいつあこまったなあ、和尚はいねえしなあ……あっ、そうだ、いいよいいよ、安心しな。和尚はいま京都の本山へいって留守だが、江戸からありがてえ大僧正が、これも京都の本山へおいでになるってんで、ちょうど当寺《とうでら》にお泊まりあわせになってるから、そのお上人《しようにん》にたのんでやろうじゃあねえか。そのお上人がいってくださりゃあ、おめえんとこの仏はしあわせだよ。ちょっと待ってな、いまお上人さまに聞いてみてやるから……おい、梅坊、いくんだいくんだ」 「なんだなんだ、喧嘩の助《すけ》っ人《と》か?」 「よせやい、寺へ喧嘩の助っ人をたのみにくるやつがあるもんか。葬《とむれ》えだよ」 「じゃあ、この山ひとつ越して静蓮寺とかいう寺へたのんだらいいじゃあねえか」 「もったいねえことをいうない。うっかりそんな寺へたのんでみろい、お布施《ふせ》はみんな持ってかれちまうじゃあねえか」 「じゃあ、どうするんだ?」 「おめえが江戸のありがてえお上人さまてえことになってるから、むこうへいって、しらばっくれてお経をあげて、お布施をもらったら、それで一ぱいやろうってんだ。さあ、でかけろい」 「そいつあだめだ」 「どうして?」 「どうしてって、おらあ、お経なんざあ知らねえもの……」 「かまうもんか、知らねえったって……なんだっていいんだ。お経らしく節《ふし》をつけてやってりゃあ、それらしく聞こえらあな……いろはにほへとだってなんだっていいんだよ」 「えっ、いろはにほへと?」 「そうよ。いかにもお上人さまみてえな高慢なつらあして、鉦《かね》のひとつもチーンとたたいてな、いー……ろー……はー……にー……ほー……へー……とー……チーンとかなんとかやってりゃあ、お経らしく聞こえらあな」 「大丈夫かい?」 「大丈夫だってえことよ。それであっさりしすぎてるとおもったら、沖の暗いのに白帆がみえるでもなんでも、おまけにやってやれ」 「それじゃあ、かっぽれみてえだ。どうもたいへんなお経だなあ」 「いいんだよ。で、いいかげんのところで引導《いんどう》をわたしちまえばかまやあしねえや」 「引導ってえのはどうするんだ?」 「なあに、かまうこたあねえから、引導らしいもっともらしい声をだして、それつらつらおもんみるに、地獄極楽のふたつあり、いきたきかたへ勝手にいけ! 喝《かつ》! かなんかいっておけ」 「いいのかい、そんなことで?」 「もしもそれでぐずぐずいいやがったら、おれがまわりの野郎を三、四人張り倒すから、そのすきに香奠《こうでん》かっつぁらってずらかっちまえ」 「らんぼうだな、どうも……」 「じゃあ、手はずはきまったぜ……ああ、お上人さまがいってくださるそうだ。さあさあ案内をしてくれ」 「こりゃあありがとうごぜえます。そうだにえれえお上人さまをおつれ申せばよろこびますべえ。なにしろまあ、金兵衛のところは村一番の金持ちでごぜえますから、お布施のところもたっぷりはずませてもれえます」 「そうか、そいつあ豪儀《ごうぎ》だ。じゃあ、まあ、早えとこ案内しな」 「へえ、よろしゅうごぜえます。こりゃあ、お上人さま、ごくろうさまでごぜえます。こうおいでくだせえまし……へえ、ここでごぜえます……ああ、いってめえりました。和尚さまあござらっしゃらなかったが、江戸からありがてえお上人さまてえおかたが、ちょうどお泊まりあわせで、はあ、そのお上人さまあたのんでおつれ申しただ」 「はあ、それはそれは、どうもありがてえこった。さあさあ、お上人さま、どうかまあよろしくおねげえ申します」 「はあ、よろしい。ではさっそく……なむあみだぶ、なむあみだぶ、なむあみだぶ、なむあみだぶ……これ、新仏があるというのに仏壇をしめておいてはいかんではないか……なむあみだぶ、なむあみだぶ……しまった、数珠《じゆず》をわすれてきた」 「そそっかしい坊さまだなあ」 「なむあみだぶ、なむあみだぶ、なむあみだぶ……ああ、田舎の仏壇はずいぶんかわっている。線香も花もなんにもあがっていない……なむあみだぶ、なむあみだぶ……こんにゃくとがんもどきと蓮《はす》の煮《に》しめに、たくあんと梅ぼしとつくだ煮があがっているが、こういうものを食うとのどがかわいてしょうがねえ……なむあみだぶ……」 「あれあれ、和尚さま、それは仏壇ではありません。蠅帳《はいちよう》で……」 「はい、ちょうですか」 「あんれまあ、つまんねえしゃれをいうお上人さまだ……こちらに棺桶がごぜえますからおねげえ申します」 「ああ、さようか、なるほど棺だ、棺だ、かんだからからとうち笑い……えへん……なむあみだぶ、なむあみだぶ、なむあみだぶ……このへんで鉦を打ってお経にうつるぞ……チーン……いー、ろー、はー……にー、ほー、へー、とー……チーン……富士の白雪ゃノーエ、富士の白雪ゃノーエ、富士のサイサイ、白雪ゃ朝日でーとける……」 「おかしなお経だね、どっかで聞いたような文句でねえかな」 「なむあみだぶ、なむあみだぶ……おてもやん、あんたこのごろ嫁入りしたではーないかーいーなー……嫁入りしたこつぁしたばってん……チーン……お経はこのくらいにしよう。お経の長いのは仏のためにもよろしくない。お経はさわりのとこだけにかぎる」 「あんれまあ、お経にさわりなんてえのがごぜえますか?」 「ああ、お経だの、痴漢だのてえものは、みんなさわりがつきものだ」 「ばかこくでねえだ」 「さあさあ、お上人さまは、お経がおわったところですこしおやすみになる。あとでゆっくり引導わたしてあげるから、仏のために寺へおさめ物をしなさい。ああ、なるべく現金のほうがよろしいぞ。それはすぐにわしがもらっていくから……それから、こちらのお上人さまは、酒は飲まねえとか、生ぐさものは食わねえとか、そんなやぼなことはいわねえから、なんでもどんどん持ってこい。それにお通夜《つや》の陰気なのはいけねえな。じゃんじゃん陽気にさわげ、芸者でもなんでもあげて夜通しさわぎまくれっ」 「あんれまあ、なんていせいのいい坊さまだ……和尚さま、おねげえがごぜえます」 「なんだ、なんかくれるか?」 「いや、そうではごぜえません。まだ戒名《かいみよう》をいただいておりませんので、ぜひひとつ戒名を……」 「戒名? そうだったなあ、うっかりしてた。そうと知ったら本堂のなんかひっぺがしてくるんだったなあ……戒名なんかどうでもいいだろう」 「いや、戒名のねえ仏というのはごぜえません」 「そうかい……しかし、おめえのうちでもまただれか死ぬだろう? そのときいっしょにまとめてつけようじゃねえか」 「そんなわけにはいかねえだ」 「そうかい、田舎は融通がきかねえな……ええ、お上人さま、戒名がいると申しておりますが……(小声で)なんかねえかい? なあに、字が書いてありゃあいいんだ」 「(小声で)字が書いてあればいいのか? ……うん、こりゃあどうだ? 和尚の居間を掃除してたらおっこってやがったんだが……」 「(小声で)どれどれ……なんでもいいや、字さえ書いてありゃあかまやあしねえ……おいおい、戒名はできていたぞ。お上人さまがお寺をおでかけになるときおつけくだすったんだ。ありがたくおうけするように……」 「へえ、ありがとうごぜえます。これ、みんなここへこうや、お上人さまから戒名をいただいたぞ。これが戒名だ。なに? 戒名なんてものは長えもんだってか? うん、そういえば、えかくまっ四角だな……和尚さま、えかくまっ四角な戒名でごぜえますね」 「ああ、そりゃあ新型の戒名だ」 「へーえ、新型かね? ……えー、なんだと……ええ、官許、伊勢浅間、霊宝万金丹……なんだこりゃあ? ……だめだ、和尚さん、こりゃあ薬の袋でねえだか」 「そうかい、まあいいやな」 「よかあねえだ。戒名なんてものは、その仁《にん》に合うようにできてるもんだ」 「その仁にあってるじゃねえか」 「合ってる? じゃあ、はじめの官許てえのはどういうわけかね?」 「わかりきったことを聞くなよ。いま、お上人さまが棺の前で経をお読みになったろう?」 「へえ」 「だから、かんきょう(棺経)よ」 「へーえ、棺の前で経を読んでかんきょうかね、なんだか判《はん》じ物みてえだね……じゃあ、この伊勢浅間てえのはなんだね?」 「生きてるうちはいせいがいいが、死んじまえば、こんなあさましい姿になるじゃあねえか。いせいのいい者が、あさましくなるから、いせいあさまじゃあねえか」 「はあそうかね……霊宝……この霊宝ちゅうのはなんだね?」 「ああそれか……それは……死ねば幽霊になるから霊の字をつけた」 「幽霊になぞでられてはこまりますだ」 「だから幽霊がでないようにお上人さまにありがたいお経をあげていただいて、お布施をさしあげるわけだ。お布施は、金だ、お宝だ。お宝で幽霊をとめるから霊宝となる。したがって、お布施をはずめということだ」 「あんれまあ、戒名の中にお布施の催促までへえってますかね? ……じゃあ、この万金ちゅうのはなんだね?」 「万屋《よろずや》金兵衛が死んだんだから、万金《よろきん》の万金とならあ」 「へえ、そうかね……ええと……万金丹……この丹ちゅうのはなんだね?」 「うるせえな、丹ぐらいまけとけよ……金兵衛が死ぬときに、ゴロゴロと痰《たん》がのどへからまった。万屋金兵衛が、ゴロゴロきゅうと死んだから、それで万金丹となるじゃあねえか」 「いや、痰《たん》がからんで死んだんではねえだ。年よりの冷水《ひやみず》で、よせばいいに、屋根の草むしりしてるうちに屋根からころがりおちて死んだだ」 「なに? 屋根からおっこったんだと? じゃあ、おっこったんのたんでいいじゃあねえか。屋根からコロコロコロコロおっこったんさ、コロコロコロコロ万金丹、コロコロコロコロ万金丹さ」 「はあ、おっこったん、万金丹かね?」 「そうよ。コロコロコロコロおっこったん、コロコロコロコロ万金丹とくらあ」 「はあ、どうもこりゃあ陽気な戒名だ……わきに白湯《さゆ》にてもちうべしとただし書があるでねえか、なんだね、この白湯にてもちうべしちゅうのは?」 「白湯にてもちうべしってんだから、この仏にはお茶湯《ちやとう》をあげるにはおよばねえ」
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tanayoung0212 · 2 years
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(2022/9/3土) 「鮨あうん」ディナーも、これがラスト… 3杯目は、静岡の「喜久酔」を。 にぎり、最後は、 ・小肌 ・白えび ・いくら ・玉子 留め椀にしじみの味噌汁。 最後にデザート、きなこと黒豆のアイスでした。 以上が今回8,000円のコースでした。 で、デザートの前に、追加で握ってもらったのが、 ・ハタの昆布締め ・トロたく巻き 白えびは、 いくら、粒が大きくて美味かった〜! 写ってないけど、味噌汁のしじみが大きくて、抜かりないって感じで。 トロたくは、トロ多め、海苔もパリッと、美味かったな。 いやぁ〜、大満足でした! 上大岡の駅からしっかり5分は歩くところにあって。カウンター6席、個室1つ、この日は満席で。大将の風情も含めて肩肘張らない感じもよくて。ある所にはあるなっていう名店かと。また来たいな。 (鮨あうん) https://www.instagram.com/p/CiJELzUv3vx/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年4月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年1月4日 立待俳句会 坊城俊樹選 特選句
年賀状投函ポスト音を吐く 世詩明 大冬木小枝の先まで空を突く 同 猫寺の低き山門虎落笛 ただし 福の神扱ひされし嫁が君 同 石清水恙の胸を濡らしつつ 輝一 阿弥陀様お顔に笑みや秋思かな 同 去年今年有縁ばかりの世なりけり 洋子 潮騒の聞こゆる壺に水仙花 同 羽根をつく確かなる音耳に老ゆ 同 時々は絵も横文字も初日記 清女 初電話友の恙を知ることに 同 暁に湯気立ち上がる冬の海 誠 大寒のポインセチアに紅のあり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月5日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
初暦いかなる日々が待ち受けん 喜代子 おさんどん合間に仰ぐ初御空 由季子 病院の灯消えぬや去年今年 同 雪掻に追はれつつ待つ帰り人 さとみ 海鳴りや岬の水仙なだれ咲く 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月7日 零の会 坊城俊樹選 特選句
あをき空うつし蓮の枯れつくす 和子 蓮枯れて底の地獄を明るめる 軽象 枯はちす揺り起こすなり鐘一打 三郎 破れ蓮の黄金の茎の高さかな 炳子 枯蓮の無言の群と相対し 秋尚 弁天の膝あたたかき初雀 慶月 面差しの傾城名残青木の実 順子 男坂淑気を少し漂はせ 三郎 恵方道四方より坂の集まり来 千種 葬儀屋の注連縄なんとなく細い いづみ いかやきのにほひに梅の固くあり 要 枯蓮のやり尽くしたる眠りかな 佑天
岡田順子選 特選句
枯はちす揺り起こすなり鐘一打 三郎 鷗来よ枯蓮の幾何模様へと 俊樹 そのあとは鳶が清めて松納 いづみ 毛帽子にまつ毛の影のよく動く 和子 北吹けりもう息をせぬ蓮たちへ 俊樹 蓮枯れて水面一切の蒼穹 和子 人日の上野で売られゆくピエロ 三郎 石段に散り敷く夜半の寒椿 悠紀子 恵方道四方より坂の集まり来 千種 よろづやに味噌づけ買うて寒に入る 眞理子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月7日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
双六やころころ変る恋心 朝子 下の子が泣いて双六終りけり 孝子 短日は数が減るかもニュートリノ 勝利 歌留多とり式部小町も宙に舞ひ 孝子 小春日や生ぬるき血の全身に 睦子 骨と皮だけの手で振る賭双六 愛 京の町足踏み続く絵双六 散太郎 粛々と巨人に挑む年始 美穂 来世から賽子を振る絵双六 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月9日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
双六の終着駅や江戸上り 時江 たかいたかいせがまれて解く懐手 昭子 てのひらの白きムースの初鏡 三四郎 ���消壺母のま白き割烹着 昭子 木の葉髪何を聴くにも左耳 世詩明 街筋の青きネオンや月冱てる 一枝 姿見に餅花入れて呉服店 昭子 はじき出す男の子女子のよろけ独楽 時江 一盞の屠蘇に機嫌の下戸男 みす枝 初詣寺も神社も磴ばかり 信子 御降や傘を傾げてご挨拶 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月9日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
初明かり故山の闇を払ひゆく かづを 万蕾にある待春の息吹かな 々 小寒や薄く飛び出る鉋屑 泰俊 勝独楽になると信じて紐を巻く 々 仏の前燭火ゆらすは隙間風 匠 筆箱にニトロとんぷく老の春 清女 二千五百歩小さな散歩寒に入る 天空
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令和5年1月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
鋳鉄製スチームの音古館 宇太郎 始業の蒸気雪雲を押しあげて 美智子 溶けてなほ我にだけ見ゆる時雨虹 佐代子 失ふはその身ひとつや冬の蜂 都 寒灯下遺影に深く法華経 悦子 大木を伐られ梟去つたらし 史子 枯木立通り抜けた���昼の月 益恵
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令和5年1月10日 萩花鳥会
人生の余白少なし冬の薔薇 祐子 裸木が絵になる空を展げゆく 健雄 山茶花や気は寒々と花紅く 俊文 守らねばならぬ家族や去年今年 ゆかり 一椀に一年の幸雑煮膳 陽子 故郷で一つ歳とる雑煮かな 恒雄 昼食後一枚脱いで四温かな 吉之 亡き人に届きし賀状壇供へ 明子 逆上がり笑顔満面四温晴 美惠子
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令和5年1月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
初生けを祝成人と命名す みえこ 薪焚の初風呂済ませ閉店す 令子 御降りに濡れても訪ひぬ夫の墓 同 初詣光􄽄現れて良き日かな あけみ 注連飾父の車の隅に揺れ 裕子
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令和5年1月14日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
閼伽桶の家紋色濃し寒に入る 多美女 養生の大樹潤す寒の雨 百合子 勤行の稚の真似事初笑ひ 幸風 いつもならスルーすること初笑 秋尚 臘梅に鼻近づけてとしあつ師 三無 寒椿堂裏の闇明るうす 多美女 多摩堤地蔵三体春立ちぬ 教子 均しある土の膨らみ春隣 百合子 掃初の黒御影拭き年尾句碑 文英 悴んで顔を小さく洗ひけり 美枝子
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令和5年1月15日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
飛石を跳ね蝋梅の香に酔うて 炳子 木道の先の四阿雪女郎 幸風 その奥に紅梅の蕊凜として ます江 黒き羽根なほ黒々と寒鴉 貴薫 不器用に解けてゆきぬ寒椿 千種 入れとこそ深き落葉へ開く鉄扉 同 谷あひに弥生の名残り水仙花 炳子 椿落つ樹下に余白のまだありて 三無 木道まで香り乱れて野水仙 芙佐子 寒禽の群を拒まぬ一樹かな 久子
栗林圭魚選 特選句
山間の埋れ火のごと福寿草 斉 空昏く寒林よぎる鳥の影 芙佐子 厚き雲突き上ぐ白き冬木の芽 秋尚 福寿草労り合ひて睦み合ひ 三無 そのかみの住居跡とや蝶凍つる 炳子 水仙の香を乱しつつ通り抜け 白陶 入れとこそ深き落葉へ開く鉄扉 千種 竹林の潤み初めたる小正月 要 椿落つ樹下に余白のまだありて 三無 せせらぎのどこか寂しげ寒の水 白陶
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令和5年1月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
若きより板に付きたる懐手 雪 北窓を塞ぎさながら蟄居の間 同 昨夜の酔ひ少し残るや初鏡 かづを 九頭竜や寒晴の綺羅流しゆく 同 除夜の鐘八つ目を確と拝し撞く 玲子 初明り心の闇を照らされし 同 一点の客観写生冬の句座 さよ子 翳す手に歴史を語る古火鉢 同 笑つても泣いても卒寿初鏡 清女 餅花の一枝華やぐ奥座敷 千代子 年賀状手描の墨の匂ひたつ 真喜栄 若水を汲むほどに増す顔のしわ 同 裸木村は大きな家ばかり 世詩明 春炬燵むかし昔しの恋敵 同
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令和5年1月18日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
水仙や悲恋の話知りしより 啓子 堂裏の菰に守られ寒牡丹 泰俊 餅花やなにやらうれしその揺れも 令子 左義長の遥けし炎眼裏に 淳子 寅さんを追つて蛾次郎逝きし冬 清女 飾り焚く顔てらてらの氏子衆 希子 御慶のぶ一人一人に畏みて 和子 眉を一寸引きたるのみの初鏡 雪 初髪をぶつきら棒に結ぶ女 同 束の間の雪夜の恋に雪女 同 マスクして睫毛に化粧する女 同
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令和5年1月20日 さきたま花鳥句会
凍星や夜行列車の窓あかり 月惑 葉牡丹や鋳物の町の鉄の鉢 一馬 どら猫のメタボ笑ふか嫁が君 八草 小米雪運河の小船音もなく 裕章 老木に力瘤あり春隣 紀花 竜神の供物三個の寒卵 ふゆ子 医学書で探す病名寒燈下 とし江 おごそかに雅楽流るる初詣 ふじ穂 人のなき峡の華やぐ柿すだれ 康子 小正月気の向くままの古本屋 恵美子 寒梅や万葉がなのやうに散り 良江
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令和5年1月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
福引の種考へてゐるところ 雪 枯れ行くは枯れ行く庭の景として 同 懐手して身も蓋も無き話 同 思ひ遣り言葉に出さぬ懐手 昭上嶋子 言ひかねてただ白息を吐くばかり 同 きさらぎや花屋はどこも濡れてをり 同 父の碑を七十余抱き山眠る 一涓 藪入りを明日に富山の薬売り 同 人日や名酒の瓶を詫びて捨つ 同 一陣の風に風花逃げ廻る 世詩明 安座して児の母となる毛糸編む 同
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令和5年1月22日 月例会 坊城俊樹選 特選句
舞ひ上がる金子銀子や落葉掻 千種 春近し湯気立つやうな土竜塚 昌文 寒林や父子のだるまさんころんだ 慶月 紅梅のどこより早く憲兵碑 同 冬帝に囲まれてゐる小さき者 いづみ 出征を見送る母子像の冷え 昌文 青銅となりて偉人は寒天に 千種 火の雨を知る大寒の展示館 いづみ
岡田順子選 特選句
狛犬の阿形の息を白しとも 俊樹 勾玉のほどけ巴に冬の鯉 千種 ただ黒し桜ばかりの寒林は 同 ボサノバを流し半熟寒卵 慶月 石に苔泥に苔あり日脚伸ぶ 和子 息白く母子像見てひとりきり 俊樹 寒林の一木たるを旨とせり 晶文
栗林圭魚選 特選句
冬の雲弛びそめたり大鳥居 要 朽木より梅百蕾の薄明り 昌文 ボサノバを流し半熟寒卵 慶月 能舞台脇座に現るる三十三才 幸風 日向ぼこして魂は五間先 俊樹 霜柱崩れ鳥居の崩れざる 同 青銅となりて偉人は寒天に 千種
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
大枯野太古は大海だつたかも ひとみ 初景色常の神木よそよそし 美穂 椰子の実のほろほろ落ちて神の留守 孝子 緋あけ色の空へ音ひき初電車 美穂 嫁が君大黒様の手紙持ち ひとみ おんちよろちよろと声明や嫁が君 睦古賀子 歌留多取対戦するは恋敵 睦吉田子 水仙はシルクロードの香を含み ひとみ
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